先の大戦後にチェコスロバキアが没収したといわれる
リヒテンシュタイン侯国の侯爵家の財産(領地や美術品等)は
東欧革命後に返還されたのでしょうか?
また、どのようになされたのでしょうか?
2 :
世界@名無史さん:02/05/18 23:09
2
3 :
世界@名無史さん:02/05/18 23:53
3
4 :
世界@名無史さん:02/05/20 05:45
リヒテンシュタインってあのヨーロッパの小国のあれ?
5 :
世界@名無史さん:02/05/20 11:55
オーストリアのどこかでリヒテンシュタイン
家の城を見ました。もともと中欧の家なんで
しょうか?
>4
スイスとオーストリアに挟まれた欧州のミニ国家です。
>5
リヒテンシュタイン侯爵家はハプスブルク帝国の貴族であると同時に
神聖ローマ帝国諸侯のリヒテンシュタイン侯国の君主であった家系です。
(そもそもハプスブルク帝国の大貴族というのが主だったようで
家長がお国入りしたのは第一大戦後だったそうです。)
正直リヒテンシュタインの財宝よりも、リヒテンシュタインがドイツ帝国に
ならずに独立した国家として存在しつづけた経緯のほうが気になります
8 :
世界@名無史さん:02/05/20 20:25
>>7 プロイセン…どうやってリヒテンシュタインを攻撃するのかな?
66年の戦い、西部ではハノーヴァー(英国)・ナッサウ・ヘッセン=カッセル
連合軍と交戦し、南西部ではバーデン・ヴュルテンベルク・バイエルン連合軍と
対峙、東部ではザクセン・エステライヒ連合軍と交戦している。これに勝った事
自身が奇跡に近いものがあるのであって、ケーニヒスグレーツ会戦後、ウィーン
に進駐してザルツブルク→インスブルック→リヒテンシュタインと進撃出来る訳
ないじゃん。その前にエステライヒ軍とバイエルン軍の反撃を受けてしまう。
リヒテンシュタイン、マルタ、キプロスの豪快な負けっぷりは
激戦つづきのW杯欧州予選での一服の清涼剤です
>>リヒテンシュタイン、マルタ、キプロス
この3カ国でヨーロッパ最強リーグ戦キボーン。って、これよりもアンドラや
モナコ、サンマリノの方が強いの? まさかバチカンは出ていないよねぇ。
おまえら
フ ェ ロ ー 諸 島
を忘れるなよ!!!!!
正直、サッカー好きの漏れはリヒテンシュタインと聞くと
どうしても( ´,_ゝ`)プッと思ってしまう
欧州予選グループC
リヒテンシュタイン
マルタ
フェロー諸島
イタリア
とかいう組み合わせになったらイッタリアーノは笑いがとまらんだろうね
14 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:15
リヒテンシュタインってようするに
ビスマルク宰相のプロイセンの統一政策の嵐の中で
ただ一つ生き残ったドイツ系小君主国?
15 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:20
リヒテンシュタインって先進国なの?
>14
いんにゃ。だから地理的にプロイセンはリヒテンシュタインを
攻撃できないって!
リヒテンシュタインはスイスとオーストリアの中間にあるんだから。
ヒトラーの大ドイツには組み込まれなかったの?
18 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:28
外務省のページで、現在は非武装中立とあるけど本当?
スイスなどに軍事的に依存しているのかな。
19 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:28
20 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:29
>>14 >ただ一つ生き残ったドイツ系小君主国?
大きな間違いです。
旧ドイツ連邦(1815年成立)の加盟国で皇帝制ドイツ連邦に参加しなかった
のはオストマルク(エステライヒ)、ボヘミア(エステライヒ)、リヒテンシュタイン、
ルクセンブルクです。
消滅したのはハノーヴァー、ヘッセン=カッセル、ナッサウの3国。
バイエルンは外交権をプロイセンに委託、それ以外は軍事権(但し各国毎に軍備は整備)
と外交権をプロイセンに委託した。
ドイツ帝国というのは複雑な国家で、あくまでも諸邦国家で22カ国で構成しております。
代表元首はプロイセン国王で、各国ともに強調行動するという形態です。コインの図柄は
各国自由であるが、ドイツ帝国銀行が発行する。
まあ、いわばヨーロッパ連合の先駆け的国家体制と思ってもらえば良い。
21 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:31
ルクセンブルク大公国もでしょ。
>
ここは地理的に接していたんだよね。
スレからズレルケド
ついでにビスマルクの餌食にならなかった理由もキボン。
22 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:34
>>20 実質的にプロイセン首脳陣が実権を掌握したんじゃないの?
三十年戦争後の荒廃した状態からそこまでになったってのは凄いことだよな
>>19 >ナチ時代に併合されかけたときは、一外交官の進言で手付かずで残された。
>その外交官は、戦後その功績を称えられ、貴族として迎えられたそうな。
おお、それは知らなかった。サンクス。
>18
事実上スイスの保護国だからね。
一応60歳以下の男性はすべて非常時には兵役につかなくちゃいけないそうだけど、
実際にそれが適用されたことは一度もないそうな。
切手つくって儲けてる国だっけ?
26 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:36
アメリカも一応連邦政府だよな。
ソ連も一応連邦政府だよな。
27 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:38
>>21 持ち主がオランダ王国だったため…1868年、ナポレオンはオランダから
大公権を買い取ろうとした。これに対してビスマルクは抗議(ルクセンブル
クは北のジブラルタルと呼ばれる一大要塞国家で、ここを押さえられると
フランス軍は容易にドイツへ侵攻出来る。また、オランダ・ベルギーを通ら
ずに独仏どちらかへ進むにはルクセンブルクを通る必要がある)した。その
結果ルクセンブルクは非武装中立地域とされ、要塞も解体された。その2年
後にプロイセン軍はルクセンブルクを通過してフランスを攻撃した。但し原
因はフランスがルクセンブルクを併合しようとしたため。
オーストリア継承戦争の時にも将軍の一人でしたね。
自費で砲兵隊を作り、訓練もしていたみたいです。
30 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:39
リンク先にアレマン人と出ているけど、リヒテンシュタイン人という
帰属意識はあるんだろうか。
なんとなくこのあたりのゲルマン系ってドイツ人としての意識が強そうな
予感がするんだけど。
31 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:43
チェコスロバギアはどういう経緯で公国の財産を奪ったのですか?
スイスとオーストリアの狭間にあるなら、
チェコにも隣接していないのに。
いかなる経緯が?
32 :
世界@名無史さん:02/05/20 22:45
>>22 難しいよね…対外的(ロシアやフランスに対して)にはバイエルンを除けば
共通意見(バイエルンはプロイセンよりフランス寄り)を持っている。
1848年の対立はプロイセンとエステライヒの対立ですから一方のエステ
ライヒが連邦から追い出されているので、困る問題はない。
最末期は確か、皇帝プロイセン、首相バーデン大公、参謀本部ビュルテンベ
ルク皇太子で構成されていた。
>7
既に多数の方が書き込まれているように
地理的環境が生き残るために好都合だったようです。
これはナチスに併合されなかったことにも
言えるようですが。
(当時の侯爵の外交努力もあったにしても
もし違った場所に国があったら危なかったそうです。)
>15
先進国だそうです。
金融業や切手は有名ですが
工業化も積極的に進めたそうで
欧州でも最も豊かな国となったということらしいです。
>19
興味深いお話ですね。
宜しければ、もう少し詳しくお話いただけませんか?
>27
細かいことですが
当時のルクセンブルク大公国はオランダ王国ではなく
オランダ国王の個人的所有物だそうです。
何でもオランダ政府が外交的お荷物のルクセンブルクを手放すように
国王に要求していたそうで、タイミングによっては
ドイツがフランスに併合されていたかもしれませんね。
>31
私が聞いた話では
第二次世界大戦後にドイツ系住民の追放及び財産没収に便乗して
ドイツ系であるリヒテンシュタイン侯爵家の私有財産(といっても
本国の10倍以上の広大な土地ですが)を没収したとのことです。
(ここで中立国の財産をどうして没収できるのか
不思議でならないのですが…当然のことですが侯爵家はこの処分を
認めておりません。)
リヒテンシュタイン侯爵家の財産を
なぜチェコが奪えるのかというと
ハプスブルク帝国時代からのチェコにあった
帝国貴族としての所有地が帝国崩壊後の後継国家においても
継承されていたからです。
(オーストリアには現在も侯爵家の所有地があり
こちらは本国の4倍程度だそうです。)
38 :
世界@名無史さん:02/05/21 00:26
>>34 義歯の高級品はリヒテンシュタイン製だよ。
治療費に保険がきかない数万円のやつ…俺の前歯の一つはリヒテンシュタイン製
>38
義歯ですか。
なるほどコンパクトで収益性が良さそうですね。
それにしても日本でリヒテンシュタインの義歯とは
何だか不思議な気がいたします。
40 :
世界@名無史さん:02/05/22 10:34
>>39 リヒテンシュタインのは見た目が綺麗な上に数十年変色しない(保険のは数年で
剥げて地が見えてくる)のだそうです。(まだ数年なので実力は判りませんが…w)
リヒテンシュタインは税金の額が所得差関係なしに固定されてて、
世界中の大金持が国籍を取得したがってると聞いたことがある。
>41
税率ではなく税額が固定されているのですか?
確かにお金持ちには魅力ですね。
(税率でも低率だったら、それも良さそう…
日本はどちらも無理そうですが。)
>>35 10年位前、高校のときに読んだ本に載ってた話なんで、詳しいことは忘れました。
その外交官は、同僚が戦犯に問われる中、リヒテンシュタインのとりなしで許され、
首都の官庁街に一室を与えられ、つましいながらも平穏な老後を送ったとか。
44 :
世界@名無史さん:02/05/23 00:44
ヴィーンのリヒテンシュタイン宮殿は私立の現代美術館になっているが・・・・
45 :
世界@名無史さん:02/05/23 06:17
LichtensteinじゃなくてLiechtensteinと綴るのは何故?
46 :
世界@名無史さん:02/05/25 10:23
46
いい加減寂れまくってるのにこっそりカキコ。ちうか、あげ。
ここで話題になってたプラハのリヒテンシュタイン宮殿、行って来ました。
聖ミクラーシュ教会の斜め前にある黄色の建物です。
今は夏のコンサート会場として使ってるみたいでした。
一角にCD屋みたいなのが入ってましたね。
あと、あのあたり(ネルトヴァ通り)には他にも旧貴族の館がたくさんありまして、
大使館やなんやかやとして使われていました。
たぶんあの様子では、リヒテンシュタインに返還はされていないような気がしますが。
48 :
世界@名無史さん:
ためになるage