1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 14:35:24
呉の名将たち
周瑜、呂蒙、徐盛、丁奉、程普、韓当、黄蓋、朱桓、朱異
沈瑩、賀斉、陸遜、陸抗、唐咨、甘寧、太史慈、朱然、蒋欽、潘璋、凌操、凌統
董襲、陳武、全j、全端、全懌、鍾離牧、呂範、呂拠、呂岱、周泰、吾彦、厳圭
朱治、歩隲、朱拠、朱績、諸葛恪、留略、于詮、孫権、孫策 魯粛
なにこの珍しいスレ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 15:38:08
>>1 お疲れさん
確かに後漢の戸籍調査はちょっと疑問が多いような
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 15:40:37
呉の都督連中
周瑜、呂蒙、陸遜、陸抗辺りで負け戦の記述ってどんなのがあったっけ?
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 15:50:32
なんだ劉纂が入ってないな
>>5 被害がほとんどなくても
成果をあげれず撤退したのが
陸遜の満寵誘い込みと陸抗の羅憲戦
>>2 名将諸葛瑾をお忘れですよ
大将軍に任じられた後も軍を率いてるはず(呉主伝や陸遜伝に見える)なのに
その事跡がなぜか諸葛瑾伝には全然載ってないという謎があるんだが何故だろう
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 17:21:42
羅憲戦がほとんど被害が無かったとか本気で言ってるのか?
撤退時に追撃を受けて散々に打ち破られて、陸抗は命からがら逃亡しているぞ。
>>8 統率は上手いが軍才は無かったとの評がある。
それに兵権を持つってのがそれほど名誉じゃないってのも原因かもしれん。
名声で言えば名臣>名将だから。
>>9 それ晋書?
マジで知らんから誰の伝に記述されてるか詳しく教えて欲しい。
羅憲伝には書いてなかったが。
>8
単純に負け戦ばっかりだったから。
本人の名誉のために記述は避けたんだろう。
12 :
8:2005/04/15(金) 21:51:03
兵権を持つのが名誉じゃないからという理由があったか
負け戦だからだとすると呉主伝の記事はともかく陸遜伝の236年の記事は勝ち戦っぽいのに
なんで載らないんだろうと思ってたけどそういう理由なら納得
内外への名声(特に外への名声)は間違いなく名臣のが上だろうしね
>>9 その話、まったく聞いたことないけど
信頼できるソースある?
くだらん釣りか脳内妄想だろ
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 11:45:38
施績と呼ぶべきか朱績と呼ぶべきかについて討論するか
孫策より親父のが上だよ
凌操より凌統のが上だよ
うまったな
うまりましたね
いまだに 周喩 って奴が多い事に萎え
前スレを埋めてた奴、得意そうに書いてる感じだけど、気づかないのかな……
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 10:42:57
>>20 変換で「瑜」この字は出ないことにも気付けんのか?
釣られてやんの
辞書入れとけ。
でも「華覈コム」とか変換されると自分でもびっくりする。
辞書入れると邪魔だな、水滸伝辞書も入れてるけど、黄信とかうぜえええ
華覈コムワロスw
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 15:37:49
m9(^Д^)プギャー
辞書もいかれた変換さえなければなあ
28 :
21:2005/04/18(月) 16:01:38
>>22 ν_, ,_
( ゚∀゚) <喜んで頂いてごっあんです!!!
( ⊃ ⊃
(________)
し ||| J
孫堅ってヘボいよな
孫硬い必死だな
岑昏ってどうよ
バラバラ死体
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 21:16:47
呉って武力が強い奴いないイメージあるんだけど
最強は甘寧かい?
武勇伝だけで言ったら
孫堅、徐盛、丁奉あたりが最強かと。
(°Д°)ハァ?
壁をよじ登った甘寧。
オッサン担いで敵を蹴散らした周泰。
この二人が双璧。
甘寧が呂蒙にビビって泣き出したから呂蒙が最強
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 21:52:17
呂蒙が魯粛に馬鹿にされて泣き出したから魯粛が最強
つまんね
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 05:56:19
>>36 (^Д^)ギャハ!↑みなさん、この人のレスどう思いますか♪なんてありきたりなんでしょうね♪
誰もが皆、一瞬つけてみたくなる発想のレスです♪
しかし、賢明な人はその自らの短絡的思考を野放しにする事を嫌がり、
こういうレスは控えます♪しかし、この人はしてしまったのです(^^;
「誰もが思い付くような事」を堂々と♪
この人にとってこのレスは何なのでしょうか♪
このレスをしている間にも時間は刻々と 過ぎ去っているのです♪
正にこの人のした事は「無意味」「無駄」でしかありません♪ああ・・・何ていう事でしょう(^^;ワラ
図星で泣いちゃうかも(^^;ワラ
文見てコピペって判断できんのか
なんかレベル低すぎ
まあ三戦版でハイレベルなこと期待するなよ
前スレで終わらせるべきだったよこのスレ
やっぱり呉には大和だよな
呉スレは波が激しいんだって
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 15:14:14
蜜柑万引きや筍泥棒など、有名な窃盗犯が多いのが呉の特徴だな
呉には人攫いが沢山います。
コピペにマジレスすんなよアホが
ねたにマジレs(ry
張紹の長男で張承っているじゃん
そいつの字が仲嗣なんだけど
長男なのになんで「仲」なんだろ
それとも「長男」っていう情報の方が誤りなのか?
>>55 呉書では、ちゃんと「長子承」と記載されてる。
これを否定する材料も無い。
もしかしたら、張昭より先に死んだ「伯嗣」と言う字の長男がいたが、
呉書をまとめる際に、記録漏れがあったのかもしれない。
たとえば、甘寧伝には、甘寧の息子は、
流刑に処された懐しか登場しないが、
尚書になった述と言う息子もいた事が、
晋書甘卓(甘寧の曾孫)伝に記述されている。
尚書にまでなった甘述ですら、三国志では記述漏れしてるのだから、
夭折した張昭の本来の長子が、記述漏れしててもおかしくは無い。
晋書の甘卓伝読めるサイトとかあります?
>>56 ああ、それ間違い。史書の文章をよく読もうね
あれは史記の世家の体裁にならってるんだよ
要するに功臣が封侯になった場合(郷侯や亭侯みたいな形式上の爵位であっても)
諸侯の歴史を記述するのと同じような感覚で、
その爵位が子々孫々どう受け継がれたかを書いてるわけ
で、最後は「三族誅殺されて国は除かれた」で、一つの封侯の歴史が終わるとw
だから、たとえば甘寧の次男が爵位を継いで長男には目立った事跡がない場合
長男に関する言及が全くないこともありえる
それを記述漏れって言い方するのは変だよ
>>57 台湾中央研究院漢籍電子文献
>>57 中国語で良かったら、
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3の漢籍電子文献。
このページから、二十五史→新校本晋書→列傳→
卷七十列傳第四十→甘卓の順で飛べば、
漢文の甘卓伝が読める。
祖父(甘寧の子)甘述は尚書、父(甘寧の孫)甘昌は太子太傅だ。
意外かも知れんが、甘寧の子孫は文の道を歩んだ。
甘卓は東晋建国の功臣の一人。
軍事でも政治でも活躍した文武両道の人物。
鎮南大将軍・荊州牧となったが、最後は暗殺された悲運の名将。
知名度は曽祖父に劣るが、歴史的にはかなり重要な位置にいる人。
>>58 後を継いでない息子の記述がある人も、結構いるわけだが。
特に魏書。
甘卓伝で重要なのは、甘寧の息子、述の存在より、
甘寧が甘茂の後裔だと言うこと…だと思う。
初めて読んだとき、マジかよって思った。
>>60 いや、別に記述があってもいいよ
ただ息子全員の事跡を残らず記述することを求められてないって話ね
陳寿が書くに値しないと思って省いた功臣ジュニアもいるだろうし、いてもいいって話
甘寧の息子で正史に記載されてない人物がいたからって
「記述漏れだ」→「正史は不正確だ」→「じゃあ正史に『長子』と書いてあってもウソかもしらん」
って論法はあまりに暴論っつーかメチャクチャなんですよ
>>62 まあその通りなんだが、
>>56も別に陳寿の不正確さを責めてるわけじゃないだろう。
それよりもっと晋書の話してくれ。
>>61 甘寧が甘茂の後裔ではなく
班超の命令でローマ帝国に行った甘英の後裔だったら
もっと良かったのにな・・・
話変わるが徐盛はどうよ?奴はどうも人間小さいよな。他の不精の伝で引き立て役にされてる事が多い気がする
潘璋や張飛に比べれた可愛げのある性格だよ
朱桓の鼻っ柱の強さに比べると健気で謙虚だしな。
地味とも言う
ウソ城壁で歴史に名を残したではないか。
合肥で、真っ先に逃げ出し、配下の兵を潘璋に斬られ牙旗も失って賀済に取り戻してもらい、蒋欽をあげつらっといてビビる。でも濡須や偽城では豪胆。どっちが本当なんだろう。
相手が曹丕じゃなかったら負けてた名
>>70 単純に合肥以降、成長しただけだろ
>>71 偽城と空城の計を一緒にするな
徐盛も朱桓も地味だけど好きなんだよなー
朱桓の方が好きなんだけど最近ゲームだと徐盛に水をあけられている感じ・・・
ガンバレ!
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 17:45:22
>>74 そういうとこでもやっぱり周瑜、呂蒙、陸遜はセットで語られること多いよな。
前スレの終盤でちょっとだけ楚に触れてたので質問
項羽が西楚の覇王を名乗ってるけど何で西なんだろう?
ホウ城って楚の思いっきり東でしょ?
時折この質問があがる気がする。
>>76 この場合の西というのは、懐王の都とした盱眙の西方にある彭城を項羽が
都と定めたため、というのが定説になってる。
78 :
76:2005/04/27(水) 12:04:36
サンクス
よくある質問だったのねゴメン
演義だとかの三国志モノだと
呉の水軍は強力、みたいに描かれてますね?
確かに華北の兵士とかと比べれば水上戦は得意でしょうけど
実際に「呉の水軍、船団は精強で強力だった」みたいな記録はあるんでしょうか?
呉は水軍は強いが城攻めは苦手って司馬懿が言ってたような
そんな記述どこにあったっけ?
>81
晋書宣帝紀の記述
諸葛恪が皖に進出してきた時の司馬懿の発言
>>83 ありがとう
確かに呉の城攻めってあんま印象にないなあ
赤壁のあとの周瑜はすごかったけど
曹仁相手に攻城の装備無しってのはさすがだよな
呂蒙が幾度となく城攻めしてるぞ。
周瑜の激戦を教訓にしたのか、攻城に時間かける気が全然ないのがすげえ。
皖城攻めが代表的ですね
急襲で一気に落とすべきと進言してその策を自ら実行、一瞬にして城を取ることに成功
しかし。孫呉の城攻めの達人って、
文台パパ、孫策、呂蒙くらいしか居ないようなような。
他国にもそんな城攻めの達人と言える程の人物はそういないだろう。ショクなんか一人もいないんじゃないか?
蜀は野戦馬鹿の集合体だから。
黄忠と魏延は蜀攻略で活躍したから城攻めが得意かもよ
呉は呂岱が城攻め得意そう
単なるイメージじゃん
つまんね
魏って城攻めの名手みたいなのいる?
なんか領土でかいぶん守りの方がイメージ強くて
遠足が呉の大和ミュージアムになった・・・
毎回「ご」って読んでしまう自分が悲しくなってきた
三国志8では楽進の攻城が極だけど何かしたんですか
確かに波のはげしいスレだな
まあネタがあれば盛り上がるからぜんぜん問題ないよね
三国の武将スレみんな廃れてるね
いっそ三国のスレまとめちゃった方がいいのかも
盛り上げる方法は知っている。ランク付けだ。
けど荒れるのが嫌だからやらない。
もうランク付けじゃ盛り上がらないよ
やりつくされてるし
こうなったら、正史でも演義でも出てこない無名の実在人物を発掘するしかないな。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 19:26:30
走馬楼呉簡でも読めと?
黄蓋の仁徳の凄さについてでも語るか
仁徳というと便所に放り込まれたエピソードですか?
>>104 あいつの人徳あっての山越の制圧だもんな、山越対策の方面での最大の功労者ジャマイカ
そこで東晋の名将陶侃の父で呉の揚武将軍なのに呉志には一切登場しない陶丹ですよ
ちなみに子孫の陶淵明は曹植に比類するとも言われる東晋末期の大詩人ですよ
まぁ呉志に出てこないのでこれ以上語る事はないけど
じゃあ議題を挙げてみる
・周瑜の天下二分の計について
・魯粛の天下三分の計(呉蜀同盟・荊州問題)について
・呂蒙の夷陵奪取について
・陸遜の防衛構想について
どれか一個ぐらい盛り上がるんじゃない?
魯粛伝で「国家」という語が何故か出てくる(魯粛は呉建国前に死んでる)ところを見ると
「荊州を貸した」というのは韋昭の「呉書」による後からのつじつま合わせとも思える
(呉を正統とする立場からすれば「荊州は呉のものだから劉備が荊州を占拠したのは
呉が貸したということなのだ」という考えになる)
少なくとも荊州の貸し借りに関するはっきりとした取り決めがあったとは思えない
>>109 はっきりとした取り決めはなかったってのは賛成だが・・・
蜀書先主伝にも呉書呉主伝にも、劉備が蜀を取った後に荊州貸与の話が出てるじゃん。
「国家」という語云々てのはむじんとこの説だろうけど、なんか乱暴だしテキトーな理屈だな。
少なくとも江陵・南郡は貸してるでしょ。それを敷衍して難癖つけたって話だと思うが。
そもそも最重要ポイントを譲り受けた時点で劉備サイドでもこういう展開が予想できただろうし、
赤壁前後の状況を考えれば「荊州は劉備だけでゲットした」と言い張る方がよほど不自然だべさ。
蜀書先主伝や呉書呉主伝に出てくる荊州貸与の話の元ネタはおそらく韋昭の呉書だろう
陳寿はそれを正しいとしてその記事を採用したわけだが、上に上げたように
そのことが事実かどうかが疑わしい
たとえば袁紹伝に董卓が「劉氏の血統など残さなくていい」と言ったので袁紹は答えず
会釈して去ったという記事がある。これは裴注によって「献帝春秋」から取った記事であることが
分かるが裴松之がいうようにこの記事はでたらめだろうと思われる
陳寿はそのでたらめな記事のうち「劉氏の血統など〜」という部分だけは事実に近いのだろうとして
採用しているが、元記事の信憑性を考えるとこの部分についても疑わしい
本件についても荊州貸与についてはあくまで陳寿がこの部分は正しいのだろうとして
採用したまでであって間違いの無い事実であるとはいえないように思う
>>111 そんなこといったら都合の悪い記述はほぼ全て「疑わしい」で済ませられる。
陳寿が正しいとして採録したものを疑ってかかるのなら、
その前後の流れから割り出される別の可能性が必要だろう。
たとえば孔明が一人で孫権を説得する諸葛亮伝の記述はいかにも胡散臭いが、
周瑜伝と魯粛伝を見れば「おそらくこちらが正しい」と思えるだけの別の材料がある。
それに則して前後を見れば、諸葛亮伝のその部分を虚とすることで史料が繋がる。
荊州問題に関しては、もし「呉書を踏まえただけで事実ではない」という説を採るのであれば、
それ以前とそれ以後の荊州についての記述までほとんど全てを虚としなければならない。
たとえば荊州貸与をまったくの虚とすると、魯粛が後に外交折衝を行ったことまでウソということになるが、
では何故215年の荊州争奪戦が二国間の分割領有ということで手打ちになったのか、判断材料が消滅してしまう。
少なくとも当時、リアルタイムで「荊州貸与という話」があったというところまでは史料上の事実。
その内容が、たとえば呉蜀が姻戚を結んだときの戯れの話だったとか、南郡を貸しただけなのに
荊州全土を貸したことにしてしまったとか、そういう「リアルタイムの虚」であったというのは大いにあり得ると思う。
しかし史書全体の史料的価値を問うて、荊州問題そのものを後代に作られた「歴史の虚」であるとするのは、
仮にも『三国志』を取り上げて研究なり考察なりをする者としてはあってはならない姿勢なんじゃないか。
なぜ荊州に関する領土問題が外交問題として史書に記載されたか、これを考えるのが「考察」だろう。
それ以前の段階で否定するならばただの思考停止でしかない。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 20:44:57
ちなみに当時の「国家」の意味は「皇帝」
そうだったか?
「国家」の意味は「王」とか「公」だと思ってた
史書に一箇所でも矛盾がある
↓
その周辺の記述も全部不正確と決めつけていい
↓
だから自分に都合のいい史実に「修正」してもいい
ク ク || プ / ク ク || プ /
ス ク ス _ | | │ //. ス ク ス _ | | │ //
/ ス ─ | | ッ // / ス ─ | | ッ //
/ _____ // / //
. / l⌒l l⌒l \ )) ____
. / / ̄| ,=| |=、| ̄ヾ / ____ヽ
/ ̄/ ̄. ー'●ー'  ̄l ̄ | | /, −、, -、l ))
| ̄l ̄ ̄ __ |.  ̄l ̄.| _| -| ,=|=、 ||
|. ̄| ̄ ̄ `Y⌒l__ ̄ノ ̄ (6. ー っ-´、}
ヽ ヽ 人_( ヾ ヽ `Y⌒l_ノ
>〓〓〓〓〓〓-イ /ヽ 人_( ヽ
/ / Θ ヽ| /  ̄ ̄ ̄ ヽ-イ
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 04:38:53
呉は氏んでおきなさいね
そういや魯粛伝の単刀赴会のあたりのくだりで「羽操刀起謂曰」と
「操」という字を使ってるのもちょっと気になる
じゃあ単刀赴会は無かったってことでいいよ。
ああ、無かった。無かった。
魯粛伝によると劉備が益州を得ると孫権が長沙・零陵・桂陽の返還を求めたが
劉備がこれを拒否したため孫権は呂蒙に軍を率いて三郡を攻め取らせている
そもそも長沙・零陵・桂陽は劉備が独力で得た土地なのだから返還せよというのは
奇妙な話だが、それはさておくとしても、ここで劉備が、曹操が漢中を平定し
背後に危機が迫ってきたために停戦を申し入れ再び呉と同盟を結ぶのだが、
魯粛伝のいうような荊州三郡の返還が当初の約束どおりであるなら
同盟を結ぶに当たって約束を破った劉備に不利な条件になるのが自然であるにもかかわらず
実際には孫権は呂蒙が攻め取った三郡のうち零陵を劉備に返している
ということは孫権は再同盟を結ぶに当たって当初の約束では三郡を返還してもらうところを
二郡でよろしいということにしたということになり、とんだお人よし外交と言わざるを得ない
また同盟の後に孫権は合肥を急襲しているが、この急な軍事行動も同盟の際の取り決めならば、
孫権は一郡を譲ってあげた上に劉備の要請に応じて合肥を攻めてあげたということに
なり、やはり不自然である
そもそも再同盟は劉備が漢中を平定した曹操を恐れて申し入れたことなのだから
劉備が譲歩するのが自然なのに、実際には呉が譲歩して一郡を返しているのだから
不自然極まりない
ここで仮に「益州を得たら荊州三郡を返還する」という約束がもともとなかったとするなら
呂蒙は軍事行動によってもともと劉備の統治していた地である荊州三郡を攻め取り、
劉備は曹操の危険が迫っているためにやむなく譲歩して、本来なら再同盟を結ぶなら
三郡全て返してもらうのが筋であるところを二郡を譲り渡し、一郡だけは返してもらって
孫権には合肥方面を攻めてもらうようにお願いした、という風に考えれば
少なくとも孫権がもともとの約束だった三郡を何故か譲歩して二郡でいいことにし、
劉備は不利な立場で交渉したにもかかわらず有利な条件を得た、などといった
不自然な点は解消される
魯粛伝の記述だと三都を占領させようとしたが劉備は関羽を派遣して抵抗させた、のはず。呂蒙伝によると命令の後呂蒙
が回し文をすると長沙・桂陽は帰順したが零陵は降服しなかった。その後関羽が派遣されたので魯粛に対抗させる一方呂蒙に
救援に向かわした。その後呂蒙が計略によって零陵を落とし、その後の和平で零陵と零陵の太守は返還された。
魯粛伝を見るにそもそも土地を持ってなかった劉備に対し根拠地として荊州の一部を貸し与えた。その後益州を手に入れたの
だから貸した土地を返すべきなのにそれをせず、代わりにと申し出た三都も寄越さないから紛争になった、ってことが書いてある。
「益州を得たら荊州三郡を返還する」では無く「益州を得たら貸した土地を返還するか、相応の土地寄越してあたり前」
ってとこだと思う。期限等の具体的な約束は俺もなかったと思うね。だから蜀はいつまでもごねるし呉はもっとよこせと
要求し続ける。
>>120 荊州四郡の貸与であろうが南郡のみの貸与であろうが
孫権が劉備に貸しがあることには違いが無い。
例え呂蒙が落とした三郡を劉備が有していたとしても
南郡が手に入っていない状況で和睦というのは単純に考えればお人好しといえる。
ここで呉の戦略を考えてみる。
そもそも呂蒙が落とした三郡の価値は南郡程のものではない。
零陵を配下に置いたとしても劉備が蜀から駆逐されれば何の意味も無い。
南郡が返ってくるチャンスはなくなり後はジリ貧状態。
南郡、雷緒、蜀攻めでも孫権は劉備に対して寛大な対応をしている。
もちろんそれは自軍の状態を理解しての事だろうがそれはあの時の和睦にしても同じ事だろう。
合肥攻めに関しては曹操の漢中入りが第一の理由だろうが劉備を助けるという意味もあったかもしれない。
孫権からみれば劉備は曹操と対する共同体、劉備からみれば孫権は統一の為の踏み台といった所だったのだろう。
南郡を呉が劉備に完全譲渡したとはっきりしてるなら
荊州貸与問題に呉に大義はないだろうけど
南郡を呉が本気で軍事同盟のために完全譲渡するとは思えん
南郡も荊南四郡も全部、劉備軍が攻略しました
だから当然、呉の荊州貸与はありえないのです
これが真相ですよ
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 19:57:52
演義だと凄まじい横取りだよな
どんなに贔屓目にみても江陵は周瑜が落としてる。
少なくとも南郡貸与は確実だと考えるべきだろう。
やはり南郡貸与があったと考えるのが自然だと思うが
南郡を返還せよ、ではなく、長沙・零陵・桂陽を返還せよ
と要求したのは何故だろう?
荊州全体の返還を要求したんじゃないの?
いきなり南郡を攻めたら相当被害が被りそうだから
長沙・零陵・桂陽を攻めたんでしょ
一切の貸し借りに関する取り決めがないのに
涼州を手に入れたら,荊州を返す発言はしないだろ
>>129に同意
それとも、それも全て「韋昭の捏造」で片付ける気かい?
涼州取ったら発言は蜀書と呉書の両方に採録されてるからな。
少なくとも陳寿がこれを「あり得る」と判断してたのは間違いない。
ただ、この対応を見る限りあくまで口約束程度のものだったんだろうなぁという気はする。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 16:49:17
孫・劉どちらにも正当な荊州の所有権なんて無いから、どうやったって口約束以上の物はありえないよ。
軍閥同士が勝手に決めたことなんだから
ただ、孫・劉間の口約束としては、「荊州は孫権に返す」といった合意があったんだろうな。
・荊州をいつ返すのか、という期限を約束していたように見えない
現に劉備は益州をとった時点では返そうとしなかった
・荊州を返すと言う約束を反故にしたにも関わらず、劉備が再同盟を結ぼうとした時に
特にペナルティを受けたようには見えない。それどころか呉が譲歩してる
というところを見ると口約束もきわめていい加減なものだったといわざるを得ない
よくよく考えてみると「涼州とったら返す」発言の意味するところは「返さない」と同義なのだから
これを捏造だとして議論を進めてもそう大きな矛盾は生じないのでは?
逆にこれを論拠として荊州貸与があったとするのは根拠としては弱いのでは?
まとめていうとこの発言は荊州貸与のあるなしを決めるに当たって
大して重要視できるようなものじゃないんじゃない?
一旦この発言は脇において外堀から考察を進めていくべきかと
>>133 期限が決まってないからこそ突っぱねた、とは思わないのか?なんか変なこと言ってない?
1個目と2個目と結論がそれぞれ矛盾してるというか・・・
>>133 「返さない」って発言は貸し借りの話があったという最大の論拠になるだろ。
互いに貸し借りの概念を意識していたことがはっきりと示されてる。
荊州貸与の有無を決めるにあたってもっとも重要なのは、
・当時、"荊州貸与"という概念が存在していたか
これに尽きる。
「当時は"荊州貸与"という概念が存在しなかった」というのが韋昭捏造説。
韋昭捏造説が正当性を持つためには、『三国志』において陳寿が"荊州貸与"の
概念を伝えようと試みた全ての記述について、逐一否定しなければならない。
「"荊州貸与"はなかった」という説を論理的に展開していきたいのであれば、
"荊州貸与"に関するどの記述であれ、「一旦脇におく」なんてことは許されない。
すまない。もう一度考え直してみる
荊州貸与は、
・孫権側にとっては、あった。南郡を一時貸与することにより同盟関係で優位に立とうとした
・劉備側にとっては、なかった。恩義は返すつもりはあったが返還義務はないものとみなした
これだと荊州貸与については劉備側のみ否定すればいいから少し簡単になるかな
「涼州とったら返すよ」発言は、
・劉備は、「返さない」とつっぱねた
・仕方ないので諸葛瑾は、「涼州をとったら返す」と言った、と報告した
でもこれだと諸葛瑾はただの嘘つきだな。うーん
劉備は別に借りたつもりはない。
劉備が益州を取ったところで立場の強い呉側が「返せ」とごり押し。
困った劉備、全面対立はまずいので「涼州を獲ったら返すよ」と言ってしまった。
>>136 諸葛瑾の性格を考えると、
・劉備 「あー、荊州ね。涼州取ったら返すよ。マジで。わはは」(一同爆笑)
・生真面目な諸葛瑾がその会話をそのまんまに報告し、孫権がブチ切れる
こんな感じのような気もする。
>>137 その発言で孫権を憤慨させ
劉備自身も前面戦争の構えをとった時点で
困った劉備が言ったレベルじゃないだろ
そんな劉備はただのアホだ
>>139 その劉備の発言に孫権激怒、戦端が開かれてしまう。
劉備の外交失敗。発言には気をつけよう。
>>141 確かに当時の劉備は孫権をナメすぎてた感じがしないでもない
潘璋の話をしてくれろ
いじめっこ
テキ屋の兄ちゃん
>>142 諸葛亮は対呉政策はほぼ完璧なのに
劉備は舐めきってたな
>>146 あの失敗で学んだんだろ
諸葛亮がノータッチだったとは思えない
潘璋は演義で関興なんかに斬られて
雑魚小悪党イメージがついたよな
正史の猛将っぷりは凄いのに
>>147 劉備は諸葛亮に軍権と外交権はほとんど握らせてなかったみたいだけど
どうだろうねえ
権はなくても進言は出せる
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 22:59:23
呉 よ 恥 に 堕 ち よ !
>>148 猛将っぷりだけでなく、暴れっぷりも魅力だ。
潘璋主人公にして一本書いてもらいたいくらいの人材。
もしや、前田慶次郎を超えるんじゃまいかw
>>137 逆だろ当時名声も地位も劉備のほうが圧倒的に上なんだし
地位の低いやつらが何言ってるって感じだと思う
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 02:40:58
>>153 なにいってんだ。
官位や名声とは関係なく劉備は孫呉に巨大な借りがある。
荊州問題ってのは劉備の孫権に対する借りに関してのいざこざだろう。
借りたのがはっきりとした領土なのか、あくまでも心情的な借りにすぎないのかが問題。
この時代に借りを返すなんて考え方があったのか?
貸し借りは普通にあるだろ
劉備にその意識が薄かっただけか
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 12:29:18
実質的には呉が実力で占領した「領土」でも、
名目上は荊州牧劉備が統治するべきには違いない
だから劉備としては、
「孫権はまだ荊州牧になるにはキャリア・年齢的に早い。ふさわしくなったら&自分たちの落ち着く先が出来たら牧を渡すよ」(=荊州を返す)
とか言ったのだろうし、
孫権としてもいきなり自分が荊州牧になっても劉備ほどは荊州人の信頼を得られないとわかっていたのだろう
時が経ち劉備が益州を取ることで上記の条件が満たされたと孫権は考えたのだろう
ここで劉備が認めないのは劉備の孫権に対する背信行為。
だが難しいのは、そんな約束は第三者からすれば、皇帝の土地を勝手に貸し借りする、犯罪者同士の約束に過ぎない点
対外的には、荊州牧を名乗る劉備が荊州に居座り続けてもおかしくないってこと
アホか
乱世にそんな名目論持ち出してどーする
タテマエを言うなら、錦の御旗掲げた曹操に反逆してるのに、
何で今さら「州牧」の名目にこだわる必要がある?
劉備には劉備の、孫権には孫権の、それぞれ都合があっただけだろ?
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 12:58:31
>>159 孫権・劉備自身にとっては必要なくても、荊州の豪族や民には必要だったんだよ
牧などがどうでもよい時代だってんなら、なぜ劉備にしろ孫権にしろなぜ牧を実際に名乗ったんだ?
乱世だからこその名目論なのにねえ〜
乱世は名が無きゃ消えるしかないのに・・・
名目にこだわったほうがプラスってだけだろ
こだわってまで目前の利益を手放す手は無い
なんか論点がズレてるけどな
道義的、名目的なものはともかく
実際に荊州借用があったかなかったかじゃなかったのか
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 20:28:05
両者間の私的な取り決めとしての貸借はあったんだろうね
孫権としては実力で奪っても名目が無く後が続かないと計算し、後の時代に繋げるために「貸す」という形にして劉備に貸しを作った
劉備としては名目はあっても実力が足りなかったから、借りを作るとわかってはいても飲むしかなかった
あとから返せと言われても居座り続けてやろうと考えてはいたんだろうが
「荊州返せ」は呉側のごり押しだろ。返却の取り決めは特になかったという意味で。
ただ劉備側としては借りがあるのも事実だし、敵対は避けたい、しかし呉の要求を呑むわけにはいかない。
そこで苦し紛れに「涼州を手に入れたら返すよ」と先延ばしを図ったが、痺れを切らした呉が荊州侵攻。
こんな感じでしょ。
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 22:09:06
何の条件もなければ貸しといっても譲渡同然じゃないか
流石に何らかの返還の条件があって、それが満たされたと考えられる状態になったから呉は返還を求めたんじゃねえかな
まあ、勝手に返還を前倒ししたごり押しってだけかもしんないが
前田慶次郎!!
>>165 名目上の統治権なんて関係ないでしょ
赤壁の時の孫権はあれだけの勢力でも会稽太守に過ぎない
しかも赤壁後は全く関係ない徐州牧
他は同意だけど
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 08:29:29
じゃあなんでわざわざ占領した荊州、特に江陵から引いたんだ?
俺が思うには、あの時点では所詮揚州の一部に割拠するだけの孫権軍閥には荊州まで維持する実力はなかった。
一方、劉備は明らかに荊州で高い名声を持っている。
そこで、荊州を貸すという形で劉備に統治を任せた。
貸したんだと称することで、のちのち返還を要求することができるわけだ。
赤壁前後の一時期、同盟関係にあった両者間だからこそ成立する関係だな
>>170 江陵を占領したままだと、呉の前線が長江下流から中流まで長大になり、とても
全てを支えきれないと判断したんでしょう。
周瑜の蜀侵攻には必要な土地だったが、あくまで曹操が赤壁の痛手を回復中にという
もので、蜀侵攻自体が延期になったのなら江陵の維持はマイナスになると。
>>170 賛成だが、そのへんの国家戦略を策定したのは孫権じゃなくて魯粛だ。
孫権はこの魯粛の戦略にはいまいち不満を持ってたように呉書には書かれてる。
確かに後々複雑なことになったし、荊州奪還は魯粛の死後のことだからそれも仕方ないかもしれないが。
>>171 江陵だけ持ってるってのはいかにもバカらしいよな。
劉備の盾になるためだけにそこにいるようなもんだ。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 08:59:06
∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい!
⊂彡
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 11:34:32
>>172 最初から孫権が荊州を支配できたかどうか、俺は疑問だね
劉備または劉キがいなければ、赤壁直後の時点では孫権の軍勢は荊州にとっては侵略者でしかない
長期間占領を維持するのは困難だろう
劉備に「貸す」ことで、荊州を安定させ、劉備への貸しになり、しかも多少なりとも荊州における孫権の評判などを良くすることができるだろうし、万全の体制で荊州を再度占領・支配する準備も出来る
孫権の不満は喉元過ぎればなんとやらってやつで、実際は魯粛の判断のお陰で、最終的には呉が荊州を長期間支配できたんだと思う
どっちにしても利害が一致したから
とりあえず荊州は劉備に預けておこうってことなんだろうけど
明確な取り決めをしなかったんだし、どっちもどっち。
周瑜は益州を侵略する気満々だったんですが。「逆取して順守す」はあの時代は通用しないの?
>>177 通用するも何も…
逆取順守は蜀書の故事…
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 12:18:08
その周瑜の計画が成功すれば、当然全く違う展開になり、一気に荊州益州全域を孫氏が支配したかもしれない。
それは認めるけど、計画は頓挫してるからなぁ
史記の故事だったかもしれん…陸賈あたりの…
まあ劉備は、周武王の事を持ち出してるから、
はなから逆取順守するつもりだったんだろうけど
周瑜の計画が成功しても無理だな
呉の国力がもたん
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 12:33:29
>>181 ならやはり魯粛のプランがベストだったことになるか
孫権は呂蒙らが荊州取ったのに目が眩んで魯粛の功績を正しく評価できなかったんじゃないか?
>>182 残念ながらベストは存在しない。
荊州も必要。
魏に対する防壁も必要。
ジレンマって奴ですな。
魯粛の問題点は、関羽に対する対案を持ち得なかったことと思う。
だからこそ呂蒙の成長が嬉しかったんだろうけど、
天下二分の場合、揚州〜益州まで維持できるかわからない
三分の場合、揚州のみで今後の展望もままならない
どちらにも大きな欠点があるわけ
史実の通りの呉の行動が一番いい
最初に荊と益を曹操以外の勢力でかつ自分達に敵対しない連中に取らせる
徐州方面からの防備と揚州の地盤固めがしっかりしたら荊益を狙う
不幸にして呉は実際には益州は獲得できなかった
それは蜀陣営のしっかりとした防衛構想と金山湯池の益州を甘く見すぎたってことだな
構想としての天下三分も二分も正しいと俺は思うよ
ただ呉にとっての三分は二分への過渡期としての価値しかないとは思うがね
>>183 まったくその通りだな。
関羽に対するというか、取り返す算段をつけずに荊州を譲る(貸す)ところが問題。
だけどそれが魯粛の凄さでもあるし、皇帝になったときの言を見れば孫権もそれは理解してたんだろう。
強いていえば、呉と蜀の同盟関係が理想的だったらベストと言えたかもしれない。
劉備は孫権を利用しすぎたし、その後の態度もあまりにも悪かった。
孫権が鄧芝の言葉に感銘を受けたのもよくわかる気がする。
鄧芝の言うような同盟関係こそが、初めから両国にとって望ましかった。
なんか久々に活性化してるね
188 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 21:13:22
>>186 あの時点で魯粛に荊州を取り返す算段まで求めるのはツライだろ
というかそれは孫権と将たちの役目だ
まあ最終的には魯粛自身がその将の仲間入りするけどさ
まあどんな同盟も利害が絡むから理想の形なんて実現なんてしないよ
,..::::´::::::::::::::::::::: ̄:::::::::::._/
/:::::::::::::::::| ヽ、:::::;::::::::::::/ オッス!魏って強っええなあ。
/:::::::::::::::::::::|´|ヽ |/_:::.::/ オラ、もっと弱い敵と戦いてえ。兵がもったいねぇから
_ .. -─':::::::::::::::、::|'ノ , \.!::∠ 蜀との約束守りたくねぇなぁ。
`'' ‐-.._:::::::;-‐、`(●) (●) |::::`::-、 朝起きたら魏が滅んでねえかなあ。
=ニ二::::::::::::::::|6 \___/、| 守成の名君ーッ!。攻めてこねぇや。誰か助けろ!来ねえ。
‐=.二;;;;;`‐t \/ ノ 魏や蜀真似て皇帝でも名乗るか。カーッ!反応がねえ!
つまんないね
蜀ヲタらしいな
* *
* *
* ( ゚∀) ( ^w) *
* (兄) /⌒ヽ cu母uo *
* ⊂二二二( ^ω^)二⊃ *
* | / , *
* _( ^∀)っ ( ヽノ c(*^д)っ *
* l 妹ノ ノ>ノ l 父ノ *
* ι' l_j レレ ι' l_j _ n *
* c(*^o^)っ c( ゚∀)彡 :*
* l陸ノ c(ヮ^ )っc' _c( ><)っ l と彡 *
* ι'l.j l泰 ! ⌒Y蒙⌒{ :し'l_j *
* ι J *
* *
\__________________________/
(⌒)
 ̄
O
。
/⌒ヽ
⊂二二二( ^ω^)二⊃
| 孫権/ ブーン
( ヽノ
ノ>ノ
三 レレ
つまんないね
>190>193はアケ板の三国志大戦本スレからもってきたAAだと思う。
どういうつもりで貼ってるのかわからんが。
ちなみに三国志大戦では呉の人物のカードが総じて弱くて勝てないらしく、
スレ内でバカにされてる感じ。かつ、SR孫権のカードがスーパーレアのくせに
あまりに使えないために、孫権がネタキャラ化されてるようだ。
やったことないしスレもざっと見たことあるだけなんでよく知らんけど。
こういうゲームのせいで、若年層に魏、蜀>越えられない壁>呉(色んな意味で)
という認識が生まれるのだろうか…
>>195 昔からゲームから入ったやつにアンチ呉が多いよね
肥の能力値スレでも定期的に最近の呉は不当に高いとか言うヤシ沸くからなぁ。
周瑜、孫策、陸遜、凌統、蒋欽、潘璋など、みんな高すぎらしい。
やっと正当評価されてきただけなのにな。演技の呪縛は恐ろしい。。
周泰がいる時点で・・・
>>196 呉の魅力って正史読まないと伝わらないからな。
吉川三国志だと呉もかなりいい感じになってるけど。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:49:41
能力高いけどみんな早死に
これが正史呉武将クオリティ
呂岱を忘れるな!
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:55:12
両頭とか二十代で死亡
早過ぎ
都督が変わる度にカラーが変わる
これが孫呉クオリティ
周瑜はいつも贔屓されて高いね
>>197で挙げてる武将はそうは思わないけど
、周泰の武力が93はちょっと高すぎじゃない?
やっぱり無双の影響?
ゲームの能力なんてどうでもいい
大体武力なんて測りようがない
周泰の能力が高いのは当然
スタッフにオタがいるから
周泰の能力を低く見積もると
孫権に成りきったヤツが上半身裸の周泰グラを持ってきて
傷の一つ一つを解説し出すんだよ
だから武力が高くて当然
周泰は何をしたってわけでもなく、ただ脱いだイメージしかない
孫権救助隊Aってイメージ
宋謙がBで、凌統がC
とんだ醜態
周瑜の能力値は大体は賛成だが、政治能力が高いのは周瑜好きとして納得いかん
周瑜はあくまでも武人であるのだ
おいおい
周瑜はしっかり後方を抑えてるだろ
80くらいはあってもいい
典韋とか許褚ってことか
周泰が孫権救助隊筆頭って、何の冗談だ
とりあえず俺は四都督で呂蒙が最強なら満足だ
それはあり得ないな
いや、常識だろ
むしろ呂蒙は三国志中最強
それはあり得ないな
いや、常識だろ
むしろ呂蒙は三国志中結構いい奴で病弱
それはあり得ないな
そんなだから呉は病弱萌えとか言われるんだよ
呉将はなんかコロっと死ぬイメージがある
董襲とか。演義の陳武とか。
董襲か、桐野三国志を読んだときに受けた
超弩級の衝撃を思い出す
なにしろ張飛より強いからな
董襲は若いころから勇敢な人柄だったが、自分の手で鉄を打ち、
一振りの刀を製作した。のちに蒙衝河で黄祖を討伐したとき、
董襲はその刀を抜いて衝河のほとりで地面に叩き付け、川の流れを
真っ二つにしてしまった。こうして大司馬を拝命し、
刀を「断蒙刀」と名付けた《董襲伝集解》
とかいう無茶な話から超絶強化されたのかなw
>>231 ハイパー三国志とかいう桐野作人の三国志
周瑜が死ななかったらこうなったよね?って話
ハイパー三国志てtitleからして胡散臭いな…読める本なのか?
IFは読む気が起きないんだが、董襲が活躍してるとなると、読んでみたいような
まあ魏、蜀ファンが読んだら死ねるな
呉主役の反三国志みたいなもんか
そう長くないからサクッと読める
仮想戦記モノでヘコむのは
なんでそんなに敵(?)が弱いんだ、と
相手が強けりゃ強いほど燃えるのが少年漫画的な王道なのに
ご都合主義やね
>>233 周瑜が主役のifもの小説?
孫権の扱いが非常にやばいと聞いたことがあるが…
孫権の扱いが良い小説なんてあったか?
吉川
>>239 いや、例の小説は目も当てられないほどひどいらしいと聞いたので。
孫権はどれでも脇役(引きたて役)だからな…
まあぶっちゃけ魏呉蜀で一番主役にしにくいのは呉なんだよな
呉を主役にすると中原の動静を背景としてナレーションしなきゃならん。
書きづらいことこの上ない。
書きづらいなんてたいした問題じゃないだろ
問題は人気がないこと
アホは引っ込んでていいよ
蜀ヲタにまともな人っていないの?
あんまいない。
他国のファンを貶める様な事を言うと、逆に呉ファンの評判を貶める事になるぞ。
人気がないから書きづらいんだろ
人気のある曹操とか劉備の動静をナレーションで語る必要がある、と
実際世の三国志だと呉の動静はナレーションで済まされるケースが多々
あくまで呉は開拓者だからな
未開の地に住んでる以上しかたないだろ
小説だと人気ないけど、民間伝承ではそれなりに人気があるような
孫権、周瑜、魯粛、陸遜、二橋、あたりは複数の話が残ってる
(顧擁主役の話を見つけたときはビビッたw)
特に魯粛は、伝承の中の人物描写が正史のそれに近かったり
岳陽楼やその近くの湾に名前を残していたり
墓が複数伝えられていたりするのをみると
死後の一時、関羽みたいに祭られていた時期があったんじゃないかと
勝手に想像してたりする
呂蒙城
陸遜城
甘寧公園
呂範は何だっけ
孫策や呂蒙は大人気だろ
イメージ検索で張飛や趙雲並にひっかかるからな
孫策・周瑜・陸遜・甘寧が一般人気で4強かな。その後ろに呂蒙・孫権・魯粛あたりじゃない?
まあ呂蒙の素晴らしさがわからんで三国志好きとかいってるのはモグリですよ
孫堅堤
雇用主役の話詳しく。めんどければ文献名、サイト名だけでもかまわんので頼む!
俺も知りたいw
顧雍を主人公でいったいどんな話を・・・
顧雍主役の話なんてあんの?
も少し情報頼みまする
>>251 自分も民間伝承興味ある
魏、呉のが特に(蜀はイラネw)
よければ文献名上げてください
三国志大戦って顧雍居ないんだってな。
呉の丞相が居ないとは・・・
>>260 顧雍のは俺も知らないがそれ以外のならググれば結構出てくるよ
263 :
251:2005/05/15(日) 16:32:43
母ちゃんが心配するのは当然と言える
これは不孝じゃないんかい
>>263 激サンクス
顧雍伝本文に基づいた創作なのが良いな。
伝だと、家の人は他人から聞かされてはじめて顧雍が重臣だったことを知るんだよね。
徐光の瓜
三国の呉(ご)のとき、徐光(じょこう)という者があって、市中へ出て種
々の術をおこなっていた。
ある日、ある家へ行って瓜(うり)をくれというと、その主人が与えなかっ
た。それでは瓜の花を貰いたいと言って、地面に杖を立てて花を植えると、忽
ちに蔓(つる)が伸び、花が開いて実を結んだので、徐は自分も取って食い、
見物人にも分けてやった。瓜あきんどがそのあとに残った瓜を取って売りに出
ると、中身はみな空(から)になっていた。
徐は天候をうらない、出水や旱(ひでり)のことを予言すると、みな適中し
た。かつて大将軍孫(そんりん)の門前を通ると、彼は着物の裾(すそ)をか
かげて、左右に唾(つば)しながら走りぬけた。ある人がその子細をたずねる
と、彼は答えた。
「一面に血が流れていて、その臭(にお)いがたまらない」
将軍はそれを聞いて大いに憎んで、遂に彼を殺すことになった。徐は首を斬
られても、血が出なかった。
将軍は後に幼帝を廃して、さらに景帝(けいてい)を擁立し、それを先帝の
陵(みささぎ)に奉告しようとして、門を出て車に乗ると、俄かに大風が吹い
て来て、その車をゆり動かしたので、車はあやうく傾きかかった。
この時、かの徐光が松の樹の上に立って、笑いながら指図しているのを見た
が、それは将軍の眼に映っただけで、そばにいる者にはなんにも見えなかった
。
将軍は景帝を立てたのであるが、その景帝のためにたちまち誅(ちゅう)せ
られた。
>>263 ありがたい
本は在庫切れか…
なんか呉って瓜が関係する話多いな
孫家は昔瓜を売って財を成したとか、孫権が瓜作ってる話もあったような?
歩シツは伝承じゃなくてほんとに瓜つくってたな
あのあたりは瓜の産地だったのか
映画「砂の器」で丹波哲郎が瓜食ってるシーン思い出した。
瓜食いてぇ。
そーいや「東陵瓜」作った召平も広陵の人だった。
煬帝が大工事を行う前は、呉も広陵も同じく大沼沢地だったから
瓜の栽培と関係あるのかもな
好意に解釈すれば、呉は良質の瓜が育ったのかもしれない
意地悪く見れば、他のまともな作物が育たなかったのかもしれない
呉の果物絡みの話で言うと、
李衡が嫁に隠れて、蜜柑園を作った話が好きだ。
>>270 あれはいいな。
小役人くさいけど真面目で人の好い李衡と、なんか大志でも抱いてそうな習氏。
あの習氏が羊ドウの娘だと考えていいんだよね?
>>271 中国じゃあ、嫁に出ても姓は変わらんよ。
羊ドウの娘なら、羊氏だろ?
習氏なら、習姓の人の娘だ。
羊氏との間には子供が出来ず、習氏の間に子供が出来たため、
正妻でない習氏が事実上家を仕切ったか、
羊氏は若くして亡くなって、習氏を後妻にもらったってあたりが、
妥当な線じゃなかろうか。
>>272 やっぱそうなのか。
なんかちょっと残念な感じ。
潘璋についていろいろ史料を集めているのですが
どんなものがあるでしょうか。
今のところ、演義ベースの諸小説群と日本語訳された正史くらい
なのですが、よろしくお願いします。
ほしいのは「史料」なのか?「資料」なのか?
おまいの中では演義の二次創作小説も「史料」に含まれるということでいいのか?
それによって答えがまるで違う。
>>275様
「資料」でお願いします。
民間伝承のようなものまで含めた広い意味での資料です。
なるべく多様なものにあたりたいので。
ぶっちゃけ正史と演義だけで良いような。
278 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 08:13:32
呉を調べられる「史料」の方は何がありますか?
集解は史料に入るのかな?
孫策が、実は巨乳だったら
歴史は変わったかもしれない
一騎当千がもしマンガとして面白かったら
歴史は変わったかもしれない
一騎当千ってどんな漫画なの?
呉が主人公の漫画・小説の中で最もメジャーだと思われる怪作。
孫策(女)が呂蒙(女)と共にウキツ(女)や関羽(女)と戦うバトルマンガ。
いっそのこと全部女だったりしたら面白かったかもしれないんだが。
つまらん位置に軟着陸してるとこが残念だ。
正史とかもう関係ないな
正史準拠な潘璋が主人公のマンガか小説ありませんか?
ねーよ
そんなんあったら俺だって読みたいさ
自分で書いたら(描いたら)ええがな
えらく冷え込んでますね、このスレ。
これが常態と言えなくもない気はするが……
張昭の君主への態度について語ってみようか。
張昭は明らかに孫権に孫策の影を重ねて見てるよな
部下達から自分以上に尊敬されてるし、無碍に扱う事ができない上に口うるさい。なのに部下
孫権にしてみれば、トップとしてやりにくい事この上なかっただろう
内心頼りにしてるけどいないと困るけど早く認めて好きにさせてくれよ、みたいな
高校生くらいの男子が親に対して持つ感情に似てるというか、そんな想いあったと思う
二人のコントは俺は大好きなんだがな
>>295 俺もあのコントは好きだ。
特に二人でわんわん泣いた後、やっぱり公孫淵に使者を送ったという場面。
張昭にしてみれば孫家の覇業は孫策の代で終わっていて、
孫権は劉表死後の劉jと大して変わらない存在だったのかもしれん。
孫呉を孫呉のままで後漢に軟着陸させるのが張昭の戦略論だったんじゃなかろうか。
赤壁の時に降服していれば、うまくすりゃ王、悪くても侯には封じられただろうし。
ついでに言えば、赤壁で孫権が降服して劉備が滅んでいれば、魏の簒奪もなかったかもしれん。
その時点で後漢の再興が果たされちゃうからね。
>>特に二人でわんわん泣いた後、やっぱり公孫淵に使者を送ったという場面。
あそこは最高wその前に反論できなくてマジギレする孫権も子供っぽいが、その後の二人の行動に至っては完全に子供の喧嘩だよw
孫権が一番信頼していた政治家って誰かな
顧雍、張絋、諸葛瑾、カンタクのどれかかな
特命係長虞翻だよ
300 :
孫権:2005/05/22(日) 21:27:23
>>299 ばれちまったか
そんなお前に…愛の交州送りだ
諸葛瑾だと思うな。
虞翻係長は学問、武術、医術も完璧ですからね
潘濬も捨てがたい
驢馬だろうな
顧雍じゃないか?
かんたくが死んだ時、孫権ががっかりするエピソードなかったっけ?
だから、かんたくだと思う
周瑜・魯粛・呂蒙・陸遜がそれぞれ逆の順番に活躍してたらどうなってたかな?
赤壁で無難に降伏
結局、4都督の実力に大差がないから
同じ道をたどると思う
降伏だな
降伏だな
アンチは思い込みだけでつまらんから(゚听)イラネ
差はないか・・・
俺はなんかどうしても周瑜が抜けてるイメージがあるんだが
もう少し生きてたらとか妄想するのも一番楽しいw
そもそももっとさっさと黄祖を倒して自力で劉表倒してたら
それはそれで新たな展開になってたかも
劉備とも同盟でなく臣従できるだろうし(裏切るだろうけど)
>>313 周瑜は軍事戦略、魯粛は外交戦略、呂蒙は軍事戦術。
魯粛が外交戦略を駆使したのは周瑜の死によって軍事的な荊州の保持が難しくなったからだし、
呂蒙は周瑜という優れた戦略家の下で実動・進言両面の経験を積んだからこそ天才戦術家たり得た。
そういう意味ではやっぱり周瑜が抜けてる。孫権も言ってるように発想のスケールがとんでもないし。
>>314 俺の脳内の文献には
孫権「黄祖テラツヨスwwwwwうはっ江夏統治できねwwっうぇwww」
と言ったとある
呉の国力を過大評価してるのか黄祖劉表を仮小評価してるのか知らんけど
劉表健在の荊州を独力で取れるのは当時曹操くらいだろう
黄祖はそこそこ重要な人物なんだけど資料がないから困る
別にアンチだからじゃなくてちゃんと考えてるよ
陸遜の場合だと守れるから守ったって感じでもし圧倒的敗勢(のように見える状態)になればあっさりと降伏すると思うんだよね
陸氏は土豪だし魯粛が孫権に名門の俺は無事だと言ったように名門として安泰だからさ
赤壁は周瑜、荊州は呂蒙、夷稜は陸遜でしか勝てなかった
と俺は思ってる
>>318 > 陸遜の場合だと守れるから守ったって感じでもし圧倒的敗勢(のように見える状態)になればあっさりと降伏すると思うんだよね
これは考えてるというよりイメージじゃないか?
名門という事なら周瑜のほうが上だし。
逆の順番で活躍という事は孫策の代まで遡らなければいけないわけで
そんなところから考察するのは袁術、陸康、孫策の関係が変わってくるから不可能。
周瑜は「天下を取るぞ」という気概があったからこそ圧倒的不利にあえて開戦したと思うので
陸遜の場合は土豪としてやはり江南の平穏が大事なので降伏を選択しそう
っていうか逆の順番ってことはまず孫策が死んだ時点で
「内は張昭、外は陸遜に任せよ」って遺言しなきゃいけないのか
陸遜は外に名が知られてないところから大活躍するのがいいのにこれじゃいかんなぁ
>>321 それなら「内は顧雍、外は陸遜」という遺言になるだろう。
極端な豪族依存体制。いかにも降服しそうではある。
張昭と周瑜ってのは孫策に惹かれて集ってきた人材だから、
ギリギリまで追い込まれない限り孫呉を捨てない。
周瑜が主戦派として、孫策の義兄弟、また有能な司令官として初めて赤壁は戦えたと思うね
陸遜だとあの瞬間では一族討ったばかりの孫氏に協力する気はあんまり起きないだろう
「内は顧雍」ってのは実務的にはまったく問題なさそうだけど
「外は陸遜」ってのはキツそうだ。
例え陸遜が戦うことを選ぶようなことがあったとしても
将たちがまともに言うことを聞くとは到底思えないよ。
正史通りなら陸遜は忠烈の塊だよ
用兵も周瑜以上に綿密なものだし
赤壁も勝機があることぐらいは見通せただろう
まあ問題はあの情勢で孫氏に協力して江南での陸氏の地位を不動にする
気持ちがあったかどうか
周瑜は魏陣営に放りこまれたら平凡な1将として埋もれますか?
魏の居並ぶ人材の中に入れば周瑜も目だった活躍はできん。
せいぜい満寵とか・・・。
蒼天厨の友人の言葉にどうしても納得できんかったので
このスレの人たちの意見を聞きたいっす。
俺が呉好きで目が曇っとるんでしょうか。
満寵クラスの活躍ができれば充分一流じゃないか
その友達は魏を馬鹿にしてるな
そもそも雲霞のように人材が揃ってる魏で一定以上の評価を得られれば一流
単に一流がいっぱいいるから相対的に目立たなくなるだけ
正史の満寵クラスなら確かに一流
でも蒼天の満寵を想定していると・・・
っていうか満寵に匹敵する奴なんて魏でもそんなにいねえだろw
なるほど、満寵が呉に居れば
周瑜程度の活躍はできるだろうと。
防衛戦は得意分野だし、赤壁もOKだね。
長生きだから陸遜たちの出番までなくなるな。
>>331 まあ気概というか天下とるぞ!みたいな執念では劣るかもしれんが能力的にはそこまで変わらん気もするな。
周瑜の凄いところは戦略性の雄大さと、それを実行する際の迅速性。
そして孫呉の優秀な軍人をほとんど掌握し、縦横無尽に使いこなすスケールの大きさ。
魏は確かに人材豊富だけど、上のような役目は曹操自身がこなしてるから、周瑜に比肩する軍人はいないよ。
>>334 褒めすぎじゃね?気持ちは解るがw司馬懿とか後期の武将はタイプ近いかもね。
魏前期の名将は呂蒙タイプだと思うな。タイプの違いで優劣はつけられん。
>>335 呂蒙のように戦略にまで関わった司令官が、曹操存命時にいたか?
曹操存命時は、殆ど曹操が司令官だから呂蒙タイプもいないでしょ
大体、孫権からすれば周瑜と呂蒙は、
その戦略の雄大さに差があるだけでタイプとしては同じだし
もっとも、武将時代の呂蒙タイプなら話は別だけど…
「周瑜に負けたのだからはずかしくない」
武将ときたか
果たして満寵や陸遜の家柄で
周瑜と同じほどの理屈を持ってしても孫呉の家臣達を開戦でまとめることができるのか?
342 :
335:2005/05/23(月) 17:11:58
>>335 まあ誉めすぎだけどねw
そもそも魏に周瑜タイプの将帥が生れなかったというよりは、
曹操が周瑜タイプの軍人を育てないように配慮してたってだけだし。
周瑜が魏にいれば孫呉でのような用い方はまずされなかっただろうという気もする。
似たようなタイプに諸葛亮や司馬懿がいるけど、こいつらは国政を掌握してるんだよね。
でも周瑜は赤壁の開戦時もあくまで戦略論を述べただけで、政治向きの話はしてない。
益州攻略を進言したときも、蜀には孫瑜を置いて自分は江陵に戻るとか泣けること言ってくれる。
呂蒙もそうだが、その心根までが純粋に軍人だったという点で、臣下としては司馬懿や諸葛亮を凌いでる。
いわば理想の韓信。もっともそれは早死にしたからで、劉備の言うようにいずれ独立を図ったかもしれんが・・・
おれ
>>334だった・・・
周瑜に会いに逝きます・・・
>>342 たまに独立を図ったかもしれんと言われるが、ショウ幹との逸話からも俺には裏切るとは思えんのだよな。
周瑜は絶対に裏切らないだろう
独立なり乗っ取りなら孫策死亡時にいくらでもできる
周瑜が裏切って独立なんて
このスレでも思われてるんだな
一番そこに縁遠い将だと思うが
いや、思ってはいない。
指摘されると嫌だから、一応先に言ってみただけ。
呉ヲタは腰が引けてるな
蜀ヲタは何の論拠もなくても一騎討ち挑んでくるのに
>蜀ヲタは何の論拠もなくても一騎討ち挑んでくるのに
それではまるで頭の弱い子みたいではないか
350 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 18:40:23
周瑜のパーソナリティ的に独立しそうにないってのはわかるんだが、実際には個人の判断・性格だけで決まるものでもないからなぁ。
周りに担がれる、という可能性も充分あるだろう。
忠臣であろうがなかろうが、韓信のような立場は誘惑と周囲の疑念を引き付けてしまうものだ。
韓信って独立する気満々だったのに度胸なかったあの戦馬鹿?
司馬遷タンは韓信にめちゃくちゃ冷たいよな。
賈詡に対する裴松之以上に手厳しい。
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 19:06:03
>>351 匈奴に攻められやむなく降ったのだから、仕方ない面もある
もとより韓の王族だから、ある意味始めから独立していたようなものだしな
誰のことだ?
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 19:25:36
関心ねえな
周瑜を担ぐなんてそれこそ難しそうだ
周瑜を担いで独立に追い込むなんてのは
難しい上にリスクばかりがでかすぎやしないかと思う
だいたい周瑜と韓信を同列に語るってのがどうなんだ?
高祖に対する韓信と
孫呉に対する周瑜では違いすぎるのでは?
>>357 本拠地から離れた場所で軍権を握る圧倒的な実力者ってことだろ。
実際、孫登死後の孫権は陸遜に対して不信感を持ってしまった。
でも周瑜はそのあたりのケアもしてそうだからな
率先して孫権に対して臣としてふるまったり、
周瑜伝の天下二分に見えるようにわざわざ孫瑜
立ててみたりとかさ。
そんな本来なら必要なさそうなところまで気を使った上に
曹操・劉備なんて厄介なのを相手にしてほとんど一人で切り盛りしてるようだから
早死にしたのかもしれんがw
状況が変わればどうなってたかわからんけどな。
ただそれでも能動的に周瑜が自立するというのはちょっと考えづらい。
が、孫権に疑心暗鬼が生じ両者の関係がしっくりいかなくなる可能性はあると思う。
孫権の老害が発生するまで周瑜が長生きして
にもかかわらず、まだ呉の基盤が安定してなければ
両者の関係が悪化して周瑜が職を辞するなんて可能性が
全くないとは言い切れないかもしれない、かなぁ。
ただ孫権が周瑜を相手にして陸遜にしたような
振る舞いをするか、できるかというのも・・・。
張昭に対して畏敬の念を払ってたように、周瑜に対してもかなり気を使うだろうね。母親から「兄と思って接するように」
とまで言われてるからな。
とするとやっぱり周瑜が反乱ってのは
相当無理があるんじゃないのかなぁ
なんか最近になく良い感じでスレが流れて楽しいぞ
やっぱ周瑜は偉大だw
むしろ説得力のある周瑜独立論みたいなものはあるんだろうか・・・
江表伝の劉備の告げ口ぐらいしか周瑜の独立を煽るようなものがないし
昔、周瑜暗殺説てのがあって首謀者は孫権、魯粛という説らしいんだが
誰か詳細知ってる人いる?
知らんなあ、劉備が暗殺した説は聞いたことあるけど
怪しげなif小説とかじゃないのか?
呉書見聞にも可能性は無視できないって書いてあるから知りたいと思ったんだけどリンク切れてるんだよ
そんぽこに直接聞けば?
これまたなんというか・・・孫権と諸葛瑾の逸話を知らんのかな?それに孫登の遺書も作り物になってしまうが・・・
妄想ですねぇ。
なんというか、老害発生時の孫権を基準にして
猜疑心が強いからとかいう推測は孫権が少し可哀相だ。
あと、結果的には魯粛の案を取ったような形になったが
実際のところ孫権は周瑜・魯粛どちらの案も取っていない。
いわば折衷案に近い形で両者の顔を立てていたはずだった気がするが。
それに天下2分は周瑜が居てこそ成り立つ案。
自分が動けないとなれば魯粛に道を譲るしかないと考えるのは
現実を見る目を持った周瑜なら妥当な判断なのでは?
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 23:11:12
君主としては、自らの権力や地位を脅かす潜在的脅威を警戒し対処するのは寧ろ義務
周瑜が信頼できるかどうかは極端な話し二の次
転ばぬ先の杖だよ
警戒して対処するのは当然のこと
ただ、それが暗殺にまで至るかどうかとなると……
そんな手段しか持たない君主には人は付いていかない。
だいたい有能な家臣を持ってただ恐れてるなんて様じゃ
君主になること自体が間違ってる。向いてないとしか言いようがない。
そして孫権はそこまで酷くはないと思うが。
>>370 一つずつ論駁できるな。
1、「周瑜の天下二分計ではなく、魯粛の天下三分計が孫権陣営の基本戦略であった」
これは嘘。魯粛が初めて孫権に会ったときに述べた戦略論は明確に天下二分を示している。
荊州を劉備に与えるという方針は、魯粛自身がかつての戦略論を撤回して提案したもの。
二分から三分に路線変更したのはあくまで魯粛であって、周瑜の側ではない。
この路線変更は領土拡張のみを考える周瑜と領土保持を考える魯粛との意見の相違が原因であって、
周瑜の功績によって立場がどうこうという問題は、少なくとも魯粛に関しては考えられない。
事実、魯粛は荊州貸与によってむしろ立場を悪くしてしまっているし、荊州奪還に奔走している。
2、「孫権は元々猜疑心の強い人物であった」
周瑜自身が進言しているように、監視下に置いておきたいのはむしろ劉備その人である。
劉備を差し置いて腹心の周瑜を疑うというのは、まったく理屈に合わないように思われる。
また、周瑜は益州攻略にあたっては孫家宗室の孫瑜を伴うと強調しており、不安要素を排除している。
孫権は周瑜の益州攻略に許可を出しているが、疑念があるならばこの案件を却下するだけで済むはずである。
3、「何故巴丘に滞在していたか」
江陵に赴く途中であったと陳寿本文に記されている。
周瑜は江陵戦で関羽や張飛を指揮していたという記述もあり、両陣営は軍事レベルでは親密であった。
軍体制においては孫権・劉備両陣営の統率者が周瑜であったとも考えられ、巴丘に立ち寄ることに違和感はない。
加えて至極当然な考えを述べるとするなら、周瑜が暗殺されたと仮定した場合、首謀者は劉備である。
孫権が劉備の勢力下で臣下を暗殺する理由が見当たらない。
4、「周瑜の遺言状が魯粛伝で記されていること」
周瑜の遺書が魯粛伝に掲載されているのは、後事を託されたのが魯粛であるからに他ならない。
なお、呂蒙の遺言は朱然伝に記されている。呂蒙もまた孫権に暗殺されたのであろうか?
4ワロスw
的確すぎるな
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 01:14:21
暗殺は与太話だろ
ただ、周瑜が絶妙のタイミングで世を去ったのは間違いない
孫権が彼に対しやりづらさや疑心を感じたり、周瑜が周りから謀叛を疑われる前に、功績と高い人格的評価だけ遺せたんだから
周瑜は張昭とおんなじ感じの独立状態になるんじゃないの
つまり、忠誠を固く守っているという点では揺るぎないものの
意見は孫権が聞き入れなさそうな意見でもガンガンいう感じ
いや周瑜が顧雍・諸葛瑾並に遠慮しまくるならいいけど
そんな感じでもないし
あ、↑のは「もし益州をとって独立するとしたら」
っていうifね。一応
ifツマンネ
>>378 顧雍・諸葛瑾なみに控えめということもないだろうけど、
張昭のように歯に衣着せぬ物言いをするとも思えない。
実際、周瑜は死ぬまでそういう態度を取ってないし。
任地から離れずに上奏する危険(に見える)人物・陸遜に比べても、
わざわざ孫権に目通りを願って進言する周瑜は安心感がある。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 12:50:09
二宮の変を孫権の老害で片付けようとする人ってまだいたんだ。
老害だろ
「老害だけ」で片付けるのもよくないんだろうけど、まぁ大きな原因のひとつだよな
>>378 周瑜という人物そのものを見誤ってないか?周瑜は昔から率先して孫権に対して臣下の礼を尽くした人物だよ、特に他人の
前では。一体どこを見てそう思ったんだ?
アルツハイマー的な病気にかかってたとしてもなんら不思議では無い
期待の息子が死んだ、諌める事ができる人がいなくなった、ジジイになったetc
いろんな要因が絡んで殺伐とした孫権になったんだろ
>>387 土佐の出来人長宗我部元親とちょい似てますね。
嫡男死去(戦死ですが)。反対する家臣らに死を命じ、四男の譲位を強行。
家臣の讒言により三男幽閉。
正史を翻訳した人も孫権がもっとも評価したのは
周瑜だとなんかの本で書いてたなあ
370のサイトで呉志第七 諸葛瑾伝の 繁栄と晩年 前編の記述で
228年、陸遜が石亭で曹休を撃退し、諸葛瑾は司馬懿を撃退したってあるけど
諸葛瑾が司馬懿に勝ったっけ、逆じゃなかった?
周瑜の息子は処罰されたのですか?
次男がね
親の声望汚すだけのロクデナシだったからな
でも親がもう少し長生きしてたら変わってたかもしれんよな
素材は悪くなかったんじゃないかと……
むしろ長生きしたせいで周瑜本人が孫権みたいに老害発生させたりして
周瑜が長生きすることによる様々な可能性に比べたら
その後の多少の老害なんて問題ない
二宮も大半は自業自得で死んだやつ等ばかりだし
陸遜も爺さんだったから死期が微妙に早まったですむかも
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 14:05:10
周瑜が長生きだったら、曹操・孫権・周瑜の天下三分が見られたかもなあ
ありえん
401 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 14:27:22
まあ独立する気があろうがなかろうが孫権に忌まれたあげく粛清されるのがオチかな
それもありえん
なんで「長生きしてたら天下二分は成功したかもなあ」が出てこない?
無理でしょ
魏が先に蜀取るかもよ
405 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 14:58:45
>>403 普通に呉の蜀攻めは無理だから。
劉備の場合は、内通者がいた上に、あらかじめ国内に招かれてる。
トウガイの場合は、決死の陰平越え。
外に曹操、内に劉備は抱え、遠く本国を離れた周瑜が成功出来たとは到底思えない。
周瑜存命の場合ならあるいはって思いがあるよな>蜀取り
それでも周瑜なら……
周瑜ならきっと何とかしてくれる……(AA略
>>405 蜀の内応者は優秀な指導者を求めていたのだから呉の場合でもあったかもしれない。
さらに当時は張魯との交戦状態にあったため、つけいる隙がある。魏の場合は進路が違うから・・・
むしろ先に取られる可能性は低い。さらに赤壁の敗戦と長江のために周瑜抜きでも防衛可能(だと思う)。
問題は劉備だよなぁ。どう動くか予想しづらい。
指導者を呉にしたら蜀じゃなくて呉になっちゃうじゃん
・・・えっと、どういう意味?
呉の蜀攻めにケ艾の陰平越えを例えにだすなんて馬鹿?
蜀攻めの作戦立案者のホウ統が周瑜の配下にいるし
内通者の大本の張松は劉備が攻め込む前に発覚してる
劉備軍は関羽、諸葛亮いった名将も不在で守りを固めた劉璋軍に
連戦連勝、荊州から出発した援軍も瞬く間もなく各県を平定
ラク城で1年足止めくらっても本拠地の荊州が危機に陥る様子もない
蜀建国する前の劉備軍の兵力や人材で蜀攻略が充分できたのなら
当時の呉の戦力でも充分可能と見ても不思議ではないと思うが
やっぱ問題は劉備だろうけど
周瑜の背後を襲うようなバカな真似はするはずはない
劉璋を騙して成都を急襲して先に成都を占領する可能性はあるだろうな
劉備が協力しないと主張したため蜀攻めをあきらめてんだからムリっしょ。
周瑜が生きてたらの話でしょ
甘寧を埋伏させれ
そうすりゃ巴ぐらいは手に入ったかも
>>406 やっぱそう思わせる何かがあるな、周瑜には
>>411 江陵にいる周瑜の軍勢の兵站線は劉備のそれと大して変わらないのでは。
>>414 むしろ、どうしても呉(周瑜)を止められないなら積極的に周瑜軍側に参戦してきそうで怖い。もしそうなって劉備がなんらか
の武功を挙げたらまた領土を要求される・・・
周瑜の蜀攻めは戦略理論上何の問題もない。
曹操が防衛に徹しなければならない時期だから呉をガラ空きにしてもOKだし、
蜀の拠点を一つずつ潰していった劉備とは方法論が違うから時間もかからないし、
益州にいくらか後顧の憂いが残っていても漢中争奪の相手は張魯なわけだし。
でもまあ、劉備だけはどうしようもない。
孫権が周瑜の進言を入れて劉備を軟禁しときゃよかったんだよ。
戦場で殺されたわけでもない人間を長生きしたら〜って言ってもなあ
>>421 それ、逆。
長生きしてたらってのは、ふつう病死の場合に言う。
戦場で死んだなら惜しくも何ともなかろうが。
孫策が長生きしたら〜ってよく聞くけど
孫策も戦場で死んだわけじゃないからな・・・もう孫一族は狩りとか偵察とか禁止にしときゃよかったのに。
孫策も戦場で死んだわけじゃない。
孫策が許都襲撃に失敗して戦死したとか、
周瑜が益州攻略に失敗して戦死したとかいうなら惜しいとは言われまい。
要はやるべきことをやり尽くして死んだかどうか。
戦場で〜と言うのはちょっと変な発言だったが、
誰かに殺されたっていうのならもっと長生きした可能性はあっただろうが、
病死ってのは避けられない死=寿命だと思うけどな
許都襲撃に成功した後に死んでもあんま長生きしてたら〜とは言われないかもね
呂蒙や孔明も長生きじゃないけどやることやったからOKな感じがする
戦場で死んだホウ統も確かに勿体なかったが、後になって悔やまれるのは法正の方だしな。
>>426 寿命が長かったら、で話してるのではないのか?
孫策や周瑜は早死にだから、ここまで惜しまれる
40半ばまで生きてたらもう少し迅速にやればよかったって
駄目押しされただけ
周瑜はともかく孫策はぶったまげるくらい早死にだからなぁ
ぶったまげましたか
26歳。
やばすぎ。
おどろきモモンガって感じ。
やべ、あと3年しかない
新婚1年で未亡人になった大喬が不憫でならない
周瑜が美味しくいただきました
そろそろ諸葛恪について熱く語ろうぜ
お断わりだ
でも周瑜が益州取りに成功したら
法正も劉備の時みたいな無茶はできなかっただろうな
周瑜あっさり斬りそう
劉備はァーッ!!孫権や周瑜の予想をォーッ!超えるゥーッ!!
よってッ!周瑜の益州入りはッ!!不可能だッ!!
だが決行する!!この周公瑾が最も好きな事のひとつは、
自分で強いと思ってるやつを出し抜いてやる事だ
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 12:47:59
そして最後に主君孫権を出し抜く周瑜
orz
なぜジョジョオタが・・・まあいいや。じゃあ次は魯粛を褒め称えようぜ!赤壁の立役者は彼です。
戦死は他殺であり、その人次第で回避できる
病死は対処法がはっきりしないため手遅れになることが多い
可能性を感じる分、病死の方が惜しいと思いやすいんだな
また早死に云々は年齢とは関係なく、夢をみさせてくれるから惜しいのであって
法正や周喩がよく出る割に、ほう統や魯粛が早死にしても口の端に上らないのはそのせい
魯粛はけっこう無責任なところがある。
赤壁ではその戦略の現実面を周瑜に任せているし、
後には取り返す算段をつけずに荊州を手放している。
孫権の若さを盾にして長期的に天下を窺うというのも、
魏に曹丕・曹叡と名君が続いたことで失敗に終わった。
しかし魯粛の凄さはその臨機応変の構想力にあった。
結果的に周瑜の軍略に頼ることになったとはいえ、
それまでの魯粛の奔走がなければ周瑜の出る幕もなく、
孫呉は曹操に降服することになっていたかもしれない。
また、呂蒙が成長してからは荊州奪還に動き出している。
単刀赴会は天下三分のための外交折衝と思われがちだが、
魯粛が既に呂蒙の対関羽戦略を聞いていたことを考えれば、
これは後の荊州攻略のための布石であったとすべきだろう。
結局、孫呉は魯粛の戦略を基盤として動きつづけていた。
合肥と濡須の攻防ですら、キーマンは荊州を取りさばいた魯粛といえる。
陸遜を軍事の中枢に据えてからの孫呉が守勢にまわったような印象を与えるのも、
魯粛が欠けたことで能動的な国家戦略を伴う軍事行動が出来なくなったからだろう。
呉は他二国に比べてややこしいもんな
魯粛クラスの戦略家がいないともうわけわからん
魯粛がいたら劉備死後の蜀を陸遜に攻略させたかもしれないね。
鄧芝が派遣されるまでは孫権もそのつもりだったみたいだし。
気になっていたんだが
なんで魏は呉ばかり攻め込むんだ?
蜀は小国だから後回しにしたんか?
>>450 侵攻路が漢中もしくは険路である武都・陰平方面に限定されるからというのが大きいんじゃない?
魏は蜀に対して大規模な侵攻を三度行っているが内二度は漢中を抜けず撤退してるし。
呉の領土は切り取れる。
でも蜀の領土は切り取れない。一気に滅ぼすしかないわけよ。
453 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 19:53:15
シナチクはシナへ帰れ
シナの歴史なんか知って喜んでる売国奴は帰ってこなくていいよ
氏ね
それは先代の若死にで、私は17才でした。
その死は単騎で無防備で、こんなアホらしい戦死を知らされる私は、
きっと特別な運命なのだと感じました。
今では、私がありえないくらい若死に。弟に知らせるのはもちろん単騎で無防備だったという事。
なぜなら、
彼もまた、特別な運命だからです。
日本語の不自由な方がいらっしゃいました
わかってるかもしれないが「ヴェルタースオリジナルのガイドライン」の改変ネタかと。
世の中は広いな
聞いたこともねーや
このスレで周瑜が人気なのは良く分かった
魯粛だとイマイチ盛り上がりに欠けるのも
諸葛恪が一言で片付けられるのも分かった
他に人気があるのって誰だろう
ゲームな人たちの間では朱治・陳武・孫権あたりの話題が
盛り上がっているようだが……
>>458 マテ、魯粛のために長文書いた俺の立場は?
陳表の話しよう。
>ゲームな人たちの間では朱治・陳武・孫権あたりの話題が
>盛り上がっている
URL!URL!
どうせ知ったかだろ、見てみたい
>>458 俺の場合、諸葛瑾や是儀、孫秀あたりが……
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 23:39:49
俺は劉纂とか厳象とかかな
やっぱ虞世洪でしょ
厨呼ばわりされそうだが留賛が好きだ
留賛好きで何で厨?
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 00:12:08
論語注釈者の皇カンって皇象の関係者?
名前だけを挙げるあたりが厨くさい。
留賛好きは厨じゃないかもしれないが留賛は何となく厨っぽい。
>>466 いや、なんとなく厨好きのしそうなキャラじゃない?
歌うから?
厨は留賛知らないと思うけどな
留賛は老将なので厨は存在自体知らんだろう
何をもって厨と言うのかはよく分からんが
正史のDQN潘璋大好きな俺のほうがよっぽど厨臭い
じゃあ一言で流された諸葛恪好きな俺も厨仲間に入るわ
正史読んでると厨じゃなくなるんだな
興味深い
魯粛は専用スレがあったから終わった
諸葛格は具体的な話題もなく軽い提案だけだったから
>>438のネタに消された
張昭が近所にいたら俺はまともな人間になれた
俺は諸葛瑾さえそばにいてくれれば、今からでも真人間になれるのに
>>479 諸葛恪・諸葛融もセットでそばにいますよ?
潘璋が近くに居れば俺はまともな人間に見えるはずだ!
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 12:51:18
諸葛瑾と比べれば、どんな奴でも人間らしく見えるのだろう
483 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 13:03:32
まああれだ
諸葛恪は太子派とされているが魯王派に通じ、陸遜死後昇進して地位を固めてる
二宮のときのどっち派って分け方も怪しいところがあるってことだな
そこが諸葛恪の(数少ない(!))誉めポイントですよ
魯王派は二流の豪族が多く、太子派は一流の豪族が多いが
また一方で一流の豪族と孫権には微妙な対立(あるいは疎遠)関係にあり
魯王派は豪族としての立場が弱い分孫権との対立関係は薄く親孫権派の関係
しかしながら諸葛恪は太子派であり一流の名士でありながら
超がつくほどの孫権のお気に入りだったという特異な点から
太子派でありながら難を逃れたという構造ですよ
じゃあそろそろ諸葛恪について熱く語ろうぜ
あ、魯王派にも歩隲とか全jとか一流の豪族もいるのに
すぐ死去してるからって無視してた。まあいいか
486 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 13:24:48
一流かな?
どっちも孫権の姻戚関係だし
諸葛恪って、軍事面では微妙に信用されてないよな。
合肥から左遷?させられたりしてるし。
あと可哀相なのは、孫峻に殺されてしまったせいで、
善玉とも悪玉ともつかない存在になっちゃったこと。
孫峻って諸葛恪に殴られる夢見て発病して死んだとかいうヤツだっけ?
微妙に早死にだったような記憶があるけど
ん、孫峻はどうみても悪玉なので孫峻に殺されたという点だけを見るなら
悪玉に殺された諸葛恪は善玉ということになりそうだが違うのか?
オレが意味を取り違えてるのかな
末路がよろしくないせいでマイナス点がついてるのは可哀想だと思う
相変わらずこのスレはニ宮の乱の話題がループするのな
やはりこれが一番のなぞだな
>>490 でも殺されるに至る経緯を見れば諸葛恪自身も悪玉くさいわけよ。
いってみりゃ悪玉が悪玉に殺されたような感じですっきりしない。
孫権死後から孫チンが誅殺されるまでの孫呉は、そのへんがいかにもよろしくない。
「三国志大戦」
萌え?な朱治
頭に矢印のある朱桓
トカゲ人間の陳武
沙悟浄風味な激弱潘璋
名君と持ち上げられながらも使えない孫権
なんて呉の面々と魏・蜀その他群雄から黄巾賊までが
入り乱れて合い争うセガのオンラインカードゲーム
SR孫権は、孫呉の最後から二番目の武器だぞ!馬鹿にすんな
実際にカードの絵柄が見らんないと何とも言えんなぁ。
とりあえず検索してみた限りでは虞翻イケメンすぎ。
しかし二宮での行動を変えても魏みたく
陸呉・張呉とかになるんだから、難しいものだ
上の方の孫権が意外にかっこいいな。
しかしこうして見てみると、ふだん美形が多すぎるとかいって叩かれてる
コーエー三国志の顔グラは実にまともというか、イメージに合ってるな。
陳武は完全に人ではない何かにされてるな
ついでに美形の代表の周瑜と陸遜がどんなグラなのかも気になるのでうp頼む
(もうこの際陸遜は美形の代表に加えとくことにする。異議を言うのもメンドイ)
陸遜美形は無双じゃなくて演義から始まったことだよ
横光陸遜こそ真理
空気の読めない虞翻について語ろうか。
韓当よわっ!(´;ω;`)
弱ッというか、肩についてる三日月と
妙にきっちり整った髭が気になる
呂蒙はSRじゃなくてRの方晒せよ。
俺あの漫画家好きなんだってば。
孫尚香尻出しすぎだろ。
周泰カッコヨス
当たりはずれの大きい絵だな
孫尚香尻出しすぎだな
まるでペナルティカンチョーを待ってるみたいだ
孫尚香
俺はエースを狙えかと思た……
呂蒙ビミョス
>>518 ― / _/_ ―― _/_ 。 / ̄ ̄/
― / / /  ̄ ̄/ / /
_/ / _/ // l _/
/\ _ _/ヽ,
, '´'''''' '''''''' \
/ノ////'`ヽ,从从ミ. \
l,; '''''''' '''''''''::::ヾ,iii.i +
ll(●), 、(●)、 lilill|
|| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::i||||| +
lil `-=ニ=- ' .::::::i l ll +
|\ `ニニ´ .:::::/| il||
,`'ー‐---一' \
/ || _| | ヽ
| | ̄''''''' ̄ | |
| | . . ヽ ┤ |
| | | |
| ヽ○ ノ ノ
ヽ-'' (,,,_ノ
| // |
| /‐l| |
i..,_,_,,,_, /|'##|i_ノ
| | |:l♯/ |
| | ヽ=''| |
⊂ ) ⊂ )
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 20:49:42
ここは何のスレだ?
とりあえず劉纂や諸葛直や谷利のカード見せれ
>>521 まだ無い
というかたぶん出ないだろう・・・
呂範が凌操になっているぞ、と。
524 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 21:08:40
マジで?!
ひでぇな
孫晧くらいは出るよな?
そんな隅々までカバーする余裕があると思うてか
孫皓は知らんが
なにこの銀の像
ゲームが続けば孫皓くらいは追加で出るんじゃね?
個人的には谷利とか出して欲しい気もするが
演義ベースらしいんでな、陳到とか出てるけど・・・
絵職人が希望したのてきとーに選んでる気がしてきた
ちょっと萌えた。
もうだめだ俺。
亮ちん☆
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 23:36:57
直リン多いな・・・厨の証拠か?
まあぼちぼち元の流れに戻ろうよ。
二宮でも諸葛恪でもいいからダラダラと考察しようぜ。
君達は呉の事が好きなのか?
そしてそれは一番目に好きなのか?
二番目なのか?本当は袁術が好きなのか?
そしてどうして呉が好きなのか?
好きじゃないのか?
あえて呉を選んだ呉好きの君達に呉の好きっぷりを披露してもらいたくて悪いか?
>>537 まずは黄蓋
黄蓋っていうと赤壁だけのラッキーじいさんと思われてるけど全然違う
何が違うかってもう魅力が凄すぎる
黄蓋の下で兵卒になっちゃったらじいさんフェロモンで真剣に戦っちゃう
だから、じいさんの部隊は全然負けない
あと、異民族 異民族すらじいさんの前ではしおらしくなる
馬謖の心を攻めるなんて言うの笑っちゃうくらい、心攻めてる
あと政治には疎いけど、こいつが赴任してきたら役人やばい
サボってたらマジで殺される
最初のうち放置プレイだからどうしても油断しちゃうのがヤバい
死にたくなかったら兵卒の気持ちでやらないとダメ
これが呉の魅力かな
呉は魅力的な将が多いよ
このスレにもファンがいるらしい潘璋とかもDQNだけど
はっきり言って魅力ある武将だし、実際下で働くのは嫌だがw
虞翻とか張昭とかもちろん周瑜、魯粛、孫策etc.....
魏が人材の宝庫なんてのは良く言われるけど
そんな魏にも居ないタイプのいろんな魅力を持った将たちが居る
それが呉好きな理由かな?面白いんだよ呉って。
江南気質とか言ってるやつもいるよな
孫権と張昭のトムとジェリーに見られるように
中原じゃあり得ないなにかがそこにはある
それが孫呉クオリティー
>>537 孫策ほど夢のある人物は中国史、いや世界史にも数えるほどしかいない。
その夢に殉じた周瑜。三国時代というものは周瑜が曹操の南下を阻んだことで成立したといえる。
周瑜の死後、軍事的優位性を欠いた状態で天下を膠着状態に持ち込んだ魯粛の類い稀な戦略性。
やがて孫策・周瑜のもとで成長しつづけてきた呂蒙が至高の将帥として再び曹操の南下を阻み、
遂には目を見張るような天才的策略で魯粛が手放した荊州を無傷のままに奪還する。
その呂蒙に学問をすすめ、単なる軍人以上の存在にまで育て上げた孫権。
信じがたいほどの若さで呉の君主となり、ただの雑号将軍から皇帝にまで昇り詰めた。
彼の見事な江東統治こそが後の東晋へと繋がり、今の蘇州の繁栄へと結びついていく。
などなど。もう呉以外の国のことなんか考えらんないね。呉ラブ。
>>541 呉以外の事が考えられないと言いつつ曹操に注目しているお前さんに萌えた
実は呉以外にも詳しいのが呉ファンクオリティ
なんか熱いなみんな、大丈夫か?
俺は思わずニヤリとしたくなるような逸話が多くて好きだ。魯粛・虞翻の歯に衣着せぬ発言とか孫策の大将とは思えぬ奔放さとか
潘璋・甘寧他の暴れっプリとか、あと孫権と部下の問答なんて面白談話てんこもりだしね。
あと泣ける話しもある。周瑜・孫登の遺書なんて読んでて泣けてくる。忠臣も多い。あと登場人物がしょっちゅう泣いてる気がする。
さらに読んでみて初めて名前知ったような奴がかなり凄い事やってることもあってびっくりする。
まあ何が言いたいかってゆうと呉は面白い、マジおすすめ。てか三国志自体おすすめ。
>>537 小学生の時に初めて吉川三国志を読んだ。
その時には人物の名前を覚えるのも大変で
話もそれほどしっかり理解できていなかったと思う。
そんな中で自分にとって一番心に残っているのが孫策の死だった。
子供心に「なんでじゃー!!」と叫んでしまったのを覚えている。
次に読んだのが光栄の爆笑三国志シリーズで正史と演義の違いとか
個人のエピソードとかいろいろ知って一番好きになったのもやっぱり呉だった。
真面目君よりもどこか型にはまらない気質が好きなのかそうか
時に本気なのかふざけてるのかわからないのにやる時はやるところがいいのかそうか
天才がまさに輝いてる最中の可能性の死がたまらないのかそうか
そんな奴らが集まっててんやわんやな事に心が躍るのかそうか
ここぞとばかりに呉好きっぷりを書き連ねたい人達がまだまだいるだろうけれど
レスを多くもらったからには礼を言わねば
蜀の事は一人一人よく読んでいたが色メガネを外して呉をもっと深く一人一人読んでみようこれからは
ありがと
>>543 まあ三国志好きなって最終的にたどり着くのが呉だからな。
あんだけ面白エピソードが多いのにほとんど取り上げられないから
三国志に詳しくなって初めてそこにたどり着いて惚れ込む、それが呉クオリティ
>>548 詳しくなって初めて知った面白エピソードってなんだった?俺は虞翻の于禁・糜芳に対する態度に惚れたw
甘寧のDQNッぷりに惚れた。
DQNとか言い始めると呉はそんなんばっか
もちろん良い意味でw
呉の中では相当心が広い方と思われる呂蒙も甘寧にマジギレして殺そうとしたりしてるからなw
>>549 俺は虞翻のあの態度は陳寿にも正しく理解されてないんじゃないかと思ってる。
麋芳はともかくとしても、于禁ほどの宿将は宿将であるが故に厚遇しちゃいかんのだよ。
仕方なく降伏して、降伏先では冷遇されて、悲惨な境遇のなかでも節義を失わなかった…
というような評判を立ててやらないと、完全に晩節を汚すことになる。(実際そうなった)
于禁が魏に戻ってから虞翻の態度を賞賛したというのも、そうすれば少しでも汚名が漱げるから。
孫権をはじめとした呉の人々は儒教的な感覚に疎くてよくわからなかったのかもしれないが、
彼らの態度は「降伏した先で節義を示さなかった」という于禁にとっては最悪の風評を生む原因となった。
虞翻はそのへんがよくわかっていたのだ。ただイジワルなだけじゃない。…と思う。たぶん。
555 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 00:16:30
降伏先は厚遇しないと、次の降伏者が出ないから。
だから降伏者は厚遇するのが国策であり常識。
さて虞翻の態度は呉にとってどうなのか?
また理由はともあれ降伏者にとってどうなのか?
あーあれは言うなれば「儒教的正解」ってことか。おもしろいな
そんなの関係なく忠節を守らなかった奴が心底嫌いなだけな気もするけどな。
558 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 00:35:15
DQNほど長生きする国、呉
>>554 そんな虞翻は虞翻じゃない
麋芳が降伏したのは虞翻が仕組んだ事なのに降った途端にあの扱い
あれこそが真の虞翻ですよ
大体、于禁の最期は虞翻並のいじめっ子曹丕のせいだよ
そうでなければ名誉挽回のチャンスもあったかもしれない
曹丕は親にいじめられて
だいぶ嫌な育ち方したからなw
いくら虞翻と言えども
陰湿さで曹丕に勝てるとは思えない
あのねちっこさは病的だし
症状@親友を「〜郎」と呼ぶ
症状A船から落ちるまで泥酔してみたい
症状B一番の悩みは異民族
症状C有能ならDQNでも仕方ないと思うというかむしろDQN好き
症状D自分の住んでる地域は江南だと思ってる(最終警告)
症状E店の料理が不味かったら料理人を木に縛りつけて射殺しないと気がすまない
症状F驢馬に友人の名前を落書きした事がある
病名【真性呉依存症】
あなたは、呉ヲタではありませんか?
自分ちの庭を人に貸した借りてないで揉めた事がありませんか?
ひょっとして、現代日本で大都督になる事を望んではいませんか?
そのまま放っておくと、
从从
从 从
从 从
大変なことになりますよ
从 从
从 从
从从
563 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 12:10:25
日本に江南市ってあるよな
>>562 半島の将軍さまも異民族っちゃ異民族だ
政治家ってやつは能力はともかくDQN
領土問題もなんかいろいろあるし
そう思うとこの国の現状ってちょっと鬱だw
>>563 愛知県だね
565 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 13:39:47
名鉄犬山線でGO
呉市
江東区
でも、「ごいち」じゃなぁ。
虞翻人気あるな
肥のゲームでも使えるし
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 17:48:19
俺は嫌いだなあ
漫画で小鳥を空に放していたのしか知らなかった頃はともかく、あの人格はなあ
曲がったことが大嫌いで、ずけずけものを言う奴って実際いたらちょっと付き合いづらいよな。読んでる分には面白いがw
張昭とか田豊とかな
組織ではいないと困るわけだが、ちょっとな
「復活のソンケン」
見えるのか 見えるのだろう 遥な 中原
城の中 壁をぶち抜く 攻城始まる
門を開け迎え撃つ姿 孫呉の証か
伝説の名君の力 攻城妨げる
周泰が漢の意地の 一撃を撃つ
燃え上がれ! 全て燃やせよ! 赤壁の大火
人よ孫呉の始まりを見る
守成の名君 孫権 孫権
守成の名君 孫権 孫権
赤壁で周泰が何かしたのか?
574 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 23:25:43
577 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 23:53:58
董襲は長江を割りましたから
誰もついていけないイデ話はオシマイにして
孫堅が何故袁術を選んだのかなんて話題はいかがか?
近かったから
イデ話って何だ?
モエラーってギャル語かと・・・
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 00:45:50
20年以上前の萌えにして燃えキャラの元祖モエラを知らないとは
早死にが多い呉将と共通点あるな
死に神ベントに当たるのは誰だ?
ごめんよくわかんない
584 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 01:00:58
調べれ
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 02:51:07
モマエら→モエラ
つまり間抜けの事だ、藻前ら。
586 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 03:17:20
徐盛神
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 03:21:53
呉の二代目丞相って誰?
張昭って丞相になったことはないよね?
顧雍
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 03:47:11
呂蒙と甘寧は仲が良いのか
それとも呂蒙以外の香具師は甘寧を相手にしたくなかったのか
孫皎も甘寧と仲が良いぞ。
592 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 09:58:20
一代目の丞相、孫ショウって何で伝が立てられてないんだろうね
前スレ嫁
まあ孫策の子孫もだけど
一族の扱いって難しいからな
一族?
おおーっと!ここで新説だぁーーーっ
つまらん揚げ足取りやってるやつがいますね
いや、揚げ足というか何というか
間違いに気付いたら謝っとけ
もしくは訂正しる
ハードな間違いはちょっとな
孫奐と甘寧が仲が良い、とかいう程度なら誰もバカにせんだろうが
前スレなんて嫁ないYO!
>>600 うーんと俺なりに意訳して話すとだな、張昭みたいな強い個性を避けて、角が立たないように孫ショウが任命されただけで
伝を立てる程の人物では無かった説と、反孫邵派の史官に嫌がらせされた説があった。
>>601 もう一つ、孫邵の伝を後回しにしているうちに韋昭自身が殺されてしまった説。
孫邵の地位と韋昭の人格を考えればこれの方がしっくりくると思う。
あの地味な顧雍でさえ蔡ヨウ絡みの逸話があったりするのに、孫邵にはそういう話がなかったんじゃないか。
厳o・程秉の伝のようなもの(しかもある程度の分量が必要)を優先的に書く気がしなかったというのはありそう。
張昭伝の付伝にするつもりで後回しにしたとかも考えられる。
張昭と共に呉の儀礼の定めたってあたりから見ても
政治家というよりは学識者だな。
今思ったんだが、皆「丞相」=実務政治のトップという前提で話してるわけだが
案外呉の建国当初は「最高政治顧問」的位置づけだったんじゃないか?
>>603 陳平の昔から宰相は最高顧問で実務家じゃない
実務やってたのなんて諸葛亮くらいじゃない?
606 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 20:38:18
前漢あたりの丞相は実務やってたぞ
陳平の言い逃れを真に受けずちゃんと史記漢書読め
宰相が実務しないのは後漢以降のニュータイプ
諸葛亮は古いタイプの丞相だ
ソソは?
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 20:42:49
後家好きチビもある意味古いタイプの宰相だな
そういうタイプの宰相と弱い皇帝が組み合わさると、簡単に国家転覆する
乱世と治世では違うんだろ
丞相府の属官だけで国を動かすと官位を乱発しなくていいから凄く楽なんだよ。
何から何まで一人でやるかわり、自分以外の有力者は排除する。曹操と諸葛亮がこのパターン。
ただしこれは乱世→治世に移行することを前提としたやりかたであって、
もしこの体制で天下統一できないまま丞相が死ぬと、その後に政争と極端な人材不足を招く。
曹操が赤壁後から魏建国モードに入ったのも、半ばこれが原因。
もし魏を立てなかったら、乱世が続いた場合、曹一族は誅滅されるから。
諸葛亮は逆に、ポックリ逝って政争と人材不足を招いた。ただ後継者が良かったので一応なんとかなった。
呉の丞相は完全に顧問ぽいな。ただし歩隲・陸遜あたりは微妙。
なんのかんの言って、孫呉は形式上官僚制を整備してるものの
有力豪族への根回しっつーか賛同を得ないと
政策もうまく運ばなかったんでなかろうか。
丞相がヘタに切れ者で政策をガンガン推し進めたりすると
意見を無視された豪族たちの反発を招くだろうから
学識名望があるけど、ボーッとしてて誰の意見もうんうん聞く人間が最適かも。
「俺も要望は伝えたし、名望ある丞相殿の最終決定なんだから従っとくか」
くらいな感じで。
612 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 00:54:30
>>611 それはあるだろうね。
同時に、完全に豪族側の代表になってしまうのも困りものだったと思うよ。
皇帝からすれば自分の意見を入れる余地なくなってしまうから。
豪族に嫌われず、それでいて皇帝の命令にもあまり逆らわない。
学者の孫ショウなんかは、そんな人材だったんだろう。
613 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 00:56:10
朱然ってどれくらい優秀だったの?
ロシュクって横山のイメージが離れないんだけど実際どうなの?
厨な質問かもしれんが、行征南将軍とかの『行』って何を示してるの?普通にその職を遂行してるって意味?
615 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 01:26:51
代理、代行の意味
本来その職についてない(就けない)臨時の職務を意味してるよ
運転代行サービスみたいなもんだな
トンクス!
雑号将軍って何?
それぐらい自分でしらべろよ
奮武、揚武、虎烈、破虜、宣徳とかって全部雑号将軍なんでしょ。
他にもなんかたくさんあったから良く分からないなと思って。
最下級の将軍ってことで良いのですか?
朱然の墓の話しようぜ
バカばっか
雑号将軍とは、ボスが勝手に名前をつけて与えるやつ
偉さは偏将軍とたいして変わらん
はず
偏将軍のが下なんじゃ
煽る 貶す だけなら誰でもできる。
お、俺みたいな奴にもできるかな?
呉は豪族体制というが
孫権の晩年や孫皓の強権っぷりはどうなんよ
628 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 18:08:18
すぐ陸抗に謝ったり、暴君呼ばわりされてるだろ
無理してたからすぐボロがでちまうのさ
629 :
呉三桂:2005/05/31(火) 18:19:16
おおっ遂に儂のスレが立ったか!!
>>627 有力な軍人の統率する数千単位以上の兵士たちが代々世襲されるという世兵制度があり、
その兵は周瑜や甘寧といった江東に地盤を持たない人物の場合は子孫の代で没収できるが、
江東に土着している名家の場合は皇帝孫権といえども簡単には奪えないという事情があった。
これが呉の豪族制度のキモなんじゃないかと思う。
たとえるなら、青州黄巾賊の長老が青州兵の指揮権を握ったまま中央政治に参画してる感じ。
だから孫権は叩き上げの軍人を大切にしたし、孫晧も有力軍人とはあまり衝突しなかった。
呉だって後半は皇帝権力が強化されてきたし…
でも悲しいかな、呉がやったことの成果が顕れるのは悉く東晋に入ってから…
呉が強かったのも皇帝権力強化以前…
魏の大将軍って夏侯惇とか曹仁とか曹真とかじゃん
呉の大将軍って諸葛瑾じゃん
魏は身内親族の大権を持たせても間違いのない人に大将軍を任命してるんだなって感じじゃん
諸葛瑾って身内じゃないし、孫権は信頼してるからいいけど
人によっては「諸葛亮の弟だから蜀にいくんじゃないの」とか言ってたのもいたらしいじゃん
まぁそんなこと実際に言ってたのはごく少数なんだろうけど
やっぱ呉は魏と違って孫家が大権握るよりかは豪族にもそれなりに顔の聞く諸葛瑾みたいなのが
大将軍の方がいいもんなん?
てか孫家の身内親族ってなんかしてた?
孫家親族は優秀な人材も多かったけど、孫峻が台頭するまでは
親族にあまり大権は与えられてないね。
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 23:48:14
徐庶 「おれはイヤんなったぜ……おれも劉左将軍の配下にいたとき、むこうで軍師様とよばれたもんだが、魏の人材にくらべたらただの官僚じゃないか !」
635 :
634:2005/05/31(火) 23:49:17
誤爆&age、激しくスマン……orz
637 :
634:2005/06/01(水) 00:22:14
>>633 むしろ孫一族は使える奴少なくて、数少ない優秀な奴も早死にしちゃってるって
イメージがある
孫静・孫瑜・孫皎・孫奐・孫韶・孫桓
こいつらは使える
孫権が疎かにしたら周ュも司馬ぃみたいになってたのかね
程普あたりとのやりとりから、周ユは疎かにされないようにすると思う
それでも疎かにされるようならもっと疎かにされないようにすると思う
642 :
405:2005/06/01(水) 20:19:27
つまり周瑜は別格
朱桓、甘寧、潘璋が喧嘩したらどういう結末になるだろうか
呂蒙が止める
呂蒙の前なら3人もお手上げか
虞翻あたりが喧嘩に混ざってれば
ちょっとねちっこくなって呂蒙も困りそうだ
くだらん
>>646 その虞翻が、素直に従う数少ない人物が呂蒙だったりする
喧嘩って、何の喧嘩だ
ifものはもう満腹
満腹ならなんかネタ振りしろ
出来ないなら文句言うな
呉に帰順した山越族で有名なのとかっている?
山越族が呉に帰順する事自体が稀なような
孫権って配下を親しみこめて字で呼んでたってあるけど本来ならどい呼ぶべきなのかな?
名で呼ぶ、らしい
親か君主以外が名を呼ぶのは非常に無礼なことだったらしいから
配下を字で呼ぶってのはかなり配下を尊重した行為だったんじゃないかな
山越族で構成された部隊ってなかったっけ?
たしか韓当あたりが率いてたような
バイイやバイフは山越じゃないんだっけ?
山賊
>>655 韓当が率いていたのは解煩と敢死です。
後者の成立は不明ですが、解煩は夷陵の戦いの折に発足した部隊です。
戦力増強の必要性を感じた孫権の命によって、当時の側近であった胡綜が
諸県から六千の兵を募り、左右二部の形式で設けられました。
左部督にやはり孫権の側近の徐詳、右部督に胡綜が配されました。
韓当が解煩督に就いたのは、都督の官を加えられた223年以降になるようです
から、歿する227年頃までの数年程度と思われます。
山越族を軍に編成するのが呉のやり方じゃなかったっけ
それが俺達のやり方!YO!
>>659 呉の名だたる将軍の多くが山越討伐をおこなっていますが、中でも
陸遜、呂岱、賀斉、鐘離牧、全j、諸葛恪などは特に山越とよく戦い、
降伏させては自軍に編入していくやりかたで戦力の増強をはかっています。
特に陸遜は数万規模でそれをおこなっています。
鐘離牧といえば黄乱なんてのが居たな。
有名かどうかはともかく確か山越だったよ。
>>661 呉は人口少ないからな。
その辺りの地道な活動が支えてたんだよな。
しかし、数万規模って演義の諸葛亮の南蛮行なんかより
実際のとこ凄いな。
山越ってやっぱり項羽が率いていたのも山越の連中だったのかのう
>>663 項羽が率いたのは楚人。
三国時代で言うと、荊州、予州東部、徐州、揚州の長江流域に住んでた人々。
内陸部の越人は秦への反乱の時は呉ゼイの配下に付き、
項羽と劉邦の抗争期には、劉邦に味方している。
天下が平定されると、軍功によって越の王族二人が王に封じられ、
将軍四人と役人一人が侯に封じられた。
やだよ。あんな荒れスレ
黄乱ってコエゲーにも出てるらしいな
_
_,,:-ー''\ ̄ ̄  ̄ ̄`ヽ、
,r'"\ \/│ `ヽ.
/ ::. \ │ ヽ
. / :: / │ ヽ
| :: ──── .|
.| _;;-==ェ;、 ,,,,,,,,,,,,,,,_ |
〉" "-ー:ェェヮ;::) f';;_-ェェ-ニ ゙レr-, / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ヽ"::::''  ̄´.::;i, i `'' ̄ r';' } |
. ゙N l ::. ....:;イ;:' l 、 ,l,フ ノ |
. |_i"ヽ;:...:::/ ゙'''=-='''´`ヽ. /i l" < 今だ!火を放てぃ!
.| ::゙l ::´~===' '===''` ,il" .|'". |
.{ ::| 、 :: `::=====::" , il | \________________
/ト、 :|. ゙l;: ,i' ,l' ノト、
/ .| \ゝ、゙l;: ,,/;;,ノ;r'" :| \
'" | `''-、`'ー--─'";;-'''" ,| \_
671 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:54:09
>>632 魏も諸葛誕を孔明が存命中は干されていた。
亡くなってから初めて誕を重職につけるようになったとは聞く。
672 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:57:50
━━━━O━∧S∧━━━ロニニ>
ヽヽ(・∀・ ) __
∧,,∧[888888]_/:::::::::/
/ο ・ )Oニ ゝ::::::::;ノ
/ ノ lミliii|( ノ_~~~
(o_o,イ__ヽ´|(__) ノ~⌒)彡 ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
ノllllllllヽ| | ̄ノl ノ
/ /~ヽ ノ'''''''~ヽヽ\ヽ_
ヽニフ|_| (_/ ヽノ
(_ヽ
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:58:19
| | /\
| | . //\\
| | // / \\
|巛《( //\/ウァァァ!!\\
|__/ガッ // / \(`Д´)./\\
| / //\/ \/ /◆.\\
|#〈 // /\ /◇/\ .\\
|__>\\/. \ ., / /\ /\>
| | \\ / / / / / ミ
| | \\/ . ◇ ./ \/
| | \ ◆ /\/\/
| | \ \ / 転 覆 脱 線
| | . \ /
| | \>ミ
.─」 └────────□┌──────┐□─────
>671
魏が諸葛誕を干したのは、ヤツが夏侯玄・何晏ら
必要以上に自分たちの評価を上げて世間への影響力を持っていたやからと
つるんでいたから
敵国に同族がいたのは直接的な理由じゃない。
後に重用されたのは夏侯玄らを抑えていた曹叡が死んで
実権を握った曹爽が何晏たちを重用したのにのっかって。
>>664 貴方のような物知りさんに呂蒙を育てて欲しいものです
阿蒙は自力で育つから大丈夫
ここはまたえらく寂れてるなw
たまに思い出したように活性化するから侮れない。とりあえずメジャーな話題(二宮の変、天下二分etc・・・)振っとけば誰かしら食いついてくる。
呂蒙
there's No end.
神を殺す男
683 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 20:28:53
誰か孟宗竹について語れ
684 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 20:32:41
植物
以上
食える
以上
親孝行
したいときにはいないよ?
以上
687 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 22:14:13
親孝行だけどタケノコ泥棒で暴君の手下
それが孟宗クオリティ
孟宗って誰だよ。孟獲だろ?
メ欄にふさわしいレス内容で
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:26:25
孟宗(孟仁)、字を恭武。
以上
オレは呉好きだけど孫権は嫌いという変なスタンスでこのスレにいるが
呉スレ住民の「呉好きだけどこいつは嫌い…」みたいなのは誰かね?
692 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:15:55
虞翻とか陸遜・陸胤とか嫌い
あと孫登や孫和。うさんくさいから
聞いてどうすんだ
陸遜は受け付けない。何故だろう?
俺も孫権受けつけん、がこの話題ってこれ以上話膨らまないな
陸遜は名将なんだろうけど何分ゲームキャラ陸遜ファンが嫌いだ…
よくわからんが他の人物を主観で貶して優越感に浸ってる…俺の見た奴は…
それ以来どうもね…
まぁそんなことここで言ってもしょうがないんだが
俺は呉のDQNたちは好きなんだが
リアルなDQNは遠慮したいな、やっぱり
主観を押し付けてくるようなのが特にダメだ
潘璋みたいなDQNは好きだが老後孫権みたいなDQNは氏ねと思う
孫策みたいなぶっ飛んだ男が最高だな
700 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 12:16:00
孫登って呉書でも世間でもよく称えられているようだが、実際にはどうだったろうね
いや、本人の資質は優れていたんだろうけど、長生きしていたとしても素直に帝位継承して立派な治世を作れたかどうかについては、かなり怪しいと思うんだが
孫登の能力そのものより家臣団が揉めなくて済むという最大の利点がある
二代目に必要なのは目を見張る能力じゃなくて家臣との良いつきあいだろ
702 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 12:29:26
揉めなくて済む=臣下の言いなり だろ
揉めなかったという意味では劉禅も揉めなかった
それに、継承前後には孫権の直属と孫登の直属の間で揉めるかもしれないな
劉禅は国内に波風を立たせなかったって意味では名君だぞ
704 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 12:37:05
名君=よき傀儡?
つまり孫登は長生きしていたら大臣の傀儡になって一生を終えただろうということか。
その大臣が良識ある人間であればなんの問題もない
君主が有能すぎても家臣の言葉に耳傾けなければただの独裁者だし
孫皓なんかは家臣のいいなりにならなかったお陰で呉の滅亡を早めたわけだが
魏の二の前になる危険性はあっても内部崩壊の危険性は取り除かれる
それに黙って言うこと聞いてるように見せて権力を強める機会を覗うこともできる
豪族達と平和的な関係にあることは強みだ
とゆーか曹操クラスの才能があっても家臣の言葉に耳傾けなければ確実に上手くいかないと思う。
部下の資質を良く見極め、直言を受け入れる度量があればなんだかんだで上手くいく、かもしれない。
結局後世有能って言われてる支配者のほとんどは部下の献策をよく聞くタイプだからな
もちろん献策を聞く=言いなりになる、ではなく自分の判断で最善と思われる意見を採択する、ってことだが
>>704 劉禅はある意味名君
また別の視点では暗君
711 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 18:01:56
晩年の孫権と壮年の孫登の(直属同士の)間で権力闘争が起きて廃嫡かクーデター
劉禅は前半が良君なだけで
総合的だと暗君だろ
いくら弱国っとはいえ2代でつぶした国主を
名君扱いするのは無理があるだろ
時期にもよるが孫権に近い立場の家臣が張昭、顧雍、諸葛瑾
で、その息子たちの張休、顧譚、諸葛恪が孫登の太子四友
これで権力闘争がおきたら凄いよ
親子間での政権争いなんて俺にはちょっと考え難いな。黙っていれば手に入るのに・・・
大体孫登なんて孫和が孫権から寵愛を受けているので自分も率先して太子として扱い生前から「自分では無く孫和が継ぐべき」みたいな
事言ってなかった?親父と意見食い違ったら政争を起こすよりもどうにかして説得しようとするタイプかと。
>>714 「ぼくらの七日間戦争」だなそりゃ
孫権と張昭のトムとジェリーよりワロス
717 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 20:33:29
君はずいぶんお優しいな。
息子にとっては黙ってても転がりこむはずの地位だとしても、
父の寵臣は黙ってたら地位や権力を失ってしまうじゃないか
息子の時代には、息子直属の家臣が寵用されるに決まってるからな
父の寵臣たちだって人の子、命や地位や権力を失いたくはない。
そこで自分たちによくしてくれそうな別の候補を擁立し、権力闘争が始まる
孫権と孫登がよい親子になろうとしても、周りが許さないんだよ
歪んだ権力観だなw
719 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:13:29
みんな2級が好きだな
孟宗竹はもういいのか?
>>717 どこの世界に息子が権力者の寵臣になって自分の身を心配する奴がいるんだ?むしろ一族の安泰に繋がるだろ。
普通はむしろ自分の息子によくしてくれそうな候補を積極的に押さないか?子孫の繁栄とかは考えないタイプ?
721 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:51:29
なんか完全に誤解してるようだな
こっちの書き方が悪かったよ
その概念がハナから頭にない相手に伝えるのは大変だ
722 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:52:34
俺は
>>717の言ってることの方が自然だと思うよ。
中国に限らず、世代交代に伴う閣僚人事の刷新は普遍といってもいいものだし。
中国などは古代からその傾向が実に強いんだけど、
>>720あたりはその事を
あまり知らないのかな?
例えば、張昭の寵臣が、張休への代替りをよしとせずに別の候補をつれてくるってことか?普通に考えにくいな。
725 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 22:00:50
結論
孫登は仙人
>>724 孫権の寵臣が、孫和への代替わりをよしとせずに魯王を立てようとしたけど。
普通に実例があるじゃん。
世代交代にともなう忠臣の刷新の話しと張昭が張休への代替わりを恐れて別の候補をつれてくるってまるで別のことだと思うが。
息子を可愛がってくれる太子以上に自分(の一族)を可愛がってくれる太子なんていないだろう、と俺とか多分724とかは主張してるのだが。
>>723や717が言ってるのは皇帝が息子に代替わりした時に自分が中央から外されるのが怖いって話しでしょ?そこはわかるが
そこからなんで長子であり太子に立てられていて息子が学友を勤めているような太子達と権力争いをしようとすると考えるのかわかんね。
>>723 楽毅の例などからも先代の功臣が粛清される逸話が多いのは浅学な俺でも多少は知ってますが、それを回避するために
一族と繋がりの深い太子と皇帝との対立を煽った例は残念ながら知りませんね。無知で申し訳ない。
727
同意だが、あんまり煽ってやるな
>>727は「その概念がハナから頭にない」とか「あまり知らないのかな?」とか言われてちょっとムキになったと予想。もちつけ。
便所で犯された。
時代が違うぜ兄者。
>>731 陸遜に辛口なのはたぶん一家臣の身で伝が立てられてるからだろと思た
諸葛亮はともかく、大好きな荀ケでさえ伝立てられてないのに
なんで陸遜の野郎なんかが許せん!みたいな(笑)
裴松之が嫌いなのはなんといっても賈詡だろうと思うけど。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
/ ,――――-ミ
/ / / \ |
| / ,(・) (・) |
(6 つ |
| ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| /__/ / < なわけねぇだろ!
/| /\ \__________
717のいう息子と父てのは孫登と孫権のことを言っているのか?
720は714のいう張昭−張休・顧雍−顧譚・諸葛瑾−諸葛恪のことを
言ってるから親子間での対立は考えづらいとなるんじゃないのか?
皇帝と皇太子の対立は存在してもおかしくはないだろうけど、
その場合対立するのは、皇太子側に一族を近づけられなかった
皇帝側の寵臣と皇太子側の寵臣の対立になると思うぞ。
呉で言うなら、全j・歩シツ対張昭・顧雍・諸葛瑾(張休・顧譚・諸葛瑾)みたいな感じかな?
父の寵臣、を主語に使ってるのだから違うかと。
738 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:55:43
>>736 その通り。
誤解・曲解されるような書き方した俺が悪かった。すめんなさい
あんなにヒートアップしてる人がいてビクーリ
それより晋宗について語れよ
誰だよそれ
741 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 01:54:34
いるじゃん
晋宗の謀叛の真相を語れ
すまないが全く知らない
有名なのかそいつは
二宮は皇太子と魯王の同列化という問題から起こった事件
孫権と孫登間に関してはそこまで極端な二極の対立がおこる可能性は
普通に低いと考えるもんだろう
世代交代に伴う権力抗争という事例が多いからって廃嫡やクーデターなんか
言われも・・・
744 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 02:56:57
>>743 それはもういいよ
晋宗の話しろよ
劉阿も可
sageを覚えていない奴は一人か?
746 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 03:05:29
いや俺を含めて三人くらいいるぞ
孫弘の話題マダー?
>>731 船首をぼろ糞にしたのに
陳寿が高評価してることに対して当てつけだろ
呉書の注釈なんてかなり少ないくせに陸遜伝に関してだけ
偽手紙や用兵、帰順話まで手当り次第に批判注釈に
余念がない
マイナー武将の話をふってる奴は一人か?
749 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 03:17:34
あぁ
そりゃ俺一人だ
なんか自分から話題出せよ、不満なら
じゃあ隠藩について語ろうか。
ツマンネ
どんくらい誰が陰藩とつるんでたのかな
孫権の治世後半でも、キ艶や呂壱についてはほとんど語られない……
>>747 しかし、劉備をメタクソに叩きのめしたヤツを
カス扱いするとそんなんに負けた備はもっと悲しい罠w
陳寿の気持ちは分かる気がするがな
この板で特定武将のオタが、呂蒙、陸遜、孫権を叩きまくってるのに通じるものがあるな。
そんなのあったの?
卑怯厨とかアンチのことだろ
あんな無知な連中と比べたらさすがに裴松之が気の毒だろw
潘璋マニアが一人いたはずだがまだいるか?
潘璋の民間伝説が知りたいとか痛い発言してた奴
759 :
287:2005/06/10(金) 20:21:21
潘璋マニアと見てすぐ俺のことかと思ったが
>>274のことか
呉のスレ来て言うなら別に痛いと思わんが・・・
でも半焼に限らず、三国時代の民間伝承とかまとめてるサイトあれば嬉しいんだがな。誰か知らないか?
潘璋も演義での役回りのせいで
周泰や太史慈より格下の猛将と認知されてるな
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 22:23:28
劉纂が書家というのはどこに典拠があるんだろうか?
潘璋伝だけ見れば最強クラスっぽいんだけどな
朱然も地味扱いされてる意味がわからんぐらいの名将だよな
まー贔屓目入って過剰に強く描かれてるとかそーゆーややこしい話は抜きで
周泰が何で演義であそこまで活躍しているのか分からない
蒋欽ハブか
民間伝承とか探したいのわかるけど、せめて『捜神記』、『山海経』、『世説新語』、
くらいは読んでからにしたほうが……
個人的にひとつ書を挙げておくと、青土社の『中国の神話伝説』(上・下)は、
その手の話に欠かない。
潘璋に関しての話は無いけどね。
767 :
761:2005/06/10(金) 23:30:31
もちろん、その辺は読みました。もっとマイナーな話も知りたいなぁと思って。
>>758 「潘璋の民間伝説が知りたいとか痛い発言してた奴」が来ましたよ〜
いや、すみませぬ
いろいろ自分なりに当たってはみたのですが
見当たらなかったので、ここの方なら何か情報をお持ちかと思って…
不快な思いをされたのであれば申し訳ありませんでした
周泰は呉の「趙雲的存在」だからだろうなぁ
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 00:57:05
ヒマなら呉の五虎将軍でも考えようぜ
趙雲=周泰は固定で( ´,_ゝ`)
いや、趙雲=周泰は違うだろ。
黄巾は?
周泰は呉の「趙雲的存在」
周泰は呉の「趙雲的存在」
周泰は呉の「趙雲的存在」
周泰は呉の「趙雲的存在」
周泰は呉の「趙雲的存在」
周泰は呉の「趙雲的存在」
周泰は呉の「趙雲的存在」
どこで笑えばいいんですか
じゃあ的の辺りでどうぞ
太史慈って何だよ
呂蒙、甘寧、凌統、潘璋、徐盛
五虎将軍って時点で演義なんだから
太史慈・甘寧・凌統・呂蒙・周泰?
そんなとこでない?
確かに、演義ベースの称号を正史ベースで考えるのはおかしいよなw
つ 江表之虎臣
11人も居るけどw
演義でも同時期に活躍して官位がある程度近くないと駄目だし
劉備が寒中王になった時に任命されたように孫権が呉王に即位した時期の
面子じゃないといけない、よってこの話題は終了
786 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 23:59:41
周泰は呉で最強なんだろ?
えっ?!周泰より甘寧とかの方が強いイメージなのだが?
周泰ってやや地味じゃね?
787は演義厨
786は無双厨?
正史でも強いじゃん。甘寧。
>>784 783でも769でも無いけど、
出自(家柄など)による土台が無くて、
後の皇帝を救った事による、功名補正が加わってそうな所とか?
趙雲よりは、周泰のが実際の功績は多い気するけど。
地味で華やかな戦功もないけど妙に主君に寵愛されちゃったりしてるあたりは似てると思う
陸機の弁亡論では周泰を韓当・潘璋・黄蓋・蒋欽と一緒に挙げて「宣其力」と書かれている
ちなみに甘寧は凌統・程普・賀斉・朱桓・朱然と併せて「奮其威」と書いてある
呉で言う
関羽=
張飛=
趙雲=
黄忠=
ま超=
的な存在それが
呉虎将
蜀の五虎将がたいした奴らじゃないからな。
あえて当てはめるのは呉の将軍達がかわいそうという気がする。
魏の五将軍に例えるなら?
張遼=
徐晃=
于禁=
張コウ=
楽進=
797 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 11:42:43
「奮其威」と「宣其力」ってどういう意味?
中国語わからない・・
馬超に比類する人材は呉にいないだろ
馬超程度のDQNなら呉にだって居るさ
ってか呉は宝庫だからな、その手の人材のw
ある意味、劉基あたりか
まぁ全然違うけど
太史慈だろ
馬超、そんなに頭良くないだろ
頭は知らんが立場的には似てる
張遼= 甘寧
徐晃= 朱桓
于禁= 程普
張コウ= 呂蒙
楽進= 韓当
805 :
うんこ:2005/06/12(日) 17:47:08
関羽= 孫堅
張飛= 潘璋
趙雲= 周泰
黄忠= 黄蓋
馬超= 太史慈
張遼= 甘寧
徐晃= 程普
于禁= 丁奉
張コウ= 朱然
楽進= 凌統
呉で感動のエピソードってなんだった?俺は降服直後の潘濬に対する孫権の態度。この頃の孫権は名君の器の持ち主だった・・・
張悌
馬超ってそんな馬鹿扱いされるような人物か?
蜀でも諸葛亮の政争に加担したり、なかなか上手く立ち回ってるぞ。
周瑜が併呑ではなく同盟相手として名指ししたのも
結構うなづけると思う。
馬超は知名度だけは一級品
中身は・・・・・
810 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 00:43:16
馬鹿とはいわんが馬超伝や季漢輔臣賛を読むとあまり頭良さそうには思えん
「離反したり同調したり常ならず、敵にその隙をつけこまれ、一門を滅ぼし軍勢を失うこととなった」
これを魏や呉の連中が言ってるならともかく、味方の側から思われてるんでは・・・
小呂布ってことか・・・
呉スレなんだし、呂布の名が出たところで笮融についてでも語ってくれ誰か
あの仏教厨について何を語れと
そこらへんは馬超スレの前スレ辺りと蜀将討議スレの前スレ500
よりあとのどっかを見ると結構意外だった。正直見る目変わったよ。
まぁ俺が無知なだけだったんだが
カルト教団の教祖っていうイメージしかないな
あと結構戦は強かったんじゃないかなって思う
相手が孫策クラスになると厳しいけど
>>811 そりゃ、異民族に支持されての独立運動みたいな事してたんだから
異民族は獣同然な儒教マンセー史書では、頭ごなしに悪く書かれるだろうさ
でもって、蜀に来た事を「悔い改めた」みたいに書かれるのも
蜀漢を持ち上げるためにされてる事。
ただ、そういう蔑視思想を抜きにして考えれば、
その土地の住人の民意を得ての挙兵というのは、
それなりに意義のあるものであり、馬鹿とか何とか一蹴出来る問題でも無いと思う。
(漢民族と少数民族混在地域の独立問題(チベット問題など)は、
現代でも続いてるだけにシャレにならん。)
ま超の遺言は一見突っ込み所満載なんだけど
同情を誘ってま岱を優遇させようとしたんだろうとも取れる
でも蜀漢では大して活躍してない
ここポイント
馬超も涼州政策をきちんと理解した上で馬岱の存在に注目させようとしたんではなかろうか
それにしてもスレ違いだな
周瑜が同盟を選んだ相手として、語る分にはいいんでないの?
自分も馬超は普通に有能な人間だと思うが
曹操へ対しての挙兵、韓遂との別離、韋康の殺害、張魯の元からの亡命、
亡命時に連れていった人間は従兄弟の馬岱のみ、彭ヨウの密告、などから察するに
相当疑い深いというか、必要以上に神経過敏な奴っぽいんで、(土地柄か?)
周瑜はどうやって同盟するつもりだったのか不思議に思う。
あと、馬超が普通に曹操側に従う可能性とか考え無かったのかね
>>819 遺言については、自身の行った結果についての現状を踏まえた上で
一族をとりたててくれるよう頼んでるだけだにしか取れないが、
どこにツッコミ所があるというのか。
すでに子供がいるのに、従兄弟の名前を上げてる所?
正史読みたての人間にとって、まっ先に披露したくなる自慢話なせいだろうけど
無闇矢鱈に馬超を貶そうとする奴っているもんだな。
ああ、アンカーミスってるのか
824 :
821:2005/06/13(月) 10:51:40
レス番ズレてた、821は
>>818宛て。ゴメポ
>>820 その時期の涼州馬氏は、まだ曹操と対立するような構えは見せて無いにも関わらず
208年9月の段階で馬超と韓遂は曹操の敵だと断定してるし、
209年の進言でも「馬超との同盟関係もうまく結べるだろう」と断言し、
曹操に自発的に使者を送るなどしてる韓遂については、言及してない点から見ても
発案時にすでに何がしかのコネクションがあったんだろうと思う。
>>822 どちらにせよ、興味無く知識も薄い人物を貶せる神経がわからん。
上辺だけ拾い、さも自分は知ってるという風な口調でよくも言えたもんだ。
まあ、あの遺言を自業自得ですませちゃうのは確かにちょっとな
とはいえ、そんなブチ切れないで普通に指摘してやれば終わる話だ
>>821の下二行はいらんでしょ
.>正史読みたての人間にとって、まっ先に披露したくなる自慢話
夏侯惇は名将ではない、凌統は早死に
ってのもそうだな
見るたびウンザリする
>>824 コネがあったとしても、利がある方を選択しそうな気がするんだ。
徐州刺史→諌議大夫→馬超実家帰り?→再度招聘という、
馬超の経歴を見ると、曹操側はかなり重用するつもりのようだし、
呉が益州制圧に乗り出して厄介なら、
槐里以西を統括する権限ぐらいは与えてもおかしくない
馬超側も後の挙兵時の要求は潼関以西の割譲だから、
曹操側の譲歩次第によっちゃ、関西軍閥〜曹操間は丸くおさまりそう。
>>826 「夏侯惇は名将では無い」とか「馬超は親を殺した馬鹿」は
良く見かけるけど、凌統は初耳だ。
「孫権は暴君」ってのは時々見るけど…
夏侯惇につけても、馬超につけても、孫権につけても
その人物の立場を熟慮せずに貶されたんじゃ、たまったもんじゃないな。
末期の孫権はあんまし擁護のしようもないと思うけどなー
830 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 12:35:18
馬超や片目のはどこまで議論しても印象だが、凌統の享年(や陸遜非流罪)は史料批判
全く問題の質が違うぞ
まあ、うるさい、しつこい、ってんならわからんでもないが
陸遜の件は誤読誤訳だから史料批判でもないか
>>829 末期の話を拡大解釈しまくってる奴とか見ると
なんかムズ痒くならないか?
名将の定義そのものがあやふやだからなぁ…<夏侯惇
個人的に、後方支援はもっと評価されてもいいと思うけど。
馬超の方は、演義と混同して
「家族が殺されたのは自業自得なのに、曹操逆恨みするんじゃねーよw」
みたいな事言ってるのを見ると、
正史のどこに、曹操恨んでる記述があるんだよとツッコミたくなる。
そいつは演義の話してんじゃねーの
誰かを特に擁護とかする気はないんだが、
孫権老害
以上
みたいな単細胞で青臭い結論をみるとむず痒いのは確かだ。
後方支援か、蕭何
呉では誰だろう
孫権かな
>835
ホンとそれ禿同。どこから話せばいいやらわからなくなってくる。
劉邦
蕭何⇒
張良⇒
韓信⇒
結構難しいな。
>>831 え、そうなの?
ゴメ最近ここに来てマターリ見させてもらってるんだが、そんなに誤読誤訳なのか
>>839 そういうのいろんなスレでいろんなもので比較しようとしてるのあるけど
そんなの、時代も状況もそれぞれの境遇も全然違うのにどう当てはめるんだ?
孫権末期がただの老害ならなんで陸抗が使えてんだよって感じだな
は?
>>842 主君が暗君だったら陸抗はクーデターを起こすとでも?
暗君なら陸抗を使わないってことだろ
統一してないんだからクーデター以外にもかなりの選択肢があると思うんだが
なぜにクーデター?
>>845 「使えてる」は「仕えてる」の間違いじゃないのか?
>>846 別にクーデターじゃなくてもいいけど?
魏に降るでも野に下るでもなんでもいいよ。
要は暗君だったら陸抗は仕えないというのは理屈としておかしいだろってこと。
>>845 いいたいことがよく分からんが
もし孫権が老害だったら陸抗の答弁に納得するはずがない
だから孫権は正常だったって事?
老害があったって全く正論を受け付けないと言う事ではないんだから
二宮の変が沈静化した頃だろうし孫権も冷静になっていたんじゃないか?
漏れも二宮の変が起きた原因は老害だけだったとは思わないが
老人特有の疑い深くなる、意固地になる等はあったと思う
孫権にはもともと意固地なところはあるが二宮の変では度を超している
暗君なら陸抗は重用しないってことを言ってるんだろ
読解力なさ過ぎないか?
とゆーより若き日の度量の広さからしたら、
@ボケた
Aなにか書かれていない理由があった
と考えたくなる。
>>849 重用する経緯は知ってるだろ?
喪前の二宮の変の孫権に対する評価が分からん
老害はなかったってことは元々その程度の人物だったと言いたいのか?
老害なら老害で魅力的だと思うが
孫和を廃嫡して孫覇を太子にしようとした行為は大失敗だけど
問題をすべて決着させて死んだんだからボケ老人ではないよ
ここはオーソドックスに、好きな孫呉の人物は誰ですか?
聞いてどうすんだよ
じゃあ呉が天下統一するのに必要なのは
孫策か周瑜のどちらか
老害にも重度がある
そこらへんのおじいちゃんのようにボケボケではなかったろうけど
だから陸抗を重用したから老いたせいではない、ってのは無理がちょっとあると思うよ
まあ実際問題老いたせいかなんてわからんが
孫権は元々思い遣りに欠ける人物だったんじゃないか?決断力には富んでいたが。
元々権力地盤の少ない孫家が江南の豪族連合の首領に収まっていたんだから、配下の豪族に遠慮が大分あった。
しかし皇帝を名乗ってから、豪族支配にそれなりの名文が出来て徐々に遠慮も薄れたってのが、老化って言われている孫権の変化の真相じゃないか?
いまいち孫権には名君って印象がないな。優秀な人材が途切れる事なく続いたのに助けられている感じ。
決断力に優れてることが名君の証でしょ
江南の開発、人事、外交の3点は申し分ない程、成果をあげた
特に魏蜀ともに翻弄した外交術は三国志最高の手腕をもつと言える
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 12:50:17
孫権が皇太子孫和を替えたかった最大の理由は、
皇太子の能力面での不安でも魯王への期待でもなく、
孫和にくっついている連中を取り替えたかったから、
だよな
太子側の取り巻きが先に政争をしかけた説が有力なら
孫権が生存中にそういう権力固めをする連中を
一掃したいと思っても仕方ないかもね
順番がおかしくないか?孫権がきちんとした対応をしていれば、政争をしかけるもくそもないわけで。
自ら波風立てといてそりゃないぜ。
孫権が二宮を同列に扱ったことで、臣下たちが2派に別れてしまったのは
孫権の落ち度なんだけどな、
実際に2派に分かれて政争して、誣告しあったのは臣下連中の責任だよ。
孫権は二宮を同列にはしたけど、太子を挿げ替えるなんてのは当初は全く言ってないんだし。
それをガタガタと騒ぎ立てて、相手を貶めようとしたのは太子派が先か魯王派が先かが問題なんだろう。
太子派が先なら、孫権から見て二宮の揉め事を起こしているのは太子派になる。
245年前後の処罰対象が太子派のほうが圧倒的に多いのも不自然な話じゃない。
教育係のカンタクもなぜ二宮を同列にしたのかも不明だけど
混乱のもとをなぜ、あえて放置してたのだろう?
ライバルがいる状況で孫和の資質をはかっていたのか
期待していた長男が死んだことにより何か決断を鈍らせるものがあったのか
孫権は孫登にかなり期待して、彼の下に人材をそろえていたからな。
太子府の人間が次代の政治の中心になることを思えば、
その太子が急死した場合、せっかく集めた人材やシステムも作り直さないといけなくなる。
当初、カン沢が孫和の太子太傅でありながら、孫覇を同列に置いたのは
孫和にもしもの事があったとき、太子府をそのまま孫覇にスライドしやすくするためだったんじゃないか?
ただ、これは太子の孫和にしてみたら自分の身を脅かす恐怖感もあるわけだから
結果として二宮の変に発展してしまったんじゃないだろうか
>>865 告訴しあったのは臣下の連中の責任というが、太子と魯王を同列に扱ったりしたら2派が争わないはずがないと思うんだよな。
挿げ替えるだなんて言ってないと言うが、世継ぎを確定して争いを起こさないようにするのが太子制度・長子相続の考えでしょ?
だからこそ古代から太子とその他の子供の扱いに差を設けるようにするのだし。そこを自分で破っといて争ったのは臣下のせいだなんて・・・
太子側の取り巻きが先に政争をしかけた説の論拠を誰かまとめてくれないか?
芍陂の論功で全寄達の主張が正しいというのは聞いた事があるが
そうすると全奇が誅殺された理由をどう考えるのか
870 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 22:22:04
名分として正しいかではなく、
孫権が皇帝として呉を支配し、次の皇帝へと支配権を継承する上でどうなのか、だ
孫和はその点で問題があったんだろう
所謂大豪族(呉の名家)と名士の影響力が大きくなりすぎるのを懸念したのでは
二宮自体が、皇太子府=大豪族と名士の牙城になるのを牽制する措置だったのかも
>>859 陸胤伝の注を信じると、皇太子と家臣がスパイ陰謀罠と政敵を出し抜くためにかなり積極的に動いているように見える
>>871 皇太子としては自分の立場に不安を感じたんだろうな。
>>869 実力者の全jが死んで大きな後ろ盾がいなくなったからでしょ
孫権王夫人伝で孫和の母親も立場が悪かったのも皇太子の不安を煽ったんだろうな
>>874 そりゃあ全奇は政争の中心人物で讒言の得意な人望なし野郎なんだから
孫覇が勝ち組にならなかった以上、処分されても仕方ない
孫権自身も一応、孫覇派が孫和を貶めたという建前で両者成敗したんだし
二宮双方が中傷しあうのは当然の成り行きといえる。
孫和、孫覇のどちらにしても相手が皇帝になれば自分の命はないからね。
問題となるのはやはり孫権が二宮の待遇を明確に分けなかった事。
しかし考えてみれば周瑜と程普、考え直したけど呂蒙と孫皎、朱然と全jの様に
孫権はツートップの布陣が大好き。
二宮の変は老害ではなくて孫権の元来の性格が原因だね。
>>876 全寄が讒言の得意な人物であるのに
芍陂の論功では全寄達の主張が正しい思うのは何故なの?
879 :
876:2005/06/15(水) 00:16:03
二宮を両立した原因についてがやはり肝
>>867の孫登の死により太子府のシステムのスライドを円滑にするためのニ宮
>>870の孫和に問題、大豪族と名士に対する牽制
>>877の孫権はツートップの布陣が大好き
まだ議論余地は充分あるな
>868
破った事は孫権が悪い
だから、臣下を二分させたのは孫権の責任だ。
それは否定の仕様もないことだけども、臣下が相手を誣告する行為は
孫権の責任ではなく、臣下個人の責任だよ。
2派に分かれれば誣告しあうのが当然で臣下に罪はないなんて話はないだろ?
それに孫権は二宮が対立を始めてから一度、
太子・魯王双方の下に臣下が行き来することを禁止している。
それを無視して派閥争いをする事に問題がなかったとは言えないと思うが
>>881 > 太子・魯王双方の下に臣下が行き来することを禁止している。
だけどさ、こんなの腹すかした猫の前に餌をおいて「おあずけ」をするようなもんだよ。
まあ禁止という通達を守らなかった臣下に責任がないかというとそれはないと思うが、
この場合により責任があるのはそういう状況を作ってしまった孫権。
孫権は息子らを王にさせて領土を与えることをためらってたんでしょ
でも家臣から上奏が何度も来るから孫覇を王に封じた
しかし領土を与えることには消極的だから
王になった孫覇の処遇に困る、仕方ないから太子の宮廷に押し込める
押し込めたが王になった孫覇を軽くあしらっては他の庶子らや側近にも示しがつかない
だから当面の間は太子と同列に厚遇することで取り付くっていたが
それに不安を感じた孫和とその取り巻き、同列に扱ったことで勘違いした孫覇とその側近
こういう流れはどうか?
まるで告訴したこと自体が問題だみたいな感じだが相手に罪があると思うなら告訴して当然なのでは?主張が正しくなかった時に初めて
責任問題がでてくる。太子・魯王双方の下に臣下が行き来することを禁止しても根本的な問題はなんら解決してないのだから
争いは続くのは火を見るより明らかなわけでやはり孫権のミスだろ。
二宮が2派に分かれたのが孫権の責任じゃないとは言わない。
2派に別れさせてしまったのが孫権の責任だからこそ、
二宮の最大の責任も孫権にある。
だけど、その部分の責任と孫権が臣下を罰した事の責任とはまた別の問題。
孫権が太子派を潰したいがために太子派を弾圧したのか、
太子派にも処罰されるだけの原因があったか。
赤壁の時も関羽討伐の時もそうなんだけど孫権って指揮者決める時に2人指名するんだよね
赤壁の時はそれで内部分裂ヤバイし関羽討伐の時は呂蒙が俺にだけに汁って言わなかったらそうなったろうし
その延長線上に二宮もあるような気がする
887 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 07:46:00
孫権のツートップは、
孫権がそれを好きなんじゃなく、
そうせざるをえないんだと思う。
孫一族、子飼いの軍人、名士、呉の豪族といった連中をそれぞれある程度は立ててやらないといけない。
誰か一人だけを選ぶわけにもいかないんだよ、多分。
なんか、孫権の政治話になると必ず豪族が云々されるが、○○は豪族で、△△は名士。
そして、そいつらの意見に孫権が押し切られた。もしくは遠慮した、ってはっきり分かる所ってどこ?(別に二宮に限らず)
889 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 12:23:40
呂壱やキエンの時
反対者すべてとは言わないが、皇太子側からの反対という面もあったのではなかったっけ?
そういったことが全てはっきり書いてあるなんてありえんけどな
証拠とは言えないが考慮すべき点としては
陸遜が孫権に出仕していることかな
果たして孫策が生き続けていて陸氏が出仕するかどうか
どうも、孫権を全て自分の思いのままに決定できる専制君主として考えている人がいるみたいだね。
実際はせいぜいが連立政権の首相みたいなもんで、政党や派閥の意見の相違を調整したり、時には自分の意思を通そうとして抵抗勢力に反対されたり、各政党や派閥に配慮した人事を行ったりしなければならなかったと思うのだが。
どうしても二宮事件の犯人探ししなければいけないなら総責任者の皇帝孫権だろうけど、それでは当時の実情は全くつかめないんじゃない?
だから、その連立政権と考える根拠はどこにあるんだい?
>>891 孫権は各派閥に気を使ったから皇太子と魯王の扱いにはっきりと差をつけなかったとでも?
「二宮の変」の犯人探しをムリにする必要はない。そうするまでもなく犯人は孫権。
もっとも孫峻や孫リンの件を見れば「二宮の変」が起きなくてもまた別の形で権力闘争は起きたかもしれんがな。
そんなに派閥に考慮してるかねえ
呉の人材は様々な州から結集してる
呉の四姓も極端な力をもってるわけでもない
連立政権の首相はどうかと
試しに>891と>893の文の一部を入れ替えてみた
>どうしてもの戦争の犯人探ししなければいけないなら開戦国の国家日本だろうけど、それでは当時の実情は全くつかめないんじゃない?
>「戦争」の犯人探しをムリにする必要はない。そうするまでもなく犯人は日本。
何が言いたいかというと、「歴史そのものは誰に責任があるかないかで語るもんじゃないだろう」ということ
>>892 開発領主制だから、って川勝先生がいってた
>>895 > 何が言いたいかというと、「歴史そのものは誰に責任があるかないかで語るもんじゃないだろう」ということ
何かを見失ってる。
言葉遊びはやめなよ。
それなりに必要性があった日本の戦争責任とまったく必要性のない皇太子と魯王の並立。
全然状況が違うよ。
897 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 18:51:47
>>896 皇太子・魯王並立が必要性がなかった、と断言するのはどうなんだろ?
当時は(孫権の個人的な要求以外にも)必要とする人が複数いたんじゃないか?
>>890 陸績って陸遜より先に孫家に仕えていなかったっけ?
__
|・∀・|ノ よい
./|__┐
/ 900
""""""""""""""
.__
((ヽ|・∀・|ノ しょっと
|__| ))
| |
900
"""""""""""""""""
>>897 魯王の取り巻きや魯王にとっては好都合な話しだろうね。それを満たしてやる事になんの+もないだろうけど。むしろ分不相応な
待遇をしたために道を誤らせたともいえる。
並立の危険性は868等しばしば指摘されているからこそ、それに目をつぶってまで強行する必要性ってなんのことだ?
と899は聞いているのだろう。901はそれを解っていてあえて言っているのだろうが意図するところが解らん。
>869
少し長くなるが、太子派が先に政争を起こしたと見る一つの根拠を提示しておく
まず二宮がたった当初、孫和・孫覇は共に太子太傅のカン沢によって同列の扱いを受ける。
この事に、魯王傅の是儀は両者の扱いを明確にするよう再三上訴しているが扱いは変わらなかった。
しかし、カン沢伝・是儀伝共に二宮の対立が起こっていた記述は存在しない。
そのカン沢が243年の冬に死去し、太子太傅に吾粲が就く。
これと同時期に、顧雍が死去し丞相が陸遜に、太常が顧譚になっている。
そして、この吾粲が太子太傅に顧譚が太常に就いた後から各伝に、
孫和と孫覇の扱いを明確にするべきだとの意見が出始める。
さらに、顧譚伝では顧譚が全奇を軽んじていたと言う記述があり、
吾粲伝には吾粲が楊竺を都から追い出すように意見している。
吾粲は顧譚の父顧邵によって評価されて名声を得、陸遜とは肩を並べて名声を等しくしたとある。
二宮の変において、まず処罰されるのはこの吾粲・顧譚・陸遜(陸遜は正確には処罰されていないが)とその身内。
これが244〜245年に起っている。
この時『呉録』の記述を信じるなら楊竺も処刑されている。
その後も二宮の対立は激化していくが、249〜250年まで処罰者はほとんど出ていない。
それが、250年の孫和の廃太子とともに、孫覇・全奇らが処刑されて、事実上孫覇派は消滅する。
変わりに太子に孫亮が立てられるが、この前後に、朱拠たちが兵士を引き連れて孫権を諌めようとして、孫権から注意されている。
その注意を無視してなおも抗議行動を取ったことで、孫権は朱拠らを罰する。
全奇が処罰されたのは、二宮の対立を孫権が喧嘩両成敗にするときにとった処置で、芍陂の論功の是非は直接的には関わっていないと自分は考える。
>>899 家系では陸績がその任にあたるはずだが
年長であるため陸遜が陸氏を束ねていたので
陸遜の出仕こそ陸氏の孫呉編入と考えるべきでは
735 名前:日和見宰相 ◆7rAzqBFcf. [sage] 投稿日:2005/06/15(水) 21:17:44
三戦は新時代に突入したんだよ
昔を懐かしむような馬鹿はもう三戦に必要ないといえよう
737 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/06/15(水) 21:20:12
日和見よ何調子に乗ってんだ?
三戦の新時代にお前のようなヘタレな厨房が必要なのか?
739 名前:日和見宰相 ◆7rAzqBFcf. [sage] 投稿日:2005/06/15(水) 21:21:28
むしろ俺が率先して新時代に導くwwwwwww
741 名前:日和見宰相 ◆7rAzqBFcf. [sage] 投稿日:2005/06/15(水) 21:23:02
俺は日和見様だwwwwwwww
742 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/06/15(水) 21:24:13
お前に誰がついて行く?
魔玉に煽られ厨房ぶりを発揮して無様な姿を披露した貴様に!
743 名前:日和見宰相 ◆7rAzqBFcf. [sage] 投稿日:2005/06/15(水) 21:24:40
だれも着いて来ないでいいwwwwwwwwww
747 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/06/15(水) 21:26:58
新時代きづくと豪語しておいて誰もついてこなくて良いとは何だ?
さっきと言ってる事が違うと思うが…
749 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/06/15(水) 21:28:26
厨房が支離滅裂になってる
お前は三戦板には必要ない存在のようだ
日和見宰相とは芸も知識も無く住人に煽られ池沼・厨房・基地外・馬鹿・口先大王・知的障害すべてを
出すもなす術なしで叩かれた大馬鹿の糞コテです
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1118594252/545
ところで上のほうにあったけど凌統が早死にっていうのは本当なんだろうか?
49歳で没したとあるけどほんとは20年くらい前には死んでたっていう説。
910 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 15:59:19
長生きだと明らかに他の伝などと齟齬するし、
彼が死んだときの孫権の嘆きっぷりも
「二十代の若さ」だからこそだろ
孫策って結婚してなかったと思うのだが、どうか?
お妾さんは居たとは思うのだが
大喬との結婚後1年で死んでるが、
後で出てくる「孫策の子」ってのは確か4人。
いずれも母不祥だから、確かに妾ばっか沢山囲ってたのかもしれん。
ハーレムか
914 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 20:19:12
>>904 陸績って陸遜よりも年下だったのか。。。
陸凱が陸遜よりも年下 なら解らんでもないが。
>911
納れたとか婿とかの単語が出てくるから
大喬は普通に結婚扱いなんだと思ってた
妾ならどういう表記になるんだろ
子供の数からしてお妾さんは確実に居るよな
妾でも婿さんになるぞ
>妾ならどういう表記になるんだろ
ベン皇后伝見ろ。「后ヲ納レテ妾ト為ス」と書いてある。
ベン后の場合は売春婦の身請け、大喬は戦争捕虜だからちょと違うが。
結婚と言えば結婚。財産に加えただけと言えば加えただけ。
てか、現代的意味での結婚をしたかどうかという議論は無意味でないかい?
ある文化を全く違う文化の尺度で区切ろうとしても意味はない。
孫策の子は、孫紹と、顧邵・朱紀・陸遜に嫁した三人の女を併せて四人。
大喬との間に、孫策が死ぬまでの一年余で子をなせたとは考え難い。
仮にもうけたとしてもせいぜい一人くらいじゃないかな。
『礼記』の「ダイ則篇」に”聘せらるるは則ち妻と為り、奔るは則ち妾と為る”
とある。
もっとも孫策が25,6歳で妻妾のひとりもいない方が不自然で、大喬を得た
のも予定されていたものではないから、「呉書」には”納れた”とあるのみで
妻なのか妾なのかもわからないけど、後者の可能性のほうが大きいんじゃ
ないかな。
母親の呉夫人が、孫権には妻妾を斡旋しているのに孫策にはそういった
あとがまったくないし、孫策の閨房ははやいうちから充実してたのかも。
まぁ、物語的には妻の方が盛り上がるがな。
正妻だれだったんだろ
袁術関係か?
>孫策の子は、孫紹と、顧邵・朱紀・陸遜に嫁した三人の女を併せて四人。
これって、分かっているのが四人ってだけで、
他にもいるかもしれないから断言は出来ないよな
26で死んだのに
>孫策の子は、孫紹と、顧邵・朱紀・陸遜に嫁した三人の女を併せて四人
>孫策の閨房ははやいうちから充実してたのかも
って、ようやるのぉ〜
親父死んでから大変だったろうに、そんなことやってる場合じゃなかったような気もするんだが。
嫡男だから(閨房充実、子供多)というより好色家だったっぽいな、孫策。
>>923 地位も名誉もあるハンサムなモテ男くんなんだから
女が勝手によってくるだろ?
少なくとも、197年以降はある程度の余裕はあったろうからかまわないのでは?
好色というか精子が元気すぎただけかもしれんし。30人以上子供がいる曹操に比べればまだまだよ。
町費の誘拐結婚に比べたらおもしろみもないよ
927 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 18:56:49
正妻なしはありえんだろ
劉備でさえ正妻の事は記録に残ってないくらいで、孫策にも記録に残らない(あるいは消された)正妻がいたんじゃないか?
甄后がかつて袁家に入った時もただ、納めるとしか書いてないなあ
他にちくま訳で妻扱いされている人しかり
逆に妾だと必ず妾と表記してる
当時の意識として両者の違いってなんだったんだろ
単なる性奴隷かそうでないか。
呉のあたりは正妻と妾の違いはそんなになかったそうだが
凌統が長生きしてたら呂蒙みたいになっただろうか
江南の有力豪族って、陸、顧、朱とあとなんだっけ?代表的なのが4つあったと思ったんだが。
魯は移住してきた家だからあまり影響力はないんだよな?周喩の息子達はどんな地位についたか、知っている人いるかい?
>>932 呉郡の四姓は陸、顧、朱、張。
あと、よそから越してきても家格か本人の名声が高ければ、
影響力を持つことが出来る。
そもそも、呉の文臣の中で最大の影響力を持っていた張昭からして徐州の人。
周瑜の長子循は騎都尉となったが、若くして病死。
循の弟胤は興業都尉となり、都郷侯に封じられたが、
罪を犯して流罪になった。
張って誰?
張温など
なにかと豪族豪族言うわりにはそこまで影響力強くはないんだよな。
豪族を押さえるために外戚を強めたからだろ
それで弱体化したが
>>938 呉で強い外戚って、全氏と何氏ぐらいじゃ…。
それも寵遇されただけで、権力は君主に握られてたような。
全氏も何氏も豪族なんじゃ
豪族かどうかというよりは、
大きな勢力を誇る地元の名家(四姓など)と、
それと比べると小勢力で新興の豪族、
という豪族間の格差なんじゃないかな。
一人一人の影響力はそれほどでないように見えても、
呉では最初から最後まで豪族系とされる者が多数高位高官に就き、
国政を左右し続けている。
豪族がこぞって孫氏に反抗したら呉自体が成り立たないから、
力関係として豪族が強くなるのも当然。
大荘園などの経済的基盤を持っている豪族は、
国家権力から切り離されても生きていく事が不可能ではないからね。
そういうヤツラが二宮事件の時などに両派の中心にいたわけで、
二宮事件ってのは皇帝孫権の後継者問題に絡んだ豪族間抗争という感じなのかもしれない。
>豪族間抗争という感じなのかもしれない
かもしれないっていうより露骨に有力者同士の勢力争いって感じがするな…二宮問題は。
代替わりの時は洋の東西問わずこういう争いはよく見られるし。
要するに争うに都合のいい方についた、ってのが本旨で、太子冊立は
あまり大きな意味をもってなかったようにもとれる。
流れからいって魯王派が一度は優勢に立ってるのに、魯王派が孫覇の
太子冊立を大きく後押ししてるわけでもないし。
あとは全公主と王夫人の確執かな。
>>943 孫権は陸遜死亡後の、皇太子派が大打撃を受けたはずの時点でも皇太子を魯王に替えようとしていないし、確かに魯王派も魯王を立てることに積極的でない。
いわゆる喧嘩両成敗にしたとも考えられるが、皇太子がどんな人物かは、あまり関係なかったのではないだろうか。
両派とも、担ぎやすい、操りやすい者を次期皇帝にしたいというだけで。
>要するに争うに都合のいい方についた、ってのが本旨で、太子冊立は
>あまり大きな意味をもってなかったようにもとれる。
ということは、例え孫権が二宮並立をしていなくても、豪族間抗争っぽいことは起こっていたということだろうか。
もしかすると孫権はその抗争の悪影響が拡大するのを防いだのかもしれないな。
>>944 逆じゃないの?対立の種が燻る所に絶好の火種を投下してしかも油を注いで大炎上したところでようやく火を消そうとした感じだ。
二宮って呉にとって大損害でもないんだよね
有能っぽいのが何人か死んだり流されたりしたけど
後の孫亮や孫休みたいな凡君でも充分、国を保つことができたし
>>946 解決前に孫権が死んでたらわからんかったがな。
呉の四姓の一人が張温ってどこに書いてあった?
見つからないんだが・・・
>>946 偶々呉には続く人材が居て、尚且つ戦線が長く膠着状態にあったためか大事には至らなかったが、呉が伍員を斬って滅び、
燕の楽毅が斉の70余城を落としながら彼を更迭したがために結果奪ったほぼ全ての城を失い、後に戦国が秦によって
統一されたことを考えれば、孫亮や孫休が国を失わなかったことが幸運であり、孫皓の代で滅んだ遠因になってるとも
思えるけどね。
というか、呉は益州や北方に比べて土着豪族の勢力自体はそんなに大きくないんだがな。問題は孫家の家格の低さであって。
根拠のない思いつき発言ヤメレ
最近の研究によるとそんな感じだよ。ソースは論文とか漁ればでてくるから。
凌統が早死にって本当?
むじんは早死にが正しいって言ってるけど
呉は早死にばっかだね
多くの呉将が呂岱に寿命を吸い取られたということか
呂岱と丁奉
あと孫権と張昭。
>>952 具体的な研究者名や書名が出てこない内は信じないが吉
学術論文がソースとか書いときゃ、
どーせ誰も確かめられやしないだろうって腹なんだろうな。
>953
凌統の死後彼の兵士を指揮した駱統の没年から計算すると
49歳はありえないらしいよ
みみたこ
凌統の歿し、その私兵を預かった駱統の没年が黄武七年(228年)で、
享年が36歳。
江夏遠征で凌操が戦死した時の凌統の年齢が15歳。
これだけの情報でも、享年49歳がおかしいと感じるのが自然。
むじんが早死って明言してるんならそうなんだろ
誰も言わないけれど陸績も早死
丁奉も早s(ry
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 12:37:34
晋宗って名前がステキだよな
しにそう
968 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 12:46:44
凌統って名前ステキやん?
腐女子的にも
仲長統の方がよくないか
970 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 14:16:42
仲長統はスレ違いだから・・・
975踏んだやつが次スレ立ててね
アンチが踏んだら繰越で
972 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 16:23:37
是儀って響きステキやん?
だれか二宮の経緯をシンプルにまとめてください
孫和派 孫覇派が誰かも頼みます。
自分で調べろよ
975立てる鬼無
通りすがりの糞コテ、次スレ立てました。
977 :
無名武将@お腹せっぷく: