925 :
世界@名無史さん:04/07/27 19:54
ボコボコ産んでも、出生時〜幼児期にボコボコ死んでいたからな。
中世ヨーロッパ社会で、堕胎が、厳しく罰せられたのは、宗教と社会両面から
考えると、必然的な対応だと思うね。
今の途上国でもそうだけど、子供を多くつくって、働き手が増えれば、
家が裕福になるという考えは、中世ヨーロッパでも同じじゃないのかな。
子供が増えれば、経済的な負担が増えるから生まないという考えは、
どちらかと言えば、裕福な社会に見られることだと思うんだけど。
>>895 1398年ドイツで既に、エルベ川=リューベック間にヨーロッパ最古の頂区運河
シュテックニッツ運河が開通している。この運河は北側4.8m南側13mの高度差を
堰・水門を組み合わせて解決している。
この技術は、水と常に対決し続けていたオランダあたりからのものである。
ついでに、斜面に運河作るには船を通せる水門や放堰が造れれば十分。
ヨーロッパでは13世紀後半以前に既に存在してたという。
>>908 >一般的なイメージとして清貧な修道院の生活、更にそれを推し進めた隠者、
逆じゃよ。隠者生活は発狂してアレな方向に進みかねない、ということで
集団生活するようになったのが修道院の始まり。
日本も西洋も、農村の働き手は貴重だろうに。
だから日本は堕胎容認で、水子供養という形で嫁を保護してる
西洋の場合は堕胎禁止のおかげで、女手に不足しなかったということなのか?
キリスト教でも教会は学問の中心であったと思うけど、それが社会に反映はされたの?
例えば日本では僧侶が橋の建設などで建築技術者として指導したりしたけど、
そういうような実際的な形で学問の成果が社会に生きていたのかという意味でね。
931 :
世界@名無史さん:04/07/28 20:14
>>926 「子供を多くつくって、働き手が増えれば、家が裕福になるという
考えは、中世ヨーロッパでも同じじゃないのかな」というのは面白いね。
これは南欧的な園芸作物体系ではそういうことが言えそうな気がする。一方
ドイツなどの主穀農業と牧畜農業が融合している地域では、それほど人手が
必要だったかが問題になるのではないかな。特にこの地域の農業革命以前の
世界では多すぎる子供は逆に家族の負担になると思われ。
932 :
世界@名無史さん:04/07/28 20:18
>>931 温帯と熱帯ではかなり労働事情が違う。
働き手が多ければ多いほど広い焼畑(=大きな収穫)が得られる熱帯と
限られた耕地で生きていかなければならない温帯では
「間引き」に対する理解が天と地ほども違う
>>932 でしょうね。食糧事情と農業の形態が大きく関わるものと思います。
>>929 建設関連はツンフトの役割だと思いますね。農業などでは修道院など
が果たした役割はあるとおもうけど。
>>930 いや、大丈夫だと思いますw
ようするに堕胎禁止→子沢山になる→女手が不足しない ということなのかと
駄目? 意味分からん?
そういえば、同性愛も見つかり次第、死刑だったんだよな。それも火刑
宗教タブーがそのまま刑罰になってるんだな
>928
何で女手なの。
農業で欲しいのは男手でしょ。
>>936 >>937 男手も女手も必要だけど、日本は堕胎しても女性を殺さず、西洋は女性を殺す。
そんなことで女性を殺してくと、共働きが基本の農村の労働力不足にならないかな、と思ったの。
でも、堕胎を禁止することでポコポコ子供が生まれれば、結果人口が増えて
人手不足にはならないのかな、と思いなおしたんです。正しいかどうかは分からんけど。
分かりにくいレスをして、皆さんを混乱させて申し訳ない。車裂きの刑で逝ってきまつ
>>938 死ぬか出産だったら出産を選ぶだろ。
そういや中世で堕胎ってどうやるんだ?
940 :
世界@名無史さん:04/07/28 23:49
堕胎に対する認識は背景となる宗教にも影響を受けていそうですね。
人口に関しては、養えるだけの生産力がないと、増えるだけでも困るでしょう。
基本的に被支配階級の人間の扱いは家畜と同じようなもので考えられていた感じがしますし。
死にやすい分、数を増やすことで全滅しないようにした。
人権なんて考え方は医療が発達してからの概念なのかなと思ったり。
でも、使用人が不義の子を生み、処置に困っての結果嬰児殺しって多かったみたい
どっちにしろ男性優位だよね 男が罰せられることはほとんどなかったみたいだから
嬰児殺しの話しを見聞きすると「ファウスト 第一部」を思い出すなぁ・・・
>>942 グレートヒェンね。
>>929 修道院と手工業者の関わりと言うのは深いものがあったらしい。
具体的に技術者を育てるというのでなく、技術者を保護するという
形だけど。エッセンの女修道院長のマチルダなどはそういう手工業者
保護をした事で有名なんだそうだ。
>>929 中世初期において、書物を保護≒学問を保存
12世紀ルネサンスでは、各種アラビア語・ギリシャ語の書物を手当たり次第に翻訳
癩病患者への隔離・施療のノウハウがその後各種疫病対策に生かされる
etcetc...
945 :
世界@名無史さん:04/08/01 15:02
age
946 :
世界@名無史さん:04/08/01 19:16
鉄腕ダッシュで作物が豊作だとなんとなく嬉しくなる今日この頃(笑)
今回は食べ物ネタをぶり返してみます。
中世の頃は乾燥させて保存できるものが主であったと思われますが、
(小麦とか豆とか)
逆にトマトやナスのような保存が必要そうなものはいつぐらいから
都市部庶民の口に入るようになったんでしょうかね。
缶詰みたいな保存技術か、交通網と交通機関が発達してからか。
生産地であればそれほど珍しくもないんだろうけど、生ものは保存が難しそうだ。
少々スレ違いかもしれませんが、まぁよろしくです。
トマトは南米からの新作物だから、早くても16世紀だよね。 これは中世?
保存食だと北海産のニシンの塩漬けが有名でしたね。
950 :
世界@名無史さん:04/08/02 18:51
ドイツ地方などはソーセージとか保存食が発達してそうだな。
北欧などは魚類の保存食が多そう
>>946 野菜類は、朝市で近隣の農民が持ち込んでくれてたハズ。
で、牛乳のように本当に鮮度が必要な食品は確か16世紀頃から。
チーズなどの乳製品としてなら入ってきたけどね。
サラダが宮廷料理で出されるようになったのは14世紀らしいから
その頃には生野菜も入ってきてたのかな。
954 :
世界@名無史さん:04/08/03 09:04
オランダはニシンをナマで食う。
それで寄生虫対策に冷凍するんだよね。
955 :
世界@名無史さん:04/08/03 09:10
>>951 ヨーグルトも保存食。
ところで、トマトソースはどうしていたのですか?
南イタリアでは必需品だが。
956 :
世界@名無史さん:04/08/03 09:17
そういえば、魚のソースは、古代ローマ以来ですね。
どうやって保存したんだ?
トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシは南米産だと(ry
958 :
世界@名無史さん:04/08/03 11:44
世界中の食生活変えましたよね。
>>950 意外かもしれないが、ソーセージが最も発達しているのはポーランド。
960 :
世界@名無史さん:04/08/03 13:01
>956
基本的に保存は干物塩漬け酢漬け。
でも8世紀頃から彼方此方に貯水池ができて養殖が始まっていたから、
実は新鮮な魚も(淡水魚だけど)内陸でも結構食べられた。
鯉や鰻はヨーロッパでも良く食べられた魚。
962 :
世界@名無史さん:04/08/03 21:57
>>961 その場合、一般庶民も食べられたのでしょうか?中世では河川などの
川魚漁は領主の特権と聞いたのですが。
十四世紀末に書かれた詩『四旬節と肉の日の戦い』では、エイがチーズと、
鰻がソーセージと食卓の主導権を争う様子が語られていますね。
四旬節中には肉に代わって魚が食べられましたが、中にはビーバーなど
のこじつけも入っていたようです(我が国の兎や野衾に似ています)。
鰻も含めた魚を取ることについては『狐物語』にも描写あり。
航海用のパンは二度焼きで保存期間が長くなるようにしていましたね。
二度焼きのパン=ビスキュイ→ビスケット
穴を開けたのは割れにくくするためだそうですね。中には三〜四度焼きもあったとか。
ちなみに鯉は箱に詰めて運ぶ時にえらに水を掛けてぬらしてやれば生きたまま町まで運べたそうです。
鱒も物語などでよく出てきますね。
その他にも今では絶滅してしまいましたが、フランスの河川にはチョウザメが居たとか。
謝肉祭前の四旬節は、肉といえば魚しか食えなかったんだよな
でもブリューゲルの絵なんか観てると、当時の人たちは魚に怪物的な
イメージを持ってたんじゃないかと思わされるね。
>でもブリューゲルの絵なんか観てると
四旬節が告解火曜日と戦う絵を描いたのは、何もブリューゲルの頭が狂って
いたからではなく、擬人化という当時一般に見られた手法によるものであっ
たようです。ホイジンガの受け売りですが。
>>968 わしゃブリューゲルの頭は疑っとらんよw
でも魚に対するイメージは、日本人とかとはだいぶ違うでしょうな。
乙華麗。