ハンガリーについて(・v・)!II

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992世界@名無史さん:03/06/30 22:00
もっと女性の書き込みを増やそう!
ハンガリー女王マリア・テレジアの体位とか。
993世界@名無史さん:03/06/30 22:14
>>992
もっと女性の書き込みを増やそう!

女性を対象とした書き込みか
女性による書き込みか
「ハンガリー女王マリア・テレジアの体位とか。」
について女性が書き込むのか?
994世界@名無史さん:03/06/30 23:50
985=新宿強姦技術専門学校(通名早稲田大学)関係者?
995ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/30 23:57
フス戦争関係は有名なサイトがありまして、そこの掲示板でこの手の
話題は良く出てきます。しかし、他で見たのは初めてです。

さて、イスクラですが、彼がスロバキアに現れるまでの足取りは不明
です。チェコのブランダイズという土地の小領主の家系の出身なんで
すが、フス派に属して戦っていたかどうかはわかりません。
彼が記録に現れるのはハプスブルク家出身のハンガリー王アルベルト
が対トルコ戦に赴く途上で赤痢で亡くなり、彼の妃のエルジェーベト
が夫の死後に出産したラディスラウスとポーランドのヤゲヴォ王家の
ポーランド王ウラースロー1世の間で王位を巡る争いが勃発します。
その際にエルジェーベトが雇ったのがイスクラでした。
彼は主にフス派からなる傭兵隊5000人を率い北部ハンガリーの王
領の守備を任されます。彼の勢力の中心はゾーヨム(今のズボレン)
と周辺の鉱山地帯、および東のカッシャ(今のコシュツェ)だったよ
うですが軍を率いてスロバキアの敵対勢力と戦い、勢力範囲を拡大し
ていきました。結局、はっきりとは判りませんが今のスロバキアのほ
とんど全域を勢力下に納めていたようです。
イスクラは以来、北ハンガリーに半独立の勢力として居着いてしまい
ます。フニャディ・ヤーノシュも幾度も攻勢をかけていますが、イス
クラはことごとくこれを退けています。
996ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/30 23:57
ヤノシュの死後、ラディスラウス5世がフニャディ・ラースローを殺し
た後、シラージ・ミハーイを始めとするフニャディ一派に追われ、プラ
ハに逃れて死んだ後、イスクラは後ろ盾をなくします。勢力を弱めた彼
に新王マーチャーシュは攻勢をかけ、彼を追い詰めていきます。
そして、充分に追い込んだところで、所領と財宝を与えるという条件で
投降を呼びかけました。イスクラはこれに応じ、トランシルバニアに所
領を与えられマーチャーシュの将あるいは外交官として仕えました。

さて、マーチャーシュ王直轄の傭兵軍団「黒軍」ですが、元になったの
は投降したイスクラの軍団と、イスクラの元から分かれたペトル・アク
サミットという指揮官の部隊を攻めて、指揮官を絞首刑にし、兵を傘下
に納めたもののようです。ただし、黒軍=フス派の残党とはいいきれな
いようで、マジャール騎兵やバルカン方面の騎兵もいるようです。
イスクラ自身がどこまで黒軍の編成に関与していたのかは私にはわかり
ません。
1468年のボヘミア遠征に彼が従軍していたかも不明です。
この前年にはトルコへ使節として赴いたそうですが、手元の資料ではボ
ヘミアへ行ったかということについては言及されていません。

あまり、お役に立ちそうもない書き込みで申し訳ないです。
997永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/01 00:15
>>996
私が調べたところでは、
ヤン・イスクラはフス派の中核部隊「シロッツィ」で、
フス戦争を戦い抜いたようです。

マーチャーシュ王は黒軍をフス派式に編制したらしいので、
イスクラの関与を疑っていました。
リパニの戦いの後、このような人生を送った「シロッツィ」の生き残りがいたんですね。
興味深く読ませていただきました。
ただ、ボヘミア遠征の指揮を彼が執っていたのかどうか分からないのは残念ですが…。

命を賭けて守った祖国に裏切られ、戦友をことごとく失い、
血みどろの戦いの中で生き抜いた彼が、無敵と謳われた祖国の軍と同じ編制の軍を育て、
かつて自分を裏切った祖国に復讐するために戻ってくるというドラマを想像していたので、少し寂しいです。
リパニの地獄を生き抜いたイスクラがマーチャーシュ王の下で落ち着いたのを知り、安心しました。
ありがとうございました。
998カレス ◆AUvFvohlXU :03/07/01 01:29
>>996>ヤーノシュさん
新スレをどうぞ建ててくださいな。
999ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/01 01:36
>997
孤児団の将だったとは知りませんでした。
だった、可能性はあるとは読んだことがありますが。
この手の話題はフス派で検索したら出てくるサイトの掲示板の皆さん
がお詳しいです。一度いらしてみてはどうですか。

イスクラはマーチャーシュ王の下では重用されていたようで、副王の
娘(この時期だとサポヤイでしょうか)と結婚して娘が一人いました。

ボヘミアとの関係ですが、ハプスブルグ家のフリードリッヒ3世やポー
ランドの王家と接触したということはあるようですが、イジー王と組む
とはしなかったようで、お互いの相手に対する感情というのが見えるよ
うな気がします。

あと、軍の編成ですが、フニャディ・ヤーノシュの率いた軍団にもフス
派の残党はいます。ターボルの残党はけっこうあちこちに居たようです。

1000ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/01 01:55
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ハンガリーについて III

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