孔子直系の権威って今で言うとどんなもん?
旧宮家みたいな名士って感じでは。
今では台湾にいるらしいが。
孔子も張魯の子孫も台湾か
劉備・孔明(蜀)を善、曹操(魏)を悪という色分けの流れに乗って、
後漢を簒奪しようとする曹操に抵抗した名士のような描写をされることが多いよね。
実際のところは、才人ではあったがあらゆる面で一貫性(根気)に欠ける面があり、
自分を曲げることが嫌いな強烈な自己主張精神の持ち主だったんだと思うけどね。
孔一族の異端児的存在だったんじゃないのかな。
そういう意味では、後漢に殉じた名士扱いは当の孔融が一番迷惑に思ってたりして。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 15:06:29
逆に名士扱いされて当然と思ってたような気がするんだよなあw
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 15:25:40
名士扱いは当然だと思っていても、後漢に殉じたつもりはなかったんじゃね?
後漢の官吏としてはまじめに職務をこなしていたようだけど。
「座敷に常に客が充ち満ち、樽の中の酒が尽きなければ私は何も心配が無い。」
という生き方をする孔融のスタンスにはあこがれるな。
オレには才能も度胸もなくて、そんなことできないからなおさらねw
孔融無事だった…良かった
俺もちょっと安心した
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/11(日) 03:40:30
保守あげ
保守
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 23:32:04
保守しておく
息子が偉い大物だったな。
巣破れていずくんぞ卵無事ならんか、とか言って碁をさしてたのが印象深い。
吉川での話だけど
>>91 覆巣破卵って語があるね。
その時の息子達の年齢はまだ10歳に満たなかったんだったかな。
>>92 四字熟語であるのか?
ググったけど該当はなかったな…辞書で引いてみるか。
って息子10歳とかそういうレベルだったの!?親父が結構な歳だったと思ってたから、20〜30だと思ってた。
曹沖みたいだな…
>>93 親の災い(覆巣)によって子供も傷つく(破卵)という意味だったと思う。
>>94 この逸話からできたの?それともそれ前からあった言葉を息子たちがこの時に使っただけ?
>>95 息子の話には「覆巣破卵」という言葉自体は出てこなかったと思う。
ちょと探してみるわ。
わざわざスマン
>>98 なるほど、サンクス。
孔融の息子は咄嗟にそれを意味を変えて使った訳か。落ち着いてるし大人物の資質ありそうだったのに、殺されるとは…
>>93 袁譚に北海を攻略された際、「身一つで逃れ、妻子は捕縛された」との話もあるから、
その時の子が生きていたら、それ位の年だったろうね。
>>100 ああ、長男じゃなかったのか。だから幼かったのね。
碁をする=ある程度の年齢ってイメージがあったな。
しかし孔融って曹操の帷幕の中で、「普通の人」って感じだなw
愚鈍ではないが、平凡で実直としてるというかw
は?
平凡?
これほど捻くれた奴も少ないぞ
実直でもないし
>>102 マジで?なんか普通の真面目なおっさんってイメージなんだがなぁ…
ネイコウの友達だから確かに真面目っておかしいか。
なんか普通に攻められて普通に負けたり、袁紹に対して非戦を唱えてジュンイクに論破されたり
ネイコウ推薦して後悔してたりと、なんか真面目ゆえに苦労してるイメージが…
演義しか読んでない俺にエピソードを頼む。
自分でテキトーに話しをデッチ上げる
曹操と劉備の関係に似たような古典の人物を使って曹操に嫌味
曹操が「アレ?そんな話しあったの?」と聞くと
孔融は「んなもんあるわけねーじゃん。俺の創作だよ。バカが見るー豚のケツー」
と言ったので曹操は何時か殺したると恨んだ
ああ 一行目の主語は孔融ね
俺がデッチ上げてるわけじゃないぞ
マジかよwwww
実直な儒家!ってイメージがあったのに、ただのアホ親父じゃないかw
そりゃネイコウとも仲良くなるな。
ある種大人物だったのかもしれないな…アクの強い奴だったんだな。
>>105 最後まで読めば分かるがなw
他にも詩作に耽って政務を疎かにしたり、このオッサン孔子の子孫だからってやりたい放題し放題
なんか糞真面目な儒家故に曹操を批判してたと思ってたが、イメージが変わったw
ただの道楽変人親父に見えてきた。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/14(水) 19:08:03
曹操「飲酒を禁止しよう」
孔融「丞相はそのうち結婚も禁止するんですね」
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/15(木) 00:44:31
スレ復活書き込みしとく
114 :
陳寿:2007/02/15(木) 10:07:45
文帝(曹丕)が孔融の作品の大ファンだったのは大きいよね。
懸賞金をかけて孔融の遺稿を募ったくらいだから。
同じ建安七子の劉禎による評価も高かったし。
政治家肌ではなかったということだろうね、結局は。
>>114 なぜ陳寿?w
正史に独立した伝はないべさ。
内容についてはほぼ同意。
正史に独立した伝あるけど?
何言ってるんだ
まあまあ、マターリしようぜ。
『後漢書』には伝がある
陳寿の三国志にはない。
後漢書には孔融伝がある。
だから115氏の言ってることは間違ってはいない。
>>114 北海時代には城市の修復や学校を建てたりしていたようだが
長期に渡って政治的分野に没頭する気がなかったんだろうな
後漢書は正史じゃないのか?
「陳寿の」って意味じゃないの?あのやりとりを見る限り。
>>121 北海での治世に関する資料を見てると、
>>112にある文人としての評価に通じるところがあるよね。
三国志になぜ孔融伝がないんだろ、、、
> 孔融の文章は才気の薫り高く、他の人より俄然すぐれた部分があります。
> しかし、論調をしっかり組み立てることができずに、文章の内容がことばの表面にまけてしまうので、
> たまに戯れだったり嘲笑うような表現がまざってしまうことがあります。(しかし)彼の得意な分野では、
> (その文章は)前漢の楊雄や後漢の班固と同じぐらいに優れています。
これは坂口和澄が孔融の項目で
曹丕の「典論」を解説したものを書き写したものだな
>>126 その文章を
>>112のスレでうpした者ですが、引用されていて驚いたw。
そいつは上海古籍出版の文選から原文を超直訳したものですが、
スレ違いだけど、研究社の先生の訳(?)と間違われるとはなんか嬉しいw
好し好し