★★宗教改革★★

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75世界@名無史さん
宗教史を勉強している者です。ちょっと質問させて下さい。

今、読んでいる本に、以下のような叙述がありました。

こうした二大宗派(※カトリック、プロテスタント)の争いは、ヨーロッパを約1世紀に渡る宗教戦争に巻き込み、
これがようやく終結されたのは、中部ヨーロッパのいわゆる三十年戦争の結末となった「ウェストファリア条約
(1645-1648)」、フランスにおけるナント勅令の廃止(1685)、英国の名誉革命(1688)によってであった。

ウェストファリア条約が新旧キリスト教徒の宥和をもたらした事は納得出来るのですが、

1.同じように新旧宗派の宥和を目的としていたナント勅令の「廃止」が宗教戦争の終結となるのはなぜか?
2.議会政治樹立に向けた市民革命の一環であるはずの英国の名誉革命が宗教戦争の終結となるのはなぜか?

以上、二点がどうも腑に落ちません。どなたかお答え頂けませんか?
76世界@名無史さん:02/12/18 22:15
>>75
回答を試みたいと思います。間違っていたらごめんなさい。
仏国ルイ14世によるナント勅令廃止によってプロテスタントはことごとく追放されるか
改宗を強いられました。
いっぽう英国の名誉革命ではスコットランド出身でカトリックを擁護した
ステュアート家の国王が追放されました。
よって宗教騒乱が両国で収束したということではないでしょうか。
7775:02/12/18 23:12
>>76
回答どうもありがとうございました。

フランス:ユグノーが追放され騒乱の原因が消失
イギリス:カトリックが後ろ盾を失い騒乱の原因が消失

という理解でいいのでしょうか。

つまり、宗教戦争の終結は、少なくとも英仏の二国においては、
「建設的」なものではなかったと。消極的終結というか。