蜀敗退の最大の敗戦責任者は?

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1風の谷の名無しさん
誰よ?
2無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 13:12
3:2001/01/28(日) 17:30
長い目で見れば荊州とられたのがいたかったんじゃないか?。
ということでその責任者関羽に1票。
4無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 17:36
最大の責任はやはりトップということで劉禅に1票
5敗戦裁判:2001/01/28(日) 17:47
劉封・孟達(関羽助けなかったため)
劉禅(皇帝としての・・・)
張飛(呉討伐すすめたため)
劉備(呉との戦いで・・・)
6名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/28(日) 18:07
諸葛亮だろ。彼が丞相になってから、おかしくなってきた。
法正が生きていれば・・・
7名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/01/28(日) 18:11
劉備
そもそも歴史上、不要だった。
8無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 18:15
歴史上不要なんておもしろすぎる言葉が出てきたな。
9無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 18:16
劉備の夷陵の敗戦は大きかったね。
失われた人材、兵などを考えてもその後の蜀に悪い影響を与えたのは間違いない。
孔明はその尻拭いをさせられた上に北伐までせざるをえなかったんだから
仕方ないと思う。
10無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 18:31
歴史上不要・・・ねぇ。
ちと、意味がわからんが。

関羽・・・荊州を奪還された責任は計り知れない
姜維・・・国力を消耗させるが功は無い
劉禅・・・名君とも暗君とも思えるが結果論なら

劉備は彼が居なければ蜀の成立は無かったわけだから除きました。
11無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 18:32
孔明が是が非でも出兵を止めさせればよかったんだよ。無理かな?
12程c食人@お腹いっぱい:2001/01/28(日) 18:44
関羽と鳳統に2票
13姜維:2001/01/29(月) 00:26
私は無冠の帝王清原?博かー・・・。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 16:51
>2
双方とも適当でないと思われage
15無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 17:43
1張飛
2劉備
3関羽
16名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/01/29(月) 17:48
馬糞
17無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 20:38
趙雲。
阿斗助けたから。
18無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 22:50
↑ってことは麋夫人も同罪かな?
19無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 23:01
>>17
阿斗が死んでいたら当然劉封が後継者だよね、
個人的に劉封好きなんでそうなっていたら嬉しいけど
実際劉備が死んだら劉永や劉理との後継者争い
なんていう事も有ったのかな?
20無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 00:02
どうだろね。
阿斗がいなきゃ劉封が関羽見捨てることもなかったっぽいしな。
実力、名声共に劉封、ってなるんじゃない?

でも養子ってやっぱ立場弱いのかな?
でも関平がんばってたよな
21名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/30(火) 00:09
>1
敗戦責任者って北伐?それとも夷陵?
荊州を奪われた時はまだ蜀じゃなかったから無しとして。
22無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 00:13
>>9に同意。

そう考えると、やっぱり関羽かなあ。
荊州を取られたこともそうだけど、斬られたことですべての歯車が狂って
いったように思える。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/30(火) 00:16
馬ショク
24風鈴火山:2001/01/30(火) 00:33
>>21
最終的に蜀が中国を統一出来なかった=敗退
でいいんじゃないですか?

それで、どの戦争、と指定していないのでしょう。
25無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 00:55
で、1はどこ行った?
立てっぱなしか?
26無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 01:39
黄皓
27風の谷の名無しさん:2001/01/30(火) 01:44

うん
28無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 01:56
>>20
 関平が養子ってのは演義だけの話じゃなかったっけ?
29無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 06:59
「最終的に蜀が中国を統一出来なかった=敗退」
だと、話が続かないなあ。誰にも責任無いからね。
日本が太平洋戦争でアメリカを占領できなかったことの責任者は?
って問うようなものだよ。
30南蛮王:2001/01/30(火) 08:58
関羽に一票、やっぱ。
蜀内での戦犯と言う事であれば。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/30(火) 10:50
>29
ミッドウェーの指揮官
32無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 13:29
>>31
南雲か?
ミッドウェーだけが原因なら五十六あたりの責任も
33無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 13:33
ミッドウェーに勝ってても、
アメリカ「占領」は出来ないだろ。
つまり蜀の中国統一もそれくらい無理があったってこと。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/30(火) 13:47
「占領された」のが問題なんだよ
35名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/31(水) 10:52
age
36kita:2001/01/31(水) 14:08
やはり、 人を見る目が無かった孔明の責任があると思うなり。
でも個人的には、basyoku かな。
37無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 20:00
むしろ劉備が曹操に潰される時間を延ばすために蜀に逃げ込んだ
っていうのはうがち過ぎか?
38無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 20:01
本気で天下が取れると思いこんで入蜀したのだろうか?
39名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/01/31(水) 20:55
>>37、38
漢の高祖の先例があるからね。
40東海定王:2001/02/02(金) 23:44
>>38殿
他に選択肢がなかった+ちょっとは可能性があったぐらいかと。

ホウ(广龍)統が死んでなかったら、諸葛亮が荊州に残っていた
だろうから、呉に隙を見せることもなかったろうに。
41無名武将@お腹せっぷく:2001/03/07(水) 00:46
ちなみに、劉禅が死でも他に実子がいるから関係なく
劉封は皇帝にはなれなかったよ。
今きづいたけどリュウホウって劉邦と発音同じなのかな?
42無名武将@お腹せっぷく:2001/03/08(木) 09:51
まぁ実質上は劉備って事になるんだろうけど。
でも、それを諌めてこそ名臣って事で諸葛亮かな。
諸葛亮は諌めたけどさ。
……ってことはやっぱり劉備か?(笑)
43無名武将@お腹せっぷく:2001/03/08(木) 15:33
劉備
蜀をちゃんと劉表から奪っとけば
44無名武将@お腹せっぷく:2001/03/08(木) 15:48
>>43
もう一度自分で書いた内容を確かめてみよう
45つうか:2001/03/08(木) 16:14
魏・呉・蜀全てが敗退でしょ
三国とも大陸を統一出来てないよ
46無名武将@お腹せっぷく:2001/03/08(木) 18:18
>>45
そんな論法だと歴史上に勝利者なんていないだろが。
47ワン・リクソン:2001/03/09(金) 18:13
第1級戦犯は・・・ダントツで孟達でしょ!!!

理由1. 関羽に援軍を送らなかったこと。
   (送っていれば戦況は変わっていた可能性大。少なくともおちのびることはできたのでは?)
理由2. 諸葛亮の諌めきかずに仲達を侮り、みすみす長安・洛陽進出のきっかけをつぶしたこと!!

ついで、問われるべきは馬謖!!
やはり北伐の勢いを潰した張本人であることから・・・。
同じ理由から、李厳、苟安達の責任はおおきいのでは?

そして個人的には忍びないが関羽!!
実際問題、彼が戦死してからの蜀軍の歯車が狂ったのは事実であるため。
(まあ、桃園の誓いや、張飛の性格を考えればいずれにしても3兄弟の運命は
関羽の戦死で決まったようなものだったと思うので、諸葛亮は悪くない。)

てなとこでしょうか。

48無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 18:55
責任って意味から言えば
最高責任者の劉備・劉禅と孔明に決まってるだろ。
49無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 22:20
情を抜きに言えば、どうみても劉備3兄弟。
特に関羽。呉と仲良くせいって孔明に言われたろうに!
張飛もそうだが、部下にも尊大な態度だったらしいしな。
・・・自信過剰も、過ぎると己の首を絞めるだけ。
だから、土壇場で部下に見限られるんだよ
50無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 22:30
女遊びのしすぎで死んだ劉奇
劉奇の死は痛かった
51馬謖:2001/03/09(金) 22:52
俺じゃない(w??
>50 劉gかな??
52無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 22:57
諸葛亮・魏延。
この2人の仲の悪さが蜀滅の原因。
戦略的にも全く合い入れず。りゅうびの死後あからさまに魏延の反抗
53無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 23:04
姜維。個人的に大好きだけど。
孔明は魏が何万、何十万の魏軍が攻め込んできても
漢中以西に侵入できないように指示を残して身罷った。
しかし姜維は一挙に魏との雌雄を(長安奪取のためだろうが)
決するためその防御線を自ら壊してしまった。
蜀の敗退はこれに起因するのではないか。
54無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 23:10
>53
でもそれ以前に、国はもうガタガタだった訳だしなぁ。
どちらにせよ蜀は長くは持たなかったろう。
姜維もそれを知ってて、北伐を強行した気がする。
座して死を待つよりは・・・って精神か。
国をここまで追い込んだのはだれだーー!?
5553:2001/03/09(金) 23:28
がたがたではないよ。
だって費偉、ショウエンがいたのだよ。
というかその二人が死んで姜維を止められる人間がいなくなった。
それで姜維が興す北伐の兵力も数倍に膨らんだわけだ。
その膨らんだ兵こそが本来漢中を防衛するための兵なわけ。
そして連年の出師が蜀の国力を…てわけだ。
その意味では費偉とショウエンてのもありかもね。
ショウエンを蝕む病魔と費偉のあっけない暗殺。
これこそが孔明亡き後の蜀の命運をきめたんじゃないかな。
56無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 23:55
>>52
仲は良くなかったと思うが、公の場においてはいいコンビだと思ってる。
魏延も作戦前に自分の意見を主張してるけど、決まった後に(愚痴ることは
あっても)命令違反なんかしてないだろうし。
57無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 01:05
>>55
ショウエンはキョウイを先鋒に北伐をもくろんでたはずだが。
ショウエンが、内政外征と
一番孔明に近いやりかただったのでは?
58無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 03:33
曹豹
59無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 03:46
赤壁で曹操を切らなかった関羽が悪い。
曹操を生かした時点で魏に勝つ事は不可能になった。
でもこのエピソード演義だけだっけか?
60司馬懿:2001/03/10(土) 04:25
誰でもイイよ。俺のひき立て役みたいなもんだから
それはともかく、マジレス多いな(藁
61無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 13:06
age
62ワン・リクソン:2001/03/10(土) 19:51
逆に全く名があがらなそうな人物は、趙雲ではないだろうか?
てのはダメ?
>60ん〜でも美学がないようなきもするが...
63無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 22:49
趙雲は名前の挙がるほどの立場にないじゃん
64無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 22:59
趙雲はボディガードだからね。戦略失敗の責任は負いません。
65無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 23:36
そもそも蜀にも呉にも天下統一する力はない。
孔明だろうが関羽だろうが関係ない。
魏が強すぎた
すなわち曹操やじゅんいく、司馬仲達あたりが責任者。
66無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 23:43
>>65
じゃあ、官渡で負けて曹操を飛躍させた袁紹が責任者
67無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 23:53
関羽でしょう。荊州を失ったのがすべて。
68無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 00:20
趙雲って吉川三国志でも誰かの護衛役か、兵500くらいで特殊任務って
イメージだったけど…。世間はそんなに過大評価なの?
69無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 00:43
趙雲は華々しい戦果はないけど、負け戦で一番力を発揮する
タイプだったと思うよ。

70無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 00:59
拾いグセは治しましょう。>チョーウン
71無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 01:13
一番の見せ場を否定されちゃ彼も浮かばれまい
>ちょーうん
72無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 03:14
チョーウンの懐の中で酸欠になって
阿斗が馬鹿になった説に一票
73無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 03:20
>>72
じゃあ趙雲が最大の責任者になるのか?
74無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 03:35
阿斗なんて孫夫人にあげればよかったのに・・・ボソッ

じゃ、やっぱ趙雲が・・・
75無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 07:46
リュウビはリュウゼンを虐待してました
76無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 11:34
張任。もしくは劉ジュン(←正史準拠)。
ホウ統を殺したから。
77無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 12:38
厨房ながらレスさせてもらうと・・・
蜀(=劉備・劉禅陣営)が中原制覇をなしえなかった原因は・・・
@天下三分の計において蜀勢力の要となる荊州を失ったこと
A北伐のための食糧補給が満足にいかなかったこと。
が原因だと思う。
それを考えると戦犯は・・・
1位:関羽
諸葛亮の戒めを無視して呉を軽んじてないがしろにした上、部下に厳しく当たり結果として荊州失陥を招いた。
2位:劉備
私怨から夷陵に出兵し大敗、蜀の国力を大いにダウンさせた。
もし、呉がハンキョウ、張達を差し出して和睦を申し出た際に応じていればその後の展開も大いに変わったはず。
3位:馬謖
もっとも順調にいっていたと思われる第1次北伐において諸葛亮の軍命に背き街亭失陥を招き、蜀全軍退却に至らしめた。

こんなところだと思うけどどうですか?
78無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 12:52
>部下に厳しく当たり
どこで見た関羽評か知らないけど、士卒に優しく同僚や上を軽んじる気風があった
っていうのならしっている。
79無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 19:10
>>78
多分>>77はフシジン、ビホウあたりのことを言いたいんじゃない?

80無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 21:23
 光栄『三国志6』にて

ビ芳「密かに思いますに、小ハイの太守には
   関羽殿よりそれがしの方がふさわしいかと」

アンタすげえよ。
81無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 23:12
>>79
いまさらだけど、「フ」シジンにしようぜ。
恥ずかしい
82無名武将@お腹せっぷく:2001/03/12(月) 01:18
やっぱり関羽だろうなあ。
荊州失陥で天下三分の計が崩れてしまったから。
本格的に天下取りに乗り出そうという時の
大失敗の罪は重い。
83名無しさんの野望:2001/03/12(月) 01:28
魏・蜀・呉・荊州(関羽)の四国鼎立状態だったと考えるとどうよ?
荊州は単に先に滅んだだけ、みたいな。
84名無しさん@お腹いっぱい:2001/03/12(月) 23:04
荊州とられたのが痛いよ。関羽にも責任あるけど
荊州まるまる関羽らに任せたほうも任せたほうだよ。
諸葛亮の癖にって感じだ。
85無名武将@お腹せっぷく:2001/03/12(月) 23:30
それだけ人材不足
86無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 02:41
非違を殺したのはキョウイでしょ?
87無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 03:58
一番の転機はホウトウの戦死では?
それからは、順調なようでいて、少しずつ歪が大きくなっていったように思う
88無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 04:02
劉禅を作った劉備と夫人が一番の責任者!
89無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 08:01
王甫
90無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 13:55
>>89
何故?

関羽に一票。

関係ないが、
魏延が言うように一気に長安衝いてたらどうなっただろうね。
91無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 20:23
http://salad.2ch.net/test/read.cgi?bbs=warhis&key=978598261&ls=50
『北伐』はたして勝ち目はあったのか?
>>90ここで結構語られてるよい
9290:2001/03/13(火) 20:59
>>91
ありがと。
93無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 23:58
フセンって武将いますよね?あれと一緒に関を守ってたショウジョっていませんでした?
そいつ。
94無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 00:56
幸福を勧めたショウシュウ。
95無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 01:07
軍に不協和音をもたらした魏延
96蜀将:2001/03/14(水) 01:28
キョウイ様の最後の策が成功していれば・・・
おのれ・・・誰だっけ?バラしたの。
97無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 03:41
>>93
確か、ショウヒンとか言うやつじゃなかったっけ?
ショウエンの息子だったような気が
(三国志正史によると!?昔そう読んだ気が)・・・。
で、フセンが、夷陵にて戦死したフトウの息子・・・。
誰かフォローを!スマソ。不確かな情報なのでsage。
98無名武将@お腹せっぷく:2001/03/15(木) 11:05
ばかもん!
蜀が順調に中原制覇して三兄弟も健在しとったら
現代の三国志ファン人口は100分の1くらいじゃ。
99無名武将@お腹せっぷく:2001/03/15(木) 14:21
中山靖王の子孫だと、言い張りつづけた劉備かなvv
100無名武将@お腹せっぷく:2001/03/15(木) 14:34
中山靖王の時代から250年も経ってて、しかも中山靖王は子沢山だった
わけだから、嘘かどうかなんて正直わからん。
その間、王莽に前漢は滅ぼされてるんだから、当時の劉氏は没落した
人もいても不思議ではない。

疑わしいのは、劉備が中山靖王の子孫かどうかよりも、献帝がそんな
いくらでもいそうな存在をありがたがったのかどうかってことだな。
むしろ劉備という存在に藁をも掴む思いだったのかも知れんが、あの
時点での劉備はそんなに力ある存在とも思えん。
101無名武将@お腹せっぷく:2001/03/15(木) 14:53
 曹操にいい加減ムカついていた献帝としては、どう見ても
うそくさい流れ者とは思っても、とりあえず自分にすりよって
来る者は味方と思えて、力強かったのでしょう。あるいは
そう考えて自分を勇気づけていたのでは?
102無名武将@お腹せっぷく:2001/03/16(金) 10:31
>100
中山靖王の子供って120人成人しているわけだから、あの当時彼の末裔って
中国全土にごまんといたはずなんだよね(笑)。
別に劉備が珍しいわけではない(笑)。

というか、劉備って綺麗ごと言っても結局のところ皇帝に取って代わりたかったわけでしょ。
劉備のそういう感情、わからなかったのかな。献帝。
103無名武将@お腹せっぷく:2001/03/16(金) 10:37
>>102
分かっていても、一応漢の再建を言ってくれる劉備と簒奪狙いまる分かりの曹操なら、
多少なりとも縁があって漢の名前を残してくれそうな劉備の方が「よりまし」と思ったんじゃないの?
104無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 00:08
っていうか、結果論からだから、誰が悪かったとか言ってもこの人!って言えないけどね。
105無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 00:57
なんのかんのいっても劉備は「末裔だよーん」という看板1枚きり
であとは謀略と腕力と世渡り上手で皇帝にまでなった人物だからな
あ。彼のとこに来るのが一癖も二癖もあるのは当然で、ミスもする
しポカもするだろ。
んだから蜀全体の責任てことでひとつ。
106無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 01:07
でも、コウメイ、キョウイを悪く言うヤツ結構いるけど、この二人は悪くないだろう・・・
尽くしたと思うけどなぁ・・・
107名無し武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 05:16
マジレスするならば、
敗戦の責任者なんていませんよ。
蜀漢は成立時から滅亡するまで、魏に勝る
兵力、領土を持った事は無いと思います。
それで勝てるはずが無い。
勝てたらそれこそIF戦記(笑い)

ネタとして考えるなら
司馬徽でしょうか?
こいつが「伏龍、鳳雛どっちかGETしたら
勝ったも同然!」
なんて劉備に吹き込んだ所為で、両方手に入れた
劉備は安心しきって、テキトーぶっこいたって事で
108無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 06:25
どう考えても劉備だろ
こいつはだたの農民
孔明は実がなく結果を残していない
蜀は漢とのつながりがまったくない
後継という意味では魏が正統
蜀は黄巾と同じたぐいの反乱独立勢力
109無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 06:29
ついでに言ってしまえば劉備は
蜀に漢の人間は一人もいないにもかかわらず
漢の皇帝を称したとんでもない男


110無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 06:41
その気になれば正統な後継資格のある
漢の皇族などたくさんいたにもかかわらず
たまたま劉姓であったのをいいことに
皇族の末裔を称して
自分自身で帝位についた劉備は
漢が生き続けていれば逆賊であり
蜀の建国は理にかなっていない
よって蜀の滅亡は当たり前のこと

111無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 07:37
漢が滅んだから劉備は帝位についたんだが。
それに、蜀漢は後世の呼び名であって、当時は漢。
まあ、劉備たちが掲げたイデオロギーは明らかに歴史に逆らっていたけどね。
結果として見る歴史だけじゃなく、当時の被占領者である益州人にとっても。
112無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 12:43
本当に漢王朝を立て直す気があったんなら、献帝を自分のところに呼ぶとか、
他の皇族を呼び寄せるとかイロイロあったはずだよなぁ(笑)。
それをしなかったって事はやっぱり自分が皇帝になりたかったんだろう(笑)。
「演義」ではそれを正当化するから嫌なんだよね。
皇帝になりたいならなりたいでいいじゃん。とか思う。
113無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 15:42
劉備は献帝を奉じることなく
皇帝を自称することがある意味、劉備らしさ
その後ろめたさは演義でフォローされているが
劉備が献帝を補佐すれば
曹操と同じ奸賊になる
いや孔明がいる分よっぽどわるい
劉備は孔明を漢に入れることにより
利用されたあげく孔明の漢乗っ取り野心の手助けをした
成り上がり皇族として歴史に名を残したかも
そのほうがよっぽどマシ
蜀は何もかも失敗だらけ
114無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 15:49
そういう論理展開だと、漢の再興の先例を示した劉秀が一番悪いんじゃないか?
115無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 19:33
魏が上手だったということではないか。
未来人でもなければ蜀を勝利に導けた人物はいまい。
116無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 23:22
>>108->>113
なんだかなぁ。
>こいつはだたの農民
ただの農民にあれだけ人がついてくかな?簒奪を後継とは…
ただの王朝交代ってだけで後継といっちゃあ、ね。
>蜀に漢の人間は一人もいないにもかかわらず漢の皇帝を称したとんでもない男
普天の下、漢土に生まれたものはみな漢の人間だろ?
「天子が天子であるゆえんも血のつながりだけってことだ!」
>漢が滅んだから劉備は帝位についたんだが
わかってんじゃんw 漢の国力が衰えたからそれを簒奪するってのは
歴史には逆らってなくても理にはさからってんじゃないの?
117116:2001/03/18(日) 23:40
かったるいからやめた。
ネタにマジレスしてスマソ
118無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 23:48
>107

じゃあ、何で曹操は袁紹に勝ったんだ?
何で赤壁で負けたんだ?
119無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 00:30
そもそも劉備が歴史の表舞台に登場したのは
黄巾の義勇軍は別としても
シ巳水関の呂布との一騎討ちだけど
(ホントにあったかどうかはわからんけど)
それ以降は陶謙の救援に徐州に現れて以来
官渡、荊州、赤壁、益州などで馬超ら反曹操勢力を吸収していったが
劉備は反曹操勢力の受け皿的存在の勢力というわけだけで
漢王室再興の意志は本人にはさらさらないと思う
董承や馬騰らともうまく連携せずに逃げた
蜀は益州の人間以外は反曹の漂浪者の集まりということ
>蜀には漢の人間は一人もいない
と言うけれど、たしかに漢に仕えた人間は蜀にはおらず
劉姓(おそらくでっち上げ)の血統以外に漢の後継たる所以はない
120無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 00:41
しかし反曹操勢力がまがいなり蜀という国家を建国したのは歴史の事実だけど
蜀は国家と言えるようなたいそうなものではないと思う
蜀を国家としてとらえて衰退したというならば
その理由は君主や軍師の能力ではなく
劉備の義理人情を差し引いても
国家の基盤や国としての理念がはっきりしていなかったことだと思う
根拠や実のない曖昧でとってつけたような漢の再興というテーマがよくなかった

121無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 00:47
蜀と呉は魏が天下統一の行程で漢王朝が滅びて
自動的に地方勢力から王朝に昇格しただけで
さらにその途中で魏が滅んだから三国志になっただけ

あ、あたりまえの事か・・・
122無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 00:49
>>120
魏や呉には国としての理念というものがはっきりとあったのかね?
123無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 00:50
蜀は地方軍閥
124キョイ好き:2001/03/19(月) 00:54
蜀が滅びたのはカンガイの黄リョウ(?)によるものが大と考えます。
125無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 01:07
しかしみんな言いたい放題だな。
蜀は良かったじゃない。
色々批判されてるけど。
蜀がなかったら、りゅうびがいなかったら三国志もここまで盛り上がらないべ?
悪く言いすぎ!
蜀万歳!
126無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 01:16
魏ファンの立場から見れば魏のライバルは呉であって、
蜀なんてあってもなくてもいいのよ。
127無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 02:15
んなこたぁない.


128無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 02:33
>>126
魏というより曹操ファンにとってはそうかもね。
曹操のライバルは、前半は袁紹、後半は孫権。
少なくとも劉備じゃない。
129無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 04:23
中国の人が蜀好きなのはわかる
腐敗官僚や権力に立ち向かうで義兄弟なんかが好きそうだから

でも日本人そういうのあんまり好きじゃないだろ
ホントに蜀好きな人いるの?
好きだとしても偽善じゃない?
信長が好きで劉備も好きっておかしくない?
劉備みたいな典型理想型の英雄は日本人には向かないよ
130無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 04:26
なんかだんだん劉備にむかついて来た
なんなんだよこいつは
あ〜やだやだ偽善者は
131無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 04:33
劉備や蜀好きって、俺の勝手だけど
なんかヤダ
偽善者ぶりやがってと思う
だってどこがいいのかわからんよ
マジで
どこらへんがいいの教えて?
道徳的とかいい人だから?
劉備ってどのへんが正義なの

すまんね
蜀ファンの人
132無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 04:37
どうしてだろう
劉備のよさが俺にはまったくわからん
俺だめかな
おかしいかな

どのへんがいいの?
俺は虫酸が走るだけ

あ、ネタや蜀ファン煽りじゃないよ
マジでわからんだけ
133無名武将@お腹せっぷく :2001/03/19(月) 06:01
>>131->>132
蜀って劉備だけじゃないだろ?
孔明とか姜維とか、勝てないとわかってても
身命を賭して尽くすってのは明らかに日本人的じゃないか。
正確にはちょっと前の、かな。
最近の自分だけよければ、ってやつらはたしかに曹魏ファンが
おおいかもしらんけどね。
日本人でもアンケートでは劉備より孔明とか趙雲のほうが
にんきあったし。
134無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 06:09
>>1
蜀の人間内に厭戦気分
が強かったという点。
俺はここの部分にスポットを当てたい。

後もう1つスポットを当てたいのが
蜀末期になるにつれて、人材不足が目立ち
いい人材が育たなかった(人物が2世3世が多い)
という環境自体にも責任があると俺は読む。
ってこれはどこの国も同じか。

と書いてて今の日本を連想しちまった。
鬱だ。逝こう・・・
135無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 06:19
そうなんだよな孔明とか姜維とか
でも孔明の戦歴は現実あやしすぎるよ
孔明は何をしたの?結果を残してないよ
北伐が唯一まともで有名だけど
そもそも北伐の意義とその成果は何なのよ
孔明って何者?まったく世に出ずにいた無名の存在で
実戦経験がなくて何ができるの?
具体的かつ現実的になにをしたの?
なんなのよ孔明って
136無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 06:23
曹操は大虐殺を行った大悪人。
徐州の民に謝罪と補償金を払え!
137無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 06:25
さらに趙雲の義兄弟にとってつけたような存在はなによ

姜維にいたっては末期蜀におけるどろどろとした
無意味な活躍のなによ
姜維は一体なんのために戦ったいたのよ
劉備にも孔明にも借りも義理も恩もないのに

138無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 06:35
蜀は表向き
漢の再興、民のためとか言ってるけど
再興にむけて何も具体的なことしていないし
民のためにのも役立っていない
ただ反董、反曹の義勇軍的立場
劉備の行き着く目標って
ただ帝位につくだけ
ただ戦ぶるだけ
国家としての大儀がない滅んで当然
もうわけがわからん
139無名武将@お腹せっぷく :2001/03/19(月) 06:54
>138
>国家としての大儀がない
漢朝再興だけでも魏呉よりよっぽど大儀だとおもうが。
>再興にむけて何も具体的なことしていないし
北伐は?
>民のためにのも役立っていない
役に立ってない人物が「当時から」廟をたてられたりするかね?
>劉備の行き着く目標って ただ帝位につくだけ
漢朝再興が目的で献帝よりも人心を得ているのなら何の問題がある?
帝位についたのも漢滅亡後。大儀に基づいている。
>ただ戦ぶるだけ
…はぁ。正史よもうね。よまなきゃわけわかんなくてあたりまえだよ。
140無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 11:32
>漢朝再興が目的で
これは無いと思うぞ。漢朝再興は名分であって目的ではない。
141無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 11:35
>>134
2世3世どころか、初期に出てくる連中はほぼ300年以上続いた名家の出です。
142無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 11:37
>>140
一応「漢」って国は建てたんだけどね。
みんな「蜀」って呼ぶから忘れてるだろうけど。
143無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 11:43
↑常識です
姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維姜維
145無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 18:12
>>139
漢朝再興という響きはいいけど
そもそも漢は官僚腐敗や外戚の専横により漢は末期症状だった
ゆえに黄巾のような大規模な農民反乱が起きた
それは董卓の暴虐にかき消されてしまったけど
漢朝再興ということでいえば奸賊と言われるけれど
曹操は現実的な漢の政の再興を行った
劉備の漢朝再興は名目的で無責任なもの
北伐が蜀の魏からの自衛のためで漢朝再興は名目ならわかる
だがそれ自体が漢朝再興の具体的な政策だとすると
民を無視していて意味がない
孔明は何を考えているかわからん
146無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 18:12
たしかに民に慕われているのは事実だけど
(今の自民党じゃないけど)民意がそのまま政に反映されるものではない
荊州の人民との逃避行が事実だとすれば
劉備の行動はまったくの将としてはまったく無責任な行動
勝手について来たとしても将としてはなんらかの決断をすべきだった
民を盾ににしたと言われても仕方ない
義侠だけで政治を行うのは非常に無責任
そもそも劉備の戦は反体制(反曹)であり
国家としての確固たる政策や意義がない
147無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 19:37
民意・・・いつから民主主義になったんだ?
148無名武将@お腹せっぷく :2001/03/19(月) 21:12
>漢朝再興という響きはいいけど…
確かに漢は前漢、後漢とも宦官、外戚に苦しめられ、結局
国を失った。それは確か。
曹操が漢の政治を担うことで漢朝が一時的な政治機能を回復したのも
ほぼすべてが曹操らによるものなのも明白。
しかしいつもそこで言われるのは曹操が帝位を脅かすようになったことだろう。
それがために蜀漢に大義と名分をあたえた。
要するに魏による簒奪がなければ蜀の国是は行き場を失い、
まさに地方の一勢力だけで終わったはずだった。
>漢朝再興は名目ならわかる
代々漢の粟を喰らい、それに対しての報恩こそが大義であって
それを名目として北伐を興す。名目は大義に対してのもので
切り離して考えるものではない。
>民意がそのまま政に反映されるものではない
民の心を汲み取ったからこそガッキ、カンチュウに比される名宰相
とよばれたのであり、連年の北伐にも怨嗟の声があがらなかった
理由ではないか。
>荊州の人民との逃避行が事実だとすれば
>劉備の行動はまったくの将としてはまったく無責任な行動
当陽の戦に関しては正史にも記述があり(十余万の人々が云々、とある)
事実であるが、此れに関しては
まったくそのとうりだろう。ただ義侠だけで行ったというのは不明。
特に孔明が入幕してからは政に現実感が生まれ、それは荊州の戸籍を
整え徴兵の利便を図り、軍の強化を行ったことなどからも読み取れる。
>劉備の戦は反体制(反曹)であり
劉備は「反大勢」であって、むしろ旧体制にしがみついている、といった
方がしっくりくる。そもそも劉備が国家として落ち着いたのは
蜀を得てからでそれ以前はまさに流浪の亡将。
確固たる政策と意義はすべて漢朝再興に基づく国家戦略があった。
それがなければ国家として成り立たない。外部に敵を作り国家の
アイデンティティを支える、というものだ。
ただ夷陵の戦は劉備の本質たる義侠の部分が出てしまったといわざるを
えないが。
149148:2001/03/19(月) 21:13
ながい…スマソ
150無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 22:08
ていうか、劉備が漢王朝復興の為に戦っていたって本気で信じてる人っているの?
もしホントに漢の臣下だったら、献帝が禅譲した時に自分が取って代わろうとはしないと思うけど。
どの道皇帝にはなりたいって思っていたわけでしょ。

孔明や趙雲が好きだって言う気持ちはわかるけど、
劉備が好きだって気持ちは全くわかりません。私は。
正史の劉備ならまだわかるけど、劉備が好きな人の大半は演義派なわけでしょ。
あの偽善のかたまりで、人間的魅力がない(少なくとも私はそう思う)
劉備のどこがいいのかわからない。
これ、煽りでも何でもないです。
マジで不思議なだけ。
151無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 23:53
オレは劉備より孔明の方が全然好きになれない。
公正で清廉潔白で誰よりも頭がいい男にシンパシーなんて感じないね。
偽善を偽善と知りながら、自分の目的とするものが画餅だと知りながらも
自身のアイデンティティ確立のためにもがき苦しむ劉備は最高!
これぞ男だ!(ホントにそう思ってたかどうか知らんけど)
152無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 23:59
ん〜確かにりゅうびが偽善ってのは分かるけど、こうめいやきょういを、
バカにした者はワビいれてほしいって感じ〜
153無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 00:11
いや、もう最近は対抗者としての劉備のファンが主流になりつつあるだろう
154無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 00:33
曹操=天下統一して政をしたい
劉備=ただ皇帝になりたい
孫権=孫家を守りたい
155無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 00:51
>>137
たしかに姜維がなぜあそこまでして戦う理由はない
夏侯覇と同じでただ行き場を失ったにすぎないのか
時代を読み取れる男ではないね
蜀の終末が股肱の将ではなく新参の将で
幕を閉じたことが蜀の反曹の受け皿的体質の表れ
156無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 01:10
>>137
キョウイは『軍事の才があると自負し、
功名を挙げる事を望んでいた。』
これに尽きるような。
157無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 01:18
>>157
ケ艾や鐘会らとの成都における
醜い争いからして野心家とわかる
158無名武将@お腹せっぷく :2001/03/20(火) 02:44
>>157
姜維が劉禅にあてた手紙しってる?
彼がどれだけ蜀と劉禅のことを考えていたか。
なにに野心をもやしていたのか、それが問題だろ?
>>156
それもあるだろうが丞相の恩に報じること、すなわち中原回復
だけが彼の終生の課題になったんだろう。
>>155
姜維は30年間蜀に仕えた股肱の忠臣だ。
どこが新参なんだ?
ならば呂布から下った張遼も新参か?おいおい。
159名無しさん:2001/03/20(火) 03:06
劉備が「ただ皇帝になりたかった」かどうかはさておくとして、
あくまでも通称が蜀であって、
「漢」と名乗っていたことを忘れてはいけないのでは。
つまり魏の禅譲によって漢が滅亡したということを認めないという、
抵抗勢力(現在の台湾みたいなもの?)なのですから。
160無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 03:36
>>158
たしかに成都のことは姜維の最後の抵抗かもしれんが
あまりに結果がお粗末でやり方の意図が不明、
劉禅や蜀のためにとは言いがたいのでは?

だから丞相の恩ってなんなのよ

だからそこ、姜維が蜀に仕えたのは劉備や漢再興のためではなく
行き場を失っていたから、かつての劉備の漢再興の闘争とは
まったく関係のない将、ゆえに劉備の意志をついでいない意味で
股肱ではない
161無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 04:02
>あまりに結果がお粗末でやり方の意図が不明、
>劉禅や蜀のためにとは言いがたいのでは?
…正史よんでないだろ、本当に。よめばわかる。とくに
劉禅に当てた手紙を見ればね。
>だから丞相の恩ってなんなのよ
行き場を失ってたのは事実だがそこを蜀陣営に招いてくれたこと、
目をかけられ愛されたこと、丞相の死後、(軍事面においては)
蜀の後事をまかされたこと、それ以外にもいろいろあるんだろうね。
>姜維が蜀に仕えたのは劉備や漢再興のためではなく…
行き場を無くしただけで命をかけて国のために尽くすか?むしろ
姜維は当時の将軍としても内外に鳴り響いていたんだぞ?蜀に反旗を翻せば
魏における扱いは破格のものだったろう。
>劉備の意志をついでいない意味で …
劉備の意思、漢朝再興は孔明などが継いだ。その孔明の遺託を受けて
中原回復を図っていたのが費偉、ショウエン、姜維だ。
何で漢朝再興のために戦ってるのに劉備の遺志をついでいないといえるんだ?
もういーや。読解読解。がんばってね。
162無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 04:28
でもなんかやっぱり姜維の戦いはむなしいと思うな
163無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 04:35
それに孔明の姜維勧誘はやっぱり
卑劣で卑怯なやり方
それを計略というなら
言いくるめられた姜維はわけがわからん
孔明に後継者として指名されて厄介な国を任されることが
そんなにうれしいことなのかね
164無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 04:51
任されてないと思うが。あくまで後継者はショウエン・費偉。
そもそも姜維は、北伐の失敗を取り繕うために
ビッグネームに仕立て上げられたという説もあるくらいで。
165無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 04:53
姜維が魏に寝返らなかったのは孟達の例をみてるからかもしれないなぁ
166無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 06:02
>>164
だとするとなぜ姜維は蜀へ?
単に行き場がなかったから
孔明が才を認め
自分の兵法を授けたのではないの?
167無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 06:06
どうでもいいけど
典偉も費偉も
「偉」がないんだね
168無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 07:34
オレは諸葛亮に同情する。

不運な事が蜀に多すぎた。徐庶の出奔。馬良・ホウトウ・関羽の戦死
チョウヒ・馬超の急死。
ただでさえ謀士が劉備陣営には少ないのに徐庶・ホウトウが
いないのはあまりにも諸葛亮の負担が大きくなりすぎて、結果的に
諸葛亮の生命を縮めたといえよう。馬良がいれば馬食の台頭も無い。さらに徐庶やホウトウがいれば、荊州を
落とす事は間違い無くなかったはず。ここを落とした時点で長安・洛陽への
2面攻撃が絶たれたのは蜀にとって致命的。
169無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 07:41
極めつけは劉禅だね
孔明もこいつにはお手上げだろうね
劉備の器量もそこそこだったけど
まだマシだった
でも息子ときたら・・・・
こりゃ戦略、戦術論ぬきで
蜀の命運は尽きていた

170無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 10:47
劉禅か……(笑)。
まぁ、彼を後継者にした劉備も悪いわな。
暗愚なのはわかっているんだからわざわざ諸葛亮の負担をかけるようなこと
しなくてもいいのに……。
でも劉禅自体は悪いヤツてイメージはない(笑)。
バカチンだなァとは思うけど。
171無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 11:10
ていうか、荊州を失陥しなければ魏を打倒できたと
勘違いしてる奴多くないか?
172無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 11:15
>>165
鶏頭牛後
173トゥー・リクソン:2001/03/20(火) 15:27
>171
っていうかもしもの話は誰にもわからんと思うが。
174無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 16:11
確率が高いか低いかだね。
175無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 16:26
ミッドウェーで勝っていたら日本はアメリカに勝てた、という議論に似てる
176無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 18:25
物量の前には無力だろ。
どう考えても魏に勝てるはずがない。
局地戦で勝つことはできるだろうが。

ベトナム軍のようにゲリラ戦法を使って撹乱し、
その後の交渉を優位に進めることくらいかな、できることといえば。
177無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 19:24
呉が正気になって蜀同盟を考えれば魏打倒も有り得ない話でもない。
ただその場合でももっと魯粛が生きていればという仮定つきだが・・・
178無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 22:14
>>177
荊州問題があるかぎり呉蜀同盟はあり得ない
どちらかが荊州を領有すれば必ず争いが起こる

呉と蜀が同時に他方から侵攻しても
おそらく魏には通用しないと思う
魏は中原に中央軍とも言うべきの大兵力を持っているから
この二方面からの攻撃に耐える力を完全に持っている

魏を倒すとすれば
赤壁のように呉と蜀が連合して兵力を集中させて
大規模な大戦に持ち込み
自軍の有利な戦場(水戦)にを誘い込むか
官渡のような奇襲や兵站をたたくなど
いずれも大規模な損害を与え
勢いで一気に許都まで進撃して士気をそぎ
回復させずに北に追い込む

179無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 23:34
それにしても、劉備は皇帝になりたかっただけとか、
孔明は平和を乱したとか非難してるやつって、
単に演義における善玉・蜀に反発してるだけみたいでサブイよ。
180無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 23:40
蜀敗退の最大の敗戦責任者は上村純子
181無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:04
>>179
一応議論擦れなので、賛成できない意見にはどんどん反論していきましょう。
煽りれすは当然無視だが。
182無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:21
劉備、善玉・蜀サイコー
とか言う偽善者のほうがサブイよ
183無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:23
だから
劉備とか蜀のどの部分が
みんなは好きなの?
184無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:25
劉備とは

天を知りて
天に甘え
乱世に戦わずして
乱世に乗り

ただ
人を顧みて
人心を抱え込む!

まことにうっとうしい男だ!

185無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:29
男が惚れる男には単純に憧れんかね?
群雄の中で唯一の遊侠の徒というのもカッコイイ。
義侠の世界に生きる男ってのはどんな駄目男だとしても魅力的だよ。
186無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:31
劉備のかっこよさは
最初に演義読んで時から
どう考えてもわからない
187無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:32
劉備が嫌いな奴は秘本三国志読め。
188無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:36
なんでコウメイやキョウイにあれだけ批判できるんだ?
おまえらそんなに偉いのか?
189無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:38
だって劉備って
キモいんだもん
190無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:40
演義の劉備は嫌いだが、正史の劉備は好きという意見をよく見かける
191無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:40
負けずに
魏も呉も批判すればいい

嫌いというか良さが俺もわからん
192:2001/03/21(水) 00:49
歴史に善悪は抜きだから
人間的にはうすっぺらい劉備より
曹操の方が重みがあるし魅力がある
193無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:56
劉備がどうしても嫌いという人多いけど
曹操や孫三代がどうしても嫌いという人は少なくない
劉備好きな人も曹操は悪役としてみても別にそれほど嫌いではない
孫家も脇役としてみても別に嫌いではない
194無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 01:18
>182

まだ分かってない。
195無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 01:18
どーでもいいからじゃないの?>魏、呉
196無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 01:30
>>193
上から2行目が変
>少なくない=それなりにいる

リュウ備は、曹操や孫一族と比べて
最も演義によって人格を変えられたからね。
それであの人格で、史実の展開と組みあわせると
現代人には鼻につく矛盾点が多くなる。
俺はゲームとかでリュウビを選ぶ時は、
『正史のアウトローリュウビだ!』と
勝手に思いこんでやってるよ。
197無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 01:39
でもやっぱり
劉備、蜀の具体的に
どこが好きなのかという意見が少ない

198無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 01:42
この際三國志の主役が誰だかはっきりさせようじゃないか!!!

劉〜備だ〜!!!
199無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 01:47
「女[女咼]」の劉備は「流浪の傭兵」って感じで好感度高い。
正史のイメージともちょっと違うけど。
200無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 03:08
俺のイメージだと
リュウビは若い頃は勉強より
闘犬やオシャレする方が好きだったらしいから
いわゆるチャラチャラした不良タイプ。
で、こいつといれば何か面白い事ありそう、て
いつも周りに人が集まってる奴。
こーゆーチンピラが小国とは言え、
一国の皇帝に成り上がるのに格好良さを感じた。
201無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 03:19
>>200
そりゃ蒼天キャラだろ
演義読んでりゃそんなイメージ出てこねーよ
202無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 03:40
>>201
正史にそういう記述があるぞ。
203無名武将@お腹せっぷく :2001/03/21(水) 03:44
>>198 司馬炎じゃねー、結局さぁ
204無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 03:46
>>202
でも一般的な劉備像じゃない
205無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 06:07
曹操は完全無欠とまではいかないかもしらんが、
誉められすぎでいまいち感情移入できない。
孫権はサクセスストーリーがないし、(建前にしろ)目的や主義が他より印象薄。
やっぱ劉備が一番おもしろい。善人面と奸雄の本性とのギャップも魅力だよ。
206無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 08:35
それにしても>>201は恥ずかしい奴だな。
その辺に売ってる三国志本に書いてあるレベルのことなのに・・・
207無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 09:24
演義(吉川or横山)と蒼天しか読んでなくても
この板に来るのは自由だけど、何でこのスレに・・・?>201
208無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 09:29
そんなレベルの内容が多いからじゃ
209無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 12:59
正史の劉備は嫌いじゃないんだよね。
面白い人間だと思うから。
ただ、演義の劉備って非の打ち所がない完璧人間って感じで好きじゃない。
勧善懲悪は嫌いだ。
演義も劉備、諸葛亮をスーパーマンのように描かなくて、人間くささのある描き方を
すれば好きになれたのに。まぁ、スーパーマンなのが演義の劉備の特徴なんだけど。

で、結局劉備好きだと言っている人って正史の劉備と演義の劉備どっちが好きなの?
演義の劉備が好きだったら、どこが好きなんだろう。
210無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 14:14
一般的な一番人気はやっぱり「演義」の劉備(または関羽や孔明)だと思う。
このスレでも演義版での彼らが好きな人は結構多いと思う。
211無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 16:58
俺も、「演義」の劉備の魅力にコロリと・・・。
関羽や張飛や趙雲や孔明みたいに(ワラ
212無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 22:34
逆に聞くと曹操や孫権の良さがさっぱり分からん...。
213>212:2001/03/21(水) 22:47
http://salad.2ch.net/test/read.cgi?bbs=warhis&key=984361309&ls=50
『あなたが呉・魏ファンになった理由』そこそこ語られている様だ
214無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 23:54
何はさておき、戦に負けても負けてもめげず、
北は幽州のはてから流れ流れて益州にて皇帝になった。
立派だと思うよ。
凡人だったら、絶対あきらめているはず。
215無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 00:16
まあ、みんななんだかんだ批判しても、結局はりゅうびをはじめ、
こうめいやきょういのファンなんだよ。
216無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 00:35
物語の主役が矛盾のない行動を取ってるとは限らない。

「○○は復讐なんて望んじゃいないッ!」
って言っておいて、自分がその立場になれば、
「お前だけは許さないッ!」
なんてのはざらにある。
217無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 00:38
とにかく馬鹿>>201は晒しageってことで。
218無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 01:14
横山や人形劇などの影響で
堅物まじめ人間劉備の印象はある
曹操はどうしても信長とオーバーラップする

あと個人的にだけど孫家=毛利のイメージない?
219Z:2001/03/22(木) 02:34
バショクマジック・・・。
バショクの大バカマジック・・・。
220無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 02:40
蒼天航路おもしろすぎ
221無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 02:54
そもそも
おまえは
天下をどう
したいんだ?

おまえは
政というものを
考えたことが
あるのか!!

222無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 02:55
民草がおまえの虚名に
寄せる想いなど
所詮は
曹操に対する恐れの
裏返しでしかない
曹操の覇業の
あまりの速さゆえ
政の中身を
考える前に
怖さが先に立って
しまうのだ

223無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 02:58
確かに
劉備玄徳の名は
広く知れ渡ってはいる
しかしな
尾ひれがついて
膨れ上がった
おまえの風評を
さらに
講談師や傀儡師が
おもしろおかしく
でっち上げた名では
ないか!

224無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 10:19
>218
あるある。
「天下が本気で欲しいわけじゃなくて、自分の今の生活を守れたらそれで十分
幸せ」みたいな感じだよね(笑)。
そゆとこすごく好きなんだけど。自分自身の大きさわかってるって感じで(笑)。

>223
最初、講談師は史実を語ろうとしたけど、劉備贔屓でアンチ曹操の市井の方々から
「曹操が負けた赤壁で、正義の味方劉備さまの天才軍師・諸葛亮が活躍しないわけが
あるか!!」ってクレームがついて、しょうがなく「諸葛亮が祈ると東南の風が……」
という風に作り替えたって聞いた事あるけど。
225無名武将@お腹せっぷく:2001/03/22(木) 17:58
>223
いつの時代の講談師や傀儡師?
226無名武将@お腹せっぷく:2001/03/24(土) 10:51
>225
晋以降じゃないか?
私223じゃないけど。
227弐編:2001/04/15(日) 10:16
劉玄徳
時代がさうさせたとは言え諸群雄を裏切り過ぎた
228無名武将@お腹せっぷく:2001/04/16(月) 21:33
劉備が人を人を裏切るのは別に時代だから構わない。
ただ、そんな彼が「人徳者」として評されているのが何とも……。
229無名武将@お腹せっぷく:2001/04/16(月) 22:44
元の時代以降漢民族の娯楽に必要だったんだと。
230無名武将@お腹せっぷく:2001/06/08(金) 16:09
少なくとも唐の時代までは曹操は悪役ではなく
尊敬の対象だったみたいね。
231無名武将@お腹せっぷく:2001/06/08(金) 16:49
やっぱり関羽事件かな。あそこで荊州を守れたら蜀は安泰だった。
関羽のところに法正あたりの知将がいればな・・・・
232トウガイ:2001/06/08(金) 16:57
俺が強すぎたわけよ
233トウガイ:2001/06/08(金) 16:57
俺が強すぎたわけよ
234無名武将@お腹せっぷく:2001/06/08(金) 19:00
鳳雛。
こいつが逝ってからショックがおかしくなった。
つーか、実はそれほどでもなかたかもしれないけど。
しかし、少なくとも関羽を補佐して、呉ともうまくやれたのではないだろうか?
235234追加:2001/06/08(金) 19:01
一時周愈の下にいたらしいし
236無名武将@お腹せっぷく:2001/06/08(金) 19:45
法正が死んじゃって蜀には戦に勝てる軍師がいなくなっちゃたんで
法正に一票。
237無名武将@お腹せっぷく:2001/06/09(土) 02:00
法正って病死だっけ?
238無名武将@お腹せっぷく:2001/06/11(月) 03:23
   λ_λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`) <  ホウ統・法正なんじゃネーノ?
   /    ;つ \__________
  (人_つ_つ
239無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 12:20
歴史に善悪は抜きだから
人間的にはうすっぺらい劉備より
曹操の方が重みがあるし魅力がある
240無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 12:40
最初から勝てる戦いでは無かった。
でも蜀の方針は、打倒 魏が大前提だから否応なしに戦うしかなかった
そしたらたまたま最初の辺りに勝ててしまい引っ込みがつかなくなった。
つまるところ運が全部悪い
241無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 12:53
ヒステリックな政治方策が原因
ソウソウ憎しが方針の根幹にあるんが間違い
ほんとうにそうだったのかは知らんが…

劉備が悪いんでない?
ちーとは民衆の事考えてよー
大義名分振りかざしてりゃーいーってもんでもねー
242無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 14:08
孔明。魏延を使いこなせなかったから。
243無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 14:50
蜀は勝負を急ぎすぎたって事で、北伐を提案した人全部。
大元をたどれば劉備になるんだろうけど。
244無名武将@お腹せっぷく :2001/06/20(水) 16:06
>>242
使いこなせていたら勝てたとでもいうのか?
245無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 16:44
勝負を急がなきゃ確実につぶされてただろ
人口比1:4くらいだったのでは?
246無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 17:16
>>240
近いが、、、
蜀という国は漢の再興の旗印(イデオロギー)があるから、北伐は「宿命」。
むしろ同盟でバランスをとるはずの呉と争いを回避できなかった
関羽の責任のほうが強いかと、、、?
247無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 17:20
最大の責任者は劉備と劉禅。トップだから責任あるの当たり前。
それ以上に責任ある奴なんていない。
248無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 17:25
>>247
しかし実権を握っていたのは諸葛亮。
トップは何の力も無いからね。日本の天皇みたいに。
249無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 18:31
司馬懿仲達。
曹操の二度目の使者が来る前に引っ越しときゃよかったのに。
250無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 19:46
馬謖幼常。
あの敗戦もあるが、
司馬懿が追放された時に
蜀にいれとけば良かった・・・・
まあいずれ裏切ると思う
251司馬徽:2001/06/20(水) 19:57
劉皇叔の責任に決まっておろうが
252無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 20:06
貂蝉の肛門から信じられないほど大量の大便がひり出された。その量も臭いも凄まじく、貂蝉自身も今まで経験したことの無いほどのものだった。そしてそれをすべて愛する男の顔を便器にして排泄しているという事実が貂蝉の官能を暴走させていた。
「ふごごっ!!おごおおっ!うぶうううっ!むううっ、むはああっ!おぎょっぉぉっ!げはっ!おむむむぅ・・・げほおおっ!ごほっ、げほっ!おごぐおっ、おむぅぅ・・・・っ!!」
その大量の大便は当然きしょい男の口内に収まる筈も無くほとんどが顔面を汚した後すっかりぬるくなった湯船の中に落ちていく。先ほどの呂布の大便と貂蝉の大便とが混ざり合った湯は奇妙な生暖かさを2人の肌に感じさせていた。
「おおおぁぁぁーーーーーっ!!呂布!!わたしのウンコッ、ウンコッ、汚いウンコ見てぇぇっ!!すごいわああっ!ウンコでこんなにいい気もちになったの初めてよぉっ!もっと、もっとしたい、ウンコしたいわぁ!!呂布のウンコ食べて、わたし、ウンコ大好きになっちゃったわあぁっ!これから、これから毎日わたしに呂布のウンコ食べさせてえぇっ!わたし、呂布のウンコたくさん食べて、もっと、もっとたくさんウンコするからあっ、呂布の前でたくさん、たくさんウンコしたいわぁっ、好きよっ!呂布…愛してるわぁっ!!もう、もう、絶対、呂布のことはなさないわあぁっ!!あああーーーーーっ!イク、イクわあぁ、呂布っ!わたし、ウンコしながらイッてしまうわぁっ!!わたし、わたし、あひいいぃぃーーーーーーーっ!!」
ビチビチビチビチビブビイイイィーーーッッ!!ブババッ!ブジャアッ!ブピピッ!ぬりぬりぬりむりむりりりっ!!ぼちゃぼとぼとっ!ブビブビッ!ずるずるずるるるるうぅぅーーーーっっ!!ブッボオオオッ!!
253無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 20:12
ていうか、全くの互角の国勢ならまだしも圧倒的な有利な国が
一度のちょっとした人選で大逆転はあり得ないよ。
国は積み重ねで大きくなったり勝ったりするものなのに
プロ棋士がプロ棋士相手に裸玉で勝てないのと同じだろ。
254無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 20:37
亡国の責任はやはり国主にある
つうことで劉備。
255無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 20:47
>>254
劉禅だろうがボケエ!
だったら漢滅亡の責任者は
劉邦なのかああああ?
256無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 20:47

劉邦だって(藁
劉封の間違いだろ。
257無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 21:06
>>256
(゚ー゚)クスクス
258無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 23:40
>>250
本当に馬謖が、孔明の作戦通りに動いてたとして
本隊の孔明が勝てていたかも疑問だがな
259無名武将@お腹せっぷく:2001/06/21(木) 09:18
皿仕上げ
260無名武将@お腹せっぷく:2001/06/21(木) 10:23
>>256す、すげぇ!あんたすげぇよ!
261無名武将@お腹せっぷく:2001/06/21(木) 10:39
>>256

劉封だって(藁
劉邦の間違いだろ。
262無名武将@お腹せっぷく:2001/06/21(木) 11:31
つーか、芝居が追放されたのって演義の話では?(汗
あと、街亭の時の本体って一応馬食の方じゃないの?
263無名武将@お腹せっぷく:2001/06/21(木) 11:38
孔明です。
264無名武将@お腹せっぷく:2001/06/21(木) 11:57
>>262
ぷっ...
じゃ孔明は、馬食の部下なのかよ(藁)
265無名武将@お腹せっぷく:2001/06/21(木) 13:38
馬稷はあくまで守備部隊。
劇中,街亭がクローズアップされているから,勘違いするんでしょうね
266263:2001/06/21(木) 13:47
蜀敗退のガンが、孔明です。
267松本竜介:2001/06/21(木) 19:16
>>227
他の群雄が悪者過ぎたンですよ。
268均ちゃん:2001/06/22(金) 01:20
原因は蜀の民の保守的な気質だと思うよ。やっぱり中原から遠いのは国民を保守的
にすると思うよ。あとは地形から来る情報の少なさだと思うよ。
その時代にインターネットがあればねーー。海も遠いし最悪だなーあの地形は
当然先に死んだ劉備も悪い、酒、女にはまりすぎだねきっと
269無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 01:46
蜀は天下を狙うには絶好の地であることは確か。劉邦が蜀に足場を
築き蜀から進出して天下を捕ったのは有名。唐が安史の乱をなんとか
乗り切って中興を成し遂げたのも蜀の地に一時退避したから。兵馬も
精強。後の宋王朝が契丹に攻め立てられて南遷したとき江南ではなく
蜀に遷るべきだとの反対論もあっていろいろ議論された。南から統一
を達成したのは史上ただ一つ明王朝のみ。この時代には江南は開発され
尽くし蜀漢の大昔とは事情が異なっていたようだ。
270無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 01:52
269は契丹じゃなくて女真ね。

蜀漢が負けたのは漢の旗印がすでに威光が全く無く
信望を失っていたのも大きな要因ではないだろうか。
光武帝劉秀による漢朝再興のパターン化はならなかった。
271かぶき者:2001/06/22(金) 03:33
1.けい州を取られて国力ダウン(関羽の責任)
2.その後、呉に攻め込んで大敗(劉備の責任)
3.無駄な北伐で国力消費(孔明の責任)
よく考えると、けい州を関羽一人に任せっぱなしにしたのも、劉備の
東進についていかなかったのも孔明であり、天下三分の計の詰めが
甘かったといえる。大体が、孔明は雇われてすぐに神のような用兵で
魏の大軍を蹴散らし、赤壁の戦いでは敵の先手を全部とって曹操を
捕らえる寸前まで追い詰めたのに、その後のていたらくは何なんだ?
三国志演義は作り物にしても、もうちょっとリアリティを出して欲し
かった。
272無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 11:50
新野での作戦てとてもすごく見えるけど、案外それなりに有能な軍師なら
同じ事が出来たかもと思えなくもない。
また、赤壁の戦いでの孔明の功績って外交交渉だけで、色々と策を練ったとか
言うのは、どー考えても孔明の名声上げの為の虚言としか思えない。
そしてもっともうそ臭いのが、関羽が曹操を見逃したのは云々〜の辺り
全部孔明の妄想、作り話ではないのか?
よって軍事に関しては無能な孔明が、最大の責任者。
273無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 12:01
新野での作戦は亮ではなく,徐庶だったらしい。
曹操に下ったのは,逃亡中。
ま,それはいいとして


戦に関しては,誰に責任があるというのはないのでは?
勝敗は兵家の常といいます。
北伐をしたのが悪いというのなら,北伐しないで蜀は存続できたでしょうか?
作戦を誤った馬稷。彼なりに勝算があってのこと。
結果だけしか見てないから誰かのせいにするのでしょう。
人を中傷することに喜々とする人らの常ですね。
274ああ:2001/06/22(金) 12:02
有能とか無能とかが問題じゃなく、人材・物資・兵力などを
全て含めた蜀と魏の国力の差が隔絶していたのが原因。
あんな状態じゃ誰が指揮したって魏に勝てるわけないから
孔明の責任じゃないと思われ。
最初から勝つことが目的ではなく、国家の士気を上げるために
最悪でも負けないように戦いつづけ、魏に攻略されることなく、
なおも民や兵に文句も言われない公正無私な態度を取り続けた
のだから名宰相であり、軍略家としても一流と思われ。
弱小の蜀が孔明の死後も30年も持っただけで立派。
荊州失陥の時点で蜀の天下統一は事実上不可能になっていた
ので、そういう意味では戦略の拠点を失った関羽が戦犯。
275無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 12:11
>>272
孔明の妄想ではなく、演義での創作では?
276無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 12:26
人物としてみると、孔明はこの時代第一の傑出した人物であったといえよう。
その差は司馬イと比較してみればよくわかる。彼らほどの実権を掌握すれば
政権の簒奪は容易いものだが、孔明は決して恩のある劉備に背くことを肯んじ
得なかった。忠誠無比といわれる所以である。蜀の場合、後嗣が暗愚であった
といわれているが、この時代に人物を輩出した諸葛一族が乗っ取ってしまえば
事情はかなり異なっていたかもしれない。
277無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 14:40
ううっ、演義であろうと正史であろうと、劉備や孔明の生き方には
感動するなぁ!ほう統ーっ!なんであっさり氏んだのだー!
法正ーっ!もうちょっと長生きしないかー!!この蜀の二大軍略家が
北伐まで生きていたら・・・。ほう統が荊州太守になってたら荊州陥落
なんかになってないのに。蜀の領土があんな山奥だけじゃなかったら
孔明たちの力で呉とは同じくらいの国力を手に入れれたはず!
荊州ルートで魏を攻めたなら呉との連携が上手くいったはず!
今となってはなんとでも言えると思われるかもしれないが・・・。
278無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 16:04
孔明擁護派のハートに火がついたみたいだな...........
279無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 19:27
孔明は、学者としては優秀だったかもしれないけど、
軍師としてはごく普通か、それ以下の存在だったんじゃない?
むしろ、イメージ戦略で敵を恐れさせるために、
「軍神」としての伝説を意図的に敵国に流していたふしがある。
その目論見は見事に成功していたけどね。最後の最後まで。
280無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 20:37
単純なこっちゃ。地位が高いほど責任がある。
部下がへましたら当然へました奴も責任があるけど、
それを起用した奴にもそれ以上の責任がある。
よって、劉備、劉禅>諸葛亮>その他
責任とるのも地位の高いものの仕事である。
281無名武将@お腹せっぷく :2001/06/22(金) 21:12
これって演義の中での話か?
突込みどころ多すぎなんだが
282無名武将@お腹せっぷく:2001/06/22(金) 21:28
軍師としても十分優秀な部類に入ると思うよ。
ただ天才と呼べるほどではないだろうけどね。
前は過大評価されてると思ってたけど、最近はなんか
過小評価されすぎてるね。>孔明の軍事面
283無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 02:25
やはり法正が最大の原因だろう・・・
284無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 02:43
孔明の過小評価、
法正の過大評価。。
285無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 03:14
孔明の人を見る目のなさ。
まぁ、直接的ではないにしろ。
286無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 03:38
魏に寝返った、徐庶
287無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 03:53
蜀が敗北したのは、蜀の誰のせいでもないと思います。
てゆーか国力に差があり過ぎ。
中原を制した魏に蜀が勝つためには持久の構えから魏国内の乱れを
待つほかなかった。樵周(字が出ない)とかの度重なる諌めを聞き入れる
ことができなかった、孔明、姜維ら北伐強行派に責任があると思う。
蜀は誰がどう見ても守りの地勢。荊州を失ったからには孔明は、守りに
徹するべきだった。
孔明が、北伐ににこだわったのは単純に義侠心からなるものだったのか、
それとも完全に時勢を見誤っていたのかは分からないが、国家の宰相が私的
感情で軍を動かすのは、どうだろう?
いずれにしても孔明の軍略家としての評価は、あまり評価できないのでは?
宰相やるには、おセンチすぎたんですよ。きっと。
288無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 04:19
国家百年の計で魏を打倒する方法もあったかもしれないが、
管仲、楽キの様になりたいと思った孔明は軍事行動起こした。
あとは劉備から後事を託されて使命感に駆られてたのかもしれないし。
孔明は割と情の人だったのではないか。
289287:2001/06/23(土) 05:01
時勢の見きわめもできない人間が、一国の宰相になれるわけがないと
信じたいので、孔明は情の人だったと考えるのが妥当な気もします。

このスレにあんまり関係ないかも知れませんが、廖化って黄巾の乱
から蜀の滅亡迄地味だけどしぶとく生きていたので好きなんですけど
僕としてはこういった人にこそ、なんらかの歴史書を残してほしかった
です。右車騎将軍まで登り詰めているわけだし……。

孔明死後の斜陽の蜀にマンセー! \(´ー`)/
290無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 06:53
情で北伐?
んなわけないじゃん。
北伐の目的は最初は領土拡張(国力増強)、途中からは積極的防衛。
魏を打倒するなんて建前だよ。
291無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 09:39
>>289
>廖化って黄巾の乱から蜀の滅亡迄地味だけどしぶとく生きていた
>ので好きなんですけど

 事実だったら、凄い長生きだよね。80歳くらいにはなるぞ。
292無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 11:38
>>291
いえいえ、あなた甘いですよ。
普通に考えると廖化は100歳越えています。
それで戦場にいたのだから、黄忠を越えています。
293無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 12:16
廖化が黄巾の乱からいたってのはどこから出てきたんだ?
294CCCP:2001/06/23(土) 12:40
1、関羽が荊州を守り切れなかったこと。
2、馬しょく(字がない)が街亭を守り切れなかったこと。
を原因に持ってくるのは間違いかなぁー。
295無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 14:10
>>293
演義かゲームでの話じゃないの?
296無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 14:14
>>293
史実(正史)です。
100歳になっても剣を杖代りに戦っていたのでしょう。
297馬蜀:2001/06/23(土) 15:58
バショクだと思う
298無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 16:21
>>289
廖化の最大の痛いところは、北伐で司馬いを二本に分かれる道まで追い詰めた時
司馬いの冠作戦にまんまとひっかかってしまったことだ。
あの時孔明は、「これがもし関羽だったらどうしていただろう」と言った。
ずばり、あの時点でもう蜀には有能な人材がいなかったと言う事だ、とうてい魏討伐は無理。
299無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 16:42
>>298
後半の孔明は愚痴が多すぎる。
誰かが失敗するたびに、
法正が…関羽が…徐庶が…etc。

そのうえ馬岱、馬謖、李厳、劉封あたりが
諸葛亮の責任で消されている。
特に李厳みたいな名将に兵糧運搬やらす精神が理解できん。
前線で使えよ。それでなくても人材いないんだからさ。
特に劉封は危険だから殺しときましょうってな感じで。

人材がいなかったのは諸葛亮の責任。
こいつの頭が悪かったせいで蜀は滅んだ。
300無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 16:43
劉備。

劉禅へのしつけ(育てかた)が悪かったから。
301無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 16:52
>そのうえ馬岱、馬謖、李厳、劉封あたりが諸葛亮の責任で消されている。
馬岱はいつ諸葛亮に消された?魏延の部下になれって命令した時?
302無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 16:55
>>301
その通り。
孔明は自分の失敗を馬岱になすりつけた。
貴重な前線指揮官が…。
303無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 16:58
11 : 自衛隊隊員は雑魚 (124)
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304無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 17:09
>>296
正史にある記述なんですねー。
70過ぎまで生きてたって記述は記憶にあったんですが、
そのお話しは、どこら辺の伝に載ってるのですか?
意外と長生きな武将も多いですね。
305無名武将@お腹せっぷく :2001/06/23(土) 17:35
正史、正史と騒ぎすぎ!
その正史は何処の誰が編纂したの?
何処の誰が検閲したの?
鵜呑みにしているほうがバカ!!
306無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 17:40
>>305
別に鵜呑みにしてるわけじゃないじゃん。
演義だけとか、正史だけとかよりも、参考資料が多いにこしたことはない。
307無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 22:11
つーか、リゲンってなんと言うか前線で戦うような武将なの?
確かにコーエーの三国志だと、結構武力が高かったりして戦争で使えるキャラだけど、
蜀科(蜀の法律?)作ったメンツになってるくらいだから(他は諸葛亮、劉巴、伊籍ら)
官僚型というか文官なんじゃないの?陳舜臣さんの小説でも「兵站の名人(?」みたいな
記述があったように思うが。
308無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 22:16
しかも、その小説中で「なんでわし兵站担当なんじゃゴルァ!」って
感じでへそ曲げてたね藁
309無名武将@お腹せっぷく:2001/06/23(土) 23:23
>>308
リゲンは孔明と共に後事を託されたほどの人材。
そして孔明にはめられて官職を剥がれてしまう。

人材がいないのに政敵減らしをした孔明はアホだな。
310無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 00:02
李厳は政敵ではないと思うが。
あの一件までは比較的上手くいっていた方でしょ。
それに李厳は武官だけでなく文官としての側面も持っていた人だから、
前線に立てない=冷遇されている、というわけではないよ。
311無名武将@お腹せっぷく :2001/06/24(日) 00:11
>>304
長生きすぎて記述のミスか、同名の別人だったという説が一般だと思うぞ。
312程c食人@お腹いっぱい:2001/06/24(日) 00:18
>>311
俺もそう思う。一回消えてるしな。
でもそういうきょらが好きだ。
313例えて!:2001/06/24(日) 00:43
314無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 01:01
>>311
妥当な説ですね。ホントにジジイになっても戦場立ってたら
それはそれで面白いですが(笑)
315無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 01:23
簡擁ってなんなの?ず------っといるらしくて気になる奴なんですけど。だれか教えてください
316無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 01:40
かんようは 劉備のパトロン
豪商の息子だよ。劉備が魅力のある人物なので、その手助けをしていた。
317無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 01:48
ありがとう。でもいくら金持ちでもずっと援助しながらついてくのも無理な話だろうし、結局ただのお荷物くんなんですかね?
318無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 01:48
>>316
それは麋竺じゃないか?
簡雍は大した能も無いのに
なぜか賓客とされて偉そうにしていたんじゃなかったっけ。
319無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 01:56
能がないってことはないっしょ。
若い頃から劉備と旧知の仲で、劉璋説得に功があったわけだし。
320無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 02:02
豪放でユーモアにあふれてて、人に好かれる人間だったんじゃないの?
使者の役目も果たしていたし、何時の世でも人間関係は重要なので、
派手ではないけど、重要であるかと。
321無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 02:50
なんかいいね、そうゆう人。光栄とかじゃ評価されなさそうで。
322287:2001/06/24(日) 03:04
廖化が最初に出てきたのは多分、関羽が曹操のもとを立ち去る場面。
その時廖化は関羽にお供することをのぞむが、関羽は(廖化が山賊だった
ため)黄巾の残党と考えてそれを拒否している。
演義のエピソードだが、正史とそう年令に差は無いと思う。
そう考えると、蜀滅亡時には100歳近かったはず(笑
細かいところにぽつぽつ登場するこの人やっぱり不特定多数の人間が
混ざってできた人格なのか!?

ところで蜀滅亡の立て役者は孔明でまとまりつつあるけど、魏滅亡の立て役者
ってだれ?
323無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 03:11
曹爽かな。
曹叡かも。
324無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 03:26
>>322
正史だと、廖化は襄陽郡の人で、関羽の主簿。
関羽が敗北した際に呉に身をゆだね、
劉備の元に戻りたい一心で、自分が死んだという情報を流し、
隠れて老母とともに劉備の元に向かい、
東征中の劉備とシ帰で遭遇し、劉備に大そう喜ばれた。
途中、大幅省略して、
264年春に洛陽に移住させられたが、途中で死亡。

ってことなので、劉備が荊州に入ってから加わった人物かと。
325無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 13:00
>>324
その説が有力だとしても、
蜀滅亡時点では80歳くらいだね。
すごいね廖化。見直したよ。
326無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 19:20
ところで李厳って自分が孔明と同格だと思ってたのかな・・イタイな藁
あの失脚した原因になった件は史実なんだろうか?
327無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 19:44
同格と思っていたようには見えないと思う。

李厳が長雨で食料輸送を果たせず、諸葛亮を呼び戻し、
諸葛亮が戻った後、
兵糧は十分に足りていて進軍しなかったのは諸葛亮の責任と、
兵糧補給を果たせなかった自分の責任をごまかそうとしたのは、
正史李厳伝にも記述されてるので史実だと思う。
その後、矛盾をつかれて謝罪→罰として庶民に落とされた。
で、日頃から諸葛亮が自分を復活させてくれると期待していた為、
(他では無理だと判断していた為)
諸葛亮の死を知って、発病して死んだ。
328素人君:2001/06/24(日) 19:59
蜀が勝つ方法。というか戦法。素人考えですが(笑)
蜀は地の利があるため、無駄に北伐をせず防衛に徹しひたすら国力を高める。
魏の国力の方の伸びの方がいいだろうが、シバイが魏でクーデターをおこした
時に曹派とシバ派が争っているときに、ゆさぶりをかけながら呉と共に攻撃する。
曹派とシバ派をうまいこと外交で手玉にとれたかも知れない。
でもシバイが権力をもった理由が、北伐を防いでいる間に軍隊との信頼関係を作
ったからだし、北伐やらなきゃクーデターがおこんないか・・・・。
私の個人的な考えでは蜀の滅亡の原因はやっぱり諸葛君。
国力差が圧倒的なのに、賭けすらやらず慎重に戦いすぎだ(正史の話だけど)
329無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 20:28
魏延の策がとられ、上手くいったならば、
歴史は変わったかもしれませんね。
330素人君:2001/06/24(日) 20:36
>329さん
そうそう。諸葛さんって慎重にすぎる。
国力だけが全てではない。昔の戦争は。
アレキサンダー大王だって、物量が何倍の敵に勝利したのだ。
ヌルハチだってそう。
蜀が魏に勝てないというわけではなかったが、まったくの正
攻法で賭けにもでなかった諸葛さんがやはり戦犯だと思うな。
331無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 21:09
諸葛亮は基本に忠実で厳格公平、理想も高く、
道から外れるようなことはしない人間だったようですし、
臨機応変の軍略や賭けに出るような行動は得意ではなかったんでしょう。

でも、諸葛亮無くして、蜀はありえないとも言えますし、
諸葛亮に並ぶような人材がいなかったのが敗因ではないでしょうか?
個人的には、諸葛亮に任せっぱなしだった劉禅に一番の責任があるかと。
332無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 22:53
>>330
それは率いる将の能力差があって初めてできる事じゃない?
魏は兵力だけじゃなくて人材においても蜀を上回っていたんだけど。

孔明を戦犯とする場合の理由は、賭けをやらなかった事よりも、
必ず成功させなければならなかった第一次北伐を人選のミスにより
失敗してしまった事だと思う。これで全てが崩れた。

個人的には、賭けをやらなかった事はむしろプラス評価かな。
相手の実力をちゃんと見極められてたって事だからね。
333無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 23:07
魏延の策をとって、一時的に勝利できても、
その後が持たないとの予測をしていたのかも知れませんね。
諸葛亮は安全策重視ですし、無謀な賭けはしないでしょう。

あと、魏延が危険度の高い策で功をおさめることによって、
その後、より無謀な策がとりいれられたり、
軍規や統率に乱れが生じるかも、と考えていたかも知れませんね。
334無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 23:22
やはり、最大の責任者は劉禅でしょう。
彼に劉備と同等の能力があれば、随分と話は変わってきたと思います。

正史の資料を見る限り、劉備は曹操には及ばなくてもかなりの傑物ですし、
人を見る目もありました。
劉備と比べると、劉禅はかなり劣るかと。
蜀にとって大きなプラスになることをしていませんし、
ただダラダラと長持ちしただけかと。
335無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 23:51
>>334
しかし正史の劉備はかなり粗野な人間だと思うぞ。
督郵を殴ったのも劉備だしな。勉強もしなかったらしいし。
それどころか不良グループのボスだったって話し出しな。

劉備より劉禅の方がかなりの傑物だと思うぞ。
家臣にすべてを委ねることなんて、なかなかできないと思うぞ。
かなりの器量があったのだろうと予測される。
それより全権委託されながら、北伐失敗した孔明は屑。

やはり最大の戦犯は孔明だね。
336無名武将@お腹せっぷく:2001/06/24(日) 23:53
>>335
陳寿はそういった姿勢を指して漢の劉邦のようだといっている。
ただ二人の違いは賢臣を用いる能力があったかどうからしい。

その点では、孔明を用いた劉禅はおとるかもね。
337無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 00:02
劉備が不良みたいだったことは否定しないよ。
ただ、大きな失敗をしながらも生き延びて、
蜀をたてたのは事実だし、戦功も大きい。傑物だよ。

劉禅の行動は、器量というよりは、自主性の無さだと思う。
それに、実力がないから他に任すというのは、正しい選択かもしれないが、
そもそも、実力がないことが問題だと思う。
国のトップな訳だし、まだ天下は平定されていないのだし、
任せっきりでOKってことは無いでしょう。
338素人君:2001/06/25(月) 00:03
>劉禅に一番の責任があるかと。
たしかに劉禅君に責任があることは否定しない。
ただ劉禅君は諸葛君の助けにもなっていないが邪魔もしていない。
(演技ではしたけど。)諸葛君は結構好きにできたようだし、やはり
北伐は彼にすべてがかかっていたのだから個人的には諸葛が戦犯だと
思う。その点では335さんと同意見。劉禅は自分の能力のなさを解
っていてすべてを有能な人物に委託したのではないだろうか?後宮で
遊んでいる可能性も否定できんが。

>それは率いる将の能力差があって初めてできる事じゃない?
>魏は兵力だけじゃなくて人材においても蜀を上回っていたんだけど。

たしかにそのとおりですね。だからこそ正攻法では絶対にだめだったん
だと思うんですが。どうしようも無い国力差、兵力差であったからこそ
むちゃしてでも勝つしかないのでは?魏延はそれを解っていたのかも知
れないと思う。ある程度のむちゃをせんと勝てん事が。
339無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 00:04
>>336
おいおい、じゃあ誰使えってんだよ?
340無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 00:08
>>338
諸葛亮は、無茶して負ける方を避けたかったのでしょう。
彼とて万能では無いし、最善を尽くして、あの結果だと思うが。
341素人君:2001/06/25(月) 00:08
>その点では、孔明を用いた劉禅はおとるかもね。

336さんもわかってはいると思うんだけど、諸葛君は
決して無能な人物じゃありませんよね。ただ軍事むけじゃなかった
のでしょう。素人考えだが、北伐するなら、まだ法正の方が向いて
いたかも知れない。ちなみに劉禅君三国の皇帝の中で一番治世が長
いという驚きの記録を持っている・・・・。無能か有能か解らなく
なってきた。
342素人君:2001/06/25(月) 00:12
>彼とて万能では無いし、最善を尽くして、あの結果だと思うが。
そのとおりだと思う。彼に韓信のような軍事的才能を求めるのは
むちゃだと思う。無茶して巻負けるのを恐れていたのはわかるが、
無茶しなければ確実に国力差で負けるのだから意気地なし!とい
いたいけど自分が司令官だったらとてもそんな勇気でないな。
諸葛君にとっては蜀はリュウビから借りている大切な国なので投
機的な賭けにはでれなかったのかな・・・。
343無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 00:16
正直、一時の賭けに出て勝利しただけでは、
魏を倒すのは容易ではないかと。
それぐらいの国力差があるだろうし、
最初勝っても、総力戦に持ち込まれた時に負けるのではないだろうか?

>>341
長いだけって気もするよ。
少なくとも有能ではないと思う。
彼は、ダラダラと蜀の余生を生きただけだと思う。
344素人君:2001/06/25(月) 00:20
>正直、一時の賭けに出て勝利しただけでは、
>魏を倒すのは容易ではないかと。
>それぐらいの国力差があるだろうし、
>最初勝っても、総力戦に持ち込まれた時に負けるのではないだろうか?

完全に同意します。しかし何度もいいますが、総力戦や持久戦にに持ち込まれたら
勝ち目はまったく蜀の国力ではなかったのでしょう?ならば一度とはいわずに何度
も賭けをするしかなかったと思う。つらいけど・・・。
345無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 00:40
諸葛亮が賭けにでることは無いと思う。
その確実さでもって、蜀を持たせてきたわけだし、
そこで賭けにでるような人間では、そこまで行かなかったかと。

人材不足が一番の原因だと思いますが、
諸葛亮一人に頼りすぎていた状況も問題でしょう。
そういう意味では、蜀の人材全員に責任がありますし、
最終的にはトップの劉禅に一番の責任があるかと。
346無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 00:47
あと、諸葛亮が陣没しなければ、
話は変わっていたかもしれませんよ。
現実には厳しいと思いますが。

現実的には、蜀の国力を保ち増やしながら、
魏の国力が落ちるような(もしくは混乱するような)状況を待ち、
その機を逃さずに攻めるぐらいしか、方法がないような気もします。
(素人考えですが)
347336:2001/06/25(月) 00:52
>>341
私も孔明は軍事面むけじゃなかったという点で、全く同意見です。
彼は一流の政治家であって、二流に軍略家ってのが私の評価です。
正史上で彼が参謀としての才能を発揮した戦いがありましたか?
ほとんど無いです。蜀建国の名参謀は法正とホウ統でしょう。
彼らがいなかったら蜀はできてませんね。

法正に至っては人を殺しても孔明は罰しなかったという話があります。
あの厳格な孔明でさえ特別扱いするくらいですから、才能あったんでしょう。
だから、この二人のうち一人でも生きていれば孔明の代わりができたんですが、
死んじゃったんで、しかたなく自分で兵を率いたんでしょうね。
無理がありました。やらない方がマシでした。
結局孔明がやったことは蜀滅亡を早めただけです。

で、代わりに兵を率いる人ですが、いません(笑)
あえて言ったら魏延ですかね。
彼は劉備のいた頃から漢中の太守をやってますし、
軍事のスペシャリストです。ぜひ一度兵権を与えてやりたかった。
348無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 01:54
どの道勝ち目は薄かったって事かな?
349無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 02:01
そもそも、まともにやったら勝ち目がないんだから賭けをするべき
っていう考え方自体が間違ってるんだよ。
勝ち目がないんなら戦わなければいい。
相手を倒す事よりも自国を守る事の方が優先されるべき問題なんだから。

どうしても戦わなければならないというのであれば、まずは可能性を
広げる為の戦いをするべき。
そういう意味では諸葛亮の当初のプラン自体は間違っていない。
問題はそれをミスによって実行できなかった事だろう。

まあしかし、これが蜀の限界だったと言えなくもない。
諸葛亮がいなければ全く話にならなかったわけだから。
軍事面は駄目だと言われているが、その軍事面においても、
あの頃の蜀には彼以上はもちろん、近いレベルの人材すらいなかった。
これではいくらなんでも・・・
350むむむ:2001/06/25(月) 02:16
軍事には戦略と戦術がありますね
351無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 03:52
>>347
法正が生きていたら、白帝城で劉備が死ぬことも無かった、
と諸葛亮も言ったとか言わないとか
352無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 03:59
>>351
法正がいなくても、孔明がついていけばいいだろ?
アホの劉備を一人で行かせた時点で、孔明は最大の戦犯だ。
353無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 04:19
所詮蜀はヤクザ劉備が建てた仁義マンセー国家。
そんな国に未来はない。
354351:2001/06/25(月) 04:42
>>352
漢中の守りを諸葛亮に任せて行ったんだっけ、確か?
355無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 06:06
馬良がついていったらしいが・・・>呉討伐
異民族取り込む前にやることあんだろゴルァ!w
あと、法正が生きてれば止められたのかも
能力もあって信頼されてたんだろうが、何より益州系の大物だし
所詮亡命政権なんだから
356無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 08:39
絶望的な国力差があったんだから、
北伐で蜀が勝つなんてありえないでしょ。
勝てるとしたら、賭けなんてもんじゃなくて、
奇跡を何度も起こさないといけなかったと思うよ。

だから、誰が蜀の滅亡を早めたかを議論した方が現実的。
もしくは、曹操が官渡で雌雄を決する辺りまで遡ってIFを考えるか。
357無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 11:01
なら、関羽じゃない? 荊州を維持できていれば、話は随分変わったはず。
で、次は呉討伐に行った劉備。

正直、諸葛亮は、あの状況でよくやったと思う。
大きな戦果はあげてないけど、ちょっとした戦果はあげたし、
相手も名だたる人間だったし。
358かくか:2001/06/25(月) 11:38
しょく敗北の責任者は劉備じゃー 前半生であんなに負けてて勝てるか〜いw
あと、夷陵の戦いは、孔明に責任ないかと(少しはあるかもしらんがw)
劉備は孔明を参謀、指揮官として見ていなかなかった、(諸葛亮伝:先主(劉備)が外征するとき
亮は常に成都を鎮守し食を足らし、兵を足らした:とあるw)
つまり孔明は行政の最高責任者であった、とw 政治家は、政治家 戦争家は戦争家w
夷陵の戦いも基本的に劉備が人の話を聞かんのがいけないw
劉備がボスだし最高責任者は劉備、夷陵での敗因も劉備にあるっぽいw
劉備ファンごめんねw 失礼しました〜w
359336:2001/06/25(月) 12:39
俺の先祖は徳川家の旗本だ。
大阪の陣の時も江戸城の守りを任されていたくらいの人なのだ。
おまえらの先祖とはレベルが違うんだよ。
360336:2001/06/25(月) 12:42
馬鹿なやつだな〜。
先祖の名前を出したら、俺の正体がばれちゃうじゃないか。
でも、まーヒントくらいはやろう。
田○源○郎 というお方だ。○のところは自分で考えろ。
無知に君らじゃわからんかもしれんが、
徳川家の旗本に関する資料を調べてみれば解ると思うぞ。
361無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 12:42
全ての敗因は酒飲んで城をリョフにとられたちょうひです.ナンチテ
362336:2001/06/25(月) 12:42
老中くらいで偉そうに…。
俺の先祖は大名に取り立てると家康に言われたのを断ったと言われている。
そして徳川家を守る為にあえて旗本として江戸の町の平和を守ったのだ。

この苛烈な忠義心がおまえには解るか?
さらに将軍が京に行ったときについていったこともあるらしい。
将軍も我が先祖をそばから離したくなかったんだろう。
363 :2001/06/25(月) 13:14
蜀にも勝ち目はあると思うけどな。
蜀 → 南方異民族との関係は良好
魏 → 北方異民族と敵対関係

長い戦乱で人口が激減してる状況では、相対的に異民族の力が高まってる。
なので、防御に専念してればなんとかなった可能性は高い。
ということで、敗戦責任者は自分の生きてる間に勝とうとした諸葛亮。
364無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 13:21
蜀漢と魏の国力差って言うけど、あえて言うと、それは無視できる
範囲だと思う。西晋は匈奴の劉氏に易々と滅ぼされたわけだけど、
3国合わせた晋と匈奴との国力差を考えてたら、どう考えたって
晋が滅亡するわけないもん。蜀漢が匈奴と結べていたら面白い展開に
なっていたかも。
365無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 13:40
晋は自滅したようなものじゃないの?
国のまとまりも考慮すべきだと思う。
いかに国力が多くても、バラバラだったら勝てない。

あと、魏と蜀は人材面でも差が多いかと。
366無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 13:40
西晋は八王の乱で滅茶苦茶になっていたのでは?
匈奴にとって蜀と結ぶメリットはあの時点では何もない。
367かくか:2001/06/25(月) 14:06
当時の中国というのはいまほどおおきくないのよw
実際はしょくと呉は辺境または、中国の外と言う位置付けで、
魏の知識人も一般市民も、しょく、呉を知らなかったw
もちろん国力差がいちじるしい、、w どれくらい差があったかというと
文化LVにででますねw 魏では中国最大の詩文化(建安七子とか)が栄えていたけど
しょくには、そんな文化を作る余裕なんてとてもなかった、、w
ほかにも絵、音楽、学問などなど 少なくとも劉備や孔明が生きていたころには
かなりの国力差があったようで、、w(しょく、呉の市民は魏のことを中国といっていた、
しょく、呉の市民からみても魏は別世界だったようだw)
368無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 14:17
>>363
諸葛亮は、時間が経てば経つほど、
国力差が広がると認識してたんじゃないかな?
中央部は戦禍も大きかったし、
それが回復したら、ますます勝てなくなると思っていたとか。
369無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 16:04
>>368
北方民族と闘わせるなり、謀反を起こさせるなり、手はあるだろうに。
孔明は頭を使って、魏の力を削ぐべきだったね。
別に力で攻めるだけが戦いではないよ。
370age:2001/06/25(月) 16:25
俺の先祖は徳川家の旗本だ。
大阪の陣の時も江戸城の守りを任されていたくらいの人なのだ。
おまえらの先祖とはレベルが違うんだよ。
371無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 16:35
でも魏で謀反しそうなやついるかな?
372無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 16:39
中国の王朝が何度も異民族に侵されてるのをみると、国力はそれほど重要なファクターでないと思う。
それより、宮廷内の乱れが元で滅んだりするのが常なので、
孔明ももっと司馬懿が失脚をする様に工作を続けるべきだったのでは。
373>371:2001/06/25(月) 16:45
魏は謀反で滅んでるんですが…
374無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 16:54
336てでこいよ(w
375371:2001/06/25(月) 17:00
北伐の時点でってことだよ。
376無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 17:11
敵国が攻めの姿勢をみせていたから魏は気を抜けず、
それなりの結束をもっていられたのかもしれない。
守っていれば魏もちょっとは油断して早くに内乱が始まったかもね。
377無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 17:22
遼東の公孫淵の反乱まで待っていたら、
少しは変わったのかも知れませんね。
ただ、待った場合は、また話が色々変わってくるのでしょうが……
(反乱自体が起こらないかも)

それに相手の乱れを待つ分、
自分達が乱れる可能性もあるので、
その点でも問題があったのかも知れませんね。
378無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 17:25
でも三国状態のままでは司馬一族は謀反は起こさないだろうね。
魏の勝利がほぼ確定する段階までは乱の鎮圧に努めると思うよ。
379無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 18:35
連続投稿必死だね(w
380無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 18:42
>>379
俺様は>>378だが、
>>372>>376>>377は俺様ではないぞ。
381無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 18:45
蜀の農民だぎゃー。
戦に、飽き飽きジャー。
孔明さん、姜維さん、わたしにとって、みたこともないよ。
382無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 19:07
>>367は「三国志きらめく群像」からの、パクリ。
もっともな内容だが、そのまま過ぎる。〜〜引用と断っておけよ。


国力差、人材差もさることながら、それよりも宮廷内の安定が
極めて重要というのは、確かに納得できる。

そういえば、地理的状況はどうだったの?
蜀〜長安の距離は日本で言うとどこからどこぐらい?
補給を現地調達(略奪)で補うにしても、蜀〜長安に豊かな土地はあったの?
昔なんかの本で、蜀の桟道想像図っていうの見た事あるけど、
実際あんなんだったら、絶対北伐無理だと思ったね。
383無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 19:42
>>382
漢中から成都までの距離が約400キロ(東京〜名古屋間位)
漢中から長安までが約250キロ
孔明は補給のために隴西・隴東を確保しようとし
そのため祁山へ何度も出兵していた。
384無名武将@お腹せっぷく:2001/06/25(月) 19:57
呂布は貂蝉の口に強引に手を突っ込むと両方に引っ張った。端整な貂蝉の顔が醜くゆがむ。
「うげええっ!!」

ひき潰されたケモノのような声を出し、貂蝉がうめいた。
頬をとめどなく涙が流れた。しかし、その涙も次々にぶちまけられる大便に覆い尽くされていく。

べちょおおぉっ!!

「うぶうううっ!?もがっ!ほげえええっ!!」

だが、呂布はそのまま貂蝉の顔を大きく肛門を開いた董卓の肉尻の間に押さえつけた。たちまち貂蝉の口の中に排泄器官から直送された生ぬるい泥便が大量に流し込まれる。

「おげええっ!げえぅうぇぇえっ!おもおっ!んごっ!んぐうっ!うぐっ!うぷぷっ!んぐううっ!んぐっ、んぐっ、んごおおぉっ、んぐぐううっ!!」
舌の上を走り抜け、喉の奥に直接ぶつかり、食道へ流れ落ちてくる腐食した下痢便。それは不味いなどというものを超越した不可解な味。少なくとも貂蝉の味覚はそれを判別することが出来なかった。

「おおおううっ!貂蝉がっ!おれの、おれのウンチ汁を飲んでらああぁっ!おおうっ!し、幸せだあっ!ウンコ飲めえっ!もっと、ゴクゴク飲めっ!!お腹いっぱいおれのウンコで、柔らかいウンコでたっぷり埋め尽くしてやるからよっ!噛めえっ!啜えぇっ!唾液で、胃液で、腸液でおれのウンコを溶かせぇっ!おおおうっ!いまっ!今貂蝉のお腹の中でいれのウンコが消化されてらあっ!貂蝉のウンコはおれのウンコで出来てるんだぁっ!!貂蝉のお口便器最高うぅっ!最高の生便器だぜえぇぇえっ!!」

プツン

貂蝉の中でキリキリと引き絞られていた一本の線が小さな音を立てて切れた。

(のんでる・・・あああぁぁ・・・なんだっけ、これ・・・ウンコ・・ウンコ・・ウンコって・・何だっけ・・・便器・・・あたし・・・そんな・・名前だっけ・・・ウンコか・・・これ・・・飲めばいいんだっけ・・・食べればいいの?ウンコ?ウンコ?なあんだ・・あたし、ウンコ食べてるんだ・・・)

ぐびっ!ごぼぼぉぉぉっ!ぐぶうっ!ごぶっ、ごぶっぐびっ!ごくんっ、ごくっ!ごくっ!ぐちゅ、ぬりゅううっ!ぢゅるぢゅるぢゅるううぅっ!!

大量に流れ出す大便は余すことなく貂蝉の口腔を犯しぬく。排泄物に犯されているのは口だけではない。鼻の奥まで流れ込んだ泥便は、鼻水と交じり合いながら貂蝉の鼻腔から絶え間なく流れ出し、頬を伝って首筋に伝い落ちていく。

「貂蝉。解かるか?そろそろ董卓が糞をひりだしながらイクぜ。貂蝉を自分の便器にしたことでかなり頭がヤラレちまってるみたいだからなぁ。ククク・・・ほおら、腹の中が汁便でいっぱいになるまで飲めよ。残したらその糞まみれの恰好のまま長安の街中に放り込んでやるからな。」

「うううううっ!ウンコでイクうっ!貂蝉の唇がウンチまみれの肛門をヌリュヌリュ舐めてらあっ、吸ってらああぁっ!おれのウンチジュースを貂蝉が、貂蝉が赤ちゃんみたいにチュウチュウ吸ってらああぁぁっ!貂蝉の変態っ!ヘンタイいいいィッ!うんこ出るぜぇっ!おれのウンコ、貂蝉の口便器に、ウンコ袋にぃぃっ!!貂蝉の変態便器いぃっ!!おはああああっ!ダメだあっ!生グソ便器にウンコこーもん、ビラビラのこーもんのお肉舐められていっちまうぅっ!いっちまうううっっ!!あひゃああははああああああっ!!」

びちゅぶうううっ!!ぶびっ!!ぷふうううーーーっ、ぶひっ!ぼぶっ、にゅるにゅるにゅるにゅる・・・・

「ぐ・・・・えぇぇ・・・・おごっ・・んぶっ・・ん・・んごっ・・・んごっ・・・おふっ・・・・」

グチョ・・ブチュ・・・ヂュル・ズビッ・ゴクン・・ゴクン・・・グチュゥ・・ニチャ・・ニチュウゥ・・・

貂蝉の耳には呂布の低い声も絶頂を迎えた董卓の嬌声も届いてはいなかった。聞こえるのはただ自分の口と鼻の中を暴れまわり、果てしなく喉の奥に流し込まれる大便の音だけだった。
385無名武将@お腹せっぷく:2001/06/26(火) 01:26
>>382
実際、道路が険阻なことで運送が困難だったのは、
北伐が成功しなかった大きな要因のようですね。
色々苦労していたみたいですね。
386かくか:2001/06/26(火) 08:50
382>うぎゃぁw はい、すんません、パクりました、「三国志きらめく群像」よりですw
マイナーな本だから、ほら、さぁ、うう、ごめん、
ということで「三国志きらめく群像」(ちくま文庫)は大変おすすめですw
しかし「三国志きらめく群像」ってかなりおもしろい、、よね?w
387無名武将@お腹せっぷく:2001/06/26(火) 17:41
俺も何かで367にあるような内容を読んだ記憶あるなぁ
388素人君:2001/06/26(火) 17:50
367さんの言うとおりだとは思うが・・・。
たしか江南の発展は宋の辺りだったと思うし。
389無名武将@お腹せっぷく:2001/06/27(水) 01:54
とりあえず敗因に国力差を真っ先に言うやつはあんまり信用してない。
いろいろ他のことを調べて考えた結論ならいいけどな。
390無名武将@お腹せっぷく:2001/06/27(水) 09:24
途中で疲れて負ける可能性もあるから国力差は絶対無視できないような気がするけど・・・
391336:2001/06/28(木) 00:21
俺の先祖は日本一。だから俺も日本一だ。わかったか、クソども。
392無名武将@お腹せっぷく:2001/06/28(木) 00:36
孟達がへぼかったことも敗因の一つでない?
393336:2001/07/01(日) 05:05

      田沢ワッショイ!!!
    \\ 旗本ワッショイ!!!  //
 +   \\ 徳川ワッショイ!!! /+
        /\   /\   /\                 +
.   +  / # \/ # \/  # \  +
      ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
 +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
       ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
       (_)し' し(_) (_)_)

           阿部なんてクソだぜ
394無名武将@お腹せっぷく:2001/07/01(日) 05:40
しかし、国力なんて無に等しい匈奴がなんで西晋を蹂躙できたんだ?
395無名武将@お腹せっぷく:2001/07/01(日) 05:42
蜀漢も気合を入れれば魏を倒滅できたのではないか?
396無名武将@お腹せっぷく:2001/07/01(日) 06:32
気合が大切ですね!
397無名武将@お腹せっぷく:2001/07/01(日) 18:56
豊かな国の兵は弱い。
398回覧種人(野望100):2001/07/04(水) 12:21
嵐とともにやってぇぇぇぇぇ来たぁぁぁぁぁぁぁぁ
誰だ!?
誰だ!?
悪をけちらす荒らしの男ぉぉぉぉぉぉぉぉ!
回覧種人、正義のマスクっ!
回せええええええええーっ!
ふかせええええええええーっ!
エンジンふかせええええええええーっ!
スピード全かああああああああーいっ!
ザ・サイクロォォォォォォォォォン
怒りを込めてぶち当たれぇぇぇぇぇぇぇぇ!
程c食人、ぶちのめせぇぇぇぇぇぇぇぇ!
回覧!
回覧!
回覧種人!
399無名武将@お腹せっぷく:2001/07/04(水) 14:49
あへ
400無名武将@お腹せっぷく:2001/07/05(木) 05:32
中興の祖。
401無名武将@お腹せっぷく:2001/07/05(木) 12:31
最終結論としては、気合が足りなかったと言う事で。
402無名武将@お腹せっぷく:2001/07/05(木) 14:37
それでいいのか?
403無名武将@お腹せっぷく:2001/07/05(木) 17:35
まぁ、真面目に考えると、
蜀の最高責任者は丞相なので、
劉備死後諸葛亮存命中は諸葛亮でしょう、

死後は、、、誰だろ?
上の方に居た人間全員かな?

劉備が生きていた頃は劉備でしょう。
404無名武将@お腹せっぷく :2001/07/05(木) 21:57
っていうか魏延と喧嘩してる場合じゃないだろう
405野望100:2001/07/05(木) 21:57
http://www.wasurena.sakura.ne.jp/~tana00/ami-0.JPG

ハアハア...亜美タン...ウッ...ドピュ!
406無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 20:56
いりょうのたたかいでむちゃしなければたくさんへいしいてりょうしょうもたくさんのこってほくばつでこうめいがくろうすることはなかったとおもわれ。
407無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 20:56
孔明。
408無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 21:44
イリョウで逝ったので有能そうなのっているか?
馬良くらいだろ?
409無名武将@お腹せっぷく :2001/07/06(金) 21:47
普通なら即潰される小国なのによくもったからこそ
文学になってるんじゃないかな。人口でいえば120人
対1人。魏と蜀わ。誰が悪い訳ぢゃあない、そう思いたい。
410無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 21:50
倭国の女王は簒奪者である魏の王に使いを送りました。
このことは強国朝鮮に対する牽制の意味合いがあったのです。
名実よりも魏の巨大な軍事力を選んだのですね。
411無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 21:57
孫権厨房。
こいつが足引っ張らなければ、最悪でも荊州北部は領有でけた
そして暫くの膠着状態を経て例の二正面作戦。魏都はギョウに移っていたでしょう。
412411:2001/07/06(金) 21:58
諸葛亮マンセー
413無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 22:00
>>408
劉備が率いた軍が敗れ、幾人かの将が戦死したのは大きいと思われ。
国の士気にも関わるし、生きていれば後世に名を残した人物もいたのでは?
あと、その後、劉備自身が没したのが痛いかと。
414411:2001/07/06(金) 22:01
所詮は蛮地の野合政権の親玉。
逝ってよし!
415無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 22:13
>>410
狗那国って半島だったのか?
416無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 22:51
>>410
だれにそのようなことを聞いた。
いいかげんにしないと、痛舞うぞゴウラー
417無名武将@お腹せっぷく:2001/07/07(土) 13:44
とりあえず関羽に一票。
大人しく通常の感覚で呉と外交して荊州まもってりゃよかった
のに勝手に魏攻撃したりしてあげくの果てに挟み撃ちにあって
斬られた。

関羽が斬られた→劉備キレ→その煽りで孟達裏切り→劉封死亡→
やけぱちになった張飛惨死→よせばいいのに呉攻撃→大敗北→
失意のうちに劉備死亡→貴重な兵力と荊州を失い孔明大重圧→
そんなこんなで孔明過労死→蜀滅亡

すべての連鎖は関羽の魏攻撃から始ってますな。
418無名武将@お腹せっぷく:2001/07/07(土) 13:46
つーか、関羽の荊州北部侵攻は独断だ、ってのは定説なわけ?
419野望100
http://www.wasurena.sakura.ne.jp/~tana00/arisa0.JPG

野望100は程c食人@お腹いっぱいの口に強引に手を突っ込むと両方に引っ張った。醜悪な程c食人@お腹いっぱいの顔が更に醜くゆがむ。
「うげええっ!!」

ひき潰されたケモノのような声を出し、程c食人@お腹いっぱいがうめいた。
頬をとめどなく涙が流れた。しかし、その涙も次々にぶちまけられる大便に覆い尽くされていく。

べちょおおぉっ!!

「うぶうううっ!?もがっ!ほげえええっ!!」

だが、野望100はそのまま程c食人@お腹いっぱいの顔を大きく肛門を開いた霜台の肉尻の間に押さえつけた。たちまち程c食人@お腹いっぱいの口の中に排泄器官から直送された生ぬるい泥便が大量に流し込まれる。

「おげええっ!げえぅうぇぇえっ!おもおっ!んごっ!んぐうっ!うぐっ!うぷぷっ!んぐううっ!んぐっ、んぐっ、んごおおぉっ、んぐぐううっ!!」
舌の上を走り抜け、喉の奥に直接ぶつかり、食道へ流れ落ちてくる腐食した下痢便。それは不味いなどというものを超越した不可解な味。少なくとも程c食人@お腹いっぱいの味覚はそれを判別することが出来なかった。

「おおおううっ!程c食人@お腹いっぱいがっ!おれの、おれのウンチ汁を飲んでらああぁっ!おおうっ!し、幸せだあっ!ウンコ飲めえっ!もっと、ゴクゴク飲めっ!!お腹いっぱいおれのウンコで、柔らかいウンコでたっぷり埋め尽くしてやるからよっ!噛めえっ!啜えぇっ!唾液で、胃液で、腸液でおれのウンコを溶かせぇっ!おおおうっ!いまっ!今程c食人@お腹いっぱいのお腹の中でいれのウンコが消化されてらあっ!程c食人@お腹いっぱいのウンコはおれのウンコで出来てるんだぁっ!!程c食人@お腹いっぱいのお口便器最高うぅっ!最高の生便器だぜえぇぇえっ!!」

プツン

程c食人@お腹いっぱいの中でキリキリと引き絞られていた一本の線が小さな音を立てて切れた。

(のんでる・・・あああぁぁ・・・なんだっけ、これ・・・ウンコ・・ウンコ・・ウンコって・・何だっけ・・・便器・・・おれ・・・そんな・・名前だっけ・・・ウンコか・・・これ・・・飲めばいいんだっけ・・・食べればいいのか?ウンコ?ウンコ?なあんだ・・おれ、ウンコ食べてるんだ・・・)

ぐびっ!ごぼぼぉぉぉっ!ぐぶうっ!ごぶっ、ごぶっぐびっ!ごくんっ、ごくっ!ごくっ!ぐちゅ、ぬりゅううっ!ぢゅるぢゅるぢゅるううぅっ!!

大量に流れ出す大便は余すことなく程c食人@お腹いっぱいの口腔を犯しぬく。排泄物に犯されているのは口だけではない。鼻の奥まで流れ込んだ泥便は、鼻水と交じり合いながら程c食人@お腹いっぱいの鼻腔から絶え間なく流れ出し、頬を伝って首筋に伝い落ちていく。

「程c食人@お腹いっぱい。解かるか?そろそろ霜台が糞をひりだしながらイクぜ。程c食人@お腹いっぱいを自分の便器にしたことでかなり頭がヤラレちまってるみたいだからなぁ。ククク・・・ほおら、腹の中が汁便でいっぱいになるまで飲めよ。残したらその糞まみれの恰好のまま長安の街中に放り込んでやるからな。」

「うううううっ!ウンコでイクうっ!程c食人@お腹いっぱいの唇がウンチまみれの肛門をヌリュヌリュ舐めてらあっ、吸ってらああぁっ!おれのウンチジュースを程c食人@お腹いっぱいが、程c食人@お腹いっぱいが赤ちゃんみたいにチュウチュウ吸ってらああぁぁっ!程c食人@お腹いっぱいの変態っ!ヘンタイいいいィッ!うんこ出るぜぇっ!おれのウンコ、程c食人@お腹いっぱいの口便器に、ウンコ袋にぃぃっ!!程c食人@お腹いっぱいの変態便器いぃっ!!おはああああっ!ダメだあっ!生グソ便器にウンコこーもん、ビラビラのこーもんのお肉舐められていっちまうぅっ!いっちまうううっっ!!あひゃああははああああああっ!!」

びちゅぶうううっ!!ぶびっ!!ぷふうううーーーっ、ぶひっ!ぼぶっ、にゅるにゅるにゅるにゅる・・・・

「ぐ・・・・えぇぇ・・・・おごっ・・んぶっ・・ん・・んごっ・・・んごっ・・・おふっ・・・・」

グチョ・・ブチュ・・・ヂュル・ズビッ・ゴクン・・ゴクン・・・グチュゥ・・ニチャ・・ニチュウゥ・・・

程c食人@お腹いっぱいの耳には野望100の低い声も絶頂を迎えた霜台の嬌声も届いてはいなかった。聞こえるのはただ自分の口と鼻の中を暴れまわり、果てしなく喉の奥に流し込まれる大便の音だけだった。