1 :
無名武将@お腹せっぷく:
光栄三国志は演義を基準としているが、演義で不遇だった者、登場していない者を正史準拠で語ってみよう。
無論「ゲームでも十分強いが演義ではもっと強い!」というのもOKだ。
上の基本方針以外で語るならその旨表記。(周瑜は史実では〜など) 実績>人物評
現在、統率の90以上を選考する方針で議論しています。
各種テンプレは
>>2-10
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 03:48:16
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 03:49:25
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 03:50:34
統率テンプレ
■90以上 (15名枠)
魏:曹操 司馬懿 ケ艾 曹仁 徐晃 満寵
呉:陸遜 周瑜 孫策 呂蒙 陸抗
蜀:諸葛亮 馬超 姜維
他:皇甫嵩
●議論中 90以上〜85以上
Down候補(満寵 孫策 馬超 姜維)
Up候補(夏侯淵,張コウ,曹真,郭淮,張飛,関羽)
■85以上(20名枠)
魏:(夏侯淵,張コウ,曹真,郭淮)羊コ 于禁 杜預 陳泰 張遼 朱霊
呉:朱然 徐盛 孫堅
蜀:(張飛)劉備 魏延 関羽 王平
他:高順 徐栄
計20名 ()は89候補
■80〜84候補(30名枠)
魏:楽進 文聘 李典 程イク 曹休 曹洪 臧覇 鍾会 田豫 王濬 カク昭 陳登 王昶 王基
呉:甘寧 朱桓 賀斉 呂岱 丁奉 程普 潘璋
蜀:馬忠 張嶷 羅憲
他:麹義 袁紹 公孫サン 劉循
計28名
■79〜75候補(40名枠)
魏:曹彰 曹純 ホウ徳 張繍 賈ク 司馬昭 司馬師 王渾
:夏侯尚 韓遂 李通 張既 賈逵 カン丘倹 張燕 諸葛誕 牽招 趙儼 夏侯儒
呉:魯粛 黄蓋 歩シツ 孫韶 孫桓 周泰 孫権 凌統 孫咬 蒋欽
:諸葛恪 呂範 潘濬 施績 吾彦 鍾離牧
蜀:李厳 黄忠 趙雲 呉懿 張翼 廖化 霍峻 霍弋 黄権 夏侯覇
他:文醜 顔良 盧植 呂布 張角 朱儁 董卓 審配 劉カイ 張宝 張任
計56名
■74〜70候補(50名枠)
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 03:51:39
参考データ(三国志]統率)
■90台 (15名枠)
魏:曹操 司馬懿 ケ艾 張遼 夏侯淵 張コウ 曹仁
呉:周瑜 陸遜 孫堅 孫策 陸抗
蜀:関羽 諸葛亮 姜維 趙雲
他:呂布 皇甫嵩 張角
計19名
■85以上(20名枠)
魏:徐晃 曹真 カク昭 羊子 夏侯惇 満寵 郭淮 杜預 陳泰 于禁
呉:甘寧 徐盛 朱然 程普 朱桓
蜀:馬超 黄忠 羅憲 張飛 魏延
他:高順 盧植 張任 公孫サン 韓遂
計25名
■80〜84候補(30名枠)
魏:陳登 鍾会 曹彰 曹洪 王濬 諸葛誕 賈ク 司馬師 田豫 楽進
呉:鍾離牧 賀斉 呂岱 呂蒙 孫韶 太史慈 丁奉 歩隲
蜀:李厳 呉懿 王平 馬忠 張嶷 徐庶 夏侯覇
他:朱儁 トウ頓 張繍 張宝 審配 顔良 麹義 馬騰 文聘 張燕 徐栄 文醜 華雄 董卓
袁紹 丘力居
計41名
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 03:55:30
参考までに三戦、三国それぞれの武将総合スレでのランキング
<魏>
1位 曹操(決定)
2位 司馬懿(決定)
3位 ケ艾(ほぼ決定)
4〜7位 曹仁
張コウ
張遼
徐晃
8位 于禁
9〜12位 夏侯淵
楽進
臧覇
満寵
<蜀>
1位 劉備
2位 諸葛亮
3位 関羽 (3位隔離)
4位 魏延
5位 姜維
6位 張飛
7位 王平
8位 黄忠
9位 張ギョク
10位 趙雲
<呉>
1位 周瑜、呂蒙、陸遜、陸抗
別枠 孫策 魯粛、孫堅
2位〜 呉将のみんな
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 04:09:51
>>6 蜀スレの流れは
満場一致で一位劉備→二位は諸葛亮だろ?→諸葛亮の鬼のような戦闘指揮官の一面が明らかに→三位は姜維?→姜維だろ(姜維の実績がツラツラと)
→ちょっとまったぁぁぁ!!関羽を忘れんじゃねー(関羽厨暴走)→姜維厨VS関羽厨→もーいいよ、同率三位で。超雲でマターリしる!
→関羽厨暴走→判ったよ、関羽は単独三位で隔離→羅憲とかどーする?黄忠はー→なぁ、魏延って張飛よか上じゃね?→魏延って姜維よ(ry
魏スレは
満場一致で一位曹操→二位?司馬懿でしょ?→三位、曹仁だな。ケ艾だろ?→建国の功臣か蜀攻略の立役者かで大論争
→ケ艾で確定(仁は曹一族で恵まれていた+三国という時代を終わらせたケ艾の功績)→中三人(張コウ、張遼 、徐晃)は決めるのは難しい
→于禁でちょっと盛り上がる(淵の位置は最初から最後まであの位置だった)
呉スレは
周瑜、呂蒙、陸遜、陸抗が甲乙つけがたく、魏スレ蜀スレにみたくなるよりは、みんな一位で
割と周瑜≧陸遜>呂蒙、陸抗な雰囲気。孫策はイケイケすぎて別枠、魯粛は戦略は素晴らしいので別枠、孫堅は呉っていうには怪しいので別枠
で、順位はテキトーに(二宮の変で盛り上がっていた)
8 :
魔王 ◆TLOxROt30I :2005/10/15(土) 04:11:46
IDある板でやれや( ^∀^)ゲラゲラ
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 04:13:22
知力テンプレ
■90台 (15名枠)
魏:曹操、司馬懿、荀ケ、荀攸、賈ク、郭嘉、程c、劉曄
呉:陸遜、周瑜、魯粛、呂蒙、陸抗
蜀:諸葛亮、法正
他:
計15名
10 :
知力テンプレ:2005/10/15(土) 04:15:28
■85以上(20名枠) ()は89候補
魏:(ケ艾 満寵 董昭 司馬師) 杜預 鍾? 蒋済 張既 王基 陳泰 郭淮 司馬昭 鍾会
呉:
蜀:(ホウ統) 徐庶
他:田豊 沮授 逢紀
計18名
■80〜84候補(30名枠)
魏:張コウ 徐晃 李典 田豫 衛臻 陳登 劉放 孫資 カイ越 曹丕 曹叡 賈充 羊?
呉:甘寧 徐盛 朱然 歩シツ 諸葛恪 賀斉 呂岱 丁奉 周魴
蜀:劉備 王平 張嶷 ?? 費偉 姜維 董允
他:皇甫嵩 劉焉 士燮 陳宮 王允
計34名
■その他高能力候補
魏:張遼 于禁 曹仁 曹真 王昶 牽招 王渾 徐? 陳羣 崔エン 賈逵 華? カイ良
:王朗 王濬 カク昭 夏侯尚 戯志才 徐奕 程武 臧霸 王リョウ 楊阜 婁圭 傅? 温恢
呉:黄蓋 ?沢 虞翻 諸葛瑾 施績 孫桓 孫休 孫堅 孫権 孫策 朱拠
:顧雍 蒋欽 太史慈 潘濬 呂範 張昭 張紘 全j
蜀:李厳 馬忠 羅憲 霍峻 黄権 劉巴 伊籍 ケ芝 馬良 李恢 霍弋
他:李儒 盧植 朱儁 審配 張角
最初から明らかに荒らす気満々じゃん。
>>6の関羽3位は隔離でも何でもないのに隔離3位とか書いてるし。
ネタスレだしな
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 06:21:38
このスレは蜀厨と無双厨が暴れまくるスレです。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 06:53:55
粘着孫策ヲタ乙
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:24:30
musou.s38.xrea.com
わろた
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:38:01
小西摂津は関ヶ原でこそ目立った活躍は無かったが、加藤清正と並んで朝鮮役の
日本軍の一方の大将。尚且つ清正に先んじて漢城・平壌を陥落させた軍略の手腕は
一定以上の評価をするべき。また清正と異なり配下の内藤如安らを北京に派遣し、
明とも協議をするなど政略面でもその手腕の一端を伺える。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:41:46
34:ο丁児◆71izTCnSlI 10/15(土) 00:09
31
なんだよこれWWWWWWWWWWWWWWW
みんな、人物名の後に人物評が語られてあるのに、俺の人物評が「死ね!!!!」ってWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWあんまりだろってのWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
それはおまえの願望だろーがよWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:48:11
_ ∩
( ゚∀゚)彡 コトスカット!コトスカット!
⊂彡
_ ∩
( ゚A゚)彡 パイプカット! パイプカット!
⊂彡
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:51:04
_ ∩
( ゚∀゚)彡 孫策!孫策!
⊂彡
_ ∩
( ;∀;)彡 董卓! 董卓!
⊂彡
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:52:15
_ ∩
( ・A・)彡 イクナイ!イクナイ!
⊂彡
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:53:15
トウタク(・A・)イクナイ!
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:59:40
トウタク(・∀・)イイ!
冒頭のテンプレで荒れるのはいつものことだけど、たまにはすんなり移行して欲しいもんだ。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 12:56:32
もうこのスレは役割を終えました
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/17(月) 05:08:52
寂れたスレ
曹仁や曹純に助言されたとこ
曹操の能力値で表したいな
どこか低くしたい
前スレ使い切ってからな
曹操は独力って感じはしないよな。
確かに優秀なのは分かるが、補佐する人材も優秀なのが揃ってたからな
孫策や劉備らはがんばったと思う
>>31 孫策配下
・周瑜、程普、韓当、呂範、黄蓋、孫静、朱治、張昭、張紘、虞翻、蒋欽、周泰、董襲、陳武、凌操…
劉備配下
・関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超、魏延、諸葛良、ホウ統、法正、黄権、蒋婉、費イ、馬良、董允…
両者ともかなり優秀な部下を多く抱えていたと思う。ただ劉備配下は大半が荊州入りしてからだが…
結局、どんな優秀な人間だって一人でできることは高が知れてるってことさ
34 :
32:2005/10/18(火) 13:31:26
誤字発見、諸葛亮だよな。ゴメン。
>>31 戦争はほぼ独力。
というか、方面軍司令官をあまり使っていないところがスゲェ。
孫策と曹操は結構似ていると思う。
>孫策と曹操は結構似ていると思う。
そうか?
血の気の濃い当たるを幸いとわが道を行く台風兄貴と曹操の似てるところってどこかいな。
司令官に任せず自分で戦場を転々とするところが似てるってことじゃないか?
>>39 こいつらは戦働きで英雄になった連中なんだが…
張遼は、降将の分際で、軍の司令官を任されたわけだけど
これこそ張遼の実力の賜物
降将の身分から、上りつめた人物って賈詡と張遼くらいっしょ。
と、いうわけで賈詡と張遼の能力の底上げキボンヌ
甘寧もそれなりに頑張ったと思う
賈クも張遼も、十分過ぎる程評価されてるじゃん
統率テンプレ(標準版)
■90台
魏:曹操、司馬懿、ケ艾、曹仁、夏侯渊、郭淮
呉:陸遜、周瑜、呂蒙
蜀:諸葛亮、関羽
他:皇甫嵩
■85以上
魏:張?、曹真、羊コ、于禁、杜預、陳泰、張遼、朱霊、満寵、徐晃
呉:朱然、徐盛、孫堅、孫策、陸抗
蜀:魏延、馬超、張飛、姜維
他:麹義、徐栄、呂布
■80〜84候補(30名枠)
魏:楽進、文聘、李典、程イク、曹休、曹洪、臧覇、鍾会、田豫、王濬、カク昭、陳登、王昶、王基、司馬師
呉:甘寧、朱桓、賀斉、呂岱、丁奉、程普、潘璋、呂範
蜀:馬忠、張嶷、羅憲、劉備、王平
他:高順、袁紹、公孫サン、劉循
計28名
■79〜75候補(40名枠)
魏:曹彰 曹純 ホウ徳 張繍 賈ク 王渾 司馬昭
:夏侯尚 韓遂 李通 張既 賈逵 カン丘倹 張燕 諸葛誕 牽招 趙儼 夏侯儒
呉:魯粛 黄蓋 歩シツ 孫韶 孫桓 周泰 孫権 凌統 孫咬 蒋欽 朱治
:諸葛恪 潘濬 施績 吾彦 鍾離牧
蜀:李厳 黄忠 趙雲 呉懿 張翼 廖化 霍峻 霍弋 黄権 夏侯覇
他:文醜 顔良 盧植 張角 朱儁 董卓 審配 劉カイ 張宝 張任
計56名
>>4 満寵評価されすぎ
中華歴代王朝の中、長江を北から南への討伐は成功したが
ついには南から北への討伐は成功しなかった。
それもたかだか、一方面で、圧倒的戦力を持つ司令官が
長江越えをさせなかったという一点で能力値90越えさせるのは理不尽
>>44 ろくな議論もしてない改竄テンプレ貼るなよ
>>41 曹操陣営の降将で最も登りつめたのは張コウの方じゃないのか?
20年以上仕えてるなら降将とかもはや関係ないと思う。
むしろ古参だろ。
関係あるってw
賈詡は晩年まで、自分が降将であることを肝に命じた行動をとったから、大尉にまでなれた
カク自身も曹操の息子を殺したことを気にしてたらしいからな
降将の身分ってツライモノダネ
かなり早い時期に降った徐晃にしても、おおよそ私的な交際を慎んでるし
賈詡が太尉にまでなれたことのほうが凄い。
曹操の長男殺してるんだぜ。
賈クが太尉に昇れたのは結果として曹丕に有利になる言動を残しているから。
「魏略」にもある様に、曹丕は皇帝即位に際する人事でそれに報いたんでしょう。
賈詡の諌め方は巧すぎるよな
曹操「オイ、なに考え込んでんだ」
賈詡「あッ、ちょっと袁紹のガキどものこと考えてました。他意はないですケド」
直接的には自分の意見を言わず、それでいて適確な判断へと曹操を導いてるのが巧いよな
人間関係の機微とかに聡い人間だったんだろうなって思うよ
そう思う
春秋や戦国時代の諷諌や縦横家の弁舌をみているみたいで気分いい
>>55 同意 俺もそのセリフで賈詡に惚れた
現代なら一流の詐欺師として生きていけそう
諸葛瑾みたいなやつだな
諸葛瑾は神経すり減らしながら色々考えた末に上手いこというけど
賈詡は特に気負うことなくごく自然にそういう諫言口にできそうなイメージ
諸葛瑾バカにしすぎかな
>>60 いや、いいんじゃないか。
孫権にとっては、諸葛瑾の一生懸命さがプラスに作用してたわけだし。
詐欺師臭い頭の良さでは諸葛恪なんか親父の上をいってるけど、あんま良いイメージじゃない。
呉にはそういうキレ者は必要なかった。
賈x8a61;の場合は詐欺師っぽいというよりも、激ヤバな後継者問題でそういう態度を取ったところに意味がある。
あれで曹操の頭が冷静さを取り戻すわけで。逆に決死の諫言しても、曹操からすりゃ「こいつは曹丕派!」というイメージになってしまう。
孫権はウルセー諫言役を張昭に任せて、あとはむしろ誠実さで諌めてくれるような人材を欲してる。
曹操は高くなりすぎた地位のなかで、ガス抜きの役を果たしてくれるような人材を欲していた気がする。
肉まんだと思って買ったらアンマンだった。
諸葛瑾は割とスムーズに言う人だと思う。
張昭は小言じいさんでしょ。孫権との喧嘩は頑固爺と反抗期に入った子供の喧嘩。
その恨みを晩年にと
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65 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/23(日) 17:28:19
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光栄三国志の理不尽な 能 力 値 について語れ
呂布
統率86(濮陽ではたびたび曹操を破ったとも言われるが、敗戦も少なからずある)
武力100(これは演義的に疑うべくもないだろう)
知力45(戦場に限ればノータリンというほどではないが賢いとも言い難い。陳宮に補ってもらうしか)
政治25(実務的実績もなければ政治的判断力もすこぶる悪い)
魅力80(名声を下げるような振る舞いも多いが、それでもなお一種のカリスマ性はあったと思う)
関羽(いいとこ取りバージョン)
統率88(演義では鬼神のごとき強さを誇る。序盤からキチッと描写されてるのも大きい)
武力98(演義では(ry張飛に半歩譲る)
知力75(演義(ry智謀の士とまでは言えない)
政治50(演義では、と言いたいとこだが演義でもそれ程…ただ正史の大チョンボをノーカンにするだけでも…)
魅力95(神様ですから)
>>67 >濮陽ではたびたび曹操を破ったとも言われるが、敗戦も少なからずある
正面決戦で曹操を破ったのは濮陽会戦のみです。
その後の濮陽での戦いはいうまでもなく、その後の戦いでも連戦連敗です。
そもそも三県を残してエン州を制圧しておきながら、会戦で曹操に致命傷を与える
事もできずの以降は一方的に劣勢だった事をみても、86は高めな数値ですね。
そもそも呂布ってなんであんなに有名だったんだろう
たびたび〜は程c伝からそのまま引用で、敗戦〜は負け戦も(対曹操に限らず)少なくないと言いたかっただけで、
表現が気に障ったようなら申し訳ない。
ちなみに三県を残してエン州を制圧しておきながら、会戦で曹操に致命傷を与えることもできなかったのは、
いなごの大発生で両軍の食料が尽き果てて双方が退いたため。あの戦い自体は呂布のペースで終始したはず。
その後の戦いでその劣勢を各個撃破や伏兵などを駆使して曹操が大逆転を演じたのはその通りだが、
もしあのまま濮陽で正面決戦を続けていたら恐らくもっと致命的な損害を与えられていたと思う。
私見だが、呂布が曹操の言うように街道を断ち切り要塞に篭らなかったのは、
それだけ平地における戦(自分の騎馬隊)に自身があり、曹操の奇兵を恐れていたんじゃないだろうか。
曹操の言うように単に見る目がないだけかもしれないけど。
>>70 >いなごの大発生で両軍の食料が尽き果てて双方が退いたため。
補給量や兵站線の面でいえば保有している拠点の数からいっても呂布の方が
有利といってもいいはずです。
>あの戦い自体は呂布のペースで終始したはず
濮陽郊外での戦いでは于禁や典偉の活躍もあり、曹操側に優勢である事はほぼ
疑いの無いところです。
>呂布が曹操の言うように街道を断ち切り要塞に篭らなかったのは、 それだけ
>平地における戦(自分の騎馬隊)に自身があり、曹操の奇兵を恐れていたんじゃ
>ないだろうか。
本拠地をほぼ失った軍勢を相手にする場合、要害を抑えて持久戦に切り替え
補給と物資の欠乏を待つ作戦が最も有効なのは多くの戦例が証明しています。
占拠まもなく情勢不安の中でわざわざ正面決戦を挑む方がおかしいです。
呂布陣営の首脳部に戦略眼がないのがわかります。
エン州を封鎖して曹操軍を閉め出し、その間に孤立無援の三県を確実に攻略した
方が確実ですが、呂布がそれを行わなかったところに限界を感じます。
>>71 >補給量や兵站線の面でいえば保有している拠点の数からいっても呂布の方が
>有利といってもいいはずです。
呂布側の兵糧が尽きたためうんぬんは武帝紀に記述がある。
太祖の方の兵糧うんぬんは、その直後の袁紹との交渉の中で「兵糧も尽きたので〜」とあったのでそれを参考にした。
お互いに兵糧が尽きた、というのは間違いないと思うんだが。
>濮陽郊外での戦いでは于禁や典偉の活躍もあり、曹操側に優勢である事はほぼ
>疑いの無いところです。
于禁の活躍というのは「陣営を2つ落とした」としか書かれてない。
典韋は呂布の屯営の一つに夜襲をかけた時の活躍のみ。
共に濮陽の戦いの極めて局地的な戦いの戦果。
全体については武帝紀において大いに苦戦したこと、程c伝にたびたび敗れたとあることなどがあるんだが、
疑いようの無いところ、とは自分で言ってて言い過ぎと思わない?
三段目については、本拠地をほぼ失った軍勢を相手に要害を抑えて持久戦に切り替え
補給と物資の欠乏を待つ作戦を行った武将が思い浮かばないので、
(三国志以外の歴史に詳しければスラスラ出てくるんだろうが)
残念ながらお答えできない。
>本拠地をほぼ失った軍勢を相手に要害を抑えて持久戦に切り替え補給と物資の
>欠乏を待つ作戦を行った武将が思い浮かばない
要するに外部との連絡や補給を断たれたり決戦を回避して焦土戦術や持久戦を
しかけた戦争全般を指すんじゃないの?
そんなのいくらでもあるでしょ。
ちょいと噛みつきすぎじゃないの?
濮陽以降は呂布が有利な状況から駆逐されたのは事実なんだし、呂布の評価が
そんなに大きく変わるとは思わんけどね。
このスレ的に、劉曄の評価ってどう?
失脚というか信用を失うきっかけになった話しとか。
>>73 なんで本人でもないアンタの個人的解釈を元に噛み付きすぎだなどと言われねばならないのか?
>>71は本拠地をほぼ失った軍勢を相手にする場合、をまず前提に挙げて、
この場合要害を抑えて持久戦に切り替え 補給と物資の欠乏を待つ作戦が功を奏す、
ということが多くの戦例からわかると言ったので、
こっちは勉強不足でそういった例を知らないから反論できませんと言ったまでだ。
大体「本拠地をほぼ失った軍勢」と「外部との連絡や補給を断たれたり」した軍勢じゃ状況がまるで違うだろうし、
決戦を回避して焦土戦術や持久戦をしかけた戦争全般なんてそれこそ千差万別の状況じゃないか。
いくらでもあるからなんなんだって感じだ。
まて、おちつけ。おまいらはいい話をしている。議論はいいが、喧嘩はやめろ。勿体無い。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/30(日) 09:36:12
これを喧嘩だと解釈する貴様のそだちを疑う
これは喧嘩ではない戦争だ!
よろしい戦争(クリーク)だ
来週は三戦板住民全員参加の自治大集会! 楽しみだね
それより誰も
>>67の関羽には突っ込まんのか?正直
関羽
統率80(部下の裏切りは魅力換算にしてもこんなもん)
武力98(文句ない)
知力50(具体的になんかあった?)
政治40(あまりにも欠けた外交感覚)
魅力40(傲慢な態度で多くの士大夫から嫌悪された)
他スレで蜀厨が擁護しすぎるとかあったけど違うよな。
釣られてルだけで
関羽の魅力って高い?低い?
普通に考えたら高いが、欠点"のみ"を見たら低く見積もれるな
その場合はなんで、こんなに民衆兵士敵味方双方から好意的に見られているのかわからなくなるけど。
この評価は正史でも演義でもほとんど変わらないね。
>>84 関羽の魅力に繋がるような、民衆兵士敵味方からの好意的見解というのを大量に挙げられるというなら挙げてみて欲しい。
関羽
統率92武力98知力76政治50魅力86
まあこんなとこだろな
神様になるくらいだから魅力は高いんじゃね?
>81
そこまで低くないと思う
カンウ
武力95(キレイ、ガンリョウと同レベル)
知力78(大将としてこれくらいはあったのでは)
統率86(大将とし以下略)
内政49(呉にケイ州を半分取られてても国力で勝る魏に優位に立てた)
魅力42(死後好かれるのは上3つの派手さと忠臣だったからでは)
外交18(認めた奴以外は見下しそう、しかも侮りそうなので)
眼力43(戦況を見極める目も、自尊心で眩みまくり)
ちなみにギエン
武力84(ホウトク、レイホウと同レベル。ホウトクをやや格上扱い)
知力75(だいたいこれくらいであろう)
統率91(個の武より軍率の才があるように思う)
内政48(正直、政の才はないが漢中太主を無難にこなしたので)
魅力37(俺にとっては120だがw)
外交22(評価する材料がないが、あれだけ自尊心が高いと低いだろう)
眼力35(やっぱり見る目が以下略)
考えるとリュウビは人を見る目と、それを使うセンスがあったんだなぁと思う
呉にケイ州を半分取られてても国力で勝る魏に優位に立てたってのは
呉の裏切りが無かったらのハナシね
>>84 味方からは結構批難されている。
寥立なんかは「自分の武勇を誇って猪突猛進して、兵を損ねた」とはっきり批難
している。抵抗せず早々に降伏した士仁、ビ芳他、荊州の官僚たち、また援軍を
出さなかった孟達などは関羽の人格を嫌ってのことだろう。
>>85 関羽伝を読む限り最低でも、曹操、徐晃、張遼から好意を得ている事はわかると思うが
孫権も部下にしたいと考えたり、わざわざ曹操に首を送っている事から嫌ってる印象は無いね
民衆人気がなけりゃ廟も立たないだろうしな。晋の時代には既に英雄のひとりだし。
>>90 否定的な意見は、全部荊州時代な所から考えて二つの可能性を
奢りはじめたのは荊州の都督的地位を得たからかもしれない
もうひとつは結果論と保身としての言動かな。
廖立の欠点指摘は短所を嘆いて長所を潰す言動だと思うぞ
というか「抵抗せず早々に降伏した士仁、ビ芳他」呉の謀略を上手く行って
兵を殆どを北に召し上げられたから抵抗もできないからじゃないかな?
ここら偏は関羽の愚かさもあるけど、陸遜、呂蒙の計略の凄さを誉めるべきじゃね?
>>90 廖立の発言を参考にするヤツがあるか。
そのことよりもむしろ、荊州から身一つで逃げ帰ってきた廖立を責めなかったことから、
劉備が関羽の敗死を彼自身の失策であったと考えていたことが解る。
>>91 >民衆人気がなけりゃ廟も立たない
あれってもともと怨霊を鎮めるためだったって知ってる?伍子胥と一緒だよ
>>93 そういう説もないことはないけどね。
関羽信仰の起源は謎だよ。
民衆人気という点で言えば、関羽の荊州統治が上手くいっていたことは正史に記述されている。
>>95 でも江陵失陥後の兵士はさっさと逃げ出して、荊州領民も呉の支配を受け入れたけどね。
>>91 呉の計略云々はそのとおりだと思うが、もともと敵対的だった呉に対する備えを解除する
という点で関羽の軍略の失点だろう。
ついでにいえば、孟達の援軍があればという意見もあるが、孟達は関羽の指揮下には無い。
本来の留守兵を動員して、さらに管轄外の兵も必要としているというのは、結局関羽の当初
の目論見(この兵数で北上はできる)が誤っていたということ。
曹仁に対しては援軍があったからだ、という反論は、「敵に援軍が来ることも予測出来なかった
のか?」となるだけ。
よく言われるが、廖立の評価も含めて、関羽は誰かの下での部隊指揮官なら優秀だったんだろう。
しかし一軍の司令官としては明らかに器を越えていた。
>>91 短所をあげつらって長所を殺すのは問題だが、長所を見て短所を顧ないのも問題だろう。
例えれば諸葛亮が見た馬ショク。
まあこのテの話は、最後は「上が使いどころを間違えた」となるのだが。
でもあの当時では、関羽に荊州を任せるしかなかったのも間違いないからな
龐統生きてりゃまだちょっとは違った展開になったかも知れんが
>>91 孫権も部下にしたい〜のくだりは注釈にも有るけどありえなくないか?
>>96 でも江陵失陥後の兵士はさっさと逃げ出して、荊州領民も呉の支配を受け入れたけどね。
それは別に関羽の民衆人気の否定にはならないよ。
呉は意識的に善政をしいていたようだし、それを民が受け入れるのは至極当然。
故郷が占領されれば兵が逃げ出すのも極めて当然。
器というより家柄と言うべきかな。
士太夫を率いていくには関羽の生まれは賎しいすぎた。
士太夫にとっては関羽の指揮下に入るという事だけで我慢ならない屈辱だったろう。
それに対して関羽も傲慢に振る舞って力で押さえつけなけれはまならない悪循環。
劉備との付き合いで公私の区別をしっかりつけていたことや、魏にいたときのエピソードや魏での評判を見る限り、立場をわきまえられない人物ではないだろう。
複雑な立場のなか、君主の劉備が長期に渡って不在の間を無事に取り纏めている。
将としても評価すべき人物だろう。
あらゆる意味で蜀は人材不足だな。
せめて、荊州を統治できる年齢の実子か、それなりに器量を持った親族が劉備にいればな。
>>101 他国の話しで恐縮だが呂蒙なども賎しい家柄と言えるがそのせいで下に付いた士大夫が不平を漏らしたことなど聞いたことないぞ。
傲慢に振舞って押さえつけねばならないのではなく傲慢だから反発されたんだろ。
>>103 そのためには何より士太夫側の歩み寄りが肝心となる。
いくら礼儀を尽くしても普通は受け入れられないのが当たり前。
そのあたりは張飛のエピソードがよく物語っている。
呂蒙の場合、上の立場に周瑜や魯肅といった理解力のある人物がいて、後継者として引き立てられていたことも大きい。
周瑜や魯肅といった奇特な人物を基本に考えるのは間違い。
ちなみに周瑜は関羽と張飛のことも認めていた。
そういう名門の出の実力者がいなかったことが劉備一派の最大の弱点。
>>96 南郡の備えを解除したって話は呉書にしか見られない胡散臭い話だけどな。
関羽が後方から守備兵をハン城に回したって話だけど、
蜀書では南郡太守の麋芳や公安で守備を固めてた士仁は関羽からの
増援要請を拒否して軍需物資を供給するだけだった、
とあるのに既にそこで矛盾している。
魏書でも董昭伝で関羽が後方の守備を固めていた事は書かれている、
それなのに呉書だけが関羽は呂蒙に騙されて備えを疎かにしたと書いてる訳だ。
あと呉は元々敵対的ではない、険悪になってきてはいたがそれでも同盟相手だった。
>>103 呂蒙の姉の夫であるケ当は孫策の元で将だったらしいので(おそらく別部司馬)
家格は低くて貧しかったのかもしれないが士太夫層に属してたんじゃないかな。
関羽・張飛に比べれば普通に良い家柄。
>>104 上からの引き立てというなら劉備という最大の理解者がいたじゃないか。
それに周瑜・魯粛が呂蒙を後継者に推薦、なんて話は確かないぞ。
>>105 他の城が救援寄越してるのにその二名が援軍回さなかったからあんなに怒ってたんじゃないか?
ついでに呉との間が険悪になるのに最も貢献したのも、他ならぬ関羽さんなわけで。
>>104 >そのためには何より士太夫側の歩み寄りが肝心となる
なんでだよ。普通に関羽側の尽力こそが肝要だろう。
協力的でないからといって敵視したりすれば纏まるものも纏まらん。
部下の信頼を得るために多くの司令官が四苦八苦しつつもやり遂げたことを、
ただ威張り散らして部下の反逆まで招いた点で失敗だったと言われるのはしょうがないだろ。
>>109 >なんでだよ
だからわかりやすく張飛の例を出した。
家柄が賎しい人物が上で士太夫が下という関係は普通ではありえない。
ただの『部下』という括りじゃ語れない。
また関羽か。
ここ一連の内容も何回見たことか。
ループもここまでくると芸術だな。
>>110 確かに張飛も部下に寝首をかかれたが、コイツも普段の素行のせいだし。
関羽・張飛が部下に嫌われたのは出自を蔑んだ部下のせい、という主張だが、
そもそもこの二人の出自が特別に低いってのはどこからきてるんだろう?
要旨を述べると、関羽は刑州を治められる器の人物じゃなかったってことで。
州ひとつ預けるに足る器量は備えていたと思うが、
あの当時あの状況下の荊州を治めつつがなく運営して行くにはちょっと、という感じだろうな。
関羽の勇名が必要だったのは間違いないが内外の関係を上手く取りまとめる補佐役が不可欠だった。
>>112 張飛の例って言えばわかってもらえると思ったんだが、
寝首を掻かれた話じゃなくて劉巴との話のほうね。
張飛が敬慕しても劉巴は軍人なんかと話す気は無いと、一切取り合わなかった話。
范彊と張達は士太夫ではなくてただの軍人みたいだし、張飛のケースはまた別だと思うよ。
家柄と補佐役があればね。
関羽が自ら取り立てた楊儀は劉備が持って行っちゃうし。
>>115 あの話は(本当だとしたら)劉巴の方があまりに狭量なだけだと思うが。
それに劉巴ほどの名士に相手にされないことと、士仁・糜芳も飼い慣らせないことも別問題かと。
そもそも劉巴本人が個人的交友を慎み、公的な発言以外では発言もしないような人物であった。
劉備も自分でなければ使いこなせんと言ってるように、特別気難しい奴だろ彼は。
楊儀・・・個人的には黄皓以上の蜀の癌なのだが、確かにヤツがいれば荊州失陥もなかったかも知れんなあ・・・
>>117 士仁糜芳も士太夫だよ。
それじゃなきゃ張飛伝の記述の辻褄が合わない。
糜芳は徐州の名家の出みたいだし。
楊儀は劉備と軍事や国政について語り合って気に入られたほどの人物。
劉備死後は諸葛亮の幕下の中心人物として長く蜀の軍政を支えた。
>>119 士大夫であることと、出自に拘る保守的な名士であることは全然一致しないと思います。
なあ、不勉強な発言で申し訳ないんだが士大夫つーのは何を指して言ってるの?
それなりの官職についた男子全般を指した代名詞だと思ってたんだが違うのかな?
>>121 関羽が気に入らないからと職務を怠る。
とても狭量な人物にしか見えないな。
家柄を気にしないような大人ではないと見るほうが無理はない。
>>120 しかし人格的な問題も多々見られるので関羽と一緒にいたらもっと反感買ってたかも知れん
あるいは関羽の下で苦労してるうちに人格丸くなったかも知んないけど
糜芳・士仁の件になると、帰還後の処罰をほのめかす関羽の発言を無視してる
人が多くておどろき。
後背地の守将にこんな不用意な発言を吐くのって、たとえ処罰を行うにしても
おかしいと思わない?
なんか劉備との特別深い古参としての繋がりのうえに胡坐をかいた傲慢な発言に
思えたり。
>>124 関羽が取り立てたわけだし、楊儀も望んで来たわけだし、別に問題はないだろう。
>>123 常日頃から傲慢だったからそうなったわけで…なんか君の中で順番が逆転してないか?
関羽の生まれが卑賤だったから軽蔑して仕事を怠けたなどと一文字も書かれてないぞ。
>>125 それじゃなきゃ示しがつかない。信賞必罰は明確にしないと。
処罰すると言えば真面目に働くと思ったんだろう。
そもそも寝返ったのは追い詰められてからだから、まんざら関羽の見通しが甘かったとは言えまい。
>>125 黄忠の人事に露骨に不満を漏らすなど、どう考えても古参の繋がりに胡坐をかいた傲慢な奴ですが。
>>127 鶏が先か卵が先か。
それ以前の関羽の振る舞いを見る限り、立場を弁えられない人物には見えないが。
>>129 あの人事が不相応なことは諸葛亮も心配している。
黄忠より下になって内心不満だった者もいるだろう。
「関羽が異を唱えたが、説得されて納得したらしい。」
「じゃあしょうがねえか。」
言いたいこと言える立場の人間が苦言を呈することも大事。
ただのYESマンじゃいけない。
>>130 それ以前の振る舞い…
・諸葛亮の重用に不満を漏らす
・黄忠の人事にだだをこねる
・孫権からの使者を怒鳴りつけて追い返す
これだけあるのに思えないんですね。
>>131 諸葛亮は不相応なことを心配したわけじゃないぞ。
「黄忠の実力を知らない関羽が納得しないんじゃないか」というのに心配しただけ。
関羽の他に異論を持った人間も書かれていない。
馬超のこともうだうだ言ってたなあ
>>129 いや俺
>>125だけど、その件に関して言えば関羽の気持ちは道理だよ。
関羽は曹操に降伏した時期に偏将軍・漢寿亭侯の官職にあるうえに知名度では
全土にきこえた劉備陣営最大の武臣。
黄忠は荊州では中郎将の高い地位にあり、劉備に帰順後は裨将軍に昇進したと
いっても無爵。
劉備のもとで働いた年数でいっても遥かに下。
知名度・経歴では関羽が遥かに上だったところが後将軍となり将軍位に限定
すれば同格に昇られたとなれば、たいていの人間は不満に思うのが普通。
こればっかりは関羽の言う事はしごくもっともだよ。
>書かれていない。
そりゃ表立って不満を口にできる人事なんて関張くらいのもんだろう。
新参の黄忠より下に置かれて誰も不満に思わないなんてありえないな。
書かれていないことは、無かったことで〜す。
つーか、荊州を丸ごと任せられる司令官なんて存在しないだろ。
呉は陸遜、朱然、歩隲と超有能な連中を荊州に敷き詰めていたはず。
>>132 呉はその前にいきなり三郡に進攻してるから、その対応も無理ないことかと。
諸葛亮の重用だって納得してるんだから別に問題ない。
>>134 張飛だって無爵、馬超だって参陣直後だ。
益州攻め、漢中攻めと多大な戦功を挙げた荊州の大物の抜擢に、
主君の決定に逆らい文句を抜かすのがもっともか?
じゃなくて、ここで問題にされてるのは「俺のほうが先に劉備様に仕えていたのに!」的な我の強さでしょ
確かに関羽は上に立つべき者としては少々目に余るものがある気がする
もちろん目下の人間には寛大だったとあるからから慕われてもいたんだろうが
反感を買いやすい人間であったことも確かだったんじゃないだろうか
関羽=アキレウス
呂蒙=オデュッセウス
関羽厨はこれで我慢しろ。
あれか、後輩とは仲いいけど同年輩や先輩からは嫌われるタイプってことか
>>139 本気で言ってるの?貸した領土を返さず起こした領土紛争、
しかも漢中を脅かされた蜀側に譲歩して一応の決着をみた過去の領土紛争が、
関羽の行動を正当化する理由になると。
都合の悪いことは史書に書かれてあっても「とてもそうは思えない」「裏にこういうことがあったに決まってる」
>>140 あなたが年功人事を全く考慮しない人間ならそれもいいでしょ。
あなたが30年仕えた全土レベルの知名度をもった最古参だとして、10年働いた
人間にいきなり同格になられて穏やかでいられるというのなら。
>張飛だって無爵
張飛は荊州時代、関羽と並んで将軍位に就いた二人のうちの一人。
他の新参連中はもちろん古参であっても将軍位に昇るのは益州平定後。
これだけでも張飛が関羽に匹敵するほど高い地位であったのはわかるよ。
俺も関羽は好きな人物ではないけど、坊主憎けりゃ袈裟までの理屈でなにもかも
非難する様な姿勢はいかがなものか。
>>146 蜀側から見た関羽の行動を正当化できる素晴らしい解釈でもお持ちですか?
>>148 借りたことになっているが蜀首脳は返す気なし。
関羽がそれに従うのは当然。
>>147 でも、それを表に出しちゃう人間ってやっぱり嫌われると思うよ
「気持ちはわかるけどアレはないよな〜」って陰で言われるタイプじゃないかな
>>147 部下の身でありながら君主の人事にいちゃもんをつけることが、
自分の良く立場をわきまえた行動とは言えないと指摘することが、
あなたには坊主憎けりゃ袈裟までの理屈でなにもかも非難する姿勢に見えるんだな。
心中不満を持つこと、それを周囲に漏らすこと、そんな人事は納得できないとして受け取らない事、
全て意味合いが違ってくるはずだが、
あんたはこれも俺が関羽が嫌いだからいちゃもんつけてると思うんだろうな。
>>150 同意
確かに30年仕え続けてきたのにぽっと出の新人と同格に扱われれば不満もあるだろう
それでもそういうのに耐えて主君の決めたことだからと黙って従えば文句なしに大人物と思われるだろう
文句ぶちまけても小人物とは思わないが傍で聞いてる人間はエー('A`)ってなっちゃうだろ
>>149 で?結局荊州南部の一部を譲ることで決着をみた過去の紛争が、
どういう風に関羽がその後呉の使者を怒鳴って追い返した行為の正当性に繋がるの?
もっと詳しく言ってくれなきゃわからないな。
>>147 良くわからないんだが、
公平に考えれば古くからいる人物が若手の抜擢に真っ向から反抗することはある種当然であり非難には当たらない、
それを理解できない
>>140は公平性を欠いているまず批判ありきの関羽アンチ。
こういう主張?
関羽と劉備は何でも腹を割って話せる仲なんだよ。
関羽が不満を表立って言えば、黄忠より下に置かれた人達のガス抜きになるし、
関羽が納得したとなればそいつらも納得せざるを得ない。
そういうことだな。
関羽が表立って不満をいうことによって、黄忠や彼を支持する人たちの反発を招き、
そうやって個人的繋がりが強いことをアピールすることで嫉妬や反感を買う。
そんなことはありません。あっても悪いのは相手側です。
>>153 取った側は納得だろうけど取られた側は心から納得してないのは当然。
>>154 そういう事でしょ。
非難にはあたらないとまではいかないにせよ、口にする人だっているものだろう
ってことじゃない?
不満を延々と抱え込むよりも、その場で吐き出しても説諭をうければすんなり聞き
入れる方がいいかたちだとは思う。
>>157 つまり、
>>149と総合すると
貸したものは返す気なかった蜀首脳陣に従う考えの関羽は、
荊州南部の一部を返すという劉備の考えには従う気がなく、
心から納得してないのは当然だから、後々までそれを恨んでいた関羽が
孫権からの使者を怒鳴って追い返した行為は全くもって正当な行為であると?
>>158 なるほど。
不満を延々と抱え込むよりも、そんな不当な辞令は受け取れないとだだをこねて主君の顔に泥を塗りかけた所を、
気を利かせて特別に選ばれた使者の説得によってなんとか思いとどまる方がいい形なんですかね。
>>159 一部を割譲したことではなくて、いきなり進攻されたことを言ってるわけで。
君もそれはわかってるだろうに。
こーして当然、あーして当然。
そういう論法でいけば何とでもなるわな。
荊州出身の新顔が漢中で大出世。
旗揚げ当時からの古株である自分は、その荊州でお留守番。
こんな状況では、多少無理してでも手柄を立てたいと考えるのが当然。
だから関羽は無理にでも北伐を敢行したのです・・・なんてのもアリになるな。
呂蒙は同郷の部下が軍令を犯したといって、涙を流しながらその者を処刑した。
同郷なら助けて当然。事情を聞けばなおさら救うのが当然の状況なんだけどね。
>>161 いわく「首脳陣の考えに従って当然」の関羽が、そもそも首脳陣が火種を撒き、首脳陣も納得の上で集結した戦いの、
軍事上において先手を打たれたことを恨みに思ってあの暴挙に及んだと、そういうことでいいのか?
推論対推論だしな
歴史に答は無いと言われる所以だ
>>165 面倒だからそれでいいよ
互いに納得しないということで。
君を納得させるのは無理なようだ。
>>166 すいませーん。
「士大夫に傲慢だった」
「孫権に対し侮辱的行為をして怒りを買った」
「主君の人事に従おうとしなかった」
「冷遇した部下に反発され、殺すぞと脅し、裏切られた」
全部史実です。
「士大夫がそもそも関羽を侮り侮蔑した」
「しかるべき理由があった」
「他の人間の気持ちも代弁してた」
「それ以前になんかあった」
全て推論です。
>>167 言ってることが前後してる、はっきり書かない、説明が足りない文章を書いておいて、
なんだその態度。納得させる以前に説明できてないから真意を追及してたのに。
また関羽の魅力だけで随分伸ばしたな。
黄忠はともかく馬超の件はどうなんだ
呂蒙が凄かったのか、関羽がバカだったのか。
これが荊州陥落を考える上での人物評価のポイントになると思うのだが。
関羽の失策を擁護するのなら、呂蒙があまりにも凄かったということになる。
関羽の失策を強く批判するのなら、呂蒙は「アホの隙を突いてうまくやったね」程度でいいだろう。
しかし、関羽は悪くない、呉は裏切り者で卑怯者、という考え方には無理がある。
歴史上、ここまで不公平な物の見方がまかり通っている出来事って、そうはないんじゃないか。
長所もあるが欠点もある、というのが普通なのに何故か極端から極端に走りがちだからなあ
そうそう、関羽には忠義心と腕っ節という美点が二つもあるのにな。
多少自己顕示欲が強くて短慮で我儘なところぐらい受け入れてやるべきだよな
おいおい、それだけじゃただの筋肉達磨だ。春秋左慈伝を諳んじ部下に優しかったことも入れてくれ。
劉備の長期留守中を大過なく纏めていたのってかなり凄いこと
>>178 大過があるまでは大過がなかった、というシュレディンガーの猫のようなパラドックス。
>>178 目に見える戦果じゃなきゃ評価されずらいのは仕方ないよ。
一年以上君主が敵地に留まっていられたのは、留守がしっかりしていたからだよ。
敵の侵攻も無いあの場面で大過を巻き起こしたらそっちのがスゴイ。
本当はわかってるんだろう。
典型的なアンチってやつだ。
もっとも敵の侵攻はあったようだけどね。
楽進がちょっかいを出してきてたらしいことが先主伝にある。
劉璋を騙すためのハッタリかもしれないけど。
>>183 曹操遠征下の夏侯惇、孫策遠征下の周瑜、、、
その功績を無視はできないだろうが、逆に大過を巻き起こしてたら無能者呼ばわりされてもしょうがないだろ。
別に関羽が大過おかしたと言ったわけでもないのに。
関羽は凄いとは思うが超凄いとは思わない
臧覇より一ランク落ちるかなってぐらい
こんな俺は関羽アンチ?
むしろ臧覇オタなんでね?
関羽よりすごいかはともかく肥の臧覇は能力低杉
なんだかんだで許チョやホウ徳と並んで伝を立てられてるしな
青州兵の親分格でもあったわけだし、あんまり印象には残らないが猛将だったんだろう
荒れ果てた徐州を管轄した功績などを考えると
猛将どころじゃないわけで。
武勇では許褚や龐悳に肩を並べる扱いで行政手腕も一流か
しかも曹叡の代まで戦死することも政争に巻き込まれることもなく生き残ってるしな
外様の軍閥の長としては優秀だったんだろうが、
牽制かけられまくりで、能力に見合った功績を挙げる機会に終に恵まれなかったのが不幸だな。
最終就職先が曹休の部下じゃなぁ…田豫といい、臧覇といい、上司に恵まれてねぇ(;´д`)
同じ叩き上げでも田豫が九卿に列しながら牽招がそうでない理由ってなんだろう。
決定的な差があったって事かな?
関羽について、家柄が低いからとあったが、それをいったら当時見下されていた
宦官出身の曹操はどうなる?
こういうと「曹操の家は関羽ほどに低くない」と反論がくるだろうが、それは反論
になってない。
もうひとつ
>>128 信賞必罰はそのとおりだが、さらに「賞罰は日をかえず」というのもある。
賞を与えるのに期間をおくとその間に不満を持たれることになる。罰を与
えるのに時間をかけると不安をもたらすことになる。
関羽の行いがまさにこれ。「帰ってきたら罰するぞ」といわれて時間をおく
と、その間に不安が増大して危機感を募らせてしまう。結果「帰ってくる前
になんとかしないと」と妄動させてしまうことになる。
>>198 趙雲だって魏延だって、そうとうに低い出自のはずなんだよね。
どうもこの辺の素行をみてると「左伝」を暗誦できる意味が全く見出せないなあ…。
「左伝」から春秋時代の寒門が貴族社会の中で殆ど栄達できない事実を知った
うえでの反動からくるものなのかと勘ぐってしまうよ。
礼儀を弁えた者や慎みを知ってる者の人生が好転したり、傲慢な者が不用意に
政敵をつくった先の末路がどうなるか、「左伝」のお約束を知っていながら何故
なんだろう。
単なる劣等意識や反発心ではなくて、ショック療法の要領かな。
歴史好きにありがちな、自身を歴史上の大人物に比することで
周囲の小人を蔑むという、典型的な傲慢さを具えていただけだろう。
>>200 諸葛亮?>自身を歴史上の大人物に比する
>>198 曹操は、宦官とはいえ祖父は中央の権力者だし、父親も高官だし、夏侯嬰の末裔。
中央と太いパイプがあって曹操自身も若くして任官している。
むしろ恵まれた立場だろう。
>>198 かといって、糜芳士仁の処罰のために戦争を中断して引き返すわけにもいかないしな・・・。
諸葛亮とは言わないまでも、せめて楊儀がいればそのあたりの代行は出来たんだろうけどな・・・。
やはり補佐役に足る人事は必須だな。
>>203 諸葛亮を入蜀させて、さらに楊儀まで呼び寄せた時点で、
参謀なり補佐役なりのできる人物が荊州に一人も居なくなってるんだよな。
趙累はゲームじゃ文官だけど大将のようだし、廖化はまだ新人だしな。
>>197 牽招は、官渡の後に従うようになった外様だからだろう。
官渡以後に曹操に臣従した部下の扱いは、あまり良くない。
>>204 潘濬などじゃ駄目なのか?荊州は人材の宝庫なイメージあるが。
>>202 やっぱりきたか。それは反論にならない。
曹操の家は社会的な絶対評価では恵まれているほうだが、ここで問題にしている
のは「士大夫階層からみてどうか」という相対評価。侠だろうと宦官だろうと、
士大夫からさげすまれているのは変わりない(ちなみに侠は民衆からの一定の支持
があったのに対して、宦官は民衆からも嫌われた。)。
同じ嫌われる家柄出身でありながら、曹操は士大夫を従え、関羽は出来なかった。
さらに言えば
>>199 にあるように寒門出身でありながら士大夫層も従え尊敬も受けた
将帥はこの時代にもそれ以外の時代にもいる(念のためにいっておくが、ここで「魏延
はだれそれに嫌われていた」という個別の事情を持ち出しても反論にはならない)。
彼らは家柄が低くとも士大夫を従えた。関羽は出来なかった。なら関羽がその点での
失敗をとがめられるのは当然だろう。少なくとも、将帥としては失格の烙印を押され
てもしかたない。
>>207 いきなり将帥失格とまでは思わんが、そもそも関羽の出自ってそんなに特殊か?とは思う。
曹操は袁紹と仲がよかったから
「袁紹殿が一緒にいるんだから一角の人物に違いない」
と思われていたんでは?宦官の爺も結構好人物だったみたいだし
それか筍家の坊ちゃんが仕えてるぐらいだから一角の人物に違いない。とか
しかし士大夫層ってのはよくわからん連中だな。
家柄をきにするあたり今でいえば有名大卒の連中か?エリート2ちゃんねら
みたいな感じかな?
>>209 皆出自では無く人物でも評価してくれるんだったら、それでも評価されんかった関羽って…てなっちゃって、
今までの議論意味ないじゃん、ってならないか?
結局能力の話に戻した時に、
関羽
統率85
武力98
知力40
政治40
魅力60
こんなもんでいいのか?駄目な所の討論だけじゃなくいい所の意見も聞きたいんだが。
関羽の知力・政治力を示すエピソードとかもあったはず。
まあ、将帥として失格とは思わないけどね。
上のほうで出ているようにしっかりとした補佐役を置くべきだったな。
だから潘濬とかじゃだめなの?諸葛亮・楊儀にしか勤まらないってわけでもないでしょ?
>>213 空気嫁よ。必要不可欠な補佐役が無情にも引っこ抜かれたためしょうがない。関羽は悪くない。潘濬は役立たず。
知力72
狩りに乗じて曹操暗殺を進言
中原の賊の扇動
政治55
下ヒの太守の職を代行
荊州の統治は着実に成果を挙げていた
マイナス面を考慮してもこのくらいはあると思う
>>213 あの当時の潘濬を引き合いに出すのは無理があるんじゃないかな?
そこまで認められていたかな。
治中従事だから認められてたっぽい
>>207 同じ蔑まれる家柄でも全然バックボーンが違うでしょ。
漢朝の高官の子息で夏侯氏の一族でもあり王朝内に若くして任官していた曹操と、
裸一貫一代で成り上がっただけでの関羽じゃ。
>>210 ごもっともであります。劉邦のころは出自はほとんど関係なく
実力主義だったのにね。でも魏豹がいたか。
徐庶あたりがいればね、侠客出身?だから髭とはウマが合いそう
だしうまくいった可能性もあるんだけどね。
やはり漢中は髭にまかせて荊州に劉備がいればよかったのにな。
でも仮に劉備死後に関羽や張飛が生きていたらそれはそれで
問題起きそうな気もするな。誰が抑えるんだろう?
>>215 狩の時に暗殺を進言って+要素か?やってたら二人揃って死んでた気も・・・
>>218 わざわざ曹操と比べんでも、蒋欽や楽進らと関羽が違うのか?
>>220 蒋欽や楽進くらいの立場だったら別に問題は無かったろうし、あっても特に表面化することも無かったろう。
>>216 どういうこと?補佐が必要なら補佐に足る人材を取り上げればいいんじゃないの?必要不可欠なら。
>>222 最前地にあって濡須の督として諸軍を管轄する時には問題なく、
荊州を任されると途端に関羽が力で無理矢理押さえつけないとどうしようもないくらい反発されるんですね。
勉強になります。
うむ。
精進せえ。
ようやく終了か
>>223 関羽は軍権を与えられていたが人事権はなかった。それが全てだろう。
楊儀を功曹に任命したのは関羽。荊州に居る人材の人事権は当然握っていたんじゃないんですか?
いい人材なんてそんなピョコピョコ出てこないさ
だから最初に潘濬、と具体的人名を挙げたじゃないか。他にも探せばいただろうに。
>>216>>217>>221 荊・益二州の牧を兼任し独占していた劉備政権下において、治中従事は単なる
州の民政官ではなく、君主直属直轄の刺史にも匹敵する民政長官であったと
思っていい。
つまりは相当な厚遇と信認を得ていたという事。
という事は、蜀では都督といっても州の行政と外軍(州・郡の地方軍)を統轄する
制度であったとは考え難く、関羽の権限は魏の都督制に較べても低かったと考え
られ、民政官の潘濬や、拠点守備軍の長官である士仁や麋芳に命令できる立場で
あったかも疑わしくなってくる。
もしそうなら、関羽の守将らへの態度は自身の地位と権限を度外視した越権的な
行為であるという見方もできる。
荊州の軍事総督、というのだから軍事に関しては専制権を握ってたんじゃないかと。
>>231 督、都督などはもともと軍事の統括者。
例外もあるが行政は基本的に郡レベルでは太守、州レベルでは刺史や牧が責任者。
>>231 関羽の権限がそこまで限定されたものだとすると、これまでの議論が根底から覆されるな。
糜芳や士仁や潘濬らは何をやってたんだ、と思う。
ひびって言いなりというのはちょっと情けない。
俺はてっきり、関羽は荊州の全権を握っていて、糜芳らは従わざるを得ないのかと思っていたよ。
潘濬らは…って、そりゃ潘濬は州の事務の処理を任されてたって書いてあっただろ確か。
つまり事務方のトップ?
>>234 軍事と行政は別。
が、関羽は荊州の軍事総督を任じられており斧鉞も与えられている。
よって軍事に関しては指揮権があり荊州の諸将に関しての命令権はある。
基本的には麋芳らは従わなければならなかったのは事実だろう。
>>235 その事務の責任者である潘濬にはできなくて、楊儀・諸葛亮ならできるサポートってなんですか?
>>236 横からだがホボ同意。
蜀書・関羽伝、呉書・呂蒙伝ともに、劉備に命じられて、麋芳は江陵、士仁は公安を守っていた。
麋芳・士仁ともに、荊州の督である関羽とは仲が悪かった、とある。
両伝を読むに、イザ、軍事行動に入ってからは兎も角、そこまでの日常的な行政は、
麋芳・フ士仁ともに独立した行動として考えた方が良い気がするんだよな。
魏のようには、行政と軍事が一貫してはいなかったのでは無いかと考えられる。
>>237 所在が武陵という事は、
潘濬は関羽ではなく、当時は麋芳・士仁に組していたという可能性が高いのでは?
>>238 出身が武陵であることと、なんか関係あるの?
なるほど。関羽の権限は軍事に限定されていた、って方が理解しやすいね。
つまり荊州統治は実質的に潘濬らの手柄で、麋芳・士仁はやはり関羽の監督範囲内だったと。
>>238 武陵は潘濬の出身地であって荊州失陥時の潘濬の所在地じゃないよ。
荊州失陥時はおそらく州都の公安にいたと思われる。
>>239 潘濬伝よく読め。
出身が武陵である事だけじゃなく、投降後にいきなり取り立てられ、軍事も任されている。
これは、単に事務方として評価されただけでなく、麋芳・フ士仁と同列の扱いな訳だ。
泣いたとか渋ったとか何とかは、儒教的観念から見れば当然の行動であり、
最終的には孫権に即刻取り立てられているので、ここでは問題にしない。
さらに同伝の注の江表伝によると、武陵の従事が劉備側に付こうとしたのを、排除する任を孫権から与えられている。
これは、単に本籍地が武陵であっただけでなく、実際に武陵に住み、詳しかった事を指している。
更に言うなら、夷陵よりも前の時点で、呉で高い評価を受け、実際に軍権を振るう立場だったという事でもある。
ここまでを考えると、麋芳・士仁と行動を同じくしたのは明白だろう。
もちろん、悪いとは言わない。関羽の行動に無理が有ったのは事実だから。
>>240 そう。
つまり蜀の都督の権限や職掌が魏の都督制と比較しても曖昧であるという事。
>>233が言っているのは広義(魏)の都督制に関する権限であって、蜀ではこれと
同じであったとは断言できない。
すくなくとも牧と刺史が存在せず劉備が独占している中で、州の行政が都督の
職掌であったとは思えないという事。
節鉞は基本的に軍事での監察権(処断の独断行使)を容認する象徴だけど、
関羽の仮節は軍事のうえで命令違反者を処断する権限に過ぎず、また関羽の
権限がどの程度かによって、士仁や糜芳への処断が可能か否かもかわってくる。
>>241 > 麋芳・士仁はやはり関羽の監督範囲内だったと。
そうだろうとは思うが、南郡太守麋芳と関羽の留守の間の公安の兵を預かる士仁では微妙に違うんじゃないかなと思う。
>>244 魏や呉の都督もそれだけでは行政権を持ってないだろ?
行政権を持つ場合は太守や刺史、牧なども兼務してるはず。
> 麋芳・士仁はやはり関羽の監督範囲内だったと。
今は
>>231に従って話してるので、それは違う。
>>246 魏や呉では曹操や孫権が行ったそうした配慮が、
劉備→関羽の間では無かったんだな。これが。
>>243 よく読めとそっくりそのまま返してやりたいところだ。
潘濬伝に書いてある初期の功績は内政官としてのもので、役職も県令や治中従事など。
孫権時代に入って初めて将軍位なども授かったんであり、それ以前は事務専門に近かった。
>これは、単に本籍地が武陵であっただけでなく〜
というか、本籍地が武陵だから、以前実際に武陵に住み詳しかった、だろ。
夷陵以前に軍権を預かったのは、荊州南部の異民族処理を任され、討伐に結果を出したから。
ここまでで、麋芳・士仁と行動を同じくしたのは明白だろう、という結論にまるで納得できません。
>>249 本籍地と住所は関係ない。
伝を読む前に当時の常識から学んだ方が良さそうだな。
>行政権を持つ場合は太守や刺史、牧なども兼務してるはず
兼務できないからありえないって話でしょ
>>248 言ってる意味がよくわからん。
関羽には督だったけど行政権が与えられていたとでも言うのか?
253 :
248:2005/11/01(火) 17:59:58
>>250 潘濬は武陵に住んだことなど一度もなかったと言いたい訳か?
潘濬が行政側のトップで、関羽の権限がそこに及んでいないとすれば、
潘濬は北上の推進側ということになるな。
>>249 劉備の所で何の経験も無かったら、孫権に軍務を任される事なんてありえないと思うが。
実験を取り上げて位だけ与えるなら兎も角、いきなり実務に携わっている訳で。
前々から孫権と内通していたと見るのが自然なんじゃないのか?
っつうか潘濬は当時、州都の公安にいたが軍権はなかった。
だから、関羽の留守中の公安の軍を預かっていた士仁が降伏しちゃったんで呉に降らざるを得なかっただけだろ?
前後の状況からして士仁らと示し合わせていたとは思えん。
>>255 行政側のTOPなので、麋芳・士仁に圧力をかけて無茶な北上を止めさせるよう働きかけた、という展開もありうる。
潘濬は関羽に尻尾を振り呉に尻尾を振り
よきYESマンといったところか
>>259 呂壱事件の事を考えると、国益第一で、その次に地域の安定、その為には自らの身を省みないって感じだが。
>>256 陸遜など、始め地方の県長などから地方軍を任されるケースはままあるんじゃない?
263 :
256:2005/11/01(火) 18:12:32
>>261 地方の豪族として優遇された、か。それにしても五渓蛮討伐という一大事の処理を一任され、
5千の兵を与えられるというのは、単に能力を評価したというだけでは説明の付かない信頼度のような。
夷陵での話だから、降って2年も経ってないわけだし。
>>263 土地感があるだろうとか、地元の人間を優遇してるところを示そうとか、色々考えられますね。
>>262 他の人はみんなわかってるよ。
軍事行動を起こすのに必要なのは軍事だけかな?
遠足・・・じゃなかった。
遠征に必要なものをよく考えてごらん。
>>262 他の人はみんなわかってるよ。
軍事行動を起こすのに必要なのは軍事権だけかな?
遠足・・・じゃなかった。
遠征に必要なものをよく考えてごらん。
>>264 そういうのって、いきなりやるモンじゃなくて前々から粉をかけとくもんだと思うんだけどなぁ。
麋芳・士仁・潘濬の行動を見る限り、
劉備に忠誠を誓い、関羽の死に涙したが、孫権の真摯な説得に応じて出仕した。
より、
前々から魯粛や呂蒙に粉をかけられていた。
関羽は初めから誰からの信頼も勝ち取っておらず、関羽の味方なんて初めから何処にもいなかった。
という方が、しっくりこないだろうか。
関羽の荊州での孤立っぷりって悲劇を通り越して冗談のようなレベルだし。
前二者はともかく潘濬のそれらしい行動ってなによ?
劉備様への忠誠心はあるけど関羽がムカつくから降伏ってのもおかしな話だな
270 :
267:2005/11/01(火) 18:31:39
>>268 公安に居たにしろ、武陵に居たにしろ、潘濬は関羽の北上に反対だったはずだという事。
もしも行政のTOPが関羽に味方していたなら、軍事・行政の両方が北上に賛成していた事になる。
その場合、
関羽の北上を麋芳・士仁が支援しなかったなら、その事が潘濬によって劉備に上奏されない筈が無い。
上奏文を書くだけの時間の猶予は十分に有ったはずだ。
また、関羽の北上に供をせず、麋芳や士仁と留守を預かっていた以上、
関羽に味方していたなら、麋芳・士仁を処罰する算段を整える潘濬を、二人が害さないはずが無い。
>>270 二人の直属のトップである関羽が劉備に上奏してないんですが。
>>266 はあ?
関羽は軍事に関しては専断権を与えられてるんで潘濬に拒否権はない。
関羽が軍事行動を起こしたからといって、関羽と不和だった潘濬がその軍事行動の推進側だったなどという結論は導けない。
潘濬が北上に反対だったのなら戦費や食糧はどうやって用意したんだ?
私財を投げ打ったのか?
潘濬は推進側だと考えたほうが自然。
だからこそ糜芳や士仁がガクブルしてたと考えるべき。
>>272 >関羽と不和だった潘濬が〜
関羽にしては珍しく、こんな記述どこにもないぞ。
275 :
267:2005/11/01(火) 18:43:10
>>271 関羽はあくまで荊州の督で、麋芳・士仁の二人は直属ではない(2人は劉備が任命した事になってる)はずだ。
それに、関羽が逡巡して上奏しなかったにせよ、それで潘濬が上奏しなくて良いという事にはならない。
3者の不和が荊州の防衛を不可能にするのは明白だ。
また、関羽・麋芳・士仁の間の不和は敵国に伝わるほどで、それに潘濬は気づかないというのはおかしい。
3者の不和を潘濬が分からなかったなら、潘濬は愚か者になり、
3者の不和を知っていて放置したなら、潘濬は国益を前に自己保身を採る臆病者という事になる。
潘濬は、孫権に高く評価され、後の呉壱事件でも勇気を見せている事から、上の2つのどちらにも当てはまらない。
関羽の不明を潘濬が補佐しないなら、組しないだけの理由があるはずで、ならば北上が理由ではないか?
と、考えた。
>>273 出陣直後はどうでも、関羽の食料補給が途切れた記述が正史にあるよ。
そこで略奪を働いたかどうかは伝によって記述が異なるし、裴松之は否定してるけど。
278 :
267:2005/11/01(火) 18:47:03
>>273 内心反対でも軍事に関して専断権のある関羽の要求は断れなかったんだろ。
>>277 つまり最初は私財で出陣したと?
ちなみに食糧が不足したのは数万の捕虜が出来てしまったから。
>>275 軍事に直接関係のない内政担当官の潘濬が軍事上のいざこざで関羽を飛び越えて劉備の報告する義務なんてないでしょ。
>>281 義務なんて無くても、3者の不和が破滅をもたらすのは分かりきってる。
284 :
267:2005/11/01(火) 18:54:26
>>276 横から失礼。
関羽と仲が悪かった、とハッキリ書いてあるね。知らなかった。<潘濬
しかし、関羽は何なんだ。能力の如何に関わらず、荊州の連中全員と仲が悪いじゃないか。
>>279 そういう事だと思う。
>>283 面と向かって反対してたら、処刑リストに名前が加わらないまでも、トラブルが拡大するような。
劉備という第三者を挟まないと関羽がどうにもならないのは、既にそこまでで分かってそうなもんだけど。
>>284 > しかし、関羽は何なんだ。能力の如何に関わらず、荊州の連中全員と仲が悪いじゃないか。
プライドの高いお人だからな。
お前ら、オレ様に黙って従えじゃあ軋轢は免れんだろう。
内心反対だったけどびびって従ったのか
潘濬しょっぱいな
あと士仁や麋芳は蜀側の記録だと裏切って進んで呉軍を引き入れたみたいな記述だが、
呉側の記録だとちょっと違うんでその辺も多少考慮にいれんといかんような気がする。
関羽、麋芳、士仁、潘濬の関係がよく分からない。
関羽は荊州における軍事のトップ
潘濬は荊州における行政のトップ
麋芳、士仁はそれぞれ南郡、公安のトップ
行政の命令系統は潘濬→麋芳、士仁
軍事の命令系統は関羽→麋芳、士仁でいいのかな?
それとも関羽→潘濬→麋芳、士仁?
>>286 潘濬も必ずしも北上そのものには絶対反対というわけでもなかったと思うよ。
麋芳や士仁にしても糧食は送ってるわけだし。
やはり関羽が結果的に引き際を誤ったのが一番大きかったと思う。
>>286 内心不満を持っていたが、我慢して従っていた。と書くと大人。
荊州を運営していたのは関羽糜芳士仁潘濬の4人だけではあるまい。
軋轢があった人だけが記述されたってだけで、
「〇〇とは軋轢が無かった」なんていちいち記述されない。
それぞれ権限が別で長いこと一緒にいれば軋轢も生まれるさ。
劉備の親族でまとめ役みたいな人がいれば良かったね。
>>290 それは国士としては情けないぜ
反対なら断固として協力を拒むべきだ
>>288 士仁は関羽の直属の部下という認識でいいと思う。
麋芳は関羽の部下ではないが軍事に関しては指揮下に入る。
潘濬は関羽と職掌が異なり明確な上下関係はない。
潘濬と麋芳は本社の監督部署の長と子会社の長の関係?
294 :
267:2005/11/01(火) 19:17:47
>>285 兵卒や民衆に人気が有っても、同僚と上手く行かないようではね…。
しかも、正に身から出た錆という感じだ。蜀書の記述だけに、これは嘘では無いだろう。
>>287 麋芳は内応していた記述が呉書・呂蒙伝にも有るけど、士仁は、麋芳が降ったので仕方なく降伏したようだね。
そして、麋芳は初め篭城の構えを見せるが、士仁が降伏していたのを確認して説得に応じて降伏。
潘濬は、荊州が呉の物になった後、孫権に説得されて呉に降る。
記述上はこういう流れか。
>>288 行政の命令系統は潘濬→役人
軍事の命令系統は関羽→(機能せず)→麋芳、士仁
ではないかな。
いずれにせよ、関羽が呂蒙の計略にまんまとかかって防備を疎かにしたのは事実。
麋芳は乱暴者で不始末をやらかしたにしても、士仁は反対をした以外に特に落ち度は無く、
(むしろ、麋芳・士仁の防御兵を減らさないという反対は、結果から見れば正しい)
潘濬にいたっては落ち度が有ったかどうかすら定かでは無い。むしろ功績は有っても落ち度は無い。
態度が悪い、能力を正しく評価しない、足元はお留守、敵は虎視眈々と自分達を狙っている、
という状況下では「関羽を裏切るな」というのが無理な話か。
>>292 政策上の対立なら時にはありだが、個人的な好悪を持ち込むのはまずいべ。
政策上でも、スタートしてしまった以上全力を尽くすべきかな。
>>296 1、軍事上の権限は相手にあるので、反対を押し切り強行された。
2、好き嫌いはともかく、作戦自体は問題ないと思った。
3、嫌だったけど関羽にビビッた。
その後の行動を見ていると、3はないいんでないかと。
>>294 それは関羽が荊州の全権を握っていたと仮定した話ね。
ここでは権限が別。
劉備への忠誠心はあるけど関羽が嫌いだから裏切るというのは成立しない。
私怨で荊州を明け渡したことに外ならない。
>>297 あ。ごめん。
×士仁は、麋芳が降ったので仕方なく降伏したようだね
○士仁は、呉軍が城下に迫ったので仕方なく降伏したようだね
という事で。
>>297 士仁は麋芳が先に降ったと騙されたんじゃなかったっけ?だから両方とも合ってると思う。
>>298 1も違うな。
潘濬の協力なくして『強行』は無理でしょう。
少なくとも初期段階では協力していただろう。
作戦の経過を見て反対に転じたってことなのかな
>>294 あ〜あ、ageちゃった・・・
荒れるよ〜・・・
それとも君が荒らし?
>>301 騙されて降ったのは前回の呉の荊州侵攻時の郝普じゃないか?
権限がバラバラでそれを統轄する人物も無しか。
こりゃ無茶だわな。
>>303 なんか反対行動をとったわけでもないので、その辺の心境はわからんな。
>>306 統轄するのは関羽だろうが、せめてもうちょっと権限を集約するとかあればな。
内閣と陸軍と海軍に軋轢があったのと同じだな
劉備の歳なら成人の息子がいてもおかしくないんだけどな
潘濬が関羽に協力しなかった、という記述はあった?
無い
313 :
267:2005/11/01(火) 19:59:54
>>304 荒らしかどうかはレスの内容で判断してくれ。
ageたのはすまんかった。
関羽は軍事のトップで潘濬は行政のトップで、不和であった
まあ、軍人と官僚の対立ってのはよくある話だな
ようやく終わりそうな気配
で、結局関羽の能力地はどんな感じに落ち着くの?
ほとんど魅力のことしか話してないが、
統率 不明
武力 不明
知力 高くない
政治 低い
魅力 大舞台を任せるには低い
こんな感じじゃないかと。ちょっと主観が入るが、
統率 85
武力 98
知力 55
政治 35
魅力 65
こんなかな。
>>316 厳格に、辛めに採点するとそのぐらいかもしれんが、インフレし過ぎのゲームに合わせると浮くな。
俺は
統率 90
武力 98
知力 60
政治 45
魅力 70
ぐらいあると思うが。
知力そこそこ
魅力そこそこ
知力73
政治50
魅力75
こんなとこだろう。
ここでは語られていなかったが、魏での評判など魅力を現すエピソードもある。
荊州の民心も得ていたようだし。
知力は70以上でよい
>>318 魏時代は(人質がいるせいか)謙虚な態度だったのかね。
あれで傲慢じゃなかったら義理堅く、部下思いで、武勇並外れの尊敬に値する武人だよな。
ただ知力高すぎじゃね?
魅力90以上て誰だろう
夏侯惇あたりか?
>>320 そのくらいないと扇動は成功しないだろう。
陸遜の計略にかかったのはマイナスだが、陸遜の知力は90を越えるだろうから十分に差は表現されている。
傲慢じゃなかったら魅力もMAXだよな…どこでボタンを掛け違えたのやら。
>>321 曹操&劉備がデフォ。張角もおなじみ。
あとは夏侯惇・荀ケ・孫策・孫権・周瑜・諸葛亮とかかな?
>>322 しかしそうすると戦況判断の拙さの分の-がないし、
糜芳・士仁問題の-が全部魅力直結になって、今度は魅力がさらに下がるような…と思ったが、
あれがなければ魅力90前後もおかしくない関羽だからこんなもんかな?
知力70
政治50
魅力75
でどうよ?
前後2、合わせて5の範囲内で
統率 83〜87
武力 97〜99
知力 68〜72
政治 48〜52
魅力 70〜75
どう?武力だけ範囲狭めたけど。
>>327 多少幅あった方が納得しやすいとは思う。
俺は高めの方の数字にしっくりくるが低めの方に感じる人もいるだろうから、同意しとく。
>>324 ついでに魅力を固めるのも面白そうだが、孫権・諸葛亮は微妙じゃないか?
諸葛亮は…人材起用の難点は有っても好かれてはいるな。
関羽より上は間違い無い。
関羽でこんなにすっきりする能力値に落ちついたのって2ちゃん人生で初めてだ
荒れるかとも思ったけどツッコミいれてよかった…
孫権は逆に人材起用の名手だし、評判も悪くないし、好かれてもいたかもしれんが、
なんかこいつに90以上やるのは躊躇われるな。俺だけかもわからんが。
332 :
267:2005/11/01(火) 21:48:23
>>330 魅力90以上だと思ってたんですが…潘濬に対する態度を知って考えを改めた。
張飛以上ではあっても…劉備には到底及ばないですね。
張魯・袁紹も魅力90の候補には入んないかな?
曹操・劉備・張角
夏侯惇・荀ケ・孫策・孫権・周瑜・諸葛亮・袁紹・張魯
15人としてもあと四人は入れるな。
孔融・曹丕・孫堅・劉表・劉焉、劉虞あたりの群雄・名士かな?
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/01(火) 22:32:20
魅力といっても悪党には悪党なりのカリスマって奴も想定できるからな
あと名士系の人は魅力よりも名声などの大小で評価できるかな
俺なら上から順に
劉備
張角
曹操
孫策
荀ケ
孫権
袁紹
周瑜
夏侯惇
諸葛亮
で10人。
>>334 >孔融・曹丕・孫堅・劉表・劉焉、劉虞
曹丕が陰険ではなく、カリスマや人付き合いの上手さが有ったら、後継者選びはすんなり行った。
孫堅は人と諍いを起こしまくりの殺しまくりで、最後まで同志が増えなかったので有り得ないかと。
軍人としては優秀だったと思うけど、敵多すぎの味方少なすぎ。
劉表は人柄で幻滅され、統治能力で評価されてた感が強い。
しかし、ソレを差し引いた上でも、彼を慕って集まった人士は多い。
幻滅した人が多くとも、逗留した人も多く、求心力は確実に有った。90に近いのでは。
劉焉は人望というよりも、野心で益州の腹黒豪族を糾合した感が強い。
規模はどうでも、やってる事は董卓と同類。90は無いと思う。
劉虞は、袁紹に擁立されたから人が集まったという感がある。
本当に彼個人に魅力が有ったんだろうか。その割には味方が少ないような。
孔融は文句無いように思う。
トンは愛されてるけど、交友関係の広さやカリスマ性となると疑問。
三国志の中で、他の人の伝に登場する回数が少ないので、それほど影響力は無かったように思う。
トンを抜き、「劉表」と「孔融」を推した上で、候補に、さらに「羊コ」と「士ショウ」とを推すかな。
羊コは、陸抗との対決もさることながら、その人望でやがては荊州の人々の心を蕩かしてしまった。
交友関係も広く、統治手腕と人望そして優れた人材登用の手腕の持ち主でもある。
士ショウは、南海に人士を多く招き、その人脈は中華を覆っていたという。
交友関係にも層々たるメンバーが並ぶ。
>>336 10人なら、そこからトンを抜いて孔融かな。
民衆本意に考えるなら、こうじゃね?
張角
劉備
袁紹
曹操
孫策
周瑜
孫権
荀ケ
夏侯惇
諸葛亮
(番外関羽)
荀イクはどれだけ民衆に知名度あったのかな
袁紹と曹操だけど、曹操は酷吏のウエイトも大きいので難しいな
まぁ後世の人々の敬愛は関羽に降り注いではいないのかもしれないが
色々と愛されているとは思うのだがなぁ、これは番外として進めた方がいいな
関羽だけでスレが進むのもいかがなもんだと思うし
張昭はどうよ?
性格はともかく、張昭伝の記述を見るなら、呉中における最大のカリスマだよ。
>>338 民衆本位であれば諸葛亮はもっと上位だな
宰相の墓に詣でる民衆なんてのはなかなかあり得ないし
>>339 中原での評価だと、張昭よりも張コウのほうが高かったような。
張昭の威厳は、時間によって積み重ねられた最古参の重みじゃないかな…と愚考してみる。
>>341 確かに長老としての物もあると思うけど、孫権の台詞をみるに、
家臣団や民から絶大な支持を得ていたと考えられる。
名士としての名声、魅力は、
後漢なら孔融、
魏なら荀ケ。
次いで鍾ヨウ、華キン、王朗の順。
呉は張昭、張紘
蜀は許靖
この辺の人物が優秀と思う。
皇甫スウを忘れてないか。彼は董卓関係で躓くまで、絶大な支持と尊崇を集めている。
忘れた。
晋なら王祥。
これも加えておいて
>>342 名士としてなら呉の周瑜も侮れないと思う。中原の人も重んじたとかなんとか。
346 :
341:2005/11/01(火) 23:34:30
>>342 なるほど。無視できない、皆が頼りにするのは張昭の立場とその重みに対してだけの物ではない、と。
>後漢なら孔融、
>魏なら荀ケ。
同意。
>次いで鍾ヨウ、華キン、王朗の順。
鍾ヨウはショウカのような存在ですなぁ。
>呉は張昭、張紘
同意。ただ、二張の名声って呉政権ではあまり役立ってないような。
貢献度を考えると、周瑜や顧公の方が大きいのでは。
>蜀の許靖
微妙だなぁ。
流浪の果て蜀にたどり着くまでに、人間として大事な何かを使い果たしてしまった感じがする。
蜀で許靖の推挙した人物というのも…うーん。
>>晋なら王祥
裴秀はどうざんしょ。
>>345 周瑜は、名士としての人格的評価と、将軍としての実力的評価の半々だと思うな。
名士としては2張に一歩譲るんじゃないかと。
348 :
341:2005/11/01(火) 23:49:12
馬鹿でかい功績と遠大な野心が主で、名士としては一歩劣る、か。ふむ。
>>345 確かに、
後漢なら
>>343で挙がった皇甫嵩。他に盧植なんかも良い線。
魏なら崔エンを筆頭に列伝第十二の人物達。
呉は周瑜。
>>346 裴秀(・∀・)イイ!!羊コと杜預も(・∀・)イイ!!
賈充は(・A ・) イクナイ!でも別の意味で(・∀・)イイ!!
許靖は、なんか俗人っぽいんだけど、
季漢輔臣賛や評や他国の人物に非常に高い評価を受けてるんだよね。
名実が異なるって事で、また蜀の名士の代表格って事で
>>342に挙げてみた。
張昭はカリスマ的にも人格的にも、君主である孫権にサシで渡り合える
唯一の人物だったと思うんです。また中原や蜀にも通用する名声としては、
自分は孫権より張昭と周瑜の方が上だったように史書から読み取りました。
夏侯惇が入るのなら呂蒙、羊コあたりも入れてやりたい
>>350 羊コはともかく、呂蒙はどうか?決して低くはないと思うが…
>>351 カリスマ、という点では周瑜らに劣るが
君主、部下、民からの信頼や人格という点で、入れてあげたい
夏侯惇が入っているのならなおさら
>>352 確かに呂蒙はかなりの人格者だが、一度切れて甘寧を抹殺しようとした話の印象がどうも抜けんなw
いや、ありゃ甘寧が悪いんだけどね。
群雄としては袁紹・劉表は結構評価できそうだけどな。
>>349 >裴秀(・∀・)イイ!!羊コと杜預も(・∀・)イイ!!
>
裴公は、これぞお大臣という感じだ。
羊コは、フランクで懐の広そうな感じが良い。
杜預は、鍾会やケ艾とのエピソードからも一本筋が通ってる好人物。
ただ、後継者争いに加わって、結果隠棲する事になったのは悲しい事だ。
賈充は、やりたい放題やったけど晋の土台は作ったのだし、
国が出来上がる前に死んでしまったのは、
彼のせいでは無く…司馬炎があまりにもアホだったからだよねw
>許靖は、なんか俗人っぽいんだけど、
>名実が異なるって事で、また蜀の名士の代表格って事で
>>342に挙げてみた。
>
許靖については何の擁護も出来ないな。
本当、蜀に辿り着く前と後で、中の人が入れ替わったとしか思えない。
流浪の中で一族郎党を飢え死にさせてしまった事で、物質主義者になってしまったのかなぁ。
> 張昭はカリスマ的にも人格的にも〜
>
孫策が周瑜ではなく張昭に後事を託した事から見ても、
張昭は孫権が成人するまでは実質的に孫策の名代だったのだろう。
そして、良く纏め、良く治めた。
そうすると、皇帝となった孫権との微妙な綱渡りの主導権争いも納得か。
性格はアレでも、君主を立てて一線を退く事に何の迷いも無いのも気持ちが良い。
しかし、孔明と張昭。どちらが名代の役割をキッチリ果たしたかと言えば、
ハッキリしているよね…劉禅と孫権では…比べるまでも無く。
張昭はカリスマというより重鎮感って気がする。
それも魅力の一つだけど。
縁もゆかりも無い土地で苦労や年齢や矜持で積み重なった物だと思う。
それの集積の証の一つが曹丕から『典論』を送られた事なんだろうと思う。
張昭は森元総理、小泉にゃあなれない
>>354 許靖はなんか凄いですよね。
伝を読むと法正の言い分はもっともと思えるし、思う。
でも季漢輔臣賛じゃ「司徒清風、是咨是臧、識愛人倫、孔音鏘鏘」
楊戯はほめ殺しのつもりなのだろうかw
諸葛亮はあくまでも君臣の分別がついていたと思う。
だから尚書や司隷校尉などの権力を一手に担い、国家を担い。
まさに死力を尽くし先君の恩と、劉禅の厚遇に精一杯報いたと思う。
公平な姿勢は家臣団や民の信頼を得たし、名実そろった名宰相と感じる。
張昭は、何というか、君臣の間柄を超えたところまで踏み込んでいたように感じる。
孫権と張昭は、それこそ情で結びついていたというか…
有名な喧嘩も、普通の君臣ではあり得ない物だし、孫権は文句は言うけど、
結構、張公云々って感じで頼っている。
自分は君臣としてなら諸葛亮が優れると思うけど、
名代としてなら張昭も優秀だと思う。そのため陸機は弁亡論で功臣を列挙した際、
師傅としての張昭を筆頭に挙げたのだと思う。
>>357 >許靖はなんか凄いですよね。
数々のエピソードは本当に色々な意味ですごい。
兄弟喧嘩は何とかならんかったのか…とか色々本当に。
>諸葛亮はあくまでも君臣の分別がついていたと思う。
本人は付けてたつもりなんだろうが、劉禅がどう思っていたかは謎ですね。
孔明存命の間、劉禅は本当に何もしていない。
誰から見ても居ても居なくても変わらなかったのではないだろうか。
劉{王炎}とのトラブルを見るに、北伐の間に家臣の妻に手をつけていたようだし、
董允死後は、彼を憎むようになった事から見ても、誰もが劉禅の教育には失敗している。
孫権と張昭の間に見られるような 愛 が孔明&董允と劉禅との間には見られない。
君臣としての分別は、そういう意味では付いていたのかもしれないけど、悲しい。
総合して考えるに、張昭の魅力というのは非常に高いというのは納得。
孔融は名声という点では後漢社会において文句なしだが、魅力・カリスマという意味で
考えるとそんなに高かったのか?と疑問が生じる。
個人的には、孔融は許靖と同じ虚名の人だと思っている。
なんかうまくまとまってて、読みやすかった。ほぼ同意。
>>358 孔明って、言ってみればマキャベリストでしょう
劉備が劉禅への遺言で出した書名も法家のものが多いし
17歳頃の多感な時期に法家思想を叩き込まれて色々抑制されてたんだとしたら
孔明や董允の死後反動で放蕩をはじめるのもむべなるかなという気はする
>>354 孫策が周瑜ではなく張昭に託したのは、ひとえに周瑜が任地に赴いていてその場にいなかったからかと。
実際孫策死後は周瑜と張昭で一切の事務を取り仕切る両輪体制だし。
>>363 蜀の場合は、孔明と李厳だった訳か。張飛が生きていればなぁ(つД`)
李厳はたまたまそこにいただけという説もある
>>359 同意。
弁が立つし名声や機知はあるけど、魅力を顕すエピソード皆無で
民衆にも好かれていないから、虚名は高くても魅力があると思えん
孔融は後漢の遺物というイメージが。
それはともかく、劉虞なめんな!
いや、別に特別好きなわけでもないけど
異民族を徳を以って懐柔できた人ってあんまりいないだろ?
前漢の文帝のようなイメージがあるんだが。
孔融は野心家でもあるところが何とも感心しない。
崔季珪の方をランクインさせてやりたい。
ついでに張紘>張昭と見る場合、虞翻も入れてやりたいなあ。
異民族を徳で懐柔
…黄蓋→山越は?
山越を異民族と言い切ってしまっていいかどうかは微妙なところ。
でも黄蓋の魅力も高そうだな。言うまでもなく田豫も。
そういうレベルなら張嶷や何祗なんかも欠かせないなあ。
黄蓋といえば赤壁の戦いが有名だが
演義
苦肉の策、火計の実行者で最大の功績を挙げる
正史
便所に逃げ込んでいたところを味方に助けられる
>>372 あれ、
矢を受けて落水→見方の船に引き上げられるも黄蓋だと兵士達には分からず便所に放置
→韓当が声で黄蓋だと気づく
じゃなかったっけ?これって演義?
正史だよ
あと、正史でも火計の提案者で実行者。なんだろう、珍しいけどアンチ黄蓋?
>>373 演義だと便所に放置されず、直接韓当に救出される。
便所云々が乗ってるのって、注が呉書による物だからなんだろうなぁ。
史書には本人の恥となるエピソードは載せねえもんなんだが呉書なら納得。
呉書の記述って生き生きとしてて好きだ
>>358 北伐の間に家臣の妻に手をつけていたようだし
マジ?劉禅そんな事してたの?秀吉と並じゃねーか
見損なったぞ劉禅
>>379 234年正月、劉琰の妻胡氏が太后の元に年賀のため参内した。
太后の命令で留め置かれ1ヵ月後ようやく退出した。
胡氏は美人であったので後主と私通したのではないかと疑い、暴力を振るったあと離縁した。
胡氏は訴え出たため劉琰は投獄され処刑された。
その後、大官の妻や母が朝賀に参内する者が絶えた。
これをどうみるかだな。
劉エンの妻の話だったら、劉禅が本当に手を付けたかは分からんけどな。
年賀の為に太后のもとに参内した妻が1ヶ月以上帰って来なかったので、
劉エンが妻の密通を疑い、鞭打った上で離縁したって話のはずだ。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 10:32:55
ケコーン
383 :
358:2005/11/03(木) 12:56:24
>>379>>380>>381 他には、董允伝に、后を宮殿に満つるほど増やしたいと望みながら、董允に止められている事。
また同伝に、
陳祗と黄皓が助け合うようになると、2人が董允を貶めた為、彼の戒めた事を守らなくなったとある事。
これは時系列的には劉王炎の処刑の後の出来事だが、劉禅が好色であった事の証明にはなる。
劉エンの事が眉唾物の事件なら、劉禅の名誉の為にももう少しマシな書き方が出来たはず。
しかし後主伝ではなく、わざわざ劉エン伝に書き、そこで否定しながら、董允伝では含みを残している。
劉禅が全く無実なら、董允伝の記述は一切、書く必要が無い。
そもそも、出征直前の家臣の妻を、宮殿に集めるというのが異常だ。
しかも、「以後は朝賀が絶えた」とある以上、これは習慣で、一度ならず有ったという事になる。
劉エンの妻については無実だったかもしれないが、あわせ技一本で人妻に手を出していた、と推測する。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 12:57:47
劉禅ぽーっとしているよいうに思えてヤリチン
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 13:13:15
皇帝が好色で何が悪い
386 :
358:2005/11/03(木) 13:19:00
>>385 好色が悪いとは言ってない。
自分の行動が周囲にどんな影響を及ぼすのかを全く分かって無かっただろうというだけ。
387 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/03(木) 13:30:06
劉備 子供3人
劉禅 子供7人
よって 劉禅>>>劉備
劉禅は中華史上最高の勝ち組ニート
380だけど
「好色=部下の妻に手をつけた」ではないと思うが、
最後の一文「その後大官の妻や母の朝賀が絶えた」
というのはかなり意味深だよな。
ちなみに劉琰は232年に魏延と対立して諸葛亮によって成都に帰されて以来、干されてる。
もともと劉備のお気に入りで古株というだけのお飾りだったけどね。
だから383の言うような出征直前の家臣には当たらないし、参内したのも太后の元であって後主の元ではない。
>>389 うむ。太后のもとであって劉禅の所では無いし、劉王炎は既に干されてもいた。
問題として残るのは、不満を爆発させたのは劉王炎だけであっても、他の大官の妻や母の朝賀も有った。
劉王炎の事が有って、これが無くなった。
ここなんだよな・・・もう少し研究を進めれば分かるのかもしれんが。
>>380 マジかよ。234年ってまだ諸葛亮が生きてるじゃん。
そんな頃からか。女増やしたいとか言ってるあたりなんか故亥みたいだな。
>>391 劉禅が後宮の数を増やしたいと望んでいたという記述は劉琰伝ではなく董允伝にある。
もっとも董允が生きてる間は止められて我慢してたから、諸葛亮在世中に問題が現実化したということはない。
また劉禅は諸葛亮が死んだことを賀した家臣を処刑してもいるから、決して諸葛亮の事を蔑ろにしてたわけでもない。
まあ劉禅も他にやることもないし、跡継ぎを作ることも皇帝の仕事なわけだし、他に特になんか問題を起こしたわけでもない。
多少のわがままは許容範囲とみてやってもいいんじゃない?
>>387 劉備は歴史に残ってない息子や娘がたくさんいるんだろうな・・・
一つ思うのは、劉禅のあのエピソードが暗君の証拠になる理由がわからん。
普通に読めば、あれは「諫言を受け入れる君主」の話だろう?
諫言を無視して「昔のことなんか知ったことか、俺は女がいっぱい欲しいんだー!」
とか強行していたら暗君でいいと思うけど。
それと、他でもでているが中華の君主にとって女を多数持つことは別に罪じゃない。
臣下の妻を奪ったり後宮の運営費で国庫を傾けたりしたら問題になるが、劉禅には
そんなことはない(劉琰の妻の話も、証拠はまるでない)。後年の蜀で財政問題に
なったのは姜維の北伐だしな。
特に何もしてない君主が後宮の規模を拡大しましょうといったら、
かなり暗君に近い印象を与えるのは当然のことだと思うんだが。
396 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 00:09:25
暗君以前に傀儡だからなあ
>>394が言ったばかりでまだ暗君とか傀儡とか言ってるのってなんだか…
三国時代に縛られた見方してるからおかしな意見がでてくるんだろうか
>>394 とりあえず「あのエピソード」はどれを指すの?
劉琰の話?董允の話?
少なくとも名君でないことは確かだよな。英雄は色を好んでめ良いが凡人が好むとあまりいい印象ではない。
397が何が言いたいのかわからん
まあ俺も色は好きだが、嫁さんとなると20代後半?
あんまり興味ないな
>>400 当時の感覚や中国史全体から考えれば劉禅は暗君でも傀儡でもないと言いたいんだろう。
無理があるな。
中国史全体から見ても劉禅は亡国の君の類だからな。
しかし劉禅は三国志の中でもちゃんと「後主」と呼ばれている。
これは、無能や悪政で国を滅ぼした君主にたいするよびかけではない。
きちんと名もさけられているしね。
劉禅が名君だったなんて言わないし、後世には演義の影響で一般に暗君扱い
されているのも事実。
しかし実際には後世に叩かれるほど悪事をなした人物ではない、ということ。
>>405 史書でどう扱われているかと、実像がどうだったかというのは全く別とは言わないが、
そもそも後主という呼び方が皇帝に対する呼び方としては一般的な物じゃなかったりする。
更に言うなら、名を避けるかどうかは時の政権の影響が大きく、
暗君と呼ばれた人物でも、名を避けられている例はある。
(司馬衷、煬帝など。煬帝自体が最悪の諱だが。)
つまり、後主と呼ばれていることや、名を避けられていることは暗君で無い事の反証には全くならない。
また、暗君と判断するかどうかは史書を読んだ人間の反応であり、
演義の影響だと決め付けたり、君の意見が普遍的な物であるかのような物言いはよくないな。
>>406 劉禅の代で国は終ってしまったんだし、在位中にさしたる治績もないからかな。
「暗君とはいわないが、ただの人だった。政治家としてあまりいいイメージはもっていない」
というのが史書の認識なんではないかと>後主
先主・後主・呉主などは史書の建前だろ。
亡国の君主が評価されないのは仕方ない
>>407にほぼ同意。
亡国の君主でなくとも酷い暴君や暗君なんてやまほどいるんだし。
三国志しか知らない人にとっては最低の君主に思えるってことだろうな。
>>410 暴君なら孫晧を忘れちゃいけない。
一応権力闘争を勝ち抜いて君主となった暴君孫晧。
父の後を無難についで多少操られやすいところもあるが特に暴政をしいたわけでもない暗君劉禅。
配下になるなら劉禅の方がマシかな。
暗愚なリーダーというが、これは大体が、気概なく、知識なく、判断力なく、指導力なしのタイプ。
不評はあっても「物足りない」系の悪口しかない。
劉禅は国を潰してしまったのだから、ちょっと悪く言われてもしかたがないところか。
劉禅は典型的な凡君だよ。
秕政を布くでもなく善政を布くでもなく、軍事や人事にも特筆すべき事績はなく
自己主張も少なく奇行もなく、すくなくとも人格にさほど問題があるわけでもない。
滅亡の原因を劉禅か誰か特定の人間に帰そうとするのもおかしいね。
ヒステリックに批判されるほどダメではないが弁護するほどの何かがあるわけでもないよな
まあそんな劉禅が好きなんだが
パラは全能力一桁は無いにしても、せいぜい20〜30くらいかね
416 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 14:41:54
平均70で義理・野望・勇猛が0で冷静だけ普通。
騎射もできるんだしそれでいいじゃないか。
>>413 まったくその通りだと思うんだが、その上で話を戻すと、
そういう劉禅にとって彼が後宮の拡大を図ろうとした云々という逸話は、
凡君の名の上に暗君テイストを加えるコトになっても仕方ないよね、という話。
一応君主としての教養はあるんだろうが70はあり得ナス
武力40代
知略50代
政治60代
魅力70代
おまいら、後宮の拡大を申した時期と第一御子が生まれた年数って知ってんの?
国を潰した皇帝達・・・、
袁術と劉協と劉禅と曹奐と孫晧では、だれかいちばんマシ?だれがいちばんアフォ?
421 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 15:05:01
公孫淵が一番マシ
>>419 劉璿が生まれたのは、帝位について2,3年だな。
後宮云々はそれからおよそ10年経つか経たないかといったところ。
劉禅30歳前後、政治軍事は諸葛亮に任せっきり。
退屈ではあったろうなw
魏略を信用するなら、劉禅が国政に直接携わるのは蔣琬の死後だから246年ごろか
40歳になるまで皇帝が国政を執る機会がなかったというのもおかしな話ではあるんだよな
本人にその気がなかったのが周囲がそれを許さなかったのか
>>418 ほとんど何もやってないのに高杉
全部−20が妥当
劉禅の能力値はオール一桁でもいいかも。
ただし特殊能力として「丸投げ」が是非ほしいw
>>426 武将データが無い キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
>>425 魅力はそこそこ高くてもいいだろう。
てか騎射ができるってマジなの?
君主というのは何もしない無為の君主よりもよりも自ら政治をみても秕政を行う
暴君の方がはるかに害悪。
諸葛亮の時代は信認して政治を丸投げしても国政運営に支障を生じさせなかった
ことをみれば、並程度であっても最低の評価にはあたらない。
丸投げするというのはそれだけ信用できる臣でなければ君主の地位も危うくなる
場合だってある。
状況は違えど劉邦だって蕭何に政治を、張良に戦略を、レキ生に外交を丸投げ
してるし、万能である必要なんてないもの。
任せるのと丸投げするのと全然違うし。
劉禅の即位時の年齢を考えないと。
幼年の皇帝は外戚か有力者が摂政するのが普通。
劉禅の場合は諸葛亮ら輔政の臣が有能で宗室に危害を加えず、国益を損なう
失政もなかったから。
劉禅がはやい時期から親政をおこなっても成功するか否かは分からない以上、
劉禅の丸投げは賞賛されないにしても非難の対象にはならないね。
432 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 19:27:41
後から姜維をコントロールできなくなってましたが、あれはやはり劉禅の責任ですよね。
>>431 でも孫権も劉禅と同じ年齢で後を継いでるんだよな。
擁護すればするほど墓穴を掘る劉禅オタ
>>433 孫策が孫堅パパを亡くしたのも17の時だわさ。
436 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 19:41:06
劉禅が暗愚または凡君ではなかったと主張するには、ずっと傀儡だったと言うしかないよ。
傀儡だから能力を発揮する機会がなかった、と言えるから。
434 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 2005/11/04(金) 19:31:24
擁護すればするほど墓穴を掘る劉禅オタ
アンチとか擁護とかじゃなくて実態がどんなものかって感じの話だろうに、
流れ読めない奴はどうにもならんな
これが本物の無能か
>暗愚または凡君ではなかったと主張するには
上の方でも凡庸な君主だってあるのになんか勘違いしてない?
誰も劉禅を名君だなんて言ってないのに…
結論が出たな
劉禅はよく言って凡君
悪く言えば暗君
高そうな能力は生殖能力くらいか
治世の間、これといった叛乱がなかった。
これだけで劉禅が暗愚とは思えない。
いや、優れた所があったとも思えませんけど… orz
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 20:40:55
>>441 それは実際に政治を行っていた奴等が優れていたんだよ。
黄巾の乱で荒れ果てた中原を回復させた献帝は偉い、とは言われないのと同じ。
献帝と劉禅じゃ状況が全く違うべ
劉禅の能力については孟光と郤正の会話が端的に示してると思うな
要するに凡庸
>>417 だから最初にあったけど、後宮の拡大をしようとして、諌められて思いとどまったんだろ。
これは十分「諫言を聞き入れる君主」として、少なくともマイナスのエピソードにはならない
と思うんだが?
445 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 00:28:03
後宮拡大程度のことも断行できない行動力のなさ→マイナス
さすがにそれはひどいw
断行したら断行したでマイナスするくせにw
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 00:56:42
脱出に取り残されて武将に苦労かけた→武力マイナス
父に投げられても生きていた→生命力プラス
義理の母に拉致られそうになった→武力マイナス
>>444 そうかあ? それは無理あるでしょ。
精々、「本質的には暗愚だけど凡庸レベルに踏み止まることのできる君主」という程度。
ロクでもないこと言い出して、諌められてやめたらそれだけで「諫言を聞き入れる」って……
では、臣下の諫言をかならず聞き入れる君主がどれほどいたでしょうか?
450 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 01:16:05
献帝は多分曹操やジュンイクの諌言を全て受け入れたんじゃないかな。
諌言の意味わかってるかね
劉協に拒否権なんかないよ?
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 01:20:06
劉禅も似たり寄ったりだろ
>>449 たとえば孫権が遼東への介入を諌められて聞かなかったことは
「諫言を聞き入れない」という事実にカウントされるわけ?
親政を執る君主が政治問題において諫言を聞き入れたという話なら解るけど、
劉禅のこのエピソードをもって「諫言を聞き入れる」と解釈することに違和感はないの?
姜維が黄皓を斥けるように言ったとき、それを聞き入れずに最低の処理を行って
国内権力の決定的な分裂状態を引き起こしたりもしてるけど、それはどうなの?
>>453 後宮問題が政治問題ではないと考える理由をあげてくれ。
それと、劉禅からすれば、黄皓は姜維を抑えるのに必要な存在だからな。
国内権力の分裂をもたらしたのは姜維。
455 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 01:49:38
その姜維を信任したのは劉禅だから、マイナス評価には変わりない
国が大変な時に、後宮を拡大したいなんて思うこと自体マイナス
457 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 02:09:31
劉禅は生まれた瞬間が絶頂だったんだよ
天皇が国家財政が大赤字だっていうのにハーレム作りたいって
我侭言うようなもんだからな
劉禅は政治なんてものに興味なかったんだろ
これで政治60とかありえない
政治に興味はあった、と言うか親政を志望していた
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 02:26:39
で、姜維を抑えることができずに国を割り、攻め込まれて滅亡。
>>454 政治問題だと考える理由を挙げてくれ。無い事は証明できない。
>>454 「後主はいつも美人を選び後宮を充たしたいと望んでいた」
これが曹丕や曹叡、孫権らの直面していた「政治問題」と同質のものとは思えない。
ちなみに「政治」を辞書で引くと「統治者・為政者が民に施す施策」とある。
少なくとも一般的な意味では、この劉禅の個人的欲求は政治ではあるまい。
「(後主は)望んでいた」→「(董允は)承知しなかった」
この記述を見る限り、劉禅の姿は「好き勝手に振舞えない傀儡」のそれであって、
君主として気侭に実行し得ることを諌められて中止したというのは無理がある。
また、録尚書事を費文偉と姜維の二人に与えたのは劉禅。
つまり、姜維に権力を与えたのは他の誰でもなく劉禅。
そして、黄皓=中央政府を恐れさせたままで姜維を外地に駐屯させ続けたのも劉禅。
どちらかを処分すべきであったのにそうせず、自ら国内分裂状態を招いていたのは間違いなく劉禅。
毛利敬親となんとなく被る>劉禅
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 08:03:32
今見て漏れなりの結論は、要は六代目か七代目の政権安定時の皇帝が良かったんジャマイカ?
人の意見を聞く穏和で好色な凡君だろ?(思い込みか?)
宴会エピソードwはゲキ生の言い分も司馬の言い分も優先したらあーなると思うのだが…曲解だな。
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 08:07:31
統一国家での超安定政権で忠義心旺盛の部下ばかりの国ならばね。
徳川幕府の6・7代目あたりなら無難にこなしたと思うよ。
466 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 09:51:25
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>>462 君主制においては、立派に政治だよ後宮および君主の性生活は。
そもそもおまえさんは、後宮は政治問題ではない、といいながらも後宮問題を
劉禅の暗君の根拠の一つとして挙げているのは矛盾と思わないのか?
17才で即位して取り合えずこれも皇帝の仕事とヤリまくってりゃ
次々いい女が欲しいのは当然だわな
まして諸葛亮が生きてるうちはやりたい盛りだしな
470 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 11:36:58
孫[白告]って知略とか政治とか高いの?
悪政したから低い?
つうかさ、ほっといても部下が仕事してくれるし
贅沢できるし、女も好きほうだい。
さいこう・・・。
>>467 もうすでに何が言いたいのかわかんねーよ。
君が「政治問題ではないと考える理由」を聞いたんじゃん。
そう聞かれれば、
>>462での回答は問題ないと思うけどね。
>曹丕や曹叡、孫権らの直面していた「政治問題」と同質のものとは思えない
これについて反論は?
>少なくとも一般的な意味では、この劉禅の個人的欲求は政治ではあるまい。
これについては?
もちろん"後宮問題"は立派な"政治問題"だよ。
しかしここでの劉禅の希望は"後宮問題への提案"ではなく、"個人的欲求"に過ぎないと言っている。
とりあえず「後宮および君主の性生活=政治」というのが日本語としておかしいことを自覚してほしい。
劉禅の後宮拡大案提示は立派な君主政治である→後宮問題でだけ余計なことを言ってる暗君(他の政治問題には関与しない)
劉禅の後宮拡大への欲求は、この場合政治的意図から出たものではない→政治を執らず個人的な望みだけ要求する暗君
↓
いずれにしても「諫言を聞き入れて」考えを変えたとは書かれておらず、
董允の権力が強かったためにやむなく諦めざるを得なかったというだけ→傀儡
別に劉禅をことさら暗君だと批判したいわけでもないのに、
反論してるうちにアンチ劉禅みたくなってきちゃったよ。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 12:45:36
劉禅は三国志[が一番それっぽいよ。
劉禅が蜀漢のために行った言動って何かあるのか?
それはともかく徳川幕府の将軍なめんな!
>>474 むしろ徳川幕府の安定ぶりを褒めていると言ってほしいな
>>474 >劉禅が蜀漢のために行った言動って何かあるのか?
・諸葛亮ら良識ある輔政の臣の言う事はよく聞き、万事を委ねた
・功績ない劉エンを処刑した
・関羽ら功臣に諡号を贈った
・魏軍が成都へ達すると抵抗せず降伏した
ざっと挙げても皆無ではないね。
言動と行動は別物だぜ
言葉と行動なのに君の挙げた例は行動しかないじゃないか
言葉はどこへ?
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/05(土) 17:19:58
功臣に諡号を贈った、程度も数えないといけないというのが全てを物語っているね
>>477 >・諸葛亮ら良識ある輔政の臣の言う事はよく聞き、万事を委ねた
陳祗や黄皓、姜維らにも委ねてしまった訳だが。
>・功績ない劉エンを処刑した
功績が無くとも、罪がなければ罰してはイカンので、
ここは「罪あるものは先帝の覚えの良い者でも容赦なく罰した」とするべきかな。
>・関羽ら功臣に諡号を贈った
これは良い事だね。文句無い。
>・魏軍が成都へ達すると抵抗せず降伏した
コレは評価が分かれる所。
諸葛亮が死んだ時、祝賀の上表をしてきた李毣処断したのは評価されるべきだな。
李毣じゃねえ李邈だった……orz
・諸葛亮ら良識ある輔政の臣の言う事はよく聞き、万事を委ねた
これは委ねざるを得なかった
自分の意思ではなく傀儡とされている
二十歳前の子供が行き成り国政を執れる訳もないので当然と言えば当然だがな
諸葛亮が死んだ時で三十前
いきなり政治しろって方が無理
功績でもなんでもない
・功績ない劉エンを処刑した
功績もないが罪もない
それどころかこれによりそれまでの慣習を無くさざるを得なかった訳でこれはマイナス点
・関羽ら功臣に諡号を贈った
諡号を追贈は姜維の進言によるもので劉禅が能動的に行った事ではない
傀儡であることの証左でしかない
・魏軍が成都へ達すると抵抗せず降伏した
魏軍が成都に達する前に降伏した
この時の判断は主にショウ周がしたものだがこれを受け容れる判断だけは素晴らしい
と言っても蜀の経済は既に破綻しておりその年一年分の兵糧も無かったようなので抗戦なんて考えは普通浮かばん
抗戦に踏み切らなかったのは普通だが愚行にでなかったのは評価していいかもな
>>470 遷都や家臣粛清を政治行動とみても、
ことごとく裏目にでてるってかんじだから
袁術レベルの政治力しかつけようがないな
頭はいいけどおぼっちゃんで独り善がりなタイプなんじゃね?
>>486 諡号の追贈が姜維の進言によるものとは書いてないんじゃない?
趙雲の諡号を順平侯と決めたのは姜維のようだけど。
>>477 >・諸葛亮ら良識ある輔政の臣の言う事はよく聞き、万事を委ねた
常に良臣を選んで国政を委ね続けたというならともかく、
諸葛亮の選んだ後継者が絶えた時点で既に混乱をきたしている。
つまり万事を委ねたのではなく、ただの傀儡に過ぎなかったということ。
先帝以来の賢臣たちが奉げた忠誠心によって、辛うじて矜持を保つことが出来たというだけ。
>・功績ない劉エンを処刑した
非常に迂遠な記述であるために、裴松之ではないが、
「何か他に意図するところがあるのを、自分には思い至らないのだろうか」と考えさせられてしまう部分。
劉エンに全面的に非があるなら、大官の妻や母が朝賀に参内する風習がなくなった理由が解らない。
そもそもこの事件、車騎将軍を処刑する理由としてふさわしいのか、どうか。
処刑が行われたのが諸葛亮の死後なのかどうかも気になる。
まあ、これを国のためにプラスとなる事績として数えるのは短慮だろう。
>・関羽ら功臣に諡号を贈った
いいことだが、大赦の多さと並べて考えると微妙。
>・魏軍が成都へ達すると抵抗せず降伏した
これが蜀漢のために良いことであったかどうかは、それこそ議論されるべきだろう。
まあ、どれもこれも誉めるほどのこっちゃない。
中央では毀誉褒貶相半ばしたという張嶷を心から尊んでいたとか、
トチ狂った李バクを処刑したとかいったエピソードの方が、評価の対象としてふさわしいと思う。
黄皓だって厚く信任していたわけじゃないみたいだし、人を見る目はそれなりにあったんじゃないか。
おまいらに聞きたい
献帝と劉禅どっちが優秀だと思う
能力値、決めるとしたらイイ勝負じゃないか?
劉禅の]の能力は理不尽だと思う、まぁ凡君だが
献帝の能力は議論見た事無いな
劉禅よりはマシだろってレベル
献帝=劉禅、曹操=姜維という風に考えた場合、
尚書令陳祗を任用して姜維の権力を削ることに成功した劉禅は、献帝より上と言える。
劉禅はただの傀儡では無い
普通の凡君
スゲー劉禅で100レス以上伸びてる
劉禅は英雄となるには色々足りないが普通の視点で見た場合は充分な才能の持ち主だったんではないかな
及第点ギリギリだが
普通の人間としては問題ない能力じゃね?
劉禅の能力、魅力以外は50以上無いだろ
それにしても]の能力ヒドス
劉禅統3武5知9政4魅64
>>498 そんなこと言うと
当時、普通の人間は字も読めません
んな下民と一緒にしたらかわいそうだろ
>>499 それは肥一流のネタだから
魅力10なら完璧だったのにな
>>502 魅力64だろ。6+4=10で、三国志]じゃん。
おお、なるほど!
はじめて気づいたわ、d
>>486 >これは委ねざるを得なかった
>自分の意思ではなく傀儡とされている
>二十歳前の子供が行き成り国政を執れる訳もないので当然と言えば当然だがな
>諸葛亮が死んだ時で三十前
>いきなり政治しろって方が無理
>功績でもなんでもない
自身の権益を優先して君主を無力化させる事を傀儡。
諸葛亮や蒋エン、費イらの時代までを傀儡というのでは勘違い。
君主の能力が乏しければ臣下に委ねるのは悪いことではない。
自身が国政を統轄して国益を損ねる方がはるかに害は大きい。
董允死後を失点にあげるならまだしも、諸葛亮から滅亡までをひと括りにする意味
はない。
>功績もないが罪もない
>それどころかこれによりそれまでの慣習を無くさざるを得なかった訳でこれは
>マイナス点
劉エンの処刑は類推できる要因が幾つかある。
劉備時代からの古参ながらなにひとつ功績が無く、劉備時代は固陵太守に過ぎな
かったにもかかわらず劉禅の時代にいきなり都郷侯・衛尉・中軍師・後将軍、後に
車騎将軍と飛躍的に昇進しており、位階でいえば驃騎将軍の李厳に次いで第二位。
先代の古参を高位に就けるのは政権安定などの宣伝効果を生むが、一方で実務に
寄与しない以上弊害も大きく、時代が進めば厄介な存在。
他の現役の実務を担う臣への影響もあって処刑したという見方はできなくはない。
>諡号を追贈は姜維の進言によるもので劉禅が能動的に行った事ではない
>傀儡であることの証左でしかない
傀儡の意味をはき違えてる
ついでながら、劉禅は凡君で名君とは思っていないので。
英雄の第一条件は生き延びる力だと思う。
そういう意味で、曹操・劉備・劉禅は英雄だろ。
ごめん嘘ついた。
最後が孫権じゃないんですが……
個人的に孫権は劉備・曹操には数ランク劣ると思ってる。
劉エンの処刑についてはどう考えても
「劉禅がその妻に手を出したから」としか思えない
劉備だって古参の連中に実権ゼロの官位ばら撒いてる訳で
劉禅が劉エンを処刑する理由に「古参で高位だったから」ってのは無茶苦茶だ
劉琰が乱心しちゃったのは本当なんじゃないの?
そのキッカケが劉禅の火遊びだったとしても
本当に劉琰に全く非がなく冤罪かぶせられて殺されたんなら蜀の崩壊はもっと早く始まってただろうし
実際に劉禅が奥さん食べちゃったかはともかく、劉琰がそう危機感抱く何かが劉禅にあったのは確かだろうな
>>510 訊いてみたいんだが、
>劉備だって古参の連中に実権ゼロの官位ばら撒いてる訳で
どんな面子?
それから、何一つ実益を齎さず劉備の御伽衆と大差ない劉エンを高官に据える理由や
メリットを教えてほしい。
いくら古参でも何一つ役に立たず害しか及ぼさない様では過失によって処分される
のはありえること。
無駄に高位にあれば尚更だと思うんだけど。
>>511 ビジクが代表的だな
確かに彼は有能なんだが実際に何か大きな功績があったかと言うとそうでもない
安漢将軍に任じられたりはしているが将軍にも関わらず軍権を預けられた事はない
>実益をもたらさずに
ってところが先ず勘違いなんじゃない?
そこにいるだけでいい存在ってのは確かにいるもんだ
少なくともそういう存在として初期の蜀漢帝国政府は劉エンを高位につけた筈だ
>害しか及ぼさない様では
この場合、劉エンはどんな罪を犯したんだ?
処刑理由は確かに「妻への暴行」だ
しかしドメスティック・バイオレンスが犯罪になったのなんかつい最近
古代の中国にそんな人権思想があるとでも思ってるのか
劉エンの処刑をする動機はなんだ?
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 00:57:34
劉エンは劉備の近衛兵を率いてたんだよ。
自前で兵を持って劉備のそばにいたみたいだし。
単なる無能扱いはどうかな。
あと、妻が一か月後宮から戻らないってのは、真実はどうあれ醜聞だよね、劉禅にとって。
でも考えたら功績の割りに厚遇され過ぎだね、劉エンって。
これじゃ謹厳に実務をこなす官僚や前線で必死に戦ってる将官からすれば
ありえないって気になった連中もいそうだ。
こういう存在って組織の中じゃちょっとした事で始末されたりはするけどね。
劉禅が劉エンを殺す理由として功績に較べて厚く遇されたからだとするならば
他にも処刑される可能性のあった面子はいる
でもされてない
劉エンだけの特異な点は胡氏しかないんだが
もし密通の事実がないのに臣下が自分の妻に対して主君と密通したと責めた場合、
それは主君に対しても誹謗したことになり十分処断の理由にはなるだろう。
ただ担当官吏の意見の内容も最後の一文に関しても意味深過ぎてw
劉禅と袁術。本質的なダメ君主はどっち?
献帝いるのに皇帝僭称や悪政や末路が哀れなぶん、袁術のがダメでしょ。
>>513 ちょっと待った。
劉備が呂布にボコボコにやられて妻子も取られて金も兵士も無くなって泣きそう
な時に、奴婢2000人と金と女(自分の妹)をさらりと差し出した麋竺に対して
「何の功績もない」は言い過ぎだろ。
彼が軍権を握らなかったのは彼自身に将軍としての才覚がなかったためで
本人もそれを自覚していたはず。
だから劉備としては自分を支えてくれた麋竺になんとかしてこたえたくて
将軍位を用意したんじゃないのか。
「俺はあんたに感謝してるよ」という意味で。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 12:38:10
結局劉禅は臣下の言いなりになって何もしなかった時が一番輝いていたんだよ。
>>520 >>513では「何の功績もない」とは言ってないだろ
大きな功績がない=功績なしか?
そりゃ読み方にバイアス掛け過ぎじゃないかね
>>522 > 劉備が呂布にボコボコにやられて妻子も取られて金も兵士も無くなって泣きそう
> な時に、奴婢2000人と金と女(自分の妹)をさらりと差し出した麋竺に対して
> 「何の功績もない」は言い過ぎだろ。
これ以上ないくらいめちゃくちゃ大きな功績だな。
知恵と勇気だけじゃ戦争できねえもん。
麋竺は、呂不偉や呂公みたいなものか。
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/06(日) 20:41:11
>>524 弟が裏切った事で成り切れなかったのがかわいそうで仕方が無い。
陛下なめん(ry
528 :
520:2005/11/07(月) 04:24:03
関羽の能力。
統率 85
武力 98
知力 70
政治 50
魅力 75
これを基準に考えると、
曹仁 満寵 徐晃
統率 90 統率 85 統率 88
武力 90 武力 80 武力 88
知力 50 知力 85 知力 80
政治 50 政治 85 政治 65
魅力 80 魅力 80 魅力 70
呂蒙 陸遜
統率 85 統率 90
武力 85 武力 60
知力 95 知力 90
政治 60 政治 95
魅力 80 魅力 70
当時の関羽包囲網の面々はこのぐらいだろうか?
>当時の関羽包囲網の面々はこのぐらいだろうか?
20スレまであるこれまでの長い流れを顧みない能力値ですね
>>529 満寵の知力と政治が高すぎる。
それぞれマイナス5くらいしていいんじゃないか。
逆に呂蒙は、
統率 95
武力 85
知力 95
政治 65
魅力 80
このくらいあって良い。
ここの
>>4のテンプレでは、包囲網の統率みんな90以上だよな
こうかな?
曹仁 満寵 徐晃
統率 90 統率 90 統率 90
武力 90 武力 80 武力 88
知力 50 知力 80 知力 80
政治 50 政治 80 政治 65
魅力 80 魅力 80 魅力 70
呂蒙 陸遜
統率 95 統率 90
武力 85 武力 60
知力 95 知力 90
政治 65 政治 95
魅力 80 魅力 70
これでは関羽が勝てないのも道理か…
こういっちゃなんだがあの状況じゃ
どうやっても勝てん
l..:.::::::::::::::::::::::::::::イ = =
|.:::::::::::::::::::::::::::::: | ニ= 陸 そ -=
|:r¬‐--─勹:::::| ニ= 抗 れ =ニ
|:} __ 、._ `}f'〉n_ =- な. で -=
、、 l | /, , ,ヘ}´`'`` `´` |ノ:::|.| ヽ ニ .ら. も ニ
.ヽ ´´, ,ゝ|、 、, l|ヽ:ヽヽ } ´r : ヽ`
.ヽ し き 陸 ニ. /|{/ :ヽ -=- ./| |.|:::::| | | ´/小ヽ`
= て っ 抗 =ニ /:.:.::ヽ、 \二/ :| |.|:::::| | /
ニ く. と な -= ヽ、:.:::::::ヽ、._、 _,ノ/.:::::| | /|
= れ.何 ら -= ヽ、:::::::::\、__/::.z先.:| |' :|
ニ る と =ニ | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::.|'夂.:Y′ト、
/, : か ヽ、 | |::::::::::::::::::::::::::::::::::::_土_::| '゙, .\
/ ヽ、
ワロスw
ワロタ
西陵時の陸抗はマジで神。
そのとーり
ちゃんと90以上にランクされてる
あれは神
陸抗=神の一発屋
関羽は北上しなければまだまだ何とでもなった
本拠を奪われさえしなけりゃな
何で北上したんだか今もって不明だ
>>534 曹仁の武力、知力低過ぎ
満寵の統率高過ぎ、知力低過ぎ
呂蒙の統率高過ぎ、政治低過ぎ
徐晃の統率低過ぎ、政治高過ぎ
曹仁は牛金救出エピソードを見ると武力は90代後半だろ
対呉戦では計略に引っ掛かりまくってるがそれは呉側が知力の高い呂蒙や陸遜を起用しているから
60代は無いと関羽にすら計略食らうぞ
満寵は謀を討つ戦いでの勝利が多い
統率と知力どっちも80代後半にした方がいい
呂蒙も同じタイプだが政治が低過ぎる
50代の政治の関羽に60代後半でちょっと何かするだけで軍崩壊する程の善政ってのは無理だろ
70-80くらい欲しい
徐晃は現場指揮官として常に最前線で戦いつつ殆ど負け無しの戦績
統率力は90代後半あった方がいい
逆に政治に携わった事は殆どないんだから40代だろ
>>539 蜀滅亡時は羅憲が永安で確変したのか陸抗の確変が終わっていたのか
どっちだと思う?
仙道ワロタ
でもいくら陸抗でも厳しいよな。
当時の関羽って、「守るべき城も、守るべき兵もないというのに!」という状況。
もう逃げるしかない。
>>543 俺
>>539じゃないけど横レスしていいか?
霍峻伝の注でも、晋書羅憲伝でも、陸抗は援軍として派遣されてるんだよね。
「歩協が軍勢を率いて…」「歩協が打ち破られて…」「陸抗が派遣されて…」「陸抗らが撤退した」という記述になってる。
だからまあ、ひょっとすると陸抗の仕事はVS胡烈の撤退戦が主だったんじゃないかなあと思う。
それと陸抗が神になるのはもっと後の話ね。
陸抗伝はおろか、孫皓伝でも、羅憲というか永安侵攻の事が丸々スルーされてるんだよな。
羅憲の記述が有るのは晋書。
これでは、羅憲が陸抗相手に城を守りきったのか、陸抗の手の者が派遣されただけなのかは分からない。
状況証拠から、積み上げていくに、蜀の滅亡は孫皓の即位の次の年であり、
265年に孫皓は西陵督の歩センの勧めで武昌に遷都している事から、
大規模な軍事行動が可能であったとは思えない。
また、陸抗伝に記述が無い以上、交戦したのも陸抗自身ではなく、
最も近い西陵に居た歩一族の部将ではないかと考えられる。
>>534 呂蒙の統率高すぎ。
呂蒙の荊州奪取は智力を振り絞った結果だろう。
>>543 もともと城は攻め落としにくいもんなんだよ。
>>546,547
上手くいかなかった戦いなんでスルーしただけだろう。
歩隲伝の歩協の記述もそこだけスルーしてる。
はっきり言って陸抗の事を神聖視しすぎ。
曹操だって上手くいかなかった戦いもたくさんある。
陸抗も同じというだけ。
>>547 なにをいっちょるのかしらんが、永安侵攻のことは孫休伝に載っておるぞよ。
>>542 連戦して殆ど負けなしは、程普・韓当らみたいのでも言えちゃう。
もちろん徐晃は彼らより多くの軍功を上げてるし90代に文句はないが、
90代後半になると負けが殆どない+不可能を可能にしたような大勝利の持ち主のみじゃないか?
552 :
247:2005/11/08(火) 19:15:41
>>550
うはwwwおkwwww
マジだよ…(つД`)
>>551 >負けが殆どない+不可能を可能にしたような大勝利の持ち主
関羽包囲陣の中では呂蒙だけじゃん。
負けてはいるけど、相手は曹操。しかも超大軍。
そして呂蒙が負けたわけではなくて、戦略的に撤退しただけ。
陸遜はまあ、この時から90後半あったかどうかは微妙。
呂蒙の勝ち方は知力起因がほとんど
>>554 20スレまであるこれまでの長い流れを(ry
>>554 そうでもないよ。
前半生というか一部将の時代は武力・統率評価でいいと思うよ。
ただ2度の荊州侵攻は知力評価だな。
>>554 下積み時代無視すんな
大きな勝ちは知力で勝ってる感があるのは確かだが
>>553 >>呂蒙だけ〜
そうなんじゃない?徐晃・曹仁・満寵が90後半あると思う人は少ないでしょう。
>>558 呂蒙の不可能を可能にしたような大勝利って何?
濡須かな?それとも荊州奪取?
>>557 大きな勝ちを知力以外で勝った奴というと、張遼とケ艾しか思い浮かばん。
>>560 一回目の荊州侵攻は三郡を陥としたけど攻め落としたわけじゃない。
二回目の荊州侵攻も関羽の留守中に陥としただけ。
濡須のは曹操の先鋒を打ち破った功績は大きいけどそれでも合肥での張遼以上とは思えない。
まあそれでもトップクラスの武将だと思うけどね。
統率・武力は85〜90、智略が90。こんな感じじゃね?
>>561 張遼は防衛&追撃戦だし。
実質、鄧艾だけじゃないか。
つーか張遼が90以上の候補にもいないのは何故?
>>562 合肥の張遼は確かに素晴らしかったが、あれは類稀なる武勇によるものが大きいので、
大量の弩兵を用いて撃退した呂蒙とは評価は別じゃないか?
>>564 つまり、こういうことかと↑
>>565 統率力と武勇だろ。張遼のは。
あれだけ兵数が違う場合は類希なる武勇と類希なる統率力が必要だと思うぞ。
>>566 ここでいう統率ってのは、もちっとクレバーな軍事指揮・作戦遂行能力のことを指すわけで。
張遼みたいなタイプを統率のトップに挙げるなら、決死隊を募って力戦した連中ばかりが上位に来る。
八百人で敵陣に先陣を切って突入し、数十人を斬り殺し敵を突破して戻ってくるのはもはや統率は殆ど関係ないでしょ。
実際部隊は張遼の動きについてこれてないし。
別伝を信じるなら趙雲も。
ほぼ一人で顔良斬ったっぽい関羽は入らないが、
長坂で大軍を防いだ張飛もランクインだ。
知力はまったく使わず、突撃して夏侯淵を斬った黄忠も入る。大武勲。
馬超は元々入ってるから、演義の五虎将軍が揃い踏みだ。
そこに張遼、甘寧。まさに演義仕様の能力値だな。
>>568 俺も張遼の統率が90までは届かないとは思うが、少数で大軍に挑みながら
統率の要因が関係ないというのはかなり暴論。
統率力の低い将では麾下の兵卒だって動揺もし結束も鈍る。
酷い時はひと当たりで大軍に呑みこまれる事も。
>>570 「別伝」の信用性は低いんで、趙雲は難しいんじゃない?
合肥での張遼と白馬での関羽、漢中での黄忠とでは立場がかなり違うだろうに。
甘寧も本隊の先鋒に過ぎないし。
まあ張遼も単独でというわけでもなかったけどね。
それと張遼が統率トップだといってる人居るのか?
>>574 いないでしょ。
その面子の中で司令官としての戦術的判断を問われ決定する立場にいるのは
張遼だけだし。
他の面子は司令部の判断に従って戦う部将だもの。
>>573 そもそもが麾下の兵卒の中から特に勇敢な奴を募って決行してるんですが。
動揺して結束を乱すような奴はそもそも入ってない。
>>576 まあぶっちゃけ張遼も曹操の指示通りということはできるんだけどね。
ただ楽進・李典らと打ち合わせて打って出て孫権の大軍をパニックに落とし入れ、
我をとりもどした呉軍の反撃を切り抜け、撤退する呉軍を追撃し大いに撃ち破ったあたりは司令官として十分に評価できると思う。
曹操の大軍に突撃し、いったん曹操を破った後に引き返し、再度挑んできた曹操軍を再び打ち破ってさらに引き返し、
撤退する曹操軍を追撃し多数の被害者を出した趙雲は司令官として評価できますか?
趙雲別伝は何故か無視される
諦めろ
>>574 >>562がそのようなことを言ったからまったり荒れたわけで。
ところで、本当に7000人しか兵がいなかったのなら、司令官とは言い難い感じがしないでもないな。
通鑑に載っても無視される。それが趙雲別伝。
曹仁 満寵 徐晃
統率 90 統率 80 統率 95
武力 90 武力 65 武力 85
知力 50 知力 80 知力 60
政治 50 政治 65 政治 55
魅力 75 魅力 70 魅力 65
呂蒙 陸遜
統率 95 統率 95
武力 80 武力 70
知力 90 知力 90
政治 65 政治 85
魅力 80 魅力 75
こんなとこがいい
編纂者から成立年代からまるっきり不明だからなあ
>>583 574=562なんだけど……
それに562の張遼と呂蒙の比較は濡須での呂蒙と合肥での張遼を比較しただけで両者のトータルを比較したつもりはないよ。
ましてや張遼の統率がトップだと主張するつもりも無い。
>>585 満寵閣下が全般的に低くね?徐晃の知力も低くね?呂蒙の武力も低くね?陸遜の政治も低くね?
>>587 呂蒙の濡須と合肥の張遼って全く別物なじゃない?
>>581-582 「別伝」の趙雲像は人格高潔で豪傑、剛毅果断、武臣の中では関羽・張飛に
次ぐといっていい古参、そして功績は多大。
もし「別伝」の信用性が高いのなら、新参の黄忠・魏延に位階であっさりと追い
抜かれた説明がつきにくい。
名よりも実を重んじる劉備の人事と照らしてみても、位階が釣り合わないのは
能力に不足があったかやはり黄忠や魏延よりも劣ると見なされたとみるべき。
>>587 荊州戦を二回とも否定した上で濡須を張遼以下としたら、他のどの部分でトータルにするんだ。
>>562の比較内容で呂蒙を90としたら、その上をいく張遼はトップになるんでないの?
>>591 別に張遼と呂蒙の統率の比較なんかしてないよ。
そもそもは559の呂蒙の不可能を可能にしたような大勝利って何?という質問に
560が濡須かな?荊州かな?という答えがあったので、
その答えに対してそれらは可能を不可能にしたような大勝利とは言えないだろうと言っただけ。
まあそこに張遼の合肥を持ち出したのは不用意だったかもしれないがね。
まあそれは無くても張遼の統率はやはりトップクラス、90前後という評価でおかしくはないと思うけどね。
個人的には張郃や徐晃よりも上だと思う。
>>590 黄忠・魏延が活躍する入蜀・漢中戦までの趙雲の軍功は別伝を入れても
劉禅を救い出した件と入蜀時の救援と黄忠の救出のみ。その中でも顕著な軍功といえば黄忠救出ぐらい。
黄忠・魏延は入蜀時に活躍した荊州軍人の代表格。それが厚遇に結びついた可能性もある。
それでも入蜀時には魏延はまだ定数なしの牙門将軍。
趙雲の翊軍将軍の方が上。黄忠の討虜将軍ともそこまで大差はない。
漢中戦の黄忠はまさしく殊勲であり、その結果頭一つ抜けて征北将軍になった。
大体この時の将軍位をそこまで重視するなら、関羽は未だ盪寇将軍、張飛も征虜将軍だ。
劉備が漢中王になり、将軍位が整理される中で
関羽・張飛・馬超・黄忠はようやく同格の将軍になる。
この結果に何故か関羽は不満を漏らしていたが、一番大きく昇進したのも関羽のはずなんだがな・・・まあそれは置いといて、
魏延はこの時漢中太守を任されるため、相応しい将軍位に昇進したため趙雲の上になるが、
これは誰もが驚いた大抜擢。
後に魏延は221年に鎮北将軍になるが、趙雲は223年に中護軍・征南将軍・永昌亭侯になり、魏延は都亭侯に。
その後227年までの間に趙雲は鎮東将軍になるのでここで並ぶことになる。
(この間は南征ぐらいしかないので演義のように参加したのかもしれない)
趙雲は別伝を考慮にいれても十分評価されてるのでは?位階が釣り合わないとは俺は思わない。
そもそも「名よりも実を重んじる劉備の人事」という貴方の前提自体に大いに疑問も残るが。
594 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/08(火) 23:22:01
別伝は、これが三国時代から南北朝時代初期までに成立していたというのが重要だれ。
そんな頃からすでに超人じみた趙雲が語られていたんだよ。
それを全く根拠のないものと考えるか、三国時代あたりから趙雲について何か伝承されていたのか。
>>593 全面的に賛成。
ただ、「名よりも実を重んじる劉備の人事」という側面はあると思う。
単純に位階だけ追ってるとちっとも能力重視に見えないけども。
>>592 二度目の荊州攻略は「不可能を可能」と言えるんじゃないかな?
南郡を外交交渉でなく、軍事行動によってほぼ無血で占拠するなんて、
関羽のみならず魏や蜀にとって青天の霹靂だったと思うよ。
まあどちらかと言えば知力よりの事績だけど、
>>596 陸遜に踊らされて、守備兵力も北上させていますが何か?
>>597 陸遜の起用も含めて呂蒙の計略ですが何か?
久しぶりに趙雲厨を見た気がする
>この結果に何故か関羽は不満を漏らしていたが
関羽の態度は悪くないとは言えないが、この辺はもうなんだか…
>>593 趙雲は蜀軍にあって十分高位だよね。
魏延と比較しても趙雲生存中は爵位は趙雲が上、官位はほぼ同等だし。
呉懿あたりと同格。
>>602 もともと不可能を可能にした大勝利云々は統率についての話だから。
>>593 何か勘違いさせたか自分の書き方がまずかったかも。
趙雲の出自を考えても十分すぎる高位だってのは理解してるよ。
>関羽・張飛・馬超・黄忠はようやく同格の将軍になる。
>この結果に何故か関羽は不満を漏らしていたが、一番大きく昇進したのも
>関羽のはずなんだがな・・・まあそれは置いといて、
関羽の態度には問題もあるけど、そこまで史料を参照して各人物の位階を
洗い出せながら「何故か」というのはおかしい。
戦略的軍事行動が求められるはずの司令官級の軍人に、
ゴリゴリの戦術的逆転劇を要求するという奇妙な流れになってるな。
>>603 まあ統率限定にすると、ケ艾の山脈ぶった切りくらいじゃないの?
陸抗の西陵は、不可能を可能にしたのはどちらかと言えば
陸抗の作戦能力、つまり知力だし…
麾下の部将の配置布陣、指導なども知力に含まれるのだろうか?
>>606 西陵での陸抗の勝利は、高い情報分析能力と、優れた戦略的判断力の賜物だからな。
俺もあれは知力寄りだと思う。
それと麾下の部隊の配置などは、それが戦略上のものなら知力だと思うよ。
例の古参兵と異民族兵の配置を入れ替えたのは、戦術の範疇だと思う。
それが統率評価か知力評価かは微妙なところだと思うけど。
>>607 でもそれを完璧に実行できたのは高い統率力が必要だと思うよ。
>>606 >麾下の部将の配置布陣、指導なども知力に含まれるのだろうか?
西陵戦役での陸抗の能力は統率に加味される部分も大きいよ。
防衛戦が長大で戦力でかなり劣勢、しかも呉将の中には西陵の即時攻撃を
主張する者や江陵救援に逸る将も多く、意思統一のはかり難い諸将を纏め
あげるには統率力がなければ難しいもの。
戦力が乏しいために封鎖した西陵城内の兵と晋の解囲軍を同時に相手にする
作戦を採り難く、こういった状況下で知力ばかりに換算されるなんて無茶でしょ。
もちろん陸抗の戦略的にかなり高度な判断力のおかげで長江の防衛ラインを
維持できたのは間違いないんで、知力≧統率にはなるけど。
>>604 趙雲の出自を考えても十分すぎる高位だってのは理解して、その上で、
>>590にあるように
新参の黄忠・魏延に位階であっさりと追い抜かれた説明がつきにくいので別伝の信用性が低い
と思うのか。
>>610 黄忠はともかく魏延にあっさり抜かれたというのは違くないか?
219年に魏延が抜擢されて督漢中・鎮遠将軍・漢中太守となったのに対して趙雲は翊軍将軍のまま。
一見、抜かれたように見えるけどこれで魏延>趙雲とみるのは早計。
近衛的立場の趙雲と外に出て要地を任された魏延との比較は一概に出来ない。
例えば223年、劉禅が即位すると趙雲が永昌亭侯に封じられたのに対して魏延は都亭侯。
爵位で見れば趙雲が若干上。
二人の違いは任された仕事の違いであり、多少官位で魏延が上回る時期があったとしても直ちに趙雲が格下とみるのは違うと思う。
612 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/09(水) 01:29:44
話かわるけど、関羽の能力が高すぎだ。
典韋とか許チョと同じか、それ以下でいい。
むしろ典韋の統率が低すぎかと。
変わるけどじゃねえ。
戻すな。
過去スレ読めよピザ
>>611 近衛的立場っていうけど、中護軍に任命されたのって劉禅即位後だよね。
奥向きの仕事が多かったとはあっても、「近衛的立場だから別枠」みたいに考えるのも
不自然なんじゃなかろうか。
この板で趙雲別伝無視がデフォになっているのは前から疑問に思っていた。
趙雲に思い入れがあるわけでないし、趙雲ファンのみんなも波風立てたくなさそうな感じだったから黙っていたが。
書かれてる内容も、蜀書と照らし合わせると異質な感じがするが、魏書呉書と比べれば別に突飛な内容じゃない。
>>616 別に、別伝無視がデフォにはなってるわけじゃないべ
ただ、空城の計に関しても、
あれだけ大規模な事績にもかかわらず魏書では一切ふれられてないばかりか
蜀書の正史本文にも趙雲の活躍について触れられておらず、
さらに漢中に出兵したという記述すら無かったりする。
他にも、趙雲の官職に本文中では見られない偏将軍や虎威将軍などがあったり
江陽に赴任しているはずの張翼がベン陽の長として登場したりと、
素人目で見ても、ちょこちょこ矛盾点とか不可思議な点が見つかるので、
別伝について真面目に語るなら、
まず別伝自体の検証からスタートする必要があるとは思う。
関羽は最低でも武力99は確定、100でもいい。
関羽が弱い三国志系の物語はみたことがない。従って。。
統率 91
武力 100
知力 68
政治 56
魅力 78
619 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/09(水) 21:10:35
さらしあげ
>>615 もともと劉備の主騎から始まって、これは別伝だけど劉備が益州平定に乗り出すと留営司馬として留守の政庁の軍務を預かり同時に奥向きを取り仕切ってる。
これも別伝だが夷陵の戦役の時は後詰めとして江州を取り仕切らせ、後主が即位すると中護軍に任命されてる。
ほぼ一貫して近衛的立場にあった(もちろん場合によってはそれ以外の職も任された事もあったろうが)とみていいんじゃないか?
現在のシナの民度が低いのも、正義正統の蜀が負けてしまったせい。
間違った歴史だったのである。
623 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/09(水) 21:34:33
関羽の知力がそんなに高いわけない
統率80
武力94
知力48
政治44
アンチ蜀キモス
蜀信者キモス
平均的魏ヲタ
統率 7
武力 11
知力 64
教養 39
容姿 4
関羽
統率 80〜89
武力 90〜99
知力 55〜69
政治 40〜59
魅力 60〜95
>>627 ファンは上限で我慢、アンチは下限で辛抱しろといったところだな。
確かにそれ以上アップしたらあまりにも盲目的だし、
それ以上ダウンするのも過小評価じゃないかなあという感じ。
関羽に関しては
>>327でほぼ決してる
一考を残しているのは知力と政治力くらいだ
いいじゃん武力はカンヌ100チョヒ100ルビ55ロフ255で
631 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/09(水) 23:38:18
↑演義厨
632 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/09(水) 23:39:13
↑演技厨々
633 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/09(水) 23:44:06
関羽の能力を高く評価するのは、演義厨である。
ルビって何ですか?
おまいらsageろ。
つーか演技のほうが好印象の者はそちら優先ってのが光栄三国志だろ。
武力は最高クラスでいいだろ。統率は80後半90前半
知力は水計評価プラス寥化が司馬イ逃がした後の
諸葛亮の「関羽なら司馬イ仕留めてた」を考慮して70台。
まあ関羽なら赤兎があるから逃がすことはなかっただろうが
木の幹も両断したかもしれんし
もうこのスレで演義に基づいた評価なんて廃れまくってる件について
ロフってなんだよ
ロブ・ロイ
640 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 00:01:02
カムヌ・チャンパ・ルピ・ロフだろ?
演義に基づいた評価なら
関羽は光栄]の能力のままでいい
その能力が高すぎるからみんな下げてる訳
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
>>636 関羽の水計は自然災害、つまり洪水。
これぞ雲長クオリティ。
前後を読めば演義準拠だとわかるだろうに・・・
正史完全準拠版関羽
統率95
武力99
知力87
政治72
魅力93
正史完全準拠版関羽
統率99
武力108
知力93
政治91
魅力98
反応するなよ
正史完全準拠版関羽
統率102
武力115
知力99
政治94
魅力101
統率9999
武力65535
知力255
政治255
魅力999
ぼくの考えた関羽
統率100
武力98
知力82
政治75
魅力98
453
ぼくのかんがえた趙雲
統率98
武力98
知力85
政治80
魅力95
456
よって趙雲>関羽
趙雲
統率93
武力96
知力85
政治72
魅力84
すみません、チョヒってどんな人ですか?
チョヒ
統率60武力34知力97政治88魅力75
こんな感じの人
関羽と張飛が知力タイプだったら劉備はどうなってただろうか
関羽=荒れる
このスレは関羽じゃないと伸びない
しかしいつの時代も関羽関羽だな
ヲタとアンチの数と粘着がハンパじゃない
関羽,飽きた
>>627の能力幅ならいいだろorz
議論が盛り上がりそうな人物はいないものか?
関羽
呂蒙
周瑜
名前書くだけじゃなく
なんか語れよ
王連なんてどうだ?
知力75(諸葛亮の南征に反対の諌言。)
政治87(各任地で業績をあげた。司塩校尉時代は国庫の収入を大きく増やした。)
魅力85(有能な者を選抜して任用した。)
じゃあ周魴。
統率 76(反乱鎮圧の功績が多い)
武力 62(このへんはイメージ)
知力 86(石亭の他にも智謀で事を処理した経験あり)
政治 78(なかなか優れた統治者だったらしい)
魅力 66(えげつなすぎて評判がイマイチっぽい)
急にマニアックになったな。
諫言したってだけで75とか
じゃあ60でいいや
王連の事を思うとやはり諸葛亮の人材を見る眼ってのは結構いい物があったよな
ただ軍事関係の人物を見る目がダメダメだったってことかな
>>673 諸葛亮が抜擢したというようなエピソードってあったっけ?
諸葛亮が一目置いていたってエピソードはあるけどな
呉沌
統率15(よくわからん)
武力65(腕っ節はあったみたい)
知力35(こんなもん)
政治7(ダーティープレイの報い)
魅力8(同上)
>>674 抜擢かどうかはともかくとして。
229年、陳式を派遣して武都・陰平の2郡をゲット。
230年、魏延・呉懿を派遣して郭淮・費曜を撃破。
231年、王平が張郃の攻撃を完封(は言い過ぎかもだが)
233年、南蛮の反乱を平定できない張翼に替えて派遣された馬忠が反乱を平定。
十分、見る眼があるじゃん。
人材の推挙にしても、もともと官僚畑の諸葛亮に多くをもとめすぎてるよ
軍人にしても失点らしい失点は馬謖くらいのはずなんだが、その一事で
ダメ出ししてる人間も随分いるし
>>677 何言ってるのか全然わからん。
人材を見る眼があるという場合、無名の人間を抜擢したというようなエピソードが要るだろ。
王連は劉備に任用されているわけだから、諸葛亮の人物鑑識眼眼を評価する根拠としては弱いんじゃないか、と。
別に諸葛亮に人材を見る眼があるとかないとか言ってるわけじゃねーよ。
>>677 逆に失敗は馬謖だけ
曹操も劉備も人材配置で失敗しているが、見る目はある事になってる
これが、正史厨クオリティ
>>679 トウ芝とかじゃだめですか。そーですか。
>>679 > 人材を見る眼があるという場合、無名の人間を抜擢したというようなエピソードが要るだろ。
王平は諸葛亮に抜擢されたと見てもいいと思うぞ。
>>681 ケ芝や費禕はどちらかというと政治家的な存在だからなあ。
673からの流れで言えばちょっと違うと思うよ。
お前ら何言ってるんですか!?
俺は
>>673の
>王連の事を思うとやはり諸葛亮の人材を見る眼ってのは結構いい物があったよな
って部分に対して
>諸葛亮が(王連を)抜擢したというようなエピソードってあったっけ?
と疑問を呈してるの!
何で鄧芝や王平の話が出てくるんだよ!!
だから孔明ヲタは嫌なんだ…
>>685 そのある日突然現れた()の中の「王連を」さんは元気ですか?
>>685 674はスルーしてたわw
ごめん。
抜擢を無官からという意味でならない。
王連は劉備時代、最終的に司塩校尉・蜀郡太守・興業将軍まで昇ってたから。
劉禅が即位すると屯騎校尉・丞相長史に任じられてる。
丞相府に入れた事を以って抜擢と言うなら言えないこともないが、まあ普通は抜擢とは言わないだろうな。
>だから孔明ヲタは嫌なんだ…
アチャー
言っちゃったよ…
>>685 俺は
>>673なんだけど
王連(を使って蜀の経済を立て直した)の事を思うとやはり諸葛亮の人材を見る眼ってのは結構いい物があったんだな
って事
用いるべき人を用いて成功してる訳だからこれは人材を見る眼があったって事でいいんでないかね
内政に強い諸葛亮が「名人に名手無し」の典型っぽく見えないかい?
外連味がある人や派手な人を評価するだけだとつまらんぜ
あとこれは老婆心からの忠告だが修飾語足りない書き込みは誤解を招き易い
もう少し言葉を多めにして書いてくれ
俺も
>>679の書き方は極端にはしり過ぎてる様な印象をうけたな。
あれじゃ極端な話、「在野の偉賢でもひっぱってこなけりゃ見る目なし」って
受け取り方だってできなくないもの。
人事の要諦って適材適所だろうし、抜擢の是非に拘っても仕方ない感じ。
>>690 >>679だが、別に有"無"の話をしたかったんじゃないの。それは最後に書いたでしょ。
「この人物には人材を見る眼がある」と特筆する場合、それこそ在野から引っ張ってくるくらいの逸話がいるだろ。
たとえば荀ケや劉備なんかにはそういうエピソードがいくつも残っていて、だからこそ人を見る眼があったと言われる。
逆にごく普通に人材を用いていた人物が、その普通の人事によって殊更に人物鑑識眼を評価されることはない。
"有"の話をする限りにおいて、これは結構一般的な見方だと思うのだが、間違っているだろうか。
以上を踏まえた上で王連の話に戻すが、人事の要諦が適材適所であるというなら、王連についてはどうか。
>>689の挙げた塩府での仕事による財政改善は、
>>687が書いてくれたように劉備時代の業績だ。
223年の諸葛亮の人事では、王連は屯騎校尉に任じられ、丞相長史を兼務することになっている。
よって諸葛亮の人事が行われた後の王連の事績とは、丞相府の属官として諸葛亮を諌めたことになる。
つまり、王連の塩府での業績を評価することと、諸葛亮の適材適所の人事を評価することは、
少なくとも史書に記載された文言を見る限りでは、うまく結び付かないのではないかと思われる。
なお、だからといって別に諸葛亮には人を見る目がないなどと言っているわけではない。
言葉を多めにしてみたが、どうか。
>>691 いい感じだ
だが劉備生前が全て諸葛亮の人事でないとするのはどうなのよ
正史でも演義でも劉備は英傑と言われる名声があり軍事には明るいが政治に疎い人物として書かれている
劉備登極時時、諸葛亮は丞相になっているし政務官の人事に関する裁量はある筈
と言うか戦闘に出ない諸葛亮が昇進するのは内政で功績を挙げていたからでしょ?
って事はその頃の蜀の内政に関わる全てとは言わないまでもかなりの事は劉備じゃなくて諸葛亮が人事を取り仕切っていたんじゃないか?
勿論最終判断は劉備なんだが判子を押す書類を作るのは諸葛亮だったんじゃなかろうか
王連の任用も劉備在世中から諸葛亮の適材適所の例として考える方が妥当だろうと俺は考える
それ692個人の妄想じゃね?
子細がわからない人事まで、諸葛亮の功績にしちゃう脳内理論に恐れ入る。
多少なりとも諸葛亮が関わっていた可能性は否定できないが
諸葛亮の功績として考えてしまうのはどうかと思うな
人事に関わってなくても出世するに充分な功績が諸葛亮にはあるわけだし
内政を管轄していたからといって人事権まで掌握していたとするには根拠が薄弱すぎる
>>694 龐統や蔣琬を劉備が免官しようとしたのをとりなしてる。
人事全般を掌握をしてるとまでは言えないかもしれないが影響力は十分に持っていたとは言える。
>影響力は十分に持っていたとは言える
そりゃそうだろ てかそこまで必死にならなくても
>>696 必死ってw
王連の場合は知らんけど、龐統や蔣琬の場合、諸葛亮の人事に関しての功と言えるでしょ?
>>691 これまでと違う分野に異動させて成功させてるんだから問題なかろう。
むしろ経歴とは違う分野の能力を見極めたということだから、諸葛亮の慧眼ということが出来る。
あと695は別に692じゃないから。
>>695 だから、そういう風に明らかに諸葛亮が関わっているときはちゃんと明記されてる
明記されてないことまで諸葛亮の功績とするには足りないって話
擁護派も否定派も、同じ点を全く逆の立場から否定してりゃ、そりゃまとまらない罠。
…結局その人を見る目はなんの能力に関係あるの?
劉備の政治か孔明の政治ってところかね
とにかく孔明厨はヤバイってことだけはわかった
議論になっとらん
政治ってことなら孔明厨は墓穴だな
だれも孔明の政治力に疑いなど持ってない
諸葛亮の人事において第一次北伐で先鋒を馬謖に任せた以外は特にミスらしいミスは無いでFA
ここまでの流れで、諸葛亮って人見る眼ないよなーなんて言ってるヤツもいないしな。
>>705 いや、そんなことはない。
が、議論したくないのでスルーさせてもらう。
発端は王連に関して諸葛亮の人物鑑定眼を話し始めたところかね
>>705 具体的にどうぞ。
>>708 王連に関しても劉備時代に王連の人事に関わったかどうかはともかくとしても、
劉禅時代に丞相府に異動させて王連がそれに応えてきちんと任を果たしてる。
これで諸葛亮に人物眼が無かったというのは無理があるでよ。
「人物眼がなかった」ではなく「人物眼があったとまではいえない」って話なんじゃないの?
もうみんな相手にするな
孔明は劉備より
人物眼は無かった
しかし非難されるほどでは無い
馬謖ry...
劉備が神過ぎるだけであって孔明に落ち度は無い。
誰一人「落ち度があった」なんて言ってないのに
>>691なんかわざわざそのことまで書いてるのに
孔明厨と議論する人カワイソス
厨厨言うから揉めるんだと思うよ
無用の煽りをまずなくさないと議論以前の問題じゃん?
>>716 そういう問題じゃないだろ。
こんな美しいループは久しぶりに見たよ。
王連クロマティ
個人的には、政治面の能力評価は優れていたが、軍事面での能力評価には疑問といったところか。
馬謖がそうだし、姜維も孔明はベタ褒めしていたけど結果はねえ。
戦争なんて実際どんなモンなのかわからんけど
やっぱりああいうのって知識よりも経験がモノ言うんじゃないのかな
姜維は足跡を辿ると軍人一流政治家三流の典型的軍人なんだがな
姜維は普通に経験豊富だろう
孔明が経験不足なんじゃないかって話だと思う
諸葛亮の軍事面で致命的な人事失敗は馬謖がある。
ただ、劉備は張飛を太守にして失敗しているし
曹操も劉備を抜擢して反乱を招く等の致命的な失敗はしている。
諸葛亮は他に致命的な人事失敗は無いし、王平、トウ芝、馬忠等の抜擢もある
気難しい魏延を使いこなしても要るし
正史でも最大限公平な人事と賞賛されている事を無視するのは如何なものか?
諸葛亮厨と言われても、人事に対する失策が多いとは思えないので擁護しておく
以下、諸葛亮・関羽禁止
姜維の話題も禁止。
なぜ馬謖が未熟者みたいな扱いにされているのいかが分からん。
最初はみんな未熟者ですよ
>>728 最後で失敗したからじゃね?
ココは1の失敗は百の成功に勝るインターネットですから
減点方式なんですよ
だから「〜活躍した」と正史で一行しか無い人材の方が有能なんです。
もういいよ
ウザス
無能じゃないが有能でもなかったってところじゃね?
>>730 百の成功に一の失敗ってのは夏候淵クラスの話しでしょ。
それでも、彼ほどの成功があれば能力も高評価される。
馬謖の場合、判断材料が街亭くらいしかないからな。低く評価されても仕方ないかもしれん。
演義を含めれば知力はそれなりに高くなるかもしれないが。
さらに逃亡を企てたりしてて評価できない
馬稷の百の成功って何だよ。釣り?
>>735 向朗伝が元ネタだとは思うが、逃亡したという記述は無いんだよな
というか街亭の話かどうかもわからんしな
>>736 軍事の功績は特には無いな。
県令や太守など統治面ではそれなりに良好。
あとは諸葛亮の南征において同行はしてないけど、方針について語り合った。注だけど。
これくらいか?
王連
統率35武力20知力65政治85魅力80
740 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/13(日) 21:04:08
( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l ̄ ̄l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ こ .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ や │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ つ │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! め │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ
ファンが多いがアンチは比較的少ない人物を語れば、さほど荒れずに話ができるか?
そんな人物がいるか分からんが。
どの能力も常にトップクラスの
評価をされる曹操について
743 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/13(日) 22:34:23
曹操>三国志>他の群雄
評価が加点法なら曹操が圧倒的すぎるな
曹操は全ての能力でその能力の一流の面子と張り合えるからな…
三国時代だと1人突き抜けすぎてる
全ての能力で90代前半か後半かで荒れる人物もそうそう居るまい
武力だけは例外で90代派と60-70派がいるけどな
746 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 00:53:43
官渡あたりと赤壁あたりでは曹操の能力を変えたほうがいいと思う。
わざわざ孫権の方に攻め込むという判断ミスにより荊州どころか天下統一を失っているのだから。
各能力15減くらいかな
6の老化でいいだろ
曹操は早熟で
748 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 01:13:12
メダカは釣れますか?
老化の概念自体はいいんだけど、
組織が大きくなりすぎて戦争や内政の難易度が上がる要素も入れて
曹操の老化現象を補完して欲しい
>>745 恐怖政治を敷いた人なんだけれどなー
なんでこんなに政治が高いのやら > 曹操
恐怖政治としか見られないからそう思うだけだろ
あれを恐怖政治とか言うと歴代の封建君主の大半が恐怖政治だ
いや「曹操殺人」「説到曹操、曹操就到」という言葉も残っているくらい、
民にとっては歴史に残る恐怖政治だったわけでして…
>>752 いや、それは演義以降の成語だし。
演義では善玉劉備に対する悪玉曹操という立場上、
恐怖政治だったという演出をしないと蜀側の立場がないでしょ。
曹操の武力90台は無理有りすぎだと思う。
60くらいでいい
他は90後半で文句なし
757 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 08:26:34
曹操は虐殺やってるよ
兵隊相手の虐殺は非難はさほど受けないだろうが、
曹操みたいに農民ら非戦闘員相手の虐殺は非難有るべきだよな。
759 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 08:41:10
それは能力値の考慮の領域外じゃないのか?
道徳0みたいな。
いや、あれは失政だよ。
後々まで尾を引いている。
陳公台が寝返った原因ジャマイカと言われてたり
曹操が南下したときに、荊州の民衆が劉備にくっついて逃げ出したのは、虐殺を恐れたためとも言われている。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 12:29:08
道義的にというより、短期的には危機を招き、長期的にも統治や天下平定を困難にしたという点で大チョンボなのは間違いないな。
政治や魅力は再検討の余地ありか。
んでも、その後自領の統治においては臣下の意見を柔軟に受け入れ
見事に国力を発展させ民衆の生活水準引き上げてるわけだから、
徐州虐殺は政治的には若気の至りですませていいレベルのようにも思う
魅力は一考の余地あるだろうね
若気の至りであんな大事件引き起こされてもなぁ…悪いのは陶謙なんだし。領民は関係無いだろ。
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 13:51:04
美化しすぎ
もちろん十分に優れた統治だったのは認めるが、
屯田(民屯)は元流民からとんでもない租税を収奪するものだったんだぞ。
国家規模で農奴を使ってたようなもの。
もちろん民にとっても死ぬよりはマシだろうが…
ソースと具体的な数値対比キボンヌ
>>765 そりゃそうだよ
別に虐殺が酷いことじゃなかったと言ってるわけじゃなくて
総体的に後世の統治業績見るとそうした汚名を覆して有り余る功績立ててんじゃないの、と思うだけ
別にそれで虐殺の罪が拭われるわけじゃないが数値化する上にあっては90台は揺らがないんじゃないかと
前半か後半かくらいの違いは出ると思うけど
>>766 まさに人間同士食い合う惨状を快復させたこと考えれば遥かにマシだったでしょう
戦乱が終熄する気配もない当時にあってあれ以上の方策があったかというと俺には思い浮かばん
test
770 :
:2005/11/14(月) 15:44:52
まぁこの時代の能力は曹操を100もしくは最高値と考えてほかをつけるのが正道だからな
曹操の政治や魅力が80ならそれ以上は誰もいないわけで
>>768 そもそも道徳の授業してるわけじゃないんだから、
虐殺しようが恐怖政治しこうが国が纏まってプラマイゼロなら政治にマイナスは入らん
ただし、実際に負の方向の影響が大きかったならマイナス補正が入るがね
>虐殺しようが恐怖政治しこうが国が纏まってプラマイゼロなら政治にマイナスは入らん
それはみんなわかってるよ。
>ただし、実際に負の方向の影響が大きかったならマイナス補正が入るがね
マイナスの影響があったからここで問題になっているわけで。
>ただし、実際に負の方向の影響が大きかったならマイナス補正が入るがね
負の方向の影響があったからここで問題になっているわけで。
献帝いるのに、魏王になっちゃったのも魅力マイナス面かな。
帝位は結局曹丕が簒奪しちゃったけど、曹操の生前から準備を進めていて
いざ簒奪しようとしたら曹操死んじゃったので、曹丕にお鉢が回ってきたと見る方が正しいだろうし。
775 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 16:44:40
>>776 曹操以上の政治・魅力の持ち主も何人か考えられなくはないぞ。
政治は諸葛亮・荀ケとか。魅力は劉備・張角とか。
絶対にこいつらの方が上とまでは言わんが、上でもおかしくないと思う。
政治は鍾ヨウがTOPだろ。彼の功績はまさに簫何に比肩する訳で。
>>773 マイナスの影響考慮に入れても加算式である限り政治90台は揺るがんよ
それぐらい曹操の果たした中国史における政治的役割は大きい
>>778 軍事もこなした鍾ヨウは蕭何というより寇恂。
ただし鍾ヨウが一位とは思わない。
>>780 魏の実務関係はすべてこなしていたのだが。曹操の改革も実行したのは鍾ヨウだろう。
徐州虐殺をどのくらいの影響と考えるか。
徐州から避難してきた知識人なんかも荊州に来ていたようだし、それらが敵対する劉備に力を与えてしまったことは否めない。
天下統一への遠因になったことを考えると小さな事象とは言えないと思う。
天下統一の遠因
↓
天下統一失敗の遠因
に訂正。
政治は袁紹、劉フク、ケ艾
魅力は袁紹、張超、董卓
等が結構いい線行くな
>>774 まあ何だ
曹操政権の特異な成り立ちを知ると魏王即位が絶対に必要だったって事がわかると思うぞ
786 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 18:19:39
曹操はそもそも天下統一への基本戦略が貧弱。
例の虐殺もさることながら、荊州においても漢中においても、ここを奪われると天下統一が遠のき戦乱が続くというのにポカや惨敗を喫している。
荊州では言うまでもなく赤壁で敗れ、要衝江陵も失っている。
漢中では曹操自身が危ぶんでいた夏侯淵に任せたままにして取られ、しかも取り返しに行ったのに本格的に戦う前に退いている。
天下統一のためギリギリまでやるという感じがしないんだよな。
天下統一をハナから諦めてたのか、戦略的な重要性をあまり理解してなかったのか、理解していても実力が伴わなかったのか
袁紹は知力低めで政治高めって感じかな
董卓……魅力?
蔡邕ぐらいしか心当たりないが
自分でも言ってるけど、曹操は案外、本当に天下統一とか考えてなかったのかもね
がむしゃらに走ってたらいつの間にか天下がすぐ側にありましたって感じで
赤壁直前あたりで意識して、だからこそ気負いすぎてあの大失態やらかしてしまったんじゃないだろうか
789 :
:2005/11/14(月) 18:26:32
>>786 三国志って話を無視するようなもんだが、
カント後は基本的に守って国力挙げてれば後はどうとでもなる状況だったからな
外の敵より内の敵だった希ガス
魅力トップは荀イク、これは決まり。
曹操は80〜89ぐらいでいいっしょ。
曹操が武力以外90いかなかったら
違和感がスゲーあるな
これは光栄の刷り込みのせいか?
794 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 20:54:02
>>793 うん
別に他の能力も高値安定には違いないだろうし。
今までのオール90台とかが異常だっただけ
>>794 このスレは各能力90以上は15人らしいが
曹操より上が15人もいるのか?
>>794 光栄よりさらに厳選したとして、曹操より上に15人前後居るってことだよな。(90未満)
統率…無理。一位候補です。
武力…これは居る。間違いない。
知力…10人前後止まりだと思う。
政治…微妙。
魅力…5人も居ないんじゃないか?
荀イクの人材吸引力も無視はできないが
徐晃の曹操への言葉とか聞けば魅力高いのも頷ける筈
90代は堅いだろ
>>797 いるわけねーよなー
統率…前に話題になった「非・知力的統率」でも90を超える。
武力…90以上を力説する必要はなさそう。それだと許褚を側に置く意味がないし。
知力…それこそ呂蒙のような謀略的戦果を評価の中心に据えない限り、90以上は固い。
政治…曹操を90以下にするためには、名刺史がこぞって曹操の上にいるというツマラン展開に持って行くしか。
魅力…減点方式なら嫌ってる人物も少なくないけど……
武力に関して
曹操は「武技絶人」なので一般的な武力よりは高い
個人的武勇で戦果を上げている事跡は無い
死にそうな目にあっても切り抜けられる程度には戦場の武勇がある
ただし呂布に惨敗した時は背が小さいので助かった
とすると70代〜80代くらいか?
>>797 政治も10人もいない。武力以外90以上は確定的。
他に90以上が複数有りそうな人
諸葛亮(統率・知力・政治・魅力)
荀ケ(知力・政治・魅力)
周瑜(統率・知力・魅力)
陸遜(統率・知力・政治)
司馬懿(統率・知力・政治)
孫策(統率・武力・魅力)
呂蒙(統率・知力)
馬超(統率・武力)
曹仁(統率・武力)
夏侯淵(統率・武力)
802 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 22:19:33
曹操は女好き過ぎて家臣の妻や娘に手を出すタイプの主君。いろいろ例外的なエピソードはあるだろうが、魅力は七十でいいよ。
>>800 武力の「少数での活躍」といった側面だと、曹操は若い頃千人余りでの活躍もある。
80代を推す。
>>802 曹操は広く人材を集め多くの有能な士を抜擢して使いこなせるタイプの主君。いろいろ例外的なエピソードはあるだろうが、魅力は90代は堅い。
>>801 以前の議論ではカコウエンは統率も武力も90以下が濃厚
>>802 むしろその度の過ぎた女好きこそ例外的な曹操の欠点な希ガス
>>805 あの夏侯淵が統率も武力も90以下ってのは少し寂しいな。
騎兵系の特技・戦法で優遇して欲しい。
808 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 22:25:29
知力は
荀荀賈郭程司馬トウ鍾
諸葛ホウ法
周魯呂陸
あたりがいるから。
もちろん無理に曹操を低くすることもないが、この辺に次ぐものとすればいいだろ
英雄色を好む
>>803 少数でも、陣頭に立っての奮戦か、卓越した指揮力での勝利か、によって評価は変わると思う。
曹操の場合は統率評価で武力は70台でいいと思う。
劉備と曹操がガチで喧嘩、勝つのはドッチ
>>808 ケ艾に替えて曹操を入れれば完璧だと思う。
813 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 22:31:24
白髪三千丈の中国と言っても…
数十万人を虐殺させたツァオさん。
数十万人が人柄を慕って付き従ってきたリュさん。
魅力を百で表すなら二、三十ぐらい差があってもいいのでは?
814 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 22:32:35
>>811 劉備の特技「死んだふり」が炸裂するのでドロー
815 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 22:36:43
督郵を殴ったのは劉備自身か、
それとも命令を受けた部下がやったのか、
それによって劉備の武力は変わる。
なんか…同一人物かな?
>>815 部下に命じてやったなら書いてあるだろ。多分
督郵だけをぶん殴るなら劉備にでも出来るだろうし。。
>>813 それは劉備たちの流言が上手く行った成果でないか?
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 22:43:49
>>818 新説だな
数十万人を動かす流言使いの劉備の知力はどこまで上げればいいんだ?
少なくとも敵方ならば曹操のやった事は過大に吹聴して回るだろ?
そうすると荊州の民衆は反曹に周り占領政策が上手くいかなくなる
劉備の「自分を慕ってくれる人を切捨てるべきではない」って発言は世論を味方に付けるためだし
事実、一緒に逃げる民衆を攻撃した曹操に対して荊州の反曹操の人々が大勢赤壁前後に劉備幕下に入ってる
荊州の長坂戦はただ劉備が逃亡していた訳じゃないだろう
>>819 曹操の悪評+劉備の名声+劉備陣営の流言
この3つのシナジーなんで単独て劉備の知力をどうこうしようってもんじゃない
821 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 22:56:55
曹操も劉備も民衆が攻撃されないようにとは配慮しない
そんな長坂戦でした
822 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 23:00:33
>>818 曹操が怖かったからという説もある。
ただ曹操から逃げ出した人が数十万人いただけ、その中に劉備もいただけで、有名だから代表に祭り上げられただけかも知れないと思う。
新説を掲げれば劉備の魅力を下げることはできる。
けど、だからって曹操の魅力が高いのは心地が悪い。どうもしっくり来ないんですよ。
>>822説だと劉備より曹操の魅力が激減だと思うんだがな
虐殺が尾を引いている。
政治的失点だな。
825 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 23:14:49
そこで、話を戻したい。
女好きとか遠回りしたけど、やっぱり曹操の魅力はそんなに高くないでしょう。
劉備は、第二次大戦で言うならソ連が参戦してきた満州に現れて赤軍に立ちはだかった英雄ですよ。
そんなかっこいい奴は聞いた事が無い。徐州牧が国を譲ったのも頷ける。
魅力は百二十くらいあげてもいい。
魏書武帝紀の註釈は無視ですかオマイラ
なんでageるヤツは馬鹿なのか
828 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/14(月) 23:41:59
本当にageる奴は馬鹿だな
>>825 >徐州牧が国を譲ったのも頷ける
劉備が徐州の人士に推されて徐州を領したのって、なにも劉備の人格が
特別に評価されたわけじゃないはず。
袁術もいれば曹操もいるそんな外患に抗するための処置であって、それに
この時期はなにも牧も刺史も世襲じゃなく、中央から半ば独立した益州や
中央と半ば隔絶した荊州の様な例が特殊といえば特殊なはずで。
>>826 何に対するレスでどの記述のことを言ってるのか書いてくれよ
しかし、実際に徐州の虐殺を理由として曹操政権から離反したものってどれくらいいる?
呉の張昭は徐州出身だが、赤壁の前は降伏論者だった。
また徐州でも荊州でも民衆はそのまま曹操政権に服属している。特に荊州では劉表政権を
担ったおもな豪族、士大夫たちのほとんどは曹操にそのまま仕えている。
ついでにいえば、荊州でも人口は北部に集まっていたわけだが、荊州が曹操と劉備(後に
孫権)に分割されたあと、北部から民衆が大量に南部に逃げ出して人口が変わったなんて
記述もない。
832 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 00:10:33
君は蜀書読んだことないんだねぇ。
蜀厨ウザス
実際魅力ってゲーム中ではどういう効果になるんだっけ
施しや褒美の効果くらいしか覚えてないが
835 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 00:25:59
好きな人物が陸胤とか士仁とか王雄な俺のどこが蜀廚なのか
ageているところかな
>>835 いや、あんたが厨扱いされるのは、しっかりと史料なりを示さないからだと思われ。
誰それが好きなのはわかるけど、
>>832の様な煽りはいらない。
というわけでみなさん王雄の能力を査定してくだちい。
839 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 00:34:19
好きな人物が諸葛亮の俺のどこが蜀厨なんだよ。
で、やっぱり、みんなの中で曹操の魅力は90越えてるの?
あの関羽が見限る曹賊だよ?
>>838 77 63 84 79 75
こんな感じ?
90はいかんけど80前半〜半ばぐらい
>>840 ありがとう。
鮮卑の君主暗殺するクワセモノなのでいい感じです
844 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 00:53:56
>>842 そうだよね。それくらいが許せる最高のラインだよ。
三国志が回を重ねるごとに曹操が化け物になっていく。
魅力90越えてたら、知らない奴が見たら凄くいい奴なのかって思っちまう。
絶対友達にしたくないタイプなのに。
統率95〜99
武力85
知力90
政治95
魅力80〜90
魅力を「善い人度」とするか「人的魅力」とするかが問題
曹操のもとに名士が集まったのはジュンイクのおかげ、というが、そのジュンイクは
自分の意思で曹操のもとに行ったのだがな。
それに、ジュンイク以外にも曹操を評価して支持した名士はたくさんいるぞ。
孫権を支持した江南豪族はやまほどいるし、劉備を支持した荊州・益州豪族もやまほどいる
みんな魅力100にしとく?
849 :
842:2005/11/15(火) 01:09:18
>>844 同意してもらっといて悪いが、俺は別に曹操が嫌なヤツとは言ってないぞ
確かに友達としては微妙だが上司としては好ましいタイプだと思う
ただ過失も多いので80台まで減点されるというだけで
魅力的な人物であるのは間違いないと思うが
>age蜀厨
なんでそんな魅力120の劉備から
陳羣は離脱したんだ?
あと、女云々の話で言えば、
劉備は何度も妻子を戦場にポイ捨てしてる
そいつじゃないが、ありゃ劉備が置き去りにしたようなもんだ
つか魅力って能力自体の存在意義が微妙だよな
曹操の魅力90以下を押している諸兄に聞きたい
曹操より上だと思われる20人ほど挙げてみてほしい
本当にいるか?
853 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 01:16:34
曹操は曹操で自分の色ボケが元で息子を失い、さらにあの時代に妻に逃げられている
どっちもどっち
おいage厨、それじゃ劉備も魅力80くらいか?
恒例の劉備魅力99ってのがいいんだよな、100だとなんか冷たい感じがして
妻に逃げられてるエピソードは、
当時にしては女の人の地位を高く見てる好例だと思うんだが。
普通妻如きにそんな態度取らせない。
食料にするのがオチだろ
減点していったらキリがない
相対評価でtop15(90以上)に入るかどうかだ
俺は曹操の魅力はtop15入ると思うがな
859 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 01:33:43
丁夫人の話は、曹操に対して実家丁氏の発言力がデカかった、という意味を読み取るべきだと思うが。
結局age厨は曹操の何もかもが気に入らないんじゃないの?
曹操より魅力上の15人選ぶとしたら誰になる?
文句ばっか言ってないで列挙してみてよ
毎度出るが野望を100段階で決めたらどうなるだろう
魅力90台(曹操より上だろう人)
確定 劉備 張角
微妙 諸葛亮 荀イク 孫権 周瑜 孫策 劉虞 孫堅 陸遜 関羽 袁紹
曹叡、荀、司馬懿、師、炎、孔融(対漢臣)、魏諷(煽動家)、諸葛誕
劉備、諸葛亮
孫策、権、登、周瑜、諸葛キン(ロバ補正)
袁紹、劉虞、張角、張魯
まあこのあたりから選んでよ
魅力難しいな
866 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 02:02:10
曹操の知力も魅力も90近くなら、それで十分すぎるほど高いべよ
まあ赤壁以降は10ずつ老化で減少するのだが
虚名ながら四海に知られた許靖は?
>>866 だからそれはわかったから、相対評価で曹操の上になる奴あげてくれっての
>>868 さんざん挙がってるよ。
部下に漢書音読してもらってきたら?
>>862 関羽以外はいいと思う
>>863 曹叡,司馬師,炎,孔融,魏諷,孫登
曹操より魅力が確実に下と思える人物をはずすと
曹操は上位15に入ります
司馬師なめんなよ
奴はかなり名望あったようだぞ
>>869 age厨に挙げてもらいたかったんだよ
劉備120くらいしか言ってないから
曹操ほど好かれる人からは好かれて嫌われる人からは嫌われる奴も珍しいな
徐晃なんか
「古代の人は名君に会えないと嘆いていたが幸福にも私は今その名君に会っている。
全力を尽くしてこれに仕えなければ嘘だろう」
みたいな趣旨の事を言っていたそうだ
武帝紀で死について色々書かれているんだがその註によると
「曹操は芸事は何をやってもその道の達人と同程度に出来るし格好よかった」
ってな事が書いてある
人間的魅力と言う意味ではわかり易く「魅力的」
順位は別として、魅力15候補
劉備
張角
曹操
諸葛亮
荀イク
孫権
周瑜
孫策
劉虞
孫堅
陸遜
袁紹
張魯
関羽
夏侯玄
芸事やかっこよさでは虐殺におびえる民を呼び戻せないということです
876 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 02:14:57
夏侯玄が入るなら司馬師も入れてやってよ
>>873 許チョなんて曹操死んだ時血吐いて悲しんでるし、
典韋も命張って助けてるし
惇は曹操死後気力無くしたのかあっさり死ぬし
敵も多くて嫌われてもいたけれど、
盲目的と言えるほど好かれてもいた人だと思う
>>874 イイ感じだが関羽、夏侯玄と宗教がらみは(張角,張魯)議論すべき
孫策も人によっては下がる
関羽、夏侯玄、張角、張魯に対する意見募集
+それ以外に誰かいるか
張角・張魯は、宗教であるにしろあんなに人集めたんだから
劉備並みに高くていいと思う
魅力90以上候補(15名枠)
魏:曹操,荀イク
呉:孫堅,孫権,周瑜,陸遜
蜀:劉備,諸葛亮
他:袁紹,劉虞
候補
張角,張魯,孫策,関羽,夏侯玄,司馬師
当時の俊英を一手に集めていたという貴公子司馬師を加えて
こうしてみると
単純に魅力は君主有利だよな
魅力がないやつぁ君主になんかなれん
呉は孫堅、陸遜より張昭の方が90に相応しいと思う。
中原でも通用する名声。国を挙げて遠慮して憚る威厳。
二度家臣団から丞相に推薦される人望。
特に呉の士人よりの信望は、かなりの物と思う。
その時孫権は「頑固だからもし衝突するとマンドクセ」と推挙を退けているね
文台パパは絶対無い。
好感を抱いてる人間のエピソードが桓階くらいしか無く、むしろ憎まれてる側の人間を出すとキリが無い。
黄祖に殺されたのでも、江夏太守であり名領主だった劉巴の父親を謀殺して民衆に憎まれていた為であり、
自業自得とすらいえる。
魅力だけなら80有るかどうかも怪しい。
息子の孫策のほうが、周瑜や太史慈、張昭や虞翻など、その手のエピソードに恵まれてる。
>>885 でも、推挙された事実と比べれば、魅力に置いては問題ではないと思うよ。
魅力むずいな、今の所
・君主絶対有利
・主君、同僚、部下とトラブルが無い。
・人間的魅力に溢れるエピソード
・民衆に慕われる
・名家補正
みたいな感じか?
>>887 ああ悪い
マイナス要因って訳じゃなくて笑い話したつもりだったんだ
>>888 君主っていうか王位・帝位に自力で就いたのが有利ってだけじゃ?
君主っていうか袁紹,劉虞とか群雄って感じ
この2人は名家補正もあるけど
魅力といえば夏侯惇
>>880 孫堅は入らない。
袁紹も、去ってったヤツの評価の高さを考えれば90はないだろ。
相対的に曹操の魅力が上がるわけで。
候補から昇格しそうなのは孫策くらい。
曹操と同じ意味で90以上になるでしょう。
呂蒙たんもいれたげて(´・ω・`)
>>841 どういう意味だ?俺は曹操が政治・魅力共に100確定と言ってる奴に対し何人か上になる人物が考えられると言っただけだ。
それ以来2、3度しかレスしてないし、アンタにいきなり「湧いた」なんて言われる筋合いもないと思うが。
関羽は上の方で魅力70〜75に決まったんじゃなかったっけ?
正史オンリーなら関羽は魅力70〜75だけど、それ以外も考慮すると90いくってことよ。
確実に90以上に入ってきそうな奴
張角・劉備・曹操・荀ケ・孫策
他に候補がいなければ入りそう
劉虞・袁紹,・張魯・諸葛亮・周瑜
こっから下は混戦模様。
で、曹操の虐殺問題ですよ
民に恐れられ嫌われるのが魅力マイナスでなければ政治マイナスだね
董卓はそれでどっちも下がってるな
では曹操も両方下げる
どちらも80台後半てとこかな
>>903 それを加味しても90代は割らないんじゃないか?という主張が上で何度もされているように思うんだが俺の気のせいか?
挙がってる中だと、個人的には陸遜が90超えるのが何か違和感ある。
最近の肥三國志でも90台?
>>904 気のせいじゃね?
たしかに陸遜の魅力が高いのは正直わからん
代々光栄シムで過大評価だった三強は
趙雲
曹操
陸遜
だよな
陸遜は末期がアレだから、判官贔屓もあるんじゃないの?
董卓は魅力も政治も高いだろ。死んだ途端に分裂するような荒くればっか抱えてたし。
董卓は皇甫嵩の前では良いとこなし
913 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 17:17:36
曹操万能主義→光栄・蒼天かぶれ
趙雲万能主義→光栄かぶれ
陸遜万能主義→園田かぶれ
トウタクの悪貨鋳造のためにその後何十年もの間
中原の貨幣経済が麻痺した事実は無視ですか。
名士には(サイヨウを除いて)ことごとく嫌われ、ヨウ・涼州の
ろくでなしどもにしか慕われなかったという事実は無視ですか。
奴は山賊の首領が覇権を握ったというだけの人物。
916 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 17:30:34
覇権を握れるほどの山賊頭なら十分だろ。
昨日から孫盛みたいなヤツが湧いてるな
>陸遜万能主義→園田かぶれ
ちょW
919 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 17:42:09
あげ蜀厨から、教わらないと気付かないようでは、馬超より知力低いよ曹冲君。
分かりやすく言うと曹操は徐州侵攻では殺人強姦強盗許可を出してしまった。町田の件は無罪、スーフリなんか立件もされない。ヤバいよね。
これで諸侯は金玉縮み上がっちゃったんだな。曹操がキ印なのに(だから?)誰も助けに来ない。
「助けて」
「親子の敵討ちだと思っていた」
ですよ。
曹のキチ刃に立ち塞がったのは劉備だけ。
曹操が歌が巧かったり、発明家だったりワンゲルで頑張ってたのは認める。それでも魅力は高くない。
最近、良スレがどれもこれも蜀厨に荒らされてる。
age馬鹿登場
>>919 自分が一番の基地外だと気付いてないようだ
董卓の魅力は価値観の違いを突破できない程度には魅力的だったと考えるのがよろしかろう
価値観の違いを突破した魅力など三国時代の誰にも体現し得なかった事だがな
チラシの裏
カリスマ 人望
董卓 96 10
呂布 90 30
曹操 100 65
劉備 75 99
関羽 95 70
劉禅 5 69
上の方にあったが張昭も魅力90以上じゃないか?
丞相決めるときも百官が押したというし
中原に聞こえた名声からも文句ないと思う
儒徳
荀イク 100
曹操 1
関羽持ち上げてる奴は何がしたいんだ?
いや、飽きているとか言われても困るんだけど?
934 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 19:16:13
本人というのは、携帯からの下げ方を知らない俺のことか?
荒らしたみたいになってスマンな。
ツァオ好きから徐州虐殺の理性的な意味なり、その失策に余りある彼の魅力なりについて聞きたいんだ。
メール欄に『sage』と書き込めばOK
そもそもここ数レスを見ても過剰に関羽を持ち上げてる奴なんて見当たらないじゃん
938 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 19:23:51
sage
これでいいのかな?
これアがっちゃったら、消えてロムります。
>>936 だから関羽の話はみんな飽きたって言ってんの
今は曹操至上主義者とそれ以外の論戦だよ
942 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 19:51:25
このスレの結論は、
司馬防最強
だな
>>942 三国志10だと魅力1桁だったな。
10は能力の高低が極端だった。
ちょっとは名の知れた武将でも魅力1桁がごろごろ・・・
944 :
943:2005/11/15(火) 20:30:38
司馬望の方と間違えた。失礼
惇兄の魅力は100でいいと思う
946 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 20:58:14
947 :
呉質:2005/11/15(火) 21:04:23
魅力一桁は俺のもの
948 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 21:06:25
藩璋は魅力的だが潘璋はかなり魅力低いらしいね
949 :
:2005/11/15(火) 21:12:11
>>946 100はともかく、たいした仕事してないのに最高の国で最高の給料と最高の役職だったんだから、
かなり高いんじゃないか?
確かにそうだし施したりとゲームで魅力のかかわる項目もこなしてはいるが
>>880で挙げてる連中にかなうとは思えない
関羽と並んで89くらいがいいのでは
>>949 色々仕事してるから
伝の中では全然書かれないが他の人のに名前出まくる
武帝紀とかな
袁紹ってさ、魅力は高いと思うんだけど
郭嘉や荀イク、張[合β]、高覧、許攸にそっぽ向かれた現実はどう処理するの?
関羽とかだと、魅力を下げられているみたいなんだけど
953 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/15(火) 23:13:48
曹操が部下陳宮や親友張バク、荊州の民や馬超、部下韋晃、魏諷などに離反されたり叛乱されたりしたことと併せて考えないとな
>>953 併せて考えた上で、曹操以上の人物を15人用意できないから曹操を90台にしよう
という消極的肯定が曹操肯定派の言い分なワケでしょ?
否定派は、まず15人以上曹操を上回る魅力の人たちを用意して90台を埋め尽くすか、
90台=15人という枠を取り払うところからまず始めないといけないんじゃないのかな
徐州虐殺や数々の離反が政治や魅力のマイナス要素であることはなんだかんだで皆認めてるみたいだから
>>954 何人かが何度もそれを言ってるんだけど、
ここ最近ずっと「曹操の魅力は低い」って言い続けてる携帯age厨は
それを全く無視して、ひたすら徐州虐殺だのキ印だの言い続けてる。
だから以後携帯age厨自体をスルーで良いと思われ
>>934 曹操は能力の高いものを広く集め荀攸、程cなどの賢才を得、また楽進などを卑賤の身から大きく取り上げた。
また荀ケ、許攸など、他勢力から曹操に身を委ねた賢人も多い。
郭嘉・徐晃など彼に惚れこみ皆自身を省みない忠臣も多く抱える。
人物を鑑定する目は確かだったと言われる。
曹操の元を去った人物も多くいるが、曹操は彼らの才能を惜しんで再び彼らを任用したり、しようととすることが多い。
袁紹の下に当てられた手紙を焼き払うなど深い度量もある。
若年の頃より橋玄、王儁などに大いに評価され、互いに親交を深め、大いに名望を上げた。
大雑把に俺が思いつくだけ挙げるとこのぐらいある。
徐州の虐殺のせいで荊州が〜という話しだが、それより後の冀州では投降者が相次いでるし、
荊州も無傷で手に入れた。益州の劉璋も服従の構えだった。
本当にそこまで大きな影響があったのか?
仮に数万の民が逃げたのがその虐殺のせいだったとしても、そこまで大きな問題といえるだろうか?
それと、>>ツァオ好きから〜とかいう表現は不適切だと思う。
俺は曹操が好きだから意見を述べてるわけじゃないし、貴方も曹操が嫌いだから疑問を提してるわけではないでしょう?
「自分の意見は好悪の念関係ない客観的なものだが、他人の意見は個人的な好悪に基づいてる」とでも思ってるなら偏見もいいとこだし、
そう思ってないならこんな表現は避けて当然だと、俺は思う。
そうだな、]でも魅力90以上は15人しかいないし
インフレ防止という意味で枠を10にしぼってもいいかも
枠10なら曹操魅力80台でも
それだと統率がまた大荒れになるぞ
>>957 何に対して そうだな ?
わけわかんないこと言い出して話戻さないでくれ
>>957 曹操一人の魅力を80台に落とすためにまたスレに混沌を呼び込むのか?
>>956 俺は曹操魅力90代派だが、徐州での悪評は劉備が荊州の劉ソウ反対派を纏める時に上手く使われている
ずば抜けた判断でその劉備を追撃して長坂に破ったから全然重要視されていないが
兵法の常識を全く無視した追撃が出来たからよかったもののそうでなければ荊州を無傷どころか
各地でゲリラ戦が展開されて赤壁前夜よりも凄惨な状況になっていたのは間違いない
あれは曹操の大きな失敗だよ
だがその失敗を補って余りある功績が他にあるんで曹操の魅力は90代をくだらない
>>957 十六人の間違えじゃないか?
因みに他の能力は皆二十人を越えてる。はたしてインフレを起こしているのは魅力だろうか?
さらに言えば例え10人に絞ったとしても、外れるのは別の人間の可能性の方が高そうだ。
963 :
957:2005/11/16(水) 00:07:35
えらい反対多いな、統率も知力もインフレ防止で5枠削って15枠なんだが
俺は曹操は魅力top15肯定派だよ
理由が
「10人なら曹操外しても良いじゃね?」
じゃ反発食らうに決まってんじゃん。言い方ぐらい考えろよ。
今んとこ90以上に文句言われてないのは
荀イク,孫権,周瑜,劉備,諸葛亮
こいつら?
>>963 つか、統率とか知力は15枠なの?
なんで魅力だけ10枠?
969 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 00:21:47
>>962 でも結局赤壁に至るわけで、曹操のずばぬけた判断をもってしても荊州は占領しきれなかった。
徐州での所業が曹操から天下統一を遠のかせたんだな。
徐州で虐殺をしてしまい長期的展望や天下統一を捨てた曹操は正直あまり知力は高くできない
劉邦なんかは父を人質にされても天下を選んだのだから。
970 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 00:23:00
>>969 待て待て、いくらなんでも局面が違いすぎるだろう
曹操が徐州虐殺の時点で天下を睨んでいたとはとても思えないし
そんな風吹けば桶屋が儲かる理論まで持ち出して知力下げる必要はないだろう
アンチ曹操のage厨へ
この時代の人物を減点法ではなく
相対評価で評価して下さい
973 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 00:27:08
>>935 お礼を言い忘れてた。ありがとう。貴方のような人が魅力高くてオラの知力は南蛮武将率いる猛獣以下だ。
>>956 そういう主張が聞きたかった。
ちなみ俺はそういう寝技は知力、政治力に反映されると思うんだが。
魅力ってパッと見の風貌とか態度とかに、あるものだと思ってたからね。
974 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 00:27:26
いや考えてたよ。
武帝紀の袁紹との会話を思い出せ
>>965 以前の議論では孫権はかなり文句言われてた
そんなことをいっていたら、例えば孫策は許貢を殺すことで暗殺され、自身による
天下の芽を完全になくしている。
「孫策は許貢を殺すことで天下統一は不可能になったから、魅力あるいは知力を減
らすべき」なんていったら認めるのか?
郭嘉だったっけ?「孫策が殺したのみな英傑ばかりで、その部下達はみな復讐を企図
しているだろうから、孫策が北上することはない、恐れることは無い」って進言した
のは。
977 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 00:31:31
魅力って能力自体が微妙じゃないか?
>>975 以前の議論での確定レベルの人物
挙げてもらえるとありがたい
でも孫権だから魯肅が仕えたって気もする
誰か次スレ頼む
>>976 孫策の知力も下げてしかるべきだろうね
殺さなければまた違う(マシな)展開が期待出来たのなら
でも、その蛮勇と呼べる勢い(無理)が無ければ
あんな勢力作れるとは思えないのだが
まさに。短所を正して長所を潰す発言ですね
魏
曹操、荀イク
蜀
劉備、孔明
その他
張角、劉虞
以前の議論で確定していたのはこのあたり
>>974 おおそうか、なるほど
スマソ
しかしそれでも、あの時点で赤壁の時代まで先を読んで自分の行動を律しろというのは無理すぎる
一時的な激情に委ねた愚行であることは間違いないが、その一点だけで「知力あまり高くできない」はどうかと思われ
次スレのテンプレどーするよ
魅力とか?
徐州虐殺は無かった
…ってスレが立ちそう
以前の議論では周瑜もはじかれたのか
レベルたかす
虐殺→民や豪族の反発→天下取りの障害
ってのは赤壁とか以前に、冷静になって少し考えれば分かるんじゃないかと
すくなくとも天下を考えてたなら、気付いてしかるべきだよ
990 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 00:45:49
むしろ天下を望んでいなかった、と考えるのが妥当なんじゃないか?
中華の王よりも稀代の宰相くらい
>>989 だから一時の激情に身を委ねた愚行なんだろう
そのこと自体は全く否定してないし、知力のマイナス要素であることも確かだと思う
だが、曹操にはそうした面とはまた別に、冷静に時局や状況を見定める能力もあり
実際に数々の実績を残してもいる
それらを総合して加算的に考え、かつ上位15名枠という縛りを考えると、90以上が妥当という結論に落ち着くわけです
蒼天に毒されすぎだよ
曹操は長所も短所も人より有り余ってる人物だからなあ
加点式か減点式かで大きく能力が変わる気がする
>>992 蒼天の曹操なんか眼中にないよ
つーかなんで蒼天?
曹操贔屓=蒼天厨って図式があるんだろう
蒼天読んで曹操sugeeee!!なんて単純に考える人間あんましいないと思うんだが
完璧超人ぶりに萎えるって話は良く聞くけど
性格だったら吉川三国志の曹操は好きだけどな。
自信家なとことか、見栄っ張りなとことか、人間味に溢れてる。
蒼天のはかっこいいけど冷たい感じ。
裏切られたから、だったら、劉備だって何人にも裏切られ、そむかれ、立ち去られているがね。
それでなんで曹操はだめで劉備は90以上確定なんだか。
>>997 ハゲド
曹操は多方面の才能にあふれスペック高かったけど弱点も沢山あった人ってイメージ
強いけど弱いところもある、その辺を上手く表現できれば理想なんだけど
1000 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/16(水) 01:00:06
劉備は虐殺しないも〜ん。
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
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