鎌倉時代末期から南北朝時代の争乱と
その後の室町幕府について語ってくんろ
ちんぽ
>>2 それは真言立川流について語れということか?
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/22(月) 20:04:13
|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ|
|丶、 ;;; __;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;_,,: ィ";;_|
ト、;;;;;;;;;;;;;;;` ` '' ー -- ‐ '' ";;;;;;;;;,:ィ;:;!
,';:``' ‐ョ 、 ,_ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; , - '"l;:;:;:;:l ┌‐┴ ┌┐ _|_
l;:;:;:;:;:;:;ミ ` ` '' ー -‐ '" ,リ;:;:;:l |┼┼ ,工、 ノ┐ ・ ・ ・
l;:;:;:;:;:;:;:ゝ く三) (三シ `ヾ;:t、 /, 小小 |_| (二
fミ{;:;:;:;:f'´ , -−-_,, _,ィ 、_,,ィ,.-−、 };f }
l トl;:;:;:;:l 、,ィ或tュ、゙:ミ {,'ィt或アチ l:l,/
゙i,tヾ:;:;:! `ヽ 二ノ ト ` ‐''"´ l:l:f /ヽ |__ ーァ ノ一 __
ヽ`ー};:l ,r'、 ヽ リ_) ┬ /、| ∠、 ニ、 / 〃
`"^l:l ,/゙ー、 ,r'ヽ l 巫 ノ 。__) メ レ ヽ
゙i ,ノ `'" 丶. ,'
゙l、 ′ ,, ィrェェzュ、,_ 〉 } / ⊥ | l l ーァ | ┃ ┃
',ヽ ヘヾ'zェェェッ',シ' //ヽ |_ヽ | ∠、  ̄|`ヽ丶 ┃ ┃
} 丶、 ` ー--‐ '"'´,/ノ:.:.:ヽ (j 、) ヽ__ノ や 。__,) / 、ノ ツ ・ ・
/l 丶、 ,.イ:.:.:.:.:.:.:.:丶、、
,r'"^l ! ` ー‐;オ´:.:.:.:.:.:.:.:.:.,ノ ,}、
,. -ァ=く(:.:.:.l l //:.:.:.:.:.:., - '" ,/ ヽ、
, - '"´ / ,/`>'t、_」___,ィ'゙,ィ,.: -‐ '" ,. -‐ '" \
後南朝
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/22(月) 20:55:54
6
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/22(月) 21:05:10
何で南朝はあんな吉野の田舎に都をおいたんだ?
後南朝の確認できる史料は、実は天正年間(1573〜92)頃まで下ることが出来るという、驚愕の事実。。。
9 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2006/05/22(月) 23:34:14
それって長慶天皇伝説とは無関係ですか?
熊沢天皇は無視ですか・・・
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/23(火) 00:50:49
本当は南朝が正統ということで和解したのに、
約束破って北朝が皇位を独占して今に至るんでしょ?
まあ、皇統とはそういうものだ。
継体天皇みたいな例もあるし、
ひょっとしたらいまこれを読んでいるあなたさまこそが
南朝のお血をひく正統な継承者かもしれませぬぞ。
いや、系統図みても正統は北朝
>>12 和解というより吸収合併。
幕府からすれば両朝が和解しなくてもあまり困らない
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 01:35:20
たかがちっぽけな島国のお山の大将をめぐっての争論など小さい小さい。
漢ならもっと大志を持たなきゃ
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 01:51:09
嗚呼、天は何故この忠誠無比なる人物にこのような苦難を授けられるのか!
逆賊ばかりの世の中では忠の道を歩むことはつらい。
俺も君の怒りとそれによる苦しみはよく理解できる。
しかし、君は休んでばかりいられるのだろうか!?
いや、そうではないはずだ。君の気持ち、君の辛さは痛いほどわかる。
だが、俺は君の立場を否認する必要がある。
なぜなら、逆賊高氏の存在を許してしまった我々一人が逆賊だからである。
我々は決して休むことを許された存在ではないのだ。
逆賊である我々は、つねに懺悔せねばならないのだ。
力乏しく逆賊高氏に敗れ去った吉野時代のことを君はどう思っているのか!
君もいま力乏しく逆賊高氏の時空を超越した逆賊エネルギーに敗れつつあるのだ!
君の気持ちは痛いほどよくわかる。だが俺は君を許さない。涙をもって、こういう他無い。君は逆賊だ!
つらければ大楠公のことを想え。君がここで倒れては大楠公の御遺志を無駄にしてしまうことになるぞ。
大楠公万歳!万歳!万歳!
>妹のスクール水着の股布をずらして秘裂に舌を
まで読んだ
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 07:46:26
教育に倫理が大切なのは、今も昔も変わらない。
しかし、今の教育は道徳面、とくに善悪についての判断が欠けている。
戦前の歴史教育では楠木正成や新田義貞を英雄として扱い、
逆賊高氏のような人間になってはいけないと教えることで、それを学んだものは
皆楠木正成や新田義貞たらんとし、「七章報国」と叫んで日本のために自らの命を投げ出していった。
逆賊高氏のように、私欲のために国を破壊し奔走するようなものはいなかった。
しかし、今はどうだろう。
教育に善悪論を持ち込まなくなった結果、日本人の道義心は乱れ、
逆賊高氏のような凶悪犯罪者・極悪人・人非人が日本中に溢れている。
今の日本は平和に見えて、実は逆賊高氏の時代と同じようなような有様だ。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 07:49:27
この間仕事で足利に行ったんだが、公園に逆賊高氏の像が建っていたのに驚愕した。
このようなものを立てることは、逆賊高氏の顕彰、ひいては「悪事の奨励」になるのではないか。
しかもその像は市民の基金によって造られたそうだ。戦後の逆賊高氏礼賛教育により、
足利の人間もこのようなものを立ててしまうほどのマインドコントロールをされたのだろう。
気の毒な話だ。
京都綾部市にも逆賊高氏の像があるらしいが、これらは二つとも直ちに撤去したほうがいいだろう。
「悪事の奨励」によるのちの弊害を考えると。
正統記でも読んだのか?
イタ過ぎる
コピペだと信じたい
続きは主義板がふさわしいだろうな
戦前生まれの人は後醍醐帝崇拝が強いな。
小島高徳の墓に行った時も、住職に小一時間南朝のいかに正統かを語られたよ。
でもどうみても北朝の方が正統だろ
長子相続のルールなら
児島高徳って、小説にしか活躍が描かれないので
実在が疑われてるんでなかったけ? そもそも太平記ってのも天狗妖怪が
出てきたりするスゲー書物だしな
墓とかは同一人物のがいくつもあるし、祀るのは結構と思うけど、
あまり信じ込むのはどうかと思う。イエスキリストの墓だって日本にあるぞ
>>27 俺はついでに発見しただけで墓が目当てだった訳ではないが、住職に言わせれば和田氏と血縁がある実在の人物だそうだ。
ただしその寺には国の助成金が50%しか下りないので維持費が大変だとも言っていたので、学者とかにはあまり相手にされていないのかも知れない。
キリストついでに話すと、俺はその寺の近くにある大避神社に用があった。
多分これで
>>27には通じるだろう。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 21:22:25
どうして住職に小一時間もつかまる羽目になったかのかに興味
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 22:42:21
寺小姓に誘われたんじゃねーか?
住職さんは、来るべき南朝復興の挙兵のために有為の若者をオルグしたりして。
>>29-31 このままだと掘られそうだなw
俺は写真が趣味なので各地を廻っている。
最近は寺社を狙った盗難が多いので不安にさせないように、境内で撮影していて住職・神職に出会ったら必ず「おじゃましてます」と挨拶することにしている。
御老体によくある事だが、ここからコンボが入り始め、南北朝・妙見・空海・ダビデ・始皇帝まで語ったところで住職の娘さんの助け船が入り解放された。
たぶん2chを知らないので、話の合う相手に飢えていたんだろう。
>話の合う相手に飢えていたんだろう。
なるほど。ちょっと哀愁を感じた・・
田舎だと、住職や医者が孤立したインテリになってしまい寂しい人生に
なりやすい、て誰かが書いてたな。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 00:01:01
>>32 その娘さんは北朝シンパだな…いかん、住職が危ないぞ。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 00:07:15
<徳川家康公> /:l::\
|:::!::::::|
| :!::::::! _ __ _
|::l::::::|´:/,.-‐<::\
,. ―┴゙ーく:/ / } .:.:ヽ
{`ー---―::'}:く. l ..::.::l 逆賊高氏など尊敬できん。
/`二¨二 ̄´ヽ::ヽ. | ..::.::| 俺の先祖は忠臣新田義貞公!
/ 二ニ二 ヽ. } :::}. l ..::.::|
l__ _ _ _ ,.へ;リ | ..::.::|
{テテ! fテテ、_ ,.-、ヽ.___ |..:::.:::|
厂:r| -、 ̄´ノ ! :}:::::入ゝ--"
__ ____ ______{:::/ 'ー‐'ヽ ::::: 丿//::::::! _____ _
/:::::| ::::::::::::::::::!{ ━ ) |ー }::Υ´7 ̄:::::::::::::::::::/:::::::::\
/ :::::::: | ::::::::::::::::::人_` ⌒ __, 八__丿::ノ:::/:::::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::
/ ::::::::::::::::|_::::::::/ヽ、:\._;三二´-‐'::/::/::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::::::::
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 00:07:54
源氏に連なる将軍でありながら、およそ合戦においてただの一度として自身が前線に
立って戦うことなく、弟の直義にばかり危険な役どころを押しつける。すでに心の中で謀反の結論を
出しているにもかかわらず、自分の口からはけっしてその意思表示をすることなく、周囲の意見に
押されてしぶしぶ決定をする、というまわりくどいやり方を通さなければ動こうとしない。
自分の都合で後醍醐天皇の子どもを暗殺しておきながら、自分が朝敵として世間から
非難されることは極端に嫌がる――
後醍醐天皇の反乱のさいに、日本中の武士を敵にまわして最初に朝廷側につき、最期までその
忠義を貫き通した楠木正成、足利家と同じく清和源氏の嫡流でありながら、足利家のように
時の権力に媚びへつらうことなく、孤高を保ってきた新田義貞など、人として好感のもてる者たちの
あいだにあって、足利高氏の悪党ぶりは、いやがうえでも目立つ。
そして同時に、私たちは彼をはじめとして私利私欲のために奔走する道義心なき武士たちの姿に、
どこか現代の政財界を牛耳っている、どこか胡散臭い権力者たちの姿を見出すことになる。
彼らのあいだに共通するのは、言動不一致、つまり、彼らの発する言葉がまったくの空虚であり、
何の重みも責任も感じられない、というひとつの事実なのである。
ひとつの国にふたりの天皇が存在するという、ある意味異常な時代を考えるのに、あるひとりの人間の、
エリートゆえの自尊心を考慮に入れるというのは、じつによくありがちなことだと思ってしまうのは、
ある意味とても悲しいことだと言わなければなるまい。なぜなら、それは今の世の中が、まさに
口から発する言葉に何の重みもない、言動不一致がまかりとおり時代であること――ようするに、
当時も今も、少なくとも人間のあさましい心という意味では、なにひとつ変わっていないということで
あるからである。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/25(木) 00:08:55
時代違い
>>34 正確には息子さんの嫁さんなので、間諜でない保証はないね。
>>35 家康の朝廷に対する振る舞いから見て、忠臣だから新田の血を引くことにしたとは思えない。
新田義貞にしたところで、塁代足利家とは仲は悪いながらも倒幕までは歩調を合わせ、栄達してからは尊氏に付いていく必要がなく、結果的に忠臣になっただけに見える。
>>36 歴史より先に、人に読ませる文章の書き方を勉強しなさい。
>36
尊氏は同時代人にもさすが大人物、と褒められてるし、
楠木にもぶっちゃけ足利>新田だろ、と評価されてるジャン
佐々木道誉ってどうよ?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/26(金) 22:05:08
住職大人気だな
住職といえばホモ。
43 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2006/05/27(土) 12:24:02
>>32 写真系の方と三戦は相性がいいかも。フジの高感度とかは雰囲気を上手く残せますかね。
>>43 板ちがいだけど、
F30は一連の高感度デジカメの集大成的な仕上がりで、お薦めです。
敢えて安くなったF11を買うのもコスパ的に正解。
Z2は小さい分多少画質が犠牲になっています。
ただ、神社仏閣など風景を撮る時は、出来るだけ広い範囲を写真に収めたいと思うものなので、レンズが平凡なF系よりもワイドレンズを搭載したカメラの方が使い勝手は良いです。
ワイド重視なら、LX1、FX01(パナ)、R4(リコー)あたりが選択肢に入ります。
でも、高感度にせよワイドにせよ、最近レンズ込み8万円で買える低価格デジタル一眼レフには敵いません。
俺の場合、F30は安くなったら買う予定です。
なるほど。フラッシュを使うのが憚られる場所では活躍しそうですね。
続きはカメ板に行ってみます。
今皇位の系統で代を数えるときって、南朝で数えてるんだよね?
どちらが正当なのかは、江戸時代でも結構論争になったみたいで、
新田氏のからみで幕府側は南朝正統という見方だったらしいね。
水戸光圀の大日本史が南朝を正統としているのも、その辺のイデオロギー上の都合だとか。
対する北朝正統説はルーツがほとんど北朝に連なる、後の公卿に支持されたらしい。
で、明治天皇がそう決めたから南朝が正統。ってことらしい。
長慶天皇の皇位が認可されたのもそのとき。
だけど元はといえば後醍醐天皇が約定を違えたのが騒乱の原因。
とはいえ後醍醐の主張にも「大義」があったわけで。
しかしながら、その対立者となった北条や足利にも相応の大義はあった。
そして、戦乱の経緯を見ていると、
どちらもダメダメやん
と思えてしまう。
観応の擾乱なんて、だめぽ。
即位に際して三種の神器をでっち上げたうえ、それを開き直ったりしたあたり、
ある意味、皇位というものに対して、もっとも縛られないものの見方が出来ていた次代かも。
義満の代で南北朝が和解したときも、結局今度は北朝側が約束破って南朝を冷遇したもんだから、
南朝の残党が怒って、神器を奪って小競り合いを繰り広げている。
皇位が不可侵なものとして見られるようになったのは、近代に入ってからのこと、
せいぜいここ最近150年の間の話だ。
水戸藩には旧北畠家臣が多く使えてたので、自然と南朝よりになったのだろう
しかもそれが北辰一刀流の門下生に影響を与え幕末の流行思想になっていくな
三種の神器があること、が正統・偽朝論の大きな根拠に当時なってるのは
今読むと非常に奇妙だ。
神器の意味づけなんかも後付けっぽくて苦しいし、所詮昔の天皇が入手した
「カコイイ物3つ」に過ぎないんでねーのか、と小(ry
勾玉くらいは代々受け継いでいたと信じたいな。
勾玉は日本より朝鮮南部の出土品の方が大きく品質もよく、天皇家渡来人説もあるな。
宝剣はそれこそ中国からの下賜品ぽい。
当時は、大陸の先進テクノロジーの粋を極めた品物を持ってるって事は
「見ろ俺は未来人から未来技術を手に入れたぞ。おまいら平伏せぃ!」
ぐらいの感じだったんだろう。だから単なるプレゼントなんだが
持ってること自体が権力の基盤となりえた・・・
未来惑星ザルドスみたいな感じか
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 02:49:33
後醍醐天皇「ス…超天皇てのは…うっ…ゴホッ」
義良親王「それいじょうしゃべられますな!死を早めるだけでござりますぞ!」
後醍醐天皇「よ…よ…よくきけ義良……
建武の中興がと…頓挫したのは………朕の政治に…問題があったせいなどでは
な…なかったのじゃ………
ぎゃ…逆賊高氏が裏切りやがったのじゃ……!
ち…朕はあやつの実力を高くかって参議にまで就けたというのに…」
逆賊高氏「皇位を奪ったのにしぶといね。話はまだ続くわけ?」
後醍醐天皇「た…たのむ…逆賊高氏を…逆賊高氏をたおしてくれ………た…のむ。南帝の…手……で………」
逆賊高氏「やっとくたばったか…じゃあ恐怖のショーを再開しようか。」
義良親王「父上が泣かれるなんて…父上が私にたのまれるなんて…
よっぽどおくやしかったのでしょう………わかってますぞ…建武の中興が失敗に終わったのが
おくやしいのではございませぬのでしょう…?
逆賊高氏にいいように利用されなさったのがくやしくて仕方がないのでございましょう…?
父上の政治は頓挫してしまったけれど、民への熱い思いは持っておられた…
私にもすこし分けていただきますぞ その思いを…
おめえに追われた父上のためにも そしておめえに殺された尊き血潮のためにも
おめえをぶったおす!」
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 02:50:44
NHKで大河ドラマとして太平記をやると聞いた時、當然主人公は大楠公(楠木正成)と思い、全巻をビデオに撮ろうと張り切っ
ていたが、逆賊足利高氏が主人公と聞いて愕然とした。原作(吉川英治、私本太平記)がそのようになっているそうであるが、「梅
松論」ならいざ知らず「太平記」と名付ける以上は、大楠公を無視したり足利高氏を賞揚したりすることは許されないのではなかろ
うか。足利高氏の肩を持って書かれている「梅松論」ですら、大楠公に對しては稱贊を惜しまないとのことであるのに、NHKドラ
マの楠木正成は足利高氏に阿諛追從する道化役にされている。役者も重みのある人を起用するならまだしも(演技は上手なのかも知
れないが)輕佻浮薄な役者を起用して意識的に「河内の田舎武士」を演じさせている。役者自身も、大楠公を演じている自覺がまるで
ないようであり、チャンネルを變えると馬鹿面を晒して「ラーメン」や「冷藏庫」の宣傳を行っているから始末が惡い。心ある日本人の
崇敬を一身に集めた大楠公を演ずる以上は、己も大楠公に成り切り、少なくとも放映期間中は輕佻浮薄なコマーシャルの出演を斷る
位の見識を示して欲しかった。昨年の西郷南洲(隆盛)役に續き、NHKは我々の崇敬する人物を意識的に侮蔑しようとするのか!
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 02:54:26
そのNHKですら如何んともし難い場面が有った。さして問題にされなかった方も有ろうが、大方の人は高氏の惡逆ぶりに呆れら
れたことであろう。言わずとも御解り戴けると思うが、高氏と北畠親房卿とが密かに會った場面で、「幕府を認めて貰えるならば、
(南朝の)帝に御還り戴く。」と暗に自らが擁立した「 持明院統の天皇様」を廢し奉ることをも辭さない言動が有ったことである。朝
敵の汚名を着ないために、自己の都合で擁立したのは明らかであるが、「兩統迭立の經緯に對する見解」や「御兄君の御系統たる
持明院統の御方が皇位に就かれるのが正しい」とかの彼等なりの大義名分が有った筈なのに、その大義名分さえ捨て去って單なる
取引の爲に「今迄奉戴していた 天皇様」を弊履の如くに廢し奉るとは、 皇統に對する崇敬の氣持が全く無いとしか考えられない。
上皇様の輿に矢を射かけた配下が出たことをも考え併せると「高氏は北朝にとっては忠臣であった・・・」等の論が的外れであっ
たことを如實に示して居ると思う。この場面はフィクションであると異を稱える人も居ようが、頑なにまで高氏を辯護しているNH
Kですら、このように描かざるを得なかった程に「高氏の惡業」が著しかったと考える方が妥當であろう。高氏贔屓の者は「今迄強
烈に辯護してしてくれたNHKが何て言うことをして呉れたのだ・・・」と慨嘆するに違いない。我々にとっては、「あの程度の描
写では、高氏の惡業は言い盡されていない」と言う氣持ではあるが、あの一言でも「史上類の無い逆賊」と斷言し得るものと思う。
我々の高氏攻撃に對して「NHKでは、そのようには描いていない」と言う者に對して、この場面の話をすれば十分であろう。尤も
皇統の何たるかを知らない人間にとっては、何の意味も無い場面かも知れないが、時々出くわす「高氏は北朝にとっては忠臣」とか
「楠木正成は、新田義貞を討ってでも足利高氏の意向を尊重すべきと考えていた・・・」等の論に對して痛撃を加えることになるで
あろう。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 02:56:06
兎も角「梅松論よりも高氏贔屓な太平記」も終り、神經を逆撫されるような思いをしなくて濟むようになったが、現在にも「高氏的
人間は多く存在する」ことを肝に銘じる必要がある。また彼等と戰うに際して、坊門清忠的人間の妨害も無視することは出來ないが、
如何なる障害が有ろうとも「黙って湊川に赴く」覺悟は持ち續けたいものである。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/31(水) 02:56:40
青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下陰に駒とめて
世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か
正成涙を打ち払い 我子正行呼び寄せて 父は兵庫へ赴かん
彼方の浦にて討死せん いましはここまで来れども とくとく帰れ故郷へ
父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人 いかで帰らん帰られん
この正行は年こそは 未だ若けれ諸共に 御供仕えん死出の旅
いましをここより帰さんは わが私の為ならず 己れ討死為さんには
世は尊氏の儘ならん 早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為め
後醍醐自体が宋学の名分論にかぶれて日本の現状に合わない改革を
強行しようとした(そして当然失敗した)政治的素人という側面が
あるわけで、その意志を実現しようとしていかに懸命に楠木が努めようとも
客観的実現要件を欠いた計画が実現する筈も無い。
まぁあれだけ粘ったのは立派とも言えるけど、粘れたのも実はその理想に
実際的根拠があるからではなくてむしろ武士側の理由で隙間的政治勢力として
利用しがいがあったからだし。
歴史家が鳥瞰して評価すれば結局当初より実り無い徒労たるべく
運命づけられていたともいえる
南朝が正統なら足利氏は逆賊だが、その南朝が正統という裁定は明治天皇の名の下に出された。
北朝の流れを汲む現在の皇位の正統性の根拠は
南北朝の合一の時点で南朝から北朝に皇位の禅譲がなされた、という説である。
だが、事実として禅譲とみなされる動きは当時南朝側にも北朝側にも見られたわけではなく、
ただ鎌倉末の約定にのっとり、持明院統と大覚寺統が交互に皇位を継承する条件で、合一がなされた。
そして、北朝および幕府がその約束を保護にしたため、後南朝と北朝系朝廷/幕府の間の「神器なき戦い」を引き起こした。
ならば南朝が正統かというと、元はといえば
そもそも後醍醐の約定違反とその後に続く建武の失政
-南朝の乱脈な政治姿勢は北畠顕家の最期の諫言が如実に語っている-
こそが南北朝の騒乱の直接的な原因である。
何を以って皇位の正統性が示されるのか、などという話は
「勝てば官軍」という言葉の前に意味を失う。
もっと言えば仮に正統だったとしてだからどーだっての? という感じもある。
よそんちのお家騒動の心配をしてやるほど暇でねーし
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/01(木) 02:58:29
>>58 それでも新田にわるいぐらいだ。むしろこういう風に
平時いろんな奴の中傷してる奴に限って、いざとなったら
どんな卑怯な行いも平然とやるもの。
おまえこそ坊門宰相だよw
バカの一つ覚え宜しく、彼方此方(←読めるw?)のスレにコピペ
貼りまくりの池沼くん
>平時いろんな奴の中傷してる奴に限って、いざとなったら
>どんな卑怯な行いも平然とやるもの。
>おまえこそ坊門宰相だよw
思想に心酔するタイプは大抵そうだろ。もともと現実世界で鍛えられた
倫理じゃないから、異次元論理でどんな事でも柔軟に正当化する癖がついてる。
考えるまでにまず行動
という言葉がある。
たいていの場合、考えても結論が出ない、
あるいは結論が出ても現状の打開にはならないようなことを考えて、
現状の打開のための行動をとらないヤツへの警句として使われるのだが、
しばしば、違う用法で使われてしまうことがある。
現状の打開のための思考を放棄して
現状に流されて行き当たりばったりに生き、
流されているだけなのに行動しているつもりになっていることの正当化。
一見景気のよさそうに見えるお話を借りてきて
その中身をよく吟味もせずに盲信し、
思考停止に陥っているさまの正当化。
ようは単に「考えていない。考えることができない」ことのごまかしとしての
「考える前にまず行動」である。
「黙って湊川」?どうぞご随意になさってくださいな。
ワタシは
そんな無茶を言うバカ殿の下につかずにすんだことを感謝しておくよ。
>湊川
戦時中真珠湾後の話。軍事教練に来た軍人が、大学生前に信長公の桶狭間の壮挙?を
称えていた。曰く、国家たるもの、かのごとき万死に一生をもぎ取るような賭を
しなければならない事もある。またその気概あればこそ勝利する、云々と
旧軍伝統の精神論を気分良くぶっていた。
学生の一人が挙手し質するに、
「思うに歴史上桶狭間のような破れかぶれの戦術を取った将帥は無数にあったはず。
しかしそれらの殆どは名が残らず信長のみが名が残っている。これは
一か八か的戦術の成功可能性の低さを如実に現している思うが如何?
また万死に一生というが、一生を拾えなかった場合の9999の死をどう考えるか?
いやしくも国家たるもの、十年先を見通し十手先を読みつつ駒を進めようと
するのが正道であろう。市井の町人の如き行き当たりばったりを壮挙として
称えるのはむしろ一国の為政者、軍事をあずかる者として無責任ではないのか」
と問うた。軍人は絶句し何も答えられなかったという。
この議論には国体論などが絡んでくるので戦後的文脈で考えるよりは
もう少し複雑なシソーが背景で争っているのだが、少なくともその後の戦争の
推移を考えればどちらが真に日本を憂いていた意見かは瞭然だろう
ちなみに、南北朝きっての名将として楠木正成が名の成したのは、
その生き汚さ故である。もちろん褒め言葉としての生き汚さだ。
正成は生涯、寡勢で多勢を相手に渡り合ったが、
しかし、あくまでゲリラ戦に徹し、正面衝突は避けた。
そして何より、自軍の将兵を生き延びさせて、生き続けることで戦い続けた。
特攻戦術を取ったのは、生涯に唯一度。 湊川で「敗死した」時のみである。
軍事拠点としては脆弱な京へのこだわりを捨てよという、
勝つための正成なりの献策を、朝廷は取り上げることなく、ただ不帰の特攻を命じた。
正成は河内の悪党に戻ってもいい潮時だったのに、あえて死地に赴いた。
だが、その死には自分の美学以外の意味は見出さなかったのではないか。
だからこそ、息子を帰らせたのではないか。あくまで妄想だが。
ただ、玉砕をよしとし、息子にそれを望むならば、どうして湊川で息子を帰らせたのか?
それは、息子には生きて勝者となってほしい。というか、
負けとは死ぬことであり、死ぬとは負けであり、
無意味な負け戦で自分が死ぬのは勝手だが、
そこに息子まで道連れとしたくなかったのではないか。
実際、戦術的にも戦略的にも、湊川は無意味な戦いだった。
かつて北条軍相手に繰り広げたような足止め戦術さえもかなわない地勢で、
ましてや足利軍を食い止めることも不可能な状態で、
結局はさしたる損害を与えることもかなわず、ただ楠木正成という名将だけが失われた。
結局大覚寺朝は京を捨てざるを得なかったが、
それなら最初から献策に従っておれば人的損害は避けられたわけで、
そのあたり、湊川を美談とする(おもに俗に言うウヨク的な)方たちは、
どう解釈しているのか、別に知りたくはないが、ただどうせ何も考えてないんだろうな、とだけ思う。
...桜花なんて作ってる暇があるならもっとまともな戦闘機作れよ。
戦意高揚は結構だが、その高まった戦意をヒロポン中の鉄砲玉の量産ではなく、
勝つための、あるいは敗北の損害を最低限に抑えるための、頭脳の育成に向けるべきだったはずなのだが。
なんつか日本は玉砕を美とする伝統があるからねぇ・・
不肖俺だってその美学?は理解できなくはないが、
やはり成功を放棄しても死ねば偉いっつのは子供っぽい発想だな、とも正直思う。
以前アメリカ人と話していて、「責任を取って死ぬ→あいつは立派だ」
という発想が日本人にはあるようだが、それって本当は無責任じゃないですか?
と言われ、まぁその通りでもあるなw、と思わざるを得なかった。
だが早々に死んでくれた方が良かった奴が南朝のトップに君臨してる事実
後醍醐&北畠親房
コイツらが早々に死んでくれれば南朝の戦略は多いに広がったろうに
いやそのカリスマ無しには発展はあり得ない。
新田と顕家で充分だろ>カリスマ
新田=筋肉バカ
顕家=批判精神有り
この二人も水と油になりそう・・
>>68 まともな戦闘機などあっても、材料なく燃料なく工場なく整備員なく搭乗員もない。
作るだけ無駄。後はやぶれかぶれの特攻策もしくは全面降伏か。で、帝国
は前者を選択してしまったわけだが。
朱子学被れって禄な奴がいない
この時代でいうと後醍醐と親房
少なくとも顕家は現実を見ていたし、後を継いだ顕信もそうだった
楠木や名和だってそうだし、軍隊を率いる新田だって判からない程馬鹿じゃない
理想は兎も角、勝つ為には後醍醐と親房は邪魔。ほんと邪魔
親房って結城が最期まで靡かなかった理由がわかってるのだろうか?
結城の息子なんて、親房のことを目の上のタンコブだと思ってただろうな
wikiで「足利義輝」の欄を見てたら
「足利輝氏」なる人物が出てきてるんだけど
この人誰か知ってる人います?
初めて聞いた・・・。
藤氏、藤政、輝氏、家国と足利晴氏の子だよ
>名分論
普通、理論は現実から帰納されるはずのものだが、理論に現実が合わない場合、
現実の方が「間違っている」、という思考をするタイプの人間はいつでも居るんだよな。
で、現実に照らして明らかな矛盾が出てきて、そこで軌道修正できる柔軟さがあれば
いいけど、大抵そういうヤシはファビョってもっとファナティックになる・・
ユングは「狂熱性は抑圧された自己懐疑の過剰補償」と言ったが、至言だ。
>>78-79 dクス!
名前からして古河公方系だとは思ったけど
もしかして輝氏=義氏なのかな?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 17:30:08
age
偶には私の事も思い出して下さい…
蒼天pkだと足利尊氏や北畠顕家でプレイできるよね
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 21:07:06
それは意味合い違うんじゃね?
たまには児島高徳のことも思い出してあげてください。
九州の豪族・・・
>86
存在が強く疑われてる人の事を思い出すのは難しい・・
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 13:34:10
たまには熊沢天皇のことも思い出してあげてください。
>>88 実在はしたと学会で決着付いたそうだぞ。
爺さんが日本の捏造王の説を完全論破したんだそうな。
結構前の話だが。
>90
正直、絶対実在して欲しいという明らかなバイアスから始まった研究はあまり信用が置けんのよ。
仮に百歩譲って実在はしたとしても、それは人々のイメージの「高徳」とはほぼカンケーないだろうな。
伝説のアーサー王と実在のアーサー王がほぼ無関係みたいなもんで
まあ、まずは「太平記」の資料的価値の証明だな。
それ如何では、如何様にも評価が変わろう。
カラス天狗の実在が証明されたら太平記を信じる
>>93 実在はしたと学会で決着付いたそうだぞ。
爺さんが日本の捏造王の説を完全論破したんだそうな。
結構前の話だが
烏天狗は山伏だろ。
大山とかも山岳信仰が深かったし。
>>90 学会で発表するには、たしか自分が学会員で、他の学会員2人の推薦があればよいので、思い込みの激しい人が3人集まればどんな奇説珍説も発表するだけなら可能です。
発表内容を知らないので信憑性は分かりませんが。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 00:05:10
歴史的には北朝が正統なのに、
何で戦時中は逆賊の南朝側の人間が持て囃されたのか?
足利が叩かれたのもおかしい。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 02:49:00
レスを読めばわかることだが、
尊皇攘夷思想のバックボーンとなった大日本史を編集した水戸光圀や、
明治天皇が南朝正統論者だった。
だから今でも、第何代天皇、と数えるときは、南朝のほうで数えている。
つまり、血統というか系譜で言えば、現在の皇位は北朝の末裔に占有されているが、
理論上ではあくまで南朝が正統だってことになる。
その辺の矛盾がどうして矛盾のまま放置されてきたかは、
右翼の人にでも質問すれば肉体言語でみっちり教えてもらえるかもしれません。
「ホークス」の名前を残す代わりにファンを100%相続したソフトバンクみたいなもんだ。
元々敗者に同情的な史観があった上に、明治維新のために分かりやすい忠臣ヒーロー像を生み出すために、楠正成はじめ南朝方を称揚する必要があり、相対的に足利が悪役に。
さらに軍国化が進むにつれ国家神道とともに政体を維持する屋台骨に流用され、今更「どうみても北朝です。ありg(ry 」とは言えない程の血も流れている。
でも、こんな矛盾はどの国にもあることで、例えばイギリスが今でもスコッチやアイリッシュの国内テロに悩まされているのに較べたら絵空事みたいなもの。
例のコピペ廚にしても確固たる持論がある訳ではなく、ああいう文章を書きたいだけのようだ氏ね。
じゃあカリスマは顕家一人でいいよ
親父の親房が先にアボンしてくれてさ
顕家、顕信、顕能三兄弟で南朝を支えてくれてた方が勝ち目あったよ
顕家は俺もカックイイと思う。
だが、それにも増して、一番最強にクールなのは、時行だと思うがどうょ?
冒険小説を地でいく人生つーか、憧れるなぁ。
時行はクールっていうか不屈っていうか
105 :
98:2006/07/09(日) 20:05:43
>>99>>101 なるほど、そういった事情があったのね・・・。
判官びいきや国策があるにしてもニポンジンの場合は割と大人(?)って感じかも。
ちゅーごくだと前王朝のことを糞味噌に貶める慣習があるし・・。
分かりやすい解説ありがd。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 00:57:59
>>105 >前王朝のことを糞味噌に
それは認識不足。必ずしもそういう慣習がわけではない。
前王朝との交代劇の内容によっては、むしろ前王朝を極めて高く持ち上げることがある。
たとえば、非常に平易な例を挙げると、
三国時代を終わらせた晋王朝は、自らが帝位から追った曹氏の魏を、三国の中での正統王朝と位置づけている。
なぜなら、形式上では、晋は魏より帝位を禅譲されたという形式である以上、魏以外の呉や蜀が正統王朝だと、具合が悪いわけだ。
魏が、帝位から追った漢の献帝を退位後も相応には身分を保障したのにも、そういう理由だ
(そもそも「献帝」というおくり名、それ自体が魏によって定められわたわけだが、
皇帝劉協が魏にとってどういう存在だったかということが、
蜀では劉協の死に際し愍帝(愍:ビン。あわれむ、の意)とおくり名を定めていることからも、
立場によって前の王朝や天子をどのように評価するかが、
どうにでも変わりうることのわかりやすい例だ。
逆に、武力で前王朝を打倒した場合、
前王朝を武力で滅ぼすための正当な理由付けが必要になり、その場合は確かに、前王朝を、特に滅ぼされた代の皇帝を、大きく貶めることになる。
隋は武力によって次の王朝である唐に取って代わられたが、その二代皇帝・煬帝の乱脈は、事実の片影している側面もあるが、
しかしことさらあしざまにかかれるのは、隋を武力で滅ぼしたことの正当性を主張するために他ならない。
歴史書とは人の書いたものであるから、書いた側の史家が、どのような立場で書いているか?ということを意識せずに鵜呑みにしてしまうと、ミスリーディングされることもある。
特に、王朝が勅命で編纂された歴史書は、引用された資料がでたらめである可能性は低い反面、都合のいいソースのみを編集している可能性もある。
そうそう、おもしろいことにというかやはりというか、
中国で王朝が南北に分かれた時代は何度かあるが、
南方の王朝は、三国時代の正統王朝は呉である、という説をとる傾向がやや強い、らしい。
逆に日本史が中立的な立場って訳でもない。
太平記の時代が、たまたま皇室復興のためという名分で争われ、かつメジャーだったと言うだけで、最後に和解したからあまり悪しざまに書かないだけ。
例えば、織田信長は最近は大人気だけど、少し前までは残忍な暴君のように扱われていた。
ちょうど中国史の曹操のように。
蝦夷の主神と思われる荒波吐は弾圧を受けて、もう日本中に荒波吐の神社はひとつもなく、客神としてわずかに祭祠を受けているに過ぎない。
武田勝頼の母系諏訪氏は同じく蝦夷系の建御名方の末裔だったが、勝頼を後継とする際家臣の猛反対を受けている。
尊氏は戦前戦中は大逆臣だったから、足利の子孫が学習院で歴史の先生に
授業前に「これはあくまで君の先祖であって君のことではないので悪しからず」
と慰められたそうだ。
反対に菊池は忠臣の家だってんで貴族院で子孫の意見が重きをなしたり。
今考えると馬鹿馬鹿しい限りだがイデオロギーを信じてる間はギモンを感じなかったりするんだろうな。
日本には敗者贔屓の気風があるからな。
義経善・頼朝悪って風潮も根強かったし。
裏切った側の浅井長政が善で、やむを得ずそれを討った織田信長が悪だったり。
長政のあれを単に裏切りと断じちまうのはな。
信長は大した人物だとは思うが立場の弱い相手に配慮しなさすぎ。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 19:42:54
単純にいえないけど
ゴダイゴ 項羽
尊氏 劉邦
見たいなきがする
言えてるね。
ただ、項羽を調べていくと意外といい奴かもと思うけど、
後醍醐天皇は調べるにつれて、立川流とか若い頃の公家の娘拉致監禁とか、いただけないエピが多い。
立川流は別に構わないと思うけどな・・
呪術がイケンというのなら、真言密教自体がそうじゃん。
俺は真言宗だし文観と同郷だが、文観以降の立川流と密教を一緒にして欲しくない。
文観は勝手に理趣品を持ち出したとか悪い噂に不自由しないけど、それを抜きにしても文観以降の立川流は相当妖しい宗教になっている。
理趣品も元々誤解を産む内容だから空海が門外不出にしたものだし。
後醍醐帝の晩年はまっとうな禅僧・夢窓国師を遠ざけ、文観と親房にべったりだったが、これも南北朝分裂の一因だと思う。
夢窓は尊氏との仲裁をしようとして拒絶されているし。
状況証拠しかないけど、吉野で後醍醐帝が明け暮れていた荼吉尼天法も妖しいと思う。
現代から見りゃ妖しいことこの上ないが
立川流の密儀自体は古代の流れを継いだ由緒正しいものだぞ
ただ文観が権力志向の強い俗物であったことは否定しないし
後醍醐天皇に正しい意味で立川流の秘儀が伝えられていたかどうかは疑問
それでも明治天皇までは即位灌頂に荼吉尼天の秘儀が用いられてたわけだから
その影響力はやっぱり物凄いものがあるけど
仁寛から文観以前の立川流は色々ありつつも発展・洗練されてきたし、タントラに由来する教義なので髑髏本尊も割五鈷も必要なものだと思うけれど。
(理趣品のリシュはアルダーナリシュヴァラ=シヴァ神とパールヴァティの一体化した姿のこと)
文観以降、真言神道という妙な側面が強調されて、立川流本来のテーマから乖離している。
たぶん親房の本地垂迹説(日本の神々は仏が変化した姿だ)の影響だと思う。
明治まで荼吉尼天法が残っていたのは神道と関わりが強かったからだろう。
立川流自体は南朝の後ろ盾がなくなると排斥されて江戸時代には消滅。
たぶん文観が行なった荼吉尼天法とは別物だろう。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 09:09:50
現在の系統は北朝なのに、なんで明治天皇は南朝が正統といったんだろう。
自己批判に繋がりアボーンな気がするのだけれど。
おまいはちょっと上のレスも見ないでカキコするのかと小(ry
〜小力がキレてた
指摘&分かりやすい解説ありがdです。
>>106 確かに言われてみると
>>106タンの仰るとおりだと思いますた。
禅譲か武力(中心)かによって評価の仕方が違ってくる感じみたいですね。
自分の王朝の正統性を主張することを考えれば当然かもしれませんが・・・。
>南方の王朝は、三国時代の正統王朝は呉である、という説をとる傾向がやや強い、らしい。
そうだったんですか〜!やはり馴染みが深いからですかね。
>>107 時代背景によって随分と評価の運命(?)が変わるもんなんですね。
それに蝦夷ってとても軽んじられ(嫌われて?)てきたみたいですね・・・。
南朝の王朝が呉を正統にしたことって合ったかな?
呉、東晋、劉宋、斉、梁、陳、南唐、楊呉、荊南、呉越、[門虫]、楚、南宋、張呉、陳漢だろ?
思い浮かばないが
>>120 実は、アイヌ・蝦夷・倭人の区別ははっきりしない。遺伝子鑑定では日本人は遊牧民族から東南アジアまで幅広く混血していることが分かっている。
(比率にすると10〜20%の種族が5種類もあり、早い時期に混血して日本人が出来上がったようだ。
ちなみに韓国人は中国系と遊牧民族系が40%以上づつと、全く違う歴史をたどったことが分かる)
太古の多民族国家・日本にとって天皇を中心とする文化・宗教を受け入れれば日本人で、独自の風俗を捨てない民族は仮想敵となった。
荒波吐<アラハバキ>は、実はよく分からない神なのだが、縄文時代から続く信仰なので伝統の浅い天皇家の宗教にとってやっかいだったと思われる。
その分無力化するまで叩かれてしまったようだ。
荒波吐自体は、もしかしたら中国の神農のような神だったかも知れない。
あまり信用できない文献だが、「東日流外三郡誌」では天皇家に破れた大和の王・長脛彦<ナガスネヒコ>は奥羽の津軽まで逃げて新しい国を作ったという。
そこでは荒波吐を信仰していた(事になっている)。
何の因果か奥羽は数百年後、南朝を支える牙城になるが、そのとき荒波吐がどうなっていたか、どう扱ったか顕家に聞いてみたい。
国粋主義者・親房も同行しているのでコイツが馬鹿な事をしていないことを祈る。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 06:15:44
荒吐族(通称:荒波吐族・荒覇吐族)=物部氏・蝦夷・アイヌ(末裔縄文人)
室町幕府誕生を巡っての問題とは!?
>東日流外三郡誌
あまり信用できない、というのはあまりに好意的な表現では・・?
でもまぁ日本国単一民族・単一文化説、の方が妙に通用してる分、
虚構としてはタチが悪い、とも言えるか・・
>>123 そういう説もあるのは知っていますが、本当に全部イコールで繋がるものかは疑問です。
アイヌは農耕を好みませんが、最近「縄文人の農村」らしき遺蹟が発見されました。
縄文人に関しては古い定説は忘れるべきです。
また、縄文人と弥生人の生活圏が重なっていることから、縄文人は日本に広く棲んでおり、混血もあったはずです。
彼らは早ければ1万年以上前から日本に居たかも知れず、一方アイヌ文化と琉球文化には類似点がある反面、エスキモーとはまず無関係なようなので、縄文人=アイヌであれば弥生人と無関係に東国に移住するというのは奇妙です。
物部氏没落後、東国に大挙引っ越したとも思えません。
日本語が朝鮮語と分かれたのは約6千年前と言われているので、縄文末期以降に独自のアイヌ語を話す部族が近畿や九州に相当数居るのは、やや無理があります。
恐らくアイヌと蝦夷は別種だがよく混同され、いっぽう倭人と蝦夷は緩やかな混血状態にあって、蝦夷とは土蜘蛛や安曇などのうち朝廷に帰属しなかった者たちの総称だと思います。
アイヌは何者で、なぜ琉球文化と類似点があるのかは、学者も知りません。
アイヌは入れ墨をしますが、これが倭人伝の頃の邪馬台国や朝鮮南部の入れ墨の習慣の名残であれば、彼らは扶余族の末裔かも知れません。
自分ではこんな風に考えています。
>>125 土蜘蛛・手長足長・長脛はそれぞれ建御名方と関わりがありそうですが、「三郡誌」の作者(著者とは言いにくい)は
長脛彦=建御名方<タケミナカタ>
荒波吐=石神<ミシャグジ>
として同じ話を書き直したような気もします。
ある程度民間伝承などが骨子になっているのか、創作神話を書いている内に楽しくて筆が滑ったのかは、正直分かりません。
ある程度根拠があったとして、荒波吐信仰が
荒波吐→石神→道祖神→地蔵
と習合して行った傍証になるのであれば、荒波吐信仰が跡形もなく消えたのは単に姿を変えただけの可能性もあって面白いなぁ、程度に読んでいます。
キリスト教圏の黒マリアみたいなものです。
128 :
120:2006/07/20(木) 11:39:37
>>122 ( ´∀`)つ〃∩ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー
日本人の成り立ちって自分が思ってたよりも複雑だったんですね。
また、お恥ずかしながら荒波吐や長脛彦って初耳でした。
>>122タンが仰るとおりそれだけ歴史から消し去りたかったんでしょうね・・・。
どうせなら親房(何故か変換できたw)も神皇正統記に荒波吐のことを書いておいてくれれば良かったのにw
メモから察するに天皇へーかは多分北畠親房みたいなヤシは嫌いだろうな。
>>128 消し去るというか…
イスラム教vsキリスト教、みたいに成熟した信仰同士の対立は徹底弾圧になりやすいです。
でも古代日本のような、どちらも成熟していない信仰同士の場合は比較的穏やかで、勝者の神話に敗者が取り込まれて、比較的すんなり収まります。
荒波吐の場合、排斥を受けて神話の世界からは姿を消したけれど、日本には八幡様や道祖神など由来不詳の信仰がやけに多く、そういう信仰に姿を変えたり習合した可能性が高いです。
朝廷にとっては琵琶湖の向こうは別世界という時代が長かったので、土俵から落ちた相手に止めを刺しに行くほど固執しなかったのでしょう。
親房の頃には消滅していたか、「田舎者が妙なモノを拝んでおるな」程度のものになっていたでしょう。
南北朝スレなので、「三郡誌」ネタで顕家につなげてみただけなので、深く考えないで下さい。
日本の古代は、国産み神話と酷似した伝説がマウイ島にあったり、南米で一万五千年前の縄文土器が見つかったりと謎だらけ。
新発見が多く面白い分野ですが「三郡誌」や「竹内文書」などトンデモの入り口も多いので、そういう意味でも面白いですよ。
北畠親房を好きなヤツはあんまりいないと思う
後醍醐天皇と揃って空気読めてない、現実読めてないコンビだし
南朝で現実見えてたのは楠と顕家とかかな。
政権中枢とは程遠い連中だしな
顕信、顕能、新田も見えてたと思う
っていうか、千種や名和とかの実際に戦に出たり、政治をした人間には南朝の抱える問題点が見えてたろう
後村上とか懐良とかの地方に出向したことがある皇族もある程度肌で感じるものがあったのでは無いか?
あと万里小路藤房も
名和長年本人が南朝矛盾の象徴でもあるからな。
軍功が少ないのに優遇された名和などへの不満が新政つまづきの最大要因。
失望して尊氏についた赤松円心みたいな人が半分以上いたから南北朝時代にもつれ込んだわけだし。
同情的に見れば、何の組織もない上に既にある武家社会を白紙にして、スキルのない公家と兄弟喧嘩で忙しい支持派武士を抱えて政権の中枢を担うのは大変だったろうとは思う。
それにしてもこの時代は又太郎だらけだな。
ぃゃ少なくとも千種は見えてないっしょ。どう考えても。
あいつや文観こそ新政のあさってさの象徴。
一方確かに懐良はそれなりに先を見すえてたね。
でもそれ故に見捨てられ殺されたわけで人生甘くないな。
136 :
120:2006/07/26(水) 10:51:53
>>130 いつも詳しくありがとうございます。
>・・・そういう信仰に姿を変えたり習合した可能性が高いです。
納得。確かにイスラム教vsキリスト教みたいな過激な話は聞かないですもんね・・・。
>朝廷にとっては琵琶湖の向こうは別世界という時代が長かったので、
確かにそうですね。関東地方ですら東夷とか呼んでたくらいですし・・・。
>・・・南北朝スレなので、「三郡誌」ネタで顕家につなげてみただけなので、深く考えないで下さい。
>・・・そういう意味でも面白いですよ。
了解しますた。しかし確かに中々面白い話ですよね。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/11(金) 08:50:33
あげ
菊池一党がすき
大健闘だったよね菊池一党は
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 17:02:35
足利が悪いんじゃない、後醍醐が全て悪い
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 20:37:23
逆賊高氏信者必死すぎw
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 22:10:47
その逆賊が傀儡として擁立した北朝が今の皇室の直系の祖先なわけだが。
南北朝の「和解」後、北朝側が約定を反故にして皇位を独占したときも、
多くの公卿は約定を保護にした北朝についた。
これは利権上の問題が大きな要因だろう。
そして、それを正当化するために、
公卿の間では一貫して北朝が正統、という見解が通用していた。
南朝系の公卿は衰亡し、ほとんどが北朝系によって血脈が継がれ、
そして、明治以降の華族の祖先は、ほぼ北朝系だった、にもかかわらず、
明治天皇が「正統だったのは南朝のほう」という立場をとったのは、
ある意味潔い。
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 00:12:50
逆賊高氏信者必死すぎw
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 00:15:55
尊氏は字がスッゲー綺麗なんだぞ。マジ。書道家以上かも・・・
見たければ、鎌倉の覚円寺に行って見な。拝観料いるけどな。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 00:17:35
真田広之の尊氏は良かった。優柔不断なところがいいね。
真田尊氏は体全体から伝わる瑞々しさがいい
ああいう瑞々しさを出せる若手が今はパッと思い浮かばない
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 01:46:38
逆賊高氏信者必死すぎw
真田広之の太平記、DVD総集編しか出てないんだよね・・・
全話収録で出して欲しいなー。出切ればレンタルOKで。
まあー絶望的に需要が見込まれないけど。
深夜遅くまでコピペお疲れ様です。
そのコピペの時間を使って、もう少しいろいろな立場の書籍でお勉強をなさったほうが、
きっとあなた自身と板の質の向上に役に立つ、と私は信じています。
どうかご自愛ください。
独眼竜政宗と並ぶ名作なのに、扱い悪い>太平記
この間ファミリー劇場でやってたの録画失敗したし……OTL
全話DVDが出たらなんとか切りつめて買うよ、俺は
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 03:11:28
逆賊高氏信者必死すぎw
賊とか言い出したら天皇家自体がその昔海を渡って攻めてきた賊だし
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_,,l゙-:ヽ,;、、 逆賊高氏印 、、丶 ゙i、,,、
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逆賊の傀儡=北朝
よって義満以降の天皇家はみんな逆賊の流れだな
逆賊伐つべしw
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 12:12:00
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そういうスレではないし、楽しく行こうぜ!!
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 22:31:28
悠仁さまも逆賊高氏が嫌いとおっしゃっていました。
>160
言うのは勝手だが俺には関係ない
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 15:50:18
足利幕府は成立時や滅亡時ばかりにスポットが当てられるが
結構途中も面白いんだけどね。
その辺、あまり語られないのは残念。
164 :
1:2006/09/17(日) 12:29:25
一応このスレは幕府の設立から戦国時代形成に至った経緯を
室町幕府全般を通して見つめるスレとして起てたつもりだったんですが
スレタイが良くなったようで南北朝オンリーになってしまった。
ただ戦国時代に至った原因に南北朝も一因としておおいにあると
個人的には思っているので、今後も南北朝を含めた
室町幕府そのものを語るスレとして頂ければ、三戦板に
このスレがあっても板違いではないと思うんですが、どうでしょう?
まあ判りやすく言えば
戦国時代=信長・秀吉・家康っていうパターンも飽きてた頃なので
戦国時代になった要因を将軍家を通して語ろうぜって事です。
そのスタートラインとして足利尊氏が存在すればと。
>戦国時代に至った原因に南北朝も一因としておおいにある
加速した一因ではあるけど、南北朝で割れなくても結果的には同じ
道筋をたどったんじゃないかな・・
いやそう決めるのも些か早計ではなかろうか。1つの分岐点にも思えるぞい。
もし後醍醐による建武の新政がなかったら、当時すでに武士の相続制度の矛盾が噴出していたので、自然に鎌倉幕府が無力化して戦国時代が早めに来ていたと思う。
ただし、天皇御謀反の時点では鎌倉幕府は行き詰まりつつも末期的ではなかったので、鎌倉幕府は本来もう少し延命可能だったはず。
そして日本中が新政に期待する中、後醍醐が無策だったことと、尊氏が仕事の途中で寿命が来たことで、全国の武士を味方に付けて中央集権化するチャンスを両者ものにできなかった。
中央集権国家か地方割拠、日本史上けっこう大きな分岐点だったと思う。
素直に戦国に移行すれば話は早かったよな。足利500年幕府エンド。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 18:27:35
それじゃあ日本文化最高の時代がなくなるべ
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 19:01:35
北畠顕家や楠木正行といった若きイケメンスターを輩出しただけでも、
価値のある時代だったよ。
他の時代だと、若くして大権を握るのは難しいし、かつ若いうちに死ぬという例が無い。
そのイメージがある源義経だって、実際に死んだのは31歳だし。
顕家より年上になっちまった時は「俺は未だ何も成さず生き恥を晒している!」と思ったもんだが、義経より年上になった今は「俺まだ童貞じゃん」程度の感想しかない
そして魔法使いに
173 :
167:2006/10/07(土) 00:17:57
どうせ話題もないから
>>167を補足すると、
もし天皇御謀反がない又は失敗していたら、足利氏は鎌倉幕府に代わる権威として関東で持ち上げられ、西日本・九州との繋がりが発生しないので中国との交易もしないだろうし、義満がやったような金にモノを言わせる政略はとらず武田信玄のような地方勢力になるかも知れません
鉄砲伝来までは各地の豪族が割拠するので本州は群雄割拠、早い時期から勢力争いをしていた菊地と少弐の勝者が、足利氏と関わることもなく独自に中国との交易をして力をつけ、空白地の中国地方に進出し九州主導の歴史になりそうです
そうなったら、楠正成の子孫が足利氏のために九州勢を引き付けて籠城するのでしょうか
あと、どこかで「なんで後醍醐は吉野なんて山奥ににげたのか」という質問があった気がしますが、天皇家が負けると吉野に逃げるのは神武の昔からの験かつぎかも知れません
ただし烏に会えなかった…
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 12:44:43
何が言いたい?
晩年に良い仕事を成し遂げる人もいれば晩婚の偉人もいるから焦るな、という意味と思われ
メンデル・夢窓・バクーニン
内容はともかく、天皇に謀反という表現はいかがなものか。
当時そう言われていたからね
明治以降の極端な天皇崇拝はキリスト教の神概念に影響されたものなので
元来日本とはあまり関係ない
戦前の日本=古い日本
戦後の日本=欧米化
の印象が一般的にはあるが
むしろ明治〜終戦にかけての日本は
よくも悪くも欧米的だったという事実
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 09:00:13
逆賊信者が高氏叩きから話題をそらそうと必死だね。必死必死。
確かに戦後の方が日本文化の本流に回帰してるとは言える罠。
そもそも本居宣長は武張った事が嫌いでそゅぅのと対局のところにやまとごころを見いだしてる。
平田アツタネはそれを国家神道につながる道に迷い込ませたけど、日本古来の宗教のどこにも
キリスト教の絶対的創造神とタイマン張れるキャラが居ないのにコンプレックスを感じ、
こともあろうに宣教師マテオリッチの本から絶対神概念を密かに丸パクりした。
そんなこと門人も幕末志士も国粋主義軍人も知らないから天皇を篤く尊崇し始めたが、
実際のところ彼らが崇めていたのは実質キリスト教の神の劣化コピーを天皇にペーストしたものに過ぎない。
そう思えば何が反日裏切り者かと言って、ペテン師平田と国家神道一派ほどの反日は居ないと言える
そこに山県が一枚噛んで自分と陸軍の権力拡大に利用したからタチが悪い
そう言えば山県は「陸軍の法王」とか呼ばれてたっけ
山県は、靖国にも立ってる大村さんが多分もっとも嫌ったであろうような内向き後ろ向きタイプなのが皮肉といえば皮肉・・
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 01:28:40
>>178 中世の「謀叛」は社会秩序の転覆一般だったから天皇でもかかる行為をすれば立派な謀反人です。
言い換えれば、秩序というのは天皇の上位概念だったわけだな。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/16(月) 08:13:05
では国体論は日本文化と敵対する凶悪反日思想という結論で
足利は逆賊というが、その立場にもよるからなぁ・・。
曹操は後漢を結果的に滅ぼしたような存在だけど、逆賊というわけでもないし。
項羽だって、漢や秦にとっては逆賊かもしれんが…。
信長だって足利義昭にとっちゃ逆賊だろうし。
大友皇子にとっては大海人皇子は逆賊だし、
北朝南朝はそれぞれにとって逆賊だったわけだしな。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 21:40:04
南北朝時代の佐賀県の話題どうよ?
こんな過疎スレにまで佐賀県かw
193 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 01:59:18
>>187 現在でも社会秩序をそれなりに維持しているから安倍晋は偉いという事になっている。
イラクやアフガンの政府の力の無さを見ればそれが分かる。
>193
それは浅い意見だな。そもそも植民地宗主国によって勝手に国境線を
引かれた地域で諸民族が揉めるのは当然の部分がある。ただ強権や詐術で秩序を確立すれば立派だと
言い張れるものでもない。考えようによっては分裂した方がよほど歴史的政治的に
自然という国家もいくらもある。
イラクやアフガンの歴史を少しでも知っていればそんな安直な例を持ち出そうとは
思わなかっただろう。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 15:10:57
なんか話題がズレてきてるような・・・
相馬一族について語りますか
新田とか佐々木とか他に語るものはいくらでもあるだろうにw
南北朝ものって、吉川『太平記』以外に面白い読み物ってあります?
北方謙三ものはアッキーや楠木といった人物史だし、全数巻といったのを探しているんですけど。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 16:52:06
後醍醐天皇が隠岐から脱出できたのって密書を送ったからと
あるけど具体的にはどのようにして脱出できたのですか?
考えてみれば密書を送るって言っても海な訳ですし。。。
>>198 山岡荘八も確か書いてた
昔読んだ記憶が
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 19:53:33
>>199 そりゃあ、もちろん舟を使って脱出したんじゃない?
天皇だから「 隠岐の島より 泳 い で 参 っ た」
なんてのは、流石に出来ないと思うし…。
何故か宇喜多秀家を激しく思い出した
天皇は神にして雲の上に座ってるぐらいだからヒョイヒョイと海ぐらい渡れる
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 20:53:32
後醍醐はいつ叛旗をひるがえすかわからない危険人物なのだから
幕府側も監視の目をそれ相応に厳しくしていたはず。
島から脱出するのに舟なんて目立つようなものを使うのは
自分から弓矢で狙い撃ちにしてくださいと言っているようなものだよ。
脱出させた奴が居たんだろうね、普通に考えて
隠岐の豪族を丸め込んでいたような記憶が…
長生きし過ぎ
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 21:41:24
209 :
木:2006/12/24(日) 14:00:05
めりーくりとりす
210 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2007/01/06(土) 17:33:35
誰もいない…寂しいな(ノ_・。)