もし、ナポレオンが潜水艦の建造を実行していたら

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1大ピット
まあでも、当時の技術で1隻や2隻の潜水艦を作ったにしても
それで英国海軍を倒して英本土上陸というのは
かなり困難だと思うけど
いかん! 自分でスレを終らせてしまいそうだ
2世界@名無史さん:01/10/19 00:05
マジレスで900以上ヒットしたら、目でピーナッツ、鼻でスパゲッティ食べてやる。
3世界@名無史さん:01/10/19 00:57
潜水艦の動力は?
4世界@名無史さん:01/10/19 01:06
石炭
5世界@名無史さん:01/10/19 01:21
気球はどうなの?空から爆撃すれば艦隊を壊滅させられるんでは…?
6世界@名無史さん:01/10/19 01:36
世界最初の潜水艦っていつ出来たんだろ?
7900までマジレスのみは不可能だろ(笑):01/10/19 01:38
アルキメデス大王のガラスのあれ。
絶対実話だよ。うん。
8大ピット:01/10/19 02:10
1です
>5
気球って1800年代の始め頃に実用化されていましたっけ
それに爆撃といっても艦隊は移動している訳だから
艦隊を攻撃するには最低でも艦隊と同じ程度の速度は必要ですよね
船からは見えない潜水艦なら待ち伏せも出来るけど
下から丸見えの気球ではそれも無理だし
仮に数百メートルの上空から人間の手で爆弾を落としても
果たしてどれくらい命中しますかね
かといって高度が低すぎれば狙撃兵の餌食だし
まあ数百の気球を一度に使用できれば判らないけれど
9世界@名無史さん:01/10/19 02:26
仮に潜水艦を造ったとして、どうやって船を攻撃するのだろう。
魚雷なんて潜水艦以上に難しそうだし。まさか体当たり?
10世界@名無史さん:01/10/19 02:30
南北戦争当時(あるいは以前)の実験的な潜水艦は、みな槍の先に
爆薬つけて敵艦の喫水線以下をつつくかしようと試作・実戦試験。

敵の犠牲者より、当の潜水艦の沈没による水死者のほうが多いはず
11世界@名無史さん:01/10/19 02:32
海底2万海里のノーチラス号は確か、体当りで相手の船を沈めてたような気がする。
12世界@名無史さん:01/10/19 02:36
衝角による攻撃は、動力がね。

ベルヌのノーチラス号は、エネルギー源が電気いうのは覚えているけど、元動力は
なんだっけ?
ちなみにソヴィエトが盗作した「海底五万海里」では、ピオネール号では
海中の温度差によって蓄電する電池つかってたなあ・・・。
13世界@名無史さん:01/10/19 02:42
>12
確か電池。塩化ナトリウムを使ってるのでエネルギーは無限大、
とネロ艦長は自慢してました。
14世界@名無史さん:01/10/19 02:46
>13
なるほどねえ。ベルヌの時代は、なんでも電気でしたからねえ。
しかし超伝導電池でも使わんと、あの排水量(うろおぼえだが1500トン級?)
であの巡航速度はきついでしょうな。

でも、好きだなあ。ベルヌ。
新書館いうところで分厚い銅版画の挿絵入りの本、もってるけど、大好きでした
15世界@名無史さん:01/10/19 02:49
>14
新書館が出してましたっけ? 福音館じゃなくて?
16世界@名無史さん:01/10/19 03:03
ごめん福音館でしたね。
あれ続編で「神秘の島」いう時系列が微妙に狂った話になって、
インド独立派のダカール王子がネモ艦長の正体になってましたね。
17世界@名無史さん:01/10/19 03:05
全く関係ないが、テレビでシークエストが始まった。
再放送やってたんだ・・・
18世界@名無史さん:01/10/19 03:09
>>16
>あれ続編で「神秘の島」いう時系列が微妙に狂った話になって、
>インド独立派のダカール王子がネモ艦長の正体になってましたね。

今までは知る人ぞ知るネタだったけど、ディズニーシーのおかげで
秘密でも何でもなくなってしまったようですね。
私もヴェルヌは大好き。2万海里もミステリアス・アイランドもいいけど、
グラント船長の子供たちが一番好きだな。
19世界@名無史さん:01/10/19 03:22
グラント船長は未読ですねえ。あとは気球に乗って5週間から征服者ピエールとか
大昔、読みふけったものですが。

神秘の島は、グラント船長とセポイの反乱と南北戦争からめようとして、
1865年とかの矛盾する年代になったような・・・
20世界@名無史さん:01/10/19 07:42
へ〜、ネモ船長の正体ってアーリア人だったんだ〜。

我がァァァァァァァァアーリア人種のォォォォォォォ
科学力はァァァァァァァ世界一ィィィィィィィィ

・・・って、本当に世界一だね。
21世界@名無史さん:01/10/19 18:26
正直なところ、フランスの共和主義者ベルヌの願望が生み出した、
<被抑圧民族の高貴な野蛮人>って側面も出てきちゃうんだよな。

二万海里の頃は、神に反逆するルシフェルだったけど(ただし反植民地主義者)
22世界@名無史さん:01/10/19 18:46
で、大ピット(>1)さんは、この議論をもってどうしたいわけ?
23世界@名無史さん:01/10/19 19:21
潜水艦って推進ロケットによる魚雷がないとあんま意味ないんじゃない?
それ以外だと特殊部隊を英国まで運んで諜報活動に使うしかないのかな
24世界@名無史さん:01/10/19 20:19
ん?核ミサイル時代のMAD(相互確証破壊)のお話?
25大ピット:01/10/19 21:02
皆さんコンバンワ。ラッシャー木村です。
というようなベタなギャグは置いといて。
大ピットです。
昨夜8を書き込んだ後に結構スレが進んでいたんですね。
今、会社から帰って来たので全然知りませんでした
レスを付けて下さった方々に感謝!感謝!
>22さん
この議論をどうしたいかと言われても
自分としてはタイトルの通りと言うしか有りません
ナポレオンが実際に数隻の潜水艦を建造していたら
その後の戦局に影響が有ったのか。英本土上陸が可能に成ったのか
ネオ・ジラードの言うがごとく、
潜水艦を作っていればナポレオンが最後の勝利者になれたのか
その辺りを皆様と議論していきたいと思っております
26【^▽^】ジョーカー:01/10/19 21:06
ビザンツ帝国@1453年が、潜水艦を開発していたらば、
オスマン艦隊は陸上する前に撃沈されていたね(藁
27世界@名無史さん:01/10/19 21:53
オスマン艦隊は、特に何も戦局に影響与えてないじゃん。
28世界@名無史さん:01/10/19 22:00
>>26
それならオスマン艦隊は陸から攻めてくると思われ。
29世界@名無史さん:01/10/19 22:03
先生、ここはひとつ「ナポレオンが原爆をもってたら」
その後の戦局に影響が有ったのか。英本土上陸が可能に成ったのか
ネオ・ジラードの言うがごとく、
原爆を作っていればナポレオンが最後の勝利者になれたのか
その辺りを皆様と議論していきたいと思ったほうが、結論が早いのでは?
30結論:01/10/19 22:05
牛丼・AA・1の母・友人・主治医 総出演
31どうでもいいけど:01/10/19 22:14
さて、軍用の実用潜水艦というと、デビッド・ブッシュネルが作った米国海軍のタートル号が実用的?な
潜水艦として独立戦争に現れます。1601年ロバート・フルトンはノーチラス号を建造、
これには攻撃兵器として水雷が搭載されていました、
この発明により魚雷戦というものが起こるわけですね。
 そして時は南北戦争、南軍の潜水艦ハンリー号が1776年に北軍の軍艦ハウサトニックを撃沈したのを
皮切りに凄惨な歴史の表舞台へと登場します。
 当時の潜水艦は水中航行は人力で航行するでした。
しかし、航行能力も低く、港湾での奇襲を中心に活動したようです。
当時の潜水艦の武器は船首に取り付けられた長い棒の先に取り付けられた水雷を
敵艦に突き刺すことで爆発させるというものでした。ですからハウサトニック号の撃沈の際の爆発で、
ハンリー号もその運命を共にします。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/1021/sub/sab001.htm


ハンリー,ホラス・L
(Hunley, H L) 南部の民間人。南軍の潜水艦「H・L・ハンリー」の資金提供者。
自らの信念に基づき潜水艦の建造を進めたが、ハンリー号の試験航行の際事故で死亡。

「引き上げられたハンリー号」
http://cnn.co.jp/2000/US/08/08/civilwar.submarine/
32世界@名無史さん:01/10/19 23:35
>29
原爆を持ってたとして、どうやって投下するか、それが問題だ。
(気球で?)
33世界@名無史さん:01/10/20 12:09
原爆を作れるくらいなら
飛行機くらい作れるのでは
34世界@名無史さん:01/10/20 12:18
もし織田信長がMG34を作ったら、本能寺で死ぬこと無かったのになぁ・・・
そんでもってユーラシアに侵攻してヨーロッパまで(以下本宮世界に続く)
35世界@名無史さん:01/10/20 14:44
当時の技術力で作った潜水艦なんぞが
イギリス海軍に執ってどれほどの脅威になりえたか
23の言うように特殊部隊かスパイを送り込むのが関の山
最もそれを行えばイギリスはかなりの兵力を
沿岸の警備に割かねば成らないから、その点では有効かも
でもこれじゃあ殆ど嫌がらせだな
36世界@名無史さん:01/10/20 14:50
つうか夜陰にまぎれて、船寄せればいいじゃん。
WW2のレーダー監視下のドーバー海峡じゃあるまいし。

電信電話もない時代に、さ。いくらでも上陸できる僻地あるじゃん。
わざわざスパイを水死させることないよ。しかも、5時間も6時間も
足漕ぎスクリュウ漕がせてさ(笑)
37世界@名無史さん:01/10/20 15:00
もし、ナポレオンが映画館の建造を実行していたら

映画ワーテルローを上映しよう
38世界@名無史さん:01/10/20 15:01
>当時の技術力で作った潜水艦
当時の技術力ってどの程度のものだったんでしょうか
機雷の敷設でも出来れば
それなりに活用出来たかも
39世界@名無史さん:01/10/20 15:06
>5時間も6時間も足漕ぎスクリュウ漕がせてさ(笑)
昔の人って体力有ったんですね
自分は15分でさえ漕いでる自身は無いなあ
40世界@名無史さん:01/10/20 15:15
>38さん
機雷の敷設。良いですね。
もし本当に当時の技術でそんな事が出来たなら
オアスン海峡とジブラルタルを機雷封鎖して大陸封鎖令完成
皇帝陛下マンセー
41世界@名無史さん:01/10/20 15:42
あの〜 真面目な質問なんですが
ナポレオンの時代に機雷ってすでに有ったんですか?
42朝鮮人の    :01/10/20 16:53
飛行技術を盗んで日本人が飛行機を作ることが出来た。
空母をつくったのも朝鮮人のおかげ。
日本軍がつよかったのも最前線で戦った朝鮮人おかげ
43世界@名無史さん:01/10/20 17:17
ゴルァ!! 大ピットはどうしたあ!
もう20時間も板に現れてないぞ
自分でスレ建てといて無責任な奴だ。
逝ってよし!!
44世界@名無史さん:01/10/20 17:19
お前もな〜
45世界@名無史さん:01/10/20 17:21
>もう20時間も板に現れてないぞ
わざわざ数えてたの。暇人!
46世界@名無史さん:01/10/20 17:43
ネオ・ジラードって誰?
47世界@名無史さん:01/10/20 17:47
>>45
43じゃないけど、
わざわざ数えなくても、カキコミした日時は一目瞭然じゃん。
たとえば、45が書いたのは01/10/20 17:21だろ。
48世界@名無史さん:01/10/20 21:04
そもそもナポレオンが潜水艦作ろうと計画した史実が有ったんですか?
アレキサンダー大王が、大きいガラスのビンに入って沈み、海底を見たという
話は本当ですか?
49世界@名無史さん:01/10/20 21:09
今、手元にあるオスプレイメンアットアームズ「アレクサンドロス大王の軍隊」
には、とりあえずその手の話は載ってませんね。

ナポレオンの潜水艦については同じくオスプレイ「ナポレオンの軽騎兵」「元帥篇」
にも同様の話はのってませんね。

こんどアベルガンスの「ナポレオン」いう映画見てみますが、たぶん出てこないでしょう
50Blackbird:01/10/21 03:10
ども、密かに2ちゃんねら〜の妹(下)です(^^ゞ
さすが兄貴、スレ立てる場所が知的ですな。
私なんて常駐してるのは「競馬板」だよ(苦藁
なのでこのスレに対しては有益なレスができまへん。ゴメンよ〜。

余談ですが、母も姉も甥姪もおかげさまで元気です。もちろん私も。
51世界@名無史さん:01/10/21 05:09
「1の母でございます」のたぐいかと思った。
52魚花 うるふ(ほっけ うるふ):01/10/21 07:39
>1へのマジレス
当時の潜水艦は兵器としての実用性に乏しく、31氏が挙げられた例が、最初の
潜水艦による戦果です。その後南北戦争中にも潜水艦が用いられましたが
この時は、爆発の巻き添えで死ぬ事は無かったようです。

ですが、航行中の軍艦を撃沈できるようになったのは、第一次世界大戦からで
Uボートがイギリスのプレ=ドレットノートクラスの戦艦を撃沈しています。
(14年か15年かは忘れました)

それから、熱気球のペイロードは僅かなもので、爆撃なんかには使えません。
砂袋をバラストに使っている事からも明らかでしょう。しかも、当時の熱気球
はバーナーなんかついてないので上昇なぞ出来ませんし、気嚢の空気が冷えたら
それでオシマイです。

しかも、普通は英仏海峡の制海権を握ろうとするのが常道でしょう? 現に
英海峡艦隊の戦列艦の数が、フランス・スペインの連合艦隊のそれより下回った
事は何度かありました。しかし、革命による混乱のため人員、物資の調達に
大変苦労したのがナポレオン時代で、主要軍港が英艦隊により常時封鎖された
こともあり、王制時代よりフランス海軍は弱体化しました。

その結果生まれたのが、気球やトンネルでの海峡横断というアイディアでしたが
到底実現の見込みは無く、ナポレオンが実施したのは兵員輸送できる小型の砲艦を
大量に建造するという方策でした。(結局、実施の見込みも立たなかったわけですが)
53大ピット:01/10/21 15:35
どうも〜
43さんに20時間も来てないと怒られた
42時間30分振りの大ピットです(藁)
やはり言い出しっぺが全然来ないというのはいけませんね
反省!反省!
54大ピット:01/10/21 17:29
>46 ネオ・ジラードって誰?
う〜ん。とうとう指摘されてしまいましたか
自分でも書き込んだ後で間違いに気付いたんですけど
誰も言わないんなら、まあ良いかと (^^;)
でも、さすがに世界史板はレベルが高い
見逃してはくれませんでしたね
ご指摘の通り、ネオ・ジラードでは無く、レオ・ジラードです
今まで黙っててスマン
55通りすがり:01/10/21 20:12
イギリス海軍撃破!!
対仏大同盟粉砕!!
欧州統一!!
56大ピット:01/10/21 21:31
>妹(下)
>余談ですが、母も姉も甥姪もおかげさまで元気です。もちろん私も。
ミーの事が書いてないぞ!
57Blackbird:01/10/21 23:43
>56
>ミーの事が書いてないぞ!

わはは、忘れてた^^;。もちろん元気に丸々と太ってます。もちろん私も(再苦藁
つーか、アイツの名前は「りー」なんだってば!
58大ピット:01/10/22 01:31
>魚花うるふ(ほっけうるふ) さん
マジレス有難う御座います
お詳しそうなので聞きたいのですが
やはり当時の潜水艦では機雷の敷設は無理だったんでしょうか
無理だったとして、他に何か潜水艦の使い道はないでしょうか
59世界@名無史さん:01/10/22 11:24
水葬
60世界@名無史さん:01/10/22 21:27
>ご指摘の通り、ネオ・ジラードでは無く、レオ・ジラードです

だから〜 レオ・ジラードって誰よ?
61マクナマラ:01/10/22 21:46
思うにハンガリーのSF作家でしょう。レオ・ジラードは。
ネット検索かけたら出てきました。

マンハッタン計画の中枢にもそういう名前の科学者がいましたが、
大ピットさんがおっしゃるナポレオンの核保有の可能性とそこから展開される
未来の可能性について語るのはSF作家の仕事でしょう
62世界@名無史さん:01/10/22 22:11
TalonSoftがまたやってくれました。帆船シム(おそらく唯一)の傑作AgeofSailの
続編です。
まず下記リンク先ムービーで、その素晴らしいゲーム画面を見てください

時代はやはりホレーショ・ホーンブロワーなりきりでしょ。
憎きフランス蛙をやっつけるだけでなく、無数の近世海戦シナリオ収録。
お金に余裕のある人はお勧めです

レビュー
http://gamespot.com/gamespot/stories/reviews/0,10867,2684823,00.html
スクリーンショット
http://gamespot.com/gamespot/filters/products/screenindex/0,11104,914404,00.html
メディア・プレイヤー56kbpプロモビデオ(軽い)
http://gamespot.com/gamespot/filters/products/media/0,11100,914404,00.html

おまけ
パブロフ2等兵推薦英文翻訳サイト(笑)
http://www.excite.co.jp/world/text/
63大ピット:01/10/23 00:21

>だから〜 レオ・ジラードって誰よ?

60=46で良いのかな?
単なる間違い指摘レスだと思ったんで名前だけ直したんだけど
レオ・ジラードに付いての詳しい事は
長く成りそうなので後で書きます
唯、61さんの言う通り
マンハッタン計画の中心人物の1人です
64魚花 うるふ:01/10/23 06:55
>大ピット殿
>やはり当時の潜水艦では機雷の敷設は無理だったんでしょうか
>無理だったとして、他に何か潜水艦の使い道はないでしょうか

魚雷が出現したのは19世紀末。機雷が出現したのもその頃だったと記憶しています。
列強の海軍で潜水艦を最初に採用したのはイギリスで1901年の事です。
それ以前は蓄電池の関係でまともな兵器としては使えなかったのでしょう。

機雷敷設艦はまとまった数の機雷を敷設しなければならなかったので、当初
その任にあたったのは水上艦艇でした。
65大ピット:01/10/23 20:51
>61・マクナマラさん

マジレス有難う御座います
唯、反論させて頂けるなら
自分は核兵器の事など一言も発言していません
過去レスを見て頂ければ判りますが
原爆うんぬんは29さんの書いたレスですし
自分はその後も、原爆に関するレスは付けておりません
自分が議論したいのは
飽くまでもナポレオンが潜水艦を建造していたらです
今後もマジレスお願いします
66世界@名無史さん:01/10/23 20:56
67世界@名無史さん:01/10/24 03:13
どうでも良い事かもしんないけど
1のHNはどうして大ピットなの
ナポレオンに対抗したのは小ピットの方だったんじゃ
68大ピット:01/10/24 21:59
67さん
本当にどーでも良い質問を有難うございます(^^;)
まあでもスレが停滞しているところなので、この際感謝して置きます
確かに67さんの言う通りナポレオンに関わったのは
小ピットの方ですが、彼はアウステルリッツ敗北のショックで倒れ
数ヵ月後には頓死してしまいましたので
そんな人物の名前をHNにするのは縁起が悪いので
親父の方にしたというだけの話です
69世界@名無史さん:01/10/25 12:55
レオ・ジラードに付いての詳しい事っていうのはどーなったの?
大ピットが後で書くと言ってから、かなり時間が経ってるけど
70大ピット:01/10/25 23:36
どーもー大ピットです
レオ・ジラードの件遅く成ってスマン

レオ・ジラード(又はシラード)  1898−1964
ハンガリー生まれのユダヤ系物理学者
ドイツに在住していたがナチス政権の発足に伴いアメリカに亡命
後にマンハッタン計画の中心人物の1人と成る
彼の逸話として、巨額の資金を必要とする原爆の開発計画に
中々ゴーサインを出さないルーズヴェルトに対し
「ナポレオンの轍を踏んでは成らない。」と言って説得した事が挙げられます
すなわち、ナポレオンが潜水艦建造を笑い話として取り上げ無かった結果
彼はイギリス海軍を破る事が出来ず、英本土上陸も果たせず
挙句ロシア遠征の失敗で悲惨な末路を辿る事に成ります。
ジラードはこの事を引き合いに出してルーズヴェルトを説得しました。
「ナポレオンの二の舞を犯しては成らない!
ナポレオンが潜水艦を建造していれば、
 彼はイギリス艦隊を破って英本土征服を果たし、
 その結果ロシアもナポレオンに屈服し
 彼は最後の勝利者に成れただろう。」

予想通り長く成りそうなので2つに分けます
71大ピット:01/10/25 23:39
続きです

ジラードの言葉にルーズヴェルトも説得され原爆開発がスタートします
最もこの板で議論されてきた様に、当時の技術力で作った潜水艦に
イギリス海軍を破るような真似はとても出来なかったと思われますが
ルーズヴェルトもナポレオンの時代に生きていた訳では無いので
彼を説得するには充分な例え話で有ったようです。
自分がこのスレを立てたのも、
この逸話が何となく気に成っていたからです。
最も上記の話でルーズヴェルトを説得したのは
僚友のエンリコ・フェルミだったという説も有ります。
尚、ジラードの名誉の為に申し上げて置きますと
彼自身は都市部への原爆の使用には反対で
威嚇の為に山間部にでも投下すれば、
それで充分という考えだったそうです。
トルーマンにもそのことを訴えましたが却下されてしまいました。
戦後は色々な平和活動に取り組み良心の科学者とも呼ばれました。
ど〜も長々とスマン。
72世界@名無史さん:01/10/26 10:22
上の話って潜水艦だったっけ
フルトンの蒸気船じゃなかった?
73世界@名無史さん:01/10/26 13:13
>戦後は色々な平和活動に取り組み良心の科学者とも呼ばれました。

え〜話や
74世界@名無史さん:01/10/26 19:20
ナポレオンが再度イギリス上陸作戦を行わなかったのはなぜ?
75世界@名無史さん:01/10/26 19:36
制海権がとれなかったから。たしかブローニュの海上キャンプの更迭司令官が
功を焦って出撃したのがトラファルガー海戦じゃなかったっけ?
76世界@名無史さん:01/10/26 23:11
えっ! ナポレオンに督促されて渋々出撃したんじゃ無かった?
77大ピット:01/10/26 23:39
>72
>上の話って潜水艦だったっけ
>フルトンの蒸気船じゃなかった?

潜水艦でよかったと思いますよ。
当時の蒸気船は未だ外輪船で、
川ならともかく外洋ではとても使い物に成らなかった筈です。
だからナポレオンも蒸気船には最初から興味を示さなかった様です。
78「酸」と関係ないのになぜ「酸素」?:01/10/27 00:10
「酸」と関係ないのになぜ「酸素」?
http://nara.cool.ne.jp/mituto
79世界@名無史さん:01/10/27 19:23
>潜水艦でよかったと思いますよ

え〜  俺が言ったのはそういう意味では無く
ルーズヴェルトを説得する時に言ったのは
潜水艦では無く蒸気船では無かったかと
80世界@名無史さん:01/10/28 17:57
ちょっと考えたんだけどトラファルガーで英仏艦隊が戦っている時に
イギリス上陸作戦は出来なかったのかな?
だってトラファルガーってジブラルタルの近くでしょ。
そんな場所までイギリス艦隊の主力を引っ張り出したんなら
仮に仏艦隊が敗れても、ネルソンが戻って来るまで何日かは掛かるし。
確かナポレオンは
「ほんの数時間ドーバーを押さえられればイギリスを征服してみせる。」って
言ってたんじゃなかったっけ。
それともネルソンが主力艦隊を連れて行っても
未だイギリス本土には相当数の艦船が居たのかな?
81大ピット:01/10/28 18:55
>未だイギリス本土には相当数の艦船が居たのかな?

多分そうだと思いますよ。
自分も詳しい事は知りませんが、幾ら何でもネルソンが全艦船を引き連れて
出撃したという事は無いでしょう。
あっ、マジレス有難うございます。
82世界@名無史さん:01/10/28 22:25

仮に上陸自体は出来たとして、
味方の艦隊がやられてしまったらその後の補給はどうするの?
ドーバー海峡を数時間うんぬんは数あるナポレオン伝説の一つ
実際には味方艦隊の勝利が無ければ
幾らナポレオンでも上陸作戦は発動出来なかったと思うよ
83世界@名無史さん:01/10/29 00:00
補給といってもナポレオンの戦い方は殆ど現地調達じゃなかったっけ
それならフランス艦隊が負けても
イギリス本土で戦う事は可能なんじゃない
84世界@名無史さん:01/10/29 00:05
大陸封鎖令やロシア遠征の様な大がかりな事が出来るならなぜ絶頂期に艦隊を作り、再度上陸を試みなかったのか?かなりの軍艦を保有してただろうし、もしなくても大量に建造できる環境はあったはずなのに…。
85世界@名無史さん:01/10/29 00:45
はうう。1969年だかに英サンドハースト陸軍士官学校で
ヒトラーの英本土上陸作戦の図上演習が新聞社主催の鳴り物入りで実行されまして、
ドイツ側はたしかガーランドとかも参加してたと思います。

判定結果は「上陸は成功すれど補給が続かず失敗」

・・・ナポレオン軍はたしかに現地補給の兵站ですが、海峡を挟んで
敵国であるブリテン島に数万人の軍隊をおくりこむのは(制海権を度外視して万が一にも可能
だったとしても)、おのずから意味が違うような・・・
86世界@名無史さん:01/10/29 02:30
う〜ん。だんだん潜水艦を離れて
イギリス上陸作戦が可能かどうかのスレに成ってきたな(笑)
87世界@名無史さん:01/10/29 05:40
じゃ、おれが子供の頃、お風呂場で隣の美代ちゃん相手にした潜望鏡という遊びの
話をしようか・・・
88世界@名無史さん:01/10/29 19:43
>87

ぜひ
8987:01/10/29 20:44
OK。あれはぼくが幼稚園のときのことだ。
北部連邦海軍長官ウェルズにそっくりの隣のタケ坊(当時5歳)とお砂場の泥遊びで
ハンプトン・ローヅ海戦(南北戦争中おこなわれた史上初の甲鉄艦同士の戦い)
を再現してたときのことだ。
僕は南部連合海軍長官マロリーになって、セルロイドの家鴨(CSSメリマック号)で
奴のミクロイドS(USSモニター号)を攻撃してたときのことだ。

戦争の惨禍に耐えかねたのだろう。
隣の美代ちゃん(近所で評判の南部美人)が、いきなり泥の中にとびこんで泥まみれ。
汚濁の中のエロティシズムを発散させる状態になった。

このラブレーの糞尿談を思わせる展開に、ぼくらは恍惚とした。
が近代という名の牢獄にぼくら近世人を閉じ込めようとする母という名の権力が、
「汚いわネエ。お風呂に入りなさい!!」
といったのが不幸の始まりさ。

汚濁を<病理>とし、清潔に<矯正>しようとする奴らの発想はフーコーならずとも
糾弾すべきだろうが、僕ら幼児に、当時、どんな物理的抵抗が可能だったろうか?
僕らは言われるままに風呂場へと赴いた。

(つづく)
90世界@名無史さん:01/10/29 23:59
補給の件だけどさ、確かに味方の艦隊がやられたらキツイとは思うよ。
でも そこを何とかするのがナポレオンだろ。(予の辞書に不可能は無い)
上陸出来た部隊だけでイギリス軍主力と戦いこれを撃破
(ワーテルローを待たずにナポレオンVSウェリントンが実現)
その後ロンドンを占領して、貴族の財産を没収し
これを民衆に配布するという布告を出して一般国民を味方に付け
長期駐留を可能にするっていうのはどうだい。
91世界@名無史さん:01/10/30 00:04
独ソ戦こうすれば勝てたスレじゃわい(笑
92世界@名無史さん:01/10/30 19:12
半島ネタにはうんざりだ。そこまでして牽強付会でナポレオンを語りたいなら
このスレ使いな?
ポナパルディストとしてそれらしいこと書いてみな?
93世界@名無史さん:01/10/30 20:48
>92
誰に言ってるの?
94世界@名無史さん:01/10/30 21:33
>90
長期駐留を可能にって、それ自体不味いだろ
対英作戦は短期決戦が基本だろ
それに90の言う場合でもフランス艦隊は敗れてるという前提だろ
どうやってフランスに帰るんだよ
まあエジプトから逃げた時の様に
1人でなら帰還も可能かも知れないけど
95ナポレオン:01/10/30 21:55
私は決してエジプトから逃げた訳ではない
自分の留守で危機に陥った祖国を救う為に
残した兵士たちを思いつつ涙を飲んで帰国したのだ
96ナポレオン:01/10/30 21:57
ところで87よ
続きはまだ?
97世界@名無史さん:01/10/30 22:08
>ナポレオン
でも置いていかれた連中から見れば
逃げたとしか思えないよな
98世界@名無史さん:01/10/31 00:07
94に同意
ナポレオンがイギリスに長期滞在なんて事に成ったら
背後のオーストリアやロシアが手をたたいて喜ぶぞ
それにプロヴァンス伯も帰ってきてしまうかも
99魚花 うるふ:01/10/31 00:29
>87さん

スゲー笑えました。呼吸困難になるくらい。続編キボン。

>18C末〜19C初頭の英仏の海軍力について疑問をお持ちの方々。

1805年当時のイギリスの戦列艦の就役数は200隻を超え、フランス、
スペインの戦列艦の合計数(確か100隻弱程度)に比べ、遥かに優勢でした。
これに加え、オランダ海軍の戦列艦が12隻程度ますが、英仏海峡方面で
イギリス海軍の制海権が揺らぐ事は在りませんでした。
英海峡艦隊は仏大西洋艦隊を確実にブレスト港内に封じ込めつづけ
一方、イギリス本国海域には強力なフリゲート戦隊を配備して
フランスの上陸作戦を牽制し、フランスに上陸の機会を与えるような
ことはありませんでした。

これは、フランス海軍が度重なる海戦で敗北を喫したことと深い関係が
ありました。主な例としては、

セントビンセント岬沖海戦―1797年、マラガからカディスへ回航途中の
フランス地中海艦隊とスペインの連合艦隊をセントビンセント岬沖で捕捉
したイギリス地中海艦隊が敵戦列艦10数隻を撃沈拿捕の戦果をあげた。
(セントビンセント岬を始め、スペイン南岸の岬は交戦を避けようとする
艦隊の風下を塞いだので、攻撃側は戦いを強いる事が可能となり
しばしば、大海戦の舞台となりました)

ナイル河口沖海戦―1798年、地中海艦隊所属の少将としてツーロンの封鎖
任務遂行中のネルソンが嵐に遭い、彼が率いる戦隊はツーロン沖から
吹き流されて、旗艦も損傷を受けサルディニアに後退を余儀なくされた隙
を突きフランス地中海艦隊が、ナポレオンを指揮官とした陸軍部隊を載せた
大輸送船団を伴い出撃。マルタを占領の後、ナイルデルタのアブギール湾
でナポレオンらを上陸させる事に成功したが、湾内に停泊中に、ネルソン
率いる強力な戦隊(戦列艦17隻基幹)の攻撃を受け、20隻以上の戦列艦が沈没
または拿捕され、逃れた艦艇は2隻のみ。フランス地中海艦隊は壊滅的打撃
を受けた。(2、3年前、フランス側旗艦の120門艦ロリアン号がサルベージ
されましたが、その式典に呼ばれたのは、ネルソンとナポレオンの子孫で
仏艦隊司令長官のド・ブリューイ提督の子孫がこなかったのはヘンな感じ
でした)

続きは、また後日…
100大ピット:01/10/31 00:38
魚花うるふさん
何時もながら素晴らしいレスを有難うございます
続きを楽しみにしております
10187:01/10/31 04:54
了解。
神のごとき権力を振るいながら、なおも神の慈悲を持って内戦の悲劇を回避し得なかった母。
その御業をのろいつつ、僕らは古代ローマの大衆浴場の公開性からあまりにかけ離れた、ガス湯沸し式
という名の風呂場【隠蔽された空間=近代のゴミ処理場】におもむいた。

「人民の、人民による、人民のための・・・戦いか」
海戦の半年後に行われるリンカーンの奴隷解放宣言に南部連合のイデオロギー的敗北を感じつつ、
その癖、僕の目は、隣の美代ちゃんの足と足のあいだに垣間見える、一本の筋にくぎ付けだったというから
正直だな。

女性諸君はご存知だろうが、あの一本の筋は、重力に対して垂直に立っている。
その目指すものは天上であり、あえて重力の恩寵を否定したものだが、当時、僕は知性を否定し
バーバリズムに走った68年カルチェラタンの生き残りだったから乱暴なものさ。
「見せ付けやがって。美代。おいらの肉棒はびんびんだぜ」
とかなんとかいいながら、風呂にざぶんと飛び込んだ。
「おまえも入れよ」
「うん」
ふたりは抱き合ってスローモーション撮影で水の中にとびこんだ。おれはアーネスト・ボーグナイン。
彼女はメキシコの売りだし女優。好きな映画はワイルドバンチ。

「ねえねえ。○○ちゃん(語り手のこと)。○○ちゃんのおちんちんって象サンそっくりだね〜♪」
「おいおい。ハンニバル・ネタで続けろってことか?」
思いつきでやってる話なので・・・。

(つづく)
102世界@名無史さん:01/10/31 22:28

日栄を買おう!買って下さい!!
トムスを買おう!買って下さい!!
サンテレホンを買おう!買って下さい!!
103世界@名無史さん:01/10/31 22:52
何故ここに秘密マンが?
まあ本人ということは有り得ないだろうけど
荒しか?
104世界@名無史さん:01/10/31 23:58
秘密マンて誰よ
105世界@名無史さん:01/11/01 00:28
お気楽の常連
106世界@名無史さん:01/11/01 00:33
っても、良く考えたら秘密マンを知らない人に
お気楽って言っても尚更判らんか・・・
107世界@名無史さん:01/11/01 20:18
魚花うるふ さん
ド・ブリューイ提督の子孫は呼ばれなかったの?
それとも招待されていたのに来なかったの?
108大ピット:01/11/01 23:48
>79さん。超〜遅レス申し訳有りません
うっかりして見逃していました。(^^;)
もう、あきれて何処かへ行ってしまったかな
でも一応返答だけはして置きます。
77と答えが重なりますが
自分が記憶している限り
ルーズヴェルトを説得する時使った例え話は
やっぱり潜水艦だったと思いますよ。
109世界@名無史さん:01/11/02 00:33
87さん
そろそろ続きを
110ナポレオン:01/11/02 19:52
87よ
予を何時まで待たせるのだ
11187:01/11/02 20:10
げ。今、食後のコーヒーを飲んでたところです。
思いつきでやってた話なので。ちょっと待っててください
いま考えます
11287:01/11/02 20:55
ハンニバルネタで続けたいところだが、僕の目はなにしろ美代のまん○(←偽善的な伏字)に
釘付けだった。
「美代。おまえのまんこな。なぜ筋を中心にしてひとつの万個なのに二つに割れているか知ってるか」
「知ってるわよ。いれるためでしょ」
「生意気なことを言うな。5歳児がっ」
おれはかっとなってコブシを振り上げた。
「痛っ。なにさこの甲斐性なし。あたいが福生でクロちゃんあいてに客を取らなければ
あんただって食っていけないじゃない。なにが68年の生き残りよ。ヒモがっ」
「なんだとうっ」
生活臭あふれる会話がこのあともつづくが、省略する。

大事なことは頬を張られ出てってやるとわめく美代子を押さえつつ、
あの日、おれのモノローグが風呂場に響いたことだ。
「アメリカという理念はトクヴィルが喝破したように、つねに連邦主義と州権のふたつの求心力に引き裂かれた
存在なのやっ。おまえの右万個が連邦政府だとして、おまえの左万個は州政府という市民の合意やっ。
この本来がひとつのものを引き裂く存在こそが、おまえの筋っ子やっ」
アメリカという本来、美しかるべき理念を引き裂く建国の矛盾、それこそが南北戦争だったとすれば、
今更、潜望鏡をもつ潜水艦ひとつで戦争の趨勢がかわることにどんな意味があるだろうか・・・?
アメリカは1861年、惨たらしい吐血療法をおこなうことで、第2の建国を成し遂げた。
だがどんな理想が、60万人もの人命を正当化できるというのか・・・?

「ゴット・・・セイブ・ザ・・・アメリカ」
「もう別れましょう。こんな生活沢山よ」
風呂場でひとしきり争った後、当然のように別れ話を持ち出す美代子。
「最後に、さいごに・・・あなたの潜望鏡をみせて。あなたのいきりたつ男の子に、
最後の別れを告げてから、この部屋を出ていきたいの・・・」
多分ドラマ化されてもTV放映不可能の台詞をつぶやく美代子。
「わかったよ」
力なくつぶやくオレ。
「ショウ・・・ザ・・・フラッグ」
水面上にむくむくとそびえたつオレのマストに涙しつつ、美代子は部屋を出ていった。
むろん、おれは風呂につかったままだ。

(完)
11387:01/11/02 20:56
下世話でごめんなさい
114世界@名無史さん:01/11/03 08:54
>95
>97

ナポレオンのエジプト脱出は有名だけど
置き去りにされた兵士たちはその後どうなったの?
イギリスの捕虜にでも成ったのかな
115世界@名無史さん:01/11/03 09:28
1801年9月にトルコ・イギリス連合軍に降伏です。
ヴィゴ・ルシヨンの従軍記によれば、気候やペストで36000のエジプト派遣軍のうち
無事五体満足で帰還できたのは4分の1だそうです。

ヴィゴ・ルシヨンの戦記によれば降伏でなく「休戦」であり、
「エジプトからの撤兵」という名目で、イギリスの費用・船舶により
同年11月ごろまでにマルセイユまで生存者の大半が帰されました。

なおトルコ軍による捕虜虐待が相当数あったのも事実です。
ルシヨン自身、休戦交渉中、トルコ軍艦で出されたコーヒーで副官が毒殺されてたと
記憶します
116世界@名無史さん:01/11/03 11:31
115さん
さっそくのレス有難うございます
勉強に成りました
117115:01/11/03 11:36
降伏でもちろん、正しいと思いますよ。
休戦いうのはあくまでルシヨンの強弁ですので。
念のため
118世界@名無史さん:01/11/03 18:53
115さんへ
もう一つお聞きしたいのですが
帰還できた者たちはその後どうしたのでしょうか
特に将軍クラスは再びナポレオンに仕えたのでしょうか
119世界@名無史さん:01/11/03 21:27
87さん完結おめでと〜
楽しみましたよ〜 ご苦労様でした〜
出来れば何か他の作品も読ませて下さい〜
ずうずうしくてスマン(^^;)
120115:01/11/03 22:45
>>119
恐縮です。なんか書いてて自分もいよいよ2chの電波君かと落ち込んでしまったので
励みになります(笑)

>>118
いやあ。おもわず今、エジプト物の資料書棚からひっぱりだして面白くなって読み耽ってしまいました。
結論から言うなら捕虜は当時、マレンゴ戦後の一時期的な英仏和解でわりとスムーズに送還されましたし、
将軍クラスはナポレオンにつかえました。
ナポレオンに仕えて1799年8月一緒にアレキサンドラを脱出したベルチエ、ミュラ、マルモン、アンドレオシは
いずれも有名どころですし、
1801年の総撤退までエジプトに残留したラグランジュ、途中で内紛で中立国経由でフランス送還された
ダマやレニエなど、
「あれっ。この名前、ドレスデン戦役やボロジノできいた師団長名だな」
ってのがごろごろいます。
エジプトおよびシリア遠征の筆舌に尽くしがたい3年2ヶ月、ナポレオンは概して、将兵の怨嗟の的でしたが、
かといって本国に帰れる術ももたず、腐れ縁がえんえんつづいたようです。
この状況を一挙に変えたのは、ナポレオンの(エジプト遠征軍帰還交渉のための)エジプト脱出と、
その後のヨーロッパ和平を主導した、彼の才能への信頼です。

大陸軍その後の15年にわたる皇帝への信頼の源は、じつはこのエジプト遠征の苦楽をともにしたことから
始まっていると思います
121世界@名無史さん:01/11/04 00:00

87さんと115さんは同一人物だったんですか
少々驚きです(失礼だなこりゃ)
122ナポレオン:01/11/04 01:42

予も驚いた
123大ピット:01/11/04 08:31
魚花うるふさん
そろそろ99の続きをお願いしま〜す
124世界@名無史さん:01/11/04 13:17
たまたまネット検索をかけてたら、かのような文章にあたりました。
これはもしや大ピットさんに関係が?

「フルトンの潜航艇でナポレオン救出?」
http://www.sanseido-publ.co.jp/booklet139_kurata.html
125大ピット:01/11/04 20:12
124さん
情報有難う御座います。さっそく見に行ってみます
126世界@名無史さん:01/11/04 20:38
ナポレオンごときで3つもスレ立てるな!
ナポオタは遠慮をしらんのか?
127世界@名無史さん:01/11/04 20:58
ナポオタ・・・。
よくわかりませんが、ま、時期をとばして3つばかりスレができただけの
話で。
ナポオタいわれるほど濃い知識もちたいですよ。アマチュアの己を恥じます
128世界@名無史さん:01/11/04 21:41
 前にこんな記事を読みました。
「もしアメリカ独立戦争の時に、誰か天才的な技術者が現れて
ボーイング747の製造法を知っていて、数十機の747を作っていたら
イギリスからアメリカへ大量の兵員、物資の供給に活躍しただろう」
「だが、この予測はただ1つの現実で否定される。数十機の747
の生産コストが当時の大英帝国の国力を遥かに上回るのである」
 どの程度のスペックで作るのかは知りませんが、数隻の潜水艦を
作るのと引き換えに大陸軍の維持費が圧迫されて、40万以上の
兵力が1万にまで削られたら・・・。大英帝国は手をたたいて
喜んだでしょう。
129大ピット:01/11/04 22:14
>126
>ナポレオンごときで3つもスレ立てるな!

板を建てた者として言わせて頂きます
自分の建てたこのスレは他の2つとは全く視点が違うと自負しております
他の2つの板は自分も見ていますし書き込みもしております
確かに面白さという点ではあちらの方が上でしょう
しかるに、何故こちらの板の方がレスが多いのでしょうか
ちなみにこのスレを建てたのは10月18日
他の2つは8月10日と8月19日です
その点を斟酌して頂ければ幸いです
でも、こんな事を書くと他の2つの板の参加者が怒鳴り込んで来るかな
まあ それはそれで板の活性化に繋がるから良いかも知れないけど
130大ピット:01/11/05 01:00

124さん、倉田さんのサイトに行って来ました
驚いたのはナポレオンがフルトンに援助をしていた事です
僕の記憶ではナポレオンは潜水艦の件を笑い飛ばした事に成っていたので
自分の思い込みに反省することしきりです
本当に情報有り難うございました
131世界@名無史さん:01/11/05 16:47
魚花うるふさん。そろそろ英仏海軍抗争史のつづきを・・・
132大ピット:01/11/05 22:23

魚花うるふさんは来ませんねえ
ひょっとして海戦板に行ってしまったのかな
133世界@名無史さん:01/11/06 00:07
じゃあ、そろそろ誰か悪名高き軍板のそんだけ氏を呼んできてくれないか?
134大ピット:01/11/06 00:12

海戦板見てきたけど魚花うるふさんはいなかったね
最も同じコテハン使うとも思わないけど
135世界@名無史さん:01/11/06 10:38
イギリス海軍の圧倒的制海権、強さの秘密って何なんでしょうね。
ま、究極的には乗組員の練度、砲撃術の高さというソフト面なんでしょうが。

ちなみにナポレオン大陸軍の陸戦の強さの秘密は、つらつら考えるに
やはり「はやい歩速」でしょうね。いわゆる分進合撃を支える技術として、
速度をもった陣形展開は、よそが分速90歩なのに対し120歩である速さこそが
グランダルメの勝利を支える原動力の気がします。
たしか行軍中は、仏軍の場合、鼓笛隊が終始、行進曲を奏でてるはずですが、
あれでリズムをとってるはず
136大ピット:01/11/06 23:28
>>128

128さん、亀レス申し訳有りません
なるほど、面白い視点ですね
戦争は莫大な費用が必要ですから
財政面から軍事を語るのは重要ですよね
今後ともご意見お待ちしております
137魚花 うるふ:01/11/07 00:35
あー、ビデオカードが不調で(1600×1200の時、Glideが固まる)
原因調査のためパソがバラバラだったので、暫くの間カキコ
できませんでした。スマソ。(でも87氏の三部作だけはしっかりチェック)
では、>99の続きを書きます。

英仏の闘争ではありませんが、ネルソンが大きく活躍した戦いと
して、次の海戦も採り上げておきます。

コペンハーゲンの海戦―1800年、第二次対仏大同盟が崩壊に向かう
に従い、ロシアは、フランスに接近を図り、また、プロイセン、
デンマーク、スウェーデンと共に武装中立同盟を結ぶ事によって、
バルト海からイギリスの商船を締め出し、イギリスの海軍力に打撃を
与えようとしました。バルト海沿岸は、戦列艦用のマストやヤード
に必要な巨大な木材の生産地であり、当時の船舶には欠かせない
タールの主産地でもありました。
海軍の危機を見て取ったイギリス海軍本部は、1801年、戦列艦18隻
を含む53隻の艦隊をバルト海に派遣し、バルト海のチョークポイント
であるオスアン海峡を望むコペンハーゲンに攻撃をかけました。

艦隊を率いたのはサー・ハイド・パーカー中将で、中将に昇進していた
ネルソンは次席指揮官として作戦に参加しました。が、海戦において
活躍したのはやはりネルソンで、戦列艦12隻を基幹とする36隻の艦隊
を率い、コペンハーゲンに攻撃をかけました。作戦途中、パーカー
提督の作戦中止命令を無視して攻撃を続行し、デンマークを屈服
させることに成功しました。デンマークの武装中立は撤回さたのです。
138続き:01/11/07 00:35
トラファルガー岬沖海戦―アミアンの和約の崩壊により、第三次対仏
大同盟が結成され、ナポレオンはイギリスへの軍事的圧力として
英仏海峡に10万の軍を集結させ、イギリス侵攻の機会を窺っていました。
しかし、彼我の海軍力の差は如何ともしがたく、英仏海峡でのみ
制海権を握ることに活路を見出そうとしました。

再建された仏地中海艦隊司令長官ド・ヴィルヌーブは、ナポレオンの命
を受け、ツーロンの封鎖を突破して出撃することに成功したうえ
ジブラルタル海峡の突破にも成功して、カリブ海へと向かいました。
カリブ海域での制海権の喪失を恐れたイギリス軍は、地中海艦隊を
二分して一方をコリングウッド中将に指揮を任せ、地中海艦隊
司令長官であるネルソン中将がヴィルヌーブを追跡してカリブ海
に向かいましたが、ネルソンはヴィルヌーブに翻弄されて、その
艦隊を捕捉する事が出来ず、一方ドィルヌーブは再び大西洋を
横断してヨーロッパに戻り、英海峡艦隊の迎撃を振り切って、
スペインのビスケー湾沿岸のエル・フェロルに逃げ込む事に成功
しました。

その後ヴィルヌーブはナポレオンの命により、スペイン艦隊との合流
のためカディスに艦隊を回航させますが、ここでコリングウッド中将
指揮下の英艦隊の封鎖に遭い、マラガやアルヘシラス、ツーロンに
いる艦隊との合流を阻まれます。ナポレオンが狙っていたのは、
イギリスの艦隊を煙に巻き、地中海とビスケー湾岸の港湾に散らばる
艦隊を集結させてイギリス海峡艦隊を破る事でしたが、この艦隊の
指揮をヴィルヌーブに任せなかったため、ヴィルヌーブは激怒し
スペイン艦隊の増援を待たずに出港、大西洋に乗り出しましたが
スペイン艦隊との集結を考え直してカディスに帰港しようとしました。
が、トラファルガー岬沖で2つの中将旗を掲げるイギリス艦隊に風上
に占位され、風下にはトラファルガー岬を臨む状況では、ヴィルヌーブ
提督が戦いを回避する手段はありませんでした。
139終わり:01/11/07 00:36
フランス艦隊は33隻(仏18隻、西15隻)の戦列艦からなり、一方本国
経由でようやくヴィルヌーブの艦隊を捕捉したネルソンは、カディス
からヴィルヌーブを追跡していたコリングウッド中将の艦隊と合流し
てようやく戦列艦27隻と戦力劣勢にもかかわらず積極的に戦いを
挑み、自ら座乗する三層艦ヴィクトリー号とコリングウッッド提督の
ロイヤル・ソブリン号を先導艦とする2つの戦列を組んで、ヴィルヌーブ
提督の率いる単縦陣の戦列を中央で分断し、仏西艦隊を混乱に
陥れる事に成功しました。ヴィクトリー号はヴィルヌーブの旗艦
ビュサントール号に大打撃を与え、ヴィルヌーブ提督を捕虜に
しましたが、一方ネルソンは致命傷を受けて海戦が終了しないうちに
息を引き取りました。しかし、仏西連合艦隊はその3分の2の艦艇を
撃沈または拿捕され、ナポレオンのイギリス侵攻の夢は最終的に
潰えたのです。

ナポレオン戦争時代の海戦史の話はこれにて終わりです。
それから、英仏艦隊が激突を繰り返しつつも、イギリスの数的優勢
を確実に維持したのは、建艦能力や水兵の確保の問題もさること
ながら、海戦で勝利し艦艇を拿捕出来た面も大きいです。
水線下に致命的な打撃を受けなければ、乾ドックのある造船所で
再儀装し、イギリスの艦艇として就役させる事が出来ました。
イギリスは、本来フランスのみが建艦した80門艦を少なからず就役
させていた事からもその様な事情が窺えるでしょう。
140魚花 うるふ:01/11/07 00:45
>107さん
BSニュース50で見た記憶だけが頼りなのでハッキリしませんが、式典の参列者の
中から、数歩前に出ていた二人のオヤジが、ネルソンとナポレオンの子孫という
話でした。
ド・ブリューイ中将の子孫も式典に参加していたかもしれませんが、そうであった
なら、ナポレオンの子孫の代わりに、その人が前に立つべきでは? というのが
私の感想です。
141大ピット:01/11/07 00:56
魚花うるふさん
どうも長文を有り難う御座いました
おかげで大変勉強に成りました
あれだけ打ち込むのは結構大変だったでしょうね
フランスから80隻も奪っていたとは知りませんでした
今後もレスを付けてやって下さい
宜しくお願いします
142世界@名無史さん:01/11/07 11:49
ナポレオン兄弟(1769-1821)のなかでは末弟ジェローム(1784-1860)のひ孫
ルイ・プリンス・ナポレオン(1914-)がフォレスタのアリクス(1926-)いう婦人と
結婚し2男2女もうけてるから、ひひ孫あたり式典出たのでしょうね

>137
あうー。魚花うるふさん
参考になります〜。ところでGlideというと、もしかして年季の入ったPCゲーマーで?
Age of sailをATIなどというバッタモノでやっている若輩からすると素晴らしすぎます
143世界@名無史さん:01/11/07 20:44
>>67

大ピットさんのHNの由来を質問した
67で〜す
魚花うるふさんのHNの意味も教えて貰えますか〜
ドイツの航空機と関係あるんでしょーか〜
再びどーしようも無い質問でスマン
144世界@名無史さん:01/11/08 00:32

87・115さん
新作キボン
145魚花 うるふ(ほっけ うるふ):01/11/08 21:30
>141の大ピット氏
少々誤解なさってるのでは? イギリス海軍及びイギリス政府の
私拿捕特許状を持った私掠船は、恐らく一千隻に迫るような敵国の
艦船を拿捕していた筈ですが、そのことと、イギリス海軍がフランス
海軍の艦艇を80隻拿捕したという大ピットさんの誤解は、全く関連が
ありません。80門艦とは戦列艦の一種であり、建造していたのは
(私の知る限り)フランスのみです。
(当時は海軍の戦闘艦艇を正式に呼称するのに『○○門艦XX号』
としており、これに従えばネルソン最後の旗艦は
『102門艦ヴィクトリー号』となります)

蛇足になりますが戦列艦の説明をしておきます。
戦列艦とは艦隊戦に用いられる艦種であり、通常は常に戦列(line)を
組んで行動します。(Ships of the line=戦列艦の語源)
敵艦隊との交戦においては、戦列を維持して敵艦隊の戦列を攻撃し
通常この間、フリゲート艦以下の艦艇は戦列艦同士の交戦に加わる
事はありません。(戦列艦の強力な攻撃力に耐えられないため)

当時の戦列艦は通常74門艦、大砲を搭載するための甲板『ガンデッキ』
二層を持ち、二層艦とも呼ばれます。そして74門艦の名はガンデッキ
及び艦尾甲板に装備された砲門の数に由来します。
(他の艦種についても、標準的な砲の搭載数によって『○○門艦』
と呼称されるという点では同様です)
74門艦以上の戦列艦は通常、三層のガンデッキを持ち、90門搭載の
二等級艦、100門以上搭載の一等級艦の区別があります。

さて、フランスの建造した80門艦は、ほぼ二等級艦に匹敵する大きさ
の二層甲板の戦列艦で、イギリスの74門艦を圧倒するために建造
されましたが、そのコンセプトは正しからず、イギリス海軍に多数
拿捕され、イギリス海軍の戦列艦として再就役する始末でした。
>142氏
年季はあんまり入ってません。(^-^; 96年の暮れぐらいからでしょうか…

EF2000のアドオンTactcomが発売された頃に、双方を購入し、フライト
シム世界の足を踏み入れたのですが、EF2000の凄さに圧倒され、
そしてMyマシンの遅さにも凄まじい衝撃を受けたのでした。
当時の愛機はDESKPOWER、CPUはDX4-100MHz、ビデオは勿論オンボード。(^^;)
(Cirussの5430だったでしょうか…)コマ送りというか紙芝居状態で
どうにもなりませんでした。

その後、デスクパワーはドンガラその他はそのまま、マザーをVXに換装、
CPUはPentium133@150MHzとなり、紙芝居状態は解消したもののオブジェクト
が増大するとコマ送りになるのは避けられませんでした。
(当時の3DのDOSゲーはみんなそんなもんでしたが… それでも信長の野望
天翔記withパワーアップキットが信じられないぐらい速くなりました。
オンボードのTrio64V+は画像ボケボケで最悪でしたが、アクセラレーター
(嗚呼なんと懐かしい響き)としては、なかなかのもんでした)

始めは、Voodooなんかに興味はありませんでしたが、EF2000をGlideで
レンダリングするパッチを開発中という情報を耳にした瞬間、私のVoodoo
への認識は一変し(しかし、値段からいって手が出ず)、「パッチのリリース
寸前に買ってやるぜ」と心に闘志?を宿しつつパッチのリリースを待ちました。

そしてパッチリリースの日、VoodooをPCIにぶち込んだ私は、パッチのダウソ
に取り掛かり、288のモデムと死ぬほど込んだFTPサーバーと格闘すること
6時間の後、パッチ「Graphics+」をゲットしました。(パッチはタダ、当時の
DIDは太っ腹だったノカー)
そして、エラーを吐き出すインストラー相手にヒステリーを起こしつつ
パッチを当てる事に成功し、スカンジナビアの薄暗い空へと飛び立った私
の目の前にはヌルヌル動く世界が待ち受けていたのです。
可視圏外戦闘からドックファイトに入り、ミサイルを撃ち尽くした私は
残る敵機にガンファイトを挑みましたが、これが面白いように当たる当たる。
今までのコマ送りは何だったんだ?と思わずにはいられない程のフレーム
レートの向上で、私は一躍射撃の名手になった気がした。(正しくは気のせい)

その後、Voodoo2、Voodoo5と世代を経てきた私のVoodoo人生?も
DirectX8世代についていけないこのカード(V5)には別れを告げなければ
ならなくなるのでしょう。メタ糞重いと評判のIL-2の発売が迫ってます。
(Voodoo3を買わなかったのは、G400に浮気をしたため。Europian Air War
を走らせるとVoodoo2にも負けるヘタレなカードで落胆しました。
ベンチではまあまあだったですけど。爺ふぉーす系はEAWが鬼門なので、
やっぱり、らでおん系でしょうね… でも、EAWをやる限りではGlideで
1600×1200が使えるVoodoo5が最強(?)なんです)

ところで、帆船モノは私も興味のあるところですが、イマイチ評判が
芳しくないようです。Age of Sailはどんなもんですか?
リリース前は買おうか買うまいか本気で悩みましたが、海外のシム系
サイトの評価は、あんまり高くなく物欲もしぼんでしまいました。
(Woodenships & Ironmenよりは評価は高かったと記憶しておりますが)
>143氏
お察しの通り、ドイツ第三帝国ルフト・ヴァッフェの某戦闘機から拝借
致しました。センスのかけらもないハンドルです。私はこの某戦闘機
が大好きで、軍事板でロールレート太郎呼ばわりされました。(藁

さて、今夜もカリカリチューンの我が愛機(しかし、寄る年波には勝て
ない1GHz駆動が限界の我が愛機)で、憎っくきアミーのB-17の編隊を
迎撃! デブの国家元帥には文句は言わせネーヨ。
(しかし、シュペーアの回想録の中に出てくるゲーリングとガランド
のやりとりを最近読んで、強弁を押し通すゲーリングに萎え)


…最後に世界史板の諸兄、甚だしき鼬害スマソ。別に143氏や142氏の
せいでは、ないっす。絶対に。私が悪いんです。

…逝ってきます。しかしその前に、私も87氏の続編のキボンをお伝え
しておきます。
149じゃお祭りと勘違いの87:01/11/09 00:09
軍事板のワーテルロー用の翻訳です・・・

「1815年4月のウェリントン軍」

1815年4月5日早朝、ウィーンからブリュッセルに戻ったウェリントン公爵は、かれの軍隊の有様にぞっとしました。
(たった1年あまりの平和のうちに)ポルトガル、スペインおよびフランスで彼がつくりあげた強大な軍事機構は解体されていたのです。
即応可能な軍隊は英国軍14大隊、および1個ライフル分遣隊のみ。
7500のドイツ王党派義勇兵(ハノーヴァー師団)は、やはり解散まじかとみて、脱営者が多発してました。
連合オランダ王国の25000の軍隊は、名目上オレンジ公の指揮下にありましたが、同時にウェリントンの指揮も受けていました。
両者ともに指揮権は自分にあると主張してました
ブラウンシュバイク公の黒衛軍団の傭兵6700が提供され、受け入れられました。公は英王室と姻戚関係にあり、かつてナポレオンによって地位を追われた人物です。
ナポレオン復活の知らせの衝撃に、ナソー(ベルギー)のふたつの公爵領がさらに7300の軍隊を提供しました。
150じゃお祭りと勘違いの87:01/11/09 00:10
ウェリントンの軍隊の大半が、彼には話せぬドイツ語を話しました。
ブラウンシュバイク旅団、ベルギー旅団、およびオランダ旅団は、ウェリントンに忠実にもかかわらず、
また独自の命令系統を持っていました。
この混成軍には統一された指揮、補給、そして訓練などはありませんでした。
戦術レベルにおいて各軍隊は、それぞれ経験にてらしあわせ最良と思われる方法で戦いました。
たとえばオランダ旅団は英軍より2列多い横隊で共同作戦を行いました。
フランス軍同様、かれらの戦闘横隊は3列だったのです。
命令は英語、フランドル語、フランス語および3つの異なるドイツの方言でおこなわれました。
ウェリントンは実家宛にに手紙をかきました。
「私は、劣悪な装備と、経験の足りないスタッフから構成されている軍隊を得るという、不名誉を担わされた!」
ウェリントンは、かれの哀れな軍隊がナポレオンに対抗できるとは夢にも思いませんでした。
1814年に英国軍の許可を得て、彼は47000人を動員解除してました。
The Royal Ordnance(王立砲兵部隊?)は7000人の砲兵を配置転換。
戦列騎兵は、これまた徹底的に解体され、最良の部隊の大半が、歩兵第1大隊とともにアメリカと
カナダにおくられていました。
ヘントの和約はすでに署名されてましたが、彼らが間に合うように戻れるか、難しいところです。
151じゃお祭りと勘違いの87:01/11/09 00:21
>146
・・・glideと聞いた瞬間に、おもわず突っ込んでしまったことを深く
お詫びするとともに、快くノリノリにのってくださった魚花うるふさん
に感謝いたします。
え、わたしですか?
MicroproseのEuropian Air WarやJane's USAFが大好きな初心者でございますよ。
Age of sailは帆船シムもので唯一に近いし、TalonsoftのBattlegroundシリーズの
おまけで
http://www.talonsoft.com/battleground/index.html
入手できるので持ってますが、うーん、好き好きのゲームですねえ。
K6-2AMD350MHZ ATIボードでしこしこやっている小生にはお似合いの
WIN3.1時代の佳作ですねえ

>大ピットさま。
このスレの当初から、ベルヌねたや、英本土図上演習で好き勝手させて
いだたきましたが、どうも、時々、暴走して申し訳なしです。
レオ・ジラードの件、興味深く拝見しております。
時々、イロモノで参加させていただきますが、個人的に世界史板の荒れてる状況には
心を痛めている凡人ですので、ふざけすぎのときには、イエローカードなど出していただけると
幸いです
15287:01/11/09 00:38
あうー。近世戦闘の横列とか縦隊(colomn)の意味がわからんのです。
誰か訳して欲しいです

At a tactical level the various forces fought differently,
having differing ideas as to what constituted the best method.
The Netherlanders emulated the British in fighting in line two-deep.
The Nassauers preferred three deep and assault columns like the French
153世界@名無史さん:01/11/09 00:50
>Nassauers
これはマウリッツマンセーと訳していいのか?
ここだけ解らん
15487:01/11/09 01:04
ベルギー旅団(ナソー公爵領の傭兵)でしょうかね。
ぼくは逆にマウリッツ伯いうのが、ハプスブルグスレは判らないので
意味不明なのです
15587:01/11/09 01:09
最後2行、
「オランダ人部隊(師団)は英軍と共同作戦(肩を並べemulate)2列ばかり深い陣形で戦った」?
「ベルギー旅団は3列構成でフランス軍と同じ戦闘横列をとった」?
156世界@名無史さん:01/11/09 01:10
>153
意味不明
157世界@名無史さん:01/11/09 01:16
了解、暗号解読は苦手なので思いっきり意訳だからちゃんと校正希望

戦術レベルにおいても、軍隊ごとに最良と信じる戦い方は異なっていた
オランダ軍は2列の横隊を組むイギリス軍のやり方に倣っていたし、
ベルギー旅団はフランス軍のように3列の攻撃縦隊で展開した

関係ないが、フランス軍が3列の横隊を組む狙いは常に予備を拘置
しようとする考えのため
縦隊と横隊の違いは戦闘展開時における戦術思想の違い
15887:01/11/09 01:26
なるほどですねえ!
自分の読解力を恥じます。まるで意味がちがってましたねえ(^^:;)

縦隊と横隊の違いもわからぬので困ってますよ
159世界@名無史さん:01/11/09 01:38
あ゙ー、申し訳ない
最後の行間違ってた

ベルギー旅団はフランス軍のように3列横隊と攻撃縦隊で戦った
が正しいと思う

この場合のdeepは縦深の意味
160世界@名無史さん:01/11/09 01:41
またまた違った
最初の訳で良かった
すまん、回線切って首吊る
161世界@名無史さん:01/11/09 01:46
なにをおっしゃる。カウニッツとマウリッツを取り違えた拙者など、
いま羞恥にじわじわと沈み込んでいるとところですがな
162大ピット:01/11/09 19:31
英本土図上演習レスは87さんだったんですか
あれは大変勉強に成りました
これからもどんどん書き込んで下さい
新作を希望している方も多いみたいだし
163名無し:01/11/09 20:15
>1 タラレバ戦記の弱点は同様に相手も対応する権利があることだ。
とうことで,歴史にイフはない。
気持ちはわかるけどね。
http://www.braine-lalleud.com/waterloo/mov/waterlo2.mov
軍事板で行ない正しく性善良な方が、ついに発見してくれました。
ボンダルチュク版「ワーテルロー」のQTフィルムです。
3310KB。
DL時間たった15分で、
ポンソンビー卿の龍騎兵突撃も ネイ元帥の騎兵突撃も永遠にあなたの
PCに収録!!

1.冒頭からゴードン将軍のスコットランド連隊、
2.フランスの戦列歩兵
3.(地図)カトル・ブラにおける深夜の作戦会議とワーテルローでの迎撃
4.6月17日(前夜)の雨中でワーテルロー英軍陣地を眺めるナポレオン
5.鼓笛隊。えー。夕刻のラ・エイ・サント農場攻略時?
6.ラ・エイサント攻略直前の英仏砲撃戦
7.ポンソンビーの龍騎兵突撃
8.ネイ指揮下のミロー将軍の胸甲騎兵、ルフェーブルの槍騎兵、猟騎兵の
総勢43スコードロン、戦史に名高い5000騎突撃(のち反復攻撃で一万騎に増加)
9.驚愕したウェリントンがあわててこさえた13方陣(26個歩兵大隊)

・・・す、素晴らしい・・
165車寅次郎:01/11/09 23:28
>>163

それを言っちゃ〜 おしめえよ
166大ピット:01/11/10 20:06
>163

確かに貴兄の言う通り歴史にイフは無いとは思いますが
歴史にイフは無いというのと、イフを論議してはいけないと言うのは
全く別問題だと思いますが如何でしょうか
167世界@名無史さん:01/11/10 20:20
イフを議論してもいいけど「潜水艦」じゃ説得力ないよな

要は、イギリスを屈伏させる
 ↓
イギリス本土を攻略せにゃならん
 ↓
海峡の制海権をなんとかしなくちゃ
 ↓
イギリス艦隊を何とかしよう

ってことだろ?
違ったっけ?
168ドン・ペドロ:01/11/10 21:04
>163・167氏は
どの様にしたらイギリスを屈服させられたと思いますか?
別に本土を完全制圧で無くても構いませんが
何か策が有れば是非!
169飽和攻撃案:01/11/10 21:28
やはりモンゴルフェ兄弟の偉業を見世物と笑わず、風船をパ・ド・カレーからブルターニュ半島にかけて
1200個配備。偏西風の季節を待って、一斉にはなち、英仏全海域を風任せに一回限り哨戒。
「敵船発見。ダスビダーニャ祖国!!」
の号令のもと、火を絞って英艦に降下し搭載火薬に点火のうえで自爆すれば、制海権は握れると思います。

この際、作戦に従事できる自爆隊員は、当然、新生フランス帝国に対する忠誠心が求められます。
が、ロベスピエールのような自己抹殺をふくむ情熱がはたして組織的に求められるか微妙であることは
ここにおられる諸兄の当然の疑問でしょう。
歴史に距離をおくわたしとしても、かようなことを提案するのは恐ろしいのですが
当時、第3次対仏同盟形成下で圧迫されたフランス商工業者の三男坊をかきあつめ
「口減らしに辛い奉公にだされるより・・・お国の為に死んでくれ・・・!」
と頼んでみてはいかがでしょうか?
誠心誠意たのめば彼らも人間です。
「わ、わかったよ。あんたがそこまでいうのなら・・・」
と頷いてくれるやも知れません。
170飽和攻撃案2:01/11/10 21:40
「わ、わかったよ。あんたがそこまでいうのなら・・・」
あいてが頷いたらしめたものです。
「わかってくれるか・・・!」
と相手に合わせてこちらも涙を流せばいいことです。以心伝心。祖国存亡の危機をまえにして
泣き落としのひとつふたつで人命がどうにかなるなら安いものです。

「で、でも、おいらの残されたジョルジュお父の借金が」
「まかせてくれ。きみの命を金で買おうじゃないか!」
・・・1805年当時、革命から16年も経ち、フランスの正貨経済も立てなおしてます。
革命直後、没収された教会財産を国庫準備にして発行された悪名だかきアッシニア紙幣も
すでに原版が焼却され、軍事支出と道路建設、国債と徴税の安定したシステムが
すでにまわりはじめていました。

しかし1200から2400家と予測される特攻隊員の遺族年金は概算するだけでも膨大な額です。
「この財源をどうにかしなければ・・・」

涙にくれる特攻隊員三男坊のアンリくんを前に筆者の頭脳は、いまや
辻褄あわせに猛回転をはじめたのです。

(つづく)
171世界@名無史さん:01/11/10 22:22
>>168
無理だな、イギリス海上戦力の優位を覆せる妥当な案は思いつかない
結局、史実と同じようにヨーロッパ全土を制圧してイギリスをヨーロッパから
締め出すしかないだろう
しかし、うまくいってもイギリスを屈伏させることはできないだろうし、
恐らくは失敗するだろうな

ここは小説創作スレになったみたいだし、ここで退散しよう
172飽和攻撃案2:01/11/10 22:32
ありゃ。わたしはイロモノですので、こっちが退散しますがな(^^:;)

ま、制海権に関する限り、バカ小説でもかかなきゃ圧倒できないのはハナから
わかっておりますがな
173世界@名無史さん:01/11/10 22:58
>171さん
はい、これ見て機嫌なおしてちょ
http://www.stvincent.ac.uk/1797/Victory/
174世界@名無史さん:01/11/10 23:15
すまん、大人げなかった
175世界@名無史さん:01/11/11 01:10
>>158
んで、縦隊と横隊の話はどーなったの?
176世界@名無史さん:01/11/11 01:19
あうー。軍事板のワーテルロースレに書いてます。
今夜はゲーム特集ざます。
悪訳&基礎教養のなさに自己嫌悪ざます。
177世界@名無史さん:01/11/11 08:17
しかし見事な単発ネタの羅列だな・・・・
178世界@名無史さん:01/11/11 09:12
飽和攻撃案2さん
続編未だですか〜
179世界@名無史さん:01/11/11 13:36
>177さん
あー。こないだからナポレオンスレ関連で、自分では振らずに水ばかりかけてる人だね。
180世界@名無史さん:01/11/11 13:42
なんか先日から凄い不愉快に思ってたのですが・・・。
ご自身でナポレオニックにいかなる思いいれがあるかしりませんが、
経験上、「他人が自分の好きな領域にふみこむと水をかけずに入られない」
症候群とお見受けしました。

パブロフさんもそうでしたが、どうもいかんです。要するにスレの熱を冷ます
ご趣味の方と見うけられます。もうすこし、人の揚げ足ばかりとらず、ご自分で
カキコされたらいかがですか?

まさか魚花うるふさんご自身いうなら、こっちも謝りますが・・・
181世界@名無史さん:01/11/11 14:41
気にするな
>177は思うにこのスレの>>2だ(笑)

2 :世界@名無史さん :01/10/19 00:05
マジレスで900以上ヒットしたら、目でピーナッツ、鼻でスパゲッティ食べてやる。
182160:01/11/11 15:07
すまんな、>177は俺だ
何か最初から読んでて支離滅裂な感じがしたもんでな
自分では揚げ足取ったり水かけたりした憶えはない
俺のレスは153が最初で160が最後だ
不愉快にさせたなら謝る
これからはROMに徹することを誓うので許して欲しい
183ドン・ペドロ:01/11/12 20:22
>163・167・171氏へ
ナポレオン戦争と並行して米英戦争が行われていますが
アメリカを味方に付ける事は出来なかったんですかね
無論、当時のアメリカは20世紀のアメリカとは違うにしろ
ルイジアナを売るばかりが能では無かったと思うんですが
184世界@名無史さん:01/11/12 23:47
163では有りませんが、アメリカを味方にですか
う〜んどうですかねえ。ドン・ペドロさん自身が言ってるように
当時のアメリカはまだまだ弱小国。米英戦争も負けてますからねえ。
それに米英戦争の最中は正式の同盟こそ無かったけれど
事実上の同盟国だったと思いますよ
185世界@名無史さん:01/11/13 19:27

ルイジアナの売却はナポレオンに執ってはともかく
フランスに執っては痛すぎる出来事でしたね
あれでフランスは新大陸の足場を失ってしまったんですからね
のちにナポレオン三世が失地回復とばかりに
メキシコに出兵しましたが、時すでに遅しでしたからね
186世界@名無史さん:01/11/13 20:54
>185
そうですね、ケベック程度じゃ足場というにはちょっと
187世界@名無史さん:01/11/13 22:56
でも、あのままフランスがルイジアナを領有してたら
アメリカはその後どうなっていたかな?
188世界@名無史さん:01/11/13 23:50
>>187
へたすると、フランスとアメリカは戦争ですね(笑)
当時のフランスにはルイジアナ防御の派兵の余力はなかったですし、
アメリカの統制のとれない入植者が西に膨張するのは避けれませんでしたから。
結局、ルイジアナはアメリカのものになっていたでしょう。
189世界@名無史さん:01/11/14 11:43
>188
米英戦争ならぬ米仏戦争ですか
でも甘いと言われるかもしれないけど
アメリカに執ってフランスは恩人ですよね
恩人相手にそこまで遣りますかね
無論、入植者の移動を抑える事は困難かもしれないけど
190世界@名無史さん:01/11/14 20:07
>189 アメリカに執ってフランスは恩人ですよね

ラ・ファイエットよ。我ら今フランスの地に有りってやつですね
191世界@名無史さん:01/11/14 21:34
>190

それって誰の台詞なの
192世界@名無史さん:01/11/15 05:49
>>189
米仏戦争になるかどうかは別にして。
当時のアメリカはその手の話でメキシコやスペインとも戦っていますから、
たぶん必要ならアメリカはやると思います(笑)
昨日の恩より、今日の土地です。

おそらく、摩擦が高くなったあげくフランスが折れるでしょう。
ルイジアナあたりは、ただ持っているだけでは(根本開拓しないと)
価値が低いところだったとも感じます。
193世界@名無史さん:01/11/15 10:17
フランスがアメリカにルイジアナ・テリトリーを特価で売ったのは
フランスが英国との戦争準備や、ハイチの独立(戦争)などで大陸への
興味が無くなったからです。
当時アメリカはフランスとアメリカとの戦争で間に挟まれて
当事者でもないのにどちらからも嫌がらせを受けていました。
(例えばアメリカからのフランス向け・英国向け輸出品を
お互いの敵が邪魔して徴発したり)
が、とりわけ英国は米国の船の船員をムリヤリ徴兵したりして、
(実際英国からの脱走兵が船員になっていた事も多いが)
それまでの苦い外交経験から、どちらともモメごとを避けていたが
この英国の仕打ちにはガマンならず、
The War of 1812が起きました。この戦争は一応アメリカが勝った
事になったみたいです。実質的には負けてたけど。
一寸トピずれですか...
194世界@名無史さん:01/11/15 10:26
それからルイジアナはニューオリンズ港やミシシッピ川があり、
当時の運搬・貿易の要所で、非常に重要な役割を果たしていました。
195世界@名無史さん:01/11/15 16:09
>>193

アメリカが勝ったとの事ですが
講和条件はどのようなものだったのですか
自分はイギリス軍がワシントンを占領した印象が強くて
アメリカの負けだと思っていたのですが
196世界@名無史さん:01/11/15 17:31
>195 イギリス軍がワシントンを占領

食事中に奇襲を受けたマディソン大統領が逃げ出し
イギリス軍が大統領官邸を占領したときには
未だスープから湯気が立ち昇っていたという
有名な逸話が有りましたね
197世界@名無史さん:01/11/15 22:41
193の"当時アメリカはフランスとアメリカとの戦争で間に挟まれて"
は、フランスと英国の間違いです。スミマセン
195さん。ほとんどアメリカの負けだったんです。
英国としてもロシアとの軋轢も始まっており、
両国がもう戦争は止そうと、The Treaty of Ghentってのを締結したんですが
(その当時アメリカは旗色悪し・ワシントンは攻撃されてしまったし)
終戦条約が交わされたのに連絡事情の悪さから、
ニューオリンズの戦いってのが起きてしまったんです。
そこで一本気な将軍アンドリュー・ジャクソンが徹底的に英国軍を負かして
しまったんです。で、アメリカは勝利宣言したのですが、、なんか
焦点のずれた戦争というか、アメリカの勝利ではあるが実質的には敗北である
という事になっているようです。条約では全然アメリカに有利な条約は
結べなかったと言う事もあります。(戦争前となんの変化もない)
この戦争でA・ジャクソンは国民的ヒーローになり、後に大統領になります。
アメリカの国歌のベースもThe war of 1812のバルティモアの英国軍上陸の時に
出来ました。
198世界@名無史さん:01/11/15 22:45
ナポレオンの資金源はなんだったの?
199世界@名無史さん:01/11/15 23:20
>198
ずいぶん唐突な質問が出ましたね
何時の段階での事を言ってるのかな?
200カリオストロ公国:01/11/15 23:55
とりあえず歴史群像みると、戦争財源として国庫支出(間接税主流)のほかに

ナポレオン個人の財源として軍用金庫(トレゾール・ド・ラルメー)とかいうのあって
オーストリアとプロイセンの戦争賠償金を財源に1805-1810から7億4300万フランあったとか
書いてありますね。
あと2番目のナポレオン個人の財源として1810年1月の特別保有領地(ドメーヌ・エクストラオリディネール)いう
衛星国の保有領地からの税収あててるようです。

最大のものは、戦勝直後の敗戦国に科する賠償金でしょうけど、いうまでもなく半島戦争やロシア戦役では
とれませんでした。
ナポレオンは軍の現地時給方式を標榜してますし、いまよりも乱暴な時代だったので、占領地においては随分な
苛斂誅求をおこなったようです。

たとえば「諸君を世界一豊かな沃野に招こう」の収奪宣言で有名な1796年から翌年にかけての北イタリア平定作戦ですが
法王庁から3000万リラ、ミラノ2000万リラ、トスカーナ200万リラ徴税し、窮乏激しい総裁政府に送金しましたが、この過程で
他の将軍も含め、相当な不正蓄財があったようです。
むろん、のちのプリュメール・クーデタにつながる政治工作資金となったことと想われます
201世界@名無史さん:01/11/16 02:16
198です。
いきなりの唐突な質問で、スレを汚してしまってすいませんでした。

実は今、ゼミのレポートをやってまして、ナポレオン戦争後のイギリスでのシティと政府の関係を
調べてました。そこで活躍する、ロスチャイルド、ベアリングなどの資産家が、
シティを通して、様々な国々に投資をする。。。時には、戦争費用も、、、

そこで、国が戦争をする時に、必要となる戦費調達において疑問が生じました。
ナポレオンは、どうだったのだろう?と。

例えば、第一次世界大戦のときには、アメリカが政治的に中立な立場をとりつつも、
モルガンなど、ヨーロッパにも、影響力のある資産家が、連合国側の支援をしたことは、
明らかです。そして、勝ちました。

また、ワーテルローの戦いでの戦いの時、ナポレオンが勝つか、負けるかは、シティの市場を
判断する重要な材料でした。そのとき、ロスチャイルドが、独自の情報網をつかって、
儲けたことは有名です。

そんなわけで、ナポレオンには、どんな資金源があったのだろう?
あれだけの大帝国。。。きっと、なにかある。と軽い気持ちで聞いてしまいました。
自分で調べもせずに・・・スイマセン。

>カリオストロ公国さま
こんな厨房に、答えてくださってありがとうございます。勉強になりました。
202ロンバート街:01/11/16 03:06
ありゃ。ゼミの論文の方でしたか。だとすれば、先生に群像レベルじゃ怒られてしまいますね。
ナポレオンの直接軍費については軍財務主計金庫というものを中心に調べるといいかもしれませんが、

それと別にベルリン勅令以後の大陸封鎖令と1805年-1811年のフランス国内の金融危機、冷害にともなう
国庫収入の減少くらい述べないとときついかもしれませんね。
正直、大学図書館で「フランス経済史」かりたほうが正確で早いと思います。

イングランド銀行における戦費引受公債の詳細については、こっちが教えて欲しいくらいです
ttp://www.ier.hit-u.ac.jp/library/fr71-56/index-j.htm
ロスチャイルド家の戦費送付事業(スペイン戦争ほか)
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/akira16/index12-11a.html
有名なネイサンのエピソード
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/akira16/index12-11a.html
203世界@名無史さん:01/11/16 03:23
204世界@名無史さん:01/11/16 04:49
>>203
両方ともあまりにもテーマが単発すぎて、資料の丸写しっぽい。
いっそのこと、原典表示してくれればいいのに。
205世界@名無史さん:01/11/16 15:19
198=201です。

>ロンバート街さま、203さま。
厨房ごときに、わかりやすい紹介をほんとうにありがとうございます。
レポート終わりましたら、ナポレオン財政にも研究対象を広げたいと思っております。

私ごときに分かることは、ほとんどないのですが・・・

1790年代を通じて、ロンドン市場において最も有力な貸付契約業者が
ウォルター・ボイドであったことは疑問の余地がない。
彼はボイド・ペンフィールド社の代表であった。当時の英国の首相ウィリアム・ピットの激励
を受けたボイドは、1794年にオーストリア帝国政府のために600万ポンドという巨額の
ローンを、英国市場を中心としてプレイスすることに成功した。当時オーストリアは、英国の
同盟国であった(注 第一回対仏大同盟のことと思われる)。英国は多くのヨーロッパ諸国に対して
宣戦を布告したフランス共和国に対抗していた。

ボイドは、ブーブ・ネッティーヌ・エ・フィス社を介してオーストリア政府への紹介を受けたが、
同社は現在のベルギーに当たるオーストリアの一部で傑出した存在であり、ボイドは同社と
長期にわたって営業関係を保っていた。この巨額の金融案件に引続いて、ボイドは英国政府に対する
1800万ポンドの金融案件についてマンデートを取得することができた。
このことはさらに多くの他の案件に連なっていった

ボイドの、ピットやイングランド銀行との議論の記録をみると、政府が、
ロンドン資本市場における有利な条件がその国家政策目標にとって重要であると
信じていたことが明らかであるが、こうした見方は現代の金融市場及び政府に受け継がれている。
英国政府の負債額は1702年の1600万ポンドが、1775年には1億2800万ポンドへ、
1793年には2億4900万ポンドへ、さらに1802年には5億2000万ポンドへと増大した。
政府が継続的にうまく借換えを行っていくためには、ロンドンのシティの資本が重要であった。

さらに、英国の同盟国に対してはリーズナブルな条件での資金調達を可能にし、
その一方で、交戦国フランスに対しては拒絶するということは、戦時中の国家関係を巧妙に操作するものとみなされた。
こうして、金利水準と金融市場における新発債の発行額は、当時、現在と同様に、
英国の政府及び民間のセクターの双方にとって、不断の最大関心事であった。

ロンドンのボイドの会社は、数々の成功にもかかわらず、それ以前およびそれ以後、
数え切れない程の銀行化がたどったのと同じ運命をたどり、1789年以降業務を拡張し過ぎた結果、
閉鎖に追いこまれた(最終的にはすべての債権者に返済できたが)。フランス革命とそれに続く、
フランス、オランダ、英国、オーストリア及び中小国間の戦争は借入需要を膨張させたばかりでなく、
金融市場に重大な混乱を引き起こした。こうした諸条件がボイド社を含めて多くの会社を苦境に陥らせたが、
他方ではロスチャイルドのような新しいマーチャント・バンカーの成長を促すことにもなった。

S.R.Cope,Wolter Boyd:A Merchant Banker in the age of Napoleon,1983
より

ボイドなんかの資本家がナポレオン戦争期に重要な役割を果たしていたようです。
いろいろ勉強になりました。それでは、失礼します。
206世界@名無史さん:01/11/16 19:41

勉強には成るけど
もはや潜水艦とは何の関係も無いスレに成ったな(笑)
207世界@名無史さん:01/11/16 19:48
そんなこと言ってると、また「不愉快だ」って怒られるぞ。
208世界@名無史さん:01/11/16 23:48
>191  それって誰の台詞なの

遅レスですが
WWT欧州派遣米軍司令官、パーシング将軍のフランス上陸時の言葉です
209世界@名無史さん:01/11/17 18:46
「〜たら」「〜れば」の話はするな
現実から目を背けるな!
210大ピット:01/11/17 18:49
>191 208
ちなみにパーシング将軍の名前は
のちに戦車の名称に成りました(M26)
リー、グラント、パットンなどもそうですね
211世界@名無史さん:01/11/17 19:21




>205
アリガトウゴザイマス。勉強ニナリマシタ(こそこそ)
212世界@名無史さん:01/11/17 20:23
209は163か?
この板から撤退するんじゃなかったのか
213世界@名無史さん:01/11/17 20:36
いつ163が撤退するって言ったの?
214世界@名無史さん:01/11/17 20:55
>213

>>171で言ってるよ
215171:01/11/17 21:12
163は俺じゃないが
それに一応174で謝ったんだが、あんたも結構粘着だな
216214:01/11/17 21:35

ん? 163と171は別人?
だって168のドン・ペドロ氏の質問は163と167に対してで
それに対し171は168を名指しで答えてるんだろ
それが何で別人なんだ
それとも163と167が別人なのか
217171:01/11/17 21:47
>215
確かに167は俺だが163は違うな
どうやら俺はこのスレから追放されてるらしいが、
ここまで駄レスを重ねた点ではお前も同罪だ
お前ももうこのスレにレスするな
おっと、「この板から撤退」だったか(藁
218171:01/11/17 21:48
おっと>215じゃなくて>216だったか
また駄レスを重ねちまったか(鬱
219大ピット:01/11/17 22:09
>>171 218

自分は別に卿を追放した覚えは無いが
板に色々な意見の人が居るのは当たり前でしょう
怒りを押さえて今後もご意見お願いします
でも209は別人のようだね
220世界@名無史さん:01/11/17 22:34
>>210
大ピットさん、かの有名なシャーマン戦車が抜けてる様ですが
意図して抜いたのなら
ひょっとして あなたは南部人?
221世界@名無史さん:01/11/17 23:45
南部人て津軽藩と争ってたあれ
222世界@名無史さん:01/11/17 23:55
>221
ベタベタやんか
もしマジレスなら爆笑
223世界@名無史さん:01/11/18 00:48
>>219
卿?
アンタばか?
ぷ?
224グツド・スピード:01/11/18 01:55

イギリスは海賊族、アメリカは狩人て、ところかなぁ?
侵略して始めて語るの?子供達にも伝えていいんですか?
大ビットさん答えて!
225小ピッド:01/11/18 02:10
>>224
エエよ
226大ピット:01/11/18 07:36
>>224
申し訳無いが、2行目の意味が判りません?
227☆探してます☆:01/11/18 12:01
猿→猿人→原始人→現代人
の移り変わりの画像(図)

どうしても欲しいんです。
見つけたら下さい。

お礼はします。
マジです、お願いします!
228大ピット:01/11/18 20:30
>>220
南部出身の軍人がシャーマン戦車への搭乗を拒否した件ですね
残念ながら書かなかったのは単純なミスです
自分は北部人でも南部人でも無く、日本人です(笑)
229世界@名無史さん:01/11/18 22:17
(・∀・)井伊直弼!
230世界@名無史さん:01/11/18 23:29
ああ。ナポレオン関係の本読むつもりで、きょう、愛車イナヅマ号にウィスキーと
携帯コンロ、書籍数冊のせて海までドライブ。
わが愛車の老巧ぶりを道行く人々は指差して笑うが心無い業といわざるをえません。

で結局、海岸で日向ぼっこしながら、ポナバルドのかわりにクック船長の伝記よんじまったい(^^)
もともと石炭船船乗りからはじめた彼は、7年戦争当時、イギリス海軍に徴用されて地図測量で注目され、
1769年のタヒチにおける金星観測でその名を不朽のものとす。
その際、彼が探検に使用したのは喫水の浅い元石炭船エンデヴァー号だが、これはのちに南洋探検において無数の探検船をのみこむ
座礁を避けるための選択だった。

・・・で、まあ、無数の冒険のあと帰国。一躍時の人となった。
そんでもって悪筆だが努力して航海記を執筆。これを愛読したルイ16世はラ・ペールズに
「卿も太平洋を科学調査せよ」と命じると
「クックのあとに探検する海図なし」とこたえたとか。

このラ・ペールズ、じつはジュール・ベルヌがかの「海底二万海里」のなかで1章さいて話してるんですよねえ・・・
231世界@名無史さん:01/11/18 23:36
ラ・ペールズって何者ですか?
詳細キボン
232230:01/11/18 23:44
・・・すいません。潜水艦に話を戻したいのですが、さすがに調べた限りでは
18世紀初頭の潜水艦いうと、前述のフルトンのナポレオン救出計画くらいしか見つかりませんでした。
(※ あのリンクの文章、まるまる文春新書の新刊に、著者名同じでみかけました)

海軍史くわしい人に任せたいのですが、
ただ19世紀なかば、つまり南北戦争直後からいわゆる「潜航艇」が、世間的にも認知されはじめたようです。
19世紀の潜水艦いうと、私みたいな素人などジュール・ベルヌを連想しますが、1896年にかかれた「悪魔の発明」
(1889メリナイト火薬を発明したチュルパンの国外への機密漏洩事件がモデル)など読むと、潜航艇はその頃にはすでに
かなり注目され、かつ実用化が近い軍事技術のようですね
233230:01/11/19 00:04
>231
ラ・ペルーズいうのはですね。18世紀フランスの有名な海洋探検家です。
18世紀いうのはイギリス対ブルボン王朝が、資本主義と産業革命の勃興期に
あたり、世界中に探検隊をだして交易の開拓と植民地の争奪がそろそろ頂点にむかう頃。

7年戦争前後の英仏の争いをみると
1754年の北アメリカ・オハイオ峡谷争奪戦、フランス勝利(宣戦布告なし)
1756-63年7年戦争(英軍、カナダにおける仏軍駆逐)
1757年プラッシーの戦い(英軍、インドより仏駆逐の基礎)

で植民地戦争に負けつつあるなか、太平洋の開発がブルボン王朝においても
注目され出したのです。

ラ・ペルーズは1785年に、ルイ16世の命令により「クックと同様」世界一周航海を
成すためブソール号とアストラローブ号に乗って出港。以後、消息をたちました。
1791年に革命フランス政府によって、救助船が2隻出されましたが、発見されず、
1828年になって、ようやく遭難現場特定と救難艇の残骸が発見された事件です。

ジュールベルヌはこの事件をもとに、海中に沈んだラ・ペールズの探検船を
ネモ艦長に発見させてます
234230:01/11/19 00:15
私自身は仮想戦記いうのは、ほとんど読まないタチですが、
偉大な小説家が、愛国心なり芸術的観点から、やむにやまれず歴史の一端を想像力によって
捻じ曲げてしまう瞬間というのは、じつにスリリングでした。

トルストイの「戦争と平和」(ロシア版坂の上の雲)でも、コランクールの従軍記にでてくる
有名なコサック捕虜の台詞
「おいらたちとあんたらナポレオンが手を組めば中国まで征服できる」
いった史実が、トルストイの手により、じつはそのコサックはトルストイが既巻で描いた登場人物の一人で、
ナポレオンを煽てて破滅につながる傲慢にかりたてたいう歪曲があって、あっと驚きました。
235卿人はっはっは:01/11/19 13:14
age
236世界@名無史さん:01/11/19 13:49
きょうは「〜たら」「れば」マルチコピペしないの?
237世界@名無史さん:01/11/19 19:47
風紀委員気取りのアフォがいるな
もう少しまともなレスつけたらどうだ?

IFを騙っていいならば、フランスがイギリスに対して優位に立てる可能性の一つとして
地中海の制海権があると考える
1796年7月のスペインの対英宣戦布告に伴ってイギリス地中海艦隊が撤退した
ことによりフランスは地中海の支配権を手に入れることが出来た
事実、これ以降フランスはイタリア諸邦を制圧し、
ツーロン艦隊による積極的な通商破壊作戦を開始し、
オランダ制圧と相まってブレスト艦隊のアイルランド侵攻支援を行っている
1798年のエジプト侵攻を契機にフランス海軍が地中海の制海権を失うまで、
フランスがイギリスに対してこれ程戦略的に優位に立てた時期はなかった

故に、イギリス本土侵攻の軍事的可能性が無い以上、フランスの採り得る最も現実的な戦略は、
地中海の制海権を維持し、それを背景に沿地中海諸国を取り込み、
大陸におけるフランスの支配権確立に寄与することと考える
確かに海上戦力はイギリスが圧倒的だが、ツーロン、ミノルカ、マルタ(この島だけはエジプト侵攻の際に
奪取したのだが)の根拠地を掌握していれば、地中海に有力な根拠地を持たない
イギリス艦隊に対して優位に立てると考える

もっとも、これは極めて楽観的な意見だし、この案だとナポレオンはエジプト遠征を行わないため、
ナポレオン政権が誕生しない可能性もあるのでスレ違いかもしれん
よってsage
238大ピット:01/11/19 20:42
>>237

237氏はエジプト遠征が無ければ
ナポレオンは権力を握れなかったとのお考えですか?
239世界@名無史さん:01/11/19 20:45
>>238
別にそうとは思わない
あれだけの権力志向の男なら遠征しなくても政権とった可能性はある
だたフラグ立てなきゃいかんかなと思っただけ
240世界@名無史さん:01/11/19 21:11
あるべんいぇーがーだったのか・・・。
いつみても爆発寸前だな
241大ピット:01/11/19 21:32
>>239
仮にナポレオンがエジプト遠征を行わなかったとして
彼は何時頃までバラスの下で我慢していたと思いますか?
242世界@名無史さん:01/11/19 21:50
>>241
何時頃までなど自分には解らない
どうせ色々考えつくだろうがな
ナポレオンとしてはどこかで軍事的成果を上げなきゃならんだろう
選択肢は幾つかある
イギリス侵攻は1798年にナポレオン自身が不可能と判断している
フランドルとライン戦線は当時は休戦状態
アルプス・イタリア戦線も既に戦闘は終わっている
ピレネーは錯雑地形で目立った軍事的成果など上げられる場所ではないが、
中央政府の統制が弱く、軍閥を作るならここが最適だろう
しかし、野心家で有名なナポレオンがピレネー派遣を許可されるとは思えない
西フランス及び沿岸部は王党派のキベロン湾上陸など色々忙しいが、
所詮は沿岸警備であり、華々しい戦果など望めない
地中海沿岸以外の海外は、彼我海軍の戦力比を考えると実現性は薄い
結局エジプトが一番現実的ではある

ところで、貴方はどう思う?
貴方の意見が聞きたいんだが
243大ピット:01/11/20 01:31
>>242
え〜 自分は知識が豊富な方にいろいろ聞きたかっただけで
貴方に喧嘩を売ってるつもりは無かったんですが
不快にさせたようであれば謝ります
さて、ナポレオンが何時までバラスの下で我慢出来るかですが
エジプト遠征が無ければとの仮定に立てば
クーデターは1799年10月よりも多少早かったのではないかと思います
理由としては本国に留まれば総裁政府との軋轢が
実際よりも早まると思えるからです
ナポレオンのエジプトからの無断帰国の大義名分として
各戦線の敗北で危機に陥ったフランスを救うというのが有りますが
これはナポレオンが本国に居れば逆に敵を打ち破って
更に名声を上げる事が考えられます
そうなれば総裁たちのナポレオンに対する警戒は強まり
ナポレオンとしては自分を守る為に立たざるを得ない状況に
追い込まれるかも知れません
長く成りそうなので一旦切ります
244大ピット:01/11/20 01:33
さて、こんな事を言うのは釈迦に説法かも知れませんが
いかにナポレオンが天才でも一人でクーデターは起こせません
他の将軍たちの協力は勿論ですが
後に三頭領の1人と成るシェイエス、そしてフーシェが鍵を握ると思います
シェイエスが何時バラス打倒を決意するか、
フーシェがどの時点でバラスを見限るかが重要に成ってくるでしょう
特にシェイエスは革命の英雄の一人ですから
軍人による力ずくのクーデターという印象を薄めるためには
絶対に必要な人物だったと思います
彼がバラス打倒を決意し、クーデターの表向きの顔に成らなければ
ナポレオンもクーデターは起こせなかったと思います
尚、クーデターの時期に付いてですが
史実ではナポレオンがエジプトに向かったのが1798年4月で
実際のクーデターが1799年の10月ですから
その間は1年半しか有りません。
従って多少早く成っても1799年の半ばではなかったかと思っています
245世界@名無史さん:01/11/20 17:57
成る程、外征せずにいきなりクーデターを起こす可能性までは考えられなかった
アブキール湾海戦がなくてもイギリス海軍が地中海を奪回する可能性は十分に有り得るだろう
そうなれば第2次対仏同盟が結成されるだろうし、ナポレオンの出番もあっただろう

喧嘩腰の積もりはなかった
誤解させて申し訳ない
246大ピット:01/11/20 21:30
>>245
こちらこそ失礼しました。ところでお願いなのですが
レス付ける時はageて貰えないでしょうか
板が一覧の下の方に行ってると
レスの数が増えてるのに気が付かない事が有るので
一つ宜しく
247大ピット:01/11/21 00:31

間違えました。sage無いで下さいと書くべきでしたね
248世界@名無史さん:01/11/30 14:11
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B00002E24F/ref=ase_civilwarinteractA/107-3389662-9728531

なんか南北戦争当時のHunley号いう潜水艦のTVドラマみたいだね
249魚花 うるふ:01/12/01 23:26
>64
>列強の海軍で潜水艦を最初に採用したのはイギリスで1901年の事です。

とか書いたんですが、今日掃除中にパラパラめくってたら、アメリカ海軍が
1900年に潜水艦を採用していた事実に気づきました。間違いスマソ。
250大ピット:01/12/04 23:54
あれま!
ずいぶん久しぶりにレスが付いてたんだな
自分でもすっかり諦めていたのに
魚花うるふさん、態々の訂正感謝です
251世界@名無史さん
age