呉が関羽攻めずに空気読んでれば曹魏なんてぶっ倒せたのに
1 :
無名武将@お腹せっぷく:
軍神と呼ばれるだけある
てかホウトウか孔明つけてれば問題なかった
魏をぶっ潰しても次は呉が食われるだろ
呉は蜀の味方でも何でもないからな
そこを勘違いしてる奴が多いような気がす
立場上は同盟してなかっけ?
しかし、後方支援が途絶え失策(関羽孤立)するんじゃね?
連動して呉が北上したら勝ててたかもね
勝った後どうすんの?
でも関羽を支援したって呉になんもメリットないからな
魏を潰したとしても、それに転じて劉備が危ないよな
水軍がない劉備としては孫権を潰せる要素がみあたらない
手当たり次第に孫権を攻めたら負けるのは必至
将之将:孫権>劉備>曹操
兵之将:曹操>劉備>孫権
ということだろうか?
孫権=完全委任
劉備=共同作戦
曹操=東奔西走
むしろ関羽の北上がKY
関羽のことを思うと北上しないほうがよかったな
そうすれば長生きしたと思うな
呉が後世でこんなにも人気がないのは、やっぱりこの一件があるからなのかもな
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/01(火) 20:16:32
そらそうよ
>>11 俺はあのタイミングで北上しかけなかったら
どんだけの凡将なのよ、と思うよ。
孫権には三国鼎立のほうがうまみがある。蜀併合できれば更に良い。最初から裏切り前提の同盟だったんだろう
孫権は陰湿だしな。
まさか、その利己主義が現代においても攻め続けられ
KY扱いを受けるとは、孫権は思いもしなかったろうなあ
中国人だから青史にどんな名を残すかは多少黄にしてるとは思うが
「俺の死後の事まで興味ない」と言い切っっちゃう孫権だから割り切ってたかもな。
まあ魯粛の死が蜀にとっては痛すぎたな
荊州領有権で揉めた事はあっても魯粛の基本戦略は呉蜀共同での魏討伐
実際魯粛の死を待ってたように魏呉同盟が成立してるし
荊州のことをのらりくらりと蜀は交わしていたのに問題にならないはずがない
関羽の態度には魯粛ですら頭にきてたみたいだし
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/01(火) 22:34:24
だって呉に荊州の主権を主張する正当性なんて欠片もないし
脇役が策を弄して実力で実効支配しただけじゃん
そういう駆け引き、立ち回りの渋さが呉の魅力
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/01(火) 23:23:17
>>22 そして、そこが嫌われるw
だが、豪族の寄せ集めみたいな国をまとめて、あの若さで魏蜀と対等に
渡り合って来た孫権の手腕は相当だろう。
ただ、孫権は、そもそも天下統一よりも国家維持を重視してた気が。
そうなると、他の2国に対して大義は薄い。
同時に、自己保持の為の外交策略が目立つ為、物語になると割を食う。
大不況に統一王朝なんて幻想を抱いて民衆を振り回してる
鬼畜曹操や詐欺師劉備、DQNの孫策、周ユを叩き
堅実な孫権をマンセーする三国志を書いたらどうなるかな?
曹操が北半分を押さえ
南半分の西を劉備、東を孫権が押さえてる時期が一番バランスがよかったね
結論から言うと関羽は専守防衛につとめるべきだった
曹操、呂蒙も二、三年で死ぬし
もっとも関羽自体も余命僅かだったのかもしれんけど
普通に考えれば、呉との約束を守らず、舐めた態度をとった蜀が悪いに決まってるんだが…
同盟破棄されても文句言えないレベル
天下をうかがう第一歩として、関羽を倒し荊州を
ゆくゆくは天下統一を、という大志を胸に秘めた壮大なスケールを
感じさせてくれれば、あの場面は関羽が軽率すぎたとも言えるが
孫権は大国の主で三国鼎立の代表的立場の一人でもあるのに
単なる関羽憎しによる、蜀の天下取りの構図を崩壊させた器の小ささにも
つくづくションボリする。
蜀の人気がぶっちぎりなのは、三国の中では一番の弱小だが
巨大権力への不滅不倒の反骨精神がいつの時代でも人々に受けるからでもあると思う
呉に援護してほしいなら、呉の反乱を煽るなんて馬鹿なことしなきゃよかったのに。
反乱を煽り、使者を侮辱しておいてKYな北上した関羽がアフォ。
別に関羽を討伐云々はいいと思う。
ただ、その後がなあ・・・。
蜀は関羽の北上が成功したら、劉備もそれに合わせて北上と・・・
夢を感じさせるところまで来ていた。
関羽を討った後の呉は丸まった亀同然。
天下に手が届く事も無かったに癖に余計なことすんなよと。
まさに呉は空気が読めてなかった。
呉は蜀を格下に見てるのにそれに対して蜀がなめた態度取ってればやられるのは当たり前
天下なんて見ていないし
目先の利益の前には唇だろうが車だろうが噛み付いてやんよ!
って感じの近視眼的な戦略。それでいて水上では無双だから性質が悪い
>呉に援護してほしいなら、呉の反乱を煽るなんて馬鹿なことしなきゃよかったのに。
反乱を煽り、使者を侮辱しておいてKYな北上した関羽がアフォ。
これ自体呉の「作った」歴史かも知れんけどね。詐欺師劉備とか呉が作った歴史は魏史とは一致しない(蜀史は記述がほとんどない)
歴史学的にも呉史は矛盾が多くて作為的。
うむ。
赤壁も周ユと呉だけが無双した印象なのも不自然
>>34 現在の呉好きが蜀の役得ぶりを毛嫌いするのと同じような感覚が当時からあったかも知れんね。
それでも陳寿の呉書を見て「こんなんじゃダメだ!」って言った陸雲はどんな内容を望んでたんだろう?
あれは余りにもアフォ過ぎて、かえって怪しいって感じだよね
あのKYっぷりは異常
北方が大混乱の状況でも北進しない東晋に匹敵するものがある
江南地方の人って、内部のことで頭いっぱいで、遠くが見えない傾向にあるのであろうか?
実質的にも、名分的にも
正統には程遠かった呉
結局、天下を賭けたビッグカードには蜀VS魏が鉄板なんだよ
天下をねらうには荊州は呉にとっては必要不可欠
蜀と同じようにね
それに呉は天下二分の計を狙ってたんじゃなかったっけ?
天下を狙う以前に防衛の観点からいっても、上流を信用おけない勢力が
押さえている状態は呉にとって極めて危険。三峡のような要害もないしな。
結局、防衛線を荊州の南郡と西陵まで伸ばして永らえたのだから、
防衛戦略としては極めて正しかった。
呉書以前にこれは単純な地政学の問題だろう。
以後の六朝でも南郡と西陵を押さえられてるかどうかは即死活問題だぞ。
魏を攻めるっていっても河越えちゃったら得意の水軍が使えんしな
不馴れな地形と後ろに敵、これで荊州無視して魏を攻めろってのは蜀の側の都合過ぎる
孫権に天下二分能力があると思ってるなら呉の経済事情とかの文献も読めばいいのに
呉の経済事情考えるならますます豊かな荊州を欲するのは道理だろう
荊州を取れば益州への道も開けるしな
呉書って一番信憑性が低いんだっけ?
たしか孫コウが自分の望んだ内容を書かなかった歴史家を殺しまくったって聞いた記憶がある
てか、呉って刑州を得る正当性みたいなのはあったの?
刑州牧は劉備だよね?
>>46 役職を重視するなら丞相に逆らっちゃいかんだろ。
蜀も呉ももはや自分らの価値観で動いてるわけだし、行動に理由はあれどそれが正当かどうかってのはないだろう。
呉が裏切ったのは劉備や関羽の所為とか言うのはただのダブスタだろって話
結局蜀がボコられたのは雑魚だったからなんだよな
多少舐めた態度だろうと、相手が強ければそう簡単に裏切れないだろ
弱者が強者に逆らえば駆逐されるのは当たり前の話
別に呉が蜀に対して強者でも無いけどね
呉が魏という強者に擦り寄って蜀に対抗しただけ
呉は中身北朝鮮だからな
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/03(木) 03:45:53
age
人材
魏>呉>>蜀
足の引っ張り合い
魏>呉>蜀
内政
蜀>魏、呉
トップの部下からの信頼
魏、蜀>呉
諸葛亮時代の蜀も北の国臭い
他スレで諸葛亮はヒトラーだとか言ってたやつか?
>>52 何でセコイの?
補給路の維持が出来ないから負けただけじゃん
>>57 弱者だから、強者の背を突いて勝つような真似に走ったんだろ
正面きってのガチタイマン張れないから呉は強者とは呼ばれない
【卑怯、姑息!】
それが戦のセオリーってもんですけど何か?
呉はこういうのを躊躇いなくやるしな。
人気がないのも当たり前か。
>>58 弱者に後方から攻められ負けてんだから強者にはならないかな
現代戦でもシーレーンの維持は大切だぜ
同盟をいきなり切ってシーレーンを切断してきた国を強者と呼ぶかは微妙だな
>>59 同盟国を背後から刺すような真似をした英雄は多いが、呉の場合はどうしてもオポチュニスト的な匂いがな…
荊州を得た勢いで積極的な攻勢に出てれば成否はともかく、ここまで魏蜀に人気面で離されんかった気がする
そういう汚い手も容赦無く使えるのが孫権の強さでしょ
劉備は人心がどうとか言ってやりそうにないな
劉璋暗殺すら拒否ったくらいだし
呉は関羽討伐後の事後対応も魏に比べたらショボすぎてな・・・
呉「関羽を討てって言ったのは魏なんすよ・・・
頼むからウチらに怒りを注ぐのは勘弁してください
マジでたまたまだったんです」
魏「確かに関羽を討つ計画を練ったのは俺達です
しかし、純粋に強くカコイイ関羽を俺達は死しても敬慕いたします
敵ながらあっぱれ、王侯の礼を持って関羽を弔わせて頂きます」
こうして蜀の怒りは呉に注がれる事に
魏は事後対応も見事で上手かった。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/04(金) 00:44:55
呉は日和見と責任転嫁が見苦しい
こういう連中が三国一の寿命だったのが三国時代が面白い原因
呉が人気ないのは単に演義の影響でしかないよ
演義がなければどこが人気?とか以前に知られてすらないだろう
南北朝の北周、北斉、陳の三国と同レベルの知名度になってた
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/04(金) 08:10:18
まじレスなら、西のゲルマン民族の大移動と鮮卑族の南下は匈奴の西進が原因。曹操は黄巾賊も含め多民族連合を目指していた。孫権は漢民族・漢文化の拡大、劉備も血筋以外は孫権とほぼ同じ目的だから…呉・孫権が天下を狙うはずがない。
孫権が別人でも呉の人気にさほどの影響はないw
孫堅の名声獲得、孫策の領土獲得、孫権の独立と
創業者の手柄がばらけてるのも不人気の原因だろう
鞄、地盤、看板
>>66 演義の前に平話があり、平話の前に講談説三分があった訳だが
三国時代の知名度と蜀の人気はこの時点で確立、魏は仇役、呉は何ソレ状態
集大成である演義が無ければ現代までは残らんかったかも知れんけどな
立場的には蜀のが圧倒的に弱者なんだけどな。
呉には魏と組む、という手が使えるが、蜀には無理、この時点で蜀は呉に頭下げるしか無い。
なのに劉備と関羽は身の程をわきまえず強攻策に出たんだから、馬鹿としか思えない。
そりゃ〜おめ〜みんながお利口さんじゃ、ドラマになんね〜べ
馬鹿ががんばるから、ドラマが盛り上がるってもんよw
だから蜀は人気があって
呉は人気無いんだけどな
呉で人気あるの甘寧と陸遜くらい?
>>72 あの時点では蜀は一時的とはいえ魏を圧倒してたぞ。
漢中では劉備が曹操の本体を破り、関羽も破竹の快進撃を果たして北上。
蜀には魏を正面から相手に出来るほどの力があったのよ。
それに引き換え呉は荊州取っても、そこからはまたまた
引き篭もり同然だったし、北上しては魏相手に負け続けの連続で結局
関羽のように威震中原とはいかなかった。
折角、面白くなりそうな場面で余計な事したんだから、そりゃ呉は
どんだけ空気読めないのよ、って話だな。
水軍を基点に引き篭もった場合のみ、精強無比な軍と化すのもタチが悪い。
あのまま呉が邪魔しなかったら、魏を滅ぼせてたかも、って事か?
それは無いだろ。
そもそもの自力が違いすぎる。
長安辺りまで取れたとしても、維持出来ずにすぐ奪い返されるのがオチ。
魏にしても状況が悪くなれば荊州、徐州、華北、西涼からの
派兵は望めるか厳しいラインだしなあ。
兵力差の問題を言いたいのだろうが、おそらく窮地に追い込まれたら
関羽の時のように魏の各地で反乱だらけになると思うぞ。
快進撃が素晴らしいとはいえ、一時的なものだろう
備蓄が切れたら終わり
遠方になればなるほどロジスティクスの強化を必要とする
諸葛亮がその点はなんとかするんじゃね?
蕭何に例えられるほどの存在だし
長安以東が鬼門だろ
三国以降の例から見ても、あの周辺を長期に渡って維持するのは非常に困難
まして国力で魏より大幅に劣る蜀では尚更
一気に攻め込もうとせず、版図拡大ってラインにたどり着くだけでも
十分に魏打倒も見えてくるんじゃね?
>>83 息継ぎせず一気に攻め立てろ!とも言ってるわけじゃないしな。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/04(金) 20:35:28
長安荊州北部奪取して時を合わせて呉が合肥・徐州窺えば魏も大きく動けないんじゃないか?
その間に荊州南部を返還、呉と更に連携強化して圧迫して行けばあるいは?
まぁ呉は空気読まないと思うが。
孫権なんて人気あるわけないだろ
魏は金がなかったりする。武器製造にも困るくらい。
呉はもともと貨幣経済が発展してない。
周瑜とか大史慈もかなり人気あると思うな
程普や韓当も
孫家なら孫策が一番人気
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/04(金) 22:51:28
今まで、ネットでは国力差の問題があまりにも大きすぎるファクターとして
語られ続けていたのは間違いない
中英では国力絶対信者なんてのもいたし
ここは国力差なんて、重要ではあるが、他のいくらかのファクターと同程度に重要なものに
過ぎないと言ってみる(せいぜい、野球のゲーム差程度)
国力差がそれほど重要なら、中国はずっと統一王朝のままだし
勢いと主君の求心力、前線の軍事的活動で、蜀はあの時点で圧倒していた
数年後に曹操が死ぬことを考えると、一気に魏が瓦解していたことも十分、ありえる
ちょうど、官渡の再来だ
91 :
695:2009/12/04(金) 23:48:22
魏は森林資源が疲弊してたせいで数十分の1に価値の落ちた董卓銭を改鋳して安定した貨幣を流通させることが不可能だった
中原以北は蜀や呉に比べ暖房燃料として木材が必須だったからだ
だから曹操は銅雀台を造ってみせかけの国力高揚をせざるを得なかった。数トンの青銅を貨幣にしても流通に足りないが建物を金ぴかにするには充分だから
この時代の青銅はスズ含有量が多く硬くて金色(青銅のペーパーナイフを持ってるが鉄釘より硬い)
>>90 王莽が曹操に必勝とか言ってた痛い子がいたな
自演に凹られてたがザマ見ろという感じだった
劉備は関中を取った事で調子に乗りすぎた。
関羽みたいに性格最悪&人望0の人間に大事な荊州を任せたのは愚かと言う他無い。
これではどんなに国力があろうと天下は雲の上だろう。
>>93 裏づけのない感想ならチラシの裏に書いてろよ
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/05(土) 00:11:11
>>81 いつも北伐の時に兵糧切れで撤退していた諸葛亮に何をしろと(ry
>>95 諸葛亮に前線でなく兵站をまかせる話だろうに。まあ未知数だが
実際に漢中での諸葛亮の兵站は見事としかいいようがないぞ
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/05(土) 00:20:22
確かに、中原まで蜀軍が雪崩れ込める状況にでもなれば、魏は大混乱だろう。
反乱も相次いでいたし、何がキッカケで瓦解するか分からない所まで行ったかも知れない。
ただ、関羽が樊城を陥落させられたかどうかは、少々疑問が残る。
呉云々以前に、徐晃に包囲を破られている訳で。
関羽の北上には勢いがあったが、あのまま続いたとも思えない・・・・・・・・
>>90 ひーちゃんが曹操死後9か月で皇帝にスピード出世してるから曹操が死んで即瓦解と言うのは無いと思う
袁紹の場合は後継者問題と幹部団の確執がグチャグチャ過ぎ
曹操の所も粛清の雨アラレだが、大半の武力的実権はこの時点では曹氏が握っているので袁家よりはマシ
負けが込んでいると言っても中央府から見れば辺境での話だし、反乱3タテコンボも結局は鎮圧されてるし
曹操が死んでそこまで劇的に状況が変化すると言うのは見積もりが甘いと思う
>>81 曹操の所にも兵站のプロはいたけど漢中では撤退してるから。
関中平野を越えて戦をするのは相当にキビしい
能力がどうこうの問題ではないと思う
現に諸葛亮が指揮して、しかも局地戦ではちょくちょく勝ってるのにニ郡獲るのが関の山だった
>>98 つか中原に蜀の主力が雪崩込めるってどんな状況? って話だと思うけど
確かにそのくらいの攻勢が実現すれば魏の妥当も夢ではないが
どうやってそこまで持って行くのかと
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/05(土) 00:38:01
>>101 蜀軍=関羽軍ね。
実際に雪崩れ込めるかは別として、中原の喉元まで北上したら・・・・って話でした。
関羽軍単独での荊州全土制圧はありえそうだから
後は、やはり劉備軍本体による西側からの攻撃も必須だろうなあ。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/05(土) 00:57:52
>雪崩込める状況
曹操がトチ狂って夏侯淵、夏侯惇、曹仁、曹洪、曹真、曹休、五大将クラスを粛清
前線指揮官たちが臆病風に吹かれまくって要害を放棄して撤退しまくりーの
大軍で反攻を目論むも兵糧を焼かれて崩壊
戦力が消滅
くらいやらなきゃ無理
ぶっちゃけた話史実でも奇跡的な成功と言っていい
関羽って早い話、それぐらいの将だったんだろうな
関羽のミス
・ビ芳、士仁の処分を先延ばしにして留守番にした
・呂蒙、陸遜への諜報活動で出し抜かれ警戒を解いてしまった
・捕虜三万を殺さなかった
・呉の兵糧庫を略奪
・包囲が長引きすぎた
・徐晃に勝つチャンスを見送った
代替わりの連続で大臣の発言力が増えて
トップの指導力、求心力、調整力に欠けた状態でgdgdにならないと厳しい
>>106 いくつかは呉の捏造の可能性が高いがね。経済史やってると正史も眉唾ものだし。
蜀+関羽弁護のために捏造だの眉唾だの軽々しくのたまう信者はどうにかならんのか
呉書は手抜きらしいけどな
史実にある蜀に不利な話→「あてにならない、胡散臭い、捏造」
史実にない蜀に有利な話→「こういう考え方も出来るよな、説得力ある」
>>99 あれも、献帝奉戴と魏王就任の副産物だよなぁ
曹操勢力は漢王朝な分けだから、名目上トップは健在
魏王就任により、後継指名は成されていたから動揺も少ない。
>>94 関羽に人望がないのも性格が悪いのも正史読めば分かるじゃん
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/05(土) 07:01:45
該当個所を貼っていいよ
>>99>>104 それが国力や体制を過大に評価した結果だと思うわけよ
劉備と関羽があのまま10年寿命があったら、十分ありえると思うわけ
曹操統治のもとで前線が敗北
于禁、ホウ徳、曹仁を失う。関中でも劉備が勝利。(官渡の勝利に匹敵)
曹操が死去。曹丕がつぐが、曹操ほどの求心力はなく、その性格と猜疑心から、
曹洪や弟に対する粛正や冷遇で動揺は間違いなく、起こる。
皇帝になっても、軍事力以外、これといった士大夫の支持を得る動機がない魏は、
400年の漢王朝の皇帝を名乗る人物の権威にまるで及ばない
この状況なら、皇帝を名乗らない方がましかもしれない
さすがに魏の中核の軍事力はあなどれないが、それも小規模とはいえ、敗北を続けていれば
各地で漢復興の反乱が起きる可能性は高い。曹操の圧政や虐殺がこの時、つけになってかえってくる
十分、ありえる話じゃないか?
>>113 そう言って、実際は、
史実にある魏に不利な話→「あてにならない、胡散臭い、捏造」
史実にない魏に有利な話→「こういう考え方も出来るよな、説得力ある」
なことを、曹操信者や正史厨はネット上でわめきちらしてきたよな
今更、言える立場かよ
曹操信者の伝家の宝刀「相対化」ですよw
>>117 10年生きるというのがインチキ臭いが個人的には好ましい展開だな。
だが、曹ヒはクソ人間でも、その状況で粛清するほど馬鹿じゃないだろう。
また反乱も一応は押さえ込める。
まあ、そういう時期に蜀と呉が強調して魏を草刈場に出来るかが本来大事なんだろうけどね
>>117 関羽は敗死なんだから、寿命が10年延びるとかありえないし
曹ヒが魏王継いだ時点では、普通に漢王朝なんだが
単に禅譲が伸びるだけだろ
>>121 >関羽は敗死なんだから、寿命が10年延びるとかありえないし
引き篭もりの呉が空気を読めば生きられたかもしれないねえ。
呉と蜀は同盟こそ結んでるが、劉備が漢王朝の復興を旗印にしてる以上、呉も敵対勢力には違いない
呉に空気読めってのは、
「魏を滅ぼしたら次はあなた達の番ですが、それまでは協力してくださいね☆」
っていう無茶苦茶な言い分だ
どんな聖人でもんな事聞くわきゃない
だからといって同盟中に裏切って背後から襲って良い訳でも無いよな
魏にしても「蜀を滅ぼしたら次はあなた達の番ですが、それまでは協力してくださいね☆」
聞き入れてるとは大した聖人君子だ
そりゃ呉は始めから曹操に対して「あんたには逆らいませんから、自治を認めてください」って言ってるんだよ
蜀なんてかねてよりのいざこざから利害関係がなければ信用できる相手じゃないし
そんな奴が宗主に逆らうってんだから戦うのは当たり前だろうが
>>114 曹操は袁紹に倉亭でも河向こうで勝ってるけど、それでも平定に5年以上かかってる
一回の勝利で状況が変わったわけじゃない
蜀と魏の支配力の差は曹操と袁紹以上、遠征のコスト差もそれ以上
魏の防衛ラインは袁紹の官渡に比べてかなり後方
加えて曹丕がそんな出来レースみたいに蜀に都合良く動くわけがない
関羽は中央府で反乱、洪水によって曹仁らが動けなくなったにも関わらず、攻め切れずに撤退している。今後これ以上有利な状況になるだろうか?
そもそもの仮定に無理があるな
孫権は劉備が漢中王を名乗ったとき車騎将軍の位を受け取っている
劉備が漢中王名乗った時点でもう同盟なんてあって無いようなもん
呉も身の危険を感じたんだろ
そもそも、同盟としてのマスコット的存在の孫権妹が孫権へ還ったから
当時としては絆は薄かったんじゃないかな
どんな引きこもりでも、自分の身に危険が迫れば流石に戦う
自分より強い奴と喧嘩するのに、味方どころか更に敵を増やしてんだもんなあ
漢中王を名乗るのは時期尚早だった
曹操を撃退して漢中王を名乗ったのは時期としては悪く無かったが
もう少し関羽が外交をまともにをするべきだった
>>131 外交交渉の組み合わせが、魯粛と諸葛亮ならば、何の問題も無かったのになぁ
あのころの関羽は蜀帝国内の一独立勢力みたいになってたような印象があるんだけど
実際そうなのかな・・・
なんで呉から直接成都に話がいかずに、関羽と呉の間で色々揉めてたのかいまいちよくわからん
成都もあまりその経緯を理解してなかったっぽいし
漢中王を自称したのは正統性を明らかにして求心力を高めるため
もちろんそれによる他方の反発も理解していただろうが、当時の劉備陣宮はメリットをよしとしたんだろう
中原にすら進出できない状態で劉姓と漢中を獲った事を根拠に名乗った王位なんて、袁術の僭称より少しマシってレベルだと思うけど……
それでも漢王朝的には異性の王よりは遥かに正当性があるんだけどな
孫権は漢中王を認めてるのに裏切った。
劉備は献帝に拝謁して左将軍に任命された。当時の曹操は司空、袁紹は大将軍
任命した本人を即裏切る孫権はニート並みの自由人
>>121>>126(アンカーミス?)
スレタイが前提だろ
>>99の
>ひーちゃんが曹操死後9か月で皇帝にスピード出世してるから曹操が死んで即瓦解と言うのは無いと思う
の反論も前提としている
魏王のままで、粛正をしないなら、それで構わない。
曹魏の正当性がさらに薄れ、敗北を重ねる魏と太子時代に恨みをかっているサイテー人間の曹丕に
当主交代の世論が生まれ、魏が混乱するだけだ。
曹操自身すら迷っていたぐらいだ。曹丕はよほど人間性に欠陥があったのだろう
曹操は、たびたび、反乱を起こされており、代々人望のあったエン家とは違う。
諸葛亮の北伐すら、数郡が降伏した。劉備なら州ごとの降伏がドミノ倒しで
相次いでもおかしくない。防衛ラインなど、すぐに到達できる。
逆にいれば、魏よりも蜀を警戒したのは、雑魚であったというより、その天下統一を危惧してのことだろう
逆算から、蜀が過小評価されているのが、現状だろう
駆虎呑狼の計でございます
>>138-139 ねつ造した証拠から出した結論ではない分、曹操信者より、はるかにまし
曹操信者、お得意の煽りによる議論外し戦法がでたなw
まあ母親から「お前の残飯はネズミも食わんわ」と言われたり、
陳寿から「寛容と公平と道徳があればな」と言われるくらいだから曹丕がアレな人だったのは確かだろうが、
それが即ち魏の致命傷になるとは限らんと思うが
曹丕が北斉の後主並の昏君なら、蜀にも多少は勝ちの目があったかもしれん
曹丕程度じゃ到底無理
袁譚や袁尚がそんなに雑魚だったかよw
見せかけの才能はあっても、人間的にクソレベルの曹丕も似たようなものだ
曹丕以降、士大夫の信望を失い、司馬氏に乗っ取られることや
後世、曹操以上に滅茶苦茶言われたことを考えると
曹丕マンセーこそ、正史と魏信者による印象操作だろ
飲んだくれの曹植の方が、兄の方が後継争いに有利なことを考えると、器量としてはかなり上だったと思うよ
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/05(土) 21:10:04
ツァオピーの人間的にクソなエピソードは相当見つかるのだが
彼の具体的な実績を根拠に弁護する信者はほとんどいない。
議論相手を漠然とした人格攻撃しかしないのが特徴
>>25 堺谷太一あたりがそういうの書きそうだよな>従来とは逆の発想で有名事件を小説化
舞台が日本だったら
>>141 この流れで曹操信者うんたらはイミフ過ぎる
>>145 弁護も何もツァオピーは淀みなく権力を掌握して魏領を安堵させた実績があるので
曹操時代の対等な朝臣も禅上時に臣になってるし
そもそも丕の実務能力を批判せず人格を攻撃しているだけの論理に実績を持って反論しろとはこれやいかに
具体的な実績も見つけきれず、禅譲を行わせ、短命な自分の代だけは内政を安定させただけの
戦争や外交に失敗しまくりの曹丕なら大丈夫論理はイミフ
結局、なんも反論がないのと同じ
一行レスの煽りを擁護するのも同様
蜀が魏を滅ぼすことは『不可能』なんて言ってのける連中の方がよほど、うさんくさいw
>>147 トップとしての資質の問題だからな
頭はよかったろうが心に問題ありすぎ
宜しければ、心の問題を補ってあまりあるほどの実務の実績というのを列挙して頂きたい
遠征の失敗とか無駄な粛清とか私怨による仕返しのエピソードばっかで
北斉の鬼畜たちには敵わないけどかなり微妙
副丞相時代には魏風の反乱を鎮圧させ、皇帝として権力を安定させた実績が評価されないんじゃどうにもならないな
戦争失敗とはいうが江陵は一時期陥落寸前まで追い込んでるし
その理論なら5度も遠征して2郡を取るにとどまった諸葛亮や荊州失陥した関羽はどんな評価になるのかね
>>150 「不可能」だとか発言を捏造するのはやめてほしいんだけど
ただ君らがこれだけ反論がでるほど整合性に疑問のある論をごり押ししてるというだけ
曹丕がどうとかってレベルじゃないんだよ
呉を敵に回した時点で、蜀は完全に積んだ
蜀が魏を倒す為には、呉を味方に引き入れる事が最低条件だったのに、劉備はそれを自ら蹴ったんだから
曹丕がクソだと言っても、窮地で友軍からも援軍をもらえなかった関羽やはるか彼方の関中にいる劉備にどれだけの事ができると言うのでしょう
関中から中原に入るには潼関はじめ要害が腐る程あるし
関羽に至っては魏の指揮官を過小評価した上での過大評価でしかない
まず
・反乱が起こるに違いない
・劉備になら降伏するに決まってる
根拠がよくわからん希望的観測が多過ぎる
曹丕がクソ人間だとなぜこういう事象が起こると確実視できる?
実際にはよく治めていたというのに
>>152 密告者が出たのはただのラッキー
関羽が大雨に乗じて七軍を壊滅させた以下の実力アピール
もう一つの方は抽象的すぎる
陥落寸前まで追い込んだのは張コウその他のおかげ。人の手柄を吸い上げるなよ
>>157 何故皇帝が自分で現場の指揮をとらねばならないのか
そろそろ曹操ネトウヨスレの住人が突撃して来るぞ
曹丕は総帥としても指揮官としても駄目駄目じゃん
インチキ剣法勝負では無双(藁だったらしいが
曹丕、孫権、劉備、みんなクソって事でいいよもう
>>162 とくに国内で大きな反乱等があった形跡がない
九品官人法はじめ、様々な制度を整えていった事、
外戚や皇族の政治関与を整頓して集権化を進め、政権と社会の安定を図った
少なくとも関羽が生きていたであろう十年前後の期間で容易に体勢が崩れないだけのことはやっている
史上でも曹洪等の粛清も結局行ってはいないので、劉備との緊張が高まっている状態で
>>117の示すようなアホな粛清はやらないだろう
自分の論を押し通したい何名かが蜀を勝たせたいがために必要以上に無能に仕立てあげてるだけ
君らが言う程に君らの論に都合のいい人物だったなら、曹芳を待つまでもなく文帝の治世で曹魏体制は瓦解していただろう
関羽の北上以降
関羽のような奇跡を起せるような熱気が伝わってこなかったので
魏国の領民も萎えてただけじゃね?
つーか曹操死後時点で呉は魏の属国なんだから蜀は最低限三面に軍を置かなきゃならない、この時点で相当に厳しい
そしてその状況からたった一人で蜀の中原侵攻が可能になるほどの失態をやらかすほど曹丕は無能ではないし、
仮にそれほどのバカなら取り返しがつかなくなる前にクーデター起こって別の人間に頭代わってるよ。
無能ではないが、有能でもない
これが曹丕だろ?
>>165 それは単なる関羽の過大評価
大体史実でも奇跡が起こりまくってるのに結局徐晃で止まってるんだからそれ以上の期待値は無いよ
>>165 そこまでいくともはや論拠も何もないな
ただのご都合主義的な見積もりに過ぎない
呉は本当に絶妙な立場なんだよな…
状況次第で魏蜀どっちにでも傾ける
孫権は天才かもしれん
>>117が有り得ないと言うつもりはないが、そこまで到達するのは相当無理臭いと言うのは事実
>>104くらいの不可思議な現象が起きなきゃ条件をクリア出来ないし、スレタイの「呉が空気読む」って可能性も非常に薄い
理由は
>>166の一行目
前提からしておかしいんだよこの話
>>165 まあ、でも関羽に応じて反乱も起きてるわけだし
関羽ならばという期待もあったんじゃないの?
徐晃には一敗地まみえただけじゃない。
クーデターが起きたら通信手段が馬の時代だと外部と内部での戦争には耐えられない。
簡単に滅びるのが歴史。
>>172 その場で関羽が戦死してたら、徐晃が絶対のストッパーだったとも言えたけどな
包囲の一角を崩して、退却させただけなので帰る場所が残ってたらどうなってたか
見物な場面ではあるな
>>170 ただ荊州のいざこざ以降両者の同盟が形だけでも続いてるのは曹操と戦うからと言う劉備側の都合
そして仮に劉備が勝った場合次に危ういのは当然孫権となる
曹操と言う抑止力が無くなった場合、荊州の半分を抑えられている孫権は懐に短剣突き付けられているようなもの
そして曹操と本格的に戦う場合、荊州・陽州方面は当然お留守になる
それらの要因を鑑みてなお孫権を頼みにするのは劉備側にしてみたら賭けに近い
呉の地は元々漢に支配されてないから次に向かい合う云々は孫権側の理屈でしかない
中原と蜀にあったのは漢文化だが呉の物々交換主体の南方と長江沿岸の経済地帯は曹魏縮小しても地域に根ざさない連中が簡単に攻めとれるもんじゃない
呉が危険とか煽ったのは孫権の強欲
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/06(日) 07:40:57
>>172 その慣用句だと再起不能じゃん
徐晃が決戦をする頃に江陵が落ちてたのかが気になる
士気に関わるしね
于禁、ホウ徳軍を撃破してる事もあるし
そんなに士気が低迷するような状況とも思えないが・・・
兵站と人質の問題だろう
呉が空気読んでれば前提での話でしょ?
孫権中房だから空気読めネ
そもそも呉は蜀の属国でもないんだから蜀の空気を読む必要なんてない
逆に空気読めないのが劉備
蜀の国士無双の上がり手をしょーもない
糞役上がりで呉は潰したようなもんだな
荊州取っても、蜀のような一発逆転の勝機すら
呼び込めなかったのだから呉は空気読めないといわれても仕方ない
それが呉の人気のなさにも繋がってるわけだし
関羽の首送られた曹操も孫権空気読めよと思っただろうな。
自分のやったことは自分で責任持てよ。
一発逆転の勝機?
徐晃に止められた時点でそんなものはない
魏の援軍が来るだけ
そもそも関羽は北上するなら呉と円満にやって
呉と蜀が連携しなければ蜀に勝ち目などない
>>186 君は常に頭の悪い子としてたびたび登場するよね
実際そうだろう
中央軍も残ってるし、曹仁も撃破したわけじゃない
最悪の場合夏侯惇の軍からだって援軍がくる可能性もある
中央は劉備軍が東からやってくる場合に備えておかないと
駄目なんじゃね、この場合。
反論できないから頭の悪い子とはねぇ
徐晃が絶対の防御壁とか思っちゃってる時点でかなり頭悪いだろ
>>176 どっちにしろ蜀に手放しで協力する理由になんかならんよ
呉からしてみれば旨味なんてどこにもなく、むしろ危険度だけが残る話
それで呉に空気読めと言うのははっきり言って虫が良すぎる
劉備自身がその辺を理解してなかったくさいが
>>192 まあ、別にそれはいいんだけどね。
戦の常識として自分が有利に立つ選択は当然。
しかし、呉の場合は皆が何度も言ってるようだけど
荊州をとった後、何ができたのよ?と。
蜀のように魏を押し込めて天下の趨勢を塗り替えるかもしれなかったような
機会が全くなく、またもや引き篭もり。
後世の人々から見たら、そら呉は空気読めないとも言われるさ。
>>193 ちょっと何が言いたいのか分からないです
徐晃が絶対の防御壁じゃなくて徐晃も抜けないのでは中原進出は無理
歴史の流れから見ても、空気読めてないのは蜀なんだがな。
献帝は正式な手順を踏んで帝位を魏に譲ったにも関わらず、
「献帝は無理矢理帝位を奪われたんだい!僕は認めないんだい!」
と小学生レベルの駄々をこね始め、中国全土を荒らし回るんだから。
そんな連中に味方する奴なんている訳ねーだろ。
馬鹿は死ななきゃ直らない、という分かりやすい見本。
一度敗退しても、体制を立て直して再出撃できるような
状況なら徐晃も抜けたかもしれんよ?
まあ、ここは完全なif話になってくるけども。
>>197 歴史の流れでは「蜀漢正統論」というものが強い影響力を持ってましてね。
劉備の場合、献帝生きてるのに即位したからな
死んだと噂流れたから即位したと言っても少し調べればわかるだろうし
魏の使者からも山陽公になったことも伝えられてるだろう
>>194 なんで自国の秩序を放棄してまでそんなもんにこだわらなきゃならないのか理解できん
その理屈で言うなら蜀は手前勝手な思考で軍を動かし、むやみに天下を騒がして安定を壊すテロリストそのものだよ
講談じゃあるまいに、んな理由で北伐してたらそれこそ暗君そのものだ
歴史は劉備アンチに優しくない
>>199 プロパガンダに踊らされる人間の典型だよな
中国の歴史の流れは常に易姓革命という弱肉強食だよ
蜀漢正統論など弱者の言い訳でしかない
>>201 天下を狙える大器を、火事場ドロボー如きが潰した事が
呉の不人気に繋がってるわけです
>>194 呉は魏に降伏してるから
少なくとも当時の時勢から見たら空気読めてないのは間違いなく蜀だよ
劉備の献帝禅譲後の行動って、
2ちゃんで論破された奴が反論出来なくなって、スレを荒らし始めるのと似てる
>>205 天下を狙える大器?
思考回路は北の将軍様と変わらんだろw
じゃあ首送るなよw
>>204 蜀漢正統論はその論外
その結果、民間に意向した三国演義ではその形をそっくりのそのまま
乗せられて現代ではその民間発の文化が歴史にも影響するほどになった
まあ、なんで今でも蜀は人気が高いのかということにも帰結するもんです
北の将軍様=孫権
なんか、劉備アンチのが追い詰められてきたな
北の将軍様とか言い始めちゃってるし
孫権は2ちゃんねらと一部の女性に人気。短足胴長がばれたら女性人気なくなるだろうけど。腐だし
蜀信者は蜀の人気が高く、呉の人気が低い事にやたらとこだわるけど、
それってこのスレに関係あるの?
>>212 呉オタは自分達だけのコミュニティに引き篭もるのが好きなんだろ
天下は狙うもんじゃなくて治めるもんだ
彼らはレースかゲームをやってるわけじゃない、政治的な観点から動いてる
劉備が魏の打倒を掲げたのはそれが蜀と言う国の大義名分だから、ごく政治的な理由からだよ
孫権も自国の自治のために動いてるんだから、空気読めないだのと言う指摘がそもそもナンセンス
論外ではないよ
中国ではいまだに易姓革命の影響があり一つの中国という考えがある
そもそも蜀の正式な国号は漢なのに蜀と呼ばれている
これは蜀が他から正当と認められてないから
>>214 あの状況、蜀なら天下を狙えたかも
蜀ガンガレ!!
↓
蜀人気上昇
あの状況、荊州取った後何もしなかった呉
じゃあなんのために関羽討ったのよ?ただの私情ですか?
空気嫁!
↓
呉人気下降
こういうことかと。
当時の民衆や知識階級が劉備を英雄視してるのに対し孫権は呉内でしか知られてないからな
>>212 火事場泥棒という言い逃れに対してどう思います?
そもそも劉備の劉性である信頼性なんてあってないようなもの、
蜀漢も中央から離れて勝手にでっち上げただけという感が強い
>>220 火事場ドロボー呼ばわりされてもしょーがないだろ、あれじゃあ。
魏の方が犠牲も出し、頑張ったのに何故か呉が荊州をちゃっかりゲット。
その上、責任逃れをしようと関羽の首まで魏に送りつけてくる小物っぷりを披露。
蜀が人気あるから蜀が正統とか無茶苦茶だなw
>>220 ありゃ劉表と同盟関係にあった時代の根回しの結果。劉備になら降参するがショウユには降参しなかったのを火事場泥棒というショウユ。さすがに海賊の血縁だよなw
天子は唯一無二の存在であり、二人以上居た場合は、どちらかが偽者という事になる。
献帝から「正式に」帝位を受け継いだ曹丕(魏)
魏の言い分を認めず、「勝手に」皇帝を名乗った劉備(蜀)
どっちが偽者かは幼稚園児でも分かると思うが。
蜀漢正統論なんてのは単なる願望に過ぎん。
>>218 意味不明
何故むやみに戦争を起こして国力を疲弊させなければならない?
むやみに戦争を起こして荊州を失ったいい見本がいるのに
しかもその理屈なら呉が魏を攻めなきゃならないわけだが、なぜ降伏の使者まで送って戦線を収めておきながら再び戦わなければならないのか
>>223 そうじゃない、蜀が正統であることが確立されてから
物語化した三国時代の話が正統の蜀を基点して描かれたので
蜀の人気が上がった
順序が違うよ
>>225 それこそ所詮は当時のプロパガンダだろうに。
後世でも不安定な正統を名乗った国の正統が時代を
超えて保たれるほど歴史は甘くないってこった。
>蜀が正当であると確立されてから
誰も蜀が正統なんて認めてないよw
>>229 「蜀漢正統論」
お前が認めずとも、中国の歴史は認めている
ていうか、そういう話してるだろ、見てないの?
>>215の言ってる事は本当に的を射るような意見だなw
>>225 劉備には献帝の密命という名分がある。これをなかったことにしたら董貴人を腹の子ごと惨殺した曹操は簒奪者
蜀漢正統論なんて異論の一つに過ぎないんだが
いつ中国の歴史が認めたの?
蜀漢正統も異民族に河北をとられた時に出来て、それから一時期流行っただけだけど
中国の歴史でも認めてないよ、
蜀漢正統論はそういう説もあるということだけ
益州一州の地方政権の蜀が正統などと図々しい
>>233 南宋以降くらいからはずっと蜀だろ。
まあ、便宜上三国時代とは呼ばれているが。
そもそも魏が正統なら、三国演義も魏贔屓に仕上がってるはずとも
思えるが。
魏晋南北朝って言葉があるように、誰も蜀を正統などと認めてないんだよな。
>>232 献帝の勅を受けながら献帝を否定する袁紹に付いた逆賊がどうしたって?
>>235 なんでそういう嘘を堂々とぶっこくのかw
>>286 演義は蜀が正統だからじゃなくて関羽が人気だからだよ
現在の関公、孔明人気も蜀が正統でなかったらここまでのものになってたかも
疑問でなくもないしな
蜀が正統で蜀漢正統論は中国で認められてるとかそれこそ大嘘だと思うが
>>239 自分に向けられた反乱は全部嘘ですか、そうですか
>>238 当時は既に袁紹も献帝を否定してないよ
曹操と袁紹は否定から肯定に転んでるから、劉備をその文脈で批判するなら曹操も対象だ
>>236 演義は単なる判官びいきだろ
ただ単に人気は蜀の方があった、と言うだけの話で、正統論とは何の関係もないよね
>>243 でも朱子学で蜀が持ち上げられて以降、学術的に魏の正統が説かれたような説は
なかった気がする。
>>246 >ただ単に人気は蜀の方があった
その原因はどこから生まれたものだとは、考えた事はないのかな?
>>241 どうしたらそこまで都合良く考えられるのか
人気あれば正統とか超論理もいいところだし
そもそも孫権と利害が合わないという話とまるで関係ねえな
>>249 ちゃんと人の話を聞けw
人気先行じゃなくて、正統が確立されたから
それを元にした小説がバカ受けして人気拡大に繋がったんだよ。
晋に帝位を譲ったのは魏だが、
蜀はどこに帝位を譲ったのか?
蜀が正統だとするとまずこの疑問が出て来るんだが
呉オタってすぐに少し前の話題忘れちゃうのな。
>>238 袁紹はこの頃には新帝を立てようとはしてないが。大将軍を拝命してるし。
結局ね、蜀漢正統論等というものは中原を追われた弱者のいいわけでしかない
中原取られなかったらそんな説など生まれなかっただろうしね
陳寿だって本当に魏が正統王朝だと思ってたら「三国志」にしなかったよ
「魏書」だけにしていればいい話
蜀が正統など確立などされてないよ、嘘つくなよ
>>255 何で陳寿が三国志を書いたのか考えてみるといいよ
>>256 ならば、何故三国演義で蜀は正統の立場に。
三国演義は史書ベースなんですよ?
>>251 それを疑問視するのは王朝交替を知らない証拠だよ
蜀漢を正統と考えるなら、蜀漢の正統は倒されることで倒した司馬氏に受け継がれた
少なくとも東晋の習鑿歯はそう言ってる
陳寿は三国のどこも正統だとは思ってないだろ
統一したのは晋であり統一王朝こそ正統
蜀と晋の間の空白はどう説明するんだ?
>>261 1.正統は1日たりとも空白があってはならない、重複してもいけないというものではない
例えば王莽の新は正統と認められていないが別に他の正統も認定されてない
2.司馬氏は既に実質的な魏の後継王朝だったから司馬氏が蜀漢を倒したことで問題ない
魏、呉、蜀それぞれに正統を主張してそれを力でねじ伏せた晋のみが正統ってことだ
>>258 史書をベースにしてても所詮演義は歴史小説だ
歴史と歴史小説の設定を混同されては困る
単なる一臣下が正統と言ったから蜀が正統とかw
超理論過ぎる
>>267 中原取られたからだろ
統一王朝以外正統など認められないよ
うむ。少なくとも客観的に見て正統は晋のみで、その晋は魏から王朝を引き継いだとしている
蜀の正統なんて確立されていない、後世の後付けでそういう説も解釈の一つとして生まれただけ
つーか性格として正統王朝と実力は表裏一体
演義は関羽をはじめ通俗的に人気のある武将が多いことに加え、弱者が強者に立ち向かうものの、最後には滅んでゆくドラマ性のある構図から蜀が主人公サイドに選ばれただけの話
蜀が正統だったから人気が出て云々と言うのは自論について都合が良いだけの只のこじつけだ
>>270 しかし、地方政権での正統論に過ぎなくても
統一王朝時代も潰される事なく延々と続いてきた罠。
所詮「正統だったから人気が出た」は無根拠の憶測に過ぎないしな
あくまでも解釈の一つに蜀が漢に連なる正統だとするものがあるに留まる
>>272 客観的とか言わずに
今までの流れを継承した自分流の総まとめとでも言えばカッコ悪くならずに済んだものを・・・
>>274 正統だったから人気が出た
現にそれで蜀は人気絶大ですが、何か?
そもそも晋に蜀は滅ぼされてないんだが・・・・
魏に滅ぼされている
史実よりもテメーのメンツで罵り合ってる頭の悪い無職とFラン大学生が
いるスレと聞いて飛んできました。
>>276 >>正統だったから人気が出た
事の根拠がないと、そういう話を何べんもしとるわけですわ
蜀が正統なんてのはどの視点から見ても無理がありすぎるわ
せめてどこも正統でない、位の主張にしとけば良かったのに
人気があるから蜀が正統なんだ
その蜀の邪魔をした呉は空気を読めないってのが蜀信者の言い分
蜀が三国の中で正統とか言ってたら笑われるぞ
呉オタはホントに話を聞いてないんだな。
何度同じ事を注意されれば済むのか・・・
蜀漢正統論(笑)
>>283 まぁ一部のネラーと一部のシナに人気あるだろ、蜀はさ
曹丕の帝位を認めないのは別にいいんだけど、
民に迷惑かけちゃ駄目だわな
劉備かっこ悪い
漢は民衆に治世を与えてきた実績がある
では統一もしてないうちから簒奪し組織的に暴利で収奪している魏は果たして相応しいのか否か
呉は論外
呉は3人皇帝が居てもいいんじゃねだからな
>>290 シナ本土で圧倒的人気+日本でも圧倒的人気=蜀
ねらーにはそこそこ
これだろ?
なんで?
蜀はどこでも大人気だと思うんですけど
2ch以外では
>>294 違うな
シナ本土=関羽人気のみ絶頂 それに孔明、趙雲らの人気が続く
日本=趙雲、諸葛亮、関羽の順での人気
日中双方=それ以外は別にどーでもいいや
こんな感じです
とにかく、魏オタは少しは大人しく話を聞けよ
大体、曹操信者が自演の工作の結果とばれた以上は、
曹操信者をつかって、ネットで魏優位にし続けてきた魏オタの罪はあまりにも重い
曹操信者を諫めるのが、兄弟であるお前らの役目であるはずだろ
魏シンパと蜀シンパが議論する→曹操信者がわめく→荒れるため、間をとる
→魏シンパの思い通り→日和見の呉シンパは、蜀よりは優位にたつため、蜀をたたく
だろうがw
国力や法体制、正史の記述を余りにも重視し、人心の動きや勢い、稗史の重要性が無視されすぎなんだよ
魏オタは、とりあえず、黙って聞くぐらいがちょうどいい
>>299 劉備は、そっと孔明の股間に手を触れた
まで読んだ
関羽が負けたのは事実だが魏の中枢を深刻に動揺させたのも事実
ノーミスが指揮官の理想だからその意味では落第ではあるが
性格、外交の問題を叩き過ぎだろう
孫権、呂蒙、陸遜の手腕が卓抜なだけで、関羽への期待値は異常
関羽はせいぜいがんばったで賞だな
それ以上の意味は無い
神になったで賞だな
蜀正統派「蜀人気は凄い、だから正統なんだよ」
正統否定派「人気だから正統とか馬鹿じゃねーの」
蜀正統派「違うよ馬鹿、正統だから人気があるんだよ」
正統否定派「根拠を述べろよ」
蜀正統派「…蜀が何で人気があるか考えた事ないの?」
正統否定派「いや、だから根拠述べろって」
蜀正統派「蜀は大人気だから正統!魏呉は不人気だからクソ!!ブヒイィィィィィィィッ!!!」
客観的に見るとこういう流れか
>>304 に加え、呉オタは直ぐ忘れる
と煽る傾向あり
>>304 悔しさイッパイなのに客観的とかいう言葉を使うのもどうかと。
呉オタって結局誰の事だったんだろうな
アンカーすら付けんからさっぱり分からん
でもどうなんだろうね?
劉備スゲー
関羽スゲー
張飛スゲー
諸葛亮スゲー
とか蜀にスゲー人物が沢山いたのに天下統一を成し遂げず仮の正統性を生んだ
のはなぜです?
曹操・曹丕・司馬懿・孫権・呂蒙・陸遜
等は所詮雑魚なんだろ?
>>304 正統否定派「根拠を述べろよ」
蜀正統派「蜀漢正統論」
正統否定派「そんなもん根拠にならねえよ!中国ではそんな妄言通用しねェ!ブヒイィィィィィィィッ!!!」
客観的に見るとこういう流れ
董卓>孫権
お前らあんまり蜀豚を虐めてやるなよ
狂っちまったじゃねーか
なめてるやつで賞:孫権
316 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/06(日) 19:52:13
孫策が生きてたら共闘してたな
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/06(日) 20:35:46
ま、曹操信者に話しを逸らせて、有利な論理を通してきた魏信者なんてこんなものだ
正史が〜国力が〜法制度が〜中原が〜と、わめくしかない
ネット右翼に頼り切り、どつぼにはまった自民党のようなものww
>>293 呉的には中国の皇帝じゃなくてあくまで「呉」の皇帝かもな
>>292 蜀は「漢」じゃないよ
漢だと言ってるのは本人たちだけ
つかそれを支持する人間たちも声高に言うのが後ろめたくて「蜀漢」なんて曖昧な表記を使う始末w
ま、所詮旧都に触れもしなかったのは事実だしね
つーか魏を倒せたか否かとなんてもはや関係ないな
スレタイから大きく離脱したからな
ここは統合失調症患者の集まるスレですか?
>>318 蜀漢と言ったのは後代の史家です。魏は常に蜀と呼び、呉は関係が悪化すると蜀と呼び、蜀の人間は漢と呼んでます
魏を倒せたかどうかなんて語るまでも無いからな。
どう考えたって無理に決まってるんだから。
漢400年の歴史とは言うけどその中に蜀漢は含まれないんだよねw
漢というと統一王朝の前漢、後漢を指す
晋に東晋が含まれないようなもの
>>322 顔を真っ赤にした関羽アンチ達の来襲によって
残念ながら大荒れの糞スレと化してしまいました
まあ、蝗被害みたいなもんだ
>>328 その関羽アンチに劉備ファンも含まれると結論ついたな
えーと、どこらへんが?
大体スレタイからしておかしいよな
呉は空気嫁とか言ってなぜ呉が蜀の空気を読まなければならないのかw
孫権が関羽の北上までに合肥攻略を成功させてたら面白かったかもな
北上に合わせて徐州から中原進出とかも出来たんじゃないか?
>>331 何を言うてんねや
東晋は含まれるけど蜀は含まれない
何の問題が
>>334 西漢−東漢−季漢
西晋−東晋
北宋−南宋
明−南明
何の問題が?
>>333 史実では軍が維持できなくなって降伏の使者を出すくらいだし
仮に突破できたとしても戦線を維持できるスタミナがあったかどうかが問題だな
337 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/07(月) 10:30:13
劉邦の漢と光武帝の漢は名前だけ同じ別物という話を聞いたことがある
関羽が魏攻めずに空気読んでれば荊州なんて守りきれたのに
ヒトラーのカリスマに加えルーデルのようなチート級軍人がよりどりみどりだったドイツ軍
死を恐れぬばかりか肉弾作戦までも敢行する大和民族が組んでなお連合軍に敗れた
星の様な人材と精兵がいようが、所詮連携すらまともに取れないようなチャチな戦略しか持たない連中が物量差を覆すなんて不可能だ
まして魏は精鋭、良将が多くそろっている。
統一できなかったじゃなひかw
所詮その程度
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/07(月) 11:36:07
関羽が空気読めずに呉や配下を疎かにしたのが原因
同情の余地なし
関羽じゃなくて劉備、孔明じゃねーの
隆中対自体孫権が同盟を守る都合のいい存在だし
関羽だけじゃなくて、だな
その三人+法正、張飛が蜀の重要幹部
劉備は孫権は信頼に足る人物ではないと言ってたから同盟を勧めた孔明だろ。責任者は
責任の押し付け合いワロテモタ
本当どーしようもねーな蜀は
蜀は負け組みだからね
スケープゴートを必要とするのさ
しかし劉備が信頼するなと孔明に言った連中は本当に口だけだなw
負け組なのは呉も一緒だがな
人材が勝敗を左右すると言う意見は同意だが、劉備、関羽らが逆転を可能にするに足る能力を保有しているかとは別の問題
大敵先殺の原則
呉が空気読んでれば関中、荊州は蜀領になったんじゃね?
>>350 どうでもいい雑魚は後回しで、とりあえず強敵からってことか。
魏目線:どーでもいい雑魚 呉
呉目線:どーでもいい雑魚 魏
共通の大敵:関羽
ということですね
選手層が極端に薄い蜀じゃ、長期戦になった時点で積みだな
関羽が荊州任されるくらいなんだから、人材飢餓だったのは確実だし
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/07(月) 18:58:42
魏としてはその時点の大敵は関羽だったろうが
呉は大敵をやっつけるのを諦めただけにも取れる
呉は蜀より、蜀は呉より優位に立ちたかったんだよね。
領土奪還とか報復と言うよりは主導権争い的な意味で。
和睦したいけど、先に謝ったら降伏した形になってしまうというジレンマ。
魏に対抗するにはどうしても荊州が必要だよ、呉にしてもな
そもそも魏の臣下である呉と、その魏を認めない蜀が戦うのは必然な訳だが。
一度臣下となったのに、その後のこのこ独立し皇帝を称した呉は
魏にとっても不義の輩+最悪のKY野郎だったんじゃね?
>>354 あの時点で一州を任せられる人材というと
経歴から言っても格においても関羽が妥当だろう
曹操が夏候惇に二六軍を任せたのと同じ
>>358 あの臣下って形だけのものだから
理由がないなら魏の為に呉が戦う理由はないな
呉は呉のメリットをかんがみて動いただけで
必然でも何でもない
>>360 それどころか魏はついに倒せなかったから呉が最大の汚点
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/07(月) 19:45:01
倒すことより倒されないことが重要
関羽は魏を倒せたかも知らんが
呉に留守を襲われて戦わずして負けるタイプでしかない
365 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/07(月) 19:46:31
そして、それを見抜けなかった劉備、孔明
見抜いた呂蒙、司馬イ
魏VS蜀
こそがやはり最高の名勝負を生む組み合わせらしいな
367 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/07(月) 19:49:41
いや
劉備vs曹操だろ
曹操としては219年に本気で殺し合いに行ったんだろうけどな
呉は関羽戦のみならず、孫権の代になってからは常にKYだなあ
>>364 >>365 前後がおかしすぎる
>呉に留守を襲われて戦わずして負けるタイプでしかない
これは単なる結果論であってもともと関羽のタイプであるはずがない
よってそんな不確定なタイプなんてものを誰も見抜けるはずがない
結果論以前には存在しないんだから
>>370 前後関係を見れば
どうみてもギャンブラーです
漁夫の利しか狙わない呉に人気が無いのは当たり前だな
・本拠の守備をがら空きにして前線に移す
・捕虜を殺さずに呉から兵糧を奪う
あたり
>>374 どちらも呂蒙伝だろうが
兵を前線に移したのは呂蒙が病気になったと聞いてから
そして関羽が兵糧を奪う前から既に呂蒙と孫権は関羽の背後から荊州を襲う計略を立ててる
兵糧奪ったのは自演だったりして・・・
呉の兵糧を奪ったって、関羽伝の記述ではなかったような・・・
関羽伝には兵糧の話ないんだよな・・・
呉書からだとかなり怪しいような・・・
諸葛謹ってかわいそうだよな
諸葛亮の兄貴ってだけで呉の同僚からは疑われて
蜀に使者として行けばぞんざいな扱い
孫権は諸葛謹を信頼してたことだけが救い
最も息子はとんでもない奴だったがw
何この自演だらけのスレ
自分に都合の悪い事は全部自演扱いだもんなあ
本当出来のいいおつむしてるわ
にしても劉備は迂闊だよな
関羽そっちのけで漢中王と歓喜余って余裕ぶっこいてんだからさ
明らかに自演臭い奴がいるな
確かに極端に蜀アンチしてるのが自演臭いな
曹丕も報われないよな。
長引く戦乱を収める為、自ら率先して泥を被って禅譲を受けたのに、
それを空気読めない劉備とかいう大奸賊が勘違いして暴れ始めたせいで、前以上に世の中が混乱したんだから。
本当損な役周りだよ曹丕は。
>>339 ・兵力と兵器の差がもろにでる近代戦と混同している
・2小国(残りは論外w)で世界の2強+オールスターと戦ったことを混同している
・近代の民族や国家間対立を理解していない
・日清戦争、日露戦争の実例を考慮していない
・漢王朝の名をかかげ、当代の人と史家から絶賛の嵐をうけた劉備と宣伝のよる洗脳を同レベルにしている
国力なんざ、せいぜい一ファクターだろうが
>>385 こんなの別に自演にする意味がねーだろw
自演認定と自演は魏信者(三戦板エリート)のおはこだろw
曹丕オタクお疲れさま
邪魔者迫害しまくりで寛容性が足りないと言われてる曹丕なのにww
しかも結局天下統一できてないしw
>>378 伝の人物の悪い話は本伝ではなくなるべく他伝に載せるのが陳寿の書き方
関羽伝に兵糧の話を書いたら関羽は史書お墨付きの強盗
陳寿は蜀書のみ一から書き上げてるわけだから
呉書には大してテコ入れもせずほとんど呉に取って都合のいい
ばかり書かれてる呉書をそのまんま流用してたんじゃね?
君主にしても、曹操は曹公、劉備は先主なのに
孫権だけは孫権と呼び捨てにされてるし。
やっぱりというか、呉書には陳寿も思いいれなさそうだ。
そりゃ陳寿は呉には何の関係もないし。
立場上魏は褒めないとまずいが
孫権は呉の皇帝であっても中原に出てきたこともないし保身の為なら身内重臣見境無く切るからな
擁護したり注釈いれるの面倒だったんだろ
大祖...崩御
文帝...崩御
明帝...崩御
先主...逝去
孫権...死去
関羽が何をしても戦争に負けたことが確定しちゃってもう議論できなくて
今は孫権叩きか。
ここで空気読めない子の乱入です
孫権って曹魏に荊州を取られる前に確保出来てるんだから、むしろ空気読めてるな。
孫権が荊州を取らなきゃ、魏の統一に終わるんだから。
呉が何もしなくとも劉備があの様だから関羽がいくら頑張っても無理よ
>>400 魏の臣下の分際で出すぎた真似をするのも空気読めてないよね
蜀は関羽くらいしかまともな将がいない時点でどっちにしろ駄目だろ。
魏は同等以上の将がゴロゴロいるのに。
>>403 于禁、ホウ徳、曹仁、徐晃、呂蒙、陸遜
関羽を倒すためにこれだけの名将を投入。
ハイスペックすぎだろ、関羽。
結局敗死して荊州失ってるから意味無いけどな。
関羽一人に魏呉名将オールスター登場ってのも異常な事態じゃねえか?
関羽以外にまともな将がいない、と言ったのに
何でそこで関羽の凄さを猛アピールするんだか…
日本語通じないってのはキツいわ
そんだけ人を集めたって言うか、そんだけ荊州が欲しいんだよ。
まさか、国を取るのに余力を充分に残せって言うの?
関羽以外ほとんど投入した劉備の蜀取りが劉璋が偉大だった為
とか言っちゃう人?
劉璋最強か
>>404 ケイ州は三国の紛争地点なんだからそれぞれの陣営の良将が守ってるのは当たり前
別に関羽のためじゃない
そんだけ重要地帯なのに無名の将軍なんてありえないのに。
関羽は煽てられちゃうと図に乗るし、いかに浅慮だと分かるな。
>>395 魏なんか褒める必要ないだろう
つーか晋は魏から皇位を簒奪したことの正統性がなきゃいけないわけで、
そのためには魏は滅ぼされて然るべき問題のある王朝でなければならず、
むしろ貶さなければならない、特に皇帝各位
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/08(火) 02:42:34
>>412 久しぶりに、キター!
曹操信者の所在不明のねつ造理論!!
魏は正史では、貶められている(キリッ !!
親の業績や自分が仕えてきた王朝を貶められて、晋の臣が陳寿を無事にすませるというお花畑か
まあ、皇帝の徳についてだけは実態と同様か、それ以下にしている可能性は無きにしもあらずだが
それも乗っ取られている時点で、わざわざ脚色して、魏に愛着があった少数の晋の臣を敵に回す必要もあるまい
魏がこんな無茶な議論が通せるなら、
関羽はビホウや士仁、劉封らが裏切りさえしなければ、そのまま魏と呉を滅ぼしていた(キリッ
ぐらいは言わないと釣り合いがとれないな(笑)
こんな魏ヲタに比べて、スレタイぐらいでおさめている蜀ファンの謙虚さは本当すがすがしい!!!!
蜀オタは関羽ごとき雑魚を過大評価する糞ニートの集団
関羽は仲間に裏切られる無能で有害な人格障害
匹夫之勇で顔良を斬っただけで超過大評価
運で七軍を捕虜にしただけの知能障害
Q.E.D.
毎度どっから沸くんだろうな
>>419 激しく同意。
関羽オタの異常性を垣間見た瞬間だった
うむ
関羽オタと蜀オタはうんこ
蜀は真っ先に荊州争奪戦からリタイヤした雑魚
人生途中下車
>>417 スクリプト生成する人工知能だってうわさだよ。
だからどの板でも沸いちゃうらしい。
蜀信者は気持ち悪い
425 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/08(火) 05:32:33
負け組み蜀オタの断末魔スレwwwww
426 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/08(火) 05:51:34
蜀信者=基地外
まさに蜀中毒
関羽は鳩山に似ている
義理だの友愛だの
朝っぱらからアンチの凄まじい自演を見てしまった
アリバイ工作に
>>423のような意味不明な意見も
書き込んでるのが手が込んでるなw
しかし
>>419から
>>428みたいな時間帯に寝ないで書き込んでる奴のリアルが気になるわw
さすがに国家的三戦板エリートさんは暇があるようですねw
>>416-417をニートとか言ってるが、その書き込みと5分程度しか変わらない時間に書き込んでる
>>419はどうなるんだw
>>401 劉備があの様って…
長坂以降、関羽が死ぬまでは劉備は常勝不敗ですが
ネウヨ=曹操信者=関羽アンチの公式が証明されたようだな
このキモい人間どうにかしろよ
しかし曹操が好きな癖に曹操が厚遇した関羽を嫌いというのがよく分からん理屈
あれか?
ホモだから嫉妬してるのか?
だから陰湿にネガキャンしてるのか?曹操信者は
435 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/08(火) 10:08:54
蜀アンチはいつ寝てるの?
436 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/08(火) 10:13:12
厨もアンチも大半は安直で見苦しい
なにより読者へのサービス精神に欠ける
おもしろうない、でなおしてまいれ
何相対化してんだw
おまえが出直せww
マジレスすると晋には魏以来の遺臣が多いのでこっぴどく貶すわけにはいかないと言うのも事実だが
魏から天命が去った事を示すためにその不明を明らかにしなければならないというのもまた正しい
だから好意的に業績を評価しつつも所々できつく斬っているのが魏書のスタンス
考えようによっては陳寿の旧主の歴史である蜀書、江表伝などに見られるように史記がかなり自国よりとなっている呉書よりは中立的かもしれん
裴松之の注に引用された主要文献
『江表伝』 - 虞溥著。虞溥は東晋の人。江南の士人の伝記集。裴松之は「粗いが筋道は通っている」と評する。
孫盛は赤壁の戦いでの劉備軍が(孫権軍を賛美する為に)過小評価されていると批判している。
孫盛は人物評でもたびたび引用されている。ただし、話を盛り上げるために勝手に台詞を創作したといわれている。
『魏書』 - 王沈・荀・阮籍編。魏の末期に成立したが、西晋を建国することになる司馬一族におもねっているため、信憑性は低いという。
目的:蜀漢を統一王朝にする
手段:劉備の求心力。孔明の大戦略。法正の分析。黄権の作戦。関羽、張飛の戦術。馬超の涼州での人気。
結果:呉との摩擦で荊州を失い、益州に逼塞してジリ貧のまま亡国
司馬一族は晋書じゃないの
>>443 もう末期には曹一族に権力なんてほとんどないよ。
ネトウヨスレの住人は外に出て来ないで欲しい
詭弁ニートの蜀アンチどもに正義の鉄槌を下すべき
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/08(火) 15:12:57
すげえw三戦とは思えない伸びw
関羽人気パネエなw
馬鹿が一人で頑張ってるだけだと思うが…
確かに一人で必死に深夜に曹操信者の関羽アンチは頑張ってるなw
睡眠時間が心配になるくらいにw
毎回同じ事しか言わないから分かりやすいね
同意
蜀アンチのボキャブラリーの少なさは異常
…(;^ω^)
曹操信者はここでも必死のようだ
無責任な発言をした
>>403が今回の元凶だな
関羽と同等以上の魏の将なんてどこにゴロゴロ居るんだよw
古今唐列六十四名将入りを果たした同格クラス
だって張遼、ケ艾しか居ないぞ?
>>432 だけど、荊州を関羽に委任し劉備本人は漢中を取り漢中王となったまではいいが
関羽に何一つ気配りしてない、ましてや一応同盟関係にある呉に接してある地域
いつ呉から攻撃されても、応戦できる態勢を整えなかった
>>454 いつもの嘘だよ、気にするな。
無知な癖にプライドだけは高い厄介なヤツを相手にしてもしょうがない。
劉備は益州一つを治めるくらいなら充分優秀なんだが、
更に荊州をも束ねて大国の魏と喧嘩するには力不足だったって感じかな
完全に手が回ってない感じ
まあ人材不足もあるだろうが
>>455 魏領だった荊州北西部と漢水流域を連結して完全に固めているわけだが
>>455 わけわかめ
関羽にどんな気配りをする必要が?
劉封と孟達に別方面の平定と援護もさせているし
関羽の兵力は十分なものがあった
呂蒙は最初、関羽が残した兵力を警戒してる。
そこで仮病やへりくだりを多用して油断を誘い関羽が兵を動かしたら作戦で動いてる。
>>457 手は十分まわってるだろ
劉封と孟達も動かしてるし呂蒙が警戒するほどの守備兵力を残せるだけの兵も与えてあった
人材もどこに不足してるのかわからない
>>459 魯粛時代から呉は協調(妥協)路線だと関羽に思わせてたからな
>>462 結局手打ちにしてるだろ
関羽としてはなんかあってもどうにかなるだろうとたかをくくったんだろう
それすらも誘い水だったのかもしれないけど
>>460 呂蒙が警戒するほどの守備兵力を使ったからニ城同時に包囲してるんじゃないの?
>>461 正史によるとこの頃は関羽も呉もお互いに警戒はしてたとあるな
だから関羽も出陣にあたって十分な守備兵力を残していったんだろう
そんでそれではマズイと感じた呂蒙が仮病やへりくだりを使って油断を誘い
油断した関羽が兵力を前線に回したそうな
>>463 手打ちにしてるからって協調(妥協)路線と言うのは無理がありすぎ。
だいたい国境を侵していたのは関羽だし。
>>464 何を言ってるのかよくわからない
最初に関羽が出陣した時は呂蒙が警戒するだけの守備兵力を残しておいた
この兵力でもって関羽はウキンとかを倒してる
その後でこれでは不味いと感じた呂蒙が仮病を使って関羽を油断させ
油断した関羽が兵力を前線に集めた所で手薄になった荊州の城を奇襲して抑えた
>>468 呂蒙伝を参考にしてるんだけどな
ウキンを破ったのは兵力引き揚げた後だったか?
人材不足と言うより、人材を上手く使えてない感じだな。
荊州出身の連中を持て余してるし。
>>470 持て余してないじゃん
どこに持て余してるところが?
>>470 黄忠を嫌ったのも荊州での黄家の台頭を恐れたのかもしれん。
>>472 黄忠は益州にいるのになんでそうなるんかね
おそらく470が想定しているだろう「荊州出身者」の名が史書に残っているのは、5年10年後に高官に昇ったから。
つまり彼らの多くはこの時期にはそもそも大きな責任を課すことが出来る年齢ではなく、活躍してないのは当たり前。
比較的年長者の馬良・劉巴・李厳らは劉備時代から要職についている。
馮習とか夷陵の前は何してたの
入蜀時の黄忠から魏延くらいの規模の部隊長じゃねいの
一線級の将軍クラスに比べれば格下だろうが、
劉備直率軍を領す地位に付くくらいだから長い間直属にいたのかもしれない
>>476 誰のどのような逸話だい?
筋道を立てて言って御覧なさい
>>473 だから黄忠を地元に置いとくとまずいから益州に留めておいた、って事じゃないの
黄家にどれ程の影響力があったかは不明だが
>>480 違うよ。黄承彦は「ベン南の名士」。
つまり襄陽郡の人(後漢では南郡)。
黄忠は南陽郡の人。
呉の四姓みたいなもんか
>>479 なんで蜀攻めに参戦して三軍に冠たる活躍をして頭角を現し
漢中戦でも武の要として大活躍した黄忠を荊州にもどさにゃならんの
劉備の黄忠の逸話からしても劉備は黄忠を手元に置いて益州の武の要にする気だったろ
待て待てw
俺は黄忠を荊州に戻せ、何て言ってねーぞ
黄忠は黄子廉の一門。
むしろ、黄祖や黄承彦は枝葉の場合がある。
だいたい、襄陽郡と南陽郡がそんなに離れてる訳でもなし。
>>484 >>479のレスからは黄忠が益州にとどめ置かれたのは荊州に戻すとまずいからと
書いてあるように見える
そんで俺は>483で黄忠は劉備が益州の武の要にしたがってたようだから
そういう理由じゃないだろうと書いてる
>>485 天然? それとも確信的にもっともらしい嘘を付いて反論を封じようとしている?
>>487 黄忠は曹操に将軍職を貰ってるエリートなんだけど。
>>477みたいに部隊長なんてとんでもない。
489 :
477:2009/12/08(火) 21:51:04
>>488 すまん、言葉が足りなかった。
夷陵前の馮習は黄忠(一軍を率)から魏延(部曲長)くらいで、最高幹部の列将軍クラスではないだろう、
と訂正する。
黄忠は劉表時代からの軍幹部。勿論兵卒上がりのペーペーなんぞではない。
しかしそのことと、荊州に置いておくと台頭してしまうような大族の一員かということとは
まったく繋がらない。
劉表陣営には、黄祖ほど活躍したにも拘らず字も出身も不明という人物も所属している。
>>490 字も出身も不明なんて三国の有名所でもありますが?
あの当時の中国で同郷同姓で一門では無いと言うほうが無理がある。
南陽太守をやった一族が大族では無いと言うの?
>>491 黄祖は史書に一度名前出てくるだけ、というような小さい扱いの人物ではない。
度々史書に名を残し、孫呉初期に大きなインパクトを与えた人間が、
名家の出身ならば、その事跡を伝える者がいてよい。
勿論、たまたま伝える者がいなかった、書が失われた可能性は大いにあるので、これは断定は出来ない。
しかしこの場合は、黄忠と黄子廉が同郷同姓という根拠が全く無いばかりか、
かなりの蓋然性で否と言える。
・黄忠は南陽郡人としかわからない。同郷と言うにはせめて同県の出身でなければならない。
・黄蓋伝の注には、「故南陽太守黄子廉之後也」とある。
後漢代の人物である黄蓋の系譜を記すのに「故」とだけ書くならば、
よほど著名人で無い限り後漢の人間の可能性が高い。
・後漢においては、官吏が本籍地の太守になることはできなかった。
・黄子廉が後漢の人物であるならば、南陽人ではないことになる。
・もし前漢の人物だったら、そんな数百年前の一太守との繋がりなどほとんど意味がないだろう。
・黄氏は戦国楚の時代からこの地方に多く見られる姓。同姓ということはなにも保証しない。
・ちなみに三国志集解は、風俗通義に「潁川黄子廉」の名が見えると注釈している
(同一人物と断定するには情報が足りないが)
南陽の黄氏というと、当の劉備政権に「光祿勳黄柱」がいる。
これまた出身県が不明だけど。
蜀書にもう少しまともな記述があればな…
関羽や張飛の息子の字すら不明なのがいるからな。
呉書のように疑わしすぎるのもあれだが
>>495 大物の息子の字なんて分からん方が大多数だろ
大戦の都督クラスさえ不明だしな。
・もし前漢の人物だったら、そんな数百年前の一太守との繋がりなどほとんど意味がないだろう。
なんかこれだけだと劉備批判だなw
>>499 実際役に立たなかっただろうよw
劉備にとって、皇族の末裔だということが必要になるのは、漢中王・皇帝になるときだけ。
劉備と同程度の血筋の劉氏なんてそこら中にいたと考えられるわけで、
それ以前には殆どなんの武器にもなってない。
記録の限り、劉備の血筋が持ち出されたのは、諸葛亮が曹操に徹底抗戦する動機を述べる時、
劉備が孫権の益州攻撃に与しないと述べる時、張松が劉璋に対して劉備に援軍を求めるよう説得する時。くらい。
つまり外交的方便としか使われてない。しかもかなり後期の、劉備自身に大きな名声が備わって以後のもの。
劉備の前半生の出世を支えたのは自分自身の実力と、祖父が孝廉で県令になったというまあまあの血筋、
それから盧植の弟子だということくらいだろう。
盧植の弟子
おかげで世間の名士と知り合えるから金や地盤のない劉備にはありがたい
劉姓じゃないのに皇帝なんかになったら、それこそ袁術と同レベルの扱いだっただろう
しかし、あの禰衡が黄祖の子、黄射と友人になってるから名門説も嘘ではないかも。
孝廉だと県令どまりは珍しいから賄賂がなかったんだろうな
黄射も章陵太守になってるのか。
すげえな。親子二代同時に太守って珍しくない?
盧植の弟子はブランドとしての効力は絶大だな
馬融一門になって鄭玄や陳紀にも教えを受けれてるし
コネがすげぇな
もう少し上手く立ち回れてれば徐州を完全掌握して高祖の再来になれたんじゃね?
呂布じゃなくて曹操が流れてくればよかったのにね
徐州になれた事自体普通に考えたら有り得ない事なんだけどな
あのまま行ってたら余裕で曹操超えてた
×徐州
〇徐州牧
だった
曹操も一番警戒してたしな
政治的な思惑とか色々絡んでるとはいえ、あの年齢と経歴で左将軍までなってるってただごとじゃない
あの若さで主都防衛の将軍たる左将軍とは、物凄い出世の仕方だね
劉備&曹操vs張バク&呂布vs袁術
ならどうなってたか
蝗がなあ。
ifが多くなりそう。
蝗と冬将軍には誰も勝てませんな
劉備の元に英雄集結というのは燃える
冬将軍は勝ってる奴がマジでいるからなあ。
暴風雨、冬将軍、蝗
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/09(水) 09:14:51
天才は忘れた頃にやってくる
劉備にとっては陸ソンかw(曹操死亡、リョモウ死亡、いけるはずだったもんな)
呉の将軍も陸遜以外は脳筋スイマーばっかだろうしな
劉備は周瑜も呂蒙も居ない呉など雑魚だと思ってたんだろうな。
だからあんなに強気に攻め込んだんだろう。
しかし、実際は自分の方が雑魚だったとは思いもよらなかっただろうな。
孫権が戦で雑魚なのは事実だしな
世代交代を象徴する敗北だった
まああの時代に60過ぎまで頑張ったんだから充分だろ。
陸遜があれほど警戒した劉備が雑魚とは・・・
雑魚相手でも用心して手を抜かない陸遜こそ真の名将
1回劉備に負けてるけどな
陸遜は仕える相手を間違った
孫権の晩年を読み違えて、陸遜程の名将が憤死してしまうのは惜しい事だな
なんかスレ違いになってきたな。
そりゃ諸将の前で「劉備は雑魚だから適当にやってりゃ勝てますよw」とは言えんだろ
士気に影響するし
そもそも陸遜は持久戦のつもりだったのでは
はじめから出戦を望む緒将に対し、
「緒戦で正面から当たっても劉備には勝てないから持久して統率が緩むのを待つ」
というのが陸遜の主張。
諸将は所詮脳筋スイマー止まりだったなw
>>535 適当にやるつもりなんて陸遜はいってない
諸将が最初に出戦を望み、陸遜はそれを「劉備には勝てない」と言って抑える
これで諸将は不満たらたら。士気は低下しまくり。
そんで持久の後で満を持して陸遜が攻めようとすると今度は諸将が止める。
「闘うなら出鼻をくじくべきだったのに、ここまで守りを固められたらどうしようもない」
それに対して陸遜は「劉備は千軍万馬の古強者、緒戦からあたっても勝ち目はなかった。
今は持久戦で敵はつかれ、ダレているはずだから攻めれば勝てる」といって攻撃開始。
しかしこの陸遜の攻撃は劉備に反撃されて敗北、陣地に逃げ帰り諸将からはそれ見たことかといわれる。
陸遜は「負けたがこれで勝ち方がわかった」といって火攻めに切り替えて成功。
陸遜も漫画とかでいわれるように最初からの計算通りで勝ったわけではなかった。
馮習も都督として陸遜に勝ってるのに、ぼろくそに書かれてるよなあ。
呉書を信じるなって
また呉書は捏造の人か
本当自分に都合のいい事しか考慮しないんだな
呉書もそうだろ
曹操と劉備が死んだと言うのは時代の節目を感じさせる
劉備の魏に対する二面攻撃は不可能だったでFA?
はい
それはどうかな?
呉がいる以上ある程度戦力温存しないと駄目だし
二正面作戦はリスクもでかいから現実的ではないとおも
本気で魏を倒したいんだったらやるべきだったと思うが
呉との外交がまさに生命線
縁談を呑んでちょっとはマシになってればとも思う
>>548 あれは露骨な人質要求だからなあ。
ぶっちゃっけ、呉との同盟は無理だよ。
魯粛が生きてたとしても、劉備側のやりすぎた行為には満足はならないだろ
呉にも都合があるから完全に味方に引き入れるのは無理っぽい
それこそ荊州全部くれてやるくらいしないと
荊州くれてやったら魏も呉も襲い掛かってくるぜ
例えね
それくらいの誠意を見せないと味方してくれないって意味
兵力に差があるのに蜀一国のみでニ正面作戦は無理がないか
呉は自立&好き勝手やりたいわけだからどんな条件だしても同盟は口約束で一方的に破棄されたと思う。
仮に荊州全部返してたら、少しくらいは味方してくれたかも知れんよ。
荊州を手に入れれば、呉は蜀に対して圧倒的優位に立てて、余裕も出て来る訳だから。
もちろん一緒に魏を攻めるのを援護、みたいな事はしてくれないと思うが。
建前上は魏の臣下だし。
目ざとい呉が黙ってる訳が無い味方につけようとしても噛み付かれる
>>544 誰もそんな事いってない希ガス
魏信者は勝手に結論だすとか姑息だなあ
>>556 建て前上がどうとか呉にとってはそれこそ関係ない希ガス
荊州返して魏に攻め込まないならそれこそ蜀には意味がない
本来、天下の主である劉氏でも何でもない呉に
荊州の所有権なんかない
本気か?
乱世の処方をなんと心得ているか知らんが、
本気なら劉備が世に出ることもなかっただろうな
そもそも世が乱れないんだから
より正当に近い天下の主(笑)から蜀奪っておいてそれはないだろw
劉章は正式に牧に任命されてない
でも劉備よりは明らかに血筋のはっきりした皇族だから、
>>560の理論だと劉備が蜀を治めるのはおかしい
【劉備の血統詐称容疑】
光武帝の皇太子だった東海恭王の末裔=劉虞
光武帝の子の阜陵質王の子孫の成悳侯の子=劉曄
景帝の子の魯恭王の末裔=劉焉、劉表
高祖の孫の悼恵王の子の斉孝王の子の牟平共侯の直系子孫の劉本の孫の劉輿の息子=劉岱、劉繇
景帝の子の中山靖王の子孫か臨邑侯の末裔=劉備
>>564 光武帝より孺子嬰、劉子輿、更始帝の方が正当ではないだろうか
567 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/10(木) 14:22:48
関羽の単独作成だったのかね
約半年戦ったのに劉備軍本隊と全く連携してない
前将軍になって節をもらったから独断で軍を動かせるんだよな
持たせるべきじゃなかったかも…
呉にしてみればずっと狙ってた土地を奪えるチャンス
見逃すはずもない
そもそも諸葛恪と呼応して同時侵攻した時ですらロクな成果を上げられてないのに、
蜀単独でまともに二正面作戦なんて出来るとは思えない
力の差が大きくなって人材も居ないときと比べても意味ないんじゃね
司馬氏が完全掌握してから攻めてもそりゃうまくいくわけない
>>558 どうしてここで信者がどうと言う発想が出てくるのかイミフ
流れ的に不自然でもないのに
>>572 不自然杉
誰も不可能だと結論付けてなんかない
劉備と陸遜の話してたのにいきなりどんな流れで持って
魏に対する2正面作戦が不可能という流れになるのか極めて不可解
呉オタも呉同様に空気読めずに勝手に流れを占領するってことか。
>>573 上の方で無理臭くね? みたいな話にはなってたよ
まあ確かに結論出たわけじゃないし、
そう思うなら姑息だのなんだのと煽り気味の信者認定するよりは劉備の北伐についての意見を出した方がずっと建設的じゃないの?
では、どうぞ
>>544 だけど、呉を視野に入れないと難しいんじゃないの?
という意味で「FA?」と疑問符を付けたんだけどね
別に結論つけたわけじゃないのに・・・
皆スルーしてたのに何で敢えて触るかね
>>576 >劉備の魏に対する二面攻撃は不可能だったでFA?
この台詞からそんな事を読み取るのはそれこそ不可能
呉なんて一言も出てない
劉備vs陸遜という魏征伐とは違う史実の流れを話してたのに
それがなぜ関羽が死んでない頃の2正面作戦不可能という話になるのかと
>>578 はぁ?イミフなことぬかすなや
陸遜関係ないし
>>579 あるだろ
直前まで劉備vs陸遜の話してたんだから
そこからどうやったら関羽健在時の2正面作戦不可能という結論になるのかイミフ
触るなスルーしろよ
>>581 はいはーい
いきなり、夷陵の話もってかれるとキツイわ
例の隔離スレから流れて来た奴だろ
蜀は長安、呉は合肥を取ってから魏と戦うべきだった
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/10(木) 21:41:21
取れないもんは仕方ない
戦うなって皮肉かw
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/10(木) 22:39:32
曹操信者暴れすぎワラタww
>>577>>581 どっちに触れていけないか、マジでイミフ
君が曹操信者なら、
>>558だし、
君が曹操信者でないなら、
>>544 いきなり、FAって都合いい理論を持ち出し、反論の論証を一方的な要求するのが曹操信者のやり方
>>544は、論証を面倒がった空気から出した強引な結論
それを勝手に勝利宣言したのなら、非常に汚い。こんな奴らを相手すること自体どうなのかと思うが
>>583と同一人物なら、例のエリートか、それに近い思考の持ち主だろう
曹丕時の蜀は敗戦後の劉備死亡などで攻められるような状態じゃなかった
呉にしても魏に攻められてた頃で合肥を取るどころじゃない
長安も合肥も取ったところで維持出来そうにない
魏にも当時軍費はないんだよ
>>583 君はそのスレで毎度ぼこられてる曹操信者だね
>>582 直前まで夷陵の話してたのにどういう理論で2正面が不可能になったのか本当に疑問だわ
http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801148899/1.php 「日本の大学だって、海外ならば非認定校だ。
ディプロマミルと同列視されるのは、とても不愉快だ」(弘前学院大学・八巻正治教授)の開き直りを初め、
25人の教授らは一様に「(ニセ学位とは)知らなかった」と抗弁をしているが、これは後述のごとくありえない。
ニューポート大学大学院卒の八巻正治先生、必至だな(藁
ニューポート大学大学院卒の八巻正治先生、必至だな(藁
ニューポート大学大学院卒の八巻正治先生、必至だな(藁
ニューポート大学大学院卒の八巻正治先生、必至だな(藁
ニューポート大学大学院卒の八巻正治先生、必至だな(藁
ニューポート大学大学院卒の八巻正治先生、必至だな(藁
約一名は誰にも相手にされていない事を理解した方が良い
とりあえず蜀が魏に勝つのは不可能って事でFAっぽいな
誰にも相手にされてない魏信者が勝利宣言に必死だな
ていうか、魏の天下でいいじゃん。
どうせ、どの王朝も初代がどんなに仁君or暴君でも、3代もすれば、
皆、同じように貴族的に腐っていくんだから。
さっさとどっかが統一して平和になった方がいいよ。
諸葛亮とか姜維とか、迷惑でしかない。
統一してすぐ滅んでよけい混乱を招いた晋の立場は・・・
>>598 統一もできず平和にもできず乗っ取られて終了した魏には期待できないよねそれ
>>598 ていうか、漢の天下でいいじゃん。
どうせ、どの王朝も初代がどんなに仁君or暴君でも、3代もすれば、
皆、同じように貴族的に腐っていくんだから。
さっさと漢に主権返して平和になった方がいいよ。
曹操とか、迷惑でしかない。
蜀漢正統論WIN
瞬く間にクソスレ化
よそに出張して来て荒らしまわるとか
>>587は何考えて生きてるのかしりたい
巣があるんだからおとなしくしてろよ
>>602 呉の旧領で出た論なだけに、更に呉が悲惨な事になってるよなあ。
当時から呉は空気読めない国として扱われつつあったということか。
>>603 出張してくるようなガイキチに道理が通じると?
腫れものは治まるまで触らないようにするしかない
自分はあちこち動いても
自分に都合の悪い存在は動くことを禁止する
>>605
民衆からすればさっさと戦乱が終わって平和になった方がいいに決まってる
そういう意味では関羽を挟撃して魏に味方した呉は空気を読めている
しかし夷陵の大勝後、そのまま蜀を滅ぼさず魏を警戒した呉は空気読めてない
民衆からすればさっさと戦乱が終わって漢のもとに平和になった方がいいに決まってる
そういう意味では一応漢王室を奉戴した魏は空気を読めている
しかし漢中戦の敗北後、そのまま漢に主権返さず簒奪に走った魏は空気読めてない
>>596も愉快犯っぽいしな
隔離豚に餌やってスレが荒れただけ
強引な曹操信者の隔離豚は確かに迷惑だ
613 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/11(金) 20:14:47
>>603 心配いらない
君たちにふさわしいあだ名をつけた張本人だよw
平穏に暮らしてた曹叡即位当初の魏の平民からすると
諸葛亮は空気読めていない
まだ勝てそうな雰囲気みたいな物が微かにあった夷陵以前はともかく
どう転んでも勝ち目が無い司馬兄弟の代に北伐を繰り返した姜維は空気読めないってレベルじゃない
姜維はそれに相応しい報いを受けて死んだ
諸葛恪もだな
身の程を弁えず無謀な出兵をして国を乱した連中は皆無惨な最期を迎えている
平穏に暮らしてた司馬氏政権時代の魏の平民からすると
曹ボウは空気読めていない
まだ勝てそうな雰囲気みたいな物が微かにあった曹爽以前はともかく
どう転んでも勝ち目が無い司馬兄弟の代に自ら司馬一族を征伐しようとした曹一族の皇帝陛下は空気読めないってレベルじゃない
ネガキャンになってねえw
>>614 平穏に暮らしてた曹叡即位当初の魏の平民からすると
宮殿作りまくって疲弊させた曹叡は空気読めていない
曹叡の子孫はそれにふさわしい報いを受けて死んだ
曹髦をはじめとして曹叡以後の魏の君主たちは先祖の悪行の報いを受けて悲惨な最期を迎えている
曹芳にしろ曹奐にしろ悲惨な最期じゃねーだろ
曹芳は王位に降格されただけでそれ以上何かされたわけではないし、
曹奐は304年まで生きて八王の乱を横目で見ながら死んだ
西晋の皇帝も奴隷扱いされて死んだな
>>621 それ陳寿先生にも怒られてるよな
「民が疲れて平穏を望んでたのに始皇帝や漢武帝の真似とかバカなのか」
>>623 曹髦とか哀れにも征伐しようとして殺されてしまった
>>624 自分が禅譲した王朝が内乱でボロボロになっていくのを見ながら死ぬのってどうなのかな
馬鹿じゃねーのと笑いながら死んだのかそれともまた国が乱れる…と憂鬱になったのか
魏のラストエンペラーは張魯の孫でもあるんだよなあ
張魯と曹操の血筋を引いてるわけだから、国が乱れるに一票
劉備の子孫も永嘉の大乱で殺されたらしいが、これも先祖の報いかね
安楽公のまま死んだ劉禅の場合は本人は良かったけど子孫が異民族に殺されまくったりな
なかなか複雑
劉備の子孫は劉玄が生き残り貴族として過ごし現代まで続いてます
>>621 その宮殿増築に参加した民が裕福になるからいいじゃんか
劉禅にしろ曹芳にしろ「何もしなかった」皇帝が天寿をまっとうできた気がする
曹操の子孫も生き残ってんのいるし、どっちにしろ無理があるだろってこと
>>632 成漢が東晋に降伏後の消息は不明だぜ
>>634 良いこともしないし、悪いこともしないから罰しにくいのかもな
>>635 それじゃ上みたいな魏に従うのが当然みたいなのは無理あるよね
空気読まずにスレタイに戻すけど、
関羽が劉備本軍を無視して突出したのは焦りみたいなものがあったと思うんだよね
法正やら馬超やら関羽が会った事もないような人物が30年仕えた自分と同格かそれ以上の地位にいる
そして自分には軍を独断で動かせる節が与えられている
自分の力量を劉備や諸将に示したかったんじゃないかね
>>634 「何もしなかった」は野心が無いに通じるからな
野心の無い奴を殺して旧臣達を動揺させるリスクを負うことはない
>>637 論理の展開が飛躍的すぎて意味がわからんが、
とりあえず魏に従うの当然といったのは俺じゃないししらんよ
>>639 そこまで個人的な理由ではないだろう
関羽にしてみれば呉の担当が頼りない新人に変わったんで魏を攻めるチャンスが出来た
その前から狙ってたんじゃね
>>641 それと同じくらい魏に従うのが当然ってのは無理あり杉ってこと
先主伝や関羽伝でも全く連携しているような記述は無い
劉備は関羽が死んで初めて関羽軍の動きを知ったのではないだろうか
>>643 ますます論理的に意味がわからないが・・・
個人的には蜀は魏に従う理由はないし、呉も蜀と同調しなくちゃいけない理由もない
たんに国力的に蜀は魏に敵いづらかっただろうぐらいに考えてるが
關羽﹑張飛皆稱萬人之敵,為世虎臣.羽報效曹公,飛義釋嚴顏,並有國士之風.然羽剛而自矜,飛暴而無恩,以短取敗,理數之常也
関羽は世の理によって身を滅ぼすことになったという評
蜀出身の陳寿にしては厳しいが、孔明の戦略である天下三分を崩壊させた責任があるからかねえ
関羽には一応独断で軍を動かせる権限がある
言い訳にもならないけどな
>>645 論理的にそれくらい無理がある話だってこと
蜀が魏に従って当然みたいなのは筋から言ってもありえない
二州を得て、呉に対し有利な立場で同盟を結ぶ。
その後魏に変事が起こったとき、呉と呼応し魏に攻め入りこれを滅ぼす。
そして取って返した刃で呉も征する。
変事というのは曹操が死んだときだったか
一州だけになってしまったのは大きな誤算だった
そして曹操が死んでも魏は揺るがなかった
曹操は日々の仕事に励めと遺言したし、二代目もわりと真面目な君主だった
劉備は呉も漢寄りだと考えていたのでは?
赤壁では共に魏を撤退させたし、多少の無礼があっても、魏への侵攻を邪魔するとは思っていなかった
でも実際は孫権は漢への忠義は薄く、魏に味方した
その辺りの認識の違いもあった様に感じる
>>648 おまえらの人工無能レスの羅列の末にやっと良心的なレスしてくれた人間に
何噛み付いてんだよ
>>651 それはない。
荊州時代の劉備は孫権の圧力に苦しんで、孫夫人の勝手放題を黙認するしかない立場の弱さだったし
益州の侵攻を巡って腹の探り合いしたうえに劉備はしれっと益州入したし
益州を取ったから荊州返せと言われて「涼州取ったらね^^」と返したら速攻で強襲食らったし
三郡分割で手打にしたのは曹操が関中に迫っていたからに過ぎないし
国境線はいつも不穏な状況だったし
関羽は呂蒙を警戒してぎりぎりまで守備兵を残していたし
この状況で劉備が孫権に少しでも心を許すような人間だったら歴史に名を残す前に死んでる
二国が手を組んでいたのは、曹操に対抗するために互いの力が必要だったからだけで、
それ以上の何かなんぞはお互いに期待していない。
せいぜい孔明だろ甘い考え持ってたのは
>>652 蒸し返すな馬鹿
お前か?毎度電波みたいな下らん事書いて釣ろうとしてんのは?
孔明にしても最後の北伐以外全く呉を当てにしてないよな
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/12(土) 00:08:19
>>652 エリート乙www
どこでも嫌われているのなw
東晋の逃げ場としてしか意味があったとは思えないな
よそ者扱いだがw
草を生やさなきゃ全て解決
>>651 そもそも外部の人間までもが、蜀が「漢」の大義に従っていると判断しているとは限らないわけで……
魏にしてみれば「漢の皇帝戴いてる俺らが官軍なのにあいつらは兵まで挙げて何勝手な事言ってんの」と思っているだろうし、
呉にもそういう発想の人間はいたかもしれないし
漢の皇帝戴いてるとはいっても
劉氏以外は王に立ててはならずという劉邦以来の決まりを無視して
魏王に即位してる時点で官軍とは…
呂氏討伐の時も皇帝を戴いてる呂氏に対して
劉一族の斉王が真っ先に敵対を表明したが世論や漢の臣達はこれを悪とはみなさず
むしろこれに同調した
まあ勝っちゃえば悪なんだけどね
民衆を食わせられないんじゃ正統とは言えまい
魏の場合、勝つ前に潰れてしまったのが特徴
>>661 劉巴伝引零陵先賢伝によれば諫めた者を殺して人望を失ったそうですが
劉備が漢中王や漢帝に即位したことに対して当時同調した者が
蜀漢以外にいた記録があるなら是非御教授願います。
荊州人は孫権に反旗を翻してるな
ハンシュンに討伐されてるけど
>>663 別に人望を失ってはいないかな
呂氏に対する斉王も諌める大臣に死を命じて反呂氏の旗をあげて喝采をもらってる
劉備が漢中王に即位し関羽が進軍した時、魏の方でも反乱がおきてたと思う
>>665 劉巴伝から
零陵先賢傳曰:是時中夏人情未一,聞備在蜀,四方延頸.
而備銳意欲即真,巴以為如此示天下不廣,且欲緩之.
與主簿雍茂諫備,備以他事殺茂,由是遠人不復至矣.
記載を信じる限りでは失ったといっていいのでは。
天下の人望は失ったが政権維持には仕方がなかった
>>666 劉巴は張飛が泊まりに来た時、「あんな兵隊などと口をきいても意味がない」と口もきかずに放置して
士大夫を敬うこと厚い張飛も激怒し、諸葛亮も劉巴に取り成したが知らん顔してた、
という人だからなあ
これには他国ながら呉の張招も非難したとある
それに劉巴は劉備が皇帝になった後に様々な文書を起草してるから
本当に諌めたのか甚だ疑問
当時文官>武官だったってのは常識だし別に張飛を軽んじたっておかしくはない
劉巴は正史と零陵先賢伝ではしばしば人物像が逆になるからなあ
>>666の文も零陵先賢伝
劉備が蜀を征服した時、正史では劉巴は昔の罪を詫びて仕え、劉備はこれを許したとある
しかし零陵先賢伝では劉備を嫌って隠遁していたとある
劉備が皇帝になる時も正史では様々な文書を起草した事になってるのに
零陵先賢伝では反対した事になってる
劉備が皇帝になった事に対する民衆の反応って何かあったっけか?
正史では無かった気がする
>>669 「主君劉備の信頼厚い張飛に対してそんな態度をとって軽んじるって臣下としてよくない」
とは張招先生のお言葉
諸葛亮もとりなしてるくらいだしなあ
さすがに問題あるだろ
劉巴を飼うのは皇帝としてのファッション
>>671 名士や武将や君主以外の反応ってことか?
そういう意味なら特に無いな
当時魏はソウヒ政権で安定していたし、呉も魏に臣従中だから
二十五年,魏文帝稱尊號,改年曰黃初.或傳聞漢帝見害,先主乃發喪制服,追諡曰孝愍皇帝.
是後在所並言瑞,日月相屬,故議郎陽泉侯劉豹﹑青衣侯向舉﹑偏將軍張裔﹑黃權﹑大司馬屬殷純﹑
益州別駕從事趙莋﹑治中從事楊洪﹑從事祭酒何宗﹑議曹從事杜瓊﹑勸學從事張爽﹑尹默﹑
譙周等上言:「臣聞河圖﹑洛書,五經讖﹑緯,孔子所甄,驗應自遠.謹案洛書甄曜度曰:『赤三日コ昌,九世會備,合為帝際.』
洛書寶號命曰:『天度帝道備稱皇,以統握契,百成不敗.』洛書錄運期曰:『九侯七傑爭命民炊骸,道路籍籍履人頭,誰使主者玄且來.』
孝經鉤命決錄曰:『帝三建九會備.』臣父未亡時,言西南數有黃氣,直立數丈,見來積年,時時有景雲祥風,從璿璣下來應之,此為異瑞.
又二十二年中,數有氣如旗,從西竟東,中天而行,圖﹑書曰『必有天子出其方』.加是年太白﹑熒惑﹑填星,常從歲星相追.近
こんな感じっすね
劉巴は劉備が皇帝になった後で神にささげた文を書いたはず
そもそも民衆の記述は正史にほとんどないな
反乱が起きたとかそのくらい
劉備が皇帝になった時は蜀魏呉ともとくに何も書いてない
関羽があぼーんして漢も滅んで鬱だ死のうな状態だったから仕方ない
関羽は呉の兵糧庫襲ったり反乱煽ったりしてたんだから、呉に挟撃されても文句言えないよね
その前から呉は呂蒙が仮病を使って関羽が守備兵力を集めるように仕向けてるけどなー
ていうか河北、中原抑えられたらもう実質詰みじゃね
徐州時代ぐらいに踏ん張らないといけなかったんじゃね
詰みも何も魏は結局司馬一族にのっとられて天下統一してない件
そんなに魏が脅かされる可能性を根こそぎ否定しないとすまないのかと逆に感心する
たんに劉備が天下統一するならその時代に頑張らなくてはいけないのでは、
という話をしたら、訳のわからないところから反論されたでござる
このスレは関羽進撃時点からのスレな件
結局劉備陣営全体が呉を甘く見てたんだろうな
それが敗因
それだともう遅いと思ったから言っただけでござる
スレ違いならもういいでござる
>>686 関羽の動き自体益州からの指示を受けてのものか不明
節持ってるんだから独断で動いても問題ないが、
やはり副将は必要だった
>>682に晋の正統性を突き付けても、移民族に(ry
とループされんだろうな
それに敗れた蜀はなんなんだと・・・
副将がいても関羽の性格だから諫めても訊くかどうかはわからないが
関羽以上に発言力のある人間いねーからな
関羽北進時点でもう詰んでしまってる
関羽をある程度制御出来て
外交手腕に優れてて
荊州に詳しい人物
を一人付けるべきだったな
一行目で既に誰も居ない気がするが…
呉人と仲良しのほう統の死は地味に痛かった
ただ叩きたいだけの文ってつまらん
697 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/12(土) 18:20:25
>>683 蜀のためのスレでありながら、結局、蜀に魏は絶対に、滅ぼせないという風に誘導する曹操信者がリードするスレ
現実はこうだから無理って理由づけと、
呉が蜀と連動しておけばってifがいつの間にか、混同され、そのように誘導されている
(『絶対』、呉は蜀を攻める。『絶対』、関羽は呉を怒らせる。『絶対』、魏は動揺しないってね)
絶対とか、曹操信者が好きそうな言葉
内容は今までのスレと変わらないが、蜀スレを荒らすだけであった曹操信者が行動を批判され、
連投を繰り返し、そのようにもっていく様子が興味深い。
もっとも、スレタイを無視した方向に無理にもっていく行動が、自分に反対する意見を許容できない
曹操信者らしい行動ではあり、本質はなにも変わっていないが
698 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/12(土) 18:46:27
しかし、本当に曹操信者って
自分のスレ立てればいいのに、関羽スレや諸葛亮スレに攻め込んで乗っ取るよな
自分たちだけでは人が少なすぎるか、魏マンセーしかないので会話がなりたたないのであろう
魏スレでもわざと関羽や諸葛亮を侮辱して人をよびこむことがままみられるしw
結局、他人より上って思わないと人を評価できないのであろうな
ちなにみ697と698は、同一人物
自演ではないよw
曹操信者が意に沿わないスレを乗っ取るのは常套手段だよ
いきなりやってきて曹操万歳で染めようとするから判り易い
すみやかにお帰りくださいも何も
こことそこの常連だよ。少なくとも俺は
俺もな
お前らこそ、スレタイ読めよ
魏が一番揺らいでた時期なんだから
「絶対無理」という結論はまずありえない
「呉は空気嫁」という要求も都合のいい無視のよすぎる自分勝手だというのは分かる。
がそれでも「呉は空気を読め」と言わせてもらう
ここはそういうスレ
スレタイの話に戻せば呉は空気読んだからこそ関羽を殺したんだろうな
呉を下に見たのがな…
あれさえなければ
中原進出が成功した場合
漢vs呉になり呉の親漢派が息を吹き返して空中分解だろうしな
劉備が空気読んで関羽との意気の疎通を図ればなぁ
てか関羽の北上のタイミングがな
劉備は関羽が半年も戦ってたのに成都から動いてない
明らかに独断で戦ってる
>>ここはそういうスレ
おいおい勝手に決めんなよ
>>710 じゃあどうしたいのか具体的な要望を言ってくれ
馬超あたり関羽の後方支援を遂行させりゃいいのにな
馬超じゃ逆効果になりかねん
子龍なら適任
かの趙雲か・・・
呉の動きを止められたかもな
呂蒙と陸遜が相手じゃ蜀の誰が出ても無理っぽいけどな
相手が悪かったとしか言いようが無い
そうとも思わん 当時無名の陸遜に警戒心を解かなければ
あそこまで事は運ばなかったんだし
こうなると、関羽を殺した戦犯は劉備かな
漢中王となったツケがまわったのか
空気読まない呉が戦犯だろ
自国の財産を脅かす賊を駆除する事が
空気読めない事か?
漢にも晋にも関係ない賊はどう考えても呉
同盟中の相手に背中から襲い掛かる事が空気読むこと?
馬超だろうが超雲だろうがどうにもならん
抑えるにも、関羽は守備兵まで動かしてるんだから兵がいない
必死すぎて漢字間違えてるぞ
関羽が反乱煽ったりしてる時点で同盟もクソもねーだろ
捕虜を戦わせればいいのにな
曹操みたいに埋め殺した方がまだマシだった気がす
>>719 天下の気運が変わり強力な統一王朝の再興が叶うかもしれなかった
足がかりを完全に潰し、弱小地方政権の乱立時代を長期に渡って延長。
それによって国力が著しく低下し、そのため易々異民族の侵攻を許す遠因を
作った三国呉は中国歴史史上最も空気の読めなかった国賊。
もしかしたら蜀が統一するかも知れんから、蜀が呉を荒らし回るのを黙認しろってのか?
それこそ無茶苦茶だろ
そんな不確かなもんの為に自分達の大事な物を差し出す馬鹿はいねーよ
>>728 でも蜀どころか魏よりも長持ちしたんだよね
と言うかもっと根本的な事で、関羽は徐晃に止められた時点で打ち止めだろ
魏からの援軍は当然来るだろうし、そのまま蜀が魏を押し続けるってのが想像出来んのだが
蜀が統一したとしても息子劉禅なんだからすぐ十常侍みたいになるのは目にみえてるだろ
後漢末と似たようなもんじゃね
>>729 引き篭もりを続け、人の隙ばかりを狙い続けてたチープな国だったのだから
そう思われてもしょうがない。
誰だってそんな小物を英雄と仰ぎ担ぎたくなんてないからな。
>>731 そうかもしれんけど、やはり後方支援がショボいからしょうがないよな。
>>731 典型的魏オタの思考ですな
典型的蜀オタと相反する思考
じゃあどうやって徐晃に負けた後も蜀の勢いを維持し続けるのか教えてくれ
俺には思いつかんからな
現実にある歴史が辛いからフィクションに逃げます、というとこまでわかった
あれは演義と違って戦の勝敗まで変えちゃってるじゃん
「僕が考えた三国志」と同レベルなのを出されてもな
>>741 このスレそのものが「僕が考えた三国志」そのものじゃねえかw
そりゃそうだけど自分の意見を述べるにはそれなりの根拠がいるだろ
例えば上のほうに出てる「関羽の独断専行だったから敗北は必然だった」という意見の根拠は、
・関羽は前将軍になった時に節をもらっていた
・関羽が半年以上戦っているのに劉備本隊と連携した形跡がまるでない
という正史に基づいた根拠がある
でもさ、帰る場所が残ってても徐晃や魏軍本体相手に
あのまま戦ってたら完全に負けてたに決まってる!
も結局感情論なんだよね。
自己妄想の理論付けってかなり虚しいと思う。
やっぱ劉備は関羽とリンクしなかったのが失敗
曹叡は対呉を指揮しながら、対蜀担当の司馬懿とリンクをこまめにしてたっけ
>>744 まあ、その集大成が反三国志でもあるわけだしな
>>744 ぶっちゃけそれだけの大軍相手でも関羽の将才を持ってすれば乗り切れ
魏に引導を渡せる、も間違いじゃないんだよね
歴史にはそんなifは綴られていないから
>>1の感情論のパワーに敬服
>>743 まあ関羽が北上を開始するのは前将軍になる前だし
漢中陥落後に連携もしてるんだけどね
まあ妄想ならなんとでも言えるからな
ifってのはそうゆうもんだ
所詮ifだからとか、自分の思い通りにならないからって極論に走るのはどうかと
今まで状況推察や根拠込みのifで話してたって言うのに
徐晃伝より
晃揚聲當攻圍頭屯,而密攻四羽見四欲壞,自將步騎五千出戰,晃擊之,退走,遂追陷與俱入圍,破之,或自投沔水死.
太祖令曰:「賊圍塹鹿角十重,將軍致戰全勝,遂陷賊圍,多斬首虜.吾用兵三十餘年,及所聞古之善用兵者,未有長驅徑入敵圍者也.
且樊﹑襄陽之在圍,過於莒﹑即墨,將軍之功,踰孫武﹑穰苴.」
翻訳例
徐晃は頭の包囲陣を攻めるぞと喧伝しつつ、密かに四冢を攻撃した。
関羽は四冢が崩壊しそうなのを見て、自ら歩騎五千人を率いて出撃したが、徐晃がこれを攻撃すると逃走した。
徐晃はそのまま追撃してともども包囲陣になだれ込み、これを打ち破った。
関羽軍のある者などは自ら漢水に身を投げて死ぬ程だった。太祖は布令を下して言った。
「賊の包囲陣は塹壕鹿角が十重にもなっていたが、将軍は戦闘を挑んで全勝し、
ついに賊の包囲陣を陥落させ、斬首捕虜を数多く挙げた。吾は兵を用いること三十年余りになり、
古代の巧みに兵を用いる者について聞き及んでいるが、いまだかつて長駆してまっすぐ敵の包囲陣に切り込んだ者はいなかった。
しかも樊・襄陽は包囲の内にあって、莒・即墨よりもひどかったのだ。将軍の功績は孫武・司馬穣苴を上回るものである。」
関羽伝
而曹公遣徐晃救曹仁,羽不能克,引軍退還.
翻訳例
曹公は曹仁救援のために徐晃を遣わした。
関羽は勝つことが出来ず軍を率いて撤退した。
これをどう捉えるかだな
みな知ってるだろうが陳寿は本人にとって不名誉なことは出来るだけ他者の伝に書く
赤壁と同じようにな
リアル中学生ぐらいなんじゃないの
地球温暖化に気づいたんで、はやくなんとかしないとみたいな勢いを感じるよ
>>744 >>747 大真面目にそれを言ってるんだったらもうサジを投げる
そう思ってんのは多分俺だけじゃない
>>752 おおこれは凄い
要するに、
赤壁は大敗だった派=関羽軍は兵士が自決せざるを得ないほどの大敗だった派
赤壁は大したこと無かった派=たまたま逃げ遅れが自決したぐらいで全然余裕あった派か
俺は前者だなあ
ここまでくるともう何も言えんわ
赤壁は大敗だったし、徐晃に関羽は大敗したって考えると歴史の流れと合う気が
赤壁もよくわからんな
てか陳寿は基本嘘は書かないだろ
>>752のように不名誉であまり伝に残したくないときは他伝に入れる
>>752を読む限り、関羽に帰る場所あっても魏を滅ぼすのは厳しいなんてもんじゃないな
赤壁は少なくともそのまま戦線を維持できるだけのものではなかった
そして曹操は曹仁以下を現場に残して行ったが関羽にはその余裕すらない
蜀からの救援はすぐには来ない、本国よりもすぐ近い東と北には敵
むろん予備兵なんざいないし、すでに度重なる戦と行軍で疲労が来ている
まあこれで巻き返せるならそれこそ曹操なんて目じゃねーわ
ただそれほどの名将がどうして徐州で跪いたのかは疑問だが
兵糧輸送とかもうまく言ってなかったんだろ、関羽の北上
こんな状態で魏と戦ってても碌な結果にはならんと思うが・・・・
徐晃に手間取ってる間に魏から援軍来るしね
魏との戦いは長期戦になることは必至なのに兵站能力が弱いってのは致命的だよ
兵糧庫襲撃するくらいだから、余裕は無かったんだろう
そんな状況で徐晃に大敗後巻き返せるとかもうね…
劉備だって西方軍と中央軍をあいてにせにゃならんのだから、正味な話関羽に援軍送ってる暇なんて無いだろう
劉備の蜀取りが214年、関羽の北上が219年。
蜀って完全に平定出来てたのかな?
夷陵の敗北後は各地で反乱が起きてる位だし、当時はまだ警戒すべき状況だったのでは。
もし蜀がまだ不安定な状況だったのなら、劉備が連携せず、援護しなかったのも納得出来る。
まあ関中攻めなんかはやってるし、一概には分からんが。
蜀は騙し取ったようなもんだし不安定な状況だったのでは?
逆に蜀が勝てる状況って?
となると
>>104に帰る
国力なんて一ファクターだ、関羽なら覆せる! という主張をすると
>>761の最後の行に帰る
もうこれ以上の結論は出ないと思うな
>>765 平定どころか張コウに侵攻されてる。
魯粛の攻撃を挟んで張コウと夏侯淵を押し返して陽平関落とすまで5年。
応援にやってきた曹操を陽平関で撃退してやっと漢中を取った。
赤壁は大敗だった派=関羽軍は兵士が自決せざるを得ないほどの大敗だった派
赤壁は大したこと無かった派=たまたま逃げ遅れが自決したぐらいで全然余裕あった派か
俺は後者だな
解けたのはハン城の包囲だけだ
>>765 劉備の敗北と病気が反乱を誘発した感があるから,
劉備の支配力(個人の威光)はそれなりにあったと思う。
>>769 沔水に身を投げたのが「たまたま」なら記録に残らないだろうから,
現地で大敗したのは間違いないと思う。
董卓銭の代貨が作れず物品貨幣になった魏
貨幣経済が成り立った蜀
安定した税収が見込めるのはどっち?
貨幣は元々荘園等の発達に対抗したもの。現代の貨幣経済とは異なる。
確かに樊城は大敗じゃなかったかもしれないな
だけどここで止まった以上、どちらにしろ詰みだよ
補給が持たない
呉の警戒も外せない
その上でさらに戦力が増した敵を倒さなきゃならない
兵も疲れてるし
自分が率いる分しか居ないし
もうこうなると立ち往生するか、玉砕するしかないだろう
劉備の救援は期待できないしな
>>767 if話の癖に根拠だの、証拠だのを言うような連中だしな
所詮は「俺の考えた三国志」のぶつけ合い
感情論丸出しの方がそれっぽい意見になるよなあ、こういうスレの場合は
大敗だったら襄陽包囲は続けられないだろうな
>>771 「或自投沔水死.」のこと?
逃げ切れずに身を投げたってことだろうから,
関羽はそこまで慌てて退却した程の敗北だったと理解したんだけど。
>>752の
太祖令曰:「賊圍塹鹿角十重,將軍致戰全勝,遂陷賊圍,多斬首虜.吾用兵三十餘年,及所聞古之善用兵者,未有長驅徑入敵圍者也.
且樊﹑襄陽之在圍,過於莒﹑即墨,將軍之功,踰孫武﹑穰苴.」
樊城と襄陽の解放は孫武以上の功績という意味だよな?
すると、徐晃は襄陽の包囲軍も打ち破ったということに
両方の包囲軍までやられたんじゃ
どう考えても立て直すのなんか不可能
しかも敵は更に増える
援軍も絶望的
これでも詰んでないって言うんだったら
もう議論にならないなw
呉が背後を絶っていなかったらという話は完全にスルーなの?
780 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 11:19:04
はじめからそういえばいいのに
>>104しかない
>>117なんてありえないって言うから荒れるんだよ
まあ、呉が背後を断っていなかったら、退却して捲土重来を期せて、
曹操死後の混乱が起きるのを期待できたのだろうけど
(劉備、関羽が存在するのとしないのでは、魏の状況も変わる可能性がある)
それは別の話だろ
はじめからそういわれてるってw
>>1の意見をよく見ろよ。
呉が攻撃したのは自国を荒らす関羽を討伐する為
魏と組んだのは共通の敵を倒す為
関羽が暴れた時点で同盟は意味無し
卑怯?戦争ですから
呉が邪魔しなきゃ蜀の天下だったのに!
>>773
>>777 ハン城は破ったけど、ジョウ陽の包囲を破ったかは確定じゃない
魏は30万とか40万とか人数出して、数万相手に防衛戦なのが不思議だ。
>>782 天下統一に一手をかけることもなかった引き篭もり呉
まあ、空気嫁
>>784 注意を内側に向けなければならなかったんだろう
一番の敵は国内の不満分子
>>785 下らん感情論の負け惜しみはいらねーって
何の空気だよw
呉には呉の空気があったし
蜀が煽てたら突然ストリップしだすからやっちまっただけじゃん
我慢出来ぬわ!
荊州取った後の呉は何ができたんだよ?
そこから天下に手を伸ばす事もなく引き篭もってただけだろうに。
蜀はたったあれだけの軍勢で大国の魏に喧嘩売って逆転の手を打てるような
面白い場面を作った。
それを妨害したのが呉。
ならば当然呉は魏蜀以上の大計を持って魏、蜀を併呑し天下統一に向かう意志があるのかと
思いきや・・・
やっぱり呉は空気嫁
>>788 だからそれが感情論なんだって
空気読む読まないなんて人それぞれに事情があるんだから何の意味も無い
呉の空気・・引きこもり
まさしく、ニートを許容する社会の風潮ですなw
呉が空気読んでたら、蜀のやりたい放題をスルーして蜀が呉を平定し天下統一すんだろうな
むしろ逆で、自国の為に空気読んで関羽を討ったのさ
後世の連中の面白い、面白くないなんて理由で語られてもねえ…
自分の身や大事な物を第一に守るのは当たり前の話だし、
勝てもしない相手に特攻して玉砕したんじゃ意味はない
>>791 天下統一の大志は乱世の王が担う宿命
それをできないのなら、小物なら素直に引っ込んでろよと。
呉が荊州を奪取した後、天下統一といかなくても
大幅に領地を西に北に広げたのならば誰も呉を空気読めないとは
いわんだろうよ。
>>784 数十万の兵士自体が不満分子だから。食料以外給料がない。
呉が挟撃しなくてもほぼ詰んでたんだから、むしろスカッとやられて良かっただろ蜀は。
敵が更に増えて諦めもつくだろうし。
…と思いきや、大軍率いて呉に特攻し、大敗北を喫するのが蜀。
身の程知らずは惨めになるだけってのが分からなかったらしいね。
呉は引き篭もると凶悪なまでに強いってのもタチが悪いからなw
呉にも領土広げる気持ちはあっただろ
何度も何度も合肥に挑んでいるじゃないか
勝てなかったのが悪いというなら、孔明も同じことだし
まあ呉はさっさと魏に帰順した方が良かっただろうね
自治さえ認めてくれれば逆らいません、と言ってるんだから
実質的正統の魏
名称的正統の蜀
で激しく三国時代の正統論争が後世で展開
呉は触れされてないいない罠w
やっぱり空気読めてなかったんだろ
実際呉が合肥他に攻め込んだ回数は北伐より多いんじゃね?
うわぁ〜
ここは魏オタ+呉オタvs蜀オタのスレだな
この空気は間違いなく
805 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 11:53:56
魏=漢から禅譲。中原、関中を押さえ北半分を制圧
蜀=逆賊魏を放伐。四川のド田舎は劉邦ゆかりの地
呉=なんとなく僭称。長江流域は俺の縄張り
>>804 魏オタ+蜀オタvs呉オタ
だろ。
魏オタや蜀オタはお互いを天下を掛け合う宿敵に見立てて論を展開
呉はいいとこだけしゃしゃり出てこないで引っ込んどけよ、で共通
呉は蜀よりも魏と戦ってる回数はずっと多いしな
関羽北上〜夷陵だけで結論付けるなよ
まあスレ違いですね
魏と蜀は不倶戴天の宿敵ということで燃えるが
呉はトリックスター
魏の永久属国と化してたら呉は空気を読めてた国となってた
演義じゃ呉は脇役だけど、実際に曹操の統一は阻んだのは呉なわけで
呉の存在感はでかかったろう
結局は勝ってなんぼだからな。
呉が合肥を取れなかったのが悪いなら、魏が何度も攻めながら長江越えられなかったのも悪い。
結局どこも統一出来なかったんだし。
>>781 仮に呉が空気を読むとしても
それで関羽が呉への防備を解いていい事にはならない
戦略上、いつどう転ぶかはわからないからな
関羽を使って荊州で戦争する以上常に呉に気を配っておかなきゃならない
引き篭もったら強いだけだろ、呉は
攻めたところで蜀の漢中、荊州戦のような勝機は呼び込めず
魏相手の北伐は毎度の如く完全敗北
>>811 中原を押さえ圧倒的国土を有する魏には完全に
当時の正統を名乗る資格があるけどな。
蜀の劉備は皇帝性の劉氏であることに加え、蜀が劉邦建国の地というもの
蜀漢の正統性を後押ししてる。
しかしなんの大義名分もない呉は無駄に戦争するたびに
国を荒らす賊というレッテルを貼られても弁護しようのない国。
あの時点で魏に臣従を申し入れてる癖にいつまでも対等であるかのように
振舞う呉は魏から見ても空気の読めない上に、平然と裏切る不義者でもある。
大義名分もなく引きこもってるだけの呉(これは俺が言った訳じゃないけど)を
何度攻めてもろくに領土すら削れない魏の求心力に疑問があったんじゃないか?
正統ならそんな賊に過ぎない連中などすぐに駆逐出来るだろ、と。
結局呉が滅んだのは晋が起こって15年後だからな
しかもラストエンペラーの数々の失策や暴虐の影響がでかい
陸家の誰だったか忘れたがそのせいで呉が滅んだと書いてる
孫策、孫権、孫亮、孫休、孫皓
顧ヨウ、陸遜、孫峻、孫綝、張悌
(呉アンチに言わせれば)呉は大義名分もない引き篭り、しかも状況次第で同盟国すら平気で裏切る駄目な国
でも大国魏が何度攻めてもビクともしないくらい強い
これが話をややこしくしてるんだよな
どんな理屈を並べようと、強い者だけが正統、というのは易周革命という漢民族自体の流れだから
呉は中国語を使う外国
>>819 まぁ長江の南側に首都を設けてるからな
守備は硬いが攻撃が半端になるでしょ地質的に
位置は違うけど、今も北京と上海は猛烈に仲が悪いわけで
官僚国家というより自治都市的な空気が強かったんじゃないの
いざ晋が仕掛けたらほとんど抵抗らしい抵抗がなくあっけなく滅亡
赤壁の団結力などまるで見せず武将が戦う前から投降だからなあ
赤壁も団結してなかったが
825 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 15:16:11
仲が悪いのはネチズン同士
2ちゃん+板を見る限り、
大阪と東京の仲もなかなかの見ものだがw
呉滅亡の一番の功績者はソンコウで問題ない
司馬炎は帰命候にしたが、天命を晋に返したからと解釈出来る
劉禅の安楽と同じだ
>>823 呉滅亡時の戦死者
西陵:留憲、成璩、鄭廣
夷道:陸晏、陸景
江陵:伍延
版橋:張悌、孫震、沈瑩
最初(荊州)と最後(建業付近)だけは抵抗してるんだな。
西晋の皇帝の末路は悲惨なのに劉禅や孫皓は天寿を全うできてよかったな
蜀を討つための魏呉連携
魏を討つための蜀呉連携
はあったが
呉を打つための蜀魏連携
はなかったな。
どんだけ見くびられてるんだ、呉はw
そこは呉の外交能力をほめるべきでは。
>>830 いや外交より攻略の難易度でしょうな
劉備本隊が進攻しても大敗されたし、曹丕が南下しても足踏みだし
魏を倒すために蜀は建国された国なのに蜀が魏と組んで呉を倒すということはあり得ないよw
そんな事態になったら本末転倒もいいところw
つまりどーでもいい国だったんだろ、呉は。
蜀は滅びてからの呼び名だからな。
そんなどうでもいい国に大敗して、国を傾けちゃう蜀って一体…
引き篭もりがいつの時代でも厄介なんだな
夷陵、江陵と魏蜀連戦があったけど完璧に防いでるのは凄いと思う
ケイ州取られて夷陵の戦いでも負けてその後引きこもることになったわけだが蜀は
呉はその間、魏と戦ってるよ
呉にいじめられた後はひきこもっちゃったね蜀も
引きこもるには最適な土地だからな、益州は
守るに易く攻めるに難く
そんな土地を本拠地にした時点で詰んでるよなあ
呉もしかり
まあだからこそ荊州維持したかったんだろうけど
呉が引きこもりと言うが、劉禅には遠く及ばない
劉禅は自分で政治をする愚を行わなかった名君
蒋エンの死後に自ら政治を行ってますよ
やらない方が良かったレベルみたいだけど
劉禅は諸葛亮が必死に頑張ってるのに共に太平を楽しもうとか言っちゃうような香具師だしなw
案外巫女のいうとおりにして引きこもってれば大丈夫だったかもよ
姜維は勝手にやってるからね
演義すぎる
巫女うんぬんは正史
ただし蜀平定の時なんで全然大丈夫じゃないです
>>797 別に呉が動かなかったら詰んではいなかったと思うぞ
関羽が荊州に戻って体制を立て直すだけ
関羽も結構な年なんだけどな
>>851 その前提がおかしいよ
呉の領土を荒らしまくった関羽を呉が放置しておく訳がない
しかも呉は元々荊州を自分らの物だと思ってるんだから、話し合いで解決しないなら武力で解決しようとするのはすぐ分かる事
一応同盟はあるけど、それだけで揉めに揉めてる荊州を手薄にして北上するってのは不用心すぎだろう
>>853 >呉の領土を荒らしまくった関羽を
そんなことしたっけ?
呉書からだと相当な眉唾モノなんだけども・・・
>>853 前提がおかしいぞ
そのような外交情勢を踏まえた上で「呉が動いた」のが史実。
そんなことは誰でも知っている。
しかしその「『呉が動かな』」くとも」「呉が挟撃しなくとも」という
前提のifを
>>797は言ってるんだから、
手薄にするのが無用心とかいう反論はないだろう。
当時の呉蜀の小競り合いや戦争は太平洋戦争に似てなくないな。
ハワイを荊州とすれば、なんとなくね。
でも用心はしとかなきゃいけないだろう?
実際に呂蒙の時は警戒してたわけだし関羽は
同盟関係にあって恭しく恐縮し進物まで送られたら
まさか裏切るとは思うまいて
名将呂蒙から無名の陸遜に代えたのを「呉は荊州を攻める気なし」の意志表示と考えたのかもな
呉からすればまさに「計画通り」といった感じだろうが
後世で三国呉が卑怯千万の汚名と
圧倒的不人気を蒙ることはもはや必然だったんだな。
>>860 このスレで何回言えば気が済むの?
関羽と劉備を倒した呉を呪ってるようだ
卑怯とは思わんけどな
三つ巴の戦いとはそんなもの
無名の陸遜とは言うが名門陸家の生まれだし山越討伐で功績もあげている
なにより孫策の娘婿、本当に無名だったのか?
>>861 あんな真似して利を得て
人気まで得ようとな?
無理無理
正々堂々なら話は別だけども
背後からコソコソってのは確かに良い印象にはならない
劉備が益州騙し取ったのは正々堂々だったんですか?
助けを求めてきた同族の劉璋をあべこべに劉備が益州を奪い取っちゃったからなw
劉備の益州取りは正面から力づくで押し潰したようにしか見えませんが?
>>862 そんなサラブレットなのに俺は知らない=雑魚って感じだったんじゃね?
人物批評盛んな時代だけに他国に名前を知られていないというのは、侮られる理由としては有り得る
呉内部での評価はまた別だったのかも知れんが
>>862 外交レベルでは無名、少なくとも対外戦線に従軍した経験がほぼ無い三十代の若造、
つまり荊州事に無知と「思われる」人物を後任にした時点で、
それが数ヶ月のうちに兵を率いて攻め寄せてくるとは思わなくとも不思議ではないだろうね。
呉の将帥に若い人物が多く、呂蒙も当時40過ぎの若さだったとはいえ、
当時には呂範、周泰、朱然、朱桓、徐盛、呂岱、蒋欽…
と、対外戦争経験豊富な名のある将はごろごろしていた。
それを敢えて陸遜を任命したことは、曹魏に対して優勢に事を運んでいる
劉備陣営に対する、孫権の修好を求めるメッセージとなった。
(この年の始めに孫権が曹操に帰順した時点で同盟関係は破棄状態だったろうので)
陸遜の関羽への低姿勢の手紙にはそういう意味がある。
卑怯などとはちっとも思わないけどね。
低姿勢ってあたりにチープさが漂ってる。
後世で人気でないのもそういう姑息な部分が
嫌がられてるんだろうなあ。
>>868 張魯討伐のために劉璋が兵を貸してるのにその兵で益州を奪い取ったのが劉備なんだが
関羽の性格よく把握してるな、陸遜w
>>871 中国では弱者でありながらの勝者なった劉邦より
強者でありながら敗者と化した項羽の方が人気が高いようなもんだな
強者には傲慢になる隙があり弱点でも
かえって裏読みをしないその堂々とした
様が清清しくもある
裏表のない人間はいつの世でも好かれ易いからね
>>868 実は劉備もほとんど人気がないんだな、コレが
関羽&孔明人気のようにとはいかなかったみたいだ
関羽&孔明の人気は飛びぬけてるしな
裏表が無いと勝手に兵糧を奪うのか・・・。
呉が言ってもな
>>874 日本では表裏比興の者も人気高いけどな
戦国の信玄元就昌幸辺りのファンの多さは言わずもがなだし
国柄の違いかね
呉書は 自国マンセー、他国氏ね な史書ですから・・・
夷陵で勝ってればまだ良かったんだろうけどなあ
怒り狂って攻め込んだのに返り討ちってのがカッコ悪すぎる。
寧ろ、夷陵で勝ってたら劉備も曹操の徐州同様に
大量虐殺者の汚名を被る可能性もあったかも。
>>882 荊州の人間を虐殺はしないだろ
呉まで攻め込んだら分からんが
蜀書は一番胡散臭いんだけどな
劉備がいろんなところを放浪してたのと諸葛亮の時代に史官を置いていなかったため
まともな資料がない
楽進に負けたことすら隠蔽するしな>蜀書
>>884 呉書は鼓吹曲という自国の良い所、都合のいい事のみを存分に宣伝し
軍歌のようなものに大きく依存して書かれている。
陳寿は蜀書のみを一から書き上げ、魏呉の記述はこの鼓吹曲に影響を受けた
魏書、呉書にほぼ完全に委託している。
>>884 臣下に荊州出身者が多くて住民虐殺なんてしたら勢力が崩壊する
劉備は何処まで攻め入るかが不明だが、劉備が建業を落とすとなれば、やはり長江を渡らないと不可能なので
劉備は呉に勝てない
だから蜀書は好き勝手書けたんだろ
まともな資料がないからな、蜀に
陳寿は蜀の人間だしね
>>888 蜀には鼓吹曲が存在しなかったんですけど?
>>887 劉璋を悪く書いてる時点でなんで蜀書を神聖化するのか分からんな。
>>891 つまり正史も演義同様にフィクションがそこかしこに存在しますよ、ってか。
>>893 ちょっと何が言いたいのか分からないです
>>892 蜀は自分たちの国家は漢であると主張していたので、漢の鼓吹曲をそのまま用いていたという可能性はありませんか。
といいますのは、蜀は漢王朝だと自称しており、制度もだいたい漢朝のものをそのまま用いています。
そして、『宋書』楽志を見ますと、漢の鼓吹曲も収録されておりますから、既に「漢」という王朝には鼓吹曲はあったわけです。
蜀漢は自らを漢王朝と主張していたわけですから、新たな鼓吹曲を作ることは、自らが新たな王朝であると言っていることになるため、
鼓吹曲を作らなかったのではないでしょうか。
なお、蜀の鼓吹曲は現存しない。魏や呉などと異なり、
蜀は自ら史書を編纂しなかったため、その資料は多く戦乱の際に亡佚した。
各国が競い合って鼓吹曲を作り、内には兵士の士気を鼓舞し、
外には国威を宣揚したこの時代に、
蜀だけがそれを用いなかったとは、まず考えられない
>>897 可能性がないわけでもないが、無理がある極論に思えるなあ
もし本当に鼓吹曲からの影響を受けてるのならもっと大々的な賛美であっても
良かったんじゃないか?
関羽や張飛、趙雲にしても簡素そのもの
黄忠なんて1ページもない程度の文章量しかない・・・。
>894
蜀の場合史料がないため民間伝承として伝わってるものを
陳寿が見聞し書いてるものもあるだろうしね
>>898 とは言っても、蜀には鼓吹曲は存在しなかった。
ってのは歴史学でのアンサーだからな。
個人見解による「考えられない」ってのはちょっと行きすぎな想像なんじゃねえのかい?
それは口伝もあるから魏も呉もだよ
魏や呉には鼓吹曲があっただろw
>>899 記述がダブるからでしょ。
あと、蜀漢成立後の人物は比較的豊富だし。
スレタイと関係ない事で熱くなるなよw
それにお前らが何言っても現存している正史の中身が変わることなんて無いんだから無意味だぞ
このままではまさかの2スレ目に突入か?
蜀に鼓吹曲はあったと思うが・・・・
確か劉封が孟達から楽隊取り上げてなかったか?
909 :
908:2009/12/14(月) 21:08:03
あったと思うがじゃなくてあると思うね
蜀記を見ると、なんだかなあ…って気分になる。
なあ思うんだが…
今は現存してない史料にあれこれ言っても意味なくね?
韋曜の呉書も大半が失われてるんだよね。
何が書かれてたかは僅かに残る注釈とかでしか分からないけど
色々考えるのは無意味ではないと思うよ。
>>913 いきすぎな暴論は単なる妄想と化す危険も孕んでるけどな。
蜀は魏を敵国に見立てて兵を鼓舞してんだから鼓吹曲がなかったとは考えられないな
あったのとなかったのではあった方がいいに決まってるしね
>>914 このスレのスレタイがいきすぎな暴論であり単なる妄想なんだけどなw
鼓吹曲とか正史の○○伝のここに載ってる!とかならともかく、
「乗ってると思う」レベルだろ
そんな事でギャーギャー言われてもな
>>916 受け入れなくないならここに来なければいいだけじゃね。
何故、逆風の中で孤立する道を選ぶ?
鼓吹曲の話自体が宋書・楽志からだろ?
そういえば、呉オタ好みのスレも立ってたよな。
周喩の天下二分の計とかいうスレ。
呉オタならそっちを活性化させてやれよ〜。
>>920 「〜とは考えられない」
とかいう私見だけの意見よりは遥かにいい話だったよ。
魏、呉にあったもので国威を掲揚する鼓吹曲が蜀になかったと言い張るのも正直どうかと・・・
証拠がないからだろw
なんでそんな基本的な事に突っかかる?
まあ、無い訳がない。
なにせ漢にあるんだから。
証拠が無い=無かった
ではないよ
証拠が無い=あったかどうかわからない
だよ
しかし、それ自体が極めてグレーゾーンな話だよなあ。
歴史学上では無かった事にもなってるし。
証拠があることでも呉書の捏造だというからな、呉アンチ君は
>>927 ちょっと気になったんだが「歴史学上では無かった事にもなってる」は例えば何に書かれてるの?
歴史学上では無かった事にもなってるしじゃなくあるかどうかは不確定だろう
ただし、同じ時代の魏呉にはあるという
>>929 見つかってないし、そういう報告もないのでしょうがない
>歴史学上では無かった事にもなってる
歴史学上ではなく
>>931の中ではそういうことになってるということのようだね
>>931 それでは「無かった」ことは一切証明されてないよ
史書のどこかに「無かった」と明記されていれば別だが
見つかってないのにあったことになってんの?
何故・・・
>>934 本気で言ってるの?
見つかっていなくても、それは現存してないだけでかつては存在したかもしれない
もちろんはじめから存在してなかったかもしれない
文献などで「あった」「なかった」と記録でもされてない限り、それは断定しようがないんだよ
劉封は孟達の楽隊を奪っていたことが不仲の原因ともあるけど
この孟達の楽隊はなにをやってたんだろうな?鼓吹曲じゃないのか
>>934 存在するのが普通のことだから。
仮に、後漢の史料全部掻き集めても河南尹や九卿の
在位名簿に10年位の空白が出来てしまうとする。
その場合、「見つからないので十年間この位は空席だった」
と結論付けるか?
>現存してないだけでかつては存在したかもしれない
それを証明できないことには「あった」なんていえんだろw
>>937 物証なくして歴史の追及なんてできるのか?
>>938 あったと断言してる人もいるのかもしれんが、俺は「どっちか分からない」としか言ってないから、そんなこと言われても・・・
ただ「あった」説は
>>936>>937という推測する根拠があるわな
>>938 俺の脳ミソがある!
っていうんだから、あるんだよ!!
っていう人なんだろ。
>>939 残念ながら文献史学では永遠に物証が見つからないものの方が多い。
周囲前後の状況から判断してその蓋然性が高いならば、
ひとまずは「あったことと仮定して」論を進めるのが普通。
ところが
>>901>>924などは、「見つかってないから無かった」と断言してしまっている。
じゃあ、孟達の楽隊はなにをやってたの?
>>939 まあまあ、ここは単なるお遊びみたいな場所だから
別にそこまで言わなくてもいいじゃないの
学会でなら物証ない空論など袋叩きに合うが
>>939 不明と結論できますが。
無いと結論するのも物証なくしてはできません。
でも物証があってもそれはねつ造だと言い張るのが呉アンチだからなぁ・・・・
まあ物証が無いことには有ったも無いも決定打に欠けるのは確かだな
孫子なんか史記にちゃんと書いてるのに1972年までは孫ピン作者説は根強くあったしな
孟達の楽隊は何をやっていたのか答えてくれよw
>>942 しかし、極論ではあるがそれらの意見は間違ってないと思うよ。
やっぱり物証は最高のジョーカー。
それがない限り極論であれ否定することはできないし
寧ろ物証が見つかってないのなら「無かった」と言い切られても
反論のしようもない。
「あった」は結局「あったはず」「あったと思う」止まりなんだから。
>>948 知るかよw
鼓吹曲を歌ってました!とも書かれてないんだろ。
グレーゾーンを持ち出してきて証拠と言い張る気か?
>>949 物証どころか歴史考証さえ放棄した極論は、無力な空論に過ぎないよ。
「見つかってないからなかった」は結局「なかったはず」「なかったと思う」止まりなんだから。
>>949 そうすると劉備軍は漢からある中華的戦争はできなかったってこと?
楽隊は鼓吹曲を歌ってても全くおかしくないんだが?
>>951 その歴史考証の裏づけとして確固たる物証があってこそなんだろ?
考証の域を出ないものは所詮は一個人の空想の産物に過ぎないものだよ。
>>954 状況証拠はあるんだから、無かったとするなら確固たる物証がなければ無理。
「物証なくして歴史の追及なんてできない」というなら、何かが「無かった」ことは決して追求できないことになる
「無い」を証明するのは悪魔の証明なんだから
無いと言い切るのも一個人の空想の産物に過ぎないんだよ。
>>954 理論的に蓋然性が高いと看做されれば学説として立派に通用するよ
だから文献史学というジャンルが成立している。
まあ鼓吹曲云々は、学説以前の問題だが。
>>952などのいう通り、戦闘が成立しない。
蜀には楽隊がありましたが鼓吹曲が歌われることはありませんでしたとかあり得るのか?
>>958 しかし、この問題は理論的にも見てもキツいんじゃねえか?
物証も状況証拠も証拠の一つ、ということだな
もちろん軽重はあるが、物証にしたって解釈や分析によって変わってしまうことさえありうるものなんだから、それだけを絶対的なものであるかのように考えるのはものすごく偏った考え方
蜀に鼓吹曲はありました派に後1手足らんよなあ
なんか無かった派を強引に押し潰そうとしてるだけに見えてきた・・・
物証のあるなしってさ、そういうの意見にトドメを刺すためにも
必要なんじゃね?
それとも確証なくとも
他人の意見を強引に押し潰して、より理論的に見える人の意見を
優先して歴史って作られてきたのかな・・・。
おいおい何やってんだお前ら
こんな議論でスレを終了させる気化?
>>963 違う違うw
そんなのは単なるディベートのルールみたいなもんだw
皆、意地になってるだけなんだよ。
コイツにだけはいい負けたくねェ!
ってか。
やれやれ、そんなんでスレをこんなに使ったのか。
>>965 というか鼓吹曲の有る無しが問題なんじゃなくて、
相手の用いているディベートのルールをおかしいと思ってるから
言い合ってるんだよな、お互いに。
又封与?忿争不和,封???鼓吹。
んでもって、
>それとも確証なくとも
>他人の意見を強引に押し潰して、より理論的に見える人の意見を
>優先して歴史って作られてきたのかな・・・。
その傾向は間違いなくある。あらゆる学問に存在するが、
その最右翼が理論物理学と歴史学だろうね。
だから自分の感性に対して誠実でなければならないのだが。
>>964 ここはそもそも重複だし続きは先代スレへ
>>969 そうやって出来た定説が物証一個で覆るのが面白いとこでもあるけどな
甲骨文字が発見されるまでは殷王朝は実在しなかったと言うのが定説だったし
>>971 うん、だから歴史は(というか多分学問全ては)面白い
この過疎板で短期間でここまで伸びたスレを終わらせてしまうのは惜しい
詔して亮に金?の鉞 一具、曲蓋 一、前後の羽葆・鼓吹 各?一部、虎賁六十人を賜ふ。事は亮集に在り。
結局、鼓吹はあったみたいだね蜀にも
>>973 立てた本人か?
あのスレの重複と認めたくないんだな
劉備の偉いのは相手によって臨機応変に対応できたところだな。だから、劉巴いわく匹夫の張飛に対する礼と、劉璋に対するのとでは根本的に違う。
張飛とは兄弟の盃を交わしながら、対等であろうとしたし、劉璋は降伏した後も王族としてそれなりに厚遇している。よってFA。
胸襟を開きながら計算もできるのが人たらしの強みというところか。仲間を作るよりは、背反を前提として敵を欺く術にたけた孫権とは違う。
>>972 自分の感性のみを信じきるのは危険でもあるんじゃないのか?
物証欲しさに物証捏造してそれが発覚。
その後涙ながらにTVで謝罪会見やってた
哀れなエゴにかられた学者とか見たことある。
>>979 歴史は事実として語るべきだが、三国志が正史としてしか存在しなければ、広く愛好される事はなかったのでは?
過去を語るのに脚色が付かないとは思わないし、当事者意識を持つファンが語る上で美化されるのも当然かと思う。
演義は史実捏造じゃないよ?
史実をベースにし、民間にも分かりやすいように流布させた歴史小説。
ただ小説化して面白くなりすぎたので、逆に歴史のようにも語られる
ようにすらなってしまっただけ。
>>979 誠実ということを強調したつもりだったんだけどね
「君子は豹変す」でなければならない
>>979 ここに物証捏造してるようなヤツが居るのかよ
極論持ち出して有耶無耶にしようとするのはやめろよ
「蜀に鼓吹曲が完全にあった」なんて論は捏造以外のなんでもないな。
>>984 「あった可能性が高い」という話で
そして可能性が高いならその場合あったと仮定して話をすべきだろうと言う話
人の発言を勝手に改変するなんて随分姑息な事するじゃないの
>>985 出所不明のソースに加え、エキサイト先生の珍翻訳なんて
そのまんま乗せられてもなあ
蜀が主役なのが演義で、魏が主役なのが蒼天航路、呉が主役たりえるのか、というのが孫権の評価に関わるという事だね。
孫堅、孫策まではクリーンなイメージの呉が孫権の代で変わってしまうから小説にするのは大変かな。
赤壁の映画では未熟で神経質そうな孫権で良かった。あれなら劉備陣営に一時期は手玉に取られてたのが分かる。孫権を変えた
のは親父にも近い劉備という存在に対するルサンチマンもあったのではないかと。だとすると荊州争奪は孫権にとっての分岐点となる。
>>988 それを証拠と言い張るような連中ですから・・・
何を言ったところ無駄かも
でもなぁ、蜀に楽隊があったのは確かなんだし
>>988 その二つを出所不明とかエキサイトとかに見えてしまう時点で積みじゃね?
>>989 鋼鉄三国志だの、赤壁ストライプだの
キモ臭い腐臭を放つ三国志創作物でなら呉はスポットライトを浴びているw
無いと言い張る奴は物的証拠を出せだからなぁ・・・・
状況証拠を理由を出しても物的証拠がないと認めないの一点張り
そりゃ埒があかんわ
>>992 普通はソース先も貼っとくだろ、余計なゴタゴタを避けるためにも
「物証無いなら所詮空論」派の人は
よくある関張の例で「万人敵の評判があるんだから優れていると言う主張」に対する
「実績がないんだから証拠になんてならない」という反論に関してはどう思ってるの?
>>996 そりゃ状況証拠すら無くて根拠が評判だけだから例にならない
実際の実績はともかくとして、それ以上はな
>>996 そりゃ、正史に記載されてるしな。
普通に信じるわな。
蜀の鼓吹曲の出所はどこなのよ?と。
次スレどーする?
え?こんな流れでエンドですか。
1001 :
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い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
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