410 :
世界@名無史さん:02/11/18 09:51
>>407 失敬失敬。ドスタム将軍の間違いです。訂正しておきますね。
411 :
世界@名無史さん:02/11/18 10:16
412 :
世界@名無史さん:02/11/18 10:25
>>409 訴えられなくなっただけだよ。
なんせ証人4人いないと逆に死刑だからなあ。
413 :
世界@名無史さん:02/11/18 10:25
>>409 アフガニスタン女性革命評議会(RAWA)のスポークスマンに
よれば、タリバン統治時代にも女性への迫害は止むことがなかったそうですよ。
414 :
世界@名無史さん:02/11/18 10:36
>>413 お、なかなかナイスなネタだな。
>>401の厨房だとしたらえらい進歩だ。
でマジレスするとレイプとタリバン時代の女性への迫害全般を混同しないように、と。
415 :
世界@名無史さん:02/11/18 10:42
>>414 レイプというふうに具体的に言わないで、迫害というとムチ打ちとか
殴る蹴る、銃床で打ちのめすのと区別が付きにくいんで便利な用語ですよね。
でも本当に、タリバンてレイプしなかったんですかね。
どのていど確定的な事実レベルなのか判断がつきにくい。
むこうは独身者が大変多くて、性のことはプロスティチュートでまかなって
いたのでしょうか。
梵阿弥ちゃんはあいかわらず、あいかわらずみたいね。
梵阿弥ちゃんを応援していたというぼうやはまだこのスレ見てるのかしらん。
梵阿弥ちゃんの自作自演だなんて野暮なこと言わないから出ておいで。
417 :
世界@名無史さん:02/12/02 21:44
>>409 タリバン時代に女性への暴行、レイプが決して少なくなかったことは、
複数の証言がある。
マルヤムの証言、「ラティファの告白」、「ブルカ沈黙の証言」などは
比較的容易に入手できる文献である。
またシーア派女性へのレイプをタリバンは「清め」と称して肯定していたことは、
タリバン高官の発言からも明かである。
タリバン時代は治安が良かったなどという誤解は、
・それ以前がもっと酷かった
・中村医師などのシンパを通じたプロパガンダ
によって生じたに過ぎない。
418 :
世界@名無史さん:02/12/03 15:01
なんだやっぱり嘘だったのか。タリバンを美化する連中は謝罪しる!
ごめん
420 :
世界@名無史さん:02/12/04 14:44
>>417に付け加えると
・タリバンは支配地域では報道管制を敷いたため、
タリバン統治の内実が外国に殆ど伝わってこなかった
もだね。>「タリバン時代は治安が良かった」と誤解されている理由
正直すまんかった
422 :
世界@名無史さん:02/12/07 18:36
>>390 長倉だけをソースにしているのはどっちかな?
アフガン取材に言ったジャーナリストは他にも幾人かいるが、
北部同盟が膨大な支援を受けているなどと言った奴は一人もおらんよ。
またタリバンがパキスタンからどのくらいの援助を受けたか知った上で、
北部同盟に「膨大な支援」、などと言っているのかな?
もちろん、上の2点に反論する前に、まず女性問題についての回答をしろや
ま、単なるマスコミ映りの良い軍閥の親分ですわな。
過度の感情移入をしてもしらけますな
>423
マスコミ写りがよいだけでソ連は負けるのか(w
いいこと勉強したよ。
そういえばイスマイル・ハーンもいい男だしなあ。
425 :
世界@名無史さん:02/12/08 03:31
>>395 アフガニスタンにいるタジク人の一部がタジキスタンの反政府勢力を
支援していたのは事実だろうと思うが、ラバニ政権自体がそんなことをし
たら腹背に敵を受けることになるので、まずありえない。
むしろ、取り締まる側のはずだが、十分できなかった可能性はある。
タジク人にもタリバンやビンラディンと結びついた勢力がいたしな。
9月に
>>313の展覧会に行ってきました。15世紀頃の作品に人物描写がありました。イスラム厳格の気風は
もっと後に入って来た様です。一方で「アフガニスタンの美」には、ハッダ遺跡の発掘現場を軍が守って
いるとある。近所の住民が「異教の偶像」を壊そうとするからだそうです。つまり1973年にはそういう風に
成って居た。理由として、1963年にサルダル・ムハンマド・ダウド首相が辞任し後任は親米路線をとった。
米国の援助でヘルマンド渓谷開発が行われました。南部のヘルマンド河を開墾し農地を造るものですが、
調査を碌にしなかったために出来た土地は塩分が高く使い物にならなかった。何十年も灌漑を行い塩分を
洗い流す必要があり莫大な負担となる。結局放置されたようです。財源は米国も負担しましたが
アフガニスタンも負担した。莫大な国富を浪費し財政を悪化させ、環境を破壊した。しかし政府高官は
米国企業との取引で私服を肥やした訳です。当時は王国なので高官といえば王侯です。これで王族や
大地主への貧民の敵意が増大したのみならず米国に代表される欧米への嫌悪も興った。元々ブリテンと
3度も戦争をし「アングレーズ」と言えば「敵」を意味する程。また当時の開放政策により異国情緒を求め
ヒッピー達が大勢訪れ、大麻に耽り薄着で練り歩き男女入り乱れ高歌放吟する。これは現地では非常に
はしたない事で欧米への嫌悪感をいや増しにした。大麻も現地では親しい仲でひっそりやる物だった
んですが旅行者がどんどん買うので商売になると栽培や売買も盛んになり現地人の一部も真似をする。
そこでイスラム復興が盛んになり中には社会変革を暴力で行おうとする動きも出る。ラバニ師、
ヘクマティヤル氏、マスード達がそうです。現地の偶像忌避もその一環なんでしょう。一方で
ダウド首相は親ソ連邦で、留学生も多数居り、彼らを中心に共産主義も興ってきます。従ってタリバンの
彫像破壊令もさほど現地の気風に遊離したものでもなさそうです。
同展では上映も有り、カブル国立博物館は1993年にヘクマティヤル派の砲撃で屋根が吹き飛んだとの事。
同派はシーア宗が多いハザラ人を敵視していましたが何と言ってもマスードを不倶戴天の敵として居た。
ですから当時博物館の近くに布陣していたのがマスード軍である可能性は高いと言えます。:続く
続き:詰り美術品の略奪・密売にマスード軍が深く関与していた可能性が高い。なお同展はフランスのギメ博物館
とバルセロナのカイシャ財団の所蔵品から成り世界を廻るものですが東京展では「文化財難民」と名付けて、
平山 郁夫氏の元に寄託された流出品を展示していました。中には「アフガニスタンの美」に収録された品もあり、
懐かしい知人に会ったような気になりました。同じような感慨を持たれた方が居られたならご紹介した甲斐が
あったというものです。
こう言う人が居るかもしれません。
「マスード達が流出させたから今も残ってるんじゃないか。そのまま博物館に在ったらタリバンが壊してしまった」
それはそうです。しかしタリバンのような偏狭な勢力が台頭したのは何故でしょう。パキスタンが支援したから?
理由になりません。ヘクマティヤル派もパキスタンから支援されてましたが国土の9割と言うような勢力には
成らなかった。民衆や中小勢力がタリバンを支持し少なからず合流したからです。詰りあまりにひどい状況だった
のでタリバンに望みを託した。ではタリバン台頭前の時代の覇者は誰でしょう。マスードです。詰りマスードは
タリバンの生みの親の一人と言ってよい。タリバンをこき下ろす一方でマスードを礼賛する人はこの点がまるで
解ってないんでしょう。
誰か要約してください
読むのかったるいので
普通、生みの親って表現するときは、資金援助したとか
組織化に尽力したとかいった意味合いになるんだが・・・・・
日本語下手糞だね
>>427 若干30ぐらいの若造が覇者の国・・・かっこいいですなあ
で、生みの親でないのは、民族主義者のフセインぐらいですか?
>428
とりあえずこれ↓に笑っときゃよし
>同展では上映も有り、カブル国立博物館は1993年にヘクマティヤル派の砲撃で屋根が
>吹き飛んだとの事。同派はシーア宗が多いハザラ人を敵視していましたが何と言っても
>マスードを不倶戴天の敵として居た。ですから当時博物館の近くに布陣していたのが
>マスード軍である可能性は高いと言えます。
>詰り美術品の略奪・密売にマスード軍が深く関与していた可能性が高い。
こうやってしっかりつなげて書くと爆笑ものの三段論法だというのがよくわかる(w
>428
あとこれだな
>しかしタリバンのような偏狭な勢力が台頭したのは何故でしょう。パキスタンが支援した
>から?理由になりません。ヘクマティヤル派もパキスタンから支援されてましたが国土の
>9割と言うような勢力には成らなかった。民衆や中小勢力がタリバンを支持し少なからず
>合流したからです。詰りあまりにひどい状況だったのでタリバンに望みを託した。では
>タリバン台頭前の時代の覇者は誰でしょう。マスードです。詰りマスードはタリバンの生み
>の親の一人と言ってよい。
あとは読まなくてもOK。
それにしても>432で引用した部分はひどいな。
電波にしてもひどいというか。
【タジキスタンに補給路を引くマスード】
”…タリバンは15日、ラバニ大統領派の要衝、バグラン州のドシを制圧したと発表した。ドシは、反タリバン連合に
残された、事実上最後の2拠点であるパンジシール渓谷とバーミヤン地方を結ぶかなめの位置(中略)反タリバン連合や
イラン、ロシアは「パキスタン軍がタリバンに加勢している」と非難。タリバンとパキスタンは逆に、「イランとロシア
にアフガンへの不干渉」を求めている。(中略) タリバンの攻勢で、イランの支援を受けるイスラム統一党ハリリ派は
補給路を遮断され、タジキスタンなどから武器弾薬を得ているマスード部隊の補給路も大打撃を受けたと見られる。”
「讀賣新聞」 1998年8月17日
大打撃、というからにはマスード軍はタジキスタンからの武器弾薬に大きく依存していた様子が読み取れます。一例
として
>>254が挙げられます。↑の翌々月の話。なお同8月にドスタム軍の拠点マザリ・シャリフ、よく9月にバミヤン
をタリバンが攻略します。従ってハザラ軍(統一党、ハリリ派)がドシ経由の補給路に依存していた様子が伺えます。
またドシはバグラン州ですからマスード軍閥領です。詰りハザラ軍の補給路はマスード軍閥領を通っていた。すると
マスード軍がハサラ軍向けの物資を途中で抜き取る事が出来たかもしれません。マスード軍が残れたのもこの辺が
物を言ったんでしょうか。「マスードがそんな泥棒行為をするものか」という声も出そうですね。しかし寧ろ
マスードだから如何にもやりそうな事です。例えば
>>121にあるように「マスードの兵隊は強盗」ですから。
>>299 生憎かなり読み違いされてます。
<「パンジシルの獅子」という敬称つき
これどこかで「何とかの獅子とか呼ばれてたっけ」なんてあったんですよ。そういう方への答えです。マスードは
1992、1994年のパンジシル渓谷攻撃でいずれも同地を叩き出されてます。負けたんです。しかし92年暮れに
サラン・トンネルで大事故があり大動脈サラン街道が不通になった。そこでソ連邦軍が停戦を持ちかけマスードだけが
応じた訳です。詰り相手の最も困ったときに手加減した訳で、他の勢力から馴れ合いだと非難されるのも当然でしょう。
またマスードはこの停戦でパンジシルに戻れた訳です。詰り自力で奪回したのではない。なおこの事故は渋滞に退屈した
運転手たちの煙草の火が酒に燃え移ったとか、あくまで事故とするのが定説です。マスードは自軍の攻撃の成果だと主張
してましたがね。彼は一事が万事この調子。そして善く83年5月に長倉 洋海氏が訪れる。停戦を非難されていたので
マスードは世界に向かって自分を売り込む必要があった。また暇でしたしね。そして94年の攻撃を迎えやはりマスードは
敗れてヒンドゥクシュ山脈北に逃れアンダロビを拠点にする。結局マスードがパンジシル全域を奪回したのは97年5月、
約3年も掛かっています。また96年にはソ連邦軍の一部が撤退、98年5月には全面撤退が始まります。詰り丁度一年前の
事。水面下で撤退が議論され公然の秘密であり、当然共産陣営の士気が落ちていました。またパンジシルを占領して
いたのはアフガニスタン政府軍でした。あのちょっと攻撃すれば次々寝返る政府軍です。そういう軍相手にも
てこずって居たんですかね。ですから私は「パンジシルの獅子」というのは看板に偽りありの類だと思ってます。
また83年頃までのソ連邦軍は弱体でした。これはトルキスタン軍管区の塀を用いたのが一因です。同じムスリムなので
住民に敵意をもたれ難かろうと考えたんですが寧ろ離脱しゲリラに合流する兵も出る始末で裏目に出ました。欧州方面
と比べると2線級部隊でしたし、同じムスリムあるいは同じタジク・ウズベク人、といった理由で士気が奮わなかった。
また編成や戦術も平地の多い欧州を念頭にした物だったので山国アフガニスタンにまったく不向きだった。:続く
>>299 生憎かなり読み違いされてます。
<「パンジシルの獅子」という敬称つき
これどこかで「何とかの獅子とか呼ばれてたっけ」なんてあったんですよ。そういう方への答えです。マスードは
1992、1994年のパンジシル渓谷攻撃でいずれも同地を叩き出されてます。負けたんです。しかし92年暮れに
サラン・トンネルで大事故があり大動脈サラン街道が不通になった。そこでソ連邦軍が停戦を持ちかけマスードだけが
応じた訳です。詰り相手の最も困ったときに手加減した訳で、他の勢力から馴れ合いだと非難されるのも当然でしょう。
またマスードはこの停戦でパンジシルに戻れた訳です。詰り自力で奪回したのではない。なおこの事故は渋滞に退屈した
運転手たちの煙草の火が酒に燃え移ったとか、あくまで事故とするのが定説です。マスードは自軍の攻撃の成果だと主張
してましたがね。彼は一事が万事この調子。そして善く83年5月に長倉 洋海氏が訪れる。停戦を非難されていたので
マスードは世界に向かって自分を売り込む必要があった。また暇でしたしね。そして94年の攻撃を迎えやはりマスードは
敗れてヒンドゥクシュ山脈北に逃れアンダロビを拠点にする。結局マスードがパンジシル全域を奪回したのは97年5月、
約3年も掛かっています。また96年にはソ連邦軍の一部が撤退、98年5月には全面撤退が始まります。詰り丁度一年前の
事。水面下で撤退が議論され公然の秘密であり、当然共産陣営の士気が落ちていました。またパンジシルを占領して
いたのはアフガニスタン政府軍でした。あのちょっと攻撃すれば次々寝返る政府軍です。そういう軍相手にも
てこずって居たんですかね。ですから私は「パンジシルの獅子」というのは看板に偽りありの類だと思ってます。
また83年頃までのソ連邦軍は弱体でした。これはトルキスタン軍管区の塀を用いたのが一因です。同じムスリムなので
住民に敵意をもたれ難かろうと考えたんですが寧ろ離脱しゲリラに合流する兵も出る始末で裏目に出ました。欧州方面
と比べると2線級部隊でしたし、同じムスリムあるいは同じタジク・ウズベク人、といった理由で士気が奮わなかった。
また編成や戦術も平地の多い欧州を念頭にした物だったので山国アフガニスタンにまったく不向きだった。:続く
おや、やっと女性差別の問題に言及してくれるのかな?>梵阿弥
基地外コテハンに貼り付かれたスレは悲惨
>>梵阿弥
なぜ、何度も同じレスをするのか?
自スレ立ててそこで思う存分書き込めばいい
続き:84年頃からロシア人が投入され戦術も練られて改善されます。只米国等も携帯対空ミサイルのスティンガーを供与等
ソ連邦軍は勝てなくなりました。しかし大切な事はソ連邦軍が戦っていたのはマスードだけではありませんよね。むしろ
パシュトン人相手のほうが激しかった様です。というわけでマスードはソ連邦が本気になると負けてばかりでした。パンジシルを
あけていた時期も長い。只一般に流布した渾名なので紹介しました。後にこうやって看板倒れ振りを検証する積りでね。
<「故〜氏」のように書いてる
>>313の補足として、兄弟が居ていづれも名に「マスード」を含みます。よって只マスードでは誰か判らない。いや大抵判りますが。
また元国防相というのは、閣僚だった事、詰りアフガニスタンの状況に責任が大きい事を強調したものです。そのうち省くように
なったのは、暫く続ければ浸透しますから。
<長倉氏の作品についてもこの時期にはほとんど知らなかったということが見て取れる。
そうでもありません。いきなり批判しなかったのは単に様子をみていただけです。11月いっぱいで半隠居になるのは判ってました
からあまり重たい話題に自ら関ろうとも思いませんで。
<中村哲がマスード批判を書いていることも知らなかったんじゃないかな?
これはその通りです。知らなかった。しかし別に中村 哲氏がマスードを批判しているので同調したとか言うのではありません。
ひょっとして貴方はこんな風に思ってませんか。
「梵はマスードを結構好きだった。しかし尊敬する?中村氏がマスードを批判しているのを知り慌てて?自分もマスードを批判
する事にした。だから、無能でもあるまい、と歯切れが悪い。また意に反した事をしているので良心の呵責に悩み長倉 洋海氏を
叩いて犠牲羊としている」
違います。私はどこかの誰かに連動して志を変えたりしません。元々マスードの怪しさが気に成ってました。詳しい方に聞いて
みようと思って様子みてたんですがね。なんか頼りないのばかりで。:続く
>>439 それはそれでやだな。っていうかこういう風に議論する気がないのなら自分でHP作って
やるべきなんだがな。
>ひょっとして貴方はこんな風に思ってませんか。
>「梵はマスードを結構好きだった。しかし尊敬する?中村氏がマスードを批判しているのを
>知り慌てて?自分もマスードを批判する事にした。だから、無能でもあるまい、と歯切れが
>悪い。また意に反した事をしているので良心の呵責に悩み長倉 洋海氏を叩いて犠牲羊と
>している」
>>435 梵阿弥ちゃんよ。数字がでたらめだぜ。
90年代と80年代をこうもぼろぼろぼろぼろと打ち間違え続けるかね。
>>440 自慰はsageでやれよ。
それともそうい性癖か??
続き:
<批判されてムキになったあたりからマスードの批判を書き込むようになり
私は別に殊更「批判」してる積りも無いんですが。やった事はやった、出来なかった事は出来なかったとしているだけで。
それが批判と受け取られるからには従来のマスード像がいかに現実とかけ離れてたかということですよ。
<長倉氏の文章とやらを引用元を明示せずに引いてきて長倉氏批判
一つには持ってなかったので出典を明記できなかったというのがあります。「マスード愛しの大地アフガン」だか読んで随分
牧歌的な印象を受けました。しかし後に他の本で長倉氏の取材当時の83年は停戦中だったと知り、見直してみるとそんな事
一言も書いてない。戦闘中と思ったからこそのどかに思ったので停戦中となれば話が違う。隠すのは詐欺ですよ。
もう一つは、各自当たって欲しかったんですよ。いろいろ見つけられるんじゃないかと。しかし見つけるには力量が必要で、
また既に経典としている人には期待しても無駄でしたね。
ともかく手元に無いのも不便なので幾つか買いました。古本屋でね。
<批判に対応できずにキレちゃったというところにあるのは間違いない
間違ってます。私は批判に対応できていないなど毛頭思っていません。いったいどんな点でそう思われたか教えて頂け
ませんでしょうか。別に貴方に八つ当たりしようというのでなくてね。まったく判らないので。寧ろ私は着々と成果を
挙げている積りですが。例えば
>>395でマスードのとんでも指導者ぶりとかね。相手のほうがせっせと墓穴掘ってる。
また
>>243をみれば判るように
>>75諸氏は
>>216と一人複役をやっている。こう言うのは唾棄すべき反則ですよね。
こう言うのを差し置いて私のほうを乱れていると見るのはよく判りませんね。「相手しないから」なんて言っても、
あれって私のお墨付きをもらわないと不安なんですかね。自説の説得力に自信あるなら私の態度などどうでもいい
でしょうに。結局私に依存してるんですよ。私は依存してないので淡々とね。
>また
>>243をみれば判るように
>>75諸氏は
>>216と一人複役をやっている。こう言うのは
>唾棄すべき反則ですよね。こう言うのを差し置いて私のほうを乱れていると見るのはよく
>判りませんね。「相手しないから」なんて言っても、あれって私のお墨付きをもらわないと
>不安なんですかね。自説の説得力に自信あるなら私の態度などどうでもいいでしょうに。
>結局私に依存してるんですよ。私は依存してないので淡々とね。
やっぱり
>>75氏のツッコミにうまく対処できなかったのがよっぽど悔しいんだろうねえ。
>>446 自説の説得力に自信があるなら
>>75氏が名無しを演じたりしたことなどどうでもいいだろうに(w
>>443 ほんとだ。2重書きになったことと併せて何かあったらしい。という訳で
>>435の年代の9は全て8です。
>>302 <彼に対する質問だの議論だのは無駄になるだけ。論争をしようとする人は書き込まなくなるのが当然
不思議な主張ですね。なんなら私などほっといて論争なさればよろしい。それが出来ないからには私の存在は
無視し難い程大きいという事ですか。それとも論争の種を何もお持ちでないのかな。
>>307 あの、何でしょうか。
>>315 <梵阿弥氏はマスードを敬愛する、というとアレか、マスードファンという
<のにえらい偏見があるのはたしかっぽい。
外れです。マスードはフランスで自伝を出しているそうです。そういう自己顕示欲に満ちた人物というのはどちらか
というと嫌いな方ですね。ともかくあまりに多くの方が私の意図を読み違えているのは面白いですね。
<あと
>>75が逆ギレを引き起こしたという
>>299氏の分析はまず間違いないようだ
間違いです。
<アフガニスタンでは戦争で稼ぎ手の男性がいなくなり女性が稼ぐしかない家庭が
<多数あった。そういう家庭にさえ就業禁止は強制されており、まさに極貧の中の
<極貧に追い込まれる家庭がボコボコでてしまっている。
これ一部でお待ちかねの話題ですね。まず何故稼ぎ手が居なくなったか。戦乱が続いたからです。マスードを含む
指導者には戦乱を続けた責任がありますね。:続く
> <あと
>>75が逆ギレを引き起こしたという
>>299氏の分析はまず間違いないようだ
>間違いです。
キレてる本人がいってもな(w
続き:まずタリバンの「就業禁止」には誤解があるようです。「タリバン」著:アハメド・ラシッド、の巻末にタリバンの
出した布告を載せています。これによると女も医療分野の就業は認められています。また緒方 貞子氏はタリバン時代の
ヘラト市を訪れ「看護学校があった」と言っています。どうも誇張されているようです。「米国の敵」である以上その属国の
日本において誇張された政治的宣伝がまかり通るのもまあ当然ではあります。
またイスラム世界では喜捨(ザカト)の習慣があります。ですから物乞いはなかなか死にません。そういった相互扶助の
体制は現代の先進国よりもしっかりしています。またカブルでは配給が行われていました。これも外国の団体が女に従事
させようと嫌がらせをしたり色々ありましたが結局はサウド王国の団体が最後まで残ってやっていたようです。
<とんでもない。立派な抑圧に決まってる
それは貴方の思想ですね。一人分のご意見として尊重いたします。では貴方は女の家事専従を常識とするアフガニスタンの
人々の習慣は尊重なさらない訳ですね。これは感心しませんね。当地は中世的な社会です。生まれによって社会における
役割はある程度決まってくる。そういった状況を貴方は考慮なさらないわけですか。例えば日本でも江戸時代には
はっきりとした身分制がありました。貴方はでは江戸時代までの日本人はほぼ全員が抑圧主義者でありほぼ無価値な存在
ですか。アフガニスタンも同じ事です。変革は慎重に行われなければ成らない。貴方がアフガニスタンの風習を一概に
「抑圧に決まっておる」と断ずるのは侮辱でしょう。そもそも同地の混乱は中世社会のソ連邦や米国との接触による変化が
悲劇的な経過をたどったのがきっかけでありその構図は今に続いています。従来の暮らしを「旧弊」として全否定された
人々の怒りが大きな抵抗力となったことをお忘れですか。
<梵阿弥氏は狂っているという評価を下すのに私はためらわない
貴方にとっては私のみならずアフガニスタンや例えばアラブ諸国の大半の人々は狂っているんでしょうね。ついでにお尋ね
しますがラバニ政権の「イスラム的服装令」も狂気の沙汰ですか。するとマスードも狂人ですか。
>>454 おそろしいほど逝ってしまっているな。
>では貴方は女の家事専従を常識とするアフガニスタンの
>人々の習慣は尊重なさらない訳ですね。これは感心しませんね。
梵阿弥氏は働いて経済的に楽になりたいという女性の意志は尊重しないそうだ!
感心しないなんてものじゃない!!
>>127からもう一度「タリバン」の引用を確認しとこう
> 市政職員の1/4、全小学校教職員、医療関係者のほとんどが女性によって占められていたのにである。
> 女子校も閉鎖。職場での仕事と国連の支給品に頼って生きてきた戦争未亡人が養っている25,000家族が、
> たちまち飢えに直面することになった。(P103-104)
ほんとになんでここまで「文化です習慣です」と正当化できるのだろうか?
文化だろうが習慣だろうが家庭内専従が珍しくなかろうが何万もの人たちが実際に働いて
いたというのに。
現地では教育施設は復旧され、まともな国防軍も編成されつつあり、農業も復興しつつあり、
道路網も修復、拡張されつつありとこうなるともうタリバンの付け入る隙はありませんな。
マスード司令官も草葉の陰で喜んでいる事でしょう。
>>454 まず梵阿弥のタリバンの「就業を認めていた」認識には誤解があるようです。
>「タリバン」著:アハメド・ラシッド、の巻末にタリバンの出した布告を載せています。
>これによると女も医療分野の就業は認められています。
とあるのは、それはその通りですが、医療分野だけが女性の就職口ではなかったわけです。
現実に収入源を絶たれて乞食や売春で糊口を凌いでいる女性の存在も、同書には出てくるはずです。
それに「認められた」の中身ですが、よくよく検分していくと、これが
事実上不可能であったことが既に指摘されていますな。
グリフィンの「誰がタリバンを育てたか」にはこうあります。
>性に関する新しい命令の中で,唯一の例外は,女性の医師や医療関係者であった.
>彼女達は仕事を続けることを許されたが,診断のために男女差のある部位に触れる
>職業である以上,嫌がらせの口実は幾らでもあった.女医は女性患者だけを診察する
>よう制限され,同じ病院の男性医師とのコミュニケーションや,新たに設けられた
>男女別のバスを利用しての通勤など,極めて大きな困難に直面した.
>仕事に留まった少数の女医達は,タリバン管理下にある男性ばかりの医療制度の
>必然的帰結として,患者たちに必要な小児科や婦人科医療が完全廃止に
>追い込まれないために職場に残ったのであった」(p.12)
そして、実際に医療に携わっていた人間がどうなったかと申しますと、
これは「ラティファの告白」の中にこうあります。
>母の気持を最も滅入らせたニュースは,主に女性達によって運営されていた
>福祉団体が,タリバン勢力によってカブールの町から追い払われてしまう
>というものだった.この団体は,アフガニスタンの女性が治療を受けられる,
>最後の頼みの綱だった.
>ところが,団体で働いている女性達が仕事をし,勉学を続け,さらに女性の治療の
>窓口になるということが,イスラムの法律に背く罪だと告発されたのだ.
>母はすっかり動転してしまった.
>『女性達はもう終わりよ.おしまい.何も残ってないわ.これは大虐殺よ.
>しかも国連は,この男達の恐喝を受け入れているのよ!』(p.124)
他にも引用可能な文献は多々あります。
いやはや、大した「認め」ぶりですな!