1 :
世界@名無史さん:
清に追われて故地の天山山脈周辺から、遠くヨーロッパロシア内の
カスピ海北西部まで移り住み、今度は帝政ロシアに追われて故地に
帰還したモンゴル系カルムイク人
帰還できなかった人はソ連統治下でカルムイク自治共和国を作るものの
対独協力の咎でスターリンから粛清されたとか。
レーニンも祖父(祖母?)がカルムイク人だったらしい。
なぜこんな場所にモンゴル顔の奴が住んでいるんだと厨房の時
驚きました。
知られざるカルムイク人について話しましょう。
2 :
世界@名無史さん:02/02/17 15:23
コザックダンスはもともとはカルムイクの伝統的なダンスをコザックどもがアレンジしたもの
3 :
世界@名無史さん:02/02/17 15:36
現在は「カルムイキア・ハリムグダングチ共和国」
という名前になっています。
ブリャートと同じ系統の言語らしいですね。
4 :
世界@名無史さん:02/02/17 16:00
ロシア人は白人の中では比較的白人優位主義的なところがないらしいけど
スラブ人の集団の中や周辺にトルコ系やモンゴル系の集団が混在して
いたから敵対する局面はあったとしても、通婚等で文化が混交して
いったことにもあるんだろうな。
西欧人から見ると「モスクワ河畔的習俗」とうことになるけど。
なんでも税に関するロシア語はモンゴル語起源が多いとか。
5 :
世界@名無史さん:02/02/17 16:08
他にもトルコ語・ペルシア語・アラビア語起源の語彙が
けっこうあるらしい。
6 :
世界@名無史さん:02/02/18 00:43
宗教はラマ教で,大統領も仏教徒。
9 :
世界@名無史さん:02/02/20 01:23
>>1 モンゴル系のオイラトという部族があって、その中でもっとも西方に
住地を広げたのがトルグート部を中心とするヴォルガ・カルムイク。
18世紀に彼らのうち多くが故郷のイリ河畔に帰還したが、
このときヴォルガ河畔に残った人々の子孫がカルムイク自治共和国
の住民。
10 :
世界@名無史さん:02/02/25 10:12
age
11 :
世界@名無史さん:02/03/07 21:11
>>11 ご親切に感謝します。
12は書き込みミスです。
>>1-13 (´-`).。oO(おまえらスゴイよ。カルムイクなんて初めて聞いたよ...)
15 :
世界@名無史さん:02/03/10 00:54
カルムイク人は、北方戦争、七年戦争、祖国戦争など、主要な戦争の
ほとんどに参加している。
しかしロシア帝国の圧迫によって、ステンカ・ラージンの乱や、
プガチョフの乱へも参加した。
16 :
ウラジーミル・レーニン:02/03/10 00:57
私だってカルムイクの血を引いているぞ。
17 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー@司牡丹:02/03/10 00:57
レーニンって、カルムイク人の(父方の)祖母に
よく似ている。
18 :
世界@名無史さん:02/03/10 23:49
>>15 プガチョフは決起文の中でカルムイク人にもうったえていましたね。
カルムイク人は現在一番最西端に住む仏教徒集団になるのでしょうか?
(ラマ教だから四捨五入で仏教徒ということで)
ヨーロッパロシアの端くれに離れ小島のように仏教徒がいるなんてすごいですね。
19 :
世界@名無史さん:02/03/11 00:04
>1 第二次世界大戦でドイツの軍服に東方義勇兵
(ドイツ軍でのソ連国内少数民族の反ボルシェビキ志願者の呼称。)
の階級章をつけ、コサック風の毛皮帽をかぶった、カルムイク騎兵の
写真をみたことがある。
彼らのうち、何人かは戦後ソ連の報復を逃れてバイエルンに住み着いたそうだ。
なるほど、彼らが民族性を失わないでいられたのもロシアの寛容性のおかげですね。
やっぱりロシアは偉大、、、、、、
、、、えっ、およびじゃないって、、、、
(´・ω・` )
(∩ ∩) ショボーン
>>21 多民族国家で各民族に対して比較的寛容っていうのは、モンゴル以来の伝統なのかも?
23 :
世界@名無史さん:02/03/11 19:08
異教徒異民族に極端に非寛容なのってカトリックくらいのもんじゃないの?
25 :
世界@名無史さん:02/03/11 21:52
カルムイク人はロシアから故地の天山山麓に移動するとき、凍ったボルガ川を
越えようとしてけど半分が渡ったところで氷が割れて、渡りきれた人は
帰れて、残りの人はロシア軍に引き止められ、そのまま定住したって本当?
26 :
世界@名無史さん:02/03/11 22:48
氷が割れたんじゃなくて、
その年はヴォルガが凍らなくて
東岸にいた者は移動できたが西岸にいた者は残った、って話じゃなかったっけか。
27 :
世界@名無史さん:02/03/13 22:10
なんでロシアから逃げようとしたの?
28 :
世界@名無史さん:02/03/13 23:45
もともとモスクワはカルムィクに限らず
ヴォルガ〜カザフの遊牧民と同盟していたんだけど、
ロシアが強大化していくうちに両者の関係が同盟から保護・臣従に変わってきた。
しかもヴォルガ流域にはキリスト教徒の入植者がやってきて
牧草地が農地に奪われはじめたので、カルムィクは危機感を持ったから。
同じ保護でも清の保護下なら王族は年金を貰えるし、
遊牧地も保全してもらえた。
このあたりに住んでたイスラム教徒のトルコ系遊牧民ノガイも
しばしばオスマン帝国領のコーカサスやクリミアに集団逃亡している。
29 :
世界@名無史さん:02/03/17 01:02
あげ
30 :
世界@名無史さん:02/03/24 02:50
age
31 :
世界@名無史さん:02/04/16 13:53
唐揚
32 :
世界@名無史さん:02/04/16 15:26
ちなみにロシアに残ったカルムイク人は、アストラハン県に
組み入れられ、カルムイク・ハン国は廃止された。
19世紀には遊牧地の収奪とロシア人農民の入植がおこなわれた。
33 :
世界@名無史さん:02/05/01 20:28
南無阿弥陀仏
34 :
世界@名無史さん:02/05/09 21:03
唐揚
35 :
世界@名無史さん:02/05/18 19:08
ブザウ人万歳
36 :
世界@名無史さん:02/05/18 20:00
俺はなんでオーストラリアやニュージーランドにゲルマン人がいるのだろうか?と
厨房の頃不思議に思ったもんだ。
あとアメリカはブッチャーの国としてしか認識してなかった。
37 :
世界@名無史さん:02/05/19 21:11
なんかの本で昔読んだけど、清の乾隆帝(ごめん雍正帝かな?は
カルムイク人が臣下の礼を取ったため使節を出したらしい。
ロシア人はそ使節の華美な衣装に驚いたとか。
いつかあそこも中国固有の領土だとか言い出すのかな。
38 :
世界@名無史さん:
トゥリシェン万歳