>>838 輝元が西軍についた判断もタイミングもベストだと思うのですが?
あのまま上杉征伐を許せば、次の次は毛利征伐は妥当な考えですから
>>841 高台院縁戚は西軍にも多いんですが・・・それにお忘れですか宇喜多秀家と石田三成自体
高台院の親戚になるんですよ一応
高台院が東西どちらかに肩入れしたとは考えにくいんですが
>>837−842
大阪篭城した場合、困るのは輝元だけじゃなく家康もなんですが・・
粘れば家康の方が足元に火がつくでしょう。関東からの長期不在
は上杉や伊達にとって絶好の条件だし
一応秀康は西軍支持の可能性も憂慮したような男だから・・
、それに豊臣に対しては
「東西両軍の和睦を朝廷と高台院に推挙したい・・そのための条件闘争です。
卑しくも豊臣のために決起した西軍を見殺しにする気か?」とでも
強面で詰め寄ってしまえば、簡単に追い出すと肺炎のでは?
上杉伊達最上佐竹が全員で徒党でも組まない限り、
関東がそう危険な状況になるとは。
せめて関ヶ原前後に小牧長久手のような限定的な戦闘でいいので
家康の威信を明確に傷付ける勝利が西軍側にあればよかったんだがねえ。
847 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:59:26
>>845 豊臣にとっては、自分に被害を及ぶのは避けたい
もし自分が西軍という意識であれば、西軍の領地没収を阻止したはず
というか判断すらもできない状態
>>845 上杉や伊達って伊達が関ヶ原で決着がついた後に西軍側に寝返るとでも?
上杉ですら関ヶ原の敗報が届くや即座に撤退しているのに、
政宗が発狂でもしない限りそんな事は起こらない。
849 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:28:24
平日朝の8時台のラジオで武田鉄矢が関ヶ原の事で何か言ってたね、
850 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:45:47
>>845 上杉が全滅すれば伊達は南下するかもね
簡単に全滅するとでも?
>>845 豊臣家が毛利に肩入れするわけがない。
この頃の豊臣家は、とにかく御家に被害が及ぶ事態だけは避けたいというのが本音。
大坂城に居座られるなんて冗談じゃない、とにかく迷惑な話だろう。
東北方面だって、関ヶ原での東軍圧勝という結果を受けたあとに
関東に侵攻するなんてことを考える奴がいたとしたら、そいつはほんまモンのアホだ。
上杉は最上を片付け、伊達を何とかしない限り南下はありえない。
佐竹は上杉が南下しない限り動けない。単独で動けば結城秀康に撃破されるのがオチ。
関東にはまだ2〜3万の守備隊がおります。
みんな”豊臣家は”とか”豊臣家が”っていうけど
その関ヶ原の時点の豊臣家の意思決定の主体が具体的に誰を指すのかがさっぱり解らない
幼少の秀頼のわけはないし、
大野とか片桐とかの家臣達だったらそれぞれの考え方がが一つに統一されてたのかどうかもわからないし
それとも豊臣家の意思=淀殿の意思とみなしていいの?
淀君にそれだけの力はない
あえて言えば家康になってしまう・・・・
>>852 具体的にいえば、片桐且元あたりでしょうね。
無論彼だけってこともないだろうけど、
正式な政務代行者である家康がいない以上、
そういった側近連中が考えるしかないと思いますよ。
淀殿には当時それほどの影響力があったとは思えないし。
徳川の守備隊&関ヶ原での圧勝を考えると、わざわざ関ヶ原後に上杉と組んで関東に攻め込むより
伊達は上杉を攻めて家康に切り取った領土を認めさせるのが普通に考えると最適手のように思える。
大阪城に毛利が篭城した場合も毛利を攻めることによって自分の罪を減じようと考える西軍大名が必ず出てくる。
毛利の領国に残ってる守備隊にしても輝元をはじめ主力は大阪にいる状況で守りきれるかどうかはかなり疑問。
家康がそれなりの条件を出せば降伏するのではないかと思う。
豊臣家にしても、わざわざ負けてるほうに味方はしない。ここらへんは天皇家のやり方を見てるとわかる。
なので大阪城篭城はかなり難しいのではないかと。
>>852 豊臣家の意思=片桐且元ら側近の意思と考えていいでしょう。
確かに側近は大勢いて意見の相違はあるが、関ヶ原での東軍圧勝という結果を受ければ、
親家康派である片桐且元が台頭するのはおそらく間違いないところ。
857 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:35:22
側近には法的根拠がないんじゃないか
強弁することはできるだろうが、三奉行が豊臣の意志とは言えないのと同様
正当性はないだろう
858 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:46:12
まあ、東軍大勝利の後で、あえて家康と戦うという奴が誰もいない以上
全員合意で「豊臣」としては家康受け入れだね
>>857 いやだから、この時期は側近の意思=豊臣家の意思なんだって。
法的根拠もクソもないの。片桐且元が、
「ここは豊臣家の城だから、毛利よ出てってくれんか? これは豊臣家の総意である」
というのに何の法的根拠が必要か。
毛利が大坂城に居座ることの方が法的根拠がないよ。
860 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:04:17
>>859 いや、片桐が言えば、豊臣の総意ということにはならないだろ
ただ、根拠はなしに、言うことはできる
誰もそれを反対しようとは思わないだろ
861 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 03:15:37
>860
文盲か?
当時太閤世継の秀頼は八歳で、政治的な事を処理する能力は無い。
そして、太閤が秀頼の後見人に指名したのが片桐且元。
豊臣家内部での、秀頼に代わる政務代行者の筆頭が片桐且元である。
秀吉が秀頼の後見人に指名したのは前田利家。
利家死後は利長。
関ヶ原以後に片桐且元。
関ヶ原当時における豊臣家の家宰は、三中老の生駒親正、中村一氏、堀尾吉晴。
豊臣政権と豊臣家とは別に切り離して考えませう。
>>862 >豊臣政権と豊臣家とは別に切り離して考えませう。
その通りだね。
まあいずれにせよ、この時期の豊臣家の意思決定は秀頼が幼少だったこともあり、
家臣の合議によって決められていたと、そういうわけだ。
>>862 三中老は三人とも東軍ですね。
利長も東軍だし、且元も親家康派。
というか、決定的に「豊臣家の意志」を決定できるような人物が、
当時の大坂にはいなかったから、結果的に中立になる、
即ち何も決断できないという感じになったのではないかね。
まあ、いずれにしろ、「豊臣家」が西軍よりに行動するという可能性は、
関ヶ原の時点ではありえない。
ましてその決着がついた後ではなおさらだと。
>>866 天下分け目なので、幼少であるに関わらず加わるべきだった。
実際、加わらなかったことで戦わずして徳川臣下の一大名に成り下がったw
大阪の陣でも起きるが、前線に出ないで中途半端な位置に居る事が、当時
としては大問題なわけで、西軍の統制が取れなかった最大要因でもある。
東軍側に付いた豊臣ゆかりの諸将にとっては、秀頼が出陣しないことで「豊臣
恩顧の逆臣」ではなくなり戦い易くなった。
しかも結果として徳川の世になり、豊臣家が実質的な徳川臣下に成り下がった
結果、豊臣恩顧の諸将が大阪の陣で大阪方に組する理由すらなくなった。
徳川臣下では、豊臣恩顧の諸大名と豊臣家が同列になり、豊臣家の臣下でな
くなっている。
それゆえ、片桐且元でさえ大阪を離れる事になる。
幼少の秀頼が自分で決められないのは当然だが、幼少の当主を立てて出陣
する事は当時として珍しい事ではない。
大義名分が重要な上に、勝ち残ったものが政治の実権を握る事が明白な戦い
に豊臣家を加わらせなかったことが敗北と没落の最大要因といえる。
加わる事で滅亡が早まる事も考えられるが、政権をかけた戦に加わらなかった
ことは武家として恥ずべき事。(オヤジが百姓の出だからといったらお終いだ)
>>867 幼少の当主立てて戦うのは、その家の戦いの場合だろ。家臣が勝手に
起こした家臣同士の争いには、積極的に介入しないと思われる。
>>867 関が原の合戦は東軍対西軍であって、徳川対豊臣ではない。
家臣同士の争いに秀頼が出馬しなければならない理由などない。
この時点では秀頼は東西両軍どちらかに肩入れしているわけではないのだから。
結果として豊臣家の権威は地に落ちたのだから秀頼は出馬すべきだったと言うが、
それはあくまで結果を知っている我々だからこそ言える結果論にすぎない。
870 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:38:16
>>861 文盲?
政務代行者の筆頭が片桐且元というソースは?
871 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:41:46
>>867 出陣するのも選択肢だが、一発で豊臣がなくなる可能性がある
もちろん勝つ可能性も出てくるが
それから首謀者らは死刑
誰も死にたくない
増田は二股だし
片桐だって親家康でギャンブルする気はない
>>870 今さらそんなとこに突っ込んでどうするよ
873 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:49:55
874 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 13:12:03
>>861 そうすると家康はなんだったのか?
単なる5大老か?
政治的には力なしか?
いや、そんなムキになるなって……。
>>861の誤りなんて、瑣末な問題だろうよ。
どうも最近は休日になるとムキになる奴が出てきて困るな。
つか、太閤没後の片桐って秀頼の後見人などではなくって、小出秀政らと同輩の
ただの豊臣家の家財管理人で、役目は大坂城の修理その他ではなかったか?
「家老」になったのは関ヶ原後で、家康に任命されたのではなかったか?
>>875 秀頼の後見人が誰か、ってことが瑣末なのか?
すごいセンスしてるな・・・。
878 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:08:38
>>790 徳川が日本に平和をもたらし近代化に一役かったと思ってるの?w
太平の世を作ったのは信長,秀吉の2人
信長,秀吉がもたらした平和を自らの野望のために戦を起こし、日本の近代化
を大きく妨げるお家大事の政策を取ったにも関わらずこの発言
徳川厨恐るべしw
880 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:25:49
882 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 17:55:01
>>879 藻舞のいうことは分かるが、万一、豊臣の天下が続いていても
豊臣のお家大事を優先して日本の近代化を阻害した可能性はあるだろうし
織田の天下になっても長続きしたという保障も無い。
徳川の天下が近代化を阻害したというのなら・・
どうすれば日本の発展は促されていたというの?漏れからすれば徳川でだめなら
誰の天下になっても近代化は阻害されていたろうという結論にしかならん。
885 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 18:29:26
豊臣政権、大名としての豊臣、武家の一族としての豊臣と、三つに分けて
考えるべきだろう。政権では徳川家康。大名家の豊臣としては浅野長政
そして豊臣の一族としては福島正則。この三人が当時の代表的な人物
だろう。
887 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:01:50
関ヶ原の戦いで秀吉を裏切った人って誰だった?
石田三成
家康
891 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:36:08
藤田信吉の野郎、斬っておけばよかった。
三成ではなく左近が主なら…
景勝ではなく兼続が主なら…
北の御台所が出て行かなきゃ…
前田が上杉と結んで狸親父を討ってたら…
イフを考えるのは楽しくてロマンだけど、その考えが負け組発想なのよね。
勿論、漏れも負け組。
>>867 5歳児にそんな判断できるわけないだろう。
893 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 22:34:48
@西軍が守ろうとしたのは【豊臣政権】という権力システムで
A大阪城に拠る豊臣家の内輪は【豊臣家】という家を守ろうとし
B東軍に加担した豊臣恩顧は【豊臣大名】という自家保存を第一に考えた。
この辺のバランスが関が原と豊臣の天下の瓦解を招いたわけで・・
西軍が破綻したのは@でいう【豊臣政権】の代表が徳川家康だということで
Aの信用を得られず、Bの離反を招いた。
やっぱりこの観点から考えうるに、史実での西軍勝利は難しい・・
というか西軍が完勝したところで秀頼が順当に天下人できたとは思えん。
東軍が秀頼見限ってたのは事実だが
西軍も単純な忠臣なわけではないのだし・・
@でいうところの【豊臣政権】は東の徳川に代わって西の毛利が
前田に代わって上杉が・・という東西二大巨頭が居座り
Aで言うところの【豊臣家】は秀秋や秀家が居座り
Bは三成が壟断して好き勝手に差配し
秀頼の居場所は西軍が勝っても長期的にはなく生涯お飾りか
それに甘んじられなかった場合、源実朝のように暗殺し
実際西軍政権が成立してなんとかやっていけた場合でも、秀頼
いなくとも豊臣に復した秀秋もいるし、
それまでに秀頼が国松を生んでれば無問題だし、
実際のところ史実で言う八条宮
(太閤秀吉の猶子)この皇族を関白として神輿にするという手段も
ありえただろうし・・。
894 :
日本@名無史さん:
>>893 ふーむ。なるほど、これは面白い考察だ。当時の状況と結果を論理的に紐解いて
る感じする。
俺個人としては893氏はGJ!