1 :
世界@名無史さん :
01/10/06 00:50 なんかカコイイ!
2 :
世界@名無史さん :01/10/06 00:59
ハンガリー民族の圧力にまけて、オーストリアにハンガリーの名をかぶせた軟弱国家。 その名はハンガリー民族、そしてその他ハプスブルグ家に支配されていた民族の独立への第一歩の予兆。
3 :
世界@名無史さん :01/10/06 01:02
同君連合といったところなのでしょうか?
セガバンダイみたいなもの?
5 :
世界@名無史さん :01/10/06 01:35
ナウシカにも出てきたね。 (ドルク=トルメキア二重帝国? 名称忘れた。どっちにしろ野望で終わったが)
6 :
世界@名無史さん :01/10/06 01:39
7 :
世界@名無史さん :01/10/06 02:37
プレステ発売時のソニーとSCEみたいなもん
8 :
世界@名無史さん :01/10/06 10:09
9 :
世界@名無史さん :01/10/06 11:06
一時大戦後、ハンガリーが独立した時の国名はハンガリー「王国」だったけど 形式的にはハプスブルク家が王室だったの?
10 :
世界@名無史さん :01/10/07 09:40
>>9 多分ハプスブルクがハンガリー王を兼ねていたと思うけれど。 で、オーストリア=ハンガリーの国旗って、どうなっていたの?
11 :
世界@名無史さん :01/10/07 10:39
>10 うん。オーストリア=ハンガリー時代はハプスブルク家がハンガリー王を兼ねてたけど、 オーストリアが共和制になった後のハンガリー王は誰かってことで。 ハンガリーは「王制」ってことになってても実質的には王は国内にいなかったが、 形式的にはオーストリア=ハンガリーの解体後もハプスブルク家はハンガリー王位は 保持してたのかなと。
12 :
世界@名無史さん :01/10/07 15:50
>>9 ,
>>10 ,
>>11 オーストリア・ハンガリーニ重帝国解体後のハプスブルク家は、
ハンガリーの王位からも排除されていますです。。。
13 :
世界@名無史さん :01/10/07 17:25
一時大戦後〜二次大戦後の間のハンガリー王国の王家は?
14 :
世界@名無史さん :01/10/07 17:38
>>13 誰もいなかったと思う。
「摂政」ミクローシュ・ホルティだけでしょ。
15 :
世界@名無史さん :01/10/07 17:45
>14 オーストリアを追われた皇帝カールは自分は依然ハンガリー王位は保持してると 信じてハンガリーに行ったそうだ。ホルティは丁重に国外にお送りしたとか。
16 :
世界@名無史さん :01/10/08 18:24
ホルティは将来的に後継者を誰にするつもりだったのでしょうか?
17 :
世界@名無史さん :01/10/08 19:02
「さくら銀行」ってネーミング好きだったのに、戻っちゃたね。 ブタペストは‘ブタ’と‘ペスト’という街が合併したんでしょ? どっちもなんかイヤだよね。
18 :
世界@名無史さん :01/10/08 19:16
>>17 「ブダ」と「ペシュト」だよ。
まあブタとペストでもあんまり変らんけど。
19 :
世界@名無史さん :01/10/08 19:24
20 :
世界@名無史さん :01/10/08 21:23
>>10 オーストリア帝国の国旗及び軍旗は5種類あります。
皇帝旗…赤白赤に双頭の鷲
エステライヒ国旗…赤白赤
ウンガルン国旗…赤白緑
二重帝国国旗…右:赤白赤・左:赤白緑
海軍旗…赤白赤に王冠+枠つき赤白赤
21 :
世界@名無史さん :01/10/09 16:48
中国ロシア米国3重帝国が出来たらおもしろい
23 :
世界@名無史さん :01/10/09 19:36
>>20 二重帝国旗って今のオーストリアとハンガリーの国旗をつなげたものみたいですね。
どこかに絵がないかな?
>>22 昔、オーストリア=チェコ=ハンガリー三重帝国になる可能性があった、って聞いた
ことがあったんですが、本当なのでしょうか?
24 :
世界@名無史さん :01/10/14 10:20
>>23 確かフェルディナンド大公が3頭民族主義って奴を主張したはず。
フランツヨゼフ帝は絶対反対だったため仲が悪かったとか。
25 :
パブロフ二等兵 :01/10/14 11:45
人間性の喪失はヴィルヘルム時代末期から始まっていた、ナチズムの前史。
>>22 、
>>23 チェコではなくクロアチアだそうです。
ついでに小ネタを一つ。
世界大戦敗北のどさくさにまぎれて、
クロアチアは独立を宣言したことがあります。
だから、有名な「魚雷を食らって転覆する戦艦イシュトヴァン号」は、
オ=ハ二重君主国ではなく、クロアチア海軍の軍艦なのです・・・。
しかも私の記憶に間違いが無ければ、
クロアチア海軍所属だったのは1日だけだったはず。
いやはや、なんともはや。
27 :
世界@名無史さん :01/10/15 17:05
>>26 敗戦直後のクロアチア、スロベニアはどんな動きをしたんですか?
28 :
世界@名無史さん :01/10/15 22:40
>>26 いや、人口比や地域特性からチェコ(ベーメン)で良いはず。
三重帝国とクロアチア独立は別個の問題かと。
29 :
世界@名無史さん :01/10/15 23:04
>>28 チェコは1815年ドイツ連邦の構成国だよ。オーストリア領ドイツの一つです。
30 :
世界@名無史さん :01/10/15 23:18
1880年における帝国の人口構成(単位:百万人) ドイツ系 12.0 ハンガリー 10.1 チェコ 8.5 スロバキア・クロアチア 5.2 セルビア・ポーランド 5.0 ルテニア 4.0 ルーマニア 3.2 スロヴェニア 1.3 イタリア 1.0 −図説ハプスブルグ帝国(河出書房新社:加藤雅彦)より
31 :
世界@名無史さん :01/10/23 01:20
ヒトラーはアンシュラッセを信望してドイツ軍に志願したとか。 ドイツ人に対する逆差別が問題になってたらしい。
32 :
世界@名無史さん :01/10/24 18:48
age
33 :
世界@名無史さん :01/10/24 19:54
墺洪帝国
34 :
世界@名無史さん :01/10/29 13:47
アンシュラッセって何?
35 :
世界@名無史さん :01/10/29 15:36
>35 アンシュルスのことを言いたいんでは?ナチ・ドイツのオーストリア 併合のこと。
うおっと、>34だった…スマソ 逝きます…(鬱
37 :
世界@名無史さん :01/10/29 16:32
>>31 それって後で理由づけしたものと思う。彼がミュンヘンへ逃げたのは
軍隊に入りたくなかったから(彼は軍隊が嫌いと言われている)だも
の
38 :
世界@名無史さん :01/10/29 16:49
>37 え、そんなことなくない?第一次大戦中の行動を見れば…。 ドイツに行ったのは、柔弱なハプスブルクの軍隊に入りたくなかった からだったと思うけど。
39 :
世界@名無史さん :01/10/29 17:16
そういえば、ヒトラーは所詮伍長ってバカにされることが多いけど、 ヒトラーって敢て伍長のままで滞ったっていう話だね。なんせ、勲章の 数が伍長では考えられない数。
40 :
世界@名無史さん :01/11/09 00:50
>2 失礼だがハンガリー民族というのはマジャール人の事を指しておられるのだろうか? ハンガリーはフン人の土地というフンガリア→ハンガリア(ハンガリー)となった。
ハンガリーの人にグインサーガを読ませたらやっぱ不快に思われるか? こっちのイシュトヴァーンは聖王ってイメージじゃないかんねぇ
42 :
世界@名無史さん :01/11/09 01:20
>>39 ヒトラーは伍長じゃないよ。伍長勤務上等兵です。敢えて留まったので
はなく、上司が敢えて進級させなかったのです。彼は伝令として優秀だっ
たため、下士官に進級させると伝令として使えなくなるため進級させて
もらえなかったのです。
43 :
世界@名無史さん :01/11/09 02:40
>>40 (漏れもハンガリースレで初めて知ったので)失礼だが、
ハンガリー語ではマジャールじゃなくて「マジャル」らしい。
それに、マジャル族の故地における部族名オノグルが訛って
ハンガリーになったという説もあるよ。
>>41 グインサーガは読んだことないけど、
イシュトヴァーンなんてハンガリーでは珍しくない名前なんじゃないの?
それが聖イシュトヴァーンをモデルにしてるにしても。
44 :
世界@名無史さん :01/11/09 02:47
ハンガリーには日本の皇室を国王として 迎えようとする政治勢力があったらしい。
45 :
世界@名無史さん :01/11/09 08:01
>>44 いつの時代に?
話は別だけど、「フランツ・ヨーゼフとハプスブルク帝国」おもろかったよ。
46 :
世界@名無史さん :01/11/10 11:46
オーストリア・ハンガリーニ重帝国ってドイツ語でなんていうんだろ?
47 :
モンテヌオーヴォ :01/11/10 12:06
Osterreichish-Ungarische Monarchie.つまり、オーストリア=ハン ガリー君主国。または一般的に、K.und.K(カー・ウント・カー) Staatとも呼ばれる。2つのKはそれぞれカイザー(オーストリア皇帝) とケーニヒ(ハンガリー国王)を表し、undはand。直訳すれば皇王国? “二重帝国”というのは日本語訳だけ?
48 :
世界@名無史さん :01/11/10 13:31
軍隊はK.u.K.と表記してます。
>>47 Doppelmonarchieという呼び方もあったはず。
英語じゃDual Monarchyといいますし。
二重帝国または二重君主国ですな。
>>27 亀レスながら、実はよう知らんのですよ。
確か、南スラヴ系は民族的特性が近いということで、
セルビアと一緒に南スラヴ独立委員会みたいなのを作っていたはず。
ただ、それはそれぞれが別個の国になるはずだったのに、
戦後は、それがセルビア主導のユーゴになっちまったから
話がこじれていった、という訳で。
>>28 あたしも前はそう思っていたのですが。
実際にはクロアチアだそうですよ。
いずれはチェコもそうなったのかも知れませんが、
フランツ・フェルディナントが構想していたのはクロアチアだそうで。
50 :
世界@名無史さん :01/11/12 11:14
チェコはだめです。 ボヘミア・モラビアはハプスブルクと一体不可分。
51 :
世界@名無史さん :01/11/12 11:44
52 :
世界@名無史さん :01/11/12 12:08
これと同じ名前のスレ、昔あったね。
53 :
世界@名無史さん :01/11/12 14:52
マジャールエスノセントリズムが帝国の連邦化をじゃましたんだ!
54 :
世界@名無史さん :01/11/12 15:13
>54 その結果がトリアノン条約となってあらわれ・・・ (国土の大部分を失い、大勢のハンガリー系住民が国外に取り残される)
オーストリアって古くからある国なのになぜオーストリア語がないの?
56 :
世界@名無史さん :01/11/12 15:48
>>55 オーストリアは古くありません。オーストリア(公式にはエステライヒ)
が国名になるのは1806年以降です。これ以前はゲルマニアのオストマ
ルク地方なのです。1866年迄は旧ドイツ連邦の一員です。
>>56 ゲルマニアって…?
初めて聞いたんだケド
58 :
世界@名無史さん :01/11/12 22:08
>>57 ゲルマニアというのは現在のドイツ・オーストリア・西ポーランド一帯の総称
神聖ローマ帝国は現ドイツ&オーストリアだけで成り立った国ではないので
ゲルマニア・・・? とりあえず、オストマルクという名称は カール大帝の帝国の地方名がそもそもの始まりだし、 オーストリア侯国も中世からあったはずですが。
国の定義が一致してないみたいだから話がかみ合ってないんじゃないの?
61 :
世界@名無史さん :01/11/14 21:23
>>59 オーストリア侯国って独立国ですか?違いますよ。
1805年迄は全て神聖ローマ帝国領内です。外交権がない国は現在で言う州(ステーツ
&シュタット)レベルであってカントリーではありません。国と書くより邦です。
オストマルクはあくまでもドイツ語圏内(正確に言うと高地ドイツ語というかバイエルン
語圏内)のバイエルン民族の地域です。そして紀元前からゲルマニアと呼ばれる地域です。
62 :
世界@名無史さん :01/11/14 21:32
かみ合っていないけど、一応気になったので。
>>61 ああ、そういうことかっ・・・て、本気?
国と邦の違いなんかどうでもよくて、
たとえ邦であってもそこに「オーストリア」はあったでしょ。
「ゲルマニアのオストマルク」じゃなくて「オーストリア」がさ。
それに、ヴェストファリア条約以降は、
神聖ローマの邦国は外交権を認められているんですが。
オストマルクがドイツ語圏外だと言った覚えもありませんよ。
ゲルマニアだって、古代の呼称であって、
オストマルクという言葉ができる頃には私語化してる言葉でしょう。
ということで、もう二重帝国の話に戻しましょうよ。
64 :
世界@名無史さん :01/11/14 23:32
オーストリア侯国なんて正式名称はありません。 バーベンベルク辺境伯・伯・侯・公領ならあったけどね(w
65 :
世界@名無史さん :01/11/14 23:34
オストマルク=東方の国
ちょっと良いですか? ナポレオンさんの言われる通り、ウェストファリア条約によって、 神聖ローマ帝国の諸領邦は独自の外交権を正式に認められています。 タイミングが悪いレスでスンマソン!
67 :
世界@名無史さん :01/11/15 02:14
>64 オーストリア公の位はありましたよね? それに、ハプスブルク家は「カサ・ダウストリア」(オーストリア家)とも呼ばれ ていたはずなので、昔から国名としてのオーストリアというのも認識されていた んじゃないですか?
「国」名だと認識されていたんだろうか。
>>64 それを言ったら、
二重帝国時代だって「オーストリア帝国」はなかったけどね。
「帝国議会に代表を送る諸州」はあったけど。
>カウニッツ伯 伯よ。以前伯のスレで書きこんで以来、 この名で通しておりますぞ。
共通内閣というのがありまして、オステルライヒ帝國首相、マジャル王國首相、共通蔵相、 共通國防相、共通外相の5人で構成しました。従って単なる同君連合とは異なります。
72 :
世界@名無史さん :01/11/15 18:33
1868年のアウスグライヒでハンガリーに自治権が与えられ、オーストリア=ハンガリー帝国となった。
>ナポレオンさん 久しぶりに会えて嬉しいです!
74 :
世界@名無史さん :01/12/06 01:13
>>28 >>49 超遅レスだが、「三重帝国」の対象はチェコではないか?プラハの王宮内には大広間が
あって、「三重帝国」移行の条約調印後にここで宴会をするためにわざわざ作ったと
いうのを仄聞したことがある。一方クロアチアは「ナゴドバ」(=アウスグライヒと同じ意味)
という協定でハンガリーから一定の自治を勝ち取っている。
75 :
世界@名無史さん :02/01/08 22:11
カコイコミ
76 :
世界@名無史さん :02/01/08 22:46
>74 塚本哲也の本でもチェコであるように書かれてますね。 あと、フランツ・ヨーゼフ皇帝の皇后エリーザベトの葬儀で、 最初「オーストリア皇后」としか書かれてなかったので ハンガリーが抗議して「ハンガリー王妃」と付け加えさせ、 それからチェコも抗議してきて「ボヘミア王妃」と付け加えさせた とか。
77 :
世界@名無史さん :02/01/09 19:38
age
78 :
世界@名無史さん :02/01/23 10:39
保存あげ
79 :
世界@名無史さん :02/01/23 16:22
中央公論社の「世界の歴史」シリーズでは これ(注:アウグスライヒ)以後、帝国にとっての最大の 民族問題は経済力を背景とし、三重制を求めるチェコ人の 動向であった。 とあるので、やっぱりチェコなのでは?
三重帝国の構成民族は大ゲルマン・マジャール・スラブの三つでしょ。スラブってい うことはチェコ・スロバキア・ボスニア・ヘルツェゴビナじゃない。でもそしたら帝国内 の三つ目の「スラブ王国」は飛び地になっちゃうね。サラエボで暗殺されたフランツ フェルディナント大公は「三重帝国論者」で、ゆくゆくは帝国内のクロアチア人を中心 にスラブ王国を創ろうとしてたんだけど、セルビア人が調子にのって自分たち中心に スラブ統一をしようとしてたから、セルビア人青年に暗殺されちゃったんだよ。そして 後にセルビア人が中心になってできた国が、「ユーゴ(セルビア人の)スラビア(スラブ 国家)」じゃなかったかな。
81 :
世界@名無史さん :02/01/28 21:07
世紀末のオーストリアは、多くの芸術家を生んだが、 その反面、反ユダヤ主義者・民族主義者も生んだ。 たとえば、ゲオルク・フォン・シェーネラー。 「アイン・ゴット、アイン・カイザー、アイン・フォルク」 (一神、一皇帝、一民族)という彼のスローガンは、 ナチスのスローガンである 「アイン・フォルク、アイン・ライヒ、アイン・フューラー」 (一民族、一帝国、一指導者) の原型となった。
82 :
世界@名無史さん :02/01/28 21:14
あとウィーン市長のルエガー先生。反ユダヤ主義者。 ルエガーとシェーネラーの両人は、当事ウィーンで画家の勉強をしていた 総統に多大な影響を与えました。
昔はここらになると、誰かさん(パブロフではない)が出てくると所なんだが、 今じゃ彼もダメ板住人。諸行無常ですな
84 :
世界@名無史さん :02/01/28 22:53
>82 「美男のカール」と呼ばれた人ですね。 『われわれは貧しいユダヤ人や幼いユダヤ人を憎んではいない。 憎むべきは、大企業を支配するユダヤ人である』 というレトリックを使いました。 ドイツ帝国と違って、オーストリア=ハンガリー二重帝国では ドイツ系住民は圧倒的多数ではなかったので、自分たちの地位が 脅かされるのではないかという不安を持ってしまったのです。
85 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:19
>>84 一応人口比では最大民族ではあった。
6日2115〜NHK総合「そのとき歴史が動いた〜サラエボの銃声」放送あげ
86 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:25
NHKを観ているとフェルディナンドって人間的には良い人にみえるんだがどうか?
87 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:28
一個人としては、別に残酷でも何でもないからね。 ハプスブルクの皇族って例外はあるけど 大体常識人じゃないか。
88 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:30
「オペラに行っても云々」ってツヴァイクの感想だったと思う。 全然人気がなかったらしい。
89 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:35
ああ何か悲しくなってくるな・・・・・。
90 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:37
やはりオスマン・トルコが一番悪いのか?
えらく、久々に上がってるねー。
92 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:40
そういえばえらく警備が手薄だったらしいね。
93 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:42
このぶんだとベルヒトルト外交については 言及しなさそうだな。
94 :
世界@名無史さん :02/02/06 21:59
近頃のNHKはなかなかいい仕事するな。来週も面白そう。
オーストリア軍ってフランス軍みたいなピケ帽被ってたけど、 てっきりプロセイン式のとんがり角が付いたヤツかと思ってた。 プリンツィップが英雄だなんて、目的のためならテロという手段も推奨される みたいでやだなあ...。
96 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:01
暗殺者を英雄から引き摺り下ろしたサラエボは偉い。 所詮ボスニアの領土欲に利用されただけだったから。
97 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:05
「その時歴史が動いた」は最近、日本史だけでなく世界史の話もよく やってくれるようになったね。 もっとも、だいぶ前の三国志の時はバカヤローな内容だったけど。
98 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:05
特に目新しいところは無かったね。 プリンツィプの足型の件は初めて知ったけど。 映像がみれたのは良かった。 今後もNHKは世界史シリーズ放送するのかな? それとも同時テロ関係で今回だけ?
99 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:06
使われてたパレードの再現映像ってなんかの映画?
>95 ピケ帽じゃなくてケピ帽
101 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:09
>>95 ピケじゃありません。ケピです。
ケピですが、通常オーストリア型と言います。袖の組紐階級章もオーストリアノット
と言います。フランス式と思われている方々が多いですが…
102 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:09
黒手組のアジトのシーンは、なんか役者が日本人っぽかったような……
103 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:12
今後ウスタシャとチェトニク、ユーゴ共産党の 三つ巴のユーゴ特集希望。
104 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:13
105 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:18
あの映像NHKがつくったのかねぇ・・・。俳役も演技もすごくよくできてたなぁ。
ウルトラの母。
107 :
世界@名無史さん :02/02/06 22:48
>>105 NHKではあの衣装も勲章も持ってないのじゃないかな?
ネットで検索したら数人がハプスブルク帝国の勲章や衣類を所持じてるみたい
だけどね
108 :
世界@名無史さん :02/02/06 23:34
番組で使用した再現シーン パレードなど、大群衆を動員したイメージカットは、旧ユーゴスラビアで制作された 映画「サラエボ」をこの放送に限り製作会社の許可を得て使用しています。 日本での公開実績公開予定はありません。
109 :
世界@名無史さん :02/02/06 23:35
>>107 あれ旧ユーゴの映画「サラエボ」だと思う
あ、カブった。 逝きま〜す。
111 :
世界@名無史さん :02/02/06 23:59
ひー、しまった。見逃した。
113 :
世界@名無史さん :02/02/07 11:53
そんなによかったか? なんか「ユーゴはテロの所産」って言われてるようで悲しかったけど。 フェルディナントの「三重帝国」案の話は出ませんでしたな。 「力による併合」って言いたかったとか? なんか↑のほうで議論になってましたが、三重帝国の三つ目はクロアチアを中心とする南スラヴで、ボヘミアじゃないです。人口とかの問題じゃなくて、汎ゲルマン主義と目的は一緒かと。
114 :
世界@名無史さん :02/02/07 13:10
拳銃が違ってた…
115 :
世界@名無史さん :02/02/07 13:33
>113 フェルディナントの三重帝国案は、強大なハンガリーを 牽制するという意図もあったみたいですね。
116 :
世界@名無史さん :02/02/07 16:34
汎スラブ主義ってあの時代もうロシアでは下火になってたんだけど、 テレビではサラッと出されてしまって、あれじゃ誤解を招くなあ… あれちょっと無理解が過ぎたかもしれない。 ロシアがバルカンに出たかった動機は民族的意味はすでに無くて、 ドイツ帝国と同じく経済的(帝国主義的)なものだったんだけど。
117 :
世界@名無史さん :02/02/07 20:31
>116 そうですね。 ロシアは日露戦争で極東に進出できなくなったし、あとは バルカン半島しかなくなっちゃいましたから。
118 :
世界@名無史さん :02/02/08 16:23
チェコについて質問したいんですが。 第一次世界大戦後のチェコでは国内の少数民族に対してどういう 扱いをしてたんですか? ある本では「少数民族に配慮していた」と書いてあるけど 別の本には「少数民族を弾圧した」とあって、どちらが 本当なのかわからないんですが。
119 :
世界@名無史さん :02/02/08 17:22
>>118 本来はチェック人とスロバキア人、ロマその他平等だったはずなのですが…
役職についたのチェック人が大多数…
結果としてこの間連邦を解消…
120 :
世界@名無史さん :02/02/16 21:06
>116 1867年にロシアで第1回汎スラヴ民族会議が開かれたとき、 カトリック圏のポーランドは最初から除外され、会議に招待されることすら なかったんだよね。
「二重帝国」ってカタカナで何て言う? なんか舌をかみそうでカッコ良かった気が。
122 :
世界@名無史さん :02/02/24 15:28
塚本哲也『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』(文芸春秋) を読んだけど、この本は二重帝国およびその支配下の諸民族を 美化しすぎていると感じた。 たとえば、 「高度の西欧型民主主義工業国家を建設したチェコスロヴァキアの二人の大統領、 マサリックとベネシュは、国内の少数民族には、不満を与えないように十分 気を配っていたからである」 そんな理想的にいっていたわけじゃないと思うけど・・・
123 :
世界@名無史さん :02/02/24 19:48
>>122 「エリザベート」ってフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト皇后の
孫娘のエリーザベトのこと?
124 :
世界@名無史さん :02/02/24 19:58
>>123 そうです。父はルドルフ皇太子。母はベルギーから嫁いできたステファニー王女。
125 :
名無しさん@1周年 :02/02/25 14:39
だめだ…やっぱりフランツ・フェルディナンドの顔は、 わしの嫌いだった元上司の顔にクリソツだ…。 そんなわしは「フランツ・ヨーゼフ万歳!」派です。 ヤツのダークサイドを加味しても、「万歳!」派です。 ※彼の死後にホーフブルク横に建てられた全身像、質素すぎて切ない。
126 :
世界@名無史さん :02/02/25 16:20
フランツ・ヨーゼフは肖像画だけみると背が高そうにみえるけど、 実際は妻のエリーザベトより低かったらしいね。 肖像画は画家の技量に左右されるところがあるからなあ・・・
127 :
世界@名無史さん :02/02/25 16:24
>>126 ヴィッテルスバッハ家は長身・美形・基地外の血筋ですから…
128 :
ナポレオン :02/02/27 16:47
久々の豚です。 えー、三重帝国ですが、 チェコは古くから「王国」としてハプスブルク帝国の一部でしたから、 ハプスブルク家、あるいは支配民族たるドイツ人が、 ここに自治権を与えることはないかと。 言語令騒動のときも、結局すったもんだの末言語令は撤回されましたし。 レスが遅くなってすいません。
129 :
世界@名無史さん :02/02/27 18:52
>>121 デュアル・モナーキー・オヴ・オーストロハンガリーだったはず。
独名は知らん。
130 :
世界@名無史さん :02/02/27 19:04
131 :
世界@名無史さん :02/02/27 19:40
>>130 エステライヒッシェ=ウンガリッシェ・モナーリッヒと読む
つまりオーストリアとハンガリーはモナーの国…w
132 :
世界@名無史さん :02/02/27 20:07
デュアル・モナーキーってのは説明用語みたいね。 英語だとオーストロ・ハンガリアン・エンパイア。 以下ウエブスターから。 A “dual monarchy” formed in 1867, restoring partial Hungarian automony and creating the Austro-Hungarian Empire from the Austorian Empire and the kingdom of Hungary; after the Treaty of Berlin 1878, administered Turkish provinces of Bosnia and Herzegovina which it annexed in 1908.
133 :
世界@名無史さん :02/02/28 12:54
アンドラーシ伯爵あげ
名スレの予感
135 :
世界@名無史さん :02/02/28 21:10
ハンガリーなんかは王朝時代へのノスタルジーが強いらしいけど、 他の国ではどうなんだろう?
136 :
世界@名無史さん :02/03/02 12:42
クーデンホーフ・カレルギー伯や汎ヨーロッパ運動についてはどう?
137 :
121さんへ :02/03/09 04:40
たしか「アウスグライヒ」だったと思います。間違ってたらごめんね。
138 :
世界@名無史さん :02/03/10 01:01
>>131 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 二重帝国だモナー
( ) \_____
| | |
(__)_)
139 :
世界@名無史さん :02/03/10 01:20
田中芳樹だモナー
140 :
世界@名無史さん :02/03/16 01:04
第一次大戦末期に単独講和をフランスに蹴られたと聞いたのですが、 フランスはどうして蹴ったんでしょう? 蹴る理由がわかりません……
141 :
世界@名無史さん :02/03/16 01:27
カール1世の生涯をよく知らないので知っている人は教えて下さい。
142 :
世界@名無史さん :02/03/16 09:45
>>140 オーストリアとフランスは直接対峙はしておりませんので一瞬講和しても良い
ように見えるのですが、オーストリアの意図はイタリアへの陸からの援軍と物
資供給を絶つのが目的です。イソンツォ会戦が終了した段階でイタリア軍は完
全崩壊してますので英仏の支援なくして戦争の継続が出来ない状態です。一方
海上はオーストリアの潜水艦隊が暴れており、英国政府が日本政府に援軍を求
めねばならない状態でした。この状況下でフランスが地中海から撤退したなら
ば連合国は負けてしまいます。
143 :
世界@名無史さん :02/03/16 14:11
>>141 カール大公は暗殺されたフランツ・フェルディナントの甥にあたります。
第一次世界大戦の敗北で、オーストリアに革命が起こり、皇帝はいっさいの
国事から手を引くと宣言し、シェーンブルン宮を去って、ウィーン東方の
狩猟館エッカルツアウに移りました。
その後、ロシアのロマノフ王朝一家の二の舞になることを恐れた英国王室が、
カール皇帝一家をスイスに亡命させます。
彼らの護衛には英国軍がついていました。
144 :
(自称)世界史板総督 :02/03/16 15:46
>>143 確か、そのカール1世のお孫さんが欧州委員やってるんだよね
145 :
世界@名無史さん :02/03/16 20:36
>>144 オットー・フォン・ハプスブルク氏ですね。
カール皇帝と、ブルボン・パルマ家出身のツィタ皇后との間に生まれています。
今でも、一応ハンガリーの王位継承権は確保しているとか。
>>143-145 レスどうも
>>143 ロマノフ王朝一家の二の舞になることを英国王室が恐れた
と言う事ですがそれは政治的な意味ででしょうか?それとも
人道的な意味ででしょうか?
>>145 ハンガリーの王位継承権は確保しているとは素晴らしいですねー。
ちなみにその確保していると事実はハンガリーによって認知されて
いるんでしょうか?上手くいけばハプスブルク家の王家としての
復活もあるんですかねー?
147 :
世界@名無史さん :02/03/17 01:40
>>146 人道的な意味です。
ニコライ2世とその家族が全員銃殺されたことを知った英国王ジョージ5世
は、親戚を救えなかったことを気にやんでいたそうです。
>>142 さん
レスありがとうございます。
でもいまいちよくわからないんでもう少し教えてください。
オーストリアがフランスと講和したらイタリアは危機を脱するように思うのですけど……。
敵がオーストリア海軍しかいない地中海で、オーストリアが戦争やめたら地中海の戦争が終わるんじゃないでしょうか……?
149 :
世界@名無史さん :02/03/22 08:10
>>148 フランスとオーストリアが講和してもイタリア・イギリスとは講和をしてません。
1917年以降はドイツ軍も参加している状況でイタリア戦線は連合軍側が崩壊
している状況です。オーストリアとしてはイタリアがイリリアと南チロルに関する
領有権主張しない限りは講和にはならないでしょう。また、フランス海軍に支え
られていた地中海の海上護衛は確実に崩壊してしまいます。それに地中海には
ドイツ海軍もいますよ。カール・デーニッツはマルタ沖で捕虜になりました。
150 :
世界@名無史さん :02/03/22 09:37
カールとツィタって、皇帝皇后の座を追われた後、「でもハンガリーの王ではある はずだ」とのこのこハンガリーに出向いて、追い払われたんだよね。 なんか、歴史の流れの読めない時代錯誤な夫妻って感じで、哀れ。
151 :
世界@名無史さん :02/03/22 09:47
>150 ハンガリーの場合、戦前の支配層は敗戦に多大な責任があったので、 これら支配層に批判的だったカーロイ伯が、指導者になりました。 ハプスブルク帝国の崩壊とともに、ハンガリー共和国を宣言し、 普通選挙法を導入して戦勝国にアピールしたりもしています。 カール夫妻はこういう状況では迷惑なだけだったでしょう。
152 :
世界@名無史さん :02/03/22 10:20
>>151 更にハンガリー共産党の手先がエリザベート皇女…
>>149 さん
丁寧にありがとうございます。
そっか、フランスとオーストリアの単独講和を狙ってた訳ですね。
イタリアとは問題残ってるもんなあ。
納得できました。ありがとうございました。
154 :
世界@名無史さん :02/03/22 19:23
>>152 エリーザベト皇女が入党したのはオーストリア社民党じゃなかった?
155 :
世界@名無史さん :02/03/25 21:49
156 :
ナポレオン :02/04/02 22:27
「珍法案」と書いたのは朝日でしたっけ。 言語は民族政策の要だから、 「珍」なんてとんでもない、 えらい民族主義的な法案なんですけどね。
157 :
世界@名無史さん :02/04/02 22:34
>>156 二重帝国の時代は各民族の言語を認めてたのにな。
現在のオーストリア内の少数民族、たとえばスロヴェニア人はドイツ語ができる人
ばっかりなんだろうか?
158 :
ナポレオン :02/04/02 23:16
できない人をはじく目的なんでしょう、きっと。 まだ「法案」の段階ですから。
159 :
世界@名無史さん :02/04/23 21:29
質問です、答えていただければ嬉しいです。 あるHPをみたらフランツ・フェルディナントは皇太子ルドルフが死んだ1889に 帝位継承者にはなったけど、皇太子ではないとかいてありました。 しかし、ちょっと前にやってた映像の世紀(NHKの)では フェルディナントをオーストリア皇太子、と言っており、 最近のそのとき歴史は動いたでは皇太子とはちっとも言わず 帝位継承者といってました。 世界史の教科書を見てもだいたい帝位継承者とかいてあるし、 本当はどうなんでしょう? 途中で皇太子が死んでしまった場合はやはりその人だけが皇太子という称号 をもちえて、次の人は単に皇位継承者という形になるのでしょうか? なんだか文章が理解しずらくて御免なさい。
160 :
世界@名無史さん :02/04/24 06:27
>>159 フランツ=ヨゼフがフェルディナンド大公をあまり好きじゃなかったので
「皇太子」の称号を認めなかったって聴いたことあるけど。
161 :
世界@名無史さん :02/04/24 06:33
土鬼・トルメキア二重帝国ってのは オーストリア=ハンガリー二重帝国の パクリですか?
162 :
世界@名無史さん :02/04/25 19:58
>159 フランツ・フェルディナントは皇帝の甥であって息子でないため 万一、皇帝に嫡出男子が誕生した場合は帝位を継承できないからではないでしょうか? 皇太子=次の皇帝、帝位継承者=今のところ次の皇帝という感じで。 (今のエリザベス女王が弟が誕生した場合、王位を継承しないため 皇太子ではなく暫定王位継承者だったというのに似ているように思います。)
>160,162 参考になりました、有難うございます!
このスレでは多分はじめまして。ブダペシュト在住者です。 ハンガリーではハプスブルク家に関する本がたくさん出版されてます。 あるおじいさんが「わしの親父は第一次大戦で戦い、 第二次大戦では親子で工作兵だった」と話してくれましたが この人もハプスブルク関係の本をよく読んでました。
165 :
世界@名無史さん :02/05/15 15:56
>>164 ハンガリーは帝国時代はあれだけ楯突いて、やっとオーストリア側と対等の権利
を勝ち取ったのに、いざ独立してしまうと帝国時代を懐かしむかのような感じだ。
実現しなかったけど、サッカーの欧州選手権もオーストリアとハンガリーで
共同開催目指してたし。
ソ連の衛星国時代があまりに酷かったから、その反動なのか。なにやら台湾人が
外省人による支配が酷すぎて日本時代を懐かしんだのと同じような感じだが。
166 :
ぶだぺしゅと ◆vFvohlXU :
02/05/17 21:56 >>165 第一次世界大戦のあとハプスブルクから完全に独立はできたけれど、
領土の約三分の二を失いましたからね。それに1867年以降は、経済
文化とも(少なくともブダペストは)大発展を遂げた時代ですから。
(エリザベート皇后が大好きだったみたいですし)
そして"衛星国時代"はそれまでの社会資本を食いつぶすだけの暗黒時代…
帝国時代の一部を懐かしむのもわかるような気がします。
今でも1848,49年の対ハプスブルク闘争は最も重要な歴史の一つですから。