劉禅と今川氏真、どちらの方が有能なのか

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1無名武将@お腹せっぷく
3国の中で最も弱小で、呉征伐や北伐の失敗で弱っていた蜀を40年間も支え続けた劉禅

父の戦死後家督を継ぎ、楽市、徳政、役の免除など徹底的な領国整備を行い、裏切った武田家に対して塩留を行うなど政治手腕を発揮、斜陽の今川家を支え続けた今川氏真
他にも塚原卜伝に剣術の指南を受け、和歌や蹴鞠などの公家文化にも通じるなど文武両道ぶりを発揮した今川氏真
2無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 17:31:30
劉禅と今川氏真と>>1、どれが有能なのか
3無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 17:33:09
氏真は正直戦国武将としてはアレだったかもしれんが、人としての魅力はそれなりに高かったんじゃないか?
だって滅亡後40年いき続けたわけだし
4無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 17:33:19
どちらも有能
本当の無能は孫皓と一条兼定
5無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 17:36:04
劉禅のいいところは、孔明のやることにあまり口出しせず自由に
やらせたことだろうね。
6無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 17:38:43
劉禅の方が上だろ、イメージ的によw
7無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 17:59:18
胡亥
霊帝(劉宏)
恵帝(司馬衷)
劉禅
孫皓
今川氏真
一条兼定
ジョン欠地王
夏侯楙
黄皓
岑昏
韓玄
肝付兼亮
斯波詮直 
斎藤龍興 

さあ最強は?
8無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:00:47
一つ言える事は
>>7の全武将>>>>>>超えられない壁>>>>>お前ら
9無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:01:06
氏真はかなりの人物だろ。政治軍事以外なら。アホには和歌は読めんぞ。
10無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:02:52
でも時代を考えろと言いたいね

歌なんかやってる場合じゃねーじゃん
オヤジの敵討ちはどうしたよ
11無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:04:16
氏真の蹴鞠や剣の腕前は達人クラス。
12無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:12:16
剣術指南を受けただけだし、本当に上手かったかは分からんよ
これといったエピソードもないし
13無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:17:15
信長の野望では最近氏真の再評価が進んでいる
最新作では政治70だし(他は10以下だがw)
14無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:23:15
>>8お前もなm9(^Д^)
15無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:23:40
政治70って逆にやりすぎのような気がするぞ
塩留は失敗してるし、結局国人の離反を抑えられず滅亡してるし
16無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 18:34:36
劉禅と司馬昭のエピソードと氏真と信長のエピソードは似てる
17無名武将@お腹せっぷく:2005/12/31(土) 19:14:48
70はやりすぎだろ
よくて51
18無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 18:42:50
劉禅 何もしていない
今川氏真 一応何かした

氏真の勝ち
19無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 19:09:12
>劉禅のいいところは、孔明のやることにあまり口出しせず自由に
>やらせたことだろうね。

これは逆によくないことだ。
孔明が何をしたかというと、ほぼ独裁者のように振舞って
自分の派閥を作りうまくもない軍事に口を出し、気に入らない人間を中央から遠ざけた。
はっきり言って、こいつの専横を許してしまった時点でもうだめだろ。
20無名武将@お腹せっぷく:2006/01/01(日) 22:33:21
諸葛亮は軍事でもかなり優秀だが、基本的には同意。
しかし劉禅は諸葛亮に任せたんじゃなく、諸葛亮が父劉備から命じられていた摂政だったわけで、選択の余地がなかった。
典型的な傀儡で、こういうケースでは皇帝が逆クーデタやらないと権力は専権者の元から簡単には戻ってこないよ。
現に劉禅の時も名目上親政してても実権は臣下の側にあった。
権力を奪われていたのは劉禅の責任とはいえないよ。
むしろ次第に劉禅独自の動きを見せているのだから、この点では無能ではなかったようだ。
21無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:23:49
ただ、宮廷育ちのおぼっちゃまで、人が良かっただけじゃないの、劉禅は?
武将として有能か無能とかいったらかわいそうな気が・・・
今川氏真は和歌の鬼才で、蹴鞠が天才的に上手だったとか
しかも、その腕前を親父の仇である信長に見せているのだから、
並の人間ではないだろう
22無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:29:39
まあ、どちらにしても、戦国乱世には向いてない、ということだけは確かだが
23無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:38:57
生まれる時代が悪かったんだよ
24無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 17:46:32
>>20
それは無能を自覚している皇帝にのみ許される事。
本物の無能はそれに気付かず専横を許す。
ある程度有能なら、最低限の存在感だけでも示す事の重要性を知っている。
25無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 18:28:54
>>13
3 5 9 4 64 な劉禅
26無名武将@お腹せっぷく:2006/01/02(月) 21:32:12
劉禅。字は公嗣。幼名の阿斗も無能の代名詞として有名。
しかし、本当に駄目皇帝だったのか?
孫皓よりは少なくともマシな人物である。
むしろ、同時代の孫権・曹叡よりも治世であり、減点材料が少ない。
もしも、平和な時代なれば名君だったかも知れない。
しかし、何と言っても劉禅は諸葛亮が選んだのである。
『君の才能は曹不の10倍に値する。もし劉禅に才能がないのなら君が国を奪ってくれ』
そう遺言したのは劉備玄徳。その人である。にもかからわず、諸葛亮は国を奪わなかった。
つまり、補佐するに足りる才能と考えたのであろう。
17歳で皇位を継ぐと、丞相の諸葛亮に全権を委任している。
これは、孫策の張昭に内外の大事を任せたのとは違う。
日本で言う、朝廷・幕府の関係である。
この諸葛亮の独裁を認めた。それが劉禅の才能である。
しかも、曹操は「我が子房」とまで言ったジュンイクを殺し、
孫権は救国の英雄・陸遜を憤死させた。しかし、劉禅は違う。
諸葛亮が才幹を自由に発揮できたのは劉禅のお陰でもある。
しかも、蜀には大規模な天変地異が記録されていない。
皇帝の統治に対する天からのサインである、天変地異は258年に景星(めでたい星)が
記録されているだけである。これは、同時代の魏呉とは大きな違いである。
魏軍が成都に迫ると劉禅は呆気なく降伏した、
天と地ほど国力の差が開いている以上。家を苦しめ民を苦しめるだけである。
危機に直面して大人の判断が出来た。これも評価に値するであろう。
27無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 09:04:10
曹不
28無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 09:22:46
今川はお父ちゃんが馬鹿だったからなあ。
なんで雪舟を息子ではなくて、松平の小僧につけるのよ。
逆に松平を凡愚にして、息子に雪舟つけて英才教育をしろよ。
29無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 12:43:38
こういうのを愚問というのではないでしょうか?
30無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 15:57:08
>>28
ゲーム脳乙
それが人の情ってもんだ
31無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 16:33:03
>>28
雪舟ではなく雪斎ね(笑)
今川義元は、息子の氏真を頼り無く思っていたんだろう、
当時、松平家の当主・元康(後の家康)を自分の姪(瀬名姫)を
元康の正室にすることで、今川一門とした
その上で、氏真を補佐させようとしていたのでは?
元康に見込みがなければ、そこまでの優遇(元康にすれば苦悩?)はしないし、
当時、名声のあった雪斎を元康の家庭教師にしたりはしないはず
氏真が平凡でも、家来がしっかりしておれば今川家は大丈夫・・・的なことを
義元は考えていたんだろう、たぶん
32無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 20:58:22
実際に史書・兵法を家康に教えたのは雪斎の弟子。
33無名武将@お腹せっぷく:2006/01/03(火) 21:00:35
雪舟ワロタ
水墨画でも書いてろW
34無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 03:09:29
のぶおと今川氏真、どちらの方が有能なのか
35無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 03:21:15
俺、連歌も蹴鞠もわけわかめだから氏真凄い。

まぁマジな話、連歌ってのはそれなりの知性と教養がなければどうしようもないもんですよ。
血生臭い時代じゃなかったらヒルズ族の人ですよ。
36無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 03:56:53
知識人、コメンテーターとして大忙しの客員教授・氏真
37雪丹:2006/01/04(水) 04:58:51
who am I?
38無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 12:30:39
>>26
概ね同意
ただ、
しかも、蜀には大規模な天変地異が記録されていない。
皇帝の統治に対する天からのサインである、天変地異は258年に景星(めでたい星)が
記録されているだけである。これは、同時代の魏呉とは大きな違いである。

これはね、単なる蜀に史官が設置されて無いからだよ。
天災だけでなく、いろんな方面に関して蜀の史料がないのもそのため。
というか、蜀書を読めばわかるが、蜀の記述一番すくない。
陳寿に蜀びいきの心情があるにもかかわらず、だ。
39無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 12:37:00
劉禅の意思で委任したんじゃないだろ
父であり先帝の劉備に決められていたんだから、諸葛亮に任せるのは劉禅の意思ではない。だからそこは劉禅の能力を測る指標にはならないよ。
まあワガママ言わずおとなしくしてたという評価はできるか。
40無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 13:58:17
>>35
M&Aで喰われたりして
41無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 14:18:23
孔明 ◆U5R7o9iu7M が最高だよ。
孔明#孔明
42大元帥:2006/01/04(水) 14:19:58
参加します。よろしく
43大元帥:2006/01/04(水) 14:23:50
さっそくですが、今川だろ。劉禅じたいは暗愚、周りの将が有能なだけ
44無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 14:30:50
劉禅本当に暗愚なら孔明は失脚してたはず。
45無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 15:34:04
劉禅は暗愚過ぎる自分を自覚していたから何もしなかったんだよ。
幼君やニートと一緒。


なまじ偏った知性の勘違い野郎が乱すよりマシだろ。
46無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 15:50:22
信長よりも早く楽市令出してるのに全く評価されない氏真(´・ω・) カワイソス
47無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 15:54:12
>>46
俺らはゲーム脳世代だからどんな善政だろうが軍事に繋がらないと評価されないのだよ
48無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 16:07:54
楽市より家を守れよということだろ
今川という名門を潰した罪は大きい
49無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 16:08:04
もし劉禅の下に洪武帝並の将がついてて、中原を回復したら劉禅でも有能扱いされたのかな?
50無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 16:15:51
その場合は中原を回復した将が新しい王朝を開きます。
51無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 16:23:28
>>49
なんじゃないの?
陳寿にも諸葛亮の時代は治世(まあなんもしてないけど)は評価されてるし、
臣下に丸投げ出来た、という結構重要な資質を持ってた訳だから、
中原を回復出来る様な有能な部下がいれば、言い方は悪いかもしれんが、
劉禅自身に配下の良し悪しを見抜く目も無く、
配下の暴走を止める意志力も能力も無いって事が露呈しないから、
名君扱いしてもらえたと思うよ、まさに絹糸の如し。

…最もそんな有能な部下が大権与えられて黙って劉禅の下に付いていてくれるか?
って問題もあるけど。
52無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 16:26:48
>49
それ劉邦
53無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 16:44:35
氏真にも朝比奈泰朝がいるだろ!
54無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 17:56:09
>>49
それ、もろ献帝じゃないw。
じゃ、献帝は劉禅以上の名君でいいの?

好意的に解釈すれば有能な人に任せる、
悪意的に言えば実権が諸葛亮に奪われただけ。
55無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 19:07:06
臣下に委任するのを美化しすぎてるというか真に受けている人もいるみたいだけど、
まず劉禅の場合は選択の余地のない委任だったし、
委任するにしても手綱はちゃんと皇帝が握らないといけない。
手綱さえも臣下が持っていたのが献帝と曹操の場合で、劉禅と諸葛亮は多少ましだが似たような状態だったから、あまり褒めるような状態とはいえない。

あと劉邦は自ら戦場で戦い続け、韓信らが他国を平らげる間に囮となって項羽と対峙し、重傷を負ったりもしていた。
成都から出ることのなかった劉禅とは全く違う。
56大元帥:2006/01/04(水) 19:17:15
≫44
劉備の願いを叶えたかったんじゃん(^ー^)
57無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 19:19:52
戦場に出た場合。

敵が城を囲ってくる。

城を抜け出し攻撃をかける

敵は伏兵が隠れていると勘違いする

城からも兵が出る

大勝
58無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 19:52:54
今川氏真=ドラえもんの居ないのびた(一芸に優れるが、根本が・・・)
59無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 00:36:10
覇王伝だと氏真の采配72もあったんだな
すげー
60無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 00:46:42
状況からみて
今川のほうが窮地に陥っていたわな
蜀は劉備がいらんことせず
守りに徹してたら
篭るだけで100年は安泰だったでしょ
61無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 00:53:38
後、孔明と姜維の勝算なさそうな北伐で国力を浪費しなければ、
あんなに早くは滅びなかった
今川に関しては、西から徳川、北から武田が迫っている状況下で
北条は助けてくれなかったからなぁ・・・
62無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 01:01:23
氏真が桶狭間の敗戦後、家康の進言通りに仇討ちを実行してたら?
やっぱり松平の独立は止められなかったのかな
63無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 01:01:52
>>54

献帝は、曹操に丸投げだろうが、曹丕禅譲せず漢を守っていれば名君だろうが、結局は似たようなもん。臣下に帝位を奪おうとするものがいなかったから劉禅に分があるかも。
64無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 01:07:17
蜀に司馬一族がいたら、すごいことになってるな・・・
65無名武将@お腹せっぷく :2006/01/05(木) 01:14:50
ジャイアンの腕っ節(剣術)、スネ夫の育ちの良さ(今川家)、
静香の知性(文系脳)・・・そしてのび太の優しさを持った男・氏真。
66無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 01:20:02
孫皓は有能だろ。むしろ、下手に有能だったから自分の国が終ってることに気がついた
67無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 01:24:10
日本の戦国時代は武将の能力がモロ反映した時期
だったから氏真は無能として捉えていいかな
武田の戦略は、すべて信玄個人のオリジナルで
勘介とか他武将の意見はなかったみたいよ
68無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 03:15:06
       _,,. -‐‐‐‐‐‐‐- 、        /\;;::::::::::::::::::ヘ         .。   。   。   。
       lヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ         | ヽ / ヽ ./ ヽ / |
       l }   |  |  |  |  |     L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ.      |:  V   V   V  |
       l }   |  |  |  |  |    //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l.    |:           |
       |ニニ''" ̄ ̄○ ̄ ̄`|    |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l    |________|
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     ヽ::::::| |::::::::::.  \/     ノ \:::::::::::::::..  \/     ,ノヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ
 
劉禅、今川氏真、ジョン欠地王が遊びに来たぞ
69無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 04:58:35
>>26
三国志X関連書籍転載乙
この本は面白いよな。
70無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 18:06:25
信長の野望革新・総合能力値ワースト20
順位 武将名    統率 武勇 知略 政治 合計
01位 一条兼定     7   3   4   29  43
01位 肝付兼亮    11   8   4   20  43
03位 斯波詮直     9   14   5   31  59
04位 北畠具房    15   16  10   22  63
05位 斯波義銀    12   10  21   27   70
06位 柴田勝豊    12   25  10   31   78
07位 阿蘇惟光    26   14  12   28  80
08位 最上義時    19   21  14   30   84
09位 伊達盛重    19   21  14   32   86
10位 大内義長    22   20  12   36  90
11位 鵜殿氏長    24   7  23   38  92
12位 赤松晴政    16   21  27   29  93
13位 上杉憲政    28   20  19   27  94
13位 今川氏真    10   6   8   70  94←←←
15位 尼子義久    21   27  22   28   98
16位 有馬義貞    17   15  21   44  99
16位 後藤高治    14   10  40   35  99
18位 小早川秀秋   38   23  23   16  100
19位 斎藤龍興    23   26  14   40  103
20位 織田有楽斎   24   7   5   68  104
71無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 19:23:12
>68
ジョン王は息子が有能な分、勘弁してやれ。
72無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 19:46:17
>>70
20人の中、一番使える人じゃない?
同じく13位の上杉はまったく使えそうも無いが。
やっぱり何か一芸のある人がいいなあ。
73無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 19:53:15
確かに、ゲーム的には内政要員として重宝するな。
74無名武将@お腹せっぷく:2006/01/05(木) 20:21:53
>>70
小早川秀秋はシリーズの初期の頃は結構優秀だったけど、随分と堕ちたものだ。
マンガ影武者徳川家康の秀秋を数値化したような感じになってる
75無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 00:41:36
>>25
劉禅は魅力の高さでかろうじてワースト1をまぬがれてるが今川氏真の魅力はどのくらいなんだろう
家康が独立したり、配下が見限って武田や徳川についたり、国人衆が離反したりとマイナス要素が多いが
76【騎馬隊サラブレッド】ディープインポクト ◆E1w9sQluyU :2006/01/06(金) 01:49:20
先代が有能であれば有能であるほど、過小評価される・・・
77無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 03:01:23
氏真は桶狭間の後のあの状況で北条の依頼で援軍送ってるし、それだけ三国同盟を重視していたようだ
信玄が破ったんで戦略が崩れたんだろうな
78無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 03:14:51
>>75
俺的にザックリ言っちゃうと、義元、氏真は性格がいけすかねぇ野郎だったんじゃないか、あるいはそう思われていたんじゃないかと勝手に思っている。

大体連歌や蹴鞠がやけにうまいお坊ちゃまを前線で必死で命のやりとりしている連中が快く思うわけがない。
79無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:05:32
>>78
信玄が駿河に侵攻した時の今川武将の離反がそれをよく表しているのでは?
戦国乱世の主は、部下にとって頼りがいのある人物でなければダメだと思う
80無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:09:41
>>79
だからこそ安易に無能と言い切るのは早計
81無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:19:03
>>80
無能とは言い切っていないが・・・
言葉がたりなかったか・・・スマヌ
私が言いたかったのは、氏真に義元亡き後の今川家をリードできたのかってこと
なので、有能無能の話はしているつもりはなかったのだが・・・
82無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:22:43
>>81
スマヌ
俺も反論の意図じゃない
83無名武将@お腹せっぷく:2006/01/06(金) 21:26:44
今川のあの状況では何をやっても無理だと思う
8481:2006/01/06(金) 21:27:04
>>82
大人げなかった
もう少し丁寧に書いとけば誤解を招かなかったと反省してる
85無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 01:54:00
全然無理な状況じゃないと思うけど...。
結局徳川の謀反さえ満足に止められなかった氏真が問題なだけだろう、
当時の国力差は圧倒的に今川>徳川、本来なら今川>織田でさえあったのに、
その状況でどんどん領地を奪われていくから武田にも見限られたんであって、
大名としての氏真の責任、普通に氏真が無能だったとしか言えない。
86無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 08:17:53
それでも、氏真公は今川家を潰さなかったよ。


確か、子孫は高家になってるし。一時の感情とかに流されて家を潰さなかったのは偉い。


信長に蹴鞠を見せると誘って近づき、隠し持った刀で得意の一刀流で暗殺とかしてたら、子孫残って無かったよ。
87無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 10:45:44
本能寺の変は今川氏真の陰謀
88無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 15:03:22
>>7

×胡亥
△霊帝(劉宏)
×恵帝(司馬衷)
◎劉禅
×孫皓
○今川氏真
×一条兼定
△ジョン欠地王
○夏侯楙
○黄皓
○岑昏
○韓玄
○肝付兼亮
○斯波詮直 
△斎藤龍興
89無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 18:02:02
>>88
のぶおは×ですか?
90無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 19:01:39
×徳川綱吉
×昭和天皇ヒロヒト
91無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 19:23:09
×>>1->>90
92無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 20:16:10
×金日成
×金正日
93無名武将@お腹せっぷく:2006/01/07(土) 20:26:08
94無名武将@お腹せっぷく:2006/01/08(日) 20:58:53
  平和と自由は,一度それが確保されたからといって,永遠に続くものではない.
  遠江、駿河、三河は,何ら帝国主義的な野心を持たず,領土の征服などを夢見るものでもない.
  しかし我が国は,その領土を維持し,自ら作った制度を守り続けることを望む.
            0  

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   〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
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   |::||::::::::::::   \___/    || 
    ヽ:||:::::::::::::::.   \/     ||, <いってやった いってやった
     \             ノ     信長はまたドラマで侵略してるけどナー
       `-ー―-\__ノ---一~ 
95無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 06:46:06
今川義元ばかり討ち取られたからクローズアップしてるけど、
今川家歴代も戦死したり、室町幕府内で失脚したりしてるんだよね。
96無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 16:02:13
今川氏真とか斎藤龍興とか朝倉義景とか北畠具房とか六角義治とか
信長がかかわってなければここまで評価低くなかった気がする
97無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 16:48:17
信雄が信長の息子ではなかったらここまで評価が低くなかった
98無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 17:01:31
たしかに言えてる。
99無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 17:15:58
東北斯波や肝付みたいな田舎大名が超低評価なので信長とかかわってなくてもあまり変わらんでしょう。
まあ氏真は大内義隆レベルの評価は貰えたかもしれないが

信雄も単独で伊賀攻めして大敗したり、安土城を勝手に焼いたり、秀吉と単独講和したり、転封拒否して大幅減封食らったりとやってる事がアホ過ぎるのであまり変わらないと思う
100無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 17:41:03
北鼻は頑張ったのに
101無名武将@お腹せっぷく:2006/01/09(月) 17:56:24
相手が悪かった
102無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 17:45:17
氏真です
父が戦死して家督を継ぐ事になってしまいました
これからどうしたらいいんですか?
103無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 17:48:06
>>102
モトヤス コロセ
シンゲン キケン
ホウジョウ ヨクワカラン
104無名武将@お腹せっぷく:2006/01/11(水) 18:01:52
ホウジョウ カネオクレ
105無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 10:34:30
276 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:03/12/14 13:32
〉271さん
1.桶狭間で将来を期待される重臣クラスが討ち取られ、
各家で跡継ぎ争いが始まった事ですね。その為、弔い合戦ができる状況ではなかった。

2.三国同盟の瓦解。氏真は桶狭間の後に北条の依頼で関東に援軍を送っています。
状況から考えて、人の世話をするほど余裕がなかったのに、援軍を送ったのは
三国同盟を氏真が重視していたと言う事。しかし、武田が破棄してきたことで
その戦略構想が敗れてしまった。

3.氏親や義元が一門との戦の末に家督を取ったのもあり、当主以外の
一門にはあまり強い権限を与えなかった。
その為、氏真にとって義元の雪斎のような頼れる一門がいなかった。
義元や雪斎は家康を将来の氏真の片腕に…と考えていた節も見られるが、
それも裏切られる結果となった。
4.兵農分離もできていないし、今川家は連合政権的な性格をもっていたので大名家
の力の強弱だけで左右される脆弱な基盤でした。
また、足利の名門という矜持もあり伝統を重んじる家風から、家臣の能力主義などの
大きな改革や幕府権威の否定、などができなかったと思います。
ゆえに将来的には生き残るのが厳しい家だったのではないでしょうか?
106無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 15:42:21
劉禅≒秀忠
氏真≒劉璋

スレ誤爆御免!!
107無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 15:52:43
劉焉はなんとなく今川義元に似てる感じがする。
名門だし、自分の精鋭である東州兵を率いて蜀に乗り込んで
益州の豪族を惨殺して、統治したわけだから・・・
108無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 15:58:29
息子の代で裏切られて、国を失うところも似ているような気が・・・
109無名武将@お腹せっぷく:2006/01/14(土) 17:12:30
その乗っ取り者が劉備≒家康と感じがしないでもない。
どちらも狡猾なタヌキヲヤヂだから・・・
110増厨:2006/01/15(日) 22:05:02
>>東州兵を率いて蜀に乗り込んで
率いて乗り込んでいない。
乗り込んだ後に創設した
111無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 22:36:05
え?東州兵って江夏郡の精鋭じゃないの?
劉焉の私兵で・・・
確か三千人くらいと・・・
112無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 22:41:37
東州兵は確か、劉焉が蜀に赴任した時に作った部隊じゃなかったかな?
113無名武将@お腹せっぷく:2006/01/15(日) 23:46:38
または八千人いたとの説もあるね。
114無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 03:36:28
その東州兵の話は吉川三国志に出てきますか?
115無名武将@お腹せっぷく:2006/01/19(木) 15:46:59
出てこない。正史のみ。
116無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 03:00:30
サンクス
117無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 12:19:40
氏真や劉禅って一条兼定や三好長治、孫皓みたいに暴政を振るった形跡が無いだけマシだと思う
118無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 12:22:12
119無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 17:22:21
>>118
劉禅を持ち上げすぎじゃない?って感じがする
120無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 03:50:40
氏真も信玄、家康がいなくて諸葛亮クラス家臣がいれば良かったんだけどねぇ・・・
121無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:35:47
太源が生きてりゃ良かったのに
122清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 21:18:28
こっちのスレもよろしく!
氏真は剣術も蹴鞠もできるスポーツマンだったんですよね。
氏真は「創業の主」義元の後を継ぐ「守成の名君」となるべく育てられた、
という解釈でいきます!
【大河ドラマ】「清流」に決定!【今川家主役】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1138681679/l50
123無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:02:31
よく考えてみてくれ。

三方が原で震源が死んで勝頼が後を継いだ。
北条が離反し、高坂、真田も裏切る。
織田、徳川とわ講和して同盟を結ぶが助けてくれない。

この状況で勝頼が生き残れるか?
124無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:36:24
>>121
そもそも雪斎が生きていれば桶狭間がなかったのでは
125無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 00:19:54
>>124
それを逆説的に言えば家康や朝比奈、岡部がいなくても桶狭間は起きていなかった。
もっと曲論を言えば前日にくしゃみ1つしていれば思考の方向性が変わっていたかもしれない。
歴史は人材の依る前にロジック。普通に戦っていれば勝っていたのに、引き寄せられるように最悪の選択をしたという事。

一番大事なのは人材をゲームの数値が如く捉える事ではない。簡単に故人を引っ張り出すようでは思考の硬直甚だしい。
と俺は思う。

よく雪斎が・・・などと後述されるが、それが今川家内で敗因として語り合われていたようならそりゃ滅亡するよ。簡単に他人に丸投げするような思考では少し優れてている奴に翻弄されるだけだ。
それは今の時代にも言える事。

各スレにはびこるコピペ貼りつけ厨などはその類の最悪な輩だ。

義元、雪斎も含め数々の時代の英傑に縁を持った家康でさえ、尊敬しながらもその誰かに傾倒した事はない。人に学ぶ事はあっても人だけで結論をつけちゃいけないよ。
126無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 19:49:02
劉焉が194年に死んだのは前年に綿竹の居城が落雷で全て破壊し、
さらに三人の息子が殺されたり、病死するなどショッキングな
出来事が続き、それが原因で背中に腫れ物ができ死去したそうだ。

死の原因が「雷」に関わったこと、跡を継いだのがお人好しで
凡庸な息子だった点は今川義元と似てないでもない。
127無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 20:48:12
人物評:劉禅
三国志の英雄、劉備の嫡男。皇帝まで上り詰めた父親譲りの器量。さらに義理
の叔父である関羽、張飛より武芸を習得し、希代の武人としても名を馳せた。
彼の名が初めて中原に知れ渡ったのは長坂の戦である。当時赤子だった彼は趙
雲の鎧の中に収納されつつ、曹操軍の中を退却していた。魏の名将チョウコウ
が立ちはだかった時、彼は趙雲の鎧の中から光を放ち、敵が怯んだ隙に退却す
る事に成功している。また、張飛が一人魏軍と対峙した時には、林から立ち込
める怪しげな気配を見た曹操に「あの林には劉禅が潜んでおる。」と言わしめ
退却させることに成功。見事張飛の窮地を救っている。
128無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 20:56:40
>>123
高坂?春日だろ
129無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 14:35:51
>>88
×長尾為景
×上杉謙信
×上杉景勝
×直江兼継
×本庄繁長
◎島津忠良
◎島津貴久
◎島津義久
◎島津義弘
◎島津歳久
◎島津家久
130無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 15:19:12
今川氏真公は

戦争に関しては無能かもしれない。

だが、

内政に関しては有能。(高家吉良みたい)

剣術も学んでる。(足利義輝みたく武家をアピール)

茶・歌・蹴鞠などや、古式礼典などに詳しい。(幕府側として朝廷との交渉に向いてる)

江戸時代なら、普通に大名か高家とか勤められたと思う。
131無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 15:24:49
それは劉璋も同じこと。
132無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 16:03:53
つか、大軍勢を動員して何ら成果無く敗北すれば
ほぼ100パーセント配下が離反して大混乱になるのは当たり前。
尼子も今川も武田も全部それでボロボロになった。氏真以前の問題だよ
133無名武将@お腹せっぷく:2006/02/04(土) 16:15:24
>>132
その中でもヘッドを捕られたのは今川だけだからな
134無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 00:32:43
信長の前で能楽を舞った氏真と、公安に移住し最終的に孫権に
降服して、間もなく死んだ劉璋のどちらが幸せだっただろうか?
135無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 06:42:04
どっちかといわれると・・・
136無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 16:10:41
>>134
幸せ?全く意味ない価値観を持ち出しやがって。
劉璋が幸せかどうだったか俺が断じてやる。
曹操よりも幸せだった!以上
137無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 16:54:46
劉璋の人生のほうがストレス少なさそう・・・
138無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 18:54:32
でもよく考えたら、信長にも家康にも殺されないで江戸幕府の高家として残ったんだべ?
よくよく考えたら凄い事だよなぁ。
表の経歴だけ見るとちょっとアレだが、ずいぶんしたたかに生き抜いたと思うよ、ホント。
139無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 19:36:40
劉璋の子孫は?
140無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 21:23:17
>>138
あの時代を生き抜いて、布団の上で死ねた上に子孫も明治までそこそこの暮らしを出来たんだから、
氏真も信雄も充分勝ち組かもナ。
少なくとも福島正則や胃薬の手放せない後半生だった片桐且元よりはマシだったろう。
141無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 11:01:14
あげ
142無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 12:07:06
「氏真=バカ殿」イメージ一色(広く言うと「今川=軟弱」イメージ一色)というのは気に食わない。
以下、あちこちの受け売り。氏やんは、名君・名将とはいえないにしても、すくなくとも並程度だったんじゃあるまいか。

・松平元康は今川家の一門であったにもかかわらず肝心なときに裏切った、ともいえる。
 「われらが神君家康公」が忘恩不忠の徒であっては困るから、
 今川家は悪辣な支配者、氏真は「裏切られても当然な愚君」である必要があった。
 「今川=悪の帝国」「氏真=無能」というのは、江戸時代以降につくられたイメージが大きいのでは?

・妻(蔵春院早川殿=北条氏康の娘)は、夫が没落しても流浪しても最後まで連れ添ってる。
 早川殿1613年没、氏真1614年没。杉並のお墓に並んで眠ってる。いい夫婦だったんじゃない?
 (「人柄」と「大名・武将としての有能さ」は別だし、他人の幸不幸を今日の感覚では測れないけれどもね)

・義元とともに政権首脳部が消滅。沖田畷後の竜造寺家状態。(弁解としては>>105の引用)
 でも、そこで氏やんが求心力をアピールできなかったのは、やっぱり失策かもね。

・武田家に通じた堀越氏延や飯尾連龍を討ったり、「怪しい」井伊直親を謀殺したりしている。
 蹴鞠ばかりで無為無策じゃなくて、支配を維持するために血なまぐさいこともちゃんとやってるぞ。

・蹴鞠は武家の基本教養。信長だって、薩摩武士だって(上井覚兼日記)蹴鞠はやってるぞ!
 蹴鞠やってることだけ取り上げて公家公家いうな!

・塩止め=経済封鎖は「卑怯」なんかじゃなくて立派な戦略だろう!
 もしも完全に実施されていたのなら、商業を掌握・統制していたことになるわけで、これは大したものだ。
 (でも、塩止めの効果は謙信を持ち上げるために過剰に言われている感じもする)

・並の武将でも、徳川家康と武田信玄じゃ相手が悪すぎるわな。
143無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 13:17:14
劉禅の子孫は(怪しいのはいるけど)壊滅したけど今川家は存続
144無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 13:40:00
劉璋の子孫はくぐっても出て来ない。
息子の劉循と劉闡に子がいたかどうか・・・

秀忠の子孫は会津松平と越智松平(綱吉の甥の清武の系統)
の両家くらい。
145無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 13:47:28
>>142
それは劉璋の戦闘相手が悪かったのと同じ。
暗愚でなくとも凡将の劉璋が歴戦の猛者の劉備とか曹操じゃ
まずかったのと同じ。張魯の場合はわからんが。
それに若き劉璋が自分を裏切った張魯の母と末弟を惨殺した武断面もあった。

尤も一番の原因は最初から蜀を乗っ取る計画を持った劉備と
裏切った家臣の法正が凶悪だと思えるが・・・
146無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 17:10:05
>>143
高家今川家の嫡流は明治に入って断絶。
ただ、次男高久の品川さんの方は続いていると、どっかの今川スレで聞いた。
147無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 18:21:13
秀忠の系統の会津家も越智家も途中で養子が入り、
秀忠の血統は事実上断絶した。
148無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 19:03:33
「友達になりたい、でも上司にはしたくない戦国武将」
149無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 03:30:45
徳川家康は鬼畜!国松を殺した!
150無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 04:39:25
氏真は文弱の徒でもなく、馬鹿でもないよ
むしろ文武両道の人

和歌:権大納言冷泉為和らより学んだと言われ、現在も1000首を超える歌が遺る。また後水尾天皇選の集外三十六歌仙にも名を連ねている。
蹴鞠:飛鳥井流宗家の飛鳥井雅綱より手ほどきを受けたとされる。
剣術:塚原卜伝に新当流を学んだという




氏真が本当に無能でどうしようもないような香具師なら、今川家の滅亡の仕方はもっと悲惨だったかもしれない。
氏真も(まあ勿論最後は豪族に裏切られまくり)だったが、一方で、見捨てずちゃんと城に迎え入れてくれた家臣もいたわけで。

滅亡後の流浪時代なんかも家臣数十人は他家にも仕官せず氏真にずっと付き従っていたらしいから、相当な人間的な魅力もあったのではないかと妄想してみる。

あと氏真が無能の代名詞の如く描かれているのは、その後の今川からの独立を正当化させるための徳川史観による歪曲を含んだものが大きいと思われる

>>148
そういえば、氏真の助命嘆願を成功させた朝比奈泰朝なんか
氏真と同じ年ってこともあって主君の間柄といよりは、仲のいい友人みたいな付き合いだったみたいだが
その辺りの付き合いが逆に土壇場で生きたのかもしれない
151無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 04:06:14
>>150
「集外三十六歌仙」ってのは知らなかった。トンクス。
ぐぐったら肖像(後世の想像だけど)と歌が出てきた。
ttp://www.city.himeji.hyogo.jp/art/digital_museum/kyodo/yukari/hoitsu/shugai.html
ttp://www.city.himeji.hyogo.jp/art/digital_museum/kyodo/yukari/hoitsu/shugai/34.html
152無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 04:42:03
確かに、同じ滅亡でも朝倉義景や武田勝頼の死に方は哀愁を漂わせるものだったが
氏真の場合、最後まで従ってくれる家臣がいたものな。
滅亡したといっても仇敵の織田や徳川と和解しているし、世渡りや付き合いは上手かったのかもしれない
153無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 10:52:52
家康は名家好きだったから生き残れた。。。
154無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 01:53:40
織田秀信は容赦なくぶっつぶされておりますが?
155無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 01:15:20
>>149
昔、平清盛という人がおってな(ry
156無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 03:34:36
ひさしぶりにwikiで氏真を見たら、とても詳しくなっててたまげた。
157無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 04:12:38
太閤立志伝Vで速攻今川家を辞めて(辞められたらの話だけど)
風流人エンディングを目指すのも味があっていいかも。
158無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:53:35
        (::::::  あ                           ((  :::::::::  |::
       (::::..      な           ━┓‥━┓‥━┓‥:::(       |:::
      __:::::::..  ):: )  た  ぁ      ━┛  ━┛  ━┛  (      ノ::
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_i   :|      |  ::|  |      //::::://:::/::::/:::::/ ̄ ̄^ミ'i,;;:::\  从|::: _,|:::
 ̄=―-_     |  ::| | ̄''|~-、 /;;;/::::::/ \ノ::::ノ:::ノ ,,/ :::::::|:::::|:::::\从'i ̄ ̄
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  ヽ      ∧_∧  ゝ、.  | :::||;;;;|::::::| * \___/  * /:::::|:   从
   |     (´く` 0)    ::i‐-!、   从    \/    ∧_∧  .|::    |
   | r - 、 ⊂○⊂ )     ::| :::| ミ彡::|-r-=从        ( `ε´) .|::    |
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 ∧∧.  | :::|(_) J ........::::| ⊂( ´〜`;)つ∧_∧从从|::人  Y  ____
 (・_・;) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∧___∧ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(;アゝレ) ̄ ̄し (_) (〃___ノ
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159無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 08:59:26
氏真苦難スレの早川殿か。ナツカシス
160無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 18:57:28
氏真の嫡男の範以って何か事績とかある?
どこ調べても生没年しか分からない。
161無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 09:17:45
範以(1570-1607)の「事績」といっても派手なのはないわけで。160氏の期待に添えないかもしれないが、

 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974)

で範以関係をしらべてみた。参考にしたのは古い本だから、もっと新しい研究があるかもしれない。

範以は元亀元(1570)年生まれ。『寛政重修諸家譜』などに書かれた没年からの逆算なんだそうで、月日はわからない。
氏真が掛川を出て北条領で暮らしてる時代。小田原だか伊豆戸倉だかが出生地だろう。生母は北条氏(早川殿)。
幼名は五郎、左馬助と称した。

京都時代の氏真一家は山科言経と交流があったので『言経卿記』に時々顔を出す。
文禄3(1594)年7月5日には範以(25歳)が下冷泉為将ととも山科言経を訪ね、冷麺と酒を勧められているのが範以の記事の初出らしい。
8月21日にも下冷泉為将と一緒に山科家を来訪している。仲が良かったのかもしれない。
同年10月、建仁寺両足院での僧や貴族(言経や下冷泉為将、冷泉為満も参加)の「講釈」で三体詩(唐詩の選集)を取り上げることを
範以が発起している。範以は学問に関心があったらしい。この「三体詩」の勉強会はその後も続いたそうだ。

今川氏真・範以親子は、山科言経・冷泉為満などのサークルに連なっていたらしく、そのあたりの仲間でお互いの屋敷を訪問したりしている。
(冷泉家も山科家も、今川家が駿河国主だったころからのお付き合いだ)
慶長8(1603)年からは冷泉為満が主宰して冷泉邸で月次和歌会を行っていて(メンバーは山科とか四条隆昌とか古市宗超とか蜷川親長とか)、
ここに毎月のように氏真親子も顔を出しているし、慶長9(1604)年2月10日に言緒(言経の子)が主宰した連歌の会に父子ともに出席している。
慶長10(1605)年頃から、こうした月例の会に氏真が参加しても範以が参加したという記録がなくなる(この頃から病気だったろうか)。
慶長12(1607)年11月27日、京都にて歿、享年38歳。法名・徳報院殿秀山長英大居士。葬地は不詳だが、杉並区の観泉寺に墓碑がある。

範以の歌はいくつか記録が残されているようだ。
「夕日影うつるはやしにむら鳥のねくらもとむる声あまた也」東山御文庫蔵丹冊手鑑
「齢猶つきせぬつゑのつくつくと君かゆるしやまたんとすらん」穴八幡神社蔵手鑑
162無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 09:20:52
範以の弟の(品川)新六郎高久は慶長3(1598)年、氏真の願いで秀忠にお目見え出仕している。
ちなみにその前年慶長2(1597)年、範以の甥(姉の子)の吉良義弥も秀忠に仕えているが、
範以は結局最後まで仕官しなかった。学問や文芸のほうに興味があったのかもしれないし、病弱だったからかもしれない。

範以の妻は吉良義安女。姉の夫である吉良義定のおそらく妹。範以の子は二男三女。
嫡子は、吉良義安女との間にできた主膳正直房(幼名五郎。初名・範英)。
直房は『寛政重修諸家譜』によると文禄3(1594)年生まれ(異説:『今川記』所載系図によると慶長6(1601年生まれ)。
慶長16(1611)年に秀忠に出仕し、高家今川家をひらいた。
範以の次子蔵人は西尾以庸を称した(詳細不明)。
娘の一人は大友義親(義統の孫)に嫁ぎ、一人は吉良義弥(義定の子)に嫁いだ(イトコ同士だ)。
もう一人の娘の嫁ぎ先は不明。未婚のまま没したのかもしれない。

範以夫人吉良氏は、夫の没後、大炊御門経頼(権大納言)に(側室として?)再嫁、慶長18年12月には嗣子となる経敦(のち左大臣)を生む。
吉良氏は寛永4(1627)年歿。法名・利正院殿紅巌慈峰大姉。はじめ江戸万昌院に葬られ、のち観泉寺に改葬された。
163無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 17:33:11
dクス。範以死ぬまで仕官しなかったのか。そら記録も少ないわ。
高久は普通に出仕してたんだな。

丸々一世代空いたところからよく立て直したよ直房。
164無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 22:34:47
氏真には秀吉か家康かから扶持が出てたんだっけ。
165無名武将@お腹せっぷく:2006/03/21(火) 01:39:51
ん?って事は範以は氏真より先に死んだのか。
親子で一緒に勉強会や連歌の会に連なってたって事は、趣味の合う中のいい親子だったろうに…

氏真カワイソス
166無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 14:37:21
氏真って信長に従って長篠の戦に従軍してるんだね
167無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 15:27:32
長篠の合戦には徳川軍も合流してるから、ていうか徳川の領地内だったな。
家康の傍に侍っていただけで、部隊を指揮したわけじゃなさそうだが。
168無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 15:34:26
リアル消防のときに読んだダイジェストだと、元康は今川家から「独立」したと簡単に述べていて、
そのときはそんなものだと読み流してたんだ。
でもやってることは同じなのに、何故「謀反」と書かれていないのだろう?
169無名武将@お腹せっぷく:2006/03/31(金) 17:31:17
謀反っつーか離反?
170無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 02:40:05
>>168
謀反とはちょっと違わね?
171無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 18:22:51
えーと、家康の下で、一時的に氏真が城主を務めたことがあったわ。
諏訪原城の城主。

元来は武田勢が築城した諏訪原城は、1575に交戦の上、徳川勢の手に陥落してる。
で、長篠の合戦があったのも同年。

諏訪原奪取と長篠合戦とで、時期的な前後関係はどうなのか、
また、諏訪原奪取後すぐに氏真を城主に据えたのか、
これらの情報があれば、長篠合戦時における氏真の立場を想像できるかも。
172無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 02:49:27
というか、氏真は武田信虎の外孫。
つまり、信玄の同母姉が産んだ子。
173無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 11:41:53
むかし某スレに投下した、今川・北条・武田の系図。入り組んでてかなわん。
改善策あったらよろしくたのみます。

┌─ 伊勢長氏 ── 北条氏綱 ── 北条氏康 ─┬─ 北条氏政(生母は瑞渓院殿)
│                           ┃      │
│ 中御門宣胤 ─ 寿桂尼    ┌─ 瑞渓院殿   ├─── 桂林院殿(武田勝頼後妻)
│            ┃      │              │
│   今川義忠     .┠───┴─ 今川義元   └─ 早川殿      ┌─ 今川範以
│   ┃       ┃          ┃           ┠────┼─ 品川高久
│   ┠─── 今川氏親           .┠───┬── 今川氏真   ├─ 西尾安信
│   ┃                   ┃      │             ├─ 澄存
└─ 北川殿     武田信虎 ─┬─ 定恵院殿  .└── 嶺松院殿    └─ 女(吉良義定妻)
                     │                ┃
                     └─ 武田信玄 ─┬─ 武田義信
                                │
                                ├─ 黄梅院殿(北条氏政妻)
                                │
                                └─── 武田勝頼
174無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 11:50:41
ついでに、今川家と吉良さんち。(某所でひろったもの)
系図ややこしいよ系図。

今川氏真 ―┬― 今川範以
       . │    ┠――─ 女
       . │┌─ 女      ┃
       . ││          ┠── 吉良義冬 ─── 吉良義央
       . └── 女      ┃
       .  │   ┠――― 吉良義弥
吉良義安 ――┴― 吉良義定
175無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 13:00:56
範以、高久はまさに戦国のサラブレッドだな。
176無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 17:54:47
>>174
吉良義冬の両親は、二重イトコの関係か?
超近親結婚だな〜
177無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 18:15:39
とりあえず長氏ってのが気に入らない(せめて宗瑞にしてくれ)以外GJ。
178無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 18:45:14
氏真が勝頼や氏政に較べてそれほど無能とは思えん
179無名武将@お腹せっぷく:2006/04/03(月) 20:36:52
氏真って今で言うところの癒し系だったのかもしれん。
180無名武将@お腹せっぷく:2006/04/03(月) 21:01:06
そんなら劉璋も癒し系。
見るだけでホッとする人物。
181無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 03:58:40
劉禅はスルーか、おまいら・・・まあ当然か
182無名武将@お腹せっぷく:2006/04/06(木) 04:14:26
氏真って、近世大名か、逆に戦国の一武将かだったら、
結構いいとこまでいったんじゃないかって気がする。
183無名武将@お腹せっぷく:2006/04/11(火) 21:32:09
>>181
むしろ劉禅は守成型としての役目を果たしてるけど・・・
政治家の素質がある程度は備えてるが。
184無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 15:48:44
>>181さんは、何に対して当然だと納得してるのでしょう?

>>183さんは、>>181さんが「劉禅は擁護のしようが無いから話題にならなくて当然」と考えている
という前提で、擁護してみたように見受けられます。

自分は一週間、「このスレ住人は興味の対象が日本お戦国時代に偏っていて、
中国の三国時代にはほとんど興味がないから、話題にならなくて当然」と読解してたので、
>>183が全く噛み合ってないレス返してるように感じてました。
185183:2006/04/16(日) 17:44:17
別に劉禅を擁護してるわけじゃない。

ずっと前から劉禅は氏真とは似てるようで似てないと思ったから。
他スレでもカキコしてるが氏真は劉禅よりも劉璋に似てると思ってるから。

だから、昔はともかく今ではこのスレの題自体が咬み合ってないと思った。
それだけ。

むしろ【劉禅と徳川秀忠、どちらの方が有能なのか 】か
【劉封と徳川信康、どちらの方が有能なのか 】がいいと思ってるくらい。


以上
186無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 19:08:20
http://web.archive.org/web/20030409134630/http://big.freett.com/simenawa21/LiuShanVer2.swf
↑劉禅は有能。
過去既に三戦の結論として出ている。
187無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 19:28:18
こっちでも、劉禅有能論は結論が出ている。
特に歴史サロン板では決定的なレスが書き込んである。


歴史サロン板
劉備玄徳と徳川家康の類似点
http://yy13.kakiko.com/test/read.cgi/rekisineta/1113271182

木曾宿奇矯屋
【劉備玄徳】劉禅公嗣と徳川秀忠【徳川家康】
http://yy33.kakiko.com/test/read.cgi/kikyoya/1134395724

188無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 19:36:44
>>186
激しく同意。

魏に降服した後の劉禅が漢王朝再興の意思があったどうかはわからんが、
政治家としての素質があったこと、守成型の役目を果したことは
実際あったと思う。
189無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 19:47:38
何気にあれから3年以上経ってんだな。
既に結論が出た事を蒸し返されるのも無理ないか・・
190無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 19:53:59
俺は二年目だから、ここ(三戦)で劉禅有能論の結論は知らなかった。
191無名武将@お腹せっぷく
>>187に貼り付けたスレを久々に見たけど。(特に上のほう)
あれから一年も経ってるんだなあ・・・

歳月の流れは早く、あの時の奇矯屋さんの意見は筋が通っていると思う。