1 :
レオナルディーノ:
この言葉いろいろな所で良く耳にします。他の人にルネッサンスを
語らせておくのではなく、あなたのルネッサンスに対する思いを
ここで語って下さい。
すさまじい殺し合い
3 :
レオナルディーノ:01/11/30 02:10
いきなりこの言葉で始まるってことは、このスレも『中世ヨーロッパの暮らし』
みたいにトンデモナイ方向に行くんでしょうか?
4 :
世界@名無史さん:01/11/30 02:13
アニー・ハズラム最高!
5 :
レオナルディーノ:01/11/30 03:20
そっちに行ったんですね。
やはり建築ならケルト・ルネッサンス様式が最高だね!
7 :
レオナルディーノ:01/11/30 03:32
自分イタリア人なんで、ケルトのことは詳しくないっす。
その様式の特徴とか具体例ってありますか?
レオナルド・ダ・ビンチがいった
「権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず、ただ記憶を用いるにすぎぬ」
はまさに名言です。
9 :
レオナルディーノ:01/11/30 04:27
なるほどね〜。メモメモと。
で、どなたか他に名言を御存じの方います?
それと上記のケルトルネサンスについて御存じの方。
ペルファボーレ。
10 :
世界@名無史さん:01/11/30 04:29
>レオナルディーノ
少しは作品を完成させなよ。いっつも投げ出すか絵空事で終わりじゃない。
11 :
レオナルディーノ:01/11/30 04:40
こめんなさい。自分いつもお金に困ってて、ミラノのナビリオでやる
骨董市の時に出す解剖ショーで使う*体集めるんで大変なんっす。
>レオナルディーノ
ところで、トスカーナが恋しくないかい?
ミラノなんて霧ばっかりでしょ?
13 :
レオナルディーノ:01/11/30 05:23
そうミラノって湿気多いんだよね。冬はやたら雨多いしさ。
でも今さら帰っても友達もいないしねー。御飯も食べなきゃいけないし。
それでねこっちにいると、ピエモンテとかアオスタとかから来る
可愛い子、結構多いんだよね。モーホじゃない自分としては
ちょっと気になる。フランス人の血が入っているような感じの子。
まあこの先フランスに行くことはないと思うけど。いいなって思う。
アルプスの向こうには可愛い子いっぱいいるのかな?何があるんだろう。
>レオナルディーノ
オイオイ、一生イタリアには戻ってこれなくなりそうだぞ。いいのか?
それよりあなた、モーホじゃなかったの? ミケ君なんかはあなたのことフィノッキオだって言いふらしてたぞ。
15 :
レオナルディーノ:01/11/30 12:58
ち 違うっす。あいつこそフィノッキォだよ。だってみんなが、あいつはピッツェリアの
マルコと付き合ってるっていってたもん。ミケランジェロじゃなくてミケランジェラだって。
あいつマッチョが好きなんだよね。いやだね。汗臭そうで。もっとこう、優雅になれないもんかね。
それにあいつ変だよ。「自分は共和国支持者だ」っていってみたり、日曜日にパパの演説聞きに
サン・ピエトロに行くっていってみたり、まあ自分も一回ぐらいはパパに会ってみたいけどね。
あいつのこといろいろ書いちゃったけど、あいつこの板見てないよな。
16 :
ミケーレ+アンジェロ:01/12/01 02:13
>>15 てめぇ、鼻の骨へし折ったるぞゴルァ!!
軟弱な似非芸術家め!! くやしかったら石から人をだしてみろってんだ!!
ミケーレじゃなくてミケルだと思ふよ。
>>9 ではもう一つ。
レオナルド・ダ・ビンチがいった名言その2
「鉄は使用せずしては錆び、水がくさりまたは寒中に凍るように、才能も用いずしてはそこなわれる」
>>8ほどではないがそれなりにいい。
19 :
レオナルディーノ:01/12/01 12:18
>>16 うわっ でた。
しかし、君いつ見ても汚いカッコしてるね。たまには風呂に入った方がいいよ。
「似非芸術家」だって?いいじゃん。だいたい自分は何でも屋だからね。
結婚式の余興だってやるよ。この間もベルルスコーニの甥の結婚式に、天使が
乗った出し出したけど。受けてたね。良かった。グライダーのスケッチたくさん
描くいといて。
だいたいきみだって、石彫する時いきなりディティールから彫るから後でつじつまが
合わなくて結構投げ出した作品多いっていうじゃん。
20 :
レオナルディーノ:01/12/01 12:21
訂正 19
誤 出し出してたけど
正 山車出してたけど
21 :
レオナルディーノ:01/12/01 12:56
このスレだんだん現実と虚構の狭間がびみょーになってきたね。フェリーニの映画みたい。
基地外の皆さんには受けるかな?これはこのままこの進行で逝くとして、
自分的にはもうちょっと違う路線も欲しいかな。みたいな。
「名言集」はこのままお願いするとして、例えば「ルネサンスの由来について」とか
「ルネサンス時代のヨーロッパの金融システム」とかを分かりやすく(ウ゛ァカだから)
説明してくれる人がいたらベニッスィモって感じなんだけどな。
もちろん「チェザーレ萌え」とか「ルネッサンスの食いしん坊マンセー」
なんていうのもO.K.っす。
2チャンネリーニの皆さんはルネサンスというと何を思い出しますか?
そもそも『ルネッサンス』って書く人と、『ルネサンス』って書く人がいるけど、
日本語的にはどっちがいいのかな?イタリア語ではリナシメントっていうんだよね。
だから自分的にはドゥオーモの近くの百貨店『リナシェンテ』を思い出すんだけど...。
22 :
世界@名無史さん:01/12/01 22:47
世界史板的なルネサンスと、文学、美術、その他文化的なルネサンスって
ちょっと違うんですよね。
そのへんのところをうまく比較出来る人がいるといいんだけど。
23 :
イル・マニーフィコ:01/12/01 23:15
24 :
世界@名無史さん:01/12/01 23:28
ロレンツォ参上?
25 :
レオナルディーノ:01/12/02 02:48
>>22
O.K.そこら辺から、わかりやすい言葉で入っていける方がいればものすごーくありがたいっス。
ねぇねぇ、スィニョールセンツァノーメの皆さん。このスレは皆さんのためにあるんでっすー。
なんでって、いち早く提示された論題からこのスレは始まっていくんですから。
マジ、活発な議論を展開して欲しいっス。
>>23
ブォナセーラ スィニョール
まー。自分はあなたのこと忘れないけど...。でもあなたが自分に何をしてくれたのさ。
あいつは結構義理になってるみたいだけどさ。いろいろあって今、ミラノにいるんだからね。
自分だって12がいったようにトスカーナが恋しいさ。でもあなたは自分のことシカトするし。
まあいいんだけどさ。
26 :
世界@名無史さん:01/12/02 03:08
文学、美術、その他文化的なルネサンス⇒
a:古典古代萌え〜。でも、理想化しすぎ。
b:ペストがはやって「死を思え」ばっか言われて、もう宗教道徳飽き飽きだもんネ運動。
a+b=人間(性)の発見(=c)
世界史板的なルネッサンス⇒
d:古代哲学の再発見だぁ。スコラ哲学なんてもうダメじゃん。教会なんてペペのペェと人文主義。
e:宗教改革だぁ。対抗宗教改革だぁ。宗教戦争だぁ。政教分離だぁ。
c+d=絶対主義への移行(=f)
e×f⇒啓蒙思想だぁ。人権思想だぁ。市民革命だぁ⇒近代だぁ。
>>23 ミラノ市にくわしそうなので質問しちゃおかなぁ。
99年9月除幕された
ミラノ市の「ダ・ビンチの馬」についての事と感想を伺いたい。
あの騎馬像は本当に残されたダ・ビンチのスケッチをもとに作成されたので
しょうか?当時のミラノ公からの依頼では、その依頼人の父親の騎馬像
であったはずですが。
写真でみたけど巨大な馬・・・。
28 :
=26あ、間違えた:01/12/02 03:13
×>c+d=絶対主義への移行(=f)
◎>d+e=絶対主義への移行(=f)
>>27 まちがえました>23さんではなくレオナルディーノさんにです。
レオナルドこんなとこにいたのか!
あえてつづける(ネタきれるよー)
ダ・ビンチがいった名言その3
「あたかもよくすごした一日が安らかな眠りを与えるように、
よく用いられた一生は安らかな死をあたえる」
とさ。おもい言葉だよね。一日一日をよくすごせば安らかな最後を
迎える、と解釈してます。
以上「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」からでした。
今日、レオナルディーノさんはこないのかな?
33 :
世界@名無史さん:01/12/03 05:31
34 :
レオナルディーノ:01/12/03 23:07
>>ジャレル様
『レオナルドの馬』については、上記のスレに書き込んどきました。長いンすけど、
もしよろしければ御覧下さい。
35 :
レオナルディーノ:01/12/03 23:28
世界史的にはルネッサンスって中世から近代の「過程」なんすねー。
何か混沌とした感じ。美術史的には、いつから時代をわけるかは別として、
明らかに中世とその内容は違うんっすけどねー(そう習った)。
イタリア史的に見ても、たぶん美術史とそんなに見方は変わらないと思うんですけど
(まあイタリアも混沌としていたみたいっすが)、
アルプスの向こうの人たちから見るとまた違うんでしょうね。年代の定義も異なるみたいだし。
どうなんでしょう。その辺。
やっぱり教会権力を凌ぐようなカリスマ的君主が登場しないと、
ルネサンスは語りにくいんじゃないでしょうか。
アルプス以北のルネサンスに関していえば、美術史的な
様式の輸入や模倣だけでなく、ルネサンス的な精神の普及までいかないと、
定義的に難しいと思う。ルネサンス的な精神とは何だ、といわれると
ちょっと困るけど(笑いの復活とか?)。
37 :
レオナルディーノ:01/12/04 02:22
なんとなくルネッサンスの定義、精神性みたいのが出てきたんで、ルネッサンスの
始まりみたいのからごく大まかにここで一発。あらかじめいっときやすが、
自分の知識はたいしたことがないんで、「違うんじゃん」って方はこうだって、
わかりやすく説明してね。
38 :
レオナルディーノ:01/12/04 02:25
中世も後期になると先の時代に比べて、だいぶヨーロッパも政治、経済的に
安定してきて、物の行き来も活発になってきたと。前の言葉とは多少、逆な状況だけど、
十字軍遠征が行なわれたことで、さらに物資の行き来は盛んになってきた、
特にヴェネッツアやジェノバ辺りの地中海沿岸諸国では東方貿易も盛んになってきたと。
東方から物が運ばれるとともに文化も一緒に運ばれてきたと。その内容はかって自分達が
持っていた数学や医学に関する知識であったと。そういう古代ローマ人が持っていた知識を、
サラセン人がアレクサンドリア辺りで大切に保存、発展させていたと。それがビザンティン経由で
入ってきたことでギリシャ的な合理性という面もより強化されたと。ついでにビザンティンでは、
逆に政治的に不安な状態が続いていたので多くの学者がイタリアに亡命してきたことも古代ギリシャ的な
文化を広めるのに役立ったと。
39 :
レオナルディーノ:01/12/04 02:27
これらから後に新プラトン主義が生まれるけれど、まあイタリアでは、
14世紀ぐらいから人の意識が変わってきたと。今までは教会を通じて
神の目で見ていたものを、自然を通して自分の頭で考えるようになったと。
それは我々の先祖がやっていたことだったと。だから我々は新しく生まれ変わったんだ。
rinascita(リナシタ) nuovo nascere(ヌオーヴォ・ナッシェレ)ルネッサンスと。
でも実際はこんなにすんなりとした形じゃなくて、戦争や疫病、教会の腐敗と
いったものも追い討ちをかけて人々の意識を変えさせざる終えない状況にしたんだろうけどなと。
ここら辺からルネッサンスは始まったと。
40 :
レオナルディーノ:01/12/04 02:29
それで、カリスマ君主っていうと誰ですかねー。自分は、シャルル8世とかカール5世とか思い出すんですけど...。
おっかないおっかない。まあここにも君主じゃないけど、カリスマの皆さんが
お二人ほどお見えになりましたね。その後お変わりはございませんか?
>>レオナルディーノ様
「レオナルドの馬」についての事と感想みさせていただきました。
感想は例の上のスレの書き込んでおきました。
ダ・ヴィンチに興味をもつ人としてはこの上ないレスですね。よかったです。
>>ルナさま
>ルネサンス的な精神とは何だ
という聞かれれば「教会の伝統的な権威を実質的に否定した
個人主義的な人文主義」という答えはどうでしょうか?
イタリアから派生したルネッサンスに当てはめてみました。
42 :
イル・マニーフィコ:01/12/04 05:05
んっ?
ルネサンス的君主といえば、ロレンツォ君やコジモ君を
念頭に置いていたのだけど、王様レベルじゃないと、
世界史的にはつらいのかな?
マントヴァ公やミラノ伯も入れて欲しい。
フランスまで足をのばすなら、フランソワ一世あたりは
どうですか?
知識や書物ネタで思い出したけど、法廷納本を定めた王様として、
図書館がらみでは有名であるのだ。
44 :
世界@名無史さん:01/12/04 07:23
>>37-39 そうですね。
幾つか補足させてもらうと、
>東方から物が運ばれるとともに文化も一緒に運ばれてきたと。
>その内容はかって自分達が持っていた数学や医学に関する知識であったと。
>そういう古代ローマ人が持っていた知識を、サラセン人がアレクサンドリア
>辺りで大切に保存、発展させていたと。
>それがビザンティン経由で入ってきたことでギリシャ的な合理性という面も
>より強化されたと。
古代の知識が、イスラム→ビザンツ経由で入ってきたものと、もともとビザンツで
保存されていたものとがあるんです。
ビザンツはギリシア語使ってましたので。
で、このビザンツから移入された知識は、ビザンツがイスラムに脅かされた時期に
ローマに救援を求めるため派遣された聖職者によってイタリアに伝えられました。
(もちろん彼らがイズラムの知識を間接的に伝えた部分もあります)
ビザンツが崩壊後は亡命者などによっても伝えられました。
で、「ギリシア的合理性という面」ですけど。
これ、少し紆余曲折があって、新プラトン主義などは必ずしも
合理的な思想とも言えないです。
古代アレクサンドリアでの医学知識って占星術や錬金術と一体化
したものでした。
(イスラムで薬学などに分化発展させられたいた面もありますが)
この辺もイタリア・ルネッサンスの楽しいところではないでしょうか。
※あ、ちなみにこのスレはイタリア・ルネッサンス・メインってことでよいのですよね?
46 :
世界@名無史さん:01/12/04 09:34
美術鑑賞板にもルネサンス関係のスレあるよ。
http://piza2.2ch.net/gallery/kako/971/971795392.html 15世紀の、ことにフランドルを中心に展開された美術を、時に
「北方ルネサンス」として、扱う美術書がありますが、これはし
かし、「後期ゴシック」、「末期ゴシック」として分類されるべきも
のであり、そういう本を見たら、まず注意するべきでせう。古い
研究ではそういうものが結構ありますが、最近のもので、補足
説明がなかったら、まずその執筆者の目を疑って読んだ方が
よいと思います。
15世紀のイタリアに興ったルネサンスは、今日の実証的な歴
史学では、中世以来、何度となく興った古学復興の最終局面
と考えられていますが、しかし同時に、15世紀ルネサンスの一
回性を我々は決して無視できないんですね。要するに意識の
問題です。カロリング・ルネサンスは「復興」であっても「ルネサ
ンス」ではない。15世紀のルネサンスは、14世紀以来文献に
登場する、正に一度死に絶えた古典的古代が彼等の時代に
「再生」したという意識によって、区別されるべきものなのです。
452 名前: goatsong 投稿日: 2001/05/12(土) 10:01
そういう意味では、15世紀の北方人であるネーデルラントの人
々には全くそういう意識はないわけで、「北方ルネサンス」と呼
ぶべきものは、15世紀イタリア固有の現象であるルネサンスが、
アルプス以北に波及した16世紀初頭の北方美術を指すわけで
す。具体的には、フランドルのホッサールトや、ドイツのデュー
ラーなど。なお、「ルネサンス」というのは純粋にイタリア的な現
象であって、それに類するものは他にないとする立場もあります
が、この場合、ルネサンスの定義という非常にややこしい問題
が出てくるので、飛ばします。個人的には、納得できるものなの
で、私は「北方ルネサンス」という語は避けていますが。
48 :
レオナルディーノ:01/12/05 00:50
皆さんたくさんのレスありがとうございます。グラッツエ。
思うんっすけど、このスレって年齢的にどのくらいの方が見てるんですかね。
年齢的に上の方は読んでいただいて理解なさっていただけるとして(シャレも含めて)、下の方はどうなんでしょう。
「自分が一番若いと思う」って方はカキコして下さい。自分が書き込むときの参考にします。これはマジレスでお願いします。
>>ルナ様 王様レベルじゃないと、世界史的にはつらいのかな?
別にいいんですよ。王様のレベルじゃないといけないなんてことはないんですよ。
ご自身が思ったことを書いて下さい。皆さんが議論を引っ張っていって下さい。
>>44様 ※あ、ちなみにこのスレはイタリア・ルネッサンス・メインってことでよいのですよね?
必ずしもそうじゃないんですけどね。イタリアについての話が多いのは、自分がそこら辺に興味があるっていうのもそうなんですけど、
あまりに大風呂敷なテーマなんで、まず始めに時間軸、空間軸で追っていく方が、議論しやすいかなと思って。
ルネッサンスの発祥の地といえば、イタリア地方であることに皆さん同意すると思うんで。それで始めました。
理想をいえばルネッサンスの大枠の発祥、定義が議論されたら、時間軸にそって議論が展開されていくのがいいな。
なんて思っているんですけど(流れ的には26さんが書いてくれた辺りかな)。まあそうはならないでしょうね。
それはともかく、そのうちルネッサンスの神秘的側面で、持論を展開していたたければと思っておりやす。
49 :
レオナルディーノ:01/12/05 00:54
それで議論を膨らますために、具体的なルネサンスの始まりを皆さんに議論していただきたいんですけど、
ルネッサンスの始まった時期っていうと、15世紀ぐらいからっていう話をすると、大抵の人は文句ないと思うんですけど、
ことイタリアから見るルネッサンスって、14世紀中位からなんすよねー。(そう聞いた。)
で、だいたいここら辺からルネッサンス(再生)って言う言葉が使われ始めたっていわれているのは、
フィレンツェ共和国の書記官長だったレオナルド・ブルーニ(1370頃〜1444)っていう人が、
自分の著書『回顧録』の中で詩人フランチェスコ・ペトラルカ(1304〜1374)の著作を読んで、「再生」の光を見たって
いってるらしいんですけど。それで、ペトラルカ本人も自分より前の時代を古代と近代に別けていたと。
そのご本人の別け方自体には多少異論があるものの、ここではもうすでに自身がいかなるものであるかという認識があったと。
ここら辺からルネッサンスは始まったということなんですけど。自分が習った辺りだと、場合によっては
ダンテなんかもルネッサンスに入っちゃったりしてるんですよねー。まあこれはこれとして、上記のことで何かありますかねー。
あと47さんが指摘した、中世で幾度か起こった、「復興」という流れと、今ここで取り上げられている
「再生」といういう流れの違いをやさしく説明していただける方(政治、経済、制度面等で)。お待ちしております。
プレーゴ。
今、東京ステーションギャラリーで「シエナ展」やってますね。(9日迄ですが)
この美術展にヘラクレス像のエスキースがあって、ちょっと不思議でした。
中世〜ルネサンス期に古代の神を表現する事は、そうある事では無いですよね?
あったのかな? (美術畑出身なのに、こんな質問してますが・・)
こんな書き込みでペルメッソ。 サーゲ
ちょっと気になったので「ルネサンス」の用例を調べてみました。
(Grand Robert Electronique, フランス語の大辞典です)
フランス語のrenaissanceという単語は、
単に「再生」という意味(生還、輪廻)では1563年以前に
最初の用例が確認され、社会、組織、そして知的・芸術的活動における
「復興」という意味では1674年と、かなり遅いです。
歴史用語としてしばしば大文字で記述されるルネサンスは、
1825年にヴィクトル・ユゴーが用いたのが最初の一例らしく、
この場合は1568年にVasariが用いたイタリア語のrinascitaから
直接派生した語、とのことです。大文字で書かれるときは、15-16世紀、
場合によっては16世紀初頭に限定される語となるそうです。
語源、語義にこだわると逆に本質を見逃すということもありますが、
大文字・小文字での「ルネッサンス」の使い分けや、
その用法が一般的に認知された年代が知りたいところです。
もちろん元祖イタリアでの最初の用法や定義も。
ところで、ホントにそんなもんあったのか、というつっこみはさておき、
フランスにおけるルネサンスを開花させたのはフランソワ一世
(1494-1547)ということになっています。
美術様式的には、このルネサンスは戦争をきっかけとする
イタリア北部文化との接触、その後芸術作品の輸入やアーティストの
招聘を経て、フォンテーヌブロー宮殿で花開いたスタイルなどと
定義されていますが、もっと大きな意味で注目したいのは、
教会や宗教のためではなく、世俗世界において文化・芸術の
発展が可能であったこと。それを可能にするのはある程度の
平和と経済的安定、つまりインフラ。
そしてそれを維持し擁護する「君主」の登場ではないかと思ったわけです。
なお、
>>36で「カリスマ」と書いたのは、ちょっと不適切だったかな。
超人間的・英雄的資質というよりは、表向きだけでも「人間的」な
ところが要求されるような気がしてきました。
>>48 23歳ですじゃ。このスレに書き込んだ中では若い方ではないとおもう。
レオナルディーノさんの年齢も気になるところです。
自分よりちょっぴり若い方がおられたので、
年齢表記は割愛します。
55 :
世界@名無史さん:01/12/05 09:50
>>49 >それで議論を膨らますために、具体的なルネサンスの始まりを皆さんに議論していただきたいんですけど、
>ルネッサンスの始まった時期っていうと、15世紀ぐらいからっていう話をすると、大抵の人は文句ないと思うんですけど、
>ことイタリアから見るルネッサンスって、14世紀中位からなんすよねー。(そう聞いた。)
えーと。
まず「ルネッサンス」を歴史書で用いたのは19世紀のJ・ミシュレーが嚆矢だそうです。
※ここではイタリア近世同時代でのrinascita(リナシタ) nuovo nascere(ヌオーヴォ・ナッシェレ)については置いておきます。
で、ミシュレに継いで、ご存知のブルクハルトさんが、「ルネッサンス」を「古代の再発見」という、歴史概念に仕立て直した、と。
ミシュレの「ルネサンス論」は私も読んでないんですけど。
普通言われるのは、ブルクハルトより前は、「ルネサンス」は美術史の様式概念だった(たあし建築も含む広範な概念だった)。
これをブルクハルトが社会思想史の概念にまで広げた、と言ってよいと思います。
で、ルネサンスの始まりですけど、20世紀に入ってC.ハスキンスが「12世紀ルネッサンス」を唱えた。
ハスキンスの12世紀ルネッサンスは4つの中心地が挙げられています。
「北東スペイン」「トレド」「シチリア島」「北イタリアの諸都市」です。
みると推測がつくように、ハスキンスの段階では、西欧の外部たるイスラム圏との地中海的交通がルネッサンスの前提条件視されていた。
多分ハスキンス以降、
>>47で示唆されている「復興」と「再生」の概念上の区別が曖昧化しだしたのではないか、と思います。
56 :
レオナルディーノ:01/12/06 00:37
皆さんそれなりのお年みたいですね。高校、中学生の方がいらっしゃったら
どうしようと思っていたので。今のところ、このままでいいみたいですね。
で、自分は34になります。いいのか、このままで。
57 :
レオナルディーノ:01/12/06 00:44
>>50 YP様
自分それ見てないんすけど、中世でもヘラクレス像を表現することはあったみたいっすよ。
といってもヘラクレスそのものではなく、その形だけ借りて聖ナントカだか
意味の寓意(例えば正義とか)だか、キリスト教的価値観に
置き換えられて表現されてたみたいっすけど。
図像学に詳しい方ならもっとましな説明してくれると思います。
あとルネッサンスで古代の神々を表現することは、もう全開バリバリです。
容赦はありません。
ちょうど今「ルネ(ッ)サンス」という言葉の歴史から議論が始まっているので
ちょうどいいんじゃないでしょうか。
いっしょに盛り上がりましょう。
それで「ルネッサンス」って言葉なんですけど、今の所の流れでは
この言葉がメジャーになったのは、19世紀位からってことでいいですかねー。
自分が知ってることもだいたい皆さんとダブるんですが、フランス語のこの言葉は
神学用語でギリシャ語をそのまま置き換えたということ。一般的になったのは、
ミシュレが著作『フランス史』で、9刊目だかなんだかに「再生」という刊を
著した辺りだと聞いています。
ここら辺の話はまだ続けられそうなので他にある方お願いしっまーす。
このスレッドに書き込みをした人の中では自分が最年少なのかな?
ルナさんが自分より年上であることがはっきりしてしましましたね。
年齢を女性に聞くのはまずいですよねー。
「ルネッサンスの言葉の歴史」からそれますが、
上記のレスで疑問に思ったことがあったので考えをまとめてみました。
>>38>>44 >古代の知識が、イスラム→ビザンツ経由で入ってきたものと、もともとビザンツで
保存されていたものとがあるんです。
古代の知識(古代ギリシア・ローマ)の復興波及は
確かにイスラム→ビザンツ経由ではいってきたものもあるかとおもいますが
以下のことが原因とだと思っていました。
1イスラム世界(当事のスペイン・北アフリカ)からの流入
2ビザンツ衰退および滅亡にともなう知識人の亡命
3もともとイタリア各地に保存されていた文献の再認識
1はイスラム世界で盛んに研究されていた古代ギリシア・ローマ関係著作
(代表アリストテレス、ガレノス)のアラビア語からラテン語への翻訳活動
(イスラム系の学者のラテン名の存在)。
2については
>>44さんがのべられているように1453年のビザンツ滅亡による
知識人の亡命。ビザンツではギリシア古典が最大の教養として扱われていた。
3につきましてはイタリア・ボローニャ大学の起源となった「ローマ法大全」の発見といった例。
といったことです。
あとの展開で永続的に続いた技術的な要因としましたは
羅針盤・火薬・活版印刷の普及があげられます。
うーむ概論的にしかまとめられない。
まちがいがあれば教えてください。
60 :
レオナルディーノ:01/12/07 01:46
いい感じですね。ちょうど今、自分たちは話の入り口にいるって感じです。
>古代の知識が、イスラム→ビザンツ経由で入ってきたものと、もともとビザンツで
保存されていたものとがあるんです。
ルネッサンスが起こる内的要因は次の機会に譲るとして、上記のような
外的要因についてですが、ここら辺の話って内容の話というより、
内容がどう入ったきたかという話って気がします。例えば、学者や
ギリシャ語で書かれた本がどのように入ってきたか。そこには運搬、
伝達手段もあったわけですし、いろいろな舞台もあったわけです。
そこら辺の話をするには少し時代をさかのぼる必要があると思います。
幸いこの辺の話って、もうすでに出てるんですよね。
61 :
レオナルディーノ:01/12/07 01:48
>>52 >可能にするのはある程度の平和と経済的安定、つまりインフラ。
>>55 >ハスキンスの12世紀ルネッサンスは4つの中心地が挙げられています。
「北東スペイン」「トレド」「シチリア島」「北イタリアの諸都市」です。
>西欧の外部たるイスラム圏との地中海的交通がルネッサンスの前提条件視されていた。
いってみれば11ー12世紀に起きた「商業ルネサンス」や「12世紀ルネサンス」等です。
文化が花開くにはにはお金がかかるんですね。ルネッサンスが起きるにはさまざまな
設備・制度的なインフラ、物流があった。それらが活発になるに従って、
しだいに人々の中にある共通認識が生まれっていった。ここら辺の話を詰めていったら
何回か話にのぼっていた中世で何回か起こったさまざまな「復興(ここでもでた**ルネサンス)」
と所謂「ルネサンス(再生)」との差みたいなものを感じれるんじゃないでしょうか。
62 :
レオナルディーノ:01/12/07 01:48
ジャレル様の疑問に対する直接的な答えになっていないと思うので何かある方お願いします。
自分ももう少しここら辺の話し続けたいと思います。(特にシチリアの話)
結局トスカーナばかりが目立つのか・・・
真面目な議論が始まったってのにこんなネタでごめんさい。
ちなみに
>>50氏
ボッティチェリが何を描いたか忘れたとは言わせませんぞ。
後、絵画的な話しだと近代絵画に強い影響を与えたのはヴェネチア派みたいですね。
板違いかもしれないけど、世界史板しか出入りしないもので。
シチリアっていつ頃までイスラム圏にはいってたかな?
65 :
レオナルディーノ:01/12/09 01:05
ブォン・ナターレ。アーモンドとオレンジの島シチリアへようこそ。
ここは夏にはアフリカになります。
>>63 トスカーナの話だけではありません。ウ゛ェネツィアも、ルネッサンス
という時代が開花するのに一役かっています。んー。ウ゛ェニスの商人。
時代が下がるとおっしゃっている、ウ゛ェネツィアン・ルネサンス
も開花します。でも、日本の人って何で「ウ゛ェネチア」っていうんだろう?
それはともかくシチリアです。アラブ人は8世紀くらいに入ってきたみたいっす。
11世紀にはノルマン人(十字軍のノルマンディー騎士団)がやってきて、
国を作っちゃいます。文化的にはノルマン、ビザンチン、イスラムの
3つの様式が共存していたみたいっす。これポイント高いでしょ。
>>57 レオナルディーニさん
レス恐縮でした。 返事が遅れてすいません。
>もう全開バリバリです。 容赦はありません。
たはぁ、、さいですか。
神関連の美術といったら、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」くらいしかパっと
思い付かなかったもので。(ルネサンス関連の画集持って無いし)
あと、古代の神では無いけど、ミケランジェロの「モーゼ像」「ダビデ像」
ドナテッロのダビデ像もありますが、神では無いとしてもユダヤ人はこの偶像化
をどう思うのでしょうか?? (というか、ユダヤ教の実体を知らないだけです
が)
すんません、スレの流れ無視も甚だしいレスなので無視して頂いて結構です。
67 :
レオナルディーノ:01/12/10 01:58
>>66 異教の神さんの例では、同じボッティチェリの「春」の中に描かれている方々も
皆さん異教の方々ですよ。あと、ベッリーニさんが興味のあると思われる、
ウ゛ェネツィアン・ルネッサンスの画家でいえば、ティツィアーノなんかは
「ウルビーノのヴィーナス」や「バッカス祭」なんていうのも描いてます。
彫刻ではミケランジェロの「バッカス」、なんていうのも聞いたら
思い出すんじゃないでしょうか。
流れなんていいんです。勝手に自分で作っているだけですから。
いいじゃないか今が楽しければ。
でも(当時の?)ユダヤ人が偶像を見てどう思っていたかは
ちょっとわかりませんね。教会内にある作品は見ることがなかったにしても、
噂は聞いてたでしょうし、野外展示の作品は見てたでしょうしねぇ。
しかし、自分はこれはわかりませんね。
68 :
世界@名無史さん:01/12/10 02:21
ヴェネチアでのユダヤ人隔離が行われてたのって、ルネサンス期
じゃなかったかな?
69 :
レオナルディーノ:01/12/10 02:41
いつ頃できたかは知らないっすけど、確かにゲットーはありました。ローマにも。
70 :
世界@名無史さん:01/12/10 05:26
あるね。ヴェネツィアにもローマにも、ゲットーだった場所にはユダヤ教会や、
ユダヤ料理のリストランテがある。
71 :
レオナルディーノ:01/12/10 23:34
>>70 マジ、あるね。自分もさすがにシナゴーグには入ったことないけど。っていうか、
人にいわれるまで気づかなったけど。
というわけで、(なにが?)ルネッサンス期にキリスト教徒が作ったものに、
その当時のユダヤ人がどんな感想を持ったかご存じの方。大募集しております。
ぜひ、このスレに書き込みしていただきたく存じます。ではでは。
>>66 ルネサンスは再生・復興なのだから(
>>51ルナ氏の書き込み参照)神々も復興されたということではないでしょうか。
何も古代の哲学だけが掘り起こされたわけではなかったと。
あと、これはかなり疑問なのですが、よくこの時代遠近法が発明された、という記述を目にしますが、
ローマ時代にも遠近法はしっかり存在しますよね。「発明」という言葉は適当なのでしょうか?
よく考えれば、旧約聖書の場面が表現されるようになったのもこの時代なんですかねえ?
楽園追放とか、ルネサンス近辺のものしか見ませんし。
それ以前っていうと、モザイクで描かれたイエスのまわりに羊が数匹、というようなイメージしかないのですが・・・
最後に、あんなネタふっといて私はあんまりヴェネツィア絵画については詳しくないです。
むしろ手探り状態だから話し振っちゃえ、ぐらいの認識で書きました。
なんかあれから話しが停止傾向で、悪いことしたなあ、と反省しきりです。
>72
遠近法に関しては、発明というより理論化の功績が大きいです。
神々の復興もそうですが、旧約からの題材が増えた一因には、
教会ではなく屋敷などに飾るためのエッチな絵が
求められるようになってきた、という背景がありますね。
たとえばお風呂覗きのシーンなんかはヴェネツィア派の画家達が
好んで描いています。
英雄色を好むという考え方も、もしかして
この時期あたりに再展開されたのかな、と考え込んでしまいました。
(誰か詳しい方いませんか?)
74 :
世界@名無史さん:01/12/15 10:58
>>72 >よく考えれば、旧約聖書の場面が表現されるようになったのもこの時代なんですかねえ?
>楽園追放とか、ルネサンス近辺のものしか見ませんし。
>それ以前っていうと、モザイクで描かれたイエスのまわりに羊が数匹、というようなイメージしかないのですが・・・
いや、「旧約聖書の場面が表現されるようになったのもこの時代」なんてことはないです。
それ以前は教会建築や説教台、扉の浮き彫り(レリーフ)などに旧約題材は描かれていました。
ただ、描き方が変わったということはあります。
ヴァティカンの壁画で局部の描写を隠すべく重ね描きがされたりしたことがありましたよね。
(えーっと、ミケランジェロでしたっけ−−資料みないととっさに思い出せないですけど)
聖書主題の美術に裸体を用いたりするようになったのは、ルネッサンス以降盛んになった、
とは言えます。
それ以前でも、「楽園追放」の主題で裸体が描かれることはあったんですけど。
だいたいにおいて、堂々とした裸体の描き方ではないです。
>>72 >>74 旧約の題材は、たしかに中世(あるいはカロリング・ルネサンス期およびその延長)でも
それなりに用いられていましたが、そのころは、悪いことをすると
こういう酷い目にあうよ、っていう脅しを多分に含んだ画像が主でした。
最後の審判とか楽園からの追放とか。
聖書の解釈が進んだり教会がそれを認めたり、また人々の好みが
変わったり、ということはあったんでしょうけど、
ルネサンスも中期に近づいてくると、取り上げられる聖書のエピソードが
多様になったり、既存のイコノグラフィーも徐々に変化を見せ、
昔はえらそうに玉座に構えていた聖母子像なども、
美人画に近いものになってきます。
>>74 >ヴァティカンの壁画で局部の描写を隠すべく重ね描きがされたり
ミケランジェロが描いた絵に、宗教改革期になって葉っぱを描き加えたという、
あれですね。
>聖書主題の美術に裸体を用いたりするようになったのは、
>ルネッサンス以降盛んになった、とは言えます
これはちょいと微妙なところで、少し時代が進むと新教の国々では
宗教画そのものが衰退しますし、反宗教改革の枠内では、
描いていいもの、いけないものが公式に定められ、画家が独自の視点で
聖書を描いたりすることは事実上できなくなっています。
ルネサンス以降は、あくまでもわいせつ性を排し、殺菌消毒された
裸体のみが見られることになるのでは。
76 :
レオナルディーノ:01/12/15 21:27
>>63 いいんですよ。気にしないで下さい。歴史の話です。ゆったりいきましょう。
ピアーノピアーノ。
自分もジャレルさんの質問を、シチリアで興った文芸運動からフィレンツェに
舞台が移るまでで、だらだらと書こうとしましたが、場がしらけそうなので
やめました。ジャンジャン。
でもどうせなので、それに関連するいくつかの単語だけでも、挙げようと思います。
フリードリッヒ2世統治下のパレルモ・南イタリア、アビニヨンの宮廷詩人、
ナポリの総合大学(ストゥーディオ・ジェネラーレ)、ギリシャ語学校の設立、
1439年の東西キリスト教会によるフィレンツェ公会議、アカデミア、
中世コムーネの時代、貨幣経済、前貸し為・替手形投資等、イギリス・フランス間の戦争、
ヴェネツィアの海運業、等です。興味のある方はルネッサンス前夜の話を、
ぜひ語りべとしてお聞かせ下さい。
77 :
レオナルディーノ:01/12/15 21:31
で、
>>72の「遠近法の発明」についてなんですが、まず「空気遠近法」
(空気の層によって遠くのものはぼんやり霞んで見える)。これは
レオナルドの発明といわれています。
所謂「古代遠近法」と、ルネッサンス機に登場した「幾何学的遠近法」
の違いは、自然の中に幾何学的法則を見い出したということなんでしょう。
この遠近法は「遠近法」というより「透視法」(一点とか二点とかいうアレ)
といった方が、ピンと来るかもしれません。消失点なんていうのはあくまで
理論的なもので、実際存在するもんじゃないですからねぇ。
レオン・バッティスタ・アルベルティが「絵画論」の中で、この理論を体系化
していたと思います。
突然話が変わりやすが、ここのお立ち寄りの皆さんの中に「思い出に残る
ルネッサンスの史跡や書籍」がおありの方はおりやすか?もしおいででしたら、
ぜひ、書き込みをお願いいたしやす。
78 :
世界@名無史さん:01/12/16 14:34
>>76 >フリードリッヒ2世統治下のパレルモ・南イタリア、アビニヨンの宮廷詩人、
宮廷詩人のことはわかんないけど、フリードリッヒ2世は結構好きなタイプ(笑。
ドイツみたいに、あんな寒くてしけたとこに帰れっかよ!と南イタリアに
ずうっといた人ですよね。
>「思い出に残るルネッサンスの史跡や書籍」
便乗で申し訳ないけど、来週ちょろっとミラノとプラートに出かけるので、
特にその辺で見といたほうがいいものがありましたら、ぜひぜひ。
みなさん、返信有り難うございます。
いやはや、自分の書き込みでスレ潰す結果にならなくて良かった。
>遠近法
なるほど、「理論化」というのは大きいですね。
しかしなんで遠近法って忘れられたんですかね?
まあ宗教的な問題なのでしょうが・・・
>旧約
なるほど、天国と地獄の対比、みたいな感じで説明されるやつですね。
そういうものは描かれているんですね。
しかしそうすると、ダビデとかソロモンとかは描かれていないのでしょうか。
>裸体
システィーナ礼拝堂の最後の審判ですね。
あれにふんどしを描いたばっかりに「ふんどし画家」と呼ばれ続ける人がいたとかいないとか。
今はそのふんどしもとられて・・・この画家の立場はいったい。
>史跡
史跡というか、あのころの大商人の家に中国製の陶器がごろごろしてたのが印象的でした。
西洋的な部屋の中に中国陶器が堂々と居座ってる図は非常に面白いですね。
特にフィレンツェあたりだと名だたる画家の絵が展示してある中にそういったものがありますから、
なおさら印象的ですね。
80 :
世界@名無史さん:01/12/18 20:57
行く場所から察して、お仕事で行かれるのかな。プラートには確かフィリッピーノ・リッピの
聖母子像があったと思います。旅行ガイドを見れば載っているでしょう。
(定かじゃないけど、アウトレットもあったような...)
ミラノはルネッサンス期のものって,あまりないんですよね。レオナルドに関するものでいえば、
サンタ・マリア・マッジョーレ、スフォルツェッスコ、科学技術館といったところでしょうか。
土日を挟んでの旅行でしたら、マントウ゛ァやパウ゛ィアに行かれてはいかがでしょう。
素敵な一日がおくれると思います。 報告を待ちしております。では、ブォン・ウ゛ィアッジョ。
パレストリーナ最高。ジョスカン・デプレも良いなあ。
82 :
ルナ(=78):01/12/18 22:07
>>80 ありがとうございます。多少の任務を伴う旅行なので
どこまで時間が取れるかわからないけれど、気持ちだけは
積極的に持って出かけてきます(雪が降ったり寒そうだし)。
前に出かけたときは、教会が改修中でプラートのリッピが
見れなかったので、今度は楽しみにして行きます。
ミラノでは半日弱時間があるので、科学技術館に賭けてみたい。
古本屋巡りもしたかったけど、今回はちょっと無理そうです。
明日早朝出発だから早く寝なくちゃ(わくわく)。
83 :
世界@名無史さん:01/12/18 22:43
>>82 ルネッサンスとあんまり関係なくてすまないけど、
ミラノは科学技術館もいいけど、「自然史博物館」もスゴイ。
古代から現代までの動物が、化石や剥製でリアルに表現。
ただ立っているだけでなくて、獲物に飛び掛ろうとしている猛獣、
滑空する鳥、といった展示の仕方。
それほどガイドブックとかにも取り合げられなくて、
人もほとんど来なくてガランとしているところだけど、
一見の価値はあると思う。
無理にスレッドの御題とつなげれば、
イタリアの現代にも受け継がれた、
観察と探求の精神の一表現・・・といえるかな?
84 :
レオナルディーノ:01/12/29 02:43
>>83 自然科学はルネサンス期に生まれたってことで、自然誌(確か今は、この字を
当てていたと思います)博物館もいいんじゃないでしょうか。よく物を観察する
っていうことも、一つの発見だったんでしょーね。不思議。ああいうものを見ると、
博物史なんていうのも頭に浮かびます。
見どころをいろいろご推薦いただいた皆さま、ありがとうございます。
結局プラートのリッピも自然史博物館も行けず(涙、
でも、ごはんだけはしっかり食べて帰ってきました。
このふたつは次回の楽しみにとっておきます。
とくに自然史博物館。博物学の歴史が好きなもので、後ろ髪を引かれる思い。
科学技術館はなかなか楽しいところでした。
企画展の通信技術史もおもしろい。
他には、ドゥオモの近くでやっていた「地球」展は垂涎ものでした。
古代から現代までの、「地球とはなんぞや」を画像や写本、様々なオブジェで
見せるという企画でしたが、プリニウス博物誌の15世紀写本をはじめとして、
前から憧れてた宝物が一堂に会した感じで、もう言葉も出ません。
(個人的には、ですけどね)
カタログがすらすら読める程度のイタリア語力があったらいいのになぁ。
日常生活に戻ってはきたものの、いまだ興奮さめやらず、という感じです。
86 :
レオナルディーノ:01/12/29 21:29
科学技術博物館って、確かもともと修道院かなんかだったんすよね。キオストロ(回廊)とか
もあったはず。ああいうの見るとちよっと時間の感覚がなくなりますね。
あとレオナルドのスケッチから起こしたいろんな模型もあるし。個人的には
近代に入った頃のいろんな展示品(機関車の模型やオートバイなんか)を見ると、
近代イタリアの歴史の断片を見たような気がしたことが記憶に残っています。
列強にヤイノヤイノされながらも、機械化、工業化されていく北イタリアみたいな。
日本人がいうならマシーン・エイジってことになるのかもしれないっすけど、
印象的にはもうちょっと違うイメージ。あの頃のイタリアのイメージを持っている
人っているんでしょうか?
キオストロがあって、レオナルドがいて、近代工業製品のプロトタイプがあって
今の子供相手に、いろんなワークショップやって。
時間の流れが違うって感じ。
>列強にヤイノヤイノされながらも、機械化、工業化されていく北イタリアみたいな。
列強にヤイノヤイノされるイタリアばかりが頭に残っていたのですが、
そういえばヴォルタもマルコーニもイタリア人だったのだ、
と、はっとさせられてしまいました。
情けないけどルネサンス・バロック時代と未来派の時代を繋ぐ知識が
欠落しているもので、土産に買ってきたヴィスコンティの「山猫」DVDを
見直していたところです。うーむ。イタリア恐るべし。
博物館の建物自体は再利用型ですが、展示そのものはまあまあ
良くできていたと思います。変な演出もなく、残っているものを
素直に並べて見せている感じで。
時間の流れが違う、といえば土産物屋に山積みになっている
ハリー・ポッターのおもちゃに子供が大騒ぎしていたところかしら。
ルネサンスから話題がそれちゃって、ごめんなさい。
88 :
レオナルディーノ:01/12/29 23:00
>ルネサンス・バロック時代と未来派の時代を繋ぐ知識が 欠落している
本当に本線から外れちゃうんすが、確かに美術史的にいったらバロック
ぐらいでイタリア美術って一区切りするんっすよね。政治・経済面でいっても
あららって感じだし。でもこれ以降の時代でも、イタリアって文化面では
他のヨーロッパ諸国から憧れられてたんっすよね。外国の画家がローマに留学しに来り、
グランド・ツアーがあって英国じゃあパッラディーオを模した館がたくさん作られたり。
新古典主義時代のイタリアの家具調度品とか、あまりピンとこないものを見せられたりすると、
文化面だけでも、意外とイタリアのイメージってないんだなって気がする。
89 :
すっかり雑談やねえ。(笑):02/01/15 19:25
自然史博物館まで行ったらミラノ市立水族館がすぐ近くですよん。
ケチな淡水魚ばっかりかも知れないけど建築がいいっス。(笑)
あそこの公園は犬の糞に注意っす。(失礼)
コモ湖まで行く元気があれば湖畔にボルタの記念館があるです。
けっこう大ゲサな建物で楽しめるです。電池のデモもやってます。
ヒコキチも鉄ちゃんも沸騰悶絶の科学技術博物館のマルコーニ展示室と、
ボルタは必ずセットで見るです。
イタリアルネサンスが本当に人間の再発見だったのか、
それともローマカトリックあってのわがまま、脱線だったのか、
イタリアの街を歩いていると迷い始めてしまいますね。
今でも中世が豊かでいきいきとした表情を見せていますものね。
90 :
絵画より建築なんですけど。:02/01/17 11:12
初期の線遠近法の特徴なんですけど、
例えばマサッチオなんかの場合、再現性のある数学的な
法則っていうのを、神に対する人間の優位を示すどころか
神が偏在する証拠としてありがたがっていたのでは?
遠近法が科学の成果でなく神の摂理になっちまうんですから、
他の分野でも案外しっかり古い価値観が生きていたのでは?
それとボッティチェルリだってあんなHな絵を描いてしまって
申し訳ない。焼き捨ててお詫びしよう!と本気で反省したくらいですから、
旧勢力も全開バリバリだったのでなないかと想像されます。
すいません。ルターについて調べたいのですが、いいHPありますか?
92 :
世界@名無史さん:02/01/23 00:49
IEならツールバーの検索ボタンを押して、
画面左のエクスプローラーバーで検索→GO!!
少しは自分で調べてから書き込みませう。
93 :
レオナルディーノ:02/01/29 22:00
まいど!レオナルディーノだ。(自分、横山のヤッ*ンか?)
90さんが問題提起してくれていましたが、絵画、美術という自分の得意分野なので、
自分がレスするとこのスレが違う方向に話しが行って、画面が今御覧になっている
皆さんのモニターから10cm位浮いちゃうんじゃないかという危険性を感じ放置
プレイをしていましたが、ころ合いが来たようなので、レスします。
90さんの前半、マザッチォのお話なんすけど特に疑問は感じません。おそらく彼自身
そう考えていたんでしょう。今でも物理学を扱う白人の科学者には、やってることは
ファンダメンタルに聖書を信じれなくなるような科学実験結果(理論を含む)を発表しても、
自分のやっていることは神の指紋を読みとくようなものだといっている人もいることから考えて
後の人(または距離を置いた人)が見てしっくりこないようなことも、当事者にとっては
疑う余地はなかったんでしょう。
ボッティチェリに関していえば、サボナローラの影響が大きいのでしょう。
一時は工房(ボッティーガ)まで持ってかなり繁盛していたはずの彼が、晩年は
貧相な暮らしをしていたというのは90さんが指摘してくれたように心変わりがあったのでしょう。
一般には、中世のルネッサンスに対する最後の抵抗みたいにいわれているみたいですけど。
リナシメント(ルネサンス)。まさに激動の時代っだったんすね。
94 :
世界@名無史さん:02/01/30 23:36
ボッティチェルリの「サボナローラの火刑」はいい。
95 :
レオナルディーノ:02/02/02 23:01
サボナローラが話題に出たんすけど、ちょっと前に時代を戻してメディチ家の話をしたいんすけど、
ルネッサンスっていうことで、老コジモ(イル・ベッキオ)辺りから話を始めてくれる方いらっしゃますかね。
ルネッサンスはいかなる文明でもあった運動である。ばいといんびい。
97 :
世界@名無史さん:02/02/28 03:59
フィリッポ・リッピは老コジモの時でしたっけ?一世の時でしたっけ?
なんか近代アートみたいな色使い、平板さが好きです。
98 :
レオナルディーノ:02/03/01 23:36
チャオチャオ レオナルディーノだす。
結局美術関係にレスしてしまう自分。悲しいっす。
で、フィリッポ・リッピなんすけど、時代的には老コジモというよりイル・マニーフィコ
(ロレンツォ)の時代みたいっす。後世、画家になるフィリッピーノが生まれる
エピソードを面白く記述してくれる方、お待ちしています。
さらに老コジモなんすけど、自分的には、金持ち喧嘩せずって感じなんですけど。
いかがなものか。
99 :
世界@名無史さん:02/03/02 02:27
>>98 ああ、活躍した時代はロレンツォの時代なんですねえ。
フィリッポと言えば修道院に入ったくせにお外に出たいとだだこねて、
結局コジモに出してもらったという話しが印象に残っています。
ちなみにボッティチェルリの最初の師匠ですね。彼には明らかにフィリッポの印象が見て取れます。
特にフィレンツェのアカデミア美術館にあるボッティチェルリの「海辺の聖女」(ちょいうろ憶え)とかいう絵は、
前はフィリッポのものだと思われていたそうです。
老コジモは喧嘩せずでもなかったような気がしますが。
つうか喧嘩しないで済んだ奴なんでいないんじゃないですかねえ。
誰かしら追い落としているのは確実でしょう。
100ゲト
101 :
世界@名無史さん:02/03/02 13:24
>98
ちょっと待って。フィリッポ・リッピの生没年は1406-69なんだから、
どう見ても老コジモの時代じゃないか。なんか勘違いしてない?
ちなみに孫のロレンツォがメディチ家当主になったのが20歳の時で1469年。
知ってるエピソードで一番面白いと思うのは↓だなあ。
フィリッポ・リッピを老コジモは深く敬愛していたが、作品を注文しても
すぐに投げ出して放蕩に走ってしまうことに弱らされた。ある日、ついに
フィリッポを、注文した作品が完成するまで自分の館に閉じこめて外出を
禁止してしまった。ところがこの八方破れの天才は、そんな生活に二日と
耐えられずに、画布で即席の縄梯子を作って脱出。数日後に見つけられた
時、コジモは画家を責めるかわりに、彼にそんな危険な脱出行をさせた自
分を責め、今後はいっさいフィリッポの自由にさせることを約束した。
もちろんフィリッポはこの約束を勝手気ままに行使したらしい(w
>101
>コジモは画家を責めるかわりに…
「君主」ですねぇ。
103 :
レオナルディーノ:02/03/03 12:44
>>101そうですね。99さんのレスを見て、自分が勘違いしてるんじゃないかと思い、
「芸術家列伝」を見直したら、やっぱり勘違いしてました。
104 :
世界@名無史さん:02/04/29 00:36
age
105 :
世界@名無史さん:02/05/15 20:39
age
106 :
世界@名無史さん:02/05/15 20:54
私はラファエロが好き。ヴェネツィア派だったらティッツアーノとかも。
あとはフラ・アンジェリコ。
でも個人的にはルネサンスって「芸術の時代」ってイメージはあんまなかったりする・・・。
政治関係の話の方がオモロイ。
107 :
世界@名無史さん:02/05/15 22:01
最近、ルネサンスの時代に興味もちはじめました。
今まで華やかな芸術のイメージあったけど、
調べてくうちに、やっぱり動乱の時代だったんだなあと
思えてきた。
ロレンツォの政治方針とか、読んでると、豪華王なんてのが
ウソみたいに思えてくる。
ミケランジェロが要塞工事やったり、
レオナルドもチェーザレ・ボルジアの軍事顧問やったり、
芸術家も戦争と隣り合わせで、大変だなあ。
そういえば、ボルジア家のスレたったね。
108 :
世界@名無史さん:02/05/15 22:06
ロレンツォはイタリア諸国の権力均衡の方針を取ってたんでしたよね。
氏んでからは見事に崩れたけど。
ユリウス二世の治世時代なんて、もうメチャクチャって感じだし。
109 :
世界@名無史さん:02/05/18 16:34
ロレンツォの治世の頃は平和とはいえないまでも、
少なくともフィレンツェ内は落ち着いてたのかな。
フランス軍が侵攻して来た頃から乱れはじめたって感じで。
ロレンツォの政治手腕というよりは単に運がよかっただけ
ともいわれてるけど、このへんはどうなんだろ。
スレ違いかもしれないけど、歴史用語以外でルネサンスという言葉を
聞くと、激しく萎える。
110 :
世界@名無史さん:02/05/18 16:50
>109
コスメティック・ルネサンスとか?(藁
111 :
世界@名無史さん:02/05/18 18:10
>110
まあそんな所かな。口に出していうのが恥ずかしいってゆうか・・・。
112 :
世界@名無史さん:02/06/04 22:44
ルネッサンスはフランス語だそうですが、イタリア語では何というのですか?
113 :
世界@名無史さん:02/06/06 00:49
>>109 晩年近くまで教皇を中心とする勢力とかなり激しい争いをしてたはずでは?
最晩年はフィレンツェ内から反対勢力が出てくるし。
彼の人生、あんまし平穏でもなかったと思う。
ただ、最終的には(何が原因か知らないけど)彼を中心に一定の均衡が保たれたんだから、
政治手腕はあったんじゃないの。つうか、政治手腕なんて結局そんなもんじゃないかな。
114 :
世界@名無史さん:02/06/15 17:42
今日本屋に行ったら「レオナルド・ダ・ヴィンチと少年ジャコモ」
というタイトルの消防向けの絵本をハケーンした。
ジャコモといえば、レオナルドの恋人?ともいわれてる
少年なんで、「ぅおい!」と一瞬思い、読んでみたら
やはり消防向けな内容でした。絵がなかなかいい感じ。
115 :
世界@名無史さん: