1 :
無名武将@お腹せっぷく:
魏には勝てないので、無駄な戦をして国力を減らさず
東南アジア方面にどんどん領国を拡大するべきだった。
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/20(土) 12:52:54
>>1 「帝を奉じて漢朝廷を復興させる」って
国是に反するだろうが!
魏に対抗するための力を手に入れる
でおk
地図を見ろ、池沼
ヒマラヤに行けば魏も攻めて来ない
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/20(土) 18:58:28
南伐じゃなくて南征なんじゃないの?
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/20(土) 19:03:36
北に攻めることが北伐で
南に攻めることが南征?
なら東は?西は?なんなの?
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/20(土) 19:32:22
東征。西川口でないか?
「伐」には討伐・征伐といったニュアンスがあるから内乱やはっきりした敵国には相応しいが領土拡大のために攻め込むならそれは「征」だろ厨房
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/21(日) 09:24:48
うるせーよジジイ
晋の後の異民族侵入期になればその辺りも勢力として出てきてた。
三国志より前の後漢時代も討伐軍を西域くらいまで何度か出している
14 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/25(木) 00:25:09
南方に領土を広げたとしても国力は果たしてあがるのだろうか?
孔明が南蛮を制圧したのに領土とせず引き返したのはそれだけ魅力がない土地だからなのでは?
語るんならせめて南蛮じゃなくて南中ってとこから改めた方がよさそう
呉は日本に侵攻すべきだった
17 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/25(木) 00:34:23
中原を取るのは漢の復興と言う大義名分の為…
>>1くんもぅチョット勉強してからスレしようね…
18 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/25(木) 00:48:23
>>16 当時の航海技術じゃ本土とほとんど連絡取れないから意味ナッシング
19 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/25(木) 00:58:50
中国本土を捨て、家臣と人民全員で倭に移住する
新天地に活路を見出す
20 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/25(木) 01:09:18
当時の日本は狩猟生活だから異民族以下の生活水準になります
だからこそ成長の余地があるんじゃないか
22 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/27(土) 04:48:36
中国を抜く成長するまで約2000年かかります
23 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/27(土) 05:11:45
つーか朝鮮経由ならまだしも、当時の呉から日本へ渡航は無理だろ
ましてや軍隊連れてなんて
24 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/27(土) 05:16:39
やあ (´・ω・`)
ようこそ、ボーンハウスへ。
このスレは糞スレだから、まず落ち着いてレスして欲しい。
うん、「また」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝っても許してあげようとは思っていない。
でも、このレスを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない
「恐怖」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐としたこの板で、そういう気持ちを忘れないで欲しい
そう思って、このレスをしてみたんだ。
じゃあ、君のレスを聞こうか。
25 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/27(土) 07:57:35
呉書を読むと呉は常に怪力乱神が横行する土地だから天下統一どころか地球の平和のために日夜戦っていたんだろう
26 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/30(火) 17:06:36
南伐?ビルマでも占領するのか?
趙雲って、日本に渡って、
源義経なったんじゃなかったっけ?
28 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/30(火) 18:20:36
趙範だろそれ
29 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/31(水) 06:56:42
呉みたいに、交州制圧すりゃ良かったのに。
30 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/31(水) 09:29:21
>>6 孔明が「余の辞書に不可能というものはない」と言うような気の持ち主だったらやっていたかもなァ・・
31 :
蜀厨:2007/01/31(水) 09:42:09
孔明に邪な心があれば・・・孔明とはそういうのを嫌って生贄の儀式とかを饅頭で封じたりしたし。
横山演義の劉備みたいな「例えこの劉備が滅びる事になろうとそのような事は出来ん」
というような感じで絶対に譲れなかったのかなー?
邪な心が暴虐を招いて悲惨を生むからその事がはっきりと分かる天才の孔明には駄目だったんかも。
32 :
蜀厨:2007/01/31(水) 09:46:52
修正
「なろう[−としてもー]そのような」
MISS![としても]が抜けた^^;
なんばつしよっとね?
金伐先生〜!
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 13:43:06
そうだそうだ
>>16 >>18 権は日本(当時なんて呼んでたか知らないが)に人攫いしに行かせてるよ。
命を受けた人はそのまま逃亡して帰って来なかったがな。確か日本に移住したはず。
>>37 違うんじゃね?
結局辿りつくことが出来ず、復命したら処罰されたはず。
蹂躪
42 :
劉禅:2007/02/24(土) 14:43:59
蛇を喰う地域なんて要らんでおじゃる〜!
43 :
(*´・(ェ)・)(・(ェ)・`*)クマクマ ◆P6DFZ2WxKU :2007/02/24(土) 16:13:39
>>16 異国の風土病で呉兵の大半が死んだんじゃないの
南へ行けば米を大量に生産する地にたどり着けたんじゃないか?
45 :
(*´・(ェ)・)(・(ェ)・`*)クマクマ ◆P6DFZ2WxKU :2007/02/24(土) 21:33:36
>>44 今から1800年前よ。長江流域が穀倉地帯になるのはまだ後。
孫権の開発以降に土地が開けてきたわけで、蜀の南なんて穀物がまともに取れるわけない。
ホウトウとホウセイが両方あと10年でも生きてれば
もうちょい蜀は頑張れただろうな
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/25(日) 01:59:19
南蛮地域を穀倉地帯にするなんてそうとう費用かかるだろうな
>47
出来た穀物は結局運ばないといけないしな。どう考えても入らない土地だ。
蜀の地方だけでも開発なんて全然出来てなかったのに。
征服した土地なんだから治安確保が第一課題だろ。
人だけ益州に運ぶならともかく。
>>46 何より孔明は簡雍と李厳の位階を軽んじすぎた。
あと荊州に関羽や趙累だけでなく厳顔や馬忠(蜀の)をつけるべきだったし、それに関羽の性格と参謀がいなかったことが荊州陥落の要因。
馬良は内政以外軍事においては秀でるものがない
益州は開発できなかったというか
すでに開発され尽くしていたというか
王甫の諫言を聞き入れない時点で劉備孔明以外の連中が補佐しても無駄だったんじゃね?
王甫は荊州残留組ではないはず。
あーその頃王甫は綿竹令だったね
潘濬だっけ?麋芳と傅士仁の留守居役を交代させろと進言したのって。
趙累なんかもいたな。何やったか忘れたけど。
都督やってたよ
潘濬って、結構優秀だったけど、
関羽からは疎まれてたね。
そのせいか、演義やら光栄のゲームでは
ひどい扱いだな。w
結構どころか荊州閥を束ねるくらいの人望と能力を兼ね備えた稀有な人材じゃなかったっけ?
蜀の南ってパンダしか居ないだろ
ヒマラヤ山脈を越えて天竺に攻め込んだら神だけど
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/07(水) 20:42:22
いや、パンダ兵が中原を席巻する未曽有の大乱世の始まりだろう
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/08(木) 02:18:53
関羽が217年頃に死んでれば、蜀漢は長生きしたね
ホウトウや法正が並の寿命まで生きてたとしたら諸葛亮の後の丞相になったかもしれんな
法正の手引きやホウトウの奮戦なくして蜀漢は始まってません。
法正という大仰な名前に負けない(苦)立派な法治手腕でした。
一番好きなのは好戦的かつ体育会系軍師なホウトウ。
孔明が10人いてシバイがいなかったとしても蜀はどうやっても勝てないだろ
孔明は禅譲で自分が皇帝になっちゃえば良かったんだよ。
山崎法正
びっくり仰天、魂が消し飛んだ。
が忘れられないな、ホウトウは。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/19(月) 18:52:34
南伐ってのは逃げの発想
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 20:33:55
南征ってなんで成功したんですかね?
兵站がのびる征伐は、
失敗の歴史が多いんですけど。
(1) 兵站が長くないよ説
地理的にたいして南まで行ってないけど、
南の敵を討ったので、南征って言ってるだけ。
(2) 敵がしょぼいよ説
敵が山賊に毛の生えた程度の少軍だから
こちらも大して軍を送ってない。
(3) その両方。
(4) 孔明だから。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 05:30:27
南征はその地の豪族屈伏させただけだから。
別に食が直接統治したわけじゃないし、朝貢させて兵出させただけだし。
でも食が国力以上に兵数が動員出来たのは多数の南蛮兵がいたからだね。
>>71 南部の統治を行った馬忠、張凝が優秀だったから
特に張凝は、統治された蛮族が彼が死んだら泣いて悲しんだと
されるぐらい心服されてたし
陳寿も、昔の名将と比べても劣ってはいないと絶賛してる
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/05(火) 22:05:13
ホウトウ鍋って知ってる?
かぼちゃウドンだろ
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 07:25:08
南蛮侵略だったら漢の復興と言う大義名分がたたんよ
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 09:20:07
そうだな。あくまでも蜀漢による漢の再興が目標だからね。
諸葛亮の北伐も魏を倒すためでなく、蜀漢の将兵の士気を保つためって説もあるし。
78 :
無名武将@お腹せっぷく: