26 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:48:32
三河の小倅
小豆坂の戦い
うつけ迷い鳥
国主の器とは
逃げよ信長
三国同盟
さらば、師よ
流れ猿
百姓侍
夢破れたり
27 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:49:51
烏帽子親
わが義父義元(元信初陣)
母子再会
守成の名君
そして桶狭間1
そして桶狭間2
【第一部完】
28 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:51:44
【ここから第二部氏真苦闘編】
元信恩と仇と
我も清き流れ
信虎父情の悪(やはり父ゆえに)
武田父子無残
楽市楽座
泪と塩
女大名の最期
侵掠すること火の如く
家康もまた
29 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:52:54
駿府失陥
泰朝死す
今川残影
両流再会
決死の蹴鞠
氏真の長篠
夢の終わり
【第二部完】
30 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:53:36
【第三部天下統一編】
夢の京へ
土岐は今、末の流れ
本能寺
流れ流れ土を忘れ
創業成る(関が原)
我が家は高家
駿府へ還る
清き流れ二流の末
【完】
31 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 20:55:03
と、こんな感じで作ってみましたよ。
どうですかお客さーん!!!
全然つまらん。
負け犬犬名は、とっとと失せていいから。
34 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/01(水) 21:32:37
・・・戦国に負け犬ではない大名がどれほどいたでしょうか?
負けを経験しない人生がどれほどあるでしょうか?
義元のおそらく人生唯一の失敗(桶狭間)で今川家は大きな運命の
転変に見舞われ、跡を継いだ氏真の奮闘むなしく大名としては没落し
ました。(世間の想像以上に本当によくがんばったのです)
しかし、それは華々しい活躍の陰に決して消えることのない多くの
武将達の真実の末路だったのです。織田氏、豊臣氏、武田氏も英傑
たちの死後、没落を免れることはできませんでした。
この大河ドラマは、そんな人生の真実に向かい合うことのできる
大人のためのドラマです。
・・・ただし、義元、氏真、家康は全て超イケメン俳優で固めます!w
彼らのそばで戦国を彩る女性陣も超豪華キャスト!
大河ドラマ「清流」、こうご期待!
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 21:51:46
スレ主の一連のカキコ、読んでみたけど、主観のみで書いてる。やり方によっては、前に書いてあったけど、ホント脚本が大変そうだよ。俺は大河はよく見るほうだけど、今川大河の年は、ジャンクでも見るかっ。
負け犬大名なら勝頼が主人公のほうが見たいな
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:07:26
静岡県民にはうける?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:07:47
半国守護では飽き足らずに、今川了俊を陥れて駿河を掌握した家系のような・・・・清流・・・・ですか。いいかも。
キャストをイケメンで固めようとするところがセンスない。
義元成人時は渋めの役者を使うべき。
そもそも企画が通らない
>>38 今川了俊こそが室町幕府屈指の名将ですからねえ。
だから、要するにつまらねえんだよ。
だから、早くスレ落とせよ、カスw
不当なまでに美化しすぎ。吐き気がするぐらいだ。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 22:35:29
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 00:37:51
大河の基本はセックスストーリーだからなぁ
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 02:56:04
一人スレを落としたがってるのがいるな・・・
これのせいか?
10 :妄想女キモイ:2006/02/01(水) 00:24:25
時代劇板にある気色悪い>明智光秀を大河に!スレの住人と
同じ雰囲気の主張と文体だな。
>>1 お前の馬鹿案を採用するまえに、
皆川博子の「戦国原野」という傑作がある。www知らないんだろ?
11 :清流 :2006/02/01(水) 01:02:26
10様へ
残念ながら、今川家題材の大河を妄想する女性などいない、かと・・・。
この書き込みを読んで、体温が下がりました・・・。
それはともかく、戦国「幻」野の情報は感謝。
・・・気を取り直して次いってみよう!
13 :無名武将@お腹せっぷく :2006/02/01(水) 01:08:21
>>10 m9(^Д^)プギャー wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
16 :無名武将@お腹せっぷく :2006/02/01(水) 02:01:36
>>10 おまい、あのスレの338か?
叩かれたからって、こんなとこで吐き出すなよww
ここでも煽った挙げ句、脱字してやんの。カコワルイwwwwwwwwwwwwww
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 17:37:49
今川家のファンはやっぱり少ないか?
静岡県民はどう思ってるんだ?
??
>>46 俺は大好きなんだが、やっぱ今川ファンは少ないだろ。
結局後世のどの時代を探しても擁護者、味方がいなかったのが痛い。
手元にある『今川義元のすべて』によると、駿河凧の絵柄の中には義元の絵柄があるし、
他にもいくつかの関連した伝承や行事が現存しているという。
ただ、感じとしては敬して遠ざけてる、っていう印象。
徳川家康自身は江戸開府からしばらくして義元慰霊のための泉岳寺を建立したから、
ひょっとしたら最大の理解者というのは彼だったのかもしれない。
家康はいつも三河ことばじゃなくて駿河ことばで話していたらしいし。
事跡を追っていけば、大河ドラマにするに足ることを多数しているし、
河東一乱のような関東・東海・甲信を巻き込んだ壮大なスケールの戦争もある。
ただ、結局人間ってのは印象が一番大事なんだよなぁ…
49 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/02/12(日) 15:55:17
>>48 情報Thnx
知ってる人は義元はなかなかな武将だったことが分かるけど、
知らない人、歴史を単純化したい人には分からない、分かりたくない。
こういうと信長ファンは嫌がるかもしれないけど、
義元も信長も最後には油断して命を落としてるんだよね。
そして、両方とも生き残った息子はできが悪くて家は没落。
違いは何か考えてみると、
信長の場合義元以上に勢力を拡大できて、
彼の世話になった人が大勢大名になって残ってることとかかな?
家康は確かに義元についてはかなり好感を持ってたんじゃないかと思う。
義元の側からすれば広忠亡き後の松平なんて潰せたはずなのに
結局家康を保護してるし、まだ幼い竹千代の面倒を見られるように
竹千代のおばあさんを近くに住ませて上げたりしてる。
先生は自分や息子の氏真と同じ太原雪斎。
結婚相手は親戚の娘で一門扱い。
今川家の家臣団を強化するという打算はあったとしても結構厚遇と思う。
家康は老後を駿府城で過ごしてるし。
駿府での生活を懐かしんでいたんじゃないかな・・・。
今川了俊なら見てみたい。次点で今川泰範。
>>49 自分がその人物に魅力を感じて好きならば
不特定多数の「歴史好きじゃない人々」に誤解されてたって
全然構わないことじゃないの?
>>49 その割には家康は天下取った後も今川家をよいしょしてくれませんでしたね
ただ苦労話の一環としてしか話してませんね
所詮は、徳川にとって今川人質時代は屈辱の時代。
家康にはよく思う理由は皆無。
歴史の彼方に消えて行くだけの名家、つーても単なる清和源氏足利の一支流に過ぎんが。
戦国大名の子供があちこちの人質や養子に出るのはよくある話。
最終的に天下取ったのがそのうちの一人だっただけと考えるのは横柄だろうか。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 01:15:13
>>53 そう考えると、「大御所」の居城が駿府なのが、説明つかないんだが。
政治的・戦略的な要所というなら、小田原とかでもよかったのに、あえて「駿府」。
そのころの家康ならば望めばどこへでも居れたであろうに。
家康が晩年の居城を駿府としたのは、単なる必要性というよりも、
駿府という土地への何らかの思い入れがあったのではないか?
おもえば、桶狭間の後に氏真に義元の弔い合戦をはたらきかけている。
もちろん後には信玄と呼応して遠江に侵攻しているわけだが、
してみると、今川に対してそれほど悪感情を抱いていなかったのではないか、と思われるのだが、さて。
天下人たる者、何かに必要以上に傾倒したり敬意を払ったりしない。
それが全ての者に対する気遣いでもある。
たとえ家康が
>>55のような意識を持っていたとしても天下の仕置きでそれを理由に行動する事はないし過度に今川を持ち上げてくれる事もない。あくまで徳川家の都合だ。
だから家康の思いを考察するのは自由だが、行動から考察するのは愚。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 01:32:20
晩年の家康が駿河を選んだのは、地理的問題。駿河は東海道の中でも要所だし。それに気候もいいらしいね。スレ主が考えるように、家康が義元を恩義を感じていたのなら、いくら氏真が頼りなくても、あんなにすぐには織田と結び付かないと思う。
恩義を感じていたかどうかは別として、
悪感情は抱いてないだろうね。
何しろ、義元の菩提寺は家康が建立したんだから。
まあ、「勝ち組の余裕」という気もするが、
少なくとも、人質時代がトラウマになるほどにはコンプレックスは感じていなかったんじゃないの?
地理的問題を云々するなら、駿府よりも小田原のほうが、より要所だと思うのだけれど、どう?
何しろ関東最大都市にして、箱根と江戸の間の要所中の要所。
西に対するなら、駿府に陣取って箱根を背にするより、
小田原に陣取って箱根で迎え撃つほうがいいんじゃないかって気はする。
人質になっていたこと自体は別段さしたる苦痛ではなかったと思う。
立場的に言って至極順当な処置だ。
問題はその時期実家の方が崩壊状態だったことであって。
よくよく考えてみりゃ、竹千代をなにがなんでも生かしておく理由が今川にはないんだよな。
あの時点では松平家が三河でもたいした勢力ではなかったわけで、
さっさと殺すなり寺に放り込むなりして岡崎を制圧して、諸豪族は事前に懐柔する、という方針でも、三河支配は確立できたはず。
それを生かして、自分と同じ師につけて学問を身につけさせ、
させなくともよい元服までさせ、
あまつさえ名前に一字を与えるは、烏帽子親は勤めるはで、
ついには一門の娘と縁組させた。
まあ、純粋な善意ではなく、生かして利用しようという打算も大いにあったんだろうけど、
それにしても、単なる人質以上の厚遇ではなかったか。
家康は幼少期にどういう思いで織田家や今川家に人質になっていたかは知らん。もしかしたら不遇に感じ、家臣も御家再興の為にそれを煽っていたかもしれん。
でも老齢になるにつれ、他家の人質の実態に触れれば必ず感謝の念は生まれたではあったとは推測できる。
人並みの幼少時代を過ごしていたならあの環境から天下人なんぞ生まれるわけはないわけで、そういう意味でも特に今川家には推測しえぬ複雑な思いを持っていたであろう。
簡単に雪斎を関わりとして挙げるのもいいが、意外とともに学んだ名もなき幼なじみに人生で一番感謝の念を抱いているかもしれん。
広げすぎたな。
広げすぎでも無いだろ。
幼い頃を共に駿府で過ごした北条氏規や岡部正綱とは実際仲が良かったみたいだし。
むしろ、格段に怨んでいたのは孕石主水くらいじゃないのか?
義元から許可された鷹狩を生涯の趣味としたのも、今川への嫌悪感の薄さを物語っていると思う。
第一、若い頃を思い出し易いと言われる老人の頃を、嫌な思い出がある場所で過ごす物好きはいないだろう。
ただ、そのことを口に出しては不味かったというのも事実だろうし。
義元のことを怨んでいたのは、当時風下に置かれていた三河の豪族であって、家康ではないと考えてる。
少なくとも、駿府における思春期の思い出は、全体的にはそう悪いものではなかったんじゃないかと。
真田信之なんかも人質時代に徳川シンパになったっぽいしな。
蒲生氏郷あたりも似たようなものか。
ローマもよく地方の人質を教育してローマ派にするという手を良く使ってたし、
案外よくある話ではないだろうか。
その後今川を切ったのは冷徹な判断なのだろう。
スレ主は赤木駿介『天下を汝に』を知らんのか。
>>64 あれって氏真がカッコ良すぎだよな。有能な人過ぎ。
もっと明るいヘタレ感がないと氏真じゃなーい。
氏真びいきなおいらが、ぶっ飛んだのが2回。
某事件の裏側と、実際に刀を抜く描写が入ったとき。作者、氏真公に何させる気だ!
氏真の剣戟が見られる小説は、絶後かどうかは知らないが、空前じゃあるまいか。
「いいひと」で、友人からの人望はある風な描写ではあるけれど、あまり「有能」とは感じなかったな。
築山殿関連で物見遊山気分で行って傷つくし。やっぱ、政治に疎いお人よしだなと。
長篠の軍議で失笑をかったり、本多正信にキツイ内心のセリフは吐かれたりしてるし。
でも大好きな小説だぜ。
っつーか、あの氏真夫妻がデフォルトになっちまって、他のイメージが受け入れられない。
どちらにしても、誰も注目しないし、世間は興味すら持ってないようだ。
存在自体忘れ去られてるやもしれぬ・・・
今川焼の方が、百万倍も有名だw
今川橋で売られ始めた今川焼が普及するまでの物語
69 :
清流 ◆5Mm7KjTRww :2006/03/14(火) 19:11:21
今川創作大河ドラマを書こうかな?
今川はネタ不足だ
桶狭間以降はみっともない場面が多くてイメージダウンになりかねない
チラシの裏か同人でもつくって書いてねー。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 08:27:03
猛将YOSHIMOTO〜天下獲りの道〜
今川焼き派? おやき派?
義元はどうでもいいけど太源雪斎の話はちょっと見たい・・
今川橋のたもとで生まれた今川焼きが、大判焼きや太鼓焼きらと戦いつつ
天下制覇を狙う怒涛の大河巨編。
自分は野沢菜のはいったお焼きが好きでし。