(4)モンゴル国と内蒙古におけるモンゴル語の分化
1910年、モンゴルは清国の滅亡を機に独立を宣言、全モンゴルの統合を目指すが果たせ
ず、旧「外蒙」にあたる北部ハルハ地方をモンゴルが、「内蒙古」部分を中国が確保し、モ
ンゴルは二分されることになった。近代文明の導入はモンゴルではロシア、内蒙古では中国
を経由して行われることとなり、それぞれのことばにおいて近代化がもたらす概念を受容す
る際にも、それぞれが別個の語彙を創出していった結果、モンゴルと内蒙古で、モンゴル語
の分化・乖離が始まる。
早期に導入された概念のなかには、「共和国」を漢字1文字づつ意訳した「ブグダ(皆
で)ナイラムダル(仲良くする)ウルス(国)」など、両モンゴル語に共通する語彙もある
が、特にロシア・モンゴルで社会主義政権が成立して以後(ロ1917、モ1924)は、ロシア
とモンゴルの結びつきが緊密の度を深める一方、モンゴルと内蒙古の交流は厳しく制限され
るようになり、語彙面での分化が加速された。
モンゴル語の分化の大きなあらわれである、モンゴル国のモンゴル語におけるキリル文字の
導入は、1941年より1950年まで、10年をかけて行われた。
古典モンゴル語で用いられていたウイグル式文字は、各地の方言話者たちは、それぞれの発
音でその文字を読むことができるという特徴があり、ブリヤートから内蒙古にいたる、方言
差の大きいモンゴル語共同体の一体性を保持する上で重要な役割を果たしていた。
キリル文字は、ウイグル式文字の転写ではなく、ハルハ地方の発音を標準とする言文一致の
形で導入され、その結果、独自の言文一致を行ったブリヤート(→
>>211-213にて詳述)や、
ウイグル式文字を維持した内蒙古のモンゴル語との分断・分化・乖離が促進されることになっ
た。