アーリア人

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1名無し
ヒトラーは間違った意味で使ってたな
2世界@名無史さん:02/02/22 12:45
イラン(ペルシャ)にはもともとすばらしい文化があったので、
彼らからみれば野蛮だったアラブ人の宗教(イスラム教)を
よく受け入れたなと思います。
3世界@名無史さん:02/02/22 12:53
いやいやペルシャ=ギリシャ=インダス文明も答えを出していなかったんだよ。
マホメッドが見事にその問題を解決した。
4親切な人:02/02/22 12:57

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5世界@名無史さん:02/02/23 13:07
もともとアーリヤ人というのは、現在のアフガニスタン、パキスタンあたりに住んでいた者達の自称であった。
西欧や日本では「アーリヤ民族」というものが中央アジアあたりからイラン、インドに侵入したと考えて、
原住民を駆逐したという学説が唱えられているが、実際のところそのような証拠は何もなく、ただインドの文献リグヴェーダに「アーリア人」による戦争の記述があるのをもって、「アーリア人」なるもののインド侵入を主張している。
ただ、インド・イランの言語がヨーロッパ言語と同じ語族を構成するとういうことによって補強されてきた。
しかし、言語が同じだからといって、人種が同じというわけではないのは、現在にはもはや常識である。
アフガニスタン、パキスタン辺にすんでいた者達は共通した宗教を保持していた。
それを保持していたもの達が「アーリア」だったのであった。
その宗教が東に進みイランにおいては、ゾロアスター教となり、インドに進んではバラモン教となった。
それゆえ、両宗教を受け入れた民族は、自らも「アーリア」と名乗ったのである。
6世界@名無史さん:02/02/23 13:12
お釈迦様はクシャトリアなのでアーリア人です
7世界@名無史さん:02/02/23 13:15
パキスタンにも一部だがドラヴィダ系言語が残ってる。
アーリア人がインダス文明を築いた原住民を駆逐したのは事実だ。
8:02/02/23 13:16
ちなみに、リグヴェーダの解釈は難解で、解釈の仕方は多い。
「アーリア人」の侵入も西洋人による一つの解釈でしかない。
9世界@名無史さん:02/02/23 13:19
>7
インダス文明は自壊したのであり、その荒廃した世相にアーリア系の宗教が流行った、のではないかと思う。
だから、ドラビタ系が自らそれを受け入れて、融合したのであった、駆逐というのはあたるかどうかわからん。

10:02/02/23 13:20
じゃあな。
11世界@名無史さん:02/02/23 14:44
「…インド人といえば…インダス文明だよな
 そんでアーリア人が攻めて来て… 高校の時世界史で習った
 (中略)
 高校生の川原はその時思わず想像してしまった
 武器を手にしたアーリア人が あーりゃーっっ! ――と叫びながら
 攻めて来る光景を… 」

川原泉『小人たちが騒ぐので』(白泉社)より
12世界@名無史さん:02/02/23 14:48
密教はもともとインド南部のモンゴロイド系の思想宗教なんでしょ。
どうやってバラモンと結びついたのかわからんが。
13世界@名無史さん:02/02/23 16:16
インド南部とは限らんよ。北部かも知れん。ただアーリア思想ではないってだけ。
14世界@名無史さん:02/02/23 16:31
>>12
密教はバラモン教じゃなくヒンドゥー教と仏教が融合
したんじゃないの?
15世界@名無史さん:02/02/23 21:19
チベット密教
16ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/02/23 22:12
ヒトラー理想のアーリア人とは北欧人らしいのでが、アーリア人発祥の地はチベットと言っているのが可笑しいね。
17世界@名無史さん:02/02/24 00:29
>>14
密教とは何か、によって違ってくるな。
君の言ってる密教は、仏教の密教だろ。
真言(マントラ)を唱えて、儀礼を行い、神霊の力を得る、というのは仏教以前からやってたこと。
1814:02/02/24 23:21
>>17
密教って仏教の一派ではないんですか?
民間信仰の呪術的要素を仏教が取り入れたと聞いたのですが。
スレ違いなのでsageます。
19世界@名無史さん:02/02/26 18:11
>5
『アーリアンとは何か : その虚構と真実 』 津田元一郎著. -- 人文書院, 1990


この本だぞ
2ちゃんねる言えども、自分独自の見解でなければ、
できるだけ正確に、出典を示すのをマナーにしようね。
20世界@名無史さん:02/02/26 18:25
>6

『仏教解体』
著編者: 山根二郎
出版社: 仏教カルト研究所
発売: (発売元:書肆秋櫻舎)
刊行年: 2000.4

の本においては、
釈迦は被差別集団の出自であったと言っている。
21世界@名無史さん:02/03/01 01:03
アーリア人といって思い出すのは
情けないけどチャップリンの「独裁者」
突撃隊と思しき人たちが行進しながら声張り上げる。
「あ〜りあん あ〜りあん あ〜りありありありあ〜りあん」

低俗なことを書いたのでsage
22世界@名無史さん:02/03/04 14:24
しかしアーリア人と自称していたかどうかは知らんが、中央アジアからタリム盆地、
アルタイ山脈付近までの地域には以前はコーカソイドがすんでいたことは事実だよな。
中国やチベットの記述なんかにも紅毛碧眼の容貌の人間が出てくるし。
言語的にも中央アジアのソグド人なんかはイラン系だし、タリム盆地の人間も確か
イラン系の言語だったんじゃないか?
23世界@名無史さん:02/03/04 16:56
>>19
その本は漏れも出てすぐ買ったよ。
アーリア人のインド侵入という説がかなり根拠薄弱なのはよくわかったけど、
ヒンズーの民族主義や神秘主義にのせられちゃってるドキュンな部分はかなりひいたなあ。
“いわゆる”アーリア人のインド侵入はなかったと漏れも思うが、
インドの人種構成が地域や階級によって多元的になっているのは事実であり、
その中のある要素をアーリアと呼ぶことは大きな問題とは思えない。

>>22
それはまあ通説ってことで問題ないでしょう。
24世界@名無史さん:02/03/04 22:22
モンゴル高原にもコーカソイドがいた。
25世界@名無史さん:02/03/04 22:41
>23
いやつまりさ、アーリア人などという集団はアフガニスタン、パキスタンにしか
いなかったって説が出てたでしょ?
でもアーリア、とは自称していなかったかもしれないけど、彼らに似たような
集団はヨーロッパから中央アジア、現中国の北西部にまで広がってたんじゃない
かってこと。まあたいしたことじゃないのかも知れないけどね。
26世界@名無史さん:02/03/04 23:14
孫権ってコーカソイドじゃないの?
27つうかさ:02/03/04 23:49
「アーリア人のインド侵入」を否定している人は、
ドラヴィダ語系が支配していたインドに印欧語系集団が侵入した
という定説を否定しているわけ?
28世界@名無史さん:02/03/04 23:52

何が定説だ。おまえは高橋か。
29つうかさ:02/03/05 01:00
なるほど。
じゃあ、動詞語尾とか代名詞まで含めた基礎語彙が
ギリシャ語やラテン語とサンスクリットで対応している点には、
どういう説明がつくの?
30世界@名無史さん:02/03/05 01:02
誰も印欧語族の話し手がインドに移住したことは否定してないような…?
31つうかさ:02/03/05 01:24
そういう意味なの?
じゃあ、「アーリア人のインド侵入」を否定するというのは、
どういう意味合いで言っていることなの?
32世界@名無史さん:02/03/05 01:51
>>5の言うところは
インドのアーリア化とは宗教と言語が次第にインドに波及したということで、
「アーリア人が原住民を駆逐したという学説」が否定されつつある、
ということでは?
33世界@名無史さん:02/03/05 13:45
どうもわかってない方がいらっしゃる。
「インド=ヨーロッパ語族」の先祖がいて、その血統上の子孫が広がった、というわけではなくて、
各地の諸民族が徐々にインド=ヨーロッパ語を採用したということ。
つまり言葉が広がったんであって人間が広がったのではない。(まあ程度問題だが)
アーリア人ってのは中央アジア発祥の連中で、ヒッタイト語が解明されるまでは、
彼らが知られる限り最初のインド=ヨーロッパ語族(アヴェスタ語)だったので
俗に「アーリア語」ともいうだけ。
34世界@名無史さん:02/03/11 16:23
>>1
「アーリア人」という言葉を白人の優位性を示すために使ったのは、
フランスのアルチュール・ゴビノー伯の『人種不平等論』が最初では
ないかと思う。
35世界@名無史さん:02/03/11 21:29
いちばん東にあるインド・ヨーロッパ系の言語はパシュトゥン語なの?
(ロシア極東地域は近代以降だから除く)
36世界@名無史さん:02/03/11 21:41
タリム盆地のソグド人はトゥルファン(高昌)あたりまでいたよ。
インドアーリアもアンガあたりまでいた。
37世界@名無史さん:02/03/11 22:45
>>35
インド亜大陸のほうがアフガニスタンより東でしょ。
ネワール語とかベンガル語とか。
38名無し:02/03/16 20:55
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39世界@名無史さん:02/03/23 21:25
>>35
パシュトゥン語はアーリア系だっけ? トルコ系じゃなかった?
40世界@名無史さん:02/03/24 00:37
>>39
おまえはアホかぁぁぁぁっっ!!
なにがトルコ系だあ!!!
妄想してんじゃねぇぇぇええええええ!!!!!!
41世界@名無史さん:02/03/24 00:42
>>39
インド・ヨーロッパ語族のイラン語派です。
42世界@名無史さん:02/03/27 04:40
>>35-37
月氏がアーリア語族だったという説がもし正しければ
もっとも東まで拡大した時で甘粛省とか西蒙古までいたかもね
43世界@名無史さん:02/03/27 23:19
3000年前の中央アジアでなにがあったんだろう
44世界@名無史さん:02/03/27 23:28
遊牧騎馬文化が発明されたのが3000年前だっけ?
45世界@名無史さん:02/03/29 01:28
ひとつの技術として成立したのはいつ頃かは忘れたが、かなり古いでしょ?
でも後世のモンゴル人のような生活形態の純粋な遊牧騎馬民族が発生したのは
前7世紀の中央アジアで(スキタイの先祖?)案外新しかったはず。
46世界@名無史さん:02/04/06 10:51
>>45
スキタイ人は、BC7cには、既に黒海方面で活動してるよ。
純粋じゃない遊牧騎馬文化ってのはどういう類のこと?。

47世界@名無史さん:02/04/06 12:33
>純粋じゃない遊牧騎馬文化

そんなへんな表現はしたつもりはないけどな。
農牧猟のうちふたつもしくはみっつの混合社会(ひとつの部族の中に職業分化してる)
“ではない”遊牧民族は、BC7cだったような気がするけど。
混合社会ならもっと古いんじゃないの? といったの。
4844:02/04/10 10:33
>>47
年表ではキンメリア人が遊牧騎馬技術を「発明」したのが
BC1000年ごろとされてるよ。
49世界@名無史さん
スキタイはバイカルあたりまで来てたみたいだね。