【新説三国志】僕はこう考える

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11 ◆fx4teburmc
なにか常識が固まってきたこの板。常識はずれの説を支持する人
の意見や新しい考えが聞きたいです。

妄想の類までいってもいいんですが。最初あたりは
「正史のこの記述があるが、僕はこういう風に考える」
みたいな感じでお願いします。

的外れでも全然いいんで。その中に新しい何かがあるかもしれませんし。
自分ならではの考えを書いていってください。
2無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 20:36:26
孫策暗殺の黒幕は郭嘉
3小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/05/25(月) 20:50:55
董卓はネ申
4無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 22:50:41
>>2
後の呉のこと考えると孫権黒幕説って可能性もあるよね。
5無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 22:52:16
その説は私釈三国志も支持してたな
しかしあんまり同意できないが
6無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 22:55:26
邪馬台国は実は小国。
7無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 22:57:06
孫権には西洋人の血が混じってる
8無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 22:57:50
1は死ね。
9ひょーりみ ◆e/dIJRgbGM :2009/05/25(月) 23:13:42
赤壁・夷陵などの火計は核兵器によるものだった!?
10無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 23:19:11
劉禅は劉備の実子ではなく趙雲の子
11無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 23:43:13
\(・◎・)/正解
12無名武将@お腹せっぷく:2009/05/26(火) 20:23:07
根拠的なのを書いてくれるとうれしいんだが。
13無名武将@お腹せっぷく:2009/05/26(火) 21:20:23
ここまで上がってるのはギャグをのぞけば
根拠は言うまでもない奴ばかりじゃないか?
珍説だが斬新なのはないと思う
14無名武将@お腹せっぷく:2009/05/26(火) 22:17:27
根拠を書こうぜ
15無名武将@お腹せっぷく:2009/05/27(水) 02:49:42
根拠的ww
16無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 19:18:50
リクソンって意外と孫権と仲悪かったんだろうな。

有能なのに赤壁とかでも前線から離されてたし。
シュウユいなくなって仕方ないからリクソンもってきたんだけど
孫権的には出世してほしくなかったんだおるな。
17ひょーりみ ◆e/dIJRgbGM :2009/05/28(木) 19:50:33
魯粛と呂蒙かわいそうです(;;)
18無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 22:19:38
実は四国志だったんだけど、いじめられて
史料から隠蔽されたもう一つの国があったのは
歴史家達には有名なお話
19無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 22:25:35
エンジュツって何気に先見の明がある
優秀な奴だったんじゃないだろうか?
20無名武将@お腹せっぷく:2009/05/29(金) 22:30:29
赤壁あたりって意外と記述がすくなくていろいろ考察されてるよね。
実は陸で戦ったんじゃないか?とか。
21無名武将@お腹せっぷく:2009/05/29(金) 22:51:51
22貂蝉:2009/05/30(土) 19:58:26
諸葛三兄弟。兄が呉、弟が魏。三人で事前に決めて、最初から、3つの国を作る予定だった。

それとも、生き延びるために、スパイ大作戦していたか〜〜?? ううん〜〜?
23無名武将@お腹せっぷく:2009/05/30(土) 21:30:50
>>22
情報送りあってたぐらいはしてそうだけどな。
孔明は謹に子供の成長の手紙とか送ってるみたいだし。
あの時代、手紙をどうやって届けてかはしらないが。
それだけのためにわざわざ届けるとは思えないし。
24貂蝉:2009/05/31(日) 04:30:08
龐統は、連環の計で、大失敗して、「あれは、呉のためだ」と嘘をついて、お人よしの魯粛を騙して、呉に就職。

龐統は、仕事はペケだが、口だけは上手く、世渡り上手。
25貂蝉:2009/05/31(日) 04:32:52
16> 陸遜は、年齢が若すぎるので、将軍たちと年の差が多いため、軍師として采配を振っても、従う将軍がいないだろうと・・・
26無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 13:04:11
おいおい、陸遜が若すぎるって何の冗談だ
呂蒙とあんま年変わらねえだろ
27無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 13:07:24
全然違うだろ
28無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 13:39:35
呂蒙>司馬懿>>孫権・諸葛亮>>陸遜
29無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 13:39:37
呂蒙178年生まれ
陸遜183年生まれ
30無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 17:11:18
5年ぐらいじゃさほど変わらないな。
後のこと考えるとやっぱ孫権には嫌われてたと思う・。
31無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 19:46:23
つーか後より前のことを考えろよ
陸家には孫策に遺恨があるので、ハナから微妙な緊張関係はあるでしょうよ
32貂蝉:2009/05/31(日) 22:08:37
 三顧の礼> 孔明は珍しくも、人命尊重主義の軍師であった。仕官する気が、全然無かった。

 天文気象学 天災地災を事前に知りたかった。災害の被害者を減らしたい+農作物の生産高を知りたい
 農学 医学 今でも、日本のシニアは 株を「諸葛菜」と言う。

 孔明が死ぬ時、子供たちに、「勉強して政治家になれ。なれなかったら医師になれ」と言い残した。

 天下三分の計 国が3つあれば、2つの国が戦えば、暇な国が漁夫の利! だから、戦闘期間が短縮され、戦死者が減る。孔明は、殺した敵の人数が多いと、哀しくふさぎ込んだりした。

 孔明は、退却させるが多かった。追ってくる敵の大将を谷間に誘い、生け捕りにして、和議を勧めた。

 10万本の矢 正史にはないが、勝った後、孔明が戦場の管理をして、敵の武器などをきちんと、持ち帰ったと、推察する。

 
33呉厨ではないが:2009/05/31(日) 23:09:29
呉は元々気性が荒い性格の将と志が大きく違う物同士が集まりすぎてたと思う。

そして、それを見事に束ねていた孫権の統率力。君主としての器は相当大きかったように思える。

孫権って実は三国志随一の統率力があったんじゃないかとも思う。

もともと赤壁の開戦前は開戦・降伏それぞれの派閥に別れ揉めていた。
それを孫権は迷いながらも開戦を決断し、その後は周瑜や他将兵を束ね上げ、赤壁を勝利へとつなげる戦いをさせることが出来た。

その後も、孫権は長男が死ぬ前までは善政を行い、将は纏まっていた。
長男を失い、孫権が狂いだした晩年からは歳のせいか、それとも病んでしまったせいなのか、その手腕は大きく衰退。

孫権が衰退すると、今度は後継者を巡ってまた派閥に別れた大きな内乱が起きる。
孫権死後、どちらの派閥も通らず全く想定外な7男の孫亮が継いでも結局内乱は収まらず。

その後、孫皓の時代には呉に希望を見る人は居なくなっていた。

いかに孫権が地味なようで実は偉大だったかうかがい知れる。
34無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 23:09:50
>>30
イリョウの時に実際にはすでにいい年だったのに
諸将から最初信任を得られなかったことを踏まえると
むしろ陸遜の側に何かしら問題があったんじゃないの?頼りげないとか
35無名武将@お腹せっぷく:2009/06/01(月) 12:09:51
36無名武将@お腹せっぷく:2009/06/01(月) 16:17:04
陸家は孫策の時にもう陸績が仕官してるわけで、他の四姓より早い。
遺恨のせいですべて片付けるのは無理がある。
37無名武将@お腹せっぷく:2009/06/01(月) 17:04:28
このスレでは常識論は必要ない
ネット知識人の無粋なツッコミは興醒めする
38無名武将@お腹せっぷく:2009/06/01(月) 19:42:07
>>36
その肝心の陸績も疎んじられて左遷され、早死という罠
39無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 03:20:41
おい、ちゃんとスレタイ読んでるか?
40無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 19:27:09
>>37
自分が非常識というのを正当化して妄言を平気で垂れ流す方が無粋
もっと遠慮するということを覚えたら如何か?
41無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 19:30:21
おい、スレタイ読んでるか?
42無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 19:30:59
三戦板でスレタイを読んで書き込んでる奴なんている訳ないだろ、馬鹿か
43無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 19:32:03
こういうファンタジーなスレにまでししゃり出て来る【常識人】…
44チャン ◆Wf3sMSgX/E :2009/06/02(火) 19:33:56
(´ν`)チャーン
45無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 19:47:28
また1はウソをついたのか
本当に脳みそがおかしいのではないか
46無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 20:00:29
リクソンあたり寝返りとか考えてそうだけどな。
蜀にはいけないが魏あたりに行けばかなり
上にいけそう。まして孫権より重く用いてくれるだろうし。
47無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 21:08:55
馬隆の弩兵には、孔明時代からの赤甲軍の老兵がいて、いろいろとアドバイスしてたんじゃよ
48無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 22:46:35
呂蒙が病床で後継者を押した朱然を差し置いて
大都督に任命された陸遜が信頼されていないと
49無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 00:10:49
そもそも陸遜の嫁は孫策の娘じゃないか。
50無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 10:28:28
夢がないね
思考停止したネット知識人とは話が合わないや
51無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 19:43:30
じゃあ50は来んな妄想カス野朗。
52無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 19:53:04
おい、スレタイ読んでるか?
53無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 20:00:53
>>52
お前が読め。声に出してハッキリ何度も読め。
54無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 20:06:03
しんせつさんごくし・おれはこうかんがえる

すでに議論されまくってる三国志で新説を探せば妄想気味になるに決まってんじゃん

文句垂れてないで君の【新説】を聞かせてくれよ。新説じゃないと駄目だからな
55無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 21:36:53
呉書で随所に非常に笑える内容があるのは
司馬炎が孫晧を笑わせる為にわざわざ載せるまでもない逸話を載せたというのが私の持論
56無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 21:47:09
陳寿って本心では蜀が正統だと思ってるよね
魏の本紀を立てたのは晋に仕えてるから仕方なく
そうでなかったら魏の即位の時の上奏などの文をごっそり無視して蜀のは採録する、とかありえない
57無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 21:48:43
>>56
新説っていうかそれ今までにさんざん言われてるよ
58無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 21:50:14
>>57
なんだ、曹叡袁氏説と同じで定説だったのか
59無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 22:15:17
新説

漢は劉備によって復興されていた
魏晋南北朝は漢を簒奪した李世民の捏造
60無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 22:16:32
>>50
59は夢がありまくりでいいだろ?
ま、三国時代のこともろくに知らんおまえに李世民が分かるかしらんけど
61無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 22:17:56
曹操が降伏させた青州黄巾賊は、先に泰山太守の応劭が撃破している
曹操が戦ったのは敗れたばかりの敗残兵
応劭は本当は希代の名将
62無名武将@お腹せっぷく:2009/06/05(金) 09:59:41
諸葛亮の食事に微量の毒を盛って衰弱させたのは姜維。
それを掴んで成都に真実を訴えようとした魏延に対し、
仲の悪かった楊儀をけしかけて反逆者として討伐させた。
そして、全ての罪を楊儀に押し付けて自殺に追い込む。

20年後、兵権を渡さない費イに対し、
元・魏将という立場を利用して郭循を取り込み、暗殺させたのも姜維。
そして、好き放題北伐を繰り返す本懐を遂げる。

さらに10年後、鍾会を抱き込んだのはその時の経験を活かしたもの。
本当は劉禅を弑して自分が独立したかったが、賛同者が少なく断念。
ちょうど攻め込んできた魏軍を利用して、劉禅を洛陽へ送還。
そして、いよいよ鍾会をけしかけて独立、その後は鍾会に罪を押し付けて…と企んだが、
やはり賛同者がいなかったのがネックとなり、鍾会もろとも誅殺された。

こんなモンでよろしいでしょうか(・∀・)
63無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 23:35:57
>>62
ヒイ暗殺の黒幕がキョウイってのはありえると思う。

ヒイはすごい勢いで出世するキョウイが
自分の地位を奪うのではないかと恐れていて
それゆえ、キョウイに大軍を出さず。1万の兵で
北伐と無理ばかり言ってんだろうし。
64無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 23:41:12
兄弟姉妹の名前が載ってるのに肝心な甄皇后の名前がわからないことに
何らかの意図を感じてしまう、ような気がしなくもなくない
65無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 00:16:52
孫家が余りに短命なため、孫権は自分が死んでもそれを伏せ
弟が替わりに孫権となり、死んだのは弟であるとせよと言っていた
その言葉通り何度か孫権の中の人は替わっていったが、傍目には世代交代もなく安定していた
ある日
陸遜「いい加減長寿設定にも無理があるからお前死ね」
孫権「本当の俺は30だぜ?やだよお前が死ね」
陸「俺だけじゃなくてみんな言ってるんだってば。死ねよ」
孫「やだってば。むしろ先にそいつら殺すわ」
わーわー
って感じで崩壊した
66無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 09:07:14
妄想でいいって予防線張ってるから盛り上がらんね
67無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 18:36:25
とりあえず>>2詳しく
68無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 19:31:51
>>67
>>2じゃないけど孫策が許都をつこうという動きをみせた時に殺されたから
暗殺っていう事を言いたいんじゃないだろうかね
69無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 20:20:26
袁紹との決戦が迫ってるとき
曹操軍の軍師が「孫策やべえ。動かれるとマズい」と警戒したが
「あんなもんほっとけ。すぐ死ぬよ」と言ったのが郭嘉
70無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 20:29:34
>>69
いつでもやれるって意味にもとれるな
71無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 20:46:09
孫策のことなら除州の陳登に任せておけばオkってのもあるから
72無名武将@お腹せっぷく:2009/06/13(土) 21:10:33
孫家は結構怪しい事おおいよね。

孫堅 孫策 とか権力争いでやられちゃった幹事するわ。
73無名武将@お腹せっぷく:2009/06/13(土) 22:36:31
曹操ってホントはそんなに頭良くない。
統率力がズバ抜けてただけだと思う。

賈詡にボロ負け。
官渡を制したのも許ユウのおかげ。
その後も曹操の計略はグダグダな戦略ばっか。
74無名武将@お腹せっぷく:2009/06/14(日) 18:33:52
頭の良さってのに種類があるからなんともいえんな。
そりゃ策を考えるなら軍師のほうが優れてたんじゃね。

その軍師の策の中からどれを選びどの将に任せ
とかをやってくのも頭の良さだよ。
75無名武将@お腹せっぷく:2009/06/14(日) 19:16:12
>>74
だから劉邦は天才なんだよ
76無名武将@お腹せっぷく:2009/06/15(月) 13:17:34
嫁がアレな時点で、劉邦に見る目があるとは言い難い
77無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 17:49:38
劉のあんちゃんは単なる傀儡だと思う
78無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:03:37
孫権は孫堅の実の子じゃない
(しかも孫堅はそれを知らなかった)
79無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:16:10
>>78
せめてそう考える理由を言ってくれよ
80無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:24:35
根拠はもちろん孫権の容貌

しかし母方の血筋はわかっているので紅毛人の血が混じる余地はなさそう
そして孫堅も孫策もそのような容姿の持ち主ではなかった
(しかも髭や眼の色の件をのぞいても、胴長短足の孫権の容姿は、
威風堂々とした体躯の孫堅や容姿端麗だった孫策には似ていなさそうである)

以上のことを踏まえると――

孫権は父親が違う
81無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:40:08
風貌だけかよ・・
先祖帰りって事もあるじゃん
82無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:43:04
孫権って洛陽に人質として送られた頃、曹操と会ってるよな?
83無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:47:41
いつ人質になった?
84無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:56:32
>>81
だってお前、書いた俺が言うのもアレだが、新説なんてこんなもんよw

…ただなんかで読んだ本で(三国志最強の武将は誰だ?だったかも)
【孫権が赤髭碧眼なんてのは遺伝学的に絶対にありえない。箔を付けるための後世の創作だろう】
って書いてあってな…。そこでは隔世遺伝的な可能性も否定されてたんで、
もし仮に容姿の記述が真実だとしたら…で考えたらこうなったわけよ

ついでに強弁すれば孫権は、戦上手だけど猪武者でうっかり者の孫策や孫堅とは
正反対で戦は下手だけど慎重な人だったしなw
85無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 23:19:27
母ちゃんが白人のハーフとかクウォーターの可能性ないの?
86無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 06:25:31
髪染めたんだよ
碧眼は・・・カラーコンタクトはさすがに無理があるしなー
87無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 12:22:12
アルビノみたいな感じで色素が薄かったんじゃないの?
88無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 17:52:06
髪は赤かったようだが目の色とか史書に記述あるの?
89無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 18:28:05
正史には「方頤大口 目有精光」とあるだけ。
演義で「碧眼紫髯」の特徴がつけられた。
恐らく、パッとしない孫権にわかりやすい特徴をつけるためと
演義が書かれた当時、中国南方は海外交易地として栄えていたから
エキゾチックなイメージを連想しやすかったため。


90無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 18:32:59
あと背が高くて足が短い?だっけ
91無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 18:47:26
胴が長くて足が短いんだろ
92無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 18:59:20
なんか昔の中国の名のある人ってみんな化け物みたいな人ばっかりだね
93無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 19:09:17
孔明の扇は実は十万本の矢をはね返すことのできるスーパーイージス機能がついている
94無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 22:58:17
曹操も短足なんだろ?
95無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 00:07:15
>>92
見た目の話なら中国では偉人には偉人とわかる人間離れした外見を持つと言われてるから
中国に限らず諸外国にも似たいい習わしあるよ
96無名武将@お腹せっぷく:2009/06/19(金) 16:55:16
曹操の場合短足というよりは、全体的に短・・・うわ、なにごt
97無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 13:44:25
考えてるんじゃない、思い込んでいるんだ。
98無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 18:43:03
赤壁は劉備が大活躍だった説。

詳しくはしらんが曹操の欄に
赤壁で劉備に負けたって書いてるらしいね。
99無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 15:52:00
孫権に負けたとは認めたくなかったんだよ
100無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 04:41:12
下手の考え、意味ナシス
101無名武将@お腹せっぷく:2009/07/04(土) 19:48:14
孔明はそれほど大した奴じゃなかったんだろうな。
北伐も一回も勝ちなかったし。キョウイは北伐で
大勝したりしてんのにな。
102無名武将@お腹せっぷく:2009/07/05(日) 16:44:46
>>98
赤壁での陸軍の主力は劉備軍だったって説は聞いたことがあるな。
一応劉備軍の兵力はあの時点で2万前後あったという説もあるしあながちないこともないと思うが。
103無名武将@お腹せっぷく:2009/07/05(日) 20:40:58
けどあの時劉備ってどこにいたの?
2万の兵は全員野宿してたのか?
104無名武将@お腹せっぷく:2009/07/05(日) 21:16:33
普通に考えれば夏口じゃね…劉gを忘れんな
105無名武将@お腹せっぷく:2009/07/05(日) 21:32:58
「勝ち」ってなんだ?
払った対価に相応する成果がなければ、勝ちとは言わん

ガキの殴り合いじゃないんだからさ
106無名武将@お腹せっぷく:2009/07/06(月) 17:02:41
>>101
ホント学習能力ねーな…
107無名武将@お腹せっぷく:2009/07/06(月) 19:07:59
>>101
久しぶりだな>>1さん
108無名武将@お腹せっぷく:2009/07/06(月) 19:14:17
>>105
それいったら孔明は一回も勝ってないよ。
109無名武将@お腹せっぷく:2009/07/06(月) 20:43:05
孫権が「碧眼紫髯」だったのは、赤壁で「力」を使いすぎたから。

合肥で負けたのは、急に「力」が暴れだしたから。

二宮の変をおこしたのは、「力」の使いすぎで別人格に体を乗っ取られてしまったから。
110無名武将@お腹せっぷく:2009/07/07(火) 21:49:32
>>101
もうちょっと勉強しておいで
111無名武将@お腹せっぷく:2009/07/07(火) 23:38:44
>>110
勉強してあれなんだよ
112無名武将@お腹せっぷく:2009/07/13(月) 19:58:55
孔明がそれほど有能じゃないのは正史見れば分かる事なんだけどね。
113無名武将@お腹せっぷく:2009/07/13(月) 20:24:24
孔明というのはチンコの隠語
114無名武将@お腹せっぷく:2009/07/13(月) 21:17:50
>>112
まだまだだね
115無名武将@お腹せっぷく:2009/07/13(月) 23:12:00
演義ほど万能タイプではないけど優秀である事に異論をはさむ者はいない
116無名武将@お腹せっぷく:2009/07/16(木) 20:29:14
褒めるほど優秀でもない気がするがな。

曹操 劉備と比べても大した事してないよ。孔明って。
117無名武将@お腹せっぷく:2009/07/16(木) 21:30:45
孔明マンセーはキチガイ
118無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 03:36:06
諸葛家ばらばら
機を見て一斉に謀反
諸葛国誕生
119無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 06:53:57
>>103
夏口だよ
襄陽→江陵ルートで荊州南部の人と物資を集めつつ関羽に船団を任せて、
さらに劉キに別行動させて荊州軍の対孫権用に用意されてた江夏の兵力を集めてる
劉備が集めた部分は曹操に散々追い散らされちまうけど、関羽の船団、劉キの軍団はほとんど無傷で
この時劉備が手元に置けた兵力は2万くらいはある
120無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 16:15:59
>>115
ネットで情報集めはじめたにわかなんかは異論をはさみたがるよw
中二病みたいなもんだと思うけど
121無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 16:19:36
あと>>1みたいな正史読みたての子はアンチ孔明に染まりやすいなww
戦上手だと思いこんでたのが期待を裏切られて、
反動かなんかで嫌いになって
まともな評価ができなくなるタイプw
122無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 16:22:21
演義とかで「孔明タンすげーwwwww」ってなった子供がいざ史実を知ると
「なんだよ!思ったほど凄くないじゃんかよ!!!」
という憤りをぶつけてるだけだろう どっちにしろ無知なだけだが
しかし実務において孔明は優秀だと言うのは異論はないが極めて優秀だったかというと疑問
史書では義を重んじ見を投げ出してまで政務に取り組んだ公明正大で清廉潔白な人って描かれてる訳だし
123無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 17:26:39
諸葛亮は3つある

1演義の諸葛亮(演義フィルター)
2正史の諸葛亮(陳寿フィルター)
3史実の諸葛亮


史実の諸葛亮を理解するのは無理。できるのは状況証拠から詰めていくことくらいだな。
124無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 18:06:56
諸葛亮は無能なやつが兵糧輸送をしていたために惜しくも撤退したことがあったはず。
125無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 18:37:57
>>124
孔明の人事最悪と言いたいのかな
126無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 21:42:18
孔明は自分に向いてない事も自分でやるから
上に立つ人間ではない。

劉備の相談役の一人としては優秀だったかもしれんが
全軍を率いるTOPとしての才能はおそらく当時でも
下のほうだったと思われる。決断力のなさも痛い。
127無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 23:18:24
諸葛亮には劉備の相談役としての実績など殆どないよ
劉備から離れた場所に駐屯して軍を統括する仕事で出世した人物だから
128無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 23:22:49
>>126
先鋒が負けた時点で敗勢を察して即座に退却なんて決断力ない奴にゃできねぇって
普通は身内からの突き上げが怖くてギリギリまで粘って被害を拡大するもんだ
129無名武将@お腹せっぷく:2009/07/20(月) 00:59:52
郭沖の評をハイチュウが振った斬ってるのが快感
130無名武将@お腹せっぷく:2009/08/30(日) 18:03:48
>>127
大元は三分の計を劉備に教えたから重用されたんじゃないの?
131無名武将@お腹せっぷく:2009/08/30(日) 18:06:36
んな程度で重用されたら苦労はしない、その後の実績が無けりゃ出世はできない。
132無名武将@お腹せっぷく:2009/08/30(日) 18:11:02
劉備の補佐、という位置で働いていたらしいのは最初の二年位かな。
しかも官位の記録がないから、客人的な扱いだったかもしれない(それはそれでかなりの厚遇だ)
この時期、実績として明確に残るのは呉との同盟締結くらい。まあ、これが歴史を変えた大功績だけど。
133無名武将@お腹せっぷく:2009/08/30(日) 18:19:54
>>123
4平話の諸葛亮

天候を自在に操り、豆から兵士を生み出す超人
134無名武将@お腹せっぷく:2009/08/31(月) 14:06:04
>>128
まず出兵しないし
ろくに経験がないやつを抜擢しないよな
135無名武将@お腹せっぷく:2009/08/31(月) 20:18:41
136無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 19:55:09
なんで劉備って孔明仲間にする前に軍師とか探さなかったんだろう?
曹操とか軍師っていうか頭のいい奴集めまくってたのに
137無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 20:06:24
妻子だけで40人近い曹操と
関張と側近含めて10人程度の劉備

本拠地を維持した時間の差だろうな
138無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 20:56:15
参謀はいたかも知れないけど大した人物は見つからなかったんじゃね?
139無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 21:29:27
やっぱ孔明仲間にする前は劉備が一番頭良かったんかな。
軍師的な面も備えてたのかね。あるいは関羽がやってたんだろうか。
140無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 21:34:23
そもそも孔明は軍略を考えるような人ではなかったがね
141無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 21:50:56
>>138
徐州時代の配下に陳羣がいたじゃないか
世界史の教科書に載るような奴だぜ
142無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 21:53:44
>>141
細かいけど陳羣は豫州刺史時代ね
陳登も劉備を敬愛していた
他にもいたかもしれないが、大方は根拠地の失陥と共に離れていったのだろう
143無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 23:38:50
呂布漢朝忠臣節

帝を蔑ろにする董卓を切る
帝を傀儡として扱う曹操と対立
劉備を初めは皇族として厚遇するも、後に単なる任侠者と分かると対立
偽帝を名乗る袁術と対立
144無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:03:59
劉備ってやたら遠回りしたイメージだけど。なんで地盤を固められなかったんだろうか。
145無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:12:18
負けたから
146無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:33:37
>>143
結構よくある説だと思う
147無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:35:10
>>143
なぜ養父を斬ったのか説明できれば完璧だけどね
148無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:39:25
丁原ってもともと評判よくないんじゃなかったか
149無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:41:59
>>147
あと曹操と戦ったころはまだ曹操献帝を傀儡にしてないこともな
150無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:49:00
丁原は異民族と仲良し

漢民族にとって異民族は敵

仲良しの丁原も当然同罪

だからぬっ殺した
これで納得
151無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:51:51
それでも違った異民族派の董卓につくのはおかしくないか?
152無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 20:55:01
それは後で殺す為だよ
あの時点ではどう考えても勝ち目は無いし
側近になれば殺す機会も増える
153無名武将@お腹せっぷく:2009/09/02(水) 21:10:17
董卓は軍事力で及ばないので執金吾丁原を暗殺して呂布と共にその兵力を吸収した
154無名武将@お腹せっぷく:2009/09/04(金) 20:27:13
袁術実は凄かった説。

あの時代に皇帝を名乗るなんてのはかなり
時代を先取りしてるし。
155無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 06:10:50
>>143の説に沿って考えるなら、呂布は董卓ならば帝を擁立して漢室を復興できると考え、あまり評判の良くない丁原を斬り配下になった
と言うのは考えられないかな?
>>154
エン術は普通に凄かったと思うぞ
156無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 08:05:28
皇帝の僭称により、部下は離反するわ外交的にも孤立するわで自滅したんだし、
「時代を先取り」より、「時勢が読めなかった」の方がしっくりくる
157無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 13:09:41
袁術は十分天下を取れる位置にいたのに勿体ない
158無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 13:19:36
袁術が天下を取れなかったのは…

第一に切り札の孫堅を失ったこと
第二に孫策の扱い方を誤ったこと
第三に一度は追い出した呂布を頼ったこと
159無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 17:07:36
皇帝 袁術
丞相 張昭
大将軍 孫堅
配下武将
孫策 程普 黄蓋 韓当
袁渙 紀霊 張勲 橋ズイ

これなら天下取れた
160無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 21:32:06
それやると袁紹の支援を受けた曹操という、極悪なタッグを敵に回すぞ。
袁紹対公孫サンは消化試合だし
161無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 21:42:10
それを消化するのに192年から199年まで掛かるなら、
エン州を固めるかどうかも怪しい時機の曹操を相手にするだけでいいね
162無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 22:53:47
劉表どうすんだよwww
163無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 22:57:42
襄陽を包囲下に置き救援に来た黄祖を破るところまで行った人間が生きているというifだから推して知るべしだな
164無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 22:57:58
袁紹VS公孫サン 袁紹の勝ち
劉表VS孫堅    劉表の勝ち
曹操VS袁術    曹操の勝ち

このオワタムードどうすんだよ
165無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 22:59:29
天下分け目の官渡の戦いをボケッと後ろから眺めてたような奴だから大丈夫
166無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 23:00:20
>>165
劉表は当時、孫権の猛攻を受けてた黄祖のフォローで手一杯だったんだが
167無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 08:24:46
袁術からの援護ありの孫堅なら黄祖を倒すのにそこまで時間はかからんだろう
劉表にも十分勝てる
168無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 11:10:39
それやったら曹操・呂布・劉備の誰かしらが劉表援護するんじゃないの?
169無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 12:25:54
劉備は当時公孫サン陣営
呂布はまもなく李カクに追われて袁術に身を寄せる頃
170無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 13:29:13
ああつまり、「孫堅が劉表を倒していたら?」てIFなのね。
でその後も順調に袁術が勝ち続けると、なら袁術の勝ちだわな。
171無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 20:13:11
それだと最終的には袁家対決になりそう
172無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 20:24:36
なんか孫家が劉備に妹を嫁がせたのが
劉備を皇帝にして孫家がサポートする体制を狙ってた
みたいな推測をどっかのサイトで見た気がするんだが。

個人的には曹操も狙ってたんじゃないかな。劉備に結構な
位を与えてたし。副将軍だっけ。
173無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 20:50:38
皇族の代わりなんていくらでもいるだろ
174無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:00:20
>>172
そんな殊勝なこと考えてたんなら
劉備に上表させて車騎将軍になったりしないよ
曹仁の駆逐後、車騎将軍孫権>左将軍劉備
という実力と名号の一致した同盟関係になる
175無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:10:42
>>174
「行車騎将軍」だからそれは微妙だよ
劉備は正規の左将軍だが孫権は代行
まだ見習いみたいなもんだ
両者の上下関係をどっちとも取れる微妙な状態にしたんだろう
176無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 21:13:17
劉備は神輿にするには自己主張が激しすぎるだろ
177無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 22:17:18
劉備といえばホウ統の死は劉備による暗殺って説をどこかで聞いたんだが、知ってる人いる?
何を根拠にこんな説が出たんだ?
178無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 22:59:12
>>160
消化試合とか…

お前袁紹が公孫サン相手にどんだけ苦労したかわかってねーな
179無名武将@お腹せっぷく:2009/09/07(月) 13:12:49
>>177
考えられるのはほう統の劉備に対しての態度とか

つーか流矢で死んだのに、暗殺もクソも無いと思うがw
180無名武将@お腹せっぷく:2009/09/07(月) 17:49:03
法正は孔明に暗殺されたっぽいな。
181無名武将@お腹せっぷく:2009/09/07(月) 19:17:14
孔明って未来の日本からきた奴なんじゃね?
182無名武将@お腹せっぷく:2009/09/11(金) 21:31:37
夏侯覇は司馬懿によって蜀を内部から瓦解させる為に送り込まれた刺客
という説を挙げてみる。

夏侯覇は司馬懿から逃亡した様に見せ掛け入蜀。
蜀入り後まずは姜維に取り入り、共に北伐をゴリ押し。
費イが北伐に邪魔だと分かると、魏から郭循を送り込み、費イを暗殺。
邪魔物が消えると姜維の暴走を後押しし、国を疲弊させる。
また戦場では、ばれない程度に足を引っ張り魏を援護。
段谷でトウ艾に動きが読まれていたのも、夏侯覇が情報を魏側に漏らした為。
結局蜀滅亡前に死んだが、蜀は大きく衰退した為、夏侯覇は役目を十分果たしたと言えるだろう。
183無名武将@お腹せっぷく:2009/12/12(土) 19:23:05
てs
184無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 04:09:11
司馬攸人質説
倹「お前を司馬当主にしてやるから一緒に司馬師おろししようず」
昭「mjk?大チャンスktkr?」
師「やっべ、身内にまで裏切られたらたまらんわ」
司馬師の11の罪ってカンキュウケンから司馬昭に向けた裏切りの誘いだったんじゃないだろうか
それに満更でも無い素振りを見せた司馬昭に危機感を感じた司馬師は
当時最も司馬昭が可愛がってた司馬攸を養子にした
そんで死に際口をついた言葉が「他人を信じるな」

最後のくだりはどっかのレスから得た知識だから信憑性は無いものとしてくれ
185無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 11:41:01
あげ
186無名武将@お腹せっぷく:2010/09/12(日) 11:30:47
さげ
187無名武将@お腹せっぷく:2011/01/15(土) 09:00:14
三国時代などなかった
188無名武将@お腹せっぷく:2011/01/15(土) 09:17:39
陳舜臣の八百長説は、案外いいかも

日本の戦国時代でも、下からの突き上げで仕方なく戦に行くけど
裏で談合してた、なんて結構有るから
189無名武将@お腹せっぷく:2011/01/15(土) 16:50:22
>>182
それなら姜維でいい。費禕がなんで死んだと思う
190無名武将@お腹せっぷく:2011/01/24(月) 17:01:44
曹叡の母は実は殺されず、倭に追放されて卑弥呼になった
191無名武将@お腹せっぷく:2011/01/28(金) 19:06:36
それ、貂蝉の方が良くない?
192無名武将@お腹せっぷく:2011/01/30(日) 18:29:03
>>188
>裏で談合してた、なんて結構有るから
そんな例多く知ってるなら教えてくれないか?
193無名武将@お腹せっぷく:2011/04/17(日) 09:19:35.03
tes
194無名武将@お腹せっぷく:2011/06/08(水) 23:45:24.53
            人人人人人人人人人人人人人人人_
           >   そうなんだ、すごいね!      <
          ´ ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
     (\                                 /)
     //                                 \\
   //                                     \\
   \(_____                        _____)/
    \___  \_                  _/  ___/
         ( ^L^  \               /  ^」^  )
          \⌒ (\\_/)     (\_//)  ⌒/
            \ \\_/       \_//  /
            /_ │              | _ \
           / / l │              | l  \ \  
          ││  \\____   ____//   .||
          ││    \___ ) (  __/     || 
          (/         (/  \)         \)


195無名武将@お腹せっぷく:2011/06/09(木) 00:47:11.27

   曹操は横で食べてる人の食事も横取りしていた。

196無名武将@お腹せっぷく:2011/06/09(木) 18:51:25.07
ドSと献帝って実は仲が良かった
197無名武将@お腹せっぷく:2011/06/11(土) 16:12:17.39
呂布が、テイゲンを殺した一番の理由は、
テイゲンが、呂布の実父の暗殺者だったから。

妄想に近いね。
198無名武将@お腹せっぷく:2011/06/11(土) 18:01:06.18
スレタイ
【珍説三国志】僕はこう考える
に変えるべき内容ばかりだな
199琥珀 ◆Y3QOlaygLcAw :2011/06/11(土) 23:55:53.94
張コウは3人居た
二人目の張コウが死んだ時に
私が死んでも代わりは居るものという
有名なセリフを残した。
200無名武将@お腹せっぷく:2011/06/12(日) 01:40:29.30
「ユキチカの時給がビミョー」といってるようなものだ
201無名武将@お腹せっぷく:2011/07/31(日) 00:23:07.78
びみょ〜
202無名武将@お腹せっぷく:2012/02/24(金) 21:53:01.86
献帝は本当はドMだった
203無名武将@お腹せっぷく:2012/04/02(月) 20:29:50.11
曹操はドSだった
204無名武将@お腹せっぷく:2012/09/17(月) 11:21:32.86
三国時代は霊帝の仕掛けたブック
205無名武将@お腹せっぷく:2012/09/17(月) 18:41:16.62
>>197
そんな小説あるよ。
冒頭からいきなり丁原に掘られる奉先少年「あーっ!」な展開だったから読む気失せたけど
206無名武将@お腹せっぷく:2013/09/12(木) 00:40:08.56
>>205
詳しく
207無名武将@お腹せっぷく:2014/02/12(水) 22:14:40.91
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな

>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな

子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ
208無名武将@お腹せっぷく:2014/07/14(月) 20:34:39.23
>>206
たしか呂布が主役の小説じゃなかったかな
209無名武将@お腹せっぷく:2014/07/14(月) 21:31:24.94
210無名武将@お腹せっぷく:2014/10/22(水) 00:10:19.22
そういえばPHPの高坂昌信主役のやつも信玄に掘られていたなあ
211無名武将@お腹せっぷく:2014/10/22(水) 10:28:20.23
高坂昌信はまあ実際に寵童上がりだからそんな違和感ない
212無名武将@お腹せっぷく:2014/10/23(木) 20:07:54.17
費イが成り上がって行くたびに目の上のたんこぶが怪死していく不思議
213無名武将@お腹せっぷく:2014/11/26(水) 16:04:36.73
214無名武将@お腹せっぷく
発見されてないだけで実は鐙はあった