アンティーク USED 中古 を語ろう

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1名無しさん@揉んで〜る便座
新品(おねーちゃん)よりもアンティーク(ババア)
の方が萌えてしまう変わった人たちのスレです。

いろいろ語ってください。
2名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 19:56
>>1
氏ねよ、人生の敗北者よ。
3名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 19:57
理解できません
他人の触ったやつなんて腕にはめられません。
4名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 19:59
>>3
おまえも氏ねよ、人生の敗北者よ。
5名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 20:49
皆さんは実用として買うのですか?
それともコレクションのため?
60年代の状態のいいのを手に入れたら
がんがん使おうと思いますか?

いいやつ見つけたんだけどな
6名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 20:51
>>5
いいから早く氏ねよ、人生の敗北者よ。
7名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 20:53
おまえ、なに?
なんでおまえにそんなこといわれなきゃならない?>>6
8VANAC SP ◆VANACp//Yc :02/11/27 20:55
>>5
あんまり実用とかコレクションとか考えて買ったこと無いなぁ。
(・∀・)イイ!と思ったら買ってるよー。
したら増えた。
増えたらOHもままならんのだー(´ヘ`;)
そして使おうにも数あるし、OHしてないしで全部は使えない・・・。
9名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 20:55
>>7
ウザイから早く氏ねや、人生の敗北者よ。
10名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 20:55
>>8
出てくるなよ、人生の敗北者よ。
11名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 20:57
>>9
もう一回言ってみ?
12名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 21:02
>>11
1回で理解しろよ、このタコ!
ウザイから早く氏ねや、人生の敗北者よ。
13VANAC SP ◆VANACp//Yc :02/11/27 21:05
こんなとこで粘着してる方が人生の敗北者っぽいが。

相手にするとつけあがるから、以後放置だね。
14名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 21:05
悲惨なスレだ・・
15名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 21:06
>>13
人生の敗北者の分際で生意気な口をきくんじゃねぇよ、このタコ!
16名無しさん@揉んで〜る便座:02/11/27 21:07
>>15
さっさと首を吊れよ、人生の敗北者よ。
17名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/01 21:15
 
18名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/01 21:27
ワシ、50年代〜70年代のビンテージものが好き。で、最近はちょっ
と70年代のポップな色使いのやつが気に入ってます。70年代独特の
色ってあるでしょ?ああいう時計に今のポップ?なベルトを合わせ
てみるんですよ。するとびっくりするくらいイイ!
今は70年代のポップな文字盤のギャレットに黄色と黒のサイケ?な
ベルトを合わせてみた。そしたらもの凄くオシャレ。普通の人は
「こいつ、中身エクセルシオパークなんだよ」っつーても「はあ?」
みたいな感じなんだけどおかしなベルトしてるだけで「素敵な時計ね」
なんておもしろがってくれます。
邪道だけど面白いよ。70年代のエニカー、ソルナ、ゾディアックな
んかでこれやると楽しいと思うよ。
19名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/01 21:44
俺は黎明期の腕時計が好き。
夏以外は普通に使用しているよ。
使わないともったいないじゃん。
20名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/01 22:28
>>19
黎明期っていつ頃のこと?
たぶん戦前以前のことだと思うけど、
そんなの実用して大丈夫なの?
壊したら部品ないし(部品じたいの材質も悪くショックも付いてないので壊れる確立高し)
OHしてくれる時計屋も少ないと思われ。
それに実用となると精度も気になる。
日に1分以上狂うようだと使い物にならないからね。
21名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/01 23:28
俺は「機械式時計」好きだけど、毎日使うやつは自動巻で
日差±10秒位じゃないとダメポ。
これだと週に一回だけの時間合わせだけで済むし。
手巻きも、たまにはいいけど毎日はパス。
今使ってるのは'97年製中古の4Sダイバー。
これは日常使いにはベスト、気にいってます。
22名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/02 02:51
普段使い用の腕時計は15本程度だが、そのほとんどがビンテージ(w
中でも1960年代のヤシが多いのは、やっぱし安いから。
機械には悪いけど、気楽に使い潰せるのがイイやね。
23名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/02 08:43
>>22
確かに。オレもやはり1950年代の時計は余り腕にはめて出歩かな
い。普通に使えるのは60年代後半からだね。ビーナス178、188
とかバル72とかだと程度良ければ精度も素晴らしい。部品がどうこ
う、って話もあるが取りあえずオレのお願いしてる時計修理屋さん
は普通にオーバーホールしてくれるし。

70年代のムーブの方が悪い、という話は本当じゃないかと思った。
でもくどいようだけど70年代の時計に派手なベルトつけて使い倒す
のは楽しいよ!
24名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/02 09:38
>>23
>70年代のムーブの方が悪い、という話は本当じゃないかと思った。
初耳だけど…
なにか根拠でもあるのかな?
25名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/02 13:02
>>24
根拠は2ちゃんねるだす。
あちこち時計板を読んでるととても詳しそうな人が「結局70年代
というのはクォーツとの争いがあってメーカーの体力が弱って機
械も濫造気味で」みたいな事を言ってるのを何度か読んだ。ETA
スレだったかな?具体的にオメガなんかの名前が挙げられていた
と記憶してる。

で、オレも手持ちの時計の裏蓋を開けて観察してみるとやはり70
年代からオモチャ臭くなってるような印象も受けるわけよ。ビー
ナス188とバル7733に至る変遷を見ても「まあ安く大量に造るため
に色々工夫したんだろうな」という感想を持つわけ。ユニバーサ
ルの281TXあたりを見ても70年代に入ると緩急針の調整構造が簡略
化されてると思った(裏蓋を開けて確かめた)。

だからオレとしては詳しい人が「70年代のムーブの方が悪い」と
論じていても「そんな事ねーぞ!」とは言いにくい。どちらかと
いうと「そうかも知れんなあ」と思う。勿論70年代の機械にも愛
着はあるけどね。スイス時計産業の必死の思いが偲ばれてそれは
それで感慨深い。その時代があって現代の7750全盛、2894全盛、
という結果があるんだろうし。
26名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/02 13:11
比較的新しいモデルの中古探しが好き。不人気で激安のも多いし。
2725:02/12/02 20:58
×2894
○2892
誰も突っ込まんのね。ミナ、ヤサシイヨ。
28名無しさん@揉んで〜る便座 AA:02/12/05 11:43
オレもビンテージ、オールドオンリーだけど、普段使ってるのは40〜50年代
だよ。もっともそれより高年式を持っていないのだが。。だけど、まったく、日常
仕事で使ってても問題ないよ。夏場は多少気を使うけど。(汗、室内外の温度差等)
実際、機械の丈夫さでは40年代の機械の方が現行より優れている。
ビンテージ持ってる人はコレクションだけでなく、使ったほうが時計も喜ぶと思うよ。
賛否はあると思うが、オレは現行には全然興味無い。
29名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/05 12:16
筋金入りだなあ。アンティークは時計そのものでなく、店や流通が
信用ならないからなあ。
3025:02/12/05 14:08
それは興味深い話だね。オレの持ってるので一番古いのは50年代
のギャレット。こいつが機械も文字盤もオリジナルでなかなか綺
麗なので小心者のワシは怖くてよう使わんのよ。機械はバル72だ
けど確かにフタを開けてルーペでじろじろ色々見比べても60年代
の機械と遜色ない、っていうか仕上げそのものは50年代の方が金
がかかってそう。でも「オレの代でこの時計ダメにしちゃったら
マズイ」とか思って殆どうっとり眺めてるだけ。それが60年代以
降の標準的な時計だと案外平気で外に出歩ける。70年代だとやり
たい放題ってところ。

ところで今年の夏の猛暑日、1970年頃のエルプリのモバードはめ
てたら風防内側に水滴がついて焦った!裏蓋外してごにょごにょ
やってたらOリングがボロくてゆるんじゃってそこから汗が侵入
したらしい。慌てて時計師さんに「オレのエルプリが、オレのエ
ルプリが!」って泣きながら電話したよ。
31性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/05 14:47
面白い話Thx。外野からだけどちっとばかし乱入。もっぱら普段使いは70年
代のIWC。70年代のIWCは1975年まで往年のクオリティを保ってますよ。最
後まで良心的だったメーカーと思われ。

で、ご存知と思いますが、多少お話を。60年代をかけて、スイスはアメリ
カの時計産業を叩き潰した。もうこれでバンバンザイですよね。で、スイス
は高い時計を作ろうということで金の時計にシフトしたと。軒並み高級メー
カーはさうです。ただし70年代に入って、ドルの切り下げがありますた。
対ドルで、フランは40%近く上がったらしです。それ以上に金の価格が大
体4倍強にまで上がったと。メーカーによりますけど、金のフツーの時計で
小売価格が250%まで上がったらしいです。結果としてコストの切り下げを
やるべく、首を切って、でもどうにもならなくて、結局エボーシュの供給を
仰ぐようになったと。

結局コストを下げるには、仕上げも荒くして、それ以上に加工の早いNC旋盤
を入れるしかないんですけど、そこまでの資本があるのはエボーシュメーカ
ーしかなかったと。これでETA一極集中が完成しますた。ただロレックスは
例外で、60年代後半に大規模な設備投資をやった模様。この差がロレックス
躍進の要因になったと思われ、です。

正直職人のコストや機械の発展なんかを考えると、スイス時計の極盛期は
1967年ごろだったのではないかと思ったりです。もっともメーカーによる
差はあると思いますが…

お邪魔様でした!
32名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/05 15:52
>でも「オレの代でこの時計ダメにしちゃったらマズイ」とか思って
>殆どうっとり眺めてるだけ。
その気持ち判るなぁ。俺はval.23だけど夏場以外は使ってるよ。
汗と雨、には敏感になる。
3325:02/12/05 21:48
性器軍さま>

勉強になりますた。スイス時計産業史を見るときは為替問題、関
税障壁などの観点からも見なければならないという事だすね。

ワタクス、先日M.Cutmoreという人の時計の本を買ったんですけ
どその本に時計製造についての章がありますた。面白かったです。
1980年代の時計製造工場の(ETAと思われる)写真が載ってまし
たがそれはおよそ「手造り」とか「工房」と言った概念とは対極
にあるものですた。直径2メートルくらいの円形テーブルの上に
13個の「時計置き台」があり、その「時計置き台」は13ステップ
で回転しながら時計組み立ての13工程をこなす訳だす。自動機だ
す、自動機。手作りなんて大嘘ダス。この時代で最大36ステップ
の機械だったそうな。

他にも戦前に既に「一体どうやったら時計歯車を少ない工程で大
量に作れるか」という事を研究した話なんかも載ってますた。タ
レット旋盤の話なんかも興味深かっただす。

もう今のETAの工場なんてのは想像を絶するものになってるのだ
しょうね。ワタクスは「日本のMAZAKや森精機の機械が入っとる
んと違うか?」という点に興味があります。マジで。

いずれにしましても現代においては「スイスの匠」とか「職人が
一個一個手仕上げで・・」とか言う話にはかなりロマンやイリュ
ージョンが含まれていると思わずにはいられないのですた。
34大道寺☆知世 ◆OC.7ScO9gY :02/12/05 22:05
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  我は舶来時計の宣伝過剰にて過大に評価せらる憧憬的幻想的桎梏から自由ナリ! デスワ
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
35大道寺☆知世 ◆OC.7ScO9gY :02/12/05 22:26
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  だからといって舶来時計を頭っから否定するつもりも頭の毛ほどもゴザイマセンワ☆彡
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
3625:02/12/05 22:32
34>>
其れ瑞西国の時計産業の今日の隆盛を招きし功績の第一なる
は連綿と続きたりし斯界産業人の不断の努力にこそ求められ
るべきにして実態なき虚報喧伝のみが彼国の斯界産業人に栄
華をもたらしめしとは覚えず候。吾は瑞西国時計産業界の大
量生産自動化を必ずしも貶めるには非ず、寧ろ或意味に於い
ては之を称賛するものなり。然るに大道寺氏宣いし論旨にも
一掬の真理ありか。「憧憬的幻想的桎梏」とは蓋し名言。以
て時計趣味人の座右の銘となすべし。
>>36さん
       _
   / ̄   ̄ ヽ
  / ,,w━━━.、)
  ! .fw/f_」」_|_|_i_)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ヽ| (6||f;j' ,fj'||)   | 名言だなんてありがたくも身に余るお言葉。。。ただの戯れ言ですわ。。
 ∠| i:! | |、_ワノi、 <  ちょっと恥ずかしくなったので落ちますね☆彡
  .| |< | |ヽーノ`l iヽ \__________
  .ノ ノ' i l `只´| |i) )
 (_(_i__|__|ノ__)_j_j|_(_
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     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  蓋し先人(瑞西)の遺産継承なかりせば我国の今日の時計産業も其の隆盛発達もなかるべし。。。
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
3925:02/12/05 23:10
>>32
あとオレは直射日光も避けてるよ!「文字盤が焼けちまうがな」
と袖で時計を隠すようにしてる。現行時計の場合は全然気にしな
いけど。
40パカポンババ ◆qSTdZQgJOI :02/12/05 23:44
貴重なビンテージ系スレですね。

私の場合は、40年代〜70年代のビンテージクロノ十数本程度と、現行クロノを数本、
その日の気分と服装で選んで使ってます。
現行は殆ど雨の日や、屋外用です。
流石に真夏に40〜50年代物は、怖いんであまり使いませんが、その他は殆ど気にし
てません。
汗掻いたと思ったら裏蓋を拭くとか、連続では使わないとか、多少は気は使って
ますが、結構大丈夫ですよ

やっぱり、時計は使ってナンボだと思います。
とか言って、使ってない時計も沢山有るんですが(笑
41性器軍:02/12/05 23:46
>>Mr.25
非常に興味あるお話どうもです…。スイスの時計業界は73年ごろですか。大規
模な設備見直しをやったのは。ジャストフラン高騰に重なってるのが面白いと
思われです。Yamazaki Mazakとか森は入ってるみたいですね。今はSiemensと
かのようですが。Papiにsonyの機械が入ってて笑いますた。。ちなみにIWCに
も日本製の機械がかなーりあるようです。いずれにせよETAとかロレックスの
自動化率は不気味なレベルにあると思われです。お話いただいた歯車加工の話
は猛烈に面白いのでまた。ド素人ですが、地味に調べるとこれはすっごい楽し
いです。ちなみに件の本、書名をいただけると嬉しい限りです!買って読んで
みます〜。

>>知世タソ
こちらでもこんにちは。幻想というのは正解です(笑)少なくとも、超複雑時
計ほど、手作りの味わいに乏しいです…。手巻き時計にオルゴールつけちゃっ
たクリストファー・クラーレとかすっげーと思いますけど、あれは会社がすご
い以前に、CADとCNC旋盤がすごいというべきでしょうか。しかしまあこれもク
リストファー・クラーレの偉大さを損ねるというわけでもないんでしょうけど
…。

乱入スマソです。大量生産については、もうアメリカの時計産業には心から敬意
を表したいです。極盛期のアメリカ時計産業と、工作機械のレベルたるや、
とてつもないレベルにあったかと。
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  我は知る、恩賜の時計の米国ウォルサム製を…米国鉄道時計の比類なき廉価高精度(30sec/a week)基準を…
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
43パカポンババ ◆qSTdZQgJOI :02/12/06 00:17
「自分用に入手した、リバーサイド・マキシマス クラスのヲルサムは、必ず
8姿勢で1秒以内に調整してから使う」と、さる時計師が言うてました。
4425:02/12/07 01:34
性器軍さま>

正確な書名は、

"Watches 1850-1980" by M. Cutmore
F&W Publications

だす。元々エゲレスで初版、何版目かに米国出版になったみたい
だす。
この本によればアメリカの時計産業の機械化はスイスに対して25
年進んどったそうだす。この辺の話は"American wristwathes"ち
ゅう本にも書いてありますた。

増大する需要に対して高精度な製品を大量に生産するという事が
スイス時計業界にとって最重要命題となったのが1800年代後半か
ら1900年にかけてだと書いてありますた。アメリカに追いつけ追
い越せと頑張るスイス時計産業界にとってもっとも必要命題とさ
れたのは「部品の標準化」だったそうだす。粗削りの部品をいざ
時計組立の時に一個一個ヤスリがけして個別に組み立てていたん
ではじぇったい大量生産は出来ない、部品の標準化(原文は
"interchangeability")を果たすことによって非熟練工による大
量生産が可能になり、生産効率の測定、労働コストの予測も可能
になるのだ、とスイスのおっちゃんたちは頑張ったらしい。
(つづく)
4525:02/12/07 01:36
この頃に組み合わせる部品の公差、許容誤差と言った物に
ついて非常に研究が進んだらしいだす。大量生産される歯
車のスピンドル・ピボットと同じく大量生産されるプレー
ト側の穴とが全て無作為の抽出で両者はぴったり適正クリ
アランスを持たなければならない、そういう歯車と穴とを
どうやって造るのか、公差管理とはどのようなものか、そ
れを実現するにはどんな機械が必要になるのか、と言った
ところで相当な試行錯誤が行われたそうだす。
(つづく)
4625:02/12/07 01:36
この本によれば1920年代には既に「部品をプロジェクターで
拡大投影してそれを拡大図面に合わせて外形寸法やら穴の位
置やらが正しいかどうか見る検査機」というものすら完成し
ていたらしいだす。

当初はスイスの全時計産業横断的に図面の描き方から用語、
単位の統一、工作機械の特定化など品質向上のための様々な
統一化が進められて、それで初めて時計を大量生産する事が
可能になった、という意味のことが書いてありますた。
(つづく)
4725:02/12/07 01:38
ワタクスはここに現在まで続くスイス時計産業の得意分野、
不得意分野を補完しあう協業的形態の原形を見る思いがすま
すた。そもそもマニファクチュールが存在しにくい構造にな
っていたのではないかと。

本文中に"The pioneering firms had to design and make
their own machines and learn from their mistakes"とあ
りましてナルホド、スイスの時計産業はまさにこの時、未知
の地平を拓きつつあったのだなとこれはロマンを大いに感じ
た次第だす。
(まだつづく)
4825:02/12/07 01:39
これによってスイスのウォッチメイキングの機械類はかなり
ノウハウの詰まったものになったため、1950年頃までは時計
製造用マシンの輸出に関しては厳しくコントロールしとった
のだそうだす。

いかん、長くてスマンです。この本には知らない事がいっぱい
書いてあるのでじっくりゆっくり読んでみたいと思っており
ますダス。
49チンカス:02/12/07 22:01
良いスレですね
50性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/08 00:29
>>Mr25
みゅー。非常に勉強になりますた!!!スイスの時計産業の猛追振りがしのば
れますね。多謝!ちなみに大帝国、アメリカの時計作りについては今地味に調
べモノをしておりまして、楽しい情報を寄せることができるかな?なんて思っ
ております。書は買って読んでみますです。。。日本にはマトモな時計本がほ
とんどないのは悲しい限りでつな。本当に。

ちなみに、えーっと中古。僕はまあIWCのほかは懐中とか、汎用エボーシュの
搭載機を限りなく愛好しております(笑)部品多い機械かな、やっぱり買うとする
なら。

>>大道寺☆知世タソ&ババタソ
ヲルサムとE.ハワードはIWCの母体ですので、非常に萌えです。特に後者。創立当初
のIWCはヲルサムから工作機械を買ってた可能性大です。アメリカ時計の超高精度は
恐れ入るばかりですね…。
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  性器軍さん、気長に楽しみにお待ちしておりますわ☆彡 
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
5225:02/12/08 22:26
性器軍さま>
アメリカのお話、是非お聞かせ下さい。アメリカの工業製品、と
いうと余りいいイメージないですがそれはこの数十年のことだす。
車でも1920年代のデューセンバーグやパッカード、キャディラッ
クの品質には大抵のヨーロッパの車を凌駕するものがあったのだ
す。私は「標準化」の概念の話を読んで「時計と車と似てるなあ」
と思いマスタ。標準化の総本家はもとはアメリカだと思うダス。
5325:02/12/08 22:27
ところで性器軍さんの調査では1900年前後にスイスやフラン
スの時計職人がドバッとアメリカに移住してきたなんて話は
ないでせうか?私は多分そうだろうと思ってるです。例えば
アメリカの自動車会社シボレーの名前をとった当時の名レー
サー、ルイ・シボレー。この人のオヤジさんがスイスの時計
職人だったです。非常に腕の良い職人だったと読みました。
良くフランス人と思われてるけど本当はスイス出身ダス。

で、職を求めて1890年代だかにアメリカに渡ってきました。
エルジンにでも行ったのかなあ?と一生懸命調べましたけど
シボレーのオヤジさんの足取りは判りませんでちた。
54名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/08 22:37
久しぶりに見た良スレ。
記念パピコ
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  25さん、ぜひコテハンとトリップをお持ちになってくださいな☆彡 
 /  (つ  | ̄|O| \______
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   (__)_) ̄
56パカポンババ ◆qSTdZQgJOI :02/12/08 23:56
>>52
元々スイスの時計産業も、ヨーロッパ諸国からの亡命者で立ち上がって
ますから、そうだとすると面白いですね。
私も暇が有れば、調べて見ます。
5725:02/12/09 00:28
大道寺☆知世さま>
あなたに勧められるとその気も失せます。
まぁ、とーぜんだ罠〜。。
>良くフランス人と思われてるけど本当はスイス出身ダス。
フランス外人部隊の話を思い出したよ。
フランスやスイスの産業のない貧しい農家の次男坊・三男坊は、
職を求めて海外に出稼ぎに出るのが当たり前だったらしい。
(日本の東北みたいな感じか?)
6025:02/12/09 08:33
ありゃ!
朝PCを立ち上げてびっくり!57は私じゃないです。
こういう事をする人がいるんだすね。驚きマスタ。
コテハンとかトリップとかやり方が良く分からないんだすが、57
みたいな事で誤解が生じるといけないのでやり方を調べてみるス。
6125 ◆V5etiz87qQ :02/12/09 10:45
てすてすてす
6225 ◆V5etiz87qQ :02/12/09 10:47
トリップってこれでいいのダスか?
ついでだから質問ダス。

ブライトリング/ホイヤー/ハミルトン連合の協同で1960年
代末に世に出たクロノマチックのCal.11とか12ですけんど、
上記3ブランド以外にはどこの時計メーカーがこのムーブ使
用の時計を出してたんでしょうか?

先日、ブローバのクロノマチック搭載時計を買ったら文字盤
がポップで美しくて本当に気に入りますた。そこで「3大ブ
ランド」以外のクロノマチックというのに興味が出てきて、
他にもあるなら集めたいなと思っているダス。ご存知の方、
お教え下さいマシ。
63パカポンババ ◆qSTdZQgJOI :02/12/10 00:00
>>62
すぐ思いついたのは、ミカドとアヴィエーションですが、
良く考えりゃ、どちらも倒産後のブライトリングでしたね。
あと、ビューレン銘でも見た事有ったような気がします。
どちらかと言うと、名機よりも迷機という感じの時計ですが、
特にクロノ作動時の、機械のダイナミックな動きが非常に面白い
時計ですね。
64性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/10 00:11
みゅー。知らぬ間に進んでましたね。。。。

>>25さん
んとアメリカの標準化は圧倒的に早いです。時計は1838年です。もともと標準化と
いうのは銃器から来ておりますが、そっちのほうは19世紀の初頭ですね。工場制度
も進んでて、少なくとも1878年には日産1000個体制になりますた。アメリカの工場
制度は、えーっとウォルサム(地名ね)が発祥の地です。もともと紡績工場が、工
場制の始まりですね。んで、その流れを汲んだウォルサム時計工場とかが圧倒的に
ノウハウあったのだす。当時の技術部長だったアンドローズ・ウェブスターという人
は流れで工場設計とか機械設計を請け負って、えらくアメリカの時計産業にお役立
ちだったようです。イリノイのほうなんかは、スプリングフィールド兵器工場があ
りますて、その流れですね。アメリカはイギリスと戦争やることで兵器の標準化を
進めて、その勢いで時計部品も標準化してしまったと。
65性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/10 00:20
一方のスイッスは、1841年が標準化の始まりです。バセロンが始まりです(マジで)。
バセロンの機械化は、カール・マルクスが「資本論」で誉めたぐらいです(笑)。
当時の技術部長、レショという人が工作機械を自製して、それが始まりです。ちな
みにいうとレショのお父さんはダニエル・ジャンリシャールの養子で、彼と一緒に
オートマトンを一緒に作っておったそうです。息子が工作機械を作るのも分かる気
がしまつ。エボーシュ提供をやったのもバセロンがはじめてでっす。で、工場制度
ですけど、一番最初はAgassizです。しかし大規模にやったのは1890年のオメガが
嚆矢でせう。取り組み遅いですよねー。

アメリカの時計産業が、銃器製造のノウハウと紡績工場の運営技術を足したところ
に育ったことを考えると、そういう外因がなかったスイスは、なるほどアメリカに
は及ばなかっただろうと。

ちなみに19世紀の初頭に時計職人がスイスからアメリカにわたったいう話は、手持
ちの資料が乏しく見当たりませんでした。スマソ。

>>バカババ
クロノマチックはボーム&メルシェもそうだったと思われです。
66名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/10 03:09
ブライトリングの60年代のナビタイマーアンティーク買ったんだけど、さっきドンキーでパンチングボールを時計はめてる左手でジャブを何発かうったら、
手巻きなのにケースをふるとカタカタ音がするんだけどこれって大丈夫なのかな?もとから音がなってたかどうかわからないんだけどパンチうった衝撃でなんか
こわれたのかな。だれかアンティークに詳しいひと教えて。
       _
   / ̄   ̄ ヽ
  / ,,w━━━.、)
  ! .fw/f_」」_|_|_i_)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ヽ| (6||f;j' ,fj'||)   | 「標準化」…言い換えれば「規格の一元化」ですね? なんとまあいにしえよりかの国らしい着眼。。
 ∠| i:! | |、_ワノi、 < やはり時計(時間の管理)と近代の軍需産業とは無縁ではありえないのでしょうか? 抽象的でゴメンナサイネ
  .| |< | |ヽーノ`l iヽ \__________
  .ノ ノ' i l `只´| |i) )
 (_(_i__|__|ノ__)_j_j|_(_
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     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  時計のルーツたる舶来のヴィンテージ個々につきましては全くもって存じませんの。。。お詳しい方に敬意を表します 
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
>66
俺はボクシング事務の忘年会で、酔っ払って時計着けたままサンドバッグ打ってたら
金属ベルトのヒンジが折れてベルトが外れたぞ>TAGのs/el

お互い、DQNですなぁ。

>もとから音がなってたかどうかわからないんだけど
ハイ、普通は内部がカタカタ言いましぇん。チチチ…とは言うけど。
ナヴィタイマーもったいなひ。
7025 ◆V5etiz87qQ :02/12/10 12:43
パカポンババさま>
有難うございマスタ。よそで聞いた話と総合しますと、

・ミカド
・アヴィエーション
・ボー無&メルシエ
・ゾディアック
・チソ
・Jaque-Girard

といったところのようですね。丹念に探してみマス。

ところでクロノマチックにCal.14というのがあるらしいダスね。
とあるアメリカ人のおっちゃんが画像送ってくれました。ハミル
トン"Count-Down"モデルとかいうやつでGMT針がついててワール
ドタイムベゼルがついてて「激烈にかっこいいがな!」と思いマ
スタ。頑張って探そうと思いマス。
7125 ◆V5etiz87qQ :02/12/11 00:12
性器軍さま>
レショとは Georges-Auguste Leschot ダスね。ちょうどCutmore
の本の先頭の方にレショ氏考案のパンタグラフ式工作機の絵図と
いっしょに登場してますた。時計製造黎明期の話がこんなにも面
白いとは思いませんですた。

この本の時計大量生産黎明期の章の「まとめ」があるのダスが、


(1)昔からあった分業制手作り(manufacture)の方法は「工場」
と呼ばれる拠点に全ての時計製造工程を集約するという近代的観
点から見ると「もうこんな方法じゃダメなんじゃないか」と疑問
視されざるを得なかった。
7225 ◆V5etiz87qQ :02/12/11 00:13
(2) 製造効率を飛躍的に増大させる工作機械を造ることが
蒸気機関の登場によって可能になった。工作機械には絶対
「繰り返し製造(原文"preset stops")装置」が必須では
あったがそいつさえついておれば作業者は同一のパーツを
沢山繰り返し繰り返し造ることが出来た。これがマス・プ
ロダクションの始まりでごんす。

(3)大量生産されたパーツを効率良く組み立てるにはまず
「標準化されたパーツ(原文"interchangeable parts")」
を最初に造ることが肝心カナメのコンコンチキだという事
が認識されるに至ったのでゴンス。
7325 ◆V5etiz87qQ :02/12/11 00:14
(4)だがこの時点ではこの新方式がいかに「資本集約型」な
ものであるか、という事は当時のアメリカやスイスのおっさ
んたちはよく判っておらなんだ。新時代の工作機械はとても
高価なもので何が何でもその機械をフルに稼働させないと工
場は破産してしまうのであった。

時計産業もナルホド、資本主義完成時期の申し子の一人で
あったかとチート感心したのでありますた。それにしまし
ても装置産業というものはツライものでありますね。工場
の稼働率が落ちるとすぐ会社が傾く、というのはその後100
年のスイス時計産業の宿命となったのでありますな、と思っ
てワタクスは眠るのでありますた。
74性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/11 00:25
>>25タソ
堪能しました…。非常に勉強になった気分です…。ありがとうござます。
しかし稼働率下がると破産というのはすっごい世界ですね…。ちなみに
僕的には、スイスは蒸気機関を使わず水力発電をイパーイ使ったのではと
いう仮設があるのですがそのあたり謎です。

しかしスイスの時計というのは100年前から何も変わってないんですね
(笑)すっごくなったのは工作機械のみ…。

>>知世タソ
どうもアメリカに関してはあからさまに軍事産業と関係あると思われで
す。。恐るべしアメリカ!

厨房ながらコメントすますた。
75名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/11 02:08
アンティーク良いかも・・・
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  さすがはかの国、フォードまであと少し・・・そしてチャプリンの『モダンタイムス』へと・・・ 
 /  (つ  | ̄|O| \______
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   (__)_) ̄
77性器軍 ◆XKWkpDu.r. :02/12/12 00:52
厨房なので勉強になりますた。。

個人的には中古は安いくせに機械いいから好き(笑)現行品はどれも薄すぎる(笑)
7825 ◆V5etiz87qQ :02/12/12 22:37
性器軍さま>
Cutmoreの本に偶然1900年頃のロンジンの工場の写真が載ってますた。
長〜い机の上に工程ごとに特化されたミニ旋盤の類の工作機械が並んでお
り、それぞれに女工さんたちがとりついて時計を組み立てています。キャ
プションによればこれらの機械類の動力は「蒸気かガソリンかディーゼル
エンジン」だとありますた。1886年に車を初めて作ったカール・ベンツも
ビックリだす。

工場の天井に動力を取り出すためのシャフトとプーリーがグルグル回って
おり、天井のプーリーと下の机上のマシンのドリブンプーリーとをベルト
で繋いで工作機械を駆動していたもののようです。さすがにVベルトでは
なく丸ベルトですた。電気はいつ頃から使われたかについては只今鋭意読
書中だす。
7925 ◆V5etiz87qQ :02/12/12 22:38
本文中にエルジンの工場の話が出てますたが、この頃は1階に地板を大量
切削するための工作機械類(これでも時計製造業では『重切削』の部類)
やツールそのものを作ったりエンジン室なんかを設置するのが一般的で、
2階から上をアッセンブリー工場とするのが一般的だったようだす。

ロンジンの工場写真では職長さんがおっさんで監督してるだけであとは
全部女性が時計を組み立てているのが印象的ですた。

ところで性器軍さん、この本に「ロシア語の時計製造に関する文献」の面
白い話が載っておりますた。これだけ長い歴史を誇るスイス時計産業だす
が「時計製造法」に関する文献が実はほとんど無いらしいだす。
8025 ◆V5etiz87qQ :02/12/12 22:39
で、皮肉な事に第二次大戦後ドイツの機械と技術者をかっぱらっていった
ソ連で逆にそういう文献の必要が生じて時計製造法の本が1950年代に出版
されたもののようだす。多分ドイツ語のわかるソ連のおっさんが「こらドイ
ツ人、教えろ!教えんと銃殺するぞ!」と強要して執筆したんだと思うダス。
ロディーナ(ポレオット)やボストークやスラバの技術者たちが「おっ、何
だ何だ?」と一生懸命読んだんだしょうね。

この本がなかなかイイ、ということで "Technology of Watch Production"
という名で英訳されたそうダス。Cutmoreはこの本について結構章を割いて
いるので、今度時間のある時にこのソ連本の内容についてお知らせするダス。
グラスヒュッテのおっちゃん達の技術がロシア語になってそれが流出して英語
に訳されて、という訳でこれはこれでとても由緒正しい本と言えるかも知れな
いダスね。
>>79
メール欄に半角でsageって入れると
あがってこないって知ってた?
82性器軍 ◆XKWkpDu.r. :02/12/12 22:44
>>Mr.25
我がIWCは1924年の時点でもそうです(笑)小型モーターの使用は確か1930年
代かのように感じたりです。でスイッスの電力化はえーっと水力が初めてか
に思ったのですが、恐らく最初に電気を使ったのはIWC(1897年)と思われ
です。あくまで希望的観測ですけど。。。それ以前、1866年ごろにはシャフ
ハウゼンには水力発電所があったとか書いてますけど、絶対ウソと思われ。
工業用に電気モーターを使うようになったのは確か1873年だかそんな感じだ
と思うので、とても工業用だったとは思われずです。。

シャフトをガンガン天井に這わせるというのは、いかにも昔の工場っぽく
て好きです(笑)すっごいうるさかったんでしょうねーーーーーー

次の情報を期待しておりまつ!
83名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/12 22:47
>>82
トリップ変えた?
84性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/12 23:04
グラスヒュッテとソ連の時計作り。。。興味深々ですな。。グラスヒュッテ
の時計ですけど、マトモに時計産業ができるのは、ランゲの人間がグラスヒ
ュッテ・ウーレン・ローヴァルケ・ファブリーク(UROFA)という会社を作っ
てからだと思いマスタ。半分国策会社みたいなものですね。ただ、何か凄い
ことをやったわけじゃなくって、地味です(笑)グラスヒュッテがパワーアッ
プするのは、1939年に戦時体制に突入してからだと思ったりです。んと、ク
ロノグラフ(UROFA59)を2年かけて開発するんですけど、以降3万本も大量
生産しました。国策で量産体制を敷いた、と聞いてます。そのノウハウを持
ってたんですから、ロシアの時計がなるほど飛躍的に増産できたかと。確か
根こそぎ持ってったのが1945年の8月とか聞いてます。しかしロ助のやるこ
とはあくどいですな(笑)

んでロシア。確か1930年後半に、アメリカの工作機械の2/3は日本とソ連に
輸出したらしいです。この中に時計工作機械が含まれていたことは間違いな
いようで、初期のソ連製時計とか、日本製時計つのはアメリカの機械で作っ
てたということになりますね。。初期のソ連製時計は割に仕上げいいと思う
のですけど、それはひょっとして工作機械がよかったからではと思っており
ます。カメラについては少なくとも、機械がソ連製にリプレイスされるごと
に、仕上げが悪くなって逝きます(笑)

厨房ですが雑感をば。。。長々スイマセン
85性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/12 23:13
>>82
トリップおかしくなっちゃうんです〜。ATOKに戻せばいいんだけど・・
86名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/12 23:40
時計板は極ヲタかド素人かしかいなくなったYO
87大道寺 ◆OC.7ScO9gY :02/12/12 23:49
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  >>86さん 「極ヲタ・ド素人」にボーダーラインなんて存在しませんわ☆
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
88大道寺 ◆OC.7ScO9gY :02/12/13 00:06
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  つまりどこからどこまでがヲタとか素人とか線引きは難しいってこと
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
89名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/13 00:10
けど性器軍さんのいってること難しすぎ。
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  英語を勉強しなおしてわたしも出直しますわ☆彡 おじゃまさまデシタ
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
91性器軍 ◆XKWkpDu.r. :02/12/13 00:24
難解スマソ。もう少し簡潔に書くように心がけます、ってか僕の書き込みは
全部ウザイと反省しますた。

>>知世タソ
ぜひ日本の時計史を知りたく思います、ぜひ取り組まれてみてはいかが☆
日本の時計史というのは体系だったものが何一つないんですから…。

日本には雑誌はあるけど、時計学がないですね。それは残念に思ったり。
>>89さん
       _
   / ̄   ̄ ヽ
  / ,,w━━━.、)
  ! .fw/f_」」_|_|_i_)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ヽ| (6||f;j' ,fj'||)   | 単に知識だけでなく、自説の“論理的”展開、解説の懇切丁寧さで
 ∠| i:! | |、_ワノi、 <  逆にこれほど読み手にわかりやすいレスを心がけていらっしゃる方も珍しいかと。。。
  .| |< | |ヽーノ`l iヽ \__________
  .ノ ノ' i l `只´| |i) )
 (_(_i__|__|ノ__)_j_j|_(_
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>>91性器軍さん
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    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  ふふ、一分の差ですれちがっちゃいましたわ☆彡 コンバンワ
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/watch/1026569427/82
>>91性器軍さん
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  わたしが何も見ずに書けるのは今のところこの程度。。 日本の時計史を勉強しようかな☆彡
 /  (つ  | ̄|O| \______
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   / ̄   ̄ ヽ
  / ,,w━━━.、)
  ! .fw/f_」」_|_|_i_)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ヽ| (6||f;j' ,fj'||)   | 最近は性器軍さんのお陰で長らく忘れていた英語をまた勉強したくなったり、
 ∠| i:! | |、_ワノi、 <  また新しいテーマの動機付け、方向性がはっきりしましたわ 感謝します☆彡
  .| |< | |ヽーノ`l iヽ \__________
  .ノ ノ' i l `只´| |i) )
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96性器軍 ◆XKWkpDu.r. :02/12/13 00:35
>>知世タソ
こんばんはーお褒め恐縮です…。んな立派なものじゃないですけど(笑)時計は
奥が深いですよね。。少なくとも昔の時計には奥の深さを感じます…。
97性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/13 00:38
ヲ、上記文章は読みましたぜ。お見事と思いました!僕も英語嫌いですけど、文
献が英語しかないので泣きながら読んでます。。さて国産時計の続きは「欧州の…」
に書きますね。
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  お待ちしています みなさまスレ違いゴメンナサイネ
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
99名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/13 02:37
読み応えのある、なかなかの良スレで。
結構なお手前でした。
100蜻蛉切:02/12/13 10:01
100
10125 ◆V5etiz87qQ :02/12/14 22:41
ロシアにおける大規模時計製造というのは1930年のソ連時代にアメリカ
の潰れてしまった時計工場「アンソニア」と「デューバー・ハンプトン」
(Ansonia Clock co./Dueber-Hampdon Watch co.)の機械をまるごと
買い取った事から始まっておるそうダスね。特にデューバー・ハンプトン
からは技術者21名も連れてきてプラントの指導にあたらせたそうダス。こ
れは別に連行したんではないらしいダス。

ロシア人がマヌケだと思うのは買い取った全ての機械類が全て「インチ」
サイズだったので既にメートル法に移行していたソ連としてはこの「正確
な単位変換」にヒジョーに苦しんだという事ダス。ちょっと考えれば判り
そうなもんだと思うのダスが。
10225 ◆V5etiz87qQ :02/12/14 22:42
これに関してはモスクワのバウマン大学と「ソビエト時計産業研究会」なる
怪しげな組織とが協力し合って「まあドイツのDIN規格をマネしとけばいい
んじゃないか」という事で「GOST」なる工業規格に時計に関する項目を追
加したとの事ダス。Heinz Hampelの本に "GOST, which closely followed
the DIN(German Industry Norm)" とありますからまあクリソツだったん
だしょうね。多分ドイツ人が考案したメートル法だから旧インチからのコン
バージョンに関してDINには情報が豊富だったんだしょうね。
10325 ◆V5etiz87qQ :02/12/14 22:43
ただし最初に造っていたのは置時計と懐中時計だけ。腕時計はドイツから機
械と人をかっぱらってくるまで造れなかったらしいダス。そう言えば全然時
計と関係ない戦争の本で読んだのダスが、ソ連の兵隊が敵方をうち破ってま
ず最初にした事は倒れた敵の兵隊たちの腕から腕時計をもぎ取る事だったそ
うダス。ソ連兵はそんな腕時計を二つも三つも腕に巻いて得意げな顔だった
そうダス。この話からもソ連では腕時計が珍しかったんだろうという事が判
るダスね。
10425 ◆V5etiz87qQ :02/12/14 22:44
ところで性器軍さま、UROFA創立に関わった「ランゲの人間」とはエルンス
ト・クルツ博士のことだしょうか?クルツ博士というのはランゲ出身なのだ
しょうか?

ワタクス、このへんのことがとても知りたくてあれこれ調べているのダスが
いっこうにラチが明かんのダス。UROFAとUFAGというのは「ドイツ・グラ
スヒュッテ精密時計製造」?みたいな名の会社が倒産したのに従ってその人
員、設備をクルツ博士が再編成して作った、TUTIMAブランドが主だった、
みたいな事がドイツ語のサイトに書いてある感じなのダスが独話辞典片手に
一生懸命読んでもいかんせん、ドイツ語は全然わからんわ文字化けしとるわ
で肝心なところがチートモ判らず悩んでおるのダス。
10525 ◆V5etiz87qQ :02/12/14 22:45
訳の判らんドイツ語サイトをウトウト居眠りしながら読んだ結果、どうやら
このクルツ博士ちゅうお方は敗戦直後「時計製造設備は持って行かれても、
残ったUROFA59のムーブメントは決してソ連に渡すまじ」と必死の思いで
アメリカ陸軍に渡したりしたなかなかのドイツ時計史上の巨人のように思わ
れるんダスがどうも良くワカランので困っておりマッスル!何かこの人につ
いて書いた英語の資料なんかがございやしたら是非お知らせ下さいませ。
106名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/15 00:12
おお、濃ゆい優良スレ、感謝感激であります。

それがし、最近はロードエルジンを骨董市で激安購入しますた。
21Jの556ムーブメントでし。
オーバーホールに出してなかなか調子が良かったんですが、3日前に突然停止。
天真&ゼンマイは大丈夫なので謎です。今日、時計師さんに見てもらいに行って来ます。

話しの腰を揉むようなカキコで須磨素〜。
>ソ連の兵隊が敵方をうち破ってまず最初にした事は
>倒れた敵の兵隊たちの腕から腕時計をもぎ取る事だったそうダス。
>ソ連兵はそんな腕時計を二つも三つも腕に巻いて得意げな顔だったそうダス。

んで、ロスケは「時計とはゼンマイを巻くものだ」ということを知らなかったらしい。
108名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/15 04:49
>>106
あんた、「濃ゆい」は方言だぞ。
どこの人?九州?
109名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/15 05:10
なかなかの良スレダスねw
110性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/15 13:05
今帰宅しますた…。一昨日は宴会、昨日もオールドインターヲフ会でした(笑)

25さんは非常によく調べておられてベンキョになります。ありがとございます!
えと、UROFAというのは2社の連合ですけど、そのうちの片割れがランゲ流れです。
説明をはしょってしまってスマソです。。最初にランゲがあって、ディフュージョン
でどっちかの会社を作ったと。年代とかは失念しました。。スマソ。。ソ連の時計史
は全然知りませんでした。ありがとございます。マジで何も知らないのです(笑)

えと伝説の名キャリバー59ですが、ドイツ語のサイトだと確かレーゲンスブルグで
もろもろドイツ軍に渡したとありますけど、でもロスケは1947年(?)以降UROFA59
のそのまんまコピーを作ってるんですよね。クルツ博士の努力にもかかわらず、ソ
連は59の資料やらをかっぱらわれたと思われ。で、もうひとつ言うと、クルツ博士
は確か59の後継機として、GUB60とか64の設計もしてるんですけど、製造本数がメ
チャクチャ少ないですよね。たぶんロシアが東ドイツに対して「もうクロノグラフ
作るな」ぐらいのことは言ったんではなかろうかと、個人的には思います。たぶん
東欧諸国への締め付けを考えると、そうでしょう。ただし恐らく、ここら辺の資料
というのはまず出てこないと思われです。

その後のロシア時計史に関しては、DADAさんのサイトが最良と思われです。。。
ついでに言うとDADAさんから1955年ごろのクロノグラフ譲っていただきましたが、
あからさまにグラスヒュッテ流れの意匠で、やっぱしロスケはUROFA59をそのままか
っぱらったのではと思いました。。
111蜻蛉切:02/12/15 15:36
111
11225 ◆V5etiz87qQ :02/12/21 22:57
例のCutmoreの本にスイス時計業界がアメリカに追いつくために果たした
努力について書いた章がありますてこれもなかなか面白かったダス。以下は
その要約だす。

スイスの時計産業は1850年頃には既に年産200万本ほどの時計を造っておっ
たそうダス。1870年にはスイスの時計産業従事者は実に34,000人を数え、
彼らの造った時計の大部分はアメリカとイギリスを含む諸外国に輸出されて
おったと。同時期の大英帝国、世界に冠たる工業文明国のイギリスでさえ時
計の生産本数に関しては20万本に過ぎなかったと言いますから当時のスイス
時計産業の地位がいかに突出的かつ支配的なものだったかが判るダス。
11325 ◆V5etiz87qQ :02/12/21 22:58
そんな順風満帆に見えたスイス時計産業を襲った嵐は熾烈かつ劇的なもので
ありますた。そしてその嵐は新興国アメリカからやって来たのダス!

そりは突然の事でありますたがスイス時計のアメリカへの輸出本数が、

・1870年..............330,000本
・1876年.................75,000本

という具合にたった6年のうちに4分の1以下に激減してしまったのでありますた。

「一体アメリカで何が起こった?」
>>112
がんばって!
11525 ◆V5etiz87qQ :02/12/21 22:59
事態を憂慮したスイス時計産業人は「おめー、アメリカに行って目ん玉見開い
て様子を見てこい!」とエドアール・ファーブル・ペレ(Edouard Favre-Perret
/日本語表記はテキトーだす)というおっさんを1876年、アメリカはフィラ
デルフィアで行われた建国100周年展覧会に送り込んだのでありますた。

ペレはそこに展示されていたウォルサムの最高級でも何でもない5番目のグレ
ードの時計をかっぱらってきてそいつを技術者にバラバラに分解させてシゲ
シゲと観察した結果、これはもう嘆息せざるを得なかったのダス。その時計を
実際に分解したスイス人技術者は後に「ワシャー完膚無きまでに打ちのめされ
たぜ。ワシらの造っとる時計を50,000本集めて来たってこんなナイスな時計
を見つける事は出来ねーだろーぜ」と報告したんだそうダス!
関税か?

アメ公のいやがらせか?
11725 ◆V5etiz87qQ :02/12/21 23:00
問題点は非常に明確で、要するに最新鋭の機械設備で造られたアメリカの時計
はスイスの時計よりも高品質だったと。で、この近代化にマジに取り組まんと
スイスの輸出産業は非常な脅威にさらされるだろう、と、こういう事だったん
ダスな。

ただスイス人は焦ると同時にアメリカの時計の部品標準化がパーフェクトなも
のではなく部分的に手仕上げも行われている事に気づいたダス。これはスイス
人にとって幸いな事で具体的には機械設備の根本的変更ではなく工程/工法の
工夫、機械設備の段階的導入という手段によって切り抜ける事が出来たダス。
11825 ◆V5etiz87qQ :02/12/21 23:00
スイス人はこの難局を乗り切るために同時に「生産拠点を統合/集約する」と
いう方法を採りますた。それまで村のあちこちでおっちゃん達が自分の家で思
い思いに得意な部品を造ってたのを村の中心の一カ所に人間と機械と情報を集
めた訳ダス。ここに至ってスイスの時計産業に初めて「工場(factory)」とい
う概念が出現したもののようダス。

その頃、時計製造史上重要な役割を果たした二人の人物がスイス時計産業界に
現れたダス!その二人の名はジョルジュ・フレドリーク・ロスコフ(Georges-
Frederic Roskopf)とヤーコブ・シュバイツァー(Jacob Schweizer)。日本
語表記はテキトーダス。
119名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/21 23:01
要領がいいんだな、アメは。
12025 ◆V5etiz87qQ :02/12/21 23:01
その後100年のスイス時計産業に優位と栄光をもたらしたと言われるこの二人
は一体何をしでかしたのか?アメリカの時計工場に爆弾でもしかけたのか?そ
れともインディアンにお金を渡して「時計工場を襲え!」と暴動をもちかけた
のか?

その真実はまた今度ヒマな時に報告させて貰うダス!
ピンレバーウオッチ
122性器軍 ◆FsIWC796.. :02/12/23 03:12
>>Mr.25
勉強になりました…。マジでありがとうございます。ロスコフは121さんの指摘
するとおり、ピンレバーの神ですね(笑)本当にありがとございます。んと1870年
から76年の数字がありましたけど、そのときにIWCもつぶれかけました(笑)一応
IWCが言うには、アメリカへの輸出は関税が24%かかっていたそうです。関税と
いうことに関しては、ヨーロッパは軒並み厳しくて、アメリカ頼りだっただけに
この税率は非常に堪えたかと。スイスの時計は価格競争の面でも厳しかった模様
ですね。

しかし本質は、やっぱしできが違ったってことなんでしょうね。やっぱアメリカ
は凄いですね。
123名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/28 20:55
25召還あげ


>>123
翻訳中なんだからそのうち呼ばれなくても来るって
12525 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:38
ここ最近、例のCutmoreの本でロスコフの章を読んでおりますうち、ロスコ
フという人にヒジョーに興味を覚えますたので持っている限りの時計本をひ
っくり返してロスコフに関するところを読んでおりますた。

結果このロスコフというお人は我々時計バカが喜んで使っている現代の機械
式時計への扉を開いた張本人の一人ではないかと思ったダス。感動すますた。
ロスコフ氏は1813年にドイツに生まれ、16歳でスイスに渡ってきて20歳で
時計工場の徒弟となった後の1889年までの76年の生涯の全てを時計、時計、
時計で過ごしたお人ダス。

その最大の功績は「万人のための時計」という概念を打ち出したことにある
ダス。「20フランで買える時計を造ったらバカ当たりするんじゃないか?」
という着想を持ったのがロスコフ44歳の頃(1857年)。
12625 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:39
この着想に取り憑かれたロスコフはその後「新時代の時計」のプランニング
に奔走する訳ダスがこれがもう艱難につぐ艱難、辛苦につぐ辛苦、この道の
りはCutmoreの本および手持ちの"Technique and History of the SwissWatch"
(by E. Jaque and A. Chapuis/Hamlyn Publishing/1970)という本に詳し
いダスが「イノベーターの生涯とはこうした苦難に満ちたものだ」という見本
の様な話ですた。

ロスコフ・キャリバーが初めてマトモに陽の目を見るには1968年のパリ万国
博覧会まで待たなければならなかったのダス。構想10年ダスな。

話が長くなるのでロスコフウォッチの概略を上のChapuisの本から引用いたす
ます。
12725 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:40
●ロスコフ・ウォッチの基本コンセプト
(1)一般労働者に正確な時計を適価で提供する
(2)ゼータク、華美な外装はこれを廃止、その分をムーブに使う
(3)高品質の材料のみを使用する。組立工のおっさん達には高度のクラフツマン
 シップに対して報酬を与える事にする

●ロスコフ・ウォッチの技術的コンセプト
(1)必要最低限にまで部品点数を大幅に減らす
(2)脱進機構を簡略化する
(3)ゼンマイ巻き上げ機構を高能率なものにする
(4)輪列の絶対トルクおよびトルク伝達効率を上げる
(5)単純にして強固なケース構造を採用する


以上のコンセプトを現実化するためにロスコフの行った事は以下の通りダス。
12825 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:41
・輪列の合理化/香箱の大径化
ワタクスは知らんかったダスがロスコフ以前は香箱が運針機構(現代で言え
ば2番カナまわり)を直接駆動するという方法では無かったらしいダス。セン
ターホイールなるものがデーンと真ん中にいて香箱はその横で小さく縮こま
っていたらしいダス。が、そのセンターホイールを廃止することによって香
箱を大きくすることが出来た。これによってバネそのものも強くする事が出
来たし、ギアの数を減らした事によりトルクの伝達効率そのものも向上した
そうダス。多分ゼンマイ断面が大きくなってバネ常数が大きくなり、長くな
る事によってバネの容量が増したんだしょうな。
(ちなみにロスコフ・ウオッチの輪列は図を見る限り現代の香箱が2番カナを
駆動する方式とは違うようダス。が、香箱歯車が現代で言う2番カナや日の裏
輪列に相当するものを直接駆動しておるダス)
12925 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:42
・組み付け式脱進機の採用
ロスコフは脱進機を地板の上でクチャクチャ組み立てるんではなく、脱進機
は脱進機でひとつの部品として事前に別工程でひとつの「ユニット」として
組み上げておいて、それを地板にエイヤッとネジ止めする訳だす。これによ
って工場での生産効率がうんと向上する訳ダス。

・ピンレバー式脱進機の採用
どうもピンレバー式脱進機は性能がいいのみならず、上記の「事前ユニット
化」に適した構造だった模様ダス。とゆーのもロスコフは最初「まあ脱進機
はシリンダー式でええわ」と思っておったのダスがピンレバー式脱進機の発
明者のひとり、M.J. グロスマン(Grossman)というおっちゃんと「ピンレバ
ーっちゅうのはそんなにええもんかいのう?」と討論を重ねた結果「よっしゃ、
ワシはピンレバーで行くべ」と決心したそうダス。ちなみにグラスヒュッテ
の人々にピンレバーの技術をもたらしたのもこのグロスマンその人だそうダス。
13025 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:45
シリンダー脱進機はバランス(テンプ)に直づけしなきゃいけないみたいダ
スし、ピンレバー式は複数の分解可能かつ比較的簡便な部品の集合体、とい
うところがロスコフのエタブリスールとしての長年の経験と勘に訴えるとこ
ろがあった模様ダス。

あとケースを裏ブタなしのムクにしただとか、紙のダイヤルを採用しようと
して失敗したりゼンマイ巻きすぎ防止機構を廃止だか簡略化しただか、色々
とありますが面倒なので省略するダス。
13125 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:46
ワタクスが面白いと思ったのはロスコフはエボーシュ製造者では無く、エタ
ブリスールだったという事実ダス。45歳頃まではずっと時計組み立て工場
を経営したりしておりますた。自身の時計を輸出もしたりしておりますた
(アメリカを含む)。Cutmoreは「ロスコフはアメリカ市場の動向、最新
設備による時計製造ありようについても知っていただろう」と述べておりマ
ッスル。

こうした事がロスコフがガチガチの職人たちよりも時代の空気、変化とい
うものに対して敏感な感性を持っていた理由のひとつではないかと思った
ダス。
13225 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:47
何しろ当時の職人と来たらつい数十年前の、部品はあくまで自分の工場で
自分の機械で造り、その製法、ノウハウは秘密のアッコちゃん、という時
代の空気を色濃く残しておったそうダス。

だからロスコフの意図というものは最初のうちは全然理解されなかったそう
ダス。「そんな安物時計なんぞ造れるかいバーロー!」みたいな抵抗にあっ
た模様ダス。こんな中で地板を買ってきてロスコフ方式の輪列を組み込んで、
という作業は忍耐の必要な作業だったと、こういう訳ダスな。
13325 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:49
例えば仕事が軌道に乗る前の一時期、

・エボーシュはベルン市内の「マルレー時計製造」で造られた
・ユニット式ピンレバー脱進機はダムレッソンという町のアドルフ・ジャ
 コーという一人のおっさんがコツコツと組み立てた。組み立てるための
 部品はロスコフがあちこちの部品工場からかき集めてきたものだった
・で、ムーブメントの仕上げはフランスのダブ(Doub)にて行われた
※業者名は本によって異説あり

という具合でてんでバラバラ。これはもう涙ぐましい努力ダス。

こうして完成したロスコフ・キャリバーは1868年のパリ万国博覧会に出品
され、銅賞を獲得したそうダス(何の銅賞だしょうかね?)でもイギリス人
なんかは「何じゃこんなクズ」という感じでひとつも記事にしなかったそう
ダス。
13425 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:50
ロスコフウォッチの不幸な出来事としては主にロスコフの死後1900年初頭
の事ダスが、ロスコフの提唱した基準に達しない、具体的にはモジュール化
した脱進機を使ってない、部品精度が悪い、ピンレバー脱進機も部品精度、
組上精度が悪いために性能が出ていない、そういった懐中時計が「ロスコフ
式」として大々的に輸出された時期があり、これによって未だに「ロスコフ
式は質が悪い」という印象が一部に残っているそうダス。

勿論当時、きちんと造られたロスコフ・ウォッチは高性能なものだったそう
ダス。最初はコストを下げるために考えられた機構が結局機械として合理的
かつ高性能なものとなり、ひいてはその後の腕時計を含む新時代の機械式時
計の始祖鳥となったという事実は押さえておきたいもんだと思ったダス。
13525 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:52
ところでロスコフはこの「労働者の時計」で失敗したとは言えないまでも大
成功したとも言い難いものがあるダス。結局ロスコフの撒いた種の果実を受
け取ったのは現在、我々時計バカが珍重、重用する時計メーカーたちだと思
うダス。それらのメーカーは1870年〜1920年くらいに創業したところが多
いダス。

意外な盲点としてはロスコフの存命時、スイスには「特許制度」というもの
が無かった、という事が挙げられると思うダス。ロスコフはフランスを始め、
いくつかの国で特許を取得したものの肝心のスイスには特許という概念が無
かったため他のスイスの業界人が「ほう、こうやって造るのか。この方式を
アレンジすればアメリカの時計に対抗出来るな」とマネし放題だった、とい
う点は重要だと思うダス。
13625 ◆V5etiz87qQ :02/12/29 23:53
もう眠くなったので最後にChapuisのロスコフの章の結び文をざっと訳して
おくダス。

「ロスコフ・ウォッチは時計製造史上に大いなる足跡を印した事になる。全
く新しい、オリジナルかつ利便性の高い時計をこの産業にもたらしたのも、
そしてこれらの時計を製造する工場が数多く輩出させたのも全てロスコフの
業績である。今日、我が国で何万人もの雇用を生み出している時計産業の礎
を築いたのはロスコフである。そしてロスコフ式時計は毎年スイスから何百
万本もが輸出された。ロスコフのアイデアは実を結び、彼の努力がスイスの
時計産業に莫大な利益をもたらしたのである」

メデタシ、メデタシ、ダス。あっ、シュバイツァーの事忘れてたダス。
137名無しさん@揉んで〜る便座:02/12/29 23:57
>>25さん

素晴らしいスレですね。
重力によってヒゲぜんまいが移動して姿勢差の原因になるのをグロスマンの重力効果と呼ぶらしいです。
この影響を考慮してヒゲぜんまいの開始点と終了点を最適な位置にもってくるのが良いとか?
もしかしたら>>129に出てくるグロスマン氏が発見(考案?)したのでしょうか?
from Y@オールドIWCスレ
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/watch/1014454415/

どうして日本人は舶来時計に妙な幻想を抱くかねぇ?
このスレの元社員さんが舶来時計現行正規品の実態を暴露しているけど。

きっと品質で圧倒された40年以上前のショックが忘れられないんだろうね。
13925 ◆V5etiz87qQ :02/12/30 00:40
>>137

Yさま>
そちらのグロスマン氏とこちらのグロスマン氏とは残念ながらどうも別人の
様ダス。というのも

グロスマンの重力効果の人……Jules Grossmann
ピンレバー脱進機の人…………M. Grossmann(ファーストネーム不明)

なので似た時代の人ながら別人だしょうと思う訳ダス。それにしてもスイス
時計業界には同姓の人が多くて混乱するダスね。ペレ(Perret)なんて人もザ
クザク現れて「このペレはどのペレ?」って良く思うダス。日本で言えば田
中さん、加藤さん、鈴木さんといった案配なのだしょうね。

ワタクスはIWCには今まで縁が薄かったのダスが性器軍さんがよくIWCの話
をされるので最近にわかに興味が出てきたところであります。またIWCにつ
いて色々とご教示下さいませ。ダス。
>>139
レスありがとうです。2人のグロスマン氏ですね?参考になりますです。
重力作用の話は時計の調整方法との本の中で紹介されていて、IWCとは関係の無い人です。
25さんの解説を読んでいて時計業界も狭いのかな?が一番の感想です。

なお、シュバイツァーと聞いても天然痘しか思いつかないです^^;;

from Y@ユタヒップ&ズート シムズを聞いてます。
141性器軍 ◆L6IWC.89Yo :02/12/30 03:43
>>Mr.25
長文Thx。一挙に読みました!長文ありがとうございます。つか時計雑誌にそ
のまま転載できるかと。ロスコフのピンレバーというと微笑がこぼれてしまう
のですが、侮れないですね…。いや敬服。ロスコフの輪列は興味ありますね。
生産性を考えて輪列いじったのって、戦後のETAぐらい(1949ないしは1950)
だろうと思ってたのですけど、すでに前例あったのですねー。本当にありがとう
うございます。

>>Mr.Y
僕もグロスマン効果の彼かと思ってました。。。

つか時計板の深みには圧倒されました…。
14225 ◆V5etiz87qQ :03/01/05 17:24
昔のホイヤーに詳しい方にお尋ねいたしマス。ホイヤーの「モデル銘入り」
クロノグラフというものにはどんなものがあるんだしょうか?ワタクスが今
まで目にしたのは、

・カレラ(Carrera)
・オータビア(Autavia)
・モナコ(Monaco)
・カマロ(Camaro)
・カリキュレーター(Calculator)
・スキッパー(Skipper)

などだすが上記以外に旧ホイヤーにはどんな「モデル銘」の時計があったん
だしょうか?詳しい方、よろしくお願いいたしマス。
ワタクスは旧ホイヤーのこうした銘入りモデルを少しずつ集めたいと思って
おる次第ダス。現状ではカレラとオータビアしか持っておらんダスが。

この正月は少し休みが取れますたので雑煮を食べながら時計本の読書に明け
暮れますた。有意義な休みですた。
143名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/05 17:32
>142
デイトナ
144名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/05 17:49
>>142
電気物だけど

Heuer Chronosplit : 世界初のデジタルクォーツクロノグラフ。

Heuer Chronosplit GMT "Manhattan" : 上のやつの後継機種。

ってのがあるよ。
145名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/05 21:30
146名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/06 04:39
パイロットウォッチでA−11買いたいんだけど1940-1950年ぐらいのものです。相場はどれぐらいか分かりますか?あと購入の際に気をつけること教えて下さい。ちなみにリアルマッコイズからレプリカ出てるけどオリジナルかどっちが良いかなぁ?
14725 ◆V5etiz87qQ :03/01/07 23:07
143-145
有難うございますた。当時のカタログの写真は非常に興味深かったダス。それに
しても70年代の時計にはまた50〜60年代の時計とは違う面白い味わいがあるダ
スね。
148性器軍 ◆L6IWC.89Yo :03/01/08 00:00
>>Mr.25
70年代の時計は僕も好きなのです…。デザイン的に手遅れ感が◎かと。IWC
の70年代物とか最強です(笑)
149山崎渉:03/01/08 13:06
(^^)
15025 ◆V5etiz87qQ :03/01/08 21:22
性器軍さま>

先日、70年頃のクロノマットをオーバーホールに出したところ、時計師さんから
「コテツ車が割れてるよ」という連絡が入りますてンガックシ来ているところダス。
ろう付けで対処してくれるというお話ですがワタクスのブライトリングは果たして
元に戻るのだしょうか?それとも以後はビクビクしながら細心の注意をもって竜頭
を引き出してやさしく時刻合わせをしなければならないんだしょうか?結果はまたご報告いたすます!
151名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/08 21:44
勉強になるスレですね〜
152パカポンババ ◆qSTdZQgJOI :03/01/08 23:16
>>142
亀レスですが。
思い出せたのは、こんなくらいかな。

モンツァ Monza
シルバーストン Silverstone
マレオグラフ Mareographe
ケンタッキー Kentucky
153名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/08 23:38
>>142
MONTREALってのもあるよ!
漏れは400ボリビアーノスで買った。
154名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/09 00:24
155名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/09 22:18
これってニセモノじゃないのか?
どうなの?
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e19835902
アドバイス欄に愛の評価を。
156名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/10 00:04
>>25さん

愉しませていただいてます!
IWWの兄弟誌のCG(カーグラフィック)にCarreraについて記事があったで.....

カレラとはスペイン語でレースの意味で、1950年代にメキシコで”ラ カレラ パナメリカーナ”というレースが開催されたそうです。
当時のホイヤー社の社長であったジャック・ホイヤー氏がメキシコの英雄のロドリゲス兄弟に教えられたこのレースに感銘して命名したのがカレラ。
ちなみにポルシェの方のカレラもこの”ラ カレラ パナメリカーナ”での356や550の活躍を記念して命名されたと記述されています。

なお、CGの記事は2002年に開催された”ラ カレラ パナメリカーナ”を冠したヒストリックカーレースの紹介です。
LVMHの取材協力となっているのでレースのスポンサーであるタグ・ホイヤー社のコマーシャルを兼ねての記事とは思いますが、興味があればご一読ください。

それと2名のグロスマン氏ですが、交流が有ったのですね?
http://www.dac-inc.co.jp/~watch/kikai/bunken.htm
で共著の本があるのを見つけました。まさか3人目のグロスマン氏じゃないですよね?

from Y
15725 ◆V5etiz87qQ :03/01/10 17:50
Yさま>
カーグラフィックの記事ご紹介有難うございますた。一度書店で拝見いたす
ます。レラ・パナメリカーナは確か1955年まで開催されたレースでエント
リーリストを見るとタルフィ、アスカリ、ファンジオ、なんて錚々たる名前
があって中にはビル・フランス(NASCARの創始者)の名前もあったりして
ヨーロッパとアメリカの自動車レースのありようが未分化だったころの今で
はあり得ないレースでありますね。余談ですがワタクスはカレラ・パナメリ
カーナについて詳説した本を探すております。もしYさまが何かカレラ関連
の文献をご存知でしたら是非書名などお教え下さい。1920年代、1930年代、
1950年代後半、1960年代のアメリカの自動車レース関連の本は相当集めた
のですが1950〜1955のカレラに関する本はなかなか見つからないのダス。

余談ですたがそのH.グロスマン氏は三人目のグロスマン氏ダス。実はJ.グロス
マン氏の息子さんで父ちゃんが死ぬ間際に一生懸命理論立てた原稿を死後まと
めあげて出版したのダス。

今、仕事中ダスのでまた夜にでもこの件については追記いたすます。
>>25さん

クルマについても詳しいですね。パナメリカーナについてはCGで読むまで知りませんでした。
∴その他の書籍についても??です。ゴメンナサイ^^;;
古いクルマ好きの知人に知っている人がいるかもしれないので機会があったら聞いてみますね。

それと親子だったんですね?
http://www.dac-inc.co.jp/~watch/kikai/bunken.htm
で紹介されてる本については古本店で探してみたのですが、結局見つからず。
今度、神田でもぶらぶらしてみようか?と思っているところです。

では!from Y
15925 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 00:12
すでに性器軍さま、Yさま、皆様はすでにご存知でありましょうが、ちょうど
正月に餅たべながら読んでおりますたグロスマンの姿勢差のお話をば。出典は、

"Technique and History of the SwissWatch"
(by E. Jaque and A. Chapuis/Hamlyn Publishing/1970)

ダス。

ジュール・グロスマン(Jules Grossmann/1829-1907・日本語表記はテキ
トーだす)はル・ロクル(Le Locle)において時計師をやっておりますた。グロス
マンは常々時計がその置き姿勢によって随分と進んだり遅れたりするのに困っ
ておりますた。
16025 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 00:13
とある日、グロスマンは二つの全く同じ懐中時計を仕上げたのでありますが水
平時と垂直時の姿勢差を計ってみると片方は1秒以内であるのに対してもう片
方は何と7秒も狂っているではありませんか。

「おかすい・・・」

全く同じ時計なのになー、と不審に思ってグロスマンは時計をバラして取り出
した二つの脱進機をンジーッ、と凝視したのでありますた。

「同んなじや・・」

と思ったがただ一点、ひげゼンマイの内周の開始点、コレットにくわえられた
部分の位置が両者は違っていた。テンプの中心軸を通る垂線に対して両者はち
ょうど正反対の場所に位置していたのでありますた。
16125 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 00:13
「ものは試しやな」

とグロスマンは遅れのひどい方の時計のひげぜんまい立ち上がりの部分を半周
分カットしてしまいますた。ひげぜんまいの立ち上がりポイントを姿勢差良好
な時計と揃えた訳ダスな。ぜんまいを切った分、テンプには重りをつけたのだ
そうダス。

するとアラ不思議、姿勢差があんなにヒドかった時計がもう一つの時計同様の
良好な特性を示すようになったではありませんか。これが「ひげぜんまい開始
点の法則」が発見された瞬間なのだそうダス(原文"the rule for the pinning
point")。
16225 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 00:14
「理由がわかったのならその原因をなくせばエエがな」

という訳でグロスマンが行ったことはコレット(割り柄、くわえ口)とひげぜ
んまいの間のスペースを広くしてそのスペースでひげぜんまいをもう一段カー
ブさせたんだそうダス。

根本原理としては「ぜんまいのスパイラルの仮想重心が常にテンプの中心(天
真)と同一ポイントになるようにする事が必要だぜ」という事らしいダス。

この辺、ワタクスの誤読があるといけないので以下、原文を引用するダス。

"It was necessary to find an artificial means of keeping the centre
of gravity of the Archimedean spiral in the axis of the balance"

(アルキメデスのスパイラル、って一体何だしょうかね?)
16325 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 00:16
グロスマンという人はこの重力法則のみならず時計全般においてよほど優秀な
人だったんだしょうね、1868年から1901年までの33年の長きにわたって「ル
・ロクル時計学校」の校長さんをやっとらはったそうダス。

晩年は長年の研鑽による彼自身の時計理論を文章で、そして彼自身のすんばら
しいイラストでたーくさん残したそうダス。全身全霊でこの作業に打ち込んだ、
とあるダス。この作業は息子のヘルマン・グロスマン(Hermann Grossmann/
1863-1928)に委ねられ、おやじグロスマンの死後、1908年に"Horlogerie
theorique"という書名で第一巻が刊行されたとの事ダス。ちなみに息子のヘル
マンもガッツな時計師だったらしくその頃はノイシャトル時計学校の校長さん
をやっとらはったそうダス。

※どなたか"Neuchatel"--aの上には逆v記号--の読み方を教えて欲しいダス
16425 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 00:25
Yさまご紹介の「理論時計学」とはまさにこの本の日本語訳だしょうね。

この本は余程の名著であるらしく例えば30年の長きにわたって版を重ねられた"Practical Wacth Repairing"(by Donald de Carle)という本などにも「この
へんについてもっと深く知りたい野郎はグロスマンの理論時計学を読みやがれ」
なんて書いてあったりすます。
16525 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 00:27
でもやっぱす同姓の人間が余りに多いのは混乱の元でありますな。ペレ(Perret)
なんて名前も同姓別人が沢山出てくるのでワタクスの頭の中では一時、「ペレ
とゆう人はフィラデルフィアの博覧会でアメリカの時計を見てショックを受け
た人で、その後エリンバーの開発に携わった人で、その後ユニバーサルジュネ
ーブを創立した人で、その後ブラジルに渡ってサッカー選手となり引退後はED
の薬の宣伝に出た人だ」というような混乱した理解をいたしておりますた(ウソ)。
もちろん全部別人ダス。

でもグロスマン氏もペレ氏も狭いスイスのジュラ渓谷だフォンテンメロンだとい
うところで時計業界に携わっていた訳だからイトコだったりハトコだったり叔父
だったりジジイだったり、三代前は親戚、という事は充分あり得ると思うダス。
例えば"A.Schild S.A.."設立者のアドルフ・シルド(Adolf Schild)とETA設立者
のひとりウルス・シルド(Urs Schild)は兄弟だったと言うダスしね。

もう眠りマッスル・・。
>>Mr.25
素晴らしい解説ありがとうござます。
その本は始めて知りましたが、入手したいですね。もっとも英語が読めるだろうか^^;;
私の持っている本でもグロスマン効果=取りつけ点の重力効果として紹介されています。
とはいえ、この部分の解説は理解出来てません^^;
オイラの勝手な解釈では、ヒゲゼンマイが重心によって変形して、それが歩度に影響を及ぼすのだと思います。
重心が中心にあれば、どんな姿勢(12時上でも3時上でも)ヒゲゼンマイは上下しか変形しませんが、
もし、重心が中心に無いと立ち姿勢によって変形方向が変わって来るのではないか?と
例えば、重心が3時方向にある時、12時上で時計を置くと右下方向に変形して、6時上に置くと左下方向に変形すると?
....上手く説明出来ませんが。

う〜ん、スキャナーを買ってアップするなど検討しますね。
メールでやり取りが出来れば、コピーを郵送出来るのですが....?

アルキメデス・スパイラルは平ヒゲの形状で
http://www.nikonet.or.jp/spring/V_curve/archi/archi.htm
が判りやすいと思います。

from Y
167性器軍 ◆L6IWC.89Yo :03/01/11 21:11
>>Mr.25
グロスマンの件は多謝です!ちなみにヒゲネタはMr.Yの独壇場ですので、僕
は黙って見ておりました(笑)IWCは8541Bのコレットの形状を三角形に変え
てあるんですけど、たぶんですけど、これはヒゲのセットを容易にするため
のものではと思ってます。ETA系のコレットも同様ですね。たぶん、巻きだし
の位置をぴしゃっと決めるために形が変わったのではなかろうかと。

コテツ車割れですか。結構珍しい故障なんでしょうかね?オシドリとかが
ブチ壊れるというのは僕もよくやってしまうことですけど…。特に薄い機
械がこのあたりダイナミックに逝ってしまう気がします。経験則からして。
16825 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 22:49
Yさま>
Yさまのご説明はワタクスなりに理解いたすますた。Yさまのお話を読んでワタク
スが連想いたすますたのは「自動車ではロールセンター位置と重心位置が余りに
離れていると一般的にコーナリング時のロールが大きくなる」という話ダス。こ
の自動車の横Gによる偏位(ロール)と時計の姿勢変化に対するひげゼンマイの
偏位とは本質的に似た部分があるのではないかいなと思いますた。時計もひげゼ
ンマイの重心点と天真の位置に一定以上量のずれがあると時計の姿勢差によるひ
げゼンマイの偏位量に有意な差が出るんだしょうね。

ちなみに"Practical Wacth Repairing"(by Donald de Carle)という1946年初
版の時計修理本を眺めておりますたら姿勢差を表す古語?が出ておりますた。
16925 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 22:51
DU..........Dial Up....................時計平置き文字盤上向き(天)
DD..........Dial Down..............時計平置き.文字盤裏向き(地)
PU..........Pendant Up............時計たて置き竜頭鉛直方向上向き
PD..........Pendant Down......時計たて置き竜頭鉛直方向下向き
PR..........Pendant Right......時計たて置き竜頭3時方向
PL...........Pendant Left........時計たて置き竜頭9時方向

だそうダス。一般的な懐中時計の場合はDD、DU、PUの3姿勢で精度を追い込め
ばよろしかろう、と書いてあります。で、腕時計の場合はDUとPDで追い込め、
と書いてあります。腕時計でPDを重視する理由は左手に腕時計をはめた場合、
腕を下げた状態では竜頭が下に来るからだとのこと。

でもちょっとこの用語は変ダスね。懐中時計の多くは竜頭とペンダントが同じ
12時位置にあるから「ペンダントダウン」と言われても納得しますけど腕時計
の竜頭は3時位置が普通(ワタクスの大好きなCal.11〜15は9時位置ダスが)
なのでこれをPDだと言われても一瞬「??PRじゃないのか?」と思いますね。
明らかに懐中時計時代に出来た用語のようなのでこれは現在では既に死語なん
だしょうか?それともイギリスやアメリカではまだ生きている用語なんだしょ
うか?
17025 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 22:52
ちなみに(また長くなってしまいますダスが)この本にグロスマンの法則に従
ったひげゼンマイ調整法の記述があるのダスが、読んでみると少し話が違うよ
うな気もいたすます。

この修理書の著者、ドナルド氏によれば懐中時計の場合、まず竜頭から針の回
転中心を通って下まで貫通する仮想上の垂線を引け、と。次にバランス(テン
プ)の中心、天真のルビーを通って先ほどの垂線と直交する水平線を引け、と。
そしてひげゼンマイの取り出し位置は絶対にこの水平線から上に立ち上がるよ
うに引き出さないといけない、のだそうダス。じぇったいに下側から取り出し
てはいかん、これはジュール・グロスマン大先生の発見した法則なのだからな、
と書いてあるダス。
17125 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 22:53
これを読むとグロスマン大先生の法則がこのドナルドおやじによっていきなり
簡略化されているような気もするのダスがまあ高尚な理論も実際の現場でのプ
ラクティカルな運用をする場合にはえてしてこの種の経験則的な話になって来
るという事なのだしょうかね?

ただ腕時計の場合は竜頭を下にしてこの作業をやれ、って書いてあって頭がと
ても混乱すます。
17225 ◆V5etiz87qQ :03/01/11 22:55
> メールでやり取りが出来れば、コピーを郵送出来るのですが....?

2chの人どうしでメールをやり取りする方法があるんだしょうか?それが出来
るなら有り難い事ダスが方法が判りませんのダス。私はG_Georgeという名前
でごくたまにDADAさんの掲示板などに書き込んだりしておりマスが。

私のまわりには時計バカは非常に少なく、ごくたまに人と時計談義などする機
会もありますが大体において情報ルートが非常に限られておるのダス。しよう
がないから本を買ってンジーッと読んで勉強しとる訳ダスがそれでも判らない
事だらけで本当に困っておりマッスル。
173性器軍 ◆L6IWC.89Yo :03/01/11 23:23
Practical Wacth Repairing!チラネジの調整法が書いてあるすてきな本です
ね。いい本を読まれてまつね…。すごいダイナミックに言い切ってしまってて
僕はその点に妙に惹かれたんですけど(笑)
25さん

うみゅ〜、
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/1331/Page0.jpg
に”腕時計の調整”(日本語版です)の第1章をアップしました。
全部で26ページなのでPage0.jpgの"0"の部分に1〜26の数字を入れてください。
例えば最後のページは
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/1331/Page26.jpg

色々な時計師の名前を出てきますので愉しんでいただけるかと?
もっとも内容はオイラの理解を超えています^^;;

すみません^^;;
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/1331/Page0.jpg
はOKですが,それ以降は
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/1331/page1.jpg
とpageが全部小文字になります。

from Y
     __
    / )
  / / ̄丶
 ( / /ノノノ|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / / ´∀`ノ|_<  素敵ですわ☆彡 機械式時計は人類の英知の結晶。。技師さんのprideの高さもうなずけますわ
 /  (つ  | ̄|O| \______
从从| | |_ ||
   (__)_) ̄
17825 ◆V5etiz87qQ :03/01/12 22:06
Yさま>
非常に貴重な資料を見せていただきまして誠に有難うございマス。
本日、夕方から興味深く読み進みつつあるところダス。

【P2より】
振り子による自由振動系の時計が比較的等時性(原文は多分isochronismだし
ょうな)を保ちやすいのに比べて脱進機方式の時計の場合、脱進機は常に遅れ
の原因となっていて等時性をキープするのが結構困難である、と。この遅れは
テンワの振り角度が小さくなるほど顕著になり易い、と。

テンワの振り角度が小さくなるのは、

(1)時計が立ち姿勢になって軸受の回転摩擦が増えた時
 ※水平姿勢ではテンプの摩擦損失は主として下側の軸受けの中心のみで受
け止め上側の摩擦損失はほぼ無視出来る。それに対して立ち姿勢では天真の
上下2点かつ回転軸中心から心棒の外径分離れてモーメントが発生した部分
で摩擦を受け止める事になるため

(2)動力ゼンマイがほどけてトルクが弱くなって来たとき
 ※ヒゲゼンマイの事ではないダス

この二つが代表的なシチュエーションである、と。
17925 ◆V5etiz87qQ :03/01/12 22:07
よって

「振り角が低いところで時計をすすめ、あらゆる有効な手段をとる」事が時計
の調整には必要になる、という事ダスね。

と、ここまで書いてまた延々と長くなるといかんダスからいきなりP.15に飛ぶダス!

【P.15その他】
→「平ヒゲぜんまいの重心がヒゲ玉(コレット)の中心と一致する事は決してない」

と書いてあるダス。
で、本書によると時計のヒゲゼンマイのように、

・ゼンマイがアルキメデスのスパイラル形状
・巻き出しを中心軸近くのコレットに固定
・巻き終わりをヒゲ棒(またはその先のヒゲ持ち)に固定
・そして軸(テンプ)を回転させる

という運動系の場合、ヒゲゼンマイの重心点は常にW型というか、ω型の軌
跡を連続的に描く、と。迷走台風みたいなもんダスな。で、その重心点の動
き回っている位置はヒゲの巻きだし部分と天真をはさんで反対側に来るらし
いダス(P.15およびP.25)。
18025 ◆V5etiz87qQ :03/01/12 22:09
だから時計を調整する場合、最も多く使われると思われる立ち姿勢において
このω型の重心軌跡が「天真の下側」に来るようにヒゲゼンマイの巻きだし
位置を決定する必要がある、と。

その理由は「テンプの場合と同様に、ヒゲの重心が回転軸より下にあると低
い振り角度ですすみとなる」(P15右段下から10行目くらい)からダス!

つまり「立ち位置で動力ゼンマイが或る程度ほどけて輪列の駆動トルクが落
ちて来ているシチューエーションが一番時計が遅れやすい。そのシチュエー
ションを見越してその状態で進み加減に時計を調整するのがよろしかろう」
とこういう事だしょうか?

よって、前回出てきた修理本でドナルドおやじが言っていた事が理解できた
のダス。腕時計が何で反対側になるのかも判ったダス。
18125 ◆V5etiz87qQ :03/01/12 22:10
ヒゲゼンマイの外端止め部と天真と巻きだし部の相対角度によって精度が変
わってくるという「ガスパリ効果」というのも面白く読ませていただきます
たダス。

グロスマン効果は重力に関係するがガスパリ効果は重力に関係しない、なん
て所も興味深いダスね。

Yさま、本当に貴重な資料を有難うございますた。何度も読み返してみたいと
思いマス。感謝、感謝、ダス。
18225 ◆V5etiz87qQ :03/01/12 22:12
余談ダスがこの本、訳出上の問題点はあるみたいダスね。

例えばP.2の右段、下から11行目くらい。「実際的なことを言えば、完全に等
時性を保つ自由振動系では、理想的な時計を得ることはできない」ってのはお
かしくはないだしょうか?それこそが理想的な時計を造る条件ではないだしょ
うか?前後の文脈を見ても多分「完全に等時性を保つ自由振動系以外では」、
と「以外」にあたる部分、原文の "but"か何かを落としてしまったと思うダス。
強調でnor,nothing,butなんかが多用してあってうっかり誤訳したんだしょう
かね。

あとP.l5右段の1行目。「立ち姿勢では、重心が天真よりも上にあれば時計は
すすみ、振り角が低いほどすすみの程度は大きくなる」、これもおかしくはな
いだしょうか?続く文章と矛盾しとるダス。また、同ページの下の方で全く逆
の事を言っているしP.18〜19あたりのテンプの片重りの記述でもこの1行目と
逆の事を言っているのでこれもおかすいな?と思いますた。

Yさまはどう思われますだしょうか?もし私の間違いだしたらどうぞご指摘下さい。

でもワタクス、この本を是非とも入手したいダス。どこかでじっくり読めませ
んだしょうかねえ?
Mr.25

喜んでいただいて幸いです。
もしよければhttp://groups.msn.com/ProbusScafusia/に参加を申し込んでください
私にメールが来るので連絡が取れると思います。
なお、ご指摘の様に訳が不適切ではないか?と思う部分が多いです。
この本の原本(英語です)も持っていますが、英語は苦手なので^^;;対比が出来ていません。
是非!コピーを送りたいのでご連絡を!

完全に等時性を保つ自由振動系では、理想的な時計を得ることはできない
の部分ですが、その後に続く”脱進機の影響を補正するためには”と関連するのだと思います。
すなわち、”脱進機の影響を補正するために完全に等時性を保つ自由振動系では無く、振り角の小さなところではわずかに進む振動系が必要.....”
となるのだと思います。
「立ち姿勢では、重心が天真よりも上にあれば時計は すすみ、振り角が低いほどすすみの程度は大きくなる
の部分については同感ですが、原本もこの様に書かれている様です。
とはいえ、語学力の無さや時計に関する知識不足で、未消化状態です。

なお、
http://timezone.com/article.aspx?id=horologium&articleId=horologium0041
に時計の精度向上に関する解説があります。ここに紹介されている方法や腕時計の調整を読むと、
完全な振動系は存在しないので、姿勢差、トルク変動によって生じる誤差をいかに相互に打ち消し合う様に設計するか?
が重大なのだと感じています。

from Y
184名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/13 10:21
ROMさせてもらってます。
良スレあげ
18525 ◆V5etiz87qQ :03/01/13 20:15
Yさま>
先ほどご紹介のコミュニティへの参加を申し込みいたすますた。お心遣い有難
うございます、ダス。ただやり方はあれで良かったのだしょうか?

余談ダスがワタクスは「ひょっとしたら英語の資料も万全ではないのではない
か」と思うことがあるダス。

英語の時計本が妙に読みにくい、と思われる事は無いだしょうか?ワタクスは
そう感じることがあるダス。アメリカ人が普通に書いた英語と何か違う感じが
して良く「ン?」と思う事があるダス。Timezoneなんかのアメリカ人の書い
た記事と比べても全然読みにくいダス。
18625 ◆V5etiz87qQ :03/01/13 20:25
そこでハタと気がついたのダスが「読みにくい」と感じる本は「フランス語ま
たはドイツ語からの英語訳」が多いような気がするという事ダス。英文を日本
語に翻訳する場合に翻訳がこなれていない場合、読みにくい日本語の文章にな
るダスけども、これはフランス語やドイツ語から英語に訳した場合も事情は同
様でどうかするとやや堅くて不自然な英語になっておるのでは無いだしょうか?
また、訳者が万一時計に精通していない人だと英訳された時点で誤訳がある可
能性すら考えられるダス。

少なくとも用語の混乱はあると思うダス。我々日本人が「ピラーホイール」と
呼んでいるクロノグラフの部品でも英語の本ではコラムホイール、スイッチン
グホイール、クラウンホイール、様々ダス(逆に"pillar wheel"と書いてある
本は余り見た記憶がないダス)。こうした事は底本がドイツ語かフランス語か、
また英語に訳したのがアメリカ人かイギリス人かはたまた英語に堪能なスイス
人かによって色々とあるんではなかろうかと推察いたすます。
18725 ◆V5etiz87qQ :03/01/13 20:27
「腕時計の調整」においてもテンプの説明の「中心点」とか「休止点」とかの
用語がちょっと混乱しているような印象を受けますた。

イェンドリッキーとはどこの国の人だしょうか?例えば原本がドイツ語でそれ
が英語に訳されて、それが次に日本語に訳されて、という事情があったりした
んでは無いだしょうか?(間違ってたらお恥ずかしいダスが)

これを日本語に訳された人のご苦労が偲ばれるダスね。
>>25さん

こちらこそよろしくです。ペコリ。明日には発送出来ると思います。
”腕時計の調整”(日本語版)の日本語訳は第二精工舎の小牧昭二郎氏によるもので、元来は精工舎内のテキストだった様です。
この末尾には英語、フランス語版を入手し、英語版を翻訳したと記述があります。
なお、イェンドリッキー氏には修理に関する本(The Swiss Watch repairer's manual"を執筆しており、この序説によると、
1907年に時計師の子供として生まれて、ドイツとスイスで時計修理の勉強、時計学校の先生を務めているとのなっています。
なお、このオリジナルはドイツ語でフランス語、英語、オランダ語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語に訳されている様です。
∴オリジナルはドイツ語でこれが英語⇒日本語と翻訳された可能性がありますね。

時計の部品の名称ですが英語と米語では差異がある様です。
http://members.tripod.co.jp/gt1300j/cal852.jpg
http://members.tripod.co.jp/gt1300j/cal89.jpg
はIWCの部品表ですが、EnglishとAmericanがあります。
ご参考になれば!と思います。


from Y
189名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/16 10:37
age
19025 ◆V5etiz87qQ :03/01/18 22:15
>>Mr.Y

本当に貴重な資料を有難うございますた。エキサイトいたすますた。家宝とし
て大事にさせていただきます。
たしかにアメリカとイギリスは同じ英語を使用する国でありながら随分用語が
違いますダスね。自動車でも、

(英国)       (米国)
アンチロールバー → スウェイバー
ダンパー     → ショック
エキゾースト   → ヘダース
ボンネット    → フード

なんてのが思い浮かぶダスね。
19125 ◆V5etiz87qQ :03/01/18 22:18
それにすますても年末から正月にかけてあれこれ時計本をひっくり返して読ん
でおりますて、「脱脂機の歴史」みたいなところをンジーッと読んでいてハタ
と納得したのは「要するに脱進機とはクロックジェネレーターなんだな」とい
う当たり前のコンコンチキの話ですた。

精度はケタが違いますがワタクスの仕事場にもあるワードクロックジェネレー
ターやらスーパークロックジェネレーターやらと同じく人間が「何とかして時
間というものを正確に計って取り出せないもんか」と悩んで造った装置の最も
原始的なものダスね。

ハイビートのエルプリメロは36,000振動、そりゃまた凄いダスなあと思って計
算してみると、

36,000÷2÷60分÷60秒=5Hz

なんと、たったの5Hzダス。低周波もいいとこダス。その5Hzにおいてさえ実は
等時性の確保の困難なクロックジェネレーター、これが機械式脱進機の現実ダス。
機械式時計の拠って立つこの脆弱な基盤に思いをいたしてワタクスはむしろこれ
を可憐に思う気持ちを禁じ得ないのでありますた。
19225 ◆V5etiz87qQ :03/01/18 22:19
或る意味、機械式時計の歴史は脱進機の歴史とも言えるのではないだしょうかと
思いますた。

Cutmoreの本によれば、ウォッチ(携帯用時計)のもと始まりはクロックをダウ
ンサイジングして持ち歩けるようにする事から始まったと。それは恐らく1500年
以前には始まっていただろうとの事ダス。ブツとしては1548年製造、と刻印した
ウォッチがドイツの博物館に残っておるそうダス。

脱進機の基本原理そのものはこの頃から変わっておらんのダスね。つまり、テン
ワに相当するものがあってそれが一定の振り角で往復振動をする事によってガン
ギ車(に相当するもの)が1歯ずつゴー・ストップを繰り返すようにコントロー
ルした上で針を少しずつ進める、という方式。ゼンマイに蓄えられた動力を一気
に解放せずに予定された(はずの)等時性を保って少しずつ解放していく仕組み
ダスね。ただしこの頃にはヒゲゼンマイに相当するものは無いダス。

この頃はバーレル(香箱)は直接輪列を駆動しておらんかった様ダス。香箱をガ
ット(糸)ででぐるぐる巻き上げて、巻き上げた糸を輪列の駆動輪である"Fusee"
と呼ばれる「円錐形糸車(ガイド溝つき)」に巻き付けてトルクを蓄えた訳ダス。
19325 ◆V5etiz87qQ :03/01/18 22:20
なんでそんな事をするかと言うと当時はゼンマイの巻き始めと巻き終わりとで随
分輪列に対するトルク変動が激しかったそうでそのままではとても等時性どころ
の話では無かったそうダス。で、そのトルク変動を吸収するために円錐形の糸車
にガイド溝をつけて、ゼンマイの巻き始めと巻き終わりのトルク変動を円錐の直
径が時間と共に変化するようにして伝達トルクが平均化するようにした、と。

ははあ、16世紀の時計師のおっちゃんたちもやるじゃないダスか、と感心すます
たが、Cutmoreによれば「そんな工夫をしてみたもののこの頃の時計の正確さな
んてものはオソマツの一言、続く250年間はただこの精度を上げるためだけに費
やされた。しかも値段も高いまま」なんだそうダス。

(ちなみにそんなにトルク変動が激しかった理由は輪列および脱進機そのものの
フリクションロスが巨大なものだったからだろうとワタクスは思うダス。駆動力
の大半をメカロスに食われてしまったのだしょう)
19425 ◆V5etiz87qQ :03/01/18 22:26
その後のゆるやかな進歩の中でやがて動力伝達のガットがチェーンになった。ま
たそれまでは携帯用時計を首からぶら下げて歩いていたが「不便だからポケット
に入れましょう」という事で丸っこいケースに入れるようになった。風防もつい
た。こんな過程を経て懐中時計らしき形態が確立されたのは1670年頃になるよ
うダス。

そして1675年、ウォッチの脱進機に大いなる変化が起きたダス!脱進機にヒゲ
ゼンマイ(らしきもの)が使われるようになったのダス。そいつを持ち込んだの
はクリスチャン・ハイゲンスとロバート・フック(Christian Huygens,
Robert Hooke)。ちなみにクロックの世界において振り子が使われるようにな
ったのが1657年の事だそうダス。

「これでもうバッチリだぜ!」

とみんな思ったが色々と技術的に未解決な問題も多く、理論・技術がこの方式
に追いついてヒゲゼンマイ(のようなもの)方式でそこそこの精度が出せるま
でにそこから更に100年待たねばならんかったダス。

風邪気味なのでもう眠りますダス。
195名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/19 12:07
25さん

喜んでいただいた様で多謝です。
主ゼンマイのトルク変動曲線については
http://groups.msn.com/ProbusScafusia/page4.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=319
に例があります。(著名なIWCコレクターのDr.Ralphの投稿から無断借用^^;;)
Fuseeですが、クルマでいうとCVTみたいなものですね。
初期はギア比が小さく、円錐からチェーンが解けるにしたがってギア比が大きくなり
主ゼンマイトルクの減少を補正する仕組みだと理解してます。

なお、このトルク変動はゼンマイそのものが持つ特性の様で今の時計でも課題の一つみたいです。
特にロングリザーブになると香箱が大きくなる問題がありますが、これと同様にゼンマイのトルク変動が大きくなるので
これをどの様に安定化させるか?が課題の様です。
エベラールの8dayは8日用の大ゼンマイに2番車以降につながる小ゼンマイの2個のゼンマイを使用しているとの事。
竜頭で大ゼンマイを巻いて、その大ゼンマイが小ゼンマイを巻く仕組みとの事です。
PatekやショパールのLUCの2バレル、4バレルも同じ目的かと?思います。(トルクを分散させる意味では4バレル=4WDみたいですね)

IWCではCal.5000が8dayですが、ゼンマイ残量が少なくなると自動的に停止する仕組み。(トルクを監視するのかな?)
でも、オイラは安直な機能の様に感じられるので、パワーリザーブ表示同様に好きじゃないですね。

それとクロックについては
http://www.geocities.com/CapeCanaveral/Hall/3934/tframec.html
が詳しいですよ。それとや脱進機については同サイトにある
http://www.geocities.com/CapeCanaveral/Hall/3934/escapement.html
が愉しいです!

from Y
19625 ◆V5etiz87qQ :03/01/19 20:56
>>Mr.Y
確かにFuseeとCVTとは似てますダスね。面白いダスね。

で、その後の脱進機の進歩を年代順に追っていきますと、

・1695頃 英国人トンピオン(Tompion)等がその後のシリンダー式脱進機の
 原形となる機構を案出して特許出願

・1726 英国人ジョージ・グラハム(George Graham)がシリンダー式脱進機
 を現実化
 ※グラハムはトンピオンの縁戚。何がしかの協力、情報提供があったと見ら
  れる

・1761頃 英国人ジョン・ハリソン(John Harrison)がバイメタルテンプを
 マリンクロノメーターに使用
 ※ハリソンはこれにより「おまいのおかげで船の航行が正確に出来るよう
  になった」と学会賞と賞金20,000ポンドを貰ったダス

・同じ頃 英国人ジョン・アーノルドとトーマス・アーンショーが分離式脱進
 機(後述)、バイメタルテンプを実用化(John Arnold, Thomas Earnshaw)
19725 ◆V5etiz87qQ :03/01/19 20:57
・同じ頃 フランス人ピエール・ル・ロイとフェルディナン・ベルトールもほ
 ぼ同様の発明をした(Pierre le Roy, Ferdinand Berthoud)

・1770以降? 英国人アーノルドがヒゲゼンマイのあるべき形状を発見(多分
 アルキメデスのスパイラルの事を言ってると思うダス)

・同時期 フランス人アブラム・ルイ・ブレゲ(出た!Abraham Louis Breguet
 師匠ダスな)がオーバーコイル方式(いわゆるブレゲヒゲゼンマイ)を案出

・1769 英国人トーマス・マッジ(Thomas Mudge)によってレバー式脱進機
 が発明される

・ほぼ同年 フランス人ジュリアン・ル・ロイ(Julien le Roy)によってほぼ同型
 式の脱進機が考案される
19825 ◆V5etiz87qQ :03/01/19 20:57
・その後の50年間は様々な脱進機が考案されることとなる

・1825頃 この頃までにレバー式脱進機は「英国式」(English lever)と「ス
 イス式」(Swiss lever)のほぼ2系統に整理される。この「スイス式」が現
 代の脱進機の始祖鳥である

・1850年頃 この頃までにシリンダー脱進機以外の形式は「英国式」または
 「スイス式」レバー脱進機によって駆逐される

・1914年頃 この頃までにほぼ「イギリス式」は絶滅。スイス式が生き残る

というような流れになっとる様ダス。
19925 ◆V5etiz87qQ :03/01/19 20:58
脱進機の歴史というのは一面「いかに脱進機を駆動系のフリクションロスから自
由にして発振に専念させるか」という創意工夫の歴史だったと言うことが言えそ
うダス。

前出の"Fusee"という古代CVT(by Mr.Y)を駆動系に使っておった頃の脱進機とい
うものは"a verge escapement"と呼ばれておりますた。"verge"とは「古代時計
の天真」そのものの固有名詞のようダス。

この元祖脱進機はある振れ角でもって往復運動をしておりますたが「ヒゲゼンマ
イ」などというものは無く、その運動のエネルギーは「往」も「復」も動力ゼン
マイによってもたらされておりますた。つまり脱進機は常に駆動系の一部に組み
込まれておった訳ダス。

これではまともに等時性をもって発振することなどは難しいだしょう。何故なら
ばそれは「自由振動系」とはほど遠いものだからダス。
20025 ◆V5etiz87qQ :03/01/19 20:59
ワタクス、時計の歴史の本を読んでおりますてアメリカでもスイスでもイギリス
でも脱進機のところで"detach"とか"detachable"という言葉がしきりに出てく
るので最初は「一体何のこっちゃ、分離式、つまり組み立てやすいという事か?」
と誤解していたのダスがこれは結局、

「駆動輪列からテンプそのものがフローティングしている」

ほぼそういう意味ですた。時計としての正確性を期する場合、テンプそのものは
限りなく自由振動系でなければならないのダス。何故ならば、

「自由振動系は正しく調整すればほぼ等時性を保つ」(イエンドリッキー)

だからダス。テンプが自由振動に専念すればするほどテンプのクロックジェネレ
ーターとしての性能は良くなり、時計全体の精度向上に寄与すると。だが現実問
題としては時計全体の進行を機械的に制御せねばならんダス。この制御系の実行
そのものが機械式時計にとってはフリクションロスとなり時計の精度を低くする
要因になるのダスな。
20125 ◆V5etiz87qQ :03/01/19 21:01
その妥協点として発明されたのが現代のアンクル式に代表される脱進機。テンプ
はなるべく自由振動しなければならない。だからテンプがその作用角のうち駆動
系に接触するのは最低限の瞬間(例:振り石がアンクルを叩くインパクトの瞬間、
あるいはアンクルからテンプ駆動方向へのインパクトの瞬間など)だけにとどめ
ておいてそれ以外はテンプは受けた入力に対してリターンスプリング(ひげぜん
まい)でもって可能な限り自由振動系らしく振る舞うようにする、という優れた
仕組みという訳のようダスね。

Cutmoreは「クロックが携帯式時計として町に出て以来、人類はこの仕組みに
たどり着くまでに250年かかった」と言ってるのだと思うダス。前出の英国人
ハリソンがバイメタルテンプで賞金を貰った頃には既に「問題はバイメタルな
んかじゃなくてフリクションロスの方だ」というムードは時計技術者の間では
認識されておったそうダス。イギリスで、フランスで、必死に研究開発が同時
期に繰り広げられておったんだしょうね。英国の産業革命とこの脱進機開発の
時期とが重なることを考え併せるといっそう興味深いものがありますダスね。
20225 ◆V5etiz87qQ :03/01/19 21:01
余談ながら「脱進機」とか"escapement" という用語には混乱するものがある
ダスね。「脱進機」とは言い得て妙だとは思うダスがそれは駆動系のゴースト
ップの仕組みを言い表してはおりますがテンプの「等時性を持った発振器、オ
シレーター」としての性質を言い表してはおらんダス。

「脱進機はクロックジェネレーター」

そう自分に言い聞かせながらワタクスは眠るのでありますた。風邪を治さんと
いかんダス。

Mr.Y>
またまた興味深い資料のご紹介誠に有難うございますた。本当に助かります。
203名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/19 21:24
25さん

・1761頃 英国人ジョン・ハリソン(John Harrison)がバイメタルテンプを
 マリンクロノメーターに使用

うわ〜バイメタルテンプって、こんなに古いんですね!
バイメタルそのものがそんなに古くからあるものだと思いませんでした。

それと”世界の腕時計”の最新号にスイスレバー式の解説が出ています。
私は時々しか買いませんが、真ん中当たりに技術解説のページがあって、
これを単行本としてまとめてくれないかな?と思ったりします。

それと
http://www.mariettaz.ch/watches/watch_history.html
なページを見つけました。
簡単ですが、歴史が紹介されています。

ところで
Paul Distisheimさんは紹介されていませんか?
この人、Affixバランスといって、テンプの上に小さなバイメタルを付けた特殊なテンワを発明しました。
http://groups.msn.com/ProbusScafusia/alacarte.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=268
http://groups.msn.com/ProbusScafusia/alacarte.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=271
はオイラの懐中時計の写真なんですが、テンプに小さなバイメタルが付いているのが解りますか?

from Y

204名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/19 21:43
25さん
書き込み中に進んでました^^;;

テンワにいかに自由振動をさせるか...確かにそうですね。
腕時計の調整では、テンワがアンクルから駆動力をもらう瞬間、アンクルが振り石を弾く時ですが、
これが歩度の狂わす原因とされてます。
http://www.dac-inc.co.jp/~watch/kikai/airy.htm
ではエヤリーの定理として紹介されています。
オイラが思うにアンクルが振り石に力を与える角度(振石に接触してから離れるまでの角度)は一定ですから、
テンプの振り角が小さくなってくると、全振れ角に占める割合が大きくなると。
その事で振り角が大きい時より、より大きな影響を受けて歩度変化が大きくなるのではないか?と。

一方、振り角の大小を決めるのはアンクルからの力だと思います。
で、ゼンマイのトルク変動や時計の姿勢による各歯車の摩擦の増減で、このアンクルからの力が変化すると。
故にゼンマイのトルク変動や輪列の摩擦を減らすことが重要になってくるんだと思います。

205名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/19 22:03
さらに、歩度調整に用いられる緩急針には隙間(アオリ)があるので、
接触している時と接触していない時が生じて、これがやはり歩度へ影響すると。

蛇足ですが、緩急針が接触する部分が真円のブレゲひげはアオリを非常に小さく出来る様ですね。
また、平ヒゲでも緩急針が接触する部分が真円にしたり、緩急針の隙間を調整する機能を付加したりしている様です。
http://timezone.com/article.aspx?id=horologium&articleId=horologium631674031715938957
http://timezone.com/article.aspx?id=horologium&articleId=horologium0017

PatekやRolex、Omegaのフリースプラング型のテンプも振り角の変化が自由振動に影響を及ぼす事を嫌った設計だと思います。

うむ〜....25さんの名訳を読んでいるといにしえの賢兄に教えを聞いている様で非常に楽しいです。
本当にありがとうございます。

from Y
20625 ◆V5etiz87qQ :03/01/20 23:47
>>Mr.Y
沢山の関連資料ページのご紹介、誠に有難うございます。時計の歴史のページ
を読んで"Fusee"がレオナルド・ダ・ビンチの発明だという事を初めて知りま
すた。

Mr.Yは懐中時計も守備範囲なのダスね。素晴らしい時計をお持ちダスね。Paul
Distisheim氏のAffixバランスについてはCutmoreの本には出てこないよう
ダスが、Chapiusの本でこの人、もの凄く小さなムーブメントを製作した人と
して出て来るダス。またノイシャトルの時計精度試験において1899年、この
ディスティシャイム氏の時計がギヨーム博士のインバー使用テンプのナルダン
の時計と同等の精度を示したという話が載っておりますた。
20725 ◆V5etiz87qQ :03/01/20 23:48
ここの部分、ざっと読んだところではディスティシャイム氏はこの試験におい
て自分の時計にギョーム博士のインテグラルメタルテンプを使ったものなのか
それともAffixバランスを使用したものなのかがどうも今ひとつ判然としない
のダス。時計の名前も、

・Paul-D. Nardan of Le Locle
・Paul Ditisheim of La Cahux-de-Fonds

と二つ書いてあるのダスがナルダンの"Paul-D."なんて最初はパウル・ディス
ティシャイムその人のイニシャルをとった連名の時計なのかと混乱すますたが
全く別の時計のようダス。話としてはギヨーム博士の新素材テンワに対してデ
ィスティシャイム氏のAffixバランスが精度において食い下がって皆、目を見
張った、というような話だと面白いダスね。

エヤリーの定理その他ご紹介いただきますたページは全て有り難く勉強させて
いただいております。今後とも各方面の資料ご紹介、よろしくお願い申し上げ
マス。
208名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/21 00:19
25さん
ありがとうございます。

Affixバランスについては”腕時計の調整”のP.10の右上に紹介されています。
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/1331/page10.jpg
オイラは、この本で存在を知ってE-Bayで発見して落札しました。
手にした時には”おお!本当に小さいバイメタルが付いていると感動しました。

なお、このテンプはモノテンワ+ニバロックスだと思います。
ニバロックスは
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/1331/page13.jpg
にある様に温度による精度変化の小さなヒゲゼンマイの材料ですが、
微小な変動が残るので、これを補正してやろうというのがAffixバランスの様です。
”腕時計の調整”には、こんなのあったの?といったテンワなどが出てくるので愉しいですね。

なお、良サイトが見つかったら報告しますね!
あ、そうそう、
http://www.wooden-clockworks.com/
は見ましたか?
この木製クロックは値段も手頃だし、何時か買ってみたいな〜と思ってます。

from Y
209山崎渉:03/01/22 12:24
(^^;
21025 ◆V5etiz87qQ :03/01/22 22:51
今日もひとりごとダス。
この時代の原始時計産業のありようについてカットモアの本を読んでおります
と意外にも「複数の業者が得意パーツ別に分業で時計を造る」という方式がイ
ギリスにおいてもヨーロッパ大陸においてもかなり初期に確立しておったとい
う事実に驚かされますた。

部品別に考えてみると、現代の我々にとっても馴染み深い各種パーツ、例えば
地板、ブリッジ類、歯車、軸、ネジ、ゼンマイ、テンプ、と言ったパーツは既
に1500年代には物としてはあった訳ダス。こんなものをコツコツ300年間も造
り続けて来ればどんなバカでも多少は製作方法という物を工夫したり、あるい
は部品の形態をより進化洗練させたりするのは当然でありますて、そうこうす
る内に「ワシは歯車造るのが得意ダス」とか「ワシ、ゼンマイならいくらでも
造るでよ」という風に「スペシャリスト」が出てきたものらすい。
21125 ◆V5etiz87qQ :03/01/22 22:51
ただスペシャリストと言ってもこの時代の事だから可愛いもんだったと思うダ
ス。多分、過去のある段階においてあれこれ工夫しているうちにたまたま専用
ツール、工作機械(らしきもの)の開発に成功して他より先んじる事を得た、
という程度の話だしょう。だがこの時代はそうした部品製造のノウハウは秘密
のアッコちゃんだったので先んずれば人を制す、「歯車は○○村のジョージの
がピカイチだ」とか「香箱造らせたら○○村のトンプソンの右に出る奴はおら
ん」というような具合になっていったもののようダス。

この時代の職人さんは技術、道具の流出を非常に嫌ったようで近代に至って工
場という概念が出来るまではなかなか自分の家、工房の外に出ようとはしなか
ったそうダス。
21225 ◆V5etiz87qQ :03/01/22 22:52
カットモアによれば諸事生産力の低かった1600〜1700年代においてさえ「ひ
とりで一から全部時計を造る」という方式は生産能率が上がらない、という事
が広く認識されておったそうダス。で、自然と「各部品を得意な奴に造らせて
それを正しくまとめ上げて時計を造って売る」という人種が出て参りますた。
それが「コーディネーター」ダス。Cutmoreの原文そのものが"a coordinator"
となっとるダスがこれはつまり、おフランス語で言う「エタブリスール」の事
ダスね。エタブリスールの登場は意外に早い、というより時計製造の歴史にお
いてエタブリスールはかなり原初的な事業形態だったと言う方が正確ダスね。
非常に普遍的な業務形態だった模様ダス。

前に話に出た1600年代〜1800年代初頭の時計開発競争の時代も、実際に時計
を造って売っていたのはこれらのエタブリスール(コーディネーター)だった
のだしょう。1700年代以降は明らかにそうダス。
21325 ◆V5etiz87qQ :03/01/22 22:54
ただこの売人エタブリスールは時計製造工程というものを熟知した目利き、プ
ロフェッショナルでその真骨頂は「自分の才覚であちこちに動いて最初はただ
の部品だったものを優れた時計の形にして売る」というところにありますた。
地板を仕入れてきて、それをある職人さんのところに持っていくと香箱が組み
付けられる。それを持って次の場所に行くと輪列が組み込まれる。次の場所に
行くと脱進機が組み込まれて何とか時計らしきものになる。そうしたら次はケ
ース屋だ。次は文字板屋だ、金細工屋だ、おっと刻印屋に行って時計師
(watchmaker)としてのオラの名前を彫ってもらわなきゃあ、という具合にあ
ちこちかけずり回ってようやく商品の時計になる訳ダスね。

  「イギリスおよびヨーロッパ大陸では時計製造におけるこのベーシッ
   クな方式は17世紀にはもう用いられており、1850年においてもま
   だこの方法を採っていた」(カットモア)
21425 ◆V5etiz87qQ :03/01/22 22:55
で、イギリスにおいては18世紀のある頃に既に「産業化」の兆しが見えてお
ります。粗仕上げのムーブメントは大体においてランカシャーのプレスコッ
トにて造られる。エタブリスールのおじさんはプレスコットで造られたラフ・
ムーブメントを沢山持ってエンヤコラとリバプール、コベントリー、バーミ
ンガム、ロンドンあたりに群在しておった「フィニッシャー(finisher)」た
ちのもとへと運んだのでありますた。ケーシング、文字板製作、最終調整な
どはこれらの「フィニッシャー」たちの手によって行われたもののようダス。

そうこうするうちに「人を雇う」というエタブリスールが現れた。どうも
「フィニッシャー」たちを雇ったもののようダス。そんな中のひとり、サミュ
エル・スミス(Samuel Smith)というおやじが1816年頃に書いた手記を以
下に訳すます。
21525 ◆V5etiz87qQ :03/01/22 22:55
「・・においては年に3〜4個の時計しか売れないのであります。しかるに
私が行商して回るあちこちの都市にはもっと沢山の時計を売ってくれる都合
4つの特約店(vendors)がございます。私はこれらの特約店の主人たちから
注文をいただくものですから何年にもわたって30人も40人も職人たちを雇
い入れておるのでございます。今回の都合1,000マイル以上にもなるセール
スツアーにおきましても私は500個以上の時計を販売いたしました。これ
らの町々において私は1日で6ダースも7ダースもの時計を販売したものです」

この書面からも当時のエタブリスールは自ら時計を何百個も持って1,000マイ
ルにも及ぶ行商の旅に出て売り歩いていたという事実が読みとれるダス。

それにしてもサミュエルおやじの得意満面な顔が目に浮かぶようダスね。1日
に7ダース(84個)とは一体どういう数だしょうか。朝の8時から夕方の4時ま
で売ったとしても1時間に約9個、7分に1個以上の割合で売れておるダス。ま
さに目が回るような忙しさダス。
21625 ◆V5etiz87qQ :03/01/22 22:56
この購買を支えたのは多分産業革命以降に出現した富裕な市民層だしょうと思
うダス。7分に1個売れる、ということはほぼ熱狂状態に近いダス。この事から
も時計は熱狂的に求められていた、時代は大量の時計供給を欲していた、とい
う事はほぼ言えそうダスね。

本日の最後にこの頃の時計生産量についてカットモアの本から引用するダス。

(土地名)   (年)  (就業人口)  (時計年産個数)
ジュネーブ/スイス................1787年........4,000人...............59,000個
クラーケンウェル/英国........1790年........7,000人.............120,000個
ビュークール/おフランス....1805年...........不明..................100,000個(ムーブメントのみ)
ノイシャトル/スイス...........1818年...........3,500人...........130,000個

時計産業、未だ夜明け前なれども曙光ほのかに見えると覚ゆ、というところだ
しょうかね。それではおやすみなさいダス。
217名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/23 20:41
25さんの独り言は何時聞いても愉しいですね。
時計部品メーカは特定の分野に特化した背景がわかって愉しいです。
愉しいといえば、古い時計修理本の巻末には工具とか、部品メーカのカタログで出ていてこれまた、興味をそそります。
キフショックにもこんなに種類があるのか?とか、インカブロック以外にもこんなのがあったのか?などなど。
エボシュメーカの連合体として各時計メーカのマークが並んでいるページがあったりと。
確か、25さんに送付した資料にも含まれていたと思いますけど?どうですか?
もし、入ってなかったら....ごめんなさい^^;;すぐに送るので連絡ください。
なお、自動巻き部分に特化した本を持っているのですが、この巻末のメーカの古い広告も面白いです。
うむ〜、古い広告のHPでも作ろうかな?

ところでこの分業の状況って今でも変わってないのかな?
NHK-HiVisionのデュフォーさんの特集でも仕上げをお願いした○○さんからのケースが届いた。
などの説明があったと思います。...25さんはVTRをお持ちですか?ダビングでよければ.....送りましょうか?

from Y
218名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/23 21:32
何年からがユーズドですか。'60?それとも'70?あとこの時期の3針で傑作ムーブはなんでしょうか。良スレ豊富なこの板のみなさん、ご意見をお聞かせください。
219わんこ ◆GUB60.dUzU :03/01/23 21:38
>>84
>>104
>>110
今更ながら恐縮ですが、補足を。25さんの理解で問題ないのですが。
私もドイツ語の資料しか持ち合わせておりません。
ちなみに写真つきのグラスヒュッテの時計歴史資料がCD-ROMや本で
入手可能ですが、購入はかなり面倒です。

ランゲから独立したのはErnst Kasiske氏で1890年のことです。
Nikatorさんのいうランゲのディフュージョンブランドということではなく独立に近いニュアンスのようです。
この後の細かい歴史は措いときますが旧ユニオンを吸収したりしてます。

この会社はWWIを生き延びてますが、戦後のインフレで壊滅的に経営に行き詰まり、倒産、
以降はクルツ博士云々・・・ですね。
ちなみに、ですけど、UROFAは1930年代になってなおシリンダー脱進機も作っていたそうですよ。

別な資料によると、UROFA59は部品までもソ連に持っていかれ、
部品がなくなるまで製造していたそうで、最後の頃は石のあるべきところに石がないとか
現在のPOLJOTを彷彿とさせる話が既にあったようです(w


間違いがなければいいのですが・・・どきどき。
http://members.tripod.co.jp/gt1300j/Ebauches-SA.jpg
http://members.tripod.co.jp/gt1300j/Ebauches-SA-2.jpg

1962年のThe swiss watch Repairers manual の裏表紙の広告です。
ASとEta位しか判らない厨房でした^^;;

>>218さん
確かにヒストリカル、オールド、ビンテージ、アンティーク、USEDの区分って難しいですよね。

IWCの場合は1940年代にデビューしたCal.89や一番新しい8541が1970年代も製造されていたけれど、、
50年代に基本設計がされた85シリーズはヒストリカルかオールドかビンテージ(アンティークじゃないと思います)ではないかな〜と
基本設計が1970年代、特にクォーツの登場後がUSEDの気分です。

アンティークとなると19世紀以前って感じもしますけど、1900年代でも切りテンプ&青焼きヒゲゼンマイなどもアンティークかな?
と感じます。

で、3針の傑作ムーブメント....
PPやオメガ、バセロンなどなど幾多のムーブメントも素晴らしく.....IWC、IWCの854です....(って、ローマの休日風?)

あ、冗談です。人それぞれ惹かれる部分は違う様に思います。だからこれも決めるのは難しいのでは?

from Y
221Nikator ◆L6IWC.89Yo :03/01/23 22:35
>>218さん
部外者ですけど…。傑作ムーブ。何をもってそうするかは、個々人によって
たぶん基準が違うと思われ。僕的にはフツーで丈夫で精度が出る、となる
でしょうか。人によっては、超絶高精度かも知れませんし。

IWCの89とかオメガの30mm?ありきたりですけど…。
222名無しさん@揉んで〜る便座:03/01/23 23:46
Yさん、Nikatorさんへ
ともにおすすめは、OMEGAとIWCですか!ネット検索して、今週末は時計店巡りしたいと思います。どうもでした。ちなみにイニシャルで結構ですので、おすすめショップはありますか。
223Nikator ◆L6IWC.89Yo :03/01/23 23:57
>>222さん
いろいろなメーカーありますです。ゼニスもいいしJLC(ジャガー・ル
クルト)も素晴らしいし、個人的にはハミルトンは大好きです。モバー
ドの枯れ感も最高でしょうし、あるいはユニバーサルなんぞもすごくい
いです。ただのAS積んでても、エベルなんかは非常にいいですし、結局
何も言えず(笑)

JLCについては、JLCスレの神、104氏に聞かれるとよろしいかと。JLC
ベースのAPとかVCもめちゃくちゃ詳しいと思われ。

お勧めショップ…値段関係ないなら、どれもまあお勧め。いろいろ言
われてますけど、ケアーズは個人的には好き。あれだけ修理してれば
一家言あるでしょう。
>>218さん

あ、IWCが絶対のお勧めではないです。ゼニスなども良いな〜と思いますよ。
オイラの場合、YachtClubが使いやすいので気に入って、それでIWCの時計が増えていったと。そんな感じです。

オイラはあまり時計店には行きませんけど、行ったときはどこのメーカの何々だから。っていうより、
見た目で、あ!この時計カッコいい!とか渋いな〜とかで喜んでしまいます。
で、メーカ名やキャリバーの種類を聞いて来てネットなどで調べると。

自慢じゃないけど、ペラトン式うんぬんって事を知ったのはヤフオクで偶然、見つけたYachtClubが欲しくなって以降の事ですから^^;;
それまでIWCすら知りませんでした^^;;


22525 ◆V5etiz87qQ :03/01/24 00:18
>>Mr.Y
はい、ワタクスもあの広告群には目を奪われますた。テンワ、天真、ガンギ
車、ルビー、ヒゲゼンマイなどなど、それぞれ専業メーカーが「ウチの製品
は世界一」みたいな広告をしておるダスね。興味が尽きませんですた。今回
上げていただいたエボーシュSAの広告もそうダスけど、こういう画像ならい
くらでも見たいダスね。

ところで現代の分業形態というのはどうなんだしょうかね。現在は主要部品
メーカーの多くが巨人ETAの傘下にあるような話も聞きますので当然昔とは
事情が違っているのだしょうけどその詳細はワタクスの窺い知るところでは
ありませんダス。

ワタクスはETAのムーブはトヨタ自動車のエンジンみたいなもんかいなと考
えております。信じられないような大量生産、そのくせ高信頼性、高精度、
低い製造コスト、余人には想像もつかない生産プロセスの自動化。信頼性工
学のたまものであります。
22625 ◆V5etiz87qQ :03/01/24 00:18
その対極にあるのがデュフォー氏やアカデミーの人たちの時計という事にな
るんだしょうか。ワタクスはアントワーヌプレジウソ氏の時計工房の写真を
見ますて、そこに並んでいる各種工作器具類が非常にトラディッショナルな
ものであるのに強い興味を覚えますた。時計修理の古本で見かけるような工
作器具類、例えば典雅な外観のウォッチメーカーズ・レース(時計旋盤)、
ジュエル・セッティング・プレス(ルビー軸受け圧入機)、ポインティング
デバイス?のような物が見えます。ダイヤルゲージ式ハイトゲージもありま
すた。その他「こりは一体何をするもんじゃろ?」と思うような器具もいっ
ぱいある訳だすが、「この工房の部品内製率はヒジョーに高いのではないか」
という事を強く感じますた。非常に古典的な方法で時計を造っておられるん
だなと思いますた。
22725 ◆V5etiz87qQ :03/01/24 00:19
このアカデミーの人たちは歯車なんかはどうしとるんだしょうか?自分で削り
出しとるんだしょうか?古い時計修理の本を眺めているとやはり「ホイール・
カッティング・ツール」というものがあってそりは歯車の歯を根気よく造って
いく機械なのダス。でもその本には「こんな機械買いこんで歯車から造っとっ
たら時計1個修理するのに1年かかっちまうからやめとけ。部品屋からラフ歯車
を買ってきてそれを削り込む方法にしろ」と書いてあるダス。

でもアカデミーの人たちは「大量生産」とか「低コスト化」とは反対の方向に
行ってる人たちダスから本当に歯車から削り出しとるかも知れんダスね。その
ビデオにはそんな工程も紹介されておるのだしょうか?ワタクスはその番組は
地上波の短縮版の一部しか見ておらんのダスが「なるほど、この人たちはスイ
ス時計の何百年かの歴史の生んだスピリットみたいな人たちなんダスな」と感
銘を受けますた。
22825 ◆V5etiz87qQ :03/01/24 00:19
>>わんこ様
>ランゲから独立したのはErnst Kasiske氏で1890年のことです。

この会社が"Deutsche Pr艘isionsuhrenfabrik Glash?ttee.G.m.b.H"なのだ
しょうか?それともこの会社の前にまた別の会社としてエルンスト・カジスケ
氏の会社があったのだしょうか?是非詳細を教えていただけるととても嬉しい
ダス!

ちなみにその写真つきのCD-ROM、ワタクスもヒジョーに興味を持ちますたが
購入方法がサッパリ判らずあきらめますた。
そうそう、オイラの好きなサイトにウォッチユーザズリサーチ
http://www.dac-inc.co.jp/~watch/があります

この中の”時計の感性”
http://www.dac-inc.co.jp/~watch/siryo/documentmenu.htm#D
あたりにあるページがお気に入りです。

特に”パラドックス ー 好きな時計を身につけた時”
http://www.dac-inc.co.jp/~watch/siryo/hitotokei.htmあたり。厨房なオイラには無理だろうな〜^^;;
でも、オイラはなんとなく付けていると妙な安心感のあるYachtClubがすきだな〜

from Y
230222:03/01/24 18:17
今日ヨットクラブを買ってしまいました。私のは前期らしいです。シンプルなデザインで衝動買いしてしまいました。ロービートはのんびりしてて、いい音ですね。
222さん
オイラもYachtClubを衝動買いした経験があります。シンプルで良いデザインですよね?
http://groups.msn.com/ProbusScafusia/page4.msnw?Page=2にちょっとした資料があります。ご参考になれば...
もしよろしければオールドインターのスレにて続きを...

25さん
自動巻きの本の巻末は時計のコマーシャルです。イラストがほとんどで、これまた味があります。
また、IWCのみですが、http://groups.msn.com/ProbusScafusia/page4.msnw?Page=1に古いカタログが少しあります
timezoneだとhttp://timezone.com/article.aspx?id=extras&articleId=extras631735054166406250
のAd集が楽しいですよ。
それとブラックユーモア的ですがhttp://timezone.com/article.aspx?id=twarped&articleId=twarped631677507156704838
が笑えます。
ところでVTRといえばIWCの125周年VTRっていうのがあって、これにも時計の製造設備や
確か青い文字盤を焼いている映像などが出てきます。


うみゅ〜、25さんの楽しい解説を愉しみにしている皆さん。IWC中心の駄レスですみません^^;;

from Y
232わんこ ◆GUB60.dUzU :03/01/24 23:59
>>228
そうです。とはいえその社名になったのは1918年のWWI後にライプツィヒに移った時のようですね。
1890年に独立したとはいっても、個人の工房だったようで、会社組織になったのは1904年、
社名はPrazisions-Uhrenfabrik Aktiengesellschaftといっていたようです。
233通りすがりの者:03/01/27 02:25
皆さん理論的には良くお勉強されてるみたいで感心シマソ。
OVHなんかお茶の子さいさいデチュカ?
>>233
皮肉か?
235わんこ ◆GUB60.dUzU :03/01/31 01:00
>>228
>>232の会社のがebayに出ました。あまり見ないので珍しいやも。
http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&item=2610582682
典型的なグラスヒュッテスタイルですね。
23625 ◆V5etiz87qQ :03/02/04 00:03
>>235
わんこ様、e-bayのご紹介有難うございますた。ワタクスには懐中時計を見
る目はないながらも興味深く拝見しますた。最近仕事に追われてなかなか2ch
も出来ず、お礼が遅れますて申し訳ございません。

こんなに時計技術で進んでいたドイツがなんでその後スイス時計産業の後塵
を拝することになったのか、というのは不思議な事ダスね。

ワタクスの読み囓るところでは腕時計時代以前のドイツの時計産業というの
はちーとも悪くなかった、スイスに負けないくらい素晴らしかった、と書い
てある本がままあるダス。それなのに現在ではドイツの機械式時計産業は余
り強いとは言えないのが興味深いダスね。
23725 ◆V5etiz87qQ :03/02/04 00:04
ワタクスが何となく思うのは、

・ドイツのメーカーは腕時計への移行が遅れた
・第一次世界大戦で国力疲弊、インフレ
・第二次世界大戦でも工業地帯に大打撃を受けた。ついでに国が分割された

というような事が重なって結局衰退すたのでは無いだしょうか?その点スイ
スは永世中立国で当時、直接的な戦火を逃れることが出来たので設備も保全
され技術者も散逸せず、ドイツが戦火にまみれてメッタメタになっておった
時期にも着々と技術力と資本を蓄積し続ける事が出来たのではないかと思っ
たダス。それがその後の莫大な差となって現れたのではないかと愚考してお
るのダス。

ワタクスの持っております唯一のドイツ時計は1960年頃?の"GUB"の
"STOSSGESICHERT"という「世の中にはこんな地味な時計もあるのか」とい
うくらい地味なデザインの3針モデルだす。何となく当「東側の時計」という
ムードがあって、これはこれで興味深いなと思いますた。
25さん

ご無沙汰ですが、お元気ですか?
IWCはドイツにはみ出している様な地形のためか被害は少なかった様ですが1944年に米軍に誤爆された経験を持ちます。
でも、他の時計メーカは戦争の被害を受けなかったんでしょうね?
で、隣国のスイスで時計産業が継続していたドイツとしては競争力を付けるのは大変だった様に思います。
一方、日本は近隣に時計産業が無いので自国での再生産の必要性があったのかな?と勝手に想像したり。です。

from Y

23925 ◆V5etiz87qQ :03/02/05 00:32
>>Mr.Y

先日は貴重なビデオを見せていただきますて誠に有難うございますた。時
計修理本で読んでいた作業をデュフォー氏が実際にやっておられる姿を見
てワタクスは感動に近い気持ちを持ちますた。この話はまた後日にでも。

ワタクス、IWCに関する知識がオソマツなのでトンチンカンな質問をして
いるかと思いますが、IWCのケースはスイス製なんだしょうか?というの
も以前からシャフハウゼンとドイツのシュバルツヴァルトというかフォル
ツハイム(Pforzheim)との位置関係に興味を持っておりますた。
24025 ◆V5etiz87qQ :03/02/05 00:33
何でもドイツの時計産業には歴史的に2つの拠点があるそうでして一つは
東のグラスヒュッテ、もう一つはスイス国境近くのフォルツハイム近辺だ
そうでありマス。フォルツハイムの特徴は元々宝飾産業の街だったという
点。で、古くから時計ケースなんかを作ってスイスにも輸出していたらす
いダス。20世紀初頭には既に何万個も輸出しておったそうダス(個数に
ついては記憶不鮮明ダス)。

本には「スイスに時計ケースを沢山輸出しておった」と書いてあるだけで
どこのメーカーに供給したか、という事までは書いてないダス。ただ地図
を眺めているとフォンテンメロンやらジュー渓谷にも持っていったんだろ
うけど、シャフハウゼンの方が近いから(せいぜい数十キロ)ひょっとし
てIWCにも供給したりしたなんて事は可能性としてあるのかなあ、どうか
なあと思った次第ダス。
24125 ◆V5etiz87qQ :03/02/05 00:34
ちなみに第一次大戦後、食うに困ったドイツ人は何でもやったんだしょうね、
フォルツハイムあたりから時計ケースを雨アラレとスイスに輸出して、しま
いにはスイスから禁輸令が出たそうダス。多分敗戦国ドイツの通貨が弱くて
メチャクチャ安かったんではないかと愚考いたすます。で、スイス国内のケ
ース業者が大打撃を受けて「何とかしてくれ」と政府に泣きついたんではな
いかと思うダス。

でもその10年後には大恐慌が起こった訳ダスからスイスの時計産業も戦火を
逃れたとは言えまだまだ厳しい道のりを歩んでおったのだなあと思いつつ、
ワタクスは眠るのでありますた。
24225 ◆V5etiz87qQ :03/02/05 00:38
補足ダス。
上記のIWCのケースの話は現代の話ではなく、1900〜1930年頃を想定しての
話でございマス。
25さん

その頃、IWCはドイツの宝飾品メーカ ヘンリーブランク社にムーブメントを供給し、
Cresarrowケースと呼ばれ、多くがアメリカに輸出された様です。
で、”様です”としたのは
http://www.netspace.net.au/~gregsteer/Cresarrow/Henry%20Blank%20and%20Cresarrow.html
に解説があるのですが、完全に訳してません^^;;
もしかしたらアメリカでケースに入れられたのかも?
なお、オイラは腕時計と懐中時計を持っていますが、両方ともに1920年前後の製造です。
で、IWCがケースを購入したか?についてですが、以前にIWCで懐中時計のケースを作る女性の写真を見たような記憶があります。
また、IWCは1900年代の初期にはイギリスにPeerless名でムーブメントを輸出していた事もあります。
∴IWCの場合はケースを外から買ってくるというよりは、ムーブメントを外販するって事が多かった様に思います。

from Y
24425 ◆V5etiz87qQ :03/02/06 01:47
>>Mr.Y
またまた興味深いリンクご紹介有難うございマス!Mr.Yは本当に色々な情報ソ
ースをお持ちでありますね!非常に面白い記事でとても有益でありますた。

ワタクスは不勉強にしてクレサロー(Cresarrow)というブランドを存じません
ですたがIWCやC.H. Meylanのムーブを輸入してアメリカの自社工場で作った高
級ケースに入れて別ブランド名で売っていた会社な訳ダスね。

創始者の一人、ブランク氏が時計ムーブやら宝飾類の商談をまとめてヨーロッ
パから帰る時の船が何とタイタニック号ですんでのところで溺死するところだ
ったという意外な話も興味深かったダス。もしブランク氏がこのとき不運にも
生還できなかったらその後のIWCムーブのCresarrowという時計はこの世に存
在しなかった訳ダスね。何か凄いドラマチックな話に思えますた。
24525 ◆V5etiz87qQ :03/02/06 01:48
ところでアメリカでは関税をすり抜けるために「ムーブを輸入してアメリカで
組み立てる」というクレサローのような会社は多かったんだしょうかね?

でも宝飾産業にはムーブを造る能力が無い、という点でドイツのフォルツハイ
ムの時計産業とちょっと似た感じがあるダスね。そうそう、クレサローがアメ
リカでライセンスを取得した「伸びる金属ベルト」ももとはフォルツハイムの
製品のようダス。大西洋をはさんで似たような事やっとった訳ダスな。

ただフォルツハイム(とちょっと離れたシュバビッシュ・グミュント/読み方
テキトー)の人々の場合ちょっと違うのは、この人たちは別にケース造ってス
イスに買って貰えればそれで充分嬉しくてそもそも時計そのものを売って造る
気は無かったようダス。
24625 ◆V5etiz87qQ :03/02/06 01:50
ところがあんまり輸出し過ぎたもんだからスイスが時計ケースの輸入制限を始
めてしまったのダス(1920年)。

「これじゃあ食っていけねーぜ!」

と困ったドイツのおじさん達は、

「じゃーオレたち自身で時計を買って売るのだ!ムーブはスイスから買えばいーのだ!」

という訳で追いつめられて時計産業に乗り出したもののようダス。最初は勿論
完成ムーブを自分とこのケースにポンづけするだけだったそうダス。ところが
やはり関税の都合かそれともドイツ人の労賃を使う方が安かったものか、何年
か後には「パーツをスイスから買ってきて組立は自分とこでやる」という方式
が増えてきますた。

スイス側の推計によれば1927年にはスイスムーブのフォルツハイムへの輸出
量は何と!70万個もあったのだそうでありマス。ビッグビジネス、ダスね。
24725 ◆V5etiz87qQ :03/02/06 01:51
ところがやっぱりスイスのムーブは高かったのと供給がショート気味だったと
いう事情があった模様ダス。ブルナーの"Wristwatches-History of a cetury's
development"という本に、

"...because only a certain few firms were to receive only modest
quantities(in terms of value) of Swiss watchworks."

とありマス。そんな訳で1930年前後には、

「オレたちもムーブくらい造ったるわい!スイスの真似すりゃえーんじゃろ!」

という人々が現れますた。が、腕時計のムーブの自製というのはやっぱそう簡
単に行くモンではなく、自社ムーブ開発に成功した会社はそんなに多くは無か
ったのダス。
24825 ◆V5etiz87qQ :03/02/06 01:53
おもすろいと思うのは当時、腕時計ムーブの開発に成功したのはフォルツハイ
ム近辺の工場が異常に多いと言う点ダス。1934年の「ドイツ時計工場ジャー
ナル」の記事に拠れば当時自社で腕時計ムーブを造っておったのは以下の通り
(抜粋)。

 (会社名)                   (所在地)
・シール(Thiel)......................................................................Ruhla
・UROFA...................................................................................グラスヒュッテ
・ユンハンス(Junghans)......................................................シュラムブルク
・キンツレ(Kienzle)..............................................................シュヴェニンゲン
・ミューラーシュレンカー(Muller-Schlenker)..............シュヴェニンゲン
・ビトリンクマイヤー(Bidlingmaier)...............................シュバビッシュ・グミュント
・カスパー(Kasper)................................................................フォルツハイム
・PUR..........................................................................................フォルツハイム
・デュローヴェ(Durowe).......................................................フォルツハイム

冒頭のRuhlaとグラスヒュッテの二つ以外の土地は全てフォルツハイム一帯、
ご近所ダス。
24925 ◆V5etiz87qQ :03/02/06 02:47
冒頭のRuhlaとグラスヒュッテの二つ以外の土地は全てフォルツハイム一帯、
ご近所ダス。

フォルツハイムというのは地図で見るとスイス国境に近い町で一山こえたら
チューリッヒ、シャフハウゼンは隣町、みたいな感じダス。で、町を挙げて
スイスの方を見て仕事をしてきた訳ダス。

思うにスイス相手にさんざん時計ケースを輸出して来てその出荷品目から「こ
れからは懐中時計じゃない、腕時計の時代だ」という感覚をヒシヒシと肌で
感じておったんだしょうね。「腕時計をやらないと生き残れないぞ」と思っ
たんだしょうか。
25025 ◆V5etiz87qQ :03/02/06 02:48
これがグラスヒュッテあたりになるとそういう感覚がだいぶ希薄で「腕時計
なんざ一時のはやりモンだ」と本気で言っておったそうダス。何かの本で読
みますたが、

「腕に時計をくくりつけるだなんてそれじゃオカマみたいじゃないか!」

とか本気で怒るドイツ人がいたらすい。ドイツ人にとって懐中時計は男らしさ
の必須アイテムだった、みたいな記事をどこかで読みますた(記憶やや曖昧)。

ランゲ・アンド・ゾーネにしてからが腕時計はあんまりやる気がなくて、自分
とこの腕時計には長いことスイスのアルタスとかのムーブをのせてお茶を濁し
ていたとの事ダス。結局第二次世界大戦が終わるまでそんな風だった様ダス。

おやすみなさいダス。
251わんこ ◆GUB60.dUzU :03/02/06 10:38
>25さん
どこからレスしようか迷いますが、(というか仕事中なのですが休憩)

>>237
WWI後はしばらく時計作れてなかったので、WWIとその後のインフレというのは確かに大打撃なんですよね。
WWIIについてはグラスヒュッテは広島・長崎と同様に語られることの多いドレスデンの近郊ながら終戦の前後もちゃんと生産してるので、
WWIよりも深刻な状況ではないように思うんですよね。戦争後共産化まで数年ありますが、
共産化後に東独政府がドレスデンを中心に精密・機械・ハイテク企業を集約したのもあながち間違った政策でもなさそうです。
80年代前半にはドレスデンのロボトロンという企業から日立・富士通・NECも真っ青な?メインフレームが出てきてますし。
ただ、カメラ同様、共産国の宿命というか、グラスヒュッテの時計技術がピークを迎えるのは50年代後半ではないかと思います。
キャリバーの多様性が見られるのも50年代後半だけですし。
GUBというのはその中で時計技術を集約した企業という位置づけになろうかと思います。
なんせランゲ、UROFA、UFAGだけでなく、ケーシングや部品製造の会社まで含めて
7社だか8社の合併によって設立された企業ですし。
ご存知かとは思いますが、GUBは90年の民営化を経て現在のグラスヒュッテオリジナルとなっています。

25さんのお持ちの時計は中3針手巻ですか?ならばGUB60.1か60.3か70.1だと思います。
"STOSSGESICHERT"という表記は多くのモデルに見られるものです。
252わんこ ◆GUB60.dUzU :03/02/06 10:59
>>240-249
フォルツハイム、これから真面目に調べようと思っていたので大変参考になりました。
ETAムーヴ全盛の昨今、PUWやDuRoWeのオールドムーヴを載せたドイツ時計が出てきているのは嬉しいですね。

まあ、ルーラのシールは戦前は壁・マントルピース・置時計中心だったそうですから同次元では語れないでしょう。
その意味ではドイツの腕時計、っていうとフォルツハイム近郊とグラスヒュッテといっちゃってよいように思われます。
さて、時間を見つけてきちんと読み解かねばなりませんが、
時期的には25さんのあげられた製造状況から後になりますが、1943年にはユンハンス、UROFA、PUWの3社が実質的に合併したようです。
なので、ごく限られた時期にフォルツハイムでグラスヒュッテムーヴが生産されていたことになります。

>>250
でもUROFA、UFAG(この2社の棲み分けがどうだったのかいまだによくわからない・・・)は
30年代後半から40年代にかけて、腕時計では相当いろいろな試行錯誤をしてるようですよ。
同じ構造で脱進機だけシリンダーとアンクルと作ってみたり、おしどりの改良だけで3種類作ってみたり。
ランゲについても戦前戦中の自作腕時計は48mmが主力ではありましたが、
28mmのもそれなりにきちんとしたできのように思います。
とはいえやはり男らしさ云々ではなく戦争がゆえの必然でしょうが。
253わんこ ◆GUB60.dUzU :03/02/06 18:56
追加です。
JUP(Junghans-UROFA-PUW)ですが、手元の資料を見る限り、GUB60に酷似しています。
このムーヴはランゲのcal.28やクルツ博士のcal.25やUROFA613を範にとったのは明らかですが、
GUB60にはフォルツハイム系の技術も何らかの形で継承されていると考えてよさそうな気がします。
25さん

オイラはCal.95ってIWCの懐中時計を持ってますけど、これもアメリカでケースに入れられたようです。
しかもムーブメントの製造は1941年でケース裏の刻印(誰かへのプレゼントだった様です)は1951年と10年に開きがあります。
また、IWCの場合はムーブメント上の刻印もヨーロッパ仕様とアメリカ仕様がある様で、アメリカ仕様の方が派手です。
それと宝飾品店がムーブメントを購入してケースに入れる例は多いのではないかな?と思います。
特にE-bayなどでTiffanyの懐中時計を検索するとPatek、Vacheron、Agssizなどなどと素晴らしいムーブメントが使われています。

また、ムーブメントと輸入して、ケースに入れるのは日本でも行われていた様で、IWCのプラチナケースはほとんどがこれの様です。
やはり、物品税の高さが原因でしょうね?

from Y
25525 ◆V5etiz87qQ :03/02/07 00:31
>>わんこ様

さっきGUBの裏蓋を外してみますた。するとムーブには確かに「70.1」と書
いてありますた。この時計、文字盤なんか数字もインデックスもプレスでレ
リーフしたようなような感じでとにかくたたずまいがヒジョーに地味ダス。
「宇宙は広い。この銀河系にはこんな地味な時計もあるのだ」と思わずには
おれませんのダス。でもそれなりに気に入っておるダス。グラスヒュッテの
時計だというだけで何か興味深いダス。でもちーとも正確じゃないのが玉に
キズ、ダス。

しかしドイツ人というのは不思議な人種ダスね。腕時計においても既に1880
年頃にはドイツ海軍がジラール・ペルゴーその他のスイスの時計会社に腕時計
(というにはデカかったのだしょうが)を納入させた実績があったりするとい
う話ダスしそれなりに戦争に参加したりしておりますのにイギリス人やフラン
ス人のように社会的に腕時計が広まるという事が少なかったように思うダス。
25625 ◆V5etiz87qQ :03/02/07 00:36
イギリス人はボーア戦争において既に腕時計(オメガとか)を巻いておった
という話ダスがドイツ人は腕時計の必要を感じなかったのだしょうか?鉄砲
打ちながら「今何時かなあ?」とゴソゴソ懐中時計を引っ張り出しておった
のだしょうか?

スイス側の資料ではスイスの時計輸出において懐中時計と腕時計の比率が逆
転したのはほぼ1930年。ドイツではそのころようやく腕時計用ムーブの開
発に取りかかっていた、というこのタイムラグが何とも不思議な気がするの
ダス。
257名無しさん@揉んで〜る便座:03/02/13 00:56
謎のスレ



25825 ◆V5etiz87qQ :03/02/16 00:08
今や時計板の中でもっとも見捨てられていると思われるこの謎のスレでの独
り言を続けたいと思いマス。

>>210あたりに18世紀のイギリスの時計産業の話から18世紀末には「世界
は時計を待っている」状態ではなかったかと言う話をいたすますたがスイス
でもやはり状況は同じようなものであった様ダス。Jaque&Chapiusの"Technique
and History of the Swiss Watches"などを読んでおりますと1750年代
には既に小規模なムーブメント専業者がジュネーブ、ジュー渓谷、ダブ地方
(Doub region)、ヌシャトル(Neuchatel/ワタクスは以前これを何となくノ
イシャトルと読んでおりますたがスイスの歴史の本などを読むとヌシャトル
と表記してありますので以後そう読むことといたすます)、ジュラ地方などに
ゴマンと群在しておったそうダス。

ところがその頃でさえ、多忙な時期にはムーブメントの供給が需要に追いつ
かなかった。

「それがエボーシュを能率良く生産する方法が真剣に求められた理由である」(Jaque&Chapius)
25925 ◆V5etiz87qQ :03/02/16 00:09
そんな時代背景の中で、では誰が最初にエボーシュの量産化に名乗りを上げ
たかというと、これがどうもフレデリク・ジャピィ(Frederic Japy/1749-
1812)というフランス人。フランス生まれのジャピィはスイスで時計修行を
した後の1771年、生まれ故郷のビュークール(Beaucourt)という町に舞い
戻り、親父(と思われる)が経営する工場にてエボーシュの生産を始めます
た。これが品質が良かったものか商売は大いに繁盛し1776年、ジャピィは
時計製造史上記念碑的な設備投資をいたしたのでありますた。それはジャピィ
自身の取得した特許によるもので、その設備は以下の10種類の機械からなっ
ているのでありますた。

1.真鍮薄板を短冊状にカットする丸ノコ
2.地板、フュージー(円錐糸巻きCVT)、香箱、割柄などを仕上げる旋盤
3.歯車の歯を成形カットする機械
4.ピラーを造る機械
 ※ピラーとは古式時計の地板と天板を繋ぐ柱状の部品。古式時計は
  地板と天板の間に輪列やフュージーがあったダス
5.テンワを打ち抜くプレス器
6.歯車のブランクを打ち抜くプレス器
7.垂直穴開けドリルマシン(ミニボール盤)
8.ピラーをかしめるツール
9.ネジのアタマにスリ割りを入れる機械
 ※マイナスドライバー用のスリット
10.溝切りフライス(状のもの)
26025 ◆V5etiz87qQ :03/02/16 00:11
これらの機械を使用した結果、エボーシュの生産量は文字通りケタが違った
そうでありマス。Cutmoreなどはその数量は"quite staggering"であった
と言っておりマスからそりは呆然とするような能率だったんだしょうね。で
はどれくらいのエボーシュを造っておったかと言うと、

・1780年..................43,000個(職人数50人)
・1795年..................40,000個
・1805年................100,000個

という数量でありますた。1780年から1795年の間がむしろ減少しており
ますのは1789年にフランス革命があったからでありマス。その後スイス革
命が勃発、戦乱・争乱のさなか、フランスもスイスものんびり時計造っとる
場合ではなかったらすい。余談ダスがIWC発祥の地、シャフハウゼンもこの
頃は戦場と化したそうでありマス。

余談は措いておくといたすますて、この数量と言いますか能率がいかに画期
的なものであったかと申しマスと、従来工法(スイスのおっさん達が自分の
工房でシコシコとエボーシュを造る場合)ですと、

→職人1人で1週間に1個か2個のエボーシュが製造可能

であったのに対してジャピィの工場では50人で年間43,000個造っていた
訳ダスから、

→職人1人で1週間に16個のエボーシュが製造可能

という訳で何と従来製法の8〜16倍の能率を誇っていた訳でありマス。
26125 ◆V5etiz87qQ :03/02/16 00:13
ジュラあたりの時計産業はかねてから慢性的なエボーシュ不足に悩んでお
った訳ダスから迷わずジャピィのエボーシュを購入いたすますた。Jaque&
Chapiusによればその数1793年には40,000個と言いますから結局ジャピィ
の工場のエボーシュを殆ど全部ジュラの時計産業の人々が買い上げておった、
という事になるダスね。

ただこりはスイスのエボーシュ産業にとっては大打撃でありますた。そして
一番の問題となったのは、

「スイスの時計人は、いかにスイス国境から指呼の距離にあるとはいえ、外国
 の工場の製品に依存して時計を造り続けていていいものだろうか?」(Chapius)

という事でありますた。

そこで自国のエボーシュ生産能力に危機感を覚えた愛郷心の強いスイス人た
ちによって1793年にフォンテンメロン、1794年にジュネーブにモダンなエ
ボーシュ製造拠点が設立されたのダス。

この頃のスイス人というか各カントン(州というべきか?)の人々の愛郷心
には強烈なものがあり「時計造りにおいて我々の不得手なものは何か?何を
どうしたら外国の製品に負けずにすむのか」というリサーチ&デベロップメ
ントにはなかなか素晴らしいものがあると感じ入りますた。
26225 ◆V5etiz87qQ :03/02/16 00:13
眠くなりますたのでここらのお話はまた別の時にご紹介したいと思いマス。

尚補足として、地図を見ますとジャピィの工場のあったビュークールとはフ
ランスとは言ってもスイスとの国境近く、ブザンソン、ベルフォール(?綴り
はBelfort)のあたりに位置するもののようダス。ジャピィの新鋭機械類は実
はスイス人が造りますた。これについてフランス人は、

「ジャピィの特許を基にスイス人に機械を造らせてやったんだ」

と言い、スイス人は、

「オレたちの技術でジャピィのために機械を造ってやった」

というようなセコい論争があったらしいダス。機械そのものはル・ロクルの
ジャン・ジャック・ジャネレグリ(?Jean-Jaques Jeanneret-Gris)という
おっさんが造ったのは本当らすい。でも「ジャピィが考案して特許をとって
ジャピィが産業化したんだからまあこれはフランス人の功績じゃろ」という
事になっとるそうダス。

ジャピィについてネット上で探してみると、

http://www.aventuriers.com/fr/france/franche_comte/90_dec_musee_japy/index.shtml

ちゅうのがありますて、ジャピィ博物館というのがあるみたいダス。フラン
ス語なので何が書いてあるか不明ダスがどうも「ジャピィさんよ、アンタ
は偉かった」と書いてあるもののようダス。

ではおやすみなさいダス。
263名無しさん@揉んで〜る便座:03/02/18 22:32
25さん

いつも愉しい歴史をありがとう!
当時の他の工業製品と比較すると時計は合理化が進んでいた様に思います。
それにしても1週間で1、2個のエボーシュしか作れないとなると、人件費だけでも相当の感じがします。
やはり時計は高価な財産だったんでしょうね。
最近、異業種の中小企業が合同で新製品を開発するとの番組を目にしますが、歴史は繰り返す...との感じがします。

時計板の隔離スレの風がありますが、これからもヨロシクです!

from Y@愛読者その1
26425 ◆V5etiz87qQ :03/02/23 20:55
皆様、恐らく数人しか出入りしていないと思われるこの寂れたスレの独白
タイムがやって参りますた。
本日は((((やっぱしオールドインターでしょ。part6))))でMr.Yが引用して
おられた文章が非常に興味深かったのでこちらに引用させていただきマス。

もともとはIWCの802と803の違いは何だ、という話でMr.MFという方が
「それはね・・」と教えて下さった文章ダス。

http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/watch/1042376370/l50

からの引用ダス。Yさん、勝手な事して申し訳ないでございマス。

--------------------------------------------------------
My understanding is that it is a measurement of how one important
aspect of a watch movement is designed. One source defines lift as:

In the lever escapement, the configuration of the mating faces of the
pallets and escape-wheel teeth which ensures that impulse is given
with just the right degree of interference between their respective
paths.

The angle of that mating varies. Frequently older pocketwatches had
angles in the low 40 degree range, but some movements are as high
the high 50s. Most are in the 48-52 degree range if I recall. If one
puts a watch on an electronic timing device to determine beat and
amplitude,
it is important to know the lift angle to get an accurate emplitude
reading --but frequently a guestimate will produce a close enough
amplitude reading.
--------------------------------------------------------
26525 ◆V5etiz87qQ :03/02/23 20:56
興味深い内容だったのでワタクスは以下のようにざっと粗訳してみますた。

(訳開始)-------------------------------------------------------
→IWC 802と803の違い
それは私の理解するところでは時計ムーブメントのとある部分の重要な形状がい
かなる角度で設計されているかという計測結果でわかります。とある本に拠れば
「リフト」の定義は以下の通りになります。
=======================================================
【リフト】
レバー式脱進機において「パレットストーン」(入りヅメ、出ヅメ)と
「ガンギ車」の歯とがそれぞれ当たり合う「当たり面」の角度(また
は形状および配置)のこと。これによって「入りヅメ・出ヅメ」およ
び「ガンギ車の歯」のそれぞれが交差する軌跡の中の一定の正しい角
度でテンワへの入力(衝撃)が行われることが保証される。
=======================================================

この「当たり角」(リフト)の値は様々です。古い懐中時計ではこの「当たり角」
が40°前半ということがしょっちゅうですが、中には50°後半の角度のものも
ありました。

私の記憶が正しければ大体において48°から52°くらいでした。歩度測定器で
振動数、振れ角の調整を行う場合、この「リフト」角を知っておくことが正確な
調整のためには重要です。といっても大体のあてずっぽうでほぼ満足すべき調整
に至ることもよくあるのですがね。
---------------------------------------------------------(訳終了)

ワタクスはこの文章を読んで「その角度に一体どんな意味があるのか」と思って
もう一度、手持ちの本で脱進機の仕組みを解説したものを熟読してみますた。そ
の結果、この「リフト」は「アンクルがテンワを叩く衝撃力」に密接な関係があ
ると考えるに至りますた。
26625 ◆V5etiz87qQ :03/02/23 20:57
ガンギ車の角速度が一定であると仮定いたしますとこの「リフト角」はドテピン
に押しつけられていたアンクルを反対方向に振れさせる時の「加速度」に影響を
及ぼすと考えられマス。リフト角が急峻であればある程アンクルの動きは急加速
する事となりその動きはより強い衝撃力でテンワ側の振り石を叩く事になります
て、さすればテンワはより遠くへ弾かれる、という事はテンワは大きな振幅を有
することとなるのでありマス。ワタクスはそう考えますた。

丸めたハナクソを飛ばすとき、ゆっくり弾くより素早く弾いた方がより遠くに飛
んで行くので知らん顔しやすいのと似た理屈かと思われマス。

ただこれには問題がありますて、私見ながらリフトが急峻であるとそれは輪列に
とっては駆動抵抗の増大を意味するのではないだしょうか。ですからその駆動抵
抗に負けない主ゼンマイが必要であり、またテンワも激しく叩かれる訳ダスから
その衝撃力に均衡した強めのヒゲゼンマイが必要とされるのではないだしょうか?
ひょっとしたらその増大した輪列パワーに伴って各種軸径や歯車厚みなどの見直
しが必要になるかも知れず、それは「大きくて重い時計」への道なのかも知れな
いダス、と思ったりもすますた。

まるで「小排気量・軽量スポーツカー」と「大排気量・やや重スポーツカー」と
でどっちが優れているか、という議論みたいでありマスね。

という訳でIWCの802と803とでは主ゼンマイ、ヒゲゼンマイなどに違いがあり、
それは「リフト角」の違いに象徴される、というような理解でよろしいのかどう
か、それをワタクスはMr.Yにお聞きしたかったのでありマス。何となればワタク
スはIWC無知男で802も803も実はどんなムーブか想像もつかないからでありマ
ス。
26725 ◆V5etiz87qQ :03/02/23 20:57
ついでにMr.MFのお話に判らないポイントが2点ありマス。

(疑問点その1)
では「リフト」が何度だったら802で何度だったら803なんだしょうか?
恐らくリフト角の少ないのが古い方だ、という事だしょうか?

(疑問点その2)
何故歩度測定器での調整にこの「リフト角」を事前に掴んでおくことが重要なの
だしょうか?これによって歩度調整方法が変わるのだしょうか?

ちなみに「入りヅメ・出ヅメ」の横、ガンギ車の歯が当たって止まる部分、ここ
を「ロッキング・フェイス(Locking Face)」と呼ぶそうでありマス。そしてリフ
トの角度が付けてある部分、ここを「インパルス・フェイス(Impulse Face)」と
呼ぶそうでありマス。

実はこの「ロッキング・フェイス」とガンギ車との関係において「ドロー(Draw)」
なる非常に重要な働きがある事も知ったのダスが今回は省略させていただきマス。
これは現在のレバー式脱進機をレバー式脱進機たらしめるエッセンシャルな機能
なのでありマス。

今回リフトやらドロー関係の話を読んだ本はドナルド・デ・カーレおやじの"Practical
Watch Repairing"でありマス。オールドインタースレにてMr.Yがこの本の購入につ
いて迷っておられる旨拝見したすますたがワタクスは断言いたすます、Mr.Yは絶対こ
の本をご購入なさるべきでありマス!

ワタクスはこの本で「青ネジ」の焼き方を読んで「いっちょうワタクスもブルーイン
グ・パンと生ネジ買ってきて青ネジのひとつも焼いてみたいもんダス」と半ばマジで
ありマス。長文失礼ダス。
25さん

いつも愉しい話題をありがとうございます。勝手な想像ですがMr.MFも自分の投稿が日本にも広まって喜んでいるのでは?
と思います。(実際に知ったら出入り差し止めになるかも^^;;)

Cellar氏からLiftの説明はhttp://groups.msn.com/ProbusScafusia/page4.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=343です
これだとツメ石の角度を示してますね。
つまり、この角度が浅い方がアンクルに伝わる力は小さくなり、深い方が大きくなると思います。
(多分、25さんの思っている角度と私の思っている角度は補角関係かと)
極端な話、この角度が0だとアンクルのロッキングコーナーはツメ石表面を滑ってしまって、アンクルは止まったまま。

なお、輪列パワーの話ですが、オイラが想像するに角度が深い場合はツメ石の幅が狭いのではないか?と思います。
というのも、アンクルに大きな力を与えすぎる=テンワを勢い良く廻しすぎると、テンワは回り過ぎて振り当たりの原因になると
想像するからです。
また、オイラが思うに、この角度が浅い方がガンギ車のロッキングコーナ
http://www.timezone.com/article.aspx?id=wglossary&articleId=wglossary631693553645375057
がつめ石のインパルス面
http://www.timezone.com/article.aspx?id=wglossary&articleId=wglossary631692190951428485
に衝突する時の衝撃が緩和されるように思います。
というのも世界の腕時計のNo.61に出ていますが、ガンギ車のロッキングコーナーは
ツメ石の表面を滑るのではなく、一瞬、離れて、再度、ツメ石のインパルス面に衝突するからです。
この時にツメ石の角度が大きいと衝撃も大きくなり、ロッキングコーナの磨耗、インパルス面の損傷の原因になると
思われます。

例えばですが、オメガのコーアキシャルでは35度と非常に浅い角度になっている様です。
http://www.timezone.com/article.aspx?id=horologium&articleId=horologium631673748207665706
(というよりはこの角度を浅くしているのがコーアキシャルの特徴ではないか?と)

ただし、角度が浅くするには、小さな力でテンプを回転させてやる必要があり、天真やアンクル真の摩擦を
小さくして、無駄な力を無くす必要が出てくるのでしょう。つまり、丁寧な加工が必要になると。

ちなみにスヲッチの自動巻きは52度らしいです。
http://www.timezone.com/article.aspx?id=horologium&articleId=horologium631673144417823408

85系のLiftAngleについては
http://www.iwcforum.com/Articles/Calibre85Family/text.htmlにある
http://www.iwcforum.com/Articles/Calibre85Family/Chart.htmlに出ています
これによると新しいモデルの方が浅い角度になっています。
ご質問の852と853の主スプリング、ヒゲぜんまいの差異はオイラも知りません。
270名無しさん@揉んで〜る便座:03/02/23 23:18
なお、Drawは
http://www.timezone.com/article.aspx?id=wglossary&articleId=wglossary631697023427003535
の事でしょうか?

ツメ石がアンクルをバンキング ピン(いわゆるドテぴん)に押し付ける事を示しているのかな?と思っています。
実際にはアンクルのロッキングコーナがツメ石に接してから、少し滑ってアンクルがバンキング ピンにぶつかるのだと
思うのですが?
このガンギのロッキングコーナーとツメ石のロッキングコーナの距離も微妙なんだろうな?
と思います。

これが大きすぎると、ツメ石はガンギ車を大きく逆回転させて離脱しなくてはいけないですし、小さすぎても
衝撃などで本来、離れてはいけない時に離れてしまうと。

なお、
http://www.timezone.com/article.aspx?id=wglossary&articleId=wglossary631694783467708920
にGifアニメがありますが、これを1コマ毎に分解すると面白いです。

お試しください。

from Y




271名無しさん@揉んで〜る便座:03/02/23 23:35
追記

Practical Watch RepairingもEbayで入札しました。首尾よく落札出来るといいのですが...
..その前に英語の勉強しないと...

from Y
追追記

......Practical Watch Repairingって日本でも売ってるんですね^^;;
しかも日本の方が安いと....誰かOUTBIDしないかな^^;;
27325 ◆V5etiz87qQ :03/02/24 23:33
>>Mr.Y

またまた色々と楽しい資料のご紹介有難うございマス!大変興味深く拝見いたしますた。

http://groups.msn.com/ProbusScafusia/page4.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=343

はワタクスも拝見しておりますたので今回の「リフト」はこの角度についてのお話であ
りマス。ここの角度が急峻だとMr.Yの仰るとおり衝撃も大きくなりますし、インパルス
面の損傷などの原因ともなりましょうし、そしてそれはゼンマイ側から見ると駆動抵抗
が大きいという事を意味しているのではないかと愚考すた次第ダス。ただしガンギ車の
角速度が一緒の場合はこのリフトが急峻な方が入りヅメ/出ヅメを上方向に押し上げる
加速度が速くなるためアンクルそのものは強く振り石を叩くのではないかと考えた次第
ダス。

時計用語は洋の東西を問わず混乱しているようダスが、今回は無用の混乱を避けるため
に、

・入りヅメ/出ヅメのロック面............................ロッキング・フェイス
・入りヅメ/出ヅメの衝撃を受ける面................インパルス・フェイス
・ガンギ車のロック面............................................ロッキング・サーフェス
・ガンギ車が入りヅメ/出ヅメをどつく部分....インパルス・サーフェス

という事で行きたいと思いマス。
27425 ◆V5etiz87qQ :03/02/24 23:34
昨日は「Draw」を理解するのに非常に手間取りますた。未だ完全理解には至っておりま
せんが要するにMr.Yの仰る通り、

> ツメ石がアンクルをバンキング ピン(いわゆるドテぴん)に押し付ける事
> を示しているのかな?と思っています。
> 実際にはアンクルのロッキングコーナがツメ石に接してから、少し滑ってア
> ンクルがバンキング ピンにぶつかるのだと思うのですが?
> このガンギのロッキングコーナーとツメ石のロッキングコーナの距離も微妙
> なんだろうな?
> と思います。

とそういう事なんダスね。で、Drawでドテピンに押しつけられたアンクルが振り石の
作用でガンギ車をアンロックする時に一瞬ガンギ車が僅かに押し戻された後に主ゼンマ
イの力によってガンギ車のインパルス・サーフェスが入りヅメ/出ヅメのインパルス・
フェイスに襲いかかる、というイメージはようやく昨日ボンヤリと呑み込めたように思
いマス。
27525 ◆V5etiz87qQ :03/02/24 23:35
ドナルドおやじの"Practical Watch Repairing"にも、

"Unlocking involves a slight recoil of the train"

などと書いてあって「ナルホドなあ」と思ったのですた。輪列は脱進機の作用によっ
てこれまた振動というかキックバックというか、そんなものを受けながら粛々と動い
ておるのダスね。輪列全体が振動系なのダスね。当たり前ダス。でもワタクスはちょ
っと感激?すますた。

ちなみにこのレバー式脱進機の発明者と言われる英国人トーマス・マッジは迂闊にも
この「ドロー」の必要性に気づかず「思ったより正確に動かんなあ」とか思っていた
らすい。ヨシュウア・エメリー(Josiah Emery)というスイス人だがイギリスの時計
業界で働いておったお方がこの「ドロー」の重要性を発表した、という話ダス。ドナ
ルドおやじの本にそのような事が書いてありますた。

本日は眠いのでここまでといたすます。
276名無しさん@揉んで〜る便座:03/02/25 21:20
25さん

先ほどLIFTに関するメールしましたが、添付ファイルが重いかも?です。ごめんなさい^^;;

で、今回の情報だと
右側のバンキング ピンにアンクルが当たった時のelipse(アンクルピン)と天真の中心線を結んだ線。
左側のバンキング ピンにアンクルが当たった時のelipse(アンクルピン)と天真の中心線を結んだ線。
この2本の線の成す角度がLIFT角度みたいですね?

仮想LIFTはアンクルが左右にツメ石に当たった瞬間ののelipse(アンクルピン)と天真の中心線の成す角度
で、security-angleがアンクルをバンキング ピンに押し付けるに必要な角度。すなわちDrawだと思います。
→こっちは少々怪しいです。

http://www.timezone.com/article.aspx?id=horologium&articleId=horologium631673748207665706
の真ん中の右側にある菱形の絵の上側の角度みたいです。

謹んで訂正します^^;;

from Y



277名無しさん@揉んで〜る便座:03/02/28 02:04
保守^^;;
279Cal.7743:03/03/03 22:47
>>25さん

Practical Watch Repairing着です。
良本を推薦いただいて多謝です。
なお、Watch&Clock Encyclopediaも着!!
これも良本です!機会があったらgetしてください!
from Y
280Cal.7743:03/03/07 22:26
ageついでに....
ちょっとスレ違いですが、秘密の良サイト!
http://old.timezone.com/WebPages/Features/EscapeWheeling/EscapeWheeling.html#

特にhttp://old.timezone.com/WebPages/Features/EscapeWheeling/escape8/
はお勧めです!

時計の仕上げの歴史を調べだしたら大変そうだな〜

from Y

281Cal.7743:03/03/10 23:42
保守age
28225 ◆V5etiz87qQ :03/03/11 22:08
>>Mr.Y
色々興味深いファイル、サイトのご紹介有難うございマス。最近仕事で苦しめられてお
りますて実は全然勉強が追いついておりません。そろそろだいぶヒマになって参ります
たのでじっくり勉強してみたく思っておりマス。

さて、>>258-262に書きましたジャピィなどが一つの例でありマスが、1700年代末か
ら1800年代初頭にかけては既に全時計産業横断的に「大量生産の方法」が広く求めら
れるようになっていた、という事は明らかのようでありマス。そして地域差はあるもの
のその頃には工業技術、生産力というものが徐々に高まってきておりますて、蒸気機関
の発明、各種機械要素の技術の進歩、冶金工学的な技術の進歩などの成果が時計産業に
応用されるのもほぼ時間の問題、といった趣がこの1700年代後半には漂っております。
あれこれ本を読んでおりますと実際にこの頃には色々と野心的な人物が時計産業界にも
出現いたすますて、ある者は成功し、またある者はついに成功することが無かったりす
て、これらの人生模様もなかなかおもすろいモンだなあと思わされマス。
28325 ◆V5etiz87qQ :03/03/11 22:09
そんな中でもひときわ印象的な人物の一人に「早く生まれすぎた悲劇の天才」を地で行
く人生を送ったピエール・フレデリク・インゴルド(Pierre-Frederic Ingold/1787-
1878)というオジサンがおります。

インゴルドはスイスはビエンヌ(Bienne=Biel/ヌシャトル、ヌバビユの東隣の町)の生
まれ。長ずるに及んでスイスとフランスにて時計修行をいたしますて時計師となった訳
でありマスが、若年期にはおフランスはパリのブレゲの工房で修行をしておったという
華麗な経歴の持ち主でもありマス。

多分アタマの切れる有能な人だったんだしょう、ある頃(多分40歳頃)「標準化された
パーツを多用した時計の大量生産」というアイデアを思いついてこれに夢中になり、以
後の人生をこれの実現に捧げる事となります。この頃、上の方でも出てきたジャピィに
時計製造方法についてコンタクトを取ったりした記録が残っておるそうダス。
28425 ◆V5etiz87qQ :03/03/11 22:10
あれやこれやありますたがインゴルドは伝統的時計製作法を続けている故国スイスでは
時計の大量生産をすることはとても出来るものではない、と見てそれまで居を定めてい
たジュネーブを離れ、かつて時計修行をしておったフランスのパリに舞い戻って新時代
の時計製造会社を設立いたしますた。その名も「パリジャン時計製造会社(Parisian
Watchmaking Co.)」。何ともお洒落な名前ではありませんか。これが1835年頃のこと
、インゴルド48歳。その会社の設立趣意書というのが意気軒昂なものでインゴルド氏の
意気込みが感ぜられますので以下に粗訳すます。

「当社は既に200フランから600フランのあらゆる時計の注文にお応えする準備が出来
ております。当社は、当社の所有する完璧な製造機械群を用いて時計生産量を現在の何
倍もの規模にすることも可能です。これらの機械群を用いれば時計の主要部品は全て、
信じられないスピードかつ標準化されたサイズで次から次へと製造する事が可能であり
ます。その精度の高さは信じがたいほどのアドバンテージなのであり、これこそがライ
バル不在のまま当社の設立を可能たらしめた根本なのです」
28525 ◆V5etiz87qQ :03/03/11 22:11
多分資本家たちから金を集めるためにもこうして花火をブチ上げる必要があったのであ
りましょう。このように華やかに花の都パリで立ち上げたインゴルド氏の新事業ではあ
りますたが4年ももたずにブッ潰れますた。その原因はどうも、

1.機械が未成熟だった
2.旧来の職人たちの頑強な抵抗

この二つに求められるようダス。特にプレスマシンで形成された歯車やブリッジ類の仕
上がりに対して職人達は「これは匠の技の堕落である(the degradation of a valuable art)」
と猛烈に反抗したものらすい。Chapiusの本を読むとその抵抗について"rebellion"と
いう言葉が用いられておりマスからこれは殆ど「暴動」と言うに相応しい頑強な抵抗だ
ったのだしょう。

恐らく当時の職人さん達はスイスで言う「キャビノチェ」的な感性を色濃く残した人々
だったのだしょうね。アタマはカチコチだけどとにかくクラフツマンシップに欠ける仕
事するなんざとんでもねー、と思っておったもののようダス。

そんなこんなでこの「パリジャン時計製造」は紛糾しておるだけでちーとも資本家に利
益還元が出来んもんですから資本家達がシビレを切らせて手を引いてしまったのであり
ますた。これが1840年の事。
28625 ◆V5etiz87qQ :03/03/11 22:12
哀れ、52歳にして人生を賭した新事業に失敗すたインゴルド氏ではありますたがこれで
意気消沈してしまったかと言うと全然そんな事はありませんですた。自分の着想、能力
に自身を持つインゴルド氏は次なる自己実現の新天地としてイギリスを目指したのであ
りますた。

イギリスは重商主義の国、そして産業革命の国でありますて「国が産業を育てる」という
気風が盛んだった模様ダス。1700年代には「議会的重商主義」というものが盛んだった
そうで、インゴルドが招かれた「ブリティッシュ・ウォッチ・アンド・クロックメイキン
グ・カンパニー」も時代は1840年代ながらほぼ「議会によって設立された国策会社」と
言えそうダス。

インゴルドおやじのイギリス以降のお話はまた別の日にご紹介申し上げたいと思いマス。
287Nikator ◆L6IWC.89Yo :03/03/11 22:24
>>25
畏れ。ここだけレベルが突出してますな。誰も知らない初期の時計
産業が一読するだけで分かってしまう…。
28825 ◆V5etiz87qQ :03/03/12 22:02
>>Nikator様
ご無沙汰をいたしておりマス。この非常に寂れたスレにお越しいただきご感謝申し上げマス
。ワタクス、未だにIWCの時計を入手いたしておりません。オールドインタースレ経由で色
々な画像など拝見して「どのIWCをワタクスの最初の一本としようか」と煩悶いたしており
マス。


さて、インゴルド風雲録イギリス編でありマス。

あれこれ時計の本を読んでおりますて感じますのは、18世紀末〜19世紀中盤にかけての時計
産業というものは「勃興するハイテク産業」とも言うべきものでは無かったかという事実ダス。
例えば1990年代に「これからはパソコンは一人に一台の時代だ」とパソコンが爆発的に普及
して今日に至りマスが、ちょうどそんな按配で18世紀終盤には早くも「これからは時計も一人
に一個の時代が来る」と思い定めた人々が一定数おりますた。そしてその「時計一人一個時代」
の覇者になろうと様々な試行錯誤が始まったのがちょうど18世紀末〜19世紀中盤という時代で
は無かったかと思われマス。

で、産業振興にさといイギリスは次世代のハイテク産業たる時計産業の育成に色気を見せてい
たものの様ダス。ここに、時計の革新的大量生産を情熱的に夢見るインゴルドと金の成る木の
欲しいイギリス議会との利害が一致し「ブリティッシュ・ウォッチ・アンド・クロックメイキ
ング・カンパニー」(British Watch and Clockmaking Co.)の設立に至った、というのが実
際のところでありましょう。
28925 ◆V5etiz87qQ :03/03/12 22:05
この時点でインゴルドは彼自身の発案になるいくつかの「革新的特許」を所有しておりますて
これもイギリス側に出資を決心させる材料になった模様でありマス。資本を出す側からしてみ
ればインゴルドの様な人物は魅力的であったのだしょう。恐らくはアップルコンピューターの
スティーブ・ジョブスの弁舌の前にコロリとダマされて巨額の資金を提供したロス・ペローみ
たいなもので「私にはこの人の言っている最新の技術・理論は理解できないがこの人がただも
のではないという事は判る。きっと何かやってくれそうな気がする」という感じだったのでは
ないだしょうか。インゴルドの事を次世代のハイテク産業の旗手、という風に受け止めておっ
たのだしょう。

インゴルドも相当口八丁、手八丁の男だった様子ですので案外「私がブレゲ師匠のもとで修行
しておりました折には・・」とか「私の考案いたしましたこの特許技術は真に革命的なもので
あり時計産業に大いなる福音をもたらすでありましょう」とか何とか相手を魅了しつつ煙に巻
く適当なヨタ話をしておったんではないかと想像すると楽しいダスね。

という訳でイギリス議会肝いりの国策企業として華々しくスタートした同社でありますたが、こ
れも実は3年もたずにブッ潰れたのでありますた。1843年3月31日、二度目の不渡り手形を出し
てしまったのでありマス。

驚いたのはイギリス議会でありマス。「インゴルドちゅうのは天才的技術者という話ではなかっ
たんか?一体どういうこっちゃあ?」とばかり慌てて聴聞会を開いたのでありますた。
29025 ◆V5etiz87qQ :03/03/12 22:07
会社側の言い分は「これというのも時計組立部門が余りにも不効率過ぎたせいだ。だが最新鋭の
機械を導入することによってこの会社は甦る筈だ」というものですた。が、野党側は「そもそも
インゴルドの持ってきた特許なるものが実体に乏しいものではないのか。インゴルドはただの空
想家に過ぎないのではないか」と厳しく追及したのでありますた。

  ※「空想家」の原文は"speculator"でありマス。これを「空想家」と訳すか「山師」
    と訳すかは迷うところでありマス。

実際この会社のどこを叩いても明るい材料は皆無でありますた。会社の内容もデタラメ。カット
モアの本にこの聴聞会の担当官が「ブリティッシュ・ウォッチ・アンド・クロックメイキング・
カンパニー」に出向いて事情聴取をしたレポートが載っておりマス。以下粗訳。


「1843年3月の事情聴取において、我々聴聞委員会は会社側に対して時計製造機械を動かして
我々の面前で本当にきちんと時計が製造出来るのかどうか証明せよと迫った。これはこの事業
存続の可否を判断するためにも必要な要求であった。ところが我々のこの要求は不真面目きわ
まりないデタラメな理由で拒否されてしまった。当聴聞委員会はこの会社は未だに特許に謳わ
れているだけの仕事を行う能力が無いという事をここに謹んで宣言するものである」


結局この聴聞会において「ブリティッシュ・ウォッチ・アンド・クロックメイキング・カンパ
ニー」はその内容のヒドさ故に事業中止が決定されインゴルド氏は放逐されたのでありますた。
29125 ◆V5etiz87qQ :03/03/12 22:09
フランスとイギリスで二つの会社を堂々とツブしたこの時点でインゴルド氏、見ようによって
は殆ど詐欺師同然でありマス。ただ詐欺師と違うのはインゴルド氏自身は大真面目に自分の理
論と能力を信じていたという事でありマス。最初から金を騙し取るのが目的で金を手にしたら
ドロンするのが詐欺師でありマス。ところがインゴルド氏はドロンするどころか自分の金もつ
ぎこんで最後まで頑張っていたらすい。だからイギリス議会も「ヤツはただの空想家だ」とは
言いますたが詐欺師だとは言っておりません。

イギリスを放逐されたインゴルド氏、このとき56歳、初老でありマス。普通この年齢で大きな
失敗を繰り返したら意気消沈してガックリと老け込みそうなものでありますがそこがインゴルド、
ただ者ではありません。彼は捲土重来を期して新たなる新天地を目指したのでありますた。この
時代、ヨーロッパ大陸で失敗し、大英帝国で失敗した野心家は一体どこを目指したらいいのであ
りましょうか?

そう、それは自由とチャンスの国、アメリカ大陸であります。「ワシのすんばらすい時計理論を
かの新大陸に広めてやるわい」と1845年、インゴルドは58歳にして成功を夢見てザッパーンと
荒波渦巻く大西洋を渡ったのでありますた(註:大西洋は本当は結構穏やからしいダスね)。

アメリカにおけるインゴルドのお話はまた別に日にご紹介申し上げたいと思いマス。
292Kinoko:03/03/13 11:56
25様
面白すぎます!全部読んじゃいました。
293Cal.7743:03/03/13 22:19
25様
グラスヒュッテの「カレ・パワーリザーブ(ムーンフェイズ付)」か
ランゲの「ランゲ1・ムーンフェイズ」、ブレゲの2時の所にムーンフェイズ
の付いた、パワーリザーブのタイプ(クラシック)どれににしようか迷っております。
グラスヒュッテとランゲでは、存知の通り定価で倍の差があります。
また、ブレゲにいたっては、ランゲより更に100万高い!
一概に、価格が高ければよい商品と言うわけではありませんが、総合的な面から見て
どれがいいのか、アドバイスをいただければと思っております。
何卒、宜しくお願い申し上げます。
294Cal.7743:03/03/13 23:30
あんまり長いんで、コピペあらしかと思ってぞ。
29525 ◆V5etiz87qQ :03/03/14 21:16
>>292
有難うございマス。このスレ、ワタクスの備忘録のようなつもりで独り言同然に勝手に使用さ
せていただいておりマスがそれでも肯定的なご反応は有り難く思いマス。

>>293
うーん、これはまた意外なご質問でありマスが実はワタクスにはこのご質問にお答えする資格
はないものと思われます。と言いますのも実は293さんの挙げられた時計のどれもワタクスは
存じません。ワタクス、新品の時計は滅多に購入しないので良く分からないのでありマス。

恐らく何百万円もするような時計の選択に迷っておられるのだと思いますがそれは車で言えば
ポルシェにするかフェラーリにするか迷っているようなモノですから293さんはある意味では
非常な果報者でありマスね。無責任な事を言うようでありマスが、散々迷ってもポルシェを買
ったら買ったでその楽しみがあり、フェラーリを買ったら買ったでまた別の喜びがある訳であ
りマスから293さんにおかれましても敢えて人の意見に耳を貸さずにご自分の感性を信じてご
決断なさるのがよろすいのでは無いだしょうか。このクラスの時計でそれぞれが独自の世界を
持っていないとはワタクスには思えないからでありマス。

ワタクスの知識不足のためこのような抽象的回答にしかならない点、ご容赦下さいマセ。
296Cal.7743:03/03/14 22:30
25さん

インゴルド氏の巻、楽しませていただきました。
オイラ的には"speculator"=「空想家」でしょうか?
なんとなく、back to the Furtureのドクを思い出してしまいました。

ところでIWCの創立者、ジョーンズはアメリカからスイスに渡ったのが、その直後というのが愉しいですね。
なお、IWCを入手されるなら、ごく普通のCal.854をお勧めします。
それとCal.77かCal.95の懐中時計を1個。Cal.77なら既出のCressArrowがお勧めです。
854はヤフオクで懐中時計はE−bayで見つければ両方で15万円位ではないか?と思います。

それと持っているかもしれませんが”基礎時計読本「改訂増補」”がhttp://www.laterre.co.jp/f_shopping.htmlで購入出来ます
もっとも、調速機の原理などは先日の腕時計の調整法byイエンドリッキーそのものです。

from Y
297Cal.7743:03/03/15 00:14
>このクラスの時計でそれぞれが独自の世界を持っていないとはワタクスには思えない

俺も、迷うなら買わない方が良いと思う(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン
29825 ◆V5etiz87qQ :03/03/15 22:09
さて、本日もこの寂れたスレの恐怖の独り言タイムがやって参りました。

先日来続いておりますインゴルド風雲録のアメリカ編でありマス、とここまで話を引っ張
っておきながら何でありマスが、実はアメリカにおけるインゴルドの活躍については殆ど
確たる資料が無いのでありマス。記録が極めて乏すいのでありマス。明らかなのはインゴ
ルドはアメリカにおいても成功しなかったという事実のみでありマス。

最終的には失敗に終わったとは言え、フランスやイギリスにおいてインゴルドは「新会社
設立」という小さな成功を味わった訳でありマスが、アメリカにおいてはその小さな成功
すら果たせぬまま何と、インゴルドはアメリカからの国外退去を命じられて失意のうちに
スイスに帰らざるを得なかったのでありマス。

今回ワタクスがインゴルドの事を調べた本は、

"Watches 1850-1980" (by M.Cutmore/David & Charles book/1989)
"Technique and History of the Swiss Watch" (by Jaques & Chapius/Spring Books/1970)
"The History of Clocks and Watches" (by Eric Bruton/Crescent Books/1979)
"American Watchmaking" (by M.C. Harrold/私家版/1984)

の4冊でありマス。それぞれが少しずつ記述が異なっておりますので難しいところではあ
りマスがそれらを総合して得られるアメリカにおけるインゴルドの足跡は以下の通りであ
りマス。
29925 ◆V5etiz87qQ :03/03/15 22:10

  ・1845年、インゴルドはニューヨークに上陸した
  ・インゴルドは1845年〜1855年までアメリカに滞在した
   ※但しこの説はハロルドによる。対してカットモアは「比較的短期間のアメリカ逗留」
    という表現をしている
  ・インゴルドは自分自身の機械を複数台アメリカに持ち込んだ
  ・インゴルドは自分の機械でレバー式脱進機の時計を造った
  ・インゴルドは最初は歓迎された
  ・アメリカ市民権も与えられた
  ・ところがその後国外退去を命ぜられてスイスに戻った

エリック・ブルトンによれば「しかしながら明らかにインゴルドに対抗する勢力があり、
程なくしてインゴルドは訳も判らぬまま、アメリカから退去させられた」のだそうであり
マス。自由とチャンスの国であり、能力ある個人が尊ばれるアメリカにおいてインゴルド
が何故あたかも不良外国人のような扱いを受けて国外退去を命ぜられなければならなかっ
たのか、その理由は上記四書からは読みとれませんですた。どなたかご存知の方がおられ
ますたら是非お教え下さいマセ。
30025 ◆V5etiz87qQ :03/03/15 22:11
で、インゴルドがアメリカに滞在した何も資料が残っていないこの10年(ハロルド説)につ
いては二つのとらえ方があるのダス。

(1)この期間にインゴルドはその後のアーロン・デニソンらに代表されるアメリカの時計大
量生産に繋がる種を蒔いた
(2)アメリカにおいてもインゴルドは声高に騒いでいただけで結局何も実らなかった

上記(1)と(2)では天と地ほどの差があるのダスがインゴルドが渡米した1845年という時期
がまた絶妙で「インゴルドがアメリカの時計大量生産に携わる人々をインスパイアしたのだ」
という説明はどう考えても可能ダス。というのもデニソン、ハワード、モズレーと言ったア
メリカの時計産業人達が「ウォッチ」の大量生産に乗り出したのはあくまで1850年代に入っ
てからでありますて、それまではインゴルド的な意味での大量生産は始まってはおらんかった
のダス(ピットキンの機械は除外。なおインゴルドの機械はピットキンの機械よりは優れてい
たらすいダス)。

インゴルドはニューヨークという大都市で最初は歓迎されたという話ダスから「スイスから
時計の大量生産の宣伝にやって来た変なオヤジがおるらすい」ぐらいの話はアメリカの時計
産業人の耳にも入っていたでありましょうしニューヨークに商売に来たついでに「どれ、そ
のスイスの変なおっさんの顔でも拝んで来るか」ぐらいの行き来はあっても不思議は無いと
愚考いたすます。

また、1886年にとあるアメリカの時計工場にまだインゴルドの機械が置いてあった、という
事実が報告されておりマスのでアメリカの時計産業がインゴルドの機械を知っていた事は確実
でありましょう。

そすてインゴルド自身も、

「アメリカの奴らはワシの機械を使って時計の大量生産をやりおったんじゃあ!」

と終生主張して譲らなかったそうでありマス。老人性の思い込みによる妄言なのかあるいは
何かそう断言するだけの根拠があったのか、それは判りかねマス。
30125 ◆V5etiz87qQ :03/03/15 22:12
ところがハロルドなどのアメリカ人側からしてみると「別にオレ達ゃインゴルドの世話にな
っとりゃせんぜ」と言いたい模様ダス。確かにデニソン(アメリカン・ウォッチ・カンパニ
ー〜ウォルサムやらの創始者。大活躍したが複雑な人生を歩んだ)はインゴルドとは会った
ことも喋ったことも無いらすい。ハロルドは時計製造機械類もあくまでアメリカン・オリジ
ナルでインゴルドの機械なんざ参考にもしとりゃせんがな、と言いたげでありマス。

実際調べてみますとアメリカのクロック業界は当時、国際的に抜きん出た水準にあり、ハー
ランド、テリー、ジェロームなど時計の大量生産をある程度志向、実現していた人々が早い
時期からおりますたのでこれらの流れから見るに「別にインゴルドがいなくてもアメリカ人
がウォッチの大量生産に着手するのは時間の問題だった」というのも一方では事実らしく思
えマス。どちらが本当かというのは誰にも断言出来ませんだしょうね。

インゴルドがアメリカの時計産業に与えた影響については上記四書のどれもが「影響があっ
た」とも「影響が無かった」とも断言しておらず「影響を与えたかも知れない」という表現
になっておりマスがワタクスは「この元気なオヤジならニューヨークでギャーギャー騒いで
目立っていただろうからアメリカの時計産業人に有形無形の影響を与えたことは確実だろう」
という風に思いマス。
30225 ◆V5etiz87qQ :03/03/15 22:13
>>Mr.Y
ワタクスもインゴルドはどこか"Back to the Furture"のドクみたいなイメージがあるなあ
と思っておりますた!

尚、ジョーンズがスイスに渡ったのは1869年との事ダスがそのときに持ち込んだアメリカ
の機械類がインゴルドの影響を受けてアメリカで発達した物だった、などと想像すると楽し
いダスね。

ワタクス、インゴルドの話を読んでおりますうちに「何故ヨーロッパでは時計の大量生産が
遅れ、アメリカが先行独走したのか」という理由が少し判ったような気がいたしますたので、
それについて後日、もう少しインゴルド関連の独り言を続けさせていただきたく思いマス。

IWCのアドバイス、書籍のご紹介ありがとうございますた。
303Cal.7743:03/03/20 01:07
>>25
テキーラ裏板の内容キボン
30425 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 20:20
皆様、本日もこの寂れたスレの恐怖の独り言タイムがやって参りました。
インゴルドの話をもう少し引っ張りたいと思いマス。

さて、失意のうちにアメリカを去らねばならなかったインゴルド氏、もう行くところとて
なく、仕方なく故郷のスイスに戻ったのでありますた。ハロルド説に従えばこのときイン
ゴルドは68歳。既に老人でありマス。普通だったら今度こそ意気消沈してしまいそうなも
のでありマスが驚いた事にインゴルド氏、この期に及んでもまだあきらめておりませんで
すた。インゴルドの夢、自分の考案した先進的機械でもってウォッチを革命的に大量生産
するという夢は余程大きなものであったようダス。このあたりの事情はChapiusの本に曰く、

"Upon his return to Switzerland, to La Chaux-de-Fonds and Geneva, he again
sounded the alarm, wishing, once more, to set up in his own country the model
factory of his dreams. But his voice was unheard."

ということでありマス。

インゴルドは夢よもう一度と自ら夢に描いた工場を実現すべくラショードフォンで、ジュ
ネーブで、例によってワーワー声高にウォッチの大量生産の事業化を唱えたものの、もは
や誰もインゴルドの言説に耳を傾ける者はいなかった、とこういう事ダスね。ひょっとし
たら「あのオッサンに関わるとロクな事にならん」とか思われて避けられたおったんだし
ょうか?
30525 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 20:21
ワタクスはひょっとしたらインゴルド氏の失敗にばかり目を向け過ぎて、インゴルド氏の
事を少しばかりコッケイにご紹介しすぎたかも知れません。確かにインゴルド氏の足跡に
はどこか、夜空の星を眺めて哲学的思索に耽りながら歩いておって地面につまずいて転ん
で笑われたというギリシアの哲学者を思い起こさせるところがありマスが、だからと言っ
てまるで地に足がついていなかった訳では無いのでありマス。

>>285にも書きますたが、インゴルドの失敗の本質はどうも、

1.機械が未成熟だった
2.旧来の職人たちの頑強な抵抗にあった

が最大の理由と思われマス。ちょっと整理すてみましょう。
30625 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 20:22
●失敗の本質1:機械が未成熟だった●
イギリス議会は「ヤツはただの空想家だ、ヤツの特許には実体がない」と断じますたが、
インゴルドの発案、製作した時計製造機械は実はなかなか優れたもので、例えば地板を仕
上げる工作機械などは地板の素材をその機械に一度セットするだけで地板の表側、裏側を
一連の流れの中で一気に仕上げてしまう、というもので当時の手仕上げと機械を併用した
平均的な作業に比べると隔絶した高水準のものだったそうでありマス。また5本スポークの
歯車のブランクホイールを切断面を面取りした状態にまで一気にプレスしてしまうマシーン
というのもあったそうでありマス。香箱も素材を一度セットするだけで一気に完成品にま
で削りだしてしまう旋盤というのもあったらすい。その他色々インゴルドのアイデアは尽き
ることが無かったらすい。

だがこれらのインゴルド設計の機械の致命的欠点は「余りに野心的に過ぎ、時代に先んじ過
ぎていた」という事にありますた。前述の「素材を1回チャックにセットするだけで地板をオ
モテ、ウラの両面を仕上げる機械」というのは本を読む限りどうも「コンピューターの無い
CNC旋盤」とも言うべきものでそのセッティングはX軸、Y軸を数値的に「人間が」制御する
事によって事前に決められたサイズへの削り込み、決められた位置への穴開け、さらには三
次元的な加工までもしていたものらすい。だから「最初にいかに正しい位置にチャックを持
ってくるか」という事によって部品の寸法精度は大きく差が出てしまったらしく、そしてこ
の部分はオペレーターたる職人のウデに頼るしか無かったらすいダス。つまり「動き出せば
一気に地板を削り出すが動き出すまでの下ごしらえに異常に時間がかかる」という機械だっ
た様ダス。
30725 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 20:22
1840年代にこんな事をやっていれば機械はなかなか動かず、歩留まりも悪いのは当たり前で
あってインゴルドは本当なら「全ての作業を一台で済ます革新的な機械じゃあ!」などと欲張
らず、地板を削り出したりこれに穴を加工したりするにしてもその時代に実現可能な2〜3種類
の簡素な機械に分担させるべきだったのだと愚考いたしマス。それはインゴルドの少し後に生
まれたジョルジュ・オーギュスト・レショ(Georges-Auguste Leschot/1800-84)というお
人がインゴルドほど野心的でない機械でバシュロン・コンスタンチンと組んで一時はなかなか
の規模の成功を収めた事からも、そのように思う訳でありマス。

が、頭が良すぎてがそれが出来ないところがインゴルド氏、「早く生まれすぎた悲劇の天才」た
る所以なのでありましょう。Chapiusの本にも「インゴルドの思い描いたビジョンは恐らく彼の
時代には進みすぎていたのだ。だが彼は(その時代に)この地上に生まれてこなければならなかっ
た・・」という件りがございマス。余談ダスがX軸、Y軸で数値制御して正確な穴開け位置を探り
出すポインティングマシンが実用になったのは1912年のDixiのマシンからだと言われておりマ
スからいかにインゴルドの発想が進んでおったかが判りマス(1842年頃)。
30825 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 20:52
●失敗の本質2:旧来の職人たちの頑強な抵抗にあった●
>>284-285にも書きますたが、フランス時代のインゴルド氏、工場が立ち上がると同時に「何じ
ゃこの粗末な部品を作り出す機械は!」みたいな理由でフランスの職人たちに暴動に近い抵抗に遭
っておりマス。インゴルドはこの紛争を解決出来ずに「パリジャン時計製造」をツブしますた。

また、>>288-290には書いてありませんがイギリス時代にもインゴルドは職人たちの頑強な抵抗
に遭っておりマス。

"The History of Clocks and Watches" (by Eric Bruton/Crescent Books/1979)という本に、

"Ingold and his ideas were not well received. His factory was attacked by angry craftsmen..."

というくだりがありますて、これは普通に訳すと「インゴルドと彼のアイデアは快くは受け入れら
れなかった。彼の工場は怒りに燃えた職人達によって襲撃された」という事になりマス。

恐らくインゴルドの時代はまだ職人たちが新時代の製造機械に敵意を燃やして「打ち壊し」に来る
時代だったいう事はほぼ確実だしょう。そう言えば産業革命以来、紡績機械?だったか何かを「自
分たちの仕事を奪い、生活を脅かすもの」として敵視して昔風の職人たちが打ち壊しに来たとか何
とか言う話を世界史の授業か何かで聞いたような気もするダス。1840年代のヨーロッパの時計産業
というのはまだそんな時代の空気を残しておったという事になりましょうか。
30925 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 20:54
ワタクスはこれが、この気風がヨーロッパの時計産業が大量生産という意味においてアメリカに遅
れを取った大きな理由だと感じますた。産業革命前にはクラフツマンの鑑、美風であったキャビノ
チェ的感性が時代が下るにつれて逆に障害となり、結局ヨーロッパの時計産業のこの体質は少しず
つは改善されたものの1860〜1870年代にアメリカの時計産業という黒船に出会うまで根本的には
改められる事が無かったのではありますまいか。

※但しキャビノチェ的気風が障害となるのは「時計の大量生産」という切り口から見た場合の話で
あって、逆に「いたずらに効率を追わず、いかに高度のクラフツマンシップが反映された時計を造
るか」という切り口から見ればキャビノチェ的気風の欠如は致命的障害になる、と愚考いたすます。

対してアメリカに目を転じてみるとアメリカの時計(ウォッチ)産業は全くの新興産業であったため
そのようなくびきは殆ど一切無かったようでありマス。Cutmoreの"Watches 1820-1980"とい
う本に、

「アメリカにおけるウォッチ製造は新しい雇用を生み出す明らかに新しい産業だった。そしてアメ
リカにおいてはそもそも伝統的なウォッチ産業が無かったのであるからそれはアメリカのいかなる
他の産業を破壊するものでは無かったのである」

という風に書いてあるのを読みますとこの差が「時計(ウォッチ)の大量生産」という意味で旧大陸
と新大陸の間で大きな違いを生んだ要因になったと考えざるを得ないのでありマス。インゴルドの
ヨーロッパにおける失敗の原因のひとつにはこうしたバックグラウンドの差は無視できない要因で
はないかと思った次第ダス。
31025 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 20:56
その後、インゴルド氏が91歳(!)で没するまでどんな風に過ごしたのかは詳びらかではありません
がインゴルド氏には一つだけモノになった発明がありました。それは時計用歯車の「歯」をミリン
グするマシーンで、どうも歯面を一定の曲線(恐らくインボリュート曲線か?)で加工する事が出来
る当時としてはなかなか斬新なマシーンだった模様ダス。この発明がインゴルド氏のキャリアのい
つ頃のものかはつまびらかではありませんが、この機械は売れたと言いますから晩年のインゴルド
氏はひょっとしたらこの発明のアガリで食っておったんだしょうかね?

ですがインゴルド氏の能力、夢、野心、そしてその人生の軌跡を思えばこの発明も余りにささやか
な成功と言うより他は無い、とワタクスは思うのでありますた。おすまい。
31125 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 21:03
>>303
多分とある掲示板の会員専用エリアの事を言っておられると思いマスがワタクスは入っておりませ
んのでご報告する事も出来ません。ワタクスは余りネットリテラシーの高い人間では無いのでネッ
ト上で自分で自分のやっておる事が理解できていないという事がままありマスが何で貴殿はワタク
スの行動が判るのですか?貴殿はそういうネット関連技術にたけたプロフェッショナルなのであり
ますか?
312Nikator ◆L6IWC.89Yo :03/03/21 21:15
ここだけダントツですな。コメントのしようがありませぬ…。敬服…。

そうそう、スイスとイギリスの時計産業がアメリカに遅れた理由には、
アメリカには資本の集中があった、とは指摘できるかも。一因にはな
るかと思われ。この点について、イギリスは脆弱で、スイスに至って
は極度にプアでありますた。

この話は帰宅したらチョト書きますね…。
31325 ◆V5etiz87qQ :03/03/21 21:38
くどくてスミマセン。ふと思い出すたのダスが、インゴルドのフランス時代の時計製造会社の名前
について。これが本によって「フランス時計製造会社」(French Watchmaking Company)と書い
てあるものと「パリジャン時計製造会社」(Parisian Watchmaking Co.)と書いてあるものとがあ
りマス。

最初は何かの誤植の類かと思いますたが実はこれが非常におもすろい事にその頃、ほぼ同時期に「フ
ランス時計製造会社」と「パリジャン時計製造会社」という二つの会社が別々に存在しておって、そ
のどちらも「新時代の機械技術で時計(ウォッチ)を大量生産する」というよく似た理念を掲げておっ
たらすいのダス。で、多分「パリジャン時計」の方がインゴルド。で、「フランス時計」の方は一体
誰が立ち上げた会社なのか資料も記録も残っていなくて良く判らない模様ダス。両者は時期、業態が
似ていた為にインゴルドの会社名として両者が混乱、誤伝があって本によってこのような差が生まれ
たものらすい。

1835年頃といえば日本で言えば明治維新まであと30年ちょっとという江戸末期。この時代だと確か
に資料が散逸してしまうという事はあるかも知れんダス。それにしますても「もう一人のインゴルド」
がいたらすい、という事実は非常に興味深いダス。うっかりすると二百年近くも前の事になりマスが
この時代、次世代のハイテク産業、パーソナル・ウォッチ産業に名乗りを上げながらもついに成功す
る事なく歴史に埋もれてしまい、その名すら残っていない野心家が何人も存在していたのでありまし
ょう、とワタクスは感じ入るのでありますた。今度こそおすまい。
314時計勉強中:03/03/22 23:57
25さんへ
まだまだ続けてください。
315Cal.7743:03/03/30 17:49
ageます
316Cal.7743:03/04/03 13:05
age
317Cal.7743:03/04/08 17:09
age
318Nikator ◆L6IWC.89Yo :03/04/09 01:12
あの読んでおります…。。。このまま良スレを絶やさないでって、
アメリカの資本の話も書かなきゃいけなかったわけでつね。。スマソ。

影ながらエールをば♪
319Cal.7743 :03/04/09 16:59
age
320Cal.7743:03/04/09 21:00
最近オンラインカジノでよく遊んでるよ!
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32125 ◆V5etiz87qQ :03/04/10 00:03
Mr. Nikator>>
ご無沙汰いたしておりマス。
アメリカ資本のお話、ワタクスは経済に疎いので是非よろしくお願い申し上げマス。

ところでNikator様、ワタクスこのたび、

"Official Catalogue of Swiss Watch Repair Parts-1949"

という2冊組の本を入手いたしますて今ウハウハ言いながら眺めておるところダス。この本は有名
な本なんだしょうかね?ワタクスは何の予備知識もなく買いますた。本来は時計師がムーブ特定お
よびパーツ注文をするための本のようダスがこれが世に多いのか少ないかも知らんダス。

で、「1949年じゃー古すぎるかもなー」と思って開いてみますと50年代の時計ムーブがバンバン
載っております。どうも前オーナーさん?が自分に便利なように中身を1951年〜1959年あたりの
「追補版」に大幅に差し替えておられるようなのダス。

Part1の方には1949年度のエボーシュSA傘下17工場の全ムーブ図版というのを基本として追補
版が加えられていて、ムーブの写真点数としては500点以上あるんではないだしょうかね?クロノ
グラフだけでもビーナス、バルジュー、ランデロンなどが入り乱れて70点以上あるダス。
32225 ◆V5etiz87qQ :03/04/10 00:04
Part2の方は所謂「ブランド・ウォッチ」のムーブ図版で占められておりマス。聞いたことのない
ブランドも多いダスが、オーデマ・ピゲ、ブランパン、IWC、ジャガールクルト、オメガ、バシュ
ロンコンスタンチンなどの図版がずらずら並んでおりマスずら。

が、実はページの大半が追補版に差し替えられおりますて、1949年当時の資料は捨てられている
みたいダス。そのせいか、IWCなどはキャリバーは5つしか載っておりません。パテックとかレマ
ニアなんかはトビラ表紙だけで本文写真なし。誰か持っていってしまったんだしょうかね?オメガ
なんかは1959年版で30以上写真が載っとりますて隆盛を誇っておる様子が窺えマス。

中に"Martel Watch SA"(マーテル)というのがありますて、ここのムーブがユニバーサルのクロ
ノのムーブとまず同一。例えばユニバーサルの281系とマーテルの1226系は双子にしか見えません。
ユニバーサルの481系とマーテルの1416系も双子同然。「じゃーこれがユニバーサルのクロノを手
伝っとったがその後モバードに身売りされたというマーテルか」と得心が行きますた。この会社の場
所は"Les Ponts-de-Martel"というル・ロクルの隣村。ダニエル・ジャン・リシャールが一時ここ
で仕事をしておったそうダス。その頃からこの地方は美麗な文字板と複雑時計で有名だったそうダス。

しばらくはこの本を眺めて暮らそうと思っておりマス。
323Cal.7743 :03/04/16 14:34
期待age
324Cal.7743:03/04/16 14:48
いいスレだ!
70年代のインターか
一本買うか
325山崎渉:03/04/17 13:39
(^^)
326Cal.7743:03/04/19 09:11
age
327山崎渉:03/04/20 02:12
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
328Cal.7743:03/04/22 21:10
age〜
329Cal.7743:03/04/22 21:12
330_:03/04/22 21:13
  ∋8ノノハ.∩
   川o・-・)ノ <先生!こんなのがありました!
__/ /    /   
\(_ノ ̄ ̄ ̄\
||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄||
 ...|| ̄ ̄ ̄ ̄||
http://www.muryou.gasuki.com/hiroyuki/index.html
331Cal.7743:03/04/26 14:52
保守
332Cal.7743:03/04/26 15:45
ミリオタですので、アンティークの軍用時計を買いますた
喜んで毎日使っていたのですが、最近どーも左腕が重いです
と、思っていたらなんだか体調がおかしくなり、寝てるとうなされるように
なりますた

こっ、これっていったい...ぬぬぬ!
333サブ吉:03/04/26 15:48
333
334Cal.7743:03/04/28 00:25
>>332
壷と印鑑いかが? W
335Cal.7743:03/05/08 21:21
336Cal.7743:03/05/08 21:29
>>335
なんか、フェティッシュとか
60以上とかあるんですけど
337Cal.7743:03/05/08 22:11
>>336
踏んだよ・・・
なんか・・・人生観変わったね!
特に、一番下の右から2番目・・・
338エリートレプリカ ◆RmbFZM3c8o :03/05/08 22:45
ポールニューマン欲しい
339おいドン:03/05/08 23:06
>>338
とうに死んでるよ。
340エリートレプリカ ◆RmbFZM3c8o :03/05/08 23:38
>>339
死んでてもなんでもいい。欲しい。パチでもこの際・・
341Cal.7743:03/05/08 23:43
>>340
そっくりサンを以前TVでみたよ。
342おとん:03/05/09 07:52
>>339
俺もほしい 5万ぐらいで本物を
343bloom:03/05/09 07:55
344Cal.7743:03/05/10 08:47
ポールニューマンみたいなオメガが丸井限定であるよ。
345Cal.7743:03/05/10 14:54
ロンジンの初期ドレスウオッチクオーツで、文字版6時位置にフェラ−リ
と表記してあるのですが、珍しい物でしょうか?
346Cal.7743:03/05/10 15:51
それは鑑定スレで聞いた方がいいのでは
347Cal.7743:03/05/10 15:52
それは鑑定スレで聞いた方がいいのでは
348Cal.7743:03/05/19 19:03
age
早く出てこい
349山崎渉:03/05/22 03:31
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
350山崎渉:03/05/28 11:59
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
351Cal.7743:03/06/02 19:15
age
352Cal.7743:03/06/09 20:42
保守

353Cal.7743:03/06/14 06:33
aga
354Cal.7743:03/07/02 13:10
やっぱ時計はヴィンテージですよ!ヴィンテージを語らずして腕時計を
語るなかれ!と言ってageてみるテスト。
355Cal.7743:03/07/03 16:05
全くの初心者です。ロレックスのレディスが欲しいのですが、
これらが充実したおすすめお店、ありますか?
356Cal.7743:03/07/13 23:24
25氏再臨期待age
357Cal.7743:03/07/13 23:56
>>355
ヴィンテージもののロレ?
358山崎 渉:03/07/15 13:29

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
359355:03/07/16 11:57
>>357
1910年〜40年くらいまでのを希望しています。
36025 ◆V5etiz87qQ :03/07/23 20:17
このスレ、まだ残っておりました!山崎 渉氏のおかげダスね。

最近は仕事に追われておりました。でも細々と読書は続けておりマス。やはり
時計の歴史は面白いダスね。また折りを見てお邪魔いたしマス。
361Cal.7743:03/07/25 23:07
25さん

ご無沙汰!
362Cal.7743:03/07/25 23:21
>>360
がんばって続けてください!
363腕時計大好き:03/08/01 03:28
このスレ大変参考になりました。興味深く拝見しています。
小生 専らイ−ベイとUSヤフ−でアンティ−ク品(ついでにシュピ−デルや
JBチャンピオン クライスラ−の伸縮バンドも)を落札購入しては 知りあいの
時計屋さんでオ−バ−ホ−ルしてもらい悦にいっています。
当初はハミルトン エルジン ヲルサム ウィットナ−等を集めていましたが
最近はキングストン シ−ランド レンジ− ハ−ヴェル ユルスユルゲンセン
など日本での知名度がほとんど無いに等しいブランドのタンクスタイルやドレス
タイプを集めています。どれも驚くほどハイセンスで美しくしかも正確堅牢
特に10K金張りケ−スとバンドのコンビは何ともいえません。
シャンデリアランプの下では素晴らしく映えます。しかもほとんど全てが40年
以上前のもの。時計を集める歓びを感じます。
それにしてもアメリカのアンティ−ク市場は凄い。マニアも目が肥えています。
そして何より値段が安い。
364_:03/08/01 03:41
365山崎 渉
(^^)