伝説の名将、陳歩
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/29(日) 19:11:07
10万の曹操軍をたった500騎でけちらした男
絶倫大将軍と賞賛された男
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【陳歩(チンポ)1578〜?】
姓は陳、名は歩。陳国志時代の英雄と同名の武将だが、別に末裔と言うわけではない。
彼の登場により歴史は大きく動き出す。
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【陳歩(チンポ)1578〜?】
姓は陳、名は歩。陳国志時代の英雄と同名の武将だが、別に末裔と言うわけではない。
絶倫大将軍の異名を持つ稀代英傑。彼の登場により歴史は大きく動き出す。
ライバルの満古との死闘はたいへん有名である。
【陳歩(チンポ)1578〜?】
姓は陳、名は歩。陳国志時代の英雄と同名の武将だが、別に末裔と言うわけではない。
一代で大陸の半分を征服した傑物。絶倫大将軍の異名を持つ。
農民の出で、大陸の辺境「勃起村(ぼっきむら)」で生まれる。地元の英雄、陳歩にあや
かって「歩」と名づけられる。
やがて北方で一勢力を起こし、諸国の群雄を打倒し一大勢力を誇った。
満古との死闘は六度繰り返されるが、ついに決着はつかなかった。
のちに大陸の来た半分を征服して「北陳」皇帝を名乗るが天下統一を目前に
して部下の西廟に襲撃されて殺される。彼の死後、北陳は急速に衰えるのだった。
【西廟(セイビョウ)】
陳歩の重臣で、淋(りん)の皇帝。天才的な軍人であった。
異民族の子で奴隷であったといわれる。いつの頃からか陳歩に仕え天才的な
軍事的才能を発揮し、覇業に絶大な貢献をし名声は陳歩、満古に並ぶもほど
であった。しかしあまりにも強すぎたため主君に疑られたため、先手をうち、
陳歩を殺して独立する。淋は北陳の残党を次々に打ち破り一代勢力を築くが
、最期は尿道炎に破れ殺される。
【尿道炎(ニョウドウエン)】
小地主の子で、大帝国「姦」の初代皇帝。優れた大局眼と寛容さ併せ持つ。
それほどの才覚は無いのに、気がついたら皇帝になっていた強運の人物である。
・・・といっても、乱世を生き抜いた英傑であったことは確かである。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/30(月) 06:30:52
陳国生殖省・辺児子県の人とは別人?
>>9 陳国生殖省・辺児子県は3世紀の陳国志時代の人
こちらの陳歩は16世紀の人物。火器も発達している。
【舞蹴瑠・蛇区尊(マイケル・ジャクソン)】
南蛮の人で宣教師。大陸や島国に「てっぽう」というものを伝える。
彼の教えにより島国では男色が流行ったという。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/30(月) 14:31:29
【ペドロ・リー(厨国名:李姦幼)】
南蛮人と厨国人のハーフで、通訳として舞蹴瑠・蛇区尊に帯同した
【満臭族(まんしゅうぞく)】
大陸の北方に住む民族。厨国や姦国(尿道炎の姦王朝は別の国。)に度々侵入した。
【弐翻(にほん)】
大陸の西方にある島国。群雄割拠の内乱状態にあるが、諸侯が富国強兵に励んでいる
ため厨国以上の火器を保有する軍事国家になりつつある。
【高砂(たかさご)】
大陸の西方にある小さな島。南蛮人の植民地になりつつある。
【愛新覚羅・根童夢(あいしんかくら・こんどーむ)】
満臭族の族長。半島に度々侵入し、姦国を征服した。その後、厨国に侵入する
が返り討ちにあい討ち死にする。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/06(日) 12:55:12
【芙虞莉(ふぐり)】
陳歩に挙兵時からつき従っていた古参武将の一人。
元は一兵卒からの叩きあげで、軍に身を投じたのは
貧しさから抜け出すためである、と公言していた。
義兄弟の黄顔(こうがん)とともに各地を転戦する。
青天関(せいてんかん)の戦いで満臭族の将軍、許靖(きょせい)を
相手に死闘を繰り広げるも玉砕してしまう。
【淋廟(りんびょう)】
【概要】
西廟の義兄弟で常に先鋒を任されていた猛将。その死まで西廟に付き従った。
当時の人々には「淋廟は西廟の一種なり」と呼ばれるほど親しかったという。
【生涯】
■奴隷から賊将になるまで■
満臭族の出であったが、5歳の頃に厨国人に捕らえられ奴隷として売られる。
10歳の頃、同じ奴隷の境遇に会った西廟と出会い、義兄弟の契り結ぶ。
やがて世の中が混乱してくると主人を殺して脱出、西廟と共に盗賊や乞食を
集めて勢力を興す。なお彼らが賊の大将となれたのは淋廟に武勇があったのおか
げである。
■賊軍の豪将として■
西廟は賊軍として官軍や新興教団、他の盗賊集団と戦いつつ勢力を拡大するが、
淋廟は常に軍の先頭に立って戦い、敵対勢力を震え上がられた。とくにこの時期
賊将梅毒との一騎打ちは名高い。しかし圧倒的な戦力を誇る陳歩軍にはかなわず
西廟軍はその傘下に降ることとなる。
■その死まで■
その後、陳歩軍の将として関中遠征に従軍、異民族討伐にも参加した。
煩悩寺の変により西廟が皇帝の位に就くと国号は「淋」とされた。そして後継者
は淋廟であると宣言している。これは西廟が性的不能であったためであると
共に、いかに淋廟を信頼していたかが伺えることでもある。しかし彼は西廟の
後を継ぐことは無かった、惑珍山の戦いのときに西病の身代わりとなって先に
死んだからである。享年40才であったという。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/07(月) 18:39:10
【方慶(ほうけい)】
陳歩に挙兵時からつき従っていた古参武将の一人
陳歩とは幼馴染で常に陳歩に付き従い護衛を勤めた忠臣だったが陳歩軍内での
権限が強まるにつれ、しだいに驕慢な態度を見せるようになる
陳華栖(チンカス)、狗催(クサイ)、芙傑(フケツ)らと派閥を組み命令無視や軍令違反
を繰り返すに至り、陳歩も見過ごすことはできなくなり上野(ジョウヤ)に命じ暗殺させる
泣いて方慶を斬るの故事はあまりにも有名である
【上野(ジョウヤ)】
字は栗肉(クリニク)、陳歩配下の武将
方慶との友情から処分に悩む陳歩に「方慶は百害あって一利なしです」と決断を促し、
陳歩の命を受け方慶を斬った人物
陳歩は長年の友である方慶の死を寂しく思ったが、方慶を斬ったことで一皮剥けた
大人の武将へと成長したと言われている
【腹維汰(はらいた)】
雲国に使える猛将。兵法にも通じており戦場での勘は雲国随一。
外李とは堅い友情で結ばれており、共に先陣を務めることもあった。
痛禁羅守(つうきんらっしゅ)の戦いにおいてわずか100騎で斉魯玩(せいろがん)率いる犯都(ぱんつ)城を奇襲、陥落させた。
この敗戦以来、陳歩は常に身辺警護をつけるようになったという。
この報せを受けた雲香は喜び、雲馳出馬雛破迂亜(うんちでますうはうあ)と呼ばれる名馬を与えた。
こないだお宝鑑定に陳歩の直筆の書が出てたぞ。鑑定額は400万円だった。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/08(火) 04:33:44
あげ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/12(土) 06:01:47
笑わすなw
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/13(日) 16:38:51
【陳歩(チンポ)1578〜?】
陳の将として精兵、正士(せいし)を率いて北朝の北周や隋との戦いに明け暮
れた。特に隋の将、萬戸(まんこ)との死闘は名高く、「陳に陳歩あり」と隋
の将兵を震え上がらせることとなった。しかし隋の策略家、斉苗(せいびょ
う)の「不能の計」にかかり主君である陳叔宝から隋と通じていると疑われ刑
場の露と消えた。彼の死は陳朝の死といっても過言ではなかった。隋の文帝は
彼の死を大変惜しんでいたという。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/13(日) 21:46:27
華吏・首
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/14(月) 01:02:00
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/14(月) 02:29:33
結城晶の新技きゃ?
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/01(金) 18:02:55
おい落ちそうだぞ
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/01(金) 18:16:31
陳歩将軍は穴留の計も得意だったんだよな・・・
しかしこれは一か八かの策だった・・・号館の戦いで配下の貴塔将軍が重傷をおってしまうとたちまち軍勢が崩壊して一時は陳歩危うしだったんだから・・・
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/01(金) 22:21:24
貴塔
陳歩配下でその人ありと称された人物。
序盤の陳歩劣勢の時(笛羅の戦い)には陳歩を守るため城を守り切った、陳歩は貴塔を堅貴塔と称した。
陳歩が満戸と戦う際(号館の戦い)に奇襲作戦として穴留の計を提案し実行するが、門が固かった為に攻め落とせず負傷、その傷がもとで死亡してしまう。
陳歩は彼に亀侯と諡をした
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/01(金) 22:25:58
陳解(チンゲ)字は胤猛(インモウ)
陳歩の従弟にあたる人物。陳歩が群雄として動きだしたときにはまだいなかったらしい。
陳歩が十二の時に生まれたとされるが、人によって諸説ある。
妄蝶の戦いにて戦死したが、後の史書にも生きているとして書かれている謎の人物。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/01(金) 22:31:03
苦李兎利酢(クリトリス)・字は音覚(インカク?)
満戸配下の猛将。ゲリラ戦法を使い、普段は森に隠れているが陳歩軍がやってくるといきなり現れて攻撃を加えたとされる。
陳歩配下の煤武(バイブ)に一刀で斬られてしまう。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/02(土) 12:55:54
ペレ
言わずと知れたサッカーの神様。
陳歩が満戸との戦いに対して戦意を失ったときCMにて陳歩を励ました伝導師。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/02(土) 12:58:18
絶麟
陳歩が搭乗していた名馬。
何度倒されても立ち上がる不屈の名馬。
絶麟がいなければ陳歩は満戸を破ることは出来なかったであろうと言われている。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/03(日) 16:29:49
笛羅の戦いについて詳しく教えて下さい。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/03(日) 16:45:34
第1試合 HERO'Sルール 5分3R
○J.Z.カルバン (1R:26秒 TKO) ●ナム・ファン
第2試合 HERO'Sルール 5分3R
●イザイア・ヒル (3R:判定 1−2) ○永田克彦
第3試合 プロエリート&ショウタイム提供試合 5分3R
●ティム“ビッグ・パーム”パーシー (2R:50秒 TKO) ○ジョナサン・ウィーゾック
第4試合 ProElite & SHOWTIME提供試合 HERO'Sルール 5分3R
○ジェイク・シールズ (1R:2分6秒 裸締め) ●イド・パリエンテ
第5試合 HERO'Sルール 5分3R
●ジョニー・モートン (1R:38秒 KO) ○ベルナール・アッカ
第6試合 HERO'Sルール 5分3R
○マイティ・モー (1R:1分33秒 TKO) ●ルーベン・”ウォーパス”・ヴィラレアル
第7試合 HERO'Sルール 5分3R
●メルヴィン・マヌーフ (2R:1分17秒 アームバー) ○ユン・ドンシク
第8試合 HERO'Sルール 5分3R
●ブラッド・ピケット (1R:2分41秒 アームバー) ○所 英男
第9試合HERO'Sルール 5分3R
●桜庭和志 (3R:判定 0−3) ○ホイス・グレイシー
第10試合メインイベント HERO'Sルール 5分3R
○ブロック・レスナー (1R:1分9秒 マウントパンチ) ●キム・ミンス
広告ポチでいいだろうが。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/04(月) 22:03:46
笛羅の戦い
別名・笛羅知欧の戦い
勢いにのる新鋭・陳歩将軍がすでに名のある武将で、深きこと谷の如し、と称された満戸将軍と激突した戦い。
しかし、実際には陳歩軍は満戸将軍とは戦えず、笛羅門の衛兵に破れ去った。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/04(月) 22:11:26
破れる間際、自棄になった陳歩軍は、笛羅門を後ろから突く強行策・穴留の計を繰り出すが陳歩将軍は配下の貴塔に重傷を負わせてしまう。
満戸将軍は空かさず退却する陳歩に対して奇城異の計を仕掛け、陳歩を追いコンだ。
しかし、ここは陳歩配下の臥幡爾劉(ガマン・ジル)がなんとか食い止めて陳歩は助かった戦い。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 22:12:09
煤武(バイブ)・・・陳歩配下の将。字は巌颶(がんぐ)。通称・音無の巌颶(おとなのがんぐ)
音覚(インカク)を討ち取ったこともある。
駆け引きが巧いことから満戸の配下を数多く斬り殺した猛将。
陳歩の代わりに出陣した際体力切れしたところに満戸本隊があらわれ攻撃され勃ったまま力尽きたと言われている。
諡は揺侯
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 17:29:12
勢力とかがわかりづらい
満古は独立勢力じゃなくて隋の武将だったの?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 21:46:24
■陳歩(ちんぽ)■
@伝説化している陳・満・雲時代の陳国の名将。
A下層からはい上がった北陳の皇帝。
B南北朝時代の陳の名将。
【陳歩(チンポ)1578〜?】
姓は陳、名は歩。陳、満、雲鼎立時代や南北朝時代の陳歩とは別人であり、
むろん末裔と言うわけではない。
一代で大陸の半分を征服した傑物。絶倫大将軍の異名を持つ。
【勃起村の自警団時代】
農民の出で、大陸の辺境「勃起村(ぼっきむら)」で生まれる。地元の英雄、陳歩にあや
かって「歩」と名づけられる。成長すると彼は実にまじめな百姓として清く正しく慎ま
しく暮らした。普段は小柄で温厚であったが、怒りで興奮すると何倍を大きく見え村人
から頼られる存在だった。その頃、厨国は北方人や島国の海賊の侵入で衰え治安は極度
に悪化していた。そのため勃起村が盗賊団に襲われることもしばしばあった。村の名士
はそのたびに盗賊団に多額の身代金を払っていたのだが、村人はそれに我慢できずつい
に自警団を組織するにいたる。人気のあった陳歩は村の若者たちによってその自警団の
団長に担ぎ上げられた。陳歩率いる自警団は度々、盗賊団を大破しその名を近隣に知ら
れるようになる。やがて他の村から依頼され複数の村を守備するようになり組織も拡張
されていった。勢力の拡大を危険視され政府から解体命令が出された。
方慶らはこれに反対したが陳歩は仲間たちを説得し軍団を解体し元の生活に戻るのだった。
陳歩2
【挙兵】
1605年、ついに袁庫の乱(えんこのらん)が勃発、これを機に各地で軍閥の独立、
一揆などが相次ぐ。朝廷には各地の反乱を討伐する力はなく、地方の有力者に
位を与え、鎮圧させる方針を取る。そのような流れの中で陳歩の元にも朝廷の
使者が訪れ、義勇軍を編成して反乱軍を討伐するようにと命ぜられた。
陳歩は自警団時代の仲間を集め義勇軍を編成。さらに彼自身の名声は勃起村周辺
では大変高くなっており、周辺の村々さらにはかつて討伐した盗賊たちも加わり
(元盗賊団も参加したのは、陳歩が降伏したのには極めて寛大であり、敵であって
も戦いの後は打ち解けあえる魅力の持ち主であり、その徳を慕って来たからである。)
たちまち5000人を超える大軍となった。芙虞莉、方慶、上野ら名将はこのときにはすでに
勢ぞろいしていた。
【連戦連勝】
朝廷への忠節を掲げ決起した義勇軍は数多くあったが、陳歩軍の強さはその中で群を抜い
ていた。自警団時代の経験と人材は各地の反乱軍を圧倒し、たちまち1州を押さえ、軍団
は3万人にまで膨れ上がった。だが朝廷は満古によって滅ぼされてしまう。
朝廷の滅亡に陳歩は強い衝撃をうけ泣き崩れたという。彼は逆賊満古を討伐しようとする
が部下に時期尚早であると説得され、まずは北方に地盤を固めることとした。
【北方の覇者】
当時、北方は弁王朝の衰退と崩壊に乗じて満臭族の占領下あった地区と、各地で
蜂起した反乱軍中最強であった西廟軍の勢力圏と陳歩軍の勢力の三つもどえ状態
であった。細かい経緯は省くが、陳歩は満臭、西廟らの勢力を駆逐、吸収し北方
の覇者となる。こうして黄河以北に強力な基盤を得た陳歩は満古との決戦の準備
にかかった。
陳歩3
【瀬宮州の戦い(せくすのたたかい)】
1610年、瀬宮州の戦いの戦いが始まる。1400年前の陳満雲鼎立時代、名将陳歩
と満の将、満黄が激突したあの瀬宮州である。陳歩と満古の対決は5回、12年余り
に及ぶ激闘であった。とくに第四回、瀬宮州の戦いでは陳歩と満古が一騎打ちに
なってしまうというほどの激しい戦ぶりとなる。陳歩は満古は逆賊として憎みなが
らも宿命のライバルとの戦いに強い快感を感じてしまうのだった。
【北陳皇帝】
1623年、ライバル満古は病死した。陳歩と激しくやり過ぎたの原因と思われる。
陳歩はもう満古の死を聞くと泣き崩れ絶望に打ちひしがれ、一挙に老け込んでし
まい人々はまるで満古とやれなくやって陳歩は縮んだようだと噂した。
満古の子らには陳歩とやり合うほどの人物はなく、まもなく軍門に降る。
また長江以南の諸侯も一応、陳歩に従ったため、陳歩に頑強に抵抗するのは四川
のみとなった。(ただし陳歩の権力が直接及んだのは長江以南のみである。)
陳歩は1625年、陳歩は北陳皇帝に就任する。
陳歩4
【煩悩寺の変】
陳歩は天下統一に向け四川討伐軍を編成した、陳歩軍本隊、旧満古軍、西廟軍団
南方諸国からなる計50満の大軍である。もう覇業の達成は目前であった。しかし
四川総攻撃の5日前、煩悩寺の変でわずかな部下とともに休息を取っていた陳歩
は突如、西廟の大軍に襲われ殺される。1627年、享年49歳であった。
何故、陳歩は殺されねばならなかったのだろう。近年の研究では単なる西廟
の暴走ではなく、四川や南方諸国ら絡んだ壮大な陰謀であったことが明らか
となっている。陳歩が天下を取れば、西廟のような猛将は不用になるし、北陳の
軍門に降った南方諸国もいずれ解体されることは必定であり、利害の一致により
密約が交わされていたようである。陳歩が死ぬことを事前に知っていたとしか
思えない、その後の南方諸国や四川軍の手際の良すぎる動きにより北陳の勢力は大きく
衰えるととなるのである。このとき北陳にとって一番頼りになったのは満古の残党で
あったことは皮肉なことである。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 23:23:47
股陳歩蚊
この時代の文献によくでてくる蚊。股周辺を好んで刺したらしい。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 01:20:05
御那二(おなに)の戦い
陳歩と三魏手(みぎて)との一騎打ちにより終幕を見た戦い。
三魏手の握力は強く、陳歩は身動きがとれなくなったという。
陳歩も疲れを隠せなかったが、やがて三魏手も退いた。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 01:34:57
突如二人の間に白馬が一頭突っ込んできた。
これ天のおつげか、と二人とも陣に引き上げた。
二人を静止させたので聖子馬とのちに呼ばれることになる。
ちなみにこの馬引き上げる陳歩になつくようについていった。
何かを感じた陳歩はあくる戦いで聖子馬に騎乗、みごと三魏手を斬り倒すのだった。
【南方諸国(南方諸国)】
長江以南の5ヶ国を南方諸国という。元官軍や蜂起軍などが群雄化した国々。
強い国家の順番に記す。
国号 首都 建国者
任(にん) 南京 袁皓(えんこう)
清(しん) 広州 思多羅(したら)
至(し) 長沙 楚駆(そく)
茶(ちゃ) 武漢 任臣(にんしん)
烏(う) 南昌 士太(した)
【南方諸国(なんぽうしょこく)】
長江以南の5ヶ国を南方諸国という。元官軍や蜂起軍などが群雄化した国々。
強い国家の順番に記す。
国号 首都 建国者
任(にん) 南京 袁皓(えんこう)
清(しん) 広州 思多羅(したら)
至(し) 長沙 楚駆(そく)
茶(ちゃ) 武漢 任臣(にんしん)
烏(う) 南昌 士太(した)
【斉翼(せいよく)】
関中に割拠した群雄。陳歩の将、西廟の関中遠征によって討たれる。
■その生涯■
斉翼は弁王朝の西安の長官であった。満古が弁を滅ぼすと斉翼は満古討伐を
宣言し、名望を集め斉翼はいよいよさかんとなった。ところが満古と一戦や
り合うと斉翼はたちまち衰えた。そのため満古と和睦する。
その後、陳歩と満古の戦いが始まると和睦を破り、陳歩と輪姦条約を結び満古
に宣戦する。
斉翼は再びさかんとなったが、またもや満古と一戦すると急速に衰えた。
斉翼は満古と再び和睦する。
斉翼の日和見に怒った陳歩は西廟に関中討伐を命ずる。満古戦いで衰えていた
斉翼はたちまち西廟の餌食となり討たれる。その後、関中は西廟の藩国となった。
【四川国(しせんこく)】
四川の宗教国家で近寄りがたい雰囲気があった。生贄、食人の儀式もあったという。
建国者は性別、年齢不詳の聖天関なる人物だが実在すら疑わしい。記録に残ってい
るのは周辺国との戦いの際に信徒を率いていた者や他国への使者などで内部事情は
不明な点ばかりである。周辺諸国の併合の試しにも頑強に抵抗し独立を保つ。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 18:21:40
【牌乙(ぱいおつ)】
満古配下の武将、爺割府(じいかっぷ)の出身
山岳地での戦いを得意とし、第一次瀬宮州の戦いにおいて瀬宮州に
進軍する陳歩軍を寡兵で谷間に誘い込み左右から挟み撃ちにした
名高い牌釣り戦法である
陳歩数少ない敗戦であったが、「満古を一目見るまでは逝くわけにはいかん!」と
気合を入れ、不意を突かれて圧倒的不利な地形で被害を最小限にとどめて退却を
果たし、敗戦後すぐに瀬宮州の戦いに向かう辺りは流石陳歩は名将中の名将と
言えるだろう
>>42-45(訂正)
@陳歩の直轄領は関中、襄陽を除く長江以北である。
A朝廷とは当時の弁王朝のことである。
【鳥銃(ちょうじゅう)】
西方の大和の国から伝来した新式火器。その殺傷力、命中率は厨国、弁時代の
火器をはるかに凌駕した。陳歩や満古はこの鳥銃の導入に積極的であり、保守的
な臣下の意見を押し切って大規模な生産、配備を推し進めた。
鳥銃の導入は他の群雄を大きく引き離し飛躍する原動力の一つとなった。
肥の武将ファイルに書かれた陳歩
【陳歩(チンポ)1578〜1627年、享年49歳】
統率:89 武力:87 知力:97 政治:97 魅力:91
英雄として名高い陳歩だけにすべての面において高い能力を有す。ただし彼の
覇業は優れた臣下たちを召抱えることができた点が大きく、戦に関しては一般
に思われているほど強いわけではない。彼の本領は政治力と組織力。そして多数
の部下をひきつけ続けた魅力にこそある。だたし最後には部下に裏切られた陳歩
であるので魅力は多少割引して評価した。
■シナリオごとの陳歩軍の戦力と戦略■
自警団時代⇒たかが自警団だが、武将が極めて優秀なのでこのままでも十分乱世で
生き延びられる戦力を有す。
群雄時代⇒周辺に対抗馬となるような勢力はない。早々に滅ぼし拡大を図ろう。
河北の役⇒とにかく人材が優秀なので他の二勢力よりかなり有利。多少の物量差は
簡単にひっくり返すことができる。ただしノロノロしていると満古の大軍が北上して
くるのでそれまでには北方を押さえないとつらい。
瀬宮州の戦い⇒満古軍の武将はとにかく武闘派多くまともに戦うと被害が大きい。
外交で南方や斉翼と結び、徐々に追い詰めていこう。
煩悩寺の変⇒イベントにより西廟、南方は即裏切る。陳歩自身の生還は絶望的なので
正しい後継者の選択が建て直しの鍵となる。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/09(土) 12:18:49
智楼の戦い(チロウノタタカイ)
陳歩軍と満戸軍のかつてないほどの持久戦である。
決着をつけようと策を用いる両者だったが
戦の後陳歩はしばらく自信を失ったという。
満戸軍といえば敗戦したわけではないが、陳歩とは戦いたくないという雰囲気であった。
さすがは陳歩スレだ。何度でも蘇る。
【聖天関(せいてんかん)】
宗教国家四川国の教主。年齢、性別などすべて不詳の謎の人物。実在かどうかも
疑られている。
【股陳歩蚊(またちんぽか)】
この時代の文献によくでてくる蚊。股周辺を好んで刺したらしい。
そして伝染病を撒き散らした害虫である。
乱世による農村の荒廃により荒れ果てた田畑が増えた。ここを住みかとして
爆発的に増えたものと思われる。
北陳成立以後は地方の再建が進んだためこの害虫は減少した。
なお、厨国の伝説によると陳解(チンゲ)は世界初の衛生政策を行い、股陳歩蚊
の効果的な駆除をおこなったといわれる。
■1605年の袁庫の乱直後の厨国の情勢■
弁皮 洛陽 ≪弁皇帝・官軍≫
陳歩 天津 ≪義勇軍・官軍≫
満古 陳留 ≪独立勢力・賊軍≫
雲固 蘭州 ≪太守・官軍≫
斉翼 咸陽 ≪太守・官軍≫
西廟 太源 ≪流軍・賊軍≫
聖天関 成都 ≪宗教国家・賊軍≫
満戸 青島 ≪流軍・賊軍≫
袁皓 南京 ≪塩賊・賊軍≫
思多羅 広州 ≪江賊・賊軍≫
楚駆 長沙 ≪賊軍≫
任臣 武漢 ≪賊軍≫
士太 南昌 ≪賊軍≫
満臭族 北京 ≪異民族≫
■石田三成(せきでん・さんせい)■
大連に住み着く一族の長。弐翻の名族であったが戦に破れ亡命して住み着いていた。
袁庫の乱後に群雄化する。
【成系(せいけい)】
姓は成、名は系。字は外科。・・・と言われるが確かなことは不明。
謎に包まれるカルト国家、四川国の武将。
陳歩は童教の主神。
横山先生の次回作は「北陳帝陳歩」の予定だった。それが読めなくなるとは
実に残念だ。
むむむ
むむむ
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/09(土) 20:52:23
あげ
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/09(土) 21:21:42
■満古と陳歩・柴田遼太郎■
「陵辱がゆく」と並ぶ「柴田遼太郎」の代表作の一つ。
猛将満古と人徳の人陳歩の対決を第四次瀬宮州の戦いを中心に描きだす。
■■■年表■■■
1605年 袁庫の乱
1607年 弁王朝滅亡
1608年 笛羅の戦い
1617年 御那二の戦い
1610〜1622年 第一次〜第五次、瀬宮州の戦い
1625年 北陳の成立
1627年 煩悩寺の変
【袁庫(えんこ)・生没年?〜1625年】
袁庫は偽名であり。本名は姓は袁(えん)、名は如(じょ) 字は公才(こうさい)
若きころから弁王朝に反感を持っており反政府活動をしていた。
袁庫の乱では一躍盟主的な存在となるが、あまりにも急速に拡大したため制御不能
となる。弁朝の首都洛陽を落とした満古に反乱軍盟主として入場させるように要求
するが「袁庫に入れさえるほど安い満古ではないと」と断られる。
激怒した袁庫は大軍で洛陽に迫るが、親寺狩の戦い(おやじがりのたたかい)で大敗する。
その後は南京の袁皓の元へ逃げ、世話になるが、1625年に袁皓が一時、北陳の軍門へ
降ったときに陳歩に引き渡され、弁王朝に対する最大の逆賊として処刑された。
破竹の勢いの陳歩だが、多くの兵をどのように養ったのだろうか?
答えは特産の海苔である。陳歩が生産施設を整備したことにより、爆発的に売れたという。ある日本人使者はこれを
「それにしてもこの陳歩海苔の利である。」
と、記録してある。
兵法書「英武威」について教えてください。
>>73 英武威って精子に書いてあるアレかあ・・・。
妖艶演技派だから精子のことは詳しくない。
【雲国(うんこく)】
蘭州を本拠にシルクロード交易で栄えた厨国、西端の国。
初代国主は雲固、二代目は娘の雲香である。特に猛将、腹維汰(はらいた)が有名。
彼の戦いぶりは
>>18に詳しく書いてある。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 22:42:21
兀班(パイパン)・・・姓はちがうが満戸の息子である。
満戸が死んだときはまだ幼かったので助かった。
戦知らずで、初めての戦いのときには本陣の幕にまで敵が突撃して来たために負傷してしまうが、そこから一皮向けたのか満戸に並ぶとまで称された。
若くして病死したのが悔やまれる
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 23:25:52
虐燕(ギャクエン)・・・満戸が所属していた程の大勢力を持っていた弁王朝の臣。
金なら有る、が口癖。散逸していた陳子兵法・満子兵法・雲子兵法を編纂したことから満戸は彼を評価していたようだ。
彼の死後、若かった満戸に勢力は受け継がれる。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 23:29:10
十八京(ジュウハチキン)・・・最大の都。なんでも揃う楽園。
弁王朝の本拠でもあった。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 23:35:34
封賊城(フウゾクジョウ)・・・十八京を守るの要塞。
幽核地方の中核となる場所でもある。
古来は序楼(ジョロウ)と呼ばれる弁家の別荘だったが冠超の乱(カンチョウのらん)から封賊城へと改築された。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 23:38:48
茂津故李(モッコリ)・・・陳歩が将になったばかりのさいの配下。
後将軍になるが影が薄い。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 23:48:44
巣又(スマタ)・・・封賊城を守る満戸軍の将軍。
満戸とは義兄弟の契りを結んでいる。
満戸から最重要拠点・封賊城を任された点からも信頼の深さが分かる。
満戸が死んだときに封賊城を開城し、自害した。
丹帆穂(タンポポ)
陳歩が初めて見初めた絶世の美女。夕食に付き合うも本音トークに花が咲き過ぎるため旦那の方が疲れて床に付く毎日が続いたため、良き友人のままであった。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 23:53:35
出利辺流(デリヘル)・・・最大の川である。ここを挟んで様々な戦いが行われたのでも有名。
若き日の陳歩が溺れたのはここである。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 00:00:47
出利辺流は文献によって場所が違いすぎるよな…
未だに場所が特定できない。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 00:49:16
江呂洲の戦い・・・出利辺流を挟んで陳歩・満戸・ 西廟が戦ったとされる戦い。
この戦いで満戸は出利辺流を渡るのを諦めた。
江呂洲は出利辺流の交易には最重要の拠点である。
陳歩がここを得たのはかなり彼を有利にしたとされる。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 01:18:33
糜弐梵(びにぼん)について詳しくしりたいんだが。
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 10:25:20
嶺図(レズ)・・・字は美暗(ビアン)。
陳・満には従わない勢力の王だったとされる。
海泡瀬(カイアワセ)の戦いで満戸の大軍に破られ傘下に入る。
満戸陣営ながら、陳歩とは担当方面の違いから戦う事無く満戸が死ぬまで国を守った。
陳歩に会うために十八京を目指している際に西廟によって殺害される。
享年41 諡は擦侯
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 10:30:56
牙懿(ゲイ)・・・陳歩配下の武将。
勇猛果敢なムキムキな武将。
通称「フレディ」。陳歩の後方に居たためあまり戦で功績をたてていないが、陳歩は彼を優遇した。
無謀な穴留の計にて弁王朝の残党にたった一騎で立ち向かった話はあまりにも有名。
西廟配下の栄厨(エイズ)により暗殺された。
【陳歩(チンポ)1578〜1627年・北陳の和姦帝】
姓は陳、名は歩。陳、満、雲鼎立時代や南北朝時代の陳歩とは別人であり、
むろん末裔と言うわけではない。
農民から身を起こし、わずか20年で、一代で大陸の半分を征服し四川、蘭州
を除く地域を服属させた。絶倫大将軍の異名を持つ。
現在でも童教の最高神として崇められる存在である。
なお、一世一元の制を制定し、廟号ではなく、元号によって呼ばれるように
なった最初の皇帝でもある。
【勃起村の自警団時代】
農民の出で、大陸の辺境「勃起村(ぼっきむら)」で生まれる。地元の英雄、陳歩にあや
かって「歩」と名づけられる。成長すると彼は実にまじめな百姓として清く正しく慎ま
しく暮らした。普段は小柄で温厚であったが、怒りで興奮すると何倍を大きく見え村人
から頼られる存在だった。その頃、厨国は北方人や島国の海賊の侵入で衰え治安は極度
に悪化していた。そのため勃起村が盗賊団に襲われることもしばしばあった。村の名士
はそのたびに盗賊団に多額の身代金を払ってその場しのぎをしていのた、村人はそれに
我慢できずついに自警団を組織するにいたる。人気のあった陳歩は村の若者たちによっ
てその自警団の 団長に担ぎ上げられた。陳歩率いる自警団は度々、盗賊団を大破しその
名を近隣に知ら れるようになる。特に、大盗賊、斉魯玩を打ち破ったことによりその名声
は跳ね上がった。やがて他の村から依頼され複数の村を守備するようになり組織も拡張され
ていった。
勢力の拡大を危険視され政府から解体命令が出された。
方慶らはこれに反対したが、すでに懐刀となっていた上野が「朝廷の命に逆らっても何の益もない」
と陳歩をさとした。陳歩は納得し、仲間たちを説得し軍団を解体し元の生活に戻るのだった。
■陳歩2■
【挙兵】
1605年、ついに袁庫の乱(えんこのらん)が勃発、これを機に各地で軍閥の独立、
一揆などが相次ぐ。朝廷には各地の反乱を討伐する力はなく、地方の有力者に
位を与え、鎮圧させる方針を取る。そのような流れの中で陳歩の元にも朝廷の
使者が訪れ、義勇軍を編成して反乱軍を討伐するようにと命ぜられた。
陳歩は自警団時代の仲間を集め義勇軍を編成。さらに彼自身の名声は勃起村周辺
では大変高くなっており、周辺の村々さらにはかつて討伐した斉魯玩ら盗賊たち
も加わり (元盗賊団も参加したのは、陳歩が降伏したのには極めて寛大であり、
敵であって も戦いの後は打ち解けあえる魅力の持ち主であり、その徳を慕って
来たからである。) たちまち5000人を超える大軍となった。芙虞莉、方慶、上野
ら名将はこのときにはすでに 勢ぞろいしていた。
【連戦連勝】
朝廷への忠節を掲げ決起した義勇軍は数多くあったが、陳歩軍の強さはその中で群を抜い
ていた。自警団時代の経験と人材は各地の反乱軍を圧倒し、たちまち1州を押さえ、軍団
は3万人にまで膨れ上がった。だが1607年、弁王朝は満古によって滅ぼされてしまう。
朝廷の滅亡に陳歩は強い衝撃をうけ泣き崩れたという。彼は逆賊満古を討伐しようとする
が部下に時期尚早であると説得され、まずは北方に地盤を固めることとした。
【北方の覇者】
当時、北方は弁王朝の衰退と崩壊に乗じて満臭族の占領下あった地区と、各地で
蜂起した反乱軍中最強であった西廟軍の勢力圏と陳歩軍の勢力の三つもどえ状態
であった。さらに南からは青島の満戸が陳歩領を狙っており、熾烈な覇権争いが
勃発する。
1608年5月、笛羅の戦いで満戸に苦戦すると、その隙をついて西廟軍が来襲する。
だが昌独の戦いで返り討ちとし、将兵身柄の保証を約束し降伏させ吸収する。
1609年、青天関の戦いで股肱の臣、芙虞莉を失うもなんとか満臭族を撃退し、
北方の覇者となる。こうして黄河以北に強力な基盤を得た陳歩は満古との決戦
の準備にかかった。
陳歩3
【方慶粛清】
満古との決戦前に、方慶と上野の派閥争いが激しくなる。どちらにも非はあったが、
方慶の傲慢は陳歩の許せる一線を超えてしまったらしく、泣く泣く粛清する。
陳歩は旗揚げ以来の同志を斬った罪滅ぼしか、方慶の一族を手厚く保護した。
なお、陳歩は上野にも厳しく叱責し、2ヶ月の謹慎を命じている。
【瀬宮州の戦い(せくすのたたかい)】
1610年、瀬宮州の戦いの戦いが始まる。1400年前の陳満雲鼎立時代、名将陳歩
と満の将、満黄が激突したあの瀬宮州である。陳歩と満古の対決は5回、12年余り
に及ぶ激闘であった。とくに1618年の第四回、瀬宮州の戦いでは陳歩と満古が一騎打ちに
なってしまうというほどの激しい戦ぶりとなる。陳歩は満古は逆賊として憎みなが
らも宿命のライバルとの戦いに強い快感を感じてしまうのだった。
またこの時期、陳歩は満古とのみ戦っていたわけではなく、関中・西安の斉翼、青島
の満戸との戦いも続いていた。特に、1616年の西廟による関中征伐の成功は大陸全体
の勢力図に大きな影響を与え、のちの陳歩と西廟の確執の大きな要因ともなる。
【北陳皇帝】
1623年、ライバル満古は病死した。陳歩と激しくやり過ぎたの原因と思われる。
陳歩はもう満古の死を聞くと泣き崩れ絶望に打ちひしがれ、一挙に老け込んでし
まい人々はまるで満古とやれなくやって陳歩は縮んだようだと噂した。
満古の子らには陳歩とやり合うほどの人物はなく、まもなく軍門に降る。
また長江以南の諸侯も一応、陳歩に従ったため、陳歩に頑強に抵抗するのは四川
と蘭州・雲国のみとなった。(ただし陳歩の権力が直接及んだのは長江以南のみである。)
1625年、軍師、上野らの推挙により陳歩は北陳皇帝に就任する。
陳歩4
【煩悩寺の変】
陳歩は天下統一に向け四川討伐軍を編成した、陳歩軍本隊、旧満古軍、西廟軍団
南方諸国からなる計50万の大軍である。もう覇業の達成は目前であった。しかし
四川総攻撃の5日前、煩悩寺でわずかな部下とともに休息を取っていた陳歩
は突如、西廟の大軍に襲われ殺される。1627年、享年49歳であった。
何故、陳歩は殺されねばならなかったのだろう。近年の研究では単なる西廟
の暴走ではなく、四川や南方諸国ら絡んだ壮大な陰謀であったことが明らか
となっている。陳歩が天下を取れば、西廟のような猛将は不用になるし(西廟は
方慶粛清の件もあり、世が治まれば次は自分が粛清されるのではないかと恐れていた。)
、北陳の 軍門に降った南方諸国もいずれ解体されることは必定であり、利害の一致により
密約が交わされていたようである。陳歩が死ぬことを事前に知っていたとしか
思えない、その後の南方諸国や四川軍の手際の良すぎる動きにより北陳の勢力は大きく
衰えるととなるのである。このとき北陳にとって一番頼りになったのは満古の残党で
あったことは皮肉なことである。
なお、陳歩の怨敵の一人であった雲香は陳歩の死を聞き「彼は300年の一人の英傑であり
彼の死は厨国全体の損失である。」と語って残念がったという。
陳歩5
【評価】
陳歩は数多くの矛盾に満ちた人物である。時代の先端を行く合理主義者であり
ながら、情に脆く、その一方で方慶を粛清したように厳しい態度を取ることもあった。
また殺生を嫌いながら、彼の生涯は戦の連続であった。被害の少ない、戦略的な勝利を
最上としながら数々の一騎討ちをし、満古との戦いには快楽を覚えてしまったという。
理想と現実との違いに本人はずいぶん悩んでいたそうである。しかし矛盾もまた彼の
魅力のひとつなのである。
【陳歩は簒奪者?】
陳歩は、皇室の弁一族を手厚く保護したが結局、弁氏を立てて弁朝を再興せず、
自ら帝位についたため、簒奪者の偽善者呼ばわりさせることもあったという。
しかし弁室直系は乱世の中で絶えており、地方貴族に過ぎないその他の弁氏を
立てるのは無理があったといわれる。陳歩が帝位についたのは当時の現実を
考えてのことである。
【政治面の業績】
政治面における陳歩の業績は数知れない。和姦制度によって極端な貧富の差を
是正し、背楠夫李(せくすふり)の政策により自由な商業の発展をそくし流通を
活発化させた。また海苔の生産により兵を養う政策も大変有名である。
陳歩の能力はむしろ戦争より内政で発揮させていたといっても過言ではない。
もっとも上野ら数多くの参謀を抱える陳歩である。陳歩一人がこれらの諸政策を
考えたのではなく、癖の強い参謀たちが献策し、旧来の考えにとらわれない陳歩
が策を受け入れたのである。陳歩の最大の武器はこれらの参謀たちをひきつける
魅力と受け入れる器の大きさだったのかもしれない。
項目数が増えたので後で整理とかやっときます。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 12:19:30
陳珍(チンチン) 1580〜?
陳歩の従弟。陳歩からは常に「一皮向ければ私を越える」とまで言われた人物。
終生 陳歩に従っていたために一皮向けずに終る。
陳歩軍の重要な防衛ラインの禅律線防衛の指揮官として一生を終えたとされる。
陳歩の死後。史書から名が消えるため享年不明。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 12:37:31
海泡瀬の戦い
満戸と満古派・嶺図がぶつかった戦い。
陳歩が関わらない戦いでは最大級の戦いだった。
陳国史では陳歩とはぐれた煤武(バイブ)が満戸陣営にはいり、満古派の異民族・紅灰夷(コウハイイ)の軍を破ったとされる。
結果は一進一退の攻防を制した満戸の勝ちであり、烈将・嶺図は満戸配下に下った。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 12:43:35
弖霊曖(テレクラ)・・・南方諸国の武将。
かつては最強の将だったが、出愛敬(デアイケイ)等の為に勢力を奪われる。
そのためか陳歩に早々と降服の文書を送り、南方支配を認めてもらうしかなかった。
諡は逢侯(アイコウ)
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 12:47:45
出愛敬(デアイケイ)
弖霊曖を脅かす若き武将。陳歩に従った後も
密かに西廟と近付き陳歩陣営に西廟派を生み出す工作をしていた。
死ぬまで西廟に重宝されていた。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 14:24:40
孟操(モウソウ)
陳歩配下の参謀。
彼がいなければ陳歩の勢力はあんなに大きくならなかっただろう。といわれている。
陳歩が十二の時に友人となり、後に陳歩が独自の勢力を築き上げると自分の兵を率いて陳歩が満古と戦うのを助けた。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 14:28:44
満虎(マンコ)
歴史書にもあまり記されていない古代の兵法家。
満子兵法は彼の書いたものであるとされる。
満古・満戸共に彼の子孫を名乗っているが関連は不明。
しかし、満古配下の満猪(マンチョ)は間違いなく彼の直系子孫である。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 14:36:13
満猪(マンチョ)
異文化の国からやってきた人物。
古来は満虎に連なる名族だったが故あって異文化の地にいたらしい。
満古が画家・絵無爾貝客(エムジカイキャク)の掛け軸と虐燕が満戸に託し、
満戸から満古に渡った満子兵法の原本を満猪に渡して頼み込んだ結果、喜んで配下になったとされる。
配下の精鋭・御満猪隊(オマンチョ隊)は何でもすり最強最悪の軍として恐れられた。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 14:39:13
平丹蛮(ペニバン)
紅灰夷族らと対立する異民族。
満古と満戸の戦いの際にあっちについたりこっちについたりして戦ったため、弱体化して陳歩に攻められ滅亡した。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 14:46:57
兄・頭津棍(ズッコン)
弟・歯津棍(バッコン)
南方諸国の星醸夷(セイジョウイ)族の王。兄弟喧嘩をしてしまい弖霊曖や出愛敬らに国を奪われたと言われている。
どちらも魏恩(ギオン)出身であるとされる
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 14:48:34
すみません。一部記載で満戸と満古がごちゃまぜになってしまいました。
記録整理の際は訂正した上でおねがいします。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 14:54:10
参飛ヰ(さんぴい)
弁王朝の軍人・政治家・書家。小弁(前弁)と、大弁(後弁)は無関係である。とする独自の説を唱えた為に罰として追放される。
幼少期の陳歩が通っていた塾は彼が作ったものである。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 14:57:26
弁飾(ベンショク)
参飛ヰを宮廷から追放した大弁の皇族。
自ら皇帝に成ろうと企むが、その策が裏目に出て諸侯が群雄割拠してしまうことになった。
異常な行動が多すぎることから嫌われる。
西廟によって殺害される。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 15:02:08
杏暮(アングラ)
弁王朝の政治家
弁飾と共に弁王朝末期に独裁政治をした悪人。
南方諸国の出愛敬や弖霊曖に対して様々な悪業を重ねた。
弁飾が死ぬと陳歩の所に逃げるが陳歩の配下・陳珍に殺害された
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 15:09:55
栄厨(エイズ)
西廟配下の大将軍
配下ながら実質的に彼が総指揮をとる。
栄厨の名を聞けばあの陳歩や満古ですら縮み上がったと言われている
西廟が陳歩に近づいた際に栄厨は陳歩の配下になったふりをしたが、それが陳歩弱体化に繋がったと言われている
西廟の死後、帝となる。と書物に書かれているが、栄王朝の記載はどこにもない。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 15:29:44
万江(マンコウ)
最大級の河川。
出利辺流と交わっているところが八泰県(ハツタイケン)の江呂洲である。
一人で書いて楽しいか?
■陳歩の娘たち■
陳歩にはたくさんの子がいたが、すべて女子だった。
それゆえ、陳歩の死後には北陳は皇帝不在という非常事態に陥った。
それでも陳歩夫人淫蘭(いんらん)のもと諸将は結束し逆賊、西廟打倒に尽力した。
西廟打倒後は本格的な後継者争いとなる。
ただし後継者に名乗りを上げるには絶対の条件があった。
@陳歩の娘を正室にしている。
A陳歩の血を引く嫡子のみを跡継ぎと出来る。
の2点である。
また、絶対の条件ではないが、陳歩夫人から好意を得ることも重要だった。
こうして、陳歩の娘を正室としている重臣たちは自らの野望に突き進むの
だった。
【主な出来事】
袁庫の乱 1605年
弁朝滅亡 1607年 満古が弁朝帝都、洛陽を占拠。
笛羅の戦い 1608年 3月 満戸と陳歩の戦い
昌独の戦い 1608年 5月 西廟と陳歩の戦い
青天関の戦い 1609年 満臭族と陳歩の戦い
第一次瀬宮州の戦い 1610年 満古と陳歩の戦い
第二次瀬宮州の戦い 1612年 満古と陳歩の戦い
第三次瀬宮州の戦い 1614年 満古と陳歩の戦い
関中征伐 1615年 陳歩の将、西廟と斉翼の戦い
御那二の戦い 1616年 満戸と陳歩の戦い
第四次瀬宮州の戦い 1618年 満古と陳歩の戦い
通禁羅守の戦い 1620年 雲香と陳歩の戦い
第五次瀬宮州の戦い 1622年 満古と陳歩の戦い
北陳王朝の成立 1625年 陳歩、帝位につく
煩悩寺の変 1627年 陳歩、配下の西廟に襲われ死去。
【満戸(まんこ)】
よく勘違いされるが、軍神満古とは別人。
食い詰め者たちの流族の大将であったが、1605年、青島を占領して群雄化する。
陳歩、満古という列強に挟まれながら勢力を保ったが、1621年、満古によって
国を追われ、陳歩の元に逃げ延びる。
陳歩は元は敵である満戸を厚くもてなし、自分の娘を満戸に与えた。
陳歩の死後は、正室が陳歩の娘であることを主張して後継者を狙い、上野、
尿道炎らと宮廷内、ときには宮廷外での権力闘争に没頭した。
ついには姓を「陳」とし陳戸(ちんこ)と名乗ったが、ついには後継者レースに
破れ、辺境の地に長官に左遷される。
もっとも、一応、陳歩の義理の息子ということでそれほど悪い扱いはされていない。
【満古(まんこ)1573年〜1623年・享年50歳】
姓は満、名は古、字を黒々(くろぐろ)という。陳歩のライバルとして有名である。
体は日に焼けどす黒く、たいへん猛々しかった。
1586年に若干13才で発体建(はつたいけん)の戦い、それ以来80回を越す戦場を駆け
巡った。彼の率いる精兵、黒満(こくまん)は最強の軍団であった。
■その生涯■
満古は弁王朝の武人であったが、1605年に袁庫の乱がおこると、朝廷の使者を
斬って自立する。官軍を次々に蹴散らし、1607年に洛陽を占拠して弁王朝を
滅ぼした。さらに反乱の盟主気取りの袁庫を追い払い。斉翼を降伏させ、
各地に割拠する諸侯を次々に併呑し県城、120城を支配する。さらに1621年には
強豪、満戸から青島の地を奪い、厨国の三分の一を支配した。
1610年から1622年まで続いた陳歩との戦いは5度に及んだが、決着はつかなかった。
第五次瀬宮州の戦いの翌年に死去する。享年50歳であった。
■黒満三万騎■
黒満とは満古に絶対の忠誠を誓う精鋭部隊。その忠誠心は信仰に近いものがある。
「我らが満王」のために命を惜しまず戦い続け全厨国の諸侯を恐れさせた。もっと
も用兵の天才である満古である。彼らを死なせることはまずなかった。
満古2
【満古の戦いぶり】
満古は常に前線に立って指揮するタイプの武将であったため、顔は日に焼け
どす黒く数多くの傷を持っていた。敵を半包囲する「黒肉壁」の戦法が得意だった。
完全には追い詰めないで一箇所逃げ口を開けておいて敵の敗走を誘った。
満古軍の最盛期には黒満3万騎と一般兵10万あわせて13万の兵を要していた。
満古は兵数に頼った戦が嫌いなためこれ以上兵力が増えることはなかった。遠征時
には雑兵3万人を守備隊として残し、10万の兵で攻めることが多かった。
満古は軍人としては陳歩よりはるかに強い。陳歩がなんとか互角に戦えたのは、上野ら
優秀な参謀と、西廟らの名将を召抱えていたためである。
肥の陳歩戦記の能力値
【満古】統率:95 武力:99 智謀:73 政治:51 魅力:93
【陳歩】統率:89 武力:87 知力:97 政治:97 魅力:91
【西廟】統率:83 武力:91 智謀:98 政治:53 魅力:89
【満戸】統率:81 武力:90 智謀:83 政治:70 魅力:78
【上野】統率:50 武力:17 智謀:99 政治:98 魅力:60
【無私憂世(ムシユウセイ)と模細工(モザイク)】
旗揚げした陳歩は各地で無私憂世(乱世を憂い、自らの命を顧みず行動すること)
の英雄と名高い人物を訪ね配下に加えようとしたが、いざ見えてみれば
どれもが私益に走る羊頭狗肉の俗物ばかりであった。
陳歩は「この世に模細工(贋作、にせもの)の何と多いことか!」と嘆息したと言う。
それだけに初めて満古を見たときの驚きはすさまじかったらしいな。
>>96 ふりがな、がないので読めません。なんと読むのです?
何、この民明書房スレ
陳国初代皇帝の諡号は確か童帝だったよな
>>121 生涯、満古とかとやってばっか(戦)の皇帝陛下に童帝はないでしょ。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 20:42:45
【紀騰(きとう)】
字は摩騾(まら)。
陳歩挙兵以来の宿将。
守城兵器・金弩羽矛(こんどうむ)を発明し、猛将・栄厨率いる西廟軍を退けた。
その後も多くの戦に参加し功績をあげた。
満古軍との戦では、敵将の策・包計(ほうけい)にはまり窮地に陥るが、
上野らの助けによりなんとか一命をとりとげる。
その後の精子での記述はないが、この時の傷がもとで亡くなったとみられている。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 21:55:51
海泡瀬(カイアワセ)
清水の万江(マンコウ)の流れと泥水の出利辺流(デリヘル)の流れが大河・武洲川(ブスセン)に流れ込み、そのまま河口になっている場所。
常に泡立っているためこう言われている。
満古(マンコ)の碑(凹型の石碑)が立っているが、これが海泡瀬の戦い時の物かは不明。
ここの北には万江と出利辺流の一部が交じり合う江呂洲(エロス)がある。
あんまり早く死亡が確定すると話が広がらないということもある。
活躍させたい武将は、最期をぼかした方がその後のエピソードが追加しやすい。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 22:02:24
ポルナレフ
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 22:07:46
陳戟(チンポコ)
兵法家・陳子(チンコ)の名のほうが知られているかもしれない。
満虎の弟子とも義理の息子とも言われている。
同じ時代の兵法家の雲千(ウンチ)とは親友とされる。
しかし、時代がそうさせたのか陳戟は雲千により暗殺されたのである。彼は死ぬ間際に生詩(セイシ)の書を残して雲千に対して仕方がないことだったのは分かっている。と伝えた。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 22:11:54
【諸除幕(しょじょまく)】
満古配下の武将
第一次瀬宮州の戦いにおいて本陣近くに陣を構えた、陳歩急襲に際して
素早く刃陣(ばーじん)をひき満古本陣を守ったが逆賊満古を前に猛り狂う
陳歩に刃陣を破られ、陳歩自慢の極太の槍「挙献(きょこん)」に貫かれて討ち死に
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 22:14:03
陳子兵法とは。
男子たる者、朝から屹立していなければならん。。という文句から始まる精神論を説いたものである。
しかし、彼は武器も開発していて、それの使い方も書いている。
例えば陳歩支配下の勃起村にてよく製作された「威華九砕」(イカクサイ)は陳子の作、とされる。
このように陳子は多才な人物だったようなのである。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 22:26:30
薫尼(クンニ)
満古配下の尼。
海泡瀬の戦い時に満古と満戸を同盟させようと努力した人物。
満戸配下の爺諏穂戸(ジイスポット)が戦いを始めた為、すべて無駄になったため怒り自ら兵を率いたとも言われる
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 22:34:33
相武(アイブ)
陳歩配下の武将。字は善蟻(ゼンギ)。
敵を倒すためいつも先陣をきったとされる。普段は手国死庵(テクニシャン)にて休んでいるが、戦いとなると真っ先に仕掛けた。
先陣を切ることから。先相武(サキアイブ)という言葉が生まれた。
基本的に先陣をきったあとは休んでいることが多い。諡は触侯
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 22:47:22
額禄(ヌカロク)
陳歩配下の豪将。字は槍杉(ヤリスギ)。
陳歩軍は当初、軍閥にしては弱々しかった。しかし、額禄が入ると全く退かない強力な軍団と変化する。
知略の孟操に武勇の額禄がいたからこそ陳歩は満古と戦うことが出来たのである。
戦を好みすぎて度々、味方がどんなに死んでも退却しないので、陳歩が死んだあとの陳軍を疲弊させてしまった。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 22:53:15
斉鋼(セイコウ)
字は抜差(ヌキサシ)。
斉翼配下の武将。斉翼の子とも、斉翼の甥とも言われている。
政治には才能がなく、斉翼とは全く別の方面である軍事にしか才能を発揮出来なかった。
わずか12才で初陣をしたという早熟な武将。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 23:03:56
臨平(リンビョウ)
西廟配下の武将。栄厨には及ばないものの名将との呼び声高い。
西廟が最後の最後に陳歩を討てないでいるときに叱咤激励し陳歩を討つべきだと進言した。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 23:22:19
【魯罹(ろり)】
字は辺吐(ぺど)。
慰妄盗道(いもうとどう)の教祖。
肝夫汰(きもをた)と呼ばれる信者を引きつれ、漢長(かんちょう)一帯に大勢力を築く。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 23:24:59
苺独(バイドク)
西廟配下の武将。臨平とは親友である。
臨平が武人ならば彼は生粋の官僚系
西廟死後、栄厨の増長に耐えられなくなり挙兵するがあえなく敗北。
以後不明
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 23:37:07
昆白武(コンジローム)
西廟配下の武将。巧みな采配をするいぶし銀キャラ。
臨平や苺独が栄厨に逆らおうとする際に止めようとするが止められずに乱に加担してしまう。
負けても諦めない渋とさが売りのやっかいな武将。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 23:41:55
曹柔(ソウニュウ)
陳歩配下の武将。
満古と陳歩が対峙したさいに精史に初めて現れる。
孟操とは仲が悪く、頭より行動せよ!が曹柔のポリシー。
陳歩の死後、精史から記載が消える
【満戸(まんこ)1582年〜?】
よく勘違いされるが、軍神満古とは別人。
下流士大夫層の青年であったが、大変賢いと評判で、うわさを聞きつけた、
弁王朝の大臣、虐燕の養子となる。虐燕の死後その遺産を使って食い詰め者たち
を集め流賊を組織しその大将となる。1605年、青島を占領して群雄化する。
まもなく近隣で勢力を伸ばしていた官軍派の陳歩と敵対し笛羅の戦いで激突し
勝利を得る。その後、御那二の戦いをはじめ陳歩との衝突を繰り返すが、多くの
戦いで優位であった。(もっとも陳歩は満古という強大な敵を抱えており、多数の
将兵を満戸との戦いには割けないという理由があったため満戸が優位に戦えた面が大きい。)
また満戸は満古に憧れに近い尊敬心を持っており当初は友好的な関係が保たれていたが、
1612年頃から急速に関係が悪化、ついに海泡瀬の戦いに発展する。1621年には満古軍の
総攻撃を食らってしまい、本拠青島を放棄し陳歩の元に逃げ延びる。
陳歩は元は敵である満戸を厚くもてなし、自分の娘を満戸に与えた。
陳歩の死後は、正室が陳歩の娘であることを主張して後継者を狙い、上野、
尿道炎らと宮廷内、ときには宮廷外での権力闘争に没頭した。
ついには姓を「陳」とし陳戸(ちんこ)と名乗ったが、ついには後継者レースに
破れ、辺境の地に長官に左遷される。
もっとも、一応、陳歩の義理の息子ということでそれほど悪い扱いはされていない。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 23:51:43
仁真(ニンシン)
陳歩を滅ぼした西廟をさらに滅ぼした将。
出自は陳・満だと言われている。
国を建てた後、龍山に行くと言い残し消息をたった。
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 00:33:40
秘女甫(ひめはじめ)
姓は秘女 名は甫
東から来た仙人。満戸を気に入り配下に入る。
知識を活かして満戸軍を動かし、陳歩軍を苦戦させた。
満戸が陳歩に下ると再び仙人として姿を隠してしまった。
満戸と満古がぶつかる事になった海泡瀬の戦いの際には、対陳歩の陣中だった為に参陣がかなわなかった。
彼が満戸軍に合流し、海泡瀬に陣取っていたら満古も楽には勝てずに、もしかしたら負けていたかもしれない。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 00:43:14
洸文(コウモン)
字は阿盗(アヌス)。雲家に代々使えてきた執事。
輝く星印の旗を掲げて迫りくる姿は陳歩・満古ですら戦いを避けたがった。
栄厨とは親友であり、戦がないときは毎日酒を酌み交わした仲。
城を守らせたら門は絶対開かせない事で有名。
陳歩の世になるとしばらく息を潜めてから南方にて反旗を翻し、陳歩南征を起こさせた。
このことから、洸文が陳歩の死の遠因を作ったのである。といえる。
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 00:51:49
胤保(インポ)
字は天津(テンツ)
反陳歩勢力。陳歩軍の士気を下げるようにあちこちで破壊工作を仕掛けた。
一時は陳歩危うし!!と言うところまで追い詰めたが
戸霊(ペレ)の導きによって復活した陳歩によって再起不能にされる。
その後、西廟のもとに逃れると様々な武将と協力して陳歩を苦しめた。
諡は萎侯
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 00:56:45
このスレまさにカオスwww
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 12:07:56
戸霊(ペレ)
陳歩が諦めようとするたびに現れたなぞの仙人
彼がいなければ陳歩は絶倫大将軍とは呼ばれなかったであろう。
彼自身、絶倫だったのだが、やる気がなくなった人物の気持ちを理解しているようだ。
鞠の達人だという説もある
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 19:43:19
【太陀乃(タダノ)】
字は亜通(アツウ)
陳歩配下の武将。
わずかな手勢と共に一大勢力になりつつあった陳歩に仕官を願い出るが
何の後ろ盾も無く、みすぼらしい軍装の彼を快く思わなかった陳歩は
無理な命令をしてこの男を試追い返してやろうと思い、
この場で裸で四つん這いになれと命じた。
太陀乃は「裸で四つん這いになれば仕官させてもらえるんですね」と言うや否や
衆人環視の中たちまち衣服を脱ぎ捨て四つん這いになり菊門を開帳した。
陳歩はその堂々たる態度に恥じ入り、また豪胆さを気に入り配下に加えたという。
漢の名将韓信の「股くぐり」の故事と並んで有名な故事である。
第三次瀬宮州の戦いでは窮地に陥った陳歩を守って奮戦、
陳歩を無事救い出すも、自身は壮絶な最後を遂げる。
死の報せを聞いた陳歩は「惜しいかな亜通!亜通ー!アツー、アッー!アッー!」
と号泣しながら名を呼び続けたという。
148 :
八戸のぶなが:2007/06/12(火) 19:58:07
まさに我がルーツとなるべき偉人達だ。
∧ ∧
(*‘ω‘ *) 陳歩ッ歩
( )
v v
母音ッ
川
( ( ) )
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 20:46:04
社会の上の方に行けば行くほど教養がないと馬鹿にされる。
社会の下の方に行けば行くほど腕力がないと舐められるのと一緒。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 21:56:46
厨国創造史
【蜍聖(ジョセイ)と彈聖(ダンセイ)】
神は二つの人形を作り出し、暇つぶしに戦わせた。この人形を人間達は神と信じた。
人間はこれの女性の神を彈聖。男性の神を蜍聖とした。
二つの神は次第に人間をも巻き込み戦を始めてしまうのである。これが【両聖愚雄の戦い】であり、人々が初めて体験する大戦争であった。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 22:02:47
【両聖愚雄の戦い】(リョウセイグユウのタタカイ)
蜍聖と彈聖が人間を率いてぶつかった戦い。
これにより長きにわたる戦国の世が訪れる。
蜍聖と彈聖は人間を殺したとして神から罰を与えられた、蜍聖は菩聖(ボセイ)、彈聖は虚聖(キョセイ)という人間にされたといわれている。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 22:10:05
菩帯(ボタイ)
神から人間になったとされる菩聖(ボセイ)の子孫を名乗る群雄。
若き日の名将・満古を配下にしていたほど勢力をもっていた。
しかし、晩年に養子の菩慇(ボイン)と実子の菩柔(ボニュウ)の後継ぎを巡る戦いが起きてしまい、介入した満古の勢力が拡大して行くのを止められず失意の内に没した人物
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 22:16:54
菩慇(ボイン)
菩帯の養子。もとは魏恩出身の卑しい身分出身。
菩帯の実子の菩柔(ボニュウ)とは本当の兄弟の様であったとされる。
菩慇は本当に菩柔を可愛がったのだが、菩帯が実子を後継ぎにしようとしたために菩家の家臣は両派に別れてしまうのである
菩慇は最終的に満古の助けもあり菩柔を破るが、虚無感に襲われ満古と共に菩家を去った。
後には満古の友・配下として陳歩と対峙する。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 22:19:28
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 22:24:13
菩柔【ボニュウ】
菩帯の実子。
少々、ボ〜っとした所があった人物。
義兄・菩慇に家督争いにて破れるが義兄が結局菩柔に家督を譲ったため、菩家の当主となった。
しかし、多くの優秀な人材が満古と共に菩家を去って行ったため菩家は弱体化していった。
弁朝に忠義を尽くしたため諸侯に領土を食い荒らされ大領主・菩家最後の当主となってしまった。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 22:31:11
弁序【ベンジョ】
弁の皇族。陳歩や満古らを利用して弁朝を再興しようとしたが、ことごとく失敗してしまう。
弁飾等に権力争いで破れたのち領地の都威嶺【トイレ】に逃げていった。
【手鏡(しゅきょう)】
姓名は植田(しょくでん)
字は草代(そうよ)
人物鑑定に長け、「手鏡先生」と呼ばれた。
「下半身を見れば、人物がわかる」と論文を記し、
後の鑑定家たちにも絶大な影響を与えた。「手鏡神」と讃えられている。
陳国志援戯(えんぎ)では
上野らの才を見抜き、陳歩に推薦している。
また満戸を「陳歩や満古に劣らぬ英雄、ただ人徳がなく家臣に恵まれない」と評した。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 00:39:58
余馬懿(ヨバイ)
斉翼の配下の将・斉鋼(セイコウ)の参謀。
夜襲の神。
斉翼に未来は無いことを斉鋼に伝えるが、斉鋼に無視される。
それに絶望したのか斉翼から陳歩陣営へと鞍替えした。
孟操や曹柔らとは友人になり、三賢者と称されるが結局は孟操配下の一参謀としての地位に甘んじる。
その後も野心を持ち続けるが・・・
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 00:45:06
序聖都・・・十八京に連なる大都市。
誰しも憧れる都。最近、腰布を短くする輩・美仁巣飼徒(ミニスカウト)が猛威を奮っている。
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 01:18:02
【秦躍(しんやく)】
字は湧珍(わくちん)。
陳歩配下、忠義の将。
非常に忠誠心が強く、また容姿に勝れていたため陳歩に寵愛され、側近として常に傍らにあった。
陳歩に降った西廟に対し疑心を抱き、「西廟を信用してはならない」と常に進言していたが、陳歩はこれを受け入れなかった。
1627年四川討伐に向かった陳歩に留守を任された際、
西廟配下の将だった栄厨が四川の使者と内通しているのを知る。
秦躍は煩悩寺で休養をとる陳歩の元へ急報しようと三日三晩馬を走らすが、
彼の眼前にあったのは既に焼け落ちた煩悩寺であった。
「私がついていれば…」と悔やみ自害しようとするが、思い止まり、
雲香に帰順した後、西廟を密殺する。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 03:42:20
【月継(ゲッケイ)と憂吸羽(ウイスパ)と三種の神器】
月継(ゲッケイ)
破翠山に住むといわれる仙人。
忽然と満古のもとに現れ、満古を愚弄し、満古の配下をたぶらかすなどして処断された。
斬られた首元からはおびただしい程の血が吹き出し、七日七晩流れ続けたという。
死んだと思われた月継だが、28日後に再び満古の元に現れ、
「折洩乃(オリモノ)」と呼ばれる呪いをかけ、「また28日後に」と言って消えた。
折洩乃の呪いにより、兵たちは体の不調や痛みを訴えたが、どんな名医にも治すことができなかった。
困り果てた満古は、破翠山の北にある破救山に住まう仙人「憂吸羽(ウイスパ)」の元へ救いを求める使者を送った。
憂吸羽は
「反奔(タンポン)の剣」、「凪布金(ナプキン)の盾」、「紗児谷慰(サニタリ-)の箱」の三つの神器を使者に渡し、こう言った
「凪布金の盾は、あらゆる月継の妖術を防ぎ
反奔の剣で一突きすれば、月継は動きを止める
最後に「覆威飛洩闇進(オオイヒモアンシン)」と三回唱えれば、
月継を紗児谷慰の箱へ封じることができる」と。
こうして約束通り、28日後に現れた月継を
見事紗児谷慰の箱へ封じることに成功する。
しかし暫くは「折洩乃の呪い」がとけることなく続いたと言う。
一説には、五度目の陳歩軍との戦いで満古の精兵が次々と敗れ、
あっさり降服したのは「折洩乃の呪い」により士気低迷が原因ではないかと言われている。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 12:48:41
音進(インシン)
満古配下の将。親子二代で満古に仕える。
親子二代で同じ名前なので父を大音進。子を小音進と呼ぶ。
満古陣営の全線にて戦った将で、実は他国からみた満古の活躍は=音進の努力だったと言われている。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 16:50:54
新旋【ニュウセン】
菩家の家老。若き武将でありながら親から菩家の家老を譲られた。
満古を兄のように慕っていた。弟・新巌(ニュウガン)や父・新暴(ニュウボウ)はかなり有名な学者
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 17:06:33
新巌【ニュウガン】
新旋の弟。
兄と同じく菩家の家臣。兄と共に菩慇に忠義を尽くし、菩慇が菩家を去る時に満古に同行した。
兄・新旋と同様に満古の将として奮戦するが、新巌はある時に独断で陣地を変えてしまう。
命令違反をした新巌は兄の懇願むなしく、満古によって死罪とされた。
新巌は兄を越える名将であり、満古も泣く泣く新巌を斬ったのである。ここから【泣いて新巌を斬る】という言葉が出来た。
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 17:12:40
新暴【ニュウボウ】
字は杯托【パイタク】
新家の当主として、また、菩家の筆頭家老として政務にはげんだ。
杯托【パイタク】の詩や法律の原文は今だに残るほどのもの。
息子達に後事を託し、隠居した。
菩慇とは対立したため、菩柔が家を継ぐと補佐したが傾いた家運をどうすることも出来なかった
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 17:26:03
新麟【ニュウリン】
新暴【ニュウボウ】の末子。若き頃は桜の様な色の頬だったが年ごろになり焦げ茶色の顔になった、その頃から様々な事に敏感になり、すぐ何かあれば立ち上がる程の男になった。
菩家末期の最強の武将であり、菩家の領土を併合しようとした満古を度々押し返した。
しかし、伝説の義士・煤武【バイブ】の子孫・煤武【同じくバイブ】が満古を狙って突進してきた時に重傷を負ってしまう。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 17:34:54
新麟 2
煤武によって傷を負わされた新麟は退却し、その間にとうとう菩柔本陣をも満古に破られてしまい、菩家は満古の支配化にいれられてしまう。
この戦いを暑町の戦い【ショチョウのタタカイ】と呼び、満古はこれを機に最大勢力へと駆け上がった。
菩家は菩慇の下に再編成され、満古軍隷下の国になった。
新麟は仕方なく満古軍の将となった。
後に陳歩と再会した煤武と再戦するが、その際は新麟が勝っている
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 17:42:52
新謄【ニュウトウ】
字は瓶缶(ビンカン)
新旋の嫡子
満古からは実子と一緒に可愛がられた。成人してからは陳歩軍との戦いや満戸との「海泡瀬の戦い」に父の代わりに参陣している。
満古が死ぬと白い涙を流したとされる
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 18:08:55
虎駒【トラコーマ】
西廟配下の暗美邪【クラミジア】の養子。
凶悪な武将。養父を無視し、尚且つ西廟すらも軽視する人物。
陳歩が西廟に破れ、敗走しようとしたとき、包囲網を迅速に敷き陳歩を逃がさなかった。
彼自身は盲目に近いほど視力がなかったとされる
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/14(木) 11:51:19
暗美邪(クラミジア)
西廟配下の将。
笛羅の戦いにて陳歩を破った武将。
栄厨と共に西廟をもり立てた。
栄厨よりも攻撃を掛けるのが早いが、若干 勢いがない。
乙武尊(おつ たけるのみこと)
倭国の伝説の英雄。周辺を荒らす大蛇の山田汚露血(ヤマダノオロチ)を討伐するも手足を失う。しかし以降も優れた知性を生かし国の将来を支えた。
陳歩とも交流があり当時の手紙も残っている
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/14(木) 20:53:01
貴須(キス)
字は節奮(セップン)
傭兵の隊長。陳歩・満古らにも通用する武将だったが、深いやりとりや相手に対する読みが足りなかった。
笛羅の戦いに参加しようと出撃したがどっちつかずが満古を怒らせたのか孟操にはめられ敗北する。
以後は盗賊になりあちこち荒らした。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/15(金) 15:01:57
もし、陳歩が買阿愚裸の戦いで陰歩に敗れていたら歴史は変わっていただろうな
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/15(金) 17:07:54
胤保は戸霊(ペレ)に導かれた陳歩に破れている。
前の方に書いてある
すげぇ!三戦でまた陳国志の話題を語れるとは!
板違いで怒られんのだろうか。そんときは厨国英武威板に移るのだろうか。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 09:19:15
陳歩は何度でも甦る。
何度でも立ち上がる
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179 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/17(日) 15:15:39
あげ
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/17(日) 15:31:31
魏の武将呉!
魏の武将呉!
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 21:40:23
須島(スジマン)
満戸軍 右将軍
満戸軍が寄せ集めにすぎないときから満戸を補佐し続けた。
虐燕陣営から多数の人材を引き抜いて満戸軍を立派な群雄に押し上げた功労者である。
その功から満戸軍の右将軍になる。
しかし、満戸が陳歩に下った際に満戸から満古に鞍替えした。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 21:46:00
宿助(ジュクジョ)
虐燕の参謀のち満戸軍左将軍。
虐燕陣営を崩壊させ満戸軍を立ち上げさせた人物。
虐燕からは多大な恩を受けたのに満戸軍に入った。
満戸が陳歩に下った際の動き(独立勢力になろうとした)から考えると自分で虐燕の領土を得るために満戸を利用していたことが伺える。
満戸が陳歩に下った際に独立に失敗。西廟陣営に逃亡する
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 21:51:58
ミコスリ・ハーン
北方の英雄。あまりの速さにみなが驚愕する。
幼名は走郎(ソウロウ)
若くして異民族を支配下に従えた伝説の英雄。
彼の嫡流は代々、ミコスリ・ハーンの名を受け継ぐ。
初代の陳歩と二代目ミコスリ・ハーンは親友であり、度々彼からの援軍要請をうけハーンは厨国に援軍を出した。
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 18:15:49
あげ
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 18:22:18
金玉珍宝(キンギョクチンポウ)を集めるのが趣味です
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 16:37:43
あげなきゃ・・・みんなのために、僕は何度でも立ち上がらなきゃいけないんだ!
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/22(金) 19:11:24
すごい・・・また勃った
このスレのキーワードは準備中か
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/24(日) 12:22:55
【蘭操(ランソウ)】
後弁の臣。
早くから満古の臣として 精力的に彼に尽くした名参謀。
袁庫の乱が勃発すると、この混乱に乗じて洛陽を占拠するよう進言。
また弁臣や郡県を説得して周り、満古に協力するよう仕向けた。
満古の片腕として尽力した蘭操だが
1615年息子の蘭子(ランシ)、蘭貫(ランカン)と共に突然反旗を翻す。
後顧の憂いを断つため、満古が二度目の漢長(慰妄徒道)討伐に向かった際
留守をついて洛陽の拠城・師宮(シキュウ)を占拠するとこれに呼応するかのように、蘭操が説得して満古配下に加えた元弁臣たちが各地で謀反を起こしたのである。
あらかじめ周到に計画されたかのように師宮の蘭操、そして各地に散らばる元弁臣たちは名のある文官・武官を次々と謀殺。
僅か一日足らずで満古は有能な配下の半数を失ってしまう。
これが「師宮の乱」である。
漢長討伐から戻った満古軍にすぐさま包囲されてしまうが、蘭操は最後まで抵抗する。
ついに捕らえられた蘭操。
満古は再び配下に加えたいと思っていたが、蘭操を自ら処刑台に向かい首を刎ねさせた。各地の弁臣たちも一斉に自害し、こうして多くの謎を残したまま「師宮の乱」は鎮圧された。
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/24(日) 12:26:02
【師宮の乱】
1615年11月 満古配下の重臣、蘭操が突然謀反を起こしたのである。
反乱の理由など一切精史では語られていない。
「満古に尽くした忠臣が何故?」後世の史家の間では論争が尽きない。
もっとも有力な説として、満古が起こした「漢長大虐殺」に原因ではないかと言われている。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/24(日) 12:28:30
【二侍原(ニジゲン)の戦い】…1
「漢長大虐殺」そして「師宮の乱」を語る上で重要な戦い。
1615年2月、四度目となる陳歩との戦いに向け
満古は後顧の憂いを絶つため、漢長一帯に勢力を誇る、慰妄徒道(イモウトドウ)の教祖・魯罹(ロリ)討伐戦を行った。
この戦は満古の嫡子「満光(マンコウ)」の初陣でもあった。
満光は父・満古に似て、武勇に勝れ将来を期待された人物である。この戦でも初陣ながら先陣をきって戦い
次々と慰妄徒道の信者「肝夫汰(キモヲタ)」を掃討していった。
しかし魯罹の策略にはまり捕らえられてしまう。
満光を人質としてとらえられたが、満古は進撃を止めなかった。
怒った魯罹は見せしめに満光を首刎してしまう。
これが満古の逆鱗に触れ、後の悲劇「漢長大虐殺」へと繋がる。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/24(日) 13:23:11
【漢長大虐殺、蘭操の真意】
満古の怒りに触れた魯罹は押し寄せる満古軍にかなわないと見て、二侍原から撤退 漢長に籠城する。
鉄壁の要塞と謳われる漢長の城にさすがの満古も攻めあぐねる。
すると焦れた満古は漢長領民を猫の子一匹残らず虐殺してしまう。
皆、肛門をひとつきされ無残な亡骸だったと言う。
この様を見た魯罹は恐れおののき、すぐさま降服を願いでたが満古はそれを受け入れなかった
より一層の恐怖を与えるためか満古はここで一旦兵を退く。
漢長の惨事をまざまざと目にした蘭操はこの時何を思ったのだろうか?
精を尽くして仕えた君主の悪魔の様を見て果たして何を悟ったのだろうか?
ただ「漢長大虐殺」が「師宮の乱」に起因すると考えるにはまだ矛盾が多い。
元弁臣たちが一斉に蜂起した理由もその経緯も。
「漢長大虐殺」から「師宮の乱」までの短期間で計画が練られたとは考えにくい、だとすればそれ以前に計画されていたことになる。
しかし蘭操ほど満古に信頼され重宝された人物なら、満古に近付き秘かに密殺することも可能だったはず。
息子たちまで巻き込んで大規模な謀反を起こすまでもなかった。
では何故?
蘭操の起こした事件について、あまりに不可解で謎が多い。
こればかりは蘭操のみぞ知る…
陳国史至上もっとも謎に包まれた事件である。
■三大武将(今のところ)の簡単な説明■
【陳歩(チンポ)1578〜1627年】
農民から北陳の皇帝にまで上り詰めた男。軍人としても政治家としても優れていた。
軍神満古との対決は厨国史上に残る名勝負だった。煩悩寺の変で部下の西廟に討たれる。
【満古(マンコ)1573年〜1623年】
軍事的天才。その軍才は陳歩をも上回る。弁王朝を滅ぼし、袁庫、満戸、斉翼
、蘭操らを蹴散らす。化け物的強さを持つ。
【西廟(セイビョウ)?〜?】
陳歩の重臣で、淋(りん)の皇帝。天才的な軍人。煩悩寺の変で陳歩を討ち自立。
しかし彼の栄光は長くは無かったようだ。
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/24(日) 21:40:52
【主な出来事】
袁庫の乱 1605年
弁朝滅亡 1607年 満古が弁朝帝都、洛陽を占拠。
笛羅の戦い 1608年 3月 満戸と陳歩の戦い
昌独の戦い 1608年 5月 西廟と陳歩の戦い
青天関の戦い 1609年 満臭族と陳歩の戦い
第一次瀬宮州の戦い 1610年 満古と陳歩の戦い
第二次瀬宮州の戦い 1612年 満古と陳歩の戦い
第三次瀬宮州の戦い 1614年 満古と陳歩の戦い
関中征伐 1615年 陳歩の将、西廟と斉翼の戦い
漢長討伐戦(二侍原の戦い) 1615年 2月 満古と魯罹の戦い
漢長大虐殺 1615年 ?月 満古、漢長領民を虐殺
第二次漢長討伐戦 1615年 ?月 満古と魯罹の戦い
師宮の乱 1615年11月 満古の臣、蘭操が謀反
御那二の戦い 1616年 満戸と陳歩の戦い
第四次瀬宮州の戦い 1618年 満古と陳歩の戦い
通禁羅守の戦い 1620年 雲香と陳歩の戦い
第五次瀬宮州の戦い 1622年 満古と陳歩の戦い
北陳王朝の成立 1625年 陳歩、帝位につく
煩悩寺の変 1627年 陳歩、配下の西廟に襲われ死去。
【その他、年代不明】
暑町の戦い 菩柔と満古の戦い
山田汚露血討伐 倭国の英雄、 乙武尊と大蛇の戦い
買阿愚裸の戦い 陳歩と陰歩の戦い
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/25(月) 22:08:34
陳歩と陰歩には同一人物説すらあるからなぁ。
陳歩と陰歩の戦いは陳陣営での内乱とみるのが正しい。
陳国史演義じゃあ別の人物になってるけどさ。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 00:44:26
■三大武将に次ぐ主な重要人物■
【雲香(うんこう)?〜?】
蘭州を本拠にシルクロード交易で栄えた厨国、西端の国。二代目は当主。
誤解されがちだが雲香は女。
陳歩とは一度は敵対関係にあった。
【袁庫(えんこ)?〜1625年】
袁庫は偽名。姓名は袁如(えんじょ)、字は公才(こうさい)。
若きころから弁王朝に反感を持っており反政府活動をしていた。
袁庫の乱では一躍群雄となるが、すぐさま親寺狩の戦いで満古に大敗。
その後、陳歩によって処断される。
【弁皮(べんぴ)?〜?】
弁王朝のラストエンペラー?
【満戸(まんこ)】
よく勘違いされるが、軍神満古とは別人。
青島を占領して群雄化する。
もともと満古と親交があったようだが敵対。
満古との戦いに敗れた後、陳歩に降るが最終的には左還された。
【上野(じょうや)】
字は栗肉(くりにく)。陳歩の宿将と見られるが、
詳細な人物はあまり知られていない。
陳歩の名が挙がると必ずと言っていいほど上野の名が出てくることから
かなり高い位、軍師的な位置付けにあったと思われる。謎の多い人物。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 19:53:13
帝王・雪怪(テイオウ・セツカイ)1500?〜1591
1570〜1600代初頭に蜂起
イキナリ、万江や出利辺流周辺に現れた自称・皇帝。
弁朝の指揮官・弁飾によって鎮圧されたが、残党がいつまでも蜂起し、弁朝を弱体化させた。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 19:57:20
刃通(ジンツウ)
後弁朝の中期に仕えたのち下野し、群雄となりあちこちで暴れた武将。
老後は仙人になった。
仙人になった刃通がある日、若き日の陳歩を一目見て、大将になることを予言したとされる。
■不能1■
【不能(フノウ)1578〜1629年・享年51才】
姓は不、名は能。江南の誤王。誤の小陳歩の異名を持つ。若い頃はなかなか
立たなかったが、賢者、智良(ちりょう)を得てようやく立ち、江南の覇者と
なるが栄厨により暗殺される。
【弁の忠臣】
不能は代々、弁の高官を輩出する名門、不家の一族である。彼もまた18歳に
なると弁の官僚となる。彼は正義感が強く、仲間の官僚たちと共に悪徳官僚
、杏暗(アングラ)を激しく弾劾した。しかし政争に破れ朝廷を追い出される。
彼は故郷に戻り、そこでひっそりと不遇のときを過ごすのだった。
【不能・立たない】
1607年、満古により弁王朝が滅ぼされる。不能は血の涙を流して逆賊、満古の
打倒と、弁朝復興を誓い兵を集め立とうとするが、何度やっても兵の集まりが
悪く立つことができない。こうそうしているうちに、満古の討伐が来襲し不能
は少数の部下と共に命からがら落ち延びる。その後、満古から逃げ回る日々が
始まる。
■不能2■
【不能の仕官先探し】
自分は立てない、このままでは満古打倒の志を遂げることはできない。そう考えた
不能は満古に対抗できる英雄を探すこととした、その人物に仕え満古を討ち、弁朝
を復興しようと考えたのである。まず彼は青島の満戸のもとを訪れたしかし
「俺の部下に立てない男などいらぬ」とあっけなく断られた。関中の斉翼のところへ
いったが「立てないそなたでは斉翼を維持できまい(斉翼の役に立たないという意味)」
といわれ、雲国を訪れてたときは主君の雲固には気に入られたものの、娘の雲香に
「立たない男に興味は無いわ」などと言われ、また仕官できず。英雄探しどころではなく
食い扶持を得るための旅となってゆく。
最後に陳歩のところへ行った。陳歩は勇敢で誠実そうな不能を気に入り仕官を許そうと思
った。不能も陳歩を求めていた英雄と思い。不能が陳歩臣下となるのは時間の問題かと思
われた。
ところが軍師格の上野(ジョウヤ)が強行に反対し、またも仕官できなかったのである。
不能が失意のままに去った後。陳歩は上野の言った。「あれほどの男を何故仕官させな
かったのだ」それに対し上野はこう答えたという。「あの者は人に仕える種類の男では
ありません。きっと主上の役には立たないでしょう。」そう言ったあとこう付け加えた
「あの男は類まれな貴相を持っていました、私は他にあれほどの貴相は2人しか見たこと
がありませぬ。主上と西廟殿だけです。あの男は他人に仕えてはいけないのです。」
■不能3■
【師宮の乱】
その後、不能はやる気を無くし漢長で細々と商いをしながら過ごしていた。
そして1615年。漢長にて満古軍による虐殺おこなわれる。不能はその現場にいた。
彼は激怒し再び満古を討つために挙兵しようとするがまたも立たず、失敗する。
1615年11月、師宮の蘭が勃発。首謀者の蘭操は弁王朝の復興を宣言した。
蘭操の使者が弁復興のため力を貸してもらいたいとやって来た。
不能はわかっていた。蘭操は弁の復興を反乱の大義名分にしている以上、形だけ
でも弁の旧臣を集めたいのだと。きっと自分の名前も名簿を見て探したに違いない。
だが、不能は満古と戦えればなんでもよかったのである。さっそくわずかな供と共に
蘭操の元へゆき反乱軍に参加した。
そして満古の大軍と戦った。
不能はここを死に場所だと思っていた。まがい物とはいえ復興した弁朝のために
死ねるなら本望だと思ったのだ。だが彼は生き延びた。川に落ち、気づいたとき
には下流にまで流されていたのだ。そこで蘭操の死を知った。
■不能4■
【三顧の礼】
不能は一人絶望していた。だがかろうじて生き延びた数人人の部下たちが、再び
彼の元に集い。わずかながら元気を取り戻す。もう最期やるしかない。満古を討つ!
1622年、彼は湖南の奥地に住む賢者、智良のうわさを聞き彼をなんとか仲間にやって
きた。智良の草庵をなんとか探し出し、彼に会うことができた。
「弁朝復興のため力を貸してください。」と不能は頼んだ。しかし智良はあなたには
まだ足りないものがあると断った。
数日後再び草庵を訪ね「逆賊満古を討つため力を貸してください。」と頼んだ。しかし
智良は「まだ足りません。もっと部下のことを考えなさい」といって断った。
そして三度目、不能はこういった。「私の欲望のため力を貸してほしい」
すると智良は「及ばずながら」といってついに不能に仕えた。
つまり智良は「不能はもっと自分のため部下のために出世してやろうという気概が足りぬ
といいたかったのである。活力にあふれた大将の元にこそ人々は集まるのである。」
【齢50にしてついに立つ】
1623年、満古死す。不能は自ら逆賊を斬るという願いがかなわず悔しがる。さらに
1627年煩悩寺の変により陳歩も死んだ。自分を認めてくれた英雄の死に不能は深く
悲しんだ。
・・・そして1628年2月。不能、智良を得て齢50にして初めて立つ!ついに立った!
事の次第はこうだ。南方の群雄の一人である長沙の楚駆は圧政で有名であった。
智良の策により不満に満ちた豪族を集め決起、2県を占領しついに立ったのである。
圧倒的な勢いで3月には長沙を制圧。解放軍として迎えられる。
■不能5■
【誤王即位】
不能は初立ちして人生50年でたまりに溜まった欲求をはらすように怒涛の進撃を
開始する。4月に南昌を攻略。主君の士太(シタ)は亡命。5月、広州の思太羅が降伏。
ここで不能は苦労を共にした旧臣たちにより王になることを薦められ。ついに誤王
不能と名乗る。
8月、穴違いの戦いで武漢の任臣と南京の袁皓からなる連合軍と決戦する。
ここで袁皓の元に身を寄せていた名将、洸文(こうもん)討ち取るという大勝利
を得て、江南を統一する。
【濫江で栄厨によって崩御】
翌1629年、陳歩の敵を討つべく、不能は大軍を率い西廟領へ侵攻した。智良は
この出兵に反対であった。「まだ兵たちは疲れています。出兵もう少し回復を
待ってからがよろしいでしょう。」と言ったのだが、不能は「智先生、心配
には及びません。私は乱世の元凶西廟を討ち一刻も早く厨国を正常な状態に
戻したいのです」と言ってこれを退けた。
当時、西廟はすでに指揮を取れないほど衰弱しており、実質的な指揮は栄厨が取っていた
10月に不能の率いる誤軍と栄厨の軍は濫江(らんこう)で激突した。
智良の懸念どうり、誤兵の動きは鈍かった。しかし今や立ちまくりの不能の
力量を持ってすればこの程度は何の問題も無かったのである。だが不能は濫江
で死んだ。暗殺であった。不能は今までどんな危機に遭遇しても生き延びてき
た。そのため毒見などさせず何でも平気で食べていたのである。そしてあっけ
なく毒物によって死んだ。
■不能6■
【不能の補足】
不能の死後、彼には跡継ぎがいなかったため、誤の国は旧臣たちによる緩やかな
連合政権となる。一応、智良を中心としてまとまっていた。彼らは栄厨への復讐
に燃え、継続戦争がおこなわれることとなる。
不能の立たなくても立たなくても、諦めない不屈の精神は後世に多大な影響をも
たらした。わが国でも戦前の教科書には不能の精神力と忠臣ぶりが皇国臣民の
手本としてのせられていた。
不能は陳歩を尊敬していたため小陳歩と呼ばれて喜んでいたという。
不能は智良(ちりょう)によってついに立ち、欲望を吐き出したが、濫江(らんこう)で
栄厨(えいず)の罠にかかり死んだ。この悲劇を題材にしてのちに多数の戯曲がつくら
れることとなった。
【洸文(コウモン)〜1628年】
字は阿盗(アヌス)。雲家に代々使えてきた執事。のち南京の袁皓の元に行く。
輝く星印の旗を掲げて迫りくる姿は陳歩・満古ですら戦いを避けたがった。
栄厨とは親友であり、戦がないときは毎日酒を酌み交わした仲。
城を守らせたら門は絶対開かせない事で有名。
1624年、主君の雲固が亡くなり、娘の雲香が跡を継ぐ。洸文と雲香はもともと
仲が悪く、ついに雲国から出て行ってしまう。
彼は南京の袁皓の客将となり、同じく、袁皓の元に逃れていた袁庫を陳歩に
引き渡すように進言する。
しかし陳歩は袁庫などより洸文の存在こそを恐れていたため、陳歩南征を起こさせた。
このことから、洸文が陳歩の死の遠因を作ったのである。といえる。
1628年、急速に勢力を拡大する誤の不能と戦うが、その勢いの前に敗死する。
上野は不能を立てるようにして陳歩とともに満古に当たらせる
天下三比の計(てんかさんぴーのけい)を実行すべきだったと思う
不能が陳歩を越えるほど大きくなるのを恐れたのだろうか
不能って実質1年しか活躍してないよね・・・。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 18:44:32
>>211 あほか・・・。突っ込む気にもなれない。
【メモ】
@西廟を殺したとされる人物
仁真、秦躍、尿道炎
A西廟の配下
栄厨、臨平、淋廟、暗美邪、虎駒、昆白武、苺独
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/30(土) 18:01:29
■各勢力の配下武将・関連人物■
【陳歩】
芙虞莉 、方慶、上野、貴塔、煤武、丹帆穂、牙懿、陳解、陳珍、出愛敬、孟操、淫蘭、紀騰、相武、額禄、曹柔、太蛇乃、秦躍
【満古】
牌乙、兀班、満猪、諸除幕、薫尼、音進、新麟、新謄、須島、宿助、(蘭操、蘭子、蘭貫)
【西廟】
淋廟、栄厨、臨平、苺独
、昆白武、虎駒、暗美邪
【雲固・雲香】
腹維汰、洸文
【後弁朝】
虐燕、参飛ヰ、弁飾、杏暮、弁序
【満戸】
嶺図、秘女甫
【その他】
、(斉翼、斉鋼、余馬懿)、(聖天関、成系)、魯罹、仁信、胤保、戸霊、手鏡、(菩帯、菩慇、菩乳、新旋、新巌、新暴)、貴須、ミコスリ・ハーン、刃通、(不能、智良)、袁庫、袁皓
【人名録・その1】
>7 西廟(セイビョウ) 淋の皇帝。天才的な軍人
>8 尿道炎(ニョウドウエン)西廟を殺したとされる人物の一人
>15 芙虞莉(フグリ) 陳歩の古参武将
>16 淋廟(リンビョウ) 西廟の義兄弟で猛将
>17 方慶(ホウケイ) 陳歩の古参武将で、粛清される。
>17 上野(ジョウヤ) 陳歩配下の将。参謀格であるらしい。
>18 腹維太(ハライタ) 雲国の猛将
>30 貴塔(キトウ) 陳歩の将。守りに強い
>31 陳解(チンゲ) 陳歩の従弟。謎の多い人物
>32 苦李兎利酢(クリトリス) 満戸軍の猛将
>39 煤武(バイブ) 陳歩の武将
>51 斉翼(セイヨク) 関中に割拠した群雄
>53 牌乙(パイオツ) 満古配下の将。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 16:33:00
丘間(オカマ)
十八京防衛団団長
袁庫らが十八京(ジュウハチキン)に弁帝追撃の為に進撃した際に交戦した武将。
弁朝の圧政には従わなかったが、他の群雄にも大義なし!と悟り、十八京の防衛を続けた。
陳歩・満戸・満古の諸将から誘われたり、攻められたりしたが最後まで十八京を守りぬいた。
智良(チリョウ)の軍が十八京に来た際に投降し、その翌月、96才で病死。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 16:41:22
狽勢腐(バイセクシャル)
字は二刀(ニトウ)
陳歩と満古に挟まれた地域の豪族。
どちらにも従う態度だったためかあまり当てにはされず、陳歩配下の煤武によって城を奪われた。
すると彼は序聖都(ジョセイト)に逃げる。
序聖都の実力者・戯或(ギャル)の客将になるが客として来た満戸に気に入られ満戸配下になる。
満戸が陳歩配下の将になると煤武とは同僚になるが、彼を没落させようと動く。
そろそろ満古、西廟らも後付け設定が増えたし、書き直しが必要だな。
菩帯もな
雲香が陳歩に熱烈な恋文を送ったが、内容がアレすぎて陳歩は縮みあがったという
エピソードがゲーム開発会社のボッタクリ社製の「満古の野望・腐臭録」の武将フ
ァイルに書いてあったな。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 21:47:32
戯或(ギャル)
序聖都の長。低い身分だった自分が弁帝から序聖都を任された事を誇りに思い任務を全うする。
しかし、煤舜(バイシュン)(煤武の縁戚?)ら罪人を見逃し続けた事で袁家が弁朝に対して反逆を起すきっかけにもなってしまった。
満戸の友人であり、度々彼を序聖都にある自分の屋敷に招いた。
陳歩配下の浅断(アサダチ)によって毒を盛られ体調を崩しながら長生きしたらしい。
223 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 21:55:20
浅断(アサダチ)
聖理幻将(セイリゲンショウ)の一人。
陳歩配下として大活躍する剛将。
歴史上、特に優秀な武将にしか与えられない聖理幻将に数えられるだけあって素晴らしい戦いをした。
特に奇襲の達人であり、朝がきたら浅断がくるとまで言われた
しかし、笛羅の戦いで独断で進撃。敵陣で孤立してしまい包計をかけられて捕まってしまう。
その後、陳歩陣営に帰されたが彼の居場所は既にそこにはなかったため旅に出た。
224 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 22:03:32
雲智(ウンチ)
雲一族の軍師
彼のまわりは常に人々が居たと言われるほど人望があった。中にはならず者もいたが、この中に後の兎慈(ウジ)や崟栄(ギンバエ)といった雲国をさらに発展させた武将がいた。
雲一族の最高権力を握るが雲香に破れ下野した。
225 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 22:09:24
傑勉(ケツベン)
雲国の武将。雲智の武勇に惚れ義兄弟になるが、聖理幻将に数えられた雲智ほどには成れなかった。
しかし、彼も優秀な武将であり、雲国が厨国の群雄とやりあうのに活躍したのは確かである。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 22:12:26
兎慈(ウジ)
雲国の武将。
障害者であり、腕や足がなかった。しかし、差別せずに接してくれた雲智を慕い、彼の下で兵法を学んだ。
雲智が失権したあとに雲国を舵取りし、強力な国にした武将である。
【人名録・その2】
>71 袁庫(エンコ) 弁朝に反乱を起こした人物。袁庫の乱は有名
>76 兀班(パイパン) 満戸の子
>77 虐燕(ギャクエン) 弁朝の臣。満戸の義父
>81 巣又(スマタ) 満戸軍
>87 嶺図(レズ) 一代の群雄だったと思われる。
>88 牙懿(ゲイ) 陳歩の将。
>>89-93 陳歩(チンポ) 説明不要の時代を代表する英雄
>95 陳珍(チンチン) 陳歩の従弟
>97 弖霊曖(テレクラ) 南方諸国の将
>98 出愛敬(デアイケイ) 西廟の将
>99 孟操(モウソウ) 陳歩の参謀
>100 満虎(マンコ) 古代の兵法家
>101 満猪(マンチョ) 異文化の国の人物
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 22:16:40
崟栄(ギンバエ)
雲国の武将。
組執(クミトリ)の塾で学んだ後に雲智の配下になった。
雲智失権後は崟栄が雲智からの指示を兎慈に伝えた。
光り輝く鎧は戦場でも目立ったとされる、雲固らを護る栄衆(ハエシュウ)の一人として活躍した。
>102 平丹蛮(ペニバン) 異民族
>103 頭津棍(ズッコン) 南方の族王
>105 参飛ヰ(サンピイ) 弁王朝の政治家
>106 弁飾(ベンショク) 大弁の皇族
>107 杏暮(アングラ) 弁王朝の悪徳政治家
>108 栄厨(エイズ) 西廟の大将軍
>>114-115 満古(マンコ) この時代を代表する軍神
>124 紀騰(キトウ) 陳歩挙兵以来の宿将
>128 陳戟(チンポコ) 兵法家
>129 諸除幕(ショジョマク) 満古の将
>131 薫尼(クンニ) 満古配下の尼さん
>132 相武(アイブ) 陳歩配下の将。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 22:23:13
組執(クミトリ)
字は沒屯(ボットン)
雲国で塾を開いていた中流の武士。
彼が育てた人物で有名な者には兎慈や崟栄、雲智がいる。
雲固らをクーデターで倒す計画を立てるが雲固の参謀・翠扇(スイセン)によって見破られ追放される(これが遠因となり雲智が失権したらしい。)。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 22:27:30
翠扇(スイセン)
容姿端麗な学者。雲国の大参謀。
組執のクーデターを事前に見破り更に権威が増して参謀から大参謀になった。
魚擦都(ウェシュレット)の都を新たに築き上げ雲国を発展させるが、彼は忠臣ではなかったらしく様々な敵勢力に通じていた。
>>229【人名録・その3】
【人名録・その4】
>133 額禄(ヌカロク) 陳歩の将
>134 斉鋼(セイコウ) 斉翼配下の将
>135 臨平(リンビョウ) 西廟の将
>136 魯罹(ロリ) 慰妄盗道教団の教祖
>137 苺独(バイドク) 西廟配下の将
>138 昆白武(コンジローム) 西廟配下の将
>139 曹柔(ソウニュウ) 陳歩配下の将。
>140 満戸(マンコ) 主要な群雄の一人。満古とは別人
>141 仁真(ニンシン) 西廟を滅ぼしたとされる将の一人
>142 秘女甫(ヒメハジメ) 仙人
>144 胤保(インポ) 独立勢力
>146 戸霊(ペレ) 仙人
>147 太陀乃(タダノ) 陳歩配下の武将
233 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 22:34:53
魚擦都(ウェシュレット)×→魚擦都(ウォシュレット)◎
234 :
夷王侍従統亮(正五位下・蝦夷押領使) ◆qG5Uj1x8xc :2007/07/01(日) 22:48:08
夷星(イボヂ)
雲国の右将軍
雲智らをなんとかして追放から助けようとしたが力が及ばなかった。(しかし、夷星のお陰で追放ではなく謹慎で済んだ)
暮らしに困窮する失権後の雲智に生活費を送るなど、何かと面倒をみるやさしい武将。
しかし、戦場では豹変する。味方を犠牲にしても進撃する烈将である。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 00:12:59
芽越路(メコスジ)
地名
陳歩の勢力圏〜序聖都〜満古の勢力圏を結ぶ巨大な道。
途中、瀬宮洲や出利辺流を通らなければならないため一筋縄ではいかない道。
大体こんな感じの形をしている→→∈。
三又の街道。真ん中の道は延々とジャングルが続いている。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 00:51:33
震魔(ブルマ)
版津賊(パンツゾク)の武将。
芽越路を拠点にしている賊である版津賊。その中でもあちこちから勧誘がくるほど優秀な武将だったのが震魔である。
賊の頭である振怖(ブリーフ)の義弟だがあまり協力はしていない。
振怖が陳歩に降った際には意見の食い違いから満古に降った。
後には衛布将軍という称号を満古から与えられたほど活躍した。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 00:59:43
斗蘭楠(トランクス)
元は弁朝の役人だったが、今は版津賊に入り暴れている武将。
振怖の義理の息子として扱われている。早くから陳歩に注目しており、よしみを通じていた。その為、義父が陳歩に降るのを斡旋した。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:04:37
尾睦(オムツ)
版津賊の最強の将とされる。
版津賊が創始されたときに、弁朝の討伐軍が大量におしよせたが無二万の計(ムーニーマンのケイ)や半髪の計(パンパースのケイ)を駆使して版津賊を守った
後には振怖と震魔の対立に嫌気がさして雲国へと旅立った
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:08:56
振怖(ブリーフ)
版津賊を創設した豪族。
芽越路周辺を荒らし回ったが後に陳歩陣営に降った。
しかし、斗蘭楠の様に重用はされず、斬二王(ザンニョウ)という陳歩配下の人物によって暗殺された。
彼の屋敷は無残にも汚され、破壊され尽くしていた
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:11:46
弾尼(ビキニ)
版津賊の尼。
振怖の正妻でもある。
際どい世渡りをするため、皆がハラハラしながら見ていた。
夫が陳歩に降った際には彼から離れて満古の下に降った。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:17:15
乱背李(ランジェリー)
版津賊の将。敵を惑わす策士として名を馳せる。
震魔の親友であり、共に満古陣営に降った。
なかなか活躍したために惑布将軍の称号を得た。
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:22:36
蕪羅蛇(ブラジャー)
版津賊の将。
正確には彼は版津賊ではなくれっきとした弁朝の高官。
ただし、版津賊に対して援助を行い、共に暮らしていたため版津賊として扱われる。
弁朝の版津賊討伐軍に先鋒として派遣された際に正式に版津賊に加入した。
のちに震魔と共に満古に降った。満古陣営での称号は飾布将軍。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:25:45
縫譜裸(ヌーブラ)
山岳部に住む豪族。普段は山岳部と一体化しているため見つからない。
版津賊と交易しているため版津賊扱いされている。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:29:24
濃斑(ノーパン)
弁朝の重臣。
幼い頃から弁朝に仕えているエリート。
版津賊討伐の総司令官だったが、尾睦によって大敗してしまった。
敗走するさいにシャブシャブを食べていたため攻撃され死亡した。
245 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:34:33
奮怒士(フンドシ)
版津賊の精鋭隊を奮怒士と称する。
昔からこの地域に住んでいる民中心の兵だが、それを振怖が組織し直し、尾睦が鍛えた厨国屈指の精鋭。
彼らを称して、他国二万の兵に匹敵するは奮怒士百人と言われている。
【主な出来事】
袁庫の乱 1605年
弁朝滅亡 1607年 満古が弁朝帝都、洛陽を占拠。
笛羅の戦い 1608年 3月 満戸と陳歩の戦い
昌独の戦い 1608年 5月 西廟と陳歩の戦い
青天関の戦い 1609年 満臭族と陳歩の戦い
第一次瀬宮州の戦い 1610年 満古と陳歩の戦い
第二次瀬宮州の戦い 1612年 満古と陳歩の戦い
第三次瀬宮州の戦い 1614年 満古と陳歩の戦い
関中征伐 1615年 陳歩の将、西廟と斉翼の戦い
漢長討伐戦(二侍原の戦い) 1615年 2月 満古と魯罹の戦い
漢長大虐殺 1615年 ?月 満古、漢長領民を虐殺
第二次漢長討伐戦 1615年 ?月 満古と魯罹の戦い
師宮の乱 1615年11月 満古の臣、蘭操が謀反
御那二の戦い 1616年 満戸と陳歩の戦い
第四次瀬宮州の戦い 1618年 満古と陳歩の戦い
通禁羅守の戦い 1620年 雲香と陳歩の戦い
第五次瀬宮州の戦い 1622年 満古と陳歩の戦い
北陳王朝の成立 1625年 陳歩、帝位につく
煩悩寺の変 1627年 陳歩、配下の西廟に襲われ死去。
【その他、年代不明】
暑町の戦い 菩柔と満古の戦い
山田汚露血討伐 倭国の英雄、 乙武尊と大蛇の戦い
買阿愚裸の戦い 陳歩と陰歩の戦い
帝王・雪怪(テイオウ・セツカイ)1500?〜1591
1570〜1600代初頭に蜂起
イキナリ、万江や出利辺流周辺に現れた自称・皇帝。
弁朝の指揮官・弁飾によって鎮圧されたが、残党がいつまでも蜂起し、弁朝を弱体化させた。
刃通(ジンツウ)
後弁朝の中期に仕えたのち下野し、群雄となりあちこちで暴れた武将。
老後は仙人になった。
仙人になった刃通がある日、若き日の陳歩を一目見て、大将になることを予言したとされる。
【机上の空論(民明書房・弁末動乱の英傑たち)】
400年前の厨国の2人の軍事的英雄、満古は騎上の将、それに対し西廟は机上の将と呼ばれた。
西廟は机上で天上より地上を見下ろすがごとき見事な軍略を生み出すことができた。
これにより、極めて優れたな戦略を「机上の空論」と呼ぶこととなった。
現在ではまったく逆の意味で使われているが、その原因が文化大革命の影響により本当に厨国
文化が変わり果ててしまったからであることは言うまでも無い。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:05:14
西廟は栄厨が勢力拡大していることに気付ければ良かったんだが・・・
大局を見すぎて目先の事に気付かないのは西廟の悪い癖だな。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:12:21
重羅史(オモラシ)
弁朝の歴史を綴った歴史書。
弁帝が重羅士(オモラシ)と共に挙兵した時から後弁朝滅亡までが書かれている
もともと重羅士の一人だった弁帝だったが、暗黒王朝として有名な裏(ウラ)の美出王(ビデオ)に対して重羅士が反乱を起こしたさいに権力を握ったために後に皇帝になったのだ
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:21:50
師艦(シカン)
弁朝の軍人。
杏暮の従弟。
優秀だったが異常な趣味の持ち主だった。その為に配下に嫌われてしまう。
序聖都を攻めている最中に敵の女性に死姦をしようとした際に配下に追放される。
その後、流浪の旅を続け、杏暮の下に帰ろうとしたが消息不明になる。
252 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:26:21
十関(ジュウカン)
十八京の周囲を囲む天然の要塞。
十人が関に当たれば百万いても貫くことが出来ないと言われた。
しかし、満古が攻めた際には獣道から入り込まれ十八京は満古が攻め落とした
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:32:57
賺跳鹵(スカトロ)
弁朝の政治家。弁飾の直臣。
悪政を重ねたため、民衆が飢饉に苦しめられ人が自分の便を食らう様相になった。
弁滅亡時に満古軍に殺害された
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:38:31
縫怒(ヌウド)
満古の配下。元は弁朝の政治家。
「包み隠さず」がモットーの名政治家。
弁朝滅亡の際に満古が迎え入れた。満古が外征している間、彼は善政を布いた。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:47:54
歪摂(ワイセツ)
虐燕配下の武将。
満古がいずれは袁庫らを破り、天下に覇を唱えるのではないかと考えていた。
虐燕に対して満戸を利用して満古を討つように提案したが虐燕には採用されなかった。
歪摂の優秀さに危機感を持った満戸の発言は策を使い虐燕は歪摂を追放してしまった。
歪摂は満戸に対して復讐心を持ち続け、満古の配下になり満戸と戦うため後に海泡瀬に兵を派遣した
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:50:05
弁貴(ベンキ)
弁の皇族。陳歩に担ぎあげられ弁朝復興の為に利用される。
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:53:15
弁如(ベンジョ)
弁の皇族。弁朝の南方司令官。
袁が反乱を起こしたさいに真っ先に捕まってしまった。
脱獄して雲国まで手足が縛られたまま逃げた、というタフガイ。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 13:58:46
押芽(オシメ)
版津賊の武将。尾睦と共に版津賊を群雄として成長させた。
尾睦と押芽のふたりは兵十万に匹敵するとさえ言われた。
版津賊の崩壊後は雲国へと落ち延びていった
259 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 14:10:09
四九不満【ヨッキュウフマン】
弁朝末期。弁帝は諸将を呼び集めて会食をしていた。(そこには地方の一豪族だった陳歩もいた。)
次第に酔いが回った虐燕と袁庫が口論をし始めた。お互い忠臣は私だ私だと揉めていた。
仲裁に入った弁帝は「そなた等の言いたいことはわかった。袁庫は四ヶ国、虐燕は九ヶ国を所有している。これが弁朝への忠誠心を現わしているのではないか?」と語ったのである。
袁庫はこれが不満だったらしく、終生忘れなかったとされる。
歪摂
の発言 という部分は削除を宜しく。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 15:31:35
つーか 二チャンじゃない別の場所にマトメサイトほしいっすな。
これだけのものが出来たのにもったいない
262 :
佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs :2007/07/02(月) 17:00:40
■西廟その1■
【西廟(セイビョウ)1583〜1630年】
淋の皇帝、時代を代表する軍事的天才で、机上の西廟と呼ばれる。
【生い立ち】
西方の遊牧民族の族長の子であったが、一族は弁王朝に敗れ、幼い西廟は
厨国商人によって、奴隷として売られた。
西廟は力が弱く、労働には役に立たなかったため、食事は他の奴隷たちの半分
ほどであったという。そのためいつも飢えていたが、同じ境遇であった淋廟と
義兄弟となり、彼から食を分けてもらい生き延びることができたという。
(淋廟は力が強かったため、他の奴隷の倍近い食事をもらっていた。)
やがて世の中が混乱してくると、乱暴な主人を殺して脱走する。お尋ね者となり
役人から逃げ回る日々が続き、彼らは生きるために盗賊としてなった。
【盗賊時代】
そんなある日、ついに追いつかれ、役人の追っ手と戦うことになった。
役人たちの隊長は臨平といい巨漢の豪傑であった。同じく豪傑であった淋廟と
激しく討ちあった。激しい戦いの後、ついに淋廟は勝ち、臨平は捕らわれ、率い
てきた役人たちは驚いて逃げ出した。
西廟はこれほどの男を殺すのは惜しいと、臨平を逃がした。
ところが生きて帰ってきた臨平は、西廟らと繋がりがあると疑われ、反逆罪に
なってしまう。それをかばった友人の苺独もまた、疑われ同罪となった。
二人は処刑される寸前に西廟らに救われ、その後、行動を共にすることとなった。
その後、昆白武の盗賊団と縄張り争いとなったが、西廟の見事な機転で、戦わず
して昆白武らを服従させることに成功する。
この頃から、仲間たちは西廟の類まれなる智謀を知ることとなり、大将に担ぎ上げる
ようになった。
■西廟その2■
【群雄時代】
1605年に袁庫の乱がおこると、彼らは盗賊やお尋ね者からなる500人の同志と共に
挙兵、現地の県令を殺害し、県城をのっとった。さらに鎮圧に来た州兵5000の大軍
の10分の1の兵力で打ち破り、周辺にその威を轟かせた。
さらに州の副長官だった栄厨を寝返らせ、見事に州の制圧に成功。群雄となる。
1607年、満古により弁王朝が滅亡したことを知った西廟は改めて、時代の変化を
思い知り、本格的に覇業へと乗り出す。周辺の勢力を併呑しながら、強者である
満戸と同盟し勢力を拡大していった。
1608年8月、陳歩と満戸が争った笛羅の戦いのドサクサにまぎれて、陳歩領に侵攻、
昌独の戦いで激突する。西廟は小兵力ながら大いに陳歩を苦しめたが、上野の策略
によって破れ、ついに陳歩に降伏した。
【関中藩鎮】
上野は降伏した西廟を殺すように建策した。普段は上野と犬猿の仲である方慶でさえ
これに同意したが、陳歩は「これから強敵、三満(満古、満戸、満臭族)との戦いが控
えているのだ貪欲に戦力は求めるべき」と西廟軍団をほぼそのまま、軍に吸収した。
陳歩に仕えるようになった西廟であるが、彼の用兵はその後も冴え渡り、当たり前の
ように寡兵で大軍を打ち破り続けた。
上野は西廟のあまりの強さに危機感をおぼえ、1615年、西廟を無謀な関中遠征へ行かし
抹殺を試みた。
西廟は圧倒的な斉翼軍を鯛益幹線(タイエキカンセン)の計によって討ち破り、関中を平定
、その後、陳歩軍内の強力な藩鎮となって関中に居座った。上野は完全に目論見
が外れたのである。
■西廟その3■
【煩悩寺の変】
その後、西廟は関中藩鎮として北陳王朝を支えたが、彼を恐れるもの、憎むもの、
嫉妬するものは後を絶えず、陳歩に西廟のことを悪く吹き込む者は数限りなくいた
という。
西廟もいずれ自分が方慶と同じ運命をたどるのではないかと恐れ始めた。
はじめに西廟に陳歩への謀反を吹き込んだのは栄厨だと言われている。その後も
南方諸国をはじめ、陳歩の勢力拡大を恐れる諸勢力から反逆をそそのかされ続けた。
西廟は断わりづつけたが、あるとき泥酔した陳歩に殴られ、奴隷であったことを罵ら
れたことがきっかけで、ついに謀反を決意したといわれる。
1627年。ついに西廟は煩悩寺を襲撃し、陳歩を殺した。
【西廟の死】
陳歩を殺した後の西廟はあまり冴えがない、陳歩を討たれたとはいえ圧倒的な北陳軍を
次々に討ち破るものの、西廟と同盟関係にあった南方諸侯はことごとく、不能によって
滅ぼされ、雲国の雲香との関係も悪化し、次第に四面楚歌に陥る。淋廟が戦死した頃から
急速に体調が悪化し、実権を栄厨に奪われてゆく。
1630年、西廟はついに死んだ。煩悩寺の変からわずか三年後のことであった。
死因ははっきりせず、仁真、秦躍らに殺されたとか、栄厨に謀殺された、単なる
病死であるなど、はっきりしたことはわからない。
■西廟その4■
【補足など】
●机上の空論(民明書房・弁末動乱の英傑たち)
400年前の厨国の2人の軍事的英雄、満古は騎上の将、それに対し西廟は机上の将と呼ばれた。
西廟は机上で天上より地上を見下ろすがごとき見事な軍略を生み出すことができた。
これにより、極めて優れたな戦略を「机上の空論」と呼ぶこととなった。
現在ではまったく逆の意味で使われているが、その原因が文化大革命の影響により本当に厨国
文化が変わり果ててしまったからであることは言うまでも無い。
●歴史書によれば、民、百姓は陳歩を見ると「入れてほしい(陳歩勢力に)」と言い、豪傑たちは
満古を見ると入りたい(満古軍に)」と語っていたが、西廟には「移りたくない(西廟軍籍に)」と言い
西廟には陳歩、満古のようなわかりやすいカリスマ性が無く、人集めが下手だったようである。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 21:06:28
↑上手いこと言いますのぅ
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 21:11:25
暁宙(ギョウチュウ)
弁朝の軍人。後に雲国へと亡命。
暁宙は典型的な小役人。他人の金をちょっとずつネコババしていた。
弁朝の監査官として満古と出会ったことがあったが、後に満古が十八京を攻めた際に使者として赴くが顔は忘れられていた。
体術はかなりの腕前だったが、あまり知略は持ち合わせていなかった
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 21:15:22
智完(チカン)
陳歩配下の武将。
あくまで前線にこだわっていた武将である。
陳珍の教育係だったが、陳珍が禅律線の守備に付いたため、疋似線(ビキニライン)を守る。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 21:21:08
稚急(チキュウ)
満古軍の武将。元は満古の上司筋にあたる人物だったが、満古が群雄として成長すると成り行きで満古の配下になった。
満古配下にも関わらず満古を見下す発言が多く、満古配下達ら嫌われた。
第二次瀬宮洲の戦いの際に捨て駒として配置され、善戦したがあくまで凡人だった為か即座に戦死した。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 21:40:43
聖壁【セイヘキ】
弁朝が西方や北方の異民族の侵入を防ぐために築き上げた城壁。
歴代皇帝によって様々な形の壁を築き上げたため場所によってとんでもない形をしている。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 21:45:18
奮世羅【ブルセラ】
満古軍の御用商人。
独断で満古軍の物資を陳歩配下の孟操に横流しをしていた。
一応 満古軍の最強兵器・奪血妻【ダッチワイフ】の開発者であり、陳歩軍を苦しめた。
273 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 21:56:52
弁威【ベンイ】
弁朝の皇族。弁朝の皇族にしてはかなりまともな人物。
彼が弁朝の皇帝になっていれば袁庫らの反乱は起きなかったとさえ言われている。
厨国があまりに荒れ果てたために雲国に亡命するが雲智により幽閉されてしまう。
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 22:01:10
弁飛【ベンピ】
弁帝の落胤。
弁朝滅亡後、西廟治世下に突然現われて弁朝復興を計るが、時は既に新たな流れになっており誰も彼を相手にしなかった。
後の人生はひっそりと暮らした。
武将で何とか把握しているのは150番目くらいまでだよね。
最近の武将までは追いつかないよ。
>>191-194まではまさに名文だよね。
これで満古のイメージが敵対するものには容赦なく、冷酷で固まった。
レスを見てたら「西廟を殺した人」が何人もいた。
278 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 23:40:48
それだけ西廟が皆に憎まれていたんじゃない?
栄厨が主犯なのはほぼ確定かな?
西廟は頭デッカチな人物だから満古程はにんきがない
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 08:56:06
俺としてはミコスリ・ハーンの活躍についてもっと知りたい
280 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 12:23:29
満牙【マンゲ】
満古の弟にあたる人物。
兄とはまったく異なり落ち着いた、それでいて器の大きさを感じさせる武将。
兄が大勢力になる前は森林の中に隠者として暮らしていたが、兄が大勢力を築き上げて人材を欲しはじめた際に真っ先に召集された。
満牙は兄の役に立つ人物を多数推挙したため、満古陣営はかなり強力になったとされる。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 17:08:24
斉起【セイキ】
斉翼の従兄。陳歩・満古共に天下を握ることは不可能であると悟っていた。
しかも。当時は机にばっかり向っていて、戦は解らないと言われていた西廟が天下を獲る。と言っていたらしい。
本家の斉翼らよりも大局をみることが出来た武将だったが、斉翼に仕えることを重視したのが彼の才能を縮めた。
陳歩・満古・満戸らをも破ったものの西廟に敗北して斬られた
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 17:15:36
斉益【セイエキ】
斉起の長子。斉翼らが破られた後に斉家の相続権を握った。
瞬く間に陳歩傘下に馳せ参じた。このことから陳歩には信頼され旗本にまでなった。
一番に陳歩の陣から飛び出して行く様はとてつもない勢いから、みなから噴水の様だと称された
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 17:29:18
銷白魅【ケジラミ】
西廟に従う群雄の一人。少数の兵を使った作戦がとくい!
脇役かと思われるが満牙の集めた浪人に交じって満牙軍に入り込み、満古の本陣を後ろから叩き、満古を危機に陥れたが失敗だったようである。
【人名録・その5】
>153 菩帯(ボタイ) 群雄の一人。満古勢力の前身だった。
>154 菩慇(ボイン) 菩帯の養子
>156 菩柔(ボニュウ) 菩帯の実子
>158 手鏡(シュキョウ) 人物鑑定に優れる。
>159 余馬懿(ヨバイ) 斉翼の配下、斉鋼の参謀
>161 秦躍(シンヤク) 陳歩の将。西廟を殺害したとされる人物の一人。
>163 大音進(ダイオンシン) 満古の将
>163 小音進(ショウオンシン) 満古の将で大音進の子
>164 新旋(ニュウセン) 菩家の家老
>165 新巌(ニュウガン) 新旋の弟
>166 新暴(ニュウボウ) 新家の当主であり、菩家の家老
【人名録・その6】
>>167-168 新麟(ニュウリン) 新暴の子
>169 新謄(ニュウトウ) 新旋の嫡子
>170 虎駒(トラコーマ)
>171 乙武尊(オツ・タケルノミコト) 倭国の伝説の英雄
>173 貴須(キス) 独立勢力らしい。
>181 須島(スジマン) 満戸の将
>182 宿助(ジュクジョ) 満戸の将
>183 ミコスリ・ハーン 北方の英雄
>>191-194 蘭操(ランソウ) 師宮の乱の首謀者として有名。
【腹上4年の役(ハラジョウシネンノエキ)】
腹上4年の役とは、1600年におきた弁朝を揺るがす戦役で大弁王朝の大貴族であった菩帯
が、非道の検弁政治(けんべんせいじ)をおこなう、弁飾、杏暮を国賊として除くため挙兵
したことからおこった戦役である。なお腹上とは当時の弁の年号である。
しかし圧倒的な弁朝官軍の前に菩帯は敗退し、辛うじて地方に割拠することとなる。
■菩帯の計画が失敗した原因■
@まず、菩帯は策略によって弁飾らを除く計画であったが、密偵により発覚、
さらにやむおえず挙兵したものの、一部の知識人層のみの支持しか得ることが
できず孤立してしまったこと。
Aそして何より、1600年の段階では弁官軍は未だ相当に強力であったことである。
・・・とはえい弁官軍の形骸化は1605年の袁庫の乱ではっきりする。1600年から
1605年の間の、検弁政治による体制弱体化と腹上4年の役、さらに雲国の役により
弁朝がとてつもない打撃を被り、軍の弱体化が急速に進んだことは疑う余地も無い。
【検弁政治(ケンベンセイジ)】
1598年から始まった、弁飾、杏暮らによる恐怖政治。
「弁朝に叛意ある者かどうか検査する。」という名目で、全国に監視網がしかれ、
弁飾、杏暮らに都合の悪い者は次々に処刑された。
この検弁政治が大きな要因となり腹上4年の役や雲国の役の勃発し、国内が混乱。
全国に盗賊が蔓延り、中央の統制力が急速に低下、事実上体制を終わらせた袁庫の乱
へとつながることとなる。
すでに
>>153にあるが、あらためて菩帯のことを詳しく書く。
【菩帯(ボタイ)1550〜1604】
神から人間になったとされる菩聖(ボセイ)の子孫を名乗る群雄。
腹上4年の役のおこしたことで有名である。
弁朝の大貴族であった菩帯は弁飾、杏暮らの検弁政治に強く反対し、クーデター
によって彼らを捕縛し弁朝建て直しを画策するが、計画は露呈してしまい、一族
を率いて挙兵。全国に「国賊杏暗を討つため共に立つべし(さすがに皇族である
弁飾を名指しでは非難できなかったようだ)」と檄文を飛ばすが、使者のほとんど
は道中で捕らえられ、思うほど同志を集めることはできなかった。しかしこのとき
檄文を受取った一人である満古が参加している。菩帯はあくまでも弁朝の建て直し
のため挙兵したのだが、のちに弁朝を滅ぼす満古が歴史の表舞台に登場するきっかけ
を作ってしまった事は皮肉としか言いようが無い。
圧倒的な官軍の前に戦いは思うようにはかどらず、かろうじて地方に割拠するにとどまる。
晩年に養子の菩慇(ボイン)と実子の菩柔(ボニュウ)の後継ぎを巡る戦いが起
きてしまい、介入した満古の勢力が拡大して行くのを止められず失意の内に
没した人物。
【主な出来事】
腹上4年の役 1600年 菩帯が検弁政治に反対して挙兵。
袁庫の乱 1605年 反政府活動を続けていた袁庫が挙兵、混乱が全国に拡大
弁朝滅亡 1607年 満古が弁朝帝都、洛陽を占拠。
笛羅の戦い 1608年 3月 満戸と陳歩の戦い
昌独の戦い 1608年 5月 西廟と陳歩の戦い
青天関の戦い 1609年 満臭族と陳歩の戦い
第一次瀬宮州の戦い 1610年 満古と陳歩の戦い
第二次瀬宮州の戦い 1612年 満古と陳歩の戦い
第三次瀬宮州の戦い 1614年 満古と陳歩の戦い
関中征伐 1615年 陳歩の将、西廟と斉翼の戦い
漢長討伐戦(二侍原の戦い) 1615年 2月 満古と魯罹の戦い
漢長大虐殺 1615年 ?月 満古、漢長領民を虐殺
第二次漢長討伐戦 1615年 ?月 満古と魯罹の戦い
師宮の乱 1615年11月 満古の臣、蘭操が謀反
御那二の戦い 1616年 満戸と陳歩の戦い
第四次瀬宮州の戦い 1618年 満古と陳歩の戦い
通禁羅守の戦い 1620年 雲香と陳歩の戦い
第五次瀬宮州の戦い 1622年 満古と陳歩の戦い
北陳王朝の成立 1625年 陳歩、帝位につく
煩悩寺の変 1627年 陳歩、配下の西廟に襲われ死去。
濫江の戦い 1629年 不能が栄厨に殺害される。
【その他、年代不明】
暑町の戦い 菩柔と満古の戦い
山田汚露血討伐 倭国の英雄、 乙武尊と大蛇の戦い
買阿愚裸の戦い 陳歩と陰歩の戦い
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 22:59:11
音烈【インレツ】
大音進【ダイインシン】の次男。小音進【ショウインシン】の弟。
満古がもっとも信頼したとも言われている。
満古の娘婿だったので若くして満古親衛隊の隊長に成った。
満古の死後は少々図に乗った行動が目立ち、満古の後継者を名乗ったが軍を統率出来ずに終わった
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 00:29:51
原土林線【バルドリンせん】
満古軍が拠点を守るために敷いた防衛線。
親衛隊の音烈らが指揮をとって守った。
しかし、陳歩配下の相武によって万江から水を引かれ満古軍は水攻めにされてしまったのである。
敵か水か・・・どっちか悩んだ末に満古は音烈を先陣として決死の大脱出をして九死に一生を得たのであった。
この戦の最中、水が溢れる前に「イクっ。イクっ。」とどこからともなく声が聞こえたために満古軍は早期に水に気付くことができた
満胡【マンコ】(1592-16??)
字は噴潮(フンチョウ)。元山賊。満古軍の一兵卒であったが、満古と同姓のよしみで部隊長に抜擢された。
満古に追従して漢長討伐戦に参加した際、漢長との戦いそっちのけで次々と村を襲い、女を手篭めにして回った。
そのテクニックは達人級で、全ての女は彼によってことごとく潮を噴かされた。女の中にはそのテクニックに魅せられ、
敵国の兵であるにもかかわらず進んで彼の愛人になる者もいたという。
これにより漢長の民は彼を「満古軍の鷹」と呼び畏怖の念を抱く。以後、満古軍が襲来した際は常に満胡を警戒し女を隠したと伝わる。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 14:52:51
相変わらず、陳歩スレは内容が濃い。実に偉大なるスレだ。
みんな忘れていると思うけど、この時代にはちゃんと火器もあるんだよ。
295 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 16:23:53
宙舌【チュウゼツ】
袁庫の配下。参謀の一人でもある。
袁庫が反乱を起こしたさいに満古に早々と情報を流した。
そのため、袁庫軍の動きは満古らに筒抜けだった。
宙舌は袁庫軍壊滅後に満牙に誘われて満古陣営に走る。
昔の陳国志ってどこかで見られないかな?
陳歩でぐぐると一番上に陳歩スレまとめサイトがくる
>>297 「陳歩」で検索してみた。マジでした。
ファースト陳歩スレを立てた人はまさに天才だな。
陳歩辞典を見て思い出したが、田代とか池田大作とか、結構なんでもありだったんだな。
英傑たちの女の趣味
満古は年増好みで、自分より10歳以上年上でなければ愛せなかったという、
後宮の楼神奉宮(ろうじんほうむ)には高齢の女性ばかりいた。これがのちに
老人ホームの語源となる。
満戸は女好きで有名であり、あまり金の無い頃から多数の愛人が居た。
戦場にも常に数十人の愛人を引き連れていたという。
また斉翼は幼い少女が好きで、自分の支配下でよく人買いおよび誘拐で相当数の少女
を宮殿に連れて来ていた。西廟が関中征伐で斉廟の宮殿を占領したとき、幼い少女ばかり
がいたので、唖然としたという記録が残っている。
なおついでながら西廟は何故か女性から倦厭され(男からもだが・・・)「移りたくない(
西廟の館には)」などと言われていたようだ。
性癖とは関係ないが、斉翼は慰妄徒道の信者であった。斉翼と満古がたびたび
戦をした要因に、慰妄徒道の信者「肝夫汰(キモヲタ)」を殲滅したことがあげられる。
今後、私の独断による武将鑑定をしていきます。列伝だけでなく、他のレスに
散らばる記述も見ながら厳正に(こんなスレにムキになってどうすんの。)評価
していきます。ただしペースは遅いです。少しずつですね。
なお評価についてですが、エピソードが多い、活躍期間が長い武将はある程度、
割り増しします。陳歩クラスの武将ともなれば、多少の敗戦には目をつぶるこ
ともあるでしょう。(よく個々のレスを見ると結構、陳歩って負けているんだよね。)
逆に、一発屋的な人物や判断材料の少ない武将。(列伝が少なく、他のレスにもその名が
出てくることの無い人物。)は記述内容より割引いたします。・・・でないと、王双みたい
な武将ばかり強くなり、項羽に一度勝った彭越が項羽より強くなってしまうようなことに
なるので当然の処置でしょう。
■最大100点満点で評価。理由もなるべくつけていきたい■
統率:自勢力の統率力。主君は高めになる。
用兵:戦いの巧みさ
武力:主に一騎打ちの強さ。ただし判断財行が無い場合は戦争の強さから勝手に判断
智謀:策略の巧みさ。政治がうまくても関係ない。
内政:あくまでも民政のうまさ。軍団経営の巧みさは統率力に反映される。
魅力:カリスマ性。基本的に多くの人をひきつける能力のことで、一部にしか慕われない
場合は低め。
重要度:五段階評価。歴史的重要度。
303 :
夷王侍従統亮(正五位下・蝦夷押領使) ◆qG5Uj1x8xc :2007/07/04(水) 21:40:18
ぶ・・・武将鑑定だって??
あんた!もしかして!戸霊【ペレ】の一番弟子の手鏡先生か?
まだ生きていたなんて!
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 21:54:15
煩悩寺の変・・・なぜ陳歩配下が動かずに陳歩が討たれたのか。〜第1〜
陳解【チンゲ】の場合
陳解は陳歩が煩悩寺に行ってる最中、芽越路【メコスジ】の版津賊【パンツゾク】の残党に警戒するため封賊城の防衛に入っていた。
その際にわざわざ西廟が与力にと与えてくれた銷白魅【ケジラミ】も封賊城近郊にて少数の兵を擁していた。
しかし。西廟が陳歩を討つのに呼応した銷白魅はあっという間に封賊城を制圧。陳解を自害に追い込んだのであった。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 22:01:57
その後の銷白魅【ケジラミ】封賊城を制圧して有頂天になった銷白魅は油断して数十騎ばかりの兵で西廟の元に向った。
しかし、その道中に煩悩寺にから瀕死の重傷を負って落ち延びてきた煤武【バイブ】に出会った。
銷白魅は煤武をバカにしたが煤武は動じない。唾をはきかけられても、石をぶつけられても。。である。
だが、銷白魅が陳歩をバカにした途端に煤武は再び動き始め銷白魅達を薙ぎ払って西廟を討つために煩悩寺近郊へ向った。
煤武は数十騎の武者全員を一撃で殺したのであった
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 22:09:44
煤武【バイブ】のその後
義兄・陳歩の仇である西廟【セイビョウ】を討ち果たすため、単騎で百万(おそらく後世の脚色)の軍勢に向っていった。
海泡瀬の戦いや笛羅の戦いにて大将クラスを切り殺した煤武。いや。音無の頑愚はまたも無謀な戦いへと向っていった。
突撃を開始した煤武、知らない間に陳歩の旧臣が集結していた。
西廟軍の指揮官は栄厨と苺独。
倒れる仲間達。煤武も満身創痍だったが、奇跡てきに右翼側の苺独を討ち取った。
【武将鑑定1 不能の軍師・智良】
武将鑑定第一号はいきなり、マイナー武将である。・・・ってあの英雄、不能
の大軍師である智良がマイナーなものか!と思うかもしれない。しかし彼には
そもそも列伝が無いのである。しかし
>>201-206の不能列伝と
>>217の丘間列伝
にその名があり、1、2行しか列伝の無い武将より意外とはっきりしているので
あえてとりあげたい。
特に気になるのは丘間の守る弁王朝の十八京に攻め寄せ丘間を降伏させたという記事である。
難攻不落の城砦が周辺に築かれている十八京を落とすというのは相当の武将である。
(レスをよく読まない書き手による珍設定のような気もするが、それを禁止すると、すごくつまら
ないスレ化して書き手がいなくなるので、気にしてはいけないのだろう。)
彼はもともと満古の武将だった可能性も高く、今後の研究が待たれる。
なお、智良には列伝が無いので能力は低めに評価するが当然のことであろう。
統率:83 不能亡き後の誤を統率していたという。なかなかの実力者だ。
用兵:81 十八京を攻略したのだから相当の戦上手。
武力:? 判断材料が少なすぎる。ただ武将としては有能だったようだ。
智謀:89 まったく立たなかった不能をついに立ち上がらせたのだからすごい
政治:58 民政に関しては記述が無い。よってこれ以上はつけられない。
魅力:78 主君亡き後の誤をまとめたのだから魅力はあっただろう。
歴史的重要度 ★★★★(4.0)辺境国の大軍師さまということでこのくらいかな。
308 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 22:18:19
煤武に降り掛かる百万本もの矢。苺独の次は!と栄厨に矛先を向ける煤武。栄厨の陣まであと少しだが哀れ煤武は力尽きるのだった。
煤武は死の瞬間。動かぬ体を震わせて戈を力一杯、栄厨の陣に投げ込んだ。
見事。戈は栄厨に当たったが栄厨は左腕を失っただけで命は助かった。
煤武は直立不動。ピクリともしなくなり、それを見た兵達はわらったが栄厨は兵達を叱責!「忠義の臣を笑えるものは、我が西廟陣営にはいないはずだ!まだ笑い続ける者達は私が許さない!煤武を陳歩の墓所まで運べ!」
309 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 22:24:17
兵達に命令を下したあとに栄厨は涙を流し、西廟に煤武の墓所を早急に作らせるように要求した。
しかし、西廟は反逆者には野ざらしで十分。と語った。栄厨はこの伝令を受けると「やはり、この人には・・」とだけ語ったとされる
確実なことは栄厨がこの直後、秘密裡に封賊城に兵を集結させ来たるべき西廟との戦いに備えはじめた。と言うことである
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 22:42:50
惨尼羊鼾【ザンニョウカン】 元蛮族出身の弁朝の武将。陳歩が十八京周辺に進攻した際に陳歩と守備隊の丘間との間を取り持ち、陳歩が十八京に進攻しないことを決めさせた。
これにより十八京は智良が丘間を説得し、開城させるまで名目上は弁朝の領土となった。
【武将鑑定2 雲国の用兵家・兎慈(ウジ)】
では腕も足も無いながら雲国を強国にした兎慈さんについて考察しましょう。
兎慈さんに関する記述は次の2つです。
>>226 兎慈の列伝
>>228 崟栄の列伝
まず、彼の地位ですが、兎慈の列伝を読む限り雲国の軍師のようにも見えますが、
よく周囲のレスを見るとどうもそれほど地位の高い人物ではないようです。
まず雲国の軍師は翠扇であると翠扇列伝にはっきりと書かれています。
そして何より、雲固を守る護衛団の一人に過ぎない崟栄より下と崟栄列伝には
しっかりと書かれているのです。
彼は本当に雲国を左右したほどの大人物だったのか大いに疑問が残ります。
まあ大河ドラマ風林火山の主人公のような立場だった可能性もありますが・・・。
考えようによっては兎慈の列伝は彼そのものより、雲智の人徳を示すエピソード
として書かれたものであるかもしれません。
統率:40 よくわからないが、多少は雲国の運営にたずさわったようだ。
用兵:75 兵法を習っていたのである程度はあるでしょう。
武力:1 腕も足も無いらしいので戦いは無理でしょう。
智謀:40 謀略に優れていたかどうは不明
政治:10 政治家としての力量は未知数
歴史的重要度:★☆(1.5)
記述の少ない人物なのでエピソードを鵜呑みにせず厳しく評価いたしました。
現段階では実在かどうかも怪しいし・・・。
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 22:50:56
雄楢【オナラ】
後弁朝の武将。西廟の死後、十八京にて弁飛を擁して弁朝復興を狙った。
しかし、既に丘間は病死していた為に十八京の守備隊は智良の人柄に惚れ忠誠を誓っており逆に雄楢が討ち果たされてしまうのだった。(しかし、弁飛は逃亡できた)
この事件以降。弁朝の領土を名乗る地方の自治都市の大半が弁朝を放棄する。と宣言したため。これ以後、弁朝復興を語るものも居なくなり、完全に弁朝の滅亡となった
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 23:21:09
声爲【コエダメ】
雲国の司空。参謀から宰相になっていた翠扇を説得して名将・雲智の復権を実行させた老将。
成長してきた若き世代の兎慈・崟栄らに期待しており。それらを使いこなせるのは知略に優れた雲智と翠扇だということも理解していた。
声爲に対しては誰も信頼を寄せていた。雲智と翠扇が仲直りをするのを願いながら逝った。
後、雲智と翠扇は幼少期の友人同士だった時のように手を取り合い雲国に尽くした。
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 23:30:36
敬奮【ケイフン】・仁奮【ジンプン】・休奮【ギュウフン】・破奮【バフン】
雲国に突如あらわれた四人の学者。
声爲が遺言で言っていた政治を任せられる人物。
敬奮は人事を、仁奮は司法を、休奮は公共事業を、破奮は財政を得意としていた。
翠扇・雲智の元で兎慈・崟栄らの後方支援を精力的にこなした。
戦は素人であり、厨国進攻時、雲智に独断で仁奮が進撃し、無駄に戦死している。
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 01:04:48
飴婆【アメーバ】
町内に住む西廟軍の知恵袋。
様々な策を弄するかなりのキレ者であり、西廟すら恐れる。
栄厨が乱を起こすことを予知していて、西廟に話すが西廟は笑ってそれを聞き流したらしい。
飴婆は栄厨が覇権を握った後に消えた
武将鑑定 ◆tsGpSwX8moへ
月旦評の許子将を名乗るべき
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 10:34:18
煩悩寺の変。その時歴史が動いた
陳歩の愛馬・絶臨【ゼツリン】
絶臨は足の怪我を治すため、煩悩寺には行っていなかった。
その為に命が助かったのだが、陳歩の死を知ると泣き叫び、近くに来ていた煤武の下に馳せ参じた。
絶臨は煤武と共に百万の西廟軍に、たったの数騎で立ち向かい苺独を討ち取り、煤武と共に死んだ。(槍田里内の戦い)【ヤリタリナイのタタカイ】。
死後、敵将・栄厨によって主人・陳歩の墓所近くに葬られたらしい。
ちょっとトリップを変更します。
このようなトリップにします。
>>316 ありがとう
【武将鑑定3 満戸(マンコ)・誤訳から生まれた?英雄】
満戸はおそらく誤訳から生まれたようだ。しかしその後、彼は重要な人物の
一人としての地位を確立した。まさに怪我の功名というものだろう。
さてすでに詳しい列伝などが出ている満戸だが、列強ひしめく地域で、1621年
まで独立を保っていたのだからすごい。しかも陳歩、満古を相手に激戦を繰り返し
それなりの戦績をおさめているようだ。
統率:87 食い詰め者たちを強力な軍団とした統率力は抜群であろう。
用兵:91 すごい用兵家であると思われる。陳、満相手に好勝負を繰り返す。
武力:67 個人的な武勇はよくわからないが、それなりだと思われる。
智謀:93 極めて頭の切れる人物。また切り替えも早く、さっさと陳歩軍の重鎮となる。
政治:30 民政家としての能力は今のところ資料なし。
魅力:80 荒くれなどにはしたわれていたようだ。あとおそらくは女にも人気があったと思う。
歴史的重要度:★★★★☆(4.5)
【武将鑑定4 主人公の陳歩(チンポ)】
>>56に陳歩についてはすでに優れた考察がなされていますが、新設定もありますし改めて
検証してみましょう。陳歩の列伝に大体のことは書いてありますが、これほどの英雄とな
ると4〜5レスでは語りつくせないようで、さまざまなエピソードが格レスに散らばっています。
>>34の陳歩の愛馬、絶麟。
>>129の陳歩の槍、挙献なども収録されていないものの、重要な
記述でありましょう。
また列伝を読む限り、陳歩はほぼ無敗のようですが、
>>37では笛羅門の衛兵に
すら敗れているように結構敗戦も多かったことが伺えます。また列伝にはその
名がないものの煤武という重臣の存在も見逃せません。
それと当初、陳歩は農民かと思われていましたが、塾に行っていたことがあるなど
結構怪しいです。それに弁朝への忠誠も最近はやや怪しい気がします。まあレスが
進み、陳歩の設定にも深みが出てきたということでしょう。
統率:92 大帝国北陳を築き上げた統率力は並みのものではなかったでしょう。
用兵:88 意外と敗戦が多いようだ。満戸にも勝てなかったようだし意外と不得手?
武力:95 一騎打ちを何度もしている。相当の武勇を持っていたようだ。
智謀:89 自ら権謀術数を操ることはないようだが、献策はもちいることができた。
政治:100 パーフェクトである。内政面でこれほど書かれているのは陳歩だけ。
魅力:94 満点をつけたいけど、煩悩寺の変のことを考えると若干下げるしかないかな。
歴史的重要度:★★★★★ 文句なしである。間違いなく時代の主役であろう。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 21:43:10
知衿【チェリー】
通称・策乱暴将軍【サクランボショウグン】
陳歩配下の将。陳歩軍の前将軍。
車騎将軍の煤武とは孟操の紹介で知り合いになった。
煤武は陳歩の義弟であるため特別に扱われていて戸惑っていたが、知衿は煤武を同僚として普通に扱ったので煤武は知衿の人柄を慕っていた。
煤武が大将軍になった際に諸将は反対したが、知衿は煤武の忠勤を認め、煤武の大昇進を祝福した。
戦場では慎重だったため、皮肉として策乱暴と称された
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 23:49:40
組執・翠扇・雲智
組執は言わずと知れた大学者であり思想家である。なぜ組執が雲固に対して反逆したのかは今だに不明だ。
だが 当時の資料によると、話の例として場合によっては雲固も討たなくてはならない。と語ったのは確かなようだ。
出世欲が強い翠扇はこれを利用して組執を失脚させ、弟子の雲国皇族・雲智を野心アリとして捕らえさせた。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 23:57:23
翠扇は当時、雲香と只ならぬ仲だったので雲香と対立する雲智は幼少からの仲であり、親友だとしても罰するしかなかったのだ。
彼は雲香の為なら雲国の情報をも敵に漏らした。
その為、翠扇がいくら名将・名政治家であってもダメな人物だと評価する人も多い
だが、彼は雲国の名士・声爲に雲国を支えるには翠扇と雲智の両雄がなければならない。という説得から雲智を復権させたのだった。
翠扇は自身が愛するもののために任務をしっかりやらなかったのを後悔していた
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 00:04:38
組執・雲智は国を変える・革新派。翠扇は旧体勢を変化させる・保守派だった。
だから 対立が起きたのであり、雲国はそれだけ人々が必死につくりあげたものなのである。
翠扇は大きな戦(ミコスリ・ハーンとの戦いなど)の指揮でとり、絶大な強さをみせ、雲智は現場での策を考える将であり、タイプが違っていた。唯一の共通点はほぼ負けなかった事だけである。
二人は昔から宮廷で遊び育った親友同士。雲国をミコスリ・ハーンから守りぬき強国に仕上げた。
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 10:18:26
翠扇・雲智は若い。雲智は雲香の従弟であり、雲香より五歳年下。
翠扇はそれより一つ下。
兎慈・崟栄はそれよりさらに五歳下なのであり、かなり若い。
陳歩や満古より遥か若いのである。雲国の人材は尽きない
327 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 10:48:37
ヤリタイ
ミコスリ・ハーンの部下。もともとミコスリ・ハーンと敵対していたスグニ族の族長。
聖壁を越えて度々厨国に侵攻した。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 10:50:38
ダキタイ
ミコスリ・ハーンの部下。アナタヲ族の族長。
疾風将軍と称された。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 14:42:37
聖侯将(セイコウショウ)
偉大な軍功を挙げた武将達を指す。
聖理幻将よりも下の称号。この時代の武将達の大半をこの称号で呼ぶ事が多い。
陳歩や満古はこの部類に入る
雲国(ウンコク)
所領:西涼および内蒙古
住民:雲族と姦民族(カンミンゾクと言い、厨国人とか弁国人と同じ)の半々
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 17:18:57
ミコスリ・ハーンの南征
北の厳しい土地を征服したミコスリ・ハーンだったが、次第に肥えた土地へ移住することを考え始める。
そこで標的となったのが雲固率いる雲国である。
序盤はミコスリ・ハーンの家臣の勇将・ダキタイやヤリタイがいたためにミコスリが有利だったが、雲智が台頭してくるとミコスリ・ハーンも楽には勝てなくなった。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 17:35:44
この状況にやきもきしたミコスリ・ハーンは盟友・陳歩へと援軍を要請した。
しかし、陳歩は既に煩悩寺にて死んでおり、援軍は来ない。
盟友であり、息子の妻の父に当る陳歩の死を悲しんだミコスリ・ハーンだったが、雲国を討たなければ厨国へ行くのは危険すぎる。
ミコスリ・ハーンは決意し、近隣の属国の兵と共に雲国へ向け五十万の大軍を南進させた。
近隣の愚呂威(グロイ)や希藻威(キモイ)兄弟。そして直属の特殊部隊の怖乱志隊(フランシタイ)。ダキタイやヤリタイ、イレタイ、ヌガズといった陣容である。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 17:40:27
雲国内では勝ち目なしとして降伏論が出た。
しかし、若き参謀・翠扇。二年の謹慎から帰ってきた皇族将軍・雲智らは徹底抗戦を唱えた。
いよいよミコスリ・ハーンと雲国軍の戦いが起きる。
雲国(ウンコク)
所領:西涼および内蒙古
住民:雲族と姦民族(カンミンゾクと言い、厨国人とか弁国人と同じ)の半々
初代王:ゲリベン・ハーン(のち姦族風に雲高と改名)
文化:雲族はもともとは遊牧民だったが現在ではその多くが定住民となっている。
文化的にも姦族との同化が進む。現在では純粋な雲族は少なく、王家の雲一族で
すら極めて姦族の血が濃いが、それは代々の弁室との政略結婚によるものである。
そのため異民族ではあっても、弁室の血の濃い極めて高貴な一族として弁王朝でも
一目置かれている。
歴史:少数民族の長、ゲリベン・ハーンは満臭族の圧迫に苦しみ、厨国に逃れ、
のちに弁王朝の初代皇帝となる弁国王、弁器(ベンキ)のもとで保護された。その後、
ゲリベンは名を雲高と改め、弁器の覇業に大いに貢献したという。
弁器は天下を平定すると王の爵位と西涼の地を雲高に与え、半独立王国を創ること
を許した。雲高は西涼の地で雲族の復興を進める一方、死ぬまで弁国を異民族から
守り続けた。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 17:48:17
そして――。綱糸の戦い。(トゥナイトのタタカイ)
闇夜の最中、雲国の北・針産(バリウム)に布陣したミコスリ・ハーンの大軍。
対するは雲智・兎慈・崟栄らの義勇軍(本軍は翠扇の要求にもかかわらず雲香らの意向で動かせなかった)
ミコスリ・ハーンの大軍は疲労していた。さらに大軍故に油断していた。
五十万の大軍。義勇軍はたったの五千。 勝ち目は無いように思えた。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 17:54:28
しかし、義勇軍は圧倒的だった。何故なら愚呂威や希藻威らが寝返ったからである。
なぜなら雲智が崟栄に指示して彼らを寝返らせていたからだ。
この戦いの結果が伝わると翠扇は雲智の役職をもとに戻す事を要求し実行させた。(雲智は謹慎から復帰していたが役職は解かれたままだった)
翠扇率いる雲国軍・二十五万五千が針産(バリウム)を包囲したのは三日後の夜の事である。
【雲国の役・1600年】
雲国は弁王朝ないの自治王国で、西涼にある異民族の雲族の国であるが、文化
は厨国化し、王家も弁王室の血が非常に濃く、人口も半分は厨国人であった。
弁王朝で弁飾らにより恐怖政治、検弁政治が始まると政争に敗れた多くの役人
などが雲国に亡命した。弁飾はそれらの亡命者の殺害を雲国王である雲固に命じ
たが、雲固はこれを断固として拒否。これに対して弁飾は雲固が弁朝の簒奪を
狙っていると言いがかりをつけて大軍を投入して西涼に攻め寄せた。これを雲国
の役という。
当時、弁国内では腹上4年の役がすでにあったこともあり、二面作戦となった弁官軍
は統率が取れず、そもそも将兵はおろか、皇帝まで弁飾には反感を持っていたことも
あり士気は上がらず、雲国討伐は失敗に終わる。
その後、雲固はやむおえず、弁王朝からの自立を宣言し完全な独立国となった。
そもそも雲王家は代々、弁室との政略結婚を繰り返してきたため皇室の血は濃い。
亡命弁国人の中には、雲国王を新たな弁皇帝にしようと画策するものも多いという。
少なくとも、満古や陳歩が帝位を名乗るよりは説得力があるともいえる。
【弁飾(ベンショク)】
今更だが、弁飾は皇族ではあるが、皇帝をないがしろにして独裁政治をおこない
弁王朝を崩壊に導いた極悪人である。
腹上4年の役、雲国の役、袁庫の乱など、どれもこれも原因はこの男である。
これだけの大物(ある意味)ながら、列伝は短く、彼の記述も分散している。後でちゃんとした
列伝がかかれることであろう。
>>331 覇王陳歩の死後の事柄も少しずつ判明してきましたな。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 18:05:01
第二次綱糸の戦い
ミコスリ・ハーンは寝返った愚呂威を捕らえ殺害。兵は三十五万強に減った。
ミコスリ・ハーンはとうとう自分自ら陣頭に立ち臨戦体勢に入った。
雲智は征鬼大将軍【セイキ大ショウグン】に、翠扇は鎮々大将軍【チンチン大ショウグン】、兎慈を遥忠将軍【ヨウチュウショウグン】、崟栄が熟才将軍【ウザイショウグン】にそれぞれ任命され針産を包囲した。
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 18:13:06
ミコスリ・ハーンはまず、裏切っていた希藻威を討ち取り、軍の士気を揚げた。
次いで、先の戦いに参加できなかった怖乱志隊を率いて雲国軍に突撃を開始した。さらにずっと伏兵としていた二十万の大軍を翠扇らの後方に展開させたのだ。
さすがの雲国軍も勢いに押され退却をし始める。。。敗退かに見えたが、突如、敵前にて方向転換して、後方に崟栄を置き、ミコスリに備えさせ。まず伏兵を先に破ったのだ。
既に伏兵の存在に気付いていた翠扇が準備をしていたため、わずか三十分でそれを可能にしたのだった。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 18:23:08
そこからは翠扇の策が当りまくり、ダキタイやヤリタイらを討ち取り。
ミコスリを追い込み降伏させると、さすがの翠扇も勝ちを確信した。
しかし、ミコスリは護送中に役人を殺害しておもむろに翠扇に突撃を開始した。
翠扇の身が危ないとき、降伏していないと気付いていた兎慈が射撃兵器・三彫【サンポール】を使用してミコスリ・ハーンを殺害したため、翠扇は助かった。。
ミコスリ・ハーンは敢えなく死んだが、この日だけで二百六十九人殺害した。壮絶な人生であった。
活気があっていいねぇ。私のパソコンはいつ壊れても不思議じゃない状態だけど・・・。
【武将鑑定5 西廟の将、虎駒(トラコーマ)】
>>170の記述を読むと、陳歩にとどめをさした人物のようだ。なお、他のレス
には彼の記述は無く(彼の養父、
>>171暗美邪の列伝にすらその名が無い)、陳歩
を討ったと言う事だけで名が残った人物なのだろう。
統率:51 部隊長としての統率力はあったはずである。
用兵:75 あの陳歩を追い詰めたのである。実力はあるに違いない。
武力:1 盲目に近いらしい。
智謀:30 用兵はともかく、策略の力量は不明。
政治:1 凶悪なだけの人物には政治は無縁だろう。
魅力:23 とくに魅力的だった人物とは思えない。
歴史的重要度:★☆(1.5)本当に、0.5でもいいくらいなのだが、陳歩を討った人物
のようなのでちょっとおまけ。
雲国の謎が次々に明らかになっているようだ。雲国特集がブームなのだな。
【北陳の陳歩と陳満雲・鼎立時代の陳歩の比較】
陳歩列伝を読むと時代は異なるが同じ世界の人物であることが書かれている。
そもそも陳歩はかつての名将、陳歩にあやかってつけられた名であると書かれている。
まず、両者の大きな違いは北陳の陳歩は群雄であるが、鼎立時代の陳歩はあくまでも
王朝に仕える武将であるということだろう。北陳陳歩は劉邦、織田信長、武田信玄など
がいろいろ混じっている感じがする。それに対し鼎立陳歩は北宋の岳飛のような印象を
うける。また北陳陳歩は明らかに時代の主役のようだが、鼎立陳歩は物語の後半からの
登場という気がする。三国志演義でいえば諸葛亮のようなものだろう。
また鼎立陳歩は皇帝に忠実であるが、北陳陳歩は弁室復興を旗印としながらも、
最近はちょっと怪しいような印象を受けるレスもいくつかみられる。
また両者とも、チンポなのだから要するに瀬宮州でマンコとなんどもやるわけだが、
北陳陳歩は何度も瀬宮州で戦いを繰り返したのに対して、鼎立陳歩は瀬宮州で戦った
のは一度だけである。
そういえば陳国は南のようは益州にあるわけだが、北陳は華北の国であるという点も
大きく異なる。
そして北陳陳歩は西廟に殺されるが、鼎立陳歩は一応、仙人となって天寿を全うする。
というわけで新旧の主役の比較をしてみた。
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 20:57:49
董騰【トウトウ】
雲国の学者・軍人・詩人。翠扇の師。翠扇は知らないが翠扇の実父
翠扇の要求で魚擦都【ウォシュレット】開発をしたのが有名。
さらに三彫【サンポール】なども開発している。
董騰は自分の身分が低い為に、自分の息子の将来の為、優秀だった翠扇を知人の富豪に預けたのである。
罪悪感からいまでも翠扇をバックアップしている。
陳歩の死後が語られることが多くなってきたし、三代目陳歩でも生み出すか?
といってもまだまだ陳歩の覇業について語るべきことは多いな。
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 21:10:43
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 21:18:25
>>352は下ネタを題材にしてる時点で
どっちも目くそ鼻くそであることに気づかないバカ
なに?くやしかった?w
でも大珍帝国もこれはこれで面白いかも。こっちは初めて来た人が書き込みにくい
状況になっているからね。レスの進みも悪い。本当はこのスレでももっと気軽に書き
込んでもらっていいんだけどね。
357 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 21:37:02
大珍帝国は現在進行型の小説バージョンだなw
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 23:21:07
潔外【ケツゲ】
雲国の武将。現場一辺倒の猛将。
翠扇から信用される程の実力がある。しかし、裏を返せば利用されやすかっただけである。
で綱糸の戦いにてヤリタイを一騎打ちで討ち取ったのは彼である
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 23:24:39
訂正
332
ヌガズ→ヌガスにして下さい
また改めて、勢力図について考える必要があるのう。
361 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 08:45:48
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 09:34:15
弁飾【ベンショク】
羅岱【ラタイ】・注釈の文から引用。
弁飾は弁皇族であったが、父の地位がかなり低かった為、辺境の土地で育ち、生活もけっして楽ではなかった。
しかし、辺境の土地で育ったことが彼を強くしたのである。
彼が十五歳になったある日、父親が死んだのだが、その遺産を辺境の蛮族などにふりまき、三万もの私兵を手に入れ、父の赴任先に居座った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※△満臭※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※┃※※┏━━△━┓
※※※※※※※※※※※┏━━●┳━━━━●┻━━┛※※※※┗△※
※※★※※△※※※※※★※※※●※※┏━┛※※※※勃起村※※
※※┃※※┣━━━━━┫※※┏┻━━●━━━┳━━●※※ ●陳歩
※※┃※※┃※※※※※┃※※┃※※※※※※※┃※※┃※※ ■満古
※★┫※※┃※序※十※△━━△━━┓※瀬宮州■※※▲青島 ★雲固
※※┗┓※┃※聖※八※┃※※┃※※■━━━━┛※※┃※※ ▲満戸
※※※★━┻┓都※京※┃※※┃※※┃煩悩寺※※※※▲※※ △その他
※△━┫※┏■━━■━■━┳■━━┻━━┳━━■━┫※
※※※┃※┃┗━━┓※┗┓┗┓※※※※※┃※※※※┃※※
※※※△━△━┓※┗━━■━┻■━┳━■┛※┏━━△
※※※※┏┛※┃※※※※┗━━┓※┃※※※┏┛※┏┛※※
※※※※┃※※┗△┓※┏━■━┻━■━━━△※┏△┓
※※※※┃※※※┃┃※┃※※※※※※※※※┃※┃┃┃※※
※※※※△┓※┏┛┗━○━━┓※※※※※※┗┳┛┃┃南京※
※※※※┃┃※┃※※※┗┓※┗━△━┓※※┏┛※┃┗△┓※
※△━┳┛┃┏△━━┳━△━━━┻┓┗━△┛※┏┛※┃┗┓※
※※┏┛※┃┃※※※┃※※※※※※┗┓※┃※┏┛※※┃※△※
┏━△┓※△┛※※※△━┓※長沙┏━△━┻━△※※※┃※※※
┃※┃┗━┛※※※※※┏┻━△━┛※※※※※※※※※┃※※※
┃※┗△※※※※※※※△※※┗┓※※※※※※※※※※┃※※
△※※┃※※※※※※※┗━━━△※※※※※※┏━━━┫※※
┣━△┛※※※※※※※※※※※┃※※※┏━━┛※※※△※※
┃※┗━━━━△━━━━━━━△━━━┛
△※※※※※※※※※※※※※※広州
>>363の図はあくまでも暫定的なものです。
そしてあくまでも「1610年の時点」であります。
その他がやたらと多いですが、この時代には魯罹、版津賊、南方諸国それに
異民族などもおり決して埋まっていないわけではありません。
後でちゃんと加えます。ただ、版津賊など他の勢力とのからみが少なく位置関係
は不明な勢力も多いです。
なお、地図の形は今後、変化を加えていくつもりです。
365 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 09:39:50
弁飾【ベンショク】 続き
私兵を得て周辺の異民族を叩き潰し、朝廷に対して尽くす姿勢を見せると、弁帝は彼を都の守衛総督に任命することにしたのである。
彼は都に入ると(十八〜三十?)くらいまでは貴族にひたすら胡麻を擦り、朝廷の総督として各地で反乱軍をねじ伏せ続けた。
しかし、彼は反乱軍の中から優秀な人材を引き抜いたりして、自軍を強化していったのである。
斉翼も重要な勢力ですが、少し地図を変化させてから書きます。
なお、念のため言っておきますが、1610年のときは西廟は陳歩配下であるため
勢力ありません。
367 :
地図屋:2007/07/07(土) 10:00:32
とにかく勢力が多いので、10勢力くらいまでしか(たぶん・・・)表記できません。
そこで勢力ごとに以下のように重要度を決め、勢力が込み入っている場合は高い
レベルの勢力は表記されますが、低いランクの勢力はその他として扱われます。
■レベル5■
北陳・西廟・満古・雲国・弁王朝
■レベル4■
満臭族・虐燕&満戸勢力・弁飾一味・菩一族・ミコスリハーン・不能
■レベル3■
斉翼・袁庫・南方5国・版津賊・帝王雪怪
■レベル2■
四川国
■レベル1■
嶺図・平丹・貴須・魯罹
370 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 14:48:14
弁飾【ベンショク】続きの続き
都で大勢力となった弁飾は次第に帝位を狙いはじめた、杏暮との出会いもこの頃のことであったが、杏暮は弁飾を帝にして自身は宰相になろうとしていたようだ。
杏暮はけっして凡庸ではなく、朝廷内部で次第に弁飾の地位を押し上げていった。
弁飾は帝が死ぬと杏暮と共に幼帝を擁立し、やがてくる自身の帝就任を狙ったのだった。
しかし、弁朝内部で不満が高まり、ついに菩一族が弁飾を討つ為に立ち上がったのだった
じゃあ、今から僕がwikiを勉強してくるよ。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 18:24:46
>>372 超絶乙
みんなで手分けして少しずつ作っていこう
誰でも編集できるの?
明日、一気に編集するように準備しておくから。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 20:20:59
元祖陳国志との整合性の付くように編集していきたいな
じゃっかん、このスレ特有の項目も有りそうだし
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 22:07:19
臥除士【フジョシ】
革命思想をもつ軍団の呼び名。
序聖都で密かに活動をしていたが、指導者・混卦【コミケ】によって危険な動きも見せる。
西廟や栄厨らの時代以後に一斉蜂起し、一時は民主国家・秋葉【シュウヨウ】を建国した。
しかし、首領の混卦【コミケ】が暴走したため二年で秋葉は滅亡した。
378 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 22:11:45
混卦【コミケ】
宗教団体の首領。女性である。
通称・時代と共に寝た女。政治家としてはかなりの才覚があった。
陳満動乱の際には満古領内で保護され、力を温存していた。
陳満動乱後に一気に蜂起。厨国全土を巻き込んだ戦乱を起こした
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 22:20:43
弁飾 続きの続きの続き
弁飾は菩一族を破ったものの、菩一族という名家を潰すのにためらいをもち、滅ぼしはしなかった。
さらに菩一族に対して官位を与えようとさえしたのである。
しかし、菩一族は自分が奪った土地に残り、動かないのだった。
弁飾はさらに袁庫と虐燕、という二大勢力をも配下にしようと考えたが失敗する。
そして いよいよ袁庫が蜂起する日がくるのである。
それ以後は他の将の烈伝を参照されたし。
ヴィキペ並みのコリようだのう。
381 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 02:23:37
版津賊【パンツゾク】
満古と陳歩の勢力地の中間点の芽越路【メコスジ】を拠点にする盗賊団。
弁朝の末期、たびたび弁朝の討伐軍により攻撃されるが、尾睦【オムツ】と押芽【オシメ】といった元・弁朝の勇将が参戦したため、版津賊は弁朝の討伐軍をはねのけて、弁朝のお膝元で独立勢力を築いたのである。
版津賊は群雄として独立すると、略奪は行わずに善政をしいた。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 02:29:01
棄槓【ステテコ】
版津賊の武将。才色兼備の女性の武将である。
卓越した軍略を持っていたため、尾睦・押芽といった勇将をも旨く扱えた。
弁朝も、彼女がいなければ版津賊は楽に潰せた。と語っている。
まだ若い頃、弁飾に貢ぎ物と爆薬を送り、弁飾の左足と右目を奪った。
さてこれまで語られることの無かった、満古亡き後の落日の満国、陳歩の南征
などについても真相を探っていきましょう。
【満は胡によって滅ぶ】
あるとき、満古は占い師より「満は胡によって滅ぶ」と予言された。
胡(えびす)とは異民族のことである。しかし満国の領土は胡域とは接していないため、
満古は胡の血の濃い、雲氏や胡出身の西廟を警戒した。
しかし「胡」とは満古の次男、満胡のことであり、彼の暴政によって独立国家としての
満国は滅んだ。
その後、満古の長男、満粕がうまく立ち回ったため、満氏は陳歩の親族となることに成功
しその命脈を保つことに成功した。
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 11:33:31
満粕が上手く立ち回れたのも、満古の弟・満牙【マンゲ】が知恵を授けていたからなんだよな。
【満粕(まんかす)】
満古の長男。後に陳歩の娘を娶り、陳粕(ちんかす)と姓を変える。
彼はもともとは陳・満・雲鼎立時代の古の名将、万黄(まんこう)にあやかって
満黄となずけられていたのだが、臆病であったため、父に嫌われ「まるで満家の
粕のようなやつだ」と粕という名前に変えられてしまった。
そのため、満古の後継者となることができず、次男の満胡が満国の二代皇帝となった。
その後、皇帝となった満胡により殺されそうになったため、北陳に亡命する。
皇帝となった満胡の暴虐に反感を持つ臣下が増える中、北陳に亡命するものは多く、
新たな南満の指導者として満粕を望むものが増えていった。
満粕の続き
南満が第二次師宮の乱(蘭操の遺児による蜂起)、や版津賊の略奪などに苦しむ中、
満粕は陳歩の後ろ盾を得て、十八京に進軍し満胡を追放し満国皇帝となった。
しかし、すでに満国に独立を保つ力は無く、満粕は帝政をやめ陳歩から位をもらい
北陳の藩鎮となってしまう。
その後、彼は陳歩の娘を娶り、姓も陳と変え、陳粕と名乗った。
これにより満氏の命脈は保たれ、北陳でも陳一族に次ぐほど優遇されることとなる。
ただし、陳歩の直臣やすでに陳歩に降っていた満戸とはいろいろとごたごたが続いた。
388 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 12:04:41
魔葦【マーシー】
姓・田代【デンダイ】
名・政【セイ】
山奥にて薬を作り、時に人々の生活を覗く。魔葦の行動はまさに謎。
しかし、彼は一部の人々に愛され、田代祭なるものが催される。
彼は人徳があったのだが、心が弱すぎて身を滅ぼしてしまう。
多くの信者が、このことから離れていったが、一部の有志は彼を守護した
変質車(ヘンシツシャ)
変質車は元版津賊の大盗賊。あまりにも自分勝手なことから版津賊から追い出された。
その後大盗賊の首領となり、満古統治下の序聖都をよく襲っていた。そのため満古が
討伐に来ると、「黒い満古だ逃げろ」と電光のような逃げ足の速さで一目散に退散し
たため、さすがの満古これを捕らえることができなった。
のちに西廟配下となり活躍したことから、それを聞いた人々は「版津を脱いで序聖都を
襲っていた変質車はとうとう西廟となったか。」と語り合っていたという。
第六次瀬宮州の戦い
陳歩と満胡の1623年9月におこなわれた大会戦。この戦いで陳歩は大勝し瀬宮州一帯
を制圧した。
【詳細】
この戦いは、満古の死後の混乱を鎮めることのできなった満胡が国内の不満を外へ
そらす目的でおこなわれた。しかし陳歩と満胡では器が違いすぎた。陳歩は満胡軍
の弱点をすぐに見抜き、兵糧の集積所であった卵巣を火攻めに焼き払った。
卵巣の消失に混乱する満胡陣営にさらに別働隊の西廟がすでに序聖都を制圧したとの
方がもたらされた。首都の十八京が危ないと慌てて撤退するが、このことはすでに北陳
陣営に読まれており、伏兵と追撃により満胡軍は大敗した。
陳、満、廟はある程度といっても300レスまでだけど、かたずいた。
次は雲国だな。
>>392 すでにこれを
>>384書いてしまったのでそう簡単には取り消せませんな。
【満は胡によって滅ぶ】
あるとき、満古は占い師より「満は胡によって滅ぶ」と予言された。
胡(えびす)とは異民族のことである。しかし満国の領土は胡域とは接していないため、
満古は胡の血の濃い、雲氏や胡出身の西廟を警戒した。
しかし「胡」とは満古の次男、満胡のことであり、彼の暴政によって独立国家としての
満国は滅んだ。
その後、満古の長男、満粕がうまく立ち回ったため、満氏は陳歩の親族となることに成功
しその命脈を保つことに成功した。
394 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 20:59:12
ミコスリ・ハーン
高原統一。そして世界帝国へ
一章
ミコスリは高原の弱小一族・ダシイレ族の出身。
スグニ族やアナタヲ族の圧迫によりかなり貧困状態であった。
しかし、彼は十二のときに、凡庸な父を暗殺。母親・ダイテ(二十八才)を自分の嫁にし、一族を支配する事を宣言した。
>>393 じゃ、元山賊って言うのを削って、満古の血縁ということにして、以下同文で行こうか
満胡【マンコ】
字は噴潮(フンチョウ)。満古の次男。
満古に追従して漢長討伐戦に参加した際、漢長との戦いそっちのけで次々と村を襲い、女を手篭めにして回った。
そのテクニックは達人級で、全ての女は彼によってことごとく潮を噴かされた。女の中にはそのテクニックに魅せられ、
敵国の兵であるにもかかわらず進んで彼の愛人になる者もいたという。
これにより漢長の民は彼を「満古軍の鷹」と呼び畏怖の念を抱く。以後、満古軍が襲来した際は常に満胡を警戒し女を隠したと伝わる。
略奪と淫行に明け暮れる彼の行いによって、満国は天命を失い滅亡への道を歩んでいく。
396 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 22:53:00
ミコスリ・ハーン 第二章
一族内部では彼に反対する勢力があったが、彼は他の一族のヤリタイとダキタイから兵を借りて一族を統一。
その後はシタイとヌガスといった北方の一族を従えて、高原の有力者になるのだった。
この若き高原の勇者に対して、厨国を統一するために満古と戦っていた陳歩は同盟の使者を送ったのはこの頃である。
高原にはまだ大勢力がいたため、ミコスリは他国に勢力拡大を狙い、西方の希藻威らを従えた。
397 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 23:02:23
ミコスリ・ハーン 第三章
ミコスリはさらに雲国からも兵を借りて高原統一をすすめる。
ヤリタイとダキタイを配下に入れると一気に高原統一を完了した。
陳歩に対して高原統一を伝えると、陳歩からは侯に封ぜられた。(縁組したのもこの頃か?)
ミコスリは、走郎【ソウロウ】という名から伝説の英雄ミコスリ・ハーンという名に変えた。
それからミコスリ・ハーンは西方諸国を下し厨国の五倍の領土を支配するまでに至った。
彼は常に陣頭に立って指揮をとり大国を築いたのであった。
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 23:08:42
ミコスリ・ハーン 第四章
ミコスリ・ハーンは大国を築いたのだが、国は穀倉地帯を持っていないため、食料に対して危機感を抱きはじめた。
重臣らの要求もあり、ミコスリ・ハーンはいままで何十年と世話になった同盟者の雲国を侵略する。という苦渋の選択をした。
当初は、翠扇と雲香に対して交渉をしたのだが、翠扇が徹底抗戦を唱えたため戦いが勃発する。
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 23:16:44
ミコスリ・ハーン 第五章
ミコスリ・ハーンは乗り気ではなかったが、陳歩が死んだ!という報告も聞いたため、西廟らも討つため進攻を開始する。
兵数は本隊五十万。別動隊二十五万という厨国・雲国を一気に潰すための大軍である。
ミコスリ・ハーンは得意の騎馬戦をするために綱糸に布陣した。
ミコスリ・ハーンは雲国正規軍が動かない事を悟ると一気に戦いを終らせるため戦い急いだのだった。
しかし、ミコスリ・ハーンはご存じの通り破れ去った。
完敗である
400 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 23:27:55
ミコスリ・ハーン 最終章
ミコスリ・ハーンは存分に戦えなかった、急いで兵を掻き集めたために、士気が上がらない兵を完全には把握できなかったからである。
重臣らの暴走を阻止できなかったのも大きい。蛮族相手なら余裕の戦でも、組織された兵相手には自由に戦う強兵を数だけ揃えただけでは勝てなかったのだ。
ミコスリ・ハーンの死後、大国・擦は三年ももたずに滅びさった。これもまた重臣らの暴走である
しかし、彼は蛮族と言われた人々に文化を伝え、発展させて新たな文明を築き上げさせたし、高原に新たな段階へとしたことから【高原の英雄】と称される
ミコスリ・ハーンについてもだいぶ明らかになってきたな・・・。
あとは陳・満達の話をもっと掘り下げていければかなりの完成度になりそう。
この先、英傑を生み出して天下を統一するか。
分裂のまま終了するか。
・・・まあどちらでもいいけど、陳歩以上の英傑は出ないほうがいいなあ。
まだまだ書きたいなら新たな話をしてもいい訳だし。
それと陳歩死後を書く場合には、陳国の人物についてはよく確認してからのほうが
いいかもね。
とりあえず、陳歩が農民だったというのはちょっと無理がある設定ぽいので
多少変更が必要だと思う。少なくとも貧農ではなく、ある程度豊かな使用人なども
いる農民だったのだろう。
陳歩後の世界の諸問題。
北陳の後継ぎをどうするか?⇒陳歩には男子なく、体制も分裂気味なのようだが・・・?
しかし解体するほどでもないようだ。
誤国の後継ぎをどうするか?⇒同じく、子なし。ただし軍師がしっかりしているので
なんとかなりそうだが・・・?
栄厨は淋国をすでにのっとってしまったのか?⇒結構前に書かれた淋国武将の列伝にも
栄厨の力が増すのは確定なようであるが・・・?
四川はこのまま戦乱から蚊帳の外でいいのか?⇒そろそろ世に出るころであろうか?
もしくはどこかの勢力に四川は飲み込まれるのか?
今後、天下人はでるのか?(出るとしたら思い付きではまずいだろう)
現在、人材がもっとも豊富である、雲国に版図拡大の機会は訪れるのか?
あるとしたら、どこの国から奪うのか?
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/09(月) 16:43:15
とりあえず、今出ている武将を使い、ちゃんと弁・雲・陳・満・西廟等を書かないとなぁ。
弁飾の最期とか、雲国が何故 厨国を攻めないのか?とか。
408 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/09(月) 22:50:08
音武【インブ】
満古の実兄。大音進の義弟。満家から音家に養子に出された。
満古の父親が余所の女に作らせた、満古が生まれ自分の家に子供が出来ると親友の音に養子として譲った。
もともと満家と音家は親戚同士だったため、このような事態は普通にありえた。
満古が菩一族の客将になった際に、義兄の大音進を誘って三千の手勢と共に駆け付けた。
義兄の引退後に、新たに電家を立ち上げ、電武【デンブ】と名乗る。
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/09(月) 23:05:15
音文【インモン】
満古と音武の父親。大音進の伯父。妻が満家の人物。つまり、満古は母方の姓を名乗っている。
満古が生まれた時に、浮気をしたため追い出されて音武とともに地元の名士・音家に帰ってきた。
弟の養子に音武を送り込むと再び旅立っていった。
満戸に対して、満の姓を名乗るように勧めた人物でもある。
満子兵法を極めていた人物らしく、音武には兵法を徹底的にたたき込んだ。
その為。音武は満古陣営で有数の兵法家になれた
410 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/09(月) 23:14:35
音敬【インケイ】
音文の末弟。音武を一時、養子にした。音武烈伝の(親友の音に〜)の親友の音とは彼のこと。
音武が優秀すぎるため、自分の兄・大音進の父に押しつけた。
兄の道楽を止めようと自身も旅に出たが、陳歩という人物に出会い。彼から「(我が戟)になって下さい。」と頼まれ、彼につき従う。
故郷から二千五百の兵を呼び寄せ、陳軍の武将となった。
音家は名家だったため、末弟の音敬ですら兵をもつ事が可能だったのである。
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/09(月) 23:25:03
斉瞥【セイベツ】
斉家の家老。斉翼の庶兄。斉家が斉翼によって滅亡することに、うすうす気が付いていた。
斉翼に、家臣の意見をもっと取り入れるべき。だと進言したが、まるで聞いてもらえなかった。
斉起と共に、斉家末期に現れた傑物。と言える程、優秀。
特に外交と民政においては並ぶものは無い。とされた。
戦は下手だったが、そこは斉起らがいたためカバーはできた。
斉家滅亡後、出家し煩悩寺を開いた。
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 00:50:28
蔵取【グラドル】
満古配下の軍師。現場タイプの軍師だったため、常に兵達と一緒に寝起きしていた。
生活も質素そのもの、真面目に見える。
しかし野望が強く、すべて策略である。満古を討つ機会を狙い続ける。
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 00:59:14
遊少年【プレイボーイ】
動乱期にあらわれた神童。美少女らを引きつれて若き兵士を手元に集めている。
海の向こうから来たらしい。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 01:52:09
勇序【ユウジョ】
弁飾配下の五撫隊の一人。槍隊・包撃隊にて構成される第三撫隊隊長。
ちなみに、第一撫隊隊長は弁飾自身が努めている。
第二撫隊隊長は杏暮。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 01:55:58
飛保【ヒモ】
弁飾配下の五撫隊の一人。工作兵・補給兵中心の第四撫隊の隊長。
菩一族の財産を奪ったり、虐燕の旧領を荒らしたりした。
陳歩軍を苦しめたが、煤武によって一刀両断!!即死だった。
416 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 02:04:59
圧椎【アッシー】
弁飾配下の五撫隊の一人。輸送兵中心の第五撫隊長。
もとは貧しかったが、盗賊になり飛保【ヒモ】と一緒に暴れていたところを弁飾に鎮圧された。
弁飾は才能がありそうだった飛保と圧椎を気に入り引き抜いて隊長にまでしたのだった。
満古軍から都を奪回するため、満古軍と戦った際に満古配下の音武に一騎打ちを要求され、一騎打ちしようとするが、落馬していまいそこを臀部から一突きにされて死亡してしまった。
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 09:02:12
五撫隊
弁飾が自身を警護させたり、特別な作戦をする際に使用する私兵。
形式上、弁朝の近衛師団の一部として扱われる。
構成員のほぼ全員が盗賊や問題のある兵士によって構成される。
しかし、実力は最高クラスであり、戦場にて圧倒的戦功をあげた。
五撫隊の総員は二万人。
418 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 09:12:18
杏暮【アングラ】・・・陳国志演義より抜粋。
彼の家は弁朝の下級官僚。父の代に帝の側用人として気に入られ、大臣になった。
杏暮も帝から気に入られ、宮廷内部にて莫大な権力を握った。彼は参謀としての能力も高かったが、強欲な人物であり、庶民から財産を奪ったりしていた。
弁飾が宮廷にやってくると能力を見切り、彼に接近して、彼の参謀にまでなった。
杏暮は弁朝が弱体化してきた事を危惧しており、弁朝を強化する為に大領土を支配していた、袁庫や虐燕、菩帯らの財産の一部を奪おうとした。
419 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 12:28:37
杏暮 続き
菩一族は蜂起した。杏暮・弁飾等に支配されている朝廷を救うためである。
しかし、杏暮は先を読んでいたため、菩一族は孤立。菩一族は敗北し、自領に引き上げた。
このころは諸将が、だんだん領土を独断で領有しはじめていたので、菩一族も自領に引きこもり、弁飾・杏暮の追撃をかわした。
腹上四年は大飢饉が発生し、人々は互いの便を食らうほどの事態になる。しかし、杏暮は宮廷内部にて贅沢三昧の日々を過ごした
また武将が増えまくっている。把握できん。
秀逸なのを皆で選べば良いじゃん
数打ちゃ当たる、って感じでどんどんアイディア出せや!
ところで元祖陳国志の話はダメか?
元祖陳国志をベースにして行こうぜ
425 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 22:46:49
杏暮 続きの続き
贅沢三昧の弁飾と杏暮に袁庫が挙兵したとの報告があった。
弁飾は五撫隊と首都防衛軍を召集し、袁庫に対して戦いを挑むが、袁庫にかなり苦戦をしてダラダラと戦いが続いた。
長い間の戦線硬直の間に、満古軍により都を奪われてしまい、弁飾と杏暮は行く先を失ったのだった。
新武将の烈伝の発見・研究結果の発表を妨げるのは、陳歩スレの衰退を招きます。
とにかく、確定したものがあるんですから、それを中心にして、のちに新武将を付け足していけばよろしいでしょう。
私としては私がせっかく考えた翠扇等の雲国の武将をもっと活かして頂くのが私の希望ですけどね。
427 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 23:33:46
428 :
下方謙三・陳家将・冒頭・1/2:2007/07/11(水) 00:12:16
森の中にいた最後の賊を見つけると、彼はためらわず手にした刀を振り下ろした。
賊は、あえぎ声をあげながら熱い吐息を漏らし、傷口の裂け目から液をこぼしながら、失神した。
今日もまた、賊を切った。
馬で逃げる賊にも追いすがり、あわせて十五は切っただろうか。途中から数を数えるのをやめていた。
右手に持つは、節九主(せっくす)刀。九つの節が、切り傷を致命傷に変える。
それをただ、振り下ろす。賊が倒れる。それだけの事だ。人数など特に興味はなかった。
彼はただ、生まれ育ったこの村が、賊ごときに荒らされるのが見ていられなかったからだ。
「おーい、陳歩!」
彼を呼ぶ声がする。振り返ると、丈七尺もする巨漢がいきなり陳歩に抱きついてきた。
「さすがだな陳歩。あの賊徒の群れをほとんど一人で蹴散らしてしまうとは。『千人切りの陳歩』とはよく言ったものだな」
と、方慶(ほうけい)は軽口をたたきながら、陳歩に抱きつきすっぽりと彼を包む。
「それにしても見たぞ。馬に乗って逃げる賊に追いつくとは。お前(の足)は馬並みのモノを持っているなあ」
429 :
下方謙三・陳家将・冒頭・2/2:2007/07/11(水) 00:13:38
陳歩には、何の感慨もなかった。ただ賊が襲いかかってくれば、それを突く。方慶には、それは痛快で快感な出来事に違いない。それほどこの村は、刺激に飢えていた。
ここは中央から遠く離れた大陸の辺境、勃起村(ぼっきそん)。少しの畑作の他は、何もない貧しい村だ。
ただ一つ、何かを挙げるならば、陳国時代の英雄・陳歩を生んだ土地としていくばくかの伝説が残っているだけだ。ただしそのようなものは、この厨華のいたるところにある。
陳歩は森の中で成っていたあけびをもぎ取ると、方慶に渡す。方慶はそれをそのまま食べる。
「皮を剥いたほうがいいんじゃないか」
「なあに、無理に剥く必要ねえよ。そのままでも十分だ」
いつか、こいつにあけびの剥き方を教えてやろう。
方慶とは生まれてから長居付き合いになる。
ただ最近、方慶が少しばかり疎ましくなってきたのも事実だ。
いつの日か、彼とはちゃんとムキ合おうと、陳歩は思う。
村に帰ると、歓声が上がっていた。「陳歩、陳歩!」と、陳歩を求める村人たちが、半狂乱になって陳歩の凱旋を祝った。
口々に陳歩、陳歩と叫ぶ人々を前にして、陳歩は、「路頭でそんなに直裁に口にしなくても」と、恥ずかしく思い、巨躯な身を小さく、かがめた。
これが後の北陳皇帝・絶倫将陳歩の若き日の姿であった。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 00:32:19
なんかキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
>>424 もうちょい、「すまない、元祖陳国志から数世紀経った後の世界なんだ」
って具合に柔らかく言えないもんかね?
空気悪くなるよ
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 10:25:05
下方先生 キタァーーー!!!
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 12:46:01
叉圧【サオシ】
弁朝の近衛師団団長。
帝中心の政治を復活させるため、獅子奮迅の活躍をみせるが、杏暮の暗躍により弁朝は衰退する。
近衛師団は優秀だったが、満古軍に首都を攻撃された際にはあまり活躍できなかった。
叉圧は満古に金触樟の戦い【コンプレックスのタタカイ】で速攻撃破されたため、自身を失い。後には人が変わったかのように小さい人間になってしまった。
誰か元祖陳国志スレ立ててくれ
俺は規制中でダメだった
俺も駄目。何故か立てられない。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 21:49:13
叉圧【サオシ】 続き
弁飾とは共闘したくなかったが、立場からして共闘するしかなかった。
弁飾が陳歩と戦って(出利辺流城の戦い【デリヘルジョウ〜】)、五撫隊が壊滅したさいに、勢力の衰えた叉圧は「機会が来た。」と悟り、幼帝と弁朝近衛師団を率いて陳歩に降った。
満古も幼帝を迎え入れようとして、兵を万江〜出利辺流に展開していたため江露洲【エロス】近辺にて陳歩と満古の先遣隊との間に小競り合いが起きた。
438 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 21:54:52
知る男【シルオトコ】
十八京の入り口に置かれた高さ十メートルもの裸体の男性の像。何か知っている人物らしい。
いつの頃か股間の一物を何者かに刀で切り取られてしまった。
それまでは股間から清水の泉が湧き、まわりには花々が咲き乱れる素晴らしい公園があった。
多くの文化人が愛した名作。
439 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 00:49:16
出利辺流城【デリヘルジョウ】
大河・出利辺流に浮かぶ巨大な城。
武洲川や万江と出利辺流の違いは、出利辺流城という浮き城があるという点である。
出利辺流は他の大河とは違い、戦略的価値が圧倒的に高い、厨国全土に輸送するのに最も適しているからである。
440 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 03:26:52
美智倶楚【ビチグソ】
【1573〜1610】 性(アザナ)は美智、名は倶楚、字は高楽(コウラック) 弁王朝
末期の猛将。 長江流域の小村、句楚(クソ)にて生を受ける 幼少より武芸に
秀で、長江一帯の河賊として育てられる。 齢18にして弁王朝に捕らえられるも、勇猛さ
を買われ登用されるや、瞬く間に近衛師団長にまで抜擢される。 名馬『外利』を操り、名槍
『無花果』(イチジク)を振るう出で立ちは、時の弁王朝皇帝、弁皮をして「人中の
美智倶楚、馬中の外利」と言わしめた。 しかし、河賊の出とあって、若年のころは重要な地
位に抜擢される事はなかった。
雲国の役、袁庫の乱おいては、一騎当千の戦果を収め、ひとたび戦場に赴くや、彼の周りは
地獄絵図とかした。
軍神満古ひきいる精兵『黒満』をして進軍を遅らせたという。 満古をして「10年早く
生を受けていれば、戦況は違った」と言わしめた。
1607年の弁王朝の降伏後一度は満古に下るも、弁徐ら弁王朝復興勢力に加担した。
『厨国三大美男』の一人として史書に記される。
441 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 03:30:39
美智倶楚【ビチグソ】
【1573〜1610】 性は美智、名は倶楚、字は高楽(コウラック) 弁王朝
末期の猛将。 長江流域の小村、句楚(クソ)にて生を受ける 幼少より武芸に
秀で、長江一帯の河賊として育てられる。 齢18にして弁王朝に捕らえられるも、勇猛さ
を買われ登用されるや、瞬く間に近衛師団長にまで抜擢される。 名馬『外利』を操り、名槍
『無花果』(イチジク)を振るう出で立ちは、時の弁王朝皇帝、弁皮をして「人中の
美智倶楚、馬中の外利」と言わしめた。 しかし、河賊の出とあって、若年のころは重要な地
位に抜擢される事はなかった。
雲国の役、袁庫の乱おいては、一騎当千の戦果を収め、ひとたび戦場に赴くや、彼の周りは
地獄絵図とかした。
軍神満古ひきいる精兵『黒満』をして進軍を遅らせたという。 満古をして「10年早く
生を受けていれば、戦況は違った」と言わしめた。
1607年の弁王朝の降伏後一度は満古に下るも、弁徐ら弁王朝復興勢力に加担した。
『厨国三大美男』の一人として史書に記される。
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 04:32:55
叉圧【サオシ】 弁王朝最後の近衛師団長。 北の叉圧、南の美智倶楚と称された。
(または陰の叉圧、陽の美智倶楚)
元来、弁王朝歴代の近衛師団は武芸のみならず、教養、芸術などあらゆる要
素において有能な者のみで構成されていたが、弁王朝末期においては(叉圧や
美智倶楚のように)絶大な武力のみをもって採用されていた。 そのためか満
古率いる軍勢との首都攻防戦に置いては期待ほどの戦果を上げることが出来
ず、降伏してしまった。
叉圧は厨国史においても有数な武将でありながらも、その軍功を満足に上
げることなく戦乱の世に散っていった。
443 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 04:44:16
叉圧続き、
弁王朝滅亡後も、王朝復興勢力に加担した美智倶楚らとは異なり、叉圧は
金触樟の戦い【コンプレックスのタタカイ】での精神的な困憊が元で、ひっそりと余
生を過ごした。
陰陽にもたとえられた叉圧と美智倶楚であったが、王朝無き後は各々、陳
歩側および、満古側に分かれて対峙する事となった。
処罰される直前まで、満古の再三にも及ぶ要請に断固として首を振らなか
った美智倶楚とは対極的な生き様であった。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 12:21:57
忙江炎【ボウコウエン】
尿道炎の弟。「姦」の二代目。皇帝になって二ヵ月で死んだ兄に代わり、宰相・栄厨によって擁立された。
しかし、彼も皇帝になって五日後に溺死しており、栄厨に権力を奪われた。
445 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 14:22:53
楽岱【ガッタイ】
元は弁朝に仕えていた武将。
袁庫の乱が勃発するとドサクサまぎれに独立する。
しかし、成り上がってきた陳歩に逆賊として追討される。
のちは不明であるが、長生きしたらしい。
446 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 19:37:16
紅田魔【アカダマ】
弁朝中期〜末期に各地で暴れ回ったとされる妖魔。
序聖都や十八京にも現れ、人々に疫病をもたらした。
陰陽師の卑侮【ヒブ】によって退治された。
しかし、人々は「このような化け物がでるようでは弁朝も長くはない。」と噂しあった。
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 19:43:55
鞘駆【ザヤク】
弁朝の武将。弁飾の配下。
もともとは他国から奴隷としてやってきた母親から生まれた。
母は早くに病死したが、彼は父親に認知してもらえなかったため、十くらいで盗賊になった。
何人かの武将に仕えたが、その都度主人を殺害し、勢力の拡大をはかった。
その為、流浪の将にも関わらず弁飾の下に来た際には、私兵を五万も擁していた程であった。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 19:53:43
鞘駆【ザヤク】 続き
鞘駆は手柄を立て続け、五撫隊副隊長になり、さらに弁飾と義理の親子の関係を結ぶ程に気に入られるが、次第に弁飾の人間性を疑いはじめ、戦いに参加しなくなる。
弁飾が都落ちし、満古・陳歩それぞれに破れると、弁飾を見限った杏暮に唆され弁飾を殺害。続けて杏暮も殺害し、弁飾配下を連れて満古陣営に降った。
鞘駆の武将としての才に惚れ込んだ満古は快く彼を迎え入れたが、小音進らが「彼を入れてはなりません、彼はここにはふさわしくありません。彼を入れたら大変なことになります。」といったので、満古も正気になり、鞘駆を殺害した。
449 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 19:58:06
毛津勉党【ケツベントウ】または毛津勉賊【ケツベンゾク】
弁王朝末期に起こった思想団体、または宗教団体。最盛期には数十万人にも
及んだと言う。 元々は貧しい農民などを中心とした集団であり、腐敗しきった
弁王朝打倒のために結束した。
医歩字【イボヂ】、喜連字【キレヂ】の兄弟を教祖とする教団であったであった。
弁王朝を一気に衰退へと追い込んだ。 厨国史上最大の民衆による反乱であった。
450 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 21:29:05
弁王朝の猛将、【美智倶楚】は満古に投降後、洛陽の太守に任命される。
当初、満古は美智倶楚の、『絶大な武力』に惚れ込み、対陳歩戦にお
いての精兵『黒満』の将に任命する予定であったが、満古配下の将兵の間
で、句楚(クソ)出身の美智倶楚を黒満の将にする事は軍の統率を乱すという反
対もあって、実現はなかった。
後に西安の太守【斉翼】(セイヨク)が満古討伐を宣言すると、美智倶楚は
それに呼応し反意を示した。
美智倶楚は羅武歩【ラブホ】の地にて満個率いる精兵黒満と一戦を交える。
終始優勢に戦を進めていた美智倶楚ではあったが、反満の首謀者本人
である斉翼が満個と一戦を交えるや衰えてしまった事が、美智倶楚最大
の不運であった。 最期はたったの50騎にて満個率いる精兵黒満
3万人に徹底抗戦をしたが、遂に力尽きた美智倶楚は黒満の将、鬼区【キク】
にその『菊』を掘られ、あたり一面血の海とし逝ってしまったと言う。この
事から美智倶楚は『血便将軍』として黒満の将兵の記憶に残った。
【厨国三大美男】の一人とされた美智倶楚ではあったが、その死に様はけして
美しくはなかった・・・
451 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 21:38:37
まぁ イボヂもケツベンもすでにでてるけどな
一応 あんまりかぶらないようにしようよ
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 21:43:32
虜喪成【トリコモナス】
西廟配下の武将。大体の戦に参戦していた。特に対満古の戦いを得意としていたようである。
西廟が死に、尿道炎がなんとなく栄厨に担ぎ上げられた際に反対しつづけていたため、僻地の守備隊にされてしまい、淋しく世を去った
453 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 21:46:58
鼾下勝【カンジタショウ】
西廟配下の文官。自身に武将としての才能が無い事に早くから気付いたため、若い内から勉学に励んだため、かなりの切れ者と称されるようになった。
西廟に対して陳歩を討つ事を進言した一人
454 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 21:53:17
魔黒【マグロ】
芽越路に現れる怪物。なにもせず全然動かず、されるがままだが、急所をついて倒すことが出来る。
害はないし、子供や旅の初心者の冒険相手にもなる
455 :
449:2007/07/13(金) 01:11:47
>>451さん まことに申し訳ない。 ごめんなさい。
456 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 01:52:49
■各勢力の配下武将・関連人物■
【陳歩】
芙虞莉 、方慶、上野、貴塔、煤武、丹帆穂、牙懿、陳解、陳珍、出愛敬、孟操、淫蘭、紀騰、相武、額禄、曹柔、太蛇乃、秦躍
【満古】
牌乙、兀班、満猪、諸除幕、薫尼、音進、新麟、新謄、須島、宿助、(蘭操、蘭子、蘭貫) 、蔵取
満粕、満胡、音武、音文、音敬
【西廟】
淋廟、栄厨、臨平、苺独
、昆白武、虎駒、暗美邪 、虜喪成、鼾下勝
【雲固・雲香】
腹維汰、洸文、
潔外
【後弁朝】
虐燕、参飛ヰ、弁飾、圧椎、飛保、勇序、杏暮、弁序 、杏暮、美智倶楚、叉圧、鞘駆
【満戸】
嶺図、秘女甫
【その他】
、(斉翼、斉鋼、余馬懿、斉瞥)、(聖天関、成系)、魯罹、仁信、胤保、戸霊、手鏡、(菩帯、菩慇、菩乳、新旋、新巌、新暴)、貴須、ミコスリ・ハーン、刃通、(不能、智良)、袁庫、袁皓
楽岱、変質車、(版津賊、魔葦、棄槓)臥除士、混卦
457 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 01:55:22
まとめてみました。♪♪♪
■各勢力の配下武将・関連人物■
【陳歩】
芙虞莉 、方慶、上野、貴塔、煤武、丹帆穂、牙懿、陳解、陳珍、出愛敬、孟操、淫蘭、紀騰、相武、額禄、曹柔、太蛇乃、秦躍
【満古】
牌乙、兀班、満猪、諸除幕、薫尼、音進、新麟、新謄、須島、宿助、(蘭操、蘭子、蘭貫) 、蔵取
満粕、満胡、音武、音文、音敬
【西廟】
淋廟、栄厨、臨平、苺独
、昆白武、虎駒、暗美邪 、虜喪成、鼾下勝
【雲固・雲香】
腹維汰、洸文、
潔外、董騰
【後弁朝】
虐燕、参飛ヰ、弁飾、圧椎、飛保、勇序、杏暮、弁序 、杏暮、美智倶楚、叉圧、鞘駆
【満戸】
嶺図、秘女甫
【その他】
、(斉翼、斉鋼、余馬懿、斉瞥)、(聖天関、成系)、魯罹、仁信、胤保、戸霊、手鏡、(菩帯、菩慇、菩乳、新旋、新巌、新暴)、貴須、ミコスリ・ハーン、刃通、(不能、智良)、袁庫、袁皓
楽岱、変質車、(版津賊、魔葦、棄槓)臥除士、混卦、ミコスリハーン、ダキタイ、ヤリタイ
一応まとめtれみました。
458 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 12:50:19
■各勢力の配下武将・関連人物■
【陳歩】
芙虞莉 、方慶、上野、貴塔、煤武、丹帆穂、牙懿、陳解、陳珍、浅断、出愛敬、孟操、淫蘭、紀騰、相武、額禄、智完、知衿、曹柔、太蛇乃、秦躍
【満古】
満牙、牌乙、兀班、満猪、諸除幕、薫尼、音進、新麟、新謄、須島、宿助、(蘭操、蘭子、蘭貫) 、蔵取
満粕、満胡、稚急、音武、音文、音敬、音烈、奮世羅 、縫怒
【西廟】
淋廟、栄厨、臨平、苺独
、昆白武、虎駒、暗美邪 、虜喪成、鼾下勝、飴婆、銷白魅
【雲固・雲香】
腹維汰、洸文、声爲、敬奮、仁奮、休奮、破奮、夷星、組執、翠扇
崟栄、潔外、董騰、傑勉、兎慈
【後弁朝】
虐燕、参飛ヰ、弁飾、賺跳鹵、圧椎、飛保、勇序、杏暮、師艦、暁宙、弁序 、杏暮、美智倶楚、叉圧、鞘駆 、雄楢、惨尼羊鼾、弁威、弁飛、弁貴、戯或、賺跳鹵、濃斑
【満戸】
嶺図、秘女甫
【その他】
、(斉翼、斉鋼、余馬懿、斉瞥、斉記、斉益)、(聖天関、成系)、魯罹、仁信、胤保、戸霊、手鏡、(菩帯、菩慇、菩乳、新旋、新巌、新暴)、貴須、刃通、(不能、智良)、(袁庫、袁皓、宙舌)歪摂
楽岱、変質車、(版津賊、震魔、斗蘭楠、尾睦、振怖、魔葦、弾尼、縫譜裸、蕪羅蛇、乱背李、棄槓、押芽)臥除士、混卦、(ミコスリハーン、ダキタイ、ヤリタイ)
丘間、帝王・雪怪、刃通、狽勢腐
一応まとめtれみました。 やっと終わった〜〜♪♪
459 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 14:14:18
武将等の登場人物の充実に改めて驚かされた
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 14:16:52
羅棲武神【ラスプーチン】
戦の神。巨大な戟を手にしている。
陳歩がはまっていた宗教。陳歩は自分こそ羅棲武神の化身だと名乗っていたらしい。
462 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 18:23:10
煽汗【アオカン】
四川国の人物。度々、陳歩の領土に堂々と侵攻しに来たため、陳歩配下の豪将・額禄【ヌカロク】にやられまくって死亡した。
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 18:33:42
堕超【ダッチョウ】
四川国の城持ち大名。陳歩が厨国にて、圧倒的な勢力になった際に親書を送るのだが無視された。
その為、腹を立てて陳歩の所領に進撃するが、陳歩の配下の西廟に破れ、捉えられる。
西廟配下の栄厨が陳歩を討つ計略の為、堕超は四川国に帰され、煩悩寺の変に関わることになる。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 22:06:30
北陳 義将伝
煤武【バイブ】
陳歩の義弟。派手な装飾品を身につけていた。
陳歩挙兵の時に後方勤務に就く様に陳歩から要請を受けたが「兄者を護るにはワシが前線に出るのが一番」と語り、前線に出続けた。
弁飾軍・満古軍・満戸軍・四川国軍・雲国軍の数多くの武将を一騎打ちで破った。
陳歩が一時期、後方の反乱で追い詰められた際にはぐれてしまうが、あちこちの戦場(海泡瀬の戦いなど)にちょっかいを出しつつ、武将を何人も殺しながら陳歩に合流した。
煩悩寺の変の後に西廟の大軍に陳歩の愛馬・絶麟に乗り突撃して、苺独を討ち、栄厨の腕をうばったが、起ったまま果てた
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 22:17:03
宗穂馳【ムネポチ】
字は皿帆亜【シヤラポア】
長きに渡り、満古に仕えた人物。
もともとは新暴の配下。満古が陣営に呼び込んだ。
瀬宮洲方面の指揮官を努めるほど満古から信頼されていた。
第四次瀬宮洲の戦いにて、上野の策にはまり、煤武に突撃され、討ち死にした。
二癖@
裟堵【サド】
字は得州癖【エスヘキ】
北陳の武将。
鞭(ベン)を得意とする。
馬塑【マゾ】
字は衛務癖【エムヘキ】
満古の武将。
受け(守り)の名手。
二人の初対峙は馬塑の守る虻嚢丸(アブノウマル)の砦である。
様々な手段で攻める裟堵であったが、馬塑もこれによく耐え一歩も引かなかった。
何度も対峙するうちに敵でありながら、友情にも似た奇妙な感情が芽生えていた様で、決して卑怯な策を使わず、相手が病に倒れた時は気遣ったりもしたという。
二癖A
裟堵は「私を一番理解してるのは彼であり、彼を一番理解してるのは私である」と語り、
馬塑もまた「相手が裟塑ほど名のある将であるからこそ、私の様な愚将が世間に知られる様になった」と応えた。
敵同士ながら【攻め裟堵、受け馬塑】もしくは二人の字から【虻嚢丸の二癖】として並んで称される
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/14(土) 21:43:49
陳満四十八手
陳歩と満古がぶつかり合った戦を、のちの人々が略して図柄にしたもの。
陳歩と満古の戦が四十八回、四十八種類分、屏風に描かれている。
裏四十八手は陳満以外が戦いあったものを描いている。
両方合わせて表裏九十三手あり、かなり細かく、戦いについて書かれている。
のちの世の兵法書にもなったほど有名。
作者は雲国の翠扇と雲智か?
470 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/14(土) 22:05:19
故事成語・・・
王が住む【オーガスム】
陳歩は幼帝を奉じて、満古を倒すための戦の準備中に転寝をしてしまった
陳歩は夢のなかでにわか雨に襲われた。
陳歩は屋敷に入り、雨宿りしたいのだが入れない。門番がいるからである。
門番は言う「ここは王が住むからダメだ」。
陳歩は言う「雨宿りくらいいいじゃないか!」
門番は言う「入ったら、二度と戻れないぞ、王が住む屋敷は楽しいからな。」
陳歩は言う「構わない!王が住む屋敷と言えど、ワシには関係ない。」
陳歩は夢から覚めると、上野や孟操に夢の事を語った。
誰もその話を理解できなかったが、その日から陳歩は人が変わったかのように、権力にこだわり始める
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 00:45:52
まとめサイト作ってくださった方、ありがとうございます。
自分なんかキャラを出すだけ出して何もしてなくてすんません。
472 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 00:51:36
救瑞【スクミズ】
版津賊の武将。震魔の親友であり義弟。
若くして勇猛果敢な武将。知略は無いが、一騎だけでも突撃するほどの肝っ玉を持つ。
版津賊が崩壊する時に、袁一族を頼って南方に向かった。後には不能の配下になったらしい。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 01:03:26
巣髪【スパッツ】
版津賊の武将。
火計を得意としていた。敵の動きに合わせて密着させた兵の操り方を得意とした。
版津賊崩壊後はあちこちの戦場に参加したらしい。
474 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 01:10:30
霊王・太奴【レイオータード】
帝王・雪怪【テイオウ・セツカイ】とともに厨国を騒がすなぞの人物。
振怖【ブリーフ】を配下にして版津賊を作らせた。
霊王・太奴は自分自身から戦にも出るほど動きがいい。
何かに伝染して死んだため版津賊の崩壊につながった
475 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 01:13:28
摺怒王【ストッキング】
霊王・太奴の長男。彼から王位を譲り受けるが、版津賊をまとめる事が出来ずに海外へ逃亡した。
ミコスリ・ハーンを頼って大帝国・擦に逃げた
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 01:22:40
罨太摘【アミタイツ】
四川国出身の版津賊。もともと版津賊の大半が四川国出身の人物の為、呼ばれて版津賊に入ったらしい。
本当は弁朝に仕官しようとしていたようである。
罨太摘は学者であり、様々な兵法書を集めていた。
尾睦や押芽に用兵術を教えた人物。
摺怒王【ストッキング】に忠誠を誓っていたため、他の版津賊とは袂を分かつ。
しかし、版津賊崩壊後はやる事なす事上手く行かず酒に溺れ、体を壊したときに伝染病になり死亡
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 01:32:20
原牧【ハラマキ】
版津賊の武将。版津賊遠征軍の大将。
序聖都に火を放とうとしたため、序聖都の自警団によって攻撃された。
版津賊崩壊後に四川国に退却した。
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 09:37:43
王婆・新疎楠【オーバー・ニイソックス】
霊王・太奴の母親。もともとは弁朝の貴族の娘。版津賊結成の資金源となった。
479 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 15:34:18
女鹿熱狐【メガネッコ】
前弁朝を滅亡に追いやった。と言われる妖怪。
宮廷の女官に化け、後弁朝の世に現れて、弁帝を誘惑しているから弁朝が崩壊しつつある。との罪で弁飾が、弁帝の身の回りの世話をする女官6千9百人(女官だけでなく帝の皇后以外の妃も含む)を殺害した。
女鹿熱狐などというものはもともと実在せず、前弁朝も帝の失政で滅びた。というのが真実である。
弁飾は女官が宮廷の金を食い潰すため、言い掛かりを付けて滅ぼしたようだ。
この事件の影響・・弁飾は皇后にしていた自分の伯母を利用して、後に幼帝を担ぎ上げるのだった
だんだん名前がヤンキーの挨拶みたいになってきたな夜露死苦
もうちょっと人名らしくしないとな・・・
糞スレの予感
大珍帝国に完全に負けちゃったね、このスレ。。
483 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 21:08:12
負けてるか?まだ人名を上げて概要を作ってる未完成の段階だし、まだまだ解らないとも言えそうだが?
登場人物がいなきゃ物語は始まらないし、、
スレの勢いじゃね?
むこう覗いてみたけどなりきりスレってままごとっぽくて参加する気がしない
485 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 21:23:52
俺もこっちの方が良いかな? こっちは下ネタばっかだけど、史書みたいで
読んでて面白い
486 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 22:18:54
あっちの内容はネタ板向けの稚拙な内容、こっちのは三戦板の中のフザケネタだからな・・・歴史好きならこっちかな?
てかネタ切れだろ。ここって。
ストーリー性に欠けるからじゃね
488 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/15(日) 23:38:59
三国志も人物の列伝からできているからストーリー性に欠ける。
だが演義がそこから生まれたのと同じく、物語が下方先生や下川先生によって紡ぎだされる
面白くなるのは今から
489 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/16(月) 00:29:51
初代スレには吉川英恥先生という文豪がいたなぁ…
主な登場人物
主人公・・煤武
491 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/16(月) 10:36:35
陳歩と大珍帝国っていがみあってたんだな
>>483 ぷぷぷぷぷwwwwwwwwwwwwwwwwww
哀れすぎるwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>484 お前もこっち来いよ。過疎スレなんか捨ててさぁ。大珍帝国は楽しいぞ。
釣り乙
495 :
佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs :2007/07/16(月) 20:09:19
■後陳歩スレ(2007年4月29日〜) ■
後陳歩スレとは三戦板に登場した創作スレでかの陳国志の正統後継スレを名乗る
偉大なるスレである。
【初代皇帝
>>1】
>>1-8レスまでは間違いなく初代皇帝が記したものである。(何故か一レスほどひょーりみ
の馬鹿も混じっているが)
なんと
>>6の時点で陳歩の物語りの骨格は出来上がっておりまさに偉大なる開祖であった。
【皇帝不在・危機の時代(5月15日〜5月31日)】
まさに半月の間、レスのまったくない、危機の時代であった。
【2代皇帝・上げ帝】
>>28に救世主、上げ帝が登場。以後、上げまくりながらネタを書きまくり
このスレを救った。
【3代皇帝登場】
超賢帝が登場。
>>42に陳歩の壮大なストーリーを形作る。
さらに先帝の上げ氏および、下げ氏が賢臣として帝国を支え全盛期を迎える。
【栄光の世紀(6月7日〜7月8日)】
連投上げ氏と下げまとめ氏により三戦有数の良スレとしてその威は世界に轟く。
>>301の武将鑑定士や佐倉氏のwikiなどにより帝国の栄華は永遠に続くかと思わ
れた、しかし6月29日に建国された大珍帝国スレにより徐々に帝国は侵食され始め
ていたのである。
【上げ氏の戦い(7月8日〜)】
帝国一の忠臣であり帝国の大黒柱であった上げ氏は、大珍帝国の侵略という危機に
対し、自ら帝国を救わんと4代皇帝に就任!孤独な連投戦を始める。
その姿はまさに蜀漢の羌維を思わせたという。多くの人材は大珍帝国に引き抜かれ
苦しい戦いが続いた。その後帝国がどうなるのはこれから明らかになっていくことだろう。
496 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/16(月) 21:20:36
佐倉殿!僕らの陳歩を守ってくだされ!
僕も何十人くらい(版津賊・菩一族・雲智・ミコスリ・弁飾一味ら)はキャラを提案させてもらったが、このスレを巨大な歴史小説にするために佐倉殿が必要不可欠じゃあ
変なの来た
このスレもうだめかもしれんね
適当な名前をつけて名前とあまり関係ない、なんのひねりも無い
列伝をつけるスレに成り下がってる
名前もやたら訓読みが多いし
前スレの名前は異民族以外はなるべく実際の人物の名前に使われている
漢字を使用するっていう暗黙の了解があったような気がする
>>496 僕は大珍スレにいりびったているので、裏切り者です。はい。
大珍に飽きたら、また戻るつもりです。
>>496 おおっ!あなた様があの高名な上げ氏様ですね。陳歩スレの最期の砦となって
おるのですな。
501 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/16(月) 22:28:39
大珍スレの馴れ合い、なりきりを持ち込むな
きめぇ
>>501 いや・・だってネタ切れだし、もう考えるの疲れたし。
本当はね、満古や満戸も陳歩、不能並みの長文にする予定だったのだけど、
途中で大珍スレのほうが面白くなっちゃてね。
大珍は漫画にしてほしいな。横光あたりでw
まぁ無理だから小説と言うことになるんだろうが、
電車男みたくならんだろうか
また地震だね
506 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 09:06:10
杯雪仏【ハイセツブツ】
弁朝の国教における最高の仏。
たびたび弁朝を救うため、天から降りてきて救いの手を差し伸べたが、弁朝の宦官の馬灸武【バキュウム】らによって、杯雪仏の手助けは失敗におわった。
507 :
496 ◆qG5Uj1x8xc :2007/07/17(火) 09:08:30
まぁ 実際 上げたのは俺だけじゃないよ。
たまたま上がってたのを見たから上げてキャラを書いただけ。
ちなみに俺も陳歩スレのとあるキャラ名使って大珍に参加してます
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 15:30:49
素直に排泄仏の方が良いんでない?
510 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 15:36:54
運珍愚巣対流
(ウンチングスタイル)
ヨーロッパからの商人。最初はキリストを教えるために、陳の国へやって来たが、
陳の国で妻帯し、陳名を名乗った。後に一騎当千の強者と呼ばれた運陳はこの孫。
511 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 18:21:58
名前の漢字は、もともとの物よりも捻った方がいぃんだぁない?
だから杯雪仏でも いーんじゃね。先に考えた者が付けたんだから
512 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 18:27:04
玉【タマ】
陳歩の長女。満戸(後の陳戸)の妻。
見た目は丸々していて、色黒くて美しくないが、中々の才女。
戦場へ向かう満戸の配下の兵の為に夜業して沢山のお稲荷さんを作った事から賢妻の鏡とされる。
毛深いことでも有名。
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 19:04:04
>>513 もう漢字とネタがないからヤンキーぽくなるしかないのでは
もう末期じゃんw
516 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 19:46:57
元祖陳歩スレ立て直さなくて良かったな
>>516 元祖陳国志の権威が傷つかずに済んだなw
519 :
1:2007/07/17(火) 20:18:27
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
こうして陳歩帝国は滅んだのである。
〜〜〜〜〜〜〜終〜〜〜〜〜〜〜
国破れて山河あり
城春にして草木深し
ここがかつての陳朝の会った場所か。ずいぶんとさびれ
滅び去ってしまったのう。
今はわしも流浪の身じゃ。
人の夢と書いて儚いと読む
本当に人の夢とは儚い者じゃのう…
526 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 22:35:58
このスレは御覧のスポンサーの提供でお送りしました
阿蘇国際興業
萬古焼
富痔痛
霊王・太奴【レイオータード】
1500年代末〜1600初頭
彼は貴族の家柄に育った、幼少時から学問に励む優秀な少年でもあった。
彼の家は四川国における弁朝の出先機関を努めており、貿易で潤っていた
だが、彼が二十歳になる頃に一家が帝に対する謀反を企んだ。として無実なのに惨殺される。
彼は辛うじて母親と共に逃げ出し、母親の実家の貴族の家で過ごす。その間、ずっと帝に対する恨みを持っていた
だが、彼はある日、夢のなかで杯雪仏に指示され、霊王を名乗ることを決意する。
霊王・太奴 続き
霊王・太奴は母親の実家にて働きながら、他の家の貴族との縁組をして財産を手に入れる。そして武装をした。
この頃、弁朝から職を解かれた旧友・振怖が太奴を頼ってやって来たので迎え入れている。
振怖を慕って次から次へと四川国の猛者が霊王の下に集ってきた。
ある日、太奴は弁朝が芽越路の守護隊を探しているのを聞き付け、立候補して見事守護隊の三番隊を任せられた。
しばらく、彼は真面目に働き続けたが、ある日、守護隊を攻撃し、芽越路にて独立宣言をする。
霊王・太奴 続きの続き
独立した太奴は、四川にいた頃に昔話で聞いた英雄・版津【パンツ】の旗印を掲げ、杯雪仏のご加護を説き、弁朝へ反旗を翻した。
弁朝はしばらく無視していたが、版津賊は三十万近くにまで膨れ上がり、弁朝を脅かしはじめると、弁飾を大将とした官軍が版津賊を攻撃した。
版津賊は最初は敗退を続けた。しかし、四川から流れ着いた尾睦や押芽らが指揮官に付いた版津賊は官軍を長期にわたり苦しめ続けたため、遂に司令官・弁飾はある程度の権限を版津賊に与える代わりに弁朝への忠誠(本当は弁飾への忠誠らしい)を誓う事を条件に和議を結ぶ。
こうして、版津賊は独立した勢力へと変貌を遂げることになった。
懐かしいスレだな。
馬刺とか居なかったっけ?
まだ続けるのかよw
夜露死苦レベルの書き込みしか期待できないってのに
なんて言うか笑い所が無いよね、ただ変な名前をつけただけのできの悪い架空人物伝だな
具体的には挙げないが名前が○○である必要が感じられない
元祖陳歩では班鄭(ぱんてぃ)と程操(ていそう)が万黄を守る役割を持ってたり
梅阿倉(ばいあぐら)が老齢の陳歩を支える役割を持ってたり名前に意味があったんだが
このスレには元祖スレにあった一見真面目な人物伝の中にシモネタを隠すインテリジェンス(笑)が欠けてるな
名前のちんぽやうんこだけで笑うのは小学生までだな
やたらと自分の作品を主張する空気の読めないやつと、
空気の読めないコテが湧いてくると大抵のネタスレは死ぬ
この二者は自分が面白くないことに気付かずに連投して
スレをつまらないネタで埋め尽くす
何故なら空気を読めないから
534 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 13:26:43
背殷斗清矢
(セイントセイヤ)
もうこんな糞スレやめようぜ
>>535 さようならもう来なくていいよ。君が来ると荒れるから。
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 17:39:54
乙杯万
オッパイマン
明の時代の農民。貿易をしにきた倭人の商船を乗っとり、乙帝国を作ろうと
妄想する。
右に巨乳のー
ひーとあれーばー
行ってフルフルー
揉ーんでやりー
540 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 18:06:42
清騎太郎平朝臣長知
(せいきのたろうたいらのあそんながとも)
平安時代の武将。北面の武士として朝廷に使える。
本姓は平。平知盛と関係がある、らしい
左にー垂れたー
ちーちあーればー
おっぱいマスクをー
あーてがうぜー
なんとなく続いてるのね
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 18:23:14
あぁー
オレはいい人ー
オッパイマーン!!!
なんという名スレ
このスレのレベルなら俺でも書けるぜ
尾万個(オマンコ)
すげー名将
初代陳歩スレもこんな不遇の時代を乗り越えて偉大なるスレになったのじゃ。
なんせ1スレ消化に1年かかっておるからな。これからじゃよ。これから。
さすが!戸霊【ペレ】さまは言う事が違う!
このスレのレベルなら書けるって言ってたヤツが居るが、貴様程度のバキャは書けてるつもりなってりゃあいいさ!
自演くせぇwwwwww
【戸】 [戸/4] [コ/と]
戸霊【ペレ】←なに読み?中国読みなの?
有名どこだと八戸(はちのへ)・三戸(さんのへ)
岩手県三戸郡戸来村(いわてけん・さんのへぐん・へらいむら)なんてのもある。
小学生じゃあるまいし、大辞典でもなければ辞典には常用読みしかないのぐらいわかると思うがな。
それとも
>>549は在日なのかな?
聞いただけなのにやたらと絡んでくるなw
中国人の日本語読みでそんな特殊な日本語読みをする例を知らないものでねw
「水」で「うず」とか「谷」でやちとか「石」でしとかつけんの?w
552 :
下方謙三・陳家将・炎上煩悩寺・1/3:2007/07/18(水) 23:10:04
鐘の音が、百を超えた時、陳歩はまどろみの中に居た。
夢の中で陳歩は、あの瀬宮州に立っていた。川が流れている。多くの将兵たちの血で、真っ赤に染まった川だ。鼻をつく人のにおい。腐った乳の匂いがする。
「陳歩よ……」
何者かが、川の向こうからやってくる。
満古だ。
日に焼けた顔、幾重にも重ね着された、ビラビラの皮鎧。
そういえば、このように声を交わすのは初めてだった。
「お互い、少しヤリ過ぎたな。この顔を見よ。真っ赤に腫れておる」
満古の自分の顔をさして笑う。
「俺も少し、ヒリヒリする」
不思議なことに自然と陳歩も話を交わしていた。
本当は、戦いよりも話し合いが必要だったのかもしれない、と陳歩は思った。満古にもも、憂いや恐れがあったはずだ。さまざまに、幅広く。陳歩にも、広い範囲にわたって憂いが多かった。広と憂く(ピロートーク)をお互いに交し合うべきではなかったか。
だが怖かった。あのころはただ。瀬宮洲に赴くことが。満古と戦うことが。政(せい)に、向き合うことが。
「なあ、陳歩よ。俺たちはこの戦いで、何かを見出すことができただろうか。何かを作ることができただろうか。」
川は、緩やかに陳歩のくるぶしを通り過ぎる。
陳歩は、答えられなかった。
「満古……」
陳歩は、川の向こう側に足を一歩踏み出す。
553 :
下方謙三・陳家将・炎上煩悩寺・2/3:2007/07/18(水) 23:11:08
ジャーンジャーンジャーン、という半鐘の声がする。煩悩寺の鐘の声ではない。陳歩は寝所から跳ね起きた。
「何事か、四川の奇襲かっ」
近習の仁真がすぐに駆け込んできた。
「煩悩寺は、既に囲まれています……」
「して、敵は! 四川か、それとも南満の……」
「……赤き髪結い布(レッドリボン)……西廟の旗印です!」
陳歩が寝所の戸を開けると、無数の矢が打ち込まれた。陳歩はかまわず、素手でなぎ払う。
その向こう側に、陳歩は見た。赤い髪結い布の旗印の下に、騎馬にて指揮する男。西廟。
どす黒く、汗が噴出している。
一瞬、方慶の顔を思い浮かんだ。
「是非もなし。」
陳歩は弓を取り出すと、落ちている矢をつがえ、殺到する敵に矢を入れていく。まるでピストンのように連射される矢は、敵を次々と逝(イ)かせ、あえがせ、失神させていく。
「チンポサマー!」
「不礼泥(フレディ・牙懿の愛称)か!」
「アッシ、モ、タタカイ、マッスル!」
牙懿は宣教師の奴隷だったところを陳歩が譲り受けた将だ。黒い肌を持ち、筋肉であふれた身体が今、陳歩を守り戦っている。
「フォー!」
牙懿は腰を高速で振り乱し、次から次へと殺到する敵をなぎ払っていく。
仁真も刀をつがえてやってきた。
「陳歩様、ここは私と牙懿が防ぎますゆえ、お逃げください!」
逃げられるわけが無い。陳歩は悟っていた。愛馬の絶臨も、ここにはない。
「仁真。……扇を持ってまいれ」
「……は?」
「舞う。」
554 :
下方謙三・陳家将・炎上煩悩寺・3/3:2007/07/18(水) 23:12:28
陳歩は奥の間へ向かうと、鎧を脱ぎ、衣をはだけ、半裸となった。この衣は方慶が残してくれたものだったなと、ふと方慶の事を思う。
一皮ムケるために、方慶を切ったことは、後悔はしていない。
ただ、一生、ムケないまま、道程(みちなかば)であっても良かったかもしれないなと思うことがある。たしかにそれは青クサく、天下をモテるような男にはなれなかったかもしれない。一生、瀬宮洲で戦ができなかったかもしれない。
ただ、方慶と共に、悪多駆(おたく。悪ガキの意味)として秋の葉の舞う原野の中を駆け回っているのも良かったのかもしれない。共にあけびを食みながら、あの懐かしい勃起村で。
「……支度ができました……。」
仁真から扇を受け取ると、片手で刀を持ち、ゆっくりと息を吸い、足を踏み出す。
珍世五十回
下寝(シモネタ)の出来を比ぶれば
夢、精出すの孤独なり
ひとたび生を出し
果てぬものなどあるべきか、あるべきか
さらに陳歩は、舞を続ける。表で下懿の「フォォォォ」という最後の声が聞こえる。仁真の目には、涙が流れる。
力は股で抜き
秘部は余に覆いかぶさる
絶臨でもイケず
絶臨でもイケずしていかんとすべき
陳、陳、難事をいかんせん
555 :
下方謙三・陳家将・炎上煩悩寺・4:2007/07/18(水) 23:13:00
やがて寝所にも敵兵が殺到してきた。陳歩は舞の続きのように、兵を刀で突く。
「……仁真。逃げよ」
「しかし殿!」
「逃げよ!」
仁真は、満古との戦いの中で見出し、生まれたような男だ。彼は、陳歩と満古の夢の結晶といえる。
「逃げよ。そして生きよ。われわれの戦いは、お前を生むためにあったのだ!」
仁真は、わけもわからず駆け出していた。寺の参道を、わんわんと泣きながら滑り落ちた。
ふと、振り返ると、煩悩寺は燃えていた。
仁真の耳の奥には、まだ陳歩の美しい歌声が響いていた。
生きる。
仁真は強く思った。こぼれ出る涙と声は止まらないまま、仁真は亜加護(あかご・僧侶の一種)となって、乙牌(おっぱい)を探し駆け出していた。
程倉【テイソウ】
満古四天王の一人にまで数えられた腹心。
満古が幼少時から腰巾着の様に付き従ったが、第三次瀬宮洲の戦いの際に本陣の幕と共に突き破られて死んだ。
>>556 元祖陳国志の焼き直しっぽいけど、こういう感じにリメイクしていけると、良スレになれる罠
斌叉魯【ピンサロ】
四川出身の弁飾の配下。
五撫隊二番隊副隊長。元は傭兵であり、金さえあれば何でもする人物だったが、弁飾に気に入られたので居ついた。
陳歩と戦った際に何度も攻撃してくる陳歩を本陣まで引き入れてしまい破れるが、その時に陳歩の強さに魅力を感じてしまう。
体勢を立て直して再び陳歩に挑んだが、陳歩配下の額禄に破られ死亡。
典雅【テンガ】
字は松本 号は光一
満古の影武者。彼は満古から身につけていた者を譲られてから心酔している。
第四次瀬宮洲の戦いの際に陳歩軍は満古と間違えて典雅の陣に突撃してしまい、伏兵を率いてきた満古に壊滅的打撃を与えられた。
第五次瀬宮洲の戦いの際に煤武に奇襲されやりたい暴れられて、戦死した。
560 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/19(木) 23:32:09
凡丁慈【ボンテージ】
弁飾の配下。五撫隊三番隊副隊長。
四川出身で当初は版津賊にいたが、最初の討伐の際に寝返った。
他人には理解できない。が口癖の武将。革の服を好んで着ている。
鞭を好んで使用している。陳歩配下の上野に罠にはめられて重傷を負ったあと、牙懿に斬られた
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
お前ら大珍に負けてるぞ
摂理【セツリ】
字は刈跳【カルト】
半島にて勢力を拡大して厨国に進出してきた人物。
女好きな為、ハーレムを築こうとする。
優秀な人材を集めて巨万の富を得て、厨国支配に最も近い・・・とも言われたが、満古軍に破れ、満古配下になった菩慇によって討ち取られた。
>>562 ちなみに、ここのスレ主は大珍帝国の主要な投稿者の一人だったりする。
日安煉【ニチャンネル】
知識が無限に湧いてくる伝説の賢者。
多重人格なのか様々な性格を見せる。
すべての人々を迎え入れる大器。
星浜【スタビ】
南方出身の武将。袁庫の配下として名高い。
彼は自国を強化するため、人口を増やす政策をとり、若者に出会いを提供した。
袁庫に対して絶対的な忠誠心を持っている。
如帯森【ニョタイモリ】
出利辺流から万江にかけて存在する密林の総称。
高級な食材なども発見されるが、初心者ではここまでは来ることが出来ない。とされる。
陳歩の出身地である勃起村もこの森に接している
【佐倉広夢(さくらひろむ)】
元祖ボーイズラブゲームともいえる「好きなものは好きなのだからしょうがない」
の1のサブヒロイン。のちにクリスや廉と同じく所詮脇役といえば脇役。
だがこのゲームの脇役や超絶ショタが多いので罰ゲームとしてこのゲームを
やらされている男子などは、広夢なら男でもいいやなどと危険な発言をして
しまったりするという。
宦惇【カントン】
方慶の義兄。
自身の利益の為に方慶に策を献ずる面もあったが方慶の知恵袋的存在。
宦惇は頭が良く、方慶を陳歩配下として名高い将としたが、方慶が増長して陳歩に悪影響を与え始める原因を作ったため、方慶が切られた一因ともなった。
方慶死後、宦惇は断罪され切られたが
この一連の事件を経験したことで、陳歩は一皮剥け、さらに強大となれた。
上げ師とは、
上げ師は陳歩スレにキャラを提供しつづける人物。
かなりの人数を一人で提案した人物であり、佐倉氏には及ばないまでも陳歩スレをもり立てた功臣。
しかし、一人よがりの面も多い。
571 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/21(土) 10:26:28
管切【ヒニン】
西からきた人物。本名はパイ・プカット。
満古に雇われて陳歩の暗殺をしようとしたが失敗した。
>>571 陳歩軍から放たれた矢を一身に受け、満古の窮地を救ったという
ってな具合に捻り入れろよな・・・
>>532の指摘を真摯に受け止めろ
>>572 自演乙。
あれはどう見ても大珍帝国の批判だろ。
アイディアに満ちている陳歩スレには無縁の話
どう見てもこちらの批判です。本当にありがとうございました。
元祖陳歩まとめサイトをよく読んで勉強してから、もう一度
>>571を読んで
本当に面白いか?ひねりは効いているか?中国人に実際にありそうな
名前か考えてみましょう
わざと捻ってないんじゃないのか?
最初の方に、キャラの最期はぼやかした方がストーリーを他の人物と絡ませることが云々という提案が書いてあったはずだが?
流れを良く読んでから批判するべきだろ。
ここはまだ、「こういう人物はどうかな?」っていう提案の段階なんだろ?多分
つかここと全く趣旨の違う大珍に
>>532みたいな批判するわけねーだろ
>>575 まず名前がダメ、星浜【スタビ】とか管切【ヒニン】じゃ膨らませる気がしない
中国人らしい名前がほとんどで、たまに一つ二つこのレベルの名前が出てくるなら
許容範囲だが、ほとんどが夜露死苦レベルだとちゃんとした名前の人物とは絡ませたくない。
次にそういう考えなら始めから何も書かないほうがいい
下手にある程度の列伝を書いているからその設定を無しにして始めから書き直すわけにもいかない
人物設定は提案者自身が書き加える可能性も有るからな、それを横取りするのは良くないだろう?
そしての設定自体がつまらないので膨らます気にはなれない
元祖スレで列伝が2・3行で止まっていて新たに加筆されそうな気配の無いものに書き加えたことが
あるが、本スレではこれは膨らませば面白くなると思えるものがほとんど無い。
>>575は提案の段階と言うがあまりにも数が多すぎる
これだけ多くの提案を誰がフォローするんだ?
578 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/21(土) 14:09:41
提案の段階ってのは建前だろ
投稿者がネタのレベルの低さを取り繕うための都合の良い言い訳にしか聞こえない
わたしは575なんだが、因みに上げ師でもある。
何人か提案(弁飾とか菩一族とか、)したが確かに私の文章も至らなかった点が多い。名前を考えるのとかで精一杯な感じだったかも
しかし、時には(自分じゃないけど)漢字の数が半端ないキャラもいたな。良く考えれば、ビチクソとかめちゃくちゃだよな、せめて美竹楚あたりが的確だったのかな?しかも、その人に俺が書いた叉圧とか勝手に末路まで変えられたし、
なるべく三国志などで使われている漢字を使うとそれっぽい名前になる
ビは美より麋竺の麋姓を使った方がそれっぽい
確か上の方で漢字が被るというようなことを言ってる人がいたが中国には
同姓が多いので問題無い
この時代になると遼国系などの通常の漢民族の姓に無い漢字を使用した
二文字姓二文字名もそれなりに有るだろうから美智倶楚も有りとは思うが
たくさん居過ぎると萎える
>>579 それから提案と言いながら末路が変えられてることに文句を言うのは矛盾している
文章力が無いから話は書けないけど提案なら、ボンテージは無理に漢字にせず
清朝にひっかけて初代「太祖・アイシンギョロ・ヌルフェチ」二代目「太宗・アイシンギョロ・ボンテイジ」
でストーリーを作ったほうが話は広がったかもね
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
陳卓【チンタク】
陳歩の弟。陳歩の影の様だと言われる程に陳歩に従った。
文官だったらしい
丹飛【ニート】
弁朝の役人。口先だけのクズ。
陳歩の事を調べにきたのだが、部下を使って自分は家にひきこもっていた。
陳歩を異常なほど疑っていたが、自分は何も出来ずに批判ばかりしていた。
のちに陳歩に従った盗賊に殺されたらしい。
菩泥【ぼでぃ】
菩帯の弟。菩一族の失脚の際に盗賊に成り下がり、内洲【ナイス】に居を構え、馬泥【バディ】と名を改めたが、満古配下になった菩慇によって成敗された
ヌルヌル
北の地域の武将。厨国侵略を企む人物
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 10:39:28
>>574 君こそ旧陳歩スレを知っているのか?何度もスレ落ちの危機にあった、あの
超遅速スレの歴史を。
あのスレが面白いのは神まとめ人が存在していたため。ネタ事態がそこまでレベル
が高かったわけではない。
そもそも旧陳歩スレと現在の陳歩スレの投稿者は恐らく半分くらいは同一人物。
旧陳歩スレを崇拝している人はあの時代のスレの実態を知らずに陳国志だけを読んで
わかっている気になっている輩だろう。現行スレのほうがよっぽど良スレ。
それと大珍帝国はこれから一気にレス数が減るから大丈夫。
脅威にはならないから安心して。ふふふふふふ。
2週間後には閑散としているはず。
>>590 このスレが良スレだって?wもしかして駄ネタ量産してる人?元祖陳歩スレの歴史を知ってて駄ネタを
量産しまくってるんじゃ救いようがないな
文脈から
>>590=
>>591だと思うんだけどスレの勢いが高ければ良スレと思ってる人?
別に大珍帝国なんかどうでもいいから、向こうは向こうのルールで楽しめるやつらが集まってんだから
ほっといてやれ、と言うか向こうの勢いに対抗して駄ネタを投下しまくってるのなら頭悪すぎだろ
元祖は面白くないやつはネタは作らないみたいな空気があったからスレが遅かった
登場人物を増やすためだけに書かれたような駄ネタもけっこうあったが良ネタを駆逐するほどではなかった
まとめ人が現れたのはスレ終盤という事実もお見逃しなく、それまではまとめ人がいないのに
良ネタが出ていた、むしろそれまでが面白かったからまとめ人がまとめサイト作る気になったんじゃないの?
翻ってこのスレは何故まとめ人がまとめてくれないのか?スレの存在を知らないという可能性もあるが
やっぱり面白くないからじゃないの?
で、元祖陳歩スレの歴史を知る
>>590は本当に面白く、てひねりが効いていて
実際の中国人にありそうな名前だと思ったの?
乃造【ノック】
字は横山【オウザン】
北方から知らぬ間に勢力を拡大して厨国に手を伸ばしてきた姦雄。
馬車に乗っている時、乃造に神が降りてきて侍女の下半身を触った。という逸話もある事からシャーマンではないかという噂もある。
昔は大道芸人だったらしい。
北陳を脅かす勢力の一つを持っている蛮族の王の一人
元祖は面白くないやつはネタは作らないみたいな空気があったからスレが遅かった
↑
ここ笑うとこ?
旧陳歩スレが何度保守職人に救われたと思っているんだ?
しかも実態は一行だけの武将が多く。ストーリーも無いに等しかった。
旧陳歩スレは「項羽と劉邦」の世界観に近く、基本的に陳国と満国の一騎討ちで
あり、チンポがマンコに入ったということを永遠に繰り返しているだけだった。
雲国などは一行武将だけでなりたっており話の本筋にはまったく絡んでいなかった。
★斉苗のキャラや雲国などが整ったのは本当に末期になってからのことである。
>>592 念のため言っておくが、自分は
>>300以降は一度も書いていない。
それからネタすべてsageで書いているので勘違いしないように。
こっちのトリップも使ってたな。
>>592よ。俺が以前書いたものだ。なかなか上手いだろう。
■西廟その4■
【補足など】
●机上の空論(民明書房・弁末動乱の英傑たち)
400年前の厨国の2人の軍事的英雄、満古は騎上の将、それに対し西廟は机上の将と呼ばれた。
西廟は机上で天上より地上を見下ろすがごとき見事な軍略を生み出すことができた。
これにより、極めて優れたな戦略を「机上の空論」と呼ぶこととなった。
現在ではまったく逆の意味で使われているが、その原因が文化大革命の影響により本当に厨国
文化が変わり果ててしまったからであることは言うまでも無い。
●歴史書によれば、民、百姓は陳歩を見ると「入れてほしい(陳歩勢力に)」と言い、豪傑たちは
満古を見ると入りたい(満古軍に)」と語っていたが、西廟には「移りたくない(西廟軍籍に)」と言い
西廟には陳歩、満古のようなわかりやすいカリスマ性が無く、人集めが下手だったようである。
見直したら
>>300じゃなくて
>>400スレまで書いていたな。
1レスに収まりきれないような長文は大体俺が書いている。
そもそも俺は
>>1であるし、佐倉広夢というコテもやっている。wikiも作った。
>>1 佐倉広夢 武将鑑定士 名無し wiki管理人を兼任し長文を書きこのスレ
を支え続けた俺はまさに立派なスレ主であったであろう。
最も最近は大珍帝国に入り浸り大珍wiki管理人と「アンチ珍勢力」を一人でやる
という状態になっていたが俺が抜けたため、大珍の進みは遅くなり過疎スレにな
るのも時間の問題だろう。
何故ここまで俺がやるかわかるか!それは俺が旧陳国志を愛してやまないからだ。
旧陳国志スレの主要な投稿者の一人であり、後半は40%くらい投稿していた投稿
魔な俺は、あの陳歩の栄光をもう一度!とこれまで何度も再起を図ってきた!
そして4度目にして、ようやく再興にこぎつけたのだ。
まさに俺は陳国スレの山中鹿之介と言えるだろう。
だが!俺は和気藹々とした大珍帝国スレに心を奪われてしまったのだ、
そして夢中になるあまりwikiをつくり、珍宝勢力と南珍、西珍、公丸、燭姦
をほとんど一人でやるという状態になってしまった。まさに1人15〜16役
くらいやっていたわけだ。
あまりに忙しく、試験勉強もあるのにリアルの時間がないやってられん。と
いうことでついに先日放棄した。そのため大珍の進みは急速に落ちた。
当然である。1人で何勢力も自演していたのがいなくなったのだから。
602 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 18:21:56
なるはど
>>1が居座り続けるスレは糞スレ化するというのは本当らしいな
>>600 質問自体が的外れだからスルーしただけ。
だがそんなに答えてほしいなら答えよう。
西漢時代に匈奴と戦った陳歩楽という武将がいる。横山史記にも登場している。
ゆえに陳歩という武将がいてもまったく不思議ではない。
それから上げで投稿しているのは俺ではないからな。俺は基本的に下げで投稿していうる。
>>602 糞スレというよりそもそもここは私、佐倉広夢の自演スレですから。
もとから腐っているわけで。最近はこのスレに飽きていたから放置してたけど。
それにしても大珍の者たちも哀れよ。陳歩スレのスレ主に操られているというのに。
ちなみに旧陳国志には「佐倉広夢」という武将がちゃんと載っておるのだ。
偉大なるネタ師の名が武将化するとは喜ばしいことだのう。
ちなみに何故俺が大珍帝国に惹かれたか教えてやろう。あの大珍帝国こそ
旧陳歩スレの自由さこそ初期の雰囲気をもっており、原点であると思うからだ。
最後になったが偉大なる陳歩に栄光あれ!!
611 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 18:38:57
大体レスのつけ方を見れば投稿者のレベルがわかる
1レスにまとめられるものを数レスにわたって書くやつはレベルが低い
どっちにしても、このスレつまらんわ
大珍のほうがおもしろい罠
>>609 武将鑑定も大珍の方が面白いって言ってるんだから、お前と根本は同意見なんじゃね?
>>612 >お前と根本は同意見なんじゃね?
どう読めばそういう結論が出てくるのだろう?◆tsGpSwX8moはこのスレは良スレと言っている
ネタ職人のレベルが明らかに低いというのが俺の意見なんだが
>>613 ”旧”陳歩スレが良スレって言ってるんじゃね?
ネタ職人も何も、旧スレでコテとしての佐倉は一度も登場してないしな・・・
一人で武将を完結させてしまうからつまらなくなるんだよね。旧スレのように
ネタの集合体として武将を作って生きたいけど、あのようなことが出来たのは
三戦板自体の人口が多かったからで、今現在だとなかなか難しい気がする。
以前にも陳歩スレをいくつか立てているけど、こっちで保守しないとすぐ落ちるし
書き込まないと立て逃げと言われるし、かなかなうまくいかんのだよね。
>>615 それは言い過ぎた。ここが良スレとは思っとらん。悪かった。
汚威乱
(オイラン)
清朝の農民。日本軍と戦う
旧陳歩スレは神スレなのだが、あのような創作スレはあれほど栄えたのは奇跡に
近い。再建は難しそうだ。
それと、この陳歩スレはどうもスレ主が見ても明らかにつまらんのですでに放棄
している。いつもネタを連続投稿してくれた方には悪いが、もう少し根本的に
やり方を変えないと反感を買うばかりのようだ。
>>612 大珍帝国で豪関、豪猛、豪雄、奉尿、カウパー、智韓、弁除、弁器、斉感帯、
包茎男、包茎武、霊布、梅瞬、満香を自演していました。
これから書き込む気はないので代わりをやってみませんか?
621 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 19:05:32
女騎通寝
(メギツネ)
622 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 19:06:43
>>620 このスレで鳥付けてるくせに、大珍で取り付けてないのはなぜ?
自演を自演するとは、なんと前衛的なww
>>622 面白いけど、ちょっと疲れた。それと結局、北の珍国と雲国が戦いに絡まないと
盛り上がらないんだよね。
つまりどうしても、北珍がその他の地方勢力を一つ一つ潰していく展開と
北珍勢力の内部抗争の繰り返しになってしまう。
しかも北珍と雲国の敵勢力は性帝国以外ほとんど自演になっているしひとりで
敵役やるのもどうかなと思って。このスレどうようつまらんスレになったら困るし、
もうこれからはwiki編集だけやって見守ることにします。
>>623 このスレでもずーーーーーーーーーーとーーーーーーー名無しで投稿して
来ましたよ。ただ、このスレは放棄するからもう言いや!ってことでコテ
つけているんですよ。
それに私はもともとサービス精神旺盛なのでスレに大勢人がいるように見せかけて
喜ばすことが好きなのです。
だめだ・・・今まで池沼を相手にしてたのか・・・orz
吊ってくるわ
627 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 19:18:30
>>614 だから前スレは良スレだったんじゃね?
基本的に自己主張の強いやつが居つくとスレは廃れる
まぁ、武将鑑定の言ってることがどれだけ本当かはわからんが
息をするように嘘を吐く人種らしいからな
この流れも全部自演かもなw
>>627 そうかもねwwwwwwwwwwwwwww
まあ所詮ここは僕の自演スレだから。勝手にやらせてもらいますよ。
さてとここの陳歩スレのwikiは存在自体が邪魔なのでそのうち消しますね。
大珍のwikiはスレ落ちまで取っといてあげるよ。
【大珍スレ】
949 :無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 18:47:28
今日は人いないね
↑
今日はじゃなくてこれからもずーといないのにね。
まだ気が付いていないとは哀れな人とだなぁ。
さてとこれからの楽しみは大珍の断末魔だな。
1ヵ月後には保守で辛うじて保っている状態になっているだろうね。
632 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 19:32:29
幻が消え、すべてが露になった大珍スレはこのまま滅ぶのか、それとも英雄
出現によって生きながらえるのか。
実態を知っている私は前者にかけるね。
>>632 自分で書いたレスを自画自賛ですか?僕と同レベルだね。お気の毒にwwww
635 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 19:38:06
>>634 コテつけて書いてるのに自分のレスだと気付かない池沼wwwwwwwwww
>>635のような厨はほっときますか。
それにこれから風林火山・武田軍の逆襲を見なければならない。
しかし今でも頭に来るわい「無計画に武将殺しすぎ湿固将軍を殺したのは
失敗だった」などと言いおって。誰だか忘れたがな。
さてとNHKの実況でもいくかな。
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 19:51:30
638 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 20:24:25
金萬福
あぼーんしたらスッキリするだろ
ここのwiki消さないでくだされ!!
ワシは結構気に入っているのでゴザル!
ちゃんと完成させてくだされ
武将鑑定士殿!いや手鏡先生!提案です!ここで提案された人物を、少しいじってからwikiに載せては如何ですかな?
なかには文章力の無い方も居たようなので、提案を少し改良してマトメをすれば大珍には及ばなくてもそこそこいけるのでは?
重印【エイン】
満古陣営に所属する群雄。満古が陳歩と戦っている際に、陳歩を孤立させるために満・雲同盟の成立の為に動いた人物。
宝妃【ホウヒ】
雲固の妃。雲香の母親。雲香を十二歳の時に生んだのだが、それ以来、腸内にガスが溜まる病に感染してしまい、それが原因で人前にはあまり出てこない人物。
雲智の復権に関わった人物の一人
というか、ここで登場する人物を大珍に登場させるのは無理なのかな?
まぁもう設定があるから無理なのかも知れんけど
いぃんじゃない!!
俺が提案したやつなら何個かいいよ!ミコスリ・ハーン使っても良いっすよ!
646 :
オール毒物・下方謙三氏インタビュー 1:2007/07/22(日) 23:08:18
――つい先日『陳家将〜駆離取物語(くりとりものがたり)〜』を完結させた下方先生ですが、執筆時の苦労をお聞かせください。
下方「たしかに、不毛だなと思うことはしばしばあった。上手く構想や妄想をふくらませず、手で一生懸命カイていても、なかなか出ず。うっかり(手を)抜いた後の虚無感といったらなかったよ」
――という事は、あまり出来は良くなかった?
下方「まあ、自然にデキちゃった、という感じだね。それでも(書き)おろした。ちょっと罪悪感は感じている」
――今回、先行者として吉川英恥先生の存在が意識されると思いますが。
下方「まあ、意識しなかったといったら嘘になる。神と呼ばれた男ですし(苦笑)。
どうにかして差別化をはかりたいなと。まあ私と中の人が同じと言うのもありますが。
ちなみにみんな「よしかわえいち」と思っているみたいですが、正しくは「よしかわえっち」と呼んでほしいと、中の人は言ってました。
そういうわけで吉川先生にはよくお世話になってまして、連載が始まる前にも『君、陳歩は男の中の男だ。あまり矮小にかかないように』とは言ってくれたりしましたよ。
それに時々原稿を覗き込んでは『君の陳歩はやや大きすぎないかい』とか『陳歩が(腹)黒い』『猿みたいにカキすぎだ』など、お叱りを受けてました。」
647 :
オール毒物・下方謙三氏インタビュー 2:2007/07/22(日) 23:09:15
――今回少々ボリュームが少ないように感じられますが。
下方「たしかに。この時代の陳歩には、人物が多いのだがエピソードが少なくて。
瀬宮州で何度か戦うのだけれど、そのヤリかたが上手くない、下手糞なんです、瀬宮洲が(苦笑)。強引にヤレば言いというものじゃないんです。それが、思わず淡白になってしまった結果につながってしまった。
あとは言い訳になるが、モデルになる人物が居ない。旧陳にはモデルが豊富に居たのだが。というのも、旧陳は、スレの流れ、下ネタ、三国志の話題が上手くかみ合っていたが、北陳は何が元ネタにしたらいいのか、見えぬ。
何をよすがに書いたらいいのか、まよった、というのはあった。」
――先生の次回作の構想は?
下方「やはり、元祖陳歩に挑戦してみたいね。ただ、それまでに本誌が持つかどうか……。
吉川先生も『膣壁の戦いの原稿をせっかく書いたのに、本誌がオチてしまった』と嘆いておられて。
今の本誌の流れが、決していいものではないのでね。投下のタイミングを計ってしまうというのがある。
まあ、気にせず、読者が興奮できる、刺激的な作品を書いていきたいと思いますよ。あと、陳歩のエピソードで、これは書いてほしいという要望があれば、外伝という形で発表したいと思います」
――今日はありがとうございました。
北方「お便り、お待ちしています。大珍には書いてないので、ぜひ本誌存続をお願いします」
≪下方先生の小説が読めるのは陳歩だけ!≫
涙ぐましい努力よ…
朕は読んでやるぞ
先生、応援してるぜ!
僕も読むよ!
鋤韻川【スキインセン】
南方の大河。両側が巨大な平野となっている
652 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/23(月) 17:37:51
世露死九
「ヨロシキュウ」
世露死苦の弟。陳歩の熱烈な家臣。大珍帝国と戦い、戦死する。
麋灼【ビヤク】
弁朝の人物か?陳歩と満古を瀬宮洲に誘導し、激突する原因を作り出した。らしい。
>>640-641 wikiを消したりすることはないから安心して。
整理は時間があるときにちゃんとやっておくから。
今週のテストが終わったら、少しずつするよ。
どうせ大珍には戻れなくなっちゃったしね。
ちなみに
>>1-200までは印刷して取ってある。
インク節約のため50%の倍率にしてね。
印刷とは・・・スゴイ
治序【チジョ】
満古配下の猛将。陳歩に対して異常な執着心を抱いており、何度も陳歩軍の前線を突破して陳歩本陣に迫った。
治関【チカン】という陳歩陣営に所属する弟がいる
華奮【カップル】
弁朝末期の武将。弁帝の護衛の一人。
満古と弁飾が激突した際に立場上、弁飾に従った満古配下を何人も斬るほど活躍した
安倍就【アベ・ツク】
東の方の島国から来た人。房中術の使い手。らしい。
陳歩に仕えて、満古と戦うことの意義を伝えた
660 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/26(木) 01:00:34
ギャハァ
また大珍が復活してるよ!にくらべてここは閑散w
常磐大学【トキワダイガク】
言わずと知れた伝説を築き上げた学校。
変態教授のもと、奇跡的な出来事を起こした。
弁朝の子弟も通う由緒正しい学校
崇歩璃【スウフリ】
弁朝末期の地方豪族。袁・音・菩・虐家と肩を並べる実力を持つが元は学生達の集まりから発展した軍の隊長。
弁朝で大勢力を築き上げるが、婦女暴行を咎められ政敵の弁飾によって失脚した。
虐岱【ギャクタイ】
虐燕の弟。虐燕の養子となり、虐家を継ぐことになるが虐家の勢力は満戸に奪われることになる。
しかし、虐家の領土からは満戸を追い払った。その後、虐家は豪族等に領土を乗っ取られる。
後に小豪族に成り下がるが手勢を率いて夜中に満戸を襲撃した
虐難【ギャクナン】
虐家の人物で虐岱の嫡男に当たる。虐家が衰退すると父を見捨てて陳歩の下に転がり込む。
虐難は満戸とは個人的に仲が良かったため、満戸が満古に破れた際に満戸を陳歩陣営に呼び込んだ。
武将を誘うのが得意な人物だったらしい
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
陳
陳陳
筒藻田瀬の戦い【ツツモタセのタタカイ】
第一次瀬宮洲の戦い〜第二次瀬宮洲の戦いの際に行われた。
概要:満古は第一次瀬宮洲の戦いにて陳歩がなかなか強力であり、苦戦することを悟った。そこで満古はある策を実行することにした。
満古自身が投降するように見せ掛け、陳歩軍が油断した所を伏兵で討とうというものである。
その場所に満古は筒藻田瀬を選んだ。満古の母親の故郷である。
筒藻田瀬の戦い 続き
陳歩軍が筒藻田瀬を通りかかった際に満古はわずかな手勢を率いて投降してきた。
陳歩はこれを受け入れ満古の指示どおり菩一族を討伐することを決定し、陣形を変える。満古は自身の思い通りの陳歩軍の陣形に変わると兵を独断で動かし、陳歩軍を混乱させた!
陳歩軍が混乱している最中、満古軍は陳歩の五倍近い兵で圧倒し、陳歩軍は総崩れになった、陳歩軍の将はバラバラになりながら退却した、この時、名将・煤武が陳歩を守るために奮戦!消息不明になる。
陳歩はこの戦い以後、性格が変わり慎重になった。らしい
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
陳烈斎【チンレツザイ】
陳歩の落胤を名乗る人物。陳歩死後のちょうど二十年後に現れ、新陳を建国しようとした。
章附【ショウツ】
版津賊の将だが、満古から版津賊に送り込まれたスパイ。
昔、満古によって汚されたために、満古をトラウマ的存在として見てしまいしたがっている
陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳陳
星虞【セイグ】
猛将・煤武の義弟。兄とは異なり冷静沈着。
弓の才能に秀でており相手を玩具のように扱うほど。多くの満古兵を一発でイカせた腕前は神様級。
兄が煩悩寺後に突撃を計画した際に北方のヌルヌル(ヌルフェチ)から厨国を守るため「震」に駐留していた
吉九【キチク】
ひどい事でも自分の為ならなんでもする悪漢。
なぜか知恵者であり、やっかいな人物
ポー・ク・ヴィッツ
西から来た小柄な人物。
陳歩に似ている。が小柄。
段金【ダンコン】
陳歩の直参の旗本。後に棒州太守
陳歩と同じような経歴を辿ってきた。幼いときは勃起村の近隣の村のガキ大将だった
ガキの頃から陳歩とは交流があった。
陳歩挙兵の際に弁朝の軍人だったので、自分の軍勢を既に持っていた段金は、なんと一万も兵を引きつれてきたので、陳歩から感激された。
様々な戦で陳歩の為にタタカイ、手柄を立てたので棒州を与えられた。
満古配下の徐允【ジョイン】と戦いは名勝負として有名。
徐允【ジョイン】
満古配下の武将。鮑州の守備隊長。
音家で育てられたので、満古にも面識があった。音烈と仲が良かった!
中々 心を開かなかったが、みんなの後押しから心を開いた。一度、心を開くと陳歩軍とやりまくった。
特に段金との戦いは名勝負。
藹益【アイエキ】
満古配下の武将。満古の守備隊長の一人。
相手をはめる策士。
軍是【グンゼ】
版津賊を作らせた富豪。黒幕として版津賊を使いあちこちを破壊させた
版津賊がなくなったあとは陳歩軍の金庫番になる
福助【フクスケ】
軍是と対立する商人 らしい
廛版【ミセパン】
版津賊の一人。陳歩を版津賊に協力させようとして様々な手段で誘惑した。
廛斧羅【ミセブラ】
廛版の嫡子。版津賊壊滅後に満古に降った。
陳歩が彼の才能に惚れた。という逸話がある。
牢薫【ロウター】
煤武の長男。養子という説もあるが実子である。(姓は事情により母方のを名乗る)
陳歩死後に父・煤武とともに栄厨らの大軍立ち向かうために兵を率いてあらわれた、その際に死亡した。と思われる。
陣謖【ジンショク】
怪人と称される人物。大勢の人間を葬った武将。
傭兵のだったので、様々な陣営について戦っていた。
慈絵龍都【ジェロント】
老人ばかりが住んでいる町。煤武が陳歩からはぐれてから初めて流れ着いた場所。
京劇・(煤武の妖怪・居れ織れ鷺退治はあまりにも有名。)
蟹播【カニバリ】
陣謖と共に各地を回る傭兵の一人。
度々、瀬宮洲の戦いにも中立勢力として参加した。陳歩軍に交渉を持ちかけた際に煤武と孟操によって殺害された
凌徽【リョウキ】
陣謖や蟹播と共に厨各地を渡り歩く傭兵。
異常な殺人にも手を染める。
傭兵団は吉九をブレーンに招くと各勢力から独立をして天下三分の計をしようとした。らしい
蘚師【コケシ】
字は梁形【ハリガタ】
煤武配下の武将。煤武がはぐれてから陳歩に再合流する際に煤武配下に加わった。
摩華【マカ】
陳歩配下の医者兼軍師
筒藻田瀬の戦いの後に、自信の勢力の弱さによって自信を失っていた陳歩に出会った。
陳歩に対して古代の名将・児陽【ジヨウ】と狂倉【キョウソウ】について伝え、陳歩が立てるように怪我と心の両面から治療した。
その後は陳歩配下になり、何度も陳歩を治療し、立ち上がれる様にした。
兵法にも精通している
膝幕羅【ヒザ・マクラ】
南の国の大王。誰でも包み込む度量をもつ
荀藹【ジュンアイ】
世捨て人ながら最高の学者。
藹が最強。藹が全てさ。などと称されるほどの人物。陳・満のどちらにも付かなかった
パソコンがすぐ切れて辞典が更新できないよ。
がんばるんば
祖父と恩で満怒【ソフトオンデマンド】
故事成語。
祖父と恩で満怒【ソフトオンデマンド】とは。。。
陳歩の祖父は勃起村の前村長であり、かなりの名士だった。しかし、何故か中央政権から嫌われており、勃起村の人々までもが迫害された。
その祖父は誰にでも優しく旅人をも豪勢な食事でもてなした(この旅人に若き日の満古がいた)
この部分が祖父の部分である
祖父と恩で満怒 つづき
陳歩が旗揚げした際に陳歩は満古に唯一勝ち目がある戦をした、その際に陳歩は満古が帝の為に成る人として見逃した、これが恩
後に陳歩と満古が筒藻田瀬でともに進軍している際に、陳歩がこの祖父の事と恩の事で満古を冷やかした。
普段は怒りの感情を持たない満古だったが、陳歩がそのような卑劣な発言で挑発したので満古は怒り狂い(古典・満怒の話より抜粋)
満古軍の軍師の策によると、もう少し先で伏兵を出して陳歩をはめるはずだったが、怒った満古はその場で陳歩を徹底的に叩き潰してしまったのである。
故事成語・祖父と恩で満怒の項より(訳文・仲野幸定)
妻戸井 昆【ツマドイ・コン】
日本の学者。陳歩や満古について詳しく、武将については特に博識。
陳歩配下のヨバイについての専門家としてはあまりにも有名であり、さまざまな著作をだしている。
傳摩【デンマ】
煤武配下の猛将。煤武配下としてたびたび一番槍を挙げた。
星虞らとは比べものにならないほどの武力を誇る。
煤武が死亡した際にも単騎で何十万もの大軍を打ち払い戦場を離脱してみせた。
不能軍の傘下に馳せ参じたのちに、とつぜん動かなくなり死亡。
墾翼【コンヨク】
弁朝末期の群雄の一人。風呂が大好き。
陳・満の動乱に巻き込まれ消えていった悲しき人物
巌斜【ガンシャ】
陳歩配下の武将。旗本衆として名を上げた。満古との緒戦で活躍した
允如羽【インニョウ】
弁飾が袁家や虐家を潰すために兵を集めた際に真っ先に現れた武将。
鞘駆や叉圧らにも認められた程の武将であり、弁飾の娘婿に迎えられた
弁朝に逆らう武将らをわずか半年のうちに百人以上討ち取ったが陳歩軍から強行偵察に来ていた煤武によって尿も冷めないうちに斬り殺された
彼がもっと長く生きていれば五撫隊の部隊長クラスになったであろう。政治にも詳しく、弁飾にも意見できる可能性のある立場であっただけに早すぎる死が惜しまれる武将。
斉観【セイカン】
斉家の武将。星虞の母の兄。
一時期、甥の星虞(本名は斉虞)を預かった事がある。その際に敵のどこを狙えばいいのか教えた。
翔臥【ショウフ】
娼州出身の弁朝末期の群雄の一人。
陳歩によって大敗したのちに満古を頼ってやってくる。
西廟に討ち取られた
喜び組【ヨロコビグミ】
弁飾らが囲っていたオンナ達。
弁飾らの身辺警護も務めた。
輝宵【キショウ】
喜び組出身の武将。弁飾らに仕えた。陳歩と弁飾がぶつかった戦い(朝内戦場の戦い)にて戦死。
時土器【ドキドキ】
厨国のあちこちで発掘される時。一つ一つ様々な形がある。
あらゆる人がこれを探しては胸をときめかせている。
蟋洛炎【シツラクエン】
字は瞳
弁飾らが四川から呼び寄せた学者
弁朝の建て直しの為に様々な政策を立案した。
陳歩の大好物は鮑、満古の大好物は松茸である。
しかし、これらの物産は互いの国にしかなかった。これはあまりにも皮肉な事である。
(仲野幸定 著・厨国探険記より抜粋。)
仲野幸定【ナカノユキサダ】
上げ師として陳歩スレに登場。様々なキャラを提案。今日におけるまでかなりのキャラを提案した。(あまり面白くなくてすみません)
大珍スレにて煤武・征北将軍を使用。星虞や吉九に乗り換えたが最近は苦戦中。
学生の為、バイトと学校によって圧迫されているし、文章力もアイデアもあまりない。
今後の大珍の展開をどうしたら良いか悩みまくりの日々の茨城人 二十歳。
梯盤【タイバン】
菩帯の配下。両家老(新と梯の両家)の内の一家・梯氏の当主。
満古配下の天才少年・梯慈【タイジ】の父親として有名。
最初から満古によって菩一族の滅亡を企んでいたとされるが、実際は息子の梯慈の出世の為だったらしい。
菩一族を補佐して余りある才能だったが、息子の梯慈に諭されて菩一族に内紛を起こさせた。しかし、その内紛に巻き込まれ戦死する。
梯慈【タイジ】
梯盤の嫡子。十四歳にして天才的な才能があった。
父親が菩一族の内紛の際に死亡した際に梯氏の家督を継ぎ盟友・満古の指示で菩胤に味方をした。
菩一族壊滅後は満古配下になるが、龍山の戦い【リュウザンノタタカイ】で戦死した。
犀岱决【サイタイケツ】
菩一族の配下。梯盤の与力。
難病をも治す名医としても有名。梯慈の育ての親。家庭教師
様々な戦いにて勝っていったが大将軍・栄厨にだけはかなわなかった。
梯静【タイセイ】
梯盤の父親。梯盤は十五才の時の子であるため、梯盤の代になってもまだまだ若く、お目付け役として君臨した。
菩一族の内紛の時に梯盤の付いた菩胤派ではなく菩柔派に付き梯盤とぶつかりあった結果、梯盤を殺害した。
梯廼【タイナイ】
梯静の次男。梯盤の弟。
母の胎内にいる時から父の梯静から愛された。
父の期待とは裏腹に兄に忠誠を尽くしたが、菩一族の内紛の際に梯静側に付き兄と対立した。
後に兄を討った父親の梯静を殺害し、満古の傘下に入り梯慈の補佐に回った。
陽彗【ヨウスイ】
菩一族の配下。梯氏の与力
菩一族の内紛の際に菩柔派についた。
梯銅【タイドウ】
梯静の末子。
兄の梯盤や梯廼から可愛がられた。
年の近かった甥の梯慈の良き兄貴分として梯慈を導いた。
満古陣営に下り、梯慈死後は兄の梯廼(梯廼は庶子)よりも嫡流に近いとして梯氏の家督を継いだ。
梯匡【タイキョウ】
梯静の庶長子。
梯盤・梯廼・梯銅の庶兄。梯廼とは母親が同じ。
梯盤死後、梯慈に教育を施した人物の一人。
菩一族の内紛の際には梯盤と共に菩胤派に付いた
龍山の戦いにて、梯慈の身辺警護中に田岱【ダタイ】?に梯慈と共に討ち取られた。
欲の無い高潔な人物であり、家督を継いだ弟の梯盤を良く補佐し、梯盤から息子の梯慈を死ぬ間際に託された程信頼された。
『もうつぁると?(もう、さるとの意味か?)』という言葉を民衆からかけられた程の名士
帝王・雪怪と菩一族の関係について。
帝王・雪怪があの名族・菩一族の血筋だということが明らかになった、古文書によると菩一族かその分家・梯一族の当主の落胤だというのが分かるのだ!
つまり、帝王・雪怪挙兵には菩一族が係わっている説が有力になったのである。これは大発見であろう。
この調子で鞘駆や允如羽といった資料が少ない武将についても研究が進むのを祈っている。
(陳歩研究家・仲野幸定)
麟孑【リンゲツ】
字は海月【ウミヅキ】
菩一族の配下。
菩一族の内紛の際には菩柔側についた。
新家の与力の一人
庶冶【ショヤ】
満戸軍の智将
満戸の初めての家来でもある。
満戸がまだ虐燕につき従い始めた頃のある夜に満戸に惚れてやってきた。
その後もずっと満戸に従い、満戸軍衛王将軍の地位を自称して満戸をひたすら守った
知略に優れた智将として海泡瀬の戦いにて抜群の戦功を挙げた
弁朝末期の厨国にはこれらの名家が割拠していた。
袁 家(代々の名家だが冷遇されている。)
虐 家(比較的新しい一族)
音 家(満古らと血縁関係にあたる一族。あまり所領は大きくないが、代々名将を輩出する。先祖は古代の英雄・満古)
斉 家(帝から特別扱いを受けていたので、斉触という国を建国している)
菩 家(名家中の名家であり、家老の梯氏と新氏をあわせた勢力が袁家にすら匹敵する大勢力。)
弁 家(初代帝の次男の系統。)
解説文・厨国史研究家 仲野幸定
725 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/13(月) 21:37:55
関延【カンエン】
西廟配下の武将。西廟軍後将軍の地位に就いている。
栄厨と並ぶ西廟配下の名将。さらに栄厨と関延だけは西廟配下といえど別物だとされた。
陳歩死後、栄厨に従い数々の戦功を挙げ続けた。
ちなみに彼はB型らしい。
斉颯【セイソウ】
名門斉家出身の武将。陳歩の配下。
補給に関してはかなり優秀
斉朔【セイサク】
名門斉家出身。斉家出身だが、分家であったために苦労をした。
斉家が陳歩と事を構えると斉颯の誘いをうけさっさと陳歩に投降した。
昂焚【コウフン】
弁朝の地方軍の指揮官。
弁朝に対して反逆をおこした。
弁朝初の大規模な反乱になったため弁帝を動揺させ、年号までも変えさせた。
腹上一年には反乱は鎮圧されたが彼の反乱が呼び水となり各地で内紛がおきる。
十年以上の反乱は菩家の内紛や版津賊の挙兵にもつながった。
斉通【セイツウ】
弁朝の家臣。斉一族の出身のボンボンの為に青臭いキャラ。
弁朝からの支持で陳歩追撃の任に充たっていたが未熟だったために陳歩を逃してしまい陳歩を躍進させた原因になった
北海堂【ホッカイドウ】
肉希望や白恋人があるゴミすてば。
巨大な建物だが、中身はすっかすか、ただし、辺りの人々は優しい
冬は寒い
臨馳【リンチ】
袁家ともつながりがある弁朝の地方軍の隊長。
悪徳の塊であり、弁飾に賄賂を渡し出世しようとしたが、弁飾に罪を糾弾され財産を奪われた。
後に袁家に降る
梯辨と梯孟【タイベンとタイモウ】
梯廼の養子。
梯辨は生まれたときに胎便を食っていたため蔑まれ、梯孟は生まれたときに胎毛だらけだったので蔑まれた。
梯一族の分家の分家クラスだったが梯廼が引き取って武将に育て上げた。(と言っても自分の年より十歳下の養子である)
両者共に梯慈より数歳年上だっただけなので親友だった。
梯慈が龍山で戦死した際は梯慈軍の先方だったがたすかった。梯慈の亡骸を龍山から運びだすために奮戦した。
二人は後に満古軍に加わったらしい。
斉超【セイチョウ】
斉一族きっての猛将。
斉超という名の武将は二人いるらしい。特に二人目が有名なので本項もそれに準ずる。
斉超は斉一族きっての名門生まれである。彼がいればその勢力は拡大すると称された。
斉一族から差別されると満戸の配下(満戸からは特別に兄として扱われた)になった。
満戸を群雄として成立させると次は満古軍に入り満古をもり立てた。
しかし、第二〜三次瀬宮洲の戦いの際に陳歩軍に加わり、陳歩を変えた。それには満古も驚き「陳歩がこんなにも逞しく力強いとは・・・面白い!」と語ったほどである。
その後は陳歩軍にいたが煩悩寺の変の際に共に在陣していた西廟によって暗殺された
斉招【セイショウ】
斉起の兄。陳歩配下の精士を育て上げた張本人。
斉一族にありながら、自身が育て上げた精士を陳歩に譲った。(なぜなら斉招は陳歩がすばらしい物をもっていると気付いていたからである)
陳歩を大勢力にしたが、彼もまた、西廟が送り込んだ刺客により殺害される。
斉沙【セイサ】
斉超の子。父親によって名将に育てられた。
陳・満と戦ったが、陳・満に対してそれぞれ違う戦術を使用し、勝利した。
斉遷【セイセン】
斉起の弟。武勇で名を馳せたが西廟の策にはまり失脚した。
兄・斉起を頼って行くが途中で消息を絶った
西廟と斉一族の関係
簡単にいえば西廟は斉一族の子である。
しかし、忌むべき日に生まれたために姓を変えられヒドイ扱いをうけた。
後に西廟が斉一族を次々に失脚させたのはその為である。
(文・仲野幸定)
則哀【ソクアイ】
袁家に付き従っている群雄。
危険すぎる武将
茶苴【チャット】
袁家配下の武将
情報戦が得意。
音洪【インコウ】
音家の宰相。
強大化していた満古から音家を守るため、
満古に対して代々の音家と満一族のつながりを説いて音家を満古に服従させることを条件に音家を守った。
しかし、これ以降は精彩を欠き、満古軍に於いては失脚してしまった。後に満戸陣営に入った。
741 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/18(土) 22:25:43
絶義【ゼツギ】
先陣を切っていくことはあまりに有名。
陳歩の旗本の一人である。舐め回すほどしつこい追撃を行う。
あまりに果敢に攻めるためにあの満古ですら絶義には注意していた。とされる。
段稷【ダンショク】
段金の兄。体が弱すぎるために子供の頃に弁朝の兵士に掘られまくり、男色に目覚めてしまう。
段金が陳歩配下の武将になると段稷も陳歩に従う。常に陳歩に掘ってもらおうとしていたが拒絶され続ける。
煩悩寺の変の際に陳歩の貞操を守るために単騎で西廟軍に突撃し姿を消した。
三所攻め【ミトコロゼメ】
陳歩軍が満古死後の南満対して行った大攻勢の通称。
概要・・・満古の脅威が無くなった北陳は周囲を次々に併合し、遂に南満討伐を開始する。
北陳軍はそれぞれ三つの軍団にわかれ南満を攻めた。第一軍団・・・上野隊
第二軍団・・・満戸隊
第三軍団・・・煤武隊
この軍勢が大軍をもって三ヶ所から南満を攻めた為に瞬く間に南満は北陳の軍門に降った。
この一連の戦いはあまりにすぐに終ったため、【三所攻め】は故事成語として「あまりに早く終る」という意味を持つようになる。
羊茂野の戦い【ヨウモノのタタカい】
陳歩軍と満古軍の戦いであり、陳歩が無私憂世の人物を探していた際に満古と初めて出会った場所でもある羊茂野で満古軍と陳歩軍がぶつかり合った戦い。
この戦場で陳歩どのような事を考えながら満古と戦ったのであろうか・・・一度は仕えてみたい、満古軍に入りたいとさえ思った自分に対し陳歩は何を言い聞かせて戦ったのであろうか?
わかめ酒【ワカメザケ】
満古と対立していた名門・音家が、菩一族の内紛をきっかけに勢力を拡大していた満古と行動を共にする事を決めた際に庶民に振る舞われた酒のこと
名門の意地から音家は賊軍とさえ言われた満古に屈するのを嫌がっていたが、音洪の努力によって両者は協力体制を築き上げる(既に一部の武将は満古の旗下に馳せ参じていた)。
この出来事から現代ではわかめ酒といえばなんだかいい事があったときの酒をさす。
746 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/18(土) 23:29:39
臨臥【リンガ】
厨国の西の陰土【インド】の戦乱を収めた英雄。
彼の正体は煩悩寺から逃れた陳歩ではないか?との説もある。
泡姫【アワヒメ】
満古の娘。自身も数々の武功を挙げた。
後に陳歩軍に捕まり、陳歩の側室になった。
熔煮【ヨーニ】
陰土の大帝。暴政を敷き陰土を戦乱の世にした。
民の為に立ち上がった臨臥と戦い、破れ去る。
先祖は古代厨国の満古の流れをくむものである。
熔煮は弁朝とは国交をむすんでいない。
臨臥伝【リンガでん】
厨国史に唯一遺る他国の武将の伝(雲国や帝国・擦は後の厨国の一部と考えられていた時代もあったのでミコスリや翠扇らの伝は存在していてもおかしくない。)
なぜか近年まで原本が隠されていて架空の書か後世の偽物といわれていた。
この伝には煩悩寺から逃れた陳歩が本物の臨臥と入れ代わり熔煮を討つまでが綴られている
実際の臨臥は挙兵して十年後に戴冠式の最中に自身の衣がからまり死んだ。
しかし、臨臥伝には何も書かれていない
疎狆【ソチン】
陳歩軍の武将。
荒くれものの頭領だったが陳歩軍に入った。
多少は荒削りだが優秀な部類に入る
はじめての厨【はじめてのちゅー】
はじめての厨は仲野幸定の著作。
陳歩研究家の彼が初めて厨国の大地を踏んだところから始まる旅紀行を書いたもの。冒頭は
この万江はなんと美しいのだろうか・・・みみずの様な小さな川が集まるとこの万江になる。
今も素晴らしいものの例えとして遺る故事成語の「ミミズ千匹」の由来とはかくも素晴らしいものなのか?
という文から始まる。陳歩マニアは必読の本。定価は6969円
752 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/21(火) 17:52:52
陳に陳歩あり。陳歩曰く。
(ちんにちんぽあり。ちんぽいわく)
珍にして孤なりや、あるいは、珍にして歩なるかや。
(ちんにしてこなりや、あるいは、ちんにしてぽなるかや)
それただ垂れ下がるなり。
(それただたれさがるなり)
振る珍なるか、不離珍なるか。
(ふるちんなるか、ふりちんなるか)
満に満古あり。満古曰く。
(まんにまんこあり。まんこいわく)
満、九里と利すか。
(まん、くりとりすか)
潮を吹きては濡れ、知を出し、鼓も熟む。
(しおをふきてはぬれ、ちをだし、こもうむ)
満、朦朧であるか。満、漏老であるか。
(まん、もろであるか。まん、もろであるか。)
遊狐【アソコ】
斉起らと肩を並べた名将。
戦場だけなら陳歩・満古以上の将とされる才能があるらしい。
陳・満の2強時代に自身の勢力を立てたが政治の才能がなく勢力を崩壊させてしまい、再起の可能性があったのに自害した。
曲舞【キョクブ】
遊狐・斉起という大将軍と肩を並べた名将。
美しい容姿端麗な人物であった。
雲国近辺から厨国国境沿いにて勢力拡大したが陳・満の両勢力から攻撃され朦朧としてしまい滅び去る。
陳・満両雄時代。
三人の名将がいた、斉起・遊狐・曲舞の三人である。
いずれも小競り合いだけではなく、主要な大勢力同士の戦いに於いても陳・満両雄を破ったことがある。
特に斉起は名家の出身だったこともあり、斉家のことを見限ってさえいれば天下も取れた。
天下取りの野望。かなわなかった夢(文・仲野幸定)第一話
名門出身の斉起・・・
あの満古がもっとも天下に近い。と呼んだ武将。
斉家のしがらみにとらわれさえしなければ天下取りになれたが、主君を守る忠義の心を持ちすぎたために自身は身を滅ぼした。
天下は、斉起がお忍びで旅をしていたさいに、酒を酌み交わしたこともある陳歩にとられることになる。
天下取りの野望。かなわなかった夢(文・仲野幸定)第2話
遅すぎた凶雄・遊狐
遊狐は弁朝の中心都市の一般庶民だったが、戦乱の最中、群雄として弁朝の旧領の一部を支配する。。
その後は陳・満の両雄に従いながら厨国中央部にて勢力を拡大する。
第三次瀬宮洲の戦いの最中に、陳・満から独立。陳・満にいた内通者とともに国家を建てた。
しかし、挙兵のタイミングが遅すぎた、陳・満両雄は既に大勢力であった。あわれ遊狐は独立後すぐに滅亡したのである。
天下取りの野望。かなわなかった夢(文・仲野幸定)第3話。運が無かった男・曲舞
曲舞は弁朝の辺境軍の軍人。精鋭の対雲国方面軍を指揮していた点から、実力を認められていたらしい
。弁朝が滅亡した際に雲国軍の援助にて、弁朝復興を狙うが失敗し、雲国から借りた兵を奪って独立。
次第に大勢力になり、雲国の政争に乗じて雲国領を奪うが、台頭してきていた翠扇らの策で陳・満両雄が同時に攻めてきたために一気に勢力を失い、雲国にほろぼされる。
配下に恵まれていれば、一人で無茶して過労で倒れ、その隙に雲国にやられることはなかった。運が無い人物だといえる。
素刀華【ストーカー】
袁家の名将。敵を追撃し追い詰める技術の達人
魯出京【ロシュツキョウ】
北陳の対南満戦の本拠地。
いつでも兵を出せるように準備がされている。
団鬼六
金で働く剣豪。様々な作戦により陳歩を狙い、陳歩軍を揺るがす。
野々村病院
弁朝の設立した病院。
数々の事件が発生した。らしい
弁朝の圧政の象徴とされたため、民衆が袁一族に呼応したさいに、民衆に襲撃された。
精士【セイシ】
陳歩が率いていた精鋭部隊。陳歩の志にひかれて集まってきた人々で構成されるため、士気は高い。
陳歩軍の中核を担っていたが、煩悩寺の変の際には栄厨らの策によって陳歩から引き離された。
陳歩の死亡したあとに、煩悩寺に引き返そうとしたが、四川軍の最前線に配備されてしまったためにそれは叶わずに解散状態となった
のちに不能らの下へと集結し厨国全土に武勇を示した
異核斎【イカクサイ】
陳歩の地元の学者であり、陳歩に参謀として招かれた。
しかし、上野と方慶の政争に巻き込まれてしまい、上野によって暗殺された。
虚甲【キョコウ】
字は蛾浜【ガバマン】。満古の側用人。器が大きく、満古に気に入られ大名になる
767 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/05(水) 14:02:38
つーか これ まとめられる人いるのか?
翠扇の野望
翠扇は雲国の人物。若くして雲香に気に入られ、出世した。
数々の敵勢力から雲国を守りぬいたが、実は裏では敵が雲国に進攻してくる様に仕向けていた。
一応、反乱は起こさなかったが、翠扇の権力は戦乱の度に大きくなり、しまいには雲国内部を完全に支配した。
769 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/06(木) 00:28:06
>>767 大半がシモネタだから出来上がってもエロ本しか完成しない。
鵜井山【ウイザン】
菩一族の巨城(居城)がある。
陳歩の指示に従った西廟を食い止めたが、煤武によって鱈井回しの計にかけられ落城した
輿陪 【ヨバイ】
陳歩配下の部将。
出自は農民だったが、郎党の丁籠【テゴメ】、蘭興【ランコウ】らと共に
間吊村【マツリ-】の夜襲戦で手柄を立て、部将となる。
↑ヨバイは既にいるけどな
斉福【セイフク】
斉家の辺境を守護している将軍。
人それぞれに評価が別れる人物だが成果はだしている。
過去に弁朝の指示で芽越路にて関所を設けていた際に初期の版津賊に襲われたが撃退した。
孫虞【ソング】
版津賊の武将。
猛将として名を馳せたが、版津賊壊滅の際に戦死してしまう。
淡賀【タンガ】
版津賊の軍師。
孫虞の義弟。孫虞とは同一視されているため、書物には混同されて書かれている
照泥【テディ】
版津賊の武将。
若くして死亡した。弁朝の討伐軍に討たれた
777 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/01(月) 01:26:32
寿萬【ジュバン】
版津賊の政治家。異国の出身の一族だが土着して独自の勢力を築き上げた。
優秀だが才能をひけらかす癖がある。
帝府・龍都【テイフロント】
霊王が住む版津賊の拠点。大層な名前だが実用的に街が機能しているわけではない。
魅力的な都市ではあるが守備が甘い。
まだがんばっていたのか・・・。
さげ
走れエロス
伝説の小説。
兵法の例書としても有名。
和洪留【ワコール】
版津賊の女将。商家の出身から版津賊に入った。
多くの配下を従え、淡賀や照泥を手足のごとく操ってみせた。
擦【スル】
ミコスリ・ハーンが建国した大帝国。
ダキタイやヌガス、ヤリタイらが実質的に内政を行い、戦闘面をミコスリが指揮した。
その弊害から、ミコスリはただの戦場の指揮官のようになってしまい、内政派によってミコスリは雲国遠征をせざるをえなくなってしまった。
ミコスリの死後、ミコスリの息子が三年のうちに三人も変わりながら内紛に突入し、滅亡した。
西廟の斉氏相続
煩悩寺の変の五日前に陳歩は西廟を呼び、斉氏の復興の為に西廟の斉氏相続を命じた。
しかし、西廟は斉氏の名跡を継いだことによって大義名分を得て陳歩討伐を実行したのではないかと思われる。
その証拠に煩悩寺の変の直後の文には西廟ではなく、斉廟と署名している点が上げられている