1 :
世界@名無史さん :
02/07/06 15:15
2 :
世界@名無史さん :02/07/06 15:16
ちゅーか、スイスの属国やないか。
3 :
世界@名無史さん :02/07/06 15:16
4 :
世界@名無史さん :02/07/06 15:19
どうせ、警察が重武装っていうオチじゃないの? コスタリカもそうだよね。 だったら日本も正しく「軍隊無き国家」だよな
5 :
世界@名無史さん :02/07/06 15:22
>4 国防はスイスが請け負ってたような気が。
スイス軍基地反対闘争は支援せんのか!?
8 :
世界@名無史さん :02/07/06 15:43
スイスもリヒテンシュタインも全然中立国じゃないなないか。 両国は同盟関係にあるんだろ。
でたぶん次はルクセンブルクとか言い出して NATOに入ってるよと言われて終わる
10 :
世界@名無史さん :02/07/06 15:49
リヒテンシュタインは非武装でも中立でもないと結果がでたようなので、 □□□□■□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□■■□□□□□■□□□□□□□■■■■■■■■■■■■□□ □□■■□□□□□■■■■■■□□□□□□□□□□□□□■■□□ □■■□□■□□□■□□□□■□□□□□□□□□□□□■■□□□ □□■□■■□□■■■□□■■□□□□□□□□□□□■■□□□□ □□□■■□□■■□■■■■□□□□□□□□□□□■■□□□□□ □□■■□□□□□□□■■□□□□□□□□□□□■■□□□□□□ □□■□□□■□□□■■■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■■■■■■□□■■□□■■□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□□□■□□□■■□□□□■■□□□□□□□□■□□□□□□□ □□■□■□■□□□□■■□□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□■□■□■□□□□□■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■■□■□■□□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■□□■□□□□■■■□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□□□■□□□□□□■■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□□□■□□□□□□□□■■□□□□□□■■■■□□□□□□□
11 :
世界@名無史さん :02/07/06 16:03
そもそもリヒテンシュタインの名はこの侯爵家の祖、フーゴ・リヒテンシュタイン という人物に由来する。彼はオーストリアはウイーンの南メートリングにある「リ ヒテンシュタイン城」に居を構え、ニーダーエスターライヒ地方の南からドナウ川 の北にかけて統治していて、その城の名前を家名にしたということらしい。 彼より2代のちのハインリヒ1世(1249-1265)はニコラスブルク地頭として、ハプ スブルク家の家臣となり、のちにいくつかの戦功により、領地が与えられる。 1699年ヨハン・アダム・アンドレアス侯はシェレンベルク男爵領(現在の低地部)を 手に入れるが念願の神聖ローマ帝国の帝国議会への列席という夢は果たせなかった。 (帝国議会への列席の条件として一定の領地が必要でまだ、ハプスブルク家から 領地を拝領していたに過ぎなかった) 1712年、ファドーツ伯爵領(現在の高地部)が売却されたのを期にこれを購入、 1719年、神聖ローマ皇帝カール6世により両領に対し、自治権を付与され、ここ にリヒテンシュタイン侯国が誕生。2代のちのアントン・フローリアン侯のとき に永年の夢だった帝国議会の列席資格を得ることとなった。
厨房的な質問ですが、リヒテンシュタインって人口何人ぐらいだっけ?
14 :
世界@名無史さん :02/07/07 09:51
15 :
世界@名無史さん :02/07/07 11:33
少し前、マネーロンダリングだったか何かで有名になったな。
16 :
世界@名無史さん :02/07/07 11:38
17 :
世界@名無史さん :02/07/07 11:38
ルパン3世のカリオストロ公国の モデルじゃなかったっけ? 元祖アルセーヌ・ルパンにも カリオストロなんてあるけど。
18 :
世界@名無史さん :02/07/07 12:04
見事なパクリですな>カリオストロの城 「カリオストロ」の名前、「クラリス」の名前、 「湖底のローマ都市」の発想もすべて本家ルパンのパクリ。 書きながらふと思う。 カリオストロ公国なのになぜ伯爵?
>>18 伯爵が摂政?だったから
クラリスたんが公爵
>>19 専用スレが立ってるのは知ってるのだが簡単に教えてくれ
そもそも伯爵とか公爵ってのは、ある国があって、たとえばその国王とか
叙任し、国内だけで通用するのではないのか?
それとも伯爵とか公爵とは国とは関係ないのか?
超ガイシュツだとは思うのだが。
公爵とか伯爵ってのは、領地に爵位がついているんとおもた サボイア公爵でも、シチリアを獲得すれば王を名乗れる。
そもそも公国って原文ではどういう名称なの?
24 :
世界@名無史さん :02/07/07 13:44
PRINCIPALITY OF LIECHTENSTEIN In 1719, counties of Schellenberg and Vadus, in hands of branch of house of Liechtenstein, were erected as Principality of Liechtenstein in the Holy Roman Empire. Part of Confederation of the Rhine 1806. In Germanic Confederation 1815-66. Belonged to Austorian customs union before collapse of Hapsburg monarchy 1918. Entered Swiss customs union 1924. 神聖ローマ皇帝が帝国内の封建諸侯に王公侯伯子男を叙爵。 バイエルン王国と言い、リヒテンシュタイン公国と言い、 ブランデンブルク辺境伯領と言い・・・ 大抵の諸侯領は19世紀以降離合集散して国民国家になったが、 僅かに封建時代の領域を保って残ったのがリヒテンシュタイン。 ただし現在は外交をスイスに委ねている。
25 :
世界@名無史さん :02/07/07 13:52
オーストリア・ハンガリー帝国崩壊以前、 リヒテンシュタイン公はウイーンに住み、領地は代官に治めさせていた。 これは例えば旗本小栗家が群馬県権田村に知行地を持ちながら、 江戸で暮らしていたことに似ている。 幕府崩壊に際し、小栗上野介忠順は権田村に移り住んだ。 すぐ新政府軍に首を切られたけどね。 権田村が独立国として残った状態を想像してくれ。
26 :
世界@名無史さん :02/07/07 14:20
しかし、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊した時点で 叙爵した称号は法的?根拠を失うわけだよね なんで残ったりできるんだろう 当時の地政学的な話が絡んでるの?
27 :
世界@名無史さん :02/07/07 17:19
スイスとオーストリアに挟まれているという幸運で プロイセン・ドイツに組み込まれずにすんだんだな。
28 :
世界@名無史さん :02/07/07 17:33
リヒテンシュタインは公国(Herzorgtum)ではなくて侯国(Furstentum)です。 正式名称は リヒテンシュタイン侯国(Furstentum Liechtenstein)です。 公国はモナコ(Principaute de Monaco)。ルクセンブルクは大公国(Grand‐Duche de Luxembourg; Grossherzogtum Luxemburg) リヒテンシュタイン侯国はリヒテンシュタイン家による世襲。 ルクセンブルク大公国は神聖ローマ皇帝カール四世などを排出したルクセンブルク家 ではなくてオラニエ・ナッサウ家(1890年まで)その後はヴァイブルクによる世襲。 のち、シャルロット大公の時代にこの家系はルクセンブルク家と改名。 モナコ公国はグリマルディ家による世襲。
29 :
世界@名無史さん :02/07/07 17:37
>>9 ルクセンブルク市の旧市街には今でも昔の要塞が残っている。
永世中立国になったとき、要塞が撤去され始めたけど、1948年に永世中立を
放棄すると撤去作業は中止された。
30 :
世界@名無史さん :02/07/07 18:05
現実問題としてリヒテンシュタインは幾ら武装した所で 自力で国土を守りぬくというのは不可能だよね。 だったら無駄な努力なんかしないてのも ありなんかな_
31 :
世界@名無史さん :02/07/07 20:33
>30 だから、スイス軍に防衛をゆだねるという「努力」をしてますが、何か?
32 :
世界@名無史さん :02/07/07 21:43
>>26 国がつぶれようが領主は領主。
逆に言うと領主の集合体が神聖ローマ帝国だったんだから、
帝国が潰れりゃ各領主にばらけるだけ。
まあここみたくバラけたまんまってのもめずらしいが。
33 :
世界@名無史さん :02/07/07 21:59
いったいドイツ人の国はいくつあるんだ? 10年前、ドイツが統一されたって大騒ぎしてたけど、 まだ、ドイツ、オーストリア、リヒテンシュタイン、 ルクセンブルク、スイス(?)いっぱいあるな。
ヨーロッパの王室には廃位されたとこも含めてかなりドイツ系の血筋が多いよ 例・イギリス・ギリシャ・ブルガリア・ルーマニア等など
35 :
追っかけ太郎 :02/07/07 22:16
糞スレがいつの間にか俺の知りたい情報が書かれたスレになってる・・・
>36 世界史板のスレは糞スレといえども無駄にしない。(藁 ニュース極東にも進出した模様。
>31 うんそだね、自力防衛って無駄なあがきはせずに 現実的な解決策を採用したって事でしょ? それがなにか?
しかし、外交・国防はスイスまかせ、加えて通貨もスイスフランを使用。 本当に独立国と言えるのかな。
40 :
世界@名無史さん :02/07/07 23:30
リヒテンシュタインとスイスの双方が「独立してます」つってんだからいいんじゃないの
まあ「独立」していることで利益を得ているんだからいいんじゃないの 切手とかね
郵便自主権はあるわけか。
いわゆる保護国でしょう >39 スペイン司教とフランス大統領保護下のアラゴン公国ってのもあるし
アンドラ公国だろう(w
45 :
世界@名無史さん :02/07/07 23:43
>43 たぶんケコーンするかとは思うが 「アンドラ」な。
46 :
世界@名無史さん :02/07/07 23:44
>43 アラゴンは、アラゴン王国とカスティーリヤ王国が合併して 現在のスペインの原型をなした。 そのアラゴンやろが! とんでもないヴァカ発見!!!
アラゴンは間違い たしかにアンドラだ >44・45・46
48 :
世界@名無史さん :02/07/08 00:29
スペイン側はウルセルの司教だっけ。 プッサルダとかアラン河谷とか、あの辺はなかなかおもしろい。
にしても、アンドラが独立しているんなら、バスクだって独立したっていいやん…。
50 :
世界@名無史さん :02/07/08 00:59
リヒテンシュタインが独立してようがアンドラが独立してようが 周辺国に何の悪影響もない。 バスクみたいに1つの民族が百万人単位で住んでる地域が独立したら 周辺国、あるいは独立される国にとっては大問題。
バスクはスペインだけでなくフランスも絡むからねぇ
バスク人居住地はフランスにも跨っているので、統合して独立後たとえばフランスの属国みたいに成ると、 イスパニア王国にとっては国境が手前にめり込んでくるので脅威。逆もいえます。クルド人問題とか、 パシュトゥニスタン問題なども同じですね。
53 :
世界@名無史さん :02/07/08 02:39
>>33 うーん、ルクセンブルク(正式にはリュクサンブール)はどちらかと言えば今は
フランス文化圏ですね。公用語もフランス語だし、公室もオランダに近い筋だしね。
54 :
世界@名無史さん :02/07/08 02:55
>>49 そんな軽がるしく言うもんじゃないよ。バスク問題はあの地域にとって
とてもシビアな問題だからね。単にスペイン政府だけの問題ではない。
バスク人はスペイン北部だけではなくて、フランス南部にもいる(所謂
北ウェスカディ)。
またETA(バスク祖国と自由)など過激派の問題などあるから、どう
やら一筋縄ではいかないみたいだね。そもそもバスクはアストゥリア王
国に起源を発する重要な地域。もしここが独立などしたら、カタルーニ
ャなんかも黙っちゃいないだろうね。スペインって大航海時代の頃から
早くに海外に飛躍していたんだけど、結構、国内問題は複雑なんだよね。
55 :
世界@名無史さん :02/07/08 03:56
>>54 サッカーも地域対抗戦がWカップ並みに燃えるらしいですね。
>>54 にしても、フランコ時代のバスク語禁止政策、今でも続くフランスにおける
フランス語の強制によるバスク語の消滅計画 (というとトンデモっぽくなるけど)
など、少なくとも言語政策面ではバスクは間違いなく手ひどい扱いをされてきた
ことも確か。
ETAのテロ活動には賛成できないけど、バスク問題など存在しないかのような
スペイン・フランス両政府の態度はちょっとねぇ。
まあ、バスクが独立となるとカタルーニャも当然独立ってことになるだろうから
スペインって国家がまるで成り立たなくなるし、フランスは国家分断されるしと
とんでもないことになるのは確かなんだけど、でも好んで分断されたわけではない
バスク人にその責任を負わせるのはなんか違うと思うし。
57 :
世界@名無史さん :02/07/08 08:28
>>53 公用語はフランス語、ドイツ語、ルクセンブルク語ではございませんでしたか?
58 :
世界@名無史さん :02/07/08 11:39
>>56 IOC(国際オリンピック委員会)のサマランチ氏はカタルーニャの出身。
ただしフランコ派だった。
漏れが知っていること 切手が有名 絵画コレクションも渋いのがあるらしい 未だプロシアと交戦中(出兵時より帰還兵が1人多かった) くらいかな?
60 :
世界@名無史さん :02/07/08 21:43
>>59 最後の、帰還兵が増えたってどういうこと?
61 :
世界@名無史さん :02/07/09 00:21
>>53 ルクセンブルクは旧ドイツ連邦(1815−1866)の構成国です。
公用語は政府間ではドイツ語で、商業ではフランス語、民間ではルクセンブルク語
(無論、ドイツ・フランス両言語が喋れるので、英語&オランダ語も出来る)
です。ルクセンブルク語はドイツ語の古典系で、ヨーロッパで使われる言語の最古
参に分類されてます。
>>33 旧ドイツ連邦で現ドイツ連邦に加盟していないのは下記の通り
(国家)チェコ・エステライヒ・リヒテンシュタイン・ルクセンブルク
(地域)エルザッツ・シュレンジェン・南チロル
で、カリオストロ公国はどの辺りですか?
63 :
世界@名無史さん :02/07/09 01:31
65 :
世界@名無史さん :02/07/09 06:57
ドドイツ「連邦」だからアルザス・ロレーヌは違うのでは?(ウィーン会議後))
それより東部ポンメルンとスロベニアはどうした
>>61
>>60 なんでも普仏戦争の時、
仏側について70人出兵したんだけど、
戦争終わって帰ってきた兵士数えたら71人だったんだってさ
67 :
世界@名無史さん :02/07/09 11:13
>>65 旧ドイツ連邦はプロイセン・バイエルン・ヴュルテンベルク・ザクセン・
オーストリア・オランダ・ハノーヴァー(英国)・デンマーク・フランス
及び諸侯が領する旧神聖ローマ帝国領の集合体の事です。連邦自身は独自
の軍事権もないし外交権もありません。旧ドイツ連邦に領土を持つ国の内
本州(表現が難しいが国名となった場所)が域内にないのが、プロイセン
(ブランデンブルク・シュレンジェン領有。プロイセンは西スラヴ)・フ
ランス(エルザッツ領有)・英国(ハノーヴァーの君主)・デンマーク
(シュレスヴィヒ・ホルスタイン領有)・オランダ(ルクセンブルクの君
主)です。ロレーヌ(ロートリンゲン)は領有権係争地域でフランスとも
ドイツとも認定されていません(ここはカール大帝の生誕地なので、正統
後継者の問題がある)。スロベニアは南スラヴ(ユーゴスラヴ)でドイツ
連邦ではありません。
>>66 子供が生まれたんですね。
めでたいことです。
単為生殖しますた
都都逸連邦・・・笑点とかに出たりするのかな。
>>62 モデルはモナコのことだと思うんだけど違うか?
アップルフェルラントはどこよ?
キマイラがはやった島はどこにあるの?
75 :
世界@名無史さん :02/07/13 20:21
>67 ウィーン会議後のドイツ連邦のことで宜しいのですよね? (以下、その前提で書かせていただきます。 歴史的ドイツ領域ということでしたら、また違うことになります。) アルザス(エルザス)は連邦領域外です。 あとデンマーク王権下のシュレスヴィヒも連邦領域外になります。 (連邦に参加したのはホルスタインと、ノルウェー放棄の代償地だけ) それとスロベニアは当時はオーストリア帝国領として ドイツ連邦に参加していました。
76 :
世界@名無史さん :02/07/13 20:42
77 :
世界@名無史さん :02/07/21 15:15
株板にスレ立てたアホはもしかしてここの1か?
79 :
世界@名無史さん :02/07/27 14:06
>>78 今見てきた >非武装中立の理念を実現している国、 >国民の税金は年一律約6万円、 >証券関連の税金一切無しの株長者の天国 >「リヒテンシュタイン公国」を見習おう。 少しだけ賢くなったみたい
80 :
世界@名無史さん :
02/08/19 01:08 あげ