いつまでつづく?文化論や国民性論

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1世界@名無史さん
たとえば、「欧米は罪の文化で日本は恥の文化」というように、
ある民族や国民の行動を説明するのに文化や国民性を持ち出す議論が
(学会ではともかく)一般書やマスメディアでは数多く見られますが、
こういう文化や国民性で物事をすべて説明するというのは無理が
あるのではないでしょうか?
2世界@名無史さん:02/08/13 19:46
当然無理はあるわな
3世界@名無史さん:02/08/13 19:47
だけどある程度の方向性なり推測なりが導き出せる事も多い、ので無視するわけにはいかない
4世界@名無史さん:02/08/13 19:48
そんなところですかね。
5世界@名無史さん:02/08/13 19:49
終了で宜しいか?
6世界@名無史さん:02/08/13 22:00
塩野七生氏が『ローマの街角から』(新潮社)で、
「昔、異端審問や魔女狩りが猛威をふるっていた時代があった。イタリアを
除いた西ヨーロッパで、中世・近世と、キリスト教の信仰こそ世直しの最良の
武器と信じた人々が、聖職者を先頭に、この『仮説』とそれを証明する手段としての
拷問によって、世の中の『悪』を根絶しようと努めた社会現象である。イタリア
だけが、北部やローマでのごく少数の例を除けば無事でいられたのは、イタリア人が、
人間の尊厳と理性の尊重を説いた、つまりはキリスト教に頼ることを拒絶した、
ルネサンスを生んだ民族であったからだった」
と書いているけど、スペインだって、異端審問は厳しかったけど魔女狩りは
ほとんどなかったんだよ〜ん。
イタリアで魔女狩りが起こらなかったのは、逆説的だけど、宗教裁判のおかげだった。
教会の法廷は、より強圧的な世俗裁判所の行きすぎを緩和する役割を果たし、
プロテスタント的な異端に発するものでない限り、すべての宗教的過誤を
わりあい大目に見ていた。
7世界@名無史さん:02/08/13 22:02
まじめな話、そのころ「イタリア人」っていたの?
8世界@名無史さん:02/08/13 22:05
>>7
この時代、イタリアは統一されていませんでしたから、「イタリア国民」
というものは存在しなかったでしょうね。
ただ、古代のギリシア人が、多くのポリスにわかれながらも「ヘレネス」
という意識をもっていたように、イタリア半島に住む人々も、
「言語や文化を共有する人々」という概念はある程度もっていたかもしれません。
9世界@名無史さん:02/08/13 22:54
塩野氏は著作の中でスペイン人のことを「単眼的視野を持つ民族」とか
書いてたけど、中世のスペインではキリスト教徒とイスラム教徒が共存していた
ような時代もあったんだよ。
国民性なんてものは、時代や風潮によって変わる。
10世界@名無史さん:02/08/13 23:38
スペインにも“三宗教の主”アルフォンソ10世とか“公正王”ペドロ1世とか興味深い人物は結構いるよね。
けど大航海時代が始まるまでのスペインは日本では地味な扱いしかされてないからねぇ。
スペインではユダヤ人だって重用されてるのに「単眼的視野を持つ民族」とは何事か。
11そうだね:02/08/13 23:40
江戸時代から大日本帝国時代まで、
「日本人は尚武の民族で朝鮮人は文弱民族」
というステロタイプがあったけど、
今は朝鮮人の方がマッチョで暴力的なイメージだもんね。
兵役があるかないかといった政治的条件でも、
集団の平均的個性は変わってしまうわけで、そういうのを
「歴史を超えた普遍的な民族性」と思っては駄目だね。
ただし、そういう留保をしたうえでなら、
全く意味のない議論でもないと思うんだが。
12世界@名無史さん:02/08/14 00:17
>>7
またそれか。
耳タコ。
じゃあ戦国時代には日本人はいねーのかっつーの。
13世界@名無史さん:02/08/14 00:51
いないぜ!
14≠7:02/08/14 01:04
>>12
>>7をよく読んでやれよ。
戦国時代の日本には「日本国民」はいなっかたな(w)。
後の「日本国民」の元になる、日本人の民族的同一性はまぁ戦国時代くらいには成り立ってたんじゃないかな?

これをもってして日本人がいたと言えるか?
と言うと、まぁいろいろ説はあるだろうけど、
戦国時代あたりには「いた」とするのが大勢だろうな、

>>7に書かれてるのはそういう話。
15世界@名無史さん:02/08/14 09:59
>>11
確かに、そういう留保つきなら理解の枠組みのひとつにはなりますね。
ただ、文化論や国民性論というのはおうおうにして本質主義(個人や集団が
時間を超越した特性を持つとする思想」になりやすいという危険性がありますから、
プロパガンダの材料にはもってこいですね。
たとえば、以前アメリカを始めとする欧米諸国で流行った「日本異質論」
なんかもそうですが。
16世界@名無史さん:02/08/14 11:43
>>10
塩野タンは『わが友マキアヴェッリ』(中央公論社)で
「スペイン人の性格が、善きにつけ悪しきにつけ、極端なものであることは、
歴史が証明している。中庸という語は、彼らには無縁なのだ。スペイン人が主力に
なって開発した植民地が、今日どれほどの政情不安に悩んでいるかをみても、
彼らの性向が想像つくに違いない」
と書いてるけど、
中南米やフィリピンの政情不安は、スペイン植民地時代につくられた社会構造
(たとえば、大地主制など)が原因だというのならまだ分かるが、
「スペイン人の性格や国民性の影響」なんていわれてもなあ。
わたしは中南米やフィリピンの歴史にはあまりくわしくないけど。
17そうかな?:02/08/16 06:08
一定の風土や環境に対応し易い性格が形成され易いというのは
普通のことだと思うよ。
自然が人間の生活様式を限定すると言う観点は不可欠だ。
これは歴史的には習慣や伝統と言うかたちで形成される。
その人格への投影を国民性だの民族性だの言っているにすぎないだろう。
歴史を分析する一要素としては重要だよ。
これが不変的に語られるのは自然環境が政治制度や文化に比して変化しにくい
からだよ。
ま、全ては語れないがね。
ただし、
「イタリア人が、 人間の尊厳と理性の尊重を説いた、つまりはキリスト教に頼ることを拒絶した、
ルネサンスを生んだ民族」
こう言うのをあまり民族性とは言わないよ。
民族性を語るにはそれなりの分析が必要だよ。自然環境への言及は不可欠だよ。
これが特に明確に現われ易いのは学問や芸術だったりもする。

18世界@名無史さん:02/08/16 18:23
>>17
たとえば、イタリア人に絵画やデザインの才能があるのは地中海世界の
明るく澄んだ気候のもとで暮らしているから、とか?
19世界@名無史さん:02/08/19 15:22
欧米人は肉食人種だからどうのこうの、という議論もあったな・・・
20世界@名無史さん:02/08/23 04:37
塩野氏って、結構電波入ってたりするんですね。何か読む気がしなかったのは、そのせいか。

>>15
本質主義への懸念を表明されるとは、ありがたい。それでこそ学問板。

>>17
風土論といえば、和辻哲郎ですね。でも環境と性格の関係は、かなり複雑な関数関係のはず。
自然環境が、文化の表れ<例えば絵画やデザイン>に影響する部分があるのは確かだし、
自然環境が、人間の生活様式を限定するのも、ある意味事実だし...
いくらでも現象は指摘できるでしょうが、同時にいくらでも例外を指摘できる。
当然、例外は見ないようにするのが、和辻の特徴なわけです。

だから、風土論は、止めませんか?
21世界@名無史さん:02/08/23 06:12
「○○人は●●である」ってのはジョークとしては面白いかも知れないけどね・・・
歴史上の事象の背景に、宗教や個人の生い立ちを結び付けるのはともかく、「○○人であること」を
根拠にするのはどれほど信のおけることか。
22世界@名無史さん:02/08/23 08:55
俺もそう思う。
「ここが変だよ日本人」だとかイギリスより日本人がダメだとか
日本にはああいう自虐的文化論が好きな連中が多いよな。
テレビでやったり本も結構売れるってことは本気で信じてる奴が居るって事か。
日本人も一人々々個性があって人によって性格が異なるっーのw
23そうかな?:02/08/23 11:06
まぁ例外のないルールはないわな。傾向を言っているのであって決定しているわけではない。
なぜに当たり前の考えに噛み付くかなー。
では「国民性や民族性など存在しない。幻想にすぎない。」
と断言してみればいいんじゃないかな?
或いは「自然や気候風土や天候に人間が影響されることは有り得ない」と。
在り得るのなら認めるしかあるまい。

歴史家は大同小異風土論を昔から用いているよ。国の内外を問わないよ。
偏見に使われるのは政治やメディアに利用されるからだよ。風土論を和辻だけで語るのは
視野が狭いよ。あれは初歩だよ。歴史への地理学の影響は人文地理学でも指摘され続けてきたよ。

風土と言うと和辻の一つおぼえはやめませんか?

歴史に限らないよ。
「人間は制服どうりの人間になるものである」〜ナポレオン〜
制服は職業を表す。職業どうりの人間になっていくものだよ。勿論個性も並存し得る。
一個性と民族的、或いは国民的個性は並存しうるのだよ。二律背反で考えるな。
人間はそんなに単純な動物では無い。
事実、君等は集団主義的で且つ個々人の個性を共にもつだろう。アメリカ人と比べて見ろ。
いや日系アメリカ人と比べてもそうだろ。斯くも相対的なものだよ。比べる対象にも因る。
にも拘らず一定の傾向は否めない。
考え方が論理的すぎるんだよな。人間の性格はそれほど論理的に区別できるほど単純でも無い。
矛盾に満ち満ちていると思わないか?
24世界@名無史さん:02/08/23 12:09
>>23
なにが言いたいのか今一つわからん。


歴史系は絶対に確定的で実証可能でない限り「事実」として
認めない傾向があるから、風土論なんて愚の骨頂にしか見えない
ってのはあるかもね。
25世界@名無史さん:02/08/23 13:05
>>20
産経新聞有料版 2001年07月26日 東京朝刊より引用

カナダのナショナル・ポスト紙の社説「日本の恥」(十一日付)から引用する。
《修正主義(小林よしのり氏の例を引き)は若者だけでなく、十年にわたる
経済的停滞の後、何か愛国的誇りを感じたいと望む広範な大人にもアピール
している。…ドイツと違って日本は過去を直視してこなかった。日本は
恥ずべきことを議論するのを避けることをよしとする。まさに日本文化では、
恥は罪よりも強い感情であるとされてきた》

こういうのが文化論、あるいは本質主義の危険性。「最初から日本の文化は○○」
という結論があって、それに合うような例だけをピックアップする。
26世界@名無史さん:02/08/23 21:57
カール・ポパーは本質主義について批判してなかった?
かれは反証可能性のない議論は意味がない、という考え方だったと思うけど。
27世界@名無史さん:02/08/23 22:32
国民性論を無根拠だとして否定したい気持ちはわかるが、まずこのジョークが
生まれてくる背景とその無根拠性を、誰か書いてくれないか。

タイタニック号の甲板である。婦女子を優先避難させることを納得してもらうため
に船長は一案を講じた。イギリス人に言った。「貴方はジェントルマンだ、だから
婦女子を優先させてよろしいですな」「もちろん」。アメリカ人にはこう言った。
「婦女子を優先させることで貴方はヒーローですぞ」「そうか、オレにできること
ならなんでも言ってくれ」。ドイツ人だ「これは法律で決まっていることですので」
「仕方ありますまい」。最後は日本人だ。「婦女子を優先避難させてよろしいですか?」
「どうしてですか?」と日本人。船長が言った。「みんながそうしています」。「わかり
ました」。
28世界@名無史さん:02/08/23 22:36
>>27
国民性というものがまったく存在しないといっているんじゃなくて、
文化や国民性は不変のものだとか、文化や国民性ですべてが説明できる
という考え方を批判しているんじゃないのかなあ。
29世界@名無史さん:02/08/23 22:47
>>20ドイツと違って日本は過去を直視してこなかった。日本は
恥ずべきことを議論するのを避けることをよしとする。

>アフリカに対するヨーロッパの罪と責任を問う

>1 :まーぼう :02/03/29 23:35
>ニュースステーションでイギリスの捕虜が日本軍に残虐な行為をされたとして、
>裁判を起こしていた判決が出ました。結果は原告側の訴えを全面棄却でしたが、
>それにいたる経緯のニュースステーションの説明があまりにも被害者に偏りす
>ぎている、まさに日本国にとって自虐的といえます。

>朝日系のメディアがメインですが、なぜ、日本だけが悪い、ナチス並に悪いと
>いわれればならないのでしょう??私は大変悲しいです。

>そこで私は一つ可能性を問い掛けてみたいと思います。

>昔ヨーロッパの人間が植民地支配をしていたとき、もしくは日本人を捕虜に取ったときの
>ヨーロッパ人の行動、そしてそれが今日、どのような影響を与えているか?
>それをすべてこの世界史板にいる良識ある人に問い掛けたいです
>私の知識ではまだ浅いのでいろんな人から参考にしたいです(^^;)
>確かいまの中東パレスチナ問題の発端の原因を作ったのもイギリスではないかとも
>考えられるのではないのでしょう?

>18 :世界@名無史さん :02/03/29 23:56
>>>1
>答えは出ているよ…
>アフリカに対して英蘭仏は謝る意思はないし、賠償しない。
>米国はパレスチナ問題に関してイスラエル寄りとし、人種差別問題を話し合わない
>去年の9月初頭に結論を出したではないか…
>但しその会議からほどなくしてWTCがこの世から消えたが
30世界@名無史さん:02/08/23 22:52
>>29
2001年9月に南アフリカのダーバンで開かれていた国連主催の世界人種差別
撤廃会議で、アフリカ諸国と対立していた欧州諸国が過去の奴隷貿易や
植民地支配について「遺憾の意」を表明、奴隷制を「人道に対する罪」
と認めたけど、アフリカ側が求めた明確な謝罪と補償は盛り込まれなかった
んだよなあ。
31世界@名無史さん:02/08/23 22:53
>>28
それは、まあ常識的な話ですけれど、そういう回答でみんな満足なんですかね。
一定の限定した範囲内では、国民性論もokだと。
32世界@名無史さん:02/08/23 23:01
日本人論大いに結構だろ。納得できるところも十分ある。
でも今の日本人論は夏目漱石などの小説から大いに影響を受けているので
多少、明治と今の日本人論とは誤差があるだろうね。
しかしながら、ものに対する考え方は大きくは変わってないと思われる。

また、県民性というのもよくあるよね。風土の違いなどから発生したと思うしそのとおりだと思う。
以前、さばくやら草原、海の人種の性格がおのおの表示してある表を見たけど、それはそれでなるほどと思えたね。

33from d:02/08/23 23:09
>>14
今日の日本人の原型は、江戸時代と聞きました。
日本文化自体は、室町期にほぼ完成されたと聞きました。
今の畳部屋もそのときからかな。
正直、江戸時代で、室町時代に持っていたパワーとかエネルギーは削がれてしまったみたい。
江戸時代がなければ、日本人は、アングロサクソンにも負けないくらいの、進取性、積極性、冒険心を残していたのかもしれません。
34世界@名無史さん:02/08/24 02:16
>>23
>では「国民性や民族性など存在しない。幻想にすぎない。」と断言してみればいい
>或いは「自然や気候風土や天候に人間が影響されることは有り得ない」と。

>>27
>国民性論を無根拠だとして否定したい気持ちはわかるが、

本質主義や風土論への懸念が理解できる人は、
…幻想だとか、…ありえないとか、…無根拠だとか、誰もそんな風には考えない。
35世界@名無史さん:02/08/24 02:34
国民性と呼ぶにせよ、お国柄と呼ぶにせよ、
ある人間集団の思考・行動様式が理念型として想定しうる、という意味では、
アメリカ人はこうこう、日本人はこうこう、というステロ化は可能だし、妥当。
ただし、類型とはその本質からして索出的というか、問題発見のための仮説であるからして、
そのような類型が生まれるゆえんを論理的に説明しえて初めて、類型論は意味をなす。
この点からして、やはり風土論というか環境決定論だけでは説明モデルとして脆弱。
せっかく類型論の鬼ことマックス・ウェーバー先生がプロテスタンティズムだの
資本主義だのいろいろな餌をまいてくれている訳だから、
環境還元論でとどまっては勿体ない。環境と社会構造と経済活動の相互連関まで
視野を広げれば、俄然おもしろみを増すし、単純なステロ化と切って捨てることの
できない説得力を生むと思うのですが。
36世界@名無史さん:02/08/24 07:17
いえいえ。民族性はありますよ。やはり、山形県内陸人と庄内人の民族性は違います。
ええ違いますよ。まったく。言葉も違えば性格も違う。
さらにはっきりといってしまうとですね、山形市内でもまみがさき河をはさんで
大きく変わりますよ。河の北と南では、思想、宗教、習慣、全て違う。
これは、もう、民族性ですよ。山形市では、民族間の激しい軋轢があります。
ところがですよ。実を言うとですね、河の南側もですね・・・・・
結論を言いますとですね、やはり、一民族一国家であるべきかと思うしだいであります。
37世界@名無史さん:02/08/24 09:47
「・・はキリスト教文化だからだ」というステロも嫌になるなぁ。
38風火師:02/08/24 10:57
>>33
>正直、江戸時代で、室町時代に持っていたパワーとかエネルギーは削がれてしまったみたい。
それを政策として行われたのが「生類憐れみの令」であるという説がある。

それ以前は戦国以来の殺伐とした気風が残っていた。
ちょっと気に入らないことがあると、すぐに刀や刃物など持ち出して暴れ回り、
犬猫を見つけては殺しまくって肉を食べあさる、今の暴走族に当たる連中がいた。
ただ、犬肉を食べることはその連中ばかりではなく一般的にも普通の習慣だった。

仏教界は獣肉をきつく戒めていたけど、当時はまるで聞く人がいた。
桂昌院と僧隆光が相談したかどうかは知らないけれど、この習慣を幕府の御威光で
やめさせるため、みなさんご存じの回りくどい方法で将軍綱吉に「生類憐れみの令」をやらせたという説。

22年後に「生類憐れみの令」が廃止された後も、犬猫など獣肉食をまた始める人は
きわめて少数であったという。
またこの間に戦国以来の殺伐とした気風は見事に払拭されていた。

中国、韓国に獣肉食がずっと継続しているのは、仏教の影響力が日本ほどではなく
桂昌院も僧隆光も現れなかったため。
39風火師:02/08/24 10:59
>>38 推敲ミス
>仏教界は獣肉をきつく戒めていたけど、当時はまるで聞く人がいた。

仏教界は獣肉をきつく戒めていたけど、当時はまるで聞く人がいなかった。
40世界@名無史さん:02/08/24 12:05
日本国内だと司馬遼太郎の「歴史を紀行する」辺りがいいかも知れない。
後書きにこうある。
「個々のばあいはまことに微量でしかない粒子が、大集団をなしたときに
蒸れてにおいでてしまっているものがここでいう風土であるかもしれない」
と。
41世界@名無史さん:02/08/24 16:29
いわゆる「国民性」「民族性」論には、いろいろな問題がある。
ひとつは、みんなの言っている「ステロタイプ」「レッテル」
もうすこしかっこよく言えば表象だ。その通りだ。もういいだろう。

でも、確かに「相対的な」「傾向」として、「〜人は〜」というのはある。
「イタリア人は社交的」とか(あくまで「傾向」ね)。
これはどうして?
1)先天的・人種的・DNA的に決定されている
2)当該の人々が住む風土・環境に由来している
3)その人々が生活を営む社会共同体の中で構築・再構築されている
4234:02/08/24 17:01
>>35
同意、というか、サンクスです。

ちなみに日本人については、「世間」が理解のポイントになると思う。
43世界@名無史さん:02/08/24 17:13
>>37
たとえば罪の文化とか、キリスト教的個人主義とか?
44世界@名無史さん:02/08/24 17:24
>>35
プロテスタンティズムといえば、こんな意見も。産経新聞の「20世紀特派員」という
コラムより、山口昌子パリ特派員が書いたシャネルの伝記。

「ボーイ(BOY)」はフランス人がイギリス人やアメリカ人の若者に
対して好んで使う呼称である。
この「ボーイ」という言葉には、フランス人やイタリア人などラテン民族
には欠けているアングロサクソン的なものへの憧憬の響きが含まれている
ようだ。
例えばフランスの報道機関は湾岸戦争やボスニア紛争で、「米軍派遣」
のニュースを伝えるとき、「GI」とともにこの「BOY」という言葉
を多用した。無意識のうちにフランス人の米軍への期待感が表明されて
いるように思えた。
カトリック的なものに対するプロテスタント的なもの、ともいえようか。
この相違について、ドミニク・モイジ仏国際関係研究所副所長はこう指摘する。
「寛容と慈悲を尊び、ざんげすることで贖罪(しょくざい)されるカトリック
に対し、神と己の対峙(たいじ)という絶対的状態に自分を置くプロテスタントは、
ともすればより厳格でより過酷な状況に自分の身を置く」
そこから生じる日常生活の中での公平の感覚やきびきびした態度などは
欧州大陸の住人にはまれな特質だといっていい。

45わが総統:02/08/24 17:33
すべてのドイツ人の統一の中に、はじめて、われわれの国民としての諸々の価値が発展する。
すなわち、われわれがプロイセン人、バイエルン人、オーストリア人であることをやめて、
ドイツ人以外の何者でもなくなったときに、である。プロイセンの人々がすべてのドイツ人を
ビスマルクの帝国に統合し始めた時、彼らはその行動によってドイツ国民に対して、何十年も
の間、ヨーロッパ大陸の、名実ともに最初の国民としての座を占めるチャンスを開いてくれた。
私がこれらすべてのドイツ人を国家社会主義の第三帝国に統一した時、私は彼らをヨーロッパ
建設の指導者につくりあげた。
46わからん:02/08/24 18:12
分らん事を理解したつもりになってる知ったかぶりだ論理じゃねーな。
こんな物に意味があるなら血液占いにも程度の差こそあれ意味が出てく
るってもんだ下らん。
47世界@名無史さん:02/08/24 21:23
ステレオタイプだとかなんだとかは、政治や報道に利用された意見
を言っているんだろうが、それをもって決定論と言うのはおかしい。
もともと単純化してわかり易く言っているだけ。
決定論なんぞそもそもないだろう。
48世界@名無史さん:02/08/25 02:41
>>47
ラベリング理論というのは、あるわな。
ちょっと拡大解釈だが、民族や国民のステロタイプ論にも通じる話だわな。
49世界@名無史さん:02/08/25 02:50
分かりやすいレベルならいいんだが、間違いになる場合があるからなぁ。

戦時中にはやったのは、「アメリカは個人主義の国だから、やつらは弾が
飛んできたらすぐ逃げる弱い軍隊」という神話だった。
50世界@名無史さん:02/08/25 02:59
塩野七生
「イタリア人が、 人間の尊厳と理性の尊重を説いた、つまりはキリスト教に頼ることを拒絶した、
ルネサンスを生んだ民族」

これはどうかなあ?この時代のイタリアルネッサンスは神理解を目指していた。
方法論に「人間」が加わったとは思うけど、宗教的なものに対する反発より
積極性を感じるんだけど。禿げしくスレちがいだけど、気になった。
51世界@名無史さん:02/08/25 03:50
ラベリング理論は主に犯罪学で問題視されるのでは?
52世界@名無史さん:02/08/25 21:47
サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」も、文化論の一変種かなあ。
53世界@名無史さん:02/08/26 01:59
>>52
ずいぶんとアフリカを馬鹿にした本だったね。
54世界@名無史さん:02/08/26 10:40
>>53
アフリカで思いだしましたけど、モントゴメリーが、
「アフリカ人は自分たちだけで国を発展させる能力など持ち合わせていない」
と発言したことがありましたね。
20世紀の悲惨なアフリカ史をみれば、そういう偏見が生まれるのもある程度
無理ないかな、と思わないでもないけど。
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56世界@名無史さん:02/08/27 10:33
塩婆の著作を読めば人間を類型に分けて考える事の愚かさに気づけると思うよ。
塩婆自身があまりにも馬鹿な文明論を展開してくれるので文明論について懐疑的になれます。
57世界@名無史さん:02/08/27 10:46
>類型論の鬼ことマックス・ウェーバー先生

笑った
58世界@名無史さん:02/08/27 10:54
想像の共同体とか伝統の創造についてはどう言うんだろうね>塩婆
59世界@名無史さん:02/09/12 14:17
塩野さんは一神教嫌いだけど、マックス・ウェーバーは古代ユダヤ教と
プロテスタンティズムを高く評価してるんじゃなかった?
60世界@名無史さん:02/09/12 14:26
極端な文化決定論や文化相対主義は限界がありますね。
この本は面白かったよ。

ヒューマン・ユニヴァーサルズ―文化相対主義から普遍性の認識へ
ドナルド・E. ブラウン (著), Donald E. Brown (原著), 鈴木 光太郎 (翻訳), 中村 潔 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788508125/qid=1028552983/sr=1-3/ref=sr_1_0_3/250-8923379-6482601
61世界@名無史さん:02/09/12 14:29
>>58
カルスタは糞。
62世界@名無史さん:02/09/12 16:23
カルスタに利用されまくっているが>>58の二冊はカルスタじゃないぞ。
63他スレからのコピペ:02/09/28 20:27
11 :7 :02/09/09 21:12
現在の欧米におけるエロゲー・エロマンガの事情はあまり詳しくないけど、リンクを探し出した。
ttp://store.yahoo.com/animenation/hentai-cd-rom-games.html
ttp://store.yahoo.com/animenation/hentai-books-graphic-novel-manga.html
ちなみにエロマンガについては、「Comics One」って出版社は修正のままで出し始めたらしい。
一つ目のスレにも書いたが、エロゲーやエロマンガよりエロアニメはだいぶ受けるね。
>>945
>こっちにも、「アメリカは聖書根本主義が強くて、妊娠中絶を行う病院が次々
>爆弾で襲撃されている」なんてニュースやるし、そういう先入観ができちゃう。
根本主義者は恐ろしいね。根本主義ってキリスト教とイスラム教はあまり違いなくて、どっちにも危険な勢力がある。
妊娠中絶については、(西)ドイツに1980年代の末まで違法だったの。これが改正されてから幸いにあまり根本主義者の問題がなかった。
>>970
聖書の全てを読んだ人はほとんど居ない(牧師などだけ)。部分を読んだ人は少なくないが、多数の人はちょっとだけ読んだ、それとも映画ぐらい見た。勿論全然読んでない人も居る。
>>972
そう考える人は仏教を他の宗教より尊いでるだろう。でも大抵に仏教はキリスト教やイスラム教などの同じように宗教として見なされるけど。


12 :名無しさん@ピンキー :02/09/09 22:57
>聖書の全てを読んだ人はほとんど居ない(牧師などだけ)。部分を読んだ人は少なくないが、多数の人はちょっとだけ読んだ、それとも映画ぐらい見た。勿論全然読んでない人も居る。
>大抵に仏教はキリスト教やイスラム教などの同じように宗教として見なされるけど。
基本的に日本と同じなんだなあ。

↑キリスト教文化だからといって、極端な違いはないようです。


64世界@名無史さん:02/10/18 19:36
最近、「文化相対主義の危険性」ということがよく言われますけど、
マジな話、文化には優劣があるものなのでしょうか?
65世界@名無史さん:02/10/19 11:40
>>64
もともと、科学技術や産業などの普遍的な文明的要素を除いた、言語や宗教、
生活習慣などを文化として定義し、文化相互には違いはあっても優劣はない
とするのが文化相対主義なんだな。

過去においては、未開人、土人の文化と文明社会、文明人の文化では、当然
に文明社会の文化が優れていて、未開人の文化は劣等なものとされていた。

一種の政治的反省から文化相対主義は正しいものとされていたんだが、どう
考えても、無理がある。王様は裸だってことを誰も言い出さないだけだ。

例えば、幼女のクリトリスを切り取り、未亡人を生きたまま火に放り込む文化
を、文化相対主義の名のもとに正当化できるのだろうか。

結論から言えば、文化相対主義というのは、あくまで文化人類学をやる連中に
とっての学問上の心構えであって、現実的には未開の文化と先進国の文化に
優劣があるのはあたりまえだってこと。
66  :02/10/19 11:59
 日本人の経済的風土、”ビジネス習慣の違い”、”国民性による経済的考え
の違い”なんていう奴がいるけどそんなのあるのかいな?
67世界@名無史さん:02/10/19 13:57
>>65
以前、欧米でリビジョニストたちによる「日本異質論」というのが流行ったけど、
それも文化相対主義に対する反発なのかな。
ただ、アレも行き過ぎると危険な方向にいきそうだけど。
>>66
最近、アメリカの日本研究者の間では日本人の行動様式を、日本の文化や国民性で
説明するのではなく、あくまで合理的な選択の結果だ、とする人たちがでてきています。
もちろん、日本異質論者たちはそれに猛反発しているけど。
6865:02/10/19 20:51
>>67
当時、リビジョニスト達が主張した日本異質論というのは、同一の通商ルールで取引
したのでは、文化的な理由から、日本が有利になりすぎるということであったと思いま
すから、いわゆる文化相対主義への反発とはあまり関係ないでしょう。
というか、貿易経済関係において、日本の生活文化が「不当に」有利にはたらくという
議論だったのですから、優劣とは別の問題提起だと思います。

文化相対主義への異論というのは、近代社会を構成するのに適さない文化というのが
存在するのではないか、いわゆる未開文化というものは、その本質的な部分のいくつ
かを放棄するか、修正しなければ産業化や近代化に耐えられないのではないかとい
うことから、文化の優劣ということが語られたのであって、日本文化というのは、西欧か
ら見れば、文化相対主義を補強する実例であったわけです。
69世界@名無史さん:02/10/20 17:16
>>18
油を媒体にする洋画は、乾燥した土地、明るい日差しの土地だから
発展しました。
絵の具製造技術が安定した後なら、多少の湿気に耐えられるようには
なりましたが、それでも乾燥したところのほうが適しています。
日本で油絵をほったらかしておくと、カビます。

日本や、中国の蜀あたりのように湿気の多い土地だと、湿気のため
遠景が立体感を失い、シルエットになります。こういう土地だと、
絵はシルエット主体になります。絵の具の媒体は水になります。

まあ、立体表現を絵で追及した例は、16世紀イタリアが例外的にあるだけで
他の土地ではほとんど(独自には)例がないので、「ダ・ビンチはすごい」と
いうことになりますが。
イタリアでもダ・ビンチが立体表現を発明し理論化しなければ、立体表現は
主流にならなかったと思います。ダ・ビンチがほぼ一代で立体表現を完成させ
同時代にそれを我が物とした人気画家であるミケランジェロ、ラファエロが
いたから、洋画の主流は立体表現になったと言えると思います。
7069:02/10/20 17:27
ついでに書きます。
ダ・ビンチの時代、絵の具の媒体は、卵でした。
生卵で絵の具を溶いて、それで絵を描いて、腐ったりしない程度に
乾燥している土地で成立した技法です。

またそれにやや遅れ(十年くらい?)、油を媒体とした技法が生まれましたが、
これも日本のように湿気のある土地では一年たっても二年たっても乾燥しません。
イタリアのように乾燥した土地なら数日で乾燥し絵の具が固定します。

もともとキリスト教圏もイスラムと同様「絵」に一種のタブー意識があり
彫刻は盛んでしたが、立体表現としての「絵」には躊躇する感情がありましたが
ルネサンス期という精神の高揚期に、一気呵成に技術が完成し、その後は
それを範型として技術が伝承されるにいたりました。

イギリスは湿気が多いせいか、かなり後期まで洋画は揮いません。
そういえばイギリスは音楽も揮いませんが、その理由は私には判りません。
71世界@名無史さん:02/10/20 18:22
>>68
ありがとうございます。
カレル・ファン・ウォルフレンが、
「日本人のものの考え方は西洋人と違って非合理的である。そしてこれが
優れていることのしるしである、とされるのである」
「神道は、普遍的な真理や倫理とは無縁だ」
というようなことを主張していたので、
リビジョニストたちは日本文化=劣等文化というふうにかんがえているのかな、
と思ってしまいました。
72世界@名無史さん:02/10/20 18:45
ステロタイプ?ステレオタイプ?どっちが正しいの?
73c:02/10/20 18:45
74世界@名無史さん:02/10/20 18:47
インドのサティという風習はなくなったらしいね。
75世界@名無史さん:02/10/20 19:47
アメリカ・・パーテイ国家
アカの他人の集団。よってイベントが無いと結束できない。客観的に理解できる
言葉で書かれたプログラム表(規則)が無いと、集団を管理できない。
パーテイが大好き。

ドイツ・・葬式国家
親戚一同の集会。もとから仲間意識は強い。親戚同士なので暗黙の了解が通じる。
それでいて論理的、科学的であるが、これはファミリーの遺伝的特徴である。
お葬式が大好き。

日本・・お祭り国家
地域住民で構成されたカルト集団。集団はすべて教義に従いコントロールされる。
教義は時代によって変化する。信者は教義を論理的には考察しない。
集団主義でも個人主義でもない、また論理的とも非論理的ともつかない。
つまり、すべての行動は教義に伺いをたててから決定される。
お祭り大好き。
76世界@名無史さん:02/10/21 00:57
>>71
ウォルフレンが言っているのは、日本の政治実態は、公的に存在する
と呼称されているタテマエと、公的ではないホンネの政治に分裂している、
ということでして。
丸山真男なんかが指摘したことと、だいたい同じです。
『日本/権力構造の謎』(早川書店)は、丸山の仕事より具体的事例が
たくさんあって日本権力構造が欧米モデルとはどう違っているのか
リアルに描かれてますよ。

たぶん神道に対する言説は、「国家神道」はタテマエ構造とホンネ構造を
曖昧化させるイデオロギーとして機能している、という意味で言及している
のだと思われます。
77世界@名無史さん:02/10/22 00:13
>>76
ウォルフレンも丸山もDQNじゃん
78世界@名無史さん:02/10/22 00:51
在日がいろいろ人種工作やってるけど、真相はかなり違う。

大雑把に、
頭示数が、韓国人は短頭〜過短頭、日本人は中頭〜短頭。
鼻示数が、韓国人は中鼻、日本人は広鼻〜中鼻。
二重の出現率が、韓国人は約2割、日本人が約5割。

一般的に韓国人の顔は、ツリ目が多く、鼻は低く目立たず、彫りが浅い。
頭は絶壁傾向が強く、その分頬骨が高い。体毛が薄いのに比例して
眉毛や髭などが薄い。全体的に見て平坦な印象。形態もさる事ながら、
中国人ほどではないが遺伝子の方もかなり違う事から考えれば、
日本人と韓国人は人種的には近いが異人種であると言う事ができる。

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
79世界@名無史さん:02/10/23 13:51
ソニンちゃんは?そんなの世界史板でやるな
80世界@名無史さん:02/10/26 04:32
>>77
丸山真男政治学は、現代日本政治学の基礎ですよ。

丸山真男とDQNだと言える資格のある人間は、少なくともインテリ層には
いないと思われます。
81インテリ層:02/10/26 06:47
丸山真男とDQNだと言える
82世界@名無史さん:02/11/06 22:48
「東は東、西は西」という言い回しがあって、西洋と東洋の文化は永久に
相容れない、という意味で使われていますが、実はキプリングは
“東は東なり、西は西なり、されど我等は、この二人の間近な出会いを
ひたすら望む。”
といったのだとか。
もともとの意味と少しズレた意味で使われている、という点で、
「美しい肉体には美しい精神が宿る」
と似ています。
83世界@名無史さん:02/11/08 19:30
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1036674791/
【サマラ】ハリウッド版リング公開6【サマラ】

けっこう日本映画のリメイクが、向こうでウケているようですが。
「日本の文化はアメリカ人には理解できない」と言う人がいるけど、
そんなことはないと思います。
84世界@名無史さん
在日がいろいろ人種工作やってるけど、真相はかなり違う。

大雑把に、
頭示数が、韓国人は短頭〜過短頭、日本人は中頭〜短頭。
鼻示数が、韓国人は中鼻、日本人は広鼻〜中鼻。
二重の出現率が、韓国人は約2割、日本人が約5割。

一般的に韓国人の顔は、ツリ目が多く、鼻は低く目立たず、彫りが浅い。
頭は絶壁傾向が強く、その分頬骨が高い。体毛が薄いのに比例して
眉毛や髭などが薄い。全体的に見て平坦な印象。形態もさる事ながら、
中国人ほどではないが遺伝子の方もかなり違う事から考えれば、
日本人と韓国人は人種的には近いが異人種であるという事が分かる。.


http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg