2 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 20:25:43
2
前スレ
>>992 悪いことは言わないから前スレのレスを読み直しなさい。
東軍の移動を見過ごして、大垣城に籠城なんてしても事態は悪くなるだけだから。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 20:54:58
まだ続けるのか・・・・
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 20:56:42
粘着だよね・・・
西軍必勝の架空戦記作りたい奴が必死すぎて、すぐに流れがおかしくなるのう
>>4-5 悪いですね脊髄反射でやってしまって。
既に何度も否定されたことをくり返しているだけで、
実際本来これ以上言うべきこともないのだけど。
いや、申し訳ない。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:16:38
西軍は伊達勢を味方に出来たら勝機があった
上杉勢と伊達勢の圧力で家康は動けなかっただろうな
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:21:22
ついでに佐竹も味方にしちゃえ
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:22:05
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:22:19
>>6 架空戦記面白いじゃん
史実通りに語ってもつまらないだろ?
それだったら教科書でも読んでいればいいじゃん。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:26:33
徳川領の北と東から上杉・伊達・佐竹連合軍6万が乱入
秀康だけでは支え切れまい
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:27:57
伊達って東軍じゃなかったっけ?
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:28:55
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:29:57
秀康戦死、おまけに真田親子も一致団結しそうね。そうなったら。何せ真田幸村と上杉のつながりは深いし。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:32:58
勝った!
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:33:59
勝った!勝った!西軍勝った!!
しかも主力は全く動かなくて勝った
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:34:49
独眼竜の咆哮
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:34:58
伊達や佐竹が西軍だとすると家康が関東を離れるわけがないから
三成と密約があって家康が関東を出て尾張に入った頃に関東乱入すると面白そう
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:35:43
そうなると最上も西軍だな
奥羽越西軍同盟
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:38:00
最上は東軍でいいよ
当主が家康びいきだから西軍につく想定に無理があるから
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:38:50
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:39:27
あ、上杉勢も北の備えを残さなきゃならん
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:40:55
まあそれくらいのバランス無いと
架空戦記はつまらなくなるからな
あまりに有利すぎると都合が良すぎてしまう
多少は考える必要のある設定しないと
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:42:56
なるほど
で、最上は滅亡確実か、まあ史実でも伊達に助けられてるからな
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:46:25
そうなると関ヶ原どころじゃないな
家康は反転関東に戻らなければならなくなる
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:47:39
そこで真田の出番なわけだな
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:52:43
う〜ん、ダメだな
あの慎重な家康が伊達や佐竹の動きに気づかないで
関東を離れるか?
真実味に欠ける設定だ
これって何人でやってるの?
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:54:25
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:57:11
家康が関東へ離れなければもっけの幸い
西軍主力は伏見と大津を落として美濃から尾張へ乱入だろうな
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:00:03
そうなると全国的な長期戦となる。
現実の関ヶ原のように一日で決着とはならない。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:02:40
ここって、西軍厨がなんとか西軍勝たせようと、狸の皮算用しているスレかな?
もう、メッケル少佐の「これは西軍必勝だろう」を持ち出して、関が原で
「誰が寝返らなかったら」とか「毛利と小早川が参戦すれば」とか、言ってる
段階はすぎて、「東北方面の誰を西軍の味方にすれば云々」って妄想になって
いるんかな?
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:04:02
>>19 東北方面が家康方でないのに、上杉討伐なんか実行しないから安心しる。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:04:25
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:05:07
>>33 そうなるとさすがに豊臣家も家康追討令を発するだろう
東軍についたはずの諸将も徳川追討軍に変わる
家康は孤立
徳川家は滅亡
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:06:38
しかし、
>>35の言を参考にするなら、家康は大坂城西の丸に居座り続けるのとちゃうか?
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:10:19
俺は真田幸村の生まれ変わりだから考えるのだよ!西軍勝利です
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:10:30
じゃ上杉、伊達、佐竹連合軍が関東制圧しているのを指をくわえて見ている家康。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:14:49
>>38 上杉包囲網が出来てないのに、上杉討伐なんぞしないがな。
上杉周辺の大名の動きで景勝が動けないようにしたから、家康自身が出て行った
んでしょ。でなきゃ、時期が悪いってんで、外交政策で処理するよ。そのための
やり方なんぞ幾らでもあるんだし。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:15:13
関東には徳川勢のほぼ全力の8万がおりますが。。。。
三成も家康がいる間は挙兵しにくいだろうし
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:17:09
>>40 そういう場合は、毛利本軍やらなんやらをつれて東北征伐するとか、
いっそ石田家や秀頼を東北遠征軍に参加させるとか、方法はあるんだよ。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:18:23
家康って8万も動員出来たのか?
どうしたもんかな?
実際には家康は上杉攻めの為の兵力が完全に集結する前に、
自ら出立して関東に入り上杉攻めに取り掛かった。
で、その間に本来上杉攻めのへの増援となるべく集結中だった部隊を足止めし、
自陣営に組み込むことで西軍が組織された。
要するに家康がじっくり待って全軍が集結してから動き出せば、
その兵力はより圧倒的なものになったし、西軍の兵力は激減。
むしろ決起事態不可能になる。
念のため無理やりにでも三成の動きを封じてしまえばなお安全。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:25:01
慶長年間徳川領の表高は256万石だっけ?
実収は400万石以上だって何かの本に書いてあった希ガス
1万石宛250人としても10万程度の軍勢を楽々養えたのではないだろうか?
北条政権下で長期間安定してた関東は豊かだったらしいよ
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:25:55
西軍の勝つ方法教えてやるよ。
秀頼の命令で大阪城に家康と秀忠を呼び出して、暗殺。
直後に、大名全体に自分に逆らったという名目で、家康討伐の命令を下す。
一方、秀康には豊臣家に忠義であったということで、帰順を許す。
また、石田三成は専横が多かったということで、太閤の遺言を理由に蟄居謹慎。
ま、後はケリがつくまでやれるやつがいるかどうかだな。
48 :
47:2005/09/19(月) 22:27:09
間違えた。家康討伐じゃなくって、徳川家討伐な。死んでるやつは討伐できん。
誰がそれをするんだ。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:29:57
>>45 元々、西軍決起が奇術みたいなもんだったんだな
三成自身が架空戦記並みの事をやったんだけど
やっぱり無理があったということか
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:30:08
地形有利 大垣城を先取
東軍孤立 大垣を無視して前進すればその部隊は孤立する 援軍はまだ来ない
各個撃破 分散して進撃すれば各個撃破される 備えを置かなければ孤立する
援軍到着 大津城他の援軍が到着する 立花の参戦が大きい
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:31:38
250万石として
3人役なら7.5万
4人役なら10万
4人は結構厳しいと思うが不可能ではない
結城の所領は別勘定という話も
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:33:44
>>50 いや無理なことではない
家康が挙兵を促した
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:33:55
石田三成、惜しい人物だ
三成が100万石持っていたら家康には余裕で勝てたのにな
>>53 それもそうだと思うが、
しかし、家康が予想していた規模を超えたものだったのではあるまいか。
もし全て予想通りだったとしては、一ヶ月も江戸で様子を見たり、
いささかその後の動きが鈍いように思う。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:41:09
>>54 その場合、家康は寝技で潰すから。
三成が嫌われていることを利用して、いろんな罪を着せて三成討伐軍を起こすとかね。
上杉が石田になるだけかもしれんね。
関が原で一気に決まったけど、それは家康がここ一回で決められると思ったからに
過ぎないんだよ。できないと思ったら、大老筆頭の地位を縦横に利用して、豊臣家
の羽をもいでいったろうさ。時間はかかるかもしれないけど、大阪の陣のころまで
かかるまい。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:42:57
>>56 単に確証とってただけのような気がするけどな。
ほとんど寝返らせているとは思ってたけど、多少の不安はあったんだろ。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:43:24
>>56 そうだね
一説によると家康の予想では、2,3万の挙兵
結構焦ったと思う
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:46:02
>>57 そんな時間かけていたら、家康が嫌われるだろう
豊臣家から家康討伐令が出るな
>>60 世の中権力者になびくようになる者も多いのですよ。
家康の予想
三成と大谷と、せいぜい宇喜多
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:53:42
>>60 甘甘ですよ。
関が原以前の家康は「律義者の内府」であって、三成は「へいくゎい者」だぜ。
耐え忍ぶことなんぞ飯食うようにやってのける家康と、気に食わないことがあれば
弾劾せずにおかない三成のどっちが政界で没落するか、考えなくてもわかる。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:54:30
>>62 ほとんど、当たっているじゃん。+小西だけだし。
宇喜多 一万八千
石田 六千七百
小西 二千九百
大谷 千五百
大谷の与力 三千程
実際に戦意があってまともに戦ったのは三万程度だな。
あとは不本意に西軍に編入された連中。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 23:09:46
不本意に西軍に編入された連中って見事に戦ってないのが分かるなあ
上杉討伐だと思って上方に上ってみれば徳川家康を討つなんて
ビックリだもんな
せめて豊臣家が追討令出していれば戦意も上がっただろうに
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 23:24:17
知らない間に新スレが立ってた。
家康関東入り後であればこんな感じが良いかと。
☆伊達・最上の転向、もしくは上杉との不戦…>東軍主力の関東拘引
☆美濃・尾張方面での攻勢…>主力を欠く東軍先方の拘引・撃破
伊達は相当思いきった抱き込みしないと転向しないだろうね。
最上はもともと戦意低かったはずだし、条件次第かと。例えば、
・伊達→上杉所領のうち信夫郡・伊達郡など40万石以上の加増。
・最上→東北・関東以外への加増転封。
・上杉→旧領越後+上野+越中+その他へ加増転封。
・佐竹→上総・下総の内から加増。
う〜ん、相当な大盤振る舞いになるなw
いや、実は上杉の最上攻めは最上の方が先に手を出そうとしている。
最上としては
・湊が欲しい
・じり貧になる前に共同軍を起こして先制攻撃を加えたい
だから秋田や伊達と共謀して先制攻撃を加えようとしたところを
上杉が察知して逆先制攻撃を加えた、と。
また防衛戦を見ても最上勢は彼我の兵力差から慎重にはなっているものの、
戦意が低いとは言い難い。
逆に上杉にとって最上攻めは、
・分断された領土を繋げる
・最上への報復
・近隣諸大名への示威行動
の三つの意義がある。
最上征伐を完了して伊達を押さえ込めば、関東への道も拓ける。
最上と上杉は感情的な事はほとんどないとしても、
お互いの利益が相反してるから手を組むのは難しいと思う。
である以上、最上攻めは必要になる。
しかし三成も佐和山城の留守兵3000人をなんで関ヶ原まで出してこなかったのかな?
関ヶ原で負けたら自分の領地なんか絶対守りきれないのに。
石田三成直属の兵が1万越えてたら他の武将も一目置くだろうし。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 02:06:07
留守兵は700ぐらいでしょ!
最上は駒姫を殺された恨みから親家康・反三成。上杉の領土も欲しいから三成に付く根拠がない。
伊達も秀次騒動の時に三成のせいで危なかったし秀吉死後はずっと親家康。
上杉と敵対している家康が切った旧領回復の手形だからそれなりに信憑性を持ってたんで、三成程度が同じ手形を切っても無駄。
俺さまが
石田光成だったら
絶対
家康を暗さつします!軽い軽い
俺が三成だったら家康の墓に小便引っかけてやる
>>11 遅レスだが史実が面白く感じないのは語りつくされた
上っ面の部分しか読んでないからじゃないか?
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 11:17:36
ifネタでもいいが
語り尽くされた感があるものがある
○○なら、どう?といった話の広がりが期待できないような問いかけが多い
設定が荒唐無稽すぎて、理解に苦しむ
荒唐無稽さを指摘されると逆切れして、荒らしになる
76 :
6:2005/09/20(火) 11:35:15
>>11 俺も歴史のIFがつまらんとは言わないよ。
だけどさ、歴史の行間も読もうとせずに、
妄想爆発で何の裏づけも無い話ばっかされても、「ハァ?」としか思えん。
一昔前にWW2の架空戦記が流行ったじゃないか。
あんな同人レベルの話じゃ別に人の意見聞く必要も無いわけよ。
作者が勝手に新型軍艦でも戦闘機でも出して日本マンセーってやって自己完結するんだから。
このスレで書かれる西軍のうんたらってのも大抵それと同じでさ、
小早川とどこそこが入れ替わったら?って言われても、
小早川は勝手気ままに動き回っていた事実もあるし、まずは小早川をどうやって統制下に置くか?から考えなきゃ駄目なのよ。
そうせずに、とにかく入れ替わった事にしてください、ってなると、何と返事すればいいのさ。
とにかく西軍にただただ有利なように状況を作ってやれば西軍が勝つに決まってるじゃん。
こっちからすりゃ、そんなのは返事出来ないし、自分の中で勝手にやっててくださいってなる。
IFするんでも、皆が参加できる形でIFを作り上げましょうと提案したい。
長文スマソ
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 12:05:47
IFがつまらない飽きたというのは
あなたが2CH等に入り浸りすぎているだけ。
新規に興味をもってレスする人間もいるんだから
もっと寛容になりましょう。
消防から社会人までいると思われる掲示板で
自分の思い通りにならないからといって
文句垂れるのはやめてください。
三戦板で敷居を高くするのは愚の骨頂だと思います。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 12:08:27
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 12:14:19
俺が清正だったら三成の墓をバキバキに砕き散らしてやる
>>77 こういう掲示板は毎日出入りしてると感覚が麻痺してくるんだよな。
「常連」になると何をやっても荒探しになる。
批判するならそれ以上のものを書いてから言えっていう感じだよな。
糞すれだしどうでもいいじゃん。つぶせ。荒せ。
>>76 じゃお前がちゃんとした戦記を書いてみろw
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 12:43:39
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 12:50:05
>>77 まあNGってことはないけど、もうちょっと考えてやってもらいたい
ifを語るにしても、
どうすればそう出来るかというところから語ってもらわないと、
ってのは全く正論だと思うけどね。
無条件でどちらかに有利にしてしまっては話にならないというのは言える。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 12:51:49
じゃあ、if用の設定
特にレスは求めない
宇喜多が寝返れば、東軍楽勝だった!
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 12:53:19
>>77 より有意義な議論をするために、検討をしていくことは良いことでは?
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 13:02:37
小早川の配置は動かしようが無いが、他の配置を動かしていれば・・・?
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 13:05:14
大谷が寝返れば、東軍楽勝だった!
例えば、先回りして関ヶ原に布陣ではなく、
動き始めた東軍に背後から攻撃してはどうだ?
これなら当日の作戦しだいだから特に前提不要なifだと思うが。
東軍は夜間に移動しているから夜襲になる。
島津あたりが提案したという夜襲案に近くなると思うが。
やはり家康が到着する前に全軍で東軍の先鋒(豊臣恩顧の武将が中心)を先に叩くのが先だったよ。
西軍も各地に戦力散らしすぎ。
家康が到着前なら小早川も裏切らなかっただろうし。
伏見城攻略の時はちゃんと動いてたし。
>>91 誰もが学研歴史群像新書まがいのifを垂れ流したいわけじゃないんだよ
俺は史実を検証するだけでも充分話のネタはあると思ってるが
設定に矛盾や飛躍がなければifを語るのも別にいいと思う
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 16:29:25
>>92 あれこれ想定するのは良いのだが、この種の想定で常に思うのは、
仮定を立てたとき、なんで相手側が歴史事実と同じように行動する
と決め付けるのかってことなんだよな。
例えば、美濃方面で西軍が終結を完了していたら、のこのこやられ
に突っ込むなんてことないぞ。東軍だってバカじゃないんだから。
勝てない数が終結していたら、例えば浜松城当たりまで引いて家康の
援軍を待つとかするよ。家康も、敵の動きが早ければ出馬も早々に
行うし、秀忠軍は途中で行軍方向を変えて駿河に向かうだろう。
で、天下分け目の富士川の合戦なったかもしれん。
>>92 小早川の裏切りは関が原の前にとっくに決まってたろ。
>>94 清洲城の兵糧が手に入るかどうかはかなり重要だぞ。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 16:53:03
>>96 長期戦にならなければ兵糧はなんとかなるよ。だいたい、東海道筋なら、
後方に家康領250万石があるんだから、深刻な問題にならない。
敵に渡すのが嫌なら、燃やしてしまえばいいだけのことだし。
(いっそ、清洲城ごと焼いてしまってもいい)
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 18:34:14
清洲は、かなりの巨城だから、簡単に落ちるかどうかわからない
もしすぐに落ちなければ、攻城中に東軍に襲撃されかねない
そうなるとかなりヤバイ
>>94 先鋒は武勇派の武将ばかりなのに少々相手の方の数が多いぐらいで引くわけがないだろ?
知力20武力80ぐらいの武将ばかりが東軍の先鋒なんだし。
それは固定観念の持ち過ぎだろ
清洲についてから家康の使者の村越直吉が着くまでの間、待機しているぞ
福島正則の威信ってものもあるから、
清洲城放棄は難しいと思うが。
それ以前に東軍の清洲城着以前に兵力を集結させるのは、
さすがに時間的に無理ではあるまいか。
>>95 「小早川の裏切り」をセンターラインに持ってくる軍略は下策と思われ
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 23:56:28
>>102 松尾と南宮をセンタラインにもってくるのは?
よし!
じゃあ西軍は負けたと仮定して
敗走した石田光成や明石全登たちが上杉領に逃げ込み再起を計る!ど―だ?ははは勝ったな!
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 07:41:03
今102が良いこと言った。不確定要素を戦略の骨幹に据えるのはまずかろうて。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 07:45:20
頭いいよ!
上杉―佐竹―真田―立花―豊富秀頼―毛利と戦線が広がりすぎて徳川軍は収拾がつかなくなる!勝ったみのもんた!
>>105 小早川の裏切りが不確定要素?何を根拠に不確定要素だ?
秀秋が関が原でどっちにつくか迷ったっていう後世の創作準拠じゃあるまいな?
関ヶ原の戦後処理が出来ないうちに北上は不可能だな。大阪や西国の動き分からんし総大将毛利を許せば東軍の諸将に不満が出る。
負けたとはいえ毛利の大軍は温存してありますし輝元は大阪にいます。石田光成が生きている以上毛利討伐は成立しません。東軍は戦意を失い自然瓦解しましょう。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 09:29:20
》107
迷ってること自体が不確定じゃないの?
>>104,106
自演ならもっと上手くやれ。
少なくとも「―」で足がつく様な無様な真似はするな。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 11:44:04
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 12:18:34
吉川を松尾山の麓に布陣してもらえば、小早川は吉川に邪魔されて動けなかったはず
ただし、毛利も松尾山に布陣することになるだろうから
毛利が動けないのは同じだけど、小早川も動けないだけ西軍に有利だったと思う
小早川が戦の勝敗が見えるまで迷い続けて不参加だったと仮定したらどうなる?
東西どちらかの勝利が見えた時点で追い討ちのように参加
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 12:56:16
吉川は3000で毛利は15000だけど、実質は吉川に18000の主導権があったということ?
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 13:00:05
>>112 光栄のゲームで計略にひっかかったものと思われw
>>116 まあそうだね。吉川は毛利の先鋒って決まってるらしいけど
その先鋒が動かないから後方の本隊も動けなかった模様。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 13:14:32
>>118 というより、毛利は吉川に逆らえる立場ではなかったのでは?
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 17:05:33
>>119 どういう意味なん?秀元が若大将だから毛利両川の一人として、少なくとも
秀元指揮下の15,000余の兵権握ってたという意味ですやろか。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 18:29:42
そういう意味でしょうね
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 19:15:18
でも秀元は秀元で結構な武将タイプで、関ヶ原以後はかなり広家を悪し様に
言ってたんじゃなかったっけ?
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 19:41:22
な―
俺さまの軍略どおりだ
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 19:55:30
>>124 秀元だけではなく、毛利家による吉川家いびりは幕末まで延々と
続いているぞ。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 20:03:45
吉川め
ひ―ひひ
毛利家の恨み晴らしたぞ
吉川をいじめるな!
>>113 小早川は勝手に布陣しただけで、西軍の言うことなんて聞きません。
>>105 本来なら小早川の裏切りは確定的な事柄なんだよ。
何せ前日に西軍を追い散らして松尾山に布陣したんだから、
ところが、当日になってこの期に及んで躊躇しただけ、
この点家康にも若干の誤算があったと思われる。
しかし、結局は順当に東軍につきあのような結果になったと。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/21(水) 22:50:03
藤堂高虎が寝返れば勝っていた
>>131 無理だな。藤堂は常に強い者の味方だから。
>>132 確かに、幕末にも徳川を真っ先に裏切ったからなw
うぬっ!藤堂…藤堂兵衛のことか!!
ヤツの裏切りでサマン島の二千八百十三名の同胞は無念の死を遂げたのだ
135 :
藤堂:2005/09/22(木) 00:24:25
うははは
それが戦国の習いじゃ
わしは主に忠にして武功を数々上げたが、評価されなかった
暗愚をいただく家がどのような末路を迎えるか言うまでもなかろう
わしは己の道は己で切り開くしかないと悟ったのじゃ
>>133 鳥羽伏見の戦いの後 「さすが藤堂藩は藩祖の遺訓が身に付いておる」 と言われたそうだが、
当人は 「戦国の世に生まれた以上7度は主君を変えねば武士にあらず!」
と言い切ってるらしい。
さすがタカトラはオトコだと おもったね。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 01:12:31
そ―だそ―だ
大賛成!
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 10:44:48
しかしこう見ると家風ってあるのかもね。蜂須賀家も明治時代かなんかで
天皇臨席のパーティかなんかで銀杯(?)をパクろうとして見つかって
「さすが出自はあらそえぬ」みたいな事言われたんだよな。
それにしても盾裏の裏切りはイタイな。歴史に悪名残すってのはこの事やなぁ。
藤堂・小早川って聞いて良いイメージ持つ人いないわな。
毛利も
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 11:33:28
>>140 代々の毛利家当主が何か悪名残すような事したの?
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 13:38:46
藤堂はそれほどでもないのでは
黒田も
それを言うなら、徳川だって、秀吉だって
信長も下克上と数々の残虐行為
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 13:39:33
>>141 関ヶ原では
戊辰戦争も藩主の力と言うよりも下級武士の力
たばこ、って説も聞いたことがある。
145 :
越前中納言:2005/09/22(木) 16:36:26
とにかく三成は詰めが甘い!!自分にとって誰が敵で誰が味方か?それすら分かっていないのに勝てる訳がない!!
藤堂高虎って来年の大河ドラマの主人公?
あんな裏切り男なんか主役にして視聴率とれるのかな?
あ、山内一豊だったね。
裏切り系だったので勘違いしてたw
>>146 変節漢なのは間違いないが裏切り者ではないだろう
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 17:25:10
>>145 いや、違うだろ。三成は敵と味方にしか分けて考えられないやつ。
家康は、ごく一部の連中を除いて敵にも味方にもなるという考え方だから、
西軍を徹底的に切り崩した。
いまさらだけど小山会議の折り、堀尾吉晴の息子の案をパクッたって本当かな?
もしそれがマジなら、人として許せないんですけど・・・一豊。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 17:39:56
・女房の尻に敷かれている
・女房の知恵で何とか世渡り
・女房のへそくりで面目躍如
・人のアイデアをパクる
・ヤバくなれば旧恩をアッサリ忘れて強いもんに擦寄る
一体全体、山内土佐守一豊とは大河ドラマで1年掛けてじっくり見るような
人物なんだろうか?
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 17:41:29
>>150 まぁ、本当なんではないかと言われているが、別に許せないくらいの
悪徳ではないだろうに。そもそも、パクられた方が怒ってないんだし。
>>151 女房が主役じゃないの?それにしても見る価値無いけどw
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 17:50:56
>>153 そうか…女房が主役なのか。・・・納得。
大河・春日の局の時は、おそらく皆だれも、「あーあ、なんだよ〜今度の大河の主役は稲葉正成かよ〜!」って言わなかっただろう。
なのになんで今回は「あーあ、なんだよ〜今度の大河の主役は山内一豊かよ〜!」って錯覚してしまうのだろう?
>>155 「山内一豊の妻」
という言葉の中で上の山内一豊を読んで早とちりするから。
固有名詞も出ていないようでは、
一豊の方が前面に出てしまうだろうよ。
というか、本当にそんな題名なのか。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 23:36:56
NHK大河
関ヶ原を重点的にキボンヌ
むりぽ?
>>159 合戦中は後陣付近の会話やり取りメイン。池田輝政とかとねW
NHKも制作費かからんでいいでしょ?
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 23:56:51
>>160 いやNHKのことだから
無理矢理参戦させると見た
で家康に高評価w
主役希望 佐竹義重
確か、仲間由紀江が出演だよね?そんで主役だっけ?利家とまつが好視聴率だったから、夫婦物やってりゃ良い考えなのでは?
夫婦物でなければ一豊が大河になるはず無いと思う。せいぜい、過去に司馬原作で西田敏行がやった二時間ドラマで限界だと思う。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 17:50:51
宇喜多秀家を大河でやらないかな。
流された先の生活も重点を置く感じで。
配流先でうちひしがれた彼を暖かく迎える島民とのふれあい。
富と栄誉だけでない大切なものを得、充実した
人生を送るとかいう感じで。
創作は多めでかまわないから。
一年保たないので新春スペシャルに期待しないと。>ウキタ
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 18:48:33
小早川秀秋の方が面白いドラマになりそう
やらないかな?
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 21:06:18
決戦みたいに関が原を舞台にしたシミュレーションゲームができないかなあ・・・?
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 21:36:24
破天荒な内容になってもいいから、戦国自衛隊みたいに自分があの時代に飛ばされて
秀吉から豊臣を頼む〜とかって言われて20〜30万石を貰って西軍or東軍に属して
戦うってゲームやってみたいw アドベンチャーパートで調略や味方を増やして
戦闘モードで関ヶ原へゴーw
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 23:02:50
>>170 破天荒な内容でいいのなら、女武将が入ってもいいのでは?
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/24(土) 05:30:58
やっぱり大河で、関ヶ原中心で三成
関ヶ原での家康の動きも詳しく描く
関ヶ原が25%以上を占める
>>170 そんな小説学研歴史群像新書あたりから腐るほど出てるんじゃない?
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/24(土) 14:55:00
三成だから、ちょうど秀吉の出世物語も描けるし
本能寺、賤ヶ岳、小牧長久手、小田原、九州、朝鮮、関ヶ原の戦いと
見所満載
超おもしろい
三成はしょうがないからジャニーズ系にして注目を集める
徹底的に忠臣に描く
家康=悪役
関ケ原の戦いの武将が女装したら・・・・・・
すまん。誤爆した
吊ってくるわ
>>164 いきなり黄金伝説!ロングラン企画
「1年間宇喜多秀家生活」
宇喜多秀家:濱口優 豪姫:有野晋哉 ほか
私的には葵は名作
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/24(土) 21:37:01
>>178 葵だと関ヶ原以降もあるし、家康の若い頃もあるだろ
三成ベースだとそれはない
クライマックスを関ヶ原に持ってこれる
家康でも良いんだが、ありがちかなと
181 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/09/24(土) 22:47:43
ようはNHKが制作にどれだけ金をかけれるかだね。もちろん合戦シーン。あと佐和山城も本当に現物つくればいいんだよ。ホントに燃やせばいいんだよ。千畳敷もホントに千畳を敷けばいいんだよ。
映画「天と地と」の製作費の10倍ぐらいかけてみろよ!NHK!!!
182 :
NHK事業部:2005/09/24(土) 23:30:29
ティンコ様
その前に受信料が
未払いです。
NHKの総収入の内受信料なんて大した割合じゃない
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/25(日) 00:56:59
受信料払わないなんて大した問題ではない
by小泉
185 :
悪スレ埋立請負人 ◆sUbOBSsmMA :2005/09/25(日) 01:19:16
ティンコ来たで
関ヶ原は利家や秀長が生きてたらおこらなかったかな。
蒲生とかが生きてたらどっちついたのかな。
もし10年寿命をのばすとしたら最低限誰をのばせば
関ヶ原がおこらないもしくは西軍勝利かな。
羽柴秀長だろう
じゃあ次は秀長の寿命10年伸ばす方法な
この時代は医学があって無いような物だから
盲腸程度でも死んじゃうからどうしようもないw
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/25(日) 08:17:31
>>190 おまえにはこの大河の面白さがわからないのかorz
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/25(日) 08:18:27
前田利家だろ
>>189 そこで健康に気を使ってた家康とかが光ってくる訳だ
>>180 葵に家康の若い頃など無いかったがなあw
家光の事だろうとは思うけどね。
実は葵の主人公は家康でもそのライバル達でもなく、秀忠だと思う。
まあ、あんなに良い大河にはしばらくあえなさそうだな。
>>186 豊臣秀次公がいいんじゃない?寿命系は医療の発展絡みになって厳しい。
家康に人心が集まった理由はこの件の作用が大きいと思う。
>>195 じゃあ、信長で。
信長が横死しなければ秀吉の天下はない、
つまり関ヶ原も起こり得ないじゃないか!w
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 00:31:44
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 01:38:46
>>186 小早川隆景ならなんか輝元にいい助言しそうー。まぁやつの寿命を知らないんだけどさ
じゃあ次は秀吉の寿命10年伸ばす方法な
諸葛孔明を読んできて祈祷させる
藤堂高虎が駆け込んできて失敗。
泣き崩れる孔明
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 11:44:03
>>204 福島じゃない?w
なんか両者がだぶるんだが
>>208 よく関羽=加藤、張飛=福島というふうにたとえられたりするが、
俺もずっと魏延=福島というイメージだった。
特に両者が講談で悪いイメージを植え付けられているのと、実像との
ギャップも似ていると思う。
秀吉存命中に家康殺してれば終わり
家康が生きていれば豊臣時代は無かった ってスレが立つだけ
214 :
秀吉:2005/09/26(月) 16:06:22
だから佐々よろしく遠方に大領地与えて
ちょっとミスしたら腹切らせようと思ってたんだよ
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 17:03:31
>>197 アートディング関ヶ原…。良かったなアレ。
216 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 20:07:35
信長存命中に秀吉を殺しておけば良かった
>>212 あほか。
豊臣政権は家康で持ってるのに。
>>217 あほか。
豊臣政権で家康含め5大老なんて執政上必要ない
>>218 あほか。
家康がいなかったらたちまち豊臣政権は空中分解だろ。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 22:09:59
アホか
秀吉が家康を後見人に指名したんだぞ
>>219 家康という存在が政権にとってとても危険なので、外部に置いておけず
政権内に取り込んだのだろう。政権部外者としての家康の存在が、とても
危険なのだ。
結果的に内部にいた方が被害は大きかったような気もするが。
外部において、対決姿勢を強めるというのも手かもな
秀吉としては取り込む方に賭けたんだろ
律儀者・・・・
>>224 律義者の内府殿なら、信頼して思い切って政権の大事を任せれば、
きっとそれに答えてくれると思ったのでしょうね。
まあ、ありていに言えば、秀吉騙されたってことだわな。
狸?
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 22:56:37
YES
>律義者の内府殿なら、信頼して思い切って政権の大事を任せれば、
>きっとそれに答えてくれると思ったのでしょうね。
思ってはいないだろう。
苦肉の策だ。
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 09:51:39
やっぱり取り込むしかなかったんじゃないですか。
家康といつまでも緊張状態じゃ八方塞。対徳川として東海道に兵を
集中してれば奥州・中国・四国の諸勢力は徳川の後巻きに出る可能性高い。
そうなれば信長包囲網の秀吉版。東海道・畿内が混乱続けば中国・九州に
大勢力や諸勢力の結集を見るかもしれず、獅子身中のデカイ虫とは知りつつも
取り込まざるを得なかった秀吉の苦衷の選択。
それにしても朝鮮出兵じゃなくて、威光のあるうちに徳川転封・減封を断行
してたら関ヶ原・大阪の陣はなかったろうにね…。
警戒してたつもりが狸の化けっぷりの良さについついって事ですか。
やはり家康の辛抱強さと演技としての律儀さの勝利か。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 11:21:45
>>229 警戒というより、やりたくてもやれなかったんだろうね。
理由もなく徳川家を減封なんぞしたら、家康以上に脛に傷持つ連中が
一斉に動揺するだろうから。家康も当然そういう連中の危機感煽って
味方につけようとするだろうし。その場合、成功率は半分までいかな
くても高い。すでに天下をとった秀吉としては冒険はできない。
だから、家康がミスを犯して処分できるのを待ってたんだろうが、そ
んなミスする家康ではなかった。チャンスだったのは朝鮮征伐で徳川
軍を海外に捨てるっていう選択もあったんだけど、強行しなかったな。
ここらへん、秀吉も耄碌し始めてたんだろ。
減封の場合、家康がNOと言ったらどうするかだな
せっかくの天下統一をリセットしてまた大戦争をやるのかどうか
そうなった場合九州、奥州がどう出るか
朝鮮に送らなかったのは
・家康と武将と関係強化、心服阻止
・家康の武将として名声上昇可能性阻止
・家康に恩を売る
理由もなく減封は出来ないだろ。
天下に信無くして静謐ならず。
減封すると言ってる奴は、とりあえずイチャモンを考えてからにしてくれ。
結城秀康や武田信吉を利用して、分割相続だな。
前田みたいに。
少なくとも家康が生きている間は、まず減封は無理よな。
家康本人が半生かけて獲得してきた取り分を秀吉が何となく危なっかしいから
と言って取り上げたら、豊臣家の信用ガタ落ち。
233が言うように分割相続が一番すんなり徳川家の力を削げそうだが・・・・
家康がやたらに長生きしちまったからなw
そんな真面目に家康を処遇してやろうなんて考えないでも
家康なんかもっと強引な手法に出たんだから、減法ぐらいいいんじゃない?
いいってのはつまり、秀吉が死んだ後にあんな事になると分かってたなら
家康に全面戦争を挑んだって仕方ないし、それに比べれば。
末期の秀吉、もっとご乱心になれば存命中に天下分け目の戦いを起こしてたかも。
秀吉の命令なら七本槍も勢揃い、藤堂とかも寝返らない。
あとは家康を討てる大義名分があればだけど。
フルパワー徳川vsフルパワー豊臣
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 13:30:17
家康も薩長を潰しておけば良かったってことか
確かにそう言われればそうだが
>>235 それは結果論であって、何の理由にもならないよ。
秀吉が生きていた時は、それこそ律義者中の律義者で通っていたんだから
家康に大きなミスもなく、秀吉から吹っかければ、豊臣家は悪者になる。
秀吉は晩年は朝鮮に目が行っちゃってたしな
238 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 13:59:54
秀次に秀頼につなぐ役割を担わせることは出来なかったかな?
秀次は秀吉の身内で古参の武将だし評価が低かったとは
思えませんが。乱心とか陰謀説は言いがかりですよね。
あと徳川が朝鮮賦役が少ないのは北条戦で東国の大名が
主に駆り出されたから今度は西国って訳だったかと思います。
秀吉としては、当初(小牧の翌年くらい)は、徳川なぞちょっとネタだしてやれば、簡単に
取り込めるくらいに思っていたんだろう。
当時の毛利や上杉みたくほいほいとなびくだろうくらい?
この頃の秀吉としては、力を持ってすれば、徳川くらい滅ぼす事は出来るけど
前年の小牧戦役を見るだに、当時最強の戦闘集団は徳川だろうし、えらい戦い
になるとも思っていたはず。
そこで懐柔策にでるか強攻策に出るかが 信長と秀吉の違いかもしれません。
そして一度遇してしまうと、秀吉は出来た人物にたいしては、とことん尼ちゃんに
なってしまうのです。
もっともソレを欠点とするか美徳とするかは別の話で、信長なぞは、一度恭順した
大名になんども反乱を起こされてるのに対して秀吉にはそれが無いとか、最終的に
家康という豊臣家を滅ぼす温床を創っちゃったとか…
あくまで自分の主観ですけどね。
景勝とかもひかえてたんだっけか
つか、七本槍が分散しなければ豊臣政権はまだしっかりしてるんじゃないか
三成が総大将じゃなくて秀次だったら・・・
>>241 その秀次を追い込んだのが三成なんですけど
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 15:43:46
あるいは秀吉が実子可愛さに追い込んだのでは?
>>242 それ、くだらない小説とかに書いてあるだけだろ。
何でも三成のせいってw それともソースあるの?
245 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 17:15:48
>>244 三成が何もして無いって方が事実を無視しているだろ。
そもそも、秀次殺害が秀吉の意思だったのは確かだけど、
秀吉側近(つまり次代の代には失脚する立場)であり、
近江閥の三成が積極的に賛成していたと考えるのはごく自然。
>>245 秀次は仮にも関白だぞ?治部程度の奴が積極的に廃嫡運動できるような
相手か?秀吉が積極的に進めたと考えるのが自然だろ。
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 17:43:51
>>246 できるだろ。秀吉側近なんだから。
「秀次様は将来秀頼様のお為にならないでしょう」とか、
「行いがよろしくないようです」とか、散々吹き込めばいいだけだ。
半分耄碌している上に、秀頼に後を継がせたくってしょうがない秀吉が
その気になるのに大して時間はかからない。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 18:39:10
奉行衆は執行機関に過ぎないから、主君に問題提起(しかも廃嫡)をした上に
自ら廃嫡を執行ってのは無理でしょう。主君・五大老の意を汲んで或いは指示
のもとに実行化したのが現実的じゃないですか?
治部少輔配下の舞兵庫父子(旧姓「前野」)や大場土佐など家老・重臣衆に
少なからぬ秀次家臣がいるのは一つの暗示ともとれますが。
252 :
250:2005/09/27(火) 18:56:00
>できるだろ。秀吉側近なんだから。
秀吉の側近だと何でも出来るみたいな発想だな。
それなら家康もとっくに潰してただろうさw
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 19:38:34
>>253 ごもっともですな。秀吉の懐刀として辣腕を振るったかもしれないけどね。
でもまぁ清正・福島等七将にあんなに恨まれるところ見ると讒言をしたと
見られがちだったのかもね。でも権力者には文句言えないから輔弼する者を
攻撃するってのは常道ですしね。
本当に三成に讒言で改易させるぐらいの権力あれば潜在的対抗勢力には
もっと積極策をとったと思われ。くどいようですが廃嫡というのは相当な
政治的エネルギーだったはずで三成の匙加減でどうこういうものでは
ないでしょうね。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 20:11:57
>>254 最終的には秀吉の権力によるものだが、その秀吉の意思決定に影響を
及ぼす能力がある三成が秀次排斥に動いていたとしても、不思議でも
なんでもない。ましてや、秀頼が生まれることによって、淀君を中心
とする近江閥が郷党集団から、豊臣家を二分するような派閥に成長し
ている。秀吉側近である三成が近江閥の意を受けるかたちで、秀吉に
対して秀次排斥を働きかけていたと考えるのは、ごく自然は帰結だね。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 20:12:17
>>247 オレは三成マトモ説だから、そこまでやったとは思えない
もし三成がやったとすれば、武官派が三成を殺そうとするのも無理はない
主君を操って自分の思い通りにする、まさに奸臣だからだ
>>256 あれはまともではないだろう。
大谷吉継でさえ、三成の性格を注意しているのだから。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 20:14:37
>>250 三成の家臣に他家のものが多いのは三成がヘッドハントしたから
失職した優秀な人材を集めた
戦国ではよくあること
259 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 20:15:23
>>255 仮に三成が企んだにしても、秀吉が承認したのなら
秀吉にも責任がある
最高責任者なのだから
260 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 20:16:18 0
>>257 注意されるぐらい普通
まあ妥協的な性格ではないだろうが
>>255 おいおい、三成が絡んでるとしたら、同じ奉行衆の浅野幸長や
前田玄井も知ってるって事になるんだぞ?秀吉の側近は三成一人じゃないんだからな。
>>257 融通の利かない性格を注意してるだけだろう。
加藤清正が三成を恨んだ理由は朝鮮で敵城一番乗りを
秀吉に報告したのを、一番乗りは小西摂津だって訂正されたのを
逆恨み。
それと明国の使者に対して豊臣の性を勝手に騙った
のも三成に見咎められて秀吉に勘気を被ったのを逆恨み。
清正は意外とセコイ手ばかり使う。
三成はそうゆう不正を許さなかっただけ。
至極当然だろう?
それに対し、徒党を組んで武力蜂起しようとした清正ら七将の方が
どうかしてる。羽柴秀次の件も、どうせ三成が絡んでるだろうって憶測だけで
三成のせいにするのは無理がある。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 20:45:40 0
仲間内でなあなあでやりたい奴らはきっちりしているのがいるとやりにくいもんな
で、親玉がいなくなった途端に今までの恨みを・・・・
>>262 福島正則が豊臣姓を名乗っても三成はチクルかな。
>>264 チクらないでしょ。だって秀吉の従兄弟じゃんw
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 21:12:10 0
どうでもいいが、
>>260以降時間の後ろに出てる 0 は何?
他板で出てるパソと携帯を識別するコード?
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 21:16:12 0
>>258 ヘッドハンティングは当たり前なのは分かるけど太閤の勘気を被った関白秀次の
重臣とも言える舞兵庫・大場土佐・高野越中・塩川志摩ら「若江八人衆」を
はじめとして高禄を以って召抱えたのは尋常じゃないのでは。三成讒言説が
正しいとしてもしっくりこない。みずからのシナリオで落としいれた関白秀次の
家臣達を秀吉の目もあるのに敢えてヘッドハンティング…。
召抱えられた旧関白家臣団も旧主の仇の家臣におさまるというのも解せない。
当時は一般的な世論としては三成陰謀説・讒言説というのは流布していなかった
のではないか。
268 :
結城秀康:2005/09/27(火) 21:21:00 0
いやーー、このスレ、奥が深いなー!!
>>267 だな。俺も江戸以降に徳川が流したんだと思う。
石田家は蒲生・羽柴秀長・羽柴秀次といった家が無くなって
浪人となった者を多く抱えてる。これは浪人となった連中に対する
三成の好意だと思うね。
欲得だけでそういった連中が石田に仕えたとしたら
関ヶ原であれほど奮戦してないよ。さっさと逃げ出してるね。
271 :
結城秀康:2005/09/27(火) 21:34:03 ID:0
そーいや、関が原ん時、俺は宇都宮の方でがんがってたけど、弟の秀忠は遅刻したよな。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 21:52:25 ID:0
あれ?ID制導入?
273 :
結城秀康:2005/09/27(火) 21:54:44 ID:0
ん?なんの話だ?
274 :
結城秀康:2005/09/27(火) 22:10:51 ID:0
さっきっから0がふえたりTDだとか、変ジャン?
三成は秀次失脚であぶれた旧臣たちを積極的に抱えたり、他家に就職斡旋したりしてるぞ
蒲生が大幅に領地削られた時も同じようなことしていたし(横山喜内とか)
んで、後の関が原の時、秀次の旧臣が敗勢濃くなるやいなや即刻逃げ散ったのに対し、
蒲生の旧臣は殆どが最期まで闘って討ち死にしたらしい
そんでそのことを聞いた家康が「家風の違いとは恐ろしい」と言ったんだと
ソースは司馬だがw
276 :
結城秀康:2005/09/27(火) 22:35:25
はじめて聞いた・・・すごいな・・・
ここで発想の逆転ですよ
「三成は若江八人衆が欲しかったから秀次失脚他を企てた」
278 :
結城秀康:2005/09/27(火) 23:10:24
秀次かわいそー。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 23:35:31
三成は秀次廃嫡に積極的に動いたわけじゃないぞ
優秀な官僚としてただただ秀吉の命令に対し忠実に、且つ厳格に動いただけ
でも一方でとばっちりを受けた形となった秀次家臣に対しては同情的だったりするんだよな
個人的には「融通の利かない官僚だが実は情に篤いタイプ」というイメージだな
他人からは誤解されやすいタイプなんじゃないかな
福島・加藤らには嫌われていたけど家臣には信服されていたみたいで
実際、関が原において石田隊はよく働いているし
ついでに近江閥がどうのと言っていた人がいるが
秀次の側近筆頭は木村某(ゴメンど忘れした)という近江侍だ
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 03:43:42
木村貴光か?
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 06:35:49
木村常陸介だっけ?木村長門守重成の父親という説もあるな。
284 :
267:2005/09/28(水) 06:45:31
>>279 いや俺は三成陰謀説は取ってないよ。文中にもあるけど仮に讒言説を事実と
仮定しても矛盾する、と言いたかった訳です。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 07:05:43
>>280 その通りですな。主君に忠実な辣腕官僚だっただけに上意を容赦なく且つ
効率的に実効化したんだろう。それ故に周囲に恐れられ、恨まれもしたん
だろうね。
厳格な官僚であった一方で篤実な所もあったはず。関白秀次・蒲生家浪人を
多数抱えたのもその一面かと。重複するけど当時、秀次旧臣を抱えたのは
相当に勇気ある行動だったんじゃないかなと思う。
宇喜多・佐竹・上杉・大谷等の三成への行動を見ても奸物では決してあるまい。
黒田長政か誰かも言っていたが三成の死後は世の悪をそれほど感じなくなった、
というようなくだりがあると思ったけど、悪というか不正には異常に厳格で
融通無しの処断多かったんだろう。被害者から見れば奸悪に見えるが、浪人登用
や家臣の処遇を見れば、よき物には厚く賞したんだろうね。
佐和山城の質実剛健さに三成の人となりの一面が出ているようにも思えます。
「治部少に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城」
治世・人材登用に腐心していた事が伺えます。やはり単なる官僚大名ではありますまい。
島津領を三成が検地したときも、島津家の財政立て直し案を出したり、経理業務
の導入を指南したりしてるんで、その当たりに三成の正義感というか人となりが
図れる気がします。
ようは不器用な人なのかもしれませんね。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 11:22:14
真面目な官僚であったというのには賛成
しかし情だけでスカウトしたとは思わない
そんなことしたら滅んでしまう
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 11:23:34
>>286 世渡り上手かというとそうではない
しかし秀吉はその当たりも評価して重用したんだろ
いわゆる日本式ではなかったために、恨みを一身に受けることに
三成はどんなに秀次に情を持ってたとしても、秀吉の命ならば秀次を
切り捨てる側に立場を取るのは当然だろ。政務に深く関わって、秀吉の使い
みたいなもんなんだから、それを三成の陰謀とは想像力が豊すぎるよ。
>>286 正義感はあるだろうなぁ。大谷との話しもそうだけど、周りにはどう映って
いようと三成自身は正義に生きていたとは思う。
俺の中でなんか学級委員って感じがする。イジメよくない、不正だめだ。
そういうのを言う奴はけむたがられる。リーゼントの清正君とかに。
ふと思ったが少壮気鋭の頃の秀吉だったら、朝鮮の陣で清正が豊臣姓を独断で名乗った件について咎めるかな?
むしろ、「うむ、見事な機転じゃ!虎の奴め、敵の士気をそぐ策に違いあるまい、その件は捨ておけい。」てな具合にあいかわらずの大器ぶりを発揮して不問に付したんじゃない?
しかし、もうボケが進行して、「むむ!豊臣姓を名乗るとは!虎も秀頼を危ぶめる輩であったか!?」と短絡的に考え、逆鱗に触れたわけだ。
そもそも大坂の殿中で「俺は豊臣清正だ!」って名乗ったら、事は重大だが、
戦陣において朝鮮人相手に放言したぐらいで何程のことがあろう?
普通、「問題化」はしないよ。
しかしそれに着目し、「問題化」しようとした奴がいる。そういう意味でかなりそいつは悪意があるな。
それをひとつの争点とし、清正を追い落とそうと企んだことは明白だね。
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 12:46:54
問題かしようとしたんじゃなくて
職務を忠実に実行しただけでは
その報告を受けてどうするかは決裁者が決定する
あえてねじ曲げた報告をしたというのなら悪意があるが
>>290 清正も気が利かないな。親友の正則を呼び出して「豊臣正則」を名乗って
貰えれば、特に大きな問題にはならなかっただろうに。
レスするのも馬鹿らしいと思ったが
呼び出すってなんだよ
一軍の大将が何で他の大将を呼び出すんだよ。
自分の手柄を人にあげる様な、お人よしなのか?
しかも朝鮮まで呼び出すのか?その上、清正より正則の方が官位は上なんだぞ?w
>>294 では、とりあえず「豊臣正則」の名前だけ借りておいて、あとで、
「悪い。名前借りたわ」と断りを入れておく。
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 15:05:14
>>296 奉行職の三成と違って、正則や清正が豊臣恩顧の中心人物とされて
重視されるのは、秀吉達とそういった関係が成り立っているからだろう。
ちょっとした失敗でも、「済みませんな」と一言で済ませそうな。
それだからこそ、几帳面に始末書を書かせようとするような性格の
三成と対立するのだろうけど。
298 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 15:29:56
>>297 朝鮮在陣の清正が日本にいる左衛門太夫正則に「名前だけ借りた」で
済むわけなかろう。そもそも三成が清正に不正あり、としたのは小西摂津が
一番乗りだったのにも関わらず、自らが一番であったと虚偽の報告を
したことが一つの原因ですよ。そこへ渡海すらしてない者の名を語るなど
言語道断でしょう。
もうひとつ言えば、それほどに功名心の高い清正が親友とは言え他人の名で
先陣を切るとは思いがたい。
関ヶ原において正則は家康実子の抜け駆けを許さざるとの態度をとった
ほど先陣の名誉は武断派にとっては戦功の第一とも言えるもの。
ちなみに福島といえども名乗りは羽柴清洲侍従じゃなかった?
徳川で言っても実子の結城秀康や松平忠吉が徳川って名乗ることはない
けどね。
少なくとも
>>297の「済みませんな」の一言では当時の大名どころか
現代のサラリーマンでも通用しまい。
加藤と福島は身内みたいなもんだからな。
なのに中途採用の奴が同じように幹部としてるのは腹立たしいだろう。
それに三成が大名になるのを断ったとか言う話しがあるらしいので
相当に加藤らとは価値観が違かったんだろうと推測される。
292=295=297
もうこれ以上恥を晒すな。もう二学期は始まってるんだからそろそろ学校いけよ
>>300 対外的に別人の名前を名乗っても、国内的には関係ないだろ。
先陣の功が入れ替わるわけはない。
303 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 16:30:44
>>301 ほぅ。むちゃくちゃだな。じゃあどんな名乗りでも良いって事になる。
いっその事、我こそは秀吉その人であるって名乗ればよかったって事?
さっき
>>298でも書いたけど福島でも羽柴って名乗るのが精一杯なんだよ。
秀康や忠吉だって公式には徳川とは絶対名乗らないんだけどさ。
それでもまだ対外的には何とでも名乗れるって思ってるの?
ま、ともかく貴方の感性はすごいなぁ。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 16:34:02
でも助作は豊臣姓
292=295=297=301
歴史の前に一般常識と「考える」能力を身につけなきゃ駄目だな、こりゃ
自分で何言ってるかわかってないだろ・・・
平民の誠三も羽柴姓
307 :
結城秀康:2005/09/28(水) 17:54:41
豊臣って苗字はもういないけど、羽柴って苗字は今もいるよな。
豊臣は 本姓で苗字じゃないよ。
だから秀吉の苗字は生涯羽柴。
豊臣朝臣羽柴秀吉(トヨトミノアソンハシバヒデヨシ)って感じ。
たしか 北政所の家系 木下氏が 豊臣朝臣羽柴を代々名乗っていて、明治に入って
姓と苗字を整理したときに羽柴になったようなならなかったような???
記憶が曖昧なんでだれかフォローミー。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/28(水) 18:55:03
なんか話しが豊臣姓になってるなw
それはさておき、朝鮮出兵が無いという仮定を立て、対徳川にそのエネルギーを
傾注したとすると、まずは徳川の転封・減封というような手段が考えられるが
大義名分が必要。国家安康なみの強引な一手以外で何か妙手はないのだろうか。
やっぱり日本中に普請事業させて財務弱体というボディヴローは必須として
どんなもんだろうか。
まず元々租税の大領地に転封されながらヘマもせず収めきれた徳川スゴス
朝鮮出兵が無い時点で秀吉の人がおかしい
そしてなんら芽の無い徳川にどうやってそのエネルギーを傾注できるのか
五大老に口が挟めるほど豊臣家に力がないのが実情
なんかここだと秀次の評価高いね。
近江八幡では名君扱いだけど。
kita-----
綱吉は名君?
317 :
結城秀康:2005/09/28(水) 23:16:49
うーん・・・びみょー。
>>316 生類憐みの令は国庫を乏したから迷君かも
慶喜が一番微妙
319 :
結城秀康:2005/09/28(水) 23:42:30
なんか、話変わってない?豊臣に戻そう
朝鮮出兵が無くても、もうその時代じゃ徳川を減封するのは無理じゃないかなぁ。
秀吉にその気があれば、会津蒲生や丹羽みたく難癖つけてやってる。
秀次の蟄居切腹も難癖みたいなものだし。
それこそ反乱を起こすとか明確な理由が無ければ秀吉には徳川をどうこう
出来ないと思う。
良く言えば徳川に一目置いていた、悪く言えばびびっていたんだと。
それが秀吉イズム。 悪になりきれないのですよ。
>>319 豊臣匡輔の旗印の豊臣秀頼は出陣できないし、総大将の毛利輝元も出陣しなければ勝算は少ないな
西軍が大阪に帰陣すれば島津義弘、鍋島直茂、長宗我部盛親、小早川秀秋らが反旗を翻し
上杉景勝も本庄の頑張りも空しく最上・伊達に敗北し、西軍は敗北だろうな
323 :
結城秀康:2005/09/28(水) 23:58:38
毛利輝元って大阪城で何やってたの?
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 00:03:35
まあ小牧の時点で勝負あったのかもな
コイツには勝てないよと
その代わりオレが味方に引き込んでみせるよと
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 11:27:05
>>324 ちょうど、そこそこの腕の椰子が羽生と戦ったようなものかも
じっくり戦って、隙がねー、勝てねーと思ったかも
もちろん、秀吉配下の武将もね
ビビってたつか徳川の顔は立てなきゃまずいだろう。
信長の同盟者で貢献度は無視できないのに、それを敵視したら
秀吉の顔も立たないというか。あと秀吉は家臣達が劣るな。
織田みたいに共に熨しあがったり、徳川みたいに常に仲間内で固めてるのとは
別に豊臣家の場合あるていど強者の前提に立って働いてた傲慢な人間のような気がする。
もっと一団となれとおもう。
少なくとも小牧・長久手のころの秀吉は徳川の顔をたてる必要はないよ。
前年に織田家筆頭の柴田や信長三男を失脚させた張本人なわけだし…
ただ徳川の戦力にびびってたのは事実だと思う。
秀吉を見るに闘わなきゃ成らないときはちゃんと闘うし、
実際 徳川を滅ぼせる軍事力を持っていたのは自覚していたと思う。
けど、搦め手でなんとか出来るなら武力行使にまで至らないのも秀吉。
「生涯欠けてちょうりゃくしちゃろう。」と思っていたんでしょうね。
あの頃は島津の勢いがすごくあのまま行けば
島津VS秀吉VS家康になったかも
秀吉包囲網だな
そうなるとさすがの秀吉帝国も危ういぞ
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 13:56:31
>>330 そこまで行けば、北条も本格的に加勢に出る
強さはともかく兵は結構いるぞ
でも、小田原征伐後朝鮮出兵前は秀吉も諸大名に支持できる立場だから
徳川を倒す大義名分さええれば小田原征伐と同じく各大名連携で攻撃できる。
上で出てるみたいな、秀吉妥当に大名らが一斉に兵を挙げるよりは
その方が現実的な展開だと思うな。秀吉を倒したとしてまた戦国に戻るのか知らないけど。
たしかに小牧・長久手の時は家康を倒しても文句ないけど、倒せなかったし
あのまま敵として対峙してれば秀吉側も戦力面で倒されかねないから
家康を討つならあの時だったろうけど、実際は討てずにその後の状況になった
それで、いざ天下統一してみた後は家康を討てなかった、打てる状況を作れなかったのが現実だろうな。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 15:02:09
結局小牧・長久手の頃は周囲に敵対勢力が多すぎて徳川を取り組まざるを得なかった
のは秀吉苦衷の選択。しかし家康が関八州転封を拒んだらどうなったんだろう。
秀吉も話しを切り出す時には相応のリスクは認識していたと思うんだが。
当時の家康の身辺は自領に秀吉配下の大軍が着陣している状況では家康もNOとは
いえなかったか?。関八州どころか奥州くらいに転封って吹っかけておきゃ
よかったんじゃないのかな。
秀吉も家康が拒まないまでも容易くYESというとは考えておらず、言いがかり
をつけるつもりだったのかもね。
ちょっと脱線スマソ
334 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 15:08:45
関ヶ原スレッド復活2スレ目の、わずか300レスたらずでこの有様かよ・・・
結局、秀吉存命中でないと事態は打開できないということか?
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 15:09:16
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 15:10:58
>この有様
とはつまり豊家政権維持ね
337 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 15:15:10
>>332 強引にやれば出来たんだろうし、その場合の成功率も高かったろうけどね。
場合によっちゃ、それこそ大坂で家康と秀吉を暗殺しちゃってもいいんだし。
ただ、成功率が高いといっても、99%とかじゃないしな。
特に家康に関東のこもられた場合、家康の外交力からいって、かなりの反撃
が予想されるし。冒険はしたくなかったんだろう。家康を懐柔する方向に出た。
もっとも、それが結局豊臣家を滅ぼすことになったわけだから、そこが秀吉の
限界だろうね。難癖つけてでも相手を滅ぼした家康は頼朝の決断力を持ってい
なかったということだな。
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 15:18:55
>>334 あるよ。秀吉が死んだあと、家康を極秘によびつけて、暗殺。
下手に大義名分振りかざして綺麗に収めようとするから、失敗するのだ。
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 15:24:28
島津が秀吉と戦うならまず大友倒さなきゃじゃん
清正らが三成襲撃する前に家康を襲撃しろよと言いたいな。
三成と違って清正とか家康に言い様にされて最終的にあの様。
もっと大局を見る力が無かったのか。
>>340 清正はしょうがないんじゃないかな。
朝鮮行ってて日本の事情がよくわかってなかった形跡あるし。
正則が「いや、今は治部より内府が先だ!」とか言ってれば神になれたのに。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 15:57:58
>>340 三成は大局を見る目がないというより、本質を見る目とか現実を見る目が
曇っているからな。
清正は秀吉の子飼いだから、家康にはつかないとでも思ってたんだろう。
また、本質的には家康の首さえとればいいのに、常に会戦を行って勝つと
いう思考に陥る。豊臣家の安泰ということなら、家康を討ち取るのが先で、
戦いに勝つ必要などないのにな。
常に観念論が先に立つから、行動が目的に直線的に向かわないのが、三成
の限界だろう。
>>342 暗殺という手段を採らず、大会戦を選んだ理由はただひとつ。
単純に、三成は天下を狙っていたからでしょう。
暗殺で家康を殺しても、天下は自分に転がり込みませんからね。
自分が首謀者となり、大義名分を唱えて、軍を起こし堂々と討てば天下人への道は一気に開けますからねぇ。
三成のイメージでは秀吉の山崎の合戦を思い描いていたんじゃないかな。
別に三成を野心家と決め付けているわけじゃないよ。でも、そのぐらいのことを考えるのが戦国の気風なわけだし。
>>343 三成は戦国大名じゃないのだよ。
不正とかが嫌いな融通の利かない潔癖性みたいなもんで
家康のやり方が気に入らなかったんだろう。気に入る奴がいるとも思えんがね。
三成に野心があるなら、金吾の領地を筑前52万石をやるって言われた時に
ありがたく貰ってるさ。三成は天下なんて狙ってないよ。
敢えて欲をあげるなら、豊臣政権を作り上げた一人として、その政権を変えないで
維持したいって欲だろう。別に権勢が欲しいとかじゃなくて職人みたいな感じか。
ちなみに三成は、主から貰った物は全て主に利息を付けて返すのだ。
と商人みたいな発言をしている。現に佐和山城を落とした時に城に蓄えが殆ど無くて
家康が、三成に蓄え無し。と書き残している。そうゆー気質の男なんだよ。
>>344 たしかに、そんなところかもね。
王左の才ってタイプかね。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 18:21:55
>職人みたいな感じか。
言い得て妙とはこの事だね。うまい事言う。三成の才能と情熱は自らがその構築に
携わった豊臣政権の維持に注がれたと言っていいだろうね。
太閤生前に個人的に家康と訴訟事など大きく揉めた事も無いし、太閤逝去後は他の
大名よろしく黙って従ったって良い訳だしね。太閤子飼いの福島・両加藤ですら
家康に尻尾振っていったんだから三成が黙って家康を迎え入れてもまったく
問題はなかったろう。
250万石と20万石、従二位内大臣と従五位下治部少輔、信長公の同盟者であり
武田信玄との戦に生き残り、秀吉さえ勝てなかった歴戦の雄と辣腕の行政官僚…。
普通戦やろうなんて思わんだろう。それでも戦を起こしたのは『利』の為では
あるまい。
仕物にかけなかったのは政治的な正当性を求めたからじゃないかと思う。
豊臣政権においてはそうした方法はあまり取られなかったので、三成もそれを
継承したんだろう。もっとも徳川家は密偵・忍・仕物はお家芸だけどねw
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 18:22:06
>>346 王佐の才っていうには、融通がきかなすぎるし秀吉に忠実すぎるな。
というか、三成じゃ秀吉に逆らって諫言とかできないだろ。
忠実な官僚ではあっても、王佐の才にはだいぶ遠い。
実際、秀長や官兵衛にくらべると補佐役としても一枚落ちるし。
まぁ、天下を狙ってはいなかったろうが、秀頼政権下で北条執権家
くらいの勢力を築くことは考えてたかもな。
まぁ、そんな簡単に暗殺出来るくらいなら、日本史=暗殺史になってるよね。
日本史で暗殺された例がほとんどないのは、それだけ難しいのとやはり暗殺では
歴史を動かせる人物にはなりにくいって事じゃないか?
350 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 18:38:37
>>349 忍が夜に枕元に立ってブスッ、ってなかんじの暗殺は少ないだろうな。
基本的に、人知れず殺すってのはどんな場合でも難しい。
というか、犯人が誰か知られずに殺すのはとても困難。
むしろ、多いのは上意討ちとかおびき出して殺すとかだな。これなら、
逃げられない以上成功する。事実、事例も多い。
秀吉の秀次殺害とか、宇喜多直家とか織田信秀とかな。
しかし、徳川家が暗殺常套って誰が広めたんだろうな?
家康は暗殺とか上位討ちとかしない人間だったが。
暗殺っていうのは、その場しのぎの解決にしかならないんだよね。
結局、その時点で目立つ人物が取り除かれたとしても
その人物が目立つ事になった要因は取り除けない。
関が原の場合、三成としては、家康がただ消えるだけじゃ意味が無い。
それでも秀頼が幼君である事にはかわらないし、
地方に行けば戦国時代の生き残りがひしめいている。
政宗、如水、彼らは家康がいなくなれば、ここぞとばかりに動く可能性も高い。
もちろん、関が原前夜に家康が取り除けられれば関が原の乱は防げただろうが、
結局、豊臣家の武威を天下に知らしめるわけじでもなく、相変わらず豊臣家は弱体なんだよ。
だから、関が原で家康と天下の雌雄を決しようとした三成は間違っていたわけでは無いと思う。
まあ、事前の諜略で完敗しちゃったわけだけど。
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 18:49:25
暗殺成功したところで徳川遺臣が黙ってはいないだろ。60,000以上の動員能力を
持つ徳川家だ。徳川秀忠が天下を望むのは相当難しくなるだろうが
>>351がいうように
豊臣家弱体なまま動乱の時代へ突入するかも知れん。
暗殺の企画・実行者は改易にならんとも限らんしな。
豊臣は徳川をなんとかすればどうにかなると思ってますよ
伊達さん上杉さん毛利さん島津さん
暗殺の歴史はかなりあるだろ。佐竹義宣なんて周辺の小豪族を
まとめて毒殺して領地拡大したし、あの毛利元就もやった手口だ。
ただ、豊臣政権っていう政府がある状態で、その政権の代表者とも言える
三成がそれをやれるかっつーと無理だな。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 20:30:59
>>354 そうか?
外国の歴史なんかだと、そんな例はいくらでも転がっているが。
日本でも、天皇家の継承時なんかには似た例はあるし。
しかし祖父、親父の無残な末路もあって
徳川は暗殺に対する警戒心が強い事戦国一だろうからなぁ・・・
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 22:08:39
>>357 細かい人名は覚えてないけど、嵯峨天皇の死後に皇太子が廃されて
殺されて、他の親王に皇位が行ったとかね。他にも同様の例はある。
中国の歴史では、皇位が変わったとたんに皇帝の兄弟皆殺しとか、
唐なんかだと皇帝死後に宦官が皇太子を殺して別に王子を皇帝にする
なんてのがほとんど慣例化した状態になっていた。
まぁ、これは皇位継承者だけど、有力者が殺される場合も多いな。
361 :
結城秀康:2005/09/29(木) 22:18:52
うう・・・暗殺ってこえー・・・
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/29(木) 22:25:02
家康は長束に謀殺されかかったようだが
とにかく危険と見て泡を食って逃げ出した
家康クラスになると独特の嗅覚があって逃げるんじゃないか
100%逃げれるとは言い切れないが
暗殺計画漏らす奴居そうだ
増田なんかは言いそうだな
それ以外にも片桐とか
大谷だって家康の護衛に回ったし
一つ忘れないで欲しいんだが
継承権の絡んだ暗殺と、大勢力同士で暗殺行なうのじゃ全然効果が違うぞ。
継承権から暗殺が行なわれる場合、
その同一勢力内で派閥の理から関係が大幅に変わるが
勢力のトップが替わるだけであって、対外的には外交方針の変更はあっても
直接、大きな影響がすぐに出る事は無い。
だが、家康、三成や、戦国大名間で暗殺に成功すると、
やった相手が後継者でも無いから、勢力のトップが入れ替わるわけではなく
ある勢力が、前の勢力を押しのけて地位を奪おうとする。
対外的にも、凄い影響が出てくる。本能寺の変後の織田家の動揺振りをみればわかると思うが。
これの結果を予測するのは本当に難しいし
家康にしろ、三成にしろ、トップに立つものとしては不確定要素は極力省きたい筈だから
安易に暗殺という手段に訴えるはずも無い。
秀吉にしても、家康を暗殺した結果、徳川軍団が暴走したり、
上杉、伊達の様な有力大名に吸収されてしまったりしたら、さらに面倒な事態になるわけで
そうそう暗殺と言うわけにはいかない。
やるとしたら、徳川家内部に呼応者を作り、暗殺直後から事態を有利に運ぶように動かすしかない。
あ、ミスった
>その同一勢力内で派閥の理から関係が大幅に変わるが
→その同一勢力内で派閥の力関係が大幅に変わるが
>>358 そういうのは粛清と言うのだよ。
ちなみに家康の場合は、暗殺計画が発覚したことがありますな。
ちょっと小説ネタっぽいが、三成は戦機を見ることができなくて
暗殺の機会を逃したんじゃないか
秀頼を暗殺してしまえば大坂の陣は不要だったが
あれだけの勢力差があっても暗殺はできなかった
鎌倉時代には殺された例も多いが
暗殺と粛正・反乱 はどう違うんだ?
本能寺は? 龍造寺が蒲池を殺したのは暗殺? 宇喜多は暗殺でのし上がったのか??
いるかを殺した中大兄皇子は???
リンカーンやJFK・イスラエルの首相なんかは暗殺だと思うのだが
あと明治て…うわゎゎ Ryぎゃくぃg。
蒲生君が早死にしたときなんかも暗殺の噂が流れて
秀吉の評判がさらに悪くなったし、相手次第じゃ自滅行為じゃない?暗殺は
それでなり上がれるのは大名クラスまでじゃないかねー?
粛正
権力者が下司に対しての権力下での弾圧行為
反乱
組織下部が権力者もしくは上司に対して反意持って団結、上司を集団によって大義名分をたて打倒しようとする行為
暗殺
水面化にて権力者の反意を持つ取り巻き、もしくは次に権力を持ちえる者が現権力者に対して権力奪取行為。
違うかな?間違いだったら正解の人教えて。
>>371 ちょっと待て、蒲生が死んで一番困ったのは秀吉だぞ?
徳川に対する押さえに蒲生を会津92万石に封じたんだぞ?
蒲生の暗殺が秀吉による噂なんて聞いた事無いよ。
ソースあるの?
氏郷は生前 会津に移封になった時
「これで天下から遠くなった」 と嘆いたと言われています。
また 「太閤殿下亡き後、天下をとるのはでなくオレだ!」と公言していた
とも言われています。
つまり天下の麒麟児と秀吉が評したがため、うとまれ左遷されたってわけです。
同じ事は黒田官兵衛にも言えます。
そこへ彼の速すぎる死。
彼の才能も合わさって、秀吉がおそれて暗殺したと噂がながれたらしいですね。
もっとも家康嫌いの筆頭でもあった彼です。
秀吉としては、彼を疎んじる以上に対家康政策の一環としての移封だったでしょうし、
秀吉の人間性からしても彼が暗殺を命じたってのは、信憑性に薄いような気がします。
ちなみに会津ほしいほしい伊達政宗が暗殺したって噂も…
>>341 加藤はなぁ、ちょっともちつけと言いたいな。
正則にかぎってそれはないな、そこでホイホイ乗るのが正則。
ホントこいつらがまともだったら三成も生き延びたかもしれんのに。
>>342 いや、大局を見る力がないと思ったのは加藤とかね。
むしろ俺は三成は家康の怖さをいち早く気が付いた対極を見た人間だと思う。
三成は内情を知ってるから豊臣政権の危うさも家康の野心の強さも理解した上で
関ヶ原の出陣に至ったと思う。
暗殺はやっぱトップにしても駄目だな、徳川家自体が強い。
暗殺するなら加藤みたいな奴だな(加藤が暗殺されたのか知らんが)
>>344 その52万石をもし貰っていたら、その譲渡を引き変わりに東軍武将を誰か
呼び込めたかもな。でも、真面目な三成だから52万石は受け取らないし、
そこで受けとって私腹を肥やすような奴なら無謀な関ヶ原の戦いは起こさないだろうし・・
うーんジレンマ。三成はその真面目さゆえに命を落としたとつくづく思う。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/30(金) 16:15:20
豊臣本体が動いてないからなあ。
当時は片桐とか淀がしきっていたのかしらないが。
秀頼旗下の軍を召集すれば2,3万は集まるでしょうに。
そして豊臣が動けば毛利も追従して機能するだろうし。
豊臣がそこまで本気をみせたら家や巣も戦いをせずに
屈服すると思います。
>>374 蒲生の天下取りの話しは法螺だよ。そんなん本気で言ってたら
秀吉に殺されるだろ?それに蒲生は武勇はそこそこあるが
天下を取れるほどの活躍は残念ながらしていない。
しかも元々の所領は10万石も無い小豪族だ。
黒田官兵衛の事は本気で恐れてたみたいだけどね。
三成が筑前52万石を貰わなかったのは、それを貰ったら
自分が小早川の減封に荷担していたと言われるのを気にしたから
だろうね。それにしても、その頃には対徳川の構想は三成にあった
はずだから、力が必要な三成は絶対に貰っておくべきだった。
もし貰っていえれば三成本隊の動員兵力は2万を超える。
そうすれば、三成の軍事的威圧を恐れて日和見や寝返りなんて
出来なかった可能性が高い。また、それだけの軍事的能力があったら
戦略の幅も広がったはずだ。本当に惜しい事を・・・
貰わなかったのは美徳とも言えるが、逆に言えば気が小さい。
大義の前に小義を気にした三成の器量の狭さが敗因とも言える。
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/30(金) 16:45:46
筑前じゃ挙兵するのに
場所が悪いかと。
奉行衆と緊密に連絡をとる必要が
あったんだし。
それに三成がもらっていたら秀秋は最初から
東軍についたかもしれないし
三成も短期で見合う軍隊を準備できたのか疑問です。
>>379 九州勢が沢山西軍に付いてるんだから無問題
金吾が東軍に付くのも無問題、筑前取り上げられた金吾の所領は
12万石程度で、兵力にすれば3千程度だ。
>>380 じゃあ代わりに金後が佐和山+アルファで
三成は九州で旗揚げ
求心力のない西軍は戦わずして負け
>>380 九州の領国に蟄居させられたら、
そもそも西軍決起の密談が出来ないよ。
三成が九州に行ってたら、もう関が原どころか、
奉行失脚した時点で家康に反抗するどころじゃないぞ。
無理矢理、西軍加担させられた大名家だって、
三成の佐和山城近辺を通らなければ上杉討伐に参加出来ないから
通って三成に捕まったんだし。
力はあるが影響力は小さくなる
力は無いが影響力は大きい
やるせない感じの選択肢だな・・・
かといって畿内周辺に大領を貰っては、
史実以上に嫌われて、また警戒もされてしまい、上手くいかなかっただろうしね。
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/30(金) 20:43:49
>>384 その場合は色々手があるが
7将襲撃時に減封だな、まず
>>333 流石に信長の従属下だった家康を奥州に減封するのは無理でしょうね
>>338 もし秀吉が家康だったら、大阪招聘の際「上洛大儀」等とは言わず
即謀反の嫌疑で手打ちにしてただろうな
>>383 三成は文治派の代表格では有るが、佐和山城19万石で兵力六千じゃ大大名とは言えないしな
特にそれを考えると鍋島直茂・長宗我部盛親・島津義弘・義久は東軍勝利を見越していたんだな
まあ関ヶ原の実兵力見て東軍に付かない者は殆ど家康への怨念だけだな
389 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/30(金) 23:15:55
>>388 無能だから手打ちにするまでも無かったんだろう
精々彼が頑張ったとしても島原・天草(ry
それに関ヶ原に直接参陣していない秀頼を手打ちにするのは
今後の統治の問題からしてリスクが重すぎる
>>385 あれ、結果的に家康の株が上がっただけで
三成と七将の溝はさらに深まっただけだもんな
394 :
結城@秀康:2005/09/30(金) 23:23:54
390へ、そいつの事はわかった。しかし、それでいいのか?
まあより高地の分析を求めないのならそれで良いけど
>>394 かつて官位スレで金はソースのない発言を繰り返し他から突っ込まれると
埋め立てて荒らし、別の官位スレに出没、スレ趣旨を無視して乗っ取りをはかり
非難されるとVIPをつかって埋め立て
つまりこいつを受け入れたスレはことごとく潰された
そして俺は潰されたスレの住民
彼は寄生虫です
397 :
結城@秀康:2005/09/30(金) 23:33:01
おい・・・本人がいる前でそれは言い過ぎでは・・・?
>>396 >金はソースのない発言を繰り返し
ソースは?捏造だから無いよね
401 :
結城@秀康:2005/09/30(金) 23:41:17
こまったものだ・・・
>>374 政宗暗殺説は一番ありそうで、一番信憑性低いと思う。
つーか実際に煙たがって暗殺しようとして失敗してるような経緯も聞いたことがあるし、
共同での一揆制圧のときに慣れない雪国での行軍の中で、雪国慣れした伊達軍に
一揆制圧のついでに攻撃されてはたまらんと味方の伊達軍を警戒しまくってた話も聞く。
徳川だけでなく、伊達の見張りにつけたのも蒲生。
そんなほとんど自他共に認める険悪な関係の中で公明正大に(?)暗殺はできんだろう。
>>377 いやいや、会津若松の城とか見る限り、あの短い年月で
会津藩の基礎を見事に築いてる手腕とか、下手な武勇より怖いと思うぞ。
また信長の娘婿という高い血筋が秀吉にとって邪魔だった事も予想の範疇ではある。
このスレはただひたすら関ケ原を語っていけばいいのでは?
彼の他のスレの行状、素行など、このスレにおいてはまったく関係ないことだ。
金がこのスレに普通に参加している以上、ウチラは無問題。
許せないのは
>>390みたいに、どうでもいいことをあえてクローズアップして、今や数少ない、おだやかなこのスレを荒らそうとしてる馬鹿である。
金叩きたきゃ、別の糞スレでやって欲しいな。
405 :
結城@秀康:2005/09/30(金) 23:50:57
404の言うおりだな。もう金の話はもうやめよう。
名無しで金擁護が始まる
↓
アンチ金がそれに反応
↓
スレは荒れる
↓
どこからともなく埋め立て要員があらわれスレ陥落
もうかんべんして欲しい・・・
そうだな。関ヶ原の話に戻ろう
気にするな、無視しとけばいーじゃない。以後金の話題は禁止で。
>>408 悪いが荒れそうなので名無しにしてくれないかな?
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 00:04:33
金日成荒らすな!!!!!!クズが来るなよ!!!!!!
413 :
結城@秀康:2005/10/01(土) 00:04:43
モメるのはスレが終わる元だ。平和に行こうよ。
414 :
結城@秀康:2005/10/01(土) 00:07:20
モメてる間にスレッドが1000いっていいのかおまえら?
う〜ん。30レス分ぐらい削除してもらいたい心境だ…
416 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 00:14:01
>>391 そんなこと言うなら、家康を手打ちにした場合のリスクが大きすぎるが
少なくともここの住人は金を叩く奴はいない。そんな無駄なレスを消費したくない。
金に憤慨する奴はこのスレの住人ではあるまいよ。
出てけ。
秀吉が家康を懐柔にまわったことが歴史となっている以上、
>>391はただの妄想吐きだということだ
420 :
結城@秀康:2005/10/01(土) 00:18:29
な。モメるだけスレッドの無駄だ。金が昔何やってたかなんて関係ない。今は今、昔は昔なのだ。
金は名無しにしろよ荒れるから。そして金叩きは出ていけ。これでおk
422 :
結城@秀康:2005/10/01(土) 00:23:26
421の意見に賛成。
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 00:24:32
>>418 貴様が荒らしたソースを示せとしつこく言うから出したのに
>>403 出したとたん無視か?何も言い返せないってことは荒らしと認めてるんだよな?
消えろよ低能
>>421 悪いが金が消えるまで続ける
>>421 持論の討議に返レスしても誰か分からなくない?
でも此処が荒れるのは本心じゃないから名前欄に番号打つだけで良い?
なんだかなあという流れだな。
話を戻してみるが、徳川の上杉討伐には豊家の許可と天皇の勅許があるのに
三成らの挙兵はただの反乱でしかない。この時点でどちらが有利かは一目瞭然。
家康と三成が並んで論じられるのは、大義名分の時点で同位ではないんだよな
>>421に同意しておく
>>425 要はあんたがあんたであると特定できなくなればいいと思います
428 :
391:2005/10/01(土) 00:40:26
>>428 元々関東は家康の基盤ではないし、地方豪族との繋がりが全て無くなる訳だし
しかし家系図を新田系に変えて統治していると言う点は利用できる
でも秀忠じゃ無理な悪寒。豊臣方に寝返る者も多いと思われ
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 00:42:57
430 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 00:47:46
>>428 元々関西は豊臣の基盤ではないし、地方豪族との繋がりが全て無くなる訳だし
で、秀頼が死んだ後、だれが豊臣を率いるのか?
淀君か?
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 00:52:26
秀頼の死後は
木村重成か毛利勝永
432 :
391:2005/10/01(土) 00:55:52
>>430 そこが面白い所ですね
ねね 羽柴秀秋が豊臣家を引き継いで 加藤清正 福島正則 木村重成 毛利勝永ら
が盛り立てるという構想でしょう
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 00:56:59
>>431 つか、浪人が豊臣を継げるわけないだろ
それなら徳川は忠勝か誰かで
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 00:58:02
>>432 それでいいなら、秀忠をみんなで盛り立てればいいだけ
435 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:00:09
436 :
391:2005/10/01(土) 01:02:32
>>434 井伊直政の赤軍の武田の遺臣、伊賀の落武者は寝返る可能性大
これだけの後援が有れば秀忠は関ヶ原の東軍と西軍を一手に相手しなければならない
今回は豊臣方の寝返りも見込めないし、地理的優位も兵法的能力も徳川には無くなる
狭い日本でのどんでん返しは皆無に近い
437 :
391:2005/10/01(土) 01:04:26
これだけの後援と言うのは大名の事で武田の遺臣、伊賀の落武者は大勢ではない
438 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:07:27
>>436 秀秋は死者を蘇らせるのか?
そんな魔術を誰が使うのか?
それだと、加藤、福島も遺臣が寝返るぞ
関ヶ原以上の東軍を受けて、ゾンビの秀秋では勝てないが
武田の遺臣、伊賀の落武者なんかもういい年だろ
441 :
391:2005/10/01(土) 01:13:46
>>439 何故遺臣が徳川に寝返るわけでしょうか?
>>440 そこいらはあんまり気にしなくていい。特に大勢に影響は無いから
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:14:30
443 :
391:2005/10/01(土) 01:21:48
>>442 寝返りはしないでも主家は去るでしょう
特に境遇から強い者について行こうとする奴はいる
関ヶ原でも豊臣恩顧の効果が全く無かったし
全部が裏切るとは限らないわけですが
まあ大勢には関係ない。それよりも大事なのは秀忠の徳川にどの大名が従がうのか
444 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:22:19
東軍と西軍にオリジナル武将を何人か付け足して
関が原の戦場シミュレーションゲームができるかな?
>>443 じゃあ、加藤、福島でも同じだが?
ゾンビの秀秋に誰が従うのか?
446 :
391:2005/10/01(土) 01:23:42
447 :
391:2005/10/01(土) 01:25:19
>>445 具体的に加藤、福島の遺臣が寝返る理由は?
何故わざわざ秀忠の徳川に付くの?
>>446 異常な長寿だなw
じゃあ写真残ってるだろ
写真plz
449 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:28:25
450 :
391:2005/10/01(土) 01:30:34
>>449 秀忠には大名では誰が付くと思う?
徳川と中大名では勝てないですよ
451 :
391:2005/10/01(土) 01:32:57
>>448 ○1602
×1992
ゴメン間違えた
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:33:00
>>450 そのまえに1992年に死んだ秀秋の写真を出せ
453 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:33:48
454 :
391:2005/10/01(土) 01:36:09
455 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 01:53:58
456 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 03:45:47
小早川秀秋動いても、やっぱり西軍は負けただろう!
桃配山が急に火山と化して噴火して灼熱のマグマの奔流に飲まれて家康あぼーん
これなら西軍が勝っていた!
それ以前に家康を殺したら豊臣政権そのもののたがが外れて乱世に逆戻りだよ。
家康亡くなっても乱世にならんよ。考え過ぎだろ。
天下を狙う野心を持つ官兵衛や政宗などの者も居るが、家康ほどの戦国武将のカリスマと実力を持つほどにはいたってないよ。
あの家康だから、他の五大老と五奉行が遠慮してた手前が有るが、他の者なら黙ってないのでは?
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 11:14:57
>>459 求心力のある一人がいなくなるから、乱世になるんだろが。
逆だよ。
乱世に戻り日本人同士で殺し合う時代が続き国力が疲弊し近い内に他国の植民地ルート
豊臣政権がもったのは、秀吉と言う不世出の英雄がいたから。
秀吉と言う求心力が欠けた途端、豊臣の世は揺らぎだした。
だが世には秀吉に代わるカリスマが一人だけいた。
それが家康。彼だけは、諸侯とは別格だった。だから皆集った。
如水にせよ、政宗にせよ、家康がどう動くかわからない以上、
自重して行動しなければならなかった。
だが、もし家康がいなくなれば?
求心力のある家康がいなくなったら、世の中に残っているのは
幼君秀頼を頂点とした、弱体化した豊臣官僚政権。
秀吉恩顧とは言いながら、理になびく諸侯。
世を乱す力はあるが、絶対的な求心力を発揮するほどではない地方の大大名。
いかにも乱れてくださいと言わんばかりではないか。
むしろ家康じゃないからと奉行衆が黙らなくても、
家康の様に一喝して黙らせる威信は奉行衆にはない。
>>459 非常に仲の悪い集団でも、一人だけ圧倒的に強い奴がいると、
みんながその人に従属して争いを起こさなくなる。
現代の世界情勢と似ている。アメリカという突出した強国があるために、
(紛争はあっても)世界規模の大戦は起こりえない。
アメリカが強国でなければ、
中国は台湾やベトナムへの野心をむき出しにするかもしれないし、
インドとパキスタンは犬猿の仲だし、イランやリビアは堂々と核開発をするし、
イスラエル情勢は収拾が付かなくなる(今でも付かないが)。
それと同じように、家康がいなくなったら好き放題やり始める大名が続出すると思うね。
しかもそれは、五奉行五大老の中から出てくる可能性だってある。
毛利なんかは家康がいなければナンバーワンに繰り上がるわけで、
野心が生まれてくる可能性だって否定できないわな。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 12:44:26
>>463 アメリカがいなければ中国は日本に攻めてくる
>>436のレスって誤爆?あまりにも突拍子無さ杉
武田の遺臣ってw
466 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 15:58:04
>>462 ちがいます。
彼のカリスマだけに惹かれて大名が
集まったのではなく豊臣政権下の五大老筆頭という
地位と軍事力。
豊臣子飼いは三成憎しの一念で集まっただけ。
徳川が強力な大名なのは認めますが
たかが関東一円を支配する一大名にすぎません。
北条氏が一気に天下人となれるわけがないのと同じ道理です。
家康は五大老筆頭、秀頼と千姫の婚姻が
約束されていたことからも豊臣と一体の立場を利用
して豊臣政権を簒奪した人間の屑です。
>豊臣政権を簒奪した人間の屑です。
結局これが言いたいだけなんじゃないかと小一時間……
戦国時代に起きた出来事だし簒奪なんぞ当然のレベルだろ
家康がいないと豊臣政権維持出来ないってどうゆう根拠だ?
家康が豊臣政権に参加する前から充分天下平定出来てたんだが?
秀吉の死後は幼君秀頼だが、秀頼に正面切って反乱起こせる大名なんて
ちょっと思い浮かばない。
>>469 >秀頼に正面切って反乱起こせる大名なんてちょっと思い浮かばない。
そうじゃなくて、大名同士の私闘が続発するってことだと思うよ。
私闘を起こす地方の大名にガツンと言えるだけの力量を
もった人物は家康しかいない、ということだな。
誰でもガツンとやられるのは怖いから、大人しくするってわけ。
それから、
>家康が豊臣政権に参加する前から充分天下平定出来てたんだが?
ここんとこは意味不明。
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 17:57:54
つまるところ家康がいなければ室町幕府と似たり寄ったりの「小さな政府」になる
から政権自らが私闘・紛争・訴訟を捌くだけの物理的な意味でのパワーがないって
ことだよな。
>>470 大名同士の死闘って、家康を除いた四大老で充分そんな事はさせないだろう?
奥州で伊達辺りが問題起こせば120万石の上杉がいるし、そもそも伊達や最上に
したって徳川ってバックが居なければ動けない。
西は島津?清正を始め、豊臣に忠誠を誓ってる大名の多い九州じゃ
兵は起こせない。毛利?あそこは事なかれ主義だから何もしないだろう。
>>471 220万石と豊臣恩顧の諸大名達が小さな政府とは
大きく出るねぇ。三成だってそこまで小物じゃないぞ?
豊臣は結局一代限り
派手な打ち上げ花火みたいなもの
475 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 18:22:47
>>472 三成を過小評価はしてないよ。っていうか熱烈な治部ファンだけどね。
でも実際は「内府違いの条」の前田派VS徳川派騒動や武断派七将の石田邸
包囲やら政権のお膝元でこんなけやられりゃ十分無力じゃないかな。
それと徳川政権と比して220万石ってのは過小じゃないかなと。
もし家康が政権に参画していない場合、この豊臣政権にどれほどの統治能力
があるのか、と思わざるを得ない。
やはり勢威声望と石高・兵力などの実力ある人間がいないと…。
>>472 四大老が私闘を起こす可能性は考えないのですか、そうですか。
毛利は事なかれ主義だからなにもしないだろうですか、そうですか。
ひとつ言っておくと、秀吉存命中の家康は律義者の中の律義者で通っていたよ。
周囲の家康評はそうだったが、実際の家康は豹変したね。
同様に、毛利や上杉が豹変する可能性は決してゼロではないのだよ。
>>472 220万石って小さいじゃないか。全国の8分の1しかない。
しかも最大の外様である徳川の方が大きい。
上杉や毛利と比べても2:1でしかない。
他にも有力な外様大名はごろごろ。
江戸幕府は天領400万石。旗本領300万石。全国の4分の1が幕府のもの。
最大の外様大名である前田との比率は7:1。
他に有力な外様と言えば、伊達、島津、毛利くらいのもんだ。
>>475 220万石ってのは豊臣直轄領であって、恩顧の大名の領地を入れれば
500万石になるんだけどね。。。
それに、豊臣は領地に固執したんじゃなくて財に固執したんだよ。
領地はそんなもんでも、豊臣家が蓄えた金銀は半端じゃない。
数百万石に匹敵するくらいの貯蔵量だ。
伏見に蓄えられた分だけでも家康は仰天したからな
大阪城の分も入れたら、数百どころか一千万石くらいあるんじゃね?
豊臣政権が秀吉の力に頼っていたのは事実だと思う。
たしかに秀頼は秀吉の子というだけで、毛利や上杉・宇喜多なんかは敬意を
はらうけど、それだけ。敬意だけでは政権は維持できない。
家康政権には敬意+恐怖、で他国を差配できた。
秀頼以下の政権になると、将軍個人よりも徳川家に対しそれを持つようになる。
つまり1個人で維持できる政権は1代限り。
これをその政権(徳川なら幕府)にたいして従わせられるようにしなくちゃいけない。
これが出来たか出来なかったかが、豊臣政権と徳川政権の違いかな?
誰がいてもいなくても豊臣政権維持は大変だと思う。
しょせん五大老制は国連と同じで、政治機構としての蛮用には適さないのです。
いやぁ、恩顧の大名を含めても小さいよ。
外様領の方が完全に多いもの。
一方の徳川政権は譜代・親藩含めたら天下の半分を握ってるわけだからね。
>>478 秀吉は領土よりも財力が重要と考えていたのは確かで、
その方法で成功したのも事実。
だけど、その考え方が他の人々に理解できたかと言うと……。
やっぱり武士っていうのは土地が大事だからねえ。
そのへん、足軽出身の秀吉には理解できなかったのだろうか。
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 18:32:38
上杉にも天下への野望はあったろう
ただ実現に遠いだけで
483 :
480:2005/10/01(土) 18:33:51
ごめん
秀頼以下の政権になると、将軍個人よりも徳川家に対しそれを持つようになる。
↓
秀忠以下の政権になると、将軍個人よりも徳川家に対しそれを持つようになる。
徳川二代将軍は秀頼じゃなく秀忠ですよねぇ。〜 せめないで−!
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 18:35:22
>>481 いや秀吉はそのあたりも考えた上でバランスを取ったんだろ
割り当てが少なければ不満が出るだろうから、そのあたりを考えた上でね
徳川だって、外様を絶滅していないし、絶滅させたら、今度は内部抗争になる
まあ結局は、秀吉死亡時に妙齢の後継がいなかったのが豊臣家没落&滅亡の原因かと。
それと、秀吉が国内の統治システムを作ることをおろそかにしたこと。
自分は家康ファンだけど、豊臣家さえしっかりしていれば
家康が野心を露わにすることはなかったと思うよ。
>>475 222万石は地方の豊臣直轄地も含んでいます?
あと豊臣は兵力が少ないことは分かるけど
日本各地の鉱山とか商業の税収とか莫大だったかと思います。
ところで家康が私兵を募ったとして誰が参加すると思います?
徳川恩顧の大名なんてそんなにいました?
幼い秀頼をかどわかして政権をのっとろうとする
乾物三成を撃つが名分だから東軍が糾合できたに過ぎないんです。
家康が反乱を起こしても北条氏みたいに関東諸城に
篭城するのが関の山。
487 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 18:49:57
>>485 禿道
そこそこのつなぎの実力者がいればね
あと家康並みの強力な人物がいなければ・・・・
>>486 上半分はごもっともだが、下半分にはあまり意味はないような……。
家康はそんなこと重々承知で、「家臣同士の内紛」という形式にもっていこうとし、
そして成功したんだからさ。
>>486 だな。北条ほど簡単にはいかないだろうけど
関東を要塞化して戦うしかないね。
そして、そうゆう手続きと兵力・兵糧の運搬を
三成を始め五奉行は大得意としている。
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 19:36:10
とにかく
徳川家、吉川家が
毛利家の恨みであることに間違いない。
400年続き永劫に続くのだ
家康が反乱を起こす場合、誰かに嵌められるか担がれる以外は政権取りだから、
自領にこもっての反乱は無いんじゃないかな?
家康ともあろうものがそこまで浅はかじゃないでしょう。
第一乱を起こさなくても、豊臣恩顧大名との婚姻・大阪入城・上杉征伐と秀吉が定めた
内容をことごとく陳腐化して、なお糾弾から逃れる自点で徳川の政権確立はじわじわ
達成されつつあります。
関ヶ原が無くても、いずれは無血革命の形で政権委譲されると思います。
福島や加藤らは豊臣政権の維持ではなく、豊臣家の安泰を願ったんじゃないかと…
武断派らしく、強者が天下を差配、政治自体は家康が取ればいいじゃんみたいな。
結局かなえられなかったのはあれですが。
一方三成ら官僚派は豊臣政権の存続自体を願っていたのです。
その辺の考えの違いを考えると、三成が地方領主に成りたがらなかった事や
小西・加藤の領土問題なんかの根底が別の角度から見えてくるんじゃないかと…
>>491 お前、流れをちゃんと嫁。
家康を暗殺して除いた場合の話しをしている。
その後の豊臣政権維持についてだ。
493 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 20:46:37
495 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 20:55:09
>>494 そんなの知るか
ログ読んだなら、暗殺だけじゃないかわかるだろ
496 :
491:2005/10/01(土) 21:10:16
>>492 わりいアンカー撃っとけばよかったな。
>486 >489 へのレスだったのですよ。
自領にこもって反乱とか書いたからアンカー無くてもわかるかと 思っちゃって。
んじゃみなさん荒れずに継ぎどーぞ。
497 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 21:16:12
大谷が頑張って家康に病気をうつせばよかった
>>497 お前、ひっどい事言うな・・・歴史上の人物って実際に居た人達なんだぞ?
マジレスすればライ病は伝染らない。
499 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 21:24:37
>>486 秀吉の政権の骨幹とは、
1)太閤秀吉そのヒトの魅力と天下人としての威望
2)鉱山経営・貿易による圧倒的な収入
3)基本的には平和主義・融和政策
と誤解を恐れずに簡略に言えばこうなるのではないかと。
故に太閤逝去後には、その骨幹の内の最重要な絶対条件を喪失するということに。
確かに莫大な歳入はあるんだが武士を養う土地が少ない。つまり一朝事ある折には
天下に睨みを効かせるのに肝心な兵力という物理的なパワーがない。
それと大事なことは豊臣政権とは太閤という一人のカリスマの意思実行がすべてで
あり、徳川幕府に見られるような政権維持の為の組織・制度があまりにも脆弱すぎた
為にマトモに政権として機能出来なくなった上に家康が動いたと言うことが太閤逝去後の
豊家の急速な凋落の一因ではなかったかと。
500 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 21:47:03
秀吉恩顧の大名云々言っているが、秀吉死後に真っ先に私闘を始めたのは
その恩顧大名同士だからな。
将軍秀忠の意思で完全押さえ込めた徳川譜代とはまったく違う。
やっぱ秀吉に子供が全然居なかったのがあれだな
徳川なんかそこらじゅう松平松平松平だらけで固めてる
秀吉がいくらがんばっても子供が居なくちゃ死んだ後の豊臣家の政権維持は不可能
それと秀吉が家康に騙されて信用しちゃったのが失敗だけど
疑ってたらキリが無いし粛清の嵐になっちゃうからこれはしょうがない
まあとにかく秀頼をよろしくって頼まれて誓約したのに殺した家康は嘘つきの極悪人
正義大好きの三成は直感的に家康の性根の悪さに気付いてたんだろうな
503 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 22:05:11
秀吉、やりまくったのに、運がなかったな
しかも最後の方で当たりがでたんで、それに賭けたんだが
ちょっと幼すぎたな
秀吉の20才下くらいの実子がいたら段違いだっただろう
秀吉の子種の少なさは運がなかったで済まされる問題ではないが……。
505 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 22:30:19
506 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 22:40:57
つーか、普通に考えて秀吉って種無しだろ。
秀頼はどう考えても実子じゃないなw
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 23:04:39
>>508 じゃあどうしろってことなのかのう?
養子?
養子は殺したりしちゃったしのう
510 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/01(土) 23:11:07
>>504は秀吉が種無しっていうことを暗に仄めかしているだけと思われ。
秀吉にも子供が何人も居れば戦に参加させて功績上げさせていくらでも豊臣家の領地増やせた
中国四国九州関東東北全部秀吉が平定させたんだからいくらでも子供らに領地を与えられるし
徳川家なんか問題じゃなくなる
子供達が明まで攻め込んでチンギスハンの再来となってユーラシア大陸を制覇してる
ねねにも子供が出来なかったって事は
彼女は浮気しなかったって事だな。
>>509 どうしようもないってことだよ。
まあ、下手に晩年に実子(ということになっている)が生まれたのが、
逆に不運だったね。
結果論的に織田家と浅井家に復讐されたようなもの、皮肉なことだ。
514 :
結城@秀康:2005/10/01(土) 23:32:58
秀頼が生まれてから、秀吉の養子はどんどん養子にだされたり、消されたよね。
515 :
391:2005/10/02(日) 00:18:48
徳川一族は精力がすごいな。家康も吉宗もそうだが特に斉昭とその子達は
豊臣は秀長も早死だし子供は生まれないし、鶴松も(ryかな
秀長も子供いなかったんだっけ?
517 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 01:13:14
つか昔は1人で5,6人は生んだだろ
妾も2,3人以上もっとか
秀吉なんて食った女の数は数百人超えてるだろうに
それで子供が出来ないんだから、どう考えても種無し
519 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 12:19:28
結論>徳川家康は影武者だらけだから関ケ原で負けても大丈夫だった!
520 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 12:20:50
あちゃ━おちゃ━玄米茶━あちこちに家康いるから苦情きただ!
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 15:44:01
仮に家康が五大老でなく単に一大名にすぎず
秀頼の嫁には前田か毛利か上杉あたりから
とるようにして徳川を牽制する体制を整えていたとすれば
どうだっただろう。
徳川が秀吉没後、豊臣に反旗を翻して同調する大名がはたして
どれだけあるだろう。
野心家の伊達なり上杉などが勝手気ままに他家を
侵略し始めることは考えられる。
その際乱れるのは関東よりも東だけだと思います。
ただその乱れは徳川を中心とした団結した勢力にはならないので
三成が西国の大名を総動員してまず徳川を下す。
で徳川が下れば東北の大名もおとなしくなるでしょう。
だから豊臣じゃ天下が定まらないなんていうのは詭弁。
522 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 16:17:08
毛利や島津や黒田が大人しくしてる保証なんてないけどな。
家康がいようといまいと文治派と武断派との間に対立は起こるけど、
それは誰がまとめるんかいな。
朝鮮に無理矢理出兵させられた大名の不満が噴出する可能性は?
幼君秀頼の後見人がその立場を利用して専横を振るう可能性もゼロではない。
前田でも毛利でもいいけど、秀頼の嫁に子供が生まれて後継ぎになったら、
おやじは豊臣家新当主の祖父になるわな。外戚がのさばってくる可能性も否定もなきにしもあらず。
不安定要素なんて、数え上げたらきりがない。
その不安定要素すべてを断固として抑え込む力は、豊臣家にはない。
523 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 16:22:07
徳川政権だって不安定要素はいくらでもあったよ。
だけど、徳川政権はそういう不安定要素をひとつひとつつぶしていく政策を
打ち出してそれに成功したし、全国の総石高の4分の1を天領&旗本領で占めるという
厳然たる実力があった。
結局は、その差だわな。
徳川さえ討てば三成は何とかしたと思うよ。
>>524 徳川を討った後に、そもそも三成が実権を握れるかどうかという問題は無視かい?
徳川を討って、より巨大化した外様大名達が何も言い出さなければいいが……。
関東官領の上杉家が常に関東を狙ってるからね
それが怖くて家康がいちゃもん付けて上杉討伐とか言い出した
>>525 徳川を討って外様大名が巨大化するの?逆だろう。
豊臣直轄領を増やして外様大名に対して軍事的威圧を
かけるのが常套手段じゃね?三成や他の奉行が実験握らなかったら
一体誰が豊臣を動かすの?秀吉在世中ですら豊臣を動かしてたのは
奉行達だよ?
上杉征伐って上杉家潰す為に行ったもんだっけ?
>>527 豊臣家というのは合戦で手柄があった者に対して気前よく褒美を
与えることでうまくやってきただろ。
合戦はやったけど褒美がない・少ないんじゃあ、外様大名の不満は膨れ上がるよ。それでもいいの?
そういう事態になったときに、外様大名の不満を突っぱねるだけの実力が奉行にあるの?
みんな秀吉は家康には手を出せなかったという見方をしているけど
でもその一方で信雄にはかなり厳しい扱いしているんだよね
両者の違いは何だろう?やっぱ軍事力かな
>>529 不満を言い出せる度胸のある外様大名なんているの?
532 :
結城@秀康:2005/10/02(日) 20:12:07
いないんじゃないか?
533 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 20:15:09
>>531 鎌倉幕府は元寇の時に恩賞を十分に与える事が出来ずに滅んだ経緯を知らない厨が1匹紛れ込んでいるようだなw
どこかの外様大名が不満を表したら各地で反乱が起きかねない
討伐に向けたはずの大名が反乱軍に加わることもあるだろう
いくら天下を取ったからといって、恩賞が無ければ武家社会の構造上天下はひっくり返る
それくらい勉強しておけよ、厨
534 :
結城@秀康:2005/10/02(日) 20:24:13
それもそうだな。
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 20:26:14
関ヶ原関ヶ原の遠因も朝鮮出兵で多くの将兵と資金を失った大名達の恩賞の
少なさ(撤退してきたんだから当たり前だが)が背景にある。
三成憎しとはいうが、実の所は三成讒言をお題目にした政府批判だろう。
これはさすがに露骨に政権批判やっちまう勇気はないからだ。家康はこうした
世相を見ぬき、手を下したというわけだ。
豊臣に堂々と反旗をひるがえすことの
できるかつ可能性の高い大名として
Aクラス 徳川、伊達、島津
B 上杉、黒田(官兵衛)、最上
C 鍋島
この位でしょう。他は力はあっても野心はない
とかそういう大名がほとんどだから。
大義も肩書きも無いとすれば豊臣の軍に各個撃破されるだけ。
北条家もA
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 21:08:58
>>536 実際には未だ七将の治部叩き程度しか起こってない状況で家康が諸侯の不満に方向性を
持たせたから実際には反豊臣の造反は発生しなかった、っつーかその前に家康が
新しいスタンダードを確立しちゃったってとこ。
上であがっている大名は数としては少ないが石高で換算するとスゴイよ。戦国生き残りの
つわもの達が決死の大博打は打つまい。やるなら数家共同による挙兵だろう。
徳川・伊達・上杉・島津などの一部でも協力して立てばその周辺の大名小名達も内心は
不満もあるだろうし、すぐに中央から援軍くるとも限らずにとりあえず長いものに
まかれてしまう可能性は少なくあるまい。そうした状況下で秀吉無き豊臣政権にどれほどの
事態収拾の能力あるかは未知数だろう。
家康による関ヶ原自体がこうした可能性の一つではないかとは思う。仮に家康が早世した
として他の大大名が多を圧しようとする場合は同様な手を使う可能性高いだろうな。
>>536 毛利が抜けてるのが気になるが、まあいいだろう。
ではこういう場合を考えてみてね。
豊臣家を上げて徳川家を征伐することにした。
先手となるのは、当然東国の大名達。
福島正則、山内一豊、浅野幸長、田中吉政、池田輝政、佐竹義宣らだ。
結果は上々。江戸を占領し、徳川家当主の首も討った。
石田三成らは前々から豊臣家の石高を多くした方がよいと考えていたので、
250万石のうち150万石を豊臣家が取り、100万石を大名達に分配した。
大名達は褒美の少なさに違和感を覚える。
「あれ? 今までみたいに気前よくねーな。なんで豊臣本家が150万石も取っちゃうわけ?」と
不満は募りに募り、武断派と文治派との対立は決定的となる。
さて、この事態を丸く収めきれる人物はいるかな?
豊臣家の家中で内乱が起こったときに、いったい野心的な外様大名はどうするだろうか?
540 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 21:29:24
なんで信雄戦わなかったの?
そもそも三成が豊臣家第一と考えてたというのが幻想
542 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 22:18:35
徳川の後に、三成は武断派に殺される
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/02(日) 23:42:20
>>541 三成の場合は豊臣政権という行政システムが第一だと思うよ。
544 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 00:09:50
三成の器・性格では官僚のトップがせいぜい
今のような文民統制時代なら首相になれたかも
恩賞は大事だと思うが、秀吉は気前が良すぎ。
加藤・福島・黒田・蒲生なんかに何十万石もやりすぎなんだよ。
しかも豊臣の姓すら大判振る舞い。
徳川なんざ 四天王とよばれた四武将でさえ数万石だよ。
最大で井伊の18万石で他はほとんど徳川取り。
で・たくさんの親族は松平のままで徳川三家だけ別格扱い。
徳川政権でも官僚の本多親子と武断派の抗争はあったけど、結局この程度
の石高じゃあまり大きな行動はとれないし、大きな顔も出来ない。
かくして官僚たる家老衆が徳川政権を差配する体制が整うわけです。
しかも官僚すら新しい将軍の取り巻きでかためちゃうんで、一人独裁すら続かない
わけで…よくできてますな。
>>545 確かに蒲生や加藤はいきなり多すぎだな。
蒲生 松坂12万石→会津42万石→(伊達失敗後旧領追加)会津92万石
加藤 3千石→熊本19万6千石
福島 5千石→龍野1万石→湯月11万3千2百石→清洲20万石
福島の場合、増え方が緩やかだが、蒲生と加藤は急すぎ。
家康はかなーり腹黒いから本多忠勝とかに無駄に与えなかったしな。
秀吉の場合はまだ戦争する気だったし武断派にも気を使う必要あったし
秀吉の時はまだ大名対策もあったと思うけどな。
・三河守にして欲しいと朝廷に申請したが「どこの素性ともしれん奴」と言われた。
→とにかく源氏である系図を作る(新田源氏 得川さんがご先祖)
→姓を徳川へ変更
→親族衆の中で徳川姓だけを特別な存在に仕立て上げる。
・重心 石川数正出奔
→軍法の改革
→兵農分離推進→徳川への軍事力手中
→豪族・家臣の権力を押さえる。
・旧領を捨てて武蔵へ移封
→新しい領地割りを独占
→徳川直轄地の拡大→家臣への権力強化
異説も有るかとは思いますが、家康ってば逆境に強いと言うか、
状況を利用するのに長けていると言うか…
なんか嫌いなキャラだよね。
一言で言うと「煮ても焼いても食えぬ奴」だな、まさに
狸汁にすれば食える。
551 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 20:10:24
ものスゴイ下痢になるぞ
552 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 20:15:34
まぁ西軍勝利後は外様の大大名の発言力増すのは避けられまい。家康の専横みたく一方的には
ならないだろうが毛利・上杉・島津らのかる〜い緊張状態続いて状況次第では2th応仁に。
そうした事態の現出まで予想して石田は西軍の纏め役を買って出て戦後に大所領を得て
豊家の盾にならんとした…と思いたいw
>>548 家康の三河守任官は実に足掛け六年にも及んでるね。
永禄三(1560)年に岡崎入城を果たしてから永禄六〜七年の一向一揆鎮圧でもまだ駄目で、
田原城を陥落させ三河全域を回復してもまだ駄目。
ようやく「三河守」が許されたのは将軍空位の永禄九(1566)年12月だもんな。
ちなみに信秀の「三河守」任官は、三河安祥城を落として三河における橋頭堡を得る天文九(1540)年から
翌年の伊勢神宮の外宮造営費寄進までの一年、
義元に至っては、永禄三(1560)年3〜4月の奏上から同年5月8日、任官の口喧案下達のわずか2、3ヵ月。
2th…
序数はしっかりと、かw
556 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/03(月) 23:42:05
勝手な妄想が飛びまくってるが関ヶ原戦勝した暁には
毛利が秀頼の後見人となる事に決まってたんだがな。
>>552 毛利上杉はわかるが島津はないだろ。両家に比べりゃ国力は大きく劣るし関ヶ原に参陣した軍勢考えても大幅な加増はありえんし。
それに三成自身が大所領ってのも無理だろ。せいぜい30マン超えいけばいいとこ。事実上の所領分配役があんま欲張ると揉めるしな。
操りやすそうな総大将の輝元を大幅加増して、恵けいとの繋がりで毛利の軍事力を背景に裏から支配。
表向きは輝元を中心にした上杉宇喜多前田らによる合議制。実態は豊家を支配した三成と反戦派の広家を抑えて毛利家中での発言権を増した恵けいによる談合じゃねーの?
559 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 06:16:06
>>558 前田って前田利政のほう?
やっぱり利長は所領没収かね
もし…もしもだよ。 西軍が関ヶ原戦役で西軍が勝利して、徳川が滅びたら、
加藤・福島・黒田etcの豊臣恩顧の反三成派はどうなるんだ?
所領没収しちゃったら、豊臣家の戦力大幅ダウンじゃないか?
豊臣家に本当に忠誠を尽くしてくれる西軍武断派って…
石田/大谷家臣・宇喜多・秀頼直轄武将・あと立花なんかは忠誠心厚そうかな?
ろくな武将残んない??
三成にとっちゃ、家康より輝元や景勝が後見人する方がさぞいいだろう。
どうせやつらは地元にくっついてるし、どうせ三成が大阪で政務することになる。
もちろん三河一帯は石田領。家康は島流し1号。
>>560 反三成派は終わりだろう。三成側の名目は秀頼なんだから、反逆になる。
加藤はまだしも福島、藤堂なんか即処断。加藤も城無断改修とかで改易。
大幅ダウンというか、もともと豊臣家は譜代の家がないからそんなもんだって。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 10:18:24
やはり女が口出すようになったのと羽柴秀長が死んじゃったのが
総ての原因か。あのおっさんが1600年代まで生きていれば…
寿命に関しては、秀吉も同じ事が言えるな
秀吉が先か、家康が先か
家康が先に死んでから秀吉が死んでいたら
家康の後継者達は天下獲り出来たのだろうか・・・
564 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 11:11:43
7将が生き残っていれば、三成を殺す
>>564 そうすれば関ヶ原は起きないから、豊臣は安泰。
秀長と利家が長生きしてたら随分と歴史は変わっただろうな。
秀長がいれば朝鮮出兵もなかったかもしれない、利家が居れば関ヶ原もない
と解釈すれば・・・
まぁ秀長と利家が150歳までいきたとしても家康は200歳まで生きそうだが
567 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 16:52:44
>>566 当の秀吉ももう少し長生きだったんじゃまいか?
尾張は福島領+福島代官支配地+福島弟代官支配地で殆どだし、
いっそのこと全て福島領にしておけば、それなりに箔が付いて
家康としても行動しにくかったのでは?(箱根通過中の黒田を
江戸まで呼び戻して、福島は必ず味方になるのか、とアホな質問
を繰り返していた程、ビクビクものだったのだから)
それにもしも可能なら、宇喜多を駿河、甲斐二カ国くらいに転封
出来ていれば、徳川に対する押さえも盤石で、何事も起こらなかった
と思う。
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 17:07:07
>>566 秀長はともかく、利家が多少長生きしても、家康に傾く状況は変わらないだろ。
事実生きている頃ですら、利家について家康に対抗する腹が出来ていたのは、
三成くらいのものだったし。どういう形になるか判らないが、関が原に相当する
戦いは発生したろうな。
秀長の場合は長生きした時に豊臣家内の内輪もめが多少なりとも収まる可能性が
ある。調停とかそういうのに長けていた人だから。ただ、秀吉の強権に逆らって
まで朝鮮出兵を抑えられたかは疑問。むしろ、総大将にでも選ばれたかもしれん。
まぁ、誰が生きていたら云々よりも、結局のところ秀吉が強い権力をもった独裁制
をとり、側近政治を行っている以上、派閥抗争が激化するのは致し方ないだろうな。
そして、その独裁制と側近政治のまま幼主が君臨する形になれば、豊臣家の命運は
決まったようなもんだ。これを避けるには、家康がやったように制度として暴走しな
いようにするか、しっかりした後継者を立てる(秀次を統治者として成長させるとか)
しかないんだが、秀吉はどっちもできなかった。
確かに利家と家康では、に家康>>|越えられない壁|>>利家。
本人の資質は元より、石高も家臣団も。
辛うじて権威と人望で対抗可能って言ったところか。
だから秀長の死こそ惜しまれる。
或いは、体制の創業の能力がある秀吉に
体制の継続の能力もあれば良かったんだが、どちらも無い物ねだり。
立花軍15000が関ケ原に昼頃到着していたら勝つ!間違いない!小早川は裏切らず大勝です!
572 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 18:02:54
秀忠軍15000が関ケ原に昼頃到着していたら勝つ!間違いない!小早川は裏切らず大勝です!
前田軍15000が関ヶ原にひる頃到着してたら(略
小野木15000(略
秀吉が三成を養子にしてればよかった。羽柴三成。
それで秀頼と秀次がいなければ・・・
現実離れしすぎてる仮定だが
三成が大谷、安国寺とうち合わせしてるときに真田も呼べば良かったのに。
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 19:03:07
>>574 秀吉が死んだとたんに大名のほとんどが家康について羽柴三成滅亡。
578 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 19:09:03
秀吉が幸村を養子にしてれば勝った!
間違いない!!!
>>571 立花宗虎が1万5千を率いていたんじゃなくて、まぜこぜで1万5千だよ。
しかし、小早川隆景が立花3千は他家の1万に匹敵すると言わしめたくらいの人だから
勝ち負けに関係なく関ヶ原で闘って欲しかった。
他の日和見大名とはひと味違う所をぜひ!
581 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 19:37:23
石田・大谷と伍する勇戦が期待できたのにね。
三成が加藤と福島に土下座して、幸村も呼んで
秀秋と恋人になっていれば・・・
秀吉が三成の養子になるとか。
系図は捨てて。もう何がしたいのか分からないが
石田秀吉
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 20:14:25
幸村が1万率いていたら、家康の本陣を蹂躙したことは間違いない
586 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 20:44:16
政宗上洛時に秀吉は誰を人質出したのか
ねねか?
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 21:08:20
ちょっと亀レスに近いが
>>186>>199のコメントから、あれだが
小早川隆景存命なら関が原の趨勢は変えられたぞ。
仮に隆景が家康打倒を承諾したら、それだけで吉川以下の毛利の不戦の密約
は成立しなくなる・・毛利家中の結束は高くなり、
しかも秀秋に相当する所領も兵力も隆景が掌握しており、これまた裏切りの要素
がなくなる。
しかも隆景存命なら上杉はたいろうじゃない公算が高い。
上杉は隆景没後に補充で大老になってるからね。
前田利家没後の前田の去就は変らなかったかもしれないが大老隆景は
黒田如水や秀吉も一目置いた智将で戦国生き残りのツワモノ・・
家康もあそこまで横暴に出来たかどうか・・
確かに隆景は朝鮮役を通じて豊家武断派からの信頼も厚いしな、隆景が生きてりゃ武断派は自分達の利益代表として家康を頼らなくてすむし、
同時に恵けいを通じて三成とも親交がある。うまく折衝役ができたかもな。
合戦に関しても大軍を率いての合戦経験は家康以上にあるからな。
利家は侍大将としての実績はあるが大軍の将としては経験も無く未知数。
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 22:40:29
まぁ、情勢判断がしっかりしているので三成につくよりも家康に味方する
可能性は高いだろうけどな。
心情的にも金吾を押し付けられたことで恨みを持っていそうだし。
立花は大友の一族だから、本来なら反三成派なのでは?
>>587 武断派と文治派の馬鹿共の仲裁に忙殺されて早々とあぼーんしそうなんですが
>心情的にも金吾を押し付けられたことで恨みを持っていそうだし。
最近では押し付けられたんじゃないってことになってるらしいぞ。
>>590 いや 大友義統は西軍として九州で旧臣を集めてお家再興を目指して蜂起。
東軍(の皮を被った)黒田軍と激突してアボーンされたよ。
せっかく吉弘が徳川から東軍に付くならお家再興のお墨付きもらったのにねぇ。
よりによって西軍に付くあたり 天下のバカ殿ぶりは健在です。
それはともかく、宗茂は豊臣派であって、三成派じゃないよ。
594 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 23:57:39
>>591 まずは何か理由をつけて馬鹿共の仲裁から一歩退いて
三原に静養してする。死んでなけりゃ毛利の意思統一は出来る罠
隆景はその後、天下を預かった家康と利家に任せて天下に興味を持たないが
天下は史実のような状況に・・
んで利家死後の状況を見るに及んで、やむなく思案する。
「このままじゃ毛利も天下の騒乱に巻き込まれる」
そうなった場合家康有利だが・・家康の天下になれば、いずれは
毛利も前田のように・・・・という不安もある中
しゃあなしに隆景が毛利家の意思統一を図る。
で裏では吉川広家と黒田長政を仲介した家康側と
エケイを仲介にした西軍の呼びかけがある。
ここで隆景が前者を選択したら史実とおなじ防長二州を恩賞とされ・・
でもそれくらいの分別は、アホォな広家じゃあるまいし判断できただろう。
だから
>>589のいうように家康につくのは可能性低いだろう。
>>589 情勢判断がしっかりしてるから家康につかないんじゃね?
家康の天下で毛利がナンバー2になるより、不安定な豊家政権下で有力大名の一角を占める方が力を持ちすぎた毛利には安泰だからな。
家康が天下取れば仮想敵国は毛利っての誰の目にも明らかだしな。
>>592 金吾を押しつけられたんじゃなくて、毛利本家に金吾を押しつけられそうになった
んで、先に隆景から秀吉に「下さい。」って頭さげたんだよ。
じゃなかったっけ?
まぁ恨みを持つのは同じかも?
597 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/04(火) 23:59:40
豊臣を守るため西軍に付くと意思決定。但し総大将となった以上は、
ただの神輿にはならない。と三成に従わせる。
人望も戦争経験も隆景が頼りなのは三成にも分かるだろうから
従わざるを得まい。
ここで不戦の密約も秀秋の違背もないので関が原では勝てる。
という以前に
もう少し西軍が烏合の衆じゃなくなる気がする。うえに
もっと勝率の高い戦術を出していくだろう。
まして家康のように内応を出すことにも
>>588のいうように
家康に負けていない人脈があるww
まあ家康も負けてはいないだろうが・・
家康と隆景の慶長名人戦ってのも、面白そうだよな。
でも結局、東軍が勝てば徳川幕府、西軍が勝っても
押しつけられた、ってことが初耳。
毛利本家から気を逸らすために、隆景自ら「秀秋様を養子に」と願い出たって話が一般的と思ってたが。違うの?
>>596 >毛利本家に金吾を押しつけられそうになった
↑これが、もともとなかったていう説
隆景の先見性と知将ぶりを示す逸話
>>599 おお、そうだったのか。
確かに、その逸話はいかにも秀吉が悪者みたいだね。
秀吉否定の江戸期に捏造されたのかな?
601 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 00:20:30
事実押し付けられただろ
秀秋欲しいなんて奴おらへんやろ
隆景には嫡男いないしな。
輝元の姫を迎えてその婿として秀秋を貰ってその間に子ができれば、自分亡き後も小早川が毛利と豊臣の掛け橋に
秀頼が産まれて秀秋の処遇に困った秀吉に恩を売り、輝元の姫を貰うことでその子が嫡男産み小早川を継げば、
嫌々ながらも秀吉から所領を貰ったことへの毛利への義理も立つと。
604 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 00:53:34
関ヶ原って負けたらみんな領地逃げかえってるけど負けたら大坂城に集合とか
決めとくの無理だったの?
毛利が入城邪魔したとか?
烏合の衆だから
大坂城に集合しても内応者や裏切り者が続出
そして互いに疑心暗鬼になって崩壊するだけ
立花は毛利本体が大阪城に籠城し、関ヶ原の敗残兵を迎え入れて
秀頼を旗頭に家康ともう一戦しよう!
と輝元に詰め寄ったけど、西軍敗北でびびった所へ、毛利家は豊臣家臣の紛争に
巻き込まれただけだから無問題なんていう家康の嘘を信じた吉川の話にホイホイ
乗って大阪開場しちゃったんだよ。
607 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 01:32:28
元々東軍寄りの椰子が多かった
大敗で戦意喪失
首謀者も行方不明
>>599 それって えらい早合点しすぎなんじゃないか>隆景。
そんな先のこと考えて気苦労が多いから早死にするんだよ。
おれに隆景ほどの器量があったら…
上杉は後の豊臣大老格。 しかも謙信公以来の義と武門の一族。
幸い景勝様には正室も世継ぎもおらぬ身。
彼らと豊臣が縁をもてるのは豊臣千年の計という物です。
とか何とか言って秀秋をうまく他家に押しつけちゃうな。
609 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 01:52:54
隆景が自分でもらったのなら、関ヶ原の敗因を作ったことにw
まー隆景が生きてたら家康には付かないだろうな。
前田を脅して上杉討伐の軍を起こして、次は毛利だろうくらいの
事は彼なら充分察知するでしょ。
隆景は家康嫌いで知られてるしね。
>>610 隆景の正当(精神的なというべきか)後継者の秀包は立花宗茂と一緒に戦って改易されたしね、
その1年後に若死にしてるし
>>608 早合点とかじゃなく、そもそも押し付けられてとかじゃなく隆景が望んでもらったという説。
木下から無理を言って秀秋貰ったものの、秀頼産まれて秀頼を世継ぎにしたいが今更いらないからと秀秋返すわけにもいかず、
どうしたものかと困った秀吉、そして
>>602
織田といい大友といい、馬鹿な主君を持つと家臣が苦労する典型と
いえるな。東軍に付くようにと家臣が言っているのに、何故か西軍
に走っている。その点、小早川秀秋は有能だったというべきか。
>>612 > 早合点とかじゃなく、そもそも押し付けられてとかじゃなく隆景が望んでもらったという説。
>
>>602 …と言うことは、養子(後継者)としていた秀包を押し出してでも、秀吉の意を汲んであげた
って事ですか?
話としてはええ話ですが、当時から出来が悪いとされていた秀秋をもらうなんて、
毛利家全体としては良くないって思うでしょうにねぇ。
それ以上に豊臣と縁戚ってのは意味があったって事なんだろうか?
じゃぁ今度はこれか・・・・
元就が長生きしていれば・・・・
>>615 耄碌していて変なことばかり言いだし、周囲に迷惑をかけまくる。
権力に執着があり、常に頭の中で腹ぐろい事を考えてる奴はなかなかボケない。
松永久秀、宇喜多直家、徳川家康
逆に、明朗快活や一本気な奴はボケる。豊臣秀吉、島津義弘
あー我ながらすごい適当だね。
権力に執着というより保身に躍起なんだろうな
元就は天下を望むなと遺言し、現に広家は
関ヶ原における毛利宗家の去就について、その遺言を根拠に恵瓊と激しくやりあってるからなあ
藤堂なんて老いて目が見えなくなっても江戸で仕事してたらしいからな
620 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 11:46:54
>>618 大名の目的の90%は自己保全だよ。
そして、これは別に悪いことでもなんでもない。
後世の人間は日和見だの豊臣家への恩がどうだのっていうが、
また、当時の人間でも庶民はそういう見かたをするが、家臣と
その家族が合わせて数万の人間の将来がかかっている上に、
負ければ死ぬ連中だってたくさんでるんんだからあたりまえ。
小早川隆景が生きていれば、そこら辺を冷静に考えて行動するはず。
毛利本軍が家康につけば、西軍に勝ち目がないから、負けない選択と
して家康につく可能性は高い。
大名を、中小企業の社長と想像すれば良いんだよ。
とりあえず従業員と家族を喰わせるため生き残る事に必死。
秀次や蒲生、時代は下って赤穂の事などを知っていれば当然わかることだが、
大名家が一つ潰れるということは相当数の浪人が発生してしまうわけで。
論点が違うが隆景って家康嫌いなのか?
一度も聞いたことが無い話なんでよければ詳細を教えてくれ
自己保存=お家存続なら その究極は天下人になる事でしょう。
もっとも自己の器量と自家の格、地政学上の問題なんかで、一番バランスの良い位置
を考えるもんなので…
隆景存命であれば、毛利本家をさしおいて天下をとる訳にはいかず、輝元に天下人の器量
が有るわけで無しなので、現状維持がベストなのではと思います。
徳川(大老連中)の独断を押さえて、豊臣政権の安定を目指す。
各諸法度を定めて、史実で徳川政権がそうであったように豊臣政権を確定してしまえば、
家康とて簡単に政権交代は出来ないはず。
その中で毛利・小早川が大老として一定の地位を維持できれば…ってな感じかな?
もっとも豊臣政権は過去スレで言われてきたように、強権をふるっての統治が出来ないので、
巨大長期安定型は望めそうもないわけで、隆景が見切りをつけちゃう可能性も…。
豊臣を大名として存続させつつ、徳川政権の樹立に協力するかもですね。
豊臣がそれを不服とするなら、これの廃絶も辞さないかも…どちらにせよ家康みたく狸親父
な生涯にはならないと思う。
624 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 15:13:35
625 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 15:22:05
>>623 家康専制になったからな
その前に何とかできたのかどうか
利家と組めばどうにかできただろうけど、両者とも先に死ぬから
結局一緒
長生きという武器を家康は持っていた
>>623 >自己保存=お家存続なら その究極は天下人になる事でしょう。
300年続いた家は数多くあれど、300年天下を取りつづけることは難しい。
天下をとれば奪われると同時にお家消滅。最悪源平北条みたく一族滅亡。
毛利があそこから天下とるなんて、誇大妄想の域でしょ。
大大名ではあれ、天下を取るなという元就は分かってるよ。
毛利はもう守る側だから保身を考える、三成はもう後が無いから戦う。
言ってみれば織田も徳川も最初は後が無い状況から戦って、その延長線上に
天下が見えたわけで、織田も徳川も途中で守りにはいれる状態じゃなかった。
輝元達も狙おうと思えば狙えたのかもしれないけど、そこは一代前、もしくは
それ以前から続く家と新興勢力の違いだと思う。
628 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 15:34:39
輝元は天下人の器量はない
運だけでなれるものというほど甘くはない
輝元もそれをわかっていて、二股戦略を採ったが
結局騙された
豊臣政権になってからある意味ではもう戦国ではないからな。
中央集権が確立されて、諸勢力の力の分布もすでに分かってた。
若き家康に織田というバックアップがあったように、三成に毛利が
全面バックアップがあればもしかしたらと考えてしまうけど、
もう毛利でどうこうなる話じゃないしな。
630 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 15:46:51
オレはオレは首相の能力はあると思うが、誰もそんなこと同意しないw
631 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 17:22:08
>>628 それは下手な二股をとったから。優柔不断な行為の結果はああなるといういい見本。
最初から徳川に完全についていれば、減邦はなかったし、むしろ加増すらあったろう。
もし、本気で二股かけるなら、身上を2分割して最初から半分は失う覚悟でやらない
といけない。真田家がやったようにな。
結局、輝元の決断力のなさが一番の問題だな。隆景が生きてれば、もっとはっきりし
た戦略をとらせたろう。
632 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 18:22:15
>>629 中央集権というのは無理があるな。
ゆるやかな封建制だ。
633 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 19:29:07
>>620-623 毛利と徳川が協力するという前提は本質的にありえないという点に
考察がいってないような気がする。
秀吉と前田利家死後の時点で隆景がどうにか生きてて前田家のあの顛末見れば
次は毛利という危機感は普通に持てたはず。
というか、それでも協力する・・?
豊臣の天下取の後えらいめにあわされてるとかいうスレがちらほらあるが、
豊臣で懲りてるのに、更に同なるか分からん東国の実力者が天下とって
毛利がどうなる?という不安が先に立つだろ。
なにより徳川が毛利を本当の協力者にするわけがない。
利用して実力がつけば毛利征伐にでるのは明白でしょ。
>>627 誰も毛利が天下を望むとはいってないぞ。
豊臣の中で不可欠な有力者のひとつとして毛利の大身代を
残していくのがベターといってるだけです。
>>631 その内容にむちゃくちゃ矛盾があるんですが・・
隆景が存命の毛利が家康ごときに恩賞を貰う必要性ってないよ。
少なくとも隆景と家康は同格に等しいわけで
少なくとも隆景が戦略をはっきりさせて家康が残ったとするなら
隆景は家康と連名で恩賞を出す立場になってておかしくはないだろ・。
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 19:37:13
>>631 結果的には失敗だったが戦略的には妥当かもしれない
(東軍につくべきだったと思うが)
徳川から本領安堵の約束を得ているんだし
635 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 19:39:48
>>633 前田の顛末って何?
人質を出して屈服したことか?
つまり徹底抗戦すべきだったということか?
隆景と家康が同格というのがわからないが、大老ということなんか?
636 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 19:41:30
>>633 なんか言ってることが無理矢理だな。
毛利と徳川が組むことはないってことを絶対の前提にしてると思考が
硬直するだけだぞ。(というか組むなんて考えたくないだけだろうが)
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 19:50:39
>>634 本領安堵はされてないよ。吉川広家に与えられた防長二州を、毛利本家に
譲った形だったし。元々の毛利家に比べれば、領土も激減している。
もし、二股かけるんなら、他の大名家がそうであったように、当主と世子に
別れてそれぞれ奮戦するとかしないといけないのよ。
638 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 19:51:33
毛利だって屈服するのは嫌だが滅亡を望んでいるわけではないぞ
徳川の前に豊臣に屈服してるんだが、なぜ戦わなかったのか?
639 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 19:52:33
>>637 いや本領安堵されているよ
その条件で大坂城退去
反古にされた
いや、それだけでは妥当ではない。
今回のことは恵瓊の暴走で輝元は担がれただけって事なら、現状維持って条件も含まれてる。
で、輝元署名の文書がゴロゴロ出てきたから減封。
伊達でも同じ事が言えるけれど、
おいおい約束が違うじゃん(ゲラ
と言えるのは徳川の方。
えげつないけどな。
641 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 22:18:18
輝元は担がれただけって事
ここの部分だけど、ソースある?
輝元は文書出したのを知っているから、それがダメだとすれば
和睦でもめたはず
>>641 吉川がそう主張したってことでしょう。
当主輝元は担がれただけです、本気で戦う気はありませんでした。
だから本領は安堵して下さいと主張し、
家康はそれを受け入れて本領安堵を約した。
ところが、輝元の名でかかれた書状が出てきたので、
実は担がれただけではないことがわかったので、
本領安堵を撤回し、取り潰すことにしたと。
まあ、家康は最初からそのつもりだったのだろうけどね。
643 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 22:37:06
>>642 しかしそれが条件だとすれば輝元は納得しない
644 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 22:38:09
>>642 家康は最初から潰すつもりだった
しかし大坂でごねられると困る
従って騙して追い出した
これが真相かと
645 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 22:43:22
>>642 吉川だって、間抜けではないから、ある程度は条件はつめたはず
そうでなければ、一方的に難癖つけて反古にされるのは見え見え
吉川は異常な間抜けでない限り、毛利の行動は不問にするという条件だったはずだ
646 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 23:05:16
毛利も上杉も関が原の戦い自体ではほぼ
無傷なんだから大減俸することに対して抵抗できるんだけど。
50万石程度の島津でさえそれが出来て100万石をこえる
彼等にそれが出来なかったのは不思議だな。
やはり豊臣の威光に屈した形なんだろうか。
647 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/05(水) 23:08:14
いや、やっても勝てないと考えたんだろ
特に毛利は弱兵だから
>>646 島津は地理的条件が良かったのと、
毛利や上杉を優先して減俸しなければならなかったからという事情がある。
島津だからこそ成功したというべき。
>>644 吉川広家の交渉は、
関ヶ原本戦以前(七月十三日には益田・熊谷・宍戸らと連盟で家康に書状を出してる)から始まってる。
また八月八日には家康から、「西軍に与したのは不快だが担がれただけなのでお咎め無し、
ただ勝敗が決まると温情もかけられないからそれまでに内応するように(要約)」という書状を貰ってる。
だから、内応交渉で大坂云々言うのは結果論に過ぎない、視野には入れていただろうが。
で、毛利としては関ヶ原本戦の不参戦で条件(内応)が満たしていると考えて、
後腐れ無く大坂退去すればいいという感じだったかと。
時系列から見ればこちらの方が妥当だと思うよ。
>>646 島津ぐらいの国力じゃ警戒するほどじゃないからな。その上地理的にも僻地だから放置しても無問題。
毛利は西国の要衝の地を抱え、東国の家康より京大阪にも近く石見の銀山を抱えるなど、家康にとっては将来的に危険な要素を多く抱えてるからしかたない。
関ヶ原後、家康は石見の銀山を速攻押さえにいってるしな。
そもそも毛利が減封されたのって関ヶ原云々じゃなくその後の動きが原因だろ。
福原呼んで秀頼担ぐそぶり見せたことが直接的要因じゃねーの
毛利が決起したとしても、家康が豊臣流受け継ぐなら小田原と同じ目に遭うよ
653 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 12:17:49
小田原ほどの城を持っていないからもっと酷い目に遭う
小田原城を持っている
小田原城なんか大坂城、広島城にはとうてい及ばない。
もはや時代が違う。
ほんとに毛利家ほどの大国の持ち主が、ああもあっさりと抵抗らしき抵抗も出来ず、
所領の殆どを召し上げられるってのは、傍目からみても気分が悪い。
まあ、あきらめが早かったせいで多くの血が流れなかったわけだから、そういう観点から見ればそれはそれで正しい。
しかし、なんとかして輝元は意地をみせることは出来なかったのか?って・・・
よく言われる300年後、長州が幕府を倒したなんてのは「毛利輝元」とは関係ない。
さらには逸話で、元旦のあいさつに「徳川討伐の支度が整いました」なんて儀式があるが、負け犬の遠吠えに過ぎない。
なぜ一矢を報いなんだって・・・。
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 12:50:45
それを言うなら上杉の方がもっと情けない
>長州が幕府を倒したなんてのは「毛利輝元」とは関係ない。
んなこたーない。
輝元がただの無能な3代目なら、減封後の財政難を乗り切れず幕末の倒幕なんてなかったわけだしな。
毛利輝元のおかげで長州が幕府を倒した?
関係ないだろ
>>658 いや、わたしが言いたかったのは、未来の倒幕など、
当時を生きてる「毛利輝元自身」とは関係ないということです。
元就曰く
100万石以上あれば一度ミスを犯しても半分の50万石、さらに半分になったとしても一国は十分に残る。
一国はおろか半国すらなかった国人領主時代のことを思えばどーということはない。
この教えを守っただけだろ。つまり、妥協してでも家を残せと。
実際、信長の中国攻めでは10カ国から半分の5カ国減封を飲んだことで生き残ったわけだし、
結果的には減封受け入れたおかげで幕末まで家が存続したわけだし。
>>656 毛利にはオレも抵抗してほしかったが、
勝機があればともかく、一矢報いる=滅亡みたいなもんだからねぇ…当人&家臣団の立場に
たってみたら、降伏もやむなしかとも…。
とくに大阪開場して助けてもらえるって思ったら取りつぶし、絶望していたら、
吉川の頼みに免じて首は飛ばさないでやるから、吉川領に引っ越せや!
ときたもんだ、
闘う以前に気持ちで敗北しちゃってるよ…orz って感じじゃなかったろうか?
島津の場合、うちは関ヶ原ではまけてもさん。
じゃっどんも一回お相手してつかさもんど(すみません自分関西なもんで…)
みたいな気持ちだったから、ああいう手にでれたんでしょうね。
それでも家康が早期平定を望まなかったら、本領が薩摩・大隅で無かったら
家康は討伐を選択していたかもしれません。そしてそれは島津家の滅亡で終わるはずです。
663 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 13:17:39
>>662 島津が強かったということもポイント
秀吉も結局豊漁安堵してるしね
損害を考えると妥協しておいた方が良いと考えた
島津が強かったというのは妄想。
堀が「九州の兵は弱すぎる、毎日城を攻め落とすのはしんどいので、
せめて一つの城で3日は持たせて欲しい」と頼んで捕虜を釈放している。
輝元自身の要素に未来の倒幕が関係するはず無い。
なぜなら、輝元にはその意思も予測も何もないから。
これから輝元の子孫が何しようと過去の事象に変化は無いって。
九州ではなくて島津がとりわけ強いんだよ。
中でも義弘に従った数千の連中。
手弁当で関が原まで現地集合なんてやる気満万だったんでしょう。
大友の大軍や朝鮮の軍を撃退した話など枚挙にいとまがないです。
九州は小大名が多いし大友氏も弱体していたので秀吉に好きなように
された感は否めないですね。
なんだかんだいって北中九州は関西の植民地的色彩が昔から強い気がします。
関ヶ原ではやる気無いよ。
重要地に配置されながらただ見てただけ。
それで西軍が負けそうになったから逃げただけ。
逃げ足が早いというのは自慢できることだと思うが。
669 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 16:44:59
つかあの状況で逃げれるのはすごい
関が原における島津の態度は、駄々をこねてる子供と変わらない。
671 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 17:08:20
あれこそ、真の武将
子供なら逃げている
東軍と戦う意味なし
>>671 強さにおいては異論はないけど・・・。
ただ、後退してきた宇喜多兵に、「寄るな」とばかりに鉄砲を撃ちかける行為はどうだろ?宇喜多勢は死力を尽くして戦ってんのに
サボタージュしてるあんたらは、よくそのようなことができますねえって。
島津さんよ、あんたら一体なんの為にそこに布陣してんの?って・・・戦の邪魔するなら、戦が終わらんうちに薩摩に帰れって、今なら間に合うからさあって感じ。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 17:25:19
>>672 サボタージュではない、戦線維持
敗走兵を撃退するのは軍法だよ
下手すると巻き込まれて死ぬからね
674 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 17:29:34
>>672 帰って欲しかったのなら夜のうちに言うべき
夜ならば別行動できた
日本一の大遅参をかまして、見苦しい限り、人無しとまで言われ、
家臣の叛乱を自力鎮圧出来ない島津が精強ってのはなあ。
まあ、家康との約束を守って伏見入城しようとしたけど、拒まれて
仕方なく西軍に入ったってのが本当ならある程度同情の余地はあるかな。
国元が決定的に家康に敵対した訳でもないし、
好意的に見れば、本戦でも(撤退を除いて)中立を貫いたと見れるし、
大国ではあるけど、毛利・上杉に比べれば石高を削る理由も薄れるしな。
何より首謀者でもなければ西軍中枢に関与していないから戦犯としてのランクも低い。
それら+敵中突破+国元がほぼ無傷で事と次第では一戦可、で本領安堵だろなと思う。
676 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 17:52:29
島津が弱いのなら潰せば良かった
鳥居は芋の言葉がわかんなかったんじゃないの
弱いからこそ、放置した
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 18:18:24
じゃあ宇喜多や石田も放置すれば良かったのに
そこら辺は戦犯な上、豊臣子飼いだから弱くても無理。
内府の付き医者の書いた記録だったかに
島津隊に加勢を求めた三成の使い番に対して
無礼千万として黙殺したことが書いてたなあ
682 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 18:28:45
小西は子飼いではない
宇喜多も微妙だな
宇喜多は、誰がどうみたって・・・・。
子供のうちに飼い慣らした。
小西は宇喜多の御用商人。
685 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 19:43:20
>>675 伏見城の件もどうみても島津側に非があるよ。
敵か味方かはっきりしない島津が、捨て城の決死隊に入れろなんて言ってくるんだから。
それで断られて西軍に入るっても困りもんだよな。しかも、西軍でも三成の扱いが良く
ないとヘソまげて戦わないし。
確かに三成が西軍大将である限り命令背きまくりんぐは良くないな
一度見捨てられたからって 感情押し出し杉
687 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 20:01:21
西軍総大将は毛利輝元だよwばかじゃない
西軍大将
西軍総大将
おちまくり義弘にすれば三成なんてしょせんは官僚で
武将としての合戦能力も未知数。
奉行とはいえ石高は島津の半分、おまけに
毛利輝元は出馬しなくて西軍の士気は下降線。
とどめは小早川達の裏切りとくればいい加減
うんざりして見限ったんでしょう。
西軍と心中するまでの義理もないことだし。
ただ彼の率いる兵力が少ないことで
西軍での発言権が少ないことに島津自身に
対しても歯がゆい思いは多々あったと思う。
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 21:12:37
だったら兵隊持ってこい!
そもそも、西軍加担も本国非公認だからな
692 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/06(木) 21:22:31
つか島津は三成の無能さに呆れたんだろ
あきらめろ
戦国時代というか当時の関が原の南宮山や松尾山ってびっしり樹木が繁茂してたの?
一万数千の人間やら馬が待機するだけでも難儀そうなイメージがあるな。
数日滞在するための飲料水運び上げるだけで大変そうだ。
松尾山は少なくとも「城」と呼ばれるものが建設されていたから、
整備された陣地だったのは間違いない。
南宮山はしらね。
関ケ原当日に積乱雲がごっそり来て落雷で家康しんだらどぅする?
勝手にしろ
698 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 00:02:40
南宮山はそこそこ生えていたんじゃないか
699 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 00:49:17
真田家に大量の兵を送っていたら東軍B万の兵は関ヶ原に到着してなかった。
西軍の武将はひょろいやつらばかり↓
>>699 上田城は大量の兵を養えず何もしない内に3日で陥落しますたw
徳川家康 (関東256万石)
前田利家 (加賀83万石)
宇喜多秀家(備前57万石)
毛利輝元 (安芸120万石)
小早川隆景(筑前33万石)
浅野長政(甲斐甲府30万石)
石田三成(近江佐和山19万石)
前田玄以(丹波亀岡5万石)
長束正家(近江水口5万石)
増田長盛(大和郡山22万石)
三成がどうこうというより、相手が家康だった事の方が重要だろう。
徳川家に真っ向から対抗出来る勢力が豊臣家しかないからな。
その豊臣家を動かしそこなったからには、三成に勝ち目は無いわな
他の大大名も連携を取るには離れすぎてるし
703 :
金九 ◆kB3asXsHfo :2005/10/07(金) 12:47:50
>>701 その数値から考えると、やはり前田83万石と毛利120万石がタッグを組むしかないな。
それなら徳川256万石と戦える。
つまり前田が徳川を後ろから羽交い絞めにして、
毛利が魔貫光殺砲で徳川の胸板を貫くとか・・どうよ?
704 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 13:38:10
前田って賎ヶ岳みたいに適当な所で徳川裏切る計画とかなかったの?
>>704 裏切るもなにも暗殺計画があっただろ知らんのか?
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 14:03:41
707 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 14:15:23
708 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 14:17:18
↑これなに?
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 14:18:21
なんかやばそうなので放置するか・・・
710 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 14:20:51
>>705 利長が後継いで服従した後でよ
適当な合戦場で裏切るって西軍とかと密約なかったのかなぁっと
利長もおやじ死んだとたん家康にコケにされて、悔しくないのかねぇ。
いくらばあちゃんがあれでもサ。
小早川の家臣でありながら
わずか数百の兵で数万の前田勢と戦い
結果討ち死にした山口宗永って強者ですね。
こういう武将は豊臣御為とかいう信念で闘ったんだろうか。
松野にしろ小早川の家臣の中には豊臣寄りの
人間がやはり多いですね。
徳川は豊臣の臣でもあるけどその
専横に対して一武将クラスでも反感を抱いていたということ
なのでしょうか。。。
>>712 山口宗永は秀秋と折り合いが悪く、喧嘩して独立したのだ。
宇喜多の坂崎出羽守や、南部の津軽みたいなもの。
数百の兵で数万の軍勢と戦い討ち死にしたら強者なのか?
自殺行為としか思えないが…
逆境に立って勝ってこそ大きな恩賞がもらえる
信念なんてのは死ぬ事が美しいと思われてる日本独自の奇麗事
福島正則だって石田三成の事を誉めていただろ。
最後まで逃げようとしていたことに対して。
黒田長政は石田三成の事を馬鹿にしたが。
釣りか?
>>717 いや花の慶次で三成捕まった時、福島正則がバカにして黒田長政だか田中吉政が
誉めていたはず
花の慶次ってあんた…
影武者徳川家康だった
もう良いよ…
>>703 毛利が家康に爆破されて、利家がスーパー利家になるとか
利家と毛利が戦ってる間に三成が宇宙のみんなからちょっとずつ石高分けてもらうとか
隆慶一郎の作品っておもしろいけど、
作者の思い入れ、感情むき出しのくだりが多いよね。
急に糞スレになったな( ^∀^)ゲラゲラ
黒田長政の陣羽織を与えた行為は、決して皮肉ではなく、お互い知略を尽くして戦った相手に対する敬意と見たい。
討ち取られた三成は影武者で、本物の三成はその後100歳を越えるまで徳川に仕えたとかいう夢みたい
>>712 たらればだけど、
松野主馬が秀秋に翻意を促すために独断で、本隊に先駆けて疾風の如く東軍に一撃食らわしてくれたらねぇ。
秀秋「あー!あの馬鹿!余の命を無視して東軍に攻め込みやがった!・・・もういいよ・・・西軍につこう・・・」みたいな。
はいはい…
なんか変な雰囲気だから、消えます。僕が変なカスどもを連れてきてしまったかも知れないので。
730 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 16:49:28
むしろ石田は徳川につくべき!所詮豊臣は農民上がりの雑種猿
これで宇喜田も毛利もひと安心
秀頼も安心だ〜♪
戦なくて助かるよ〜♪想わぬボーナス♪
動けぬ家康♪
できればチンコ殿には色々と語ってほしいんだけど・・・
ところで三成が率いた近江兵のうち蒲生遺臣だけが全滅に近い最期を遂げたけど
これは三成の人徳によるものか
それとも蒲生遺臣らが自発的に果てたんだろうか
全体の死傷者は数千人程度と聞いた。実際やる気がなかったのだ。
>>725 その後に黒田が三成のことを馬鹿にしたのだよ。
死に損なったとして。三成の居ないところで。
それに対して正則が、三成は最後まで逃げて戦いを
諦めなかった、と大将として立派な行為であると誉めた。
正則「無益の乱を起こして、その有様は何だ」
三成「おのれを生け捕りにして、このように縛ることができなかったのは天運によるものだ」
その話ってこれじゃなかったけ?
>>735 いつの発言?晩年の福島正則の懐述ならわかるけど・・・
>>710 弱きを見捨て強きにつくのが信条の前田がそんなことするかよ。
739 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/07(金) 23:40:35
前田も単にどっちが勝つか分からんから長期戦を見込んで
どさくさの周辺の切り取り勝手企てるだけでしょ。
関が原の長期化→その間に周辺を切り取り勝手に併合
→勝った方に敵軍を処罰したとかなんとかいって居座る。
って構図を考えてただけだろう。
前田利長
伊達政宗
島津義久
黒田如水
上杉景勝
このあたりは確実にそうだろ。
藻舞ら史実を頭に置くから、
たとえ戦が長引いても家康が勝ったら処罰されるべ!
と思うんだろうが
西軍討伐にてこずるようなら、家康が強力な政権など
もてるはずは無いだろ。
むしろ室町、戦国、そして豊臣の世と
周辺地域に中央政権に一線を画した手ごわい巨大大名が居座って
中央でも用意に手を出しあぐねるって構図が普通にあったわけだから
室町幕府みたいな、あるいは末期の豊臣政権みたいな
脆弱な江戸幕府みたいなものもできたかもしれんのだし・・。
まあ、本戦が僅か一日足らずで終わるなんて予想できないわな。
上杉は義にあついと言いつつ、関ヶ原へ向かうより
最上に侵攻してただけだしな・・・どさくさ紛れに領地増やそうとしてた
んだろうさ・・・上杉が正面の結城秀康隊を蹴散らして関ヶ原に出てたら
史実も変わっただろうにな。
742 :
猿飛サヌケ:2005/10/08(土) 01:16:22
>>741 禿同。上杉はひどいな↓関ヶ原に背を向けてどういうつもりなんだ…。上杉が参加してたら東軍を挟み撃ちできてた。
743 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 01:33:05
上杉は頑張った!
周囲は敵だった!
744 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 02:10:15
幸村なら勝っていた!
しかし史実には信繁しかいなかった訳だ。
いや、実に残念だなw
>>741 いくらなんでも伊達最上放置して秀康蹴散らして遥か彼方の関が原になんて逝けないだろ・・・
747 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 09:24:42
最上・伊達には押さえの兵をおくのみとし、南下の構えを取れば佐竹らの動きも変わる
のでは?上杉は明かに長期戦前提の領土拡張策が念頭にあっただろう。
秀康と開戦しなかったのは、東軍勝利の際を考慮したかもね。伊達・最上・秀康率いる
徳川留守部隊では一番チョロそうなのは最上。飛地の領地のこともあったかもしれんが
家康牽制とか挟み撃ちとかは考えてなかっただろうよ。
最上にすら勝てない上杉は関東に攻め込んでどうなると?
749 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 11:18:33
まあなんだ、
家康を関東に追いやったとき、彼の旧領を三成に与えておけば
良かったのではないか?
三成なら家康が絶対に突破できない要塞を築いていただろうし、
そもそも4万の兵力動員が可能となるので、たとえ家康が攻めてきても
単独でこれを撃退できる。
大領を与えるには、それなりに理由も必要だからな
子飼いで信用出来るから、という理由だけでやったら
滅茶苦茶恨まれる事になるぞ。
751 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 12:07:29
佐竹が絶対に動くなら南下も手だが
佐竹、何をやっていたのかと
里見マンセーとしては関ヶ原の時は何やってたのが気になる
やっぱり東軍のはじっこのあたりでショボーンな感じだったのかな・・・
石田って家康暗殺やらなかったね?
なんで?
755 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 14:12:02
やっぱり上杉に南下の動きがないから佐竹としては単独では傍観するかしかないと思われ。
徳川留守部隊はもともと開戦は避けて関東防衛できれば戦略目的達成だから、佐竹の姿勢は
見え見えでも、こちらも黙認ってとこだったでしょう。
最上に勝てない云々という輩がいるが、それは結果論。北方で堅守し南下をすれば
佐竹・多賀谷・岩城なども連携して動いただろう。家康なき徳川留守部隊は寄せ集めの
烏合の衆。鎧袖一触打ち破ったろうに。
756 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 14:15:14
徳川留守部隊ってどれだけいたの?
いやだから、佐竹は東軍派の義重と西軍派の義宣で揉めてるんだって。
いいところ好意的中立どまりかと、それ以上踏み込むとなると佐竹が割れる危険性があるわけで、
少なくとも佐竹が家をあげての参戦は難しい。
また上杉側が北を堅守で南進が可能という根拠はあまりな。
最上は酒田の港が欲しいわけで、それをとられると最上・伊達と五十万石クラスの二つもできてしまう。
そうすると上杉と最上・伊達だけで国力がほぼ拮抗、
ほかの東北・越後勢が加われば攻勢どころではない。
短期決戦だとわかっている後世の我々から見た論であって、
時間的制約がなければ史実通り、北進→平定→南進がベスト。
結果論からみても、上杉は最上には歯が立たなかった。
759 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 17:09:53
そうなると上杉は佐竹に動きがないから南下できない
結局歴史的動きが最善
760 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 19:50:44
関が原が長期化して、なかなか決着がつかない場合
北陸方面では北陸八カ国切り取り自由のお墨付きを盾にすき放題に領国拡大
東北方面では上杉が越後と山形の併合に専念W上手くいったら小野寺と合流して
秋田を抑えられかどうかっていうところ。
伊達はこれ幸いににと南部と津軽併合くらいか・・で伊達と上杉は双方てをだし
あぐねて睨み合いだろね
四国は・・どうだろ長曽我部とか蜂須賀とかがめぼしいところか・・このへんでは
九州は、黒田如水が口で言うほどに九州を抑えられるとは思えんので
黒田=加藤VS島津=小西の抗争とかがだらだら
東軍が勝っても徳川の主力は上杉と伊達の去就とかあぶなっかしいので早々に江戸へ戻
らざるをえず
毛利も処分できず領国も兵力も温存されたまんま
このようなありさまで形式的に豊臣政権が、戦国の足利幕府のように残り
家康が上手いこと将軍になって幕府開いても 関東・東海にしか威令を
行き届かせられない
って分裂分国化混沌状態が続いていく・・ってとこか
761 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 20:15:00
たとえ上杉軍が壊滅してでも関東に侵入していた方が戦略的には
西軍にプラスになる。だが、上杉は会津に縮こまって出てこな
かったな。
もし、三成と兼続の密約が本当だとすると、兼続の戦略眼は下と
しか言いようがない。もっとも、密約がないとすると、何のため
の徳川挑発かわからないので、もっと戦略眼がないってことに
なるが。
関が原の後も最後まで家康に反抗するでもなし。
上杉って、口ばっかのへたれだよな。
762 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 20:31:35
壊滅したら上杉には何の得にもならない
もともと壊滅するぐらいなら降伏の方がマシ
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 20:35:03
壊滅しても西軍が勝てば、しかるべき領土が与えられるであろう。
764 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 21:01:42
オイオイ、壊滅前提とは穏やかじゃないなw
まぁ上杉はプライオリティを最上に持っていった段階で畿内の西軍との呼応の意図は
希薄だったんじゃないかな。
本格的に関東侵攻しなくても「上杉勢南下す」の一報は家康・秀忠を何らかの意味で
牽制するか拘束できる可能性もあり東海・畿内での本戦で西軍部隊に貢献できたと
思うんだが実際は最上・伊達との小競り合い。確かに家康本軍を一定期間江戸に拘引
したけどね、もうちょっとやりようはあっただろうと思わんでもない。
どう考えても三成と上杉には密約があっただろう。
しかし、直江や景勝は関ヶ原一戦で終わるなんて想像してなかったんだろうな。
最上、伊達を倒して後顧の憂いを断ってから上方へ出兵くらいに考えてたんだろう。
その考えがどれだけ甘いかは、後世の歴史を知ってるからだけじゃなくて
奴らの戦略眼を罵倒したいがな。徳川倒せば全て終わらせることが出来るのに
目の前の敵にとらわれすぎ。
上杉は5万の兵を動員していた、その兵をもってまず結城隊を
倒して、伊達・最上に押さえの兵3万5千程度を置いて
残り1万5千を関ヶ原に送っていれば・・・
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 21:31:52
>>765 ちょっと極端かもね。関ヶ原長期化を前提として考えてみても、少なくとも
15000の軍勢を上方に送るのは非現実的だろう。
東海道は東軍勢力がひしめいてるしな。越後経由の北陸は先ず越後の掘家を
破らねばならない上に加賀・能登は前田だぞ。
信濃方面は真田がその一部を維持しているが美濃まで出れたとしてもそこは東軍
70000以上が集結している。15000で会津表からの長征では兵站も大変だし、関ヶ原へ
援軍は物理的に考えても極めて困難だろう。
767 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 21:39:09
>>764 確かに南下策もいいが
しかし江戸に家康がいる以上どうにもならんと
上杉は考えたんじゃないか
伊達+結城+家康に攻撃された場合、やばい
佐竹の動きも鍵になるが、信用できないとすれば、動けない
768 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/08(土) 23:13:29
>>765 むしろ三成には戦を回避しようとしていたフシがあるよ。
戦が起こって、徳川が漁夫の利で天下を奪ってしまうことを
極度に恐れていたようだし。
だいたい家康さえ死ねば、何とでも言いがかりを付けて徳川の領土を
縮小するのなんて朝飯前だし。
三成には挙兵する理由なんてまったくなかった。
たぶんノー天気な宇喜多とかが勝手にいくさのの準備を
はじめちゃって、
三成は彼に味方に加わってくれと
泣きつかれて仕方なく西軍についたんとちゃう?
769 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 00:15:07
敵の後方を攻撃するのは基本中の基本なんだが。
770 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 00:19:56
>>768 なかなか斬新な意見ですな。
宇喜多黒幕説ってのはあんまり聞かないが、関ヶ原で家康に直接相対明日した大老は
中納言秀家だけなんだよね。前田家の処置方法を見てれば他の宇喜多・毛利・上杉は
己にもお鉢が回ってくるという認識はあったろう。言われてみれば石田治部が中納言
秀家を炊き付けるというのも無理があるかも知れない。宇喜多の焦りと石田のハラの底が
一致した故での決起だったかもね。関ヶ原終了直後は未だ世相も安定しておらず、秀吉の
猶子でもあった秀家を戦犯として裁くよりも嫌われ者だった石田治部を戦犯扱いにした方が
事後処理がより穏便にすませられるという読みもあったか。
毛利一派の中途半端な動きを見ても、一理あるような気もしてきた。そもそも蟄居した
元奉行の石田治部にあの当時に毛利を含めた諸大名を動員する能力と勢威があったのだろうか。
ともかく一考に価する意見だね。
>>767 しかも秀忠も秀康と一緒に上杉に備えていた
772 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 00:36:06
上杉が壊滅した場合
家康、結城、伊達が関ヶ原に来る
秀忠、前田も来る
立花も来る
西軍有利とは言えない
773 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 00:39:46
>>772 おーい。
家康は関が原に来たし、秀忠も向かってたし、前田は上杉に隣接してないし、
立花ってなんだよorz
>>770 西軍が決起しなかったら、徳川+連合軍が上杉を一方的にボコるだけで、
やはり何も好転すべき事は無いだろう。三成が関ヶ原を望んだかどうかは面白い視点だが、
いずれにせよ三成にはやるしかなかったのではないか?避けたかったというのはいささか飛躍が過ぎると思う。
避けて家康の天下取りを眺めてるだけでも良いと思うんなら避けられるよさすがに・・・。
三成は少なくとも上杉征伐に続々と諸将を抱きこんでいく家康を見て、そうは思わなかったんだろう。
775 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 01:23:45
三成は勝算ありと踏んだんだな
同意見のものも少しはいた
まー俺でも勝算はあると思っただろうな。
但し、三成は自分の所領(兵力)の少なさと人望の無さを
計算に入れてないのが・・・w
>>768 佐和山城で何度も密議を重ねて決起したのですが?
俺様が石田なら徳川に従うな。30万石でマターリ暮らす。
つーか、三成の計算としては豊臣本家を引きずり出せると思ったんだろ。
希望を計画に組み込んでいる時点でゴニョゴニョ
780 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 03:41:47
天王寺の戦いで浪人石田三成55才戦死す
早馬『浪人宇喜田秀家殿激闘の末に通天閣にて戦死っ!享年43才』
新説!
天草四郎時貞は石田三成だった!1623年島原にて石田三成64才旗揚げ!したと想ふ。なんとなく
毛利勝永は島左近
784 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 09:21:23
>>779 毛利が味方についたので、たぶん秀頼出陣なくても勝算ありと
踏んだんだろう。
むしろたとえ自軍が敗れても迷惑がかからないようにと、豊臣家とは
距離を置いたんだと思う(関ヶ原敗北後に大坂城に逃れなかった
ことなどから)。
三成は、家康がたとえ勝ったとしても、豊臣家の家来としての
行動であり、豊臣の天下を覆すことはできないと最後まで
思っていたのではないか?
だが実際家康はうまいことやって将軍になってしまった。それが
三成の誤算だろう。
三成の領土がもっと大きかったら、それに比例して三成の人望の無さも
もっと大きかっただろう。
>>784 それは違う、輝元が大坂入城後も、恵けい(輝元の代理)と共にギリギリまで再三秀頼に出馬要請してるからな。
三成は大坂城に逃げなかったのではなく逃げれなかっただけ。
787 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 09:51:39
>輝元が大坂入城後も、恵けい(輝元の代理)と共にギリギリまで再三秀頼に出馬要請してるからな。
毛利家史料集まで持ってるが、初耳だな
>>770 >元奉行の石田治部にあの当時に毛利を含めた諸大名を動員する能力と勢威があったのだろうか。
輝元は三成ではなく寵臣の恵瓊に担ぎ出されただけ。諸大名は総大将が輝元だから参加しただけ。
東国の仕置きは家康に西国の仕置きは輝元にってのが秀吉が決めたことだし、その輝元が参加したから諸大名がついてきただけだろ。
関ヶ原の優柔不断な対応で後世評価を下げたが、当時は輝元の評価も今ほど低くなかったろうしな、体格良く威厳のある顔立ちだったらしいし。
(昨今は減封後の治世で多少評価が見直され始めてるみたいだが。)
三成が動員したわけじゃないから、関ヶ原で諸大名が三成の指示には従わなかったのも当然。
>>787 関ヶ原後は、毛利家において恵瓊は禁句だからな。
毛利にとっての武田は、武田にとっての諏訪みたいなものだろうからな。
なんかよう分からん例えだが、恵瓊が安芸武田の血を引いてると言われてるからか?
武田だからというより、毛利が徳川の世を生き抜く為には関ヶ原のA級戦犯恵瓊に関わりたくないってのが本音だろな。
793 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/09(日) 14:19:01
つか、毛利では吉川が白い目で見られたのでは?
吉川は徳川にたとえると尾張だな。
胸張る君みたいなのもいたのかなあ
じつはファンなんですけど
797 :
水戸校門:2005/10/10(月) 08:15:27
798 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 08:58:20
>>794 尾張というよりは終わりといったほうがいいような・・
西軍は大前提の部分で矛盾があるような。
最初から、負けた場合に秀頼へ責任が及ばないように事を進めていかなきゃならない感じで。
その辺りを割り切って、秀頼を表に出しとけば、東軍方の豊臣恩顧の大名も違った動きを見せたかも。
東軍は家康が総大将って事で一本化出来てたけど、西軍は黒幕は三成、表向きの総大将は毛利輝元、関が原での主力は宇喜多、って感じで戦争をするには温すぎるような・・・。
801 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 12:06:35
石田三成が豊臣家を説得出来きれなかったのが間違い
豊臣家が主力にならなければ勝てない
勝てなければ主家である豊臣家が弱体するのは日を見るより明らか
説得に成功しなければ止めておくべきだった
三成は甘すぎた
豊臣家を滅ぼした張本人
>>800 逆だよ。
責任を負うことを嫌ったのは秀頼の方。
三成は秀頼に出馬要請したけど断られたんだ。
>>802 保証人の判を押してくれ、と頼んだが断られたようなもの。
804 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 13:13:01
>>801 三成が関ヶ原に参加したのは、大失敗だったね。
引退した身であるゆえ、西軍への参加を拒否することもできたはずである。
彼なりに勝算があったのだろうが、負けたときのリスクというものが
かすんで見えなくなってしまっていたのではないか?
いずれにしても、彼だけでも生きていれば、関ヶ原で西軍が負けたとしても
豊臣家はまったく違った道を歩んでいただろう。
三成ともあろう者が、一瞬の判断ミスか?
805 :
見て肛門 :2005/10/10(月) 13:28:04
)
*←ココ
)
>>804 根本的に間違ってるぞw
>西軍への参加を拒否することもできたはずである。
拒否なんてできないというか、三成がいなきゃそもそも西軍なんて存在しない。
>>804 三成一人の考えではないだろうが、
彼が首謀者の一人であったのは間違いない。
つまり、
>>806のとおり。
秀吉は徳川の領地をとりあげて
朝鮮を切り取り次第で与えればよかったのに。
>807
限りなく首謀者連中の核に近い存在だったろうね。
>>804 三成がいなければ関ヶ原などは当然なく、
上杉家討伐のために集まった親家康派の諸将が上杉討伐によってある程度まとまってしまうだけ。
事が終わってからではもう遅い、関ヶ原があっても東軍であった家は勿論、西軍だった
島津、長宗我部、鍋島はもともと普通に家康側だったわけだし、これに加えて加藤清正も既に家康側ならば、
立花宗茂も恐らく、関ヶ原後の状況を見る限り素直に家康についてしまうだろう。
上杉、真田は関ヶ原があった場合と違い、何の助けも無く上記のような日本中の猛者たちがじっくり終結する中
秀吉の小田原攻めでの北条のごとく、蹂躙されるんだから欠片も残らんだろう。
越後方面を最上、米沢辺りは伊達、上野から関東にかけては徳川の直轄領になっていく事が予想される。
しかも三成が立ってないんだから奉行衆もまず動かないと見ていい、
小早川、毛利ははなから及び腰、後は不穏な動きがありそうと言えば吉川、宇喜多あたりぐらいか。
しかし立花も鍋島も長宗我部も家康側じゃ細川も鳥居も京極も誰も倒してくれないわけで、
吉川・宇喜多だけじゃ遠くに行く前に近くにも敵が多すぎて動きようがない、こいつらだってそんなアホじゃない。
>>810 真田も上杉攻めに参加する予定でしたよ。
>>810 石田も大谷も上杉攻めに行く予定だった。
813 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 23:35:25
大谷はもともと親家康
真田は上杉攻めに参加
814 :
770:2005/10/10(月) 23:36:04
>>788 ちょっと前でゴメン。
>元奉行の石田治部にあの当時に毛利を含めた諸大名を動員する能力と勢威があったの
>だろうか。
この部分だけど、その前に宇喜多黒幕説言ってた人の意見受けてのコメントね。
つまり石田単独では毛利その他は動かせないだろうし、秀家の意を受けての行動だった
のでは?という疑問提起です。徳川家にとっても秀吉猶子で五大老の秀家を処罰するのは
当時まだキャスティングボートの一部を握ってた豊臣家もあったわけで世相の安定も意識
して意図的に嫌われ者の石田黒幕説をタレ流したのかも。その後の宇喜多死罪放免と石田
の風評からして可能性はあるのかな、と。
815 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 23:45:00
>>814 かと言って秀家なら動かせると言うことでもないのでは?
それに毛利、半分しか動いていないのだが
本体も二股
だから、佐和山城で密議を開いて西軍が組織されているのですが?
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 23:51:01
>>815 勿論、宇喜多であっても役者不足デス。ただ元奉行職の石田は客観的に見れば輪をかけて
役不足なんでね。
個人的には三成ファンだけど、どうも首謀者についてはしっくりこなかったとこも
あって宇喜多黒幕説をちょっと考えてみたって程度なんで御勘弁を。
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/10(月) 23:56:41
>>817 なるほど
オレは自分では歴史派w
まあ肩入れはしないということで
オレは石田が首謀者だと思う
秀家のようなボンボンが書ける絵ではない
輝元にも無理
かと言って、全部三成ひとりでやったのではない
奉行も絡むし、秀家も絡む、恵瓊も
左近だって何か言ったかも
しかし先導したのは三成じゃないか
820 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:00:41
三成の(戦以外の)マネジメント能力は傑出している
マネジメントだけで言えば家康以上だろう
マネジメントとはぶっちゃけ、段取り
段取りの能力も最高であったろう
一部の人には受けが悪かったけどね
>>817 石高だけそこそこでも、直前に内紛起こして、
家康に調停してもらってやっとことを収めたような若造が計画しても、
その方が誰もついてこない。
秀吉時代に奉行として辣腕を振るった三成の方がまだ目がある。
仮に三成以外を首謀者だと考えるにしても、秀家は全くナンセンス。
まだ三成と恵瓊のどちらがより主導的だったか、とかなら考慮の余地があると思うが。
822 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:07:16
恵瓊はどちらかというと毛利のためという意識だったんじゃないか
一方三成は豊臣のため
もちろん、三成一人がいくら気を吐いても誰もついてこなかっただろうから、
西軍決起の肝は輝元の担ぎ出し。
これを実行したのは恵瓊だが、計画企画したのが誰だったかというのが、
首謀者云々を考える一助になると思う。
824 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:12:40
外出かも試練が、西軍が鉄壁の布陣といわれるよう形を築きながら、
なぜ負けたかってことだろ。
答え出てるんじゃないの?
825 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:24:26
三成が嫌われた原因は、秀吉にもあると思うが・・・
どちらかと言うと三成・安国寺が黒幕なんじゃないか?
宇喜多は三成に、毛利は安国寺に対家康陣営の代表としてかり出された。
宇喜多はもちろん毛利としても秀吉死語の家康の行動にたいして、
「あまりにひどいんじゃないか?」
と思っていたんだろうし、そのへんをうまく刺激されて西軍代表になった。
問題は黒幕の三成は表舞台にたちすぎだし、安国寺は参戦後えかげん杉。
827 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:40:28
>>821 つーか、秀家が三成を頼ったんじゃないの?
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:43:09
まあ自然発生的にアンチ家康グループができたという面もあるだろう
しかし、単なるグループから実際のそれなりの軍にできたのは三成の功績
830 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 00:48:27
佐和山城守備兵2000
宇喜田小西敗残兵8000
再決起
>>828 担がれたと言うのはニュアンスが間違ってる。
家康あんた悪いんじゃないの!とみんな一応思ってるのですよ。
そこを刺激されると、よっしゃいっちょやったるか!!となる。
とくに大身の大名はそんな感じ。
宇喜多も三成の扇動がなければ、軍を起こさない。
扇動されれば宇喜多なんかは真っ先に意気込んで参加する。
…って事でしょう。
俺に明石全登の霊が降臨した!関ケ原の質問どうぞ!
ジョバンニさんあんた大阪の陣の後、どこに何処に行方眩ましてたんだ。
それだけがしりたい!
石田、大谷の謀反を家康に報告したのは長束と増田。
大谷は元々家康よりだし、増田と前田は家康に内通している。
毛利は二股。
政軍首脳って殆どが真面目に戦う気なしだな。
東軍は、ってか家康は勝つ気満々だったけど、西軍は首脳以下(三成も含め)勝てるかなぁ・・??って感じかな。
家康は勝つ事のみに集中して色々段取ってたけど、西軍は負けた場合の段取りばかりのような。
まぁ、結果を知ってるからの意見だろうけど。
837 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 07:29:57
意外なほど三成支持が多くてナンカ嬉しいや。
西軍の大名たち、みんな家康に買収されてただ。あれは八百長合戦だっただ!わたくし寧波に筏船で渡っただ。
と明石様おっしゃりました。
839 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 07:42:53
三成は勝つ気だったろ
見込みが甘いのが欠点
でもシロートだからね
わたくし秀吉嫌いで家康嫌い。戦好き。…だそうです。
ο丁児来ないかな?
三成は家康に天下を取らせるために、わざと反家康の挙兵をし、豊臣
の弱体化を行ったのだな。実は三成も大谷と同様、不治の病で余命が
もうなかった。
それでは柿のエピソードはどうなる。
>>842 死ぬ間際まで、健康に気を配ったという美談。
三成の従姉で許嫁の女性が秀吉の側室になって、十七才で投身自殺した
という話があるな。
三成も家康もどっちもどっち
まぁ家康の腹黒さを考えると三成にも同情できる
845 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/10/11(火) 12:17:25
>>838 では、明石全登殿に尋ねます。
西軍が大崩れして、破れかぶれになって突撃しようとした秀家殿の馬の轡をとって
「はやってはなりません!生きて再起をはかるべきです!」といったそうですが、
結果的には八丈島で朽ち果ててしまいましたね。
秀家は多分、終生「ああ、あの時、討ち死にしておけば・・・死にぞこねた・・・」と悲嘆に暮れて暮らしたと思います。
いや、べつにあなたを責めているわけではありません。戦場で主君を逃がすのは家臣の役目ですからねえ。
ただ責めるとすれば・・・
なぜ、大坂の陣の時、八丈島から秀家を救出し、ともに大坂城に入城しなかったのですか?
あなたならかつての高山ジュスト右近同様、キリスト教信者達に信望が厚いのですから、
秀家救出の手勢ぐらい集められたのではないですか?そこのところはどうおかんがえでしょうか?
意訳>>「浪人と化した宇喜田秀家はポイ捨てただ。…わし強い。だから有名なっただ。
大阪陣後は明石ブランド築いて金儲け
その銭で島原の乱起こしただ。」
あと5時間後に明石全登の霊は帰るようです
良スレの予感
増田長盛は二股で薄汚い香具師なんだけど
息子は大坂夏の陣で豊臣方として
討ち死にしているんですよね。
息子は父親の生きかたが嫌だったんだね。
長盛本人も徳川方からスパイとして大坂城に入ることを打診されたが断ったそうだ
三成を野心家とかたたく奴いるけどおかしいだろ。
あんな意味不明に隠居させられて怒らないやついるかよ。
あのまま黙ってたらどうせ難癖つけられて改易だろ。
851 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 16:53:33
>>849 それは初耳だな。挙句のはて長盛は切腹か。
849が事実なら戦死扱いにしてやってくれい。
息子の盛次は関ヶ原後は越前松平家に仕えてたんだっけ?
文官の親父に似ず体躯堂々たる侍だったみたいだな。
大阪冬の陣で城方の勝ち負けに一喜一憂して廻りから目つけられてたらすい。
夏の陣では自ら参陣し、討死。
852 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 17:22:51
(\__/)
/ ̄/  ̄ヽ
// / ヽ
| | | | -=・=- -=・=- ヽ
| .|| || `ー'(、●^●,)ー' ヽ
| | || ノトェェイヽ l
= | | || ヽ`ー'ノ /もきゅ!
= | i ゝ / もきゅ!
//∧| \___。つ._,,,イ
. ζ/ |
= | , ─ 、 , ─── 、 (
トトト.=丿ノ . \ ) \ )
Y⌒Y.:°. (⌒〜:° (⌒〜.:°
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
渡辺勘兵衛だったか、増田家に仕えてた時、増田の息子をかわいがっていたが
大坂の陣では敵味方になってしまい、自分の手の者が討ち取ってしまったとか
そのあと藤堂家を出奔してるねぇ。
856 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 19:18:42
>>853 そういえば尾張徳川家の御台所は石田三成の曾孫で
剣術指南の尾張柳生家は島左近の孫になるな。
これで増田長盛との関係も浮かんできた。
尾張徳川と西軍の関係は他に何があったっけ?
城下の豪商、伊藤蘭丸
3000両出すからο丁児殿も一緒に来て家康を見つけないか?と最後におっしゃりました。これにて降霊会を終了します。
>>828 宇喜多は上杉攻めに参加する予定で、先発隊は既に出発していましたが?
で、石田や安国寺が西軍決起を図った経緯は、
落穂集や吉川家文書等に記述がありますが、
宇喜多が首謀者だったという根拠になるようなものが何かあります?
宇喜多と上杉は同じ西軍で同盟軍だろ。豊臣のために共に戦うことを
誓った仲間だ。まかり間違っても、家康のために上杉討伐の軍を派遣
することなどない。
>860
結果的に上杉&西軍は同盟軍のような動きだが、実際、明確に同盟関係だったかは不明では?
それに上杉討伐は豊臣家の公式軍事行動のような感じだったので、上杉討伐に関して言えば宇喜多が兵を出してもおかしくはないと思うけど。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/11(火) 23:03:51
863 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 00:31:07
家康に対する弾劾状では
浅野長政や前田利長に対しての擁護も強いから
彼等も同盟軍になるけど。
>>860 宇喜多家から上杉討伐に派遣された軍は
その後西軍が挙兵した後もそのまま東軍に残って
黒田隊の一部に組み込まれてる
865 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/10/12(水) 12:22:01
宇喜多秀家にしてみれば、旧守派と長船派どちらが正しいか、真剣に悩んでいたみたいに感じる。だって調停役に頼むぐらいだから。
しかしそこが秀家良いところでもあり、あまいところでもあるかな。
どちらが正しいなんで関係ない。もし信玄公や家康公がそういう立場に置かれたら「どちらが自分に利があるか」を基準に考える。善悪など関係なし。
「きたるべき合戦のためには、やはり旧守派の戦力は欠かせないな。やはり長船派には腹を切ってもらうかの・・・」
と信玄なら調停役など頼まず、即断しただろうよ。
秀家の寿命ならば天下とれたかもしれないのに。
自分の家中もまとめられない男がどうやって・・・・
宇喜多の内紛は、喩えてみれば豊臣秀吉が石田三成の為に、豊臣秀長
や福島正則をまとめて敵に回すようなものだからな。無茶すぎる。
869 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 13:30:11
秀家の騒動はよく研究していないから詳細はわからないが
家康で言えば、井伊を重用して、他の家臣全てが、豊富に着いたようなもの
原因が何であるにせよ、一大事であることは間違いない
石田幕府求む
本来、この陣容なら福島隊を突き崩せた?
宇喜多5000本陣
戸川隊4000前備え
岡隊2000右備え
花房隊3000左備え
浮田隊3000後備え
総数一万七千。てか適当ですまんW
872 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 15:15:07
>>871 うーむ
突き崩せないにして、相当な抵抗力だったろうね
自演乙
>>873 ちがうっての。
てか、調停役を買ってでた榊原康政もいい面の皮だねぇ。
でも徳川家臣って一般的に忠犬丸出しで、人当たり悪そうなイメージがあるけど、いろんな大名と交友がそれなりにあったんだろーね。あたり前だけど。
いやさ、あんまそういうエピソードを聞かないから。
875 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 15:39:49
>>874 うーむ
あたり前だけど、あったんだろーね。
自演乙( ^∀^)ゲラゲラ
↑自演乙。ダッセー
変な不気味なコテが来たんで荒れないうちに消えます。(T_T )ブア
何この頭悪そうな名無し( ^∀^)ゲラゲラ
しかし、宇喜多15000と半分以下の福島隊6000が互角ってのがな。
(屋台骨の抜けた)宇喜多秀家がへぼいのか、事戦術に関して福島政則が頭抜けてるのか。
陣立てで言えば、緩やかとはいえ福島隊より高所に陣を構え、
しかも守る側の宇喜多の方が圧倒的に有利なんだがな。
石田三成も寡兵で黒田・細川をはじめとする諸隊の猛攻を凌いでいるし。
それを考えると、屋台骨のない宇喜多隊は烏合の衆にも等しいのか・・・?
>>880 宇喜多隊の戦闘指揮を担当していたのは、明石ジョバンニです。
もっとも兵は総指揮官である秀家を感じながら闘うので、彼の能力ってかやる気は大きく
戦局に関わってくると思うが…
宇喜多隊って福島だけじゃなく、松平&井伊隊もまとめて相手してなかったかな?
出先だからうろ覚えすまん。
882 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 18:12:55
>>881 助パンにさんが全体の指揮をしていたのはわかりますが、実際の各部隊の
指揮をどうやって取ってたんでしょうか?
いわば師団長(秀家)と参謀長(助パンに)がいるだけで連隊長+大隊長
+以下がいなくなったような物でしょう?。
明石全登はお家騒動後の順位繰り上がりで家老筆頭になった訳ですが、結構優秀な人物
だったようです。
なにせお家騒動の発端となった傾いた財政を約1年で立て直した暗いですから。
もっとも、それ以前に長船等が国税申告をちゃんとやり遂げたのは大きかったようです。
で・関ヶ原当日ですが、明石は最前線で兵8千を直率していたらしいです。
家老…って言うか宇喜多家宰相とも言える彼が最前線で闘ったあたりが、武断派亡き後の
宇喜多家の実情を物語っているように思えます。
もっともこの8千でもって、福島隊をたたきのめし、井伊&松平隊と互角の戦いを終始おこなった
あたり彼が武人としても優れていたってことでしょう。
武断派がいなくなっても、師団長がいなくなるだけで、兵がいる以上連隊以下の下級指揮官は
存在しているのではないでしょうか?
いなくなった師団長を全登が一人で引き受けたって事でしょう。
884 :
882:2005/10/12(水) 20:05:48
これは俺が無知だから聞いてるんだが、いや、下級指揮官ってやつが
ホントにどうなってんだろうと思いまして・・。
基本的には、大名とその家来とその指揮する兵士の関係は、
大名→直参家臣(まあ旗本)→下級士官(旗本の家来、家の子)→雑兵
↓
土豪的(外様的)家臣→下級士官(外様の家来、ばいしん)→雑兵
の2ルートが有ると理解してます。つまり将軍(徳川)家の旗本と大名の関係です。
まあ宇喜多家は将軍家に比べると小さなモンですが、それでも無理矢理のっとったとは
いえ、豊臣家が作った大名とは違い、土地に根付いた大名家ですから、土豪連合体的な
要素は多く含まれていると「推測」しているのですが。
その土豪的家臣が抜けたモンで、雑兵を薄く撒いた(直参家臣の担当する兵が増えた)
のか、新しい下級指揮官(上級でも)を雇ったのだろうか。
まあどっちにしろ戦力低下は否めないだろうか。
885 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 20:22:48
>>880 宇喜多15000と半分以下の福島隊6000が互角の理由の一つが
福島は半数以上が騎馬。宇喜多は半数以上が歩兵だったこと。
886 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 20:25:11
明石全登の呪い→ο丁児の自演
887 :
882:2005/10/12(水) 20:26:26
なんか何言いたいのかわからん文章になってますが、つまり戦国大名の兵制
ってモンは、コーエーのゲームみたいな、指揮官の首すげ替えたら今までの
しがらみ無く動くモンなんだろうか?。
実際やっちゃったんだろうけど。
888 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 20:29:18
まぁ出奔した岡越前守・戸川達安・花房志摩守・浮田左京亮は旅団長・連隊長クラス。
花房助兵衛は先遣大隊長ってところか。これだけ抜けりゃ戦力ダウンだよな。
本多正純実弟の本多政重と長船吉兵衛が20,00石程度の所領はあったはずだ。余談ながら
政重は関ヶ原戦後に前田―上杉―前田と転籍し最終的には加賀前田家の家老8名に名を
連ねている。
延原土佐守・浮田太郎左衛門は高禄ながら武将というよりは内政を主としていたようで
明石と同じキリシタン。出奔家老の寄騎衆をそのまま組下に置いたみたいだが戦力的には
マイナスだったろうね。
本多は大阪冬の陣で真田信繁に痛い目にあわされてるが上述のように前田・上杉のほかにも
福島正則からも招聘されたみたいだな。もっとも実父・実兄の政治的影響力のおかげかも
しれんが、平均以上の采配はできただろう。
長くなったが
>>883が言うように指揮官クラスが中途採用や戦時昇進や事務屋が多かった
中で明石掃部頭は参謀長兼旅団長の重責をまっとうしたと言える。
…がしかし、指揮官がもう少し生抜きが残ってればもっと手強い戦をしただろうな、残念。
889 :
882:2005/10/12(水) 20:33:59
>>885 ソース厨と言われるかもしれんがソースは?
というか、騎馬武者の数が全体の半数を超えることが出来るの?。
物理的にでなく、兵制的に。
戦国時代の騎馬武者はいわゆる騎兵ではなく、騎乗の武者だと理解してたのだが。
890 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 20:34:09
ο丁児の壮大なる自演計画
891 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 20:50:34
騎馬が半数以上というのはあり得ない
一時的な戦闘単位ならともかく
しかし福島と宇喜多の差を考えるに2倍でも相手に出来ても
そう不思議ではない
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 20:58:09
井伊、松平、何してたんだろうな
宇喜多と戦っていたとすると
だいたい兵数的には同数になる
そう考えると数上の辻褄はあうが・・・・
>>891 福島の家臣団は優秀さに於いてトップレベル
>>892 井伊、松平は徳川勢なので、戦っていないだろ。
もしも戦っていたら軍中状等かなりの数が残されているはずなので、
もっと話題になっているはず。
895 :
888:2005/10/12(水) 21:06:53
>>887 岡・戸川・浮田左京亮・花房志摩らは皆30,000石以上の高禄だ。この4名だけで実に
12万石以上。更に明石や長船氏も20,000石以上はあったはず。花房助兵衛どれくらいか
残念ながら資料がないや。上田宗固も客将で10000石食んでいたような…。
つまり家老クラスだけで軽く15万石を越える。備前岡山55万石とはいえこれだけ重臣に
気前良く高禄あげてりゃ財政傾いて当たり前。ちなみに関ヶ原で大幅加増された黒田家
でも高名な母里太兵衛が18000石、後藤又兵衛が16000石であることを見てもやりすぎ感は
拭えんね。
>>895 島津は一人の家臣に八万石とか、毛利でも十四万石とか、龍造寺でも
五万石とかあるから、特に宇喜多が多かったというわけではなく、当時
の時代遅れの大名は、皆そんな感じだったと思う。
897 :
888:2005/10/12(水) 21:36:56
>>896 島津は秀吉のゴリ押しで仕方なく伊集院忠棟に8万石の大領と家格を与えた。後に
忠棟・忠真父子は相前後して暗殺。毛利の14万石とは吉川氏のことだと思うが、これは
一族ながらもう別家扱い。小早川隆景の転封は伊予→筑前は毛利家の所領とは関係がない。
これと一緒ではないか。毛利秀元20万石の沙汰や直江山城守の米沢30万石は全部秀吉の
大名の力削ぎ政策。加賀前田120万石でさえ家臣としては本多政重の7万石が最高じゃ
なかったか?
二十万石足らずの石田の家臣に一万五千石が二人も。
899 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 21:49:25
だから石田家はその居城であった佐和山城は当時から歌で囃される程、巨郭であったが
華美なところなく実用本位な造りになっていたという。また落城後に権勢を欲しい
ままにした治部少輔の事、さぞや金銀があるに違いなし、とみな期待(?)していたが
何もなく、城の造りも上述の通りでみなその意外さに感じ入ったという。
つまり、家臣の食禄も相当無理してたってことだろう。
宇喜多お家騒動ってのは、宇喜多家当主と豪族間の対立が根底にあるのです。
宇喜多家は秀吉の大名的な感じがしますが、親父の代で豪族連中を懐柔し、
当主に当たる連中を排除してできた出来合性の高い家。
まだまだ中世時代の寄親寄子制的なところがのこっています。
これが、近代的な中央集権化した豊臣政府のなかで無理して出兵し、がんばって
城普請を行えば、財政難になるのは当たり前。
財政立て直しのため、豪族らが上げる税収を整理し、宇喜多家が自ら管理しだしたら、
反発されるのはこれまた当たりまえ。
で・豪族排除できたからこそ、宇喜多家の財政はなんとかなったのです。
そのかわり、動員兵力と軍事経験者の欠乏を招いてしまった。
宇喜多家にもう少し時間的余裕があれば、この辺は解決できたんじゃないかと思うの
ですが…文武に秀でた明石全登を家老に、軍事力を立て直した宇喜多家ってのも
見てきたい気がしますね。
>>900 前田から豪姫の化粧料をガッポリふんだくるべきだった。
902 :
888:2005/10/12(水) 22:03:06
>>900 いや全くもって御説の通りですね。
武略の明石、政略の本多・長船、内政の延原・浮田太郎左。
せめて5年もあればまた違った戦振りがみれた可能性はありますねぇ。
904 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 23:11:55
>>894 徳川は一人も戦わなかったということか?
それはないんじゃないか?
905 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 23:21:32
>>903 転封させるならやっぱり濃尾三の中だろうね。でも太閤薨去後はこうした大領主の
移封は無理っぽいな。第一徳川が反対するだろう。またこれを許せば各陣営にとって
都合の良い転封が出てきそうだし社会の安定の為、反対だなw
>>894 福島の一番槍を出し抜いたのは井伊じゃなかった?
それともあれは前に出てテッポウ1発ぶっ放して面目たもっただけなのか?
>>906 そうだよ。井伊が忠吉に箔付けてやった。
あとは島津とにらめっこ
908 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/13(木) 13:10:04
井伊・松平だが、可能性として
島津
小西
宇喜多
あるいは転戦が考えられるな
909 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/13(木) 15:56:20
確か直政は忠吉の舅だよね
箔つけ
たしか島津隊の鉄砲隊から受けた傷がもとで死んだんだっけ?直政?
直政・忠吉二人とも、島津追撃で鉄砲で負傷していた気がする
通常、賎ヶ岳の佐久間盛政隊や小牧の秀次隊で見るように、追撃戦における追っ手は面白いように首が斬獲できるはずだが・・・
島津隊を追撃する程、割りの合わない仕事はないなW
まあ面白いほど首は取れてるのは事実だがな。
島津隊の生還率0.053%だし。
何をどう計算間違えたんだ、俺。
60/1500だから生還率4%、25中24人が戦死あるいは未帰還者。
>>912 長久手の戦いのことなら、
あれは追撃戦じゃあないぞ、包囲殲滅戦の中での討ち死に。
首が取れるかどうかはともかく、部隊が一番損耗するのは、潰走中であるのは事実です。
それは長久手のときもそう。
特にこの戦いは大将が戦死後、部隊が潰走しているので、両隊の損耗は激しかったでしょう。
もっとも損耗のほとんどは、部隊からの脱走orはぐれたりなので、足軽たちの数的回復は
早いようです。
でもって潰走した部隊損害をさらに拡大するために追撃戦が行われるわけですが、調子に
乗りすぎると、長久手のQ太郎にやられたみたいにしっぺ返しをくらったりします。
ここなんのスレ
関ヶ原のスレ
>>917 小牧〜関ヶ原〜大坂
名神高速道路沿線の合戦を語るスレッドです。
もう次スレは「関ヶ原の」っていらないんじゃないか
まじレスすると 言われるまでこのスレのお題をわすれてました
ゴメソ。
宇喜多隊もたかが6千の福島隊なんぞ、さっさと蹴散らして
他を助ければ他ももうちっと頑張れただろうに。
やっぱり宇喜多左京助や花房助兵が抜けた穴は痛かったってとこか。
923 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 11:16:45
だからモノがちがうんだって
市松のモノは、きっと黒光りしていたに違いない。
モノが違うって、福島なんぞは大きな戦なんてした事ねーぞ?
朝鮮にも行ってないじゃんかよ。
対して宇喜多は織田と同盟以来、戦闘しっぱなしだ。
半端じゃない戦慣れした軍団だよ。
926 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 11:33:18
戦慣れなのは、宇喜多の家臣
彼らがどうなったか知っているのか
碧啼館の戦いにおける八郎の活躍を知らんのか
君主が戦慣れしててもやはり家臣の抜けた穴は大きいということか
負け知らずだった李瞬臣に初めて土をつけたのが市松。
八郎殿は戦後、即捕まっても八丈島流しは変わらなかっただろうね。間違っても四条河原で斬首はないよね。たぶん。
>>922 出先カキコで記憶をたぐり寄せながらで恐縮ですが…
関ヶ原で宇喜多vs福島の戦いは初戦で宇喜多隊が福島隊を突き崩しています。
これを見た加藤隊が宇喜多隊の側面目指して攻撃しなければ、流石の福島隊でも
潰走したかもしれませんね。
もっともこの時点での宇喜多隊には予備兵力が残っていたはずだから、加藤隊の
攻撃はそれで十分しのげたかもです。
それが出来無かったのは指揮官が欠乏していたからでしょうか?
その辺の詳しい考証資料が欲しいのですが、お目にかかれません。
八郎が遠流じゃなく前田家預かりで落ち着いてたら、間違いなく大坂陣で討ち死にだろうなあ
八郎好きとしてはそっちも見てみたかったw
>>931 家康の付き医が書いた「関原〜」って手記に詳しく載ってた気がする
刑部が松尾に兵を割かなかったら八郎支援が出来たと言ってみる
宇喜多より小西が問題ですな。
なにやってたんだアレ?
936 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 13:42:13
937 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 13:43:28
まあ井伊と松平もいまいち不明
小西とにらめっこ?
小西は寺沢・戸川・織田有楽とかと戦ってるな。
東軍の小部隊連中は小西隊にかかっていったのが多いようだ。
>>938 小西も二千九百ほどしか無いから、島津とさほどかわらない。
まともには戦えないだろう。
福島と戦闘していた西軍は宇喜多だけではないと思うぞ。
川尻、糟屋、伊藤、斎村などもあの辺り(南天満山から続く丘陵)
の配置だと思うが。
糟屋・・・唯一、西軍についた七本槍だっけか
>>935 たしかに。
小西はたしか、不戦に近い行動をとってなかったっけ?
抗戦はしたんだろーが、あんま話題にならないとこをみると、防戦一方だったのかも。
川尻、糟屋、伊藤、斎村とか
そんなハナクソみたいな蚊トンボはどうでもいいから
斎村の父親は好きだな
>>943 しかし併せれば二千ほどにはなる。島津より戦力としては多い。
宇喜多と併せて二万近くになる。
小西は東軍の小部隊連と対戦してたけど、戦線維持で精一杯だったみたいですね。
小西は主力を本国へ残してきたから。
おかげで八代や矢部は加藤を撃退した。
>>947 そうなんだ・・・
それほどまで加藤には負けたくなかったのか、小西は。
しかし首謀者のひとりである行長が主力を中央に割かないのはどうかと思う。
それとも毛利が西軍についた時点で油断したのかな?いやまさか。
949 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 23:04:15
小西は商人
まあ奉行派の一人だな
戦で期待をしては酷
長束みたいに隠れなかっただけ、マシ
だが毛利家がつくと決まった時点で、かなりの安堵感もあったろうよ。
なんて言ったって、毛利本家、吉川家、小早川家で、それぞれがかなりの兵数率いて大阪まで来たんだから。
小西としては、主力がいるなら、俺は自分の領土守るほうに力を注ぎたいと思ったんだろう。
大局が見えずに小利に囚われた小物だな・・・
>>948 小西は上杉討伐へ出陣するために兵を率いてきた。遠方なので
少なめの兵力で出陣した。
関ヶ原における弥九郎の活躍といったら寺沢を敗退させて
方向を八郎攻めに変えさせたことぐらいか?
>>951 重ね重ね解答ありがとうございます。
主力をほとんど連れていった黒田長政とは対照的ですねぇ。
>>952 ほんと印象うすいよねぇ小西・・・
そういえば恵瓊も積極的じゃなかったねぇ。
でもあの布陣位置、あの小勢で積極的に攻めたら、瞬殺されちゃうかW
955 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 00:58:03
>>954 エケイは毛利だから
本体が動かない以上動けない
>>955 それは承知してますが、この戦で西軍が負けたら自分がどんな目に会うか・・・
先を見通す力に優れた彼ならわかったわけで、もう死にもの狂いで戦うしかないわけで・・・
・・・でもあれかぁ、交渉決裂した広家が南宮山の高所に陣取った時点で恵瓊は戦自体にさじを投げたか?
>>953 小西の領土は全て九州にあるが、黒田の領土は三割程度は近畿にあり、
完全な九州大名とは言い難い。それに黒田も主力を率いてきたわけで
はない。家老三人中二人も本国に残留している。
958 :
ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/10/15(土) 01:21:45
>>957 つくづく勉強になります。家老二人も本国にいましたか。
となると黒田如水が銀で集めた民兵三千人は単なる講談話ですか。
九州をたいらげたのは実際は黒田家主力部隊ですか?
959 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 01:33:01
>>956 うーん
負けても捕まらなければどうにかなると思ったのかも
そうでなければ、さっさと退却に移るとかね
あと、恵瓊は家臣である以上、本体の意向に逆らえないし、逆らうべきではない
逆らうのなら謀反になってしまう
安国寺も長曽我部も戦線はるか後方に位置していた上に、山がじゃまで
ほとんど戦局を掴めないでいました。
この方面で戦局を知り得るのは山上に陣取った毛利と吉川だけだったのです。
さらに軍法から言えばこの方面の指揮は最大戦力の毛利(吉川)が差配するもの
なのですが、これがなしのつぶて。
吉川に至っては、いまにも裏切って自軍に襲いかかってくるやも…みたいな気迫が
戦場を支配していたのやもしれません。
これでは他の部隊が動けないのはあたりまえなのかもですが…
安国寺は軍こそ率いていましたが、ただの外交官。政略は得意ですが軍略においては
他家より遅れをとってしまうのも仕方のないことなのかも。
長曽我部なんかは、いくら吉川がいるからと言っても、傍観を決め込まずに
とりあえず押し出して山之内あたりと一戦くらいの気迫があっても良かったんじゃないでしょうか
黒田の場合、関ヶ原へ行っていた主な武将は黒田一成と後藤又兵衛。
母里太兵衛と栗山善介は大坂に残り、西軍挙兵後は帰国。井上之房が
豊前にのこり、黒田如水の弟二人は豊前に残った。今、名前をあげた
豊前残留と大坂残留の黒田重臣の石高を足すと、既にこれだけで、
黒田長政の総石高の実に二割にも達してしまう。黒田がどの程度の
兵力配分をしていたかは判らないが、兵力だけあっても実力を発揮
出来ないことは宇喜多で証明済みなように、黒田も主力を欠いていた
といって間違いないでしょう。
細川も後の筆頭重臣(家臣というより同盟者に近い)松井康之(後の八代藩)
を九州に残しており、やはり九州に領土を持つ武将はあまり会津攻めに
力を入れていないように思われる。
962 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 07:08:35
小西摂津は関ヶ原でこそ目立った活躍は無かったが、加藤清正と並んで朝鮮役の
日本軍の一方の大将。尚且つ清正に先んじて漢城・平壌を陥落させた軍略の手腕は
一定以上の評価をするべき。また清正と異なり配下の内藤如安らを北京に派遣し、
明とも協議をするなど政略面でもその手腕の一端を伺える。
>>962 しかし弟の小西行影が八代で加藤清正の軍を撃退したことを考えると、
朝鮮征伐での活躍は、小西行長の力でないのかもしれない。
964 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 08:12:27
>>963 局部的にクローズアップして、それを根拠とされても…。
「大名家」とは一つの組織・集合体であって組織の持つ固有の強さや結束力などが
個々の大名家の強弱である。一部将が戦上手としてもその大名家そのものが強いか
どうかは別の次元。小西摂津守が有能かどうか、というのは個人としての能力もさる事
ながら小西家として総合力を言っていると思って良いのでは。
あなたもまさか、「可児才蔵がいたから福島家は戦が強かった」とは思わないでしょう。
それと同じ事。
小西行影の八代での活躍は小西行影に帰するが、そうした人員・兵力配置をした大名の
功績というものもある。
もう少し言うと戦の能力だけが武将の能力の多寡を測るモノサシではないと思う。
>>964 可児才蔵は一武将にに過ぎず、一軍の大将ではない。しかし行影の
立場はそうではない。強さを言えば石田三成も弱いのだ。もしも
石田が遠国の大名で島、蒲生を残してきていたら、関ヶ原でのあの
活躍は無かった。
主君が有能な補佐役の言い分を全て聞き入れていた場合、名君といわれるだろう。
しかし、もし補佐役が無能だったら暗君と言われるだろう。補佐役がたまたま
有能だったのか、それとも無能な人を廃して有能な人物を見いだすことが出来た
のか、判断するのは極めて困難だと思われる。
967 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 09:10:32
可児の話しは例として挙げただけ。一部将、一手の大将の戦の能力では総合的な
意味での大名家の強さは判断出来ないという事を申し上げたいという主旨を
御理解願いたいものだ。
石田弱しの発言あったが、如何なものかと。
良き家臣を高禄で召抱える事は良き大名の所作であろう。大名個人の個人としての
力量に拘る必要はあるまい。数千数万の軍がぶつかり合う戦で個人としての
強い弱いなどは何の決定要因にもならない。優れた家臣を多く養うことこそが
大名家という組織の強さだろう。なるほど島左近・蒲生備中在陣による士気の向上
は当然はあったかと思います。がしかし、彼等の存在だけで数倍する敵勢相手に
あれほど粘り強く闘い続けるのはかなり困難。ましてや島左近は開戦劈頭で負傷、
その後行方不明。
家臣一同が三成を尊崇していたからこそ、あれほどの健闘が可能であった、
という事ではないでしょうか。
968 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 12:06:48
969 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 12:08:40
>>966 戦国期に無能な人物を使い続けたのなら、主君の責任
部下が無能なので負けましたでは通らない
>>968 しかし一度、西軍に身を投じたら覚悟を決めて奮闘してもらいたかったですね。
どっち着かずで正解だった例は郵政法案を「棄権」した自民党議員ぐらいW
>>969 もしも朝倉宗滴が生き続けていたら朝倉義景は名君と言われたかもしれない。
>>971 もしも太原雪斎が生きていたら今川義元は名君といわれていたかも知れない
974 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 12:51:53
>>970 そのあたり全員が死ぬ覚悟かというと違う
上杉だって降伏しているわけだし
2元論では割り切れないよ
975 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 12:52:38
もしも幸村が家臣なら三成は名君と言われたに違いない
976 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 12:53:44
>>967 三成の家臣一同と言うより蒲生遺臣でしょうな。実際全滅だったらしいし
978 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 13:09:40
基本的に池沼はスル━コテハンは伊良ね
では関ケ原をどうぞ
丁児君!名将木村貴光を知ってるかい?巨大企業日★総★工★産に歯向かう男だ!会ったら挨拶ぐらいしなさい。
979 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 13:16:00
魔玉VSο丁児
980 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 13:20:28
西軍35000が勝つための最終条件
大砲の強化増設のみ
981 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 13:37:37
もし吉継が100万石の大名だったら?
982 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 13:44:54
徳川家康ビックリする!江戸城の守り固めてとりあえず寝る
983 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 13:49:39
そんで75才くらいに関ケ原起こすも石田三成2世に破れて島流し
984 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 17:33:18
幸村なら、勝っていた!!!
985 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 19:52:02
>>977 そうでもない。蒲生家出身の家臣団は関ヶ原以降他家召抱えもある。
蒲生郷舎…蒲生家帰参。三千石から一時は万石以上。後に訴訟事で蒲生家放逐。
蒲生備中…郷舎とは別人。織田有楽手勢に囲まれ討死。
蒲生大膳…備中の子。関ヶ原後に蒲生家帰参。二千石。
蒲生将監…安藤守就実弟。関ヶ原にて討死。
北川平左衛門…関ヶ原後に五千五百石で蒲生家に帰参。
中島宗左衛門…関ヶ原にて討死。
浅香左馬助…関ヶ原後に加賀前田家にニ千石で仕官。
ちなみに関白秀次系家臣は皆、逃亡というのもデマ。舞兵庫父子はじめ討死多い。
司馬遼「関ヶ原」の家康のセリフに977の内容があるが、あまり根拠はないと思われ。
いずれにしても数倍の敵勢、それも歴戦の黒田・細川らと激闘をあれだけの長時間継続
出来たのは並の忠誠心では不可能。石田家の統制・忠誠心の凄さは評価すべきでしょう。
>>985 ありゃりゃそうだったのか・・
俺も司馬しか読んでなかったから鵜呑みにしてたよw
ついでに「関が原」の中では蒲生郷舎と蒲生備中を混同しているっぽいね
987 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 20:10:10
>>986 司馬遼「関ヶ原」でも諸説あるっぽく書いてたと思われ。
蒲生氏郷は蒲生姓下賜し過ぎw 探せばまだまだ出てくる予感。
>>985 舞兵庫の一族で福島正則の家臣になっていたのがいたな。
確か石田三成が福島正則に紹介して召し抱えさせたとか。
なぜ自分で召し抱えなかったのだろうか。もしかして禄高不足。
990 :
真田幸村:2005/10/15(土) 22:25:57
毛利のヘタレがーーーーーー
991 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/15(土) 22:33:00
>>988 前野直高だな。どうして自分で召抱えなかったかは調べる術がないが、三成は秀次旧臣
を相当召抱えたから前野一族だけ全部って訳にいかなかったんじゃないかと。
前野家の出自の地は福島家所領となっていた事と前野一族は秀吉草創期の功臣でもある
ので一族の福島にも前野一族を預ける事で後の取り成しの円滑化を考えたのかもね。
前野か・・・いまいちパッっとしない大名だが、彼らがいなかったら歴史小説家の飯のタネが多いに減ったことも事実W
1000ゲトなら関ケ原は丁児の壮大なる妄想
994 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 01:14:30
関ケ原より
東軍魔玉VS西軍丁児キボン
995 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/16(日) 01:50:47
ο丁児=高次元荒らし=善良
魔玉=低次元荒らし=悪徳
しか━━━━し
両方とも荒ら━━━し
996 :
無名武将@お腹せっぷく:
だいたい平塚為広が出ない時点で糞スレ決定