世界史板〜世界の料理〜

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1世界@名無史さん:01/09/15 22:18
について、また〜り語っていきませう。
2世界@名無史さん:01/09/16 00:15
「ザ・シェフ」に
400年前(だったかな?)の料理を復元する、って話があった。
でも、それは下層の主婦向きの料理本で、
本当の王宮料理の美味は貴族の出世の道具として秘伝にされたから、
それほど美味くなかったのかも?って推測も出されてた。
3世界@名無史さん:01/09/16 00:29
旧植民地の食習慣って興味深い。
旧宗主国の食べ物をアレンジして新しい文化にしてしまっている。
4世界@名無史さん:01/09/16 00:31
5世界@名無史さん:01/09/16 21:15
いいです。
6:01/09/16 21:18
えとね、くすくす で羊の肉汁がばーっと乗ってるのが好きなんだけど、
手軽に作る方法おせーて。
羊の柔らか煮の缶詰とか売ってないかなあ
くすくす ってどこで売ってる?
7アマノウヅメ:01/09/16 21:27
手間かかってもいいから、作り方教えてください。
羊の柔らか煮は肉さえ手に入ればできます。
時間掛けて弱火で煮込めばいいので。圧力鍋では風味がなくなります。
8:01/09/16 21:33
>>7
たんしちゅー とどちらが難しい?
9世界@名無史さん:01/09/16 21:35
京都にインカ帝国を料理再現…という店があった。
数年前、一度行ったきりだけど、かなり胡散臭かった。
醤油の味するし…インカ・コーラは美味しかったけど。
10アマノウヅメ:01/09/16 21:48
>>8 るさん
肉の煮方は基本的には皆同じです。柔らかくしたければ大鍋に水をたっぷり入れて
肉を入れて沸騰したらあくを取りながら弱火で煮込めばOKです。
タンは煮崩れしないので楽ですね。
筋肉(と狂牛病の記事に書いてあった)は煮すぎるとボロボロになる事があります。
11世界@名無史さん:01/09/16 21:56
ロシアのぺリメニと中国の水餃子って、どのくらい違うの?
12世界@名無史さん:01/09/16 22:58
ラム肉は美味しいけどあの臭みがちょっと苦手・・・グハ!
13世界@名無史さん:01/09/17 22:28
>>8
うさんくせー。
なんじゃインカの料理って?
再現できんの?
14アマノウヅメ:01/09/17 22:57
>>13
昔の料理の再現なんてどれも胡散臭い。
縄文時代の食事だの、奈良時代の献立だの真面目くさってやってますが
江戸時代だって、一般の農民は雑穀や野菜の雑炊が主で米は年に何回かです。
裕福な町人も使用人と一緒に食事をするので、主食は米ですが
おかずは同じで、朝は冷や飯に湯をかけて漬物で食べ、昼が野菜の煮しめ、
夜は味噌汁に漬物、魚は月に3回、五のつく日だけ、とかすごい粗食。

これじゃあ、伝染病が流行ったらひとたまりもない。
それでも江戸時代だと平均寿命は長くなっている。
縄文時代にヘルシーな食事してたはずないでしょうが!
15Krt:01/09/18 01:28
>14
たしかに縄文時代の出生時余命は十数年だそうだから、栄養も十分ではなかった
だろうけれど、それを江戸時代の裕福な町人にまで当てはめるのはどうだろうか。
一応建前としては倹約が商人道徳だったから、使用人の前では大したものは食べなかった
のかもしれないのだけれど、元禄時代ともなると相当贅沢な面もあったらしい。

西鶴の「万の文反古」の巻一の四に、ある小商人が世話になっている大店の旦那を
融資を受けるため接待しようとして、先方の手代に旦那の好みを聞く場面を篠田一士が
「グルメのための文芸読本」(朝日文庫)で抜き出しているのだが、これが大変に
贅沢ものなのだ。それによるとまず、

「大汁の集め雑喉一段、竹輪皮河豚御のけあるべし、やかましく候。膳の先鮎膾御用捨、
川魚つづき申候、面々杉焼をこれに付けてお出しあるべく候。これも鯛青鷺二色に御申付け、
煮さまし眞竹いやれてよく候。割海老、青豆のあへ物、吸い物鱸雲わた、引き肴小鰺の塩に煮、
たいらげの田楽、又吸物燕巣にきんかん麩、いづれも味噌汁の吸物無用に候。酒三献で膳は
御とりなされ」とある。

「雲わた」は蜘蛛腸、たいらげはえぼし貝の貝柱。川魚を続けるなとか、鯛と鳥の杉板焼きに
鮎膾をつけろ、とかすごくやかましいし、燕巣はあの高級中華食材でもちろん輸入品。
しかもここまではまだ前段で、後段がこのあとに続くのだ。

「寒曝しのひやし餅、又吸い物きすごの細作り、酒一つ呑まれて後早鮨、蓼はたべられず候。
山椒はじかみ置合わせて御出し、その跡に日野真桑瓜に砂糖かけ御出し、御茶は菓子なしに
一服づつ、たて切りになさるべし」

なんか凄く贅沢だし、美味そうじゃないですか。
16Krt:01/09/18 01:46
ああ、すまん。一番最初の段落の内容がヘンだな。
最初、奈良時代のことも書いたんだけどつまんないので削ったら、
縄文時代の話が脈絡が薄いのになんとなく冒頭に残ってしまった。
江戸時代のブルジョワの食事話の所だけ読んで下さい。
17世界@名無史さん:01/09/18 01:48
江戸時代に普通の百姓が米をほとんど食べれなかった
というのは本当でしょうか?
石高と人口の関係からある程度は米を主食としていた
と考えるのが正しいと思うのですが。
まあ飢饉のときは別にしてもね。
米を輸出していたとも聞きませんし。
18:01/10/01 00:46
>>10
今日、試してみました。
といっても、やはりよい羊肉が手に入らなかった。
くすくすはへたってお好み焼きみたいになるし。
またトライだな。
19スラヴァ:01/10/01 04:15
>>11
個人的な感想としては、ペリメニは餡が肉多め、水餃子は野菜多めといったと
ころですかね。ペリメニは、餃子よりは大きめのラビオリに近いと思います。白菜はロシアでは比較的新しい野菜なので、ペリメニには使われません。形も
餃子は例の半月ひだひだつきですが、ペリメニの基本形は生地を二つ折り、こった物は花形に整えます。ソースは、餃子は酢醤油が基本ですが、ペリメニは多くの場合、サワークリームをかけてたべます。

中国風ペリメニというものもあるのですが、餃子とは似ても似つかないんです
よね。

そのペリメニ、ロシア人はロシア発祥だと言い張っていますが、実際の所は、
どうなんでしょうかね?
20:01/10/01 09:33
ところで、入手したクスクスって、
Duram Wheat Semolina
って書いてある。パスタの類だったのか。
雑穀系だとばかり思っていた。
21看板職人:01/10/01 10:29
>>20
昔は(今もか?)主婦が日がな一日練った小麦粉を
親指と人差し指の間で丸めて作っていたとか>couscous
22アマノウヅメ:01/10/01 10:38
>>17
江戸時代の主食は1日に男子が玄米5合、女子が3合7勺というのが決まりです。
年間で男子1石8斗、女子が1石2斗となります。
武家が使用人その他に支給する扶持米がこれですが、実際にも、1日5合食べていた事は記録にあります。
全国民が食べるには米が不足するでしょう。
米の産出高と人口から計算するとぎりぎり足りるかというところですが、主食以外の酒などにも米は
必要ですから。
もっとも、全国的に百姓は皆雑穀の雑炊というわけではなく米がよく取れて藩主も裕福なところでは
ある程度豊かな農家では米が主食だったようです。米所でも貧乏藩なら領民は米が食べられません。
売って金に換えないと藩の経済が立ちゆかなるので収奪するしかないので。

>>15 Krtさん
元禄時代に贅沢な料理が流行したのは事実で、京都の角屋には当時の献立や地下貯蔵室も残っています。
しかし、生類憐みの令のため魚鳥料理がおおっぴらには作れなくなったため、伝統が途切れてしまいました。
それに元禄文化はバブルであったため、贅沢した町人のほとんどはその後没落しています。
貿易も細々としかやっていない時代では儲けはたかがしれているので倹約するしかないわけです。
文化文政時代には八尾膳などの高級料理屋が流行しますが、接待用に限られていました。
使用人と同じものを食べるのは飲食平等と言う事ですが、現実的には使用人には粗食させないと
家計がもたず、主の家族だけがいいものを食べると使用人にうらまれるせいです。
永く続いた町家はいかなる豪商でも皆実行しました。
23スラヴァ:01/10/01 10:43
>>21
クスクスって、挽き割り小麦を蒸した物だと聞きましたが。
一回スペイン人にゴチになりましたが、肉汁がしみたクスクス美味
しかった。ソースに干しぶどう入れていたのには驚きました。
2421:01/10/01 10:53
>>23
え、そうなんですか?俺の情報ソースは日本人コックさん
なので、あまり正確ではないかもしれません。
クスクスは炊飯器で炊くとふっくら仕上がってなかなか
いいですよ。(ダマになりやすいので注意が必要)
ところでクスクスの分布範囲ってどんなんでしょう?
俺はアフガンあたりにはクスクスにカレーかけて喰ってる
連中がいるのでは?と秘かに睨んでるんですが・・・
25スラヴァ:01/10/01 11:03
そういえば、講談社現代新書で食べ物を食べ物を扱ったものがあっ
て、結構トンデモな論が展開されてました。(書名は失念)

なんでも、日本人の味覚はアミノ酸味を中心とした単調なものなの
で(これ自体は間違いではない)、結果、多様性を認められない排
他的で残酷な国民性になった。対して欧州では味の多様性があるの
で、寛容な国民性になった。と

思いっきり「そりゃないだろ」と感じた記憶があります。
26世界@名無史さん:01/10/01 23:30
>>26
なんじゃそりゃ。
27世界@名無史さん:01/10/02 20:28
>ところでクスクスの分布範囲ってどんなんでしょう?

モロッコのカサブランカで食べたことがあります。
基本的にマグレブ地方の料理だと思っていたので
アフガニスタンで食べるとしってビックリ。

パリ(モンパルナスの駅前のfnac寄り)にあったクスクス屋はチュニジア料理
と称していました。(やっぱりマグレブですね。)
28Krt:01/10/02 22:43
>元禄時代に贅沢な料理が流行したのは事実で、京都の角屋には当時の献立や地下貯蔵室も残っています。
>しかし、生類憐みの令のため魚鳥料理がおおっぴらには作れなくなったため、伝統が途切れてしまいました。

>>22アメノウヅメさん:生類憐れみの令のため魚鳥料理のような贅沢な料理の伝統が途切れた、というのは
本当だろうか?綱吉の死後(1709)この悪法は撤廃されるが、そのわずか数年後の享保三年(1718)に今度は
「鳥類が減少したため」幕府はツル、ハクチョウ、ガン、カモなどの食用を禁止し、江戸の鳥屋を十店に
制限している(参:食べ物江戸史:永山久夫)。なんと鳥肉食の禁令が解かれて数年のうちに江戸近隣の
野鳥類は食べ尽くされそうになっているのだ。これでは伝統が途切れたなどとはとうてい思えない(笑)。

この時期は享保の改革による出版統制の強化が進んだ時期でもあり、「質素・倹約」の精神とは相反する
料理書などへの締め付けも行われたはずなのだが。逆に正にこの享保年間から「料理書」(技法書)や、
読んで愉しむという点で今日のグルメ本に近い性格を持つ「料理本」の類の出版が増加していくのである。
例えばこの享保期を代表する、蕭(これに口偏がつく)夕軒宗堅「料理網目調味抄」(享保十五年)にも
「今世治り民おだやかにして、浦々山の奥までもみな衣食住に足れり...されば料理等の事、鍛錬の人
多くして書にしるし、世の重宝となる類多し」とあって、この時代が料理書ブームだったことが窺われるし、
またこの本自体の想定読者も「此調味抄は只庶人遊民どものことわざにして」と「庶人遊民」にまで拡大
されている。そしてこのような江戸市民の(後に「江戸の食い倒れ」とよばれる)嗜好が天明飢饉の最中の
18世紀末に、殆ど食の遊びとしか思えないような豆腐百珍を初めとする百珍シリーズや、鯛百珍料理秘密箱
などに代表される膨大な秘密箱シリーズのような料理本出版ブームを引き起こすことになるのである。

>文化文政時代には八尾膳などの高級料理屋が流行しますが、接待用に限られていました。

「高級料理屋」が主に接待用であることは今も同じであろう。むしろ文化文政から天保期の料理屋の特色は、
その顧客層を庶民にまで拡大したことにあると言っていい。なるほど天明期にも蜀山人の愛した州崎升屋や中洲樽三
に代表される高級料理屋文化は存在したのだが、文化四年には当の蜀山人自身が「飲食の事は猶さら也。五歩に一楼、
十歩に一閣、みな飲食の店ならずという事無し」(一話一言:巻二十五)と驚くほどの変化がこの期間の江戸には
生じていたのである。(文化元年(1804)の時点で江戸市中の食物商売の店は6160軒にまで達している)
さらに文政期ともなると、市中のみならず郊外にも飲食店が増え、俳人岡田助方が羽沢随筆(1822)で述べたように
「市中に住む者、三度の食事も自ら炊ぎ、炙煮せずとも事欠かず。...銭を得れば海陸の珍味は恣に飽く。大都会の
ありさま、太平の余沢ならんかし」という状態に至った。付け加えると文政末期〜天保にかけては久しくタブー視
されてきた肉食の習慣すら大々的に復活し、江戸市民はネギを添えた肉鍋に舌づつみを打つようになるのである。
たしかにこの時代においても、商店が使用人に出す日常の食事は質素なものだっただろう。しかしそのことは
江戸期の市民(特に江戸後期の多少余裕がある階層)の食生活全体の貧困さを示すものでは全くないのである。
29Krt:01/10/02 22:47
うわぁ、改行失敗。
すまぬ。
30看板職人:01/10/02 22:51
>>27
いや、あの俺の勝手な推測なんですが・・・>アフガンでクスクス
このサイト見るかぎりではクスクスは出てきませんね。
http://homepage1.nifty.com/yurico/afganrecepi.htm
ところでクスクスといえばHALISSAが欠かせませんが
この前、箱根にあるサンテグジュペリ美術館に併設されてる
レストランでクスクスを食べた時、ボーイに「アリッサ下さい!」
って言ったら、ハァって顔されました。プンプン
31:01/10/08 00:46
父がかなり前にアフガンに行ったらしいのですが
クスクスは見なかったそうです。
32世界@名無史さん:01/10/10 00:02
そう言えばむかし、池袋の東部デパートの上に
クスクスの専門店があったよーな。
いまもうないのかなー?
33世界@名無史さん:01/10/10 02:32
池波ショータローの小説はやたらうまいもんでてくるけど
あれって誇張だったのね
みんなあんなの食ってたんだと思ってた
34世界@名無史さん:01/10/11 16:33
岩波文庫「パン・タデウシュ」(アダム・ミツキエビッチ/工藤幸雄訳)より2つ

大鍋を用意し、狩りの獲物の獣肉とポーリッシュソーセージを大量のザワークラウト(ポーランドでは何か別の言い方がある)で水を使わずに長時間煮込んでみんなで一気に食べる豪快な野外料理ビゴス
ポーランド伝統の貴族料理でもはや伝説と化したパーティー料理で、それは巨大な皿に盛り付けた料理が時間の経つごとに自動的に四季の自然の変化を見せていく箱庭のような奇跡の料理
35:01/10/11 21:41
>>34
今ひとつイメージがわかない・・

>>時間の経つごとに自動的に四季の自然の変化を見せてい
どんどん継ぎ足していくのだろうか
36世界@名無史さん:01/10/12 10:50
>>34-35
自分も「パン・タデウシュ」読んだが、その料理の実物いつか見てみたい。
映画ではビゴスのシーンも出ていなかった。
37世界@名無史さん:01/11/19 13:39
はい。Krtさん、ここも食物の歴史、片意地に論戦はってねえ
38世界@名無史さん:01/12/30 12:57
ビゴスって、写真で見たことがあるだけだけど
それだとザワークラウトと肉、ソーセージのごった煮で、
地味〜な家庭料理みたいだったよ。
39世界@名無史さん:02/01/31 09:26
40世界@名無史さん:02/03/18 00:43
世界三大料理って
フランス料理、中華料理と、あと一つは
トルコ料理?
41世界@名無史さん:02/03/18 00:48
>>38
ビゴスはもともと「猟師鍋」だから見た目は地味なんだよ。
42世界@名無史さん:02/03/18 01:04
>>40
トルコです。
日本やインドや韓国やタイやイタリアの料理も同じぐらいうまいと思うけど。
まあ、フランス人の口に合うかどうかってことなんでしょう。
43世界@名無史さん:02/03/18 01:06
日本人にとって3番目はインド料理かな?
44外語祭で食ったが:02/03/18 01:07
>>41
味も地味でした。
45世界@名無史さん:02/03/18 01:18
>>44
本場ポーランドでも安食堂では出すがレストランでは滅多に出さないそうだからね。
46スラヴァ
また昔のスレが復活した物だ。