結局どっちが強かったのよ? あと両大国の滅亡までの道のりはどんなもんだったのよ?
2 :
ここまで読んだ。 :01/10/26 15:30
オーストリア=ハンガリー帝国 アアーン なんてイイ響きなんだ・・・。
3 :
世界@名無史さん :01/10/26 16:34
>>1 ハプスブルグ←ハプスブルク
オスマントルコ←オスマン・トルコ
頑張ってね(ラブ
4 :
世界@名無史さん :01/10/26 19:11
トルコの方が強いさ。
5 :
世界@名無史さん :01/10/26 19:28
>>3 オスマントルコ←オスマン朝
or
オスマントルコ←オスマン帝国
6 :
世界@名無史さん :01/10/26 20:36
あー、最近オスマン・トルコって言わないで オスマン朝、オスマン帝国と呼ぶべきだって 専門家の人は主張してるんだっけ。 でもオスマン・トルコってしっくりきて捨てがたい・・・
7 :
世界@名無史さん :01/10/26 20:43
>>3 ハプスブルグで問題ないし
オスマントルコで問題ないよ
学校世界史に固執しないでね(ラブ
ハプスブールかハプスバーグって呼ぼうよ どうでもいいけどエルザス・ロートリンゲンてテストで書いたら叱られたな
呼び方も様々なんすね。 直接対決だったら圧倒的にオスマンの方が強いような気がするのですが・・・ ハプスブルグって周辺のキリスト教諸国から援軍を求めてたりしてましたよね? ウィーン包囲の時とかに。
10 :
世界@名無史さん :01/10/26 22:21
それぞれ全盛期に戦ってれば、全盛期の側が勝つでしょ。
11 :
世界@名無史さん :01/10/26 23:15
どっちが強かったかは時代によってだが、滅亡の瞬間は似てるよね。
12 :
世界@名無史さん :01/10/26 23:44
ハプスブルグにはオスマン帝国の イェニチェリみたいな超精鋭部隊 ってあったの? あったとしても、有名じゃあないって事か。 よって 世界史上有名な部隊を作ったオスマン帝国 のほうが強いと思う。
13 :
世界@名無史さん :01/10/27 00:06
ウィーン包囲はポーランド軍によって撃退されたね。
14 :
世界@名無史さん :01/10/27 00:53
>>13 ポーランド国王ヤン・ソビエスキと
フランツ・ゲオルグ・コルシツキーが活躍したねー。
スレと関係ないけどコルシツキーってなに人?ポーランド人?
15 :
世界@名無史さん :01/10/27 01:49
>>5-6 ちょっと関係なくなるが、するってーと
セルジューク・トルコも
セルジューク朝もしくはセルジューク帝国って呼ぶのかい?
16 :
世界@名無史さん :01/10/27 01:49
遠征で15万とか動員できるトルコの方が上!ちなみに司令官のカラムスタファは元キリスト教徒らしい。
17 :
世界@名無史さん :01/10/27 02:00
>15 呼びます。セルジューク朝、というのが一般的でしょう。 というのも、トルコの王朝、というよりも、イスラム教の王朝の一つ、という認識 をされているので、敢えて「トルコ」と断る必要がないからです。 しかし、セルジューク朝に関しては、後にいくつかに分裂したため、シリア=セル ジューク朝、イラク=セルジューク朝、など地名を冠する王朝が割拠しましたが、 これは例外的なものです。
18 :
世界@名無史さん :01/10/27 02:08
イェニチェリはデヴシルメという方法で ルメリ(オスマン帝国領のバルカン半島側)の キリスト教徒の子弟を徴発して 改宗させてエリート教育を施して スルタンの常備兵にすることで形成される。 そこから中央のエリートたちも出てくる。 だから支配層がみなトルコ系だと思うと大間違いである。
19 :
世界@名無史さん :01/10/27 02:17
>>16 数は関係ないよ。戦術ではオイゲン公がいるから
オーストリアの方が上でしょ。ゼンタの戦いでも勝ったし。
カラ・ムスタファが元キリスト教徒なのは知らんかった。
>>14 ネット上で調べたところ「コルシツキーはアルメニア出身の行商人で
あったという説と、ポーランド人であったという説がある」らしい。
初めてカフェを開いた人なんだね。初めて知った。
21 :
世界@名無史さん :01/10/27 03:06
オスマン帝国はイェニチェリ軍(キリスト教徒の軍隊)にキリスト教国を戦わしたのですね。
22 :
世界@名無史さん :01/10/27 03:21
>20 コルシツキーはアルメニア人で、ポーランド人というのは本人の 詐称であったと今では言われています。 また、彼がウィーンにコーヒーを伝えた、初めてカフェを開いた、 というのは正確には伝説で、第二次ウィーン包囲の数十年前には すでにコーヒーは飲まれていました。ただ、コルシツキーが伝令 として活躍したこと、ウィーンにコーヒーを伝えたのがアルメニ ア系の商人たちであったことは事実です。
23 :
世界@名無史さん :01/10/27 06:00
イェニチェリ=“新軍” オスマン朝の人々はコーヒー大好き。
24 :
世界@名無史さん :01/10/27 17:18
カラ・ムスタファ・パシャはアナトリアのメルジフォン近郊の生まれで トルコ人ムスリム出身だったとされてますが…。 彼の父はシパーヒー(封土騎士)でキョプリュリュ・メフメットと仲がよく、 キョプリュリュが大宰相になるとそのコネで カラ・ムスタファ(キョプリュリュの婿になっていた)は宮廷入りした。 17世紀にはデヴシルメが形骸化していたことを示す良い例だね。
>20>22 レスどうも。アルメニア人だったとはねー。
26 :
世界@名無史さん :01/10/30 18:18
オスマン時代にイスラムの技術レベルは停滞してたのかな? あと西洋より先にインドの要地を押さえておく事は出来なかったのだろうか。
27 :
世界@名無史さん :01/10/30 20:43
ペルシアと戦ってるのはローマと変わらん。
28 :
世界@名無史さん :01/12/11 14:24
ミュンヒハウゼン男爵燃え!
29 :
世界@名無史さん :01/12/12 17:54
>26 インドの方が強大だったから?
30 :
世界@名無史さん :01/12/12 21:41
カール5世がスレイマン1世(?)に出した手紙は、相手を目上と見なしていたと聞くが。
トルコ行進曲をお忘れなく
32 :
世界@名無史さん :01/12/12 22:47
国家としてはオスマン帝国のほうがほんのちょっと長続きしたわけですが。 ハプスブルク家が今だヨーロッパ政界に影響力を持っているのに対し、 オスマン家はどうなっちゃったんでしょうか。 断絶したんですか?
33 :
【^▽^】マジャル太郎ジョーカー :01/12/12 22:53
ハプスブルクも嫌いだが、オスマンはもっと嫌いだ! トルコ人がハンガリアから消え失せるまで戦うぞ!
34 :
世界@名無史さん :01/12/12 23:43
>>32 亡命してアメリカに当主が住んでいるはずです。
オスマン家は国外追放されているので帰国できません。
35 :
プリンツ・オイゲン :01/12/12 23:50
36 :
世界@名無史さん :01/12/13 00:55
現代のオスマン家についてはここが詳しいです(英語)。
http://www.almanach.be/search/t/turkey.html これによると、現オスマン家当主エルトゥルル・オスマン氏の夫人は
最近話題のアフガニスタン王家の出身らしい。
>>26 オスマン朝が紅海・ペルシア湾に進出して
インド洋への出口を得たのはマムルーク朝を滅ぼしてから(1517年)。
ポルトガルに先んじるのはどだい無理です。
スレイマン1世はインド救援艦隊を派遣したけど失敗しています。
それ以前に、マムルーク朝艦隊が
ディヴでポルトガルと戦って負けたこともありました。
ま、あげとく
38 :
世界@名無史さん :02/01/11 11:39
オスマン朝・トルコなら問題無いよね? あんまりそういう言い方しないけど
>>38 オスマン・トルコって呼ばないようにしようっていう最近の主流意見は、
オスマン朝はトルコ民族に限らない多様な人々によって担われていたんだし、
そもそもオスマン朝は滅亡するまで自称国名に「トルコ」を付けていなかった、
ってのが根拠なわけ。
だからオスマン朝トルコって呼んでも
オスマン・トルコと呼ぶのと変らないことになります。
ただし、オスマン朝中央政府の公用語はトルコ語だったし、
西欧諸国には「トルコ帝国」と呼称されたし、
オスマン朝の継承国家は現トルコ共和国だしってことで、
近代史で清朝を中国って呼ぶのと同じように
「トルコ」とか「トルコ帝国」と呼ぶのはアリだと思う。
オスマンage ハプスブルグsage
41 :
世界@名無史さん :02/01/30 22:44
オスマントルコVSビザンツ ハプスブルクVSオスマントルコ ってなんか東西対決みいたいな感じで(・∀・)イイ! この時代の歴史小説ってないですか?!
ありがちすぎるけど塩野七生いかが?
43 :
世界@名無史さん :02/03/02 15:40
大日本帝国を支えたのは日本人だけではなく、多様な人々によって担われていたのだから、 大東亜帝国と呼ぶべきだ。
44 :
世界@名無史さん :02/03/02 22:10
最近はどうか知らぬが、90年代末のウィーンに於けるバイエルン・オーストリア系右翼団体の トルコ人やチェコ人労働者の排斥運動をみると、歴史の皮肉を感じるなあ・・・
45 :
世界@名無史さん :02/03/03 01:37
エリートチュートンナイト30体対エリートイェニチェリ30体。 イエニチェリの圧勝 ヽ(´Д`)ノ よってトルコの勝ち。
ハプスブルク朝スペインって、 色んな意味で現代の中東諸国と似ていると思う。 1.社会の改革が進まず、周辺国と較べて中世的な国家制度。 2.宗教的原理主義が根強く、宗教戦争を続けている。 3.上記のような国家は普通はすぐに潰れるはずなのだが、 豊富な地下資源(中東は石油、スペインはアメリカの銀)が、 無理のある国家運営を財政的に支えているので、潰れない。 ……などなど「近世のスペイン≒今の中東」と思っておけば、 近世欧州の政治バランスが理解しやすくなるような気がする。
47 :
世界@名無史さん :02/03/03 17:59
トルキゥウズゥギャーランビル♪ マスクゥウズウィンサンスィン♪
48 :
世界@名無史さん :02/03/04 17:13
オスマントルコって国名かっこよくない?
49 :
世界@名無史さん :02/04/28 06:07
50 :
世界@名無史さん :02/05/13 22:16
ageage
すみません、アゲさせて下さい。
52 :
世界@名無史さん :02/06/23 00:28
戦勝age
53 :
世界@名無史さん :02/07/04 14:11
あげるぜ
54 :
世界@名無史さん :02/07/07 22:19
カラ・揚げ
スレイマン1世>ラヨシュ2世 カール5世<我が弟よ…(・∀・)
56 :
世界@名無史さん :02/07/11 00:26
第二次ウィーン包囲の後の時代の話で恐縮ですが、 1720〜30年代(要するにカール六世時代)の ハプスブルクVSオスマントルコってどうだったんでしょう。 何か戦争があってハプスブルク家側がかなり消耗してて、 それがオーストリア継承戦争の遠因になったとドイツ史の本には 書かれてるんですが、では具体的に何があったかとなると ほとんど資料が見つからない状態で。 ご教授よろしくお願いします。
>何か戦争があってハプスブルク家側がかなり消耗してて、それがオーストリア継承戦争の遠因になった
「Turkish War, 1737-1739」とか「Austro-Turkish War, 1737-1739」
などと呼んだりするようですね。固定した呼称は欧米でも存在しないようです。
(1683-99年の、カルロヴィッツ条約で終わる方は、「Great Turkish War」と言ったりするらしい。)
邦語文献の「ハプスブルク家かく戦えり」には、第二次トルコ戦争として扱われています。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0313.htm ちょっとこれ以上はよく知らないので、すみません。
58 :
世界@名無史さん :02/07/11 21:18
どうもありがとうございます。 これを見るとかなり東の方に忙殺されてますな>カール六世 ポーランドに関してはフランスとも色々あったようですが・・・
59 :
世界@名無史さん :02/07/12 01:24
>>58 カール6世は悲惨な人だ。スペイン追い出され、東方貿易も挫折、確立しようとした娘の地位も反故にされる・・・
60 :
世界@名無史さん :02/07/24 21:50
age
61 :
世界@名無史さん :02/08/17 01:43
保守
62 :
世界@名無史さん :02/08/19 12:40
オスマン帝国って日本では本当に知名度低いですよね。ローマ帝国は誰でも知っているのにオスマンは100人に1人知ってるか知らないかくらいだし
63 :
世界@名無史さん :02/08/19 16:25
>>62 そうなの?世界史かじった側からすると意外な数字だな。
確かにトルコのことってあまり知られて無いかも。
64 :
世界@名無史さん :02/08/19 16:39
トルコとヨーロッパ勢との戦いの話は面白いね。 ハプスブルグの他は敵になったのポーランド=リトワとロシアだけ? フランスは政治的に微妙だからおいとくとして 味方になったのはスゥエーデンだけか?
>>64 地中海関連でスペインやイタリア藷都市も敵
66 :
世界@名無史さん :02/08/20 10:56
>>59 カール6世はマリア・テレジアの結婚相手選びを誤ったと思うよ。
いくら娘の初恋の人だからって。
仮にドイツの有力諸侯のどこかと結婚させていたら、
オーストリア継承戦争も七年戦争も違った展開になっていたと思う。
67 :
世界@名無史さん :02/08/21 01:24
ヨーロッパ諸国でオスマン帝国の味方だった国募集!
>>67 オスマン帝国が弱体化するまでは基本的にはヨーロッパ共通かつ最大の敵だけど、
ときおり例外もあるね。いい例がフランス。
勿体ないのでageよう。
>>67 ,
>>68 やっぱまず挙げるべきはローマ教皇だろ。
70 :
世界@名無史さん :02/09/02 00:10
アップルパイもトルコからヴィーンに来たとかって聞いたことあるけど。
71 :
世界@名無史さん :02/09/02 00:18
>>70 コーヒーもね
72 :
世界@名無史さん :02/09/02 15:34
>>69 これぞ知ってるよーで知らない話。詳細キボーン!
73 :
世界@名無史さん :02/09/02 20:41
「瀕死の病人」萌え。 この二人?最期は仲直りしたね。感動。
落合の空手の件はどうなったんだい? なんかみんなマニアックで付いていけないぞう。 そう思わない山ちゃん?
75 :
世界@名無史さん :02/09/17 22:13
age
76 :
世界@名無史さん :02/09/17 22:22
どちらも一次大戦の後に。
77 :
世界@名無史さん :02/09/17 22:24
>>69 最初にカピトレーションをもらったのはヴェネツィア。
78 :
世界@名無史さん :02/09/17 22:43
双方とも近代の民族国家を建設できない地域を保護していたようなものだからな。 ハプスブルグやオスマンが全盛期の領域で民族国家化していたら面白かったが。
>>77 げ、おれもの凄い勘違いしてるのかな……。
いまソース探してみたけど見つからないよ……(涙
80 :
世界@名無史さん :02/09/17 23:17
なんだー。面白い話と思ったのに。
81 :
世界@名無史さん :
02/09/18 01:03