1 :
無名武将@お腹せっぷく:
どうすればいいのか?
1・今のうちに晋と内通しておく
2・殺される覚悟で孫皓を諌める
3・自ら対晋戦線に赴く
などなど考えられるが、呉を救うことはやはり無理だろうか
対晋戦線に赴いて軍ごと投降
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 15:46:20
この板に滅亡前の呉を語れる奴がどれほどいるだろうか
三国志末期でもスレが続かんのに呉限定ですか
よっぽどの事が無い限り100まで行かずにdat落ちすると思う
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 16:30:23
三国志には二つの魅力がある。
区星の将軍僭称と呉末期の絶望だ。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 18:37:33
劉纂ていつ死んだんだろうか。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 18:42:19
結構マイナーな話だから中々維持できなかったりして。
この時代晋に周旨という武将がいて結構活躍したらしいな。
だから呉のほとんどはこいつによって討ち取られたとか。。。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 18:53:12
孫堅⇒孫策⇒孫権⇒孫亮⇒孫休⇒孫皓
184〜280(96年間)
殆ど百年近い政権だね・・・
ただし、実質は孫亮から孫休に帝位が禅譲された258年で滅亡という解釈もできる
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 19:04:55
おいおい、少なくとも蜀攻略に失敗する263年までは実質滅亡とは言えないよ。
1・今のうちに晋と内通しておく
偽りの内通を結び晋軍に打撃を与える事を考えた。
しかし結果は一時的な戦果に終わり、戦後は処断されそうだ。
2・殺される覚悟で孫皓を諌める
無駄。諫言を無視された挙句に殺される。
3・自ら対晋戦線に赴く
孫皓がそれを許すかが問題だ。
許されて出陣したとしても俺の軍事力では成果は望めない。
4・孫皓に一時的な降伏を進言して再起を図る(俺の案)
上記の案を考えたのだが、これを孫皓が受け入れるとは考えにくい。
仮に受け入られて降伏しても呉を再興するのは難しい。
時を待って八王の乱の折に反乱を起こしても、かつての栄光は取り戻せないと思う。
ていうか、その頃には俺は寿命で死んでるだろうな。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 20:32:48
パカタレども
吾彦や沈宝や陸坑がいる!諸葛睛もおる!
20万の兵いる勝てる
呉の動員兵力は頑張っても10万程度。
晋は軽く40万は動員できる
守勢3倍算で換算しても負けるのか。
最早救いがないなぁ・・・
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 21:50:08
俺が全軍を指揮して北上すれば晋を滅亡に追い込むことも可能。
問題は孫皓がそれを許可してくれるかどうか・・・
5・しんこんをバラバラにして気を紛らわす
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/19(月) 22:20:31
>>17
それが一番いいかも知れぬ
孫皓暗殺すんのが一番近道じゃね
ところで張悌の実権てどんくらいだったんだろ
1・クーデターを起こし、孫皓一派(岑昏など)を誅殺する。
2・孫一族の中から適当な人物を捜して帝に推す。
3・吾彦・沈宝・陸坑を始めとする有力武将を前線に送る。
4・補給ラインと防衛ラインを明確にし、帝自ら外征させる。
5・晋軍に勝利した後は追撃に出て、中原への進出を図る。
〜出陣した軍が壊滅させられた場合〜
1・不必要な物資と船団は全て焼き払い、外道を破壊した後に最終防衛ラインまで撤退。
2・晋軍が建業に迫って来た場合は船団で迎え撃つ。
3・船団が壊滅させられた後は、降伏の使者を送る。
4・重臣の首と引き換えに孫一族の助命を嘆願する。
5・拒否された場合は孫一族を何処かへ逃がし、建業に立て篭もり応戦する。
21 :
第3蛇桃 ◆35CAaFJ99c :2005/09/23(金) 04:13:23
駄目だ。呉は広い。郭馬の反乱はどうする?兵は少ないし。台湾に逃げるか?しっこくしっこく
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 07:16:11
開墾と出産の奨励
具体的には年貢を農民に限り三公七民にするなどして
農民比率を拡大するとともに、新たに開墾した農地は開拓者にタダでやり
農本主義へ極端に移行
そして子供を一人生むごとに二年間の減税として人口の拡大を目指しつつ
女児出産には減税権を与えず、民間での男女比率調整をまかせ
労働者の質的向上も達成する
兵備は大幅に削減して、不足した防衛力は要塞設備の整備でまかなう
どうせ爆発する人口を遊ばせないためにはしばらくの間
公から公共事業をだして働き口を作らなくてはいけないので一石二鳥
残った兵力は当然屯田化するが、この屯田兵からは税は取らず、
半貴族化させて志気を高め、かつ厳戒な訓練を課して鍛え上げる
とどめには皇族をどんどん露出かつ巡幸させて民衆の忠誠を獲得、国家意識を醸成する
このくらいやれば、まあ制度的に欠陥抱えた巍や晋よりゃ持つと思うが
孫家ごときの宰相にこんな改革する権力あるわけねえし
やっぱり滅ぶしかないな
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 14:14:49
呉末期の戦いといえば234年に起きたと言われる、
蜀との最終決戦の白帝城の戦いと、魏との最終決戦の合肥新城の戦いですよね^^
白帝城の戦いでは馬超がハイパー化して大変でした(><)
ハァ?
釣り
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 16:05:53
無双厨マジで死んでくれ
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 16:16:29
26さん
そういう事は公共の場所でいうのはどうかと思います。
それはそうと1さんいうの晋とかいう国はありませんよ(笑)
あと孫皓なんていう武将はいませんよ。孫権の間違いではないでしょうか(汗)
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/23(金) 16:18:19
放置推奨
自演乙
こんな明らかな釣り一人入っただけで荒れたくるのが三戦板の現状なんすね
32 :
22:2005/09/24(土) 04:38:46
人が頑張ってマジレスした直後からこれかよ
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/24(土) 09:04:07
>>32 元気を出せ! 俺はあんたのマジレスを真剣に読んだが
理解したうえで更にレスを返すような知識はなかった。
辺境の反乱を鎮圧するといって出征し、その間に孫皓が降服したら、
二日間ぐらい泣き続けたあと晋に降る。
>>32 改革を断行しようとするが
反対にあって亡命するのが良いんでないか?
>>32 この程度で怯んでいるようでは呉は救えないんだよ
まあ漏れも知識不足でレス出来なかったクチだが…
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/26(月) 21:49:19
だってそのレスのなかで結論でてんじゃん
そんな改革、豪族集合体の孫呉でできるわけなし
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/27(火) 23:33:52
やっぱり降るのが一番!
100ぱーせんとぐんしをつくって、けいりゃくかけまくりでいけるとおもいます
末期ってのがどのくらい末期を指すのか判らないが……
張悌ばりに末期なら、荊州で孫家の優秀そうな人物を擁立して孫晧に反旗を翻し、
本国からの鎮圧軍とはほとんど鉾先を交えないままで荊州を手土産に晋に降伏。
つまりもう一つ呉(西呉)を作った上で、劉表死後の分裂→無条件降伏みたいなことをやっちゃう。
そんで孫家の血族にも花を持たせながら、江東江南の名族で晋内部に一種の呉派閥を作っておく。
呉の人々が晋で冷遇されることになったのは、天下統一後に政権に組み込まれたからなわけで、
討伐されていない勢力(東呉)を残した状態で人材をごっそり晋に移行しておけば、活躍の場も残される。
つーか無理じゃん
蜀を見殺しにした時点で呉の滅亡確定してるじゃん
見殺しにしてません
羅憲くんに阻まれたんです
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/14(金) 01:42:30
羅憲が阻んだのは蜀が滅んだ後に火事場泥棒しようとした時だろ
47 :
孫休:2005/10/14(金) 02:13:45
つーかあっという間に滅びる蜀がいけないんだよ。
あの状況で火事場泥棒しなかったらウチまで滅ぼされるだろうが。
晋が内部でウダウダしてたから良かったようなものの、
気合入れてコッチ攻めて来たりしたらマジでヤバいとこだったんだぞ。
羅憲も空気嫁。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 12:41:56
ほしゅ
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 13:04:42
>>42 でもその後に東呉も討伐されたら一緒
結局は孫秀みたいに天下統一後に降格されるのがオチ
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/22(土) 13:28:17
劉禅が降伏するのか遅くても、呉が助けてくれるとは、思えんがな。
まあ蜀が滅んで、呉に攻めて来る前なら……首都を移して、防御を固める
マルチプレイに切り替えて上手くやれば、きっと呉も生き残れるよ
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/22(火) 03:36:50
iiyo
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/25(金) 23:39:26
結果的には死んだが張悌は後の世まで褒め称えられたぞ
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 19:24:15
張悌と諸葛亮はいつ会ったんだろ?
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 20:51:33
俺は案外やり方次第で生き残れたんじゃねーかと思ってる。
南宋とか建康(南京だっけ?)中心の北に押されぎみの王朝結構あるでしょ。
東晋なんかも、呉末期以上かものぐだぐだ状態だったらしいじゃん。
呉の人口を150万程度(魏が400万らしいので適当)と見積もり、兵役人口は人口
の10%が限界と言われてるらしいが、呉は山越など事情があるので限界いっぱい
10万程度かな〜? 俺が張悌ならば孫皓に宦官のように、媚びへつらいどうにか3万程度の
まともな兵を頂き西の境、西城に配置する。さすがに晋が強いっといっても
漢水からの水軍くらいがんばれたんじゃないだろうか?あと篭城すればなんとか
なったんじゃねーかな〜。んで残りを揚子江川へ配置する。長江を境の戦闘は
兵数はあんま関係なかったらしいしな。
要は、孫皓様にこの後に及んで諌言する暇があったら媚びへつらってでも
イケテル連中だけで兵力工面し、対内的には"呉はやべーよ”的発言を避け、
嘘八百ならべ取り繕い士気を維持し防戦し1度でも撤退させりゃ、晋にまた
戦争めんどくさい議論が起こり延命できるという作戦。
とりあえず国力差は魏100・呉20・蜀10な。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 22:13:35
末期の呉の巻き返しは無理。俺なら即降伏。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 22:35:01
みんな悲観的すぎだろ〜。あ 西城と書いちゃったけど西稜でした。
国力差だけど俺は専攻じゃないんでよく分からんが古代の戦争てのは
国力=人口と聞いた。そこで魏の人口が400万↑で蜀が100万下なわけよ。
人材面もあるんだろうけど、人口的国力差だと、4:2:1くらいじゃない?
なにより呉は地理的な強みがでかいでしょ!張悌だって晋軍総攻撃のとき
長江で進軍を撃破してる。長江サイドで専守ならなんとかなる希望的観測が
成り立ちそうじゃん。むしろこの方面は晋が大軍で来ても経験から研究済みだと
思うんだよね〜
結果的には、長江は守りやすくて兵数もそれほど裂かずに済み、なおかつ
総攻撃に対して1度撃破してるわけだから、守りの主を西サイドに回せば
防げたんじゃねーかな〜と思うわけ。 史実だと西の守りは手薄でそこを
突かれたわけでしょ。 2万の船で防げるという陶濬の頼もしい言葉も
ある。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 22:37:25
陸抗がいればな…。
チョウテイカワイソス
蜀を取られた時点で十中八九死亡確定だしなぁ・・・。
せめて永安が取れていればもう少し変わったんだろうか。
孫皓になった時点で脂肪
孫休が長生きしてればな
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 22:44:38
西陵と荊南を両方守りきるだけの兵力を確保するのはほぼ不可能だずぇ…
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 22:45:21
ついでに羅憲と兵も一緒に取れてれば、
防衛戦もいくらか楽になってたかも。
カクヨクも晋の武将で活躍せずに呉に来てくれれば。
呉の礎を作ったのも孫権
呉の崩壊を招いたのも孫権
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 22:53:27
>>65 そうなんだよな。
全盛時は良い君主だったんだけどな。
張昭がいなくなったのが痛い。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 22:56:55
確かに孫権が後半おかしくなったのが原因だよね〜 孫家て孫登、孫休
とか結構まとも系の人間もいるんだけどな〜
兵力のほうは確保できると思うんだよね。蜀でさえ滅亡寸前にはいちおう
10万居たわけだし、そこで"我が国やベー"という空気で士気がガタ落ち
したわけじゃん。そこを防げばなんとかなるのではと・・
あと撃退までする必要ないと思うのよ。晋の司令塔の賈充が呉征伐の中止
を晋軍攻撃中に何度も上奏してるからね。晋も内部的に問題があるわけだし。
要は一定期間さえ守れれば、晋ていう惰弱な統一王朝相手なら、延命は
可能じゃないかと考えてみる。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 23:01:15
>>67 そうだよな。陳寿も「孫権がおかしくなったのが呉の滅亡の遠因だ」って言ってるし。
持ち堪えれば、晋は内側から瓦解したかもしれないよな。
どっちにしろ呉は志望する運命だった
崩壊のキーワードは
晩年の孫権
諸葛誕の乱の失敗
孫休の早死にから継承の失敗
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 23:05:07
陸孫憤死
呉の四姓と会ケイの四姓のやる気のなさ
全家の離反
>>1 シンコンになったつもりで?
とりあえず鎖でも張っとけ、それで防げるだろ
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 23:23:04
厨の発想ですまんが、シュウユ・ロシュク・リョモウ・リクソン・二張がもし末期にいたとしても無理なものは無理?
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 23:23:59
吾彦は、呉滅亡寸前まで鉄の鎖で抵抗してたらしい。
吾彦なんかは、陸遜と比べても遜色ないと俺は思う・・
全家はどうしようもねぇな〜 呉の武将てマイナーなんだけど、伝が
立ってない人物もなかなかって感じのが結構いるから思ってるより人材
面はなんとかなると思いたい。
晋軍の名将の人らも、功績立てても中央からの圧力がすごくて苦労
したらしいから、長引けばならなんらかの問題は起きるとおもうんだよね。
いろいろ呉の救済を書いたが、万が一、一度晋軍を撤退させて延命できて
も呉が統一王朝となる可能性はないとは思いますが・・弱小の一方の勢力
としてはありえる気がしないでもないな〜
ということで俺は寝ますです。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/14(水) 23:26:37
晋大将軍の杜預が部下の進言を聞いてもう少しゆっくり攻めていれば
策も練れただろうに
破竹の勢いなんて言葉もなかっただろうしな
でも杜預のルート以外にも進軍あったからどの道滅亡
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/15(木) 10:38:28
内部崩壊が晋の侵攻に拍車をかけた
77 :
sage:2005/12/18(日) 20:40:06
なんかみんな呉の滅亡は不可避かよ〜
この時代の南朝の位置は孫権のお陰で開発進んだけどやっぱ人口はあんま
増えなかったみたいだから皇帝がウンコだと厳しいか
この手の皇帝は保身には鼻が利くから暗殺謀反も難しそうだしねー
手としては、少しでも早く寿命を縮め次代にまともな皇帝を即位させる手
を考えてはどうか。たとえば、この時代、皇帝は早死にする物が多いが
原因としては高カロリーな食生活があるという。
孫権は、耄碌しても質素で蓄財しなかったらしいので長寿なのではと・・
そこで孫皓に、過度なカロリー配分になるような食事をさせ早死していた
だくという作戦。食事は贅沢なので本人は気が付かないのでは。
そして孫皓が早死にすれば、次代傀儡的なまともな皇帝即位→
晋軍南征なんとか撃退→非戦論高まる→司馬炎(多分に暗君)、恵帝(暗君)なので→
異民族進行→司馬一族の乱が起こらないので異民族とはまともな戦争に
なりそう→中原荒廃→異民族を防ぐため節度使のようなものができ
→中央と対立→その隙に呉は南朝として延命
という作戦。
そういえば孫皓は呉滅亡の4年後に死んだな
早死にといえば早死にか
でも次代傀儡的なまともな皇帝の候補が厳しいな
呉以外の南朝と、呉を比べるのは無理が有りすぎる、
まぁ、でも呉の豪族の連合政権みたいな感じのノリが、
南朝の貴族を作り出したみたいなことをどっかで書いてあったのを見た様な気がする。
これって妥当なんだろうか。
長江は要害であり、輸送の為の要所でもあった
赤壁で魏を防ぎきった呉が晋を防ぎきれなかったのは皮肉
>>81 妥当じゃないだろ
孫呉=豪族連合政権 (基本政策は皇帝権力集中・山越征伐による江南開発)
東晋=北方系貴族亡命政権 (基本政策は南方系豪族及び、軍閥の牽制)
劉宋=南方土着型政権 (基本政策は北方豪族優遇策の撤廃。尚武の気風)
南斉=南方系貴族政権 (基本政策は防衛ラインの安定、国内治安、尚文の傾向)
梁 =南方系貴族政権 (基本政策は仏教保護、貴族主義、恩幸の台頭)
陳 =軍閥軍事政権 (基本政策は軍事主義・質素堅実、国内の治安安定)
南朝ってのは時代を一世紀先取りしてて、豪奢主義の貴族→実力主義の軍閥っていう唐〜五代の流れになってたが
北朝に滅ぼされることによって、貴族文化が流出、北朝(っていうか後周・隋)が貴族文化に染まり、リセット
中国的には無駄な時間を過ごしたともいわれてる
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 01:59:04
>>83 今の中国はやたらと貴族に否定的ですからな
某六朝文化の本の前書きは「南朝を軽く見過ぎだゴルァ」な感じだし
名目的には農本主義・社会主義の国ですからw>中国
実際は日本へのデモの実態が裕福層への不満で判るように、階級社会
中国の不思議な所は、例え下級層から皇帝を輩出しても、統一の過程で貴富層に迎合するようになること
毛沢東なんて特にw
そう言った意味じゃ、そういった層に逆キレをおこした朱元璋はヤッパリ特異な人物だと思う(明って国は中国の重要な転換期だし
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 02:14:46
>>82内部崩壊に、あの士気の低さ+蜀を手にした普に勝てる訳が無いだろ?
あの時は涼州も無く、曹操軍には病が広がり、呉には策もマトマリも有ったしな
87 :
:2005/12/21(水) 02:19:50
権だって臣従したり復活したりで異民族もどきな事やってるんだから、
攻められる前に適当に降伏しとけばいいのに・・・・・どっちにしても呉は滅亡か
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 02:23:57
騎馬隊を育成するしかないんじゃないか?
遊牧と同じような軍隊を作り上げて、大勝するしかないだろ
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 02:25:26
↑呉の地形に騎馬隊は約に立たんだろ
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 11:10:13
一部の主張は、孫権は長生きしすぎて、
後継者の問題を爆発させたのは鍵です。
孫登はいいけど、父より早死に...。
孫和と孫覇の争いは影響が痛いすぎ、
残ったのは幼い孫亮、死亡決定ネ。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 11:15:33
長生きと言うかボケたのが問題だな
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 11:38:27
長生きでボケたのは孫権だけではない、
前漢の漢武帝も太子殺しっていう愚かなこともやったんだ。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 11:42:17
それは呉に関係無いだろ
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 11:48:09
孫和の自害を命じた孫権は歴史の教えを受け取らなかったっだね。
でも漢武はちゃんと昭帝っていう名君を選んだし
皇太子の孫のあたる宣帝は前漢屈指の名君
昭帝は明君と言っていいか微妙だな。
実は孫権→孫亮と武帝→昭帝は状況が似ている。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 12:39:37
やはり鍵は輔佐した人物かも?
霍光と諸葛恪の格が違う。
昭帝は霍光を守ってるじゃん
「まもって!守護丞相」かよ。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 13:50:50
>98
それ一つで名君扱いはできないだろう。
でも、事跡一つで名君になったりするもんだよなぁ
大体昭帝は在位短いんだし
その間に賢明な処置を幼年にして行ったのなら、充分+判定だろうが
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 16:15:25
>>102 まあ自分が燕王に廃されるのを避けたんだから賢明ではあるんだが、それだけじゃんか。
それで名君扱いなら孫亮もかなりのもんだよ。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 17:50:24
呉を残すなら台湾だとか日本だとか海の向こうに逃げるぐらいしないと無理だな。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 22:58:31
せめて陸抗が生きてればな。
早死にしちゃったし。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/21(水) 23:27:39
孫権とか孫浩みたいなのを暗殺するのが丞相として呉国への一番の忠節だろ。
>>104 呉服という文化と言うかファッションは残ったようだが
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 11:38:48
呉と南朝を比べるのは確かに無理があった、
そもそも呉の全域を持って生き残ることが無理ならば、あえて隙間地帯
とでもいうか一部に延命を図るというのはどうだろう。
そこで思うのが南朝時代でも長い間後進地域とされ政治的にもまったく
重要視されていなかった豫章郡・廬陵郡、武昌のあたりなんかな?
ここは実は穀倉地帯であり、絹や綿の生産に適している。いわゆる山越
なエリアなわけだが、もう呉がダメなら早い段階でここに目をつけ、
方針を転換し来るべき時に備え山越政策に力を入れる。
ここに待避しても晋からも政治的にあんま意味ない上(実際南朝時代は
放置された)、反戦派もいるし形而上の臣従で延命できるかもしれない
という作戦。
さらに欲を言えば番β陽湖のある南昌地域を得ればされに
将来に期待がもてるかもしれん。なんせここは小麦の栽培に最適(呉が
米麦どっち食ったかはしらんけど)な上、武器に必要な銅の産地。
あと会稽も後進地帯なほうだが、東晋から漢文化との融合が加速すること
を考えれば維持できればよいかと。
こうして、後進地帯と思われる地域に待避し後漢の南越のように独立を
保ち延命し力を蓄え来るべき日に備える作戦。
それはもう、元に対する北元みたいなもんだ
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 11:45:36
てか台湾の鄭王朝じゃまいか
俺が呉の住人だったら、「こんな国とっととつぶれちまえ!」っておもちまうだろうな。
政権が続くか滅びるか、は、やはり国民の感情を抜きには語れないよ。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 18:38:33
呉勢力範囲の人口が、呉が支配してる間に、140万から250万に増えてんだ
よね。蜀が100万前後で変化がない。呉の総兵力は20万程度だったらしいが
国内の事情で、大軍でも10万程度が最大だったことを考えたら、人口に
対する兵役数は悪くない比率だと思う(10%以内)
蜀が人口が増えなかったのと比べてこれだけ開拓されたってことは、呉の
住人にとって孫氏政権てのはそれほど悪くないんじゃないかな〜
皇室のゴタゴタなんか庶民にあんま関係ないしな
でも濮陽興ら(無意味な開発)〜孫皓の悪政の流れはかなり最悪だな
その見返りに大赦が多いというのもあるけど。
人口の増加をみても開拓されたのは間違いないし人口が増えてるってこと
は耕作量が増えたってことだから呉ってのは案外民衆にとってそれほど
悪くない〜て感じだったと思うなー
開拓民とか原住民って地位低くなんないか?
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/22(木) 22:09:05
民衆と簡単に言うが、
皇帝に直属する民と、
豪族に隷属する農奴と、
分けて考えないと。
兵士にしても
皇帝が直接支配する兵戸と、
豪族らの私兵と、
やはり分けて考える必要がある。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/25(日) 17:24:01
沈瑩の評価ってどんなもんだろう
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 00:11:47
個人的には好き。コーエー三国志だとそこそこ強い>武力
三国時代の呉て、戦国時代の楚と国力どの位の差?
秦が60万人の兵力でようやく滅ぼした楚と。
秦は殺した数=功績で、しばしば過大表記されてるらしいが、詳しくは分らない。
>>115 丞相・張悌と策戦上で対立しましたが、官僚畑を歩んできた張悌よりは戦場の
場数を踏んでいたのか、状況を現実的な角度で認識していた感はあります。
沈瑩は、呉は名将が払底し、城の備えは堅固ではなく、将官は若輩ばかりで、
長江沿岸の諸城は悉く守りきれないと見通していました。
沈瑩が言う様に、呉は陸抗が歿して後、長江沿岸の諸軍を統率して戦略レベルの
策戦を立てて組織的に戦える司令官がいません。
そのため益州・荊州・豫州の晋軍が攻め寄せてきても、城将たちはただ城に
篭もって戦うだけで組織的に抵抗する事なく、各個に撃破され陥落していきました。
沈瑩は闇雲に前身せずに地の利を活かして本土決戦を行うべきと主張したのに
対し、張悌は兵士と国民の同様を恐れるあまり前線で戦うべきだとし、敗れれば
それまでと言い放っている事から、沈瑩よりはいささか戦争を形而下でとらえすぎ
ていた感じがします。
兵書で云うところの散地で戦う事を恐れたともいえますが、その場しのぎの投降が
みえみえの張喬を後方に放置して前身するなど、合理性が要求される戦場で
儒教的な論理観を振り回して墓穴を掘った格好です。
もっとも、当時の絶望的な戦況からみれば、張悌の策戦も沈瑩の策戦も、戦艦
大和で沖縄へ特攻するか本土決戦かくらいの違いしかない気がしますが。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/27(火) 23:09:30
なるほど
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/28(水) 21:22:46
a
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/04(水) 02:41:37
鉄砲や大砲を開発して形勢逆転しかないだろ
123 :
無名武将@お腹せっぷく:
>>122 現実的に無理。
せいぜい象部隊とか、風土病で撃退がせいぜい。