広辞苑にも載ってます
2ゲト
曹丕とかも
(((;;;:: ;: ;; ;; ;:;::)) ::)
( ::: (;; ∧_,∧ );:;;;)) )::: :; :))
((:: :;; (´・ω・)っ ;;;; ; :))
((;;; (っ ,r どどどどど・・・・・
i_ノ┘
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("((;:;;; (⌒) |どどどどど・・・・・
三 `J
.∧__,,∧
⊂(´・ω・`)⊃ 3げと
☆ ノ 丿 キキーッ
ヽ .ノ (⌒) 彡
と_丿=.⌒
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 10:25:12
4様
ああ言えば
↓
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 10:29:38
曹熊
孔子の融点
略して孔融
いいかもう一度言うぞ、落ち着いてよく聞け。
二度は言わないからな。
ああ言えば
↓
孟優
孔融
153年-208年
魏に仕えた猛将。孔子の末裔であり、
文武両道であった。西涼の名称、華雄・季粛にも劣らぬ者と
称された。
しかしその名声と才能を妬む時の校庭曹ヒに処刑された。
俺もこいつ好きだな
夢想中は知らない悲運の武将、孔融
なにが「武将」なんだか……
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 20:13:52
>>10 そうなんですか
勉強になりましたありがとうございます
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 21:36:39
ああ言えば孔融
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/16(日) 22:47:06
>>10 そうなんですか!
勉強になりました!ありがとうございます!!!
孔融ってなんか金貸しっぽい
16 :
袁症 ◆G4YeARAQJk :2006/07/18(火) 22:21:51
猛将って扱いだったのか・・・
猛将とか武将とか、毒された奴の好きな単語なんだよ
「武将」は日本の戦国時代の人物を表す一般的な用語になってるから慣れがある?
猛将も別に普通の二字熟語でしょう。
孔融に使うのは正しいとはいえないけどね。
封建制が日本ほどはっきりと無かったから官僚と軍人の差が
ぼやけるんでない?
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 18:13:40
良スレage
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 18:20:24
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/28(金) 01:30:23
>9
お前最高。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/28(金) 09:06:52
うんこが田豫
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/28(金) 10:54:24
曹操に諸兄されたのでは
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/26(土) 15:55:41
減らず口は面白いけど、実際に知り合いにはなりたくないな。
呉質と同じで。
ああ言えば孔融こう言えば孟優そう言えば上裕
んじゃ〜、人も居ないことだし恒例のあれやっとくか。
それではご唱和下さい。
ああ言えば
督郵
以上、自演終わり
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 23:08:19
お互い減らず口を叩き合う位仲良くなれば結構面白いんじゃね?孔融も。
孔融交遊録
孔融スレもたまにはいいよね。
スレタイが乍融に見えた
いっそ笮融でいいんじゃね?
武安国と大史慈を上手く使いこなせば、中原の覇者にもなれたはずだが
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 01:04:12
孔融親子は機知に富むというか
まるでトンチ親子だな・・・
武安国なんて人はいません
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 16:06:18
いいや、僕の心の中に居ます。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 16:24:50
そんなことありません。
皆の心のなかに一人ずついるんですよ。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 14:27:16
禰衡の方がすごい。
すごくないけど。
武安国、寄り目グラフィックが頭から離れません。
ご意見番的なポジションだったのかね
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 03:34:09
この人は肉刑反対者の代表的存在だね
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 14:29:35
必ずしも、名政治評論家が名政治家、名経済産業大臣になれないのと一緒!
曹丕が甄氏をめとったときの皮肉った曹操とのやりとりが面白い。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 20:17:33
>>48 あれは曹操が古典に通じていないことを暴露する重要なエピソードだよな
>>49 そうだね。無知であったからよかったものです。
空気読めない皮肉屋さんってイメージが強いな。
統治者としてもイマイチだったそうだし。
>>49 なんでそうなる?
曹操は「こんな話聞いたことないんだけど、出典はなに?」と尋ねて、「私のフィクションです」と
答えられたって話だろ?
むしろ曹操が古典に通じていたからこそじゃないか?
>>52 曹操はその書を見てすぐには真の意味を悟らず、後から孔融に聞いてみたらあてこすりを言われた、って話だぞ
完全に曹操の面目丸潰れ、孔融してやったりというエピソードだ
よく読みなはれ
チラッと見たとき祝融かと思ってみたら孔融でした。。
それはたしかに孔融による皮肉のエピソードだけど、だからって曹操が古典に通じていない
とはならんだろ?
曹操が古典に通じてあれば、いちいち記されていることだと思い込んで孔融に確認するかね?
>>55 通じていたら「武王は妲己を周公に賜りましたねえニヤニヤ」なんて皮肉の意味をすぐに悟らないわけがない
単なる言葉遊びだったんじゃないか?
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 22:56:15
孔「武王は紂を倒したあと妲己を周公に賜りましたな」
曹「(あれ?そうだっけ?でも間違ってたら恥ずかしいな)あ、ああ、そうそう、そうだった。でも何に載ってたっけ?」
孔「(うわこいつ皮肉をマジに受け取ってる。妲己のことも知らないのかプゲラ)いや今ならそうだろうなって思って冗談言っただけですが何か?」
こいつ好きだけど魏が好きな人からはボロクソに酷評されてるよね
だがそれがいい
今なら、そりゃ禰衡と仲良いわけだよなって思える。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 00:05:09
代々孔子の家系は 家を継ぐ子供の名前が全て決められていて
現在いる孔子の末裔も 家に伝わる決まりにのっとって子供の名前をつけている
ということをTVで見たことある
>>63 五斗米道の末裔と一緒で台湾にいるんだよな、確か。
古典に通じていたからこそ、初めて聞いた話に、その出典はなんという書なのか?と
教えを乞うたんでしょ。孔子が尊んだ学ぶことへの真摯な姿勢。
一方の孔融は自分の名声を利用して嘘を吹き込んだと、先祖が聞いたら嘆くだろうね。
孔建さんだっけ?
あの人も孔子の子孫らしいな
国籍台湾なのか中国なのか知らないが
よっぽど曹操が失態演じたのを無かったことにしたいらしいな
よっぽど曹操が失態演じたことにしたいらしいな
そもそも、そのエピソードの出典と原文はどうなってるのよ?
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 12:06:44
出典は後漢書孔融伝
こいつが渋る劉備に徐州を取るように助言したんだっけ。
失態ってほどでもない気がするけど
名声を利用してというか家系云々ではなく
孔融個人として好き勝手振舞っているような気がする
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 03:49:33
>>69 融乃ち操に書を与えて称すらく、「武王は紂を伐ち、妲己を以って周公に賜う」。
操、悟らず、後に何の経典に出ずるやと問う。対えて曰く、
「今を以って之を度るに、想うに当に然るべき耳」。
>>63 中国は歴史の古い家柄だと今でも、子供の名前を付けるだけに親戚が集まって、先祖と被らないか、遠方の親戚と被らないか念入りにチェックする。
それに加えて
代々の皇帝なんかの忌み名も
避けなきゃならなかったらしいな。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 02:57:52
>>肉刑反対者の代表的存在だね
反対に肉刑復活を唱えたのは荀ケ、陳羣、鍾ヨウの潁川出身者だね。
漢代には本来愛憫の情から肉刑を廃止して笞打ちの刑を増やしたけれど、
死ぬ者が非常に多く、名称は軽くても実質が重くなっている。
名称が軽ければ法律を犯しやすく、実質が重ければ人民を傷つける。
『尚書』に“これ五刑を敬しみて、以て三徳を成せ”とあり、
『易』にははなそぎ・足切り・滅趾の法を書き記してあるが、
政治を支えて教化を助け、悪を懲らしめて死刑をやめるためのものとしてである。
人を殺した場合死によってつぐなうのは、古代の制度に合致しているが、
人を傷つけた場合までも身体を損ない毛髪を断ち切るのは道理からはずれている。
もし古代の刑を採用し、姦淫を犯した者は蚕室に幽閉し、
盗みをはたらいた者はその足を断ち切れば、永久に淫蕩や人の家にしのびこむ悪事はなくなる。
といった人道に基づく理由だったな。
これが沙汰闇になったのは軍事行動が多忙ということだったけど
何か裏向きの理由はあったりするのかな。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 03:27:06
復活−反対
曹操)荀ケ−孔融 陳羣・鍾ヨウ−王脩
曹丕)議論があったとされるが関与した人物の記録はなし
曹叡)鍾ヨウ−王朗
>>77 どうなんだろう。少なくともこれだけ議論があったようなんだけど、単純に反対者の方が
多かった為復活できなかったとも言われてるね。
孔子直系の権威って今で言うとどんなもん?
旧宮家みたいな名士って感じでは。
今では台湾にいるらしいが。
孔子も張魯の子孫も台湾か
劉備・孔明(蜀)を善、曹操(魏)を悪という色分けの流れに乗って、
後漢を簒奪しようとする曹操に抵抗した名士のような描写をされることが多いよね。
実際のところは、才人ではあったがあらゆる面で一貫性(根気)に欠ける面があり、
自分を曲げることが嫌いな強烈な自己主張精神の持ち主だったんだと思うけどね。
孔一族の異端児的存在だったんじゃないのかな。
そういう意味では、後漢に殉じた名士扱いは当の孔融が一番迷惑に思ってたりして。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 15:06:29
逆に名士扱いされて当然と思ってたような気がするんだよなあw
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 15:25:40
名士扱いは当然だと思っていても、後漢に殉じたつもりはなかったんじゃね?
後漢の官吏としてはまじめに職務をこなしていたようだけど。
「座敷に常に客が充ち満ち、樽の中の酒が尽きなければ私は何も心配が無い。」
という生き方をする孔融のスタンスにはあこがれるな。
オレには才能も度胸もなくて、そんなことできないからなおさらねw
孔融無事だった…良かった
俺もちょっと安心した
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/11(日) 03:40:30
保守あげ
保守
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 23:32:04
保守しておく
息子が偉い大物だったな。
巣破れていずくんぞ卵無事ならんか、とか言って碁をさしてたのが印象深い。
吉川での話だけど
>>91 覆巣破卵って語があるね。
その時の息子達の年齢はまだ10歳に満たなかったんだったかな。
>>92 四字熟語であるのか?
ググったけど該当はなかったな…辞書で引いてみるか。
って息子10歳とかそういうレベルだったの!?親父が結構な歳だったと思ってたから、20〜30だと思ってた。
曹沖みたいだな…
>>93 親の災い(覆巣)によって子供も傷つく(破卵)という意味だったと思う。
>>94 この逸話からできたの?それともそれ前からあった言葉を息子たちがこの時に使っただけ?
>>95 息子の話には「覆巣破卵」という言葉自体は出てこなかったと思う。
ちょと探してみるわ。
わざわざスマン
>>98 なるほど、サンクス。
孔融の息子は咄嗟にそれを意味を変えて使った訳か。落ち着いてるし大人物の資質ありそうだったのに、殺されるとは…
>>93 袁譚に北海を攻略された際、「身一つで逃れ、妻子は捕縛された」との話もあるから、
その時の子が生きていたら、それ位の年だったろうね。
>>100 ああ、長男じゃなかったのか。だから幼かったのね。
碁をする=ある程度の年齢ってイメージがあったな。
しかし孔融って曹操の帷幕の中で、「普通の人」って感じだなw
愚鈍ではないが、平凡で実直としてるというかw
は?
平凡?
これほど捻くれた奴も少ないぞ
実直でもないし
>>102 マジで?なんか普通の真面目なおっさんってイメージなんだがなぁ…
ネイコウの友達だから確かに真面目っておかしいか。
なんか普通に攻められて普通に負けたり、袁紹に対して非戦を唱えてジュンイクに論破されたり
ネイコウ推薦して後悔してたりと、なんか真面目ゆえに苦労してるイメージが…
演義しか読んでない俺にエピソードを頼む。
自分でテキトーに話しをデッチ上げる
曹操と劉備の関係に似たような古典の人物を使って曹操に嫌味
曹操が「アレ?そんな話しあったの?」と聞くと
孔融は「んなもんあるわけねーじゃん。俺の創作だよ。バカが見るー豚のケツー」
と言ったので曹操は何時か殺したると恨んだ
ああ 一行目の主語は孔融ね
俺がデッチ上げてるわけじゃないぞ
マジかよwwww
実直な儒家!ってイメージがあったのに、ただのアホ親父じゃないかw
そりゃネイコウとも仲良くなるな。
ある種大人物だったのかもしれないな…アクの強い奴だったんだな。
>>105 最後まで読めば分かるがなw
他にも詩作に耽って政務を疎かにしたり、このオッサン孔子の子孫だからってやりたい放題し放題
なんか糞真面目な儒家故に曹操を批判してたと思ってたが、イメージが変わったw
ただの道楽変人親父に見えてきた。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/14(水) 19:08:03
曹操「飲酒を禁止しよう」
孔融「丞相はそのうち結婚も禁止するんですね」
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/15(木) 00:44:31
スレ復活書き込みしとく
114 :
陳寿:2007/02/15(木) 10:07:45
文帝(曹丕)が孔融の作品の大ファンだったのは大きいよね。
懸賞金をかけて孔融の遺稿を募ったくらいだから。
同じ建安七子の劉禎による評価も高かったし。
政治家肌ではなかったということだろうね、結局は。
>>114 なぜ陳寿?w
正史に独立した伝はないべさ。
内容についてはほぼ同意。
正史に独立した伝あるけど?
何言ってるんだ
まあまあ、マターリしようぜ。
『後漢書』には伝がある
陳寿の三国志にはない。
後漢書には孔融伝がある。
だから115氏の言ってることは間違ってはいない。
>>114 北海時代には城市の修復や学校を建てたりしていたようだが
長期に渡って政治的分野に没頭する気がなかったんだろうな
後漢書は正史じゃないのか?
「陳寿の」って意味じゃないの?あのやりとりを見る限り。
>>121 北海での治世に関する資料を見てると、
>>112にある文人としての評価に通じるところがあるよね。
三国志になぜ孔融伝がないんだろ、、、
> 孔融の文章は才気の薫り高く、他の人より俄然すぐれた部分があります。
> しかし、論調をしっかり組み立てることができずに、文章の内容がことばの表面にまけてしまうので、
> たまに戯れだったり嘲笑うような表現がまざってしまうことがあります。(しかし)彼の得意な分野では、
> (その文章は)前漢の楊雄や後漢の班固と同じぐらいに優れています。
これは坂口和澄が孔融の項目で
曹丕の「典論」を解説したものを書き写したものだな
>>126 その文章を
>>112のスレでうpした者ですが、引用されていて驚いたw。
そいつは上海古籍出版の文選から原文を超直訳したものですが、
スレ違いだけど、研究社の先生の訳(?)と間違われるとはなんか嬉しいw
好し好し