「漢」や「清」っていう王朝の名前は
どのような基準でつけられているんですか?
その名前は自称なのでしょうか?
無知ですみません。
2 :
世界@名無史さん:02/04/03 20:07
これはネタスレ?
プ
4 :
世界@名無史さん:02/04/03 21:04
宋までは地名が主体
元からは儒教の典籍から。
清は「金」の音から取ったはず
愛新覚羅っていう姓も黄金ゆかりのものですし
明は明教由来じゃなかったけ?
6 :
世界@名無史さん:02/04/04 01:54
>>4 地名と言うのはどのあたりなんですか?
あと李自成の大順国はどうなんでしょう?
7 :
世界@名無史さん:02/04/04 02:18
>>6 どのあたりって……王朝の創業の地だよ。
漢なら漢中、魏なら山西、斉なら山東。
順は時期からして地名ではないだろうね。
知らなかった・・・・・・
漢・・・「漢(おとこ)」が作ったから。
10 :
世界@名無史さん:02/04/04 04:11
四川には、蜀という王朝が幾つか建っているけど、
戦国時代に秦に征服された異民族の名称が由来?
11 :
世界@名無史さん:02/04/04 07:19
秦に征服されたのは杜宇かなにかだったと思うが。
ベツレイだったか?
四川盆地を蜀というのは慣用的なものでは?
蜀絹などの産物名に取り入れられてるし。
商周革命時の周軍に蜀がいるので由来はその辺だろうね。
>>9 最初に封ぜられたのが「漢中」だからじゃなくて?
14 :
世界@名無史さん:02/04/04 10:30
ところで漢をオトコと読ませる元ネタってなんなの?
15 :
世界@名無史さん:02/04/04 10:32
水滸伝は好漢だらけ。
16 :
世界@名無史さん:02/04/04 10:41
>>5 >清は「金」の音から取ったはず
>愛新覚羅っていう姓も黄金ゆかりのものですし
>明は明教由来じゃなかったけ?
>>10 蜀は成都、巴は重慶の古地名。「巴蜀」で四川省方面、長江上流域。
>>14 もとは「漢人」の略。よい漢人=好漢、わるい漢人=悪漢。
はじめは異民族にはいわなかったが、だんだん異民族にもいうようになった。
だから男一般にいうのはもとの意味からすれば誤用。
「愛新」=「金」だよ。「明」は百蓮教の小明王から。
>>16 訂正ありがとう
陳友諒の漢の前身の「天完」って何が由来なんでしょ?
18 :
世界@名無史さん:02/04/04 19:52
19 :
世界@名無史さん:02/04/04 20:10
初めっから行ってみようか。
まず「夏」。これは、もともと大型の甲虫をかたどった象形文字であって、これが
転じて仮面をかぶって踊っている人間から、そういう習慣を持つ発達した文明圏を
意味するようになった。「中夏」とも呼ばれた。後世に、この夏の名を持つ王朝が
あったと想像されたが、どうも実際にそういう名前の王朝は存在しなかったらしい。
「殷」。これは地名であり、当時の殷人はみずからを「商」と称していた。これは、
火を点した祭壇を表しており、転じて「明るい場所」という意味であったと推測
されている。この商の人達の王宮があった場所が殷であり、後世この名で呼ばれる
ようになった。
20 :
世界@名無史さん:02/04/04 21:34
ほんとかどうか知らないが
「天完」は「大元」を上から抑えつけるという意味だと
聞いた事がある。
21 :
世界@名無史さん:02/04/04 21:37
小明王は宋の徽宗皇帝の末裔だと主張して宋の皇帝を称していた
白蓮教の教祖の称。でも姓は韓。
何故か乗っていた御座船が転覆して死んでしまう。
22 :
世界@名無史さん:02/04/04 22:41
次に、殷王朝に取って代わった「周」についてであるが、この国名を
表す文字の原意は、きっちりと区画整理された田畑をかたどったもので
あり、高度な農業経営をする様を表している名称と言えよう。
ところで、「商」の字は股を開いて寝ている裸の女をかたどった象形文字で、
女性から子が次々と生まれ、自国が繁栄していることを誇らしげに国号にしたのだ
という説は誤りである(らしい)。
周の次は晋、楚、斉、秦の四強も頼みます
商が狩猟民族の出身てのは眉唾ものだと思うのですが、いかが?
理由は玄鳥説話とか商=女陰説とか、始祖の母が簡狄と言う名前だ
とか色々あるそうなんですが
>>24 ちょくちょく遷都するのも理由のひとつじゃなかった?
26 :
世界@名無史さん:02/04/06 01:23
高校の教科書に「大明国」とか「清帝国」ってかいてあったんですが
「大」とか「帝国」とかをつけるのは決まってるんですか?
>>25 あれって黄河の流れの変遷に従っているって話聞いたことあります
そうすると、農耕民族っぽいね
28 :
世界@名無史さん:02/04/06 04:48
>>26 正式な国号に大がつくのは元以降。
帝国は強大になった王朝に慣例的に付してるのだと思われ。
29 :
世界@名無史さん:02/04/06 05:03
古代ペルシャのゾロアスター教(拝火教)から宗教改革で派生したのがマニ教。
マニ教が中国に伝来して土着化したのが明教。
明教と仏教の弥勒信仰が融合したのが白蓮教。
白蓮教には拝火儀式があったらしいね。
明の由来は、拝火教とも言える。
30 :
世界@名無史さん:02/04/06 12:47
夏、殷、商、周、の文字の解釈はほかにもいろんな説があってバラバラだよ。
上のレスもあくまで参考程度にきいておいた方がいい。
案外、深い意味のないただの地名だったりして。
>>28 大元はモンゴル語の当て字だったのを、易の経文にこじつけて歴代王朝の国号のようなものと
みなしたりもしたのだけれど、明以降、中国史の中に位置付けると普通に国号として考えられるようになってる。
「帝国」は現代の用語で広大な多民族国家にいう。
当時の人たちがいちいち「唐帝国」とかいってたわけじゃないでしょう。
>>29 弥勒信仰ももとはゾロアスター教のミトラ神からきて仏教に入ったものだから
千数百年後に中国で再会、再結合したってことだよね
31 :
世界@名無史さん:02/04/06 12:51
春秋戦国の韓、燕、越、趙は
リアルタイムではそれぞれ乾、奄、粤、超とかいてたらしいね。
32 :
世界@名無史さん:02/04/12 15:42
>>29 んで、朱元璋は明教に入っていたが、あとで韓山童とかを裏切ったため、悪いと思ったか気後れして、
明教の「明」を取ったとさ
金傭の小説より
33 :
世界@名無史さん:02/04/12 15:51
スマソ、韓林児だった
34 :
世界@名無史さん:02/04/12 17:52
誰か大順国の由来教えて。
呉はなんで呉なの?
36 :
世界@名無史さん:02/04/20 18:25
もとは「虞」。これの略字で「呉」になった。
37 :
世界@名無史さん:02/04/23 11:01
「楚」の語源。これは「林」と音素の「疋」(ソ)を組み合わせて出来たもので、
「まばらに生えた潅木」の意味。(「疎」と同類の言葉。この字もソと読む)
華中地方の湿地帯領域に住んでいた人が建てた国なので、こう名付けられた。
つまり、木がまばらに生えているような土地だったから、ということ。補足。
39 :
世界@名無史さん:02/04/23 12:49
中華人民共和国
「中華」は世界の中心、
「人民」は人民が主権者、
共和国は皇帝でないことを意味する。
40 :
世界@名無史さん:02/04/27 01:27
ちん。
ちんがちんだから。
41 :
世界@名無史さん:02/04/27 01:37
陳
陳が陳だから。
南朝だな。
42 :
世界@名無史さん:02/04/27 14:08
43 :
世界@名無史さん:02/04/27 14:25
朕が陳だから、かな。
45 :
世界@名無史さん:02/04/28 17:51
南朝の陳って陳氏だから国号が陳になったの?
そもそも陳って当時の正式な自称の国号なの?
46 :
世界@名無史さん:02/04/28 18:17
>陳氏だから国号が陳になった
どうもそうらしい。
陳は正式な国号。
梁朝まで南朝を支えていた貴族が
侯景の乱で潰滅状態になって
各地の土豪が新たに作り上げた王朝。
尤も従来の貴族が死に絶えたわけではなく
細々ながら仕官して新王朝に箔を付けている。
47 :
世界@名無史さん:02/05/01 21:56
「宋」の字は家の中に木を集めているという状態を表していて、
バラバラだった民をまとめてできた国、という意味の国名になった。
もともとは春秋戦国時代に起った国の名前。
48 :
世界@名無史さん:02/05/01 22:24
中国では王朝の名前は全部、一字である。夏、殷、周、秦、韓、魏、
斉、燕、斉、楚、漢、晋、・・・・清。名前の由来だが、漢は
『史記』の高祖本紀に、「沛公=(漢の創始者の劉邦のこと)を立て
て漢王とする」という記述がある。つまり劉邦は項羽から漢中を含む
「王」に封じられた。後に漢王の劉邦は皇帝になったので、漢の地名
がそのまま国名になった。三国時代の魏は、戦国時代に魏の故地に曹
操が「魏公」に封じられ、後に「魏王」となったので、国号を「魏」
と称した。晋も同様で、司馬氏が「晋王」に封じられたので、そのま
ま国名になった。他は知らない。
宋以前の王朝、特に禅譲によってできた王朝は大体最初に封じられた地を
王朝名にしているね。もっとも、封じられたというよりは封じさせたケースが大半なので
簒奪側の意図がかなり含まれているんだろうが。
歴代の「漢」王朝は、ほとんどすべてが劉邦の漢朝との関連を根拠にしてるね。
実際はあやしいものだけど、それだけ漢という名前が持つインパクトが大きかった
のだろうな。
50 :
世界@名無史さん:02/05/02 00:14
宋の字の音は「商」(=殷王朝)の訛り。
衛の字の音は「殷」の訛り。
宋も衛も、殷王朝の遺民を寄せ集めて作った国だったから。
51 :
世界@名無史さん:02/05/02 00:24
ちなみに中京は珍だな。
52 :
世界@名無史さん:02/05/02 01:59
呉越がなぜ二字なのか小一時間問い詰めたい
53 :
世界@名無史さん:02/05/02 02:10
54 :
世界@名無史さん:02/05/02 02:13
>52
ハァ?
55 :
世界@名無史さん:02/05/02 02:14
いやいや、52は「呉越国」のことを言っているのだと思われ。
56 :
世界@名無史さん:02/05/02 02:28
そうか。五代十国に呉越国ってあったな。
57 :
世界@名無史さん:02/05/02 03:24
劉裕って漢の子孫を自称しながら
国号は宋なんだよね。珍しいというか
変わり者なのか?
58 :
世界@名無史さん:02/05/02 03:26
晋帝に封じさせたのは確かに宋公だけど
即位の時に高らかに漢朝復興を宣言するというやり方もあっただろうに。
桓玄は楚でいいんでしたっけ?
宋とか楚とかはあんまり縁起良くない気がしますが
60 :
世界@名無史さん:02/05/06 05:47
新しいから「新」
61 :
世界@名無史さん:02/05/06 11:29
新都県の県令だったからだろ。ってネタにマジレス?
なにいそれで新だったのか……
>>50 燕も殷の都市であった奄からきてるんだっけ?
上の方でも出てたけど
となると、殷は結構北のほうに勢力伸ばしてたのかな?
当時はまだ暖かかっただろうし、ステップルート考えると不自然じゃないな
南にあった奄が周初に北に逃げたんじゃなかったか?
>>64 奄って一つだけじゃなかったんじゃないっけ?
昔の中国じゃ地名にそんなに拘りが無かった気がしたが
燕は召公の子孫か、建前上は
ん、違ったかな?
66 :
世界@名無史さん:02/05/06 18:26
殷代の山東省にあった「奄」の跡地に周初に召公の一族が封じられた。これが「偃」(のニンベンないやつ)。
それが周の成王の時、今のペキンに移転。さらに後世「燕」と書くようになった。(奄=偃=燕)
ちなみにペキンへ転出した跡地に入ってきたのが周公の一族の「魯」。
偃が転入してくる前にペキンにあったのが「韓(乾)」。
韓は河南省(韓原)に移っていたがBC756頃、晋に併合された。
67 :
世界@名無史さん:02/05/10 00:52
奄って何?
殷王朝は自らは商と名乗っていて、
これを殷と呼ぶのは王家の名字が殷だからじゃなかったっけ?
>>68 殷の姓や氏は詳しいことはあんまり分かってないと思う
一応「子」姓ってことにはなってるけど、殆ど尊称みたいなもの
そもそも殷では直接最高神である「帝」を祀ろうとしなかったらしい
明らかに「天」とは別の宗教概念だと考えられる・・・・って当たり前か
「殷」の名はたしか最後の都の名(殷墟=安陽)から来てたんじゃなかったっけ?
一応建て前では司馬遷以来、殷の王室の姓は「子」だとされてきたが
現在ではそれは誤りとされているね。
殷の人物に「子某」(「子〜」「子○」「子×」)というのが多かったので姓と誤解されたと考えられている。
「子」っていうのは殷の爵位のひとつで王族をあらわす。(日本でいうと「皇子」とか「御子」みたいなもの)
姓が「子」だったわけではない。
72 :
世界@名無史さん:02/05/10 14:22
73 :
世界@名無史さん:02/05/26 19:54
後とか前とかつくけどどういう基準なの?
74 :
世界@名無史さん:02/05/27 00:13
75 :
世界@名無史さん:02/05/27 01:36
門の中に虫って書く字の国は?
ついでに読み方も教えてください
76 :
世界@名無史さん:02/05/27 01:49
>>74 ?
南北朝時代の宋はなぜ前宋じゃないの?
「前」「後」「北」「南」「東」「西」ってつくのはどういう基準があるの?
>>73 俺の妄想だけで話すけど・・・。
「前」「後」って付くのは、一度興って滅んだ王朝を、
その子孫なんかが復興させた場合に付くんだと思う(例:前漢・後漢)。
だから同じ王朝名でも、
土地柄国名が一緒なだけで無関係な場合もある(例:春秋時代の呉と三国時代の呉)。
ごめん、かなり適当・・・誰かフォローよろしく。
>>76 専門家が区別し易いように勝手に付けてるだけだろ。
南朝の宋と北宋と南宋なら、ちゃんと区別できるし。
ありがとございます
あ、春秋の呉は王朝じゃ無かったね、すまん。
日本でいう前漢・後漢は、中国では西漢・東漢とよんでいる。
西周・東周みたいでカコイイから?
>>83 そのまんま、前漢は劉邦が西で漢を興して後漢は劉秀が東で漢を興したからじゃないの?
85 :
中華@名無史さん:02/05/27 23:52
五代十国の後漢と区別する意味も含んで居る気が・・・
86 :
中華@名無史さん:02/05/29 22:56
確かに東西南北の基準って解らない気がします。
宋は統一王朝時代が北宋で、異民族に華北支配を許した後が南宋。
これは何と無く理解出来る。
でも晋は統一王朝時代が西晋で、異民族に華北支配を許した後が東晋。
やっぱり基準は無い気がする。
87 :
世界@名無史さん:02/05/29 23:02
晋は明確だと思うよ。
都が西晋は洛陽、長安で
東晋は中原から見たら東の彼方の建康。
88 :
世界@名無史さん:02/05/29 23:15
思いっきり分かり易いのが五代十国の
晋陽(太原府)を都とした北漢と
広州(興王府)を都とした南漢だろうな。
そのまま北端と南端にあるし(w
89 :
中華@名無史さん:02/05/29 23:22
>87いや、それは解って居るんですが、では宋は?と言う疑問が出て来ません?
(臨安も開封(当時のベンケイが出なかった為)より東ですよね?)
状況として似ているのに違う方角を使用しているのに疑問が有るのです。
>>89 淮水より南に行ってしまったら、最早東というより南だろうね
今でこそ淮水は真中だけど、昔は淮水が南端という時代もあったんだし
少なくとも淮水より北が中原だよね?
基本的に南朝には”南”を使わないんじゃないかな。
北朝の斉は北斉だが、南朝の斉は無印の斉だし。
北朝のなかで南北と区別しないと
いけないケースがいくつかあるからかも。
93 :
世界@名無史さん:02/05/30 00:41
>57
劉裕って、漢の子孫を称してたの?
漢朝の皇族・楚王交とかいう人の子孫を自称してた>劉裕
実際は甚だ怪しい。劉備より怪しいだろう。
95 :
世界@名無史さん:02/05/30 21:25
>>88 そんなに離れてるのに何故両方とも同じ漢なの?
96 :
世界@名無史さん:02/05/30 21:44
北漢は後漢の一族だから純然たる地方政権の南漢とは血縁関係ないっしょ。
97 :
世界@名無史さん:02/06/12 09:50
aa
98 :
世界@名無史さん:02/06/12 10:08
「中山國」はどうよ?
99 :
世界@名無史さん:02/06/12 21:01
>>98 多分単純に、地名だろう。
元々は鮮虞族という遊牧民族が(魏、趙、斉、燕に囲まれる形で仕方なく)定住したもの。
陳舜臣は、2字国号なので中華の国々に違和感を持たれにくかったのではないか
と言っている。
宮城谷昌光の小説では、初代の王は周王族から迎えたとか、貴族の中には
一度中山を征服した魏から派遣されてそのまま土着してしまった者の子孫が混じっている
(楽毅とか)となっているが、まぁ小説だから。
100 :
世界@名無史さん:02/06/12 21:27
中山国って何?
そんな国あるの?
100げっと!
101 :
世界@名無史さん:02/06/13 03:41
>>99 「鮮虞」というのは種族名のように扱われがちだが本当はただの都市名。(後に中山と改称)
「鮮虞が種族名で中山が国名」という使い分けではない。このへんはなぜか誤解がある。
(種族名というのはない。あえていえば「赤狄」だろうが)
それと初めて諸侯に列した「武公」(BC414即位)というのは周王朝の定王の孫というのは本当。
(宮城谷の小説とは多少の食い違いがあるが大雑把に同じ。どっちかが記憶違い)
陳舜臣が「狄という異民族なのに周王朝と同じ姫姓なのは不思議だ」と
言っていたのはヤツが無教養無知だから。
>>100 中山ってのは戦国期には衛や魯なんかよりはるかに強大で
宋とともに七雄以外で王号を称した数少ない国。
司馬遷が世家を立てなかったのが不思議なくらい。
>>102 中山国なら「戦国策」にも、まあまあ記述がある。
驪戎が姫姓だったのって何で?
秦が西戎系ってのは最近は否定されてるとか聞いたが
周が羌出身ってのは確実っぽいなあ
人種的にはチベット系なのかな?
105 :
世界@名無史さん:02/06/13 16:12
北方民族の王朝や戦乱期の群雄の国号は
(諸侯として冊封された訳ではない)支配地の地名に由来するものが多いが
金の場合、中国語化されていなかった地名に由来する点で特殊。
完顔部の発祥の地はアチュルカ川の畔り。女真語で黄金を意味する。
砂金が採れる川なのでこう名付けられた。
そしてそんな自然発生的な地名の中国語訳が国号になった。
106 :
世界@名無史さん:02/06/15 19:01
107 :
世界@名無史さん:02/06/26 23:40
遼は?
108 :
世界@名無史さん:02/06/27 00:35
109 :
世界@名無史さん:02/06/27 00:50
遼といえば、国号を遼から契丹に戻した時期もあったんだよね?
110 :
世界@名無史さん:02/07/01 16:51
世界史何でも質問箱の過去ログより
548 名前:あやめ投稿日:2001/01/25(木) 20:13
支那歴代の国号の称え方について書きます。
古代の唐虞から近代の明清に至るまで概ね固有名詞的な1字を用いるのが基本になっ
ていますが、上に冠する字と下に履く字がありますので併せて説くことにします。
本体部分の文字はその国の発生の基礎となった地名によって名称が定まるのが普通で
す。観念を国号に用いるようになったのは元朝からと言われていますが後に言及しま
す。経書の注釈などに堯の「唐」は広大平易の意味の「蕩」から来たものだとか、舜
の「虞」は安楽の義に原づくものだとか見えていますが根拠のないこじつけです。
劉淵が「漢」李存勗が「唐」を郭威が「周」を国号としたように家系の源流に命名の
由来を求めた例もありますが、劉裕も趙匡胤も「宋」を国号としたのは受禅当時の封
國または領鎮に因んだものです。
清の趙翼は「廿二史剳記」の「元は國號を建て始めて文義を用ちゆ」の項に「『新』
や『成』などの字を用いた王莽や公孫述も、根拠地に因んだもので文字自体の意味を
採用したわけではない、『金』の場合は金が変質しないところから命名したそうだが、
物質の名称であってまだ抽象的な意味から取ったものではなかった、金末に蒲鮮萬奴
が遼東に拠って『大眞』と号したのが抽象観念を用いた最初の例だ、元の太祖のころ
は単に『蒙古』と称していたが世祖の至元八年に『大なる哉、乾元』の句から取って
『大元』とした」という趣旨の記述があります。金については前代の「遼」が銀と同
義の「鐐」と同音なのでランクアップしたものだという説がありますが、「金史」の
「地理志」には根拠地にある川の名で女真語の金という意味ののアルチュカ(金源水)
に因るものであるとあり、また蒲鮮萬奴の「大眞」については岩井大慧さんはやはり
金という意味であると解釈しています。あやめは萬奴が所属民族の女真を意識して命
名したものではないかと考えています。
元が「周易」の「乾」の卦の「彖傳」に「大なるかな乾元、萬物資りて始まる」の句
から2字を取って国号としたのは、元号の選び方に倣ったもので紛れもなく文義から
取ったものと言えます。ただ趙氏が唐末に南詔王の世隆が帝を称して国号を「大禮」
としたこと、以後も雲南の国家は「大封民」「大長和」「大天興」「大義寧」「大
理」などと称していて、これらはいずれも文義に因んだ国号といえるものなのに言
及していないのは物足りないものがあります。
111 :
世界@名無史さん:02/07/01 16:53
世界史何でも質問箱の過去ログより (2)
549 名前:あやめ投稿日:2001/01/25(木) 20:16
それはともかく元が文義によって国号を定める例を開いてから以後の各朝もこれに倣
うこととなりました。「大明」は「禮記」の「禮器」に「大明は東に生じ、月は西に
生ず」や「詩経」の「大雅」の「大明、文王に明徳あり、故に天は命を武王に復す」
などに因ったものでしょう。ただし一説によると朱元璋が最初に所属していた紅巾軍
では白蓮教の一派でマニ教も混えた明教を奉じていましたが、弥勒の下生と明王の出
世による世直しを信じて反乱を起こしたもので、その二代目の教主の韓林児は「小明
王」と号しており元璋も彼から呉王に封じられていたところ、元璋が天下を得た時点
で「小明」ではなく「大明」と号したものだというのです。説の当否はともかく中華
の朝号がゾロアスター思想に由来するというトピックは面白いと思います。また朱元
璋は当初は「大中」という国号にしたかったのだということが、清の王士モフ「池北
偶談」に出ていますが実現したら「大中國」となるわけです。なお元末の群雄が建て
た国号は「大金」「大宋」「大漢」「大夏」などと地名由来型に復帰してしまってい
ますが、振るっているのは徐壽輝の「天完」で「大元」の上に画を加えて押さえつけ
たつもりにしているのです。
ヌルハチは「大金」と号していましたがホンタイジに至って「大清」と改めたのは天
下の混一を志向したものでしょうか。その典拠は恐らく「管子」の「内業」の「大清
に鑑がみ、大明に視る」だろうと考えます。李自成の「大順」については彼の部下に
は碌な読書人がおらず古典から引用できなくて、博打の用語にある「大順」という手
の名が景気がいいからと採用したのだそうです。眉唾な話ですが清代の随筆に出てい
ました(書名失念)。張献忠の「大西」も智慧のないネーミングですが「大西洋」とい
う単語が意識にあったかどうか。
明日に続きます。
112 :
世界@名無史さん:02/07/01 16:57
世界史何でも質問箱の過去ログより (3)
551 名前:あやめ投稿日:2001/01/26(金) 19:26
清末の金石学者として知られている葉昌熾の「語石」に「王昶の『金石
萃編』に『保寧寺鐘款』を挙げているが冒頭に『大宋國』と題しており、
後世の『大元國』『大明國』もここから始まったと思われる、私が見た
ものでは『蒋舒行修六和塔記』にも冒頭に『大宋國』と題しており、私
の出身地の江蘇の『郭市橋北井欄』の文中にも『大宋國兩節浙路平江府』
などと書かれており、同様の事例はこの二石に止まらない」という趣旨の
記述があります。国号の本体部分に対してこの「大」の字のように上に付
く字と「國」のように下につく字があります。
上に冠せられる字として「語石」には上文に続けて「『有』『維』『皇』
『聖』などの字があるが、『大』の字が通用されており変じて『巨』や
『鉅』の字が用いられている、宋碑に『炎宋』とあるのは火徳であったか
らで劉氏の『炎漢』と称しているようなものだ、また『神宋』としたもの
もあるが漢の『周憬碑額』は『神漢桂陽太守』と題しており、これもやは
り漢碑の例を用いたものである」と述べています。
「有」字は「有窮」「有扈」「有虞」など古代の国家の名に多く付けられ
ていますが、いずれも一字の国名の語呂を安定させるために用いられたよ
うです。しかし後世でも「有明一代の文章」とか「有清創業の基」とかい
うように屡しば使用されています。「維」字も古代から発語の辞として甲
骨文などにも頻見しており、ことに「維十祀」のように年月表記などには
用いられることが多く、当初は「維れ王の廿又三年九月、王は宗周に在り」
(周の「克鼎」)のように王の名すらも記載されていなかったのに、後世で
は「維唐貞元元年仲冬十一月十有七日」(唐の「聞喜令楊夫人裴氏墓誌」)
のように朝代を明記するのが普通になりました。但し「維唐」の句は「維
れ唐の」のように読むべきもので「維」は以下の年月表記全体に係り、葉
氏の理解のように国号表記の一部になっているわけではありません。
その他の文字は国号の美称として添えられたものとして常用されています
が、システマティックな意味を持つのは「大」字だけです。
続きます。
残念!続きがないっ(T_T)
113 :
世界@名無史さん:02/07/01 18:28
おおっ!天完の由来が分かったよ
あやめさんに感謝!
>>110−111さんにも感謝
114 :
世界@名無史さん:02/07/01 21:49
戦国の七雄の韓と朝鮮半島の韓(三韓)は関係あるの?
鮮卑も朝鮮も中国の古代王朝が名付け親だよね?
鮮卑の鮮は良い意味じゃないよね、
朝鮮の鮮は良い意味でつけたんだろうか?
115 :
世界@名無史さん:02/07/01 22:09
>114
曾お爺さんの愛人の弟の友達ぐらいの関係かな。
116 :
世界@名無史さん:02/07/02 01:10
漢民族の定義を教えて下さい
漢より前は漢民族じゃないの?
中国人の9割は漢民族で登録してるそうでが
相当混血してるよね
117 :
世界@名無史さん:02/07/02 03:17
118 :
世界@名無史さん:02/07/02 15:45
>>116,117
逆です。
ハーフなどの場合は、漢民族じゃない方で登録することの方が一般的。
少数民族には優遇措置があって、例えば大学に入りやすい。
そう留学生が笑っておりました。
119 :
世界@名無史さん:02/07/06 14:34
あやめさんすっげえ
120 :
世界@名無史さん:02/07/11 00:57
>>119 「朝鮮」とは、朝日が鮮やかで美しい国、というような意味だと聞いた。
121 :
世界@名無史さん:02/07/17 04:47
ちがうよ
122 :
世界@名無史さん:02/07/29 06:20
朝鮮って明の皇帝が与えたんでしょ?
じゃあ、衛氏朝鮮はなんで朝鮮なの?
123 :
世界@名無史さん:02/07/29 09:14
朝鮮は中国の王朝名なのか?
>>122-123 中国の伝説では、殷が滅んだ後で箕子(『殷に三仁あり』の一人)が半島に行って
最初に「朝鮮」という国を作ったことになっている。
で、李氏が王朝作ったときに明の皇帝に「朝鮮」ともう一個の候補(何だっけ?)
から選んでもらって名付けたのが李氏の朝鮮王朝。
(補足)明の皇帝が「朝鮮」の方を選んだのは、箕子の伝説を踏まえてのこと
126 :
世界@名無史さん:02/07/29 19:02
どのへんが中国の王朝名なんだ?
127 :
世界@名無史さん:02/07/29 19:51
朝貢がすくない国だから朝鮮だと思ってた・・・
128 :
中華@名無史さん:02/07/29 22:11
お!?朝鮮国名に詳しい人が居る様なので、便乗質問させて戴こうかな?(w
大韓民国の”韓”の字は、多分中国漢代の半島南部に有った”弁韓・馬韓・辰韓”
から来たと思いますが、ではその三韓の”韓”の字の由来って何なんでしょうね?
もしかして戦国の七雄の”韓”と何か由縁が有ったりしないんですかねぇ〜・・・
と以前から思ったりしてます。
と、中国では無いですが、>124にも有る様に、関係は深いらしいので、ageて置きます。
(ちなみに”詳しい人”と言うのは>124氏を暗に指して居るのですが(w 詳しい方
いらっしゃればその限りでは有りません)クレクレ君でスマソ
東にあるから朝鮮だろ。
130 :
世界@名無史さん:02/07/31 06:03
131 :
世界@名無史さん:02/07/31 06:23
大越羅平国とは?
漏れは124でなく121だが。
>>128 三韓の”韓”と戦国の七雄の”韓”はルーツが同じだが、どっちかが起源ということではない。
西周期に今のペキンのすぐ南(現在の地名では「固安」)に「韓」という都市国家があって、
それが「ふたつの韓」の共通の起源にあたる。(周の武王の弟が侯爵として封建されたもの)
周の成王の時、燕が建国されて入れ替わりに韓侯は河南省方面(韓原)に国替えになった。
その時に都市国家の市民は「韓」を姓として河北省方面に散らばった。
だから後世まで河北省には韓という姓が多かった。(項羽と劉邦の時代の燕王の韓広など)
河南省方面(韓原)に国替えになった後、前757/756年には晋に滅ぼされてしまう。
その跡地は、晋の公室のひとり、萬なる者に領地として与えられた。この人が韓武子(韓萬)で、
戦国の七雄の”韓”の初代にあたる。
一方、前漢代になって楽浪郡に移民した中国人は、
ほとんどが王氏と韓氏の2氏で占められていたことがわかっている。
(王氏は山東系。もちろん韓氏が河北系)したがって楽浪郡のさらに南の真番郡にも
韓氏は多かったろう。真番郡は前82年に廃止され、住民と土地は漢帝国から放置されてしまった。
はやければ王莽の頃(紀元前後のあたり)遅くても西暦44年には半島に「韓」を名乗る勢力がいた。
住民はその頃までに自立して王を立て国名を称したと思われる。
その王の姓は十中八九「韓」であろうから、国名を韓と称したのであろう。
考古学的には南満州の遼西地方(秦漢代の右北平郡の内)に
「箕侯」(燕の属国)の存在が認められるが、
この箕子は弱小で西周期に早くも消滅した模様で、
まだ朝鮮という言葉はない。戦国時代に燕と対抗したという箕子朝鮮は
まったくの造作になる伝説で存在しない。
朝鮮という言葉は、
戦国時代に河北省石家荘にあった都市国家「中山」が
春秋時代に「鮮虞」とよばれたことから
この中山の古雅な表記として朝鮮と書かれたのが始まり。
(中山=朝鮮、上古音で発音同じ)
(鮮虞は種族名とされがちだが正しくは都市名・地名)
ここから山東省(斉)や河南省(中原)からは
漠然と河北省方面をさしたものだが、
当の河北省(燕)ではさらに東を朝鮮と考えた。
すなわち今の北朝鮮の西半にあたる平野部。
ここに「仙水」(正しくはサンズイに山[シ山]水)
などの川があったことから、朝(=澄水?)も鮮(=仙水)も川の名で
河北省(燕)では「朝鮮」という言葉を、この地方をさす地名として使ったのである。
その文献上の初出は、前4世紀、合従策を説く蘇秦の言葉に「朝鮮」の地名がみえる。
(この文脈での朝鮮を今の南満州などというのは考古学的に否定される)
また新たな地名を必要としたのは、この頃から半島への進出なりがはじまりつつあったことが推測される。
前3世紀には燕は朝鮮半島を経営して各地に要塞を築いていた。
燕が秦に併合されると、経費がかかりすぎるため
朝鮮各地の要塞は廃棄され、上障(今の平壌)下障(今の忠州付近)
というふたつの障塞に統合された。
さらに秦が滅亡して漢が興ると、朝鮮は燕王に封じられた廬綰の管轄となるが
まもなく廃されたので、朝鮮半島は放置された。
衛氏朝鮮が建国されるのはこの頃。
後世の伝説ではまず箕子朝鮮があって、衛満が国を乗っ取ったことになっているが
史記にはそんなことは書いてなく、衛満は何もないところに
勝手に国を作ったように書いてある。これが正しい。
衛満は国境地帯の交易市場をとりしきる顔役だったらしい。
だから国都の平壌は朝鮮の真ん中でなく国境寄りなのである。
(当時は今の平安北道は遼東郡にふくまれ中国の領土だった)
ほぼ同時代の司馬遷は
「箕子が周の武王の時、朝鮮に封ぜられた」と書いたが
具体的にどこをイメージしていたかは不明、
これは南満州を中心に西は河北省、東は朝鮮半島の
広い範囲を漠然とさしたものであまり考えてないらしい。
漢代以降は朝鮮は現在の北朝鮮をさす地名として定着。
衛氏朝鮮は、漢帝国の側が彼らの国号を認めず地名でよんだもので、
彼らの自称の国号が「朝鮮」だったのではない。
満というのはおそらく古地名「満潘汗」からとったもので
もとは人物名ではなく衛氏朝鮮の自称の国号だったのであろう。
「衛満」の「衛」も史記にはなく後世つけられたもので
「辺境の地の満」の意味から、姓らしく造作したもの。
衛氏朝鮮は半島を南北にわけ、北を「朝鮮相」南を「尼谿相」に管轄させた。
134 :
世界@名無史さん:02/08/09 22:51
で? 続きは?
128です。
鄭聲之殿、”韓”に関するレス有難う御座います。大変為に成りました。
敢えてsageで書いたのは何か意図が遭ったのかも?と推測しますので
私もsageで!
「韓」は当て字。ハンというのは古代韓国の固有語で、
大、人、王、光、天、白、など全部で22の意味をもつ。
宇宙の真理をあらわした高貴な古代語。
・・・というのが韓国のトンデモ業界の定説だけど(w
こういう檀君厨が寄ってくるとやだからsageますた
137 :
世界@名無史さん:02/08/11 22:55
英語の「China」の語源について、ある書物では「支那がなまったもの」、
別の書物では「清がなまったもの」と説明されていました。
(それぞれの書物の名前は忘れてしまった。)
一体、どちらの説が正しいのですか?
138 :
中華@名無史さん:02/08/12 00:48
清(中国現地) → China(ヨーロッパ) →支那(日本)
と、漏れはこう言う認識していますが…
シナの語源は秦、新、晋などいろいろな説が大昔はありますた
今はとりあえず「秦」が語源という説がよくいわれるね
140 :
世界@名無史さん:02/08/19 05:28
>>138 俺の認識もそんな感じ。
疑問に思ったんだが、
「支那」っていう漢字はよくない字なのか?
141 :
世界@名無史さん:02/08/19 08:05
渤海の由来教えてYO
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/08/19 09:43
>「支那」っていう漢字はよくない字なのか?
中華人民共和国という、日本人を東夷と蔑視する国名より良いと思います。
「渤海」については下記スレッドに書きました、参照してください。
>>141 ここのレス191,195,207です。
>>140,142
「支那」ってゆう字を支那人が嫌うのは「支離」「支解」など、手足(四肢)
バラバラという単語に使用されるからでしょう、でもそれを言い出したら
「中国」の「中」だって「中風」や「中傷」など、「よくないことにぶち
あたる」というニュアンスの単語に使われてるし、あんまり合理的な事由と
言えないように思います。
彼らの本音は「支なんてショボイ字じゃなく、かっこいい典雅な字を使え、
俺様を何だと思ってるんだ、お前ら自分だけは日本だなんて好い字を使って」
ってとこなんです。
だいぶ昔になりますが朝日のコラムに「大修館の大漢和辞典で那という字を
引いたら、どっか辺境のチッポケな国の名として出てた、そんな字を使ったら
中国人が怒るの当り前だ」とか、鬼の首でも取ったように主張してました。
だけどその用例は大漢和の編集者が膨大な文献から、偶然に発見したのを
採用登載したのであって、支那の一般読書人はおろか学者だって知ってる
人は極々稀でしょう、一般の支那人にとっては「那」は指示代名詞にだけ
用いられる字という認識しかないはずで、蔑称として使われたとまでは
感じないと思われます。
>支那
戦時中に差別的に呼ばれたから使いたくない、ってのが本音だと思う。
こういうのって本当の意味がどうこうって問題じゃないし、
相手が嫌がってんだったら使わなくてもいいじゃんと思いますね。
そいや欧米諸国にはいい感じの字を当てる傾向がある気もします。
英、仏、なんてのは特に。他の字も当てれるだろうにこの字を使ったというのはやっぱ憧れがあったんでしょうか。
話題ズレ気味sage。
146 :
世界@名無史さん:02/08/19 15:59
法国、美国なんて、ごますりもいいとこ
支那が差別語なのはそれこそニュアンスの問題。
「"Jap"は差別語ではない、Japanを短縮しただけだ」
と言われても納得されないのと同じ。
欧米諸国と言えば、かつてロシアには"魯西亜"という字を当てていた。
ロシアから抗議が来て今の字(露西亜)に改めたが、魯は孔子の生誕地。
日本人にとって差別的な意味はなかったのでこれはロシア側の勘違い。
もっとも、字を改めた頃(明治10年前後)には、ロシアの正体は大雑把に見えていて、
だからこそ「露」の字を当てた物と思われる(「露=落ちる」というイメージがある)
148 :
世界@名無史さん:02/08/20 00:10
JAPって言われて気にするやつなんているの?
おれは全然気にならんが。
アメリカの方では差別語として使われてるようですよ>JAP
そんで、日本の略号はJPNになったとか。
戦前戦中に「支那」が侮蔑的に使われたということを言う人がよくいますが、当時の
雑誌や新聞などで見かける論説では「支那人は優秀な民族であり、支那とは友好的に
交際すべきだ」という方が多いのです。なぜなら当時の立て前としては「悪いやつは
容共政策に転じた蒋介石で、民國や人民を敵として戦争してるものではないのだ」と
ことであって、その辺が「鬼畜米英、我等の敵だ」がスローガンであった対米英戦と
心情的に大いに異なる所以です。「JAPは優秀な民族であり、JAPとは友好的に
交際すべきだ」という言説はコンテキストとして成立し得ないでしょう。「支那」と
「JAP」は等価ではないんです。
清國が欧米諸国に「英」「美」「法」「徳(ドイツ)」「義(イタリア)」など佳字を採用
するようになったのは、戦争や外交の失敗から中華思想を他国に押し付けるのが困難
になり、万国公法に則り対等な交際をしなければならないことを悟り、それまでなら
「朝貢」してくる外夷は「理藩院」という役所で家来を扱うように対応してたのが、
「総理各國事務衙門」でお客様として対等鄭重に接遇することにしました。そうした
変化に従い外国に変な文字を使っていたのを止め、結構な称号を奉ることになったの
です。
「魯西亜」という表記は日本で幕末から明治初期に使われていたもので、恐らく支那
では用いられた事例はないのではないかと思います。通常は「俄羅斯」と表記します。
康熙乾隆時代には「羅刹」なんて字を当ててたこともあります。
「魯」という字は「魯鈍」などという単語もあるくらいで、「ちょっとトロイ」という
意味に使われるので避けて「露西亜」に代えたものでしょう。「露西亜」も支那では
使われたことはありません。
等価ではなく
ニュアンスが同じと逝ってるようだが?
ニュアンスなんてあやふやなものではディベートの対象にならないんじゃない?
「あなたってアタシのこと馬鹿にした顔でみるわね」
「そんなことないわ、アタシあなたのこと馬鹿になんてしてないもん」
「だって目付きがそうだもん」
これじゃ弁明のしようがないですね
せめて「あなったってさ、アタシの顔まともに見ないで、目の隅でちらっと眺めて、
プイッと横向いちゃうじゃない、それって馬鹿にしてる証拠だよ」くらいには具体性
ある指摘じゃないとね
JAPのANIMATIONは優秀なエンターテインメントであり、
JAPANIMATIONの手法は積極的に取り入れる(パクる)べきだ(byディズニー嘘)
ここでのJAPはJAPANとANIMATIONを掛け合わせた
高踏なあめぇぃりけんじょぉぉくであり差別語などでは断じてありめせん。
当然、正式な略称のJPNIMATIONなどとゴロの悪い改称などいたしません。
うわっ、古っ(しかも寒!!
154 :
世界@名無史さん:02/08/22 03:19
だからさー
JAPが差別語でも、言われても別に嫌だとは思わねえよ。
本当に嫌なのかい?
155 :
世界@名無史さん:02/08/22 03:39
有吉佐和子が訪中したとき、周囲から支那という言葉を使わないように
言われていたのに、現地に着いてみると「君、支那料理好きですか?」
などと中国文壇の大御所に言われてビックリしたって話がある。
内山完造の未亡人が訪中したときには「支那」「支那人」を連発していた
そうだが、向こうは何もとがめだてしなかった。それは内山夫人が支那が
大好きで、支那が立派に発展することを願ってたから。
現在「支那」という言葉を使おうとしている人々はおおむね中国に対し
強い警戒心ないしは侮蔑の気持ちを抱いており、その心情の発露の一環
として「支那」の語を用いようとしているように思われる。
俺は現在の中国政府の大国主義とプロパガンダ先行には辟易しているが、
今論議されている「支那」の語についての中国側の感情は理解できる。
156 :
世界@名無史さん:02/08/22 03:47
支那論議って世界史板で定期的に起こるね。
>>154 だからさー
自尊心の問題なんだよ
嫌じゃないヤシは
「JAPだぜ(プ」とか
衆人環視のなかでヴァカにされても
ヘラヘラ愛想笑いでもしていればいい
158 :
世界@名無史さん:02/08/27 00:00
>>157 ( ´_ゝ`)フーン
「JAP」と言われても別にいいが
ヴァカにされるのとは別だろ?
なんでわさわざ一般の通称を避けて、仏典の漢訳語なんか使おうとするのさ。
やっぱ妙な意図があると勘ぐられて当然だろ。
あっ、中国地方(山陽+山陰の)と区別がつかないって駄論はごめんね。
そういうのは日本の同音同字の別地名を全て根絶してから言ってくれ。
160 :
世界@名無史さん:02/08/27 01:15
>>158 アフォですか?
差別語の意味ぐらい理解してからレス付けろや、○○が!!
161 :
世界@名無史さん:02/08/28 12:28
"You are short leg."
"...... Yes. HAHAHA"
"Pig! Yellow monkey!"
"I can not speak English. HAHAHA"
"HAHAHA"
162 :
世界@名無史さん:02/08/28 19:03
>>133 鮮虞も鮮卑も匈奴も女真も英夷も倭も蔑称にしか読めないけど?
朝貢する鮮卑族って実は言い得てそう。
朝の鮮な国とか
朝(=澄水?)鮮(=仙水)とか、
中国人らしくないよ。
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~guowei/aYAM.html 中国ではかつて周辺の他民族を蛮(南)、狄(北)、戎(西)、夷(東)と呼んで
いました。清の後期、メ夷モはまた外国あるいは外国人一般に対する蔑称として使用
されていました。たとえば、「夷人、夷情、夷船、夷字、華夷俗殊、英夷_」などの
表現が役人の上奏文や多くの文献に用いられていました。
163 :
世界@名無史さん:02/09/06 02:16
164 :
世界@名無史さん:02/09/06 02:18
>>159 元々は通称じゃなかったんだろうが。
シナの方が一般的だったはずだ。
まあ、中国って呼んでくれって言ってるんだから
それでいいとは思うが。
でも尊称なんだよなあ。
個人の好みでシナと言うのも別に構わんと思うよ。
それで差別というのはおかしい
165 :
世界@名無史さん:02/09/06 02:58
中国人が日本人に「支那」と言われて怒るのはインフェリオリティーコンプレッ
クスゆえである。
自分より遥か劣る者が何を言おうが何も感じることはない。
例えば米国のDQNに「JAP」と言われようが白豚の咆哮にしか聞こえんし、中
国の笨蛋に「鬼子」と呼ばれても「フーン」ぐらいしか出て来ない。
但し、上の者は下の者に対する心遣いは必要と考える。
よって「支那」には反対。
166 :
世界@名無史さん:02/09/06 03:10
ラオスのことを普通は「ラオス国」とは言わない
フランスのことを普通は「フランス国」とは言わない
ロシアのことを普通は「ロシア国」とは言わない
そういう言い方はかなり格式ばった場面でしか使わない
なぜ「中国」と「韓国」だけは「中国」と「韓国」なのか?
「中国」と「韓国」だけ異質な呼び方をするのはアンバランスで美しくない。
よって支那、朝鮮と呼ぶのが適切。
正式国名としてはそれぞれ中華人民共和国、中華民国、大韓民国と呼ぶことに抵抗は無いのだが。
167 :
世界@名無史さん:02/09/06 03:25
>>166 「中」「韓」とよべば問題ないじゃん(w
じっさい中国では、いや中では、中国人・中国語といわず、中語・中人という場合があるよね。
韓国でも、いや韓でも、韓国語・韓国人などといわず、韓語とか韓人というべきだよな。
>>167 「韓」ならよい。
しかし、会話のなかで「かんの大統領が」なんて言っても中々通じないのでやっぱり朝鮮と呼ぶしかないな。
「中」については異議あり。
「中華」はどちらかと言えば「華」が主体であり「中」は修飾部だ。
一字で呼ぶなら「華」で代表するほうが適切だろう。
現に「華人」「華語」という言い方はよく使われる。
しかし、問題は「華人」「華語」という言い方は主として華僑社会についてのみ使われ、
中華人民共和国について語るときには「華人」「華語」は使われない傾向があることだ。
169 :
世界@名無史:02/09/06 05:23
国号(の略称)を中国
民族名を漢
地域名を支那
とするのは?
170 :
世界@名無史さん:02/09/06 09:31
>>166 >ラオスのことを普通は「ラオス国」とは言わない
>フランスのことを普通は「フランス国」とは言わない
>ロシアのことを普通は「ロシア国」とは言わない
これについて疑問あり。
オマン国は普通「オマン国」だな。これは異質なんだろうか。
あと、
「中国」という言葉の示す地域と「支那」という言葉の示す地域はずれがあるように感じるんだが。
感覚的な問題だが、「支那」といわれると新彊とかチベットは含まれない気がする。
あと、朝鮮というと北朝鮮との区別が面倒になるんじゃないだろうか。
もうひとつ。
「大韓民国」「中華人民共和国」という自称を全く無視して、
「朝鮮」「支那」と呼ぶのはやはりためらわれるのだが。
オマン国は普通、「オマーン」か。
しかしあれだな、中国と韓国だけ略して呼ぶときの名前に「国」がつくという指摘は面白いな。
「英国」という言い方はしなくもないけど、やっぱり「イギリス」のほうが普通だし。
なんでなんだろうね。
172 :
世界@名無史さん:02/09/06 09:58
>>170 実は中華人民共和国が支那を嫌がる理由は実はそこにあるのではないかと思ってる。
支那ではチベットも新彊も含まれない。
大韓民国が「朝鮮」を嫌がる理由は憶測などするまでもなく明らかだけど。
朝鮮と呼ぶと「北」の方を正当とする意思表示の現れとも解釈できるし、
現に「北」では大韓民国のことを「南朝鮮」と呼んでいる。
また、日本でも北に近い立場の人々は大韓民国を「南朝鮮」と呼ぶ。
173 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:05
>>170 大正生まれで満州に入植経験のある父は、「支那」「満州」「蒙古(内蒙古を含む)」を明白に使い分けていた。
175 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:14
おまんこく
176 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:17
大韓と中華じゃだめなの?
177 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:23
「中国」と「韓国」は彼の国がそう自称してるからそれに倣ってるんじゃないの?
逆に日本国のこと彼の国でも我々と同じ様に「日本」って言ってるだろ。
特に中国では「英国」「美国」と寧ろ略称の方に国を付けるんだが「日本」だけは国を外して略称としている。
韓国については、人名を韓国語で発音する事を強要してきた訳だが(これなぞ負け犬の精一杯の遠吠えの如しで、哀れとしか言い様がないが)、国名は「ハング」「デハンミング」を強要してこないな。
なんでだろう?
178 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:28
>177
>国名は「ハングッ」「デハンミングッ」を強要してこないな。
>なんでだろう?
「日本海/東海」騒動のけりがついたら、そのうち・・・・・
179 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:30
漢字一文字だけでは短すぎておさまりが悪いから「国」を付けて二文字にしてるのかとも思ってみたが
「宋国」「唐国」「漢国」とはあまり言わないなあ
180 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:34
>>179 書くときは「明」、「清」だけど、口に出すときは「明国」、「清国」と言っていたらしい。
>>180訂正
書くときは「明」「大明」、「清」「大清」だけど、口に出すときは「明国」、「清国」と言っていたらしい。
182 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:47
>>177 それは恐らく韓国で漢字を使わなくなったせいだと思う。
漢字の介在があれば「キムデジュン=金大中=きんだいちゅう」だけど
漢字の介在が無ければ「キムデジュン≠きんだいちゅう」になってしまう。
日本人がいくら「キムデジュン」と読んでもしょせん正確な発音ではない近似音に過ぎないのだから
漢字の介在があるならむしろ「金大中(きんだいちゅう)」と読む方が却って正確だとも言える。
183 :
世界@名無史さん:02/09/06 10:59
中国人は日本を「東洋」って言ってなかったっけ?
>>183 清末〜民国時代の呼称だね。
「洋」ってのは「海」って意味以外に、一字で「西洋」を意味する。
日本でも「洋館」「洋風」って使うように。
いち早く西洋化した日本を「東の西洋」と言う意味で「東洋」と呼んだ。
但し、中国は中華思想旺盛だから多分に侮蔑を込めてそう呼んだんだね、「東の毛唐」ってなニュアンスで。
現在の中韓のクレームに対して、どうして日本は堂々と
「我は蛮夷なり!」と言うことができないんだろう?
そんなに儒教的な優位性を甘んじて受けなきゃいけない理由がどこにあるんだろう
文化程度、国力でも十分中原諸国を凌駕しつつあった楚の言い分は現代に通じると思う
西欧を蛮夷と言って侮った清国の末路がどんなものだったか誰もが知っているだろう
名を捨てて実を取るってことぐらい誰でも思いつきそうなものなのだが
186 :
世界@名無史さん:02/09/06 11:50
>>184 >「洋」ってのは一字で「西洋」を意味する。
元々の使い方ではない。ヨーロッパが怒濤のように押し寄せた清末からの用法。
>日本でも「洋館」「洋風」って使うように。
中国ではむしろ、ポジティブなものを、
「西洋館」→「西館」、「西洋風」→「西風」、「西洋画」→「西画」、「西洋服」→「西服」
ネガティブなイメージで、
「洋夷」、「洋鬼」
>>164 >元々は通称じゃなかったんだろうが。
>シナの方が一般的だったはずだ。
あのさ、「支那」は仏典(サンスクリット)の漢訳語にすぎない。
「中国」のほうが経史にすら出てくるむしろ由緒正しい一般的な語句。
まあもともとは中原地帯のみをさす語句だったけどね。
大陸の「中国」呼称を拒否し、「支那」と呼びつづけている連中がいるのは、
江戸時代以来の国学思想の影響。明治・大正・昭和初期の日本で一般的だったというだけ。
日本こそが中国って考えなんだろ。
それってやっぱり小中華思想だよな。
188 :
世界@名無史さん:02/09/06 18:06
昔は「唐土」とか「震旦」って言ってたんじゃなかった?
「支那」を使い始めたのは新井白石あたりだったはず。
>>170 オマーン国は英語での正式な国名をSlutanate of Omanと言うから、
王国(Kingdom)でも首長国(Emirate)でも無いSultanateに対する訳として
苦し紛れに「国」を使っているんじゃないかな。
189 :
世界@名無史さん:02/09/07 00:54
190 :
世界@名無史さん:02/09/07 01:07
>>187 チャイナ→支那という説もあり、小中華思想とは言えないと思う。特に
文化とか大陸を言う場合は支那を使う場合が多い。宮崎一定も支那を使って
いる場合があったと思う。
まあ現代でも中国をあえて支那といいたがる連中には、特別な意識があるだろうが。
宮崎一定→宮崎市定
192 :
世界@名無史さん:02/09/07 01:44
たしかにそうだろうね。
でも、支那は戦前までは一般的な単語だったはずだよ。
差別用語なんかじゃなくて。
支那は仏典の用語で、江戸時代までは日本人はあまり使わなかった。
日本人は「唐土(もろこし)」がもっとも一般的で、
あとは「漢土(から)」とか、同じ仏典由来でも「震旦」とかも使われた。
支那を使うようになったのは蘭学者・洋学者が西洋の地理学を翻訳して
シナの当て字として仏典から支那という言葉をもってきてから。
地名としての満洲も同じ。マンチュリアを誤訳したもの。
194 :
世界@名無史さん:02/09/07 15:02
晋を分割した三卿は各自の苗字を国号としてますよね。 不思議。
3分割する直前は知氏の力が圧倒してたから、もし知氏が韓氏、魏氏、趙氏に
滅ぼされなかったら、「知」って国になってたことだろう。
195 :
世界@名無史さん:02/09/07 17:54
196 :
世界@名無史さん:02/09/07 18:02
それはないだろ。。。 例えば趙一族は貧しいころ(文公と放浪中)から趙一族じゃないのか?
韓は既出、邑名を氏にした。
畢という氏だったんだよ、以前は(姫姓)。
魏は晋室の分家だったからな(姫姓)、鬼っていうつくりから見るにおそらく狄の地名から取られたのかも?
これは自信が無い。
趙は趙城に封じられたから、それを氏にしたはず。
もとは贏姓(字違うけど許して)
198 :
世界@名無史さん:02/09/07 19:05
苗字から国名をつけることもあるが、その苗字自体が地名から取っているってことか…
でも、苗字って、分家した人の名前から取ることもあるよね。
公子夏の子孫が夏氏を称すように。
199 :
世界@名無史さん:02/09/07 19:14
cinastana → 震旦
200 :
世界@名無史さん:02/09/07 19:43
>>199 当て字すれば支那支丹か。
アフガニ、パキ、カザフ、ウズベキなんかと同類?
201 :
世界@名無史さん:02/09/08 15:31
苗字を国名って不思議だね。
村田彦江門なら「村田帝国」、野村又兵衛なら「野村王国」。。。
202 :
世界@名無史さん:02/09/08 17:31
>>197 「魏」性は、黄河北岸の魏という小国名からきている。
晋が耿と魏の二国を同時期に滅ぼし、耿を趙夙に、魏を畢万に与えた。
ちなみに、魏も姫姓の国だったはず。
203 :
世界@名無史さん:02/09/08 18:42
「苗字」「名字」は純日本語なのでここで使うのは変です。「姓」と言わなければ。
>>201 源氏→(足利荘)足利姓→足利幕府 と同様の例と思えば不思議ではない。
204 :
世界@名無史さん:02/09/08 18:47
現代の日本人が姓と苗字を混同するのはやむを得ないな。
しかし、世界史板の住民ともあろうものが…とは言いたい。
205 :
世界@名無史さん:02/09/08 18:56
世界史板の通りすがりなんじゃない?
206 :
世界@名無史さん:02/09/08 20:39
なるほどね。
207 :
世界@名無史さん:02/09/08 22:32
諸葛亮孔明が尊敬していた楽毅の出身国ですな<中山国。
大国の斉に圧迫されて悩んでいた。
208 :
世界@名無史さん:02/09/08 22:34
ローマがヨーロッパを統一したから「ローマ帝国」。
漢中が中国を統一したから「漢帝国」。
地名を王朝名にするのは合理的だ。
209 :
世界@名無史さん:02/09/08 22:45
ところで「知」という地名はどのへん?
210 :
世界@名無史さん:02/09/08 23:46
現代の日本人が名と字を併記するのはやむを得ないな。
しかし、世界史板の住民ともあろうものが…とは言いたい。
211 :
世界@名無史さん:02/09/09 00:01
世界史板の通りすがりなんじゃない?
212 :
世界@名無史さん:02/09/09 00:11
>世界史板の通りすがりなんじゃない?
210が!
213 :
中華@名無史さん:02/09/09 00:12
次は
なるほどね。
で宜しいですか?
デジャブが…
215 :
世界@名無史さん:02/09/09 00:15
オチが甘いうえにケコーン
>>210 なにか問題でもあるのですか?
マジレス希望。
日本だと字+名ってのは一般的?だけど(例:織田三郎信長)、
中国では名+字の組み合わせ(例:劉備玄徳)は絶対に使わないよ。
その人に対し名で呼ぶか字で呼ぶか決まってるから。
あと名の継承(例:信秀→信長→信忠)も中国ではタブー。
>>217 > あと名の継承(例:信秀→信長→信忠)も中国ではタブー。
確かに、日本と中国ではまるで逆だな。中国はむしろ同世代の人間が同じ文字を使っている(溥儀と溥傑とか)。
しかし、唐の太宗が即位したときは迷惑だっただろうなあ。「世」と「民」が使えなくなって、役所の名前まで変わるとは。
219 :
世界@名無史さん:02/09/09 02:21
>>218 その不便回避のために欠画という方法がある
それでも不便には違いないが欠画で一応その字は使える。
>>218 >役所の名前まで変わるとは。
民部尚書が戸部尚書になったこと?
でも中国では王朝がかわっても民部にもどさなかったのはなんでだろ?
221 :
民部少輔石田三成:02/09/09 09:05
>220 それが定着してしまって、元に戻すなんて今更・・・
例えば、「自治省」「総務省」を「内務省」に戻せなんて言われても。
世代が進むに従って皇帝の名前には難しい字を使う傾向があるのは、
それで民百姓に迷惑をかけないためというのも一つの理由ではないか。
石田三成は治部少輔だった・・・・・
223 :
世界@名無史さん:02/09/09 10:26
224 :
日本@名無史さん:02/09/09 21:42
徐ボウ功だな。「隋唐演義」で大活躍!唐の太宗李成民から
1字もらったんだよね。
225 :
世界@名無史さん:02/09/09 22:17
楊国忠とか朱全忠とか唐には改名した人多いね。
彼らは李勣ほど唐王朝には貢献してないけど。
>>217-222 まじレスありがとうございます。
親子間の名前の継承や、
皇帝や王朝の創業者の名前を使うことがタブーなのは
聞いたことがありますし実例も見たことがあります
で、名前と字を併記することも当時の中国においては
前述の親子間の名前の継承などとおなじく
タブーの一つだったのでしょうか。
それとも「織田信長」を当時の日本では「信長織田」とは表記しないように、
当時の中国においては「諸葛亮字孔明」としか文献に記述された例がなく
「諸葛亮孔明」とは記述されたためしがないから
現代においてタブーとされているのでしょうか。
もし当時の中国においても絶対的にタブーだとされるのなら、
信憑性のあるソースとなぜいけなかったのかもご存知ないでしょうか。
もちろん名前と字は使用法が異なるために
同時に使われることはなかったというのはわかりますが
あとスレ違いっぽいので質問スレに移ったほうがいいいでしょうか
>>226 「名前と字は使用法が異なるため」と言うより、その人の本名【諱】を呼ぶ事
がタブーだったから態々別名【字】を付けたのであって、同時に使うのは本
来の(別名をつけたと言う)目的に反するって事じゃないでしょうか?
例えば、私の手元にある赤い果実に「りんご」と命名し、別名を「アップル」
とした場合、それは単に「りんご」若しくは「アップル」と呼べば良い訳で、
「りんごアップル」と呼ぶのはおかしいと。
恒山という山があるが、漢の文帝だったかの諱も恒であるために、似た意味である
常山に改名したとか聞いたが。
曹丕の『典論』・論文編では、名・字を続けて表記している。『文選』を参照のこと。
『春秋左氏伝』に、命名には五つの決まりがある、という記述がある。
信「はじめからもって生まれる名」
義「徳を慮ってつける名」
象「相貌に似たものよりつける名」
仮「誕生にちなむものよりつける名」
類「父親に関わるものからつける名」
…と、ある。
さらに「国名」「官名」「山川名」「病いや患い」「家畜名」「儀礼用品名」を
用いてはならないとある。
有名なところでは、宋の武公の名が司空であったために、以降、宋では司城となった。
無論、全時代を通じてではないが…。
231 :
世界@名無史さん:02/09/10 14:21
さて、そろそろ本題の中国の王朝名の由来に話をもどして、と
232 :
世界@名無史さん:02/09/10 15:37
そういえば、漢の皇帝の名前が恒だから、月の女神の恒蛾は嫦蛾と名を改めささえられたとか
233 :
世界@名無史さん:02/09/10 15:39
さて、なんとしても本題の中国の王朝名の由来に話をもどして、と
234 :
世界@名無史さん:02/09/10 15:56
235 :
世界@名無史さん:02/09/10 16:09
既出のように明は火を崇拝する宗教からきている。
五行説によると火に克つのは水。
だから女真族は、崇拝している文殊菩薩の「文殊」の音に「満洲」という
どっちにもサンズイのついた字を当てて、自らの民族名とし、それまでの
国号「金」を同音でサンズイのついている「清」に変え、「水徳の王朝」
を名乗り、明に取って代わる正当性を主張した。
だから「満洲」を「満州」と表記するのは、誤り。サンズイなくなっちゃ
意味がない。時々「福州」や「泉州」などのような、地名を表す「州」
だと思ってる人もいるけど、これも誤り(さすがに、世界史板にはいない
かな?)。漢字制限で「洲」が使えない、というのも誤りです。漢字制限
は地名には適用されません。だって、みんな平気で「八重洲口」とか、
表記してるじゃん。
日本人が中国の東北地方のことを「満洲」と呼ぶのを、中国人がとっても
いやがる理由としては、例の建国の一件もさることながら、そもそも満洲
とは部族名、しかも女真族の自称で、漢人はかの地を満洲と呼んだ事が
一度もなかったからでしょう。
五行説にもとづく国号の命名って、ほかにもあるはずです。(私は知らん)。
時代をぐっとさかのぼりまして。漢の高祖が白い大蛇を退治する話が史記に
出てくるそうですが(司馬遼太郎で読んだ。トホホ)、これなんか、陰陽
五行っぽい話のような。
236 :
世界@名無史さん:02/09/10 22:33
「国号」じゃなくて「王朝名」の方がよい。
237 :
世界@名無史さん:02/09/10 22:43
>>235 当て嵌めてみたけど、これでいいのかな。
三皇#1=土=黄
三皇#2=木=青
三皇#3=金=白
伏羲=火=赤
神農=水=黒
黄帝=土=黄
堯=木=青
舜=金=白
夏=火=赤
殷=水=黒
周=土=黄
秦=木=青
楚=金=白
漢=火=赤
晋=水=黒
宋=土=黄
斉=木=青
梁=金=白
陳=火=赤
隋=水=黒
唐=土=黄
後梁=木=青
後唐=金=白
後晋=火=赤
後漢=水=黒
後周=土=黄
宋=木=青
大元=金=白
大明=火=赤
大清=水=黒
238 :
世界@名無史さん:02/09/11 00:07
>>238 『史記・趙世家』
趙氏之先,與秦共祖。至中衍,為帝大戊御。其後世蜚廉有子二人,而命其
一子曰惡來,事紂,為周所殺,其後為秦。惡來弟曰季勝,其後為趙。
>>229 今之文人,魯國孔融文舉,廣陵陳琳孔璋,山陽王粲仲宣,
北海徐幹偉長,陳留阮?元瑜,汝南應?コl,東平劉骭幹
ですね。
たしかにスレ違いなので、これ以上は三国志スレか、
三国志板か、世界史板の質問スレへ移ったほうが
混乱しなくてよろしいかと。
>>240 では王朝名の由来についてのお話をどうぞ、と。
240は俺だった・・・
Σ(´Д`ズガーン
しかも文字化けしてる・・・氏ね俺。
243 :
世界@名無史さん:02/09/11 21:51
>>237 黄巾賊の標語が「蒼天すでに死す」だから、漢は青なんじゃ・・・。
なんて『三国志演義』の記述を史実扱いしてどうする>俺。
244 :
世界@名無史さん:02/09/11 22:24
>>243 王朝の継承順の数え方と対応する五行の配当は
時代によって変化してたんじゃないの?
245 :
世界@名無史さん:02/09/11 23:31
漢が火徳で赤というのも、確か武帝のころに決まったはず。
ソースは講談社学術文庫の「秦漢帝国」でも、部屋のどこかに埋まっていて
確認できない。
>229
三国志(正史)でもそういう例はあったなあ。リアル工房のとき漢文の参考書で
みて、田中某の底の浅さに気づいたもんだ。
246 :
世界@名無史さん:02/09/12 00:17
満州国
まんじゅうが怖いので国名に
後は、熱いお茶一杯が怖い。
王朝カラーの変遷については「世界史何でも質問箱」に書いたものを再録しときます。
532 名前:あやめ投稿日:2001/01/24(水) 18:02
>526,527
五行交代理論には相勝説と相生説があることは御存じかと思います。前
者は戦国末の鄒衍が唱えたもので木金火水土の排列で、後者は漢の劉向・
劉キン(音+欠)の父子が唱えたもので木火土金水の順序です。配色の対応
は木青・火赤・土黄・金白・水黒となっています。
五行を歴史上の王朝に配当するようになったのは鄒衍が五帝に五行を割り
当てたのから始まったようです。この際に彼が基準としたのは同時代の周
を火徳とした点です。これについて京大儒学の開祖というべき狩野君山は
当時においては周が火徳であることは当時の通念となっていたので、鄒衍
もこれを原点とせざるを得なかったものであろうと論じています。そして
前代の殷は金徳で夏は木徳で虞(舜の国家)としたもののようです。
(前レスの続き)
周が火徳ということであればこれを打倒した秦は自ずから相勝説により水
徳ということになります。「史記」にもそう書いてありますし大方の学者
もこれを支持しています。ただ栗原朋信さんは始皇帝は周を継承したとの
意識は持っておらず、水徳の採用は疑わしいと主張していますが少数説た
るを免れません。
漢になってから文帝の時に賈誼は上書して土徳の採用を提案していますが、
当時はまだ秦の制度の変革に着手できずに経過していました。武帝の時代
になると丞相の張蒼は秦を無視して直接に周を継承して水徳を採用すべし
と提議し、民間人の公孫臣はやはり土徳を採用すべしと主張し対立しまし
た。結局は武帝により土徳説に従い服色を黄とすることに決定を見ました。
(前レスの続き)
前漢の末になると劉向は相生説を提唱し始め漢は火徳となるべきものと説
きました。この説の背景として考えられるのは漢の高祖の先祖は堯である
とする情報が一般化したことです。高祖の先祖については下記のスレッド
「春秋戦国を語ろう」のあやめのレス34を参照してください。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=978123589&ls=50 「禮記」の「月令」は古書中では相生説の順序に対応しているので、これ
により周木徳・殷水徳・夏金徳・舜土徳と遡っていくと堯は火徳となり、漢と
徳運が一致することとなり、高祖を白帝の子である大蛇を斬った赤帝の子
とする伝説とも照応し好都合であったのです。
上レスに引用されている「春秋戦国を語ろう」のレスを再録しときます。
末尾が省略されちゃうかも....
34 名前: あやめ 投稿日: 2001/01/18(木) 12:46
>31
士會は春秋時代の活躍より漢の高祖の先祖ということで後世では知られていました。
唐の林寶が編纂した系譜書の集大成「元和姓纂」の「劉」の項に「帝堯陶唐の後、封
を劉に受く、裔孫劉累は夏后孔甲に事ふ、夏に在りては御龍氏と為り、商に在りては
豕韋氏と為り、周に在りては唐杜氏と為る、杜伯の子の隰叔は晋に奔り士氏と為る、
孫の士會は秦に適き後に晋に帰る、其の(秦に)處る者は劉氏と為る、…士會の後は周
末に魏に家し、又た豊・沛に徙る、豊公に至りてズイ(フォントなし、瑞の玉偏を火偏
に替える)を生む、字は執嘉、漢の高祖を生む」とあります。
しかしこの所伝をそのまま史実と信ずべき根拠は薄弱です。「史記」にも「漢書」に
も高祖の出自については父の本名すら記載していません。「姓纂」の載せている父の
名の由来は、漢が火徳の瑞により天下を治めたという五行思想に基づいて作為された
ものでしょう。
なお高祖の劉氏は祁姓ですが別系統に姫姓の劉氏も存在します。周の成王が王季の子
孫を劉邑に封じ劉氏を称することとなり、周室の大夫として春秋にもしばしば顕れて
おり、漢の皇室よりも由緒ある家系でした。
「世界史何でも質問箱」のレスの再録に戻ります。
533 名前:あやめ投稿日:2001/01/24(水) 19:21
こうして漢は火徳とするアイデアが提唱されることになりましたが、この
説を推進したのは劉向の子で王莽のブレインとして活躍した劉キン(音+欠)
です。王莽はかねてから舜の子孫という系図をひけらかしていた人で、舜
が土徳ということであれば漢の天下を簒奪するのに好都合なわけです。彼
は万事こういった迷信じみた理念が好きな人物で、意識的に利用したのか
本気の思い込みか政権の獲得維持に積極的に持ち込んでいました。これに
対し王莽打倒に反乱を起こした勢力が眉を赤く塗っていたのは、漢の復興
を表向きのスローガンにしていたためでしょう。相生説は急速に定着して
いった言えるでしょう。
(前レスの続き)
後漢末になると今度は反乱勢力が土徳説を利用するようになりました。言
うまでもなく「黄巾の乱」です。また漢に代わって皇帝になろうとした袁
術も黄帝の子孫と称し、その国号を「仲家」としたのも土徳に属する方位
が「中」であったからかと想像されます。漢に代わって建国した魏が「黄
初」呉が「黄武」の元号を用いたのも土徳を意識したためです。一方で蜀
では「炎興」の元号を採用しているのは火徳の再興を祈念したものです。
王莽や曹丕が武力による政権の奪取ではなく、古の聖帝のように平和裏に
易姓を実現したかのように偽装する禅譲プロセスのためには、相生説は絶
大な効用を発揮しました。そして相勝説は政治手段としては顧みられなく
なってしまったのです。
(前レスの続き)
以下の各王朝の徳運と服色を摘記しておきます。
魏・呉=土黄、晋=金白、後趙・北魏・宋=水黒、前燕・南斉・北斉・北周=木青、
前秦・梁・隋=火赤、陳・唐=土黄
なお北魏は当初は黄帝の後裔と称していたため土徳を採用していましたが、
孝文帝の時に前秦を継承して土徳とすべしという説と晋を継承して水徳と
すべしという、両説が対立しましたがやはり統一政権である晋の金徳を継
承することに落着しました。
また唐でも玄宗の時に当初は漢の火徳を継承したものとしていましたが、
5年後にはやはり隋を継承したものと決定しました。
(前レスの続き)
534 名前:あやめ投稿日:2001/01/24(水) 19:46
五代になると後梁は金徳ですが次の後唐はこれを無視して唐の土徳を維
持することとし、後晋が金徳で後漢は水徳となり後周は木徳で宋は火徳
という徳運となっています。
以後の王朝では五行の徳運については全く廃棄されてしまったようです。
その事情としては禅譲という手続きが顧みられなくなり、剥き出しの武
力で天下の奪権が実行されるようになったという歴史の様相の変化から
かと思われます。
王朝の称号もそれまでは政権獲得の前段階の封号に由来するものであっ
たのが、「大元」からは易経から取義することになり「大明」「大清」
も古典籍から嘉字を選ぶようになりました。国家の観念も天子の家族の
私産という意識から脱却したものへと変化していったように見えます。
以上で再録を終わります。
あやめさん
こういった事をまとめて系統的に読んでみたいと思ったら、
素人でも手に入るいい書籍があれば教えていただけないでしょうか。
国民党は木徳(青) 共産党は火徳(赤)
高句麗は黄、百済は白、新羅と任那と倭国はどれも青。
>256
そういう便利な本があるといいんですけどね、日本では勿論あちらでも見かけませんね
いろんな文献を漁っては纏めてレポートしてるんです
いずれ(いつのことだー)ホームページ作って、こういう基本情報をコンテンツにしたいと思ってます
謚号の知識なんかあちこちの歴史サイトにありますけど、内容にはたいへん不満に感じてます
>259
なるほど、是非作ってください。