1 :
無名武将@お腹せっぷく:
時期は秀吉が天下統一を成し遂げた辺りで。
弱小だと思ったら攻めてくるんじゃないかな? もしくはどこぞに占領されているんじゃないのかな。
諸外国の評価は高かった・・と、思いたいのぅ
もしくは、雑魚の小島国なんて相手してらんねーwwwwと、思われていたか。
オスマンやムガールの集中砲火で全滅。以上。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 20:01:10
日本VSヨーロッパ。ガチでやったらどうなるかね。
イングランド 70
フランス 70
オスマン 400
ポルトガル 50
スペイン 180
ムガール 200
日本 100
李朝 20
明朝 300
当時 新羅には勝てるくらいの軍事力はあったのか?www
攻めたくらいだしなぁ・・
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 20:08:16
オスマン・サンコンですか?
三戦板の戦力は、世間で通用するか
調べてみると、エリザベス、アクバル、アッバース1世がいるな。かなりきつそうだ。
オスマン信者がいるようだが、当時のオスマンと日本の人口であんま変わらんぞ。
明 1億
ムガール 5000万
オスマン 2000万
日本 1700万
スペイン 700万
イギリス 400万
大体こんな感じだったと思う。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 20:11:29
アジアではトップクラスだべ?
>>11 この時代は西欧のほうが辺境じゃなくて?人口とか生産力で比べたら。
日本に来た宣教師の披露した医学は実はイスラム医学。
イスラム教徒が書いた医術書を翻訳してそのまま大学で教科書にしていた。
そういう時代ですよ。
あれじゃね?
ぶっちゃけ 当時、その国の軍事力がどうとかって、その国が戦争してたか否かじゃね?www
例えば、内紛真っ只中や、諸外国いざ攻めこまん、又は戦争中という状況なら当然すごい軍事力持ってるだろうし、
逆に治世や退廃しているのなら、軍事力は無いに等しい。
日本、時は戦乱真っ只中、 というか、ぶっちゃけ日本の軍事力は世界大戦時代を除いて ピーク時といってもいい。
ゆえに結構凄かったんじゃね?wwwwww
15 :
果物キラー ◆HsllULLyvA :2008/01/14(月) 21:01:30
戦国日本の鉄砲保有数は、世界でもトップクラスだった。食料の自給率も高かった。
これだけでも、当時の世界では十分に強い。
また、日本には四季が存在し、地形も複雑であった。兵士も戦以外では、農業や工業に従事して常に鍛えられていた。
兵士の身体能力や適応能力も高かったはず。
集団対集団の合戦が、前の時代より目に見えて多くなった戦国時代。
以前から集団合戦は行われていたものの、教科書や大河ドラマでは戦国時代の合戦を多く扱う。
それは、知名度の高さもあるだろうが、それだけ見る要素のある、言い換えれば様になり始めた時期だろう。
武将という言葉がメジャーになり、集団を指揮官が引っ張るという近代的な軍事統制の基といえる形式になった。
鉄砲の三段打ちは、
火器 + 指揮官 + 集団合戦
の好例であろう。
文禄慶長忘れたか
ひょーりみ軍
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 21:28:52
確かに日本は陸戦では当時最強と言ってもよいが
同時代のアッバース1世は砲兵隊を組織してあのイエニチェリを蹴散らしています。
当時はイランも最強である。
■陸戦三強(質的な意味で)
オスマン、日本、サファヴィー
■人口、兵力なども考慮
明>>>ムガール>>>オスマン=日本>>>サファヴィー
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 21:44:45
珍しくこれは良スレ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 21:46:32
明は数が多いけど兵の質はどうかと思う
新作のエリザベスの映画でも見ろよ。東西の火力の違いがわかるぞ。
あれに唯一対抗できたのがオスマン艦隊。
西欧=オスマン>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>>>極東の馬鹿ども。
>>22 明軍は火力は充実しているはず。命中精度はともかく単純な火器配備数などでは
世界で一番多い。慶弔の役以降は日本式の銃も相当配備されていた。
攻城戦では投石器で強力な爆弾を投げ込んで日本側をかなりビビらせていたようだ。
何の本は忘れたけど、明が日本とトルコ製の銃の比較実験とかしている
エピソードが残っているらしい。
文禄慶弔でも銃筒は結構使用されていたけど、火縄銃に比べたら性能は相当落ちる
だろうな。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 21:53:31
>>24 兵そのものの質はどうかと、明が衰弱したのも日本と戦って国力を使ったのも一員だし
>>27 そんなのは明の衰亡の要因のほんの一部でしょ。
無敵艦隊>>>(越えられない壁)>>>鄭和艦隊>>>(越えられない壁)>>>>信長の鉄鋼船団
これが現実。エリザベスみろや!!!
兵の質とは?単純な戦闘力なら明兵の戦闘力は高い。実際、朝鮮に派遣された
明の兵力は日本側より少ないにもかかわらずそれなりに善戦している。
まさか明軍二十万が島津義弘を攻めたというエピソードを鵜呑みにしているのではあるまいな。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:00:50
>>29 無敵艦隊はシャムで山田長政率いる傭兵軍に撃沈されてる
信長の鉄甲艦はそもそも狭い海域の戦いの為に発案され無敵だった
公海で戦うのとは質が違う
だからエリザベスをみろや
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:02:37
>>30 島津の時もそうだが明朝連合は、陸戦じゃ日本軍にまったく勝てなかった
当時の明の兵って農兵でしょ?
>>31 亀甲戦信者の朝鮮人なみにめでたいことを言っているな。
だから映画みろや。レベルが違うから。
一国挙げればそこそこ通用するだろ、きっと。
通用するかしないかなら通用するだ。
どこより強い弱いは比較できんだろ。
>>33 明兵は強いですよ。鎧兜も軽くて丈夫な物をしようしていました。
編成は良くわからないけど、プロに近い遼東軍と徴兵軍が混じっていたと思う。
質の悪い軍はむしろ国内に回されて、精兵は外に出されてたんじゃなかったっけ?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:08:26
>>34 だからもともと船としての質が違うの
早く走れる馬と、小回りが利く馬を一緒にするようなもの
オランダごときに手こずりまくりの無敵艦隊を賞賛しまくるスレはここですか?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:13:24
信長の甲鉄艦は当時最新鋭な画期的な船、なぜそれを他でも使わなかったのと言う疑問がわくが
あくまでも狭い海域でしか使用できなかった船
よくある誤解。
@明軍は質より量の軍隊。
質の良い軍隊も悪い軍隊もいた。火器は当時としてはかなり装備率は高いほう。
むろん日本ほどではないが。
A欧州の軍は火器が整っている。船団がすごい。
すごいのは実はスペインとヴェネチアくらいでその他の国は一般にイメージされる
ほどでもない。
B当時の最強の火器の帝国はオスマン帝国である。
単純な火器数では明。質も考慮するとムガールのほうが火器の帝国だったと思われる。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:19:01
そういやモンゴル軍は何してたの?
>>43 清(後金)の属国になり、明や朝鮮征伐のお手伝いをしていました。
正直、この時代の地域比較は学者もよくわかってない気がする。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:22:49
エンパ3では信長の鉄鋼船、最強クラス扱いだったな。
そして反則的な明軍の強さ。修正入るだろうけど。
>>46 知らない。よくわからないど満州族に簡単に負けたみたい。
時代を超さかのぼってスパルタが最強。
戦国時代の日本の軍事力は戦国マニアが思っているほど強くはなく、
外国人が思っているほど弱くもないという程度だろう。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:27:24
日本は陸軍は強そうだが海軍は弱そうだ。
当時は海軍が強い国が主導権を取っていた感じがする。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:28:01
時代をさかのぼって恐竜最強
恐竜って本当に強いのか?
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:30:41
>>51 当時の日本には海軍といえるのはない
あくまでも国内海戦用が主力
まあ政宗がスペインに使節送ったり大型間の建設能力自体はあったけどね
トリビア
島津義弘に負けた明将、楊コウはその後、ヌルハチにも負け責任を取らされて
処断された。
56 :
聖天使ザビエル∬》`_ゝ´》つ† ◆llkBnTV0DI :2008/01/14(月) 22:31:43
イスラム教徒軍VS本願寺
命いらずの過激派同士の戦い。人口激減は確実!
またスペイン厨か。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:32:08
>>53 人間は素手なら本気になった猫にさえ勝てないらしい
>>56 ムハンマドとかアリーが信長の野望に出てきたら、天下統一最有力候補になりそうだな。
騎馬軍団が強いから武田家と熾烈な戦いを繰り広げそうだ。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:34:42
日本は四方を海に囲まれながら、海軍といえるものがまともに世界トップ基準で作られたのは日露戦争の時が始めて
>>58 人間最弱確定か・・・呂布とか関羽とか、いままでレベルの低い話をしていたんだな。
もし三国志に教祖たちが登場したら・・・
ムハンマド 曹操クラスの化け物
モーゼ ミニ張角か?
仏陀 普通の賢者
キリスト 通行人
>>62 まあムハンマドは武力以外は満点に近いとは思う。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:40:41
イスラム教徒はおこるかも知れないが、ムハンマドは一介の商人からのし上った乱世の姦雄
>>64 ムハンマドはどう見ても曹操です。張魯と違って膨張路線を突っ走っているから。
しかも生涯勝率は9割近い。(前線で指揮するのが大好き。どうみても軍人です。)
キリストよりも、カエサルかなんかと比較したほうがそれらしいくらい。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:45:04
日本にも信長と並ぶ稀代の戦略家といわれる蓮如がいたお
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:46:59
張露って統治者や政治家として実はかなり凄いらしい
曹操に下った後も信仰者を増やし世を全うした
でもアレだよな、戦国時代は別として
世界大戦の時は諸外国はかなり日本は戦争が強い国だと思っていたらしいなwwww
モンゴル人が漢民族を馬鹿にしまくったんであちらこちらで反乱が起きまくって最終的にその反乱をまとめた指導者に
負けたっちゅーわけです
書くとこまちがえたー
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 22:55:21
>>69 まあ列強のひとつではあったから列強意外と比べれば強いだろうね
当時列強は米、ソ、英、独、日ぐらいだし
日露戦争で大国ロシア破ったしなあ・・
アレは日本もヘロヘロでたまたまロシアで革命が起こっただけ
ヘロヘロっていうか、ほぼ全軍投入してロシアの一部を占領しただけじゃ
でも、勝ちは勝ちだがな。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/14(月) 23:45:07
海軍がない当時の日本軍は世界に通用しないでOK?
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/15(火) 01:22:13
>>74 まあ運もあるが、それを引き寄せたのが明石で明石を使ったのは児玉
78 :
果物キラー ◆HsllULLyvA :2008/01/15(火) 01:39:33
戦国時代に日本という国はあったのか?
天皇を一貫して頂いていた、一度も植民地にされず、国民の自由が他民族に侵されなかった。
だから独立していた、というのは後付け論ではないか。
天皇陛下を蔑ろにし、国中が各大名家に分裂して内戦を起こしていたのに、日本はまとまっていたと言えるのか。
仮に戦国時代の日本が他国と戦争するとして、各大名は一致団結するのか。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/15(火) 01:55:43
公式の日の丸もあったよ
各大名が幅を利かせてたけど同じ日本人と言う意識はあった
元が来襲したときも土地狙いとはいえ全国の武士が一致団結した
80 :
茄子与一 ◆qbzWkHaCqM :2008/01/15(火) 02:19:36
そういえば長尾為景が朝廷から日の丸を貰ったな
鉄砲の性能の差によると思う
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/15(火) 17:05:21
仮に秀吉が、アメリカに目を向けていたら、落とせただろうか。
っ輸送手段は抜きにして。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/15(火) 17:12:06
アメリカってインディアン子化しなかったんじゃないの?
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/15(火) 17:17:59
アメリカ本土はあまりにも大きいから…秀吉の代である程度イケてても、秀吉死後は欧米列強に追い出されるかも…。
今の日本のニーズに合わせてハワイなら確実…かな?
>>69 ソ連は日本を過剰評価していた。
イギリスは日本を相当、過小評価していた。
敗戦直後、「日本は終わった」これからは「中国の時代」といわれる中、
スターリンは30年後に日本はよみがえると予言していた。閣下はただの
粛清マニアではない。
過大評価だ・・・間違えた・・・。
国崩しを搭載した軍船を大量に保有していれば
戦えたかも。
>>75 もう少しロシアに打撃を与えていたら12年早くソ連が誕生していたかもよ。
ただし教科書にはトロツキーのほうがデカデカと乗っていたかもしれない。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/16(水) 17:20:32
アメリカに侵略して、仮に落としたら、今の世の中大変な事になるね。
アメリカは徳川家康が赴任し、日本は豊臣秀頼が治める事になるのかな。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/22(火) 16:25:13
イスパニアと手を組む
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/27(日) 15:00:32
w
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/31(木) 19:02:56
【世界史板住人曰く】
19 :日本@名無史さん :2006/12/14(木) 13:35:14 0
日本史板では「信長が長生きしたら世界征服したはず」と真面目に語る馬鹿が多い。
世界史板の皆さん、ごめんなさい。
20 :世界@名無史さん:2006/12/14(木) 16:51:33 O
信長ねえ
頑張って半島攻め入るだけぢゃないか?
維持できるとは思えんが
21 :世界@名無史さん:2006/12/14(木) 18:16:12 0
桶狭間で今川義元の位置をリアルタイムで完璧に把握して奇襲したり、
鉄砲三段撃ち戦法の圧倒的火力で武田騎馬軍団を簡単に蹴散らす
パラレルワールドの信長なら可能かもな。
93 :
現代に顕われた織田信長の霊:2008/02/02(土) 13:30:33
http://www14.atwiki.jp/415mattari/ 篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。
皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。
現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。
不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/08(金) 09:36:20
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/10(日) 21:27:14
オランダには勝てた
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/13(水) 20:55:28
またまたぁw
>>92 お前の自演かそれ?
信長を称えるスレは世界史板にもあるよ
戦国時代当時だったらなんとか・・・・
第2次世界大戦でも終盤は日本は中国に押されてたって聞くし
武器が多少良くても兵力差はバカにできんよ。
100get!
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/22(金) 09:46:34
兵站拠点維持構築重要有
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/24(日) 11:48:21
中国人乙
まぁまぁだと思うよ
日本人は粘り強そう
日本は辺境の局地戦には強いだろうけど、
日本にはないような大平原や砂漠の戦いになったら、
中東や中央アジア、東欧の鉄騎兵や竜騎兵に翻弄されそう。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/27(水) 23:22:34
なんてレベルの低い厨板なんだろうか
ここはゴミ溜めにしか映らんな
ではあなたの御高論をお聞かせ願おうか。
さぞかし見識が高いのだろう、楽しみだ。
>ここはゴミ溜めにしか映らんな
>ここはゴミ溜めにしか映らんな
>ここはゴミ溜めにしか映らんな
>ここはゴミ溜めにしか映らんな
>ここはゴミ溜めにしか映らんな
>ここはゴミ溜めにしか映らんな
>ここはゴミ溜めにしか映らんな
?
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/01(土) 14:46:55
日本の軍勢は奇襲が得意?
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/03(月) 21:03:01
日本人は士気による強さの差が激しい
あげ
>>69 アメリカ以外と戦えば、余裕で勝てるとはおもうけどな
日本海軍の不幸はアメリカと戦った事だ
>>85 そりゃ、降伏した後に日本へ侵攻しようとして日本軍残党に大敗して
北海道から海に叩き落されたら評価も上がるんじゃね?
報復としてそれらの将兵は全員シベリア送りにしたが相当頭にきてたみたいだし
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/08(土) 11:44:41
スターリソって重病を患った時、放置されて死んだんだっけ?
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/12(水) 21:14:08
独裁者の最後なんて、概ね哀れなものだ
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/13(木) 16:58:14
残念
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/14(金) 08:14:42
>>1は何で都合よく秀吉の統一あたりで、みたいなカスなこと言ってるんだろう?
もうちょっと時代伸ばせばすぐ海外の戦力が具体的な比較対象として輸入されて
くるにもかかわらず・・・
( ^ω^)むつかしいお
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/17(月) 19:26:40
世界で通用するか?って言われれば微妙なんじゃないの?
とりあえず近代的な火砲は曲がりなりにも揃えているから、
当時のフランスやイングランド軍と戦っても互角には戦えるだろうし。
純粋な戦闘技術だけで見ればそう弱いというほどでもないと思う。
ただ、陣形だとか包囲戦術への習熟度、地形なんかの諸条件で随分変わるんじゃないのかね。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/18(火) 03:02:56
鉄砲足軽なんて兵科があるのは日本くらいかな?
火力は中々なんじゃないの?
最初は押せるかもしれないけど、
すぐに研究されてやられそう。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/19(水) 09:20:00
マジレスつけるならば、半島で失敗した事実が全てを証明していると思うが・・・
太閤は途中で死んだけど、死ななければとか言い出すと人間の寿命という概念も
崩壊するからね
戦術的には勝てるけど補給がウンコってことか
いかにもだな
>>122 日本人もウンコを食えてたら朝鮮を支配できた
敵国1つとタイマンで戦争できるわけでもないし、
実際半島一つ落とせなかったんだから、それが限界だろうね。
いくら軍事力があっても、海を渡っての遠征な上に補給線という弱点があり、
相手も連合してくるとなれば、勝ち目は無いでしょ。
中国北部の勢力なんかと話を付けて、明を牽制してもらえれば
半島出兵ももう少し面白くなったかもしれないけど。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/19(水) 23:10:21
明軍は勝てる見込みが立たず和睦したがっていたし
補給活動はそれほど苦戦してたわけではない。
李瞬臣を過大評価するやつがいるが実際は戦況を左右するような影響を与えていない。
少なくとも朝鮮南部の領有化は可能だった。
だが100年後も海を渡って維持し続けるとなると難しく、あまりに貧しい土地を維持するメリットもまるでない。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/19(水) 23:27:49
世界どころか、韓国に攻め込んで、あっさり負け取るやないですか
常識的に兵站線とか考えたら、絵空事だとわかるだろうにねぇ
辺境の島国(まあ、日本から見たら常に世界地図は日本がまんなかだがw)にとじこもって
勘違いしちゃったんだろうね〜
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/19(水) 23:46:48
↑チョン
ハードウェアはともかくソフトウェアがだめだめ。
ロジスティクス&国内政策&外交&情報管理&占領地行政etc。
現代の軍隊の強さはハードウェアだけでなくソフトウェアによるものが大きい。
地味な部分なので本職以外には無視されがちなことなんですが。
日本が内戦ではなくて対外戦争を行うためのノウハウを手に入れるのは
明治維新以後に当時の偉人たちが当時の最新知識を必死になって学んでから。
明治期の日本の強さはこれによるものが大きい。
それでも日清戦争当時は、補給が滞って前線部隊が餓えに苦しんでいる。
そこら辺はしょっちゅう対外戦争していたヨーロッパの小国のほうが上。
傭兵としてなら十分にヨーロッパでも活躍できるんじゃないか。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/20(木) 00:12:13
PS3でやったブレイドストームで侍とか華南兵が傭兵として雇用できたなw
凄い違和感だったw
>>128 ノボナガであればあっという間に取り入れて進化させそうだけどね
君主論とか読んでそうな奴だし
すまんこのネタはNGらしいので忘れてくれ
信長はだめ。そもそも臣下や同盟者に裏切られまくり。統治者に向いてない。
前線指揮官ではあっても国の指導者の器じゃない。比較対照はロンメル将軍かな。
戦国時代の大名なんですから当然ではありますが。統治者としてなら北条が上かな。
先取性などは面白いかもしれないけど、どこかで失敗して死ぬことに変わりはないでしょう。
つーか史実でも結構生き延びたほうなのではないかな?
ミッドウェーで負けない日本軍のifみたいなもんですね。どこかで失敗する。
>>128の挙げたようなものが欠けていたというのは同意ので
そこを素早く補う先取性がキーなのかと思っただけなんだ
実働兵力や保有火器、造船能力や騎馬数量はそれなりだったと思うんだ
そこから先は研究して数字出さないと進まなくなるよな
しかし渡海して戦争仕掛けるなんて当時でも相当で今だって難しいコトなんだから
それが出来てしまう日本人は凄いっちゃ凄いと思うよ。力の入れ方を知らない感じだが
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/21(金) 07:04:27
つ戦艦大和
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/21(金) 09:40:00
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/21(金) 10:46:21
ポルトガルだかスペインの南蛮の船で侍10人が上海に行った。
上海で侍が、なぜか?多くの暴徒に囲まれ、もう駄目か侍は嬲り殺しに遭うのかと思われた。
ところが侍は暴徒をバッタバッタと斬り倒し、全員無傷で帰ってきたそうだ。
それを見た、南蛮人は日本を侵略するのは無理だと悟ったらしい。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/21(金) 11:10:18
なにその超劣化版鄭和
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/21(金) 11:41:00
孫子「攻めるに難し、守るに易し」
欧州軍が日本に攻めて来るなら守れるけど
日本軍が欧州に攻めたら負けるよ
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/21(金) 11:46:30
当時の欧州のどの国よりも、火縄銃の所有量が多かったのが当時の日本だよね・・・。
なんか、今の自衛隊と構図が似てるな。
最新ハイテク装備ならアメリカに次いで二位なんだけど、
補給とか戦略的要素が皆無で、まさに攻め込まれたときに守ることしか出来ない専守防衛
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/21(金) 13:28:52
>>139 その通りだね
大体、欧州行ける船もないのに前の方100も何語ってたんだろう・・・
日本の産業は模倣から改良量産するのが得意
種子島はその顕著な例
外洋航海船も大砲も、必要があって作り始めたら揃うのは早いと思われ
港も材料も乗員もいるから、後は航海技術
ただ外交とか統治の面で失敗すると思われ
航海技術は昔は模倣しなくても大陸までいけちゃう位だったんだけど
何故か戦国頃には減退してる気がする。まあ国内での生産力が上がった結果
近海航路が発達してしまって外洋を渡る機会が減ってしまったんだろうが
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/21(金) 19:05:53
遠洋航海で遠征するにはレモンとかが大量にないとビタミン不足で死にまくる
そのころの西洋ではビタミン不足による航海病衰弱死の原因がつかめなくて
とてもじゃないけど日本周辺あたりまでの大人数動因はできなかったわけだし
結局の所、侵略されても負けることはないが、
こっちから出てもダメってことだよね。
コストに見合うメリットがなくては技術は発展しないからね。
昔は大陸から学ぶことも多かったし、輸入しなければならないものもあったから
航海技術が発達したが、国内の鉱山開発や制度の整備の完了や大陸の混乱で
メリットがなくなっちゃったのね。
>>142 それがまさに明治以降の日本の歴史そのものじゃないかな。
>>146 幕末に外交統治で痛い目見たんで、直後はそっち方面もかなり取り入れようとした
日露戦争をどうにか幕引きできたのは一応その成果
そこで調子ぶっこいて全部元通りになっちまって元の木阿弥だけどな
脱線ぽかったんだが、いいたいのはこうなんだ
日本の産業技術は民族や文化の資質
日本の外交や統治は個人の資質
だから世界で通用するには、外交や統治の資質を持った人物が出てくるかどうかにかかってる、と
攻められたら負けるぞ。
防弾チョッキと刀を装備した人間が、マシンガンを持った男に勝てないようなもん。
いくら防弾チョッキを重ねても、いくら刀を研ぎ澄まして剣の腕を磨いても、
マシンガンを持った相手にとっては恐くも何ともない。
近づいたら危険だから、遠くからマシンガンを撃ち込むだけ。
マシンガンを持った相手を倒すには、最低限拳銃が必要。
刀を投げて付けても、相手に届かない。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/22(土) 08:13:15
>>149 小説のくだりで申し訳ないが
「音(大砲)で城は落ちることはござらん。落ちるのは・・・」
左衛門佐は口をつぐんだ
銃の数は当時は日本が一番多いぞ
火縄銃は現代でも使われるほど精度面でも優秀
機関銃は実用化されるほどのものができるのはかなり後だし
フリントロック式も軍に採用されるのは1650年でまだ先
その銃最強論だとむしろ日本最強になる
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/22(土) 11:16:26
>>139 孫子が紀元前に語った教えにすら、
第二次大戦の日本軍は達してなかったんだよなぁ
なにをトチ狂って真珠湾に出かけて行ったのやら
連中、オーストラリアにも攻めていって殺しまくってたんだぜ
火縄銃は狭苦しい日本だからこそ有用だった武器だぞ
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/22(土) 11:57:37
>>152 孫子の時代に石油燃料は存在してねーからwww
さすがにWW2を戦国と同列で語るのはヤバイんじゃねーの?
軍オタ怒りださないか
石油燃料は関係ないよ、単純に物量の問題。
ぶっちゃけ孫子の時代の技術でも物量さえあればWW2のオーストラリア占領できるぞ。
弾切れに追い込むまでに何十億人死ぬかわからないが。
何十億人も兵士を揃えられないとか賄うだけの食料はどこから沸いて出るんだとか
損得分岐点どう考えて戦争してるんだとかの問題はおいといて。
真珠湾は南方作戦の実施中に邪魔が入らないようにするため。
南方で占領作戦を実行中にアメリカ艦隊が来襲すると下手したら
攻略部隊が全滅する。日本艦隊も策源地が内地だから常に南方に
張り付いても置けないし、出かけた隙に本土が攻撃されても困る。
だからどうしても半年間のアメリカ艦隊の行動不能が必要だったから
奇襲を実行したの。結果的に大成功だったでしょ。
あと日本軍、オーストラリア本土までは進んでないよ。
ポートモレスビーだって落せなかったんだし。
つかWW2直前の日本は、戦ってアメリカに屈するか、戦わないでアメリカに屈するかの二択しかない
前者の方が万分の一でももしかしたら「戦って勝つ」という第三の道が派生する可能性があった。そんだけの話だ
頭の弱さが何周もしてるようなのが沸いて来てるな
こういうのがこいつらだけであることを祈らずにはおれんな
>>156 そこに至るまでの過程が問題なんですよ。
国際関係を無視して国内の利害関係のみを追及し、信用を失うわけで。
>>127 具体的にどこがおかしいのかいわないと荒れる元ですよ。
大体板違いです。私が言うのもなんですが。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/23(日) 06:14:17
日本の軍事力は世界でもトップクラスだろうね
ただし当時の航海技術では遠くに兵を運ぶ大型船でもせいぜい200〜300人程度が一杯一杯
その上補給が必要になるから他国を征服するのは不可能
大型船自体は政宗もスペインに使節送るとき作ってる、その後家康が禁止したため衰えた
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/23(日) 06:20:23
当時アメリカに勝てる国はなかったからな
結局その後もアメリカ中心かソ連かと言う世界形勢になったし
イギリスのように覇権をすてアメリカにつくか
日本やドイツのように負けるかしかなかった
>>159 2・3行目であえて謙譲し、なぁなぁの島国気質に訴えかけて
荒唐無稽の1行目をうやむやのままゴリ押そうというレベルの低い文章ですなぁ
日本の軍事力が世界でトップクラスになったことなんて一度もない
ただの東の果てのミソッカス
周辺のアジア大陸の文明からも嫌われてるおちこぼれ
信長とか家康に妄想抱いてるようだがそいつらは無能しかいない劣等国島だから活躍できただけ、大陸じゃゴミ
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/24(月) 06:18:35
今もアメリカを除けばトップクラスだよw
装備なんて世界最新鋭ばかり
イージス艦で漁船に突撃するような連中が、
そんなごたいそうな装備を使いこなせるわけねーだろw
アメリカのお下がりで武器だけはトップクラスでも使うのが極東の無能たちでは竹やりにも劣るってことだねw
アメリカ軍だってそのようなミスは結構起こしてますよ。
ヒューマンエラーがなくならないのは洋の東西通して変わらないです。
WW1以降の日本は確かに米ソ独より格一つ落ちますが列強であったことは確かです。
だから日本の軍事力が世界でトップクラスになったことなんて一度もない
は正しくありません。
各一つ落ちるけどトップクラスって矛盾してるだろw
最強ならなんで東京大空襲で10万人焼き殺されて、
原爆2発も落とされて、沖縄上陸されて15万も殺されちゃったのかねぇ
おまけに、そんだけされてもアメリカに尻尾振るよう飼いならされちゃって、列強
いや〜、凄いねぇ列強超大国日本のパゥワーはw
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/24(月) 19:46:31
おめーら、言いたいことはわからんでもないが戦国時代に原爆はねぇよwww
日本の傭兵は安く揃えられて、かつ戦闘力が高かったからスペインやポルトガルのアジア商船
の護衛に雇われたと言うし、戦国期の戦乱で鍛えられた精鋭ではあったと思う
でも、編成自体は当時のスペインの編成とかに比べればまた軍隊ではなくて、私兵集団の寄せ集めだから
多分、陸戦ではスペイン軍には勝てないと思うね。ただ、海賊に襲撃されて要塞が陥落する新世界でのスペイン兵のへたれっぷりから考えれば
精鋭の日本兵なら東南アジアあたりで植民地争奪戦を想定すれば十分勝算はあると思う
あと日本は騎兵が弱すぎるので日本や朝鮮みたいな起伏のある地形での接近戦なら最強だが
中東や中央アジア、中国、ヨーロッパなんかじゃ苦戦する予感。日本人がそれを学習して密集方陣とか編み出せば別だけど
信長はともかく、秀吉とかのころはあんまりひらめきある人材がいなさそうだ。朝鮮の水軍にぼこぼこにされても対策編み出せなかったからな
騎兵、砲兵、兵站あたりを解決できれば世界最強。ってたらないのが多い日本軍
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/25(火) 16:46:10
ふぅ、結論ありきの長文は幼稚園児の落書きより酷いなw
半端な知識と定性的な考察法は知能が十分発達してないリアル消防といったところか
ゲーム由来というのが丸見えなのはいかにも三戦板
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/25(火) 23:02:13
>>170酷いなw
陸戦と海戦もごっちゃだし。
まあ、場所によって軍団の運用も変わるし、大兵力の衝突については
熟練とは言えないだろうね。
でも、同時期関ヶ原や朝鮮出兵、小田原クラスの大兵の戦闘が沢山
あったわけでもないから、相手次第では十分勝てるだろう。騎馬能力は
低いが、単独での殺傷力、銃器の数と質、凶暴さや戦術能力など、過去
レスにも沢山でてくるが、やはり陸戦能力は当時としては最強の部類なの
は間違いない。スペイン? プw のレベルだな。
ただ、やはり海運力が弱すぎなのは、島国の日本としては如何ともしがた
いから、豊臣長期政権下で勘合貿易を強化するか、徳川が鎖国をせず貿
易を重視するかして、西洋科学の方法論を取り入れた伊達のような外洋
船を量産しない限り、どうしようもない。実際、明征服どころか朝鮮統治すら
画餅に期したのが歴史的事実。
朝鮮出兵でも朝鮮の最精鋭の騎馬部隊が北側の国境線に配備されていたから
秀吉軍が快進撃できただけだし、現地徴用できなかったために補給に負担がかかり
そこを朝鮮の強力な板屋船や亀船によって重武装された水軍に完全敗北したわけだ
明軍が到着して、大砲や騎兵の前に秀吉軍の前進が止まり、逆に包囲されていることをみれば
日本の優位性はたいしたことがないとわかるはず
あとスペインを馬鹿にしているようだが数々の戦乱でスペイン方陣など戦術面も磨かれたスペインと
私兵集団の寄せ集めの戦国期の日本が戦えば戦いにならないだろう。密集方陣もない日本の備が勝てるわけがない
戦術とか兵站はソフトの問題
環境が整うと比較的早期に底上げできる
要は指導者次第
急に底上げできないのは資源、地勢、産業、技術
あと文化から来る勇猛さ、勤勉さ
この辺りは持ってた
結局は指導者次第
>>174 朝鮮の精鋭騎馬部隊って・・・半島の人ですかい
あの数で何か意味のある結果を出せるとか、どんだけ(ry
やはり量的考察はできないのだなあと
そういうのは子どもさんには難しいのかね
>>176 違うよ。朝鮮の騎馬部隊は大陸の女真族などの襲撃に備えて北に配備されていた
日本が攻めて来るとは思っていなかったから南部はがら空きだった
奇襲を受けて、王子まで捕まって混乱のために全羅道以外では戦線が崩壊してしまった
ピョンヤンが落とされたときでも全羅道では秀吉軍を撃退していた
そして、ここが拠点となり朝鮮水軍が日本の水軍に連戦連勝する。そういう歴史を知っておくこともいいかもしれない
朝鮮水軍の主力の板屋船は大型で上から日本の小型船を狙い撃ちにでき速度も速かった
戦術、武装でも日本は劣っていた。もちろん指揮官には雲泥の差があった
南の方の国の某博物館は見ているんだけど?
100人規模の戦勝をいくつも自慢げにパネリングしてるのでアレな気分になったよ
よほど勝ったことなかったんだろうなとw
さすがにキムチ臭すぎる
まあ、日の丸の鉢巻きしめた日本男児(笑)が顔まっかっかにしながら
「日本、最強ォォォォォーーーーッ!!!」を連呼するスレになるより遥かにまとも
何が「まあ」だよw
チョンに比べれば日本最強厨の方がまだまとも
チョンチョンっておまえら雀かよw
劣等感丸出しで恥ずかしいぜ
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/26(水) 21:45:41
2度も言うお前が名
>>176 李世民を退けているし、半島戦力を馬鹿にするつもりも無いけど
水軍が連戦連勝って、李舜臣個人的力量が大きいよね
他の指揮官だと負け続けてるし。
李舜臣も、日本が迎撃体制を整えたら勝てなくなったのは御愛嬌だけど。
戦術、武装に劣っていた日本に負け続けた半島戦力は凄く運が悪かったですね。
高句麗が朝鮮だってのか?冗談はよせ
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/27(木) 08:00:18
李舜臣の前半は神采配だからな。純粋に水軍そのものの戦力比較
とは区別しないと。亀甲船も強力だったが、欧州の造船技術との隔絶
した差というわけではないし。むしろ、秀吉が水軍自体を軽視しすぎた
報いを受けただけの話で、戦略ミス。
最後、島津のにわか船団に優勢ながら討ち死にしてしまったのも、結
局戦術能力が大差ない場合個人の戦闘力の差(陸戦力)で決まってし
まうという結果が現れたに過ぎない。とともに、戦時の国家体制で差が
でたが故の、「悲劇の名将」の称号であって、あれだけの名将を粗末に
した報いがこんどは朝鮮側に来たんだよ。
日本軍の恐ろしさ=強力さは、そのような戦時国家としての能力だから、
東アジア的には最強で間違いはないと思う。ただ、日本や朝鮮、明の水
軍が欧州の大排水量の戦艦と戦うのは不可能であって、水上戦闘を無
視出来ない当時の世界的な植民地争奪戦に割ってはいるのは前提から
無理があるだろうね。
舜臣は評価されて良いと思う
いやだから指導者次第なんだってば
アレクサンダーもカエサルも大ハーンもボナパルト君も
大勢力が築かれるのは個人の資質なんだってば
小西や脇坂のにわか水軍をゲリラって評価されるべしとか、どんなダブスタ
いや、他の武将はそういうことすらできない空気だから
歴史を通じて武将らしい働きをしたのは舜臣だけ
だから武将と認めて良いという意味では評価されて良い
そんな空気はないし、舜臣「だけ」でもない。
トップだけで戦争が出来るわけはないし、封建中〜末期は国同士の
戦いの色合いが濃くなってきている。
前線の将軍や兵士に力を発揮させるだけの力があるかどうかで、
秀吉には領土と溜まりに溜まった戦闘意欲という必然性があり、李氏
朝鮮にはリアルな軍事スキームが皆無だったということでしかない。
平安時代や鎌倉時代の逆というだけ。
中国との朝貢関係により守られていた大陸辺縁諸国の感覚と、欧州
列強からの情報の積極的摂取や明朝鮮への情報収集を真剣に行っ
ていた豊臣政権との差。
少なくとも、それぐらいの議論のスキームはないと、こんな複雑な議論
はできない。空気なんて無視していい。ただし、極論をするな。
ん?日本語読めてるか?空気違いだろ
「戦国時代の日本の軍事力は、世界で通用するか」
・対外軍事活動の素地はあった
・秀吉の指導力に問題があったため、現実には通用しなかった
・あとはすべてIFの問題
何か文句ある?
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/27(木) 12:26:38
当時の航海技術なんてみな帆船だからどこもたいした差はないよ
当時の技術で他国をのっとるのはほぼ不可能
日本の大型船が衰弱したのは家康の政策で禁止したからだし
船は運の要素でかいからな
元寇とか技術もへったくれもないし
日本海海戦もミッドウェーも偶然見つけたかどうかだし
元寇はすごすぎだな
神風より、日本まであれほどの規模でやってきたことの方がよっぽど神がかっとるw
あの時代に侵攻されてたらこんなちちこましい国で閉塞した市場に閉じ込められることもなかったのにね
真面目に言ってるなら笑えるな
信長が天皇をry
どこまでIFを認めるのかによるなあ
どこまで含めて軍事力というのかにもよるし
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/27(木) 15:00:35
結論
秀吉じゃ無理ぽ
李舜臣や海戦の話題が流れになってるけど。
専守防衛能力・・・李氏朝鮮
近海戦闘能力・・・日本軍
外洋航海能力・・・ヨーロッパ
ということしか言えないよな。李舜臣が名将なのは間違いないが、それでも
優秀な陸上の火力に防御されると勝てなくなったし、如何に優れた個人が
出ても、脆弱な文民上位の防衛体制の中ではどうしようもなかった。
朝鮮の役でも、初期・中期・後期と、両軍とも船も戦術も変化してるし、
朱印船も日進月歩で西洋式改良が進んだし。結局どの時点で切り取るのか
という前提がないと、議論にならない。
例えば、李氏、日本、西洋の三者がそれぞれ合従連衡した場合のシュミレー
ションなどはなかなか興味深いが、スレタイの「通用するか」を外洋航行能力
=軍事力の輸送能力とすると、龍骨船建造以前の日本とそれ以後と分けて
考えたいね。
いや、興味深くないから、そんなの。
利子挑戦を検討評価するのも目的じゃないし。
通用しないという結論が出た場合は、そこで検討終了だよ。
本気で頭おかしいのが沸いてるな
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/27(木) 23:12:46
ふむ。
海戦で事が決するのかどうかも難しいけどな・・・。
最終的には陸戦が勝負なのは間違いないから、陸上兵力・戦闘力
で比較するしかないんじゃないかな。
ゲームで与えられた役どころを現実と思い込んでるかわいそうな子
三国志の戦争を、マジで無双みたいな一騎当千バトルだと思ってたりしてなw
当時の日本側の勝利条件が侵略を許さないこと
であるならは通用したというべきでは?
別にヨーロッパに攻めていくとか東南アジアで勢力争いしろ
とかいうわけでもないんでしょ。
というか、元寇っていったい何をしに来たんだ?
元寇は日本を侵略しに着たんだろ
元寇の話も脱線だな
当時のイエロー・モンキーは大陸をどれくらいの大きさと捉えていたんだろうか
日本と同じくらいのしょっぼい列島くらいに思ってそうだなwww
福岡のメーカー社員さんいつもご苦労様ですー^^
てか遊びに繋がるような煽りは入れられないの?メーカー社員さん?
213 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/27(木) 23:40:05
秀吉の明征伐イメージからは、せいぜい日本の3倍ぐらいの感覚
だったんじゃないな。なんとなくw
この時代の植民戦争で代表的なのを挙げてみてよ
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/28(金) 00:37:31
ないな、西洋が植民地にした国でまず国と言える国はない
フィリピンとかアメリカ・アフリカ大陸とか国と言う概念すらなさそうな地域ぐらいで
>>215 そう考えると国という概念ごと揺るぎかねないね。
数年前にやたら流行ったファンダメンタリズムって何だったんだろう。
日本が山ばっかりで行軍が困難な地形なのに対して
大陸は平原多いから、何とも言えん>広さ
ただし、平原戦術なんてノウハウが全くない日本軍不利は揺るぎない
ヌルハチと秀吉が逆でも秀吉は大陸に進出は厳しかったろう
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/28(金) 00:57:44
国と言うのは土地を所有し国家と言う組織なり秩序が成り立ってる所
アイヌやインディアンなどの先住民は土地に住んでても国家と言うのを持たなかった
こういう地域は欧米に占領された
>>165 秀吉の能力の件は「通用しなかった」という結論なの?
十二分に通用して、征服も可能だったように見えるんだけど。
能力って寿命も含まれるのかな?
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/28(金) 01:02:15
そもそも秀吉がどの程度大陸進出目的があったかすら疑問だな
さすが三戦
レベルが低い
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/28(金) 01:08:18
当時の日本武士は兵の質と動員数、武器の装備力では世界でも突出していた
問題は当時の航海技術で海を隔てた地域に大多数の軍隊を運送し、補給を維持できるかどうかで
>>221 なにをいまさら
つうか院生レベルの史料読み込みを要求される世界史板みたいなのも困る
基本史料を原書で読まなきゃダメなんて言われたら何もコメントできん
信長公記や正史三国志くらいなら読んでる奴も多そうだけどな
そもそも純軍事力により秀吉軍が退けられていないし
補給は万全で、問題の無い状態だった
あとは、軍事の継続の有無。
占領維持が可能かどうかは別として
この状況を軍事力が劣るとは言わないじゃないかな?
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/28(金) 01:33:59
そもそも秀吉が攻めてった理由が意味不明
戦争は経済的に割が合うと見てするものなのに、老耄しすぎて本気で明に君臨すると思ってたのだろうか
アステカやインカはいちおう国の範疇に入らんか?
入るだろ
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/28(金) 06:33:37
>>221 そら長文みるだけでアホ馬鹿連発する連中だもんなw
一行レスしか書けない癖に。
>>226 いや、思ってた臭い。言い出しっぺの信長とは違うっぽいが。
最初から「唐入り」のつもりだったとの説もあり、実際に朝鮮に占領統治を
行おうとしたことから、明を過小評価したとしか考えられん。
秀吉時代は既に反乱も各地で起こったりして、崩壊しかけていたが、そんな
情勢に目を付けていたスペインがガレオン船貸与の約束を反故にしたことか
らやむなく朝鮮ルートを取ったわけ。
無駄な長文書く奴は叩かれて当然
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/28(金) 22:38:36
とかいって短くても叩くくせにな
ムダな長文は叩く
必要なこと飛ばしてる一行レスは叩く
あたりまえのことだろ
秀吉、負けてなくね?
名将李舜臣ですら返り打ちにあってね?
明、この防衛戦争の負担で滅んでね?
そうだよなー
朝鮮や明ではなく、東南アジアに拠点を築いて浪人どもを送り込めばよかったのになあ
いわゆる西洋における新世界みたいな感じで
そうすればアジアにも海賊の跋扈するパイレーツオブカリビアンな状態になってたかもしれない
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/29(土) 06:44:47
正直に認めろよ。
長 文 読 む 力 ね え か ら
2ちゃんで長文が頭が悪いって言われる理由も
知らねーんだろ。
ぶっちゃけ、英雄李舜臣ですら
やっと、戦国武将軍と互角に戦うのが
精一杯じゃね?
答えようがない。
陸上では勝ち目ないが、水上戦ではそうでなかったのが史実。
結局は人次第
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/29(土) 13:34:56
金正日さえ入れ歯…
>>239 水上戦ですら負けてね?
>>240 半島の方が装備も練度、精鋭騎兵もいるのに
英雄李舜臣くらいしか名前が出て来ないのが残念ですよね
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/30(日) 00:38:25
>半島の方が装備も練度、精鋭騎兵もいるのに
釣り?
それに水上戦闘では前半は圧倒的に李氏側の勝ち。
日本艦隊は陸上の援護があって初めて五分になった。
>装備
そう主張されていた方がここに居たよね
>水軍
司令官変わったらちっとも勝てないばかりか
英雄も急増艦隊に返り打ちにあって命落としてね?
世界で通用するかの定義を放ったらかして何やってんだか
精鋭騎兵とか瑣末な話をほじくり返してもまったく無意味だよ
で、君の意見は?
さあ、どうぞ。
>>245 アジアは世界に入りませんか?
隣国との戦争で、精鋭騎兵を破ったという事例は
世界を計る指標の一つにはなりえませんか?
あっ、そうかごめん、読解力失敗してるかも
精鋭騎兵はついに投入されなかったんだっけ?
女真族防衛の為に国が滅びそうになろうとも投入してないんですかね
盟主国が防衛負担で国が滅びるほど援軍を出してくれているけど
精鋭騎兵を動かすわけにはいかなかったんだから
女真族って凄い脅威なんだね
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/30(日) 12:09:52
戦国乱世の国内戦により陸上兵器の質は向上した。
源平合戦や足利、楠木あたりのころに比べると大いにレベルアップという印象。
しかし、水軍による戦闘は余り行われなかったし、大砲は鉄砲よりも伝達が後
だったから大砲で射ち合う水上戦のレベルがアップしなかった。
そのせいで陸上戦闘では優勢でも、輸送船が沈んで補給路が絶たれて、現地調
達の結果占領地の抵抗を招いて陸上でも敗北・・・ということかな。
秀吉が数年かけて、大砲搭載の頑丈な船を量産してりゃ朝鮮の維持位は明相手
の敗走後も可能だったのではないか?
400年も占領していれば、日本人という自覚になって「日本に侵略された」
なんて言っていないと思う。
日本の軍事力は日本の国土に合わせて発達したもんだから、
日本から出れば必ずしも通用するとは言えないだろう。
土木技術なんかもあまり高くは無いしな。
逆に海外の軍勢が日本に攻め込んで来ても通用する訳ではない。
重騎兵や大型攻城兵器なんかは水田や湿地帯の多い日本じゃまともに運用できないし。
>>249 兵站は崩壊していないし(無断突出した部隊だけ、補給が間に合わなくなったが)
水軍も李舜臣以外の指揮官には、問題なく勝ってる。
李舜臣の水軍ですら破ってる。
秀吉が死ななきゃ、撤退すらしてないんじゃないかな?
>>248 女真族の話を語ると、豊臣と徳川の話を思い出してしまいます。
女真族は、纏足禁止の民族なのですが、漢民族は纏足大好きで
纏足をしていないとお嫁の貰い手もなかったくらい酷い纏足好きでした。
清が滅び、纏足禁止令が出てもなお、纏足はしばらくは廃ることが
無かったといいます。
纏足も禁止するにはするからのわけがあり、まず健康によくありません。
足には非常に多くのツボがあり、その足の骨を砕き、小さく固めるのですから
健康上良くないのは目に見えています。で、運動不足で不健康な漢民族から生まれる
子と大草原を駆け回った女真族から生まれた子では、やはり生まれた時点で
勝負の差はあるのではないかというのが個人的な意見です。
豊臣が滅びたのは秀吉の柳腰好きから。
徳川が繁栄したのは家康の『健康で四肢のがっしりした女にしか種付け
しなかったから』という話を思い出します。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/30(日) 23:06:26
>>249 それはあまりにおそまつな・・・。
大砲の撃ち合いなんて海上では大したこと無い。水平撃ちでは喫水線以下に
穴を開けることも出来ないし、そもそも揺れる海上で、片面数十に及ぶ大砲
を並べてもなかなか命中しなかったんだぞw 近接距離で一斉射撃によりマス
トなどの上部構造物を破壊して航海不能にするのが目的。
ガレオン船の優秀さは、遠洋航海力と輸送力だよ。火力と防御力なら亀甲船、
機動力なら安宅船や関船、これらに襲撃されたら、本国の大艦隊でない限り
ヨーロッパで勝てそうな国はない。
火矢や大筒の激烈な戦いを繰り広げた朝鮮の役は、掛け値なしに近海水上
戦闘では当時の世界最先端の戦い。しかも、何度も激突してその度に戦術も
進化していった。
上の方で、船の差で、日本はどうしようもないという説が多かったが、船自体は
日本の優秀な船大工によって直ぐに竜骨船が造られていったし、鍛造技術も
世界トップだから、カルヴァリン砲やカノン砲ぐらい直ぐ追随できただろう。
もし鎖国しなかったら、朝鮮侵略じゃなく東南アジア拠点に向かっていたら、秀吉
が長生きして、豊臣政権も盤石なら・・・。
まあ、ヨーロッパ連合と単独で戦うのは無理にしても、オランダぐらいなら余裕で
勝てたんじゃね?
だからさ、何度も言うけど
定性的な話をいくら積み上げてもムダだから
スペックで戦艦大和が無敵って言ってるようなものだから
戦った事の無い異文化の軍事力を相対評価するに
「定性的な話」では無い方法で評価する方法ってなんだろう
精神論か?
当たり前のごとく量の話になる
数量、距離、速度、生産力などのことだ
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/31(月) 17:55:45
・数量も生産力も日本の技術は優秀
・速度 これは?速度なら関船が最速だが。
・距離 本国との距離?なら日本近海、東南アジアまでなら日本の方が
近いんだが。
そもそも定性分析と定量分析というカテゴリー分けというなら、こういう分類
で分析するのが正しいのかよくわからんなw
>>256 要はスペックの話しじゃないか
戦艦で言えば、強さは戦術や練度ではなく
排出量や口径できめるべしって事だろ?
なんでスペックの話しは定性的じゃないことになるんだ?
ハイスペック戦艦の大和が1隻あれば、沖縄の米機動部隊なんか全部蹴散らせますね
だから2年かけても作る価値はありますね
そういうお話
ハイスペック戦艦と米機動部隊のスペック差が
漁船とイージス艦の差があれば
蹴散らせるんじゃないか?
はぁはぁ亀甲船はそんなに他の船と差があるのですかすごいですねところで何隻あったのですか
あと船同士が戦うのは、どちらか一方が運ぶ必要性にせまられた時だけなのです
兵を運ぶか、物資を運ぶか、交易品を運ぶかはわかりませんがねその辺に少しでも考えが至れば
>機動力なら安宅船や関船、これらに襲撃されたら
こういうバカげた発想は出てこないわけですよ
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/01(火) 19:37:58
うーん日本語がわからん
鉄甲船や亀甲船は、とてもじゃないが本来の輸送という役割が
主目的じゃない、戦闘に特化したしろものだよ。
軍艦なら、制海権を得る為の必要性ってのがあるんじゃないか?
制海権を得るのはこちらが運びたいか相手に運ばせないかするためじゃないですか
どこまでバカですか?
>>264 君は現在、少なくとも二人以上の人間に困惑を与えているのを理解してくれ
俺も262が言うように
>>261で何が言いたいのかよくわからん
「ものを運ぶ理由が無いから」という理由で奇襲はされないという前提を話しているのか?
また「ものを運ぶ必要がないので?」制海権を得る必要が無いのか?
なんで安宅船や関船に襲撃されないのか、本当によくわからん
本当に頭が悪いですね何年生ですか
安宅船や関船の相手をする必要性がどこにありますか?
海賊か港湾攻撃以外あり得ませんね
安宅船やら亀甲船で外洋で海賊するですか?ガレオン相手に?
どんだけ船繰り出すですか?数のこと少しは考えてますか?w
港湾攻撃なら陸戦であって水上戦ではないですね
植民基地を狙ったら総力で何度も戦うに決まってるので前提がまるで違いますね話にならない
ハードのスペック頼りで相手の動きも考えず勝てるとか結論するのは
まるで太平洋戦争時の日本海軍の感覚に近いお粗末な思考と言えるですね
何とも情けない
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/02(水) 18:13:30
もしかして、こういうのが中共の工作員なのか?
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/02(水) 20:12:29
いや、馬鹿チョンだろう。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/02(水) 20:44:15
必死になりすぎてるヤツが一番かっこわるい
来週から新学期だから少し減るだろうがね
言うに事欠いてレッテル貼りとはあまりにもお粗末
論破できないことに少しは恥を感じなさい
>>267 なぁ、外洋が得意なガレオン船も、船なのでを輸送(護衛)道具だよな?
輸送ってさ、陸地→海(外洋)→陸地じゃないきゃ成り立たないよな?
なんで近海付近で安宅船や関船に襲撃されないのか、本当によくわからんのだが。
君のガレオン船は、外洋にしか浮いて無いの?
もしくは近海って湾岸だけなの?
>>267 あんなぁ
補給任務を行っている護衛船を攻撃するのそんな変?
ガレオン船にどんなスペックを期待してるのかまではわからんけど
襲撃はされないって、根拠がわからないのだけど
なんか攻める事しか考えてね?
>>272 少しはましな人物のようですね
しかし具体的に戦場をどこに想定していますか?
東南アジアの相手拠点近海で、安宅船や関船で張れる場所とはどこになりますか?
もっとも、日本は戦いに必要な船種を作り出してそれで戦うので
船種を語ること自体あまり意味ないですがね
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/03(木) 04:37:40
やっぱり変だわ、日本語が。
文法が変すぎて意味がわからないよ。議論にならない。
>>272 どちらかというと
安宅船や関船とガリレオ船のスペックの話での
日本海戦能力(技術力)の有無を問う話しなので
ifは関係ないと思いますが?
定性的な議論を取るならばの話しですが
君の発言は双方のスペックは近海で戦闘が発生する事は無いので
失笑を交えた技術力考察は必要無いという主のものではなかったのですか?
近海戦域での戦闘が発生するわけがないという主張はなんだったんんだろう?
で、近海戦域でのガレオン船と安宅船や関船のスペック問題の技術力は
世界でも通用するものであるか、ないかという話しで
自分として
>>253の話しを支持する
亀甲船は眉唾な話しが多いので、これは保留
>>276 技術やスペックではなく、近海で戦う意味理由のお話です
だからどこで戦うかを聞いている
わざわざ艦隊を組んでのこのこ相手の得意水域に出かけて行く必然性は何ですかね?
スペックを持ち出してそれを撃破できるというのがこっけい極まるというだけのこと
帝国海軍が決戦地を日本近海に想定していながら場所を考えていない、というのと同じこと
バカげていますね
実際の帝国海軍はそんなに愚かではないですが
遭遇戦での小競り合いは起こるでしょうが
海賊行為での勝ち負けのレベルだったのですか?
輸送について言えば、鉄甲船やら亀甲船の例ならわかりますか
包囲されている城への補給、これが輸送の必然性です
村上水軍側に、水上通過の必然性があった
だから鉄甲船のような低速局地戦スペックの船が相手でも戦いが起こるわけですね
亀甲船自体は眉唾ですが、補給輸送の必然性は同じように発生していますね
ではオランダと日本で戦いを想定するなら?
オランダ植民地への日本の軍派遣か、日本の島々のオランダの占領か
どちらかがあれば水上戦は起こるでしょう
奪いに行く理由がお互い希薄ですがね
その点まで含めてどこで戦うのか考えて欲しいですね、何を奪い合うのか
どこで戦うのですか?という質問の意味がわかってもらえませんかね
地理を考慮に入れるなら1600年に日本と西洋で軍事派遣なんて無理だろ
その頃って航海病の原因の特定すらできなくて四苦八苦してたと思うし
船で大軍動因なんてしたらビタミン不足で死人でまくって戦争始める前に部隊壊滅すんじゃね
そこで距離の話、量の話に戻るわけですね
どのくらいの距離までだったら通用するか?
半島?中国沿岸?フィリピン諸島?インドネシア?東南アジア?
それを以って「世界に通用する」かどうかジャッジして頂きたいですね
もちろん陸路も関わってきますけどね
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/03(木) 16:39:16
頑張れば通用する
>>281 日本海、理由:秀吉の軍を海上攻撃するため。
ガレオン船を朝鮮が購入し、運用した場合の想定で。
ifなら、距離も関係なくいくらでも戦に関らせる事ができる。
というよりも、
戦国時代当時の日本の技術力は他国に劣っていないというのが
>>253の意見だろうに。
技術力からみる、朝鮮の役は世界でも十分に水準の高い戦闘であるという
本来の論旨をどんどんずらす目的は何ね?
>機動力なら安宅船や関船、これらに襲撃されたら、本国の大艦隊でない限り
>ヨーロッパで勝てそうな国はない。
>オランダぐらいなら余裕で勝てたんじゃね?
読解力がおかしいのは誰なのでしょうかね
寝ぼけるにも程があるでしょう
>>284 >火矢や大筒の激烈な戦いを繰り広げた朝鮮の役は、掛け値なしに近海水上
>戦闘では当時の世界最先端の戦い。しかも、何度も激突してその度に戦術も
>進化していった。
とか、他も
君が恣意的に抜き出した文字の前後を読めば、ヨーロッパにもひけを取らない
技術力運用能力の問題を提起している事がわかると思うのだが
というよりも「襲撃されたら」という状況下でのif話しに
君の意見は論点を間違えたか、故意にずらしたかは知らないが
>>261だ
>>253を主張した人間も、それを見た自分も意味がわからず苦しんだ事も付記したい
またハードの定性論ですか飽き飽きですよ
世界最大級の大和の主砲を用いた沖縄特攻は、掛け値なしに近代水上戦闘では世界最先端の戦い
なのですか?
こういう論を以って技術力運用能力と解せよとは、気が狂ってるとしか思えませんね
戦艦大和をはじめとする帝国海軍の戦艦群、これらに砲撃されたら、本国の大艦隊でない限り
ヨーロッパで勝てそうな国はない。
どうですか?いかに愚昧な文章であったか少しは理解できますか?
日本に限らず、水上の戦いでは戦いに必要な船種を作り出してそれで戦うですね
だから船種を語ること自体あまり意味ないですね
安宅船や関船ありきではないのです
必要があって生産力と技術があって、それから船ができるのです
有りもので語る必要があるのはそれをする時間がない場合
つまり上陸されたら次はない状況のみです
やはり半島目線の方の書き込みなのですかね?w
>>286 「定性的な話」をしようという提案がありました。
その流れに自分の意見を通す為に、いきなり、論旨を変えて
他人を罵倒するというのはいかがなものかと思います。
>>253の話題に大和は出て来ていません。
戦闘方法として「火矢や大筒の激烈な戦い」が世界最先端としています。
>>288 船首の問題よりも作りうる生産性(技術力)の提起です。
これに君はガレオン船が襲撃されることはないという論旨で反論していますが
如何に論点(あるいは読解力)がずれているかわかりますね?
逆に「定性的な話」ではない世界で通用する軍事力の判断すべき論旨を
君は提起すべきですね。
290 :
253:2008/04/04(金) 06:16:38
だから大和と比べるなって。既に航空戦闘が王者になっていたんだから。
決定的な差が出たのはやはり蒸気推進式の鉄甲船からで、このスレの
本旨とは違う。ただ、アナロジーとしては、46p砲だろうが多数の火力に
は負ける点は似てるけどねw
たった一発で勝負の決まる波動砲でもない限り、兵器スペックだけで勝利
するのは非常に難しいと言える。
なぜだか知らないが、欧州は火矢を使わなかったみたいだね。海賊行為
も国同士の戦闘も同じだったから、という説もあるけど。船体そのものを燃
やさないようにと。
打撃方法として、欧州=砲弾、朝鮮の役=火矢という違いは大きいんだよ。
まだ欧州もフリントロックへ転換しつつある頃で、主流は火縄だから命中率
も激低。だから無敵艦隊は焼き討ち船に大打撃を受けた。
海流の複雑な極東や東南アジア海域では、1級、2級の戦列艦は攻撃力は
相当低下する。その状態で日朝の喫水線の低い戦闘艦には命中させること
は困難だろう。つまり、欧州の海軍は朝鮮の役に割って入っても文字通り飛
んで火にいる夏の虫という事になる。無敵艦隊が全軍出動しても日朝連合軍
には多分勝率2割ぐらいじゃないか?
それから、白兵戦能力でも、圧倒的と言っていい差がある。イギリスなんて海
賊兵団だもんねw
それに、ひたすら戦闘員ばかりの日朝水軍に比べると、帆船の操艦技術が複
雑な分、余計な人員も沢山載せてるから、積載量=戦闘員数ではない。帆関
係、砲関係、それに牧師やら医者やらコックやらw
さて、どんな反論が来るのか逆に楽しみにしたりしてw
291 :
253:2008/04/04(金) 06:24:44
勝手に恐縮だが、
・極東が安定している。(どの国がどこを占領しているか等は不問。
要は日本が戦争を続ける必要がない状態)
・秀吉も家康も鎖国をせず、重商主義的国家運営を本義とする。
・以上の前提の元、朝鮮、明以外のエリアへも植民地設営の意図を
持つ。
このような前提で、ヨーロッパ勢力と日本軍が軍事的に衝突すると
したら・・・、と想定した場合、どちらが部分的、或いは最終的に勝利
できるかという風に議論を進めたいです。
で?どこで何を奪い合うのですかね
どこまで本腰を入れるかはそれによるわけですから
その点をはっきりさせていなければ他の前提はまったく無意味ですね
無脳を晒すのもたいがいにしたらどうですか
重商主義を謳うからにはそれによる国力の源泉、交易のパターンを織り込むのは当然のこと
>>290 あなたの愚かさは戦う理由と状況を無視して兵器をぶつけ合うことだけ想定することですね
253からまったく変わっていない
>朝鮮の役に割って入っても
こういうバカげた一句を入れて長文を書くとは何たる愚昧か
偽の前提からはどんなことでも結論できるのですよわかりますか?
他のすべては無駄ですね
あえて意味を与えるなら半端で間違った知識のひけらかしとも言えましょう
>>293 戦場の状況は千差万別であり、ひとつとして同じ条件には無い。
李舜臣は最後返り打ちにあって敗北するものの
日本軍に圧倒し善戦するが、他の指揮官は敗北の連続である
で、結局、朝鮮の水軍は日本に通用するのか、しないのか?
君ならどう答えるのかね?
また、ガレオン船を挑戦が購入して日本近海で戦闘になった場合
ガレオン船が攻撃されないと主張する根拠は?
>>291 距離の壁がありすぎて軍事よりも政治的(補給的)な分野で
決着がつくのではあるまいか?
軍事的な話しをするのには不適当だと思う。
if話しなんだから中国の位置にヨーロッパがあった場合とかにしないとな。
295 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/06(日) 19:22:27
武田騎馬軍団ならミュラ騎馬軍団同様に19世紀の欧州大陸を駆け巡ることも
できたであろう。また織田家の鉄砲隊なら、銃剣さえ付ければ粗末なマスケット
隊にも十分対抗可能。つまり戦国時代の軍事力は18世紀末から19世紀初頭の欧州
に匹敵するということだ。少なくとも質ではな。動員力は無理だろうが
>>武田騎馬軍団
おまえそれはわざと言ってるのか?
ミュラは武田家の遠縁だもんな
299 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/10(木) 21:50:26
( ^ω^)??
300 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/12(土) 00:12:19
仮に秀吉が、朝鮮半島と友好的外交をして、アメリカ大陸に目を向けたらどうなってたかなー。
輸送補給手段は抜きにして、10万くらいの軍をアメリカ大陸に派兵したら、制圧できたかね。
そういうのはIFの積み上げになるんで、前提のIFをいくつか並べて置かないとな
もしくは制圧できるために必要なIFを数え上げていくとか
302 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/13(日) 00:07:01
アメリカ大陸に10万の日本軍が無血上陸した場合。
303 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/13(日) 01:45:29
>>302 そこで即座に屯田が敷かれ、西海岸沿いに東洋人の一大勢力地が構築される
本国からは自治を認められず、やっと苦労して手に入れた収穫の大半を上納
させられ、虐げられたあげくに10万の東洋人たちは自治権の獲得を目指し
ジオン公国を名乗り宣戦を布告するに至る
以下、宇宙世紀が3〜4世紀ほど早まって進行する
しかし、裁きの鉄槌はどうやって再現するんだろうか・・・
このスレで適当に煮詰めて仮想戦記でも書けば面白いんじゃん?
核かねぇ
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/15(火) 22:32:56
核戦争?
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/15(火) 22:39:28
賈詡賈詡鹿鹿
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
309 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/24(木) 13:30:47
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/25(金) 00:20:06
こわ
1596年、石田三成の総指揮の元、10万人の将兵たちはシアトルに入植地、蓬莱を
建設する。
それから20年後、日本本国では豊臣政権が滅んだことにより秀頼ら亡命。
豊臣家を中心とする亡命政権が確立される。
徳川政権下から、豊臣残党が押し寄せ人口は倍増する。さらに地元のインディオとの
混血も進み人口はさらに増えていった。
1620年、日本国内の反徳川勢力との協力の下、大規模な奪還計画が図られるも失敗。
多数の将兵を失う。その後も何度か西征(日本奪還)がされるが、地元の好戦的な
インディアン集団との交戦が始まってしまったため、中止される。
1623年、カリフォルニア州の利権をめぐってスペイン領メキシコとの大規模な戦争が
始まる。北米のインディアンと同盟を結んだ豊臣軍はカルフォルニアを奪取し新たな
入植地とする。
その後、スペイン軍との一進一退の攻防はおよそ200年も続いた。アメリカ独立戦争や
メキシコ独立戦争などでは独立軍を支援。新大陸、最初の入植者による独立国家として
主導権を握ろうとするが、体制の違いなどから3国の関係は悪化する。
保守的な蓬莱国、自由主義的な合衆国、社会主義的なメキシコはその後、なんども紛争を
繰り返すこととなるが、まあそれは別の話である。
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/27(日) 22:53:35
テスト
10万人の入植はキビシイんでね?
渡った後は少人数でも案外通用しそうではあるが
通用するかどうかというスレタイに沿って言えば、当時の日本を占領することは
どの大国でも無理だという点では通用していると思う。
イギリスだろうが、イスラムだろうが、インドだろうが、長い補給線を抱えて、陸戦の
強い日本を占領することは無理だっただろう。
しかし、同じように日本が他国を占領できたかといえば、無理だと思う。
朝鮮出兵でそれは証明したし、海戦はイギリス、スペインには相手にならないと思う。
攻める分は朝鮮でも無理だが、守る分にはイギリス、スペインにも負けないという
レベルで世界には通用していたといえると思う。
日本人町が海外にもいくつかできてたがその辺の伝を使って外交で同盟国等を作って調略で少しずつ外堀埋めていけば
ってこういうのは軍事力の話にならないか
316 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/01(木) 14:01:59
戦争の強さ には含まれるが 軍事力には含まれない
Lo」 ≡
( )o ≡ バ
/`;:ヘ] ≡ ゥ
< | ≡ ッ
´
318 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/04(日) 09:44:35
>>314 そんな雑ぱくな議論では話がすすまないな。
上の方で、かなり詳細な議論があるが、海戦でも沿岸、近海、洋上に
カテゴライズされている。西洋艦隊は、朝鮮の役に割ってはいるのは
無理という結論。
おまえその結論がいいたいだけだろw
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/07(水) 23:18:19
ウボアー('A`)
322 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/05/10(土) 04:58:22
1が言いたいのは日本軍が欧州まで行けるかどうかじゃなくて
ゲームのように戦場を与えられて両軍が同じ条件で布陣したら
果たして勝てるのかどうかっていうことだろ
占領とかビタミンCとかどうでもいいんだよ
五状原でスペイン軍5万と侍5万が対峙したらどっちが勝つんだよ
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/11(日) 08:01:49
いい勝負だけど多分侍
当時日本は銃の保有数で世界一ということだし、それに合わせた戦術の蓄積も多い。
補給さえしっかりしてれば、陸では圧倒できずとも負けないわな。
それに現代の戦争はテクノロジーが物を言うんだが、
当時は欧州でも医療といえば錬金術まがいの鉱物をそのまま経口摂取するような時代だし、
同数がガチで殴り合ったら一方的な結果にはならんでしょ。
泥仕合。
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/15(木) 15:57:44
アッ―――――――!
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/16(金) 06:20:31
個人のパワーは毛唐だが、はしっこさで日本。
つうか、書いてて思ったが、尾張兵5万連れて行ってもだめじゃね?
やっぱり上杉とか長曽我部とか薩摩とか。目的によってゲリラ戦なら美濃とか。
スペインもやっぱり地方によっていろいろあるんだろうねw
マジで言ってるのか、スペイン帝国正規軍団のテルシオやオスマン帝国のイェニチェリ歩兵鉄砲隊や更に西洋やイスラムの本格的な騎兵隊、砲兵隊、歩兵隊三兵編成の近世軍隊。
これ相手に馬が小さくまともな騎兵隊が無くて、大砲など砲兵隊も弱体な戦国日本が精々植民地軍団に勝てそうなくらいだろ。
西洋式近代攻城戦の恐ろしさ知らないのかよ。
西洋式ドラグーン騎馬鉄砲隊の騎馬兵団に寄せ集め足軽部隊が蹴散らされて、騎馬蹂躙戦と西洋要塞火力で殲滅のオチだろ。
モンゴル馬とモンゴル式騎兵のノウハウ、大砲、火薬ロケットなど砲兵隊のノウハウ無しでは・・・・。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/17(土) 13:02:21
明軍はたいしたことないよ!
精強モンゴル軍とはいえ、優れた指導者のいない少数民族をあいてに
最盛期312万人ともいわれる常備軍 をもちながら、なおかつあのような
万里の長城を建設しなければ国土の防衛もおぼつかなかったんだから!
朝鮮半島も派遣された軍は明軍のなかでは実践経験は豊富かもしれない
が、所詮は私兵集団であり、明の精鋭部隊とはいえない!(精鋭は首都
防衛軍)その明軍と朝鮮民衆のゲリラによって朝鮮全土の占領を沿岸部
のみにおいやられたんだから日本軍はたいしたことはないね!
329 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/18(日) 09:02:10
>>327 知ったかぶりでそこまで言い切るのは良くないな。
信長以後優秀な火器を生かすために歩兵中心になり、一層日本の
歩兵部隊の機動力が際だっていったのが朝鮮で鎧袖一触になった
理由だし、攻城戦はともかく野戦では西洋騎兵は日本の優秀な火器
にどこまで機能するか。騎乗での鉄砲の精度は、数が多い場合戦局
を一変させることは難しい。あとは歩兵の装備の問題になるが、長槍
で互角、鎧は西洋鎧様の胴丸も模倣が始まっていったし、最後は兵そ
のものの戦闘力と戦術面での指揮能力になってくる。
と、こうしてみると、日本の優秀な模倣能力のせいで和洋の装備面で
の差はつかないようになってしまうが、そうではない。鉄砲伝来十年に
して既に性能で上回ってしまった技術開発力は、西洋近代の基礎科学
についての思考様式は遠く及ばないものの、こと応用化学、冶金技術
などは世界一と言っていい。逆模倣は簡単ではないし、日本の装備vs
西洋傭兵部隊の個々の戦闘力の勝負だろう。
白人のでかさや身体能力、それにでかい馬は脅威ではあるが、鉄砲の
数や性能の方が遥かに危険だよ。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/18(日) 09:09:15
附記すれば、刀の性能については全体には影響しないと思う。
日本刀の優秀さは、あくまで高価な鍛造刀の場合であって、安物の
刀はあくまで相手を殴りつけるだけの補助的な装具だった。一回殴
っただけで折れちゃったり。血糊もついて、直ぐに切れなくなる。
ならばむしろ丈夫なでかい剣をぶん回す西洋兵の方がパワーある
よなw
むしろ、戦場での格闘術の方が重要かもしれないね。近年漫画等で
誇大に喧伝されている嫌いがあるが、実際にどれだけ普及していた
んだろう。技術ででかい西洋兵に勝てるのか?
カラダがデカいほうが有利だけど
兵站がたいへんそう
白人や黒人とは、骨の力が全然違うらしいね。
アジア人は全般に骨が細いんだと。だから、痩せて見えても白人黒人の方が
パワーが凄いそうな。
戦国日本の場合歩兵がまずまず平均的でも、馬が小さく家畜使用ノウハウが無いから騎兵運用が駄目だし、硝石も少なく大砲など砲兵隊も駄目でまだ中世封建軍隊だからな。
精々東南アジアやインドネシア、フィリピン辺りで植民地軍団相手が限界だろ、明帝国相手に朝鮮であの結末だし、信長でも明帝国相手に唐入りは難しいと思う。
近世軍隊の強さは職業軍人で編成された常備軍の投入、騎兵の大量使用による後方からの迂回突破、火縄銃など鉄砲や大砲、火薬ロケットなど火薬式前方投射兵器の大量使用、これらが近世軍隊の証。
歩兵主体の中世軍隊と騎兵、砲兵、歩兵の三兵編成の近世軍隊が戦った場合。
中世軍隊の織田信長軍がスペイン帝国、フランス王国、オスマン帝国の野戦築城陣地で自軍の歩みを止められ、圧倒的な砲兵の火力で反撃されて、止めは騎馬鉄砲を含む騎兵により蹂躙されて敗走だろ、スペイン帝国のテルシオやオスマン帝国軍主力相手では。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/26(月) 20:27:12
ヨーロッパ>>>オスマン>>>>>日本
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/26(月) 21:43:14
>>334 またお前かw
そんな一般論では盛り上がらないじゃないか。
常備軍なんて、戦国時代と同時代にはほとんどないし、まだ近代的軍隊と
よべるようなもんでもなかっただろ。
日本でも常備軍は信長からだから、同時代的には大した違いはない。
つか、なんで西洋の軍隊に有利な戦術を展開できる立地を選ぶの?
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/27(火) 23:00:58
馬が小さいのはモンゴル騎馬隊と同じ
小さい利点は足が地面につく事で武器を振り回す際の安定感が増すのと長距離を走る体力があるという事
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/31(土) 23:43:44
馬がでかくても装備が重たいと意味がない。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/01(日) 23:10:12
>>330 >丈夫なでかい剣をぶん回す西洋兵の方がパワーあるよなw
パワーあっても白兵戦に持っていくまでの過程が…
日本は弓、火縄銃の登場で銃がメインだし。
騎兵で行くでも長槍の槍衾怖いよね…
重装備で落馬すると…
外国の馬だと日本の様な地形だと全然走れないよ…
どういう地形、環境かが大きいから何とも…
銃メインなら西欧やオスマンの方が上だろ、しかも日本は騎兵隊や砲兵隊が駄目だし。
野戦築城と槍襖で中世軍隊の織田信長軍の進撃を食い止めて後は砲兵隊を使って圧倒的な火力で射すくめて、騎兵の迂回突破で蹂躙すれば日本の歩兵隊は敗走の悪寒。
スペイン帝国正規軍やオスマン帝国正規軍で戦国日本と戦うならあらかじめ野戦築城と砲兵隊、騎兵隊、歩兵隊の三兵編成の近世軍隊用意出来れば勝てそうだろ。
フィリピンで植民地警備軍隊相手なら日本は勝てそうだが正規軍団のテルシオ相手では兵員の数と物量で圧倒しないと負ける、こんな感じだろう。
まあガレオンが建造可能かが課題だが。
豊臣南洋派遣軍団
総大将、豊臣秀次
南海奉行、加藤清正
軍略家、黒田如水、黒田長政
兵站補給、小西行長
増援部隊、石田光成
これら豊臣常備軍が琉球、台湾(台北)からルソン、インドネシアに侵攻と仮定。
防御側のスペイン帝国軍は、フィリピン、植民地警備軍隊。
インドネシアに増援、アレッサンドロ・ファルネーゼ(パルマ公)率いるスペイン帝国正規軍団のテルシオが防御側との仮定で東南アジアのジャングルでの戦い。
後豊臣水軍担当は九鬼守隆、後、山内一豊、島津豊久も豊臣南洋派遣軍所属の仮定。
ガレオン船並みに外洋航海出来るようになった最初の日本船って出てくるの幕末ぐらい?
和船にはそも竜骨なかったんだよね?
345 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/03(火) 06:11:08
いやそれっぽいのは既に豊臣時代末に出現して、東南アジアにせっせと
出かけていってる。完成品は伊達の遣欧使節の時。
西洋科学の計算も無しにさっさと作ってしまうのが日本の凄さwww
346 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/08(日) 10:56:13
怖いもの知らずというか・・・・・w
まあ
>>342、
>>343の設定で東南アジアでスペイン帝国正規軍のテルシオ相手に痛い目に有って信長なり秀吉なりが敗北から教訓を学べるかどうかだな。
日本は歩兵まずまずでも騎兵、砲兵がダメダメだから兵員数など物量で圧倒しない限りは勝てない。
いかに無敵で完璧で優秀な後期テルシオでも、それだけじゃ戦力不足じゃね?
日本は10万クラスを編成できる能力があるよ?
取り敢えずフィリピン、インドネシア、東南アジアでの戦いとの仮定ならば、ジパングでパチモノガレオンの建造とパチモノガレオンの戦闘方法をマスター出来れば兵員の物量戦で正規軍団派遣軍のテルシオにも勝てそうだが。
倭寇ぐらいしか経験ないのに無理だろ
あれ?輸送は考える事になったん?
取り敢えず劣化コピーの劣悪パチモノガレオンが建造出来ないとな。
大戦力を半島に送るテクノロジーはあるね
354 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/13(金) 23:54:01
兵站技術はあったのね
オスマン帝国軍がコンスタンティノポリスを大砲で城壁を吹き飛ばしたように。
当時の日本にまともな砲兵隊やまともな騎兵隊があったら関ヶ原合戦の戦況が変わったり、大坂の陣で砲兵隊の大砲や火薬ロケットの一斉射撃で大坂城が吹き飛ばされたりしないとな。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/14(土) 08:35:55
西洋兵力の過大評価してっるのって一人だよな?
そのために日本側の評価をてきとーにしてしまうのはどうかと思うんだが。
関ヶ原でも、あんな狭隘地に二十万がひしめき合って、それも各部隊の連動
も弱くて、どのように騎馬隊を効率的に運用するのか具体的に説明してくれ。
日本も時代は武田軍団から鉄砲装備の重装歩兵の時代なんだが。
東南アジアの場合、日本よりは大平地は多いが、同時に当時は日本ほど開け
ておらず、大兵力を単純に平面配置するには困難な場所がほとんど。田んぼ
の中で戦う経験は日本の方が多かろうw
当然大砲の移動も困難で、所期の性能を発揮するのは難しい。中口径の火砲
は日本の方が数が多いし、そもそも火力が戦局を規定するのかどうか。氷河期
の後植物の粗放地帯である欧州で育ったテルシオが、東南アジアでどう展開しう
るのかは興味深いが、機動性のないでかい方陣が複雑な地形で機能しないのは
明白で、地形に応じて寡兵を運用する日本の戦い方の方が地形面からは有利と
言える。
>>355 なめんな!
大阪の陣にどれだけ砲撃が飛び交ったのかしらんのか!
コンスタンチノープルの砲撃って、ぜんぜんあたんねーじゃねーか
うん。和製大筒三百門にカルヴァリン砲、ただ仰角の付け方とかあんまりわかってなかったみたいで、
天守直撃はたまたまと言われてる。これは運用技術の問題で、関ヶ原以後戦争が無く、最新火砲に
まだ慣れてなかった。
確かに大砲の技術についてはまだ西洋の製品に追いついてはいなかったが、コンスタンチノープル
攻城戦だって結局砲撃で落としたとはいえないし、装填に2時間もかかる大砲を騙されて使ってたり、
ヨーロッパの歴史と戦史を変えた戦いにしては笑いどころも満載だし。
攻城戦用の重砲なんて第一次大戦まで作れなかったわけだし、そもそも築城技術では日本の城が
最優秀だったわけだから、コンスタンチノープルが落ちても大阪城は無理だったと思うよ。高い土塁
の上に巨石を被せた城壁は当時の炸裂しない砲弾では「吹っ飛ばす」なんて無理。
つうか、そもそも「東南アジアで」のifがテーマなら、重砲でないと落とせないような本格的な城郭建築
は双方無理があるんだが。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/15(日) 10:25:48
日本の惣構えはただの城壁じゃなくて土台の上に町があるもんなw
それ全部崩すとか無理。
大阪城>>>>>小田原城>>>>>>>>イスタンブール
360 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/20(金) 23:46:00
大坂城つぇえw
小田原城>>>>コンスタンティノープル
>>330 産業革命前の西洋人はちっさいよ
オランダ人とか平均身長150センチくらいだったはず
植民地支配と産業革命を経て、今の巨人オランダ人が出来上がる
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/29(日) 17:55:27
小田原は山の上にあるけど、大阪城は別に土台の上にあるわけじゃ
ないだろ。むしろ川がいっぱいあって、橋を落とされたら大変だが。
365 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/06(日) 10:46:40
366 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 09:24:57
367 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/13(日) 10:09:02
陸上戦闘能力では、当時世界最強ではあったと思う。
ただ海軍が未発達もいいところだから、
本宮ひろしのマンガのようにはいかないな
騎兵部隊と砲兵部隊がいないのが大きなハンデ。世界最強とか夢物語に過ぎない。
もちろん、有利な地形・気候条件で戦うとか、数で押すとかすればどうにかなるかもしれないが、
そうでなければまるで話しにならない。
なぁ、16世紀の砲兵ってどんだけのもんなん?
騎兵ってどんだけの量をそろえられるか考えてみれば?
つか、軍事は数なのに、数を無視すればとか
なんのロマンチスト?
370 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/19(土) 10:54:06
ロマンチスト^ ^
>>369 どちらも少なくとも実用に足るものですよ、あった方が有利なのは間違いない。
それから、数を無視しろなんて一言も言っていない、
数で押せばどうにかなるかもしれないと言っているのだけど?
そして、その数でも明だのオスマンだのには劣るから、
世界最強とかが夢物語に過ぎないという結論にも変わりはない。
テルシオなのか、オスマンなのか
はっきりしてくれ
で、砲兵はどのように
日本兵に対して実用性に飛んでいたのか
論拠を示してくれないか?
>>372 例えば、1512年のラヴェンナの戦いのように、
野戦でも野戦築城を施し、互いに相手の陣地に対して砲撃が行われるようになっていた。
日本でも長篠の戦で信長が野戦築城を行っているが、
相手側に砲兵がいては一方的にやられるだけで、まるで相手にならない。
それから、
>>367が世界最強などと大風呂敷を広げているのだから、
相手側に何を持ってきてもおかしくはないでしょう。誰もテルシオについてだなんて限定していなし。
まあ、少なくとも日本の地形ではテルシオの運用は結構難しいだろうとは思うが。
>>373 それはフランス軍だぁぁ
何?日本が相手にすると仮定してる軍ってのは
全ヨーロッパ、オスマン共同帝国とかそんな感じ?
そんな夢の帝国相手の夢物語?
つか、風呂敷広すぎね?
テルシオの運用が難しい地形に
当時の用と機動のとろい砲兵が使えるとか
なんの輸送魔法?
あと、方陣ひいて、長槍使う程度は普通だからね
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦
でも見てもらえませんかね?
>>374 フランス軍のスペイン軍も砲撃くらいしている。で、なんで全ヨーロッパとかそういう話になるの?
比較対照は同時期の他の国々に決まっているでしょう、別に連合など組む必要など何もない。
軍の編成等ではヨーロッパ諸国やイスラム諸国に劣り、動員兵力ではオスマン・明に劣る。
だから、世界最強だなんてのは夢物語に過ぎないって話。
それから、地形とかが有利ならどうにかなるかも知れないなんて事は、こちらの方で最初から言っている。
ヨーロッパ諸国等兵力に劣る相手なら、数で押せばどうにかなるかも知れないとも。
まあもっとも、互いに陣地を築いて向かい合うような形になれば、
日本でだって砲の運用は当然可能だし、有効だろうけどね。
>>375 んじゃ、なんでテルシオは数で押せばいいという
反証にオスマンは兵力は十分とかいう反証が出てくるのか
君の認めているようにヨーロッパ諸国には数で勝てる事は明白
(編成も傭兵主体のヨーロッパに負けるのも考えにくいが)
ということはヨーロッパ諸国やイスラム諸国と戦争をすれば勝てるわけだ
で、世界最強はどこよ。オスマン・明なのか?
少なくとも現在3強になってるぞ。
明には勝ってるから、現在2強だな。
>>376 だから、最初からテルシオだのオスマンだの、対象を限定した話じゃあなかったでしょうが。
>>367へのレスから始まっているのだから。
で、ヨーロッパ諸国に数で勝てることは明白なんて言っていないが、
最初から、「数で押せばどうにかなるかもしれない」と言っている。
砲兵隊・騎兵隊の存在しないという不利を、数や地形で補える場合もあるだろうという話、
数さえ揃えれば必ず勝てると言うほど簡単にはいかない。明相手なら逆に数で圧倒される可能性もある。
オスマン相手なら、有利な点はあまりない、よほど都合の良い地形でも設定しないと勝ち目は薄い。
それから、別にどこが最強かを論ずるスレではないと思うが?
こちらの見解は、当時の日本の戦力はヨーロッパ諸国には編成等で劣るが、数では優勢。
オスマン相手に考えるとどちらも劣勢。明には装備で勝るが、数では劣るといった処だろう。ということ。
>>377 夢物語と揶揄する以上、そのレベルに達していない事を嘲笑している事に対し
十二分に、各国の軍事能力と拮抗し、勝っている証拠を提示しているわけで
というか、オスマンの動員戦力に勝りテルシオの編成能力に勝らなければ
「最強戦力ではない」という仮定が間違っていないのか?
砲兵隊・騎兵隊の動員戦力が局面を左右できる程の数ではない以上
それがあるからどうしたと言うのか?
つか、砲兵隊・騎兵隊がどれだけ日本軍に通じるか?
つか、君の意見はスレの意図としてどのような意見になるのか?
「十二分に当時の日本の軍事力は各国に対してひけをとらない」
ので、世界で通じる軍事戦力である、ということか?
いまだに新聞なんて読んでる人本当にいるんだよ?
年間購読料(48000円)でパソコンが買えるなんだよ
>>378 どこで勝っていることを提示しているのよ。そんなものはどこにも出してもらえていないと思うが?
当時のヨーロッパ諸国の動因兵力は、日本には及ばないといっても、各国毎10万近くにはなる。
それぞれが局面を左右できないほど少数ではない。
そして、長篠の戦で日本でも野戦築城と火縄銃の組み合わせは有効だと証明されているが、
それに対して効果的な、砲撃という戦術が日本に皆無である以上、
そういう戦術を駆使できるヨーロッパ諸国に対して不利なのは間違いない。
また、騎兵部隊の機動力と衝撃力は、機関銃と戦車が発明されるまで、戦場で有効なものであり続けたが、
それも日本にはほとんど存在しないのだから、この点も不利であるのは間違いない。
で、世界で通用するかどうかというなら、
>>377の最後の段落の書込みで理解してもらえると思っていたのだが、
通用はするだろうと思う。上記の不利も数的優位で挽回不可能なほどのものではないので、
上手くすれば勝てる場合も当然ある。しかし、数でも優位ではないオスマン帝国相手ではかなり分が悪いし、
間違っても世界最強だなどとは言えない。
>>380 いや、その前に16世紀ヨーロッパ諸国で
10万(近い?)の戦力を投入できる国ってどこ?
>>381 例えば16世紀フランスはネーデルランド・ロレーヌ・イタリア・ピレネー山脈等の各戦線に、
それぞれ数万の兵力を維持していて、総兵力は15万近くに及んでいたし、
そのフランスと対峙し、オスマン帝国とも対立していた神聖ローマ帝国の兵力もそれを凌いでいた。
また、1588年のアルマダの海戦の際スペイン軍は3万を派遣しているが、
同時にオランダ独立戦争におよそ8万を投入していた。
その上ユグノー戦争にも介入、無論オスマンとの対立も解消されていないから、そちらの戦線も空には出来なかった。
まあ、「ヨーロッパ諸国」という言い方は正確ではなかったかもしれないが、
当時のヨーロッパの大国なら、10万を越える兵力も実際に動員されている。
軽く30万を超える動員が可能な日本には及ばないが、まるで相手にならないというほどの兵力差ではない。
383 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 21:55:34
,,,,,,,,,,,,,,,,
,,、-'''"´` ´``"''-、
/ \
/ ヽ
| ∧ ____ ∧ |、
/ | ::::: \ / ::::\ なで斬りにしてくれる
(_/ヽ \/ /ヽ_)
\ /
\-、、,,,,,__,,,,,,,、,/
( __) (__ _)
384 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/24(木) 22:47:50
まあ普通の感覚なら全ヨーロッパなんて話を想定してないことぐらいわかるけどな。
当然どこかの国とどこまで渡り合えるかってことだろ。具体的な事柄を出し合わないうちから
どっちが強いってことに持ち込むから紛れるw
鎧・・・個々の防御は欧州、軽さ(機動性)で日本 ※これは表裏一体だからねー。ただ、日本
も対鉄砲戦闘にシフトして西洋風胴丸が広がりだしてたのも事実。
得物・・・日本刀は、切れ味はいいが鎧には無力に近いので、西洋の剣の方がたたき合いは
有利。槍は日本も長槍あったから互角。
銃器・・・大砲技術は圧倒的に西洋。ただ、機動性は全くないので、持ち運び容易な国崩しも
有効。銃はむしろ日本。冶金技術や改良技術は世界一といってかまわない。
騎兵・・・練度は西洋の方が上。日本でまともな騎馬軍団を運用できたのは武田(笑)くらい。
ただ、馬のでかさの有利不利ははこれまた地形によって変わってしまう。(exモンゴル軍)
個人の能力・・・膨大な常備軍を持っていた日本の方が上と見る。体格差は無視できないほど
大きなファクターだが、西洋の十倍の支配階級(武士)比率は凄まじい。ラコンキスタ後
のスペインが新大陸で働いたジェノサイドと朝鮮の役での日本軍の蛮行は、どちらも恐
るべき狂気だが、なら多い方が勝つ理屈で。
戦術・・・大平野での複雑な部隊運用技術は日本はあまり発達していない。一方山地での戦い
は日本の方が上だから、これは決戦場に左右されるという感じ。
築城技術・・・日本。ただ、本格的な惣構えはともかく、野戦築城での砲撃への防御能力は無
に等しい。
船・・・火力−日本、航海技術−西洋。 馬鹿みたいに大砲を並べてもガレオン時代にはかなり
無駄だった。むしろ近海の複雑な流れを読む技術の方が重要ではないのか?
個別に論評頼む。
>>382 スペインが最大戦力を持ち総戦力15万くらい居たらしいと聞いた事はあるけど
スペイン破産してんけどな
動員戦力が10万になるとは知らなかったので、ヨーロッパに詳しい
友人に調べてもらっているので保留
16世紀の砲兵の能力も調べてもらっている
自分の知識ではトロくてまともに陸上では運用できない兵器
まともに使えるように使えるようになったのは17世紀
30年戦争以降だと思っているのでな
兵力動員も17世紀以降から10万単位になっていた気がしたが
まぁとりあえず保留
>>380だが
天下一軍事大戦があったとして、優勝=最強国とした場合
僕らには下馬評を作る事しかできないが
優勝候補はオスマンで二番目が日本なわけで、こんなに強力な軍事力がある国を
優勝なんて夢の夢と言い切るのは無理があるのな。
あと明は大砲たくさんもってた気がしたが、どうだっけか?
>>382 ほい、聞いて来た
>兵力差
フランスの全陸上戦力は17世紀初頭で6万5000
(16世紀はさらに少ないだろうとの事)
対外戦争での最大動員数は2〜3万(ほとんどがスイス傭兵、傭兵はずるくね?)
秀吉では対朝鮮での動員数が最大なので17万
>騎兵と砲兵
大砲だが、僕が思っていたよりもマシみたいだけど
実用になるには30年戦争を経なければならなそうだな
君の好きな騎兵だがイェニチェリやテルシオを見るように
主力は騎兵から小銃を持つ歩兵に転換するのがこの時代なのな
過大な期待はやめておいた方がいい
たぶんに君が想像していたヨーロッパ最強軍団は17世紀だと思う
17世紀末になると太陽王が45万もの大軍を要して覇権を繰り広げている
7倍近い増え方は凄いね、この頃の砲兵の活躍も戦術も確立されてるし
日本太平の世を満喫し100万都市があるものの、ヨーロッパの敵じゃないのな
>>384 そこまで細かい詳細はよくわからん
銃の保有数とかも知らないし
ただ騎兵の数は相対的に考えて、
日本の方が多いだろうね
小回り効きそうだし
あと、日本の鎧も大概に重いよ
歩兵(銃持ち)は欧州は鎧軽いし
>>385>>386 1558年にアンリ2世はフランドルとの国境に5万の軍を展開している。
当然ピレネー山脈からイタリア及びドイツ国境の守備兵はかなりの数必要だし、
国内も兵力を空には出来ないだろうから、全陸上兵力が6万5千以下のいうのはありえないよ。
砲に関しては確かに、三十年戦争で改良されたがそれまで使われていなかったわけではない。
>>373で示したように実際に使われているのだから、実用にならないなどとは決して言えない。
騎兵も騎士の突撃一辺倒の時代から比べれば、歩兵の重要性は大いに高まっていたが、
それによって騎兵の有効性が失われたわけではない。
側面攻撃や敵陣形の乱れをついた突撃等、機動力を生かした戦術はいまだ極めて有効。
そして、これらの戦術を扱うには機動力を確保する為、騎兵のみで編成された部隊が不可欠だが、
この点が日本は大いに劣っていた。
つまり、騎兵のみで編成された部隊がほとんど存在しないから、上記のような有効な戦術が使えない。
仮に騎兵の総数で勝っていても、ほとんど無用の長物としか言いようがない。
だから「小回り効きそう」なんていう感想は全くの的外れそのもの。
結局部隊編成・戦術運用については欧州に軍配が上がると言わざるを得ない。
というか、砲兵や騎兵やその運用について、その程度の考え方しかなかったのにいろいろ語っていたなら、
申し訳ないが、あなたの認識はあまりにも甘過ぎるとしか言いようがないよ。
それから、加えて言うなら、優勝=最強国という理屈はおかしいと思わないかい?
私も渡り合うことは出来るだろうと言っているのだから、
リーグ戦だろうがトーナメントだろうが、仮に設定するなら日本優勝の可能性はあると思うよ。
渡り合えるって事は勝てる可能性だってあるだろうってことなんだから。
しかし、優勝出来るかもしれない、だから最強かもしれないなんて理屈にはならない。
>>384 まず、戦国時代の日本の軍隊を大規模な常備軍とは言えないでしょう。
いわゆる兵農分離は信長時代も後期にならなければ進まなかったし、
秀吉の頃ですら完全に実現したとは言えない。
逆に16世紀の欧州の軍の方こそ、その多くを傭兵に負った常備軍となっていたし。
築城技術に関しても、ヨーロッパのほうが上と思う。
対砲撃用に考案された、いわゆるイタリア式築城は砲撃に対して極めて堅固で、
兵糧が尽きるか裏切り者が出ない限り落城しないと言われたほど。
対して日本の戦国時代の城郭は、関ヶ原の戦いで実際にいくつかの城が大砲で攻撃されると、
その多くが短期間に落城してしまった。
この反省に基づいて再構築された関ヶ原後の城は、戊辰戦争の時ですら通用したほど堅固だったらしいが、
それは戦国時代の城とはいえないでしょう。
無論、大坂城のような最大規模の城なら、砲撃くらいでは早々落ちなかっただろうが、
守備に兵力を必要とし過ぎるのは問題だと思われる。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/26(土) 22:20:30
>>386 ふむ。たしかにそうだな。
なら、やはり日本の軍事力がピークを迎える朝鮮の役から大阪の陣までの同時期の
欧州との比較、とルール設定をしよう。それで住人の皆さんよろしいか?
兵器を含む軍事の技術なんてのは、一回の戦闘毎に進むまさしく日進月歩なわけで、
大阪の陣以後すぐ退化していった日本と欧州では大差になってしまう。
あくまで、秀吉の統一後の、戦闘マシーンが巷に溢れ、最も殺気立っている時期でない
とだめだろう。
騎馬軍団については、
>>388の言う方がもっともだと思うよ。欧州や中国北方民族のよう
な大規模な騎馬軍団など存在していない。武田でさえ山県や馬場でも三百程度だから、
大規模戦闘において戦局を変えうるほどの力など全くない。大規模部隊の編成やそれに
伴う戦術的進歩は日本は進んでいるとは言い難い。
もし仮に、信長や秀吉が明を一時的に征服し得たとしても、中国の大平原でヌルハチ・ホ
ンタイジの騎馬軍団には到底抗し得なかっただろう。
>動員戦力
5万はグラブリーヌの戦い?スペインに負けた奴?
5万も投入していたのか、これは調べる
ただ5万でも17万相手ではそう変わらないけどね
あと総戦力とは矛盾しない。上にも書いてあるが
傭兵が主力だから
>砲兵
機動力も扱いも難しいので運用が限られている。
思うような実力を発揮するのは本当に稀。
軍編成にどれだけウェイトを占めていたかを
調べればわかるよね?
>騎兵
鉄砲の誕生により騎兵突撃は本当に実用が難しくなっている
君が思うような戦果は期待できない転換期にある。
これはヨーロッパ史としても普通の考えだと思うのだが
日本の歩兵も明の騎兵隊を撃退したしね。
あと日本にも騎兵隊は存在するよ?割合が少ないだけで。
相対兵力としてはフランスよりも多くなるけどね
伊達の銃騎兵隊なんてのもあるね
>>388 >小回りが利く
これは日本の騎兵とヨーロッパの騎兵の運用の差を理解しないといけないのな
日本の馬はヨーロッパの馬とは違いパワーが無いのでランスチャージには向かない為
主な戦術が騎射なんだわ。これは直線的なランスチャージと違い
機動力と小回りの問題になる。
>部隊編成・戦術運用
これは日本の部隊編成・戦術運用をご存知ないからでは?
普通に発達してるよ。
特にフランス等は傭兵戦力に依存するため、部隊編成では劣るね
だからテルシオが強いんだけど(破産するけど)
>最強国
自分が言いたかったのは、優勝候補に名前の挙がる強国であるという事
君の最強国の定義を聞かせてもらいたいものだ
夢物語と揶揄するぐらいだから、なんか定義があるのだろ?
>認識が甘い
というよりも、君の想像は、どうも、一辺倒過ぎる
>>391 武田の騎馬隊は、騎馬隊じゃないってのが通説になってるね。
ただ、部隊編成上の騎兵隊というのは存在してるよ
例えば伊達を初め奥州の騎兵隊とかも有名だね
んで、ヨーロッパでも17世紀になると鉄砲の戦術の改革が起きて
騎馬戦術が花開く、騎馬、大砲、歩兵の部隊編成になるのはその時から
鉄砲のおかげで16世紀は騎兵の存在感が薄くなった時代でもある
>>391 時代設定としては同意。
小国が乱立して日本以上に恒常的に戦争が続いている所に出現した産業革命
や科学技術革新、一方の日本や中国、朝鮮のアジア的停滞。16世紀には差が
なかった東西の差が開いてしまうのが17世紀で、これは勝負にならない。
一時的に外に向き、実際に山田長政とか南方交易とかもあらわれた時代の日本、
そうでなければリアリティーがないよね。
じゃあ、具体的に見てみよう。お題は・・・・・。
戦国末期の、例えば朝鮮侵攻軍vsオランダ独立戦争のオランダとか、大阪夏の陣
の徳川軍vs三十年戦争のスウェーデン軍とかどうですかな?テルシオをバラバラで
動く寄せ集めの日本軍が破れるのかどうか。
>>390 秀吉の時代は常備軍(傭兵とはまた違う)としても問題なさげだけどな
自分が出していたフランス6万は常備軍という形の戦力
それに傭兵を加えて対外戦争を行う
というより傭兵のウェイトが大きい
日本で傭兵として有名なのは大阪夏の陣の真田や
九州平定の黒田如水の軍
あと、トリップつけてくれないか
過疎と思っていたが結構人様の書き込みが多いので
で、自分の調べたものはWikipediaの騎兵や騎馬隊とだいたい同じ主張だったので
まぁひとりよがりではない事を確認してもらえると嬉しい
>>395 30年戦争で砲兵が花開き、騎兵戦術が生まれるから日本も厳しいが
対朝鮮とは50年くらい差があり、未来の軍との戦争になりそうだな
あと、バラバラの軍隊って考え方なんだが
日本の軍はよほど纏ってるよ、
ヨーロッパは傭兵戦力(忠誠心と命令系統に問題あり)が主力だし
テルシオは一部の効果的な戦力に過ぎない
つか、テルシオスペインの戦力だし、
当時独立戦争は寄せ集めじゃね?
391だが、とりあえずスレ専のコテにしよう。俺の主張は「国友の技術力こそ最強」
つうことでw
>>396 その通り。半農半武士から、完全に独立した武士階級が最も多数分離したのが戦国
の終了。それでも関ヶ原後、大阪の陣後は膨大な浪人が出現した。いわば、刃物の
ような危ない奴が巷に溢れていたわけで、武士階級のイデオロギーもこの時以後出来
上がったにすぎない。武士階級の人口は人口比5〜8%、多くて200万人いたとも言わ
れており(非戦闘員含む)、それ以外にも帰農している準武士、足軽から転じた中間など
の奉公人を合わせればもの凄い人数になる。
ひとえに日本の高い生産力が支えていたわけだが、こんな連中が公務員としてはろくな
仕事もせず江戸初期は稽古に明け暮れていたわけだ。最も恐るべきは、この人数かもな。
>>397 厳密にはそうだが、同様のスタイルはどこも真似たり改良したから、いわゆるスペイン方陣
だけに限定して使う必要はない。
戦いのルールとして、一度の勝敗で決着とするかどうかも大きな要素だな。日本は改良技術
も長けているから、一度破れても人数的には再挑戦が許される国力がある。部隊組織の緊
密さ、戦闘での練度は日本の方が優位だから、武田信玄のような部隊運用技術に長けた大
将が20万を動かせば、テルシオ相手でも相当だろうとは思う。
う〜ん、秀吉軍がオスマントルコにどれだけ食い下がれるかを考察する為にオスマントルコを調べていたら、意外に秀吉の方が強そうだぞと
動員戦力も第二次ウィーン包囲が最大の対外戦争だと思うのだけど15万だ。秀吉の対朝鮮の17万よりも少ない。火器も日本の方が多いみたいだ。
凄いね日本
>>398 方陣自体は対テルシオの方法として模倣されているが、それでもテルシオが優勢だったのは常備戦力だったからみたいだね。
傭兵は防御型の戦術である方陣同士の我慢比べに根をあげるようだ。
しかし対テルシオに有効な戦術として常備軍によつ火器と長槍の方陣があるみたいで
これってまんま日本の戦術だから、この時代において実にモダンな戦力だったと言えるなぁ
400get!
401 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/31(木) 10:47:08
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq22.html ふぉ。この手の質問は何度も出るようじゃから、少し背景を説明しておこうかの。
戦国末期の日本が世界でも有数の大量の鉄砲保有国で、かつ戦場における鉄砲の集中利用の戦術面でも突出しておったという事実を,
一般人向けの書籍で実証的に指摘したのはノエル・ペリンじゃったな。20年ほど前に、改めて指摘された日本人のほうが驚いたものじゃった。
この話は、日本の自虐的な歴史教育を見直そうという連中にもてはやされたもので、かなり一般に誇張して伝わった面があるようじゃの。
じゃがな、ペリンが驚愕すべき事実であり、今日の世界が学ぶべき歴史であると世界に紹介したのは、
日本が短期間に世界一の鉄砲保有国となったことではなく、その後に一転して軍縮を徹底して行い、
事実上、当時の最新兵器であった鉄砲を放棄したことのほうなのじゃよ。
16世紀末に世界最大の鉄砲保有国、おそらくは世界有数の軍事力を持っていたことを名誉と考えるか、知られている限りでは世界の歴史で唯一、
自主的に最新兵器を廃棄し、徹底的な軍縮に成功した国が日本じゃったということをのほうを誇りとすべきなのかは、ま、自分で判断することじゃな。
さて,そのペリンの本じゃが、かなり事実誤認の多い代物らしい。
銃砲史研究者の宇田川武久は著書『鉄炮伝来』(中公新書,1990年2月)のあとがきで,いくつかの問題点を指摘している。
それにじゃな,軍事的に見れば,装備のレベルと動員兵力の大小が、戦闘の勝敗を決めるわけではないのじゃよ.
兵士たちの士気、指揮体系の確かさ、訓練・実践の経験の多さ、資金と食料の調達。
そういうバックグランドがあってこそ、強いかどうか判断されるべきものじゃよ.
数比べで「最強」を判断するのは、いささか短絡的じゃな.
また,海軍が弱いので外征に向いてはおらんしの。
防衛戦力としては世界でも当時トップ・レベルじゃが、外征軍隊としては三流というところじゃろうの。
世界で通用する=最強じゃないんじゃないか?
対等に渡り合える実力が在れば、それで通用すると言えるんだと思うが
そのサイトはあまり信用しない方がいいよ
>>401 読んだ、面白かった。
でも秀吉軍って士気も高いし、
指揮系統も略奪の少なさからも確か(そのサイトに書いてある)
訓練・実践の経験の多さも折り紙付きで
恐るべきは17万の大軍の補給の乱れが無い
そして装備のレベルと動員兵力の世界最大規模なんだから
凄くね?
海軍装備が貧弱なのも認めるところだけど
17万を無事渡海させたわけで、これって結構凄い能力だと思うのだが
半島戦力を迎撃したりしてるのに、三流って、ひどいよね
関ヶ原当時で鉄砲装備率が5割とも言われるが、これは驚愕の数字。
まだ決戦兵器という程の運用はされていなかったが、朝鮮全土を蹂躙した鉄砲の
威力は凄まじかった。
碧蹄館の戦いで明軍の強力な鎧と騎馬、それに大砲攻撃に遭遇したから、これを
詳細に分析すればヨーロッパ勢との戦いのシュミレーションも出来そう。
朝鮮人を切りまくった恐怖のサムライソードも、明軍の装備には全く役に立たなかっ
たから、日本軍は驚愕したらしいね。更に戦いが続くようだと、日本刀すら捨てて槍
と脇差しと鉄砲だけになってしまったかも、なんていう説まであるw
関ヶ原で東軍が勝ってしまったので鉄砲の比率や長槍、弓などの旧兵器比率が高
く残ってしまったが、西軍が勝っていれば、その後の軍制は変わっていたし、百年も
すれば武士階級すら使い方もわからなくなってしまった長槍などより、明軍との血み
どろの決戦の記憶の方が優先されただろう。
その意味では、西軍が勝っていた方が、欧州やイスラム勢とそれなりの戦いを出来た
可能性が高い。最大動員兵力が、兵農分離前の七人役で実に130万人となるから、
碧蹄館で決め手となったように、兵数と小銃の集中を上手く運用すれば、世界最強
は決して言い過ぎじゃないと思うよ。それに、これだけ有機的に組織されながら、他
の国のような密集体形じゃない散開部隊っていうのも日本だけだから、テルシオや
大砲火力の集中のダメージも少ない。
406 :
国友最強:2008/08/01(金) 00:56:44
テルシオや大砲の砲撃にもあまり影響がないんじゃないかな。
>>404 海軍力については、遠洋航海船については確かに三流だよ。
ただ、これまでのスレの流れでは、近海での海戦技術は日本や朝鮮の方が
欧州勢より上って話になって来ている。朝鮮の役に無敵艦隊が乱入しても、
凄まじい近接火力攻撃には手も足も出ずに、壊滅だろう。
大砲を舷側に何十と並べても、流れが早く不安定な近海で、しかも背の低い
日朝の軍艦には命中しない。
計算とか科学も無しになんちゃってガレオンすぐ作っちゃうし、材料の木は無
尽蔵、それに大工や製鉄職人の腕は世界一。当時は既に、弥生時代のよう
な航海技術はなかったとも言われるけど、でもなんかやたらほいほい南方に
も出かけてるし、ベースはやっぱり海洋民族の面も色濃かったと思うね。
407 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/02(土) 21:04:40
>>391 騎兵部隊の運用についての話だが。
>明を征服できてもヌルハチの騎馬軍団に〜
これは、たしかに最初や二度目の戦いは負けたと思う。だが、三度目以降はどうだろう?
信長、秀吉ほどの知恵者ならば、真似て学んで、つまり敗因を徹底分析するから、
騎兵部隊作れたんじゃないかな。
緒戦の負けが致命傷になっていないなら、三度目以降の戦いは互角以上に戦える、と見る。
伊達家の騎馬鉄砲隊みたいな部隊もできてたらなおさらに。
408 :
某研究者:2008/08/03(日) 04:34:45
16世紀後半の西欧の騎兵は
槍も無く騎兵突撃もやらないピストル騎兵だから
歩兵相手では全く脅威では無いと言う事かも知れぬが
火縄銃の精度は西欧の物は瞬発式では無く
遅発式なので
精度は低く狙撃は無理だろうから
遠距離での撃ち合いに持ち込めば敵では無いかも知れぬが
まあしかし大砲は厄介と言う事は無いのかだが
軽砲なら即席の土塁で止まるかも知れぬが
重砲は可也強固な土塁で無いと
止まらないと言う事は無いのかだが
日本の城も土塁の上に石を貼り付けてあるなら
大砲で容易に陥落させられるのかどうかだが
散開して砲撃を切り抜けつつ
火縄銃の射程迄前進すれば
日本側が勝利する可能性は有るだろうが
近接戦に持ち込まれた場合
パイク兵は兎も角
ツヴァイハンダーを持つランツクネヒトに槍がやられる危険は無いのかだが
日本にも近接戦用の長巻兵と言うのが少数は居た訳だろうか
密集隊形である西欧のテルシオの機動性は低いから
近接戦に持ち込まれる前に銃で可也ダメージを与えられる可能性は有るだろうし
日本の散開した隊形(備)には大砲は有効では無いかも知れぬが
409 :
某研究者:2008/08/03(日) 04:42:11
まあ只16世紀後半でも
アンリ4世の騎兵はサーベルチャージと言うのも有るだろうし
トルコの騎兵は槍で突撃して来るなら
此れには対抗出来るのかだが
明の騎兵には野戦築城等無しで対抗できているなら
密集して槍襖を利用したり騎馬武者で迎撃していたのか
どうかだが
(騎兵突撃を多用していた南北朝時代迄なら
日本にも槍襖は有った様だが
戦国時代には有るのかどうかだが)
海戦もトラファルガーでさえ大砲で決着は付いていないし
レパントも含め白兵戦能力が重要だったと言う意見も有るだろうが
小型船で大型船を包囲して同時多方向から攻撃すれば
野戦での包囲と同様に
有利には戦えなかったのかどうかだが
410 :
某研究者:2008/08/03(日) 05:16:19
まあしかしレパントの時はトルコ軍が
同盟軍の大型艦の上方からの銃撃に苦戦したと言うが
トラファルガーの時も大型艦艇主体のスペイン軍が接近戦をやれば
英艦隊に対して有利に戦えたのかどうかだが
白兵戦に入る前に
そう長時間の銃撃と言うのは受けるのかどうかだが
411 :
某研究者:2008/08/03(日) 08:19:47
16世紀前半では西欧に槍騎兵は有るだろうし
此れを防ぐには城や土塁にでも篭って
弓を放つしか恐らく無い訳だろうし
土塁でも防げない様な重砲は土塁内部で
散開して回避すると言う手も有る訳だろうか
412 :
某研究者:2008/08/04(月) 01:03:04
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%88%80 >「刀はたいした事は無いが、前後左右に飛び回り、剣で斬ろうと近づこうにも、刀の方が長く近づきにくい。また、槍で突こうにも柄ごと両断されてしまう。」 とある。
倭寇は刀で槍を切り落としていた様だが
通常の兵はどうだったのかだが
野太刀以外では無理と言う事は無いのかだが
明軍も倭寇に野太刀をツヴァイハンダーの様に
槍に対して使われたから
敗れたと言う事かも知れぬが
日本側は槍の方が多かったと言う事は無いのかだろうし
長巻や薙刀と比べても野太刀は多かったのかどうかだが
正規兵も太郎太刀等が有るだろうから
野太刀は利用している訳だろうが
薙刀・長巻・野太刀を合計しても
テルシオのツヴァイハンダーやハルバード兵を迎撃可能な程の数は
有ったのかどうかだが
いいからとりあえずその読みにくい文体と日本語を何とかしてくれ
414 :
某研究者:2008/08/04(月) 03:14:09
415 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/04(月) 07:22:19
研究者なら自分でまとめてください。
結論だけを書くように。
>薙刀・長巻・野太刀を合計しても
テルシオのツヴァイハンダーやハルバード兵を迎撃可能な程の数は
有ったのかどうかだが
例えばこういう質問?にしても、自分でまず考えてよ。数的にはそんなに
あったわけじゃないが、お宅の聞いてるのは、「数」なのか「迎撃出来る数」
なのかもわからん。
某研究者さんはその読みにくい文章に定評があるコテ
軍事板とかに行くとよく会える
417 :
某研究者:2008/08/04(月) 18:43:41
立花宗茂が
歩兵に移動し乍ら銃撃をさせたと言うが
明軍の機動力の低い密集隊形に対して
散開した備えが銃を放った後後退し装填
敵の手銃の射程に入る前迄射撃をして再度後退・装填と言う事を繰り返したと言う
可能性は無いのかどうかだが
テルシオの遅発式火縄銃も手銃程では無いが精度が低く
移動速度も遅いならテルシオに対しても同様の戦術は
通用した可能性は有る訳だろうか
418 :
某研究者:2008/08/04(月) 18:54:44
騎馬武者も馬上筒で射撃した後後退し装填と言う様な事を
繰り返した可能性は無いのかだが
馬上筒も短い物では馬の的の大きさと言うのも有る訳だろうし
流石に一方的にアウトレンジと言うのは無理と言う事かも知れぬが
419 :
某研究者:2008/08/04(月) 19:09:57
騎馬武者は徒歩で後退等すれば疲労するだろうから
馬上から通常の火縄銃を
敵の銃の射程外から放って後退した後
徒歩の従者が装填
再度馬上から銃撃と言う事なら
或いは有り得たのかどうかだが
ただの独り言なら日記でやれよw
421 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/04(月) 21:24:25
話し変わって悪いけど
日本最強候補の武田や上杉、島津、北条軍なんかが中国の
三国時代の武将達と戦ったらどっちが勝つと思う??
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/04(月) 23:17:46
>>421 そら数的には負けるだろw
統一日本軍ならともかく。
424 :
某研究者:2008/08/06(水) 22:19:10
大型の馬に乗る胸甲騎兵を銃剣で阻止出来るなら
サーベル騎兵を長柄槍で阻止するのは無理なのか
どうかだが
大軍を集め、率いて目的地に到達し、展開する、そして兵站を維持する、という
基本的だけど大事な運動能力は充分以上に世界水準だと思う
戦国時代というか南北朝の頃から万単位の会戦が日本全国そこかしこでおこってる
万単位(現代でいえば師団級)の運動に関しての経験ノウハウを持つ将領級とそれを
実際動かすべき家臣団には事欠かない
世界で通用するかどうかってどうやって戦うか次第だと思うが。
仮に日本の全大名が結託して総力挙げて最強布陣を組んだとすれば強いだろうが砂漠でサハラ砂漠なんかで戦えば多分勝てないと思う。
仮にヨーロッパ諸国のどれかと戦うにしても相手国が日本以外と戦っておらず国内も対日で総力をあげていればわからないと思う。
何より攻めてくるのか攻められるのかに大きく影響されるはず。
427 :
某研究者:2008/08/08(金) 00:41:04
砂漠では槍騎兵に包囲殲滅されるリスクは有るだろうが
方円陣と言うのも有るから
包囲されても此れで対応は無理なのかだが
トゥールポワティエではイスラム騎兵の包囲に
フランク軍は
シールドウォール方陣で勝利している訳だろうが
騎兵の衝撃力を封じる為に
丘の上に布陣していただろうか
或いはアルスーフの様に川を背後にして
荷馬車を盾にすると言う様な方向なら
対抗は可能な訳だろうか
428 :
某研究者:2008/08/08(金) 00:43:41
ヘースティングスの様に
シールドウォールで足が止まった所を
斧等で攻撃すれば
騎兵は打撃を受けるかも知れぬが
ランスチャージにシールドウォールは通用しないから
長槍を使う必要は有る訳だろうか
429 :
某研究者:2008/08/08(金) 00:51:27
砂漠で走れる馬ってどんな品種改良?
>某研究者
この人が突然来たのは「戦国時代FAQ」が嫌いだから
検索で探し歩いてるから?
432 :
某研究者:2008/08/08(金) 02:34:23
433 :
某研究者:2008/08/08(金) 03:01:45
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021025b.html >では下馬した戦士たちはどのように戦ったのだろう。これに関しては、@の「切っさきをそろゑて」や、Cの「鑓長刀を差合て、透もなく」と「すきもなく、鑓長刀にて支えつつ」といった記述から見て、
>下馬した騎馬武者は、密集し集団として戦ったと考えられる。それではこれは何のために行ったのだろうか。それはおそらくは敵騎兵の突撃をくい止めるためである。そもそも騎兵というものは、歩兵の堅固な隊列を突き破る力は無いのであるが、
>それは歩兵の側に、騎兵の突撃を受けても逃げ出すことなく隊形を保持する、規律があればの話である。そしてこの時代の一般の歩兵に、このような能力を期待することはできない。
南北朝時代では下馬した騎馬武者を密集させて
騎馬武者の乗馬突撃の阻止と言うのは
行われて居た様だが
室町時代には有ったのか
どうかだが
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/08(金) 03:14:22
砂漠であの暑い中甲冑きて戦うかどうか。
当時の日本に砂漠仕様の戦闘服があるのかどうか。
当時の日本人にとって砂漠は自分の本拠地と同じような過ごしやすい土地だったのかどうか。
当時の日本の戦法が砂漠に適した戦闘だったのだろうかどうか。
当時の日本は砂漠で方位を知り砂嵐に対応し何より砂漠で生き抜く知識を持っていたのだろうか。
そもそも砂漠でオアシスの位置を知りカナートを掘る技術があったのだろうか。
435 :
某研究者:2008/08/08(金) 03:31:47
436 :
某研究者:2008/08/08(金) 03:47:11
>砂漠であの暑い中甲冑きて戦うかどうか。
>当時の日本に砂漠仕様の戦闘服があるのかどうか。
十字軍兵士もイスラム軍も鎖帷子を着ているが
鎖なら一応通気性は有る訳だろうし
下の綿入れにも通気性を増す穴が空いていただろうが
イスラム軍は鱗鎧の様な物も着ていたが
此れの通気性は余り無い訳だろうか
十字軍も砂漠仕様の服と言うのは有るのかだが
耐熱用のサーコートや
穴の空いた綿甲は砂漠に対応した物かも知れぬが
>>426 ヨーロッパは常備兵が少ないので総力戦がやりにくいみたいだね
総力戦でも6万と100万だものな
総力戦とか、団結とか想像しはじめたらファンタジーになりそうなので
対外戦争における動員数を基本として考えた方がいいんじゃないかな
また情勢不安は仕方がないんじゃないかな。それを含めて国力だもの。
日本も戦国時代はあったわけだし、統一したから強い兵力を派兵できたわけだし
>>408 アンリ4世の騎兵はサーベルチャージは一定の効果があったけれど
本格的に洗練されて運用されるのはその後じゃね?
ピあと、ストル騎兵は命中率が低く有効範囲が5mと聞いたけど、
大量運用されたの?
wikiみたら傭兵嫌がってるとか書いてあるね、ここも5mとか書いてある
438 :
某研究者:2008/08/08(金) 05:27:38
>アンリ4世の騎兵はサーベルチャージは一定の効果があったけれど
>本格的に洗練されて運用されるのはその後じゃね?
アンリ4世のサーベル騎兵は恐らく重騎兵だろうが
グスタフ・アドルフのサーベル騎兵は軽騎兵だから
衝撃力は小さいと言う事は無いのかだが
此れも日本側の槍で防げるのかどうかだが
より馬の大きい明軍の騎兵には
やられて居ない訳だろうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB >騎兵の持つピストルは、射程も命中率も低く、歩兵に効果的な打撃を与えられなかった。
>むしろ半回転したところで歩兵のマスケット銃に狙い撃ちにされることのほうが多かった。
30年戦争時の皇帝軍はピストル騎兵しか居ないだろうし
可也の数が運用されているが
殆ど無駄な兵種だったと言う事は無いのかだが
439 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/08(金) 18:19:48
日本軍がローマ教皇に宣戦布告すれば欧州団結軍との戦いになるか。
ふむ。300年早くWWUとなるわけかw
流石に全ヨーロッパの船団に海上封鎖されると、きついか。
441 :
某研究者:2008/08/11(月) 16:09:38
戦国時代も馬防柵成る物が有るなら
騎兵突撃は無かったのかだが
当時の呼び名では無い可能性も有る訳だろうか
442 :
某研究者:2008/08/11(月) 16:13:17
昔は砦のことを柵と呼んだりするしな
444 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/11(月) 21:20:12
BSイレブンの歴史のもしも
で色々話があがってたな〜
こうゆう話が好きな方は歴史のもしも見るのが良いかも?
次回は関係ない三国志だが
日本の場合家畜使用のノウハウが少なく、そのために大砲用の硝石が不足してたし、そのために騎兵、砲兵が弱体だからな、歩兵がまずまずの水準でも。
>>401 963 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 11:02:57
>>957 >さて,そのペリンの本じゃが、かなり事実誤認の多い代物らしい。
>銃砲史研究者の宇田川武久は著書『鉄炮伝来』(中公新書,1990年2月)のあとがきで,いくつかの問題点を指摘している。
「らしい」としか書かずに何ら具体的なことを指摘していないんだよな。
宇田川の本の引用すらしていない。
下段の部分は常識の範囲だが当時の日本軍の水準について、何ら具体的に論じているわけでもない。
>また,海軍が弱いので外征に向いてはおらんしの。
>防衛戦力としては世界でも当時トップ・レベルじゃが、外征軍隊としては三流というところじゃろうの。
この時代の水軍・海軍は陸上基地無しには活動できない、第一の役割は海上連絡線の確保だが
例えば朝鮮役の場合、釜山〜対馬間のそれは戦役中終始維持されていたわけだ。
半島西岸の西進を明・朝鮮水軍に阻止されたのは事実だが(陸上侵攻して港は奪取したりしてる)
外征に向いていないとまでは言い難い。
最強説の根拠は薄いし前半の部分は肯ける、しかし後半の「海軍が弱いので外征に向いていない」とか
「外征軍隊としては三流」と言い切るのも首を傾げるところだね。
まぁ軍事板常見問題の管理人が2chのレスを任意に取捨選択したものだから色々有るね。
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 21:15:20
日本は言い回しが特定できないよね
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/26(火) 04:55:19
アメリカ本土に上陸してれば征服できたかな?
449 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/26(火) 23:55:32
可能じゃね?戦術的・軍事的勝利なら、ネイティブアメリカンなんて敵じゃ
ない。そのような大軍を送り込めたとして、だけど。
ただ、追放食らった貧乏白人がしょうが無しに入植地を広げていったのと
違って、兵士のノスタルジーまでは如何ともしがたいし、アジアモンスーン
地帯の農業が全く成り立たないから、実際には植民地として成立するとは
とても思えないけどね。
精神的疲労を衝かれて毎夜の奇襲、食料の不足、兵力の分散・・・。
最後は負けて撤退するだろう。
450 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/27(水) 02:44:31
451 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/27(水) 05:46:18
別に輸送がどうこうの話じゃないよ。
あくまでも輸送抜きにした戦いだぜ?
てか、逆に日本に攻めてこられたら戦国日本軍はどう対処する?水際で食い止めるか、それとも内陸部に誘い出すか?
多分無理だろう。武士が猖獗を極め、実に全人口の4分の1が戦闘に参加できる
なんて国は、大人口を有する国としては極めて特異。
どこから侵入しても、守るに易く攻めるに難い、山また山で城や砦だらけ。地形毎に
戦術を判断できる天才軍師が必要だが、こんだけ複雑な国土だと、そんな奴いねー
ってw
それにテルシオのような大軍での戦闘が出来る大平原は皆無、平地でも泥田ばか
りで大砲の輸送など困難を極める。潮流も複雑で、気候も四季それぞれに難しい。
戦国自衛隊じゃないが、現代の米軍が1万来ても、陸上兵力では早晩元軍と同じ
結果に終わるだろうね。
米軍の湾岸攻撃を見る限り、近代戦では
とてもではないが
武士ではどうにもならない
454 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/31(日) 17:53:12
インカ帝国には勝てる
戦国時代で言うと、大体兵士として引っ張れるのは人口の10%くらいなの?
実際の戦ではそれが限度
>>452の言ってる4分の1というのは、多分戦闘経験のある人全部入れた数
(一向一揆や元兵士の年寄りなど)を入れてると思うよ。
当時の状況
外的環境
四季ありで多湿〜豪雪まで
潮流の多い外洋、唯一ともいえる内海(瀬戸内海)は更に潮流だらけ
国土の70%は山
内的環境
ガチで100年内戦やりつつ経済発展(これが世界史的に観ても異様過ぎる)
世界の30%前後の産出量の銀
国内動員力は30〜50万(戦闘を生業身分限定)
陸上兵力の10〜20%は火器装備(伝来から50年経っていない)
高い鋳鉄冶金技術
17c初頭の全欧州統一国家が陸続きで隣接していたとしても勝ち負けになりそうではある
徳川が黒船に無条件降伏するくらいだから秀吉じゃ無理だ。
大丈夫、日本には大和がある。秀吉でも大丈夫だ。
黒船ごとき、大砲の灰にしてくれるわ
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 07:32:45
本土決戦なら力は上って訳か
461 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 11:30:10
戦国時代の日本人の戦い方って、中国でいうと匹夫の勇なの?
教えてエロい人
462 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 13:04:26
残念ながら
あっぱれ見るよろし
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 11:43:35
なんかヨーロッパが過大評価されてるような気が。
当時の西欧なんかはみんなで力を合わせてやっと中近東の国々に抵抗できるくらいの
レベルだったんじゃないかと思う。
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 12:55:55
当時は日本の技術は圧倒的だし、鉄砲時代なら圧勝するよ。
圧倒的ではないけれど、世界でも高水準であるのは確かだと思う
鉄砲類は硝石の入手はネック
白兵戦も
サムライが同時代の西洋の歩兵と比較して
特別に精強だったとは断言できないし
砲兵と騎兵に限ればあきらかに遅れをとっている。
航海術や戦列艦も、それまでの日本の内戦で必要なかったという事情を考慮しても
ショボい
火縄銃の例もあるので弱点を克服できないとは限らないが
劣勢は否めない
またやるのそれ?
469 :
某研究者:2008/09/25(木) 01:12:27
20ー40列のテルシオには兎も角
数列の備に大砲を打ち込んでも
どの程度ダメージに成るのかだろうし
関が原でも300門程度の大筒は使われている訳だろうから
此れをテルシオが受けたら大打撃に成る訳だろうし
銃の精度も日本側の瞬発式火縄銃の方が
可也高い訳だろうか
騎兵もペルシュロンでの仏のサーベルチャージは脅威だろうが
小型の馬を使うスウェーデンのサーベル騎兵や
明や清の騎兵なら
シールドウォールでは防げないのかどうかだが
470 :
某研究者:2008/09/25(木) 01:18:42
縦深10列のオランダ・スウェーデン式大隊には
大砲でも余りダメージは与えられないかも知れぬが
銃が有る訳だろうか
471 :
某研究者:2008/09/25(木) 01:23:42
472 :
某研究者:2008/09/25(木) 01:30:59
>航海術や戦列艦も、それまでの日本の内戦で必要なかったという事情を考慮しても
>ショボい
大砲や銃の命中率も低く
鉄甲等を利用した防火対策も無いなら
信長の九鬼水軍の様に焙烙火矢でやられる可能性は
有る訳だろうか
473 :
某研究者:2008/09/25(木) 02:16:29
仏の大型軍馬の重騎兵は
地形を用いないと阻止出来ないだろうが
他の軍隊には地形を利用せず共
何とか勝てる訳だろうか
2000ほどの重騎兵が万の鉄砲に有効かというと疑問があるがな
475 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/25(木) 08:56:02
都合のいいところは拾っても
都合の悪いところは拾わないのな
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/25(木) 16:07:55
重装盾を使う戦術の西洋に、当時の侍は勝てないよ
盾を使う使わないじゃ大違い
477 :
某研究者:2008/09/25(木) 16:56:57
>2000ほどの重騎兵が万の鉄砲に有効かというと疑問があるがな
仏の重騎兵も1割以上は居るかも知れぬし
仏が10万動員出来るなら1万は居るかも知れぬが
銃も突入される迄1回しか撃てないのでは
地形が無ければ恐らくやられる訳だろうか
>重装盾を使う戦術の西洋に、当時の侍は勝てないよ
>盾を使う使わないじゃ大違い
騎士の盾は15世紀末
歩兵の盾も16世紀後半には廃れている訳だろうし
重騎兵も片手剣で下馬戦闘したら
果たして槍や両手持ちの刀に勝てるのかどうかだが
478 :
某研究者:2008/09/25(木) 16:59:08
15世紀の騎士が盾と剣・或いは短いポールアームを持って
騎馬武者相手に下馬戦闘しても
薙刀や槍で殴られて壊滅すると言う可能性は
有る訳だろうか
479 :
某研究者:2008/09/25(木) 17:07:20
>仏の重騎兵も1割以上は居るかも知れぬし
>仏が10万動員出来るなら1万は居るかも知れぬが
20万の日本軍が10万の銃を用意しても
1万の重騎兵の突撃を地形無しには
防げるのかどうかだが
480 :
某研究者:2008/09/25(木) 17:26:06
ポーランドのウイングフッサーの馬は
ペルシュロンなのかだが
(軽騎兵を重装化したのがウイングフッサーなら
馬は大きいのかだろうし
装甲も仏の重騎兵よりは軽量だろうか)
軽量な馬でもランスチャージをして来るなら
シールドウォールでは止まるのかどうかだが
481 :
某研究者:2008/09/25(木) 18:40:26
攻城戦でも
山を石垣で覆った日本の城に大砲が通用するのかだが
塹壕を掘って前進したとしても
日本の城の城壁と言うのは西欧の当時の城よりは高いから
上方からの銃撃は受けないのかどうかだが
482 :
某研究者:2008/09/25(木) 18:44:25
まあしかし日本側も西欧の城の土塁を崩せる程の
重砲は有るのかだろうし
塹壕を利用した前進と言うのも有るのかどうかだが
竹束を転がして前進しても城の重砲は防げない訳だろうか
483 :
某研究者:2008/09/25(木) 18:47:14
朝鮮の城は石を外したら崩れたと言うが
此れは明の城も同様なのかだが
西欧や日本の城ではこの様な方法は
恐らく通用しない訳だろうか
484 :
某研究者:2008/09/25(木) 18:55:14
朝鮮の城の防御砲に苦戦したと言う記述は
何故か無いが
野戦と異なり攻城戦では密集しているかも知れぬし
密集して此れを受けると厄介と言う事は
無いのかだが
(弓や銃弾なら竹束で可也止まるかも知れぬが
砲は無理な訳だろうか)
朝鮮の城の城壁を崩せる程の重砲は日本側に有るのかだが
防御砲を軽砲で破壊すると言う様な戦術も
西欧には有ったかも知れぬが
日本では使われたのかどうかだが
そもそも軽騎兵は重騎兵と同じ運用しちゃだめ
戦術や装備の変遷こそあれ、
騎兵自体は19世紀までは普通に通用していたわけで
火器が発達した19世紀でさえ通用した騎兵が
当時世界最高水準といわれているとはいえ所詮は火縄銃を相手に
遅れをとるということはあるまい
結局は鍵は地形と天の時が握っている
そして、西洋に対して騎兵が未発達な日本の武者は
騎兵というカードの不足をどう補うか、が課題だ
486 :
某研究者:2008/09/25(木) 20:01:28
487 :
某研究者:2008/09/25(木) 20:37:56
http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho14.html >丹羽勢は城東の攻撃を請け負い、井楼を二つ高々と組み上げて城内へ大鉄砲を打ち込み、堀を埋め築山を築いて攻めたてた。
>さらに滝川一益は南から東の攻め口を担当し、金堀衆を入れ、井楼を組み、大鉄砲で塀・櫓を打ち崩し、櫓へ火を放って焼き落とす成果を上げた。
>その他の諸勢もそれぞれに井楼・築山を築いて日夜攻撃を続けた。
塀を打ち崩したと言うのも
石垣上部の塀が崩れただけなのか
土塁上の木製の塀が崩れたと言う可能性も有る訳だろうか
488 :
某研究者:2008/09/25(木) 22:17:13
重騎兵は地形で止められるとしても
城の防御砲をどう避けるのかだが
砲台を軽砲で狙撃するか
塹壕・トンネルでも掘ると言う方向なのか
どうかだが
>フランスが10万の兵を動員
ない、16世紀フランスの最大動員戦力は3万程度
それもほとんどが傭兵。
2000も重騎兵が入れば相当な出血覚悟の戦争だ。
また、騎兵やテルシオに対抗する手段として
鉄砲運用する事が打撃的に有効であったのは事実
(大砲は鈍く運用するに固定する必要がある)
そして鉄砲の大規模運用できる日本軍
490 :
某研究者:2008/09/26(金) 01:21:01
重騎兵2000対
10万の銃兵でも
銃だけで重騎兵を壊滅と言うのは困難かも知れぬが
流石に2000の重騎兵の突撃だけで
20万の兵を崩すのは
困難かも知れぬし
突撃が止められている間に包囲され壊滅と言う可能性も
有る訳だろうか
たぶん、この戦力差だと
重騎兵運用できるような戦術は使えないと思う
492 :
某研究者:2008/09/26(金) 02:46:15
重騎兵は兎も角
西欧の城の防御砲台をどう回避するのかだが
軽砲で砲台を壊滅させるか
或いは塹壕やトンネルでも掘るのかだが
トンネルは兎も角塹壕は日本軍は攻城戦では
利用していない訳だろうか
秀吉なんだから、戦力差による包囲、間断無く続く砲撃による神経戦
そして兵糧攻めなんじゃないかな?
圧倒的な動員戦力による土木工事で、水攻めもあったりして
>>492 そんな文体でキャラを立てなくてもいいから、
起承転結を意識してくれ
パッと見では何を言いたいかわからないし
読み込んでわかった内容も平凡
わかりやすい内容をわかりにくく表現しても仕方がないぜ?
495 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:49:10
当時の日本は銃を使用する場面以外では殆ど単なる乱戦しかしていない
日本の武士団はカラコールやられたら易く瓦解するだろう
カラコールを防ぐには
陣前に砲列並べ一斉射撃するか
グスタフ・アドルフが行ったように騎兵隊の騎銃で敵より早く一線一斉射撃し
敵の戦列がそれにより乱れたところを抜刀突撃で奇襲し敵を潰滅させるしかない
しかし戦国時代に至っても日本の武士団には独立した騎兵部隊は存在しないし、その部隊戦術もない
そもそもそれ以前に去勢技術も馬蹄技術、ギャロップを可能とさせる馬具も全く存在しない
しかも異常に重装備で重い騎馬武者が体高120〜140cmのポニーサイズの馬に乗るため
欧州やムスリムの騎兵やユーラシアの遊牧民と騎馬武者が互角に戦えるとは到底考えられない
おそらく通常の歩兵主体の戦いでも画一化された銃撃後、乱戦に持ち込むしか能のない武士ではテルシオ陣形は破れない
日本は歩兵中心の中世軍隊だし、騎兵と砲兵が未熟。騎兵、歩兵、砲兵の三兵編成の近世軍隊には勝てん。オスマン・トルコの場合更に最悪。
銃も砲も充実しているオスマン軍に為す術もなく、蹂躪され、大坂城はウルバン
の一撃で吹き飛ばされ、秀吉はイェニチェリの足下に平伏して斬首されるであろ
う
>殆ど単なる乱戦しかしていない
ソースキボン
伊達の騎兵隊
ヨーロッパ騎兵の数十倍の鉄砲隊の方陣
テルシオに有効なのは正規兵からなる鉄砲隊の方陣
テルシオの兵力の十倍からなる正規兵の方陣による銃撃
>騎兵、歩兵、砲兵の三兵編成
これは17世紀
日本側は何も知らずに敵両翼の騎兵を放置して、
正面のテルシオに突撃を繰り返している間に、
側背攻撃を受けて壊走ということもありそう。
兵力差がありすぎて側面を突けない
鈍足のテルシオに突撃かます必要がない
包囲して銃撃でバタバタ倒れていくの見るだけ
少なくともオスマントルコには勝てない。
砲の運用能力に差がありすぎる。
動員兵力も大きい。
ではヨーロッパ諸国になら勝てるかというと、そうでもない。
確かに西洋が三兵科で編成をまとめたのはまだ先のことだが、
それでも、長槍兵と騎兵は分化しているし、砲兵も分化している。
銃剣がまだ登場していないために、銃兵を騎兵から守るためにも長槍は必要だったが。
そういう意味で三兵科に分かれていないということであって、
兵科を考慮した部隊編成と戦術の研究自体は進んでいた。
三兵が「確立」はされてないが、ある日突然に始まったわけではない。
形成途上とはいえ、日本のサムライよりは十分に先行している。
また、騎兵の劣勢は明らかだし、致命的になりうる。
そもそも馬の能力に差がありすぎるし、
騎兵戦術の不備は明白だ (「勝てる派」はこの点も直視しないが)
日本側の、騎兵に対する備えはいったいどうするのだろうか?
加えて言うなら、伊達の騎馬鉄砲隊というのも、要は西洋の竜騎兵。
それに、伊達の動員兵力の中でも、騎馬鉄砲というのは多数派ではないし、
いわゆる普通の鉄砲隊以上の火力があるわけではない。
かかる費用と労力に対して、特に戦闘力が高かったわけではない
日本の各大名が騎馬鉄砲を採用しなかったのは、十分な理由があるわけだ。
とどめは兵站能力の致命的低さ。
これは秀吉の「唐入り」で実証されているし、
現地調達もまったく不十分でうまくいかなかったのは、加藤清正がよく知っている。
仮に緒戦で勝利しても、継戦能力は極めて限定的だろう。
>>499 > 砲の運用能力に差がありすぎる。
ソース希望
>部隊編成と戦術の研究自体
日本が進んでいないソース希望
オスマンの最大対外戦力派兵はウィーン第二次で15万。秀吉は唐入りで17万。
(フランスは対外戦力派兵は3万以下)
日本の騎兵は突撃ではなく、騎射任務が主になり、体格はさほどの問題ではない。
また、騎兵戦術に対抗するように鉄砲が主力となった。これはイェニチェリも同様。
(この時代鉄砲の発明により騎兵は不遇の時代でもある、wiki騎兵の項参照)
日本の正規兵鉄砲装備率は世界最大規模。
>兵站
秀吉軍の恐るべき所はこの大軍を編成し、渡海に成功。
そして兵站に乱れがなかった事である。
(兵站が乱れたのは抜け駆けした軍のみ)
>余談
伊達の騎兵隊が活躍しなかったのは編成されたのが後期であり
戦争自体がなくなった為
また騎兵隊が存在することの証明
あと気になるのは、どの人も
ヨーロッパ勢が不利になると、いきなりオスマンを持ち上げて
日本は対した事無いと反論するのはなんでなんだぜ?
体高120〜140pというのは当時はそんなに小さくないんだよ。
当時は世界的に見ても十分の水準で、日本人が連想するミニポニーとは全然違う。
グスタフアドルフのスウェーデン騎兵馬の体高は約110〜130pだと記されていて、
なんと日本の在来馬より小さいだよむしろ。
当時はサラブレッドの品種改良も進んでなく、最大の馬はアラブ種の150pくらいだった。
騎馬民族の馬は在来種より凄いというが、事実と反している。
蒙古馬でも130pくらいのもの。
当時の記録では日本の在来種でも大型のものになると150pくらいになり、極めて大型。
戦国時代に大型のものは軍馬として消耗され尽くし、現在は比較的小型化しているといわれるが、
世界的にでかい方だから小さいとか言う必要ない。
はぁ?
馬の歴史関連の本複数見りゃぁスウェーデン軍馬はそんなに低くないよ
逆に日本の東大理学部人類学教室が発掘調査した材木座遺跡の軍馬128例の馬骨のデータによると
軍馬の体高は109〜139cm
多くは126〜136cm
自分に都合のいいような出鱈目書くな
http://item.rakuten.co.jp/book/1382160/ によると
>1622年と1623年の装備目録によれば、
>スウェーデン騎兵部隊の馬の平均身長は、
>幹部クラスの馬で 14ハンド(1m43p)、騎兵用はわずか11から13ハンド(1m12p〜1m33p)だった。
ってことだけどな。
騎兵用で110mm〜130mmくらいだとよ。日本の馬より小さいな。
日本の馬の高さとか別に既述の通りで何の問題もないだろ。
何が言いたいんだろうなコイツ。
戦乱に明け暮れる近代欧州で発展した兵器は銃器だけじゃないんだな。地道に機動力も上昇してたのか。
戦争っていうか貴族のお遊びで発展したんだろ。
競馬レースを開催して、いかに早い馬を持つかというのがステータスだった。
お遊びってもその貴族は同時に軍の将校な訳で。
向こうの競馬場は基本的に飛んだり跳ねたりのコースを用意してあるだろう。騎兵軍馬養成だ。
あと、ペルシュロンみたいな重種馬は農耕だけじゃなく砲兵輓馬として発達した面は大きいと思う。
カラコールなんて伊達政宗が近いことやってるだろ。
効果的なのは最初だけで、大阪の陣でもすぐ対応されて効果が出なくなったとか。
戦闘経験のキャリアが違うからな当時の武士。
カラコール戦術は十数段撃ちだし伊達は普通の火繩銃を使用した
本当に騎乗でたずなから両手放し射撃したか疑問も出ている
伊達の戦術はもっと上を行っているかもな。
カラコールは敵を混乱させる効果はあるが攻撃力が低く、
次第にサーベルも持っての乗馬突撃に変化していった。
伊達は最初から後備騎兵の突撃準備射撃に使っているからな。
それなら精度の高い一撃を放てる火縄でいい。
507 :
某研究者:2008/10/04(土) 08:33:00
平地に日本軍が布陣した場合でも
小型馬のスウェーデン騎兵なら
シールドウォールで止まるかも知れぬが
仏重騎兵のサーベルチャージは馬が大きいから
丘の傾斜の緩い場所からシールドウォールが破られた
ヘースティングスの二の舞に成ると言う事は無いのかだが
兵站の充実による大量動員及びその維持能力は当時の日本の誇れる点だろ
基本糧食米と麦の違いはあるにしても室町応仁からでもおよそ100年ガチで内戦
初期から地方覇権型大名ですら万単位で動員
織豊期には10万単位にまでふくれあがる
こんなのやって経済的にも人口的にも成長し続けるなんてのは兵站面がよほどきちんと
していないと無理
17c三十年戦争の動員力と継戦能力をみれば当時の欧州世界の兵站のしょぼさ(比較
すれば)がよくわかる
>兵站の充実による大量動員及びその維持能力は当時の日本の誇れる点だろ
日本ちっさいし誇るようなもんでもないだろ
補給線が短ければ短いほど大量動員できるし戦もできる
511 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 18:12:15
戦国時代争ってた本州・九州・四国を足した領土って三国志時代の中国の益州の半分程度だろ
中国全土の覇権争いが太平洋戦争だとすると
信長の覇業は琵琶湖争奪戦みたいなスケールだ
三国時代の中国の総人口は1000万人を大きく下回ったとか。
戦国時代の日本のほうがまだ多いくらいだな。
てか欧州と比べてみろよ。日本が普通に有利だろ。
グスタフアドルフのスウェーデンだって人口100万くらいだったとか。
フリードリヒ大王のプロイセンだって400万人程度で、動員兵力でいえば段違いの差がある。
日本国内はともかく
玄界灘越えて朝鮮半島へ補給を続けることができなかったからこそ
唐入りは失敗した
平坦が充実していた?
どこがだよ!むしろボロボロじゃないか
するとなにか?
平坦がしっかりしていたにもかかわらず唐入りは挫折した、ということか?
唐入りをやめた、という事実がある以上、
平坦は機能していたなんて言うのは
むしろかえって日本の戦闘力、戦意を貶めることになるぜ?
そんなんで本当に日本は強かった、勝てた、と言っているつもり?バカか?
そういうのを贔屓の引き倒しというんだ
長所は長所、弱点は弱点として評価してこそ日本の強さを主張することになる
大違い。朝鮮南岸に対する海路の補給は計画通り順調に推移していた。
李舜臣が海上補給路を絶ったというのは俗説で間違い。
事実は局地的な効果しかあげてなかった。
問題は朝鮮の抵抗が予想外に少なく、短期間で奥地まで進攻できすぎたことにある。
陸の補給線が長くなりすぎて朝鮮南岸の物資が前線にまで行き渡らなかった。
補給線が長くなりすぎてwwww
朝鮮半島は500kmの距離がある。
WW2のドイツ軍の攻勢限界が400kmと言われているから
トラックもない当時としては長すぎるのは間違いない。
あの頃は欧州でも現地収奪が中心だからな。
500kmwwwwww
ナポレオン時代の大砲も砲弾をバウンドさせなければ遠距離射撃で
当てるのは無理だろうし
こんな射撃方法はナポレオン時代前には有ったのかだろうし
4列の備に火縄銃の射程外から
大砲を当てるのは極めて困難と言う事は無いのかだが
榴弾ではどうなのかだが
大砲じゃ攻城戦じゃともかく、野戦ではほとんど効果薄いだろ。
機動性の無い面である、超密集隊形のテルシオすら崩すのが難しい代物だったんだから。
戦国時代の合戦というのは概ね機動戦で、
場合によっては散兵まで使っているんだから鉄砲の一斉射撃の方が遥かに制圧力がある。
テルシオにすら効果が薄いものが意味があるとは考えられないだろ。
520 :
某研究者:2008/10/04(土) 23:50:20
侵攻が頓挫したのは寒さと
明と戦いたく無い小西行長等の所為かも知れぬし
慶長の役では朝鮮南部の確保は命じられていたが
明への侵攻は要求されていない訳だろうが
海上ルートで物資を運べば
北京迄でも補給は可能だっただろうが
明水軍が大量に投入された場合勝てたのか
どうかだが
2000程の重騎兵が突撃して1万程を潰乱させる事が出来ても
衝突力を失ったあたりで包囲されてもみくちゃにされて終わるよね
・明軍の日本兵に対する評価
戚継光 『紀效新書』
これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は恐れおののくのみだった。
日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、遭遇すれば皆両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである
『揮刀如神』
日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士はサムライを見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる
程宗猷 『単刀法選』
日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう
屈大均 『広東新語・語器』
日本人が全力で動く時風のように漂って動く。
常に寡兵で陣に入って来て、大勢の兵士でも抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。
相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である
523 :
某研究者:2008/10/05(日) 01:15:51
日本刀は明も枝の付いた竹槍で防御出来ていた様だが
長柄槍等には対抗出来たのかだが
銃弾でやられた兵が一番多かったと言う事だろうか
日本兵より満州兵の方が強いと言う記述も多いだろうが
此れは下馬戦闘では無く
騎兵突撃を恐れての事なのかだが
騎兵と言う白兵戦エリートしか居ないから
下馬戦闘でも脅威だったと言う事かも知れぬが
日本軍の銃と比べたらどうだっのかだが
(銃は野戦でも防弾装備で何とか成る局面も有るが
騎兵の下馬戦闘は城でも無いと
防げないと言う事かも知れぬが)
524 :
某研究者:2008/10/05(日) 01:17:42
日本軍の場合は
白兵戦に長けた騎馬武者は1割しか居ないが
満州軍は全員騎兵と言う事だったろうから
白兵戦に持ち込まれれば手銃兵や砲兵が大半の
明軍は何も出来なかったと言う事かも知れぬが
525 :
某研究者:2008/10/05(日) 01:21:11
満州兵が日本軍に下馬突撃しても
銃撃で壊滅するだけかも知れぬが
満州兵が乗馬突撃をした場合は
シールドウォールで一旦は止まっても
その後の乱戦で日本軍がやられる危険は無いのか
どうかだが
乗馬突撃を阻止出来る地形が有ればこの様な事は
起きない訳だろうか
526 :
某研究者:2008/10/05(日) 01:30:07
サルフの戦いでは2万程度しか
満州兵も動員されていない訳だろうから
騎馬武者が2万居れば乗馬突撃を受けても
対抗は可能だったと言う事は無いのかだが
(まあしかし日本軍の場合は20万程度は居ないと
騎馬武者は2万には成らぬ訳だろうか)
527 :
某研究者:2008/10/05(日) 01:31:53
まあしかし清の軽騎兵相手なら
槍足軽でも対抗可能だったと言う事は無いのか
どうかだが
鉄砲射撃の後に長槍で槍衾を作れば
テルシオのような形で騎兵の衝撃力を削ぐ事が可能かどうかという訳だろうが
野戦築城のノウハウのある日本軍なら予め満州騎兵を警戒し
馬防柵を構築して対抗するのかということだろうか
529 :
某研究者:2008/10/05(日) 01:57:56
530 :
某研究者:2008/10/05(日) 02:03:03
>鉄砲射撃の後に長槍で槍衾を作れば
>テルシオのような形で騎兵の衝撃力を削ぐ事が可能かどうかという訳だろうが
日本の場合は槍襖では無く
シールドウォールで
防御と言う事だったかも知れぬが
>野戦築城のノウハウのある日本軍なら予め満州騎兵を警戒し
>馬防柵を構築して対抗するのかということだろうか
明と戦っていた時点で騎兵の存在は認識しているから
確かに此れは有り得ただろうが
531 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/05(日) 05:24:08
加藤清正が突出しすぎて補給がめちゃくちゃになって
戦線を整頓しようと一旦ここまでなんだからね!って戦線を指定して
混乱を沈静して補給もなんとかなろうかという矢先に
また加藤清正が突出して満州との境にまでいっちゃった。
朝鮮は貧しく、現地調達も捗々しくない。
水城を作り、拠点防御を固めて兵糧の集積をしつつ
和議をもって朝鮮を降そうとしてたコニちゃんの意向も無視して
停戦命令に逆らって寒さと不毛の地帯に突出した子が悪いと思うのですが。
日本には陸では7000人でサルフ並の大勝利、
海では李舜臣を殺した軍神義弘公がいるからな。
そんなに心配はいらない。
独断専行かよ加藤清正は、まるで牟田口連也と同じだな。
何言ってんだお前。
牟田口将軍に反抗した師団長が独断専行やったんだろ。話がアベコベ。
結果は一緒だ
合戦で勝てても戦争では勝てないんじゃ意味が無い。
ま、この板の住人的には、戦場での戦い事態に意味があるのであって、
戦争目的の達成ということにはさらさら興味が無いらしい御様子。
大体、合戦での勝敗だって、陣形とか戦術とか以前に、
指揮官の戦況把握・指揮能力、
戦意、
兵糧・水・弾薬矢玉・衣糧などの兵站、
地勢・天候、
そして戦線間の連携、
これらのほうが肝要だ。
たとえば、「馬は槍や柵でふさぐ」とか以前に、だ。
(指揮官の能力次第だが、わかっていれば普通は、備えがある中わざわざ自滅的な突撃をしない。
備えの薄い箇所を探って迂回するなり、交戦を回避するなり、勝ち目がある戦い方をする)
同質の戦力であった場合、1.5倍以上の戦力差で逆転の目は低い
ポルトガル、イスパニアはマジでハンパねーからな。
確かに手口の汚さに関してはハンパないな。
侵略なんて受けた事もなく友好的な応対をしてるインディアンを
平気で騙まし討ちして虐殺するしな。
紅毛人も負けていないぜ?
まあ、制服者は被征服者になんでもやる
というのがスタンダードだしな
オランダは未来の日本をあらわしている
福祉、税金、ワークシェアリング・・etc
汚いといっても戦争に疎いお人好しのインディアンや相手にはな。
オランダなんて目と鼻の先のモロッコに2万の大軍で攻めて
銃器で圧倒的有利なのに壊滅しているくらいのもん。
ピサロがインカ帝国滅ぼした全軍勢を持って日本に進攻してきたらどうなるか。
地方領主どころか地元の豪族にすら皆殺しにされただろうことは
少しでも軍事知識がある人間には常識に思える範囲。
542 :
某研究者:2008/10/06(月) 03:49:38
ピサロの軍勢って騎兵30人くらいだろ。総勢200人。
無防備なインディアンならともかく日本に来て誰に勝つんだよ。
544 :
某研究者:2008/10/06(月) 04:09:18
545 :
某研究者:2008/10/06(月) 04:22:40
>実際ラヴェンナの戦いにおいてロデレロは槍兵に対し効果的に働いたが、しかしセミナラの戦いでは隊列の安定した槍兵隊に対して無力であった。
突く事しか出来ない様なパイクを持つスイスの槍兵と
打撃も可能な槍を持つ日本の足軽・騎馬武者とでは
攻撃力が違うと言う事は無いのかだが
546 :
某研究者:2008/10/06(月) 11:42:59
そういや連発銃っていつの武器かな?
いや、なんとなく。
それ結局パイク兵にも分が悪く槍に持ち替えているからな
550 :
某研究者:2008/10/07(火) 03:26:29
パイク兵は後列の槍も前に出ているが
備の槍襖の場合は1列しか無いだろうから
踏み込まれるリスクは無いのかどうかだが
抜刀した武士の突撃を阻んでいたという事実が物語っているだろ
552 :
某研究者:2008/10/07(火) 03:51:00
日本で槍が普及したのは
雑兵では扱い難い重い長巻に対して
雑兵でも扱える槍で対抗したと言う事だっただろうが
1対1で長巻に対抗したとしても
柄を落とされる等してやられていたと言う可能性も有るだろうが
数が居ればだろうか
553 :
某研究者:2008/10/07(火) 03:52:20
槍足軽と同数のロデレロが飛び込んで来た場合は
踏み込まれてやられるリスクは無いのかだが
同数であれば、ロデレロは安定した槍兵隊に対して無力であったわけだから
通常で考えれば結果は明らかだでは無いのかだが
相手を過小評価して
自らの長所を過信する
これを「慢」という
慢にして常勝たりえた者これ無しと知れ
弱点にどう備えるか、どう克服するか、
というハナシはなかなかできないんだな
556 :
某研究者:2008/10/07(火) 09:07:31
>同数であれば、ロデレロは安定した槍兵隊に対して無力であったわけだから
>通常で考えれば結果は明らかだでは無いのかだが
備は散開しているから密集しているロデレロに突入された場合は
厄介では無いのかだが
散開しているから包囲殲滅は可能と言う事かも知れぬが
包囲される前に中央突破を受ける危険は無いのかだが
騎馬武者が弱い部分の穴を埋めて何とかするかも知れぬが
557 :
某研究者:2008/10/07(火) 11:32:44
同時期(1530年代)のフランス軍相手の場合は
重騎兵は脅威だろうが
地形を利用して射撃に徹すれば
歩兵には盾が無いから歩兵は壊滅可能だろうが
重騎兵が下馬して来た場合は弓は通用するのかだが
此れは長時間下馬戦闘は困難な訳だろうし
密集しているなら包囲殲滅も可能な訳だろうか
重騎兵なんて銃兵に無力すぎてすぐに淘汰されてしまっただろ。
見た目は派手だが肉厚3mmのフィールドアーマーでは、
銃はおろか弓矢や細剣でも状況次第で貫通されてしまう。
それでいて軽量な物でも総重量35kgもあって、間接部分まで覆うため機動性が皆無。
銃を防ぐには鉄の厚さが最低6mmは必要と言われていたからな。
16世紀以降、キュイラッサーやカラビニエールなど
鎧はどんどん小型簡素化していったわけで、
それを考えれば武士の鎧は最初から軽量で局部防御志向だから近代戦向きだったといえる。
>>556 いきなり不利な状況から始まるのはいかがした事か
槍衾と散開している事が矛盾している事をどう伝えたら
わかってもらえるのかだが
>>558 それを省みれば、政宗愛用の五枚胴は当時としてかなり画期的な品質だったといえるよな。
惜しむらくは量産にはまったく不向きな特注品ゆえ、
選挙区を変えるには至らないというところか
561 :
某研究者:2008/10/08(水) 03:34:38
>見た目は派手だが肉厚3mmのフィールドアーマーでは、
>銃はおろか弓矢や細剣でも状況次第で貫通されてしまう。
15世紀の鋼鉄製の鎧なら
ロングボウは貫けないと言う事だっただろうし
14世紀のポワティエの時点で既にロングボウは無力と言う記述も有るから
1530年の日本の軍に対して
下馬して突入は可能だったかも知れぬが
35kgの鎧では長時間下馬戦闘は
困難な訳だろうか
562 :
某研究者:2008/10/08(水) 03:36:36
>いきなり不利な状況から始まるのはいかがした事か
>槍衾と散開している事が矛盾している事をどう伝えたら
>わかってもらえるのかだが
日本の槍襖と言うのは横には密集しているが
1列の横隊であるから
ロデレロが密集突撃して来たら
壊走する危険は無いのかだが
正面を騎馬武者で補強しつつ
別働隊がロデレロを包囲すれば
勝てる訳だろうか
563 :
某研究者:2008/10/08(水) 03:39:32
>それを考えれば武士の鎧は最初から軽量で局部防御志向だから近代戦向きだったといえる。
防弾効果は基本的に胴部が15kg等の
極一部の鎧(此れは下馬戦闘はしない指揮官用だろうか)しか無い様だが
下馬戦闘を考慮すれば止む無いと言う事だろうか
15世紀に登場したプレート・アーマーは、
すでに100年戦争の時点でイングランドのロングボウの前では貫かれてしまい、
(普及はしたが)万全の防具とはいえなかった。
重騎兵の平均的な鎧は重量が40kgもあり、
マクシミリアン式のように軽量化したもので35kgなんだから下馬しては歩く事も難しかったと思われる。
ペルタスタイに翻弄される重装歩兵のような状況に陥り易いのは想像できる。
ごく一部の鎧といっても、
イギリスで誕生して30年戦争でスウェーデン騎兵などに採用され
アイアンサイドの異名がつくほど活躍した騎兵鎧アークゥィバスも銅だけしかカバーしてない。
それが一番実用的で長く残った鎧。日本でいえば鉄板で作られた当世具足だな。
しかし槍隊が一列横隊ということはないだろ。
3,000人の槍兵が一列横隊を組めば、どれだけ密集しても
一隊だけで幅2km以上に及ぶ長大な陣形になってしまう。
そんな変なものがあるはずがない。
>>562 備なのに槍衾のみ想定しているのはなんでなんだぜ、だろうか?
密集突撃に有効な鉄砲に弓の攻撃を受け、突撃を維持できるだろうか
567 :
某研究者:2008/10/08(水) 11:10:17
568 :
某研究者:2008/10/08(水) 11:22:14
>備なのに槍衾のみ想定しているのはなんでなんだぜ、だろうか?
>密集突撃に有効な鉄砲に弓の攻撃を受け、突撃を維持できるだろうか
1530年では日本側に銃は無いだろうし
ロデレロに対し正面からの矢の攻撃は通用するのかだが
別働隊が側面に回り込んでの射撃なら効果は有るかも知れぬが
下馬した重騎兵には後方からは兎も角側面からの射撃は
通用するのかどうかだが
>>567 そのVTRの実験がどれほどの信憑性かは知らないが
ロングボウはイギリスのロイヤル・アーマーラーの
最厚部4.57mmという同時期としては最も強固な1470年製のイタリアのプレートアーマーを用いた実験で貫通させている。
全く逆の実験結果があるわけで。
新紀元社の『武器と防具西洋編』で
「(プレートアーマーは)必ずしも無敵な防具であったわけではなく、
すでにその命運には影を落としています。それは、イングランドのロングボウがもたらす脅威で、
この弓の前にはさしものプレートアーマーも無敵の防具とはいえなかったのです。」
とも書いてある。
関ヶ原合戦図とかみてもちゃんと縦深のある隊列組んでるよな
572 :
某研究者:2008/10/08(水) 18:15:30
>>568 秀吉軍が通用するかどうかというスレで
いきなり1530年にタイムスリップしていた事への
驚愕をどう伝えるべきかどうかだが
>>572 柔軟に運用されるのに1列ないし2列と限定し、
屏風等絵の資料を無視して研究を続ける事への懐疑を
どう伝えるかどうかだが
というか、銃剣以前の歩兵部隊は密集陣形が鉄則
575 :
某研究者:2008/10/09(木) 03:37:35
>柔軟に運用されるのに1列ないし2列と限定し、
>屏風等絵の資料を無視して研究を続ける事への懐疑を
>どう伝えるかどうかだが
1列に並んでいる絵も確か有るだろうが
柔軟な運用が可能としても
ロデレロが密集して突入して来たら
槍足軽も密集するのかどうかだが
槍足軽は密集せずに正面を騎馬武者等で厚くしてから
包囲殲滅を考える可能性は
無いのかだが
>>575 むろん1列の絵も存在するが、
方陣に近い形の絵がある事を否定するものではない事を
なぜ研究対象から除外する必要があるのかだが
577 :
某研究者:2008/10/09(木) 06:33:56
>方陣に近い形の絵がある事を否定するものではない事を
>なぜ研究対象から除外する必要があるのかだが
1列の槍兵の前後には銃兵や弓兵・騎馬武者・旗手等が居る訳だろうから
方陣に近く見える可能性は有るだろうが
テルシオ程密集している絵等は見ないし
槍兵は基本的に1−2列と言う事かも知れぬが
>>577 基本がそうであって、基本ではないものは無いという
証明にはならないだろうにと思うのかだが
また銃兵が居るのであれば1530年じゃないか
前提条件ころころ変わってね?のかだが
あと君はよくwiki編集やってるという疑問もあったりするわけのかだが
579 :
某研究者:2008/10/09(木) 07:22:09
銃が出る前は
鉄砲足軽は弓足軽或いは
槍足軽だったと言う事かも知れぬし
基本的な備の構造に差は有るのかだが
合戦図と言うのも
割りに散開して乱戦に成っている様な物が
大半だったかも知れぬが
現実にはどうだったのかだが
もっと言えばロデレロが密集突撃を主とする部隊であるかどうかだが
581 :
某研究者:2008/10/09(木) 07:38:35
ゲームでは密集していた様に見えたが
テルシオ程では無いにしても
備よりは密集している可能性は有る訳だろうか
ゲームかよ!
ロデレロをwikiでしか知らない自分が言うのもなんだが
それで密集突撃で打撃力があります
密集には根拠は無いですが
日本は散開しかしないので密集には弱いです
密集に有効な鉄砲はタイムスリップしたので無いです
という理屈はどうかと
そのゲームでは日本は散開してるように見えるもんなん?
かどうかだが
584 :
某研究者:2008/10/09(木) 08:21:14
「ゲームではそうみえた」などと一言でもいうなら
そのコテは改めたほうがいい
「某ゲーム研究者」あたりがお手頃
あと「のかだが」は主旨を左右するほどの意味がないなら自粛
586 :
某研究者:2008/10/09(木) 10:38:44
テルシオは日本の備に突入する前に
銃撃で壊滅可能と言う意見も有るだろうが
黒色火薬の煙の影響で遠距離からの連続狙撃には限界は有るだろうが
100m程度から発射したとして
突入される前に何発撃てるのか
どうかだが
可也の数に突入されたとしても
日本側は機動力を生かして
包囲殲滅は可能である訳だろうか
50m近づいたら50m離れてまた撃てばいいじゃない、のだが
テルシオは集団陣形を採り続ける根気(精神力)と忠誠心が必要となる
果たして、何も出来ずにバタバタと倒れていく味方を見ながらなおも
士気を維持できるかどうかだが
できないから廃れた現実はとりあえずいつものように無視なんですか?どうだが
588 :
某研究者:2008/10/09(木) 22:44:43
>50m近づいたら50m離れてまた撃てばいいじゃない、のだが
テルシオは足が遅いから
全力で後退して可也距離を取った後
再装填し射撃すれば
確かに一方的な銃撃は可能かも知れぬし
立花宗茂が文禄の役で
明の軍隊に対して移動しながら射撃と言うのを
して居ただろうか
>テルシオは集団陣形を採り続ける根気(精神力)と忠誠心が必要となる
>果たして、何も出来ずにバタバタと倒れていく味方を見ながらなおも
>士気を維持できるかどうかだが
テルシオのドイツ人は兎も角
スイス傭兵なら耐えられるかも知れぬが
ラヴェンナの時は仏軍のドイツ兵も砲撃の中
塹壕に突入していた訳だろうから
ドイツ兵もそう弱いのかどうかだが
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/09(木) 22:46:59
バッサリ斬るが無理だよ。
>>587 欧州の戦場でそれが試みられなかったとお思いか?
>>588 テルシオはスペイン正規兵の方陣
スペイン方陣を各国真似をしたが
傭兵では粘りに欠けて崩壊していった
テルシオが強かったのは正規兵の忠誠心があった為
どうかだが
>>590 日本の地形よりも出来ない理由を、詳しく
593 :
某研究者:2008/10/12(日) 16:13:12
怒張しきった私自身を鎮めるには
高速ピストン運動が必要なのか
どうかだが
掃除機は具合よかったぞ?
騙されたと思って試してみ?
遊就館にも収蔵されている、多連装火縄銃って実戦的にはどうなのかね?
3銃身や6銃身があるみたいだが。
迎撃兵器としては使える口かな。
あと日本には抱え大筒もあるべ。
一般的なのは50匁から75匁の筒だが、大男なら100匁もあったらしい。
携行可能な火力兵器はおそらく他にはすくないだろうから、
日本の戦術的個性として発揮できるのではないか。
596 :
某研究者:2008/10/18(土) 22:09:16
密集陣では無い日本軍に対して
野戦で大筒等が役に立つのかだが
攻城戦では日本軍も密集するかも知れぬし
其処に大筒を放てばだろうが
後は銃眼周囲の漆喰や門を貫く事も恐らく可能な訳だろうし
海戦では焙烙火矢を発射して
敵船を炎上させる事も可能な訳だろうか
597 :
某研究者:2008/10/18(土) 22:12:06
>遊就館にも収蔵されている、多連装火縄銃って実戦的にはどうなのかね?
>3銃身や6銃身があるみたいだが。
>迎撃兵器としては使える口かな。
重量を考えれば野戦では機動力が低下する危険が有るので
使うのかどうかだが
攻城戦では使われた可能性は有る訳だろうか
599 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/18(土) 23:32:44
日本が強かったのって戦国時代だけだよねw
明治以降は中の上。
戦国以前は朝鮮と変わらないレベルw
一方中国はほぼ全時代において上の上レベル!
第二次大戦でもなんだかんだで戦勝国だし。
現代中国もアジアトップの大国だし。
600 :
某研究者:2008/10/18(土) 23:52:38
鎌倉時代では
クロスボウ歩兵主体の南宋軍が
弓・長巻を装備する日本軍に勝てたのかどうかだろうし
元寇の結果を見ればだろうが
戦国時代の日本に銃の無い段階でも明の軍隊は
銃の精度の問題で勝てたのかだろうし
弓で一方的にやられた危険は無いのか
どうかだが
601 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:01:13
602 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:07:52
鎌倉以前でも弓が多くクロスボウの比率が少ないなら
日本軍が勝利した可能性は無いのか
どうかだが
(甲冑も短甲等可也防御力が高い物が
使われていた訳だろうか)
603 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/19(日) 00:07:57
中国が強いのは当然。
しょっちゅう異民族の侵略を防がなければならなかったから。
戦闘経験が非常に豊富だった。
>>599 寝れる獅子をなめんな!こうですねわかります
605 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:10:57
まあしかし弓や白兵戦を軽視し
クロスボウや手銃に依存しすぎたから
サルフの様に騎兵に下馬突撃を受ければ
野戦では容易に壊滅した訳だろうか
築城技術について
○構造
攻城の際の乱戦を想定して設計されている。
砲撃兵器に対する防備はほぼ皆無であり、また火計にも脆弱である。
メインは堀であり、壁ではないため、堀の橋渡しさえさせなければ落城しにくい。
しかし落城する前に砲撃で廃墟になるだろう。
○土塁・石塁
西洋に比べれば甘いといわざるを得ない。
法面はゆるく十二分に上りうるし、火砲の落角に対し垂直に近い。
ほぼ役に立たないだろう。
○構造物について
脆弱。評価するにも足りない。所詮おままごとの飾りにすぎない。
○総論
勝ち目は皆無である。
欧州、トルコ、支那の各軍どれに対しても防衛し得ない。
607 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:13:53
クロスボウや手銃等の
誰でも使える様な道具に過度に依存したのは
中国の武の軽視と言うのも
或いは有るのかどうかだが
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/19(日) 00:14:10
ハッキリ言って戦国武将で勝てるのは朝鮮くらい。
どんなに頑張っても明は倒せなかった。
609 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:26:15
610 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:28:13
>どんなに頑張っても明は倒せなかった。
日本側が城で守りを固めているだけで
何万も損害が出ている訳だろうし
此れを続けて精鋭部隊が失われた後に一気に攻め込めば
どうなったのかだが
611 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:32:11
612 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/19(日) 00:34:16
明は全兵力を投入してた訳じゃないだろ?
万が一倒せても満州族にやられただろうし。
秀吉の中国制服は甘すぎる。
下手したら日本が滅びてた…。
613 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:42:52
サルフの時も障害物で乗馬騎兵は防いでいただろうが
三眼銃では下馬騎兵を遠距離から叩けない訳だろうから
明軍は敗れたと言う事かも知れぬし
長篠の様な土塁や柵を築いて
火縄銃を大量に用意すれば結果は変わったと言う事は無いのか
どうかだが
614 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:45:32
>○構造物について
>脆弱。評価するにも足りない。所詮おままごとの飾りにすぎない。
西欧の当時の要塞にも構造物等は飾りしか無いだろうし
此れに防御を依存している訳では無い訳だろうか
615 :
某研究者:2008/10/19(日) 00:48:50
んもうっ
北乃きいちゃん、かわいいっ
制服姿たまらんのう
紺のソックス希望なのだが
616 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/19(日) 00:54:31
どうした?
617 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/19(日) 03:09:57
冷静になってグラビア見ると結構萎える顔してるお。
野戦陣はともかく
城郭の強度は歴然
日本の城郭、いや城郭以前の山塞はあまりにも脆かった
だからこそ古来より原始的な投石機さえ用いられなかった
かたや大陸の城郭は強固な煉瓦や石材を用いたため、
攻城兵器なしでは城攻めは厳しかった
火器の登場以前でさえ
投石機や衝車、攻城塔などの多彩な兵器が必要だった
そのような堅牢な城郭を攻城兵器に劣る戦国日本が攻めるなら
一つの城ごとに戦国でいうところの小田原城攻め規模の兵員を投入
そこへアッサリ敵増員来襲
終了
とならないかだが
619 :
某研究者:2008/10/19(日) 14:30:59
>日本の城郭、いや城郭以前の山塞はあまりにも脆かった
>だからこそ古来より原始的な投石機さえ用いられなかった
古い城は
城と言うより山の上に盾を並べただけだろうから
投石器を盾の部分に当てないと打撃は与えられない訳だろうし
投石器で山を崩すのは困難と言う事は無いのかだが
>かたや大陸の城郭は強固な煉瓦や石材を用いたため、
>攻城兵器なしでは城攻めは厳しかった
朝鮮の城の城壁は余り傾斜していないから
投石を防ぐ為の亀甲車に乗って前進し
石を外したら容易に崩れたと有るが
どうなのだろうか
620 :
某研究者:2008/10/19(日) 14:45:56
621 :
某研究者:2008/10/19(日) 15:22:38
622 :
某研究者:2008/10/19(日) 15:33:13
623 :
某研究者:2008/10/19(日) 15:49:38
とか、ゲームでそうなってました
625 :
某研究者:2008/10/19(日) 17:29:41
626 :
某研究者:2008/10/19(日) 19:06:38
http://homepage2.nifty.com/yogo1394/oosaka/chihayaakasaka.htm >これらの記述からして、『太平記』に描かれた、楠木正成が最初に籠城した赤坂城はここであった、というように見てよいと思われる。
>城地はかなり改変されているが、そうでなかったとしても、南北朝期の城、しかも、籠城に際して、急遽築かれた城であるから、もともとたいした遺構はなかったに違いない。
>『太平記』にも「にわかにこしらえたりと見えて、はかばかしく堀も掘らず、僅かに塀一重塗って、方一、二町には過ぎじと覚えたるその内に、櫓二、三十がほど掻き並べたり」とある。
>にわか造りの簡素な城郭だったのである。櫓の数だけはけっこうたくさんあったようだが。
堀はこの時点でも
一応有る訳だろうか
627 :
某研究者:2008/10/19(日) 19:57:29
628 :
某研究者:2008/10/19(日) 20:16:27
629 :
某研究者:2008/10/19(日) 20:21:40
630 :
某研究者:2008/10/19(日) 20:29:03
631 :
某研究者:2008/10/19(日) 22:20:20
日本軍の備の機動性は密集隊形より高いだろうが
部隊の柔軟性はどうなのかだが
騎馬武者が士官では無く
足軽は足軽大将が種類別に率いていると言う
事だっただろうか
と、ゲームで行ってました
633 :
某研究者:2008/10/19(日) 22:30:08
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99 >鉄砲足軽と鉄砲足軽小頭(以上足軽)を鉄砲組頭(侍)が指揮する。他に鉄砲組荷駄(人夫)がおり、合戦の緒戦において射撃戦を行う。
>乗馬1頭
と有るから
鉄砲組頭と言うのは騎馬武者と言う事だろうが
36名の鉄砲足軽を一名で指揮していたのだろうか
足軽小頭と言うのも居る様だが
此れは士官では無いのかだが
1つの鉄砲組には何名居るのだろうか
634 :
某研究者:2008/10/19(日) 22:38:52
635 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/19(日) 23:34:15
だから?
結局なにがいいたいのやらさっぱり伝わらない
要は
通用しない
でいいの?
モノを言うときはハッキリいえば?
おちつけ
そういうキャラを必死に作っているんだから、突っ込んだらモンの負け
まあ、結論をはっきり言わない逃げの姿勢には正直イライラさせられるのは同感だが。
多少間違ったことを言っても、
ゲーム画面を参考にしても(藁)
せいぜい匿名でかく恥でしかないのにな。
まあ、日本と大陸とでは、
城郭や城壁の位置づけも有効性もぜんぜん違うんだが、
問題は、その違いに我らが戦国日本軍が対応できるかってことだな。
火縄銃の普及と改良の実績を見る限りでは、一見して適応能力が高く見えるが、
それは適応したというよりも、火縄銃を「自分たちの都合で改変した結果、その努力がたまたま性能の向上につながった」にすぎなかった、ともいえないか
だからこそ、大砲については、それほどのニーズが無かった(そうなる前に戦乱が収束した)ため改良がなされなかった
そして、唐入りの達成に至らなかった要因を鑑みるに、
必ずしもすべてにおいて戦国日本軍が状況の変化や兵器技術の習得に対応できたとはいえないのではないか
のちに後金が山海関を越えたいきさつを考えても、
仮に秀吉の寿命が30年加わったところで、どうにも、唐入りは達成できたとは思えない
大体、中国諸王朝では内戦レベルでさえ、関が原をゆうに越える動員兵力で、
高松上水攻めや小田原征伐、大阪の陣の数倍の規模の甲状腺が行われていた
仮に唐攻めが続行されていたら、その失敗が故事成語になって
「夜郎自大」ならぬ「秀吉自大」なんて言葉が残されてしまったかもしれないな
638 :
某研究者:2008/10/20(月) 04:41:38
>のちに後金が山海関を越えたいきさつを考えても、
此れも朝鮮の城の様に
亀甲車で石を外されたら
倒壊しないのかだが
密集して突撃するとヌルハチの様に大砲に
やられ得る訳だろうか
サルフでは2万の清騎兵に明の大軍が
敗れているのも事実だろうが
倒壊しない
そりゃ余裕があればそういう攻め方もできるだろうが
相手も陸に上がった金魚じゃないので
そんな悠長なことはできない
要は山海関は別格としても、
城なんて力攻めで落とすもんじゃない
内奥、策略、奇襲、工夫でおとすもの
以上
煽り耐性高すぎわろた
641 :
某研究者:2008/10/20(月) 14:22:07
642 :
某研究者:2008/10/20(月) 15:05:18
643 :
某研究者:2008/10/20(月) 15:20:35
644 :
某研究者:2008/10/20(月) 17:54:07
矢張り平日夕方のお楽しみは
「スーパーニュース」の長野翼アナ
あのちょっとぽってりとした唇でしゃぶられたら
もうっもうっ
でちゃうよぉぉぉ
なのだが
645 :
某研究者:2008/10/20(月) 21:20:32
イタリア戦争や百年戦争では城が大砲で可也
やられていると言う意見も有るだろうが
城壁の厚さは5mも有ったのか
どうかだが
646 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/20(月) 21:29:50
>>643 現地で現物を見てみろ。
荒れて崩れてしまった今の世で見ても存在感には圧倒されるぞ。
ウルバンの大砲でも完全には崩せなかった(防衛側の過失による自滅だからな)。
崩れたポイントも防衛側が夜なべして必死に修復していたしな。
何より1000年以上外敵を防いできたという風評が壁を現実より強固にしていたんだよ。
647 :
某研究者:2008/10/20(月) 21:37:37
ウルバン砲程では無いにしても
イタリア戦争時の様に大量に重砲を運用されれば
テオドシウス城壁程度は容易に落ちたと言う可能性は
無いのかどうかだが
まあしかしイタリア戦争後の新型要塞に対しては
ヴォーバンも塹壕戦や坑道戦を主体としていたから
大砲の利用は効率的だったのかどうかだが
テオドシウスの大城壁はカタパルト時代の城壁。
カタパルトやバリスタなどの物理的砲撃兵器は威力をともなう射程に限界があり、
二重城壁外の堀やバリケードで有効射程まで踏み込めないようになっていた。
また堀があるせいで破城鎚や攻城塔は使えず白兵戦しか選択肢にあげさせない、
そういう意味での堅牢さだった。
しかし時代が進み、大砲の前身である射石砲の登場により、いともたやすく陥落した。
大砲に対する防御は構造的な問題ではなく、星型稜堡のような設計的な問題だからだ。
以降、都市防御は星型稜堡に移行し、榴弾砲の登場にいたってついに防壁は無意味になり解体された。
よって大砲に対する防御はありえないか、地の利を利用するほかない。
>5m程度の厚さの壁しか無い
「程度」っておまwwwwww
5mっていう厚みが想像もできないんだろうな
それなりの規模の城塞に対して、
ついでに言えば敵増援が相応の規模で押し寄せてくる状態で、
戦国日本が攻城戦に対応できるかどうかだろ、要は
山の上に攻城兵器もってあがるテクノロジーをどこから調達するのだろう
攻城兵器は手段のひとつに過ぎないだろ
山城が廃れた理由なんざ腐るほどあるわけで
それを知らないで言っているわけじゃあるまい?
それ不便だからじゃね?
以下、古今東西の実例から導き出される一般論だが、
まず、どんな堅牢な防御設備も、守備側の戦意が低ければ何の役にも立たない
または、守備側に内通者がいて手引きがあれば防御施設の機能は半減ないしは無効化される
小田原や七尾城の例を引っ張り出すまでも無く、心が折れれば戦闘力の有無に関わらず勝敗は決する
山海関の呉三桂の例もこれに当てはまるし、李自成の乱における北京陥落も、決定打は守備側の戦意喪失につきる
守備側が防衛体制についてないうちに攻城側が浸入してしまえば、やはり城塞の堅牢さは意味を成さない
戸石城や稲葉山城の例は典型だが、これはどちらかというと比較的小規模な山塞などに多くみられるパターンで
さすがに大規模城塞では珍しい
もちろん、守備側の兵力および防衛設備の規模を圧倒する大軍による力攻めでの突破ということはあるし、
防衛設備の想定をはるかに上回る技術レベルの攻城兵器というケースも無くは無いが
たいていはそれらが真価を発揮する前に守備側の心が折れる
まれに、ほんのうっかりでせっかくの善戦をパアにして落城してしまうケースもある
コンスタンチノポリスの最後は笑撃的とさえいえる
不便と一言で言うと
一言で片付くが(なんのこっちゃ)、
正確には「いろいろと不便すぎる」からだろ
統治拠点としても今ひとつだし、
産業拠点としてはむしろ最悪だし、
軍事拠点としても侵攻拠点には使いにくい
防衛拠点としては及第点のようだが
防衛戦闘自体はともかくとして、長期攻囲戦に絶える物資の蓄積が困難だし、
何より、水の手の確保が非常に難しい
日常の居館とするのは勿論論外
そこまでしても、まったく落ちないという保障があるわけでさえない
少し十分な金があれば、平地や水際に縄張りを施して防御施設を充実させたほうがいいという結論になるわけだ
でも平城は平和になってからだよ
大阪城の防衛力は実証済み
現代の大阪城公園歩いてみればわかるが、
城の縄張りというやつはよくできている
篠山城もさすがの縄張り
少なくとも、大砲以前の兵器では
よほど圧倒的な戦力差でもない限りそうは落ちないね
もちろん、岡城や三本松城の険阻さも身をもって知っているし、
それが有効でないはずは無いと思うけどね
平城は、勿論設計がざるで金をかけなければただの館に過ぎないが、
平城が増えたのは、「平和になった」というだけではなく、
金をかけて人工的な防衛施設を建造する価値が認識されたのと、
特に大国ならばそれだけの経済的余裕もうまれてきた
という側面も大いにある
勿論、その後の趨勢から、それ以上の大掛かりな設備は必要とならなかったわけだが、
仮に戦乱が続いたとしても、城郭のトレンドは平城への以降をしこうしていたのだろう
現に、攻囲側が力攻めでは落とせなかった小田原城も石山も
決して山城ではない
657 :
某研究者:2008/10/21(火) 14:53:17
平城と言っても小さな山を整形しているのは
事実だろうが
壁の厚さは兎も角
西欧の星型要塞に比べれば
火力は余り生かせない構造な訳だろうか
658 :
某研究者:2008/10/21(火) 17:45:56
城に篭る敵が
兵糧攻めで戦意を喪失した所に
少数戦力で味方が損害が出ない程度の攻撃を
昼夜続ければ
敵の降伏が早まると言う事は
有り得る訳だろうか
659 :
某研究者:2008/10/21(火) 20:27:07
660 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/21(火) 20:57:20
関東から来たはほとんど石垣はないぞ。
で、16世紀末の日本の軍事力が
同時代の中国、インド、トルコ、欧州やアフリカ諸王朝と対峙して
通用するか、
と訪ねられれば
「こと戦闘に限れば勝負になる」
というのがオレの結論
ただし、決して有利ではない
特にアウェイでは情報戦で遅れをとるので
斥行と伝令はこれでもかというくらい出すべき
騎兵の不利などの(克服するためにも)無視できない課題もある
いずれにしても野戦ならば指揮官の工夫次第でどうにでも転ぶ
一方、島原の原城の例をみるに
しかるべき縄張りならば日本式城郭の防御力は相当のもの
よほど好き放題に砲台を放置しないかぎり
この時代ならば、火砲も決定的な脅威ではない
逆に攻城戦は不利
火砲は決定打にこそならないものの不要ではない
不備というのは論外だが、火砲の運用実績は今一つ
地方領主の小城ならまだしも
それなりの城郭をまともに攻め落とすのは至難(当たり前だが)
問題は交渉
基本的に日本の外の世界(価値観)が見えていないので
まともな交渉が成り立たない
また同様に、占領地の統治能力にも疑問が残る
戦闘で勝利しても戦争で敗北、という可能性はたかい
662 :
某研究者:2008/10/21(火) 23:00:08
ろくに騎兵の無いスペイン軍が
重騎兵の多数居る仏に勝利している訳だろうし
騎兵は必須条件なのかだが
1540頃に多用されたピストル騎兵で仏の重騎兵に勝利したと言うのも
大きかったのかどうかだが
其の前からスペインは仏に勝利していただろうか
663 :
某研究者:2008/10/21(火) 23:05:40
>逆に攻城戦は不利
>火砲は決定打にこそならないものの不要ではない
敵の重砲を捕獲と言う方向も有るかも知れぬし
大阪夏の陣の時は家康もオランダから重砲を購入していただろうが
日本の城には余り効果は無い訳だろうか
>問題は交渉
>基本的に日本の外の世界(価値観)が見えていないので
>まともな交渉が成り立たない
>また同様に、占領地の統治能力にも疑問が残る
山田長政や小西行長の様な人間なら
外の情報も得ているだろうが
占領地の統治は朝鮮では
失敗していたのかどうかだが
寒い朝鮮では米が育たず
占領コストが高かったも問題だったと言う事は
無いのかだが
664 :
某研究者:2008/10/21(火) 23:08:06
まあ何れにせよウォーバン以前には
欧州の16世紀以降の新型要塞の攻略は
砲が有っても手を焼いていた訳だろうか
665 :
某研究者:2008/10/21(火) 23:16:43
666 :
某研究者:2008/10/21(火) 23:21:55
667 :
某研究者:2008/10/21(火) 23:24:15
668 :
某研究者:2008/10/21(火) 23:33:55
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%AD >例えばコルテスの新大陸征服に用いられた軍のうちロデレロは1520年時点で1300人中1000人と大半を占め、1521年でも700人のロデレロに対し火縄銃兵やクロスボウ兵は僅か118名であった。
1512のラヴェンナではパイク兵は
居なかったと言う可能性も有る訳だろうか
http://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/pavia.html >フランス軍の重騎兵隊は砲兵や歩兵隊の支援の無いまま、スペイン軍の横隊の中央に突撃を繰り返しました。
>このフランス軍騎兵の突撃は、敵軍の一部を突破することに成功しますが、スペイン軍の歩兵隊(小銃隊)は何とか無事に退避できます。
>戦場の地面が薮で覆われた沼地であったため、フランス軍騎兵は効果的に戦うことが出来ず、スペイン軍には小川の堤沿いに生えている樹木や薮の陰で小銃隊を編成し直す余裕がありました。
>フランス軍のスイス人傭兵からなる槍兵隊の攻撃は、スペイン軍のドイツ人傭兵の槍兵隊に抑えられてしまい、マスケット銃の攻撃を恐れたスイス兵たちは後退してしまいます。
>フランス軍騎兵隊は、進路をスペイン軍のドイツ人傭兵部隊に塞がれており、 味方からの支援砲撃も霧のために不可能になっていました。
パヴィアの時はスペイン軍にドイツ人の槍兵は居た様だが
歩兵は兎も角
騎兵は阻止していたのかどうかだが
>>661 攻城には水攻(兵糧戦)の可能性を示唆
交渉には面白い事例があって
徳川家康は西欧の国々に世界の8エンペラーと認められていたそうな
そんなニュースが最近ありましたね。
思ったよりもこの時代、外国との交渉は活発だ
>>661 >統治
この時代、他国を統治できる国は存在しないよ
みんな酷い目にあってる
>諜報
日本は諜報下手とかそーゆーのは無かったはず。
かなり情報は重用視されてるね
671 :
某研究者:2008/10/22(水) 01:31:52
日本軍も蔚山城等で
奇襲攻撃を受けたのは問題だろうが
明軍も日本軍に奇襲を受けている訳だろうか
672 :
某研究者:2008/10/22(水) 03:03:13
>>670 >諜報
情報の重要性を理解していない、とはいわない
国内におけるラッパの活動にしても
むしろ、情報戦自体は充分に重視されてきたとは思われる
だが、それがうまくできるか、(特に外地で)
というのは別問題
異人種とのコミュニケーション能力や
異文化社会に対する理解度が
不安要素だ
(異文化の文物を理解、というか自己流に消化するのには長けているが
対外感覚の面では唐入りに限らず遡れば失策が目立つ)
(この課題は統治能力にも関わってくる)
674 :
某研究者:2008/10/22(水) 23:44:27
信長で世界征服を目指す、クイズゲーム造ってみました。
もしよかったら遊んでみてチョ。
無料学習ゲームサイト ”ソレスタ”でプレイできます。
”ソレスタ ゲーム”で検索できます。
(後、まじめな16世紀後半のプチ世界戦略シミュレーションゲーム作成
計画も進行中...、シンプルだけどかなりシビアなゲームを目指してます。)
>>673 いや、徳川が外交により西欧諸外国に皇帝と認識されていたと
いう資料がニュースで出てたよ
676 :
某研究者:2008/10/23(木) 06:25:24
海上で奇襲を受けるのは
当時のレベルでは避け難いかも知れぬが
陸上で奇襲を受けるのは問題な訳だろうが
武田信玄等が利用した
狼煙台等は用意していたのかどうかだが
>>673>>675 なにが「いや」という接続詞の対象なのだろね
アンカミス?
ミカドはスルーでカワイソス
ま、実力が伴わないし陰も薄いし交渉相手として頼りないしで
仕方ないか
水責めの本場は大陸
日本では成功例と失敗例を一つずつしかしらない
ま、どちらもいい例だけど
兵糧攻めは難易度高いからなあ
敵補給線を完封し、敵増援はうまくいなす
かつ、城内の備蓄以上の兵糧を確保
こうした問題に最適な対応を最速で迫られる
決して誰にでもできることではなく
だからこそ秀吉の兵糧攻めは評価が高い
だがこれは現地の地域経済を牛耳ることができるかが鍵
679 :
某研究者:2008/10/23(木) 17:50:24
水攻めと言うのも内部が高く成っている日本の城には
中々通用し難い部分も有る訳だろうか
680 :
某研究者:2008/10/23(木) 18:35:57
まあしかし内郭が高いと言う事は
外部から早期に砲撃されるリスクは有るかも知れぬし
内郭の石垣に命中すると破片で外郭の人間がやられるリスクも
有るかも知れぬが
土塁の場合は問題は無い訳だろうか
歴史的事実として
砲の発達が城塞から大げさな構造物を取り去ったのは
間違いない
とはいえ、城壁などが全く無力になった時代が突然に始まったわけではないわけで
少し遡れば15世紀半ばのコンスタンチノープルの例はあるし
少し下れば砲の時代ともいうべきナポレオン時代でさえ
既存の城壁は防衛施設として決して無価値ではなかった
(勿論、砲撃に耐えきれるシロモノではないが)
被弾面積を抑えた設計と構築補修の容易な土塁塹壕をもつ要塞に形は変わったが「城」は有効だったわけだ
その点、「縄張り」を重視した日本式城郭は、
天守の採用などは砲の時代に逆行したものだが
その堅牢さが構造物の頑強さに依存していない(むしろその点では脆弱)がゆえに
要塞としての寿命は長かったのだろう
島原の原城は実質縄張りと戦意だけで粘り切れたわけだし
戊辰戦争ではさすがに戦力差が一方的すぎた(オマケに連携がグダグダ)ものの、
西南戦争での熊本城はまさに金城鉄壁
(神風連の奇襲に脆かったのは中のヒトの問題)
防衛戦に関しては、兵糧弾薬のもつ限り(あと油断のない限り)は
かなりいい戦はイクだろね
682 :
某研究者:2008/10/23(木) 20:32:51
天守も古い時代の物は小さい物が多いし
強化された物見櫓と言う程度の
物かも知れぬが
>>682 反論にも肯定にもなってない
相手の結論にガツンと踏み込まないから
踏み込めないヘタレは面白くない
なにがいいたいかわからないから参考にする気にさえならない
チラシの裏にでも書いてろ
684 :
某研究者:2008/10/23(木) 21:29:40
イタリア戦争では高い旧式の城壁を土塁で覆って
砲弾を防いだ例も有る様だから
砲弾の破片が問題なら石垣を土で覆うと言う手も
有る訳だろうか
>>677 >異人種とのコミュニケーション能力や
>異文化社会に対する理解度が
>不安要素だ
これらに「いや、」
諸外国と普通に外交できていると言いたいのだよ
>>677 そこは外交担当に問題があったというより
トップの秀吉に問題があったんじゃ?
それ外交とは関係なくね?
〇〇が最高権力者
だなんて外交以前の情報でしょ
688 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/24(金) 19:17:41
まぁぶっちゃけ世界に通用しないよね
通用するとしたら衆道文化くらいか
あれは素晴らしい
っていっても世界中で美男子とやってる王はいたわけだが
意味不明
>>688 帝国は世界で8国のみとされ、
アジアにおいて中国のみ
国際上、「強力な国家」と認められている事がわかる
外交べたではこうはならない
飛躍だな
「よくわからんけどすごいらしい」
「なにしろ黄金の国の最高権力者だしな」
「いやいや、火縄銃もいい仕事してますよね」
「金銀はとれるし豊かな国らしい」
「東の果てだよね」
「つーわけで神秘補正」
なにがいいたいかというと
家康が帝王として認められたというのは
具体的にどういう外交交渉を行った結果なのか?ということ
単に知名度だけが先行したということはないのか?
また、その引き合いにだした格付けが
どの程度にしっかりした根拠に基づいたものなのか?
どういう人物が、どういう基準でリストアップして、他にどういう指導者があげられているのか?
そもそもその資料の信頼性は?
外交力と知名度は別物だよ
?
693 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/26(日) 00:34:03
p
>>691 帝国と認められるのは対等な国家として認められるもの
文書として外交文章が残るのは、高度な外交活動を行っているあかし
飛躍でもなんでもなくて
というか、百歩譲って、ニュース読んだ?
読まずにご高説垂れてるわけじゃないよね?
滅亡直前でもローマ帝国
コンスタンチノープル周辺のみでもビザンツ帝国
誰もその帝位に疑問はさしはさむまい
称号と風説と実態とはまったく無縁ではないが、完全に連動しているわけではあるまいて
ましてや「西欧のジパング観と日本観」について少し考慮すれば
当時のこととて
日本のことをよくわかっていなくても「あのジパングが世界の反対に実在して、しかもそんなところから文書が来た」というだけでその価値は過大評価されるだろう
だが文書のやり取りくらいで「高度な」あるいは「対等な」外交交渉とはいえない
慶長遣欧施設と東南アジアとの朱印船程度の交渉でも、文書くらいは残っている
だいたい当時で、それでもちゃんと文書で話がやり取りできるのが、
西欧とイスラム圏をのぞいては中華帝国と日本くらいだし、文書はそれなりの数は残っている
だがきちんとした条約を結べるほどの対等な相手と見ていたのかは疑問
* 世界の八大帝国、とやらのニュース(?)を引き合いに出したことそのものの妥当性について
たぶん
>>694は根本的に大きな勘違いをしている
<「帝国は世界で8国のみとされ」だって? 初耳ですな!>
という相手にそんな話を引き合いに出すなら、
それはどういうものなのかをまず説明するべき(リンク一本でも十分)
「ニュース読んだ?」なんて物言いができるくらいなんだから、
少なくとも、毎年某経済雑誌で紹介されているような「今年の世界の顔100人」とかよりは知られているという認識なんだよね?
(大体定説や通説の範疇ならばともかく、「最近ニュースで紹介された」という程度の軽いものを知っていて当然みたいな語り口というのが笑えるのだが)
加えて、それを言っているのが万人の認める通説であるならばともかく、
一部の学者が言い出し始めた新説や
異端や素人の珍説の類であるなら、世間的に通用しない
引き合いに出すこと自体がナンセンス
まあ、テレビニュースや娯楽番組あたりはそういう珍説の類でも、(むしろ新説奇説の類のほうが)数字が取れそうなので
ことの当否はともかく新事実であるかのように取り上げることはあるからねぇ
さて、どういうことなのか説明してみてくれないか?
寡聞にしてそんなニュースは見た覚えが無いので、
確認できるソース
(学会誌なら掲載号数、WEBニュースならアドレスないしはキーワード、テレビならせめて放映時期)を見せてもらえれば
検討できるのだが
今のところ、いい加減なベタ記事をニュースとして錯覚して、さらにソレが定説であると錯覚しているようにしかみえない
そのニュースとやらを見せてもらってから、あらためて、
当時「誰が」「どういう基準で」そういうことを言い出して、
ソレが当時の社会通念として通用したのか、それとも妄言扱いされるような戯言だったのか、というところまで検証してみようか
へっ?元ニュース読まずに、お前の論は飛躍してるって断言しちゃうのが妥当なの?
その1
そんなニュースが「ない」という認識だからな
あるというなら
いいからさっさとソース見せろよ
ということだ
で、ニュース以前のベタ記事なら笑う、と
学会ではそんな話聞いたことないが
一応専門分野じゃないから見落としがないとは言えんしな
見せてもらわんことには話にならん
その2
文書がある≠対等と認識
そもそも、欧州のEmperorと中華の皇帝とは概念からして違う
「当地の最高権力者」という意味で「皇帝」という単語を使うことはあるが
当時の欧州の価値観では厳密な意味でのemperorは2席しかない
いわば「世界の八大権力者」という程度の意味合いなのを誤解した説ではないか、という疑問がある
ご当地のトップという程度の認識なら、それすなわち対等という認識だったとは限らない
それゆえ、ソースがあれば精査しよう、というわけ
699 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/26(日) 13:01:44
平たく言えば
ニュースの信憑性自体が疑わしいし
あまり通説では語られないような解釈なら
ニュースの内容がおかしいのか
解釈がおかしいのか
それともおかしくはないのか
ニュースを見せてもらわんことには判断できない
そうとは限らない、というようなことをいいきりながら
根拠が緻密に語られない以上は
飛躍にしかみえないしマユツバ扱いされて当然
>>698 1.無いものに対して「解釈が飛躍」という批判は矛盾する
2.すまん、7皇帝だった。オスマン、ハプスブルク、ロマノフ、ティムール、中国、日本+何か
これらに列記されて、なお、軽んじられるという解釈は無い。
また外交文書(認識)であるから、対等以下の国に使われるものでもない。
>>699 揶揄
「正史でこのような記述があるので問題ない」
対して正史を読まずに「その解釈はおかしい」
あまつさえ、正史を読まずに「その正史は信憑性が無い」
せめて正史を読んでの上記批判であれば
十分に議論すべきではあるとは思うが
>>699 ソレが正史かどうかわからないし、
誤報を載せた文書かもしれないし、
最悪の場合偽書かもしれない、
ということだろ?
その場合、まずは文書の鑑定をするもんじゃね?
手元に文書が無いから読めない、というなら、
まず取り寄せて読んでからだろ
わからんヒトだな
「ガンが治る水」なんて鵜呑みにできないだろ(ひっかかる人もいるが)
「成人病が治る体操」なんて「正しい」とは普通は言い切れないでしょ?
そのデータをみないと、錯覚か捏造か、ホントなのか判断できない
そのデータも与えられないまま
既存の常識では必ずしもそうだとは断言できないことを断言されたら
まずは疑うよ
それは飛躍でなければサギの手口だよ
>>702 だからデータを見せろよ
とオレは言い続けているの!
見せてもらえないだけなの
>>702 正史かどうかわからないのが問題ではない
わからないのに「正史ではない」と断言することが問題なのだ
>>703 ならどうして「わからない」と答えずに「間違っている」と反論するのか
706 :
某研究者:2008/10/28(火) 06:06:07
707 :
某研究者:2008/10/28(火) 06:17:21
パーカッションロックでも
ハンマーの反動で銃が横にぶれるかも知れぬが
フリントロックよりはましなのかも知れぬが
火縄銃と比べ精度はどうなのかだが
南北戦争で出て来た薬莢式の銃ならハンマーの反動は無い訳だろうか
708 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/28(火) 08:49:18
それ、確定事項として
あるいは、通説として
紹介されているわけではない
どちらかというと
歴史読本でたまに載っているような、
身びいきの記事、のようなもの
学会ではまともに扱えないようなもの
(発表の自由は保証されているので朝方の空いた時間にこういうのはやってたりする)
こういうのを鵜呑みにするのは
「あるある大事典」を鵜呑みにするに等しい
99の笑う期待と1のワンダーの期待の狭間で
万が一にでも思考の裏側を衝かれるワンダーならばいいが、という期待は
ヤッパリな(笑)という失笑で締めくくらなければならなさそうだ
>>708 憶測でものを語る君が、学会での是非を語るのは実にユニークだ。
ソースを見聞する事に否応は無い。説のひとつであるしな。
ただ。君は一度、憶測による否定を行っており言に信用が無い。
学会で「身びいきの記事」と否定される論拠(ソース)を示したまへ。
つか、なんで学会が出てきたのかな?
あるある大辞典の知識をソース(知識)を否定するのは構わない
なんで私がこれほど腹をたててるのか理解はしてくれてはないだろうなぁ
少し整理しよう
本題は
戦国日本の軍事力は世界に通用するか
オレは「戦闘力自体は通用するかもしれないが、戦争では遅れをとる
理由の一つとしては(他の理由はここでは割愛)交渉や外交で遅れをとるから」
そこへ、「いや、日本は外交できてる」ときた
ここで問題になる外交とは、実務的な意味においてであり
席次や格付けや儀礼ではない
でよいか
そして話が戦国日本の外交力、交渉力という話になった
「外交ができてる」という反論の論拠は
「日本が世界七大帝国の一つとされていた
外交ができてない国がそう評価されるわけがない」
それに対するオレの再反論は
1、そんな格付けは外交(特に振れてないが話の流れとして実務的交渉力をさす)とは関係ない
2、そもそも、その格付け自体も怪しい
(主は1 2はついで)
再再反論は
1、関係ある
2、ニュースにもなった
(この時点で格付けを元に実務的交渉力を語ることの不適切性を説明しても通じないと判断
やむを得ず、格付け自体の信憑性を問うことに)
そして出てきたソースが、たかだか一セミナーで、「こんな説もありました」という程度のもの
ソースの記事の元説だが
別に一次史料というわけではない
あくまで「仮説」の一つでしかなく、それも、一次史料を都合よく取捨選択して解釈したにすぎない
ここで「学会」という単語が出てきたのは、あくまで一つの仮説にすぎず、通説として認知されていないのが現場の現状だから
ひいき目に見ても、
そういう説をとる派がある、というだけでしかなく、
確定事項ではない、ということ
この事実こそがソースといえばソースだが、それゆえに形として出せない (遺憾ながら)
だがともかく
科学的客観的な事実でもない仮説を鵜呑みにして
さも事実であるかのごとく論拠にするのは
わかってないヤツの危うい錯誤か、
わかっていてやっているなら「あるある」級の作為的虚偽だ
>>711 格付けは外交の結果であるのだから、能力は関係はある。
特に密に連絡の取れない遠方であれば格付けは重用となる。
(帝国民と国民では扱いが歴然等)
>>712 「一次史料を都合良く解釈している」という論拠を示したまへと
例えば
発表している教授が、都合良く解釈する前科があるとか
別の資料ではそのような解釈はなりたっていないとか
この記者は朝日では稀な日本贔屓記事を書く事で有名とか
なんでも良いので
今の所、その論拠が君の憶測に過ぎない
鵜呑みしている事への批判に憶測で反論はやめね?
「あるあるは一部ねつ造だから、信じてるとバカ、ソース必要無し」
ってのは暴論だよな?
とても学会を引き合いに出す人物の議論ではない。
自分はその記事の論拠に大きな疑問が無い状態。
この記事(歴史解釈)に問題があるのであれば知りたい
格付けする側がちゃんと格付けしているか、という点が検証済みであれば通用する
その検証を見ないことには「なんともいえない」だろう
あえて極端な冗談だが、
ドコゾの誰かが勝手にグリコのプリンと森永のプリンを格付けして、優劣を決めた
その書き付けが500年後に古文書として発見され、ソレを鵜呑みにして500年前の一般認識だとされる
なんていうのは、おかしな話だろう、と
仮にそれを鵜呑みにすることを是とすると、
じゃあ、チムールあたりも、同じように外交の成果をあげていた、という結論になる
しかし、その後の欧州の7大帝国とやらに対する振る舞いを見て、
果たしてこれらのクニが欧州に対して外交の成果があったなどといえるだろうか?
ここで取り上げられるべき「外交の成果」とは、
たとえば、
清対ロシアのネルチンスク条約といったものであるべき
具体的効力のないお褒めの言葉何座、ただのよい書で、外交の成果なんていえた代物じゃない
そんな水準で外交なんてあきれた話で、明治の鹿鳴館外交か現代日本の外務省程度だってもっとましである
そもそもの交流もほとんどなかったのに、外交能力を云々することが、まして野外効力があったと結論するのがおかしい。
引き合いに出した仮説も、「日本がどう思われていたか」というのが本題であり結論で、それ以上のことは言っていない
そこから外交云々というのは、たった一人の、本題を見失った某氏の頭の中でしか結びつかない飛躍だ
その飛躍を否定するソースがないのは、その飛躍が誰にも認知されない((お互い様だが)せいぜいこの板までという影響力の狭さ)ゆえに、
江戸幕府統治下の日本が7大帝国としてカウントされた理由としてより妥当なのは、
ほとんど交渉がない状況下での外交によるものではなく、
「神秘の東洋の大国(金銀銅の産出とジパング伝説、絶対権力を持つ支配者、ほとんど交渉がないゆえの神秘性、ユーラシア大陸の最東端の島国という地理的特性)」
というイメージに基づいたものだろう
鵜呑みにしていること自体がおかしいうえに、
鵜呑みにした結果の結論と鵜呑みにしていることとが結びついていないのもおかしい
その「おかしい」という指摘のソースというのは難しいな
ソース以前におかしいだろ、という話だから。
わかりやすく言えば、「1+1が2!だから、明かりを消せば暗くなる!」という文章の非論理性を指摘して、その非論理性のソースを求められたようなもの
正直ここまで言って通じないのであれば、お手上げだ
いい加減空気よんだほうが良いだろうしwww
>>714 検証せずに否定してるのは問題じゃないのか?と繰り返し聞いてるのだが
また、ソースも無く検証はできないだろ?とも繰り返してる。
検証の結果、否定されるのに是非は無いとも繰り返してるよ。
つか、これから検証されるべき発表記事を、君の憶測による検証じゃいかんだろ?
それがまったくのでたらめ、資料的価値の無い一時資料であるって事かい?
ソース希望
あと、欧州と正式な外交文書を取り交わしていないってのは本当?
いやな、どうやって鎖国したんだろうかなと。
もっと適切でシンプルな例があったので差し替え
空気を読むのはもう少し先にするww
「知的生命体としての宇宙人は宇宙のどこかに必ずいる だから、 彼らとは交渉ができる!」
まあ、この例の場合、頭ごなしに否定はできないが、突っ込みどころが山ほどある、
というニュアンスはつたわるかと。
まず第一、
前提の宇宙人の実在は、仮説である。あるいはそうであるかもしれないが、そうでない可能性も高く、現時点では立証のめどが立っていない
この宇宙人実在説が疑問の対象にならないとしたら、ソレは情報量の少なすぎて疑問が発せられる以前の段階だから、でしかない
そんな仮説が立証の大前提となるのがおかしい
第二、
仮に前提が絶対無二の真実であっても、ソレと結論が別次元の問題ということ、
要は「だから」では前後が結びついていないということだ
例での前提条件である、宇宙人がいたとしても、
まず、ソレが知的生命体と呼べる代物かはわからないし、そうであっても、
コミュニケーションが技術的に可能か・・・という以前に、向こうにその気があるかどうかの問題もあるし、そもそも「コミュニケーション」という概念があるかの保障さえなく、
さらに言えばそれ以前に遭遇する機会があるのか、など、
突っ込みどころが多数である。
で、そんな論拠で日本の外交力を語られても、この例程度のことと同レベルである
そのうえで、
ソレはおかしいだろと突っ込んで、ソースを見せるのは無理だといおう。
せめて、もう少ししっかりした説を下敷きにして、もう少ししっかりしたとんち構造の主張をしてもらっていたならば、否定するためにソースが必要になったのだが、
大変残念ながら、それ以前のレベルなのだ
もし日本の外交力を具体的に主張するならば、
清がロシアと締結したネルチンスク条約に匹敵するレベルの、具体的な交渉事例を挙げてほしかった
戦国期に限るなら、
政宗&家康の慶長遣欧使節の活動実績と成果や朱印船貿易や
東南アジアにおける日本人村の現地の政策に対する発言力という切り口
あるいは、少し時代を広げて(まあ、7大帝国だって、スレタイに則らずに江戸後期の例を出しているのだから、多少自大がずれてもかまわないのだろう)
江戸後期の鎖国政策化における欧州との具体的な政治的取り決めの例をあげてもらえればよかったのだが
オレの、「ソースは?」は、そういうことを期待していたので、
正直本当に期待外れでガッカリ、というか失笑である
鎖国に関しては、ずさんとはいわないまでも、随分に適当ないきさつ
日本側が、鎖国政策を交渉によって相手に承認させた・・・というわけではない
一方的に江戸幕府が海禁策を実施し、これに対して欧州側があきらめてうけいれた、ということにずぎない
(本国から遠すぎることと本国のごたごたでそれどころじゃないということもある)
江戸前期あたりには、幾度かポルトガルあたりが数隻の船で「海禁策の緩和お願いに来た」が
幕府の「交渉以前に聴く耳を持たない」という対応や、ポルトガルにしても植民地経営で忙しく、そこまで無理をして開国をさせるほどの利益があったわけでもない、ということで、
「向こうがあきらめた」
同時期のイギリスにいたっては、英蘭戦争で東アジアでの足場を失い、東アジア貿易でオランダと張り合っても採算が合わないという理由で商館を閉鎖して自主的に撤収している
鎖国が成立した過程にあるのは一方的な通知(セールスお断りと札をつけて、チャイムが鳴っても玄関に出ない、というレベル)であり、
まっとうな外交交渉の成果ではないのだ
数少ないオランダとの交渉も、長崎の東インド会社の商館を経由しての、商館主との交渉に過ぎない(1844年のようにオランダ国王からの親書が届くこともあったが)
オランダ経由で世界情勢を知ったというが、
これは小官庁のサービスというレベルの情報に過ぎず、大きな事件の事実関係をかいつまんで知らされたに過ぎない。
当然、オランダが都合で隠していたようなことは(東インド会社の倒産とかフランスに征服されたとか)ちゃんと把握できていなかった
(その点では歴代のオランダ商館長にだまされ続けていたわけだが、最後までそのウソに気づかなかった)
中国との貿易は、正式な国交ではなく(明清にとっての国交とは朝貢に他ならないのだから当然)
あくまで私貿易の商人が長崎に来ていたに過ぎない
その間、幕府の使節が北京だのバタビアだのに行っていたわけではない
勿論、江戸期を通じて、海難事故以外で日本人が海外に渡航した例は、江戸初期と末期を除いては見られない
つまり、外交不在とか、皆無、とまでは言わないが、本当にろくな交渉がないのだ
儀礼上で多少の親書のやり取りがあったとして、ソレを持って外交交渉というのは、
たまたま年賀状をやり取りをしているだけの知人を、「仕事上密接な付き合い」だの「お互いをよく知る親友」だのいうようなものだ。
はっきり行って、外交なんてものは介在する余地がなかったとさえ言える
だからこそ、(時代は下るが)本気でナニが何でも開国させる、という姿勢でペリーがやってきたときに、
ああいうグダグダな対応になったわけだ
日本が「世界の果て」であったうちは、外交というものがなくても、わりとなんとかなってしまっていた
ただそれだけなのである
そんな、欧州にしてみれば随分わけのわからない神秘のベールが、日本を「7大帝国の仲間入り(笑)」にしたのである
>>717 なるほど、余談において参考にもなったし、面白くもあるが
自分は記事によって、高い「格付け」がある主張。
まず、これの正否が怪しいと
>>712になっている。
で、「7大帝国の仲間入り(笑)」と嗤いながら肯定しているのか否か
ソース(一時資料、あるいは記事の解釈)に問題あるのか否か。
政宗&家康の慶長遣欧使節の活動実績と成果や朱印船貿易は
別口理論なので、これは話題にしていない
話題が拡散しすぎて困るから。
ハナから江戸後期をソースにしたり
鎖国に話題が振られる時点で
既にだいぶ拡散しているわけで
そんな時期がズレた話をふりながら
「より近い時代(近いというかほぼ直後か同時期といえる)の朱印船や遣欧使節をソースにしたほうが妥当」
といういわば助け舟を
「話題が拡散するから」というのもなかなかにユニーク
ソースもなにも、
格付けと外交成果は直結しない、
というのは
論拠にされた仮説の当否以前の常識
仮に論拠の仮説自体が妥当だとしても
ソースとしてポイントが不適切である以上
戦国日本の外交力の傍証になりえない
仮説自体の妥当性は、はっきりいえばわりとどうでもいい
どちらに転んでも戦国日本の外交力のバロメータとはなりえないわけだから
まさに、かの仮説の当否を問うことこそが、一番の脱線で余談
しいて付け足すなら
「そう書いた人もいれば、そうしなかった人もいた」
>>719 君が
>>710で
「やむを得ず、格付け自体の信憑性を問うことに」
と、している。
この信憑性の疑問に対して、ソースをニュースであると提出。
なのだから。君はこのソースを見て、正否を述べるべきではないのか?
君がわざわざ整理してくれたスケジュールでは
信憑性が確認できれば格付けの話になるはずなのに
いっきにプロセスを二つも飛ばして、お前はこのテーマで話しろと
渡してくれる勇敢にして果断たる性格には恐れ入るが
無茶だね。
政宗&家康の慶長遣欧使節の活動実績と成果や朱印船貿易は
必要な話ではあるのだが新鮮みが無いし、現在はそれ以前の話じゃないかと
721 :
某研究者:2008/11/01(土) 12:42:31
10mと5mじゃ大違いだけど
10mと8mなら大して違わない気がする
高さが30mなら平均的なMSの倍近い高さだよな
723 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/03(月) 02:00:11
話ズレてんじゃん
戦国時代の日本に存在した軍を当時の世界最強とする向きもあるが、疑いを持つ面のほうが多い。
日本は大量の火縄銃を生産できたが、鋳鉄砲は生産できなかった。
日本の製鉄技術では鍛鉄砲しか製造できなかったからである。
製鉄技術という面だけを見るなら、当時でも西欧と日本は一世紀ほど格差があったと言える。
西欧諸国が開国を迫ったとき日本人が最も恐れたのは宗教でも道徳でも文明でもなく大砲であった。
強力な大砲とそれが必要とする科学技術を崇め恐れたのだ。
日本軍は、戦国時代の終末期に位置する、この時代の世界有数の陸軍を持っています。
有名な関ヶ原の合戦では、あまりにも鉄砲足軽の比率が高まりすぎて、長槍で突撃する足軽の数が足りなかったという逸話すらあるほど極端に高い鉄砲装備率を誇っています。
もっとも大砲の装備数に関しては、火薬の原料となる硝石の希少性からか、鉄砲装備率の割合から考えると極めて少ないようでした。
なお、日本で大砲が戦場で登場するのは、九州大友氏の国崩しが恐らくは最初です。同時期の信長の鉄鋼船への搭載も有名でしょうか。
しかし、信長から20年近く経過した関ヶ原の合戦では、西軍は三成が3門持っていたという資料がある程度で、たいして役には立っていません。
攻城戦でも大砲が例しか見受けられません。
少なくとも、大砲で物理的に破壊された城というものは僅少です。
かのオスマン朝がコンスタンチノープルの城壁を巨大な大砲で撃ち破ったのが何時だったかと思うと、日本での大砲運用は全くなされていないとすら思えます。
726 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/03(月) 20:37:24
歩兵、砲兵、騎兵の三兵編成でケンカを売ってくるのですから、多少騎兵を有していようが戦国時代編成・装備の日本軍が苦戦することは間違いないでしょう。
なにしろ日本側には、野戦用の大砲がありません。
兵団の基本単位は、旅団単位(約5000名)を基本として見ていきます。
戦国時代末期の日本軍は、槍、弓、鉄砲が基本兵科です。
これに武士(重騎兵)、騎乗士(軽騎兵)、黒鍬(工兵)、荷駄(補給)などが加わって戦国スタイルの混成部隊を構成します。このうち、黒鍬(工兵)、荷駄(補給)は、純粋な戦闘部隊に含めません。
(含めた場合は8000人程度の集団になるでしょう。) 戦闘部隊の比率は、槍4:弓2:鉄砲3:武士・騎乗士1=計10ぐらいでしょうか。
時期と場合によって鉄砲の装備率が違うことがありますが、この世界の日本軍の場合は、比率で挙げられるぐらいに騎兵が増えて槍兵、弓兵が減る編成になるのが違いでしょう。
騎兵の方が歩兵に対して強いという事
朝鮮や明ごときにも勝てなかったんだから通用するわけねえべ。
ガチで勝てそうなのはせいぜい琉球かアイヌくらいだろ。
ははっおもれーw
>>726 繰り返しになるけれど、三兵編成になるのは17世紀
大砲を白兵で有益に使えるようになるのも17世紀
また大砲の数の問題であれば大阪城攻めをどうぞ
コンスタンチノープル戦程度には役に立ってます。
んで、日本陸軍最強の根拠は
フランス軍が対外戦争における最大戦力が傭兵主体の3万がせいぜいに対し
秀吉軍は17万という大規模な対外派兵の戦力差によります。
人口が違うからなあ
だから明を抜けなかった事実があるわけだが
731 :
某研究者:2008/11/04(火) 13:48:31
前にも書いた様に
野戦で西欧軍の大砲が密集隊形では無い日本の備に通用するのかだろうし
ウォーバンの前には兆弾射撃も無い訳だろうし
西欧の火縄銃の精度は
日本の様に瞬発式では無いから低く
日本側の火縄銃で狙撃されてやられる西欧の兵の方が多いかも知れぬし
騎兵も16世紀後半では騎兵突撃はフランス以外には
無い訳だろうか
西欧の新型要塞に大砲が通用するのかだろうし
ヴォーバンの新型要塞攻略と言うのも
塹壕戦や坑道戦がメインだったと言う事だっただろうが
日本の城には前に書いた様に
壁の厚さは何十ー何百mも有るから
大砲は通用しない訳だろうか
732 :
某研究者:2008/11/04(火) 13:59:12
イタリア戦争で仏が敗れたのも
スペインのテルシオにやられたと言うより
新型要塞で仏の攻城能力が低下したのが
原因なのかどうかだが
要塞の攻防がキーになるとは思うがどうかだがということがだがどうか
734 :
某研究者:2008/11/04(火) 16:53:18
ウォーバン前に塹壕戦は有ったのかだろうが
坑道戦なら日欧共に有った訳だろうか
735 :
某研究者:2008/11/04(火) 17:06:08
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html >最終的に決着をつけたのは、キリスト教徒軍の坑道作戦だった
>塔の一つの下まで掘り進めていた坑道の中で大量の火薬を爆発させたのだった
>爆発で生じた混乱の中でキリスト教徒軍は塔を占領した
>これがマラガの市民の心理的打撃となり、彼らはもう降伏すべきではないかと
>考えるようになった
坑道に火薬を仕掛けて爆破し
城壁を崩すと言うのは
日本には無い戦法だろうが
レコンキスタでは此れでキリスト教徒軍が勝利している訳だろうが
城壁の厚さが何十mにも成る様な
日本の城に何処迄通用するのかだが
736 :
某研究者:2008/11/04(火) 17:12:07
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html >16世紀の攻城術は15世紀の火器の改良にようやく追いつき、少しずつ優位を
>獲得するプロセスを獲得した
>ヴォーバンは強化された城壁を砲撃によって破壊する技術を体系化した
>まず城壁の破壊する区域を決め、そこに1本の水平線に沿って一連の穴を開ける
>目標とする水平線は十分高い場所を選定し、砲撃によって崩れ落ちる砕石や建材が
>攻城砲を狙って待機している守備隊の突撃部隊の出撃を阻む必要があった
>全ての場所に穴を開け終わると、砲撃を水平線の両端から上へ移し、上方へ短い間隔で
>並ぶ一連の穴を開けて城壁のその部分を周囲の構造から切り離す
>この結果、内部にある砕石と土が石積みを楚世側に押し出させて崩れ落ち、
>突破口を開いた
ヴォーバンも新型要塞の城壁に対して
砲撃も考えていた様だが
塹壕や坑道を利用するより効率的だったのかどうかだが
日本の城にはこの様な砲撃は殆ど通用しない訳だろうか
737 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/04(火) 18:43:50
だがとかだろうがとか何遍使うんだよ。
日本語研究しろ
>>729 傭兵主体って事は、要は戦意が皆無って事だよな。
当時主流の戦争ごっこ(丸一日戦闘して死者は落馬による1名とか)が通じない日本軍を相手にした場合、
死んだら金貰えない傭兵は開戦前から離散、或いは報酬目当てで寝返りしそうだ。
739 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/05(水) 00:26:11
戦国も多くはカラいくさに火付け合戦だったんだぜ?
また、半農部隊ってのは傭兵以上にモチベーションが低いことが多い
もちろん戦場での立ち回りも傭兵の方が慣れている(それゆえの要領のよさからくるサボりはあるが)
敵味方に分かれたスイス傭兵の部隊同士が正面から激突して両部隊が全滅したという話もある
一概に傭兵の士気が低いとは言えるはずはなく
いわばいい加減な先入観だ
とはいえ、その後は傭兵主体から正規兵主体に移り変わるように士気の差は存在したようだ
各国はスペイン方陣の模倣をしたが、本家スペインテルシオには勝てなかった
何故かと言えば傭兵主体の方陣にスペイン正規兵のテルシオの士気が勝ったからである。
741 :
某研究者:2008/11/05(水) 06:15:46
パイク兵は兎も角
銃兵は火縄銃を撃つ関係上
密集隊形では無いだろうが
此れは日本の火縄銃でやられ
密集したパイク兵には小型の抱え大筒でも一発当たれば
敗走と言う事は無いのか
どうかだが
742 :
某研究者:2008/11/05(水) 07:07:27
ヴォーバンの兆弾射撃が出る前の大砲では
点でしかダメージは与えられないが
抱え大筒では線でダメージが
与えられると言う事かも知れぬし
大型の士筒でも2−3人は貫通するかも知れぬが
そりゃ常備軍は傭兵以上の士気と練度になる
というか、そこまでもっていかないとコストをかけて常備する意味がない
とはいえ
そうした意味での常備軍の完成は欧州でもまだ後、日本だと維新以降になるわけで
744 :
某研究者:2008/11/05(水) 15:56:09
騎馬武者や騎士・清やモンゴルの大量の騎兵等は
練度や士気は高いかも知れぬし
全軍が騎兵である清やモンゴルには
各国共手を焼いていた訳だろうが
中世の歩兵でもイニチェリ軍団は士気は高いかも知れぬが
数はどうだったのかだが
745 :
某研究者:2008/11/05(水) 16:02:01
中世最強の歩兵は
イニチェリかスイス傭兵かと言う所だろうが
イニチェリと言うのは銃と弓以外は
無かった訳だろうが
スイス傭兵も銃は兎も角弓でやられたら
ニコポリスの様に成る可能性は有る訳だろうか
746 :
某研究者:2008/11/05(水) 16:08:30
宋や明の重装歩兵も雑魚なのかだが
数は余り居ない訳だろうか
747 :
某研究者:2008/11/05(水) 16:14:16
748 :
某研究者:2008/11/05(水) 16:20:20
長槍と弓を大量に装備している歩兵と言うのは
足軽以外に居たのかだろうし
イニチェリには槍で勝て
スイス傭兵やシルトロンにも弓で勝てたと言う事は
無いのかどうかだが
749 :
某研究者:2008/11/05(水) 16:38:47
宋の歩兵も長槍は蒙古襲来絵詞等を見る限り
見当たらないし
クロスボウ兵が主体だったと言う事だろうが
明の歩兵もクロスボウが銃に
代わっただけと言う事は無いのかだが
長槍は倭寇図巻等を見ると
描かれている訳だろうか
>>743 それはミスリードを誘う書き方だなぁ
兵農分離で士気と練度と装備を確保してるのは事実だし
この時代では十二分に効果的な編成であったわけだから
日本だと、兵1万掻き集めるのがやっとだろ
世界と戦うなら10万は欲しい
752 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/06(木) 02:57:37
南宋初期の重装歩兵は金の重装騎兵に対して絶大な戦果をあげている
(ただし、しばしば重すぎて追撃に移れず、決定的な勝利には至らなかったが)
また、諸葛亮は長さ3mの槍を制式採用しているし、
南北朝期には長さ4〜6mの馬上槍が登場し馬サク譜なる書物まであるが
その馬上槍を歩兵集団が転用している
まさにパイクであろう
織豊期以降の兵農分離は、領国統制を主眼としており、
常備軍を高いレベルで保持することが主目的ではない
ゆえに、徳川時代以降、
武士は常備軍や職業軍人としてではなく、
世襲官僚として存続することになったわけで
勿論、兵農分離から暫くの時期は、半農の軍よりは士気や練度は高かったろうが
完成された常備軍の水準ではない
とはいえ、17世紀初頭前後の世界では
欧州もまだ傭兵がはばをきかせている時代なわけで
(名傭兵隊長ワレンシュタインが登場するドイツ30年戦争が17世紀前半の出来事)、
欧州とそんなに変わらないだろう
士気については戦争で何を奪い合っているかのほうが重要だと思う
絶滅戦争や宗教戦争では徴兵だろうと士気は非常に高いはず
欧州で傭兵が主力だった時期は金品や利権狙いの戦争がメインだったからではないかと
騎兵錬度や装備など準備のハードルが高いということもあるだろうけど
>>751 秀吉「私の兵力は17万です」
>>753 統制目的もあるしにせよ、常備する軍として
軍事力が上がっているわけだから
特に秀吉時代は戦乱が生々しく残る
未だ士気の高い時代だし
さすがに欧州の傭兵と同じ士気では無いね
瓦解しやすいのは悩みの種だし
戦国時代の定義を16c〜17c初頭あたりまでとすれば
動員力の点で日本はかなりのものだぞ
なにせちょっとした地方領主が千単位で動員
地方覇権領主になると万単位
これを100年やってる
当時の欧州世界では1国でやっと万単位
動員力そのものが1桁違う
そう、今川義元や武田信玄の上洛では二万〜二万五千人が動員された。
と言っても実質はその八割前後と言われてるけど、それでも一万以上の大軍。
国府台合戦、川越夜戦、小牧・長久手、関ヶ原、といずれをとっても
十万以上の大軍同士がぶつかり合う合戦。
ひいきのひきたおしはバカにしか見えないから
やめたほうがいいよ両陣営とも
ひいきするがわに明らかに誇張があるし
相手側を明らかに過小評価している
759 :
某研究者:2008/11/06(木) 17:44:32
>南宋初期の重装歩兵は金の重装騎兵に対して絶大な戦果をあげている
>(ただし、しばしば重すぎて追撃に移れず、決定的な勝利には至らなかったが)
槍で騎兵を防いだと言うより
障害物を利用して騎兵を防いだ例が多かったかも知れぬが
サルフの様に下馬して突入されたら
発射速度の遅いクロスボウでは阻止出来たのかどうかだが
760 :
某研究者:2008/11/06(木) 17:52:53
クロスボウでは無く
長弓と長槍を大量に装備した歩兵と言うのは
南北朝ー戦国時代中期の日本軍以外は無いと言う事だろうか
(ロングボウを装備する英軍が
シルトロンの様な長槍を使用していた時期も
14世紀初頭には有ったかも知れぬが
どうだっただろうか)
761 :
某研究者:2008/11/06(木) 17:56:09
まあしかし足軽も槍で騎兵を阻止出来たのは
南北朝時代迄と言う意見も
有る訳だろうし
スイス傭兵の様に槍で騎兵を阻止するのは
戦国時代の足軽には無理な訳だろうか
762 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/06(木) 21:11:22
対騎馬は火縄+日本のお濠の技術と
動員数で落とし穴を大量作成
不用意に突撃できなくする
攻城は大筒・中筒で集中放火
できれば国崩しクラスの大砲も使用
海上戦は火矢など帆を焼く
これで日本軍は勝てる
日本の軍事力が通用するわけ無いだろう。
やめてよね。本気で喧嘩したら日本が僕にかなうはずないだろ?
>>762 火砲力は日本はそれほど大きくない。
どちらかというと土木動員力を駆使した水攻めや堰堤破りが強い。
どこか水攻めで落とした後に西洋城塞を研究したら、短所をうまく突けるのではないか。
766 :
某研究者:2008/11/07(金) 08:23:02
>サルフの様に下馬して突入されたら
>発射速度の遅いクロスボウでは阻止出来たのかどうかだが
明の時代の主力銃である3眼銃より射程は長いから
阻止出来た可能性も有るのかどうかだが
早合装備の火縄銃よりは発射速度は
遅いかも知れぬが
こっそりと放火しちゃえばどこでも勝てないかな?
769 :
某研究者:2008/11/10(月) 14:43:01
18世紀の西欧軍の4列程度の横隊と言うのは
銃兵であるから
騎兵突撃を防ぐ為の方陣の最前列以外は
恐らく密集はしていないだろうし
装備の重量を考えれば
機動性は備より高いのかどうかだが
備の足軽も装甲は戦国時代末期には
無かったと言う事かも知れぬが
陣笠や長槍の重量はマスケット銃より
重いかも知れぬが
770 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/10(月) 14:45:13
おいおい。
軍事力は通用しないぞ?
通用するのは戦術と兵器と軍隊だ。
軍事力は相対的にどれほどのものを持ったかの指標に過ぎない。
771 :
某研究者:2008/11/10(月) 14:51:47
マスケット銃兵も弾薬を入れると
装甲の無い槍足軽より装備は重く成るかも知れぬが
陣笠や打刀の重量を考えると
鉄砲足軽よりは装備は軽い可能性も有る訳だろうが
足軽の場合食料も携帯していたなら
装甲は無く共機動性はどうなのかだが
戦闘時に迄食料は装備していたのか
どうかだが
オランダ・スウェーデン式大隊では銃兵は
単独行動可能だろし
密集隊形では無いなら機動性は有るのかも知れぬし
装甲も兜程度しか無く
剣も小剣しか無いから
鉄砲足軽より軽量かも知れぬが
パイク兵は密集隊形であるなら
機動性は無いかも知れぬし
銃兵と異なり装甲も装備していた訳だろうか
772 :
某研究者:2008/11/10(月) 14:53:24
マスケット銃や遅発式火縄銃兵の機動力が如何に高く共
精度が低いので余り意味は無いと言う事は無いのかだが
機動性を生かして大量に近接されれば
厄介と言う事は無いのかだが
773 :
某研究者:2008/11/10(月) 14:56:54
銃剣装備のマスケット銃兵なら
近接戦能力は鉄砲足軽よりは恐らく有るから
厄介である可能性も有る訳だろうか
774 :
某研究者:2008/11/10(月) 15:30:02
>機動性を生かして大量に近接されれば
>厄介と言う事は無いのかだが
とは言え装備の重量の差は殆ど無いから
こう言う事は中々困難と言う事は無いのかだが
775 :
某研究者:2008/11/10(月) 15:33:39
スウェーデン式大隊が日本軍と平地で戦った場合は
スウェーデン式大隊がサーベル騎兵を突入させて混戦に持ち込み
銃撃を封じている間に
パイク兵に突入されれば日本軍が敗れる可能性も
有る訳だろうし
仏軍相手では重騎兵の突入で
壊滅する可能性も有る訳だろうが
地形を利用して銃撃を加えれば勝算は
有る訳だろうか
776 :
某研究者:2008/11/10(月) 15:36:17
>パイク兵に突入されれば日本軍が敗れる可能性も
>有る訳だろうし
とは言え当時のパイク兵と言うのは
前に紹介した様に逆手に構えて
突きしか出来ないから
日本の槍足軽や騎馬武者には
同数程度では勝てない可能性も有る訳だろうか
777 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/10(月) 20:22:50
明軍と渡り合って打ち破ったんだから、ほぼ世界最強。
明をなめんな
↑
fever!
779 :
某研究者:2008/11/10(月) 21:00:13
明の騎兵が突撃して乱戦に持ち込み
日本側の銃を封じた後
残りの兵が突入すればどう成るのかだが
明の槍兵は確か少数かも知れぬし
打撃が可能なタイプの槍を持たず
銃兵の近接戦闘能力も小剣しか無いなら
低い訳だろうか
780 :
某研究者:2008/11/10(月) 21:12:26
上は無論日本側が地形を利用して居ない場合の話だが
明も騎兵の予備兵力を上手く利用して
乱戦で陣形が崩れた所を狙うと言う方向も有るかも知れぬが
日本側も方円陣を組んで
内部に予備兵力を用意していればだろうし
騎馬武者なら速やかに移動・下馬可能な訳だろうし
装甲の無い足軽の機動力も有る訳だろうか
日本側は方円陣で待ち構えて
突入を受けた場所は後退して包囲を狙い
必要なら内部の予備兵力を投入すると言う方向で
良い訳だろうか
781 :
某研究者:2008/11/10(月) 21:23:49
大型軍馬を用いる重騎兵の有る西欧の軍隊には
前にも書いた様に地形を利用しないと勝算は無いかも知れぬし
小型軍馬しか居ない清やモンゴルの軍に対しても
大量の騎兵に突入され乱戦に持ち込まれれば
白兵戦能力の差で壊滅する危険も有るだろうが
彼等の動員力は数万しか無い訳だろうか
数万はあると言っているのか
数万はないと言っているのか
数万あるのかないのかわからんと言っているのか
相変わらずわからん文体だから
書き手の意図は斟酌せず、都合よく解釈しようか
大型馬だから強いというのは先入観でしかない。
モンゴル騎兵馬は小型馬だし、
日本より小型馬のスウェーデン騎兵は他国の重装の騎兵を圧倒している。
784 :
しずちゃん:2008/11/13(木) 03:30:51
家康のときには、鉄砲の保有数が世界一とのこと。
秀吉のときも同様であろう
つか、むしろ鉄砲を無くした家康の功績は偉大なれ
日本は刀に騎乗用を作ったように、銃にも作った。
片手撃ち用の短銃と馬上用長銃の2種だ。
ほかにも近代の歩兵砲に近似した役割の携行できる火砲、抱え大筒など、
武器の多様性からくる戦術的選択肢の数では日本は最強である。
同時期の他国との比較があれば穴はないんだが
787 :
某研究者:2008/11/14(金) 01:35:32
>大型馬だから強いというのは先入観でしかない。
へースティングスの際は傾斜の緩い丘では
シールドウォールを重装騎兵に破られている訳だろうが
小型馬では平地でもシールドウォールは
崩せるのかだが
(シールドウォールで
騎馬武者の乗馬突撃を阻止したと言う記述は
南北朝時代には有る訳だろうし
小型馬なら平地でもシールドウォールで止まると言う事かも知れぬが)
ヘースティングス後のランスチャージをして来る騎兵相手では
丘の上にシールドウォールを置いても
盾を貫かれてやられる危険は無いのかだが
ピストルしか撃てない様なカラコール騎兵よりは
騎乗戦闘・下馬戦闘や大型の銃の射撃も可能な騎馬武者の方が
ましである訳だろうか
788 :
某研究者:2008/11/14(金) 01:38:59
サーベル騎兵と言うのも
下馬戦闘したらサーベルしか使えないから
槍を持つ足軽や騎馬武者には勝てるのかだろうし
仏の重装のサーベル騎兵等は
40kgの3クォーターアーマー等を装備しているなら
長時間戦闘は困難な訳だろうか
789 :
某研究者:2008/11/14(金) 01:47:14
>ほかにも近代の歩兵砲に近似した役割の携行できる火砲、抱え大筒など、
>武器の多様性からくる戦術的選択肢の数では日本は最強である。
密集したパイク兵相手に砲より精度の高い
大筒等が打ち込まれれば
1発でパイク兵中隊50−200名が敗走と言う様な事も
有り得る訳だろうか
790 :
某研究者:2008/11/14(金) 01:53:50
まあしかし何10kgもの大筒を持ち乍ら
足軽に追随して移動すると言うのは容易なのかだが
移動時は恐らく大筒を馬に
乗せていた訳だろうか
791 :
某研究者:2008/11/14(金) 02:13:26
792 :
某研究者:2008/11/14(金) 02:25:05
>野崎 戸部正直『奥羽永慶軍記』に、摺上原の戦いで伊達政宗の軍に葦名方が30匁銃を発砲し片倉小十郎の旗本三騎を一度に射殺したとあります。
30匁筒も30mm程度の口径だろうが
3人なら貫いている様だが
10人等を貫くのは無理なのだろうか
793 :
某研究者:2008/11/14(金) 03:14:28
794 :
某研究者:2008/11/14(金) 03:17:29
30匁筒からは焼夷弾である焙烙火矢を放てたかも知れぬが
焙烙玉は鉛玉より軽いなら精度はどうなのかだが
100m先の船舶には当てられたのかどうかだが
795 :
某研究者:2008/11/14(金) 04:12:06
796 :
某研究者:2008/11/14(金) 05:11:15
797 :
某研究者:2008/11/14(金) 05:36:24
798 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/14(金) 08:00:31
>>791-792 現在のこってるのは30匁と50匁だが、75匁と100匁は抱え大筒の実物が残っている。
当時は何らかの形で運用されていたのだろう。
威力に関してはまさしく歩兵砲で、射程も飛距離も別格である。
( ゚Дメ) 800
801 :
某研究者:2008/11/14(金) 14:01:28
>南蛮練塀
>名古屋城ニノ丸南蛮練塀 粘土・砂利を石灰・油で練り固めたもので非常に強固な塀。その製法から「南蛮」の名がついたらしい。
西欧の星型要塞の塀と言うのは
上と同様の物が使われていたのかどうかだが
強度が有るので可也大型の大筒で無いと
貫けなかったと言う事は無いのかだが
802 :
某研究者:2008/11/14(金) 23:50:27
803 :
某研究者:2008/11/15(土) 00:09:05
804 :
某研究者:2008/11/15(土) 10:18:54
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html > ヴォーバンは強化された城壁を砲撃によって破壊する技術を体系化した
> まず城壁の破壊する区域を決め、そこに1本の水平線に沿って一連の穴を開ける
> 目標とする水平線は十分高い場所を選定し、砲撃によって崩れ落ちる砕石や建材が
>攻城砲を狙って待機している守備隊の突撃部隊の出撃を阻む必要があった
> 全ての場所に穴を開け終わると、砲撃を水平線の両端から上へ移し、上方へ短い間隔で
>並ぶ一連の穴を開けて城壁のその部分を周囲の構造から切り離す
> この結果、内部にある砕石と土が石積みを楚世側に押し出させて崩れ落ち、
>突破口を開いた
新型要塞も傾斜している城壁を外側に崩して
傾斜を緩やかにされれば
容易に上れる様に成ると言う事かも知れぬし
日本の城も同様の方法でやられ得る訳だろうが
火縄銃の射程は西欧より長い訳だろうし
精度の高い大筒も有るから
攻城砲台は遠距離に設置しないと
やられる可能性も有る訳だろうか
805 :
某研究者:2008/11/15(土) 10:30:27
>ヴォーバンは、攻城砲の射撃位置を城壁から250〜500メートルと考えていた
>また、「400メートル以上でも300メートル以下でもいけない」とも言った
> しかし、実際の攻城戦では、城壁の破壊は攻城砲が城壁から200〜250メートル
>の位置に展開して行われていた
> 理由は簡単だった
> ヴォーバンの推奨する距離では、城壁を破るのに必要な砲弾はどんなに楽観的に
>見積もっても5000〜6000発は必要だったからだ
250mから攻城砲を放たれれば
大筒では狙撃出来るのかと言う事だろうが
砲を狙うなら的は大きいと言う事かも知れぬが
火縄銃でも砲を操作している人間は
ある程度は狙えるかも知れぬが
806 :
某研究者:2008/11/15(土) 10:44:32
> 4門の24ポンド攻城砲が城壁から400メートルの位置に展開し、ヴォーバンの
>薦める5000〜6000発の砲弾を1日100発の速度で射撃すると仮定した場合、
>12万〜14万4000ポンドの砲弾と6万〜7万2千ポンドの火薬、そして
>12〜15日の砲撃期間が必要となった
400mから攻城砲を放たれたら
流石に大筒や火縄銃での狙撃も厳しいと言う事は無いのかだが
西欧の防御砲でも恐らくこの距離からの砲撃を受ければ
反撃は困難な訳だろうし
敵の突入時に火縄銃の精度を利用して
遠距離から狙撃する以外無いと言う事かも知れぬが
807 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/15(土) 10:49:32
城って力攻めで落ちることはあんまないんじゃね?
808 :
某研究者:2008/11/15(土) 10:56:23
まあしかし4町=430mから狙撃用の火縄銃で
的に当てたと言う様な記述も何処かに有っただろうから
400m先から砲を操作している人間を狙う事は
無理だったのかどうかだが
809 :
某研究者:2008/11/15(土) 11:02:54
810 :
某研究者:2008/11/15(土) 11:35:01
811 :
某研究者:2008/11/15(土) 11:50:42
812 :
某研究者:2008/11/15(土) 11:57:28
>据 台
>(人が抱えられない大きな筒は、仕掛台又は車台で放つ。巨砲(おおづつ)の部類となる)
>九百目玉筒「谷神」 火入れ前
此れも良く見ると照準器が有るから
台座に置いて狙撃していたのだろうか
(まあしかし台座に乗せても斜め上にしか撃てなかったと言う事は
無いのかどうかだが)
ところで何の研究者なんだろ?
ってソコはツッコンじゃダメな領域ですかぁ?
814 :
某研究者:2008/11/15(土) 23:32:37
30匁筒の25mmの焼夷弾等
何処迄船舶を燃やせるのかだが
100匁筒の40mmの焼夷弾なら
消すのが困難な火災を起こす事も
或いは可能なのかだが
815 :
某研究者:2008/11/15(土) 23:40:42
http://www.hiro.org/rekishi/hyou/mail/hyou026.html >ただ面白いのは、日本の鉄砲鍛冶が"頬付け型"というデザインの大枠を最後まで変えないで性能面の改良を図っていったことです。
>遂には200匁玉(弾丸重量750g)を発射する口径50mm弱の大筒まで製造したけれども、これの銃床もデザインとしては銃床が頬付け型でした。
>実際に頬付けの姿勢で射撃できたのは100匁筒辺りまでだったようですが、当然、通常の撃ち方では反動を吸収できないため、左足を軸足にして身体を右へ半回転させる特殊な撃ち方が考案されました。
>200匁筒となればそれさえも無理なため何かに固定して撃つか、さもなければ立て膝で腰だめの姿勢で撃って反動を丸めた背中で後へ転がって吸収する撃ち方が工夫されたそうです。
100匁筒でも矢張り頬打ちは可能と言う事の様だが
反動を逃す為に回転しているなら
精度はどうなのかだが
816 :
某研究者:2008/11/16(日) 00:04:14
気象予報士の半井小絵さんのおっぱいに
むしゃぶりつきたいのだが
817 :
某研究者:2008/11/16(日) 02:44:19
弾丸が100匁=375g程度なら
通常の土塀なら貫通可能かも知れぬが
石を入れた物は貫けるのかどうかだが
通訳:
弾丸が100匁=375g程度なら
通常の土塀なら貫通可能かも知れないけど
石を入れた物は貫けるのかどうかよくわかりません
819 :
某研究者:2008/11/16(日) 04:12:36
820 :
某研究者:2008/11/16(日) 04:17:20
http://wadaphoto.jp/sakura/matumoto2.htm >馬上で扱いやすいように銃身を縮めた馬上筒は、加藤清正が武器として取り入れたことが「常山紀談(じょうざん・
>きだん)」に書かれている。それによると、「加藤家騎馬武者馬上鉄砲の事」と題して、清正の騎馬武者は、身分の
>隔たりなく、全て長さ50cmほどの火縄銃を馬上で構え、敵陣に迫ると発砲してから槍を入れた、とある。
この程度の銃では歩兵の火縄銃にアウトレンジされて
やられるだけと言う事は無いのかだが
足軽同士の銃撃戦が終了した後で
此れを近距離で発砲して突撃したと言う可能性も
有る訳だろうか
821 :
某研究者:2008/11/16(日) 04:30:42
通訳
この程度の銃では歩兵の火縄銃にアウトレンジされて
やられるだけだと思うのですが
足軽同士の銃撃戦が終了した後で
此れを近距離で発砲して突撃したと言う可能性も
有るかもしれませんが
よくわかりません
通訳
無論3000mでは精度は無いと思うのですが
ウォーバンの様な兆弾射撃も可能性はあるかもしれませんが
よくわかりません。
824 :
某研究者:2008/11/16(日) 04:48:23
本願寺攻めに使われたのはこのクラス以下の砲ではないかと思うけれど
良く知りません
826 :
某研究者:2008/11/16(日) 05:32:53
http://mentai.2ch.net/history/kako/1006/10061/1006179874.html >対して「大砲」と呼ばれるものは戦国の当時は青銅で鋳造によって
>製作されるものであった。後装式の「仏郎機」が主であった。
>国産のものは少なく、大友宗麟の「国崩し」などがそれにあたる。
>『信長公記』に最初に「大鉄炮」が登場するのが元亀元年(1570)の
>野田・福島攻めである。また『国友鉄砲記』によれば1571年に
>200匁大筒を信長に献上したとある。
>よって「大鉄炮」「大筒」が元亀年間よりも前から作られていた事は確かである。
>対して「大砲」の方は永禄三年(1561)三月十六日に大友宗麟が
>室町幕府に「石火矢」を贈ったというのが史料での初見であろうから、
>これより以前に日本に持ち込まれていたことは確かである。
フランキ砲なら可也前から有るが
200匁筒は1570の石山合戦の開始直後に
作られている訳だろうか
通訳
フランキ砲ならかなり前からある訳ですが
200匁筒は1570の石山合戦の開始直後に
作られているといいですね
828 :
某研究者:2008/11/16(日) 16:06:56
信長も一向宗の城の攻略に梃子摺ったから
大口径の大筒を大量に発注して
塀を破壊しようと目論んだと言う事では
無いのかだが
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 16:23:55
研究者を名乗るならちゃんとどこの何者か素性を明らかにするべき
明らかにするつもりがないなら某研究者なんて確かめようのない肩書きを名乗るべきじゃない
830 :
某研究者:2008/11/16(日) 16:26:06
831 :
某研究者:2008/11/16(日) 16:44:20
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html > 4門の24ポンド攻城砲が城壁から400メートルの位置に展開し、ヴォーバンの
>薦める5000〜6000発の砲弾を1日100発の速度で射撃すると仮定した場合、
>12万〜14万4000ポンドの砲弾と6万〜7万2千ポンドの火薬、そして
>12〜15日の砲撃期間が必要となった
24ポンドの砲4門でも十分新型要塞は
攻略出来たのかだが
http://unkar.jp/read/hobby11.2ch.net/sengoku/1170948109 >WIKIとかに、305門の大筒による一斉射撃が12月16〜19日にかけて行なわれたとあるが
>徳川方はイギリスから弾丸重量18ポンドのカルバリン砲4門、5ポンドのセーカー砲1門に加え、
>オランダから33〜41ポンドのカノン砲12門を輸入して使ったそうだ
>残りの砲は1貫百匁の芝辻砲が多かったんだろうか?
>豊臣方もフランキ数門で反撃したんだと
大阪城攻めでは24ポンド以上の砲も
10門以上は使われている訳だろうから
城壁を崩す事は十分可能だったかも知れぬが
ウォーバン以前には新型要塞の様な傾斜した分厚い城壁を
上手く崩す事は可能だったのかどうかだが
精神異常者の連続投稿の破壊力は
よくわかった
833 :
某研究者:2008/11/16(日) 17:30:45
835 :
某研究者:2008/11/16(日) 20:17:05
攻城砲を防護する為に
城の防御砲台を叩く必要も有るかも知れぬが
1貫の芝辻砲程度でも
防御砲台は叩けたのかどうかだが
更に小さい砲ではどうだったのかだが
通訳
攻城砲を防護する為に
城の防御砲台を叩く必要があるような気がするんですが
皆さんどうですかね?
1貫の芝辻砲程度でも
防御砲台は叩けたら素敵ですよね
更に小さい砲ではどうだったか知りません
837 :
某研究者:2008/11/16(日) 20:45:20
838 :
某研究者:2008/11/16(日) 20:49:08
砲弾が1貫=3.75kgの芝辻砲なら
石で防護した塀も貫けるかも知れぬし
攻城砲台の防弾板や壕も
破壊出来ないのかどうかだが
通訳
低精度のフランキが1000門有っても
櫓を狙うか
近距離から塀を狙う程度しか無理だと思うのですが
芝辻砲が1000も有れば
新型要塞の防御砲台を壊滅出来るかもしれません
此れは城の防御砲台としても使えると言う事は
無いだろうか考えましたが
ゲーム的にどうですかね?
840 :
某研究者:2008/11/16(日) 20:52:37
>低精度のフランキが1000門有っても
>櫓を狙うか
>近距離から塀を狙う程度しか無理かも知れぬが
塀の背後の石垣を狙って
破片で兵を倒すと言うのも
小田原城には石垣は確か無いなら
困難だった訳だろうか
通訳ってなんだ?最近流行ってるのか
訳さなくても分かる文を通訳しても詰まらんしうざい
842 :
某研究者:2008/11/16(日) 21:25:40
843 :
某研究者:2008/11/16(日) 21:44:07
>明、朝鮮兵は一般に軽装で朝鮮半島では、3匁5分筒が大量使用されています。
http://www.gaopu.com/mindai.html 上を見る限り銃兵は軽装には見えないが
鉄板は薄いのかだろうし
この様な鎧を装備している兵は多かったのかだが
騎兵は鎖帷子だから
200m以上でも高精度の細筒で貫かれた可能性は有る訳だろうか
>>813 そこは生暖かく甘やかすところ
>>通訳
グッジョブ(w
845 :
某研究者:2008/11/17(月) 04:43:30
なんだ、ただのネット監視員か
俺も上の通訳って奴に一切の建設的な目的を感じられんな
848 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 12:01:09
貴様や俺様を含めて
建設的なヤツはいねーよ
だから?
850 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 19:18:45
確かにネット監視研究者だな
ソースがネットばかり
というよりネット記事の転載と誤解釈の羅列でしかない
起承転結は期待しちゃいけない
ネット以外に見るものないんだな
851 :
某研究者:2008/11/17(月) 20:05:20
852 :
某研究者:2008/11/17(月) 21:12:49
853 :
某研究者:2008/11/17(月) 22:04:51
試し撃ちにしては鎧が凹み過ぎている様に見えるし
実際に遠距離からの銃弾が
命中した可能性も有る訳だろうか
854 :
某研究者:2008/11/18(火) 04:38:11
855 :
某研究者:2008/11/18(火) 04:49:14
856 :
某研究者:2008/11/18(火) 05:45:42
857 :
某研究者:2008/11/18(火) 05:52:07
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site10/RWar3.htm >画題: ディエーゴ・ベラスケス
> “ブレダの開城”1635年以前
>新興独立国オランダの要衝ブレダを巡る攻防戦の結末
>1625年6月、兵糧攻めに屈したオランダ側ブレダ総督ユスティヌス・フォン・ナッソウは、スペイン軍の知将アンブロジオ・スピノラに対し、武装軍隊のままの撤退という名誉ある降伏を条件に城門を開き、降伏の印である城門の鍵を恭しく勝者に差し出す。
矢張り強襲で開城したのでは
無い訳だろうか
858 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 12:42:44
もう日本の戦国時代は関係ないというわけですね!わかります
859 :
某研究者:2008/11/18(火) 17:24:19
皮肉も冷笑も通じぬ精神異常者には
打つ手なしといった所だろうか
かくなる上は
早々にこのスレを埋めて
黒歴史として封印すべし
次スレは立てない方向で
・・・と思ったが、そしたらほかのスレが被害を受けそうな希ガス
まぁ、そのときはそのときで、スマン!ということで
埋めるぜ?
まさに、鋼の顔面装甲ですね…
863 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 00:34:24
秀吉の遺骨ってどこかに残ってないのかな?
いやね、復元して本当にサル顔だったのか知りたいなぁ、なんて
秀吉の家系や親戚の木下氏や杉原氏は先祖を辿ると浅井氏の血縁だとwikiに書かれてた。
865 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 14:10:52
日本人なら「河野太郎ブログ」で検索!
日本人なら「国籍法」で検索!
866 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 15:16:20
秀吉の遺骨か…おもしろそうだな
畳の上で死んでいる以上
どこかにはある気はする
大河の最終回で主人公の遺骨を出したのは政宗だっけ?
867 :
某研究者:2008/11/19(水) 19:00:35
仏の重騎兵が10X10の
スウェーデン式大隊の方陣で止まるのかだろうし
テルシオの様に20列程度の縦深は必要では無いのかだが
仏はスウェーデンとは同盟していたから
仏の重騎兵を考慮する必要は無かったと言う事かも知れぬが
スペイン軍は縦深20列のパイク兵は
必要だったと言う事は無いのかだが
銃兵はスウェーデン式大隊の様に
別働隊として柔軟に運用出来たかも知れぬが
868 :
某研究者:2008/11/19(水) 19:08:54
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA >こうした動きを受けて、テルシオもいくつかの改革を取り入れた。1635年、フェリペ4世は布告を出し、テルシオの軍制改革を進めた。テルシオ1部隊あたりの兵員定数を3000名から1000名前後に削減して、指揮の効率化に努めた。
>時代遅れになっていた戦闘隊形も改良し、スペイン方陣とスウェーデン式大隊を融合させた新隊形を採用した。1637年には、民兵をテルシオの中に取り込んで、地方テルシオと呼ばれる軍団を編成し、動員兵力を増加させた。
>しかし、1643年のロクロワの戦いで大敗を喫するなど、すでにスペインとテルシオの軍事的優位は失われていた。その後もテルシオはいくつかの改良を加えられていったが、1704年、フェリペ5世(ルイ14世の孫)が、
>フランス式の連隊と大隊で構成される軍制を採用したことによって、テルシオは消滅した。
テルシオも17世紀中盤以降は
スウェーデン式大隊の様な
銃兵の柔軟な運用も有ったのかだが
テルシオも最後には中空の方陣で
重騎兵を防御すると言う方向に変わったのか
どうかだが
869 :
某研究者:2008/11/19(水) 19:14:33
スウェーデンのサーベル騎兵も
テルシオのパイク兵に突入しては自殺行為だろうが
銃砲でパイクを崩してから突入していた言う事かも知れぬし
散開した銃兵は容易に蹴散らせた訳だろうか
870 :
某研究者:2008/11/19(水) 19:32:15
>テルシオがスペイン方陣を廃止し、新隊形を開発するのは1635年のことである。それはスペイン方陣とスウェーデン式大隊を合成したものだった。
此れはブライテンフェルト・リュツエンでの敗北が
影響していると言う事かも知れぬが
連隊砲等の軽砲は増えたのかだろうし
サーベル騎兵も導入されたのかどうかだが
16世紀にオランダの陣形は模倣しなかった事を考えれば
オランダ軍はアンブロジオ・スピノラの善戦も有り
然程脅威では無いと
スペインは見ていたのだろうか
遺骨の調査によると政宗は小柄だったらしいが銅貨だが
ドウカミノムシテ
だが鉄アレイでアタマを殴れば死ぬ
ゆえに鉄アレイ最強
しかし鉄アレイは溶鉱炉に落とせば溶けてしまう
溶鉱炉最強と言わざるを得ない
875 :
某研究者:2008/11/22(土) 06:28:04
ツヴァイハンダーを持った兵が
隊列を組んで戦っている絵は見ないが
横1列横隊を組まねば
パイクの穂先を切り落とすのもリスクは有ると言う事は無いのかだが
876 :
某研究者:2008/11/22(土) 09:58:01
ツヴァイハンダーを持つ兵(ドッペルソルドナー)も
1列横隊を組んでいなければ
ドッペルソルドナーと交戦していない
最前列のパイク兵が前進して
装甲の無い足等を狙えば
アウトと言う事かも知れぬし
日本の槍足軽や騎馬武者相手でも同様の事は
起き得る訳だろうか
877 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/22(土) 10:14:09
878 :
某研究者:2008/11/22(土) 10:29:26
倭寇が槍に対して刀で切り込んだり
槍の穂先を落とす場合でも
同様の事は言えないのかだが
倭寇の刀を持つ者は備同様に一列横隊を取っていたのか
どうかだが
879 :
某研究者:2008/11/22(土) 10:48:30
ロデレロの場合は隊列を組んでいるだろうが
1人が踏み込んだ場合左右に隣接する兵に剣で攻撃されたら
果たして対応出来るのかだろうし
整列した槍兵には勝てなかったと言う意見も
有る訳だろうが
ハルバードで踏み込んだ場合は此れに剣では対抗出来ないだろうから
どうなのかだが
ハルバード兵は横に1列横隊を組んで戦っている絵は
見ない訳だが
880 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 01:31:07
>>875 脳内の妄想は結構
実際にあったことだけでおなかいっぱいだからさ
弓や槍でも、鉄砲でも、
しかるべき部位に当たれば絶命することには変わりないんだから、
武器の優劣というよりは武器の特性を理解した式のほうが重要じゃないか
なんて妄言を吐いていた時期がわたしにもありました
882 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 09:48:53
日本の合戦に投石機がでてこないこと、
金属鎧もある時期までほとんど出番がなかったこと、
応仁の乱までは合戦における死者が比較的少ないこと、
こうしたことをみれば、
ある時期までは
日本の合戦は世界水準からはヌルヌルだったとは思った
まあ他民族との戦闘ではないからなあ
883 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 10:26:40
投石器が無いのは起伏が激しい地理的条件だろ
金属鎧は日本ではほとんど流行らない盾なんかも流行らなかった戦国時代でもほとんど皮製
死者が少なかったのは、それまでの戦闘は儀礼的要素が多かったから
884 :
某研究者:2008/11/23(日) 20:23:22
>日本の合戦に投石機がでてこないこと、
日本の城の分厚い城壁では
ウォーバン時代の様に何千発も石を打ち込まないと
陥落させるのは困難だろうか
>金属鎧もある時期までほとんど出番がなかったこと、
足軽用の鉄製腹当てや貸し具足が有るなら
金属製も意外と多かったと言う事は無いのかだろうし
完全に皮製の鎧は現存している物は
少なかっただろうか
>>883 それこみで
ヌルかった
と言ってるんだよね
蛇足よ
886 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 01:06:13
間違った知識、というか明らかな大嘘をさりげなく混ぜてくる
その様子が笑えるくらい、おかしい
887 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 03:59:18
鉄砲は 中、朝よりかなり、優れたものだったらしいが、今と違ってこの時代、兵器より数しょ!この時の中国、なんてゆうか、忘れたけど、 秀吉の朝鮮出兵でも余裕だった、 のに、チャイナの加勢で、押し戻されるわ、 ドンドコドンドコ!
チャイナにも勝てんわ!日本
( ゚Дメ) 888
秀吉の頃、となると
結局もう結論でてないか?
891 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/26(水) 04:24:40
>>884 金属鎧では弓や鉄砲を弾けないから、重さで動力落ちるだけでほとんど役に立たない
892 :
某研究者:2008/11/26(水) 23:27:57
銃は兎も角弓は鎧で止まるだろうが
銃が出た以降は装甲は軽量化されている訳だろうか
(足の装甲は鎖や篠・皮が主流と成り
兜の吹き返しも消え
袖は小型化
篭手も板金は少なくなり軽量化されている訳だろうか)
893 :
某研究者:2008/11/27(木) 00:45:45
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400/?ymd=200601&st=0 >以上秀吉からの五つの詰問にたいする、コエリヨの反応は極めて傲慢で、狡猪な、高をくくった返答でした。
>高山右近を初め多くのキリシタン大名たちはコエリヨを牽制しましたが、彼は彼らの制止を聞き入れず、反って長崎と茂木の要塞を強化し、武器・弾薬を増強し、フイリピンのスペイン総督に援軍を要請しました。
>これは先に巡察使ヴァリニヤーノがコエリヨに命じておいたことでした。しかし、かれらの頼みとする高山右近が失脚し、長崎が秀吉に接収されるという情勢の変化を見てヴァリニヤーノは、
>戦闘準備を秀吉に知られないうちに急遽解除しました。
スペイン軍も長崎を取られただけで
日本に勝てないようなレベルの兵力しか
フィリピンには居なかったのだろうか
(長崎を占領されず共
遅発式火縄銃を装備し
重騎兵も無い様なスペイン軍には日本軍に勝算は無く
船も大筒の焙烙火矢でアウトレンジされ
燃やされたと言う可能性も有る訳だろうか)
894 :
某研究者:2008/11/27(木) 00:51:09
スペインには連隊砲も無い訳だろうし
砲力は仏やスウェーデン軍に比べて
劣る訳だろうか
(イタリア戦争でもフランス軍が慎重に戦っていたら
砲力でテルシオは壊滅していた訳だろうから
スペイン軍が強かったから勝利したのかどうかだが)
895 :
某研究者:2008/11/27(木) 01:24:28
どうか交換
なるほど
まとめる?
そういうのを比較するときって、まずレギュレーションをはっきりさせないとね、
なんて思っちゃう俺は理系馬鹿ですか、それともただの馬鹿ですか?
900クポー
901 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 19:34:13
秀吉政権の頃と言ってるのに応任の話とか出してるヤツって何?
902 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 01:11:26
ナントイウカオス
応任ww
王仁の欄もよろしく
904 :
市民:2008/12/18(木) 11:37:04
能力はともかく
コストなら世界トップクラス
平時に漁船と接触してしまうトロ臭さなら
有事の際はあっけなく沈むだろうな
906 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/10(土) 02:52:16
おい、戦国の話じゃないのか??
乂1000取り合戦場乂
1000取り合戦、 /
いくぞゴルァ!!/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄
\∧_ヘ
/\〇ノゝ∩
""" /ニ√゚Д゚)ノ
/三/|゚U゚|\ """
U(:::::)
""" //三/|三|\"""
∪ ∪
""" """
\オ―――ッ!!/""
"" ∧_∧∧_∧∧_∧
( ) ( )
"∧_∧∧_∧∧_∧_∧
( ) ( ) )
908 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/10(土) 14:08:44
909 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/18(日) 11:00:49
orz
埋まらない溝
911 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/18(日) 17:45:24
動員兵力が東アジアと西欧では段違い。
ぶっちゃけ、日本はヨーロッパ全てを敵に回しても勝てる国力だろ。
912 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/18(日) 20:53:44
1614年の冬の陣での徳川方が約200000.
遅れること1634年の三十年戦争でのネルトリンゲンの戦いでの皇帝軍が33000.
大砲の砲門数に大差があるにしろ、さすがにこの差はうまりがたい。
913 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/18(日) 23:43:18
単純な戦闘力なら恐らく世界最強。
だが、対外戦争のノウハウがなさすぎるのは、
秀吉の劣化もあろうが
同時代にて証明済み。
侵略側に立つなら二流に転落してしまう。
朝鮮出兵は秀吉がバカすぎた
秀次事件と言い忍城攻略と言い、何でも無計画すぎる
歴史に残るバカ
天下取るような器じゃない
915 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/19(月) 18:17:21
忍城は秀吉の責任か?
まあそもそも唐入りという計画に問題ありまくりなんだが
>>915 確かに現場にいたのは三成だが
水攻めの指示を三成の反対を
押し切ってやらせたのは禿鼠
朝鮮の派閥争いや倭冦を利用すれば
唐入りだって無理な話じゃないと思う
邪魔なものを捨て、使えるものを利用する
信長から受け継ぐべきだったこの精神を受け継がず
明征伐の夢だけ受け継いだ禿吉はやっぱ糞
917 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/19(月) 19:41:24
変なのが湧いてきた
ワイトるワイとる
919 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/25(日) 19:31:53
両国番外地
920 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/30(金) 17:18:19
純粋な斬り合いなら世界最強
ハイランダーも捨てがたいが
エイブラハム
マージ
ホーマ
バーンズ
リサ
バード
マギー
オレ、このスレが埋まったら田舎に帰ろうと思うんだ・・・
925 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/11(水) 04:11:24
このスレを参考にしたか分からないが、戦国時代の日本は世界レベルでは?ってな内容の本が発売されたぞ。戦国武将タブー伝説って本
926 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/11(水) 04:14:16
朝鮮出兵は準備怠慢。真冬なのに草履で凍傷した奴等が多数。
927 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/15(日) 23:25:21
明末にやってきた宣教師のアダム=シャールは西洋の進んだ技術
を明国に伝えたが、その際、大砲も作成し、万里の長城の山海関
において清軍を相手におおいに活躍した。
その大砲を使えば日本の大軍でも西洋(特に神聖ローマ)には勝てないだろう!
元寇時も台風無くても結構苦戦されてるからな
仮に大宰府落としても、瀬戸内海でのゲリラ戦で悩まされ、京都までたどりつけたかどうか
防衛戦だけでくくれば、戦国時の日本は制圧不可能だろ
929 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/15(日) 23:38:35
>>177 確かに秀吉は全羅道(赤国)を目の敵にしていた!
井澤元彦も『逆説の日本史』で書いている。
慶長の役に際して全羅道(赤国)の人を皆殺しにする命令を
出しているのは、全裸道が文禄の役で善戦したからか!
930 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/16(月) 02:51:16
問題は総司令官と総参謀長と、あとは兵站司令官かな…
長距離遠征の兵站の発想は武田信玄や豊臣秀吉にさえ無かったから…日本軍にどこまで万全の準備が出来るやら…
腹が減っては戦が出来ぬ
その兵站を完璧にやってのけたので評価が高い訳で
国内ではね
国外でやったわけで。
加藤清正は
餓えた
補給計画無視して、先駆けした部隊まで面倒見切れぬ
朝鮮水軍に補給線を絶たれたとか最初の方の投稿は酷いな。
物資は海を渡って現地に集積されていたのに。
937 :
某研究者:2009/02/24(火) 00:54:44
16世紀後半の仏の重騎兵相手に騎馬武者が単独で戦った場合はどうなのかだが
ピストルで可也打撃を受けるかも知れぬが
近接戦に持ち込めば重騎兵は槍は無いので
騎馬武者が勝つと言う事は無いのかだが
軽騎兵相手ではカラコールを仕掛けられて
一方的にピストルでやられる危険も有る訳だろうか
ウイングフッサーに対してはランスを回避した後
近接戦に持ち込めば槍で騎馬武者は
勝てるかも知れぬし
ウイングフッサーはカラコールは恐らくし無い訳だろうか
938 :
某研究者:2009/02/24(火) 01:01:39
>朝鮮出兵は準備怠慢。真冬なのに草履で凍傷した奴等が多数。
九州でも冬は可也寒いだろうから
果たして何も備えは無かったのかだが
−20度等と言う状況には耐えられたのかどうかだが
939 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/24(火) 01:23:09
外征として朝鮮以外の選択しは当時なかったわけ?
教えてエロい人!
狙いは中国です。
半島は通路の予定でした。
普通にチンカスだろ
>>939 東南アジアって選択もあって、秀吉も一応書状出して無視されてる
ただ、本当に実戦になると、多分風土病に悩まされたはず
南米より大分植民地化が遅れたのは、あのあたりのマラリアとかのおかげだからな
ハワイで井伊じゃん
944 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/26(木) 20:46:29
遠すぎて水軍が全滅する
逆転の発想!
ハワイまで橋を架ける
これで水軍は必要ない
947 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/08(日) 17:06:09
戦国時代は中々強いよね
宣教師が占領して植民地化するのを避けた程度には強いみたいだな
経済的あるいは地勢的な理由も大きいけどね。
当時の西洋からみて、航海術的にも、
ジャワやフィリピンや台湾などとは違って、日本は「終点」で、中継点・拠点には不向き。
つまり、植民地化する上で採算があいにくい。
大航海時代の水準で、南蛮紅毛の視点で、キリスト教化以外で日本を植民地化するメリットがあるかということ。
その上で、土着人の激しい抵抗が想定される、という事実が意味をもってくる。
抵抗が激しくとも利潤が大きければ万難を排して支配するし、
近場であったり抵抗が弱ければ、中継点にでもなりうるから支配する意味はある。
その意味では日本は植民地にはなりえなかったということ。
なるほど
951 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/26(木) 18:26:59
戦闘力なら十分に通用する…たぶん当時最強かも。
ただ、日本人は内弁慶…。
つまり、問題は兵站だな。
白村江・文禄慶長・日清・大東亜…どれもこれも、
結果的には兵站に問題があった…上記の遠征において、飢えなかった軍は一つも無かったのでは?
守備では最強の防備となる日本海が、遠征では最大の足枷となったな…
兵站を軽視する姿勢が伝統的にあるんだろうね。
しかも、その失敗を指摘すると、顔を真っ赤にして
「いや失敗していない」とか「飢えてない」とか、もうね、あほうかと。
そういう反省のなさだから、同じ失敗をいつまでも繰り返すんだよな。
文禄慶長兵站崩壊って(笑
あれで崩壊なら、兵站なんて言葉はいらないな
十全でなければ失敗とまではいわないが、
十全に満たなくてもそのままでいいという感覚は失敗だ
完璧ではなければ、崩壊という感覚の方がおかしい。
少なくとも太平洋戦争では崩壊していたな
物資自体はあるところにはあったんだから
必要なときに必要なところへ届かなかったのが問題であったわけで
秀吉の朝鮮は知らん
講談レベルでは不足していたという話がないでもないけれど、それを鵜呑みに出来ない
とはいえ、じゃあその反対を鵜呑みにするというのは目くそ鼻くそなワケで
実際のところ不足していたとも足りていたとも読み取れる史料を知らない
太平洋戦争で兵站が崩壊したのだから、文禄慶長も兵站が崩壊していなのはおかしいという理論はおかしい
958 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 09:45:15
ドラ「その理屈はおかしい」
959 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 11:01:41
ところで戦国時代というが本当の戦国時代って全ての軍が統一されてないからかなり烏合の衆なんじゃないの?
秀吉の朝鮮出兵がよく出てきてるけど、あの頃って厳密にいうと戦国時代じゃないよね?
>>957 きっとだれもそんなことをいっていないとおもうんだ(ぼうよみ)
>>959 >1をはじめとするお気の毒な方々にはその辺の区別は無意味でしょうとも
どうも文禄の役で釜山から先の兵站線が破綻していたという資料があるようなんだが?
抜け駆けまでは責任もてねーよ
釜山〜漢城間の陸路で補給がままならないのが抜け駆けが原因とな?
抜け駆けが補給欠乏の原因だというなら、
それはそれで兵坦の失敗以上につまらないミスじゃないか?
部隊間の意思統一も統制もメチャクチャだったと言っているのと同じよ?
ま、実際、加藤と小西の例は典型だけど。
それでも、しかもアウェイであるにも関わらず、会戦では戦勝を重ねてこれたんだから、
個々の部隊単位での戦闘力は、明や朝鮮を圧倒していたのはたしかだね。
確実に当時の東アジアでは最精鋭。
だが、まさっているところはまさっているけど、しょぼいところは本当に酷い、
と認識することが、兵法でいうところの「己を知る」なんだが。
身びいきな自己の過大評価が、秀吉の唐入り〜朝鮮出兵がポシャった根本原因だし、日中戦争が泥沼化した原因だし、太平洋戦争で詰んだ原因。
いわば諸悪の根源。
個々の部隊単位で兵站が確保されていればこその精強さだろうに
勝因を部隊の精強ではなく、外地であるにも関わらず整った兵站の確かさ故だろ?
つか、兵站の重要性を説きながら、勝因に部隊の精強さを上げるなんて
「己を知らない」 いわば諸悪の根源の初歩ではないか。
それに、この時代のどこに10万単位を海を越えて、兵站を崩壊させずに上陸させるだけの
確かな軍隊があるというのか。
兵站こそを褒めて、格司令官の統率の無さこそを未熟とすべきじゃないのか?
抜け駆けは戦争の華とは言うけれど
>兵站を崩壊させずに
もうこれは平行線だね。着目している側面が違いすぎるし、
きっと「ああ、何でここの側面を見ない」とお互い思っているだろうけど、
この溝を埋めることにもはや意味は無い気もしてきた。
多分、文献とかじゃなくて、古戦場とか倭城跡とか陣地跡とかで考古学的に決定的な証拠でも出れば別なんだろうけど、
なにぶん、戦場が「あの変」、もとい、「あの辺」なので、どっちの結果が出てもやっぱりあてにならない気もしてきたしw
ただ、一言。
「それ」をやったばっかりに、政権は傾いた。
多分、他のところも、やって出来なくはなかったかもしれないけれど、政権が傾くから自発的にやろうとはしなかったのではないか?
ちなみにとばっちりうけたのは、付き合わされて国庫にダメージを与えた明の万暦帝。
もっとも、コイツの場合、基盤となる内政の乱れに加え、自身の奢侈がアフォすぎたことのほうが問題としてはデカイけど。
スレは埋めよう
>>3 ほとんど密集陣形を取らない戦国期の軍隊に、果たして砲撃はどれほど有効か?
>>964 >しょぼいところは本当に酷い、
一番酷かったのは、戦略目標設定。
あの出兵は何が目的なのか、傍目には全く意味不明。
たとえ何回会戦に勝ったとしても、撤兵せざるを得なかっただろう。
戦略目標が判らないんだから。w
明土征服の為に朝鮮通過制圧じゃね?
>>970 明のどの都市を制圧下に入れて…とか具体的な目標がまるでないでしょ。
それに制圧できたとして、兵隊を明に貼り付けるの?これは物凄い負担だよ。
(もっとも、秀吉としては、危険な武将を全部中国送りにしてしまう意図なのかも知れない。w)
16世紀後半
ヨーロッパの重装備の鎧は大筒つかえば楽に潰せるし
ヨーロッパの剣は軽い。重くて3キロ程度。日本刀の大太刀8キロに及ばないくらい
おまけに日本はのろしによる情報伝達がすごく指揮系統は世界一。
おまけに動員数も凄い。ヨーロッパ人が戦国日本軍に勝つなんて夢の話し。
>>911 余裕で戦国軍勝利。個人装備で勝ちだよ。
槍にもなる大太刀をもち銃も〜大型(大筒)とあり
のろしも読めるから個人の現状把握能力も凄い。
個人レベルでこのレベル。どうやってヨーロッパ軍が勝つのか?
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。
実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。
イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。
豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。
歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。
>>959 初期倭寇(日本人の商人が交渉決裂と同時に武力行使するごろつき)
といえばまさに烏合の衆なんだがそんな連中ですらこの程度の連携はしていたらしいね
鄭若曾「等潅図編」
(日本人は)その兵を用うるや善く埋伏し、しばしば巡って我が軍の後ろに出で両面を討ち、
常に寡を以って衆に勝ち、塁を劫かし、華人たやすくその術中に堕つ。
その未だ戦わざるや、団結分散、三々五々にして、一人扇を揮うや伏兵四方に起る。
これを胡蝶陣という。
馮夢龍「三言二拍」
倭寇の軍はしずしずと千変万化の陣構え
法螺貝の音に胡蝶飛び一列にならび長蛇走る
軍扇さっと打ち振れば全軍たちまち影もなく
また忽然と現れてあたり一面の刀の花
禍に乗じて中華をさわがす
馮夢龍「楊八老越国奇逢」
倭寇の布陣は変化が多く、
法螺が鳴ると、胡蝶の陣となって突撃するかと思ったら、たちまち長蛇の陣に変えて去っていく。
頭目が扇をふるうと、兵卒が息を潜めて姿を消したかと思ったら、
忽然と刀を振りまわして切りこんでくる。
>>969 スペインが明および日本の侵略に興味を失った段階で
戦略目標の三分の一は達成しているわけだが
佐倉家
七海かい
ジューコフ元帥
海浜幕張
東西線
京葉線
総武線
市川塩浜
至高
ラピットスタート
ゆっくりだが確実に
接地端子盤
経済産業省
だいぶやった・・・後よろしく。
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。
実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。
イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。
豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。
歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。