30 :
世界@名無史さん:
アーサー王のモデルはブリテン島にいてサクソン人と戦ったアルトゥーリウス
という(おそらくはローマ系の)人物だったらしい。
それがいつのまにかウェールズのシルリア族の王子ということになって、
ノルマン時代の宮廷で大いに歓迎されて、円卓の騎士団だの、魔法使い
マーリンだのが付け加えられて、しまいにはアーサー王の先祖の出自は
トロイアで、歴代ローマ皇帝とは縁続きだとかいう話までできた。
31 :
世界@名無史さん:02/05/02 20:25
>>9 古英語というと、『ベーオウルフ』とか?
この物語、部隊は北欧だけど、アングロ・サクソン人の習慣が描かれている。
33 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:51
マン島は19世紀までゲール語が使われていたとか。
34 :
世界@名無史さん:02/05/14 15:45
793年に、ヴァイキング(デーン人)がリンディスファーン修道院を焼き討ち。
35 :
世界@名無史さん:02/05/14 18:43
アーサー王の墓があるとされるのがグラストンベリーだった?
36 :
世界@名無史さん:02/05/14 19:05
グラストンベリ修道院ですね
アーサー王の遺体が発掘されたという事で12世紀末に墓が建てられたのは。
今あすのは13世紀にエドワード1世が建て直した物だそうです。
そんな大きな物ではないようで、墓標と言った感じらしいですが。
37 :
世界@名無史さん:02/05/14 20:30
ttp://www.mars.dti.ne.jp/~techno/ 自らの離婚問題をめぐって法王庁と対立していたヘンリー八世(在位一五〇九〜一五四七)が、
ついに一五三四年、国王至上法を議会に可決させたのである。
これにより、英国国王は単に国家の首長であるばかりではなく「アングリカーナ・エレクシアと
呼ばれるイングランド教会の地上における唯一至高の首長」であることが宣言された。
英国国教会の成立である。
英国国内の修道院は次々と閉鎖され、その土地・財産は没収されて国庫を豊かなものにした。
グラストンベリ修道院もその手を逃れることはできなかった。一五三九年、最後の大司教が
ヘンリー八世の離婚に反対した罪で捕らえられ、トールの丘で処刑される。
遺体はバラバラにされ、二十カ所でみせしめのために晒されたという。
また、修道院の破却と共にエドワード一世が作った墓も壊され、その中に納められた
アーサー王の遺骨(と称するもの)は永遠に失われた。
>>37 どうもです。なるほど。
手元の資料だと、今もグラストンベリ修道院跡には、アーサー王の墓標があるそうなんですが。
そうすると、さらに後に最建されたものなのでしょうね。
どうもです。
39 :
世界@名無史さん:02/05/15 13:46
18世紀に、ジェームズ・マクファーソンというスコットランド人が、
「オシアン詞歌集」という、ゲール語で伝承された古代ケルト民族古謡の
英訳と称する詩篇を発表したけど、これはいまはどういう評価に
落ち着いたのかな?
発表当時は真贋論争が激しかったらしいけど。
40 :
世界@名無史さん:02/05/15 20:56
イギリス史について書かれた本でオススメはありますか?