1 :
無名武将@お腹せっぷく:
>>3 スマン。時間空いてたから2に貼っちまった・・・orz
>>1 惇クス
前スレの>986の「軍人と名士の中間にいる人種」ってな役割についての
夏侯惇の後継者って誰? 司馬懿? 曹爽?
夏侯惇みたいな人がいたら魏も長続きしたのかな。
7 :
曹植 ◆qDAY7.nyqI :05/02/26 15:26:53
曹植を君主にしていれば・・・
>>6 おそらく、軍の実力者を一人にすることを嫌った曹丕が分割して、故意に
第一人者を作らなかったんじゃないかな。
曹真がそれに当たるんじゃねぇかなぁ…
曹真だって呉に遠征したり諸葛亮の防衛の指揮してるから忙しいんじゃないのか?
曹休なんて大司馬なのに揚州に赴任してるんだから相当いs(ry
とりあえず前スレ埋めよう
前スレ埋まったのに盛り上がりに欠けるなぁ〜
もし居なければ一番大きく歴史に影響を与えたであろう将は誰だろう
身も蓋もなく曹操
それじゃ面白くないから
曹操以外の魏の中で
>>16 それじゃあ、どの戦役が三国志にとって最も決定的だったかということかな。
魏での候補でとりわけ苦しい戦いをとりあえず挙げてみる。
拡大期:対呂布戦、対袁紹戦、対孫権戦、対馬超戦、対劉備戦
防衛期〜蜀滅:対蜀防衛戦、対呉防衛戦、蜀侵攻戦
おおまかに分けてこのあたりか。
やっぱり、創業期だからか対呂布戦と対袁紹戦、とりわけ後者が光ってるような。
なので・・・・
曹操が除外されるとすると兵糧庫奇襲時に本陣防衛していたか夏侯惇とか?
あと、武勇部門 関羽、後方支援賞 ジュンイクとかになるのでは。
拡大期のほとんどに曹操が顔を出してるところがツライネ。(戦略的な評価で将を選ぶ場合だけど)
そうすっと、蜀滅戦での最高司令官を務めた司馬昭ということになるのでは?
彼は鐘会が謀反を起こしても抑えられることを想定してたことだし。
戦術的な評価の比較は難しいし、戦術的難易度と歴史的重要度は必ずしも結びつかないのが困る。
蜀にとっては換羽が刑州で討たれたのが大きかった。
逆に言うと、魏にとっては刑州を掠め取ったことで、蜀をジリ貧に追い込む事ができた。
戦力的に見て刑州を巡る争いの意味は大きい。
>>14 ぶちぬけで夏候惇を推す。
夏候惇がいなければ、曹操が遠征に出た際に叛乱が幾度と無くおきただろう。
名士と曹操軍団を結んだのも彼だし。
魏の五将や軍師陣は大変に優秀ではあるが、ハッキリ言って替えが効く。
夏候玄がいちばん大きいよ。楽毅論を書いた人。
やっぱり夏候惇か荀ケかなぁ
>>21の言う通り惇がいなけりゃ陣営が破綻しかねなかっただろうし
荀ケがいなけりゃ曹操陣営の優秀な文官の大半が仕官してこなかったかもしれない
誇張しすぎ
>>24 _ ∩
( ゚∀゚)彡 5W2H!
⊂彡
_ ∩
( ゚∀゚)彡 5W2H!
⊂彡
>>21 名士と曹操軍団を結んだかはともかく、夏侯惇の替えがきかないという点は激しく同意。
・曹操の留守を守れる能力(政治的なものを含む)
・大軍を任せ預けられる能力と信頼たる人間性(親族であることも含む)
両方を持っている人物は他にいなかったと思われる。
確かに夏侯惇がいなければ曹操は遠征に行けなかったり、反乱で追い出されていたかもしれない…。
でもやっぱり夏侯惇は裏一位であって表の一位じゃないと思う。
推測の部分がでかいし…。
>>26 正史を読み解いていった時、誰もがその結論に落ち着くのなら、
それは推測ではなく一事実として扱っても良いのではないだろうか。
徐州に曹操が行ってる時に呂布、張バク、陳宮の反乱から本拠地守ったのも
夏侯惇だしね。
とは言っても
>>26のいうとおり、夏侯惇が魏でとびきりの名将として
推すかというと違和感が大きい。
>>14のお題は別に名将という言葉を使ってはいないわな。
夏侯惇のような人を形容する「〜将」って名将と別にあるんじゃない?
夏候玄がいちばん大きいよ。楽毅論を書いた人。
>>28 荀ケと程cが二つの城守って
夏侯惇は救援要請受けて来たんだよね
>>17を書いたけど官渡で本陣守ってたのは曹洪だったよねorz
許攸で最大の功績?は許攸な気がする・・
カントで最大の功績?は許攸な気がする・・
キョユウってキョチョに滅多斬りにされた中の人でしょ?
寝返り者に功績を帰するのは無理がありすぎるだろ。
確かに最大の功績は許攸だと思う。冀州くらい任せるに価しよう。
ただ
>>14が将と指定し、曹操は無しとしているので許攸や荀ケでなく
本陣守ってた将として曹洪が挙がるんかなと思いました。ただ官渡の戦いだけ
とっても曹操以外のどの将が一番功績あるかというとよくわからないです。
いや、機を見るに瓶だっただけでしょ。
先見の命があったと言ってもいい。
ちなみに呉だと周ユで決まりだわね。
そなの? 陸遜も周喩(字が違う気がする)に負けない名将だと思うが。
呉はいい魏でしょ
43 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 01:34:29
夏候玄をなぜ無視するんだ?おまえら。ゆるせん。
対袁紹戦の功績順位
荀ケ→許攸→関羽
>>44 その矢印はどういう意味なのか分からん。
関羽が一番功績が大きいと読んでいいのか?
関羽は顔良斬っただけだろ?それなら耐えに耐えて勝利をつかんだ曹操軍の全参加武将の方が偉い
47 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/01 15:06:09
なにげに許昌を衝こうとした劉癖と劉備を撃破し、エン紹軍の補給線を断った曹仁
が官渡戦の最大の功労者だと思う。
論功行賞ってむずかしいね。
それで国が滅びることもあるわけだからな。
カントはやはり決定的なのは曹操しかでてこないな。
あえていうなら許攸。
でも対呂布は于禁だろ。これは固い。まさに縦横無尽。
干禁は名将としか言いようが無い。
曹操が天下を取ったとき、手足になって働いた将は論功行賞で偉くなって当たり前でしょ。
でも、ほかにも働いた人はいっぱいいるわけでしょ。百万も。
それにいっぱい恩賞やっても人間だから不満に思うことはあるわけでしょ。
働く代わりに恩賞、契約からすれば当然なんだから。
なら手足になって働いた、偉くなる奴(予定)はぜんぶ死刑にしてしまえば不満は出ないでしょ。
それで雑魚を代わりに偉くしてやれば、予想外だから感謝感激で尽くすでしょ。
むかし松下が、一番下っ端の役員を社長にしたようにね。
宋や明の創業者はこの手を使ったから、ながく王朝が続いた。
まあ、けんめいに働いた人を恩賞のかわりに死刑では道徳的に約束違反なんだけど
本人は死ねば関係ないし。明の中の人はもともと犯罪者だし。
そこに気がつかなかった曹操君は愚かでしたね。貴族野郎の甘さというべきか。
お前は蜀と呉を無視ですか?
劉宋の二代目ちゃんはまだ北に敵がいるのに武将全部切って
敵が攻めてきて「将軍はどこ〜」ってオロオロ泣いたんだが
>>52 劉邦はそれに近いことやってるよね。残す人はちゃんと残してるけど。
でも、曹操の論功行賞は劉邦に比べると地味だったような希ガス。
曹操は完全に天下を取ったわけではないし、呉はともかく、蜀という、やる気まんまんの敵が
のこっていたわけだからね。
曹操の台所事情は一時として楽な時が無かったからな。
そこで杜畿の出番ですよ。
曹操は甘いところがあるからな。
本人に隙も多いし。
隙?これは余裕(ry
会社でも、あるていど運営が安定したら
有能な奴はきって、無能なイエスマンだけ残すのが常識だよ。
自分より背の低い、気の弱そうな若いやつを管理職に取り立てて
強そうな奴は、そいつにこき使わせる。
その知恵の上に日本社会があるわけですよ。
>>61 でも曹操がそれやってたらジリ貧で国は潰れるぞ
無能な将だけ残してたら
蜀と呉に領土やら民やらちょっとづつ掠め取られてただろうし
功臣粛清の渦が始まるのは、治世になってからだよ。
狡兎つきる前に、良狗を煮る猟師はいないということ。
曹操君は司馬に乗っ取られたから0点。
はじめから何もしない方がよかったくらい。
ふーむ、ちょっと話を戻すと今までのところ、このスレでそれぞれの戦役で
一等の功を挙げられてるのって、曹操以外、それに参謀系を分けとくと
対呂布戦 于禁
対袁紹戦 曹洪、曹仁、関羽 (荀ケ、許攸)
刑州防衛戦(関羽が攻めて来たとき) 曹仁、徐晃
蜀滅戦 司馬昭
そして裏方的な役割として替えがきかない将として特別な評価を受けているのが
夏侯惇といったところだね。
自分としては蜀滅戦の一等の功績は、トウ艾士載にあるんじゃと思うな。
>>66 ケ艾でなくともいつかは誰かが成都を落とした。そう言い切れてしまうのが蜀滅亡なんだよな。
あれは軍司令官の活躍ではなく、やはり司馬昭の決断のものだろう。
>>67 なぜそういい切れる?
ケ艾以外に誰があんな無茶な行軍するというのだ?
蜀の精鋭が存在するうちは、ケ艾以外無理だったと思う。
蜀の精鋭が滅びるまで待ってたら、魏(晋)そのものが無くなってたかもな。
>>67 そのいつかというのが重要ではないかと
運が良かったのも事実だがあの時点で蜀を奪れたのは鄧艾だからこそでしょ
>>68 漢中が落ちた時点で最早大勢は揺るがんだろう。
ケ艾の進みが予想外だった事はあっても、蜀の命運は漢中を落とされた時点で風前のともし火。
漢中から蜀に進むには剣閣を通らなければ成らないが、
襄陽・西城と漢中からのニ方面攻撃に剣閣耐える事は出来るだろうか?
でなくとも、仕切りなおした種会が再度攻めてきたら?
剣閣は確かに堅牢だが、過去の例に言えば劉備軍は此処を抜いているのだから、
魏軍にそれと同じ事が出来ないとは言い切れない。
剣閣を抜かれれば決戦は必死で、そこで破れれば成都は簡単に堕ちる。
事実、姜維やらカクヨクの読みだって剣閣が抜かれた途端に「すわ建寧に遷都か!?」だったし。
蜀滅戦でのそれぞれの功績
司馬昭 戦役を起こす、ケ艾と鐘会の選任、事後処理、鐘会謀反の可能性に対する予測
ケ艾 成都の急襲の成功
鐘会 蜀軍主力の引きつけ、(戦略の立案?)
軍事的にはケ艾は戦いの中で状況をよく読んで非常に難しいことをやってのけたので
一番に評価したい。それに比べると鐘会の評価は、はっきりとしにくい。
一方で政治的には司馬昭もなかなか大変なことをやってるね。
夏候玄をなぜ無視するんだ?おまえら
>>73 夏候玄が好きなのかな?確かに道端で楽広を見出した話とかからすると人は良さそうだよね。
ただし、曹爽・夏候玄コンビが王平・費韋コンビを破ることができなかったことを踏まえた上で
>>71の司馬昭、ケ艾、鐘会よりも、夏候玄を推すというのは・・・・(沈黙)。
夏侯玄の『楽毅論』。これを読めば彼が諸葛孔明をしのぐ思想人だったことは明らか。
思想家を評価するスレじゃないので
思想だけを評価するなら竹林の七賢も入れてくれ。
個人的には王ジュウなんかはなかなか面白い工具師だったと思う。
蜀を滅亡させたのはトウガイより鐘会の功績の方が大きい。
トウガイも極めて優秀な戦術家だったが、最強の戦略家であり、尚且つ政略にも長けた
鐘会に子供のようにあしらわれてしまった。
鐘会は最後が何ともお粗末だったからなあ
最後意外はすばらいしいんだが
>>80 麻薬やりながら現実逃避したりアル中なったり、お金儲けしてる奴らに思想なんて大層なもんはない
鐘会はああならざるをえなかったんじゃないかな。
あれだけ切れ者で、その時点で誰も比肩できない功績を立て、対抗馬のトウガイまで屠っちゃったんだから
当然主君には危険極まりないやつと見られて、反乱を起こそうと起こすまいと、いずれは始末されていたと思ふ。
姜維に目をつけたってのが
蜀好きの俺にはツボなんだよな
まああのせいで魏に下った元蜀の人は
いらぬ嫌疑をかけられたりしたんだろうけど
>>81 マジレス?
ケ艾が成都を落とした時点で、蜀滅亡は決まった。鐘会は功績立て損ね。
ケ艾を屠ったのは蜀滅亡後の後日談みたいなもん。
その反乱でケ艾と己自身を滅ぼしたことは、魏にとって意義のあることだと思うけどね。
ケ艾と鐘会じゃ役者が違う。
ケ艾は単なる有能な方面軍司令官
鐘会は政府の機密も預かる軍政両面の首脳
>>87 役者も何も、蜀征討戦において、二人は同格の将軍。
そこで蜀攻略の大功を立てたのは他ならぬケ艾。
政府内の役職は別にしてね。
鐘会の反乱後、ケ艾の名誉は回復されたのに、
何故史実を曲げてまで、蜀攻略の功績を鐘会に帰するのかが判らない。
確かに二人を比べてみると、才能、野心、出自いずれの点でも鐘会の方が勝っているな。
種会はなんで太僕(現代の運輸省大臣みたいな物か)になることを頑なに拒んだんだろうな。
鎮西将軍からなら、大出世なのに。死ぬまで前線で居たかったのかねぇ。
それにしても、種会のこうした無欲さと謙虚さは、入蜀後の彼の姿と著しくかけ離れているような。
姜維一計害三賢
>>91 名誉職に祭り上げて実権を奪おうとしたので、
それを拒んだだけだよ。
>>93 逆に言えば、拒んだことで司馬昭は種会の野心を知り、種会は退路が無くなった訳か。
入西川 二士争功
不惑で独身
マザコン
やけに敵(蜀)オタク
ウホッ
伯約殿遅かったではないか。w
しかし鐘会は司馬昭にはかなわなかったということか
案外
「よし!これで蜀攻略の功績第一頭を消して司馬昭どのもお喜びであろうな……
……ん?……あれ?……そうなると魏で司馬家意外に大功立てて有能なのって……俺?
消される?俺、消されちゃうの?やばっ!……ねぇ、姜維くん!蜀で一発旗揚げしてみない?」
こんな感じだったのかも
いや、奴は蜀征討に着手する頃から独立を考えてた。
蜀を攻略した後の政敵の追い落とし、根回しがスムーズすぎ。
姜維を使うのも初期の構想に含まれていたからこそ彼を優遇したんだろうし。
ただ同僚たちを監禁するならもっと徹底するべきだったね。
司馬昭に負けたというよりは鍾会自身の単純なミスだろう。
そこが司馬一族との差か
司馬昭は政争にその有能さのほとんどを費やしてる人間に見えるな。
軍事的な戦略においては鐘会に及ばないというよりその役目を負ってない。
軍事面では兄の師の方が才能ありそう。
鐘家の兄弟って奈良時代の藤原豊成、仲麻呂兄弟みたい。
有能で野心満々の弟に対して、平凡だが人格者の兄。
司馬師って人格者なの?
鐘イクのことでしょ。
107 :
鍾会:05/03/03 17:29:20
魏将スレに来てようやくオレもそれなりの評価になった気がする――
遊びを控えコツコツと地道に謀略を重ねて出世したかいがあった――
スレにいるみんなも鐘会鐘会と話題にあげてくれている――
けど・・・オレの名前――
「鐘会」じゃなくて「鍾会」なんだよな・・・・
だがここまで会話が白熱してると
「オレの名前 実は鍾会だ」なんて言いにくい・・・
ん!?ちょっと待て
今
>>100が「鍾会」って言ったぞ!?
まさか―――
コイツら本当はオレの名前を「鍾会」と知っておきながら
「そんな事どうでもいい」とか思っているのか!?
司馬昭→源頼朝
トウガイ→源義経
ショウカイ→梶原景時
>>108 景時は頼朝とは信頼関係にあったがな。
司馬昭も[登β]艾を謀殺しようとは思っていなかった。
司馬昭→弓削道鏡
トウガイ→吉備真備
ショウカイ→藤原仲麻呂
日本史で例えてもわかんねーよ。
競走馬に例えてくれ。
司馬昭→曹操
トウガイ→曹仁
ショウカイ→カクカ
三国志で例えた方が分かりやすいだろ。
司馬昭→曹操→劉備
トウガイ→曹仁→キョウイ
ショウカイ→カクカ→法正
三国志じゃ余計ややこしいよ。
AV女優に例えてくれ。
司馬昭→テラさん
トウガイ→赤塚
ショウカイ→キャバ
>>107 細かいことは気にするな。
上の方では種会って言ってる人もたくさん。
>>107よ
お前にはもはや鐘会か種会のどちらかを選ぶしか道はないのじゃ。
王サンは曹植と仲がよかったけど、曹丕との関係も良好だったんだな
王粲は魏でも五本の指に入るくらい知能の高い人物だったと思う。
軍事、政治の表舞台には立たないから地味だけどな。
王さんって確か現代にも残る業績を残したシトだよね。
書だっけ?詩だったっけか?
王さんはホームラン王だろが
王粲の「英雄記」って信用できるのか?
同時代だからリアルだと信じたいが、かなーり怪しい記述が多くないか?
王さんて建安の七子だっけか。
むしろ同時代すぎるんで信用できない
リアルな情報が豊富な代わりに、風説をただかき集めることしかできない
報道機関なんて存在しないから、正しい情報の取捨選択も難しいはずで
これが、一時代後の陳寿なら、
まだ宮史や各種野史をつき合わせて検証できる。
贔屓目とか、圧力とかもあるだろうしな。
>>125 劉備が曹操と共に董卓討伐に参加したって話はどうなんだろ?
自分の主君にまつわる話だし、間違ってたら大変。
でも正史の記述とは矛盾する。
>>123 陥陣営とかは個人的に信じ込むことにしてますw
スレ違いだけど、英雄記だと劉 王章 が甘寧を敗走させてるんだよなぁ。
配下が有能なら率いてる人が無能でも
追い返すことぐらいはできるかと。
てか、州刺史と反乱軍の力関係を無視して何を…
イスラエルにもし無能な首相がいたら
あっという間にパレスチナに打ち破られてエルサレムが占領されるとでも?
現代の政治を持ち出すのはやめましょう。
政治的な意図があると勘違いされます。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 09:30:41
王雄について語れや
134 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/11 21:17:17
羊[示古]は?
徳の力だけで陸抗と互角に対抗するなんて並じゃないぜ!
魏じゃないし
対陸抗は羊祜の負けだろ
西陵に関していえば互角だったのは徳の力だけの間違いでは?
戦略立案に関して言えば羊[示古]は一流。
280年の呉侵攻もほぼ生前の羊[示古]の計画に基づいてるし。
いや羊祜の能力は素晴らしいけど
>>134の主張はチョットおかしいだろといいたかっただけ
スレ違いなので落ちます
ドヨはどうよ?
なんちて。^^;;
140 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 09:53:23
晋の名将を語るスレが必要だね
真の魏
曹操
曹植 曹丕 曹彰 曹熊
諸葛亮
曹洪 夏候惇 関羽 夏候淵 曹仁
張遼
徐晃 張コウ
楽進 于禁
李典
典韋 許楮
郭淮 ホウ徳 賈逵
曹真 曹休
王双
カク昭
鐘会 ケ艾
142 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 10:20:13
うわぁ…
衛カンとかはどうよ?
諸葛亮がいればどうにかなるとでも思っているのかよ・・・
145 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 14:16:28
エイカンの蜀での立ち回りは芸術だよ
衛カン何気に好きだな。
>エイカンの蜀での立ち回りは芸術だよ
確かに上手くやったけど、その後都に帰ってからケ艾を〆たやり口が汚いって言う人がいて
「藻前碌な死に方しないよ。w」って言われちゃったんだよ。
んで、案の定畳の上で死ねなかった。
衛カンって春秋時代にいそうな人物。
148 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 15:14:24
エイカンつーと極度の椅子フェチ
「あああこの椅子が惜しいよおぉぉ」
栄冠って将軍なの?それとも軍師か政治家なのかな?
150 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/15 18:43:17
監軍だよ
監軍っていうことは梶原景時みたいなやつか。
性格悪そうだな。
>>149 基本的には官僚。
まあ、この時代の官僚が、軍事職に就くのは、
珍しいことではない。
>>152 なるへそ。
つまり吉備真備みたいなものか。
石苞もなかなかの名将
諸葛誕や鍾会と違って、
その軍事的才能の全てを司馬一族の忠犬としての仕事に費やしたわけだが
>>154 それでも離間の計を仕掛けられてるあたり、
司馬氏がいかに辺境で大軍を擁する名将を警戒していたかが良く分かる。
さてここら辺で孫子的に名将達を評価しようか
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/29(火) 17:28:20
>>156 孫や子も名将だった奴は少ないな
司馬懿は該当するか?孫は微妙か
>>157が物凄い勢いで天然ボケをかましている件について
ていうか孫子的にってどういう風なことだよ
じゃあ、俺は我孫子的に評価しよう。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/30(水) 13:27:54
なら俺は取手的に
将軍は三代続けてやってはいけないそうだぞ
163 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/04(月) 20:48:18
魏には名将・良将はいないでFA!
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 00:46:17
スレ違いかもしれないけど
魏って土徳だから黄色の王朝なんだよね、年号も黄初だし。
黄巾の乱から30年以上たって、ようやくその理想が果たされたわけだ
しかも敵に、因果なもんだねえ
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 01:01:56
敵?
曹魏は青州黄巾兵を受け入れてるし張魯も厚遇している
敵じゃないぞ
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 01:05:45
>>166 どっちも亜流じゃん黄天云々関係なしに動いてた奴らのことは言ってない
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 01:57:06
張角本人ってこと?
それなら尚更曹操を敵としてさえ認識していなかっただろう
曹操は当時ただの騎都尉だし
そもそも黄巾が正統なのかって話だが?
むしろ五斗米道の方が正統なんじゃないか?
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 03:08:51
道教としては黄巾よりも五斗米道の方が正統だわな
でも土徳がどうのって言って漢王朝打倒を目指したって意味じゃないの?
>>167の亜流本流は
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 03:15:12
うまい棒
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 09:45:47
おいおい、火徳の漢を継ぐのは黄徳だと考えられていたから、黄巾も魏も「黄」なんだよ
発想が逆だ
たまたまどちらも黄色だったんじゃないぞ
>>172 バカ、正解を言うなよ
この間抜けな議論がどこまで続くか楽しみだったんだから
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 12:49:43
あーあつまんなくなっちゃった
そういえば何で蒼天既に死すなんだろう
黄色は土徳、土徳なら青じゃなく赤か黒に取って代わるはずなのに
なんで火徳で赤の漢王朝に反旗を翻しておいて
蒼天既に死すをうたったのか?ってこと
蒼天ていうのは曹操が適当に考えたからだよ。
そんなのも知らんのか( ´,_ゝ`)プッ
久々にスレが動き出したな。
しかし、すぐ止まったので、ageて厨を呼んでみる。
ageられてないぞ…
賈逵と鍾ヨウは魏の名臣だったのに、2人とも息子がアレだったな・・・。
有能な人間ではあったんだがな。
果汁は紹介以上に人格的にアレだね。
むしろあの位ふっきれてると尊敬に値するかな?
楽チンと張虎っていつもセットなイメージ
蜀で言う関興と張苞みたいな
張遼の子、張虎→偏将軍まで昇る。
楽進の子、楽リン→揚州刺史まで昇る。
于禁の子、于圭→益寿亭侯に取り立てられた。
張コウの子、張雄→父の後を継ぐ。
徐晃の子、徐蓋→父の後を継ぐ。
こうしてみると五将の子の中では楽リンが一番出世してると見てもいいのかな?
反乱が起こると分かってる州に
イケニエとして置かれるのは出世なのか?
反乱が起こる場所に置くのはイケニエじゃなくて反乱の早期鎮圧のため
それだけ信頼されてる
信頼されたわりには何の防波堤にもならなかったわけだが
許チョの息子は鍾会に斬られたわけだが
名将を語るスレなんだから陳グンの息子の話でもしましょう
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 12:29:19
石苞でも語ろうぜよ
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:05:19
>>182 まあカキやショウヨウも漢にとっては変節漢なわけだし
因果は巡るんだよ
徐質って徐晃の子じやなかったんだ。
州泰と周泰が同じ人だと思って居た12の夏。
なんという醜態
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 17:35:12
成公英の姓名の切り方を誤る奴続出の余寒
成・公・英?
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 07:38:22
「公」はなによ?
洗礼名?
成 公英だろ
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 10:55:41
釣りにしても面白くない
ボケにくいネタはつまらんとです
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 12:22:43
あいつ羌族だから、「成公英」で一続きの名前だよ
成ってジーって発音する場所もあるらしい
つまり成公英はジーコだったんだよ!
蒲公英
あげ
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 12:28:23
魏にはよほど名将がいないらしいな
だいたい官渡のときなんて魏の将軍は一人も活躍してないしな
おいおい
お前別働隊として動いてた武将何人知ってるよ
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 12:57:03
はっはっは
魏王朝はもちろん魏国も存在してない時代、将軍はすべて漢の将軍ですよ
違うよ
魏国建国に功のあった人は全員魏将ですよ
夏侯淵は愚将だったの?戦死したのは仕方がない事だったのですか?
戦死はどうしようもなかったと思うよ
下の者を大事にする性格な上に少し猪突猛進気味だから
何時かはああなってもおかしくない
なるほど。
では戦力的に劉備に漢中をとられても仕方なかった?
戦力的にはわからなかったと思う
夏侯淵が戦死したから漢中の魏軍は総崩れに近い状態になったんだと思うし
吉本の乱などの全体的な内憂外患考えれば、長期的な観点からみて漢中捨てるのは
仕方なかったキモス。
長期的な観点として蜀を攻めたかったなら漢中は捨てれません
したくないならいいですが
どう考えても曹操が漢中取ったあと蜀攻めなくていいって言ったのは大失策だよな
>>216 蜀の懐は深く一気呵成には攻められない上、孫権の存在、反乱の種が中原に存在してる状況では、
蜀攻略は無理・・・と読んだんでしょ。曹操は。
結果それは正しかった訳だ。
どう考えても、あの時点での蜀攻略は無理だよ。
守勢に入った人間の発想だが・・・
まあ優位に立ってる方が無理をすることもないか
だから皆、負けがこむんだけどな だったら漢中なんて最初から獲るなとw
いや時勢ってもんがあるからそれは言い過ぎか
淵に任せたのが失策だったということだ
>>217 あとで曹操自身が蜀とっときゃよかったーって後悔しとるじゃん
張郃・郭淮を抱えて劉備に惨敗するんじゃあな
郭淮は確かに優れた将帥だけど本当の一流になるのは北伐後半だから
それまではそんなでもない
張コウは蜀にいつもいいようにやられてるよな…
最後は殺されてるし…
曹操、孫堅、劉備がそれぞれ違う時代に生まれていたら・・・。
シミュレートしてみたぞ
曹操:A.D.50年誕生
太平の世の奸吏の一人として歴史に名を残すことなく死亡
孫堅:A.D.100年誕生
太平の世の郡盗の一人として歴史に名を残すことなく死亡
劉備:A.D.150年誕生
太平の世の不良少年の一人として歴史に名を残すことなく死亡
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 20:19:38
夏侯淵は総大将として要地の守りを任せるべき人材ではなかったってこったな
負けたので死んだのではなく、自分が討たれないよう細心の注意を払わずにいて死んだことで負けたんだから。
郝昭が孔明を抑えた活躍も見逃せないと思う。
夏侯淵は使われて意味のある人間だったってこったな
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 20:31:37
夏侯淵は、一人の将軍としては有為の人材だけど、一方面の総大将としては曹仁の足元にも及ばないね
侵略に能力を発揮する人だったんだろう
意味分からんw
孫礼ワッショイ
孫礼って正史じゃどうだったの?
>>234 地方の長官を歴任し、魯国の賊を平定。
後に中央入りし、硬骨漢として知られる。
明帝が死ぬと、曹爽の副官になったが、疎まれて揚州刺史に飛ばされる。
呉の全jとの戦いで武勲を挙げた。
その後は一旦中央に呼び戻されたが、すぐに荊州刺史に転出し、冀州牧に昇進。
曹爽の意向に逆らったために、怒りに触れて免職。
復帰して間もなく、并州刺史に転出。
曹爽が失脚すると、司隷校尉となり、司空に至った。
とにかく地方官をたくさん歴任した人で、
前半生は太守、後半生は州刺史や州牧を転々とした。
司馬懿が政権を握ると、ようやくドサまわり人生に終止符を打ち、
司空まで昇進した。
武将としては、あまり活躍してない。
厳格で公正な地方官と言った感じの人物。
ただし、剣術の達人であったらしく、
全jとの戦いでは自ら剣を振るって白兵戦に参加。
明帝が狩猟中に虎に襲われた時は、
やはり剣を振るって虎を斬り殺している。
>>234 熱いおっさん司馬イとのやりとりが個人的にすき
>>235を見てると、全然蜀軍と戦ってないな...
演義じゃやられ役とはいえ、バリバリ前線で戦っているのに
話ズレるが、全jといえば、龐統とのやりとりがちょっと面白い
脈絡なく話を飛ばすな
ケ艾について詳しく知りたいんだけど何読んだら良いディスカー
正史
演義
世説新語
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 05:59:30
あs
曹操四天王って最近よく聞くけど正史にある?演義にあったっけ?
>>244 無いと思う。
自分は蒼天の影響だと思うが。
即レスサンクス 正史にもないんだえ
>>246 念の為、漢籍電子文献でも検索してみたけど、演義でも正史でも「四天王」という記述は無かった。
何からなにまでありがとう! すっきりしました
四天王は仏教用語。
まだ渡来したてだから、当時は根付いてなかろ。
南無四天王到来!
四天王という呼び名はむろんないだろうけど
そもそも夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪の4人をひとくくりにするのには由来はあるの?
魏の五将軍は正史の列伝の仕方から由来してるよ(もしくは于禁伝の記述から)、みたいなの
>>251 諸夏侯曹伝の中でも、曹操と親しかった4人と、曹丕と親しかった3人に分かれるからだとおも。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 22:54:52
世代じゃない?
片目・猪・曹仁・ケチは曹操と同世代だ
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:31:05
巨人軍四天王
清原、ローズ、小久保、高橋
小久保以外はゴミだな
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:40:10
>>254 読売五将軍
アベ、仁志、二岡、清水、キャプラー
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:42:59
>>255 ローズはかなりのプレーヤーだと思うぞ。
高橋もグッドプレーヤー。
清原も貫禄十分だ。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:46:59
徐晃って「無敗の将軍」なの?
ホント?!
先生!
ミセリはどのポジションでしょうか?
>>258 正史の中で徐晃が敗北、あるいは苦戦した記録は無い。
夏侯淵とともに漢中を守った時も、
夏侯淵は戦死したが、徐晃は善戦して、
曹操が援軍に来るまで、陽平を守りきっている。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:56:54
>>259 ミセリ様は人力車に座っていて下さいましたら十分で御座います。
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 23:58:29
>>260 さっそくのレス、ありがとう。
対関羽戦でも活躍したし、名将だね。
>>257 今のローズはただの扇風機
高橋はお笑い守備
清原は内角球を碌に避けられないカス。おまけに人間性も劣悪
どいつも演義于禁以下だな
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 00:00:01
>>259 ミセリは蜀の黄皓、呉のしんこん。
自ら所属する味方を苦しめる。
>>261 さっそくのレス、ありがとう。
対広島戦でも活躍したし、名投手だね。
孟達「蜀ファッキン!みんな正史に書いていいよ。
関羽負けたの俺のせいと劉備さん言った。
蜀大嫌い。10年仕えたけど、尊敬ない。差別だけ。
蜀みんな下手糞。大嫌い。魏に帰る!」
267 :
:無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 13:10:07
徐晃は飛びぬけた名将だろうか?
于禁、楽進、張遼に比べると、任される兵の数とか役割とか地味だなーって思う。
関羽撃退の時も、最初は自分の兵が新兵ばかりで関羽には勝てないと思って
後ろで様子見してたりと、堅実な感じ。
よく関羽はヘボ将あつかいされるけど、疲れていたであろう関羽の軍の包囲を
といただけで(結局関羽は討ち取れなかったし)徐晃は曹操に絶賛されてるね。
そもそも五将のうち(楽進は死んでるけど)、于禁・徐晃・張遼が投入されて
呉の助けも借りたぐらいだから曹操も相当関羽にびびってたんじゃないかな。
そうじゃないとヘボ将追い払ったぐらいじゃ徐晃も評価されないし。
善く戦う者勝つや、智名なく、勇功なし というくらいだから
勝つべき戦いを当然勝つ人間を曹操がしっかり評価できたってことだろうな
強い相手に奮戦して勝つのは戦略的に優位に立っている魏にとっては決して誉められることではないだろう
一方の関羽は拠点を確保したのでもないのに勇名を響かせてしまった
その働きが良くても、良い計画の上に成り立っていたのではない事がうかがえるな
とりあえず関羽討つことより樊城内の味方救出が最優先だから
任務は果たしたという事で評価アップじゃね?
関羽軍も疲れてただろうが樊城のほうももう一杯一杯だったろうし
しかし最適な人事で将軍派遣してるつもりで、合肥ではうまくはまったのに
樊城では于禁降伏ときたら曹操もつい愚痴りたくもなるか
>>269 徐晃が良兵を手に入れるまで悠々と放置できる程度の余裕はあったんだろ>樊城
そうでなきゃ徐晃のはただの博打だ
徐晃は、官渡、南皮袁譚戦、蹋頓北伐、荊州征圧戦、江陵周瑜戦、馬超戦、漢中劉備戦と
主要な決戦にはほとんど加わってる一方で、特定地域を一貫して任せられるということは
確かにないね。
思うに徐晃は別働隊として敵中深くに進入することに特別な評価があったんだと思う。
斥候は遠くまでだし、撤退の策を必ず用意し、追撃は急であるという点でね。
それと、臨機応変の才があって、目的によって相手を説得したり、連絡路を確保したり
関羽の包囲網を解くための時のような対応もとることができる。
袁紹の輸送車攻撃について、荀攸が特別に徐晃を推薦したのも、目的を確実に達成する点、
敵中への別働隊という点で、徐晃に才能があると考えたからかも。
張遼とかの追加の援軍がつくまでの時間稼ぎしてくれれば
上出来、ぐらいで追い返すことまでは期待してなかったのでは?
徐晃がしょぼいというわけじゃなくて遷都も考えるくらい関羽が怖かったんで
徐晃の地味な三大功績を選んでみた。
1. 故市での輜重車攻撃。
2. 関西諸侯軍との戦いで、曹操本軍の渡河を成功させる。
3. 漢中で馬鳴閣道の確保。
大戦において遊軍として欲しい将?
>>267 「関羽の軍の包囲を解いただけ」というが、
文中にはしっかりと「打ち破った」と書いてあるし、相手の兵が
自ら川に身を投げて死ぬほど苛烈だった。
これでも敵将を討ち取ってないから凄くないというのだろうか。
それなら記述のある大多数の戦いは、敵将を討ち取れなかったということで
大したことないことになる。
だいたい様子見っても背後を攻撃するふりをして関羽軍を逃走させたりと
かなり能動的に行動しているし。このへんは参謀の趙儼の活躍もあっただろうと
予想できるけど、とにかく関羽戦の徐晃の用兵は見事だったと思う。
あと、曹操は自分の将を対呉、対蜀とか、方面司令官、戦術指揮官とかで
それぞれに役割を与えて運用していたように見える(異論あるだろうけど)。
その中で徐晃に与えられた役割は比較的地味なものだったかもしれないが、
そんな地味な役割でも文句も言わず、堅実に仕事を行い、失敗をしない。
使う側としてこれほど便利な将はないな。おかげで曹操の主要な戦いに
ほとんどすべて参加し、その戦功の数は正史の人物の中でもかなり多い方だ。
それが認められたからこそ地味ながら張遼、楽進、于禁、張コウと名を
連ねることができたのだろう。
飛びぬけた名将ではないが、馬鹿にはできない。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 23:12:33
>>264 野球界の五虎将軍
清原和博(筆頭)
松井秀喜
イチロー
松中信彦
城島健司
野球界の5将軍
野茂英雄
工藤公康
上原浩治
松坂大輔
佐々木主浩
ぬるぽ
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 12:45:01
魏ってほんと名将いないんだな
つーかどいつもこいつも高いレベルで安定してまとまっちゃってるからな
張郃、郝昭、曹真なんかは名将かな
曹仁、張遼、夏侯淵は名将というより猛将って感じか
夏侯淵ももうちょい慎重だったら、功績だけみれば十分名将なんだけどな・・・
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 12:42:49
高いレベルならみんな語られているはずなわけで
低いレベルを数で補っていたんだろ?
曹仁はともかく、夏侯淵は曹操との縁戚で高い地位に就いていただけの凡将
何進みたいなものだろ
中国じゃ悪役なんだから語られないでしょ。
曹操のような巨人が再評価されたのすら最近というお国柄なんだから。
ちなみに夏侯淵は正史読む限りじゃ曹操麾下最強のスーパー将軍っぽい印象受けるけど、
正史は正史で魏に補正かかってるから実際はどうだったんだろうね。
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 22:35:18
最強はないだら
つか、
曹操じきじきに戦いぶりについて注意を受けていたにもかかわらず、陽動にひっかかって死に、軍も破れ漢中を失った
ってのは極めて重いよ
赤壁と並ぶ曹操の戦略面での失敗だけに、その大将はなぁ・・・
関羽や張飛はたしかにすごいが、味方の裏切りをくらって死亡ってのは、ある意味名称に値しないと思う。
能力も高く、部隊運用水準も高く、勝てないにしても負けない戦ができ、安定した戦績を残し、裏切られない。
そういう高い水準での将軍が魏にはそろっている。
じゃあ夏侯淵は愚将?猛将?名将?
愚将まではいかないと思うお^^
戦績を考えたら名将じゃないの?
関中や涼州軍閥相手の戦いでは、見事な軍略の冴えを見せている。
後漢政府を散々苦しめた韓遂の勢力をあっさり消滅させてるし。
最後が無様すぎたから、あれこれ言われてるだけじゃないの?
無様といっても、やってることは土嚢担いで兵隊と一緒に働いてた夏侯惇と一緒だからね。
多分夏侯淵的には夏侯惇への憧れか、もっと俗に夏侯惇のような信望を得ようと狙ってやったのか、
そういうのがあったんじゃないのかねえ。
そこを黄忠に見つかっちゃったのは、もう運が悪かったとしか言いようがない。
確かに大将が戦場でやるべきことじゃなかったのは間違いないんだけど。
>土嚢担いで兵隊と一緒に働いてた夏侯惇と一緒
>夏侯惇への憧れか、もっと俗に夏侯惇のような信望を得ようと狙ってやった
この、特に一行目は何を基に?
夏侯淵が討たれた経緯には、「夏侯淵伝」「張コウ伝」「法正伝」「黄忠伝」などを
照会してもはっきりしてないと思ったんだけど……
演義厨はスルー汁
合肥=漢中だからなぁ……
李典、楽進、張遼と夏侯淵、徐晃、張コウ
どっちが劣っているとかないのだけなぁ……。
李典は早死にしたのが悔やまれる・・・
夏侯淵をたいしたことないって言う人は、時代の前後、後漢や晋の時代に羌族がどれほど
外患であったか、漢中に攻め寄せた劉備が夏侯淵にどれだけ苦戦していたかを知らないようだ。
漢中戦で劉備が優位にたてたのは、策でもなんでもなく偶然夏侯淵が討ち取れたという僥倖が
あったから。
いや策だろう、劉備側の。
それにさ、それだけ苦戦させてたってんならそこから逆転されているってのはどうよ?
夏侯淵伝を見ると曹操が彼の欠点を指摘しており、夏侯淵はそれを改めることができずに敗死したという構成になっている。
ある意味自業自得。僥倖というのは贔屓目に見過ぎ。
平定の功績と失陥の責任と、功罪半ばだな。
味方に裏切られて負けた挙句、捕まって死んだ誰かさんよりは上
なんでいきなり夏侯淵叩きになってんだ??
最近機能してないけど、ランキングスレではベスト10に入るか入らないかで
もめるくらい評価されてたぞ。
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 16:51:18
蜀スレで関羽の評価がわかれるのと同じ
どっちも功績はあるけど、覇業を台なしにした張本人でもあるからな
関羽の功績って何よ
拠点確保すらしてない関羽の評価が分かれるのは当然
夏侯淵って後方支援の親族武将でしょ
たいしたことないよ
>237
そのような奇声をあげるな。羌族や異民族ではあるまいし。
>238
一般敵に曹仁は評価が高い。関羽から城を守り、耐え忍んだ。
夏侯惇、曹仁、曹洪、誰が欠けてもいけまい。
300 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 18:53:04
李通は?
>>298は読解力その他もろもろが足りてない子のようだ
夏侯淵って馬鹿だよね
夏侯淵の事績を思えばここまで辛い評価になるとも思えないんだが……。
漢中での戦いでは、方面軍の司令官である夏侯淵に対して、劉備は蜀の
戦力の大半を傾けてる事は「楊洪伝」をみればわかる。
曹操時代の各方面軍司令官は、以外にも曹操からそれほどの大軍を預け
られていないのがわかる。
>>293の指摘の意味するところは大きいけど、そこに至るまでの経緯を全く
考察していない。
もともと戦力差で不利な夏侯淵が防衛手段に陣地戦を用いたのは妥当。
戦力で劣る以上、危急に陥った張コウを救援するのは当然。
夏侯淵が得意とする機動戦を地勢上の制約で封じられた事や、曹操の人選
あたりにももう少し視野を広げるべき。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:49:43
曹操の人選も悪いが、それに応じて臨機応変の戦いができないのは大きな失策だろ。
しかも曹洪とかの援軍もあったわけだし。ハン城で曹仁が徐晃の援軍と協力して撃破
してるのと比べれば、多少なりとも評価落ちるのは仕方ないだろうよ。急襲が使えない
というが、曹操は淵が急襲だけの将ではなく司令官として、もっと別の戦い方を身につけて
ほしいという期待もこめた人選だと思う。
劉備の定軍山への迂回機動を阻止できなかった時点で戦闘そのものは決まってただろ
曹洪・曹休が参戦していたのは劉備が本格的に侵攻を始める以前の、
張飛・馬超が下弁に侵入した序戦のみ。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 20:34:13
じゃあ彼らはどこ行ったんだよ。淵の危機に何もしないはあり得ないだろ。
おじいちゃんに負ける奴なんかヘボイに決まってる
漢中は誰が守っても同じ。
あの状況で、当時の劉備は誰も防げない。夏侯淵ひとりにその責任は問えないよ。
問題があるとすれば、失陥を予想して住民の強制移住させたのに、
無理に保持に拘って、結果戦死したことぐらい。
それ以前の功績を考えれば、充分名将に値すると思うぞ。
結局、無闇に否定しているやつは
>>307の様にろくすっぽ考察なんて
してないんだなって気になってくる。
「曹真伝」にあるよ。
下弁の張飛らを撃退した後、武都にとどまっていた曹洪・曹休を撤退させた
のは曹真と。
要するに一度は撃破された張飛や馬超の再起に備えて、劉備の漢中侵攻に
伴う側翼機動を牽制していたんだろうってのが妥当な線。
この頃の曹休は素晴らしい
曹純最高
曹純も長生きしてたら、曹休や曹真のように頂点まで上り詰めることが出来たのかなあ?
それとも、曹洪のように高い将軍号だけ与えられて飼い殺しか。
>>308 黄忠は正史ではジジイだったという記述は無い
>>314 なるほど、ばばあである可能性に言及するとはやるな。
劉備に生前も死後も雑魚よわばりされたのは¥の評価的にどうなんだろ
>>316 このスレ的には、
劉備は三国志でダントツ最強の司令官なので、夏侯淵が雑魚扱いされるのもしかたない。
夏侯淵は劉備を除けば最強レベル。
ってことでいいんじゃない?
別に雑魚呼ばわりされたわけじゃないと思うが。
夏侯淵よりも張コウが上、という評価をあたえられただけ。
どうしておかしな拡大解釈をしてしまうのか……
劉備「淵は楽な相手だべよ、いなくなっても何も変わらないべ」
劉備「郃((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル」
劉備は三国志でダントツ最強の司令官?
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 18:46:00
>>320 そうでないと、夏侯淵はマジもんの雑魚になっちまう
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 19:07:21
法正の手柄でいいんじゃないの?
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 19:30:02
個人的にはカク昭が高評価
曹仁より後の征南ってしょぼいな。
征西や征東は名将ぞろいなのに、荊州はノーマーク?
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:01:30
だから李通・・・
漢の時代に死んじゃったからだめなの?
>>324 王昶や王基はかなりのもんだと思うが。
まあ、王基の場合、征南になったのは王昶が死んだ後だから、
それまで鎮南→鎮東→征東と転任してたが。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:51:57
王雄なんかどう?
つーか夏侯淵は司令官としては普通に雑魚でしょ。
行動のレベルでいえば曹休と同レベル。
何でここまで貶められてんだ
330 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 21:09:53
曹操と劉備の英雄二人から司令官としての資質にダメ出しされてる将はなかなかいないだろ
文句は曹操・劉備や陳寿に言ってよ
淵の低い評価は1800年もの歴史があるんだよ
>>328>>330は痛すぎない?
少し正史をかじった程度の奴おきまりのパターンって気がする。
少しは後漢や晋の歴史くらい学べばいいのに。
>>331 根拠も示さずに人格攻撃かよ。淵ヲタ必死すぎw
羌を完全に滅ぼしたわけでもなかろうに
漢中を保てなかったことで、以後40年にわたり関中が蜀の攻撃にさらされる羽目になったという三国時代の歴史も勉強すればいいのに。
まあ淵は司令官として曹真とか満寵とかその辺よりダメなのはすぐ分かるな。
>>326 何れも蜀を落とした後ですね。
やはり鼎立時代は征西・征東にエースを投入している気がする。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 21:22:35
以後四十年に渡り〜 は淵の責任と言えるが淵を司令官としての評価を左右するものではない
そもそも漢中は取られることは十分覚悟してたわけだし
まあ司令官としてはどれくらい優秀だったかは知らんが
つか羌を完全に滅ぼすなんて不可能だろう
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 21:24:14
やはり漢中は曹仁が守るべきだったかもな
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 21:24:39
取られるの覚悟って、根拠どこ?
淵は漢中をとられたことよりも、自身が立場もわきまえず突出して相手に討ち取られたって辺りが
司令官としてダメすぎる。なんつーか戦略的思考でなく局地的な戦術的思考を抜け切れなかった
人物というイメージがあるね。曹操や劉備に酷評されるのも仕方がない。
>羌を完全に滅ぼしたわけでもなかろうに
ゲームでもやってろ
>>335 おいおい。王昶の征南将軍着任は正始年間だぞ。
王基にしたって、王昶の死んだ259年に着任したから、蜀滅亡前だ。
誰と勘違いしてるんだ?
>>339 漢中以西の住民を長安へ移住させていたあたりじゃないか?
大尉満寵はスゲーだろ。
>>340 その代わり戦術的思考と指揮能力は卓越してたからいいのさ
曹操としては夏侯惇に次ぐ重鎮になってほしかったのかも知れんけど
それはむしろ夏侯淵の適所を見定められなかった曹操の問題な希ガス
別に曹操にも劉備にも「酷評」はされてねーだろ
普通に考えれば実績で曹仁と双璧。
戦術指揮官としての能力はそれなりに高い。
ただ司令官の資質としてはケチがつく。
ラストの敗戦からそこまで高い評価はできない。
そんなところだ。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 09:00:01
>>346 酷評だよ
野球やサッカーの監督が、
所属チームのGMからは「もっと慎重になれ」と直々に言われ、
ライバルチームの監督からも「あいつが監督なら恐くない」みたいに言われたとしたら、
充分すぎるほど酷評だろう
選手としては間違いなく優れていたんだろうけど、監督=司令官としては良くいって凡将。
まあ、曹操が自らダメ出しした時点で更迭して最前線から退けるべきだったんだな
その意味では確かに漢中失陥は夏侯淵自身の責任とは言えない
漢中失陥自体は淵とあんまり関係ないんじゃない?
討ち死には淵の性格に起因するものだろうが
司令官の死亡が崩壊を早めただろうが、そうでなくても定軍山からの劉備の攻撃は止められないだろうし、
変わりに張コウを失ったかもしれんし、どのみち後退するしかないだろ
確かに。
夏侯淵の突出を酷評する奴らに限って一騎打ちは肯定してたり
盛り上がってたりしてたら笑える。
自分の評価が結果のみで論じられても不満はないんだろうか……。
ほとんど中央からの増援もないうえ遠隔地であった状況下で、駐屯軍のみで
ほぼ総動員にちかい劉備とよく戦ってるよ。
相手、状況を省みても、合肥組か江陵組ならもっと粘っただろうと思う俺。
徐晃、張郃、郭淮と参戦した将は互角どころかむしろいい筈なんだけど。
合肥や江陵の城攻めとは全然違うぞ?
>>347 曹操の「もっと慎重になれ」発言は夏侯淵が駄目だからではなく、
武将としての夏侯淵を評価してたからこその言葉といえる。
淵は一武将に止まらず軍全体を担える人材になりうる、と考えてたわけだろう。
ついでに、死後の嘆きも淵を惜しんでのことであって失望しての言葉とは思えんのだが。
ところで、劉備が淵のこと「あいつが監督なら怖くない」って言ったってどこ?
夏侯淵は別に監督じゃないが
劉備がそんなこと言うわけないじゃん
>>352 魏略にある、「劉備は張郃を恐れて夏侯淵を軽く見ていた」って記述じゃないか?
それ以外に当てはまりそうな記述を俺は知らない。
>>352 張コウ伝の
劉備は夏侯淵を軽く見てて、張コウを恐れていた。
夏侯淵を倒しても「一番の大物を逃した、こんなことでどうする!」
・・・という「魏略」による話。
フツウに軍中の引き締めを狙った、セリフのように見えるが。
魏略って例のトンデモな劉禅のエピソード載せてたりするから、信憑性は微妙なんだよなあ
張飛が夏侯淵の姪っ子攫って嫁にしたってのも正直信じ難いし
良家の娘がひとりで薪拾いに出かけるってどういう状況?
曹仁や張遼だったら、どうやってたというんだ?
>>356 一種の貴種流離譚みたいなモンなのかもな
張飛って演義成立前の民間では一番人気だったらしいから
そーいう高貴な姫君娶るって話がウケたんじゃないだろうか
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 12:34:11
曹仁→耐えて守り切る
張遼→黄忠に襲われても殺されない
無双厨は死んだ方がいいよ
無双を持ち出すと叩かれそうだが、
無双でイマイチなおっさんキャラにされたのは、
そうされても仕方ないって世間の評価だったりするんじゃないの
それなりに評価されてる人は、あんな風にはされてない
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 13:05:42
みなさん、はじめまして
僕は三国志にハマッテいます。
はっきりいって、みなさんより知識はあると思います。
なんといったって無双を学校で一番早くクリアしたんですから。
一騎当千もマンガ・DVDともにそろえています。
ところで、みなさんはどの武将が好きですか?
僕は超雲が好きです。あのチャージ4なんて最高です。
Lv11武器ももってます。
ほかにも、諸葛遼が死んだふりをしてシバイを騙すところなんて
最高です。シバイは馬鹿ですよね(藁
女武将をあげるならチョウセンが最高です。
彼女は虎牢関の戦いで呂布にもひかぬ戦いをみせてくれました。
チョウコウは、なんかナルシストっぽいところがエンショウと
かぶっていいですよね。ナイスコンビです。オカマキャラですし。
僕は彼ら武将達を尊敬し、愛しています。
多分世界で一番好きだという自信があります。
さぁみなさんも好きな武将をドンドン書いてください!
ただし僕の武将とかぶらせないでください。
僕を敵に回すことになるのですから・・・。
曹仁
陽平関に引き籠もったまま、劉備は楽々漢中制圧の後、陽平関を包囲
為す術もなく降伏
張遼
定軍山へ移動中の劉備軍に少数の兵で奇襲をかけるが、
逆に包囲され討ち取られる
>>362 あの夏侯淵がイマイチって時点で話にならない
夏侯淵をゲームで出すなら蒼天夏侯淵で。
367 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 16:35:38
359までのどこに無双の話題があったのかまるでわからん
360過剰反応だぞ
蒼天の淵は完全に最期が狂人だからなあ
王がどうのと言ってたけど、やったことは呂布と同じだったな。
策としては法正に翻弄されてたし、蛮勇は随一なだけで行動は支離滅裂だったと思うんだが。
あの淵は一番マズイだろ
蒼天の場合、ああしないと夏侯淵の見せ場がないし
ああでもしないと死なないからなぁ・・・。
雷緒んときや巻き狩りの時なんかにしっかり見せ場あったじゃん
漢中でキャラ作りとか全て失敗したね、蒼天の淵
かっこよく見えるけど、それだけにいろんな意味でヤバイ奴だ
雷緒の時はあったが、異民族討伐も簡単に省かれたし……。
狂気と天才は紙一重か。
無双夏侯淵は淵ジェルと呼ばれ腐女子のアイドル化してるらしい
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 18:22:38
漢中失陥はどちらかといえば張コウのほうが非は重いだろう。
曹操の命令か独断かは知らないが、巴東巴西をいたずらに荒らして張飛に負けて、それが失陥の呼び水となっている。
>>373 それって215年だし、巴西に侵入した事もなにもいたずらに荒らしまわるのが
目的じゃないけど?
つうか一部分のみを読んで言っているような……
375 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 18:41:07
結論
・夏侯淵は悪くない。悪いのは曹操とか張コウ
・蒼天夏侯淵は狂人。
・無双夏侯淵はいい味出してる。
住民移すのってそんなに意味あるのか?
しかもあとで纏めて劉備に持ってかれてるし。
>>376 人がいない土地があってもしょうがない。
まったくムダというわけでもないがな。
でも後に曹操が本隊引き連れてやってきても、
結局取れなかった土地だぞ。
漢中の敗戦は劉備を誉めるべきであって、淵をけなす要因にはならんと思うが。
まったくムダじゃないということくらいわかるさ。
わざわざやった意味があったのか、やらなければならないほどの事だったのか、
つーこと。
>>379 ムダじゃないというのは土地の方の事だけどな。
地政的な重要さというのはあるが、生産力のない土地はあまり意味がないのも事実。
人間は戦力でもあり生産力でもある。
養えないとか与える土地がないというような事情がない限り、
敵の地から住民を移住させれば自勢力にとってプラス、敵勢力にとってマイナス。
十分な功。
いや、それはわかるんだが、
それと引き換えに失ったものを考えて、充分な功と言えるのかな。
かなりの兵力を失ったようだし、蜀をいたずらに刺激してしまったし、名高い張コウに勝ったことで蜀の意気も上がったろうし。
>>381 張郃が巴西を荒らそうが荒らすまいが、劉備は漢中に出てくるでしょ。
元々、黄権や法正の献策を受けて漢中に進出しようとしてたけど曹操に先んじられただけなんだから。
いやいや、俺が腑に落ちないのは、わざわざやるほどのことだったのかなということ。
どういう意図があったのかなと。
メール欄に間抜けな間違いをしてしまった・・・
ねんがんの かんちゅう をてに(ry
千葉。滋賀。
張魯が逃げたから巴郡も接収しただけでしょ?
張遼
定軍山へ移動中の劉備軍に少数の兵で奇襲をかけて、
劉備軍ぼろくそに叩きのめす。
蜀でも「遼来来」がブームになる。
そもそも夏侯淵を「その程度」と貶した場合、
「その程度」に苦戦の末勝利した劉備や討ち取った黄忠の評価も低くなるんだが。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 21:42:10
実際劉備なんかたいしたことないだろ
負け過ぎ
漢中ではそれ以上にヘボい大将が相手で助かったようだが
まともに語りもせず、感情だけで人物を貶めるようなレスがつくと、
スレは一気に寂れるか盛り上がるかのニ択だな。
「負けすぎ」って言葉が使われる時点で大したことないってことはありえないと思うんだが
普通一回か二回負けた時点で死ヌ
過疎スレだけどあんまりうれしくない伸び方だな
それこそ劉備配下の”名将”関羽なんかは勢いよく勝ったつもりになった矢先に死んでるからな
劉備の生存能力はマジでネ申だからな
やっつけてもやっつけても生きてる相手ってすげえヤだと思う
夏侯淵もたった一度の負けで死んじゃったおかげでこんな粘着されてるワケだからねえ
俺はあんまよくシラネーけど
張リョウって馬を使ってなんぼじゃねーの?
漢中って地形的にどうなの?
張遼がどうとかを抜きにして
「○○なら奇襲で一発成功!」とかいう発想自体が厨的ぽ。
山岳地じゃ限られた通路しかないし、見張りだっておかれてるだろうし
>>398 経歴等から張遼が騎兵を運用していたという推測もあるけど、確たる記述は
ないため断定はできないです。
張遼といえば、戦機を捉える戦術眼と剛毅果断な決断力。
このふたつが持ち味であるため、時に地勢的・戦力的劣勢下でも大きな戦果を
あげているというべきです。
騎兵は戦力として数を揃える事も効果的な運用も難しいんです。
河北を制して北方の異民族から騎兵戦力の供給を得られた袁紹でさえ、官渡
戦役での騎兵戦力は一万ほどともいわれています。
騎兵=貫通力、と信じきってる人が多いですが、鐙も普及しきってないこの時代、
最も有効な運用は機動力にこそあるというべきです。
402 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 23:51:55
曹仁っていろいろな戦い方できる奴だよなあ。司令官だろうが、部隊長でも結果
残してるし。張遼より上と言うのもまんざら嘘じゃなさそうだな。
「親族」という巨大な取り得があるから張遼やら徐晃といった連中より遥かに上
404 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 01:42:49
唯才の
真実見たり
コネ人事
>>398 いわゆる「遼来来」は歩兵800人で奇襲した、と正史に出ているぞ。
>>404 そんなもんだろ
後に作られた九品中正法だって
家柄差別を明文化した世界最悪の法だからなあ
407 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 02:19:51
家柄差別なんて、何世代戦い続けても抜け出せない奴隷兵士=兵戸に比べりゃずっとマシ
魏の名将といえば、馬墳だろう。
曹操の勝利の影には青州黄巾を束ねていた馬墳の影は常にあった。
演義厨はもちろん正史厨も無視している、附註勅撰四飛躍命取にも馬墳の
姿は散りばめられている。
匂いたつようだと形容された馬墳こそ真の名将だよ。
>>405 烏丸戦の奇襲は騎兵だったんじゃねの?
ハッキリ記述はないけど。
狭い路は1対1の勝負になりやすいからこっちに有利みたいなこと言ってたから
張遼は険しい地形は嫌いではないんじゃないの?
あれは道が狭くて1対1でしか戦えないから自軍が勇士揃いなら必ず勝てる
みたいな特殊な場面じゃない?
昨日までの議論をまとめると、
夏侯淵は小太りで陽気なおっさんで、性格は良いけど司令官としては二流ってことでFA?
>>412 それはお前の自己紹介だろ。
履歴書にでも書いてろ。
>>402 曹仁は部隊長としてはともかく、司令官としてはちぐはぐなんだな・・・戦術面が。
関羽戦は援軍出せる余裕があったからなんとか勝てたけど、
援軍が期待できなかった周ユ戦は、結局撤退したし・・・ねばったけど。
漢中の守備に曹仁が付いても守りきれんかったと思う。
戦死はしなかったろうけど。
曹仁は劉備を破った事がある。
例によって逃げられ再出撃を許したけど。
曹仁はほとんどの戦で別軍を任されてるのに部隊長って何だよ
「裏切りをかます危険が少ない」という親族の価値は多少の能力不足は
補って余りある魅力だ。
あまたの群雄たちを相手方重臣の寝返りで葬ってきた曹操には、それは
特に実感としてあったはず。
てか他の戦乱期でもみんな周りを親族で固めてるし
当然のこと
419 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:35:55
しかし近親は皇位を狙う危険性も高いという両刃の剣
420 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:37:39
/ ̄ノノノ ̄\
( \ / )
|;;;;; ー@-@-)
(6 (_ _) )
| ∴ ノ ○ ノ <
http://kimunaru.tripod.com/ / \ ____ノ
/ ヽ ........;;;. ヽ
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| / 、__ う 人 ・ ,.y i
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ヽ、__ノ ノ ノ
| ヽ x 9 /
| ヽ、_;;;;;;;;;;;;;_,ノ彡イ
| ;;(::υ::);; |
421 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 16:58:28
実績実力筆頭と思われる曹仁、肩透かし筆頭と思われる夏侯淵の話題でさえ盛り上がらない魏には、真の名将はいないらしい。
つまり魏書により過大に評価されている。
たいした奴がいないのに結構栄えたってのがスゴいジャマイカ
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 17:20:33
数の力
結局、質より量なの?
たいしたヤツがいなかった勢力に勝てなかった天下の奇才とやらは、数も揃えられなかったと。
引き篭もって援軍待ちだけでいい
どっから援軍来るんだ?
呉の耄碌ジジィも引き籠もりに協力などしてくれまい
国家と言うのは一人の天才ではなく数多の凡人で作るものだよ。
質より量はあたりまえ。
たまにその量を凌駕する天才もいるにはいるが長続きはしない。
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 21:46:30
そうそう
夏侯淵のような凡司令がヘマしても、大崩れしなかった盤石さは数の力だよ。
ドズルが正しいんだよ
内乱で国がごたごたしてる時に北伐されても反撃して逆に敵国滅ぼしちゃうぐらいだからな
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 23:18:47
つまり
夏侯淵=ドズル
432 :
霊帝 ◆OU/VvbI9MY :2005/06/24(金) 23:19:01
名前:霊帝 ◆OU/VvbI9MY :2005/06/24(金) 22:51:02
【帰ってきた】〜官職市場〜【仕官者募集】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1119453380/ 迷える子羊ども・・・、出てこいや!!!!!!!!!!!!!!!
出てこい、出て濃い、出て濃い、出て濃い、デテコイ!。
実は賢い無双厨大歓迎〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
無双厨はいい官職にツケタゲル
まってま〜〜〜〜〜〜〜〜〜@5
ついでに晒し上げい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
433 :
霊帝 ◆OU/VvbI9MY :2005/06/24(金) 23:20:28
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 23:21:16
435 :
霊帝 ◆OU/VvbI9MY :2005/06/24(金) 23:21:50
>>434 黙れ正史厨WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/25(土) 14:40:12
実際、夏侯淵とドズルって共通点多いな。
/⌒~~~⌒\
/ ( ゚>t≡ )y─┛~~
(_ ノγ U ∩_∩) THANK YOU 2ch ┌───────┐
α___J _J and (|● ● |
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ GOOD-BYE 2ch WORLD! /.| ┌▽▽▽▽┐ |
/ ● ● ( ┤ | | |
|Y Y \ またどこかで会おうね \. └△△△△┘ \
| | | ▼ | | \あ\ |\ \
| \/ _人| ∧∧∩゛ ∧_∧ | \り\ | (_)
| _/)/)/( ゚Д゚)/ (´∀` ) __ n \が\. |
\ / 〔/\〕 U / ∩∩ ( )o/ \ ヽ \と\ |
| | | c(*・_・) | |ヽ(´ー`)ノ_| | | (__丿 |. /\ \う | (-_-)
(__)_) UUUU /∪∪ (___)(_(__) ⊆_ ヽ_┘ └──┘(∩∩)
439 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/05(火) 21:55:37
やはり魏は二流三流が能力の無さを数でカバーしていたと
敗者の弁だな
歯医者の便だな
魏が二流三流なら
呉は五流
蜀はチンカスになるな
公孫淵はマンカス
444 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/06(水) 02:52:55
それはおかしいな
魏より勢力や数では劣っているのに何十年も割拠し続けたのだから、蜀や呉は人材の質がかなり良かったということだろ
夏侯淵はDFじゃないんだよFWなんだ
>>444 単に曹丕の没後は魏が蜀や呉に興味なくしただけだと思うよ
知識人階級ですら蜀や呉の存在知らない人たちがごろごろいたって話だし
防衛線ばかりで大規模な出兵自体がそんなに行われていなかったことがわかる
司馬師、司馬昭が台頭して侵略に積極的になって以後はあっという間だったしね
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/06(水) 10:27:02
交戦中の相手も知らない知識人が多かったとは、魏の知的レベルの低さを如実に示している。
司馬氏時代になると統一できたことから、曹操や曹丕が権力を握っていた時代は人材の質が低かったと考えられる。
よく言われる唯才主義も、実力ある者がいなかったから人材確保に必死だったということだろう。
そりゃあしょうがないよ
関羽の北上を最後に、蜀や呉は一度として魏の中央を脅かすことすらできなかったんだもん
平和な生活送ることができてる中央の人々にしてみれば
辺境の蛮族がなんか頑張ってるらしいよ程度の認識でしかなかったんだろう
そもそもこの時代の知識人なんて大抵はろくなもんじゃないだろ
と偏見むき出しのこと言ってみる
450 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/06(水) 10:45:08
知的レベルが低い知識人の下位に甘んじ、指揮を受けていた魏の武将たちは言うまでもなくもっと知的レベルが低く、質の悪い連中だった。
>>450は知識人を勘違いしてるだけなんだ
みんな、そんなに冷たい目で見ないでやってくれよ
>>444 呉は防衛してたけど
蜀は放置されているからなぁ
なんでこんな頭悪いスレになってんだ??
ちょっと前までまともだったのに・・・
話題が無くなったせいか
結局最強はケ艾。
実務能力凄すぎ。
実際は何にも役に立ってない知識人よりよっぽど役に立ってる。
>>446 興味をなくしたんじゃなくて要害にひきこもった国々の国力を
時間をかけて徐々に殺いでいく戦略にでただけ。
司馬兄弟台頭の頃になって、諸葛亮の指名人事も底を尽き、完全に死に体状態になったと。
呉に対しても暴君が猛威を振るう頃になってやっと腰をあげた。
しかも、宮廷内では侵略慎重論が主流だった。
蜀>>>>>魏
二流の将軍ばかりだから時間がかかったんだなw
>>457 文官が議論ばっかりやってて現場の言う事を聞かなくなったからな。
将軍が国を動かす時代ではなくなっていたって事だ。
動きがのろいのは文民統治の弊害であり、慎重であるという良点でもある。
少なくとも杜預なんかは古の武将に勝るとも劣らんと思うぜ。
そういう変化もあって、後期はイマイチ面白さを感じない。
腕一本で上までのし上がれそうな前期(混乱期)のが好きだな
前期の方が庶民にもフロンティア精神とロマンを与えてくれるからな。
後期はなるべくしてなった人事と動向ばかりでロマンには欠けちょる。
魏をけなせばけなすほど、それに勝てなかった蜀や呉をさらに貶めることになると、
どうして気づかないんだろう彼らは?
魏もたいして勝ってないだろ
つーか別のとこでも書いたけど
統一できなかったから、魏・呉・蜀全て駄目国家と考えるより
戦乱ではなく鼎立し各地をそれなりに栄えさせた以上
それぞれ群雄・臣下の手腕が優れていたと考えた方が良いと思うんだが
マルチするほどの意見でもないな
でもまあ、三国時代が名将・良将で溢れてた時代であることは間違いないな
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 00:06:05
逆だ
全体のレベルが下がったため、たいしたことなくても名将扱いされた時代だろ
>>467 確かに。
曹操と岑彭・耿弇のどちらかが戦って、
曹操が勝つのを想像できん。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 00:32:40
467>
例えば誰かね?
470 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 00:40:13
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 01:03:54
>>468 それはお前www古いときが好きだったからって無理矢理だwwwwww
最近こういう極論多いな
能力が無いから戦乱を収めきれなかったとも言えるし
戦乱の時代だから優秀な武将が練成されたとも言える
所詮強さなんて相対的なものでしかないのだから
別の時代の人間を比べるなんて無理
大体このスレだってケ艾の評価が別れてるし
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 01:12:42
張遼はいいとこ柴武レベル
楽進なんかは蟲達かな
韓信はもちろん、潅嬰クラスもいないよ、三国時代には
魏で名将とか呼ばれてる連中は
韓信じゃなくて韓(王)信レベルだなw
>>473 詰まるところ、お前は漢族なんてクソだ。
冒頓単于、匈奴が最強だと言いたいわけだな。
良いこと言う。
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 01:17:20
韓信についてだけは認める。
あとはただ他の知識を得たばかりの奴が
三国時代を下にみたいだけの感情論に過ぎん。
>>475 ああ、確かに劉淵は最強だ
劉曜も最高だ
異民族サイコー五胡マンセー
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/08(金) 03:39:40
でもやっぱ曹操は英雄だよ。
とにかく成した事が。
多方面で現在に残ってるし。自分は曹操派だから劉備なんかが逆にセコく感じるけど。
結果曹操は徐々に各地を立て直したからね。
独裁とは言い難いもんがある!
↑意味不明
曹操は初めっから100%の才能を発揮してて、段々衰えていくという感じがしないでもない。
問われる能力の質の移り変わりに対応できなかった…とも思えるが。
曹操個人の能力が最も輝いてたのは官渡〜袁家討伐までだよなぁ。
後漢は豪族の力が強くて、地方分権的な色彩が強かった。
だから強力な奴らを各個撃破して中華を統一するのが難しかったのではあるまいか。
長く時間がかかったせいで軍才も衰えてしまった。
官渡以降は銅雀台とか作って詩のほうに力を入れ始めたから、
と妄想
軍才が衰えたっつーか、軍才ひとつでどーこー出来る状況で無くなったんだよ。
敵が巨大勢力に成長しちゃったからね。しかも要害を抱えて。
赤壁がその臨界点だったってこと。
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 01:56:44
官渡はすごかった。
十面埋伏ホントにやったのかな。スゴイよね。
赤壁で何かが狂い始めた感はあるね。
すんごい気落ちして。
赤壁で勝ってたら、もう曹操の天下だったかもという人もいるし。
漢中なんか哀れ過ぎて目を塞ぎたくなる(´_ゝ`)
曹操の詩は賛否両論なんだけど自分は好きなほうなんだ。
485 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 02:01:27
いやどーみても敵が巨大勢力になったのは赤壁のせいだから
つまり赤壁でミスを繰り返した曹操自身のせい
486 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 02:28:42
赤壁ね。彼も天狗になっちゃったのかな。
赤壁って、大量殺戮になったと書かれてるわりに、大量の人骨や武具が全く出土されないらしい。
大幅退却なのかな。
正史にもあるし、戦いはあったと信じたいけど、なんであの天下の方向を分ける大戦が、今だ場所さえ曖昧なんだろ。謎い…。
十面埋伏ってのは演義での話でしょ?
488 :
親漢王 蕎序 ◆sVGToaHkBs :2005/07/09(土) 02:42:10
>>484 曹操って優秀な親族に恵まれてたよね〜。
夏侯淵や盲夏候、曹洪や曹仁や優秀な自分の息子達(曹熊以外)に恵まれ、
元はと言えば曹騰の貯蓄から曹嵩が太尉を買ったからエリートコースに
乗っかれたようなものだからね。
489 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 03:31:23
十面埋伏そうなの!?ショックΣ(TДT;)|||
覇道の一歩に、ぽんと使っちゃったもんね、祖父と父の財産。
徳に欠けるとこもリアルでいいなまたこれが。
夏侯惇なんか好きだよ。
地味に優秀なとこが。
今だいぶ酔ってて褒め言葉しか出てこんよ自分。
490 :
漢王 蕎序 ◆sVGToaHkBs :2005/07/09(土) 03:53:29
>>487 比叡坊、出鱈目な事言うなよw。
>>489 曹操が自分の為に財産を叩いてくれた親父の為に、徐州大虐殺を引き起こしたってのも
分からんでもないが、ちと曹操は情に厚すぎるな。
夏侯惇は本当に忠臣で素晴らしいねー。
なんか変なのが群れ集まってきたぞ
>>488 董卓が出てくる前の曹操の官途を見ると、あまりエリートコースを歩んでいたとも
見えないけどな。
もうひとつ、正史によれば曹操決起時に援助したのは親父の金じゃあないぞ。
所詮、自己顕示欲が強いだけの糞コテだ。
494 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 13:20:23
>>492 知識なさすぎる
曹操の官歴は最初からずっと充分エリートコースだぞ
曹操は洛陽の北部尉になったことを不満に思っていたそうだが
洛陽の尉は孝廉の初任官だし、司馬防も「ちょうどよいと思っただけ」と話している。
最初はいい評価ではなかったようだが・・・
後に曹操が議郎に復帰する理由として古学に精通するとあるが、やはり孫子か?
西園校尉って董入場前じゃね?
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/09(土) 14:35:18
二十歳くらいだっけ北門の番は?当時では若いらしいね。しかも真面目に徹してる。
しかし皇族を叩きのめしちゃったのは彼のイタズラ心を感じるね。真面目さを引き立たせるよう書かれてるけど。
帝をようしてからは、事の規模が一変した。とにかく帝の使い方を知り尽くしてた。やる事成す事全て大義名分で正当化できる。しかし曹操は私欲化しなかったと思うよ。荒いけど。
>>495 蔡ヨウあたりの推薦じゃね?
蔡ヨウが曹操の学問の師っぽい。
叩きのめしたのは皇族じゃなくて十常待の親族だったと思う
たしかケンセキだったような
501 :
相国兼録尚書事兼親漢王兼符璽郎 蕎序 ◆g/NeWOnF.. :2005/07/09(土) 23:55:24
>>498 曹操の政策は相対的に、「民を重んじて高官をビシビシ叩く」政策だったから
政敵も多かったんじゃないだろうか。
特に西園八校尉の長である蹇碩の親戚を叩いたのは凄いね。
宦官に媚び諂わないのは素晴らしい判断だったと思う。
曹操自体、当時の評価は良い訳ではなかったしむしろ宦官寄りか?
と思われていたのではないだろうか。
宦官の蹇碩の叔父を法に照らして打ち殺したことによって
完全に宦官派から脱したと思う。
503 :
相国兼録尚書事兼親漢王兼符璽郎 蕎序 ◆g/NeWOnF.. :2005/07/10(日) 00:04:05
>>492 曹騰が中常侍に進んで大長秋に任官されたから、その貯蓄で曹嵩が太尉を買った
から曹操が洛陽北部尉に任官されたんだよ。
君が言っているのは曹操旗揚げ当時の支援者で清流派の鮑信の事を言っているんだろうね。
それにエリートコースに乗っかり切れてないのは、宦官に対して不利な発言をしたからで、
20歳で洛陽北部尉に任命されたのは当時では若い。
曹嵩が太尉の位を買ったのって黄巾の乱より後じゃなかったか?
記憶違いかもしれんが。
>>505 そーだよ。曹嵩が太尉に就任したのは中平4年、すなわち187年。
みんな分かってるだろうけど
>>503の発言内容は最初から随分違うわけだ
>>503 突っ込む気にもなれないくらい間違いだらけ
508 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/11(月) 21:25:21
杜預は名将っぽいけど三戦住人的にはどういう評価だ?
あえてコテを外さず博識ぶって、ほかの人から敬ってほしいと思ってるのがバレバレだな
コテも個人を特定させるためのただの自己満足の道具にすぎないようだ
だからぼろも出やすい
511 :
508:2005/07/11(月) 22:58:35
512 :
509:2005/07/11(月) 23:00:36
すまん自分のレス番まちがえた
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 01:36:21
ああ杜預は、晋の人か!
馬に乗れなくて、弓も当たんないし、コイツ武人?みたいな感じを持たせながら、実はすんごい切れ者ってとこが好きだな。
性格も慎ましくて思いやりがよかった。
戦術も曹操家系ばりに素早くてかっこいい。
三国志時代最後の軍才というイメージがあるな。
張政を破ったくらいしか知らない・・・
『左伝』読むやつなんておらんのかな
杜預は普通に考えて充分名将だと思うが、2ちゃんではなぜか蔑まされる運命にある。
>>513 なんせ、正史に「弓馬に通じず」って書かれるくらいだからな。
通じずはねーだろよ。気の毒に。
まあ、書いたエロイ人は逆説的に名将だったことを強調したかったのかも知れんが。
スレ違いかもしれんが蜀の麋竺は弓と馬は得意だが人を統率するのは不得手だったとある。
まるで逆だなw
弓馬に通じない。しかも馬に乗れない。でも名将。
そこがカッコイイのでは?
つか、もう晋の人だからあんま議論の対象にならんのじゃない?
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 03:43:57
ウソ、杜預がなじられ役なんて信じられん!
逆バージョン(笑)は、一騎当千の猛将型だね。
三国志時代は曹操が戦のスタイルを力押しから戦略性に変えちゃった時代だから、軍人には勇猛さより統率力が重要になった。
だからこそ杜預は輝いたんだとおもうね自分。
左伝は、誰かがいつも手放さなかったやつだっけ?
全くの未開拓だ…!
あ、今気付いた!さげなきゃだ。
杜預はもっと早く生まれてほしかったよ。曹操も才能に気付いたハズだねコレ。
早く生まれてたらもっと活躍してない
魏の皇帝達(特に曹ヒ、曹叡)のいわゆる「将才」ってどうだったんでしょ?
どなたか解説くださいm(_ _)m
将としては普通か中の下ぐらいだったのでは?
内政はなかなか良かったから、標準以上の皇帝だろうけど。
曹叡は卓抜した戦略眼持ってるとは思うけど、
実戦指揮の腕前のほどがわからんからなんとも言えんね
丕と叡なら叡のが爺ちゃん似と言うか将才あるような
二人とも曹操の足元にも及ばん
曹操と比べるのは可哀想だろ
叡は植似
と陳センセぶってみる
ここで高貴郷公曹髦ですよ。
「才能は陳思王と同じほど、武勇は太祖と似ています」by鍾会
出典は魏氏春秋
任城威王
夏侯・曹一門武将の中で一番いい働きをしているのは曹仁か?
曹操の代表的な息子曹丕、曹彰、曹植で
最も優れていたのはだれですか?
>>531 俺も曹髦は好き。
即位のいきさつからして名君を思わせる颯爽ぶり。
学問を好み、古礼を行い、太極殿での議論では並み居る群臣を論破し、
太学に行幸すれば太常博士らをたじろがせる博識。
これで二十歳にも満たない若さだから、宗室の威権が衰えず司馬氏の
台頭がなかったら……と想像したくなる。
ゲームではつい厚遇して底上げしてしまいますよ。
マーフィーの法則
非業の死を遂げた奴は実物以上に優秀だったように思われる。
>>534 最も分かり易い質問で最も答えにくい質問だな。
>>534 三人をまぜて、曹昴の性格をまぜればおk
>>539 文的紀の陳寿評には「・・(前略)・・もしこのうえに広大な度量を加わり
公平な誠意を以って務め、道義の存立に努力を傾け、徳心を充実させる事が
出来たならば、古代の賢君も、どうして縁遠い存在であっただろうか」(ちくま訳)
とある。逆に言えば上記が足らなかったってことか。
その徳治主義をかかげて天下を魏から奪ったのが
司馬氏の晋な訳で……
あっさり滅びた上、つねにゴタゴタしてたなぁ…
>>541 一族を冷遇して失敗したのが魏。
一族を厚遇して失敗したのが晋。
そもそも司馬炎に統治能力があったかと言うと疑問だよな。
司馬懿・司馬師・司馬昭の功績あっての魏晋禅譲があったわけだし。
一族冷遇って程冷遇じゃない
親等の近い皇族が要職につくのは乱世くらいだろ
それに曹叡は次代の後見に曹宇を選んでた訳だが
平時で要職についた皇族って、後漢の劉蒼ぐらいしか思いつかん
司馬炎は典型的前半名君後半暗君であのくらいは中国の皇帝にいくらでもいる
総合からいえば高いほうだし、実際よく治まってるのは事実
晋の滅亡はカ皇后と寒門に乗せられたアホ皇族がすべてであって、炎の罪はさほど…ね
だいたい晋書って司馬炎に優しくないし。李世民のせいで
//
/ /
/ / パカ
/ ∩∧ ∧ そうでもないよ
/ .|( ・∀・)_
// | ヽ/
" ̄ ̄ ̄"∪
>>543 晋は王に軍事力を与えて各地に配置したことを考えると
前漢っぽい体制だったのかな?
晋はよく分からんわい。
晋は士大夫が権力持ちすぎてたきらいがある
後漢に近いじゃないか?ただ、権力をもった彼らはまじめに政治しないで怠惰か豪奢を過ごしていた
魏が短命だった直接的?要因はなんたって曹丕・曹叡の早世だと思うし、
皇族冷遇が直接の王朝短命の原因にはならないと思う。
君主権が確立さえされていれば、皇族なんてそんなに必要ではないだろう、
直系が絶えたときのためのための血統プールくらいにしか。
曹丕は個人的感情のために冷遇したのかもしれないけど、
曹叡は君主権の強化を図っていた節がある。
確かに。
曹丕が皇族を陰湿にイビり続けたのは
間違いなく彼自身の人間性によるものだ
>>548 でもいじめてるのって曹植・曹彰くらいでは?
末のだっけ?小さい弟にはやさしかったよね。
曹丕がもっと長生きして
基盤しっかり築いてればとは思う。
魏文帝は個人的感情だけで皇族迫害する程度の器じゃないだろ
公的利益と私的感情を両方あげることが出来てウマウマって感じ
魏明帝は文帝の規定路線歩いてるだけなのに、何故か文帝より評価高いね
親征が上手くいったからか?
文帝は性格悪いという印象があるからじゃないのか?
于禁にした仕打ちなんか最悪だと思う
>>549 曹洪も。曹洪がケチったから恨まれたわけだが。
曹沖のことも評価してたみたいだね>魏文帝
あと植と仲が悪いってのはどこまで本当かなぁとは思うんだけどさ
植ってアチコチに恨みかってる人間だから
文帝の取り巻きが植イジメの犯人(+アンチ文帝が植の取り巻きな訳で)で、文帝と植は仲が悪くは無かったんじゃないかと
共通の友達も多いし、文帝は当代の文人達のパトロンであり、中華皇帝初の文学保護者であったわけだから
植自身が後継者争いに積極的に介入した風も無いし
彰は、皇帝の実の(しかも同腹の)弟が軍事的功績を持ち続けてるのはマズイと判断したのかも
彰はちょっと頭弱い子だし
曹彰は誰に似たんだろうな。
隔世遺伝で曹嵩に似たのかもな
皇帝ってのはあんまし性格的欠点を書かれたりしないもんだが
文帝だけは嫌いになった人間に対しての徹底した陰湿さが
遠慮なく書かれてるよなあ。
実際は陰湿さ6割増しとかかもしれないw
>>554 すまん。夜中で半分寝ぼけてるので仲と沖が
ごっちゃになってもてるわ。
また、明日読ませてもらうわ。
>>556 呉質に対しては心のこもってる手紙書いてるし、
建安七子が死んだときの感情なんか読むとそう冷酷には見えないけどね。
文章だけ読むと闊達な文学青年って感じだ。
感情の振幅が大きいのかねえ。
オヤジは陽性な感情家、
息子は陰性な感情家って感じがする
実は叡は、丕の子じゃないかもという話がある。
叡の誕生日は、何故か不明で、丕が甄夫人を娶ったのと、叡が歴史に現れた日数がどうも合わないらしい。
早すぎるってね。
叡は袁煕の子じゃないか、みたいな?
それを組み込むと、父に好かれない、母は殺された、男の子のいない皇后が育てたのに太子に立てられない、なんてゆう悲運が、なんかうまく繋がる気がする。
曹操には、丕に似てない孫が可愛かったんじゃないかな。
>>560 「曹丕」ってスレで散々話されてたけど、
そのネタの出典元が信用ならないんじゃなかったっけ
いくらなんでも袁煕の息子であるとわかった上で曹叡を曹操が可愛がったってのはおかしいだろ
>>561 出典元というより、曹叡の没年とと甄氏の入室(ギョウ陥落)
で単純計算すると生年がおかしいと裴松之が突っ込んでるのが最初。
曹丕については冬に生まれまで記述しているのに陳寿は曹叡の生年を
記述していないんだよね。
斉王芳も出自ははっきりしないし皇帝家の出生に疑問符が付きまとうのは
先を暗示しているようで一寸暗澹とさせられる。
その頃の歴史は都合により改ざんされるからね。
曹丕が甄を感情的な理由で殺したというより、叡の絡んでる一連の方が、曹丕らしい匂いがすると思う。
曹操は、その辺、自分のケツ自分でふけって考えてたんでないかな?
曹家と夏侯家の関係もはっきりしないしなぁ。
曹嵩と夏侯惇の父親が兄弟説を信じてるよ俺は
曹操と夏侯氏が極めて近い男系の血縁関係だったとすると、
事実上タブー「同姓不婚」に抵触していたことになる。
(曹操の娘と夏侯惇の息子の結婚など)
いくら公然の秘密だとしても、おおっぴらに血縁関係だとは言えなかった
…
と、石井先生の「曹操」では推測している。
逆に言うと、はっきり書かれていないということは、
おおっぴらにはできない関係があった、という証拠だね。
あんなに親しい関係なのに「無関係」はありえないもん。
>>566 石井先生の「曹操」を読んだことがないので、見当違いなら申し訳ない。
「同姓不婚」って同姓との結婚がタブーってことじゃないの?
例えば、劉備の娘は、劉表の息子と結婚できないって感じで、
全く血縁なしとか近い血縁じゃなくても、同じ姓なら結婚できないって意味だと思ってた。
逆に、かなり近い血縁(いとことか)でも異姓なら問題なく結婚できるって意味かなって考えてたよ。
第一、曹嵩と夏侯惇の父親を兄弟として、
曹操の娘と夏侯惇の息子の結婚なんて、はとこ同士の結婚で異姓なのに問題あるのかな?
自分は、異姓の養子を取ることがタブーだから隠しているって説の方がアリだと思ってた。
つまり、曹嵩が夏侯家からの養子であることがタブーだからハッキリ書かなかったってやつ。
曹丕は夏侯尚のことを異姓といえども骨肉のごとし、といっているし、
夏侯惇死んだときは城門で哀を発してる。
(孫盛はするなら城門外だろ!っって突っ込んでる)
身内感覚みたいなのは感じられるんだよなあ。
曹操からすると夏侯氏は父の実家の気安さがあって、
年嵩の子供達にはそれが伝わってる感じがする。
>>567 別に隠していたわけではないが、石井先生は
「異姓不養」も指摘している。
「同姓不婚」とあわせて二重のタブーを犯している、ということ。
「同姓不婚」だが、
曹操が血縁的には夏侯氏だとすると、その娘も(血縁上)夏侯氏。
はとこだから問題なのではなく、
(血縁上は)夏侯氏と夏侯氏が結婚したのが問題。
だから曹操は血縁上は夏侯氏です、とは公式には言えないよね。
それをやっている陳矯は現に非難されているし。
当時の感覚で、今の姓は違っていても血縁上同姓同士になるのはタブーだったようだよ。
>>569 > 別に隠していたわけではないが
教えてくれよw
なるほど。娘も血縁上の同姓ってことでまずいのか。
曹操の場合は、養子に入ったのは父親で、しかも娘の結婚なのに、厳しいねぇ・・。
逆に曹操が夏侯氏の血族って話の方が陰謀説もあった気がするな
「曹瞞伝なんかは曹操様を貶める為の書物だから、そんなこと書いてあるんだもん!
曹家が同姓不婚や異姓不養をる訳ないもん!だから曹操様と夏侯氏は血族じゃないもん!」
って感じ
でも血縁じゃなかったらあの親しさはどっから来てるんだ? って話になるよな
惇なんか、最初のへぼかった頃からずっと付き従ってるし、
淵も曹操の身代わりで牢に入ったりしてる。
単なるご近所さんとか友達とかではない、ただならぬ関係なのは間違いないよね。
で、ちょうど曹嵩の実家が不明となれば、夏侯が実家と考えるのが自然だよ。裴注がなくても。
曹操の親族と言えば、曹操は父母についてあまり語らないし、あまり記録も残っていないね。
農民だったらしい劉邦の父についてあまり残ってないのと違い、皇帝の祖父であり、大宦官の後継ぎであり、本人も三公にまでなっている割には、正体がつかめない。
母に至っては、実母が誰だったか明記されていない。
曹嵩の正妻が丁氏だったことはわかるけど、丁氏が曹操を産んだとは記録されてないよね。
(曹昂の例があるから、正妻が産んだとは限らない)
もしかして曹操の実母は夏侯氏だったりして・・・
(陳矯は養子になってから実家劉氏と結婚したらしいので、同じことがあったかも?)
勘ぐりすぎ。
史書は基本的に、
父親に関しては姓名と極官を記すのみってのが大半だし
母親の姓なんて明記されてる方が例外中の例外。
要するに、大家族制の昔の中国と現代日本との文化の違いだな。
現代的感覚だと、ある人物の「生まれ」を考える時はまず父と母。
十分な記載がないと不審に思うかもしれないが
昔の人は「籍貫」つまり「〇〇郡の×家の生まれ」って情報の方が大事だったわけで。
宦官に養子を出すってあまり名誉なことと思えないから
夏侯氏に気遣って公にしていなかったんじゃないの?
でも夏侯家も落ちぶれてたんだよな?
惇や淵が単独で目立ってた形跡はないし
曹氏、夏侯氏とも、曹騰・曹嵩が出てくるまではあまり財力や名声があった方ではなかったらしい。
陳琳の檄文では乞食扱いされてるほどだ。
乞食は言いすぎだとしても、曹氏は曹騰の引き立てで初めて栄達している。
夏侯氏は曹嵩・曹操の時になってやっと羽振りがよくなったと思われるが、
官職にありつけたのは曹操が挙兵してからのようだ。
やっぱり乞食だ。
>>577 檄文を根拠にするなよ・・・中傷誹謗が目的の文書に。
没落してたとはいえ貴族は貴族だ。平民とはレベルが違うぞ。
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 22:36:07
ちなみに
夏侯惇らは夏侯嬰の子孫だ、とよく言われるが、
少なくとも直系ではないと断言できる。
なぜなら直系なら嬰の数代あとに孫氏に改姓しているからだ。
ついでに言うと嬰の直系なら沛に残ってるほうがおかしい。栄達して自分の領地や都長安に居を構えているはずだから。
惇らが嬰の縁続きだとしても、先祖が嬰のまたいとこ、程度の遠い親戚で、あまり自慢できるほどでもないだろう。
まさか曹騰が嵩を養子に取る前から夏侯氏が貴族だと思ってるのか?
ばか?
それに例の檄文、曹操は否定できていないんだぞ。
乞食でなくとも、名家・貴族はありえんよ。
大体名家なら夏侯惇らの親世代の官職が記録に残るよ。
劉備の親でさえ残ってるんだから。
残らんのは、嵩が養子になるまでは官僚からは歯牙にもかけられない一般人だった証拠。
夏休みなんだし石井先生の曹操嫁よ
夏侯氏も前漢の夏侯嬰の末裔とかで
家柄的にはそんなに悪くはないんじゃないかな。
まあ名士とかではないのは確かだけど。
前漢の功臣の没落っぷりを知らないか?
前漢末に直系を探してみたが、ほとんどが完全に一般庶民になっていたんだぞ。
それに何の特権もないんだから、家柄も何も役にたたんよ、この場合。
やっぱり乞食だ。
名族ではないが卑賤でもないだろうって感じの家では。
曹操挙兵の時にあれだけ人出してるのだから、当然単家ではないし、
夏侯惇が師匠を馬鹿にした男を云々のエピソードもあるから、子弟に何かしらの
教育(又は武芸)は与えられる家。
でも世々二千石って家でもない。
土地の古い家だけど、学問が家芸ではなく、高官も出さない、大きな家って感じなのでは。
村か県レベルのの名士って感じじゃないのかな
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 06:53:44
その経済力は、曹騰に子を「売る」ことで得られた可能性もあるんでないかい?
曹嵩の養子入り以前からそれなりに羽振りよかったといえる根拠あるかな?
ないとしたら、その可能性も否定できないがマジに乞食一家だった可能性も否定はできない。
曹操は周ユにぶちのめされた。
曹叡は陸ソンと諸葛亮をぶちのめした。
実戦経験もないのに玉座上で正確無比な判断を次々と下した曹叡は化け物かと思う。
最近曹丕スレとかに沸いてる曹叡厨だから、ごめんね
防衛戦と侵攻戦を比べても仕方ないだろ
曹叡は防衛線には成功しているが
侵攻戦では呉・蜀両方失敗している
防衛線にしても蜀に涼州の一部を持っていかれてるしな
何でもマンセーすりゃいいってもんでもない
曹操は防衛戦で漢中とられてるがな。
侵攻戦だと燕は瞬殺したな。
赤壁で大敗を喫したどっかの誰かのせいで、
天然の要害にひきこもっちまった鼠賊二匹をいきなりたいらげるつもりは初めからなかったみたいだが。
そこらへんの詳細は華音欠伝の最後でうかがえるが。
対公孫淵戦なんて戦略、総指揮全部司馬懿がやってんじゃん。
曹叡が何もしてないとは言わないが、なんで勝ち誇ったように
すべて曹叡の功績にしてるのかが意味不明。
それなら曹操を赤壁で追い返した孫権、
関羽の隙をついて荊州奪還に成功した孫権、
劉備を夷陵で壊滅的被害を与えた孫権、
実績から言っても完全に
孫権>>>>>曹叡
だけどそういうことがいいたいのか。
・・・うん、確かに正しいな。すまんかった。
司馬懿に指揮権を与えたのは曹叡。
臣下がみな多すぎると反対したのに4万人の兵を与えたのも曹叡。
長雨だから軍を引き返すべきだという意見を「司馬懿は臨機の才がある」と斥けたのも曹叡。
部下の能力を最大限に発揮させるための手を積極的に尽くし、しかもそれで結果を引き出している。
この例で最も有名なのは第五次北伐の司馬懿の手紙に対する詔勅だな。
この点を踏まえると孫権>>>>>曹叡説のどこがおかしいのかがわかる。
ところで孫権って親征でろくな成果だしてないよね。
燕って強いのか?
青龍二年五月の呉の侵攻時、孫権は明帝の予言どおり
明帝が新城に到着する前にとんずらぶっこいてるな。
>>595 曹叡だけじゃないよ。同じだよ。
反対派を押し切り周瑜に指揮権を与えて曹操に当たらせてるし、
陸遜に指揮権を与えるときも反対するものだっていた。
何も曹叡を否定しようとしてるわけではないよ。
だが信頼する部下に任して十分に実績をあげさせる、ってのは
ある程度出来た君主だったらそんな特別なことではない。
>>実戦経験もない
ってのは曹叡の能力が未知数であることを物語ってるだけだ。
郭嘉は敵対勢力の動きを読み、戦略を立てることに関しては
天才的だったが、彼が兵を指揮して敵を討てるかって話にはならない。
曹叡も同様。情勢を読み、司馬懿などの優秀な部下に指揮させて功績を
得たが、彼が直接指揮して敵を討てたかというのとは別の話。
化け物とか天才とかという評価はあまりに言いすぎでしょう。
>>596 いともたやすく滅ぼせるならもっと以前にやってるだろうし、カン丘ケンで何とかなったろう。
燕単体でどうこうというより、呉と連動されると困るというところだな。
手際よく処置しなければならない必要はあった。
>598
書いてる事が矛盾してるぞ
郭嘉は戦略立てる事に天才的で
曹叡も同様なのに天才という評価は言いすぎ、て・・・
曹叡は晩年の贅沢病で評価下げてるな。
>>598 >反対派を押し切り周瑜に指揮権を与えて曹操に当たらせてるし、
>陸遜に指揮権を与えるときも反対するものだっていた。
任せたらそれで大体事が済んだ。
周瑜・陸遜がいかに優れていたかはそれで十分に伝わるが、
アフターフォローという点で孫権は叡に一歩劣ったことは否めまい。
>化け物とか天才とかという評価はあまりに言いすぎでしょう。
自分の身とおきかえてみればすぐ叡との差がわかるところが凄いんだよ。
土壇場で次期皇帝に指名され、従軍経験もないのに即位間もなく優れた判断を働かせて
諸葛亮や陸遜・周辺異民族を相手に有利に戦っている。
とても凡人ではできない。
>>600 >彼が兵を指揮して敵を討てるかって話にはならない。
>彼が直接指揮して敵を討てたかというのとは別の話。
かかってるのはここじゃね?
>>600 横レスで悪いけどちょっとは文脈読みなよ
第三者の俺でも
>>598が言葉の綾だってことくらいはわかったよ
>>603 と、なると文帝以降の皇帝をここで取りざたするのは不可能かな?
なんか
>>528-529のようなことが書かれてたから曹操との比較論も許されるのかと思ったが。
軍率いて云々なら無理なんじゃないか。
曹操と比較するなら政治面じゃないと。
>603,604
いやそれはわかってるけどな
そもそも588は実質の戦闘に指揮に関して化け物とは言ってないだろ?
それを直接指揮では天才的とは言えないってのは
そもそも598が論点ずらして588が実際の指揮でも曹叡が天才的と
書いたかのように書いてる事がおかしいんだって
アフターフォローっても、司馬懿を信任したは良いが、
結局大権与え過ぎてたためにその司馬一族に簒奪されてりゃ世話無いぞ。
明帝時代の内政のトピックというと魏新律の制定あたりだな。
スレ違いなんでやめるが。
>>607 多分天才とか化け物って言葉をもっと総合的なものとして捕らえてるんじゃないのかな
>>608 その辺まで行っちゃうともう曹叡の責任とは言い難い気もするけど
あの責任は曹爽に帰せられるべきで曹叡まで遡る必要はないでしょう
曹叡云々より前線の指揮官が凄かっただけ
>>608 大権与えようが与えまいが、幼帝を後継者に指名しなければならない時点で
司馬一族か曹爽の簒奪は決まったみたいなもん。
息子が死にまくったのと本人の早世が痛いな。
その前線の指揮官を最大限に活用できた曹叡の能力もすごいって話でしょう
実際胆力や戦略眼は父親を上回るものがあったんじゃないかとは思う
>>607 それを言うなら
>>588だって
>>曹操は周ユにぶちのめされた。
>>曹叡は陸ソンと諸葛亮をぶちのめした。
と書いてるけど、ここの「ぶちのめす」の意味合いも違うし(直接指揮かどうかでね)、
あんまり深く考えるな。
>>610 大権を与えすぎたのは十分責任あると思うが。
>>612 司馬懿に権力が与えられない場合、どうやって司馬一族の簒奪が決まるの?
>>615 功績と比較して権力が少ないとなれば、反乱を起こす格好の口実になろう。
>>615 司馬懿は実権奪われた後でクーデターを起こした。
>>608は司馬懿が先天的に後年の司馬氏専横に繋がる方向性に基づいた
身の処し方をしていた人間だと定義づけてないか?
>>615 とは言うが、可及的速やかに遼東を制圧することは軍略上でも外交上でも
あの時点での最優先事項であったことは間違いない
あそこで司馬懿に大権与えることを恐れてもたもたしていたのでは
燕や高句麗に対して呉が付け入る隙を作ることになってしまう
少なくともあの時点では司馬懿に大権与えて速やかに燕を潰したのは
曹叡が取ることのできる最良の手段だったのではないかな
遼東遠征の時点で後の政変が確定していたかのような言い様……なぜ?
司馬懿に任せず遼東に自ら親征すればよかった
曹叡崩御時点での司馬懿の功績っていうと
1.第一次北伐での電撃的孟達斬首
2.第四次・第五次北伐での総指揮
3.燕滅亡
か。
蜀で諸葛亮が死んで北伐がひと段落したように、
呉で陸遜が再起不能になったりしてたら、満寵を燕に派遣して
バランスを取る目も使えたんだろうが。
>>621 燕自体が怖いというより、燕と呉の連動が怖いわけだ。
国家の支柱が燕に親征して、その間隙をついて呉が出兵してくると痛い。
>>616 大功を持ちすぎてる家臣は始末すべき存在、
功績に比例して権力を増やせば良いってもんじゃない。
特に魏は名士層の力が強いのだから。
>>617 それは元々司馬懿に権力が与えられていたからだろう、
最初から大権を与えないように使うのは全然意味合いが違うが。
>>618 定義付けてないが、大権を与えた事が専横に繋がってると書いてる、
臣下に大功と大権を与えすぎるのは簒奪の始まり、
アフターケアというなら司馬氏をしっかり始末しなきゃ。
軍功立てた部下をいちいち叛乱恐れて誅殺してたらただの暴君だろう
軍功立てることを恐れて名臣を適当に飼い殺して国を滅ぼしたらただの無能だ
劉邦の粛清も乱世が治まってからだしな。
>>619 そこまで遼東に対して速やかに制圧する必要は無いと思うが、
諸葛亮が死んで蜀は一段落付いたし、
呉と燕や高句麗の連携なんて、今まで行われなかったし、
出来ても距離がありすぎて大したもんじゃないだろう、
燕の国力自体たかが知れてるし。
628 :
627:2005/08/05(金) 00:23:53
>呉と燕や高句麗の連携なんて、今まで行われなかったし
これは訂正、行われたが結局呉は出張ってこなかったし、
高句麗自体の攻撃も大した事無かった。
>>627 237年7月に呉は燕の連動を期待して一応出兵してる。
燕は鮮卑に北方を荒らしまわるよう命じていた。
>>624って歴史を知って結果が分かってる人間の無意味な結果論
曹叡の在世している時期に司馬懿(厳密には司馬氏)の簒奪が確定してるか?
だったら北伐を繰り返した姜維も始末しろっていうようなものだろう?
>>628 たいしたことのないうちに厄介な芽をつもうということでしょ。
ない国力も時間が経てば経つほどあがる。
三国鼎立という状況下での朝貢国争奪戦という側面も忘れちゃイカン
なー、ちょっと思ったんだが
19世紀イギリスのヴィクトリア女王って、
多分世界史最強の将軍じゃないか?
だって、彼女が統治してた頃の大英帝国は戦争で負けなしだったんだぜ。
え?彼女が軍隊率いたわけでない?臣下が頑張っただけ?
バカだな。そんなことないよ。
戦争に勝ったのはぜんんぶ国家元首である彼女の戦略眼のせい
戦闘に勝ったのはぜんんぶ国家元首である彼女の統率力のせい
よってヴィクトリア女王は武力100。統率100。神だな。
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 00:46:32
乞食の血を引く曹操や曹丕と違って、曹叡は名門の血を引いているからな
>>630 簒奪が確定してるなんて言ってないが、
大功・大権を得た臣下の危険性を考えねばならないと言う事、
これは歴代王朝が繰り返してることである。
姜維と司馬氏の立場大分違うので一概には言えないが、
軍権を一手に握る姜維も蜀にとって危うい存在には違いない、
それは諸葛亮にも言えることだしな。
>>631 国力は急激に、そして時間が経てば経つほど上がるものではない、
魏がジワジワと侵食すればむしろ低下する可能性の方が大きい。
まあ孫皓みたいに逆らう奴を皆殺しにする手もある
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 01:14:52
万一だけど、諸葛亮にしろ姜維にしろ、北伐で大きな功績をあげていたら、間違いなく劉禅と一悶着あったよ。
大軍を擁し、多大な功績のある部下は始末に困るんだよ。
ちょうどいいところで抑えるとか排除するとかしないとな。
つ【陶侃】
つ【郭子義】
>635
戦乱時で権力を分散させるのは能率が悪いんだよな
度々戦火が起こるようだとある程度特定の人物に権限を委ねて
指揮系統などを統一してしまった方がいい。
諸葛亮などはまさにそれを実践したわけだが。
曹叡が外敵を跳ね除けられたのは、ある程度それを曹休・曹真・司馬懿に
集中させた事は大きいと思うが、何事にもマイナスは付き物で、
司馬懿が大権を持つ切っ掛けを作ってしまった。
曹休・曹真亡き後に皇族に連なる人物で大権を委ねられる人物がいればよかったんだろうが、
魏は漢王朝に倣ってかどうか、皇族を政治の中枢から遠ざけたからな。
まあ、皇族には帝位継承権が絡むからまたややこしいんだが
あほくさ
陰謀と権力闘争でしか考えられんのか
>>636 でも孫皓は逆らう奴どころか普通の民衆まで殺してるような気が…。
それじゃ国家の原動力が無くなる、と。
>>637 確かにそうだけど
大軍を擁して無くても多大な功績のある部下は始末に困ると思った。
ところで諸葛亮が五丈原で陣没したのは蜀にとって幸なのか不幸なのか…?
642 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 01:23:34
結果、忠臣だったので反乱しなかっためでたし、
ではなく、
反乱するかもという前提で軍事権を与え、処置するのがまともな君主だ。
宇宙大将軍みたいな例もあるわけでな
643 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 01:26:46
政権の体をなしている以上、権力闘争を考えないほうがアホクサすぎ
頭の中が花畑さんか?
>>643 いつの時代も権力闘争は付きもの。
だから劉邦はその一心で功臣を一斉に殺したんだよ。
クーデターを起こされないためにね。
と言う訳で
>>643には賛成
粛清は戦乱が片付いてからじゃないと自滅するけどな。
権力闘争は漢から魏・呉・蜀の全てで起きてるしね、
しかも漢・魏・呉の権力闘争は国家に致命的なダメージを与えた、
比較的穏やかだったの蜀というのもなんかね、
それでも漢中と成都の距離が滅亡の一端を担ったけど。
>>635 その間ジワジワと燕サイドは鮮卑を操り、呉や高句麗との連携を高めていくわけか。
確かにさじ加減は難しい
>>646 >比較的穏やかだったの蜀というのもなんかね、
権力闘争を未然に防いでいたのは劉禅なんじゃないか。
一般的に暗愚の代名詞にされてるけど違うと思う。
諸葛亮や姜維が幾多も戦争を仕掛けて国力を疲弊させていたにも関わらず
民が暴動を起こさず、反乱も起きず、権力闘争も起こさない。
俺はひそかな名君なんだと思うんだけどな……。
劉禅が41年、蜀が滅亡するまで皇帝の座についていたから
君主死後のお家騒動や権力闘争も起こらなかった訳で。
650 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 01:50:07
姜維は更迭される寸前でしたよ。
立派に権力闘争やってました。
しかも漢中に逃がしちゃったし。
クーデター起こすだけの人材がいなかっただけ説
>>649 陳寿も劉禅の評では暗愚などとは一言も言ってないしな。
まあ劉禅自身が優れてるわけではなく、
優秀な家臣にちゃんと任せることができたってだけだが。
それができなかった皇帝が多い分、それだけでもプラス材料だとは思う。
晩年は侫臣を排除できるだけの人材がいなかったからアレだけども。
それに劉禅の在位41年の記録は、
三国中はおろか、後漢なんかを含めても最長。
本当に暗愚でどうしようもなかったら、こんな記録は生まれないしな。
このしぶとさは父親似だね。
配下に嫉妬することがなかったっていうのは立派な才幹だ罠
>>652 いや宦官に惑わされてからは暗愚と言っているぞ。
劉禅は部下を信任したというよりは、
政治に興味が無かったから、特に口出ししなかったと言うべき姿勢だと思う。
そして蜀にはあんまり権威欲を持った人物が居なかったのが良かったのか、
結果蜀では比較的穏やかな権力闘争だけだった。
656 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 07:52:05
劉禅は口出ししたくても出来なかったんと違うん?
つまりは傀儡。
藤原将軍と執権北条氏、溥儀と関東軍の関係だよ。
劉禅個人の性格や資質の問題じゃないって。
劉禅は魏でも武将でもないので彼についての話題はここで打ち切る。
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 08:12:35
確かに武将じゃないが、魏だよ。降伏してからは。
↑
こいつ嬉しそうな顔して下らんことに突っ込みいれるなぁwwwww
いや、普通にそう思うっしょ
地方政権で未成熟な国家の皇帝と
中原を支配してた魏の皇帝を比べるな
仕方ないさ
その未成熟な国家を滅ぼすのさえ40年以上かかった国家の皇帝なんだから
あえて言うなら劉禅は晋の「武将(プ」だな
武将と言うよりは貴族じゃないのか?
厨は武将か軍師しか知らないから……
蜀は禅譲劇を否定することで皇帝についた国家だからな
劉禅から帝位を奪うだけの正当性をもてる人間が存在しない。
武力で奪ったとしてもその時点で蜀の正当性も崩壊するんだから国でもなんでもなくなる。
唯一劉禅から帝位を奪える位置にいる兄弟は監視下に置かれているし
禅譲劇を肯定することで皇帝についた魏と対照的なのは当然だろう。
そういう意味では曹叡が司馬イを持ち上げてしまったのはやはり致命的だと思うな。
魏は臣下が功績によって帝位を奪うことを実践した国家なわけだから
司馬懿以外の人に大権を与えたとして、そいつが失策を犯すと
けっきょく「司馬懿じゃなきゃダメだ」となって司馬懿の権限がよけい強くなるという
東晋の桓温と殷浩みたいなことになりそうだが
司馬懿と張り合える程のライバルなんで少なくとも魏には居なかった感じだな。
まして曹爽なんかでは
呉でいうと丁奉みたいな皇帝が直に動かせて実績もある武将
魏にはもういなかったんだろうな
有能なのはたいてい司馬懿とつながってそうだし
>>669 他の豪族と手を結ぶ事に関してはかなり積極的だったのでは。
>>667 司馬懿が妖怪みたいに長生きしなければ晋は生まれなかったし、
文帝明帝が早世しなければまた生まれなかった。
俺は魏から晋にうつったのは天命じゃないかと思う。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/05(金) 23:37:48
うむ
曹操が赤壁で負けたのも夏侯惇が片目になったのもポストが赤いのもみんな天命だよ
>>672 天命と言う言葉で割り切ったら議論する意味がなくなるからNGね。
天命か。…いい言葉だ。
歴史の全ての出来事がそれで説明できるなw
でも人間の寿命はどうにもならんだろう。
それぞれの寿命の長短が魏晋の命運を左右した最大要素だと思われるから
ちょっと天命という言葉を使ったまでだ。
だから天命という言葉自体がどうこうじゃなく
そういう結果論を振りかざすのやめれって話なんだがな
じゃあ文帝・明帝がどうして早死にしたのか、
司馬宣王がなぜ長生きできたのかについて考察するか。
一人でやってろ
郭皇后がもっとしっかりしてたらよかった
681 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 02:03:51
魏は皇太后やその親族つまり外戚の権力を極端なほど制限している。
ここが漢と大きく違う点で、結果として皇太后が幼帝を後見することができず、廃立のときだけ利用される存在になりさがってしまった。
司馬氏にあっさり簒奪されたのは、この皇太后の無力化が大いに関係あると思われる。
外戚が幅きかせてたら簒奪なかったのかな。
廃立の時以外にもケッコー利用されてるぞ>太后
司馬氏の手品の種だった訳で
石勒が曹操・司馬懿を女子供の腐った奴扱いしたのは、曹操が幼帝を、司馬氏が太后を利用した事実も含めた皮肉だろ
ほー。魏晋の代に匈奴が不遇だったから悪口言っただけかと思ってた>石勒
>>681 皇太后の権威が強いということは、皇太后の政治介入や親族が多ければ、外戚の介入も
生み出しかねない。卞氏は親族の多い人間では無かったようなので、外戚の介入というのは
結果的になかったけど、
鐘ヨウの離婚問題と曹洪・曹植の措置に対する介入、曹洪の時には郭皇后を廃するとまで
郭皇后に言って脅している。
曹洪・曹植などの件は母親ゆえの一族・宗族への対応・諫言とも取れるが、
皇帝権の侵犯とも取れる。
郭皇后にたいする発言は皇太后が立后・廃皇に関する権限があると思われる。
皇帝権力の強化の為という事では、曹丕の皇太后・外戚への権力介入禁止の措置は正しいといえると思う。
結局、「これは間違い、こうしてれば良かった」なんてのはないってことなのかな
このスレ見る限りだと、どれもこれも一長一短、長緒と短所が表裏一体だ
687 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 07:10:23
>>685 それはそのとおり。
ただし、皇帝がしっかりしなかったとき、
幼帝など判断力がないとき、
皇帝と臣下の間に立つ外戚や皇帝に代わり政務を執る皇太后がいないということは、
いきなり臣下が皇帝の代わりを務めることになるわけで、どう考えても簒奪へ一直線となる。
大臣たちと一般に不仲であり簒奪が支持される可能性が低い外戚や、皇帝の母である皇太后ならその危険性は低いが、司馬懿のように大臣たちからも広く支持される者が皇帝の代理となれば、簒奪を止める者はいなくなる。
外戚・皇太后を退けたのは一面では正しい。
ただし、皇帝早死にと幼帝即位への対応を誤ったね。
明帝が死ぬとき、燕王宇あたりを思い切って皇帝にしていれば、あんな早い簒奪はなかったんじゃないか。
明帝の考えたプランだと、燕王宇だったんだよな。
いまわの際で臣下に反対されて二転三転して、明帝崩御の際の真相はなんかよくわからん。
死を目前にしてさすがに意志力と判断力が衰えてたんじゃないかね
690 :
688:2005/08/06(土) 07:22:30
あ、皇帝じゃねぇや、大将軍だ。
筆の持てない明帝に代わって詔勅を劉放が代筆したとかあるし、
なんか胡散臭いな。
692 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 07:29:18
大将軍にしていても、皇統が燕王に移ったかもね。燕王がやりてなら。
それでも曹氏としては簒奪され滅亡するよりはマシだったんじゃない?
漢のときに政治の場にいた
皇太后
外戚
宦官
をすべて排除しちゃったから、
皇帝が元気ならいいが、
そうでないと大臣に全権委任するはめになっちゃうから、
すぐ簒奪にいっちゃうんだよ。
司馬親子としても臣下でとことん上の地位までいってしまったらあとは簒奪しか
自分たちいなくなったあとも一族を粛清やクーデターから守る手段なさそうだしな
現にその兆候は何度かあったわけだし
曹丕・曹叡の早世は誰しもの予定外のうちの最大だろう。
曹操なんて頭が痛いの、大怪我だのしてもあんなに元気だったのだから。
皇帝の早世と幼君対策を講じて死んだ皇帝なんているのかなあ。
多分対策としては皇太子を 早く決めておく、太子が幼い場合は信頼できる守役と
合議制の導入とかだろうけど、
曹操を含めて、魏朝は立太子が遅い。それぞれには個別の要因はあると思うが、
漢・晋では立太子は早いので、その店ではこの王朝は少し異様。
曹家の人間は短命なのが多い。
きっとチンポが短いからだろう
背も短いしな
>>694 ヒは死ぬ間際にしっかり叡の補佐合議制を残していったあたりはさすがだ
息子は気に入らなかったらしく打ち壊したが
テメーの残した補佐体制は失敗してるし…
>698
曹叡の残した補佐体制も初期はうまくいっていた
おかしくなり始めたのは曹叡が排除した浮華の徒が曹爽に近づいてからだ
そこから曹爽と司馬懿の関係もおかしくなった
こうなってくると両者を抑えられるのは皇帝ぐらいのものだが
曹芳は幼すぎたからな
700 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 18:17:28
その補佐体制は死に際にむりやり書かされた、当初の予定から大きく変更されたものですよ。
元々は曹宇を補佐にしようとしてたしな。
反曹派の側近が、瀕死の曹叡の手を持って
遺書だか詔を無理矢理書かせたらしいけど。
>700
そういや、変更するときに劉放に
藩王には政治の補佐は許さないという曹丕の詔勅を引き合いに出されて反対されたんだよな
結局曹丕の政策方針のせいということかね?
死に際の明帝が強硬手段に出られないのを知ってて、
そういう難癖付けたんだろうな。
曹丕の詔勅を聞くほど殊勲な性格じゃねー>叡
ってか親父嫌いは血筋か?
曹叡の場合は父親嫌いなのも仕方ない気もする
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 22:49:17
面白いのは、皇族に後見人や執政をさせないのは漢以来の伝統であった(劉蒼除く)のに、明帝は血のつながっている皇族で王の燕王を執政にしようとしているところ。
魏は一般には皇族を信用せずむしろ迫害したと言われるが、明帝はここで真逆の人事を考えているのだ。
実は、
魏は、漢の皇族を政治の場から退ける基本方針を転換させた最初の王朝だったのかも。
曹叡が最初に曹芳の補政に挙げた人物は、曹宇、夏侯献、曹爽、曹肇、秦朗。
遺詔が書き換えられた背景には、鶏棲樹の件から夏侯献、曹肇、秦朗が中書監
劉放と中書令・孫資に対して快くは思っておらず、そのため劉放と孫資が保身の
ために曹叡に遺詔の変更を迫ったといわれており、曹丕の方針が反映されたいう
よりも皇帝即位に伴う政争に絡んだ暗闘というか裏工作の結果というべき。
もっとも遺詔の変更がなければ曹爽の専横や司馬氏の台頭ももう少し違った
結果になったのかもしれないけど、幼帝の膝下で政争や補政する臣下の専横が
なかった例の方が珍しいので、なんとも。
708 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 22:53:18
>
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/06(土) 22:57:45
最初の輔政者って、
曹操の息子
曹操の実際の血族
曹操の名義上の血族
曹操の妾の連れ子
曹操の養子
と、曹操と親族関係にある者がかぶることなく選ばれてる。
でも外戚はなし
>707
実際はただの政争だが建前てのは何事にも必要なんだよ
司馬氏が皇帝を配するにも大后を利用したように
曹丕が皇族を政治に参加させることを禁じる詔勅を出していたのだから
それを理由に曹宇たちを補佐役から引きずり落とす事は可能だ。
そして実際に劉放たちはそれを曹宇たちを補佐役にしないようにする第一の理由にあげている。
が、まあそれで補佐役が変更されたのは曹丕のせいというのも極論だがね。
曹丕の詔勅を理由にしてるのは、
普通に見れば言い訳程度の建前だしな。
曹宇ってかなり重要な存在だったのに結局何もできてないな。
もっと強引にでも曹家を牽引してほしかった。
単に火種が増えるだけか・・・
八王の乱の司馬亮みたいな存在>曹宇
でも司馬亮は補政の任に就いた後に殺されるんじゃ?
曹丕からしてみれば司馬懿の専横なんてまさに想像外だろ。
まさに最初の頃から仕えてくれた事実上最初の家臣みたいなものだし。
親族ふたり(曹真・曹休)清流派直系(陳羣)
名士層+お気に入り(司馬懿。ついでにこの二人は荀ケの推挙ってのが共通項だね)
バランスは完璧なんだけどねえ。どこで頓挫したのやら。
曹叡が帝位についた時点で
曹芳が帝位についた時点で
補佐体制を崩しただけで4人ともうまく使ってるだろ。
魏自体が「軍事政権」だったことをまず認識しろ
>>719 そんなことを言ったら、スタートが軍事政権ではなかった中国の王朝(および、
割拠時代に地方政権)なんて無いんだが
やはり外敵に引っ掻き回されたのが大きいんじゃないか
曹休・曹真は実質呉蜀との対立で病を発して死んでるようなものだし
司馬懿が権限を強めたのも軍事で功績を重ねた結果だし
>>721 曹休はそうだけど曹真はそういいきれないのでは。
723 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 02:01:38
なんだかよくわからないけど、ここでうんこしていきますね
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>722
曹真は曹休のようにはっきり史書に書かれているわけではないから
断言するのは確かによくないかもな
とりあえず
290年の武都・陰平の失墜から蜀討伐案の施行までの陳羣との対立
挙句にその蜀討伐が長雨で頓挫
その直後の魏延による涼州侵入と郭淮の敗北
これだけ一時期に軍事上の失態を犯せば病を発しても仕方ないとは思う
また自分勝手な憶測を…
やはり、賈クが引退などせずに曹丕に尽くしていれば
「尽くす」忠臣タイプじゃないだろ。あいつは
728 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/07(日) 15:41:33
カクは一言も
曹丕に後継者にしろ
と明言してないぞ
曹操が裏を読みすぎて勝手に納得しただけで、本心は、
袁譚や劉キを活かしておくから争いになるんですよ。さっさと殺しなさい。
だったかもしれないのに。
阿呆ですか?
>>727 賈詡が引退したということはこれ以上残っても得るものは
何もないってことだろうしな。奴の時機と空気読む能力は相当なもんだから
>728
さすがに殺すべきまでいくと飛躍しすぎだな。
曹操がどちらを選んでも角が立たない程度の賈クらしい発言といったところか
カクの引退って単に年齢の問題じゃないの?
曹操死んだ時点で70過ぎてたはずだし。
蜀の黄忠と似たような年だったような・・・
>>732 すげーなおまえ黄忠の年齢知ってるのか!
横光三国志準拠ではあるが(w
そもそも賈クの引退て何を指して言ってるんだ?
彼は大尉のままで亡くなったんじゃなかったっけ?
程cとごっちゃになっていると予想
>>737 でも、程cは一旦引退した後に復帰してるよな。
それから一回クビになって、曹丕即位後には衛尉に就任。
在任中に死亡してるな。
鐘ヨウも復帰組だね。
王朗と華キンだったか?隠居希望を差し止められたのは。
曹丕はおじいちゃんにはやさしいのか?それとも老人をこき使うのが好きなのか…。
爺ちゃん好きだろう
孟達が誑し込んだ二人も爺だったし
>>740 孟達と懇意だったのは、桓階と夏侯尚。
桓階はともかく、夏侯尚は曹丕と同世代。
爺じゃないぞ。
でも干禁には厳しかったな
曹丕が氏んだずっと後に曹操時代の功臣が軒並み廟に封じられたときも
于禁はやっぱり外されてるしすさまじい嫌われっぷりだ
樊・襄陽の救援に、当初は于禁ではなくて曹植が赴くところだったじゃない?
それを曹植が泥酔したために于禁へお鉢がまわってきたんだけど、曹植の
泥酔には曹丕が仕向けたともいうし、もしそうなら曹丕の于禁への仕打ちって
自分の罪悪感の捌け口だったとか、真相は複雑なのかも。
曹植が出てって一体何ができるんだろう……
詩をよむ
でも床に伏せった張遼には衣服や屋敷、飯まで送っているよな>曹丕
>>744 それ以前に樊・襄の窮地は、曹仁の戦略的失態がからんでいた。
王族である曹仁を責める訳には逝かず、たまたま敵に投降した于禁ひとりに罪をかぶせられたんだよ。
>>748 おまけに外様のホウ徳が勇敢に散っていったことが相対的に于禁の立場を悪くしちゃったもんね。
>>749 洪水対策を怠ってた。
揚州刺史・温恢は合肥で孫権の包囲を受けながらも、曹仁の備えの無さを危惧してた。
方面司令官としては大失態なんだけど、于禁の投降のおかげでうやむやになった感じ。
曹丕は曹仁の事は尊敬していたね
>>751 洪水対策ってどうやるの?
現代でも数十万人が被災者になることもある国だけど
>753
治水とか土木事業は現代の方が杜撰な気が・・・
>>753 若い娘を川に投げ込む。
これを一年でも怠ると大洪水です。
217年から関羽が北上するまで戦に参加し続けてるから
大規模な治水工事する余裕はないだろ
あの戦いって記述がぶっ飛び過ぎで途中経過がよく分からんね、
元々は関羽討伐に来た曹仁が、何時の間にか樊城に劣勢のまま篭っている、
征南将軍として荊州北部を担ってる曹仁と、
荊州南部を呉と割譲した関羽ではそんなに兵力差が出るとも考えにくいし。
治水といった大規模的なものではなく、
兵糧・土嚢・油・藁といった必需品を備えたり、
于禁みたいに水没しないように気を配る(船の備えとか)事なんじゃないの、
温恢は、増水している、という現状に対して警告してた訳で、
治水みたいに時間の掛かる対案は出さないだろう。
事実曹仁の軍は食料不足だったし。
>>759 おぼろげながら推量はできる。
最初に戦力の目安として、「軍」が単位として用いられる。
援軍として来援した于禁は七軍として三万を率いており、単純に計算すれば
一軍の兵力は4000ほどと推量できる。
まず関羽は215年の分割協定の際に三万を動員しており、北伐時の兵力が
これを大きく上回ることはないと思う。
関羽は漢水を挟んだかたちで南岸の襄陽を包囲し、更に北岸の樊城を包囲
していることから、両城の攻囲軍に遊軍と、大まかに戦力は三分される。
次に曹仁。
関羽の攻勢に対してホウ悳を北方十里に派遣した際、ホウ悳は麾下に部曲将や
伯を置いている他に、将軍である董衡もいることから、少なくとも一軍以上の
戦力であったと推測できる。
樊城に篭もる曹仁の戦力がそれ以下とは考えられ難いけど、史書のうえで
包囲される以前に城外で戦闘に及んだ形跡を全く所見できないので、少なくとも
関羽の戦力と正面から戦える規模の野戦軍を有していたとは考えられ難い。
単位としてみた「軍」の規模が一定ではなく状況によって流動的ではあるけど、
城内に篭もった曹仁の戦力は多くて二軍、もしかしたら一万に程遠い戦力かも。
まあ、想像ワールドの一つとして聞いておこうか
ホウ徳も名将なのかな。
そうでもないな
せいぜい良将ってレベルかと。