★★中央ユーラシア史総合スレッド★★

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1世界@名無史さん
中央ユーラシア史について語りましょう。
2世界@名無史さん:02/06/24 21:55
地味だな、お前。
3世界@名無史さん:02/06/24 22:19
|∀・)ダレモイナイ・・・スンスンスルナライマノウチ・・・

(・∀・)スンスンス-ン♪ ( ゚д゚)ハッ! (・∀・)スンスンス-ン♪( ゚д゚)イェー (・∀・)スンスンスンス-
4世界@名無史さん:02/06/24 23:59
シルクロードは、マリンルートに比べて輸送効率が低かったのでしょうか?
5世界@名無史さん:02/06/25 22:55
>>4
やっぱり船に比べれば低いんじゃないの?
6世界@名無史さん :02/06/25 23:37
やっぱチムールじゃないかな。さかのぼればモンゴル帝国、あとはムガール帝国
7世界@名無史さん:02/06/25 23:44
クシャーナ朝があるではないか。
8世界@名無史さん:02/07/04 15:28
あげ
9世界@名無史さん:02/07/04 19:47
>>4
>>5
北のステップルートはどうかな?
ここが一番早く発達したんだけど。
(ヘロドトスも書いている)
10世界@名無史さん:02/07/13 21:21
中央アジアの遊牧民「突厥」ですけど、かれらが残した遺物はモンゴル高原の
石人、および碑文ぐらいですか?
中国ともササン朝とも戦い、東ローマ帝国とも使節を交換しあったりしてるぐらい
なのに、モンゴルほどポピュラーではないですね。
11世界@名無史さん:02/07/15 00:47
突厥帝国の中間階級は何者が占めていたの?
12世界@名無史さん:02/07/15 09:28
>>9
ただ、遊牧民が跳梁跋扈していたんで、資料があまりないんだよねぇ。
13世界@名無史さん:02/07/22 19:51
イスラム時代になってからの話になりますが、
中央アジア、特にサマルカンドを中心とするアムダリヤ・シルダリヤ両河地域は
エジプト、シリア、メソポタミア−イランと並ぶ一大文化センターとして大いに発展しました。

サマルカンド紙が高級紙としてかなり長く権威を保ちましたし、
ハディース学の碩学ブハーリーや大学者イブン・シーナーやフワーリズミーなど、
イスラム世界の宗教、哲学、科学、文学などあらゆる面で最先端をゆく人・文化を
沢山輩出してきた土地です。

あまり物残りが悪かったり調査が進んでいないだけで、
イスラム以前から先進地域の一つだったのでしょう。
14世界@名無史さん:02/07/22 20:01
>>13
イスラム以前の中央アジアというと、ソグド人などが思い浮かびますね。
紀元前7〜6世紀ごろには、サマルカンドはすでに大都市となり、その
城壁には櫓が築かれていました。
前6世紀後半にはアケメネス朝に併合されましたが、文化的伝統が押しつぶされたわけではなく、
バクトリアやホラズムとの関係も緊密だったようです。
15世界@名無史さん:02/07/25 20:30
>14
アレクサンドロス大王の東征以後、
中央アジアはギリシア系のバクトリア王国が創設され、
紀元前1,2世紀にはメソポタミアからアルシャク朝パルティアが、
紀元後2世紀にはアフガニスタン北部から、かのクシャーン朝が勃興したことが知られています。

で、最近授業で習って初めて知ったのですが、
クシャーン朝の王統と編年が判明したのはついここ数年の出来事なのだそうです!
例のカニシュカ王の治世は23年ほどで、
紀元後100−126年または126−146年とのこと。(←3年の剰りはどう考えたらいいのやら)

イラン方面やアフガン以南で大国が勃興している中、
北のソグド人達がどのような活動をしていたのか非常に興味ありますね。
162468鮮柔突回:02/08/09 00:40
新疆ウイグル自治区のウルムチはいまや西新宿のようにビルがにょきにょき建っていて驚いた。
17世界@名無史さん:02/08/10 20:49
>>16
あそこは過去に「東トルキスタン・イスラム共和国」(1933年)、
「東トルキスタン共和国」(44年)の樹立が宣言されていますね。
中国当局はあいかわらず独立派の摘発に熱心だけど。

また新疆の場合、中国全土の六分の一の広さ(百六十六万平方キロメートル)
を占めるにもかかわらず水資源は全国総量のわずか3%で毎年百六十平方キロメートルが
新たに砂漠化し、耕地の三分の一の土壌がアルカリ化しているということです。
砂漠化の主な原因は人口増加と豊かな生活です。新疆の人口はこの半世紀で四倍以上に
膨れあがり耕地は五・四倍に増えましたが、その無計画な開墾、生活の近代化に伴う
水資源の乱用が砂漠化を加速させています。また、石油開発や西部大開発による
大型建設プロジェクトが砂漠の植物生態に影響を与えているとの専門家の指摘もあります。

18世界@名無史さん:02/08/10 21:29
やはり、どうしても豊かにならない土地というものは存在するのですね。

ペストが流行った当時、町ごと住民が全滅していたオアシスがいくつもあった、というのは本当ですか?
19世界@名無史さん:02/08/11 16:28
>>18
新疆の人口が増加したのは、中国政府が漢族を入植させたからというのも
原因のひとつじゃないかなあ。
中国政府の無計画な開発もウイグル族の反感を買っているとか。
14世紀にペストが中央アジアで流行したことは知っていますが、詳しい事情は
わかりません。
202468鮮柔突回:02/08/12 00:49
いまや核実験ための土地になってんじゃないの?
21世界@名無史さん:02/08/13 08:26
先「コラズム」(前4〜2世紀)について、なにかご存じのかた。
22世界@名無史さん:02/08/13 09:17
>>21
アムダリア河下流域にあったホラズムのことですよね?
パルティアにもセレウコス朝の領域にも入らず、独立していました。
ホラズム人はバクトリア人、ソグド人、サカ人と同じく東イラン語
系統の言葉を話していたとか。
23世界@名無史さん:02/08/21 01:45
カザフスタンは清朝に服属してたって記述を良く見かけるけど、
てことは露清国境がバルハシ湖じゃなくてカスピ海まで伸びてた可能性もあるのかな?
24世界@名無史さん:02/08/21 01:49
中央ユーラシアと聞くとアルサケス朝ペルシャが一番先にきてしまうな。同志求む。
ところでエフタルって結局何系なの?
五胡と同じくらいの時期が全盛期だし、匈奴とか鮮卑とかチベット系なの?
25世界@名無史さん:02/08/21 01:51
エフタルについてはいろんな議論があったような気がするけど、
たしか最近の説では匈奴系だったはずです。
26世界@名無史さん:02/08/21 01:54
フン族、エフタル、五胡(匈奴)、同時期に活発化している。
何か中央アジアであったのだろうか?
俺の予想、何の根拠もなく
フン族=エフタル=匈奴だと言ってみる。
匈奴がいろんな方向に異常気象で移動したんじゃないかと・・・

あ、でもフン族=匈奴説は否定されてるんだっけ・・・
27世界@名無史さん:02/08/21 01:54
でも匈奴ってフンニって読んだんだよね。う〜ん・・・
28世界@名無史さん:02/08/21 05:29
〉〉17
どちらもウルムチまでは支配してないよ。
29世界@名無史さん:02/08/21 14:35
あっらー
30世界@名無史さん:02/08/22 12:18
>>24
イラン系という説もありますけど、定説ではありません。
31世界@名無史さん:02/08/22 16:54
中央ユーラシアって長城の北〜カスピ海辺りのことではないのでしょうか?
32世界@名無史さん:02/08/24 02:53
地理的には2大世界にわかれる。
モンゴルチベットインドなどのサンスクリット発想世界
東トルキスタン以西のスーフィステックイスラム発想世界
33世界@名無史さん:02/08/25 00:32
ageage
34世界@名無史さん:02/08/25 02:59
チベットってサンスクリット発想かなあ?
文字の事かいな?

スーフィにあたるものはむしろチベットのシャーマン文化に近いような。
35世界@名無史さん:02/08/25 11:57
カニシュカ王の碑文に、
エフタルの事を「フーナ」と言っていたとか
聞いた憶えが・・・
36世界@名無史さん:02/08/25 14:28
思いっきり古代の話で恐縮だが、
インド・ヨーロッパ語族(アーリア人)のふるさとも中央アジアだったよね。
気候の変化でインドやイランやヨーロッパに進出したまでは分かるんだが、
それ以前の彼らって、ここでどういう生活してたんだろう?
しかもあちこち進出してるってことは、それなりに人口も多かったはず。
そんなに土地が豊かだったんだろうか?
37世界@名無史さん:02/08/25 16:05
>>36
印欧語族の故郷は南ロシアの草原地帯と推定されています。
38世界@名無史さん:02/08/25 20:02
>>36
豊かじゃないから四方八方に散っていったんじゃないかな。
のちの遊牧民が定住農耕地帯への侵入を繰り返したように。
39世界@名無史さん:02/08/25 23:39
中央ユーラシア史を研究するならどこの大学がいいのですか?
40世界@名無史さん:02/08/25 23:40
京都大学、東京大学
41世界@名無史さん:02/08/26 00:35
>>27
>>35

ようするに
エフタル、五胡(匈奴)、フン族の活動時期がいっしょだから。
匈奴=エフタル=フン族
って言いたいんだよね?
4235:02/08/26 01:01
>>41
>匈奴=エフタル=フン族
>って言いたいんだよね?
 いや、それがよく分からなくて。
カニシュカ王は自分たちの言葉を“アルヤ語”って言っていて、
イラン世界の伝統的な世界観“エーラーンVSトゥーラーン”の立場を
採っていたとか。エフタル=トゥーラーンと見なしていたらしい。

問題はエフタルを何故“フーナ”と呼んでいたかで、
カニシュカ王とかには“北から侵略する遊牧勢力”=フンと見なしてい
たっぽいけど、それがエフタルがフン族の一派だったかどうかの証拠に
はちょっとならないので、現在の研究ではどれだけ判ってるのかな、と。

ご存じの方がおられればお教え願いたし。
43世界@名無史さん:02/09/08 21:32
>>42
ヨーロッパではエフタルのことを「白いフン族」、テュルク(突厥)のことを
「赤いフン族」と呼んでいました。
ちなみにこの白、赤というのは肌の色ではなく、方角(白は西、赤は南)を
あらわすそうです。
だからやっぱり「遊牧民」という意味でエフタルのことを「フーナ」と呼んでいたのでは
ないかと。
44世界@名無史さん:02/09/08 22:42
スキタイの乗馬技術が匈奴に伝わったとされてるけど
南ロシアからステップルートでモンゴルまで・・・いくらなんでも遠すぎやしませんか?
当時のスキタイが発展しまくってたということになるのかな

45世界@名無史さん:02/09/08 22:44
>>37
微妙な位置にこだわるならば
南ロシアでしょうかコーカサスでしょうか
46世界@名無史さん:02/09/09 00:16
黒海とか紅海っていつついた名前なのかな?
オスマン朝でもトルコ人はアナトリアの北にあるのがカラ・デニズ(黒い海)、
南にはキジル・デニズ(紅い海)で、
西の地中海のこと白い海(アク・デニズ)と呼んでたらしい。

これってきっと海の色じゃないよね。五行思想????
47世界@名無史さん:02/09/09 08:13
>>44
地球儀見れば分かるけど、北へ行くほど東西の距離は短くなるからね。
それほど無理な話ではないと思うけど。
48世界@名無史さん:02/09/09 16:10
>>46
五行思想では、東は青、西は白、南は赤、北は黒、中央が黄。
49世界@名無史さん:02/09/16 21:38
中央ユーラシアって、歴史もそうだけど、美術もあまり知られてないな。
たとえばソグド人によるアフラシャブの壁画とか、スキタイ美術とか。
50世界@名無史さん:02/09/17 08:59
シルクロードが大航海時代以後衰退したというのは本当?
51世界@名無史さん:02/09/17 11:56
北匈奴→悦般国→エフタル
52世界@名無史さん:02/09/17 12:03
>>50
ヨーロッパ諸国が植民地帝国を築くようになりますから、これまでのような
交易のやり方はできなくなったでしょうね。
すぐに無くなったわけではないけど、じわじわと衰退していったものと
思われます。
53世界@名無史さん:02/09/17 16:50
>>52
流通量自体が減少していったのでしょうか?それとも
量は落ちないけど相対的に海洋流通を下回るようになったのでしょうか?
54世界@名無史さん:02/09/22 23:42
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/5495/home/index.html

このページは、

中央ユーラシア(おもに中央アジア・北カフカース)

のテュルク(トルコ)系民族

(カザフ、カラカルパク、ノガイ、バシュコルト(バシキール)、
カザン=タタール、クリム=タタール、ウズベクなど)

に伝えられる叙事詩・口頭伝承に関するページです
55世界@名無史さん:02/09/26 08:56
ジュンガルやモンゴル関係に出てくる地名「 セミレチエ」とは、
どこらあたりですか?
56世界@名無史さん:02/10/02 21:02
あげ
57世界@名無史さん:02/10/13 09:13
突厥について語りませんか?
東は中国と戦い、西は東ローマ(ビザンティン)帝国とも通交があった。
サーサーン朝とは何回も戦っていますし。
58世界@名無史さん:02/10/27 22:04
>>37
地中海沿岸じゃないの。
59世界@名無史さん:02/11/08 00:45
age
60世界@名無史さん:02/11/08 11:30
>>36
印欧祖語の原郷についてはいろんな説があってよくわからんね
最新の説ほど東欧説とかどんどん西寄りになってくるのは
血統としての印欧語族の実在を想定するDQN学者がこだわってるから。
ほんとはウズベキスタンから東トルキスタンにかけての中央アジアのどこかとしかわからない。
印欧祖語を話していた原アーリア族が存在してその血統上の子孫が
印欧語族として広がったわけではなく、言語が伝播して広がっただけ。
61世界@名無史さん:02/11/18 01:50
スキタイ人と中央アジアのサカ人とインドの釈迦族と中国の歴史にでてくる「塞」は
これみんな同族でもとは同じなの?それとも別?
四者の相互関係はどうなってるんでしょう?
62世界@名無史さん:02/11/18 11:21
>>60
そんなに断定出来ることかね?
カッシートやヒッタイトだって自らの言語は使ってないじゃないか。ま、文化的先進地帯に侵入したんだから当然ではあるのだが。
63世界@名無史さん:02/11/19 06:23
自問自答でひとり完結レス、久しぶりに見た(w
64世界@名無史さん:02/11/19 23:59
内陸ユーラシアってめちゃ面白いのに知名度マイナーなんだよなあ
世界史板なのにほとんどのスレがヨーロッパ史か中国史・・・・
65世界@名無史さん:02/11/20 19:38
>>62
カッシートは良いとして
ヒッタイトは独自のヒッタイト語を使っとりましたが。(汗
66世界@名無史さん:02/11/20 19:42
>>62
カッシート語は、エラム語と一緒で系統不明の言語の一つ。
印欧語族ではない可能性極めて大。
67世界@名無史さん:02/11/20 21:07
>>64
トルコ語とかアラビア語やペルシア語が使える人がほとんどいないですから・・・
6864:02/11/21 15:23
>>67
そういう問題じゃないんでは?
中国史マニアが中国語できるわけじゃなし
西洋史マニアがフランス語やドイツ語やイタリア語できるわけじゃない
まあ専門家が少ないというのはそのとおりだが
通俗書はたくさんでてるわけでただのマニアのレベルなら
もうちょっと人口多くてもいいのにな、と思っただけ
69世界@名無史さん:02/11/21 16:52
>>67
いえ、実はそういう問題です。(苦笑)

日本に中国史マニアが圧倒的に多いのは、千数百年にわたる漢字文化の影響と
漢籍の需要の土台があり、その膨大な研究の影響によって成り立っています。

西洋史マニアでも事情は似ていまして、西欧の雑多な話題が普通に語られるのも、
明治以来、日本が積極的にこれらの地域に人材を大量に派遣し、自ら赴いて、
それらの文化なり文献なりを摂取・研究した今日なわけです。

中国史にしろ西洋史にしろマニアを形成するには、
それらの言語層を日本語に変換できる土壌=研究者(読解者)層の絶対数と絶対年数が
あって初めて形成されます。

中央アジアとかにしても研究者層の厚みは、中国史や西洋史と比べモノになりません。

通俗書はそこそこ出回るようになりましたが、中国史や西洋史にみられる
中間層が全く欠けてるため、「ちょっと興味を持った」以上のことを知るには
かなり大変な思いをせねばなりません。

まあ、それだけのことと言えば、それだけのことなんですが・・・
70世界@名無史さん:02/11/21 23:17
>>69
って考えると、トルコ語・ペルシャ語圏な中東や中央アジアの諸国ではほとんど
自分の国のことだから当然ながら知名度もあるだろうし研究がされているだろうけど、
欧米における中央アジア史の知名度ってどんなもんなんだろう?
71世界@名無史さん:02/11/23 23:38
日本よりは、高いはず。特にドイツあたり。
72世界@名無史さん:02/11/24 07:27
>>71
オリエント史や中国史に比べるとやっぱり低くなるのかな?
73世界@名無史さん:02/12/06 07:36
age
74世界@名無史さん:02/12/06 11:40
ドイツあたりの学者は熱心に研究してるが、
庶民の認識はモンティパイソンのAttila the Hun show程度。
75世界@名無史さん:02/12/07 21:25
>>60
>原アーリア族が存在してその血統上の子孫が
>印欧語族として広がったわけではなく、言語が伝播して広がっただけ。
言語は話し手が広めるものだよ。人口自然増や他種族を征服なり同化してね。
自己の言語を捨て、別種族の言語を受容するには、その別種族の方が、軍事的又は
文化的に圧倒的優位にあるのが前提となるが、ロシアから中央アジアに、そんな優位
文明文化があったとの調査結果は、出ていない。
76世界@名無史さん:02/12/07 21:33
5000年前〜4000年前の話に調査結果って・・・
たしかにそんな調査結果はないだろうが
そうじゃないという調査結果もないだろう

圧倒的に便利な言葉ならば軍事的抑圧と無関係に広がるだろう
もともと商業用語(交易用語)が日常語に転化して
本来の日常語が消滅してしまうことはありうる
77世界@名無史さん:02/12/09 14:48
「スタン」系の中央アジアってさ
ttp://yasai.2ch.net/oversea/kako/994/994575322.html
78世界@名無史さん:02/12/21 08:23
あさげ
79世界@名無史さん:02/12/21 11:06
>>44
>南ロシアからステップルートでモンゴルまで・・・いくらなんでも遠すぎやしませんか
遠すぎというのは、定住農耕民の距離感発想だねえ。遊牧民は、違う距離感なんだよ。
カラキタイの西遷や12世紀のモンゴルのロシア侵入をみてもわかるが。
もっとも乗馬技術を匈奴に直接伝えたのはスキタイ人でなく、波動のように伝播していった。
80世界@名無史さん:02/12/21 13:28
>>79
そのとおりなんだが直接伝えた可能性もまったくないわけではない。
騎馬技術が発明される以前から、南ロシアから南シベリアにわたる広大な範囲に
類似の傾向をもつ同系文化が分布していたので、かなり広い交流圏が
すでに存在した可能性がある
81世界@名無史さん:02/12/22 17:51
>>75
トルコ語の広まりとその担い手の人種的実態をみれば
アーリア人種など幻想だということがすぐわかるでしょう
82世界@名無史さん:02/12/26 01:17
>>80
>騎馬技術が発明される以前から...広い交流圏がすでに存在した可能性
は少ないのじゃないかな。徒歩交通じゃ、広い交流は望めない。漸進的伝播はあろうが。
同系文化が分布って、何文化のことですか。
83世界@名無史さん:02/12/26 08:19
山川の『中央ユーラシア史』どーよ?
84世界@名無史さん:02/12/26 08:35
http://www.nhk.or.jp/bunmei/
NHK 興亡のユーラシア 文明の道
2003年4月スタート
85世界@名無史さん:02/12/26 23:41
>>81
>トルコ語の広まりとその担い手の人種的実態
って、チュルク系語を話す現代人では、イラン系コーカソイド人種の方が多勢だと
いう意味ですか。
ところで、現代トルコ国民の大勢は、オスマントルコ、さらには唐代の西突厥人の
後裔なのですか。
86世界@名無史さん:02/12/26 23:43


http://berry6.hp.infoseek.co.jp/
パートナーのいない人は急げ!
まったり、しっとり過ごしましょ(o^.^o)

87世界@名無史さん:02/12/27 02:12
>>85
現代トルコの「トルコ民族」の起源はもちろん突厥に従っていた
諸トルコ系遊牧民(いわゆる鉄勒)にあったのだろうが、
遊牧民がそんなに大量に移住してきたとも思えないし、
アナトリアに入って定住化を進める過程で当然原住民と混血したと思われ、
素直に突厥の後裔と言ってよいものか・・・。
しかもオスマン帝国の人々は
「トルコ人」という自意識を近代まで持っていなかったと言われているが、
現に有名なイェニチェリをはじめとして
バルカン人やコーカサス人をイスラムに改宗さえしていれば
トルコ系の出自に拘らずどんどん取り込んでいた。
近代にトルコ人とまとめられる人々は彼らの子孫も含むわけだから、
外来・混血要素もおそらく大きかろう。
88世界@名無史さん:02/12/30 23:02
>>79
12/29夜のNHK,BS-1で、黒海北方のカルムイク共和国がルポされていたが、風貌は現代
モンゴル人と同じだったね。欧州唯一の仏教国だそうで、僧のいでたちは、チベット仏教の
それだった。12〜13世紀のモンゴルのロシア遠征の後裔なのかなあ。
89世界@名無史さん:02/12/31 00:08
>>88
モンゴル帝国時代にロシアに入ったモンゴルはトルコ化・イスラム化したよ。
トルコ系民族のタタールとかカザフがその子孫だろう。
カルムィクのロシア移住はもうちょっと後の17世紀になる。
そのあたりのことについてはこのスレに詳しい。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1012005042/
90世界@名無史さん:03/01/01 14:20
> 僧のいでたちは、チベット仏教のそれだった。

あの人はダラムサラから来てるチベット人だもの。
91山崎渉:03/01/12 00:21
(^^)
92世界@名無史さん:03/01/12 05:52
age
93世界@名無史さん:03/01/12 10:55
NHK総合
21:00〜22:14 
ユーラシア・21世紀の潮流

ユーラシア―ヨーロッパとアジアを合わせた大地の総称。世界の陸地の40%を占め、
古来、数え切れないほどの民族が興亡した舞台である。現在の国境は、必ずしも、
民族や言語の境界を表すものではない。
ユーラシアでは、「人々」は自由に境界を越え、さまざまな文化圏を形作ってきた。
この「人々」とは、遊牧民、商人、旅行家、巡礼者、ときに難民…。


94世界@名無史さん:03/01/12 12:17
>>90
 あるいは、ダラムサラに留学したカルムイク人か。
9590:03/01/12 21:43
番組でそう言ってたんだって
それにカルムイク人とチベット人は顔違うよ
96世界@名無史さん:03/01/24 09:11
age
97世界@名無史さん:03/02/02 17:32
「NHK特集 シルクロード 絲綢之路」
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk01.html

昔見た人も初めての人もみんなで見よう!


専用スレ
★★「NHK特集 シルクロード 絲綢之路」★★
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044174298/l50
98世界@名無史さん:03/02/08 15:56
>>97
NHK特集 懐かしの「シルクロード」
第1集 遥かなり長安 2003年2月2日 NHK総合
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk01.html
第2集 黄河を越えて 2003年2月3日 NHK総合
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk02.html
第3集 敦煌 2003年2月4日 NHK総合
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk03.html
第4集 幻の黒水城 2003年2月5日 NHK総合
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk04.html
第5集 楼蘭王国を掘る 2003年2月6日 NHK総合
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk05.html
第6集 流砂の道 2003年2月7日 NHK総合
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk06.html
第7集 砂漠の民 2003年2月8日 NHK総合 後11:10〜深0:20
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk07.html
第8集 熱砂のオアシス 2003年2月9日 NHK総合 後11:10〜深0:20
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk08.html
第9集 天山を貫く 2003年2月10日 NHK総合 後11:00〜11:55
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk09.html
第10集 天山南路 音楽の旅 2003年2月11日 NHK総合 後11:00〜11:55
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk10.html
第11集 天馬のふるさと〜天山北路〜 2003年2月12日 NHK総合 後11:00〜11:55
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk11.html
第12集 民族の十字路 2003年2月13日 NHK総合 後11:00〜11:55
http://www2.nhk.or.jp/tv50/archives/0212/silk12.html
99世界@名無史さん:03/02/24 00:27
>>98
当初の放映は、1980年だったかなあ。NHKから出版もされていた覚えがある。
天山辺で、須く仏教がイスラム教に取って代わられた理由は、何だったんだろう。
100世界@名無史さん:03/02/24 05:34
そのへんは商業社会だったからじゃないの?
仏教よりはイスラム教の方が商売上都合がよかったみたいな。
101山崎渉:03/03/13 13:35
(^^)
102世界@名無史さん:03/03/17 18:36
最良の研究者を教えてください。
103世界@名無史さん:03/04/01 04:58
恐らく俺
104世界@名無史さん:03/04/03 20:03
邪馬蛾太大で仙人募集中
105山崎渉:03/04/17 09:49
(^^)
106山崎渉:03/04/20 04:51
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
107世界@名無史さん:03/04/29 21:59
カルムイクはジュンガルに追われてイリからボルガに逃げた連中の後裔で、
清朝がイリを征服した後に大部分が故地に戻ったのに、
敢えて居残った者の子孫
108世界@名無史さん:03/05/05 01:22
ボルガ河流域に建国されたブルガール国は、なぜ消滅したのですか。
109世界@名無史さん:03/05/05 05:42
>>108
モンゴルが征服。
110世界@名無史さん:03/05/13 01:55
スキタイ文化の分布域って結局どのへんまでなのでしょうか?
スキタイ文化が影響を及ぼした地域となるともっと広がるのかな。   
111世界@名無史さん:03/05/13 22:34
>>109
モンゴルでなくて、アヴァールが征服じゃなかったか。
112世界@名無史さん:03/05/13 23:26
>>111
ブルガールがアヴァールに従っていた時代(6世紀)は
アヴァールから独立した大ブルガールが崩壊(7世紀半ば)して
二派に分かれてヴォルガ川流域とドナウ川流域に移住するより前のこと。
113世界@名無史さん:03/05/18 03:00
>>110
北限だと・・
オルホン川碑文が出たあたりはもうシベリアだったね。
バイカル湖北部あたりまでは浸透していたかも。
114山崎渉:03/05/21 22:14
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
115山崎渉:03/05/28 15:47
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
116世界@名無史さん:03/07/04 01:03
>>110
>スキタイ文化が影響を及ぼした地域...
となると、金装身具愛好文化が伝播した東アジアもかな。
117世界@名無史さん:03/07/04 20:41
カルムイク人は確かラマ教だったような。
118世界@名無史さん:03/07/07 20:48
「チベット仏教」と呼んでちょ
119山崎 渉:03/07/15 12:45

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
121世界@名無史さん:03/08/12 11:03
>>87
>アナトリアに入って定住化を進める過程で当然原住民と混血した...
当時のアナトリア原住民というと、何族になるのですか。
122_:03/08/12 11:13
123世界@名無史さん:03/08/12 13:10
杉様スレッド落ちちゃった・・・
_| ̄|○
124世界@名無史さん:03/08/19 00:07
>>121
西はギリシャ人、東はアルメニア人やクルド人、かな?
125世界@名無史さん:03/08/23 22:56
>>110
スキタイ人は、何人に征服され絶滅したんだっけ。
126世界@名無史さん:03/08/24 00:56
>>125
サルマタイ人でつ
127世界@名無史さん:03/08/24 01:04
サルマタイはスキタイの若者がアマゾネスに取り入って作った子供達の部族です。
128世界@名無史さん:03/08/24 01:06
農耕スキタイ人は北海北岸系の古代スラブ人です。
129世界@名無史さん:03/08/28 22:46
スキタイ文化の東限ってどのあたりだろう?
大興安嶺?
130世界@名無史さん:03/08/29 08:30
スキタイはアマゾネスとケコーンしてサルマタイになって滅亡しますた。
131世界@名無史さん:03/09/12 23:05
サルマタイ人がはいていた乗馬用下着を「サルマタ」
といった。またそれにはえる茸が「サルマタケ」。
132世界@名無史さん:03/09/15 22:09
アム川・シル川にも古代文明が発生する条件はそろっていたろうから
五大文明となってもおかしくなかったかもなあ・・
中央アジア原産の作物も多いし、なんせウマの家畜化&騎乗の発祥の地だし、
かつては今ほど乾燥した気候でなく
有史時代に入ってもカスピ海からバルハシ湖までひとつづきの湖があったともいわれてるし。
133ty270410:03/09/16 00:43
コサックの起源!
キプチャク汗国が草原とロシアを支配した時代に,
支配の及ばない川岸に逃れた人々ではないか?
モスクワの支配も受けなかったのが,後にロシアに
利用されてその配下にはいった・・・・
たまたま,首領がギリシャ正教系の宗教を信じたが,
もしも,首領がイスラム系の宗教を信じたら
ムスリムになった可能性もある・・・・
そうした集団ではないでしょうか?
134胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/16 01:46
>>133
十五世紀頃からウクライナやロシアの南部のステップ地帯に住み着いた者たちが
出自を問わない自治的な武装集団を作り上げた、
それが「コサック」(ウクライナ語ではコザーク、ロシア語ではカザーク)
コサックとはその集団や構成員の事である。
13世紀中頃のキエフ公国解体後、南のステップは荒れ果てて人口が希薄になっていた。
強大を誇ったキプチャック汗国も14世紀末頃より衰退し、
クリミア汗国のようないくつかの汗国に分裂した。
又、それら汗国に充分服属しないノガイ・タタール等の遊牧民がステップ地帯に跳梁跋扈し
ルーシ人の町や村を襲って奴隷狩りを行うようになった。そのせいでますますこの地域は
無人の地になっていった。
ところがこのウクライナのフロンティアは危険を伴うもののそれ以上に豊かで魅力的な土地であった。
15世紀にはポーランドやリトアニア領内の貧しい下級地主や町民が魚、馬、野牛、鳥の卵等を求めて
ドニエプル川やその支流に来ていたようだ。
彼らは最初は数日間のみの滞在であったがやがて夏の全期間を滞在するようになった。
そのなかには夏の間のみ農業に従事する者まで出てきた。
そして、夏が終わると魚、獣皮、馬、蜂蜜などを持って家に帰った。しかし、その帰路に
役人に分け前を取られる事を嫌った者も現れた。
彼らは勇敢にも冬も帰らないようになった。
彼らは自由と豊かさを保つ為にタタールの奴隷狩りに備えて自衛するようになった。
こうして16世紀はじめには彼らは武装し、逆にタタールやトルコ人商人やアルメニア人の商隊を襲うようにまでなった。
彼らがタタールと違っていたのはその出自から正教の擁護者を任じ、クリミア汗国で奴隷にされていた
正教徒たちの解放にも熱心だったことである。
そうして、こうした者たちが「コサック」と呼ばれるようになった。

コサックの意味はトルコ語で「分捕り品で暮らす連中」あるいは「自由の民」
を意味し、以前からポロベェツ人の間では使われていた。
元々は遊牧民のタタールに対して使われた言葉だったが、後に同じような事をする
このスラヴ人連中に対しても使われるようになったものだ。
135胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/16 02:15
このコサックの軍事力は次第に強大になり、船団を組んで小アジアの海岸の
町をも襲うようになった。(これはキエフ公国時代のルーシ人がしていた事と同じであるが)
前述のようにクリミア汗国やオスマン・トルコはたびたびコサックの害に会い、
そのたびにポーランドに対して抗議をしている。
また、コサックはポーランドの為にモスクワ公国とも闘って勇名をはせた。
そして、17世紀初頭にはドニエプル川の中・下流地域に確固とした勢力を築き上げた。
こうしてコサックは近隣から恐れられると共に同時にキリスト教世界とイスラーム世界との
境界線に位置する一つの政治、軍事勢力として諸国から一目置かれるようになったようだ。

彼らの強大な軍事力を利用しようとする精力も現れてきた。
ローマ法王や神聖ローマ帝国の皇帝は、反オスマン・トルコ十字軍を起こそうと
コサックに使節を送った事も会ったが実現はしなかった。
このコサックを頻繁に利用したのはやはりポーランド王だったようだ。
ポーランド本国を守る盾となった。
又、当時のポーランドでは貴族の力が強く、戦争をするにも貴族の支配する議会の承認が必要だった。
しかし、貴族は王に戦費を差し出すのを嫌がり、戦争承認を嫌がる事が多かった。
そのために王は貴族に依存しない戦力としてのコサックに目をつけ、モスクワ公国やオスマン帝国等との
戦争においてコサックをずいぶん頼ったようだ。
1572年にはコサックは王の軍人で有るとし、その地位の保証と軍務に対して給料を払う事を約束した。
こうして、登録制度によってコサックは王の統制にしたがうものとなった。
また、コサックは自分たちの指導者は自分たちで選び、
(当初はコサックの首領「ヘトマン」はポーランド王によって任命されたが、
後に彼らの議会「ラーダ」によって選ばれるようになった。)

裁判は彼ら同僚の「ラーダ」や「ヘトマン」によって裁かれ、
(ヘトマンには軍事や裁判に関しては、かなり独裁的な権限が与えられた)
コサックの土地の所有権もポーランド王に保証してもらった。
この登録制度によってポーランドの王は安く、強力な軍事力を確保した。

136胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/16 02:22
ちなみにコサックはその生活様式などはタタールの風習を真似たものが多かったようだが
(亜麻布の長袖の上着を着て、だぶだぶのズボンを穿き皮製の長靴を履いていた。
頭には毛皮の帽子を被り、長い鼻髭をたらし、頭髪は一房の毛を残して剃っていた。)

この頭髪はタタールの物を真似たのではなく、キエフ・ルーシ公国のスヴャトスラフ公
の髪型を真似たのだと言う説もあるが・・・。
137胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/16 02:36
彼らコサックが本国ポーランドとの関係を悪化させ、自分たちのヘトマン国家を
守る為にモスクワ公国に利用しようと近づいたのは1651年のポーランド本国との戦争の後のことで、
1654年にはペレヤソフの町で、当時はそれほど強大でなかったモスクワ公国との協定が結ばれた。

このペレヤソフ協定を逆に上手く利用したのがモスクワであり、これはモスクワ国にとっては帝国への道を歩み出す
大きな一歩となった。 
この協定以後。ツァーリの称号は「全ルーシのツァーリ」から「全大ルーシ及び、小ルーシのツァーリ」
と変わったのである。
ちなみに、大ルーシとはロシアを、小ルーシとはウクライナを指す言葉である。
138ty270410:03/09/16 22:11
コサックについて「胴締め剛術家さん」ありがとうございます.
簡潔にまとめてくださり再度ありがとうございます.

ポーランドとの関係は初めて知りました.

なお,コサックと中央アジアのカザーフとは語源が同じと聞きましたが
どうでしょうか?
139世界@名無史さん:03/09/16 22:50
>>138
本当です。

チュルク系遊牧民のqazaqという言葉が語源で、
コザック(カザーク)は草原地帯に逃亡してきたスラブ人を
qazaqと呼んだのが名前の由来で、
カザフ(カザフ語ではカザクと発音)はウズベク族から離脱して
今のカザフスタンに広がっていった遊牧民を
まわりのチュルク系遊牧民がqazaqと呼んだのがはじまり。
140ty270410:03/09/16 23:15
>>139
ありがとうございます.
語源は初めて知りました.
141世界@名無史さん:03/10/01 15:48
コサックってやっぱりスラヴ人起源なのか。
イブン・バトゥータの旅行記にキリスト教徒のキプチャク族とか出てくるんで
関係あるのかなと思ってたけど。
142世界@名無史さん:03/10/06 17:42
風俗はチュルク系遊牧民風なので不思議な混ざり方なんだな。
143胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/10/06 23:58
>>141
関係ないですね。
>>142
遊牧民を真似した生活が一番有効なのでしょう。
144世界@名無史さん:03/10/07 00:47
ジュチ・ウルスの支配から離脱した遊牧民で、キリスト教徒に
改宗したものがコサックである。

アタマンなる指導者の称号、十進法を単位とした組織などから
もその点はアキラカである。
145世界@名無史さん:03/10/07 01:16
すいません、ちょっとお聞きしますが
現代のモンゴル国のモンゴル人の宗教はなんですか?
また内蒙古自治区のモンゴル族の宗教はなんですか?
やはり双方ともチベット仏教でしょうか(何派?)。
146世界@名無史さん:03/10/07 03:34
モンゴルではチベット仏教が復興しつつあるとか。
確かガンダン寺がゲルク派だから、
モンゴル国はゲルク派が主流なのではないでしょうか。
147胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/10/07 23:28
>>144
アタマン?ヘトマンの間違いだろ?
遊牧民がキリスト教に改宗?
もっと勉強しろよなw
148世界@名無史さん:03/10/08 08:40
>>147
ザポロージェがコサックの全てだと思ってる痛い人発見
149世界@名無史さん:03/10/08 10:38
 コサックはプーチン政権の意向に従い、チェチェンにも駐留中
150世界@名無史さん:03/10/08 18:59
確かにヴォルガやドンのコサック頭領はアタマンだけど144も断言しすぎ。
ロシアにテュルク系の語彙が流入した例はアタマンだけじゃないし、モスクワ大公国の
軍隊だって十進法で編成されてたようだ。
ただキリスト教徒の遊牧民がいなかった訳ではないらしいが。
なにせサライに府主教座があったんだから改宗した遊牧民だっていただろう。
151世界@名無史さん:03/10/17 23:40
>>132
>アム川・シル川にも古代文明...
古代は、穀物農耕に適した気候だったってこと?
152世界@名無史さん:03/10/18 00:33
>>151
降雨量も今より多かったらしいよ。
ここも一応「メソ」ポタミアだw
153世界@名無史さん:03/10/18 00:38
あの辺りはものすごく乾燥化砂漠化が進んでいる。
湖岸が毎年数百メートルずつ後退しているらしい
154世界@名無史さん:03/10/18 00:45
旧ソ連は綿花の増産のために地下水くみ上げすぎたな。
地表に表出した塩害がひどくて畑は放棄されてるし、
アラル海は後もう少しで干上がってしまうだろうな。
155世界@名無史さん:03/10/18 01:36
ソビエト逝ってよし
156世界@名無史さん:03/10/18 01:36
・・・ってもう逝ってますた
157世界@名無史さん:03/10/25 15:02
カラクム運河=いまや空堀運河w
158世界@名無史さん:03/10/25 18:09
そうなんだよなぁ・・・歴史だな・・・
159世界@名無史さん:03/10/25 20:06
中央アジアの新聞社・放送局のニュースサイトへのリンク集(機械翻訳付き)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/link/link12.html
現地マスコミの最新ニュースが日本語で読めるよ
160世界@名無史さん:03/10/27 15:25
現タジキスタンの最高峰にして、旧ソビエト連邦の最高峰だった
「コニュニズム峰」、地図帳を見るといまだに
この名前のままなのね・・・旧称に戻さないのかいな?
161世界@名無史さん:03/10/27 16:10
>>160
「コミュニズム峰」はタジキスタンの独立後、サーマーン朝の君主の名を採って、
「イスマーイール・サーマーニー峰」と改称されている。

ttp://www.silkroad-travel.com/tajik.html
ttp://www.erch.or.jp/earthdesk/2World/ca/2003pamirintlmountcamp.htm
162世界@名無史さん:03/10/29 21:13
>>133
ロシアのような寒い国で酒を禁止するイスラム教がはやらないのは当然では?
163世界@名無史さん:03/10/29 21:18
ウォッカは、「火の玉」の酒。
164世界@名無史さん:03/10/29 21:37
>>162
ロシアの東隣のブルガール(後のカザン汗国)はイスラム教だったけどね。
ロシア軍に首都を包囲された時に城壁の上に「シャーマン」が出てきて呪術をおこなったとか
イスラムにしては妙なところがある国でもあったけど・・・
165ty270410:03/10/29 22:47
中央ユーラシアの西端はどこでしょうか?

モンゴル時代は,東ガリシアやブルガリアまでモンゴルの支配下にあった
ようですが,そこまで含めるとよいのでは,と思います.
今のルーマニアの平野部は15世紀までは,遊牧国家の領域だったと
思います.
166世界@名無史さん:03/10/30 00:24
ウズベキスタンやカザフスタンでは現在でも
シャーマンが存在しますね。
やはり病気の治療や冠婚葬祭で招かれる存在で、半ば公認状態。
主として女性が多いのは半島のムーダンを思わせる・・・
167胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/11/05 02:49
中央ユーラシアという言葉を最初に使用しだした「デニス・サイナー」の定義では
ウラル・アルタイ系の諸言語をはなす人々が居住してきたすべての地域を差すようです。
つまり、地理的な概念というよりも、文化的な概念のようです。
ただ、最近では最西端はヴォルガ=ウラル地方までと考える学者が増えているようです。
168ty270410:03/11/07 00:09
>>167
ご教示ありがとうございます.
どうも,日本ではキプチャク汗国(ジュチ・ウルス)の歴史が
ままこ扱いされている・・・・ほとんど,書いてないような気が
しています.
ですから,今のウクライナあたりまで含めてもらったらいいのに!
と思ってしまいます.
169世界@名無史さん:03/11/07 00:14
中央ユーラシアだったら西はハンガリー平原まで
含めてもらわないとダメだな。
170世界@名無史さん:03/11/07 00:44
以前他スレにも書いたけど、
中央ユーラシア史という観点から世界史を区分けすると
満洲が抜け落ちてしまうんだよね。
中国史の立場からは中華思想全開の説明がなされる。
朝鮮と満洲をひっくるめた暁には
もっと凶悪なウリナラ民族史観に毒されてしまう。
やっぱり「北アジア史」っていう括りがいいな。
171世界@名無史さん:03/11/07 01:18
「北アジア」だとシベリアも含まれそう。
でも実際には中央アジアと歴史上連動していたことも多いので一応支障ないかな?
172世界@名無史さん:03/11/07 14:38
「北アジア」で問題ないと思われ。
「中央アジア」と「北アジア」をあわせた範囲が「内陸ユーラシア」と定義しなおせばよい。
173ty270410:03/11/07 21:46
カスピ海北岸から黒海北岸にかけての地域を「西北アジア」とか,
「ユーラシア西部」とかいえないでしょうか?
174世界@名無史さん:03/11/07 21:52
>>173
最近の研究ではその辺りの地域のことを
「西北ユーラシア」とか呼んでいたかと思います。
175ty270410:03/11/07 22:09
>>174
最近の研究についてご教示ください!
176ty270410:03/11/07 22:17
>>174
最近の研究についてご教示ください!
177世界@名無史さん:03/11/07 22:25
>>175>>176
あまり専門的な文献は知りませんが、
岩波講座世界歴史11「中央ユーラシアの統合」に
所収の川口琢司氏の「キプチャク草原とロシア」や
赤坂恒明氏のジョチ・ウルスに関する一連の論文などを
読まれたらいかがでしょうか。
178ty270410:03/11/07 22:43
>>177
ご教示ありがとうございます.
岩波講座の当該本は持っていますので,読み直してみます.
赤坂先生の論文もいつも興味深く読んでいます.
とくに,ジョチ・ウルスが左右のほかに中央と3つに分かれていたという
あたりは面白かったです.
因みに私は市井の一読書人です.
179ty270410:03/11/08 21:35
>>177
赤坂恒明先生のホームページで,先生が次の論文を
最近発表されたことを知りました.
出版元へ照会してみるつもりです.

赤坂恒明「トカ・テムール裔の系譜情報の復元」
『中央ユーラシアにおける民族文化と歴史像』
仙台,東北大学東北アジア研究センター,2003.9.

赤坂先生の論文をを読むようにとのご教示ありがとう
ございました.
180世界@名無史さん:03/11/14 01:50
わりと古めの本で「上アジア」という表現を何度か見かけたことがあるが・・・
いわゆる>173の「カスピ海北岸から黒海北岸あたり」を指すようで。
この場合の「上」は川上でなく北方の意味?
181世界@名無史さん:03/11/14 19:51
アーリア人の地域ですね
182世界@名無史さん:03/11/29 10:22
サイフジン同志死去
183世界@名無史さん:03/11/29 10:45
そもそもユーラシアの定義って一体どうなってるん?
広義的にはヨーロッパ+アジアであるのに
173、174でのカキコでは
ロシア(スラブ系)+アジアがユーラシアということなのか。
184世界@名無史さん:03/11/29 15:26
↑だからユーラシアじゃなくて「中央ユーラシア」とか「内陸ユーラシア」って逝ってるでそ
185世界@名無史さん:03/11/29 16:17
俺は>>183ではないけど、
>>173-174の書き込みによれば、黒海沿岸からカスピ海沿岸のことを「西北ユーラシア」というらしいじゃないか。
あのあたりがユーラシアの西北部なんだったら、その西側はユーラシアじゃないことになるんじゃないか?
186ty270410:03/11/29 21:31
>>183 ユーラシア=ヨーロッパ+アジア おっしゃる通りです.
中央アジア,北アジア(シベリア・・),東アジア(中国・・),東南アジア
(インドネシア・・),南アジア(インド・・),西南アジア(イラン・・),
西アジア(アナトリア・・),西北アジア(黒海・カスピ北岸),極西アジア
(ヨーロッパ)・・・こんな感じがしておりました!
187世界@名無史さん:03/11/29 21:37
>>185

ユーロパの「ユーロ」と「アジア」を足して「ユーラシア」。

 お前はアフォでつか?
188185:03/11/29 21:55
>>187
んなこた知ってる。
だから、ヨーロッパをユーラシアの外に置いてる>>173-174が変だと言ってるんだろ。
189世界@名無史さん:03/11/30 05:35
ん?
漏れは187の説を支持する。188=185は何をいいたいのか文意がいまいちつかめない。

黒海沿岸からカスピ海沿岸のことを「西北ユーラシア」、
その西側はヨーロッパでなんの問題もないだろ?
「ユーラシア=ヨーロッパ+アジア」なんだから
「西ユーラシア=ヨーロッパ」でなにか問題あるの?
190185:03/11/30 10:09
うーん、そうかなあ?
西北ユーラシアの真西(というかほぼ北西)に西ユーラシアがあるってのも奇妙な話だし。

まあいいや、話ずれてるし。>>187見たいな頭悪い書き込みをスルーできない私が悪いんだし。
191世界@名無史さん:03/11/30 10:38
西北ユーラシア=黒海カスピ海の北岸
だから、ヨーロッパはほぼ真西になる。しかし
「ヨーロッパ(西)と北アジアに挟まれた地域が西北ユーラシア」
になるわけだから、そんなに不自然とも感じないけど・・・・

まぁ細かいこといえば「西北アジア」でいいんじゃないかと思ったり(w
192185:03/11/30 11:34
うー、いや、あれです。
考えたらそんな細かいことどうでもいいなあ、と。
中央ユーラシアとも関係ないし。

スルーして中央ユーラシアの話題にお戻り下さい。もしあるなら。
193教えてくん:03/11/30 15:35
シバンウルスとかオルダウルスってのは現在の地図でいうとどこらへんになりますか?
194世界@名無史さん:03/11/30 15:46
189はもしかしてヨーロッパとアジアが混ざってる(地域)という意味だと思ってるのでは。

「中央ユーラシア」ってのはユーラシア大陸全体の中央部でもあるからいいと思うが
「西北ユーラシア」ってのは確かに変な言葉だ。

漏れもふつうに「西北アジア」でいいと思うのだが。
195世界@名無史さん:03/11/30 15:53
黒海北岸はヨーロッパつながりの話なら「東欧」でいいし、
キプチャク系やノガイや北方イスラムの話なら「西北アジア」だろうね。

話題と文脈にあわせて使い分ければいいのであって。
196世界@名無史さん:03/11/30 15:56
>>194
「西北ユーラシア」を「西北アジア」なんて言ったら、
ロシア人やウクライナ人が「俺たちはアジア人じゃない」と言って怒るぞw
197世界@名無史さん:03/11/30 16:08
>>193
岩波講座世界歴史11『中央ユーラシアの統合』に所収の
川口琢司「キプチャク草原とロシア」に詳しい地図が載ってる(276〜277頁)。
198193=厨房:03/11/30 20:31
↑そんなの読めないし買えないよ
199ty270410:03/11/30 23:28
カスピ海北岸から黒海北岸地方−−西北アジア−−の
通史がほしいですね!

スキタイ,ハザール,ペチェネーグ,キプチャク,クリム,
そして最後にウクライナ・・・・

あるいは,誰かの本の日本語訳
たとえば,Spulerの金帳汗国史など・・・・
200ty270410:03/11/30 23:29
>>197
同感です!
201世界@名無史さん:03/11/30 23:55
ユーラシア定義論争は、それぞれの意見は尊重できるが
184だけは流れを読んでないおかしなカキコだな。
202ty270410:03/12/01 21:41
ノガイなんかも知られていないですね!
203世界@名無史さん:03/12/01 23:05
185には凄く好感を持ったよ
204ty270410:03/12/06 22:44
>>203
173を書いた者です.

>カスピ海北岸から黒海北岸にかけての地域を「西北アジア」とか,
>「ユーラシア西部」とかいえないでしょうか?

後半を取り消します.ユーラシア西部はヨーロッパですから・・・
不明でした!
205世界@名無史さん:04/01/25 01:58
シビル汗国の主要民族ってトルコ系なのでしょうか?
206世界@名無史さん:04/01/25 19:26
北ユーラシア=東北ヨーロッパ+西北アジア
西南ユーラシア=西南ヨーロッパ+南ヨーロッパ
東ユーラシア=中央アジア+東アジア
東南ユーラシア=南アジア+東南アジア
中央ユーラシア=東ヨーロッパ+西アジア
西北ユーラシア=西北ヨーロッパ+北ヨーロッパ
西ユーラシア=西ヨーロッパ+中央ヨーロッパ
東北ユーラシア=北アジア+東北アジア
南ユーラシア=東南ヨーロッパ+西南アジア

アジアとヨーロッパにそれぞれ中央と8方面があり、
両者が東西にくっついたものがユーラシアだとする。
その上でユーラシアにも中央と8方面があるとすると
上のようになりますねw
207世界@名無史さん:04/02/03 15:59
>>206
アジア全土とヨーロッパ全土をあわせてユーラシアというのは
「ユーラシア大陸」という時ぐらいで、方角をつけていう場合には
アジアとヨーロッパの接触する付近、または接触する地域を含むというだけで
ユーラシア全土の視点で方角がついているわけではない。
208ty270410:04/02/03 23:38
お恥ずかしいのですが,知らずにいろんなことを書き込んでしまいました.
>>207 よく了解しました.

14世紀後半から16世紀前半にかけてのカザーフ草原からキプチャク草原に
かけてのダイナミックな動きは面白いですね!
209世界@名無史さん:04/02/09 13:15
シャイバーン朝とかシビル汗国とかどうよ?
ロシアの東方大拡張を阻んできた存在かも。
210世界@名無史さん:04/02/11 16:05
あれが粘ってくれればロシアの東進もだいぶ遅れたろうにな・・・
211世界@名無史さん:04/02/12 03:15
シャイバーニー朝=後のブハラ=ハン国だろ。
ロシアがカザフステップに進出してきたのは18世紀。時代が違う。
それにシャイバーニー朝の進出方向は南だったからな。
北のカザフまで統一しようとは思ってなかったと思うぞ。
 
つーか、そもそも、ロシアはステップを避けて森林地帯を東進したんだぞ。
212世界@名無史さん:04/02/24 15:01
>中央アジアとはウラル・アルタイ系の諸言語を
>はなす人々が居住してきたすべての地域

現在のこのあたりの国々は存在感が薄すぎるよ。
大昔はシルクロードで栄えていただろうけど。
213世界@名無史さん:04/02/27 17:00
そいえば、トルクメニスタンで独裁してた大統領どうなったんだろう。

スキタイの黄金文化、特にその動物の意匠に興味あり。
当方工房なんですが、興味本位だけで調べてみますた。
で、オイラは史記大宛傳や漢書西域傳かなんかをガンガって読んでみたんですが。
どうも「大月氏」っていうのは実は「塞」と一緒で、スキタイの一派なような気がして。
司馬遷なり班固なり、漢の人から見たら違うものに見えたのかもしれないと。
あのへんの民族移動はホント玉突きみたいで、ややこしい・・・・・・

どーでもいいんですが、シルクロードの全集DVD買った人っています??
15万近くするやつ。
総集編で妥協しようか、貯金はたこうか。

214世界@名無史さん:04/02/27 19:50
>>213
あいかわらず独裁してますが何か?
215213:04/02/28 00:48
>>214
やつも革命かなんか起きんのかなあ。
ライトアップされてるのには不謹慎ながらも噴出してしまいましたよ。
216世界@名無史さん:04/02/28 10:31
このあたりはB型が世界で最も多い地帯。
友人がトルクメニスタンに仕事で行ったそうだが、なかなか"笑える"国だった
そうだ。
ご多分に漏れず、街中にはニヤゾフ大統領の銅像やら肖像画やらが溢れていた
そうだ。
ソヴィエト時代には地盤調査で3階立て以上の建物を建てるのは危険とされて
いたが、今は大統領の名前を冠した超高層の政府庁舎ビルが建ち、威容を誇っ
ていたそうだ。耐震構造なんて何にもしていないので結構もろい建物に見えた
そうだ。
更にアシガバード市内に車は少なく、交通信号が3つしかなかったとか…。
ただ、天然ガスが豊富に出るらしく、それを外国に輸出し外貨獲得を目論んで
いるとか。
218世界@名無史さん:04/02/28 22:29
誰か紀元前1世紀くらいのエラム王国について知ってる人いる?
前1千年くらいのチョガーザンビル作った文明とは連続性あるんだろうか。
もしよければ何か教えてくだされ。
もし位置的にスレ違いだったらすまそ。
219世界@名無史さん:04/03/18 01:03
NHK見てるか?クシャーン帝国やってるよ。
220世界@名無史さん:04/03/18 01:18
クシャーン人は中央アジアからインドに入ったの?
221世界@名無史さん:04/03/18 01:50
ニヤゾフの母ちゃんまで崇拝対象に
なってるんだから笑うよな
いつチャウシェスクの二の舞になるか楽しみだ
222世界@名無史さん:04/03/18 03:21
>>218
それはイランかメソポタミアスレでやれ。
223世界@名無史さん:04/03/18 16:21
間野英二先生 学士院賞受賞上げ
224ty270410:04/03/18 22:13
>>223
そうでした!

おめでとうございます!
225世界@名無史さん:04/03/19 03:40
1920年の赤軍によるボハラ・ヒヴァ汗国滅亡の経緯に興味があるのですが、
どんなかんじで滅んだのでしょうか?またボハラ汗は処刑とのことですが
ヒヴァ汗はどうなったのでしょうか?わかる人おしえてください
226姓なきは蒙古??:04/03/19 03:59
ちょいと失礼、本村様の’馬の世界史’まあまあ面白かったんす、又、秦より先はオリエント
史のコピーというのはどない思いますですか??
227世界@名無史さん:04/03/19 15:42
>秦より先はオリエント史のコピー


意味がわからないが・・・?
228世界@名無史さん:04/03/20 23:53
今後もうどこかで「汗国」の復活はもうないのだろうか・・・
229世界@名無史さん:04/03/21 00:12
いかりやちょうすけの復活はない
230世界@名無史さん:04/03/21 00:17
>228
存在した当時ですら不安定な国情のところばかり。難しいね。
しかし「汗」っていう字が臭そうでイヤだ。
231世界@名無史さん:04/03/21 00:23
ドリフ・汗国の初代ハーン、死去
232世界@名無史さん:04/03/21 04:26
>>225
ブハラ汗はアフガニスタンへ逃げたのではなかったっけ?
233世界@名無史さん:04/03/21 20:29
>>225
殺されたのはヒヴァのイスファンディヤール・ハーンの方。
彼が生前に作った棺はヒヴァに残っている。中には入ってないけど。
ブハラのアーリム・ハーンは>>232の言うようにアフガニスタンに亡命した。
234世界@名無史さん:04/03/22 01:08
>>233
ヒヴァのハンは誰に殺されたの?
235世界@名無史さん:04/03/22 18:10
>233-234
赤軍or身内の裏切りのどちらかなのかな。
裁判を経た処刑なのか暗殺なのかも気になるね。
236世界@名無史さん:04/03/22 18:35
正確にいえばイスファンディヤールは最後のハーンじゃない。
1918年にトルクメン部族の指導者のジュナイトが革命によるロシア軍退去に乗じて
ヒヴァを攻略しイスファンディヤールを殺した。
そのあとにサイード・アブドゥッラー・ハーンが赤軍に廃位される20年まで君臨するが、
実権はジュナイドにあった。
237世界@名無史さん:04/03/22 19:34
ジュナイドとサイードのその後が気になる。やっぱり殺されたの?
238世界@名無史さん:04/03/22 20:00
>>237
ジュナイドは赤軍から逃れて砂漠に逃げ込んでしばらく抵抗活動をした後イランからアフガニスタンに逃亡した。
死んだのは1938年だが死因まではわからん。
サイードは英語読んで調べればわかるだろうけどどうでもいいやつなのでそこまでする気は起きないです。
239世界@名無史さん:04/03/22 20:00
清泉女子大の中村文さん、かわいい。


240225:04/03/23 00:00
>>233
>>236
>>238
ありがとうございます。
両汗国の革命時の話は詳しい本はないものでしょうか。
241世界@名無史さん:04/03/23 11:23
山内昌之の「納得しなかった男」なんてどうでしょう?
エンヴェル・パシャの話がメインだけど。
242世界@名無史さん:04/03/25 00:23
>241
面白そう。でも5200円は高すぎる。医学書みたいな値段だ。岩波文庫に
ならないかな。
243世界@名無史さん:04/03/25 00:52
もちろん小松久男の『革命の中央アジア』は読んでるよな?
244世界@名無史さん:04/03/25 00:55
小松久男『革命の中央アジア−あるジャディードの肖像』(東京大学出版会)とか。
245世界@名無史さん:04/03/25 00:56
既に言われてたかぁ。
246世界@名無史さん:04/03/28 01:27
ヘロドトスの中で「スキタイがテンの毛皮を商いに度々来る」とあったが
あれ?テンってわりと北の森林の動物だよね?
草原にいたっけか?
247世界@名無史さん:04/03/30 14:10
ウズベキスタンでテロが起こったというが詳しい情報持ってる人いる?
248世界@名無史さん:04/04/03 19:26
>>246
スキタイ自身も交易で手に入れたんでしょ。
女真の毛皮交易も奥地のツングース諸族から入手してたみたいだし。
249世界@名無史さん:04/04/13 22:26
>>246
カザフステップの北のタイガの住民から仕入れたのかも。
250世界@名無史さん:04/04/24 13:31
中央アジアに忘れられた高度文明?
=文字刻んだ石を米研究者が発見−米紙(時事通信)

【ニューヨーク13日時事】4000年前の中央アジアにほとんど忘れられ
た、かなり高度な文明が存在していたとする考古学研究が米国で発
表され、注目を集めている。場所はトルクメニスタンとウズベキスタンにまたが
る地帯で、紀元前2200年ごろから同1800−1700年ごろまで
に栄え、文字あるいは符号(シンボル)が使われていたとみられる。
 13日付米紙ニューヨーク・タイムズによると、米ペンシルベニア大学の考古
学者フレドリック・ヒーバート博士が、トルクメンの首都アシガバー
ト近くの「アナウ遺跡」で、文字または符号が刻まれた方形のスタンプ状の石を
発見した。 

[時事通信社 2001年 5月13日 14:58 ]
251世界@名無史さん:04/04/24 22:53
>>248
イブン・バットゥータの旅行記にキプチャク草原の住人が
どうやって貂とか極北地域の貴重な毛皮を入手していたか興味深い記事がある。

ヴォルガ河畔のブルガールからソリで北行40日行程くらいの「暗黒の地」(北極圏のことらしい)ところに着くと、
商人達は商品をその場に置き去りして停泊地に一旦帰る。
で翌日くらいに同じところに戻ると商品の前に白貂や灰色リス、銀ギツネの毛皮が並べられてあるのを見付ける。

商人が置かれた毛皮が満足すればそのまま持っていくが、満足しなければそのまま放置してまた戻る。
するとその地の住人は毛皮類を増やしたりする場合もあるが、毛皮類の品物を引き上げたり商人の商品をそのまま残す場合もあったという話。

スキタイの頃はどうだったかは謎だが、
こういう交易参加者がお互いの姿を見せないor見せる事を忌避するような、原初的な経済交換の一類型を『沈黙貿易』というらしい。

似た話はイブン・ファドラーンとかアブー・ハミードとかも述べてるそうな。
252世界@名無史さん:04/05/10 01:27
>>250
アナウ遺跡も
そこ出土の符合付き石も
かなり以前から知られていたはずだが・・・さらなる新発見なのか?
253世界@名無史さん:04/05/10 02:37
>>250
スキタイや匈奴の青銅器文化はここあたりが起源らしいね。
インドやメソポタミアに銅とかラピスラズリを交易してた文化だったっけ?
254世界@名無史さん:04/05/13 02:01
今じゃドスタム将軍様がアフガン北部のラピス鉱山を独占されているご様子です
255世界@名無史さん:04/05/30 20:51
四大文明を支えた後背地として中央アジアがもっと注目されてもいいと思うよ。
256世界@名無史さん:04/06/12 15:34
地理・人類学板

「モンゴロイドとコーカソイドの境界線って?」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1031221220/l50
 
257世界@名無史さん:04/06/12 22:56
今日の不思議発見はウズベキスタンの話だったね。
結構面白かった。ウズベク人の女の子可愛いの多かったし。
258世界@名無史さん:04/06/13 04:36
加藤九祚先生元気だなあ。いつまでも元気でご活躍下さい。

中公文庫の諸作、復活させてほしいなあ。どれもおもしろいのに。
259世界@名無史さん:04/07/24 14:38
【英国】チンギス・ハンのご子孫はお食事無料です
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1089203704/
英ロンドンにあるモンゴル料理店「シシ」が3日、来店客に無料でDNA鑑定を施し、
モンゴル帝国の始祖、チンギス・ハン(位1206ー27年)の子孫と判明した客には
食事を無料提供する試みを開始した。
父親から息子に受け継がれるY染色体を検査するため、鑑定を受けられるのは男性に限られる。
鑑定は9日まで実施し、結果は2カ月後に出る予定。

チンギス・ハンは12世紀から13世紀にかけて、アジアを征服し、現在の東ヨーロッパにまで
及ぶ帝国を形成。その際、各地に、多数の子を残したとされる。
AP通信によると、料理店と共同してDNA鑑定を実施するオクスフォード・アンセスターズ社は、
中央アジアなどで計「1700万人」の男性が、チンギス・ハンの遺伝子を受け継いでいる
可能性を指摘している。

「シシ」によると、今回の企画は、モンゴルで再び姓を名乗ることができるようになったことを
たたえるのが目的。
モンゴルでは、過去70年間、国民の団結などを理由に、姓を名乗ることが禁止されていた。
しかし1990年代に政府がこの政策を撤回し、国民に名字の登録を呼び掛けている。
先月末までに国民の半分以上が、チンギス・ハンの家系が名乗っていた名字を登録したという。

2004.07.07 Web posted at: 20:42 JST - CNN/AP
http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200407070029.html
260世界@名無史さん:04/08/04 21:22
>>259
DNA鑑定で末裔と判明しても素直に喜べない人もいるかもね。
先祖の誰かが受けたレイープの産物かも知れんw
261世界@名無史さん:04/08/04 22:25
ジョージ・ワシントンやジェファーソンの黒人の子孫たちみたいなもの?
でも、モンゴルなら、それでも貴種扱いだよ、多分。
中華も日本もそうだったし。
262世界@名無史さん:04/08/04 22:38
貴種なんかだったら半分種馬状態だな。
263世界@名無史さん:04/08/04 22:51
王家は種馬だよ、イギリス王室もw
264世界@名無史さん:04/08/12 00:12
265世界@名無史さん:04/08/29 08:15
インダス文明ってアフガニスタンやトルクメニスタン方面とも
交易していたって本当ですか?
266世界@名無史さん:04/09/05 11:08
そうみたい。
宝石が主な産品じゃなかったっけかな。
267世界@名無史さん:04/09/14 11:42:01
>>259
ハルハ、チャハルでない
ブリヤート、オイラト出身の者がボルジギン姓を名乗れるのか?
268世界@名無史さん:04/10/10 17:19:51
そういやインダス文明スレッドがDAT落ちしてしまったみたいだす・・・ウウウ
269世界@名無史さん:04/10/18 01:32:02
シンメン
シンメン
シンメン
270世界@名無史さん:04/11/07 05:39:41
パジリク古墳の被葬者は冷凍状態で出土したんだな。
アルプスのエッツィみたいだ(年代はまるで違うものの)、よく現代まで持ったな・・・
271世界@名無史さん:04/11/07 22:17:14
>>269

新免先生の信者か?
272世界@名無史さん:04/11/10 12:05:31
ここもよろしく。

http://academy3.2ch.net/whis/index.html
【李氏】☆☆唐帝国の歴史総合スレッド☆☆【天命】
273世界@名無史さん:04/11/12 01:11:52
>>267
 青海オイラトはカサルの子孫だから、ボルジギン名乗れるだろ。
274世界@名無史さん:04/11/14 18:04:09
放送大学 ラジオ 毎週日曜AM11:15
「中央アジアの歴史・社会・文化」
講師は間野先生、堀川先生など。
必聴!
275世界@名無史さん:04/11/14 18:23:11
■■■西村博之も逮捕されるべき■■■
http://ex5.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1095966971/l50

1 :心得をよく読みましょう :04/09/24 04:16:11 ID:8JgNfPRM
Winny開発者も逮捕された。
次は西村博之の番です。

西村博之には
この掲示板で起きた多くの犯罪幇助の罪
風説の流布の罪など
数限りない罪がある。

警察は早急に逮捕するべきである。

前スレ(不当に削除されました)
■■■西村博之も逮捕されるべき■■■
http://ex5.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1095382867/
■■■西村博之も逮捕されるべき■■■
http://ex5.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1084207110/
■■■西村博之が逮捕されるべき■■■
http://ex3.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1083412338/
276ty270410:04/11/14 21:55:00
>>274
ご教示ありがとうございます.
早速,テキストを探してみます.
277世界@名無史さん:04/11/14 22:17:03
間野先生は暇つぶし程度の感覚で放送大学の仕事を引き受けたと仰ってた。
最近持病が少し悪化して体調がすぐれないようです。
講義の準備については弟子筋の方々の協力があったようですよ。

でもバーブルを扱う回についてはとても楽しみにされているようです。
278世界@名無史さん:04/12/04 17:12:22
大谷探検隊の遺品の数々が掲載されてるHP
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/takemark/
目次より  続・京女の歴史(大谷光瑞の業績)
を、クリック
279世界@名無史さん:04/12/06 00:40:54
age
280世界@名無史さん:05/01/03 21:12:33
age
新スレ建てました。興味のある方はお越しを。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1105356309/
【Parthia】中世ペルシア諸王朝史【Sasan】
282世界@名無史さん:05/02/03 16:29:13 0
こちらは放置するの?
283世界@名無史さん:05/02/24 02:36:13 0
中央アジア地域は専用スレがないので
引き続きこのスレ存続でいいかと。
284ty270410:05/02/26 17:26:19 0
赤坂恒明先生の本が刊行されますね!

赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』風間書房 2005.03.刊行予定

風間書房へ電話で聞いたら,3月上旬刊行予定ちにおこと.

先生のウェブサイトによると740ページとのこと.

別のスレッドでの蒙古馬さんの書き込みによると
系図だけでも170ページあるそうです.

なんだか,楽しみですね!!
285ty270410:05/02/26 17:28:31 0
>>284
訂正:「予定ちにおこと」を「予定とのこと」に訂正します.
28685:05/02/26 21:29:07 0
>>284
3月上旬に刊行予定ですか。740ページとはまた大部な作品になったようですね。
お値段の方がなんとも気になるところですが、今から刊行が楽しみです。
287ty270410:05/02/28 22:08:17 0
>>286
かなり高価のようですが,借金してでも購入するつもりです.

また,日本で始めてのこの分野の本ですから,
大学,研究所,学校,公共図書館でぜひ購入して
備えてほしいですね!
288〜兵員募集中〜:05/03/01 15:02:50 0
「蒼き狼と白き牝鹿 チンギスハーン4」掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/game/20221/

わが帝国は、軍事力の兵員欠乏と言う根本的な問題に常に悩まされている。
そこで、この問題を打開するために世界史版の精鋭を募集する。
・年齢・性別・履歴その他一切不問。
・三戦のマッタリ感を信条に三食昼寝つき。
・AA可。
傭兵から無頼漢まで、兵質は一切問わずとにかく人数を集めます。

ここ世界史版の現実的な鋭い論法で、わが帝国軍の質の向上を図りたいと考えている。
289あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/01 15:33:05 0
>>284
先生のサイトに次のような告知がありました
本日は、拙著 『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房、2005年2月)の刊行日の筈であるが、
先週以来、本日正午に至るまで、出版社(風間書房)からは何の音沙汰もない。
大学の端末から、出版社のホームページ、「近刊のご案内」を見たところ、
其処には上記書籍の姿はどこにもない。出版社に電話をかけてみたが、担当者は外出中との由。
 そこで、情報収集を試みたところ、かの有名な某掲示板のなかに、三月上旬に出るらしいとの
書き込みがなされている。もっとも、真偽の程は定かではないので、午後、出版社の担当者が戻ってくる頃に、
また電話をかけなおしてみようと思う。

(平成十七年二月二十八日正午)

--------------------------------------------------------------------------------
 昼過ぎ、担当者と電話が通じ、とりあえずは一件落着?
 しばらく神保町に出て散財してから再び早稲田に戻り、風間書房のホームページを見ると、
近刊予告を飛び越えて、いきなり「新刊のご案内」に拙著が挙げられていた。
幻の本とならずに済んだので先ずは一安心したが、其処に見えるページ数「656」は、
一昨年に取ってもらった見積りのページ数である(ちなみに、ページ数が増えたのは、
ほとんど、付録の系図の増補によるものであろう)。おそらく、実際の総ページ数は
「740」とあるべきものではないかと思われる。また、「目次概要」に挙げられているのは、
本書の第一部「研究編」のみであり、第二部「史料編」と付録が省略されてしまっているようである
(むしろ、こちらこそが本書のウリだというのに.....)。
 しかし、終わりよければすべてよし、ということで。

(平成十七年二月二十八日晩)
290世界@名無史さん:05/03/01 17:14:07 0
をいをい、赤坂先生がこのスレ見ているってことかいな。
291あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/01 18:13:55 0
そういうことでしょうね。かなり毛色の変わった方ですので有り得そうです。
先生の悪口(もしあるとすればの話ですけど)はしないように。
なお「日中を通じて三国志オンリーでやってる研究者は私一人です」と言明されてる
渡邊義浩さんに叔父がお会いした折に「厨房が・・・」とかおっしゃるので、「それは
たしか某巨大掲示板に出てくる言葉とか聞いてますが」とお尋ねしたら「私あれよく
覗いてるんですよ」とのこと。レスつけたことはないそうですが。
292あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/01 18:22:55 0
「ジュチ裔諸政権史の研究」
お値段税込¥25200
http://www.washin.co.jp:9999/bsearch/owa/kazama_sinkanview?isbn=ISBN4-7599-1497-8
293あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/01 18:40:10 0
294あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/01 18:50:18 0
ムイッズル-アンサーブについては既に「系図が語る世界史」(青木書店刊)で
発表しておられますね。
295あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/01 19:06:29 0
うちにはこの分野の研究書は戦中に出たヤクボフスキー・グレコフ共著の
「金帳汗国史」(生活社刊)くらいしかない。漢籍は叔父が買う代わりに
国内出版新刊はあやめが買うことになってるけど、今回は折半して購入を
相談してみようと思ってます。
296世界@名無史さん:05/03/01 20:22:10 0
>かなり毛色の変わった方

へえぇ?そうなんですか?
かなり博学の天才的な研究者だと思っていました。。
297世界@名無史さん:05/03/01 21:26:45 0
>>296
出身:下總國東葛飾郡山崎上宿
本貫:美濃國土岐郡土岐一日市場
と書く人は確かに毛色が変わっておる罠…
298あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/01 21:37:43 0
講義の口調が「・・・でござりまする」
土岐源氏の子孫だそうで、大学では舞楽同好会とかやってたように聞きました。
299世界@名無史さん:05/03/02 11:22:58 0
>>297
この場合、出身と本貫のちがいって何よ???
300世界@名無史さん:05/03/02 12:21:24 0
「本貫」は先祖の出身地。
「出身」は本人の出生地。
301世界@名無史さん:05/03/02 19:21:05 0
>>300
先祖っていくらでもいるわけで、
何代前の先祖・どの段階の先祖の出身地をもって
本貫とするわけ???
302世界@名無史さん:05/03/02 19:52:15 0
きっとA先生は高貴なお家柄の方であると思ふ。
日本史と世界史双方にこれだけ造詣の深い先生って
若い最近の先生の中では他に例を見ないと思うな。
この先生みたいな人を碩学というのであらう。
303あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/02 21:43:13 0
赤坂さんは美濃赤坂に拠った土岐一族の後裔ということです。
304世界@名無史さん:05/03/02 21:48:25 0
>>302
俺の知ってる某教授も、日本史・世界史共に相当
造詣が深い御仁だけど、生まれは福島の百姓だぞ。
305あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/02 21:49:08 0
清和源氏が実は陽成天皇の後裔というのが最近の定説になっていますが、
赤坂先生はやはり清和源氏が正しいんだと主張して考証を発表しています。
306世界@名無史さん:05/03/02 22:42:25 0
詳しいね。あなた赤坂教授の奥さん?>>305
307あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/03 00:10:24 0
教授になられたんでしたっけ? いつまでも赤坂助手って書いてあるとこぼしてましたけど。
308あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/03 00:16:42 0
韓国では今でも本貫(ポングァン)を重視してます。同姓不婚が原則なのに同姓が多いので、
本貫が違う場合は通婚できることになってますので。
309ty270410:05/03/03 00:55:07 0
>>295
>うちにはこの分野の研究書は戦中に出たヤクボフスキー・グレコフ共著の
>「金帳汗国史」(生活社刊)くらいしかない。

戦時中に出た本ですね!1950年代には古本が出回っていたと聞きますが,
今では,大きな図書館でないと見られませんね!
初版の翻訳ですが,後に増補版がソ連で刊行されたそうですね!

英語ならば,ベルナツキーの「ロシアとモンゴル」
ハルペリンの著書がありますね!
後者はAmazonでペーパーバック版が購入できますね!

ロシア語では幾つかよい本があるようですが,
所詮読めませんし,市井の我々が利用できる図書館には
おいてありません.

赤坂先生の今回のご本はポイントがジュチ裔におかれて
いるようですが,楽しみです.
まだ,入手していませんが,読んだらまた書き込みたいと
思っています.
310世界@名無史さん:05/03/03 00:57:33 0
高橋友城 は 死んだ


311世界@名無史さん:05/03/03 01:06:32 0
>>305
べつに定説にはなってないよ。有名な説ではあるが。
312あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/03 11:32:09 0
>>308
朝刊を読んでたら昨日のこと韓国国会の本会議で戸主制廃止を核とする民法改正案が
可決され、5年後に実施されることになったそうです。これに伴い同姓同本でなくても
通婚が可能になるということのようです。
悪名高き植民地時代の「創氏」もこうした前時代的な制度の打破に向けた方便だったと
説く学者もいます。内外で大批判を浴びせられてましたが。
>>311
定説はまずかったかしら、じゃ有力説にしときます。
陽成天皇はとんでもない暴君であったので、その子孫じゃイメージ悪いから避けたという
説だったと記憶します。
313あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/03 11:35:40 0
訂正
同姓同本でなくても>同姓同本でも
314世界@名無史さん:05/03/03 11:49:05 0
あやめさんは赤坂先生と同一人物、、ってことはないわよね
315ty270410:05/03/03 13:08:49 0
>>309
Spulerの「金帳汗国」は講談社学術文庫あたりで
翻訳を出してほしいですね!
かなり前に出た本ですが,古典的な本ですね!
(ただし,目次を辞書片手に見た感じで!)

ドイツ語はほとんど読めないので・・・
最近は,日本の読書人でもドイツ語が読めない人が
多いと思うので・・・・・
私だけでなく・・・・・
316ty270410:05/03/13 21:22:39 0
赤坂恒明先生の『ジュチ裔諸政権史の研究』を昨日(05.03.12.)
入手しました.

巻末の系図には圧倒されました.ここはゆっくりと見たいと
思います.

第1章と第2章で系図史料を中心とする諸史料の史料批判,
第3章でジュチ・ウルスの左翼と右翼に関する論考,
特にマムルーク朝史料を使っての右翼の分析は
他にない独特の叙述であり,興味深く読みました.
アラビア語史料にまであたられた碩学のご苦労には
頭が下がりました.雑誌に発表しておられた旧稿を
大きく改稿されておられます.

何分にも大著なのでその先は読んでいる最中です.
おいおいに書き込みます.
317世界@名無史さん:05/03/13 23:01:19 0
ty270410氏って何者?
318ty270410:05/03/13 23:46:15 0
>>317
市井の読史家です.
歴史の専門教育を受けたことのない者で
別の職業を持っています.

ただ,やたらに歴史が好きになり,それも
周辺史が特に好きです.

ジュチ・ウルスには今まで日本語の専著がなく
待ちわびていました.

そんな人間です!
よろしく!!
319ty270410:05/03/13 23:56:28 0
>>318
次のサイトをご覧ください!

http://history.bbs.thebbs.jp/

私の投稿が載っています!
320ty270410:05/03/18 22:14:29 0
赤坂恒明先生のウェブサイトに10編の学術論文名が載っていますが,
私は7編読んでいました.
今回刊行なさった「ジュチ裔諸政権史の研究」では,これらの論文の
もとになった詳しい記述があります.書き下ろしといってもよいと
思いました.

史料編には集史,五族譜,勝利の書なる選ばれたる諸史の全文が
載せてあるということで,後の研究者の方々へのメリットは計り知れない
ように思います.

巻末付録の系図は148ページというまさに圧倒されました.

高価な本ですが,大学,公共図書館には是非とも備えて
いただきたいと思います.
321世界@名無史さん:05/03/19 10:17:44 0
自演乙!
322世界@名無史さん:05/03/20 21:06:17 0
シルクロード
323世界@名無史さん:05/03/20 22:04:53 0
観光案内みたいでした
シボ族が大変な思いして新彊に移住した
とか
324ty270410:05/03/20 22:20:29 0
>>323
>観光案内みたいでした

同感です.もう少ししっかりした説明がほしかったと思います.
行程の地図をもう少し大きく出すとか,
突厥についてもう少し歴史的説明を入れるとか・・・・

予備知識の全く無い人には遠くの知らない少し野蛮な国の
旅行記のように見えたと思います.
お金をかけたのですから,もったいないですね!
325世界@名無史さん:05/03/20 22:31:05 O
NHKのシルクロード見て、突厥に興味持ったのですが、素人にもよくわかる入門
用の本ないでしょうか?
326世界@名無史さん:05/03/20 22:33:54 0
文物があまり残っていない遊牧国家の歴史を番組にするのは
難しいね、やっぱり。『大モンゴル』で同じ痛い目にあったのを
覚えてるだろうに、NHKもあまり進歩がないねえw。
327世界@名無史さん:2005/03/21(月) 15:09:58 0
>>325
突厥だけを取り上げた本じゃないんだけど、
中央ユーラシア史初心者ならば、

山田信夫『ビジュアル版世界史10 草原とオアシス』講談社 1985

がお得だよ。写真・絵・地図が充実してるしイメージ湧きやすい。
スペースは少ないけど文章の方もかなり詳しい。文献リストも
充実してるから、そこからあとはどこへでも飛んでいけるし。

とにかくオレはこの本大好きだなあ。
328325:2005/03/21(月) 23:21:35 O
>>327
ありがとうございます。
早速探してみます。
329世界@名無史さん:2005/03/21(月) 23:33:22 0
某シルクロードは折角「突厥」を登場させたのに、名前だけ出して終わりって感じだった。
東ローマの使節の話を持ち出したんなら、同じメナンドロスの史書でこれにソグド人が関わってたこととか
歴代可汗と唐朝との抗争を描くとか、もっと史実を絡めた「歴史ロマン」な感じにして欲しかった。

「紀行」番組だからって突厥が夢物語みたいな曖昧模糊とした存在のような演出の仕方もどうかと。
石人に刻まれた泥利可汗の名前を出したのは評価出来るけどそれだけじゃあねぇ(汗
330世界@名無史さん:2005/03/21(月) 23:51:46 0
>>327
故山田信夫先生の『草原とオアシス』は内容も平易だしモノクロが多いとはいえ写真や図版も豊富なのが
入門書としてはかなりお手軽な感じがして良いですな。もう絶版になって久しいけど、護雅夫先生の
中公新書の『古代遊牧帝国』は突厥関係を知るきっかけになったのでこれもお勧めかも。
『アジアの歴史と文化7 北アジア』の2章目は確か突厥第一帝国と第二帝国についてだったはず。

331ty270410:2005/03/22(火) 23:02:46 0
>>329
全く同感です.

メナンドロスをウェブサイトで調べましたが,559年〜582年を
扱った歴史を書いているようですが,内容はわかりませんでした.
日本語訳もないようですね.
332世界@名無史さん:2005/03/22(火) 23:37:46 0
>>331
内藤みどり『西突厥史の研究』1988 に、
付論?� 「東ローマと突厥との交渉に関する史料 Menandri Protectoris Fragmenta 訳注 」
他3編の東ローマと突厥関係の論文が掲載されてまして、これが恐らく番組の元ネタでしょう。

内容は、突厥とサーサーン朝がソグド人の通商問題についての不和から関係が決裂し、
西突厥のイステミ可汗が通商関係を新たに築くべくソグド人マニアクらを東ローマに
派遣したことが述べられています。その返礼使節としてキリキアのゼマルコス Zemarchos が
ソグディアナに駐留していたイステミ可汗Dizabulosの王庭に派遣されたようです。
そこで、可汗が2輪付きの金の椅子に座していたことや「異国風の酒云々」が出てきています。
333世界@名無史さん:2005/03/23(水) 02:20:58 0
>>332
他人の研究に依存して商売しておきながら、出典表示もなく
あたかも自分で発見しました、みたいな手口がテレビは多すぎる
それはドロボーだろ。
334世界@名無史さん:2005/03/23(水) 11:21:37 0
NHKは日常茶飯事で盗作をやるよね。
一言あいさつがあってもいいのに。
335ty270410:2005/03/23(水) 21:24:39 0
>>332
ご教示ありがとうございます.
できるだけ早い時期に大きな図書館へ行って
内藤先生の論考を見るつもりです.

重ねてありがとうございます.
336世界@名無史さん:2005/03/25(金) 02:09:52 0
キルギスタン上げ
337世界@名無史さん:2005/03/25(金) 02:37:43 O
タジクスタン・キルギスタン・トルメクスタン
キルギスタンは国連職員としていった筑波大学の教授が殺害されたところだっけ?
ちなみにトルメクスタンの大統領は終身らしい
338世界@名無史さん:2005/03/27(日) 18:17:35 0
>>334
新シルクロード第3集の最後の字幕(?!)には内藤みどりの名がありましたね。
一応協力したけど最後に名前だけはひどいかも。
339世界@名無史さん:2005/03/27(日) 18:55:35 0
>>338
さんざんぱら使い倒しても、だいたいあんなもんだよ。
で、謝礼とかも出てないだろう。

下請けに言わせりゃ「制作費が厳しい」だろうが、
大半はNHKのトンネル会社が不労所得で持って行っちゃうからな。
340ty270410:2005/03/28(月) 22:19:43 0
>>332
>内藤みどり『西突厥史の研究』1988 に、
>付論・ 「東ローマと突厥との交渉に関する史料 Menandri Protectoris Fragmenta 訳注 」
>他3編の東ローマと突厥関係の論文が掲載されてまして、これが恐らく番組の元ネタでしょう。

今日(05.03.28.)大きな公共図書館でコピーしてきました.
楽しみに読みます.
ご教示ありがとうございました.

341世界@名無史さん:2005/04/14(木) 23:51:24 0
キルギスの横山ノックことアカエフ大統領亡命、政権崩壊
http://cnn.co.jp/world/CNN200503250003.html
〜元首相が臨時代行大統領に〜

強権統治でなんとか支えてきた近隣スタン諸国も飛び火が気になることでしょうな。
342世界@名無史さん:2005/04/20(水) 23:15:06 0
『中央ユーラシアを知る事典』平凡社
もう出たらしいけど、どうだった?見た人。
628ページはちょっと薄いかな。
343ty270410:2005/04/22(金) 21:36:04 0
>>342
昨日(05.04.21.)池袋のジュンク堂に1冊置いてありました.

小項目と重要なものは中項目的と結構工夫してある感じでした.

まだ,購入していませんので・・・・
344世界@名無史さん:2005/05/02(月) 20:40:16 0
      .
345世界@名無史さん:2005/05/07(土) 02:01:59 0
シルクロードって、当時はそんな名前で呼ばれてなかったそうですね。
考えてみたら当然の帰結なんだけど、ちとショックではあります。
346世界@名無史さん:2005/05/07(土) 09:11:44 0
そこでドラゴンロードですよ!
347世界@名無史さん:2005/05/07(土) 11:32:46 0
>>346
烈先生、それはやっぱり捏造なので;わぉg;え@あジュウミンア!
348世界@名無史さん:2005/05/08(日) 12:28:48 0
<<内陸アジア・民族 総決戦>>
http://mentai.peko.2ch.net/whis/kako/995/995023222.html
349世界@名無史さん:2005/05/15(日) 09:52:01 0
ttp://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/22016516.html
Le "système Karimov" : un mélange de soviétisme et de clanisme au
service d'un pouvoir féroce
「カリモフ・システム」:残忍な政権の役に立つソヴィエト主義と部族主義の
折衷

1991年にウズベキスタンが独立宣言した当時、当地の共産党の第一書記であり、
最高議会によって大統領に選出されたイスラム・カリモフは、この国に新しい
アイデンティティ、新しいシンボルが必要だと決意した。マルクス、レーニン、
スターリンの古い銅像は撤去され、変わりにモンゴル人のリーダー、タメーラン
の銅像が据えられた。タメルラン(訳註:ティムール・ランとも)は1369年、
血腥い遠征によってバグダッド、デリー、ダマスカス、アンカラ、そして
イスファハンを支配下に置く帝国を手に入れた。美術館、銅像、絵葉書など、
タメルランはいたるところに登場し、その人物像はカリモフ大統領のそれと
混同されている。

350世界@名無史さん:2005/05/15(日) 09:53:20 0
確かに、頭蓋骨でミナレットを建造させたのは共産党の元エリート政治
局員カリモフではない。戦闘のあとで、土地の住民を恐れさせるために
頭蓋骨を積み上げてミナレットを作るのは、タメルランの習慣だった。
しかし、ウズベキスタンの警察署と、NGOによれば1万人の政治犯が
収容されているとされる監獄で用いられた拷問方法は、頭髪が逆立つ
ような恐ろしいものだ。ビニール袋を使って徐々に窒息させたる。
爪を剥ぐ。電気ショックを与える。火のついたタバコを押し付けて
火傷させる。強姦に逆さ吊り。数年前からは煮えたぎった湯の中に
受刑者の体を沈めるということまで行われている。
ファティマ・ムハディロワの息子もこうして死んだ。ファティマ・
ムハディロワはウズベク人の商店経営者で、息子の死について当局に
説明を求めたために、2003年に6年間の強制労働収容所入りの判決を
受けた。ドナルド・ラムズフェルドのウズベキスタン訪問の前夜、
在タシケント英国大使クレイグ・マーリーの口ぞえによって釈放された
ファティマは、その同じマーリー大使の助力によって、若くして死んだ
息子の検視をグラスゴウ大学で行ってもらえることになった。
この検視で、若者が釜茹でになって死んだことが確証された。
ウズベキスタン当局にとって好ましからざる人物となったマーリー大使は、
召喚され、外交部によって監禁された。「現代のタメルラン」に逆らえば、
報復なしではいられないのだ。
351世界@名無史さん:2005/05/15(日) 09:55:03 0
頑固そうな決然とした顔つきで、目には表情がないウズベク人の暴君
カリモフは、手っ取り早い尋問方法への嗜好を隠してはいない。ある日、
カリモフは公の場でイスラム過激派についてこう語った。
「あいつらには、頭に一発弾を撃ち込んで殺すべきだ。あんたがたに
そうする勇気がないというのなら、私がこの手で殺してもいい」。
またカリモフは、2004年を「親切と同情の年」と宣言した直後に、
「我が共和国の平和を守るために、私は自ら200の首を落とす覚悟がある」
と発言した。
カリモフの唯一知られている弱点は、彼の娘たちだ。長女のグルナラは
40代で、ウズベキスタンで最も注目されている女性実業家だ。グルナラ
は各種工場、携帯電話、ナイトクラブ、旅行代理店…などなどを含む
巨大な金融帝国の支配者だ。一部の宮廷エリートが繁栄を謳歌している
一方で、その他の国民は惨苦にあえいでいる。グルナラという名前で
あるか、政権の恩寵を受けるグループのメンバーでない限り、すべての
命令権が「主人」の手に握られている国では商売はできない。豊かな
天然ガス、金鉱、綿花、そしてこれらに少し劣る石油という資源があり
ながら、ウズベキスタンは貧しい国であり、腐敗した行政機構と、
それ以上に腐敗した抑圧装置に押しつぶされた人々の生活はひどいものだ。
352世界@名無史さん:2005/05/15(日) 09:56:10 0
16年間の在任期間中、イスラム・カリモフはソヴィエト主義・部族主義
の折衷である自ら固有の権力システムを開発した。不正な国民投票と
選挙で、カリモフは2007年まで自分の任期を延長した。タシケント南部、
「シルク・ロード」上のオアシスの古都サマルカンド出身である
カリモフは、自分の気分に従って飴と鞭を使い分けつつ部族同士の対立
をもてあそぶ技術を知悉している。各部族間のバランスという他に、
基本的に「カリモフ・システム」は国内に張り巡らせた監視の上に
成り立っている。それぞれの街区は「白髭」によって統括されている。
「白髭」は各地区の責任者をつとめる名誉ある老人たちの職だ。
それぞれの街区は権力の中継地点で、また情報の宝庫でもある。
この悲惨な現状は、それでもイスラム・カリモフにとっては収支の合う
ものだった。特に2001年9月11日以来、ウズベキスタンは米国の無条件
の支援を受けている。米国はウズベキスタンにとって大口の軍事援助
提供国だ。アメリカ国務長官コンドリーザ・ライスは、「ヨーロッパ
最後の独裁者」アレクサンドル・ルカシェンコを酷評する機会は
逃がしたことがないが、ウズベキスタン大統領の批判にはあまり熱心で
はない。ワシントンは暴君の同盟者には事欠いていない。2004年、
国務省はウズベキスタンで自由が侵害されているという理由で同国への
1200万ドルの支援支払いを拒否したが、同時にペンタゴンは軍事支援は
倍増させると発表した。「対テロ戦争」だからしかたがないのだ…。
353世界@名無史さん:2005/06/10(金) 03:10:34 0
暴君に反抗して

政権を奪うものもまた暴君となる

イラン革命を見よ!
354世界@名無史さん:2005/06/10(金) 07:48:42 0
>>353
はぁ?
355世界@名無史さん:2005/06/11(土) 16:25:40 0
中央アジアって
中国、イラン、ロシアに囲まれたやな地域だな
356世界@名無史さん:2005/06/11(土) 19:12:06 0
>>355
それはここ数百年の話だ。
357世界@名無史さん:2005/06/11(土) 21:30:13 0
ロシアが中央アジアを完全に吸収できたのはそれこそソ連時代からだし、
イランはむしろ中央アジアが源郷のひとつというか昔からある種一心同体。
中国というか漢民族がアムド以西に進出するのなんかは大戦以降の
中共軍のチベット侵攻からで、なんだかんだ言ってチベットは清朝下でも
殆ど独立した吐蕃王国時代から続く政体を維持していた。

早い話嫌な感じになったのは20世紀から。もっとも中央アジアが
イラン、トルキスタン、アフガニスタンの3系統に大別されるようになるのは
サマルカンドがシャイバーニー・ハーンに陥されて、バーブルがカーブルに
本拠を移してからか。
358世界@名無史さん:2005/06/11(土) 23:14:54 0
イランは西アジアでしょうが…
359世界@名無史さん:2005/06/12(日) 01:52:55 0
マーワラーアンナフルとかは、イランの一部で、かつ現在は中央アジアに分類
されていますよ。
360世界@名無史さん:2005/06/12(日) 12:51:37 0
このスレの前の方で
ロシアでも黒海北岸や沿ボルガ地方はこのスレの範囲だろうという話題があったが
イランだったらホラサーンは入るかも知れん
中国だったら河西回廊とか

広いなぁ
361世界@名無史さん:2005/06/13(月) 01:41:21 0
言葉での定義付けが難しい範囲ではある。

内陸アジア
中央アジア
中央ユーラシア
下に行く程範囲が広くなるけれど、それ以上の定義付けはなかなか出来ない


・・・というのは大学の講義の受け売りだけども。
362世界@名無史さん:2005/06/17(金) 22:31:58 0
昨日の生小松久男センセ見た?
363世界@名無史さん:2005/06/17(金) 22:40:21 0
テレビで見たのはワールドカップの対ロシア戦の前に徳光の番組にVTRで出てたの以来だな。
364世界@名無史さん:2005/06/19(日) 03:55:03 O
内藤みどりて誰?コナンの曾孫か何か?
365世界@名無史さん:2005/06/19(日) 23:15:37 0
今日のシルクロードは敦煌
366世界@名無史さん:2005/06/20(月) 06:41:30 0
>>364
元早稲田大学非常勤講師(昨年で定年)
ってこんな情報求めていないね・・・
367世界@名無史さん:2005/06/20(月) 07:01:27 0
>カザフスタンは清朝に服属してたって記述を良く見かけるけど、
>てことは露清国境がバルハシ湖じゃなくてカスピ海まで伸びてた可能性もあるのかな?

朝貢して冊封うけただけだから、たんに、朝鮮、ベトナム、ビルマ並だっただけ。
368世界@名無史さん:2005/07/02(土) 14:11:32 0
ブハラとかヒヴァは清朝とはどういう関係だったんでしょう?
369世界@名無史さん:2005/07/02(土) 15:05:34 0
>ブハラとかヒヴァ
朝貢して冊封うけただけ
370世界@名無史さん:2005/07/20(水) 15:46:26 0
ある学会で初めて岡田英弘先生にお会いしました。
お元気そうでした。
371世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:32:51 0
どこの学会?
372世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:46:30 0
岡田さんも安易な反中本ばっかり書いてないで
モンゴル史研究の集大成本書いてほしいね
代表作が文庫や新書じゃしょうがねえだろ

しかし蒙古源流の翻訳は素晴らしかった
楽しみにしてるからまだ死なないでね
373世界@名無史さん:2005/07/23(土) 19:10:16 0
>岡田さんも安易な反中本ばっかり書いてないで
>モンゴル史研究の集大成本書いてほしいね
禿同。杉様に負けてるぞ。
374世界@名無史さん:2005/07/24(日) 17:06:39 0
もう歳だし。
375世界@名無史さん:2005/07/24(日) 21:56:23 0
突厥史の分かりやすい概説書はないのかな。
論文集とかじゃなく、一般読者向けの。
376世界@名無史さん:2005/07/25(月) 01:19:13 0
護雅夫『古代遊牧帝国』中公新書。
377世界@名無史さん:2005/08/02(火) 23:48:07 0
今回は
天山ウイグル王国か
378世界@名無史さん:2005/08/13(土) 22:55:54 0
天山ウイグルのあとモーグリスタンも基本的に仏教国ですよね?
何時の間にイスラム化したんだろう?
379世界@名無史さん:2005/08/13(土) 23:00:34 0
仏教徒はカラキタイまで
カラハン朝から先はずっとイスラムだよ
もちろんモグリスタン・ハーンは全員イスラム教徒
380世界@名無史さん:2005/08/13(土) 23:05:14 0
あ、カラキタイはカラハン朝の後か
ま、そういうこと
381世界@名無史さん:2005/08/13(土) 23:06:02 0
うーん
カシュガル辺りはカラハン朝の版図だったかも知れないけど
トルファン辺りは違うじゃん
だいたい、カラハン朝の後に西遼なんじゃないの?
382世界@名無史さん:2005/08/14(日) 01:31:05 0
今NHKでバーミヤーンの映画みたいのやってる。
383世界@名無史さん:2005/08/14(日) 03:57:08 0
東トルキスタン西部は、カラハン朝時代に大半がイスラム化。
天山南路沿いイスラムの東進はゆっくりだったが、チャガタイ家の
トゥグルク・ティムール・ハーンが改宗した(1350年頃)ことで
イスラム化が加速。

トゥグルク・ティムールの息子キジル・ホージャは熱心なイスラム
教徒で、天山南路沿いの諸都市を討伐し改宗を進めた(14世紀末)。
この際トルファンはかなり頑強に抵抗したという。

15世紀にはトルファン地方もすっかりイスラム教徒が増え、
仏教徒・イスラム教徒が雑居した状態だった。
384世界@名無史さん:2005/08/14(日) 03:58:18 0
チャガタイ家の末裔(モグーリスタン・ハーン)であるアフマドと
マンスール親子がトルファンに定着すると、仏教徒は一掃される
(15世紀末)。

マンスール・ハーンはさらに聖戦を称し、明朝支配下のハミ王家
(チャガタイ家の子孫)を下し河西回廊へ明領を侵食(16世紀前半)。
これで粛州(酒泉)あたりまでイスラム教が優勢となった。
385世界@名無史さん:2005/08/14(日) 03:59:30 0
トルファン・ハーン家は16世紀末には消息が途絶え、マンスールの
弟サイードを祖とするカシュガル・ハーン家に併合されたようだ。

17世紀に入るとカシュガル・ハーン家も、各地に分封された諸子が
毎度お馴染みの内輪もめ。東トルキスタンは急速にオアシス都市国家の
分立状態に逆戻り。

ヤルカンド〜カシュガルを本拠地とした本家もホージャ一族
(ヤルカンドの黒山党とカシュガルの白山党)に実権を乗っ取られ、
もはや見る影もない。
386世界@名無史さん:2005/08/14(日) 04:00:49 0
1680年にイスマイール・ハーンがジューンガル部ガルダン・ボショクト・
ハーンに捕らえられると、ハーン位はトルファンを本拠地とする
傍系に移る。1755年にトルファンのマンスール・ハーンが清朝に帰順
し、チャガタイ・ハーンの歴史はここで終わり。

その後一族は北京で王侯貴族として暮らす。末裔は、たぶん今も北京
あたりにいるんだろう。
387世界@名無史さん:2005/08/15(月) 00:34:26 0
>>383
詳しい人だね。濱田先生のエッセイには東新疆のイスラム化は緩やかに進んだと書いて
あったが。
388世界@名無史さん:2005/08/18(木) 08:17:36 0
まじですか?Σ(´Д`;)!!
今おならしたとこなのに.∵(´Д⊂)∴
389世界@名無史さん:2005/08/30(火) 07:54:30 0
             ∫
           ∫
ヤキイモ タベヨウネ  ○○   オイシソウダネ
  J( 'ー`)し   [ ̄ ̄]   ('∀` )
    ( >>      |_○_|     << )
            ^^^^
             ∫
           ∫
  J( 'ー`)し   [ ̄ ̄]   ('∀` )
    ( >>      |_○_|     << ) =3. プゥ
            ^^^^
             ∫
  ケラケラケラ     ∫    オナラデチャッタ
  J( 'ー`)し   [ ̄ ̄]   ('∀` )
    ( >>      |_○_|     << )
            ^^^^

   カーチャンモ         ∫
   J('ー` )し        ∫
    ノヽノヽ =3. プゥ [ ̄ ̄]   (゚∀゚ )
      くく        |_○_|     << )
.               ^^^^

                            (巛ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡ミ彡)ミ彡)
                         ,,从.ノ巛ミ    彡ミ彡)ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡)''"
                       人ノ゙ ⌒ヽ         彡ミ彡)ミ彡)ミ彡)''"
                  ,,..、;;:〜''"゙゙       )  从    ミ彡ミ彡)ミ彡,,)
   J('ー` )し   _,,..、;;:〜-:''"゙⌒゙          彡 ,,     ⌒ヽ      彡"
    ノヽノヽ :゙:゙                    '"゙          ミ彡)彡'
      くく `゙⌒`゙"''〜-、:;;,_              )   彡,,ノ彡〜''"  ,,ミ
                 ⌒`゙"''〜-、,,. |_○_| ,,彡  << )
                         ^^^^
390世界@名無史さん:2005/08/31(水) 09:55:51 0
>>389
w
391世界@名無史さん:2005/09/01(木) 16:02:24 0
9月2日 NHKラジオ深夜便 こころの時代
午前4時
今、ユーラシアの時代に(2)
▽京都大学大学院教授 杉山正明
http://www.nhk.or.jp/radiodir/pro/shinya.html
392世界@名無史さん:2005/09/01(木) 16:04:55 0
午前四時か。それまで起きてられるか難しいな。
393世界@名無史さん:2005/09/01(木) 17:53:10 0
ラジオ深夜便って何?
394世界@名無史さん:2005/09/01(木) 18:49:03 0
聞いてみる

午前四時に著書とあまり変わりない内容だったらキツイかも知れないが
395世界@名無史さん:2005/09/01(木) 21:32:20 0
杉様がどういう声でどういう話し方するのか微妙に興味ある。
京大界隈をうろつけば生で動いてるのも見られるのかも試練が。
396世界@名無史さん:2005/09/01(木) 21:33:27 0
AMかFMか、周波数はどうすればいいのか情報キボン
397世界@名無史さん:2005/09/01(木) 22:15:05 0
昨日の放送分をちょっとだけ聞いたよ(目が覚めてラジオつけたら偶然やってた)。

最初はモンゴル史研究に必要な言語の話から入って、
石碑巡りの旅の話とその役割について語ってた。
残り10数分のところで再び寝ちゃったんで最後は分からん。

甲高い声で忙しなく話すイメージを持っていたんだけど、
実際は穏やかな声色で随分と落ち着いた喋りだった。
398世界@名無史さん:2005/09/01(木) 23:27:48 0
一度杉ちゃまの講義を覗いてみようかと思ったんだけど
文学部にしか講義を提供していないんだよ。
潜り込もうにもすぐにバレそうだ。
399世界@名無史さん:2005/09/02(金) 00:24:49 0
大教室の講義はないの? それとも名前チェックなのか。
私淑してるとでもいえば潜り込ませてくれないのかなぁ。京大うらやましい。
400世界@名無史さん:2005/09/02(金) 19:10:35 0
足利学校の話は面白かったよ
401世界@名無史さん:2005/09/02(金) 20:35:34 0
足利学校や石碑めぐりの旅のことは何かの本に書いていたな。
聞いた人詳しい感想キボン。
402世界@名無史さん:2005/09/03(土) 20:04:04 0
本田実信先生の講義を一度聴いてみたかった
403世界@名無史さん:2005/09/03(土) 23:31:44 0
だれか録音してたらまとめて固めてウプキボンヌ。



404世界@名無史さん:2005/09/21(水) 19:25:38 0
キンメリア人って騎馬遊牧民に入りますかネ
405世界@名無史さん:2005/09/23(金) 22:07:57 0
>>404
外人が書いた本のイラストでは騎射してました。
406世界@名無史さん:2005/09/24(土) 09:44:13 0
※遊牧民
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E7%89%A7
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
407世界@名無史さん:2005/10/03(月) 20:38:31 0
何故かこのスレに東トルキスタンのコピペがない
408世界@名無史さん:2005/10/08(土) 23:01:11 0
2chのニュー速VIP板の東トルキスタンを救え!活動スレの運動の一環で、まとめサイトがGoogle News(とアルジャジーラにも?)に取り上げられました。
有志が立てたまとめサイト( http://www.geocities.jp/saveeastturk/ )がニュースの最後に参考URLとして掲載されています。

ソース
http://www.friendsofaljazeera.org/node/320 (アルジャジーラと関係あり?)

GoogleNews
http://news.google.com/news?hl=en&ned=us&q=Uighur&btnG=Search+News
の「Suppress Muslim」の所で取り上げられました。

※関連スレ
【中国】ウイグル独立派、中国に「宣戦布告」…産経に続き、毎日・時事通信も報道★11
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1128435413/

活動中のニュー速VIPスレ
【ウイグル弾圧】VIPPERvs中国 東トルキスタンを救えおっぱーい5
http://ex11.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1128516765/
【ウイグル弾圧】VIPPERvs中国 東トルキスタンを救えおっぱーい5 (次スレ予定)
http://ex11.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1128517025/l50

まとめサイト
http://www.geocities.jp/saveeastturk/index.html (一般用)
http://www.geocities.jp/saveeastturk/index2.html (萌え用)
http://www.geocities.jp/saveeastturk/eng.html(英語・中国語・韓国語用)
http://www.geocities.jp/saveeastturk/vip.html (テンプレ保管庫)
http://www2.e-nws.net/~business/ (Webリング)

関連スレhttp://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1128556809/

409世界@名無史さん:2005/10/10(月) 20:52:42 0
age
410世界@名無史さん:2005/10/16(日) 10:59:51 0
アンドロノヴォ文化の担い手って何人なんでしょう?
411世界@名無史さん:2005/10/16(日) 11:45:36 0
5000人くらいかねえ?
412世界@名無史さん:2005/10/16(日) 20:05:11 0
スキタイとかサカとか?
413世界@名無史さん:2005/10/18(火) 21:53:11 0
匈奴とかフンとか?
414世界@名無史さん:2005/10/21(金) 21:42:05 0
ウイグルとかカルルクとかセルジュークとかハザールとか?
415世界@名無史さん:2005/10/22(土) 00:56:41 0
ブルガールの末裔と言われて久しいチュヴァシ人の民族衣装の文様の幾つかが
漢字をルーツにしているかもしれないという論文をどこかで見かけた
微かな記憶があるんですが、どなたかご存知?
416世界@名無史さん:2005/10/22(土) 12:00:27 0
>>415 それどこ出版の何の論文雑誌?
    史学雑誌とかでみたの?
417世界@名無史さん:2005/10/25(火) 21:43:31 0
仮に
カラハン朝が西可汗朝の意味ならば
東の可汗はウイグルか?
アルスランハーンとか
418世界@名無史さん:2005/11/08(火) 21:52:15 0
最古級の世界地図

龍谷大 あすから一般公開
 最古級の世界地図で、邪馬台国畿内説の根拠ともされた「混一疆理(こんいつきょうり)歴代国都之図」
が九日から、京都市下京区の龍谷大学大宮学舎展観室で始まる秋季特別展で展示される。
 同図は縦百五十センチ、横百六十三センチの絹地に朝鮮や中国を中心に、東は日本列島から西は中東、
ヨーロッパ、アフリカまで描かれている。
 モンゴル帝国(元)によって作られた地図を基に十五世紀に朝鮮(李朝)で製作されたとみられ、
豊臣秀吉の「文禄の役」や大谷探検隊で持ち帰られたと考えられている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051108-00000027-san-soci
419世界@名無史さん:2005/11/20(日) 11:54:22 0
新シルクロード
今日はカシュガル
どの時代をやるのでしょうか?
唐?カラハン朝?モーグリスタン?
420世界@名無史さん:2005/12/11(日) 22:49:52 0
まぁシルクロードでモーグリスタンはやらんわな
421世界@名無史さん:2005/12/17(土) 14:37:48 0
age
422世界@名無史さん:2005/12/17(土) 15:15:30 0
「シルクロード」っていう商法では、イスラム・モンゴルは
徹底無視だから。

大きく取り上げると「中央ユーラシアは中国の領土」って
いう主張が簡単に崩れちゃうしね。
423世界@名無史さん:2005/12/22(木) 16:03:22 0
age
424世界@名無史さん:2005/12/24(土) 21:11:49 0
「チンギスハーン中国人」と言う主張からすると
モンゴルはよさそうな気がすんだけどなー
ヤラワチとかも中国人にしてさ
425世界@名無史さん:2006/01/04(水) 00:37:41 0
タクラマカン、ジュンガルが中国だと言うのならばまだしも
ホラズムやソグディアナ、キプチャク草原は中国の版図ではないでしょう
426世界@名無史さん:2006/01/04(水) 23:36:50 0
一応スーイアブ辺りまでは中国の勢力圏なのですよ。
427世界@名無史さん:2006/01/07(土) 11:26:40 0
中央アジアの女性は眉が濃いけど
これはなんか謂れがあるのでしょうか?
428世界@名無史さん:2006/01/16(月) 18:05:36 0
良スレあげとっく
429世界@名無史さん:2006/01/16(月) 21:32:48 0
スーイアブってどこ?
430世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:07:48 0
イシククルの近く、現トクマクあたり
431世界@名無史さん:2006/01/17(火) 00:27:52 0
漢字で書くと砕葉(素葉)城ですね
唐の安西四鎮の内、最西端拠点
432世界@名無史さん:2006/01/17(火) 01:10:26 0
イリ地方の事っすか?
433世界@名無史さん:2006/01/17(火) 01:27:04 0
莫賀延磧の西は支那ではない
434世界@名無史さん:2006/01/21(土) 12:45:48 0
漢代でも烏孫、康居、奄蔡などの記載があるので中国である…





なんて事を言い出したら安息、大秦も中国
435世界@名無史さん:2006/01/21(土) 12:49:21 0
賀蘭山までが中原じゃなかったっけ?
436世界@名無史さん:2006/01/21(土) 13:11:39 0
>>427
あの辺の中世の踊り子の絵を見たら眉墨でつなげてたw
どうもそういうのが美人とされてたのか。
437世界@名無史さん:2006/01/21(土) 23:04:36 0
そして宮崎某は中央アジア好き
438世界@名無史さん:2006/01/21(土) 23:32:35 0
定市センセイですね><
439世界@名無史さん:2006/02/03(金) 18:49:33 0
>>436
眉毛がつながった美人はペルシャ帝国の美意識が影響しています。
ですから中央アジアだけでなくカフカース地域でもそのような美人画が描かれています。
しかし現在でも実際に眉毛をつなげているのはウズベキスタンやタジキスタンの
中高年〜お年寄りの女性にほぼ限られていますね。イランでは既に廃れています。
440世界@名無史さん:2006/02/04(土) 00:33:15 0
あまり関係ないが昔読んだ「ハジババの冒険」の注では
「トルコ人はふとった女が好みでペルシャ人はやせた女を好む」
とか書いてあったな。
441世界@名無史さん:2006/02/05(日) 22:46:28 0
ロシア人もふとった女が好み
442世界@名無史さん:2006/02/05(日) 22:57:52 0
貧乏国のデフォルトだな。太った女性が好きというのは。
443世界@名無史さん:2006/02/06(月) 17:28:04 0
>>415
琴欧州!
444世界@名無史さん:2006/02/07(火) 18:02:17 0
中央アジアの歴史をメインに扱った本はあるのに、南北カフカス地域をメインに
扱った和書は無いですねぇ・・・。需要が無いんでしょうか。
あったとしてもロシア史(旧ソ連史)にちょっと触れられている程度だったり。
結局、カフカス通史を知るにはペルシャ史、オスマントルコ史、ロシア史の本に
少しだけでてくるカフカス地域の記述をつなぎ合わせるしか方法は無いんでしょうか。
445世界@名無史さん:2006/02/07(火) 20:01:06 0
朝日選書の『悲劇のアルメニア』とか、国単位ならないでもないが。
446世界@名無史さん:2006/02/07(火) 20:18:40 0
アルメニアとチェチェンは多いんだけど、その他は少ないねえ。
現代史だったら、最近慶応の人がいい本出したよ。

あとは、NHKや日テレのシルクロード本とか、中村敦夫のとか、
加藤九祚のとか、でポツポツ拾えるくらいかな。
447世界@名無史さん:2006/02/07(火) 20:27:57 0
英語でもあまり手頃な本がないような。
やはりロシア語か・・・
448世界@名無史さん:2006/02/07(火) 21:24:17 0
>>446
そうそう、チェチェンが一番多くて次にアルメニア。
ただしアルメニア史の大半がトルコの虐殺やアルメニア人が世界中に散らばる経緯
を記したものが殆どで、アルメニア共和国についてはあまり触れられてないよね。

グルジア、アゼルバイジャン、チェチェン以外の北コーカサスを扱った本は皆無に等しい。
449世界@名無史さん:2006/02/07(火) 23:09:51 0
>>444
もうすぐ出ますよ。まだ内緒だけど、いい本が。
450世界@名無史さん:2006/02/07(火) 23:41:03 0
↑そんなもったいぶらないで、詳しく教えてよ〜。
せめて出版社と出版予定日くらいでも。
451世界@名無史さん:2006/02/08(水) 03:32:13 0
おっ、執筆者登場か?
自信満々なカキコを読む限りでは期待できそうですなぁ。
カフカース通史の本でたら絶対買うよ。
452世界@名無史さん:2006/02/13(月) 23:58:44 0
カフカスも中央ユーラシアなの?
453世界@名無史さん:2006/02/15(水) 04:20:09 0
コーカサスと言え。
454世界@名無史さん:2006/02/16(木) 22:11:18 0
相撲関係者だったりして。
露鵬、白露山兄弟物語とか。
455世界@名無史さん:2006/02/16(木) 22:25:57 0
近世イスラムの奴隷軍人にチェルケス人やグルジア人が多いのはなぜ?
456世界@名無史さん:2006/02/17(金) 10:09:39 0
部族間の略奪の抗争になれていて戦争に使いやすい、馬に乗れるのが大きいのでは?
457世界@名無史さん:2006/02/22(水) 10:42:56 0
458ty270410:2006/02/26(日) 21:55:13 0
>>449
北川先生ですか?
459世界@名無史さん:2006/03/01(水) 20:34:01 0
佐藤優の「国家の崩壊」は結構チェチェンやコーカサスのことが書いてあった。
460世界@名無史さん:2006/03/12(日) 21:45:39 0
唐代には活躍していたソグド人は、その後何処へ行ったのでしょう?
ウイグルに同化したりしたの?
461世界@名無史さん:2006/03/12(日) 22:18:36 0
ソグド人の根拠地はもとソ連領中央アジアの方なので、
そちらのほう、つまりトルクメンとかウズベクとかと
同化したのでしょう。
NHKでソグド人の末裔が残る村の取材番組があったな。
462世界@名無史さん:2006/03/12(日) 22:24:10 0
モンゴル以後のソグド人について:

ソグド人について語りましょう
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1102522671/l50
463世界@名無史さん:2006/03/18(土) 13:26:48 0
大航海時代移行はぱっとしない地域
464世界@名無史さん:2006/03/19(日) 00:15:31 0
東西交易については大航海時代後も相当ある筈なんだが
ロシア、イラン、中国の伸張がこの地域を弱めた
ガルダンハンにはもうひと頑張りして欲しかったところだ
465世界@名無史さん:2006/03/19(日) 09:38:02 0
いちおうティムールがいるじゃまいか
466世界@名無史さん:2006/03/19(日) 16:06:04 0
ティムール大航海時代以前だし
467世界@名無史さん:2006/03/19(日) 20:59:09 0
>>464
ジューンガル部の首長の称号はホンタイジでは
468世界@名無史さん:2006/03/19(日) 21:43:43 0
>>464
ガルダンはダライラマ5世からガンデン・テンジン・ボショクトゥ・カンという称号を
与えられているし、ガルダンハンという言い方も間違いというわけではないと思う。
469世界@名無史さん:2006/03/19(日) 21:45:41 0
>>464じゃなくて>>467の間違いでした。スマソ。
470世界@名無史さん:2006/03/20(月) 01:11:17 0
>>468
そうなのか。
宮脇順子の本で読んで鵜呑みにしてたよ。
471世界@名無史さん:2006/03/25(土) 14:15:18 0
歴史地図とかにはタリム盆地あたりはジュンガルの勢力範囲になってますが
あの辺のホジャ達は、この仏教国の王にどう言う形で臣従したのでしょうか?
お詳しい方いらっしゃいます?
472世界@名無史さん:2006/03/27(月) 00:18:25 0
よく知りませんが黒山派はイリ、チャプチャルのあたりに人質取られたんじゃなかったけ。
473世界@名無史さん:2006/04/02(日) 19:58:24 0
人質だけではなく貢納も
遊牧民の王は宗教についてはあんま細かい事言わないから、この時代もそうだったのでは?
474世界@名無史さん:2006/04/04(火) 23:38:19 0
カルマク→カルムイク
475世界@名無史さん:2006/04/09(日) 18:14:13 0
カルマクとカルルクには何か関係が…
476世界@名無史さん:2006/04/09(日) 18:17:56 0
ないよ
477世界@名無史さん:2006/04/14(金) 19:24:27 0
モグリスタンとオイラトには何か関係が…
478世界@名無史さん:2006/04/14(金) 20:31:43 0
関係あるよ
479世界@名無史さん:2006/04/14(金) 23:03:14 0
ジンギスカンと義経に何か関係が…
480世界@名無史さん:2006/04/14(金) 23:07:12 0
金史別本を百回読んで出直して来い
481世界@名無史さん:2006/04/14(金) 23:31:30 0
しかし金史別本の義経は女真であって蒙古ではないやうな
482世界@名無史さん:2006/04/14(金) 23:55:17 0
金史別本はどうせ偽書だから何でもあり。
483世界@名無史さん:2006/04/15(土) 01:15:35 0
>>471
ガルダンはホージャの世俗的な影響力だけに期待したんであって
宗教的にはどうでもいい。実際、黒山党と白山党なんて宗教上は
なんの違いもない。同一家系の二系統にすぎないし。

白山党のアパク・ホージャが黒山党から追い出されてカシミールに
逃げて、その後ダライ・ラマ5世に助けを求め、そのおかげで
ガルダンがトルキスタンを征服した、っていう話は、前から
なんか腑に落ちないと思っていたが、どうもこれは嘘臭いらしいね。
484ty270410:2006/04/15(土) 22:26:42 0
>>480
金史別本の原文を読んだ方は少ないのではないでしょうか?

鎌倉実記に引用されているのだそうですが,鎌倉実記は大きな古い図書館
にしかないようです.

次のサイトに孫引きしてありますから,ご覧ください!

http://www.st.rim.or.jp/~success/t_hiraizumi1-1.htm
485世界@名無史さん:2006/04/15(土) 22:34:17 0
しかし当時の蝦夷と靺鞨に行き来があったのかなあ?
486世界@名無史さん:2006/04/15(土) 22:51:17 0
中央ユーラシアには結びつかない日本産偽書の話はもういいよ
あとは日本史板かオカルト板あたりでやってくれ
487世界@名無史さん:2006/04/16(日) 00:09:12 0
>>484
480はおちょくって言ってるのがわからないのかな。
マジレス、恥ずかしいよ。
488世界@名無史さん:2006/04/16(日) 00:37:34 0
489どどんがどん:2006/04/20(木) 07:24:42 0
宇治拾遺物語に、「頼時が胡人みたること」というエピソードが
ある。奥州から、蝦夷地を経て大陸にいたるルートがすでに開拓
されていたことが伺える。
490ty270410:2006/04/20(木) 21:46:48 0
>>488
出ましたね!
やはり北川誠一先生が編者にお名前を連ねておいででしたね!

近日中に池袋のジュンク堂で現物を見るつもりです.
491ty270410:2006/04/20(木) 21:49:47 0
>>487
お褒めにあずかり光栄です.

ただ,原文を見ないで又聞きでものをおっしゃる方が
余りにも多いのでお知らせしたまでです.

マジレスですみません!
492ty270410:2006/04/28(金) 21:25:43 0
東大の山内昌之さんと京大の杉山正明さんの2人が揃って
紫綬褒章ですね!
493世界@名無史さん:2006/04/28(金) 21:27:38 0
新聞に住所をあんなに詳しく載せる必要あるのかなあ
494世界@名無史さん:2006/04/28(金) 21:32:31 0
学者も派手な人の方が得だね
495世界@名無史さん:2006/04/28(金) 21:33:45 0
496世界@名無史さん:2006/04/30(日) 15:39:11 0
新シルクロードでビザンティンの使節が古代トルコのディザブロスに会うシーンがあったけど
ディザブロスって可汗を見つけられませんでした
これは誰に当るのでしょう?
497世界@名無史さん:2006/04/30(日) 20:17:00 0
ディザブロスでググれば山のようにHitする筈だが、どうやって調べたのかね?
本当は調べてなどいないのだろう!この黄金虫が!


ちなみにディザブロスは突厥の西面可汗のイステミさん。
ペルシアと組んでエフタルを滅ぼし、西突厥の基礎を築いた。
498ty270410:2006/05/09(火) 22:05:19 0
>>497
Googleで検索すると49件出てきます.

内容は似たりよったりで恐らくいずれも早稲田の内藤みどりさんの
論文が種本になっていると思われます.

内藤みどり「Theophanes Chronographiaに見える一史料について」
  『西突厥史の研究』早稲田大学出版部 1998.2.刊行
  365ページ〜373ページ
同著者「東ローマと突厥との交渉に関する史料」
  『同書』374ページ〜395ページ

この本は数年前までは,よく古本屋で見かけました.今はなかなか見かけ
ません.
少し大きな公立図書館にはあるだろうと思います.
めったにお目にかかれないビザンチン史料に接するのも一興です.
また,註が面白いですよ!
499がいやまん:2006/05/12(金) 10:03:20 0
http://www.kyrgyz.ru/forum/uploads/post-2-1138121084.gif
古代中央アジア言語相関関係jの参考までに。
500世界@名無史さん:2006/05/13(土) 00:33:43 0
>>499
おもしろーい。
でもトルコ系が中心に大きい位置を占めているので「古代」ではないですね。
501世界@名無史さん:2006/05/18(木) 23:23:21 0
イステミの曾孫であるトンヤブクの「ヤブク」って
大月氏国の翕侯(ヤブク)と関係あるんかね?
502世界@名無史さん:2006/05/31(水) 20:01:34 0
 
503世界@名無史さん:2006/06/03(土) 15:50:43 0
耶律大石やティムールなど
中央アジアから中国への遠征を計画した者は何故かその途上で死去してしまう
504世界@名無史さん:2006/06/03(土) 17:49:09 0
>>501
クシャンのヤブグと突厥のヤブグは同源同義語でしょう。

そこからクシャンはテュルク系か?という説が出てくるわけだが、
クシャンのヤブグの方が先に出現しているんだから、
系統不明クシャン語の「ヤブグ」という単語を、突厥が借用して
テュルク語に取り入れた可能性も高いわけで、クシャン=
テュルク系?説の決定的な証拠にはならない。
505世界@名無史さん:2006/06/04(日) 08:16:05 0
エフタルとイフシードも同源同義語だろうか?
506世界@名無史さん:2006/06/04(日) 17:33:38 0
何で翕侯(きゅうこう)をヤブグと読むの?
507世界@名無史さん:2006/06/04(日) 18:26:02 O
クシャーナ(クシャン)がテュルク系ではないか?という意見はインドの史書で
クシャーナをサンスクリット語でTuruska トゥルシカ=トルコ人とよばれていることを論拠としている学者がいるらしい
しかしスウェーデン人の史学者ステン・コノウ氏は少なくとも言語に関するかぎりイラン系であり、サカ族の一種でないかと仮定しています
現代の学界でもクシャーナ族はサカ族ないしはトカラ族であると一般に承認されているそうです
508世界@名無史さん:2006/06/04(日) 22:23:47 0
>>506
「翕」は許及の切で、推定復元音(中古音)は「hiep」。
「侯」は戸鈎の切で、推定復元音(中古音)は「gau」。
(IPA発音記号は表示できないのでテキトーに近い音で
表記してます)。出典は『漢字古今音表』。

だから「翕侯」は「ヒェプゴ」みたいな音。「ヤブグ」の対音と
推定するのはきわめて妥当。
509世界@名無史さん:2006/06/04(日) 22:24:36 0
>>507
侵略された側が呼ぶ「フン」とか「テュルク」というのは、
必ずしも言語を知った上で呼んでるわけじゃない
(もちろん言語系統とか民族系統とかいう概念すらないし)
から、かなり漠然とした表現だもんねえ。

あまりこの呼び名に執着すると見誤るおそれあり。
ということで、クシャン=イラン系?には同意。
510世界@名無史さん:2006/06/04(日) 22:38:14 0
>>508
ヒエプゴってw
ヤブグと大分遠いじゃないか。
許にK音は無いの?
511世界@名無史さん:2006/06/04(日) 22:49:37 0
そんなこと言ったら丘就卻=クジュラ・カドフィセス、
閻膏珍=ヴィマ・カドフィセス、なんてお話にならないw。

漢字での音写の精度なんてこの程度。あんまり厳しく言いすぎると
何も進まなくなる。
512世界@名無史さん:2006/06/04(日) 23:09:31 0
閻膏珍=ヴィマ・カドフィセスは全然合ってない。
おそらく音訳じゃないっしょ。
513世界@名無史さん:2006/06/04(日) 23:27:37 0
閻膏珍の推定中古音はyiem kau tien(だいたい)。
閻=ヴィマはまあまあじゃない?
膏珍=カド(フィセス)だとしたら、省略しすぎだし
音写も絶妙とは言い難い。下二文字は別の単語の
音写かもしんない。

中国人は面倒くさがり屋で、外国語の単語は発音できなくて
大胆に省略しちゃう。「倭王讃」なんて誰?だよね。
514世界@名無史さん:2006/06/04(日) 23:31:48 O
どっか探せばクシャーナ朝が最初使用していたギリシア語の文献出てきそうな気がするんだが
ローマとの商業取引はかなり大々的に行われていたから
大抵、商業民は取引の文献は残すはずだし
まあ、それが出てきたとこで民族の出自がわかるわけでないが
515世界@名無史さん:2006/06/05(月) 00:03:23 0
ぶっちゃけバクトリア・クシャンの文書は碑文以外残って
ないんじゃないの?
516世界@名無史さん:2006/06/05(月) 00:40:11 0
> エフタルとイフシード
たしか別物。
「イフシード」はソグド語で「王」の意味で、古代ペルシア語の「フシャーヤティヤ」、
バクトリア語の「シャーウ」、パルティア語の「フシャー」、中世・近世ペルシア語の「シャー」
と同語源だという説明を聞いたけど。タバリーなどに出てくるサマルカンドにいた「ソグドの王」が
「イフシード」と呼ばれていたと思ったけど。
517世界@名無史さん:2006/06/05(月) 00:53:47 0
タバリーって何すか?
518世界@名無史さん:2006/06/05(月) 11:02:46 O
考えてみればクシャーナ朝だけでなくグレコ・バクトリアも他者からのは除いて文献らしいもの残していないよね?
もうアフガニスタンやカシミールで考古学調査は危険すぎて不可能なのか
519世界@名無史さん:2006/06/06(火) 00:30:50 0
危険なだけじゃなくて、現地人が小遣い稼ぎに適当に掘って勝手に売っぱらうから、
出土状況不明の断片ばかりが闇市場に出回って研究を阻害している。
520世界@名無史さん:2006/06/06(火) 09:45:00 0
スコイエン・コレクションなんて重要な古文書目白押しなのに
出所が怪しいモノばかりだから、扱いに困る。贋作ではなさそうだけど。
521世界@名無史さん:2006/06/06(火) 19:24:42 0
> タバリー
アブー・ジャアファル・ムハンマド・イブン・ジャリール・アル=タバリーのこと。
9〜10世紀に活躍したアッバース朝時代はもとよりイスラム史を代表する歴史家、ウラマー。
天地創造の時代からムハンマドの登場、正統カリフの時代からアッバース朝下の913年までの各地の
歴史を網羅した『諸使徒と諸王の歴史(Ta'tikh al-Rusul wa al-Muluk)』の著者として特に有名。

700年代前半のウマイヤ朝から派遣されたホラーサーン総督クタイバ・イブン・ムスリムによる
ソグド地方征服についても記載がある。

日本語で読めるこのソグド征服関連の文献はタバリーと時代の近いバラーズリーの『諸国征服誌』が
あるけど、ここではソグドやサマルカンドの王は「マリク」としか書かれてなかったか・・
522世界@名無史さん:2006/06/07(水) 01:19:32 0
ウマイヤ朝征服前はソグディアナはゾロアスター教だったの?
523世界@名無史さん:2006/06/07(水) 01:20:52 0
>>522
そうです。
524世界@名無史さん:2006/06/07(水) 03:23:14 0
現地で発掘された遺跡や遺物から、ソグディアナの諸都市では仏教やマニ教、キリスト教などが信仰されて
いたようだけど、ゾロアスター教系もこの地域で信仰されていた宗教としては多数派だったみたい。
もともとソグド人はイラン系だということも勿論ある。ただ、サーサーン朝のゾロアスター教は王権神授色が
かなり強烈だけど、ソグドのそれはサーサーン朝のものとは毛色の違う地域色の強い信仰だったんじゃないか、
という話しだとか。

それと関係あるかどうか分らないけど、バラーズリーの『諸国征服誌』のソグディアナ征服の件で
面白い話が載っていた。アラブ軍に参加している庇護民だったか改宗者のある人物が戦死したおり、
彼は死ぬまぎわに自分が死んだら埋葬せず鳥葬にして欲しい遺言し、そのとおりに葬儀されたという。
イスラム教徒は普通土葬されるのものだけど、彼がもともとゾロアスター教徒っぽい出身だったことを
匂わせている感じだ。ソグドではゾロアスター教の教義によって、人を鳥葬にすると遺骨を専用の骨壷に
入れて、遺骸によって土水火を穢さぬように埋葬する習わしだったそうな。
525世界@名無史さん:2006/06/07(水) 15:38:18 O
鳥葬がダメで火・水・土に触れられないなら、あとは宇宙しかない
526世界@名無史さん:2006/06/07(水) 18:43:04 0
イスラムの埋葬方法は死者を布でくるんでそのまま埋葬する。(メッカ巡礼経験者だったら
そのとき着てザムザムの泉に浸したイフラームという白布で包む)なんとなく中世の欧州での
埋葬方法に似ている。

ソグド人の場合鳥葬以外だと、最近山西省太原で発見された隋代のソグド人有力者、虞弘の墓が
貴重な例となっている。「薩宝」というソグド人コミュニティーではトップクラスの役職に
ついていた人物で、墓も大理石状の貴石を使い、彩色した細かなレリーフを全面に施した甚だ
豪華なものだった。

彼の柩は上下四方を家型の貴石の棺槨で覆ったもので、これによって土に直接接触することを避け
「遺骸によって土水火を穢さぬ」ように配慮したらしい。理屈としては鳥葬後の遺骸を骨壷に入れて
埋葬するのと同じということになる。
527世界@名無史さん:2006/06/07(水) 19:59:41 O
経済的に富裕なインドのゾロアスター教徒であるパルシー教徒も同じような埋葬しているのかな
タータ財閥の金持ちならかなり豪奢にやるのだろうなあ
528世界@名無史さん:2006/06/07(水) 22:55:30 0
自分の目ん玉をカラスにつつかれてもいいのか
ゾロアスター教徒は・・・
529世界@名無史さん:2006/06/08(木) 21:45:51 0
ソグド人の地はソグディスターンとは呼ばれないんでしょうか?
トルキスタン、ヒンドゥスタンは良く使われるし
トハリスタンとかシースタンとかバローチスタンとか言うのに
530ty270410:2006/06/08(木) 21:58:09 0
>>529
もしかして「ソグディアナ」!
531ty270410:2006/06/08(木) 22:10:13 0
>>521
アル・タバリーのタリフの英訳本,ご存知でしょうが・・・・

http://oak.zero.ad.jp/~zae06141/iranhistoryTabaliList.html
532世界@名無史さん:2006/06/08(木) 23:16:09 0
>ソグディスターン
「ソグディスターン」なる名称で呼ばれたと言う話はまず聞きません。
ソグド語の資料ではソグド地方は単に「ソグド」とか「ソグディアナ」とか呼ばれていたようですが、
ソグド地方がアラブ征服された前後からこの地域はアラビア語の「マーワラーアンナフル」と呼ばれる
ことが一般的で、その後の時代で「ソグド」の名前で呼ばれるのはサマルカンドよりも北東のより
奥まった地域を指していました。サーサーン朝でも「ソグド」と読んでいたような。

中期イラン語や近世ペルシア語において地名で「〜iスターン」と呼ばれる場合、イラン系の人々にとって
自分達以外の人々が住み着いている地域を指す場合が多かったようです。
「トルキスターン」は単に「テュルク人の居るところ」という意味ですので、イスラム初期からアルタイ、
パミール以東の突厥やウイグル、カルルクなどの諸族の住む地域を指し、ティムール朝の王子バーブルの
時代でさえ、マーワラーアンナフルよりも北東の地域を指していました。

その後ウズベクのシャイバーニー・ハーンによってマーワラーアンナフルが征服されてしまい、その関係で
この地域までもトルキスターンなどと呼ばれるようになりましたが、これは極最近の出来事です。

アフガニスタン周辺は所属の良く分らない中小の民族が入り乱れているのでトハーリスターンとか
カフィーリスターンなど呼ばれる地域が多いようです。スィースターンはもともとアラビア語で「スィジスターン」
と書かれていましたが、これは紀元前後に中央アジアからサカ系の遊牧勢力が侵入・定住した結果よばれた
「サカスターナ」とか「サギスターン」のアラビア語読みのようです。
533世界@名無史さん:2006/06/08(木) 23:35:27 0
>>531
ボズワース教授が訳注した箇所のコピーの一部を持っています。
ペーパーバック版でいいので全巻揃えたいところですが・・・なかなか。
534世界@名無史さん:2006/06/09(金) 08:52:42 0
シースターンの語源がサカだったとは・・・
535世界@名無史さん:2006/06/11(日) 06:55:36 0
坂合部とかいうのは関係ないか。
536世界@名無史さん:2006/06/11(日) 11:15:11 0
537世界@名無史さん:2006/06/11(日) 14:47:12 O
ササン朝とソグド、出自は同系統のイラン系なのになぜ仲が悪くなったの?
538世界@名無史さん:2006/06/11(日) 15:02:53 0
>>537
この場合の同系統って言語系のことなんで、その問いは
ロシアとポーランド、出自は同系統のスラブ系なのになぜ仲が悪くなったの?
というのと同じ。
539世界@名無史さん:2006/06/11(日) 17:45:46 0
> 同系統・・・なのになぜ仲が悪くなったの

「同系統=仲良し」という前提がまず間違い。
そういう根本的に変な先入観で歴史を見ていくと
歴史は謎だらけでおもしろいかもしんないなw。
540世界@名無史さん:2006/06/11(日) 22:40:49 0
そもそもササン朝とソグドってそんなに仲が悪かったっけ?
ソグドは一つの国ではなくオアシス都市の集合体みたいなもんだったし。
ササン朝VSソグド、という対立にはならなかったと思うけど。
541世界@名無史さん:2006/06/11(日) 23:52:17 0
突厥とかウイグルとかがソグドと組んでたからかもしれんが、それも時期による
シャープールの頃には所謂トゥ−ラーン一帯はササン朝の勢力圏だったし
542世界@名無史さん:2006/06/13(火) 22:16:28 O
ソグド人はイスラム(アラブ人)にかなり激烈に抵抗したらしいね
トルコ人もソグド人を支援したらしい
ウマイヤ朝のホラサン総督クタイバ・ブン・ムスリムはソグディアナを制圧、ソグド人をイスラム教に改宗させた
しかし改宗したにもかかわらずハラージュ(税)が軽減されないことにソグド人は反発し、棄教してトルコ人とともにアラブ支配から離脱、抵抗した
ソグド人の都市ペンジケントの最後の城主ディワシュチチは722〜23年他のソグド人とともにアラブの圧政に抵抗、最後はムグ山城に立てこもって戦ったが、捕えられ処刑されたということだそうだ
543世界@名無史さん:2006/06/14(水) 00:24:58 0
しかし、10世紀以前に中国までイスラム化してたら
世界はとんでもない事になってただろうな。
544世界@名無史さん:2006/06/14(水) 01:37:05 0
「タラスの戦い」ってイスラム帝国が勝ったことになってるけど
中国を支配することはできなかったんだね。
545世界@名無史さん:2006/06/14(水) 02:26:10 0
西から来て中国征服できたヤツっていなくね?
546世界@名無史さん:2006/06/14(水) 06:41:12 0
>>545
周、秦、後間接的にチベットとかウイグルとかも「宗主国」としての支配した、と言えばしたような。
547世界@名無史さん:2006/06/14(水) 16:00:40 O
周は無理だろう
548世界@名無史さん:2006/06/14(水) 16:01:59 O
それにウイグルなんてまだ民族形成できてない
549世界@名無史さん:2006/06/14(水) 16:16:27 0
隋・唐のなんちゃって中国人がいるじゃまいか
550503:2006/06/14(水) 21:52:36 0
鮮卑は東からじゃん
ウイグルも、モンゴリアからトルキスタンへと東から西へ移動した
チベットを除いて、西から中国へ攻め入った例は無い
其れ故、耶律大石やティムールの遠征軍が彼等の死によって中止され
実現しなかった事が悔やまれるのだ
551世界@名無史さん:2006/06/14(水) 22:05:58 0
中国史では、西→東の圧力よりも北→南の圧力の方が
ずっと優勢。匈奴から清朝まで延々続く。
552世界@名無史さん:2006/06/14(水) 22:33:19 0
モンゴル帝国でグユクが死んだ後、西方のバトゥ率いるジュチ家とトルイ家の当主モンケが
オグルガイミシュ皇后を除いてクリルタイを強行。再度のクリルタイで正式にモンケが即位した。
ジョチ家のウルスは西方にあったのは周知の通りだが、じつはトルイ家のウルスもモンゴル本土
のやや西部に当時あったらしい。

まあモンゴル帝国は中国史ではないけど。
553世界@名無史さん:2006/06/25(日) 07:47:33 0
ヨーロッパ遠征も、キングメーカーとしての活躍も、ジュチウルスの経営も
抜都汗ってこの頃のモンゴル最重要人物
554世界@名無史さん:2006/07/01(土) 00:33:54 0
中央アジアって支配して旨味あるの?
555世界@名無史さん:2006/07/01(土) 00:57:07 0
支配しないよりはね。
556世界@名無史さん:2006/07/01(土) 01:33:43 0
中央アジアは給水さえ確保できればとても肥饒な土地で、麦や米、果樹の一大生産地で有名だった。
とくに西瓜やメロン、葡萄は名産地が多かった。園林にはくるみやアーモンドなどが植えられ、
都市部の郊外には牧場もいくつもあった。

旧ソ連から今現在にかけて大規模なモノカルチャー的なプランテーションをやったおかげで
沙漠化、土壌塩化が凄まじいが、やりかたを間違えなければ昔から非常に富裕な土地だった。
557世界@名無史さん:2006/07/01(土) 15:52:52 0
>>556
「バーブル・ナーマ」でも中央アジアの果物は最高だと書いていたな。
まあ、あれは望郷の念の余り、過剰表現が多いが。
558世界@名無史さん:2006/07/01(土) 15:59:09 0
そこで問題は、都市や東西世界との安定物流をいかに整えるかという
点にあった訳。小国分立であちこち通るたびにいろんな関税とられた
り、宗教が異なるから被害を受けていては隊商はたまらない。

そこで交易・物流の安定をシルクロードにもたらしてくれる救世主が
求められていたという訳。
大航海時代以降は廃れてしまったけどね。
559世界@名無史さん:2006/07/01(土) 16:03:57 0
モンゴル帝国の発展に、当時の陸のシルクロード(今では歴史用語としては
死語だが)を支配していたムスリム商人が結構、貢献しているのも
>>558が述べた交易・物流の安定を強力かつ寛容な支配者に求めたのが
主な要因なんだよね。
560世界@名無史さん:2006/07/01(土) 22:21:57 0
マフムードヤラワチなんかが貢献しているわけですね
561世界@名無史さん:2006/07/02(日) 16:56:30 0
商人の貢献と物流安定を求めたのは、その通りだと思う。
話は違うが、シルクロードは死語?一時期はシルクロードとも言えるのでは?
562世界@名無史さん:2006/07/02(日) 17:02:01 0
>シルクロード(今では歴史用語としては 死語だが)
死語なんですか?ある時代ではシルクロードと呼ぶべきとも思えるのですが。
563世界@名無史さん:2006/07/02(日) 17:05:05 0
「シルクロード」は19世紀にドイツ人のリヒトホーヒェンが作った言葉。
現地でそう呼ばれたことはない。
ヨーロッパでは絹が珍重されたから、それを重視してつけたんだろう。
私はあいまいな概念だから使いたくはないけど、一般人相手には便利。
「中央アジアが好き」と言っても「?」だけど「シルクロード」と言えば
納得してくれる。
564世界@名無史さん:2006/07/02(日) 17:14:16 0
>シルクロード(今では歴史用語としては 死語だが)
死語なんですか?ある時代ではシルクロードと呼ぶべきとも思えるのですが。
565世界@名無史さん:2006/07/02(日) 17:40:49 0
だから絹だけを交易してたんじゃないから。
しかも「どこからどこまで」「いつの時代」を特定しにくい
いかげんな言葉なので、歴史用語としては使えない。
566世界@名無史さん:2006/07/02(日) 19:08:23 0
>>557
『バーブル・ナーマ』でマーワラーアンナフルの諸都市が果樹などが美味で、葡萄やメロンなどの
特産物が多いという情報は、アラビア語やペルシア語の地理書などでも古くから称讃されていたもの。
過剰表現かどうかは知らないが、バーブルは故郷のフェルガーナの州都アンディジャーンでは
メロンと葡萄が素晴らしく、アンディジャーンの梨より良い梨は無いとまで言っている。

サマルカンドやブハーラーなどでは、メロンにも何種類も品種があったことは述べているが、
マーワラーアンナフルやアフガニスタンの諸地方に滞在したときはその土地のメロンや葡萄について
すくなからず記録しているようだ。

マルコ・ポーロも同じようにサマルカンドやカシュガルなど中央アジアの諸都市は果樹園や菜園が
たくさんあり葡萄やメロンが名産品として名高いと記録している。
567世界@名無史さん:2006/07/03(月) 18:13:14 0
『バーブル・ナーマ』では若い頃のバーブルがバーブリーという美少年に
惚れ込んで「ターバンも付けずに街中をさまよい歩いた」という
笑える逸話も書いてある。
それと後には大酒飲みになるバーブルの初の飲酒体験が意外と遅く
23歳だという事も。
568世界@名無史さん:2006/07/03(月) 22:48:24 0
メロンの皮を乾燥させると甘くておいしいって話なかった?
569世界@名無史さん:2006/07/05(水) 11:00:18 0
冒頓単于の本名だと言われるba*tur(*は上の縁が沿ったVみたいな記号)ってどんな発音?
現代モンゴル語やテュルク語だと??
570世界@名無史さん:2006/07/05(水) 11:14:47 0
ウランバートル
571世界@名無史さん:2006/07/05(水) 21:54:20 0
バハードゥ−ル
572世界@名無史さん:2006/07/06(木) 01:01:32 0
ボガトゥイリ
573世界@名無史さん:2006/07/06(木) 01:15:19 0
ウラン(赤い)
バートル(英雄)
574世界@名無史さん:2006/07/09(日) 08:49:42 0
ジュンガルのホトゴイチンがチベットから貰った呼称
「バートルホンタイジ」ってのもありますね
575世界@名無史さん:2006/07/09(日) 23:31:50 0
ハンドケルってどういう意味ですか?
576院生A:2006/07/15(土) 22:12:15 0
「バートルホンタイジ」は、「チベット」からではなく、同じオイラトのグゥシ・ハーンからもらったもの。
577世界@名無史さん:2006/07/16(日) 22:58:12 0
中央ユーラシアと中央アジアはどう違うの?
578世界@名無史さん:2006/07/16(日) 23:09:06 0
同じ
強いて言えばドン、ヴォルガ川流域などの東ヨーロッパが含まれている
579世界@名無史さん:2006/07/17(月) 01:07:08 0
>>577
中央アジアは普通マーワラーアンナフルとかトランスオクシアナとかから東トルキスタンも含む
周辺を指す感じだが、
中央ユーラシアは岩波の世界歴史11巻の図だと中央アジアを含め、ハンガリー平原からロシア、
キプチャク平原、アナトリア、シリア、メソポタミア、イラン高原からチベット、アムール河口までの
シベリア全土までが範囲になっている。

歴史的に遊牧勢力の活動範囲内全部が入るみたいだけど、まだ地理的概念としてはまだあまり整理されて
無い感じだ。
580世界@名無史さん:2006/07/17(月) 18:42:48 0
>167 :胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/11/05 02:49
>中央ユーラシアという言葉を最初に使用しだした「デニス・サイナー」の定義では
>ウラル・アルタイ系の諸言語をはなす人々が居住してきたすべての地域を差すようです。
>つまり、地理的な概念というよりも、文化的な概念のようです。
>ただ、最近では最西端はヴォルガ=ウラル地方までと考える学者が増えているようです。

敦煌-ニシャープール-アストラハン間の地域でしょ
581世界@名無史さん:2006/07/17(月) 22:53:46 0
デニス・サイナー・・・Cambridge History of Early Inner Asiaの編者やってた人か
582世界@名無史さん:2006/07/29(土) 22:46:40 0
ロシアの将軍カウフマンは中央アジアを征服したけど
アフガンまで侵攻しなかったのは何故なんですか?
583世界@名無史さん:2006/08/12(土) 12:46:01 0
山があるしイギリスとぶつかるからだろ
584世界@名無史さん:2006/08/23(水) 09:09:19 0
age
585世界@名無史さん:2006/09/09(土) 06:09:34 0
旨みがないから
586世界@名無史さん:2006/09/10(日) 17:55:54 0
つバダフシャンのラピスラズリ鉱
587世界@名無史さん:2006/09/24(日) 09:39:31 0
>>521
クタイバ・イブン・ムスリムに関する資料を探しています。
他におすすめの本、論文がりましたら教えてください。
588587:2006/09/24(日) 10:02:47 0
また『諸使徒と諸王の歴史』、諸国征服誌』がどこで読めるかも教えていただけるとありがたいです。
589世界@名無史さん:2006/09/30(土) 10:52:56 O
やはり中央アジアでオアシス定住民が創った強力な統一的国家はクシャーン朝しかないか
遊牧民的要素も無いことは無いが、基本的にオアシス定住民的な商業立国だし
ローマに東方産品の香料を原価の1000倍で売りつけるなんてなかなかのもんだ
590ty270410:2006/09/30(土) 21:54:14 0
>>588
アル・タバリーは英訳が出版されています.

http://oak.zero.ad.jp/~zae06141/iranhistoryTabaliList
591ty270410:2006/09/30(土) 22:05:07 0
>>588
バラーズリーの日本語訳は次のサイトをご参照ください!

http://www.kotoito.net/islam_history_tech_basic_app4.html
592世界@名無史さん:2006/10/21(土) 10:08:03 0
皆さんはトルキスタンあたりの細かい地名が気になったとき
どういう地図を参照してます?
593世界@名無史さん:2006/10/22(日) 21:30:39 0
大体暗記してるものじゃないのか。
594世界@名無史さん:2006/10/26(木) 21:26:11 O
広義の中央アジアは
旧ソ連中央アジア諸国5ヶ国
新チャンウイグル自治区
アフガニスタン
パキスタン
チベット自治区
内モンゴル自治区
モンゴル

『西域』『内陸アジア』『中央アジア史(同朋舎)』の著書のある間野英二教授による歴史的中央アジアとは上記の広義の中央アジアからチベット、内モンゴル、モンゴルを除いた地域だそうだ
595世界@名無史さん:2006/10/26(木) 21:46:49 0
アフガニスタン・パキスタンは南アジアと云ってもいいし
西アジアと云ってもいいし、つまりそういう場所。
596世界@名無史さん:2006/10/26(木) 21:47:25 0
あ、もちろん中央アジアでもある。
597世界@名無史さん:2006/10/26(木) 23:13:55 O
>>594
チベット=チベット自治区+青海省全域+四川省西半
+甘粛雲南にもちょっとかかる
598世界@名無史さん:2006/10/27(金) 01:49:31 0
>594
忘れられがちなのがロシア領内中央アジア
ハカスとかアルタイとかトゥヴァとか
599世界@名無史さん:2006/10/27(金) 05:09:01 O
間野教授によるとチベット、モンゴルは16C以降、チベット仏教の影響が強い
それに対し、それ以前から歴史的中央アジアはイスラム化してしまい、タジク、パシュトゥーンなど除けばテュルク化してしまった文化的・民族的均一性がある
チベット、モンゴルはそれとは別個の異質な世界ということだそうです
600世界@名無史さん:2006/10/27(金) 21:47:19 0
チベットの場合は、積極的に中央アジアに入るという意見じゃなくて、
地域区分した場合に北アジア、東アジア、東南アジア、南アジア、
西アジアどこにも入らないから、じゃあとりあえず中央アジアに
入れておこうか、という感じだろうね。どれとも異質。

実際はチベットを中心にして、チベット・ヒマラヤ文化圏という
区分が存在するんだが、世界史上政治的に強大な勢力とならなかった
(吐蕃時代くらい)し、詳しい歴史が語られる機会も少なかったから、
軽視されていた。

チベット史やその周辺史がだいぶ明らかにされてきたから、
いずれは「チベット・ヒマラヤ史」という区切りで一冊作られる
ことになるはず。
601世界@名無史さん:2006/10/28(土) 01:06:31 O
モンゴルが中央アジアならバイカル湖も中央アジアだな。
602世界@名無史さん:2006/10/28(土) 01:25:47 0
どーみても東北アジアだが…
603世界@名無史さん:2006/10/28(土) 13:12:18 0
モグーリスタン汗国の版図がイスラム・テュルク圏の東限?
604世界@名無史さん:2006/10/28(土) 23:42:44 0
甘粛〜青海に撒拉族がいるよ。
まあ国作っていないから微妙。

そもそもモグーリスタン・ハンを
テュルク系と呼ぶのはどうなの?

王家の血筋はどうでもよくて、住民が
テュルク系ならOKというのなら
もっとありそう。
605世界@名無史さん:2006/10/30(月) 12:10:57 O
ティムールはなぜ必要のないインド侵略を行ったのだろう?
予定通り明へ遠征すれば
江南制圧までは無理としても永楽帝を破り、中原を制して第2の南北朝時代となったことだろうに
606世界@名無史さん:2006/10/30(月) 19:34:13 0
モンゴル本土行っても背後から狙われる心配を除くためには、
とりあえず北インドの勢力を叩いておいた方が良いとの判断だったのでは。
当時のデリーを押さえていたトゥグルク朝はテュルク系だったし。遠征中に
北上して来たインドの勢力にホラーサーンを取られたなんていったら目も当てられないし。
607世界@名無史さん:2006/10/30(月) 21:56:38 0
モグーリスタン遠征
3年戦役(イランの諸政権)
5年戦役(キプチャクハン国、ロシア)
インド遠征
7年戦役(マムルーク朝、オスマン朝)
と、ティムールは遠征を繰り返しただけで、どこを支配したと言う訳でもない
最初から最後までマーワラーアンナフルとホラサーンだけが領土である
中国遠征があっても、中原適当に荒らしまくって明朝にティムールへの臣従を誓わせるが関の山
608世界@名無史さん:2006/10/30(月) 23:55:42 0
よくある遊牧民の来襲と大差ないわけか。
そもそも、強さではティムールよりも北元のほうが上なんじゃないか?
609世界@名無史さん:2006/11/01(水) 23:38:29 0
当時の北元はいまいちでしたからねぇ〜どうでしょう?
610世界@名無史さん:2006/11/06(月) 22:09:39 0
中央ユーラシア、オアシス諸都市を支配し
イランやインドへ攻め入った、と言うと
エフタルと見分けがつかなくなる
611世界@名無史さん:2006/11/12(日) 00:50:42 0
age
612世界@名無史さん:2006/11/15(水) 16:30:29 0
佐口透氏死去
http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20061114000278
佐口 透氏(さぐち・とおる=金沢大名誉教授、中央アジア史)
13日午後10時半、老衰のため死去、90歳。
金沢市出身。
613世界@名無史さん:2006/11/26(日) 18:56:35 0
質問です、東トルキスタンの歴史で
チンギスの系統であったモグーリスタンハン国から
どういう経緯でホージャ一族の支配に変わったんでしょうか?
614世界@名無史さん:2006/11/26(日) 20:45:34 0
1680年、ジュンガルのガルダンがタリム盆地を征服した時に
モグール・ウルスのハーンだったイスマーイールはイリに拉致され、
傀儡としてハーンに即位させられたアブドゥッラシードもすぐに廃され、
イリに連行される。
アブドゥッラシードの後は彼の兄弟らがハーンに即位するものの、
彼らもカシュガル・ホージャ家のアーファーキーヤ(イーシャーニーヤ、
アクタグルク(白山党)とも呼ばれる)によって殺害されて、
モグール・ウルスのチャガタイ家のハーンの家系は断絶し、
カシュガル・ホージャ家でアーファーキーヤのアフマド
(母方でハーン家の血を引く)がハーンとして即位した。
615世界@名無史さん:2006/11/26(日) 23:24:06 0
さんくす
616世界@名無史さん:2006/11/27(月) 02:56:42 0
>614のアフマドはホージャ・ヤヒヤーの息子という説と
カン位を奪還したチャガタイ家アクバシュ・カンの息子で、
ヤヒヤーの娘婿だったから、ホージャでありスルターン/
カンでもあった、という説があるらしいね。後者の説は
嶋田襄平、佐口透らが詳しく論じてた。

その後はその子マンスールが継いで、1755年にそのマンスールが
清朝に投降してカシュガル・カンは絶えた。マンスールと弟カースィムは
北京に移った。その後チャガタイ家はどうなったか知らない。
617世界@名無史さん:2006/11/29(水) 19:01:52 0
嶋田先生ってロンドン留学して、アラブ史の専門家に転進する前は
日本で東トルキスタンの研究されてたからな。
618世界@名無史さん:2006/12/13(水) 21:01:47 O
モグールアゲじゃ
619世界@名無史さん:2006/12/24(日) 18:54:44 0
>>614
>>615
お詳しそうなので…
ヤルカンドとかもカシュガルのホージャが支配していたんでしょうか?
620世界@名無史さん:2006/12/30(土) 00:06:05 0
先に来ていたイスハーキヤ(黒山党)がヤルカンドを拠点にしていて
後から来たアーファーキヤ(白山党)がカシュガルを拠点にした。
621世界@名無史さん:2007/01/25(木) 22:32:42 0
ホータンやクチャはどうなの
622世界@名無史さん:2007/02/08(木) 13:01:57 O
ソグドは突厥に軍事的なことを委託したといわれるが
玄奘はソグドのチャカル兵(近衛兵)は勇猛で非常に強いと述べていますね
またソグドの兵士は人口に対し高い割合であったらしいですね
623世界@名無史さん:2007/02/11(日) 00:54:33 0
>622
玄奘の記録するソグドのチャカルがすでにテュルク系の連中だった。
ソグドの兵士がソグド人だとは限らない。
624世界@名無史さん:2007/02/19(月) 20:46:01 0
朝日の夕刊(地方は明日の朝刊でしょう)で
森安先生が「中央ユーラシア史観」を語ってた。
興亡の世界史5『シルクロードと唐帝国』発売
がらみのキャンペーン。森安先生もついに
メジャーデビューか、感慨深い。実力ある先生
だからむしろ遅すぎたともいえる。

傑作「吐蕃の中央アジア進出」「ウイグルと吐蕃の
北庭争奪戦」あたりも単行本にまとめて
一般人も読めるようにしてほしい。
625世界@名無史さん:2007/02/19(月) 23:12:40 0
ただし中央ユーラシア史観があたかも森安オリジナルであるか
のように書くのはどうかと思うな。記事をまとめた記者が馬鹿
なんだろうけど。
626世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:34:11 0
高校の世界史レベルでも「中央ユーラシア」っていう概念は持てないから
新聞記者が知らなくてもしゃーないんじゃないの。
そもそも私の周りでも「中央アジア」という言葉自体通じないことが多い。
「中央ユーラシア」なんてなおさら通じない。
興亡の世界史のタイトルで「シルクロード」という言葉を使ったのも
その方が一般人にわかりやすいからでは。
627世界@名無史さん:2007/03/03(土) 17:20:43 0
チベットとウイグルによる北庭争奪戦
シルクロード云々が何処まで関係あるのやら…
628世界@名無史さん:2007/03/07(水) 23:35:57 0
「チベチスタンになっていたかも知れない」
とは言うものの
629世界@名無史さん:2007/03/10(土) 14:02:48 0
小松久男教授と一緒に研究ができるのは優秀な人ですか。
630世界@名無史さん:2007/03/23(金) 21:41:19 0
そうです
631世界@名無史さん:2007/03/24(土) 14:52:51 0
〜スタンって〜の国って言う意味だよ
632世界@名無史さん:2007/03/25(日) 03:00:10 0
>〜スタン
厳密に言うと違う。「〜が存在している(ところ)」くらいの意味のペルシア語の接尾辞。
本当は「〜エスターン、〜イスターン」とか発音するが、中央アジアなんかで「〜スタン」
という「国名」が多いのはこれらの地域のテュルク語はペルシア語文化の影響が強かったため。
「カザフ人が(たくさん)居るところ」「ウズベク人が(たくさん)居るところ」
「アフガン人が(たくさん)居るところ」「タタル人が(たくさん)居るところ」・・
という意味でカザフスタン(-istan,-estanのe,iが脱落)、ウズベキスタン、アフガニスタン、
タタルスタン(これはiの母音調和)・・という具合。

例えば、病院の事をペルシア語で「ビーマーレスターン」というが、これも
「病人(ビーマール)が居るところ」という意味。
633世界@名無史さん:2007/03/26(月) 22:44:24 0
似たような質問ですが
ファールスを始めとして、ホラサーン、ギーラーン、アゼルバイジャーンなどに〜スタンと付かないのは
イラン人の土地に、わざわざ「〜が存在している」と付ける必要が無かったからなんでしょうか?
634世界@名無史さん:2007/04/02(月) 19:52:26 0
石油
635世界@名無史さん:2007/04/03(火) 13:34:58 0
基本的に地名で「〜スタン」と名前が付いているのはイラン方面の人間にとって、
「他人の土地」だから。つまり飽くまでも「他称」。
だからこそ「だれそれ人がすんでいる(土地)」などという名で相手側に名付ける。
例えば、アフガニスタンもゴールとかガズナとかカーブルとか固有の地名が色々あるけれど、
アフガン人たちがこの地域をおさめるようになったので「アフガン人たちのいる地域」で
「アフガーニスターン」になった。(こちらは他称が自称になった感じ)

たぶん自分達の土地はずっと自分達が居続けているのでわざわざ自分達に「〜スタン」
なんてつける必要がなかったからじゃないだろうか。ああ、でもタバリスターンとか
フーゼスターンは言うが、これもイラン本土の人間からすると他称か。
636世界@名無史さん:2007/04/14(土) 17:49:54 0
アラブ圏や欧州方面もやはり「〜スタン」で呼び習わしているんでしょうか?
637世界@名無史さん:2007/04/15(日) 20:41:01 0
フランキスタンとは言うな
638世界@名無史さん:2007/04/18(水) 21:01:49 0
野尻湖クリルタイって知ってる人いる?
中央ユーラシアの研究をしてる人が長野県の野尻湖に集まってオリジナルにちなんで色々話し合いをしたり
飲んで親睦を深めたりするんだって大学の先生が言ってたんだが、どんな事やってるのか
興味あるんだけれど、誰か参加した人いないかな。
639世界@名無史さん:2007/04/18(水) 23:20:34 0
イランじゃハンガリーのことマジャーリスターンって言うね。
マジャールって単語自体はモンゴル時代あたりからイラン・
中央アジアの文献(『元朝秘史』にも)に出て来るけど。
640世界@名無史さん:2007/04/29(日) 00:24:42 0
東の方のモンゴル高原辺りはなんて言われてるのでしょうか?
モグーリスタンはセミレチエやタリム辺りにしか見えないし
641世界@名無史さん:2007/05/03(木) 19:26:38 O
モンゴルは中央アジアではないでしょう
642世界@名無史さん:2007/05/03(木) 20:44:33 0
んなこと言ったらハンガリーだって中央アジアじゃないよ
643世界@名無史さん:2007/05/04(金) 07:47:00 0
>>640
実は元々、『世界征服者史』や『集史』が編纂された頃はモンゴル高原のことを
ペルシア語では「モグーリスターン」と呼んでいた。

ケレイト王国やナイマン王国、タタルやキヤト氏族を含むモンゴル諸部族など
遊牧勢力同士が互いに覇を競っていたモンゴル高原全体が「モグーリスターン」。
『集史』などはチンギス・カンやバトゥが西方への遠征から帰還した時も普通に、
「モグーリスターンへ帰還した」みたいな表現をしている。

チャガタイ家の東部領域、バーブルの頃に「モグーリスターン」と呼んでいた
カシュガルやトルファンなどの地域は、元々モンゴル帝国時代は「ウイグリスターン」
と呼ばれ、その名前の通り天山ウイグル王家が領土を安堵されていた。

この時代、かつて西遼が支配する領域は「トルキスターン」と漠然と呼んでいたようで、
マー・ワラー・アン=ナフルの東、パミール盆地から金朝のあった「ヒターイー」や
「タングート」、「モグーリスターン」の境域までをも含んでいたようだ。
文脈によっては「ウイグリスターン」も「トルキスターン」に含まれていそうな印象が
あるが、そこら辺の微妙な感じは大元朝時代のウイグル文書とか研究している人に
聞いてみたいところ。
644世界@名無史さん:2007/05/20(日) 07:57:04 0
漢語で新彊と呼べば無問題
645世界@名無史さん:2007/05/20(日) 15:07:38 0
むしろ漢語でトルキスタン(新彊含む)は、どう言われているのだろう?
「西域」以外で
646世界@名無史さん:2007/05/20(日) 16:03:09 0
今の中国語では
ttp://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E5%8E%A5%E6%96%AF%E5%9D%A6
突厥斯坦、または土耳其斯坦、らしい。斯坦がスタン。
647世界@名無史さん:2007/05/23(水) 00:27:32 0
ttp://zh.wikisource.org/w/index.php?title=%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B7070&variant=zh-tw
漢書の巻七十、傅常鄭甘陳段傳、第四十とかではタリム盆地の諸国を
指して城郭諸國と呼んでおるようだ。
648世界@名無史さん:2007/05/27(日) 10:58:11 0
城郭諸國
(・∀・)カコイイ!!
649世界@名無史さん:2007/06/02(土) 10:40:00 0
age
650世界@名無史さん:2007/06/09(土) 05:01:24 0
新疆の「疆」の字が間違ってるのはお約束?
651644:2007/06/10(日) 16:43:15 0
ただの間違いです
652世界@名無史さん:2007/06/17(日) 20:00:17 0
新シルクロード本日放映
653世界@名無史さん:2007/06/24(日) 21:21:21 0
新シルクロード本日も放映
654ty270410:2007/07/01(日) 22:57:47 0
>>624
森安先生といえば,最近『モンゴル年代記』が刊行されましたね!

http://www.toho-shoten.co.jp/kbook/JBookView.jsp?cbc=4891748449
655世界@名無史さん:2007/07/02(月) 00:43:04 0
>654
何言ってんの?森安先生がやってんのは主にウイグルだよ。
その本は森川哲雄先生。
656ty270410:2007/07/02(月) 20:29:26 0
>>655
もうろくしました!
失言訂正します.
657世界@名無史さん:2007/07/02(月) 22:26:19 0
新シルク道路はあんまりおもろくないな…
658世界@名無史さん:2007/07/07(土) 19:26:35 0
歴史の話が少ないからね

ソヴィエト時代の強制移住は近現代史だと言えばそうなんだが
659ty270410:2007/07/14(土) 23:20:16 0
カザフスタンに強制移住させられた朝鮮人老人が歌っていた
朝鮮語の歌のメロディーは日本の歌謡「美しき天然」だった.
戦前,ウラジオストックとその近辺には日本人が住んでいたから,
当時,日本国民だった朝鮮人は日本の歌謡に親しんでいたのだろうか?
660世界@名無史さん:2007/07/14(土) 23:28:34 0
どうだろ、音楽ってのは結構伝播力が強いからなぁ。
韓国の国歌のメロディが蛍の光だったこともあるくらいだし。
661世界@名無史さん:2007/07/15(日) 01:16:15 0
姜信子が「天然の美」を追って中央アジアまで行った話はこの本だった。

http://sekifusha.com/index.php?itemid=76
> 『追放の高麗人(コリョサラム)──「天然の美」と百年の記憶』
> 文/姜信子 写真/アン・ビクトル
> 四六判上製 288頁 定価2100円
> 1902年、長崎・佐世保の女学校の愛唱歌として作られた「天然の美」。
> 日本初のワルツ、またはサーカスの「ジンタ」として知られるこのメロデイが、
> 朝鮮半島を経由し、スターリンによる強制移住政策によって遥か
> 中央アジアに追放された朝鮮民族=高麗人たちに今も歌い継がれている
> という数奇な運命に魅せられた著者が、ウズベキスタンで出会った写真家
> アン・ビクトルとともに、かの地で希望を失わずに生きる人々の物語を
> 紡ぎ出した佳作(2002年地方出版文化功労賞受賞)

余談だが「その歌は実は日本の歌なんですよ」と告げると、
老コリアンたちは「そんな馬鹿な話はない!」と一様に火病を
起こすんだそうなw。血は争えないw。
662世界@名無史さん:2007/07/15(日) 13:35:28 0
火病って怒りを溜め込んでストレスで病気になることでなかった?
というか中央ユーラシアと関係なくてすまん
663世界@名無史さん:2007/07/19(木) 10:51:08 0
カザフ人とモンゴル人の違いは宗教だけ?
664世界@名無史さん:2007/07/19(木) 13:51:56 0
カザフ語とモンゴル語は全然違うよ
665世界@名無史さん:2007/07/19(木) 17:19:02 0
ちがう

666世界@名無史さん:2007/07/19(木) 22:37:26 0
カザフとオイラートは度々戦争を繰り返したが
それも他者意識が為せる業かと

両方とも典型的な遊牧民だけど
667世界@名無史さん:2007/07/20(金) 00:06:20 0
カザフとモンゴルは二大遊牧民族ってとこですな。本人達も実際の
職業はさておき「我らは遊牧民族」といった意識があるように見える。
668世界@名無史さん:2007/07/21(土) 02:02:33 0
オイラートによってカザフは一時駆逐・奴隷化されていたのが、
清朝に皆殺しにされた後にカザフが戻ってきて、オイラートの住んでいた新疆北部にも拡大したはず。
669世界@名無史さん:2007/07/21(土) 02:05:27 0
清朝にオイラートが殲滅されたとき、カザフスタン方面に散り散りに逃亡したオイラートは、カザフによって殺されるか奴隷として売り飛ばされた。
670世界@名無史さん:2007/07/21(土) 21:50:35 0
カザフの部族の中にケレイとかナイマンとかいるんすよね
671世界@名無史さん:2007/07/22(日) 22:43:19 0
モンゴル高原もかってはトルコ語だった?
今はバヤン・ウルギー県のカザフ人だけ。
672世界@名無史さん:2007/07/22(日) 23:01:27 0
匈奴や鮮卑や柔然をモンゴル系とする説もあるし、当時トルコ系言語とモンゴル系言語が
今のように分化してたのかどうかもよく分からんような。
673名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:09:03 0
バイリンガルの遊牧民も居たと思う。
674名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:01:41 0
そりゃいるよ
現在もカザフ人はロシア語や漢語を用いたりする(特に都市化した人達)
675世界@名無史さん:2007/07/31(火) 18:51:11 0
遊牧民は女略奪して結婚していたのでバイリンガル?
676世界@名無史さん:2007/07/31(火) 18:55:08 0
カザフ=白人顔(琴欧州みたいな顔?)
オイラート=モンゴル顔(朝青龍みたいな顔)
677世界@名無史さん:2007/07/31(火) 20:47:39 0
カザフは広いからピンキリだと。
クルグスと区別つかないモンゴル人顔もかなり多いよ。
678世界@名無史さん:2007/07/31(火) 23:29:12 0
カザフ=モンゴル顔
679世界@名無史さん:2007/07/31(火) 23:54:35 0
ロシアですらモンゴル顔がいる訳だし
モンゴロイドとコーカソイドの線引きを民族でしようなんてのが間違いだろ
680世界@名無史さん:2007/08/01(水) 01:35:12 0
カザフ人は目が細いのはモンゴル人と一緒だが顔も細い
681世界@名無史さん:2007/08/05(日) 12:16:56 0
うあーっ!
今年も知らないうちに野尻湖クリルタイ終わってるじゃん!
682世界@名無史さん:2007/08/22(水) 10:08:05 0
どうでもいいが漫画板の「喧嘩商売」のスレで
おすすめ2ちゃんねるを見たらこのスレがあった。
683世界@名無史さん:2007/08/22(水) 20:40:30 0
>>682
最近喧嘩商売楽しいよな。喧嘩王に空手王・・・
684世界@名無史さん:2007/09/08(土) 22:34:10 0
来週は再開のようですな、喧嘩商売

と、中央ユーラシアとはなんも関係ないのはアレなんで
中央ユーラシアの格闘は取っ組み合いばっかで打撃系がない
何故なんでしょ
685世界@名無史さん:2007/09/09(日) 21:40:53 0
基本は馬上で射殺すのが仕事だから、取っ組み合いは最後の手段なんじゃ?
686684:2007/09/09(日) 22:51:57 0
そりゃそうだ、格闘なんて武器があったらお終いだ
武器は置いておいて
空手、ボクシング、カポエイラ、ムエタイとかある中で何故か中央ユーラシアは
って話なのねん
687世界@名無史さん:2007/09/10(月) 17:11:45 0
そこはやはりアフガン航空相撲でそ
688世界@名無史さん:2007/09/13(木) 09:44:22 0
>>686
鎧を着込んでいる時に打撃だと止めを刺し辛いのかも。
取っ組み合いで首絞めたら勝ちだし。
689世界@名無史さん:2007/09/13(木) 23:08:50 0
モンゴル帝国以後の中央アジアやイランの細密画を見ると
鎧武者同士が小刀を持って組討してたりする
690世界@名無史さん:2007/09/15(土) 23:20:52 0
そのミニチュアールはあれですか
アフガンの相撲取りが空飛んでたりするのですか?
691世界@名無史さん:2007/09/21(金) 13:18:01 0
それはないが頭を唐竹割りにされた兵士が地面に転がってたりする。
692世界@名無史さん:2007/09/23(日) 15:02:11 0
アフガン相撲と言うと「クシュティ」の事なのだろうが
航空相撲の事ではない
693世界@名無史さん:2007/09/24(月) 13:09:04 0
そういやハンガリーの彩色年代記にトルコ系遊牧民クマン人と
ハンガリー王が格闘する絵が載っていましたが、どう見ても相撲でした。
694世界@名無史さん:2007/09/26(水) 10:37:26 0
ハンガリーは何系の遊牧民だっけ?
695世界@名無史さん:2007/09/26(水) 21:26:25 0
たしかフィン・ウゴル系では?
696世界@名無史さん:2007/09/30(日) 21:58:55 0
マジャールは先祖が遊牧民なので
クマン人にも親近感を持っていた
なんて言われている
697世界@名無史さん:2007/10/07(日) 19:32:18 0
ヨーロッパだったら普通にグレコローマンのレスリングのような気もするが
698684:2007/10/10(水) 23:49:36 0
その点パンクラチオンは目突き、噛み付き、金的など何でもアリ
文字どおりの殺死合い
古代ローマ人は野蛮だね
各々の格闘技でも死ぬ人もいるのでしょうが、それはあくまでイレギュラー
ボクシングとかも含めて、格闘技は修練だと思う
699世界@名無史さん:2007/10/21(日) 02:04:00 0
あら、いつの間にかエフタル・スレ落ちちゃったね
700世界@名無史さん:2007/10/21(日) 11:09:13 0
基本、遊牧民は記録を残しませんからスレ継続は難しい
突厥でようやく文字使いはじめるのに、それ以前では特に
701世界@名無史さん:2007/10/27(土) 16:08:17 0
遊牧民が記録を残していれば

匈奴→中央ユーラシア経由→フン
柔然→中央ユーラシア経由→アヴァール

なんかもはっきりすんだけど
702増子美香 ◆IsDLloaI16 :2007/10/28(日) 18:59:39 O
そもそもユーラシアってどの辺りなの?

ヨーロッパ全体を指すんじゃないの?
703世界@名無史さん:2007/10/28(日) 19:31:05 0
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ユーラシア大陸(ユーラシアたいりく)は、アフリカ=ユーラシア大陸のうちスエズ地峡の東側の部分を占める大陸をいう。
アフリカ大陸とは陸続きになり、アジアとヨーロッパにまたがる。アジアとヨーロッパの境界は明確でないが、ウラル山脈を
境にする説などがある。現在はヨーロッパを、ユーラシア大陸の大きな半島部分とみなし、1つの大陸としている。ユーラシア
(Eurasia) の名はユーロ (Euro) + アジア (Asia) より。
面積5492万平方km、全陸地面積の27%を占める。海岸線総延長距離は10万7800km。
モンゴル高原から黒海北岸のキプチャク平原にいたる地域を中央ユーラシアと呼ぶ。遊牧民の諸国家と定住民の諸国家が中央
ユーラシアをめぐって興亡した。また、中央ユーラシアは東アジア、南アジア、西アジア、ヨーロッパを結ぶ陸の交易路の結
節地帯であり、経済・文化の交流が盛んにおこなわれた地域でもある。
704世界@名無史さん:2007/11/10(土) 23:52:27 0
フン、アヴァール、マジャールなど中央ユーラシアから進出して来たのでしょうが
彼等の勢力範囲ってどの辺までだったのでしょう?特に東側
ドン川あたりまでなのか、キプチャク草原全域に及んでいたのか…
705世界@名無史さん:2007/11/13(火) 20:54:08 0
>>704
フンはササン朝ペルシャともやりあってます。てことは
北カフカズには達していたかと。一方、中央アジアでは既に
エフタルが興っていたので、さてどういった勢力圏だったやら。

アヴァール全盛時、突厥も全盛時であり、北カフカズでササン朝
ペルシャとやりあってました。そこまで勢力圏とすれば、
アヴァールとの境界はドン川だかウクライナのどっかでしょうか。

マジャールはハザールの勢力を振り切ってパンノニアに入りましたが
東方は衰えたとはいえハザールが存在。そしてハザール北部草原地帯
はやがてペチェネグの支配下となり次にクマンの支配下となり…
そんな具合ですからそんなに東方には勢力は広げられなかったかと。
カルパチアとか頑張ってドニエストルとかそんなもんじゃ。
実際、マジャール西向いて結局ヨーロッパの国になったわけで。
706世界@名無史さん:2007/11/16(金) 23:37:09 0
アヴァール、マジャールの頃はルーシもありますし
707世界@名無史さん:2007/11/17(土) 00:15:43 0
>>706
アヴァールはフランクのカール大帝により796年に滅びましたが
(当時は既にパンノニアだけの国になっていた)、ルーシは
リューリクの伝説的なノヴゴロド建国でも862年といったところ
ですから時期がずれてます。

アヴァールの故地はフランクとブルガリアによって分割され、
モラヴィアが広がったこともありますが、やがてマジャール
によって支配されることとなります。

東方の現ウクライナ方面はハザールが広がっていました。
708世界@名無史さん:2007/11/17(土) 11:10:14 0
>>707
世界史だとカール大帝に滅ぼされたって言われるだけだけど、それ以外の問題が大きいのに
最後の一押しでカール大帝の実績にされて悔しいって大学の先生が言ってたな。
709世界@名無史さん:2007/11/19(月) 01:38:55 0
3ハン国時代の首都が全部ウズベキスタン領になってるのは
単にウズベク人が多く住み続けてたから?
710世界@名無史さん:2007/11/24(土) 21:46:24 0
ウズベクとタジクは普通に混住していた
アフガニスタン北部なんかをイメージすれば間違い無いと思う
ウズベキスタン領の線引きはソヴィエトが引いただけなんでは
711世界@名無史さん:2007/11/24(土) 23:20:19 0
ブハラやサマルカンドなんかはウズベクとタジクが混在してたし
実際タジクも「そこよこせ」と言ってたらしい。ウズベク/タジクの
線引きはほんとソ連の意向だけでエイヤッと引いただけ。
712世界@名無史さん:2007/11/26(月) 00:18:13 0
ソ連的にはイラン系に近いタジクよりウズベクを贔屓したかったのかな
713世界@名無史さん:2007/12/08(土) 21:08:39 0
まっ、ロシアでもタタール系の人々にしてみればウズベクはチュルクの同胞ってかんじで
ウズベクほかチュルク系の近代化への順応を促したとは言うけど
タジクはどーか知らん
それに国境の線引きがどう影響したのかと言うのも
714世界@名無史さん:2007/12/10(月) 22:49:48 0
なにげに中央アジアの諸ハン国もジュチ裔国家であるんでロシアの仲間
715世界@名無史さん:2007/12/10(月) 23:43:26 0
モンゴル以降はともかく古代の遊牧民が国境持ってる訳でもないでしょ。
部族ごとのなわばりくらいで
時期によっては重なり合って住んでたんだろうよ。
716世界@名無史さん:2007/12/16(日) 07:14:49 0
文庫クセジュの「カザフスタン」にはスターリンが最初中央アジアをウズベク人・キルギス人(カザフとクルグズ)・トルクメン人の
地域に分けようと考えてタジク人は無視されていたとあるけど、理由は書いてなかった。
717世界@名無史さん:2007/12/16(日) 08:45:16 0
クセジュの本って肝心なところで記述が短いような
718世界@名無史さん:2007/12/25(火) 22:34:46 0
テーマはおもしろそうだけど、買って読んでみると
物足りないのが多いよな。読み返すことが少ない。
719世界@名無史さん:2008/01/14(月) 23:19:04 0
ロシアが赤化する時、ウズベクの王様達はどーなったの?
どっか亡命した?
720世界@名無史さん:2008/01/22(火) 19:08:03 O
ブハラやヒヴァのハーンは青年ブハラと青年ヒヴァが赤軍支援下により排除されました
1918年にまずトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国成立(現トルキスタンとキルギス、ウズベク北東
カザフ南端に二分)
1920年にキルギス自治ソビエト社会主義共和国(現カザフ大部分)、ブハラ人民ソビエト共和国
(現タジク、ブハラ地域)、ホラズム人民ソビエト共和国(現ウズベク西半分)成立
1924〜25年に民族別国境画定が行われるが、ソビエト社会主義共和国になるためには
最高段階の民族として承認された「民族(ナーツィヤ)」の資格付けが必要であった
やや強引な民族画定が行われた
ウズベクとタジク(特にタジク)は民族帰属意識が希薄であったため、タジク人が多数を占
めるブハラとサマルカンドを自国に編入できなかった
721世界@名無史さん:2008/01/22(火) 22:33:34 0
排除って…やっぱ銃殺かな?
722世界@名無史さん:2008/01/23(水) 00:13:27 0
遊牧民ったって、平時には、ちゃんとナワバリがあって、決まったルートで移動し、
決まった範囲の土地で放牧をしていた。
そこに割り込まれると、農耕民の利水争いや漁民の漁場争いのような、死闘。
勝手気ままに移動していたわけではない。

地縁よりも人的なつながりの方が強いので、封建的関係になりやすい。
国境ではなく、階層的に、この人(家族)は、どの人と仲間、どの有力者と
庇護関係にある、というふうになる。
すぐ近くにものすごい有力者があれば、あたり全てその人の庇護下にあるという
関係になるけれど、勢力圏の境界付近では、飛び地状・モザイク状の被庇護者が
分布していたり、両方の有力者に付け届けをする両属状態だったりる。
国境ではなく、庇護関係とその放牧地のある限界が勢力圏ということになめだろう。
723世界@名無史さん:2008/01/23(水) 04:54:25 0
ブハラの最後のエミールはモハンマド・アリム・ハーン
1918年に赤軍がブハラまで行軍し降伏を要求、エミールは使節とブハラのロシア人数百人を血祭りにあげて返答とした。
ブハラ人によって赤軍は撃退され、彼らはタシケントに撤退した
1920年9月2日、中央から増援を得た赤軍がブハラ攻撃開始、4日後陥落。
エミールはドゥシャンベ経由でカブールに亡命し、同地で1944年に没した。
724世界@名無史さん:2008/01/23(水) 07:00:36 O
タジクは1920年にブハラを首都とするブハラ人民ソヴィエト共和国に編入さ
れ、1924年の再編時も共和国として独立できず、ウズベク共和国に属するタ
ジク自治共和国として存在して、ようやく1929年にタジク共和国として独立
ソ連邦構成共和国の一つに昇格した
725世界@名無史さん:2008/01/25(金) 22:12:25 O
ウズベク人が滅ぼしたティムール帝国
しかし今ウズベクで英雄として崇めているのはそのティムール
ウズベクにはアブル・ハイムやシャイバーニー・ハーンのようなウズベク人の英
雄がいるのだが
726世界@名無史さん:2008/01/25(金) 22:15:55 0
徳川幕府を滅ぼしたのは明治政府なのに、
徳川家康を崇める日本人が多いのはおかしい、
みたいな話だな。
727世界@名無史さん:2008/01/25(金) 22:19:50 0
以外とさ、そのウズベクの王様が残っていれば
ウズベク人の偉人としてトクタミシュが挙げられていたりしたんじゃね?
ティムールやエディケは悪者で
728世界@名無史さん:2008/01/25(金) 22:41:30 O
シャイバーニーも中央アジア史を少しでもやった人間は知っているかもしれんが
やはりティムールの知名度にはかなわない
おそらく現政権の強圧的政治体制(トルクメニスタンやベラルーシほどでないが
)に利用されているのだろう
729世界@名無史さん:2008/01/26(土) 04:30:18 0
トルクメニスタンやベラルーシでは数百人単位の国民虐殺事件が起こったことは無いが
730世界@名無史さん:2008/01/26(土) 18:36:25 O
トルクメンバシの徳政の賜物だよ。
731世界@名無史さん:2008/01/29(火) 21:33:01 0
エディゲはロシアのタタールやカザフで英雄だけどウズベクでも評価されてんの?
732世界@名無史さん:2008/01/30(水) 13:09:11 0
>>731
たしかエディゲの子孫がアブルハイル汗の部下だったような
733世界@名無史さん:2008/02/02(土) 05:58:06 0
保護国時代のブハラはマンギト部が支配してたから全く縁がないというわけでもないし、
カラカルパクやウズベクにもノガイ体系は伝えられてるけど、
話の舞台があの辺とはあんまり関わりがないからマイナー扱いって事みたいね。

エディゲの子孫がロシアの公爵になってラスプーチンの暗殺に関わってるってのが驚き。
734世界@名無史さん:2008/02/02(土) 22:31:10 O
ナンバーズ当たって小金が出来たから勢いで『ティムール帝国支配層の研究』っ
て本買った
7000円以上もしたが、まあ読みごたえはあったな
735世界@名無史さん:2008/02/04(月) 22:22:16 0
>734
あれは論文集で、論文コピーの形ですでにだいぶ持ってるから
なかなか買う気にならないんだよな。
736世界@名無史さん:2008/02/04(月) 22:22:40 0
>734
あれは論文集で、論文コピーの形ですでにだいぶ持ってるから
なかなか買う気にならないんだよな。
737世界@名無史さん:2008/02/05(火) 10:11:54 0
図書館に行ったら「ティームール朝史の研究」が中東イスラム圏の棚
「ティムール帝国支配層の研究」が中央アジアの棚に分かれていた。
738世界@名無史さん:2008/02/05(火) 21:21:40 0
>>728
サマルカンドのグリ・アミール廟でタジク人の番人の爺さんに
「In reality・・・Timur is not hero of Uzbek, but hero of Tazik」
と言ったら大喜びされた。
739世界@名無史さん:2008/02/06(水) 02:31:17 0
>>725


ムハンマド・シャイバーニーは別に民族浄化とかやった
わけじゃないし。数なら北の草原からやってきた人より
元々マーワラーアンナフルにいた人のほうが多いでしょうな。

かといって北のキプチャク草原は反アブルハイル派
として分離した集団がカザフ人として主役になったから
アブルハイルは正に民族創世神話における敵役
になってしまう。
740734:2008/02/08(金) 21:57:45 O
>>734の本見てたら
ティムールの第2子ジャハーンギールの死因が下痢になっている
下痢で死ぬのか?
741世界@名無史さん:2008/02/09(土) 14:57:22 0
コレラとか下痢になる病気かな?

それよりトゥグリルベクが鼻血で死んだって本当?
742世界@名無史さん:2008/02/09(土) 16:11:39 O
>>741
家庭内暴力?
ティムールのDVか
743世界@名無史さん:2008/02/09(土) 22:51:15 0
そういえばサファヴィー朝末期にアフガン人を率いてイスファハーンを占領した
ギルザイ族のマフムードは、「精神錯乱に加えていろいろな病気にかかり、
内臓の状態が滅茶苦茶になって口からウンコを漏らした」
とか同時代史料に書かれてるらしいw
744世界@名無史さん:2008/02/10(日) 04:03:58 0
>>740
激しい下痢で脱水症状を起こせば死に至ることもある
745世界@名無史さん:2008/02/10(日) 09:41:08 O
>>744
でも王族だぞ
医師だって水だって庶民より恵まれていると思うけど
746世界@名無史さん:2008/02/10(日) 15:17:16 0
>>741
トゥグリル・ベクが今のテヘランの北側の地区に滞在していた時に、
「冷たい空気が降りて、空気が極端に暑くなった」とか良く分からない現象に襲われたとかで、
それが原因で鼻血が止まらなくなって、医師団が投薬を試みたけど一向に回復せず、そのまま
止血出来ずに衰弱死した、とかいう話しみたい。

セルジューク朝最後のスルタン、トゥグリル三世に仕えたラーワンディーって人が、13世紀の
初頭にルーム・セルジューク朝のスルタンに請われて献呈したセルジューク朝の通史に出てくる
話し。トゥグリルが死ぬ直前にアッバース朝カリフの娘を娶るとか娶らないとかで揉めてた
らしくて、鼻血云々もどうも毒殺臭いんじゃないか、っていう話を聞いたことがある。
747世界@名無史さん:2008/02/10(日) 15:45:28 0
>>745
イルハン朝の第八代君主オルジェイトゥも下痢が止まらなくてそのまま病死しているそうだ。
普段からの暴飲暴食(特に過渡の飲酒僻)が祟ったらしくて、赤痢とかの伝染病と言うよりも
癌とか内臓疾患だかが病因じゃ無いかとかいう話を「ケンブリッジ・イラン史」あたりで
読んだような・・・ ジャハーンギールはどう言われてたか。

『バーブル・ナーマ』で、バーブルも遠征の途中とか領地にいるときに数週間寝込むとか
いう話は割とあって、他のテュルク・モンゴル系の君主でも病因はあんまり詳しく書かれて
なくても、高熱を出して数週間寝込むみたいな話は年代記資料なんかでは結構あるみたい。
王侯貴族だから、むしろメタボリックとか生活習慣病とかそっちが病因だから、飲酒や
大食を控えろって逸話が良くある。

ちなみにオルジェイトゥの臨終の時の医師団のトップが宰相のラシードゥッディーンで、
この時の下痢を止めるか止めないかの投薬の判断をしたため、オルジェイトゥの息子
アブー・サイードが即位した時、死因を作ったと讒言されて処刑されていたりする。
748世界@名無史さん:2008/02/11(月) 08:17:35 0
>>733
ラスプーチンを暗殺した公爵の写真見たけど、普通に白人顔だったな。

ティムールやバーブルはモンゴロイド顔(朝青龍顔)だったのかな?
749世界@名無史さん:2008/02/11(月) 09:39:08 0
待て、俺もモンゴロイドだが朝青龍とは似てないぞ
750世界@名無史さん:2008/02/11(月) 10:38:02 0
>王侯貴族だから、むしろメタボリックとか生活習慣病とかそっちが病因だから

ジョン・メイソン・スミスJRって人もそんなこと書いてるな。
ttp://afe.easia.columbia.edu/mongols/pastoral/masson_smith.pdf

この人はさらに一歩踏み出して、生活習慣病による諸ハン国の君主の
短命さが政治的不安定さを生み出してモンゴル帝国の崩壊の要因の
一つになったのではないかとまで書いてる。
751世界@名無史さん:2008/02/12(火) 05:54:33 0
JR?
Jr.?
752世界@名無史さん:2008/02/12(火) 08:48:05 0
>>751
×JR
○Jr.
753世界@名無史さん:2008/02/15(金) 21:22:18 0
よく言われる事だが
節制していればティムールもエルターシーも中原侵攻できた、か、も
754世界@名無史さん:2008/02/18(月) 13:18:28 0
ナーディル・シャーもあれほど優秀な武将だったのに
晩年は老害をさらしまくってたな。
755世界@名無史さん:2008/02/19(火) 22:32:18 0
中近東の辺りだと侍医が居たりするんだけどね
756世界@名無史さん:2008/02/20(水) 08:43:45 0
カラカルパクってどういう民族?
757世界@名無史さん:2008/02/20(水) 12:02:52 0
『民族の世界史4中央ユーラシアの世界』見るといいよ。
カラカルパクはじめ旧ソ連テュルクは加藤九祚の執筆。
758世界@名無史さん:2008/02/20(水) 20:18:45 0
>>755
オゴタイ・ハーンみたいに言ってもきかない人だと侍医がいても・・・
759世界@名無史さん:2008/02/20(水) 20:21:22 0
>>758
家康公がどうしたって?
760世界@名無史さん:2008/02/21(木) 22:23:27 0
>>748
ソ連時代に発掘されたティムールの遺骨から再現した胸像とか、
現存するバーブルの肖像からすると、ティムールもバーブルも
ややわし鼻で細面だったみたい。朝青龍とは全然似ていない。

いつだったか長倉洋海だったかが撮った写真でウズベク系らしい
頬がこけて厳めしい面構えの老人のものがあったけど、それを見た時、
「ティムールの復元像と顔つきが似ているなあ」とは思ったけど。

アウラングゼーブや最後の君主バハードゥル・シャー2世も、肖像を
見ると細面で口鬚や顎鬚の生え方が同じ感じで、初代のバーブルの
肖像の顔つきとどことなく似ているんだよね。
アクバルはちょっと恰幅が良すぎてあれだけど、目鼻筋は祖父の
バーブルにやっぱり似た感じがしなくもない。

ティムール
ttp://commons.wikimedia.org/wiki/Image%3ATimur_Exhumed.gif
バーブル(『バーブル・ナーマの研究』にも載った肖像)
ttp://www.orientarch.uni-halle.de/sfb586/c5/ustru/them/babx01.jpg
761世界@名無史さん:2008/02/22(金) 19:29:46 0
オスプレイ・メンアットアームズの挿絵から。
「晩年のティムール」
ttp://medieval2.heavengames.com/m2tw/history/faction_histories/faction_histories/timurids/tamerlane.jpg

復元像を参考にしたっぽいですね。
踊り子が眉毛をつなげてるのは何故だ?
762世界@名無史さん:2008/02/22(金) 19:31:28 0
そういえばティムールが不自由な片足を真っ直ぐにして座るというのは
ナスレッディン・ホジャでもネタにされてたような・・・
763世界@名無史さん:2008/02/24(日) 01:01:18 0
カラカルパクとカラカルパキスタンって同一?
764世界@名無史さん:2008/02/24(日) 22:52:19 0
過去ログより関連スレ

ティムール朝について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1007474869/
765世界@名無史さん:2008/02/24(日) 23:38:43 0
>763
カラカルパクの住んでる地方がカラカルパクスタン

ロシア傭兵のチョールヌィ・クロブキとカラカルパクが関係あるかもしれないっていう話は
単に「黒帽子」って呼び名が同じって理由だけなんかな
766世界@名無史さん:2008/02/25(月) 01:22:56 0
>「黒帽子」

トルクメンが被ってるような毛皮の帽子だろうか
767世界@名無史さん:2008/02/25(月) 21:23:32 0
>766
たぶん同じ。ヒヴァでよく見る。
768世界@名無史さん:2008/02/26(火) 00:58:49 0
ヒヴァ在住の方?
769世界@名無史さん:2008/02/27(水) 00:43:42 0
いやサマルカンド
770世界@名無史さん:2008/02/28(木) 22:17:21 0
コーカンド
771世界@名無史さん:2008/02/28(木) 22:23:12 0
ヤルカンド
772世界@名無史さん:2008/02/29(金) 00:10:12 0
ホージェント
773世界@名無史さん:2008/03/07(金) 23:04:22 0
テコンドー
774世界@名無史さん:2008/03/13(木) 03:15:13 0
ユトレヒト
775世界@名無史さん:2008/03/13(木) 22:19:29 0
なにがしたいんだ?

ところで「〜カンド」ってどう言う意味?
776世界@名無史さん:2008/03/13(木) 23:23:23 0
カントは哲学者の名前
777世界@名無史さん:2008/03/14(金) 12:04:17 0
中央アジアってぱっとしないか?
778世界@名無史さん:2008/03/15(土) 17:30:37 0
> ぱっとしない
中央アジアで編纂された歴史書がほとんど無いから、断片的な事しか分からないのが原因。
せめて、カラハン朝やモンゴル帝国時代に、誰かカラハン朝とか天山ウイグル王国とかの
王朝史を書いてくれていればまた違ったんだろうけど・・・

あと元朝時代に『遼史』『金史』が、南宋で『契丹国志』とかが編纂されたりしているから
遼朝の歴史についてはそこそこ知ることが出来るけど、西遼については『遼史』におまけ程度に
書かれているだけで、王朝史自体が書かれていない。(単に発見されていないだけかもだが)

西遼は耶律大石がセルジューク朝のサンジャルを破ってからモンゴル帝国が擡頭してくるまで、
中央アジア周辺では最重要の王朝のはずだけど、史料上の制約のせいで影が薄すぎる。
779世界@名無史さん:2008/03/15(土) 19:06:10 0
そいえば匈奴や烏孫はそれなりに情報はあるし、スキタイやアランもちっとは
情報あるけど真ん中へんの康居はどうにもあやふやだなー。
780世界@名無史さん:2008/03/15(土) 22:18:42 0
カラハン朝にカシュガリーっていたような・・・と思ったけど歴史書じゃなくて辞典書いた人か

そういやカシュガリーのトルコ語辞典だかに載ってるキメクの構成部族に
キプチャクやバヤンドゥルと並んで「タタル」という部族がいるらしいけど
チンギス・ハーンに滅ぼされたタタル部と何か関係あるんですかね?
781世界@名無史さん:2008/03/16(日) 00:26:37 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB
なんでも元来タタルは古テュルク語における「他の人々」という
意味の言葉だそうで、突厥が後にモンゴル系となるバイカル湖周辺の諸部族
に対して使ってて、やがて唐や遼や宋や金にも韃靼などといった形
で取り入れられたそうな。

んでモンゴル部とかがモンゴル高原に広がった時代、元来他称
だったタタルを自称としたタタル部もあってモンゴル部と衝突して
滅んだわけですが。

キメクはテュルク系だそうですが、テュルク系がタタルと呼んでいた
集団の一部がキメクに参加してタタルと呼ばれてたのか、後にモンゴル部と
対決することになるタタル部の一部がキメクに参加してたのか、よーわからんなー。
782世界@名無史さん:2008/03/16(日) 19:19:11 0
>>781
レスありがとうございます。
スラヴ語のニェーメツみたいなものですかね?

というかキメクの構成部族について書いてたのはカシュガリーじゃなくて
ガズナ朝のガルディージーだったかも。
783世界@名無史さん:2008/04/05(土) 12:38:19 0
じゃあカザン汗国の故地のロシア領にあるタタールスタン共和国ってのは?
なんでタタール?
784世界@名無史さん:2008/04/05(土) 14:56:52 0
> タールスタン共和国
もとはジョチ・ウルスに吸収されたカザン一帯を根拠地としていたヴォルガ・ブルガールと
キプチャク人などの余裔だったらしいけど、ロシア側からモンゴルのことを指した単語
「タタール」で呼ばれ続けていて、ロシア帝国に吸収されてからは「タタール」が自称に
なっちゃったとかなんとからしい。

>実際、カザン・ハン国の始祖はジョチ家トカテムル裔の王族ウルグ・ムハンマドで、
 彼はティムールに敗れたトクタミシュ・ハンの(やや遠いが)親族であり、トクタミシュの
 曾祖父ゴンチェクの玄孫のひとり。(ジョチ家宗主位を争ったオロス・ハンよりはかなり近い親戚)
785世界@名無史さん:2008/04/06(日) 04:19:27 0
なお、ロシアとかヨーロッパ側がモンゴルをタタールと呼んだ理由としては

(1)ルーシの近くに昔からいたテュルク系遊牧民からすればモンゴルは
タタルなわけで、それが取り入れられたからとも考えられる。

(2)また、カルピニだったかルブルクだったか忘れたけどチンギス・ハーン
に負けたタタル部がモンゴルの配下となって攻めてきたからという説を
レポートに書いてました。

何れにせよタタルという言葉がたまたま地獄を意味するタルタロスに
なんか響きが似てたのでモンゴルが地獄からの軍団の如く恐れられた
こともあってタタールとかタルタルとか普及したものらしい。

なお、タタールスタンでは自民族の起源をヴォルガ・ブルガールに
求める考えとジョチ・ウルスに求める考えがあるそうな。
786世界@名無史さん:2008/04/06(日) 12:59:11 0
クリミア=タタールやアストラハン=タタールは?
787世界@名無史さん:2008/04/06(日) 13:30:01 0
どこ住もうが一緒くたに「タタール」に民族認定されました
民族の起源としてはタタールはジョチ・ウルスに求めた方が自然だとオモ
バシキールとかの立場もあるし
788世界@名無史さん:2008/04/06(日) 23:29:12 0
       現在のロンドン

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○●●●●●●●●○●○○○○○○
○○○○○●● 護送車 ●○●○○○○○○○ →進行方向
○○○○○●●●●●●●●●○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

●=かわいそうな警察官
○=フリーチベットを叫び続けるロンドン市民

全部生のストリーミングです

聖火リレー、妨害次々 ロンドン騒然
http://www.asahi.com/international/update/0406/TKY200804060131.html

中継動画
ttp://www.bbc.co.uk/newsa/n5ctrl/live/nb/wm/video/now3_nb.asx

リアルプレイヤーはこっち
http://www.bbc.co.uk/newsa/n5ctrl/live/nb/rm/video/now3_nb.ram

実況 【サバイバル】オリンピック聖火リレー生中継
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/livevenus/1207490710/
789世界@名無史さん:2008/04/07(月) 00:13:32 0
>>785
マムルーク朝あたりでもタタールと呼んでいたはず。
790世界@名無史さん:2008/04/07(月) 01:41:07 0
>>789
アイバクやバイバルスもテュルク系だったせいかも。バイバルスって
モンゴル軍の捕虜からマムルークになったそうですな。
791世界@名無史さん:2008/04/07(月) 08:04:17 0
チンギス・カンが遠征して来たとき、ホラズムやイラン周辺ではモンゴルのことを
「タタル」って呼んでいて、マムルーク朝でもその慣例が残ったんじゃないだろうか。
>『ジャラールッディーン伝』や『完史』みたいな13世紀前半の年代記のたぐいはそうなので

マムルーク朝ではイルハン朝のことは基本的に「タタル」と呼んでるみたいだけど、
イラン周辺はモンゴル帝国に下りフレグがイルハン朝を立ててからトトクリウト・タタル氏族
みたいにチンギスや金朝と関係があった東方のタタル部族くらいしか指さなくなったけど、
モンゴル政権外でも、モンゴルのイラン侵入を実体験し1260年にインドの奴隷王朝に仕えて
アフガニスタン周辺の歴史書を書いた、ジューズジャーニーなんかはモンゴルの事をイランでの
用法と同じく「モグール」と呼んでいて、マムルーク朝のように「タタル」とかはあまり使っていない。

>>786
クリミア=タタルもアストラハンもみなジョチ・ウルスの後裔だから、
モンゴル=タタル→ジョチ・ウルス関係の勢力は全部タタル
って感じっぽいかねえ、やっぱり。
(アストラハンもクリミアの王家とはかなり縁遠いけどそういえば同じトカテムル裔だったか)
792世界@名無史さん:2008/04/08(火) 09:44:54 0
>>790
手元の本によるとイブン・シャッダードのバイバルス伝では
モンゴルに捕虜になったんじゃなく、モンゴル軍から避難した先でAulaqもしくは
Al-Burghalの支配者Anas Khanに襲われて捕虜になったとあるらしい。
Aulaq or Al-Burghalって何なのかはよく知らん。791氏にでも聞いてくれ。
793世界@名無史さん:2008/04/12(土) 15:20:13 0
チュルクでない明や本朝でもモンゴル(特に東部)を韃靼って言うけど
なんでや
794世界@名無史さん:2008/04/12(土) 15:38:33 0
モンゴルもタタールももともと部族名だから
795世界@名無史さん:2008/04/12(土) 19:07:25 0
>>793
「蒙古」だとかつて元代に中原を支配していた連中なので
あえて「韃靼」と言うようにしたんでなかった?
796世界@名無史さん:2008/04/12(土) 22:24:43 0
>>792
790でもないしバイバルス伝を読んでもいないが、
Al-Burghalの支配者Anas Khanってのは、ヴォルガ=ブルガールの君主か、
第二ブルガリア帝国の皇帝Ivan Asen2世かのどっちかじゃねーの。
ブルガリアの君主は第一帝国時代はハーンを名乗ってたから、ムスリムから
皇帝をハーン呼ばわりされてても不思議じゃないしな。
797792:2008/04/14(月) 00:21:08 0
>>796
自分もブルガールかと思ったがlとrが逆なのが気になる
798世界@名無史さん:2008/04/14(月) 14:23:49 0
キリル表記経由かローマ表記経由かの差では
799世界@名無史さん:2008/04/14(月) 20:59:14 0
>>798
キリル文字でもБългарとかБулгарなので同じ
800世界@名無史さん:2008/04/17(木) 20:17:56 0
このスレを見る限り
中央アジアぱっとしないのは昔から
801世界@名無史さん:2008/04/17(木) 21:24:40 0
7 :世界@名無史さん:2008/04/17(木) 15:55:46 0
おまいら知識なさすぎ
最近の中央アジアってめちゃめちゃ進んでるんだぞ
まあこれでも見ろや↓

最新ファッション
http://jp.youtube.com/watch?v=kzXjEd1fzTA&feature=related
カザフの若者
http://jp.youtube.com/watch?v=FHEtDX0jxxo&NR=1
首都アスタナ
http://jp.youtube.com/watch?v=Sl6we8yQQxs&feature=related
802世界@名無史さん:2008/04/17(木) 21:55:17 0
>>801
カザフの若者を見て思ったこと。思ったより進んでいるね。びっくりした。
あと、日本人似のモンゴロイドは予想通り多いけど、意外に典型的な
スラブ人顔って多いんだね。
803世界@名無史さん:2008/04/19(土) 01:37:25 0
カザフスタンは、カザフスタン国民のロシア人多いからね。
「スラブ顔のカザフ人」が多いとは限らない。
804世界@名無史さん:2008/04/20(日) 09:24:26 0
カザフスタンにおけるロシア人の人口比は25.9%(2006年現在)。
ウクライナ人・ベラルーシ人・ドイツ人・タタール人などを加えると3割を超える。
そりゃ白人顔は多いわな。
805世界@名無史さん:2008/04/20(日) 15:18:15 0

サッカー カザフスタン代表
http://f30.aaa.livedoor.jp/~baltiyev/img//team_kaz.jpg

全員ロシア人、会話は100%ロシア語

806世界@名無史さん:2008/04/20(日) 15:26:59 0
>>805
アジアと呼ぶには違和感があるなw
807世界@名無史さん:2008/04/20(日) 16:01:58 0
実際ヨーロッパ枠でしょ
808世界@名無史さん:2008/04/20(日) 16:10:04 0
中央アジアですけど?
809807:2008/04/20(日) 16:39:26 0
いや、サッカーがね
欧州連盟に加入しているのよ、カザフは
810世界@名無史さん:2008/04/20(日) 19:48:57 0
2002年まではアジア枠だったけどな
811世界@名無史さん:2008/04/27(日) 17:27:16 0
>>780-782
ちょっとおまえらキメクってどんな集団よ
ぐぐってもよくわからん。解説プリーズ
812世界@名無史さん:2008/04/30(水) 00:22:03 0
チュルク系遊牧民
現カザフの北の方に居た
813世界@名無史さん:2008/05/01(木) 05:37:44 0
http://en.wikipedia.org/wiki/Kimek
http://en.wikipedia.org/wiki/Kimek_Khanate
英語wikiのキメクは結構詳しい。遊牧ウイグル帝国の西北にあった
大面積の遊牧勢力で遼の時代まで続いてたらしい。
814世界@名無史さん:2008/05/02(金) 23:19:37 0
カンクリやカルルクもどんな集団だったかようわからんす
815世界@名無史さん:2008/05/24(土) 10:15:38 0
オグスは?
816世界@名無史さん:2008/05/24(土) 18:37:51 0
オグズって冒頓単于がモデルって話し本当なんだろうか?
817世界@名無史さん:2008/06/03(火) 23:38:50 0
アシナ氏族じゃねーの?
818ty270410:2008/06/06(金) 23:52:09 0
しばらくご無沙汰しました!
勉強になります.今後もよろしく!

キメク,知りませんでしたが面白いですね!
819世界@名無史さん:2008/06/23(月) 21:52:29 0
オグズはチュルク系の始祖ってことなんでしょうか?

820世界@名無史さん:2008/06/25(水) 22:19:27 0
モンゴル人に征服された北カフカスにいたアスト人
その拠点マガスってどの辺にあったの?
821世界@名無史さん:2008/06/26(木) 02:07:00 0
822820:2008/06/26(木) 21:56:56 0
サンクス
今でもあるんだ

コーエーのチン4やるのに都市作って征服することとします
823世界@名無史さん:2008/06/28(土) 03:53:06 0
http://en.wikipedia.org/wiki/Maghas
↑昔のマガスの項目。短いけど。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alania
↑アラニア。1238-39にモンゴルのアタックを食らい、
さらにティムールのアタックも食らって山へ撤退して
いってオセット人なったとかそんな感じで書いてる。
824世界@名無史さん:2008/07/09(水) 06:25:40 0
【ゴールデンレス】
  ∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩  このレスを見た人はコピペでもいいので
   〉     _ノ 〉     _ノ10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
  ノ ノ  ノ  ノ ノ  ノそうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
  し´(_)   し´(_) 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
825世界@名無史さん:2008/07/12(土) 10:55:49 P
アストラン・ハンやカザン・ハン、あるいはシビル・ハンなどのジョチウルス継承国家群の文献って何がありますかね?
やはりロシア史から漁っていくしか無いんですか?
826世界@名無史さん:2008/08/05(火) 00:00:59 0
>>1


中国を中心に東アジアの政治経済問題を幅広く取材・分析しているジャーナリスト

【やっぱり】青木直人【要するに】壱
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/diplomacy/1212297413/

公式)ttp://aoki.trycomp.com/
Wiki)ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E7%9B%B4%E4%BA%BA
ch桜)ttp://www.ch-sakura.jp/

ttp://jp.youtube.com/view_play_list?p=F891120A05815DB9
再生リスト:青木直人 戦略情報研究所講演会
ttp://jp.youtube.com/watch?v=LN1LK0g0ZUA
西尾幹二さん&青木直人さん「中国人の縁故主義、共産党史観、夜郎自大」

ttp://jp.youtube.com/user/gubaiMVAGf4s
ODA・市場経済・百恵ちゃん
ttp://jp.youtube.com/user/arukas2007
チャイナ・北朝鮮・河野洋平
ttp://jp.youtube.com/user/joui2008
青木直人・アジア開発銀行
ttp://jp.youtube.com/user/takasnows
チャンネル桜・東アジア・岩波・天津甘栗
ttp://jp.youtube.com/user/ryougen9
チャイナロビー・ODA
ttp://jp.youtube.com/user/zunichi
東アジア大討論
ttp://jp.youtube.com/user/NakuseTokken5
827世界@名無史さん:2008/08/05(火) 00:01:33 0
>>1


2006 東アジア安定のために日本の核武装を 『北朝鮮の核』 伊藤貫1/7
http://jp.youtube.com/watch?v=JgbbIaIXA0A
2006 東アジア安定のために日本の核武装を『多極化』 伊藤貫2/7
http://jp.youtube.com/watch?v=AdfvyxnjPD0
2006 東アジア安定のために日本の核武装を『自主防衛』 伊藤貫3/7
http://jp.youtube.com/watch?v=zme2ydZJljQ
2006 東アジア安定のために日本の核武装を『独立国家たれ』 伊藤貫4/7
http://jp.youtube.com/watch?v=-QG9gngQpYY
2006 東アジア安定のために日本の核武装を『共和党と民主党』 伊藤貫 5/7
http://jp.youtube.com/watch?v=7-i1y5ncxTY
「中国の『核』が世界を制す」  講師:伊藤貫 1/4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3795989
「中国の『核』が世界を制す」  講師:伊藤貫 2/4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3796181
「中国の『核』が世界を制す」  講師:伊藤貫 3/4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3796532
「中国の『核』が世界を制す」  講師:伊藤貫 4/4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3797016
828世界@名無史さん:2008/08/17(日) 19:19:52 0
age
829世界@名無史さん:2008/08/26(火) 21:17:03 0
マジャールの故地ってどの辺?
830世界@名無史さん:2008/08/26(火) 21:44:11 0
ウラル山脈の南あたり、同じウゴル語族のハンティ・マンシやバシキールと接したあたりでは
831世界@名無史さん:2008/08/27(水) 10:00:58 0
なんでウラル周辺から次々出てくるんだろ
832世界@名無史さん:2008/08/27(水) 22:29:25 0
しかも何故か皆西へ向かう…
833世界@名無史さん:2008/09/03(水) 05:44:23 0
重複スレ出現のため、一応上げてみる
834世界@名無史さん:2008/09/05(金) 01:20:26 0
>>833
このスレの事だろ。

中央アジアの世界史
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1220373738/

どうせなら、次スレにしちゃわない?
民族・地理上の話から見ても、ユーラシアよっかは
アジアにしちゃった方がしっくり来るし。

835世界@名無史さん:2008/09/06(土) 21:19:18 0
世界ふしぎ発見キルギスage
836世界@名無史さん:2008/09/08(月) 23:57:55 0
キルギスと言えばマナス

…これ、いつ頃の話なんだろう
837世界@名無史さん:2008/09/09(火) 00:27:49 0
キルギスと言えば福士君が何故か留学したとこ
838世界@名無史さん:2008/09/22(月) 23:31:44 0
ウズベクやカザフ、ウイグルなんかにもモンゴルに於けるボルテチノ(蒼き狼)みたいな始祖伝説ってあるのでしょうか?
839世界@名無史さん:2008/09/23(火) 06:12:44 0
狼を祖とする神話は、もともとは突厥が持ってた神話じゃないっけ。
それもさらにさかのぼると印欧語族が持ってたものかもしれない
(証拠はないけど)。

ローマのレムスとロムルスの神話と関係づける人もいたような
気がする。
840世界@名無史さん:2008/09/24(水) 19:10:10 0
すみませんが、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスタンの
英語か日本語で書かれた書籍を探しています。アマゾンでも出てこない
のですが何か無いでしょうか?ご存知の方教えてください
841世界@名無史さん:2008/09/24(水) 19:29:15 0
>>840












842世界@名無史さん:2008/09/24(水) 22:57:31 0
>>840
Amazonで軽く検索したら、こういう本が見つかりましたよ。

Historical Dictionary of Turkmenistan
http://www.amazon.com/dp/0810853620/

Historical Dictionary of Kyrgyzstan
http://www.amazon.com/dp/0810848686/
843世界@名無史さん:2008/09/25(木) 15:16:11 0
>>840
英米とも関係が薄そうだからやっぱロシア語やアラビア語か中国語で
当るしかないんじゃないの?
844世界@名無史さん:2008/09/25(木) 16:41:55 0
専門書だとかの場合は、
基礎知識さえあれば、辞書片手に読むのも一興。
845世界@名無史さん:2008/09/25(木) 17:22:08 0
>840
たぶん○○語-ロシア語辞書ならいくらでもあるだろうな。
その辺の言語を学ぶつもりならロシア語も必須。

日本で探すとすればどこかな。ナウカはもうつぶれたんだっけ?
846世界@名無史さん:2008/09/25(木) 18:07:21 0
日本語ならクセジュで「カザフスタン」の通史があるね。
この辺の地域史はカザフ、ウズベク中心だからどうしても
トルクメン、タジク、キルギスは隅に追いやられがち。
847世界@名無史さん:2008/09/25(木) 21:00:01 0
旧ソ連中央アジア諸民族についてなら、そんなに分量が多い
わけじゃないけど、『民族の世界史4中央ユーラシアの世界』
(山川)が役に立つよ。

執筆はご想像の通り加藤九祚。あと同氏の著作にはあちこちに
同地域の民族史が出てくる。

ロシアの東方進出、共産化あたりはたくさんあるから
お好きなのをどうぞ。
848世界@名無史さん:2008/09/25(木) 21:39:01 0
>>845
>ナウカはもうつぶれたんだっけ?

もう無くなったはず。
以前知り合いが閉店セールの話してたから。
849世界@名無史さん:2008/09/25(木) 21:40:22 0
>>843
アラビア語関係あるのか?
850世界@名無史さん:2008/09/25(木) 21:51:35 0
東西トルキスタンの歴史勉強したい場合、何語をやるのが一番効率がいいんだろうか?
時代にもよるだろうけど。

中国語?ドイツ語?ロシア語?トルコ語?ウルドゥー語?ウイグル語?カザフ語?ウズベク語?
851世界@名無史さん:2008/09/25(木) 22:54:18 0
>>850
ペルシャ語は?
852世界@名無史さん:2008/09/25(木) 23:29:13 0
>850
時代によるんじゃない?
古代、中世、近代で言語・文字はいろいろだから。
853世界@名無史さん:2008/09/26(金) 00:45:19 0
ナウカは新会社で営業再開してるみたい。
知らなかった。今度行ってみよう。
ttp://www.naukajapan.jp/
854世界@名無史さん:2008/09/26(金) 00:55:58 0
>>850>>852
このスレみんなに関係ありそうなことだから、時代ごとに習得すべき言語を誰か書いてくれるといいんだけど。

古代、中世、近代ぐらいの分け方で大丈夫かな?
855世界@名無史さん:2008/09/26(金) 04:20:16 0
この辺りの中世って、いつ頃からいつ頃まで?
856世界@名無史さん:2008/09/26(金) 07:15:03 0
イスラムが入ってきた頃から、欧州勢力が入ってくる頃まで?
857世界@名無史さん:2008/09/26(金) 20:40:13 0
無理に書き下ろしにしなくても、重要な論文を集めて
論集の形にしてもいいと思うんだ。重要な海外の論文の
翻訳なんかもちゃんとして。
858世界@名無史さん:2008/09/26(金) 22:38:43 0
誤爆しました・・・
859世界@名無史さん:2008/09/27(土) 23:04:36 0
突厥は古代トルコ帝国なんて呼ばれ方もするので古代
その後が中世、か?
860世界@名無史さん:2008/09/28(日) 04:37:20 0
突厥はもちろん古代だろうな。
どう考えても中世じゃない。
861世界@名無史さん:2008/09/28(日) 05:08:02 0
京都派なら隋唐並行期だし中世というかもしれんよ。
862世界@名無史さん:2008/09/28(日) 11:52:30 0
洋の東西問わず、微妙な年代だよね。4〜8世紀
863世界@名無史さん:2008/09/28(日) 22:05:24 0
とりあえず、誰か仮にばっさり古代と中世と近代の線を引いてくれない?
後はみんなでそれを修正すればいいやろ?
864世界@名無史さん:2008/09/28(日) 23:15:19 0
この辺りの近代って結構遅いよね?
18世紀以降?
865世界@名無史さん:2008/09/29(月) 10:39:16 0
ソ連になってからじゃないのか
866世界@名無史さん:2008/09/29(月) 22:45:12 0
古代、中世、近代に分けようとするから、やりにくいんじゃないの?
この地域に、中世も近代もあんまり意味無いやろう?
区切りを、モンゴルに寄る征服とソ連による併合で分けると、すっきりすると思うんだが。
867世界@名無史さん:2008/09/29(月) 23:54:41 0
新疆を忘れないでくれ
ソ連に含まれないんで
868世界@名無史さん:2008/09/30(火) 03:44:23 0
えーと、じゃあ仮にこんなんで。
この辺の歴史に詳しいわけじゃないんで、知ってる人、異論がある人はどんどん突っ込んで
訂正してください。

1. モンゴル勃興以前
2. モンゴル征服期
3. 中間期
4. ソ連と中国による植民地化時代以降
869世界@名無史さん:2008/09/30(火) 09:48:30 0
ところで>>840はどうした?
870世界@名無史さん:2008/09/30(火) 23:29:29 0
>>868を年代に直すと、
1. 13世紀中期以前
2. 13世紀中期〜14世紀中期
3. 14世紀中期〜19世紀初期
4. 19世紀以降

であってる?
871世界@名無史さん:2008/10/01(水) 00:30:29 O
>>863
中央アジアの場合
テュルク化とイスラム化は重要なファクターだと思う
この地は当初はイラン系で占められていた

8世紀にイスラムが流入し、9世紀にウイグルが滅亡し中央アジアのステップ地域にテュルク系が流入

天山ウイグル王国、カラ・ハン王国によりオアシス地域もテュルク化され
テュルク・イスラム文化が確立され、それはモンゴルの侵入でも揺るがなかった

それが変わり始まるのが18〜9世紀のロシア・清の侵入

従って区分するなら
・イラン(ソグド)系優位の時代(〜7世紀)
・テュルク・イスラム文化の時代(8〜17世紀)
・ロシア・中国勢力支配の時代(18世紀〜)
が妥当かな?
872世界@名無史さん:2008/10/01(水) 01:53:50 0
ほう。
じゃあ
1. イラン(ソグド)系優位の時代(〜7世紀) : ペルシャ語
2. テュルク・イスラム文化の時代(8〜17世紀) : トルコ語?、アラビア語
3. ロシア・中国勢力支配の時代(18世紀〜): ロシア語、中国語

ってな感じ?
873世界@名無史さん:2008/10/01(水) 04:42:16 O
>>872
時代区分はそうかもしれないけど
文化用語としてのテュルク語の確立はテュルク・イスラム文化時代でもかなり時間がかかりました
政治的にはテュルク人が制覇しても
イラン系の商人や文化人は長い間強い力を維持しました
かなりアラビア語の語彙が入り再編成された近世ペルシャ語によるイラン・イスラム文化は
テュルク・イスラム文化に強い影響を与えました
ペルシャ語やアラビア語でなく、テュルク語による文学作品や辞書が出始めたのはカラ・ハン朝の頃から

後、民族組成もテュルク化はかなり進行しましたが、タジク人などイラン系も中央アジアにおいてわずかながら残存しています
ティムール帝国における中心民族であるチャガタイ人は同帝国時代には
民族的にはテュルク化されていましたが
同帝国時代の東トルキスタンに居住していたモンゴル人はイスラムを享受し
文化的言語的にテュルク化されながらも民族的組成はモンゴル人であることを維持しました
彼等は一般的にモグール人と呼ばれています
20世紀にウイグルを自称し始めた現代ウイグル人はモグール人を中心に組織されました
従って中世期の繁栄したテュルク系ウイグル人とは何の関係もありません
874世界@名無史さん:2008/10/01(水) 09:56:17 0
勉強になるなぁ。

まず時代を分けずに、この地域の記録を読むのに必要な言語を挙げるとしたら、
ペルシャ語、テュルク語、アラビア語、ロシア語、中国語ってことになりそうだけど、
どの言語も時代によって大きく違うから、やっぱり時代区分と同時にやる必要がありそうだな。
875世界@名無史さん:2008/10/01(水) 12:29:08 O
>>874
中央アジアの史料原典を調べるには中世、近世ペルシャ語、ソグド語、テュルク語、アラビア語は重要ですが
文字に関してはソグド文字、ウイグル文字など多様なのでより広範囲な知識が必要かもしれません

この地域の近代までに至る考古学的研究、特にスキタイ、サカの研究に関しては
ロシア人学者たちによる研究が突出しており、近代までロシアないしはスラブが全く関与していないため
スラブ民族主義的、ソビエト史学的記述がほとんどなく信頼できると思われるので
この地域の歴史を詳細に知るにはロシア語の習得は必要でしょうね
876世界@名無史さん:2008/10/01(水) 13:02:58 O
>>871の記述に追加しておきますと

モンゴルの征服から帝国が分立し、チャガタイ・ウルスが中央アジアを支配領域としたとき
モンゴル人からテュルク系に支配権力が移行しても
テュルク系支配者たちはチンギス・ハンの子孫の女性と婚姻し
キュレゲン=ハンの姉妹または娘の婿の称号を得てから権力を行使しました

ティムール父子の家系図はその強引とも言える婚姻のため複雑怪奇なものになりました
ティムールの4人の正室はいずれもチンギス・ハンの子孫で
うちその一人であるトゥグディ・ベグと間に生まれた次男ジャハーンギールは
なんと実母トゥグディ・ベグの実妹つまりジャハーンギールの叔母にあたるソユン・ベグと婚姻
ジャハーンギールが早くに没するとティムールはソユン・ベグと三男アミーラーンシャーと
強引にレヴィレイト婚(遊牧民の風習で父や兄が死んだ後に実母以外のその妻を子や弟が娶る)させたぐらいです
ソユン・ベグはジャハーンギール、アミーラーンシャー各々と子をもうけています

当時のティムール帝国を訪問した有名なカスティリア王国からの使者クラヴィホは
ソユン・ベグに謁見し、彼女がチンギス・ハンの子孫であることを記しています
877世界@名無史さん:2008/10/01(水) 13:11:11 0
>>875
>中央アジアの史料原典を調べるには中世、近世ペルシャ語、ソグド語、テュルク語、アラビア語は重要ですが
>文字に関してはソグド文字、ウイグル文字など多様なのでより広範囲な知識が必要かもしれません

歴史の勉強はやっぱりきっついなぁ。。。
って言うか、対象となる地域と時代を絞ってないのがいけないだけなのだろうか。

原典を読むんじゃなくて、普通に研究書が充実している言語を学ぶって言うんだったら、
まずロシア語になるんでしょうか?
878世界@名無史さん:2008/10/01(水) 13:44:01 O
ロシア人研究者の優位は調査地域がかつての自国内であり、現地調査し易く
回収された遺物も多岐に及ぶためです
彼等の一部文献は和訳紹介されてあるのもあります

また日本も含め米英独仏の研究者も著作多く出しているので概説程度なら英語程度でも対応出来るのではないかと
879世界@名無史さん:2008/10/01(水) 17:36:45 0
確か現代のウイグル人って言うか東トルキスタン人と天山ウイグル王朝が有った頃のウイグル人は
実際は別系統で繋がりが無いって言うのだったっけか
自分が聞いた話だと現代ウイグル人の称号は先に中国人が彼等をそう呼称して
その後に彼等の一部がそう名乗るようになったと言うのだった
現地の人達だと何人と聞かれても〜の地の人みたいな言い回しが多いんだと
ウイグリスタンって言い回しも有る事は有るけど東トルキスタンの方がよく言われてるのはそれも有るのかな
880世界@名無史さん:2008/10/01(水) 22:14:00 0
やっぱロシア語勉強しよっと

まずはロシア美女目当てに教育テレビのロシア語講座見るわ
881世界@名無史さん:2008/10/01(水) 22:30:27 0
>>873
タジク人も1650万〜2850万人というからウズベク人2100万〜2700万人
やカザフ人1600万人と比べてもけっこう残りましたねー。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tajiks
http://en.wikipedia.org/wiki/Uzbeks
http://en.wikipedia.org/wiki/Kazakhs

モグール人は純粋な遊牧民としてイリ渓谷やセミレチエ
(現ウイグル人主要居住地のタリム盆地の北西)に居たのが
カザフやジュンガルに削られ押されてトルファン、タリムに入って
定住化していったと聞きました。

タリムの先住者(西域人や中世ウイグル人やカルルク人や
東カラハン朝人の子孫?)と比べてどれほどの割合だったんだろ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E5%9B%BD#.E6.9D.B1.E8.A5.BF.E5.88.86.E8.A3.82
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E5%9B%BD
882世界@名無史さん:2008/10/01(水) 22:41:58 0
逆に東トルキスタンについては、中国語の文献が充実している、なんてことはあるんだろうか?
883世界@名無史さん:2008/10/01(水) 22:48:20 0
>>875
>中央アジアの史料原典を調べるには中世、近世ペルシャ語、ソグド語、テュルク語、アラビア語は重要ですが

目が眩んで来そうなんですが、研究者って一人でこんなにいろんな言語をマスターしているものなんでしょうか?
それとも、一つ二つを選んで、その言語でカバー出来る範囲を研究するものなんでしょうか?
もちろん人によってかなり違うと思いますが、一般的なレベルの研究者の場合。
884世界@名無史さん:2008/10/01(水) 23:24:40 0
そんなの一部の天才と大秀才だけだから。
大半の有象無象は、史料の書かれた言語をちょっとかじって、
あとは既存の研究論文読んだ上であーだこーだ言うレベルです。
885世界@名無史さん:2008/10/02(木) 01:34:55 0
ちょっと安心しました。

本職で無い場合は、まず広くカバーするために英語。
英語が出来る人は、より豊富な研究資料に当たれるようにロシア語か中国語をやる。
まだ余力がある人は、ポイントをよく絞って、中央アジアの古典言語を何か一つやる。

といったところでしょうか。

886世界@名無史さん:2008/10/02(木) 02:55:36 0
>>71, >>74を見ると、ドイツ語をやるのも良さそうなんだけど。。
887世界@名無史さん:2008/10/02(木) 06:52:08 0
いやあ研究者なら何かひとつは史料の言語できないとつらいだろ
古典ペルシア語・中世ペルシア語・近代ペルシア語・チャガタイトルコ語のどれかは、
辞書引き引き読める程度でいいから習っとかないと
本職でないなら>>885でいいとは思うが
888世界@名無史さん:2008/10/02(木) 13:23:19 0
885の言ってる内容は、887の2、3行目と同じなんだが。



日本語も読めない池沼は書き込まないほうがいいぞ。>>887
889世界@名無史さん:2008/10/02(木) 21:08:36 0
まあまあ。

なんの語学をやるかは、アマチュア歴史家にとってかなり重要な問題ですね。
研究書を誤読せずに読むには、少なくとも2年はみとかないといけないし。

専門の研究者だと、指導してくれる人がいるから将来を見据えて必要な言語を勉強できるけど、
俺たちは一人で判断する必要があるからなぁ。
こういう情報はありがたいです。
890世界@名無史さん:2008/10/03(金) 13:28:38 0
東トルキスタンの歴史に関する研究書って、中国語では結構でてるんでしょうか。
中国語ならちょっとがんばれば出来るけど、ウイグル語となると結構骨ですね。
891世界@名無史さん:2008/10/04(土) 11:00:30 0
中国語、新疆事情に詳しい人は、このスレにはあんまりいないと思われ。
892世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:59:49 0
>>873,>>881
モグール人ですが、「中央アジアの歴史」(間野英二 1977)P191
によると14世紀半ばには16万人だったのがウズベク、カザフ、
キルギス、オイラト等へ流出するなどして16世紀半ばには3万人
になってたそうだ。
古代のクチャでも10万人は居たそうだから大規模オアシスなみで
だいぶ少数のようだ。
1514年、タリム盆地にヤルカンド汗国を作ったが、100年200年と
経つ内に西トルキスタンからやってきたホージャが幅きかすように。

ともあれウイグル人と呼ばれる直前は個々のオアシスへの帰属意識、
それ以上だとイスラム教への帰属意識だったそうだけど。
893世界@名無史さん:2008/10/07(火) 00:06:08 O
現在はロシア人研究者が多いのですが
今後は中央アジア現地の研究者が増加すると思われます
しかしながらイスラム教徒だと信仰の度合いによりますが、非イスラム文化に対し
必要以上に批判的になることが考えられるのでそれを十分考慮すべきかもしれません
例を挙げればアラブから見た十字軍
著者は現代レバノン人ですが
皇帝フリードリヒ2世の容貌に関して近眼で頭髪が薄い等の記述がありますが
数多い西欧側の記述では皇帝に敵対した側の記述においてもそのような言及がありません

あと現地研究者の場合、気をつけたいのはソビエト史学の影響です
要は現在の自国領内で起きた過去の出来事を例え他民族によるものであっても
自国民族の歴史として歪曲することです
ウズベキスタンでは現在ティムールを英雄化する運動がなされていますが
そもそもティムール帝国そのものを滅ぼしたのがウズベク人だから本末転倒な事です
ソビエト史学といえば歴史を持たないベラルーシ史学会が強引に中世リトアニア
公国の歴史を自国の歴史としたためにリトアニア史学会と険悪な関係にもなったこともあります

長レス申し訳ありません
894世界@名無史さん:2008/10/07(火) 01:16:55 0
>>893
ムハンマド・シャイバーニーが率いたウズベクと今のウズベクは重なりは
あっても同じではない。今のウズベクは当時のチャガタイ人やイラン系言語
使用者を多く含む。というかそっちのほうが多かろう。
ならば英雄をムハンマド・シャイバーニーやアブルハイルに限定される
言われは無いのでは。
895世界@名無史さん:2008/10/07(火) 09:42:29 0
ソビエト史学っつーか世界中の(主に)小国でやってることじゃないかそれ
896世界@名無史さん:2008/10/11(土) 04:25:08 0
>>893
そのあなたの説に関しては真っ向から反証されてるぞ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1217088124/63-77
要約すれば

68 :世界@名無史さん:2008/08/12(火) 22:54:50 0
>63
シャイバニー勢力が当時のマーワラー・アンナフルの住人を
皆殺しにして総入替えになったわけじゃないんだから、別に
何も変じゃない。

徳川に滅ぼされたのは豊臣だけなのに、大阪人がみんな死んで
三河人や江戸人に入れ替わったと勘違いしてるようなもの。

つう事だそうな
897世界@名無史さん:2008/10/11(土) 23:07:13 O
>>896
何を言いたいのかよくわからない
898世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:42:18 0
王様がフランス人でもドイツ人でもイギリスではアーサー王が英雄なのさ
899世界@名無史さん:2008/10/13(月) 07:51:56 0
ティムール帝国を滅ぼしたのが誰であれ、それ以前と以後で住人の入れ替わりはない、
リトアニア大公国にもベラルーシ人が大勢いた、
ってことだろ。

現代トルコ人(都市部の)がアリストテレスは我々の祖先とか言ってるが、まぁそういうことだ。
900世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:57:58 O
>>899
何を言いたいのかよくわからない

ソビエト史学については
ソ連崩壊後において自国民を指導し新たな独立国家の国威発揚するには
どうしても伝統や民族の歴史が不可欠
しかし第一次世界大戦後に共産政権により自称したウズベキスタンや
独立した国家を構成した事のないベラルーシにとっては対象となる事績を捜す事は至難の技だ
カリモフやルカシェンコのような独裁指向の強い指導者にとってはなおさら必要
そこで利用したのがソビエト時代の統合原理による歴史説明
自国領内の起きた事績は全て自国民族の歴史とする論理

勿論ウズベクが当初は民族名でなく、遊牧民集団の名称に過ぎなかったことは承知しているが
結局はウズベクの名を国名につけている以上批判は免れない

あとスレ違いだからこれだけにするが
リトアニア人の居住区域は昔も今も殆ど変わっていないし人口も少ない
言語・文化的にも多少の影響は否定出来ないものの周囲のスラブ系とはかなりの違いが見受けられる
かつてのリトアニアがルーシ人公国群を支配できたのは
アルギルダス公のように自分の子女を制圧したルーシ人各公国に送り込みその国の子女と婚姻させ
宗教も正教に改宗し、言語も現地語を習得させ支配した
もともと非キリスト教徒でないリトアニア人には改宗などには何の抵抗もないから支配もスムースにいった
だからベラルーシ史学者にとっては自民族に取り込んだと都合よく解釈できる
901世界@名無史さん:2008/10/14(火) 00:50:16 0
>>900は典型的な歴史は支配者だけが動かしてると勘違いしてる大バカだな
何が言いたいのか良く分からないってこれ以上なく分かりやすく言ってるじゃん
ウズベクの定義のことを今一度ちゃんと勉強してからもう一度言い直してみろよ
そんな長文タラタラ並べたって単なる自己満足にしか過ぎんよ

大体ウズベク族が南下してティムール朝を滅ぼした事自体は事実だけど
そのウズベク族はその地域のチャガタイ=テュルクやイラン系の住民を皆殺しにした訳でも完全追放した訳でもない
寧ろ彼等と合流して最終的には彼等定住民と同化してった訳だ
で元々居たチャガタイ=テュルクの住民はその際にウズベクの名も一緒に受け継いで行っただけの事
つまりウズベクの定義がより広く変わって行っただけで
元々居る住民の全体数にはそうそう変化が割る訳じゃない
だから今居る住民が別にティムールを民族的英雄にしていたって全くおかしくもないし違和感もない
大体独裁者のカリモフなんかよりも前に既にこの地域では潜在的にティムールは国民的英雄だった訳だが

こう言う人間は得てして文典の資料だけを優先してその地の住民の意識を無視して
いかにも俺はお前らよりも歴史が分かってるんだぞ的エセ知識行為をひけらかすから困る
902世界@名無史さん:2008/10/14(火) 01:05:00 0
>>900
しかしウズベク人、ウズベキスタンを作ったのはソ連でティムールを英雄としたのもソ連。
半分を肯定し半分を否定すると言うのも中途半端。

徳川家康が日本の英雄とかワシントンがアメリカの英雄とかの事例では
異論も無いだろうけど中央アジアの如く民族も国境も移動し混ざりあう
地域では一英雄が複数集団の英雄となっても普通ではなかろうか。

実際一地域の住民が完全根絶したり完全移動したりする事は少なく、血も文化も
混ざってしまうのだから現領内の歴史を自国の歴史とするのも半分の理がある。

例えばブルガリア史など最初の部分がトラキア史とスラヴ史とブルガール史の
寄せ集めだし、どれを欠いてもブルガリアにならぬ。
そして中央ユーラシアは大体何処もそんなもんかと。
903世界@名無史さん:2008/10/14(火) 07:42:14 0
フランク王国が出来たからといってローマ人やガリア人が消え去ったわけでもないのと同じだよなぁ
「ローマの後継者」を度々名乗ってるフランスだが、ウェルキンゲトリクスもまた英雄なわけで。
904世界@名無史さん:2008/10/15(水) 20:29:14 O
>>901
暫く来なかったら偉い言われようだな、自称研究家?さんよ
なんでそこまでヒステリックになる必要があるのかね理解に苦しむね
かつての遊牧集団ウズベクと現代ウズベク人をごっちゃにしてるわけでなく
ウズベキスタンという名称とティムールでは違和感有り過ぎるか本末転倒と言っただけだろ

もし現代為政者とソビエト史学の影響をどうこう言うのであれば
ユーラシアブックレットやその他のベラルーシ関連本や中央アジアを知るための60章読んでみろよ

だいたい現代ウズベク人は歴史的詳細など知らずにティムールを伝承によって知り子供の名につけるぐらいだろうが
アレクサンドロスやチンギス・ハンだって伝承で中央アジアに伝わってるのとさほど変わらんじゃないか

だいたいウズベク人とタジク人などが民族的対立などなく平和的に共存しているような事書いてあるが
嘘もいい加減にしろよ
だったら中央アジア在外からの移住者であるがウズベク人と同じテュルク系のメスフ人とウズベク人の間に
起きたフェルガナ事件や
オシュ事件、タジキスタン内戦でのタジク人とウズベク人の対立を説明していただきたいな、自称研究家?さんよ

君が研究家を称するなら当然ウズベク人の国際関係学の研究員でオックスフォードやケンブリッジの
客員研究者にもなったことのあるダダバエフ氏を知っているよな
そのダダバエフ氏の論文「中央アジアにおける潜在的紛争要因」に目を通しているなら
平和的共存なんては絶対言えないはずだけどな


しかしあんな傲慢不遜な態度でレスるのが研究者のやり方か
無礼にもほどがあるだろ!
905世界@名無史さん:2008/10/16(木) 01:48:52 0
みんなそのぐらいにしといたら?
なんか急にスレの雰囲気悪くなったよ。
906世界@名無史さん:2008/10/16(木) 02:39:55 0
何こいつ勝手にぶち切れて勝手に怒ってるの?
滅茶苦茶恥ずかしいヤツだな
ま、怒るなら指摘した連中よりも自分の研究不足を怒るんだな
>>901さんよ
907世界@名無史さん:2008/10/16(木) 02:42:14 0
すまん間違えた
>>901じゃなくって>>904

つうかみんなに散々突っ込まれてこのザマって…久し振りにすげぇの見たわ
908世界@名無史さん:2008/10/16(木) 03:06:48 0
昔、ダマスカスでティムールと歴史家イブン・ハルドゥーンが対談した。
ホスローとかカエサルとかアレクサンドロスとかネブカドネザルとか、
民族としてはテュルクとかアラブとかペルシャとかをネタに。
ネブカドネザルの帰属民族についてイブン・ハルドゥーンは最後のバビロン王、
ティムールは最初期のペルシャ王との見解だったそうな。
まー昔からそういう話が好きな人は好きなようだ。
909世界@名無史さん:2008/10/16(木) 14:40:52 0
ソビエト史学とやらを批判してるおっさんが一番ソビエト史学な見方してる件について
910世界@名無史さん:2008/10/17(金) 08:03:21 0
>ウズベク人とタジク人などが民族的対立などなく平和的に共存しているような事書いてあるが

とか一体どのレスの話をしているんだろうか
911世界@名無史さん:2008/10/17(金) 09:54:19 0
>>910
みんなから一斉に間違い指摘されてファビョった>>904
やっきになってどんどん勝手に滅茶苦茶な事言ってるだけだろ
912世界@名無史さん:2008/10/17(金) 13:25:39 0
もうこの話、この辺で止めよう。
なんかすっかり雰囲気悪くなってしまった。
913世界@名無史さん:2008/10/25(土) 00:44:00 0
914世界@名無史さん:2008/10/25(土) 15:36:11 0
フルボッコの>>900がかわいそう・・・
生まれつき頭が悪いからって、そんなに叩かれなければならないのかなあ。
915世界@名無史さん:2008/10/25(土) 15:56:29 0
自業自得、哀れむ必要無しってやつだ。
どっかずれた知識で語ったりするかもしれないのはお互い様だからしゃーないにしても
その後の態度や対応があんまりにもDQN過ぎただけの話し
それに見てる限りフルボッコでも何でもなく例のお方が自爆してるだけにしかすぎないし
916世界@名無史さん:2008/10/25(土) 16:26:56 0
>>914
こういうのは頭が悪いとはいわない。不勉強と言うんだ。
間違ってたら素直に認めればいいのに、あーだこーだ言い訳してちっぽけなプライドを守ろうとするからこんなことになる。
917世界@名無史さん:2008/10/26(日) 00:43:57 0
>>890
>>891
遅レスゴメン。
新疆でも古代なら戦前からの日本の東洋学者の研究・論文が詳しい。
ただ現在では簡単に入手できない本が多いのが難点。
図書館へ行っても本が古すぎて貸し出し不可だったり。
大谷探検隊の成果をもとにした「西域考古図譜」「西域史研究」なんかを
再版してくれたらありがたいんだけど…。
とりあえず漢文文献が読めないと。

中国語では新疆関連の本は色々出てます。
ウイグル語では果たしてどの程度歴史の本があるのやら。
ウイグル語を勉強しようとしたら、教材がなさ過ぎて挫折。
918世界@名無史さん:2008/10/26(日) 23:11:47 0
>ウイグル語を勉強しようとしたら、教材がなさ過ぎて挫折。

それは、英語、中国語、日本語いずれの言語でも、教材が全然無いって事?
919世界@名無史さん:2008/10/26(日) 23:25:31 0
ここにちょっと、ウイグル語の教材挙げてあるけど、ちょっと厳しいかもね。
http://home.m01.itscom.net/shimizu/yultuz/uighur/language/01_readme/studyaid.htm
920世界@名無史さん:2008/10/27(月) 06:49:59 0
50年後にはウイグル人が同化消滅している・・・かも
921885:2008/10/27(月) 11:56:14 0
>>917
情報ありがとうございます。
ってことは>>885で書いた認識でいいってことですね。

あとドイツ語文献に詳しい人がいれば、>>886の答えも出るんだけど。
922世界@名無史さん:2008/10/27(月) 11:58:46 0
>>917
中国語の新疆関係の研究書って、バイアスかかっていたりって心配は無いんでしょうか?
923世界@名無史さん:2008/10/27(月) 23:34:13 0
>>920
一応統計上は1990-2000は年平均1.53%ほどは増えてんだけどねー。
2000万ぐらいに増えたらおもしろいんだけど。
924917:2008/10/28(火) 00:12:10 0
>>918
北京にも上海にもウイグル語の教材はなかった。
ウルムチへ行くしかないかも。

>>919
「四週間双書」は内容は充実してるけど、音声がなくて発音がわからないし
難しくて…。文法中心で会話はできない。

>>922
中華人民共和国の歴史やものの考え方を理解して、
日本で手に入る中央アジア史の本に書いてあることぐらいは理解してたら
バイアスは見破れる。
そもそも歴史の研究は史料批判が必要なので、書いてあることをうのみに
してはいけないのはどの本でも同じ。
それに古代の新疆の歴史は漢文文献に頼る部分が大きいので、
最初から中国サイドのものの見方になっているから、
バイアスを心配するならそこから気をつけないと。
925世界@名無史さん:2008/10/28(火) 01:16:08 0
http://saveeastturk.org/jp/index.php/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E6%96%87%E5%8C%96
まぁこれはこれで東トルキスタンの人達の主観歴史になっちゃうけど
彼等の観点から自分達の土地の歴史を見るとこう言う風になるんだなって
そう言う部分の見方をする分に置いてはそれも有るのかなぁって思ったりで
926世界@名無史さん:2008/10/28(火) 09:09:00 0
>>924
四週間シリーズって他に本が無いときは仕方なく手に取ることになるんだけど、
分かりにくいよね。
927世界@名無史さん:2008/11/01(土) 18:21:55 0
>>913
梅村先生、だいじょうぶかなぁ?
928世界@名無史さん:2008/11/20(木) 00:07:53 0
age
929世界@名無史さん:2009/01/11(日) 13:31:34 0
保守
930世界@名無史さん:2009/02/15(日) 19:55:20 0
東トルキスタンの人々がウイグルと名乗ったのはなんでなんでしょ?
モーグルだとモンゴル人になっちゃうが
カルルクだとトルファンなどは含まれないか
トハラとかだとトルコ系でないし
結局消去法なんですかね?
931世界@名無史さん:2009/02/19(木) 15:14:53 0
重複対策age
932世界@名無史さん:2009/02/22(日) 11:57:52 O
重複ってこれのこと?

中央アジアの歴史について語ろう!【シルクロード】 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1235005791/
900越えてるんだし、次スレ代わりに使えば?
933世界@名無史さん:2009/02/22(日) 17:16:16 0
所謂シルクロードだけでなく、遊牧民達の東奔西走や草原の道を範囲にしようとすると
中央アジアでは収まりきらない、特に南ロシア
と言うのがこのスレのミソだったような気がするが、まぁいいか
934世界@名無史さん:2009/02/26(木) 15:14:01 O
カラ・キタイ(西遼)について聞くのはこのスレでOKですか?
仏教国であるカラ・キタイのイスラム教徒支配がどんなものであったか、宗教政策を知りたいんですが。
また、カラ・キタイについて詳しく書かれた本があれば教えていただけないでしょうか?
935世界@名無史さん:2009/02/28(土) 11:39:35 0
耶律大石マニ教説というのもあるが
936世界@名無史さん:2009/04/06(月) 12:13:37 0
久しぶりなので上げで

しかしジョチ=ウルスの歴史って日本語だと限界が有るっつうか
なんかバトゥが引き継いで国を設立した様な書き方(日本語版)だけど
なんか海外の資料とかチラ見するとバトゥとオルダが両立しながら
半ば別々みたいな形で設立してるっぽい印象有るんだがその辺実際はどうなんだろう
詳しい人がいたら説明求む
937世界@名無史さん:2009/04/06(月) 12:15:52 O
>>406
赤坂さんの本買って本人に連絡すれば?
938世界@名無史さん:2009/04/06(月) 12:49:24 0
>>936
Blue HordeとWhite Hordeが本によってバトゥのウルスかオルダのウルスかはっきりしなかったりするね>海外の資料
939世界@名無史さん:2009/04/06(月) 23:30:42 0
>>936
『集史』のジョチ・ハン紀に、ジョチ家はバトゥがジョチ家の頭領でありつつも、
異母兄オルダとバトゥ自身との二人でウルスの統治を折半した、というような記述があって、
オルダ、バトゥを含むジョチの14人の息子たちのうち、オルダはウドゥル、トカテムル、
シンクル、セングムの四人の弟達と諸軍をともないジョチ・ウルスの左翼を統率し、残りは
(他の弟たちと恐らく中軍+右翼)バトゥが統率していたとジョチ・ハン紀のオルダの条に出て来る。
恐らく欧米ではそのことがけっこう知られているんだと思う。

あと、赤坂先生の本によると、ティムール朝やシャイバーニー朝時代の資料に、ジョチ・ウルスの
左翼を青帳(kok orda)、右翼を白帳(aq orda)と呼んでいる資料と、逆に左翼を白帳、右翼を
青帳とする資料があるそうで、ジョチ・ウルスがバトゥ家とオルダ家による左右の両翼体制だったことは
『集史』が書かれた時代からはっきりしているみたいだけど、それらの左右両翼体制と「白帳」「青帳」
との関係は良く分かっていないらしい。

多分、オロス・ハンとかトクタミシュ・ハンなどの、バトゥ、オルダ両家が断絶した後のトカテムル家の
王族たちによるジョチ・ウルスの支配時代に、そこら辺の政治的なまとまりとしての「白帳」「青帳」
というを概念を色々情報操作して作り出したんじゃないかと赤坂先生は推測しているみたいだけど、
他の研究者からはそこまで言えるかは疑問だという声も出ている。

赤坂先生の本(『ジュチ裔諸政権史の研究』)でも部分訳があるけど、『集史』のジョチ・ハン紀は
一応北川誠一先生という方が既に邦訳されている。

○北川誠一 「ジョチ・ウルスの研究 1 『ジョチ・ハン紀』訳文 1」『ペルシャ語古写本史料精査による
モンゴル帝国諸王家に関する総合的研究』平成7年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書、
1996年3月、pp.67-90。
○北川誠一 「ジョチ・ウルスの研究 2 『ジョチ・ハン紀』訳文 2」『史朋』30号、1998年3月、pp.1-13。

「ジョチ・ウルスの研究 2」が掲載された『史朋』は北海道大学文学部が出している雑誌だけど、
「ジョチ・ウルスの研究 1」は文部科学省の科研費の報告書に掲載されているので、入手がやや難しめなのが難点。
940世界@名無史さん:2009/04/06(月) 23:54:34 0
おぉ、レスが。ありがとう!
>>937-939
バトゥが一応の盟主で有った事自体は確かに間違いでは無かったと思う
ただ、オルダを副汗とか仮汗って評してた人いるけど実際はバトゥに匹敵するくらいの権限が有ったみたい
そう言う部分で言えばちょっと変な言い方かもしれないけど突厥(Gokturk)のブミンとイステミに相当するのかなって思った

んで皆さんも指摘してる様にAk OrdaとKok Ordaの記述が一番判らない
何せ海外の資料とか色んな言語の資料とか見ても青が東で白が西かと思えば逆に青が西で白が東だったりしてるし
もし五行の価値観で言うとすると白→西・青→東になるはずだけどどうも事がそんな単純なものでもないみたいだし
多分バトゥとオルダの家系が断絶してその家系が弟達に移ってしまった時にそれぞれがそれぞれの主張で正統派を自認した為
なんらかの混乱が有って両翼体制が入り乱れたんじゃないかなとは思うけど、その辺に関しても未だ詳しい部分が判らないしね
トクタミシュがジョチ=ウルスを再統一する前のかなりの混乱期に青白の体制が半ば崩壊して入り乱れる様になったのかもしれないけど
941世界@名無史さん:2009/04/06(月) 23:56:54 0
でオルダのウルスが半ば独立に等しい権限と勢力を有ったとすると
従来で言われてるモンゴル帝国は四分(かつては五分)されたって今の定説も疑問になってくるんだよね
ジョチ=ウルス自体が実質的にはバトゥの段階で2つになってる訳だから
942世界@名無史さん:2009/04/08(水) 14:11:25 0
>多分、オロス・ハンとかトクタミシュ・ハンなどの、バトゥ、オルダ両家が断絶した後のトカテムル家の
>王族たちによるジョチ・ウルスの支配時代に、そこら辺の政治的なまとまりとしての「白帳」「青帳」
>というを概念を色々情報操作して作り出したんじゃないかと赤坂先生は推測しているみたいだけど、
>他の研究者からはそこまで言えるかは疑問だという声も出ている。

赤坂先生がそれについて書いているのは「ジョチ・ウルスの研究」ですか?
反論の掲載されてる書名も教えてもらえると有難いです。
943世界@名無史さん:2009/06/22(月) 00:02:32 0
アランのことを奄蔡っていうのは何で?
944世界@名無史さん:2009/06/22(月) 10:50:14 0
>>943
「アス」の音写かな? 元代には「阿速」になってた。

北元の「アスト」部族がアラン人軍団の後裔じゃないかとか岡田英弘先生が書いてたような。
945世界@名無史さん:2009/06/29(月) 19:49:17 0
ウイグル族というのは人種的には白黄混血。
回族にも一部コーカソイドの血が混じっている。
漢民族でも甘粛省の漢民族はやや顔立ちが違うね。
身長も中国では有数の高さとの話。
946世界@名無史さん:2009/07/08(水) 22:34:25 0
・・・トルコ民族は歴史上かなり新しい時代に東からこの地域にきた民族である。今日の
トルコ共和国の住民の見かけはコーカソイド(白人種)的だが、東方に住むカザフ人、
キルギス人などは、モンゴロイド的であり、地域によっては、両方の顔立ちが親族の中
でさえ入り乱れている。もともとトルコ系の言語はかなり北極に近い地域で話されていた
ようで、ロシアのサハ共和国のヤクート人は、今も原住地に近いところに住むトルコ系の
民族である。旧ソ連から独立した国の中にも、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタン、
トルクメニスタン、アゼルバイジャンとトルコ系の国が5つもあり、ロシアの中にもトルコ系の
自治共和国がたくさんある。中国に住むウイグル人も同系である。

 トルコというと今日のトルコ共和国に限定されるイメージがあるので、広範な地域に
ひろがるよく似た言語群の総称としては「トルコ」より「テュルク」を用いるのが普通である。
隋唐時代に中国をおびやかした「突厥」は「テュルク」を漢字で表現したものと考えられている。
テュルク系の言語の分布はきわめて広く、話し手にはモンゴロイドもコーカソイドもそのどちら
ともつかぬ人もいるのだが、東西の両端でもかなり会話が通じるほど、その言語は互いに
よく似ているという。
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/usukudara.htm

 パン・トルコ主義は現実的な思想ではないが、冷戦の終結により東西の行き来が盛んに
なった現在では、言語の壁の低さがトルコやトルコ人と、トルコ系諸民族の交流に役立って
いるのである。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061493272?ie=UTF8&tag=matouass-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=4061493272


中央アジアのトルコ系は大同団結すればいいのに。
947世界@名無史さん:2009/07/09(木) 07:38:59 0
部族主義なので無理です
948世界@名無史さん:2009/07/12(日) 16:29:56 0
<ウイグル問題>トルコ閣僚「中国製品不買を」―近親民族

◆解説◆
  ウイグル民族は中央アジアに多いトルコ系民族のひとつ。トルコ語とウイグル語は近縁関係に
あり、それぞれの言語を使っても意思疎通がある程度は可能という。ただし、トルコ語はローマ字、
ウイグル語はアラビア文字を使っている。
  トルコは他のトルコ系民族に強い親近感を持っている。ただし、「自らを、トルコ系民族の
“総本家”と考えている」などとする批判的な見方もある。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0710&f=politics_0710_010.shtml
【ウイグル騒乱】 「一種のジェノサイド(大量虐殺)だ」「中国政府はそれを傍観している」…トルコ首相、中国政府を批判★3
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1247347784/
【ウイグル暴動】トルコ各地で中国政府への抗議デモ−中国国旗や中国製品を焼く[07/11]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1247243838/
【トルコ】商工相、中国製品のボイコットを提案−ウイグル暴動に抗議[07/10]
http://yomi.mobi/read.cgi/news4plus/takeshima_news4plus_1247155279/

トルコ 中国に対する抗議集会

新疆ウイグル自治区での暴動を受けて、民族的に深いつながりのあるトルコでは、イスラム教の
金曜礼拝が行われた10日、各地で中国に対する抗議集会が行われました。

このうち、最大の都市イスタンブールのモスクでは、ウイグル出身の人たちやトルコの
民族主義団体の人たちなどおよそ300人が集まりました。トルコ人とウイグル人は民族的に
深いつながりあることから、トルコは、ウイグルから逃れた人たちを積極的に受け入れ、
今では2万人以上のウイグル出身者が暮らしています。集会では、参加者がウイグルの
民族自決を求める運動の象徴となっている旗を持ち寄り、犠牲者を追悼する祈りをささげました。
参加者の一部は、現地で中国政府による弾圧が繰り返されているとして、中国の旗に火を
つけて踏みつけるなど強い抗議の意志を示しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10014195341000.html
949世界@名無史さん:2009/07/12(日) 16:31:22 0
>>946
>>948
中央アジアのトルコ系は冷たい反応。

中央アジアで新疆暴動に警戒 キルギス、ウイグル族流入を懸念
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/eu/20090709D2M0804N09.html
キルギス、ウイグル自治区との国境閉鎖
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090709-OYT1T00103.htm
950世界@名無史さん:2009/07/13(月) 07:54:36 0
イスタンブールで300人しか動員出来ない時点で・・・下手すると欧州のほうが多いんじゃないのか
951世界@名無史さん:2009/07/20(月) 02:15:05 0
史記に見える闔蘇ってゴート族のことだよね?
952世界@名無史さん:2009/07/23(木) 22:38:37 0
イッセドネス人は死んだ父親の肉を刻んで食い、骸骨に金箔を塗って
宝物にするそうだ。
953世界@名無史さん:2009/07/24(金) 17:25:07 0
中国の火薬庫―新彊ウイグル自治区の近代史 今谷明 (著)

この本、清までは遊牧民視点なのに、清朝に入ってから
完全に漢人視点になってて萎えた。
左宗棠と楊増新を絶賛するウイグル史って、どうなのよ。
954世界@名無史さん:2009/07/25(土) 18:13:29 0
イッセドネス人はチベット系なのか?
955世界@名無史さん:2009/07/26(日) 04:11:28 0
>>953
漢人つうても左宗棠は清に忠誠を尽くした人だし、楊増新も清のもとで赴任した
人だしなー。支配者と被支配者が別民族なのもそれ自体はよくあることだし。
956世界@名無史さん:2009/08/01(土) 17:45:40 0
かなり昔のスレだが、関連スレ。

ティムール朝について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1007474869/
957ty270410:2009/08/07(金) 23:19:51 0
07年5月にある掲示板に書いたものを以下に再録する.

日本語で読めるオルダ・ウルスに関する論考を2編書いておこう.

村岡倫「オルダ・ウルスと大元ウルス−−「カイドゥの乱」・「シリギの乱」をめぐって−−」
 『東洋史苑』 第52・53合併号 1999年(平成11年)3月 1ページ〜38ページ
長峯博之「1360〜70年代ジュチ・ウルス混乱期におけるオルダ・ウルス」
 『史朋』 30号 1998年3月 43ページ〜44ページ

村岡先生の論考はオルダ・ウルスの動静に関する貴重な研究であると思う.
参考文献も詳細であり,これを手がかりにいろいろな論考に辿りつける.

長峯先生の論考は卒論の抄録である.もう少し内容を知りたいのであるが,
雑誌記事索引で調べた範囲では,その後の発表は見当たらない.
958ty270410:2009/08/07(金) 23:28:28 0
>>939
>○北川誠一 「ジョチ・ウルスの研究 1 『ジョチ・ハン紀』訳文 1」『ペルシャ語古写本史料精査による
>モンゴル帝国諸王家に関する総合的研究』平成7年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書、
>1996年3月、pp.67-90。
>「ジョチ・ウルスの研究 1」は文部科学省の科研費の報告書に掲載されているので、入手がやや難しめなのが難点。

国立国会図書館に所蔵されている.ライブラリアンに相談すると,探して
くれる.
959ty270410:2009/08/07(金) 23:33:59 0
森本一夫さんの編著が出版されましたね!

森本一夫編著『ペルシア語が結んだ世界:もうひとつのユーラシア史』北海道大学出版会、2009. (「序章 ものを書くことから見たペルシア語文化圏:その面的把握をこえて」を執筆)
960世界@名無史さん:2009/08/08(土) 03:52:43 0
おぉありがとう!>>957-959
バトゥ・ウルスについてはある程度歴史的にも名が知れてるから割と調べるのも出来るんだけど
バトゥとほぼ同等の権限が有ったと言われてるオルダやオルダ・ウルスについては
日本語の資料が余りなくってよく分かんなかったからなぁ
オルダを副汗とか訳してた人もいたけどどうも当時の状況とか見ると
バトゥがあくまでもジョチ・ウルスの統括者で有ってもオルダはバトゥ並の権限を有してたっぽかったから
単なる副って言う立場って見方にはかなり疑問が有ったんだよな

この辺はカザフ語やロシア語の方が資料が深そうだったりしたし
961世界@名無史さん:2009/08/09(日) 19:03:35 0
元朝秘史の1240年成立って絶対あり得ないの?
962ty270410:2009/08/09(日) 22:12:27 0
>>960
以前,赤坂恒明先生のウェブサイトに書籍の解題があったが,今はなくなって
いる.
多分,その中に良質の資料があったに違いないと推測される.
残念なことだ!
963世界@名無史さん:2009/08/09(日) 23:48:39 0
>>962
参考になるかどうかは分からんけどこんなサイト見つけた
ttp://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/russia/mongol_01.htm
ある程度は深く掘り下げてるっぽい感じがするのでどうかなって思う
オルダに関しては庶長子ではなく末子って説も有るらしい
もちろん余り支持されてない見方だが
964世界@名無史さん:2009/08/10(月) 13:28:19 0
突厥人ってどんな髪型してたの?
965ty270410:2009/08/10(月) 23:34:50 0
>>963 ご紹介ありがとうございます.
かってある掲示板に書いたものです.
http://34263.l-3-l.me/ct/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6/3/
以下に再録します.

加藤一郎「モンゴル人によるルーシ支配の開始−−キプチャク汗国の成立」
 『史潮』新10巻 1981年 59ページ〜74ページ,92ページ
加藤一郎「13世紀後半のキプチャク汗国とロシア−−汗国史へのエチュード(1)−−」
 『文教大学教育学部紀要』19巻 1985年 14ページ〜29ページ
加藤一郎「14世紀前半のキプチャク汗国とロシア−−汗国史へのエチュード(2)−−」
 『言語と文化(文教大学)』 1巻 1988年 41ページ〜63ページ
加藤一郎「14世紀後半のキプチャク汗国とロシア−−汗国史へのエチュード(3)−−」
 『言語と文化(文教大学)』 2巻 1989年 49ページ〜69ページ
加藤一郎「トクタムイシ汗とキプチャク汗国の解体−−汗国史へのエチュード(4)−−」
 『文教大学教育学部紀要』26巻 1993年 1ページ〜13ページ

主としてロシア語の成書を駆使しての論考である.モンゴルのロシア進出から
15世紀初頭までの金帳汗国の通史が日本語で要領よくまとめてある労作である.
便利で,しかも楽しい論考である.
惜しいことに続編が見当たらないようである.(再録終わり)
966ty270410:2009/08/10(月) 23:45:53 0
オルダ・ウルスについての言及があります.
http://34263.l-3-l.me/ct/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6/3/
かって掲示板に書いたものを
再録します.(ご存じでしたらご免なさい!)
以下再録

川口琢司「キプチャク草原とロシア」『岩波講座世界歴史11 中央ユーラシアの統合』
岩波書店 1997年11月刊 275ページ〜302ページ

目次を掲げてみよう.

はじめに
1.キプチャク草原世界の浮上−−ジョチ・ウルスというかたち−−
2.14世紀のジョチ・ウルスの変動
3.トカ・テムル家による草原再編
4.クリム・ハン国とロシア

ウズベク・ハンの登場,トクタミシュによるジュチ・ウルス再統一,
ポスト・トクタミシュ期,15世紀後半から16世紀にわたる混乱,
クリム・ハン国によるバトゥ・ウルス東半分の統一など
従来,あまり論じられなかった時期にも日を当てている.

ロシア語史料,ペルシャ語史料によって記述している.
地図・系図は貴重である.
ティーゼンハウゼン史料集の引用でイブン・ハルドゥーンの記述が
読めるのも一驚である.

忘れていたが,オルダ・ウルスの興亡にも触れている.(再録終わり)
967世界@名無史さん:2009/08/10(月) 23:57:14 0
>>965
またもやありがとう御座います
この辺の資料はそれこそかなり深い本を探さないと中々分からない事も多く
また学説で正反対な事が書いてあったりの場合も有るみたいで
うかつにこれがこうだと断言できない怖さが有る様で

そこのサイトの加藤先生のもかなり面白そうなので調べたい所
また村上先生&村岡先生のオルダ=イチェンとその系図の歴史は
かなり興味深い部分が有るので探せれたら探してみたいです


オルダ=イチェンに関してはこんな考察をしてたサイトも有ったので参考までに
ttp://www.h7.dion.ne.jp/~gankocat/jochi5.htm
968世界@名無史さん:2009/08/11(火) 00:09:39 0
>>966
と思ったらまたもやありがとう御座います

オルダ=イチェンは病弱で庶子だったので正統かつ正式な子であるバトゥが継いだ
って言うのは今では定説というか最早不動の認識のような説になってる模様だけど
実際のところオルダがバトゥに匹敵するくらいの権限と権力を有してた”らしい”のは
調べるごとにかなり出てくる部分があるなぁって思ったり
実際オルダ=イチェンはジョチ=ウルスにおいてかなり大きな独自性と独立性を持ってたみたいで
家柄としてジョチそしてバトゥに属する立場では有るもののそれ以外はほぼ1つの国的な感じで支配してたという

因みにソースが海外のウィキペディアで非常に申し訳無いけどオルダ=イチェンの生没年もやはり海外のサイトに載ってて
そこではオルダは1204年頃〜1280年頃となっていたそうです
当時においては70歳半ばまで生きてた訳でそうなると実にクビライの治世まで生存してた事になる
一方のバトゥ=ウルスではメンゲ=テムルからトダ=メンケの時代に差し掛かる頃で随分世代が入れ替わってた状態で
この辺オルダは本当に病弱だったのか、病弱だったからこそ節制して長生きしたのか
それとも病弱なのは名目で色々何か有ってバトゥを盟主として半独立のようになったのか

まだまだ色々と調べる事は一杯有るなぁと痛感した次第です
969世界@名無史さん:2009/08/11(火) 00:18:05 0
>>964
突厥辮髪という単語を見たことがあるが……
具体的にどう剃ってどう編んだのかは知らない
970世界@名無史さん:2009/08/11(火) 17:09:54 0
キプチャクやサライ(新サライ含む)の実態について
書かれた本ってなーい?
本じゃなくて資料でも良いけど・・・
971ty270410:2009/08/11(火) 22:08:23 0
>>970
参考になるかどうかわかりませんが,昨年3月にある掲示板に書いたものを
再録します.(以下再録)

ハルパリンの本が翻訳・出版された.
C.J.ハルパリン著,中村正己訳『ロシアとモンゴル−−中世ロシアへのモンゴルの衝撃』
2008年3月,(株)図書新聞刊行

目次を掲げておこう.

 日本語版への序文,序文,謝辞
第1章 中世の民族・宗教的境界地帯
第2章 キーエフ・ルーシと大草原
第3章 モンゴル帝国とゾロターヤ・オルダー
第4章 モンゴル人のルーシ統治
第5章 ルーシの政治におけるモンゴル人の役割
第6章 モンゴル人支配についてのルーシ人の「理論」
第7章 経済的ならびに人口誌的諸結果
第8章 モンゴル人とモスクワ大公国の専制政治
第9章 モンゴル人とルーシ支配
第10章 文化的活動
第11章 結論
 註,文献一覧,訳者あとがき,索引
(再録終わり)
972世界@名無史さん:2009/08/14(金) 19:33:09 0
>>971
刊行されて一年程度で新本では入手不可に。
amazonマーケットプレイスで滅茶苦茶な値段が付いています。
973世界@名無史さん:2009/08/14(金) 22:12:12 0
>>970
運がよければ図書館に戦前に翻訳された「金帳汗国史」が眠ってるかも・・・

あと「東西文明の交流4 モンゴル帝国と西洋」って本にサライの発掘図と解説が
載ってたような記憶があるけど。
974世界@名無史さん:2009/09/20(日) 21:59:48 0
次スレ立てようかな…
975世界@名無史さん:2009/11/23(月) 19:57:07 0
age
976世界@名無史さん:2010/02/14(日) 09:51:03 0
ブハラ・アミール国の末期って、何かスリリングだよな・・・。
最後の国王アーリム・ハーンによるロシア、ソビエト、赤軍との駆け引きが鬼気迫るって感じ。
977世界@名無史さん:2010/02/14(日) 18:07:29 0
カザフスタンが大発展する予感
978世界@名無史さん:2010/02/14(日) 19:14:02 0
石油の出る国とそうでない国とで明暗がはっきりしてきたね。
カザフスタンとトルクメニスタンは勝ち組。
979世界@名無史さん:2010/02/15(月) 06:33:43 0
ウズベクの衰退ぶりが酷い
980世界@名無史さん:2010/02/24(水) 17:34:05 0
>>790
話がうますぎる。
「関係者によると」であり、(公式発表ではなく)リークだよ。
期待もたす騙しのテクニック。

関係者によると、担当者が各党に持ち帰って検討し、
3月上旬に国土交通省など政府に要請する。
素案は「人道的観点から救済する」とした上で、
同機構が▽解決金として1世帯当たり約1600万円
▽解雇で消滅した期間の年金相当分として約1300万円
−−など計約270億円を組合員側に支払う。
また、不採用者が設立した18の事業体に各1億円の支援金を提供することや、
55歳以下の組合員約230人の雇用もJR各社に要請する。


981世界@名無史さん
キルギスとタジクも衰退?