西ローマ滅亡後のゲルマン人国家とその王たちを

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98世界@名無史さん:02/10/22 18:27
>91
東ローマ皇帝ティベリウス3世(7世紀末)はゴート人だよ。
99世界@名無史さん:02/10/23 12:11
トゥールのグレゴリウスの「フランク史」(6世紀後半)は
「歴史十書」という邦題で訳されて東海大学出版会から出ていた
ラテン語と日本語対訳だが、何万円もするので買えなかったw

グレゴリウスはガリアのローマ系貴族の生き残りの家系で
トゥール司教を務め、フランク族の王や有力者とも交際があった人物で
有名で、「フランク史」を書いたことで歴史に貢献したわけですが
自分でも認めているように、こういう旧ローマ系の支配層の人でさえ
ガリアでは既にラテン語の文章をまともに書くことが困難になっていました。

岩波文庫「メロヴィング王朝史話」を読んだ方にはおなじみですが
ちょうど同じ頃、東ゴート王国末期のイタリアから、詩人のヴェナンティウス・
フォルトゥナトゥスという人物がガリアに旅してきて、フランク族の王侯に
詩を献じたりして飯を食っていたのですが、この人の詩は一応まともな
ラテン語文法になっているそうです。

つまり、6世紀後半、ガリアではラテン語文法がまともに伝わらなくなって
いた一方、イタリアではさすがにまだ保たれていたということのようで。
100世界@名無史さん:02/10/23 12:20
部外者だけど、100ゲット。。
101世界@名無史さん:02/11/01 14:38
キルペリクは神学や語学に関心を持ち
論争を行ったりアルファベットに文字を増やそうとしたり
していたそうですね
102世界@名無史さん:02/11/15 16:14
>>101
彼はこの時代には珍しく、教養のある人物だったらしい。
カール大帝もそういう意味では例外的。
103世界@名無史さん:02/11/17 19:51
>>102
ゲルマン系の有力者の中では・・という意味ではそうでしょうね
旧ローマ系の有力者は、まだ古典的教養を持つ人間もいたのでしょうが
次第に野蛮化(?)し、ゲルマン人との混血も進んでいったものと
思われます

ちなみに、イタリアの東ゴート王国では、ゴート人とローマ人との結婚が
禁じられ、ローマ人は武器を持つことを禁じられていたそうですが
フランク王国では、宗派の違いがなかったこともあり、両者の結婚も進み
さらにガロ=ローマ人も将兵として従軍させられたりしたそうです

「メロヴィング王朝史話」(岩波文庫)を読むと、メロヴィング王朝期の
フランク王国の旧ローマ系将軍として、ムモルスとデシデリウスという2人の
名があげられています。
もっとも、この本には触れられていませんが、この両名は、のちに王国の内紛で
クーデター計画に参加して失敗し、殺されてしまうのですが。
104世界@名無史さん:02/11/18 11:40
スポレト公国とベネヴェント公国に関して教えてください。
105世界@名無史さん:02/11/21 13:04
突然ですがオドアケルって何者ですか?
ゲルマン人傭兵隊長っていう肩書きしか教科書に
出てこないし、西ローマを滅ぼして
オドアケルの王国っていう一代の国を
作ったぐらいしか知識がないです。
末路や、出自など詳しいことが知りたいのですが
どこにも載ってません。彼に漠然とした憧れが
あるんで誰か教えてくださーい。
106世界@名無史さん:02/11/21 13:12
オドアケル(434頃〜493)はゲルマンのスキリア族の名門の出で、
彼の父はアッティラの宰相であった。オドアケルは西ローマ皇帝の
親衛隊に入り、その司令官となり、475年の皇帝交替の際にゲルマ
ン人傭兵隊長に推され、ゲルマン人傭兵にイタリアの土地を要求し
て拒否されると、翌476年に最後の西ローマ皇帝となるロムルス=
アウグストゥスを追放してイタリア王を称した。

 オドアケルは東ローマ皇帝から総督の称号を受け、イタリアとダル
マティア(旧ユーゴスラヴィアのアドリア海沿岸地方)を支配したが、
東ローマ帝国の内政に干渉したため、東ローマ皇帝は東ゴート族の
テオドリック大王にオドアケル追討を命じた。オドアケル軍は各地で
敗れ、オドアケルはテオドリックに暗殺された(493)。
107世界@名無史さん:02/11/21 13:22
>>105
スキル族(カタカナ表記は他にもいろいろあるようだ)という
ゲルマン民族の一集団の出身。ローマの傭兵隊長として勤務。

当時西ローマの実権を握っていた軍司令官オレステスに対して
ゲルマン傭兵への土地の割り当ての問題で不満が高まっていたのに
乗じて、オドアケルはオレステスを殺害。オレステスの息子で
皇帝であったロムルス・アウグストゥルスを476年に退位させた。

そして、後任の皇帝を立てることなく、帝位をコンスタンティノポリスの
東ローマ皇帝に返納し、自分は東皇帝の代官の名目でイタリアを治めることを認められた。
(名目上は、東西ローマ帝国は一人の皇帝(東皇帝)によって統一的に統治された
形式になる。)
しかし後に、東皇帝はオドアケルを倒すことをもくろんだ。ちょうどバルカン半島に勢力を
伸ばして東皇帝の政府と対立していた東ゴート族の王テオドリクに対して、イタリアに
攻め込んでオドアケルを倒すよう指示。
テオドリクはイタリアに攻め込み、首都ラヴェンナを包囲。やがてオドアケルとテオドリクは
教会の仲介で和平を結んだが、結局テオドリクに殺害された。

イタリアはそののち、東ゴート王が、東皇帝の代官という名目で統治したが、
6世紀に東皇帝ユスティニアヌスによって滅ぼされた。
108105:02/11/21 18:04
>106 107

なんて親切な人だ!
何のお礼もできませんがどうもありがとうございましたm(__)m
下克上って感じではなく名門の出身だったんですね。深謝。
109世界@名無史さん:02/11/21 23:12
>>108
やっていることは普通の簒奪者とほとんどかわらないんだよね。
いつのまにかなくなっていた西ローマ帝国が、どの時点でもって
なくなったかと認定するのに、ちょうど都合がいい事件だったから
ここまで有名になったのかもしれない。
110世界@名無史さん:02/11/22 00:53
西ローマにはまだ亡命中で自分が正統の皇帝だと
主張していた元皇帝がいたんで、この時点ではまだ
西ローマは滅びていないとする説もあるにはある。
まあ、これが定説だから、いいんだけど。
111 :02/11/22 04:31
>>109
そう考えれば、末期の皇帝たちはそれなりに名前が知られているだけラッキーだね。
 
シャルルマーニュの皇帝位なんてイタリア王に受け継がれて、カロリング家が断絶した後は有力豪族の争奪の的に。
で、皇帝位そのものが途絶えて、数十年ぶりに復活したら、名前が神聖ローマ皇帝とか変わってるし。
112世界@名無史さん:02/11/22 07:56
この頃の戦闘ってかなり規模は小さいというか
離合集散繰り返してていまいちパッとしませんね。
113世界@名無史さん:02/11/22 11:05
結局オドアケルって皇帝位を東に返上したの?
何かそういう話を聞いたけど。
114世界@名無史さん:02/11/22 18:36
>>113
いや、最初から皇帝を僭称しなかったはず。だから西ローマ帝国滅亡とされている。
皇帝を僭称していれば、オドアケルは普通の簒奪者として扱われ、
西ローマ帝国は名目上は存続していたはず。
115113:02/11/23 12:49
>>114
いや、そうじゃなくて、ロムルス・アウグストゥルスを引きずり下ろしたときに、東に皇帝位を返上したと聞いたんだけど。
116世界@名無史さん:02/11/23 22:38
>>115
そう。って >>107 に書いてある罠。
117113:02/11/24 11:22
……。

スマソ。逝って来るよ。
118世界@名無史さん:02/11/25 10:29
西ローマ帝国がいつ滅亡したかはいろんな見方があるけれど
476年以前にすでにゲルマン国家が西にできあがってた時点で
滅んでいたともいえるし、イタリアでは古代の社会・文化構造が
476年以降も、オドアケルや東ゴート王テオドリック支配下でも存続は
していたと考えれば、まだ残っていたとも言える。

イタリア半島で、西ローマ帝国以来の社会・文化構造が実質的に崩壊したのは
6世紀、東皇帝のユスティニアヌスがイタリアを東ゴート族から奪回するため
征服戦争を起こして以降でしょう。
長年の戦いで飢饉と疫病が起こり、さらに支配層だった元老院貴族の多くが
敗残寸前の最後のゴート王テヤによって殺害された。
これに加え、ゴート族が駆逐されたあと、北方からランゴバルト族が侵入して
イタリアを支配したので、これがイタリアにおける実質的な古代ローマの終わりと言える。
119世界@名無史さん:02/12/13 19:48
age
古代名、所謂ラテン語地名っていつまでなの?
121世界@名無史さん:02/12/25 12:57
テオドリック大王の物まねしてくれ。
122山崎渉:03/01/11 13:19
(^^)
123世界@名無史さん:03/01/20 03:24
保守しときます。
124世界@名無史さん:03/02/05 02:13
良スレage
125中華@名無史さん:03/03/04 17:40
テーマは凄く良いと思うのでageます。
空ageもなんなので、話題も振っておきまつ…

西ローマ滅亡から、フランク帝国のカール大帝載冠までの間って、
この地域には、どれ位の国が打ち建てられたんですか?
126世界@名無史さん:03/03/04 18:38
なんせ、国家と呼んでいいものやらって感じの部族集団だらけだからね…。
127世界@名無史さん:03/03/04 18:56
>>125
一応、主だったものをあげますと、
西ゴート王国、ヴァンダル王国、ブルグント王国、東ゴート王国、ロンバルド王国、
メロヴィング朝フランク王国、アングロ=サクソン七王国など。

ヴァンダル王国と東ゴート王国はビザンツに、ブルグント王国とロンバルド王国は
フランク王国に、西ゴート王国はウマイヤ朝に滅ぼされます。
128世界@名無史さん:03/03/04 19:42
ブルグント族はなんであんな勢力拮抗地帯に王国をつくったんだ?
129世界@名無史さん:03/03/04 21:38
>>128
ブルグント族が東がリアに落ち着いた後に、フランク族やロンバルト族が
北部ガリアやイタリア半島にやってきたので、結果的に勢力拮抗地帯に
なってしまったのかも。
130世界@名無史さん:03/03/04 21:43
ゲルマン民族ってどれくらいの数だったのでしょうか。
ガリア人やローマ人の遺伝子が遺伝子プールから駆逐されるぐらいですか?
131KKK:03/03/04 22:45
スレ違いかも知れんけど・・・

フン族に連れてこられて(?)最終的にイベリア半島にたどり
ついた
アラン人ってその後どうなったの?中央アジアに残ったのはオセット人として現存しているようだが。

バスク人とは混血したのかな?
132世界@名無史さん:03/03/05 04:01
>>127に加えて、パンノニアのゲピデ王国、ガリシアのスエヴィ王国、南スコットランドのロージアン王国、国とは言えないかも知れないがアラマン、かなり遅れてテューリンゲン、バイエルン。
133世界@名無史さん:03/03/05 04:57
>>10
半島を支配したから呪いがかかった。
あの国の法則ですね。
朝鮮半島はすごいや。
134世界@名無史さん:03/03/05 18:23
>>104
>>スポレト公国とベネヴェント公国に関して教えてください。

ランゴバルト族が南下してきて北イタリアを占拠し、パヴィアを王都に定めました。
しかし、彼らは全イタリアを制圧するには至らず、統治能力の不足と内部分裂の結果、
中部イタリアにはスポレト公国が、南イタリアにはベネヴェント公国がそれぞれ
生まれます。
カール大帝によってランゴバルト王国が滅ぼされた後も、もともとパヴィアとは
緩いつながりしかなかったベネヴェント公国は生き延びます。
しかし、中世初期の政治的混乱で公国は瓦解し、サレルノとカプアの両伯領が
小さな独立国として分離します。
135世界@名無史さん:03/03/15 02:22
保守します
136世界@名無史さん:03/03/17 21:15
カール大帝が他のゲルマン人の王達と違うのは、キリスト教を全世界に広める
という理念や使命感をもっていたことですか?
他のゲルマン人の王達もキリスト教に改宗してはいたけれど、これほどはっきりした
ビジョンは持ってなかったような気がする。
137世界@名無史さん:03/03/17 21:36
理念や使命感みたいな神がかったもんじゃなくて利用してただけなんだけどね
138世界@名無史さん:03/03/25 21:48
ザクセン人の大量虐殺はカール大帝の治世における汚点。
139世界@名無史さん:03/03/26 09:35
かなり乱暴なイメージだとは思うけど
ゲルマンの社会ってどうだったの?
成人男子は基本的に戦士だったのかな?

で、旧帝国内に彼らが定住した際どう変化したのだろう。
帝国の旧民族(旧ローマ市民?)とともに農民になったりもしたのか、
それとも支配層がゲルマンで、農民層が旧ローマ市民みたいな感じだったのか。
140世界@名無史さん:03/03/26 20:02
>>139
戦士兼農民だったと思いまつ。
タキトゥスが、ゲルマンの自由民について、戦士としては勇猛・勤勉、
農民としては怠惰で、大部分の仕事を弱者(女性・老人・奴隷)に任せている、
という意味のことを書いていますが、
農業生産性の低い時代にあっては、戦争による略奪が、重要な経済行為だった
という理由もあると思います。
中世の「農業革命」により、農民は農業だけで十分食べていける条件が整い、
豪族や大領主層は専業的戦士になり、兵農分離が進んでいきます。
141世界@名無史さん:03/03/26 20:40
ふむ

で、当時のたとえばフランク王国において、
侵入者たるゲルマンと元々のガリア人?の階級というか
そのような差はなかったのかな?
あったとしたら?

ゲルマン(フランク人?)が支配層だったとしたら、
彼らはだいたい貴族あるいは領主だったとは言えないのかな?


さらにそうだとした場合、ガリア人?らはすでに農奴的だったのか、
それとも一応独立自由民としていたのだろうか。
142世界@名無史さん:03/03/29 10:07
ゲルマン人の侵入およびゲルマン国家の建設後、ローマの元老院たちはどうなってしまったのか?
143(V)o¥o(V):03/03/29 10:28
>>141
5世紀末から6世紀初頭のガリアには、ガロ・ローマ系聖俗有力者、
ローマの辺境駐留軍、ローマ領に居住する軍役負担者がいたが、
いずれも フランク貴族同様にフランク王に対して誠実宣誓を行い、
軍事的奉仕関係に入っている
膨張期のフランク王国が獲得した征服地は軍事的に制圧されただけで、
アレマニエン北西部北部を例外として支配民族としてのフランク人の入植や
フランク王国の王制への編合といった施策が行われた形跡は殆ど認められておらず、
在地有力者との和平によって軍事的均衡が保たれていたに過ぎない
144山崎渉:03/04/17 09:54
(^^)
145世界@名無史さん:03/04/18 21:54
ヴァンダル王国ってさあ、ガイセリック以後の王達はあんまり大したことない
ってイメージだけど。
北アフリカへ移住して三代目ぐらいになると、すっかりローマ式の贅沢な生活に
染まっていたようだし。
146山崎渉:03/04/20 04:37
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
147 :03/05/04 03:32
この時代を題材にした小説とかないかなー
「大王」クラスの教科書に載るような人物乱立してて楽しそうなのに
148パシッチ ◆mWYugocC.c :03/05/06 11:02
わけわからんから触らない&知らない、という人が多いんでしょう。
ギボンぐらいしか見たことないな。
149山崎渉:03/05/21 22:45
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
150山崎渉:03/05/21 23:51
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
151山崎渉:03/05/28 15:28
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
152世界@名無史さん:03/06/06 12:00
     
153世界@名無史さん:03/06/09 01:41
結局、大移動したゲルマン人はほとんど移動先の先住民と同化しちゃったんですか?
154山崎 渉:03/07/15 12:55

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
156世界@名無史さん:03/09/15 12:52
    
157世界@名無史さん:03/10/02 23:38
>>147
東ゴートのテオドリックは「大王」と呼ばれてるよね。
ラヴェンナに彼の墓と、宮廷付属聖堂(サンタポリナーレ・ヌオーヴォ)
が残っている。
テオドリック自身はアリウス派だったけど、正統派に対しても寛容だった。
158世界@名無史さん:03/10/03 00:42
ヴァンダル族の子孫がフランス統治下で優遇されたとは!
幾年月を越えて面影を残していたのですか?
どこかでそれに関する資料を探せると良いのだけれど。
159世界@名無史さん:03/10/03 11:35
東ゴート王国、西ゴート王国、ブルグント王国はすべてアリウス派でしたな。
それがクローヴィスのフランク王国がアタナシウス派に改宗したことで、
その後の歴史が変わる。
160世界@名無史さん:03/10/03 11:58
  >>112
惨禍は小さい方が良い
161世界@名無史さん:03/10/03 12:04
  >>22
その子孫がロンバルディア人、北イタリアのミラノを中心とした地域に住む
ロンドンに渡ってロンバルドストリートの名を残す
ロイドという保険組合の設立にも関わりがあったはず
162世界@名無史さん:03/10/03 14:50
この時代のヨーロッパって、
現在の内戦や民族紛争が続くアフリカ大陸みたいな感じだったのかな。
ゲルマン人同士の争いに加えて、東ローマ帝国も関わってくるから。
163世界@名無史さん:03/11/02 19:24
>>118
4世紀から6世紀までを、一括りの時代として「後期古代」として理解する
ということですか。
そして西欧初期中世は7世紀に始まると。
164世界@名無史さん:03/11/02 19:33
>>32
ブリテン島では、ローマ人のつくった道はアングロ=サクソン人の
石材採取場に成り果てました。
165世界@名無史さん:03/11/02 21:23
亀レス流行中
166世界@名無史さん:03/11/02 22:04
ゲルマン諸王というなら、アングロサクソン七王国も語るべきでない?

たとえば、ウェセックス王家のアルフレッド大王はラテン語の素養もあり、
シャルルマーニュよりも教養人だったとさえいわれている。

デーン人との戦いで戦死したイースト・アングリアの王エドモンドはのちに
聖人に列せられている。
167世界@名無史さん:03/11/02 22:05
ところでシャルルマーニュって確実にゲルマン人なの?
ベルギー人と話してたらローマ人だと言われたよ。
168世界@名無史さん:03/11/03 20:03
>>167
シャルルマーニュの戴冠は、西ローマ帝権の「復興」(レスタウラティオ)
ではなく、「革新」(レノウォティオ)という言葉で表現されていたんだけど、
そのへんの事情をいっているんだろうか?

一応フランク族だよ。
もっとも、フランク族自体、シャマヴィ、ブリュクテリ、シカンブリその他の
小ゲルマン部族の混成集団だけど。
彼らはユリアヌス帝への勤務を通じてローマ世界に受け入れられ、4世紀の末には
執政官を務めるものが出るほどだった。
そのうちの一人だったバウトの娘は、コンスタンティノープルの宮廷で教育を受け、
皇帝アルカディウスの妃となり、テオドシウス2世を生んでいる。
169世界@名無史さん:03/11/20 21:47
近代民主主義は、ゲルマン人の民会がその起源ですか?
170世界@名無史さん:03/11/20 23:05
革新=革命だ。東洋の言葉で言う、易姓革命だ。
つまり、支配者の系譜が入れ替わることだよ。
禅譲によるローマ皇帝が絶えていたものが、カロリング王朝にとって代わった
という単純な事実だろうて。
171世界@名無史さん:03/11/20 23:08
むしろ中世の身分制議会では。

英国の上下両院、フランスの三部会から派生した国民議会
172テオドリック大王:04/01/05 23:17
ディートリッヒ・フォン・ベルン。
173世界@名無史さん:04/02/03 04:35
>>172
テオドリック大王がモデル、とか言われている。
174世界@名無史さん:04/02/09 20:19
西ゴート王アタナギルドの娘で、アウストラシア王シギベルト1世に嫁いだ
ブルンヒルデという女性がいるけど、
これはゲルマン人の女性にはよくある名前なのですか?
『ニーベルンゲンの歌』にも、ブリュンヒルトという名前の女王が
出てきますが。
175世界@名無史さん:04/02/09 21:37
>>1
過去ログ(もしかしてガイシュツ?)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/973/973607755.html
176世界@名無史さん:04/02/27 22:53
>>142
>ゲルマン人の侵入およびゲルマン国家の建設後、ローマの元老院たちはどうなってしまったのか?

西ローマ帝国が滅亡し、イタリア半島がオドアケル、ついで
東ゴート王テオドリックに支配された後も、それなりに元老院は有力な
存在ではあったようです。
元老院貴族の哲学者ボエティウスやカッシオドルスは東ゴート王国でも
政治家として活躍しました。(前者は後に謀反の疑いをきせられて処刑
された。後者はイタリアが戦乱に陥ったあと、田舎に隠棲し修道院を作った)

しかし東ゴート王国が東ローマ帝国の再征服戦争の標的となると
混乱の中で元老院貴族たちも没落したり、コンスタンティノポリスに
移住したりして離散していったようです。
東ゴート族最後の王テヤは、東ローマ軍に圧倒されて崩壊する中、
人質としていた元老院貴族の子弟を皆殺しにしたといわれています。

元老院貴族の家系にはそのあともわずかに生き残ったのはいたとは
思います。大教皇グレゴリウスもその一人でしょう。
177世界@名無史さん:04/02/27 23:45
正直言ってゲルマンの野郎どもにマワされたローマのメス貴族はハッピー&ラッキィじゃん!
さぞ気持ち良かったんだろうなぁ。


178世界@名無史さん:04/02/28 01:23
カクカク ,; ヘ⌒ヽフ  ブヒブヒ
    / (  ・ω・)) -=3
 ε//   し ∧∧
  ( (  __ノ( ;´Д`)アアン
   し(___人__,つ 、つ ←177
179世界@名無史さん:04/03/01 17:23
>>176
>元老院貴族の家系にはそのあともわずかに生き残ったのはいたとは
>思います。大教皇グレゴリウスもその一人でしょう。

グレゴリウスは最初ローマ市の行政官で、父の死後修道士になり、その後
助祭に任命されたそうで。
ランゴバルド族が北から侵入してきたときも、傭兵を雇い、ローマの防衛に
乗り出している。
591年と593年には、ランドバルド族に金を払って略奪行為をやめさせる。
180世界@名無史さん:04/03/01 19:54
このときを境にラテン系からゲルマン系にはっきりとヨーロッパの主役が
交代するっていうのも不思議だよね。それ以来現在に至るまでゲルマン人
の経済的、軍事的優位は揺らいでないし。
ドイツ>イギリス>フランス>>>イタリア>スペインだしな。
アメリカもアングロサクソンでくくればゲルマンの一部だし。
181世界@名無史さん:04/03/01 20:39
>>180
ベネチアって知ってる?
182世界@名無史さん:04/03/01 21:55
>>180
スペインやポルトガルの全盛期は大航海時代に
訪れるんだけど?
フランスの絶対王政の全盛期は17〜18世紀だけど?
183世界@名無史さん:04/03/17 14:21
マッドマックス的世界を想像すると間違いっぽいのかな。
古代文明の衰退はかなり緩やかになされたわけかな。
184世界@名無史さん:04/03/17 17:17
まぁモヒカン刈のヤシが走り回って、おまえはすでに死んでいるの中の人はいないわけだが。
185世界@名無史さん:04/03/21 00:41
>>183
そんな感じでしょうね

たとえばフランク王国では、メロヴィング王朝では
ローマ系の貴族階級や軍人も重用され、
ゲルマン系の支配層とともに宮廷で活躍、
融合していったようです
186世界@名無史さん:04/05/05 19:52
ルーン文字
187世界@名無史さん:04/05/30 22:45
保守
188sage:04/06/11 21:15
ランゴバルド王国についての本って日本語でないね。ヴァンダルも。ほしい。
ゴートは史学専門家いないのに本はあるから、人気の問題?
1. ゴート族 / ヘルマン・シュライバー[他]. -- 佑学社, 1979.12
2. 西ゴート王国の遺産 / 鈴木康久. -- 中央公論社, 1996.1. -- (中公新書)
3. 西ゴート王国の君主と法 / 玉置さよ子. -- 創研出版, 1996.2
4. 東ゴート興亡史 / 松谷健二. -- 白水社, 1994.5
5. 東ゴート興亡史 / 松谷健二. -- 中央公論新社, 2003.4. -- (中公文庫)

189世界@名無史さん:04/06/17 23:54
>>188
ヴァンダルはあります。
東ゴートと同じく松谷氏

ヴァンダル興亡史 / 松谷健二 -- 白水社,1995.9
190世界@名無史さん:04/06/21 05:21
あげ
191世界@名無史さん:04/06/22 22:41
清王朝の皇帝の姓は最初から「愛新覚羅」なの?
どっから姓を使い始めたり、別の姓を使っていたりは、しなかったの?
192世界@名無史さん:04/06/30 03:06
保守
193世界@名無史さん:04/07/13 21:51
ランゴバルド族の名は、「長い髭」という意味ですね。
ゴート族は、現代英語で言えば「Good」と同じで
「善良な」という意味があるらしいです。
194世界@名無史さん:04/07/13 22:35
同じゲルマン系でアングル族は「angel」
「天使」なんですが 
サクソン族は なんでしょう
195カラジチ ◆mWYugocC.c :04/07/13 22:36
アングルは「釣り針」ではなかったかと。
サクソンは「短剣」。
196世界@名無史さん:04/07/13 22:43
>>193
全然善良じゃないね。
戦以外では温厚だったんだろか
197世界@名無史さん
ゴート語ちょっとかじってみたが、
ドイツ語ってやっぱし古いゲルマン語の名残りがかなり強い言語だとつくづく感じる