【不老】神仙・道教の歴史【長寿】

このエントリーをはてなブックマークに追加
154世界@名無史さん:03/08/06 20:51
スレ名を
【房中術】接して漏らさず【サイコー】
に変えたら、もう少し客来るんじゃない?
155世界@名無史さん:03/08/18 20:56
そして釣られて来た漏れw
156よろずこ:03/08/19 22:28
来月で1年長寿だな。
157世界@名無史さん:03/09/14 01:16
保守。
158よろずこ:03/09/25 21:11
9/28だったか。またきます。
159清濁酒:03/09/28 11:30
一周年だー。
道教や仏教などの坊さん達はたてまえとして肉を食べないようだが、
そのほうが長生きなのか?
160世界@名無史さん:03/09/28 17:04
伯父さんは坊さんだが肉も魚も食べまくりです。酒も飲みまくり。
先代の和尚さんだった祖父さんも同じく破壊坊主だったが
75で風呂場で足滑らせて頭打って死ぬまでは元気だったのであまり関係なさそう。
というかいろんなものを満遍なく食べたほうが栄養のバランスはとれてて良いのでは?
161よろずこ:03/09/28 20:42
うん1周年。

>>159,160
松の実やクコの実をたべて元気で長生きして、山に薬草を取りに入ったら
虎に食われたという話も有る。
162山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/09/28 20:47
口臭の問題かと。仏や往生人は口から香ばしい香りがして来て、しか
も長い間消えないとされていましたから。逆に天魔の類は悪臭がする。
長生きしたとすれば「規則正しい生活」や「落ち着いた精神状態」あた
りが原因では。色々食べて栄養が偏ることもある。
163世界@名無史さん:03/09/28 23:50
道家の王弼は確か20代で死んでいるはずですし、厳しい修行のため白隠の門弟は若死にが多かったそうです。
肉を食わないから長生きということはないのではないかなぁ
165世界@名無史さん:03/10/06 13:35
徐福は中国での知名度はどの程度なのでしょうか?
日本ほどではないのかな。永らく向こうでは「行方不明者」だったから無理もないが・・・
166世界@名無史さん:03/10/08 20:55
村があったような?
167世界@名無史さん:03/10/09 09:42
>>150
不老不死の無名人ならここに。
168よろずこ:03/10/09 23:14
>>167
無名人でなく「ななし」でしょ。
169とてた ◆0Ot7ihccMU :03/10/09 23:37
>>165
たしか山東省に子孫がいるとか…。
170世界@名無史さん:03/10/19 17:53
水銀含有した薬呑んで喜んでたら、そりゃ若死にするだろ。
171世界@名無史さん:03/10/30 20:45
道教は、人間の倫理・道徳についてどんなことを説いているんですか?
仏教と違って、あんまり明確なイメージが湧かないんですが・・・
172世界@名無史さん:03/10/30 22:42
日本の仏教には道教の影響も濃いから似た様な教えが多いね。
というか中国において仏教が道教の教えを取り込んでいったのか。
宗教の流行り廃りに敏感だったってことでしょうか。
173アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/10/30 23:36
>>164
修行中の息子が病気になったので、しばらく引き取って魚など食べさせて養生させたい、
という母親の手紙と無事治りましたので返します、というお礼状を読んだことがあります。
どこかのお寺の所蔵です。筆者は中将クラスの北の方だったような・・・
コピーがあるはずだけど、見つかりそうもない。
「日本霊異記」にも、さる徳の高い僧が病気になって、弟子に魚を買いにやらせたら
道中は魚がお経の巻物になったという話があるから、やはり動物性蛋白質は必要なんでしょう。
174世界@名無史さん:03/11/01 15:08
王弼って道家の修行なんてしてたの?
単なる注釈だけかと思ってたが・・・
175世界@名無史さん:03/11/30 00:15
ttp://www.china.org.cn/japanese/45648.htm

中国の文化的伝統は「和合」をもって貴とするものである。かつて皇室の
宮殿であった故宮の建物の名称には太和殿、中和殿、保和殿などがある。
庶民の人たちの家の壁に掛けられている額には一団和気(和気あいあいで
ること)、満堂和気(家族のすべてが睦まじく暮らすこと)、和気生財
(和合は富を生むことができるということ)、和気生輝(和合は輝きを
生むことができるということ)などの言葉が書いてある。人々が人に
忠告する時にしばしば述べる理屈には、人と仲良く付き合うべきであるか
または結束すべきであるということ、融和すること、睦まじくすべきこと、
調和が取れること、温厚で善良な態度ですべての人々と付き合うべきこと、
心を合わせて協力すべきこと、内輪のものが睦まじければ外のものとの
関係に妨げとなるものはないこと、家族全体が睦まじく暮らせば万事
栄えるなどがあり、いずれも「和」を主張するものである。
176世界@名無史さん:03/11/30 00:16
中国の歴史において、宗教を信じるものと宗教を信じないものの間、
異なった宗教を信仰する人々の間で、宗教信仰をめぐって大規模な
紛争または争いが起こったことは非常に少なく、ヨーロッパの中世の
十字軍の東方侵略と宗教改革期のキリスト教の新教派と旧教派の間で
繰り広げられたような長期間にわたって、繰り返された、むごたらしい
宗教戦争はなおさらなく、より多くあったのはロックの『宗教の寛容を
論ずる』が望んでいるような、キリスト教の異なる宗派およびその他の
宗教との理解と寛容であった。国を治め民を安らかにする儒学の理念に
基づいて、中国の歴代の統治者は一般にさまざまな宗教を平等に扱い、
かなり寛容な宗教政策を実行した。

↑現在の中国人が、自国の文化や歴史をどう見ているのか、
 という点で興味深いです。
177世界@名無史さん:03/11/30 00:18
18:16
http://fine.tok2.com/home/pengzi/02/1223.htm
この右下の絵が「一団和気」。一見、一人の太った人物を描いたように
見えて、実は左右あわせて三人の人物が融合しています。中国では
民間の契約などで「一団和気」というときも、
自立した個人の協力というより、むしろ一人の人物として合体して
しまうような直接的な一体感が目指されていたのだそうです。
もともとは六朝時代に儒教・仏教・道教の交流を描いたものだとか。
178世界@名無史さん:03/11/30 11:21
たしかにな。
三武一宗みたいな廃仏はときおりあるけど。
西洋やイスラム地域と比べると、比較的寛容だろな。
179世界@名無史さん:03/11/30 17:58
道教には死後の世界を説いている物がないので宗教にはならないの?
180世界@名無史さん:03/11/30 18:10
中国の留学生におそわる。
中国の神様で一番えらいのは玉皇大帝というそうだ。
181世界@名無史さん:03/11/30 19:58
ttp://www.pandaemonium.net/menu/devil/gyokukou.html
玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)

通称、玉帝。または、天公。もとは妙楽国の王子で、のちに天上界の皇帝と
なった。宋代以降は元始天尊をおしのけて、最高神となる。ちなみに旧暦
一月九日は玉帝の誕生日。

182世界@名無史さん:03/11/30 20:00
漢族はみな黄帝の子孫ということになっている。
183世界@名無史さん:03/11/30 20:44
>>178
キリスト教圏でも、ビザンツ帝国では西欧のような激しい宗教戦争は
なかったよ。
イスラーム圏でも、改宗のほかにも、信仰を保ったまま貢納するという
道があった。
別に異教徒に対する迫害が恒常的に続いていたわけではない。
その意味では西欧がむしろ特殊なのかも。
184世界@名無史さん:03/12/07 20:17
中国の社会で、仏教が儒教や道教ほどの勢力を持ちえなかったのはなぜ?
185世界@名無史さん:03/12/07 23:46
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/9559/gayhistory.htm#gayhistorytop

筋ジスDNA治療成功 神戸大

 神戸大医学部(神戸市)の松尾雅文教授らは三日、デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者に対する合成DNAを使った世界初の治療について、
遺伝子の働きに変化がみられ効果が確認されたと発表した。
患者は副作用もなく、同日退院した。松尾教授は「治療はほぼ成功したといえる」と話している。
 松尾教授によると、患者は小学四年男児(10)。
筋肉を形作るタンパク質「ジストロフィン」をつくる遺伝子が欠けているため、
今年十月二十九日から十一月十九日まで計四回にわたり、人工合成したDNAを投与したところ、
リンパ球で一部の遺伝子の作用が改変された。
合成DNAの投与は、今後も定期的に続けられる。
 松尾教授は「筋肉での検査結果はまだ出ていないが、同様の効果があるのは間違いない」と話し、
合成DNA治療で正常なものとほぼ同じ機能を持つジストロフィンをつくらせ、
症状の緩和が期待できるとしている。
186世界@名無史さん:03/12/08 09:43
あったんじゃないの?一時期は?
187世界@名無史さん:03/12/08 09:49
188世界@名無史さん:03/12/08 12:42
>>186
中国で仏教が盛んだった時代は五胡十六国〜唐代あたり?
189世界@名無史さん:03/12/09 23:49
仏教が別にマイナーだったってわけでもないと思うが?
190世界@名無史さん:03/12/11 01:52
>184
仏教は、現世は苦に満ちているから、2度と生まれ変わってきたくない、
というかなり現世否定の宗教なわけだが、中国人に伝えたときの人々の感想は
「もう一度生まれてこられるなら、ぜひそうしたい」というものだった。

これでは流行らないはずである。だが、老荘思想と絡めた形で浸透はした。
漢の時代には広まっており、卑弥呼の使いも「最近の思想」として知っていたはず。
191山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/12/11 12:21
>現世は苦に満ちているから、2度と生まれ変わってきたくない
どの「仏教」かにもよりますよ。源信あたりを見ればそうなりますが。
192世界@名無史さん:03/12/12 20:52
つーか、ホントに流行ってなかったのか?
明太祖の朱元璋は乞食坊主だったというし
宋元明清を通じてそんなに廃れてたと思えないんだが
文革後にいち早く復興した道教の印象が強いだけなんじゃ……
193世界@名無史さん:03/12/12 23:41
儒学が法相宗の勢いに押されたからというのが朱子学が出来た一因だしね、流行ってないってこたないでしょ。
194190:03/12/13 02:32
あ、>190は紀元前の中国伝来時のはなしです
195世界@名無史さん:03/12/15 17:13
3回還俗したのって誰だっけ?皇帝で。
196山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/12/15 18:22
梁の武帝・・・かな。武則天も熱心でしたね。
197世界@名無史さん:03/12/15 20:42
>>196
則天(武氏)の場合、李氏と深いかかわりを持つ道教の勢力を抑えるという目的
もあったみたいです。
ただし、これはあくまで中華皇帝が監督する形の仏教に対してであり、中国的
倫理観に仏教をあわせようとする動きはむしろ活発になっていきました。
例えば657年には、僧尼は父母から拝を受けてはならない、という内容の
含まれた詔が下されています。
198山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/12/15 21:52
>>197
>李氏と深いかかわりを持つ道教の勢力を抑えるという目的
それに加えて彼女の場合仏典による権威づけも欲しかったのでしょう。
199世界@名無史さん:03/12/15 22:48
やりすぎるとチンコの皮のびるよとかいったほうが効くよな。
200世界@名無史さん:03/12/15 22:49
誤爆ごめんなさい。
201世界@名無史さん:03/12/16 16:21
http://www.mskj.or.jp/getsurei/koya9605.html

道教とは民間信仰に儒教や老荘思想、 仏教が合流してできた中国土着の
宗教であり、長寿、養生を目指し、神仙、風水師、方士 に代表されるように
「祈とう」、「命算(占い)」などを特徴としている。実は、儒教 的現実的
な人生出世競争に敗れた、または挫けた人がこの道教に救いを求めるという
構図 になっているのだそうである。現世に快楽を求める中国人であるから
して、最初からこう いった道教だけに走る中国人はいない。あくまで自分の
力で現世における快楽を求めるの である。ただ、人生の競争は厳しい。その
中で敗れた人は勿論、厳しい戦いを続けている 人がこの道教にすがるという
東南アジアの華僑がこうした道教にすがっている光景を思 い浮かべると
理解しやすいであろう。厳しい異国の地、こうした道教の神神に祈りながら
現世の快楽を追求したのである。ただ、こうした道教にすがるのは、まだ
現実世界に望み の有る階層の人々で、例えば出世競争には失敗したものの
ある程度の資産家であるとか、華僑のように中国大陸の圧力を逃れ新天地で
頑張ろうとしている人々で、中国大陸に残り 厳しい環境の下に置かれている
農民など現世にもう望みが持てなくなった階層の人々は、 来世つまり死後に
快楽を見出す教え仏教に走った。したがって、どうやら本来の中国人の 思想
と仏教の思想とはどうも相容れないもののようである。
202世界@名無史さん:03/12/16 19:11
>>201
仏教が衰退気味の現代中国からの観察だな
本来と断言してしまうところがいかにもアレ
203世界@名無史さん
http://www.adobe.co.jp/education/features/doshisha/pdfs/sample_dl.pdf

いわゆる「夷教」は、景教を除いても中国においてほとんど根づいていない。
唯一の例外が仏教であるが、仏教が中国社会において大きく育った理由は、
伝来の時期が早かったことに尽きるのではないか、と私は考える。
仏教の中国社会における浸透を語る際、四世紀以降に見られる儒教を支柱とした
国家の崩壊と、それに続く戦乱の時代における無常観、それと中国における
体系的な宗教哲学の未発達があげられる。