徐晃って評価低くね?

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1無名武将@お腹せっぷく
魏の五将軍で、戦という戦で負けたことないのに、最強武将スレやゲームなどで評価や人気がイマイチ…
愛用武器が斧だから?
2無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 07:30:58
吉川英治の小説のせい。
3無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 07:33:44
王平のときにな・・・
4無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 07:44:12
演義では孟達ごときにやられてるのが超マイナスw
5無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 07:45:18
あの矢が額に突き刺さったやつ?
6無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 08:00:06
                               __ 
                             ,,ィ `   '``' 、
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               i  ::. /  :'゙ヽィ    ゙ `ヾi   `'  .:::::::/ 俺は曹操
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               l      // 、  ヽミ`、ゞ   :::::::::ソ-
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7ホイミン ◆pH0CLR/WHs :2007/04/08(日) 09:05:08
90以上あれば上等
8無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 10:04:40
降伏したから
9無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 10:56:56
無双デモでは攻撃のモーションに入っただけで一部のPS2をフリーズさせるほどの強者だよ

ウイザードリィのマイルフィック暴走と互角の攻撃力だからな

両方わかる奴、俺以外にいるのか?
10無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 11:05:10
 
11無双ファン ◆.IjycOFqtg :2007/04/08(日) 12:00:08
つまりグレーターデーモン増殖ってことか
12無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 14:36:04
徐晃のバックに創価がいるから
13無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 20:20:09
張コウ以下
14無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 20:24:23
魏が嫌いだわ
15無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 21:36:32
最近は蒼天厨崩れの狂魏ファンも消えて寂しい
16無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 22:50:47
俺は魏ファンだぜ。徐晃も好きだが魏の軍師どもが好きだ。
17無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 23:58:30
き、きられるぅぅぅぅ
18無双ファン ◆.IjycOFqtg :2007/04/09(月) 00:08:36
横光も魏呉に肩入れしながら読んでた
19無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 08:21:44
人気はどうか知らんが評価はされてるだろ。曹操からも孫武を超えるって評価うけてるし。
ゲームの三國志や無双でも強キャラ寄りだし。
関羽や張遼クラスだけを有将って言うのなら話は別かも知れんが。
20無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 09:17:46
ゲームなんかじゃ武力90越え必ずしてるし、能力的には十分と思う。
ただ、地味なんだよな・・・。
それでも、徐晃が好き。
21無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 10:16:01
蒼天の徐晃はただのむかつくキャラだけど史実の武将としては好き。
でもやっぱ魏なら張遼だな…
22sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2007/04/09(月) 12:02:44
斧はむしろ槍メインの横山では目立ってたような気がする。
他に斧使いって顔良と刑道栄(こいつはまさかりだけど)くらいしか思い付かないし、
俺個人は徐晃って言ったら頭巾と大斧ってイメージがあるなぁ。


やっぱり演義の死に様がダメなんだろうか。
23無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 19:31:18
徐晃は普段は控えめなので良いのでは?
24無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 19:44:36
魏の降将組では徐晃が一番優秀だと思う。軍才と人格、どちらも優れているし
比較的長生きだ。 朱霊と並んでもうちょっと評価されても良いな
25無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 19:58:35
正史ではもう少し早く氏んだやろ?
まさか孟達に殺られるために長生きさせられたん?
26無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 20:26:33
>>24
張遼や張コウも降将だがな
この二人が目立ち過ぎるのがいけないんだな。

徐晃ってなんか派手な活躍するエピソードってある?
27無名武将@お腹せっぷく:2007/04/10(火) 01:26:01
>>26
無敗ってエピソードしか知らんw
28無双ファン ◆.IjycOFqtg :2007/04/10(火) 01:55:10
演義一騎打ち
関羽、顔良、許チョ辺りとやってるはずだ
29無名武将@お腹せっぷく:2007/04/10(火) 09:59:09
真の不敗将軍の周郎には負けてますがな

楊奉の没落には徐晃の責任は無いのだろうか
30無名武将@お腹せっぷく:2007/04/13(金) 19:35:38
王平が降ったって彼の失態か? 
31無名武将@お腹せっぷく:2007/04/13(金) 20:41:04
>>30
あれは演義の創作でしょ。死に様に関しては演義の書かれた時代背景として
名将は戦場で死ぬことが美徳と考えられていたためああいう最期になった。
同じように張遼、黄忠などが病死でなく戦死に変えられている。
逆に馬超などは病死のままなので当時の評価は徐晃>馬超だったといえる。
32無名武将@お腹せっぷく:2007/04/13(金) 20:44:58
捕まえたら斧奪って斬首。
俺的にはそんな印象しかないな。
33焚きファイア ◆IpSLd1HMDY :2007/04/13(金) 21:52:57
>>30
王平が蜀に下った経緯は「正史」では不明だよ。

王平が徐晃とケンカして、命を狙われそうになったから陣に火をつけ、
陣の大混乱に乗じての趙雲の陣に駆け込んで投降したという話は
「演義」の創作らしいね。

34焚きファイア ◆IpSLd1HMDY :2007/04/13(金) 22:15:45
>>31
被ってしまった・・
35焚きファイア ◆IpSLd1HMDY :2007/04/13(金) 22:26:12
徐晃って、はるか先の柳の枝を射切るほどの弓の達人でもあったそうな。
36無名武将@お腹せっぷく:2007/04/14(土) 09:35:28
趙雲と同じで欠点が無いのが欠点って感じ、
なんかあんまり面白味を感じない
37無名武将@お腹せっぷく:2007/04/14(土) 23:22:43
だから俺は趙雲と並んで好きだな。
38無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 10:13:15
趙雲はただ記述そのものが少ないだけのような
記述が詳細でありながら欠点の無い徐晃と一緒には出来ない
39無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 10:41:27
演義では顔良に負けてるね
40無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 13:24:49
最近の肥では再評価されてる気もするけど。
知力高くなっとるよ。
41無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 16:59:00
銅雀台落成式典の弓大会で夏侯淵と喧嘩してなかったっけ?
アレでけっこう楽しい奴なイメージついた
42無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 21:11:20
>>41
それを言うなら裸で関羽と一騎打ちする全く新しい徐晃像の解釈もある
43無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 22:02:10
魏とか呉が好きな奴は正史以外は
認めない奴多いね。
それだとマニアック過ぎて、
一部の理解者しかついてこないよ。
44無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 22:06:36
だがそれがいい・・・
45無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 22:19:37
だって演義ネタじゃ
魏は噛ませ犬、呉は卑怯者だからな
46無名武将@お腹せっぷく:2007/04/15(日) 22:23:36
曹操にすごく心酔してたんだよね
自分は名君に巡り会えて超幸せッスって言ってたとか
47無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 00:02:34
>>46
それっておべんちゃらだよね
48無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 01:37:35
>43 徐晃は正史のが活躍してるじゃないか
49無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 08:40:31
いや、正史のほうが活躍してるから
正史以外は認めない奴が多いってことだろ
50無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 09:01:47
>>49
何せ美形要素取っ払った孟達が最期の相手だからなあ…
作者は公私別にする彼が余程ムカついたんだろうか
関羽と孔明に関わるとろくな事が無いのが演義の魏呉
51無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 11:45:16
蜀信者は演義しか認めないくせに
52無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 12:02:32
>>50
戦死が多いのは単に戦争の見せ場を増やそうってだけなんじゃ。大史慈、甘寧、黄忠とか名の知れた猛将が死ねば盛り上がるだろという…

>>51
そうでもないだろ。演義の○○は嫌いみたいな蜀ファンも居るわけで。
53無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 12:28:05
>>51
光栄は演義の荊州問題の件で、
作者はスーパー軍師孔明に嫌気がさしたのではないか?
って書いてたね。どの本だっけな
54無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 15:10:03
>51-52 陳式が好きなんで演義ではちょっと。
55無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 15:35:12
>>51
いやいやそんな事はないぞ
頑固者の孔明や
単細胞の関羽とか大好きだw
56無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 16:16:34
徐晃って自分で名君と暗君も見抜けない間抜けのこと?
57無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 16:55:23
曹操は名君だって見抜いてたじゃん
58無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 19:23:33
楊奉ってそんなに暗君だったんだろうか? 少なくとも戦は強かったし、割と忠義者って印象がある。
徐晃や鍾ヨウは別に裏切ったわけじゃないんだろうが、やはり説得して降させるかして欲しかった。
59無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 20:45:35
楊奉は徹底的に政治力がない
60無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 21:03:12
政治力なんて宰相とかがあればいーんだよ
61無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 22:13:13
>>60
だとしても、楊奉はなんていうか……
素直すぎるっつーか、簡単に騙されるんだよな。
演義の劉備に似たイメージ。

李カクなんかは政治力もあって戦に強くて、
結構優秀な君主だったんだが。
62無名武将@お腹せっぷく:2007/04/18(水) 16:36:51
三国板の李カク信者がちょっとウザくなってきた。
李カクは優秀だけど、王允の一族を戮したかと思えば李儒は庇うような所はあるし
巫女に狂ったりしてたのは事実じゃないのか。 悪政については何とも言えんが
自分の才覚を保身のためのみに使っていた印象があって そういう奴を名君と呼ぶ気にはなれない。
63無名武将@お腹せっぷく:2007/04/18(水) 17:08:31
巫女狂いがそんな悪い事かな?
別に演義みたいに巫女に狂って部下に褒章を与えなかったわけじゃないし。
悪政については董卓の尻拭いだろう。

王允一族は生かしておくにはデメリットが大きすぎるし、
李儒は侍中にしておけば皇帝の監視に使えるじゃん。
車騎将軍や大司馬という地位にあって政治の中枢にいる人間が、
最低限の保身を考えるのが悪いこととは思わない。

むしろ自ら烏巣に奇襲仕掛けたりした曹操や
護衛もつけずにうろつく孫策の方が
「その不必要なまでの大胆さは君主としてどうか」と思う。
64無名武将@お腹せっぷく:2007/04/18(水) 22:02:11
やたらに虎狩りをした孫権とかな
65無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 18:51:21
結局曹操に負けたんだろ
そこそこ頑張ったが駄目だった
位でいいのに名君は言いすぎ
66無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 18:56:48
李カクをやったのも楊奉をやったのも曹操じゃねえだろ。

徐晃が楊奉にしつこく付き従ってたら劉備に殺されたか、あるいは後の蜀将になってたのかな
もちろん劉備を敗死させた可能性もあるが
67無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 19:27:20
裴茂にやれれてるのはどうよ
68無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 19:33:28
>>67
その時李カクには戦う力が無かったように思えるけどなー。
つまらない奴に殺されたなら夏侯淵や孫策だってそうだし。
69無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 20:07:19
貴様はッ!全国10万人のッ!黄忠ファンをッ!敵に回したッ!
70無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 20:12:49
おいおい・・・ 
>68 いい加減にしろよ。 >67では裴茂については何も言ってないんだぞ。
それが何で「つまらない奴」になるんだよ? 
李カクは凄いけど、そいつを殺した裴茂も凄い!って判断に何故ならないんだ?

孫策が死んだ理由は諸説あるわけだし、夏侯淵を殺したのって
黄忠だろうが(実際には別の雑兵かも知れんが) 黄忠も匹夫呼ばわりするのかよ?

そもそも徐晃スレッドなのに何で執拗に李カクの話にするんだ
>>61で唐突に名前を挙げていてそれからずっとだ。
もしかして李カクの子孫か何かか?
71sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2007/04/20(金) 20:17:55
>>70見てて
「あぁ、喧嘩になっちまうのか……ッッ?!」と思ったんだが最後の行で蕎麦吹いた。

話の流れから他の人物に話題が逸れるのもある程度仕方ないと思う。
でもまぁ、熱くならずまたーりやろうや。今日は花の金曜日なんだし。
72無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 20:58:23
裴茂って何した人?
73無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 21:15:19
徐晃と同時期に前後左右将軍になった同僚は張遼・張コウ・朱霊だけど、
張コウ・徐晃・朱霊と張遼の間には結構大きな差があると思う。
張コウ・徐晃・朱霊が考えて動く知将タイプなら、
張遼はただ純粋に強い猛将ってカンジ。
74無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 23:20:12
>>73
お前別のスレでも見たなw
75無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 07:53:33
三国志なんて役に立たん。
数学や科学を勉強しろ。
76無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 08:59:21
関係ないけど、黄忠は匹夫だと思う
77無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 09:17:32
>>76
大概の武将は匹夫と言われる畏れがあるぞ…
一部の文官もだが


劉曄なんかに言われると言い返せないw
78無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 10:21:01
張遼や徐晃が凄くてもd兄や淵や曹仁のが格上なんだろ?
俺はそうツレに教えられたんだが…
79無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 10:23:27
徐晃と張コウはセットみたいなもんだ
80無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 10:25:30
>>78
そりゃあ親戚だからねえ。
付き合ってる期間も長いし。
81無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 10:26:16
淵>張コウ・徐晃・朱霊 ってイメージではあるな(漢中方面軍メンバー)。
張コウ・徐晃・朱霊の中だと 張>徐>朱ってイメージ
82無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 10:32:24
同時期なら張コウより徐晃のほうが上だろ
83無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 10:33:08
淵の死後、漢中方面を任されたの張コウじゃなかった?
84無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 10:56:44
いや、そうだけどだから張コウ>徐晃とはならないでしょ
漢中方面の功績に絞るというなら別だけど
85無名武将@お腹せっぷく:2007/04/22(日) 08:18:16
官位と収入で比べては?
死後の評価てのもあるが
86無名武将@お腹せっぷく:2007/04/24(火) 16:13:59
>>72 李カクと因縁があり、後に軍を率いて李カクを討伐した人

天子を殺害したり無体な扱いをする人間はよほどの野蛮人か主義者だと思うんだが、
徐晃はそういう連中を側で見てたりあるいは天子本人とも面識があったから
天子を逃がすように進言したんだろうかな。
87無名武将@お腹せっぷく:2007/04/24(火) 23:16:55
李カクらが内紛やってるのを下剋上のチャンスと主の楊奉を焚きつける
韓暹、董承らが内紛やってるのを見ると楊奉に彼等を裏切り曹操につくことを薦める
楊奉が乗り気でないと見るや楊奉を裏切り曹操につく

とんでもない不忠者じゃね?
88無名武将@お腹せっぷく:2007/04/24(火) 23:31:48
徐晃は優秀だとは思うんだけど
三国志というストーリーや歴史の中で
目立つ場所で活躍してないってのが
彼の評価を下げているような気がする。

実際のところは分からんが。
89無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 00:11:45
字が「こうめい」だから曹操には毛嫌いされてたとか
90無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 00:13:26
徐晃?
ああ、孟達に瞬札された雑魚かw
91無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 01:11:43
おま、それを言ったら、関羽と張飛は・・・
92無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 09:09:56
張飛はともかく関羽は違うだろ
93無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 10:53:16
馬忠らに捕らえられるのと張達らに寝ている時に寝首をかかれるか‥
まだ、孟達の分だけ徐晃の方がマシだな
94無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 14:31:06
関羽を捕えたのは馬忠一人の功績じゃねーだろ
大軍を率いていながら孟達一人に真正面からぶっ殺された徐晃と一緒にすんな。
95無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 20:33:45
 演 義 乙 
96無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 20:36:44
徐晃は演義だと大したことないよなー……。
文醜に梃子摺ったり、王平に濡れ衣きせたり、
挙句の果てに孟達に射殺されたり……。

史実だと結構渋くて強いンだけどなー。
関羽の陣を破ってるし。
97無名武将@お腹せっぷく:2007/04/25(水) 21:51:39
>>95
流れよく読めよ
98無名武将@お腹せっぷく:2007/04/26(木) 20:00:54
魏書では張遼と並んで評価されてるじゃない。
でも演義ではこの二人は卑下されたな
99無名武将@お腹せっぷく:2007/04/27(金) 01:33:50
関羽には勝てても周喩には追い払われてるけど、それは敗戦には入らないのか?
100無名武将@お腹せっぷく:2007/04/28(土) 02:54:37
徐庶って評価低くね?

劉備と曹操に仕えた名軍師で、戦という戦で負けたことないのに、最強知将スレやゲームなどで評価や人気がイマイチ…
裏切り者だから?
101無名武将@お腹せっぷく:2007/04/28(土) 11:04:19
苛烈に敵を攻め立ててあまり徐行しなかったからだよ
102無名武将@お腹せっぷく:2007/04/28(土) 12:14:33
>100
そうか?光栄SLGだと大体知力96ぐらいで評価は高いと思うぞ。
人気が無いのは諸葛亮と役割が被るからというのと
正史だと魏でかなり出世したというのが大きい。演義だと魏は悪者だからな。
103無名武将@お腹せっぷく:2007/04/28(土) 23:40:17
横山三国志でアタマ射抜かれたシーンはいつ見ても藁えるのだが
例え演技だろうとあんな醜態晒した徐晃は雑魚ww
104無名武将@お腹せっぷく:2007/04/28(土) 23:58:23
演義はどうかねえ・・・私事より公事発言といい関羽最後の一騎打ち勝負の相手といい
微妙に格好いいのだが最後があれだからなあ
105無名武将@お腹せっぷく:2007/04/29(日) 00:05:24
病死より戦場で死ぬほうが華がありそうだが、アレは無いよなー。
106無名武将@お腹せっぷく:2007/04/29(日) 11:41:12
病死でも趙雲の死は泣けるのに
107無名武将@お腹せっぷく:2007/04/29(日) 14:25:32
そうかあ?
108無名武将@お腹せっぷく:2007/04/29(日) 17:36:47
>>103
徐晃がよっぽど嫌いなようで。
109無名武将@お腹せっぷく:2007/04/30(月) 03:13:54
演技しか知らないんでしょwww
110無名武将@お腹せっぷく:2007/05/01(火) 01:09:16
>107 ああ、すまん。 泣けたってのは横山光輝での趙雲な。
あの老将ドカベンが死の床についていたのが・・・

三国志の漫画は数あれど、徐晃って活躍する事すら稀だよな。
まあ史実の彼は、自分の人生に概ね満足したと思うけど
111ちょいワル胡車児【復刻版】:2007/05/01(火) 11:31:27
胡車児「典韋の戟で芋堀してやったぜ!」
112無名武将@お腹せっぷく:2007/05/02(水) 21:04:11
>>110
ええー横光じゃ大活躍じゃん>徐晃
俺漫画で徐晃のファンになったよ。魏将一般で猪っぽく描かれていたけど、
抑える所をきっちり抑えていたし。
113無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 00:46:45
五名将とか言っても、能力に差がありすぎだよな。
張遼や張コウと于禁なんかが同列に扱われてるしw
114無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 00:56:21
その5人で括るの好きじゃないなあ。
于禁・楽進と張遼・張郤・徐晃は結構違うっしょ。
115無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 01:00:28
于禁と楽進は曹操の腹心
張遼、張コウ、徐晃は利を見て主を裏切った
116無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 01:01:17
張コウはどうも郭図に讒言されてないっぽいからな。
自発的に裏切ったんだろう。
117無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 01:03:32
徐晃は上司に裏切りを勧める姦臣です
118無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 01:17:04
>>113はゲームに毒されすぎです。
119無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 01:30:27
>>113
でも実際問題干禁・楽進と張遼・徐晃・張コウなら断然後者が上だろう。挙げた功績が違う。
同格扱いなのは生え抜きと転向組の待遇差ゆえだと思う。
120無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:06:01
>>119
干禁って青州の時と張繍の時と呂布の時、つまり曹操が死線さまよってる時に活躍してるからなぁ。
居なかったら確実に曹操は死んでたと思う。
あと、陳寿が楽進の事でも語ってるように記録の欠落も多い。(記録が無い=地味とも思わないでもないが

ただ関羽戦での敗北は……戦場で司令官が明日の天気も読めねぇのってアリなのかなぁ
121無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:18:51
>>120
例えば呂範は孫策の一番苦しいときに協力して、そのおかげで孫策は危機を乗り越えられたわけだが、
それは呂範が周瑜らに次ぐ待遇を受けた理由にはなるけど、実際の能力で見たら周瑜らとは結構な隔たりがあるでしょ。

干禁も同じで、早い時期から曹操と苦労を共にしてきたから位は高いけど、
実際の戦功を見れば張遼らには明らかに及ばない。(関羽戦を抜きにしたって)
122無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:30:16
>>120
1日やそこらの雨で水没したわけじゃないぞ
長雨で漢水が溢れたんだから
事前に難を避けようとしたら戦場を放棄することになる
あれは不可抗力だ
だから曹操も曹丕も降伏を責めても水没したことを判断ミスとは考えていないようだぞ
123無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:34:22
>>121
呂範は…何とも。
呂範が正史に出てくる回数は、呉の4提督に匹敵し、
呂範が嵐に遭った事は呉では大事件、魏では大戦果として報じられてる。
つまり、それだけ敵味方から畏れられていたという事になる。
能力で周瑜などと差があったか、と言われると、正直今言われているほどの差が有ったとは思えない。
孫策軍では、節を任されてるのは周瑜と呂範なんだよな。(太史慈、程普は不明)
孫権の時代でも扱いが悪くなった訳でもなし。
そもそも周瑜の征蜀は呂範・孫策が東部戦線を守りきる事が前提な訳で。何とも。

それで、魏で周瑜などにあたる人物となると、司馬懿とか曹真とか羊コなどの連中になる。
では、徐晃と彼らを比べてどうかという話になってしまう。
于禁も同じで、と言われても、呂範の評価についてあれこれ疑問が有るから、何とも。

実際の戦功と言われても…位では于禁の方が上。
もしもここで年功序列が働いているなら、曹操が能力人事をしていなかった事になる。

>>122
長雨だからこそ、とも思えるが、そういう考え方もアリだね。
とすると敗北はフロックになる。
ますます減点材料が…減っていく
124無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:37:07
>もしもここで年功序列が働いているなら、曹操が能力人事をしていなかった事になる。
信長あたりと同じと考えないように。
曹操だって年功と出自は重要視してるよ。
125無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:40:52
>>124
于禁は年功序列と出自で出世した。
というのは、記述量の多寡以外では説明できないでしょう。
証明できないのに、于禁を落としめて徐晃をすごい、と主張しても意味が無いですって。
126無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:44:26
>>125
書き込んだのは初めてなのだが・・・

なんだか考えが極端になってない?
曹操にしても功績ばかりを優先せず、年功序列と出自も査定の大きな対象には
してるといった程度の意味合いで書いたのだが。
127無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:50:28
>>122
不可抗力とも言えるかもしれないが、他の将だったら間違いなく回避出来てたのも確か。

干禁は戦うだけの将であったようだ。総合力の優れる将なら、秋の長雨をある程度まで
承知していたはずであろう。いったん降り始めたらなかなか止まず、しばしば大河が決潰
するのを計算に入れておかねばならない。また戦場か作戦行動範囲に河川があった場合
騎兵を派遣して朝夕の水位を把握しておくべきだ。
危険水域に入ったら、いかに有利な布陣をしていようが、低い地帯にあったらそこを速や
かに放棄する。周辺で一番標高のある地点へ全軍を移し、食料と水を確保して洪水に備
えるわけである。河川の水位よりわずか十メートルか二十メートル高くても、水害という
ものは直接の被害を避けられるのだ。
だが、干禁にはその知識が欠如していた。幕僚にも一人として進言する者がいなかった
ようである。事態を軽くみていたのだろう。過去の例から考えてもそうしたときに天変地異
は起こりやすい。不思議な事に備えのある人間を災いは避けて通ってゆく。
128無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:51:37
>>126
おや、口調で判定したのですが、失敬。謝罪します。

>>121さんに言いたかったのは、

第一に当時の状況を、我々が正確に知る事はできない。
であるから、于禁の「実際の戦功」について、我々が知る事はできない。
陳寿自身が「記録の欠落が有る」と述べている。
于禁(左将軍)の官職は徐晃(平寇将軍)より上。

我々が知る事が出来るのは、以上のような状況な訳ですよね。

つまり、于禁に対する人事がどうだったのか、というのは、
何か資料が別に出てこない限り判定しようが無いと言いたかった訳です。

ですから、能力、功績ともに結局はそうなのだろうなぁ。
という程度しか語れない訳で、徐晃マンセーするのは危険だと思うのです。(上だとも証明できないけれども
129無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 02:57:11
>>128
于禁の左将軍は魏国の官で徐晃は漢王朝の直臣の将軍位なので、徐晃の方が上と見るべき
130無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:01:48
三国時代、雨が戦況を一変させた例がもう一つある。
孔明による第三次北伐の際の出来事である。
この時、蜀の大攻勢の情報を知った魏は、逆に侵攻作戦を企て大打撃を与えるべく進撃した。
曹真と張コウがそれぞれ大部隊を率い、別のルートから進んだのであった。
目標は要衝の漢中で、孔明はその漢水下流の固城から赤坂の線を目指す。
両軍が激突する前に、突如として大雨が降った。それが四十日にもわたり続く。
魏軍んの進撃路は当然、険しい山中である。たちまち前進どころではなくなり、作戦を中止して
出発した地点へと撤退した。
魏軍のこの判断は正しいと思われる。雨中の進軍は将兵をいたずらに疲れさせるだけだからだ。
雨に濡れると夏でも消耗する。
そうした意味からすると、魏の曹真と張コウの両将は、極めて冷静に適切な判断を下したと言える。
もし疲労したまま孔明の軍と決戦したら、悪条件下にあった魏の惨敗は必至だったはずだ。
131無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:03:24
>>129
徐晃は文帝の時代に右将軍ですね。
于禁も以前に虎威将軍の位貰ってますが、左将軍になるまでの間が分かりませんなぁ。
132無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:06:23
>>127
于禁は君が書いてるような事を実践したから本人も兵も洪水に呑まれずに済んだんじゃないかな
133無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:18:41
>>127
他の将だったら、真実回避できた…のだろうか。
回避できたという証明は出来ないように思う。
同じ状況に遭遇した人が居ないので。

>>130
曹真、楊阜の両伝を読むと、曹真自身は進む気だったが召し返された、とも読めますが。
対して于禁には、助言する人も居ませんでした。
演義では、居たけれども。
(だから演義基準で于禁の評価が低いのは仕方が無い。しかし、演義基準だと徐晃も…

>>122でも指摘されたけれども、長雨の末の水没であり、退くと即撤退を意味するとなると、また難しいなぁ。
曹仁伝を読む限り、樊城の城壁は、一丈残して全て水没するような水害。
地形を考えると、逃げようにも近場の高台は堤の上しかなかったという事もありえる。
そもそも、襄陽から樊城までの距離を考えると、どれだけの規模の水害だったのやら。
134無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:22:28
まあ船を用意してた関羽が用意周到だったということでいいんじゃない?
135無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:34:09
地図で確認したけれども標高で考えると8km四方が全部沈んでるんだなぁ。
何じゃそりゃ
136無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:35:14
>>134
何をもって用意していたのかが謎ですが、それで納得するしかなさそうですね…。
137無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:50:56
>襄陽から樊城までの距離を考えると
漢水を挟んだ格好のはずだけど
138無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 03:57:25
よく関羽が堤を切った説が言われるよね
139無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 04:09:49
・法律によってのみ部下を統制し、そのため人心を把握出来なかった于禁。
(↑この辺り裴松之も批判してる。余りにも法に厳格になりすぎて人々の提案を無視したと…。)
・一方で兵士の健康を常に気にかけ、心からの忠誠を得ていた張コウ。
(曹仁や張遼の勇猛さもこれ故の事。部下も心から信頼を寄せているからこそ、喜んで死地に赴いてくれる。)

この差は余りにも大きいと思うが。
天災は確かに避けようの無い事かもしれないが、こういう人格の差が、その後の結果に
大きな差をもたらすのは確か。
干禁の惨敗は今迄の行動の大きなツケを払ったといえよう。
「しまいに虜囚となり、死んで悪い諡を与えられたのも当然である。」という裴松之の指摘は
非常に的を得ているよ。
140無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 04:22:03
一応つっこんでおく。

×的を得る
○的を射る
141無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 06:37:33
勢力小さい頃からの生え抜きを優遇するのは信用面が1番だからっしょ
強くなってから集まる連中は自勢力が1番じゃなくなったら寝返る可能性高いし
142無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 06:48:13
張遼、楽進は対呉の最前線にいた
張コウは夏侯淵らと西部戦線にいた
夏侯惇は都の抑え
曹仁は荊州で関羽の包囲を受けている

まさにその緊急のときに、都を震撼させていた関羽軍攻撃の
司令官に採用されたのは于禁
徐晃は2軍

于禁 > 徐晃
143無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 06:57:50
>>127
>不可抗力とも言えるかもしれないが、他の将だったら間違いなく回避出来てたのも確か。

何を根拠にそんなこと言ってんだ。
むちゃくちゃこじつけの結果論じゃん。

当時の中国の洪水氾濫は、東京都全体が水没するぐらいの規模のものが簡単に発生し、
地形が変わり、町や村が消失し、数万人が死亡するような代物。
しかも、それは急激に発生する。
周囲数キロの河川を調べてちょっと高いところに野営したぐらいでどうにかなるもんじゃない。
日本のショボい洪水とかで考えてるだろ?

もうアフォかと。

144無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 09:44:49
>>137
樊城跡のある土地が沈むと、標高の関係でかなりの領域が沈む。
地図と跡地の場所を信じるなら、だけどね。

>>139
人望の無さ、処世術への理解の無さは否定できないね。
徐晃は良く統率し、良く戦わせてなお、人望が有った。
于禁は大軍を任されながら、人の心をつかもうとはしなかった。
大隊長以上の人に必要とされる能力は、中隊長、部隊長の人身掌握にウェイトが置かれる。(大橋武夫著『兵法』
その部分で、于禁が徐晃に劣っていたのは明らかだ。

>>140
一応、どちらでも正解

>>141
いや、あの状況で戦う前に魏を裏切るってのは無いと思う。
劉備・孫権がいくら上り調子とはいえ、裏切った所で身の安全が保障される可能性は激烈に低い訳で。
145無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 09:52:29
>>144
正解じゃねーよw
辞書ひいてみろ。
146無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 10:08:56
的を射る 当を得る 『大学』とか『中庸』の 正鵠を得る から来る言葉だ。

正鵠を得る → 正鵠を射る → 的を射る なわけですな。

歴史的に見れば、間違いとは言えない。

もちろん、今の常識とは違うから、親切心から来る指摘は正しい。
ただ、殊更あげつらったり、プギャーするような間違いでも無い。
147無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 10:23:18
>>143
いやだったらさ
なんで関羽は船乗ってるわけ?
後から出撃したのは于禁なのに
148無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 10:30:09
荊州だから
149無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 10:39:50
>>147
メフメト2世のコンスタンティノープル攻めばりに200kmを運んだって事は無いとは思うんだが
本当、何処から沸いたんだろうなぁ。関羽軍の軍船は。
150無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 10:55:51
>>143
そんな凄い洪水が起きるんだったら、なおのこと事前に準備しとかないと。
援軍行きました→雨降ってるけどいいや→洪水で動けなくなりました→不可抗力だ降伏だ
部下も于禁恐いんで、誰も何も言えずじまい。
「この季節は洪水起きやすいんで慎重に」とかいったらぶった切られそうだしねw
これじゃ能力疑われてもしかたない。
151無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 11:38:23
>>150
・何時起きるかをあらかじめ想定する事は不可能だった。
・漢水の上流は孟達、下流は孫権が抑えており、于禁が軍船を用意するには、陸上を輸送するしかなかった。
・あの時点で部下から進言がなかったのが于禁のせいだとする論拠は史書には存在しない。

よって、これじゃ能力が疑われても仕方が無い。というのはなりたたない。
152無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 13:29:40
于禁の不幸は魏に戻って来た時に曹操が死んでたことじゃないかな
生きてたら、曹操なら許したと思う。

既に死んでいて本人に申し開き出来ないうえに、
息子に苛められて憂悶のうちに死ぬというコンボかましたせいで
余計にイメージ悪くなったんだよ
153無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 13:31:46
曹丕も于禁を赦してるよ
それとは別にいじめただけだよ
曹丕最低人間だから
154無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 14:37:56
朝起きたら随分伸びてるので驚いたが、一応俺の最後のレスは>>121

>>123及び>>128を同一人物としてレスするけど、
陳寿は「名声で並んでいた割りに残っている記録を見れば徐晃・張遼の功績に並んで居ない。
残り三者には記述の遺漏があったんじゃないのかな?」って推測してるだけ。
本来は俺らが「生え抜きと転向組の待遇差があったんじゃないかな?」と同レベルの話しだ。

第一張遼が孫権を合肥に大破し、徐晃が関羽の包囲陣を突き崩し、張コウが街亭にて馬謖を打ちのめしたのは
それぞれ魏書の他伝や呉書・蜀書にも見える歴史的な大勝・大戦果。本人の伝の記述の多寡を抜きにしたって
明らかに活躍や重要度が異なっていたのがわかる。大体そんな戦果があったなら記録に遺漏が出る方がおかしいだろう。
この件に関しては、陳寿の説の信憑性の方が疑わしいという自信がある。

呂範が出てくる回数が四都督に匹敵するかどうかは数えたわけでもなく知らないが、
呂範の大敗(天候のせいだが)の記事が大きく取り上げられたのは単にそれだけ被害が大きかっただけだろう…
馬謖の件が大きく取り上げられたのは「それだけ敵味方から畏れられていた」からなんですか?違うでしょうに。

周瑜と能力差が大差無い、という人間がいるとは思わなかったが、ずばりその根拠は何?
155123.128:2007/05/03(木) 15:06:01
>>154
陳寿の推測と、我々の井戸端会議を比べるのはどうか、というのは別にして、確かにそうだね。

確かに、詳細な記述が有る人物を無視して、記述の少ない人間を評価するのは本末転倒だね。
そのようなことをやり始めると、推測の上に推測を重ねて行ってしまうことになるから。
これに関してはそちらの言い分を受け入れ、こちらの認識を改める。

呂範については、被害そのものの大きさだけを語っているにしては不自然なんだよね。
単に船の残骸や漂着者を鹵獲した事を、大戦果であるかのように報じているのが何とも面妖。
ともすると、呉の軍事バランスを崩壊させるほどの被害だったのかもしれない。
呂範はその後、政治的に失脚もして無いものの、出陣したという記録は無いですからね。
(曹休伝、ゾウ覇伝

馬謖の件については、
馬謖自身が恐れられていたのではなく、諸葛亮の北伐に明帝以下魏の臣が驚きを隠せなかった、という話が。
この事は、明帝紀(ちくまだと魏書Tの228Pですね)などで確認できる。
一概に、魏側が大勝利したから、扱いが大きかったとは言いきれないのでは。

ですが、概ねの部分でそちらの言い分を認め、于禁と徐晃について能力差が無い、というのは取り下げます。
156123.128:2007/05/03(木) 15:09:30
呂範と周瑜の能力差が無いという仮説についてですが。
最強武将スレやゲームなどで評価や人気がイマイチ…
という基準で、今ほどの大差は無い、という事で話しますね。

→で引いて有る物は私的解釈です。

・周瑜の作戦活動にとって呂範というのは、常に軍事上必要不可欠な存在として計算されている。
・孫策は呂範を身内として扱い、自室に入れ、婦人の居る席で食事を振舞った。
 →夏侯惇と似た扱いですね。
・当初から孫策の軍事活動に従い、彼に付き従ったのは呂範と孫河だけだった。
 →つまり、孫策の快進撃のうち、初期のものは呂範と孫河の功績も大きい。
・孫策が節を与えたのは周瑜と呂範だけだった。
・孫策は全軍の会計を呂範に預けた事があった。
・孫策時代は、軍事の人材は不足していなかった。
・孫権が軍事行動を行う際は、張昭とともに留守を任された。
 →軍事的な部分を補うよう期待されたのだと
・孫権は全軍を挙げて関羽討伐に向かう際、呂範に留守を任せた。
 →この時、揚州は殆ど空の状態でした。

呂範は殆ど話題には上らないし、ゲームでも能力的に大きな差がついている。
だけれども、孫策と周瑜は、天下を取るための同志と認めており、その能力は高かったのだ、と思えます。
157無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 16:28:59
まず「周瑜の作戦活動にとって呂範というのは、常に軍事上必要不可欠な存在として計算されている」がおかしい。
周瑜がその作戦の中で指名してるのは益州に孫瑜と荊州に孫権本人ぐらいで呂範に触れて如何こうなんて場面はない。
後の呂蒙も荊州については孫皎・藩璋・蒋欽などを細かく指名してるが、揚州についてはノータッチ。

揚州本国については特に「〜〜じゃなければ守りきれない」なんて程危険性は高くなく、守備体制は強固だったんだろう。

呂範が夏侯惇と似た扱いについてはむしろ積極的に同意したい。
そして夏侯惇が信頼の厚さに反して軍事能力的にはイマイチだったことも思い出してほしい。

当初から孫策の軍事活動に従い〜に関して、孫策の初期の活動が快進撃とは言えない苦労の連続だったことを見落としてる。
陶謙に迫害され呉景を頼るも配下は数百人、袁術を頼るも兵を帰してもらえず賊の祖郎に全滅に近い被害を受け、
ようやく程普・黄蓋・韓当ら孫堅以来の旧臣を返してもらい、快進撃というならそれはここから始まるわけで、
むしろ「孫策の快進撃を支えたのは孫堅以来の旧臣の力が大きい」のだろう、ってのが妥当な判断だと思う。

この間呂範は孫策の母を迎えに行って陶謙から拷問を受けたり、呉景の元に共に赴くなど側近として命を張ってたのは間違いないし、
その忠義を買って孫策も重用したのは確かだと思うが、これも夏侯惇が重用されるのと同じ。

孫策が節を与えたのは周瑜と呂範だけについては、そもそも周瑜ですら与えられていないような気がするのだろが俺の見落としだろうか…?
ちょい自信がないが孫策から節を与えられた人間など一人も居ないのでは?

揚州の守りについては朱治なんかもずっと呉郡を任されてたし、南方は長らく賀斉が仕切っていたりという下地があり、
張昭も兵を指揮した経験を持ち、呂蒙討伐の時も徐盛など何人かの名前が見えないので呂範以外空と言うほどでもないでしょう。
呂範に限らず「留守を守るという功績はもっと評価されていい」というのは俺も同意なので殊更低く見積もるつもりも無いけど。
158127:2007/05/03(木) 16:59:45
不可抗力と言ったのは、事が起こってしまったら、もはや回避は不可能という意味から。
又、他の将だったら回避してたとしたのは、干禁の敗戦は人災の側面が強く、リスク管理を
しっかりと出来ている将ならば充分な回避が可能だったから。
長雨が続いているのなら、常に河川の水位を気にし、場合の寄っては>>130のように一度兵を引いて様子を見る。
戦場のリスクを承知し、最悪の事態を考慮に入れて行動している将ならば当然取れる行動
なのではないだろうか。
そのリスクに目を向けず、何の対策も取らずに軍を進めた干禁は、負けるべくして負けたのだ。

危機に瀕した時にこそ、その人物の資質が問われる。
そしてそれを乗り越えられる器が有った者にこそ名将の称号は相応しい。
等しく災害に見舞われながらも、逆にそれを利用した関羽。
見事体制を立て直し樊城を守りきった曹仁(魏随一の武勇と称えられるというおまけつきでね)
単純に比較は出来ないが、同じ戦場をとってもこれだけの差が出る。
159無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 17:01:18
于と干を間違えてる奴が言うと説得力ないな
160無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 17:15:32
だって于ってコピペでもしないと出しにくいんですもの。
登録しとけ?スイマセン。
161無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 17:17:19
陳寿の推測って于禁や楽進は生え抜きだからで説明付くけど
張コウは転向組みでありながら徐晃らの功績に及んでない事になっちゃうな
実際載ってる功績だけでも大したモンだと思うんだけど
どの辺が及んでないと思ったんだろう
162無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 17:18:13
三国志辞書くらい登録しておけよ。

そして「書くか」を「郭嘉」と誤変換する苦しみをお前も味わえよ
163無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 17:23:53
うわぁ…。そんななっちゃうんだ。
仕事に使えなくなるなw
164無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 17:37:15
張コウは活躍期間が長いからねえ
同時期に徐晃らと同じくらい名声があったというなら凄いな
曹操時代は誰かの下についての功績が多いのに、
165無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 17:54:09
魏略信じるなら既に劉備から夏侯淵以上に憚られる名将扱いだからね。
相当凄い。
166156:2007/05/03(木) 18:00:01
>>157
揚州は大丈夫だ、の根拠が呂範であると思えるのですよ。
当時、寿春一帯では常に戦火を交えていた事を考えると、決して安泰とは言えない状況でした。
にも拘らず、東部戦線での戦いが周瑜の口からは丸々語られていません。
留守組に任せていれば大丈夫だ。という信頼が逆説的に浮かび上がるように思えるのです。

周瑜の構想は、以下のような物ですね。
・孫瑜とともに益州を落とし、孫瑜を益州に残して自らは荊州に帰還する。
・漢中を伺い、韓遂と同盟する。
・孫権が本軍を率い、荊州に駐屯し、周瑜と合流する。
・周瑜と孫権が北伐を行い、許を落とす。

これがそのまま実行されるとするなら。
当時の主力、周瑜の兵と孫瑜の丹陽兵、呂蒙中心とする旗本衆、これらが丸々留守になります。
この頃、程普、黄蓋が各地の慰撫を積極的に行っていますが、これは後顧の憂いを立つ為だとすると、
彼らも出て行っても不思議ではありません。
後の孫権の行動を考えれば、留守居は呂範と張昭だけになります。
ですから、周瑜の天下二分は、東部戦線が安泰で無い限り、絶対に口から出ない戦略です。
この信頼の度合いは半端では無いと思うのです。

節ですが、「割符」と「節」を見間違えてました。申し訳ない。
167166追加:2007/05/03(木) 18:17:24
朱治については、司令官というよりは監軍、督軍、そして、主簿会計を勤めていますね。、
魏で喩えるなら、韓浩や史渙の輩という所になるでしょうか。
ともあれ、司令官級の将器というのは、周瑜の構想が実行されると、本当に空となってしまうんですよね。
徐盛は呂範幕下において最も有力な将なのですが、総司令官を務めたことはなく、あくまで部隊長なんですよね。
168無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 18:20:01
>>164
張コウ・徐晃は曹操時代は単独では用いられず属将扱いが多いからね。
この辺はやはり古参の于禁・楽進との扱いの差がはっきりとでてる。
張コウは漢中失陥後からだいぶ株が上がった感じで最後は三公待遇にまで
昇るけど、徐晃がもう少し生きたらどうなったかは気になるところ。
169無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 18:25:51
張遼の800人特攻は李典も一緒だったのに李典の功績は無視され気味じゃない?
170無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 18:28:51
>>168
徐晃がもう少し生きていたら…下手をすると諸葛亮の北伐そのものが無かったか、
有ったとして、第一次で致命打を受けたかもしれないですね。

当時、荊州への備えとしては司馬懿がおり、揚州に向けては賈逵が居ました。
諸葛亮が北伐を開始すると、曹真+張コウが展開されましたが、
当時の魏ではこれに明帝と曹休を加えた5分派が最大限の動員だったはずです。
もちろん、明帝はおいそれと出ることは出来ませんから、やはり緊急時の備えとして曹休も動けません。

しかし、これに上庸で徐晃が健在で有るとするなら、動ける軍がもう一つ出来る訳で。
171無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 18:39:44
>>166
当時寿春一帯が常に戦火を交えてたって、具体的に何処での戦いが何年で何回あった?
そんな頻繁にドンパチやってた記録はないはずだし、仮にあったとしても結局そんな状態でも安泰だったんだから
揚州方面の守りは凄く安泰でしたとしか言えないでしょ。

周瑜がどれだけの兵と将を動員するのかも不明だし、可能性で言えば程普や黄蓋や呂蒙が動員されるのと同じように
呂範だって動員されるかもしれない。現に赤壁では随行してるし。

それを「周瑜は呂範以外は根こそぎ動員し、揚州は全然安定してないけど呂範に任せるぐらい信頼してるに違いない」
なんて妄想以外の何物でもないと思うのだが。
172無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 19:08:59
このまま魏の五将軍スレになりそうな勢いだなw
173無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 19:16:32
>>171
>当時寿春一帯が常に戦火を交えてたって、具体的に何処での戦いが何年で何回あった?

208年初旬、孫権は黄祖を切った。
208年8月、劉表が死に、荊州が割れる。江夏は文聘が統治。
208年冬、赤壁。
208年12月、孫権は合肥を攻略を行ったが、撃退。以後、合肥にはあの張遼が駐屯。
209年、芍波で曹操軍が屯田を始めたので、太守を殺したり殺されたりの動乱。

この間、周瑜は南郡で曹仁と対峙しており、留守は張昭が任されています。
合肥では、呂蒙、ショウ欽、周奉、徐盛、甘寧の活躍が有りました。
彼らは旗本衆であり、天下2分の際、北伐の際、孫権が親征軍として率いるべき戦力です。
親征に失敗は許されません。
そもそも、周瑜の軍は曹仁と当たっていました。
その軍を動かして益州を攻略し、曹仁には孫権の兵が当たるのですから、総力戦であるのは疑い様の無い所。

>仮にあったとしても結局そんな状態でも安泰だったんだから〜
兵士が潤沢にある状態で安泰=空になった状態でも安泰である とは言えないはずです。
張遼の存在を忘れてはいけません。
赤壁は失敗したら後が無く、曹操は徐州から同時攻撃しなかった為に、総力戦が許されたのです。
174166、173:2007/05/03(木) 19:18:15
>>172
あ〜以後控えます。
175無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 19:21:02
臧覇たち五将軍を語ろうよ
176173:2007/05/03(木) 19:28:44
最後に訂正。
孫権の合肥攻略時、張昭は九江を攻めたものの、戦果無く引き上げていますね。
177無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 19:44:54
>>173
その五つの戦で寿春一帯って同じく九江の芍波と合肥に侵攻した孫権ぐらいじゃん。上三つはなんのためにあるの?
この間ってのが周瑜存命中の合肥の話しなら呂蒙以下の活躍が云々がダウト。
この時合肥攻めたのは孫権あるいは張昭だし、呂蒙以下は当たり前だが周瑜の元曹仁と対陣してた。

彼らは旗本衆であり〜の根拠も不明。

周瑜の軍が曹仁と当たってたのは江陵を落とすまでで、曹仁を敗走させて江陵を制圧したんだから曹仁はもう居ない。
多分襄陽に楽進が残って守ってるくらい。

つーか周瑜の上奏文見ればしばらく曹操軍が長江流域まで出張ってくることがないと読んでの侵攻じゃないか。
曹仁には孫権が〜とかありえない。曹仁はこの後はむしろ西方の馬超の方だし、孫権が荊州に来るのは周瑜が益州を落としてから。

真ん中で総力戦であるのは疑い様の無い所、と勝手に結論付けてるくせに
「赤壁は失敗したら後が無く、曹操は徐州から同時攻撃しなかった為に、総力戦が許されたのです。」
じゃあ危険だから征蜀は総力戦になりませんになっちゃうじゃないか。もうワケワカメ。

なんか段々支離滅裂になってきてない?
178173:2007/05/03(木) 19:52:21
>>177
ええ、すごく疲れてしまったんです。
ですので、全面的に持論を放棄します。
179無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 19:53:46
徐晃と張コウと張遼なら、俺的には張遼かな〜徐晃スレでなんだけど
180無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 20:00:11
>179 朱霊を推します。
ちなみに生え抜きでは于禁も好きだけど、李通が一番じゃないかな
181無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 20:14:36
朱霊も良くわからん男だからな。あれだけ尽くして何故嫌われるのかもわからない。
182無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 20:18:01
183無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 20:23:25
>>182
自重しような
184無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 21:41:52
単独スレが立っても別の人の話題で白熱してしまう徐晃…
だがそれがいいw
そんなに俺が俺がと前に出る人間じゃなかったみたいだし
(弓大会で争った話だけは珍しくヒートしていたが)
本人としてはこの地味な扱いでも満足してるんじゃないかな
(賈クとはやや違う意味で)

個人的には、潼関で曹洪がぶち切れて飛び出してった時に
兵糧のチェックを真面目にしていた徐晃が好きだね
縁の下の力持ちぽいところが
185無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 22:28:10
>単独スレが立っても別の人の話題で白熱してしまう徐晃…

ワラタ
やっぱ徐晃って評価低いのなwww
186無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 22:39:06
評価は高いけど地味なんじゃね?
張コウや張遼のが派手だもんね(無双とかそういうんじゃなくて)。

でも張遼・張コウ・徐晃と同格なのに立伝されてない朱霊のほうがカワイソス
187無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 23:37:32
だって朱霊もーとくに嫌われてたから
188無名武将@お腹せっぷく:2007/05/04(金) 01:57:21
          _ ミミミミミ
        /    (Θ∫ミミ
      /  () :=   ミミミ  
     │ /\    (Θ∫ミミ
     ││    ̄ ミミミミミ
   / ̄   ̄\ 
  ││   ││ 
  ││   ││
  (  )   (  )
   │    │
   │ │  │
   │ │  │
   (  (  │       
189無名武将@お腹せっぷく:2007/05/05(土) 05:02:36
マァ…なんか2日前の盛り上がりが夢幻だったかのように、見事にスレが止まったな。
190無名武将@お腹せっぷく:2007/05/05(土) 19:42:23
まあそうそう毎日2chばっかりしてもいられんだろ
191無名武将@お腹せっぷく:2007/05/06(日) 21:24:11
趙雲や関羽が評価高いのがいい。
魏と呉は存在がマニアック
192無名武将@お腹せっぷく:2007/05/06(日) 21:28:06
賈信と張喜はもう少し評価してもいいんじゃなかろうか
193無名武将@お腹せっぷく:2007/05/07(月) 12:26:47
賈信・・・田銀・蘇伯討伐に活躍
張喜・・・合肥守備に活躍

地味じゃ・・・
194無名武将@お腹せっぷく:2007/05/07(月) 19:48:12
賈信は袁紹を破った後に曹操が帰還する時のしんがりに置いていった将軍
張喜は騎兵を指揮する将軍
どちらも曹操の信頼厚い将だったんじゃないかと思う
195無名武将@お腹せっぷく:2007/05/07(月) 22:04:06
于禁は法に厳格だったから悪いと言われるが、あの諸葛亮も国乱れる時法を守らずして統制はできないと言ってる。
部下を甘やかして法を歪曲するのは将軍として論外。
196無名武将@お腹せっぷく:2007/05/07(月) 23:38:50
曲がりなりにも、孔明に天才と称された香具師の計略を破ったからな。
197無名武将@お腹せっぷく:2007/05/08(火) 06:29:48
孔明がベタ誉めするのは微妙な奴らばかり
198無名武将@お腹せっぷく:2007/05/08(火) 08:11:34
孔明って人の長所は見えてるけど、欠点は見えてないよな。
そいつが問題起こしてから、他人から指摘されてた内容にやっと気づく人だ。
199無名武将@お腹せっぷく:2007/05/08(火) 15:44:48
>>195
その理屈だと、法正の横暴を見て見ぬふりしてた諸葛亮自体が論外になるけどな
200無名武将@お腹せっぷく:2007/05/08(火) 16:46:12
>>199
孫盛もそれについちゃ批判してるぜ。
201無名武将@お腹せっぷく:2007/05/08(火) 18:03:43
法正には劉備さえ頭が上がらなかったみたいだから
仕方ないといえば仕方ない
202無名武将@お腹せっぷく:2007/05/08(火) 19:52:57
法正に諸葛亮が「一を知って二を知りませんね」と説教こいたのって正史であるっけ?
でも法正だって、復讐だけじゃなくて恩にも報いてたんだろ。 むしろ諸葛亮と同類じゃないか
203無名武将@お腹せっぷく:2007/05/09(水) 03:05:17
信賞必罰の解釈しだいってか
204無名武将@お腹せっぷく:2007/05/17(木) 15:11:33
一騎当千だと、除晃ってAランク闘士だから強いよ。
関羽と互角に戦ったのも除晃だけだって、楽進が言ってたし。
205焚きファイヤ ◆IpSLd1HMDY :2007/05/17(木) 23:46:25
>>204
関羽と徐晃の一騎打ちは演義だけの話。
というか演義では徐晃だけでなく黄忠と夏侯惇も関羽と互角に戦っている
というか実際、正史で関羽は誰かと一騎打ちをしたのだろうか?
というか実際、正史では一騎打ちというもの自体、ほとんど見られない
というか一騎当千でおそらく于禁は関羽のいいやられ役になるだろうと踏んでいたが、案の定だったww

206無名武将@お腹せっぷく:2007/05/18(金) 00:19:13
張遼・楽進・于禁・張コウ・徐晃の五将軍だけど
序列では後にあるね。
でも個人的には張遼・徐晃=張コウ・楽進・于禁
207無名武将@お腹せっぷく:2007/05/18(金) 00:22:25
于禁と楽進以外は裏切り者
特に利や保身を優先した徐晃・張コウが評価低いのは仕方ない
208無名武将@お腹せっぷく:2007/05/18(金) 02:33:50
曹操が弱い時期に袁紹からわざわざ転向した朱霊の評価が低いのには納得できない
209無名武将@お腹せっぷく:2007/05/18(金) 07:41:59
徐晃が降ってきたやり方は
前の主人ヌッ殺すとかでもなく慎ましい感じがして、
しかも別に自軍がメチャ負けムードだから逃げたっつう状況でも無さげで
裏切りっていうより、曹操の強いスカウトに応じてという印象が強かったが…
それは演義だけで、正史ではヌッ殺して降ってきたの?
210無名武将@お腹せっぷく:2007/05/18(金) 07:53:39
>>209
楊奉に主の李カクを裏切るように勧め、楊奉が曹操と戦う段になると楊奉を裏切った
二重の裏切りだよ
211無名武将@お腹せっぷく:2007/05/18(金) 21:47:32
于禁と楽進以外は裏切り者とはいえ
張遼が筆頭なんだよな
もし于禁が関羽に捕らえられたとき
ホウトクのように死を選んでいたら
筆頭は張遼ではなく、于禁だったのかな
スレ違いで申し訳ないけど
212無名武将@お腹せっぷく:2007/05/18(金) 21:54:44
どっちにしろ関羽に負けて終わりじゃあ…
今よりはマシな評価かもしれんが筆頭にはなってないと思う
213無名武将@お腹せっぷく:2007/05/19(土) 02:18:11
張遼は君主とその勢力が滅亡してから降ったけど、
徐晃と張郤(ついでに朱霊も)は自発的な裏切りだからな。
(張遼には侯成らと同時期に降伏した説もあるが)

特に漢室の守護者だった楊奉を裏切り、
いままで漢室に弓引いていた逆賊の曹操に降った徐晃はかなりの不忠者だ。
214無名武将@お腹せっぷく:2007/05/19(土) 11:13:42
張コウって本当は軍が総崩れになってから降ったんじゃなくて
彼が降ってから総崩れになったんでしょ? こっちも相当だと思う
215無名武将@お腹せっぷく:2007/05/19(土) 11:36:47
>>213
漢室うんぬんより、
長安では楊奉に主君筋にあたる李カクを裏切るように勧め、
関東に出てからは楊奉に韓暹らを裏切り曹操につくよう勧め、
しまいには楊奉を捨てている
曹操の元ではおべっか使いだし
216無名武将@お腹せっぷく:2007/05/19(土) 11:44:30
そして関羽との戦いで私情を挟まないとか言っても説得力ねえな。
逆にあるのかもわからんがw
217無名武将@お腹せっぷく:2007/05/19(土) 23:47:28
生き延びる知恵というか
どっちが才能ある上司か見抜く力に長けていたという事か
218無名武将@お腹せっぷく:2007/05/20(日) 10:12:50
>213 朱霊は裏切りじゃなくて転向だってば!
袁紹だって納得してからやったんだろうが
219無名武将@お腹せっぷく:2007/05/21(月) 10:38:46
朱霊は純粋に曹操が好きで曹操についたのに曹操に嫌われちゃう可哀相な子
220無名武将@お腹せっぷく:2007/05/21(月) 20:58:17
多分朱霊は徐晃のようなおべんちゃらが言えなかったんだろう
221無名武将@お腹せっぷく:2007/05/23(水) 21:15:11
あれをおべっかとかおべんちゃらと思うって
どれだけ了見が狭いんだか
222無名武将@お腹せっぷく:2007/05/23(水) 21:23:12
そもそもおべっかなら本人に言わなきゃ意味ないぜ。
223無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 01:53:40
いや、本人に言うと単なるおためごかしにしか聞こえない事もあるが
周囲の人間にふと漏らすようにすると、どうせ曹操の耳に入るから効果的だ。
224無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 01:59:39
呂布の襲撃を受けて逃げて来た劉備が両人の軍勢を奪う目的のために楊奉と韓暹の偽りの酒宴に招き
楊奉は劉備に騙し討ちされて殺害された。
225無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 02:42:43
旧主・楊奉の仇である劉備一党の一人(関羽)と仲良くしてるあたり、
徐晃の不義理さが窺えるな。
226無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 03:07:17
徐晃は人格や忠義心と将としての能力が別物であるという好例だな
227無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 13:53:06
>>211
赤壁前だったら、于禁が筆頭だろうね。
228無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 15:30:36
徐晃は降将であるだけに自ら親交を慎み、部下を手厚く労わったとある。

邪推すると、

不義理な行状が枚挙されるだけに儒教シンパから相手にされず、友達が居なかった。
であるから、保身のためには身内を手厚く保護する必要があったとも取れるな。

邪推だけどな。
229無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 16:36:13
親交を慎んだというのは友達少なかったことをオブラートに包んだんだろうな
230無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 17:04:56
張遼は、楽進・李典と仲が悪かったけど、温恢、趙ゲンにとりなされて仲直りしましたよ。
胡質とお友達になろうとしたら、武周と仲が悪いことを槍玉にあげられたので、仲直りしましたよ。
とか、そういうエピソードがまだ有るけど徐晃は「曹操に惚れたぜ」しかないからなぁ。

賈クなんかは降将であり個人的親交を慎んだ、とはあるけど、他伝でもちょくちょく会話が。
演義じゃ更に輪をかけて、曹洪やら王平と仲たがい起こし、それが元で軍事的失敗してる。
徐晃の扱いマジでヒデェ。
231無名武将@お腹せっぷく:2007/05/25(金) 23:26:53
正直、友達にはしたくない気がしてきた
部下にしてもアレだよな
不義理なことを平然と勧めるしこれみよがしなおべんちゃら言うし
232無名武将@お腹せっぷく:2007/05/26(土) 14:26:41
漫画でろくに活躍してないっていうが、「蒼天」読んだ人間は
絶対に「不敗の将軍」徐晃を忘れないだろww

「裸の大将」だけでインパクトは横光の孫策を越えるというのに
果ては李典の遺品を次々繰り出して関羽に手傷を負わせる一騎打ち。
今の日本じゃもう過去のものになりつつある「演義」にこだわってる
人がいるってのが正直分からない。
233無名武将@お腹せっぷく:2007/05/26(土) 17:59:08
>>231
で、どこが「これみよがし」なんだ?
別に君主に対して心酔してる台詞を吐く将なんて他にもいるだろ。

なんかこのスレにはやけに邪推してケチ付けるアンチが多いな。
最近多く見かける楊奉再評価の一連の流れの中で嫌われてる気がする。
234無名武将@お腹せっぷく:2007/05/26(土) 23:03:53
能力は認めても人格はマンセーできないってだけだろう。
235無名武将@お腹せっぷく:2007/05/27(日) 18:08:27
徐晃キモス
236無名武将@お腹せっぷく:2007/05/27(日) 21:50:48
>>233
能力や実績にはケチつけてないぞ
むしろあれだけ最低な品行でも曹操に使われ成果を上げたんだから余計凄い

あと楊奉は董卓軍閥の生き残りでそれ以上でも以外でもない
まさか勤皇なんてヨタ話のことかい?
237無名武将@お腹せっぷく:2007/05/27(日) 22:53:42
オナホールに針混入、53万個を自主回収へ

大人向け玩具の最大手、シスタープリンス株式会社(小倉市)は28日、製造過程で針が混入したとして、販売されたオナホール(男性向け性玩具)の自主回収を発表した。
同社によると、12月10日以降に出荷された製品100万個のうち、およそ半数にあたる53万個に最大8センチの縫い針が混入しているのを確認したという。
対象製品は「リアル絵梨香ちゃんの放課後パート6凸凹タイプ♪だよ」と呼ばれるもので、直径12センチのカップ状の容器に直接男性器を挿入して快感を得る。
回収対象品を使用した場合、男性器に針が刺さり最悪の場合死亡する事態も予測されるという。
同製品は都内の若者を中心に高い支持を得ており、通信販売の購入者に対しては各家庭に訪問員が日中に派遣され、無償で正規品と交換する予定。
また、購入経路から把握でき次第、全ての購入者の自宅や勤務先に各自治体の保健所からの男性の衛生員が出向き、適切で安全な自慰の方法を実演しながら指導するという。

なお同社は2002年4月にもローター(女性向けわいせつ玩具)が膣内で爆発し、女性が妊娠する事故が発生している。
238無名武将@お腹せっぷく:2007/05/27(日) 23:03:27
>>236
「最低な品行」か?
陳寿評も裴松之評も、少しも品行が悪いと論じてないし、
普通に伝を読んでもそこまで酷く感じない。
そもそも「最低」の品行って言っても、
三国志の時代の人物でも董卓、呂布、孟達、許攸、黄皓・・・などいくらでもいるが、
これらの人間に匹敵するほどの「最低」の品行か?
彼らは人物評でも性格面において厳しい書かれ方をしているが。
さらに行動を見ても、甘寧みたいに暴力的でよく人を殺してたわけでもない。

徐晃の性格、行動面について明らかに過剰なほどの貶め方をしていると思う。
239無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 00:08:53
>>238
擁護レス比較の対象がそのあたりの札付きだというあたりが、徐晃のアレさを象徴してる
やはり降将たるもの、許攸みたいな態度ではヤバイ
徐晃みたいにちゃんと主に取り入らないといかんのだな
240無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 00:30:26
>236 別に楊奉貶めなくてもいいじゃない。戦は強かったし
そういう暴論をふっかける人間こそ、李カク信奉者の過激派って気がする。
李カクを擁護してる人間には李カク以外の涼州勢力や董卓軍を貶めている連中が多いもの。
241無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 00:35:49
>>240
同僚だった董承に裏切られ、董昭には騙され、部下徐晃に裏切られた可哀想な人だな

俺が一番面白く感じるのは董承だな
あの派閥間遊泳っぷりはタダ者じゃない
自分が引き入れた韓暹に負けてたのはご愛嬌だが
242無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 00:37:03
最後は劉備にも騙されてるからな。
楊奉カワイソス。
243無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 00:38:30
>>242
そういやそうだったね
ここまでくると頭が可哀想だったんじゃないかと思わないでもないが
244無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 00:40:11
ワロタw

確かに思慮が足りなすぎw
245無名武将@お腹せっぷく :2007/05/28(月) 01:02:36

典韋+夏侯敦+許儲+夏侯淵>>>>張遼・楽進・于禁・張合・徐晃・華雄
246無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 01:04:08
張合はいいとして、
夏侯敦と許儲は酷すぎる誤字だなw
247無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 01:08:53
>>240
賈クを信奉してる人の方が、
涼州軍勢や董卓軍を貶める傾向が顕著な気がする。
248無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 01:23:28
そういや曹操も警戒した楊奉の軍勢は劉備が吸収した恰好になるのか…
これって案外重要な事実かもしれぬ
249無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 03:49:22
楊奉って白波賊の頭目だよな。
白波族って於夫羅とも合流してるし、あの一帯には黒山賊もいる。
そもそも、連中は漢民族だったんだろうか?
250無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 03:50:53
白波は漢民族じゃね?黄巾賊の一派だし。

どうでも良いけどなんかカラフルだな。
251無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 03:55:40
フム・・・まぁでも、徐晃の出自が良くないという可能性は有るのかなぁ?
252無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 04:00:51
徐晃の出身は河東なんだよな。
で、白波の拠点もそこら辺だった気がする。

徐晃の伝は「車騎将軍楊奉の部将」として紹介してるが、
その楊奉が元白波賊だからな。
徐晃が賊出身である可能性は高いと思う。
253無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 04:03:40
徐晃?
ああ、孟達に瞬札された雑魚かw
254無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 04:10:13
そうすると人格以前の問題で、
徐晃が「漢王朝に背いた賊」「兵」として士大夫層から相手にされなかった可能性は十分に有るね。

考えようによっては、張飛の最後を考えれば正解だったかもしれない。
というのも、張飛は自分を相手にしない士大夫層を慕い、兵士に辛く当たって殺されたから。
人物を慕う張飛の心は浪漫主義に溢れてるけど、結局自らの身を危うくしたのはその純粋さからだった。

徐晃は同僚との付き合いを諦めた。
ひたすら忍従し、自分を慕う者達に恩愛を振りまく事で最後を全うできた。
稚気や純粋さの感じられない、大人の対応だけれど、身の程を弁えていたとも言える。

こういう風に考える事もできるかな?
255無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 04:17:26
なるほど。

ただ、漢王朝に背いた〜は曹操軍の中では関係なくね?
そもそも君主である曹操が相当な逆賊だからな。
256無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 04:23:06
>>255
曹操は立場上逆賊扱いだろうけど、士大夫は表立って曹操にそれを言ってない。
表面上は間違いなく献帝の保護者だったし、袁術みたいに分かりやすい逆賊もいたしね。

また、曹操は一応討伐隊としてすげぇ功績挙げてて、徐晃は背いた側だからなぁ。
しかも庶民と来れば、曹操に言えない分をぶつけるのに格好の対象になること受けあい。
257無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 04:26:30
呉においての士大夫連中ってどういう意識持ってたんだろうな〜
どうにかして漢とのつながりを持ちたいとかは思わなかったんだろうか?
どうやって自分たちの中で折り合いを付けたんだ。
別に王朝の威光が届きにくい辺境だったってわけでもあるまいに
258無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 04:31:54
>>257
張昭が曹操への降伏論=漢への帰服を唱えたのが最後の輝きだね。
あれ以降は、完全に孫邵派に主流が移った。
呉に割拠(呉王に封じられる事を指す)し、漢朝に対しては消極的に臣従するって論理ね。

張昭は孫権が呉王に即位した時にもちくりとやられてる。
これを考えると、復漢ってのは、もうほとんどタブー化してたんじゃないかな。
259無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 11:16:01
そもそも後漢王朝があれだけ荒廃して群雄割拠になった時点で、もう本気で後漢再興を目指す人間なんて皆無でしょう。
統一した人間が誰であれ新王朝を築くに決まってる。
(劉備あたりが新王朝に漢と名付ければ名目上はまだ可能性がゼロではないが、実質的にはこれも新王朝と言っていいだろう。)

そうするとあとは
@一応最後まで漢朝に忠義を尽くす形を取りつつ、王朝の交代を見届ける。(その後大半は新王朝に仕える)
Aむしろ自分達で積極的に新王朝設立を目指す。(当然新王朝に仕える)

この二種類に大別されてくると思う。

あとは掲げる看板をどうするかだけど、呉の場合は赤壁にモロに出てる。
@曹操は逆賊だけど漢の威光には逆らいがたい、降伏しよう。
A曹操こそが逆賊なんだから、我々の手でこれを排除しなくてはいけない。

@ですら曹操がその実叛意があることを認めつつ、これに降伏しようと言うのだから漢室復興なんて諦めてるも同然。
Aも「孫家こそ漢室の忠臣」という大義名分を使ってるだけで、非公式的には「孫家こそ次の天子」とか言ってる。

呉の士大夫層に「漢室復興」なんて幻想を本気で追いかける夢想家は赤壁時には既に絶滅してるでしょう。
260無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 12:24:08
>>259
剥げ詩句同意

皇帝を擁立した群雄を含め、ほぼ全員が「自分が(自分の主が)統一の暁には新たな王朝を開く」という認識の元に働いていたと思っていいと思う

袁紹や曹操、劉備はもちろん、太史慈や婁圭もそう言ってる
家臣では魯粛が有名だが、ジュンイクも曹操を漢の高祖になぞらえている
他にも漢の皇帝を失った袁術は自ら即位している
この時代の「皇帝への忠誠」はこのような認識を腹の底に隠している者が普通だったと思う
それでも漢の皇帝、漢という中央政権への帰属意識もまた残っていたからこそ赤壁における降伏派(@)のような論調が生まれるんだろうけど、実力さえあれば従う必要ないという程度の認識のようだ
張昭だって赤壁の時には合肥攻めに参加し、曹操に真っ向からたてついているわけで
261無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 16:04:42
張紘と華?の判断の違いはどこから来たんだろうな〜
ってここまで行くと流石にスレ違か
262無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 22:41:58
何のスレだっけ
玉璽を取り戻した徐キュウは評価低いだっけ
263無名武将@お腹せっぷく:2007/05/29(火) 06:49:03
徐晃ファン必見!
http://www.nicovideo.jp/watch/am237670
264無名武将@お腹せっぷく:2007/06/05(火) 20:28:29
徐晃と鍾ヨウって同僚でしたか?
徐晃が不忠者なら、鍾ヨウなんかの評価も気になるんですが
265無名武将@お腹せっぷく:2007/06/05(火) 20:32:33
皇帝に従っていた皇帝の側近と、
皇帝を囲い込む権臣の軍内の一将軍の部下

同僚か?
266無名武将@お腹せっぷく:2007/06/14(木) 11:45:40
この過疎っぷりが徐晃をよく表している
所詮その程度
267無名武将@お腹せっぷく:2007/06/15(金) 12:47:04
地味なんだよな。
268無名武将@お腹せっぷく:2007/06/15(金) 18:49:15
知名度UPのためには呂布以上の不義理不忠キャラで推すべきだ
269無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 00:46:00
徐晃がか。
270無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 04:37:33
蒼天の徐晃はクソで愛着のかけらもなかったが、横光のはルックスもかっこよかったし、存在感あった
ドウカンで包囲網突破するときとかね
ただ一番有名なのは孟達に射殺されたシーンだろうwあれは可哀想すぎる…
271無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 19:43:06
張遼や楽進も扱いは大して変わらないだろ、横山は
272無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 22:32:02
明らかに違うだろw
張遼はそこそこ初期から出てきてるし、扱いも蜀マンセーな横光版にしては一流の将として描写されてる
楽進なんか合肥戦での「俺が楽進よ」と甘寧に射撃されたぐらいしか出てこない。
おまい横山版見てないだろw
273無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 23:05:33
ああまたすぐ張遼の話題になった…
274無名武将@お腹せっぷく:2007/06/17(日) 01:25:21
スゥート三国志では凄い魅せ場があるわけだが
275無名武将@お腹せっぷく:2007/06/17(日) 08:25:57
>270 蒼天で正史を基に描写していたら
ヘタすると張コウとキャラクター被っちまってただろうからなー
276無名武将@お腹せっぷく:2007/06/17(日) 09:01:29
>>274
スゥイートの徐晃は輝いていたな
魏軍で一番と言っていいほど目立ってた
277無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 02:55:48
徐晃といえば三国志11(出来は兎も角な)の顔グラは個人的に久々のヒットだったのじゃよ…
黄巾っぽくもあるし、後半顔グラは名称の風格が漂う渋さがあるし。
278無双ファン ◆.IjycOFqtg :2007/06/18(月) 13:29:09
>>274
見せ場って徐行の標識振り回す以外になんかあったっけ
279無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 22:01:41
上役に対しは「へへぇ」と愛想笑い
主君に対しては「私は真の主に巡り会えて幸せですぞォー」とか大袈裟に感激してみせる
好機と見れば裏切り内通なんでもござれ
同僚はみんなうさんくさがってあまり近寄ろうとしない

でも軍事は強く、厳しい軍律で縦横無尽に兵を操る無敗の名将

そんな俺のイメージ
280無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 22:25:42
大物なのか小物なのかw
281無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 22:38:32
>>280
徐晃がなぞらえられた周亜夫は軍事的には間違いなく名将だけどそれ以外は小物臭いよ
282無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 23:18:50
横山の徐晃は悪役っぽいし蒼天の徐晃はアフォ丸だしの野生児だし
一番カッコイイのは無双の徐晃だな義がどうたらと少しウルサイけどルックスイメージ
どれを取ってもいかにも名将徐晃って感じ

横山のオヤジ張遼は論外だ蒼天張遼VS無双張遼だと蒼天張遼の方が強そうだ
283無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 07:48:53
武将なんて普通はオヤジだろ
横山のが一番実像に近いと思うぞ
284無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 09:25:25
蒼天張遼の描き方は厨っぽいしな
285無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 10:08:19
だが、それがいい。
286無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 11:01:12
蒼天のはサイヤ人に近かった
実際、演義や正史に書かれてる事を信じれば三国志はサイヤ人ばっかだけど
287無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 15:53:22
蒼天の徐晃、ヒゲが変なぐらいで、
関羽と戦うまではあんまり目立たない地味なオッサンだったぞ。
288無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 16:51:15
そんなことない、官渡の辺りで裸で逃げてくる姿が印象的
289無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 18:03:31
蒼天の張コウは好きな感じだったな。最初、夏侯淵と区別つかなかったけど。
李通は白土三平が描いたみたいな不思議なルックスだった
290無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 18:05:31
三国って言えばどうしても赤壁の戦いに持って行かれてしまうが、
私は寧ろ一番の山場は樊城攻防戦だと思います。
まず三国それぞれ一勢力を築いて、それぞれの思惑で動いた。
そして人間同士のドラマ要素も十分。
更にある意味三国の情勢を決めた一戦でもあります。
誰か映画化してくれないかな。
291無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 08:43:42
蒼天の張コウは知的かつそれなりに武勇もある、名将なイメージでよかった
趙雲と打ち合うシーンとか、横光版だと絶対逃げてただろうな
横光版は情けないシーンが多かった…
292無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 11:18:47
張儁乂は横光っていうか演義だけだと、かなりアレだからなぁ。

演義読んだだけだと、かなりイメージが悪いはず。
官渡では大軍を率いながら張遼と一騎打ちに挑むも攻めあぐね、郭図に讒言されて已む無く下る。
張遼が単騎行で陳蘭を討つ場面では山砦を前に攻めあぐね、張遼に勲功を譲る。
劉関長3兄弟再会を警戒して襲撃するも、趙雲の挑発に乗って一騎打ちを挑んでまんまと逃げられる。
長坂では趙雲にボコられ(吉川版だと死んでしまう)、命からがら逃走。
潼関では曹洪らが敗れた後、起死回生を期して馬超に一騎打ちを挑む。
 →「勝ち戦の大将が一騎打ちするか、ボケ」とスルーされる。
益州では、張飛に先制かますも、攻めあぐねる張飛が挑発すると、それに引っかかって敗北。江州失陥。
漢中攻防戦前半では、夏侯淵と仲違い。漢中を奪われる。
演義では上のような戦歴だが、何故か劉備は張儁乂こそ大物だという。(正史と違いすぎて意味分からん。

街亭で、馬謖相手に大勝利。しかし、王平の活躍の前に大将首を取り逃す。(とはいえ、大勝利は大勝利
司馬懿の命令に従わず木門道に突入。諸葛亮に「匹夫」呼ばわりされたあげく殺されてしまった。

もうね。張儁乂だけに関しては、流石に羅貫中を弁護出来ないと思うの。
293無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 12:05:54
ここでそんな基本事項書き連ねる意味は何か
294無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 12:35:46
張遼の一騎当千、于禁の雨、徐晃の品性下劣、楽進の小男といった特徴ないからな
キャラ立てに苦労したんだろう
295無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 13:34:28
>>294
確か横光の頃って正史はもちろんのこと、演義も日本語版ではろくに出版されてなかったんだっけ。
296無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 19:16:10
中国に入れない時代だもの
297無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 20:53:10
てことはなんですかい?横光によって、半ば日本人の三国志観が形成されている部分もあるんですかい?
ん?それ以前に吉川かな?
298無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 21:15:30
やっぱり張コウ!!三回死んでも大丈夫!!
299無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 23:54:04
一昔前まで日本人の三国志観を形成したのは吉川だろうね。
三国志小説といえば吉川という状況だったし横光の原作でもあるからね。
300無名武将@お腹せっぷく:2007/06/21(木) 00:04:42
>292 陳式打ち破って刑死させてんじゃないか。
正史ではお股に矢が当たって戦死だし。
張コウの死に様を思うと いっつも胸が温かくなるよ
301無名武将@お腹せっぷく:2007/06/21(木) 13:08:13
お股っていうか、右の太ももだろ。
302無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 18:08:36
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1182528365/4
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1182929964/
三戦板復興プラン

3
三国志スレは立てない、立てさせない。
既存の三国志スレもできるだけ追い出し、戦国一色の板を目指す。
三国志には常に無双の影が付きまとい、それが糞スレ発生の温床となっているから一時的に完全除去する必要がある。
三国志を語りたい住民には一時的に中英板へ疎開してもらい、三戦板の情勢安定を待って戻ってもらう。


理解できましたか?
という事で板の糞化の元凶の三国志関連スレッドは中国英雄板に出て行ってください。
これも三戦板のためなんです。お願いします。

中国英雄板
http://hobby9.2ch.net/chinahero/
303無名武将@お腹せっぷく:2007/08/01(水) 11:28:05
徐晃「これぞ歯の黄ばみ!」
304無名武将@お腹せっぷく:2007/08/02(木) 22:00:37
きたねぇw
305無名武将@お腹せっぷく:2007/08/31(金) 15:34:04
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1182528365/4
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1182929964/
三戦板復興プラン

3
三国志スレは立てない、立てさせない。
既存の三国志スレもできるだけ追い出し、戦国一色の板を目指す。
三国志には常に無双の影が付きまとい、それが糞スレ発生の温床となっているから一時的に完全除去する必要がある。
三国志を語りたい住民には一時的に中英板へ疎開してもらい、三戦板の情勢安定を待って戻ってもらう。


理解できましたか?
という事で板の糞化の元凶の三国志関連スレッドは中国英雄板に出て行ってください。
これも三戦板のためなんです。お願いします。

中国英雄板
http://hobby9.2ch.net/chinahero/
306無名武将@お腹せっぷく:2007/09/03(月) 10:37:44
実力を持たない奴は評価低くて当たり前。
高すぎるくらいだ
307無名武将@お腹せっぷく:2007/09/03(月) 10:54:21
『三国志』の作品において、張遼が華々しい活躍をする中
なんだかおいしい所を全て張遼やその兵士達に譲ってしまった感のある、徐晃
しかし、徐晃は実は強かった、孫武のように強かった。
徐晃はノンストップバイオレンスアクションである
そんな徐晃が強いと示したのはやはり
劉備の義帝、関羽との対決であろう
変幻自在の青龍偃月刀を武器にホウ悳をも斬るこの男
恐らく張遼ですら苦戦するであろう、しかしこの徐晃は関羽を軽く追い詰める
しかもこの徐晃、あろうことか関羽が「友達じゃないか」と情に訴えてきても知ったことかと勝負を決める
結局その回も張遼も孫権を倒し終わる訳だが
張遼は徐晃に対し礼を払わず、まるで自分だけが立ち回り取り残された兵士達を助けたかのように語る
これを咎めず立ち去る徐晃こそ周亜夫の風格ありと言えるのでは無いか
308無名武将@お腹せっぷく:2007/09/03(月) 18:21:06
李典や楽進なら分かるが徐晃は張遼とは全然活躍場所が違うような
礼を払わなかっただの何か色々と被害妄想入ってないか?
309無名武将@お腹せっぷく:2007/09/03(月) 18:57:59
空気も読めずに4ヶ月前のにレスするのは気が引けるが。

>>147>>150
関羽はあの地域に長年住んでいた(劉表の元に居候していた)から、
天候の変化や洪水の規模などに関して熟知してたんだろうよ。
逆に曹操軍の中であの土地に詳しい人間は包囲された城の中だし、
ネットも電話も無い時代に于禁が洪水の予兆・規模を推定するのは非常に困難だと思う。
310無名武将@お腹せっぷく:2007/09/03(月) 23:35:56
いや…むしろ魏側のホームで関羽はアウェーなんだが…
311無名武将@お腹せっぷく:2007/09/05(水) 22:20:29
まあ于禁は荊州にいた経験なんて赤壁の戦いに参加してた1年に満たない間くらいのものだ。
対して関羽は居候時代から、荊州に防衛を任されてその後死ぬまでの19年間もの間
荊州に滞在してるわけだから、樊城が敵地だったとしても付近の気候については
中原から来た魏の人間よりもちゃんと把握してたのではないか、と>>309は言いたいんじゃないのかな。多分。
312無名武将@お腹せっぷく:2007/09/06(木) 02:01:57
関羽が調べることが出来たなら魏側だってそれは同じだろう。
調べられたものは当然于禁のもとに届いたはずで。

曹仁がよほど地勢に興味が無いなんて事が無い限り、双方に特段のアドバンテージは無いよ。
313.:2007/09/07(金) 15:39:36
曹仁と于禁は連絡取れてたのかなぁ
まぁホウ徳が沈んだのは曹仁の失態でもあると思うが
314無名武将@お腹せっぷく:2007/09/07(金) 15:55:19
何だかんだで11年だからなぁ。
11年間情報が共有出来て無いとか流石にありえるんかのぅ。
315無名武将@お腹せっぷく:2007/09/07(金) 23:03:01
于禁が陸から来たとして使える舟が無かったんじゃね?
予想以上の大氾濫で逃げ場となる筈だった高所まで沈んでしまったと
316無名武将@お腹せっぷく:2007/09/08(土) 00:03:38
襄陽は昔から今に到るまで水難に悩まされている地域なんだよな。
結局「急な雨」ってのが全てなのかねぇ。
317無名武将@お腹せっぷく:2007/09/20(木) 07:45:58
スレ違いですが質問させてください。

>>150前後から始まった呂範談義等にかなり感銘を受けたんですが、皆さんは三国志の知識は何から手に入れましたか?
自分は蒼天、横光、SLG三国志、wikipediaくらいしか無く、大体の武将の概略と関与した人物くらいは解っても
詳細やそれを時勢に結び付けて考えることは出来ません。中国の他の時代の物も司馬遼太郎の項羽と劉邦を読んだくらいです。
正史は昔チラッと見たのですが、箇条書き?というかかなり見難かった印象があります。最近になって欲しくなり本屋を探し回っていますw

やはり演義は目を通して置くべきなのでしょうか・・・
これは必読!という文献や小説などがありましたら教えてください。お願いします。m(。_。)m




318無名武将@お腹せっぷく:2007/09/20(木) 08:31:15
一騎当千
319無名武将@お腹せっぷく:2007/09/20(木) 18:57:32
恋姫無双
320無名武将@お腹せっぷく:2007/09/20(木) 19:56:09
──┬──____                                ____──┬──
    │     |   ─┬─_                    _─┬─   |     |
    │     |     │  │工エエェェ(´д`)ェェエエ工│  │     |     |
    │     |   ─┴─ ̄                     ̄─┴─   |     |
──┴── ̄ ̄ ̄ ̄                                 ̄ ̄ ̄ ̄──┴──


まじめに知りたいのに(´;Ω;` )
321無名武将@お腹せっぷく:2007/09/21(金) 04:52:49
「三国志」北方謙三とか良いんじゃない?ストーリーがかなり違うけど
322無名武将@お腹せっぷく:2007/09/21(金) 05:01:05
>>317
推奨:やっぱり三国志正史。ちくまのは誤訳が酷いので注意。
非推奨:ウィキペディア。全然当てにならない。漫画とか演義の記述や妄想がさも史実のように書かれてたり。
323無名武将@お腹せっぷく:2007/09/21(金) 05:29:13
つーか史実原理主義者どうにかならんのか
正史か演技か前もって条件つけとかないとわけがわからん
演技を否定するくせに平気で100%嘘の漫画の話を書く奴もいるし

>>322
ちくま以外に正史の完訳ある?
324無名武将@お腹せっぷく:2007/09/21(金) 05:42:06
>>やはり演義は目を通して置くべきなのでしょうか・・・

いきなり正史から読むとわけが分からんよ、多分。
武将の列伝が載せてある形式だから余計に整理が難しく、時勢に結びつかない。
吉川英治の本とか、他の作家、オリジナルの演技で大まかに流れ知っといてから
正史見たほうがいい、話の流れは正史も演技もほとんど変わらん

それで気になる武将がいるなら、その武将が載ってる正史買えばいい
まー横光の読んでるならいきなり正史いってもつまらなくはないと思う。
325無名武将@お腹せっぷく:2007/09/21(金) 10:29:17
>>317
かつて書評スレッドというのがあってな、いろいろ素晴らしい名著が挙げられていたよ。
正史を直接読む前に読んだ方が、断然正史がわかりやすくなる本というのはたくさんある。

↓わかりやすいところから。
○「三国志新聞」は史実準拠(研究結果をくわえているから正史以上になっているともいえる)、
しかも時系列、見開き毎で読みやすい。超オススメ。
○「図解雑学 三国志」、これも見開き毎で読みやすい。時系列は各勢力毎になっている。これもオススメ。
同著者の「図解雑学 諸葛孔明」はオススメしない。
○「三国志の迷宮」は、時系列は関係ない論文集的なもの。
読者の演義系のフィクション部分に対する修正が、著者の目論見の一つ。
似たような目論見(?)を持つゴンタも“適度”に参考にしている(蒼天何巻だったかの巻末メモに記載あり。劉備の蜀侵攻辺り)。

↓以下はやや専門的。もう少し理解が進んでから読まれたし。文章は固めが多い。
○「魏晋南北朝」と「秦漢帝国」は、その時代の概略書として定番中の定番。
○天才・宮崎市定の「大唐帝国」も、ややアバウトながら良い。
この人は信じられないくらい文章上手くて、わかりやすい。丁々発止、乗せ方上手。とても学術書とは思えない。
○「曹操 魏の武帝」は、後漢末〜曹操理解においてベスト中のベスト。凄い(特に蒼天信者にとっては鬼門となるだろう)。
ただし、あまり時系列ではなく、結構チグハグ前後している。あと、値段が高め(でも内容は素晴らしいから絶対損無し)。

たしかにどれも著者の主観が入っていて影響されるかもしれない。
でも、直接正史にあたって訳がわからないよりはよほど良いだろう。
色々詳しくなったら研究者になってくれ!
あと、正史は誤訳指摘サイトがあるから、それをあたりながらどうぞ。良いサイトは結構ある。
326無名武将@お腹せっぷく:2007/09/21(金) 10:42:02
徐晃のスレなんだが
327無名武将@お腹せっぷく:2007/09/21(金) 12:33:13
>正史は誤訳指摘サイトがあるから

見てみたが殆ど微細なもので
流れ掴んでたら誰でも気づきそうなものだらけだな
しかも支持者は10人もいないw
328無名武将@お腹せっぷく:2007/09/21(金) 14:59:52
そういや魏の人物の総合スレッドって無いな。
とは言っても、ここを再利用するにしても
もうちょっとしたら沈んでしまうが
329無名武将@お腹せっぷく:2007/09/22(土) 00:05:33
まあ2chのいろんなスレを見るってのも
効果的だな。
330無名武将@お腹せっぷく:2007/09/22(土) 00:13:31
>>327
『春秋』のように元本に対していろんな解釈の伝が存在する物もある。
『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』
さらにそういった伝に関しても細やかな検証が行われる。

訳について考えるも悪い考察方法じゃないと思うが。
331無名武将@お腹せっぷく:2007/09/22(土) 02:51:02
訳については中国語がわからんから考察できんな・・・俺は
332無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 00:10:56
スレ違いだがここには詳しそうな人多いから質問させてください

アメリカやヨーロッパでは三国志の訳書はでているんですか?
でているならタイトルは何ですか?
333無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 00:37:35
>>332
スリーランドストーリー
334無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 00:43:41
楊奉と徐晃たんがラブラブな小説を発見して感動した
335無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 00:44:01
>>332
スリーカントリー志
336無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 00:47:34
>>334
俺も見たぞそれww
337無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 00:55:27
最後は徐晃が他に男作って破局?
338無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 01:01:46
楊奉たんかわいそす。
339無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 01:05:20
あと逃避行組の楊奉と董承の絡みとかも見れるね。吉川三国志では悪役だった李楽がなんか真人間っぽいし。
340無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 03:19:16
>>333
>>335

トムサンクス
341無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 03:28:56
いや、Three kingdomsだったぞ!
342無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 09:23:24
学徒出陣に比べれば・・・・・・
343無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 17:49:45
徐晃はマジで名将。

それにしても徐晃のヤツ、ホント引き締まったいい筋肉してるよな。
マジ、マッシブすぎる。ブチ込んで貰いたいぜ。
344無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 18:41:51
あれほどの武を持った武将はいないと言うのにどういうことだ。
過小評価されすぎだな
345無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 19:38:39
『三国志』の作品において、張遼が華々しい活躍をする中
なんだかおいしい所を全て張遼やその兵士達に譲ってしまった感のある、徐晃
しかし、徐晃は実は強かった、孫武のように強かった。
徐晃はノンストップバイオレンスアクションである
そんな徐晃が強いと示したのはやはり
劉備の義弟、関羽との対決であろう
変幻自在の青龍偃月刀を武器にホウ悳をも斬るこの男
恐らく張遼ですら苦戦するであろう、しかしこの徐晃は関羽を軽く追い詰める
しかもこの徐晃、あろうことか関羽が「友達じゃないか」と情に訴えてきても知ったことかと勝負を決める
結局その回も張遼も孫権を倒し終わる訳だが
張遼は徐晃に対し礼を払わず、まるで自分だけが立ち回り取り残された兵士達を助けたかのように語る
これを咎めず立ち去る徐晃こそ周亜夫の風格ありと言えるのでは無いか
346無名武将@お腹せっぷく:2007/09/23(日) 22:24:10
周亜夫の風格ありというのはちょっと褒めすぎかな
347無名武将@お腹せっぷく:2007/09/24(月) 10:00:09
「風格あり」なら別にいいんじゃね? 匹敵するとは書いて無いし
てかこれ書いた奴張遼に対抗心燃やしすぎだろ
348無名武将@お腹せっぷく:2007/09/24(月) 12:29:12
「周亜夫の風格あり」ってのは、徐晃伝で曹操が言ってた事だろ。
>>346は「曹操は徐晃を褒めすぎ」って言ってんのかな?
349.:2007/09/24(月) 13:37:00
于禁オタ →当時の序列は張遼より上だった
曹仁オタ →武が張遼より上って書かれた
張コウオタ→最終的に張遼より食邑が上
夏侯淵オタ→同時期の権限なら張遼より上

張遼は魏のどこ武将のオタからも目の敵にされてるな、有名すぎる悲劇だ(w
350無名武将@お腹せっぷく:2007/09/24(月) 13:59:34
徐晃の評価が低いわけ(演技なら)
 ・自分の失敗を王平に擦り付ける卑怯さ
 ・孟達ごときにやられたから

でも甘寧もシャマカごときにやられたけど評価高いよなあ・・・

二人とも馬岱と同じくらいでいいと思う。
351無名武将@お腹せっぷく:2007/09/24(月) 14:28:42
徐晃はいうなれば、ぱにぽにの桃瀬くるみもような存在
352無名武将@お腹せっぷく:2007/09/24(月) 14:29:35
「周亜夫の風格あり」よりもその前に言われた「孫武以上」と言う方が凄いと思った
>>350
甘寧はその時重病だったというフォローがあるし、その後の死に様もかっこいい
シャマカは周泰と20合以上打ち合うなかなかの豪傑に書かれてるしね
その辺は徐晃とは少し違う

353無名武将@お腹せっぷく:2007/09/24(月) 14:43:35
徐晃は正史の方が陰湿な性格くさい
354無名武将@お腹せっぷく:2007/09/25(火) 16:27:05
吉川の徐晃はオイシイ役もらってるよな
顔良、許チョ、リカク・カクシ等と互角に戦い、しかも内容も細かく書かれてるし
初期から家来の夏侯淳や樂進よりも活躍してるし
355無名武将@お腹せっぷく:2007/09/25(火) 16:32:20
関羽はおいしいよな
あの下乳…ゴクリ
孫策なんてどうでも
356無名武将@お腹せっぷく:2007/09/25(火) 18:15:28
>>355
いつも思うんだけど
そういうこと書いてて楽しい?

彼女でも創って楽しんだほうがいいんじゃない?





と、現在彼女なしの男がいってみるテスト
357無名武将@お腹せっぷく:2007/09/25(火) 20:54:44
演義と正史でかなりイメージが違うよな
358無名武将@お腹せっぷく:2007/09/25(火) 21:16:14
関羽の下乳を語らない人はスレ違いだから出ていって下さい
359無名武将@お腹せっぷく
だから、伏龍鳳雛のどちらかを軍師に迎えれば天下を取れる
と言われていた二人を軍師にできたのに、玄徳は天下を
取れなかったのね。
それだったらいっそ、孔明先生、玄徳を船で拉致して、
倭の国に来ればよかったのに。未開の、のんびりした島で、
「二人きりで流されてもいいわ〜貴方が好き!」って
青い珊瑚礁してればよかったのに。さすがの孔明先生も、
東にこんな島があるなんて、知らなかったんだろうなあ。