古代ギリシア総合スレッド

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1世界@名無史さん
ないようなのでたてました。
クレタ文明、ミケーネ文明から始まり、ドーリア人の南下、
ポリス政の時代、ヘレニズム時代までの古代ギリシア史について
語りましょう。
2世界@名無史さん:02/04/30 20:38
わーい2
3世界@名無史さん:02/04/30 21:13
古代ギリシアって、なんであんな辺境の地にあんな輝かしい文明が
栄えたのか謎だ・・・
よく「海洋民族・商業民族だったから」という人がいるけど、
それならフェニキア人だって同じだろうし。
4世界@名無史さん:02/04/30 23:22
>3

辺境じゃないんですよ。

BC1500年前後の文明の先進地というと、オリエントからエジプトに
かけての一帯で、ギリシアはそのあたりの地域と文化的・経済的な
交流が行われていましたから。

そもそも、文字も伝説ではフェニキア人(カドモスという名前が伝え
られてますが)によってもたらされたとされていますよね。それは、
事実ではないかもしれませんが、当時の東地中海圏の文化的交流
の存在を暗示していると思われます。

もっとも、フェニキア人の文字を受容するさいに、ギリシア人はいくつかの
重要な改革を行っているのですが、それはまた別の話で、語ると
それなりに長くなってしまいます。

ギリシア文化の古典期の開花は独自のものですが、下地は東方から
もたらされたと考えても良いかもしれません。
5世界@名無史さん:02/04/30 23:31
>>4
>>3が言ってるのは、オリエント世界の辺境と言う事では?

>>3
1つには地形の複雑さ
もう1つには比較的楽に採掘できる鉱物資源と食料生産量の脆弱さ
これが古代ギリシア人をして交易と植民に駆り立てたと言えるかもしれない
6世界@名無史さん:02/05/01 00:07
古代はもっと緑豊かな土地だった。
今では青い海と白いむき出しの岩山のイメージがあるが、その岩山は
緑に覆われていた。それを人間が切り倒してしまった。ギリシアに限らず
地中海全域がそうだけれど。
蛇もギリシアでは絶滅したんだっけ?
7世界@名無史さん:02/05/01 01:07
>5

なるほど、そうですね。3氏申し訳ありません。

植民はかなり古くから行われていたようですね。まあ、あの地勢ではあっという間に
生産力の限界が来るでしょうが。

アテナイの場合、古典期には消費される小麦の大部分は黒海沿岸から輸入されて
いました。それゆえ、アテナイの安全保障上、現在のボスポラス、ダーダルネス海峡
の安全な通行を確保することは死活的な重要性をもっていました。

ペロポネーソス戦争では、この地域の制海権を失ったことがアテナイの敗因になって
いたかと。

>6

森は燃料とそれから船の材料として消費しつくされたようですね。
8世界@名無史さん:02/05/01 01:28
いや、革新的な文化は辺境から芽生える。


鉄則
9世界@名無史さん:02/05/01 01:29
辺境といっても田舎過ぎてはだめ。片田舎程度がいい



鉄則2
10世界@名無史さん:02/05/01 01:35
でもこれらは結果論。だけど歴史そのものが結果論(怒んないでね)。



鉄則3
11世界@名無史さん:02/05/01 03:08
ところで、古代ギリシャが緑に覆われていたのはどうして分かったの?
12世界@名無史さん:02/05/01 04:10
花粉分析
13世界@名無史さん:02/05/01 09:09
ギリシャで通用するのは日本だけだろ
14=5:02/05/01 09:55
>>3
>>5の日本語が少し曖昧なので捕捉
>もう1つには比較的楽に採掘できる鉱物資源と食料生産量の脆弱さ

これは「当時の技術で採掘できる鉱物資源が比較的豊富」と
「当時の技術での食料生産量の脆弱さ」の意味
15世界@名無史さん:02/05/01 10:23
今より緑多いと言っても大したことないぞ?だいたいオリーブなんて
乾地適用型植物が流行っていたことからも解る。葡萄なんてのはいわずもがな

ギリシャ(へらす)は、
土地が豊かでないから、商業的価値のある商品
(オリーブ・葡萄酒)を作って
海外(エジプトなんか)に売らなければ生活が成り立たなかったっと考えるのが吉。

緑を切りすぎたってのはインダスなんかに言う方がしっくりくるよな。
煉瓦作るためにね。
ギリシャは大理石文化だからねぇ。

意外と知られていないんだなギリシアのことって。


16世界@名無史さん:02/05/01 11:32
>今より緑多いと言っても大したことないぞ?だいたいオリーブなんて
>乾地適用型植物が
「緑の量」と「食糧生産量」は必ずしも直結しない
て、錯覚の罠(直結するように思うのが錯覚)て話やね
17世界@名無史さん:02/05/01 12:54
>>15
木を切りすぎたかどうかはわかりませんが、ギリシアの神殿は
最初木造で、だんだん石造に変えていったことがわかっています。
ローマ時代のパウサニアスの旅行記にも、オリュンピアのヘラ神殿
に一本木の柱が残っていたことが書かれています。
18世界@名無史さん:02/05/01 17:37
ギリシア神殿て日本の鳥居に似てない?
19世界@名無史さん:02/05/01 18:00
>>18
ギリシア建築は、日本と同じく楣式建築です。
20世界@名無史さん:02/05/01 18:17
>>18
似てないだろ
ファサードに偶像刻むし
青とか金とかで彩色してたし
21世界@名無史さん:02/05/01 20:19
裸体を美しい、気高いものと見た点も変わってるね。
ほかの民族の場合はだいたい裸体をさらすのを恥と考えたんだけど。
22石岡亜希子(朝鮮人):02/05/01 21:57
明治時代の日本では朝鮮人は義理の兄弟と考えられていて
「義理者人」と呼んでいたよね、ギリシャ人
ギリシャ人はヘレネスと言う
23世界@名無史さん:02/05/02 10:54
フィレンチェってさあギリシャに似てるよな
ミケランジェロの彫刻とかフィレンチェであふれてる美術は妙にギリシャぽい
24世界@名無史さん:02/05/02 18:44
ミケランジェロに限らず、イタリア・ルネッサンスの彫刻が
ギリシアっぽいのは当たり前

古代彫刻ブームがあって、古代美術が再発見されたのがルネッサンスなんだから

フィレンツェがギリシアに似てるかどうかはちとわからん
メディチ・アカデミーとかの関連か??

>>23はどの辺が似てると思うのか?
25世界@名無史さん:02/05/02 20:00
>>24
「ラオコーン」や「ベルヴェデーレのトルソ」に感銘を受けたらしいね。
もっともこれらはローマじだいのコピーだったんだけど。
26世界@名無史さん:02/05/02 21:52
ローマ帝国の文化はほぼギリシャ人が担ってたからねえ。
27世界@名無史さん:02/05/03 06:51
>>20
ギリシア彫刻は、もともと彩色されていたというのは有名な話だけど、
どんな塗り方をしてたのかなあ。
原色をベッタリ塗っていたのか、それとも肌の部分とかは微妙な塗り方を
していたのか。
28世界@名無史さん:02/05/03 07:19
http://www.tigtail.org/TVM/E/Ancient/Greek/greek.html
ここでギリシア彫刻の色彩の復元をしている。
29世界@名無史さん:02/05/03 10:14
ギリシャでは、ストリップやストリーキングは市民権をえていたのでしょうか?
30世界@名無史さん:02/05/03 14:43
>>29
裸になったのは体育の訓練やオリンピックのときで、ふだんはちゃんと
服を着てましたよ。
3129:02/05/03 19:58
えへ、俺って何を考えてたんだろう。
32世界@名無史さん:02/05/04 00:13
ところで、みなさんはミケーネ文明の崩壊要因を「ドーリア人の南下」とする説にはどのような見解を持っておられるのか?
33世界@名無史さん:02/05/04 00:15
「ドーリア人の南下」

支持しません。牛皿とビールかける
34世界@名無史さん:02/05/04 01:12
では、歴史学者寄りの「海の民」説は?
35世界@名無史さん:02/05/04 02:00
おお、私好みのスレ発見!
美術関連の話なんだけど、ルネッサンスが起こる
までの地中海世界の美術って、古代ギリシア→ローマ
をピークにビサンチン辺りで絶対退化してると思う。
ポンペイ展(展覧会の出来はアレだったが)観に行って
そう思った。ルネッサンスは起こるべくして起こった
んだろーなあ。
ああ、ヘラスと関係なくなってきた、ごめんね。
古代ギリシアのヘタイラ(高級娼婦)ってかっこいい。
36世界@名無史さん:02/05/04 08:44
>>35
ローマ時代末期(コンスタンティヌス大帝の時代)にはもう優秀な芸術家
がほとんどいなくなってたみたいだね。
だから凱旋門を作ったとき、トラヤヌス帝の凱旋門から彫刻をはぎとってきて
くっつけたとか。
37世界@名無史さん:02/05/04 09:42
現在のギリシア人はギリシア彫刻とは全く似ていないと言うのは本当ですか?
美男美女があまりいないとか・・・
38世界@名無史さん:02/05/04 09:53
>>37
ギリシア彫刻の場合は理想化されてますからね。
古代のギリシア人でも、ソクラテスとかは醜男で有名でした。
3933:02/05/04 12:53
「海の民」説

はおずおずと賛成。

おずおずだから牛皿のみ
40世界@名無史さん:02/05/04 13:00
「海の民」は古代エジプト王朝での呼称で
実態は食糧危機で流出した諸方の民族の
混成集団だったという説がありますよね?

諸方の民族の移動の内、移動の最後の方に
ドーリア人の南下も含まれるという説はどうですか?
41世界@名無史さん:02/05/04 14:01
>>40
私もドーリス人の南下は、海の民の侵入による東地中海域民族移動に
広い意味で含まれると思います。
(少なくとも、まったく関係がないとはいえないと思う)
「海の民」はアカイア、エトルリア、リュキア、サルデーニャ、
シチリアなどの地域の出身者の混成集団で、それぞれ独特の服装を
していたらしいです。
42かちゅ〜しゃで書き込めない!:02/05/04 14:14
えっと、古代ギリシャが現在よりも緑豊かな自然を持っていたということは、
かなり確実なことのようです。
でもって、緑が失われた原因ですが、燃料や材木用途での森林伐採と、羊の
放牧による相乗的なものと推測されていますね。
なんらかの理由で一度森林が失われると、次の幼木が芽吹いても、放牧され
ている羊や山羊がすぐに食べてしまうために、森林が回復しない。森林を喪
失したために表土が流れ、地味が痩せ、河口付近が流出土砂が埋まってしま
うといった地理的変動が発生したという説が有力なようですが。
43世界@名無史さん:02/05/04 15:08
ゼノン、ピタゴラス、ユークリッド、アルキメデス……
ギリシアに追いつくためには、
ニュートンを待たなければならなかった。
ヨーロッパ、2000年の停滞……
ヨーロッパ文明なんて、自慢するほどのもんじゃないね。
44世界@名無史さん:02/05/04 15:12
>>32
ミケーネ文明衰亡の兆しは、紀元前1300年以降、トロス墓の築造が
ほとんどおこなわれなくなったことや、金・銀・青銅製の副葬品が
少なくなったことに見ることができると思います。
またこの時期、城壁の拡張や増強が行われていたことが調査の結果
わかっています。
「海の民」やドーリス人の侵入説のほか、内乱説、自然災害説なども
ありますが。
でも単なる自然災害ではあそこまでの被害は受けないと思いますね。
多くの宮殿が破壊された上、文字の使用、フレスコ画、印章、象牙製品、
ファイアンス製品などもほとんど姿を消したのですから。
45世界@名無史さん:02/05/04 20:37
>43
しかしまあ、古代ローマ・ギリシアの流れで産業革命がおきなかったからなあ。
確かに中世ヨーロッパの長期に渡る退行と低迷は酷いが、一気に
盛り返したのはやるなぁと思う。

・・・溜まってたのかな。
46世界@名無史さん:02/05/04 20:55
古代ギリシャと今のギリシャの関係が薄いって本当?
今のギリシャは民族的には南下してきたスラブ族にすぎず、
古代ギリシャふうの文化も近年にとってつけただけのものなの?
4746:02/05/04 21:06
世界史専攻の方には常識なのかもしれませんが、
わたしは専攻が日本史の方で、
今のギリシャと古代ギリシャの関係は知らないんです。
誰か教えてください。
48世界@名無史さん:02/05/04 21:11
>>46
>今のギリシャは民族的には南下してきたスラブ族にすぎず、

これは言い過ぎ、極論の類だろ
古代ギリシアは一度ローマ帝国の属領になった後、
東ローマ帝国が中世にギリシア語を公用語にした
「中世ビサンツ時代に南下してきたスラブ族なども混交した」とは言えると思うが

>古代ギリシャふうの文化も近年にとってつけただけのものなの?
文化と一言に言っても、例えばオリーブ・オイルギトギトのギリシア料理なんかは近年とってつけたわけではない
一方、現代のギリシア人が「裸体を神聖視してる」とかって話は別に聞かない

日光浴はすると思うが、北欧方面からくる連中がヌーディスト・ビーチとかでしてるんじゃないのか?(w
49世界@名無史さん:02/05/04 21:26
>>46
海洋民族だというところは今も古代も同じじゃないかな。
決定的に変わったのはやっぱり宗教でしょう。
民族衣装なんかも、今のギリシア人で古代のようなキトンを
来ている人なんていないし。
50世界@名無史さん:02/05/04 23:10
当時の半島の地図と現在のギリシャの地図を見比べると、
2000数百年の間に地形がかなり変わったのだなあと感じます。

何か、大きな理由はあったのでしょうか?
51世界@名無史さん:02/05/04 23:22
>>50
どちらかと言うと測地技術や製図技法の問題ではないかと思えますが。

確かに、エーゲ海域は大陸プレートの関係で狭まっていく地域だそうで
ギリシア一帯の、あの複雑な地形はその関係だとは聞きますが。
仮に大目に年間数センチのプレート移動と仮定しても、2000数百年でそれほど地形が変わるとも思えませんが。
52hytr:02/05/04 23:24
スパルタの全寮制学校の卒業試験すごすぎ
53世界@名無史さん:02/05/05 01:03
シェイクスピアはアリストファネスを超えたか?
イギリスの誇る文学なんて、底が浅い、浅い。

ギリシアには2000年、日本には、1000年遅れてるだろ?
54世界@名無史さん:02/05/05 02:03
日本にも正教会の信徒の人がいるけど、
やっぱりギリシアVSトルコではギリシアを
応援したり、セルビアVSクロアチアでは
セルビアを応援したりするのかな?
‥すれ違いかな
55世界@名無史さん:02/05/05 02:06
ホメロスとオディュッセイアくらいは読んだが、
呉さんのね
ギリシア語知らないと良さはわからんな。なんつーか口音の響き
てのー大事にしてたようだ。
芸術ってのはその国の文化に強力な影響を受けるもんだよな
それを超えたのが本物なんだろうな。
ルネサンスはギリシアの真似から始まったかもしれないが(俺の好みはフりゅーゲル)。
少なくともミケランジェロはそれを超えたよな。
56世界@名無史さん:02/05/05 02:10
>>54
いいんじゃない?
正教会ってなるとビザンツのイメージ以上はなかなか遡れないなぁ^^
ただ、ビザンツがギリシア文明保存してくれたおかげで、
ルネサンスが起こったらしいけどね。
文化の程度が低すぎたとかタタールのクビキとかって言えばそれまでだけど。
なぜルネサンスロシアで起こんなかったんだろうね(w
57世界@名無史さん:02/05/05 02:54
>>56
いや、スレ違いだとは思うが。
>クレタ文明、ミケーネ文明から始まり、ドーリア人の南下、
>ポリス政の時代、ヘレニズム時代までの古代ギリシア史について
>語りましょう。 (<<1)
−−だからね。

>ルネサンスロシアで起こんなかったんだろうね
それは農奴制とかだとなー。
平民が知識人や職人・芸術家に転身できる間口の広さはイタリア・ルネサンスに重要だたと思うよ。
58さて:02/05/05 06:43
中世の退行現象と言う言い方はどうか?
宗教が政治の手段であった時代には社会の安定の為に
文化的多様性が犠牲にされるのは仕方がない。
一神教たるキリスト教が言う「異教徒」とは、先ず古代ギリシャローマの
多神教を指したことに注目すべし。
そして古代の諸ポリスで行われた肉体礼賛
に原始性と衣服の粗末さを見る客観性もまた必要。
しかしそれ以上に、古代神の礼賛こそ芸術のテーマであったことから
宗教と不可分な点に古代芸術の復権が遅れた最大の原因があろう。
やはり古代は所詮古代でもあったと言うことでもあるんだよ。
政治と宗教の社会における機能、そしてその下での文化の有り方を総合的に考えると
古典古代から中世そしてルネッサンス期への流れは極めて自然だと思える。
イスラム社会の台頭とその芸術の偶像否定が、欧州にも影響しリアリズムを退けた
点も見逃せない。
政治や宗教の優先は社会の安定が未熟な時代には仕方が無い、と言うより寧ろ賢明な選択と言える。
古代芸術の復権に比べ古代民主制の復権?が遥かに遅れた点にも現われている。

59世界@名無史さん:02/05/05 08:42
>>58
>古代の諸ポリスで行われた肉体礼賛
>に原始性と衣服の粗末さを見る客観性

まず、ここが根拠レスだな
古代〔ギリシア〕の諸ポリスで行われた肉体礼賛
よりもさらに原始的な宗教は、密議宗教の前身だろ
密議宗教ですら、ポリスの成立と共に変質しただろうことは諸々の状況証拠からほぼ明らか

肉体の神聖視は、ギリシア・ポリスの成立と共に形成された古代思想とみなすのが妥当
それが証拠に、ギリシア・ポリスと同程度に貧困だったと思われるフェニキア系都市にはギリシア的な肉体神聖の習俗はみられない

テュロスやビュブロスには肉体の神聖視などみられない
すなわち「肉体の神聖視」を原始的信仰とは断定できない
60世界@名無史さん:02/05/05 08:46
>イスラム社会の台頭とその芸術の偶像否定が、欧州にも影響しリアリズムを退けた点も見逃せない。

この歴史過程の要約は、リアリズムなどと言う近代西欧的観点による汚染で偏向しきっている
西欧は中世を通じて独自の図像表現を東ローマ世界との緊張関係において自己展開させていた
「イスラム社会の台頭とその芸術の偶像否定が、欧州にも影響しリアリズムを退けた」などという関係は認め難い

というかこの場合「リアリズム」とはどのような歴史概念か整理されなければ無意味
61世界@名無史さん:02/05/05 08:48
>政治と宗教の社会における機能、そしてその下での文化の有り方を総合的に考える

断定はしないが、この図式が妥当でないのではないか
>政治や宗教の優先は社会の安定が未熟な時代には仕方が無い、と言うより寧ろ賢明な選択

何を言いたいのかサッパリ意味不明
62世界@名無史さん:02/05/05 08:54
>中世の退行現象と言う言い方はどうか?

これには賛成
古代ギリシアは南欧の文化圏なのだし
古代ローマ時代にも後の西欧の中核部は辺境にすぎなかった
別に中世西欧は古代地中海から退行したわけではなく、たんじゅんに断絶していたとみなす方がすっきりするだろう
63世界@名無史さん:02/05/05 09:21
>62
お得意の「発見」した、とも言えるんじゃない。
64世界@名無史さん:02/05/05 09:48
アカイア人、ドーリア人、イオニア人等に「ギリシャ人」はさらに細分されますが、
これらは、一見して「○○人」とわかるぐらいの差はあったのでしょうか?
65世界@名無史さん:02/05/05 09:58
現状、定かなことは言えないはずと思いますが、外見的差違はさほどなかったのではないでしょうか。
周辺異民族との差違の方が顕著だっただろう、とは言えると思います。

文字遺物には、ミケーネ時代にはみられなかった方言の偏差がその後顕著にみられるようになったと言いますが。
ちなみにアカイア人はミケーネ時代の呼称だと思います(←異論は出るかもしれませんが)。

大雑把には次のように整理してよいと思います。
アカイア人と総称されていた時代(ミケーネ時代?)があって、ドーリス人が南下してきた前後からイオニア人、アイオリス人などの分化が顕著になる。

その後、各ポリスの自立形成と並行してヘレネスの自称(総称)が流布するようになった。
66世界@名無史さん:02/05/05 15:11
>やはり古代は所詮古代でもあったと言うことでもあるんだよ。
この言い方には納得いきません。
古代→中世→近世と、一直線に歴史が進歩してきたとも思いません。

>別に中世西欧は古代地中海から退行したわけではなく、たんじゅんに断絶していたとみなす方がすっきりするだろう

つまり、知らなかっただけということですね。
ルネサンスはイスラムから輸入した文献等から始まったのだから、その通りかも。
しかし、芸術はいうに及ばず、数学のレベル、「ギリシア悲劇」等と称される文学のレベル、三大哲学者に代表される思想のレベル。
いずれも、キリスト教世界は二千年の間、ギリシアに遠く及ばなかったと感じます。
それだけギリシアが傑出していたというべきか、キリスト教文化に欠陥があったというべきか。
67世界@名無史さん:02/05/05 16:37
>>66
うーん、古代ギリシアをそう理想化するのも考え物と思う。

まず、古代ギリシアをミュケナイ文明の崩壊(紀元前1200年頃)頃からと区切り
ローマ帝国に属領化された紀元前60年代をその末期とすれば、
その文明のライフサイクルはおよそ1200年間。

一方、西欧文明に関して言えば、仮にその最初の区切りをローマ、ゲルマン連合軍がフン族を撃退した紀元451年とすれば、2002年現在そのライフサイクルは1500余年で継続中。
仮に、シャルルマーニュが戴冠した768年以降としても1200余年で継続中。

もし、古代ギリシア文明にミュケナイも含めるのだとしたら、西欧文明にもケルトやプレ・ノルマンを含めないと不公正になる。

ギリシア文明を他の文明とを比較するなら、トータルで比較するか、
個別ジャンルで比較するなら各々のピークで比較するのでなければ公正と言えない。

数学に関しては、古代ギリシア人は無理数を知らなかった(正確に言えば否認、無視した)、虚数も知らなかった。
文学に関して言えば、ヨーロッパにはシェークスピアもいればゲーテもいる。
思想に関して言えば、ギリシア思想は所詮、奴隷制と家父長制に基づいた閉鎖的な社会システムしか構築できなかった。

−−と辛口の評価を挙げることもできる。
6866:02/05/05 17:37
>67 まっ、ちょと大げさにマンセーしたのは事実ですが。
(でも結構ホンネ)
>数学に関しては、古代ギリシア人は無理数を知らなかった
いや、知っていたはずです。
(つか、バビロニア人も知ってた可能性が高いです)
ピタゴラスが、妙な信念から眼をそむけつずけただけで。
アルキメデスは、円周率が無理数であることも知っていたはず。
ただ、ギリシア人は数論より幾何の方に逝ってしまったから、代数に進まなかった。
> 文学に関して言えば、ヨーロッパにはシェークスピアもいればゲーテもいる。
ですから、彼らが出てくるのはルネサンス後ではないですか。
> 思想に関して言えば、ギリシア思想は所詮、奴隷制と家父長制に基づいた閉鎖的な社会システムしか構築できなかった。『国家論』をそう評す立場はわかりますが、
「イデア論」のどこが「奴隷制と家父長制に基づいた閉鎖的な社会システム」ですか?
アリストテレスは、ガリレオの時代ですら絶対的権威と見なされていたのではないですか?
なんせ私はギリシア大好きですから、なんでも擁護しちゃいますよ。
69=67:02/05/05 18:23
>>68=66
>> 文学に関して言えば、ヨーロッパにはシェークスピアもいればゲーテもいる。
>ですから、彼らが出てくるのはルネサンス後ではないですか。

いや、スレの流れから言って、古代ギリシア文明とヨーロッパ文明の比較評価をするならて話をだしてみたわけよ<<67では。
トータルで比較するのか、ピークを切り出して比較するのか?って観点なんだな。

んで、イタリア・ルネサンスと比較するなら、オレ的にはいわゆる暗黒時代のラストあたりと比較しなければアンフェアて感じだな。
例えばホメロスとダンテの比較とかな。

>>数学に関しては、古代ギリシア人は無理数を知らなかった
>いや、知っていたはずです。

これはいただけない。
知識が公開され体系の内に組み込まれてはじめて数学と言えるだろ。
算術のレベルなら古代エジプトでも充分高度だった。

>「イデア論」のどこが「奴隷制と家父長制に基づいた閉鎖的な社会システム」ですか?
抽象思想で比べるならば、ヨーロッパにはソシュールが出て以降、既にイデア論には意味がない。
倫理思想としてイデア論を見るならば、中世西欧神学もなかなかのものだ。
やはりここでも、古典古代とイタリア・ルネッサンスを比較するのはアンフェアと思う。

トータルで比べるのか、ピーク同士で比べるのか、どっちか?ってのは、こういう感じ。
7066:02/05/05 19:00
ふと思ったけど、67って典型的な「唯物史観」ですね。
おまけに「家父長制」とか「奴隷制」とか、ローマと混同してますよ。
ギリシアはむしろ「母系制」ですよ。
メネラオスがなぜスパルタ王になれたのか? ヘレンの夫だからです。
こんな例は山ほど思いつくはず。

エレクトラ三部作(エレクトラコンプレックスの名の由縁)の
最後に復讐の女神はこういいます。
「夫は血の繋がらない他人だから、殺すことは許される。
しかし、血の繋がった母を殺すことは絶対に許されない」この女神の言葉に、アテネの陪審員の半数が賛成したのです。
いったいどこが家父長制ですか。>これはいただけない。
> 算術のレベルなら古代エジプトでも充分高度だった。

アルキメデスは、球の体積の公式を出しているんですよ。このことの意味が分からないのですか?
エジプトやバビロニアの数学レベルは、十分に解明されてません。
特にバビロニアは、非常に高いレベルだった可能性があります。
71世界@名無史さん:02/05/05 19:17
中世ヨーロッパの科学って十字軍後にイスラムから摂取したものでしょ?
それなら起源はギリシアと同じメソポタミアになるよね。
7266:02/05/05 21:04
>70に追加、
数学と算術の違いって何ですか?
算術は「証明」を必要としません。結果が正しければそれで良いのです。
数学は「証明」を必要とします。経験的に正しい命題にも「証明」を要求します。
だからぜノンのパラドクス
「アキレスは亀に追いつけない」「飛ぶ矢は的に届かない」に反論しなければならなかったのです。
この中から「無限小は認められるか?」の問いが産まれ、
デモクリトスの原子論も出てきたわけです。
これは、数学的には微分を産む土壌になるはずでしたが、
代数の発達がなかったために、ついに微分法はニュートンまで待たなければならなかったのです。
私的には、アルキメデスの死で、ギリシア文化は終わりました。
(違う見解を持つ方も多いとは思いますが)
ユークリッドをギリシア文化として語るのは違和感ないのに、
クレオパトラをギリシアの枠で語るには違和感があります。なぜだろう。
73=67:02/05/05 21:07
>>
いや、古典的な唯物史観と一緒にされては困るのだが(W
例えば、唯物史観ではソシュール流は評価されなかった。
ま、それはさておき。

社会史的な見方はしてるわけ。極大雑把に言うが、
文化や思想の成果がより多数により多くの選択権を、より安定してより長期間提供した場合
歴史社会が優れた文明度を達成した、と判断する
例えばこれがトータルな比較になると思う。

無論広範な検討をカッチリすることが2chのスレの形式ででできると思わない
が、1つの目安として文明社会のライフサイクルの比較を提示したわけさ(<<67)

古代ギリシアの>文明のライフサイクルはおよそ1200年間。
一方、ヨーロッパ文明のライフサイクルは、1200〜1500余年で継続中。

このことからして、「キリスト教文化に欠陥があった」とか「ギリシアが傑出していた」とかの断定は簡単にくだせない。

古代ギリシアをけなしてるわけではなく、
古代ギリシアマンセーなあまり他の歴史社会と公正な比較検討をしないのはまずかろう、と指摘している。(<<67<古代ギリシアをそう理想化するのも考え物と思う)

74=67:02/05/05 21:10
>>70
>おまけに「家父長制」とか「奴隷制」とか、ローマと混同してますよ。
これは違うよ、ローマと混同はしていない。

少し用語が混乱してるような気もするな。
例えば、社会制度としての家父長制と親族制度の母系制は両立するんだよ。

(家父長制と折り合いが悪いのは母権制−−なんて言葉はないけど、母権優越の社会)
それから古典期のギリシア・ポリスが奴隷制の上になりたった社会体制だったこと、これは事実でしょ。
75=67:02/05/05 21:19
>>70
数学の話
>この中から「無限小は認められるか?」の問いが産まれ、
>デモクリトスの原子論も出てきたわけです。
>これは、数学的には微分を産む土壌になるはずでしたが、

歴史の比較検討に「はずでした」なんて仮定を持ち込むのはフェアではないね。

>代数の発達がなかったために、ついに微分法はニュートンまで待たなければならなかったのです。
こちらは、古代ギリシア文明と、西欧文明(含むキリスト教文化)の優劣の比較は単純に決せないという指摘
(それぞれに優れた面と固有の問題を抱えてる、って意味な)

「微分法はニュートンまで待たなければならなかった」と認められるのならそれで結構
専門家の知識が社会との間でフィードバックを持ちつつ探求されていく知識社会システムの一部としての「数学」は古代ギリシア文明よりも中世イスラム文明(大学があった)の方がすぐれていた。
近代に入るとイスラム文明より西欧文明の方が、その効率において優れている、という事で。

文化英雄史観とでも言える観点で、歴史社会の優劣を検討するのは反対ってだけなんだよ。
76=67:02/05/05 21:26
ちょっと舌足らずな感じだから少しだけ捕捉しとく
>文化英雄史観とでも言える観点で、歴史社会の優劣を検討するのは反対

例えば「倫理思想」としてプラトンのイデア論と、誰でもいいんだけどアウグスティヌスの原罪論の優劣を比較するってのは、ありだと思う。
世界史板で板違いにならずにどこまでやれるかは、料理人の腕しだいだが。

数学でも文学でも個別の達成を比較検討するってのはありだ。

だが、そっから文明(つまり歴史社会)の比較検討を導き出すには、別のフレームをくぐらせることが必要なんだな。
知識社会システムの比較はそうした検討フレームの一例にすぎない。
もっといろいろなフレームも考えられるんだが。

ともかく、いわゆる「高度文化」の個別の達成から歴史社会の優劣を結論づける方法は妥当ではない。
77世界@名無史さん:02/05/05 21:48
とりあえずキリスト凶徒は詩ね、ってことで決定ですね。
78世界@名無史さん:02/05/05 22:14
正直、中世ヨーロッパの退行というか断絶というかは、
十字軍で終わりだよな。
その後イスラム文化を受容して、ルネッサンスというか
悪魔的としてきたゴミ箱を漁った成果の拾い食いに繋がる、と。
ヨーロッパではなくて中世キリスト教文化とすると
11世紀までじゃない?
79世界@名無史さん:02/05/05 22:29
>>78
激しくスレ違いな気はするが、まぁいいかな(?)。
>ヨーロッパではなくて中世キリスト教文化とすると11世紀までじゃない?

スマソが主語と述語の関係がよくわからん。
つながり的に
>中世ヨーロッパの退行というか断絶というかは11世紀までじゃない?

て、ことでよいのだろうか?
ヨーロッパ社会は>その後イスラム文化を受容して、ルネッサンスというか
>悪魔的としてきたゴミ箱を漁った成果の拾い食いに繋がる

そうゆうことなんだが、ここで注目すべきなのがヨーロッパの方の受容の仕方のはずなんだよな。

連中、とりあえず乏しい知識で古典古代を理想化し都合よく受容するとこからはじめたわけで。

樺山紘一氏あたりがどっかで言ってそうなお題目だが、ヨーロッパにはヨーロッパの都合と言うか史観があって理想化するとっからはじめたわけだろうが、
日本人がそれにつきあわなきゃならんて事もない。
話題や切り口によっては適度につきあってもいいんだけどな。
80世界@名無史さん:02/05/05 22:35
>>75
>>この中から「無限小は認められるか?」の問いが産まれ、
>>デモクリトスの原子論も出てきたわけです。
>>これは、数学的には微分を産む土壌になるはずでしたが、
>歴史の比較検討に「はずでした」なんて仮定を持ち込むのはフェアではないね。

思想史とかでこういう「はず」を言いたがる論はママみるが。
歴史社会の変動実態を再構成してくのが歴史の中核だから、
古代ギリシアでは「なぜ」微分積分にいたれなかったか、を考えてく方が実りが期待できるな。
81世界@名無史さん:02/05/05 23:49
ヨーロッパはイスラム文化をギリシアの後継として受容することで
はじめてギリシア文明の終点に辿り着いたのでは。
イスラムからの知識・思想の吸収はどうしても劣化コピーになりそうだし。
82世界@名無史さん:02/05/06 01:13
良スレになりつつあるな(w
83イエス・バラバ:02/05/06 01:47
かつてギリシアを覆っていた森が伐採されて消え去った話は、
「環境考古学のすすめ」
「環境の世界史」
あたりに載ってるね。
懐かしいところでは、NHKの「地球大紀行」の最終話でも紹介されていた。

もともと湿潤でない上に、伐採⇒跡地での放牧のコンボ攻撃で森林が再生されず。

伐採の理由は、
・耕地開発
・船の製造
・貨幣鋳造
・陶磁器製作
などなど。


84イエス・バラバ:02/05/06 01:50
・船の製造
・貨幣鋳造
・陶磁器製作
などは、ギリシア発展の軌跡と表裏一体。避けようも無かっただろう。

ギリシア人がポリス社会を捨てて領土型国家(アレクサンドロスの帝国、ローマ帝国、ビザンツ帝国)
を目指す(もしくは支配下にはいった)ことにも、森林の消滅は影響したのだろうなあ
85世界@名無史さん:02/05/06 01:53
そだろうね。
フィリッポス2世の頃からマケドニアは大陸側の森林資源で造船にせいだしたって言うからね。
86イエス・バラバ:02/05/06 01:54
話はかわるが、古代ギリシア人の活躍ゆえに地中海世界の普遍言語となったギリシア語が、
のちには、ギリシア人と犬猿の仲だったユダヤ人を教祖とする宗教の経典を記した言語と
いうことで、その普遍性を維持していった様は、まさに歴史の皮肉だね。
87イエス・バラバ:02/05/06 01:56
イスタンブール⇒アテネと旅したことがあったのだけど、アテネって、イスタンブールより、
緯度が低いんだよね。イスタンブールより一層暑くなったのて驚いた。

地図見ると、場所によってはアフリカ北岸の方がアテネより緯度が低かったりするんだよね。
あそこは、アフリカみたいなもんだ
88世界@名無史さん:02/05/06 02:01
とりあえず古代ローマ末期の話だが。

西方への異邦人伝道は、当初ヘレニストのシナゴグを拠点にギリシア語も使って教線伸ばしてったわけだから。
それは、仲も悪くなるよなと思ってみるテスト。スレ違いスマソ
89イエス・バラバ:02/05/06 02:11
>古代ギリシアでは「なぜ」微分積分にいたれなかったか、を考えてく方が実りが期待できるな

単純にいって、
・積分法は、求積法から生まれ、
・微分法は、接線問題から生まれた
という部分が大きいと思う。

求積って奴は、直感的に把握しやすいから、古代であろうと探求される。
接線問題という奴は、デカルトが生んだ座標幾何の概念が前もって必要。

古代ギリシアが微積にたどり着けなかったのは、座標幾何にたどり着けなかったからだと
言える。

んじゃ、なぜ座標幾何にたどり着けなかったかといえば、中世イスラム世界で構築された
代数学の土壌が無かったから。代数学がないと、図形を座標上におくメリットが生まれない。

んじゃ、なぜ代数学が古代ギリシアで生まれなかったかというと、おそらく、アラビア数字
がなかったせい。アラビア数字なしでは、代数学は進歩しにくい。方程式の表現が難しい
からね。

アラビア数字って奴は、もとはインド数字。これを生んだのは、インド哲学の「空」の概念
が土壌となったゼロの発見があってこそ。

古代ギリシアではなぜ微積が生まれなかったか、を問うよりも、逆に微積を生むまでの数学
史の遥かなる歩みを思う方が自然だと思う。
90イエス・バラバ:02/05/06 02:14
>>88

パウロによるキリスト教伝道以前は、ユダヤ人とギリシア人は仲が悪くなかった
のかな?

もうちょっと前から仲悪くなかった?
カエサルがユダヤ人にいろいろと権利を認めたあたりが起源じゃないかな
91=88:02/05/06 02:24
ますますスレ違いなので恐縮。簡単に。
>パウロによるキリスト教伝道以前は、ユダヤ人とギリシア人は仲が悪くなかった
のかな?

これ簡単にわかんないんだよね。例えば、パウロ自体、ギリシア語に堪能だがユダヤの血が濃い人とする説と、ギリシア系の血が濃く入って回心前はファナティックに正統ユダヤ教を追求した人ってみる説が研究者の間でもわかれてる。

アレキサンドリアの様子とかみると、パウロによるキリスト教伝道以前は、ユダヤ人とギリシア人そんなに仲悪くなかったと思う。
日常的にギリシア語を使いアラム語がわからなくなってるユダヤ人がイスラエルにもそれなりにいたくらいだから。だいたいは、バビロン補囚の頃から離散した人たちが老年期にイスラエルに戻った人々って話だけど。
92=80:02/05/06 02:30
>>89
>>89=イエス・バラバ
>古代ギリシアではなぜ微積が生まれなかったか、を問うよりも、逆に微積を生むまでの数学史の遥かなる歩みを思う方が自然だと思う。
いや、話題が数学史限定だったらそれでいいと思うんだ。

しかし異なる文明を比較するって話ならば、アラビア数字を使わなかった古代ギリシアの商業とはどんなもんだったか、とか、そうした文化システムにまで視野を広げる必要があるって話。
文明ってのは「ハードウェア+いかにハードを活用するかってノウハウ」を含んだ社会秩序なわけよ。

数学に優れた達成があったから文明度が高かったみたいな、文明比較はノー・サンキューて話。
93イエス・バラバ:02/05/06 02:41
>>91

たしか、フラウィウス・ヨセフスは、アレクサンドロスのギリシア人哲学者と
犬猿の仲で論争していた。

まあ、ヨセフスはパウロと同時代人だけど、彼は一応純ユダヤ教徒なわけで、
パウロによって作られた嫌ユダヤ観を背負い込んでギリシア人と論争したとは
ちょっと思えないな。

そうそう、ユダヤ戦役でエルサレムを陥落させたチトウスのところに、付近の
ギリシア系有力者が集まって、ユダヤ人全体の追放を懇願したって出来事もあ
ったはず。

これも、当時はポッ出のキリスト教徒らによる伝道のせいではなく、ヘレニズム
時代以来、ユダヤ人と接してきたギリシア人の間にもともと嫌ユダヤ観があった
ことを示すのではないかなあ。

キリスト教伝道とは別に、ギリシア人とユダヤ人との反目はあったように思う。

知ってる人の解説がほしいな。
94イエス・バラバ:02/05/06 02:51
>>92
>しかし異なる文明を比較するって話ならば、アラビア数字を使わなかった
>古代ギリシアの商業とはどんなもんだったか、とか、そうした文化システ
>ムにまで視野を広げる必要があるって話。
>文明ってのは「ハードウェア+いかにハードを活用するかってノウハウ」を
>含んだ社会秩序なわけよ。

納得。

アラビア数字を使わない古代ギリシアの商業・・・たしかに興味惹かれるね。
現実問題としては、商業に必要な数学って奴は、簿記に使われる四則演算(足す、
引く、かける、割る)だけ。アラビア数字を使えば非常に楽チンだけど、それが
なくても出来ないことはない、と。
大切なのは、数学というよりは、仕分けの概念の方じゃないかな?

逆に、文明が微積を必要とするのは、どういう時か、っていうテーマが面白いか
もね。

積分=求積法は、建築のために実用的に使用される場合もあるけれど、
微分って奴は、そんなに必要ないんだよなあ・・・
95簡単に言えば:02/05/06 02:56
例えば、制限付きの民主制なんかだめよ、と言うことだろ。
政治システムは大したことね―じゃん、だろ。
文化至上主義だけかよ?と言うことだろ。
まぁいいとこついているよな。
ギリシャの都市が衆愚制に至り
プラトンだかアリストテレスだかに肯定的に扱われなかった点
も重要だな。
96イエス・バラバ:02/05/06 03:04
書き込みしまくりで失礼。

>>35
>までの地中海世界の美術って、古代ギリシア→ローマ
>をピークにビサンチン辺りで絶対退化してると思う。
>>36
>ローマ時代末期(コンスタンティヌス大帝の時代)にはもう優秀な芸術家
>がほとんどいなくなってたみたいだね

これって不思議だよね。
最初は、偶像崇拝を禁止するキリスト教が、ギリシア人から彫刻の技術を
奪い去ったのかと思ったのだけど、どうもそう単純ではないらしい。

だって、初期のローマ人(ギリシア人含む)のキリスト教徒たちは、自らの
棺に、イエスその人の姿を彫刻させたりしているんだよね。イコノクラスム
以前は、十戒なんて全然気にしていない(笑)

元老院が皇帝に贈る、という最高の建築だったはずのコンスタンティヌスの
凱旋門を飾ったレリーフが、トラヤヌスの凱旋門のリユース品だったという
事実はどうやって説明すればいいのだろう・・・。


ただ、彫刻の技術は、衰えるけど、フレスコ画やモザイクの技術は、ビザンチ
ン後期には、古代ギリシア時代のレベルを遥かに凌駕しているように思う。

97=88:02/05/06 03:05
>>93
>キリスト教伝道とは別に、ギリシア人とユダヤ人との反目はあったように思う。
>知ってる人の解説がほしいな。

前掲説を翻すわけではないが、反目・軋轢はあったと思う。
アレクサンダーがイスラエルに侵攻したとき、強い反発運動は出てるし。
アレキサンドリアでも、何度かあった大きな衝突について本で読んだ記憶はある。

前掲説は、あらゆるギリシア人とあらゆるユダヤ人が仲がよかったって話ではなく。
「嫌ユダヤ観」もあったとは思うよ、ギリシア人に限らずね。

反目から軋轢が生じるってのは接触がある証拠なわけで。
地域と時期によると言う逃げは安易なんだが、ローマ帝国で公認される前のキリスト教のこととか考えてほしいんだけど、大きな衝突ってのは突発・異常事態であることの方が多いわけよ。
ユダヤ戦役みたいのは、非常事態であってさ。

東地中海の商用語となっていたギリシア語に馴染んだ離散ユダヤ人と、アジアとかシリアとかさ非ギリシア地域のギリシア人の間には普段は密な交流があっただろうって話。
商用であってもね。
(ローマの属領アカイアではどうだったかって言えば、ギリシアのホームグラウンド内での異邦人ユダヤ人って図式なので、当然状況違ってると思う)

ローマの属領アカイアが成立した後は、ポリスが自立してた時代のギリシア×フェニキアほども常時対立があったはずないと思われる。
ギリシアポリス×フェニキア系の対立は大まかに言って商業立国同士の都市国家間対立になるわけだから、ローマ時代とは状況が違うはずって話。
98イエス・バラバ:02/05/06 03:09
ギリシア人と民主制ってやつも面白いね。

民主制を称えたはずの民族が、アレクサンドロス以降、オリエント的な
専制君主制に取り付かれ、ビザンチン帝国に至っては、神の代理人が絶
対的な権力を握る体制にいきついてしまうのだから・・・

その著しき落差には驚かされる。
99イエス・バラバ:02/05/06 03:15
>>97
>東地中海の商用語となっていたギリシア語に馴染んだ離散ユダヤ人と、
>アジアとかシリアとかさ非ギリシア地域のギリシア人の間には普段は
>密な交流があっただろうって話。

これは納得だなあ。

ギリシア語を離すユダヤ人と、ギリシアに住んでいないギリシア人との関係っての
は当然あったはずだよね。

それどころか、
パレスチナに住み、アラム語を話していたユダヤ人たちだって、ギリシアに住んで
いないギリシア人たちの影響って受けていると思うんだよね。

さらにスレ違いで申し訳ないのだけど、イエスを生んだガリラヤがユダヤ人の住んだ
地域の中では一番ヘレニズム時代のギリシア語圏に近かったってのは、とても意義が
深いと思う。
100=92:02/05/06 03:16
>>95
簡単な要約サンキュー
>例えば、制限付きの民主制なんかだめよ、と言うことだろ。
>政治システムは大したことね―じゃん、だろ。
>文化至上主義だけかよ?と言うことだろ。

そゆこと。
んでまー偏見入るんだけど、ギリシア専門的にやってる人って、傾向として「文化」をドイツ語的なクラトゥールの含みで使う人多いよな。
オレ的にはどうしても、アメリカ語的なカルチャーで使う傾向強いんだ。
クラトゥール/カルチャーは日本語で綺麗に二分できるはずないからあくまで傾向の話だが。
どっちがいい/悪いではなく、大げさに言えば史観の違いみたいな話だな、と言ってみる。

ただし、文明、文明度とクラトゥールは同値ではない、これは間違いないだろ
101イエス・バラバ:02/05/06 03:26
ギリシア人の政治システム・・・

オリエントに攻め込んでは、オリエントに染められ、
ローマ人に支配されては、ローマ人万歳に
ローマ帝国東西分割の後は、またしてもオリエント的専制に戻る、と

結局、アレクサンドロス以降は、政治的には他の文化圏の影響受けまくりで
独自性なし、という印象。
102世界@名無史さん:02/05/06 03:41
>ギリシア人の政治システム・・・
>結局、アレクサンドロス以降は、政治的には他の文化圏の影響受けまくりで
>独自性なし、という印象。

そう、そうなんだよ(w
口の悪い学者がいてさ、誰とは言わないが、
「ヘレニズム国家とはオリエントがギリシア化した社会ではない、ヘレネスの政治中枢がオリエント化した国家である」とか書いてるの読んだことがあってさ。
冗談半分なんだと思うが大笑い。

で、文明の話をすると、文明には普遍性が必要でさ。
これは数学は普遍的だって話とはちょと違って、異文化を変質させる長期的影響力みたいなもんよ。

イスラムが来てからシリアではアラブ語がドミナントになっただろ。
ヘレニズムはシリアにはそんな影響力は持たなかった。
ローマ時代になっても、ギリシア語、ローマ語、シリア語マルチ・リンガルだったのが判断根拠。

キリル文字は東欧に影響力を与えた文明の断片だが、あれは古代ギリシアの話ではない。
103イエス・バラバ:02/05/06 03:49
>>102
>ローマ時代になっても、ギリシア語、ローマ語、シリア語マルチ・リンガルだったのが判断根拠。

シリア語聖書ってのがあったもんね。
104イエス・バラバ:02/05/06 04:02
今のギリシア人ってのは、可哀想だと思ったことがある。

輝かしい古代のギリシア文明を誇りとしている彼らだけど、現在習慣と
して染み付いているのは、トルコ支配下に取り入れたものが多い。
ギリシア伝統料理と言って、シシカバブと同じものを出された時は、悲しく
なった。

その染み付いたトルコ文化への反発で彼らが理想視するのは、全盛期の中世
ビザンツ帝国とギリシア正教。
でも、ビザンツは"ローマ"帝国の末裔という建前だし、
ギリシア正教は、1人の"ユダヤ人"から始まった宗教。

ローマとも、ユダヤと無縁であった、古代ギリシア文明って奴は、実感のある
民族の記憶としては、存在していないんだよね・・・
105世界@名無史さん:02/05/06 04:38
アラム語は?
106世界@名無史さん:02/05/06 04:57
悪い意味じゃないけど
イエス・ラバラ氏は

ずいぶん思い入れの強い人だ。気をつけないとな(w
107YP:02/05/06 04:57
>ギリシア伝統料理と言って、シシカバブと同じものを出された時は、悲しく
>なった。

ワラタ

モンゴルでモンゴル饅頭と紹介され、中華饅頭と同じ(というか質は下)
だった事に似てるかな。
10866:02/05/06 10:47
一晩でこんなにレス付くとは、びっくり。
イエス、バラバさんは、「文化の頂点だけを見て文明の優劣を言うな」
「庶民レベルで考えろ」みたいなこと言ってるのかな。
それなら、賛成。
ギリシア悲劇は、オリンピックの正式種目みたいなもんだよ。
庶民が喜んで鑑賞していたはず。
アリストファネスの『雲』なんて、ソクラテスを下品なまでに笑い者にしてる。
こういうのが民衆に受けたんだろうな〜 と納得。
だからプラトンは『ソクラテスの弁明』で反論しなくちゃならなかった。
ギリシアは「大衆文化」だよ。
逆説的に聞こえるかも知れないけど、だから政治制度はどうでもいいといえる。
「デモクラシー」がいいかなと思ったら、ポピュリズムの弊害があるし。
スパルタみたいな王政も悪くないなと。
アルキビアデースみたいな、アテネのポピュリストがスパルタに逃げて、大活躍したりする。
まあ、庶民が暮らし良ければ、政治制度は何でもありですね。
109世界@名無史さん:02/05/06 20:04
>>101
アレクサンドロス以後、「君主の神格化」というのがでてきたね。
アルカイック時代や古典期のギリシア人は、神々、半神、人間というわけ方を
していて、死んだ後に祀られた例はあるけど、生きているうちから支配者を
神格化するという発想はほとんどなかったんじゃないだろうか。
110イエス・バラバ:02/05/06 23:37
>>106
そうなんですよ。ちゃんと史学を専攻したわけではなく、理系人間が趣味的に
ちょこちょこと本を読んでいるだけの身なので、知識よりも思い入れが前面に
出てしまう。

テキトーなことを書くかもしれないので、その時は指摘してください。


>>108
>イエス、バラバさんは、「文化の頂点だけを見て文明の優劣を言うな」
>「庶民レベルで考えろ」みたいなこと言ってるのかな。

いや、そういう主張をしているのは別の方です。
111イエス・バラバ:02/05/06 23:45
現代のギリシアと古代ギリシアの断絶のことを、感情的に書いてしまったけど、
イスタンブールで出会ったギリシア人の数学教師には、反論をされた。

「我々は、この大地と、ギリシア語と、絵画で、古代との繋がりを維持している」
と。

ちなみに、
「イスタンブールとアヤソフィアに対してはどういう想いを持っているの?」
と聞いたら、
「いつの日にか、このアヤソフィアでミサを捧げたいと思わないギリシア人はいない」
と言われた。

日本でいえば、比叡山とか高野山とか、あるいは出雲大社や伊勢神宮が他国の領土に
あるようなものんあだろうなあ、と思った。
112世界@名無史さん:02/05/06 23:59
>>111
「数学で、」と言わなかったのにワラタ
古代史、思想史の次にギリシア人名がたくさん出てくる学問なのにね。
次に多いのは...船舶会社経営史くらいか(w
113イエス・バラバ:02/05/07 00:16
>>112
>数学で、」と言わなかったのにワラタ

言われてみれば(笑

考えてみるに、数学の成果を、現代のギリシア人が独占しているわけ
じゃないからなんだろうと思う。

ギリシア語で生活するのは現代ギリシア人だけだし、
ヘラスの大地に国家を持っているのは、(一応)現代ギリシア人だけだし、
イコンは・・・これは独占してないなあ、別に(笑
114イエス・バラバ:02/05/07 00:28
ちなみに、そのギリシア人教師に、日本の神道のことを、
「ギリシア神話に似た多神教で、あらゆる生き物やモノに魂が宿るとしている」
と説明したら、ため息をつかれてしまった。

「ギリシアの多神教ははるか昔にキリスト教によって破壊された。キリスト教に破壊
されなかった日本の多神教が羨ましい。キリスト教は、文化の破壊者だ」と。

さらに彼は付け加えて、
「でも、私は、アヤソフィアでミサをあげたいと思うクリスチャンでもあるんだ」

スレ違いスンマソン。
115世界@名無史さん:02/05/07 00:45
>>114
>キリスト教は、文化の破壊者だ」と。
>さらに彼は付け加えて、
>「でも、私は、アヤソフィアでミサをあげたいと思うクリスチャンでもあるんだ」

激しくスレ違いだが、含蓄があってええ話やね。
文化と文明の重層性と緊張感を感じるね。秩序意識と秩序感覚の緊張感と言うか。
当人は辛いのだろうと思うが。
116世界@名無史さん:02/05/07 05:06
古代ギリシャと現代ギリシャに絵画でつながりあんの?
117イエス・バラバ:02/05/07 07:11
>>116
これは異論ある人がいると思う。

そのギリシア人教師が言うことには、
「古代のギリシア芸術のうち、彫刻と建築はキリスト教化以降全く別物に
なってしまったけど、モザイクやフレスコ画は、正教のモザイクやイコン
に表現様式が受け継がれている」と。

古代風の大理石丸彫り彫刻は正教芸術に受け継がれず、神殿の建築も、
正教化を契機に、大理石の開放的な直線群⇒レンガの閉鎖的なドーム建築に
変わってしまったけど、絵画だけは技法が受け継がれている、というんだよ
ね。

本当かな、と思っていろいろ聞いていたら、正教化以前の1、2世紀のフレ
スコ画やモザイクに、正教のフレスコ画・モザイクにそっくりなものがある、
と言う。

「アテネの博物館にそれはある。それこそが、古代のギリシア芸術と正教の芸
術を結びつけるミッシング・リンクだ」と。


実はアテネで博物館によれなくて、そのミッシング・リンクとやらを俺はまだ
見ていない。古代ギリシアの芸術の本を開いても、神殿の建築や大理石彫刻、壺
の浮き彫りは目にするんだけど、本当に、後の正教芸術とそっくりなものがあ
ったのかな?

むしろ、詳しい人に聞きたい。
当のギリシア人教師が数学の先生だったから、あんまり鵜呑みにも出来ないだろ
うし(笑
118世界@名無史さん:02/05/07 08:12
あまり古代ギリシャ芸術で高く評価されていない部分だよな、絵画って。
確かギリシャ美術になぜ絵画だけ発達しなかったかは大きななぞだったような。
1-2世紀となるともうオリエントの影響じゃないか。
ギリシャのオリジナルじゃあるまい。
なんとなくオーソドックスのこじつけの臭いがするな。
119世界@名無史さん:02/05/07 08:28
今残っているギリシャ美術はローマ時代のリメイクが多いはずだが、ローマが領土を
拡大してエジプトやシリアの影響を受け始めた前後につくられたとしたら
所謂古代ギリシャ時代との直接のつながりとは言えないのではないか?
当時の他文化の影響だろう。
120世界@名無史さん:02/05/07 09:02
>>118
古代ギリシアでは絵画もおおいに発達してましたよ。
ただ、彫刻と違って、カンヴァスやタブローなど、材料が
もろかったのでほとんど残ってないだけです。
121世界@名無史さん:02/05/07 09:16
>>119
ギリシア人の職人が原作をコピーしたものです。
ただ、ローマ人の好みに合わせて一部改作することもありました。
原作でのこっているものは、神殿の付属彫刻、海中から引き揚げられた
ブロンズ像、墓碑浮き彫り、奉納浮き彫りなどです。
122世界@名無史さん:02/05/07 10:11
>>120
古代ギリシアの絵画
>カンヴァスやタブローなど、材料がもろかったのでほとんど残ってないだけです。

カンヴァスってどんなものだったのですか?
中世ビザンツのイコンは板絵だったですよね。
古代ギリシアにカンヴァス画があったというお話ははじめて聞きました。
どんな材料でできていたんでしょうか?

今の考古学技術なら残骸からも素材は分析できますよね?
123世界@名無史さん:02/05/07 10:47
>>122
スミマセン、ちょっとそこまではわかりません。
考古学方面にはうといもので。
古代ギリシアにカンヴァス画があったというのは、
福部信敏『ギリシア美術紀行』(時事通信社)という本に書いてあったのです。

>>117
マケドニア墳墓に描かれた壁画の人物像を見ると、陰影をつけた
彩色の仕方や、ヴォリューム感と質感を持った三次元的表現など、
ビザンチン美術とはあまり似てないように思いますが。
124世界@名無史さん:02/05/07 21:35
ギリシア人のすごい点に、神話(ミュトス)と歴史を峻別して理解していたことがあるね。
普通、古代世界では神話と歴史を連続線上にとらえるものだけど。
(神代における時間の流れと、人代におけるそれを異なったものとして
考える傾向はあるけど)
ギリシアの場合そういう傾向がさらに進んで、神々の時代をフィクション
として理解するようになった。
125世界@名無史さん:02/05/07 21:44
>ギリシア人のすごい点に、神話(ミュトス)と歴史を峻別して理解していたことがあるね。

「神話(ミュトス)と歴史を峻別して理解していたこと」はギリシア人全般の特質ではなく、一部知識人の特質なんじゃないの?

マケドニアは、ヘラクレスの末裔だって主張して、やっとオリンピックに入れてもらえたりしてたじゃん。
これって、ペルシア戦役の前後のことだぜ。

都市国家の政治や外交関係には、ずっと、神話的系譜関係が混入してたはずだがね。
神聖戦争とかさ。

だとしたら、一部知識人が神話と歴史を峻別するのは、何も古代ギリシアに限った事ではない。
いろいろな文明社会にママみられること。
126世界@名無史さん:02/05/07 21:58
>>125
ええと、じゃあ古代社会で一部知識人が神話と歴史を峻別していたのは、
ほかにどんな文明がありますか?
127世界@名無史さん:02/05/07 22:13
中国
128世界@名無史さん:02/05/07 22:15
そう、中国。

後、古代社会ではないが、中世西欧でも、一部知識人は神話と歴史を峻別してたよ。
極、一部だけどね。
129世界@名無史さん:02/05/07 22:17
エジプトやアッカドの王名表は 神話と実在の王を区別
してるよ。
130世界@名無史さん:02/05/07 22:20
マヤ文明も 最近文字がかなり解読されたが 神話と歴史は
完全に区別されてる。
131イエス・バラバ:02/05/07 23:03
>>123
>マケドニア墳墓に描かれた壁画の人物像を見ると、陰影をつけた
>彩色の仕方や、ヴォリューム感と質感を持った三次元的表現など、
>ビザンチン美術とはあまり似てないように思いますが。

そうですか。
情報ありがとうございます。

でも、モザイクはどうなんだろうなあ・・・
ローマの支配下に入る前のギリシアのモザイクって、どんな感じだった
んだろう?
表現様式は、ローマ時代のモザイクと同じだったのかな
132関連ログ集Part1/2:02/05/07 23:59
古代ギリシア関係の過去ログを集めてみました。
思ったより少なかったな。多分、倉庫にあるのはほとんどピック・アップしたと思います。

以下の配列は恣意的です。スレタイトルの後ろの数字は、各スレのレス数。頭に※をつけたものはまだ倉庫に入ってないスレ、です。

ミュケナイ文明は誰が滅ぼした? (5)
http://piza.2ch.net/log2/whis/kako/958/958898545.html

‡‡‡‡[Pre] ギリシャ文明 ‡‡‡‡ (4)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/994/994010555.html

古代ギリシア人って (53)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/963/963075717.html

古代ギリシャ (2)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/963/963054016.html

ヘロドトス 歴史 (17)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/985/985781732.html

ヘロドトスの「ラビュネドス」 (2)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1001/10017/1001765033.html

ドーリア人のスパルタ教育 (4)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/960/960353701.html

嘘つきのクレタ人て・・・ (4)
http://piza.2ch.net/log2/whis/kako/953/953754535.html

古代オリンピックは不正だらけ? (3)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/985/985874786.html
133関連ログ集Part2/2:02/05/08 00:00
>>132の続きです

フィリポス2世 (4)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1008/10081/1008155699.html

※アレクサンドロス大王について
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1000375105/

アレクサンダー大王 (22)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/961/961401695.html

アレキサンダー大王って凄いよ!! (2)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/947/947950708.html

人間・アレクサンドロスが目指したインド (30)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/987/987847590.html

アレキサンダー西へ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1020667172/

※アレクサンドリアの図書館
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1017389221/

プルターク英雄伝について語りませんか? (13)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/949/949425357.html

※世界史的にオリンピックを語るスレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1013251276/

今のギリシャ人はスラブだって本当? (75)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/995/995516931.html

マケドニアとギリシャが (23)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1003/10033/1003306531.html
134世界@名無史さん:02/05/08 09:28
>>129
旧約聖書や古事記にでてくる人物は、やたら長命ですが、
(たとえばアブラハムは910歳、ノアは950歳で死んだことになっている)
エジプトやアッカドの王命表はどうなっていますか?
135世界@名無史さん:02/05/08 10:03
古代の歴史家で、東西からそれぞれ代表選手を選ぶとなると、
やっぱり、トゥキュディデスと司馬遷ですか?
136世界@名無史さん:02/05/08 10:09
ヘロドトスは?
後、古代だったらヨセフス
137世界@名無史さん:02/05/08 10:35
>134
旧約聖書のその年齢は、月で数えたものを年と誤解したとの説あり。
ソースは失念。12で割れば合理的な数字になるので、説得力あり。
138世界@名無史さん:02/05/08 10:42
>137追加
古田武彦氏は古事記の天皇の寿命についても、
古事記の2年=現在の1年、を想定すれば合理的な数字になると主張。
これも説得力あり。
139世界@名無史さん:02/05/08 10:43
>>137
その説にも弱点がありまして、たとえばアブラハムは8歳、サラは
7歳や8歳で子供をもうけたことになってしまうのです。
さらに65歳で息子を得たエノクは5歳で父親になったことになります。
140世界@名無史さん:02/05/08 10:51
日本語として使われてる「ギリシア」という呼称はポルトガル語の「グレーシア」に由来
ギリシアと発音しても日本以外では通じない
141世界@名無史さん:02/05/08 11:31
>>138
古田の2年=1年説は電波扱いされるぐらいに、ものすごく攻撃されているやん。
ってこれ以上は日本史板で。
142世界@名無史さん:02/05/08 12:18
昔の人が長命だったというのは世界共通の神話のお定まり。
それをむりやり合理化しようとする奴はドキュン。

寿命の長さを合理化しようとする奴は、多かれ少なかれ、
荒唐無稽な神話までむりやり歴史として見ようとする傾向がある。
これは日本でも欧米でも同じ。
アブラハム以降の初期族長たちも神話で、実在しないんだよ。

「ポセイドンは実在の人物でアトランティスの王だった」
なんていうムーネタまであと一歩。
143世界@名無史さん:02/05/08 12:25
>>142
欧米諸国でも、ファンダメンタリズム(聖書に書いてあることは
一字一句すべて事実に即しているとする考え方)がありますね。

日本の場合、歴代のどの天皇から実在したのかさえ分かっていませんが、
旧約聖書の場合、どの辺から実在の人物とみなされているのですか?
144世界@名無史さん:02/05/08 12:32
さあ。ダビデから、くらいじゃないの?
145世界@名無史さん:02/05/08 13:19
>>131
http://www.greecetravel.com/macedonia/ancientsites.html
上から4番目の写真が、マケドニアのペラで発掘されたモザイク画です。
これは小石を埋め込んでありますが、のちに「テッセライ・モザイク」
と呼ばれる、石やガラスやテラコッタを組み合わせる技法が登場し、
壁画に匹敵する精巧な陰影描写が可能になったそうです。
146世界@名無史さん:02/05/08 14:03
>>143
多分ソロモン王からが確実。ソロモンの命令で建てられた遺跡が発掘され、「ソロモン王酷使がひどいよ」みたいな落書きとかも見つかってるらしい。
歴史事典にはソロモンの父、ダビデも載ってることがあるけど、これはとりあえず伝説扱いしといた方が無難。
多分いたんだと思うけどね。
147世界@名無史さん:02/05/08 14:17
>>142
『神統譜』『労働と日々』を書いたヘシオドスですが、彼はその神話の
内容をそのまま信じていたわけではなく、人生の意義を語る寓話として
考えていたようです。
ソクラテスやプラトンにとって、神話(ミュトス)はあくまで寓意(アレゴリー)
によって人々を善へと導くための作り話で、ロゴスとは対立するものでした。
148世界@名無史さん:02/05/08 18:33
>>128
「古代中国と周辺民族」からのコピペ

中国では、黄帝を漢民族の祖として三皇五帝から歴史の教科書に書かれています。
日本では殷の時代からなので私はそれ以前のものは神話伝説という認識でしたので
そのことを中国からの留学生にいうと、「なんで伝説とかいうの?史実じゃないの」
とか言われてカルチャーショックを受けました。「遺跡とかそれを証明するものないから」
と私は返答すると・「何故それがいけないの」というようなその留学生は印象をもったようです。

すごいな、いまの共産主義政権はこんな教育をしてるのか。
149148:02/05/08 18:35
最後の行はわたしのコメントです。
150=128:02/05/08 19:04
>>148
興味深い体験談ですね、紹介してくれてありがとうございます。
>>124-128のやりとりは、>一部知識人が神話と歴史を峻別するのは、何も古代ギリシアに限った事ではない。
>いろいろな文明社会にママみられること。

の事例検討ですので、ご紹介いただいたお話も、歴史と神話を峻別するのは一部知識人が、現代中国社会でも言える、という事例になるかもしれません。
(1人の留学生の方を代表にして断定をしてはいけませんが)

考古学関係の本を見ていますと、中国科学院は夏の遺跡と公式に認定している遺跡の出土品の分析に着手しているそうです。
丁度、これから各国の研究者との間での議論に展開していく過程だと思います。

中国考古局の認定の妥当性は、これから専門家達の厳しいふるいにかけられるところなわけですが。
一部知識人は「神話ではなく実在」を信じて探求しているのに、一般の人は「遺跡がなどなくとも史実とみなす」と考えているのかな、と受け止めました。

実は似たようなことは我が国の歴史教育でもあるような気はしています。個人的なコメントですが。
151138:02/05/08 19:14
神話と史実を厳密に分けて考えろ、と。
ホメロスの『イリアス』を信じたシュリーマンはドキュンであると。
神話を信じてミュケナイやトロイやクレタを発掘するとは、もうみてらんないアホであると。
学者って嫌いだ。
152世界@名無史さん:02/05/08 19:57
>>151
>神話を信じてミュケナイやトロイやクレタを発掘するとは、もうみてらんないアホであると。

誰もそんなこと言ってまへんがな。
シュリーマンがドキュンなのは、神話を盲信するあまり乱暴に掘りまくって遺跡壊したりしたからです。

神話には神話の解釈方法がある、歴史には歴史の分析方法がある。厳密に考えるべきなのはその辺。
153世界@名無史さん:02/05/08 22:50
イオニア出身の哲学者アナクサゴラスは、「太陽は真っ赤に焼けた鉱石に
すぎない」といって、不敬罪に問われたんだっけ。
彼はペリクレスと親しかったから、そのせいで狙い撃ちにされやすかった
のかもしれないけど。
154イエス・バラバ:02/05/08 23:34
>>145

多謝!

確かにこのモザイクは陰影の表現がないですね。
あの表現はいつ生まれたんだろう?
ローマの支配下に入ってから生まれたのだとしたら、純ギリシア製だとは
いえなさそうだなあ。
155世界@名無史さん:02/05/08 23:41
>>154
このモザイクは紀元前4世紀のもので、テッセライ・モザイク、つまり陰影
をつけたモザイクは紀元前3世紀に登場しました。
ですからギリシア(ヘレニズム)時代のものです。
156イエス・バラバ:02/05/09 01:33
>>155
>テッセライ・モザイク、つまり陰影
>をつけたモザイクは紀元前3世紀に登場しました。
>ですからギリシア(ヘレニズム)時代のものです。

またしても多謝!
どっかに画像があるかどうか探してみます。

ローマ時代のモザイク絵画と、初期キリスト教美術のモザイク絵画には、人物
の表情の描き方に共通点が見られるからそこに連続性を見ることが出来ますから、
後は、へレニズム時代のモザイク絵画とローマ時代のモザイク絵画の比較がした
いですね。

共通点があれば、ギリシア人はモザイク絵画を通じて、多神教の古代と正教の現在
の間のつながりを維持していると言えるかもしれない。
157世界@名無史さん:02/05/09 11:57
>>156
ビザンティン美術では、9世紀以降「古典回帰」の運動が繰り返されています
から、そういうことも考慮したほうがいいかもしれませんね。
(たとえば、10世紀の『マケドニア朝ルネサンス』など)
158世界@名無史さん:02/05/09 14:55
紀元前5世紀ごろになると、
「おまえたちが拝んでいるのは(神々ではなくて)石の塊にすぎないではないか」
と説く思想家があらわれる。
159世界@名無史さん:02/05/11 15:03
誰?
160世界@名無史さん:02/05/11 15:15
>>159
ヘラクレイトス。
161猫電波:02/05/11 15:29
古代ギリシア人は無理数を知っていましたよ。
162世界@名無史さん:02/05/11 15:32
でも、無理数を用いた数学体系は編み上げなかったでしょ?
163猫電波:02/05/11 15:38
>>162
ああ、代数には適用しなかったらしいですね。
幾何に限定していたとか。
そういえばピュタゴラス教の数学派が、無理数の比を禁制にしていたのは単なる伝説とか読んだことがあります。
164=162:02/05/11 15:44
ですから、歴史板の話題としては「ギリシア人」の範囲が問題になるわけです。
a「ギリシア人」=特定の個人(数学者)なのか
b「ギリシア人」=古代ギリシア民族全般なのか

bの場合なら「古代ギリシア人は無理数を知っていた」⇔歴史的に古代ギリシアは傑出していた、と言える
aの場合なら「古代ギリシア人は無理数を知っていた」⇔個々の知識人には傑出していたとは言える(が、古代ギリシアの評価に直結させるには別の議論も必要)
−−となるです。
165世界@名無史さん:02/05/11 15:53
特定の天才を輩出できる環境を作り出せることが出来た「ギリシア」
と考えるべきで、こういった範囲分けは逆に危険と思われ。
166=164:02/05/11 16:33
>>165
>特定の天才を輩出できる環境を作り出せることが出来た「ギリシア」 と考えるべき

ならば、余計「別の議論も必要」と思いますが、いかがでしょうか?

例えば、幾何学的な比率として無理数の概念を知っているだけでよいのならば、古代エジプト人だって“知って”いたのではないか?とかそういう議論です。
167世界@名無史さん:02/05/11 16:44
唯物史観において
中世を経験していないギリシア文明が
ヨーロッパ文明より優れていたなどという事は
絶対に何があってもありえません!!!
168世界@名無史さん:02/05/11 22:41
>>135
>>136
近代歴史学では、トゥキュディデスがある種の規範になってきたと
思います。
その厳密さや、因果関係を解き明かそうとする姿勢など。
ヘロドトスは読んでて面白いですけどね。
169猫電波:02/05/11 23:00
>>164
それ言ったら、日本人全員が熱力学第1法則を知っているわけじゃないでしょう。
小学生でも知ってる子は知ってますが(笑)。傑出していたかどうか、は正直さほど関心無いです。
>>166
知ってたんですか?
たしか、(メソポタミアと違い)エジプトでは分数を使ってましたが、
n分の1って発想はあっても、n分のmって発想は無かったとか教わった記憶が。
なんかメソポタミアのついでって感じだったんで、はっきり覚えていませんが
170世界@名無史さん:02/05/12 00:20
知識が歴史であろうか。
ギリシア人が無理数を知っていたかとか、そんなレベルの議論は恥ずかしい。
むしろ、こう問いましょう。
ギリシア人は、「繁栄の至りは退廃である」との自覚があったかと。
(「あった」との答えが出そうで怖い。)
171世界@名無史さん:02/05/12 00:34
(°Д°)ハァ?
172.:02/05/12 01:07
ちんこ
>>169
あの〜、n分のmの分数形式では無理数を記述できないのですが(ボソ
174世界@名無史さん:02/05/12 09:13
む、難しい
175世界@名無史さん:02/05/12 09:52
知識人と一般人の考え方の違い、ということをいうなら、
近代ヨーロッパでもそうだと思いますが。
ただ、「○○という傾向の強い社会」という分類の仕方なら
あると思います。
176世界@名無史さん:02/05/12 11:31
ユークリッドの『幾何原本』に「√2が無理数であること」の証明があったような。
(記憶があいまいでスマン)
少なくとも、「最大の素数は存在しない」(素数の数は無限である)
の証明はあります。
(背理法を使います。√2が無理数であることの証明も背理法を使うので、ギリシア人なら簡単に証明できるはず)
数学は「証明」が命、これを知っていた最初の文明がギリシアです。
これ、「ギリシアの論争好き」という話に発展すると思うのですが。
177世界@名無史さん:02/05/12 12:41
>数学は「証明」が命

あ、この説明ならわかりますね。
無理数を知っていたとかいう個別の知識ではなく、
文章論理で証明という形式を発明、開発、整備したということならば確かに古代ギリシア文明の人類に対する貢献ということで評価できます。
単に数学の分野だけでなく文明的な貢献だと思います。
地中海周辺ではギリシアが最初に手をつけた分野だと思います。
(インドでも文章論理は発展したと聞くことがありますが、古代インドのことなのか、中世のことなのか、よく知りません)

>「ギリシアの論争好き」という話に発展すると思うのですが。
そうですね。個人的には海洋交易民としての生活との関連とかに興味を惹かれます。
論争好きと言う面も、証明と言う知的手法を共有していれば、交易にも有利だろうな、とこれは想像ですが。
178世界@名無史さん:02/05/12 14:59
アリストテレスが主催したアカデメイア(アカデミーの語源)では
「幾何学を知らざる者は、門に入るべからず」とされていたました。
数学は、論理をもって議論する基礎学問と考えられていたようです。
(この見解は非常に鋭いと思います。アホとは議論できないってことです)
179世界@名無史さん:02/05/12 15:39
>178に追加。
「背理法」の論の立て方自体、理解できない高校生が多すぎます。
というより、これが理解できたら「数学が分かるヤツ」てくらいなもんです。
言われても理解できないレベルと、そういう証明法を考え出すレベルと
人間の知性レベルの差は凄いと思います。
180猫電波:02/05/12 20:20
>>173
あの〜、無理数の概念を理解するには、まず有理数を知らなければならないんですが(ボソ
>>178
アリストテレスじゃなくてプラトンです。
181世界@名無史さん:02/05/12 21:55
>>150
中国には、漢民族の民族的同一性を表現するのに、
「われらみな、黄帝の子孫」
という言い回しがあるそうです。
古代ギリシア人が「ヘレーンの子孫」と自らを呼んだのと近いかな?
182=150:02/05/12 22:00
それは近いと言う以上に同じタイプの思想(同型思想)と予想して不都合ないと思います。

漢民族や古代ギリシアだけでなく、歴史上無数の民族に類例がみられる発想ですから。
例示には事欠かない。
183世界@名無史さん:02/05/12 22:12
>>181
中国人がそれを言い出したのは日清戦争以降。
近代のナショナリズムが輸入されてから。
184世界@名無史さん:02/05/12 22:13
>>183
それを言うなら
現代中国人が、再発見したのは、日清戦争以降。

再活用でもいいけどさ。
旧くからみられる発想だよん。
185世界@名無史さん:02/05/13 00:50
>>94

えツと,數學が専門でないヒトにも讀める,ギリシア時代の數學を扱ツた
文献として,マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」があツたやうな?

確か,筆算とかは今とは逆の方向,つまり左側から計算して逝ツたと.
要するに位の高いはうから足し引きするのネ.
コレはコレで,当時の数字の表記方法を考へると,意外と計算しやすい,
つまりニホンのソロバンに近いモノがあるな,と当時思ツた.
当時の帳簿についても説明があツたやうな気がする←ウロ覺え(だツてムカシだもん,ヨンだの

なお餘談だけど,現在の樣な筆算の形式になツてからも,
しばらくは左から計算してたさうな.
今文献が手元にないので,どのヘンに書いてあるかはチト書けないけども
186バラバ:02/05/13 00:53
>>185
>確か,筆算とかは今とは逆の方向,つまり左側から計算して逝ツたと.
>要するに位の高いはうから足し引きするのネ.

面白いなあ。
アラビア数字を使わなくても、結構はやく計算出来たってことかな?
187185:02/05/13 01:08
嗚呼,なンか思ひ出して來たゾ.

古代ギリシア人は,1+1=2の「2」と,10+10=20の十の位の「2」を區別していた,と.
逆に考へれば,現代のオレ等のやうに,同じ「2」と云ふモノを表すと認識してないワケ.

チヨツト分かり辛いかな?
まだ筆算のウマく出來ない子供に,「10+1は?」をヤラセると,「11」ではなく,
「101」と書いてしまふよネ?
ソレがギリシアの数字の表記方法だツた,と記憶してるけど如何?
188バラバ:02/05/13 01:13
>>187

>古代ギリシア人は,1+1=2の「2」と,10+10=20の十の位の「2」を區別していた,と.
>逆に考へれば,現代のオレ等のやうに,同じ「2」と云ふモノを表すと認識してないワケ.

納得出来るよ。
固有名詞すら格変化する言語だもんね。

英語なんかで、eleven、tweleveまでは、12の「2」と、2の「2」が
区別されているようなもんでしょ?

違ったらごめん
189185:02/05/13 01:19
エイゴの例よりも,漢字による数字の表記はうが近いンぢやないかな?
190世界@名無史さん:02/05/13 01:20
>>187
わかりやすいぞ!ただ読みにくい(w


キャラはたってます
191バラバ:02/05/13 01:20
>エイゴの例よりも,漢字による数字の表記はうが近いンぢやないかな?

でも、漢数字だと、
ニ、十二、二十、って感じで、2は全て「ニ」として同じものと捉えられている
んじゃない?
192バラバ:02/05/13 01:24
ギリシア語の数詞って、ローマ数字よりさらに扱いにくそうだなあ
193185:02/05/13 01:44
>190

一應,正字正かな混じツてますンで(w

>191
嗚呼,ジブンではカンジと同じだ,との先入観があツたナァ,そー謂はれれば.
位による違ひが顕著だ,つふコトで.
確かに,

>ニ、十二、二十、って感じで、2は全て「ニ」として同じものと捉えられている
>んじゃない?

そーかも.
ンでも二十は「廿」とムカシは書いてたし.

位による表記を考へると,エイゴも,

one hundred and twenty three

のやうに位毎にコトバがありますな.
194バラバ:02/05/13 06:51
>>193
>ンでも二十は「廿」とムカシは書いてたし.

そうなんだ!
知らなかった。
そうすると、漢数字が一番ギリシア語の数詞に近いね。

まじで勉強なった。
195世界@名無史さん:02/05/13 20:37
古代ギリシアでは、肉体の美しさも数学的比例であらわしていたね。
理想的な人体とは頭のてっぺんから顎の先までの長さが身長の八分の一で、
額の生え際から顎の先までの長さが身長の十分の一、それがまた手首から
中指の先までの長さと一致し、鼻の下端から顎の先までの長さの三倍でもある。
そして両手。両足を伸ばせば臍を中心に円と正方形に内接する。
196世界@名無史さん:02/05/13 21:34
スゲーと思うのはゼノンのパラドクス(ゼノンはギリシア人でいいよな)
「アキレウスは亀に追いつけない」他2題。
ギリシア人以外で、こんなこと言い出すヤツはいないだろうし、
言うヤツがいても、マトモに相手にされないだろう。
ところがギリシア人てヤツは、歴とした学者たちが大まじめで議論してる。

子供っぽいとも見えるし……
不思議な精神世界だね。
197猫じゃ:02/05/14 01:48
こういう精神世界を受け継げるのは日本しかないと。
世界の常識になるまで、あと何年?
198世界@名無史さん:02/05/14 01:59
10→十
20→廾
30→卅
40→十∀
50→∀
60→∀十

100→*
199世界@名無史さん:02/05/14 02:01
無限小?
200世界@名無史さん:02/05/14 02:02
200
201ルネッサンス :02/05/14 05:29
期の人体像はギリシャ古代のやつより
頭でっかちじゃねーか?
202世界@名無史さん:02/05/14 08:37
>>201
ミケランジェロのダヴィデ像を見るとそう思えるね。
でもあれは下から見上げられることを計算してわざとそうしてるのかな?
203世界@名無史さん:02/05/14 14:19
>>195

その比例の出典はァ,實はウィルトーウィルスではない?
さうすツと,コレはギリシアではなくてローマになる.
イヤ,もツと詳しく謂へば,ギリシアを神聖視したウィルトーウィルスの,
カレ自身の比例に對する解釈だと思へるのだが,どうだらう?

カレがギリシアの比例だと謂ツてその著作に表してゐる柱の比例はァ,
確かエジプトのソレと非常に似てゐたやうな覺えがあるが...?
204世界@名無史さん:02/05/14 14:37
>>203
少なくとも八頭身については、リュシッポスが考え出したものですよ。
205世界@名無史さん:02/05/14 18:47
>>195
黄金分割というやつか?
206世界@名無史さん:02/05/14 21:11
>>204

なりなり.
出來れば根拠となる文献ナンかを教へて下され.

8等身といふオーダーはケンチクにも使はれてゐて,柱の柱脚から柱頭?コーニス?
の邊りまでを8分割して更に寸法のサブシステムを展開させてた記憶がある.
柱をヒトの姿に見立ててゐた,と謂ふ説があツたなーさういや.

えツとダレだツけかな?
鹿島出版界から飜譯が出てきたハズ.
古代建築と装飾のうんたらかんたら〜ツてのが.

このホンは,チョット根拠が薄いけど,建物の部材名と似た発音のコトバには
關聯がある,と謂ふ觀點から論考を進めてゐる.
例えばデンテンティブはそのまんま歯形,だけどモトモトはどうだツたとか.
ンまァ,当時の叙情詩に於ける押韻の傾向とか見ると,有り得ないハナシでも
ないけど.
207世界@名無史さん:02/05/14 22:30
>>206
ええと、私が言いたかったのは、現在のような形にまとめたのは
ウィトルウィウスかもしれないが、それに先立つものとして古代ギリシアの
彫刻家たちの理論があったのかもしれないということです。
たとえば紀元前五世紀の彫刻家ポリュクレイトスは、「カノン」という
今は散逸してしまった著作の中で、七頭身の比例が一番美しいと主張し、
それをリュシッポスがこんどは八頭身に訂正したわけです。
208世界@名無史さん:02/05/15 00:15
>207

嗚呼,カノンのハナシは知ツてるナァ...
と謂ふか,その経緯を後生のニンゲンが纏めたンぢやなかツたツけ?←ウロ覺え
ンだから,その8等身の根拠ツてナンなンだらうナァ,と思ツてたコトがある.

そのムカシ,某エジプトの某遺跡の復元イメージをモデリングしてて,
柱の隣に拡大したPoserのモデル置いて,「人体比例なンてウソじゃん(w」
とかやツたコトあるけど(モチロン相手にされなかった),この邊厳密な論考
ないのかな?
209世界@名無史さん:02/05/15 00:37
>>208
続き頼む
210世界@名無史さん:02/05/15 15:37
>>208
ウィトルウィウスに直接影響を与えたのは、ヘレニズム期の建築家
ヘルモディオスです(マグネシアのアルテミス神殿を建てた)

エジプト美術は、実体の比例と彫刻・絵画の比例を同一にして、些かも
変更を加えなかったそうです。
たとえば人体を高さにおいて22等分する比例を取れば、彫刻も絵画も、
大小にかかわらず、膝は常に下から6の高さ、臍は13、肩は19の位置と
いったふうです。
(時代によって18等分と22等分の比例が用いられました)

ポリュクレイトスの場合、部分と部分の、また部分と全体との比例関係
(シュンメトリア)を説いたと推測されていますが、必ずしも杓子定規
ではなかったようです。
どうも古典期のギリシア人は、彫刻にしろ建築にしろ、厳格な比例と
それからの微妙なずれが、有機的な生き生きした感じを与えると考えて
いたようで。
ヘレニズム期に入ると、幾何学的になりすぎて、建築はかえって無機的な
印象を与えるものになっていきます。
211世界@名無史さん:02/05/16 09:08
>>210

どもども.

ウィルトーウィルスの件はさうデスネ.
ただ,コレに關しては建築史のはうではもツと突ツ込ンだ研究があるらしく,
ウィトルウィルスはヘレニズムをギリシアとカン違ひした,と謂ツた説までアリ
マス.
出典は忘れましたが(w


實はオイラはァ,エジプトに關してはお手伝い程度の門外漢ですが(専門はベ
ツ),エジプトには約3000ネン程のケンチクの歴史があツて,西欧のソレと同
じやうにギリシア,ローマ,ビザンチン,ロマネスク,ゴシック,ルネサンス,
マニエリスム,バロック,新古典主義,折衷主義,モダニズム等に當てはめられ
る歴史がアリマス.
エジプトに於いても,新古典主義に当たる時期のケンチク家が,コレまたギリシ
アに当たる時期のケンチクを模倣するツと云ツた事例は多々あるやうデス,ハ
イ.
丁度モデリングしてた時代の物件がさうでした.
コレはカコの神殿の建材を再利用したばかりでなく,どうやら寸法やら比例関係
もマネてゐたやうデス.
取り壞すまへの神殿と今ハックツしてる物件で,遺構尺が一致するのではない
か?等と実際研究してたヒト達は喜ンでゐましたが.

確かにエジプトは,インドのやうに1ダンダ(等分の比例の単位)とか1ハスタ
(遺構尺におけるキホン単位)とか比例をズラす,等の操作はあまり見受けられ
ず,比例には素直に従ツてゐるやうでアリマス.
コレは厳密な測量結果より導かれたモノです.

ただ,非常に歴史が長く,また様式(と呼べるやうなモノ)も多々アリマスの
で,一概には謂へないかも知れませン.
先のPoserの件も測量結果を當てはめたモノですが,ベツに考古を批判するワケ
ではないデスガ,E.F.E.O.邊りの研究報告書をバイブルのやうに追ツ掛けてる考
古のヒトには受け容れがたい結果だツたみたいデス,ハイ.
柱頭(エキヌスでしたツけ?)のブブンとか非常にアンバランスでしたしネ.
212世界@名無史さん:02/05/17 17:25
学者の中には、ギリシア美術の神々の像は美術家のつくりだした絵空事で、
一般のギリシア人が思い描いていた神々の姿とは似ても似つかぬものだとか
主張している人もいるらしいけど、どうかなあ?
213世界@名無史さん:02/05/18 22:00
なんか盛り上がらないなあ・・・
古代ギリシアの政治や軍事についてでも語りましょうか?
ソロンの改革、リュクルゴスの改革、ペルシア戦争、ペロポネソス戦争など。
214世界@名無史さん:02/05/18 22:45
軍事語るなら、テーベ(テーバイ)の戦い振りを忘れちゃいけません。
215世界@名無史さん:02/05/18 22:47
>>214
かの有名な「神聖部隊」のことですか?
216世界@名無史さん:02/05/18 23:25
スパルタの兄弟愛VSテーベ神聖部隊の同性愛・・・
なんかいやだ。どっちも寒気がはしる。
一騎当千の武人が目をハートにさせてスプラッタ。
「義兄さん!義兄さんの為なら僕は!」「俺だってそうだ義弟よ!」
とか、「あなたには指一本触れさせないからね」「あぁっ愛してる!」
うわぁ、なんて不気味な戦場だ。
217世界@名無史さん:02/05/19 01:01
アテナイでも、ハルモディオスとアリストゲイトンが、互いに愛する友の
ために命を捧げ、その恥をそそごうとして、僭主ヒッパルコスを倒し、
自分たちも命を落としました。
ちなみにこの二人は「僭主殺害者群像」として彫刻家アンテノールが
記念像をつくっています。
ギリシアのポリスでは、軍隊や訓練所で、同士愛をすすめる
ために愛の神エロースの祭壇を築いていたところがたくさんあります。
218世界@名無史さん:02/05/19 15:42
古代ギリシアの軍制といえば、平民の密集隊編成を基本とする重装歩兵
が有名だけど、これが貴族の政治的・軍事的独占を切り崩すことになったとか。
ただ、軍隊編成の主力が旧来の部族制によっていたので、貴族の主導権は
すぐには揺るがなかった。
アテナイではのちにクレイステネスがこの部族制を改革し、区(デーモス)
制度を導入して4部族制から10部族制に変わる。
219世界@名無史さん:02/05/19 16:12
斜線陣はエパミノンダスの独創だと思っている人が
多すぎる気がする。
220世界@名無史さん:02/05/19 21:08
>>219
実際はいつごろからあった戦術なのですか?
221世界@名無史さん:02/05/19 22:08
>>220
219ではないですが。

古典期までの重装歩兵の密集陣の戦い方は
1.槍で突っつき合う、
2.盾と盾をぶつけ合って押しくらまんじゅうする
のどちらかが中心になる

1の場合、各縦列の前から3人までしか攻撃に参加できないので
それより後ろの者はは、基本的に前の者が倒された後を埋める役割をすれば良いと言うことになる。
これが、縦8列の標準的な密集陣。

ところが2のような戦いをする場合、縦列が長いほど最前面に圧力をかけることが出来るので、
縦12列〜25列のような深い密集陣が用いられることになる。
(ただ、あまり深い陣を組むと側面が弱くなる。)

ということで、戦い方に応じて深〜淺・様々の密集陣が用いられて来たわけで、
エパミノンダスの斜線陣は、「深い」密集陣の延長上にあると言える。
(テーベら、ボイオティアの人間は2の戦い方を好んだらしい。)

ただ、やはり左翼を強化することに着目した点と、
縦50列という極端に深い密集陣を組んだ点に、彼の独創が認められると思うのですが。

あと、古典期以降のギリシアでは、下層民の社会進出に伴って、
海軍の強化・軽装歩兵の利用・傭兵の登場等々、
従来の重装歩兵戦術の枠内にはおさまらない現象が生じましたが(>>218で言われていることの次の段階)
あくまで中層市民主体の重装歩兵戦術のアレンジによって覇権を獲得するというテーベのやり方は、
比較的に後進地帯だったボイオティアにおいてこそ、の試みだったのかもしれません。
222世界@名無史さん:02/05/19 22:13
なんかしばらく見ないうちに雰囲気が変わったなぁ。213以降から軍事ネタ一色だ。これならおいらでも何か書けそうだ。ってことで書くっす。
古代ギリシャの戦闘は横陣で全線にわたって衝突した。そしてその右翼が常に名誉の位置だった。だから大抵右翼が最強だった。
そしてだからこそ多くの場合一方の最強である右翼が敵の左翼を破った。だけどここで問題発生、どっちも右翼が敵の左翼を破ると互角の様相になる。
だから敵の右翼が味方の左翼を破る前にこっちの右翼で敵の左翼を破って勝敗を決めようとするのが世の常。こうして右翼はちょいと前に出て、なるたけ早く敵の左翼に当たれる様にした。
これが古代ギリシャの斜線陣の始まり。スパルタだってこれに従い、右翼から戦闘に入るのが常だった。
エパミノンダスはこれに一味加えて、右翼じゃなく左翼を最強にし、左翼だけ縦深を深くした。
たしかこんなんが斜線陣のはじまりだったと記憶するっす。年代は知らん。感じとしちゃ、古そうだけど。
223世界@名無史さん:02/05/19 23:13
>>221
>>222
ありがとうございます。
ギリシアの重装歩兵の場合、槍の長さは2.4〜2.7mだったらしいですね。
(たしかドーリュという名前だったと思う、短槍はアコンティオン)
これがマケドニアの場合、5〜6mもの長槍(サリッサ)を使用したとか。
224世界@名無史さん:02/05/20 12:46
この時代は、武器は国家から支給されるんじゃなくて自弁だったんだよね。
だからある程度の資産がないと戦争にはいけなかったんじゃないかな。
当時の武器の価格がどの程度だったのかは知らないけど。
225世界@名無史さん:02/05/21 21:16
ギリシアの軍船といえば三段櫂船。
舳先に青銅を着せた衝角を持ち、体当たり戦法を主にとっていた。
226世界@名無史さん:02/05/22 00:44
>>216
古代ギリシアでは男性美のコンクールも行われていたんですよね。
もちろん全裸で宗教的行事。
美人コンテストもレスボス島、テネドス島、アルカディアのバシリスなどで
行われていました。
こちらも全裸で宗教的行事。
今だったら水着姿だけど。
227 :02/05/22 07:10
ギリシアの重装歩兵はマケドニアの騎兵部隊により敗北したと聞きます。
ではなぜ遥か昔、ギリシアの貴族階級が主力となっていた騎兵部隊は重装歩兵に取って代わられたのでしょうか?
228世界@名無史さん:02/05/22 19:58
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/military.html

軽装兵集団がやがて軽装備から重装備へ、単純な集合体からより緊密な組織への
転換を果たすことによって、軍組織の基幹部分として決定的な重要性を
獲得するに至った。いわゆる重装歩兵(hoplites)による密集戦列(phalanx)
の出現である。
 その時期は明確ではないが、少なくとも前7世紀末ごろまでには、ほとんど
すべてのポリスにおいて重装歩兵密集戦列が形成されたと見られる。
この戦術・軍制上の変革は、同時に、貴族的国家体制からポリス的国家体制
への社会意識の変革とも表裏一体をなすものであった。
229世界@名無史さん:02/05/23 17:17
>>227
馬は障害物の中へ駆けていくことはできないので、堅固な隊列を組んだ歩兵
の前では立ち止まってしまいます。
古代ギリシアには鐙がなかったので、スピードをつけて突撃し、相手の体を
槍で突き通したりすると、その反動で騎手自身が落馬してしまいます。
騎兵の役割はもっぱら歩兵の戦列を崩していくことにあります。
230世界@名無史さん:02/05/23 19:53
231世界@名無史さん:02/05/24 21:08
ギリシアのポリスはなんであんなに閉鎖的だったのかな?
アテナイでは、父親がアテナイ市民でなければ市民権はもらえなかった。
ペリクレス時代には両親ともアテナイ生まれでないと市民権をとれなくなる。
232世界@名無史さん:02/05/24 23:59
>>231
なんでだろうね。
こういうのって、幾つもの要因が複合してて、簡単に搾れず諸説並立ってパターンが多いが。

説得力のある学説を2、3紹介してくれる人でもいると助かるよね。
233世界@名無史さん:02/05/25 01:02
>ギリシアのポリスはなんであんなに閉鎖的だったのかな?

えーとどんな民族でも氏族社会が閉鎖的なのはあたりまえなので、
古代ギリシアの場合、氏族社会を再編成した過程が鍵なのかな、と言ってみるテスト。

なぜ、閉鎖性を保ちつ都市国家に再編成が可能だったかのか、と問い直してみるのが吉かも。
234 :02/05/25 01:33
閉鎖的になるのは相続問題が絡んでくるバヤイが多いけど、どうだろう。
235世界@名無史さん:02/05/25 10:46
ローマの場合、初期からわりと開放的で、外国人に対して市民権を
与えていたように聞いたけど、どうなの?
それともローマが例外的で、ギリシアのように閉鎖的なのが普通?
236世界@名無史さん:02/05/25 14:23
作業仮説としては、「〔古代的な〕市民権」という定式整理の仕方自体が、古代ギリシアと古代ローマの文明史的発明と言えるかもしれない。

>ローマが例外的で、ギリシアのように閉鎖的なのが普通?
ギリシアポリスの市民権は、概ね、相続に伴う農地の分散を防ごうとして形成されたのだと思う。
だとしたら、こうした市民権が、とりあえず排他性機能を優先して機能するのは当然とは言える。

しかし、例えば、エジプトでは「ナイルの水(を飲ん)で育った者はエジプト人」といった意味の俚諺が古くからしられている、という。
(この俚諺が古代からあったかどうかは不明)

こうした俚諺で保障される開放性は、社会危機に瀕すると、容易に閉鎖性に一変する。
市民権の定式化は、閉鎖性への制度的歯止めとしても機能する、とは言える。
237世界@名無史さん:02/05/25 15:41
アテナイの場合、クセニア(外人顕彰)と呼ばれる制度がありました。
アテナイに対して功績のあった人にプロクセノス(賓客)、
エウエルゲテス(善行者、功労者)という名誉称号を授けるというものです。
この人々はアテナイの国法で保護されていました。

これは彼らをアテナイの協力者にして、同盟ポリスの動きを監視させる、
という意図もあったようです。
238世界@名無史さん:02/05/25 16:01
>ローマの場合、初期からわりと開放的で、外国人に対して市民権を与えていたように聞いたけど、どうなの?

古代ローマの市民権運用は、歴史的推移をみると、結果としては優れた政治-外交戦略として機能したんだよね。

まず「ローマ市民権」を付与してゆくことで、同盟都市国家を増やし、たくみに勢力を拡大していった。

次に、「ローマ市民権」の付与に、等級、段階を付ける事で、特定都市国家内部の共同性を分断する事もできた。
個別にはいろいろな事例があるが、概ね、都市国家の上層に市民権を与え優遇し、下層との間に分裂を招いた。
このため多くの都市国家では、反ローマ的運動が一枚岩になることは困難になった。

最後に、「ローマ市民権」の付与に、等級、段階を付ける事で、同盟都市国家間のローマに対する離反に間接的影響力をふるう事ができた。

>それともローマが例外的で、ギリシアのように閉鎖的なのが普通?
古代ローマの市民権の運用はかなり例外的なものだったと思われる。
ことに、「市民権」をワンパケとして扱わず、段階、等級をつける得るものとして、うまく運用した点は例外的だった。
239世界@名無史さん:02/05/25 21:23
>>238
現代の世界で、アメリカ合衆国のように開放的なのが少数派で、
ヨーロッパのように閉鎖的な国が多数派なのと同じかなあ。

240世界@名無史さん:02/05/25 23:08
>>239
この手の類比は、気をつけないと先入観でミスリーディングを導くから避けた方がいいと思うんだが。

古代ギリシアと古代ローマを比較すると、
古代ローマは多少の紆余曲折はあってもローマ市民権の分与を拡大しつづけて、
最終的には帝国の臣民自由民全員に等しい市民権を認めるところまで行ってしまった(行かざるを得なかった?)

これはやっぱり例外的。

古代ギリシアの市民権はと言うと、印象論ですが、現在の欧州諸国よりも閉鎖的ような気がします。
241>>240:02/05/26 02:10
所詮,自己的印象を語るとして,ギリシアは母を重んずる.
ローマは父を重んずる.
ローマは,ギリシアを受け入れた時点で,ギリシアに負けていていたと,

自分より優れた文明を認めること自体,滅多にないことだが,ローマはそれができた,希有の文明である.

ローマの勝ちをいろいろ論じるにせよ,このことをヌキにして話は進展しまい.
しかし,結局勝ったのは,ギリシアではなかったのか.
スレにふさわしいネタとして,このことを提供する.
242世界@名無史さん:02/05/26 02:19
>>241
>ローマは,ギリシアを受け入れた時点で,ギリシアに負けていていたと,

>しかし,結局勝ったのは,ギリシアではなかったのか.

ぜんぜんそうは思えないのですが。

>>231は凄く、このスレに相応しい話題と思いますし。

>ギリシアのポリスはなんであんなに閉鎖的だったのかな?
>アテナイでは、父親がアテナイ市民でなければ市民権はもらえなかった。
>ペリクレス時代には両親ともアテナイ生まれでないと市民権をとれなくなる。

>ギリシアは母を重んずる.
て何の事ですか??

それにローマはギリシアを受け入れたわけでなく利用しただけと思いますが。
キリスト教を受け入れたようにギリシアを受け入れたわけではない。
243世界@名無史さん:02/05/26 15:29
古代ギリシアの場合、直接民主制だったから、ということはありませんか?
あまりにも市民の数が増えすぎると、機能しなくなるとか。

244世界@名無史さん:02/05/27 18:07
デロス同盟で、アテナイと同盟ポリスの関係が不平等なものだったことは
有名だけど、これもポリスの閉鎖性と何か関係がある?
245世界@名無史さん:02/05/28 04:05
>>244
それは、作業仮説として関係してると予想すべきだと思います。

>都市国家の政治や外交関係には、ずっと、神話的系譜関係が混入してた(>>125
わけで、これは、民主制なり古代的市民権なりの適用範囲が自文化中心主義で限定されていたということですから。
ヘレネスという神話的系譜思考と混濁した自文化中心主義では、都市国家間の利害を合理的に調整する理念としては不充分だった、と言えるはずだろうと思います。
だから、最終的にマケドニア(フィリッポス2世)に統合されちゃったのでしょう。

ここに書いたことはあくまで作業仮説で予想としてのお話で。

直接民主制だったことの弊害(>>243)とか、農業生産力の相対的脆弱さとか、
結局、ギリシア・ポリスが自前では、広域政治体制に移行できなかった経緯をもっと整理しないと論にはならないと思いますが。
246世界@名無史さん:02/05/29 21:59
ペロポネソス戦争におけるアテナイの敗因というのは何なんだろ?
シチリア遠征?衆愚政治?同盟国の離反?
247世界@名無史さん:02/05/30 01:32
>>246
衆愚政治が一番根本の敗因で、シチリア遠征はそこからの派生問題、同盟国離反は衆愚政治と並行関係の慢性的問題の結果では、と思うがどうだろう。
シチリア遠征敗戦は痛かったろうが、敗戦後処理が出鱈目という気がする。

衆愚政治の言葉はできたら使いたくないんだが、ファシストが民主制を否定するみたいな雰囲気になるから(W
民主制がいけないって話でなく、アテナイの民主制が不合理なんだと思う。

>>243>直接民主制だったから、
とも言えるし。
意思決定過程に欠陥があって、後代から見て、と言う点を割り引いても重要な局面での情勢判断がおかしいと思うし、長期的な政略・戦略のレベルで、複数の目標の間の優先順位策定も非合理なように思える。

なんて言うか、株主総会の権力が強い会社の経営方針が、苦し紛れ、場当たり的になってるような感じ。
248世界@名無史さん:02/05/30 11:07
>>238
古代地中海世界の保護=被護関係について

(1)血縁的な保護=被護関係
(2)自由な保護=被護関係
(3)自由な保護=被護関係で、かつ特定多数を相手としたもの
(4)自由な保護=被護関係で、かつ不特定多数を相手としたもの

というわけ方がありまして、ローマの場合(4)までいったというのが
他の文明には見られない特徴だったのではないでしょうか。
249世界@名無史さん:02/05/30 11:21
>>248
ローマの保護=被護関係、古代ギリシアと比較するとしたら、
どんなふうになるのでしょうか?
250世界@名無史さん:02/05/30 11:34
保護=被護関係というのは、血縁集団がある程度崩壊し、政治権力が
分散して、中央集権化が未成熟である場合に発展するものだと思います。

(3)の場合、保護者と被護者がお互いによく見知っていますが、
(4)の場合、保護者はもはや被護者の多くを識別できなくなります。

さらに特定多数を相手にした場合には、関係が土地的、農業的であり、
いわばストックの人間関係です。
これに対して不特定多数を相手にした場合、金銭的、商業的であり、
フローの人間関係です。
251世界@名無史さん:02/05/30 20:49
>>246
確かにシチリア遠征は重要な転換点だが、
ペロポネソス戦争はその後10年以上も続いてるしな。

また「衆愚政治」的な状況〜アテネの海洋帝国化はそもそも戦争勃発の方の原因でもあるのでは?

軍事的にはスパルタ〜ペルシアの同盟でパワーバランスが変わり、アテネが制海権を失ったのが敗因でしょう。

シチリア遠征で海軍力に大打撃
→アテネが城壁と黒海からの穀物補給に頼る限り、スパルタは陸軍力では致命傷を与えられない。
→スパルタのリュサンドロス、ペルシアと提携し海軍力の建設に努める
→エーゲ海の制海権を巡って一進一退(いわゆるイオニア戦争)
→前405年アエゴスポタミAegospotamiの海戦でアテネ海軍壊滅
→前404年、戦争終結
252世界@名無史さん:02/05/30 20:54
253世界@名無史さん:02/05/31 20:45
>>251
ローマ帝国の盛衰はよくとりあげられますが、ギリシアの諸ポリスの盛衰
はあまりとりあげられませんね。

アテナイがペロポネソス戦争に勝つにはどうすればよかったんだろう。
まず国内で二派に分かれるのをやめて、団結すべきだったのかな。
それから同盟ポリスとの関係を、相手も利益を得るような関係に
もって行くとか。
254世界@名無史さん:02/05/31 21:02
>>253
>同盟ポリスとの関係を、相手も利益を得るような関係にもって行くとか
これができてればペロポネソス戦争負けなかったかもね。

>>251の軍事的分析は説得力あるけど、
ペロポンネソス戦争末期の同盟国離反は、
アテナイが差別的な外交政策を続けてたせい、ってのも言えると思う。
255世界@名無史さん:02/06/01 00:32
アテナイのやり口ってのは、あるポリスの中に親アテナイ派の勢力を
作り(民主派と呼ばれたらしいですが)、そいつらを操ってポリスの実権を
握らせ同盟国化(事実上の属国化)させる、ってものでしたからね。

で、対抗してペロポネーソス同盟側もシンパを操って政権を掌握させよう
とする、と。どこのポリスもアテナイ派とペロポネーソス派の抗争でかなり
ひどいことになってたみたいですね。

それから、>>254については、クセノポンの「ギリシア史」にこんな記述が。

ギリシア史2.2.10

さてアテナイ側は陸海共に攻囲され、艦船も同盟軍も食糧もなく、何をなすべきか
途方にくれていた。かつて小国の市民に対して、報復を目的とした行為ではなく、
その者たちがラケダイモン側に味方して戦ったというただそれだけの理由で、傲慢さ
ゆえになした仕打ちを、今度は自分たちが蒙る番だと彼らは思っていた。

アイゴスポタモイで大敗し、ほとんど全ての艦船を失ったあとのお話。
256世界@名無史さん:02/06/01 01:08
>>248
>古代地中海世界の保護=被護関係について
>(1)血縁的な保護=被護関係
>(2)自由な保護=被護関係
>(3)自由な保護=被護関係で、かつ特定多数を相手としたもの
>(4)自由な保護=被護関係で、かつ不特定多数を相手としたもの
>というわけ方がありまして、ローマの場合(4)までいったというのが他の文明には見られない特徴だった

護民官の制度とか、クリエントゥーラ(でよかったでしたっけ?よく親分-子分関係に喩えられるのは)の事だと思います。

ローマの場合、
護民官が(3)にあたり、クリエントゥーラ(?)は(3)から始まって(4)に至ったと思うのですが、いかがでしょうか?

また>これに対して不特定多数を相手にした場合、金銭的、商業的であり、フローの人間関係です。(>>250
は、よく言われる、海洋商業民としての古代ギリシア、というイメージと折り合いをつけるとしたら、どのようにつけられるでしょうか?雑駁な質問ですが。
>>248=250でよいのですよね?違っていたらすみません)
257:02/06/01 03:01
>>158

秘儀冒涜事件(でしたっけ?)の顛末なんかの例を考えると
そんな印象を受けますね。少なくとも一般大衆のあいだでも
無批判に神話・宗教世界と現実を直結して考えるようなこと
はやっていなかったとように思えます。
「中世に無神論者はいない」なんてのは一神教の文化圏に限
った非常に特殊な議論で、多神教のもとにおいては古代の時
点ですでに柔軟な信仰スタイルがあったと思ったりしてます。
258248:02/06/01 17:39
>>256
>ローマの場合、
護民官が(3)にあたり、クリエントゥーラ(?)は(3)から始まって
(4)に至ったと思うのですが、いかがでしょうか?

私もそう思います。
ローマ人の社会はパトロヌス(親分)とクリエンテス(子分)の保護=奉仕関係を
基調としていました。
ローマ帝国の形成というのは、この保護=奉仕関係の拡大再編の過程でも
ありました。

ギリシアの場合、学問や商業の世界では外国人も参加できましたが、
市民権の場合はわずかな例外を除いて取得できないようになっていました。
ちなみにこれはフェニキア人も、ギリシア人同様、閉鎖的な傾向にあったようです。
通商・商業で生活していても、市民権については必ずしも開放的にはならない
というのが興味深い現象ですね。
259世界@名無史さん:02/06/02 09:16
なるほど。
>フェニキア人も、ギリシア人同様、閉鎖的な傾向にあったようです。
>通商・商業で生活していても、市民権については必ずしも開放的にはならない

というのは。感覚的にわかる気がします。
ユダヤ人もそうですよね。(市民権とは言いませんが)
なんとかうまく説明できないかな。ちょっと突っ込んだ社会学になるかな?
260世界@名無史さん:02/06/02 09:43
>>257
ソクラテスが死刑になったときの訴因は、
「青年を腐敗させ、国家の認める神々を信じず、新しい神霊を信じた」
というものでしたが、実際は、ソクラテスが三十人僭主時代に寛大な
扱いを受けたことにわだかまりを持っている人が多かったことが
有罪判決の理由だったとか。

261世界@名無史さん:02/06/02 18:48
ソクラテスの死刑判決に、アリストファネスの『雲』はどれだけ影響を
与えたんだろうか?
あの作品の中では、ソクラテスがソフィストの親玉みたいに描かれているが・・・
262世界@名無史さん:02/06/03 00:14
>>257
>秘儀冒涜事件(でしたっけ?)の顛末なんかの例を考えると
>そんな印象を受けますね。少なくとも一般大衆のあいだでも
>無批判に神話・宗教世界と現実を直結して考えるようなこと
>はやっていなかったとように思えます。

どうでしょうね。
私は疑問を感じます。神聖戦争の展開をみても、都市国家単体の内では
「神話・宗教世界」にある程度批判的な意見が聞かれても、都市国家間の
外交関係になると、途端に神話的な思考が幅を利かせるようになってたと
思いますが。

私は、これはヘレネスって概念が、自閉的かつ、神話と混濁した観念だったから
ではないかと思うのですが。
263世界@名無史さん:02/06/03 00:54
>>262
>神聖戦争の展開をみても
>都市国家間の外交関係になると、途端に神話的な思考が幅を利かせるようになってた

これはどういうことでしょうか?
自分は神聖戦争自体、経過など良く知らないのですが、
少なくとも第三次神聖戦争あたりだとデルフォイの管理権問題はかなり名目的なものになってた
と聞いているのですが。
264世界@名無史さん:02/06/03 09:49
第三次神聖戦争の経過ですが、パウサニアスの『ギリシア案内記』(岩波文庫)
によると、フォキス人が隣保同盟評議会によって罰金支払いの懲罰を受け、その
巨額さにフォキス人が意気消沈していると、フィロメロスという人物が、
デルフォイの聖所を占拠すべしと説得し、聖材を横領しようとしたのが
その始まりです。
この戦争はえんえん10年間も続きましたが、その間フォキス軍およびその傭兵隊が
勝った事もあれば、テーベ陣営(テーベはフォキスと犬猿の仲だったので、
戦争を仕掛けてきた)が優勢になったこともありました。
フィロメロスはネオンでフォキス軍が敗退したとき、敗走の途中で断崖から身を投げて
自殺し、総帥権はオノマルコスが引き継ぎます。
一方テーベとの同盟にはマケドニアのフィリッポス2世が入ってきました。
フィリッポスが戦いに勝つと、オノマルコスは味方の兵士に殺されてしまいました。
つぎにフォキス人は絶対権を持った将軍にオノマルコスの兄弟のファウロスを
選出しましたが、すぐ病死したので息子のファライコスが実権を握ります。
しかし彼は聖材を私的に着服しているとの告発を受けて辞任。
10年目にフィリッポス2世がこの戦争にけりをつけ、フォキス地方は破壊
しつくされます。
フォキスの持っていた隣保同盟の投票権はマケドニアに与えられました。
265263:02/06/04 21:14
>>264
ありがとうございます。
「ギリシア案内記」読んでみます。
266世界@名無史さん:02/06/04 21:17
なぜギリシアの重装歩兵はマケドニアの騎馬隊に敗れたのでしょうか?
267世界@名無史さん:02/06/05 00:13
>>242
>>ローマは,ギリシアを受け入れた時点で,ギリシアに負けていていたと,
>>しかし,結局勝ったのは,ギリシアではなかったのか.
>ぜんぜんそうは思えないのですが。

末期の衰退期を覗けば、ローマ帝国の名を掲げたのはギリシア人が支配した東ローマ
帝国が欧州では一番繁栄した。

東半分とはいえ、ローマ帝国はギリシア人にのっとられた、とも言える

268世界@名無史さん:02/06/05 00:18
>>267
東ローマが公用語としてギリシア語を採用したことと
東ローマの継続とに
因果関係があるという歴史的論証は知らないのですが。

論証できない限り
>ローマは,ギリシアを受け入れた時点で,ギリシアに負けていていたと,
とは言えないと思いますが。
269世界@名無史さん:02/06/05 00:23
>東ローマが公用語としてギリシア語を採用したことと
>東ローマの継続とに
>因果関係があるという歴史的論証は知らないのですが。

東ローマ帝国を指して、「ギリシア人の帝国」とは、西欧人たちが言った言葉だよ。
270世界@名無史さん:02/06/05 00:24
クレタ文明とミケーネ文明の情報希望。
この2つの文明の違いは何。
271世界@名無史さん:02/06/05 00:25
東ローマ帝国を支えたのは、メインがギリシア人、その次がスラブ人
272世界@名無史さん:02/06/05 00:27
>>268
>>ローマは,ギリシアを受け入れた時点で,ギリシアに負けていていたと,
>とは言えないと思いますが。

まあ、ギリシアを受け入れた時点で、と言えば大袈裟だけど、長い視点で見れば、
ローマの東半分が、文化的にも民族的にもギリシア人にのっとられたのは事実だと
思うよ
273世界@名無史さん:02/06/05 00:30
>>271
なんだかギリシア人の概念規定が恣意的に思えますが、

a)東ローマ帝国を支えた、メインのギリシア人は、ヘレネスですか?

b)>東ローマ帝国を指して、「ギリシア人の帝国」とは、西欧人たちが言った言葉(>>269

と言う意見がありますが。
これについてはどうですか?
だとしたら、中世東ローマを支えた民族の帰属意識は、ローマだった事になると思いますが。


274世界@名無史さん:02/06/05 00:31
ビザンツ帝国を攻め落とそうとしたトルコ人たちが、
「ギリシア人の髭を切り落として、犬の首輪を作ろう!」
と嘲笑したというエピソードもある。

ビザンツ帝国=ギリシア人の帝国
275271:02/06/05 00:36
>>273

271=269です。

>a)東ローマ帝国を支えた、メインのギリシア人は、ヘレネスですか?

当人たちは、「ヘレネス」と呼んでいますよ。
コンスタンチノープルが陥落した後の正教の大司教(名前失念!)は、
「私たちはヘレネスだが、それ以前にキリスト教徒だ」
と書き残しています。

血統的には混じっているでしょうが、ビザンツ帝国のにないてだった人々は、
・政治的には、ローマ市民権を持ち、
・民族的にはギリシア人という自覚
を持った人々だったのは、明らかでは?
276世界@名無史さん:02/06/05 00:36
>>274
当時のトルコ人のトルコ語はギリシアとローマを言葉の上で区別してたの?

トルコ語ではギリシア人(ギリシア正教徒)のことは
ルーム(ローマ)って言うはずなんだが。
277271:02/06/05 00:38
ローマ帝国東西分割以降の時代では、ローマ人とは、完全に民族を問わず、
ローマ市民権を持つ者というだけの意味になっていますよ。
278世界@名無史さん:02/06/05 00:46
>>270
>クレタ文明とミケーネ文明の情報希望。
クレタ文明:ギリシア語を筆記した線文字Bと、系統不明の未解読文字、線文字A、Cを併用。
民族系統は現在のところ不明。
古代エジプト王朝やキプロスなどと交易をおこなっていた。

ミケーネ文明:クレタ文明からは線文字Bのみを引き継いだ。
民族系統も、印欧語派で、後のギリシア人に比較的近いと思われる。
279世界@名無史さん:02/06/05 00:49
>>277
そこでわからなくなるんですよね。

>ローマ帝国東西分割以降の時代では、ローマ人とは、完全に民族を問わず、
>ローマ市民権を持つ者というだけの意味になっていますよ。

だとしたら、民族を問わない国家の意志決定機関が、公用語にラテン語からギリシア語に変更したわけですよね。

ならば、あなたの言う中世の“ギリシア人”と、古代のギリシア人は、歴史的には別個の民族集団になるのではないですか?
280271:02/06/05 00:55
>>279
>あなたの言う中世の“ギリシア人”と、古代のギリシア人は、歴史的には
>別個の民族集団になるのではないですか?

血統で見れば、当然スラブの血が大量に入っているのは間違いないでしょう。
しかし、当人たちには、ギリシア人(ヘレネス)という自覚があった。

民族の定義は難しいけれど、当人たちの自覚、帰属意識が民族を決めるならば、
ビザンツの支配者階級は「ギリシア人」ですよ。

(血統を意識しすぎると、今のトルコ人も、トルコ人と言えない)
281271:02/06/05 00:59
ローマ帝国が、東西分割後、その東の片割れは、
・主要民族は、ギリシア人の自覚をもつ集団になってしまった
・公用語もギリシア語になってしまった
・支配体制も、ヘレニズム諸王朝と同じ専制君主制になってしまった

これなら、ローマがギリシアにのっとられたと言えるんじゃいかな
282=279:02/06/05 01:04
>>280-281
>ローマがギリシアにのっとられたと言えるんじゃいかな

私が知りたいのは、その古代ギリシア人と中世ギリシア人の断絶/継続についての歴史学的判断です。

彼らの帰属意識の継続性は“神話的”な主張なのか、
帰属意識を支える外形面にも歴史的継続性、系譜関係が認められるのか?
と言う事をお聞きしたいと思います。
283271:02/06/05 01:10
>>282
>私が知りたいのは、その古代ギリシア人と中世ギリシア人の断絶/継続
>についての歴史学的判断です。

問いをここまで深堀りされてしまうと、「それは結論が出せない」になっ
てしまいます。

実際、古代ギリシア人と中世〜近代ギリシア人との連続性/断絶性は私の
一番興味あるところで、自分でもいろいろ調べたりしている段階です。

だから、私の意見は、
「一方の意見を採用すればこうも言える」
「征服されたギリシアがローマを支配した、とは、タイムスケールを広
げてみると、定説とはまた違った見方ができる」
程度の意見と思ってください。

ちなみに、

>帰属意識を支える外形面にも歴史的継続性、系譜関係が認められるのか?

これについては、トルコ人の外形面の断絶性は凄まじいですね。
それでも、彼らのアイデンティティーが「トルコ人」なのは興味深いと思い
ますよ
284=279:02/06/05 01:16
>>283=271
なるほど、よくわかりました。

トルコ人についてのお話もよくわかります。

ありがとうございました。

285世界@名無史さん:02/06/05 10:04
>>266
マケドニアの場合、騎兵と歩兵が一体となった戦法を駆使したことが
大きいのではないかと思います。
騎兵に楔形の隊形をとらせ、敵の隊列に鋭く切り込むやり方ですが。
ギリシアの場合、重装歩兵が中心で、騎兵は補助的な役割でした。
286世界@名無史さん:02/06/05 19:17
>>262
たしかコリント人は、始祖のコリントスがゼウスの子だといって自慢していたとか。
アッティカにはアテナとポセイドンがこの地の領有権をめぐって争った、という
伝説がありますけど、コリント人も、太陽神ヘリオスとポセイドンがコリントを
めぐって争ったという伝説がありました。
それと、アテネ人だけでなく、最初の住民が土地生え抜き(アウトクトン)の人物だった
というのもよくあるパターン。
287 :02/06/06 23:44
重装歩兵って、先頭か端っこのヤツはやばくありません?
くじ引きか何かで順番が決められたのでしょうか?
288世界@名無史さん:02/06/07 10:26
289世界@名無史さん:02/06/07 11:13
>>286
コリントス地峡はモトモトはポセイドン信仰があつかった
という話がありますよね。

地震おおいしね。ポセイドンは海の神以前に地震の神って面が強いからなー。
ついでにアポロンは伝染病の神。
290世界@名無史さん:02/06/07 18:44
>>262
アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの三大悲劇詩人の作品を
読むと、時代が下るにしたがって神々の超越性が失われていくんですよね。
美術でも、アルカイック時代の超越的・神秘的な神像、前5世紀の威厳に満ちた神像から、
前4世紀になると親しみやすく人間的な神像が作られるようになり、
ヘレニズム時代にはまったく世俗化されたものになってしまいます。
ですから、時代とともに神々に対する敬虔さはうしなわれていったけれど、
その一方で大衆レベルでは迷信は失われずに残っていた、ということではないかと。
291世界@名無史さん:02/06/07 18:51
>287
確か、若い兵士が前衛になるんじゃなかったっけ?
292世界@名無史さん:02/06/07 21:05
>>287
最前列は名誉のポジション。
ということで指揮官は普通そこに位置する。

これは、指揮する者とされる者に身分差がなく、
全員が共同体のために一丸となって戦う、という重装歩兵戦の特異なあり方を反映しているし、

また、将軍の役割はほぼ布陣を完了させることで終了し、
戦闘開始後はほとんど複雑なマヌーヴァーを行うことができない(=指揮の必要がなくなる)、
という同じく重装歩兵戦の限界をも反映している。

>先頭か端っこのヤツはやばくありません?
確かに・・・・
というわけで古典期以前では勝ち戦にも関わらず将軍が戦死することは多かった。
(エパミノンダス@マンティネア)

王制マケドニアでは、むろん指揮官は後方でがっちりガードされる。
293世界@名無史さん:02/06/08 00:05
なんだか密集陣対密集陣って、
じゃんけんで双方がえんえんとグーばかり出し続けているような光景を思い浮かべるなあ。
294世界@名無史さん:02/06/08 01:57
>290 ほんとね。
エウリピデスに至っては、悲劇なのか喜劇なのか、というレベル。
アリストファネスにいい勝負されてる。
この辺にアテナイ没落の原因を見るのも、アリかと。
295世界@名無史さん:02/06/08 02:29
正直マラドーナが日本で犯罪犯すとは考えにくい。
マラドーナ来日は大歓迎だよ。
韓国人のビザなし訪問のほうがはるかに危険。
心配されてたイングランドもたいしたことなかった。だいたい少し暴れたにしても、
終わったら英国に帰る連中なんだからたいしたこと無いよ。
永久に居座る連中とは違うもの。
何故か政府、マスコミは一番危険な韓国人については甘いよな。



296どうしたんだい?:02/06/08 05:21
アテネでサッカーか?
297世界@名無史さん:02/06/08 12:14
アトレウスやアガメムノンは
実在の人物なのでしょうか?
298世界@名無史さん:02/06/08 12:17
>>297
架空の人物です。
ちなみに、アガメムノンはもともと何かの神格の呼び名だったのが、
人間にされてしまったらしいです。
(クリュタイメストラやヘレネも)
299世界@名無史さん:02/06/08 13:05
>>298
架空なんですか!
それは残念、ショックです
トゥキディデスの「戦史」を愛読してるもんで
アトレウスやアガメムノンに関する記述は
どうとったらいいのでしょう。
300世界@名無史さん:02/06/08 13:08
アーメン、ラーメン、アガメムノン!!
300!!!!
301世界@名無史さん:02/06/10 20:04
>>299
今手元に『戦史』がないので、なんともいえませんが、アルゴスのミュケナイ
王家の一族(アトレイダイ)について語っているところですか?
ミュケナイ時代に強力な王権が存在したことは、遺跡その他の発掘物で
確認されています。
おそらくアトレイダイに関する神話伝説にも、なんらかの史実の核は
あったと思われます。
ただ、ホメロスや、古典時代のギリシア人が語っているミュケナイ王家に
まつわるはなしを、そのまま史実とすることはできません。
たとえば、アガメムノンの娘イフィゲネイアがアルテミス女神の生贄にされた
という伝説がありますが、イフィゲネイアというのはもともとアルテミスの
別名で、元来は単に若い女性がアルテミスに対して生贄にされたという話だったのが、
アガメムノンの王女ということになったのだと思います。
302世界@名無史さん:02/06/11 13:35
>>301
「最初ペロプスはアシアから莫大な資産をたずさえて貧困な人間どもの
 住む地をおとずれ、富によって権力を貯え、自分は外来人であったに
 もかかわらず、その国に自分の名前をつけた。そしてその後、かれの
 子孫たちはさらに大きい富と権力を集積した。そしてエウリュステウス
 王がアッティカでヘラクレスの子供たちによって殺されたあと、王の
 母方の叔父アトレウスが位を継いだ。エウリュステウスは出陣にさい
 して、一族の縁につらなるアトレウスにミュケナイ王国と王位の後見
 をゆだねたのであるが(アトレウスはそのとき、兄クリュシッポスを
 死なせたために父家を追われて、たまたまエウリュステウスのもとに
 いた)、エウリュステウスが生還する望が絶えると、ヘラクレスの子
 らを恐れたミュケナイ人は、富裕の噂たかく、ミュケナイ人大衆に好
 評をえていたアトレウスの即位を希望したので、彼はミュケナイをは
 じめエウリュステウスが支配していた王国の全版図を受け継いだ。」
という文章です。
303世界@名無史さん:02/06/11 14:16
>>302
ありがとうございます。
ペロプスの父のタンタロスは、息子とともに、小アジア系統の名前と
考えられています。
ともかく小アジアに縁が深いことは確かで、リュディアのシピュロス山は
彼の住居の跡だといわれています。
ちなみに、この王国は砂金の産地としても有名でした。
>ペロプスはアシアから莫大な資産をたずさえて
この文からもそれがうかがえます。

以前アピアと呼ばれていたペロポネソス半島は、これ以後ペロプスの名
にちなんでこう呼ばれるようになりました。
学者の中には、ペロプスと小アジアとの深い関係に着目し、彼が
あるいはヒッタイト人の王国から出たものではないかと考える人もいます。
ギリシアの先史時代には、小アジア地方の有力者で、ギリシアの首長たちと
通婚したものも少なくなかったと考えられます。

アトレウスについては、神話伝説では弟テュエステスとの争いについて
語られていますが。
(テュエステスがアトレウスの妻と密通してミュケナイの王位を得ようとしたので、
テュエステスの子供たちを殺して料理し、父親に食べさせたという凄惨な
復讐の物語です)

ちなみにクリュシッポスについては、テーバイ王ライオスに殺されたという
別伝もあります。


304世界@名無史さん:02/06/13 18:10
>>262
デルフォイの神託について、大地の割れ目(カスマ)というところから蒸気が
出て、それを吸った巫女が神憑りになって託宣を行ったという俗説が
ありますが、実際にデルフォイを発掘してみたら、大地の割れ目もなければ
蒸気も出なかったとか。
すると、巫女はどうやって神憑り状態になっていたんでしょう。
踊り?酒?何かの薬草?
305世界@名無史さん:02/06/13 20:17
306世界@名無史さん:02/06/20 02:00
伝説でいうヘラクレスの一族の復帰というのは
ドーリア人の南下ってことなのですか?
307世界@名無史さん:02/06/22 01:03
>304
アフォなことを聞く。
自分を振り返れ。
どうやったら神懸かりになれる?
なったことがない?

想像力のないヤツ。

どんな場面なら、「死んでもいい」と思える?
それが「神懸かり」の場面だ。

ワールドカップが、いくつかの実例を紹介してくれる。
308米好き:02/06/22 01:08
ギリシア神話には、やたらエチオピアが出てくるが、あれはエチオピアが
下ナイルまで支配下に入れた時代に、ギリシアと接点があったせいなんだ
ろうか
309世界@名無史さん:02/06/22 06:41
>306
「ドーリア人の南下」という事象が起こったかどうかには異論もあるが、
少なくともドーリア人が、「自分たちはギリシア人である」ということを主張する上での正当性になったのは確かじゃない?
その伝説もドーリア人が作ったものかもしれないけど。
ヘラクレスの一族だっけ?記憶が曖昧。
310世界@名無史さん:02/06/22 14:54
>309
スパルタ王家はヘラクレスの子孫ということです
311世界@名無史さん:02/06/26 20:46
>>303
テーバイ王ライオスってのは初めて聞きました

そのころ、テーバイの国力は強かったのでしょうか
312世界@名無史さん:02/06/27 16:23
>>311
ギリシア神話では、ライオスはオイディプスの父親ということになっています。
もちろん、伝説上の人物です。

ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/antiGM.html
父権制を信奉する侵略者がテーベの母権制社会を征服したとき、侵略者たちは、
テーベの王位継承の物語が描かれていた聖なるイコンを、意図的に曲解した。
亡くなった「父親」の名前のライオスは、実は、「王」を意味するにすぎなかった
のであり、寡婦になった「母親」の名〔 イオカステ〕は、「月の女神」の称号と
同じだった。後継者 オイディプスは、遠国からやって来たよそ者として描かれていた。
313世界@名無史さん:02/07/02 11:51
最近のヘレニズム研究の動向について教えていただきたいのですが・・・
これまではギリシアがオリエントに一方的に影響を」与えた、というトーンで
書かれてきましたが、最近はオリエントを主体にしたヘレニズム史というのも
出てきているとか。
314世界@名無史さん:02/07/07 18:02
アレクサンドロス大王没後の後継者(ディアドコイ)戦争について語ってみませんか?
野心家たちがくんずほぐれつを繰り返したり、親衛隊が使えていた主人を裏切ったりと、
結構面白いエピソードがあるのですが。
315蝿皇子:02/07/07 19:06
>>231
市民でなければ土地は所有できなかった。
そして政治に参加できなかった。
しかし外国人は多くポリスの中に住んで、商業活動は行っていた。
彼らの家屋敷は賃貸。
316米好き:02/07/07 19:14
>>314
おもしろそう。

期待。
317世界@名無史さん:02/07/07 20:16
>>314
まず、バビロンで大王の代務者になったペルディッカスを中心に会議が開かれ、
エジプト、シリア、アナトリアの統治分担が決められた。
このときギリシアでは、アテナイのデモステネスが主導した反乱が起こって
いたので、将軍クラテロスを派遣して体よく厄介払い。
クラテロスの死後、プトレマイオスがエジプトのサトラペス(総督)になる。
318世界@名無史さん:02/07/08 19:36
一方、ペルディッカスは大王の異母弟フィリッポス・アリダイオスと、
大王の妻ロクサネーが産んだアレクサンドロス4世を錦の御旗に掲げていた。
さらに大王の妹のクレオパトラを妻にした。
そしてプトレマイオスからエジプトの支配権を奪い取ろうとしてエジプト遠征を
実行に移したが失敗。彼の威光も地に落ちる。
最後は身辺の護衛兵たちの手にかかって暗殺されてしまった。

319世界@名無史さん:02/07/10 20:41
ついで、隻眼の老将軍アンティゴノスに対する警戒心が、プトレマイオス、
セレウコス、カッサンドロス(アンティパトロスの息子)、リュシマコスによる
反対同盟を結成させる。
一方アンティゴノスのほうは、キュレネの反乱のためにプトレマイオスが
リビアに遠征したとの知らせを受けて、シリアとフェニキアを奇襲して占領、
これを息子のデメトリオスに任せて、自分はヘレスポントス方面に向かった。
だが海峡を渡らないうちに、デメトリオスがプトレマイオスとの合戦(ガザの戦い、前312年)
に敗れたとの知らせを受けて引き返す。

次にデメトリウスは、プトレマイオスの総督メネラオスをサラミスの海戦で破り(前306年)、
次にプトレマイオス本人も海で打ち負かした。
エジプトに逃げ帰ったプトレマイオスをアンティゴノスは陸上から、
デメトリオスは海から船隊で包囲したが、プトレマイオスはなんとかもちこたえた。
次にアンティゴノスはデメトリオスを、(エジプトに対する発進基地にするつもりで)
ロードス島制圧に向かわせたが、これも失敗。

最後にアンティゴノスはリュシマコス、カッサンドロス、セレウコスの軍勢に戦いを
挑んだが、兵力の大半が壊滅し、アンティゴノス自身も戦死(前301年、イプソスの戦い)。
320世界@名無史:02/07/17 02:10
全然関係ないんですけど・・・ギリシア科学とオリエント科学の違いを教えてください
321世界@名無史さん:02/07/17 02:26
>320
えと、ギリシア=ヘレニズム。
キリスト教=ヘブライズム。
オリエンタリズム=その他要素。
みたいな歴史観が支配する世界では、あなたの質問は意味をなしません。

てか、科学って何よ? 分かってから質問してね。
322世界@名無史さん:02/07/17 09:19
古代ギリシアの“科学”:実験はしなかったけど観念的宇宙観を理論だてて解くところから、観察と博物学的な分類・体系化をするとこまで行った。
観念的宇宙観は結局残った。

古代メソポタミアの“科学”:宗教的宇宙観と技術が連続・混交してた、実験と言うほどの実験はなく呪術と紙一重みたいなことを実践してた(内臓占いとか)。占星術に伝統があった。
古代エジプトの“科学”:宗教的宇宙観と技術が連続・混交してた、実験と言うほどの実験はなかったが、呪術的な実践があった(ミイラ作りとか)一方、錬金術のような実践にも至った。
323世界@名無史さん:02/08/01 10:48
イリアスやオデッセウスの登場人物ってみんなわがまま

ヘクトルだけ偉い
324世界@名無史さん:02/08/01 10:57
>>322

んならクテシビオスとかヘロンなんてなどうよ。
325ねこ:02/08/19 00:04
にゃあ
326世界@名無史さん:02/09/09 08:37
あげ  
327世界@名無史さん:02/09/29 18:37
328世界@名無史さん:02/10/01 01:14
ヒストリーチャンネル

『スパルタ教育』の語源となったギリシアのポリス(都市国家)スパルタ。
子供の教育は国の重要な事業であり、健康であれば兵士となる訓練をし、
体が弱ければ山に捨てた。リュクルゴスという厳格な体制によって、古代ギリシアの
中で最強とも言える軍隊を持ち、あらゆる事を国が管理する、完全な国家中心主義、
軍国主義であった。ギリシアの多くのポリスの中で最大の権力をもったスパルタの
栄光への道のりと、衰退に至る原因を、4時間のスペシャル番組で世界一斉放映!
■エピソード1:誇りの掟(2時間)

放送日:10月12日(土) 21:00〜23:00
再放送:10月19日(土) 12:00〜14:00、ほか

紀元前480年、テルモピュライという狭い山道で、クセルクセス王に率いられた
一万名を越すペルシア軍と、レオニダス王に率いられたギリシア軍7000名の戦いが
行われた。その後の西洋史を決定づけたともいえるこの戦闘のなかで、たった300名で
ギリシア軍を支援しその勇敢さを発揮したスパルタ兵。自殺行為とわかっていても、
誇りと祖国のために戦うスパルタ人の社会、政治、生活とは?
■エピソード2:戦いの時(2時間)

放送日:10月13日(日) 21:00〜23:00
再放送:10月19日(土) 14:00〜16:00、ほか

ペルシア戦争中にアテネを中心としたデロス同盟が結成された。一方、古代ギリシアに
おいて最も古く、かつ長く続いたペロポネソス同盟はスパルタを盟主としていた。
お互いの同盟のなかで、ともに富と権力を増大してゆくアテネとスパルタ。
このニ大精力はやがて衝突、30年にもおよぶペロポネソス戦争へと発展し、
スパルタは大きく変わってゆく。

329世界@名無史さん:02/10/01 01:56
メソポタミアの数学は
乗数表・平方根表・立方根表など多くの表を用意していて
代数学的な問題を解いていたそうです。
あとゼロに相当する空欄なども使用していたとか。
330世界@名無史さん:02/10/01 12:18
ギリシャにもディオファントスなど代数を研究した数学者はいましたよ。
331世界@名無史さん
古代ギリシアの医学って、どの程度のレベルまで到達していたのかなあ。
ヒッポクラテスのような名医の名前は伝わってるし、人体解剖も行われていた
らしいけど。