ローマを滅ぼした蛮族大集合!!

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1アッティラ
ローマの玉無しども!!これからは俺らの時代!
蛮族を語れ!
2日本@名無史さん:2000/11/08(水) 10:34
忘れちった...
面白かったと思ったけど。
3アッティラ:2000/11/08(水) 22:38
取りあえず1本目!
ゴート族、ローマを繰り返し略奪、永遠の都を瓦礫の山に変えてしまったそうな・・・
以後100万都市ローマの人口は最低で500人程度に下落してゆくのでした
ヨーロッパは暗黒時代に突入、その後のゴートの行方は誰も知らない(っていうかいつのまにか消えてしまったような)
4世界@名無史さん:2000/11/09(木) 15:15
ローマは自滅したのね。
5世界@名無史さん:2000/11/09(木) 15:18
375年
みなごろしの年ゲルマン民族大移動
6世界@名無史さん:2000/11/09(木) 16:14
>>3
ゴートはイタリアとアフリカに王国を建ててましたよ。
ユスティニアヌスに滅ぼされて退場。
7世界@名無史さん:2000/11/09(木) 16:19
ゴティックって
ゴートに由来するの?
8世界@名無史さん:2000/11/09(木) 16:21
>7 するはず
9世界@名無史さん:2000/11/09(木) 16:22
≫6
北アフリカに王国を立てたのはヴァンダルではない?
106:2000/11/09(木) 16:59
>北アフリカに王国を立てたのはヴァンダルではない?
む、そのとうりです。
ゴートはイタリアとスペイン・フランス南部でした。
11世界@名無史さん:2000/11/09(木) 19:02
ヴァンダルって、ほぼカルタゴの旧領を支配してたけど
いつのまにか消えたよね
12世界@名無史さん:2000/11/09(木) 22:05
あの寒いドイツから暑いアフリカの砂漠へまで、何でヴァンダルは
移動したんだろう?
それも海を越えて。
どう考えてもまともに生きて行けたとは思えないんだが。
13アッティラ:2000/11/09(木) 23:28
おまけに連中はアフリカからまた海を渡ってローマを略奪してる
現フランス→現スペイン→ジブラルタル海峡→旧カルタゴ→イタリア半島
こいつら単に略奪しか頭になかったんと違うか?
14世界@名無史さん:2000/11/10(金) 16:27
やはり戦闘能力はゲルマン系はラテンより圧倒的に上なんですか?
15世界@名無史さん:2000/11/10(金) 17:08
>14
今の日本人みたいに、戦争なんて野蛮とか言って
アメリカ軍に守ってもらってるような感覚で、傭兵を使ってたからね。
平和が長過ぎたというか、厭戦ムード漂う市民だった。しかもその傭兵はゲルマンとかだったし
16世界@名無史さん:2000/11/10(金) 18:38
>13
だとしても、やってる本人は楽しかったろうね
バイキングみたいだ
17世界@名無史さん:2000/11/10(金) 20:57
ヴァンダル族が移動するきっかけになったのは、今の南スウェーデンに
住んでいたゴート族が北から押し寄せてきて追い出されちゃったから。
18世界@名無史さん:2000/11/11(土) 01:51
本来ローマ軍団の構成員はローマ市民オンリーであって、蛮族軍は補助軍やアルバイト(ヌメリ)としてしか用いられておらず
その数は決してローマ軍団の人数を超えてはいけないという原則があった
しかし、軍人皇帝期頃からローマでは内戦が続き、各勢力圏は蛮族を軍に組み入れることで軍事力を強化した
これがゲルマン民族の大移動が防げなかった最大の理由だった。なぜならライン川、ドナウ川防衛線を守る軍はすでにほとんどゲルマン民族の傭兵だったから
初代アウグストゥス以来連綿と歴代皇帝によって整備されてきた防衛線リメスゲルマニクスは一瞬にして消滅したそうな・・・
このドキュソが
19EOS55ウェイトレス:2000/11/11(土) 11:26
>>18
タテマエとしてはローマ市民権与えた上で組み込んで
ませんでしたっけ? つーかカラカラ勅令以後はアレだし。
ローマ的社会システムに適応しようとしなかったとゆーか、
彼ら(蛮族)にすれば適応する必要性を感じなかったのだろう。
言ってしまえば「食えればオッケー」とゆーか。
ヲレの認識に勘違いがあったらスマソ。
20世界@名無史さん:2000/11/11(土) 18:30
だいたいゲルマン民族の侵入を防ぐための防衛線をゲルマン民族のバイト君に守らせては
ドキュソの謗りは免れないでしょ・・・
21世界@名無史さん:2000/11/11(土) 18:33
今の日本は古代アテナイと一緒です。
22世界@名無史さん:2000/11/11(土) 18:38
(゚Д゚)ハァ?
23現在就職活動中:2000/11/11(土) 22:09
ゲルマン人を大移動においやった張本人、フン族をしりませんか?
糞族?
24世界@名無史さん:2000/11/11(土) 22:14
ああフン族のアッティラ?
奴ならこないだ新宿の思い出横丁にいたよ
ピソとかいうやたら説教くさいジジイと飲んでたっけな
25名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 21:02
ケルト人の言語はゲール語っていうけど、ゲルマンとはまったく
関係ないんですか?
26世界@名無史さん:2000/11/12(日) 21:08
ゲロゲーロ
27世界@名無史さん:2000/11/12(日) 21:45
フン族ってのは匈奴とは関係ねーのか、あぁ?こら!
28世界@名無史さん:2000/11/12(日) 22:36
フンと匈奴って遠い親戚関係ぐらいなんじゃないのかね?
騎馬民族のつながりはとても広いから
ちなみにフンの最初住んでた所は黒海北岸、今のウクライナ辺りらしい
略奪したかっただけでイタリアまでご苦労なことだね
29世界@名無史さん:2000/11/13(月) 00:52
ギボンのローマ帝国衰亡史によると
やっぱり匈奴=フン族みたいだぞ。
ただしアラニ族?と大部分混血したらしい?
あやふや。
30エイジ:2000/11/13(月) 02:14
西ゴート王国:スペインに建国、ウマイヤ朝に滅ぼされる。
東ゴート王国:オドアケルを倒してイタリアに建国、東ローマ皇帝ユスティニアヌスに滅ぼされる。
ヴァンダル王国:アフリカに建国、東ローマ皇帝ユスティニアヌスに滅ぼされる。
ブルグンド王国:フランスに建国、フランク王国に滅ぼされる。
ランゴバルト王国:東ローマの後にイタリアに建国、フランク王国に滅ぼされる。
フランク王国:フランス・ドイツに建国、イタリアに拡張、
       カール大帝の時に西ローマ皇帝の戴冠を受ける。
       孫の代に西・東・中フランクに分裂、フランス・ドイツ・イタリアの元となる。
      
こんなんでよかったでしょうか。
31世界@名無史さん:2000/11/14(火) 10:46
>25
まったくというわけじゃなく、
あまり関係がなかったという感じ
3225:2000/11/14(火) 14:53
>31
現在のケルト人はゲルマン系とあまり見分けがつかないけど、
当時はどれくらい違った民族だったんですか?
33>32:2000/11/14(火) 15:11
たしか髪の毛の色が違うよ。
ケルト人は黒っぽくて
ゲルマン人は金髪だったんじゃん?
34日本@名無史さん:2000/11/14(火) 15:22
漢にコテンパンにやられて東方に押し出されたフン族に
ゲルマン民族は押しやられて、さらにローマはグチャグチャに
されてしまうってことは、漢帝国が最強だったのかな。当時は。
35世界@名無史さん:2000/11/14(火) 15:38
>33
マンガの見過ぎでは?
髪の毛が黒いのはラテン人でケルト人は赤毛が多かったと思います。
36世界@名無史さん:2000/11/14(火) 17:14
ttp://www.spaceports.com/%7Enero/bunka/other/celtic.htm

髪の毛については不明。
ただ、ケルトの神に赤毛のがいるらしい。
37世界@名無史さん:2000/11/14(火) 22:12
ところでケルトやアングロサクソンが渡る前にイギリスにいた先住民を知りませんか?
38世界@名無史さん:2000/11/14(火) 22:42
ブリトン人だっけ? ブリテン島の語源になったっていう。
私も詳しい話は知らないけど。
39世界@名無史さん:2000/11/14(火) 22:53
ケルトはウェルキンゲトリクス=固めた金髪、のイメージが…。
40>34:2000/11/14(火) 22:55
一世紀に匈奴が東西に分裂し、更に後漢の大規模な追討作戦によりモンゴル高原から撤退。
それから三世紀経ってゲルマン民族の大移動が発生。
その頃後漢はとっくに滅んでます。

一概に後漢が強いとは言えないと思う。
ま、優秀な武将がいたのは事実だけど。
41世界@名無史さん:2000/11/15(水) 21:35
>37
大和民族
42:2000/11/15(水) 22:55
>>41
 笑った
43世界@名無史さん:2000/11/15(水) 23:23
ラテン系という括りは言語集団をさすもので
人種的身体形質ほ表わすものではない
ゲルマンが匈奴に押し出されたのは漢民族より弱かったわけでなく
匈奴の騎馬部隊にたいする対策が全くなかったからであろう
人間と人間の一対一の勝負ならゲルマン民族が最強
44世界@名無史さん:2000/11/17(金) 12:47
ゲルマン民族の大移動の遠因は(西)ローマ帝国の防衛力があまりに低下してしまったこと。
フン族の登場は確かに移動を後押ししたにせよ、ローマ帝国が健在なら
ゲルマンもフン族と戦うほうを選んだでしょう。
ゲルマンも騎馬隊主体の編成を取っていたので、騎馬部隊慣れしていないということはないはずですし。

ちなみにヴァンダルがアフリカに侵攻した理由は、
当時の北アフリカが西欧?世界でもっとも裕福な地域だったから。
今では信じられない話ですが。


45世界@名無史さん:2000/11/17(金) 19:39
トゥール・ポワティエの戦いでイスラムを退けた
カール=マルテル、ローマ教皇から皇帝の冠を戴いた
カール大帝。ゲルマン民族の中での出世頭。
46酔生夢死ジーモン@フォルクスベルク:2000/11/17(金) 20:08
>45
ドイツやフランスでは英雄。
ただ、文句無しに無学で、文盲だった。
47酔生夢死ジーモン@フォルクスベルク:2000/11/17(金) 20:17
話が戻るけど、フランク族・サクソン(ザクセン)族・バイエルン族など
西ゲルマン諸族は移動距離が短く、移住目的や定住性が有ったのに対して、
何故かゴート族・ヴァンダル族ら東ゲルマン諸族は(おそらく)ろくな
移住目的も無く、定住性は全く無く、スキタイ・サルマート・フン・
アバール―それぞれ民族系統は異なるが―などアジア系騎馬遊牧民と
その点が似ている。故に一度敗退すると、同化されるか崩壊・消滅した。
48世界@名無史さん:2000/11/17(金) 20:28
それでもカール大帝がいまだにもっとも有名なのは、
その音の良さもあるんだろうが、こまめに領国を見回り
良君であったと言われるからだろう。
49ファイナンシャル・ソロス:2000/11/17(金) 20:50
ヴァンダル=外からの投機
50テオドリク:2000/11/18(土) 22:04
東ゴート王国は、西ローマを滅ぼしたオドアケルを倒した後、
イタリアを平和のうちに支配した。ローマ系有力者(ボエティウス、
カシオドルス)を登用し、ラヴェンナに都をおき、善政を行なったのじゃ。
しかも、東ローマ皇帝の代官の立場であった。

だが、後に政情不安につけこんだ東ローマのユスティニアヌスが
イタリアを攻撃し、一進一退の長い戦乱の後、ローマは荒廃した。
>>3を読むと誤解されるかも知れんが、最終的にローマを荒廃
させたのは、ゴート族というより、ゴートを追い出そうとした
東ローマの軍隊だったのじゃ。
東ローマ軍というても、その当時は、蛮族傭兵の集団みたいな
ものじゃったからな。
ギボンが名言を吐いておる。
「ユスティニアヌスの勝利も敗北も、イタリアにとっては
 等しく災厄であった」
51世界@名無史さん:2000/12/22(金) 04:07
ヴァンダル族ってどうよ?
52名無しさん:2000/12/23(土) 03:09
Hun
53三軒茶屋:2000/12/23(土) 03:13
ローマ崩壊の時期が西洋人が異民族、異言語を意識し、殺し合いを大々的始めたとすれば、魅力的でない女はことごとく殺戮されたって仮説はあり?
つまり、おっぱいやお尻、腰幅について西洋人のほうが概してセックスアピールがあるという意見が多いとするならば、殺戮の結果?日本人の女が侵略された敵兵に次々に殺されたという経験はないわけだけど、その結果はいま街を闊歩している今一つ短身で小さな胸が物語る?
54日本@名無史さん:2000/12/23(土) 03:44
そんな短期間に進化しないだろ。
白人女の乳がでかいのは、遙か昔に確定しているはず。
55世界@名無史さん:2000/12/23(土) 08:04
あの寒いドイツから暑いアフリカの砂漠へまで、何でヴァンダルは
移動したんだろう?
それも海を越えて。
どう考えてもまともに生きて行けたとは思えないんだが。

当時は緑ゆたかなところがおおかった北アフリカ。
人々が定住しだして自然破壊したからあそこまで砂漠化した。
ギリシャやレバノンなんて昔は岩山や裸山なんてイメージとはとおくかけ離れています。
北アフリカにはライオンもかなりすんでいたしね。すわわち、下位の食物連鎖を構成する
生物層が豊富であった事実を示してます。
ちなみに十字軍前後から北アフリカや中東の自然は壊滅状態になっていきます・・・。
5655:2000/12/23(土) 08:12
レバノンは実際国旗にレバノン杉をあしらったデザインになっている。
これはその昔、大森林地帯であった往時の主力産業が林業であったことから
来ています。
とりつくしたからあなんなったんです。
隣国のシリアとかパレスチナなどもそうとう肥沃な土地だったですよ。
この千年ぐらいのあいだにすっかり気候がかわったんですよ。
ちなみに中国も大きく変動しています。
孔子の頃はあのあたりは亜熱帯気候だったのですが、
漢族の拡大につれて原生林を伐採し、農地化する過程で気候が
大きく変動しています。
それ以前は華南はもちろん華北でも結構あつかったんですよ。
ですから、現代人の気候の感覚で往時の国勢は結構わかりづらいです。
特に今の疲弊したギリシャやイラクで往時の4大文明を発生させるだけの
肥沃さを感じるのは無理ですねー
5755:2000/12/23(土) 08:16
ですから、ユダヤ人の約束の土地であるイスラエルも
ディスアポラ当事は文字通り神に約束された肥沃な大地でした。
だけど、今はあなんなところなんのうまみもない土地になってます。
それでもあそこにこだわるのはユダヤ人の
アイデンティティに関わるからだとしかいいようがないんでしょうね。
パレスチナにとっては随分な話ですけど・・・
横道にそれました。
続きどうぞー。
58世界@名無史さん:2000/12/23(土) 12:20
黄土高原なんて単なる禿山にしか見えないけど
昔は肥沃な土地だったらしいねえ
59テオドリク:2000/12/23(土) 13:23
そう、ローマ時代は北アフリカこそが
ローマ帝国の穀倉と呼ばれていたのじゃ。
60世界@名無史さん:2000/12/23(土) 14:05
>>53
俺は昔、「ドイツやスペインに美人が少ないのは、他人の嫉妬を買うような魅力的な女が
魔女狩りで全滅してしまったからだ」という電波仮説を思いついたことがある。
61:2000/12/24(日) 11:03
>>60
 いんや案外電波じゃないかもよ。その頃の魔女狩りはガセな理由だとしても
有ればOKな世界だったんだろうから、その可能性も否定できん。
 実際魔女には醜い老婆という意味の他に絶世の美女の相反する意味も有る
らしいし。
62名無的発言者:2000/12/24(日) 15:12
ほえーでも
スペインにもドイツにも
プレイボーイあるでよ。
きれいな姉ちゃんが
バンバン具までみせてくれるでよ。
単にきれいなオナゴいるところにいってないだけじゃろ?
逝くとこ逝けばいるじゃろんろん。
63メフムット:2000/12/25(月) 00:37
余がローマを滅ぼしたがそれがどうした?
64クリューセーイス:2000/12/25(月) 10:50
ヴァンダルについては、以下の本が、ベスト。

ttp://www.deepseafish.org/books/vandal.html
書名
『ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢』
著者
松谷健二
出版
白水社

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著者の「東ゴート興亡史」につづくゲルマン系民族の物語。

ヴァンダル族がどこからやって来たのか。これについては他のゲルマン民族と同じように、はっきりしたことは分からない。少なくとも最も古い記録では、シュレージエン地方に住んでいた、ということになっている。それ以前のことは歴史の闇の中である。
紀元後にもヴァンダル族は何度か移動を繰り返している。同じゲルマン系のゴート族の圧力が主な原因である。加えて気候や食料の問題もあった。ルーマニアやハンガリー、北イタリアのあたりを移動したのち、紀元五世紀頃、ヴァンダル族はガリア地方に入る。殺人、暴行、略奪を繰り返しながら、ヴァンダル族はピレネー山脈を越え、イベリア半島に侵入する。そこで西ゴート族やスエービー族らと争いながら、南スペインの港町を攻略していく。

428年、ヴァンダル王グンデリックの死とともに、その異母弟であるゲイゼリックが王位につく。ゲイゼリックこそヴァンダルの歴史を変えた王である。王とはいえ、彼は国土を持たない王だった。彼らヴァンダル族はそのとき岐路に立っていた。
ゲイゼリックは海を越え、アフリカに渡ることを決意する。彼に従うものはヴァンダル族とアラニ族。一切の家財道具や家畜とともに、老若男女あわせて8万人の大集団がジブラルタル海峡を越える。
海を越えたゲイゼリックと8万人のヴァンダル族は、一路カルタゴを目指す。当時北アフリカは、ローマ帝国の大穀倉地帯であった。北アフリカを制圧すれば、ローマ帝国の喉元を握ったも同じである。驚くべき速度でヴァンダル族はカルタゴへの道を走破する。近づくにつれ、ローマの富は目立って増えてくる。略奪を繰り返し、ついにヴァンダル族はカルタゴを占領する。ここにヴァンダル王国が成立する。
ゲイゼリックは海軍力の強化に勤める。そしてヴァンダル王国は海賊国家と化していった。シチリアやサルディニアなど東地中海の島をつぎつぎと制圧していく。西ローマの内紛に乗じて、ゲイゼリックはローマ市を掠奪する。東西ローマの連合軍との海戦にも勝利する。ヴァンダル王国はローマを圧迫した。

477年、ゲイゼリックの死とともに、ヴァンダル王国に内紛が生ずる。後継者不足と宗教問題が主な原因である。それでもヴァンダル王国は存続した。しかし原住ムーア人やサルディニアの反乱に悩まされる。
527年、東ローマ帝国にユスティニアヌス一世が即位する。ヴァンダル族から領土をとりもどすために、彼は将軍ベリサリウスをカルタゴを送り込む。手強いと思われていたヴァンダル兵はあっけなかった。カルタゴは簡単にベリサリウスの手に落ちる。カルタゴを追われたヴァンダル王ゲリメルは、しばらく山にこもるが、最後にはローマに降伏する。ヴァンダル王国は約一世紀の短い歴史を終えた。

なんか、もったいないことをしましたね。

ゲイゼリックは抜きんでて優れていたけれど、それを受けつぐ後継者がいなかった。せっかく自分たちの王国を持つところまでいったのに。建国の英雄はいたけれど、そのあとの中興の祖がいなかったのかも。それとも個人の力量に頼る国家システムだと、こうなっちゃうのは仕方ないのでしょうか。

ゲイゼリックという人が、これがまた煮ても焼いても食えないオヤジです。タフで、クールで、頭が切れ、したたかで、統率力があり、暴力を何とも思わず、しかも約束は破るためにあると思っているようなタイプ。この本を読んだ限りでは、そんな感じです。こんな人間を敵に回したら、おそらく夜も眠れません。(^^;

それにしてもローマの影響力ってすごい。ヴァンダル族さえも末期にはローマ化していた、という位だから。当時のゲルマン人からしてもきっと圧倒的な魅力だったのでしょう。いまだにローマ・ファンは多いし。一体なんなのでしょう。
65クリューセーイス :2000/12/25(月) 10:57
あと、カール大帝の話出てたけど、もっとつっこんだ話してもいいのかな?
いろいろと、よくわからんことがあるんだけど。詳しい人いる?

カール大帝って、やたらと戦争ばっか、それもかなり広範囲に遠征してたみたいだけど、なぜ、そんなことが可能だったのか?
軍事組織も、兵站も、明らかに、ローマ時代より劣っていたと思うのだが?
ちょっと不思議ですね。

あと、上のレスの文章は、当然、コピペです。わかると思うけど。
66世界@名無史さん:2000/12/25(月) 13:25
ヴァンダルは別名「投機、外からの破壊者」。
67世界@名無史さん:2000/12/27(水) 15:07
>65
軍事組織はゲルマンの野性で補い、兵站は現地収奪で。かな?

傍証として、カール大帝などの中世の君主が領地を転々としていたのは、
物資の輸送手段が貧弱なので自ら出向いて現地給養する必要が
あったからだ、との話があります。
68テオドリク:2000/12/27(水) 17:36
カール大帝の頃は、各地域の有力者の提供する軍事力を
利用していたのではないでしょうか。
その有力者たちに対しては、カール個人に対する尊敬や
友愛や忠誠心や利益などで、服従を得ていたのでしょう。
キリスト教や皇帝理念のような精神的なものも、それなりの
効果は一応あったのでしょうね。
ただ、これらの者たちをつなぎとめておくためには、
やはりカール自身があちこちドサ回りをして、直接会って
人間関係を濃密にしていたはずです。
要は、組織ではなく皇帝自身との人間関係でもっていた
国家なわけですね。
69クリューセーイス :2000/12/27(水) 21:46
>>67さん、>>68:テオドリクさん

ふーむ。人間関係というのは、その通りだと思います。「メロヴィング王朝史話」を読んで、つくづくゲルマン社会について考えさせられました。
あと、食料現地調達もその通りだと思うけど、それだと、むやみやたらな大軍連れまわしてられないでしょう?
東フランク時代の王も、しょっちゅうイタリアとか、いってたみたいだけど、いったいどれだけ兵がいたのやら・・・
そのあたりが疑問なのよね。

してみると、やっぱり一回の遠征での動員能力は、大したことないのかな?
カールの総動員能力10万とか、15万とかいわれるけど、実際の動員は、2、3万?
かなーりあちこち遠征してるから、その度に、遠征先に近いところから召集してたってこと?
あと、親衛軍がいつも周りにいて。

軍勢が小規模だったから、しょっちゅう戦争できたってことになるのかな?
70テオドリク:2000/12/29(金) 00:20
>>69 クリューセーイス氏

おおお、「メロヴィング王朝史話」読みましたか。
私もあれは愛読してます。とっても面白いですよね。
キルペリク王とかレウダスティスとか、当時の人物はとんでもない
性格してたんだなあと思ったりして。
(「東ゴート興亡史」「ヴァンダル興亡史」ももちろん読了。)
71世界@名無史さん:2000/12/29(金) 01:30
>>64
この松谷健二氏、マイナーなもんばっかり書いてますよね。
わたしゃ「カルタゴ興亡史」しか読んでませんが。
72名無しさん@1周年:2000/12/29(金) 04:23
ぺりーろーだん
73クリューセーイス:2000/12/29(金) 16:58
メロヴィング王朝史話って一応、岩波文庫に入ってるんだよね。
でも、読む人少ないのかな(笑)おもしろいのにね。
司馬遼太郎が、「外国人でも理解できる歴史をかきたい」というようなこといってたけど、まさに、「メロヴィング王朝史話」はそれですね。
当時のフランク社会のことが実によくわかります。
74クリューセーイス :2000/12/29(金) 18:50
>テオドリクさん
そうそう、「メロヴィング王朝史話」の元の史料となった、
例の司教の書いた「フランク史」(名前はちがうかな?)が、
対訳で出版されてましたよ。
みつけたときは、死ぬほどびっくり。
75世界@名無史さん
agetest