赤壁のたたかいについて議論や考察等をするスレ
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 18:27:25
戦いというか睨み合い
曹軍に疫病が蔓延して撤退しただけ
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 18:37:31
東南の風\(^o^)/マンセイ
>>2 曹軍はまず初戦で破れ、その後火計を喰らって撤退。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 19:30:06
曹軍の被害約20万人
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 19:54:33
カクの言うとおりにしてれば良かったのに
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 20:19:46
最近の研究では、赤壁に布陣した曹軍の兵数はせいぜい5千人くらいだったらしい。
それ以外は西涼に備えて引き返していた。
いわば、赤壁の兵はしんがり。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 20:21:26
出たよ
三戦名物、出処不明の「最近の研究」
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 20:58:18
>>9 それを探るのも面白そうだけどね
出処はどこなんだろ?
12 :
>>11:2006/10/19(木) 21:06:02
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 23:40:48
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 23:54:21
最近の研究のソースマダー?
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 00:09:30
今赤壁が熱い!
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 04:02:59
孔明の活躍じゃろ?
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 04:05:45
00エージェントの仕業
>>15 お前曹操だろ?
黄蓋に焼き討ちされてるよ?
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 01:02:40
例のスレの呉史くん待ちあげ
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 12:53:13
赤壁というか、曹操の荊州侵攻以降の劉備の動きは神がかってるよな。
曹軍侵攻と劉ソウ降伏を知った劉備は、抵抗と曹操撃退の手を考える。
襄陽を占領したてこもるのは時間がないし危険が大きい。劉ソウがいるのだから、占領自体に手間取るかもしれない。
江陵に急ぎそこに拠るのは魅力的だが、だからこそ曹操もそれを真っ先に潰しに来るだろうと劉備にも読めた。
ではどうするか。
自分に近い立場の江夏太守劉キとの合力しかない。しかしこのままでは兵力差にかなり不安がある。
そこで劉備は敢えて襄陽や江陵が目的地かのような行動を取り、曹軍をひきずりまわすことにした。
曹操はまんまとその手に乗り、強行軍に次ぐ強行軍で劉備を追いかける。
更に極めつけは、曹操の切札虎豹騎である。袁譚を斬るなどここ一番に投入されてきた精鋭を、劉備はわざと使わせる策を使った。
それが民と歩調を合わせた行軍である。
江陵を確保されることを恐れた曹操は一挙に決着をつけるべく劉備に虎豹騎を投入。
しかし劉備の遅い進軍は罠だった。今まで民と一緒に行軍していた劉備は、虎豹騎に追いつかれるといきなり全速力で東に逃走。
虎豹騎は民に阻まれ劉備をとり逃がす。後に残るは疲弊して使いものにならない軍馬と恐怖を味あわされた民の曹操への恨みだけだった。
劉備はかくして真の目的を隠し兵力も関羽に分け温存しつつ、曹操には無駄な消耗を強制しながら江夏に入ることに成功したのであった。
>>20 劉備の動きは常に神懸ってる
しかしその才能が発揮される場面は逃走する時がほとんど
何ていうか勿体無い
そして民衆に「曹軍が来ると皆殺しだ!徐州の二の舞だぞ!逃げるんだ!」
と吹き込んで、追いつかれたら盾にする策を献じたのは諸葛亮。
フヒヒヒヒ
>>20-22 おい、それめちゃめちゃイカスぅ!!
劉備すごいじゃないか。目が覚めたよ。
実際の劉備は、あれでも江陵まで逃げ切れるとふんでただけだけどな。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 20:52:18
配下が民の切り離しを進言してたように、江陵に着く前に捕捉されるだろうというのは明らかだったようだ。
劉備が運と人徳だけで生き残ったアホならそれでも気にせずにノロノロ進軍するのだろうが、実際にそうとは思えない。
大体、関羽に兵力を分け与えて江陵に向かわせており、追い付かれるとわかっているが民を守るべき兵は減らしているのだ。民との信義にもとる行為ではないのか?
民との信義でも甘い見通しでもない、劉備一流の深い思惑が江陵行軍にあったと思うしかない。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 21:15:13
赤壁の戦いは創作だろ?
演義のはな。
ただそれも孔明部分と龐統の連環の刑くらいで後は脚色程度じゃないか?
赤壁での「両軍100万」単位での戦いというのは創作です。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 23:00:18
>>27 でも曹操が生涯敗北した戦いで赤壁はないし、周喩も赤壁後まったく出世してないぞ?
これはひどい
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 23:13:29
>>29 最近の研究では
孫権「僕の兄ちゃんを取りやがって・・・」
って感じだったらしいよ
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 00:02:46
孔明が北伐の時曹操の生涯の敗戦あげてるが赤壁はない
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 00:14:20
孔明ケアレスミスだな…
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 01:01:40
当時の技術じゃ赤壁の戦いの海戦は無理って本で読んだ
海戦だってw
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 01:30:37
赤壁の戦いは普通に創作だよ
後出師表なら「四越巣湖不成」が赤壁を含んでるんでないの?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 08:06:46
赤壁の戦いとは
しんがりとして残された元劉表配下の兵五千VS呉軍三万の戦い
なんか捏造厨がいる予感
魏武ともあろうものが、何の勝算もなくただただ無駄に人を殺させてしまっただけとは、嘆かわしいなぁ。
その5千人、謀反でも企んでた?
で、『呉史』とやらは読んできたのかよ。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 19:39:10
実際は曹操が船焼いて撤退したのが赤壁の真相
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 19:42:42
>>41 素朴な疑問
自ら船を焼いたことを記す記事ってあるの?
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 20:20:24
>>42 記事も何も赤壁の戦い自体、焼かれた船を元に考えられた話
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 20:23:32
つまり無いんだな
>>43 「船が焼かれた」というのは武帝紀に書いてあるのか?
それとも『呉史』か?
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 20:33:01
>>45 赤壁の戦い自体こうせ創作
曹操が大軍率いていったのに呉と劉備がピンピンしてたから考えられた話
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 20:42:13
創作創作言うだけなので例のスレのあの人とは違うな
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 20:44:16
>>46 逆に考えるんだ
曹操はそれまで運がよかっただけで実はたいして強くない
そう考えるんだ
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 20:44:54
>>46 赤壁が関係するかは別として
「曹操が船を焼いた」という記述はどこにある?という話じゃないか?
>>49 記事も何も曹操が自分で船を焼いたのは赤壁の戦いで焼かれた船を見て作られた話
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 20:57:45
赤壁の戦いはなく実は疫病で引いたんだろw
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 21:01:07
疫病で酷いことになってたけど赤壁までわざわざ行って、そこで船を焼いて中原に戻りました、と
なにその気違い
曹操を舐めてんの?
どうも、例の『呉史』くんではないようだ。
これは単なる釣りっぽいね。
ともかくも、『呉史』くんは武帝記(←これ注意)を引用してきていたのは事実。もちっとマシだったような。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 21:08:43
ゴッシー降臨期待
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 21:12:25
疫病で仕方なく撤退したんだよ
・揚子江は水流が早く動力を持たない当時の船じゃ水上戦は不可能
・孔明の出師の表は曹操の生涯の敗戦を上げてるが赤壁はない
・シュウユは戦後賞されず地位も上がらず加封もない
・赤壁の翌年曹操はシュウユに投降を求めてる
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 21:14:14
魏はその後補給のため赤壁まで行けてない
>>55 悪い、漢文がよく読めないんだが、出師の表で「曹操の生涯の敗戦」を挙げているところはどこ?
>>57 信憑性に疑問の持たれてる後出師の表だね。
それ、後世の創作… 諸葛亮の書いたものじゃないのに… ううう。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 21:43:38
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 21:52:05
赤壁の戦いの結論
孫呉のごとき用兵の達人曹操は疫病の為早く切り上げたのが妥当
>シュウユは戦後賞されず地位も上がらず加封もない
最大の功労者である黄蓋にには武鋒中郎将が授けられているし、
周瑜には、曹仁攻めの後に下シュン・漢昌・劉陽・州陵を奉邑として与えられている。
赤壁から南郡攻撃は一連の戦闘なので、その戦闘が終わって落ち着いてから
論功行賞が行われたのだろう。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:05:38
>>62 一番下は完全に誤読。
蒋幹を派遣した事を言っているのだろうが、ここは原文で「初」から始まっており、時系列が遡っている。
つまり赤壁翌年ではなく昔の話。
しかも周瑜に降伏を求めたというよりは彼を引き抜こうとしたもので、降伏を要求するようなものではない。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:06:26
漢口は赤痢、腸チブス、コレラなど疫病の産地だったらしい。
今知らんが。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:07:22
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:14:20
あと後出師の表だが、偽作の疑いもさることながら、
文中で「曹操五攻昌覇不下、四越巣湖不成」とあり、曹操の失敗として対呉戦線を挙げている。
これに赤壁戦を含んでいるのだろう。
つまりちゃんと赤壁を念頭に置いている。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:18:26
軍事的に見れば赤壁の戦いが行われた可能性はほとんどない
>>66 「昌」は武昌のことかな? だとしたら柴桑方面で、赤壁は戦場となりえるな。
「巣湖」は合肥だから、ここでは関係ないか。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:24:51
曹操が赤壁の戦いで敗れたとしたら、相当奇術家で暗愚な大将ということになる。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 22:34:49
>>66 昌覇は人名
泰山諸将の一人
巣湖は直接は合肥などに限定されても、ここでは広く呉との戦いを示すと見ていいと思うけどね
また安価間違えたよゴメン
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:02:30
赤壁の戦いはなかったんだよ、なかったんだよ
・揚子江は水流が速く動力を持たない当時の舟では水上戦は不可能
・漢口は疫病の産地
・曹操軍はすでに攻勢終末点に達してた
赤壁の戦いが行われたとしたら曹操は戦をまったく知らない阿呆だが
当時の技術をはるかに凌ぐ舟を建設でき、疫病も神術で解決した奇術家ということになる
もしくは補給も難しく兵は疫病にかかりながら、できもしない海戦を行った稀代の暗愚な大将と言うことになる
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:17:27
いまだ赤壁の戦いが大海戦(川だけど)だと思いこんで
それを必死に否定している人がいる件
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:20:01
いまだに創作を必死に否定してる人がいる件
蒋幹や昇進の件みたいに完全に否定されたのはちゃんと外すあたりカワイイな
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:33:42
>>75 反論する価値ないだけ
確実じゃない解釈論しても同道めぐりだから避けた
大事なのは赤壁の戦いは創作だという事実
正史の記述や、ソースのはっきりした研究をもとに考察してレスしてくれないと遊びにしか見えないな
はい残念釣りでしたー宣言マダー?
>>72 一番上のソースは?
研究者なり論文なり書名なり出せるよね?
出せないなら嘘と同じだよ?
では、あなたが創作だと思っている赤壁の戦いってのを書いてもらおうか
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:38:27
>>70 なんだ、人名だったのか(汗
だとしたら、魏は基本的に江北からの攻勢が主だったということになるなぁ。
>>72のいう、攻勢終末点での引き返し、というのが捨てがたくなる。
しかし、その攻勢終末点で叩くのも、戦術として取るべき作戦なわけなんだが。
つまり、「もうここいらでいいや、帰ろう」と言ったところに、強襲を喰らっていらぬ損害をだしたというわけだ。
つまりこれが赤壁での戦闘であるわけで、戦闘そのものがないという話にはならない。
赤壁を「大戦」で至上空前(とは言ってないが)の「大海戦」なぞとほざいているのは、『呉史』くんおよび、ここで必死に否定していらっしゃる方だけなんだと結論しよう。
つまり、赤壁否定厨は『三国演義を信じ、三国演義に裏切られた傷心の人』ということね。
1800年前からやってきたけど何か質問ある?
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:40:49
周瑜伝には赤壁で遭遇した時点で曹軍に疫病が発生しつつあったと記載されている。
(相変わらずまともなソースのない)「疫病の産地」について認めたとしても、赤壁の戦いを否定する根拠にはなっていない。
赤壁の戦いを記す周瑜伝にも書いている事なんだから。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:42:55
お、こんなところに呉志君いたのか
せいぜい、この話のオチは
「当時は赤壁なんて地名は無かった」
って所だろ。
>>81 補足するなら、曹軍がすぐさま帰らなかった理由に、黄蓋の降伏受け入れがあったと考えれる。
結果は偽投降のため、火船による攻撃(これは江南勢力が常套した戦術。例えば、五代十国の南唐が淮河で火船を放ち、後周が淮河にかけた浮橋を焼こうと試みたところに見て取れる)を喰らい
しかも風が強かったのですぐに火を消すことができず遠く避難するしかなかった。
>>80 ちくま書房三国志V呉書182ページ上段12行目から読め
とマジレスしたらいいのか
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:54:11
個人的には、曹軍が赤壁までやって来たのは劉備を討つためで、
劉表が宿敵だった孫権が劉キ・劉備側に立って参戦するはずないと曹操らが思い込んでいたために意外だった呉の攻撃に苦しんだ、
が大きいと思う。
92 :
72:2006/10/26(木) 23:54:59
Φ Φ
ゝ
З「もう赤壁の話飽きたからいいし、食いつきすぎる」
>>85 ぶっちゃけ赤壁はあったよ。
諸葛亮はかめはめ波だせるし
なんだ、そのツマラン敗北宣言はw
>>92 いやいやいやいやいやw
スレタイ読めw
釣り宣言ってことでおk?
いや、あれは別人だ。
本人は今頃必死で反論考えているはずだ。
97 :
72:2006/10/27(金) 00:05:09
Φ Φ
ゝ
З「本人ですが?反論書くの面倒だしもういいや」
З「赤壁の戦いはないけどさー」
22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/10/26(木) 22:45:50 ID:LPkOSVWI0
赤壁の戦いは不可能
・揚子江は水流が速く動力を持たない当時の舟では水上戦は不可能
・漢口は疫病の産地
・赤壁では曹操軍は攻勢終末点に達してる
31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/10/26(木) 23:58:37 ID:LPkOSVWI0
Φ Φ
ゝ
З「もう赤壁の話飽きた」
とりあえず、au板の方は終了したので、ご報告まで。
au板にもいたのかw 気づかなかった…
さ、負け犬は去ったし寝よ、寝よ。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 03:15:34
赤壁の戦いというのはどの段階からどこまでを指してるんだ?
魏の南下から?
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 06:34:37
曹操軍20万は赤壁に布陣したものの、まもなく疫病が蔓延し、さらに西涼に不穏な動きありとの報告もあった。
そこで元劉表配下だった兵五千ほどをしんがりとして残し、撤退した。
その後、呉軍は火攻めをしてその五千を破った。
これが真実。
赤恥の戦い?
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 12:29:06
狭い意味では長江沿いの赤壁・烏林であったとされる曹操が惨敗した戦い
広く取ると、曹操が劉ソウ降伏を受け入れてからの、前半は劉備に手玉に取られ、後半は周瑜に圧倒されて荊州半分を失ったまでの一連の戦いまでを言うこともできるだろうね
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 15:16:56
赤壁なんて伝説上の戦いだよ
トロイ戦争と同じ
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 15:46:58
>>105 そうだよね
桶狭間もメイクドラマも伝説上の戦いだし
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 16:27:35
赤壁はあったもん。
最近の研究によると
諸葛亮は風を起こしたし周喩は火で30万も倒したんだ!
ホウ統も連環の計を発動させたんだぞ!!!
どうだ!僕の理論は!
>>105 赤壁そのものはあったんじゃね
小規模の合戦が
なんか論破されて荒らしに切り替えるという王道を逝く可哀想な人がいるなあ
羅貫中というなら
羅貫中は当時の名無しさんの総称みたいなもんだ
まだ相手してやってるのかおまいら。
心が広いなぁ…
今はau板にも沸きつつあるようだがw
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 20:48:55
最近面白いネタが少ないからね
宿題までだしてくれる大物は育てないと
>>107みたいな素敵なヤツは弄るに限るだろ?
どうのたうち回ってくれるのかが楽しくて相手してるんだからw
>>111 じゃあ言い直そうか。
「羅貫中の中の一人、乙」
僕の理論なんて言ってる位なんだから、
演義書いた人なんだろうよw
まぁ、たしかに呉史くんは最高の人傑だったなw
あれだけ相手してやったのに、一回もこっちが提示した資料に目を通してくれないやつも珍しかった。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 21:26:02
呉志君はきっと今頃呉書を必死に読んでる最中ですよ
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 21:32:06
赤壁の戦いはブルース・リーが考えたお話とみた
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 21:54:03
今夜の宿題は赤壁戦におけるブルースリーの果たした功績ですか?
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 12:35:47
長坂から逃げた劉備が関羽と出会ったのは偶然なんだろうか?
なんか計算づくのように思えて仕方ない
計算もなにも合流地点きめてあったんじゃ
122 :
平民バカ:2006/10/30(月) 14:58:29
正史厨が異様に崇める曹操だが、演義で粉飾された諸葛亮が神様じゃないんように、曹操も神様じゃないんだよ。
生涯四十以上も戦ってりゃ、派手な負け戦の一つや二つある方が自然。
孔明ファンだって陳倉攻めや戦地耕作の失敗を『無かった』とは言わないだろ。
あんたら曹操を神格化しすぎ。なにか宗教的な理由でもあるのか?
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 15:48:25
曹操を神格化してるのは正史厨ではなく蒼天厨
ゴンタ教でしょ。
実際、蒼天航路しか読んでない奴もいるんだよな。
正史読んだら曹操無茶苦茶だよ。
確かに強いけど最低限のルール守ってないから強いだけ。
今の自民党みたいに、かつて仇敵だった宗教勢力と平気で手を結ぶし、
禄が足りなくなったら徐州で略奪、
河の堰を切って国土を水浸しにするし、
皇后殺して自分の娘押し付けるし、
徐州虐殺の件で敵味方だった劉備と曹操を指して『不仁には仁を討ちようがない』と正論言っただけで孔融を死刑にしてる。
ひどすぎる。
「だがそれがいい」というレスがつくと予想
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 16:01:59
だがそれがいい
曹操クオリティおそるべし
129 :
平民バカ:2006/10/30(月) 16:10:08
そうか。
蒼天航路→正史
の順で進んでくれたら曹操の悪どさが際立つかもね。
董卓時代>越えられない壁>董卓残党時代
で
董卓残党時代<越えられない壁<曹操時代
だったから、よくなったように思えるだけだよね。
徐州や冀州から逃げてきた人たちもいただろうし、赤壁あたりで恨みのシッペ返し喰らわない方がどうかしてるよ。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 16:18:28
結論
ニューオリンズで被害拡大を防ぎきれなかったブッシュ政権>>>越えられない壁>>>君臣一同、名案だと言って堰を切ったり、塞き止めたりして辺り一面水浸し、ニューオリンズと比較にならない被害を出して大喜びの曹操政権
悲しいけどこれ、戦争なのよね
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 16:34:31
曹操なんて中国史上の他の英雄達と比べたら雑魚同然だよ
関羽の水攻めって知ってる?
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 16:43:54
>>131が不用意な発言をしたせいで旧シャア板に飛ばされたじゃねえか!
親父にも飛ばされたこと無いのに!
踏む奴がアホだとしか
親父に飛ばされたことがある奴って・・・嫌だな
>>138 嘘こくなそんな削除ガイドラインないよ。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 08:58:10
赤壁や諸葛孔明まで出て行けとは…
一体、三国志・戦国時代板で何を語りたいんだろ?
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 12:29:25
雑談
中国英雄板って聞くとゴンタ教徒にとっては曹操専用板なんだろうな
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 16:56:19
しゅうゆがうりんのたいがんをおさえたからせきへきはごぐんがかったんだよ
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 19:56:51
いや、本気みたいよ…
終わったぞ、この板。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 19:56:54
諸葛亮は孫権に対し、劉備側の兵力として江夏の劉キ1万、そして関羽の1万と述べている。
誇張などがあるにせよ、兵を損じていないはずの劉キと並ぶ兵力を関羽は持っていたということになる。
そしてその兵は江陵を落とすための先遣隊として劉備本隊から切り離した兵である。
周瑜・程普の荊州侵攻軍が2万なのだから、関羽の兵1万はかなり多い。劉備が本来持っていた兵力のほとんどなのではなかろうか。
劉備は自分の兵力のほとんどを関羽に預けてから長坂の追撃を乗り切り、再び自分の兵と合流したのだ。
この兵力が曹操追撃や荊州南部征服に使われたのだろう。
>>147 「全軍に近い数を先行させて自身は百騎にも満たない護衛で後ろを行く」なんてあり得るかな?
単純に「1万は諸葛亮のはったり」と取った方が自然でないかと。当事なんとしても孫権を開戦に踏み切らせたかったわけで。
関羽が動かしてた別働隊も勘定に入ってるんじゃね?
>>148 ハッタリが皆無とは思わない。
ただ、関羽が劉備本隊から離れたのはそもそも江陵を占拠するため。
劉備の南下は江陵が目的だから、江陵を占拠できなかったら元も子もない。
劉備は全兵力とは言わないまでも、自分の主力を関羽に与えて送り出すのが当然ではないだろうか。
追撃から身を守れても江陵に入れないなら路頭に迷うだけなのだから。
結果その兵は長坂の追撃を受けなかった。
これが劉備の狙い通りか偶然だったのかは意見が分かれるだろうけど、温存された多数の主力を諸葛亮は数え上げたのだろう。
>>150 うーん、それなら自身が指揮を取り江陵占拠を目指すのが普通だと思うのだが。身を守りつつ江陵陥落にも全力を注ぐ。
…まさか本隊は囮!?
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 21:41:39
>>151 そういうことだよ
劉備は自分を囮にしている
規模は違うが劉邦も項羽に対し自分を囮にしていた
似たようなもんだ
しかしその場合逃げ切れたから良いものの、かなり危ない橋を渡ったことになるな。
主力を温存するメリットと比べてもそれだけじゃリスキー過ぎやしないだろうか?
>>154 もちろんかなり危険バクチには違いない。が、
・曹操の騎兵を疲弊させる
・民を攻撃した曹操という印象を付けることができる
というメリットもあったし、
・民が煙幕・防壁のような役割を果たしてくれる
・自分たちの馬は追い付かれるまで遅い行軍で温存している
といった点も考慮していたのだと思うよ。
つまりバクチはバクチだが勝算はあったはず。
>>155 成る程ね…しかし狡猾な奴だw曹操が一番に警戒し続けたのもわかる。
157 :
.:2006/11/01(水) 17:08:32
つーか曹操の目標は江陵の占拠だし、
劉備が初めから本軍連れて江夏に向けて逃げても大軍で追いかけねぇだろ
>>157 そうだね。
そうしたら曹操は無理せずに江陵を制圧して江夏に兵を向けてくる。
そうなったら主力兵の疲弊が無い分、赤壁の惨敗や江陵陥落はないだろうね。多分。
だから、劉備とすれば江夏に入るにしても曹操に一矢報いなければならなかった。
そのための身を張った策が長坂までの行軍だったということだよ。
もし曹操が警戒するかトラブルで追ってこなければ江陵を占拠出来てウマーだし。
何もかも行き当たりばったりでただ逃げただけ、とも考えられるだろうけど、
曹操南下を知るのが遅れ、劉ソウは早々と降伏するという絶望的な状況から何も考えずに逃げていたら、
曹操は主力を投入して勝手に疲弊させ、自分はいつの間にか荊州の後継候補劉キの元にいて孫権が手をさしのべてくれた、
なんて解釈は脳天気すぎじゃないか。
劉備が智を尽くし、身を張って一世一代の大バクチに勝ったからこそ赤壁があったと見るほうが妥当だと思うのだが。
そこで劉備を取り逃がし、赤壁での退陣があるからこその、三国時代突入というわけか。
だとすれば、やはり赤壁での対陣、および戦闘(たとえそれが小規模であろうとも)があり、曹軍の支配権が及ばなかったと言うのは、象徴的な出来事としてみることができるな。
このあたり、赤壁の大海戦はなかったとするヤツでも、否定はできんだろうよ。
できるならできるで、ご高説を賜りたいものだ。
それにしても劉備、しぶすぎる。それが贔屓目かかっていたとしても、ね。
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 02:27:19
赤壁戦を実際に戦ったのは孫権の兵なわけだが、孫権も曹操から呉を守るために戦ったのではない。
孫権と魯粛は曹操南下を知る前から荊州を狙っており、劉表死後の荊州では劉備を軸に荊州に介入しようと目論んでいた。
大体孫権は赤壁の年に江夏で黄祖を殺しており、荊州から見れば孫権は攻め込んでくる侵略者。
劉キの兵力は孫権に対抗するための兵なのだ。
そんな関係だったのに同盟関係を作り上げ曹操を追い出すことに成功したのは、孫権・魯粛の柔軟かつ大胆、それでいて芯の通った国家戦略のおかげだろうか。
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 02:39:15
劉備を取り逃して江陵を確保した段階で、曹操は何故長江下りを敢行したのか?
まずこの目的を考えるに、第一は呉の討伐ではなく劉備の追討である。
もし孫権が劉備・劉キと手を結び曹操に対抗して来たらヤバいことは分かっていただろうが、
劉表が親の仇である孫権と、孫権から荊州を守ってきた劉表の息子劉キが手を結ぶことはないと判断したのだろう。
また孫権軍閥内が一枚岩でないという事も知っていただろう。
曹操は、孫権には脅しをかけておけば降伏するか最低でも事態を静観すると安心して江夏郡制圧に向かったのだろう。
劉備と劉キが消えないと荊州を完全に平定したとは言えないから、劉備を放置はありえない。また、劉備がいるのに呉攻めを考えるのも早過ぎる。
劉備と孫権が手を結ぶ可能性を指摘した程イクの発言は取り上げられず、曹操は劉備が反撃態勢を整える前にと、疲弊した兵を連れて東へ向かったのだ。
曹操はここでは孫権の野望と指導力を読み違えたのだ。
よく言われる疫病は敗北の真の理由とは言えない。
曹操は劉備の真の目的を読めなかったし、孫権の実力も読めなかった。
曹操にとっての正着は、やはりカクの言うように襄陽と江陵を確保してじっくり腰を据えて劉備と戦うことだったのだろう。
費やす時間も労力も多大だっただろうが、江陵を放棄してしまうことはなかったのではなかろうか。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 19:19:58
張喜が合肥に派遣されたのは赤壁の前なのか後なのか?
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 14:03:36
魏にまともな水軍は無かったのだろうか?
演義では水戦を識る蔡帽は喉から手が出るほど欲しく、知謀の士、曹操があっさり帰順を認めているがホントに水戦達者な将軍はあなかったのかな?
水戦は得意不得意ではなく、戦場の水の流れを知っているかが最も重要
だから地元が圧倒的に有利
そうか?
軍艦が水の流れにあわせて作られたなど聞いたことないし、そもそも戦場ならば急流などでは戦うまい。
何でそう思うんだ?
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 16:32:04
そんな山奥に城や生産拠点つくんないから攻め手が当惑するから
何故攻めるのか?んー、何か得難いものがあるんだろう。肥三国志11では廟も発見できる。
そうだな。目的とする戦闘は目的とする占領施設の近くでなければ説明がつかん。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 14:10:03
地元が圧倒的有利だとすると、そんな圧倒的不利な戦いに自ら飛び込んだ曹操は激烈バカと言わざるを得ない
孫子を読んでいても実践できていなかったということだ
ま、誰にでも間違いはあるし不利だから勝てないというわけでもない
後の晋は長江上流以外の戦闘でも勝ってるし、内部分裂を誘えばいけると踏んでもおかしくはない
>>160 確かに、そう考えれば地元で人望のある劉備に荊州を「貸した」のも理解できるな。
しかしそうすると、赤壁から入蜀までの劉備一家はほとんど孫呉の家臣みたいなものだったわけか。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 20:36:26
ふむぅ
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 23:16:16
>>172 家臣というよりは、劉表と張繍のような微妙な同盟関係に近いと思う
既に言っているように劉備は荊州で人望があっただけでなく、軍事力でも侮れないものがあった
更に左将軍豫(荊)州牧は当時の呉と荊州ではダントツ最高位
孫権にしても荊州に支配の手を伸ばす時に劉備は必要だったが、
一方で下手をすれば敵対は勿論のこと自分たちの方が取り込まれかねない存在だったはず
荊州を「貸す」のはやむを得ない措置だったと言える
どの道劉備がいるうちは、荊州を占有し続けることはできないのだから
今晩何食った?
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 00:11:31
すごいよね孔明、風を起こせるのだから
すべて孔明のおかげ、周瑜なんて邪魔ばかりしてたからな
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 00:17:05
黄蓋と龐統も頑張ったよね
↑だからお前もがんばれ
俺の部屋の壁にちっちゃな字で赤壁って書いてある
それがどうした
>>170 お互いに孫子の理論を実践しようとしたらどっちかがしくじるわけで
曹操を激烈バカと言うのはどうかと
周瑜の手腕を誉めるべきでは?
>>174 荊州を掠め取ったころの劉備じゃまだ力不足だろう。
第一、曹操に追われて落ち目の左将軍をそんなに怖がるとは思えない。
孫呉からすれば、劉備を家臣として取り込んだつもりで妹をくれてやったりしたのではないか?
実際、劉備の荊州統治や入蜀にあたっては、なぜか孫呉側から人材が派遣されている。
俺はむしろ劉表と劉備の関係に近いと思う。
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 12:31:41
>>183 逆説的だが、あまりに落ち目では孫権にとっても荊州での利用価値がない
現に劉備を利用していた以上、劉備は十分過ぎるほど力を持っていた
劉備は兵力は大部分を温存していたと考えられるし、
逃避行に多くの吏民が同行したことなど、荊州での劉備の影響力は絶大
しかも劉キまで抑えている
>>184 確かに劉表と張繍よりも密接な関係に感じるな
ただ、織田信長に対する徳川家康のような、直臣ではない関係だとは思う
(力関係は違うが織田と足利義昭のような関係か?)
確かに一時期孫権・劉備は一体になった感じだが、幾つかの挿話からは孫権たちが劉備の扱いにかなり苦労していたことは読み取れる
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 12:44:42
アンカーミスはデフォルト設定ですか?
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 15:53:32
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 20:18:44
曹操は疲弊の極みにあった自軍と降伏間もない旧劉表軍を率いて長江を下った
これはカクが批判したように大失敗だったわけだが、曹操はなぜそうしたのだろうか
思うに、曹操は徐州での対劉備、官渡での孫策放置、柳城での劉備放置と、
一歩間違えたら破滅するような軍の動かし方をよくしている
勿論分析や裏付けがあるからこそ大胆な行動が出来るわけだが、赤壁の時も似たような判断をしたのではないだろうか
「孫権の動向は気になるが、ここで自分に正面からぶつかってまで荊州に軍事介入できるわけがない」
そう彼と彼のブレーンは分析したのだ(カクとテイイクは除く)
孫権が降伏派の家臣に突き上げられていたのは知っていただろうし、現に江夏郡の占領を継続することも出来ない程度の軍閥としか見えない
曹操は孫権が家臣を強権的にまとめる辣腕であり、
荊州をひたすら狙う野心家であり、
配下には当代随一の将である周瑜がいたことまでは予見出来なかったのだ
よく言われる疫病は勝敗を分けた一番の理由ではない
兵の疲弊やそれに付随して起きるかもしれない疫病のリスクよりも早期侵攻早期決着を選んだ曹操の判断ミスなのだ
凡百の君主、並の将軍相手なら曹操はその賭けに勝っただろうが、相手が悪かった
孫権は曹操侵攻を知る前から荊州の境ギリギリに位置して荊州に軍事または政治的に介入する機会を伺っていたのだから
>>191 今では安全な上水道が整備されていてイメージは湧かないが、日本でも生水を飲めば下痢をする。
ただでさえ大軍で不衛生なのに、慣れない土地、それも疫病の温床のような暖かい地域にくれば尚更。
合肥を初めとする魏と呉の戦いでは毎回のようにどちらか、或いは双方に疫病が発生し、
その結果勝敗もつけずに撤退している。
その年にようやく黄祖を滅ぼしたばかりの孫権を見誤ったのは事実だと思うが、
その後の歴史から見ても疫病が最大の原因だろう。
もっと簡潔にまとめろ
>>193 191は
「孫権ナメすぎ
ただでさえ疲弊してるのに遠征して孫権にやられた曹操バカスwwwwwwww」
192は
「ただでさえ疫病になりやすいのに遠征するなんて疫病確定曹操バカスwwwwwwww」
直接兵を進めれば孫呉が降伏する可能性が高いと考えたんだろ。
孫呉陣営が降伏論と主戦論で割れてたことぐらいつかんでただろうし。
いわば曹操軍の行動は威嚇。
>>195 それを含んだ行動だったかもな
威嚇で返り討ちに遭うなんて曹操バkry
孫呉が破ったのは病兵の群れだったのかもしれないわけで。
曹操にとって一番大事な戦力は残ってるし。
もっと深いだろう
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 00:48:20
船繋いで火攻めされたから負けただけなのに何言ってるんだよ
20万人死んだのに
おまえはナニも分かっていない
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 00:55:05
孔明が弓矢集めた話はすげーと思ったよ
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 00:56:37
孔明って魔法使いだったと思うな
目と鼻の先に現れるまで曹軍百万の南下に気づかないという
致命的なミスをやらかした孔明。門出からして大失敗。
弟子の馬謖は馬謖で大ポカをしてるし、この師にしてこの弟子ありだな。
ならお前はその書籍における孔明の全てを受け入れろ。
それが出来ないのであれば、軍は普通多くいうもので特に百万などという目分量が怪しいということを知れ。
燃やせ。そんな本。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 05:30:27
焚書ですな
疫病説って文献あるの?
文献もクソも、武帝本紀に書いてあr(ry
>>205 俺も実数10万〜20万ぐらいだとは思うが、風聞では泥縄式に増えていくもんだ。
孔明は情報収集をまるっきりしてなかったとしか思えない。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 12:27:08
>>209 武帝紀だと劉備と戦って負けた(「不利」)上で疫病蔓延のため撤退だから、戦っていることには変わりはないよな
>>210 俺は今まで勘違いしていたが、
劉備が知らなかった(というか知らされなかった)のは劉ソウの降伏なのな
曹操の侵攻自体は当然知っていただろう
ただ、降伏を知らされないうちは劉ソウも曹操に立ち向かうと考えていただろうから、いきなり降伏を知ったらヤバいのは当然だ
何故劉ソウ側が降伏を知らせなかったかと言えば、
劉備が襄陽に攻め込み占拠して曹操に対抗しようという挙に出ないようにしたんだろう
曹操を間近にすればそんなよ余裕はなくなるから
もし劉備が早い段階で降伏を知っていたら、襄陽を占拠するという策が現実性を帯びていたのではないだろうか
>>211 勘違いじゃないと思うよ。
先主屯樊,不知曹公卒至,至宛乃聞之,遂將其衆去.
劉備は曹操の侵攻を知らなかった。(劉jの降伏も知らなかっただろうけど)
宛に来たところで曹操の侵攻に気付いて軍を率いて去った。
もしかしたら劉備は襄陽に至るまで劉jの降伏を知らなかった(確信をもてなかった)のかもしれない。
孔明が曹操の侵攻を知った後に襄陽攻撃を進言してるのも理解しがたい。
素人考えだが降伏を知らなければ騙し討ちで襄陽を手に入れられる可能性がありそうだけど
降伏を決めた劉jから短期間で襄陽を奪う手段ってあるのかな?
劉備がわざわざ劉jに会おうとしたのも少し違和感がある。
正史の先主伝では、劉備一家は曹軍の南下を知らず、
曹操が宛城にやってきたとき初めてそれを知ったとあるよ。
このとき劉備が拠点としていたのは樊城。
宛城からの距離は、騎馬なら、1日か2日もあれば踏破できてしまう程度のものでしかない。
孔明をろくに情報収集もしないアホと見るか
曹操陣営の情報管理の高度さを称えるか微妙なところだ
>>212 >劉備がわざわざ劉jに会おうとしたのも少し違和感がある。
まあ、位置的に、樊城から陸路で荊州南部に逃げるには襄陽を通らないといけないから。
そのついでに本当に降伏したのかどうか確かめたのかもしれない。
なにせ劉備は荊州中枢からは袖にされてたし。
>荊州中枢からは袖にされてたし。
袖とは、具体的にどういこと?
具体的に言うと、厄介者扱いで情報も遮断されていた。
劉表が生きてた頃はまだマシだったが。
おまえら本当に正史を信じているのか?
作者知っているか?
陳寿だろ。
>>218 信じるに足りないとするなら、反証を明示しなければならない。
今のところ、より信用できるのが正史であるわけだから、そこのところ勘違い、曲解しないように。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 20:09:42
211だが212と213教えてくれてありがとう
先主伝と注を見直してみるとこうなるのかな
劉ソウ降伏→劉備には知らせない→
劉備、感付く→劉ソウに様子見→
劉ソウ、劉備に宋忠を送り降伏を伝える→
このとき曹操は宛に到達→
劉備、襄陽へ→
読みにくい。まずはスレの書き方を学んでくれ。
>>222 携帯厨なもので済まんね
昨日読み返しててやっと気付いたんだが、劉表より劉備の方が将軍位は高いんだな
225 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 12:42:41
諸葛亮が襄陽攻めを提案して劉備が却下した件だが、やはりあれは劉備の判断の方が妥当だろうと思う
あの段階では曹操襄が来る前に陽を落として曹操を迎え撃つだけの時間的な余裕があるか怪しいものだから
だが諸葛亮にしてもある程度の勝算があったのかもしれない
例えば襄陽内部に呼応する者がいるので早期決着できるとか…
荊州豪族や劉表一族と姻威関係にあったという諸葛亮なら、劉表政権にそういった影響力があったのかなあ
それよりも襄陽攻めは落とした後にどういった展望があったんでしょ?
早期決着したとして、時間があれば野戦に持ち込んで勝機があった?それとも堅牢な城を盾に籠城策?
自演乙
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 20:04:21
>>226 おそらくは襄陽に籠城しつつ江夏の劉キなどの援軍などを待つという形になるのではないかと思うけど、
あの限られた時間の中で襄陽占領を済ませないといけないから…
更に実際の赤壁の時などと違い万全の体制の曹操が相手だから、そもそもまともに籠城しても勝てないと劉備は判断したのだろうと思う
ここは諸葛亮が荊州と劉備を過大評価したのではないかと感じる
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 21:33:29
いくら人口豊かな荊州と言えど、2日や3日では募兵できるわけがない。
となると、手持ちの数千が頼みをするしかないが、むろんのことそんなんで曹操に対抗するなど不可能。
結論。出仕直後の諸葛亮って実はダメ軍師なんじゃなかろーか。
そもそも降服は劉表政権を支えた荊州豪族たちの同意として行われたのだから。
で、政権中枢からハブられていた連中が劉キを担ごうとしたり劉備に接近したに
過ぎない。諸葛亮がなにか工作したところでどうにかなるとおも思えないが。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 08:48:38
襄陽を落とし降伏派を斥けてクーデターを成功させるまでの展望はあったのだと思うが、
対曹操という部分でハイリスク過ぎるのではないだろうか
劉備が却下した本当の理由は道義的な部分ではなくそこじゃないかと思うなあ
話は変わるが長坂あたりの頃の南郡太守って誰なんだ?
>襄陽を落とし降伏派を斥けてクーデター
時間の余裕がまったくないので無理だろう。
それもこれも情報収集に失敗して曹操の動きをつかめなかったのが原因。
情報獲得時期検証のためまず時系列まとめてみた
武帝紀より
@208年7月、曹操軍進発
A208年8月、劉表死亡。劉ソウは襄陽、劉備はハン城に
B208年9月、曹操が新野に到着。劉ソウは降伏、劉備は夏口に逃走
C208年9〜11月、荊州全域の再編、益州より曹操に兵の提供
D208年12月、曹操が江陵より出撃し赤壁に敗れる
多分これが基本になると思う。これに
>>212を照らし合わせると、劉備が気付いたのは8月のハン城に到着以後、
9月の曹操新野到着以前(場所的にこれより前に宛は通過してるはず)の間となる。
あまり重視するのもどうかと思うが、先主伝註にある漢魏春秋を信じるならさらに(9月の劉ソウの降伏の後に)
宛の通過に気付いたことになる。
ちなみに呉側は周瑜伝を見ても対策に入ったのは9月の荊州降伏以降、
先発した魯粛は8月に出発してから夏口に至るまでに曹操侵攻を知り、南郡に至ったところで劉ソウの降伏と劉備の逃走を知り、
直行して長坂で合流してる。この時実際の出来事(降伏や逃走)とそれが魯粛の耳に入るまでのタイムラグがあったかもと追記。
こんな感じ?
んー、まず武帝記のみを資料にする厨房理由から聞きたい。
>>234 >>233に対してかな?それなら「武帝紀が基本になるんじゃないか」というのは時期が具体的に言及してあるからというだけで、
武帝紀のみを資料にしたわけではないよ。一応先主伝・諸葛亮伝・呉主伝・周瑜伝・魯粛伝は再確認してから書いてるし、
いくつかは233にも明記してあったと思うけど。
…まさかとは思うけど、「あまり重視するのもどうかと思うが」とつけたのは先主伝”註にある『漢魏春秋』”に対してだからね?
12月に疫病なんか起きるの?
バカなこというけど、インフルエンザとかだったら12月だな。
人がいっぱい集まれば疫病は起こるし。
風土病だと抵抗力の弱い外来者はひどい目にあう。
12月なら河が凍るから水軍戦はありえないな
あんな馬鹿みたいに広い長い河が全域にわたって凍ると?
>>240 当時全域にわたって凍ってないという証拠は?
魏晋南北朝時代は中国の人口が激減したらしいが
その原因を戦乱のせいだけにするのは無理がある
ひょっとしたら氷河期とか
黄河じゃあるまいし、漢水〜長江が凍るなんて寡聞にして知らないな。
なんかそういう例があったっけ?
そもそも、水量が多ければ凍りにくいし、現在を考えてもそうそう凍るようなものと思えん
それが凍るなんて話になれば相当話が大きくて河が凍る以外にも文献が残るはず、まずありえん推論だろう
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/18(土) 14:38:00
文帝紀によれば黄初6年に淮水と長江の間が凍っていたために水軍が通れなかったという
赤壁の時も似たような状態だったとしても特筆されているはず
大体長江が凍結して船を使えなかったら、周瑜が江陵に攻め込むことも出来ないはずだが
黄河と淮河は、たしかに凍ったらしい。
でも、淮河は稀でしょうな。結構南だし。
黄河はいろいろといわくつきな伝説が残ってもいる。
長江は、さすがに知らん。
ほしゅ
否定派はやっと絶滅したか。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 23:09:02
曹操の荊州攻めについてだが、ジュンイク伝によると曹操はジュンイクの言に従い宛に急行したらしい。
劉備が曹操到来を知るのが遅れたというよりは、曹操の進軍が早かったようだ。
ただ、曹操は初手から強行軍だったわけで、襄陽、長坂、江陵と強行軍を繰り返した上に長江下りまでやったということだ。
疫病発生も天災というだけでなく、この無理に無理を重ねた行軍が響いているように思うのだが…
( ´w`)<赤壁の話には辟易するよ ナンチテ
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 00:04:41
251の追記
曹操の荊州侵攻が最初から強行軍による電撃的なものだったからこそ、
劉備は曹操をひっかきまわし長期戦化することで勝機を見出そうとしたし、曹操も劉備が江陵に籠って持久戦になるのを極度に恐れたのだろう。
曹操の電撃戦の限界は江陵までということであり、その時点で劉備という敵対勢力を残してしまった以上、そこで一旦止まって仕切り直しするべきだった(つまりカクの言うとおりにするべきだった)のだろう。
電撃戦を仕掛けたことはミスではないと思うが、退き際は曹操が完全に見誤ったとしか言いようがないな。
とはいえ一旦南下し、孫権に使者を送った以上は野放しに出来ないわけで
お休み
一旦お休みしただけなのに、大敗したように書かれてしまったんだよ。
江陵までで止まるって選択肢がなかったのだろう
大軍を擁して南下しましたが、本命の劉備は討てずに帰ってきましたってのが許されないと考えていたのでは
遠征の目的が荊州の制圧だけでなく、天下は統一されたと宣言するもので、戦果が欲しかったのだと思う
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 08:20:23
一気に全土を平定しようというのは焦り過ぎだろ
孫子を読めば曹操が電撃戦のリスクを理解していなかったとは到底思えない。
政治レベルの破綻が戦略のミスを招いたのだろうか?
敗戦ではあるが、後年の荊州紛争の種を撒いた点に於いてこれは怪我の功名と言える。
烏林の手前、笑ってしまうような位置に銅山がある。
三国鼎立とはそれを確保できなかったが故の勢力均衡だ。
6:3:1と言うような圧倒的大差はこの時点で付いてなかったと言うことかも。
>>258 怪我の功名て…
江南勢力に荊州進出の機会を与えてしまって実際に勢力が飛躍的に伸長したんだから、その意味でも大失敗だろ
荊州紛争なら、劉表が死んだ時点で劉ソウ派と劉キ派の反目により曹操が来なくても起きていただろうし
南京大虐殺が37万人に増えたぞ
赤壁も相当水増しされているんだろうな
赤壁だけか? おまえが知ってる大戦はw
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 21:38:27
>>259 確かにあの段階じゃ勢力の差は圧倒的ではなかったと思う。
曹操の支配・影響下でも、青州や司隷部は臧覇や鍾ヨウがなんとか落ち着かせているという状態のようだし、
并州はそもそも州の体裁を成していない。
許のある豫州にしたってすこし前まで牧である劉備が暗躍していた。
徐州は曹操自身が荒らした前科がある。
元からの地盤エン州と自らが牧を務める冀州以外はあまりあてにできそうにない。
孫権や劉備より優勢なのは確かだろうが、圧倒的とまでは言えないだろう。
それと、曹操の強さの一つには、敵の意表を突くという面があったように思われる。
足りない地力をそうやって補ってきたのだろうが、荊州では劉備や周瑜に見透かされてしまったのだろう。
見透かされてしまえば、圧倒的とまでは言えない勢力だから力押しも出来ず、逆に無理をしたツケが回ってくる。そういうことじゃまいか。
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 12:19:28
エイジャの赤壁
劉ソウは最初は曹操に降伏する気はなかったみたいだな
傅巽らの説得に折れた形だ
また降伏後も王威が曹操を攻めることを進言してる
これは劉ソウが却下してるが、降伏後の荊州政権内も降伏で一枚岩ではないことが見て取れる
諸葛亮が襄陽を取れると判断したり、劉備が江陵に拠ろとしたりした理由もそのあたりだろうか
そんな不穏な中で早期決着を図った曹操は判断として正しいと言うべきなのか、焦りすぎだったと言うべきなのか
で何が言いたいの
というかこのスレで何度も長文書いてる奴は何が目的なんだろうな
なにが目的もなにも、赤壁について語りたいんだろ。そういうスレだし。
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 00:27:43
携帯で打てる程度なんだが、この程度で長文扱いされるとは思わんかった
てかなんで長文が嫌な奴が考察スレにくるんだろ?
ふははははははw
三戦だからね
バカしかいなんだね
バカはおまえだけだ
276 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 17:12:22
>>262 このスレでヒ水の戦いや垓下の戦いについて語れとでも?
スレタイも理解できん低能は死んでいいよ
キムチ臭いチョンは日本語をもっと勉強してから書き込もうな
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 17:24:53
こいつがチョン
南京大虐殺はいいのかよ?
>>276 は反応が遅く愚鈍な上に、自己矛盾にすら気づかない低脳。
そして淝水と垓下の戦いしか知らないことをさらに暴露。
>>265 王威の奇襲案の他にケイシュウにおける対曹操勢力ってどの程度だったの?
南京大虐殺がいきなり出てくるところでシナ畜確定だなw
>>276を馬鹿扱いしたいようだけど、
「自分がこれだけ知ってるぞ!」という証明さえしてないのだからその罵倒も甚だ説得力を欠く。
何故虐殺が戦いなのか理解不能。
他人の反応の鈍さや自己矛盾は察知できるようだが、その観察力を自分自身に向けては如何か?
スレ違い故に消えろ。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 18:21:12
>>278 お前もしかして
>>262?レスポンス高すぎワロタw
お前みたいに一日中2chやってるキモヲタじゃないんだ、そんなにすぐに返せるかよw
お前頭悪いな、それとも日本語の読解力の低さからいってやっぱチョンなのか?w
>>261は南京大虐殺を水増しの例に挙げて赤壁もそうなんじゃないの?って言っているわけだ
べつに南京大虐殺の内容について語ろうなんて一言も言ってない
>>276もとりあえず二つを挙げただけで、知ってる戦いを全部挙げないと知らないことになるのかね?w
ならひとつも挙げていないお前は全く知らないということになるなw
>>281 もちつけ、そしてスレの主旨から外れるレスは下げてくれ
袋叩きにあってる哀れな
>>278。
いや自業自得かwww
昔の中国には尊敬出来る人や、凄い人はいたのだが
今は本当駄目になってしまったなぁ・・・・。
こんないい文化持ってるのに。
お前が気付いてないだけで今の中国はかなり危険だぞ
リアル三国時代と言っても過言じゃないほど政情が不安定
>>279 具体的に挙げられるのは劉キと劉備くらいしか思いつかないが、劉ソウの下に王威のような奴がいたように、状況次第で幾らでも現れただろう
劉ソウはまともに抵抗してないから、余力残しまくりだったと考えられるし
>>285 分裂期訪れても、なんらおかしくはないわな。
歴史はまだまだ続く…
はいはい中国韓国
289 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 12:39:01
曹操は何故に長江下りをやらかしたのだろう
まるで当然のように言われてるが、カクが指摘し、周瑜が述べたように極めて危険だったのに
荊州だけでなく揚州まで一気に制覇しようというのは、今までの曹操の戦い方ともそぐわないようにも思うのだが
あまりに荊州が上手くいったから勢いで…という見方もできるけど、俺は孫権が出てきたことが予想外だったんじゃないかと思うね。
つまり孫権に送った手紙は脅し・牽制のためのポーズで、実際は荊州反曹の中心になりかねない劉備を一刻も早く潰したかった、
だから強行に強行を重ねて劉備を追いかけ、長江を渡ろうかというところで突如呉の水軍が登場と。
連携されると嫌だから急いで各個撃破をしようとしたのに裏目に出たって説はどうよ?
>>289
つうか当時の中原の人は「呉なんざ僻地で大したことない」と思っていたのでは
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 23:25:47
>>290 第一の目的は劉備だったんだろうねぇ
孫権の仕置は、あわよくば…みたいなところか?
>>291 対劉備の強行軍からはある程度時間をおいてるかもしれないが、
周瑜が言ってるように中原の人間を長江下りに連れていくこと自体が強行だったようだね
>>292 まあ、僻地だからかどうかはともかく、孫権軍閥全体を舐めていたのは間違いないね
孫権がその気でも部下をまとめられないだろう、劉ソウと同じで脅しでもかければ降伏するだろう、とか思ったかね?
だとしたら、抜群の状況分析力を誇る郭嘉が聞いたら悲しむような、勝者の驕りが生んだ恥ずべき見込み違いだな
あそこは孫権が臣従して当然だっただろ
曹操の実効支配に服するかどうかはともかく
後に蜀と対立した時は実際に臣従してるし
後に急伸した蜀の足下をすくったように孫権の空気読めなさが凄すぎなだけ
それだけ南人の増長ぶりが伺える。
>>294 それは孫権を誉めてるんだよな?
赤壁前夜の段階で曹操に臣従したら、おそらくは曹操は劉備を破り荊州の支配を確立する
そうなったら荊州に攻め込むのは劉表時代より困難になり、先細りになってやがて理由を付けられて討伐されるだけ
その場はやりすごしても滅びの道でしかない
297 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 19:11:07
>>296 呉の女官たちは徹底抗戦を望んでいたらしい
もし呉が曹操に降伏したら、魏の兵士たちに陵辱されることを恐れたそうだよ
>>297 それは周瑜がそういう噂を巻き散らかしたからだ
古来より戦場ではよくあることだと思うが
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 19:14:04
赤壁の大勝利は呉を72年間だけ延命させただけの結果に過ぎなかったのだね?
>>301 その後の南朝勢力による江南の発展ということを考えればもっと意義は大きいかと。
そうだよな。
六朝文化の象徴として、建業=建康はては金陵と、華やかなイメージが今に残るのも、呉大帝の英断のおかげか。
漢字は呉のあたりから伝わっていて、音読みもあのあたりの
方言が基になっているのだとか。もし孫権がいなくてあのあたりが
発展していなかったら、日本の文字の歴史変わっていたかもしれない。
独自文字を開発してたりして。
呉音って時代の違いじゃねーの
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 22:32:38
烏林あげ
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 23:46:39
赤壁の戦いで魏の将って誰か死んだの?曹操の退却は神業ですね。
ちなみに夷陵での蜀の損害↓
「馬良が討死。王甫や張南らも戦死し、退路を失った黄権も魏の皇帝曹丕に投降」
>>307 だって長江流域の戦いになれば前線に駆りだされるのは降ったばかりの荊州水軍になるだろうし、
そうすると三国何れかに貢献したわけじゃないので死んでも名も残らない。
蔡瑁や張允ってどうなったんだ
蔡瑁は隕石に当たり、
張允は地割れに飲み込まれ、
惜しまれつつこの世を去った。
311 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 10:26:37
>>307 進退極まって殲滅された状態の夷陵の劉備と比べるのはどうかな
赤壁では曹操自身が語ったように劉備の策が一足早かったら似たような状態になりかねなかった
また死んだ将がいないのではなく、将が死んだ記録がないのであって、死んだ奴がいない証拠にはならない
むしろ疫病で死んだ将も記録されてないのがちと不思議ではある
後には司馬朗や建安七子のように疫病で死んだ将や官吏の記録があるだけに
>>311 普通、将が死ねば人事の問題があるので記録に残ります。直接にはなくとも、推測できるような
記録が周縁に残るものです。赤壁ではそれもない。
>>312 つまり将には大した被害はなかった。
周瑜伝や武帝紀注からは、夷陵の戦いのように将まで殲滅されたり漢中のように大将が急襲される状況ではなかったと考えられるから、将に大した被害がなかったこととつじつまは合う。
将には病死した記録なども見られないから、疫病も実際には深刻では無かったのかもしれない。
将が死なないような状況で兵が命を捨てる訳がない
せいぜい敵前逃亡で兵力四散するくらい
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/21(木) 01:35:22
いつの時代の話やら
208年頃の話
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/21(木) 06:51:11
赤壁の戦いは、なぜ形勢逆転には至らなかったのだろうか?
官渡と一緒
食い止めて侵略されなかっただけ
戦前に攻めてきた曹操軍が戦後には江陵まで攻め込まれて奪われたんだから攻守は逆転してるわな。
勢力バランスが逆転するとこまでいってないのは
>>318のおっしゃるとおり。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 15:58:28
曹操が赤壁に進まないで、しばらく荊州の統治に専念していたら
劉備に起死回生のチャンスは無かったのだろうか?
再来年で1800周年な件
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/26(火) 00:38:25
みんなageちゃう
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 11:24:35
324 :
愚公:2007/01/01(月) 13:05:25
age
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/01/07(日) 00:58:25
烏林保守
326 :
孔明さんが:2007/01/07(日) 13:17:04
おとといの日本人の好きな天才100人で第4位になっていたね。
しかし日テレはアホか?弓矢10万本を曹操軍から集めた話を史実として解説
しているとは。
>>326 他の板で書いたほうが優越感に浸れるんじゃないの
新暦に直すと赤壁は今頃だろうか
329 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/31(水) 07:27:26
保守
330 :
◆Dowel.AV2g :2007/01/31(水) 17:38:04
朱治好き
331 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/31(水) 22:53:55
´З`ぷっw何創作の戦いをまじで議論してるん?
332 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/01/31(水) 23:00:52
そんな事言うなよー
国語の教科書にも赤壁の戦いのってたもん(`ε´) プンスカ
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 23:35:23
Ageるぞ
生きていたか。・゚・(ノД`)・゚・。
337 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/11(日) 03:48:33
24h経っても落ちてないね、良かった。いちおうあげ。
保守すべきか
一応
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/13(火) 02:18:09
上げとく
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/13(火) 07:32:41
保守
一応支援
保守しまーす