「韓国語」と「朝鮮語」は別個の言語

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2923.モンゴル語の分化と再統合-4
 (3)オイラトのモンゴルへの吸収
オイラトは、14-18世紀にかけてモンゴルと北アジアの派遣を争った勢力で、言語的に
もモンゴル系の人々がはなすことばとは異なる特徴を持ち、17世紀には独自の文字を制定
するなど、モンゴルに対し、政治的にも文化的にも高い自立性をもっていた。しかし1755-
60年にかけ、清朝がオイラト国家を征服した際、イリ河畔で民族浄化の大虐殺を行い、オイ
ラトは本拠地と人口の相当部分を失った。その結果オイラトはモンゴルとは別個の勢力とし
て自立するだけの力を失い、周縁部の青海や新疆北部、外蒙古(ハルハ)西部などに残存し
た生き残りたちは、「蒙古」の一部として清朝の支配体制下にくみこまれた。

オイラト系の人々は、20世紀に入ると、カスピ海沿岸のトルグート族がロシア帝国・ソ連
の支配下で独自性を保ち続けた(現在カルムイク共和国を樹立)のを除き、モンゴル国と
中国に分断され、彼らのことばは、それぞれが制定する「モンゴル語」の「標準」に向かっ
て収斂してゆくプロセスが進行中である。

たとえば、チベット人地帯のなかにポツンとうかぶオイラト人の島である青海省河南県。こ
の地のオイラト人子弟は、中国国民としての共通語「中国語」を習うのは当然として、第二
言語として学ぶ「少数民族語」としていかなる言語を選ぶのか、悩みは尽きない。
この土地で不可欠なチベット人との交際には、チベット語が都合がよい。無理して民族のこ
とばを学ぶにしても、先祖伝来のことばか、共通「モンゴル語」のいずれを選ぶべきか、と
いう選択を迫られる。前者なら、教材もよく整っていて、習得後は中国国内で通用する資格
としても通用するが、河南のオイラト族としての特徴を失ってしまう。後者は、教材も乏し
く、苦労して身につけたとしても、民族の伝統を守るという満足以外に得るものはない。総
体として、この県のオイラト語は急速に衰退している。
2933.モンゴル語の分化と再統合-5:02/02/15 10:50 ID:V9dsnY4n
 (4)モンゴル国と内蒙古におけるモンゴル語の分化
 1910年、モンゴルは清国の滅亡を機に独立を宣言、全モンゴルの統合を目指すが果たせ
ず、旧「外蒙」にあたる北部ハルハ地方をモンゴルが、「内蒙古」部分を中国が確保し、モ
ンゴルは二分されることになった。近代文明の導入はモンゴルではロシア、内蒙古では中国
を経由して行われることとなり、それぞれのことばにおいて近代化がもたらす概念を受容す
る際にも、それぞれが別個の語彙を創出していった結果、モンゴルと内蒙古で、モンゴル語
の分化・乖離が始まる。
 早期に導入された概念のなかには、「共和国」を漢字1文字づつ意訳した「ブグダ(皆
で)ナイラムダル(仲良くする)ウルス(国)」など、両モンゴル語に共通する語彙もある
が、特にロシア・モンゴルで社会主義政権が成立して以後(ロ1917、モ1924)は、ロシア
とモンゴルの結びつきが緊密の度を深める一方、モンゴルと内蒙古の交流は厳しく制限され
るようになり、語彙面での分化が加速された。

モンゴル語の分化の大きなあらわれである、モンゴル国のモンゴル語におけるキリル文字の
導入は、1941年より1950年まで、10年をかけて行われた。

古典モンゴル語で用いられていたウイグル式文字は、各地の方言話者たちは、それぞれの発
音でその文字を読むことができるという特徴があり、ブリヤートから内蒙古にいたる、方言
差の大きいモンゴル語共同体の一体性を保持する上で重要な役割を果たしていた。

キリル文字は、ウイグル式文字の転写ではなく、ハルハ地方の発音を標準とする言文一致の
形で導入され、その結果、独自の言文一致を行ったブリヤート(→>>211-213にて詳述)や、
ウイグル式文字を維持した内蒙古のモンゴル語との分断・分化・乖離が促進されることになっ
た。
2943.モンゴル語の分化と再統合-6 :02/02/15 10:51 ID:V9dsnY4n
  (5)モンゴル語の再統合を目指して
1990年のソ連邦の滅亡、モンゴルの民主化、1980年代からの中国における「改革・開放」
政策のおかげで、国境を越えたモンゴル系諸国民の連絡・往来に対する制限は、従前と比較
して格段に緩和され、モンゴルでは1994年、ロシア連邦構成の諸国でも同じころから学校
教育にウイグル式文字の学習を取り入れるなど、モンゴル語の統一を恢復しようという動き
がモンゴル系諸国民の間で芽生えはじめている。