隋・唐はトルコ系王朝なの?

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1世界@名無しさん
トルコ系って本当?じゃ、この王朝も元・清と同じく異民族王朝に数えられるね。
2世界@名無史さん:02/07/19 17:38
え?
3世界@名無史さん:02/07/19 17:40
神農とか黄帝とか舜、堯、兎なんかは入るんですか?
4世界@名無史さん :02/07/19 17:44
タクバツ国家ってやつですね
でもなんかピンとこないね
5世界@名無史さん:02/07/19 17:47
>>1
鮮卑系。
6世界@名無史さん:02/07/19 17:51
でも鮮卑がトルコ系かわからんよね。
7世界@名無史さん:02/07/19 18:00
というわけで



――――――――――――――漢――――――――――――――――
8世界@名無しさん:02/07/19 19:46
鮮卑系というのは髪の毛が紅かったらしい。
9世界@名無史さん:02/07/19 19:51
晋の明帝はお母ちゃんが鮮卑系だったらしくて髭が黄色かったらしい
あと、匈奴人の肖像ってかなりコーカソイド系な顔つきでした
10世界@名無史さん:02/07/19 20:09
今のロシア人・・・スレ
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1025879631/
では鮮卑はモンゴル系って書き込んでるのがいるな。
11世界@名無史さん:02/07/19 20:11
純粋な漢人政権って三国時代〜西晋くらいまでで
後はごちゃまぜじゃないのか。
12世界@名無史さん:02/07/19 21:31
皇族が鮮卑系なのはほぼ間違いないけど、金・元・清みたいな征服王朝とはやや性格が異なるよな。
異民族支配ならではの文化政策がみられないんだよ。
せいぜい女権が強いのが特徴なくらいで。
まあ北魏の孝文帝以来の漢化政策のおかげかも。
13世界@名無史さん:02/07/19 22:24
煬帝と李淵っていとこだろ?
鮮卑系のドッコ氏だったけ?
14世界@名無史さん:02/07/20 01:13
15世界@名無史さん:02/07/20 23:28
>>13
母系でつながってる従兄弟どうし。李淵のほうが年上。
独孤氏じゃな。
16世界@名無しさん:02/07/21 17:48
3>五帝はトルコ系じゃないだろう?
17世界@名無史さん:02/07/22 15:31
>>16
五帝はトルコ系じゃないけど、正史を素直に読むと
隋唐の祖先は五帝につながっていくという罠。
18世界@名無史さん:02/07/26 02:36
今まで考えもしなかったが、言われてみれば隋も唐も北魏系だし山西だし
トルコ系だったほうがわかりやすいね。
中国王朝らしからぬ開放性も国際性もそのほうがすんなり説明つく。
19世界@名無史さん:02/07/26 17:51
満州帝国は日本系王朝というスレを近いうちにたてるからよろしく
20世界@名無史さん:02/07/26 18:52
そう言われてみれば〜系王朝って何をしてそう呼ぶんだろうな。
支配階級の実体はどうあれ満洲帝国の場合は帝室は満洲人なんだが。
21世界@名無史さん:02/07/31 06:18
後唐は沙陀族(何系だろう)
南唐は漢族
22世界@名無史さん:02/07/31 06:20
なぞが多い北方遊牧民ですが
その歴史を詳しくつづった本は
ないでせうか?
23世界@名無史さん:02/07/31 10:21
>>21
沙陀族は突厥だからトルコ系という事になるのかな。
24世界@名無史さん:02/07/31 17:45
>>22
『遊牧民から見た世界史』
は名著です。

http://www.nikkei.co.jp/pub/newbooks97-11-1/16229/16229-wadai.html
25世界@名無史さん:02/07/31 18:21
鮮卑のなかでも拓跋部はモンゴル系だと思う。
内蒙古の大興安嶺北部甘河上源の密林中にある洞穴から碑文が
みつかっている。
慕容部はトルコ系だったかもしれない。
26世界@名無史さん:02/07/31 18:56
>>24
岡田英弘の『世界史の誕生』も忘れちゃいけない。
27世界@名無史さん:02/07/31 19:12
岡田英弘さんの「皇帝たちの中国」では、
はっきりと「隋・唐は鮮卑系王朝である」と断言しているね。
28世界@名無史さん:02/07/31 20:00
隋・唐をトルコ系と考えると、日出処の国書の行間から匂って来るものが
なんとなくわかるよね。

「オマエだって俺と同じ蛮異の王じゃねぇか」by聖徳太子>煬帝
29世界@名無史さん:02/07/31 20:19
そういえば五胡十六国時代鮮卑系の王が「天王」を名乗ってたな。
30世界@名無史さん:02/07/31 20:45
>>28
なんか、北魏かどっかの遊牧民系の国に「源」という姓があって、
日本の「源氏」はそれを真似たものだという説を聞いたことがある。
31世界@名無史さん:02/07/31 20:48
>>8-9
中国史書によると、唐の皇族は目が青かった、つまりコーカソイドだった。
32世界@名無史さん:02/08/01 03:15
>>30
源姓は北魏の世祖太武帝が同じ拓跋部系の南涼からの亡命者に与えた。
杉山正明は『遊牧民から見た世界史』中で北魏の源姓賜姓と
嵯峨天皇の源姓賜姓の関係の可能性を指摘しているが、
この関係説は(おそらく彼が知らなかっただけで)以前からある。
33世界@名無史さん:02/08/01 17:27
>>31
まあ、孫権だって青い眼だしな・・・胴長短足だが。
34世界@名無史さん:02/08/01 17:54
>>32
日本史になってしまうけど、嵯峨源氏が源姓で、下の名前も一字なのは、中国
風の単性・単名を真似たものらしい。
嵯峨源氏の末裔である水軍松浦党も、代々下の名前は一文字だし(松浦鎮信は
例外だけど)。
35世界@名無しさん:02/08/02 16:18
異民族王朝・・・隋、唐、金、元、清・・・結構多いな。
3628:02/08/02 19:32
>35
 
てか、漢以降は動乱か異民族かって感じだね。
37世界@名無史さん:02/08/02 19:36
唐の始祖がどこ系だろうと、あとあとの血縁と自らの自覚は漢民族だったんじゃないかな。
38世界@名無史さん:02/08/02 20:11
>>37
玄宗って息子の嫁(楊貴妃)を妻にしたんでしょ?
漢人からみたらかなり異様なことだったんじゃないかな。
39世界@名無史さん:02/08/02 21:35
>>36
晋滅亡後、漢民族の統一王朝は宋と明だけだったかな?
40世界@名無史さん:02/08/02 21:40
>>37
唐の創業時は、明確に民族意識があったはず。
鮮卑系武川鎮軍閥はやはり漢族とは異質のものだった。

漢人(とゆーか非鮮卑系、非武川鎮軍閥)が台頭してくるのは
武則天以降だね。
41世界@名無史さん:02/08/03 00:01
そういえば李白も異民族系で目が青いと聞いたことがあるけど。
42世界@名無史さん:02/08/03 02:31
でも李淵や李世民は漢王朝をかなり意識してるんだよな。
李淵は劉邦や劉秀を超えたっつてるし(裴寂は蕭何・曹参以上って)、
李世民は三国以後の歴史書を一挙に編纂させてるし、儒の遺産を体系化させてるし。
彼らが目標(?)とか超克の対象にしたのは
匈奴とか北魏とか突厥とかではなくて、あくまで漢。
漢人か鮮卑かってより、重要なのは中華帝国の後継者になることだろうからなぁ。
その意味で、鮮卑より漢に目が向くのでは。

それに武川鎮軍閥の根源になった西魏(イチオウ)・北周は、
北魏の漢化政策が反感を買ったことを反省した上で(これだって民族意識云々より現実的な問題のような気がするし)
政治を行ってるから、一見、鮮卑的に見えるかもしれない。
でも例えば八柱国十二大将軍の制度にしても、擬似的な部族制をとっていながら、
現実には部族制を復活させなかったんだよな。
内実は漢人国家と変わらない、皇帝を頂点に置く官僚・軍事制度。
北魏が崩壊した頃には、「我らは鮮卑、漢人に非ず」という意識は
少なくとも指導者クラスの人間には希薄だったようにも思う。

思いつきつつ書いたので、つっこみ所があると思うのはスマソ
43世界@名無史さん:02/08/03 03:02
アニメ三国志で、曹操は金髪碧眼だったような・・・
ほんと?
44于禁萌え:02/08/03 03:06
>>43
同人姉ちゃんが描く孫策や周瑜も漢人離れしてますがな
許してやんなさい

45世界@名無史さん:02/08/03 03:14
>>44
で、やっぱり、曹操は金髪碧眼なんですね
曹操様素敵
46世界@名無史さん:02/08/03 03:32
確かに北魏が崩壊した頃には、「我らは鮮卑、漢人に非ず」という意識は
指導者クラスの人間には希薄だったでしょう。
しかし西魏、北周は北魏の漢化政策によって落ちぶれた北鎮の勢力が
北魏に反発して建てたわけで、指導者層自体が替わっています。
漢化政策の反省の上の政治ではなく、北鎮鮮卑集団による漢化政策への反動政治でしょう。
やはりそこには強烈な民族意識、懐古意識があったはずだと思う。
部族制復活は現実的に無理だったが、八柱国十二大将軍制や胡姓再行は
明らかに復古政策。

まぁ、それも初期の話で北周末期にはそのような傾向は希薄になり、
ついには隋を建てた楊堅が一掃してしまいますが。
鮮卑集団の数が絶対的に少なく、早い段階から漢人が台頭してきているので
漢化は必然。唐の創業時には、明確な民族意識など存在してないでしょう。
隋唐では42の言うように漢王朝を意識して、完全な漢王朝を志向してるように思える。
47世界@名無史さん:02/08/03 03:35
>>46
で、曹操は金髪なんだろ
48世界@名無史さん:02/08/03 23:26
>しかし西魏、北周は北魏の漢化政策によって落ちぶれた北鎮の勢力が
>北魏に反発して建てたわけで、指導者層自体が替わっています。
オイオイ、西魏は孝武帝が宇文泰のところに逃げこんで成立したんじゃなかったか?
この文脈だと、西魏王朝が元氏と無関係に成立したかのような印象を受けるぞ。
49世界@名無史さん:02/08/04 10:33
金、李姓は北方発祥だっけ?
5042:02/08/05 03:02
うーん、六鎮の鮮卑軍団の反感あってこその内乱ではあるのだが、
民族主義は表看板みたいなものだと思うのだな。
本気で漢化そのものに怒りを抱いたのって、どれくらいの人間なんだろう?

そもそも漢化政策に対する不満って、鮮卑民族の誇りを傷つけられたってより、
部族がらみの利権が失われたり、現在の生活や将来や待遇が破壊されたことによるからなぁ。
その不満が「漢化」に向いただけで。
やってんのは鮮卑同士でのできごとだしさ。
民族主義による、ってのは、むしろ前秦崩壊に見られる現象のような気も。

結局、この後出てくる爾朱栄や高歓は元から反六鎮だし、宇文泰にしても後には爾朱栄に仕えてるし。
そこに六鎮の兵士は流れたしさ。

んで、特に弱体だった西魏・北周は軍国的挙国一致を成し遂げるために、
将兵や民衆をイデオロギーで引っ張るしかなかった。
八柱国十二大将軍制や胡姓再行は、そのための手段として、だと思うのだがなぁ。
あとは魏を潰して周を建てることの正当化のためかな。思いつきだけど。
八柱国十二大将軍制なんて宇文氏簒奪完了後、間もなく崩壊し始めたし。
よく考えりゃ柱国家の一つ、元氏じゃん。

またもや思いつきつつなので、いい加減な感じであやふやなのはスマソ
ついでに酒入ってる

>>49
金はちとわからん。中国では少ない方ではないのかな?
しかし朝鮮には多いが、現在の朝鮮の姓の多くは中国発祥だしなぁ。
李は確かに中世以前では見かけることが少ないが、老子が李姓ということになってるので、
漢人に昔からある姓ではあるのだろう。ということは仮に北方といっても周代の漢人の生活圏の中で
という話ではありそうで。
漢代にはいると、当たり前のようにそこらじゅうにいるし・・・
51世界@名無史さん:02/08/05 14:25
朝鮮の金姓は新羅王族由来じゃない?
52世界@名無史さん:02/08/06 00:00
>>50
六鎮の反乱があった孝明帝の時代には、北方で飢饉が頻繁に起こってるよな。
その救恤の際に何か感情の行き違いがあって、軍士のくすぶっていた不満に
火をつけた結果、六鎮の乱に繋がったのかもしれないと、折れは勝手に考えてる
(時間差が少しあるが)。
廷臣を北方の民俗視察に赴かせているくらいだから、飢饉の規模は相当なもの
だったんだろうと推測できるし。

西魏・北周が民族的イデオロギーで引っぱられてたとまでは言えんと思うが。
ここの政治体制って、「周礼」に基づいて漢人の知識人が作ったんだろ?
蘇綽とか盧弁とか。
宇文泰の「大冢宰」の位だって、周の時代の位からとったもんだったはず。

うむう、なんかワケのわからん書きこみになったな。
悪い。
53世界@名無史さん:02/08/07 18:48
>>51
朝鮮半島の三国時代末期、新羅と唐が同盟を結んだ際に創氏改名したと
いわれているけど、楽浪郡設置の以前から半島には漢人がいたわけだから、
そこからの流れっていうのも当然あるんだろうなぁ。
54世界@名無しさん:02/08/11 18:50
孝文帝age
55世界@名無史さん:02/08/11 19:10
愛新覚羅も中国姓は「金」だろ?
56世界@名無しさん:02/08/11 23:26
玄宗皇帝まんせー
57世界@名無史さん:02/08/15 18:49
>>52
・・・で、曹操は金髪だったんだろ?(w
58世界@名無史さん:02/08/15 21:34
中国の王朝は、創始者の出身地が王朝名になるって聞いた事あります。
そうすると漢、晋、隋、唐、明などは皆そうなのでしょうか?
でも漢の劉邦の出身て沛ですよね。あれっ?
59世界@名無史さん:02/08/15 22:16
>>58
出身地と言うよりは、皇帝なり何なり名乗る頃に封じられていたり、拠点としていた土地。
劉邦は秦滅亡後の論功行賞で漢中王になったので、そのまま漢の皇帝になった。
それまでは沛公を自称(後、公認?)
で、漢・晋・隋・唐、上記のような感じで王朝名に引き継がれてる。
明は白蓮教の教義的なところから。地名でなら朱元璋は呉王だった。

スレ違いなのか行き場がないのかわからぬのでsage
6059に追加
ただ、別に義務でも法制度化されてるわけでもない。
たんなる慣習。
例外はいくらでもある(特に非漢族系)。