そうふ
陰険
スレタイがシンプルすぎてなんかシュール
非道
残忍
人間性欠如
冷酷
極道
淫乱?
逆賊
禅譲
悪魔
昏君
16 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 01:10:06
皇帝
早漏
嫁が自慢
包茎
息子を虐待
21 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 22:49:09
引き籠もり
助平
サディスト
とうふ
25 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:30:06
ふうふ
何だここは…?
27 :
角直屋徳:05/03/18 13:34:45
陰険
28 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 13:37:10
>>26 初めまして。ここは2ちゃんねるというサイトです。
お気楽に参加して下さい。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 20:13:33
うんち
おはじき
31 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 20:47:03
面長
32 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 20:50:49
真ん中分け
33 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 20:53:33
ピクニック
34 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 21:31:01
典論
金貸してくんない?
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/03/31(木) 18:56:21
あかん
38 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 10:55:25
曹洪「金返せ」
39 :
島左近:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 11:10:49
曹否「あと、三日待て」
40 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 12:54:51
曹洪「お前この前もそんな事言ってただろうが、いい加減にしろ」
せりゃ
42 :
無名武将@お腹せっぷく:黄帝生年紀年4716/04/01(金) 18:10:51
ひざまづけ!!
バルキリーに乗って戦場で歌を(r
44 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 17:24:38
邪眼ww
めるぽ
46 :
無名武将@お腹せっぷく:黄天当立184年,2005/04/02(土) 18:51:24
ぽっい〜んややん
ん
鼠兎否
人気無いね
腐女子以外に
俺はずっと好きだったが?
中央公論の魏の曹一族を毎月楽しみにしていた
>>49 同じく!
秘本の曹丕が好きで曹一族も楽しみにしてたな。
詩文も好きだよ。
一見怜悧で冷たい人間に見えるんだけど
お兄ちゃん(曹昂)を殺した張繍を延々虐めたり、末の弟が自分をパパって呼ぶのに対して「私はお兄ちゃんなんだよ」って言って泣いたり
親父が司馬仲達はアブネーぞって言ったら「違うよ!仲達は俺の大事な友達だよ!」って反論したり
鹿狩りで息子に「父上は母鹿を殺したのに、私に子鹿まで殺せを言う!」って言われて苦い顔して逃げたり
そんな人間人間している曹丕が好き
人気無いね
腐女子以外に
スレの最初の流れが悪かったからね
まともな曹丕スレならいくらでも伸びてたよ
過去がそうだったように
曹丕のせいで阿呆になった人がいたような気がしたが誰だっけ?
>>53 曹丕が好きな人は無双と関係なく(無双以前から)好きな人が多い希ガス。
自分がそうだからかも知れんが。
中国古典畑のひとにも曹丕が好きな人はいるだろう。
魯迅だっけ?曹植より曹丕の方が俺は優れてると思うって言った人
>>54 関羽ごときに降伏する阿呆がいけないのです
人気無いね
腐女子以外に
別に曹丕が無双に出てるわけでもないのに腐女子に人気あるわけないでしょ。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 07:21:17
そうでもないよ
三曹って言葉あるくらいだし
跪 け
や な こ っ た
>>58 まぁ、そのなんだ・・・
お前に悲しい報せがあるんだが・・・
出てる。
皮肉でしょ
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 16:00:28
思いっきりビジュアル重視キャラだから続編でどの様に壊れていくかが見物だな。
ケ展なんて目じゃないね
66 :
:2005/04/07(木) 17:12:32
曹叡よりは、この人の方が能力は上かな?コーエー三国志シリーズは
どうも曹叡の能力を過大評価してるような気がする・・・
皆さんはどう思いますか?
曹操、曹丕、曹叡三代は三人とも同じくらい優れてるとおもうが?
えー
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 22:36:19
辞書引くと“曹丕”ってあるもんね。
曹叡は「生まれが可哀想」補正がかかっているのですよ多分
曹丕は太子指名するのが輪をかけて遅い。
ただ単に殺しちゃった妻の子だからなのか
虐待された人は自分の子を虐待する・・・みたいな空気が漂ってるような
曹叡って即位するまで殆ど人前に姿を現さなかったようだから、
出てきたときのインパクトが大きかったのではないかと勝手に想像。
「とりあえず、頭はよさそうで良かった!」みたいな。
曹丕は子供のときから戦場連れ回されている位だから、
重臣たちからは見慣れた存在。感動する様なことも余り無いのでは。
おじいちゃんっ子曹叡。
>>71 あんまり遅いもんだから高島俊男先生は
「(曹丕が指名したと史書にはあるが)実際には家臣たちが協議して決めたのだろう」
と身もふたもないことを言ってるね
最期の最期で曹叡を指名したといういい話をバッサリだなんてひどいですよセンセ!(w
曹丕は皇帝の神格化をしたかったんじゃないかと妄想
自分の気に入らない事を言った奴を左遷したり斬首したりして「俺は我が儘を押し通せる唯一無二の存在なんだ」と見せたかったのでは?
禅譲のしちめんどくさい儀式だけじゃ神格化に満足できなかったのか
>>75 でも、帝位に付いた後も狩をして帰りが夜遅くなった事を王朗に怒られてる。
神格化できないなー。
ただの我が儘坊ちゃん
お家騒動のいざこざでもう人間的にいろいろダメになっちゃったとか
精神面から分析してみる。
駄目になったかぁ……
魏の一武将と皇帝とじゃ、いろいろ勝手が違うもんだと思うなぁ
例えば呉への遠征だけど、皇帝じゃない身分だったらもっと粘ったり無茶したと思う
皇帝親征って隋煬帝や唐太宗の高句麗親征のように安全第一な面があるからさ
でも呉征伐もけっこう無茶ぽい・・・
って北方読んだだけの知識。バカでスマン
皇帝になってからいろいろありすぎ、早死にも当然だと思った。
人気無いね
腐女子以外に
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 20:33:01
だってさー、どこを好きになれっちゅーねん
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 20:38:22
曹丕よりも曹植のほうが頭イイ
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:10:47
俺は基本的に二代目好きーな人間だし
曹丕は普通に好きになる要素いっぱいだし
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:31:47
高堂隆って日本人みたいな名前じゃない?
>>82 まぁ、そのなんだ・・・
お前に悲しい報せがあるんだが・・・
真・無双検索で曹丕で100件以上hitしたんだが・・・
>>87 確かに。
しかし、曹丕はキレて処刑ってのが多い気がする。
もう少し我慢しろよとも思う。まぁ、既に曹植との後継者争いで我慢しっぱなしだったのだろうけど。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 21:54:26
曹丕はへたれ
徳川の2代目なんかよりはマシ
秀忠無しには徳川幕府はなかったろ?
>>86 ナカーマ。二代目好きが自分以外にいるとは思わなかった。
普通に詩文は好きだけど内政面でももっと評価あっても良いとは思う。
本人の文章だけだと闊達な青年とも思えるんだけども。
曹丕の内政面の功績て具体的にどういうものがあるんだろう?
政治面での功績とかって難しくて三国志読んでいてもよくわからないんだ。
黄権に対するイジメ、あれはひどいね。
96 :
曹丕:2005/04/09(土) 02:20:03
黄権イジメたっけ?
兄ちゃん殺したカスや、ノコノコ捕虜になった爺はイジメた記憶があるんだけど
ああ父上、妹の婿に眇な丁儀なんてやめてくださいよ。可哀想でしょ?
甄夫人ももともとよその嫁だったのをさらっといて最後殺しちゃうなんてヒドイよな
98 :
曹丕:2005/04/09(土) 20:51:15
カッとしてやった
今は反省している
アイツの枕上げるよ子建 つ[ ̄]
 ̄
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 02:28:48
人気無いね
腐女子以外に
>>97 曹叡は袁家の胤って可能性を捨てきれなかったから
曹操は後継者の指名をためらった。
甄夫人はその秘密を知っていたから殺された。
という説を何かで読んだけど
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 05:51:01
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 08:19:03
そうひ
後々、暴露本出されたら困るから消したわけか
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 08:36:45
ツーチャンネルとは怖いところですね。
意味もなくただ自分の思ったことを書いていく・・・
社会性が確立されていない証拠でしょう。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/10(日) 09:53:58
マジレスすると、実際吐き出せない感情を匿名で顔が見えないのを良いことに
好き勝手に吐き出すような場所。お分かり?
これで助けられてる人間も居る訳。
人気無いね
腐女子以外に
で1000目指すスレに変わりますた。
人気無いね
腐女子以外に
図書館にあった「文選」の典論論文やらを読んだらちょっと見直した
皇帝にならずに文学者として名を馳せてたほうが幸せだったのかも
曹丕以外に魏の後継者としての適任がいません
曹植は曹丕以上に性格に問題あるからなぁ
あとは武力一辺倒だったり若すぎたり早死にしたり
曹操は子供多かったのに散々だね
散々って程散々でもないが……
一応候補としては
曹昂 死ななかったら普通にいけそう。我らが曹丕さまは
「いや、兄貴が居ても俺が跡取りだったな」みたいなこと言ってるが
曹植 情緒不安定なり。もっとも意図的にしてた可能性はあるが
決断力は曹丕以下ではないか?
曹沖 こっちも死ななかったら。曹操が溺愛。でも溺愛と本命は違う気がせんでもない。
機知があって人事を円滑にこなしそうだが、漢から帝位を奪えるか?
曹熊 奥さんが五斗米道の張魯の娘ってのがネックか
曹彰は? 本人にその気があればそこそこいけそうな気も。
人材をきっちり使える呂布みたいな感じで。
まあ、そんな気のないところが曹彰なんだけどね。
>>111 曹鑠は?一応次兄だし。曹熊と同じく病弱らしいが。
それから張魯の女婿は曹熊でなく第九子の燕王の曹宇ね。
因みに曹宇は曹沖の同母弟。
>>113の続き。
初め白馬王で後に楚王の曹彪。王允の甥の大尉・王凌に擁立され、
司馬懿によって王凌と共に身の破滅を迎えたらしいが。
ある説では異母兄の曹植とは仲が良かったらしい…。
そこでおまいら、曹彪殿下を推戴しようじゃないか。
有能さで見れば秀忠よりも源頼朝と織田信忠を併せたタイプだろう。
無能な秀忠は強いていえば曹丕と劉禅を併せたタイプ!
曹操の息子達:兄弟順で…
曹昂・曹鑠・曹丕・曹彰・曹植・曹熊・曹彪・曹沖・曹宇・曹林・曹琨…etc
曹操の子供で長命したのっていた?
曹丕・曹彰・曹植は三人とも40前後で死んでるから、
その辺りがこの家計の寿命なのかなあと思ってしまう。
司馬氏は体格良くて長命だね…。
強いていえば曹彪の60歳前後の生涯かな。
或いは案外と曹宇が長命かも…。
ソウヒって変換してもヒの字出ねーんだけどさ
辞書登録をしなさい
平価を敬う民なら当然の事だ
典論は地味にいい事言ってる。
人気無いね
典論以外に
文章以外で褒められるところ少ないからね
誉めるとこ多いだろ、兵科には
うんと……そう、人に優しいとことか
軍事面で戦略ってあったんかなー
善政を敷いたとは思う。人口回復・民力回復を重視したようにも感じるな。
「無辜の民」には優しいタイプの人間なのかも。
文章も当時の風俗の一端がわかるから史料価値も高いと思う。
葡萄・葡萄酒・茘枝が食されていたのは曹丕の文章で知った。
文章は経国の大業にして不朽の盛事なりは名言だと思うよ
>>129 自分もその章句好き。あと最後の言葉も好き。
一応最初の文人皇帝ということになるのか?
太祖がいるからそれはないんじゃない?
まあシ号で皇帝になったから無しと言われればそれまでだけど
曹操はどちらかといえば詩人かな
文人皇帝の座ぐらいは息子に譲ってあげようぜ
ふと思ったんだけど曹丕でなく曹植が後を継いだ場合は
漢がまだ存続してる可能性あるかもな
帝位に執着なさそうだし
あの当時の流れで曹操の後継者が帝位を奪わないって事はないだろう。
そこに曹丕や曹植の個人的な感情は関係ないと思うぞ。
ただ、スムーズに禅譲劇を行う上で、どちらの方が向いているかと言われれば
曹丕の方が適任だったんだろう。
曹植はそもそも漢王朝に対して一定の礼節を取る事ができなくて
曹操の怒りを買っていたんだし。
後継者レースで脱落するまでの曹植は全てにおいて自由気侭に過ごしていたからな
お陰で晩年は政治に参加させてくれと曹ヒに泣き言のような上奏するはめに陥るんだが
細かいことだけど、泣き言のような上奏をした相手は曹丕じゃなくて曹叡な
曹ヒにも何度も上奏して泣き言言ってるぞ
賈クを引き入れた曹丕は偉い
しかし、人々はたいてい努力を怠り、
富貴ななときは晩楽をほしいままにし貧しいときは飢えと寒さにおびえ
その大業をなおざりにしてしまう。
「〜不朽の盛事なり」よりこっちが好き。
典論は名著だな
典論って論文のとこしか残ってないの?
三国志の註に一部が残っている
俺は武術の達人でその辺の名人呼んで勝負したら勝っちゃったってやつだっけ?
史渙が剣術の師匠だっけ?追い抜いたらしいけど
でも皇帝陛下相手に本気でやれってのは無茶な話だな
怪我させちゃったら一大事だし
王太子だろ?
大事なのはどっちも一緒だな
黄ヒゲと本気でやったらどっちが勝つんだろ
>>148 剣で組み合いになったときに陛下は精神攻撃をしかけてきます
えげつないです
152 :
曹丕:2005/04/16(土) 21:04:29
勝利こそ全て。
友情、努力など二の次
153 :
織田信忠:2005/04/16(土) 22:10:40
その通りだ!余は人情はいらん。
最近やっと文帝紀に手をつけますた
禅譲を受ける受けないのやり取りが子供の屁理屈みたいで面白い
子供といやあ結局曹叡って誰の子供なんだろうな…
微妙にスレ違いか
>>154 爺ちゃん凄い可愛がってたし、
頭の出来とか考えると曹家の血が入ってると思うんだが
明帝いなかったら諸葛亮の北伐成功しちゃってただろうしな
でも明帝の生まれた時期みると疑問はある…
曹操の隠し子って考察をどっかで見た
没年齢に関しては陳寿の計算間違いの可能性が高い。
明帝紀には曹叡が「15歳で武徳侯になった」と書かれている
文帝紀に220年に「曹叡を武徳侯に封じた」とあるからそこから計算すると
曹叡の生年は206年になるので、ギョウが平定された204年9月からみてもなんら問題ない。
これを没年齢(36歳)から計算すると生まれたのが204年で
武徳侯に封じられた歳は17歳だった事になる
裴松之が考察しているように歴の改変などを含めても16歳になるので
そもそも明帝紀事態でズレが起っている。
陳寿は年齢とかの計算ミスあちこちでしているから、これもその類じゃないだろうか?
長文スマン
曹叡が袁煕の子疑惑、どこのスレで読んだか忘れた・・・
ここじゃないのか
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 22:49:34
どこでもいわれてるよ
161 :
159:2005/04/17(日) 23:03:59
そうなのか
この前初めて知った・・・。
>>159 曹丕に関しては中平4(187)年、冬、〔言焦〕で生まれるってはっきり記述が
有るのに、曹叡にはないからね。なぜだろ?
曹丕は即位の際に記録の整理が行われたのだろうとは推察できるけど。
曹叡没年は239年享年は36歳。数え年だと35才。
ギョウの平定と甄氏の入室が建安9(204)年。単純に逆算すると生年があわない。
改暦等の事もあるので曹叡は曹丕の子とするのが一応定説だけど、既に裴松之
の註には??おかしいじゃんって意見が出ている。
長文スマソ
曹叡の後を継いだ曹芳なんか両親の名前すら不明だぞ・・・
>>163 一説では曹丕の弟の曹彰の孫とされる。
実父は曹偕らしい。生母は不詳。
…となると曹芳には曹温・曹詢という兄弟がいたことになる。
曹偕は任城王→中牟王→済南王→西晋・崇化少府と転々してるが、
彼の後継者は誰がなったんだろう?
曹芳は斉王→魏帝。曹詢は秦王。曹温は邯鄲王となってるが。
>>165 任城威王彰伝、病死してる
碁を打ちながら棗食わせて毒殺した云々ってのは演義?
読んでないからわからん
>>168 彰伝は読んだよ。でも毒殺したって説もあるんじゃなかったっけ…
死んでる時期的にちょっと怪しいし。
演義とごっちゃになってるだけやろか。
毒殺してもおかしくないな
曹熊はいつ死んだんだろ・・・
兄弟に手をかける奴かなー
献帝も殺さなかったし
陰険と冷酷は違うよなー
だって「俺おはじき天下一」っていう可愛いやつなのに
本人がやりたくなくても 周りがやるだろう
皇帝になっても狩猟で夜に宮殿に帰って、王朗に怒られているくらいだよー。
それで言い訳が「戦の訓練」。
子供の言い訳以下だ…。
冷酷っていうより多少神経質な文学青年って感じがするけど。
そこも好きなんだけどな。
>>171 兄弟と天子は全然別!
曹丕は感情の区別の判断に優れてた。
だから献帝を殺さず、血の濃い兄弟には愛余って
憎しみ数倍になって毒殺したとも受け止められるが…。
献帝殺しても百害あって一利なしだからな。
やたらと親戚筋に厳しかったのは漢の時代の反省からなんだっけ?
後継者争いにもうんざりしてたろうし、彰殺しててもおかしくない
むしろ植の方を殺さなかったのが奇跡、まあ飼い殺しみたいなもんだったけど
上でも言ってるけど相当曹植凹んでるからな
お願いだからちょっとだけでも朝政に参加させてぇ!って
でも兄貴存命中は憚ってる
曹操も感情の振り幅が激しい人だけど、
曹丕は輪をかけてひどい気がする。特に恨みます方面。
>>175 別に反省という訳でもなく、血縁を遠ざけるのは歴代王朝のよくやったこと
王朝が怒るときは優秀な一族が一致団結して興るものだが、安定してくるとそうもいかない
まして時代は皇帝権力の絶対化してる宋以降ではなく、貴族政治の始まりの時期であり、士大夫層を無視できないのが曹丕の立場
献帝殺して百害あって一理なしと思えるほどの性格なら、それこそ曹彰なんて殺すに足りない存在
曹丕の言動、行動みるに兄弟仲が悪いとも思えない。精々曹操が「あれでいて子桓は結構冷たいところがあるから……」と死に間際に言ってるくらいか
>>178 曹操は虐殺とかに向かってしまうけど、曹丕の場合は
対個人の方に恨みが向かう傾向があるように思う。
>>171のように近い関係のほうが圧力と跳ね帰りが大きい希ガス。
民衆には圧政・収奪は行ってないから(減税・救民は行ってる)
その点では良い為政者ではあるんでは。
血縁を遠ざけたのは後継争いの後遺症もあるだろうね。
年が近い・同母弟・能力もあるでは傍には置き難いだろ。
年の離れた異母弟にはやさしかったから。
>>179 スマン…中国史知らんくせにわかったようなこと言った。反省している
え、でも、兄弟仲は良くはなかったんじゃないの?
曹植が罪人の格好でごめんなさいマジごめんなさいってむっちゃ謝ってんのに
靴も履かせない冠も付けさせないでぶすっとしてたとかって…
…見ようによっちゃ拗ねた子供みたいで可愛いな
あと曹彰が曹植に向かって「親父はお前を後継ぎにするつもりで俺を呼んだんだぜ!」
て言ったってエピソードもあるしさ
曹丕はどうか知らんが曹彰は曹丕のこと良くは思ってなかったんじゃないんかな…
曹彰に関しては、もう周りからも「アレはちょっと思慮が足りないから……」と見られてた訳で
延臣すらそんな目で見ていたのに、曹丕が対抗意識を出すってのは想像しにくい。寧ろ馬鹿な弟ほど可愛いもんじゃないか?
曹植は後世判官贔屓されたから……大体七歩の詩自体ほぼ捏造と見られてるし
丕、彰、植は憎しみ会う程中悪くないと思う。彼等の母親の卞皇后が本妻になったのは息子達の助力、存在が結構大きいとは思う
仮に曹昂が死なず、曹丕が跡継ぎを狙ったら、多分曹植は曹丕の良き参謀になってたと思う(その後、兄の側近に疎まれる曹植も容易に想像出来るが)
曹操が「征西将軍にでもなりたかった」のにいつの間にか魏王になっていたように、曹家の兄弟達も歴史のうねりに翻弄された部分はあるんだろう
曹植は文選に載せられてる「政治に関わらせてくださいお願い」上奏文なんかが
本気で可哀想だからな…
曹丕は意地でも曹植の政治参加を拒んだみたいだから、その点では
曹植は曹丕を恨んでるのかも
>182
曹彰はともかく、曹丕と曹植の仲が悪くなかったてのは
さすがに無理があるんじゃないか?
周宣伝にははっきりと曹丕は曹植を処刑したがっていたと書かれているし。
七歩の詩とか一つ一つのエピソードには後人の創作がはいっていそうだけど
兄弟の仲の悪さは公然の事実だったんだと思うぞ
丕と彰、どっちが強いの?
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 07:01:58
武勇なら彰なんじゃね?
武芸なら曹丕で武勇と力なら彰って感じかな
考えてみりゃ曹丕だって相当可哀想だ
普通に考えたら長子で能力もある自分が太子になるべきなのに
父親は本気で弟の方を太子に立てようとするし
臣下も二派に分かれて争い出すし
そりゃトラウマにもなるわな
丕って名前の文字はおおきいって意味もあるんだよな
大きな男になって欲しいって思いで名付けたのかな
いや待てそれをいうなら孫和の方が可哀想だ
古今東西あまたある後継者争いの中では
それなりによかった方だろ曹丕は
下を見てどうする
陛下も常に精進を心掛けよと申されてるではないか
>>189 自分が小さいからせめて息子は大きく育って欲し(ry
193 :
曹丕:2005/04/19(火) 19:24:01
相変わらず一言多いな、孔融
曹丕に妾殺されて阿呆になった人誰だっけ?
族兄の征南将軍・夏侯尚。(夏侯淵の甥)
196 :
曹丕:2005/04/19(火) 20:46:51
爺が、たかだか女一人で
>>196 >爺が、たかだか女一人で
はっ?夏侯伯仁はあんたの族兄でしょ?
そんなに年が離れてるの?
爺ってなに?ネタレスでつか??
本当に
>>196みたいな反応したんだよな。
素敵だぜ曹丕様。
後家って萌える?
自分でお嫁さん見つけてきたのだから、えらいよね…
まあ、悲劇におわったけど。
曹丕も曹叡も、ともに長生きすれば
司馬懿に実権を取られは・・・
曹丕があと10年生きれば大分情勢は変わってただろうね。
家臣団の主導権争いも起きても大事にはならなかっただろうし、
曹丕の民政手腕は評価できるから、国力・人口の回復も見込めたろうし。
司馬氏による簒奪も無かったと思う。
203 :
織田信忠:2005/04/19(火) 23:15:55
それはわしが二条城で自害しなかったら秀吉による簒奪がなかったのと同じだぞ。
2get
喪前等 見たことない事を、よくすらすら言えるな。
すげぇなぁ。
司馬懿を扱えるのは曹丕だけ
いやマジで
曹丕の在位があと20年あれば司馬氏の台頭はなかった
と言うのも司馬懿が実権を握れたのは
皇帝曹芳は幼帝、曹爽がアホだったと言う2つのファクターがあって初めてなし得た事
その上身の危険を感じたから起こした自衛的クーデターなのである
片方の皇帝が幼帝って部分がなくなればそもそもアホの曹爽の跳梁もなく司馬懿が動く事もない
鍾ヨウが丞相になっても子が最初から高官だった訳ではないし司馬氏でも同じ事が言える筈
曹丕と司馬懿は親友だよ。
このふたりは言わば性格の悪い孫策と周瑜ってことだ。
そう言えば司馬懿は曹丕に加勢してくれたな…
曹丕と張遼もラブラブだよ
いやマジで
そこで引退した賈クが、裏で司馬懿を屠るわけですよ
けっこう呉攻めした割に全然ダメだった曹丕が長生きするより
さっさと曹叡に譲ったほうがましだろ
曹丕が下手に長生きして曹叡以外の子が成人して
そっちに譲ろうとか考え出したらかえって揉めるし
曹丕が長生きしたら曹叡は太子のまま病死
揉めない揉めない
そもそも叡を太子に任命したのが死ぬ間際
群臣は叡の事をよく知らないし
曹ヒが早世しなければ後継者争いにも参加出来ないだろう
曹操に賢い孫だみたいなこと言われてなかったっけ?
だから苛めたんだったら面白いな
>>216 自分は親父に好かれなかったから逆恨みってか
それは逆恨みじゃなくてただの恨みだ
司馬懿の功績のひとつが孟達を討ったことだけど
確か曹丕は孟達を寵愛してたんだよな
この三者に微妙な三角関係が…ないか、やっぱ
曹丕存命中は孟達は裏切らないだろ
そして万が一裏切ったら、曹丕ブチ切れ、罵詈雑言
そして討伐した司馬懿に「流石(俺が公私ともに見込んでいる)仲達だな!」っていう
>>221 それ言いそうw
呉質とか門地無くてそこそこ才能ある人間を寵愛する傾向あるのかも。
自分しか庇護する事ができない人間には優しくなれるのかもね。
末の弟にもやさしかったしな
……皇帝向いてないよ曹丕w
逆
向いてるんだよ
門地ない人間にも優しく出来るって事は唯才を地で行ってるってこったろ?
曹操は結局唯才と言いつつ名門の人間を重用しちゃった
でも曹丕は父親の出来なかった事をやってる
それだけでも素晴らしい
才とか関係無しで、馬が合う合わないで差別します
実に人間らしい
ふーん
司馬懿や陳羣が名門じゃないというのか
日本語通じないやつがいるな
>>227 224で言ってるのは「曹丕は出自に惑わされず才能を評価した」
才能さえあれば名門でもいいし寒門でもいい
ああ、そういうことか。スマソ
曹丕が起用した寒門の人って誰がいたっけ?
呉質のことでは?
あと、孟達のような降服してきた敵将のこともいってるのかもしれんが。
九品中正法は明らかに名士を政治に参加させるための法でしょ
「才能を評価して起用する法」としてはちょっと不十分な気が
233 :
月:2005/04/22(金) 18:09:53
名士の絞り込みじゃないかな。
名門の子弟が自動的に顕職につくよりは有能な者を優先できる、
それでいて名門側から反感を溜めない折衷としてのバランス法のような
まあ曹丕自身は実能主義者だったが、
運営法を制定できるほどの政治力はなかったてことだろう。
九品中正法は買ってやってもいいと思うけどなあ
最終的には成功した制度とは言えないかもしれんが
あれがなかったら科挙制度もなかったかもしれないんだろ?
いやよく知らないんだけどさ…
つくづくおまいら物知りだよな感心するよ
科挙もよく生き残ったもんだ……趙匡胤は偉いな
素人質問で恐縮なんだけど司馬懿と曹丕ってそんなに仲良かったん?
なんか大事な役目を色々任せてたのは知ってるけど、「四友の一人」レベルじゃなかったんか・・・
上の方に出てる親父に向かって「仲達は俺の友達だ悪く言うな」みたいな
発言したっての、どこに載ってる?
「曹丕 司馬懿」でググったらorzなページが引っかかりまくった…無双4の影響力はすげえな・・・orz
>237
晋書の宣帝紀の最後の方に書いていたはず。
司馬懿の才能を恐れた曹操が、後の禍根を断つために司馬懿を殺そうとしたのを
曹丕がかばったおかげで、司馬懿は殺されずにすみ、以後慎んだ行動を心がけるようになったとか
なんとかいう話だった気がする。
九品中正法の最大の問題点は中正官の権限が大きすぎることだから
その中正官の監視役として皇帝が機能していればよかったのだろうな
結局曹丕・曹叡がいささか早死にだった(当時としては早死にというほどでは
ないのかもしれないけど)ことが惜しまれるなぁ
しかし夏侯玄のように早い段階で中正官の権限が大きすぎるという弊害を指摘する意見は
あったようだから、やはり法を制定した曹丕自身にも問題があったと言わざるを得ないか
バランスのとれた法としてそれなりに評価できるとは思うんだけど、難しいな
齢四十でも夭折の範囲内だから若死ですよ
>>238 晋書か。ありがとう
有能な臣だから、じゃなく友人だから助けてやってって言ったあたり
やっぱり仲良かったんだな
司馬懿が戦での勝利にかなり貢献してたのは確かだろうし
曹丕は間違ってなかった……とは流石に言い切れないか…
子丹の馬鹿息子と、こいつを推薦した秘書二人が悪い
しかし曹爽以外にめぼしい人がいなさそうなのも事実だ
そこで曹熊ですよ
Σ(゚Д゚;エーッ!
司馬懿の遺言、「首陽山に埋葬を」ってあるよね。
首陽山は曹丕の墓陵。この遺言も薄葬を命じてるし。
やはり信頼関係はあったのでは。
尚、司馬懿の諡号は始めは文。偶然なんだろうけど面白い。
諡号は意識してつけられたんじゃね? 司馬氏は実権を握ってたわけだし
晩年の司馬懿は老獪だからそのエピソードも信頼関係を読み取っていいやら分からん
司馬懿は老獪ではあるけど、曹操と同じでロマンチストな部分があると思う
結局、自分では簒奪しなかったわけだし。
自分で簒奪しなかったのは曹操の真似
逆にリアリストな部分が浮き上がる場所
そのメリットは?
司馬懿の生存中はまだ完全に司馬氏の天下ではなかったから
簒奪できる段階じゃなかったんだろう。
曹爽は片付いたが、夏侯玄や諸葛誕らがいたわけだし。
曹丕と司馬懿の友情も晋側の過剰演出があったんじゃないか?
「太子四友」という言葉も晋書に載っているものだし。
禅譲劇を演出するには、司馬懿が魏の忠臣であったことを強調する必要があったんだろう。
司馬懿って死ぬまで簒奪の気がなかったと思うけどな
曹爽を片付けたのって太傅に祭り上げられてヤバイと思ったからだろ
あそこで皆殺しにしとかなければ老い先短い自分はまだしも一族までやられていたからな
自衛の意味が非常に強いと思う
司馬懿自身はコッテコテの旧来の価値観の持ち主だから簒奪なんてとんでもないと思ってるだろうし
↑の理由は曹操に呼ばれても出仕しなかったって所から
そんな父親の息子たちだから逆に(夏侯惇の息子が全然親と違ったように)簒奪したんじゃなかろうかね
司馬懿は自営をした結果、が皇帝になっちまったんだよ
光武帝みたいなもんだ
他の部分に関しては司馬懿に簒奪の意思がなかったとするのに
異論はないんだが、曹爽一派の皆殺しだけは自衛で片付く範疇とは思えないんだよな。
曹爽は自業自得感は強いし、失脚しても仕方がないと思うが、皆殺しするほどのことだったかは疑問。
当時からあの処置が行き過ぎたものだったという批判はちょろちょろあるし。
仲達ももう歳だったんだよって事で
その2年後におっちんでる事を考えると意外と二人の息子が全部やってたりしてな
事前のはボケた振りじゃなくて本当にボケてて
司馬懿は曹爽誅殺後に中正官よりさらに権限の強い州大中正を置いてるから
司馬一族の権威を高めてゆくゆくは息子に帝位を…とまで考えてたかはともかく
司馬氏が事実上の実権を握るように整えてたのは確かだろう
>>208 天地を喰らうU 諸葛孔明伝
でシバイがソウヒを裏切って魏を乗っ取ってたんだがな・・・。
わぁ超展開
まあ演義ベースの創作物だと、曹丕は大抵ボンクラ扱いだから…
反三国志とか
後世の人たちはたいてい曹植に同情的だからな
悪い扱いになりがちなのも分かる
北方の曹丕カッコイイよ。
263 :
織田信忠:2005/04/25(月) 17:41:20
わしもボンクラ扱いで損しとるがのう。
戦国ifものだと信忠主人公とかあるし、三国志も2世主人公でifやっとけ
しかし曹操時代は色々いて楽しいが
曹丕になると司馬懿といい賈詡といい孟達といい
性格悪そうなやつばっかり目立つな。
別に俺は曹丕は曹丕で評価してるから別にいいんだが。
俺も自身ある意味2代目で性格も相当悪いから気をつけよう(笑
むしろ性格の悪くない曹丕はもはや曹丕じゃないぜ
曹丕って4人しか友達いなかったんだっけ?
>性格の悪くない曹丕はもはや曹丕じゃない
確かに・・・
そういう意味ではわかりやすいが無双の曹丕は最低限のトコは踏襲してるな。
曹操はなんだかんだと言って俺はそんな非情な人間で無いと思ってるんだが
演義の悪の親玉的な記述、結果的な漢室の簒奪に加えて
曹操&魏のイメージを悪くしてるのはこの2代目なんじゃねえかと。
いや、確かに君主として優秀な面もあるんだけどさ、
別の意味で妙にからかいがいのあるかわいい奴だな、こいつ。
曹丕がかわいいってお前・・・
陛下かわいいよ陛下
だめだ、どうしても
曹丕っていいところのボンボンって感じがする。
>>269 自分もなんか可愛いと思う。文学青年気質の漂う文章とか、
こだわりがあるのか無いのかのえこひいき?とか。
10歳の時から戦場連れ出されているのに軍事的才能が無さげなトコとか、
鐘ヨウに玉をおねだりしてるところとか、
葡萄だのライチについてちまちま書き残しているところとか…。
宋・明あたりの時代に生まれてればいい文人官僚になれた希ガス。
皇帝陛下相手に可愛いとか言うなやキモイ
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 00:06:40
>>273 孫亮たんにハァハァしてる自分はどうですか?
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 00:48:45
死刑
曹丕はキモカワイイ
>>271 実際お金持ちの子なのでいいのではないのか?
曹丕が生まれた頃から中原は混乱期に入ってしまって安定した
生活ではなかっただろうけど。
曹洪が自分で書いたと嘘ついて陳琳に代筆させたw曹丕あての返信の手紙
文選に残ってるけど、もらった曹丕はすぐ代筆だと気づいたのかな
うん、ぼんぼんが悪いわけじゃないしな。
曹操の息子だったら色んな苦労もそりゃあ大変だったろう。
変なトコで文才があったり妙な部分で突っ張っちゃったりしてそうなとこが
良くも悪くもおぼっちゃんっぽくていいじゃん。
少なくとも結果的に道楽息子ではないわけだし、若い頃はしらんが。
>>278 曹洪ってツッコミポイントの多い人物だよなー。
そして美人の娘もいる。
曹丕はなんつーか、仕事は仕事、私事は私事と
分けてるっポイ感があるな。
別に仕事はきっちりやってんだからプライベートにまで
口出しすんなよなみたいに。
んで、皇帝になってからちょっと自分の時間を
楽しもうかなって思って狩りに出かけて怒られるw
むしろ公私混同を開き直って押し通してる
人間関係に関しては
>>281 思いっきり公私混同しまくってるだろ
曹洪にプライベートで借金断られたから
仕事で仕返しみたいな
楊俊の一件とかな
あれは流石にどうかと思う
・・・親父は金の力で天下統一を目指していた。
なるほど、上手く行っていたようだ。民は曹家に保護されていると思っているからな。
魏軍として戦い、兵糧を貰い、呂布が現れれば夏侯惇が目玉を食べてくれる。一見完璧だ。
だが私のやり方は違う。私は恐怖で天下統一する。親父のやり方では金がかかりすぎるからな。
恐怖はほんの少しで人の心を支配する。愚かな関羽のために赤兎馬をやる必要もない。
私は親父とは違うのだ。
偽城でビビるあんちゃんに脅されても怖くねえぞby孫権
曹丕…お前はごく一般の民に対しては寛大で立派な君主なんじゃなかったのか?
お前は恐怖政治っつー柄じゃないと思うが…
っつーか、親父に反抗したいだけですか?反抗期ですか?w
289 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 15:21:45
曹丕は大人げない偉人ってことで
290 :
李真:2005/04/28(木) 19:46:13
ソフィー
それってもうすでに偉人じゃない気が
すごい人は
大体の人が持ってる才能がない代わりに他の才能を持っている
と思う
三曹バンザイ
典論バンザイ
最初は嫌な奴だと思ってたけど司馬イとのイベントとかエンディング見てちょい萌えた
無双厨ですいません
友人に宛てた手紙とか読むと、たまに虚無的になっている。
流行り病で文学仲間がばたばた死んでいったからなのか。
それもあるし信頼できる兄弟もいないからな
寂しいんだろうて
曹志がいるじゃん
>>295 あれ書いてるときは自分も早々と逝っちまうことになるとは思ってなかったろうな。
曹丕って急死だよな。死因はなんなんだろう
「自序」には「自分は健康で…」みたいな条があったから健康には
自信があったとおもう。
でなければ子供のときから戦場往来はさせられなかっただろうし。
風邪から肺炎になってそのままポックリらしい
丁度厄年辺りだし自分の肉体を過信しすぎたんじゃない?
急死にありがちな暗殺説って見た事ないね
そういう可能性はゼロってことなのかな
>>300(・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー
このスレ的には
「若い頃から気苦労の耐えない人生だったから心労が募って…」
とかそんなレスがつくかと思ってた。いや、甘かったよ
303 :
曹操:2005/05/01(日) 16:52:10
よいか曹丕
われわれはインペリアルクロス
という陣形で戦う。
私が中心に立ち、
防御力の高い典イが戦闘、
両サイドを夏侯惇と
張遼が固める。
お前は私の後ろに立つ。
お前のポジションが一番安全だ。
安心して戦え。
ここの黄巾族には
付近の民も苦しめられている。
黄巾族を討伐し、
首領張角を打ち滅ぼすのだ。
皆も頼むぞ!
黄巾討伐時にはまだ幼児だろ。
兄弟たちが結構早死にしてるし
親父は偏頭痛持ちだしで
曹家は基本的にあんま身体強くなさそうだな
頭が良すぎる家系っぽいし周囲のバカに付き合うだけでストレス溜まってたりしてな
その点曹彰は素敵だ
曹彰は夏侯家の血が強く出たんだよきっと
>>307 曹丕と曹植に挟まれて父親に学問しろと云われても
自分を曲げないのは流石だね。学問コンプレックスも無いみたいだし。
普通はグレちゃいそう。
あの兄弟の中で一番好き勝手に生きたのは曹彰に違いないな
曹丕も案外羨んでたんじゃないかなー、と妄想
312 :
曹操:2005/05/04(水) 01:25:46
ライトボール
まだこのスレで于禁の話題が出てないな
ヒ「お前が降伏して関羽の軍糧を食んだお陰で関羽を倒す事ができた」
ウ「拙者の心をわかってくださるなんて感激に堪えません」
感激のあまり于禁死亡
ライフスティール
太子のときの曹丕の服、柔道かなんかの胴着に見えるよね
何の話だ?
ライフスティールじゃないのか?
知らんけど
曹洪から金借りようとして断られた話だけが史書にあるが
よく考えたら曹洪だけから借りるのもおかしいから実はいろんな人から金借りてたんじゃね?
しぶしぶ貸したはいいけど泣き寝入りしてる人たちがたくさんいるんじゃね?
いそうw
ごめんライフスティールがわからん
LPがなくなって消滅するがいい!
曹昂「流し斬りが完全に入ったのに……」
曹丕「はい、はい」
なんでそんなにお金必要だったのー?
太子の時に必要だったって事は遊行費だろ
おはじき代だよおはじき代
母の日に、沢山いるお母さん全員にプレゼント用意しようと思ったらお金が足りなかった
だから叔父さんに貸して貰おうと思った。でも貸して貰えなかった
用意したプレゼントは全部ドブに捨てた
曹丕って人間ちっちゃいのかでかいのか
孫権みたいなやつなのか
人間は小さいが国家を動かす才能は大器
最近気になり始めたんだよ、曹丕。
無双の奴には全く興味なかったんだが、曹一族を調べてた時に
たまたま曹丕の生涯のあらまし読んでから興味が湧いてきた。
これから色々読んでみようと思ってる。
曹丕に関しちゃ無双4スタッフはわりと善戦してたと思った
もし無双がこんな大衆向けゲームじゃなくついでにCERO18とかだったら
曹丕はいろいろとエグいキャラにされてた悪寒w
曹丕の他に漢中王も好きなんだが、演義が定着している日本での先行しているイメージは
民の為に色々尽くしたって感じになってしまってるけど、曹丕の民に対する
仕事ぶりこそ正しく、
演義等で勝手に作り上げられてしまった漢中王の姿だよな・・・。
演義と正史のあまりの差のお陰でアンチ漢中王も多いしさ。
まあそんなアンバランスさが帰って俺には魅力的に映るんだが。
曹丕も。親父の曹操より彼の方が国民の支持を得ていたと思うが、性格が良いかというと、
そうでも無いしな。むしろ問題あり過ぎ。
そのせいか
>>333も言ってる通り、あまり良いイメージが定着してないよな。
才能だけ見れば曹操に負けずとも劣らずなのに、親父のインパクトの方が大きすぎて、
やっぱ二世は才能無い場合が多いって勘違いしてる人も多いしな。
漢中王と呼ぶ人はあまり見たことないな
一瞬、劉邦かと思った
個人的に演義での扱いのせいで無能・悪者的イメージで見られてる人物ほど愛着沸く。
別に正史厨てわけでもないんだけどさ
少なくとも五銖銭を廃止した件がある以上民衆の人気は得られてません
(物価の高騰を招いてる)
金借りる→銭廃止→ウマー
みたいなことをふと思いついた
>>338 そんな事があったのを忘れていた・・・
また本読むか
保守
さびれてきたね…。
薄葬の令の 滅亡しない国は存在しない
って新王朝の初代皇帝の発言としてはどうなのだろうね?
個人的には好きな言葉だが。縁起(この言葉は当時なかったと思うけど)
でもないと思う臣下もいたのでないのかね?
そんな発言してたのか
まぁ前後あわせて400年続いていた漢が魏に取って代わったばかりだし
現に蜀が漢の後裔を名乗っていたりしてたわけだから
どっちかというと漢に対する言葉なんだろうなきっと
于禁
↑すまん送信してしまった
曹丕と于禁のことについて教えてくれないか
薄葬の令って曹操も同じ事自分の時に言ったよね
曹叡が宮殿建て直すだけで傾くような財政だったし魏って台所事情相当厳しかったのかな?
曹操は何も副葬すんじゃないって言ってるだけだからな
墓自体は隠していないだろうし壁画くらいはあるのでは?
そういや史実か単なるヨタ話なのかしらないが
曹操は自分の墓が見つからないように72の偽の墓を作らせたらしいよ
墓とは別に廟もあるからそっちじゃね?
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 21:42:01
浮上させとく
高陵だかに曹操の廟が作られて、惇とか典韋とか荀攸とか、
かなり多くの功臣がその前庭に祀られてるよ。
あの荀ケが合祀されてない廟だな
どうも于禁も合祀されてないっぽいが
許褚が奉られるのも遅くて、裴松之が
「典韋より許褚だろヴォケが!!」みたいな
ツッコミしてたな
蒼天で曹丕が珍しく大活躍してたけど終始「曹子植」と謎の呼び名で呼ばれてた件について
蒼天、自分は数冊読んであとは古本屋で立ち読み程度だ。
いや面白いとは思うけど
19歳で この指使い!!
うろ覚え。エロス
曹操と顔が同じなんだけど
形式だけ3度固辞した後帝位に就いて、「なんだ、尭舜の禅譲ったってこんなもんだったに違いない」
って言ったとか。ぶっちゃけたやつだなあとオモた。近代人的なシニシズムを感じる。
親父も型破りで露悪的だけど、違った色の激情とひねくれと醒めた知性を感じるなあ。
確かに、妙に現代っ子な印象はある。
その禅譲を受ける時に献帝の嫁になってた妹の曹節にブチギレされてた件について
曹節といい清河公主といい、曹操の娘は気が強いですな
禅譲の際、華キンが不満気な顔していて陳羣に理由を聞いたら
「漢の臣だったのでつい顔に出たのです」
って返事に喜んだってのが意外っていえば意外。
華キンと陳羣は重用し続けているし。
醒めているのか、露悪的なのか。
頭は良いだろうし、博覧強記な感もあるけど、相手にしにくいタイプなんだろうね。
そりゃ阿ってくる奴より不満気に気骨見せる奴の方が可愛いだろ
フビライが文天祥を欲しがったのと同じ帝王学だよ
不満気を見せるって事は叛意は無いだろうし
>334の漢中王はやっぱり劉備の事なのか?
曹丕って降将を結構優遇してるけど、対外戦略みたいなものなのか?
それとも単に気に入っただけなのか?
孟達もだが、黄権もだよな。
帝に好かれてると思わせて(勘違いさせて)おく為・・・とか?
そうしとけば多分もう他に寝返ったりしないだろうし
ふと思ったのだが、曹叡の字 元仲って
長男なんだか次男はっきりしない字な希ガス。
仲って嫡長子にも使用するの?
仲が字の頭についてないだろ
麋竺(字・子仲)は次男だな
もとい、長男だな
>>66 いや、信頼できる人物鑑定眼を持った曹操の発言からするとありえん。
「曹沖の死はワシの不幸でお前の幸せだ」と言われたのが曹ヒ。
「三代目はお主をおいておらん」と言われたのが曹叡。
>>371 それは息子たちに言った言葉で曹丕限定じゃないけどな。
どちらの方が能力が高かったかはわからんけど、
成した業績では曹丕の方に分があるとは思う。
でも曹植もかなり期待されたんだよな
後継者選びで曹丕にするか曹植にするか曹操は相当悩んだらしいしな
あと曹沖が生きてたらどんな奴になったか知りたかった
曹沖が存命してたら曹丕が曹操の跡目を継ぐ事はなかったろうし
そうなったらお家分裂の可能性濃厚。
あれは一番可愛がってた息子が死んだ衝撃でつい口走っちゃっただけで、
もし曹沖が生きてても曹操はちゃんと曹丕を後継者に指名したと思うぞ。
才能がありすぎる一族ってのも考えものだな。
>>375 いや、曹沖ってかなり利発な奴だぜ?
曹操の子供は幼い時から才能を発揮してる奴が多いけど、
曹沖は文武両道で利発なだけじゃなく、性格もすこぶる良い。
そのまま育ってたら曹植も曹丕も入る余地は無いと思う。
でもまあそれだと曹丕の活躍も見れなくなっちゃうんで
曹丕好きの俺としてはつまらんわな。
>>377 いや、それはそれとして、曹操は長子を跡継ぎにしただろうってこと。
曹沖可愛さに判断間違えそうになっても賈詡あたりがまた諫言してくれるよきっと。
子供の頃の評判なんてあてにならない。
>>378 ああ、そういう事ね。
でもそれだったら生きてたらの話だが、曹昂が受けついだんかな。
曹昂って才能はあったのか?彼の事はよく知らないんだよな。
曹丕と曹植の時も長男が継ぐのが当たり前の時代だったし、
それで曹操は悩んだわけだからな。
曹沖はエピソード見ると曹家の最高傑作って感じだけど
天才児は大人になっても天才とは限らないしね。
っていうか、曹沖の発言、性格から考えるに兄を立てると思いますがね。俺は
で、曹操の庇護があったので宗族の柱石として活躍といった辺りで無難かと(曹丕と仲がよければ)
後漢の劉蒼とか晋の司馬駿、金の宗弼などのようにね
曹丕と曹植の争いは長男というよりも、どちらがより曹家の統領として、覇者として適正があったか?にかかってたと思う
曹操が曹植に肩入れしたのは気の迷いっていうか、詩人としての情緒に惹かれてしまった面が確かにある
曹植は無能ではないけど、冷静に見て人の上に立てる人間じゃないね。人の機微が判らない部分があるから
沖いたら俺皇帝になれなかったよって丕さん自分で言ってるのはどう考える?
>>383 お互い譲り合う。
でも遠慮しすぎて、それが原因で喧嘩、お家騒動勃発。
結局長男曹丕が継ぐよう曹操から言われる・・・こんな感じか?
>>383 曹沖が故人だったから言っただけの、自分の謙虚さ誇張するためのパフォーマンス
>>385 そのコメントの前に
昴兄貴がいてもどーでもよかったけど
とも言ってるのは謙虚にはミエナイヨな
そうそう。その発言から
曹丕は俺様一番と、やっぱり長兄は気にしてたんだって部分と、案外沖とは仲良かったんじゃないかという推測が成り立つ
>>384みたいに譲り合う様なことはなく、「僕はいいよお兄ちゃん」「そうか沖はイイ子だなぁ」でお終いだと思うね
曹丕はお気に入りは大事にするから沖も無事だろうし
沖をやたら立ててんのは
親父が沖のこと買ってたからそれを受けてってのもあるかも
でも最終決断を下すのは曹操だしな
二人の間でそう決着がついてたとしてもね
曹操の判断によっては二人の仲は引き裂かれたかもしれん
曹丕が皇帝→今までどおりの関係。比較的仲良し
曹沖が皇帝→曹沖は今までどおりにしたいと思ってるが
曹丕が微妙に寄り付いてくれない
もし沖が「嫌だ」って言ってるのに曹操が無理矢理にでも跡継ぎにさせようとしたら
沖は絶食とかして対抗しそうではある
皇帝には曹丕の方が適任だよ。飴の曹沖、鞭の曹丕で天下とれば良かったんだ
曹沖のが後継に立てられたら、家臣団から物言いが入るのは確実だと思うよ。
実際、賈クはそう行動しているし。
曹丕付きの人間達は巻き返しを図ろうとするだろうし。
失点のない長嫡子を後継からはずすのってすごいエネルギーが必要と思う。
正妻は何もいわなそうだけど、下手したら曹植・曹彰あたりは同母兄に付く可能性も
なきにしもあらず。
最悪ケースを避ける為に曹沖の立太子前に曹丕を殺す事もありえるかも。
曹丕は性格・能力・超嫡子という点でに飼い殺しは難しいと思う。
結局曹丕を立てると思う。
曹操も孫権ほど耄碌してないだろうし、長兄の曹丕が曹彰みたいな奴ならともかく、
能力的にも問題ないし。
上でも言われてるけど「よーしパパ曹沖に後継がせちゃうぞー」なんて本気で言ったら
賈詡あたりは真っ先に反対するだろうしね
逆に聡明な曹沖がそういう状況になるであろうことを見通せないとは思えないから
やっぱり保身の為にも辞退するだろうね。生きていても
長男なのに、弟ばかりが後継候補にあがる。
子供が生まれれば、父親はそちらばかりを可愛がる。
卞氏も曹丕の葬儀の際には哭礼をしなかったという話もある位だから、
生母との仲もあんまり良好ではなかったのかもしれない。
後世には子供も実子かどうかは怪しい、なんて言われるし、
家庭的にはちょっと可哀相な希ガス。
なんでだろうなあ。
確かに酷薄な面はあるけど、子供の頃からそんな要素が出てたのかね
>卞氏も曹丕の葬儀の際には哭礼をしなかったという話もある位だから、
>生母との仲もあんまり良好ではなかったのかもしれない。
これは曹彰を毒殺してるからだろ
植も殺そうと思ったら母親に止められて実行に移さなかったわけだし
ここで不和のまま和解できずに死ぬ曹丕が可哀相だなぁ
曹丕は長男じゃなくて次男だぞ
子供の話は陳寿の計算ミスって説があるからただの誤解だと思うんだがな
次男でも無かった希ガス
まぁ、嫡子で、正妻の長子で曹操の次男ってことでいいだろう
>>396 うん、それは知ってる。
曹昂が死んでるので、事実上曹丕が長男みたいな
ものかなと思ってそう書いてしまっただけ。
ややこしくしてスマン。
曹叡は本当の子供だろう。
曹操がすごく可愛がったって言うし。
>>399 だから怪しいんじゃないか?
曹操の子供か?って…
この話題ループしてるな
袁煕の子供だって怪しんでんだろ?
曹丕が連れてきた時にはもう腹の中にいたって
>>401 いやそれはないだろ
いくらなんでも仇敵の血を引いた人間を可愛がるのはおかしい
かといって曹操の子供ってのもなんか俗っぽすぎる気がするが
三法師は信長の息子って程度の信憑性だろ
曹操は悪く書かれやすいし
大体お爺ちゃんが孫を可愛くて可愛くてしょーがないのははどんな時代どんな国でも一緒
今更ながら曹丕の詩を読んだ。
というか最近曹丕や曹一族ついて調べてるんだが、面白いな。
皇帝としての顔と、詩の美しさが反比例してて興味深かった。
農民達に減税や暮らし易い生活を約束する一方で、身内をも殺してしまう残虐さ、
なのに作る詩は女性的かつ流麗で驚いた。
しかし曹一族ってのは有能な奴が多いなぁ。まあ子供も一杯いるけどな。
>>404 ものすごく人間的。
頭いいやつだなって思うな。
短歌行が感慨深かった
もしかしたら体面上一応詠んだだけなのかもしれんけど
三曹の詩をまとめて読める本とかないかね。
曹植のはあるみたいだけど
織姫と牽牛の詩イイ
408 :
404:2005/07/03(日) 16:21:08
>>406 全ての詩を網羅してる訳ではないみたいだが、
「人間三国志5巻 詩人の憂鬱」はどうだ?
曹操、曹丕、曹植の詩と、建安の七子が載ってる。
著者の解釈とかも載っていて中々面白かった。
もう読んでるやつだったらスマン。
図書館にあるような、中国文学全集みたいなのにいくらか載ってる。
一箇所にまとまってないから探すのが面倒だが・・・
>>408-410 おお、親切にありがとう。
取りあえず人間三国志探してみて、それから他のにも手ぇ出してみるわ。
>>409 すまん読めねw漢字辞書片手に解読しろってかw
けどこれが現存してる曹丕の詩全部ってことになるんかな。
雰囲気だけでも楽しませてもらった。サンクス
>>372 なした業績っていうと?
曹丕が無能だとは思わないけど、
九品中正法は、曹丕が代替わりしてまもなく出来上がってたから陳グンが
曹操生前から命を受けて練り上げてたものかと思ってたんだが。
だったら自分で命じて律令作り上げさせた曹叡の方が関与してる度合い高いし。
禅譲にしたって、ありゃ九割九分曹操の功績でしょ。
413 :
李真:2005/07/04(月) 04:13:10
自分が三国志読み始めた頃は曹ヒはフツーの奴かなって思っていたけど、文才があることにちょっと驚いた。横光三国志じゃマヌケな役だし意外だなって思った。
自分も曹家の詩歌探してみます
曹操の死直後に波風立たせず一気に禅定遷都を決めた辺り並の人間じゃない
あと曹操が没したのは洛陽でその洛陽に遷都したってのは少々穿ち過ぎか
曹丕ってもの凄く感情的な人間だけど優秀さでそれを覆い隠してたって感じ
>>412 先代の事業の引継ぎを及第点以上にこなすってスゲーことだとは思うがね
何しろ親がただの親じゃなくてあの曹操だしな
まあ俺は曹操も曹丕も両方凄いと思ったけどな
方向性は違うけど、優秀な親父に優秀な息子だよ
父が武、子が文とはよく言ったもんで
曹丕って戦争ヘタレだしな
当時の魏の国力考えれば、禅譲の際波風立とうが立つまいがさして影響はないと思うんだけど。
司馬一族のように部下が次々と反乱を起こす様が想像できない。
確かに綺麗な禅譲だったことは評価できるポイントだけど、
別に独力で全てを成し遂げたわけではないでしょう。
曹丕が太子となったのは217年のことで、その間曹操亡き後のリーダーシップを取るために
腹心とともに綿密な打ち合わせができたであろうことは想像に難くない。
3年後の禅譲も、当然視野において事前にプランを立てる余裕があったのだろう。
死ぬ直前まで後継者として定まってなかった曹叡とは違う。
禅譲を無難に成功させたことが、とんでもなく水際立った功績であるといわれるとすこし疑問かな。
とは言っても曹叡にも別に特筆すべき業績はないけどな
正気かね。
3年後の禅譲を視野において事前にプランを立てて、
腹心と綿密な打ち合わせをしておいたことがすでに物凄いことだと思うが
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/04(月) 23:54:40
禅譲は曹操のお膳立てがあったからねえ
もちろん実行した曹丕もたいしたもんだけど
曹ヒが戦下手って、呉征伐のことか?
漢の臣だった曹操と、天下無二の皇帝という存在であった曹ヒじゃ立場違う気がするがな
李世民が秦王時代はほぼ無敗といってよかったのに
皇帝として高句麗征伐に失敗したように
それ晩年の話じゃなかったっけ?
曹叡は戦上手なイメージがある気がするが
何故に?
>>426 対蜀・呉に関しては曹叡のほうが積極的とは思うが、
戦上手ってほどのものかなあ。
即位前に従軍経験は無かったと思うが。
曹丕は民力回復に努めた形跡が大きいと思う。
とんでもない話だ。
どうも曹叡は業績の割にマイナーなきらいがある。
マイナーであるが故にこのような無知がまかり通るのだろうか。
在位中に領土防衛戦で敗れたことはほぼなし。
他国の国力の逓減を狙うという、赤壁以来の魏の国家戦略を完璧に果たした。
それだけでなく燕を滅ぼした。
主な戦績
226年呉:曹ヒの喪に乗じて孫権自らが兵を率いて江夏郡に出兵。
即位間もない曹叡は状況を的確に分析、わずか千人の援軍を派遣するだけで呉を退けた。
227〜228年蜀:諸葛亮の第一次北伐、曹叡魏最大のピンチ。
曹叡は自ら長安に親征、諸葛亮の出師の表をこきおろして兵を鼓舞した。
それだけでなく、長安を守備していた夏侯リンを帝自らと交代する形で前線から退けた。
将としての力量が疑問視されていたものの、皇族であった。
夏侯リンの面目を失わせないためのうまい処置で、このため魏延の長安奇襲策は完全に実行不可能となった。
231年蜀:第四次北伐、司馬イに全軍の指揮権を委任。
233年鮮卑:歩度根がカ比能に誘われて反乱を企てる。
曹叡は報告を受け、歩度根のためらいを瞬時に察知。
「本格的に団結せぬよう国境を越えて出兵するな」と詔を下す。
(詔が間に合わず、曹叡の読み通りの展開をみせたため、改めて正規軍を派遣して反乱は鎮圧された。)
234年蜀:第五次北伐。呉も蜀に連動して孫権、陸遜らが出兵。
これに対応するため、曹叡は自ら遠征軍を率いて呉を早々に斥けてしまった。
また、女の服を送りつけられた司馬イによる「出陣乞う」という上奏の真意を正確に汲み取り、
詔勅という形で厳しく交戦を戒めた。結果、魏軍の圧勝。
敵の下した評価こそ、最も正確な評価だという。
例えば諸葛亮を評する司馬イの「天下の奇才」がそうだ。
この逆に、蜀でも曹叡に対する評価は高く、
「諸葛亮と司馬イの差は彼らの能力ではなく、仕える主君の差だ」という言説が飛び交っていたという。
(この時期はまだ劉禅はそれほどボロを出していない…。)
諡の通り、同時代的評価では疑いもなく英明な皇帝であった。
しかし、曹ヒは呉に出兵して散々な目にあって逃げ帰った戦しか印象にない…。
指揮官としてではなく、部隊長としての方が優秀だったんだろうか…。
リンじゃなくてボかモウですから!
逆だった ボウかモですから!
曹叡は天姿秀出、容姿にも恵まれてたらしいな。
カックイ〜。
>>430 >「諸葛亮と司馬イの差は彼らの能力ではなく、仕える主君の差だ」という言説が飛び交っていたという。
これ何が出典?
よければ教えてください。
曹叡は軍事的にも政治的にも優れていたけど、
諸葛亮死後あたりから緊張感切れたのかかなりムチャクチャやってるね。
諫言してきた高堂隆あたりを罰しなかったのにはまだ名君だった頃の名残を見せているが、
それにしたって諫言聞き入れて行い改めたわけでもないし、
特に毛皇后のエピソードなんかは鬼か狂人かってぐらいヒドイ。
郭皇后殺しもかなりエキセントリックだし、なんか人格的には結構危うい人だったんじゃないかと思う。
ところで、曹叡の話が出たついでに、誰か曹殷について電波飛ばしてみませんか?
戦が上手いんじゃなくて果断な性格と言うんだ>曹叡
陳先生の小説で「叡は植に似てるんですよ」ってのは上手いなと思った
曹叡が中々太子になれなかったってのはその辺の性格を見抜かれていたからだったりしてな
曹丕って性格暗いだの悪いだの言われてるけど身内への処理は後漢の例が有ったから厳しかったんだろうし
案外いいやつだったりして
と言っても雨に濡れてる子猫を助けてやる不良程度の優しさな
で 根はいい奴だから叡の悪さが気にいらなくて後継ぎ指名が遅かった、とか
>>430の言に従えば、優秀だが狂人だった曹叡と無能だが善良だった劉禅との差ってことか
そりゃあ勝てねえわ
あーあ、ソウヒオタに戦争弱いは禁句なのに。
既に陰湿な叩き始まっちゃったね、カワイソ。
曹丕が戦争弱いって禁句なのか?
むしろ愛すべき長所だと思うが
曹丕が戦争まで強かったら俺は曹丕好きになんかならなかったぞ
ハゲド
親父の曹操もそうだが、この一族は才能に溢れまくってるのにどこか抜けててへっぽこなところが好きだ
釣りは無視の方向で
構わないほうがいい
漏れも。10歳位の時から戦場連れ回されてるのに、
この戦センスの無さ。そこが好きなんだがな。
基本的には文学青年なんだと思う。
曹丕ってさ曹操や、曹植とか他の子に比べると地味目なイメージがある。
いや、結構怖ろしい事もやってのけてるんだけど何故かそう思ってしまうんだよな。
親父みたいな逞しさや華やかさは感じないというか。
才能もあるんだけど、天性のものというより(勿論曹操の子だし天性のものもあるとは思うが)
地道にこつこつ勉強して身につけてそうだ。詩を読むと更にそう感じる。
天才が努力して秀才になったイメージ>曹丕
植は奇才、操は鬼才
447 :
445:2005/07/07(木) 17:53:59
曹叡も鬼才
ただ、環境に恵まれすぎたから曹操みたいに大成は出来なかった感じ
死ぬのが早すぎたせいもあるな
曹叡厨って初めてみた
>450
お前は何厨?
叡ちゃんって吃音でしょ。
精神的にはそんなに強くなかった気がする。
曹丕は父にも息子にもコンプレックス持ってたのかもしれん
なんかますます萌えてきた
>>453 弟にもな
器用貧乏っぽい。何でも平均的に出来ちゃうけど、何かひとつに特化すると
別の奴に負けてしまう。
皇帝としては申し分ない能力だと思うけど、本人が中庸で満足するタイプじゃなさそうだから
なんかすごいな
三国志でこれだけ鬱屈した人間もそうそういないんじゃないのか
腐女子の格好の標的にされそうだw
>>454 「自分に満足してない万能型」か・・・
表にはあまり出さないけど、相当色々溜め込んで鬱屈してるタイプだな
このタイプはリーダー型で、回りの人間には相当尊敬されるんだけどね
流石に息子にはコンプレックスは持ってなさそう
>>455 三国無双だったらコーエーだし分かるが、三国志でやる奴なんているのか?
つうか歴史人物を・・・って感じだがw
最近はどうか知らんが、俺がコミケ行ってた頃は三国志の801なんて珍しくもなんともなかったぞ
大体15年ぐらい前だけどな
まぁ最悪三国志だけで終わってくれればいいよ
フビライに陵辱される文天祥とか、蘭陵王と斛律光のホモ友情とか見たくないし
>>435 >これ何が出典?
>よければ教えてください。
どっかで読んで記憶に残ってたんだが、今日後主伝なんかざらっと読み返したらみつからなかった。
演義出典ではないはずなんだが(そもそも演義読んだことないから)。
よく探せばあるかもしれんがメンドいので、疑わしいと思ったらそこの部分はスルーしてくれて構わんよ。
劉禅<曹叡の構図なんて、よほどのひねくれもんでない限り正史基準でもあえて強調するほどのもんじゃないしな。
>諸葛亮死後あたりから緊張感切れたのかかなりムチャクチャやってるね
宮殿造営癖は実は諸葛亮生前からあるわけだが。
そのたびに「国庫が破綻する。」「農期が奪われる。」と言われたが、魏に目立った衰えはなく
莫大な資産を必要とする戦争にも勝利し続けていた。
「北伐」とは、徹頭徹尾気を引き締めて当たらねばならないというほどのことでもなかったのであろう。
北伐が終わった以後も呉・燕に強気の姿勢を示し続けることができた。
燕討伐に至っては「兵力は最初から4万・その後は全てを司馬イに委ねる」と最初からの方針を貫いて勝利を収め、
透徹した判断力が健在であることをアピールしている。
本当に暗君ならば国家が破綻するまで贅沢をする。
有能だからこそ破綻しない程度に無茶ができる。
この違いは大きい。
結局のところ、曹叡は皇帝にのみ許される危険な博打に生涯勝ち続けたのである。
歴史ネタは腐女子の大好物だからすでに蚕食されまくってるよ
古代から近現代までそりゃあもうすごいことになってる
あいつら金払い良いから資料買いまくったり現地旅行行ったりしてメチャクチャ詳しかったりするしな
そもそも歴史マンガって少女マンガのほうが多いでしょ
>結局のところ、曹叡は皇帝にのみ許される危険な博打に生涯勝ち続けたのである。
宮殿造営で採算とれてね〜から勝ちじゃね〜し
最後の最後で負けてませんか?後見者問題で。劉放と孫資と曹爽の都合のいいように、さ
>諫言してきた高堂隆あたりを罰しなかったのにはまだ名君だった頃の名残を見せているが、
>それにしたって諫言聞き入れて行い改めたわけでもないし、
ここらへんはそういう度量の広い人物だったとしか言う他ないな。
どんなに汚い字の書類でも粘り強く読み込んだように、直言の士を愛したのだろう。
彼の周りにはいくらでもお追従する人間がいただろうし、そいつらを重用し硬骨の士を左遷させて
政治を容易に堕落させることもできたはずだ。
そうはならなかったのが曹叡の凄い所だろう。
とはいえ建築は国家の威を示す最も象徴的かつ文化的な事業であるからして、
例え彼らの発言が正しいと思っていてもそれを簡単に容れることができない事情もあったのだろう。
まぁ単なる贅沢癖も一因としてあっただろうが。
なにせ曹操は漢室に仕える体面上、皇帝よりあからさまに豪華な宮殿を建てるなど
あんまりな振る舞いは自制しなければならなかった。
曹ヒは在位わずか数年であった。
自分の代でひとつ一発やってやろうと考え出す人間がいてもおかしくない。
>>461 国を傾けなければ無茶やっていいってのはおかしくないか?
不必要な宮殿造営で国庫に負担をかけるのは少なくとも君主として誉められた行いじゃないだろう。
博打に勝ったというが、博打なんてしないですむならそれに越したことはない。
そもそも国民をチップに博打に興じるなんて人間として最悪なんじゃないのか?
曹叡のフォローしたいのか知らんけど貶めてるだけだと思うぞ、その言説は。
でも、曹叡が有能であったことには同意。
そうした矛盾性こそが曹叡の魅力であると思ってる。
>特に毛皇后のエピソードなんかは鬼か狂人かってぐらいヒドイ。
>郭皇后殺しもかなりエキセントリックだし、なんか人格的には結構危うい人だったんじゃないかと思う。
なぜこのようなおかしな発言が。
当時の人間の倫理観を現代の人間の倫理観で推し量ろうとしてもなぁ。
徐州で民草を大虐殺したり、「少ししたら起こせ」と言っておいたのに起こさなかった愛妾を
棍棒で殴り殺した曹操。
寵を薄れたシン氏を、郭氏にのせられてまんまと自殺させてしまって霊廟すら立てなかったり、
母親の嘆願で実弟曹植を殺す代わりに飼い殺しにして生涯冷遇したり、
敗将ウ禁に対して不必要ともいえるほどの陰湿な仕打ちをした曹ヒ。
彼らは鬼か、狂人か。
当時、仁者として風評のあった劉備が実際にはどんな人物か周知のはずだが。
大体、毛皇后の話は「自殺依頼」のように読める。
例え侍女だろうが、天子直々の緘口令を破った者どもを放置するのは明らかにおかしい。
そして、寵を失ったとはいえ慮って秘密に伏されていたことをあえて口にし、
面と向かってあてこすりのような言を吐いた人間をそのままにしておくのも不自然じゃ。
わざわざ言わずにおればいいことを敢えて言って、事を大事にした動機には何があったか、だ。
あと、実母と思われる人間を謀殺し、
その死体の口に玉の代わりに糠を詰められて逆上しなければ逆に「鬼か狂人か」と思うのだが。
特に儒教の国の者では。
ここらへんは「そういう説もある」に留まるが、そもそも曹叡が郭を殺したという説も諸説のうちの一つに過ぎないわけで。
467 :
晋宣帝:2005/07/07(木) 23:45:49
ここは魏文帝陛下のスレだ
魏明帝陛下のレスはスレ違いではないが程々にな
>>464 曹操はかなり質素な性質で、破れたシーツを縫って使ってたんじゃなかったっけ?
派手な格好した曹植の奥さん罰してたよな。
曹叡はともかく、曹操に贅沢癖は無いと思う。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/07(木) 23:49:43
>>436 性格で戦争できるんだ。
曹ヒが弱かったのは性格が向いてなかったからですか?
>>437 妄想過多。
>>438 妄想過多。
>>439 妄想過多。
曹ヒヲタには、曹叡を執拗に貶めて曹ヒを持ち上げる人間が多いようで寂しいな。
発端はといえば、曹叡が戦争うまくないとか「おい、それはちょっと」と思う曹ヒヲタの発言に紳士的に突っ込みいれただけなんだが。
何か嫉妬に近いものを感じるのだが。
>>468 別に曹操が贅沢であるとは言ってないでしょ。
>>441 欠点があるくらいが子供は可愛い、ってのは微笑ましいことだと思うんだよ。
でも、わが子を持ち上げるためにヨソの家の子を中傷されるとたまらんな。
君がやったと名指ししてるわけじゃないけどね。
>>449 曹操と曹叡はあまり似てない気がする。
自分が幼少期苦労しているせいか、性格的にキツくないところまで含めて
縮小版始皇帝という印象を持っている。
>>452 ドモリが精神的に弱い証拠だとか言われても。
>>469 戦上手って表現がおかしかったんじゃないのかな。
実際に戦場で采配振るうって感じになっちゃうでしょ、それだと。
軍事的視野に秀でてるとかだったら誰も否定しなかったと思うけど。
曹叡は果断な性格とそれを支えるだけの軍才があったから強かった。
性格だけじゃ戦争は出来ないけど性格が決断を大きく左右するのは確かだよね。
曹丕は性格はどうか知らないけど軍略的な視野に欠けてたんだと思う。
つーか曹丕と曹叡の比較の話だったのか?
>>463 >宮殿造営で採算とれてね〜から勝ちじゃね〜し
>最後の最後で負けてませんか?後見者問題で。
文化事業は大体が採算度外視だと思うんですけど。
それに血道をあげすぎて室町のバカ殿や、北宋のキ宗みたいになるのは論外。
結果的にみれば曹叡はそんな器じゃなかったでしょ。
更に、後見者問題は宮殿造営と関連性が薄い。
あの当時ではあれしか打つ手はなかったんだろう。
本人もまさか、あれほど短命に終わるとは思わなかったろう。
次々と歳を食った息子たちは死んでいくからガキを後継者にせざるをえなかったのも予想外の不幸。
曹爽は、司馬イからすぐさま実権奪うなどよくやってたと思うよ。
司馬イが70という当時では珍しい高齢になって、辛抱強く演技し続けることのできた妖怪だったのも予想外だったろうが。
曹爽の専横は司馬イのクーデターの正当化のために糊塗されてる可能性が強いので、鵜呑みにはできない。
>>471 吃音のメカニズムはまだ解明されてないけど
心理的なストレスから起こる実例は多いから可能性はあるよ
もちろん断言はできないけどね
>>469 いや、そりゃあ妄想レスですから妄想過多ですけど・・・
つーかわざわざレスつけられても困るよ('A`)
>>466 >「少ししたら起こせ」と言っておいたのに起こさなかった愛妾を棍棒で殴り殺した曹操。
これって世説新語か曹瞞伝じゃなかった?
信憑性薄い
曹叡の話だと思って曹丕については特に触れなかったんだが、
それが曹叡を貶めて曹丕を持ち上げてるように思われたんかなあ。
いずれにしても面倒なお人に目をつけられたもんじゃ。
>更に、後見者問題は宮殿造営と関連性が薄い
いつ、どこで、だれが、関連があると言いましたかw
>あの当時ではあれしか打つ手はなかったんだろう
いや、普通に最初の燕王曹宇の補佐でよかっただろ
結局劉放と孫資を重用した曹叡のミスだろ。曹操の代ではただのパシリだったんだぞ?
曹爽の専横自体はあったろうし。彼の属してた徒党の中で末席にいた彼だけが残って次期皇帝の補佐だ
劉放、孫資と彼が組んだのは明らかで、そいういう性質の男だったんだろ。だから司馬氏につけ込まれたんだ
お前こそ曹叡ヲタには、曹丕を執拗に貶めて曹叡を持ち上げる人間だな
発端はといえば、曹叡は博打に勝ち続けたとか「おい、それはちょっと」と思う曹叡ヲタの発言に紳士的に突っ込みいれただけなんだが。
何か嫉妬に近いものを感じるのだが。
>>465 >不必要な宮殿造営で国庫に負担をかけるのは少なくとも君主として誉められた行いじゃないだろう。
>博打に勝ったというが、博打なんてしないですむならそれに越したことはない
真に不必要なものと断じるには材料が少なすぎると思うけどな。
もちろん前提として優秀な統治能力と対外政策に裏打ちされた上で、
実質的な中国の主として威を高め、外交に訪れる賊どもの度肝を抜く道具としても有効だろう。
文化の振興にもつながるわけだし。
だいたい、具体的にどの程度国庫を圧迫させたのかも不明。
あと、しないですむのにやるからこそ博打は楽しい。
戦術を博打に喩えるのと、この場合はちょっと違う。
>そもそも国民をチップに博打に興じるなんて人間として最悪なんじゃないのか?
>曹叡のフォローしたいのか知らんけど貶めてるだけだと思うぞ、その言説は。
皇帝とは基本的にそういうもの。
普通の人間には許されない、神に最も近い権力の座についたからこそ許される禁断の遊戯。
当然いまの民主主義制度下ではありえない暴挙だろうね。
中国封建制でも儒教的価値観によって批判されるタイプであるが、
にも関わらず優秀であり卓抜な統治能力を示せば、同時代の大勢の人間がついてゆく。
聖賢ばかりが帝の位につけるのだろうか?
王モウは?
要らん修飾語が多すぎる
>あと、しないですむのにやるからこそ博打は楽しい
最低だな曹叡
>>479 前提が既におかしい気がする
>皇帝とは基本的にそういうもの。
そんな得意げに断言されてもな・・・
>>479 登極した人間がみんな暴君みたいなこと言うのはやめれ
曹叡が優秀なのは誰も否定してないし
優秀だけど聖賢ではないよねという話でなんでそういう方向に行くんだ?
その一方で曹叡の行いに一切の瑕疵を認めず全てを正当化するかのような言説
お前さんが何を言いたいのか全く理解できない
確かに博打は楽しい
だがそれにハマる人間はロクデナシだ
しかしそれと人間の能力は関係ない
つまり曹叡は優秀だったがロクデナシだった
それだけのことだろ
曹叡が最低のロクデナシだってことがよくわかりました
>>482 基本があるから例外があるんだろ。
ほぼ聖賢のイメージ図に近い康煕帝がポコポコ生まれたらありがたみがなくなるわ。
>真に不必要なものと断じるには材料が少なすぎると思うけどな
では真に必要なものと断じるだけの材料を下さい
妄想じゃなくて、当時の外的内的要因を含めて
例えば外には匈奴が活性化してたとか(五胡の台頭はもう少しあとだけど)
例えば内には内乱が起こっていたとか(俺の知る限り知らないが)
順序がおかしい。
なんかかわいそうになってきた・・・
曹操が鬼才、曹丕が天才が努力した秀才、曹植が奇才なら
曹叡は良才が堅才ってトコでしょう
彼の能力ってのは皇帝の仕事のみを堅実、良質にこなしたことのみですから
曹操、曹植の様に詩才で後世に残る程の破格でも
曹操、曹丕の様に後世の枠組みを政治文化両方で作った人でも無い
皇帝という枠の中で優秀な人だった。だから有能な普通の人だと思いますよ
あれほとんど陳羣の功績なのに。
ああ、そういえば曹叡って詩では名を残してないんだっけ。
当時の詩は実際に詩うものだったらしいから、吃音だったのと関係あるのかな。
法律に並々ならぬ興味があった。
律令と律略論が上奏されてご機嫌。
曹丕は 文学は経国の大業、不朽の盛事 と言った事と
史上における禅譲の段取りを作ったことが大きいかな
前者は、以後中国に置ける絶対の価値観になってしまったしね
文学者であり政治家でなくてはならないのが士大夫となった
中国文学史語る上では絶対外せない存在だからなー
ひとつの文化を形作ってしまったという意味では操丕植は正に不世出の巨人
操と植に囲まれて肩身が狭いけどな。
そりゃ文人としてはな
彼は文人であると共に文人のパトロンでもあり推進者でもあった訳で
その点親父や弟より上(残したものは)
結局万能型の器用貧乏ってのは当たってるかもしれんが
曹丕と曹叡のどっちが性格いいか、だったらどうかな?
いや、別に比較論の流れを続ける必要もないんで無視してくれても構わんが
祭りに乗り遅れた俺が来ましたよ
このスレって伸びないときは全然伸びないのに
レスつき出すと一気に人増えるのな
>>497 記述から見る限り、どう考えても曹叡のほうが性格いいと思う
曹丕の闇の深さは三国志随一といってもいいぐらいかも
だがそれがいい
どっちも性格悪いと思う
ただ丕は陰湿で叡はわかり易い悪さ
曹操が一番無邪気っぽい
曹操は計算高いよ
正史には曹丕にいじめられたり不興を買って殺された者も多数。
だがそれがなかったら曹丕の魅力は半減だな。
性格の悪さでいったら孫コウで鉄板だと思うな。
大雑把なイメージだが、
曹ヒはひねくれてる割に暴虐は働かない。
トウ卓はひねくれてないけど暴虐を働く。
孫コウはひねくれてる上に暴虐も働く最悪の奴。
>>506 曹丕はあくまで個人レベルのいじめって感じだからなあ
暴君として名高い二人と並べるのはちょっと可哀想だぞ
君主としては名君
個人としては最悪
萌えキャラとしては最高
孫皓と比べるのは董卓にすら失礼だw
君主としては並上、文人としては抜群
偽城に弱い萌え
曹丕が名君の根拠って何よ?文学と禅譲劇だけじゃね?
曹叡が踏ん張らなかったら魏はかなりやばかっただろ?
それもこれも曹丕が呉対策で馬鹿やったのが大きく影響してねぇ?
オヤジの曹操の服喪中に宴会騒ぎしたり孫権に宝石ねだったり
礼節部分もダメダメじゃん。経済も失敗してるし。
乱世の君主としては名君とは言いがたいだろ。
平安の世なら文学だけやって名君になれたかもしれないけど
なんとなくかな
これが噂の曹丕vs曹叡祭りだな!
よしオレ曹叡側についちゃう!
曹丕なんかヘボ!
頭悪・・・
むしろ息子に軍才では遠く逮ばない曹丕タンに禿しく萌える祭りです
大軍率いてはるばるやって来たのに偽城を見てやる気なくして
帰ってしまうほど計画性のない曹丕が好きだ
曹丕って暗愚なのか優秀なのかイマイチわかんない。両極端っていうか。
>>517 やる気なくすわ。帰りたくなる。
変に親征してみせたりせずどっしり構えときゃよかったのにな
そこで父へのコンプレックスですよ
曹丕は行政面ではなかなかのものだったと思うが。
平穏な時代だったらもっと評価されてたと思う。
乱世向きなのはどう贔屓目にみても曹叡だと思うけど。
まぁ曹丕の場合在位期間が短すぎるので、
ボロが出てないとも、優秀さを十分発揮できなかったともいえる。
陳寿評で曹丕は「もっと身内に優しければ成功してたのに性格わりーよこいつ」
とりあえず長生きしてボロを出さないタイプだと俺は思う
少なくとも薄葬の令とか、しっかりしてるところからそう思う
果断、剛毅、決断力ってのは君主にもって欲しい性質だから、
その辺りは曹叡は理想の君主像に近かったのでは?
ただ、毛皇后に対する処置(この辺父親に似てるか?)や宮殿造営の過多など、
長命していたら、ひょっとすると暴君になってしまうかもっていう
マイナスの視線はあるかもしれない。
曹丕の方は個人的な我が侭意外は特に君主権の増大に固執したエピソードも
見あたらないし、九品官人法や陳羣・司馬懿への権限増加など、
どっちかといえば官僚(名士)層との調和を図った体制に見える。
剛毅・果断とは映らないから一見、派手な英君には見えないと思う。
でも貧民の救済、『皇覧』の製作、皇后の政治参画を否定するなど、
地味にいい事はやっている。地味なところが好きなんだけどね。
そうか地味さがいいんだな曹丕は。
性格悪いのに地味にいいことやってるっていう。
上の方で不良が猫を助けてやるとかいう例えがあったけど
それって同じ行為でも元から優等生な奴が助けるより良く映るしな
曹丕は文化事業に力を入れているよね
曹操に駄目だしされたのに司馬イの忠義を擁護したのは、人物を見る目がなかったのかも。
稀代のタヌキ爺だからしょうがないが、曹操・曹叡とも疑念は抱いていたからな。
毛皇后に対する処置はなんとも思わない、ありゃ毛が悪い。
仲達は曹丕に対して忠誠心を持っていた訳だけど
まぁ、晋書に書いてあることだから少々真実味に欠けるが、ありえる話だと思う
結局のところ奴が狸爺にならざる終えなかったのは曹叡以後の曹魏の皇帝が脆弱すぎて
その曹魏の方針である法治主義を行使するだけの実力が伴わなくなったから
士大夫達の心が離れると共に、その行き先が司馬氏になったという経緯でしかないから
曹丕・叡が長生きしてれば魏は盤石だったんだろう
曹丕と司馬懿は仲がよかったしな。曹操も警戒はしたけど才能に関しては
脅してまで仕官させたほど一目置いていたし、曹叡も外の軍事に関して
曹真以降は司馬懿に一任してたわけで、司馬懿は曹一族に優遇されてたと思う。
曹爽との2トップになったのが良くなかったな。
丕と叡の夭逝が司馬氏専横の根幹だろ
特に叡
陳舜臣著『曹操残夢』中央公論新社から7月25日発売予定。
玉座で遠く離れた戦地を的確に分析する曹叡カコイイ
叡は夭逝よりも子が無かったことが大問題だな
あと叡にとってのネックは継母にして実母殺しの郭皇太后
曹家三代、みんな跡継ぎでゴタゴタしてる
貧民の救済というが、皇帝が立った直後に人民にほどこしをするのは
恒例行事みたいなもんだろう?
それより、外交上の失敗を戦争で補おうとして呉討伐の軍を起こしていることで
人民に負担をかけているんじゃないのか?
外戚を政治に近づけなかったのにしても、そもそも前王朝の漢が
外戚・宦官・官僚の三つ巴の争いをしていてたんだから、
官僚側の司馬懿・陳羣たちの意向が強ければ、外戚・宦官の立場を弱くしたのは当然ともとれる。
曹丕が無能とは思わないが、彼の功績は周りの状況が大きくはたらいた結果の産物が多いんじゃないか?
>>532 叡にも子供はいたんだけど、みんなすぐ死んじゃったんだよ。
丕は220年34歳で帝位にのぼり、在位6年で死去。
叡は226年21歳で後を継ぎ、239年36歳にて死去。
俺と同い年で皇帝になって、諸葛亮と対峙してるんだな、叡は。
>>537 では隋文帝も唐高祖も宋太祖もみんな無能ではないがさほどでも無い人物ですね
天下統一を果たした皇帝やその土台を築いた皇帝と戦乱期の一国の皇帝を同列視する事態無茶苦茶じゃないか?
天下が統一されてないならいないなりの政策をするのが戦乱期の皇帝のすべきことだろ。
曹丕の即位時に天下統一が難しいなら内政にいそしめばいいものを
臣下の反対を押し切って遠征して失敗してるのが評価できることか?
外戚を排除したといっても、皇族も排除して皇帝の孤立化を生む結果を出した事が評価できるのか?
皇族を優遇した朝廷っていくつもないがね
そりゃ太平期の王朝で皇族に力を持たせる意味なんて大してないからね。
どうして、太平期の王朝や皇帝と戦乱期の王朝や皇帝を同一視するんだ?
争乱期の皇族ってろくな目に遭ってない気が……
筆頭は蘭陵王
>蘭陵王
彼は皇族として軍事をおこなっているだろう?
個人の末路がどうかの前に皇族が軍権を持っているか持っていないかの
違いを考えろよ
では周りに恵まれた司馬エイと曹丕は同程度ってこと?
積極的攻勢にでた石虎はそれが元で国が滅びたね。曹丕は滅びなかった
財力も兵力もあったのに何の手も打たなかった李イクなんてのもいたねぇ
優秀ではあったが、貴族趣味に走りすぎた李存キョクなんてものいたか
曹丕って周りの状況が良かっただけの人物なのか?
>>542 皇族として軍事をおこなってたってたってことは皇族に権力を持たせてたからでしょ?
別に司馬エイと曹丕が同列でもいいだろう。
名君と比べられなくなったら暗君と比べて曹丕の方がマシって論点にしか見えんぞ
司馬エイも石虎も李存勗も暗君じゃねーよ
ああ、暗君じゃないね。だから同列でもいいじゃないか。
>>486 >例えば外には匈奴が活性化してたとか(五胡の台頭はもう少しあとだけど)
叡時代だと、鮮卑が反乱起こしたよ。
すぐ鎮圧されたけど。
蜀呉の外交官に対する示威効果もあったかもしれない。
なかったかもしれないが。
(おそらく)最古の完全な七言詩(この時代は五言・四言が主流)。
七言が隆盛するのは唐代からなのでこれは早い
六言の詩も創っている。
『與呉質書』から『典論』にいたる一連の文学評論。これも最初か。
「蓋文章經國之大業、不朽之盛事」
最初の志怪小説『列異伝』の選者。正始年間の話も入っているので、
曹丕の真作ではないとされるが(後年の混入か?)皇帝がクレジットにあがる小説類はこれくらい。
経書・政治に関する文>詩文類>その他小説・雑文 と中国文はランクあるので
こんなことに擬せられる程、文学への造型の深さともとれるし、変人ともとれる。
『皇覧』の作成。中国王朝最初の類書。但し散逸。
戦乱により散逸した書物・典籍の採集・編集が主目的だと思われる。
八百余万字(魏略)になる書。自ら校定に参加。
尚、『御覧』は五百万字、『史記』は52万字。
文学面での功績をまとめてみた。皇帝としてよりは個人としての履歴が強いが
後に皇帝という箔のついた人物が文学の価値を賞賛し、
散逸した典籍を集め、物故した詩友たちの文集を編むなど、
後世への影響は大きいと思う。
戦乱の時代、どうしても政治・軍事のほうが重要視される中で個人的な嗜好はあれども、
ここまで文学に尽くした姿勢は見事。
まさしく文帝だな
曹丕や曹一族が出てる本で何かお勧めある?
人間三国志は読んである
正史
いや、演義と正史も抜いて・・・
基本は一応抑えてあるから
陳舜臣の『秘本三国志』と『曹操』。
『曹操』の続編に当たる本は今月刊行予定。
短編では確か安西篤子が曹丕の話を書いている。
藤水名子の『公子風狂』が個人的には気に入っている。
曹操をめぐるとサブタイトルに入りながら、曹丕の比重が高い作品。
小説をとりあえず挙げてみた。
556 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/13(水) 15:53:33
>>552>>554です
>>555さんありがとう
今図書館で陳氏の曹操を借りてきたんだけど、ここ見るの遅かった・・・
さっき秘本三国志借りるかどうか迷って、他にも陳氏の諸葛孔明も
借りたから読みきれないだろうと思って次にまわしたんだ・・・
次図書館に行った時に借りてみます
陳氏の曹丕は怖いけどね
赤壁で、曹操と一緒に俺もビビった。
陳舜臣は孔明の北伐がやらせでしたということを聞いて以来まったく信用をなくして手をつけていないな
陳舜臣は孔明が嫌いなんか?
>>561 「諸葛孔明」すごく面白いよ。
陳先生は曹操ヲタ。でもヲタ過ぎて「曹操」は空回ってる気がした。
いま曹操の出だし読み始めたけど、中々読みやすい感じがする。
諸葛孔明も楽しみだ。
人間三国志の林田慎之助氏の書く文章はかなり読みやすかった。
逆に読みにくいなと思ったのが北方謙三氏。
微妙に自分の肌には合わない様だ・・・でも好きな三国志人物の
ところを読みたいのでなんとか読み進めてます。
>>561 好きじゃなきゃ主人公にした小説なんて書かない
そりゃ読む読まないは個人の勝手だし
八百長が悪い事とは陳先生書いてないし
そもそもその人の業績を否定したからといってイコール嫌いとは限らないし
いや、陳舜臣読んでないけど
否定っつーか別に小説なんだから創作もありだろう。
秘本三国志では他にも烏丸討伐とか南蛮平定とかで
八百長に話を持っていってたし、陳舜臣はなんかそっち方面に
インスピレーションが働いたんだろうか。
俺は五斗米ママンに萌えたから別にいい。
北方から三国志に入り張飛厨になった俺は
秘本の下品で低能で粗暴な張飛に堪えられなかった
570 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/15(金) 09:32:13
曹丕って何した?
陰険さや意地悪なところも曹丕の魅力
曹植より曹丕が好きだ
曹植、なんかうざったい
禿同
曹植って基本的に甘ったれなんだよ
そして自分のかける愛情分相手に求めてくる上、それが当たり前に思ってる
その上、悪意が無い+有能のコンボ
義経見てる気分になる
さも当たり前のように妄想されても
まあ曹丕好きには曹植は肌に合わんかもしれんが・・・。
曹丕も父親に似てチビだったんかな
曹操の子供が体格良いのはなんか納得いかない希ガス。
但し曹彰除く。
丕も桓も大きいの意だったかな?親の願望っぽい。
曹丕オタ、曹叡オタの人!
陳舜臣の新刊『曹操残夢』出ましたよ!
自分は帰りに買うよー
か、金がNeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!
とりあえず給料出てから購入だ
誰か読破した人はおらぬか?
己もまだだが・・・。
「曹操残夢」読みましたぞ。
曹操没後の曹一族的主人公は曹植っぽい。陳瞬臣曹操オタ兼曹植オタ。
曹丕オタ、曹叡オタの人残念!
秘本の時のようなクールさが曹丕にはなかったorg
>>552 「人物 中国の歴史」は読んでる?
小説じゃないが曹丕と曹植の項があって曹丕がSで曹植がMらしい。
主人公=狂言回しなら曹植が主人公なんだけどね
秘本三国志の主人公を陳潜、鄭成功の主人公を統雲というならそういう事
陳センセの作品の傾向として、謎解きのストーリーテラー×2(=陳センセ)がその話の主役と歴史を追っていくというパターンが非常に多い
曹操残夢の場合は曹植、灌均がストーリーテラー(秘本でいうところの小容、陳潜)
話の主役は司馬懿と魏の皇帝達だろう
>>人物 中国の歴史
読むには微妙な本だよな・・・間違いも多いし
「文心雕竜」読んでた時に邯鄲淳の「笑林」と別に曹丕が書いた
(まとめさせた?)「笑林」ってのがあったけど散逸したって記述を見た。
そのせいで「冷酷だけどお笑い好き」って脳内イメージが定着。
「列異伝」もそうだけど文芸に関してはなんともいえないフトコロの深さだ。
>>読むには微妙な本だよな・・・間違いも多いし
曹植をいろんな意味でかわいそうな子に
書きたかったような希ガス。対比に終始しすぎた感が。
あの本は俗説を普通に取り上げちゃってる部分が多いよな。全巻通して
もっとしっかりした人に書いてほしかったよ。陳さんも監修だけじゃなく筆をとってほしかった
>>584 『人物 中国の歴史』って文庫のやつ?
あれは賛否あるだろうけど、曹丕の歴史認識に関する指摘は慧眼だと思うよ。
英才教育受けてるにしても30歳前後であの同時代史の認識は確かにすごいと思う。
曹丕の散文は自序にしろ文学論にせよ今でも意味が通じ、理路整然としてる。
対して詩のほうは叙情的で気概というより孤独感の方が強く感じる。
>>586の指摘もあるし、フトコロが深いんだか自意識が分裂してるんだか、
頭がよくて変な人物なんだけど、そこが魅力だな。
あと10年生きてればお茶目なエピソードもさぞかし残ったんだろうな…
孫権の「酔ってる俺の命令無効」みたい話があれば曹丕ももっと親しまれてると思う
>>584です
あのSM表記以外は概ね悪くないなと思うんですよ自分は。
なんかソコ以降違う方に筆が乗っちゃったのかなと。
歴史認識に関しても同意。
「丕は本質的に非文学の人だった」とあるけどそこはアンビバレンツ、
ゆえに文学に近づくのかなと解釈して読んでますた。
父親もだけど矛盾を内包しててそこがまた魅力。
ハードカバー版もアリ。中身は文庫+カラーページ+図版。
存じてましたらスマソ
理路整然で気付いたんだけどこのヒトは詩よりも文章の方が
スッと入りやすいと思う。
これが曹操と曹植だと詩でも賦でも感情が先行して読み手に(つか自分には)
読む時気構えが要るんだ。原文で読んだ訳じゃないけどな。
曹操残夢、読み物としては如何でした?面白かったですか?
自分は購入してあるんだけどまだ読めてません・・・。
とりあえず溜まっている他の本から読んでかないと。
「曹操」を文庫で買っちゃったので、続編が四六版となるとちょっとねー・・・
てことで文庫化待ち
「曹操残夢」…
「曹丕」「曹叡」って続くと思ってたよ
丕はともかく、叡は小説の主人公に向かねぇよ
普通の及第点以上の皇帝以外の何者でもないんだし
中央公論連載時は「曹家の兄弟」だったんだっけ?
水煮三国志よりランク低いのが気になって(amazonで)
つい買ってしまいましたよおまえら
>>595 曹叡は能力以外は普通の人っぽいもんね。無個性って事ではないんだが。
丕や植のような、有力者の子として、学や常識も充分以上に持っていながら、
何かが逸脱してたり過剰だったりする個性とは違う希ガス。
能力が凡才どころか英才なんだからそれで軍事物書いても充分面白いと思うんだが
だが
だが叡の場合は父祖が操と丕でインパクト負けしちゃうよな
偉大なものの子や孫は大変だ
郭皇太后との確執とか面白いと思うけどな
そうなると、所詮家庭内の、壮大さを欠いた、歴史ものとしてはビミョーな物語になるな
果断の君とはいえ、陣頭で馬にまたがり、砂塵の中で指揮した訳でもないし
家族との確執も、クーデターとかの軍事的行動があった訳でもない
不遇な境遇から帝位を奪い取った訳でもなく
せいぜい短篇を集めた文庫本の一編の主役がいいとこだろうな
人生に浮き沈みがない
「仮面の皇帝」やね
曹彪とか曹植擁立の沙汰ってのはクーデターのうちには入らんか…。
いいとこボヤみたいなもんだしな。
曹叡を主人公にすると戦記ものとかより
内部派閥とか政治暗躍系が中心になるからな
でも、陳舜臣て裏取引大好きでなんでも談合万歳で片付けてる割には
曹叡は書かないんだな
単に興味がないだけだろうけ
親征してるのは史実だから陣頭で指揮してたことにしてしまっても別にかまわない気もするが
孫権が自ら進軍してきたことに対するアピールとしての親征なんだろうけど
あと曹真や司馬懿との軍議のシーンを密に描くのもおもしろそうに思う
指揮するのが重要なんじゃない
砂に塗れ、喉が潰れる程叫び、自ら馬上の人になって駆ける
そういう情景が、歴史小説の読者は読みたい訳で
そもそも孔明や司馬懿が活躍する頃にはそういう情景はあんまりなくなるわけで
曹叡を主人公にしたうえでそういう情景を描こうとするのは難しいだろうな
1人で煩悶と情勢を分析して閃きとともに次の一手を遠くから打つ曹叡萌え
なんかそれかっこよすぎて逆に萎える
叡は閃き型じゃないし
>>610 それあるね。完璧そうにみえても欠点・人間くさい失点があったり、
ヘタレだったり、冷酷そうにみえてもどこか長所がある人間だから、
歴史上の人物は魅力的に映る。
>>609 しかも叡は長髪美形。
ろくに戦場で戦ったこともないのにあの実績は並の人間ではない。
>>603 クーデターみたいな危ない橋を渡らないのが優秀なの。
勝手に実権剥奪されて痴呆老人の真似するなんて、最初からやりたくはなかったろう。
曹叡はなんとなく天才型のイメージがあったけど実際あんまり知らないや
どっちかっていうと
天才とキチは紙一重型
曹叡はジキル博士とハイド氏じゃないかな
>>615 どうも司馬一族は人心掌握が下手糞だな。
やり方が曹操以上に強引ですぐ反乱起こされるから、力で押さえつけざるをえない。
心服させるに至るほどのカリスマの持ち主ではなかったんだろう。
まぁ異論はあるだろうが同時代においては丕よりも叡の方が恐れられていただろうな。
対外戦争で負けっぱなしだった事実はいかんともしがたい。
というか、赤壁以降〜丕時代は対外戦争で魏はよく負けてたから、叡で大きく持ち直した感がある。
それと、呉蜀の同時侵攻を一蹴した皇帝って意外にも叡だけなんだよな。
しかも呉は陸遜、蜀は諸葛亮のドリームタッグ。
叡以後にも呉蜀連合軍による侵攻ってのはあるにはあるんだけど、いずれも内容に味噌がつくものばかりだ。
周辺異民族の間でも魏が最強国という評価が定着し始めたのも叡の代。
大月氏や倭がはるか遠くからわざわざ魏を選んで臣従を願い出に来たこともそれを裏付けている。
歴史を鑑みても優秀な創始者より優秀な継承者の方が権力掌握・維持において
華々しさという点で見劣りするのは当然。
三国志中真に帝王というに相応しい権勢を内外に振るった人物は二人しかいない。
曹叡と司馬炎だ。
特に本人の優秀さを兼ね備えていたのは間違いなく叡の方である。
曹魏帝国の全盛期を現前させたのは叡時代といえよう。
叡厨の壮大な釣りキターーーー!!!
釣りってネタを書くことで釣るわけだよな。
最近では間違ったこと書かれてなくても釣り認定されるんだろうか。
曹魏の全盛期は明帝期であるというのにはめちゃ同意。
あの頃は江戸時代でいうところの元禄期に相当するような
華やかで成熟した感じを受ける。曹叡が60付近まで生きたなら
普通に魏が三国を統一し、司馬氏による簒奪もなく異民族の進出も
防げただろうな。
だが俺は人間的には曹丕の方が好きだし、第一このスレは曹丕の
スレなわけだから、あんまりスレ違いの話題で嬉々として一人
はっちゃけるのは控えて欲しいなぁ、と思うわけですよ。
鬼が笑うような話かもしれんが、
次スレは曹家総合スレにしたらどうかしら
>>624 同意。その方がこのスレも盛り上がるだろうし。
文帝を語る際、植とか叡は触れざるを得ないしね。
曹一族、三曹含めて興味があるのでその方がありがたいな。
まだまだ曹一族を勉強中の身なので、色々参考書籍とかも伺いたいし。
>>615 司馬懿にしてみれば曹丕が長生きしてくれた方が気楽だったろうね。
曹丕の死で人生設計変わった人間の一人だろうな。
曹丕にしてみれば最初に貰った直臣みたいものだろうし、
司馬懿若い曹丕に付いて気質等を把握しているだろうし。
あれだけ冷酷・陰湿といわれる曹丕は司馬懿の頭は押さえつけてない。
曹叡は圧力かけてるけど。
ただ曹叡の方が有能というより、曹丕は自分の王朝が永続すると思ってなかったのではないか
と思える節があるから、もうこれは性格の差だね。
曹叡は逆に司馬懿に依存しすぎた感があるがな。
曹休・曹真という曹家の二枚看板を立て続けに失ったせいもあるが
曹叡は司馬懿に軍事を任せきっている。
諸葛亮戦にしろ公孫淵戦にしろ司馬懿が動きやすいように
他の朝臣たちの意見を抑えて軍事行動をさせているしな。
あれだけ多方面から攻撃されたら仕方のない部分もあるが結果として
功績で司馬懿の一人勝ち状態を生み出して、他の臣とのバランスを崩してしまっている。
逆に浮華の徒のような後漢からの清談の流れをくむものは叩こうとしているし。
曹叡は功績では間違いなく名君だと自分は思うが
そのアンバランスさは曹叡亡き後の魏には決定的な致命傷になったんじゃないかね。
むしろ曹爽組が司馬懿を追い込んだのが原因じゃないかと思うがなー
普通に使ってやってれば司馬懿もクーデター起こしたりしなかったんじゃないか
司馬師や司馬昭はどうかわからんけど
司馬懿のクーデターは完全に自衛のためのもんだろ
曹爽がもっと戦略見る目があるなら司馬懿が死ぬまである程度放置気味にしておけばいいんだしな
蜀討伐行って大失敗しなければクーデターも成功しないし曹爽がアホ過ぎるだけだな
司馬懿のクーデターを自衛で片付けるのは晋側の意見に寄り過ぎだろう
曹爽は司馬懿を実権から遠ざけたが位まで剥奪したわけではないし
ボケ老人の演技を信じ込んで警戒も解いていたわけだから
司馬懿が身の危険を感じる要素はそれほどなかった。
それでもクーデターを起こしたのを曹爽たちが魏の国政を誤らせていたからだと
見る事はできるが、党派のもの含め全て殺しているのはやりすぎだ。
曹爽にしてみれば完全に司馬懿を失脚させなかったのが何よりの失敗だが
やすやすと失脚させられないほどに司馬懿の功績が大きすぎたから
太傅に祭り上げて実権から遠ざけたんだろう。
曹爽はあれで切れ者だからな
ただ司馬氏の方が一枚上手ってだけで、アホではない
劉放、孫資と組んで曹宇を蹴落としたってのは限りなく黒に近いグレーな感じがする
叡は二人に権力もたせすぎたな。失策
あれでいて人の好き嫌いがあるのは親父ゆずりっぽい
せっかく親父が残した曹真、休の準皇族と陳羣、仲達の名門士大夫で構成された(バランスいいよなぁ)補佐制度解体するし
頑固で言い出したらきかない面があって(その上寡黙ときたもんだ)、親父とは違う意味で仕えにくく思われてたのかも試練
曹叡は曹丕のように好き嫌いで人を処刑する事は滅多になかったけどな。
曹丕・曹叡はやった政策が反対すぎてどうしても評価が表裏一体なんだよな。
曹真・曹休・陳羣・司馬懿の4人の補佐体制は皇族と名士のバランスはいいが
孫権に批判したように曹真・陳羣らがそれぞれ派閥作って魏が内部から崩壊する危険もないわけじゃない。
孫権の言が大はずれしたのは曹叡が予想に反して権力を保持して大臣たちの
言いなりにならなかったのも大きいし。
実際、曹叡が司馬懿たちを国境方面に置いたことで、呉の諸葛瑾の侵攻や
孟達の裏切りを最小限の被害に抑える事ができた。
皇帝権力が保持できてると思ったからあの補佐体制をしいたんじゃないか?
叡もガキじゃないんだし、そんぐらいは出来るだろうというヒの判断
>635
逆だろ
曹丕と司馬懿は熱い友情で結ばれてたし
内部崩壊するまで派閥争いするアホでもないだろ>曹真・陳羣
それでも駄目になるなら、よっぽど叡が駄目駄目ちゃんな場合だが
それならいっそ魏なんて滅びちゃえよと。どうせ叡の他に自分の子は幼年ばっかだしさ
と、曹丕なら考えてそう
陳羣は義理堅いし曹真、曹休は曲がりなりにも皇族
司馬懿は
>>637の通り友情パワーなのでこの時点での内部分裂はない
曹休の呉討伐失敗前後の曹休と賈逵の対立
蜀討伐論争が起きた時の曹真と陳羣の対立
どちらも魏の国政に大きく影響する事柄で衝突している。
曹叡が曹丕の遺言に従い、政治を4人に任せていた場合、
この対立を収集できなかった可能性もあるだろう。
まして、対外的に呉・蜀の動きが最も活発だった時期だ。
曹丕が敷いたレールにのっかていればうまくいくほど甘い情勢じゃないだろ。
まかせろとまでは言ってない罠
それだけしか言える事がないのか?
>>639 「この時点」ってのが曹丕没直後の時点一点を指して言ってる
その瞬間に内部分裂はないってのを恒久的にないとどうして読み取るのだ?
通知表とかに落ち着けとか文章をゆっくり読めとかかかれなかった?
>642
638を書いた人か?なら悪いが639は637に対してのレスで
それ書いてる時に638は俺は見てないよ。
そこを指摘して通知表とか持ち出されても困るんだけどねぇ
叡厨は一回スレタイみたら
>>643 やっぱり落ち着きの無い子だな
普通書き込みする前に1回リロードするもんだ
なんかよくわからんけど、とにかく
曹叡についてしゃべりたくてしょうがないんだろう。
何で今まで曹叡単独スレを立てなかったんだろうな。
こんなにも熱い情熱があればそれなりの良スレになったと思うよ。
>>639 確かに衝突はしているが、収束する可能性もある。
外交問題で意見が割れるのはある意味健全に政治が機能しているともいえる。
この時点だと曹操以来の者で存命している者も多いし、何らかの折衷案を出して
収束させたのでないかと勝手に思う。
曹真・曹休は確かに名将に値するとは思うけど、曹氏・夏侯氏の長老としてはまだ軽い気がする。
人格も苛烈なところは少ないようだ。
陳羣は真面目きわまる人格者だし、司馬懿とも関係は良好。
後年の司馬懿と曹爽のような陰謀政争にまでは発展しないのでは。
今でも充分濃いスレだと思うけどな。
勉強中でロムってばかりですが次回曹家総合スレきぼんぬその3くらい。
三曹寄りで調べてんですが建安文学語るヒトこないかなあ。
曹叡は政治文書とかしか見ないな。
長生きしてたら曹丕の代にすごかった皇族の弾圧は
もすこし緩和されてたでしょうか。曹植必死だったけど。
このスレの総意としては
>>623の最後三行が的を得てると思うし
曹丕が好きで集まってるスレ住人である以上、曹丕のマンセーはちょっと行き過ぎても気にならないが
他の奴をマンセーするなら、
>>646の言うように専用スレ立てればいいじゃない。曹丕スレで曹叡を全肯定されてもこまる
曹家総合スレみたいなのは過去何度かあったんだけどね
基本的には作ろうと思ったスレじゃなくて、過疎化してたスレが話が脱線していって操、丕、植、叡を中心に曹操とその子達を語るスレっぽくなるって感じで
ただ、俺としてはこのまま曹丕を語る曹丕スレで続けたいが
魏の皇族弾圧と呼ばれるものは、実質司馬懿によって始められたものだぞ。
それ以前は、前・後漢の皇族に対する扱いとさほど変わらない。
操はもちろん丕も植も彰も叡も熊もみんな興味あるんで
曹家総合スレきぼんぬしておきます。
でもそうやって立てたら立てたで過疎化しそうでもあるので、
このままでもいいです。
総合スレでもいいんだけど
自分は出来れば丕スレのままがいいな…
あくまで曹丕を中心に語りたいし、知りたいから
その流れで植や叡の事が必要ならそれは別個調べに行きたいし
まあ少数派かもしれんけど自分は曹丕スレは曹丕スレで派
丕メイン、絡みで操、叡、植、彰あたりも可、だと懐が広くなると思う
すまぬ…ageてしまった…
逝ってきます
しまった、1-40ぐらいの流れの頃から見てるからいまだにネタスレだと思ってた
曹丕ファンスレだったのかここ
というか最初から曹丕以外の人の話を交えつつ曹丕の話もするスレだった気がするんだけど
あと
>>649のいう「曹丕が好きで集まってるスレ」には賛成できないというか
少なくともオレは「マンセーもアンチもありなファンスレ」だと思ってる(た)ので
やはり広い度量でアンチ曹丕派をも受け入れるべき
性格の悪さも含めて曹丕なのだから曹丕嫌いも含めての曹丕スレ
人物スレとしてはかなりの良スレ
ここのスレ好きだ
色々親切にして貰ったし
自分も最初は様子見で、流れがまともになってから参加の一人だが、
自分以外に曹丕オタがこんなにいたのが以外であったよ。
曹叡オタもいるとは思わなかった。
それとも自分以外は3人位でまわしてるのかと疑ってたよ。
まあ、最近のスレ乱立の中では上手く再生できた方だよね。
曹丕中心、曹操の子弟・子孫を含むのスレが個人的にはいいなあ。
イメージだが曹丕好きって三成や二世物件好きな人との共通点が多い希ガス。
自分がそうだからかもしれないが、「その欠点や地味なところが好きなんだよ!」みたいな。
曹丕を地味だって言う奴はド素人
曹丕は曹操が華やか過ぎるから目立たないけど充分に華がある
これまではスポットライトが当っていなかったけどもっと評価すべきだって再評価の機運が高まって欲しい
しかし本当にすごい親子だな。
またいろいろ話聞きたいし議論したいよ
曹家総合でスレ立てようよ。
曹丕以外の話もしたいけど649の意見も尊重したいし。
関連リンクここ貼ってさ。
>>662 住民そんな多くないのだから次スレでいいと思うけどなあ。
二つ同時過疎は避けたいよ。
曹操単独スレも過疎っちゃったし、このままの方がいいと思う。
人口マジ少なそうだし・・・
曹丕メインで曹家一同について語っていきましょうや
昼と夜中のレス増えたね。ココの住人みんな学生さんかい?
>>659 あと兄弟物件も。
自分は弟たちの出来の良さに埋もれかかりかねないトコが好きだ。
NHKの漢詩紀行、曹操と曹植はともかく曹丕が出て来たの見たことないよ。
ちょっと前に陳琳は出てきたのになんか理不尽。明日は曹植らしいよ。
そうだ、本とかは出てきたのでおすすめの映像なんてありますか?
でも全体数がなかなかないか。
666 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/04(木) 01:19:01
曹丕と曹植がフュージョンした姿
それが曹子植
>>665 映像ねえ…映画なら『曹操と華佗』(確かこのタイトル)が個人的には好き。
曹操と華佗と荀ケの心理劇と曹丕と曹沖の兄弟間の葛藤のパートが
上手くクロスしてる。
中国映画が世界的になる前の作品なので地味だし、曹沖贔屓の話で曹丕は
格好よくないけど。
合戦のない三国志の話でなんか好き。
荀ケオタの自分には曹丕と荀ケが双方見れてかなり満足。
私人としての曹丕は好きだけど公人(というか皇帝)としての曹丕は嫌いな俺は
どうすればいいですか?
好きかと聞かれたらYESと答えるけど名君だと思うかと聞かれたら全否定する感じ
何で名君でないと思うの?
名君じゃんか
いろんな好き嫌いの激しさとか、よせばいいのに親征してみせるとことか
全否定はしないが、そこそこいい線いってるとおもうけどなー、名君。
外征でいいところないけど内政が凄い
外征ダメな名君なんていくらでもいるわけで
自分でもダメって解ってるだろうに外征にこだわったわけは
やっぱ父親の影があったんだろうかね。
周囲に「太祖の武略は素晴らしい」云々聞かされまくってたろうし
戦前の勝算という点でいえば、そんなにダメというわけでもなかったろう。
戦争は君主だけでやるわけじゃなかったんだし。
結果は残念だけど。
曹丕は小さい規模の戦闘だと優秀だけど(個人的武勇もあるし)
大規模な戦争にはあんまり向いてないんじゃないかな
典論でもやたら自分の武芸に拘ったのはその裏返しみたいな
曹植の話だっていうNHKの漢詩紀行、何時からかわかる人いない?
見たい
曹丕悪役にされてそうだけど見たい
>>677 NHKのサイトで検索したけそ、今日の漢詩紀行の予定は分からなかった。
が、朝の5時から5分間だけやる番組みたいなので曹植の軽い紹介のみで終わりそうだ。
>>678 ありがとう
じゃどっちにしろ終わってるのかー
このスレの住人はみな親切ですね
見てから寝たよ。
正史にも出てた転蓬うんぬんってやつだった。漢詩好きな人じゃないといまいち旨みのない番組かも。
曹丕の説明はなし。
>>680 おまいさんもわざわざ説明ありがとう。
内容もわかってすっきりした!
>>675 正直勝算も見えない
というか、戦レベルで負けてるというより、外交・戦略レベルで負けてる感がある
孫権にうまくしてやられたって感じかな
息子に持つなら孫仲謀 だっけ?曹操の台詞。
これにコンプレックスあったのでは。と妄想
曹操が曹丕を褒めるエピソードってあんまり聞かない気がするな、そういや
曹操はその旨の発言はしたけど、
光武帝の陰麗華と混ざってる感じがする。
>>680につけたし
前に七歩詩やってたの見たことあるよ。例によって兄のせいで
不遇の生涯をみたいな説明だった希ガス。何パターンかあるみたい。
曹丕が悪役ってのはそれはそれで好きなんだけど、
曹植が結構悪いことしてるのに判官贔屓されるのがいまいち嫌なんだよな…。
>>683 つまり私情で戦をしかけたってことかい
萌えるが君主としてはどうよって話だなw
まあ683も大真面目に言ってるわけではないだろうけど
そういや諸葛瑾伝に載ってる孫権の魏の話に
「部将をまとめる手腕では曹丕は曹操の万分の一にも及ばないのだ」ってのがあるな
まぁその孫権の魏の話自体は的外れ感たっぷりだから
この部分も大口叩いてみせただけなんだろうけど
>>688 「息子を持つなら孫権のような者が欲しい。
劉表の息子たちなんぞは豚や犬同然だ。」って旨の発言は残されている。
>>683とは発言の調子が違うから、
>>683は光武帝の「嫁を娶らば陰麗華」と混ざったんじゃないの?と推測しただけ。
ああそういうことか
曹操って光武帝ネタ多いから、なんかあるのかと思った
人いなくなったな
693 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/12(金) 12:14:33
良スレだし、たまには上げてみようか。
途端にレスがつかなくなったな
みんな帰省か?
ふと人形劇の三国志だと曹丕の衣装がえびの柄だった事を思い出した。
曹叡が美形でどもりなのは知ってるが曹丕の容姿ってどうだったんだろ
曹操と曹丕の親子を見てるとなんとなく
アレッサンドロ6世とチェーザレ・ボルジアとかぶるよ。
そうだ、どこでもステレオタイプに怜悧な貴公子げに書く/描くよな。
レスにもあったけどロバとか笑林とか結構面白いエピソードはあるのに。
そういう面白いネタが似合わない描き方になっちゃってるのがなんかな。
葡萄とかおはじきとかどこの文献に書いてあるんだ
>>698 葡萄はわからんがおはじきに関しては文帝紀の注にあったと思う。
注の元は世説新語だっけか。
弾棋賦なんて作品もあるしよっぽどおはじき好きだったんだろうな。
>>694 コミケ終了後からレスがついてるあたりが笑える
葡萄は詩に出てくるんだっけ?
うろ覚えだ。
曹植の詩に曹操が貝が好きってのも出てきた記憶が
おはじきの註の元は確か典論かと
典論じゃないっけ?>おはじき
なんかみんなウロだ。
あわびが好きなんだっけ曹操は。
確認してみた。
おはじきに関しては評の注で、引かれたのは「典論」と「博物志」。
他にももしかしたら記述があるかもしれんがパス。
葡萄はどこだろ。詩って曹丕の?曹植の?
そういえば、「三国志 英雄妖異伝」(青春文庫)で
前漢までは火浣布(石綿)が西域から献じられていたけど途絶して
曹丕は典論で「火に焼けない布はない」って書いたけど、
明帝の代になってから西域からまた献上されるようになったから
曹叡は典論からその項を削除したけど曹丕が笑いものになったって
記述があるんですよ。
コレ、後世の捏造だと思いたいんだけど信憑性ってどのくらいあるんだろ。
葡萄は少なくとも詩ではない。
なんの本にあったんだかど忘れしたが、酒にしてもウマーとか、やたら大絶賛してたな
>>696 母親も美人で息子も美形なら、悪くはなかったろうな
葡萄については『芸文類聚』87 菓部 下 葡萄 の項。
醸して酒にしても甘くておいしいと書いてあるのは葡萄酒のことだろう。
茘枝については『太平御覧』971。
茘枝よりは葡萄・石蜜(氷砂糖?)のほうがおいしいとのこと。
茘枝は下賜の品にもなるようだ。
両方ともに「詔群臣」の題になってるから、魏王〜皇帝期の文章かと。
当時、甘いものは貴重品なんだろうが、甘党だな。
詔群臣は全部で4首あって、他には梨とか蜂蜜とかも書いてあった。
それぞれ太平御覧の969と芸文類聚86。
手元の本だと飴蜜=糖漿ってあるんだけど液状にしたやつかな?
しかしホント甘党だな。
曹操も甘党のイメージあるんだが演義の蜜柑のせいかな
>>695 海老って肩当てみたいなところか?
俺ムカデだと思ってた。
曹叡って、最新作の]では能力どうなの?
あれって100が最高だよね?
頭悪いのか?
完全にスレ違いだが
716 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/18(木) 00:25:49
>>715 あおるなゴミ。
曹叡の話しも出てるだろ。
この時代果物って高価なものだったのかな。
>>713 前垂?の模様がえびだったような…。
一緒に行った友人とはしばらく曹丕の事は「えび」で通じてた。
かなーり前の人形展で見た時の記憶なのであいまいかも。
その時は(今もか)曹丕と諸葛瑾が好きだったんで観察してきた。
でもその時の何度でも入れるフリーパスは曹操。今でも財布の中にいる。
このスレ見て大して読めないのに漢籍の魏文帝全集衝動買いしたんだが、
曹丕の残ってる文章って、半分は政治関係なんだな。
「詔」「書」の形で人に宛てたものが意外と多いっぽい。
>>720 それって列異伝もあるの? 散逸して存在しないんだっけ?
>>721 『列異伝』自体は翻訳は東洋文庫に入ってたが今は品切れ。
9月に東洋文庫品切れのオンデマンド復刊第二段があるのだが、その中のラインナップに
入ってるかは不明。
列異伝は曹丕撰に後世の話も混入ってことで今は落ち着いてるのかな?
>>711 禁酒令出そうとする位だから、酒が無くても大丈夫ていどの飲み方なのかね。
曹彰は棗が好きだったんだっけ?
好きって訳でもないんちゃうか?
井戸のアレはたまたま食べてただけで。
古代の酒は祭り等の特別な時飲むもので本来平時から飲むもんじゃないぞ
>>707 三少帝記第四斉王記の、裴松之注の捜神記読んでみ。
信憑性の薄い話と認定されてる。
あと、火浣布が西域から届いたのは曹芳時代だから。
>>707の本書いた坂口 和澄って人はけっこういい加減なのだろうか。
>>707です。
>>725-727 ここの方はほんと親切な方ばかりですね。引き出しも沢山あるし。
ありがとうございます。
>>725 >>726 話の流れでは、「(孔明灯からヒントを得て?)四川省は石棉の産地だし、
諸葛亮は気球を発明したのでは」と推理したらしい。
本人も「いくらなんでもトンデモじゃないかと忸怩たるものがある」
とか書いてた。
紹介を見る限り、歴史群像関係のライターっぽい。
>>720 なんか興味深い資料とかあったら紹介してくれな
730 :
720:2005/08/26(金) 22:29:43
>>730 書虫のほう、全訳とあるからには日本語訳なのか?それとも当然のごとく漢文なのか?
興味もち中。
中国で出版されてるからね、
「漢文」と「現代中国語」の訳。中国語の方は簡体字でさらにわからん。
向こうにしてみればこっちの古文に相当だから、訳がないと読めないんだろう。
日本語訳されているのはないのだろうか・・・結構探してるのに
さすがに1冊で、ってのは見たことない。
とりあえず邦訳のある曹丕ポエムとかをまとめてみた。
長いのでブツ切りで。連続スマソ
○平凡社 中国古典文学大系(訳・註)
漢・魏・六朝詩集(通巻16)
・秋胡行
・善哉行
・燕歌行
・上留田行
・於清河見挽船士新婚与妻別
・芙蓉池作
・於玄武陂作
・雑詩 二首
・代劉勲出妻王氏
漢・魏・六朝・唐・宋散文選(通巻23)
・与朝歌令呉質書
・与呉質書
・典論論文
・自叔
※平凡社版は邦題が別についてて
目次を見ると違う題になってる(ex.上留田行→貧乏な男のうた)。
○明治書院 新釈漢文大系(白文・書き下し文・読み下し文・訳・註)
文選 詩篇上(通巻14)
・芙蓉池作
文選 詩篇下(通巻15)
・燕歌行
・善哉行
・雑詩 二首
玉台新詠 上(通巻60)
・於清河見挽船士新婚与妻別
・又清河作一首
玉台新詠 下(通巻61)
・燕歌行 二首
文選 文章篇中(通巻83)
・与朝歌令呉質書
・与呉質書
・与鐘大理書
文選 文章篇下(通巻84)
・典論論文
※「他人の詩や文章で曹丕を主題としたもの」は今回ちゃんと探してない。
※パラ読みしてたら繁欽に「魏文帝に与うる牋」なんてのを見た。
内容は歌の上手い男を見つけてきたとかそんなん。
○集英社 漢詩選(白文・読み下し文・訳)
古詩源 上(通巻4)
・短歌行
・善哉行
・雑詩
・至廣陵於馬上作
・寡婦
・燕歌行
あと文帝紀で「即位告天文」「譲禅表」「譲禅第二表」「譲禅第三表」かな?
他は見てないのでちょっとわからん。
これ以外のもあるぞというのは補完よろ。
こっちでも曹丕が葡萄食べてる^^
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1119357479/l50#tag283 VS魏文帝集報告。
北堂書抄、太平御覧、芸文類聚あたりを底本にしてるのが多い。
どれも邦訳がないっぽ。ウワァァァァァン あと初学記、全三国文とかか。
残ってる曹丕作品で一番古いのは「蔡伯喈女賦 序」。
16歳(202年)の時の作品で、蔡文姫のことを書いたもの(序だけで本編は残ってない)。
その最初から作品は事実に即したというか、
>>588のいう「同時代史の認識」
という目が出来ていたのかという感がある。
これが曹植だと、作中に時事的、客観的要素が少なくて
どの作品が最初か特定できない(「七啓」が210年以前?)。
やっぱ感情の人なんだな。
※ついでに七啓はもろ曹操のプロパガンダ的作品。
なんか、物書きとしての曹丕がどうでもいい人には話題を振りづらく
なってるんじゃないかと申し訳ないのでここらで転換きぼん。
平凡社のやつは読んだな。あれが一番多いのか…
でも通巻23のほうは知らなかった。今度読んでこよ。
つうかほんとGJだよ…!
>>738 過去ログまで遡って読みふけってしまったじゃねーかどうしてくれるw
かわいいな曹兄弟
曹丕好きだけど所作をよく知らん身としてはこの流れは嬉しかったんだが
確かに人によってはつまらんかったかもな
よし誰かネタ投下してくれ
連投しっぱなしでスマソ
人いないな。
いまここ回してんの3人くらいか?
まだ語りきっておらんではないか
与鐘大理書(原文だと与鐘繇謝玉玦書)、曹植づてに玉もらった
お礼の手紙なんだけど原文だと思いっきり「舎弟子建」って書いてあってワロタ
仲いいのか険悪なのかわからんよこの兄弟。
三国志的には仲悪いんだろうけど。
曹植は曹植で駄目っぽさが現代人みたいだと思う。
あとロバの鳴き声は西晋でも王済と孫楚が大体同じことしてるので
そんなに珍しい出来事でもないのかも知れない。
あ、曹丕がやったからネタなのか。
>>741 >曹植は曹植で駄目っぽさが現代人みたい
何をしてそう思う?周りに翻弄されまくりなとこ?
昔は詩の贈答もしてたんだっけかこの二人。
仲良かったと解釈することも出来なくは無いかもしれんね。
陳先生の小説は確か互いに理解しあってたな
あの飼い殺し的処遇は、曹植を殺させないための曹丕の苦肉の策みたいに書いてあった覚えが
口先だけで中身が伴ってない(と、結局評される)あたりかな。
文才があったからなおさらなんだろうけど。
太子争いにしても楊修の入れ知恵で動いてたり、
現実面では案外想像力ない人なんじゃないかなと思う。
身の振り方とかそういう才覚な。
側近の暴走に歯止めをかけるとか、自分は曹操を継ぐ意思がなかったら
曹丕サイドに敵意を持たせないとか出来ていれば、
後年ああまで不遇に落とされなかった可能性もあるんじゃないか?
井波女史の修士論文が曹植なんだけど、普通政敵って殺されても
当然だけど(詩才を惜しんだか肉親の情か)誅殺に忍びなくて
やっぱり庇ったのかとかそういう推論があった。
んで自立できてないマザコン。これは時代問わず文士に少なからずあるけど。
皇族冷遇の改善のとっかかりの最初ごろに卞太后が死んじゃって、
それから1年くらいで自分もぽっくりいってる。
めっちゃ痩せて顔色悪くね?とか明帝に気遣われる文が残ってる。
跡継ぎの曹志もオカンが死んだあとアタマやられてぽっくりとか
晋書にあって、似たのかなとか(藁
ここらは曹操残夢のあとがきでも陳先生書いてたね。
通例生年不詳なのに曹志の没年59歳ってあったけど出典が何だかわからない。
あ、叩きまくってるけど曹植は嫌いじゃないですよ。
ここというか曹丕好きな人はアンチ曹植なんかな?
自分は六朝文学がらみで三曹好きなのもあって、どうしても文人贔屓しがち。
陳思王は自業自得なところも多々あるのでそんなに同情できないけど。
曹植が殺されなかったのは太后が睨みきかせてたからだろ。
曹植に付いた人物はことごとく殺してるし。
アンチ曹植というより曹丕マンセーが過ぎないか?
まあ、ここは過剰な曹丕マンセーOKなスレだけどさ
持ち上げ過ぎたかな。
兄弟仲が悪いわけじゃなくて周りも周りだし
弟の方は立ち回りと未来予測が出来てなかった
というのを云いたかったんだけどな。もちつけ自分。
そもそも両親が下の子を構い過ぎたのが元凶か。
このままの性格で曹植が長男で曹丕が下の子だったら
曹操ももっと迷ったろうなあ。
このスレは三人以上10人以下と見たが…
文武両道、政治的バランス良好。だけど文学偏愛、やや神経質?の事実上の嫡男・曹丕。
文学センス抜群、性格はやや放埓?政治志向の三男・曹植。
悩むのは判るね。年もそんなに差がないし。
5歳違いでその間にもう一人いるのだから、曹操の卞氏への寵愛はけっこう大きいね。
曹丕が生まれた後にも立て続きに妊娠・出産で上の子に余りかまわなくなったのか?
曹丕が没した時の曹植の誄は悲哀の感情は本物だと思うけど。
「 曹操沒後の曹丕と曹植--不仲説の檢證」渡辺由美子 『二松』 16(2002)
この論文読んだことある人いる?今度さがしに行く予定。タイトルだけだとものすごく気になる。
ふと思ったんだが太后の目ってそんなに気にしなきゃいけなかったんかね
やっぱ儒教の精神?
>>746 たまには熊のことも思い出してあげて下さい
自分もなんだが、曹丕に神経質なイメージがあるのはなんでだろう…
正史にそんな記述あったっけ?
狭量=神経質ってわけでもないしなあ
>>746 孫権みたく、年取るごとに寵愛の対象が変わるってことないな
曹操に取ってはずっと卞氏が一番だったんだろう。
論文は未見。気になるタイトルだ。読んだら報告よろ。
どっちが帝位についても戦は下手そうだな
そういや曹丕と曹植といえば不仲で有名だけど、伊藤正文注の
「中国詩人選集3 曹植」にはその逆の事が書かれてる珍しい本だよね。
曹丕は曹植の事を出来るだけ庇ったという事が書かれてた。
でも実際どうだったんだろう。
確かに曹植の曹丕に対する態度は、そこまで嫌っていなかった?と
思わせるものもあるけど、それは殺されない為に歯向かわなかった
だけとも取れるし・・・。
兄弟だから心底から憎しみ合わないって嘘だろ
たぶん曹丕も本当に曹植が嫌いだよ
自分の見解はこんなかんじ
曹丕と曹植の不仲説を否定する人は史書の記述がどうかの前に
二人の仲は悪くない方がいいって願望が先行してないか?
不仲説を否定したいなら、仲がよかったと推測できる箇所を取り上げるだけでなく
史書にはっきり明記されている、曹丕が曹植を殺したがっていたとする記述を否定できるだけの
要素を説明しないとダメだと思うぞ。
それをしなきゃ、ただの都合のいい史書解釈にしかならんだろう。
詩のようなどうとでも解釈可能な部分は
人それぞれで好きなように解釈すればいいんじゃないか
ただ、史書には解釈がある程度定まる箇所もあるわけだから
そこを無視して解釈するのは自分は釈然としないよ。
曹丕が曹植に酒を飲ませる話とか曹彰を毒殺する話には
書き手の悪意を感じないわけでもないけど
周宣伝の部分なんかは曹植贔屓から出た話とは思いがたいんだが?
慌てて読んでみた。
なるほど、こんなエピソードがあったとは己の不明だ。
願望としては君主としての殺意か本心からの殺意かで
余地を残したいのもやまやまだけどこれなら険悪説に軍配が上がる。
文学者寄りの兄弟関連で自分が読んだ分に関しては
これの引用ってなかった希ガス。
やっぱり学者先生も願望が入ってしまうのか。
文芸寄りじゃなくて、史学寄りのスタンスでは普通に険悪なんかな。
後世の人間としては、太子争い前後の様子とか、植が死んだときに
処分された弾劾文がちょっとでも残ってたら何らかの手がかりに
なるんだろうけど。
あ、今日はじめて人形劇三国志の曹丕と曹植見ました。
あれは間違いなくえびだ。
後継者争い以前は特に不仲を示すエピソードも無いんだよね。
彼らが残した文章等から推測するしかない。
文学研究者のアプローチ→仲良し。
史学〃 →不仲。
ってのはその辺もあるのだろうな。
個人的には兄弟達より、曹真・曹休・夏侯尚とかの方が仲良かったのではという希ガス。
>>747 熊のことは素で忘れてたよ…_| ̄|○
そもそも後継者争いが表面化したのは
曹操が魏王になってから2年も太子を立てずにいた時期で、
それ以前は極端な対立は両者になかったんじゃないか
三国志を読んでいても二人の対立は曹植が臨菑侯だった頃がほとんどだから
かれが平原侯から臨菑侯に国替えされた214年以降だろうと推察できる。
唯一平原侯の頃から二人の対立があったと思われる記述が
荀ケ伝の荀ツのところに存在してるんだが、
荀ケが生きていた当時となると212年までのことだろうが、
211年に曹丕が五官中郎将になった直後のことを考えれば
後継者争いの一貫というより、単純な文学面の才能比較論だったんじゃないかと自分は思っている。
曹丕を五官中郎将に任命して後継者としての政治面での体制を整え始めておきながら
一方で文学面では曹丕と曹植の才能を比較する流れがあったのが211〜214年ほどの
流れじゃないかな。
>>758 そんな感じっぽいね。後継者問題が表面化したのは荀ケ没後以降だね。
『典論』に書かれた曹丕と荀ケの武芸に関する会話はおそらく荀ケの最晩年、
寿春に留まる前の事と思われ。
この会話は表面的な物かも知れないが、両者に特にわだかまりのありそうな物には
見え難い。
荀ツが曹植寄りになったのが荀ケ没後。
荀ツの場合は夏侯尚と不仲という動機とどっちが後継者になっても妻の
バックアップが期待できるという事後の目算もあるだろうから、真剣さは薄いかも知れんが。
でもその後も「与鐘大理書」で曹丕→(パシリ)植→(パシリ)荀コウ→(お願い?)鐘ヨウ
が発生しているのが面白い。
その「与鐘大理書」は曹操が漢中討伐を行なっていた時のことというから、
張魯討伐時の215年の頃のことだろうね。
曹操が魏王になって太子問題が出始めるのが216年以降だから、
太子問題さえなければ両者は仲のいい兄弟でいれたかも知れない。
ただ、曹操自身は214年に孫権討伐を行なう際に
ギョウの留守居役を曹植に任せていることから、曹植が後継者になりえるか試そうとしていたんだろうな。
それを見た周りの臣下たちが曹植擁立に動いたといったところじゃないだろうか?
曹植の嫁さんヌッコロされたのって
その辺の後始末みたいなからみもあるのかもとか妄想。
崔エンが獄死してるし、なんかつながりはあるのかなとか
チョト思った。
荀ケも存命なら曹植派の筆頭だったろうな。
邯鄲淳も曹植誉めすぎたか。
そうなるとやっぱ立太子後に曹丕豹変?
変わらざるを得ないんだろうな。
曹丕が楊修に宛てた書ってのがあるけど8文字しか残ってない(!)
瑠璃の杯を贈られた返礼らしい。
邦訳ポエムにつづき曹丕の書簡一覧を作ってるので
ちっと待ったれ。
ありがと楊修君
書簡一覧。
簡体字→日本漢字でわからんかったり出ないのは□。
詳しく知りたい方は各自で調べてみてくれ。
あ、◇のあるのは文中に日付のあるやつな。
◇与呉質書
→「文選」収録。邦訳では「朝歌令〜」。
◇又与呉質書
→「文選」収録。建安七子が立て続けに死んだ事書いてる。
又与呉質書
→曹真・曹休のことがちらっと書いてある。
与鐘繇謝玉玦書
→「文選」収録。例の玉くれってヤツ
与鐘繇五熟釜書
→曹丕が鐘繇に食器送ったらしい。
◇与鐘繇九日送菊書
→菊酒ってあるので酒を送ったらしい。
与鐘繇書
→袁換と王朗を誉めてるっぽい。
答鐘繇書
→「荀公之清談〜」とかある。荀ケの叔父、荀爽の話題らしい。
答繁欽書
→「文選」収録の繁欽作「魏文帝に与うる牋」の返答。
啁劉髀
→よく解らない。人手が足りないような話?
答友人書
→よく解らない。礼を尽くすようなこと書いてあるので教訓話の類か。
与呉監(?)書 ※監が簡字体なので憶測
→ここでも葡萄語りしてるよ。
与群臣論蜀錦書
→蜀錦について語りまくってるよ。
与群臣論被服書
→夏服と冬服の話。
与群臣論秔稻書
→長沙に美味い米がある話?
報崔琰書
→よくわからない。ものの道理がとかそんな話。
与曹洪書
→張魯を討たなあかんなとかそんな話。
曹洪が陳琳に代筆させた(?)返答。
与王朗書 五首
→呉からもらったもののことがちょっと触れてる。
黄金、象、鸚鵡とか色々。
与劉□書 ※□は日へんに上が化、下が丁?
→帽子の話っぽい。
与諸将書
→教訓っぽい?
一応これで半分くらい。残りは後日。
主な相手は孫権、曹彰、孟達とか。
詔だと曹真、夏候尚に宛てたのもあるよ。
>>757 ちゃんと漢文読めないので中身に関しては信用せんほうがええと思われ。
………食い物の話多くね?
続き。
報呉王孫権書
→子阳(新王朝下で益州の太守だったひと)の故事を出しているので、
暗に劉備のことを云ってると推測。
又報呉王孫権書 二首
→于禁の一件で宛てた文。
又
→これも蜀に関しての方針を書いてるっぽい。
夷陵の話が出てるので戦後か。「呉主伝」に概略あり。
又報孫権書
→浩周の話。「呉主伝」に概略あり。
与孟達書
→「明帝紀」に概略あり。
又与孟達書
→「明帝紀」に概略あり。
報呉王孫権書
→孫権に九錫が賜った礼品への返答。五百石の船(?)が六槽。
又
→孫権からものを貰った目録?
文鳥一匹、毛皮、氷砂糖(ホント甘党だ…)、鮑の干物(息子もエロいな)。
送剣書 ※剣が簡字体なので憶測
→柄に玉をあしらった自分の剣の話。
以下は補遺に収録。全文でない可能性が強いです。
答曹洪書
→上記の陳琳代作の補遺。とにかく張魯を煙たがってる。
与曹洪書
→よくわからない。左伝の引用が註には書いてある。
書
→漢中の地形の話。曹洪宛ての続きか。
戒□陵候曹彰書 ※エン陵候なんですが字が出ません
→「常若不足者」と文中にあるので思慮の浅さを戒めてると推測。
答楊修書
→上にも書いたけど瑠璃杯への返答?
原文は「重恵流离□(←杯)、昭厚意」
説諸物
→よくわからないけど、後半は食べられるものと食べられないものの話。
菊は苦くて野葛は食べられないことのこと。曹丕の主観なのか?
と、以上こんな感じ。あまりにも説明不足ですまない。
漢文の勉強し直してくるんでネタ投下よろ
すげーここの住人
めちゃめちゃ博学じゃねーか
>>765-768乙
確かに食い物の話し多いなw
770 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/14(水) 17:29:31
>菊は苦くて野葛は食べられない
自分で食ったのか。結構チャレンジャーなんだな。
時代は下るが左思の『三都賦』(だったかな?文選にある)にギョウ城の葡萄園の
描写がある。
曹操か曹叡もしくは他の人物が植えたのかも知れんが、
嗜好からいって曹丕が作らせた可能性が高そうだ。
>>765にもある『与鐘ヨウ五熟釜書』でも鐘ヨウと五熟釜なる釜を造ってる。
五つの味が調和される釜?でいいのかな?
鐘ヨウが相国となってからだから、すでに皇帝陛下。
しかも鐘ヨウからの依頼が先のようなので、この二人は趣味仲間か。
食い物に関してはかなりのこだわりがあるようだ。甘党の美食家ってところかな。
肉や魚でないところが曹丕らしいといえば曹丕らしい。
774 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 13:26:21
司馬遷―司馬懿―司馬遼太郎
775 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/22(木) 14:30:34
無双のおかげですっかり腐女子にしゃぶりつくされました
もうペンペン草も生えてません。
>>773 曹丕の意見を取り入れて鋳造させた鼎状の釜らしい。
鼎は国家の安定の象徴でもある。
《魏文帝全集》集解では216年の曹操魏王就任&曹丕立太子時の作になってる。
鐘繇伝の註に概略があるよ。
中に仕切りがあって、何種類も一度に料理できるって説も。
これ、曹丕のアイデアなんか?
三都賦、実は初見。
勇任城がごとし、
才東阿がごとく。
…
英風Y豪、命を帝室に佐く。
曹植の夢見た理想的な魏国ってこんな感じなんだろうな。
そんな国で重く用いられて、思うさま筆を振るいたかったろうに…
・゜・(ノД`)・゜・
色々総合して考えると、
因業ババアみたいな気質なんだな…
多少かわいげがあるので、ジジイじゃなくてババア
おばはんって、時々妙にトボけてるじゃん
意外と現代にいたら、メールをチョコチョコ寄越してくるかも
件名:今日うまいもの食ったよ
よくオヤジが自分のブログに飯の写真載せたりするけど、あんなかんじか。
孫の高貴郷公も議論好きだし文人の家系だな
子孫も学者やってるし
あーブログやってそう
イイ文章で地味なことを書くブログね
主に食いもののはなしとたまに笑い話が混ざるのな。
ここ読んでると北方の曹丕が別の人みたいに思えてくるよ。
自分でも趣味はおはじき(弾基)ぐらいしかないって書いてるからねえ。
狩猟もかなり好きみたいだけど。
狩りに夢中になって帰りが遅くなって家臣に怒られる皇帝って、子供かよ。
実に親近感持てる皇帝だな
最近なんとなく曹植の詩を漁ってるんだが
>>756の言うように、文学的なアプローチをすると
どうも兄弟仲良し説を支持したくなるな。
曹植のことを本気で好きで本気で研究してる人ほど
曹丕は決して陰険野郎じゃない、名君だと主張してる気がする。
あと遅ればせながら
>>765-768超乙
あくまで文学上での話になるのかも、だけどな。
そのへんは文学者以外の書いた険悪説の文が見たいな。
>>746はくだんの論文を見つけられたか報告きぼんぬ
「六朝詩人伝」って分厚い本借りてきて三曹のトコだけ読んだけど
曹丕についての参考文献って全部漢籍だったよ…org
現地ではどっちが主流なんだか。
なかなか図書館に行けないので、結局国会図書館に申し込んだよ。
コピー代は割高だけど、ついでに、その他の曹丕関連の論文で未読物も
請求した。
何日くらいで届くのかわからんけど、届いたら報告します。
>>787乙&dクス。
教えて君で申し訳ないけど自分でも当たってみたいので
他の論文のタイトルも教えていただければ幸いです。
こっちは「魏晋の詩壇の研究(松本幸男)」ってのを読んだ。
曹丕がこきおろされててやっぱり曹植贔屓だなという感があったかな。
> 曹植のことを本気で好きで本気で研究してる人ほど
> 曹丕は決して陰険野郎じゃない、名君だと主張してる気がする。
とも限らないかも知れない。
学者の人も建安だけじゃメシ食えないろうから魏晋南北朝全般の専門に
なるんだろうけど、あのへんの時代は他にも悲運の詩人は結構いるのに
(陸遜の孫にあたる陸機・陸雲なんかは刑死)とにかく曹植はどの先生にも
おしなべて悲劇的な後半生をわりと振るっちゃって書かれてるフシが
あると思う。
このへんの同情は文学筋からだと仕方ないのかも知れない。
ただ、太子争いは直接建安文学の衰退の原因でないのがこの先生の見解。
日本だと三曹の面々は詩人というよりは三国志の人物って扱いだし
曹植を唐以前最高の詩人と云ってる割に陶淵明>曹植なんだよな。
ポエマーとしての曹操と曹丕も評価してやれというかなんというか。
「文心雕竜」の劉キョウは「陳思の詩文は誉められすぎではないか、
文帝にも見るべきものはある」という大意の評価はしてる。
曹植の詩はFFみたいに綺麗で雰囲気がある感じ
曹丕の詩はロマサガのように噛めば噛むほど味が出る感じ
ってな印象を俺は受けた
三小帝紀の斉王紀で火浣布の話題があるのだけどその註に曹丕の話題が少し出てきた
後漢末は西域から火浣布が献上されていたんだけど魏初にはそれが途絶えていた
そこで曹丕は火で焼けない布などない!と典論に書いて否定したんだそうな
そして曹叡が皇位に着いた時に典論を碑文にして永久保存するようにしたとの事
だけど斉王芳が皇位継承した時に献上する人がいて典論が間違ってた事が証明されてしまい天下の笑いものとなった
らしい
曹丕カワイソス
>>790 「抱朴子」では書いて一年もせずに火浣布が届いて
曹丕自身が後悔したことになってる
>>789 そんな感じだね。
曹植の詩はスピード感と明瞭なイメージ、感情の発露が強いので、
曹植の生涯はバックボーン知らなくても鑑賞できるものが多い。
失意の後半生を知ればなおさら。
曹丕の知らずに読むと、唐詩か何かにまぎれても違和感なく素通りされてしまいそうだ。
それだけ構成や完成度(韻など)は高く、時代を先取りしている所も多いのだが、
背景や文学史的な意味を知らんと評価されにくい感じ。
特徴としては叙情性の強さと逆に自身の感情の発露の少なさ(冷静と評される所以の一つか)
古代詩の割には発奮とか激昂、高揚の感情が少ない。
後は実験的な作品の多い事。
理知的といえば理知的。詩より文章・手紙の方が味のあるタイプってのが自分の感想。
火浣布が燃えるかどうか実験してみたのだろうか
>>793 自分もそんなとこ。
理知的とされる一方で文語的な表現をあえて使わず
俗なことをおもむろに書いたりするあたりなんかもイイ。
上留田行とか夏候尚宛ての手紙とかな。
さらに蒋済に天子ともあろう人がそんなこと書くんじゃ
ありませんって怒られてるところもイイ。
手紙に大人気ない事書いて家臣に怒られる皇帝って、子供かよ。
>>皇帝って、子供かよ。
曹丕にそういう側面があってだからこそ魅力的ってのにはもちろん賛成。
それを踏まえたうえで、魏や漢に限らず
・外戚や親族のゴタゴタの棚ボタから幼いうちにパッと出で皇帝になる とか
・生まれながらの皇帝
が多いように思われます。
素人の率直な感想ですが、
ほかの皇帝といわれる人たちの子供っぽいエピソードなんて挙げてもらえると面白そうだと思うのですが、
いかがでしょうか。
>>797 おお懐かしい。そこはせっせと書き込みしてたよ
曹操の詩はてらいがなくて陽性で好きなんだなあ。
三曹はどれも違う魅力があっていいよね
曹操>荒削り パイオニア
曹丕>実験的 写実的
曹植>三曹随一の完成度 幻想的
>>799 曹操>スターウォーズ
曹丕>スターシップ・トゥルーパーズ
曹植>E.T
まんなかのやつだけワカンネ
曹操のは武人のうたって色が強いね
戦いを描いた作品だとせがれたちには
曹丕の《述征賦》、曹植の《白馬篇》があるけど
前者は年号付きでまた淡々と書いてるし
後者は(張遼をモデルとして?)ドラマチックに書いてるし。
曹操みたいに己の意志ってのがあんま介在しないんだよね。
三者三様で面白い。
>>801 曹丕&曹植は傍観者的立場と言うか、特に曹植は想像も付け加えて
劇的に仕上げてるけど、
曹操は経験し見聞きした事象を思うがままに書き上げてる感じだ。
だからか、戦争ものの詩は曹操のが一番心にくる。
随分とディープな人たちがいるんだな。
からかってるんじゃなくてマジで感心してる。
俺に底までの熱意はないからよかったら翻訳してくれ。
原文じゃないとよさ側kらないとかあるかもしれんけど。
しかし、無双4でついたかもしれない
女性(?)ファンが流入してこないのは寂しいような、どうなような…。
スターシップトゥルーパーズは確かハードな戦争物SFじゃなかったかな。
見たこと無いんでよく知らないが。
原作が宇宙の戦士といって著者がロバート・A・ハインライン。
あと著者が米海軍士官で第二次大戦の太平洋戦線に従軍してたことは知ってるが本の内容は知らね。
あんまり関係ないのでsage
余計なのまで呼び込みそうな発言はよしてくれ
>>804 女性っぽいレスはあるような気はするけどな。
次スレ、曹家総合でも曹丕スレでもいいけど、
このマニアックさを維持して欲しいなあ。
自分も曹丕の詩翻訳できるネ申希望、と言ってみる
レス見た感じだと、曹丕は曹植の雀やらヨモギやらみたく自身の感情とかを作中の人なり物なりに映した詩はあまり詠んでないのか?
曹丕の詩は両手で足りるくらいの数しか読んだことがないな。
そんなにカリカリすんなや
漢文の修行から帰ってきた俺が来ましたよ
全文は残ってなくて収録分のみですが。
《永思賦》。《芸文類聚》巻三十に収録(なので翻訳なし)。拙い訳ですがどぞ
〈背景〉
曹丕が漢中で留守番してる頃の作品らしい。
太子も未決定で不安の中、人の寿の短さと空しさみたいなのを読んだ賦。
〈原文〉
仰北辰而永思 泝悲風以増仿
哀遐路之漫漫 痛長河之无梁
愿托乗于浮云 嗟逝速之堆当
※仿→漢籍だと人偏の右はナナメのフタに力。
※堆→左半分はヌなんだけどIMEには出てこなかった いずれも誤訳かも。
〈意訳〉
北辰(北極星)を仰ぎ思うこと永し
さかのぼれば悲風増してさまようばかり
遠路は漫然と哀しく
黄河に橋の無いように痛ましい
かの前に浮かびたいと願いながらも
またたく速さの前ではそれも挫かれてしまう
日本漢字←→中国漢字(繁&簡)を対照してるような字典が手元にないのと
ウェブだとなおさら表示できないのが障壁。
《永思賦》を選んだのも日本漢字で解る字が多かったから。
自分は漢字辞典と受験参考書だけで漢籍ネタとか投下してるけど
ちゃんとした書き下し文書けとか云われたらアウト。
あらためて神光臨きぼんします。
>>806 詩に挙げられた対象物に自分を投影してる感じなのは
あんまないっぽいかも
「柳賦」なんかだとそのまんま柳の姿がどうのとか
そんなんをつらつら書いてる。写実的なんだろうな。
そういう姿勢は立太子前→立太子後→禅譲後の作品でも
一貫してるから、もともとそういう詩の書き方するヒトじゃ
なかったんだろうなという印象。
曹植のそのへんの比喩ってのも後半生からかも。
保身とか待遇改善とかそういうニュアンスも多いはず。
立太子以前の初期作品にはそういう自己同化的なものは
なさげな感じがしたよ
漢文勉強しようかな…
まだ曹丕ファンに成り立てだからっていうのもあるけど
文学に秀でてたって言われてもイマイチわからないし。
作品に触れてみて初めて理解できるんだろうな…。
典論だけ見ても素晴らしいと思うぜ
蓋文章經國之大業、不朽之盛事。
年壽有時而尽、榮樂止乎其身。
二者必至之常期、未若文章之無窮。
是以古之作者、寄身於翰墨、見意於篇籍、不假良史之辭、不託飛馳之勢、而声名自傳於後。
故西伯幽而演易、周旦顯而制禮。
不以隠約而弗務、不以康樂而加思。
夫然則古人賎尺璧而重寸陰、懼乎時之過已。
而人多不強力、貧賎則懾於飢寒、富貴則流於逸樂、遂營目前之務、而遺千載之功。
日月逝於上、体貌衰於下、忽然与萬物遷化。
斯亦志士之大痛也。
融等已逝、唯幹著論、成一家言。
こんな格好いい事言えたら死んでもいい
久しぶりに来たがだんだんコアになってるなここ
>>808>>811乙
明治書院のだと返り点ついた原文と訳が一緒だったよなたしか。
そのへんから始めてむます
於玄武陂作 曹丕
兄弟共行遊 兄弟共に行遊しようと
駆車出西城 車を駆りて西城を出れば
野田広開闢 野田 広く開闢し
川渠互相経 川渠 互いに相経る
黍稷何鬱鬱 黍稷 何ぞ鬱鬱たる
流波激悲声 流波 悲声を激し
菱欠*覆緑水 菱欠* 緑水を覆う
芙蓉発丹栄 芙蓉 丹栄を発す
柳垂重蔭緑 柳は垂れ蔭緑に重なり
向我池辺生 我に向かいて池辺に生ず
乗渚望長州 渚に乗り長州を望めば
群鳥讙譁鳴 羣鳥讙譁して鳴く
萍藻泛濫浮 萍藻 泛濫に浮かび
澹澹随風傾 澹澹として風に随いて傾く
忘憂共容与 憂いを忘れ共に容与し
暢此千秋情 此に千秋の情をのべん
欠* はくさかんむりに欠
兄弟で一緒に行遊しようと車で西城を出れば
田野は拓け水路もしっかりと整備されている
五穀は憂鬱であるかのように俯き波は悲しい声のように音を立てる
蓮が水面を緑で覆い芙蓉の花は赤く咲きほこっている
柳は垂れ木陰に重なり私は池の方を向く
渚から中州を望めば鳥の群れが一斉に鳴き出した
川面に見える浮き草は風にゆられてゆっくりと動く
悩み事を忘れて兄弟と共にこれを見ていた
千年分の秋を味わったような思いだ
茨
「茨城」の茨じゃないかーッ!>くさかんむりに欠
原文はくさかんむりに欠で茨ではない
ぐぐってみたら茨って書いてるページが有ったけどそれは間違い
くさかんむりに欠と茨では意味が全然違う
くさかんむりに欠は一文字でオニバスを指すし茨は読みと同じでイバラ
水面の緑と陸地の赤って対比なのにイバラが出てきたらおかしいでしょ
曹丕の短歌行が好きだ
本当は父親が好きだったに違いない
曹丕って肉親の情が強いと思うんだよな
でも戦乱の世にあって国を一番に取って身を斬られるような思いを味わっていたに違いない
>>787じゃないけどレスに出た論文を借りてきたよ。
本人は悪いけど、結論からいくとやっぱり仲良し説を主張してる。
しまいに洛神賦のモデルは甄氏じゃなくて曹丕とも。
この説は中国だと君臣の情としてわりと多い主張らしい。
曹植が赴任した「鄄」城と「甄」氏が似てるからとか。
ネタバレ申し訳ない。
>>787すまん。
この論文でも周宣伝の記述に触れてないんだよね。
自分は確かに仲がいい方が良いよなとは思うけど
博士課程のヒトの文章でもスルーなのかorg
とりあえず政治的には殺したかったと解釈。
ただでさえ立太子騒動をやってるし、政治的には生かしておいたら
邪魔になるのは明白。
実際明帝の代になってから曹植擁立を流言されて
利用されたようなところもあるし。
これ、馬謖の策だって何かで読んだ事あるんだけど詳しい人いる?
>>817 特に漢中出征で両親と弟2人が出払って留守番中に
>>808以外にも《感離賦》《離居賦》が同時期に執筆されてる。
なかなか寂しがり屋のようだな
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/10/12(水) 23:40:20
>>808>>813 おお、本当に神が降臨している。乙&thx
背景とあわせて読むと感慨深いな。
短歌行をふと目にして、こんな詩詠む奴だったんだと思ったのが
曹丕に興味を覚えたきっかけだったな
本来はああいう自分の思いのたけをそのまま綴る様な詩を書く人じゃなかったんだ。
曹操と曹丕が仲悪そうなイメージはどこから来てるんだろ
>>810 がんがれー
参考書は文型がなるべくたくさん載ってるやつがよいよ
辞書は古漢板だと「漢辞海」ってのがお勧めらしいけど
高校の時使ってたので充分
漢籍だと参考で故事を出すことが多いから
詩経・楚辞以降前漢までのも色々少しずつ読んでくと理解は深まる
うおすまん上げてしまった!
>>818 興味深いレポ乙
>曹植が赴任した「鄄」城と「甄」氏が似てるからとか。
すまんここの部分の意味がちょっと良くわからない…俺の理解力が足らないのか
寂しがり屋の曹丕タン萌え
>>818補足
洛神賦は本来「感甄賦」だったのを明帝が「洛神賦」に代えさせたって
エピソードがあるよ。
古代では鄄と甄は同じ字だったとか、昔の論文だと甄shin氏のことを
甄ken氏とルビつけてるのもある。
それで暗に天子としての曹丕を思わせてるって説とのこと。
向こうでの読みまではピンインよくわかんね。
現代中国語の発音だと古典漢詩って韻踏んでないらしいのもあって
そのへん勉強しとくっす
あ、やべ、「本人は」じゃなくて「本人には」だ
>>787と論文執筆者もろとも重ねてすまんorg
>>820 ありがとん。明日にでも本屋見てみる。
いつか賢くなってこのスレに帰ってきます(`・ω・´)
とかいって、ちょくちょく覗きに来ちゃうんだよねww
>>818 いえいえ、報告乙です。先週には届いてたのだが親戚の結婚祝いに出ていて、
アクセスできんかったので。
現時点で他の自分のコピー所持論文 タイトルのみ
「曹丕詩補注稿(楽府)」「曹丕の文学について」「建安文学における曹丕の位置について」
「曹丕とその詩歌」「『文心雕竜』の作家論と曹丕「典論論文」との関係」
「曹丕・曹植と道家思想」「遊仙詩の系譜ー曹丕から郭璞まで」
「曹丕のことどもー髑髏と感傷」「曹丕年譜ノート」「曹丕と呉質」「魏文帝の賦と楚辞の関係」
「曹植「三良詩」ー「文帝誄」との関連を中心として」「魏の文帝と図緯」
読み難くてスマン。
>>788です
ありがとうございます。
沢山あるんですなー大学の図書館あたってみますよ。
「魏文帝の賦と楚辞の関係」あたりなんか気になるところ。
弟には「屈原と曹植」ってのがあるしセットで。
曹植はあれだけ感情的な詩を残していながら鐘コウの詩品だと
詩経の系統に入れられてるんだよね。
楚辞の影響の方が強そうと思ってたのに。
詩品で曹丕が中品で曹植が孔子なみの扱いってのは
鐘コウが華美流麗な文が好みだった、ってフォローしてみる。
>>819 曹沖が死んだ時の発言あたりか。
曹丕は倉舒誄書いて曹沖の死を悼んだのにな
208年って赤壁で大負けしてるし曹操も荒れてた時期だし
この倉舒誄ってのも曹植の作として伝わっていたのが
曹丕の作という見解に改まったようだ。
どんどん再評価されて欲しいなあ。
>827
曹沖の死は赤壁の前だから勝敗が曹操の精神状態に影響しての
発言じゃないだろう。
曹操は他にも曹沖の死後に周不疑を殺す時も曹丕に対して
曹丕より曹沖の方が上だと取れる発言をしているから
曹丕が曹沖が生きていたら後継者になれなかったといいたくなる気持ちもわかるな。
短歌行 曹丕
仰瞻帷幕,俯察几筵。 仰ぎ帷幕を瞻り、俯して几筵を察す
其物如故,其人不存。 其の物故の如く、其の人存せず
神靈倏忽,棄我遐遷。 神霊倏忽として、我を棄て遐へ遷さんとす
靡瞻靡恃,泣涕漣漣。 瞻り靡く恃靡く、泣涕漣漣とす
[口幼][口幼]遊鹿,草草鳴麑。 [口幼][口幼]と鹿遊び、草草と麑鳴く
翩翩飛鳥,挾子巣棲。 翩翩たる飛鳥、子を挟んで巣棲す
我獨孤煢,懷此百離。 我獨り孤煢し、此の百離を懷く
憂心孔疚,莫我能知。 心憂い孔疚しく、我を能く知るもの莫し
人亦有言,“憂令人老”。 人亦た言える有り、「憂い人を老い令む」
嗟我白髮,生一何蚤 嗟我が白髪、生え一れば何ぞ蚤き
常吟永嘆,懷我聖考。 常吟永歎し、我聖考を懷く
曰:“仁者壽”,胡不是保 曰く「仁者は壽し」、胡ぞ是保せざる
上を向き帷幕に目を凝らたり下を見て几筵を見る
それらは以前のままなのにその持ち主(曹操)はいない
(曹操の)魂はたちまちに私をおいて遠くへ行ってしまった
仰ぎ見る(尊敬する)人も頼りにする人もいないので涙が流れて止まらない
おやおや、鹿の親子が遊んだり鳴いたりしている(しかし私の父はいない)
翩々と空を飛んでいた鳥も巣で雛を羽の下に抱いている(しかし私の父はいない)
私は一人ぼっちで孤独なままこの別れを胸に抱いている
この悲しみと痛みで満たされた私の心を誰も知らない
「悲しみは人を老いさせる」と言った人がいる
ああ、私の白髪も何でこんなに早く生えるのか(悲しみが私をこんなに老けさせたのだろうか?)
何時も詩歌を吟じていると父を思い出す(父も詩人だったから)
孔子は「仁者は寿し(仁者は長生きだ)」と言ったがこれは本当なのか?(ならば何故父がもっと長生きしなかったのか)
書き下しと翻訳+註釈は自己流なので鵜呑みにされると困るけどこんな感じの歌だと伝われば幸い
神ポエムGJ!
曹丕の短歌行は曹操の同名の詩にも劣らず好きなんだよ
他分野に渡るスケールの大きさは父親に負けるかも知らんけど
曹丕はその分奥行きというか内面の深さが味だな
華佗伝の(中の華佗別伝の)中に典論の端くれ発見
曹植の「弁道論」の引用があるやつか?
兄弟揃って仙人なんか信じてなかったけど、
いざ目の当たりにしたら本当で驚いたやつだったか
>>832 信じてなくても話は好きそうだよ。二人とも。
曹丕は『列異伝』編纂させてるし、
曹植にも小話を披露したエピソードあったよね。
列異伝は幽霊を売る話が皮肉効いてて面白い。
曹丕って、アンソロジーみたいなの作るの好きだね。
なんか、ちょっと澁澤龍彦みたいだ。
>>834 工芸品とか特定の食べ物への偏愛とかが似てるかも。
大きくて派手なものより珍奇なものを好む感じとか。
自分の陵墓以外に大きな土木事業は行ってないし、
文章で自分の大伽藍を作る方が大命題だったのかもね。
芙蓉池作>フローラ逍遥
与群臣詔(葡萄)>私のプリニウス
列異伝>幻想の彼方へ
典論>ドラコニア
渋澤氏より長生きしたけど
奥さんが離婚後自殺したとこもなんかかぶるな
関係ないんでsage
長生きしてたら張華の書いた《博物誌》に、
自分も参加したいとか加わってたかもな。
ツァオピー
黎陽作
朝発 城 夕宿韓陵
霜雨載途 輿人困窮
載馳載駆 沐雨櫛髪
舎我高殿 何為泥中
在昔周武 愛曁公旦
載主而征 救民塗炭
彼此一時 惟天所賛
我独何人 能不靖乱
朝発 城 ←三文字目「業β」
留意:間違い部分あるかも
早速間違え発覚。
沐雨櫛髪→沐雨櫛「風」
色々おかしいけど書き下しと意訳を足してみた。
197年、曹操の出征に同行して黎陽で見聞きしたことを歌った詩らしい。
朝[業β]城を発ち 夕韓陵に宿す
霜雨載途し 輿人困窮す
載馳載駆し 沐雨は風を櫛る
舎我高殿 何ぞ泥中に為さん
昔周武在りて 愛は公旦に曁ぶ
載主は征し 救民塗炭す
彼の此の一時 惟だ天の賛する所
何ぞ人我独りや 乱の靖ずるを能わず
朝[業β]城を発ち 夕に韓陵に宿す
豪雨が街道を満たし 人々は困り果てる
馳せに馳せ駆けに駆け 大雨は風をくしけずるようだ
広大な建物も 何故泥にまみれよう
昔周の武王がいて 周公旦は大変可愛がられた
主は戦を起こし 難民が苦しそうにしている
周の治世は 他でもなく天の賞賛する所であるが
私一人でどうして戦乱を鎮められようか
ここでの周武→姫発は曹操を、周公旦が曹丕自身をなぞらえてるらしい。
曹操の「周の文王になる」発言ってこのへんから既に構想が出来てたらなんか凄いな
武王が曹操だと成王が曹沖で曹丕が周公旦になる構想か
その頃曹沖まだ幼児だぞ
普通に考えて献帝だろ
献帝が成王だと成王の方が周公旦より年上になるのがちょっとな
曹沖の賢さが幼児の時分から発揮されてたとは思えないし曹操も曹丕も後継ぎに、なんて思っちゃいなかっただろうよ
曹昂死んだの197年だし、まさかまだ曹丕を後継になんて欠片も考えてなかっただろ
曹沖は208年に13歳で死亡だから、197年では3歳。
一方、曹丕は187年生まれなので10歳。
いくらなんでも曹沖を念頭においてはいないだろう。
曹操が魏公に昇ったのが213年、魏王に就いたのが216年なんだし。
つか841の詩は曹丕10歳の時の作なのかよ!
>>847 うお、曹沖は197年時2歳だな。
単純ミスを……orz
あれ、197年って曹昂が死んだ年だよね
いつ黎陽に行ったの?
197年の段階で「朝発[業β]城」て変じゃねぇ?
その頃の[業β]て袁紹の領土だろ。
それとも別に[業β]城があるのかな?
すてきな詩のためなら、地形だって変える。それが詩人です。
>>842-851 197年当時に作ったわけじゃなくて、
197年の出来事を思い出して作った詩みたい
こっちも解説が中国語なんで超訳すっ飛ばし&拾い書き。
あらぬ誤解を招いてたらごめんよ
ゆえに事実といろいろ食い違っても不自然ではない、と思う。
あと今気がついたけど曹丕って昔のことを思い出して書いたり
作中で回想するの多いな。<自叔>とか。老成してるな。
まともに読めないんだけど
「199年曹操黎陽に進軍。
(中略)203年に袁軍を破る。
ちなみに曹丕は197年から随軍を始めた。」
って書いてある。多分…
197年てのは多分これじゃないかと思う。
>>854 それだ!うおおポカミスorz
203年頃が作品中の時期なんだろな。
(3月に黎陽を再攻撃して袁紹軍を破る?って書いてある)
203年当時に書いたとしても16歳、かなり最初期のひとつか。
千騎随風靡,万騎正犮驤。
金鼓震上下,干戚紛縦横。
白旄若素霓,丹旗['友']朱光。
追思太王徳,肯宇[言只]足臧。
経[厂カ]万年林,行行到黎陽。
['友']…原文そのままなんだけど日本漢字だと「髪」?
[言只]…IMEにはこのまま出て来なかった。
「黎陽作」はもう一首あって上記の通りなんだけど、
追思太王徳ってのがやっぱり周の文王のことを言ってる。
曹操が周の文王発言をしてる頃に回想して書いたのか、
それともこのころから周ビジョンがあったのか。
いずれにしても父親を尊敬してたと思う。
[厂カ]…日本漢字だと「歴」
中国の遺跡、出土したものでもなければ大半がでっち上げ
浮上!
861 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 16:55:13
スレ内容充実してて面白くて全部読んでしまった!携帯からだけど。
勉強になりました。
自分の周りの三国志好きは腐女子しかおらんからなかなか語れない。
セツナス('Α`)
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/04(金) 18:02:35
曹丕お兄ちゃん、性格はちょーっと悪いけどカッコイイから好き!
曹丕おとうちゃん、格好はともかくとして、性格オモロイから好き!
by曹丕の弟
兄から「七歩で詩を作れ」と命令される。
さいころの目が
1・3・5…詩を作れた。五回休み
2・4・6…詩を作れなかった。振出しに戻る
ひふみで、倍の詩をつくらなきゃいけない
しごろだったら、曹丕が作んなきゃいけない
868 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/10(木) 19:53:05
Piさまあげ
しかし、煮られる豆も燃される豆ガラも火が通って熱いのは変わらんね。
偽作ですから
このスレ住人的にはあれは偽作でFAか?
自分も偽作に一票
偽作だろうけど、演義の読み手にとってはれっきとした曹植の作品なんだろうな。
「建安文壇の詩人」と「三国志の登場人物」としての曹植はわりと別物だと思う
演義のベースになっている「三国志平話」では七歩詩のエピソードはなくて
(曹植も出てこない)、平話と相互に影響している元代の雑劇では
「曹子建七歩成章(タイトルのみで散逸)」なんてのがあるよ。
雑劇で台本が残ってるのがあって、ウロだけど曹植が出てきて、
本人のセリフで「七歩詩で有名な曹子建」とか言って登場してた…
判官贔屓と相まって民衆受けするキャラクターになるには
必要だったんジャマイカ
結局七歩詩の方が作品単体でメジャーになってるし
もとは世説新語だったような>七歩詩
そんな俗悪な本は信じないぞ
この間初めて世説新語読んだけど、
全編「民間妄想伝」みたいな本だな
確かにあれは信用できない。。。面白いけど
工房の時使ってた国語便覧に
曹植の代表作は七歩詩、って思いっきり書いてあって
教科書ってこんなもんかと思ったな
>>876 中学か高校の教科書に
「ベースボールを野球と訳したのは正岡子規」
と思いっきり書いていて、思いっきり信じていたが、
ガセビアに出て人生ごと否定されたようなさびしい気持ちになったことならある。
スレと関係なくてスマソ
>>875 魏晋バカ貴族列伝って感じで好き。
世説新語だと曹丕のイメージはかなり悪いね。
この時代にはもう既にこういうイメージになってたんだね。
そりゃ正史三国志でも偏狭って評価されてるしな
でも王粲死んだ時にロバの鳴き真似するエピソードは
ちょっと電波入ったイイ奴っぽくて好きだぞ
部下の馬に髑髏結び付けて遊んだりな
>>273には悪いが可愛い
むしろ萌えキャラですよ
世説新語で曹丕に関係する話って、
七歩の詩と
甄氏攫った話と
棗の話と
おはじきと
臨終際に母ちゃんにクソミソに言われた話 で全部?
最後のやつとか逆に曹丕に同情してしまったんだが…
鹿と魏太子の話で曹叡の優しさに涙するところなんて同じ人とは思えんな
それとも「こんな子で乱世を乗り切れるだろうか?」と思ったのかな
>>883 曹丕にしたって儒教的倫理観が尊ばれた時代の人間。
>>883 毒舌魔王でも
自分の子はかわいい物さ。
閑話。
ロバの鳴き声聞いた事ある人いる?
自分は聞いた事無いんだが、どうも馬とは似ても似つかない
ものすごい声らしいのだが。本当?
雷波流してるトコでロシナンテ
拾ってくりゃいいんじゃね?
浮上!
七歩の詩が偽作だとすると鹿の話も信用できないのか
890 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/11/28(月) 00:17:39
>>886 ジャイアンがひくバイオリンの様な泣き声
>>890 バイオリン弾くのが下手くそなのはしずかちゃんでは?
名スレ保守
893 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/12/13(火) 19:06:25
あげ
>>883 曹丕は「自分は曹操に愛されていない」と思い込んでいた。
それに反面して曹叡を可愛がってきたつもりだったんだが、
母親である甄后を殺された曹叡は「次は自分が殺される」と考えていた。
鹿狩りの日、曹叡に小鹿を殺しと言った曹丕は愕然とした。
「自分は父(曹操)から愛されていないと思っていたが、それは間違いであったのではないか?」
「父にしてみれば自分は頼もしい子供であったのではないか?」
「頼りにされていたからこそ、自分は曹操からアレコレかまってもらえなかったのではないか?」
「父の愛情とは表現しにくく、わかり難いものだ・・・」
逃げて行く小鹿を見つめながら複雑な表情をした曹丕がいた。
っていう感じの小説を読んだことがある。「曹操と曹丕」だったかな?
実際は自分の子供かどうか疑ってたとは思うが
曹叡が疎まれた理由の一つに立太子が遅かったからって言う人がいるけど曹丕死んだ時って40歳だろ?
脂の乗り切っている時期なんだから後継とか考えないよね、普通は
しかも親父が66歳まで生きてるしな
65歳です
なんで曹丕=リアリスト 曹植=ロマンチストなんて言われるんだろうな
曹植って疫病が流行った時に民が魔除けにお札張ったりするのを
「ただの気候の乱れにすぎず、鬼神の仕業なんかじゃないのに
愚民どものすることはおかしなものだ」
って言ってるような人物なのに。
曹植はエゴイストって感じ
曹丕もエゴイスト
ただ、曹植の場合「自分がよければそれでいい」で意識が内に向かってるのに対し
曹丕の場合は「自分がよいことを周りは認めろ!」で思いっきり外に向いてる
>>899 詩の方向性の事だろ
それから曹丕は徹底的にまで政治を冷徹にこなし自身の情をぶった切ってる
そして薄葬の令を出したりといらんものはいらんと言い切る
確かに曹丕がリアリストってのは否定できない事実でしょ
そういう点はふたりとも曹操にそっくりだな
曹丕スレみつけたから頭から読んでみたけど内容が濃くてびっくりだ
三戦板とは思えないほどの良スレだよな。
これだからやめられん
905 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/10(火) 16:06:32
age
せっかくの良スレなのに過疎ってるね。勿体無い。
誰かネタない?
漫漫秋夜長
烈烈北風涼
展轉不能寐
披衣起彷徨
彷徨忽已久
白露沾我裳
俯視清水波
仰看明月光
天漢廻西流
三五正縱
草蟲鳴何悲
孤鴈獨南翔
鬱鬱多悲思
緜緜思故郷
願飛安得翼
欲濟河無梁
向風長歎息
斷絶我中腸
ビデオに撮ればいいではないか…
曹丕テラモコス
911 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/01/20(金) 17:28:34
漢詩紀行見れなかった(´・ω・`)
再放送とかやってないのかな…
楽しみにしてたのに見逃した
見たひといる?
>>912 みのがしたよ、自分。
刊行開始された『中国古典小説選』明治書院の二巻に列異伝が収録予定。
原文、書き下し、現代語訳付き。
但し刊行日は未定。次回配本は世説新語。
年内に出るかも不明。
自分も見逃した…
ひょっとしてこのスレで見た人間はいないのか
漢詩紀行録画してたのやっと今日見た。
雑詩の二(西北有浮雲〜)と於玄武陂作(兄弟共行遊〜)の2首。
曹丕本人についての説明はさらりとしてた。
本当にここ良スレですね。全部が全部参考になりました。
いま個人的に曹家について調べているんですが、
曹丕の娘、東郷公主についての資料が少なくて難儀しています。
正史の甄皇后伝に
『二十一年(216年)、太祖が東方征伐におもむいた際に、
武宣皇后、文帝および明帝・東郷公主らは皆お供をした』という
記述があるらしいのは見つけたのですが、それ以上は何も分からずじまいで。
若死にした曹沖の冥婚の相手になった、という説があるけれど
『登β哀王沖伝』によると『甄氏の死んだ娘を娶って一緒に葬って』
となっているらしいので、甄氏の娘=甄皇后の娘ではなく
甄一族の誰かの娘という解釈もできるため、
必ずしも東郷公主が曹沖と合葬されたわけではないらしいという
見方もありまして…
曹丕から反れて申し訳ないんですが
どなたか詳しいことご存知の方いらっしゃいませんか?
>>916 これ読んで自分で判断して
建安中,袁紹為中子熙納之.
熙出為幽州,后留養姑.
及冀州平,文帝納后于[業β],有寵,生明帝及東郷公主.(文昭甄皇后伝本文より抜粋)
二十一年,太祖東征,武宣皇后、文帝及明帝、東郷公主皆從,時后以病留[業β].
二十二年九月,大軍還,武宣皇后左右侍御見后顏色豐盈,怪問之曰:「后與二子別久,下流之情,不可為念,而后顏色更盛,何也?」
后笑答之曰:「叡等自隨夫人,我當何憂!」
后之賢明以禮自持如此.(文昭甄皇后伝、註釈の魏書より抜粋)
こっちが
>>916の言う話かな
東郷公主の名前が出る話はこの二つしか発見できなかった
918 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/05(日) 07:00:12
保守。このスレだけは許して・・・
曹丕の短歌行読んでいつも
「なんでこんな唐突に鹿が出てくるのか」
と思ったら曹操の短歌行に同じフレーズが有った事を最近知った
本歌取りみたいなことしてたから同じ題名付けたんだな…
920 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/06(月) 01:00:10
詩人だよな
921 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 09:33:45
弟の植のほうがうまい。
方向性が違うだけ
三人それぞれ違う良さがあるじゃないか
手紙は曹丕のが味わいがあるような。
以外に?感情がストレートに書かれてると思う。
燃料投下。
しかし曹丕って、誰かをからかったりとか
諌められたってエピソードがなんか多いな。
詩に関してはこんなん見つけた。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssj3/sjis/56honbun.html#209 9.舞台の上の曹丕楽府 ってやつ。
宋代で評価されてるあたり、早すぎた才能だったんかなあ。
音楽に拠る部分もあると思うけど。
同時代の公讌詩だと、曹植・王粲・劉驍ノ「公宴詩」とかあたりか。
三曹(曹操・曹丕・曹植)じゃなくて三祖(曹操・曹丕・曹叡)で
まとめてるけど曹叡の作品ってあまり残ってないな。
ちょっと調べてみたけど、「燕歌行」が平調曲
(笙・笛・節鼓・琴・瑟・琵琶・箏で構成)ってのしか探せなかった。
当時実際に歌われていた音韻とか平仄まではこれもさすがに解らない。
広東語が漢代のに近いとか何かで見たことあるような気がしたけど。
>>926 つい忘れがちだけど楽府って基本的には歌うものだからね。
どう表現されたかは気になる。
この発表内容も詳細読みたいな。