1 :
無名武将@お腹せっぷく:
三国志演義の作者とされる羅貫中が実際に生きた時代は元朝末期、紅巾の乱で天下は大いに乱れ、朱元璋、陳友諒、張士誠
の3人の英雄が天下を争った、三国志とよく似た時代である。
羅貫中自身も、目の前で進行する歴史を演義に反映させたと思われるので、元末明初の歴史と、三国志演義の共通点について
論じるべし。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 12:08:56
2げっちゅ
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 12:50:13
三戦板の住人で元末なんて語れる奴いるのか?
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 14:23:39
よく言われるのが、演義で描かれている赤壁の戦いの火攻めが、
朱元璋の陳友諒の鄱陽湖の戦いを基に描かれているんじゃないかって指摘だね。
羅貫中の正体自体がよく分からないところがあるから、難しい問題だけど。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 14:25:56
それと、黄巾の乱も紅巾の乱も、怪しげな宗教が母体となった農民反乱という点で、
よく似ていると思う。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 17:21:27
倚天屠龍記という本に朱元璋は明教と言う宗教の高官で、教主張無忌を計略で落とし
光明左使楊消にゆずらせ実権を握ったらしい 元を倒した後も明教に敬意を表し、国名を
明としたとか・・・だが、その後明教を禁止したそうな
この時代の長編小説とかない? 朱元璋の怪物っぷりに興味あるんだが。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:45:38
>>7 この時代を扱った小説となると、基本的には朱元璋の伝記小説となる。
自分が読んだことがあるのは伴野朗の「朱龍賦」という小説。
わりと読みやすいし、この時代の基本的な流れも分かると思うからなかなかお勧め。
陳友諒と張士誠についても、かなりの記述を割いて掘り下げているし。
朱元璋はあまり怪物という感じの記述じゃないけどね。
後、読んだことはないけど、堺屋太一が「超巨人明の太祖朱元璋 運命をも変えた万能の指導者」って本を出している。
それと、
>>6が書いている金庸の「倚天屠龍記」。
これは武侠小説といって、ファンタジー色の強い伝奇小説のようなもので、朱元璋もそんなに出てくるわけではないし、
史実を曲げたりしている部分もあるけど、とにかく驚天動地の展開で面白い。中国では金庸の小説は三国志より人気があるぐらいだから。
三部作の最後の作品になっているので、そのへんだけ注意。
↓詳しくはここで。
倚天屠龍記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%9A%E5%A4%A9%E5%B1%A0%E9%BE%8D%E8%A8%98
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 18:57:04
>>6 倚天屠龍記は歴史小説ではなく武侠小説で、架空の設定が多いから真に受けないように。
主人公張無忌自体実在しない人物だから。
実際の史実としては、朱元璋は明教(白蓮教)の傘下という形で活動してはいたものの、
後ろ盾として利用していたというのが実態に近く、政権を確立した以降は、
明教の勢力の弱体化を画策している。一方でその勢力を無視できなかったためら、
国号に明を採用したのではと言われている。
後に朱元璋が重農主義と言うべき政策を採ったのは、自身が農民反乱である明教の乱に参加し、
その力の恐ろしさをよく知っていたからかも知れない。
金庸は史実と虚構を織り交ぜるのが上手いね。
ストーリー構成も巧みだし、ライトノベル感覚で読める。
万民に愛される徳の人・張士誠
悪名高き乱世の奸雄・陳友諒
乱世の終焉を願う英雄のフリをした奸雄・朱元璋
といったところか・・・。
徳の人って張士誠はただ遊びまくってただけのようなw
>>8>>9 倚天屠龍記は朱元璋より陳友諒の方が出番多いな。
設定滅茶苦茶だけど、面白い。
イメージ的には・・・。
張士誠⇒劉表
朱元璋⇒曹操
陳友諒⇒董卓
こんな感じな気がする。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 19:26:12
元末三国志
当然主人公は朱元璋だから、朱元璋英雄伝みたいな感じのストーリーになるだろうな
物語的には元を漠北へ追いやり、天下を統一したあたりで終わらせたいな
晩年は粛清しまくって印象悪いから
ときどきでいいから方国珍のことも思い出してあげてください
天下のことなどどうでもいいへたれ海賊
>>16 張士誠も似たようなものでしょう。群雄多かれど、真に覇気があったのは、
陳友諒と朱元璋だけ
朱元璋vs陳友諒vsココティムール
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 22:29:53
元は圧倒的だな。なんで元は滅亡したのか理解に苦しむ。
華北⇒元
中原⇒元
関中⇒元
江南⇒張士誠、陳友諒、朱元璋、方国珍
巴蜀⇒?
>>19 この時代、江南の経済力が圧倒的だった。
元朝も華北の大都が都だが、経済面では江南に頼りきりで、
華北と江南を結ぶ大運河が生命線ともなっていた。
つまり、江南を制する=天下を制する、に近い状態。
それに加えて、元朝は内部抗争が激化し、
いくつかの軍閥が割拠して分裂状態に陥っていた。
モンゴル人は百年の中国支配で、奢侈な生活に溺れ、
当初の勇猛な気風を失ってしまったからな。
>>19 元は滅亡というか、追い出されたと言ったほうが正確でしょ。
長きに渡る占領区を放棄した、という感じ。
中国のこれまでの歴史で、華南勢力が華北を呑んだのは明が最初の例だったっけ?
旧南宋地域は直接統治できずに、植民地統治のような形だったからね。
その旧南宋地域に、経済面で生命線を握られてしまった。
陳友諒
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%8F%8B%E8%AB%92 陳友諒(1320年 - 1363年)は元末、各地に割拠した群雄の一人。湖北から江西にかけての一帯に勢力を誇り、大漢
皇帝を称したが、朱元璋との鄱陽湖の戦いに敗れ、敗死した。
紅巾の乱と天完国
湖北眄陽の漁師の家に生まれた陳友諒は、読み書きができたことから県の胥吏をしていた。1350年(至正10年)に紅巾の乱
に呼応して、湖北で徐寿輝が挙兵して天完国の皇帝を称すると、その麾下の武将倪文俊の書記となり、次第に武将としての頭
角を顕して重用されるようになった。
大漢皇帝を称す
紅巾軍の本体である韓林児の宋とは独立して行動し、天完国の皇帝を称していた徐寿輝は、長江中流域に勢力を拡大してい
った。陳友諒はその政権内部で、徐寿輝の謀殺を企てて失敗した上司の倪文俊を殺害して、麾下の部隊を指揮下に収める。そう
して天完国の実権を一手に掌握すると、1360年(至正20年)には主の徐寿輝をも殺害して、自ら帝位についた。この際、国号を大
漢に改め、年号を大義と定めた。
朱元璋との抗争と鄱陽湖の戦い
大漢皇帝を称した陳友諒は、湖北から江西にかけての一帯を勢力に収め、長江下流の応天府(現在の南京)に拠る朱元璋、
隆平府(現在の蘇州)に拠る張士誠と並び立った。その中でも東に勢力を接する朱元璋と激しい抗争を繰り広げるが、1363年(至
正23年)の鄱陽湖の戦いで矢に当たって敗死する。
滅亡
鄱陽湖の戦いで陳友諒が敗死した後、その子陳理が跡を継いだが、翌1364年(至正24年)には朱元璋に降り、漢は滅亡した。
貨幣
陳友諒が建てた「漢」が鋳造・発行した貨幣である「天定通宝」と「大義通宝」は、現在でも古銭収集家の間では人気がある。
張士誠
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%A3%AB%E8%AA%A0 張士誠(1321年 - 1367年)は元末、各地に割拠した群雄の一人。蘇州を拠点として江東に強大な勢力を誇り、朱元璋、陳友諒
と覇を競ったが、1367年に朱元璋によって滅ぼされた。
挙兵
泰州白駒場の人で、元の名を張九四と言い、官塩の舟運の傍ら、私塩の密売にも携わっていた。財を軽んじて人に
施すのを好んだので、群輩の心を得たと言われている。1353年(至正13年)に張士義、張士徳、張士信の弟3人を含
めた18人を率いて挙兵、塩丁ら多数がこれを加わり、たちまち泰州を落として参政の趙lを殺し、更に興化、高郵な
ど江北の要地を占領する。翌1354年(至正14年)には誠王と称し、国号を大周、元号を天祐と定めた。元末に蜂起し
た群雄の多くは白蓮教の影響を受けた紅巾軍の系譜に属していたが、張士誠は紅巾軍には属していない。
元の討伐軍到来による危機
張士誠の反乱を、元朝は極めて深刻に受け止めた。なぜなら、反乱が起こった淮東は全国最大の塩の生産地であり、
かつ江南の物資を京師に輸送する大動脈である大運河が通っている地域であったからである。塩の専売を最大の財源
とし、経済面で江南の豊かな物資に依存している元朝にとってはまさに死活問題であった。そのため右丞相の脱脱
(トクト)を司令官とする大規模な討伐軍がただちに発せられた。張士誠はこの討伐軍に敗退して絶体絶命の窮地に
陥る。ところが、元朝内部での権力闘争から、脱脱(トクト)は突如として失脚し、司令官の職を罷免されて連行さ
れてしまう。これによって混乱に陥った元軍を打ち破ることで、張士誠は危機を脱することができた。
三雄鼎立
その後の張士誠は南に向かって進攻し、1356年(至正16年)に江南の経済と文化の中心地である平江路(現在の蘇
州)を占領し、隆平府と改めて、国都に定める。江南に進出した張士誠は、紅巾軍とも敵対関係にあったため、一旦は
元朝と手を結ぶことにし、帰順して太尉の任官を受け、王号や国号、年号を廃する。それでも勢力の伸張は続き、北は
徐州から南は紹興に至る地域を支配するに至り、湖北から江西の一帯を支配して大漢皇帝を称する陳友諒、集慶路改め
応天府(現在の南京)に拠った朱元璋の両雄と並び立った。1363年(至正23年)には紅巾軍の劉福通を安豊に攻め、敗死
させる。それからほどなく元朝から離反した張士誠は呉王と称する。
滅亡
呉王を称したものの、張士誠の勢力拡張の動きは鈍かった。一方、着々と力を増していた朱元璋は1363年(至正23年)
に鄱陽湖の戦いで西の宿敵陳友諒を敗死に追い込む。翌1364年(至正24年)には跡を継いだその子陳理を降らせ、湖北、
江西の一帯を版図に収めた朱元璋は矛先を東に転じ、張士誠に対する本格的な進攻を開始した。1367年(至正27年)に
は隆平府が陥落、捕らえられた張士誠は、応天府に送られる途上、自縊して果てた。
元末、各地に割拠した群雄の中で、張士誠は、経済的に最も富強で、文化面でも最先進地域を支配した。だが、奢侈へ
の傾倒が著しく、勢力拡大への意欲が欠けていた。そのことが滅亡の原因となったとされる。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 15:28:17
友達にするなら張士誠だよね
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 18:59:31
張士誠が不利になっても朱元璋に寝返る者はほとんどいなかったという、
さすがは人徳の人・張士誠
羅貫中というのは実在の人物ではない。
三国志演義というのは一地方で行われていた演劇を書籍に収めたもの。
ちなみに現在の研究では三国時代それ自体が存在しなかったとされる。
つまり演義はもとより正史も歴史的価値は皆無。
また後漢の存在も存在しなかったのではないかと最近では報告されている。
ま、シナ自体が捏造歴史の国だからな。
>>29 中国4000年の歴史が捏造だとすると、東洋が西洋に比べ技術、哲学、宗教
において大いに劣っているという事実にも納得がいくな。
日本の存在も捏造… ってか?
西洋と東洋のノーベル賞受賞者の数を比べてみよう。東洋人の劣等性が瞬時に
理解できるぞ!
張士誠は三雄の中で、蘇州や杭州といった経済的に最も豊かな地域を支配した上、
沿岸部を押さえたために交易でも莫大な利益を得ていたとされる。
そのため、張士誠が朱元璋に滅ぼされる直前、
蓄えた巨万の財宝を秘密の場所に隠したという伝説が結構ある。
この張士誠の秘宝伝説は、この時代を扱う小説家にとっては、美味しいネタ。
実は朱元璋が一番面白みのない奴。
陳友諒に天下とってほしかった。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:38:18
陳友諒が天下を取ったら、国号は漢になっただろうけど、
後世何と呼ばれるようになったんだろう?
今は、劉邦の前漢、劉秀の後漢で呼んでいるけど、
中国みたいに西漢、東漢と呼ぶことにして、陳友諒の漢を後漢にしたかな?
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/27(日) 22:40:54
五代の後漢(こうかん)と紛らわしくなるな
前漢 ⇒劉邦
後漢 ⇒劉秀きゅん
偽漢 ⇒陳友諒
陳友諒の方が曹操っぽい。というか曹操+劉備成分。宇文泰か、それ
じゃあ朱元璋は誰なんだという話になるが、もうアレは他に比肩出来る人間が居ないと思う
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 15:18:47
朱元璋は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人がしたことを、
1人でなしとげた、って人がいるね。
貧農から身を起こして天下を取り、その後皇帝としても長い間在位したから。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 16:03:41
>>6>>9 金庸の武侠小説を解説した本より、倚天屠龍記の歴史背景についての記述を抜粋
(4) 『倚天屠龍記』 元代末期
南宋を滅ぼして元朝を建てたモンゴルも、権力闘争と財政破綻から、百年足らずで末期を迎える。元末、各地で反乱軍が
蜂起した。口火を切ったのが、浙江の海賊方国珍、そして白蓮教の乱である。本書では明教と称しているが同じもの。マニ
教、弥勒信仰、道教などが混ざり合った秘密宗教結社である。本書の主人公張無忌は、その教主に据えられるわけだが、
張無忌の側でひょうきんな子分を務めている韓林児こそ、白蓮教反乱の旗頭となった実在の人物だ。白蓮教の反乱軍は、頭
に紅い布を目印につけたので、紅巾軍と呼ばれる。続いては、塩の闇販売で力を得た運送業あがりの張士誠が江蘇を押さえ、
また本書にも登場する陳友諒が紅巾軍から下克上で伸し上がり、江西、安徽を押さえた。各地に盤踞する反乱軍は、てんで
に皇帝を自称し、衰退した元朝はそっちのけで、天下の覇権争いへ突入する。
そうした中で現在の南京に拠って頭角を顕したのが、後の明の太祖朱元璋である。貧農の息子に生まれた朱元璋は、食う
に困って遊行僧となっていたところに、白蓮教の乱に出くわす。これに投じた朱元璋は、めきめきと勢力をつけ、まず各地の
ライバルを滅ぼした後、元を討ち、明朝を樹立した(1368年)。朱元璋が国号を「明」としたのは、白蓮教――明教から取ったも
のだとも言われる。
海賊に宗教結社、運送業、遊行僧――。こうして見ると元末の乱世は、まさに江湖の大蜂起であり、史実が武侠小説を先
導しているのである。
後の大粛清とか陰険な振る舞いを見るに、
朱元璋って青春時代が暗黒だったんだろうな
知り合いたくねーw
張士誠は、財を軽んじて人に施すのを好み、人心を掴んだって言うから、
面倒見のいい兄貴って感じだったのかな?
蘇州を占領してから遊びまくったみたいだけど、
あまり残酷なこととか、陰険なことはしなかったようだし。
>>41 家族も大半が飢え死にしたらしいから、
若い時代は思い出したくない思い出ばかりなんだろうな。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 01:12:27
>>40 倚天屠龍記は、陳友諒は悪役で、結構活躍して出番が多かったけど、
朱元璋は、主人公の部下で、いろいろ頑張っていたようだけど、
物語の本筋にはあまり関らなかったから、出番は少なかったな。
にしても、いろいろとごちゃごちゃして、怪しい人間が出てきた時期だから、
武侠小説の舞台としては格好の時代だったんだろうね。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 13:40:44
>>43 張士誠は遊んでいたといっても酒と女の日々を送っていたというよりは、
蘇州に集めた知識人たちと詩文創りや会話を楽しんでいたようだ。
張士誠は文学者、芸術家を保護し自由にやらせていたという。
知識人を天下取りの道具としてしか見なかった朱元璋や陳友諒とはまったく
別のタイプの人物だったのだろう。
【理想の人間関係】
朱元璋のような上司
陳友諒のような部下
胃ガンで死ぬわw
元王朝 所領22 兵士37万人 武将40 資金80000
朱元璋 所領4 兵士5万人 武将53 資金10000
陳友諒 所領7 兵士8万人 武将18 資金12000
張士誠 所領4 兵士4万人 武将10 資金50000
方国珍 所領1 兵士1万人 武将3 資金5000
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 19:06:18
明玉珍 1331〜1366
隧州(湖北)出身。地主の家で、紅巾軍に対して自衛団を組織したが、1353年
に徐寿輝に降って大元帥とされた。四川方面を経略し、徐が殺されると独立し
て翌年には称帝し、大夏国・天統と建元した。雲南・貴州にまで勢力を伸ば
した。死後は子の明昇が帝位を継いだが、1371年に明に降って殺された。
>>19 元は圧倒的だな。なんで元は滅亡したのか理解に苦しむ。
華北⇒元
中原⇒元
関中⇒元
江南⇒張士誠、陳友諒、朱元璋、方国珍
巴蜀⇒明玉珍
雲南は元朝の梁王と大理の末裔段氏
【陳友諒(ちんゆうりょう)】
統率97 戦闘91 智謀88 政治60 魅力85
野望99 義理0 (利己主義)
【朱元璋(しゅげんしょう)】
統率98 戦闘87 智謀99 政治94 魅力90
野望99 義理0 (利己主義)
【張士誠(張士誠)】
統率80 戦闘68 智謀75 政治100 魅力99
野望73 義理78
【元末明初の段氏とその末路】
段功(?〜1366)
段隆の子。段光の弟にあたる。至正五年(1345)、段光の跡を継いだが、元
朝には承務カ・蒙化州知州に任ぜられるにとどまった。翌年、木邦夷思可が叛
いた。賈敦熙が雲南路の兵を率いてこれを討ち、段功が先鋒をつとめて戦勝を
挙げた。功績により大理総管に任ぜられ、まもなく参政に上った。十三年
(1353)、紅巾軍が建昌に流入し雲南の辺境を侵すと、阿次失里がこれを討っ
た。十五年(1355)、元の太師トクトが雲南に流されて殺された。二十三年
(1363)、紅巾軍の明玉珍が李芝麻・李明二らに兵三万を率いさせて雲南を攻め
させた。梁王は楚雄に逃れ、車力帖木兒が李明二を捕らえ、段氏の将の鉄万
戸が戦死した。段功は長らく中慶の梁王府にあったが、妻の高夫人の勧めを
容れて大理に帰った。段功は梁王に疑われるようになった。二十六年(1366)
、段功は東寺で梁王に仏典を講じることとなり、通済橋にかかったところ、
段功の馬が逸ったため、梁王は機会に乗じて番将に段功を殺させた。
段宝(?〜1381)
段功の子。至正二十六年(1366)、父が梁王に殺されると、平章政事を自称
し、大理において立った。梁王が段氏を族誅しようと図ったので、梁王と段
氏は仇敵となり、金鶏廟を境に南は梁王、北は段氏が領した。洪武元年(1368)
、段宝は梁王と和解した。舍興の乱が起こると、梁王を救援して舍興を破った
。四年(1371)、明に降った。十四年(1381)、没した。
【元末明初の段氏とその末路】
段明(?〜1381)
段宝の子。洪武十四年(1381)四月、段宝の跡を継いだ。九月、明の洪武帝
(朱元璋)の命により溥友徳・曹正・王弼・金朝興・郭英・張銓らが三十万の
軍を率いて雲南を攻めた。諸部の首長は風を望んで明に降った。梁王は敗れ
て晋寧に逃れ、投水死した。沐英らが入城し、梁王の金印と図書・戸籍を接
収し、民衆を安撫した。十二月、段明は亡くなった。
段世(?〜?)
段功の子。段宝の弟にあたる。洪武十五年(1382)、段明の跡を継いだ。
二月、明軍が大理に迫ったので、段世は明の正朔を奉じて外臣とならんと伝
えたが、溥友徳らに無視され降伏を迫られた。このため明軍を挑発する書簡
を送ったが、戦い敗れ、大理城を落とされ、子の段苴仁・段苴義とともに捕
らえられた。四月、雲南の諸部は明によって平定された。翌年、段世と二子
は南京に送られた。段氏による大理総管は断絶し、一族の段保が明朝により
雲龍州土知州に封ぜられたのみであった。
山西⇒ボロト・ティムル
山東⇒ココ・ティムル
蘇州⇒
南京⇒
湖南⇒
雲南⇒
大体こんな感じか・・・。
■1360年代後半のおもな軍閥。
山西⇒ボロト・ティムル
山東⇒ココ・ティムル
蘇州⇒張士誠
南京⇒朱元璋
湖南⇒陳友諒
四川⇒明玉珍
雲南⇒段功
華南のどっか⇒方国珍
1360年代前半の間違いだった
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 19:29:31
朱元璋て部下にも恵まれてるよね
あんだけの人材を集める事が出来たってことは
やっぱりなんか不思議な魅力があったんだろうな
1360年前半の形勢
山西⇒ボロト・ティムル
山東⇒ココ・ティムル
蘇州⇒張士誠
南京⇒朱元璋・呉国
湖南⇒陳友諒・大漢国
四川⇒明玉珍
雲南⇒段功
山西⇒ボロト・ティムル
山東⇒ココ・ティムル
蘇州⇒張士誠
南京⇒朱元璋
湖南⇒陳友諒
四川⇒明玉珍・大夏国
雲南⇒段功
浙江⇒方国珍
1360年前半の形勢
山西⇒ボロト・ティムル
山東⇒ココ・ティムル
蘇州⇒張士誠
南京⇒朱元璋・呉国
湖南⇒陳友諒・大漢国
四川⇒明玉珍・大夏国
雲南⇒段功
>>58 晩年に、猜疑心が強くなったね
若い頃の暗い思い出がぶり返したのか
まあ、実力から言って天下を狙えるのは、
張士誠、朱元璋、陳友諒、ココ・ティムールぐらいかな
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 21:39:16
四川と雲南の一部を押さえる明玉珍もなかなかのツワモノであったのだろうな。
この時代のいわいる荊州はどうなってたんだろ?
いわゆる荊州の一部は陳友諒の支配下だったようだが、残りの大部分の統治者が
不明ですな。
河北省 ⇒
河南省 ⇒
山西省 ⇒ ボロト・テムル
山東省 ⇒ ココ・テムル
江蘇省 ⇒ 張士誠
浙江省 ⇒ 張士誠 方国珍
安徽省 ⇒ 朱元璋
江西省 ⇒ 陳友諒
湖北省 ⇒ 陳友諒
湖南省 ⇒ 陳友諒
貴州省 ⇒
四川省 ⇒ 明玉珍
雲南省 ⇒ 段功 段宝
広東省 ⇒
甘粛省 ⇒
陝西省 ⇒
【1360年代の割拠図】
河北省 ⇒ 元朝
河南省 ⇒ 元朝
山西省 ⇒ ボロト・テムル
山東省 ⇒ ココ・テムル
江蘇省 ⇒ 張士誠
浙江省 ⇒ 張士誠 方国珍
安徽省 ⇒ 朱元璋
江西省 ⇒ 陳友諒
湖北省 ⇒ 陳友諒
湖南省 ⇒ 陳友諒
貴州省 ⇒ 明玉珍
四川省 ⇒ 明玉珍
雲南省 ⇒ 段功 段宝
広東省 ⇒ 不明
甘粛省 ⇒ 不明
陝西省 ⇒ 元朝
>>25 長い説明文だけど、張士誠が紅巾の大重鎮、劉福通を殺しているというかなり大事な
部分が抜けているのは問題だな。
【歴オタにしか理解できない高度なギャク】
後漢が滅んだ原因ってなんですか?今度、テストにでるらしく、教科書にも乗ってなくて。教えてください
36 :世界@名無史さん :2005/06/25(土) 21:28:17 0
確かに後漢はわずか4年で滅んだから教科書ではあまり重視されていない。
概要を言うと2代目の隠帝がその能力を超えた独裁権力を行使しようとしたのに対し、
朝廷の文官武官が合議制で政治を行ったという対立状況があり、
隠帝が大臣を次々に粛正し始めたので、将軍郭威がクーデターを起こして隠帝を殺した。
そして軍隊が郭威を皇帝位に擁立したということ。
ここで後漢が滅んで後周の成立となったのです。
37 :世界@名無史さん :2005/06/25(土) 21:38:55 0
そっちかい!
>>68 高度どころか誰でも知ってるだろ。
ちなみにつっこむと郭威は当初、クーデターを起こすつもりで開封に向かったのではない、ということ。
あくまで劉家の皇族をして後継にしようとしたけど、当時の弊風から軍隊に擁立された。
しかも隠帝は混乱時に死んだのであって、郭威が自ら手を下したわけではない。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 23:06:17
ネタニマジレスカッコイイ
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 16:23:55
>>70 知っているのは歴オタだけ、五代の後漢など、たぶん中国人すら知らないと思う。
しかし初期の宗教的な指導者はみんな後から出てきた群雄に殺されているな。
【純粋な戦闘力なら】
1位:ココ・ティムール
2位:方国珍
3位:徐達
の順番だろうな
仏教弾圧をした柴栄の義理の父の郭威が滅ぼした国として多少の知名度はあるだろう>後漢
>>72 「歴史オタ」ではなく、「中国史を勉強した」に変えてもらえん?
すごいさげすみのニュアンスを感じて胸糞悪いんだわ。
歴史オタでも五代知ってるとも思えんし、趙匡胤の故事の前例の人だから、それなりに有名。
そりゃ、日本でも戦国時代は異様に詳しくても平安時代はさっぱりとかあるから、全員が全員知ってるとは思えんけど。
この時代の軍師と言えば劉基
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 20:25:51
四川、貴州、雲南に覇を唱えた明玉珍を無視してこの時代を語るスレはココですか?
呉軍の火計というキーワードで
周瑜を思い浮かべた人は常識人
劉基を思い浮かべた人はキチガイ
劉基の「百戦奇略」は結構オモロイ。
もう読んだ?
>>80 読んでない、というよりそんな資料は始めて聞いた。素人ですから。
末期の元軍はかなり弱体化してたらしい。
高麗軍に負けたりしてる。
>>81 いや、ふつうに学研M文庫から出てるヤツ。
戦乱の切っ掛けとなった白蓮教も興味深い
怪しさに満ちているし
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/30(水) 23:06:04
元末三国志も面白いが、もしチムールが明への遠征途上で死亡せず、永楽帝と
決戦していたらどうなっていたかと考えてしまう。おそらく海を隔てた我が国
も少なからず影響を受けたに違いない。
>>85 史実⇒ティムールはチンギスハーンの再来であるが
イフ⇒チンギスハーンは13世紀のティムールと言われる。
となることでしょう。
>>85 ユーラシア大陸の覇権、世界帝国の座を賭けた究極の決戦になるね。
ティムールはモンゴルの諸勢力を糾合しつつ東進、
永楽帝は河西回廊に防衛線を引いて迎撃することになるかな?
あるいはモンゴル高原を走破したティムール軍が北京を急襲したり、
永楽帝が、鄭和の大艦隊のようなもので、インド洋の側からティムールを脅かすことができれば面白いんだけど、
ちょっと無理があるかな。
【A級群雄】(本気で中国統一を目指しているグループ)
朱元璋 陳友諒 ココ・ティムル(官側の軍閥だけど・・・。)
【B級群雄】(地方に強力に割拠した)
張士誠 明玉珍
張士誠もやる気あったら、かなり優位だったと思うけどね
蘇州杭州押さえているんだから
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 12:46:24
>>82 紅巾の乱勃発時は官軍も反乱軍も小物、雑魚ぞろい。(ただし紅巾北伐軍は除く)
なんで、戦わずして壊走するなどとぼけたエピソードが多い。
だたし戦乱から10年もたつと、官軍にはかつての蒙古の精強さがもどり、
反乱軍も淘汰され、レベルの高い戦いになった。って気がしない?
第一世代は元、反乱軍ともに、しぶとく生き残った方国珍も含めて小物。
後発の第二世代はやばいくらい強くて怖いというイメージがある
張士誠ってヤツは微妙だなぁ・・。
>>90 張士誠って本当に強かったのか結構疑問視しているんですが・・・・。
>>14 粛清は朱元璋が一君万民の理想を追い求めたからと誤魔化すことも可能かと
張士誠って陰で部下からおちょくられてなかったっけ?
名前の件で儒者から馬鹿にされていたらしいね。
それで、朱元璋なんかは知識人に不信感を持ったとか。
>>94 運も強さのうち。
>>96 >>97 張士誠はやっぱりその程度の人物なのか・・・。
人物は良さそうだが
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 18:11:32
陳友諒と陳友定って兄弟だと思い込んでいたけどなんか関係ないみたいだな。
【元末群雄の図(中国文明の歴史第七巻より・中公文庫)】
河北省 ⇒ 元朝
河南省 ⇒ 元朝
山西省 ⇒ ボロト・テムル
山東省 ⇒ ココ・テムル
江蘇省 ⇒ 張士誠
浙江省 ⇒ 張士誠 方国珍
安徽省 ⇒ 朱元璋
江西省 ⇒ 陳友諒
湖北省 ⇒ 陳友諒
湖南省 ⇒ 陳友諒
貴州省 ⇒ 明玉珍
四川省 ⇒ 明玉珍
雲南省 ⇒ 段功 段宝
広東省 ⇒ 陳友定
甘粛省 ⇒ 不明
陝西省 ⇒ 李思斉
遼東 ⇒ 納哈出
広州 ⇒ 何真
【納哈出(ナハチュ)】
女真族の人、元に仕えるが遼東で半独立勢力となっていた。
反元化する高麗に対し元の命により出兵したが失敗する。
のち明軍に降伏する。
李思斉(1323〜1374)
字は世賢。羅山の人。至正十二年(1352)、羅山の紅巾軍を破り、汝寧知
府に任ぜられた。十八年(1358)、チャガンテムルらとともに大宋の李喜喜を
破った。二十一年(1361)、明玉珍を破った。大宋の李武・崔徳を降した。
二十五年(1365)、許国公に封ぜられた。二十七年(1367)、張良弼らとともに
ココテムルの兵をはばんだ。翌年、明の北伐を受けて、潼関で戦ったが敗れ
、鳳翔に逃れた。洪武二年(1369)、鳳翔で明軍と戦って敗れ、臨洮に逃れた
。明兵が臨洮を囲むと降伏した。のちに、ココテムルの招諭に向かったが、
拒絶されて肘を斬られ、家で没した。
ここのスレに書き込むだけで
三国志よりも一段高い
知識セレブになったような気分になりますね
板違いだが
>>104 そもそも三戦板のスレの3割は板違い。7割が糞スレ
●群雄分類・まとめ
【東系紅巾】
韓林児 劉福通 郭子興 朱元璋
【西系紅巾】
徐寿輝 倪文俊 陳友諒 明玉珍
【無所属・不明】
張士誠 方国珍 何真 陳友定?
コーエーに一仕事してほしいけど、項劉も出さない今のコーエーじゃ無理すぎるな。
ちょっとヴィキペディアの紅巾の乱の改造してくるわい。
これで2回目だが
>>104 板違いにならないよう、というか言い訳のために、
スレタイや
>>1に無理矢理三国志を絡めてあるのさw
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 22:24:35
そろそろ元末明初の歴史と三国志演義の共通点について論じてくれ
黄巾の乱と紅巾の乱は、どちらも宗教が絡んだ民乱
朱元璋と陳友諒の最終決戦となったハ陽湖の戦いは、演義における赤壁の戦いのモデル
まずは以上の二点かな
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 23:25:24
てかもう三戦板を中国史板に変えちゃえばいいのに
それだと三国志のみでエラそうにしてるヤツが落ちぶれる。
いや、三国志と鼻で笑うおまえらが世界史に行けば問題ないんじゃないんですか?
中国史板は欲しいけど
前に立てた五胡スレとか落ちちゃったし、需要が無いかも知れない
世界史板はちょっと堅苦し過ぎるので、もっと気軽に語れる板があった方がいいと思う。
範囲は近世までの中国史。近代以降は、嫌中厨が集まって荒れるので禁止。
実際のところは三国志ファンが圧倒的多数なので、
スレ数は三国志8割、その他2割ぐらいとなるだろうから、
三国志ファンも心配する必要はない。
中国史オンリー板というなら、いきなり西洋の話もってこられにくくなるから、住みやすくはなるな。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/01(金) 23:54:09
白蓮教の教義の主体となったマニ教は菜食主義
反乱起こすのに力出ないぞw
>>119 白蓮教って基本的に反乱ばっか考えている邪教団だよな。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/02(土) 13:59:37
朱元璋って超級の英雄なのになんで人気ないんだろ?
日本だからじゃないですか?
やっぱり晩年の粛清に次ぐ粛清が、悪いイメージを形成している。
明朝自体、秘密警察の類が幅を利かした暗い時代というイメージがある。
>>122 漢民族による支配の復興という側面があるにもかかわらず、中国でも人気が
まったくないらしい。共産党の都合で人物の評価がころころ変わる国では、
あるが朱元璋が英雄とされたことは今のところないらしい。ちなみにどう
考えても数段人物の劣る李自成は救国の英雄だそうな。
>>123 朱元璋の粛清の犠牲者⇒5万人
曹操の徐州での大虐殺⇒20万人前後
●朱元璋が実態以上に悪く言われていることが良くわかる一例。
ココと李思斉による元の内戦さえなけれが明の北上は十分撃退可能だった件
同じ虐殺だが理由は
朱元璋:体制維持(有能でえん罪の場合もある)
曹操:親の復讐
となれば、我々庶民から見れば
感覚的に曹操の方が理解しやすいのかもしれないね
>>124 士大夫中心に粛清してるのが悪評を高める結果になってるんでしょうな>朱元璋
感覚的に理解しやすい(というか同情の余地があるのは)朱元璋だと思うが
極限に貧しい状態から這い上がり、学のある連中に囲まれ、理想を信じ、裏切られ、肉親かわいさに虐殺をする
曹操ってボンボンで放蕩息子な子供時代を送ってる訳で
親が殺されてキレて関係ない徐州の人間虐殺となると、こっちの方が感情移入しにくいと思う
けど、昨今のハンカチ王子・斉藤が「孝行息子」扱いで、「幸せな上流(中流)階級の家庭」の方が理想として受け入れられてるから
あながち曹操の方に感情移入する人間の方が多いかも知れんな
幼い頃に母親を失って〜みたいな話じゃ、人気が出ないのかもな
>>128 苦労人の呂后の粛正と奔放項羽の虐殺、
どっちを応援してやりたくなるよ?
ヒーローになれるのはどっちだと思う?
128じゃないけど、呂后のは陰惨。 項羽のは凄惨。
相手に確たる咎がないのに虐殺するのは、どういう事情でも応援はしたくない。
聖賢、豪傑、盗賊を併せ持つ無双英傑のはず・・・だよな!?
曹操の虐殺は、戦時下で行われた面が強いが、
朱元璋の粛清は平時に行われている。
今の感覚からすれば、民をなで斬った指導者は、卑劣で人ではない下等な物体としか思えないね。
つまり曹操は卑劣で下等な物体ってことか
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/02(土) 20:01:12
たった10年で中国を統一した傑物と何十年かかっても駄目な曹操を同列に
比べちゃ駄目だよね
言っていい・・・?
いったい徐州で死んだ人間の数、誰が数えたんだろうな?
どうせ20万という数字は陳寿の思い付きだろ
朱元璋が5万人殺したというのも、英雄を貶めるための大清の捏造
5万の兵士が一人、四人も殺せば20万だよ
チョロいチョロい
>>136 徐州で殺された人数は多分かなり誇張が入っていると思う。
朱元璋の粛清人数は分からないけど。
朱元璋の粛清は一人が逮捕・処刑されればその一族や友人まで類が及んだ。
俗に言う「滅九族」な。
五万人という数は胡惟庸・藍玉の獄で直接、官憲に逮捕され
処刑された数でその裏には連座して処刑されたり辺境に流刑になった
その数倍の人数が居る。
>>136 斬首万余級 とかいうのも正確な数字は期待しない
20万という数字も、つまり「いっぱい」死んだとか、そういう意味で捉えるといいかも。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/02(土) 23:18:12
曹操の虐殺20万は誇張だろうな、当時の人口とか考えても。
ようはたくさん殺したって意味だろうし。
朱元璋の粛清はかなり現実味がある。主だった獄で5万人、
それ以外にも細かいのを入れれば、10万人を超すんじゃないか?
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 15:01:02
>>141 なんでそこまでして朱元璋を貶めようとするのだ
今日はやたらと暑いな
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 19:52:44
竜湾の戦い1⇒朱元璋の群臣が次々に降伏を主張するも、劉基が「降伏論者は斬って
徹底抗戦すべし!」と一喝し一大決戦が決定された。
竜湾の戦い2⇒陳友諒の旧友を使って偽りの降伏で誘い出し殲滅。
ハ陽湖の戦い⇒劉基、火計を献策。強風に煽られた炎は陳友諒の大船団を殲滅。
■確かに朱元璋関連はどこかで聞いたようなエピソードが満載ですね。
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 20:41:59
演義はほとんど創作だから
逆だ
三国志演義関連はどこかで聞いたようなエピソードが満載なんだ
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 22:11:45
なんせ羅貫厨は張士誠の食客だしな
あの時代、蘇州でただ飯食ってた輩は大勢いたしね
>蘇州でただ飯食ってた輩
朱元璋はこういう種類の人間が一番嫌いだったらしい。
>>149 だから明は発展のない時代だったのか・・・。
明は発展しまくりだったぞ
朱元璋の治世では発展がなかったのではないか?
明は文学考証学科学とあらゆる文化が発展した中国の爛熟期だよ
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 23:40:23
凌遅三千滅九族
凌遅なんて刑は存在しません! やめてくださいっ!
>>156 公式的にはないことにしたかったらしいよ。
凌遅が正式に廃止されたのは清の光緒年間だそうだが
民国でも密かに行われていたそうだ。
中国人の奥の深さには驚かされる。
この時代で一番好きな武将っていえば、陳漢(中国では陳友諒の漢をこう呼ぶらしい)の太尉 張定辺かな。
以下、張定辺の解説
陳漢の太尉
鄱陽湖の戦いでは、朱元璋をあと一歩の所まで追い詰め、
陳友諒が戦場で没した後も、主君の亡骸を引き、友諒の息子陳理を皇帝に奉じて、
丞相の張必先(陳友諒配下の中でも屈指の武将らしい)とともに最後まで朱元璋に抵抗した。
しかし、張必先が常遇春に捕らえられたために、味方から投降者が続出し、陳理と共に朱元璋に降伏した。
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/07(木) 23:19:18
陳理とその一族は、投降した後にどんな処遇を受けたのかな?
相手は朱元璋だし、厚遇はされていなさそうだけど。
>>161 『明史』の伝によると、朱元璋は降伏した陳理があまりに幼かったので、
その罪を許して、帰徳侯に封じたそうです。
黄巾の乱や紅巾の乱を農民反乱と断じている連中は、
宮崎市定の『中国史』を百回読み返して来い。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 23:14:07
この時代の漫画とかってないすか?
ある。.
つうか、漫画しか読めないような人は三戦から出てってくださいね。
>>165 その言い方も何と言うか・・腐れ儒者だぞ?
モチツケ
>>165 まぁ落ち着け
落ち着いて冷静になったら
手前が世界史に逝け
鼻につく、鼻につく
こう、覚えたての正史の次は覚え立ての世界史
もうキモイキモイ
世界史では相手にされないからって
三戦板にいるなよ
ウザイヨウザイヨ
>>169 ここは史書、評論、小説、漫画、ナタ雑談などなど多角的に歴史を楽しめる人間が集まる場所ですよ。
漫画やゲームのキモ話をしたいだけなら各該当板に逝け
史書に基づいた考察したいなら世界史板などの学問カテに逝け
ナタ雑談ってなんやねん。ネタ雑談
>>171 「ズバッと語ろう」って事じゃないのか?
>鉈話
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 18:26:45
>>162 朱元璋って敵には優しいね。臣下どもには鬼だけどな。
朱元璋って三国志で言えば江州の北半分だけの領土で北伐を成功させた神だろ。
>>165みたいなやつほど三国志は横山と蒼天しかよめないんだよな…
>>175 漫画すら読まない無双の人よりはマシでしょ。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 18:39:13
>>174 張紘の進言を実現させたわけだもんな・・
南方から統一したのって彼だけだっけ?
>>174 三国志の時代とは事情が違いすぎるから比べられないけどな
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 20:11:32
>>179 呉の半分程度の領土で、四川との連携なども不可能な状態で北伐を成功させた
朱元璋は天才であろう。よく江南が経済的に発達していて華北を圧倒していた
から、北伐は簡単だったなどとほざく輩もいるが、そんなに江南が有利ならの
ちに永楽帝が南下作戦に成功したり、清が南方に篭る明の残党を圧倒した理由
の説明が付かない。やはり時代が変わろうと軍事的には華北のようが優勢であ
り、北伐を成功させた朱元璋は天才であり、孫呉は根性無しということだろう。
>>180 順帝にはじめから交戦する気がなかったから北伐が成功しただけ。
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 12:40:29
そもそも俺に以外にこの三名を語れるほどの奴はいないだろ。
日本語がーーー
だれか183の言わんとしてることを教えてくれ。
>>183をよく見ると
そういう解釈はできないと思うが
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 15:27:54
明末期に明は南部が残ってたのに李自成とかに負けたんだから、充分に大したことだと思う
つまり、敗北は評価できる、と?
わけわからんな。 もっちと文章を練ってから書いてくれ。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 21:39:31
>>124 劉邦と朱元璋は「農民出身の皇帝」として毛沢東と被るから現在の中国では評価しにくいと言う説がある。
特に朱元璋の場合件の粛清が文化大革命とかと被らせられるのを嫌うらしい。
朱元璋の粛正の方がハァハァ出来る
良家の妻や娘が辺境で小汚い兵士に奉仕させられてるのを想像しただけでハァハァ
だから曹操より朱元璋の虐殺の方が素晴らしい!
それなら永楽帝の靖難の変の方が、細かい記録があったりして、
いろいろと
永楽帝は建文帝側に属した武将・官僚の妻子を官奴に堕として
モンゴル遠征の際に兵士の慰安婦にしたからな。
鉄鉉や方孝孺の処刑の仕方も個性的。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 23:34:27
>>192 靖康の変じゃ、捕らえられた宋の公主や親王妃たちが、
野蛮な金の兵隊たちにいろいろと奉仕させられたんだよ。
靖康稗史なる資料があるらしい。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 01:34:00
>>190 経済的に豊かな南部を保有していたはずの明が李自成に滅ぼされたのに、洪武帝はとりあえずそこを制圧して北上して勝利できたんだから評価できるんじゃないか? てこと。
豊かで戦う気があっても負ける奴は負けるいい見本でないかと
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 13:01:06
まー、元朝も明朝も、その時はぼろぼろだったからね。
>>196 靖康の変のもとネタ(?)とでもいう、後晋出帝の故事でも似たようなもん。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 00:52:24
張士誠は若い頃は、仲間たちに慕われる兄貴分って感じだったのかな。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 01:26:41
塩の密売をやってたことを考えると、なかなかいいヤクザさんだったのかもね
しっかし、なんでだろうね? この辺りから分裂状態が早々に解消される傾向になったような気がする
三国や五胡十六国が長すぎるのか?
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 06:13:06
秀吉vs朱元璋vs毛沢東
日本代表、勝てるか?
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 09:44:23
>>202 日本には池田大作という最終兵器がある。毛沢東といい勝負になるだろう。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 11:41:17
ダメだ。池田大先生じゃチョソン繋がりで
事えるべき大=中国の紅い星に寝返るから
一気に日本脱落。
我が闘争 毛沢東語録 人間革命は世界三大名著
なにこの流れ
張士誠と陳友諒は群雄としてのスケールを感じないんだが
そういやこの時代を舞台にした演義物ってあったっけ?
>>206 それは君が張士誠と陳友諒の波乱に満ちた人生を知らないからであろう。
この二人は朱元璋よりよっぽど大物だぞ。
三国志演義に相当するような面白い読み物があればね
ところで、北京政府は無視ですか?
彡¶
_____∩____
/;;;/;;;;/;;;;/丶;;;;;ヽ;;;;;; ヽ
/;;;;;/;;;;;;;/;;;;/;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ
_/;;;;;;;/;;;;;;;;/;;;;;|;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ_
ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(大) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ
ヽ____________/
§l::||:::: |l§
/ ̄\ (●) (●) ||§
r┤ ト::::: \___/ || § <この時代の主役はボクだよ。
/ \_/ ヽ::: . \/ ,ノ 《》 張士誠も元の官職もらって米を大都に輸送していたよ。
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノ \\ハ// / ヽ
ヽ____)ノ \ソ/ / ヽ、
元朝ラストエンペラー、トゴン・テムル。(順帝に非ず)
元王朝の末期、各地で叛乱が勃発し、食糧難に陥った官軍は人肉食に走った。
最上品は子供の肉、次に女。男の肉は最下層だった。
料理法は様々にあり、大瓶に放り込んで炙り焼きにしたり、網で焼いたり、
さらに趣向を凝らして熱湯をかけてから竹箒で皮をこそげ落とし、肉を切り取って
油炒めにして食べたりなどもした。
特に男の両腿と女の乳房は「想肉」(懐かしの肉)と呼ばれて珍重されていた。
あまりの旨さにまた食べたくなるからである。
212 :
張士誠:2006/09/15(金) 15:00:12
>>210 泣きついてきたから、哀れに思って恵んでやったんだよ。
感謝しな。
213 :
朱元璋:2006/09/15(金) 17:41:16
>>212 てめーも泣きついてくれば助けたやったのに
つーか三国志演義の元ネタのひとつだろ
羅貫中はだいたいこの時代の人だし
劉基を民俗信仰と正史でごっちゃにしたのが諸葛亮
そのとおりだが、どうかしたの?
明代以前の三国志を読んだことがないのだが
たぶん諸葛亮はすでに諸葛亮だったと思うぞ?
>>216 三国演義・諸葛亮のキャラには、いくらかモデルがあって、
>>214はたぶん、そのうちのひとつに劉基がいるとと言っているのと思う。
>>219 そっとしておいてやってくれ。 話に寄れないんだろうから。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 14:36:20
漢の高祖劉邦と明の太祖朱元璋は中国史上の二大盗賊皇帝
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 15:12:43
>>221 中国の大盗賊を読んだ人がいいそうな意見だな。李自成も入っていれば完璧
>>222 ついでに洪秀全も。途中からほとんど何もしなくなったが
224 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 09:52:43
「中国の大盗賊」をブックオフで百円で入手した俺は勝ち組
225 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 07:05:36
>>8 倚天屠龍記は内容は荒唐無稽だけど、ストーリー構成が驚天動地で、
上手く史実を織り交ぜていてとにかく面白かった。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 15:29:35
陳友諒が敵方の黒幕の弟子だったりするからな。
朱元璋は頼りになる兄貴だが、腹に一物ある感じに描かれていた。
結局、主人公は最後に朱元璋に嵌められたね。
>>224 中国の大盗賊を上野駅の本屋で原価で購入した俺は負け組み。・゚・(ノД`)・゚・。
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 14:14:31
>>225>>226 倚天屠龍記を初め、金庸の小説は、史実との整合性という点じゃ無茶苦茶で、
荒唐無稽な世界観だけど、
ストーリー展開の面白さは異常なほどだな。
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 01:20:47
>>202 朱元璋は織田信長+豊臣秀吉+徳川家康のような存在
三重人格か。それなら、あの狂いっぷりも理解できる。
いや、一介の貧農から身を起こして天下を統一し、
かつ何十年も在位して、国の基礎を固めたからだろう。
三人のやったことを、一人でこなしたという意味。
232 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:17:41
朱元璋の前では、三人の天下人など小物ということか
堺屋太一が
>>229と同じこと言っていて、ついでに本も出したな。
そうだよ。
堺屋太一の受け売り。
家康の役はむしろ、息子の永楽帝でないかと
でも永楽帝って、積極的に外征したり、西洋取宝船を出したりしていて、
どうしても家康とイメージが重ならないなあ。
家康もわりと海外交易に熱心だったりしたようだけど、
基本的には地味なイメージが強いしね。
そりゃ永楽帝のほうがスケールはでかいわな。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 18:55:54
あくまでイメージの上でだけど、
秀吉の方が、永楽帝に近い感じを受けるね。
239 :
彭瑩玉:2006/09/28(木) 01:35:56
>>233 信長、秀吉、家康うんぬんは堺屋の言じゃが、
本の内容自体はほとんど呉ヨの「朱元璋伝」
研究者の間でも愛読されておる貴重な文献じゃ。
しかし、如何な名著と言えど戦後間もない頃に書かれたものじゃ、ちと古い。
この時代をより詳しく、より正確に知りたいのなら、
最新の研究を取り入れた檀上寛の『明の太祖 朱元璋』の方がワシはお勧めじゃな。
勿論、両方読むと言う選択肢もあるがのう。ホッホッホ。
それにしても、誰一人としてワシの活躍について語っとらんのぉ・・・
ワシも「朱元璋伝」のように古い人間になってしもうたのじゃろうか。
呉ヨの「朱元璋伝」は階級闘争史観丸出しだからな。
朱元璋が劉基ら地主層の知識人を重用しだしたら
政治的転向だと文革めいた評価下しているし。
まあ筆者自身、その文革で迫害死したんだからこれも因果か。
日本の中国史小説の大家である陳舜臣が朱元璋は小説化しにくい
(と言うか出来ない)キャラなので自然と敬遠されるそうだが
それにしても朱元璋関連の書物が少なすぎるのは納得いかん。
大誥を読むと、当時の官僚は微罪でも簡単に死刑にされた事がよく判る。
ここまで汚職を憎んだ皇帝と言うのも珍しい。
あとは雍正帝くらいか?
この時代の武将で呂布みたいに最強と呼べる武将って誰だろうね?
朱元璋配下では、
建国第一の功臣徐達。
武勇では徐達を凌ぐと言われる常遇春。
黒先鋒、黒将軍の異名を持つ花雲。
朱元璋の甥、李文忠。
陳友諒配下では、
陳友諒の弟で、智勇に優れた隻眼将軍陳友仁。
双刀趙の異名を持つ趙普勝。
溌張の異名を持つ張必先。
鄱陽湖の戦いで朱元璋を追い詰めた張定辺。
張士誠配下では、
張士誠軍団の筆頭であり、張士誠の弟張士徳。
張士誠の挙兵から従った名将李伯昇。
宋の安豊を攻撃し、劉福通を戦死させた呂珍。
他の武将が次々と朱元璋に降る中、最後まで忠義を尽くした莫天祐。
三大勢力の中ではこの辺りが突出していると思われる。
他にも、朱元璋をして常遇春以上の奇男子と言わしめた元の勇将ココ・ティムル。
無敵を旗印に各地を暴れまわった熊天瑞。
熊天瑞の養子であり、常遇春と互角の勝負を演じた田元震(熊元震)。
明玉珍配下の名将万勝。
海上の覇者、方国珍。
なんかがいる。
日本では評価があまり固まっていないので、
一概に誰が一番強いのかなかなか選べません。
三国志演戯の元ネタだけあって、なかなか武将伝も面白いよね。
明史のほかにどんな資料よんでる?
先ずは基本の『太祖実録』
それと、明史より詳しい伝をみたいなら『国朝献徴録』
この二つが双璧だね。
他にも『草木子』(元末の戦乱について触れていない部分も多い)とか、『国榷』とかもぼちぼち読んでます。
それと、先日中文書の『劉基集』と『宋濂全集』っての手に入れた。
でも、『劉基集』は簡体字で書かれていて、これに慣れるまで中日辞典引きながら読まなきゃならんので、かなりめんどくさい。
軍事能力はまだやりようがあると思うが、個人的な戦闘力は無茶苦茶難しいと思う
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 18:39:30
>>240 その手の主張は明を倒した李自成に対しても殆どコピペの如く言われている。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 19:52:10
>>244 呂布に該当する者だったら、朱元璋配下ではいかんだろう。
>>249 性格的に見たら、熊天瑞辺りが呂布に似ているかもな。
最初徐寿輝に仕え、この間は大人しくしていたが、
陳友諒が徐寿輝に取って代わると、自己の地盤を固めて陳友諒から自立。
その後、ハ陽湖の戦いで陳友諒を破り、勢いに乗る朱元璋に降伏。
朱元璋の張士誠討伐軍に参加するも、ここで謀反を起こして張士誠に投降。
その後、張士誠が朱元璋に敗れると捕らえられ、処刑された。
主は殺しちゃいないけど、ころころ主人を変えた節操の無さは呂布に近いものがあると思う。
あっ、それは劉備にもあてはまるか。
>朱元璋の張士誠討伐軍に参加するも、ここで謀反を起こして張士誠に投降。
最悪な選択だなw
きっと、五、六千回くらい切り刻まれたんだろうな
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 15:15:10
まあ元末の呂布を目指すなら、布団の中では死ねまい。
朱元璋の参謀兼帝師だった劉基も元の官職もらっていた時期もあったから
その意味では弐臣と言えなくも無い。
本人もそれに引け目を感じて晩年は隠遁していたけど
結局、政争に巻き込まれ胡惟庸に毒殺された(公式には)。
朱元璋に最初から随って公侯に封じられた人物で天寿をまっとうできたのは
湯和くらいだから、この時代に忠義を求めるのは酷だと思う。
「朱元璋に最初から従った」と「天寿をまっとうした」で忠義を云々するのは無理じゃないか?
湯和は天寿をまっとうできたと言うより晩年は中風で廃人同然だったから
朱元璋も大目に見たんでしょ。
でも湯和の叔父が土地の不正所有疑惑で朱元璋に殺されてるんだよな。
>>256 ひょっとしたら、そう装って生き延びようとしたのかも
まぁ、多くの君主に仕えた点では、朱元璋配下の傳友徳も熊天瑞と同格だよな。
なんてったって、宋将李喜喜→明玉珍→陳友諒ときて、漸く朱元璋に行き着いたんだ。
(熊天瑞の場合は徐壽輝→陳友諒→一時自立→朱元璋→張士誠)
ただ、傳友徳の場合は命を賭けて朱元璋の厚恩に報いようと戦っていたから、
熊天瑞みたいな裏切り者という印象よりも、忠臣という印象のほうが強い。
259 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/03(火) 15:12:48
忠誠を捧げても報われない主君だよなあ。
元末豆知識
中国には陵遅楽団というブラックメタルバンドが存在する
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 03:09:18
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 03:51:29
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常遇春→張飛
徐達→関羽
でOK?字が違うかも
あと紅巾が黄巾と比べられるけど、朱元璋は紅巾軍として戦い抜いたんだよな。
>>263 いや、張士誠を倒した時点で紅巾軍の主である韓林児を殺害し、
白蓮教や弥勒教なんかを邪教と決め付けている。
挙兵当時の朱元璋軍団は紅巾の一部隊と思われていたけど、
ある期間に親地主的な性質を持った軍団、政権に転化したと言われている。
そして、その転化がどの時期に、どのように行われたのかという議論が、
研究者の間で盛んに交わされた時期があった。(転化問題)
中には、朱元璋政権はその成立当初から
親地主的な性格を持っていたという説を提唱する研究者もいる。
265 :
264:2006/10/04(水) 11:29:52
んで、何で親地主的な政権に転化したかというと答えは簡単。
東系紅巾軍の活動とかも見ていて分かるように、
紅巾軍ってのはとにかく野蛮で、流賊の類に過ぎなかったんだ。
「上都を攻略」「大都に迫った」とか、華々しい戦功を挙げてはいるけど、
毛貴を除く殆どの将に、占領した地域をしっかり経営していこうという意思が全くと言ってよいほど見られない。
例えば東系紅巾軍の影の実力者である劉福通なんかは、
一つの城を陥れると、そこに住む人々を食べ、
食い尽くすと次の城を求るというとんでもない残虐行為を各地で行っていた。
更に、東系紅巾軍の組織的な統制力も薄弱で、
各地で我の強い諸将が好き勝手暴れまわっていたものだから、
劉福通も全く軍団の統率が取れなかったという。
劉福通って人間は、もともと特定地域の暴力団の組長みたいな奴で、
元朝政府に対し不満を持っていたんだけど、
これを叩き潰すほどの組織的基盤ってものを持っていなかったんだ。
そんな中、各地で白蓮教を布教し、
広範な範囲で信者を獲得している韓山童って人間の存在を知って、
その活動地域の広さ、信者間の繋がりの強さに目をつけ、
これに近づいて、韓山童を利用し、体制をひっくり返してやろうと考えた。
でも、その計画が元朝に露見しちゃって韓山童は処刑され、
劉福通は止む無く、韓山童の意思を次いだ形で紅巾の乱を起こしたんだ。
でも、韓山童の遺児である韓林児を四年間もほったらかしにしていた辺り、
はっきり言って、劉福通に韓山童の教えに共感していたと言う一面は見られない。
先述したように、韓山童の築いた基盤が欲しかっただけなんだな。
だから、東系紅巾軍は戒律を重んじる宗教的反体制組織っていうよりも、
流寇的な盗賊集団って言ったほうが正しいんだよ。
劉福通みたいな人間がそのトップだったんだからね。
266 :
264:2006/10/04(水) 11:47:46
>>265の続き
でも、劉福通は、そんな流寇的な組織に流石に限界を感じ、
挙兵から四年もたってようやく韓山童の遺児である韓林児を担ぎ上げ、
元朝の進士(科挙に合格した知識人)杜遵道を宰相に迎えて、
本格的な東系紅巾軍の組織化を始めたんだ。
でも、杜遵道がその聡明さから韓林児の寵を受け、
横暴な態度が目立つようになったものだから、
次第にこれに憎しみを抱くようになり、遂に殺害してしまう。
結局、劉福通は韓林児を傀儡にして今まで通り、
好き勝手にやっていこうとこの時決心したんだ。
東系紅巾軍はこの後、次第に凋落していき、
劉福通は張士誠の攻撃を受け、安豊で敗死するというのは史書が記すとおり。
今まで東系紅巾軍ばかり論じてきていたけど、
紅巾軍には東系のほかにも西系紅巾軍ってのがある。
じゃっ、こっちのほうはどうだったのかというと・・・
西系紅巾軍ってのは、
彭瑩玉っていう坊さんが布教した、弥勒教がその組織的基盤になっている。
この彭瑩玉っていう坊さんは、以前から体制に不満を持っていたようで、
西系紅巾軍を率いる以前も周子旺っていう弟子を担ぎ上げて、元朝に叛旗を翻している。
そして、劉福通が挙兵すると、それに呼応する形で弟子の徐壽輝を担ぎ上げ、
劉福通にならって紅巾を目印に元朝に再び叛旗を翻す。
でも、劉福通等東系紅巾軍との直接的な関わりは無かったようで、
その為、東系、西系と分けて論じられている。
267 :
264:2006/10/04(水) 12:09:05
更に続き
西系紅巾軍は東系と違って、その挙兵当初は、
宗教的指導者である彭瑩玉の主導で活動していた。
弥勒教は「不殺不淫」をその戒律としていたので、
東系の紅巾軍よりは、その活動に人道的面が見られ、
更に組織の首脳部の多くは彭瑩玉の弟子で固められていた為、
組織的な統率力も東系紅巾軍とは比べ物にならぬほど高かった。
彭瑩玉に率いられた西系紅巾軍は快進撃を続け、遂には杭州を陥落させるまでに到る。
しかし、当初の勢いは物凄かった西系紅巾軍も、
各地で反撃に転じたを元朝の攻撃を受けて敗退を重ね、
彭瑩玉を含む首脳陣を多く失った。
この大敗北の原因は東系軍と同様に占領した地域の経営を疎かにしていた事と、
当初は勢いに乗っていた軍団が杭州を占領してしまったことで、
主要な目的を一時的に失い進軍を止めてしまった為に、
連戦連勝を重ねて勢いに乗る兵士たちの指揮が
著しく低下してしまっていたという点が挙げられるだろう。
勿論、西系紅巾軍が快進撃を続けていた時期には、
元朝の反撃体制が整っていなかったという点も忘れてはならない。
268 :
264:2006/10/04(水) 12:23:09
続き
彭瑩玉が戦死し、西系紅巾軍の首脳部が大混乱に陥ると、
それまでなりを潜めていた
西系紅巾軍の宗教的指導者とは異質な、
東系紅巾軍における劉福通と同種の、
武力集団が台頭してくる。
その代表者が倪文俊である。
倪文俊はもともと水賊として活動していた人物であったが、
元朝に叛旗を翻した西系紅巾軍に参加。
彭瑩玉等が戦死し、西系紅巾軍が元朝に次第に追い詰められていくと、
水賊時代から率いる自前の水軍力を持って、迫り来る元朝軍を駆逐。
更に、混乱する首脳部を武力で屈服させ、西系紅巾第一の実力者として宰相に就任する。
こうして、西系紅巾軍もまた東系紅巾軍同様、武力集団に転化してしまった。
その後、倪文俊の地盤を次いだ同じく水族の出自である武力派系の陳友諒が
徐壽輝を殺して西系紅巾軍を乗っ取ると、
それまで武力派の支配に不満を抱いていた宗教派の指導者たちは、
次々と朱元璋に投降した(歐普勝、胡廷瑞、丁普郎など)。
宗教派の指導者の中で鄒普勝のみは陳友諒政権に残り、
陳友諒もまた鄒普勝を太師に任じて厚遇することで
宗教派の取り込みを図ったが、その策は完全に失敗し、
以後、鄒普勝も陳友諒政権の中枢にありながら、
その活躍は殆ど史書において語られることは無くなった。
269 :
264:2006/10/04(水) 12:26:57
続き
はぁ、ようやく紅巾軍の解説終わり、
次は地主の解説をしていくけど、その前に飯食ってきます。
270 :
264:2006/10/04(水) 13:00:29
続き
地主ってのは要するに地域の有力者だ。
何かのイベントで石碑が築かれるとその文章を考えたり、
郷民の相談にのったり、
貧しいものに自身の財を施したり、
治水工事の指導をしたりして、集落のリーダーとして尊敬される人物がいる一方、
元朝の官吏と結託して郷民に重税を課し、暴利を貪って人々から恨まれる人物もいる。
元末研究者の一人である壇上寛氏の説に従うと、
この時代の地主(壇上氏は富民と呼称している)には、
もともと私利追求型と郷村維持型の二種類が存在していたという。
私利追求型の地主とは即ち、先述した地主の二タイプの内の後者のほうであり、
郷村維持型の地主とは即ち、先述した地主の二タイプの内の前者のほうである。
このような地主たちの中には元末の混乱期に突入すると、
自己の利益を維持するため、郷村を保護するため、もしくはその両方のために、
義兵と呼ばれる自衛組織を作り上げる地主たちが多く現れた。
271 :
264:2006/10/04(水) 13:20:06
続き
>>270にて檀上寛氏を壇上寛と誤って表記してしまいました。
申し訳御座いません。
何故、地主が義兵などという組織を作り上げなければなかったというと、
要するに反体制勢力である紅巾軍などが、
自身や郷民、郷里の利益を侵害する存在であったからだ。
義兵を組織した地主たちには二つの道が開かれていた。
即ち、その地域で有力な勢力に協力して自身や郷里の利益を保全する道。
ここでいう有力な勢力とは即ち、元朝や紅巾軍、その他の群雄などである。
そしてもう一つの道が、完全な自立した勢力となり、
元末群雄の一人として名乗りを上げる道である。
この自立した地主を檀上氏は権力志向型と呼び、
元末の混乱期に新たに現れた地主の一系統に分類していたが、
数の上では他の二系統に比べて圧倒的に少なかった。
272 :
264:2006/10/04(水) 13:44:22
あっ、一言言い忘れていましたけど、
私がここで語っている地主というのは江南地域、
即ち、朱元璋政権の基盤となった地域の地主のことを語っている。
続き
義兵を率いる地主たちの多くは、元朝に協力する姿勢をとっていた。
例えば処州の元朝の守将である石抹宜孫に、
劉基(当時は元朝の官僚であったが)、
章溢と葉琛(先述の劉基や宋濂と並んで浙東の四先生として知られる二人)、
胡深(後に朱元璋配下の将として処州の守護に生涯をかけた人物)、
などの有力な当地の地主たちが協力していたりしている。
しかし、内紛や混乱に明け暮れる元朝に反乱を収める力なしと判断した地主たちは、
元朝を離反し始め、元朝に変わって乱世を治めてくれそうな人物を物色しはじめた。
そして、そこに現れたのが朱元璋であった。
273 :
264:2006/10/04(水) 14:05:05
続き
朱元璋もまた、
統制力も秩序も無い自身が所属する東系紅巾軍に将来は無いと考え、
他に自己の基盤となるべきものを探していた。
そこで出会ったのが、元朝に変わる新たな指導者を求める地主たちであった。
こうして、互いに求めていたものを探し当てた両者は、当然のごとく結合し、
朱元璋は紅巾軍の末端部隊の将から、親地主的な政権のトップへと転化したのである。
まぁ、突っ込みどころは幾つもあるだろうし、
話が横道に逸れた部分も多々あったと思うけど、
とりあえず以上が私の朱元璋が紅巾の将から転化するに到ったプロセスの見解。
最後にあたかも朱元璋と地主を幸せの結婚を果たした夫婦の様に、
書いてしまったけど、実際はそういうわけじゃないんだよね。
というのは、実は朱元璋が自身の基盤として求めた地主って言うのは、
先にあげた地主の三つの系統のうち、郷村維持型の地主だったんだ。
その証拠に、郷村維持型地主の典型である鄭氏は、朱元璋から寵愛され、
朱元璋は普段から他の地主は鄭氏を見習うよう訓示していたらしい。
でも、実際は地主っていうのは反対の私利追求型ばかりだった。
朱元璋はこういった地主を何とか教化しようとするんだけどなかなか上手くいかず、
結果、後の大粛清に繋がってしまった。
また、粛清の嵐が吹き荒れる中、鄭氏が誣告された事があったそうだけど、
朱元璋は鄭氏に限ってそんな事は有り得ないと取り合わなかったという。
続く
だけ読んだ。
流賊ってのは、皇帝を自称した奴は多いけど、
結局長続きする政権を立てられた奴はいないね。
旧政権を倒す役割は果たせても、新たな政権は立てられない。
276 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/04(水) 20:16:17
基本的に支配層側からの参加者が少ないから、行政実務を担う者がいないからね。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 15:23:40
流賊が一旦、旧政権を滅ぼしてから、それを横取りしたのが
後漢光武帝と唐の高祖。
朱元璋の場合、流賊からスタートするも地方支配階層との妥協で
政治的に転向して「天命を受けて」皇帝となった。
>>277 隋末の流賊って…?
各地に出没した群盗集団のことかな。 それはたぶん、流賊とは言わないと思う。
後漢末の黄巾の乱のようなもんじゃないのか。
元祖流賊はなんといっても黄巣の乱でしょ。
あーそう言えば黄巣の乱の朱全忠も居たな。
同じ朱姓だし何となく親近感あるな。
ちなみに朱元璋は一時期、家譜を作る際に朱子学の朱熹を先祖に入れようと
したが、結局辞めて貧農出で通したという逸話がある。
この時代にしっかりした占領地経営を行っていた群雄って、
陳友定等元朝系の群雄を除くと、
もしかして朱元璋、明玉珍、毛貴ぐらいしかいない?
張士誠は自由放任主義って感じで、
自分たちから経営をしようっていう気概が見られないし、
陳友諒や方国珍も盗賊の群みたいなもんだから、
(明史とかを見ると、方国珍政権には知識人が幾らか参加していたようだけど・・・)
そんなことはあまり考えてなかったように感じる。
朱元璋は李善長に「漢の高祖を見習え」と言われた時から
確固とした目的意識持っていたからね。
応天府取った時には自給自足かつ兵農分離を完成させていたし
単なる略奪一本槍な他の群雄とは違う。
劉基ら地主層の士大夫階級が期待したいのも判る気がする。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:57:48
漢の高祖を見習え → 粛清
かな?
>>279 朱熹は時代が近すぎて、駄目だったのかな?
それとも知識人への不信感嫌悪感があったのかな?
>>282 いや、高祖とはレベルが違うだろ。
李善長自身を粛清した時に、最初は罪状がでっち上げられなかったから星辰が変わって天変が急を告げた、とかだったらしいぞ。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 15:53:02
でも漢の高祖より明の太祖の方がまじめそうだな
高祖は内政を全部蕭何に丸投げしてたからね
対人不信の塊のような朱元璋に内政を宰相に丸投げなんて出来ん。
何せ一日三百件以上の上奏文を読んで、裁決を下していたくらいだし。
>>284 先祖に朱熹を置こうとした話の出典は呉ヨの「朱元璋伝」。
でも徽州人の朱という官吏が朝見に来た際に
「そなたは朱文公(朱熹)様の末裔か?」と訊ねて
「違います」と答えられた際に考えを改めて
結局、系譜に朱熹を入れる案はボツになった。
この時代、大河ドラマに出来ないかな?
日本じゃ無理、三国志さえドラマ化されてないんだから、
三国志とは比べ物にならないほどマイナーな元末明初の大河ドラマなんかに、
出資者が集まるわけがない。
どうしても見たいなら、
中国語勉強して中国ドラマのDVDを購入するしかない。
http://www.frelax.com/sc/ 中国のDVDや本なんかはここで買える
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 15:41:55
>>291 上で誰かが言っていたと思うけど、
倚天屠龍記は史実との整合性は全く無視して書かれているから、
元末明初の群雄割拠を題材にした大河ドラマにはなりえない。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 01:39:33
>>291 このドラマ、最後はほとんど粛清で終わるんじゃ……これなら毛沢東のドラマ化も近いか?
別の朱元璋ドラマの記事がリンクされまくってる。
>>294 功臣の粛清=文化大革命を連想させるから
多分、明軍の大都入城で終わりでしょう。
或いは馬皇后の病死までやるとしたら胡惟庸の獄はスルーするかも。
朱元璋のドラマなんて・・・
後半はかなり暗い物語になるんじゃないの?
ぶっちゃけ、ドラマ化するなら朱元璋より劉基のほうが面白いと思う。
劉伯温伝奇は論外だが。
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 16:19:12
>>292 武侠って、歴史空間に場を借りたファンタジーのようなものだからね。
だけど、ストーリーは本当に面白い。
武侠の宣伝はいらん。
304 :
1:2006/10/14(土) 15:56:15
私も武侠小説は結構好きなので許す
不要。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 16:12:06
武侠厨が最近調子に乗ってて激しくうざい
ここは世界史板でないのだから、もっと広く視野を持て。
史学ではなく、娯楽だから。
武侠テレビドラマの宣伝隊だけは我慢ならんなw
お前は我慢ならなくとも、俺はこの板では武侠の話もするぞ。
他の板だと、歴史的側面から話をしても、誰も相手してくれんからな。
武侠と西夏は譲らんからな。
西夏のスレは、乗っ取りがうまく進んでいたのに、
奪い返されちゃったね。
いずれ西域スレのようなものでも考えよう。
張士誠って結局、天下取ったら、国号は周でいくつもりだったの?
いや、張士誠なら呉だろ。
周王名乗った後、確か蘇州を陥れて呉王を自称している。
でも、皇帝は名乗ってなかったんで、
もし皇帝に即位していたら、国号変えてたかもね。(隣にもう一人呉王がいたし)
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 17:02:08
呉だと江南地域限定なイメージが強いな。
呉を国号とした全国政権がなかったからだろうけど。
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 23:00:44
武侠厨め、武侠小説から武侠の何を学んできたんだ。
もういいから武侠メンヘル板に帰れ。
決まっているじゃないか。
人の話を聞かないということを学んだんじゃないか。
被害妄想もほどほどにしておけ。
>>313 戦国の呉、三国の呉、五代十国の呉、張士誠の呉ぐらいかな?
淮南も発展してることだし一人ぐらい仲氏でも良いのに
318 :
韓林児:2006/10/19(木) 17:42:35
ボクの「大宋」も忘れないでね…
嗚呼…船が沈む。
319 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/10/19(木) 20:33:12
1時間で約1500円の現金・WebMoneyゲット!!捨てアドOK,ミクシィ紹介あり
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 01:02:34
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 22:59:39
朱元璋は、雲南の征服が後の方になったけど、宋代には、大理、その前は南詔と、
独立していたから、本来の中国とは別の地域という意識がやっぱりあったのかな?
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 07:41:27
>>321 雲南には元朝の一族だった梁王が割拠していたからね、放置しておくこともできなかったんだと思う。
征服が遅れたのは、建国間もないし、他に優先してやることが多かったんだと思う。
元朝の支配下に入る前の雲南には大理国があって、その王の段氏は元朝に降伏した後、
当地の総管となっていたけど、明軍が侵攻した時には、明の外臣という形で復権を狙ったけど、
失敗。
その代わり、朱元璋の養子でもある沐英が、雲南を鎮守、子孫が黔国公を世襲。
沐英は粛清されなくてよかったね。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 16:36:25
挙げてみる
総合力トップ 朱元璋
次点 脱脱(トクト)
知力トップ 劉基
次点 李善長
政治トップ 宋濂
次点 劉基
統率力トップ 拡廓帖木児(ココ・テムル)
次点 徐達
武力トップ 花雲
次点 常遇春
魅力トップ 馬氏
次点 彭瑩玉
異論のある奴はいるか?
政治の次点は李善長じゃね?
327 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/19(日) 17:41:10
劉基や田豊は結構メジャーなので、
以前からこの時代に同名の人物がいる事は知っていたが、
最近郭嘉もこの時代にいる事を知って少し驚いた。
他にも、三国志の武将と同名の人物っているかな?
328 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 01:18:05
こんなスレあったんだ。
朱元璋はあらゆる意味ですっげー面白い人物なのに
日本じゃイマイチマイナーでつまらんよね。
朱元璋と同じく農民から身を起こして権謀術数を駆使して
最高権力者になった清濁併せ持つ権力闘争と粛清大好きの
毛沢東なんかも非常に面白い人物だけど
彼の好きな歴史上の人物は
始皇帝、曹操、煬帝、朱元璋だったそうだ。
みんな合理的でやるときゃ犠牲を厭わない同じようなタイプだね。
次点にトクトはさすがにないと思うけど・・・
>>329 芝麻里を討ち滅ぼし、
百万を号する大軍を見事に統率して、
張士誠を降伏寸前にまで追い詰めた手腕は買っていいと思う。
讒言されて失脚する事無く、その後も軍を率い続ければ、
元朝の寿命はまだしばらく延びたかもしれない。
ただ、その政治的手腕はなかなか評価が難しく、
檀上寛等が盛んに評価する、最初の宰相時代は、
正直、伝統的中華王朝が行ってきた事を踏襲して、
漢人、南人の支持を取り付けただけで、
実際、其の施策がどれほどの効果を上げたのか疑問の残る所。
更に一時の退官期を挟んでの、二度目の宰相期になると、
交渉の乱発によってインフレを助長し、
黄河の治水工事を断行して紅布の乱を引き起こす格好の口実を韓山童、劉福通に与えるなど、
政治家として有能だったのか判断しがたい。
ただ、黄河の治水工事に関しては、
後々の世に良い影響を与えた部分もあるので、
一概に悪政と断ずる事はできない。
まぁ、煬帝の大運河建設みたいなものかな。
其の人間性についても問題が無かったわけではない。
朝廷で専横を極めていた義父の伯顔を打倒する際、
君臣の義を正す為とかそういう理由で立ったのなら格好はつくが、
義父が調子こいて皇帝に睨まれでもしたら、
一族である自分の命も危ないという保身の心から、
打倒伯顔を決意していたり、
軍を率いて大敗した弟の也先帖木児を弾劾した御史たちを左遷したり、
芝麻里を滅ぼした際に、徐州城の人々を屠城(皆殺し)したりと、
ハッキリ言って、見苦しい。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 18:39:04
朱元璋vs陳友諒vs張士誠の三国志だと、物凄くローカルな感じがする。
主な戦場となるのは今で言う浙江省、安徽省、広西省、湖北省、湖南省だけだし。
これよりも、
元朝(ココ・ティムールなどの義兵系の元将や元朝に一応協力していた張士誠や方国珍も含む)
大宋(韓林児やその配下の他に、芝麻李の徐州紅巾軍、郭子興等の濠州紅巾軍、朱元璋集団)
天完(陳友諒や明玉珍等も一体となって戦っていた時期)
の三勢力の対決なら、一応中国全土を巻き込んだ三国志になるぞ。
朱興宗