グランドセイコー&キングセイコー Part 8

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セイコーは「服部時計修繕所」ってのがスタートだからね。
つまり、舶来掛け時計の修理やさん。
明治初期は似たような同業者がたくさんいたんだってさ。

修理屋やってるうちに、自分のところでも時計作りたくなって出来たのが
販売店「服部時計店」の製造部門「燕H舍」。
今でもたくさんあるよな、販売店がムーブだけ買ってきてオリジナルデザインの時計売るパターン。
GSXとかチックタックとか。昔も今もノリは大して違わないよね。

大正期の燕H舍製懐中時計に“SEIKO”の文字が無かったことに留意!
品質が悪くて、舶来まがいのexcellentとかtimekeeperとか、
とにかくテキトーな横文字つけて、デザインだけ舶来っぽくして廉価で売るしかなかったらしい。
高品質の舶来と勘違いして買っちゃった人もいたことだろう。

安かろう悪かろうは「品質管理」の概念が無かった昔の日本製の全ての工業製品に当てはまるけどね。
サンパチ式歩兵銃でも何でも、とにかく品質の悪さは職人技でなんとかフォローしてたってのが事実。

戦前の東京大学で、成績ナンバー1の卒業生に天皇陛下から下賜される「恩賜の時計」ってのが
あるんだけど、たしか昭和初期までウオルサムかなんかじゃなかったっけ?

それほど昔のSEIKO製品は品質が悪かったんだよ。そして舶来コンプレックス丸出し。
クオーツでやっと、スイス製に追いついたと思っていたら思わぬ機械式回帰。
技術も技師も切り捨ててきたSEIKOには思いもよらぬ誤算だったことだろう。

今のSEIKOの迷走ぶりは、いわば「幼児帰り」をおこしてるんじゃないかっていうのが俺の考え。

これを乗り切らなければいつまでたってもSEIKOは名実ともに
本当の「世界のSEIKO」と、胸を張って言えるとは思わないな。