孫登が孫権の跡を継いでいたらどうなっていた?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1無名武将@お腹せっぷく
孫権の長子として生まれて…聡明とされていた孫登ですが。
もし早死せずそのまま孫権の跡を継いでいたら呉はどうなっていたでしょうか?
2無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 00:47:41
2
3無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 01:03:56
3
4AKSCM:2005/10/23(日) 01:42:52
ターゲット4にロックオン
発射!!!
5無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 01:46:04
陳登?
6無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 02:05:58
少しはマシになっていたんじゃない?
7無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 18:53:08
曹沖が曹操の跡を継いでいたら魏はどうなってた?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129379466/l50

便乗スレか
8無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 23:16:44
マジレス

陸遜とか大豪族や名士出身の大臣たちのいいなりとなる。
呉の劉禅。
9無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 01:50:15
国力の差はどうしようもないからいずれ飲み込まれたとはおもうよ
10無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 01:58:14
まあ孫亮がつくよりかマシになってたかもな
11無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 20:04:08
>>8
マジレス

陸遜とか大豪族や名士出身の大臣たちの意志が一つでない限り劉禅の様にはならない
んで孫登が継いだとしたら諸葛亮ほどの独裁を行える立場にいる人物はいない
12無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 21:06:11
>>11
つこたあ国はバラバラ
呉滅亡が早まるな
13無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 21:11:52
2級の変は起こらなかった。
以上。
14無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 21:17:53
むしろ
孫権とその取り巻き
vs
孫登とその取り巻き
で政争が起きるよ
15無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 21:24:15
君主の評価は、
孫堅>孫策>孫休>孫亮>孫権>孫皓
ではないだろうか?
16無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 21:24:58
>>12
それを纏めるのがトップの仕事だろ
17無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 21:26:00
間違いなく最高の国家体制を維持していた。
18無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 22:06:36
孫権が史実より前に死ぬという条件もないと、争いの種はなくならないよ。

孫登がいい年になっても帝位は老年の孫権という状態は、お互いに危険。
漢の武帝と戻太子のような関係。
19無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 22:26:20
>>15って孫権への妙な意趣を感じるな。

晩年はケチがついて失点も多いが、それでも幾度となく曹操の進出を防いで
荊州を獲得し三国の一角を形成した孫権を孫休や孫亮よりも下にするって……

孫権をボロクソに貶す人って、劉禅に暗愚無能の烙印を押す人と似通うところが
多い気がする……
20無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 22:27:52
>>19
劉禅なんかと一緒にしないでください。
21無名武将@お腹せっぷく:2005/10/24(月) 23:05:10
君主の性質(性格ではない)
攻撃型:孫策>曹操>袁紹>孫堅>曹叡>劉備>曹丕>劉禅>孫権:防御型
孫策は攻撃型の君主で、孫権は防御型の君主だったといえる。
22無名武将@お腹せっぷく:2005/10/25(火) 16:47:38
>>19
そもそも孫堅が一番の時点で語るに落ちてるからスルーしとけって
君主ですらないのに
23無名武将@お腹せっぷく:2005/11/02(水) 00:12:56
やっぱり二宮の変が無いからまだマシだろ。
あのゴタゴタは呉にとってあまりに痛すぎた。
>>12
豪族に関しては孫権時の現状維持で留まると思うぞ。
あとは一族につけ込まれさえしなければ。
24無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 02:30:55
25無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 02:38:34
孫権は糜芳と同じ不忠者

蜀と同盟したり、裏切ったり。
魏と同盟したり、裏切ったり。
才能が有っても、糜芳や劉禅見たいな奴じゃあな……俺は忠誠は誓えねえよ
26無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 08:31:19
陸コウが周喩だったら益州とってあわよくば天下を獲っていたかも
孫トウがついでいた場合だけど・・・
27無名武将@お腹せっぷく:2005/11/20(日) 11:28:10
陸抗は病気にかかった2000人の守る城すら落とせなかった雑魚
28無名武将@お腹せっぷく:2005/11/22(火) 00:36:55
陸抗<<羅憲
29無名武将@お腹せっぷく:2005/11/24(木) 00:11:37
孫登が長生きしていたら・・・・。
孫権が孫和を寵愛し、孫登と同等にしちゃって、人を替えて二宮の変が起きるとか。
30勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/12/01(木) 21:28:36
治世の混乱への不満の受け皿的要素が強いように思うんだけど。
孫登の才能を示す逸話って何かあったかいな?
31無名武将@お腹せっぷく:2005/12/01(木) 22:38:42
建業に遷都した直後の武昌の統治、
孫権出征にあたっての首都建業の守備、
中央を離れていた人物たちの状況把握(歩隲への手紙)、
陸遜の監視と疑惑の解消(遺言でも「陸遜に私心なし」と断言)、
時代を担う人材の推挙(人物評は正鵠を射る)などなど。
徳の高さを示すエピソードにも事欠かないし、かといって堅苦しいタイプでもない。
三十三歳まで生きているから、その評価も薄っぺらいものではないだろう。

孫登は後に生じた孫権の疑心や内部分裂の不安を未然に取り除こうとしていたようなフシがある。
それは太子の身分で中央を離れて政務にあたっていた孫登にしか出来ないことで、
彼の死は呉にとっては痛恨事としか言いようがなかった。
32無名武将@お腹せっぷく:2005/12/02(金) 10:31:33
>>29
孫和が孫登より相当すぐれた才気見せてたとかでもないかぎり
長子で才も人望もあった孫登おしのけるのは難しいんじゃないの?
孫登が長生きしたら万が一孫権がぼけても簡単に排斥されないだけの
人脈や基盤つくってるかもしれないし
33無名武将@お腹せっぷく:2005/12/02(金) 18:34:42
>32
孫登が人脈あるいは地盤なりをしっかり築いていた場合、皇子達の皇太子位争いで済まず、皇帝VS皇太子となって、もっと拙い状況になるかもね。
34無名武将@お腹せっぷく:2005/12/03(土) 03:52:10
皇帝でも簡単に排斥できない人脈って、よく考えると怖い状態だよね。
国真っ二つ。跡継ぎ争いよりよほどマズイ。
本人は優秀かつ温厚でも、まわりに持ち上げられてしまうケースもあるからねえ。
孫登はちと過大評価というか、実際に皇位継承した後の振る舞いを見ないと評価できないな。
立派な太子だけど立派な皇帝になるかどうかは未知数。
35無名武将@お腹せっぷく:2005/12/03(土) 16:05:53
>>21
三国鼎立してからの君主は圧倒的に防御型だね
一・二代目がイケイケの乱世向きで三代目が守勢型、孫家はここまでは完璧だな
36無名武将@お腹せっぷく:2005/12/05(月) 20:35:07
>>34
孫登なら大丈夫!!
太子時代にこれほど色々やってる人物って史上でもそう多くないぞ。

ただし親征してボコられるという可能性についてだけは否定できない。
まあ、自分で出征しなきゃいいだけの話だけど。
37無名武将@お腹せっぷく:2005/12/06(火) 00:12:16
>>36
>立派な太子だけど立派な皇帝になるかどうかは未知数

>>34が言ってる意味わかる?
38無名武将@お腹せっぷく:2005/12/06(火) 00:37:27
太子時代に色々やってても抹消されちゃう奴も多いけどね
李建成とか
39無名武将@お腹せっぷく:2005/12/06(火) 00:52:27
多分チンキムの方が皇太子として上だとは思う。

まあそれはそれとして、漢武帝の戻太子のように、老年皇帝と壮年太子という組み合わせは不穏なものがあるので、仮に孫権と孫登がそういう関係になったとしたら、何が起きるかは未知数だと思う。

専制君主は、たとえ皇太子でも自分以外に権力の場ができるのを極度に嫌うものだから。
40無名武将@お腹せっぷく:2005/12/06(火) 04:01:29
孫権自身が期待してたのは確かだし
晩年さえまともならすんなりいけそうだけどね。
孫権があんな風になったのは孫登の死がかなり影響してるだろうし…
41無名武将@お腹せっぷく:2005/12/06(火) 11:44:14
二宮問題は孫権の心境の変化だけが理由ではなかろう。
あれで排斥されたのがもともとは孫登の取り巻きだったのを考えると、形は違っても、孫権×孫登の関係でも何らかの権力闘争が起きそうだがねえ。
もちろん孫登がその拡大を抑えたりするかもしれんが。
42無名武将@お腹せっぷく:2005/12/06(火) 15:01:42
>>37
わかるけど、そんなの当たり前だから返答しようもないだろう。
馬鹿げてる。

太子時代の事績が優れた皇帝像に繋がるかどうかを考察すべきなのであって、
その方法論自体を否定するならこのスレに来る意味がないんじゃない?

ただ、いわゆる戦績というものはまったく無いから、その点だけ指摘した。

>>41
排斥されたのは孫登の取り巻きだけじゃないよ。
43無名武将@お腹せっぷく:2005/12/06(火) 17:30:32
>>42
「排斥されたのが孫登の取り巻きだけじゃない」だけでは41への反論にはならないんじゃないか?
排斥された主だった者に孫登の元取り巻きが多かったなら、十分成り立つ話だろ。
42のレスは何の反論にもなってないな。
君の方が別の所に行ってくれ。居ても無駄だ。
44無名武将@お腹せっぷく:2005/12/06(火) 18:04:50
>>43
なにキレてんだ?
元取り巻きの筆頭諸葛恪は排斥されてないだろ。
というか、取り巻きはみな太子派。事実上太子派が敗北したから孫登周辺の人物も排斥されただけだ。
ちなみに魯王派に与した連中についてはその理由を考察すべきだが、太子派については必要ない。
孫和伝で裴松之が非難するように、太子を変えようなどというのは曹操袁紹劉表らの後継者問題よりも
いっそう無意味で馬鹿げた考えだから。太子派であるのが普通で、その裏など探っても意味が無い。
よって、孫登の周辺に後の太子派が多かったことから孫権と孫登の間に権力闘争が起こったかもしれない
などと推論するのはほとんどわけがわからない。孫登の話をするごとに涙を流したというほどの孫権が、
なぜわざわざ孫登と対立しなければならないのか? せめてその理由くらいは聞いておきたい。
孫登の取り巻きに後の魯王派が多かったというなら、>>41の推論も成り立つだろうけど。
45無名武将@お腹せっぷく:2005/12/07(水) 06:53:35
孫権が史実の様に老耄するかどうか、ってことかね、結局。
孫登の死去が大きな原因だったとしても、孫登が健在でも老耄すると思うけど。
46無名武将@お腹せっぷく:2005/12/07(水) 09:53:29
全然違う。
呉の権力構造が変わらない限りは誰が皇帝で誰が皇太子でもおこりうる。
47無名武将@お腹せっぷく:2005/12/08(木) 04:31:30
>>45
それはあんまり関係ないでしょう。
要は後継者問題に隙が生じるかどうか。
孫登が健在であれば隙は生じないから、理屈からいえば何の心配も要らない。

これは別に孫登を超優秀な太子だと言ってるわけじゃない。
まともな人材で、かつ父の寵愛を受けているのなら、それで十分。

二宮の変については、その複雑な政治問題としての側面よりもまず先に、
二十一年間も太子であった人物が死去してしまったという事実をこそ最大の原因に挙げねばならない。
呉の権力構造がどうあれ、こうも長いあいだ太子の座にあった孫登の地位は揺るがしようもない。
48無名武将@お腹せっぷく:2005/12/08(木) 10:21:01
優れた嫡長子が太子であって父との関係も良好なら地位は盤石であり続けるなんて思っているなら、あまりに不勉強だよ。
その理屈どおりにいかないからお家騒動は起きるんだから。
現実には年を経ることによる互いの心境の変化もあれば、それぞれの家族や臣下との関係、更には政治的な関係もある。
どこかの歯車が合わなければ、理屈の上では盤石でも、どこかから横紙を破る奴が現れて来るよ。
もちろん、孫登は確かに優秀であり、そういった障害を乗り越えるかもしれんが、何の問題も起きるはずがない、ってのはあまりに早計で甘過ぎる。
49無名武将@お腹せっぷく:2005/12/08(木) 15:44:38
>>48
何の心配も要らない、ってのは確かに言い過ぎた。すまん。
が、様々な事例と比較しても、孫権=孫登の後継ラインは不安要素がきわめて少ない例とは言えないだろうか。
重臣との関係についても、孫登は主流派豪族の二世とは個人的な友好関係を築いており、トップの陸遜とも共同で仕事にあたっている。
(もちろん孫権がそう仕向けたわけだが)
後に非主流派として魯王派となった歩隲と全jとの関係も、それぞれの伝に孫登絡みのエピソードが残されているし、問題なさそう。
(孫登は歩隲に優秀な人材の推薦を頼み、全jは孫登の出征をやめさせるよう孫権を諌めたとある)
したがって、とりあえず臣下との個人的、政治的な関係は非常に良好であったと言い得る。
家族との関係については太子に立てられた時に孫権に釘を刺しているし、年を経ることによる互いの心境の変化という問題は、
二十一年間父子の情愛を保ちつつ太子であり続けて、かつその死を孫権がいたく悲しんだということからも心配ないと考えられる。
かてて加えて、孫登が皇太子である限りは孫魯班も介入のしようがない。
(孫登と徐夫人の問題は歩王両夫人のそれに先立っているから文句のつけようもない。歩夫人に子があれば大揉めしたかもしれないが)
そういうわけで、何の心配も無いとは言えないが、ほとん不安要素が無い。

一方、孫登死後の太子問題に関しては、闞沢が孫和と孫覇を同等に扱って不安の種を蒔きまくっている。
おまけに王夫人=孫和のラインに対する孫魯班=歩家の憎悪やら、孫和と陸胤の関係(孫登と陸遜のそれとはまったく性質が異なる)、
孫登の友人として出世してしまった顧家、張家の二世たちへの不安などなど、問題の起きる要素がぎゅうぎゅうに詰まっている。

だからまあ、二宮の変と同じ論法で太子孫登の将来を予測することは妥当ではないように思う。まったく状況が違う。
ただ、後継者問題の持つ普遍的な不安……「何が起こるか、誰が掻き回そうとするかわからない」という点を考えれば、
確かに孫登であれ、孫登よりも優れた太子であれ、後継者問題は起こり得るものだと言える。
50無名武将@お腹せっぷく:2005/12/08(木) 18:43:02
>>49
つ改行
51無名武将@お腹せっぷく:2005/12/08(木) 21:51:34
結論としては

わからない

でいいよな。

仙人の方の孫登だったらいいんだが
52無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 13:43:34
孫登が皇帝即位前に孫権と対立する事があるとすれば
呂壱事件のようなことが再び起こって
豪族が孫権に対抗させる為に孫登を担ぎ出した場合かね
それでも対立はしても呂壱事件の収拾と同じ状況で片付きそうだけど
53無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 16:27:50
担ぎ出しちゃったらタダでは済まないよ。
孫権が廃されて孫登が即位するか、孫登が廃嫡されるか。
54無名武将@お腹せっぷく:2005/12/10(土) 21:17:07
孫権が廃嫡しようとした場合に孫登の対立候補は誰だろ?
孫登に相当の落ち度がない限り孫和も孫覇も相手にならないような気がするけど…
55無名武将@お腹せっぷく:2005/12/11(日) 16:12:39
孫登を廃嫡しようとする以上、実際かなりの落ち度があったことになると思うよ。
そうでなければ確かに他の者が孫登を押しのけるのは無理。
ただ、孫権と孫登が政治的に対立すれば、ありえない話でもないよ。
56無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 17:10:18
しきりに孫権と孫登の政治的争いが〜と言ってる人がいるが、何を見てそう思ってるの?
実の嫡子(+長子)と政争を起こすような皇帝が、俺が知らないだけで歴史上に山積してるんだろうか。
それとも孫登と孫権の間に危険因子が発見できるのだろうか。
57無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 19:08:53
>56
そんな例はたくさんあるよ。
当初は政争と言えるか微妙だが、歳取って耄碌し、無茶な命令を降す皇帝、それに諫言する太子。
結局、心ある臣下が太子に集い、皇帝近臣連中と争うってのはよくある。

結果は廃太子か、後年(三国時代では父子間の譲位の例は無い)では皇帝が譲位する、って形になるが。

皇帝が実力のある人物の場合、自負心が強い場合が多い。
そんな人が耄碌したら諫言なんぞ耳障りなだけで、無能・無気力な皇帝よりたちの悪い事もある。

漢の武帝が好例だし、歴史上の廃太子の事例なんて、事の大小はともかく政争。

58無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 19:57:44
>当初は政争と言えるか微妙だが、歳取って耄碌し、無茶な命令を降す皇帝、それに諫言する太子。
>結局、心ある臣下が太子に集い、皇帝近臣連中と争うってのはよくある。

すごいね、中国の歴史って常に老皇帝が絶対悪なんだね
そして臣下は常に清く正しく美しいんだね、ほんとすごいや
59無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 20:54:57
>>歳取って耄碌し、無茶な命令を降す皇帝、それに諫言する太子。
これは探せば普通にあるだろう。太子だって臣下の一人だ。

>>結局、心ある臣下が太子に集い、皇帝近臣連中と争うってのはよくある。
よくあるか?
60無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 21:04:21
>>57
武帝の戻太子廃嫡が政争?
61無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 21:35:05
>>58
ひとりで曲解して飛躍して、かえって意味不明。
>>57は、絶対悪とも、清く正しく美しいとも、言ってない様に見えるが?

>>60
武帝の場合は、戻太子と仲が悪く追い落としを狙った江充に踊らされた格好な
わけだし、政争じゃないと断言する方がおかしい。
むしろこれが政争じゃないというなら説明してほしい。


>>57の言ってる事って大まかに言えば間違っていないし、要は在位期間の長く
老年に至った君主の弊害について言及してるだけでは?

重箱の隅をつつく様なレスするよりは、ひとつひとつ論拠や事例を示していけば
いい気がするんですが。
62無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 21:59:59
>>61
江充に踊らされたと言うか、江充が戻太子を廃嫡させようとした動きを知った太子が先手を打って誅殺したら、
戻ってきた武帝に反乱したといわれ討伐令を出されたんでしょ?

これが武帝と戻太子の政争か?57の例に当てはまるのか?
もちろん56からの流れで実の嫡子(+長子)と政争を起こすような皇帝について語っているとは了解してると思うが。

>>57の言ってる事って大まかに言えば間違っていないし、要は在位期間の長く
>>老年に至った君主の弊害について言及してるだけでは?
ここを見ると了解してないんじゃないかと少し心配になるよ。

ついでに間違えてないらしいが、
>>結局、心ある臣下が太子に集い、皇帝近臣連中と争うってのはよくある。
に心当たりあるのかな?
ひとつひとつ論拠や事例を示して欲しいですね。
63無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 10:59:39
武帝の例しか挙げてないなー
ひょっとして史記と三国志しか知らない人?
64無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 18:22:50
>60
次期皇帝たる皇太子が廃される、ってだけで十分政争だよ。
立太子した段階で、皇太子の周辺には次期政権を担う人材が配される訳で、皇太子が廃されれば、太子側近も同罪って感じで処断される。

特に皇太子に落ち度が無ければ(寵愛した妃の子に替えたいとか、皇帝側近と太子の折り合いが悪いだけとか)皇太子側近は廃太子の阻止に動く訳で、当然廃太子派との政争って事になる。
6558:2005/12/22(木) 18:44:51
>62
武帝の例は詳細に言えば、完全に例と合致するとは思ってません。
ただ、江充が間に居るとはいえ、武帝が江充を信任していた以上、政争と言えるのでは?
それに、廃太子に伴って、多くの朝臣も処断されています。皇太子支持の臣下も少なからずいた、と言う事ではないでしょうか。

そして、江充の存在が、朝廷にとって悪しきものだったとすれば、江充を除こうとする太子の行動は臣下の支持を得られるものだったかと。

他の例については調べてみます。

>>結局、心ある臣下が太子に集い、皇帝近臣連中と争うってのはよくある。
これについては「よくある」は断定しすぎましたね。申し訳ないです。
ただ、一般論として皇太子の行動が正しいと思われる事であれば、心ある臣下の支持は得られるのではないでしょうか。
66無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 18:46:00
>>63
そういうツッコミをいれておきながら自分でひとつの事例も示さないのは
無知と同じじゃないか?
67無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 21:07:12
>>66
おいおい
他にあるなら出してくれって言ってるんだよ
皇帝と皇太子の政争で、尚かつ皇帝の勝った例を。パッと思いつかないのでな
皇太子側が勝利するクーデターなら、いくらでもあるが
68無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 21:24:26
>>67
端で見てた第三者の俺に言われても困る。
流れを見てて思ったから述べてるだけ。
69無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 22:13:21
>67
廃太子が成立した場合、皇帝側の勝利と言えるのでは?
廃太子の例ならいくらでもある。
70無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 23:13:23
廃太子の例がいくらでもあるのは知ってるが
それが「皇帝と皇太子の政争」っていうのはパッと思いつかん
廃太子の多くは、皇帝が他の皇子を皇太子にしたい場合(あるいは他の皇子の取り巻きが積極的に動いた場合)
あとは理不尽な皇帝の暴虐だろう
71無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 23:22:31
春秋時代には割りと多いけどね
72無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 02:00:23
>70
>>廃太子の多くは、皇帝が他の皇子を皇太子にしたい場合(あるいは他の皇子の取り巻きが積極的に動いた場合)
>>あとは理不尽な皇帝の暴虐だろう 。
↑これ自体が政争の基になるんでないかな。
理由も無しに皇太子を挿げ替えようとすれば皇太子自身かその取り巻きが黙って従うとは限らず政争になるし、皇太子が野心的な、あるいは奸悪な人物だとしたらクーデターを企てるような感じで、やっぱ政争になるんでは?
73無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 02:21:48
あの国、黙って従うパターン(ってか皇太子隙ありすぎ)多いよ
元々、考をやかましく言う国だしね
で、クーデターが起こって皇太子が皇帝なった場合はもう、政争レヴェルじゃない
74無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 14:13:55
晋の申生は?
親父の献公が驪姫にトチ狂って自殺させた

春秋戦国だとけっこうありそう
75無名武将@お腹せっぷく:2005/12/23(金) 15:58:53
春秋戦国は中国皇帝の治める国……なのか?
中国が「一つの国であり、一人の皇帝が治める」と認識された秦から先の話をして欲しいところだ
最低限
申生は政争じゃねーじゃん。一方的に皇太子がアポンするパターンじゃん
76無名武将@お腹せっぷく:2005/12/24(土) 23:22:21
無駄な空論乙
77無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 07:11:36
結論
孫登が生きていても大して変わらない
楊竺は冤罪で死に陸遜は自殺するのも変わらない
78無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 02:26:01
万難を排して孫登が二代皇帝を継いだとしても、不安要素はある。

呉の皇帝って、どんなトンデモでも、「即位するまでは」評価は高かったんだよね。
あるいは孫登も・・・という気がしなくもなく。
79無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 04:58:09
孫亮、孫休は特に評価高かったわけではないし
トンデモって孫晧くらいでしょ?
孫晧と孫登では評価の質が全然違うから比較にはならんと思う。
こんなスレが立つくらいだし普通は不安より期待の方が大きいんじゃない?
まあ無駄な空論だけど…
80無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 12:23:00
優秀と評判の皇太子は皇帝より先に死んだ皇太子だけ
81無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 13:01:54
東晋の明帝とか明の洪熙帝とか……せっかく皇位に付いたのに、在位は数年ってパターンも
82無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 13:09:46
>明の洪熙帝

そりゃ誰じゃ?
83無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 14:25:45
そいや孫策の息子はどうなったんだ?
84無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 14:34:39
孫権の後継者政策で太子の障害にならぬよう
尽く幽閉されたとか。
85無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 15:31:45
>>82
永楽帝ジュニア
在位一年
ただし、永楽帝は外征を繰り返していたので、皇太子として皇帝代理を内地でしてた
86無名武将@お腹せっぷく:2005/12/26(月) 21:58:40
>84
最後は殺されてる。確か、孫休か孫皓に。
87無名武将@お腹せっぷく:2005/12/30(金) 13:47:18
つまるところ、孫登は諸葛恪の傀儡になる運命なんだよ。
88無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 03:54:29
孫登お御輿あげ
89無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 04:00:24
魏を司馬昭が乗っ取るなら、
呉を諸葛恪が乗っ取って蜀を併呑し、
呉蜀(諸葛家)対魏(司馬家)になれば面白かった
90無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 10:19:30
91無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 00:10:57
ここまで出てないけど秦の扶蘇は>>57のいうそんな例としては不適なの?




孫登なら諸葛格にも無茶させずに上手く使いこなしたりなんかしちゃったりして
92無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 01:50:09
扶蘇はもともと皇太子ではなかったし
始皇帝との間で確執はあったけど争いには発展していない
さらに始皇帝は死の直前に扶蘇を後継指名してる(異説もあるが)
>>57の例としては不適かと
93無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 09:29:50
後世の評価という意味では孫登は良い時期に世を去ったと言える。
94無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 09:56:06
○優秀型
曹ヒ
○乱心型
孫皓
○人畜無害型
劉禅・曹芳
○年食ってボケる型
孫権・曹叡
95無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 10:28:42
歳食ってというほど老けてないまま死んだぞ>魏明帝
96無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 11:21:48
呉スレで未だに老年の孫権がボケたとか言ってる奴がいるとは・・
97無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 11:46:27
曹叡に関しても>>94はおかしい
98無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 12:07:04
劉禅は人畜無害とは言い難い
ちゃんと掣肘してくれる人がいないとどこまでも突っ走るぞ
99無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 13:10:38
傀儡だった時期が長いだけで人畜無害だったわけじゃないわな
100無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 13:19:26
>>98には同意だが、>>99の傀儡は違う
101無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 13:33:46
>>100
お前の意見なんぞ聞いとらんわボケ
102無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 13:52:28
と池沼が言っております
103無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 14:01:19
【傀儡】
@あやつり人形。くぐつ。A人の手先となって使われる者。
「−政権」

蜀の執政者が専横も壟断もしていない事を考えれば分かる様に、
>>99は勘違いしてるんじゃないの?
「全面的に国政を委ねた」あたりにしておけばつっこまれんだろうに。
104無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 14:13:30
諸葛亮は完全に専横してたじゃないか
105無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 14:22:12
劉禅がその専横に反発して諸葛亮を排除したがっていたのに
できなかったというなら傀儡とも言えるがな
そうでないなら103の言うように「全面的に国政を委ねた」てだけだ
106無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 14:24:51
李厳失脚までは両頭体制だし失脚後も益州閥を抑えてるわけでもない
107無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 14:26:39
李厳を失脚に追い込むが劉禅以下誰も逆らえない
108無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 14:38:05
>>104
専横というのは私利を専らにし横暴な事。
諸葛亮はそれにはあたらないと思われ。
109無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 15:09:12
>>96
孫権はボケただろ
110無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 15:14:32
ボケの一言で片付ける奴はたしかにおかしい
111無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 15:17:06
ボケたんじゃなくてよくある継承問題
陸遜を遠ざけたからボケたとか言われるけどな
つか



801氏ね
112無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 15:22:14
ボケたかどうかは知らんが、狭量になって人を見る目も失ったな。
昔は呂壱なんて小人を重用なんてしなかったし、聞くべき忠言も良く取り入れた。
113無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 15:26:23
晩年怪しい神様信仰してたし、やっぱちょっとボケ入ってたんじゃなかろうか
呂壱はどうだろう
114無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 15:27:50
>>110
皆それなりに根拠があって「ボケたんだな」と思ってんだろうから、
その根拠も聞いてないのにおかしいもくそもないだろ。
おかしいといえるならその根拠の部分だ。

>>111
皇太子を巡る件もそうだがそれだけじゃないし、遠ざけたり粛清したのも陸遜だけじゃないぞ。
知ってて言ってるんだろうけど、レッテル貼りして自ら視野を狭くすることもなかろうに。
115無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 15:33:35
キエン、呂壱を小人の一言でくくれるのが三戦製糸厨クオリティ
116無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 15:43:08
…まあそこまで言うなら呂壱が小人という言葉ではくくれない理由をお聞かせ願いたいものだが。
117無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 16:00:14
>114
110は「ボケた」という評価が間違いとは言ってないんだから
その指摘は変じゃないか?
根拠も示さず一言で片付けるのがおかしいって言ってるんだろ?
118無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 16:04:27
>>116
この見事な返し方も三sry
119無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 16:06:30
結論
呂壱はホビット
120無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 16:10:39
>>117
110は96等を受けて「ボケたというのはおかしい」と言ってるようにこちらには読めたのだが。
それに関係なくそう言ってるなら失礼した。
121無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 16:39:21
孫権が呂壱を用いた背景には、呉の体制でもある有司の存在を無視しては
語れないと思うが…。

孫権が皇帝に即位して以降、呉では「有司、頗る條書を以って事を問う」という様に、
官吏の文書による上申が基本としてあり、中書典校の呂壱の存在は官僚・官吏に
対するいうなれば監査。
どちらも設けたのは孫権であり、目的はいうまでもなく皇帝権力の強化。
言い換えれば江南の名士・豪族への抑止。

皇帝となった孫権がそれまでと変わって専制を望むなら、キエンや呂壱の存在は
ある意味で必要悪。

たしかにキエンや呂壱は人間としてみれば小人で行っている事も奸臣に類されるのは
間違いないが、孫権の志向を具現化するためにはある程度都合のいい存在であり、
キエンや呂壱が個人の意思のみで行ったと断定するのはあまりに早計。

こういった暗部の事情を史料から汲み取っていかないとこういった事はあまり
みえてこないし、俺も偉そうに書いて恐縮だし詳しい人がいるなら訊きたくて仕方ない
くらい。
>>110の一言で片付けるのはおかしいというのも、>>111>>115も、そういった意味
合いがあって言っている様に思えるんだが。癇に障ったんなら謝るけど。
122無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 17:06:17
>>121
呂壱らが自分の意思のみではないとするのは、顧雍、朱拠らの罪をでっち上げるなど重臣連中に軒並み何癖を付け
軟禁・謹慎状態追いやったことが孫権の意思でもありわざとだったということか?それを諌めた臣下を厳しく問責して
生死の境を彷徨わせ、臣下が主君の顔色を伺って口を閉ざさせることも、孫権がなにかを意図して行ったと?

官僚・官吏に対するいうなれば監査の必要性と、
その権限を利用して讒言を用いて罪なき人物を陥れることは別問題であり、呂壱について問題にしているのもここ。
一体これのどこに必要悪といえる部分があるのか?
123無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 17:23:49
よく呉関連の話題で名士・豪族への牽制といったことが出てくるけど、
皇帝孫権の立場はそんなに弱かったの?それまでも孫権は十分なリーダーシップを発揮してきたように思えるんだが。
赤壁だって重臣連中で賛成したのは周瑜と魯粛のみで、魯粛などは入って未だ日も浅く公式な場では口をつくんだので
実質周瑜の発言のみ。それでも孫権は赤壁に踏み切り呉を一つにまとめている。
豪族の反対にあって意図を遂げられなかった懸案も特に思いつかないが、何かあるだろうか?
逆に臣下の意見を退けて魏から封命を受けたりなどは思いつくが。
124無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 17:47:18
ちんぷんかんぷん(≧ヘ≦。)
125無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 17:52:40
今の呉書が伝えてるのは、どっちかっつーと
豪族やら名士やらの大臣たち=基本的に善
という前提だからな

そういった連中の軍、官の運営が、大した問題はなかった、そこを疑わないとな。

つまり孫権としては官僚機構としてはまともな体をなさないくらい縁故、不正、利権の温床だった当時の軍と官にメスを入れようとした。
その実行者が呂壱らであったが、抵抗勢力に潰された。
孫登は、「どうせ抵抗勢力には勝てませんからやめようパパ」と諫言。

自民における小泉の如く、利権さえ侵されなければ従順、でも利権を奪うような政策には徹底的に抵抗。
それが当時の大臣たち。

で、そんな大臣たちを正当化する立場から編まれた呉書が中心だから、どしても「大臣=善、呂壱=悪」的な読取り方になっちまう。
126無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 17:54:58
>>122
問題は孫権の意図に反して呂壱が悪辣で暴走した事でしょ。
もちろんそのあたりの孫権の過失は大きいと言わざるをえないし。

ただし孫権が官僚ら貴族連中の抑止を志向していたであろう事は條書による
上申制度と典校の存在からも類推できる部分はあり、孫権が集権化を図って
いたであろう事も明確ではないが朧気ながら窺える面もある。
>>121で言うところの必要性は呂壱という人間個人に限定するものではでないし、
小人である事も認めてるよ?

なんか噛みつかれてる気がするんだけど、こっちだって確信あって言ってないし…
127無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 17:59:10
>>125
なんか俺が思ってることを上手くまとめてる感じ。

孫登が歿した後の後嗣問題もこのあたりと少なからず関係してる気がする。
特に孫和に属した大臣や官僚連中なんかはそんな気が。
128無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:05:07
>>127
注に引く諸書とあまりに食い違うような記述が多いよな。
陸胤の話のように。
単にどちらかが正しいというより、
同じ事件をお互いに自分の勢力を正当化しようとするとああいう食い違いになるんだと思う。
孫権だけ正しいというつもりはないが、陸遜ら豪族・大臣の側が忠義の士だった、正しい、という呉書鵜呑みはやめようや、ってことで。
129無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:08:02
>>126
121以前に、誰か孫権が中央集権化を図ったことについて是非を論じていた?
呂壱を重用したことについて見る目がなかったとか、呂壱が地位に相応しくなかったとは言ってるけど。

当然その流れでレスをつけたんだろうけど、中央集権化をはかったことでなにがどうしたと言いたい訳?
130無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:10:19
>>125
>官僚機構としてはまともな体をなさないくらい縁故、不正、利権の温床だった当時の軍と官にメスを入れようとした。

縁故は多少わかるにしても不正、利権の温床だった当時の軍と官ってどこから得た情報?
131無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:10:36
>>129
集権化を図る→大臣たち抵抗→失敗→呂壱=トカゲの尻尾→叩かれる→ホビットだったことにされる
132無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:16:21
>>129
単に「孫権はボケた」に留まったレスに対して述べただけだけど?
それに、あんたの意見が間違いだとも呂壱が小人ではないとも言ってないが?

「孫権はボケた」「呂壱は小人」、その一言で終了させるのはどうかと思って
背景の事情を推測も交えたにしろ述べているだけで、俺自身の意見が正解だ
なんて言ってないし思ってもいない。
そのあたりも>>121の最後の方で書いてるのに、なんであんたがそこまで難癖
がましいレスをつけてくるのかわけわからん。
俺はそういう側面もあるのでは、という事で述べてるだけなんだが。
133無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:19:04
>>128
最後の方は特に同意。
こういった問題って勧善懲悪の観点で見てもダメだと思うし、どうにも複雑。
134無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:26:08
>>133
豪族・大臣の側の非を説明してくれないと>>125なんかはむしろ一方的に大臣側を非難してるようにとれるんだが。
135無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:31:32
>>132
前者はともかく後者の「呂壱は小人」と一言ですますのになんの問題が?
呂壱らが自分の意思のみではないとするのは何を指して言っていて、
それが孫権が集権化を図っていたであろう事とどんな関係があり、
それが呂壱は小人と一言に弾劾されることにどんな問題点を提示するんだ?と聞くことが、
君にとっては難癖なのか?
136無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:38:35
>>134
非というのは
>縁故、不正、利権の温床だった当時の軍と官
>利権さえ侵されなければ従順、でも利権を奪うような政策には徹底的に抵抗
この部分だろうけど、
これを現在の我々に示唆するものがあるとすれば、やはり呉書やそれに紹介されるような資料なわけで、
それを熟読して判断しましょうということなんでしょう。

さしあたって疑うなら2宮の件なんだが、さすがにここまでは(俺には)言えそうにない。
あれが重臣間の権力争いの要素を含んでるのは間違いないんだが。
137無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:39:23
まあ、ボケたにしろボケてないにしろ
晩年のせいでイメージが悪いのは確か
138無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:41:19
問題は晩年のやり方がいい方向に働いたか悪い方に傾いたかじゃないかと。
139無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:44:41
>>135
あんたしつこ過ぎ。
そこで言っている事、おおよそ答えてるのにいちいちくどくどしいんですが。
140無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:46:07
>>130
呉の兵士は基本的に豪族の私兵だったってのは知ってるかい
私兵と荘園ばっかりだと国家は細る
141無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:49:36
妄想でスレが進んでるな
142無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:50:08
>>140
世兵制ね。
奉邑制の方は孫権が王位ついで帝位に昇るにつれて廃されていったらしく、
逆に皇室管理の荘園が増加し賦税も上がってったって聞くけど。
143無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:51:12
>>134
君はまず
善悪や当否を白黒はっきりさせようとする
のをやめたらいいんじゃないかな
144無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:53:55
>>141
限られた史料その他から考察するには、ある程度は推測や想像を必要とするって
事でしょ。

曹操には簒奪の意思皆無、とか、そういったのはちょっと困るけど。
145無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 18:56:22
その疑問に十分答えきれてないから質問されてるんですが。
146無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:00:08
>>142
だから呂壱事件もその流れで豪族の権益を奪っていく途上の事だったと主張したいね
147無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:00:08
>>143
ちょっと待って。軍隊や官僚が不正の温床だったら明らかに黒だし、
利権を奪うような政策には徹底的に抵抗して主君に逆らうのも臣下としては多分アウト。

なのでそう言い切る125に当てるべきセリフじゃないですかい。
148無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:03:34
>>140
呉の兵権は私有が基本だけど、その分配は中央にいる皇帝の管轄では?
息子に爵位が横滑りはよくあるけど、少なくとも軍権は役職を引き継ぐ人間に移ってくように思えるけど。
149無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:13:25
呂壱が呉書にあるように自分自身の悪行により失敗したのか
やりすぎた為に誰かに嵌められたのかは知らん(ぇ
150148:2006/01/23(月) 19:15:24
あと荘園に当たる奉邑も、周瑜から魯粛→呂蒙とスライドしたのは確認できた。
それ以後やその他の事例はちょっとわからない…
151無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:21:07
成当、宋定、徐雇の跡を継ぐ子息が幼いのでその部曲を取り上げようとしたけど呂蒙に止められたりしてたな。
152無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:33:37
>>147
一面的だなぁ
どの陣営にも一分の理はあるし、逆に後ろ暗い面もある。
0か1かしかないデジタルデビルストーリーはやめようぜ
153無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:35:53
周瑜→魯粛→呂蒙や甘寧→藩璋は世襲ではなく引継ぎ。
時期の問題かな?
154無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:43:22
>>152
官僚機構としてはまともな体をなさないくらい縁故、不正、利権の温床だったりするのは
後ろ暗いどころの話しじゃない気がするんですが。

しかも論点はそこじゃなくて、官僚機構としてはまともな体をなさないくらい縁故、不正、利権の温床だったという
根拠の説明がないことなんですが。良い悪いも0か1かで語った覚えはないがそこは置いといたとしても、
ここにはきちんとした説明が必要なはず。
155無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 19:57:23
>>152
お前が言うなと言いたい
156無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 20:20:51
虎眼=孫権
伊良子=孫和
藤木=孫覇
157無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 21:05:38
官僚機能を麻痺させるほどのひどい不正は早々なかったと思うけどね
豪族間の縁故の強さというのは人材登用に露骨に反映されていくものなんだよ
この場合一部の豪族の利権に絡んだ人事がなされるとか言う弊害の前に
皇帝の意思が希薄になりやすくなるという点がある
私兵制に関しても結局皇帝が関与できない力が国内にある事になる
それが即悪い方に流れるかとかそういう視点ではなく
皇帝側である孫権としては自分のあずかり知らない事は少ない方がいい
てことだと思う

ただ、この縁故や私兵とかを豪族から取り上げるための手段が
呂壱事件だったのかといえばそれはちょっと疑問だけどね
呂壱事件は豪族に国の法律に従わす事がメインだったんじゃないかね
是儀伝の末尾に呂壱は是儀の弾劾を上言しようにもきっかけがなかった
という話が載っているが孫権はこの時
「臣下が皆是儀のようなら刑法など要らないのに」と言っている
さらにこのエピソードを考慮すれば、呂壱に弾劾された大臣には
弾劾されるような「きっかけ」が少なくとも存在していたということだ
黒とは言い切れないが白でもないってことだね
158無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 21:22:35
そのきっかけも見つけられ無いほど是儀が身の施しように気をつけていたという話しだと思うが。
例え諸葛謹が潔白で二心などなくとも、弾劾されるきっかけにはなってしまう。
是儀は時事問題にも触れず、事の可否もはっきりさせないことで孫権から責められたほどで、
そのおかげで数十年の間で一度も間違えを起さなかったが、
間違えや疑いを恐れぬことを黒とは言い切れないが白でもないとするのはどうだろうか。
159158:2006/01/23(月) 21:23:51
ごめん、諸葛謹は諸葛亮との関係を疑われた話しね。
これだけじゃ意味不明だった。
160無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:00:05
普通の諌言と呂壱の弾劾はちょっと種類が違うよ
呂壱は公文書を監査する権限を利用して大臣たちを弾劾していたんだから
是儀は身の施しようがどうかの前に公文書に不正がなかったから
上言されなかったということだ
一方で、弾劾された大臣たちは
例えば呂壱が文章を捏造して弾劾したと書かれているならともかく
そうでもないなら公文書類に何かしらの不正箇所があった可能性が高い
ただ、呂壱は些細な事柄を大げさに捲し立てたというから
実際はグレーゾーンのものも多かったんだろう
161無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:04:43
法令と慣例で食い違う部分を法令に合わせて運用しようとしたのかもなー
162無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:29:00
朱拠伝によれば私兵の横領疑惑事件では拷問にかけ打ち殺し、
さらに朱拠がそれを弔った事に対して、それは朱拠が主犯だからと因縁をつけ
死刑一歩手前にしてる。呂壱は既に自分の直接の権限を越えた所でも讒言を行ってる。
チョウ嘉なども国政を誹謗する言葉を吐いたかどで呂壱に貶められたが、これも公文書じゃない。

後に悪事が発覚したとかもあるので公文書だって偽造していたのかもしれん。
他人の言葉はでっち上げられても文書は難しいからやってないかもしれんがね。
163無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:32:21
>>162
時代の寵児堀江→堀江容疑者
と同じで、失脚し皇帝の寵を失えばあることないこと全てそいつの責任にされるさ。
失脚しなければ仕事熱心、失脚すれば讒言。
164無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:39:31
>>163
寵愛があった時には本人が讒言を弄したのであって、誰かの讒言で呂壱が罪を被ったとはどこにも書かれてないんですが。
165無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:42:36
>>164
君誤解してる。
レス付けてくれるのはいいが反論のつもりなら163をもう少し咀嚼してからにしてくれ。
わからんなら分からんと言ってくれ。
166無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:48:51
>>165
自分なりに租借した結果、皇帝の寵愛を失った結果他人の罪もそいつのせいにされて〜
と読んだのですが、
皇帝の寵愛を失った結果史書において(捏造され)悪く書かれたとかそういうことですか?
なら讒言という表現がよろしくないと個人的に思うわけです。

さらにいえば後者なら皇帝の寵愛を失った結果史書で悪く書かれたという説の根拠と他の具体例を。

他の意味のつもりならわかりません。
167無名武将@お腹せっぷく:2006/01/23(月) 23:49:00
たしかに>>164のレスはちとおかしい。

>>163の流れって、歴史を見ていると腐るほど多いね。
168無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 00:23:47
なんつーか、三国志(ちくま)はすごい読み込んだけどそれしか知りませんな人と、
前後の歴史的な流れや研究史上の定説を踏まえて話している人と、
噛み合ってない。
話が噛み合うわけないけど。
169無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 00:29:19
前後の歴史的背景を踏まえてとは何を指しているのやら。
170無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 00:29:38
>>168
それは俺もこのスレに限らず少なからず感じてはいる。

前後に存在する似た事例を挙げたり、そういう事はままあるとか言っても
信用してくれなかったり時には煽るだけに終始される時とかある。
ここは三戦板、の一言で切り捨てられたり、○○(その時代や人物)厨のオナニー
とか言う人もいる。

いやわざわざ書く事じゃないのわかってる。スレ汚してごめん。
171無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 00:31:22
>>170
>>169にこれ以上ないタイミングでの実例が・・・
172無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 01:35:17
>>163は呂壱への評価が一変した事について語っているのれす
ダッチワイフ

173無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 09:20:06
官僚・大臣の弾劾をした、という事実は変わらなくても、
皇帝の後ろ盾がある時は皇帝の忠実かつ優秀な側近と評される。
少なくとも皇帝からは。
失脚し大臣たちからは恨まれ皇帝からも見放されてしまった後は、同じ弾劾が讒言やでっちあげだったことにされる。

呂壱はその典型。
彼が小人だったから悪事を成し失脚したのではない。
彼は失脚したから小人ということになり、事蹟が悪事と認定された。
174無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 09:32:43
>>173
たしかに歴史の流れをみてもありえる。

「呉書」において、呂壱はたしかに人間的にも問題のある小人として記されているが
このあたり多少なり作者の作為がみえかくれしないでもない。
たしかに孫権の不明もあり記されてもいるが、多くの責任を呂壱に帰したかたちに
したという形式も史料の性質上は成り立たないわけではないからね。
175無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 12:54:31
>>173
官僚・大臣の弾劾をして失脚したのに後世で称えられた人物も大勢いるのに
そこまで断定できる根拠は何?
176無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 13:01:39
歴史の敗者は貶められるの一言でかたづけちゃ、史書なんて信じれないし
また、逆説的にその人物の実際は反対なんていうのも詭弁だろう
目的の為の手段が手段の為の目的になってないか?議論ってのは白黒つけるためにあるもんだ
177無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 14:15:11
>>174
歴史の中で呂壱の様に小人という描写しかないのに汚名返上できた人物っていないと思う。
集解は読めないから分からないけど裴注でもひたすら小人として書かれてるし
呂壱が問題の無い人物だったという史料ってあるのかな?

>>176
白黒つける必要はないと思う。
万が一ここで結論が出たとしてもそれが正しいといえるわけではないしね。
178無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 14:38:05
白黒つけないで、どっちでもいいんだよ〜って立場からあ〜だこ〜だいうのは自分は何時だって逃げれるし傷つかない予防線にしか見えん
179無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 14:51:46
白黒=呂壱が小人か大人か
ってだけかいな
180無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 15:03:04
>>177
俺が言及しているのは呂壱の人間性に限っての事ではないし、小人である事を
否定なんてしていない。
もしかしたら史料のうえでは呂壱個人の責任とされている事のなかに、孫権との
思惑の一致があったかもしれない、が、史書を作成するうえで孫権の過失を伏せ、
呂壱ひとりに責任を帰したかもしれない一面もどこかであるかも、という事を言って
いるまで。
むろんこういった想像はキリがないうえ確証の無いものである以上、あくまで推測の
域を出る事はないが。
181無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 15:38:25
孫登は豪族・名士系大臣たちの代弁者だったか否か。
なかなか面白い話だと思わん?



>>178
そんな風にしか思えないとは…
冗談抜きでゆとり教育の弊害だろうか。
182無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 15:48:19
1日でスレ伸びすぎwww
183無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 16:04:37
>162
呂壱が讒言を一切しない人間だったとか言うつもりはないんだよ
160は自分でも書き方悪いなとは思うが
呂壱の讒言の類はチョウ嘉や鄭礼の件で具体的に書かれているし
それは明らかに冤罪の類だった事もわかる
問題は呂壱が私怨などで行った讒言の類と
職務で行った弾劾を一緒くたには出来ないってことだ
歩シツの上奏文などは弾劾の件が些細な悪事を摘発しすぎである事と
呂壱が事実無根の人物を讒言して貶めていることを一つにまとめて
呂壱という人物が問題であると主張している
顧雍伝辺りの書き方もこの主張をなぞっているんだろう
これだと呂壱が皇帝の寵愛を利用して讒言を行い人を貶めていた部分と
公文書に些細でも不正があって弾劾した部分とが
どちらも呂壱の悪事として印象つけられやすくなる
史書に作為性が存在するならそういう点

厳密に見ていくなら、讒言類で本当に無実だった人物の件に関しては
史書は細かく記載して対象者が無実だった事も書いている
一方で顧雍のような弾劾を受けた大臣は呂壱に被害を被った事は記しているが
罪状がどういうものだったのかや無実だったのか
些細でも不正が存在していたのかが曖昧にされている

ただ157で書いた是儀の件は再度確認しなおしたら
原文は弾劾に限定していないようなんで
弾劾された大臣たちが黒とは言い切れないが白でもない
て断言するのは間違いだった。スマン
184無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 16:44:11
ゆとり教育の弊害者?
自分の意見を確固たるものとして持てない人間が何言ってやがる
185無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 16:59:54
>>183
歩シツも上奏して訴えてるけど彼らが訴えた問題は
些細な問題であっても弾劾して「深刻な事件に誇張して生殺与奪の権をふるおうとする」こと。
理不尽に重い刑罰をかし朱拠のような国家の重鎮が厳しい問責をうけ命に関わるようなことが問題だとしている。
その後半を略してしまったらそっちの方が作為的に受け取られてしまうよ。

もちろん罪自体をでっちあげたりする方が呂壱の罪としては重いけどね。
この例は国家運営における問題が大きなウエイトを占めているのだろうし。
186無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 17:16:29
>>173
>同じ弾劾が讒言やでっちあげだったことにされる。
ここが何度も問題になった点なんだと思うが、
「讒言やでっちあげに史書に捏造して残された」と主張してるのか「讒言やでっちあげに仕立て上げられて処罰された」といってるのか
どっちなんだ?
187無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 18:33:38
>185
いや、歩シツの意見を書くことが作為的なんじゃない
一方に有利な記事のみ書くことが作為的なんだよ
呂壱事件は呂壱が頻繁に不正を摘発した
これがまず大前提にあり
それに付随して讒言や過度の取調べを行ったために被害者が続出した
それが国家の大問題になった
それが歩シツの主張であり史書の書き方だ
それが間違ってるわけじゃないし史書も省略などしていない
呉壱に問題があった案件は特に細かく経過を書いている
その一方で、呂壱が弾劾したという「些細な不正」の詳細は書かれていない
これだと、その弾劾の正否も軽重も確認のしようがない
そして、呂壱を問題ありとする人間から見て「些細」ととられた不正ばかりを
呂壱が弾劾したような印象を与えてしまう

孫権が呂壱を文書監査の任に任命して摘発させたかったのが
その「些細」は不正だったのだとしたら
必ずしも呂壱の弾劾が「些細」だったわけでもない
でも史書がそっちの詳細を省いている為に確かめようもないということだ
188無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 20:13:48
些細な不正の詳細ってそのまま些細な(具体的にいうこともないような)ことなんでしょ。
正否も軽重も史書で些細なことをと(上奏文の中などではなく)地の文で説明されてるのに。

貴方は張紘が孫権のそばに日頃からはべり、ちょっとした言葉使いなどを正していたという記述を読んで
「孫権の発した言葉の詳細がわからないのだから〜」といちいち考えるのだろうか。
しばしば優れた献策を〜と書かれても献策の詳細がわからないなら優れてたと言い切れないというのだろうか。
189無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 20:25:22
三戦名物
議論のときの揚げ足とり
190無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 10:28:45
孫登が皇帝になって、
以前の四友やら大臣やらと対立し、
素晴らしい手際で罪を被せて誅殺とかするのを見てみたかった。
191無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 14:35:05
二代目皇帝って学友とかをややエコヒイキするきらいがあるから四友との対立はちょっと想像できないな。
それまでの大臣を引退させて四友らを抜擢とかなら十分ありそうだけど。
192無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 14:59:54
つまり皇帝孫登と陸遜が対立するわけだな
どっちが勝つかワクワクするぜ
193無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 15:17:54
陸遜は太子孫登の武松での補佐役でもあり四友ほどではないがかなり近しい人物。
死に際の推薦文を見ても頭抜けて重用されてたっぽい。

ただ諸葛格にとっては目の上のたんこぶなので、こいつが欲をかけば諸葛格と陸遜で対立していたかも。
194無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 16:26:42
陸遜は孫登の従姉妹の婿で後見役も勤めてるわけだし、仲悪くはならんだろう
195無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 16:30:52
陸遜は孫権の姪の婿だし、仲悪くならないだろ
196無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 17:00:42
実際悪くは無いな
197無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 18:57:44
そもそも陸遜が生きているかどうかも微妙なところだ。
198無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 19:19:20
>>193
四友の残り二人のうち顧譚は陸遜の親族、張休も二宮の変をみると近い人物だったようだし
既に高位にある諸葛恪にとってはリスクが高すぎるから可能性は低いだろうね
199無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 08:23:58
高位になれば、以前の友も立場が邪魔するようになります。
もちろん断言する気はないけれど、皇帝孫登もいずれ大臣たち(かつての四友)を制肘しようとするでしょう。
200無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 08:35:06
200
201無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 08:40:05
“【電凸】ワンクリ総合スレ【http://i.pic.to/5wat4】”
http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1138234319/

誰かタシケテ(;'A`)兵士と知識が足り茄子
202無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 08:45:31
>>199
たしかに無いとは断言できないね。
共にたつ事はできても共にはかる事はできない、
苦労は共にできても富貴は共にできない、

というのはよくある事ではある。
203無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 16:38:21
かつての友人とか縁戚ということでずっと仲良しでいられるというなら、官渡の戦いも夷陵の戦いも起きないわな
204無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 20:12:10
>>199>>203
ただ、そう例があるにせよ、それだけで険悪になるとも限らんね。
205無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 20:48:57
孫登伝を読んでるとむしろ(孫権がいわれてるようなことと)逆の結果のがありそうだけどな。
本人がかなり温和な性格だから在任中は良く部下の献策を取り入れる仁君なんだけど、
長い目でみると豪族の伸張を助長し後の代に禍根を残すみたいな。

孫登の代は孫権と苦労を分かち合った忠実・有能な家臣が多く残っているが、
その子孫もそうとは限らないわけで。
206無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:25:52
>>205
逆に言うと、
そういった禍根を残さないためには孫登は心を鬼にしてでもかつての四友や縁戚を抑え、対立したり粛清したりしないといけないわけだ。
仲が良い悪いとかの問題じゃないんだよな。
207無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:42:33
しなきゃいけないわけではないし、全てを敵に回して上手くいくはずもないんで、
普通は四友あたりなら安泰。親戚はむしろあぶない。
208無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:46:03
>>207
四友全員とは限らんよ
重用するのと対立するのと、分かれるかも

というより孫登も多分寒門系の官僚を使って大臣に圧力かけてくるかな、父に倣って
209無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:50:56
統一後ならともかく膠着状態とはいえ戦乱状態だからなぁ…
失敗して滅ぶ国も多いし。
210無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:53:58
父に倣うというよりも、生前の主張に沿った政策は採りそう。
ただし孫登自身が生母の出自が寒門でもあり、名士系大臣へ露骨な圧力は
かけないにせよ、どう折り合いをつけるか想像したくなる。
211無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:54:15
>>208
文武百官といわれるなかで、自分の手足にもなる寵臣を好んで粛清する君主は中々いない。
先代の重臣・腹心とかは微妙な立場だが。
212無名武将@お腹せっぷく:2006/01/27(金) 23:59:18
>>211
豪族・名士出の大臣は、たとえ皇太子時代の側近であっても自分の手足になる寵臣になるとは限らん。
自分の意に背くことも「諫言」したりして反抗してしまいがちだからね。
豪族系大臣=敵と決まっているわけじゃないけどさ。
213無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 00:10:13
>>212
そもそも有力者の師弟でもないと中々世継ぎの学友になどなれんのだが、
学友共は皇太子と同世代の若手でその立場を利用することで先達や他のエリートを押しのけ政治の中枢に入る。
新君主は彼らを取り上げることで自分に近しいもので国の中枢を固める。
利害の一致した協力関係ね。

学友共にとっては名士という出身よりも学友であることの方がアドバンテージになるわけで、
普通は新皇帝の手先として活躍してくれる。
214無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 01:17:52
>>213
当時の皇帝と臣下の力関係はそんな感じでもないよ。

名士と大豪族>>>新興豪族=外戚>>>寒門

で、皇帝はそれらの上に立つと言っても、名士・大豪族にはかなり配慮しておかなければいけなかった。孫権の張昭や陸遜への態度が物語ってる。
代替わりして、大臣たちも世代交代しても同じ。
いわゆる四友などは名士・大豪族に属するわけで、そのままでは皇帝孫登とて彼らには相当配慮していかなければならなかったはず。
手先どころか、スポンサー、大株主みたいなもんだから。
そこを上手いこと悪辣な手段を使ってでも崩していかないと、皇帝としての権力の維持・伸長はおぼつかない。
215無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 13:07:49
張昭に対してはともかく陸遜に対して行なった「名士・大豪族としてかなり配慮した態度」って何を指してるんだろ?
張昭に対しても「大豪族だから」という域を越えた待遇で、仮に他の大豪族や名士が同じことをしていたら
即刻クビが飛んでた。
むしろ孫策や母親にわざわざ頼まれたということがでかいんだろう。
216無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 13:56:57
張昭が大豪族?
えーと…張昭の地盤は徐州でありまして呉では豪族でもなんでもないですよ
張昭は名士であって豪族ではない
217無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 14:36:48
呉の四氏の朱・張・顧・陸の張とは別物なんだっけか。失礼した。
そのまま「名士だから」と読み替えてくれ。
218無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 14:54:53
陸遜については、孫氏との婚姻、要職への登用、さらには死に追いやってからの処遇などが上げられるかな。
でも一番大事なのは、いわゆる四姓など大豪族が要職を占めて国政をコントロールしてたこと。

大豪族たち=自民党
皇帝孫権=小泉首相
219無名武将@お腹せっぷく:2006/01/28(土) 15:40:21
要職への登用とかは単に功績・能力共に飛びぬけてたからだろ。
死後の処遇もいたって普通。
婚姻は間違いなく豪族だからだろうけど。

陸遜も荊州攻め以前は定員無し6品官の定威校尉とか、帳下右部督(恐らく会稽太守の属官の帳下督の補佐?)など。
そこから呂蒙の後任としてやっと偏将軍右部督になり、関羽を破って一気に太守職・将軍位・侯位を授かる大物になった。
あれがなければ陸遜のあそこまでの栄達はない。
むしろ陸凱の例の方がよっぽど「大豪族陸氏だから」という感じはする。
220無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 09:59:25
>219
陸孫の場合、陸孫の親世代で孫家と険悪だったから、孫策の娘を娶って家単位での和解はしたけど、組織としての要職への登用には躊躇があったんでないかな?
荊州攻め以前が、ちょっと処遇が軽い様な気がする。
荊州攻め後は、明らかに本人の能力の方が影響力大でしょうけど。
221無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:13:42
>>220
荊州攻め以前は陸家筆頭は陸遜じゃなくて陸績だから
豪族社会においては筆頭が他にいるのにその家の者を重用するわけにはいかんでしょ
222無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:26:49
>>221
本当にミカンが筆頭だったのか。
彼らとは別に栄えていた陸凱系はどうなのか。
そもそも○家筆頭という概念が当時存在していたのか。

ただ、いずれにしろ、当時の呉が豪族中心の社会であったことは間違いないね。
皇帝ですら豪族には勝手な振る舞いは出来なかった。まさに南北朝や隋唐のさきがけ。
223無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:32:33
例えば袁紹と袁術は袁家本流をどちらが引き継ぐかで大揉めに揉めてる
袁術は袁紹を妾の子が本家の養子になっただけと考えるし
袁紹は自分が本家の養子で正当な後継ぎと考える

筆頭という言い方が変なら当主って言い方に変えればいいかな?
224無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 11:49:16
あれそんなに揉めてたの?
政治的スタンスで割れてたのかと思ってた。
225無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:20:53
だって袁術だし
226無名武将@お腹せっぷく:2006/01/29(日) 12:27:09
孫氏政権は袁術の後継者
227無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 00:48:53
>221
陸家は、陸績(だっけ?)が幼かったんで、とりあえず陸孫が一族を代表してたのでは?
そんで、孫策の娘を娶ったのだと思ってたんだけど。
228無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 09:38:52
陸績は確かに陸遜よりも年下だけどほんの数年の差だし血筋は陸績が嫡流
229無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 11:00:27
袁術から蜜柑を盗んだので名士間の評判がガタ落ちしたために陸遜に孫策の娘が回って来たんだよな
230無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 13:29:14
みかんage
231無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 23:40:46
そして陸績の蜜柑は後に左慈が中身だけ食べたらしい
232無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 23:45:29
左慈、おなか壊すよ
233無名武将@お腹せっぷく:2006/01/30(月) 23:46:56
雷鳴の左慈
234無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 21:32:55
折角「孫呉の政権構造」の話題で盛り上がったからこそ確認しときたいんだけど、
一言に名士豪族といっても内容的にはより細分化して捉えないと誤解を招かないかな?

北方出身の者も多い名士と揚州に地盤を巡らす豪族は別物だし、
孫策政権下では前者の張昭・張コウといった面々は厚遇され陸康らは迫害された。
北方出身に限らず同じく揚州出身の名士である周瑜・虞翻も孫策に厚遇されている。
他にも直接政治に関与しないが現実的な実力を保有する軍人達も無視できず、
孫堅・孫策時代は特に彼らによって支えられていた部分が大きかった。

周瑜なんかは尚書令・尚書朗・大尉・大尉と続けて排出するなど袁紹に近い家格を誇る名士であり、
故郷盧江では絶大な影響を持つ豪族、軍人のトップでもあるなど
明確な線引きはできないけどね。
235無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 22:29:36
みんな分かってるだろうが、

「寒門」は必ずしも貧困層ではないので注意
「ある程度の財力や教養はあるけど、大豪族のネットワークから外れてしまっているために官位などをうまく得られない新興の豪族」
おそらくだが呂壱なんかはそんなタイプではなかろうか
236無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 23:15:10
「寒門」という言葉自体には「低い・賤しい家格」という意味しかないと思うが。

「上品無寒門、下品無世族」
この場合は世族が上流貴族を指すから豪族の中でも低い家格の豪族を指して言ってるのだろうが、
「寒門」だけで「ある程度の財力や〜」と限定的に説明するのはどうだろう。
そういった者も含んだ語ではあるのだろうけど。

呂壱について調べてみたが、中書朗・校事になった以外の来歴が全く追えないので判断不能。
誰に推挙されたとも、どういう生まれとも見つけられなかった。
237無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 23:21:14
>>234
陸康が殺されずに降伏してればそれなりに厚遇されたと思う
ついでに虞翻・賀斉は会稽四姓の有力な豪族
238無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 00:09:21
>>237
うん、だから周瑜もそうだけど明確な線引きはできないけどねって話し。
虞翻は土着の豪族としての側面よりも孔融にも評価されるような名士的側面の方が強いかなと。

陸康が積極的に孫策を支援するようならそうだろうけど、そうじゃないから宗族の大半が殺されたわけで。
揚州豪族を弾圧したから陸康を迫害したわけじゃなくて、陸家を迫害したから揚州豪族と対立したのが正しいか。
239無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 00:14:51
>>236
皇帝に直接取り上げられる時点で、最低限度の教養があることは間違いないわけ。
で、教養がある以上は貧困層というのはむしろ稀。ありえないとは言わないけどさ。
限定してもあまり問題ないと思う。
あんたも言ってるように家格が低い=豪族・名士(貴族)のコミュニティに入れてもらえない、言い換えれば高い官位・重要なポストには事実上就けないランク。
実力でのし上がり、皇帝または群雄の目に留まるというのが寒門のほぼ唯一の出世コース。
呉にしたって、呂壱があれだけ嫌われる汚れ仕事に手を染めたのはそれしか出世の道がない寒門だからだろうし、豪族・名士の層からは蔑まれる寒門だったからこそあそこまでひどく言われたという側面もあったはず。
240無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 08:06:55
孫登は即位したら孫皓のようになるかもな。
241無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 15:54:18
>>239
皇帝に直接取り上げられるものなんて寒門の極一部じゃあないですか。その一部を全体のように語るってのはおかしな話し。
「ある程度の財力や教養はあるけど、大豪族のネットワークから外れてしまっているために官位などをうまく得られない新興の豪族」
というような限定的な意味合いはありませんよと言ってるわけで。

財力があろうがなかろうが、教養があろうがなかろうが、新興の豪族であろうがなかろうが寒門は寒門なわけですよ。
資財巨万と言われた陳書の劉テンも豪族ながら貧賤に喘ぐ名門の王元規に家柄を理由に婚姻を断られる寒門もいれば、
家が貧しくて油も買えない晋の孫康や薪取りの合間に学問に励んだ黄蓋やわらじ売りながら親戚を頼って師事した劉備もいる。
そうやって豊貧に関わらず教養ある寒門もいれば、字が書けぬ王平や基本的な書物に目を通したことのなかった呂蒙もいる。
河北郡の馬氏・韓氏のような大豪族でもただの無頼の徒と呼ばれるし、
裕福で教養もあって周瑜・諸葛謹・劉曄らとも親交のあった魯粛も、そもそもは何らかの家業に従事していた
富豪の家系であって豪族貴族ではない。

例に挙げたように寒門であっても千差万別だし、上に挙げた例も歴史に名を残すような極一部の例外達。
寒門の多くは貴方のいうように家格が低いため出世もできず、
その結果貴方の例とは逆に家も裕福でなく教養も劣るもので占められてるでしょう。

多分貴方の想定してる郷里の官位選抜制度(魏でいう九品中正官、呉だと太交平)による官僚出世コースには
実力でのし上がり、皇帝または群雄の目に留まる道すら皆無だと思う。
成立当初ならあったかもしれないが、
そもそも実力で目通りできる所までのし上がることのできる制度で無くなってしまったので
貴方のいう豪族のコミュニティなるものが重要になった。

寒門唯一の出世コースは古来から変わらず戦乱期の軍部だと思う。
242無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 16:30:33
時代は下るが恩倖ってパターンもあるし
皇帝と直に結びつくのも出世コースのパターンだと思うが
243無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 17:07:51
そもそも有力者も皆が皆親類縁者ばかり推挙するとは限らなくない?
実力と、なにより運さえあればチャンスは僅かながらあったと思う。
244無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 17:31:22
魏では孫資・劉放、蜀においては陳シの類だったんじゃない?
245無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 18:10:53
陳シは許靖の娘婿だ
246無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 19:54:06
>245
許靖の兄の外孫。
247無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 20:01:06
陳シは不適当だったな
248無名武将@お腹せっぷく:2006/02/01(水) 20:41:39
孫弘だろ
249無名武将@お腹せっぷく:2006/02/02(木) 12:31:02
孫盛は孫資の子孫で別伝著者age
250無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 22:53:31
結論としては、孫登が後を継いでも呉にとって特別に良いことはない、ということだな
251無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 23:08:03
あるよ
252無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 00:46:37
あるよだけで具体的なこと言わないと納得できないあるよ
253無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 00:56:21
ニ宮の乱が起きないだけで充分特別に良い事ジャン
254無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 00:57:29
乱じゃなくて変ね
間違えた
255無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 00:57:42
孫登が長生きするのが条件だが、蜀が滅ぶ263年位まで生きてたなら、もう少し面白くなったかもね。

天下統一してない司馬炎が酒色に溺れるとは思えんので、結局滅んだかもしれないけど。
256無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 05:36:32
その後は英が継ぐんディスカ?
257無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 11:23:10
孫登が蜀を魏に先んじて併呑でもしない限り、滅びるまでの期間はあまし変わらんよな
258無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 15:15:32
しいて考えるなら、国内の混乱も無くがっちり固まってたら晋の279年の征呉も撃退できた可能性はあるかな?ぐらい。
外的要因に変化はないので駄目なものは駄目だったかもわからんが。
259無名武将@お腹せっぷく:2006/02/08(水) 06:57:58
>258
晋の南征は、呉の混乱に乗じて、ってのが前提で、呉の国内がしっかりしてたら、動かなかったかと。
なんせ、数人を除いて、カ充以下主だった重臣のほとんどが南征不可を主張してるし。
まぁ、先延ばしってだけだとは思うが。
260二条景時 ◆HADESWLMNM :2006/02/08(水) 22:30:26
二宮の変が起きなかったとすれば、
嘉平二年(250年)夏〜冬の遠征は無かっただろうな。
尤も、結果的に魏は撤兵しているが。
261無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 02:54:41
ちくま誤訳あげ
262無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 10:44:24
楊竺無罪
263無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 20:18:38
腹黒陸遜伝説
264無名武将@お腹せっぷく
愛国無罪