(^^)
(^^)
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
69 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :03/06/06 13:21
ルネッサンスオナニー
70 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :03/06/20 09:11
ルネッサンス時代っていつの事ですか?
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
73 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :03/09/15 01:56
74 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :03/09/15 06:11
今はひろゆきの時代。
TES
((??)
(o_o)y-〜 _}{|〜`*?>+P=0P+><LOIKMNJU!"#$%&'()0=〜|\^-0981[]_:@p;/.l`ヌヤ\ュミメノヨウイツソ?オ?ャエ?テト�トカァ狐キォォィ�鉋?ろ黶⊃ナづ?蟯ウ?キォィ�隨?クメヤヌョノ??ゥ?黶スナづ?蟯ウヨ`_?><MNBVC`+*}{|〜=0)('&%$ (?:[];/_.,ホ)y-〜 (ソヌx)y-〜 ((??)
(( 0 > 0 )y-〜
79 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2005/05/18(水) 03:39:03
ぼっかちお!
80 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2006/01/28(土) 05:44:17
ねるねるね
81 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2006/08/14(月) 03:40:40
かしわぎだいら
82 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2006/09/21(木) 20:43:08
俺のチンポがルネサンス
83 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2006/09/27(水) 17:32:23
84 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2006/10/03(火) 23:49:23
85 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2006/10/23(月) 03:22:21
ルネサンス絵画ってどういうの?エロ?
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/27(月) 14:32:49
87 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2007/06/05(火) 17:36:11
88 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2007/09/28(金) 01:14:48
滝川ルネッサンス
89 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2007/10/01(月) 07:14:45
90 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2008/03/13(木) 21:40:47
まじめにね
91 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2009/07/23(木) 23:02:07
ルネサーンス
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1247487915/799 > この時代に既に芸術家をめぐる価値は成立しているわけで、それを古典主義というわけだが?
極めて独創的な見解ですね。
> >何度も書いているように、感覚的な、センスの対象としての美がメインにある論じゃないですよ。
> >トマスの「美」についての概念にしても、自然物の美や
> >精神的な美を含むようなものであって、あれらの美についての議論は
> >もう少し後の時代の、感覚の対象であるような、具体的な芸術作品につながるような議論じゃありません。
> だから、「感覚的な、センスの対象としての美」という勝手な限定はどこからやってくるんだ?
直前で、自分でバウムガルテンを引いておきながら、
いちゃもんをつけるために、バウムガルテンからカントにかけて、何があったかをお忘れですか?
それとも忘れたふりですか?
大抵の教科書は、Aesthetikという語の意味の解説から始まっていると思いますけどね。
> それが勝手な限定だと何度も言ってるでしょう?
> 「いかなる芸術(アルス)も数の原理にもとづいて不変であり、芸術家(アルティフェックス)の精神のうちにのみ存在する」
> (アウグスティヌス「魂の不変のついて」)
さて「魂の不滅(性・不死性)について De immortalitate animae」のことでしょうか?
そうだとすれば、そのままの文は存在しません。
典拠として原典を引用したスタイルをとりながら、きわめて適当な要約というのはどうなのでしょうか?
それとも別の作品とまちがえられたのでしょうか?
とりあえず、正しい出典をしめされてから、これについてはお返事することにしましょう。
>>92 ほい、こっちに来たよ。
>極めて独創的な見解ですね。
独創的、と勝手に根拠もなく否定するんだなw
ルネサンス期に芸術家が芸術家という名ですでに学者に匹敵する地位を獲得していたのは、
あまりにも歴然たる事実でしょ。
当代の芸術家の地位が高かったことを否定する根拠は何だいな?
>さて「魂の不滅(性・不死性)について De immortalitate animae」のことでしょうか?
>そうだとすれば、そのままの文は存在しません。
いやいや、勝手なことをw 「魂の不滅について」4・5だよ。
あなたの持ってる本じゃどう訳されてるのか知らんけどねw 存在しない、の言いがかりは酷いなw
>バウムガルテンからカントにかけて、何があったかをお忘れですか?
カント達の近代美学以前の、美的概念について述べているのに、カントの解説を持ってきてどうするよ?
毎度のことだけど、言葉遊びはやめれって。
向こうのスレの
>>813 へ
超越的に価値づけられていたのはむしろ近代に先行する時代の芸術家だろう、ってこと。
近代芸術家はこれらの概念を掲げながら、絶対的な根拠なんて持たないからね。
>>93 > >極めて独創的な見解ですね。
> 独創的、と勝手に根拠もなく否定するんだなw
> ルネサンス期に芸術家が芸術家という名ですでに学者に匹敵する地位を獲得していたのは、
> あまりにも歴然たる事実でしょ。
本当に他人の文章を読む能力がない
あるいは、自分の書いている文章を客観化できないんですね。
一般にルネサンスについて言われる場合の「古典主義」(限定したのは「古典主義」には複数の用法があるため)は
その時代に成立している「芸術≪家≫をめぐる価値」のことなんですか?
そのように書かれている文章に見えますが、そうだとしたら、極めて独創的な見解ですね、ということですよ。
ここ制限字数きつすぎ(議論無理かも)なんで続きは次。
>>95 古典主義(の時代)ぐらいのニュアンス、読めよw
とりあえず言葉尻を捕まえる遊びはいいから、
当代の芸術家の地位がどうだったかについて、ちゃんと回答しておくれ。
いつも言葉尻を捉えるばかりで、肝心の質問には答えないね?
基本的に、おまえさんの
>「芸術家」が誕生するのは16〜17世紀以降の話だし
の16ー17世紀が具体的に何を示しているのかを問う質問でもあるぜ?
>「魂の不滅について」4・5だよ。 >あなたの持ってる本じゃどう訳されてるのか知らんけどね あなたがもしかしたらラテン語を参照せずに語っていたのかもしれないという事実に驚きます。 誰がそんな酷い訳をしたのでしょうか? これがラテン語原文です。 どこにも引用されたままの文章ははありませんよね? 4. 5. Si enim manet aliquid immutabile in animo, quod sine vita esse non possit; animo etiam vita sempiterna maneat necesse est. Nam hoc prorsus ita se habet, ut si primum est, sit secundum. Est autem primum. Quis enim, ut alia omittam, aut rationem numerorum mutabilem esse audeat dicere, aut artem quamlibet non ista ratione constare; aut artem non esse in artifice, etiam cum eam non exercet; aut eius esse, nisi in animo; aut ubi vita non sit, esse posse; aut quod immutabile est, esse aliquando non posse; aut aliud esse artem, aliud rationem? Quamvis enim ars una multarum quasi quidam coetus rationum esse dicatur, tamen ars etiam una ratio dici verissime atque intellegi potest. Sed sive hoc, sive illud sit, non minus immutabilem artem esse conficitur: artem autem non solum esse in animo artificis, sed etiam nusquam esse nisi in animo manifestum est, idque inseparabiliter. Nam si ars ab animo separabitur; aut erit praeterquam in animo, aut nusquam erit, aut de animo in animum continuo transibit. At ut sedes arti nulla sine vita est, ita nec vita cum ratione ulli nisi animae. Nusquam porro esse quod est, vel quod immutabile est non esse aliquando non potest. Si vero ars de animo in animum transit, in illo mansura deserens istum; nemo artem docet nisi amittendo, aut etiam non nisi docentis oblivione fit aliquis peritus, sive morte. Quae si absurdissima et falsissima sunt, sicuti sunt, immortalis est animus humanus.
続き 当然、前後の文脈は理解されていることと思いますが まず第一に、この論考のタイトルの通り、魂の不可滅性を論じている話であり この段落のコンテキストは、魂とdisciplinaの関係を論じた段落から続くものであり 技術知の話であって、ここのarsは、とりたてて「芸術」と訳されるべきコンテキストではありません。
>>97 残念ながら、ラテン語は読めないよ。かつ、それが何か?
頭の悪い、知識自慢がしたいのならつきあうのはごめんだな。
というわけで翻訳してね。よろしくw
で、さて、文字打つのが遅いみたいだから、待ちくたびれてんだけど、
ルネサンススレに来てるんだ、ルネサンス時代の芸術家の地位ってどうだったのよ?
>「芸術家」が誕生するのは16〜17世紀以降の話だし
さっきわざわざ挙げといたんだけど、
ここまでの流れで、おまえさん、どツボ踏んでるってこと、理解してるかい?
ここらへんの歴史認識がお前さんかなり怪しい、とわざわざ書いてあげた意味が、わかるかな?
「芸術家」の概念はいつ成立したんですか?w
>>98 ちなみに、これを「芸術」に置き換えるのは、実は俺の案でもなく、
当津さん編の「美の変貌」、森谷宇一さんの案だよw
アウグスティヌスにおいては、技術知は何らかの具体的作品を作り出すarsと見なせるというな。
解説からてっとり早く抜き書きしたわけで、何ならその部分を抜き書きしましょうか?
残念でしたねw
せっかく知識自慢できそうな所で悪いんだけれど、俺が述べている主旨はもともと
「感性的なもの」と勝手に限定すな、って話じゃなかったっけか?
なんで主題がそっちのけにされてるの?
>>96 あげ足とりではなく、「芸術」や「芸術家」という概念がどのように成立し
発展したのかという話をしているわけですから
あちらでも書いたように、語の用法に細心の注意を払う必要があるわけです。
それが出来ないから、そんな大雑把な話しかできなくなるんですよ。
>>99 概念が存在していたかどうか、という話をしていたのに
辞書を引きながらの最低限の原文のチェックも出来ないのに
「芸術」が存在していたとか、そういう話をしていたのですか?
それは、かなり驚きですね。
いずれにせよ、日本語で読んでも、前後の文脈から
技術知一般の話であり、今で言う「芸術」の話でないということは分かるはずですが
日本語訳すらチェックせずに、どこかから適当に孫引きされたのでしょうか?
>アウグスティヌスにおいては、技術知は何らかの具体的作品を作り出すarsと見なせるというな
当り前でしょう?
散々書いたように、techne=arsは自分自身においてにせよ
自分の外にせよ何かを生み出す技術知という意味ですよ。
>せっかく知識自慢できそうな所で悪いんだけれど、俺が述べている主旨はもともと
>「感性的なもの」と勝手に限定すな、って話じゃなかったっけか?
それでアウグスティヌスを引用されたわけですが、その引用が適当な上に
まったく不適切だったわけですね。
残念ながら引用箇所は全く無関係なわけですが
しかし、当時の「美」が、端的に感性的なものではないという話は
こちらが散々書いてきた話なわけです。
どうやら他人が書いていることと自分の思考が区別できないみたいですね。
>>101 いや、「と、たとえば森谷さんは置き換えている」の一文が、あのレスでは抜けてんだ。
ちゃんと捕捉を書くつもりで、転書だけで打ち込んだ結果だよ。
意味不明な転書だけのレスはするつもりはマジでなかったんだけどね。
>今で言う「芸術」の話でないということは分かるはずですが
何度も繰り返し言わせないでほしいな。「今でいう芸術」と勝手に限定するな、とな。
何度言ったらわかるんだい?あなたの石頭には?
で、いつ「芸術家」は成立したの?結局、全く答えてないじゃね?
揚げ足取りで話から逃げては駄目だよ。
>>103 だから、そこであなたが言う「芸術家」は
どういうタイプの活動をする、どのような概念を念頭に置いて質問をしてるの?
それが分からないと答えようがないでしょ?と言っているのに
その点について、質問を限定しないのはなぜですか?
>>101 で、そもそも概念の峻別が全くできていないのはお前さんじゃねえかいな?
「近代的芸術」が、具体的にどのような概念やあり方であるかも一切示さず、
全ての時代を無前提に判断する条件にしてしまってる。
繰り言だけれど、「近代芸術じゃないから芸術じゃない!!」という繰り言を叫んでいるだけ。
で、具体的に聞いているわけだが、近代的「芸術家」が成立したのはいつだい?
ルネサンスの画家たちは「芸術家」ではないのかい?
そこらへんをはっきりさせないと、マジで何も議論は前に進まない。
>>104 >「芸術家」が誕生するのは16〜17世紀以降の話だし
といきなり言いきってきたのはお前さんの方だろう?w
だから聞いてんだよ?「芸術家」なるものが何か、明確じゃなければこんな言い方できないはずだよね?
16−17世紀あたりに関して、かなり混乱しているように見えるよ。
ラファエロやダヴィンチはいつの時代の人間?彼らは芸術家ではないのかね?w
>>105 他の人たちも突っ込み、私自身も何度も書いたように、あなたは存在しない敵と戦っている。
誰も一度も「近代芸術じゃないから芸術じゃない!」とは書いていない。
そういう勘違いが出てくるのは、あなたがラテン語を出来ないということでようやく理由が分かって
申し訳なかったけれど、あなたがarsやtechneという語の広さを理解していないから。
人間の自身の行為や、制作に関わる知を広く示すのが、これらの言葉。
だから、自由学芸一般も含めば、今で言う技術や芸術によっておおわれる範囲も含む広い言葉なわけ。
それゆえ、最初につっこんだように、プラトンの時点では、それらはまだ分離していない。
そうしたわけで、私が、近代的な意味での「芸術」ではないと書くとき、
それは「では(近代的な意味での)技術なんですね?」とあなたが反射的に反応してしまうような意味では全くないんですよというのが一点。
つまり、arsは、近代以降に限定されるような意味よりも、元々もっと広い意味だったよね、ということをずうっと書いているのであり
それが貧しいものだったというようなことは一言も言っていないわけ。
ただ、ここからややこしいのは、そうしたarsとしての実践と
それらを、今の意味での「芸術」や「芸術作品」につながるものとして名指し、
(それぞれの時代で内容の異なる)「美」と呼ばれるものと関連付け
それらの作者を「芸術家」と名指すという理論的な考察は、ある時点まで、別に発達したという問題。
だから、プラトンにおける「美」の問題と、「芸術家」の問題を
今の「芸術」と「芸術家」の関係であるかのように描くのは違う、と強調したわけ。
分野によって事情が多少異なるので簡単には書きにくいですが
たとえば、中世では、工芸的な意味での美術的実践と理論的な考察は必ずしも直結していなかったので、
その手の教科書にあるような「ボナベントゥラの考察は、ステンドグラスなどに影響を与えたのかもしれない」と
かなり危険な想定の形では書けても、そうした当時の「美」についての考察が
今でいう「造形芸術」の実践とつながっていたかは論証しようがないんですよ。
数学の一部門であった音楽については、ある程度具体的に追えるにせよ。
そしてもちろん受容者の問題は、また別に論じる必要があります。
続き
>>106 その後なぜ「以降」という書き方をしたかは具体的に補足したけれど
今日、西洋の言葉で「アーティスト」に相当する語が
限定された意味での「芸術家」を意味するようになったのは
17世紀以降のことでしょ(ここまではartistにつながる話であることに注意)。
それ以前の語であるartifex、artifeceは、arsの意味の広さを多少なりとも受け継ぎ続けてるよ。
だからarsについての話をする必要があるのだけれど
16世紀にヴァザーリらがarteの概念をそれまでの広い意味から限定された方向に練り上げ始め
17世紀のフランスで今日「芸術」を名指す語が誕生し
18世紀にart単独で今の限定された「芸術」を意味するようになる。
だいたいこういう過程だという見解は一般的でしょ。
だから「16−17世紀≪以降≫の話」と書いたわけ。
ロマン主義以降の話は向こうで書いたとおり。
そしてarsに関しての語の問題でなく
後のロマン主義的な「芸術家」観につながる「天才」に関わる
もう一つの系列については、あちらで書いたとおり。
>>107 特に「アルス」や「テクネー」を近代的な技術の意味に押し込めたつもりはないし、
芸術を含む広い意味だとしているのは、こちらもそうなんだけれど?
広い意味として、価値あるものとされていただろう?ってのが趣旨なわけだけど、何故話をずらす?
狭い意味に限定したがるのは、そちらのほうだよ?
近代的概念に合致しなければ、価値あるものではないということか?んなわけねえだろ、がこちらの趣旨じゃないか。
勝手に近代的技術の意味に押し込めている、といった批判は全く当たらない。つか、凄い誤魔化し方だね。
>(それぞれの時代で内容の異なる)「美」と呼ばれるものと関連付け
>それらの作者を「芸術家」と名指すという理論的な考察は、ある時点まで、別に発達したという問題。
で、その発達はルネサンス時代には具体的にどうだった?って話なのに、いつまで誤魔化してるんだ?
散々っぱらダヴィンチは「「万能人(uomo universale)」であって「芸術家」ではない、
技術から分離した近代的な意味ではないと言いながら、一方で「芸術家」は16−17世紀に誕生したと述べる、
その混乱ぶりについて尋ねているんだよ?
当代の芸術家達の地位の高さについて、あれほど指摘しているのに、それは違うと言い張っている、
その泥沼な展開について尋ねているんだよ?
基本的に「近代芸術家」なる概念や「近代」をめぐる時代認識がかなり混乱しているように見える。
そこらへんをまずきちんと整理してから展開すべきだ、とずいぶん前から繰り返してんだけどな?
>>108 >それらを、今の意味での「芸術」や「芸術作品」につながるものとして名指し、
>(それぞれの時代で内容の異なる)「美」と呼ばれるものと関連付け
>それらの作者を「芸術家」と名指すという理論的な考察は、ある時点まで、別に発達したという問題。
とわざわざ書いておきながら、言語概念の変遷だけを述べて、
実際の「芸術家達」がどのように見なされ、どのように扱われたかの問題が視線に入らないのは何故?
限定された意味での芸術家、を指すなら、既にラファエロやダヴィンチの時代に列記として確立しちゃってる。
彼らの生きた16世紀を「芸術家の成立」というならまだわかる。
これをあくまでプレとしての「近代」だと主張するなら、まだわかるんだけど、
しかし、さらにじりじり下って17世紀以降にこっそり修正してるし。どうなってんだい?
>>108 その上で、そもそもにして「アーティスト」という独立の概念が成立することと、
「近代的芸術家」であることは必ずしも即座に同じことじゃないんだけどな。
どーも無条件に信じ込んでいるみたいだけど、
技術から分離することだけをもってそのまま近代芸術成立のメルクマールとする、とするのが基本的におかしいんだぜ?
だから「近代芸術」って何よ?と繰り返し尋ねてるんだけどなあ。
112 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :
2009/07/27(月) 17:38:00 ありがとう