1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 20:49:02
それ中英じゃん
板も鯖も違うし関係ないでそ。
好きな方に住んでも行き来してもOK
とりあえず諸葛格は蜀との同時攻勢を計画してたりするのは評価できると思う。
満を持して呉
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 21:49:57
呉で一番の猛将といえば、やっぱ甘寧か?
呉スレ復活っすね
>6 董襲あたりがかなりのものだと思う。
別に甘寧が猛将だって意見に異論があるわけでも無いが
後は呂岱か
>>9 呂岱はそんなに印象に残らんけど、なんか勇猛果敢な逸話とかあったっけ?
呂蒙を忘れるなよ
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/04(日) 16:35:06
アゲ
13 :
呂覇:2007/03/04(日) 17:58:32
光栄の三国志Uに呂覇っていたな…
呉の最強は周泰
>10 物凄く長生きだから。
そういや陸抗がいるじゃないか
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/07(水) 03:00:49
公園になってるのは
甘寧公園、朱然公園・・・
自然公園みたいでなごむね
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/08(木) 11:42:43
良く蜀の話題で「益州閥と荊州閥がどうのこうの」と言われるじゃない?こういうのって大半が妄想の域をでないヨタ話なんだろうけど、
ふと「もしかして呉初期なら張昭閥と周瑜閥とか妄想できるんじゃね?」と思った俺の戯言を聞いてくれ。
まず根拠と言うか、出発点は陸遜の孫が呉滅亡後に書いた「弁亡論」の一文。
「孫策に招かれた人物の内、名高き名士の中では張昭が、才気溢れる傑物の中では周瑜が、
それぞれ中心人物であり、この二人が優れて聡明だったため性質や志を同じくする者が集まったため江東は多士済々となった」
つまり伝統的な学者・名士層の中心が張昭であり、新進気鋭の才人たちの中心が周瑜だったことになる。
さらに孫策死後張昭が後見人となることで諸群が安定し、周瑜が率先して礼を尽くすことで諸将が信服したことや、
百官の長史に張昭、中護軍に周瑜を据えて二人が諸事を取り仕切ったことから、
文治方面に張昭の、軍事方面に周瑜の影響力が強かったことが窺える。
それらを踏まえて、まず判りやすい(こじ付けやすい)人物から挙げていくと、
魯粛・甘寧らは張昭が苦言を呈し、周瑜が推挙した人物だから周瑜派、
程普は張昭が張公と周囲に呼ばれるように程公と呼ばれ、周瑜と仲の悪い張昭派。
さらに共に二張と称えられた張紘、張昭らと同じく北方よりの流入組で張昭の息子とも仲の良い諸葛瑾や歩シツは張昭派。
張昭が嫌いそうな派手好きで、なにかと意見が周瑜と一致する呂範や、正面切って張昭に喧嘩を売り曹操を盗人呼ばわりした虞翻なんかは周瑜派かな?
…しかし呂蒙は張昭に推挙され周瑜に重用され、虞翻とも諸葛瑾とも親しいし、段々こじつけるのも難しくなってくるわけだが。
出自(名士か無頼か)出身(北方からか元々揚州か)年齢(ベテランか若手か)とかで分類できないかなと模索してみたが、中々上手くいかないね。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/09(金) 20:10:52
張昭からの視点の物語って無いのかな
呂範は黄祖討伐のとき、張昭と一緒に留守番してたし、
それほど仲は悪くないんじゃないかな?
確か、張昭が「一人で呉を守るのは心もとない」と言って
甘寧が「大丈夫だから」と諭しても不安を訴えたから
呂範が一緒に残ったって、何かで読んだような気が。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/09(金) 20:30:55
ミ・д・ミ
お前ら一番好きな奴って誰よ?俺は朱然だ。
朱然は良いな
徐盛結構好きなんだ
一番とは言えんがな
age
徐盛は頭も回るし弁も立つな。
他にも甘寧、董襲みたいに腕だけじゃなく弁が立つ連中は好ましい。
太史慈も もっと長生きしてくれたら最高だったんだが
徐盛は大軍を前にしては男前なのに蒋欽にビビったり、脳筋かと思いきや知恵も回るし、面白いやつだよな。
「万能の天才」とは誰か?勿論虞翻のことである。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/15(木) 01:20:46
虞翻は多才な人物だが最後がいただけない
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/15(木) 01:22:13
>>32 対人関係はいただけない話ばかりじゃないか?
でも甘寧好きだよ。めちゃくちゃで。
絶対知り合いたくないタイプだけど。
>>33 対人関係はどれも美味しくいただける話しばかりだろw
徐盛の年代って分かる?
周泰には従いたがらなかったから彼よりは下で、
その時一緒だった朱然とは同年代か年上のような気がするけど
周瑜の家はどうなったん?
呉末期以降は周氏といえば周魴の家が有名だと耳にしたんだが
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/24(土) 03:26:39
沈んじまうだろ
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/24(土) 21:12:14
前スレッドで話題になった佐々木泉の魯粛漫画が出てたよ
お、やっと出たのか。すっかり忘れてたよ。
買いに行ってきまつ
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/27(火) 11:50:45
朱然や呂範や董襲の活躍をどのメディアでも良いので観賞したいので
江南行には期待したい。
読んだよ。魯粛イイヨイイヨー!
奥さんもカコイイ!
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/28(水) 07:49:30
そういや それの魯粛も「米を食う生活」と言っていたが
江南って食い物旨いのかね
名物の果物などがあったみたいだが
ミカンだっけ?孫権が曹丕に送ったの
で、左慈が食べてしまったと…。
確かさ、劉邦が酒と食べ物がとてもおいしくて離れたがらなかった土地って呉のあたりじゃなかったっけ?
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/04(水) 11:39:40
あげ
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/05(木) 11:19:18
食い物ウマくてみんな離れたがらないから、中原攻略に貪欲になれないつうのもあったりして
川魚はあたりそうな気もするがな
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/10(火) 23:12:48
あの時代でも生で魚を食べたりしたんかね?
蒼天の曹操は食ってたけど
陳登
あの時代は普通に食べてたよ>生の魚
日常的に食べていたんなら、大丈夫なんじゃないの?
俺たちが食べたら、腹下すとしても。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/13(金) 15:45:17
寄生虫まで平気だとは思えんがな
>>34 甘寧は、めちゃくちゃキャラになる事が多い気が…。
某エロ三国志じゃあ、もう酷いとしか言えない扱いだし;
新説:キ覧と戴員は盛憲の仇を討つべく奮起した忠臣なり
・・・ありきたりだな
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 16:28:10
張政と劉憲って何者?
9条は改憲してはならない。日本の為にならない。
日本人ではない朝鮮総連や民団でさえ、日本を心配して改憲への反対運動を行ってくれている。
私は日本人だが、「改憲すべき」などという者は、日本人として彼らに恥ずかしいと思います。
Q.中国から身を守る為、戦争に対する抑止力が必要では?
A.前提から間違っています。そもそも、中国は日本に派兵しようと思えばいつでもできました。
なぜなら、日本には9条があるため、空母や長距離ミサイル等「他国を攻撃する手段」がない。
つまり日本に戦争を仕掛けても、本国の、命令をだした幹部の命は絶対に安全なのです。
「安心して戦争を仕掛けられる国」を、中国は、今まで攻めずにいてくれたのです。
Q.それは日米安保によるものでは? そして、その日米安保も絶対ではないのでは?
A.中国の良心を信じられないのはなぜですか? そして、日米安保は絶対です。
知り合いの韓国人の評論家も「絶対だ」と言っていますし、私も同じ考えです。
更に、9条が消えても米国の戦争に協力する義務は発生しませんが、米国が被害者の場合は別です。
米国は日本を守る為に戦っても、(9条があれば)日本は米国を守る為に戦う必要がないのです。
Q.9条が本当に「平和」憲法なら、世界中で(日本以外に)1国も持とうとしないのはなぜか?
A.これは、日本以外のすべての国が誤っているとも言えます。
「敵国に攻撃が届く国は攻められづらい」というのは、誤った負の考え方です。
(もっとも韓国や中国の軍に関しては、日本の右傾化阻止の為でもあるので例外ですが)
更に日本の場合、隣国が韓国・中国・ロシアと、GDP上位の安定した信頼できる国ばかりです。
Q.「9条改憲派」は「戦争反対派」。侵略者に戦争を挑発する、戦争憲法(9条)を撤廃したいのです。
A.それは、貧しい考え方ではないでしょうか?
中国や北朝鮮を信じる「強さ」があれば、そんな考えにはならないはずです。
日本が信じれば、彼らも信じるでしょう。そして、真に美しい関係が始まるのです。
>>56 張政は呉末期の西陵督。
279年に歿した羊コの後任に、杜預が鎮南大将軍・都督荊州諸軍事として
対呉戦線に赴任してくると奇襲をうけて大敗。
責任逃れで建業へ敗戦を報告しなかったけど、杜預が捕虜を建業へ送還した
おかげであっさりばれて更迭。
劉憲はその後釜。
もとは鎮軍将軍で武昌監。
呉が滅亡する折の晋の大攻勢で王濬の大艦隊と戦って敗れ、捕虜に。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/24(火) 04:42:52
>54 エロ三国志ってどれの事だ? 結構ある上に、どれも酷い扱いなんで分からん。
甘寧って地方の文官出身なんだよな。頭は悪くない印象があるが、そういう仕事では有能だったんだろうか
一騎当千じゃね?
狂ってたしw
別に有能なわけでもなかったんじゃない?
とりあえず無難に仕事はこなせる感じ
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/24(火) 10:10:49
中国中央電視台のドラマじゃ、極めてマトモな人だったよな
佐々木泉の「江南行」で、孫策と周瑜に向かって娘たちが果物を投げつけるのが可愛かった
あれは呉周辺の風習なんかな。何か南国っぽい感じがする
「遼来々」ってニュアンス的に言うこと聞かない子供なんかに
「言うこと聞かないとこわ〜い魏の遼さんが来るぞぉ〜」
みたいなニュアンスだったのかね?
>>63 果物投げは元は超美男子で有名な潘岳の逸話だったような
佐々木さんは北宋時代の書家の漫画も描いていたし
詩人の潘岳なんかも好きそうだからな。
>64 どちらかって言うと、「今は有事なんだから我慢しなさい!」って意味合いな気がするけどな。
張遼より甘寧や潘璋のが子供は怖がりそうだ。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/01(火) 01:20:06
劉曄に魯粛が付いていくのは有り得そうだが
その逆はまず無いんだろうな。
魏の人で日本に来てレポート出した人も張政だったか
ライカって漫画では異様に強い
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/09(水) 09:55:08
それって昭や紘の関係者?
_、_、_、、、、、 _______ ___._______________________
/○° ヽ ヽ:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三 / / / 三|
/ 从人从........|:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三./ / /.====|
/ 从人从人从.人|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三 ./ / /.三三三|
| 〓〓〓 从人从人从..从:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三./ / /.三三三三|
| -・=- .... 从人从人 从 .:|三三三三三三三三三三三三三三三三三/ / / 三三三三三|
/ `  ̄ ´ /∴∵从人从人从从.:|三三三三三三三三三三三三三三三三/ / / 三三三三三三|
/ / ∵ 从人从人从从 |三三三三三三三三三三三三三三三 / / / 三三三三三三三|
し_ゝ |∴∵..∵从人从人人从.:|________________/ / 三三三三三三三三|
|___、 |∴∵∴∵∴从人人从 .:|_________________,/..三三三三三三三三三|
| ̄ |∴∵∴∵∴人 /从 _|・______.・______.・______・______.・_______・|
ι |∴∵∴从人 !l_/ /⌒ヽ;;;;;;;//⌒ヽ;;;;i、-ヾ---o----,、ヾi;;;;;;i;;;;;;;;;;;;;;;;iヾ. /__//⌒ヽ.ヽ‐!;iー――'
! ̄= [二] = ̄~ !二二|」;i ($).i二tiii ($).i;;;;|三||三三三三三||三三三三三||三;;;;;;|ii ($).i;;;;|二二二l]
 ̄ ̄ ̄ゞ;三ノ ̄~ゞ;三ノ''ゞ_,ノ 'ゞ_,ノ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゞゞ;三ノ ̄ ̄ ̄  ̄ゞゞ,_ノ
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/13(日) 08:39:02
呂蒙と陸遜って仲は良かったの? もしかして朱然が取り持ったりしてたのか?
仲は悪くなかった。
関羽攻める時は一緒に作戦立ててるし、功を争って無いしね。
呂蒙はすごく出来た人って感じだなぁ
もう少し神経が図太かったら長生きできたんかな
知略以前に呉の人材の調整役として長く活躍して欲しかった
俺は蜀オタだが
周瑜と魯粛っていわゆる義兄弟ですか?
あと、呂蒙と魯粛も義兄弟だったのかな?
ピンク ピンク ピンク ピンク ピンク
呉のピンク
ピンク ピンク ピンク ピンク ピンク
ピンク ピンク ピンク ピンク ピンク
ピンク ピンク ピンク ピンク ピンク
ピンク ピンク ピンク ピンク ピンク
ピンク ピンク ピンク ピンク ピンク
ぷっ
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/20(日) 10:20:05
周瑜と呂蒙って、周瑜の方が兄貴分なのかと勝手に思ってたんだけど
年齢的にはちょっとしか違わないし甘寧を一緒に推挙したりしてるから
それほど格は違わなかったんだろうかな。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/20(日) 12:27:12
義兄弟(笑)
周瑜と孫策は一応義理の兄弟ではあるな。
>>79 周瑜が生きていたころは、周瑜のほうが偉かった。
そもそも出自が全然違う。
袁家よりちょい格下の周家
めーもーん
呂蒙は叩き上げ
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/22(火) 10:36:15
周家と陸家だと、どっちが格上?
周に決まってんだろ中央官僚と地方のお偉いさんの差
つくづく恵まれ過ぎた男だな周瑜は
>>86 陸家のほうが名声在る人物が多いしどうだろ
少なくても呉郡あたりでは陸家は一番目の名家だと思う
陸家は呉郡、周家は楊州一の名門
一族の周景は爵位持ちだし
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/22(火) 18:48:49
周家が楽譜とか陸家が詩とか残してないのかね。
文学スレッドの方が良いか?
>>89 周瑜より上の代の周家、陸遜より上の代の陸家なら圧倒的に周家の方が名声ある人物多い。
逆に周瑜より上の代の周家、陸遜より下の代の陸家なら陸家の圧勝。
周家はその後どうなったんだ?
周瑜の有力な親戚筋は大抵殺されたり若死にしてるはず。
家柄が悪いと何かと大変ですね!
by周瑜・陸遜
孫権自体、苦しんでるからな
名門出の協力者や名声がある名士などに気苦労が絶えなかったろう
だから酒に溺れたのか
そんな孫権だけど有力者の力添えが絶えなかったからね
なんか魅力があったんだろう。
なければ食われてるよね。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 01:51:35
その割には、孫一族の中でも孫権だけ長生きしてるな。
つまり孫権=ジョセフ・ジョースター
他は親も兄弟も子も親戚も大概早死にだ。
長生きしたことをこんなに悔やまれる人間も、なかなかおるまい。
ならいつごろ死んでいたら良かったか、後事はどうなっていたと思うか聞かせて貰いたいな。
生きてしまったものはしょうがねぇよ。
長生きしたから康僧会に会えたんだよ。
少なくとも江南の仏教徒は長生き歓迎だろう。
孫権が建てたと伝えられる寺は赤烏年間創立ばっかりだしな。
>>96 それだけに、呂蒙や凌統といった名門補正のかからない子飼いへ寵愛は
その反響かもね。
>>105 むしろそういう面はあっただろうね
周泰と他のある程度名声があった人物との軋轢を解消してやってちゃんとフォローもしていたり
人物の才能を見抜いて用いるだけじゃなくてバランス感覚にも優れていたと思う
ボスとしてはやはり自分の部下で自分より名声あるものは好まない訳で
名士たちに協力をさせつつも、そういう者たちを自分の周りにおいて
だんだんと地盤を固めてきた感じかな
気配りの孫権
気配リストなだけに、自分の人気を奪いかねない人間=張昭・張温に対しては従えなかった孫権
そうかなぁ。
孫権は酒飲むと普段のストレスが噴出するんだろうな
老いてからは自制がゆるんだ感じもある
それと張昭なんかは親子みたいな付き合いだから遠慮が利かなくなるんだろう
引き籠もり張昭と放火殺人未遂孫権ってある程度つながりが深くないと起きない事件だ
224年 - 広陵 -
魏文帝曹丕は水軍の披露と称し、大軍を率いて来襲した。
徐盛は、長江沿いに数百里に渡ってハリボテの城壁を作った。
-呉陣-
呉の将兵「「徐将軍は"今北産業…把握"って言ってたけど、本当かなぁ(ドキドキ)」」
-魏陣-
曹丕「(愕然として)何だコレは。全軍、回頭せよ。都に戻るぞ」
-再び呉陣-
呉の将兵「「さすが徐将軍だ!!」」(喝采)
徐盛「本心では、"これはもうダメかも分からんね"と思っていた。
子供だましの作戦を立てたのは、自棄だった。今では反省している」
- 建業 -
孫権「www曹丕タンってば去年三路攻めに失敗したくせに、まだ諦めてなかったの?www」
- 洛陽 -
曹丕「いや、たまげた。烏丸攻めで万里の長城を見たが、江南にもあんなモノが有ったとは」
司馬懿「某も拝見したかった物です」(普通に考えて、呉の国力で作れるはずが無い…よね?)
曹丕「呉を取るのは骨が折れるぞ、人物がいるからな。それにアレでは、折角の馬も使いようが無い」
司馬懿「馬…でございますか」(子供だましだよね? それに、江南=熱帯で馬って…???)
曹丕「やんぬるかな、天下は長江で二つに分かたれているのだ…嗚呼」
司馬懿「さ…左様でございますか」(???何で自己陶酔しちゃってるの???)
曹丕「あ、今の、天下は―って表現、取っちゃやだZE☆」
司馬懿「……」(ダメだコイツ、早く何とかしないと…)
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 00:37:34
三国時代の酒ってあんまり度数高く無いはず。
孫権は酒に弱かったんじゃないかね
こりゃ新解釈だ。
しつもんです。孫権と曹操は面識あったのでしょうか?
>>115 曹操が司空の頃、孫権を招いて官職に就けて面倒見てやったことがあったからあるでしょ。
赤壁の後も「君は若いから魯粛や劉備に誑かされただけだ。今も君との親密な時を忘れていないよ、悪いのはあいつらなんだから。」とか手紙出すほど(過去は)仲良しみたいだったし。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/29(火) 20:17:21
蒼天航路で呉が好きになった。なかでも凌統が1番好きになった。横山三国志では朱かんが好き。
蒼天では凌統って台詞すらまともに無かったじゃないかw
「たのみの構えもぐらついているぞ!」
>>118 甘寧が100人で奇襲を成功させた時「ギッ!」って歯軋りしてた
>>113 ちょうど度数の高い酒が出回り始めた頃で、昔の酒を飲むのと同じピッチで飲んで暴れたりひっくり返ったりする人が多かったかも
魏と蜀の禁酒令は風紀を保つのが目的だったようだし
今で言えば回転速くなったパチで借金抱えるみたいな感じ
蒼天航路でヨウさんが好きになった
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/29(火) 22:14:52
>>118 イラストがカッコイイんだよ。赤壁編の時の船の船首に立って矛を振り抜いた後の決めポーズはカッコよすぎ
123 :
115:2007/05/29(火) 22:41:00
>116
ありがとうございます!
蒼天では呂蒙 陸遜 権がよかったな
>>120 へえー
そういえば呉には禁酒令ないな。逆に無理矢理飲ませてるな
日本でも米どころは日本酒に強いとか、
九州は焼酎に強いとかあるみたいだけど、
中国でも南のほうが酒に強いとか、弱いとか
そういうことはあるのかね。
中国ってたら何故か昔から純米酒だな。
果物の酒のが作りやすいだろうに。
特に江南なんて果物が豊富そうだから有っても良い気がする。
梨とかキウイは長江あたりが原産地だったよな。 そうそう、
曹丕あたりがサトウキビから酒を作る発想を思いつかなかったのも不思議。
>>126 鹿児島の宴会じゃ、普通に焼酎が一升瓶で出てくる。
高知じゃ、少なくとも日本酒を1合は飲まされる。
南はそんな
そ、そんな?
しかも、1合ってそんな大した量ではないんじゃ…
「呉書三国志」という全三巻の児童書?を探してますが、どこにも
見当たりません…。ネットショップでも、取り寄せ不可だったり。
読んだ方おられますか?どういう内容なのでしょう?
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/04(月) 05:28:36
>133 やっぱり葡萄酒も持ち込まれてたか。
度数の高い酒が貴重だったなら、なおさら葡萄酒の人気も上がっていそうだな。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/04(月) 09:51:31
「関羽の下乳」という全三巻の児童書?を探してますが、どこにも
見当たりません…。ネットショップでも、取り寄せ不可だったり。
読んだ方おられますか?どういう内容なのでしょう?
>>133 現在絶版。
復刊ドットコムで何年か前から復刊希望投票中だが・・・
俺も探したがなかったので、望み薄の復刊待ち
図書館で探すとあったりするよ。
児童書のコーナーに。
>136-137
レスありが惇
ブック・オフも図書館もいろいろ回りましたが無いんです。
散髪屋や歯医者も覗いたりw
小学校の図書館に忍び込みたい気分…。
誰か持ってる方の感想聞きたい。
赤壁が1Pで終わったという本だな
呉なのに?そりゃすげぇ…
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 00:54:28
呂壱事件に15P
二宮事件に30P
孫休の子供の名前に2P
そんな内容なら5冊買う
計47Pか
コミケで500円くらいか?
呂壱の評価はどんなものでしょう?
孫堅のレアなエピソードとかないの?
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 23:27:40
劉備や曹操の人生を過去から描いた作品はあるが
孫堅は無いな。
呉書三国志(3)
1 秋の夕ぐれ
2 船中の軍議
3 沙羨の戦い
4 五花馬
5 二つの病
6 よばれた于吉仙人
7 遺言と閲兵
8 時間かせぎ
9 江夏攻め
10 諸葛亮
11 赤壁の戦いと、その後の呉 ←←←ここ
>>146 孫堅は活躍した期間が短いし功績もこれからって所だったからな
>>147 全3巻なのに、3の半ばで孫策が死んでるということは
孫権はどーでもよかったんだね作者…
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 17:46:18
孫堅と孫権がごっちゃになってるやつがいるなw
>150 いや、>146は正に孫文台の方を言っているんだが・・・
曹操や劉備は何だかんだで援助もコネもあったが
孫堅は彼ら以上に何も無さそうだし、孫武の末裔を自称しながらも
商人の生まれだったとか言われてるし その癖、若くして海賊退治なんてやってるわけで
幼少期から描いたら面白いと思うんだがな。
劉備や曹操は子供時代から虚実取り混ぜて描いて貰えているのに孫堅のは全然無いから
別に誰もごっちゃにしてないと思うが
フィクションちょっと混ぜると叩かれるこのご時勢、
三国志を書こうとする人ってあんまり出てこないようナー
>>153 叩かれるのって2chぐらいで実際は小説三国志にムキになる人なんかいないんじゃないか??
153は西遊記みたいな心配してるんじゃねーの?
三蔵法師を女にしたら現地の国が大騒ぎしたこととかあったしな。
鋼鉄が・・・・
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 22:20:48
鋼鉄は孫堅が出とらん
孫権は可愛いけど
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 02:37:11
孫氏には擁立者もいなかったの? 漢王朝なんてどうでもいいーって人ばかりだったのかな?
>>155 中国のマンガでも紅顔の美少年だったりするのにな。
女の役者がやってるだけであの始末。
三國フィールドコンバットなんて孫権はアフロでソウルフルな兄貴なのに…。
>>159 しかしいい加減、当然のように三蔵を女に配役するのは止めてほしい
三国志なら諸葛亮や周瑜あたりを女がやるようなもんか
そういや昔、天海佑希が光源氏っつうキモイ映画あったな
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 05:30:17
荊州には水賊がいたって話だが、そいつらはどういう出自なんだろう?
呉将にはそういうのからの出身者はいなかったのか
賊の身元が割れてたら賊とは呼ばれないだろう。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/13(水) 21:06:41
甘寧一番のり
>>160 あれも呉好きには優しくないキャラデザだ
でも劉備陣営より今んとこましかな
しかしすごすぎる…
>>160 ググッて見たが、孫権以上に劉備と孔明がヒデェw
あとあの司馬懿なら女装もありだな
曹操はイケメンかとおもいきや、カブトムシだな。
>>166 女装もありというか、どうみても女です。ありが(ry
あの孫権、関羽、呂布は普通にかっこ良いと思う俺はずれているのか?
まあ人の感性はさまざまだからね・・・
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 10:45:32
朱桓いいよね
丁奉もいいよ
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 14:56:55
太史慈もいいよ!兜の形がオシャレ(横山)
何故に留賛や賀斉の名が挙がらない!
賀斉はすごい賊狩り
やっぱ呂岱だろ
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/21(木) 04:39:31
呂範と呉範と呉班、周瑜公瑾と諸葛瑾子瑜、趙雲子龍と陸雲士龍は名が似ているが
当時本人たちや周囲は何も思う所は無かったのだろうか?
昔自分がバイトしてた先の店長が自分と同じ姓で、ちょっと
複雑?な気分になったことはあったよw
でも、エラい人は役職名で呼ばれることがほとんど。
昔の中国でも役職名で呼ばれてたわけで、同名でも別に無問題でしょ。
同姓なら親近感を感じてた、くらいなんじゃないすか。
周公瑾と諸葛子瑜じゃ、間違えたりはしないと思う。
本当に困るのは劉岱公山
そもそも周瑜と諸葛瑾は名前と字の出典が同じだったらしいから思うところも糞もないんじゃないか?
一字姓が主流なので同姓同名はかなり多かったみたいだから
さほど気にならなかったんじゃないかな
名前に使う字も限られてたはずだし
読み方に関しても地方によって違ってたはず
>>179は、孫堅と孫権 とは考えなかったんだな。
孫乾の方が・・・
バイト先で5月・6月に入ってきた新人2人が同姓同名(音だけでなく字まで)で非常に
紛らわしいが何だかんだで何とかなってるし、当事者達には特にどうということもなかっただろう。
そもそも諱呼ぶことってあったの?
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 15:32:13
元遜ってのも面白い字だ。謂れは何だろう?
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 18:50:36
wikiより虞翻の記事
>三国志演義では王朗に対し孫策に下るように進言したが
>逆に王朗の逆鱗に触れ、飼っていた小鳥を自らの境遇になぞらえ
>「好きなところに行くが良い」と青空に放って、自身も王朗の元から
>去ったことになっている
いやいやいや!それ演義じゃなくて吉川だから!!
誰か修正しといて下さい!
193 :
マ狂:2007/06/30(土) 01:04:50
激しいツッコミにワロタ
wikiは正史と演義他の情報がカオスになってる
ちなみに虞翻は孫策には重用されたみたいね
張昭といい虞翻といい孫権の代になるとキレキレになっちゃうのは
よほど馬が合わなかったのかな
孫策もちがう意味で破天荒な主だったはずだけど
あんまり諌めたりしてなかった様子
気に入らないヤツは手当たり次第に殺すし
孫策は良く言うと破天荒だが悪く言うと癇癪持ちみたいな所があるから、両者とも気を使った言い回しな感じ。
孫権は信用されてんのか舐められてるのか知らないが、直球で言いたいこと言われてる感じw
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/30(土) 23:37:03
張昭は機会あるたびに言い負かされ
顧雍は子孫が冷遇され
虞翻は流された
孫権が張昭らを重用しなかった点において
孫策らに劣っていると評されたが、
果たして本当にただ感情的な理由でそこまですると思いますか?
私はそう思わないし納得できません。
常識的な判断だったとはいえ赤壁降伏論者だったんだから孫権のほうが上手だろ
顧雍の子孫が冷遇されたって…
顧雍の一族は陸・張・朱家と並んで「三国年間に隆盛を極めた」と言われる程重用されてるだろ。
精々二宮の変に巻き込まれて一人流罪になってるくらいで、その他多くの人間が栄華を誇った呉屈指の名家やん。
良スレ
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 19:47:43
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 21:36:10
三戦厨乙
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 03:48:57
孫堅や孫皓の時代を描いた作品はありませんか?
203 :
果物キラー ◆J2QGQ.KF2. :2007/07/13(金) 16:56:24
ショクの五虎将、魏の五将軍みたいに、呉にも優秀な武将5人組みたいなのは居たの?
>>203 呉の場合は周瑜・魯粛・呂蒙・陸遜の四都督だろうな。
演義だと、韓当、黄蓋、程普、祖茂が四天王と呼ばれてるな。
206 :
果物キラー ◆J2QGQ.KF2. :2007/07/13(金) 20:21:04
>204、>205
一騎当千だと、呂蒙・楽就・王允・甘寧(周ユ)の4人で、南陽学院四天王だった。
呉は四人組なんだね。まぁ5人とか奇数だと、2人組で柔軟体操とかするときに1人余るからな。
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 20:22:36
一騎当千(笑)
そこで一騎当千が出てくるってどんな脳だw
大体呉の武官は扱いがぞんざいなんだよな。
活躍時期に内容も違う12人を、
第十巻に程黄韓蒋周陳董甘凌徐ハン丁と一まとめ(´A`)
十二神将
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 21:25:53
中国では職業軍人は重要視されないからな
旗本四天王に呂範や朱治が入っていないのが納得できない。祖茂抜いてこれで五人にしろ。
呉の猛将なら朱桓や、朱治の養子の朱然や施績
賀斉や留賛や呂岱など とかく長寿の名将が多い気がする。
祖茂カワイソス
>>213 演義の話ですがな…後、呂範と朱治ってどう考えても孫策時代の人材だろ。
>>209 その辺は蜀出身の陳寿がメンドイから勝手に一纏めにした(かどうかはわからんが)だけで、
政権自体は滅茶苦茶武人優遇政権やん。何を言うてはりますの。
甘寧とか潘璋の態度とか他の国じゃ有り得ませんから。
>>209はその陳寿の扱いについて書いてるだけだと思うんだ
218 :
209:2007/07/14(土) 17:44:45
一騎当千とか鋼鉄とか、呉を主役としないで欲しかったな。
只でさえマイナーなのにオタク色が強くなるじゃん。
>>219 忘却されるのが一番マイナー化に近づくと思うな。
劉備や曹操を主役にしても、ありきたりだと思うからだろう。
単に作者が呉が好きなのかもしれんし、
それを自分好みじゃないからやめろと言われてもな。
呉がマイナーなのはいつからなんだ?
東晋初めあたりはまだそうでもなかったと論文で読んだ記憶があるけど
223 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:34:59
少なくとも一騎当千も鋼鉄も競合するのが蜀や魏に較べて少なかったから呉を選んだと公言されている。
演義からではない?
ちくまの武帝紀に載ってる
「汝南郡・潁川郡の黄巾賊、何儀・劉辟・黄邵・何曼らが、
おのおの数万の衆をあつめて、最初は袁術に味方し次に孫堅についた。196年二月」
ていう記述がよく分からないんだけど
196年なら孫堅死んでるはずでは?
それにこれは袁術と孫堅を別勢力と見てるということかな?
>>225 そのまま考えるなら、孫堅云々は孫堅存命時(数年以上前)のことで、
それを196年の二月になってから初めて討伐を開始したってことじゃないか?
別勢力云々は当然そうなんだろう。劉備は劉表に身を寄せていたが尚劉表とは別勢力と見られていたりするのと同じ。
教えてください。
凌統の剣舞事件はどの時期と見るのが妥当ですか?
演義では黄祖討伐直後ですが、孫権は凌統の恨みの深さを知って甘寧を半州へやったのに、
黄祖直後とするとその後何度も同じ戦場に立っていて腑に落ちません。
正史の記述の順序だと合肥の前か後に思えます。
「半州に移駐させた」という記述から時期を推測できるかたがおられましたら、宜しくお願いします
1989年ころ