1 :
無名武将@お腹せっぷく:
ヤンマガ連載作品「センゴク」の主人公としてもおなじみ!長宗我部、十河らの
諌めも無視して無謀な作戦を強行し、長宗我部信親と十河存保を討ち死にさせた
挙げ句、自分は真っ先に逃げ出したり、上田城攻めでは攻撃を主張し真田にあしらわれる
という馬鹿っぷりを発揮、そのくせ世渡りは上手かったらしく鈴を使って秀吉に許され、
自らのせいで没落していった長宗我部、十河を尻目に大名として復活した愛すべき駄将、
仙石秀久公についてまったりと語り合うスレです
長宗我部は自業自得ぽいんだが・・・
そう言ってるね
「豊後の国に跳梁していた最悪の海賊や盗賊は、とりわけこれら仙石の家来や兵たちに他ならなかった」
「彼らは何等恥や慈悲といった人間的感情を持ち合わせていない輩であり、当不当を問わず、
できうる限り盗み取ること以外に目が無かった。」
権兵衛周辺に対するフロイスの言です。。。
5 :
?:2006/01/13(金) 01:22:21
駄将仙石、武勇はそこそこ
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/13(金) 01:32:53
何で大名になれたのか不思議
一応、秀吉配下だと武功上げてるんだよね
小田原でも武勇示してるし
やっぱ戸次川だと混成軍の指揮官やってられなかったのかな
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 00:29:10
ファンスレッドとはとても思えぬスレタイだな・・・
ミスしか取り上げてないし 知らんのだろう
こいつにいい話あるか?
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 07:41:29
こいつを狂言回しにした秀吉の天下取りの話だろ
とりあえず、漫画が致命的なほど面白くない。
掃天航路ぐらい愚作だと思う。
『思慮なき人も、思慮ある人も功名するなり。
思慮ある人の功名は士卒を下知し、大なる功名を遂ぐるものなり』
仙石秀久に聞かせてやりたい言葉の一つだな。
14 :
?:2006/01/17(火) 01:30:49
近世大名として生き残ったのがまた痛い。切腹か斬首になってればまだここまで酷い言われように
ならずにすんだかもなあ。
勝ち組だから妬まれる
妬まれると嫌われるは別だよ。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 01:52:00
でもさぁ、普通に考えたらけっこうそこそこ名将だと思うよ。
司馬に嫌われたから必要以上に糞扱いされてるけど、少なくとも関ヶ原で身の程知らず無駄死にした大谷よりも器量は上に見える。
長宗我部元親も息子死んだぐらいで錯乱するアフォだったということでしょ。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 02:04:57
中学生らしい意見ありがとう、17君
19 :
名無し募集中。。。:2006/01/18(水) 03:46:52
>>12 そうすかねぇ
金ヶ崎編なんかスリリングよ
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/18(水) 11:13:00
1〜5巻までの展開は神。読んでてスゲー盛り上がった。比叡山編は途中チョイグダグダだったけど・・。
独自の考察がいいね
どこかの偉い先生の丸写しとかより
仙石秀久を好きな奴のほうが珍しいだろうが
その仙石をあえてもってきたところに期待して読んでる
比叡山焼き討ち編は最後にいきなり恋愛要素いれたからグダグダになっちゃったよな
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 15:42:55
>>17 大谷刑部は秀吉曰く「百万の兵を与えて指揮させてみたい」だっけ?
それでも仙石の方が上か。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 09:11:45
指揮させてみたい(妄想)>大谷
指揮させた(現実)>仙石
実際に7000の兵を秀久に指揮させたら戦国史上稀に見る大惨敗を食らったんだよな
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 12:32:07
とはいえ、返り咲いたからいいんじゃない?
大失態をやらかしたけど、時勢を読んで戦国時代を生き残ってる点を見れば、個人武力と政治力はあったんじゃないかな。
秀久て、今のご時世にはもってこいの話だな。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 12:59:43
>>1 長曽我部元親に負けてるカスの仙石が何故か指示する側だったまさに馬鹿戦
秀吉の到着を進言した元親,信親を無視して
自分の作戦を強行し,器量があった嫡男信親を見殺し
自分は一番先に逃げた
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 14:54:23
ひでぇな・・・
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 15:29:07
でもその後見事なカムバックしてる
ゴエモンを捕まえたって話は歴史資料などのある話なんですか?
架空の話?
ちょっと考えてみよう。
四国攻めの先陣の任を見事に失敗した仙石が、
どうして九州攻めで自分が敗れた四国勢を率いて、またもや先陣を任されてしまったのか?
これは、仙石の責任というより、秀吉の人を見る目の問題じゃないか?
(あるいは、「失敗させるために」先陣を任せたのかもしれない・・・のか?)
まあ、人間心理としては、先の失敗にもかかわらず、
自分を破った兵を与えられた上に、西国統一の最後の戦いの先陣を任されちゃったんだから、
功をあせったこと自体は責められないと思うのだが。
(秀吉だって仙石のその辺の性格はよく把握してたはずだと思う。子飼いなんだし)
そして、その後大名に復帰させたのも秀吉の判断。
単にお気に入り、というなら、御伽集に加えるって手もある。(生き残った織田一門の信包がそうであったように)
そうではなく大名に復帰させたのは、何か意図があったのだろう。
ま、まさか!
秀吉にケツでも貸していたとか・・・いやいやいや、それはあるまい。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 12:52:18
戦では長曽我部信親はカナリの奮闘をしていて
島津側の記録に賛美の褒め言葉が残ってるね。
たしか信親を追って多くの家来も死んでるはず
長曽我部家では信親が死んだおかげで家督争いが起き
元親が盛親を溺愛し家督を相続させようとした為
2男3男が継ぐのが筋と反対した親族の吉良を殺すはめに
仙石は九州では糞でも
結果的に長曽我部をおおいに弱体化させた
わかってやってたなら
凄いな
九州のときはともかく、関が原の場合は司馬の捏造でしょう。
なんで、軍艦でもない単なる一武将に過ぎない仙石秀久にに徳川秀忠軍の
作戦を左右できるんだ?
仙石が上田城攻撃を強硬に主張したのだとしても、それが無謀だったら本来は
家康から秀忠に付けられたスタッフ(榊原とか本田とか)によって是正されるべき
でしょうに。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 05:54:19
仙石…大名
長曽我部…寺子屋の先生
この差は何
きっと世渡りの巧さだよ
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 02:49:17
信親死んだ程度で、お家潰れるようじゃ信親生きてても長曽我部家滅んだじゃない?
というか信親は本当に器量人なのか?実績あるの?周りからただ褒められてただけじゃないの?
または元親の器量不足か・・・・。
>信親死んだ程度で、お家潰れるようじゃ信親生きてても長曽我部家滅んだじゃない?
その後、次男と三男が四男の盛親に殺されたの。
叔父の吉良も殺された。
跡目争いは、信親の死が原因でしょ
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 09:40:43
もしそうなら、跡目争いを収拾できない元親の器量の無さが目立つな。
>>33 長宗我部信者は秀久を憎んで秀吉を憎まないというバカ丸出しだから笑えるw
等の盛親も長宗我部傾かせた豊臣に忠誠誓いつつ大坂で皮肉にも大活躍w
秀吉美味しいな
元親に日向をあげるって秀吉は手紙だしたのにいりませんって返されてるもんな
秀久のおかげで日向は長宗我部領にならなかったな
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 12:46:50
>>18 長曽我部信親は元親に幼い頃から英才教育されてて
京から指導者を幾人も招きいれスパルタされてる
剣術も段位をもっているほどの腕。
絵も残ってて,かなり上手い
元親を越える器量があるかどうかは死んだから判らないけど
若くして文武両道だったのは確か
あと仙石の戦で
十河?も死んでるんじゃない?
大将クラスを3,4人見殺しにし
尚且つ作戦立案者がまっさきにと逃げ恥以外のなにものでもないわけだが
よく自分から切腹しなかったなと
秀吉にどう言い訳したんだろう
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 12:50:01
ここの住人は仙石のあの行動はすべて秀吉の命令だったと知らんのか?
そもそも長宗我部のお家騒動って、元親が次男と三男の扱いに失敗したから起こったことだよな。
もちろん長男が生きていればお家騒動自体がおきなかったというのは正しいが、それでも元親が
息子の扱いをきちんとしていればお家騒動は防げたこと。
長宗我部ファンは元親本人の責任を他になすりつけているだけ。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 17:40:04
既に秀吉の天下は決まっていて
戦後処理でないけど
掃討戦に等しい島津との戦いで大事な嫡男が死んでカワイソス(´・ω・`)
だけども
地方だけど一国をやると
秀吉が信親の死に配慮してくれたからまだいいほうじゃ
秀吉(その田舎一国に置いとける人物はもう居ないけどなw)
長宗我部について語るのはいささか板違いだが、あえて続けてみよう。
そもそも長宗我部のお家騒動は、単なる跡目争いとは言い切れない側面もある。
守護/戦国大名が、中央集権化の流れで生き残るためには、
近世大名として、領国の集権化を進めることは、必須であった。
その際に、大きな障壁となったのは、
戦国期には頼もしい存在であった、「自ら所領を持つほどに有力な」家臣団・一門衆であった。
中央集権化を進める上では、それらの力をそぎ落とさなければならない。
家臣が当主の意向を堂々と批判できてはいけなかったのだ。
それが、きわめて近しく、頼もしい血族であったとしても。
その批判が的をいていようがいまいが、その批判を許せば、
家中の秩序が危うくなり、近世大名としてはやっていけない。
たとえば、欧州の伊達氏でも、一門きっての猛将たる伊達成実が出奔している。
(余談だが、この出奔期間、家康から扶持を受けるが政宗の訴えで取りやめになったり、
上杉景勝が政宗に対抗するべく出奔中のしげざねを召抱えようとする(成実は固辞したが)など、おもろいことになっていたらしい。)
軍功随一の一門衆でも、主命に反することを許さない/許してはいけないのが、近世大名なのだから、
長宗我部のお家騒動は、跡目争いがなかったとしても、必然であり、
土佐の中心部に所領を持ち発言力の強すぎた吉良氏の粛清は避けられなかったのではないか。
>>48 それは吉良を討つ理由にはなるが、相続問題をこじれさせる理由にはならんよ。
そもそも出奔の理由がいまだ明確になっていない伊達成実と比べるのは
どうかなとも思う。
50 :
48:2006/02/08(水) 01:32:27
ようは、
相続問題≠お家騒動
と、いいたいのですよ。
正確には相続問題はお家騒動の一部分である、と。
相続問題がなくても、お家騒動はおこりうるし、
むしろ、近世大名化への過渡期においては、
戦国期スタイルの家臣団と近世型家臣団との地位交代と世代交代が内紛の本質であり、
家督争いはよくある火種に過ぎない。
幕府をひらいた後の徳川家でさえ、家臣団のそういった対立があり、
本多、大久保といった戦国期タイプの家臣は晩年は不遇(というのはいいすぎだが)であった。
伊達成実の例は、
「近世大名に比較的スムーズに転換できた伊達氏でさえも、このような事件がありましたよ」
という例ですよ。
元親とその甥の親実の対立は、家督争いに端を発しているが、その実態は、
かつて長宗我部を支えた家臣団と一領具足を、近世化へ向かって再編成しようという元親の意図と、
それへの抵抗ではなかったか。
久武親直奸臣説や元親乱心説も、
あるいは、そうした立場で書かれた史書であったからではないか?
史料は知らんが、江戸時代初期のお家騒動や藩政改革はそのあたりが主眼だわな。
先祖代々の自分の領地をもった豪族は戦国大名の部下にはなっても家臣とは言えない。
当人たちにもそんな意識は希薄だった。
そういった独立心の高かった連中を土地から切り離し大名の家来へと家の中へ取り込んで
いく過程では抵抗もあった。
>>44 負けて一人だけ逃げるのも秀吉の命令かw?
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 19:00:49
秀吉がチョンソ壁に領地を与えようとしたのは
自分の策が失敗したため、罪滅ぼしの意味もあった
仙石の改易はパフォーマンス、秀吉が「今は我慢しろ、すぐに復活させてやるから」
と仙石に言ったのは有名な話
ちなみに仙石は秀吉にこの人ありと言われるほど勇猛な武将だった
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 12:34:58
仙石が
長曽我部に負けたのも
秀吉のせいですか
そうですか
ほんとうにありがとうございました
こいつが内政向きだと知った時は驚いたぜ!
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 17:29:01
逃げるにしてもはるばる淡路まで逃げることはねーだろw
そんなに怖かったのか?
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 20:08:55
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 12:59:21
漫画では
絶対他人のせいにしてそう
これは孔明の罠だ。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 12:59:38
好意を抱いてる女が
長曽我部家に人質として捕らえられ
それを理由に四国で負ける
そして例の戦いで
長曽我部を置き去りにし
見事復讐を果たす
めでたしめでたし
もうそれでいいよ
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 17:00:47
久蔵ときみたいに、信親と仲良くなったりしてな。で、戸次川で尊敬する仙石守って死亡とか。
いや、戸次川まではやらない公算が高い、と見た。
都合が悪い、という理由以上に、
ストーリーのコンセプト的にやる必要が少ない。
あれは、「仙石秀久」の生涯を描く大河ではなく、
「センゴクゴンベエ」という未熟ながら、ひたむきでがむしゃらな若者の成長を描く、
という漫画。
だから、若者が大人になってしまえば、そこで物語は終わる。
まあ、戸次川以降もいつまでたっても大人になりきれないまま成長していく、という方向性なら、
あるいはさらにその後の小田原くらいまでも続くかもしれないが。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 02:19:39
史上最も失敗し、挽回した男のキャチフレーズで売ってるんだから、打ち切りにでもならない限り失敗談は絶対やるだろ。若者というより、仙石秀久の波乱万丈な人生を描くつもりだろ。
小田原も自分の復帰とか堀秀政の急死とかあるしな。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 02:19:24
しかしスレタイの「臆病者」というのはなんとかならんか?
それはちょっと違うような気はするのだが。
卑怯といわれるのは仕方ないとしても、臆病ってのは違うんじゃね?
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 02:28:13
そもそも臆病ならそこまで復帰への気力はわかないしな
臆病と言えば臆病かと
何かの思案があったわけじゃなくただ命が惜しくて逃げたわけだからな
しかも家臣すら置き捨てて逃げたのだからよほど怖かったのかと
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 21:23:24
さすがに自分の家臣は連れて逃げたろ。でなきゃ小田原の時に家臣達がわざわざついてこないだろ。それと大名は生き抜いて自分の家を守らにゃならん。命惜しんで当然だろ。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 21:32:57
むしろ信親の方が問題だろ。長曽我部の御曹司なのに、逃げ切れず、自分の命を守り切れなかった。正直器量を疑う。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 21:34:29
あの漫画うれてるの?
家臣も全部置いて逃げたんだよ
一軍で撤退ではなく個人で逃げたのだから大将失格だな
御家守る為に逃げたのではなく
命守る為に御家潰しちまったわけだし
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 21:48:26
が、見事大名返り咲いた。普通は切腹かそのへんで野たれ死だ。というか、仙石の復活劇て、かなり稀なケースだろ。そこのところは評価できると思うが。
75 :
有名武将@お首すっとぶ:2006/02/21(火) 22:48:28
この中で誰が一番好き?
『長宗我部兼序』
『長宗我部国親』『長宗我部祥鳳』
『長宗我部元親』
『長宗我部信親』
『香川親和』
『津野親忠』
『長宗我部盛親』
『長宗我部盛恒』
『丸橋忠也』
『長宗我部右近大夫』
『長宗我部康豊』
『吉良親貞』
『吉良親実』
『香宗我部親泰』
『島親益』
『長宗我部国康』
『比江山親興』
『本山親茂』
『仙石秀久』
信親以下約1000人の最後は見事なものであり正に武士の本懐を遂げたけど
それだけに惜しまれる
そういや信親の初陣は仙石との戦かな?
この時も仙石は散々に蹴散らされて洲本に逃げ帰ったよな
仙石にしてみれば改易になっても
恥かかせられた小癪な小僧が討ち死にしたのはせめてもの救いだったかもな
長曽我部信親の母は、秀吉の主君織田信長を殺した明智光秀の側近斉藤利三の娘。
つまり、仙石は明智家ゆかりの血筋をひとつ潰した功績が後世に大きく影響してるんだよ。
そんな功績聞いたことない
ていうか潰してないだろ
潰れたのは仙石家で
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 11:46:05
1000人の部下が討ち死にしてくれたのに信親生き残れずか…普通にヘタレだな。戦国の世で討ち死によって武士の本懐を遂げたなんて話は安っぽすぎる。
信親が死ぬ覚悟だから全員殉じたんだよ
信親隊は撤退する気は毛頭なかったからな
戦国期に江戸時代のような武士道はないから
将士全員討ち死には極めて珍しい
余程の人望がなければありえない
仙石隊のように不利になれば一気に潰走する方が自然
最も一人で遥か後方の城まで逃げると言うのは珍しいが…
しかも物資置き捨てるぐらいなら普通だが
馬印から陣羽織り、鎧兜まで投げ捨てて逃げると言う散々たる戦をしたのは
豊臣家中では仙石一人じゃないだろうか?
糞兵衛って大名になれるほどの功績あったのか?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 12:59:12
>>71 おいおい………
大将を置き去りにして逃げるわけがないだろう??
武家をなめてないか??
大将が討ち取られて自分が逃げてみろ
生きて帰れても確実に切腹
更には末代まで長曽我部家の恥になる事は確実
信親は仙石しいては元親を逃がすため家の名誉の為に
あの場に残り散ったんだから
見事としか言いようが無いが
現地に今でもある信親の石碑で頭下げてこい(´・ω・`)
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 13:10:44
どっちにしてもはるばる淡路まで逃げることはないだろ。
せめて小倉城あたりにしとけよ。
任務放棄までしたのがマズイね
本隊が九州に上陸するまで守備するのが役割なのに
洲本まで逃げちゃ話にならない
せめて大友領の城に篭って来援を待つべきだったな
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 21:32:26
近代以降の軍隊なら「敵前逃亡」で軍法会議ものだな。
敗北や降伏は罪にはならんが、任務を放棄して逃げるのは処罰の対象になる。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 22:19:09
大名になってたのか・・・
行方不明になったのだとオモタ
勉強不足でした。
もしかして赤穂浪士の件ででてくる仙石ナントカって老中は子孫か?
でも、某ゲームで捕らえたら真っ先に切る
後に秀吉に許されて信濃小諸5万石で復帰した
コイツも世渡りだけは上手だからな
九州征伐に出陣したが戸次川の戦いにおいて功を焦るあまり、長宗我部元親や
十河存保らの反対も聞かず無理な攻撃を開始し、島津の『釣り野伏せ』に引っかかって
しまい、存保や元親の子信親らを戦死させることとなる。また秀久自身は戦目付という
立場にありながら真っ先に逃げた為、秀吉の怒りを買い、所領を没収され高野山に謹慎の
身となった。
上記の理由により、秀久は長宗我部ファンや十河ファンにはすこぶる評判が悪い(らしい)。
小田原の役の時に徳川家康を頼って参陣、甲冑に鈴をつけて走り回るというパフォーマン
スにより秀吉の許しを得、信濃小諸城5万石となり、名誉を回復した。
1600年の関ヶ原の戦いにおいては、徳川秀忠率いる中山道軍に加わったが、上田城攻撃を
進言し、秀忠もこれに乗ってしまったので結果的に関ヶ原の本戦に間に合わなかった原因
を作った。
コイツはいったいなんなのだろう。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 00:10:24
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 00:38:14
十河存保はやる気満々だったぞ。
長宗我部元親が渡河作戦の無謀を理を尽くして語ったにもかかわらず、
「仙石殿の意見は理が通っている。(中略)
さっさと川を渡れば主導権を取れるし、上方へのきこえもいい。さっさと渡河してしまうべきだ。」
というようなことを言ったと、「土佐物語」には記されている。
(現代語訳はいい加減だけど、大体こんなニュアンスだと思う)
つまり、十河は仙石の意見に諸手をあげて賛成しているわけだ。
戸次川の悲劇は、むしろここに起因しているのではないか?
もし、十河も渡河に反対していれば、
さすがに副将二人ともが渡河に反対すれば、仙石も考え直していたかもしれない。
しかし、実際には、十河は渡河作戦を大いに後押ししたわけだ。
十河が何を思って戦国の功を焦った渡河作戦に賛成したかはわからない。
あるいは、主将の仙石におもねったのか、
あるいは、渡河に反対した元親への敵愾心か、
あるいは、仙石と同じく功を焦っていたのか、
あるいは、本気で、川を渡ったほうが賢い選択だと信じていたのか。
いずれにせよ、長宗我部親子には災難以外の何者でもないが、
十河に関して言えば、「自業自得」としか思えない。
だから、敗戦自体に関して言えば、すべての責任を仙石に求めるのは、さすがに酷だという気はする。
ただ、洲本にまで逃げ帰ったのは、さすがにフォローの余地はないな。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 00:53:19
上田城攻撃を進言し、秀忠もこれに乗ってしまったので結果的に関ヶ原の本戦に間に合わなかった原因
←またこの話か・・。常識的に考えて、外様の一言で秀忠が動くわけないだろ。確たる証拠もない。
信親は仙石しいては元親を逃がすため家の名誉の為にあの場に残り散ったんだから見事としか言いようが無いが
←そうか?悪いがこの手の話はまるで感動せん。自分が時期当主の身であることがちゃんとわかっていない。それに名誉を失おうが笑われようが、その後に挽回すればいいだろ。死んじまったらそれもできん。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 01:43:02
まんがのセンゴクは著者の偏見がはいりすぎてる。
絵はうまいけど構成はぐだぐだ。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 02:04:59
それは全ての映画・ドラマ・小説・漫画でいえること。偏見があって当然(大河ドラマに比べれば、遥かに許容範囲だ)。
むしろ偏見の無い歴史作品なんてあるのか?
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 10:39:11
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 12:58:43
>>92 仙石が真っ先に逃げた時点で
自然と長曽我部家が島津追撃の防波堤にならざるを得ない。
ここで持ちこたえず
仙石を討ち死にでもさせようものなら長曽我部家は
取り潰しか,元親か信親の切腹は確定。
みすてて逃げたならば後世までの恥になる。
挽回も糞もない
長曽我部家の立場ぐらい考えろ池沼
あえて弁護すれば、秀久は軍監であって戦闘部隊をそれほどもっていなかったかもしれない。
もともと彼には羽柴とは無関係の四国連合軍を戦いに引きずり込む任務があった。
損害を嫌って渋る武将達に対しては主戦論を展開せざるを得ない立場にある。
>>96 長宗我部の立場を考えれば、なおさら後継者の命を捨てていいものではなかろう。
長宗我部が殿軍に立たなければならなかったとして、それでも大将格ともいえる
信親がやらなければならないことでもない。そもそも長宗我部軍には他に殿軍の
指揮がとれる武将がいなかったのか?
関が原の撤退戦で、島津軍は主君義弘を戦場から落すために戦い、義弘もそれに
応えて見事逃げおおせた。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 14:54:14
>>91 十河存保はやる気満々ではない。
最初から負けるのがわかっていたけど、仕方なくって感じだったらしい。
よって、
『あるいは、渡河に反対した元親への敵愾心か』
が一番正しいだろう。
ま、自業自得に変わりは無いのだが・・・
『もし、十河も渡河に反対していれば、
さすがに副将二人ともが渡河に反対すれば、仙石も考え直していたかもしれない』
それは逆だろ。
もし、存保まで賛成したら余計秀久が意固地になるだけだろ。
人間ってそんなものと思うけど。
殿軍の指揮を上手くできる武将て
日本中探してもそんなにいないよ
大概死にまくる
今回は仙石並びに元親が戦線離脱するまで逃げるに逃げれない状況だよね
一番指示を出さなければならない仙石が真っ先に逃走し取り残された味方が混乱する状況で
もし殿軍の指揮を上手く采配し尚且つ生きて帰れたら軍神だよ。
取りこぼした島津が馬鹿になる。
関ヶ原は
島津義弘は助かったけど
島津の誰か討ち死にしてなかったか?
まあ関ヶ原の島津と比べるのはアレかと
長曽我部はマトモな具足をもってるものすら少ない
そういえば羽柴軍に従軍していた人の日記に
毛利軍は織田に比べ軍備率が悪いと書いてさらに四国軍はもっと整ってないとか書かれてたな
やはり中央と地方で差がでるのは仕方ないがこうも変わるとはとか言われてた
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 15:15:24
うまい殿軍といえば吉川小早川とか秀吉が有名だな
元春がしっかりしてなかったら日本海に村上水軍があがれず月山富田が封鎖できなかった
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 15:24:22
>>98 島津厨は何かあるとすぐに関ケ原突破を引き合いにだすんだな
信親隊は殿りじゃないよ
仙石隊が先行して長曽我部隊と十河隊が後に続いていたが
仙石隊がいきなり潰走して島津軍が追って来た所で激突した
十河も長曽我部も奮戦して押し返したりしたが
長曽我部3千、十河1千に対して島津勢3万だから次第に討ち取られて潰滅した
その過程で信親隊は玉砕した
仙石隊2千を含めても6千足らずで島津の5分の1程度なのに
その3分の1の仙石隊2千が一戦もせず逃げたら手の施しようがない
そもそもどうやって戦うつもりだったのか仙石の正気を疑う
おまけに釣り野伏にまんまと掛かって不利な状況まで演出するとは…
しかし不思議なのは信親が 殿を務める必要が本当にあったかのだな
単に功名心からの暴走か
権兵衛がそう仕向けたのか
あるいは長宗我部側は他に殿が出来るほどの 戦慣れした武将がいなかったかw
>>106 だから殿じゃないって言ってるだろ
信親以下全員島津に突入したのに誰の殿するって言うんだ
それに戸次川の戦いは仙石隊が逃げ散ってから始まったのだよ
リロードしてなかったのでなw
ゆるせwwwww
まあ、ともかく仙石の話ししよう
上記の話し以外俺は全く知らんがな
何したひと?
>>105 島津は16000だか17000くらいじゃなかったっけ。
てか、どっかでそう見た。
どっちにしろ無謀
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 00:02:03
信親が後を継いでいたら
長宗我部生き残ったかな?
三成と意気投合して
結局西軍につきそうな気はするが。
十河存保の最期の潔さを見て、その上
>>99にも書いてあるような負けるのはわかっていたんだから
存保が仙石秀久の意見に賛成したとは思えない
それに秀吉と十河家(三好家)の関係は秀次の件もあり良好だったし些細なことでも軍功を挙げれば加増されるだろうし
そんな状況で負けるのが確実と言われてる意見に賛成するのは余程の愚将じゃないだろうか
状況証拠にすぎないがおそらく反対か、意見を出さなかったかのどっちかだろう
つーか土佐物語って長宗我部方の資料じゃないの?
同情を誘うためにそう記述したというのも十分有り得る
最も十河とは少し前まで敵同士だったんだから
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 01:11:15
仙石 秀久
1551年3月3日(天文20年1月26日)〜1614年6月13日(慶長19年5月6日)
戦国時代、江戸時代の武将。もともとは「千石」と表記していた。
通称は権兵衛。治兵衛久盛の四男。子に仙石秀範、仙石忠政。
美濃出身で、清和源氏である土岐氏の支流を自称するが、正しくは不明。
羽柴秀吉に早くから仕え、秀吉が織田信長に命じられた中国征伐に従軍して
戦功を挙げ、淡路の国主に任じられた。信長死後、秀吉が覇権を握る過程に
おいて当時四国を支配していた長宗我部元親と対陣し、その功績により四国
征伐後、讃岐・聖通寺に十万石を与えられた。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 01:12:55
しかし1586年(天正14)、秀吉の命により長宗我部元親や十河存保と共に
九州征伐の戦目付として渡海した際、秀久は功に焦って無謀な作戦を立てて
しまう。そしてこの作戦により行なわれた戸次川の戦いで島津家久率いる
島津軍に豊臣軍は大敗し、元親の嫡男・信親や十河存保といった有力武将の
多くが戦死してしまった。さらに秀久自らは諸将の軍を差し置いて四国へ
逃げ帰るという醜態を見せた。これらの行状に激怒した秀吉は、秀久の所領を
没収して、高野山へ追放した。
その後徳川家康のとりなしを経て、1590年(天正18)の小田原征伐の時には
陣借りという形で秀吉の軍に加わった。このとき秀久はきらびやかな鎧に鈴を
一面につけるという際立つ格好をして参加し、抜群の武功を挙げた。箱根にある
仙石原の地名は、彼の奮闘の地であったことを記念して付けられたものである。
この功績により、秀久は信濃・小諸に5万石を得て、大名として復帰した。
こうした経緯から秀吉死後は徳川氏の家臣となり、1600年(慶長5)の
関ケ原の戦いでも徳川方として従軍、秀忠とともに真田昌幸の守る上田城で
足止めを食い、関ヶ原本戦に遅参してしまう。秀久は秀忠の遅参について
激怒している家康への謝罪に努め、秀忠が将軍就任後、特に重用されるようになる。
そのため仙石氏は、明治維新まで家名を存続させることとなる。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 01:14:01
ちなみに、戸次川の戦いで無謀な作戦を立てた最大の責任者でありながら、
真っ先に敵前逃亡した秀久は、後年の史料で『三国一の臆病者』と言われる
ほどに罵られている。また、伏見城にて石川五右衛門を捕縛したとの伝説が
ある(公の捕縛者は京都所司代であった前田玄以)。
>伏見城にて石川五右衛門を捕縛したとの伝説がある
これホントなのかねぇ・・
いずれにしろ個人武勇だけは大したものだったんだろうが
所詮は「槍働きの武者」どまりというイメージは覆せんなあ・・
そういう伝説が作られたという点が、秀吉にとって仙石秀久がそれなりに重要な
武将だと世間からも思われていたということでしょう。
そういった武功話に、加藤清正や福島正則でなく秀久をもってくるあたり。
>>112 >三成と意気投合して
しないだろ。何の根拠だ
とにかく、秀久は肝がちっちゃい猛将ってことでいいか?
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 06:28:04
家康だって頼朝だって戦で負けて逃げまくってるだろ
負け戦で命をかけるなど愚将の証拠
賢い武将は命を大切にするもんだ
三成もこれと同じようなこと言ってる
負け戦で命を懸けることを美談みたいに考えてる厨房はシネヨ
頼朝も家康も戦わず逃げた事は一度もない
まして仙石はただの軍監
諸将が間違った行動しないように監視するのが仕事なのに
軍監自身が功に焦り無謀な戦いを仕掛け
ましてや友軍を捨てて我先に逃げ去るなど言語道断
一体何の弁明の余地があろうか?
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 08:15:33
敗戦の責任を取り改易を受け入れた潔い仙石
その後、戦で活躍し自力で大名に返り咲いた仙石
無能ではこんなことできないよな。
いや、秀吉が激怒して領地を全て取り上げて高野山に追放しただけだから
あれだけの失態晒して追放で済んだのは運がいい
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 08:55:36
>>122 改易を受け入れるも何も、強制的に没収されるんだから
抵抗したらその時点で反乱だろ。
改易ってのはそういうもんだ。なに意味不明のこといってんだ?
勝ち組:仙石、山内
負け組:チョンそかべw
こいつは立ち回りと町の開発がうまかったから多分現代に生まれてもどうにか暮らせそう
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 11:11:48
>>125 本家筋は後に改易されて分家筋が2〜3万石の小大名で残っただけだから
チョンゴクは完全な勝ち組とは言えない
こんな並以下の木っ端武者の何話せばいいんだよ
豊臣家臣なら他にマシなのいくらでもいるだろ
なら無理に来るな
どうせ長宗我部厨のストレス解消の為のスレなんだから
アンチ長曽我部も来るなよw
仙石スレなのに仙石の話ししないで必死に長曽我部に食いついてる馬鹿が一人いるw
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 12:53:05
大名として生き残れば十分勝ち組だろ
長宗我部は惨めな最後で同情してしまうw
wを使う奴って痛いよな
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 13:22:00
結果的に徳川家以外は
全て負け組だろう
仙石は確かに生き残れたが
生き恥を現代にまで晒す事となっている
滅べば糞の扱いは良くない
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 13:24:55
ファンスレが読めないチョンが一人いるな
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 15:08:38
久秀が
自分で噂を吹聴したとも考えられる
槍働きでのし上がるタイプには見えない
久秀はイケメン
秀久は神速逃亡
久秀と秀久は逆になっただけでえらい違いだなw
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 17:31:47
三匹が切る!!の
仙石はなかなかよかった
まったくの別人だが
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 20:25:37
苛烈に死ぬ事より、苛烈に生きる事の方が遥かに難しい(たしか蒼天の言葉だった気が・・)。
それを戦国の世で実行して、完遂した仙石は十分凄いと思うよ。
まぁ苛烈に死ぬ事ができれば、世の同情と賞賛を得られるメリットがあるがな。
滅びの美学を好む人は前者の方がいいんだろうね。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 20:45:53
いや、苛烈に生きてないし
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 20:50:33
秀吉の下で各地で転戦→十万石の大名へと出世→戸次川で大失態→改易→小田原参戦→大名復帰
これだけでも十分苛烈な人生だよ。
かれつ 0 【▼苛烈】(名・形動)[文]ナリきびしくはげしい・こと(さま)。
「攻撃は―をきわめた」
つまり戦国の世で浮き沈みが烈しい人世な仙石は十分凄いと思うよ
ですか。そうですか
波瀾の人生ではあるけど
その人生に苛烈さはないよ
普段は案外有能なのに
ここぞと言う時に保身に走ってしまうから5万石程度に収まってしまったのだよ
秀吉や家康でさえ、ここが正念場だと思えば死力を尽くして突き進んだ
ぼくも苛烈な人生だとはいえないとおもうなー
仙石さんが苛烈なら、苛烈な人ばっかでしょー、戦国
長宗我部よりマシなのは間違いない
長宗我部酷すぎるw
無理矢理長曽我部に話し振ろうと必死だなw
誰も仙石の詳細を語れない件について
148 :
紋野郎 ◆VYJqzu6hsI :2006/02/24(金) 21:16:44
私は苛烈に一票。彼はそんな能力がないのに色々チャレンジしてますから。要は頭がキレない、鈍重な考えしか
できない人だったのでしょう。でも目立ちたがり、偉ぶりたい。今の社会にもいますよね。『なんでこんなの出来ないの?』みたいな。でもこういう単純な人は皆から愛される
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 21:28:50
切腹ものの大失敗して、5万石大名に復活なら十分見事。
正念場だと思えば死力を尽くして突き進んだ←小田原でそれを実行してる。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 21:31:48
保身に関しては狡猾だけどな
秀吉に一兵卒から大名にまで取り立ててもらったわけだが
例の改易を根に持ってたのか知らんが家康べったりになって
何の躊躇もなく従っていた
他の譜代や子飼い武将は後ろめたさを拭いきれず
大坂城にこっそり兵を入れたりして豊臣家の滅亡だけは阻止しようとしたが
コイツは全く何もしてない
自分がよければそれでいい!
とある意味単純と言えなくもないが
小田原は決死で挑むような戦場なかったし…
圧倒的有利な戦だったからな
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 21:37:30
他の譜代や子飼い武将は後ろめたさを拭いきれず大坂城にこっそり兵を入れたりして豊臣家の滅亡だけは阻止しようとしたが←こっちもどうかと思うが・・。
自分がよければそれでいい←ほとんどの大名はそうだ。まず自分の家を守ることが大事。あと、仙石は元はといえば、信長の家臣で秀吉の与力だろ?福島や加藤とは立場も違う。
正則みたいに江戸城から家臣に大坂に入れ!とか手紙だしたら
仙石なら死ぬぞ、まず
154 :
紋野郎 ◆VYJqzu6hsI :2006/02/24(金) 21:40:16
仙石秀久、おもしろい人ですな。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 21:43:05
圧倒的有利な戦だろうが、当の本人にとっては正念場だろ。それに各地で小規模ながらの戦いはあったし、それを見つけて自己アピールし、少ないチャンスをモノにしたということだろ。
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 21:45:13
与力なんてたいそうな者じゃない
信長から預けられた数千の兵に混ざってた一人ってだけ
出自も定かではない
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 21:47:27
それでも加藤や福島とは立場が違うと思うが・・。そこまで付き合う義理はないだろ。
一応土岐源氏の支流を自称してるわけだし、正則や清正のような農民出身と違って守る家はあっただろ
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/24(金) 21:53:46
加藤や福島より前から秀吉に従ってたけどな
仙石は猪武者じゃないよ
主に軍監や調略を担当していたからね
逆に頭がまわりすぎるから不利になると必要以上に恐怖して逃げてしまうんだよ
性格が多少軽薄な所があるけど決して無能ではない
いかにも参謀タイプの人物
源田や辻なんかと似通った雰囲気がある
ヤンマガでやってる漫画も主役は堀尾茂助にすればよかったのにな
浪人から身を興し信長に気に入られて仕官し
秀吉が是非貰い受けたいと信長に乞い、秀吉の臣下になる
篤実にて剛勇、戦も巧みで個人の武勇伝も数知れず
人柄も優れて秀吉の信頼を受け中老職まで出世した
正にあの漫画のコンセプトにぴったりだと思うのだが
163 :
紋野郎 ◆VYJqzu6hsI :2006/02/25(土) 00:53:12
わかります。キレる人とキレない人は紙一重です。出頭ね。出来る人もなんでこんなのわからないの?みたいなのありますからね。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/25(土) 02:39:49
たしかに堀尾はいいチョイスかもしれん。
まぁオチは息子忠氏は一豊に意見盗まれ、忠晴死後は宗家断絶。三代しかもたなかった。
逸話の多い家ではあるね
長宗我部寄りの史料である「元親記」でさえ秀久についてそれほど酷いことを書いてないのに、
現代人はどうしてそこまで秀久を酷評するのだろうか?
あと、小田原征伐のとき鎧に鈴付けて戦ったなんていうのは三流史料に出てくる話なので論外。
戦功立てる前から目立ってどうすんの?
前田利家帰参時の逸話と比較すりゃいかに馬鹿馬鹿しい話かすぐ分かる。
まぁ、豊後陣のとき遠くへ逃げすぎなのは否定しないけどね。
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/25(土) 03:24:02
現代の仙石酷評はやっぱ司馬の「夏草の賦」が原因でしょ。
これでもかいうぐらい仙石を最低な人物に描かれてる。つーか仙石嫌いの大半はみんなこれ読んでるんじゃないの?
「夏草の賦」が出る前は仙石は今みたいに酷評される人物じゃんかったんだよね。
人気歴史小説家に嫌われたことが、コイツの不幸だな。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/25(土) 07:41:00
戦前は五右衛門捕縛の講談が映画にもなってた程だしな
秀吉賛美の風潮も相まって忠勇無双の豪傑として持ち上げられていたと
一方、当時の(今もか)長宗我部は地元においても竜馬、山内家に比べてマイナーな存在
その家が滅亡の原因となった戦と人物に対して高知県民すら関心無かったと
仙石は才子肌の人物だよ
戦じゃあまり活躍してない
諜報や工作で重宝されてた人物だからね
だから世渡りも上手いし
なぜか単細胞な猪武者的なイメージになってるが
結構頭が切れる参謀タイプなんだよ
領国も淡路国
大坂城の海側の重要な防衛拠点だから槍働きの武者など置かない
戸次川の戦いも、島津軍に包囲されている大友方の城を救おう、というのが前提だからなぁ。
これを踏まえると、不利と分かっていても味方の危機を見過ごせなかったので戦った、と
マンガではなりそうだ。
実際戦略はまずくない
鶴賀城を落とされれば府内が直接攻撃に曝されるし
大友方も連戦連敗で士気があがらない状態だったから
救援断って府内に篭っても持ちこたえられるか疑問
そこまでは良かったのだが戦術がまずい
敵は大軍だし渡河して囲まれれば背水で死地に追いやられる
むしろ島津軍が渡るのを待って迎撃すべきと軍議では出たわけだが
仙石が独断で渡河を開始したから諸将とも引きずられて島津の策に落ちるハメに
しかも戦わず潰走したのが益々悪印象を強くした
何故かこの時は激しく気が動転したようだ
小田原後に帰参して朝鮮征伐では肥前名護屋の築城で才能発揮
我先にと朝鮮渡航に志願しそうなイメージだけどな
小諸での治世もまずまずだし実は能吏の人か
小諸城もなかなか立派な城だよ
四国制圧後、瀬戸内海側は小早川隆景、蜂須賀家政、仙石秀久などが配置されている
いずれも知略に富んだ武将であり統治も上手くいっていた
それに若い時から城代や拠点防衛に仙石の名前がよく出ている
戦では特別輝かしい戦績はないが知略の面で買われて信頼されていたようだ
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 08:18:53
ここは漫画を基準に仙石語るスレ?
こいつはなんとでも言えるし
他の武将よりこじつけで通るから漫画にしたんだろう
あと元親公記で酷評されてないのは
普通に上方への配慮
秀吉に,家康に,都合悪い事を書けなかった
他のものと同じ
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 10:41:55
加藤、福島みたいに武名があるわけじゃないし
五万石程度の小身だし、残しておいても大した脅威がないから潰されなかっただけだろ。
もっとも後に家中内訌を起こして3万石に減封されてるけどなw
というか豊臣譜代だし秀吉お気に入りだったから
秀吉もいずれ復帰させるつもりだったと思う
家康、秀忠にもかなり売り込んでたし
かなり早い時期から家康側として動いてたから徳川幕府でも悪い扱いではなかった
藤堂の小さい版みたいな人物だね
仙石はもっと政治力を評価されてもいいと思う
立ち回りと政治は評価すべき
魅力とかのパラメーターがあったなら下げてもいいけど
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 11:37:39
>>176 権力者に媚びる能力は政治力とは言わない。
城作りの名人と言われた藤堂と一緒にするなよ。
こいつに媚びる以外の何の能力があったんだ?
あるっていうなら具体的に挙げてくれよ。
大体、秀吉の子飼いといいながらも、豊臣政権下では5万石程度の小大名、
早い段階で徳川方についたから悪い扱いじゃない、といいつつ徳川政権下でも
やはり5万石の小大名。
結局その程度の評価が妥当な人間だったんだろ。
司馬史観の影響力も功罪半ばだな。
司馬があそこまで悪し様に仙石を描かなかったら
ここまで嫌われることもなく、地味な存在だっただろうに。
司馬の仙石像を実在の仙石と混同してる香具師が大杉。
>>178 いや、藤堂を「小さく」したような人物だって
仙石は大将として出陣した事はあまりないが
主に軍監と前線での軍用路整備や陣地の設置などをやっている
だからそう言った知識はあったのではないかな
小諸城も小城ながら出来は良いよ
淡路や讃岐あたりの戦後処理も混乱なく遂行してるし
領国経営も革新的な事はないが無難に治めている
戦はお世辞にも上手い方ではないが政治向きの事は地味にこなしているよ
脇坂も仙石と似たような境遇だね
小牧長久手で失態演じて危うく秀吉に詰め腹切らされる所だったけど
十数騎で郡山城(?落として許されて
小禄ながらも大名になって関ヶ原では徳川について5万石
徳川に上手くとりいって譜代待遇になった
奉行などもやっている
司馬の小説を
歴史好きが全員読んでるのかというと
そうでもないから
むしろ司馬の小説がなければ
山賊みたいな出で立ちの長曽我部軍に負けるわ
九州制覇まであとわずかだった島津に
無策で猪みたいに突っ込んで自爆するわで
カス武将という印象だけで誰も興味もたなかったかと
漫画にすらならないかも
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:43:24
猪武者扱いされてる割には目立った軍功はないんだよな。
中国攻め、山崎の合戦、賤ヶ岳の戦い、朝鮮出兵、関ヶ原・・・
ことごとく目立った働きはしてない。
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 13:01:29
山崎の首とった
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 15:13:32
あれって漫画の中の話じゃないの?
山崎なんて浅井家の記録にはいないが
漫画には仙石家の家譜に書いてあるような事描いてあったがどうなんだろ
仮に実在しても身分の低い者なのは間違いない
センゴクの山崎は全体の戦略を決定しなおかつ1人で戦況を覆すほどの武勇を持ってたからな
もしそんなやつがいたら歴史にもっと大きく名を残してるはずww
まぁ討ち取った相手の名前を残したぐらいだから雑兵ではなかったんだろうが
まあ、あれは漫画だから作者の創作で書いただけでしょ
恐らく家譜には「山崎と言う者を討ち取った」って内容が簡潔に書いてあるだけだと思う
浅井の家士ではないから近江辺りの土豪か野伏せりの頭とか
そう言った人物ではないかと思う(実在なら
そこまでの武将なら真柄みたいに記録に残ってるだろうしな。
>174
>あと元親公記で酷評されてないのは
>普通に上方への配慮
「元親記」は寛永八年に書かれた代物だが…。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 02:34:10
戦国の評価はオレ的にも高くはないが、酷評するほどひどくはないとも思う。
戸次川の時の逃げっぷりを除いては。
だいたい、ゴマすりで出世したという評価はさすがにひどい。
じゃあなにか?ゴマすりだけで管理職に昇進できるのか、と。
そりゃ、ゴマすりがきっかけで昇進したような上司も世の中にはいるだろうけど、
そんな奴だって、その上役が「つかいどころとつかいようによっては(便利に)つかえる」と判断しなきゃ、
いくらゴマをすっても引き立てられない。
昇進する奴には相応に持ち味があり、
昇進とは、それが首脳部に(それが正当な評価かは別として)アピールされたということだ。
いくらゴマをすったところで、勝手に昇進できるわけじゃない。上の人間があってのことだ。
現代社会でも(過ぎたるは及ばざるが如し、だが)自己アピール能力はビジネススキルとして必須といえよう。
自己アピールのアプローチがゴマすりしかない、というのでは、さすがにあまり美しくないが。
大名としての事績を見れば、仙石は及第点を与えてもいいんじゃないか、とおもう。
(オレ個人としては好きなキャラではないが、それは別として、だ。)
戦歴をみても、対長宗我部、対島津戦ではお粗末の限りだが、
それとて結局はそれで大勢が決するほど重大な局面ではなかったし、
(所詮は緒戦の局地戦でド派手に負けたに過ぎない)
他の戦場ではまずまず無難に任務をこなしてはいる。
逃げっぷりや負けっぷりだけを見ても、「劉備よりましジャン」という気はする。
最後に劉備をひきあいに出さなければうまくまとまってたのに
193 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 09:30:24
長宗我部は讃岐の神社を焼き払ったら天罰が下ったわけだが
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 09:32:07
秀吉と戦った時、長宗我部の武将たちが 自分たちのあまりの弱さに驚いた事実
仙石のせいではなく長宗我部の兵が弱かったから長男が死んだんだろw
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 09:35:45
秦の始皇帝の血を引く渡来氏族、秦氏の子孫を自称しているチョンソカベw
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 09:46:33
>>191 上司の立場から見たら、有能でも野心がある奴よりは
凡庸で毒にも薬にもならんが、野心は無いって奴のほうが
使いやすい場合もあるよ。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 10:02:31
仙石はチョンソカベ勢のやる気のなさにビックリしていたらしい
そこで一計を考えた、渡河しちゃえば背水の陣で戦意の低い四国チョンソカベ勢も 本気になると思ったのだ
大友は総崩れでアテになんなかったし
ほっとくと島津に豊後攻略されるっぽいし
仙石の苦肉の策を叩く厨房どもシニナサイ
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 10:10:30
でもチョンゴクさんも洲本まで逃げたのはマズイと思います。
なぜせめて毛利領にとどまる、ぐらいのことができなかったのか・・・
えらいビビリですね、チョンゴクさんは。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 10:21:35
秀吉は仙石に何度も書状を送って
本隊の着くまでは堅く守りを固めて陣地や軍用路の整備をしろと書き送っているんだよ
もし長曽我部や十河が功を焦って自儘に攻撃しかけるような事があれば
元親と言えども斬れと厳重に攻撃を控えるように申し付けている
それが仙石自身が勝手に攻撃しかけて大敗
鶴賀城救援どころか府内も失って
本隊が到着する僅かな間すら豊後を維持できなかった
この不始末じゃ秀吉が激怒するのも無理もない
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 10:43:17
信親が死んだくらいでおかしくなる元親に戦国大名の資格はない
戦国時代なのだから、親や兄弟や子が戦で死ぬのは当然ありえることだ
他の戦国大名だって親兄弟子を戦で亡くしてるぞ、それでもちゃんと生きているではないか
元親は本当に情けない男だ
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 11:04:03
>>198 >えらいビビリですね、チョンゴクさんは。
当時の人も同じ感想を抱いた。
だから「三国一の臆病者」というありがたい異名が付いたわけだw
秀吉の美濃までの主な家臣
竹中、蜂須賀、前野、浅野、仙石←雑魚すぎw
四国征伐で羽柴秀長や黒田官兵衛が元親の戦略戦術をみて
よくこの程度で四国を切り取れたと嘲笑ったが
仙石の立場は…
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 12:52:51
>>200 戦国だからあたりまえとかって解釈は
現代人ならではの考えかたで
当時の人間もそう思ってたかなんてのは勝手な想像でしかない。
つか差し引いても
元親の心情ぐらいちゃんと考えてから語ろうや
そもそも土佐みたいな僻地からはい上がり
四国制覇まであと少しだった大名と
成り上がりの仙石じゃ比べ物にもならないんだがな
まず死にかたに問題がある
自分よか格下の武将に従い死ぬ羽目になったわけ
例え戦国でもそれを平然としていられる親はいないんじゃ
数においても無謀
戦略も仙石が強行した糞戦略
今から犬死にしますに匹敵する内容
こんなんで嫡男死ねばそりゃあ落ち込むんでない
ついでに同時期に正室も死んだしね
落ち込んでる暇はないと表面上だけでもふきっれなかったんだから大名としてはその程度の器
日向だっけ
長曽我部はこの戦で功績は無いのに
島津の領土国を与られる褒美がでた
あと嫡男信親死んだ報告を聞いた秀吉が
即,土佐に藤堂高虎ともう一人誰だったかを派遣して
次男に所領安堵の約束とりつけてるな
死ぬのが当たり前という戦国にしてはなかなか
寛大な配慮されてる
>>205 なんでそんな厳しいの?ww
息子が死んで
ふっきれてないのは
信長の命で信康切腹させた家康や
義信を幽閉し死に追い込んだ信玄も同じでないかな
長曽我部は領土も取られ
嫡男もなくし
嫁も死に
がいっぺんにきたから
狂いたくもなる(´・ω・`)
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 14:29:33
後継者の優秀な長男が死んだんだから、長曽我部家のこれからについて
余計にがんばらなくてはいけない立場なのに元親ときたら・・・・
すべてを放棄し、部下を殺したり、無理やり4男を跡目にしたり暴走の連続
こいつがしっかりしていれば長曽我部はあんなに落ちぶれずにすんだと思うんだけどね
息子の死が悲しいのはわかるが、もっと家のことも考えろよw
やはり元親は大名失格だな
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 15:09:30
亡き正室の子,盛親を
跡目にしたかっただけだろ
家督争いになる前に
火消ししたともとれるが
織田有楽斎は
本能寺の変が起きた時に助かったせいで
京童から「織田の源五は人ではないよ お腹召させておいて
われは安土へ逃げる源五 むつき二日に大水出て 織田の原なる名を流す」
と超馬鹿にされている。
現代人なら、逃げて当然と思うだろうけど
当時は武士だけじゃなしに大衆ですらこんな感じ。
逃げる時に仙石が軍監の権限でも巧みに使って
俺が逃げきるまで死守せよ、とでも両隊に無理な命令でも言ったんじゃない?
まぁ指揮する人間が逃げるわ、目の前に敵は10倍以上いるわ、包囲されかかってるわで大混乱。
逃げ切れないと判断し、潔く戦って死ぬのを両将は選んだのかと。
逃走しても相手は島津家久だから
逃げ切るのすら難しいと容易に判断できる。
コイツは沖田畷の戦いとかいうので4倍以上の龍造寺軍に勝ち
尚且つ総大将の隆信まで討った猛将だし。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 16:06:24
長益が「織田の源五は人ではないよ」とまで言われてるのは
信忠に「もはやこれまで、御自害を」と腹を切らせておいて
さらに家臣達に「部屋の周りに積む柴を用意せよ。火を掛けてワシも腹を切る」と
命令して家臣達が準備してる隙に自分だけ脱出する、
という最低の行為をしたらから馬鹿にされてるんだよ。
単に逃げたからじゃない。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 12:59:36
仙石
・自分の立案した作戦で秀吉の厳命を無視し戦をしかける
・尚且つ命令も出さずに単独逃走
・残された隊はほぼ全滅
・戦線から大きく離脱
充分カスかと。
カスはチョンボであぼーんのチョンソカベ
仙石は自力で大名に返り咲き、幕末まで続いた勝ち組
四国征伐でも九州征伐でも豊臣軍が圧勝したが
なぜか仙石だけ惨敗してるのが笑える
乃木大将みたいだな
官兵衛、秀長や子飼いの連中が来てからじゃ手柄全部持ってかれるから焦ったんだろ
他の武将と一緒だと目立った事全く無いからな
秀長、宮部>>島津>>>>>>>長宗我部>>仙石
秀長「こんな手に誰がかかるんだよwww」
元親、義久「(´・ω・`)」
仙石「…」
↑
まんまとハマってます
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/08(水) 03:14:58
四国・九州での仙石の大失態は、戦国史を通してみても、類を見ないひどいものだ。
だが、だからこそ、
その後の返り咲きは、「只者ではない」といえる。
だってそうだろ?
現代でも言えることだが、仕事であれだけの失敗をしておいて、いったんは左遷されながら、
それでもなお、同じ職場で、同じ上司の下で返り咲けるか?
普通は考えられない復活劇だ。
それが仮に不正な手段だとしても、できるか?
仙石を三国一の臆病者と評するのは簡単だ。厨房にだってできるよ。
だが、どうせなら、それがなぜ返り咲くことができたかのプロセスを解析してみれば、
「ただのゴマすり」という単純な紋切り型評価で片付けるよりも、よっぽど中身のある話が成り立つと思うのだが。
と、問題提議だけはしてみる。
(・・・
一時は、淡路とはいえ、一国を任されていたのだから、
秀吉家臣団の中でも、かなり序列は高かったといえるのではないか
(その時点での蜂須賀あたりと比較してみればわかりやすいかも)
あるいは、一連の大失態さえなければ、大大名の仲間入りを果たしていた可能性も・・・ないか?)
中老や奉行で10万石ちょっとだから
それを上回る事はない
加藤や福島みたいに一門で手柄立てても20万石程度なのに
戦の手柄もなく豊臣家の政務を取り仕切る立場でもない仙石が
大封得る道理なんてないだろ
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 20:24:44
>>93 遅レス。 絵上手いか?ある程度の区域分けはされてるが、顔がみんな同じに見えるんだが。
秀吉は元々の子飼いや与力にはそこまで領地与えてないような
秀吉時代に大大名になったのは元同僚や所領安堵した大名ぐらいじゃないか
ここで仙石の事を擁護しているのは漫画読んでる奴か?
痛すぎるぞ
223 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 22:35:57
ファンスレなんだからいいだろw
むしろ落ちぶれた責任を仙石に押し付けてるチョンの方が痛いよ
長男死んだが、その後きちんと対処してれば生き残れたはずだよ
言いがかりはやめてほしいね。
誰一人そんな事言ってないぞ
何故か必死に長曽我部叩いてるアホがいるだけで
センゴクつまんねえ
戦国と仙石かけたいだけでカスチキン池沼の仙石秀久なんか主人公にするなよww
こいつは必死で権力者におべっか使っただけで物語にできるような人物じゃないだろ
作者馬鹿じゃねえの?ww
あくまで漫画ですから
史実は全く無視の展開になってきたけど
漫画としては結構面白いと思う
時代物ファンタジーと思えばいい
>>225 マイナー人物を有名にさせる自分に陶酔してるんだろ
あえて難しい主人公で自分の首締めてるようにしか見えんが。
まあファンタジーとしてなら面白いか
へうげものを馬鹿にするやつは許さん!
作者もよく調べないで描き始めたんだと思う
どんどん苦しくなってきてファンタジーに走るしかなくなるな
恋愛物とかw
むしろあの漫画は仙石以外の登場人物が面白いわけだがw
『センゴク』って題名だから仙石が主役とは限らない
途中から主役すり替えれば長持ちするかもねw
今更だがスレタイが笑える。本当にファンスレなのか?
長宗我部ファンなどの仙石嫌いを引き込んじゃうからな、コイツ。
島津義弘って最近ゲームで露出が増えてきたけど漫画にはなってないよな
島津が中々取り上げられないのはチョンの圧力とか言われてるがどうなんだろう。
長曽我部や島津の話しはよそでやってください
叩く隙の少ない成功者を主人公にするのは簡単だよ。
オレは、物書き志望の立場として、
あえて「ちょっと知ってる歴史オタには叩かれやすい」仙石が主人公だと初めて知ったときに、
作品の質はともかくとして、やられた!と思ったね。
あの筋の漫画を、たとえば、信長なり、秀吉なり、半兵衛なり、オリジナルキャラクターなりの立場で書いたところで、
新鮮味はない。よくある歴史漫画のひとつに過ぎないだろう。
だが、あの仙石秀久が主人公だときけば、つかみのインパクトはなかなかのものではないか。
(そこから先の作品の良し悪しはまた別の話だが)
決して古典的正統派主人公ではありえない人物を持ってきて
それなりにテーマを持った話を成立させていたことは
まあ評価に値すると思う。
まあ、誇大評価というか脚色は、大有りじゃないの?あの何とかという侍大将とかの。
あくまで娯楽フィクションであって、歴史ドキュメントやルポタージュじゃないんだから。
ヤンマガは娯楽漫画雑誌であって、学会誌ではなく、学習漫画雑誌ですらないんだから。
わざわざ長文で擁護しなくてもヤンマガでは普通に売れてるほうだから
でも実名で描くのはちとマズイよな
実在の人物で史実と違う方向にいくと『捏造』とか『嘘』になってしまう
万石権太郎とかにすりゃよかったのに
あまり秀吉との関係を親密にしすぎると後半描くのに苦労しそうだな
むしろ後半まで続けるのを考慮して秀吉と親密にしてるんだと思ったが。
どうみてもありゃ伏線じゃないか
家康の執り成しで帰参を許されて以来
家康べったりで豊臣なんて何の苦心もなく見捨てたから
むしろ家康と親密にしておくべきだなw
ちょうど三方ヶ原だから、家康を助けて大活躍
それで家康に気に入られて友情が芽生えるとかにしちゃえばいいかとw
それと三成との仲を悪くしとけばいい
そうすりゃ、バカだから三成に付くよりも
家康に付いた方が豊臣家の為になると思ったって風に持っていける
保守的で堅実というのが一般的なイメージの家康が
ああいう博打うちな性格設定されているのも珍しい
家康は年取ってから狸になったって言われてるが
あの家康が狸になる姿が想像できない
若い頃は勝負師だったよ
三方ヶ原でも家臣が諌めるのを振り切って決戦を独断で決めたし
それでも諌める家臣がいたが、普段家臣を怒鳴るなんて一度もなかった家康が痛烈に面罵している
浜松を捨てるぐらいなら武門を捨てる、とまで言い放って勝負にでた
織田の加勢の戦では常に一番強い敵に当たり
信長の信頼を得る為にいつも際どい戦いをしていた
家康が信長についてどう思ってたかの史料って残ってないんだよな
信長は次第に暴君になっていくんだよ。それで光秀は絶望し、本能寺の変を起こす。
そしてその後天下を得た秀吉も次第に心を病み、秀長が死んだのを機にダークサイドに落ちる。
こうしてかつて尊敬していた人物の晩節に幻滅したセンゴクは家康に傾倒するようになる、と。
漫画のセンゴクはフロイスの日本史を資料としてよく使ってるので
長宗我部元親は狡猾な悪人として描かれそう。
漫画の仙石は漫画家本人が漫画として面白いと思う人物設定にしてるだけじゃね
(読んでる人間が面白いと感じるかどうかは別として)
そりゃさリアリティが有りすぎて
主役が小狡いお調子者じゃ誰も読まないよ
小太りでお調子者でソバ好きで
どっからか鐘(安珍・清姫)を拾って来たり
忍者だったり、忍び出身の盗賊捕らえたりするのが
漫画とは別の俺個人のイメージ
斉藤家出身のはずの堀が織田家直参のような書かれ方をしているのが
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/25(土) 17:04:29
本願寺顕如と豊臣秀吉はいいキャラだよな。
家康は奇をてらいすぎて失敗してる印象だが。
信長と信玄は比較的ステレオタイプなキャラだな。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/27(月) 23:00:53
逃げるのは信長からの教え、大将みずから撤退しても再建可能だかね
殿は自滅覚悟だよ
信長は戦略的意図があって撤退する事は度々あったが
戦闘で逃げた事などない
信長は大将
仙石は部将
仙石無双進出オメ
まじでか
やっぱり弭槍使ってたりすんの?
漫画ワロスw
完全に史実無視の展開になってきた
細かい描写も無くなった
やはり無理があったし、資料探すのも面倒臭くなったようだなw
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/04(火) 23:44:45
>>259 コーエーって結構ミーハーよ。明らかに蒼天に影響されてるしw
無双では仙石は一般武将で出てくる。一般武将なんだけど、無双に出てることに何故か感動しちまった俺ガイル
蒼天や花の慶次ととセンゴクを同レベルで論じて良いのか
ミーハーじゃなきゃそもそも無双なんか作ったりしない罠w
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 23:20:10
仙石の大河作れよ
山内とくらべるとどちらも大差ないじゃん。
・・・
・・・
・・・司馬に好かれたかどうかの差があったか!
領土に差があるから知名度もまったく違うしなぁ
波乱万丈さでは上回ってるんだがなぁ
仙石程度の小物なら別に誰でもいいだろw
藩の子孫たちが幕末に活躍したのも重要な点だろ
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 23:47:52
>>271 歪んだ身分制度が妙な具合に怪我の功名になっただけやん。
まあ上士も活躍したし藩主も一応名君扱いではある
かも
仙石秀久、そんなに馬鹿にしたもんじゃないよ。
司馬小説で無茶苦茶に書かれたから、現代では評判悪いけど、
戸次川の合戦までは、秀吉幕下では出世頭と言ってもいい。
中村一氏や堀尾義晴よりも、あきらかに信頼されている。
対毛利の中国戦線で、既に侍大将格なんだよな。
序列的には、宮部継順の次くらい。凄い出世スピードだよ。
子飼いの中では、一番早い。
戸次川で、島津に木端微塵に粉砕されたのは事実だけど、当時、島津の
勢いは九州全土を席巻する勢いで、名声を残した立花宗茂も守勢で、
高橋紹運は討死。
十河、長曽我部の混成軍を率いて、縁故の薄い土地で、しかも後詰め
に来て籠城策は難しかろうし、野戦に訴えれば誰がやっても勝てん。
秀吉の戦略ミスが一番の原因でそ。
秀吉自身の九州遠征も、実際は兵糧不足で随分と苦しんだらしい。
島津の降伏が遅れたら、全軍瓦解の危険もあったと言う。
概して、九州はなじみが薄く、秀吉自身の感覚が働いていなかった。
戦国は初期の織田直臣からの鞍替え組だからでは?
子飼いじゃないでしょ
秀吉配下で最初に大名になったんだっけ
>>275 この世に大馬鹿者が二人いる、一人は九州まで遥々遠征したわし、
もう一人は島津義久じゃ、
後少し粘れば勝ちを拾えたのだから、降伏などする必要はなかった
って秀吉が言ったらしいね。
それは秀吉一流の懐柔手法でしょ
どう考えても勝てるわけない
仙石に圧勝した以後豊臣軍には連戦連敗
あっと言う間に薩摩まで押し戻された
さすがに島津も手の施しようがなくて降参した
でも、むしろ評価する点だと思う
秀吉は島津を完全に潰すつもりだったけど
義久の素早い降伏外交で秀吉も潰しきれなかった
秀長も島津に好意を持って一国安堵を二国にするように執り成してくれた
秀吉秀長は見事なアメとムチだな
280 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/19(水) 21:13:40
仙石以外のパートは面白いんだけどね・・・
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/04/20(木) 01:25:46
この作者語りが森節そっくりだね。
こんなところでホーリーの読者に会えるとは驚いた
第二次上田攻めが描かれるのはいつの事やら。
284 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/08(月) 01:28:21
しかし、戸次川のあと、封地の淡路まで帰ったけど、
果たしてそれは本当に「逃げた」んだろうか?
戦線から離脱したので、逃げた、という事実は確かだが、
それにしてもなぜ淡路まで逃げる必要があるのか。
毛利領まで逃げ込めば十分だったのではないか?
毛利家が協力者である以上、
むしろ淡路まで逃げるより毛利家をたのみにしたほうが安全だったはずだ。
毛利家の保護を求めなかった理由、淡路へ向かった理由は、
別の何かがあったんじゃないか?
普通に自主閉門蟄居だってば・・・
生き残るっていう目的で逃げる場所選ぶなら帰順したばかりの毛利領より、静かに処分を待つ意味でも封地に帰る方が得策じゃないかな
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 00:04:11
関ヶ原で漢を見せて欲しかったな
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/09(火) 07:37:36
蒼天航路の日本版ってことで
横山三国志に対する蒼天、司馬小説に対するセンゴク
実際昔の人間の器量ややった事を完全に調べるのは不可能だし
言い伝えや資料も本当のことかどうかわからない
万人受けを目指した大河や小説よりかなり面白いと思う
仙石はいてもいなくてもって感じだけど、秀吉や家康が主人公よりも雑魚の立場から見た大将の方が
描写としておもしろいとおもふ
家臣まで置き去りにして淡路まで逃げ帰ってるから
特別理由があった訳じゃないと思う
単純に安全な場所まで逃げたいって考えただけかと
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 13:38:06
だいたいあの時代に仙石秀久みたいなのってどうよ?
腹切るか戦うかにしろよ。
よく生きてたよな、ほんと。
秀吉もよくわからんな、ほかにいい武将いなかったの?
秀吉は譜代の臣がいないから
尾張〜近江時代に召し抱えた家臣を譜代として引き上げるしかなかったんだよ
豊臣家の直臣の顔触れみると酷いものだ
小者ばかりでロクなのいないよ
所詮秀吉個人の力でもっていた政権だから
確かに。
武官のトップが福島・加藤だもんなぁ・・・
秀長や黒田と言った大物は政権から離脱するし。
>>293-294 やりようによっては譜代に取り込めたかと。
秀吉が警戒して遠ざけちゃったからねえ。
まだ、子飼いの連中はマシだが
黄母衣衆の面子は酷いな
側近があの程度では秀吉も苦労しただろう
同じ農民出身の劉邦がなぜ強力な家臣団を構築できて長期政権を築けたか
↑釣り?
299 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/11(木) 21:40:25
まぁでもあれだけいろいろあっても、最後まで生き残った仙石はたいしたもんなんじゃないの。
300 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 00:00:30
釣り野伏せってすごいな。
実際、ばれないもんなの?
どこまで近づいて囲むんだろう?
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 00:18:15
>>299 逃げ上手に媚び上手ってことですよ
>>296 七手組だっけ?もどうしようもない奴ばっか
速水、伊東、堀田、多少マシなのが青木一重(真柄十郎左衛門討ち取った奴)
302 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 03:04:27
>>300 大将だけが気付いてても命令来るまで兵はどうしようもないし
だからって兵が怖じ気づいたら合戦にならんし
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 15:30:06
>>303 すまん、おまいの言ってることがよくわからん
補足してくれ
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/12(金) 16:15:35
黄母衣衆と七手組って別じゃないの?
一柳とか小野木が黄母衣衆でしょ?
あと真柄を討ち取ったのは勾坂某だったとおもうんだが
>>304 先鋒の雑兵が伏兵に気付いても逃げたら敵前逃亡になってしまうから進まざるを得ないし
伝令を出すにも待ってる間に襲われてしまうし、
指揮官が気付いても攻撃されるまでに全兵に指示を送るのはきついだろうから
ばれててもどうにもならない面もあるんじゃないかなと言いたいんだと思う。
後、釣り野伏せ対策に島津の伏兵にぶつける為の伏兵を伏せておくってのもあったらしいけど
釣り野伏せ自体が2段3段がまえになってたらしい。
よく分からんけど
>>297 秀吉と違って、自分が各個別能力については凡庸だって自覚があった。
気前もよく、人の話を聞いてすぐ反省するし。
旗揚げ当時の仲間も最終的に丞相が勤まるくらい優秀なのが居たじゃないか。
蕭何と曹参とか周勃とか。武官だって樊カイとか夏侯嬰とか盧綰とかいたし。
それに何よりも、秦の時代の政治がひどすぎたってのがある。
それに比べて、秀吉が天下人になったころは年貢が戦乱の時代よりもひどかったくらいだ。
秀長が死んだ後は、意見できる人間が居なくなったせいか、残酷度エスカレートしたし。
人たらしとか言われてたけど、根っからの武家には陰で軽蔑されてたしな。
309 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 02:57:24
天下とった劉邦が早めに家臣を粛清して、組織をスリム化したからじゃないの?
あと陳平あたりが頑張ったからとか。
>>290は
武士が「潔く死を選ぶ」という古い神話をいまだに信じている希少種
そういえば、一つでかい差があるよな。
呂氏一派に粛正されつつも、劉氏はそれなりに元勲どもが仕える気になる後継者を残せたけど、
秀吉の方は後継者らしい後継者が秀頼だけだったよな…。
俗に言う七本槍とか言われた配下の大名どもも、利でついてきた連中ばかりで、豊臣家とかに
積極的に忠誠を誓っている奴なんで誰もいやしなかったし。
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/15(月) 03:23:11
やはりあの歳で大事な後継者が一人だけでしかも子供なのは致命的だな。
劉邦に従ったヤツらだって、利でついてきた連中ばかりだと思うが。
秀頼って三男なんだっけ
一応秀吉の血を引くといわれている息子では秀勝(長浜城主時代。幼名・石松丸、6歳で夭逝)、鶴松の次で三男だな。
まあ養子の立場なら三好秀次とか信長の四男だった秀勝(二代目)とか小早川秀秋(高台院の兄の息子)とか
結城秀康とか宇喜田秀家も含まれるみたいだが。
316 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/16(火) 23:36:29
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/19(金) 15:51:05
センゴク揚げ
秀康、清正、幸長あたりが早死にしたのが痛かったな
彼らが健在なら大坂攻略は難しかったろう
319 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/20(土) 23:13:51
そうでも無い気がする。福島正則などは豊臣恩顧の代表みたいな感じなのに
味方してないし、それどころか倅は大坂攻めに出陣している。
むしろ上記の三者はいい時期に没して寧ろ良かったのでは?
豊臣庇護に積極的だったのは
結城秀康、加藤清正、浅野幸長、池田輝政、福島正則
あたりだが次々に死んで残ったのは福島のみ
さすがに福島一人ではいかんともし難い
特に清正が死んで以来全く元気がなくなった
大坂の陣では家康に危険視され参戦を拒否されたが
後で言い掛かりつけられる事を危惧して嫡男を出陣させた
だが、そのくせ堂々と8万石と言う途方もない兵糧を大坂方に送ったり
家臣を浪人させて大坂城に入れたりした
福島一人になってもしぶとく大坂を捨て切れなかったのだから
他の連中まで生きていたら家康も迂闊に手を出せない
実際関ヶ原から14年も手を出せなかった
豊臣家は梅毒に滅ぼされたとも言えるな…そのメンツ見てると。
確かにそうだ。
梅毒で考えれば黒田官兵衛もそうだし。
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/22(月) 05:12:13
>>274 司馬小説で評判が悪くなったのか?
秀吉に激怒され所領を没収、高野山へ追放された点
後年の史料で『三国一の臆病者』と言われるほどに罵られている点
からすると戸次川戦以降の仙石はそういう評価だったってのが自然では?
司馬も歴史は俺らよりいろいろ知ってるだろうから、その辺の「仙石らしさ」
をただいきいきと描いただけだろ。
夏草の賊では割とよい評価されてると思うが
才覚人だなんて書かれてるのはあの作品しかないかと
戸次川での失態は事実だから仕方がない
いちおう戸次川以降にも小田原参陣で自身の名前が地名になるほど勇戦してるし
朝鮮征伐の際には肥前名護屋の築城で意外な才覚を発揮している
そして江戸時代を経て何時の間にか五右衛門捕縛した忠勇無双の豪傑にされてたりと
山内一豊よりかは華やかな逸話に恵まれている
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/23(火) 02:35:17
そういや、五右衛門捕縛の元ネタってあるの?
いや、ほかにも豪傑っぽい家来は太閤の下に居ただろうに、
何で秀久?ってのが気になった。
仙石の撤退と信長の撤退を一緒にしていいのか?
金ヶ崎で信長は一騎で逃げた、みたいな書き方されてる話がほとんどだけど、撤退後すぐさま主要武将を手勢付で各地に派遣している事が示すように別に一人で逃げたわけじゃない
むしろ三方ヶ原の家康のほうに近かろう。部下が自発的に身代わりになってくれたからいいものの…
秀長は釣り伏せにひっかからなかったんだよね?
百姓以下の島津その他って…
いや、島津どうこうより秀長が強すぎただけだろ、手堅い戦をさせりゃ天下一品だし
秀長は少数を任せれば異常な粘り強さを見せ、大軍を任せても見事に運用する。
つーか秀吉が織田本軍の戦に参加するために中国方面軍の主力をごっそり持って戦線抜けても
蜂須賀、黒田も居たとは言え700とか1000程度の軍で毛利戦線維持できるなんて普通に名将だろ。
家臣団は秀吉譜代と変わらぬ馬鹿揃い、マシなのが藤堂高虎くらいか
派手な武功こそ無いが、すげー地味に勝ちまくってる地味名将だよな、秀長。
秀長て負け戦したことないんじゃないか?
織田時代からいつも良い働きしてるよな
四国征伐でも九州征伐でも長曽我部や島津の戦略戦術を軽々打ち破っている
秀吉より戦上手
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/23(火) 21:03:19
島原の乱で小身の松倉氏が西国大名達を統制しきれずに失敗したのと似てるな
やっぱり秀吉の人選ミスじゃないかね
と言うより他に居なかったんだよ…
それに四国編成軍は本隊到着まで大友領内を維持するだけの繋ぎだから
華々しい活躍できるような人物はいらなかった
大友軍と合わせれば2万ほどの兵力になるから
要所を固めて数カ月待つだけでよかった
秀吉にすればさして難しい命令出したわけじゃないから
まさかいきなり惨敗するなど思わなかっただろう
「薩摩勢勝に乗て長宗我部元親が子信親が陣へ真丸に成て打てかかる。信親此大軍にも恐れず四尺三寸の大長刀をもって、
むかう敵を一所にて八人薙ぎふせ、其後三尺五寸(1.06m)の太刀を抜て、又敵六人切倒し、大勢に手を負せけれども、敵大軍なれば屑ともせず取籠て打んとす。
信親あたりなる敵を打払て腹を切んとしける処を、敵透間もなく走より大勢の中に取こめて、終に信親を打取ける」
(『黒田家譜』)
信親って何流の使い手だったっけ?
跳躍しつつの抜刀という難しい技を得意としてたらしいが
334 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/23(火) 22:31:35
ていうか秀長に釣り野伏せなんかかけたの?
宮部みゆきが粘って後詰に来たんでしょ?
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 13:36:15
釣り伏せが効果を上げたのは、耳川や戸次川の時のように相手の統制が取れてない場合でしょ
普通に前後の連携が取れてる相手だと難しいと…
つーかそもそも大軍で戦線押し上げてくる相手に釣り伏せしても無駄だろうね
相手が秀長じゃ隙見せそうにも無いし
そもそも釣り伏せってそんなに特別な戦法なのかね?
伏兵や横槍は全般でよく使われたでしょ
例えば劣勢の村上義清が信玄を大破した上田ヶ原なんかもそれ
捨てカマリと鉄砲装備率の高さという要素が大きいのかねやっぱり
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 17:44:18
>>337 戦法自体は孫子の時代から似たようなのが見受けられるし
古今東西において軍学を修めた人間には基本の一つだと思う。
それを如何に実戦で上手いこと使うか見破るかは個人の才覚だが
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/05/24(水) 18:40:04
島津の策に引っかかるのは仙石レベルという事。九州は凡将揃いで秀長公は名将。
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/03(土) 22:52:17
AGE
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/09(金) 17:22:50
age
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/10(土) 14:11:14
ageるくらいならネタをかけよな
少なくとも2chでは
釣り野伏とそれにひっかかる猪武者が
ちらほら目撃されるな
せんごくさんはどーしてきらわれてるんですか?
嫌われてない
相手にされてないだけ
土佐人のルサンチマンの犠牲者だから
346 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 13:54:28
まあ、信親が健在なら
あるいは長宗我部氏が土佐から追われずにすんだかもしれない、
と思いたくもなるだろうさ。
山内の禍政に苦しめられた歴史があるからな。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 16:14:17
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 16:16:22
時は今
雨のしたりる
五月かな
349 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/11(日) 16:33:23
絵には迫力があるし実力のある漫画家さんだと思うが話がいまいち面白くない
むしろ実力あるのか疑わしいのだが…
もっともらしい事描いてるわりには知識ないのバレバレ
なんであんな中途半端なもの描くんだか
歴史に徹するか漫画に徹するかどっちかにしろと
>>351 出てくる武将が無駄にロックで、ネタ漫画なのはみんな承知の上で読んでいると思うが…。
お塩先生以上にロックな武将共ではないか!
これがわからぬようでは京には上れぬぞ!
354 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 06:32:20
歴史に徹してるじゃん(細かいトコはおいといて)。
351の言う歴史に徹するとはなんだ?
仙石の描かれ方が少年漫画っぽいなとは時折思う。
曹操とか武蔵とか元が講談的なイメージで他と「別格」だったりすると
漫画的な手法、表現を割り切るのも簡単なんだが、仙石は本人があまり
突出した才能を持たないタイプだからたまに違和感を感じることがある。
かといって精神的な成長を描くにも「最大の失敗」がかなり先だから
一番の山場はそこにとっておかなきゃならないし、物語映えさせるのが
難しい主人公だよな。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/12(月) 19:22:46
でも現代にはうってつけの人物だとも思う。順調に出世→大失敗と解雇→自らの力で名誉挽回
見事なまでの復活劇だからオレは好きだな仙石。
なにも失敗しないに越した事ないw
それにどうせなら名将や天下人の生き方を参考にすべき
仙石程度の小者見てても何にもならんだろw
確かに失敗しないのがベストだ
それと、大多数の人は名将や天下人の生き方を知っても真似出来ないのも事実だ
自惚れて真似しても失敗して惨めになるのが関の山
やはり、山内みたいに地味に生きていくのが凡人には一番だと思う
物語としては全く盛り上がらないが…
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 04:04:30
いや、山内の生き方も無理だろ。あの処世術を凡人が真似するのは無理じゃね?
山内自体が凡人
たまたま巡り会わせがよかったわけで
あの程度の能力なら全国に何万人もいただろう
361 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 04:42:25
凡人
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 04:52:48
何万人もいねーよ。確固たる地位を築いて生き残ってんだ。運だけでやっていけるわけねーだろ。
使い古された言葉がある
運も実力のうち
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 13:28:38
一豊が豊臣家臣じゃなかったらどう考えても大名になれたとは思えない
他家の侍大将で一豊より武功あげてる人は腐るほどいるし
一豊に限らず豊臣系列の顔触れは酷いのが多い
秀吉と一部の重臣が異常にレベル高くて
残りはくっついてて自然に出世できただけ
秀吉もそれを気に病んで必死に他家から引き抜きをして
他家の弱体化と自家の強化を行った
なんだかよくわからんがへまもないし大成功もないのが奴の強さだな
366 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 21:34:09
最後に玉砕したり、戦死して名将とかいわれてるヤツラに比べりゃまだ山内の方が名将といえる。
あ
実績=実力
では無いのが世の中の怖いところ。
>>366 お前がそう思うのは勝手だが
世間じゃだれもそうは思わないけどなw
370 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/13(火) 23:07:31
名声=実力でもない
しかしそうなると逆に「じゃあ実力ってどうやって測るの?」という話になるわけで。
万人は無理でもある程度の人間が共通の尺度で測れる基準じゃないと、
単なる「実は本気を出せばすごいんだ!」みたいなもんにしかならん気も。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 13:28:14
>366
お前は世間が何がどうであれ”生き残った者勝ち”と勝手に思いこんでる?
少なくても俺は生き様、死に様で良い武将かどうか判断するけど?
おまいら所詮個人の価値観に過ぎないことで他人に噛み付き続けるなよw
374 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 16:05:18
まあ、生き様がそのまま後世の評価に繋がってるわけで
仙石は愚将、山内は凡将というのはこの先も変わらない
本人達も望んでそう生きたのだからそれでいいんだよ
真田信繁や高橋紹運なんかは後世に勇名を残したいとか
裏切り者の謗りを受けたくないと思い
命を代償にそれを手に入れた
価値観の違いだからどちらが良いとも悪いとも言えない
375 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 18:37:47
名をとるべきか、実をとるべきか。
戦国時代も大変だな。
一人では無理だが家ぐるみで両方取った例が真田だな。
片方だけ望むより更に大変だろうけど。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/14(水) 19:32:24
372
オレは生き様>死に様で評価する方かな。別に勝ち組だからとかは関係ない。
元々死に様が評価されるような人間はそれなりの生き様が前提だろう。
無名の奴はどんな死に方しようが結局は軍紀物に一行二行付け加えられるだけだ。
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 16:20:29
仙石家は我が出石にそばを伝えてくれた。仙石家に感謝。。。
ちなみに今年は仙石家が出石に国変えになって300年。ぜひお越しを(笑)
380 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/18(日) 16:28:25
江戸中期まで蕎麦がなかったって方が驚きなんだが…
稗、粟、蕎麦なんかの雑穀は全国で作られていたと思っていた
佐久間玄蕃と友誼を結ぶも賎ヶ岳で敵同士として邂逅ってのを狙ってるのか?>センゴク
あれ?信盛は出てたっけ?賎ヶ岳。
>>382 佐久間盛政のほうだろう
賎ヶ岳の時には信盛は死んでる
>>383 この頃読んでないから教えてくれ。
盛政は秀久と友達になったの?
スレの最初の方で論議されていたようだけど
調べれば調べるほど戸次川合戦での失態から秀久が復帰出来たのは尋常ではない。
秀久と同じくらいの古参で、むしろ格上だった神子田正治は小牧・長久手での敗戦では
怯惰なりとして改易され、後には処刑されてるのとくらべて。
より醜態を晒した秀久が助命どころか再び大名に返り咲いたというのは余りにも差があり
すぎる。
どうも後世に伝わっていない何らかの裏事情が隠れていそうだ。
見捨てたのが織田家出身で秀吉政権確立に大きな力になった池田・森勢だからでは?>神子田
秀久が見捨てたのは先年まで敵対していた外様だから、という露骨といえば露骨な基準だったとか
秀吉の全国制覇の為の戦争は外様勢力削り落としの為のものだったからなあ。
嫡子を可愛がられた(実質人質)宇喜田家は領国から金銭や年貢をたっぷり搾り取られてるし、
長宗我部家は九州制圧で先兵を押し付けられて、戸次川の戦いで嫡子を失い、挙句実質的に
お家断絶だしな。
上杉謙信の強さは世界一ぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!!!
',ヽ、
i \__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
l ヽ/ !
l / .r―――┐l
. l / / | |
,ゝ、',,,,,,,,_/ | |
, ' / ゙゙゙゙̄'''''''''''''''''ヽ
, ' / zェ:、、,_ _,,、」,
/ /. |
. / ./ / ヾニo= .i =e/
/ / / l |
/ ./ ./ ィ ,l .!
/ / /,.. r'`ニニヽ, .l'、
. , ' / l;;;ヽ ,イ;;f'゙---ヾゝ;/‐t、
. ,.' /. ヾ;;;;`‐、';:;:;:;`;;;;';;;';";;/ l ヽ、_
、. f.-、 /ヽ `':、;;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;ン | | ト、
. ヽ,i'" `'i:、 .∧ ヽ `''''ーァ'7" l l | \
| ` ' ヽ ヽ , ' ,:' / | |
このスレをみたかぎり仙石の総合的評価は
蒼天の曹仁+蒼天の徐晃÷2=仙石
これでオケ?
そんなに優秀なわけないだろ!!
公孫さん÷7位じゃね?
戦上手のようで大ポカやったり、建築技術があったり。
仙石て戦上手か?
活躍した話し全く聞いた事ないけど…
豊家に於いては御子田、尾藤、宮田、戸田がこれを勝る武功の士はいないと言われた
槍働きはそれなりで、目立つのはちょっと上手かったみたいだな。
指揮官としちゃ、どの規模でも有能とは言い難いと思う。
槍働きですら高名の者討ち取った事はないよね
全くと言っていいほど武功の話しがない
でも黄母衣衆なんだよなw
秀吉の周りを固める親衛隊が頻繁に戦闘してたらそれはそれでやばい状況の連続ということにw
戦国時代の戦下手だけど、江戸時代の大名は上手く出来たんだね
政治家向きの人物っぽいねぇ
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 01:32:03
たしか講談の世界では秀吉配下の豪傑として語られてる。指揮官としても大体は無難にこなしてきてるし、戸次川の失態がなければ15〜20万石くらいはいけただろうね。
>>395 どの戦でもみな奮闘してるじゃないか
母衣衆は伝令や総大将の警護
また、戦の佳境の時は投入される
みな武勇伝を多く持ってるし
そして武功をあげて一手の大将として抜擢されていく
もっとも槍働きしかできずに小身のまま終わる人も少なくないが
>>398 清正や正則みたいな大功の者でも20万石程度
豊家の中枢を担う奉行衆・中老職でも15万石前後
武功もなく役にも付いてない仙石が15万石や20万石なんて貰える道理なんてないし
万が一ごますりで貰ったら武断派にも官僚方にも殺されるよw
清正や正則も実際は巷間言わせるほどの武功なんて立ててないけどな
皮肉なことに清正が本当に武勲挙げた唐入りでは加増がなかった
それにしたって、その2人と秀久を比べるのは余りにも・・・
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 08:15:15
だから戸次川の失態なかったらの話だよ。福島・加藤より遥か前から秀吉の配下として着実に武功あげてるし、順調にいけば出世するだろ。
漫画読み過ぎ
>>403 着実に武功って例えば?
1人のミスではないだろうし、諸説あるとはいえ、上田の一件も失態とみるのが大勢だし。
対浅井で先駆け対決に勝利
姉ヶ崎撤退戦で奮戦
本願寺攻めで朝倉の残党を粉砕
三方原で家康公を守り赤備えを粉砕
とかいうのはやめてくれよw
407 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 08:55:47
上田の失態がなんで仙石になってんだ?どこにそんな記述あるんだ?
色々調べてみたが仙石はただ者でない気がしてきた…
全くと言っていいほど武功の話しがないw
というか名前すらあまり出てこない
仙石家譜ぐらいしか資料ないんじゃないの?
これで10万石とかありえないぞ
余程ごますり上手だったんだろうか?(家康にもうまく取り入ったし
武闘派とも政務派とも絡みがなくてなんか浮いてるし
一体何者なんだw
>>407 どちらにしろ将の一人として加わっていたなら失態の責任の一端は
負わないとならんと思うが。
現代の組織でだって、責任ある立場にいる人間が「知らなかった」
「仕方なく従った」から自分は悪くない何て言い訳通らないわけで。
逆に強く反対したという記述がない限りは積極的か消極的かの
違いはあっても上田攻めに同意したと見るべきだろう。
秀久に責任があると家康が言ったならまだしも
上田攻めは強行派の意見に同調したと言うだけで
別に仙石が立案したわけじゃないよw
榊原康政、本多正信、大久保忠隣、土井利勝と言った
重臣中の重臣が秀忠の目付け役としてついていたのに
小身の外様で別になんの功名があるわけでもない仙石が意見なんて出せるわけないw
>408
淡路攻めとか賤ヶ岳で一軍率いたりとかやってるんだけどなぁ。
長宗我部に負けたのと、島津に負けたのが有名すぎて話として目立たないけど。
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/28(水) 22:47:00
まぁ派手な武功あげるよりは、与えられた課題を着実にこなして出世してきたんじゃないの(鳥取城包囲戦では一部隊の指揮官として参戦してるし)。でなきゃ讃岐10万石を手にできないだろ。
>>409 その意見でいけば、上田の失敗は榊原康政や本田正信なんて連中も責任を負う
べきだし、立場で言えば仙石なんぞよりこの二人は権限も地位も責任もはるか
に上。「将の一人として加わっていた」なんてレベルではないからね。
以前に別スレで書いたんだが、
こいつは、
「部下としてならばいい仕事をするが、部下を持たせると三流」
というタイプではあるまいか?
自分の上に責任者、こいつの場合は秀吉が居る場合は、割といい仕事をする。
そうでもなければ、一隊を任される、ということはない。
鳥取など、秀吉の中国戦役では、後世の半可通では気がつかないような地味な、
しかし確かな戦果を挙げていた。
だからこそ、淡路攻めの後に淡路一国を与えられ、そして、四国攻めの先陣をまかされたのだろう。
しかし、秀吉から離れて自分が一時的にせよ、軍の最高責任者となると、引田で大負け。
その直後の四国攻めでは本隊と合流すると、うって変わって戦功をあげ、讃岐一国を得る。
そこを評価されて、四国勢をまとめて九州攻略の先遣隊を任されると、戸次川の大失態。
あまりにありえない大失態で領国を没収され、以後の生涯で一軍を任されることはなかった。
その後、小田原攻めでは地名に残るほどの鬼武者っぷりを披露して大名に復帰。
(決して鈴のアピールで出世できたわけではない。それで出世できるなら戦場が鈴の音でやかましくなる。)
調べずともわかる事実を時系列で並べてみただけでも、
こいつが部下の立場と指揮官の立場とでほぼ別人の働きをしているのが浮き彫りだ。
指揮官としての失敗だけで全面的に無能だと主張するのは、
はっきりいって、観察力に欠けた評価だろう。
あくまで、一軍の指揮官としてだけ、無能なのだ。
そういう意味では、馬謖もそうだったのかもしれない。
四国征伐で讃岐の戦ではそこそこの活躍で、洲本城の改築や大坂城の普請とかを
無難にこなしてるトコをみるに政戦とも及第点なんじゃない?>仙石秀久
仙石は将才は全くないけど中堅クラスではそこそこ使えるんだよ
数百から千ぐらいの兵なら扱える
他の将校の下で一部隊を率いてたときはそれなりに成果をあげている
豊臣家も次第に勢力を広げ人員が大幅に不足した
そこで仙石も10万石を与えられ一手の将に引き上げられたが失態をおかして
結局5万石におさまった
5万石と言うと大体1500人の動員力だから妥当なところだろう
人手不足とは言え手に余る仕事をやらせた秀吉の失策も否めないと思う
でも秀吉は本当に家臣に恵まれてないからどうしようもないと言えばそれまでだが…
秀吉の人不足は悲惨さすら感じる
戸次川の戦いにしても
秀吉は作戦意図を仙石に詳しく説明して
現地に着いてからも心配して何度も書状を出している
作戦のほころびが出ないように諸軍を厳しく取り締まり
万が一功に逸って軍令無視するならば斬れとまで言っている
それなのに軍監自身が功に逸って軍令無視して敗走するとか…
仙石に限らず尾藤とか御子田とか皆そうだし
別に難しい事いってるわけじゃないのにそれができないんだから…
言われたことはそれなりにこなすけど、
自分では考えられないって感じか?w
「無能な働き者」の典型じゃないか・・・
人は数百から千の一部隊を任されているときには
何も自分では考えずに済むものなのであろうか
そんな疑問すら抱かぬ
>>419は何も自分では考えられないのであろうか
仙石が四国、九州と失態を重ねたのは祟りだよ!
>>421 CPUだけ速くて、メモリもHDDの容量も少ないパソコンみたいなものと考えれば、いいんじゃないかな?
プログラムが一つや二つならともかく、タスクが重なると、メモリとHDD不足でフリーズしちまうのかもね。
まあ、そのCPUもいいところ、シングルコアのプレスコ3GHzって辺りじゃないかなあ?
424 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 07:36:01
北国街道を整備したのって秀久なんだな・・家康政権下でも地味いろいろやってるなコイツ。
425 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/29(木) 07:57:49
駄将って始めて聞いたよ。
いい言葉だ。
仙石は大きな仕事はできないが
小規模戦闘や工兵、ちょっとした政策や敵情視察とか雑務で使えるから出世できたんだよ
劣化藤堂高虎って感じ
>>421 規模の大きさ次第ってことすら理解できない
>>421は
全部詳細に書いて貰わないと、何も自分では考えられないのであろうか
ケンカすんな。
大勢の指示をされれば、その範囲内で考えて仕事はこなせるけど、
全てを最初から、取り仕切るほどの腕はないって感じじゃない?
典型的な中間管理職と。
どっちかというと、帯に短したすきに長し、な感じがする。
普通は成功しない人間だ。
でも何故か成功しちゃった所が面白いんだと思う。
とばっちり食らった連中(長宗我部とか十河とか)には不幸だが。
そりゃ秀吉は生涯無敗だし
上層部だけは優秀だからね
下についていれば余程駄目な奴でもなければ随時出世できた
>414
責任があったから榊原康政や本多正信は関ヶ原後に加増されなかったんだろう。
秀吉が若い頃からの友達だし文官としては優秀だったんだろうなぁ
小田原のときは手駒の新人が凄い武漢だったんじゃねーの?
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/06/30(金) 20:35:12
いたかいなかったか分からないヤツの手柄にする前に
まずは本人を認めてやれよ
仙石が豪傑てイメージで有名になったのって石川五衛門を捕縛したからなんだよね
唯一の武功話しだが本当かどうかは知らん
正式な記録が残ってないし
436 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 18:12:58
まぁ講談の世界で豪傑として名が通ってた。
現代のようにヘタレだの無能といったイメージはなかったらしい。
あと、別に唯一の武功話ではあるまい。
小田原の時も鎧に鈴付け、十文字槍引っ下げて仙石原の地名残すぐらい奮戦してたんだから。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/02(日) 20:25:54
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
438 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 01:09:22
司馬の影響力ってすげぇよな。
かたや武名は残らないけど無難に美談を残した
土佐のジェノサイダー・一豊
と、
過失で人様の後継者を討ち死にさせてしまった
人の上に立っちゃいけない男・秀久
と、どちらがより土佐人にひどい仕打ちをしたか明らかなのに、
どちらがより、現代の長宗我部ファンに嫌われているかというと・・・。
つ秀久
別に昔から戸次川の大失態も有名だよ
卑怯者やら臆病者と書き残されているし
歴史知らない一般人は講談の話ししか知らなかっただけで
歴史知らない人乃木大将を戦争で活躍して軍神になったと思ってるのと同じ
>>438 山内家が土佐に来たのは長宗我部家が改易後(というか入れ替わり)だろ?
長宗我部ファンは「長宗我部家」が好きなんであって土佐が好きなわけじゃあるまい。
そもそも長曽我部ファンなんているんだろうか
四国出身の奴は結構な割合でいる
>>440 土佐土着の長宗我部家臣団に山内家がどんな
扱いをしたか知らんのか?
「俺んちの家臣団なんかどうなろうが知ったこっちゃねえぜ!
俺にとって大切なのは可愛い息子だけYO!」
ていう当主の態度までひっくるめてファンなんでしょうな
445 :
440:2006/07/03(月) 14:12:46
>>443 知ってるが、そこに拘るのはむしろ幕末の土佐郷士系ファンに
多い印象があるんだよなぁ。
長宗我部家好きな人はそれよりも興味が大阪の陣へ跳ぶ感じ。
ほらねやっぱり可愛い息子のほうだけなんだよ
この時代安ずるのは我が身のみで
家臣なんかは勿論の事
親兄弟や子でさえも殺しあいするのが普通だけど
そんな中で元親と信親の親子愛は珍しい
長曽我部はあまり興味はないが
元親の愚かなほどの親子の情は嫌いじゃない
448 :
443:2006/07/03(月) 19:26:17
>>440 >そこに拘るのはむしろ幕末の土佐郷士系ファンに
多い印象
言われて見ればそーだな
意外と知られてないが信長も多くの子供達の中でも愛妾生駒の方の子である
信忠、信雄、徳姫には愛情注いでたよ。
出来の悪い信雄ですら信孝より優遇してたくらいだから、跡継ぎとして申し分の
ない器量の信忠への溺愛ぶりは相当なものだった
巷間の信長のイメージとは異なるけどね。
信長は元親の親馬鹿を見抜いたので
息子を褒めちぎって懐柔しておいて
機が熟すると征伐策に切り替えた
451 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 20:46:59
元親と信親の親子愛はわかるが、それでボケてちゃ家臣がたまらんな・・・。
というか、別に親子愛だけでやったわけじゃないしな。
戸次川での最大の問題は、実は信親を失った以上に当時の
元親の家臣団の当主、跡継ぎを多く失ってしまったこと。
そのせいで家中が混乱、治めるのに強権を発動した事と
更にはそれを逆手にとって一領具足の制度などでまだまだ
分権的だった土佐国内を中央集権的に組み替えようとする
元親の意図などが絡んだ結果でああなっちゃったわけだし。
453 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 21:15:48
そして失敗か・・・
454 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 21:34:45
455 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 21:52:07
元親は、晩年、末子かわいさに御家騒動おこしたよな。
この人、総合的には暗君か暴君の類だと思う。
自分の代で、ほぼ家を潰した。
四国の鳥無き里の蝙ってだけ。
盛親も正室の子だから信親の面影があったんじゃないかな?
盛親の正室には信親の遺児を家臣の反対を押し切って娶らせたぐらいだから
余程未練があったんだろう
というかそもそもここは仙石スレであって長宗我部スレじゃないぞ。
……仙石は語ること少ないのか、そうなのか。
なぜかスレ立ってからずっとアンチ長宗部が居座ってるから
定期的に長宗我部スレと化す
長宗我部なんてどうでもいいってのw
459 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/03(月) 22:51:46
長曽我部如きの田舎侍に負けた仙石を評価できんの?ただの猪武者でしょ
こいつに比べると尾藤知宣の末路はかわいそうだ。
仙石はとにかく地味だな
異名もないぐらいだから槍働きもたいしたことないんだろう
でもどこで学んだのか土木技術があったようだが
そこが出世の秘密だと思う
秀吉は無理押しを極度に嫌ったから常に地の利を生かした戦いをした
野戦でも城攻めでも堅固な陣地を築き無理なく攻めた
要するに工兵が軸になっているから中途半端に軍事の才能があるよりは
土木の才能があったほうが優遇されたのだろう
ただ、仙石は出世欲が強すぎるのが禍いして転んでしまったが…
上にもあるが御子田正治もな
権兵衛は、石川五右衛門を召し取ったり、
鈴を鳴らしたりと、アメコミヒーロー張りの活躍。
それに比べて、尾藤や神子田に、いったいなんの
活躍があったと言うのだ?
逆だろw
ゴエモンなんて存在すら怪しいし仙石が捕らえたなんて史実はない
小田原では鈴をつけた「アピール」をしただけで
特別武功をあげたわけではない
神子田や尾藤は尾張時代から桶狭間や美濃攻めで活躍している
その後も毛利攻めや山崎、賎ヶ岳などでも先鋒を勤めたりして活躍した
戸田や宮田と並び豊臣家で最も優れた勇将とされ
軍事面では竹中、黒田、蜂須賀といった面子より上の評価をされている
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 15:40:21
鈴をつけてアピールだけでは復活できまい。
地名になるくらいだからいくらかの武功はあげてるだろ。
武功ゼロではないと思うが。
その具体的な武功が残ってない。しかし鈴の逸話は残ってる。
という辺りが仙石らしさというか何と言うかだな。
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 16:07:38
まぁよく話に出てくるのは甲冑に鈴付けて戦ったことと仙石原という地名を残したことだからな〜。
武功つーか、大学にあるぶ厚い人名辞典には小田原の際、どっかの峠の確保や小規模の拠点攻めたりみたいなこと書いてあった。
これで復活したのは事実だし、何かしらの功績は挙げたんだろ。
そりゃ仙石も元大名だから陣借りと言えど家臣は連れてるだろうし
雑兵首の一つや二つは取っただろう
そもそも鈴を付けると言うのは別に戦術的に意味はない
目立つ=標的にされやすい
だから命を捨てて頑張ってますと言うアピールをしてるわけで武功には関係ない
仙石が復活できたのは家康の執り成しによる為
仙石の勝因は家康に上手く取り入ったって事だな
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 20:29:09
,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、 , -‐、/./.- 、
/ | | ヽ l l ( 火◇風 ノ
/o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、 ノ ◇ ◇ (
/o O / l´/ ヽ lo ',ヽ ( 山◇ 林 }
\___/. ト、 ● ●ハ ∧ `⌒/7へ‐´ 武田信玄カワイソス
/ ,イ レ_ (__人_) ミl~T--‐彡 /./
/ ̄ ̄l. 彡、 ノ'l l::::::::::彡ー7⌒つ、
彡:::::::::::l ト、___ /| l::::::::::::ミ {,
要するに太鼓持ちが上手かったんだろうな
秀吉並みに
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/04(火) 21:04:29
藤堂高虎もそうだが太鼓持ちは戦下手
何を言う
藤堂は戦でのし上がって来た男だぞ
本人自体も豪傑だし
武勇は数しれず根っからの武人
大名になった晩年からだよ
戦より畳の上での工作が得意になったのは
逆をいえば藤堂ほどの豪の者でも謀略なしでは大名にはなれなかったってことだな
加藤清正や福島正則なんて秀吉の縁者でなければ何かのツテで武士になっても
足軽大将か郎党なしの徒武者で終わってたかもしれん。
つーか藤堂は太鼓持ちというかご機嫌とリなんかしないだろ
情報を持ってきたり、調略に尽力したりといった武辺以外の実績を持って
大和大納言家から豊臣本家、豊臣家から徳川家と鞍替えして来た。
>>472も言ってるが、大和大納言家やそれ以前の浅井家や津田家時代は
武辺の活躍も数多いし。
秀吉だって軍事で活躍したからのし上れたわけで
>>473 加藤も福島も将才があるからそれはない
秀吉は一族だからと言って極端な過保護はしていない
使えない奴には微禄しか与えてないし
加藤らも実力でのし上がったのは間違いない
>>476 将才を発揮する機会を与えられなかったってことだよ
藤堂は百姓同然の出身だから侍大将になるだけでも奇跡的だよ
それにいつも「見限り」で仕官先を出て来ているわけで
武士としておかしな行動ではない
むしろ次々高禄で召し抱えられる実力は相当なもの
>>477 あれだけの能力あればどこの家で足軽働きから始めても
万石取りにはなれるさ
正則は微妙な気もするがw
実際に足軽以下から出世した武将って稀少でしょ
あの時代でも身分差の壁は厚かったんじゃないかね
秀吉の子飼いと言えば聞こえはいいが
実際は無禄状態
小者程度からのスタートだから当然100石200石程度で終わった人も多い
母衣衆でも万石取りまで行ったのは極僅か
秀吉は天下取りをしていて全国の強豪を相手にしなきゃならないわけだから
他の大名家より大変だよ
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 01:26:57
だれかが秀吉の配下なら出世もらくだといっていたがとんでもない誤解だ。
倍率がハンパねぇし。
出自が良くてもあんまり考慮されない分、実力+自己アピールは必須。
なんか、現代の雇用前線もそうだが、
実力も伴わないやつに限って、事故アピールの上手なやつに対するやっかみが強いんだよな。
そうじゃないんだよ。
自己アピールの上手なやつは、そりゃ1の力を10くらいにアピールできるかもしれないが、
そのためには1くらいはすっかり自分のものにできてるんだよ。
自己アピールの下手なヤツってのは、実は、自分が何をアピールできるか自分で把握できてないというパターンが多い。
だから評価されない。
自己アピールする力も、その裏づけとなる何かがあって初めて成立するし、
自己アピールの出来ないやつは緒戦はそれだけの裏づけを自分でもててないってことよ。
秀久はその点、上手だったってだけだ。
パフォーマンスで億稼ぐ連中もいるわけだからな
堀江や村上は違法にまで走ってコケたが
>>472 豪傑なのと戦下手なのは別だろw
これだから日本語の通じない支那人の相手は疲れる
高虎は豪傑かつ戦上手としかいえないと思うが
戦歴を見れば各地を転戦して槍一本でも指揮官としても戦功を上げている
487 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 08:29:34
でも、高虎の一番首や一番槍は信頼すべき史料には記されてないんだよな…。
このスレあったんだ戦国無双でもちょっとしかでてこんから気になっとった
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 12:17:45
藤堂高虎も司馬が小説化しなけれりゃ酷い扱いだったんだろうな。
むしろ藤堂が戦でヘマやらかした事なんて一度もないと思うが
大坂では家康の本隊に向かう長曽我部隊を発見し
敵より数が少なく湿地帯からの攻撃と言う不利な状態ではあったが攻撃を開始した
この頃になると高虎は完全に政治家になってるからね
戦術で不利でも戦略的価値があるのを知っているから
事実大坂の陣での活躍で大幅な加増を受けている
晩年は保身家のイメージが強いが
九州征伐の時は例の尾藤が追放になった戦いである高城の攻防戦で
秀長ですら動かなかった時に高虎のみが軍令を無視して宮部らの救援にかけつけ
激戦の末に島津軍の撃退に成功している
藤堂高虎は積極的に主家に弓引いたわけでもないし
豊臣家と切れたのだって秀次事件の連座くらいかけた事情があったわけで
どっちにしろ家康はもちろん秀吉だってただの太鼓持ちに一国一城を
くれてやるようなお人よしではないわな。
有用な人間だったことは議論の必要すらない。
一農民に没落した家の出から大名に出世っていうだけで十分凄いでしょ
>この頃になると高虎は完全に政治家になってるからね
ふーんwww
496 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 14:25:37
そう考えると秀久も有用な人間であった、ということか。
有能ではない有用ではあった、辺りが妥当な評価だろうな。
仙石はかなり頑張ったと思うよ
正直能力はないが5万石の大名になったわけだからね
仙石なりに限界ギリギリまで働いたよ
どこの会社にもいるけど
仕事は特にできると言うわけじゃないが上司に超アピールして
仕事もバリバリやってる(ような)ところを見せる
上司もそれ分かってるけどやる気は本当にあるから
なんだかんだ言って係長ぐらいまで出席したりする人
あれと同じ感じかと
499 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 15:44:03
5〜10万石の大名と係長を一緒にされてもな…何か違う気がするが…。
史料に残らない功績があったのかも
汚れ仕事とか裏仕事とか
そこまでいくと流石に陰謀論レベルになっちゃうしなぁ……想像するだけなら面白いけど。
>>499 5万石ぐらいまでは小名
ギリギリ管理職の係長と似たようなもんだろ
503 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 22:59:15
仙石にも能力はあるだろ。なんでそう無能にしたがるんだか…。
とりあえず検地は出来るよな
505 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 23:09:38
築城・土木と火事場の馬鹿力
秀吉が仙石秀久を大名にした理由は
「古残だから」
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/05(水) 23:19:29
さすがに古参だけで大名になれないだろ。
508 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 00:35:06
アレだけの失敗は日本史上でもきわめてまれな例だ。
だが、アレだけの失敗をするチャンスがあるか?
普通はない。
そして、アレだけの失敗をして返り咲けるか?
普通は古参だろうと、お気に入りだろうと、ありえない。
秀久が無能だというヤツには、
じゃあ、お前にああいう復活劇が出来るのか、
といいたい。
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 00:46:01
秀久の家臣って誰がいたの?
きっと家臣が無能だったから戦に負け、それが秀久の汚点になっちゃったんだよ
というか、その能力がないにも関わらず何故か復活劇しちゃってる所に、仙石の
悪運というか凄みというか訳分からない面白さが集約されてる気がするんだよな。
「実は必然的な理由があったんだよ!」といわれるとじゃあ結局どこにでもある話
じゃないか、となるわけで。
いや、むろん本当はそうなのかもしれんが、そこらへんに浪漫を求めたいんだよ。
仙石が復帰できたのは家康が執り成してくれたからってだけで
別に手柄や能力によるものではない
ただし、家康に上手く取り入ったと言う所は本人の能力によるものだな
仙石は典型的なお調子者だけあってアピールが上手い
目立とうとする執念が成功の秘訣
普通にしてたらそれこそ千石取りぐらいで終わってたよ
無能ではないが有能でもないな
戦国末期から江戸中期ぐらいまで何十冊もの文書が記され
何百人もの戦国武将の武辺話しなど色々な事が書かれたが
仙石の話しは全くない
戸次川の戦いの失態
小田原で鈴着けて戦った話し
この二つぐらい
戸次川以外に大きな失敗はないが話しに残るような事も何もしてない
逆に言えば戸次川の失態のお陰で歴史に名を残せた
あれがなければ逸話の一つもない本当に凡庸な人物で終わっただろう
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 02:56:37
何十冊の文書て…何だよ、その何十冊の中身は何?
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 03:18:13
>戦国末期から江戸中期ぐらいまで何十冊もの文書が記され何百人もの戦国武将の武辺話しなど色々な事が書かれたが仙石の話しは全くない
江戸中期ではないが、名将言行録には仙石秀久はちゃんと入ってる。ナゼに?
>>248 この漫画の光秀はそういうタイプには見えんな
516 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 08:31:45
センゴクの秀吉はなんとなく争点の劉備に似てる感じがする
いやどこが?って言われたら自分でもわからんがなんとなく
野卑な物腰、親分肌、好色振りが
名将言行録は色々な文献から抜き出してまとめた物だから、その元となったものはもっと前のものだろうね。
まぁ抜き出したといっても真偽ごたまぜ状態のものだが。
519 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 15:16:47
戦国武将のほとんどは真偽ごたまぜだろ。別に仙石だけではないと思うが。
>>519 少しズレてる。
文献の中には精度が高いとされるものも、低いものもある。
名将言行録は現代の基準からすると、精度など気にせずにまとめたものと指摘しただけ。
名将言行録に記載されてるから仙石のエピソードが嘘っぱちだ、などとは言っていない。
>>513 戦国時代を題材にした合戦録から日常に起きた出来事など書いたものはかなりの数あるだろ
織田豊臣関係だと
常山紀談 五宗記 武辺咄聞書 豊鑑 祖父物語 朝鮮討伐記 義残覚書 織田家雑録 太閤軍紀 織田軍記 柏崎物語 武者物語 落穂雑談一言集 武辺雑談 武家閑談 賎ヶ岳記 など他多数
各地域の記録や神社仏閣の雑記、個人の日記、各家の家譜など全て見れば
戦国期のものだけでも数百の文献がある
しかし仙石はたまに名前は出てくるけど武辺話しや政治的な話しもまずない
合戦なんかは参加した名簿に名前が書いてあるだけで
他の武将のように誰の首を取っただの、どこの戦いでどんな働きをしただの何も書いてない
522 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/06(木) 21:29:11
520
そんだと知らず、スマン。
主人公がツルモク独身寮のやつみたいや
524 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/07(金) 05:47:22
521はその数百の文献に目を通した上で言っているのか?
戦国時代ってこの人の名前からついたんだよねぇ。
立派だよねぇ。
( ゚Д゚) ……
仙石が超絶雑魚武将なのは間違いないな
織田、豊臣、徳川と戦いに明け暮れた家に仕えながら
名のある士をたった一人も討ってないのはある意味奇跡的
いや、名のある武将を討った例のほうがまれな希ガス
というか、その名のある士の線引きはどこですればいいのですか?
どうか、521と同レベルのことはいわないでください
え?じゃあ、何もしてないのに大名になったわけ?合戦に参加しただけで?んなアホな。
だからこの人測量技師だって
検地とか築城の縄張りとか
四国攻めの時は活躍したんですか
>>529 名のある武将を討ってない=何もしてない
どういう思考回路だw
合戦は別に武将同士のタイマン勝負じゃねーんだぞ
533 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 13:16:44
>>531 十河氏の救援に行って惨敗してなかったっけ?
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 13:58:02
まぁ引田では敗退したが、その後は総大将に任じられた秀長の軍団で一部隊を率いて数々の城の攻略に関わってる。
讃岐10万石もらってるから功績はあげてるだろ。
どんな功績あげたの?
537 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 14:19:16
そこまで細かく調べたことないからなんともいえんが、喜岡城攻めや一宮城攻略戦とかかな。
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 14:19:27
飯食っててどんな栄養とったのってきいてるようなもんだぞ
そんな内容もわからんもんを功績と言われてもねぇ…
>>539 じゃあ、お前は秀長の四国征伐の功績を事細かに挙げられるのか?
秀長が来てからは誰も負けてないもんな
そもそも仙石単独、もしくは仙石の采配で戦に勝った事あるのか?
いつも名将にくっついてるから勝ち組に入ってるけど
別に誰でもいい気がするw
大将の言われたとおりにやってるだけって言っても
言われたとおりにやるにもそこそこの能力はいる
それも出来ない人間もたくさんいるんだ
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 14:33:23
喜岡城攻めは仙石が志願して自ら采配して落とした城らしい。
>>540 アホか
秀長は総大将だっての
四国征伐そのものが秀長の功績に決まってるだろ
各部隊の攻撃部署を指示したり降伏勧告交渉を指示したり
総大将の指揮で全軍行動するのだよ
まあ、一宮城攻略は直接指揮してたけどな
545 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:12:18
夏草の賦を読んだ。仙石シネヨ。
盛親死んだだろが!”””””””
元親の気持ちを考えろ!!!!!!!!
その後自分だけ復権したって言うじゃねーか?????
こういうおべっか野郎はシネヨ。ほんと迷惑なんだよ。
546 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:27:37
信親て戸次川で討ち死にして後世に賛美される身分になったから、案外長生きするよりよかったんじゃない?
547 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:32:28
盛親じゃなかった・・・
いや、信親健在なら関ヶ原は、東軍に組して島津対策として伊予を与えられて
いたのは明らか。
548 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:38:09
信親健在なら関ヶ原は、東軍に組して島津対策として伊予を与えられていたのは明らか←という想像だろ。
所詮は四国のローカル武将だし、そこまでいけるか微妙だな。
549 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:40:23
想像に決まってるじゃんかw
わざわざ想像だろとかイワンでいいよ。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:41:10
それに長宗我部滅亡の一番問題は元親だろ。
いくら溺愛してた長男死んだからって、その後の人生だらしなさすぎ。
551 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:44:15
信親死なない元親。うむ恐るべし。
なんで明らかなんだろう
史実で盛親が西軍なのに明らかに信親が東軍になる
というその理由がさっぱりわからん
553 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 15:53:44
なんの根拠もない司馬小説読んだだけの駄ボラだからw
喰いつくねーあんたもw
運が無かったんだよ、信親は…
惨敗でも生き残る奴は生き残る、勝ち戦でも死ぬ奴は死ぬ
それが戦場さ
555 :
552:2006/07/08(土) 15:58:05
> 喰いつくねーあんたもw
俺を誰かと勘違いしてるのか?
いやどっちかつーと、趣旨は仙石氏ねなわけで・・・
高知県民発狂中wwwwwWWWWWWwww
>>544 日本語が理解できないのかw
秀長指揮下で行われた四国戦役の戦闘詳報を
全て知ってるのかって聞いてるんだろ
>>540はw
なんで全て知ってなきゃならないんだよw
>>552 元々、長宗我部は東軍につこうとしていたって話はあるけどな
じゃあ信親になったら思い通りにつけたのかまではしらんが
>>559 そりゃあ、知らなければ功績として認めらられないと言っている人がいるからだろう。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 20:57:57
>>559 権兵衛が秀長配下では活躍したかどうかわからんってことでは?
「関が原」の方では言われてるほど悪く描かれてるわけでもないな
単に真田家の誘降を勧めたってだけで
その時の言い草が徳川譜代の反感買ったって程度の描写だった
564 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 21:06:49
そういえば、仙石が上田遅参の原因だなんて馬鹿げた話どこから出てきたの?
原因になった一人なのは間違いではないけどね
秀忠が上田攻撃を主張した時に仙石も尻馬に乗っかったから
まあ、秀忠が言う方がにくっついていれば間違いないだろうと無邪気に考えただけだろうけど
そもそも遅参の理由は上田城を攻めたからではなく、家康からの伝令が遅れたからで。
上田城攻めの決断自体関係ないんだけど。
567 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/08(土) 22:56:08
尻馬に乗っかったから、て表現変じゃね?
それだと他のヤツはどうなる?
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:03:29
上田の仙石責任話は小説とかの話だろ?
史料とかあるの?
>>567 仙石は初め主戦論じゃなかったし
秀忠が攻めると言い出したら主戦派になった
まあ、仙石の事だから
「そうだそうだ、真田なんかやっちまえ」
て軽いノリだったんだろう
571 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:22:09
>570
それは何の小説?それとも史料に記載されてるの?
それとも570の妄想?
572 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 00:30:49
仙石越前守は江戸初期こそ秀忠昵懇大名として、山形の最上改易後の配置転換で小諸から上田に移封したまでは良かったが、但馬国出石に左遷され、江戸後期には大規模な騒動で壊滅。
仙石に関してソース求めるのは間違っている
何もやってないんだからいくら探しても出てくるわけないだろ
574 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 01:37:15
何もやってないヤツが大名になれるかよ。
あと、いくら探しても出てくるわけないというのは探してから言え。
誰か仙石の功績書いてある資料教えろ
いくら探しても出てきやしない
なんか凄く嫌いになってきた('A`)
先月から図書館や本屋を32件ほどまわったが何もなく
仙石氏に関する資料はありませんか?
とか問合せたが
結局家譜しかなく…
ふざけんな
時間返せよこの糞雑魚が(TДT)
_
(゜3゜)<おい、
>>575!
| |∧∧∧
\___>
_
ε゜ )<働いてないだろ!働いてないだろ!
| |∧∧∧
\___> ))))
悪名については「資料あるのかよ」
功績については「資料はなくても出世してるんだから」
悪名については腐るほどあるよな
戸次川なんかはいくらでも記述あるし
でもあれだ
元親は仙石に対して恨み言なんて言ってないし
長曽我部家の記録にも仙石を批難するような事は書いてない
長曽我部と島津も友好的だった
信親が死んで元親が落胆して自暴自棄になったのは事実だろうけど
長曽我部と仙石(十河)の確執は後世の創作だと思う
>>577 功績なくても出世する人がいるのもまた事実
むしろ仙石はその典型
なぜか?
実際に特筆する功績がない
と言う揺るぎない事実があるから
でも全くないと言う事でもない
会社で勤続何年とか皆勤とかで表彰されるでしょ
実際「会社にいただけ」で
別に仕事はできなくても功績として賞される事があるわけよ
あと年功とかね
そう言う類の功績なら仙石にも間違いなくある
つまり正確に言えば
たいした功績がない
と言うべきではあるな
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 03:45:55
実際に特筆する功績がないというが、小田原での復活劇は十分特筆に値するものだと思うが・・。
叩き上げの秀吉が年功や勤続年数で部下を出世させる人間なのか?
仕事ができない、功績無しの人間が28歳で淡路洲本5万石もらえるものなのか?
別に派手な功績が全てじゃあるまい。
地道な働きで功績挙げて大名になれたんじゃないのかね。
でなくば、秀吉の信頼を勝ち取ることもできんと思うが。
>>580 たたき上げだからこそ、生まれたて側に置ける武将がいなかったんだけどな。
だから必然的に古参を優遇するしかない。
>元親は仙石に対して恨み言なんて言ってないし
>長曽我部家の記録にも仙石を批難するような事は書いてない
そりゃそうだ。フツーに考えれば、
失態を演じても、すぐに大名に復帰できるぐらい
時の権力者にかわいがられている譜代の寵臣のことを、
所詮外様で、しかも討伐を受けた身の大名が
後に伝わるような表立った批判なんかできないだろ。
>長曽我部と島津も友好的だった
敬意を表して、敵なのに信親の遺骸を丁重に扱ってるわけだからな。
敵味方に分かれてるんだから、結果的に敵に殺されること自体は、ある意味「戦場の倣い」だろ。
逆に、失態の原因を作って、しかも、危なくなったら真っ先に遁走する自軍の軍目付の方が、
よほど恨むべき存在じゃね?
583 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 03:57:19
いくら古参優遇でも功績0で仕事のできない人間をわざわざ重要な拠点に置かないと思うがね。
>>580 逆に自分が成り上がったからこそ、能力がある人間を過剰に恐れてる節があるからな
可愛がってて、自分を脅かすほどの力はない部下は、貴重だったんじゃね
>>583 逆にほぼ直轄地状態で、秀吉が管理してたのかもな。
だからこそ、そういう指示を送りやすい、気の知れた仙石を置いたのかも。
586 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 04:03:38
それを政権が安定期に入ってから実行するならわかるが、柴田、北条、長宗我部、徳川などと敵対関係にある中、一勢力の秀吉が自ら首絞めるような危険なことやるか?
まぁ、アレだ。サプライズ人事。
588 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 04:04:48
サプライズ人事も実績あってだろ。
>>585 そういう時期だからこそ、能力以前に絶対の信頼を置ける部下に任せなきゃいけないとおも
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 04:19:58
その絶対の信頼だっていくらかの実績がないと生まれないだろ。
そうでもない
592 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 04:30:10
そうかね?
まぁ既出だが、この程度の人物を抜擢しなければならないほど豊臣家臣団の人材は枯渇していた。
失態の後許されたのは、それはそれで大したものだけども。
とりあえず功績なし派の人は仙石が異数の出世を遂げた理由を説明してよ。
天正8年に洲本で権兵衛が5万石もらったとき、ひとまわり年上の浅野長政・山内一豊・中村一氏
堀尾吉晴・一柳直末あたりはみんなまだ三千石にも満たない将校にすぎないわけで
(天正11年説もあるがそれでもそのへんとは大きな差がある)、別に出自がいいわけではない
権兵衛が若輩の割にこいつらのはるかに上にいけた理由を説明してもらわないと。
>>568 少なくとも上田城攻めが秀忠軍が動いたときの当初からの予定通りの行動だったのは明らか。
そして、予定の変更を伝える使者が遅れたのも事実。
>>594 秀吉の個人的なエコ贔屓。派手好きで秀吉に上手く取り入るいわゆるお気に入り。
無能だが、そこに書いた5人なら指揮能力見ても劣ることはないとは思う。
ってか、秀吉は仙石に若い時の自分を見たと思う。(大間違いだけど)
何で有能か無能かって
1か0かみたいに人間の能力を判断しようとすアホがいるんだろうw
飛びぬけた才能はなくてもそこそこ仕事が出来る人間ってのは組織には
必要なんだよ
そのそこそこキャラが、なんで594の面子を飛び越えて5万石なのかが問題
なわけでして。
そこそこの俺に5千万位給料くれんかな・・・
599 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 10:58:40
秀久が古参だったから出世できた、という説の人に一言。
じゃあ、秀久のほかに古参は居なかったの?
超メジャーどころでは、蜂須賀とか前野とか。
たぶんほかにも古参はまだまだたくさん居ただろう、きっと。
こいつらは何万石取だったか、俺は知らないんだが、誰か知ってる?
少なくとも、浅野とは、最古参の上に、血縁関係もあって、
ここで名前が出てきている連中の中でも一番秀吉に身近な位置にいたとおもうんだが。
ちなみに浅野が甲斐22万石を得たのは、太閤検地の功績によるもので、
それまでは
>>594のいうとおり、それほど所領を預かっていたわけではない。
600 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 11:05:09
蜂須賀は阿波一国だぞ。当時の阿波の重要性を考えればやはり古参優先では?
前野は知らん。 まあ蜂須賀は有能だからいいと思うけど。
601 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 11:13:34
ちなみに、蜂須賀はと前野は知ってる。
蜂須賀は四国征伐の跡で阿波一国。
前野は「小田原の後になってから」、
(偶然だが後に仙石氏が転封される)出石に11万石。
ちなみに、秀吉の日本統一事業は、
四国征伐、九州征伐、小田原攻め、奥州仕置き、と4段階に分けて考えられると思うんだが、
うち、二度も先陣を任された、というのは、仙石以外に例がない。
その2度とも、先陣の任務に失敗した、というのも、まあ、例はないけど。
現代で言えば、社運をかけた4大プロジェクトのうち、課長として2つの着手を任されて、見事に失敗して解雇されながらも、
後のプロジェクトで挽回して係長に返り咲いた、という、波乱万丈ぶり。
巻き込まれた人のことを考えなければ、相当魅力的な人生ではないか?
(↑この前提、文句ある?)
>文句
文句というか謎だけど、具体的にどう失敗したのかは分かるのに
どう挽回したのか良く分からん所。
失敗を誤魔化すことは多いが、成功を隠すってのも変だし、一応
勝ち組になってるんだから史書上で改変を受けることもなかろうし。
603 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 11:23:57
「あの」蜂須賀が阿波一国を与えられたときに、
「あの」仙石が讃岐一国。
阿波と讃岐とでは、
まあ確かに
国力や戦略上の重要性も違いはあるだろうけど、
これって無視できないと思うんだが。
他の古参で、一国を与えられた武将はいるのか?
つまり、秀吉の仙石秀久に対する評価は、
この時点では、浅野・山内・堀尾・中村よりはむしろ、蜂須賀正勝に近かった、ということではないか?
後、小田原での返り咲きが家康の口ぞえによること、という事実をもって、
家康に媚を売った、ということも言われているようだが、
家康を馬鹿にしてないか、それ?
家康だって、どうでもいいやつなら、媚を売ってきたところで、
わざわざ秀吉に口ぞえなんかしてやれないよ。
一応、秀吉のほうが家康よりえらいんだぜ?
お前、会社の中間管理職だったとして、上司に対して、
上司のかつての直属の部下の左遷をとりなしてやれるか?
604 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 11:25:33
巻き込まれた人のことを考えない、
ということに対して文句ある?
といっているのでは
島津のエピソードって、そういうの多いよね。
相良氏との抗争での新納と犬童との和歌の交換とか、
関が原帰りの船上での恩義に報いるため立花宗茂の救援軍を直ちに編成したとか。
島津厨は嫌いだし、そもそもあのチェストとか叫ぶ気質はウザイが、
島津のそういうところは好感が持てる。
知っている方がいればぜひ教えてほしいのだが、
『国史大辞典』を見ると権兵衛は天正2年に野洲郡に千石領したとある。
野洲郡って当時は秀吉じゃなくて佐久間信盛の所領なのだが、
これってどういうことなんでしょ?
秀吉が野洲郡の一部に飛び地で所領を持ってたという解釈でいいのかしら。
以上、中途半端に『センゴク』における権兵衛の佐久間への仕官が
リアリティを持ってしまう疑問でした。
武田を見せるためのご都合主義じゃなかったのかな?
石高に能力や功績が比例しないのはよくある事だろ
それと豊臣家では神子田、尾藤、戸田なんかがトップクラスで
竹中、蜂須賀なんかが持て囃される一般のイメージとは違う
出世頭は加藤光泰あたりだし
仙石も含めてこういった連中に共通するのは元与力と言う事だな
そして後に秀吉は大半を粛清している
元与力組はそれなりに影響力が強かったんじゃないかな?
秀吉も多少遠慮があったのかもしれない
だから前半こそ優遇したが秀吉が完全に天下の覇権を握ると
次々に潰しにかかっている
>>603 >「あの」仙石が讃岐一国。
ちょっ、丸々一国じゃねーよ馬鹿かお前!
讃岐一国は貰ってないけど…
十河の領地もあるし秀吉の直轄地もある
まあ、7割ぐらいは仙石の領地だけど
611 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/09(日) 15:45:11
602
別に挽回方法を隠してないと思うがね。
詳細は家譜に書いてあるし。
まぁ家譜を信用しないというならそれまでだが。
地名になるぐらいだから何かしら奮戦はしてるだろ。
地名ってまさか仙石原?
>>610 秀忠の真田信幸あて書状、同じく秀忠の岡田善同あて書状、
それから家康の浅野長政あての書状。
いずれも、秀忠軍の出陣日8月24日当日及び前日の日付で、
真田・或いは信州の仕置きの為に出陣すると述べている。
そして、美濃へ向かうよう指示した家康の使いが秀忠の下へ向かったのが8月29日。
普通なら遅くとも2・3日でつくはずのその使者が、悪天候で遅れて実際についたのが9月9日。
秀忠は翌10日には美濃へ向け出発したが、当然15日の合戦には間に合わなかった。
そら秀忠が無能っていう歴史は抹消したいわな
>>613の書き方だと、まるで最初は関ヶ原に参加する予定はなかったみたいにみえるが、
秀忠軍の規模や顔ぶれからいって、関ヶ原に参加させる目算だったことは間違いないだろ。
信州は当初から目標の一つではあったかもしれないが、あくまで通過点だったとしか思えない。
天下分け目の戦に後継を参加させないなんて、考えられない。
誤算は関ヶ原が想定より早く開戦に至ったことだろうけど、それに加えて真田攻めに想像以上の時間を食ったことも確か。
真田をさっさと落とせていれば、使者が遅れようが家康と合流するために移動を開始していたはず。
関ヶ原後の信州方面組は恩賞預かれなかったし。
>>615 仮にそうだとしても、問題は上田城を落すのに時間がかかったことで、
攻めたこと自体は当初の予定通りなんだよ。
落すのに時間がかかったというか、落せなかったことが、か。
>>615 正確に言うと攻める前の交渉等で時間を使いすぎている。
実際に攻めたのは9月5日になってからで仮にその日の内に落せたとしても、
間に合うかどうかは極めて微妙な線。
そしてなぜそんな時間をかけたかと言うと、
急変した情勢を知らずまだ時間はあると判断していたから。
要するに連絡が行かなかったことが根本的な原因なのよ。
交渉に時間掛かりすぎたとかいっても、本来の目的は上田より関ヶ原なわけで、
先を見越さずに時間をかけすぎたのも結果的には失策になるぽ
それは、「9月15日に天下分け目の大会戦が行われた」ということをしっている
現代人だから言えること。
もっとはっきり言えば、「9月15日に決戦が惹起してしかも一日で決着がつく」と
知らなければならない。
>>619 だから、本来の目的が上田城攻略なんだよ。
確かに
>>615の推測は現実味があり、
その後の日程として美濃方面への進出が予定されていた可能性は高いと思うが、
当初の目的はあくまで上田城。
美濃に向かうにしても、いつごろまでに向かわなければならないかとかは情勢しだい、
ところがその情勢が伝わらなかったので予定通りに上田城を攻めただけのこと。
まさか岐阜城がたった一日で落ちて、
一気に決戦の機が熟すとは誰も思わなかっただろうからね。
一刻も早く美濃へむかわなければならないという感覚は、
少なくとも秀忠軍が出発した時点では誰も持っていなかったことだろう。
遅参の責任はわからずとも、あれだけの大軍連れて、上田すら落とせなかったのが間違いのない事実だけどなw
もっとも上田城攻めってその前哨戦も含めて僅か2日間なんだよね。
幾ら兵力差が圧倒的だといってもそれなりの堅城なら2日くらいもって当たり前な気もする。
上田攻めに何日計算してるんだよ
そのペースでやってたら、関ヶ原が計算通りのペースで起きても間に合わなかったんじゃね
>>625 関ヶ原が計算どおりってなんのこと?
事前の計算なんて出来ませんよ?だからこそ、状況次第。
まあ、2日で攻めるのをやめた段階で、
これ以上日数を使うのはまずいかもと思った可能性はあるけどね。
上田攻めの時間配分自体は仙石の責任じゃないだろ
決定できる上の人間が相当数いるんだし
状況次第なのに関ヶ原に間に合わなかった責任は皆無かw
>606
秀吉の家臣じゃなくて与力だったから。
>>626 「決戦場が関ヶ原」も後知恵だがね
三成は三河・矢作川を念頭に置いていたようだし
まあ、小諸に入って真田と交渉開始したのが2日
攻略諦めたのが9日だから一週間は停滞していた
更に追撃を警戒して遠回りして無駄に時間食ってる
宇都宮を発ってから関ヶ原が始まるまで3週間ほどだから
いずれにしても行軍遅すぎではあるな
天下分け目の大戦が始まる事は知っていたわけだし
指示がなくてもいち早く前線に出るのが普通だと思うが
あれだけの面子揃っててタラタラやってたのが謎だ
仙石が余計な進言したなんてのは小諸に入城してたことから
創作だろうとは思ってたが
ここを読むとどうやら秀忠が真田に翻弄された事自体が創作の
ようだな
( ´,_ゝ`)プッ
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 15:55:18
真田て戦術は強いが戦略的には負けてばかりのイメージがあるんだが、そこのところどうなの?
どうもこうもねーよ馬鹿
おいおい
責任問われて切腹になった武将までいるのに
創作しちまったら憐れだろw
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 16:11:22
切腹になった奴いたんだ。
誰?
ドン・シメオン
ていうかさ
基本的な所がハッキリしないんだが
仙石は上田攻めに参加してたの?
これが一番重要だと思うのだがw
640 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 16:43:30
仙石は約1500率いて秀忠に従軍し、上田でも参戦してる。秀忠が関ヶ原に向かう際には仙石と誰かさん(名前忘れた)を上田への抑えとして残した。
当然秀忠軍全てが合戦に参加したわけじゃないが
仙石は参加してたって事でよろしいの?
642 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/10(月) 16:58:37
641
細かい戦闘記録はわからんが、仙石が秀忠の軍に従軍していたことと、上田の抑えとして残されたことは確実だと思うよ。
>>628 結局は悪天候が原因だからねえ、結果責任を問うにしても限度があるでしょう。
>>632 戦術的には、ともかく一度は攻めて落せなかったのだから、翻弄されたと言えるが、
攻めたこと自体は予定どおりの行動に過ぎなかった。
まして仙石の責任を問うなんてことはほとんどありえない。
あえていうなら、戦術レベルでどうだっただろうか?というところ。
以前に一度徳川軍を撃退してるから、そういう話が流布しやすい素地はあったんだろうね>秀忠軍遅参原因
あとはやっぱり皆秀忠に注目してたってのもあるんじゃないか?
家康の跡取りなわけだし、どの程度の能力や器量なのかこの戦で
量ろうと思ってたら、お前遅れてくるってどうよ?みたいな。
武断派と文治派で真っ二つに割れてた時
仙石のオッサンは何してたの?
この頃全く話しに出てこないが
>>647 信濃小諸5万石に封ぜられてる。
秀吉死後はさっさと家康に乗り換えてるよ。
>>647 小諸やるから真田見張ってろってのが仙石のお仕事
家康と利家が対立してた時の話しだよ
仙石も伏見か大坂にいたんでしょ?
651 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 11:24:01
その時期も小諸じゃないかな。
中枢の権力争いには絡んでないと思う。
お蝶とハメ倒してたんだろ
秀久は武断派の大名が木下/羽柴軍団で小姓や端武者だった頃に寄騎ながら
侍大将として羽振りがよかったから彼等に顔が利いたのかな
それとも戸次川の負け犬としてバカにされていたのか
相手にされてなかった悪寒
仙石はあまり同僚と仲よくなさそうだね
福島正則とは仲良かったとかなんとか
仙石は子飼いじゃないし秀吉が直接見出だした譜代でもないから浮いていたのかも
同僚と言うべき与力達は出世したか消えたかで
同じ位置のが少ない
656 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 16:31:08
蜂須賀、山内、堀尾、中村、といった他の元与力達はこの時期何してたんですか?
蜂須賀は正勝はとっくに死んで家政の代になっていたが
家政も大の三成嫌いだった為に武断派として加藤、福島らと行動した
しかし関ヶ原では嫡男は東軍につけたものの
本人は東軍につくのは気が引けて秀頼に領地を返上して出家してしまった
大坂の陣でも大坂入城を警戒されていたが(実際入城しようとした
嫡男や家臣に説得されて断念し駿府まで釈明に行った
しかし家康の大坂の陣の出陣要請にはついに従わず
大坂の近距離なのに何だかんだ言い訳して結局参加しなかった
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 19:15:02
なるほど〜。
アリガトン。
堀尾、中村は中老だった為に大老と奉行の調整役をしていた
家康の横暴を非難する為に三成らの要請に従って
家康や家康派の所へ行って罪を糾弾したりしている
しかし家康は加増(豊臣領だが…)をしたりて恩を売り懐柔に努めた為に
結局中老も家康につく事を決断する
だが中村一氏は関ヶ原の二ヶ月ほど前に死去
堀尾吉晴も老齢を理由に参戦を辞退した
山内は…
何してたんだろ?('A`)
661 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/11(火) 21:16:07
仙石を主人公にした映画なんてあったんだね・・初めて知った。
山内どのは秀吉死後の早い時点から家康に加担している。
奉行衆や堀尾・中村ら秀吉旧臣が家康の上杉討ちを非難した際にも参加せず、
むしろ東海道筋の諸大名と家康方につくための調整を行っていた(三河吉田の池田輝政との文書も残ってる)
その後も千代のアシスト(馬の件と違ってこれは史実)もあって家康への接近もうまくいき、
さらに堀尾は事件にまきこまれて負傷、中村は死の床についたために東海道筋の諸大名の中でリーダーシップが
とりやすくなった。で、小山評定のあの発言になるわけよ。
このあたりの一豊の立ち回りを見れば、まあ確かに土佐一国かもしれんと漏れは思う。
まあ秀吉期に長宗我部の出した土佐の石高は9万8千石だけどねw
それが移封後に再計算したら20万2600石になったんだからタナボタだよな。
まあ、家康に加担した東海筋の大名は
堀尾24万石
中村17万5千石
田中32万石
といずれも大封を受けている(田中は三成捕らえたから大幅に加増されたが
東海筋はみな豊臣家ではそれなりの位置の人達だから
別に山内が堀尾の嫡男の案パクったとかそんな話しじゃなくても
大幅な加増を受けるのは不思議な事じゃない
まあ、それでも10万石以上は貰いすぎな気もするがw
中村一氏:駿府14万5000石
→伯耆米子17万5000石(ただし、一氏本人は関ヶ原直前に急死)
堀尾吉晴:浜松12万石(息子忠氏)&越前府中5万石(吉晴隠居料)
→出雲富田24万石
山内一豊:遠江掛川5万9000石→土佐浦戸20万2600石(土佐一国)
検地やり直し前は10万石に満たなかったとはいうものの、
寒冷地ならともかく、一国の全部を所領とするなら、
フツーに考えて10万石しかないってのはないよな。
666 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 00:24:39
それは検地の計算方法や徹底度にもよる。
たとえば、一反を、300町歩としたか、360町歩としたか。
あるいは、旧長宗我部の家臣団のもつ所領に対してどの程度厳しく再検地を行ったか、
そういった観点で一次史料を検証したのでなければ、はっきりしたことはいえないのではないか。
まあ、学術論文を各期があるわけでもないので、大嘘さえ言わなきゃいいんだけどさ。
島原の石高計算とか、凄かったらしいからな
まあ、江戸時代になって全国的に数百万石増産したのは事実だが
見栄張って石高を実高以上に詐称する大名は確かにいた(格式上がるし
頭がいい大名はむしろ極力低めにしたけどね
669 :
渋沢・巧:2006/07/12(水) 11:06:13
仙石秀久の皆の最終結論
(武将風雲録風で)を記してみよう…
政治76
戦闘64
教養55
野望85
魅力69
「役に立つこともあるかと…」
過大評価…か…?
政治が76もあれば充分役に立つが?
政治60 統治能力は可もなく不可もなく50、立ち回りの上手さと先見性で+5、土木技術も多少あるので+5
戦闘60 母衣衆に抜擢されたぐらいなので並以上60、しかし特別な個人武勇もないのでそれまで
采配30 お世辞にも戦は上手くない、小規模戦闘は並。自ら采配を振るった四国九州では惨敗
野望70 この時代の成り上がりに共通して出世欲は非常に強い。主家の乗り換えも早々と行った。しかし天下狙うほどの野心ではない
魅力40 あまり親密な関係の者は多くない。領民に特別慕われた話しもない。しかし上司ウケは良かった(秀吉、家康、秀忠など
ふと思ったけど、次男と袂を分かったのは何でなんだろう。
犬伏の別れみたいなもんだったのか、単に性格合わなかったのか。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 13:12:04
采配30は低すぎだろ。
引田と戸次川以外に自ら采配を振るったことはあるし、その時は無難にこなしている。
あと個人武勇は小田原とゴエモンのエピソードあるから個人武勇無しではないし、過去の研究本には秀久は猛将として書かれていることが多い。
領民に特別慕われた話しはないが、講談と後々に「権兵衛さん」の愛称も考慮してやれよ。
なるほど。
皆さん、次の信長の夜望に期待してください。
貴重なデータありがとうございました。(笑)
ゴエモンは講談の話しだし(実在はしたようだが文書には前田玄以が捕らえたと書かれている
小田原はアピールしただけでたいした武功はあげてない
どちらかと言うと政治や知略と言った部類の行動
それに陣借りだから采配振るうほど部下がいなかっただろう
愛称で呼ばれてる人物なんて一体何万人いるかもわからん…
別に次回作から出さないでもいいよ。要らないキャラだ。
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 17:06:49
采配は中国遠征、四国攻め、紀州攻めの時の話だよ、小田原の話じゃない。
小田原戦の全体から見れば小さな武功だが、50名足らずで虎口を確保したんだし、そこは個人武勇として評価してあげてもいいんじゃない?
まあ、何にしろ並だな…
あの時代は凄いのが多いから比較すれば並以下になってしまう
功績を上回る失態があるからやはり総合評価30点て感じ
四国はともかく戸次川は痛すぎる
あれさえなければ山内なんかと同じ位置にいただろうけど
さすがに山内と一緒にしたら可哀想だとは思うが…。全然タイプが違うし。
680 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 17:50:53
その功績を上回る失態からの挽回という本来ならありえないことをやってのけてるから、並以下にならんと思うがね。
どうみても小田原の活躍が戸次川の失態を上回るとは思えん…
あくまで許されただけだし
実際元の半分しか禄貰ってない
讃岐から小諸の山の中になったし
やはりもう以前ほど信用されてないのは明らか
682 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 18:17:09
そりゃ一度所領没収したヤツに前以上の石高与えないだろ・・他にも大名いるんだし。
それに別に失態を上回るとはいってない。
ただ、その復活劇が尋常ではないことはたしか。
もらった小諸は信濃の要所だから、そこそこ信用もあると思うけど。
一豊はそれなりにキャラ立ってるし
一応異名もあるしなw
まぁ一ついえる事は、漫画に出てくる光秀がキモいということだ
685 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 18:24:33
一豊に異名なんてあったけ?
中間管理職
烈風伝なら、
政治67智謀42戦闘59采配38足軽C騎馬D鉄砲E水軍E
建設外交、鶴翼長蛇、地方絶対中立生意気やや革新
あのお…能力を数字で評価するのが現れると、
スレの質がとたんに地におちるのはどこもおんなじなのでしょうか?
とりあえず
>>669さんはもう来ないでくださいね。
689 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/12(水) 21:40:15
武将風雲録:政治73戦闘68教養59魅力72野望69
覇王伝:政治51戦闘78智謀20采配65野望67
天翔記:政才56戦才142智才34魅力55野望76
嵐世記:政治14采配31智謀17野望66
天下創世:政治15統率36知略24教養22
革新:統率33武勇71知略20政治16
スゲー転落〜。
嵐世記からが素晴らしいなw
ケツから探すとすぐ出てきそうだ
ちなみに蒼天録↓
仙石秀久
政治13
統率43
知略29
特技・哀願
策戦・罵声
スキルが哀願と罵声ってのもw
こういうのも楽しいじゃん。
668よ、お前こそ想像力の欠けらもないのか?ww
まして仙石の話題なんてもう無いだろうし、既に底辺のスレッドだろう。
ゴメ、688で。
どうでもいいが信長の野望シリーズに尾藤・神子田・戸田・宮田はなぜか出てこないよな…
まあ、それはしょうがないとしても
加藤光泰すら出てこないシリーズが…
なんとかそこまでは妥協するとしても
森吉成が出てこないのはありえないでしょ…
>>681 まあ、小田原攻めでは堀秀政が陣中で没しているからな、秀吉としては軍事力が微塵にも
揺るがないところを見せておかなければならなかったから、復活させてやったんじゃないの
かなあ…。
掘の変わりに仙石じゃなんの足しにもならんよ…
Qちゃんは惜しい言をいたしました
>>693 加藤光泰と森可成は出てた。
森吉成=毛利勝信も出てた。
でてないシリーズもある
699 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/13(木) 12:39:09
カスの分際で権兵衛なんて恐れ多い
権平にしろ
ごんぴょうえ
計画どおり!
種蒔き権兵衛
名無しの権兵衛
三国一の臆病者権兵衛
すっかり権兵衛=マヌケなイメージになってしまいましたね
あ、山本権兵衛に失礼か
ねっとり権兵衛
では今日から仙石八兵衛で
仙石太兵衛でいいんじゃね?
仙石太兵衛氏真。
707 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 22:11:37
仙石揚げ
708 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/15(土) 22:33:32
足軽大将良平
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/20(木) 16:08:37
挙げ
710 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/20(木) 21:58:00
過大評価の傾向があった頃は
それはそれで違うだろ
と食傷したが
こういう幼稚園児のケンカのレベルのレスが続くと
存在そのものが目障りだな
711 :
夜神 権兵衛:2006/07/20(木) 22:08:12
仙石?糞スレ?
なんの事です?
712 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/21(金) 00:43:22
良くも悪くも中堅武将〜
713 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/23(日) 23:13:56
仙石アゲ
まあ、太閤立志伝にも出ているけど、当然?使えない武将。
太閤立志伝X
統率24 武力39 政務58 智謀48 魅力50
スキル(16種・5段階評価、でも普通4が最高)弓術1 武芸1 建築3 算術1 弁舌1 茶道1。
個人的総評:これはひどい。戦場の活躍は望めません。島津義弘に通常攻撃されただけでも混乱しかねません。増築・補修専用にしてしまいましょう。
グラフィック:鎧兜のいでたちで左手で刀を持つ。同様のグラフィックは多数。
黒田如水や加藤清正のような地位によるグラフィック変化も当然無く、他の豊臣家臣と比べてもザコっぽい。なぜか笑顔。
715 :
714:2006/07/25(火) 13:50:25
(続き)列伝
豊臣家臣。
織田信長の命により秀吉配下となる。緒戦に従軍して功をあげた。
九州征伐の際には先鋒を務めたが、戸次川合戦で島津軍に大敗して領国を没収される。
のち小田原討伐で徳川家康を頼って帰参を遂げ、戦後は信濃小諸城を領した。
(ちなみに仙石秀久を主人公にして1598年のシナリオで開始すると、開始時の身分は豊臣家の小諸城主、関が原には参加しない。戦後何の説明も無く徳川家臣になっているのでびびる。)
716 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/07/30(日) 22:35:14
age
のぶやぼの天翔記では
戦才142。これはあくまで上限だが、
氏家ト全や中川清秀や斉藤利三そしてなんと秋山信友とタメを張る。
(・・・どう見てもむしろ秋山信友の評価が低いだけ、なんていうのは無しね。
しかもなんか、この中でこいつだけ戦闘の伸びがよくないほうだし。)
戦闘の伸びも良い部類で初期値も低くない。おまけになぜか「焼討」を実行可能。
兵科適性はほとんどDだけど、水軍だけC。
(氏家ト全は鉄砲と水軍がEなので、兵科適性と戦闘上限値で見れば、むしろ仙石に負けている。
まあこれも、むしろ氏家ト全の評価が・・・)
政治と智謀はどうしようもなく低いので、間違えても内政なんかさせられない。
ただしこのゲームでは確か築城には「野望」のパラメータが影響していたのだが、
そのせいか、野望が78と下手な大名より高い。つまり、内政でも築城だけはそれなりに出来てしまう。
そんな、どう見てもバリバリの武闘派。
こういう書き方をすると一見そこそこ強い気にもなるが、
兵科適性の低さから打たれ弱く機動力に欠け、
智謀の低さからあっさり混乱させられたり挑発にかかったりと、計略のよい的になる。
戸次川での大敗と、その前後の軍功とがが、ブレンドされた感じ。
そして、このゲームの戦才142は「最前線を任せるのに低すぎる値ではないが高くもない」値だし、
どのシナリオでも、もっと兵科適性がよかったり他に使い道があったりという武将はザラにいるので、
なんか、たいていの場合は微妙なやつのまま埋没してしまう。
それでも鍛えまくれば、兵科適性は向上するので、
「ファン」ならば使い込むべし。結構強くなる。
光栄のゲームでは一番仙石が輝いた(といっても、他の一般武将に埋没するレベルだが)瞬間であっただろう。
718 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/04(金) 04:59:33
正直な話、戸次川の戦いで長宗我部・十河の活躍を描いている資料
『南海通記』って相当怪しい本なんだけど、どうしてあの本の話を
みんな信じ込むかねえ。
・享保三年(1718)成立の軍記物(あの小瀬甫庵『太閤記』より後!)
・
ttp://fukubara.web.infoseek.co.jp/2006/2006_1_26.htmによれば、
明確に吉川家が書き直し要請を著者に行い、著者がそれを
受け入れている。吉川は著者に金五百疋を与えた。
・戦死直前(!)の人物の発言が平然と残っている。誰が聞いたのよ。
こういうのを平気で鵜呑みにして書いちゃう司馬某も司馬某ならコーエーも
コーエーだよなあ。
長曽我部や十河がどうあれ仙石がヘマやらかした事実は変わらんよ
720 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/05(土) 22:51:12
アゲ
721 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/15(火) 01:03:17
age
アゴ
つか、漫画で知ってこのスレ来たんだけど、なんすかこの仙石のへぼさ。
すげえ笑ったけど、その後泣きたくなった
723 :
仙石:2006/08/26(土) 07:28:45
724 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/28(月) 18:14:32
九州攻めの失敗は実は秀吉の密命で長宗我部信親を殺すことが目的。
自分は真っ先に逃げたのにそのあとに曖昧な復活をしたのはそのため。
上田城攻めでの攻撃主張も半分は創作。
そんなことは秀忠のブレーンが決めること。
だがそれを支持したのも事実。実はこれも大阪方への配慮で、秀忠を遅参させるための計略。
人は人を知るとはことだね^^
ふーん。
で、ソースは?
彼の脳内。
ネタに突っ込むのもなんだが
史実の戸次川と、そもそも最初から創作の上田攻めを列挙するなよw
728 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/29(火) 18:24:30
上田は誇張臭いな!
足止めくらったのが長雨の所為、関ヶ原が思った以上に早まった所為とかいうけど、
秀忠が実際に失態犯したとしたら、そうそう後世に残さないだろうしな。
730 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/08/31(木) 15:12:47
上田攻めの際、秀忠に自分を人質に送り先へ進軍していただきたいと売り込んだり、その後に殿を申し出て務めたり、関ヶ原後に秀忠の遅参について激怒している家康への謝罪に奔走したりという逸話があるのに・・。
いつの間にか上田攻めの責任者にされているとは・・・・戸次川の大敗は重いな〜。
ここまで見事に評価の分かれる武将は少ないと思う
>>731 分かれてないから。
有能扱いしてる奴は単に捻くれてるだけ。
捻くれっていうか、センゴクオタじゃないの?
736 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 23:40:58
他のスレでも司馬斯波気になっているのだが、
いい加減、
有能、さもなくば、無能。
の両極端でカテゴライズするのはやめないか?
無能だというのは明らかに、一点のみを見て他を見ない狭い視野での評価でしかない、
いやむしろ、
だから嫌いだとかだから無能だとか言う「結論」を先に用意した上で後付けで「理由」を用意しているに過ぎないのだが(もちろん煽る為でしかない)、
だからといって、
無能は言い過ぎ、というに飽き足らず、有能とまで言い切ったりするのは、同じ穴の狢に過ぎない。
そもそも、有能/無能をどう定義するかですら曖昧で、
判断材料に何のコンセンサスもないまま
ただ語感や字面だけで論じることがなんと危ういことか。
・・・なんて、こんなところで言ったって、煽りあいが面白くて集まっているんだから、
耳を貸されるはずもなく・・・。
長く書いたわりには脈絡のない文書だこと
ぷぷ!わかってないな。
長いわりに脈絡がない、んじゃない。
脈絡がないから無駄に長くなるんだ。
どちらにせよ、何を言いたいのかわからん
ゼークト言うところの「無能な働き者」に当てはまりすぎてる気がするので、どーも擁護できない。
いらんことやって部下を窮地に追い込むのってのはな・・・
言われたことしかやろうとしない「無能な怠け者」のほうがナンボかマシ。
743 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 23:24:36
仙石を単純に無能と決め付けるのもどうかと思うがね。何を根拠に無能としてるんだ?
この場合の「無能な働き者/怠け者」は単に組織論の用語だろ?
根拠とかそういう問題じゃない気がするんだが。
>>743 あなたは彼の指揮下で戦いたいと思いますか?
>>744 そーいうこと。
これは将校レベル・・・つまり責任の大きい立場の者のことを言っている。
>>745 仙石がどの地位にいるかによるな。
小隊長・中隊長クラスの仙石なら実績的に全然問題なし。
大隊長クラスの仙石なら許容範囲。
だが、師団長クラスなら転属を願い出るし、
方面軍司令官なら事の成否を問わず脱走するね。
少なくとも、自分が生き残る分なら、
師団長でも直属の部隊に属していれば
自分もピンチのときは助かりそうだから、
それはそれでOKという気もする。
>>747 1万石=100人ぐらいでしたっけ?
とすると拝領した讃岐高松10万石=1000人・・・1個大隊程度。
まぁそれくらいが限界でしょうね、それでも怖い気がするが・・・。
戸次川の戦いで仙石揮下は1000人で全体だと6000人。
6000つーたら旅団〜師団の間くらいの兵力なわけで、ふむ・・・結構的確かもしれませんね。
俺も早々と降伏したために温存された長宗我部軍をすりつぶすために
わざと負け戦に突っ込んだとみるね。
そんなひねた事をまかせられるのは、子飼いの腹心仙石だけというわけだw
本人がもうちょっとマシな働きしてればそういう見方が主流になってたかもね。
どう考えても「とるものとりあえず逃げた」としか見えない動きしちゃってるからなぁ。
秀吉にはすくなからずそういう企みがあったかもしれんけど、
仙石本人は至って真面目に島津を潰そうとして負けたとしか思えんね。
秀吉からすればどっちにしろ問題なしというわけだ。
例え千石がその秀吉の意図を知ってたとしても、
どっちでもいいならとりあえずは勝とうとするだろうな。
勝つよりもわざと負ける方が普通難しいし。
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 10:59:03
>>745 指揮下で戦いたいと思いますかとかの問題ではないと思うのだが・・(だったら別に仙石だけじゃなく、大谷のような玉砕武将達の指揮下でも戦いたくない)。
少なくとも戸次川以外は大敗したといえるものもないし(まぁその後に司令官として軍を動かすことはなくなったけど)、引田の時にははちゃんと組織的な撤退戦を行ってる。
そりゃ名将なんて部類の人間ではないが、紆余曲折経て、一大名として生き残った点を考えれば評価できるんじゃない?
立花道雪や高橋紹運の指揮下
ってのもつらいぞ。
玉砕したり、正月出勤を拒否って帰ったら家族ごと殺されるよりは、
臆病者とさげすまれても生き残れる方についていきたい。
と、そういう話になるので、
指揮下で戦いたいとかいう話は論点がずれまくり。
まあ、仙石隊なら、生還率は高そうだから、
ついていってもいいな。
生き残れば勝ち
確か、子孫は柳沢吉安を失脚させてるような…
身分の低いうちは活躍たが、一方面の指揮官となってから大失敗というあたりが、
WWUの牟田口廉也を想起させるな。
牟田口は指揮官先頭の勇猛な連隊長として有名だったらしいからな
それがインパールの時は数万の部下を無茶な戦いに送り出しながら
置き去りにして逃走
760 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 19:59:19
一度くらい誘導厨に言ってみたかったのだが、
ならば、
現状、そもそも戦国とも三国ともまったくかかわりのないスレッドが乱立しているが、
貴様はそれらのスレッドをどこに誘導しようというのか。
実際に近くにいるとスゲーうざいんだろうなコイツみたいなタイプ。
尊敬できるところがほとんどねー。
762 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/14(木) 18:51:35
そもそも歴史上の人物ったって、尊敬するものかね
好き嫌いに後付けで理由作って、だからエライだの、だからキライだのいってるだけだし。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/14(木) 23:45:04
先週号のコミックのほうの義景がヘタレなりに少しだけカッコええ。
ヘタレでもそれなりに一生懸命。
そもそも仙石なんて三流武将が戦国最強の島津に勝てる道理がない
負けて当然なんだから仕方ないよ
765 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 06:56:30
仙石以外で敵前逃亡した軍監っているの?
負けたことより、無謀にも決戦挑んだ挙句自分だけ逃げたことを叩かれてるんだから
その理屈はおかしいw
実際、敗戦だけならここまでボロクソ言われる事はなかっただろうしな。
やはり寄せ集めの混合軍では…とか、四国勢が退却の機を逸して…とかいろいろ
状況は思い浮かぶし。
それを、自分の家臣まで置き去りにして海渡って逃げるとかやっちゃったもんだから
「あぁ仙石(こいつ)がへましたんだな」と。
しかも置き去りにした家臣が豊後各地で野党化して略奪の限りを
尽くしたとあっては、大分県と四国の人間からは屑以下に見られて
もやむなしだな。
>>769 ソース求む。いくらなんでもそんな無茶なと思うが。
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 06:43:56
略奪の限りを尽くしたなんて戦国時代にはよくあることだろ。
そんなこといってたらほとんどの大名・武将は屑以下だぞ。
あと、大分県と四国で仙石秀久は屑以下と見られるほど知名度あるのか?
屑はないだろ 屑は
金目の物と女を奪うのが戦国のならい
三十年戦争ほどでもなかっただろう
領土の奪い合いなわけだからね
後のことも考えないと
古今東西、どこの戦場においても掠奪暴行は避けては通れない。
仙石秀久だけを責めるのはやめろ。
責めはせんが、略奪せにゃならんような場所に連れてきて置いてくなよ、
しかも自分だけ国に帰るなよ、て話だわな。
秀久様をいじめないで
仙石から戦国に改姓しろ
変換が一度で済む
>>772 司馬以外でもたいていの歴史小説ではそういう扱いだけど?
>>779 いっそのこと、戦国時代板を戦国秀久板にしよう。
略して戦秀板って、何となくかっこいいし。
>>774 三十年戦争って人口が三十年で三分の一になったんだってね
/ ミ
/`ヽ _ ミ
,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
/,|.l l ! ( ) ! (´ ) ! r‐
/イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
|'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
レ'/´ィ 、_________ ヾミ| l
V ,、 F≡三r一tァー, | l:.:. .:: _________
|ノ^>、 '^ミ二´ | l:.:.:.:: /
V/イソ .::ヽ、二_ < 板通りです。
| / ,' _ .:.:.:.::i|,)ノ \
|.〈、 、 _〉 `丶、 ;:ィil| ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 笊yfミミミミヾ、 '!l|il|li!fj'
ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、 ,|l||il|l|,「゚|
|,l| V´ :::::::::;;/ トi|l|i|i|l|!Ll
|i! ゞ=-‐''" ,i||i|l|l|l|!|i{
|il! ーォii|「、 ,,.,.ィi||l|i|l|l|i|l|シ'
,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
{l|!|l|i|l|i|l|i|||i|i|l|i|i|i|i|l|l|!|l|l!r'
ヾ!||i|i||i|i|l||l||i|i|l|l|l|l||l|l!イ
``,ヘi|l|i|l|i|l|l|i|r''`''"´ i ,
(_~`^~"゙'ヾ ノ / ,
ト─' ノ / /i
じゃ来んな
/ ミ
/`ヽ _ ミ
,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
/,|.l l ! ( ) ! (´ ) ! r‐
/イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
|'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
レ'/´ィ 、_________ ヾミ| l
V ,、 F≡三r一tァー, | l:.:. .:: _________
|ノ^>、 '^ミ二´ | l:.:.:.:: /
V/イソ .::ヽ、二_ < ばいばい
| / ,' _ .:.:.:.::i|,)ノ \
|.〈、 、 _〉 `丶、 ;:ィil| ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 笊yfミミミミヾ、 '!l|il|li!fj'
ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、 ,|l||il|l|,「゚|
|,l| V´ :::::::::;;/ トi|l|i|i|l|!Ll
|i! ゞ=-‐''" ,i||i|l|l|l|!|i{
|il! ーォii|「、 ,,.,.ィi||l|i|l|l|i|l|シ'
,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
{l|!|l|i|l|i|l|i|||i|i|l|i|i|i|i|l|l|!|l|l!r'
ヾ!||i|i||i|i|l||l||i|i|l|l|l|l||l|l!イ
``,ヘi|l|i|l|i|l|l|i|r''`''"´ i ,
(_~`^~"゙'ヾ ノ / ,
ト─' ノ / /i
仙石秀久はどうやったら島津軍に勝てるか?
788 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 14:20:43
この場合なら、島津の挑発に乗らず、ずっと動かず、秀吉本隊が到着すれば仙石の勝利になるな。
>781
小説で屑扱いされてるからと云われてもな…だったら講談の世界では豪傑扱いだが。
仙石秀久はどうやったら天下を取れるか?
無理w
まずは秀吉の政権内で、大物になることだな。
100万石ぐらいないと、どうにもならん。
蒲生氏郷の代わりに90万石
どうやったら、くれるかな?
くれるわけないw
秀吉の本隊が到着する前に、自軍のみで島津軍を蹴散らして九州平定してしまったら、
50万石ぐらいくれるんじゃないか?
仙石秀久 九州平定の功で肥後50万石に。
その後の朝鮮の役でも大活躍し、筑後を加増して80万石に。
越前に転封された小早川秀秋の筑前も預かることになり、130万石に。
太閤死後、石田三成の要請で西軍総大将として、徳川家康に挑む・・・
九州平定戦では敵対しつつも、朝鮮では共に戦い、助け合った島津義弘は、
仙石秀久の人物の大きさに感服、関ヶ原の戦いにおいては、仙石秀久と共に西軍につくことを選ぶ。
仙石・島津連合軍の前に、九州で対抗できる勢力はおらず、
西国の諸大名は続々と仙石秀久の下に馳せ参ずる・・・
真面目な話、何で海渡ってまで一人逃げ帰っちゃったんだろうな。
軍監が負け戦でそんな事したら周囲にどう思われるか分からないはずないと思うのだが。
798 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 19:48:30
九州戦役で秀吉本隊到着まで待つ。
小田原戦役で従軍。豊臣水軍の一翼を担い、兵站業務をこなす。
朝鮮戦役で従軍。同じく兵站業務に従事または朝鮮本土で武功を挙げる。
あとは得意の土木関係で功績を挙げる。
功績の大きさにもよるが、ここまでやれば20〜50万石ぐらいは手にできたかもね。
あと、仙石は水軍編成を秀吉から命じられ、編成した水軍率いて、紀州攻めも行ってたから、失敗しなけりゃ九鬼・小西に並んで豊臣水軍の中核を担ってた可能性もある。
まぁあくまでifの話だが。
799 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 19:54:14
800 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 20:01:12
>797
軍監だからこそ生き延びる必要がある。戦況報告と責任とる必要がある。
あとは当主だからその場で討ち死にするわけにもいかんし。
あと一人で海渡って逃げたわけではない。
近侍と供に戦地から撤退後、小倉城で一時留まり、そこから戦況不利を見て、海を渡って四国へ戻って沙汰を待ったとの流れ。
(一説には途中に元親と合流し、協議のすえ撤退したとの説もある)
まぁ命令違反、敗戦、単独逃亡には変わりないが。
この場合「一人」ってのは普通に比喩だろ
預かったもん置いてっちゃったってことで
802 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 20:28:47
たしかに。すまんデスm(__)m
気にすんなあ
むしろ一応名のある武将が本当に一人で海渡ってたらそれはそれで凄いw
板一枚と棒一本あればOK
>>804 中立(実質西寄り)で、大坂城の守備に回ればいいんじゃないの。
無敵の仙石秀久様なら、毛利の援軍なんていらんだろうw
石田三成、島津義弘、宇喜多秀家らを従えて徳川家康との決戦に挑む秀久公
ちょっとほかの軍監と比べてみたくなった。
例えば、激しい戦いを繰り広げた高天神城の二度の落城のときの軍監はといえば。
@大河内正局
天正2年、徳川方だった高天神城に武田勝頼が猛攻を仕掛けた。
城主は小笠原長忠。高天神城周辺の在地勢力で家康から見れば外様。
長忠は奮戦したが、徳川の頼みの綱、織田軍は一向一揆対策で兵が出せない。
ついに絶望した長忠は降伏、生き残った城兵は浜松への帰還を許された。
ところが軍監の大河内は頑として降伏を受け入れず、怒った勝頼に高天神城の石牢に閉じ込められた。
7年後、再度家康軍が高天神城を落城させてみると、石牢から弱りきった大河内が出てきた。
黒田官兵衛が牢に押し込められた話は有名だが、それでも1年。当時の牢に7年って・・・
ちなみに大河内は家康の恩賞を「働いた得たわけでもないのに」と恥ずかしがり、小牧の役で戦死した。
A横田尹松
武田領になったのちの高天神城には城主としてもと今川の部将・岡部元信が入ったが、
軍監として武田譜代の横田尹松が入った。尹松は同じ軍監としての同情からか石牢の中の大河内に
さまざまな心遣いを見せたそうな。
天正8年秋、家康が高天神城を包囲。信長の指示に従って兵糧攻めで餓え殺しに出た。
岡部は早い時点で負けを悟り、降伏の使者を旧知の家康にたびたび送るが
信長の意を受けて家康は拒否。年が翌天正9年になるとともに兵糧が欠乏し、城中は飢餓絵図となった。
窮した岡部は最期の意地を見せるべく城兵とともに城を出て突撃、多くが討死した。
城兵の少なくなった高天神城は徳川の兵の総攻撃を受けたが、
落城の間際に尹松は山の峰伝いに逃亡、遠江から甲斐まで抜けて勝頼に敗北を報告した。
さあ、この上の二人とゴンベたんの違いは?
B仙石秀久
無謀な作戦を建てた挙げ句、速攻一人で逃げた。
・・・
戦国時代最高のヒーロー
813 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/10/21(土) 23:16:40
『タダで有料ネットゲームをやろう』
1時間で千五百円の現金とかWebMoneyが手に入ります。
フリーメールOK&mixi紹介もあり
814 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 00:50:24
age
仙石はただ逃げただけの武将じゃないよ
フロイスの記述によれば
「豊後で跳梁していた最悪の賊は仙石権兵衛の家臣だった」
と名指しで批判している
「彼らは恥や慈愛など人間らしい感情は持っておらず
できる限り奪う事しか考えていなかった」
と、略奪の限りを尽くした事が書かれている
仙石軍は戦ではボロ負けして逃走するのに略奪行為は人一倍活発だったようだ
しかも救援に行ったはずの大友領豊後で
「センゴク」の作者さん
外国人も認める仙石のこの大活躍を描いてはどうですか?w
816 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 23:44:53
>>815 それって権兵衛に置いて行かれた将兵が止むに止まれず略奪して豊臣勢第二陣が来るまで糊口を凌いでいたって
話じゃなかったか?
まあどっちにしても悪いのは権兵衛だがw
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 04:24:59
略奪強姦話なんて別に仙石の家臣だけじゃなく、他の戦国武将の家臣達もやってることだから描いたらキリがないぞ。
というか本体に合流できなかった敗軍の兵が、近隣を略奪強姦するなんて戦国時代じゃ当たり前の話だろ。
どっかで島津最強とか書いてるやつがいたが、
その島津の雑兵が戦そっちのけで肥後や豊後で略奪に人身売買をやらかして
両国は荒野と化した(さらに検地が入ったので肥後はいっそうえらいことになった)
その経過やら結果がフロイスの日記やら島津部将上井覚兼の日記にあるが、
さすが戦国最強wの島津殿にくらべれば我らがゴンベエの兵などかわいいものよ。
>>818 まったくケースが違うぞ
島津の場合は雑兵への恩賞代わりに略奪を許してた
まあ大体の大名家はそうだ
それに比べ、職豊系大名は根切り作戦のような戦略的目的がある場合
は除いて基本的に略奪は禁止してたのが
仙石兵はゴンベエが自分だけ逃げてしまったので仕方なく略奪する
羽目になったんだからw
820 :
818:2006/11/03(金) 23:10:56
>>819 ありゃ、ごめん。中途半端な知識をひけらかしました。
そうか、上のほうにもつながるけど、ゴンベエの罪は責任と兵を
ほっぽってにげたことに尽きるわけか。そういう軍監ってでも他にいるか?
上にある高天神のご立派な二人の軍監と比べるべくもないにせよ、
へっぽこ軍監もいそうなものだが。
逆に言うと何でそこまで普通じゃない駄目っぷり晒したのかが良く分からないよなぁ。
事実は小説より奇なりといえ、何かそこらへん苦しい言い訳でも何でも残ってて
良さそうなもんだけど。
一応子孫が続いてたんだし、誰かご先祖様のフォローする奴いなかったのかね?
豊臣が島津に負けた理由として、センゴクって馬鹿1人の責任にしたかったんだろ。
823 :
http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html:2006/11/04(土) 03:35:17
『タダで有料ネットゲームをやろう』
1時間で千五百円の現金とかWebMoneyが手に入ります。
フリーメールOK&mixi紹介もあり
824 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 04:18:22
まぁ擁護というか、好意的に解釈するならば、
・仙石個人としては救援を要請した鶴賀城が目の前にあるのに、そこに駆けつけることなくただただ待機し、見殺しにしてしまうのは見過ごすとはできなかった。
・九州の親豊臣派の大名達に豊臣の力とその信頼を勝ち取るためにも支城を見捨てることなく、後詰を完遂する必要があるのではないかと現場での判断からそう思った。
・今後の戦略展開を考え、上方武士として島津方・九州の諸大名に舐めらないためにも、その力を見せ付けようとした。
あたりかね・・まぁあくまで勝手な擁護としてだが・・。
どのみち命令違反した上に敗戦まで犯してる限り、フォローのしようもない。
他の戦では自分の仕事を無難にこなしてきた仙石にとってこの一戦だけはどうしようもないくらいの大失態だからな。
ただ、そこから復活できたのも凄すぎるが・・・(しかも5万石と信州の要衝である小諸だからな)。
まあ早くから付き従って来た男だから、ちょっとした手柄でも復活させたかったんじゃね、秀吉は。
826 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 08:43:33
>>825 てか、気が付いたら身の回りは抜け目のない切り取り強盗だらけになっていたから、アホでも一途な家臣を出世させて、いつ裏切るかも分からないズル賢いやつらを排斥したかっただけだと思う。
小才が効いて自意識過剰
功名心が強く浅慮
使い走りはよくできても
大きな仕事で使えないという典型的なタイプだな
>>825 そこに至ると前述の尾藤や御子田との待遇の差が謎になる
尾藤や神子田は同じ母衣衆でも立場が違うよ
彼らは軍才に優れていて秀吉が特に頼んで信長につけてもらった与力
だから羽柴家中では竹中半兵衛や蜂須賀小六なんかより立場は上だった
この二人も仙石と同じく功名心が強く
更に才能に驕るところがあり自意識も強く
秀吉の命令に背く事がしばしばあった
信長の手前秀吉も我慢していたが信長死後はいい加減疎ましくなっていたと言われる
その点仙石の場合は秀吉のご機嫌取りの為のパフォーマンスだから
秀吉から見れば可愛いげがある奴だったのだろう
830 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 19:33:42
>>829 その尾藤と神子田を特別視する理由が無知なせいでわからん(と思ってるのは私だけじゃないはず)
例えば神子田の禄は天正初年で250貫程度なのだが、
同時期に比較しやすい秀吉直臣の山内一豊どのが400石。
貫と石で比較しにくくていけないけどまあ約600石と400石。正直大差があるわけではない。
ついでにいうとゴンベエは天正2年で1,000石、その後はとんとん拍子でふえていく。
ずっと前から直臣とまたものの差を強調しているが、もう少し説明とソースがほしい。
831 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 05:34:48
よく仙石嫌いなヤツはすぐ無能とかアホとか大きな仕事で使えないとか秀吉からの信頼だけのゴマすり野郎だとか言っているが、戸次川の失態だけ、それはどうかと思うが・・・。
・中国遠征では茶臼山城を攻略し、温泉好きの秀吉から重職である有馬温泉を統括する湯山奉行に任じられている。
・四国征討でも引田で敗戦したものの(一説には総攻撃を受ける前に引田城から撤退し、元親を悔しがらせた撤退戦を行ったとの話もある)、第二次では喜岡城攻めなど城の攻略に携わり、挽回する働きをしている。
・讃岐大名時代には初期の豊臣水軍編成に携わり、紀州攻めで功績を挙げている。
・復活劇においてパフォーマンスだけだとかいうが、甲冑に鈴付けて小田原城の虎口の一つである早川口を少数だけで落としにかかるなんて無茶な事やってのけるのだから、それ相応の武力はあるだろ。
・神子田、尾藤とは違い、家康からの口添えも手に入れた。
・上田攻めでは自ら人質や殿を志願して、秀忠からの信頼も勝ち得ている。
・戦後の大名時代には農民に逃げられたとはいえ、笠取垰、小諸城及び城下町を現在のようにし、その後に活きる行政を行っている。
・また蕎麦に目をつけ、自ら江戸参勤の折にマーケティングした逸話などもある。
これだけいろいろとやっているやつが無能だとか小才だとか一言では片付けられないと思うのだが。
あと文献の中で仙石秀久は三国一の臆病者と罵られているが、無能・浅慮・阿呆ときされたものなど見たことないし、歴史関係の専門書でもたいていは秀吉傘下の豪将として紹介されている。
>>831 どれも過度に評価しすぎ。
敗戦したものの、なんたらって、確証はなんらないし、
そもそもどの戦も、大勢があってこそだし、小田原にしろ、仙石がいたから「こそ」何かがなったわけじゃない。
上田攻めでは、の下りも、そこまでの評価があったんだったら、上田攻めの責任の一端があったか、
責任があったからこそ、人質や殿する羽目になっただけかもしれん。
城下町を〜にしたって、「農民に逃げられたとはいえ」って、これでかすぎだろ。
好きみたいだから、過度に評価したいのもわかるが、「無能の一言で片づけてる」人の逆行って、贔屓しすぎてるぞ。
湯山奉行が重職ってのも、コレは酷い。
833 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 14:22:48
たしかに過度だったのは認めるよ。
ただ、小田原で仙石がいたから「こそ」何かがなったわけじゃないのは当然だが、自身の挽回のため、甲冑に鈴を付け危険な虎口に攻め上るのは個人の武功・パフォーマンスとしては十分な活躍だといえる(北条方が目立つ仙石に遠慮する必要はないだろし)。
農民逃げられたが小諸の開発という点では評価できる。
上田においても、仮になんらかの責任あるにせよ、その言により結果的に秀忠の信頼を得ている。
無類の温泉好きである秀吉から直々に湯山奉行を任じられるのは信頼ある証拠にはならないかね?
あと、どの戦も、大勢があってこそだしというが、だからといってわざわざ少数で戦う必要はないだろ。
大軍の中で堅実に仕事して功績挙げていったわけだし、その点は評価してもいいと思うのだが。
その程度の武功珍しくもなんともないだろ
当時の名のある士に比べたらむしろ人並み以下
信長時代から各地に転戦してるのにその程度しかないなんて異常だよw
武功とか言ってるけど具体的に何やったのか分からないし
無敗の豊臣軍に加わってりゃ余程の失態がない限りオコボレに与れるさ
いつも名将が一緒にいてくれたから楽だわな
唯一、一方面の指揮権握ったのが九州征伐だがあのザマだ
せいぜい1000人ぐらい連れて誰かの指揮の下で走り回るのが仙石の適任と言うわけだ
つうか温泉奉行って思い切り雑務じゃまいかw
ましてあの忙しい時期に
まあか総務部長って立場のヤツが急に営業+接待にかり出されて大失態したようなもんかw
城の修繕とかは過不足なくこなしてるからバカじゃないんだろうが。
いくら秀吉が温泉好きだからって、温泉奉行で重宝って、そりゃないよなw
女性の世話を管理してたヤツも相当重宝されていただろうw
色々頑張って仙石の手柄になりそうなの上げてるけど、どれも数的優位、秀吉がバックにあってこそで、
負ける方がおかしいのばかりなのに、その中でいくつもポカやってるから、みんなダメな認識もってるんだろ。
ぶっちゃけ、成功して当然、失敗したら笑いモノって世界じゃね?
838 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 15:47:31
別に異状ではなかろう。
細かい武功は文献調べればいろいろ見つかるだろし、そんなこといったら史実では目立った活躍は一度だけの前田慶次や麒麟児いわれているわりに連戦連敗の山中鹿介、百万の逸話をもつわりにはたいした武功話がない大谷などはどうなるんだ?
人並み以下というが鈴付けて虎口攻めるなんてコイツぐらいしか見ないのだが。
オコボレに与れるというがそれだけで10万石の大名になれると簡単に決め付ける意味がわからない。
功績もないのに何故10万石ももらえる?
しかも淡路・讃岐・小諸は要衝であり、それをオコボレだけで渡すのか?
名将が一緒にいてくれたから楽だというがそれこそ単なる決め付けにすぎないと思うんだが。
鈴つけて鈴つけてって言うけど、どれだけの音がするもんかわからんし、
大人数が走って、甲冑がガチャガチャ言って叫び声上げてる中、実際どんだけのもんか疑問。
むしろ周りの兵士達大迷惑だよな、本人は出世に繋がっていいかもしらんが。
840 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 15:52:30
いくつもポカやってるというが戸次川はたしかに仙石のポカだが、引田は仙石側の兵数が少なく敗れた戦だし。
そのほかにポカは見当たらないんだが・・。
841 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 15:54:09
周りの兵士達大迷惑なんていいだしたら、仙石以外の豪将達のエピソードもそれに当てはまるものがあるだろ。
ホントに立派な鈴つけてたら残ってそうなもんだが、どっかに貯蔵されてたりしないの?
鈴付きの鎧とか。普通の鎧にそん時だけちょこっと付けただけ?
上田にあるのは相当地味だけど。
>>841 迷惑かはともかく、そこら中で金属音やら鉄砲音がしてる中、鈴ごときがどれだけ注目集めるかは疑問だ。
844 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 16:02:17
まぁたしかにそうだな。
相当数の鈴を付け、無印の旗印と単独奮戦で秀吉にアピールできたんじゃないの。
鈴の逸話は信憑性にかなり乏しい史料に出てくる話だしなぁ。
だいたい手柄立てる前から目立ってどうすんだよ(笑
846 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 16:54:14
そりゃ前田慶次も同じだろ。
前田慶次は目立つ目立たない以前の問題だろ。
848 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 17:17:50
>>838 じゃあその武功とやらを提示しろよ
あるならなw
上田に関しては、司馬の創作がはばをきかせているとしか思えんな。
それから、殿軍って罰で行われるものなのか?普通は任せるにたる、頼れる
者にまかせると思うのだが。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 02:09:41
>848
古文書なんて読めないから学者みたいに論じられないが、大まかに調べたところこんな感じ。
・茶臼山城攻め、淡路平定戦(中国遠征)
・喜岡城攻め(四国征伐)
・城之段城攻め(紀州征伐)
・韮山城攻めの先陣、小田原城早川口攻め(小田原攻め)
・武功ではないが上田城攻めでは殿を務めている。
などかな。
初期の頃や山崎の戦い、鳥取城攻めや一宮城攻めなどで従軍していた時の細かい武功は古文書でも読まなきゃわからんな。
初期の秀吉臣下の中では出世頭の一人だったわけだし、そのころから何かしらの功績がなければ石高の上昇はありえないだろ。少なくとも武功ゼロはありえない。
>>849 責任や負い目のある人間が申し出れば、
誰も止める人間はいないだろうがな。
そもそもあの時の殿にはさしたる危険はなかったと思うぞ?
攻め落とせなかったからといって圧倒的に数で勝ってたし、
今すぐに後詰の来る状況でもないし。
>>850 参加した合戦書いただけじゃん…
肝心の武功が一文字も書いてないが
参加しただけなら何万人もいるわけだが
殿てのは撤退する軍の被害をいかに少なくするかを左右する重大な役目だし
殿軍自体も敵の追撃を一身に受けるから被害が多く一番危険な役目でもある
だから武功のある武将や手練の武将、信頼のある武将などが選ばれる
ただ、上田の場合は敗走したわけじゃなく
むしろ決戦場に向けて進撃したわけで
仙石達は殿ではなく上田の押さえに捨て置かれた
残されたのは森忠政、石川康長、仙石秀久、諏訪頼水など信州の大名達
理由はそれだけ
武功はあげてないけど、限りなく無難にこなしてきたと。
逃走の件は大失態。
戸次川の失態がなけりゃ20万石ぐらいなったかもな
讃岐なら本戦参加組になった可能性が高いし
10万石だと3000は動員できるから少しは首稼ぎできただろう
まあ、中途半端に石高あると潰された可能性も高いがな
857 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 16:09:06
>853
茶臼山城攻め、由良城攻め、川端城攻め、備中冠山城攻め、喜岡城攻め、岩倉城攻め、和気城攻め、伊勢亀山城攻め、小松原城攻め、城之段城攻めは仙石が指揮をとって攻略した城。
小田原では伊豆山中攻めの先鋒(調べなおしたら韮山城でなかった、スマン)、小田原城早川口の虎口を制圧。
>854
捨て置かれたのではなく、信州の大名達だから土地勘もあり、任せるのには適任だからだろ。
いくら兵数で勝るからといっても後ろを見せるからには殿をいいかげんな者に選んだりしないだろ。
>855
城攻めの指揮をとり、攻略したことや、虎口制圧は武功と呼べるものだと思うのだが。
>>856 九州陣先手を別に手柄立てなくてもいいから本隊到着までの時間稼ぎを無難にこなしていれば
佐々成政の代わりに肥後一国をもらってもおかしくなかったな
>>858 肥後はきついぞ。島津が直前に完膚なきまで荒らしてくれた直後に
秀吉の指示通り検地を行えば、よほどうまくやらないかぎり佐々と同じ結果になる。
加藤・小西が肥後に入れたのは一揆のおかげで国人領主が一通り潰れてくれたからなんだから。
ゴンベエにそんな手腕があるとはとても思えんが。
それはさておき、秀吉直属系の部将で同じ時期に大名になっているメンツで、
肥後一国クラスの領国もらってる人いないんだけど、あなたの「おかしくなかった」
という根拠は何よ?それとも堀や蒲生あたりと比定してるのかな?
>>851 だから、それは罰の一種だろうが。
通常、殿軍が崩壊すれば自分達も危険に晒される。そんな任務を失敗した、信用できない
あてにならないものに任せるか?
>>859 単に加増度の比較からで深い意味はない
三万石程度の行長や一万石に満たない清正が、成政失脚の後釜とはいえ肥後半国を任されてるんだから
讃岐淡路で15万石貰ってた秀久なら肥後一国貰ってもおかしかないだろうということ
ゴンベイ
戸次川での失態はどう繕っても消えるものではないし
仙石がこの時代で屈指の名将だとか別に誰も思っていない
ただ信長存命時で既に近江国野洲郡に所領を得て
28歳にして淡路洲本城主と秀吉陣営のみならず織田家全体でも異例の大出世。
中国、紀州、四国攻めで無難に仕事をこなして同じく秀吉股肱の臣であった
尾藤に変わり讃岐国主に登りつめ・・・そして例の九州攻め軍鑑にと
この時点までの経歴を見れば全否定されてしまう程の無能武将でも無い
865 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 22:30:14
五右衛門捕縛の講談に抜擢され讃えられる個人的武勇
中国攻め、紀州攻めなどでの小部隊を率いる能力
大坂、肥前名護屋での築城、小諸治世で見せた官僚としての能力
決して賞賛すべきような名将では無いが只の無能者でも無い
切腹モノの失敗をやらかしながらしぶとく生き残るしたたかさと時流を読む能力
無能ではなく、むしろ才覚はあったが人間として屑、それでいいじゃん
確かに劣化藤堂高虎というよりは劣化版直江兼続かもな。
てことはそもそも大名にはならん方が良かったのかもしれん。
誰かの下にいた方が下手を打たずにイイ仕事だけできたのかも。
869 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 01:58:29
まぁ長曽我部と十河からみれば人間として屑だろうな。
ただ他の大名達から見たら屑とはいえない。外様5万石の小大名の最終的なポジションが徳川秀忠付きだからな。
人物としては信頼はされていたと思うぞ、特に徳川には。
案外、山内より仙石の方が律義者としての言葉が当てはまるかもしれん。
要するに小勢を率いれば勇猛な指揮官ではあっても、戦略的な判断ができないから
一方面の責任者になると大失敗という、劣化牟田口廉也だな。
>>870 比較対照が牟田口なら劣化つける必要ないw
872 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 01:53:45
このスレに仙石より優秀な人って、どれくらいいるんだ?
まあ、俺は控えめに見ても上だな。
ゲーム風に仙石を数値で評価した場合、どんな数値が妥当?
875 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 08:26:50
太閤立志伝風で評価するなら・・・
統率:54
武力:77
政務:65
知謀:50
魅力:82
理由はこんな感じかな・・・
統率・・・戸次川以外(引田は如何ともしがたい兵力差があったので除外)の戦(中国攻め、淡路攻め、紀州攻め、第二次四国攻め)は無難にこなしている。
武力・・・数多くの戦場を生き抜き、また小田原戦では虎口を占拠する活躍をしている。
政務・・・過酷な課役により、農民に逃げられた点はマイナス。しかし、土木建築(城普請と小諸開発)と早くからの殖産興業(小諸蕎麦)に目を付け、実行していた点は評価できる。
知謀・・・戸次川の大失態は大きなマイナス。だが、挽回の際の準備のよさ(家康の口添えとパフォーマンス)や家名存続のための様々な行動は後々に活きている。
魅力・・・大失態をしたにもかかわらず復帰が許されたこと、時の権力者(秀吉・家康・秀忠)から高い信頼を勝ち得ている点と後の講談での活躍。
贔屓入れて、こんな感じかな。
>>875 そこから各能力一割引したら丁度良い感じ。
魅力82は幾等何でも高すぎるんでは?
…ま、能力談義は程ほどにしとこう。
>>857 じゃあ仙石の生涯戦績は城之段とか言う城落としたのだけですか…
どの程度の規模の城か知らんが
もう漫画読み過ぎ査定はいい加減にしろと
実は上限値が150なんだろう。
881 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 03:46:39
>878
いや、仙石個人の指揮によって攻略されたのは茶臼山城攻め、由良城攻め、川端城攻め、喜岡城攻め、岩倉城攻め、和気城攻め、小松原城攻め、城之段城攻めとなる。
城之段城は湯川直光の城だから、そこそこの規模だったとは思うよ。
>879
だから贔屓入れての評価といったろ。
漫画読みすぎ査定というが、それなら前田慶次・雑賀孫一・山中鹿之介とかも能力高すぎだろ。
>>881 もういい加減にしろ、何だから普通にそこらへんも含めての話だろ。
何でもかんでも「自分が否定されてる」みたいな思い込みはいい加減うざいぞ。
今までの数値に何も文句いってなかったのに
漫画になった途端、数値が・・・とか言いだしてるだけで影響受けてるお
そういうもんだろ。何かしらの影響受けて武将の評価も変わるものだからな。一般人がもつ戦国武将の評価の大半は映画・ドラマ・小説・漫画による力が大きいだろうし。
既出かもしれんが、仙石は四国勢をこのままのさばらせとくのは
豊家にとって後々めんどくさいから秀吉の密命をうけて
わざと指揮を混乱させ敗北させたという説もあるよ
後々復帰できたのはそのため
>>885 話にならんな
勢力そぐためなら堅固な城攻めの担当にするとか
大会戦で先鋒にしたりといくらでも手がある
いずれも本隊が到着してからの話
豊臣軍の戦力が揃ってない時に、戦線を大幅に後退させるような
真似してまですることじゃない
>>885 そういう「裏では実はそうだったのだ!」的なネタってよくネットで見かけるけど、
自発的にソースを出してくれた人って皆無だなあ。
どう、たまには出典のひとつもつけてみない?
「裏の事情だったから表だった記録には残ってないんだよ!」で終わりじゃね?
小説とか創作フィクションならべつにそれでいいんだけどな面白くなれば。
仙石秀久と尾藤知宣の二人の人生を比較すると面白いな。
二人とも初期の秀吉に仕え、無事出世し大名までのぼりつめたものの、互いに九州征伐の際には軍監として、前者は積極策をとり、後者は消極策をとったことで失敗を犯し、追放されている。
その後、二人とも小田原征伐で許しを請うため馳せ参じるが仙石は大名に復帰、尾藤は処刑されただの暗殺されただので、最後もわからずじまいで消えていくんだもんな・・。
>>885のような事は想定してなかっただろうが、秀吉にとっては結果オーライじゃないか
敗戦は痛いが邪魔な四国勢を整理できたんだしプラマイゼロな気がする
整理できたって…
整理された四国勢は仙石だけじゃんwww
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 03:34:48
大局を見誤って敗北した武将は数多く、
最終的に数万石程度の禄で終わった大名も多い。
仙石は、数多いそうした戦国武将の中で、それほど貶されるほどの武将ではない。
もちろん、讃えられるほどの武将かというとそうでもないが。
比較対象が、大大名や当時を代表する名将クラスなのが、仙石がしょぼく見える原因ではないか。
しかし、それは、
たまたま、小大名にあまり精通していない半可通でも、仙石の名前だけは割と知られてしまっているから、だろう。
もちろん、自分も、仙石クラスの規模の大名でどんなのが居たのかはほとんど知らない。きっとたくさん居たんだろうな、位のモンである。
仙石がネタになるのは、戦功の有無とかは本質的な問題ではなく、
九州におけるクセノフォンもかくやという「大撤退」と、そこからの改易と復活劇ゆえに他ならない。
そこで論点としてあげるべきは、むしろ、
「なぜ、仙石は、自領の讃岐まで退かざるを得なかったのか。
途中で安全を確保するすべは無かったのか。
(たとえば、出兵準備をしていた毛利を頼る手もあっただろう。
むしろ、単純に「臆病だから」という理由付けならば、手近な大勢力の友軍・毛利を頼りそうなものである)」
というのがまず一点。
加えて、
「本隊が参戦しないままで起きてしまった戸次川での敗戦が、豊臣政権にどの程度影響を与えたか。
敗戦が引き金となって、何らかの危機が訪れるリスクはあったのか。
(九州征伐が頓挫する、あるいは、友邦毛利が離反する、徳川との戦端が再び開かれる、島津勢が余勢をかって九州の外まで攻めあがる、など)」
という点も気になる。
一応自分なりの推測や解釈はあるけれど、今夜のうちはあえて、「問い」として問題提起するにとどめてみよう。
誰か3行くらいにまとめて
仙石が讃岐に逃げ帰った理由を敗戦後の仙石本人の立場で考えると・・・
・大友家は島津侵攻のために瀕死状態(大友が島津方に降伏するかもしれないので、小倉城では長居できない)。
・毛利は味方になったばかりで、いつ離反するかわからない(これを機に毛利と島津が内密に手を組み、助けを求めたところ、逆に捕らえられる可能性がある)。
・混成部隊であり、さらに敗戦によって多くの指揮官が死亡し兵力も分散、指揮系統はめちゃくちゃで守備隊も編成できない状態である。
・敗戦後に軍監身分である仙石にとって最大の主任務は生き残って戦況報告等を行い、敗戦の責任をとる必要がある。
自分なりにはこんな感じかな・・当然かなり都合のいい解釈だがw
一気に讃岐に帰ったわけではなく、しばらく小倉城に留まっていた事を見ると、この時に何かしら思案してたんだろうな。
逃げ帰った理由以前に、逃げ帰らなきゃいけない状態に陥ってるだけで、十二分にプギャーだろ
大敗して逃げ出した武将は仙石だけじゃなかろう?
単に負けたとか逃げたとかでカタルーニャ
「みんな」理論キタ━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!
ゴンベエが長宗我部・十河の軍鑑をしていた同じとき、
毛利と宇喜多付き軍鑑が黒田官兵衛だったわけだが、
官兵衛さんと同じ役割を秀吉は期待したのでしょうかねえ。
当時の官兵衛とゴンベエの秀吉政権における位置づけはどのへんにあるかという話になるわけだが。
しかも三好一門の十河氏は外様といえど親秀吉派だしな
四国勢=とりあえず牽制のための先遣部隊
毛利、宇喜多勢=主力先鋒
そもそも率いる数や期待されてる役割が違う
正確には四国勢+大友勢。
総勢2万の軍監だから、出世コースのポジションでいい位置づけではあるな。
ただ秀吉は官兵衛と同じ役割は期待してないと思うよ。
命令はあくまで待機+現状維持だったからな。
902 :
木村貴光:2006/11/23(木) 18:45:13
私こと花岡美代子は愛知県岡崎で殺されました。
中部地方のクズどもこれ以上のホームレス猟りはやめろ!!中部地方はこんなやつばかりですわ。岐阜県と愛知県民はもう三国志を語るな!!でていけ岐阜愛知に核弾頭を落とせ!!一人も生かすなクズが…わたしゃ成仏できないよ!!
木村貴光は花岡美代子さんを支援します。ホームレスも立派な人間です。みんなで警察のクズどもに脅しかけて、ちゃんと捜査をさせよう。犯人わかってて動かない警察に喝を!!
903 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:37:58
相当好意的に解釈するならば、
戸次川で積極策を主張した理由は、
不仲であった長曾我部と十河を
強硬路線を主張することで引っ張って意思統一を図ったのではないかと思われ。
(三国で言う、合肥の張遼のようなもの。
李典・楽進らとの不仲を、
寡勢で打って出ることで防衛戦線の意思統一を成功させた)
何の根拠も無いけれど、動機は十分なのよね。
今は同じ太閤配下の四国勢とはいえ、かつての宿敵同士を、
「余所者」の立場でまとめなきゃいけないんだから、
消極策を唱えようモノならば、ただでさえ低い士気と統率が、
ますますグダグダになりかねない。
万が一そうだとすると、
むしろ、そこで正論を主張した長宗我部が空気が読めていなかった、
ということになるのだけれど・・・。
(あるいは、十河も長宗我部と同様に仙石の強硬意見に異を唱えて、
長宗我部と手を取り合っていれば、
仙石も案外あっさり意見を変えたかもしれない。
その真意はどうあれ、
二人そろって反対されたうえで主張を通せるほどの発言力(立場上の「権限」は別として)は
いずれにせよ、仙石には無かった気がする)
成否は別として、仙石の立場で積極策を主張したこと自体は、そう大きな失点とはいえないのでは。
もちろん、結果として「見事に」釣られてしまったわけだが。
>>889 積極策を取ろうとする者が失脚しても復帰でき、消極策を取ろうとする者が失脚すると浮かび上がれないということは、豊臣
家臣団は帝国陸軍の直接のご先祖様のようですね。
>>905 帝国陸軍にも石田三成のような補給の達人がいてくれればなぁw
史実だとあんまり弱くないのに、最近の信長の野望だと弱すぎだな…
と、漫画が出た途端言い出す奴が増えてもう
そういう単純な発想しかできない905は帝国陸軍の子孫
ぷっ
島津氏にとっては、秀吉本隊が来援するまでに北九州の要衝を全て確保しておくのが至上命題
だったのだから、短期決戦を望んでいた。
そこへアホみたいに正面から渡河作戦を決行した仙石は、やはり戦略眼がない。ここは多少味方
に犠牲が出ても決戦を避けて持久策を採るべきだし、秀吉もそのように命令していた。
敵将の島津家久は突っ込んでくる四国勢をみて小躍りしたろうな。
>>889 逆に攻撃を控えるように秀長へ進言した尾藤も秀吉の勘気に触れる。
どうしろっちゅうんじゃ!秀吉w
まぁ冗談。
状況が若干違うから一概には言えないが、尾藤は恐らく釣り野伏せを警戒し・・・・仙石は無視した。
どーも歴史の闇に消えた尾藤知宣という人物が気になる。
名将言行録の信長のエピソードの一つにこういう話がある。
元の出典がどこなのか、どの戦いのことなのかわからないが。
ある役で信長の先手が崩れ、本陣の旗本も危うく見えた。
信長は周りのものに「尾藤はいないか」と問う。
「三の備えにおります」と返答があり、「それならば気にすることは無い」と騒ぐ様子も無かった。
そして結局二の備えまでは崩されたが、三の備えで予想通り受けて突き返したので敵を破ることができた。
これは信長の見通しの正確さを物語る話という位置づけのようだが、信長から相当信頼されていた指揮官だったように見受けられる。
ごく小規模の部隊長として有能だったという点でも仙石と同じ・・・・
>>912 戦国時代板の方のスレにあったレスだけど
99 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/24(金) 09:09:10 ID:aAZ5TZpu
>>95 尾藤甚右と、同じく粛清された御子田(御子柴とも伝わる)半左は元々信長の旗本で
墨俣城主になった木下藤吉郎が請うて与力として貰ったという説がある。
二人とも武将としては有能で頼りになったが、秀吉に対して信長直参という事で横柄な
態度を取る事もあったとかで、その時点では我慢していたが、信長も死に、人材も豊富
になった時点で不要として処分されたとか。
100 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/24(金) 09:12:45 ID:aAZ5TZpu
ちなみに横柄な態度云々がなくても、単に自分の直臣ではないから
信用できないとして処分された可能性はある
ただ仙石も「センゴク」一巻で描かれたように、直臣ではなく信長から
預かっていた武者って説もあるからその辺の区別ははっきりしない。
元々は信長の直臣だったという説が多いようだな尾藤
>>913 そういう意味で言えば、信長の寵臣なのに粛清されなかった堀秀政は尻尾をつかまれない方でも「名人久太郎」だったな。
蒲生氏郷もそうだな
死後は蒲生家は減封されたけど
長谷川秀一も本人は死ぬまで重用されてたけど死後はお家断絶
まあこれは無嗣断絶だから仕方ないが
そういう意味では親父の所領、それも上杉旧領という難治の越後をそのまま任された
堀秀治は凡庸と言われてるけど意外に有能だったのかもしれん
掘秀治は相続したどころか加増されてるよ
久太郎が死んだ時堀家の所領は越前北ノ庄18万石だったけど、秀治の代に
越後に加増転封された
あと久太郎に関しては幼少時から小姓として信長に仕えていたという説の他に
最初は晴れて墨俣城主になった秀吉の下に小姓として仕え、その後に才気を
買われて信長の下に推挙されたという説もある
後者の場合は元々秀吉派閥で、信長の意向をいち早く秀吉に伝える間者の役
を務めていたとも考えられ、後の厚遇も当然とは言える。
尾藤にせよ堀にせよ、墨俣城主時代(があるかどうかも実に眉唾だが)の秀吉との
交流があったというのは『武功夜話』がソースじゃなかったっけ?偽書説が
ほぼ確実になってるし、それはほとんど論拠にならんぞ。
雑兵としては一流
将としては三流
だなっ!
920 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 05:31:07
いや、さすがに三流とはいえない。
二流てとこだな。
兵としては一流
中級士官としても一流
上将としては一気に三流って感じ
秀吉もそのギャップは大誤算だったに相違ない
923 :
無名武将@お腹せっぷく:
age